2013年08月

2013年08月31日


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本盤に収められているのは、カルミニョーラが、同じイタリア人の大指揮者アバドと組んでスタジオ録音を行ったモーツァルトのヴァイオリンのための協奏曲全集及び協奏交響曲である。

カルミニョーラは、モダンとバロック両方のヴァイオリン演奏法を修得し、きわめて幅広いレパートリーを擁するヴァイオリニスト。

カルミニョーラは1997年にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲集を収録したが、それから10年後の2007年に何かと過去関係もあったアバドとの共演で本盤演奏が収録されたものである。

オーケストラはアバドが2004年に設立したモーツァルト管弦楽団で、若々しい躍動感溢れる音を放ってヴィブラートを抑制したピリオド奏法でバックサポートしている。

いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本演奏の特徴を一言で言えば、ソロ奏者、指揮者、オーケストラの全員が実に楽しげに音楽を奏でているということではないかと考えられる。

カルミニョーラのヴァイオリンは、モーツァルトの若い時代の作品であるということもあってもともと卓越した技量を要するような楽曲ではないという側面もあるが、自らの技量をいささかも誇示することなく、あたかも南国イタリアの燦々と降り注ぐ陽光のような明瞭で伸びやかな演奏を披露してくれているのが素晴らしい。

若手の才能ある演奏家で構成されているモーツァルト管弦楽団も、いわゆる古楽器奏法を駆使した演奏ではあるがいささかも薄味には陥っておらず、フレッシュな息吹を感じさせるような躍動感溢れる名演奏を展開しており、演奏全体に清新さを与えるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督退任の少し前に大病を患ったが、大病克服後は音楽に深みと鋭さを増すことになり、現代を代表する大指揮者と言える偉大な存在であるが、本演奏においては、親交あるカルミニューラやヴィオラのヴァスキエヴィチ、そしてモーツァルト管弦楽団などの若い音楽家たちを温かく包み込むような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。

録音については、今から約5年前の録音であり、十分に満足し得る高音質である。

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classicalmusic at 23:48コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトアバド 

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本盤に収められたマーラーの交響曲第6番は、DVD作品を除けば、アバドによる3度目の録音ということになる。

最初のものは、ウィーン交響楽団とのライヴ録音(1967年)であり、デビューしたばかりの若きアバドならではの渾身の大熱演であった。

これに対して、2度目のものはシカゴ交響楽団とのスタジオ録音(1979〜1980年)であり、これはある意味ではアバドが最も輝いていた時期の演奏。

持ち味である歌心溢れる豊かな歌謡性と強靭な気迫や生命力が融合した稀有の名演に仕上がっていた。

これに対して、本演奏は2004年のライヴ録音。

これまでの2度にわたる演奏とは一線を画する円熟の名演に仕上がっている。

本演奏の最大の優位点は、演奏全体を支配する奥行きの深さである。

アバドはベルリン・フィルの芸術監督を退任する少し前の2000年に大病を患うことになった。

そして、アバドはその大病を見事に克服するのであるが、死と隣り合わせの苛烈な体験を経たことによって、アバドの芸風には、それまでの演奏にはなかった凄みと底知れぬ彫りの深さが加わったと言えるのではないだろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任して以降は、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始していただけに、その変貌ぶりには驚くべきものがあったとも言える。

したがって、本演奏には、これまでの2度にわたる演奏には存在しなかった楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さが存在しているというのはある意味では当然であり、まさにアバドによる円熟の名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

もっとも、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な迫力という意味においては、シカゴ交響楽団との2度目の録音と比較するといささか見劣りするとも言えなくもないが、むしろ、このように決して喚いたり叫んだりしない、そして奥行きの深い演奏の中にも持ち前の豊かな歌謡性をより一層際立たせたいい意味での剛柔バランスのとれた演奏こそが、アバドが目指す究極のマーラー演奏の理想像とも言えるのかもしれない。

なお、アバドは、これまでの2度にわたる録音とは異なり、国際マーラー協会の見解に従って、第2楽章と第3楽章を入れ替えるバージョンで演奏しているが、これはいかにも新しいもの好きのアバドならではの解釈である。

ベルリン・フィルも、このような深みと凄みを増したアバドによる確かな統率の下、持ち得る実力を十二分に発揮した最高のパフォーマンスを示していると評価したい。

録音については、数年前に発売されたこのマルチチャンネル付きのSACDがベストの高音質である。

当該SACD盤は現在でも入手可であり、可能であれば、当該SACD盤の入手をおすすめしたい。

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classicalmusic at 21:39コメント(0)トラックバック(0)マーラーアバド 

2013年08月30日


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“リストの再来”とも言われたシフラが弾く超絶技巧練習曲集という聴き応えのある1枚。

リストと同じハンガリー生まれのシフラの、知性と作品に対する誠実さにあふれた演奏である。

随所に彼独特のラプソディ的な持ち味が強く出ており、かなり古い録音にもかかわらず、輝かしいピアノの音色が存分に伝わってくる名盤である。

全般的に楽曲に忠実で、機械的な演奏に陥らず、完全に音楽を自分のものにしており、シフラの超絶的な技量に唖然とさせられる。

ペダルの使用を極力抑えた清潔なテクニックで、ひたすら作品に忠実に弾き進んでいることが実感できる。

叩きつけるような力強い打鍵や、夢見るような美しい抒情、堂々たる楽曲の進行など、幅広い表現力を駆使して、リストのピアノ曲の魅力が盛り込まれた難曲である超絶技巧練習曲集を完璧に表現し尽くしている。

例えば、「風景」の抒情豊かな美しさと、有名な「マゼッパ」の重量感溢れる迫力の著しい対比など、各楽曲毎の描き分けも見事であり、シフラが、圧倒的な技量だけでなく、表現力の幅の広さ、スケールの大きさにおいても、圧倒的な存在であったことがわかる。

超絶的な技量とともに、圧倒的な表現力を必要とするが故に、いわゆるリスト弾き以外のピアニストには弾きこなすことが困難ではないかと考えられた難曲である超絶技巧練習曲集を、これだけ完璧に弾きこなしたことにかんがみれば、シフラが“リストの再来”との評価もあながち言いすぎではないと考える。

録音はモノラルでイマイチ冴えないが、近年における、より高音質の同曲の演奏と比較しても、同曲のあらゆる名演中のトップの座を譲ることはいささかもなく、そして、今後も現れるとは考えにくところである。

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classicalmusic at 21:47コメント(0)トラックバック(0)リスト 

2013年08月29日


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マーツァル&チェコ・フィルによる待望のブラームスの交響曲全集の登場だ。

このコンビは、チャイコフスキーの交響曲全集については完成にこぎつけたものの、マーラーやドヴォルザークの交響曲全集についてはいまだ一部の交響曲の録音が終了しておらず、加えて、マーツァルがチェコ・フィルの音楽監督を退任したこともあって、全集完成が見通せない状況にある。

ブラームスの交響曲全集についても、第1番、第2番及び第4番と悲劇的序曲については数年前に発売されていたが、第3番及び大学祝典序曲については長らく発売されるに至らず、前述のマーラーやドヴォルザークと同様に、全集完成について半ば諦めかけていたところだ。

それだけに、今般、第3番及び大学祝典序曲も加えて全集の形で発売されたのは、ある種の感慨を覚えるところである。

なかでも圧倒的に素晴らしい名演は第1番である。

そして、今般、初登場の第3番&大学祝典序曲も第1番と同格の名演であり、高音質録音も相俟って、それらを味わうだけでも十分に価値の高い名全集と言えるだろう。

第1番については、全体を43分で駆け抜けるという、同曲としては速めのテンポ設定であり、マーツァルは、一直線のインテンポで演奏している。

テンポだけで言うと、かのベーム&ベルリン・フィルによる超名演(1959年)と同様であるが、出てきた音楽は全く異なる。

ベームが剛毅でなおかつ重厚さが際立ったいかにもドイツ正統派の名演であったが、マーツァルの演奏は、むしろ柔和なイメージ。

剛と柔という違いがある。

では、軟弱な演奏かというとそうではない。

ブラームスの音楽の美しさを、オーケストラを無理なく鳴らすことによって、優美に仕立て上げるという、マーツァル得意の名人芸が繰り広げられているのだ。

第3番もやや速めのテンポによる演奏ではあるが、第1番と同様に剛柔のバランスが絶妙であり、マーツァルの類稀なる音楽性の高さが随所に感じられる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

この両曲に対して、第2番及び第4番については、マーツァルとしては今一つの出来と言わざるを得ない。

両演奏ともに美しい演奏であり、とりわけ第4番において顕著であるが、今一つ楽曲への踏み込みが足りないのではないかと考えられるところだ。

決して、凡演とは言えないが、マーツァルならば、もう一段上の彫りの深い演奏を行うことができたのではないだろうか。

チェコ・フィルは、どの楽曲の演奏においても見事な名演奏を繰り広げており、とりわけ、中欧のオーケストラならではのしっとりとした美音が、演奏全体に適度の潤いと温もりを与えている点を忘れてはならない。

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classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0)ブラームス 

2013年08月28日


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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫君であるバレンボイムとともに1967年から1968年にかけてスタジオ録音を行ったブラームスのチェロ・ソナタが収められている。

いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲には、いかにもブラームスならではの人生の諦観を思わせるような寂寥感、深遠な抒情などが込められているが、デュ・プレは、そうした箇所における各旋律の繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックのピアノ演奏をつとめるのは夫君であるバレンボイムであるが、本演奏においては、デュ・プレのチェロ演奏をしっかりと引きたてるとともに、一緒になってブラームスの奥深い情感の世界を見事に描出するのに成功している点を評価したい。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)デュ・プレバレンボイム 

2013年08月27日


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チャイコフスキーの最高傑作でもある交響曲第6番「悲愴」については、これまで数多くの独墺系に指揮者が演奏・録音してきた。

フルトヴェングラーやクレンペラー、ベーム、ザンデルリンクといった錚々たる指揮者のほか、カラヤンに至っては、同曲を心から愛し、おびただしい数の録音を行った。

ヴァントの芸風とチャイコフスキーの交響曲は、必ずしも相容れるものではないようにも思われるが、それでも交響曲第5番と比較すると、幾分ヴァントの芸風が生かされる余地がある楽曲と言えるのかもしれない。

ヴァントの伝記を紐解くと、若い頃は、チャイコフスキーの交響曲を頻繁に演奏したとのことである。

これは、ヴァントが、とかく孤高の指揮者と捉えられがちではあるが、実際には累代の独墺系の大指揮者の系列に繋がる指揮者であるということを窺い知ることが可能である。

もっとも、ヴァントが遺したチャイコフスキーの交響曲の録音は、手兵北ドイツ放送交響楽団を指揮した第5番及び第6番のそれぞれ1種類ずつしか存在していない。

しかしながら、数は少ないとしても、この2つの演奏はいずれも素晴らしい名演であると高く評価したい。

本盤に収められたのは交響曲第6番であるが、演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。

ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。

したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸である。

もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

併録のストラヴィンスキーのバレエ音楽「プルチネルラ」も、ヴァントしては極めて珍しいレパートリーであるが、これまた異色の名演だ。

いわゆる新古典派と称される音楽であり、親しみやすい旋律に満ち溢れた名作であるが、ヴァントは陳腐なロマンティシズムに拘泥することなく、常に高踏的な美しさを失うことなく、格調高く曲想を描き出しているのが素晴らしい。

同曲の最高の演奏とまでは言えないものの、ヴァントならではの引き締まった名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1990年代のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何という素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:32コメント(0)トラックバック(0)ヴァントチャイコフスキー 

2013年08月26日


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2011年9月18日に惜しくも逝去したクルト・ザンデルリンクは、2002年には既に指揮活動から引退していたところであるが、特に晩年の1990年代においては、ヴァントやジュリーニなどとともに数少ない巨匠指揮者の一人として、至高の名演の数々を披露してくれたところであり、その死は残念でならないところである。

本盤は、巨匠ザンデルリンクの追悼盤として初めて世に出た音源であるが、いかにも巨匠ならではの素晴らしい名演であると高く評価したい。

このような素晴らしい名演奏を聴いていると、あらためて巨匠の死を悼む聴き手は筆者だけではあるまい。

本盤には、モーツァルトの交響曲第39番とベートーヴェンの交響曲第6番「田園」が収められているが、このうち、モーツァルトについてはザンデルリンクにとっても極めて珍しい曲目である。

同曲については、ザンデルリンクが師事したムラヴィンスキーによる素晴らしい名演が遺されているが、ムラヴィンスキーのように絶妙なニュアンスを随所に施した颯爽としたテンポによる演奏とは、その性格を大きく異にしていると言えるだろう。

テンポはゆったりとしたものであり、スケールは雄大の極み。

ザンデルリンクは各旋律を徹底して歌い抜いており、その豊かな情感にはロマンティシズムの香りさえ漂っていると言えるほどだ。

それでいて、演奏全体として格調の高さをいささかも失うことがないというのは、ザンデルリンクの類稀なる音楽性の豊かさの証左と言っても過言ではあるまい。

筆者としては、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではないが、必ずしもザンデルリンクが得意とした楽曲ではないだけに、聴き手によっては好みが分かれる演奏かもしれない。

他方、ベートーヴェンの「田園」は、文句の付けようのない素晴らしい名演だ。

ザンデルリンクの「田園」の名演としては、数年前に発売されたケルン放送交響楽団とのライヴ録音(1985年)が名高いが、本演奏は当該演奏から6年後のライヴ録音。

演奏全体のスタイルとしては、ゆったりとしたテンポによる悠揚迫らぬ曲想の進行、深沈とした奥行きと格調の高さが支配している点においては共通しており、後はオーケストラの違いと言えるのかもしれない。

本演奏はベルリン・ドイツ交響楽団であるが、巨匠ザンデルリンクとの相性は抜群であり、ケルン放送交響楽団と技量においてはほぼ同格。

音色の重心が、若干ではあるが、北ドイツのオーケストラだけに本演奏の方が低いと言えるところであり、「田園」により重厚な響きを求める聴き手には、本演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではない。

音質は1991年のライヴ録音だけに、鮮明で素晴らしいものであると高く評価したい。

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classicalmusic at 21:40コメント(0)トラックバック(0)ザンデルリンク 

2013年08月25日


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驚天動地の名演だ。

名演の前に超をいくつか付け加えてもいいのかもしれない。

それくらい、弦楽四重奏曲の通例の演奏様式の常識を覆すような衝撃的な解釈、アプローチを示している。

アルカント弦楽四重奏団は、以前にもバルトークの弦楽四重奏曲の超名演を成し遂げているが、本盤の衝撃は、その比ではない。

ドビュッシーとラヴェルの有名な弦楽四重奏曲の間に、デュティユーの弦楽四重奏曲をカップリングするという選曲のセンスの良さも光るが、この有名曲であるドビュッシー、ラヴェルの弦楽四重奏曲が含有する作品の内面への追求が尋常ではない。

ダイナミックレンジの桁外れの幅の広さや、極端とも言うべき緩急自在のテンポの変化を駆使して、ひたすら作品の内実に迫っていくアプローチには、ただただ頭を垂れるのみ。

それでいて、例えばラヴェルの第3楽章などに見られる情感豊かさは、筆舌には尽くしがたい美しさを誇っている。

デュティユーの各楽章(部と言ってもいいのかもしれない)毎の思い切った描き分けは、難解とも言える同曲の本質を聴者に知らしめるという意味において、これ以上は求め得ないような理想的な演奏を行っている。

それにしても、これらの各楽曲の演奏における4人の奏者の鉄壁のアンサンブルは、何と表現していいのであろうか。

それぞれが若手奏者であるにもかかわらず、単なる技術偏重には陥らず、常に作品の内面を抉り出そうと言う真摯な姿勢には深い感銘を覚えるとともに、この団体の今後の更なる発展を予見させるものと言えよう。

録音も素晴らしい。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーラヴェル 

2013年08月24日


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ドビュッシーの有名な管弦楽曲を収めたCDであるが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

パーヴォ・ヤルヴィは、父ネーメ・ヤルヴィ譲りのきわめて広範なレパートリーを誇っている指揮者であるが、決して粗製濫造には陥らず、多種多様な楽曲のいずれについても水準の高い演奏を繰り広げているというのは、類稀なる才能の証左であると言えるところであり、現代における最も注目すべき指揮者との評価もあながち言い過ぎではないと思われる。

ドビュッシーの管弦楽曲については、フランス印象派を代表する楽曲であるだけに、マルティノン、アンセルメ、近年ではデュトワなどのフランス系の指揮者によるフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいがある名演がもてはやされてきた。

また、フランス風とドイツ風を融合させたカラヤンによる重厚な名演や、豊かな歌謡性を全面に打ち出したアバドやジュリーニによる名演もあった。

これら海千山千の指揮者による個性的な名演と比較すると、パーヴォ・ヤルヴィの演奏には、聴き手を驚かせるような特別な個性があるというわけではない。

では、没個性的な演奏かというと、決してそのようなことがないのである。

ここでのパーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、例によって精緻で丁寧に曲想を描き出していくというものである。

恣意的な解釈はいささかもなく、音楽も滔々と流れていくが、どこをとっても情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。

このように、持ち前の豊かな音楽性を発揮し、いわゆる自然体のアプローチを施すことによって、ドビュッシーの印象派ならではの精緻にして色彩感豊かなオーケストレーションの魅力をダイレクトに満喫することができるのが、何よりも本名演の最大の長所と言っても過言ではあるまい。

要は、聴き手がゆったりとした気持ちで音楽自体の素晴らしさを味わうことができるということであり、その意味では、本名演は、過去のいかなる名演にも決して劣っていないものと考える。

さらに、本盤が優れているのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、ドビュッシーの精緻にして色彩感豊かなオーケストレーションを鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年08月23日


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東京弦楽四重奏団による2度目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集のトリを飾る後期弦楽四重奏曲集の登場だ。

ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集(第12〜16番)は、弾きこなすのに卓越した技量を要するとともに、その内容の精神的な深みにおいても突出した存在である。

交響曲でいえば第9番、ピアノ・ソナタでいえば第30〜32番、合唱曲で言えばミサ・ソレムニスに匹敵する奥深い内容を有した至高の名作であり、その深遠な世界を表現するには、生半可な演奏では到底かなわない。

このような高峰に聳える名作だけに、これまで様々な弦楽四重奏団によって、多種多様な名演が繰り広げられてきた。

したがって、並大抵の演奏では、海千山千の名演の中で、とてもその存在価値を発揮することは困難である。

そこで、この東京弦楽四重奏団による演奏であるが、そのアプローチは、これまでの他の弦楽四重奏曲とは何ら変わるところがない。

曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出して行くというものだ。

したがって、聴き手を驚かすような特別な個性などは薬にしたくもなく、楽曲の本質に鋭く切り込んでいくような凄みにもやや欠けている。

しかしながら、いささかも奇を衒わない真摯な姿勢は、かつてのスメタナ四重奏団による名演奏を彷彿とさせるような、豊かな音楽性に満ち溢れた優美さを兼ね備えていると言えるのではないか。

東京弦楽四重奏団の各奏者は、世界に6セットしかないと言われているパガニーニ選定のストラディヴァリウスを使用しており、それによって醸し出される独特の美しい音色は、そうした豊かな音楽性に満ち溢れた優美さをさらに助長するものである。

また、4人の奏者による息の合った絶妙なアンサンブルも、そうした優美な演奏に一役買っていることも忘れてはならない。

いずれにしても、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集の演奏に何を求めるのかによって、賛否両論が生ずる演奏ではあると思うが、筆者としては、楽曲の魅力をゆったりとした気持ちが味わうことができるという意味において、素晴らしい名演と高く評価したい。

マルチチャンネル付きのSACDによる、各奏者の微妙な弓使いまで捉えた極上の高音質録音も、本盤の価値をより一層高めることに大きく貢献している点も忘れてはならない。

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classicalmusic at 23:56コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン東京SQ 

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東京弦楽四重奏団による2度目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集録音の第3弾の登場だ。

第3弾においては、中期から後期への橋渡しとなる第10番と第11番を収録。

「ハープ」、「セリオーソ」という、愛称を有した楽曲どうしの組み合わせだ。

いずれも、第1弾(第7〜第9番のいわゆるラズモフスキー3部作)及び第2弾(第1〜第6番の初期の弦楽四重奏曲)と同様の素晴らしい名演と高く評価したい。

本演奏における東京弦楽四重奏団のアプローチは、これまでのものと何ら変わるところがない。

楽想を精緻に、そして情感豊かに描き出して行くというものだ。

本盤に収められた両曲は、その愛称の所以にもなっているが、ピツィカートやユニゾンなどに独特の音型があらわれるのを大きな特徴としている。

こうした特徴的な音型において、東京弦楽四重奏団の4人の奏者が使用している、世界にも6セットしかないとされているパガニーニ選定の銘器ストラディバリウスによる独特の美しい音色による表現は実に効果的であり、両曲の演奏をより一層魅力的なものとする結果に繋がっていることを忘れてはならない。

東京弦楽四重奏団は、既に結成以来40年以上が経過しているが、その間にメンバー交代があり、現在では日本人奏者が2人しかおらず、一時は音色の調和に苦しんだ時期もあったと言われているが、本演奏においては、そのような苦難を克服し、息の合った絶妙のアンサンブルを披露してくれており、今や、この団体が円熟の境地にあることを感じさせてくれるのが素晴らしい。

もちろん、円熟と言っても穏健一辺倒ではなく、第10番の第3楽章や第11番の第1楽章及び第3楽章における気迫溢れる演奏は、凄みさえ感じさせる圧巻の迫力を誇っている。

いずれにしても、本演奏においては、聴き手を驚かすような特別な個性があるわけではないが、いささかも奇を衒うことがなく、これらの作品の持つ魅力をゆったりとした気持ちで満喫することが可能であるという点においては、過去の様々な個性的な名演にも決して引けを取らない名演である。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値をより一層高めるのに大きく貢献している。

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東京弦楽四重奏団による2度目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の第2弾であるが、本盤には、初期の弦楽四重奏曲6曲が収められている。

いずれの楽曲の演奏も、第1弾と同様の素晴らしい名演と高く評価したい。

東京弦楽四重奏団のアプローチは、第1弾と何ら変わるところはない。

それは、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出して行くというものであり、それ故に、ベートーヴェンの音楽の魅力をゆったりとした気持ちで満喫できるというのが、何よりも本演奏の最大の長所である。

世界に6セットしか存在しないと言われているパガニーニ選定によるストラディヴァリウスを使用しているというのも本団体の、そして本演奏の魅力の一つであり、4人の奏者が醸し出す音色の美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、4人の奏者による息の合った鉄壁のアンサンブルも見事であり、一時は、団員の入れ替わりによって不調が伝えられたとは思えないような、円熟の演奏を聴かせてくれているのが素晴らしい。

この演奏には、かつてのアルバン・ベルク弦楽四重奏団やカルミナ弦楽四重奏団のような、聴き手を驚かすような特別な個性があるわけではないが、楽曲が初期の弦楽四重奏曲だけに、むしろ、このような自然体のオーソドックスな演奏の方がより適していると言えるのかもしれない。

本演奏で残念なのは、他の弦楽四重奏曲は、マルチチャンネル付きのSACDで発売されているにもかかわらず、従来CDでしか発売されていないということだ。

その理由は定かではないが、おそらくは初期の弦楽四重奏曲であるということが理由なのかもしれない。

従来CDであっても録音自体は非常に鮮明ではあるが、マルチチャンネル付きのSACDとは比べるべくもないと思われる。

いずれにしても、本演奏自体の素晴らしさに鑑み、今後のSACD化を大いに望みたいと思う。

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東京弦楽四重奏団による2度目のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の第1弾であるが、こうした記念すべき第1弾において、いきなり、ベートーヴェンの中期の傑作であるラズモフスキー3部作を採り上げたところに、この団体の確かなる自信が感じられる。

東京弦楽四重奏団は、弦楽四重奏団の名称に「東京」の名を冠していても、日本人の奏者は2人しかおらず、しかも、結成してから40年が経って、その間にメンバーの入れ替わりがあり、一時は音色の調和に苦労した時期があったようでもある。

しかしながら、本盤に収められた演奏においては、すべての奏者の音色が見事に融合した、息の合った絶妙なアンサンブルを披露しており、この楽団の近年における充実ぶりを味わうことが可能だ。

世界に6セットしか存在していないとされているパガニーニ選定によるストラディバリウスを使用しているというのも、本団体、そして本演奏における最大の魅力でもあり、4人の奏者が奏でる音色の美しさには出色のものがある。

本演奏には、例えば、先般、惜しまれる中で解散したアルバン・ベルク弦楽四重奏団や、今を時めくカルミナ弦楽四重奏団のような特別な個性があるわけではないが、かつてのスメタナ弦楽四重奏団と同様に、楽想を精緻に、そして情感豊かに描き出して行くというものであり、音楽そのものの美しさを聴き手にダイレクトに伝えてくれている。

このように、ベートーヴェンの作曲したラズモフスキー3部作を、ゆったりとした気持ちで満喫させてくれるという意味においては、過去の様々な名演にも決して引けを取らない素晴らしい名演と高く評価したい。

さらに、本盤の魅力は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲のSACD盤は、現在のところ希少な存在であり、その意味でも本盤の価値は非常に高いものがある。

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2013年08月22日


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ベルリオーズの幻想交響曲は、巧みなオーケストレーションや標題交響曲としてのドラマティックな展開の面白さなどから、古今東西の様々な指揮者によって、多種多様な個性的名演が繰り広げられてきた。

特に、フランス系の指揮者には必須のレパートリーであり、ミュンシュやクリュイタンス、モントゥーなどには、それぞれ複数の名演が遺されているほどだ。

また、ドイツ系の指揮者にも人気が高く、クレンペラーによる重厚な名演は今なお燦然と輝いているし、カラヤンも3度にわたって絢爛豪華な名演を成し遂げている。

鐘の音色にやや違和感があるが、ケーゲルによる心胆寒からしめるような演奏もあった。

その他にも、前衛的なブーレーズ(旧盤)による怪演、チョン・ミュンフンによる名演、2度にわたって名演を成し遂げた小澤など、名演には枚挙にいとまがない。

これだけ、数多くの指揮者による多種多様な名演が成し遂げられている理由としては、幻想交響曲にはオーケストラ演奏の醍醐味があるということになるのではないだろうか。

このような楽曲になると、パーヴォ・ヤルヴィの卓越した豊かな音楽性は、存分にその力を発揮する。

パーヴォ・ヤルヴィは、ベルリオーズの華麗なオーケストレーションを精緻に、そして丁寧に描き出して行く。

それでいて、スコアの音符の表層を取り繕った薄味の演奏には陥ることなく、どこをとっても豊かな情感に満たされているのが素晴らしい。

また、パーヴォ・ヤルヴィは、各楽章の描き分けを巧みに行うなど、演出巧者ぶりを存分に発揮しており、第1楽章及び終楽章におけるドラマティックな表現にも抜かりはないし、第4楽章の強靭さは圧倒的な迫力を誇っている。

いずれにしても、本演奏は、聴き手を驚かすような特別な個性のある演奏とは言い難いが、純音楽的なアプローチで楽曲の持つ魅力をダイレクトに表現するのに成功したという意味においては、素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の劇的交響曲「ロミオとジュリエット」からの抜粋も、こうしたパーヴォ・ヤルヴィの演出巧者ぶりが発揮された名演であり、この演奏を聴いて、長大な同曲全曲を聴きたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

そして何よりも素晴らしいのは、シンシナティ交響楽団の卓越した技量であり、管楽器も弦楽器も最高のパフォーマンスを示している。

録音も、テラークならではの極上の高音質録音であり、パーヴォ・ヤルヴィの精緻な演奏を鮮明な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2013年08月21日


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同時発売のショパンのピアノ協奏曲第1番及び第2番と同様に、バレンボイムのDGへの移籍第1弾となるCDの登場だ。

本盤には、ショパンの幻想曲やピアノ・ソナタ第2番を軸として、ポロネーズ「英雄」や子犬のワルツ、舟歌と言った有名な小品が収録されている。

これらの演奏は、いずれも、ショパン生誕200年を記念してワルシャワで行われたコンサートのライヴ録音であり、このコンサートは、バレンボイム自身の演奏活動60年を記念するものでもあったとのことだ。

バレンボイムは、近年では指揮者としての活動が中心であり、ピアニストとしても、ベートーヴェンやモーツァルトなどの独墺系の作品をレパートリーの中心に掲げてきている。

したがって、バレンボイムのショパンというのはピンと来ないというのが正直なところであるが、前述のような記念となるコンサートの曲目としてショパンを選んだところに、バレンボイムのショパンへの深い理解と愛着を感じることが可能だ。

それにしても、バレンボイムのピアニズムは重厚で彫りが深い。

あたかも、ベートーヴェンのピアノ・ソナタに接するのと同様のアプローチで、ショパンに接していると言えるだろう。

したがって、ショパンのピアノ曲に特有の愉悦やユーモアと言った側面にはいささか欠けると言わざるを得ないが、各楽曲の本質に潜んでいる寂寥感や人生への絶望感などに切り込んで行く鋭さには無類のものがあり、いわゆる音楽の内容の根底にある精神的な深みの追求に関しては、他のピアニストの追随を許さないような奥深さがある。

かかる演奏は、ショパンの音楽を陳腐なサロン音楽と見做す考え方に対する強烈なアンチテーゼとさえ言えるだろう。

このような重いショパンは願い下げという聴き手もいるとは思うが、筆者としては、ショパンの音楽を、それこそベートーヴェンの音楽の高踏的な次元にまで引き上げることに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。

録音も鮮明な高音質であり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年08月20日


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本盤には、モーツァルトによるセレナードを除くとバロック音楽の有名な小品が収められているが、いずれも至高の超名演と高く評価したい。

本盤においてカラヤンが指揮しているのはベルリン・フィルであり、ソロは基本的にベルリン・フィルの有名スタープレイヤーで占められている。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽演奏史上でも最高の黄金コンビの一つであると考えるが、その蜜月時代は1960代及び1970代というのが一般的な通説だ。

1980年代に入るとザビーネ・マイヤー事件が勃発し、このコンビに修復不可能な亀裂が走ることになった。

そこで、まずは本盤の録音が、そうしたザビーネ・マイヤー事件が両者の関係により深刻な影を落とし始めた1983年9月の録音であるのに着目したい。

というのも、本盤に収められた演奏を聴く限りにおいては、前述のように素晴らしい名演に仕上がっており、演奏の水準にはいささかも支障が生じていないということである。

音楽以外の局面ではいかに醜い争いを行っていたとしても、カラヤンも、そしてベルリン・フィルも真のプロフェッショナルとして、音楽の面においては、最高の演奏を構築すべく尽力をしていたことが窺えるのだ。

本演奏においても、全盛期のこのコンビを彷彿とさせるような圧倒的な音のドラマを聴くことが可能だ。

アルビノーニの「アダージョ」やバッハの「G線上のアリア」などにおける分厚い弦楽合奏、パッヘルベルの「カノンとジーグ」等における弦楽による鉄壁のアンサンブルなど、あまりの凄さに圧倒されるばかりだ。

カラヤンの指揮も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりが際立っており、例えばグルックの「精霊の踊り」などのような抒情的な箇所における耽美的な美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質ではあったが、今般のSHM−CD化によってさらに鮮明さを増すとともに音場が若干ではあるがより広がった。

カラヤン&ベルリン・フィルによる超名演を、SHM−CD盤による鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年08月19日


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リストは交響詩の創始者として、管弦楽曲の分野においても多大なる貢献をしたにもかかわらず、その録音はさほど多いとは言えないのではないだろうか。

リストの管弦楽曲の中でも特に有名な交響詩「前奏曲」なども、近年では新録音さえ途絶えている状況にあると言えるところであり、その人気の凋落ぶりは著しいと言わざるを得ないだろう。

そのような嘆かわしい現状にはあるが、2001年に51歳の若さで急逝したシノーポリが、しかも天下のウィーン・フィルを指揮して、リストの代表的な管弦楽曲のスタジオ録音を遺してくれたのは何という素晴らしいことであろうか。

本盤に収められた演奏は、いずれもそのような期待をいささかも裏切られることがない素晴らしい名演と高く評価したい。

本演奏におけるアプローチは、いかにも精神医学者出身で作曲家でもあるシノーポリならではのものだ。

各演奏ともに、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さが際立っており、いずれの楽曲についても、その隅々に至るまで楽想がこれほどまでに明瞭に描き出された演奏は史上初めてと言えるのではないだろうか。

テンポもややゆったりとしたものであり、スケールも極めて雄大である。

このような細部に拘った演奏は、時として音楽の自然な流れを損なってしまう危険性があるが、かかるシノーポリの精神分析的な演奏に適度の潤いと情感の豊かさを付加し、音楽がごく自然に滔々と流れるように仕向けているのが、ウィーン・フィルによる名演奏であるということも忘れてはならない。

録音は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって若干ではあるが鮮明さが増すとともに、音場が幅広くなったように感じられるところである。

シノーポリによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年08月18日


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ハイティンクの円熟を感じさせる素晴らしい名演だ。

ハイティンクは、アシュケナージなどと並んで評価が大きく分かれる指揮者と言えるのではないだろうか。

ハイティンクは、全集マニアとして知られ、さすがにハイドンやモーツァルトの交響曲全集は録音していないが、ベートーヴェン、シューマン、ブラームス、ブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、ショスタコーヴィチなど、数多くの作曲家の交響曲全集のスタジオ録音を行ってきているところだ。

既に、80歳を超えた大指揮者であり、近年では全集のスタジオ録音に取り組むことはなくなったが、発売されるライヴ録音は、一部を除いてさすがは大指揮者と思わせるような円熟の名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたブルックナーの交響曲第4番も、そうした列に連なる素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

ハイティンクは、同曲をロイヤル・コンセルトヘボウ(1965年)、そしてウィーン・フィル(1985年)とともにスタジオ録音を行っており、特に、ウィーン・フィルとの演奏については、オーケストラの美演もあって捨てがたい魅力があると言えるが、演奏全体の持つスケールの雄大さや後述の音質面に鑑みれば、本演奏には敵し得ないと言えるのではないだろうか。

ベートーヴェンやマーラーの交響曲の演奏では、今一つ踏み込み不足の感が否めないハイティンクではあるが、ブルックナーの交響曲の演奏では何らの不満を感じさせない。

本演奏においても、ハイティンクは例によって曲想を精緻に、そして丁寧に描き出しているが、スケールは雄渾の極み。

重厚さにおいてもいささかも不足はないが、ブラスセクションなどがいささかも無機的な音を出すことなく、常に奥行きのある音色を出しているのが素晴らしい。

これぞブルックナー演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

悠揚迫らぬインテンポを基調としているが、時として効果的なテンポの振幅なども織り交ぜるなど、その指揮ぶりはまさに名人芸の域に達していると言ってもいいのではないか。

ハイティンクの確かな統率の下、ロンドン交響楽団も圧倒的な名演奏を展開しており、とりわけホルンをはじめとしたブラスセクションの優秀さには出色のものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、現代を代表する大指揮者の一人であるハイティンクによる円熟の名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さに加えて、臨場感溢れる音場の広さは見事というほかはなく、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

マルチチャンネルで再生すると、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的であるとすら言えるだろう。

ハイティンクによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年08月17日


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ヴァントは、必ずしもレパートリーが広い指揮者とは言えないが、それでもチャイコフスキーの交響曲第5番及び第6番や、ストラヴィンスキーのバレエ音楽など、意外な楽曲を演奏・録音していることについても留意しておく必要があると思われる。

とは言っても、ヴァントのレパートリーの中核は独墺系の作曲家の楽曲であり、定評のあるブルックナーの交響曲のほか、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスなどの楽曲がその中心であったことは否めない事実である。

ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏としては、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。

当該全集以前の演奏もテスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがない。

しかも、当該全集については、現在では入手難であるが、数年前にSACDハイブリッド盤で発売されたこともあり、ますますその価値を高めていると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第3番の演奏は、1989年に北ドイツ放送交響楽団とともにライヴ録音したものである。

本演奏と同様に、前述の全集以降は、第1番、第2番、そして第4番〜第6番のライヴ録音も行っただけに、残る第7番〜第9番の録音を果たすことなくこの世を去ってしまったのは極めて残念なことであった。

それはさておき、本盤の演奏も素晴らしい名演だ。

前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。

それに対して、本盤の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出ているところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えよう。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸であり、本演奏こそは、ヴァントによるベートーヴェンの交響曲第3番の最高の名演と高く評価したい。

併録の「レオノーレ」序曲第3番も、晩年のヴァントならではの雄渾なスケールと崇高な風格を兼ね備えた素晴らしい名演に仕上がっている。

音質は、1989年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何という素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年08月16日


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ベームはモーツァルトを心から愛した指揮者として知られているが、モーツァルトのオペラの中でも特に愛していたのは歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」と言えるのではないだろうか。

それは、遺された録音の数からも理解できるところであり、1962年のスタジオ録音(EMI)のほか、多数のライヴ録音が遺されている。

その中でも抜きん出た名演は、衆目の一致するところ、前述の1962年盤と本盤に収められたザルツブルク音楽祭でのライヴ録音である1974年盤であると考えられる。

ところが、この両者の比較が実に難しい。

旧盤はシュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、タディ、ベリーなどといった豪華歌手陣を揃えており、キャスティングにおいては全く穴がなかった。

これに対して、本演奏も、ヤノヴィッツ、ファスベンダー、シュライアー、プライ、パネライといった超豪華布陣であり、キャスティングにおいてはほぼ互角と言えるだろう。

オーケストラは旧盤のフィルハーモニア管弦楽団に対して、本演奏はウィーン・フィルであり、オーケストラの同曲への適性としては本演奏の方が上。

ただし、本演奏はベームが80歳の時の演奏であり、全盛期にあった旧盤の時と比較すると、ベームの指揮の特徴でもある躍動的なリズム感にほんのわずかにではあるが硬直性が見られるところであり、ベームの指揮に関しては旧盤の方が上出来と言える。

このように、両名演ともに一長一短あるところであるが、所詮は高いレベルでの比較の問題であり、両演奏ともに、至高の超名演であることには変わりがないところだ。

本演奏におけるベームの指揮は実にシンフォニックで重厚なものであり、近年の古楽器奏法やピリオド楽器を使用した軽妙な演奏に慣れた耳からすると、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになるのは筆者だけではあるまい。

それでいて、モーツァルトの音楽特有の気品溢れる優美さにもいささかも不足しておらず、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

ベームの重厚でシンフォニックな指揮に適度な潤いと温か味を付加したウィーン・フィルによる好パフォーマンスも、本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。

前述の豪華歌手陣やウィーン国立歌劇場合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

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classicalmusic at 21:51コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトベーム 

2013年08月15日


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本盤は、リストの最高傑作の一つであるピアノ・ソナタロ短調を軸として、いくつかの有名な小品等で構成されている。

我が国を代表するピアニストである清水和音がデビュー30周年を記念(そしてリスト・イヤーを記念)して昨年1月に演奏を行ったスタジオ録音であるが、いずれの楽曲もその実力を存分に発揮した素晴らしい名演に仕上がっている。

ピアノ・ソナタロ短調は超絶的な技量と卓越した表現力を要する難曲であり、古今東西の様々な有名ピアニストがその高峰の高みに向けて登頂を挑んできた。

各ピアニストが自らの実力の威信をかけて演奏を行っているだけに、数多くの個性的な名演が目白押しであり、そのような海千山千の名演の中で存在感を発揮するのは並大抵の演奏ではかなわない。

ところが、清水和音による本演奏は、これまでの過去の名演にも必ずしも引けを取らない存在価値を十分に発揮している。

というのも、本演奏は、その超絶的な技量よりもリストの音楽そのものの美しさが伝わってくるからである。

もちろん、清水和音の技量が劣っているというわけではない。

それどころか清水和音は、超絶的な技量を持って曲想を描き出しているとさえ言えるほどであるが、清水和音は持ち前の技量を、リストの音楽をいかに美しく響かせるのかという点に奉仕させているように思えるのだ。

例えば、同曲は一つの主題が数々の変奏を繰り返していくが、その描き分けが実に巧妙になされている。

そして、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱、そして大胆な表情づけを駆使して、変化に富む曲想を多彩とも言うべき表現力で豊穣に描き出している。

また、強靭な打鍵にも圧倒的な力感がこもっているが、いささかも音が割れたりすることがなく、常に透明感溢れる美しい音色で満たされているのも本演奏の見事な点である。

いずれにしても、本演奏は、同曲の美しさに主眼を置いた稀有の名演として高く評価したい。

併録の巡礼の年第2年「イタリア」からの抜粋であるペトラルカのソネットやコンソレーション「慰め」も、ピアノ・ソナタと同様のアプローチによる名演である。

ここでも技量よりは楽曲の持つ美しさを際立たせているのが見事であり、こうした点にデビュー30周年を迎えた清水和音の円熟を感じることが可能であるとも言えるだろう。

そして、本盤で素晴らしいのはSACDによる極上の高音質録音である。

オクタヴィアによるピアノ録音で一般的な富山北アルプス文化センターでの録音ではないが、会場(埼玉県の三芳町文化会館)の残響を的確に生かした見事な音質に仕上がっており、清水和音の楽曲の美しさを全面に打ち出した本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年08月14日


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クーベリックが手兵バイエルン放送交響楽団とともに1980年にスタジオ録音したモーツァルトの後期6大交響曲集は、往年のワルターやベームの名演にも匹敵する素晴らしい名演である。

したがって、クーベリックによるモーツァルトの交響曲録音の代表盤としては、当該スタジオ録音を掲げるのが一般的であり、筆者としてもそれに異論を差し挟むつもりはない。

しかしながら、本盤に収められたモーツァルトの交響曲第40番及び第41番は1985年のライヴ録音であり、前述のスタジオ録音に比較すると一般的にはあまり知られていない音源であるが、演奏自体は遥かに本演奏の方が上であり、知る人ぞ知る至高の超名演と高く評価したい。

本演奏が前述のスタジオ録音と大きく異なるのは、深沈たる奥行きの深さと圧倒的な高揚感と言えるのではないか。

クーベリックは実演でこそ本領を発揮する指揮者であり、本演奏においてもその真骨頂が存在している。

前述のスタジオ録音においてもシンフォニックで優美な演奏に仕上がっていたが、本演奏では悠揚迫らぬインテンポで曲想を堂々と描き出していくとともに、楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や高揚感が満ち溢れており、スタジオ録音以上に力強い気迫や生命力、そして奥行きのある演奏に仕上がっている。

とりわけ第41番の終楽章はヴァイオリン両翼型の配置による立体的な響きが、本演奏の類稀なる高揚感に一躍買っている点を忘れてはならない。

また、スタジオ録音では基本的に反復を省略していたが、本演奏ではすべての反復を実施している。

その結果、両曲で約75分(第40番は約35分、そして第41番は何と約40分)という長大な演奏となっているが、いささかも冗長さを感じさせることもなく、むしろ音楽が濃密で、なおかつスケールが極めて雄大なものとなっているのも本名演に大きく貢献している。

いずれにしても、1985年当時はクーベリックもコンサートの回数を限定して、引退をも念頭に置いていた時期に相当するが、それだけにクーベリックの本演奏にかける、燃えるような渾身の情熱を感じることが可能であり、いい意味での知情兼備の彫りの深い至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

録音は、低音を絞り気味にすることで悪名高いオルフェオレーベルであり完全に満足できる音質とは言い難いが、それでも楽曲がモーツァルトの交響曲であること、そして1985年のライヴ録音ということに鑑みれば文句は言えないレベルの音質に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

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classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトクーベリック 

2013年08月13日


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本盤には、レヴァインが主として1970年代(第7番のみ1980年)に演奏したマーラーの交響曲のスタジオ録音が収められている。

全集ではなく、第2番及び第8番、そして「大地の歌」が存在していないのは残念な気がするが、他方、第10番についてはアダージョではなく、デリック・クック第3稿第1版による全曲版を収めており、収録曲については一長一短と言えるのかもしれない。

演奏は素晴らしく、いずれも極めて優れた名演と高く評価したい。

レヴァインのアプローチは、その大柄な体躯を思わせるような骨太で迫力満点のエネルギッシュなものだ。

奇を衒ったりすることはいささかもなく、あくまでも直球勝負。

シカゴ交響楽団やフィラデルフィア管弦楽団、そしてロンドン交響楽団などといった一流のオーケストラを巧みにドライブして、曲想を精緻かつ丁寧に、そしてダイナミックに描き出していくものである。

したがって、マーラーの交響曲の魅力をそのままの形で満喫させてくれるのが素晴らしい。

このようなオーソドックスとも言えるような純音楽的なアプローチは、近年ではジンマン、ティルソン・トーマス、マーツァルなど現代におけるマーラーの演奏様式の主流となりつつあるが、本盤の演奏当時の1970年代においては、むしろ少数派であったと言えるのではないか。

マーラーの直弟子でもあったワルターやクレンペラーによる演奏は別格として、バーンスタインによるドラマティックで劇的な演奏や、ショルティによる無慈悲なまでの強烈無比な演奏、クーベリックによるボヘミア風の素朴な味わいの演奏、カラヤンによる耽美的な絶対美を誇る演奏など、海千山千の指揮者による個性的な名演が跋扈し、アバドやマゼール、テンシュテット、インバルなどによる演奏の登場もこれからが本番という時期でもあった。

そのような個性的な演奏があまた存在している中で、敢えて純音楽的に徹した演奏を行ったレヴァインのアプローチには、ある種の新鮮さを感じるとともに、現代におけるマーラー演奏の先駆けとも言える存在ではないかとさえ考えられるところだ。

もちろん、レヴァインによるマーラーの演奏には、バーンスタインやテンシュテットなどによるドラマティックで劇的な演奏にように、我々聴き手の肺腑を打つような奥行きの深さなどは薬にもしたくないが、マーラーの交響曲の美しさ、素晴らしさを安定した気持ちで心ゆくまで満喫させてくれるという意味においては、1970年代以前に録音された演奏の中では、本盤の演奏の右に出るものはないのではないかと考えられる。

いずれにしても、本盤のマーラーの交響曲選集は、若きレヴァインによる爽快な名演であり、超廉価であることに鑑みても、安心してお薦めできる名選集であると高く評価したい。

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classicalmusic at 20:55コメント(0)トラックバック(0)マーラーレヴァイン 

2013年08月12日


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本盤にはブーレーズが、各曲毎に異なったピアニスト、オーケストラと組んで演奏を行ったバルトークのピアノ協奏曲全集が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

それどころか、バルトークのピアノ協奏曲の演奏史上でも、フリッチャイがゲーザ・アンダと組んでベルリン放送交響楽団を指揮した歴史的な超名演(1960、1961年)に次ぐ至高の超名演と高く評価したい。

ブーレーズは、1960年代から1970年代にかけては、前衛的で先鋭的なアプローチによって聴き手を驚かすような衝撃的な名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、1990年代に入ってDGと専属契約を締結した後は、すっかりと好々爺となり、かつてと比較すると随分とノーマルな装いの演奏を繰り広げるようになった。

もちろん、ブーレーズの芸風の基本は徹底したスコアの読み込みにあることから、そのスコアに対する追求の度合いはより深まったと言えなくもない。

ただ、それを実際に音化する際には、おそらくは円熟の境地に去来する豊かな情感が付加されるようになってきたのではないだろうか。

かかるブーレーズの円熟のアプローチが今一つしっくりこない楽曲(とりわけ、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェル)もあるが、他方、バルトークについては、各楽曲が含有する深遠な世界がより巧みに表現されることになり、むしろ功を奏していると側面もあると考えられる。

とりわけ、ピアノ協奏曲については、バレンボイムと組んで行った演奏(1967年)(ただし、第1番及び第3番のみ)が、指揮者とピアニストの呼吸が今一つであったことからしても、本演奏の圧倒的な優位性にいささかの揺らぎはないものと考えられる。

それにしても、本盤における各曲におけるピアニストやオーケストラの使い分けには抜群のセンスの良さを感じさせる。

第1番は、3作品の中では最も前衛的な装いの楽曲であるが、ツィマーマンの卓越した技量や、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と強靭さは、同曲のアプローチの規範となるべきものと言える。

シカゴ交響楽団の超絶的な技量も本名演に華を添えているのを忘れてはならない。

第2番は、気鋭の若手ピアニストであるアンスネスが、強靭で迫力ある演奏を行いつつも、祖国の大作曲家グリーグの抒情小曲集で披露したような繊細なピアニズムを随所に聴かせてくれるのが素晴らしい。

バルトークが「親しみやすく気楽な性格を持っている」と評したわりには、きわめて晦渋な音楽との印象を受ける同曲ではあるが、ベルリン・フィルの圧倒的な技量も相俟って、おそらくは同曲演奏史上最も明瞭で美しい演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

第3番は、バルトークの最晩年の作品だけにその内容の奥深さには尋常ならざるものがあるが、グリモーの強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅の広さが、本演奏における彫りの深い表現の醸成に大きく貢献していると言えるだろう。

ロンドン交響楽団も、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

いずれにしても、バルトークのピアノ協奏曲各曲の性格を的確に把握し、それぞれに最適のピアニストとオーケストラを配したキャスティングの巧妙さにも大きな拍手を送りたい。

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classicalmusic at 20:55コメント(0)トラックバック(0)バルトークブーレーズ 

2013年08月11日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第5番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうち最初のものに該当するが、ベルリン・フィルとの新盤(1993年)よりもはるかに優れた素晴らしい名演と高く評価したい。

筆者は、アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督の就任前、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などとともに数々の演奏を行っていた時期(とりわけ1970年代後半から1980年代にかけて)であると考えている。

ベルリン・フィルの芸術監督就任以降は借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになり、胃がんによって病に伏すまでの間は、大半の演奏が今一歩の凡庸な演奏に陥っていたと言えるのではないだろうか。

前述のベルリン・フィル盤もその最たる例であると言えるところであり、筆者もマルチチャンネル付きのSACD盤を所有しているが、演奏全体に覇気が感じられないのが大いに気になった次第だ。

それに対して、本演奏におけるアバドの力強い生命力が漲った力感溢れる指揮ぶりは実に凄まじい。

第1楽章からして、ベルリン・フィル盤には感じられないような気迫溢れる推進力が漲っており、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような力強さは圧倒的な迫力を誇っている。

それでいて、第4楽章や各楽章の緩徐部分における歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

その意味では、本演奏はいい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのかもしれない。

また、当時のシカゴ交響楽団は、音楽監督であったショルティの下、スーパー軍団の異名をとるほどの力量を誇っていたが、本演奏でも持ち前の超絶的な技量を惜しげもなく披露し、望み得る最高の演奏を繰り広げていることも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音は、従来盤が今一つの音質であり、前述のベルリン・フィル盤がSACD化されていることもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言えるが、本演奏こそがアバドによるマーラーの交響曲第5番の代表盤であることを考慮すれば、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 23:32コメント(0)トラックバック(0)マーラーアバド 

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アバドは若手の才能のある音楽家で構成されているモーツァルト管弦楽団とともに、モーツァルトの主要な交響曲集やヴァイオリン協奏曲全集などを録音しており、お互いに気心の知れた関係だと言える。

そして本盤のホルン協奏曲集であるが、モーツァルトのホルン協奏曲の全曲録音は、意外にもアバドにとっては本盤が初めてのことであるが、そのようなことを微塵も感じさせないような素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

本演奏においてホルンを吹いているのは、アレッシオ・アレグリーニというアバドと同様のイタリア出身の若手ホルン奏者。

イタリア随一のオーケストラでもある聖チェチーリア音楽院管弦楽団の首席奏者のみならず、モーツァルト管弦楽団を含めたアバドが指揮するオーケストラの首席奏者をつとめるなど、アバドとともにホルン協奏曲を演奏するには申し分のない逸材であると言える。

アレッシオ・アレグリーニのホルンは、卓越した技量をベースとしつつ、あたかも南国イタリアを思わせるような明朗で解放感に溢れたナチュラルな音色が持ち味である。

そして、その表現は濃密で、歌謡性豊かでロマンティシズムの香りさえ漂っているところであり、モーツァルトのホルン協奏曲のこれまでの様々な演奏と比較しても、濃厚な表情づけという意味においては最右翼に掲げられる演奏と言っても過言ではあるまい。

もちろん、心を込め抜いた濃厚なロマンティシズムと言っても、音楽全体の造型がいささかも弛緩することがないというのは、アレッシオ・アレグリーニの類稀なる才能と音楽性の賜物だと考えられる。

アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督の退任間近に大病を患い、その大病を克服した後は彫りの深い凄みのある表現をするようになり、今や現代を代表する大指揮者であると言えるが、気心の知れたモーツァルト管弦楽団を指揮する時は、若き才能のある各奏者を慈しむような滋味豊かな指揮に徹している。

本演奏でも、アバドの滋味豊かな指揮ぶりは健在であり、アレッシオ・アレグリーニの心を込め抜いた濃厚なホルン演奏を下支えするとともに、演奏全体に適度の潤いと温もり、そして清新さを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質も、特にSHM−CD仕様などが施されているわけではないが、十分に満足できる鮮明な高音質であると高く評価したい。

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classicalmusic at 21:26コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトアバド 

2013年08月10日


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これはシュヴァルツコップによる傑作とも言える名CDである。

1974年のスタジオ録音ということで、まさにシュヴァルツコップの晩年の演奏ということが言えるが、いささかも歌唱力が衰えるということはなく、むしろ人生の辛酸を舐め尽くした不世出の大歌手だけに可能な圧巻の名唱を披露していると高く評価したい。

それにしても、シューマンの楽曲の演奏は難しい。

交響曲であればそうではないところもあるが、ピアノ曲や歌曲ともなれば、凡庸な演奏ではとても聴いていられないということになる。

シューマンのピアノ曲や歌曲には、いささか俗な言い方になるが、ある種のファンタジーの飛翔のようなものが存在しており、これをいかに的確に表現し得るかに演奏の成否がかかっていると言っても過言ではあるまい。

ドイツ音楽であるからといって、理詰めで演奏したりしてしまうと、ひどく退屈で面白みのない演奏に成り下がってしまう可能性が高い。

しかしながら、シュヴァルツコップによる本演奏については、そのような危険にはいささかも陥っていない。

例によって、本演奏でもシュヴァルツコップの歌唱は上手い。

いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけシューマンの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えない。

そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。

随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。

加えて、前述のように、シューマンの歌曲には、ファンタジーの飛翔のようなものが存在しているが、シュヴァルツコップはそれらを見事に描出するのに成功しており、シュヴァルツコップがいかにシューマンの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。

ジェフリー・パーソンズのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていない。

パーソンズのピアノ演奏は、一聴すると淡々した演奏を展開しているように聴こえるが、よく聴くと、前述のようなシューマンの音楽特有のファンタジーの飛翔を見事に表現し得て妙とも言えるところだ。

したがって、シューマンの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相俟って、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したい。

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classicalmusic at 21:24コメント(0)トラックバック(0)シューマンシュヴァルツコップ 

2013年08月09日


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ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるマーラーチクルスもついに大詰めを迎えることになり、ついにマーラーの最高傑作である第9番が登場することになった。

本盤に収められたマーラーの交響曲第9番の演奏は、昨年3月のライヴ録音とのことであるが、それに先立って一昨年末での東京での演奏会などでも同曲を採り上げており、ゲルギエフとしても満を持してこの最高傑作の録音に臨んだということなのであろう。

それだけに、本演奏も、ゲルギエフによる並々ならぬ意欲を感じさせる圧倒的な名演に仕上がっている。

第1楽章からして、ゲルギエフのテンションは全開であり、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫、そしてトゥッティにおける強靭な迫力など、前のめりになって演奏するゲルギエフによる、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な熱き生命力を感じることが可能だ。

テンポの緩急や思い切った強弱の変化、そしてアッチェレランドの駆使など、ありとあらゆる表現を用いることによって、マーラーが同曲に込めた死への恐怖や闘いを的確に描出し、ドラマティックの極みとも言うべき豪演を展開しているのが素晴らしい。

第2楽章もゲルギエフならではの躍動感溢れる演奏が光っており、テンポといい、リズム感といい、これ以上は求め得ないようないい意味での緻密な演奏を展開している。

第3楽章は、緻密さの中にも荒々しさを感じさせるような強靭さが際立っており、終結部に向けての猛烈なアッチェレランドは我々の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

そして、終楽章は、中庸のテンポで滔々と美しい音楽が醸成されていくが、各フレーズに対する心の込め方には尋常ならざるものがあり、マーラーが同曲に込めた生への妄執と憧憬を情感豊かに濃密に描き出していると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団によるこれまでのマーラーチクルスの中でも飛び抜けた内容を誇る名演と高く評価したい。

音質は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、その臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 21:17コメント(0)トラックバック(0)マーラーゲルギエフ 

2013年08月08日


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晩年のクレンペラーならではの豊かな音楽性に裏打ちされたスケール雄大な至高の名演である。

巷間では重厚すぎてフランクらしくないと言われ、定評の高くなかった演奏であるが、個人的には、その重厚な音の運びによりフランクらしい憧れの感情が熱く伝わってくる超名演だと思う。

フランクが晩年に作曲した唯一の交響曲ニ短調は、瞑想的ともいえる響きの中に深い情熱を宿した傑作であるが、クレンペラーは卓越した造形力で、重厚な響きの中にも生命力にみちた音楽を表出している。

クレンペラーは、フランクの交響曲においても、例によって、ゆったりとしたインテンポで楽曲を進めていくが、よく聴くと、インテンポというように単純に割り切れるものではなく、実にニュアンス豊かなコクのある演奏を行っているのがわかる。

トゥッティの箇所においては、テンポを自在に動かして、各管楽器の強弱に微妙な変化を付けさせている。

特に、木管楽器の響かせ方は、他の演奏では決して聴くことができない味わい深さがあると言えるところであり、いかにも巨匠クレンペラーの奥の深い芸術性を感じさせる。

低弦の響きも実に分厚いものがあり、フランクの交響曲の、いわゆるドイツ的な要素を全面に打ち出した至高の名演と高く評価したい。

飄々と進められるアポロ的なモントゥー盤のまさに対極にあるデュオニソス的名演と評したい。

本盤は、名演のわりには、長らく輸入盤でしか入手できなかったが、久々に、しかもHQCD化されて登場したのは大変歓迎すべきことであると考える。

音質は、旧来の輸入盤と比較して、若干鮮明になるとともに、音場がより広くなったのも素晴らしい。

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classicalmusic at 21:31コメント(0)トラックバック(0)フランククレンペラー 

2013年08月07日


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エマールが、リスト生誕200年を記念して2晩にわたって行ったコンサートのライヴ録音の登場だ。

本盤には「ザ・リスト・プロジェクト」との標題が付されているが、収められている楽曲はリストの諸作品にとどまらず、リストの影響が見られる作品が含まれているとともに、それらを交互に配するというきわめて独創的なアルバムとなっているのが特徴である。

このような意表を衝くコンサートの演目の構成を行ったのは、いかにも近現代音楽を得意とするエマールならではの抜群のセンスの良さであると言える。

そして演奏内容も素晴らしい。

前述のように、昨年はリスト生誕200年ということもあって、様々なピアニストによるリストのピアノ作品集が発売されているが、本盤はその中でも最右翼に掲げられるものではないだろうか。

ディスク1においては、ワーグナーの死を予感して作曲された「悲しみのゴンドラ」で開始されるという尋常ならざる演目構成に驚かされるが、その演奏の彫りの深さ、そして演奏の持つ高踏的な美しさには抗し難い魅力が満ち溢れている。

その後は、リストの「灰色の雲」や「凶星」を挟んで、ワーグナー、ベルク、スクリャービンの各ピアノ・ソナタを配列するという演目構成の何という巧みさ。

いずれの楽曲も決して明るいものではないが、エマールの場合は深刻で重々しくなることはなく、音楽は滔々と淀みなく流れるとともに、センス満点の味わい深さをいささかも失わないのが素晴らしい。

そして、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの美しさにとどまらず、楽曲の心眼を鋭く抉り出していくような奥行きの深さも健在であり、知情兼備の名演に仕上がっていると評価したい。

リストのピアノ・ソナタロ短調は凄い演奏だ。

超絶的な技量を要する楽曲であるが、エマールの演奏を聴いているといわゆる技巧臭をいささかも感じさせず、ただただ音楽の美しさ、素晴らしさのみが伝わってくるのが見事というほかはない。

随所に聴くことが可能な強靭な打鍵などは圧倒的な迫力を誇ってはいるものの、エマールの場合は、そのような箇所においても独特の洒落た味わいに満ち溢れた美しさを失うことがないのが素晴らしい。

おそらくは、同曲演奏史上でも、美しさや味わい深さにおいてはトップの座を争う至高の超名演と評価しても過言ではあるまい。

ディスク2は、ディスク1の延長線上にある楽曲として、重くて暗いリストの「エステ荘の糸杉に−哀歌」で開始されるが、その後は、バルトークやラヴェルなどの諸作品を経て、メシアンの『鳥のカタログ』からの抜粋である「カオグロヒタキ」、そしてリストの「オーベルマンの谷」という、崇高な美しさを湛えた楽曲に繋げていくという巧みな演目構成にはただただ圧倒されるのみである。

いずれの楽曲も彫りの深い表現とともに、エマールならではのフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと優美さを湛えており、いい意味での剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

音質は、ウィーン、コンツェルトハウスの豊かな残響を生かしたものであり、SHM−CD仕様であることもあって、エマールのピアノタッチが鮮明に再現されるなど、十分に満足できる高音質である。

いずれにしても、本盤は、カップリングの抜群のセンスの良さ、そして演奏内容の素晴らしさにおいて非の打ちどころがないものであり、リスト生誕200年を記念して発売されたCDの中ではダントツに優れた至高の名CDと高く評価したい。

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2013年08月06日


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現在、最も積極的にレコーディングに取り組んでいるパーヴォ・ヤルヴィであるが、楽曲によってオーケストラを巧みに使い分けているのが特色である。

その中でも、独墺系の作曲家による楽曲の演奏に際しては、原則としてフランクフルト放送交響楽団を起用することにしているようであり、ブルックナーの交響曲についても例外ではない。

パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団によるブルックナーの交響曲の演奏に関しては、既に第7番及び第9番が発売されているが、本盤に収められた第5番は第3弾となるものであり、録音は2009年であるが、久しぶりの発売と言えるものだ。

本演奏におけるパーヴォ・ヤルヴィによるアプローチは、第7番や第9番の演奏のように中庸のテンポをベースとして、楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものとは少し様相が異なっている。

何か特別な個性を発揮して、奇を衒った解釈を施すなどということがないという点においては共通しているが、むしろ、テンポはやや速めで、楽章毎のテンポの緩急を際立たせている点も特徴的であり、1990年代に入って一般化したブルックナーの交響曲の演奏様式の王道を行くオーソドックスな演奏とは異なった演奏とも言えるところだ。

もっとも、各楽器セクションのバランスの良い鳴らし方には出色のものがあり、いかなるトゥッティに差し掛かっても無機的な響きを出すということはなく、常に壮麗で懐の深い音色に満たされているのが素晴らしい。

また、緩徐楽章における旋律の数々もやや速めのテンポをとることによって、陳腐なロマンティシズムに陥ることを極力避けており、それでいて、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。

ブルックナーの交響曲第5番のこれまでの名演としては、古くはヨッフム、そしてヴァントや朝比奈によって圧倒的な名演が成し遂げられてきており、これら大指揮者の深みのある演奏と比較して本演奏を云々するのは容易なことである。

しかしながら、必ずしもブルックナー指揮者とは言い難いパーヴォ・ヤルヴィが、重厚長大な同曲の曲想を丁寧に紐解き、これだけの見事な演奏を成し遂げたことにむしろ思いを致すべきであり、筆者としては、同曲の魅力を十二分に満喫することができるという意味において、素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、本盤でさらに素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

交響曲第7番や第9番でもそうであったが、パーヴォ・ヤルヴィによるアプローチが極上の高音質録音によって鮮明に再現されているのが見事であり、そうした音質の鮮明さといい、音圧の力強さといい、そして音場の拡がりといい、まさに申し分のないものである。

いずれにしても、パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団による素晴らしい名演を、現在望み得る最高の鮮明な高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:29コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヤルヴィ 

2013年08月05日


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若きキーシンの最近の円熟ぶりを感じさせるベートーヴェンだ。

演奏全体から受ける印象は、デイヴィス指揮のロンドン交響楽団ともども、馥郁たる柔和なものである。

抒情的な楽章でのゆったりとしたテンポ設定は、決してもたれるようなこともなく、実に内容豊かで聴き手を感動に誘う。

緩徐楽章など、静けささえ感じるほどだ。

では、軟弱なだけの演奏かと言うとそうではなく、ここぞという時のダイナミックにして威風堂々たる重厚な表現は、いかにもベートーヴェンの協奏曲ならではの、獅子の威厳を感じさせる。

いかにもベートーヴェンの音楽に相応しく、自信に満ち溢れた堂々たるアプローチが聴かれるのが素晴らしい。

両端楽章での打鍵の力強さも特筆すべきであり、巨匠への道を一歩一歩着実に歩み続けるキーシンの前途洋々たる未来を大いに予見させてくれる。

このような絶妙なバランスの剛柔併せ持つ名演を成し遂げた点にこそ、キーシンの近年の進境著しさが窺われる。

さすがに「皇帝」は素晴らしく、キーシンの解釈は、決して聴き手を驚かせるような個性的なものではないが、「皇帝」の魅力を心ゆくまで満喫させてくれるオーソドックスなアプローチが信条と言えるだろう。

どこをとっても薄味な箇所はなく、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の最高峰ならではの堂々とした重厚な演奏を成し遂げているのも素晴らしい。

そして、今や押しも押されぬ巨匠の風格を兼ね備えたデイヴィスの好サポートも、ロンドン交響楽団ともども見事であり、ベートーヴェンの音楽の美しさをダイレクトに伝えてくれる点はさすがと言うべきであろう。

また、キーシンの奏でるピアノが実に鮮明に再現されている点は、大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)キーシンデイヴィス 

2013年08月04日


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ハイドシェックは、とある有名な影響力の大きい音楽評論家が高く評価していることもあって、我が国でも根強いファンがいる存在であるが、近年でもライヴ録音の新譜などが時折発売されており、それを耳にしたファンも多いのではないだろうか。

年齢的にも、もはや巨匠とも言うべき存在であるが、そのようなハイドシェックが若き日にスタジオ録音を行った偉大なる遺産と言えば、筆者は躊躇することなく、本盤に収められたフォーレの夜想曲全集を掲げたい。

そもそも、フォーレの夜想曲全集の録音というものが、ショパンの夜想曲全集などと比べるとあまりにも稀少であり、その意味でも、本盤の演奏は極めて貴重なものと言っても過言ではあるまい。

それにしても演奏は素晴らしい。

おそらくは、これ以上の演奏は求め得ないほどであり、おそらくは同曲の最高の演奏と言ってもいいのではないだろうか。

どの曲の演奏も、フランス人ピアニストならではのフランス風のエスプリに満ち溢れたセンス満点の情感が満ち溢れており、フランス風の抒情ここに極まれりとさえ言えるのではないか。

しかも、ハイドシェックは、単にスコアを音化するのにとどまらず、効果的なテンポの振幅や強弱の変化を随所に施しており、自らの個性を全面に打ち出している。

にもかかわらず、あざとさなどはいささかも感じさせることなく、格調の高さを損なっておらず、加えて、前述のように、どのような個性的なピアニズムを展開しても、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいを失わないのは殆ど驚異的な至芸であり、まさにハイドシェックの偉大な才能を感じさせるに十分である。

併録の主題と変奏も、夜想曲全集に勝るとも劣らない名演であり、いずれにしても、本盤に収められた演奏は、若きハイドシェックによる素晴らしい超名演であり、フォーレによる夜想曲全集、主題と変奏の演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

音質は、1960年、1962年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、ハイドシェックの繊細にしてセンス満点のピアノタッチが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、ハイドシェックによる素晴らしい超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:11コメント(0)トラックバック(0)フォーレ 

2013年08月03日


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スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。

さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ弦楽四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息の合った絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献している。

もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。

ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。

ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、まさに音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番及び第16番は、前述の名盤の誉れ高い全集に収められた弦楽四重奏曲第15番及び第16番の演奏(1983〜1985年)の約15年前の演奏(1967〜1968年)だ。

全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるが、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ弦楽四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。

演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはない。

しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っている。

したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではない。

第15番及び第16番は、ベートーヴェンが最晩年に作曲した最後の弦楽四重奏曲でもあり、その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1960年代のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

いずれにしても、スメタナ弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:03コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンスメタナSQ 

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スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。

さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ弦楽四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息の合った絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献している。

もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。

ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。

ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、まさに音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番及び大フーガは、前述の名盤の誉れ高い全集に収められた弦楽四重奏曲第13番及び大フーガの演奏(1982年)の約20年前の演奏(1965年)だ。

全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるが、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ弦楽四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。

演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはない。

しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っている。

したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではない。

第13番及び大フーガは、ベートーヴェンが最晩年に作曲した最後の弦楽四重奏曲でもあり、その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1965年のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。

しかしながら、今般、前述のようについにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

4人の各奏者の弦楽器の音色が見事に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、スメタナ弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。

さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ弦楽四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息の合った絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献している。

もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。

ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。

ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、まさに音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたベートーヴェンの弦楽四重奏曲第12番及び第14番は、前述の名盤の誉れ高い全集に収められた弦楽四重奏曲第12番及び第14番の演奏(1981年ほか)の約10年前の演奏(1970〜1971年)だ。

全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるとも言えるが、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ弦楽四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。

演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはないと言える。

しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っている。

したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないとも言える。

第12番及び第14番は、ベートーヴェンが最晩年に作曲した最後の弦楽四重奏曲でもあり、その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1970年代初頭のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。

しかしながら、今般、前述のようについにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

4人の各奏者の弦楽器の音色が見事に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、スメタナ弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年08月02日


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モーツァルトの交響曲第40番&第41番の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団(1959〜1960年)(特に、第40番についてはワルター&ウィーン・フィル(1952年))、ベーム&ベルリン・フィル(1961〜1962年)、クーベリック&バイエルン放送響(1980年)などによる名演がいの一番に思い浮かぶ。

これらの名演と比較すると、本盤に収められたクレンペラーによる演奏は、一部の熱心なファンを除きこれまで殆ど注目されることがなかったと言っても過言ではあるまい。

確かに本演奏は、前述の名演が基調としていた流麗な優美さなどは薬にしたくもなく、むしろ、武骨なまでに剛直とさえ言えるところだ。

クレンペラーは悠揚迫らぬインテンポで、一音一音を蔑ろにせず、各楽器を分厚く鳴らして、いささかも隙間風の吹かない重厚な演奏を展開している。

まさにクレンペラーは、ベートーヴェンの交響曲を指揮する時と同様のアプローチで、モーツァルトの交響曲にも接していると言えるだろう。

しかしながら、一聴すると武骨ささえ感じさせる様々なフレーズの端々から漂ってくる深沈たる情感の豊かさには抗し難い魅力があり、このような演奏の彫りの深さといった面においては、前述の名演をも凌駕しているとさえ思われるところである。

巧言令色とは程遠い本演奏の特徴を一言で言えば、噛めば噛むほど味が出てくる味わい深い演奏ということになる。

いずれにしても本演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な質実剛健を絵に描いたような剛毅な名演と高く評価したい。

近年では、モーツァルトの交響曲の演奏は、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏が主流となりつつあるが、そのような軽妙な演奏に慣れた耳からすると、クレンペラーによる重厚にしてシンフォニックな本演奏は実に芸術的かつ立派に聴こえるところであり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

音質は今から約50年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であった。

このような中で、数年前にHQCD化されたことにより、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1956年や1964年のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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モーツァルトの交響曲第38番の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団(1959年)やシューリヒト&パリ・オペラ座管弦楽団(1963年)による名演、第39番の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団(1960年)やムラヴィンスキー&レニングラード・フィル(1965年)などによる名演がいの一番に思い浮かぶ。

これらの名演と比較すると、本盤に収められたクレンペラーによる演奏は、一部の熱心なファンを除き、必ずしもこれら両曲のベストの名演との評価がなされてきたとは言い難いと言っても過言ではあるまい。

確かに本演奏は、前述の名演が基調としていた流麗な優美さや、ムラヴィンスキーによる名演のような透徹した清澄さなどは薬にしたくもなく、むしろ武骨なまでに剛直とさえ言えるところだ。

クレンペラーは悠揚迫らぬインテンポで、一音一音を蔑ろにせず、各楽器を分厚く鳴らして、いささかも隙間風の吹かない重厚な演奏を展開している。

まさにクレンペラーは、ベートーヴェンの交響曲を指揮する時と同様のアプローチで、モーツァルトの交響曲にも接していると言えるだろう。

しかしながら、一聴すると武骨ささえ感じさせる様々なフレーズの端々から漂ってくる深沈たる情感の豊かさには抗し難い魅力があり、このような演奏の彫りの深さといった面においては、前述の名演をも凌駕しているとさえ思われるところである。

巧言令色とは程遠い本演奏の特徴を一言で言えば、噛めば噛むほど味が出てくる味わい深い演奏ということになる。

いずれにしても本演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な質実剛健を絵に描いたような剛毅な名演と高く評価したい。

近年では、モーツァルトの交響曲の演奏は、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏が主流となりつつあるが、そのような軽妙な演奏に慣れた耳からすると、クレンペラーによる重厚にしてシンフォニックな本演奏は実に芸術的かつ立派に聴こえるところであり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

音質は今から約50年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であった。

このような中で、数年前にHQCD化されたことにより、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1962年のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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モーツァルトの交響曲第35番&第36番の名演としては、ワルター&コロンビア交響楽団(1960年)、ベーム&ベルリン・フィル(1959年、1966年)、クーベリック&バイエルン放送響(1980年)などによる名演がいの一番に思い浮かぶ。

これらの名演と比較すると、本盤に収められたクレンペラーによる演奏は、一部の熱心なファンを除き、必ずしもこれら両曲のベストの名演との評価がなされてきたとは言い難いと言っても過言ではあるまい。

確かに本演奏は、前述の名演が基調としていた流麗な優美さなどは薬にしたくもなく、むしろ、武骨なまでに剛直とさえ言えるところだ。

クレンペラーは悠揚迫らぬインテンポで、一音一音を蔑ろにせず、各楽器を分厚く鳴らして、いささかも隙間風の吹かない重厚な演奏を展開している。

まさにクレンペラーは、ベートーヴェンの交響曲を指揮する時と同様のアプローチで、モーツァルトの交響曲にも接していると言えるだろう。

しかしながら、一聴すると武骨ささえ感じさせる様々なフレーズの端々から漂ってくる深沈たる情感の豊かさには抗し難い魅力があり、このような演奏の彫りの深さといった面においては、前述の名演をも凌駕しているとさえ思われるところである。

巧言令色とは程遠い本演奏の特徴を一言で言えば、噛めば噛むほど味が出てくる味わい深い演奏ということになる。

いずれにしても本演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な質実剛健を絵に描いたような剛毅な名演と高く評価したい。

近年では、モーツァルトの交響曲の演奏は、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏が主流となりつつあるが、そのような軽妙な演奏に慣れた耳からすると、クレンペラーによる重厚にしてシンフォニックな本演奏は実に芸術的かつ立派に聴こえるところであり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

なお、収められた交響曲のうち、第36番については、演奏年代が古い分だけ、クレンペラーとしてはいささか速めのテンポで、第35番と比較するといささか彫りの深さに不足しているきらいもないわけではないが、それは高い次元での比較の問題であり、名演との評価にいささかも揺らぎがあるものではない。

併録の歌劇「後宮からの誘拐」序曲は、クレンペラーだけに可能な壮大なスケールによる巨大な音楽であり、その威容には居住まいを正さずにはいられないほどの凄みを感じさせる超名演と高く評価したい。

音質は今から50年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であった。

このような中で、数年前にHQCD化されたことにより、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代後半から60年代前半にかけてのスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

録音年代の古い第36番については、今一歩の鮮明さが欲しいと思うが、それでもこれだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年08月01日


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いずれもシベリウスを得意としたカラヤンの壮年期の素晴らしい壮麗なる名演だ。

オーケストラを徹底的に磨き抜き、精妙精緻な響きを作り出すカラヤンならではのシベリウス。

曲自体が持つ純粋な響きを突き詰めた透徹した美しさに満ちた演奏で、加えて壮年期の若々しいカラヤンのひたむきなアプローチが聴ける、今なお新鮮な内容。

巨匠風の悠然たるテンポ、流麗な旋律の歌いまわしといったカラヤン節はすでに出ているが、ゴージャスなあまり北欧の詩情がかすむような後年のベルリン・フィル盤より素直な印象を受ける。

「第2」は、本盤の20年後にもベルリン・フィルと再録音しているが、なぜか長らくの間、廃盤状態。

筆者としては、シベリウスの演奏を北欧風の清澄な抒情的演奏とすべきと固定化してしまうという考え方には異議を唱えており、1980年盤の豪快な演奏にも素晴らしい面が多々あると考えるが、カラヤンによるシベリウスの「第2」といえば、やはり本盤を第一に掲げるべきではないだろうか。

壮麗さと北欧風の清澄さが見事にバランスをとれているからであり、シベリウスを数多く演奏してきたフィルハーモニア管弦楽団の好パフォーマンスも、本名演に華を添える結果となっている。

「第5」は、カラヤンが最も数多くの録音を遺したシベリウスの交響曲であるが、本盤と1960年代のベルリン・フィルとの録音が2トップと言えるのではないか。

1960年代の録音が、やや耽美的な側面があるのに対して、こちらの方は、壮年期のカラヤンならではの燃え盛るような生命力を全面に打ち出した演奏だ。

それでいて、北欧風の繊細な抒情の描出にもいささかの不足はない。

残念なのは、録音がややイマイチな点で、ティンパニの音が団子状態になって聴こえる点だ。

これは、Original recording remastered によってもあまり解消されないので致し方ないところだろう。

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