2013年10月

2013年10月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ラヴェルの有名な管弦楽曲を収めたCDであるが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

ラヴェルの管弦楽曲は、その光彩陸離たる華麗なオーケストレーションからきわめて人気が高く、これまで数多くの指揮者によって名演が成し遂げられてきた。

クリュイタンスやアンセルメ、マルティノン、デュトワなどのフランス系の指揮者によるフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいのある名演、歌謡性豊かなジュリーニやアバドによる名演、ラヴェルの心眼を鋭く抉り出すようなインバルによる異色の名演、オーケストラ演奏の醍醐味を味わうことが可能なカラヤンによる重厚な名演など、多種多様な名演が目白押しである。

こうしたあまたの個性的な名演の中で、本盤のパーヴォ・ヤルヴィによる名演の特徴を掲げるとすれば、楽曲の魅力をダイレクトに表現した純音楽的な名演と言うことになるのではないだろうか。

パーヴォ・ヤルヴィは、同じく印象派のドビュッシーの管弦楽曲集で行ったアプローチと同様に、ラヴェルの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが施された曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していく。

確かに、ここには聴き手を驚かすような特別な個性があるわけではなく、奇を衒ったり恣意的な解釈など薬にしたくもないが、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れており、常にコクのあるニュアンス豊かな音楽が流れていく。

このような自然体とも言える純音楽的なアプローチによって、我々聴き手は、ラヴェルの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを深い呼吸の下で、ゆったりとした気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。

これは、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性の証左である。

パーヴォ・ヤルヴィの薫陶を受けたシンシナティ交響楽団も、その圧倒的な統率の下、最高のパフォーマンスを示しており、金管楽器や木管楽器、そして弦楽器なども卓越した技量を披露しているのが素晴らしい。

また、このようなラヴェルの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを精緻に表現した名演を、マルチチャンネル付きのSACDという望み得る最高の鮮明な音質で味わえるという点についても、高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:15コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルヤルヴィ 

2013年10月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



インバルは、東京都交響楽団との間でマーラーチクルスを続行しているが、前作の第3番に続いて本盤も、この黄金コンビの好調さを表す素晴らしい名演だ。

インバルは、かつてフランクフルト放送交響楽団と素晴らしい全集を作り上げた。

当該全集では、インバルは劇的な要素をできるだけ抑制し、客観的な視点でマーラーがスコアに記した音符の数々を無理なく鳴らすというアプローチであった。

インバル自身には、マーラーへの深い愛着に去来する有り余るパッションがあるのだが、インバルは演奏の際には、それをできるだけ抑制しようとする。

それ故に、客観的なアプローチを取りつつも、いささかも無味乾燥な演奏に陥ることなく、内容の濃さにおいては人後に落ちることはない。

しかも、抑制し切れずに零れ落ちてくるパッションの爆発が随所に聴かれ、それが聴き手の感動をより深いものにするのだ。

ここに、インバルによるマーラーの魅力の秘密がある。

東京都交響楽団との新チクルスにおけるアプローチも、基本的には旧全集と同様であるが、旧全集と比較すると、パッションの爆発の抑制を相当程度緩和しており(ライヴ録音とスタジオ録音の違いもあるとは思うが)、これが新チクルスをして、旧全集よりもより一層感動的な名演に仕立てあげているのだと考える。

かかる点は、近年のインバルの円熟ぶりを示す証左として高く評価したい。

第1楽章は、冒頭のゆったりとしたテンポによる低弦による合奏の間の取り方が実に効果的。

トゥッティに至る高揚は雄渾なスケールで、その後の高弦による旋律の歌い方は、思い入れたっぷりの情感に満ち溢れていて美しい。

続く主部は、緩急自在の思い切ったテンポ設定、幅の広いダイナミックレンジを駆使して、実にドラマティックに曲想を抉り出していく。

随所に聴かれる金管楽器の最強奏や雷鳴のようなティンパニは、圧巻の凄まじいド迫力だ。

かつての自己抑制的なインバルとは段違いの円熟のインバルならではの成せる業だ。

第2楽章は、オーソドックスな解釈であるが、弦楽器も木管楽器もこれ以上は求め得ないような情感の籠った流麗な音楽を紡ぎ出している。

第3楽章は、冒頭のティンパニによる強打の効果的な間の取り方が、第1楽章冒頭の低弦と同様で実に巧み。

その後も、ティンパニを始めとした打楽器群の生かした方は素晴らしく、打楽器を重要視したマーラーの本質を見事に衝いている。

中間部の金管楽器のファンファーレにおける猛烈なアッチェレランドは凄まじい迫力であるし、その後に続く弱音のトランペットのパッセージのゆったりしたテンポによる歌わせ方は、まさに天国的な至高・至純の美しさ。

終結部のトゥッティのド迫力は、もはや言葉を失ってしまうほど圧倒的だ。

第4楽章は、メゾソプラノのフェルミリオンの歌唱が実に美しい。

それに合わせるかのように、東京都交響楽団も雰囲気満点の実に美しい音楽を奏でている。

終楽章は、冒頭圧巻の迫力で開始される。

その後は、ゲネラルパウゼや思い切った強弱の変化等を効果的に駆使しつつ主部に繋いでいく。

主部への導入部のティンパニは凄まじい迫力、主部は風格豊かな堂々たる進軍だ。

この部分は、下手な指揮者にかかると冗長さを感じさせてしまうのだが、インバルの場合は、緩急自在のテンポ設定、アッチェレランドの効果的活用、強弱の変化など、あらゆる至芸を駆使して実に濃密でドラマティックな音楽を構築しているのが素晴らしい。

合唱が導入されて以降は、スケール雄大な壮麗さが支配しており、圧倒的な高揚と迫力のうちに、全曲を締めくくっている。

独唱陣は、終楽章においても見事な歌唱を披露しており、二期会合唱団も大健闘と言える。

何よりも素晴らしいのは東京都交響楽団であり、インバルの見事な統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

SACDによる極上の高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:29コメント(0)トラックバック(0)マーラーインバル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



近年のインバルの充実ぶりを認識させられる素晴らしい名演だ。

インバルは、当時の手兵のフランクフルト放送交響楽団とともに、マーラーの交響曲全集を録音している。

それは、有り余るパッションをできるだけ封じ込めて、作品から一歩引いた客観的とも言えるアプローチによる演奏であり、全集全体の水準としては満足できる出来と言えるものの、楽曲によっては物足りないものもあった。

第7番など超名演であったのだが、他方、第9番や第6番、そして、第3番もどこか物足りなさが残る演奏であったと記憶する。

ところが、本盤の演奏ではそのような物足りなさは微塵も感じられない。

インバルも、ライヴ録音ということもあるのだと思うが、ここでは、有り余るパッションをいささかも抑制していない。

それどころか、猛烈なアッチェレランドやダイナミックレンジの幅の広さなど、思い切った表現が際立つ。

それでいて、全体としての造型がいささかも弛緩しないというのは、インバルの類稀なる音楽性の勝利と言えるだろう。

こうしたインバルの圧巻の指揮に、しっかりとついていった東京都交響楽団も、金管楽器、木管楽器ともに抜群の巧さ、そして弦楽器や打楽器も含めた見事なアンサンブルを誇っており、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

SACDによる高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:32コメント(0)トラックバック(0)マーラーインバル 

2013年10月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンはチャイコフスキーを十八番としていた。このうち、交響曲については「第4」、「第5」、「第6」のいわゆる後期3大交響曲については、何度も繰り返し演奏を行い、録音もライヴ録音も含め相当点数が遺されている。

ところが、「第1」、「第2」、「第3」を含めた交響曲全集は一度しか録音していない。

もっとも、独墺系の指揮者でチャイコフスキーの交響曲全集を録音した指揮者は、現時点でもカラヤン1人だけであることから、むしろ全集を録音したこと自体が希少価値と言えるのかもしれない。

そして、「第1」、「第2」、「第3」であるが、カラヤンはコンサートでは一度も採り上げたことがない。

ということは、全集を完成させるためにのみスタジオ録音を行ったということであり、ここに史上最高のレコーディングアーティストたるカラヤンの執念のようなものを感じることが可能だ。

本盤に収められた「第3」は、カラヤンが1970年代後半に録音した唯一の全集中の1枚である。

1970年代後半は、カラヤン&ベルリン・フィルが黄金時代の最後の輝きを見せていた時代であり、演奏の安定感においては、カラヤンの半世紀にもわたる長いレコーディング史の中でも群を抜いていたと言える。

本演奏でも、この黄金コンビの全盛期の演奏を聴くことが可能であり、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、朗々と響く金管楽器や木管楽器の卓越した技量、肉厚の弦楽合奏、雷鳴のように轟くティンパニを駆使しつつ、流麗なレガートを施して、楽曲を徹底的に美しく磨き抜いている。

まさに、オーケストラ演奏の極致と評すべき演奏であり、その重量感のある迫力においては、他の指揮者によるいかなる演奏をも凌駕している。

「第3」は、ロシア風の民族色豊かなメランコリックな抒情を描出した名演が他の指揮者(とりわけロシア系の指揮者)によって成し遂げられているが、これだけの圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンの演奏との優劣をつけること自体が相当に無理があると考えられるところであり、筆者としては、本演奏をカラヤン全盛時代の演奏の凄さを感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

併録のスラヴ行進曲とイタリア奇想曲も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者カラヤンの面目躍如たる名演だ。

ただ、スラヴ行進曲の終結部での反復が省略されているのが残念であるが、これはベルリン・フィルを指揮した他の指揮者による演奏でもそのようになっており、ベルリン・フィルが使用している楽譜自体に問題があるのかもしれない。

録音については、かつてSACDハイブリッド盤が発売されており、それもなかなかの高音質であったが、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤はそれをはるかに凌駕する究極の高音質である。

カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏の凄さを、現在望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:43コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーカラヤン 

2013年10月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には現代を代表するチェリストであるマイスキーによる2大チェロ協奏曲の演奏が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

マイスキーのチェロは、超絶的な技量はさることながら、いかなる難所に差し掛かってもいわゆる技巧臭がすることはなく、常にヒューマニティ溢れる温かさを失う点がないのが素晴らしい。

そして、どこをとっても情感の豊かさが支配しており、各フレーズを心を込めて歌い抜いているのであるが、徒に感傷的に陥ったり、はたまた陳腐なロマンティシズムに陥ったりすることなく、常に格調の高さを失っていない点を高く評価したい。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲については、マイスキーは2度にわたってスタジオ録音を行っている。

それはバーンスタイン&イスラエル・フィルと組んだ本演奏(1988年)とメータ&ベルリン・フィルと組んだ演奏(2002年)であるが、マイスキーの個性が全開の演奏は、明らかに2002年盤である。

したがって、マイスキーのチェロ演奏の醍醐味を味わうのであれば、私は2002年盤の方を躊躇せずに推薦する。

しかしながら、本演奏には2002年盤にはない独特の味わいがあると言えるのではないだろうか。

それには、バックをつとめたバーンスタインによる名演奏が大きい。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。

本盤の演奏では、そうした芸風が幸いにもプラスに働いている。

同じドヴォルザークの交響曲第9番では、とても大指揮者による演奏とは思えないような凡演(というか醜悪な演奏)に堕していただけに、ある意味では奇跡的な名演奏とも言えるのであろう。

本演奏でもバーンスタインはゆったりとしたテンポによって曲想を濃密に描き出して行くが、情感豊かで格調の高いマイスキーのチェロ演奏との相乗効果によって、同曲演奏史上でも最もヒューマニティ溢れる濃厚な味わいに満ちた名演に仕上がっていると評価したい。

他方、エルガーのチェロ協奏曲についても、マイスキーは2度録音しているが、本盤はマイスキーにとっての最初の録音(1990年)である。

同曲については、デュ・プレが数々の超名演を遺していることから、他のチェリストの中には録音を逡巡する者もいるところだ(例えばロストロポーヴィチなど)。

マイスキーによる本演奏も、さすがにデュ・プレほどの渾身の生命力を備えているとは言い難いが、かつてのフルニエによる名演(1966年)に存在した気品と、デュ・プレによる各種の超名演にも存在した奥深い情感の豊かさを併せ持った名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

バックは、シノーポリ&フィルハーモニア管弦楽団であるが、ここでのシノーポリはいつもの楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした分析的なアプローチを控えて、むしろマイスキーのチェロの引き立て役に徹しているのが功を奏している。

音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、マイスキーのチェロの弓使いがより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

いずれにしても、マイスキーによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)マイスキーエルガー 

2013年10月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたブリテンの「戦争レクイエム」は、食道がんを患い長期療養していた小澤がニューヨーク公演において奇跡的な復帰を果たしたが、その記念すべき復帰コンサートの最終日(18日)の記録である。

既に発売されているブラームスの交響曲第1番(14日)、幻想交響曲(15日)は圧倒的な超名演であったが、本演奏もそれらにいささかも劣らない至高の超名演と高く評価したい。

小澤&サイトウ・キネン・オーケストラは、2009年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本におけるコンサートのライヴ録音も既に行っており、マルチチャンネル付きのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤により発売されている。

したがって、演奏内容自体は、小澤の健康状態やホームグラウンドであるということによるオーケストラ演奏の安定性等の観点から、2009年盤の方が優れていると言わざるを得ないだろう。

したがって、本演奏を2009年盤と比較することによって、演奏上の瑕疵などについて批判することは容易なことである。

しかしながら、本演奏には、小澤のこの演奏にかける執念や灼熱のように燃え上がる圧倒的な生命力が感じられるところであり、かかる渾身の命がけの豪演は我々聴き手の肺腑を激しく打つものである。

ショスタコーヴィチが20世紀における最高傑作と評価し、ブリテン自身の反戦思想を色濃く反映した「戦争レクイエム」であるが、小澤による渾身の豪演を聴いていると、死を克服してひたすら力強く生きようとする小澤の「死」というものに対するレクイエムのような趣きさえ感じられる。

小澤の命がけの指揮に導かれて、サイトウ・キネン・オーケストラやアンソニー・ディーン・グリフィーをはじめとする独唱陣、そしてサイトウ・キネン・フェスティバル合唱団及び少年合唱団も、持ちうる実力を最大限に発揮した渾身の演奏や歌唱を披露しているのが素晴らしい。

小澤や、オーケストラ、独唱者、合唱団による大熱演を客席において固唾をのんで見守った当日の聴衆も、この超名演の立派な立役者であると言えるところであり、まさに、本演奏は、指揮者、オーケストラ、歌手、合唱団そして聴衆が一体となって作り上げた聖なる音楽と言っても過言ではあるまい。

音質は、マルチチャンネル付きのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質録音であり、音質の鮮明さ、臨場感溢れる音場の幅広さのすべてにおいて、一級品の仕上がりとなっている。

あらためて、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラ等によるかかる聖なる至高の超名演をこのような極上の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:45コメント(0)トラックバック(0)ブリテン小澤 征爾 

2013年10月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クレンペラーは、メンデルスゾーンの楽曲を得意としており、とりわけ交響曲第3番「スコットランド」(1960年)や劇音楽「真夏の夜の夢」(1960年)、序曲「フィンガルの洞窟」の演奏などは、現在でも他の指揮者による数々の名演に冠絶する至高の超名演と言っても過言ではあるまい。

これに対して、交響曲第4番「イタリア」の演奏の評価は必ずしも芳しいとは言い難い。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家が酷評していることも一つの要因とも言えるが、確かに、トスカニーニ&NBC交響楽団による豪演(1954年)などと比較すると、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力や、イタリア風の歌謡性溢れるカンタービレの美しさなどにおいて、いささか分が悪いと言わざるを得ないところだ。

しかしながら、北ヨーロッパ人が南国イタリアに憧れるという境地を描いた演奏という考え方(ライナー・ノーツにおける解説において、松沢氏が「武骨で不器用な男気に溢れた演奏」と評価されているが、誠に至言である)に立てば、必ずしも否定的に聴かれるべきではないのではないかと考えられるところであり、本演奏の深沈たる味わい深さとスケールの雄大さにおいては、出色のものがあると言えるのではないだろうか。

いずれにしても、筆者としては、クレンペラーの悠揚迫らぬ芸風が顕著にあらわれた素晴らしい名演と高く評価したい。

これに対して、シューマンの交響曲第4番は、まさに文句のつけようがない至高の名演だ。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、意外にも速めのテンポによる演奏であるが、スケールの雄大さは相変わらずであり、重厚さにおいてもいささかの不足はない。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎだされており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせる(とりわけ、第2楽章は抗し難い美しさに満ち溢れている)のもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

第4番は、独墺系の大指揮者(フルトヴェングラーを始め、ベーム、カラヤン、ヴァントなど)がその最晩年に相次いで名演を遺している楽曲である。

特に、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる超名演(1953年)の存在感があまりにも大きいものであるため、他の演奏はどうしても不利な立場にあるが、クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、シューマンが同曲に込めた寂寥感や絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄する名演と言えるのではないか。

音質は、従来CD盤がARTによるリマスタリングによって比較的良好な音質であった(両曲のうちシューマンの交響曲第4番については、昨年、ESOTERICがフランクの交響曲ニ短調とのカップリングで第4番をSACD化したところであり、これによって素晴らしい鮮明な高音質に生まれ変わった)。

しかしながら、今般、ついにEMIによって両曲ともに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった(シューマンの交響曲第4番については、ESOTERIC盤との優劣については議論の分かれるところだ)。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:33コメント(0)トラックバック(0)シューマンクレンペラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第3番及びゲーテの「ファウスト」らの情景からの序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたインテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

第3番の緩徐楽章などにおける情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

両曲ともに名演であるが、先ず交響曲第3番については、「ライン」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では、第1番「春」に次いで明朗で詩情に満ち溢れた楽曲である。

クレンペラーは、本演奏においても前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲最高の名演とされるシューリヒト&パリ音楽院管弦楽団による名演(1953年)やジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる名演(1980年)にも肉薄する至高の名演と評価しても過言ではあるまい。

ゲーテの「ファウスト」からの情景からの序曲も極めて優れた名演だ。

同曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、まさにクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。

クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1969年のスタジオ録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:57コメント(0)トラックバック(0)シューマンクレンペラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第2番及び歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

交響曲第2番の緩徐箇所(特に第3楽章)等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

交響曲第2番は、シューマンの精神的な疾患の影響が反映された楽曲であり、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)や、より激情的でドラマティックなバーンスタイン&ウィーン・フィルによる演奏(1985年)の方がより同曲に相応しい名演のように思えなくもないところだ。

しかしながら、前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、本演奏はシューマンが同曲に込めた絶望感を鋭く抉り出していくような奥行きのある演奏に仕上がっていると言えるところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、前述のシノーポリやバーンスタインによる名演にも肉薄する名演と高く評価したい。

一方、歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲も極めて優れた名演だ。

同曲にはライバルともなり得る名演が存在していないことから、まさにクレンペラーの独壇場と言っても過言ではあるまい。

クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、他の演奏をいささかも寄せ付けない至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1968年のスタジオ録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:47コメント(0)トラックバック(0)シューマンクレンペラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、クレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団(厳密に言うと、第4番はフィルハーモニア管弦楽団)とともにスタジオ録音したシューマンの交響曲全集のうち、第1番及び「マンフレッド」序曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

クレンペラーの本演奏におけるアプローチは、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を重厚に描き出していくというものだ。

ブラスセクションなども力奏させることによって、いささかも隙間風の吹かない剛毅にして壮麗な音楽が紡ぎ出されており、全体の造型も極めて堅固である。

木管楽器などを比較的強く吹奏させて際立たせるのもクレンペラーならではであるが、全体に独特の格調の高さが支配しているのが素晴らしい。

交響曲第1番の緩徐楽章等における情感の豊かさにもいささかも不足もなく、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏に仕上がっているのがクレンペラーのシューマンの特徴と言えるだろう。

全集の中でも交響曲第1番は最も優れた超名演として、これまで多くの音楽評論家によって絶賛されてきたところだ。

「春」という標題が付いているだけに、シューマンの交響曲の中では明朗で詩情に満ち溢れた楽曲であるが、クレンペラーは前述のような剛柔バランスのとれたアプローチによって、同曲に込められた豊かな詩情を実に巧みに描き出しているのが素晴らしい。

演奏のテンポは誰よりも遅いが、その遅さ故に彫りの深い濃密な味わいが滲み出していると言えるところであり、本演奏は、その奥深い味わい深さと言った点に鑑みれば、同曲の様々な演奏に冠絶する至高の超名演と評価しても過言ではあるまい。

一方、「マンフレッド」序曲も極めて優れた名演奏だ。

同曲には、フルトヴェングラーがベルリン・フィルとともに録音した超名演(1949年)が存在しており、それはいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな豪演であった。

これに対して、クレンペラーは微動だにしないインテンポで曲想を描き出して行くが、その威容は余人を寄せ付けないような風格を兼ね備えていると言えるところであり、格調の高さという意味においては、前述のフルトヴェングラーによる超名演にも肉薄し得る素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にARTによるリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような、1960年代半ばの録音とは信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、クレンペラー、そしてニュー・フィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:15コメント(0)トラックバック(0)シューマンクレンペラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、クレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団によるメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」と序曲「フィンガルの洞窟」が収められている。

このカップリングはLP時代のもの(CD時代になってからは、交響曲第3番「スコットランド」と交響曲第4番「イタリア」との組み合わせとなった)であり、その意味では極めて懐かしく感じられるところだ。

「スコットランド」の名演は、これだけの名曲にしては意外にも少ないと言えるのではないだろうか。

独墺系の作曲家による交響曲については、相当の点数の名演が存在するのが通例であるが、「スコットランド」については、本盤に収められたクレンペラーによる演奏がダントツの超名演であり、他はマーク&ロンドン交響楽団による演奏(1957年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)、アバド&ロンドン交響楽団による演奏(1984年)が掲げられる程度。

シューマンの交響曲全集で素晴らしい名演を成し遂げたバーンスタインによるイスラエル・フィルとの演奏(1979年)も、決して凡庸な演奏とは言えないものの、今一つ魅力に乏しい演奏にとどまっている。

それにしても、本盤のクレンペラーによる演奏は、録音から既に50年以上が経過しているにもかかわらず、今なお同曲最高の超名演の座に君臨しているというのは、殆ど驚異的ですらある。

悠揚迫らぬテンポによる演奏であり、その古武士のような風格と、奥行きのある深沈たる味わいには、抗し難い魅力に満ち溢れている。

第2楽章のゆったりとしたテンポによる味の濃い音楽は、他の指揮者によるどの演奏よりも図抜けた芸術性を発揮していると言っても過言ではあるまい。

終楽章の終結部において、クレンペラーは、後年のバイエルン放送交響楽団との演奏(1966年)で、冒頭部の主題に改編して演奏しているが、本盤の雄渾にしてスケール雄大な名演を聴いていると、原作に忠実な本演奏の方がより優れているのではないかと感じられてくる。

序曲「フィンガルの洞窟」も、「スコットランド」と同様に、その雄渾なスケール感に圧倒される。

ゆったりとしたインテンポによる演奏で、特に、何か特別な解釈を施しているわけではないが、その深沈たる内容の濃さは、他のいかなる名演をも凌駕する至高のレベルに達していると高く評価したい。

音質は、1960年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、そもそも次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:24コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンクレンペラー 

2013年10月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1941年に書かれ、オネゲルのヒューマニスティックな情熱の結晶である交響曲第2番、クーセヴィツキー財団の依頼でボストン響のために作曲され、ミュンシュによって初演された交響曲第5番の世界初録音とは、作曲者オネゲルと親交があり、指揮者として最も敬愛されていたミュンシュならではの歴史的名演。

ミュンシュのオネゲルは、いつ聴いても超名演で、他の指揮者の演奏とはまるで次元が違うと思う。

オネゲルのCDが数多あるなかで、この演奏がもっとも力強くオネゲルという作曲家を物語っている。

全編に厳しい緊張感が漲り、作品に込められた痛切なメッセージを極めてストレートに再現している。

第2番は、第2次大戦の最中に作曲された悲劇的な作品であるが、第1楽章の圧倒的な迫力と悲劇的な力強さは、他の指揮者の演奏では聴かれないものだ。

第2楽章の緩徐楽章も悲痛の極みであり、終楽章のラストのトランペットも、決して能天気な明るさには陥らず、強制された喜劇のような抑制的表現であり、ミュンシュのオネゲルの本質への深い理解を感じさせる。

第5番も超名演。

オネゲルがスコアに記したテンポや表情が目まぐるしく変化する複雑な楽想を、造型をいささかも弛緩させることなく、幅の広いダイナミックレンジと緩急自在のテンポ設定の下、オネゲルが同曲に秘めた悲劇的な情感を、格調を失うことなく描ききっているのは、もはや神業という他はない。

第2番と第5番の交響曲では、トランペット・ソロが非常に重要な役回りを演じていることが共通しているが、とりわけ第5番の強く迫るフォルテは一度聴くと忘れられない。

ボストン響とは唯一の録音となった「バッカスとアリアーヌ」第2組曲もミュンシュが初演しており、作品を極め尽くした者のみに許される壮絶な表現が聴きもの。

パリ時代から同時代の作曲家の作品を積極的に取り上げ、ボストン響時代も前任者クーセヴィツキーの方針を受け継いで、世界的な作曲者たちに新作を委嘱し続けたミュンシュの功績を刻印したアルバムである。

オネゲルの第2番は、3種類あるミュンシュの録音のうち2番目(ミュンシュは1942年、パリでの世界初録音を指揮)で、1967年パリ管との再録音あり。第5番はミュンシュ唯一の録音であるだけに貴重だ。

「バッカスとアリアーヌ」第2組曲は、ボストン響を離れた後フランス国立管と再録音している。

惜しむらくは録音がイマイチであることで、Blu-spec-CD化しても、あまり改善が見られないのは、1950年代前半という録音時期を考慮すれば、致し方ないのかもしれない。

「バッカスとアリアーヌ」第2組曲は、録音のせいもあるとは思うが、バレエ音楽としては生硬な印象を受ける。

ここぞという時のパッションの爆発はさすがであるだけに、少々惜しい気がした。

とはいえ、このような素晴らしい演奏のCDが、カタログから消えてしまわないことを切に望みたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:46コメント(0)トラックバック(0)ミュンシュ 

2013年10月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンは4度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、その中でも最もカラヤンの個性があらわれた演奏は、1975〜1977年に録音された3度目の全集であると言えるのではないだろうか。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビはまさに全盛期を迎えていた。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

とりわけ、3度目の全集においてはかかる音のドラマは健在であり、中でも当該全集の掉尾を飾る本盤の交響曲第9番の演奏は、おそらくは同曲のスタジオ録音史上でも最高峰の音のドラマが構築されていると言っても過言ではあるまい。

そして、このような卓越した音のドラマは、フルトヴェングラーなどによる音楽の内容の精神的な深みを徹底して追求した名演とはあらゆる意味で対極にある演奏であると言えるが、筆者としては、演奏芸術の在り方は多様であるべきと考えており、そもそも次元が異なる両名演の優劣を云々するのはそもそもナンセンスであると考えている。

なお、一昨年、1977年にカラヤン&ベルリン・フィルが来日した際の普門館でのライヴ録音が発売され、中でも第9番はカラヤン自身が演奏の出来に満足したこともあって圧倒的な超名演に仕上がっており、演奏の質だけをとれば本演奏よりもより上位に掲げるべきであるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に勘案すれば、本演奏も当該普門館ライヴ盤に十分に比肩し得る至高の超名演と高く評価したい。

独唱は、ソプラノのアンナ・トモワ=シントウ、メゾ・ソプラノのアグネス・バルツァ、テノールのペーター・シュライアー、そしてバリトンのジョゼ・ヴァン・ダムという、いわゆるカラヤンの旗本とも言うべき超豪華歌手陣の揃い踏みであるが、本演奏でもその名に恥じない圧倒的な名唱を披露してくれているのが素晴らしい。

そして、いささか技量に問題があるウィーン楽友協会合唱団も、本演奏ではカラヤンの卓越した指揮に導かれて、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の熱唱を展開しているのが見事である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:33コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンカラヤン 

2013年10月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏がいかに凄まじいものであったのかということを理解できる一枚だ。

このコンビによる全盛時代の演奏は、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器が奏でるように聴こえるという、「セルの楽器」との呼称をされるほどの鉄壁のアンサンブルを誇っていた。

米国においては、先輩格であるライナーを筆頭に、オーマンディやセル、そして後輩のショルティなど、オーケストラを徹底して鍛え抜いたハンガリー人指揮者が活躍しているが、オーケストラの精緻な響きという意味においては、セルは群を抜いた存在であったと言っても過言ではあるまい。

マーラーの第6番は、筆者がある時期嵌り込んだ作品でもあるので、随分と多くの録音を聴いたのを思い出す。

その中でいまだに素晴らしいと思うのはバルビローリ盤、次いでこのセル盤の解晰的演奏の精気である。

これらかつての愛聴二盤は、後にテンシュテットの驚異的なアプローチが現れるまで続いたが、それでも当セル盤は今なお啓発的であり続けている。

ともかく、ここまで冷静沈着にマーラーの音の群れを把握し、客観的視座から交響形態へと組み直している例は稀であろう。

確かに当世風の演奏指向とはいささか異質だろう。

けれども尚且つマーラーの音楽の複雑な本質を正面から解き明かしている重要な演奏のひとつのように感じてならない。

第10番については、定番のクック版ではなく、現在では殆ど採り上げられることがないクレネク版が採用されているところである。

アダージョのみならず第3楽章に相当するプルガトリオを収録しているのも貴重であり、加えて演奏が精緻にして緻密な名演であることに鑑みれば、セルは、録音の数は少なくとも、マーラーに対して一定の理解と愛着を抱いていたと言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は、全盛期にあったセル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠の圧倒的な名演と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:24コメント(0)トラックバック(0)マーラーセル 

2013年10月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



筆者は、江崎昌子のマズルカ全集におけるセンス満点の素晴らしい名演に接してから、彼女が発売するショパンのピアノ作品集の演奏に注目してきたところである。

エチュード集にしても、はたまたピアノ・ソナタ全集にしても、江崎昌子の類稀なる音楽性とセンスの良さが如何なく発揮された演奏に仕上がっていると言えるところであり、前述のマズルカ全集にも比肩し得るだけの素晴らしい名演と言えるところだ。

そして、本盤のノクターン全集であるが、前述の既発売のピアノ作品集にも優るとも劣らない、そして、まさに我々聴き手の期待がいささかも裏切られることがない圧倒的な名演と高く評価したい。

江崎昌子による本演奏は、マズルカ全集と同様に、ショパンの各楽曲に対する深い洞察力に裏打ちされた、実に考え抜かれた解釈が光っている。

おそらくは、録音に至るまでに何度も同曲を弾きこなすとともに、スコアに記された音符の表層にとどまらず、各曲の音符の背後にある作曲当時のショパンの精神構造や時代背景に至るまで、徹底した追究が行われたのではないかと考えられるところだ。

江崎昌子は、こうした徹底した自己研鑽とスコアリーディングに基づいて、ノクターン全集を構成する各曲を万感の思いを込めて情感豊かに曲想を描き出している。

このように考え抜かれた演奏を旨としてはいるが、理屈っぽさや生硬さは皆無であり、音楽が滔々と自然体に流れるとともに、ノクターンの美しさや魅力を聴き手にダイレクトに伝えることに成功しているのが素晴らしい。

加えて、ショパンの演奏に時として聴かれる陳腐なロマンティシズムなど薬にしたくもなく、どこをとっても気高い品格と洒落た味わいを兼ね備えているのが素晴らしい。

もちろん、ルービンシュタインやフランソワ、コルトーなどによる歴史的な超名演などと比較すると、いわゆる強烈な個性にはいささか不足していると言えなくもないが、ノクターン全集を安定した気持ちで味わうことができるという意味では、これまでの様々なピアニストによる同曲の名演にも引けを取らないところであり、少なくとも、我が国の女流ピアニストによるショパンの演奏としては、間違いなく最右翼に掲げられるべき圧倒的な名演と評価しても過言ではあるまい。

音質は、SACDによる極上の高音質録音であり、江崎昌子のピアノタッチが鮮明に再現されるのは実に見事であると言えるところであり、本名演の価値をより一層高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤は、江崎昌子による素晴らしい名演と極上の高音質録音が相俟った名SACDと高く評価したい。

マズルカ全集と同様に、ライナーノーツに、江崎昌子によるノクターン全集の各曲の寸評が掲載されているのも、本盤の演奏をより深く理解する意味において大変貴重である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:57コメント(0)トラックバック(0)ショパン 

2013年10月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、一昨年1月より食道がんのために病気療養をしていた小澤が一昨年12月、ニューヨークのカーネギーホールにおける3日間のコンサートにおいて本格的な指揮活動への復帰を果たしたが、その初日(14日)の感動的なコンサートの記録である。

通常CD盤としては既に昨年1月に緊急発売されているが、今回はブラームスの交響曲第1番に加えて、15日の幻想交響曲と18日の戦争レクイエムも含めて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売されるとのことであり、これは我が国のクラシック音楽ファンとしても大いに歓迎したい壮挙である。

小澤はブラームスの交響曲第1番を得意中の得意としており、既にボストン交響楽団(1977年)やサイトウ・キネン・オーケストラ(1990年)とスタジオ録音を行っている。

一方、本演奏については小澤も楽章毎に水分補給をとるなど本調子には程遠く、演奏の安定度からすれば過去の演奏とは比べようがないのかもしれない。

したがって、本演奏に対して演奏上の瑕疵や楽曲の本質への追求の深みのなさなどを指摘するのは容易なことであり、現に、レコード芸術誌においてもとある高名な音楽評論家などが厳しい評価を下していたのは記憶に新しいところだ。

しかしながら、本演奏については、そのような演奏上の瑕疵や精神的な深みなどを指摘すべき性格の演奏ではない。

というか、そのような指摘をすること自体が、自らの命をかけて指揮を行った小澤に対して礼を失するとさえ言える。

小澤の渾身の命がけの指揮が我々聴き手の心を激しく揺さぶるのであり、それだけで十分ではないだろうか。

そして、小澤の入魂の指揮の下、大熱演を繰り広げたサイトウ・キネン・オーケストラや、演奏終了後にスタンディング・オヴェイションとブラヴォーの歓呼で熱狂した当日の聴衆も、本演奏の立役者である。

まさに、本演奏は、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言っても過言ではあるまい。

このような魂の音楽に対しては、前述のようにそもそも演奏内容の細部に渡っての批評を行うこと自体がナンセンスであり、我々聴き手も虚心になってこの感動的な音楽を味わうのみである。

録音は従来盤でも良好な音質ではあったが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって次元が異なる鮮明な高音質に生まれ変わった。

小澤が成し遂げた渾身の超名演を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:21コメント(0)トラックバック(0)ブラームス小澤 征爾 

2013年10月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンによるブルックナーの交響曲第7番の録音としては次に掲げる3種存在している。

最初のものは本盤のベルリン・フィルとの演奏(1970〜1971年)(EMI)、次いで、その後、カラヤンによる唯一のブルックナーの交響曲全集に発展していくことになるベルリン・フィルとの演奏(1975年)(DG)、そして、史上最高のレコーディング・アーティストであったカラヤンによる最後の演奏・録音となったウィーン・フィルとの演奏(1989年)である。

言うまでもなく、さすがにそこまで断定的な言い方をしなくとも、大方の音楽ファンは、カラヤンによる同曲の最高の名演と言えば、最後の録音でもある1989年盤を掲げるのではないだろうか。

ただ、それは、通説となっているカラヤンの個性が発揮された演奏ではなく、むしろ、カラヤンの自我が影を潜め、只管音楽そのものに奉仕しようという、音楽そのものの素晴らしさ、魅力を自然体で語らせるような趣きの演奏に仕上がっており、もちろん、筆者としても、至高の超名演と高く評価をしているが、全盛期のカラヤンの演奏とはおよそかけ離れたものとも言えるところだ。

そうなると、カラヤン&ベルリン・フィルが蜜月時代にあり、しかも全盛期にあった1970年代の2種の録音に、カラヤンの個性が表れていると言えるが、5年しか離れていないにしては、この両者の演奏の装いは大きく異なっている。

EMIとDGというレコード会社の違い、ダーレムのイエス・キリスト教会とベルリン・フィルハーモニーホールという会場の違いもあるが、それだけでこれだけの違いが生じるというのはおよそ信じ難いところだ。

カラヤン的な個性、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期ならではの演奏の豪快さ、華麗さと言った点においては、1975年のDG盤の方にその特色があらわれていると言えるだろう。

これに対して、本盤の演奏は、むしろ、この時期のカラヤンとしては極力自我を抑制し、イエス・キリスト教会の残響を巧みに生かした荘重な演奏を心がけているとさえ言える。

その意味では、至高の超名演である1989年盤に繋がる要素も存在していると言ってもいいのかもしれない。

流麗なレガート、ここぞという時のブラスセクションの迫力などは、いかにも全盛期のカラヤン、そしてベルリン・フィルならではのものであるが、それがいささかも外面的なものとならず、常に内容豊かで、音楽の有する根源的な迫力をあますことなく表現し尽くしているのが素晴らしい。

カラヤンは、同時期に第4番も録音しているが、演奏自体は断然、本演奏の方が優れており、1988年のウィーン・フィルとの第8番、そして前述の最後の録音となった1989年の第7番と併せて、カラヤンによるブルックナーの交響曲演奏の3強の一角を占める素晴らしい名演と評価してもいいのではないかと考えているところだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:49コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーカラヤン 

2013年10月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



チェリビダッケは生前、自作を除いては自らの演奏のCD化(LP化)を一切禁じていた。

表向きは、実演をCD(LP)では表現尽くすことができないというのがその理由であったとされるが、ベルリン・フィルの芸術監督に係るフルトヴェングラーの後継者争いで敗退したカラヤンに対する対抗意識も多分にあったのかもしれない。

それ故に、チェリビダッケの演奏を聴くことは実演以外には不可能になったことから、あまたの海賊盤が跋扈するとともに、その存在の神秘性が高まっていくことになった。

我が国にも来日し、その際の演奏がFMでも放送されたことから、一部に熱烈なチェリビダッケファンを生み出したのも記憶に新しいところであるが、殆どのクラシックファンにとっては縁遠い幻の指揮者的な存在であった。

もっとも、チェリビダッケの没後には、遺族の了解を得て、ミュンヘン・フィル(EMI)や、さらにそれ以前のシュトゥットガルト放送交響楽団(DG)などとのライヴ録音が相当点数発売されることになり、一般のクラシック音楽ファンでもチェリビダッケの芸術を味わうことができるようになったところだ。

まさに、幻のベールを没後になって漸く脱いだのである。

チェリビダッケは、カラヤンをはじめ同業者への罵詈雑言を浴びせ続けていたが、これは罵詈雑言の対象となった指揮者のファンならずとも、決して気持ちのいいものではなく、このことが現在におけるチェリビダッケに対する評価が二分されている理由であると言えるのかもしれない。

チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということなのであろう。

楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。

それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。

そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのがミュンヘン・フィルであった。

チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追求しようというものではない。

むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、まさに音のドラマ。

これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらない。

ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、一音一音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたが、チェリビダッケの場合は、音の一つ一つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは一つ一つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。

もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であったと言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:30コメント(0)トラックバック(0)チェリビダッケ 

2013年10月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーの「悲愴」のライヴとしては唯一のもので、録音の差もあるが、大戦前のSP録音とは迫力の点で格段の差がある。

演奏の総合点も良く、フルトヴェングラーの「悲愴」としてはこのほうを選ぶべきであろう。

フルトヴェングラーの壮年期の演奏に近い個性的な表現で、スケールも大きい。

最近の演奏様式には見られないロマン的なチャイコフスキーだが、音楽は意味深く、十分説得力がある。

全体に暗くユニークな演奏で、第1楽章の展開部や第3楽章など、ライヴならではの劇的迫力が示されている。

とくに第1楽章のクライマックスの高揚は筆舌につくしがたい。

ティンパニと金管の咆哮の中に全宇宙が崩壊する。

終楽章の情緒豊かな振幅の大きい表現も、この指揮者ならではのロマン性を感じさせる。

チャイコフスキー特有のメランコリーよりもむしろ不健康な哀愁が全曲をふさわしくしめくくる。

フルトヴェングラーはほとんど病的なチャイコフスキーの抑圧感や心理のひだに深く分け入っており、それを当時の神経質な演奏様式で表現している。

そこには人間的ななぐさめと絶望的な雰囲気が交錯しており、これほど深刻な「悲愴」の演奏はほかにない。

それだけに作品の本質に触れる凄さがある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーフルトヴェングラー 

2013年10月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



楽興の時が超名演だ。

卓越したテクニックの下、力強い打鍵と、それと対照的な情感あふれる耽美的とも言うべきロシア的抒情の美しさ。

これらを駆使した各楽章の描き分けは見事と言うほかはない。

前奏曲と比較すると、録音の点数も少なく、知る人ぞ知る地位に甘んじている同曲ではあるが、このような超名演に接すると、そうした評価が非常に不当なもののように思えてくる。

SACDによる極上の高音質も、この超名演の価値をより一層高めることに貢献しており、おそらくは、同曲の録音史上のベストワンの地位に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

他方、メインのピアノ協奏曲第3番は、決して凡演とは言えないものの、このコンビならば、もう一段レベルの高い演奏を成し遂げることが可能だったのではないかと、少々残念な気がした。

かつてのホロヴィッツや、最近では、キーシンやヴォロドス、ランランなどの名演が次々に生まれている状況に鑑みれば、そのような中で存在感を示すには、少々のレベルの演奏では困難だというのは自明の理である。

断わっておくが、本盤も決して凡庸な演奏ではなく、いい演奏ではある。

清水が尊敬するアシュケナージの抜群のサポートを得て、清水本人にとって最も特別なレパートリーである同曲を渾身の演奏で繰り広げていることは確かだ。

しかしながら、前述のような名演に慣れた耳からすると、インパクトがあまりにも少ないということだ。

SACDによる録音も、楽興の時に比べると、いささか鮮明さに欠ける気がした。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:16コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフアシュケナージ 

2013年10月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2008年に発売され、名演の誉れ高かったスタジオ録音の直後に行われたライヴ録音の待望の発売だ。

スタジオ録音と比べて基本的な解釈には変更はないが、終楽章を除いてテンポが速くなっており、いかにもライヴにおいて燃えまくる「炎のコバケン」の面目躍如たる劇的な名演と高く評価したい。

第1楽章冒頭は、ドヴォルザークの指示どおりゆったりとしたテンポで開始するが、主部に入ると小林節が全開。

テンポはめまぐるしく変化し、うねるような音楽が連続する。

それでいて全体の造型にいささかの狂いもないのは、小林が「新世界より」の本質をしっかりと掴んでいるからにほかならない。

第2楽章は深沈たるテンポで情感溢れる指揮ぶりであるが、中間部の終結部分での対旋律の生かし方は実にユニークな解釈。

第3楽章は決然とした開始で力強い解釈であるが、特に、終結部の盛り上がりはいかにも小林ならではのド迫力だ。

終楽章も小林ならではの熱狂的な指揮ぶりで、小林のうなり声もついに頂点に達する。

演奏終了後の聴衆の熱狂、そしてスタンディングオベーションも当然のことのように思われる。

それにしても、これだけ個性的な解釈を示した小林に、ぴたりと付いていったチェコ・フィルの好演も特筆すべきである。

むしろ、チェコ・フィルの小林への絶大なる信頼感がこれだけの名演を成し遂げることに繋がったと言えるのではないか。

録音は、マルチチャンネルはないもののSACDによる極上の音質であり、エクストンとしてもかなりの成功例と言える名録音である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:46コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザーク小林 研一郎 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



当日演奏会は、同曲を引っさげた欧州演奏旅行からの凱旋公演であった。

22年前の録音であるが、小林の数少ないレパートリーの中でも得意の曲だけに、既に小林の個性が全開の名演と言うことができよう。

小林のマーラーの「第5」の名演として第一に掲げるべきは、本盤の数年後にチェコ・フィルと録音された名演であると考えるが、当該名演と比較しても、本盤は決して優るとも劣らぬ名演と高く評価したい。

どこをとっても切れば血が出るような熱気が漲っており、テンポもめまぐるしく変化するが、いささかのあざとさも感じさせないのは、小林が、マーラーの「第5」を深く理解しているとともに、同曲への深い愛着にほかならないと言える。

特に、最後のコラールからコーダにかけてのテンポ設定は、実によく計算されていると思う。

当時の小林は、全集を作る人間ではなく、惚れた曲だけを指揮する指揮者であったが、振る曲は本当にこだわりの逸品だった。

22年前の録音を一昨年になって再発売したのは、小林の生誕記念の年ということもあるが、かつての名演をSACD(高音質)化するという点でそれなりに意義のあることと考える。

そして、その音質であるが、見事というほかはない。

金管楽器は朗々と鳴り響き、低弦の厚みも重厚さの極み。

各楽器の分離も、さすがはSACDならでは鮮明さであり、ダイナミックレンジの幅広さも、従来CDとは比較にはならない素晴らしさだ。

音質が鮮明になった分、日本フィルの奏者のミスや小林のうなり声が目立つようにはなったが、本名演の評価を貶めるような結果にはいささかも陥っていない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:58コメント(0)トラックバック(0)マーラー小林 研一郎 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



チャイコフスキーの「第3」の演奏史上、最高の王座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

「第3」は、チャイコフスキーが作曲した交響曲の中でも最も不人気であり、後期の偉大な3大交響曲の直前の交響曲ということもあって、チャイコフスキーの番号付きの交響曲の中でも最大規模を誇る意欲作であるにもかかわらず、作品の質においても見るべきものがないというのが専らの定評であった。

しかしながら、小林の演奏を聴いていると、そのような不人気は演奏のせいではないかと思えてくる。

それくらい小林の演奏は見事であり、不当に評価の低い「第3」の魅力を再認識させることに成功したという点においても、本名演は高く評価すべきである。

第1楽章からして、小林はうなり声を発して燃えまくる。

とてもスタジオ録音とは思えない凄まじさであり、切れば血が出てくるような生命力に満ち溢れている。

第2楽章は、同じような旋律が繰り返される、悪く言えば冗長な楽章でもあるが、小林の手にかかるとそのような冗長さなど微塵も感じられない。

どこをとっても血の通った情感溢れる音楽が紡ぎ出されていく。

そして本名演の白眉は第3楽章。

この情緒豊かな熱い演奏は、あたかも小林が得意としたマーラーの緩徐楽章のような高踏的な美しさを誇っている。

第4楽章も実に細やかに精緻に表現していく繊細さが見事であり、終楽章は、まさに、「炎のコバケン」の面目躍如たる劇的な表現が連続する。

録音も、マルチチャンネルはないものの、SACDによる極上の高音質であり、小林の超名演を鮮明に味わうことができることを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー小林 研一郎 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



小林は決してレパートリーの広い指揮者ではない。

しかしながら、レパートリーとして選ばれた限られた楽曲については、何度も繰り返して演奏(録音)して、その解釈を極めて行こうとする。

そのような小林にあって、チャイコフスキーの交響曲は、その限られたレパートリーの中核をなす最重要の作品と言えるだろう。

既に、日本・フィル、チェコ・フィルと2度にわたり全集を完成しているが、現在ではアーネム・フィルとの全集録音を開始した。

当該全集に含まれる本盤の「第4」は、過去の2度の全集や番外編であるライヴ録音を経て、4度目の録音に当たるが、おそらくは小林のこれまでの「第4」の演奏中、最高の名演であると評価したい。

第1楽章の序奏部のファンファーレは中庸のテンポであるが、主部の第1主題は実に遅い。

しかしながら、決してもたれるということはなく、彫りの深いコクのある表現をしているのが印象的だ。

第2主題の心の込め方も尋常ならざる美しさであり、展開部の冒頭のファンファーレ主題が繰り返される箇所の劇的な表現は凄まじい迫力だ。

第2楽章は中庸のテンポで開始するが、中間部のメランコリックで濃厚な抒情は、これぞロシア音楽の粋と言えよう。

第3楽章はゆったりとしたテンポをとるが、これほど内容の濃い表現は他に類例を見ないほどだ。

終楽章は決然とした力奏で開始するが、終結部の猛烈なアッチェレランドの凄まじさは、これぞ「炎のコバケン」の面目躍如たるものであろう。

録音は、SACDによる極上の高音質であり、マルチチャンネルがないにもかかわらず、これほどまでに臨場感溢れる音響がするのは実に素晴らしいことだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:05コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー小林 研一郎 

2013年10月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



かつて発売されたショパン・コンクール入賞ピアニストである高橋多佳子の集大成的録音といえる「ショパンの旅路」からの抜粋であるが、バラードもスケルツォも基本的にはいずれも名演だ。

高橋多佳子は、いかにも女流ピアニストならではの繊細にして精緻なタッチで、ショパンの抒情溢れる名旋律をこれ以上は求めないような優美さで描き出していく。

高橋多佳子のライフワークのひとつである、ショパンの調べであり、どの曲にも、彼女なりに解釈された詩情溢れるショパン像が紡ぎ出され、息づいている。

それでいて、例えばスケルツォ第3番の強靭な打鍵による力強い迫力ある演奏には圧倒される。

テクニックについても卓抜したものがあり、さすがはショパン国際コンクール入賞者の貫録十分である。

惜しいのは有名なスケルツォの第2番。

これは、高橋多佳子にしてはいささか平凡な演奏と言わざるを得ない。

この有名曲には、ポゴレリチやアルゲリッチなどの超ド級の名演が存在しており、それらの横綱級の名演と比較すると分が悪いというのは致し方がないところであろう。

これらの横綱にはかなわないとしても、高橋多佳子ならば、もう少し彫りの深い演奏が出来たのではないだろうか。

SACDによる鮮明な高音質録音も見事であるが、録音場所がトリトーンがいつも使用している富山県の北アルプス文化センターではなく、ワルシャワ・フィルハーモニー大ホールであり、音質にかなりの違いがあるのは大変興味深い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:47コメント(0)トラックバック(0)ショパン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



こんなにゆったりとした気持ちでシューマンのピアノ曲を味わうことができたのは初めてだ。

2010年はシューマン生誕200年記念の年であったが、そうした記念の年に相応しい素晴らしい名演CDと高く評価したい。

いずれも名演であるが、特に感動したのは「謝肉祭」。

この「謝肉祭」は、私見では、史上最高の名演と言っても過言ではないのではなかろうか。

前口上の力強い開始。

一転して抒情的な高貴なワルツやオイセビウス、スフィンクスのおどろおどろしい不気味な世界を経て、蝶々やA.S.C.H.−S.C.H.Aのリズミカルな軽快感、ショパンの優美さ、そしてパガニーニの巧みな演出など。変幻自在の表現力の幅の広さには大変感心させられた。

そして、ぺリシテ人と戦うダヴィッド同盟の行進の威風堂々たる演奏には風格を感じるほどで、この名演を最高の形で締めくくっているのである。

「謝肉祭」には、やたら理屈っぽい演奏で、シューマンの豊かなファンタジーをスポイルさせてしまう駄演も散見されるが、これほどまでに音楽それ自体を楽しませてくれる演奏は珍しく、聴いていて思わず微笑んでしまうほどだ。

これぞ「謝肉祭」の理想の演奏であり、史上最高の名演と評価する所以である。

次いで、「トロイメライ」の繊細な演奏を掲げたい。

これはいかにも女流ピアニストだけがなし得る至純の美しさに満ち溢れている。

「クライスレリアーナ」も名演であるが、こちらはシューマンの最高傑作だけに、他にもライバルが多く、高橋の名演が随一というわけにはいかない。

それでも、圧倒的な技量と緩急自在の巧みなテンポ設定など、さすがと思わせる箇所も多い。

録音は、SACDによる極上の高音質であり、全く言うことがない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:18コメント(0)トラックバック(0)シューマン 

2013年10月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



100曲を超えるハイドンの交響曲の中でも高い人気を誇る3曲で構成された、魅力的な選曲のディスク。

いずれも、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の名演であるが、特に、第104番がダントツの名演である。

カラヤンの数々の伝記を紐解くと、カラヤンは、ハイドンの交響曲の中でも、この第104番に特に愛着を抱いていたとのことであるが、それだけに、ウィーン・フィルと1種、ベルリン・フィルとは、本盤を含め3種の録音が遺されている。

いずれ劣らぬ名演ではあるが、世評が高いのは、ウィーン・フィルとの録音ということになるであろう。

そして、ベルリン・フィルとの3種の録音の中では、ザルツブルク音楽祭での燃焼度の高いライヴ録音(1979年)にも後ろ髪を引かれる思いがするが、オーケストラの安定性という意味では、本盤の演奏を第一に採りたい。

カラヤン得意のレガートが程良い品の良さをたたえて全曲を支配しており、そのエレガントな優美さは、他のどの演奏よりも優れている。

ここでは、ベルリン・フィルの威力を見せつけようという押しつけがましさが微塵もなく、団員全員が、カラヤンの統率の下、音楽をする喜びを噛みしめているかのように楽しげだ。

他の2曲も、この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの絶頂期を窺い知ることができる名演。

カラヤンはベルリン・フィルの磨き抜かれた響きを生かして、それぞれの作品の個性と魅力をニュアンス美しく再現し、流麗で格調高い演奏を行っている。

ハイドンは、第101番や第104番の緩徐楽章で、弦楽器とフルートを同時に演奏させているが、フルートの音が鮮明に分離して聴こえるのは、カラヤン&ベルリン・フィルの素晴らしい功績と考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:40コメント(0)トラックバック(0)ハイドンカラヤン 

2013年10月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



今から四半世紀以上も前のことであるが、NHK教育テレビにおいて、マタチッチ&NHK交響楽団によるベートーヴェンの「第7」を放送していたのを視聴した時のことを鮮明に記憶している。

それは、最晩年であったマタチッチがほとんど指揮をしていなかったということだ。

手の動きはきわめて慎ましやかであり、実際にはアイコンタクトだけで指揮していたと言えるのではないだろうか。

しかしながら、そうした殆ど動きがないマタチッチを指揮台に頂きながら、NHK交響楽団がそれこそ渾身の力を振り絞って力強い演奏を行っていたのがきわめて印象的であった。

いずれにしても、あのような手の動きを省略したきわめて慎ましやかな指揮で、NHK交響楽団に生命力溢れる壮絶な演奏をさせたマタチッチの巨匠性やカリスマ性を高く評価すべきであると考える。

当盤でも、緊張感の中、エネルギーが爆発していくような演奏で、楽章が進むに連れてメンバーが熱を帯び、フィナーレなどインパクトのある凄演が聴け、興奮度は高い。

当時(1960年代後半)のNHK交響楽団は、技量においては、我が国のオーケストラの中でトップと位置づけられていたが、演奏に熱がこもっていないとか、事なかれ主義の演奏をするとの批判が数多く寄せられていた。

そうした批評の是非はさておき、全盛期のマタチッチによるこのような豪演に鑑みれば、そのような批評もあながち否定できないのではないかと考えられる。

本盤には、そうした巨匠マタチッチと、その圧倒的なオーラの下で、渾身の演奏を繰り広げたNHK交響楽団による疾風怒濤の超名演が収められている。

NHK交響楽団も決してベストではなかったにしろ、ドイツ風の重厚な演奏を繰り広げ、それを補って余りある燃えに燃えた名演奏である。

NHK交響楽団は、その指揮者の個性を薄めてしまうというのが筆者のイメージだったが、マタチッチは別のようで、楽員との厚い信頼関係を感じさせる。

随所にマタチッチの個性が散りばめられており、なおかつCDのファーストチョイスとしてもなんら違和感のない名演で、ライヴでありながらこの完成度は驚異的と言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:58コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤にはストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」と「火の鳥」が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

パーヴォ・ヤルヴィは、バレエ音楽「春の祭典」についても、ニールセンの交響曲第5番とのカップリングにより録音を行っている(現在入手難)ので、これによって手兵シンシナティ交響楽団とともに、ストラヴィンスキーの3大バレエ音楽をすべて高音質録音で評価の高いテラークレーベルに録音したことになる。

パーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、「春の祭典」で行ったものと何ら違いはない。

曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、各楽器セクションをバランス良く鳴らしていくというものである。

それでいて、スコアに記された音符のうわべだけをなぞるだけの薄味な演奏にはいささかも失っておらず、どこをとっても情感の豊かさを失っていないのが見事である。

聴き手を驚かすような奇手を繰り出すことはいささかもなく、解釈自体はオーソドックスなものであるが、各場面の表情豊かな描き分けが実に巧みに行われており、演出巧者ぶりも如何なく発揮されている。

要は、ストラヴィンスキーの音楽の魅力をダイレクトに享受することが可能な演奏であり、聴き終えた後の充足感においても並々ならないものがある。

これは、まさしくパーヴォ・ヤルヴィの豊かな才能と音楽性の勝利と言えるだろう。

シンシナティ交響楽団もパーヴォ・ヤルヴィの統率の下卓越した技量を披露しており、その素晴らしい演奏は本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。

また、本盤が優れているのは、演奏内容のみならず、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

ストラヴィンスキーの3大バレエ音楽は光彩陸離にして華麗なオーケストレーションで知られているが、それを精緻に表現したパーヴォ・ヤルヴィによる至高の名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができる意味は極めて大きいと言わざるを得ないだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:52コメント(0)トラックバック(0)ストラヴィンスキーヤルヴィ 

2013年10月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



かつては音楽学者の研究対象に過ぎなかったブルックナーの交響曲の初稿が、近年では立派な芸術作品としての地位を獲得しつつある。

それはインバルが1980年代後半にフランクフルト放送交響楽団とスタジオ録音した、原則として初稿を使用した初のブルックナー交響曲全集が起爆剤になったからであり、その後はティントナーやケント・ナガノなどによる優れた名演が数多く生み出されるようになってきているところだ。

シモーネ・ヤングも、そのような初稿を尊重する指揮者の一人であり、これまで「第2」、「第3」、「第4」及び「第8」を録音しているが、いずれも素晴らしい名演に仕上がっている。

そして、シモーネ・ヤングは今般「第1」に挑戦することになったが、これまた素晴らしい名演と高く評価したい。

使用楽譜はもちろん初稿であるが、本演奏ではキャラガン校訂による初稿を使用している。

「第1」の演奏においては、近年ではブルックナーが最晩年の1891年に大幅な改訂を行ったウィーン稿を使用するのが一般的であり、1877年に改訂を行ったリンツ稿を使用するのは稀になりつつあるが、シモーネ・ヤングによるキャラガン校訂版の使用は、リンツ稿よりもさらに遡った同曲の原型を追及しようというものであり、ティントナー以外には同版の使用例が見られないことからしても極めて貴重なものと言える。

そして、版の問題だけでなく演奏内容も素晴らしい。

シモーネ・ヤングのアプローチは、女流指揮者離れした悠揚迫らぬテンポ設定による堂々たるものだ。

各楽器を力の限り強奏させている(とりわけ第1楽章及び終楽章の終結部は壮絶なド迫力)が、いささかも無機的に陥ることがなく、そして情感の豊かさを失わないのが素晴らしい。

全体の造型は堅固であるが、スケールは雄大であり、音楽全体の構えが大きいのが見事である。

また、第2楽章など緩徐的箇所における抒情的な美しさは、あたかも聖フローリアンを吹く一陣の風のような趣きがあり、これは女流指揮者シモーネ・ヤングの真骨頂と言えるだろう。

いずれにしても本演奏は、ブルックナーの交響曲を鑑賞する醍醐味を全て兼ね備えていると言えるところであり、キャラガン校訂版を使用した「第1」としては、史上最高の名演と評価しても過言ではあるまい。

さらに本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

かかる臨場感溢れる高音質録音は、本名演の価値をさらにグレード・アップすることに大きく貢献していることを忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:26コメント(0)トラックバック(0)ブルックナー 

2013年10月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



バルトークの最晩年の傑作である「管弦楽のための協奏曲」にはこれまで多数の録音がなされ、その中には名演との評価がなされているものも数多く存在している。

そのような中で、録音から50年以上が経過してもなお、これまでの同曲のすべての名演に冠絶する至高の超名演こそは、本盤に収められたライナーによる演奏であると考える。

本演奏におけるライナーのアプローチは、テンポは幾分速めであり、全体として引き締まった筋肉質の演奏である。

他の指揮者による演奏が、聴かせどころのツボを心得たわかりやすい表情づけを随所に施しているのに対して、ある意味ではいささかも微笑まない辛口の演奏で一貫しているとさえ言えるほどだ。

しかしながら、演奏全体に漲っている気迫や張り詰めた緊張感には尋常ならざるものがあり、我々聴き手の心胆を寒からしめるのに十分なものがある。

また、一聴すると何の飾り気もない各フレーズの随所から滲み出してくるような奥深い情感には、抗し難い魅力が満ち溢れている。

これは、ライナーの同曲への深い理解や愛着とともに、同曲に込められたバルトークの心底にあった寂寥感や絶望感などを敏感に感じ取っていたからに他ならない。

このような楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深い表現は、バルトークと親交があり、バルトークと同じ苦難の時代を生きたライナーだけが成し得た究極の演奏とさえ言えるだろう。

ライナーの確かな統率の下、これ以上は求め得ないような完全無欠の演奏を披露したシカゴ交響楽団の卓越した技量も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

これだけの歴史的な超名演だけに、これまでSACD化やXRCD化など高音質化への取り組みがなされているが、筆者としてはXRCD盤の方をより上位に置きたいと考える。

前述のように50年以上も前のスタジオ録音であるが、XRCD化によってきわめて鮮明な音質に蘇ったところであり、ライナーによる超名演をこのようなXRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:42コメント(2)トラックバック(0)バルトークライナー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められた「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」は、まさに強烈無比な演奏と言える。

本演奏でのライナーのアプローチは、やや速めのテンポで曲想を描き出しているが、全体として引き締まった音楽が特徴であり、飾り気がいささかもないいわば辛口の演奏で一貫しているとさえ言える。

そして、演奏全体に漲っている気迫や張り詰めた緊迫感には尋常ならざるものがあり、我々聴き手も本演奏の始まりから終わりまで手に汗握るような緊張感を強いられるほどだ。

もっとも、このように強烈無比な演奏とは言っても、決していわゆる血も涙もない演奏には陥っていない。

一聴すると素っ気ない表情の各フレーズの端々から聴き取ることが可能な奥深い情感は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

古今東西の指揮者による同曲の演奏の中でも、これほどまでに楽曲の心眼に鋭く踏み込んだ彫りの深い演奏を行ったものは、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル(1965年)以外には類例を見ないところであり、ムラヴィンスキー盤の音質がいささか良好とは言い難いことを考慮に入れると、本演奏こそは、同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演との評価をするのにいささかも躊躇するものではない。

ライナーによる確かな統率の下、素晴らしい演奏を成し遂げたシカゴ交響楽団による超絶的な技量も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録の「5つのハンガリー・スケッチ」は、民謡の採取に生涯をかけたバルトークならではの比較的親しみやすい民族色溢れる名作であるが、ここでは、ライナー&シカゴ交響楽団が「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」とは別人のような温もりのある演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

今から50年以上も前のスタジオ録音であるが、XRCD化によってきわめて鮮明な音質に蘇ったところであり、ライナーによる超名演をこのようなXRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:30コメント(0)トラックバック(0)バルトークライナー 

2013年10月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトが作曲した数多くの室内楽曲の中での最高傑作としては、いろいろな考え方はあろうかとも思うが、一般的には、弦楽五重奏曲と本盤に収められた弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」が双璧と言うことになるのではないだろうか。

シューベルトには、ウィーンの抒情的作曲家としての側面があるのが事実ではあるが、一聴すると美しい旋律の中に人生への寂寥感や絶望感が込められていると言える。

特に、晩年の作品において顕著であり、前述の両傑作も、表面的には美しい旋律に満ち溢れた楽曲ではあるが、その実は底知れぬ深みを感じさせる作品であるとも言えるだろう。

ただ、かつては、シューベルトを前述のようなウィーンの抒情的作曲家と捉えるという考え方が主流であったことから、「死と乙女」にしても、あまり深刻には陥らず、旋律の美しさに重点を置いた情感豊かな演奏が多かった。

もちろん、「死と乙女」はそもそもかなり悲劇的な様相が強い楽曲だけに、従来型の演奏であっても、その悲劇的な魅力を聴き手に伝えることは十分に可能であった。

本盤に収められた、ウィーン・フィルのトップ奏者によって構成されたウィーン弦楽四重奏団による演奏も、そうした従来型の演奏様式に則ったものであり、曲想を精緻に丁寧に描き出して行くというオーソドックスなアプローチを行っている。

したがって、後年に、同じくウィーン出身の奏者によって構成されたアルバン・ベルク弦楽四重奏団が同曲の名演を成し遂げているが、当該名演のように、楽曲の心眼に切り込んでいくような鋭さや凄みはいささかも感じられない。

それ故に、こうしたアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる凄みのある演奏に慣れた聴き手からすると、本演奏では物足りないと感じる人もいるとは思われるが、「死と乙女」という傑作をゆったりとした気持ちで味わうことができるという意味においては、本演奏も素晴らしい名演と評価したい。

そして、本盤でさらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音だ。

各奏者の弓使いまで聴こえる鮮明さは、とても1973年の録音とは思えないほどであり、このような名演を望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:48コメント(0)トラックバック(0)シューベルト 

2013年10月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ゲルギエフ&ロンドン響によるマーラーチクルスが終盤に差し掛かった頃のライヴ録音である。

これまでの各交響曲の演奏を顧みると、名演とイマイチの演奏が混在しており、玉石混交といった状況にある。

これまで発売されたいずれの交響曲も、聴く前は、名演、駄演のどちらに転ぶかわからないといった予測が付かない不安があったが、本盤は、幸いにもいい方に転んでくれた。

これまでの演奏の中でもかなり上位にランキングできる素晴らしい名演と評価してもいいのではないか。

ゲルギエフは、ここでは、チャイコフスキーやショスタコーヴィチ、ストラヴィンスキーなどで垣間見せた野性味溢れるドラマティックなアプローチは薬にしたくもない。

むしろ、自我を極力抑えて、マーラーの音楽を精緻に美しく描き出していくことに専念しているように思われる。

もちろん、演奏に強弱の起伏がないわけではなく、トゥッティにおける金管楽器やティンパニなどの最強奏は圧巻の迫力を誇っているのだが、いわゆる踏み外しがいささかも感じられないのである。

これは、ゲルギエフが、テンポの変化を最小限に抑えているのに起因しているのかもしれない。

したがって、この演奏の場合、ドラマティックな要素は極めて少なく、むしろ、スケールの壮大さで勝負した感がある。

このようなアプローチは、本来的には「第5」のような劇的な要素が支配的な交響曲の場合には相応しいとは言えないが、前述のような壮大なスケール感と精緻な美しさによって、マーラーの「第5」に新鮮な魅力を見出すことに成功した点は評価せざるを得ないのではないだろうか。

マーラーの「第5」に、ドラマティックな演奏を期待する聴き手、バーンスタインやテンシュテット、プレートルなどの劇的な名演を好む聴き手からは、物足りないとの批判が寄せられることは十分に予測されるが、筆者としては、マーラーの「第5」に新しい光を当てた異色の名演として、高く評価したい。

SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音も、ゲルギエフの精緻なアプローチを鮮明に再現し得るものとして、大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)マーラーゲルギエフ 

2013年10月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、1999年に51歳の若さで惜しくも急逝したシノーポリによる有名な管弦楽曲を収めているが、いずれも個性的な名演と高く評価したい。

精神医学を修めた作曲家でもあるシノーポリによる独特のアプローチは、本盤に収められたいずれの楽曲の演奏においても健在であり、とりわけラヴェルの華麗なオーケストレーションが魅力の組曲「展覧会の絵」においては、ゆったりとしたテンポにより楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰さが際立っている。

同曲の随所にあらわれる有名なプロムナードの主題は、絵画の鑑賞者の微妙な心理の変化を反映して多種多様な表現が施されているところであるが、これら各プロムナードの主題の違いをシノーポリ以上に際立たせた例は他にはないのではないだろうか。

これはいかにも精神医学者シノーポリの面目躍如と言ったところであり、いささか構えた物々しさを感じさせなくもないが、このような精神分析的な演奏を好む聴き手がいても何ら不思議ではないと思われる。

交響詩「禿山の一夜」は、組曲「展覧会の絵」ほどの個性的な解釈は見られないが、それでも聖ヨハネ祭の夜に集う悪魔や妖怪たちの饗宴を殊更に強調したある種のグロテスクさ、そして終結部の超スローテンポは、いかにもシノーポリならではの怪演と言っても過言ではあるまい。

ラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」は一転して豊かな情感に満ち溢れた美しさが際立っており、一聴するとオーソドックスな演奏のように思われるが、よく聴くとマーラーの交響曲におけるレントラー舞曲のような退廃的な美を感じるというのは、果たして筆者だけの先入観と言い切れるであろうか。

録音については、従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

シノーポリの細部に至るまで彫琢の限りを尽くした分析的なアプローチを味わうにはSHM−CD盤は相応しいと言えるところであり、シノーポリの名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:42コメント(0)トラックバック(0)ムソルグスキーシノーポリ 

2013年10月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは素晴らしい名演だ。

近年のプレートルは、スクロヴァチェフスキなどとともに、現役最古参の巨匠指揮者の一人として、フランス系の音楽以外にも、ベートーヴェンやブルックナー、マーラーの交響曲、そしてウィンナ・ワルツなどにおいて比類のない名演を聴かせてくれているところだ。

もっとも、もともとはフランス人指揮者として、フランス音楽にも素晴らしい名演を聴かせてくれていたことも忘れてはならない。

本演奏などもその代表的な名演の一つであり、それどころか、特にサン・サーンスの組曲「動物の謝肉祭」については、オーケストラバージョンによる演奏としては、同曲の他の指揮者による様々な演奏の中でもトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

本演奏は、どこをとってもセンスの塊と言える。

まさにフランス音楽の粋でもあり、これほどまでにフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいに彩られた演奏は、他の楽曲の演奏においてもなかなかお目にかかることはできないのではないだろうか。

指揮者であるプレートルはもちろんのこと、パリ音楽院管弦楽団のミシェル・デボスト(フルート)やロベール・コルディエ(チェロ)といったソリストをはじめとする各奏者、アルド・チッコリーニ及びアレクシス・ワイセンベルクの両ピアニストが、実に楽しげに音楽を奏でている趣きがあり、加えて前述のようなフランス風の瀟洒な味わいによる名演奏も相俟って、まさに珠玉の音楽が構築されていると言っても過言ではあるまい。

各曲の描き分けの巧みさは、巨匠プレートルならではの圧巻の至芸であり、その語り口の巧さは見事という他はない。

併録のプーランクの組曲「典型的動物」は、サン・サーンスの組曲「動物の謝肉祭」のように有名な楽曲ではなく、同曲異演盤が少ないだけに貴重な演奏だ。

本演奏においても、フランス風のエスプリ漂う洒落た味わいは健在であり、前述の各奏者による名演奏や、プレートルの演出巧者ぶりも相俟って、素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質は、1965〜1966年のスタジオ録音であるが、楽器編成が必ずしも大きくないこともあって、EMIにしては従来盤でも十分に合格点を与えることが可能な良好な音質であった。

しかしながら、その後、ARTリマスタリングが施されるとともに、数年前にHQCD盤が発売されるに及んで、かなり良好な音質に生まれ変わった。

したがって、筆者としては当該HQCD盤をこれまで愛聴してきたが、今般、ついに待望のSACD化が図られるに及んで大変驚いた。

鮮明さ、音場の拡がり、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、プレートル&パリ音楽院管弦楽団によるセンス満点の超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:13コメント(0)トラックバック(0)サン=サーンスプレートル 

2013年10月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



独墺系の指揮者にはチャイコフスキーの交響曲の録音を好んで行った者は多い。

フルトヴェングラーやクレンペラー、ベーム、ザンデルリンクといった錚々たる指揮者が、後期3大交響曲の録音を行っているし、カラヤンに至っては、交響曲全集のほか、数多くの録音を遺している。

ヴァントの芸風とチャイコフスキーの交響曲は、必ずしも相容れるものではないようにも思われるが、ヴァントの伝記を紐解くと、若い頃は、チャイコフスキーの交響曲を頻繁に演奏したとのことである。

これは、ヴァントが、とかく孤高の指揮者と捉えられがちではあるが、実際には累代の独墺系の大指揮者の系列に繋がる指揮者であるということを窺い知ることが可能であるとも言える。

もっとも、ヴァントが遺したチャイコフスキーの交響曲の録音は、手兵北ドイツ放送交響楽団を指揮した第5番及び第6番のそれぞれ1種類ずつしか存在していない。

しかしながら、数は少ないとしても、この2つの演奏はいずれも素晴らしい名演であると高く評価したい。

本盤に収められたのは交響曲第5番であるが、同曲は、チャイコフスキーの数ある交響曲の中でも、その旋律の美しさが際立った名作である。

それ故に、ロシア風の民族色やメランコリックな抒情を歌い上げたものが多いが、本演奏は、それらのあまたの演奏とは大きくその性格を異にしている。

演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。

ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。

したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないかと感じられる。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸である。

もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

併録のモーツァルトの交響曲第40番も、ワルターやベームなどによる名演と比較すると、優美さや愉悦性においていささか欠けていると言わざるを得ないが、チャイコフスキーの交響曲第5番の演奏と同様に、一聴すると無骨とも言える各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

いずれにしても、本演奏は、ヴァントの最晩年の清澄な境地が示された至高の名演と高く評価したい。

ヴァントは、同時期に交響曲第39番や第41番も録音しているが、可能であれば、本盤のようにSACD化して欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

音質は、1994年のライヴ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:52コメント(0)トラックバック(0)ヴァントチャイコフスキー 

2013年10月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



スケールの雄大な異色の名演だ。

確かにユニークだが、この上なく格調高い演奏。

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」と言えば、ボヘミア風の民族色豊かな演奏を期待されるところであり、これまでに成し遂げられた名演の多くも、そうした点に主眼を置いてきたような感がある。

しかしながら、クレンペラーには、そのような民族色など、いささかも眼中にはないのではないかと思われる。

クレンペラーは、同曲を、ベートーヴェンやブラームスの大交響曲に接するのと同様のアプローチで、指揮していると言える。

冒頭のおどろおどろしい導入や、弱いティンパニの音色の響かせ方など、いかにもドイツ音楽風の重厚な響きがするし、第3楽章のゆったりとしたインテンポによる進軍も、あたかもブルックナーの交響曲のような重量感のある迫力だ。

遅めのテンポで堂々と、しかし鈍臭くなく、リズムの刻みもしっかりしていて、木管の音色も実に鮮明に響いており素晴らしく、トゥッティの響きは力強くもふくよかで立派。

ひたすらドイツ的な響きを徹底したクレンペラーはすごい。

誰もが思いつくようでそれを実践したのはクレンペラーだけなのだ。

クレンペラーは、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」という国民楽派の交響曲を、ベートーヴェンの交響曲にも匹敵する大芸術作品に引き上げたのだ。

したがって、同曲に、ボヘミア風の民族色豊かな演奏を期待する聴き手からすれば、野暮ったさや場違いな印象を与えることも考えられるが、前述のように国民楽派の範疇にとどまらず、後期ロマン派を代表する至高の芸術作品に引き上げたクレンペラーの功績は、やはり讃えられてしかるべきであろう。

模範的な「新世界より」に飽きてしまった人には特に強く薦めたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:49コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザーククレンペラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは徹頭徹尾、クレンペラーの至芸を味わうべきCDである。

録音は1966年であり、大器晩成型の巨匠クレンペラーがいよいよその本領を発揮し、持ち前のスケール雄大な超名演の数々を成し遂げていた時期のものである。

本盤に収められたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏も素晴らしい超名演だ。

冒頭から悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を精緻に、そして格調の高さを失うことなく描き出して行く。

クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽が紡ぎ出されている。

木管楽器をやや強めに演奏させるのは、いかにもクレンペラーならではのものであるが無機的になることはなく、どこをとっても彫りの深さが健在である。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは極大であり、悠揚迫らぬ重量感溢れる音楽が構築されている。

このような立派で仰ぎ見るような威容を誇る堂々たる音楽は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

このような偉大な演奏を聴いていると、近年のベートーヴェンの演奏において主流となりつつある、古楽器奏法やピリオド楽器による小編成のオーケストラによる軽妙浮薄な演奏など、実に小賢しく感じてしまう。

それくらい、本盤の演奏は、巨木のような大芸術作品と言うことができる。

こうしたクレンペラーの指揮に対して、メニューインの演奏はいささか個性に乏しいとも言えるだろう。

同曲を、メニューインはフルトヴェングラーとともに録音しているが(1947年及び1953年)、その頃がメニューインの全盛期であり、本盤の演奏の時には、既にかつて面影は殆ど消え失せていると言ってもいいのではないかとさえ思われるところだ。

それでも、クレンペラーの偉大な芸術の奉仕者としては、それなりに立派な演奏を行っているとも言えるところであり、クレンペラーによる本名演の価値を損なうということにはなっていない点を強調しておきたい。

いずれにしても、本盤の演奏は、巨匠クレンペラーの偉大な芸術を味わうことができる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、1966年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、メニューインのヴァイオリンの弓使いが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:32コメント(0)トラックバック(0)メニューインクレンペラー 

2013年10月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンは、特にお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」についてもその例外ではない。

DVD作品を除けば、ベルリン・フィルとともに本演奏を含め4度にわたって録音(1940、1957、1964、1977年)を行うとともに、ウィーン・フィルとともに最晩年に録音(1985年)を行っている。

いずれ劣らぬ名演であるが、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、カラヤン&ベルリン・フィルが全盛期にあった頃の本演奏と言えるのではないだろうか。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったと言えるが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏は凄かった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもいわゆる豪壮華麗なカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは健在。

冒頭のダイナミックレンジを幅広くとった凄みのある表現など、ドヴォルザークの作品に顕著なボヘミア風の民族色豊かな味わい深さは希薄であり、いわゆるカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏とも言えなくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマの構築によって絢爛豪華に同曲を満喫させてくれれば文句は言えまい。

筆者としては、カラヤンの晩年の清澄な境地を味わうことが可能なウィーン・フィルとの1985年盤の方をより上位の名演に掲げたいが、カラヤンの個性の発揮という意味においては、本演奏を随一の名演とするのにいささかの躊躇をするものではない。

併録のスメタナの交響詩「モルダウ」も、カラヤンが何度も録音を繰り返した十八番とも言うべき楽曲であるが、本演奏も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを伺い知ることが可能な素晴らしい名演だ。

音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言えるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤンによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:19コメント(0)トラックバック(0)カラヤンドヴォルザーク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



広範なレパートリーを誇ったカラヤンであるが、カラヤンは必ずしもシューベルトを得意とはしていなかった。

カラヤン自身は、シューベルトをむしろ好んでおり、若き頃より理想の演奏を行うべく尽力したようであるが、難渋を繰り返し、特に、交響曲第9番「ザ・グレイト」に関してはフルトヴェングラーに任せるなどとの発言を行ったということもまことしやかに伝えられている。

しかしながら、それほどまでにカラヤンのシューベルトの演奏は出来が悪いのであろうか。

本盤に収められた交響曲第9番「ザ・グレイト」は、カラヤンによる唯一のシューベルトの交響曲全集からの抜粋である。

そして、カラヤンは同曲をその後一度も録音しなかった。

したがって、本演奏は、カラヤンによる同曲の究極の演奏と言っても過言ではあるまい。

そしてその演奏内容は、他の指揮者による名演とは一味もふた味も異なる演奏に仕上がっている。

本演奏に存在しているのは、徹頭徹尾、流麗なレガートが施されたいわゆるカラヤンサウンドに彩られた絶対美の世界であると言えるだろう。

シューベルトの交響曲は、音符の数が極めて少ないだけに、特にこのようないわゆるカラヤンサウンドが際立つことになると言えるのかもしれない。

したがって、シューベルトらしさと言った観点からすれば、その範疇からは大きく外れた演奏とは言えるが、同曲が持つ音楽の美しさを極限にまで表現し得たという意味においては、全盛期のカラヤンだけに可能な名演と言えるのではないかと考えられる。

また、同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥の深さとは無縁の演奏ではあるが、これだけの究極の美を表現してくれたカラヤンの演奏に対しては文句は言えまい。

なお、カラヤンはベルリン・フィルとともに、同曲を1968年に録音しているが、本演奏のような美の世界への追及の徹底度がやや弱いきらいがあり、筆者としては本演奏の方をより上位に掲げたい(カラヤンを好まない聴き手には、これらの旧盤の方がより好ましい演奏に聴こえることも十分に考えられるところである)。

いずれにしても、本演奏は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルが醸成した究極の美の世界、そしてカラヤン流の美学が具現化された究極の絶対美の世界を堪能することが可能な極上の美を誇る名演と高く評価したい。

併録の劇音楽『ロザムンデ』からの抜粋であるバレエ音楽第1番及び第2番も、カラヤンの美学に貫かれた素晴らしい名演だ。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であり、数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質はさらに鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やリマスタリングCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:07コメント(0)トラックバック(0)シューベルトカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、シューベルトの交響曲第8番「未完成」とハイドンの交響曲第104番「ロンドン」が収められている。

先ずは、シューベルトの交響曲第8番「未完成」であるが、広範なレパートリーを誇ったカラヤンとしても、シューベルトは必ずしも得意とはしていなかった。

カラヤン自身は、シューベルトをむしろ好んでおり、若き頃より理想の演奏を行うべく尽力したようであるが、難渋を繰り返し、特に、交響曲第9番「ザ・グレイト」に関してはフルトヴェングラーに任せるなどとの発言を行ったということもまことしやかに伝えられている。

しかしながら、それほどまでにカラヤンのシューベルトの演奏は出来が悪いのであろうか。

本盤に収められたシューベルトの交響曲第8番「未完成」は、カラヤンによる唯一のシューベルトの交響曲全集からの抜粋である。

そして、カラヤンは同曲をその後一度も録音しなかった。

実際には、カラヤンによる最後の録音となったブルックナーの交響曲第7番(1989年)に併せて同曲も録音する予定であったとのことであるが、それを果たすことなく鬼籍に入ってしまった。

したがって、本演奏は、カラヤンによる同曲の究極の演奏と言っても過言ではあるまい。

そして、その演奏内容は、他の指揮者による名演とは一味もふた味も異なる演奏に仕上がっている。

本演奏に存在しているのは、徹頭徹尾、流麗なレガートが施されたいわゆるカラヤンサウンドに彩られた絶対美の世界であると言えるだろう。

シューベルトの交響曲は、音符の数が極めて少ないだけに、特にこのようないわゆるカラヤンサウンドが際立つことになるのかもしれない。

したがって、シューベルトらしさと言った観点からすれば、その範疇からは大きく外れた演奏とは言えるが、同曲が持つ音楽の美しさを極限にまで表現し得たという意味においては、全盛期のカラヤンだけに可能な名演と言えるのではないかと考えられる。

また、同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥の深さとは無縁の演奏ではあるが、これだけの究極の美を表現してくれたカラヤンの演奏に対しては文句を言えまい。

なお、カラヤンはベルリン・フィルとともに、同曲を1964年に録音しているが、本演奏のような美の世界への追及の徹底度がやや弱いきらいがあり、筆者としては本演奏の方をより上位に掲げたい(カラヤンを好まない聴き手には、これらの旧盤の方がより好ましい演奏に聴こえることも十分に考えられるところである)。

いずれにしても、本演奏は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルが醸成した究極の美の世界、そしてカラヤン流の美学が具現化された究極の絶対美の世界を堪能することが可能な極上の美を誇る名演と高く評価したい。

一方、ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」は、カラヤンが得意中の得意としていた楽曲だ。

スタジオ録音だけでも、ウィーン・フィルとの演奏(1959年)、そして本盤のベルリン・フィルとの演奏(1975年)、さらには、ベルリン・フィルとの「ロンドンセット」の一環として録音だれた演奏(1980年)の3種を数えるところだ。

これにザルツブルク音楽祭でのウィーン・フィルとの演奏(アンダンテ)なども含めると、現時点で4種もの録音が存在している。

いずれ劣らぬ演奏であるが、筆者としては、オーケストラの音色からしてウィーン・フィルとのスタジオ録音を随一の名演として掲げたいと考えている。

もっとも、本盤の演奏も、全盛時代のカラヤン&ベルリン・フィルの凄さを感じさせるものとしては、ウィーン・フィルとの演奏に肉薄する極めて優れた名演と高く評価したい。

近年流行の古楽器奏法やピリオド楽器を使用した演奏とは大きく異なり、重厚でシンフォニックな演奏ではあるが、同曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、現代においても十二分に通用する名演奏と言えるのではないだろうか。

このような名演を聴いていると、近年において、ハイドンの交響曲の人気が今一つであるというのも、演奏のせいではないかと思われてならないところだ。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であり、数年前にリマスタリングも施されるとともに、HQCD化もなされたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤やHQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:31コメント(0)トラックバック(0)カラヤンシューベルト 

2013年10月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



素晴らしい名演だ。

英国音楽の大御所であったヒコックスによって録音が開始されたホルストの管弦楽曲集であるが、第1集を完成させたところで急死してしまった。

ホルストと同じ60歳の死はあまりにも早いものであり、第1集が超名演であっただけに大変残念なことと言わざるを得ない。

ヒコックスの開始したプロジェクトは、同じく英国音楽の名匠アンドルー・デイヴィスが引き継ぐことになったが、本盤の出来を聴く限りにおいては、その引き継ぎが実に上手くいったのではないかと考えられる。

先ず、メインの『惑星』であるが、雄渾なスケール感を感じさせる名演だ。

何よりも、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音が、名演に大きく華を添えている点を指摘しておきたい。

ホルストの華麗なオーケストレーションを味わうためにはマルチチャンネルは最適であり、雷鳴のようなティンパニや重層的な金管楽器の咆哮など、音響が立体的に聴こえるのが素晴らしい。

こうした臨場感のある高音質録音だけでも、名演の評価の半分は勝ち取ったようなものである。

加えて、アンドルー・デイヴィスは、前述のような雄渾さに加えて、細部に至るまで実に精緻で情感豊かな演奏を行っており、優美で繊細な抒情が持ち味の「金星」、「土星」、「海王星」においては、至高・至純の美しさを誇っている。

とりわけ、「海王星」の終結部の女声による合唱が明晰に聴こえるのは、これまでの『惑星』の演奏史上でも初めてではないだろうか。

曖昧模糊で、殆ど聴き取れないような演奏が多い中で、こうした演奏は大いに歓迎したい。

併録の東洋的組曲「ベニ・モラ」は、ホルストがアルジェリアを旅行した経験をもとに作曲した曲とのことであり、東洋というよりはアラビア風であるところがご愛嬌ではあるが、有名な日本組曲ともども、アンドルー・デイヴィスは、雰囲気満点の異国情緒溢れる名演を成し遂げるのに成功している。

アンドルー・デイヴィスの指揮の下、BBCフィルハーモニック、そしてマンチェスター室内合唱団も最高のパフォーマンスを示している点も高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:11コメント(0)トラックバック(0)ホルスト 

2013年10月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤の演奏については、かつてはワイセンベルクの個性が、カラヤン&ベルリン・フィルによる豪壮華麗な演奏によって殆ど感じることができない演奏であると酷評されてきたところであるが、今般のSACD化によって、その印象が一掃されることになった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

もちろん、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏は凄いものであり、今般のSACD化によってさらにその凄みを増したとさえ言える。

もっとも、流麗なレガートを駆使して豪壮華麗な演奏の数々を成し遂げていたカラヤンの芸風からすれば、ラフマニノフの楽曲との相性は抜群であると考えられるところであるが、カラヤンは意外にもラフマニノフの楽曲を殆ど録音していない。

カラヤンの伝記を紐解くと、交響曲第2番の録音も計画されていたようではあるが、結局は実現しなかったところだ。

したがって、カラヤンによるラフマニノフの楽曲の録音は、本盤に収められたピアノ協奏曲第2番のみということになり、その意味でも、本盤の演奏は極めて貴重なものと言えるだろう。

しかしながら、前述のように、演奏はいかにも全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの圧倒的なものである。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感溢れる力強さ、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックで美音を振りまく木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなど、圧倒的な音のドラマが構築されている。

そして、カラヤンは、これに流麗なレガートを施すことによって、まさに豪華絢爛にして豪奢な演奏を展開しているところであり、少なくとも、オーケストラ演奏としては、同曲演奏史上でも最も重厚かつ華麗な演奏と言えるのではないだろうか。

他方、ワイセンベルクのピアノ演奏は、従来CD盤やHQCD盤で聴く限りにおいては、カラヤン&ベルリン・フィルの中の一つの楽器と化していたと言えるところであり、その意味では、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築の最も忠実な奉仕者であったとさえ言える。

しかしながら、今般のSACD化により、ワイセンベルクの強靭にして繊細なピアノタッチが、オーケストラと見事に分離して聴こえることになったことによって、実はワイセンベルクが、カラヤン&ベルリン・フィルの忠実な僕ではなく、むしろ十二分にその個性を発揮していることが判明した意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

いずれにしても、筆者としては、同曲のベストワンの演奏と評価するのにはいささか躊躇せざるを得ないが、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィル、そしてワイセンベルクによる演奏の凄さ、素晴らしさ、そして美しさを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演として高く評価したい。

併録のフランクの「ピアノと管弦楽のための交響的変奏曲」は、ワイセンベルクのピアノ演奏の個性がラフマニノフよりも更に発揮されているとも言えるところであり、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演奏とも相俟って、同曲の美しさを存分に味わわせてくれるという意味において、さらに素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1972年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、前述のように、ワイセンベルクのピアノ演奏とカラヤン&ベルリン・フィルの演奏が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィル、そしてワイセンベルクによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:32コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフフランク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンは、今を時めくピアニストとともにチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音する傾向があるようだ。

リヒテル、ワイセンベルク、ベルマン、そして最晩年のキーシンの4度に渡って同曲を録音しているが、そのいずれもが、これから世に羽ばたこうとしていた偉大なピアニストばかりであるという点においては共通している。

ただ、この中で、最も低い評価しか与えられていない演奏こそは、本盤に収められているワイセンベルクとの演奏のようである。

もっとも、こうした評価は、筆者としてはこれまでの音質が今一つの通常CD盤によるものではないかと考えているところだ。

というのも、今般のSACD盤によって、桁外れの音質改善が図られたからである。

これまでの従来CD盤における本演奏の酷評の要因は、ワイセンベルクの個性が、カラヤン&パリ管弦楽団による豪壮華麗な演奏によって殆ど感じることができないとされてきたことにあるが、今般のSACD化によって、その印象が一掃されることになった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

もちろん、カラヤン&パリ管弦楽団の演奏は凄いものであり、今般のSACD化によってさらにその凄みを増したとさえ言える。

もっとも、ベルリン・フィルとの間で流麗なレガートを駆使して豪壮華麗な演奏の数々を成し遂げていたカラヤンにしてみれば、パリ管弦楽団との本演奏では若干の戸惑い(特に、パリ管弦楽団において)なども見られないわけではないが、そこはカラヤンの圧倒的な統率力によって、さすがにベルリン・フィルとの演奏のレベルに達しているとは言えないものの、十分に優れた名演奏を行っていると言えるところだ。

そして、ワイセンベルクのピアノ演奏は、従来CD盤やHQCD盤で聴く限りにおいては、カラヤン&パリ管弦楽団の中の一つの楽器と化していたと言えるところであり、その意味では、カラヤン&パリ管弦楽団による豪壮華麗な演奏の最も忠実な奉仕者であったとさえ言える。

しかしながら、今般のSACD化により、ワイセンベルクの強靭にして繊細なピアノタッチが、オーケストラと見事に分離して聴こえることになったことによって、実はワイセンベルクが、カラヤン&パリ管弦楽団の忠実な僕ではなく、むしろ十二分にその個性を発揮していることが判明した意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

いずれにしても、筆者としては、同曲のベストワンの演奏と評価するのにはいささか躊躇せざるを得ないが、全盛期のカラヤン、カラヤンに必死に喰らいついていこうとするパリ管弦楽団、そしてワイセンベルクによる演奏の凄さ、素晴らしさ、そして美しさを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演として高く評価したい。

音質は、1970年のスタジオ録音であり、前述のように従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、前述のように、ワイセンベルクのピアノ演奏とカラヤン&パリ管弦楽団の演奏が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、カラヤン&パリ管弦楽団、そしてワイセンベルクによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:11コメント(0)トラックバック(0)ワイセンベルクカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤンは、ミュンシュの急逝によって窮地に陥ったパリ管弦楽団の音楽監督にほんのわずかの期間ではあったが就任した。

したがって、このように短期間ということもあって、パリ管弦楽団との録音は、本盤に収められたラヴェルの管弦楽曲や、フランクの交響曲ニ短調、ワイセンベルクと組んだチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、そしてDVD作品としてベルリオーズの幻想交響曲といったわずかのものしか遺されていない。

それでも、カラヤンがフィルハーモニア管弦楽団と最後のスタジオ録音を行った1960年以降においては、ウィーン交響楽団とのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、シュターツカペレ・ドレスデンとのワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」等を除けば、ベルリン・フィルかウィーン・フィルとの演奏・録音に限られているだけに、むしろパリ管弦楽団との録音は必ずしも少ないとは言い難いのかもしれない(今後、ライヴ録音の発掘が行われれば、そうした事情に変化が見られるのかもしれない)。

そして、その演奏も素晴らしい名演と高く評価したい。

この当時のカラヤンは気力・体力ともに最も充実していた全盛期であり、手兵ベルリン・フィルとともに、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの数々を構築していた。

ベルリン・フィルによる鉄壁の演奏に流麗なレガートが施された磨き抜かれた音色は、カラヤンサウンドとも称される極上の絶対美を誇っていたとも言える。

本演奏では、オーケストラがパリ管弦楽団だけに、さすがにこのようないわゆるカラヤンサウンドを聴くことは困難ではあるが、演奏の重厚さや劇的な緊張感、そして、各フレーズ間を繋ぐ流麗なレガートは、まさしくカラヤンによる演奏以外の何物でもない。

このようなカラヤンならではの重厚にして華麗な演奏に、フランス風の洒落た味わいを付加することに成功したのが、パリ管弦楽団による名演奏である。

いずれにしても、本演奏は、カラヤン&パリ管弦楽団だけに可能な、ドイツ風とフランス風が見事に融合した稀有の名演と高く評価したい。

とりわけ、スペイン狂詩曲については1986年にベルリン・フィルと再録音を行っているものの、道化師の朝の歌や組曲「クープランの墓」については、本盤の演奏はカラヤンによる唯一の演奏と言うべき存在であり、その意味でも希少価値があると言えるところだ。

音質については、本盤が長らく単独盤として手に入らない状況にあり、生誕100年を記念して発売されたセット盤の中で聴くしか方法がなかったところであるが、当該従来CD盤は今一つ冴えない音質であったところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤン&パリ管弦楽団による素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代の演奏の凄さを満喫することが可能な名CDである。

ドビュッシーの交響詩「海」、牧神の午後への前奏曲に、ラヴェルのボレロという組み合わせは、まさにカラヤンが深い愛着を有した楽曲であるとともに、十八番としていた楽曲である。

カラヤンは、こうしたお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したことで知られているが、交響詩「海」については、フィルハーモニア管弦楽団との演奏(1953年)のほか、ベルリン・フィルとともに1964年、1977年(本盤)、1985年の4種類の録音、牧神の午後への前奏曲については、ベルリン・フィルとともに1964年、1977年(本盤)、1985年の3種類の録音(フルートソロはいずれもツェラーであるが、何故にカラヤンがツェラーに拘ったのかは興味深いところだ)、ラヴェルのボレロについては、ベルリン・フィルとともに1966年、1977年(本盤)、1986年の3種類の録音を遺している。

そして、これら複数の録音がそれぞれの楽曲にある中で、3曲ともにカラヤンの個性が全開のベストの名演は、紛れもなく本盤に収められた1977年の演奏である。

というのも、この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は全盛期を迎えるとともに、この黄金コンビが蜜月状態にあったからだ。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックと美音を振り撒く木管楽器群、雷鳴のようなティンパニなどが融合し、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した圧倒的な音のドラマとも言うべき演奏の数々を行っていた。

カラヤンは、流麗なレガートを施すことによって曲想を徹底して磨き抜いており、こうして磨き抜かれたベルリン・フィルの美しい音色は、いわゆるカラヤン・サウンドとも称されていた。

本盤の3曲の演奏においても、こうしたカラヤン・サウンドに満たされており、いわゆる音のドラマという観点からすれば、本盤に収められた3曲の演奏は、それぞれの楽曲の演奏史上でも最高の超名演と評価したい。

とりわけ、牧神の午後への前奏曲については、その官能的な内容から、一部の識者からは、フランスにおける「トリスタンとイゾルデ」と称されている傑作である。

そして、カラヤンの演奏ほどに、フランスにおける「トリスタンとイゾルデ」を感じさせてくれる演奏は他に存在しないのではないかと感じられる。

いずれにしても、本演奏は、生涯にわたって、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を愛し続けた(録音運には恵まれなかった)カラヤンならではの、ドイツ風の重厚な音色の中にも、同曲が有する官能性を極限に至るまで描き抜いた至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。

ツェラーによるジャーマンフルートの音色も抗し難い美しさに満ち溢れている。

音質については、従来CD盤が今一つ冴えない音質であり、しかも長らくリマスタリングなどもなされないという嘆かわしい状況にあったところだ。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルによる全盛期の圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)カラヤンドビュッシー 

2013年10月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ディーリアスのチェロ協奏曲は知る人ぞ知る名作であるが、同曲の録音は殆ど存在していない。

最近発売されたポール・ワトキンスがチェロ演奏をつとめたアンドリュー・デイヴィス&BBC交響楽団による演奏は、マルチチャンネル付きのSACDという極上の高音質も相まって、素晴らしい名演に仕上がっていたところであり、同曲の真価を広く知らしめる意味でも大変意義のある名CDであった。

もっとも、かかる名演の登場にもかかわらず、今なおその存在価値を失わないだけでなく、同曲の演奏史上最高の超名演こそは、本盤に収められたデュ・プレによる演奏である。

同曲は、英国の詩情溢れる情感豊かな作品であるが、デュ・プレの心の込め方には尋常ならざるものがある。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような心を込め抜いたチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロを鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものであり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

かかるデュ・プレの素晴らしいチェロ演奏を下支えしたサージェント&ロイヤル・フィルもイギリスの詩情に満ち溢れた素晴らしい演奏を展開していると評価したい。

併録の「告別の歌」や「夜明け前の歌」も極上の美を誇る名演であり、まさに、チェロ協奏曲ともども英国の詩情ここに極まれりと言っても過言ではあるまい。

ロイヤル・コーラル・ソサエティも最高のパフォーマンスを誇っていると評価したい。

音質は、1965年のEMIによるスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えないものであったが、数年前にエルガーのチェロ協奏曲とのカップリングでHQCD化された(告別の歌及び夜明け前の歌はカップリングされていない)ことによって、音場が広がるとともに音質もかなり鮮明に改善されたところだ。

したがって、筆者としても、これまではHQCD盤を愛聴してきたところであるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

HQCD盤などの従来盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

デュ・プレのチェロの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、デュ・プレ、そしてサージェント&ロイヤル・フィルによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:53コメント(0)トラックバック(0)デュ・プレ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが1967年にスタジオ録音したハイドンのチェロ協奏曲第1番と、ボッケリーニのチェロ協奏曲が収められている。

いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲の緩徐楽章などにおける繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックの指揮をつとめるのは、夫君のバレンボイムとその統率下にあったイギリス室内管弦楽団である。

バレンボイムは、モーツァルトのピアノ協奏曲などにおいても名コンビぶりを見せたイギリス室内管弦楽団を巧みにドライブして、気心の知れたデュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、見事な名演を繰り広げているのが素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:17コメント(0)トラックバック(0)デュ・プレバレンボイム 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫君であるバレンボイムとともに1971年及び1972年に行った最後のスタジオ録音であるショパンのチェロ・ソナタと、フランクの有名なヴァイオリン・ソナタをチェロ用に編曲したチェロ・ソナタが収められている。

既に、多発性硬化症という不治の難病を発症したデュ・プレによる最後の録音でもあり、そうした点だけに絞って考えても歴史的な超名演と言える存在だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレは、さすがに多発性硬化症を発症しただけあって、それまでのデュ・プレのような体当たりの渾身の演奏までは行っているとは言い難い。

しかしながら、内なる気迫という意味においては、いささかも引けを取っておらず、演奏全体に漲っている何とも言えない凄みは、とても女流チェリストなどによる演奏とは思えないほどである。

本演奏の後は、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような凄みのあるチェロ演奏は、今後の自らの悲劇的な運命を前にした、何かに取り憑かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、本演奏全体に漲っている内なる気迫や凄み、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分である。

それでいて、両曲には、人生の諦観を思わせるような寂寥感、深遠な抒情などが込められているが、デュ・プレは、そうした箇所における各旋律の繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックのピアノ演奏をつとめるのは夫君であるバレンボイムであるが、本演奏においては、デュ・プレのチェロ演奏をしっかりと引きたてるとともに、一緒になって両曲の奥深い情感の世界を見事に描出するのに成功している点を評価したい。

音質については、1971年及び1972年のスタジオ録音であるが、従来CD盤は今一つ冴えない音質であったところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

デュ・プレのチェロ演奏の弓使いやバレンボイムのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、デュ・プレ、そしてバレンボイムによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)デュ・プレバレンボイム 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ