2013年09月

2013年09月30日


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稀代のピアニストであったワルター・ギーゼキングによる名演としては、ドビュッシーのピアノ作品集が名高い。

そして、それに優るとも劣らない名演との評価を勝ち得ているのが、同じくフランス印象派の大作曲家であるラヴェルのピアノ曲全集である。

ギーゼキングによるラヴェルのピアノ作品の本演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ラヴェルのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本全集の演奏も、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもラヴェルのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるラヴェルのピアノ作品全集の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 23:40コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルギーゼキング 

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稀代のドビュッシーのピアノ曲の演奏家として知られたワルター・ギーゼキングであるが、遺された録音がモノラル録音であったこともあって、どうしてもその後の様々なピアニストによる演奏と比較すると、必ずしも絶対的な地位を確立していたとは言い難い状況にあったところだ。

そのようなギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた「練習曲集」をはじめとした各種のピアノ作品についても、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:25コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーギーゼキング 

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これまでは、モノラル録音ということもあって、最新録音によるドビュッシーのピアノ曲の演奏と比較すると分が悪かったワルター・ギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものだ。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた「映像」をはじめとした各種のピアノ作品についても、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

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classicalmusic at 21:16コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーギーゼキング 

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ワルター・ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏はやはり素晴らしい。

そうしたギーゼキング代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていないと。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた有名な「ベルガマスク組曲」や「子供の領分」、「アラベスク」、「夢」なども、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

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classicalmusic at 20:04コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーギーゼキング 

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ワルター・ギーゼキングの代表的な名演とも言うべきドビュッシーのピアノ曲の一連のスタジオ録音が、EMIによってついにSACD化されることになったというのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ曲の演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあると言えるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスやフランス風のエスプリ漂う豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1950年代の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

ドビュッシーのピアノ曲を得意とするピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらある。

本盤に収められた「前奏曲集」も、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもドビュッシーのピアノ作品演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるドビュッシーのピアノ作品の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

もちろん、最新録音のようにはいかないが、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年代前半のモノラル録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる比較的良好な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年09月29日


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本盤に収められたドビュッシーのピアノ作品集は、最晩年のフランソワが成し遂げた不朽の名盤である。

フランソワの急死によって全集完成に漕ぎ着けることができなかったのは残念ではあるが、それでも本演奏の素晴らしさにいささかの揺らぎが生じるものではない。

ドビュッシーのピアノ曲の名演を成し遂げたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものと言えるのではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方とも言えるものであり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、ドビュッシーのピアノ曲を得意としたギーゼキングによる演奏のように、オーソドックスなアプローチによる名演とは大きく異なり、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事であると言えるだろう。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れているところだ。

本盤に収められたドビュッシーのピアノ作品集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

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classicalmusic at 21:21コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーフランソワ 

2013年09月28日


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本盤には、パイヤールが得意とするバロック音楽の小品が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

現在は、ピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法などが一般化している時代である。

バッハやヘンデルなどのバロック音楽の演奏はもとより、そうした演奏様式の波は、ハイドン、モーツァルト、そしてベートーヴェンなどの古典派音楽にまで及び、ついにはシューベルトやシューマンなどのロマン派音楽にまで広がって来ている。

しかしながら、そうした古楽器奏法やピリオド楽器による演奏は広範に普及しつつあるものの、芸術的な感動を覚える演奏というのはまだまだ少数派だと言えるのではないか。

要は、内容が伴っていないということであり、音楽学者にとっては歓迎すべきことであるのかもしれないが、真に芸術的な感動を求める我々聴き手からすれば、嘆かわしい事態に陥っていると言わざるを得ない。

アルビノーニやバッハ、ヘンデルなどによる楽曲は、かつてはクレンペラーやフルトヴェングラー、カラヤンなどの大指揮者が、それこそ大編成のオーケストラを活用して、重厚な演奏を繰り広げていたのだ。

そうしたかつての重厚長大な演奏を、大時代的であるなどと批判する者が高名な音楽評論家の中にもおられるようであるが、仮に時代考証学的には問題があっても、芸術的な感動を覚えることができるのであれば、そのような問題は実に些末なことと言えるのではないだろうか。

筆者としては、音楽を聴くということは、芸術的な感動を得たいがためであり、音楽を研究することが目的ではないことをあらためて銘記しておく必要があるのではないかと考えている。

パイヤールが指揮するバロック音楽は、まさに、かつての錚々たる大指揮者による演奏に連なるシンフォニックな演奏ということが可能だ。

そして、パイヤールはフランス人であるだけに、重厚さ一辺倒ではなく、音楽に独特の洒落たセンスが満ち溢れており、いい意味での硬軟バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

また、本盤で素晴らしいのは、XRCDによる極上の超高音質録音である。

本盤の録音は1975年であるが、今から約35年以上のものとは思えないような鮮明な音質に生まれ変わっているのは殆ど驚異的であるとさえ言える。

パイヤールによるシンフォニックでセンス満点の名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:55コメント(0)トラックバック(0)バッハヘンデル 

2013年09月27日


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本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第5番は、小澤による2度目の録音ということになる。

前回はボストン交響楽団を指揮してのもの(1977年)であり、いかにも若武者ならではの爽快な名演であったが、本盤はそれから12年ぶりの録音である。

前年に、同じくベルリン・フィルと第4番(1988年)を録音しており、それがなかなかの名演であったことから、筆者も随分と期待して聴いたのだが、残念ながら第4番ほどの感銘を受けなかったことを告白せざるを得ない。

この程度の演奏であるならば、むしろ1977年盤の方が優れていると言えるのかもしれない。

その理由はいろいろとあるが、小澤に起因するというよりもベルリン・フィルの方に問題があったのではないかと考えられるところだ。

ベルリン・フィルは、例のザビーネ・マイヤー事件の勃発後、蜜月状態にあったカラヤンとの関係が修復不可能にまで決裂状態になった。

したがって、カラヤンがウィーン・フィルに軸足を移すようになってからは、特にポストカラヤンと目される指揮者とは、カラヤンへの対抗意識からとてつもない名演を行うようになった。

マゼールによるブルックナーの交響曲第7番及び第8番(1987〜1988年)、アバドとブレンデルによるブラームスのピアノ協奏曲第1番(1986年)、ムーティとのブルックナーの交響曲第4番(1985年)など、名演には枚挙にいとまがないところだ。

小澤とのチャイコフスキーの第4番(1988年)もそうした名演の一つに掲げられるものと考えられる。

ところが、本演奏の録音は1989年4月であり、これはカラヤンがついに終身の芸術監督を辞任した時にあたる。

今まで対抗意識を持って戦ってきたカラヤンが自らその地位を投げ出したのであり、いくらプロフェッショナルに徹していたベルリン・フィルと言えども、これまで張りつめていた緊張が急に解けることになり、その演奏に影響が及んだことは十分に考えられるところだ。

実際のところ、本演奏でのベルリン・フィルは、決して好調とは言えないところであり、小澤の意欲的な指揮も随分と空回りしているように思われてならないのだ。

これに対して、併録の大序曲「1812年」は、ベルリン・フィルもアバドを芸術監督に迎えて心機一転を図るなど安定した時期に入った際の演奏(1992年)であり、小澤のエネルギッシュな指揮も相俟って、素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

録音は、従来盤では特に交響曲第5番において音質がイマイチ良くないと指摘されていたところであったが、今般のSHM−CD化によって、そうした問題は解消され、素晴らしい音質に蘇っている。

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2013年09月26日


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アバドによるマーラーの交響曲第2番と言えば、いの一番にルツェルン祝祭管弦楽団との超名演(2003年ライヴ)が思い浮かぶ。

当該演奏は、大病を克服したアバドならではの深みと凄みを増した指揮とアバドと深い関係にあるルツェルン祝祭管弦楽団が、ともに音楽を創造していくことの楽しみを共有し合いつつ渾身の力を発揮した稀有の超名演に仕上がっていた。

したがって、このルツェルン盤の存在があまりにも大きいために、そしてウィーン・フィルとのライヴ録音(1992年)も存在しているため、更に約20年も前のスタジオ録音である本盤の演奏の影はいささか薄いと言わざるを得ないが、筆者としては、若き日のアバドならではの独特の魅力がある素晴らしい名演と高く評価したい。

本演奏におけるアバドのエネルギッシュな指揮ぶりは実に凄まじい。

とりわけ第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っていると言えるところであり、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後、借りてきた猫のように大人しくなってしまったアバドとは別人のような力強い生命力に満ち溢れた熱い指揮ぶりである(アバドは芸術監督退任間近に胃がんにかかるが、胃がん克服後は、彫りの深い名演を成し遂げるようになったことを忘れてはならない)。

それでいて、とりわけ第2楽章や第3楽章などにおいて顕著であるが、アバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

終楽章の終結部の壮麗さも、雄渾なスケールと圧巻の迫力に満ち溢れており、圧倒的な感動のうちに全曲を締めくくっている。

シカゴ交響楽団も持ち前の超絶的な技量を如何なく発揮しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、キャロル・ネブレットとマリリン・ホーンによる独唱、そしてシカゴ交響合唱団による壮麗な合唱も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

録音については、従来盤でも十分に満足し得る音質であったが、今般、オリジナル・マスターからのハイビット・ハイサンプリング音源を使用するとともに、SHM−CD化による更なる高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさから言っても大いに歓迎したい。

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2013年09月25日


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このコンビによるベートーヴェンの「第5」&「第7」が素晴らしい名演であったので、本盤を購入し、聴いてみたところ、期待どおりの見事な名演であった。

このディスクからは往年の巨匠達が鳴らしていた「エロイカ」を聴くことができる。

ベートーヴェンの交響曲の演奏の主流は、今や、ピリオド楽器の使用や、古楽器奏法の活用などになりつつあるが、インバルは、そのような演奏傾向には背を向け、本演奏においても、旧スタイルを貫いている。

この姿勢が、聴き手に大いなる安心感を与えるのだ。

もちろん、最近の演奏傾向を否定するものではないが、芸術性をどこかに置き忘れた軽妙浮薄な演奏をよく耳にする昨今においては、旧スタイルを懐かしく思ってしまうのだ。

前述のように、インバルは旧スタイルと書いたが、もちろん、インバルならではの個性的な解釈も散見される。

特に、第1楽章や終楽章における思い切った表情づけなどには、いささかやり過ぎのきらいもないわけではないが、全体としては、ドイツ風の重厚さが支配的な堂々たる名演に仕上がっている。

ゆったりとした堂々たるテンポ、終楽章コーダの朗々たるホルンやここぞという場面で強打されるティンパニなど、どこを取っても理想の名演奏だ。

インバルの確かな統率の下、東京都交響楽団も最高のパフォーマンスを示している。

併録の「コリオラン」序曲も、「エロイカ」と同様の重量感溢れる名演。

録音もSACDによる極上の高音質であり、文句なし。

なお、「エロイカ」終了後の聴衆のマナーについて一言。

演奏の余韻を味わうための間を少し置くことはできないのだろうか。

演奏終了とほぼ同時の品の悪い大音声は、殆ど顰蹙ものである。

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classicalmusic at 23:38コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンインバル 

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インバル指揮都響の演奏会はエクストンによって高音質で録音されるので演奏会に行けなかった人たちにとっては本当にありがたい。

ブルックナーの「第8」の初稿については、シモーネ・ヤングによる名演が記憶に新しいが、本盤も、それに優るとも劣らない名演と高く評価したい。

インバルの旧盤(フランクフルト放送交響楽団との全集)が登場した頃は、初稿は、学者の学究対象のような位置づけであったが、近年の数々の名演の登場にかんがみると、立派な芸術作品として、初稿ならではの魅力が漸く認知されたものと言える。

本盤の録音は、2010年3月25日。

何と、ほぼ同時に発売されたスクロヴァチェフスキの超名演の録音日と同日であり、我が国において、初稿とハース&ノヴァークの折衷版の至高の名演が同時に行われたのは奇跡というほかはないと言える。

それにしても、本盤のインバルの指揮は見事である。

マーラーで聴かれる、インバルの持ち味である粘り気が功を奏し、情念溢れる感動的な音楽に仕上がっている。

かつてのフランクフルト放送交響楽団との旧盤も名演であったが、本盤の前では、もはや太陽の前の星のような存在である。

全体の厳しい造型の構築力には力強いものがあるし、初稿ならではの抒情豊かな旋律の歌い方(特に第3楽章)も実に感動的である。

終楽章などには、猛烈なアッチェレランドや思い切ったトゥッティなどの連発なども散見されるが、それが決して嫌ではないのは、インバルの初稿に対する深い理解の証左と言えるだろう。

東京都交響楽団も、インバルの統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

録音もSACDによる極上の鮮明な高音質であり、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。

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classicalmusic at 21:14コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーインバル 

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インバルは、筆者としてはどちらかと言うとマーラー指揮者というイメージがあるが、それでも、かつて初稿などを駆使して、ブルックナーの交響曲全集を完成した指揮者であることを忘れてはならないだろう。

「第5」は、その全集時から約25年ぶりの録音ということになるが、インバルの円熟の境地を感じさせる素晴らしい名演だ。

演奏の特徴を一言で言うと、非常に緻密でしっかりと解釈された演奏ということができるだろう。

全体的なテンポはかなり速めのテンポ。

冒頭のピチカートからして、過去の様々な名演に比してかなり速い。

第2楽章のアダージョの名旋律も、もう少しゆっくり演奏して欲しいと感じるほどの速めのテンポだ。

しかしながら、インテンポではなく、場面毎に巧みにテンポを変化させる。

強弱の変化にしても同様で、これほどまでにテンポや強弱の変化を精緻に駆使した演奏は、これまでにはなかったのではないか。

だからと言って、杓子定規には陥らず、「第5」特有のスケールの雄大さにいささかの不足はないのは見事というほかはない。

金管楽器などの吹奏も、迫力を欠くということはいささかもなく、それでいて無機的な音は一音たりとも出していない。

こうした東京都交響楽団の好演も特筆すべきであり、インバルとのコンビが漸く軌道に乗ってきたことを大いに感じさせる。

このコンビによるブルックナーの他の交響曲の演奏にも大いに期待したい。

録音もSACDによる極上の鮮明な高音質であり、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。

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2013年09月24日


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全体の仕上がりは見事なまでの高水準で、ヤンソンス円熟の演奏といったところであろう。

ヤンソンスのアプローチは至極まっとうで、十分な迫力を持ちながらも繊細さを保ち、全曲をしっかりとまとめている。

チャイコフスキーの「第5」は良く言えば豪華絢爛だが、悪く言えばセンチメンタリズムなところがあり、作曲者自身も自作の装飾過剰について自己嫌悪気味の発言をしていたようだ。

ところが、これはセンチメンタルのセの字もないような筋肉質でマッチョ系のチャイコフスキーだ。

全体的に遅めの安定感のあるテンポを持続させた、重量級のアンサンブル展開が素晴らしく、その圧倒的なダイナミック・レンジといい、バイエルン放送響のアンサンブルのズシリとしたバスのふくよかな量感といい、強奏時の圧し掛かるようなトゥッティの凄い質量感といい、すこぶる聴き応えのある、まさに重厚な感触のチャイコフスキーが披歴されている。

したがって、どこもかしこも立派でケチをつけるところは皆無なのであるが、他方、生命力溢れる力強さとか、個性といったものがいささかも感じられないのが、難点とも言える。

相変わらず楽譜の読みは緻密で、たとえば第3楽章ではホルンのゲシュトップト奏法を浮き立たせて、甘美なワルツの背後に暗い影を感じさせるが、全体としてはもう一息で、ヤンソンスならではの個性を刻印して欲しかった。

オーケストラの技術の高さも実に見事であり、立派な演奏であることは認めるが、ヤンソンスならば、今一歩レベルの高い演奏を望みたいところだ。

むしろ、併録の「フランチェスカ・ダ・リミニ」の方が素晴らしい。

これは、かつての若き日のヤンソンスを思わせるようなパワフルで力強い迫力が持ち味であり、同曲演奏史上最高の名演の一つと言っても過言ではないと高く評価したい。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音も見事である。

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classicalmusic at 21:30コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーヤンソンス 

2013年09月23日


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本盤に収められたブルックナーの交響曲第3番は、ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーチクルスの第5弾であるが、前作の第5番と同様に素晴らしい名演と高く評価したい。

このコンビによるブルックナーが、いよいよ快調の波に乗ったことを裏付ける内容である。

本演奏の売りは、何と言っても初稿を採用しているということであろう。

このコンビによるこれまでの演奏では、第5番や第8番などにおいても初稿を採用していなかったことに鑑みれば、第3番において何故にブロムシュテットが初稿を採用したのかは疑問が残るところだ。

かつては、初稿はブルックナーを研究する音楽学者の学究的な関心事項でしかなかったが、インバルやケント・ナガノ、シモーネ・ヤングなどの初稿を尊重する指揮者によって、芸術的にも優れた名演が数多く成し遂げられるようになってきたことから、今日では初稿のグレードが大いに上がってきている。

とりわけ、第3番の初稿は、その愛称が示すとおりワーグナーの楽曲からの引用が数多く見られるなど、一般的な第2稿や第3稿とはその内容が大きく異なり、あたかも別の作品のような楽曲であることから、ブロムシュテットも余程のポリシーを持って初稿を採用するに至ったことは想像するに難くない。

いずれにしても、本演奏には、ブロムシュテットの確固たる信念を感じ取ることが可能な、仰ぎ見るような威容を湛えた堂々たる名演に仕上がっている。

この指揮者ならではの全体の造型の堅固さは健在であるが、スケールも雄渾の極み。

シャイー時代になってオーケストラの音色に色彩感を増したと言われているゲヴァントハウス管弦楽団ではあるが、本演奏ではブロムシュテットの確かな統率の下、ドイツ風の重心の低い音色で重厚な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

全体としてはゆったりとしたインテンポを基調としているが、ここぞという箇所では微妙にテンポを動かしており、それが演奏全体を四角四面にしないことに大きく貢献している。

ブラスセクションなども最強奏させているが、無機的になることはいささかもなく、どこをとっても奥行きの深さを損なっていないのが素晴らしい。

随所にあらわれる初稿ならではのワーグナーの楽曲の旋律の歌わせ方も実に巧みであり、初稿を採用したこれまでの演奏の中でも、シモーネ・ヤングによる名演と同格か、あるいはオーケストラの優秀さを勘案すれば、それ以上の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

そして、本盤でさらに素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

コンサート会場の豊かな残響を取り入れた臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーブロムシュテット 

2013年09月22日


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サットマリーによるバッハのオルガン名曲集であるが、堂々たるドイツ正統派のオルガン演奏であり、いずれの楽曲も素晴らしい名演と高く評価したい。

まず、何よりもXRCDによる超高音質録音について言及しておきたい。

オルガンの録音は非常に難しい。

オルガンの音色は、教会の豊かな残響があってこそ生きてくるものであるが、残響を最大限に収録してしまうと、オルガンの旋律線が極めてぼやけた不明瞭な録音に陥ってしまう危険性がある。

他方、その危険性を避けるために残響をあまりに絞り過ぎると、演奏全体の荘重な雰囲気をぶち壊してしまうことにもなりかねない。

また、オルガンの重低音の再現が必要不可欠であるが、ダイナミックレンジの加減によっては音の歪みが生じることもあり、さりとて、低音を抑制して収録してしまうと、迫力のない干物のような音質になり下がってしまう可能性が大である。

これほどまでにオルガンの録音は難しいと言えるが、本演奏の録音は前述のような問題は皆無であり、聴き手の耳にずしりと響いてくるような重厚にして迫力満点のオルガン演奏を聴くことが可能であり、オルガンの録音としては最高の出来栄えと言える。

そして、演奏内容についても、前述のように素晴らしい。

サットマリーは、各楽曲を誠実に弾きこなしていくことを通じて、その魅力を聴き手にできるだけわかりやすく伝えていこうという真摯で丁寧な知的アプローチが功を奏している。

確かに、本盤における演奏には、ヴァルヒャやリヒターの演奏に聴かれるような、聴き手を容易には近づけない峻厳さにおいてはいささか後塵を拝しているが、バッハのオルガン曲をゆったりとした気持ちで満喫することができるという意味においては、本演奏も過去の個性的な名演の中でも、十分にその存在感を発揮している。

また、ヨーロッパ最大規模を誇るとされるズウォレ聖ミヒャエル教会のシュニットガー・オルガンの壮麗な音色を堪能できるのも、本演奏の大きな魅力であると高く評価したい。

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classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0)バッハ 

2013年09月21日


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シカゴ交響楽団のヴィルトゥオジティを全開させたライナーならではの純音楽的名演・名録音である。

とにかく凄い音質である。

スピーカーから飛び出てくる迫力満点の大音響に体ごと吹っ飛ばされるような気がした。

1950年代半ばのステレオ録音黎明期に、これほどの高音質がマスターテープに記録されていたとは、にわかには信じがたい。

あらためて、XRCD盤の底力を感じ入った次第である。

有名なチャイコフスキーの序曲「1812年」など、近年では、スコアにない合唱を加えたり、大砲の音色を付加する演奏が増えてきているが、本盤のライナー盤は、そのような特別な手は一切加えていない。

にもかかわらず、迫力においては、おそらく過去のどの演奏にも負けていないのではないか。

演奏も、全盛期のライナー&シカゴ交響楽団の実力を十分に認識させてくれる素晴らしい名演だ。

カラヤン&ベルリン・フィルも、このような小曲を集めた名演を数多く生み出したが、本盤は、カラヤン盤に十分に匹敵する。

どの楽曲も、生き生きとした躍動感に満ち溢れており、金管楽器も木管楽器も実に巧く、雷鳴のように轟く打楽器は圧巻の迫力だ。

弦楽器も、これ以上は求め得ないような精緻なアンサンブルと肉厚の重量感を誇っており、オーケストラ演奏としても、最高峰のレベルにある。

ライナーも、各曲の聴かせどころのツボを心得た見事な指揮を披露しており、最高のパフォーマンスを示している。

XRCDの新譜が出なくなって久しいが、是非とも他の歴史的録音も復刻して欲しいと願うのは、筆者だけではあるまい。

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classicalmusic at 23:44コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーライナー 

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この両曲の古典的名盤だ。

オーケストラの巧さが名演奏の決め手となる楽曲どうしの組み合わせであるが、全盛期のライナー&シカゴ交響楽団の手にかかれば、何らの問題もない。

金管楽器も木管楽器も実に巧く、しかも実にカラフルないい音色を出している。

打楽器の強靭な迫力も凄まじいの一言であり、弦楽器の精緻なアンサンブルと、重量感溢れる肉厚の響きは、圧巻の素晴らしさだ。

ライナーも、よくぞ、ここまでシカゴ交響楽団を鍛え抜いたことだと思う。

ハンガリー出身の指揮者は、オーケストラを鍛えることに関しては、図抜けた才能を有しているようで、オーマンディやセル、そして後年のショルティなど、枚挙にいとまがない。

このような綺羅星の如き指揮者の中でも、やはり先輩格はライナーであり、あらためてライナーの偉大さを感じざるを得ない。

演奏も素晴らしい。

ライナーは、聴かせどころのツボを心得た実に心憎い指揮を行っており、親しみやすい両曲の数々の名演の中でも、最右翼に掲げられるものと言える。

ライナーの深いスコアの読みと無慈悲なまでに正確な指揮は、黄金期のシカゴ交響楽団の名人芸の魅力と相俟って本盤の価値は計り知れない。

録音が、これまた素晴らしい。

1950年代半ばの録音のマスターテープに、これだけの高音質が刻み込まれていること自体が驚異ではあるが、そうした高音質の録音を完璧に再現してくれるXRCD盤の凄さも併せて高く評価したい。

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classicalmusic at 21:14コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフストラヴィンスキー 

2013年09月20日


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ストコフスキーほど、楽曲を面白く楽しく聴かせてくれる指揮者は他にはいないのではないか。

どの曲もストコ節満載で、スコアに忠実ということはなく、大胆なカットや、粘ったテンポ設定、思い切った強弱の変化など、ありとあらゆる演出を施す。

恣意的と言ってもいい解釈であるが、ストコフスキーの場合、嫌みが全く感じられないのだ。

これは、ストコフスキーの、楽曲への深い理解と、聴き手に演奏を心から楽しんでもらおうという旺盛なサービス精神の賜物であると考える。

要は、根っからの舞台人ということなのであろう。

例えば、有名なリストのハンガリー狂詩曲第2番など、ミュラー=ベルクハウス版を使用しているが、大胆な表現や大幅なカットなどによって、まさにストコフスキー編曲のような演奏に仕上がっている。

それでいて、こってりした叙情と激しい情熱で、これだけ堪能させてくれるというのは、ストコフスキーの指揮芸術の素晴らしさと言えるだろう。

ショーマンシップを発揮するタイプだというと、つい俗っぽいものを想起してしまうが、ストコフスキーの演奏は決して下品にならない。

むしろ、曲への愛着が聴き手にダイレクトに伝わる素晴らしさがある。

「ラプソディーズ」というカテゴリーのCDの中に、エネスコや、リストと親交のあったスメタナの楽曲をカップリングしたセンスの良さも抜群のものがある。

録音も1960年代初頭のものであるが、これまた実に鮮明で素晴らしい。

XRCD&SHM−CD盤の超高音質を十分に体現できる1枚だ。

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classicalmusic at 21:24コメント(0)トラックバック(0)リストスメタナ 

2013年09月19日


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ベームは、ベートーヴェンの交響曲全集を完成させるなど、ベートーヴェンを重要なレパートリーとしていたが、ライヴ録音も含め数あるベームによるベートーヴェンの交響曲の演奏の中でも最高の名演は、本盤に収められた「田園」ということになるのではないか。

それどころか、他の指揮者による「田園」の名演の中でも、ワルター&ウィーン・フィル(1936年)、ワルター&コロンビア交響楽団(1958年)と並ぶ至高の超名演と高く評価したい。

なお、ベームには、1977年の来日時のライヴ録音(1977年)もあるが、オーケストラの安定性などを含めて総合的に評価すると、本演奏の方をより上位に置きたいと考える。

ワルターが、「田園」を情感豊かに描き出したのに対して、ベームの演奏は重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型は例によってきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

スケールも雄渾の極みであり、第4楽章の畳み掛けていくような力強さや、終楽章の大自然への畏敬の念を感じさせるような崇高な美しさにおいても、いささかも不足することはない。

テンポは全体として非常にゆったりとしたものであるが、最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。

このようなベームの重厚でシンフォニックな演奏に適度な潤いと深みを与えているのが、ウィーン・フィルによる素晴らしい演奏だ。

その演奏は、まさに美しさの極みであり、とりわけウィンナ・ホルンなどの朗々たる奥行きのある響きには抗し難い魅力がある。

また、本盤には、シューベルトの「第5」がカップリングされているが、これまた素晴らしい名演だ。

ベームのシューベルトは、堅固な造型の中にも、豊かな情感が満ち溢れており、硬軟併せ持ついい意味でのバランスのとれた演奏と言える。

私見ではあるが、ワルターとクレンペラーの演奏を足して2で割ったような演奏様式と言えるのかもしれない。

録音も、リマスタリングを繰り返してきたこともあって通常CDでも比較的鮮明な音質である。

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classicalmusic at 21:18コメント(0)トラックバック(0)ベームベートーヴェン 

2013年09月18日


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本盤は2009年秋に行われた、フランクフルト放送交響楽団の創設80周年記念コンサートでのライヴ録音である。

演奏は、パーヴォ・ヤルヴィの近年の充実ぶりをうかがわせる素晴らしい名演と高く評価したい。

パーヴォ・ヤルヴィは、父ネーメ・ヤルヴィと同様に、レパートリーが実に幅が広い。

ドイツ音楽からフランス音楽、ロシア音楽、東欧や北欧諸国の音楽に至るまで、あまりの広範さに唖然としてしまうほどだ。

しかも、レパートリー毎にオーケストラを使い分けているのも特徴であり、ベートーヴェンやシューマンの交響曲、協奏曲はドイツ・カンマー管弦楽団と、マーラーやブルックナーの交響曲はフランクフルト放送交響楽団と、そして、その他の楽曲はシンシナティ交響楽団と録音するというのが基本的な方針であるように思われる。

ブラームスも、既にピアノ協奏曲をフランクフルト放送交響楽団と録音しており、そうした方針の下、ドイツ・レクイエムも、フランクフルト放送交響楽団を起用したことになったのではないかと考えられる。

本演奏でのパーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、ある意味では非常にオーソドックスなものと言える。

曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くというものだ。

もちろん、スコアに記された音符の表層だけをなぞったような浅薄な演奏には陥っておらず、どこをとっても独特のニュアンスがあり、情感の豊かさを失っていないのが素晴らしい。

静謐さに満たされた同曲ではあるが、劇的な局面が時としてあらわれるのを特徴としており(例えば第2楽章及び第6楽章の中間部)、そのような局面における畳み掛けていくような気迫や生命力溢れる力強さは、圧巻の迫力を誇っているところであり、パーヴォ・ヤルヴィの表現力の幅の広さを大いに感じることが可能だ。

もっとも、そのような箇所においてもいささかも無機的には陥らず、常に透明感溢れる美しい響きが支配しているというのは、パーヴォ・ヤルヴィの豊かな音楽性の賜物と言えるだろう。

ソプラノのナタリー・デセイとバリトンのリュドヴィク・デジエも最高の歌唱を披露しており、世界的にも、その実力において高い評価を得ているスウェーデン放送合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

音質も非常に鮮明かつ瑞々しささえ感じさせるほどの透明感にも満ち溢れており、HQCD化もある程度効果を発揮しているのではないかと考えられる。

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classicalmusic at 21:51コメント(0)トラックバック(0)ブラームスヤルヴィ 

2013年09月17日


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最近ではチョン・ミュンフンも大人しい演奏に終始することが多くなり、すっかりと目立たない指揮者になってしまっているが、1990年代の演奏はどれも凄かった。

例えば、ベルリオーズの幻想交響曲、ビゼーの組曲「アルルの女」&組曲「カルメン」、ドヴォルザークの交響曲第3番&第7番、そしてショスタコーヴィチの交響曲第4番など超名演が目白押しだ。

とりわけ、ショスタコーヴィチの交響曲第4番については、現在でもラトルによる超名演と並んで、同曲演奏史上最高の名演と言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたR・コルサコフの交響組曲「シェエラザード」とストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」も、そうした飛ぶ鳥落とす勢いであった全盛期のチョン・ミュンフンならではの素晴らしい名演だ。

両曲ともに華麗なオーケストレーションを基調とするロシア音楽であるが、チョン・ミュンフンは、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化などを大胆に駆使して、ドラマティックな演奏を展開している。

各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さやダイナミックな躍動感は、圧巻の迫力を誇っている。

それでいて、「シェエラザード」の第3楽章などにおけるロシア風のメランコリックな音楽における豊かな情感においてもいささかの不足もなく、必ずしも勢い一辺倒ではないチョン・ミュンフンの桁外れの表現力の幅の広さを感じることが可能だ。

また、当時はチョン・ミュンフンと良好な関係を築いていたパリ・バスティーユ管弦楽団の卓越した技量も、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。

録音は通常盤でも十分に満足できる高音質ではあったが、今般のSHM−CD化によって音質はより一層鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと思われる。

チョン・ミュンフンの全盛時代の超名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年09月16日


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本盤に収められたマーラーの交響曲全集は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。

それどころか、録音から25年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。

インバルのマーラ―に対する評価については百家争鳴の感がある。

それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。

インバルのマーラーは、近年の都響やチェコ・フィルとのライヴでは随分と変容しつつあるが、本盤の各演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本盤のようなスタジオ録音による全集を完成させるに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本盤におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが各演奏を四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる各演奏を感動的なものにしているところだ。

前述のように、本全集におけるインバルによる演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本全集が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。

1985年から1988年という極めて短期間に(1992年のスタジオ録音である第10番のクック全曲版については、もともとの全集とは別個に録音されたものであり、ここでは全集と区別して考えたい)録音されたということも、各交響曲毎の演奏のムラをなくす結果に繋がっている。

そして、本全集でさらに素晴らしいのは、マーラーのような大編成のオーケストラ曲においては画期的とも言えるワンポイント録音による極上の鮮明な超高音質である。

様々な楽器セクションがこれほど鮮明に、そしてナチュラルに分離して聴こえるというのは、他の録音でも極めて少ないと言えるところであり、本全集の普遍性に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 21:53コメント(0)トラックバック(0)マーラーインバル 

2013年09月15日


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今や女流指揮者の第一人者としてだけではなく、期待の若手指揮者の一人として多大な活躍をしているシモーネ・ヤングと、その手兵であるハンブルク・フィルによるブラームスの交響曲チクルスの第2弾の登場だ。

第1弾の交響曲第1番が重厚にしてスケール雄大な名演であっただけに、本盤に収められた交響曲第2番や悲劇的序曲の演奏にも大いに期待したところであるが、そうした期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

ベートーヴェンの交響曲第10番との異名をとるほどの力強さが持ち味の第1番とは異なり、より抒情的で情感豊かな表現が要求される第2番だけに、女流指揮者たるシモーネ・ヤングにとっても、第1番よりもより一層取り組みやすい楽曲であったとも言えるのかもしれない。

第1楽章の幾分憂いに満ちた情感に満ちた旋律の数々を、シモーネ・ヤングは心を込めて歌い抜いているところであるが、どこをとっても陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、常に格調の高さや、女流指揮者ならではのエレガントな気品に満ち溢れているのが素晴らしい。

第2楽章のややゆったりしたテンポによる演奏も美しさの極みであり、随所から漂ってくる熱き情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、第3楽章の典雅とも言うべき洒落た味わいには出色のものがあると言えるだろう。

終楽章は、一転して女流指揮者離れした強靭さが全体に漲っており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や重厚な強靭さ、そして、終結部の猛烈なアッチェレランドは、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、シモーネ・ヤングの卓越した音楽性と、前途洋々たる将来性を大いに感じることが可能な圧倒的な名演と高く評価したい。

併録の悲劇的序曲も、とてつもない緊張感と強靭な迫力に貫かれた凄みのある名演に仕上がっているところだ。

ハンブルク・フィルも、シモーネ・ヤングの確かな統率の下、渾身の名演奏を繰り広げていると評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる鮮明な高音質を聴いていると、あらためてSACDの潜在能力の高さを再認識させられるところだ。

いずれにしても、シモーネ・ヤングによる至高の超名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年09月14日


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尾高忠明&札幌交響楽団による北欧の管弦楽曲集の第2集であるが、これらの作品の魅力を存分に味わうことができる素晴らしい名演だ。

第1集とは異なり、選曲は実に渋い。

グリーグ作曲の『抒情組曲』から4曲を抜粋した管弦楽編曲版にはじまり、グリーグ&シベリウスの「2つの悲しい旋律」と「2つの荘重な旋律」の対比、そしてシベリウスの中期の交響詩を2曲並べた後、シベリウスの最晩年の小品で締めるというラインナップである。

いずれも両作曲家による傑作ではあるが、作品の認知度からすれば、必ずしも有名作品とは言い難いところ。

ところが、尾高は、これらの作品の聴かせどころのツボを心得た、実に見事な演奏を行っている。

これらの楽曲が有する北欧風の旋律を清澄な美しさで歌いあげているのは実に感動的であり、それでいて、例えば、『抒情組曲』の「トロルの行進」や、「夜の騎行と日の出」の冒頭などのように、力強さにおいてもいささかの不足もない。

札幌交響楽団も、尾高の指揮の下、最高のパフォーマンスを示している。

日本の一地方のオーケストラが、これだけの技量を持つのようになったことに、深い感慨を覚えた次第だ。

録音も、マルチチャンネル付きのSACDであり、その極上の高音質録音は、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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classicalmusic at 23:32コメント(0)トラックバック(0)シベリウスグリーグ 

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素晴らしい名演だ。

何よりも、札幌交響楽団の健闘を讃えたい。

10年ほど前までは、地方のオーケストラなど、大阪フィルを除けば、きわめてお寒い限りであったのだが、最近では、この札幌交響楽団も含め、力量的にも大幅な底上げがなされてきているように思う。

その成果の一つが本盤であり、先ず技術的には問題なし。

芸術的にも、尾高忠明の指揮の下、実に感動的な音楽を奏でている。

次いで、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音を評価したい。

北欧の清澄な音楽には、臨場感溢れる音場が最適であるが、本盤の極上の高音質は、あたかも北欧を吹く一陣の風の如くである。

特に、『ペールギュント』組曲の「オーゼの死」や「ソルヴェイグの歌」の弦楽器の美しさは、筆舌には尽くしがたい素晴らしさだ。

そして、選曲の妙と尾高の指揮の素晴らしさを高く評価したい。

第2集と比較すると、グリーグ&シベリウスの超有名曲を収めているのも好企画である。

それだけに、指揮の質を問われるが、尾高の指揮も、オーソドックスなアプローチではあるものの、聴かせどころのツボを心得た巧みなものであり、聴きなれたこれらの各曲を実に感動的に味わうことができたことを評価したい。

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2013年09月13日


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圧倒的な超名演だ。

小澤は、若い頃よりフランス系の音楽を十八番として、頻繁に演奏してきたが、ここでもそうした小澤の天賦の才能が全開だ。

ここでの小澤は、まさに水を得た魚の如く、自らの才能の赴くままに、のびのびと自由闊達に演奏を行っているような印象を受ける。

幻想交響曲の録音は、ボストン交響楽団の音楽監督就任の年のものであるが、そうした記念の年に録音を行ったという事実は、小澤の同曲への深い愛着と同時に、その自信のほどが窺える。

演奏全体に、若き日の小澤ならではの、畳み掛けるような気迫と力強さが支配しており、切れば血が出るほどに熱い情熱に満ち溢れている。

特に、第4楽章の切れ味鋭いリズム感と強靭さ、終結部に向けての猛烈なアッチェレランドは圧巻の迫力だ。

それでいて、力任せの空虚な演奏にはいささかも陥っておらず、フランス音楽ならではの瀟洒な味わいと内容の濃さを失っていない点を高く評価したい。

小澤は、緩急自在のテンポ設定や、広範なダイナミックレンジ、アッチェレランドを巧みに駆使して、ドラマティックな演奏を行っているのだが、交響曲全体の造型がいささかも弛緩しないというのは、小澤の類稀なる才能とともに、小澤のベルリオーズとの抜群の相性の良さを大いに感じるのである。

併録の「ボレロ」や「亡き王女のためのパヴァーヌ」も、後年の録音のようにやや洗練され過ぎるという愚に陥ることはいささかもなく、若き日の小澤の生命力溢れる力強さと、フランス風の瀟洒な味わいが見事に融合した稀有の名演だ。

小澤の統率の下、ボストン交響楽団は素晴らしい演奏を披露しており、特に、金管楽器や木管楽器の卓越した技量は圧巻の凄さだ。

SHM−CD化によって、音質に鮮明さと音場の広さが加わった点も評価したい。

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classicalmusic at 21:15コメント(0)トラックバック(0)ベルリオーズ小澤 征爾 

2013年09月12日


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ラトルは若き頃より近現代の作曲家による作品を数多く採り上げてきており、シェーンベルクの管弦楽作品についてもその例外ではない。

本盤に収められたシェーンベルクによる作品(編曲を含む)も、「映画の一場面への伴奏音楽」は初めての録音になるが、その他の2曲(ブラームスのピアノ四重奏曲第1番のオーケストラ編曲バージョン及び室内交響曲第1番)については既に録音等を行った、ラトルにとっても自己薬籠中の作品であると言えるだろう。

冒頭のブラームスのピアノ四重奏曲第1番は、シェーンベルクによって編曲されたオーケストラバージョンによるものであるが、ラトルは1972年にも同曲を既に録音しており、DVD作品を除くと本演奏は2度目の録音に該当するところだ。

本演奏の特徴は、何と言ってもベルリン・フィルによる卓抜した技量を駆使した演奏の素晴らしさ、そして重厚で豊穣たる響きの美しさである。

終結部の強靭さも圧倒的な迫力を誇っており、我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後数年間は、プライドの高い団員の掌握にも相当に苦労し、凡演の山を築いていたが、数年前にマーラーの交響曲第9番を演奏・録音(2007年)して以降は、現代を代表する指揮者の名に相応しい名演の数々を成し遂げるようになった。

アバド時代に、カラヤン時代以前に特徴的であった重厚な音色が影をひそめ、音の重心が軽やかになっていたベルリン・フィルも、ラトルが数年の苦節を経て漸く掌握するようになってからは、再びかつての重厚さを取り戻してきたような印象を受けるところである。

本演奏においてもそれが顕著にあらわれており、まさにベルリン・フィルであるからこそ可能な豊麗な名演に仕上がっているとさえ言っても過言ではあるまい。

「映画の一場面への伴奏音楽」は、前述のようにラトルにとっては初録音となり、不協和音がさく裂する楽曲ではあるが、シェーンベルクを得意としてきたラトルならではの聴かせどころのツボを心得た見事な名演に仕上がっていると高く評価したい。

そして、本盤のトリを飾るシェーンベルクの室内交響曲第1番であるが、ラトルは同曲を原典版(15のソロ楽器による小編成によるもの)により、バーミンガム現代音楽グループとともに録音(1993年)しているが、本演奏では、シェーンベルクが同曲を作曲してから8年後にオーケストラ用に編曲したいわゆる管弦楽版によるものである。

それだけに、本演奏でもベルリン・フィルの重厚で豊穣な響きが見事にプラスに作用しており、おそらくは同曲の演奏史上でも重厚さと美しさの両方を兼ね備えた稀有の名演に仕上がっていると高く評価したい。

こうして、シェーンベルクに関わる3曲を聴いてあらためて感じたのは、ラトルとベルリン・フィルの関係がますます深まり、いよいよこのコンビの黄金時代に入ったということである。

この黄金コンビは、最近ではマーラーの交響曲第2番(2010年)など、圧倒的な名演の数々を生み出しつつあるが、今後ともラトル&ベルリン・フィルの更なる発展・飛躍を大いに期待したいところだ。

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classicalmusic at 21:52コメント(7)トラックバック(0)シェーンベルクラトル 

2013年09月11日


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本盤に収められたバルトークのピアノ協奏曲全集は、近年においては円熟の境地に入りつつあるハンガリー出身のピアニストであるシフと、バルトークの様々な楽曲において比類のない名演を成し遂げている同じくハンガリー出身のイヴァン・フィッシャー&ブダペスト祝祭管という現代最高の組み合わせによる演奏であるが、聴き手の期待をいささかも裏切らない素晴らしい名演と高く評価したい。

ハンガリー出身のコンビによるバルトークのピアノ協奏曲全集の名演としては、ゲーザ・アンダとフリッチャイ&ベルリン放送響(1960、1961年)による同曲演奏史上でもトップの座に君臨する歴史的な名演が名高い。

さすがに、本演奏は当該名演には敵わないと言えるが、それでも新時代の名演として高く評価してもいいのではないだろうか。

シフは、本演奏の当時は45歳であったが、若手ピアニストの演奏に聴かれがちな、畳み掛けていくような気迫や力強い生命力でひたすら遮二無二突き進んでいくような演奏を行っているわけではない。

むしろ、バルトークのスコアの徹底したリーディングを行ったことに基づく精緻な表現を行っている。

そして、シフは一音一音を蔑ろにすることなく、透明感あふれるタッチで曲想を明瞭に描き出して行くことに腐心しているようにさえ感じさせる。

それでいて、単なるスコアに記された音符の表層をなぞっただけの薄味の演奏には陥っておらず、各旋律の端々からはシフのバルトークへの深い愛着に根差した豊かな情感が滲み出てきているところであり、いい意味での知情兼備のピアニズムを展開している。

こうしたシフのピアノをしっかりと下支えするとともに、同曲の深層にあるハンガリーの民族色豊かな味わい深さを描出することに貢献しているのが、イヴァン・フィッシャー&ブダペスト祝祭管による名演奏である。

同曲には、バルトークが盟友コダーイとともに採取したハンガリー民謡を高度に昇華させて随所に取り入れているが、イヴァン・フィッシャーはそれを巧みに表現するとともに、雄渾なスケールによる懐の深い演奏でシフのピアノを引き立てているのが素晴らしい。

音質は、1996年のスタジオ録音でもあって音質的には全く問題はないが、シフとイヴァン・フィッシャー&ブダペスト祝祭管が組んだ素晴らしい名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたい。

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classicalmusic at 21:29コメント(0)トラックバック(0)バルトークシフ 

2013年09月10日


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本盤には、2001年に惜しくも急逝したシノーポリによるシューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本名演の性格を簡潔に表現すれば、シノーポリによる楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精神分析的なアプローチといぶし銀の音色が魅力のシュターツカペレ・ドレスデンによる絶妙のコラボレーションということではないだろうか。

シューベルトは、かつてはウィーンの抒情的な作曲家として捉えられており、ワルターなどそうした捉え方に沿った名演が数多く生み出されてきたが、近年では、美しい旋律の中に時として垣間見られる人生の寂寥感や絶望感などに焦点を当てた演奏も数多く行われるようになってきたように思われる。

医者出身という異色の経歴を持つシノーポリだけに、本演奏においても、まさに両曲の心眼を鋭く抉り出していくようなアプローチが展開されている。

テンポ自体はシノーポリとしては全体として若干速めであるが、表面上の旋律の美しさに惑わされることはなく、どこをとってもシューベルトの心底にあった寂寥感や絶望感にメスを入れていこうという凄みや鋭さが感じられるのが素晴らしい。

こうしたシノーポリによる楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精神分析的な鋭いアプローチに適度の潤いと温かみを与えているのが、シュターツカペレ・ドレスデンによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。

シュターツカペレ・ドレスデンが醸し出すいぶし銀の音色は、本演奏をより優美にして重厚な至高の名演に高めることに大きく貢献していることを忘れてはならない。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によってさらに音質が鮮明になるとともに、音場が広くなったと思われる。

いずれにしても、シノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデンという絶妙のコンビが生み出した至高の名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:50コメント(0)トラックバック(0)シューベルトシノーポリ 

2013年09月09日


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キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの第2弾の登場だ。

第1弾のマンフレッド交響曲も名演であったが、本盤の「悲愴」も素晴らしい名演と高く評価したい。

旧ソヴィエト連邦の時代から現在に至るまで、数多くの世界的なロシア人指揮者が活躍してきたが、いずれの指揮者も、祖国の大作曲家チャイコフスキーを深く崇敬し、チャイコフスキーの交響曲を数多く演奏・録音してきた。

ムラヴィンスキーを筆頭として、コンドラシン、スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ等々、そして現代のヤンソンスやゲルギエフ、プレトニョフなどに至るまで、いずれもチャイコフスキーの交響曲を数多く演奏・録音してきている。

そして、ここからは私見であるが、かつての旧ソヴィエト連邦時代に活躍した指揮者による演奏は、ムラヴィンスキーは別格として、どちらかと言うと、ロシア風の民族色を強調したあくの強い演奏が多かったように考えている。

当時の旧ソヴィエト連邦時代のオーケストラにおける金管楽器などのヴィブラートを利かせた奏法などに独特の特色があったことも、そうした演奏の性格に一役を買っていたのかもしれない。

ところが、近年では、ゲルギエフにはややあくの強さの残滓が見られなくもないが、ヤンソンスやプレトニョフなどは、かなり洗練された演奏を行ってきているように思われる。

キタエンコも、かつてのモスクワ・フィルの音楽監督時代はかなりあくの強い演奏を行っていたが、ドイツに拠点を移し、フランクフルト放送交響楽団やケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団などを指揮するようになってから、その演奏も随分と洗練されてきたように思われる。

前回のマンフレッド交響曲もそうであったが、本盤の「悲愴」でも、キタエンコは楽曲を精緻に描き出していくという純音楽的なアプローチを施しており、全体的には従来よりは比較的洗練された装いが支配している。

もっとも、テンポはややゆったりとしたものとなっており、スケールは雄渾の極み。

そして、ここぞという時のトゥッティにおけるパワフルな演奏(特に、第1楽章展開部、第3楽章)は、いかにもロシアの悠久の大地を感じさせるような壮大な迫力を誇っており、ドイツに拠点を移してもキタエンコに今なお息づくロシア人としての熱き魂を感じることが可能だ。

第1楽章の第2主題や第2楽章などにおける心を込め抜いたロシア風のメランコリックな抒情の表現にもいささかの不足もなく、終楽章の遅めのテンポによる彫りの深い慟哭の表現は濃厚の極みであり実に感動的だ。

また、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の重心の低いドイツ風の重厚なサウンドも、本演奏に奥行きと深みを与えている点を忘れてはならない。

さらに素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の鮮明な高音質録音であり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー 

2013年09月08日


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本盤に収められたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ムターによる約20年ぶりの2度目の録音である。

最初の録音は、ムターがいまだハイティーンの時代の演奏(1979年)であり、バックは、ムターのパトロンでもあったカラヤン、そしてオーケストラはベルリン・フィルという超豪華な布陣によるものであった。

当該演奏は素晴らしい名演として現在においても燦然と輝いてはいるものの、演奏の主導権はカラヤン&ベルリン・フィルが終始握っており、ムターはその土俵の上で懸命に演奏しているという印象が拭えないところだ。

もちろん、ムターも精一杯の渾身の演奏を行ってはいるのだが、いまだハイティーンということもあって、その個性を全面的に発揮するまでには至らず、いささか線の細さを感じさせずにはいられなかったとも言える。

したがって、旧演奏はムターの個性というよりはむしろカラヤン&ベルリン・フィルによる重厚な演奏がトレードマークの名演と言えるが、これに対して、本演奏は、旧演奏から約20年の歳月を経て円熟の境地に達しつつあるムターが、その個性を全面的に発揮させた演奏と言えるのではないだろうか。

本演奏においては、旧演奏においていささか気になった線の細さなどはいささかも感じられず、近年のムターならではの骨太の力強い演奏を聴くことが可能である。

例によって、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げてはいるが、それでいて格調の高さをいささかも失うことがないのはムターの類稀なる豊かな音楽性と円熟の賜物である。

卓越した技量においても申し分がないところであるが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしい。

こうしたムターの円熟のヴァイオリン演奏を下支えしているのがマズア&ニューヨーク・フィルであるが、さすがにカラヤン&ベルリン・フィルと比較すると、重厚さや技量においていささか分が悪いのは否めないところだ。

もっとも、楽曲が重厚な分厚い演奏を必要とするブラームスのヴァイオリン協奏曲ではなくベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ということもあり、必ずしも不満を感じさせるというほどではなく、むしろムターのヴァイオリン演奏を引き立てるという意味においては、過不足のない名演奏を行っていると言えなくもない。

いずれにしても、本演奏はムターの円熟の個性的な名演奏を存分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

併録のヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番&第2番も、ヴァイオリン協奏曲と同様のアプローチによる素晴らしい名演だ。

音質は2002年のスタジオ録音ということもあって十分に満足できるものである。

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2013年09月07日


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フランスの巨匠指揮者の1人であったマルティノンは、例えば、ウィーン・フィルとともにチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の名演(1957年)のスタジオ録音を遺しているなど、広範なレパートリーを誇っていたが、それでもそのレパートリーの中軸に位置していたのはフランス音楽であった。

ドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲集などは、今なおマルティノンの代表的な遺産の1つとして高く評価されているが、本盤に収められたサン=サーンスの交響曲全集の演奏も、そうしたマルティノンの貴重な遺産である。

マルティノンは、この全集のうち、交響曲第3番については、本演奏(1975年)の5年前にも、フランス国立放送管弦楽団とともにスタジオ録音(1970年、仏エラート)を行っている。

当該演奏も、サン=サーンスの名声をいささかも貶めることのない名演であったが、EMIにスタジオ録音を行ったフランス国立管弦楽団との本演奏こそは、録音面などを総合的に考慮すると、より優れたマルティノンによる代表的名演と評価したいと考える。

それにしても、フランス音楽の粋とも言うべき洒落た味わいと華麗な美しさに溢れたサン=サーンスの魅力を、単なる旋律の表層の美しさのみにとどまらず、演奏全体の引き締まった造型美などをいささかも損なうことなく描出し得た演奏は、フランス人指揮者によるものとしては稀少なものと言えるところであり、諸説はあるとは思うが、本演奏こそは、サン=サーンスの交響曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

マルティノンは、サン=サーンスの音楽的内容と様式を完全に手中に収めており、演奏は彼の尖鋭な感覚と明晰な造形性の美点が映え、しかも風格豊かだ。

特に交響曲第3番では、マルティノンの知的かつ洗練されたアプローチが、重厚で重々しさを感じさせる演奏が多い中においては清新さを感じさせると言える。

第1楽章第2部の悠揚迫らぬ音楽は見事としか言いようがなく、第2楽章第2部は実に堂々としている。

特における終結部に向けての畳み掛けていくような気迫や壮麗な迫力は、ライヴ録音を思わせるような凄絶な力が漲っているとも言えるところであり、本演奏は、様々な名演を遺してきたマルティノンの最高傑作の1つと称してもいいのではないだろうか。

もっとも、重厚にして引き締まった造型美においてもいささかも不足はないところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

マルティノンに率いられたフランス国立管弦楽団も、いかにもフランスのオーケストラならではの洗練された色彩と感覚美をもった演奏を繰り広げている。

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2013年09月06日


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果たしてこれ以上の演奏が可能と言えるであろうか。

ラヴェルの管弦楽曲は、光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが魅力の一つであり、それ故に多くの指揮者によってオーケストラ曲としての醍醐味を味わわせてくれる数々の華麗な名演が成し遂げられてきているところであるが、クリュイタンスの演奏は別格の素晴らしさを誇っていると言えるのではないだろうか。

もちろん、他の指揮者による演奏と同様に華麗さにおいてもいささかも不足はないが、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと独特の気品に満ち溢れているという点において、他の指揮者による演奏とは一線を画している。

そして、一聴すると曲想を精緻に描き出して行くというオーソドックスな演奏のように聴こえなくもないが、よく聴くと各フレーズには独特の洒落たニュアンスと瑞々しいまでの感性が満ち溢れており、常にコクのある響きが全体を支配しているのが素晴らしい。

しかも、コクのある響きと言っても厚手の衣装をまとったような重苦しさなどはいささかもなく、むしろ現代的な清新さを兼ね備えていると言えるところであり、こうしたいささかも古色蒼然としていない清新さが、本管弦楽曲集を普遍的な価値を有するものとするのに大きく貢献している。

本盤に収められた各小品もそうしたクリュイタンスの芸風が顕著にあらわれた超名演であり、華麗さと繊細さを併せ持つ剛柔のバランス、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと格調の高さ、そして瑞々しいまでの清新さといった、望み得るすべての要素を兼ね備えた完全無欠の演奏と言っても過言ではあるまい。

とりわけ、有名な亡き王女のためのパヴァ―ヌの冒頭のホルンソロの美しさには、身も心も蕩けてしまいそうになるほどだ。

そして、クリュイタンスの統率の下、美しさの極みとも言うべき名演を繰り広げたパリ音楽院管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本盤を含め、クリュイタンスがパリ音楽院管弦楽団とともに録音したラヴェルの管弦楽曲集は、クリュイタンスの遺した最良の遺産であるとともに、様々な指揮者によるラヴェルの管弦楽曲集の中でも随一の名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 23:39コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルクリュイタンス 

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クリュイタンスのラヴェルは素晴らしい。

クリュイタンスがパリ音楽院管弦楽団とともに録音したラヴェルの管弦楽曲集は、クリュイタンスの遺した最良の遺産であるとともに、様々な指揮者によるラヴェルの管弦楽曲集の中でも随一の名演と高く評価してもいいのではあるまいか。

他のフランス人指揮者によるラヴェルと比べても群を抜いて素晴らしいとも言えるだろう。

ラヴェルの管弦楽曲は、光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが魅力の一つであり、それ故に多くの指揮者によってオーケストラ曲としての醍醐味を味わわせてくれる数々の華麗な名演が成し遂げられてきているところだ。

クリュイタンスのラヴェルにも、そうした華麗さを有していると言えるが、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと独特の気品に満ち溢れているという点において、他の指揮者による演奏とは一線を画している。

そして、一聴すると曲想を精緻に描き出して行くというオーソドックスな演奏のように聴こえなくもないが、よく聴くと各フレーズには独特の洒落たニュアンスと瑞々しいまでの感性が満ち溢れており、常にコクのある響きが全体を支配しているのが素晴らしい。

しかも、コクのある響きと言っても厚手の衣装をまとったような重苦しさなどはいささかもなく、むしろ現代的な清新さを兼ね備えていると言えるところであり、こうしたいささかも古色蒼然としていない清新さが、本管弦楽曲集を普遍的な価値を有するものとするのに大きく貢献している。

本盤に収められたバレエ音楽「マ・メール・ロア」や高貴で感傷的な円舞曲もそうしたクリュイタンスの芸風が顕著にあらわれた超名演であり、華麗さと繊細さを併せ持つ剛柔のバランス、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと格調の高さ、そして瑞々しいまでの清新さといった、望み得るすべての要素を兼ね備えた完全無欠の演奏と言っても過言ではあるまい。

クリュイタンスの統率の下、美しさの極みとも言うべき名演を繰り広げたパリ音楽院管弦楽団にも大きな拍手を送りたい。

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ラヴェルの管弦楽曲集は、その光彩陸離たる華麗なオーケストレーションの魅力もあって、様々な指揮者による主要なレパートリーとなり、これまで多種多様な演奏が繰り広げられてきているところだ。

そのようなあまた存在する演奏の中には名演と評価し得るものも数多くあるが、かかるあまたの名演に冠絶する至高の超名演こそは、本盤に収められたクリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による演奏である。

録音から約50年が経過したにもかかわらず、現在でも本演奏を凌駕する名演があらわれていないというのは殆ど驚異的である。

本盤に収められた各曲の演奏におけるクリュタンスのアプローチは、意外にもゆったりとしたテンポにより曲想を精緻に描き出して行くというオーソドックスなものと言える。

しかしながら、一聴すると何の変哲もない演奏の各フレーズの端々からほのかに漂ってくるフランス風のエスプリには抗し難い魅力があると言えるところであり、演奏全体が醸し出す瀟洒な味わいにおいては、他の演奏の追随を許さないものがあると言えるだろう。

また、ボレロ、ラ・ヴァルス、スペイン狂詩曲ともに、終結部に向けて圧倒的な盛り上がりを見せる楽曲であるが、本演奏では強靭さにおいては不足がないものの、かかる箇所においても洒落た味わいをいささかも失うことがないのは、クリュイタンスのラヴェルの音楽への深い理解・愛着と同時に、その抜群の相性の良さを感じることが可能だ。

まさに、クリュイタンスによる本演奏こそは、ラヴェルの管弦楽曲演奏の理想像の具現化とも評価し得るところである。

このように洒落た味わいが際立つ演奏ではあるが、パリ音楽院管弦楽団の卓越した技量も、ラヴェルの華麗なオーケストレーションを色彩感豊かに描き出すのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

このような演奏を聴いていると、クリュイタンスが62歳という指揮者としては比較的若くしてこの世を去ってしまったことを大変に残念に思う聴き手は筆者だけではあるまい。

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クリュイタンスがパリ音楽院管弦楽団とともに録音したラヴェルの管弦楽曲集は、クリュイタンスの遺した最良の遺産であるとともに、様々な指揮者によるラヴェルの管弦楽曲集の中でも随一の名演と高く評価したい。

ラヴェルの管弦楽曲は、光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが魅力の一つであり、それ故に多くの指揮者によってオーケストラ曲としての醍醐味を味わわせてくれる数々の華麗な名演が成し遂げられてきているところだ。

クリュイタンスもそうした指揮者の列に連なるものと考えるが、クリュイタンスの演奏はそうした華麗さにとどまらず、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと独特の気品に満ち溢れているという点において、他の指揮者による演奏とは一線を画している。

そして、一聴すると曲想を精緻に描き出して行くというオーソドックスな演奏のように聴こえなくもないが、よく聴くと各フレーズには独特の洒落たニュアンスと瑞々しいまでの感性が満ち溢れており、常にコクのある響きが全体を支配しているのが素晴らしい。

しかも、コクのある響きと言っても厚手の衣装をまとったような重苦しさなどはいささかもなく、むしろ現代的な清新さを兼ね備えていると言えるところであり、こうしたいささかも古色蒼然としていない清新さが、本管弦楽曲集を普遍的な価値を有するものとするのに大きく貢献している。

本盤に収められたバレエ音楽「ダフニスとクロエ」も、そうしたクリュイタンスの芸風が顕著にあらわれた超名演であり、華麗さと繊細さを併せ持つ剛柔のバランス、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいと格調の高さ、そして瑞々しいまでの清新さといった、望み得るすべての要素を兼ね備えた完全無欠の演奏と言っても過言ではあるまい。

そして、クリュイタンスの統率の下、美しさの極みとも言うべき名演を繰り広げたパリ音楽院管弦楽団や、最高のパフォーマンスを発揮したルネ・デュクロ合唱団にも大きな拍手を送りたい。

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2013年09月05日


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ノリントンならではのスパイスの効いた個性的な名演だ。

いわゆる現代楽器を使用した古楽器奏法であるが、フレージングは実に温かく、歌うべきところは徹底して歌い抜くなど、無味乾燥にはいささかも陥っていない点を高く評価したい。

ところどころにノリントンならではの独特の仕掛けがあって、とても一筋縄ではいかないが、単なる見せかけの表面的な効果を狙ったものではなく、芸術的なレベルに達している点は、ノリントンの類稀なる才能の証左と言える。

マルチチャンネル付きのSACDによる高音質録音によって、ノリントンならではの芸の細かさを鮮明な音質で堪能できるのも、本CDの大きな強みと言える。

第1番は、第1楽章冒頭の、序奏部の駆け足のテンポと、主部のゆったりめのテンポの対比が、他の指揮者の演奏と真逆であり、実に個性的。

提示部の繰り返しも忠実に行っているが、決していやではないのは、ノリントンの演奏内容の面白さにあるのは自明の理であろう。

第2楽章は、むせ返るような情感の豊かさが際立っており、第3楽章は一転してハイテンポで駆け抜ける。

中間部の各管楽器や弦楽器の重層的な響かせ方は初めて聴くような新鮮さだ。

終楽章は、第2楽章と同様に、情感の豊かさと重厚さを兼ね備えた雄渾な表現だ。

第2番は、第1楽章冒頭のホルンや木管楽器の、旋律の終わりの部分にテヌートをかける吹かせ方が実に個性的。

テンポは全体的に中庸と言えるが、主部の弦楽器による主旋律が他の演奏のように粘ったりしないのは、古楽器奏法の面目躍如と言ったところであろう。

繰り返しを忠実に行うのは第1番と同様であるが、決していやではないのは、ノリントンの至芸の賜物と言える。

第2楽章は、弦楽器をあまり歌わせないのが実に個性的。

おどろおどろしい演奏が多い中で、演奏に新鮮さを与えている点を忘れてはならない。

こうした演奏故に、その後に続くホルンと木管楽器の絡み合いに深みが出るのは当然のことである。

第3楽章は、テヌートをいささかもかけない木管楽器の軽快でリズミカルな吹かせ方、そして鋭いアクセントなどが特徴であるが、終楽章の前座と考えれば、実に的を射た解釈と言える。

そして、終楽章は、一転して、中庸のテンポによる重厚で迫力ある演奏を繰り広げており、熱狂のうちに全曲を締めくくっている。

第3番は、第1楽章冒頭の2つの和音のうち、2つ目の和音を強くするとか、弦楽器や管楽器の粘った弾き方、吹き方が超個性的。

第2楽章の決して重くはならない演奏はノリントンならではと言えるが、それでいて歌うべき箇所は徹底して歌い抜くなど、無味乾燥にはいささかも陥っていない。

第3楽章は、有名な名旋律を情感豊かに歌わせているが、中間部の木管楽器を速めにして、弦楽器をゆったりとしたテンポで情感豊かに演奏させているが、これは魔法のような圧巻の至芸と言える。

終楽章は、速めのテンポで駆け抜けるが、重厚さにおいてもいささかも欠けることがない。

そして、第4番。

第1楽章は、全体としてはシューリヒトやムラヴィンスキーなどと同様の端麗辛口の演奏を装っているが、弦楽器の歌わせ方など、実に情感豊かであり、とても単純には言い表せない。

第2楽章冒頭のテヌートがかからないホルンや木管楽器の吹かせ方も個性的であるが、それに続く、中間部の弦楽器の弾かせ方は重厚で実に感動的。

それでいて、重々しくならないのは、ノリントンだけが成し得る至芸だと言える。

後半の木管楽器の枯れた味わいは、ブラームス晩年の憂いを表現し得て妙だと高く評価したい。

第3楽章は、意外にも中庸のテンポで開始されるが、歯切れがよく、リズミカルな管楽器や弦楽器の響かせ方は、さすがはノリントンである。

終楽章は、冒頭の各和音をくっきりと明瞭に響かせるのが素晴らしい。

テンポはゆったりとしているが、その後に続く各変奏を考えれば、この解釈は大正解である。

その後は、ノリントンのまさに独壇場。

弦楽器の粘ったような弾かせ方、金管楽器の朗々たる吹かせ方、アッチェレランドの連続、テンポの思い切った激変、鋭いアクセントや、心を込め抜いた情感の豊かさなど、ノリントンは可能な限りの表現を駆使して、この場面の変転の激しいパッサカリアを実に表現豊かに面白く聴かせてくれている。

そして、終結部は、若干のアッチェレランドをかけながら、圧倒的な熱狂のうちに締めくくるのである。

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classicalmusic at 21:28コメント(0)トラックバック(0)ブラームス 

2013年09月04日


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先ず、何よりもエル=バシャの奏でるピアノの音が実に美しい。

帯の解説によると、エル=バシャの強い希望によりべヒシュタインD−280を使用したとのことであるが、その効果は抜群であり、他の数々の名演とは一線を画するような、実に美しくも深みのある音色が演奏全体を支配している。

エル=バシャのアプローチはあくまでも正攻法であり、いささかも奇を衒うことなく、曲想を丁寧に精緻に描き出していくというものだ。

かかるアプローチは、前述のようなピアノの音との相性が抜群であり、このような点に、エル=バシャの同曲への深い拘りと理解を感じるのである。

また、エル=バシャのアプローチは正攻法で、精緻でもあるのだが、決して没個性的というわけではない。

もちろん、平均律クラヴィーア曲集の綺羅星の如く輝く過去の演奏、例えば、グールドやリヒテル、アファナシエフなどのような聴き手の度肝を抜くような特異な個性があるわけではないが、表現力は非常に幅広く、卓抜したテクニックをベースに、テンポの緩急を自在に操りつつ、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、実に内容豊かな音楽を構築している点を高く評価したい。

これまでの平均律クラヴィーア曲集の名演では、構成されたプレリュード、フーガの各曲すべてが優れた演奏ということは殆どなく、曲によっては特に優れた演奏がある一方で、いささか不満が残る演奏も混在するというのが通例であったが、エル=パシャによる本演奏では、特に優れた特記すべき演奏があるわけではないが、いずれの曲も水準以上の演奏であり、不出来な演奏がないというのが素晴らしい。

こうした演奏の特徴は、長大な同作品を、聴き手の緊張感をいささかも弛緩させることなく、一気呵成に聴かせてしまうという至芸に大きく貢献しており、ここに、エル=バシャの類稀なる音楽性と才能を大いに感じるのである。

第2巻への期待を大きく抱かせる高水準の名演と高く評価したい。

録音は、SACDによる極上の高音質録音であり、エル=バシャの美しいピアノを鮮明な音質で味わうことができる点も評価したい。

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classicalmusic at 21:54コメント(0)トラックバック(0)バッハ 

2013年09月03日


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仲道郁代は、最近でこそベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集や、パーヴォ・ヤルヴィと組んだベートーヴェンのピアノ協奏曲全集の名演によって、稀代のベートーヴェン弾きとの評価が定着しつつあるが、もともとはショパンを得意としていたピアニストであった。

仲道自身も、「ショパンがいなかったらピアニストにはならなかった」などと発言するなどショパンへの深い愛着を隠そうとはしておらず、特にモダン楽器を使用しての演奏には定評がある。

そのような仲道が、ショパンイヤーを記念して行った録音が、本盤に収められたピアノ協奏曲第1番及び第2番だ。

本演奏の特徴は、オーケストラにピリオド楽器を使用するとともに、何よりもピアノに、ショパンが自分自身を自由に表現できるとして好んで弾いていたプレイエルを使用している点であろう。

しかも、1841年製のプレイエルということで、ショパンが使用していたのと同時代のピアノであるということであり、これは、ショパンのピアノ作品を再現するには最高のアイテムということになるのではないだろうか。

現代のスタンウェイなどのピアノの音に慣れた耳からすると、聴き手によっては違和感を感じることもあろうかとも思うが、現代のピアノでは表現し得ない独特の繊細さが付加されており、筆者としては今般のプレイエルの使用を大いに歓迎したい。

また、前述のようなピリオド楽器の使用や、ピアノ独奏部分においては弦楽器による独奏も聴かれるなど、ショパンの時代における演奏様式を再現しようという徹底ぶりには、指揮者とピアニストのこの演奏にかける熱意とあくなき探究心が大いに感じられるのが素晴らしい。

このような徹底ぶりは、近年の古楽器奏法やピリオド楽器を活用した演奏にも一部みられるように、学術的には貴重であっても芸術的な感動からはほど遠い浅薄な演奏に陥ってしまう危険性もあるが、本演奏に限ってはそのような危険にはいささかも陥っていない。

仲道の馥郁たる情感豊かなピアニズムは、演奏全体が無味乾燥になることを防ぎ、どこをとってもニュアンス豊かなロマンティシズム溢れる演奏に仕立てあげるのに大きく貢献している。

有田正広&クラシカル・プレイヤーズ東京は、もともとバッハなどのバロック音楽の演奏において名を馳せてきた団体であるが、本演奏では、ピリオド楽器の効果的な使用により、仲道が弾くプレイエルのピアノを巧みに引き立てつつ、従来型のショパン演奏に清新さを吹き込んだ点を高く評価したい。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるものとして大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 23:42コメント(0)トラックバック(0)ショパン 

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同時発売のワルシャワ・リサイタルと同様に、バレンボイムのDGへの移籍第1弾となったCDの登場だ。

本CDに収められた曲目は、生誕200年を記念したショパンのピアノ協奏曲第1番及び第2番である。

バレンボイムと言えば、ピアニストとしてはベートーヴェン弾きやモーツァルト弾きのイメージが強く、しかも近年では指揮者としての活動(それもドイツ音楽がレパートリーの中心)が目立っていることから、DGへの記念すべき再デビュー盤がショパンの楽曲であるというのは、ショパンイヤーであることに鑑みても、大変意外であるというのが正直なところであった。

確かに、本演奏で聴くショパンは、他のピアニストによる同曲の演奏とは一味もふた味も異なっている。

ある意味では、ベートーヴェン風の重厚なドイツ風のショパンと言えるところであり、一音一音を揺るぎない力強い打鍵で弾き抜いていくピアニズムは、あたかもベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾いているような趣きがあると言っても過言ではあるまい。

それでいて、両曲の緩徐楽章における情感の豊かさは美しさの極みであり、表現力の桁外れの幅の広さは、さすがはバレンボイムである。

いずれにしても、本演奏はショパンのピアノ協奏曲の演奏としては異色の部類に入る演奏ではあるが、立派さにおいては比類がない演奏でもあり、ショパンの音楽を陳腐なサロン音楽と批判する者に対しては、強烈なアンチテーゼとなる演奏であるとも考えられる。

筆者としては、ショパンの音楽をベートーヴェンの音楽の次元にまで高めることに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、バレンボイムの重厚なピアニズムをしっかりと下支えしているのが、気鋭の若手指揮者であるネルソンスと、バレンボイムの手兵でもあるシュターツカペレ・ベルリンによる名演奏だ。

このコンビによる爽快ささえ感じさせる演奏は、とかく重厚で重みのあるバレンボイムのピアノ演奏に、適度なあたたかみを与えていることを忘れてはならない。

録音も非常に鮮明な高音質であり、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献している。

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2013年09月02日


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ユニバーサルが一昨年来、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の発売を開始したことは、不況にあえぐクラシック音楽界にあって、起死回生とも言うべき素晴らしい快挙と言えるものである。

当初は、既に発売されたハイブリッドSACD盤の焼き直しに過ぎなかったところであるが、昨年6月のフルトヴェングラーによる一連の録音を皮切りとして、未だSACD化されていない過去の様々な指揮者による名演のSACD化を開始したのは実に素晴らしいことである。

そして、今度はヨッフムによる一連の録音のSACD化が行われることになったが、SACD化の対象となる3枚の選定に際しては若干の疑問を感じずにはいられないところだ。

「カルミナ・ブラーナ」については初演者による不朽の歴史的超名演であり全く異存はないが、他の2枚、とりわけ本盤のモーツァルトの交響曲第41番及びシューベルトの交響曲第8番を、何故に今般のSACD化の対象として選定したのかについては、大いに理解に苦しむところである。

ヨッフムによるブルックナーの交響曲であれば、第7番ではなく、第6番(ないしは第1〜第3番)を選定すべきであろうし、場合によっては既にハイブリッドSACD盤が発売されているロイヤル・コンセルトへボウとの第5番のライヴ録音を選定すべきではないだろうか。

また、ヨッフムがモーツァルトを得意としており、何度も繰り返し録音を行っていたことはよく理解できるところであるが、本盤に収められた演奏も名演の名に値はするものの、他の演奏を押しのけてまで優れた演奏であるとは必ずしも言い難いと考えられる。

シューベルトの交響曲第8番についても同様のことが言えるところであり、ヨッフムとボストン交響楽団の組み合わせによる演奏は極めて珍しいと言えるが、仮にそれだけで選定したというのであれば、それはいかにも短絡的と言えるのではないか。

せっかくSACD化をするのであれば、他のより優れた演奏を対象とするべきであったと言えなくもないところだ。

もっとも、本演奏自体も、ヨッフムならではの重厚でなおかつ滋味豊かな味わい深い名演であり、前述のような問題点を一切度外視して、本盤の演奏だけを聴く限りにおいては何らの文句もつけようがないとも言える。

したがって、本盤のアドバンテージは、演奏内容というよりはむしろ、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤による、およそ信じ難いような鮮明な高音質である。

従来CD盤は既に長らく廃盤であり比較のしようがないのが残念ではあるが、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは、本演奏の録音年代から言って殆ど驚異的ですらある。

加えて、マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、臨場感についても抜群のものがあり、おそらくは現在において望み得る最高の鮮明な超高音質である。

いずれにしても、ヨッフムによる素晴らしい名演を、シングルレイヤーによる超高音質SACDで味わうことができることを大いに歓迎したい。

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2013年09月01日


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本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、録音から長年の間のお蔵入りを経て発売されたベルリン放送交響楽団とのスタジオ録音(1959年)の1年後のライヴ録音である。

1959年盤はフリッチャイによる心を込め抜いた渾身の超名演であり、間近に迫る死を予見しているかのようなただならぬ不気味さや慟哭を感じさせる演奏に仕上がっていたが、本演奏はさらに凄まじい演奏である。

1959年盤はスタジオ録音ということもあって、渾身の熱演ではあるものの、どこかに自我を抑制した安定感が存在していたが、本演奏においてはもはやフリッチャイは自我の抑制などはいささかも行っていない。

自らの感情の赴くままに演奏しているとも言えるところであり、死を目前に控えたフリッチャイの絶望的な心情の吐露とさえ言えるのではないだろうか。

第1楽章冒頭の序奏は、1959年盤以上に恐れおののいているし、その後のテンポの変化も1959年盤以上に凄まじいものがあり、ドラマティックで壮絶の極みとも言うべき演奏である。

展開部の強靭さは我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っているし、第2主題の切々とした歌わせ方には、フリッチャイの生への妄執と憧憬さえ感じさせるほどだ。

第2楽章も他のどの演奏よりも心を込め抜いて歌い上げているが、中間部などの尋常ならざる暗さは死と隣り合わせのフリッチャイの心境が反映されていると言っても過言ではあるまい。

第3楽章の壮絶さは我々聴き手の度肝を抜くのに十分であるし、終楽章の思い入れたっぷりの慟哭の調べには、もはや涙なしでは聴けないほどの感動を覚えるところだ。

いずれにしても、本演奏はもはや名演といった単純な表現では言い表せない豪演であり、魂の音楽と言ってもいいのではないかと考えられる。

これほどの入魂の音楽に対しては、もはや批評自体が成り立たないのではないかとさえ考えられるところであり、1959年盤との比較などある意味ではナンセンスと言えるのかもしれない。

併録のバルトークのピアノ協奏曲第3番は、フリッチャイの十八番とも言える楽曲だけに、本演奏も彫りの深い超名演に仕上がっていると高く評価したい。

アニー・フィッシャーも、フリッチャイの命がけの指揮に触発されたせいか、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の大熱演を展開しているのが素晴らしい。

録音はモノラル録音ではあるが、1960年のライヴ録音としては比較的良好な音質である。

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