2013年11月

2013年11月30日


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バーンスタインは、その晩年にウィーン・フィルとともにモーツァルトの主要な交響曲集のライヴ録音を行ったところであり、本盤に収められた交響曲第40番及び第41番はその抜粋である。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏もかなり行われていたように思われる。

本盤の演奏においても、ゆったりとしたテンポによる熱き情感に満ち溢れた濃厚さは健在であり、例えば、これらの楽曲におけるワルターやベームの名演などと比較すると、いささか表情過多に過ぎるとも言えるところだ。

もっとも、オーケストラがウィーン・フィルであることが、前述のような大仰な演奏に陥ることを救っていると言えるところであり、いささか濃厚に過ぎるとも言えるバーンスタインによる本演奏に、適度の潤いと奥行きを与えている点を忘れてはならない。

近年のモーツァルトの交響曲演奏においては、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した小編成のオーケストラによる演奏が主流となりつつある。

そうした軽妙浮薄な演奏に辟易としている中で本演奏を聴くと、本演奏には血の通った温かい人間味を感じることが可能であり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、近年の血の通っていない浅薄な演奏が目白押しの中にあってその存在意義は極めて大きいものであり、モーツァルトの交響曲の真の魅力を心行くまで堪能させてくれる人間味に溢れた素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は従来盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが、音質がより鮮明になるとともに、音場がより幅広くなったように思われる。

いずれにしても、バーンスタイン、そしてウィーン・フィルによる名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

そして、バーンスタインがウィーン・フィルとともに晩年に録音した他のモーツァルトの交響曲(第25番、第29番、第35番、第36番、第38番、第39番)やクラリネット協奏曲の演奏についてもSHM−CD化していただくとともに、可能であれば、本盤も含め、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を切にお願いしておきたい。

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これは素晴らしい超名演だ。

このうち、ラプソディ・イン・ブルーについてはバーンスタインによる旧盤(1958年)との優劣を比較することは困難を極めるが、それ以外の諸曲については、それぞれの楽曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、途轍もない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。

本盤に収められた楽曲はいずれも米国の作曲家によるものであり、それだけにバーンスタインの晩年の芸風がいずれもプラスに作用していると言えるのではないだろうか。

バーンスタインがピアノも受け持つガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーについては、活気に富みノリの良さが快い超名演であった旧盤(1958年)と比較すると、テンポが遅くなるとともに濃厚な表情づけがなされているが、同曲特有の軽快なリズム感においてはいささかも損なっておらず、いい意味での円熟の名演に仕上がっていると言えるところであり、旧盤との優劣は容易にはつけられないのではないかと考えられる。

「ウェスト・サイド・ストーリー」〜シンフォニック・ダンスについては、バーンスタインとしても自家薬篭中の作品であり、、ジャジィな魅力と場面に応じた巧みな描写が印象的であり、あたかも水を得た魚のような生命力溢れる力強さと濃厚な表情づけがうまくミックスされた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

混声合唱、児童独唱と管弦楽のための「チチェスター詩篇」には合唱陣の記載がないが、思い入れの深い力演である。

その演奏の彫りの深さなどを考慮すれば、今後ともこれ以上の演奏を成し遂げるのは困難を極めると言えるだろう。

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2013年11月29日


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本盤にはビゼーの「アルルの女」組曲と「カルメン」組曲が収められている。

本盤の演奏は、カラヤンがこれらビゼーの2大有名管弦楽曲を手兵ベルリン・フィルとともに行った演奏としては、1970年盤に続いて2度目のスタジオ録音ということになる。

本演奏は、一般的な意味においては、十分に名演の名に値すると言えるであろう。

もっとも、1970年の演奏があまりにも素晴らしい超名演であったため、当該演奏と比較すると本盤の演奏はいささか落ちるということについて先ずは指摘をしておかなければならない。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代、そして1970年代というのが一般的な見方であると考えられるところだ。

この黄金コンビによる同時期の演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そして雷鳴のようなティンパニの轟きなどが鉄壁のアンサンブルの下に一体化した完全無欠の凄みのある演奏を繰り広げていた。

そして、カラヤンは、ベルリン・フィルのかかる豪演に流麗なレガートが施すことによって、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

しかしながら、1982年にザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係には修復不可能なまでの亀裂が生じ、この黄金コンビによる演奏にもかつてのような輝きが一部の演奏を除いて殆ど聴くことができなくなってしまった。

本盤に収められた演奏は1982〜1984年にかけてのものであり、これは両者の関係が最悪の一途を辿っていた時期でもある。

加えてカラヤン自身の健康悪化もあって、本盤の演奏においても、いささか不自然なテンポ設定や重々しさを感じさせるなど、統率力の低下が顕著にあらわれていると言えなくもないところだ。

したがって、カラヤンによるこれらの楽曲の演奏を聴くのであれば、前述のようにダントツの超名演である1970年盤の方を採るべきであると考える。

もっとも、本演奏においては、とりわけ緩徐箇所における情感豊かな旋律の歌わせ方などにおいて、晩年のカラヤンならではの味わい深さがあると言えるところだ。

そして、管弦楽曲の小品の演奏におけるカラヤンの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さにおいては、本演奏においてもいささかも衰えが見られないところであり、総じて本演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

カラヤンによる名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年11月28日


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これは素晴らしい名演だ。

マタチッチはNHK交響楽団の名誉指揮者として何度も来日を行うなど、我が国にとっても特に親しみ深い指揮者と言えるが、マタチッチの芸風に最も符号した楽曲は、ブルックナーの交響曲であったのではないかと考えられるところだ。

昨年、XRCD盤で発売されたNHK交響楽団との第8番(1984年)など、既に神格化されている名演奏なども数多く成し遂げられているが、オーケストラの技量なども含め、最も優れたマタチッチによるブルックナーの交響曲の名演を掲げるということになれば、筆者としては、本盤に収められたチェコ・フィルとの交響曲第7番を躊躇なく第一に掲げたい。

演奏・録音は1967年であり、これはいまだブルックナーの交響曲がポピュラリティを獲得していない時代のもの。

ヴァントや朝比奈が至高の超名演を成し遂げるのもかなり後のことであり、ブルックナーの演奏様式そのものがいまだ確立していない時期の演奏とも言えるだろう。

そのような時代にあって、マタチッチがこれだけの、そして現代においてもいささかも古臭さ、時代遅れを感じさせない圧倒的な名演奏を行ったこと自体が驚異的であり、これにはマタチッチの類稀なる才能とともに、ブルックナーの交響曲との抜群の相性の良さを感じることが可能である。

本演奏の中でも文句なしに素晴らしいのは第1楽章と第2楽章であると言えるだろう。

悠揚迫らぬインテンポを基調としつつ、情感のこもった歌心溢れる音楽が滔々と流れている。

スケールも雄大であり、演奏全体の造型も堅固。

とりわけ、第2楽章の崇高な美しさには神々しささえ感じられるところであり、この第1楽章及び第2楽章に関しては、後年のヴァントや朝比奈の数々の至高の名演にも比肩し得る圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。

もっとも、第3楽章や第4楽章になると、これは第5番などにおいてより顕著になってくるが、アッチェレランドなどを施すなどテンポの振幅を駆使してドラマティックな表現を行っており、いささか芝居がかったような演奏と言えなくもないところである。

第1楽章及び第2楽章があまりにも素晴らしいだけに、いささか残念であるが、それでも演奏全体として名演との評価に揺らぎがないのは、マタチッチがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからに他ならない。

マタチッチの統率の下、素晴らしい名演奏を展開したチェコ・フィルにも大きな拍手を送りたい。

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2013年11月27日


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往年の2大女流ピアニストの超貴重演奏を収録した好企画ディスクで、女帝エリー・ナイと若きべームによるベートーヴェン『皇帝』、日本でも絶大な人気を誇った、モーツァルト、シューベルト弾きとして名高いリリー・クラウスによるベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番というカップリングでの登場だ。

輸入盤で一連の録音が発売され、近年注目を浴びている名女流ピアニストのエリー・ナイはその活躍の割には録音が少ない部類であるが、ベートーヴェン『皇帝』のナイの貴重な演奏を堪能することができる。

まず出だしのカデンツァからして豪快な弾きっぷりに驚かされる。

まだ若いべームがついていくのがやっとのように、自由奔放、自己流の『皇帝』なので、現代のピアニストが聴いたら少し呆然とするかもしれない。

ペダルは踏みっぱなし、多少のミスもお構いなし、「私はエリー・ナイよ!」と音が言っているかの如く、皇帝ならぬ女帝ぶりが聴いていて大変面白いところだ。

べームも若いといいながらも既にウィーン・フィルをバックにナイに挑んでいる事を考えれば、当時は中堅でのその実力を認められていた存在だったにも関わらず、完全に主導権はナイが握っていると言える。

一説によると、この演奏はマグネトフォン録音だったとも言われ、確かに当時としては録音は良い方であり、ナイのピアノの音の強弱・表情付けは非常によくわかるのだが、マイクの場所が制限されていたのか、オケについては弦楽器が強く、木管、金管はやや遠めに聴こえ、鋭いがキンキンした音ではないのが幸いして迫力は十二分に伝わるものである。

もう一人の名女流ピアニストは、日本でも人気が高いリリー・クラウス。

クラウスといえばモーツァルト、シューベルトといった録音が知られ、その演奏についての評価も高く、評論家宇野功芳氏も愛してやまないピアニストだ。

そのクラウスのベートーヴェンの第30番の演奏を聴いてまた驚いた。

第30番の内容は変奏曲風で、下手なピアニストの演奏では退屈極まりない駄曲になってしまいがちなのであるが、クラウスの紡ぎ出す一音一音が非常に清楚でチャーミングで、力強さの中に見せるベートーヴェン後期の柔らかい楽想が良くわかる演奏と言える。

個性豊かな2人の名女流ピアニストによる、珠玉のベートーヴェンを是非この機会に聴いてみて欲しい。

両曲ともLPからの復刻の為、それに伴うノイズ、歪みなどがあるが、観賞の妨げになるほどではない。

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2013年11月26日


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いわゆるショパン弾きと称されているピア二ストは数多くいるが、その中でも、フランソワは最も個性的な解釈を披露したピアニストの一人ではないかと思う。

本盤に収められた楽曲においても、実に自由奔放な弾きぶりで、自らの感性のみを頼りにして、即興的とも評されるようなファンタジー溢れる個性的な演奏を行っている。

したがって、このあくの強いアプローチに対しては、弾き手によっては抵抗を感ずる人もいることと思うが、少なくとも、テクニックのみを全面に打ち出した表層的な演奏よりは、よほど味わい深い演奏ではないだろうか。

もちろん、フランソワのテクニックが劣っていたというわけではない。

バラードもスケルツォも、いずれもショパンが作曲した数多くのピアノ曲の中でも難曲の部類に入るものであり、フランソワも、このような難曲を弾きこなす技量は兼ね備えていたというのは当然の前提だ。

ただ、その技量を売りにするのではなく、楽曲の魅力を自らの感性のみを頼りにして、ストレートに表現しようという真摯な姿勢が、我々聴き手の深い感動を誘うのだと考える。

もっとも、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭ないことから、聴き手によっては、前述のようにそのあくの強さに抵抗を覚える人もいると思うが、フランソワの魔術にひとたびはまってしまうと、やみつきになってしまうような独特の魔力を湛えている。

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2013年11月25日


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アシュケナージは、我が国ではNHK交響楽団の音楽監督をつとめるなど御馴染みの存在であるが、識者の評価については必ずしも芳しいとは言い難いものがある。

これには、筆者の音楽仲間も含め、とある高名な音楽評論家がことある毎にアシュケナージを貶していることによるところが大きいと言えるが、果たしてアシュケナージはそこまで貶められなければならない指揮者(ピアニスト)と言えるのであろうか。

とある高名な音楽評論家の批評には、殆ど悪意さえ感じさせられるが、少なくとも、ラフマニノフは他の指揮者(ピアニスト)の追随を許さない名演を成し遂げてきているし、そして本盤に収められたプロコフィエフなどのロシア音楽については、そのすべてが名演とは言えないまでも、常に水準以上の演奏を聴かせてくれると言えるのではないだろうか。

アシュケナージは、現在の手兵であるシドニー交響楽団とともに、既にプロコフィエフの交響曲第1番&第5番、そしてピアノ協奏曲全集などを録音しており、それらはいずれもなかなかに優れた演奏と言えるところである。

とりわけ、ピアノ協奏曲全集については、素晴らしい名演と筆者としては高く評価しているところだ。

本盤に収められたプロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」は、久々に登場したアシュケナージ&シドニー交響楽団による演奏であるが、素晴らしい名演だ。

このコンビが漸くいい状態になってきたことの証左とも言うべき演奏とも言えるだろう。

同曲については、かつては全曲盤があまり多くなく、マゼール&クリーヴランド管弦楽団の名演などが掲げられる程度であったが、近年では、全曲盤が数多く録音されるようになるなど、人気が高まってきている。

アシュケナージも、そうした人気上昇の潮流にのって録音したものと想定されるが、そうした近年の名演の中にあっても、いささかも存在価値を失わないだけのレベルの高さを有している。

何か聴き手を驚かすような奇抜な解釈を施したりすることはなく、いささかも奇を衒わないオーソドックスとも言うべきアプローチで一貫しているが、テンポの振幅などを効果的に駆使して各曲を巧みに描き分け、まさにいい意味で聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを発揮していると言えるだろう。

シドニー交響楽団も、アシュケナージの薫陶の下、見事なアンサンブルをベースとした好演を行っており、アシュケナージの指揮と一体となって持ち得る実力を最大限に出し尽くした最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

いずれにしても、本盤の演奏は、アシュケナージ&シドニー交響楽団の素晴らしいコンビぶりを窺い知ることが可能な素晴らしい名演である。

音質がこれまた実に素晴らしい。

エクストンも今やシドニー・オペラハウスの絶好の録音ポイントを獲得するに至ったと言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤はSACDによる素晴らしく良好にして鮮明な高音質であり、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2013年11月24日


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きわめて個性的な指揮法から、端正ながらも巧みな音楽作りを得意としたヤコフ・クライツベルクが、2003年から音楽監督をしていたオランダ・フィルハーモニー管弦楽団を振ったフランス音楽集。

フルートが活躍する作品を選んだようで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」やラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲やフォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲などが収められている。

「ボレロ」以外は比較的穏やかな音楽を選曲しているが、どの曲もクライツベルクが、北ヨーロッパのオーケストラならではのややくすんだ音色で、フランス風のエスプリに満ち溢れた演奏というよりも、むしろがっしりとしたゆるぎない造型の下、ドイツ音楽風の渋く、かつ重厚な演奏を繰り広げている。

ロシアの指揮者がフランス物というと、どうも色眼鏡で見られてしまうようであるが、もともと本場物というものを余り信用しない筆者は、クライツベルク生前の来日公演の評判がよかったこともあって、興味を持っていたのだ。

そしてその結果はまさに筆者好みでとてもうれしく思った。

したがって、フランス音楽としてはやや異色の演奏とも言えるが、筆者としては、クライツベルクのドイツ音楽風の個性的なアプローチには、新鮮な魅力を大いに感じる。

全く聴いていて安心感のある運びで、エキセントリックなことをやって話題を攫おうなどという山っ気はない本格派の演奏で、こうした演奏でこそこうした作品は生きてくるのだと思う。

しかしクライツベルクは、2011年3月15日、長年治療していた癌の容態が急変し、モナコ公国のモンテカルロにて51歳という若さで死去してしまった。

兄であるセミヨン・ビシュコフのその時の心境はいかばかりであっただろうか。

だからこそ尚更、早世したクライツベルクによる素晴らしい遺産を、SACDによる極上の高音質で味わうことができる喜びを大いに噛み締めたい。

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2013年11月23日


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1980年、ベーム&ウィーン・フィルの最後の来日演奏会となったもので、老大家ベームのエネルギーが最後に最も激しく燃焼した瞬間の記録と言えよう。

名指揮者カール・べーム[1894−1981]は、1963年、75年、77年、そして死の前年となる80年と、生涯に4度の来日を果たした、いわば親日家だった。

大変良質な音質で聴くことができるこのディスクに収められた1980年10月6日の演奏会は、ウィーン国立歌劇場引越し公演のさなかに1度だけ組まれたウィーン・フィル演奏会で、会場となった昭和女子大人見記念講堂の「こけら落とし」でもあった。

ベームは86歳、高齢のため、椅子に座っての指揮だった(筆者もNHKの放送を見た)。

しかし、ゆったりととられたテンポの中に刻みこまれたみずみずしく音楽が立ち上がる瞬間の数々は、やはり至高の芸風を伝える孤高の「職人」の趣きをずっしりとした重みで伝えてくれるものだ。

それ故、演奏は実に立派。

今やこんなに立派で、堂々たる造形感を貫いたベートーヴェンは貴重なものであり、 偉大なる老巨匠の芸術である。

クラリネットのオッテンザマーも「忘れられないコンサート」と語り、全篇悠揚迫らぬテンポで、例えば第7番の第3楽章のトリオなど、チェリビダッケ顔負けの極限のスローテンポ。

それを見事にもちこたえ美音を奏でるウィーン・フィルもさすが。

終楽章も耐えに耐えて大爆発し、聴後には純音楽的カタルシスが待っている。

第2番も掛け値なしの名演。

表面的な条件を超えて最晩年の芸術家の営為が投影された一場のドキュメントであり、現在のベームの聴き手にはもちろんのこと、会場で、あるいはTVやFMでその演奏に触れた愛好家には、感慨深い特別な1枚となることであろう。

音質もNHK録音だけあって大変優秀で、ベーム最期の日本公演を見事に捉えきっている。

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2013年11月22日


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キーシン初のピアノ・ソロと指揮者を兼任した録音で、キーシンの確かな円熟を感じさせる名演だ。

ありきたりな表現だが、強靭な打鍵と鍛え上げたテクニックに、演奏家のセンスの良い意思を強く感じさせる緩急、強弱が加わった名演。

第20番にも第27番にも言えることであるが、キーシンは、実に精緻で丁寧な表現を心がけているように思う。

キーシンにとって初となる弾き振りだけに、慎重になったということもあるのだろう。

クレーメルとの競演で名をあげているクレメラータ・バルティカも、キーシンの指揮の下、ある種の静けささえ感じさせるような落ち着いた演奏を行っている。

しかしながら、キーシンは必ずしも安全運転だけに終始はしていない。

彼は力強くも、濁りのない凛とした音色で進んでいく。

決然として迷いのない独白を聴くかのようだ。

時折見せる力強い打鍵や、モーツァルトの音楽特有の高貴にして優美かつ繊細な抒情の表現にもいささかの不足はない。

要は、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏を行っていると言える。

キーシンも、40歳に差し掛かろうとしており、神童と言われ、どのような弾き方も許される時代はとうに過ぎ去ったと言えるが、本名演を耳にして、キーシンも、更なる芸術家としての高みに向けて、確かな一歩を踏み出していることを大いに確信した次第である。

モーツァルトの大傑作にまた一枚名盤が加わったことを大いに喜びたい。

数年前に発売された第24番も名演であったが、残るナンバーである第21〜23番や第25、第26番も、ぜひとも、本盤で見せた円熟のキーシンの至芸で聴いてみたいと思う。

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2013年11月21日


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カラヤン&ウィーン・フィルが英デッカに1950〜60年代に録音した演奏には、後年にベルリン・フィルと行った演奏とは違った独特の魅力がある。

その理由の第一は、健康不安があまり囁かれていないカラヤンの壮年期の録音であるということ。

いずれも、壮年期のカラヤンならでは力強い演奏で、圧倒的な生命力が漲っている。

第二は、英デッカならではの鮮明な録音。

どの盤も、ブリリアントで鮮明な音質に仕上がっている。

本盤に収められたベートーヴェンの「第7」は、カラヤンが得意とした曲の一つであるが、重厚で圧倒的な迫力を全面に出した名演である。

また、端正・優美な中にも至る所にカラヤンの主張が示された演奏だ。

隋所にカラヤンの代名詞と言うべき柔和なレガートが効果的に使われ、ウィーン・フィルの美演も相俟って、重厚さと優美さを兼ね備えた独特の魅力を持つ演奏に仕上がっている。

個人的には、迫力という点において、1970年代のライヴであるパレクサ盤を最上位に置きたいが、当該盤の存在によって本盤の魅力がいささかも減じるものではない。

他方、ブラームスの「第3」も、演奏の性格はベートーヴェンの場合と同様であるが、特に、第2楽章や第3楽章の美しさは、このコンビならではのもので、あらためて、両者の相性の良さを認識することが出来た。

両曲とも後年の表現ほど造形的に完成されていないが、カラヤンの最も精力的な時代の演奏という印象が強い。

ウィーン・フィルのアンサンブルのうまさも、ちょっとした聴きものだ。

SHM−CD化により、音質も相当に向上が図られている。

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2013年11月20日


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凄い演奏だ。

スヴェトラーノフの『ローマ三部作』と言えば、爆演とも評されたソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)との1980年盤があり、それは、スヴェトラーノフならではの重厚でパワフルに押し切るという重量級の演奏であった。

当該盤の約20年後の本演奏においては、そうした重量級の芸風を保ちつつも、テンポがよりゆったりとしたものとなるとともに、表現力の幅が非常に広くなり、音楽全体のスケールが雄大になった点を高く評価したい。

《ローマの噴水》は、「夜明けのジュリアの谷の噴水」の繊細で情感豊かな音楽を聴いていると、スヴェトラーノフも最晩年になって大人しくなったのではないかと思ってしまいがちであるが、「昼のトレヴィの噴水」でそうした思いは早速撤回を余儀なくされる。

ここでの凄まじい大音響は、あたかもあたり一面が大洪水になったかのような圧巻の迫力だ。

《ローマの祭り》は、まさにスヴェトラーノフの独壇場。

「チルチェンセス」はゆったりとしたテンポによる粘着質の音楽であるが、猛獣の唸り声を模した金管楽器の咆哮は凄まじいの一言。

他の指揮者による演奏では、終結部において猛烈なアッチェレランドをかけるのが常であるが、スヴェトラーノフは堂々たるインテンポで大音響を炸裂させ、阿鼻叫喚の世界を構築する。

「五十年祭」のテンポはさらに遅く、トゥッティにおけるトランペットの耳をつんざくような音色は強烈そのもの。

超スローテンポと相俟って、あたかも巨大な壁画を思わせるような壮大な音響世界の構築に成功している。

「主顕祭」は、スヴェトラーノフ節全開。

堂々たるゆったりとしたインテンポで、すべての楽器を力の限り咆哮させており、狂喜乱舞とも言うべき圧倒的な熱狂の下に全曲を締めくくっている。

《ローマの松》も、「ボルジア荘の松」のゆったりとしたテンポによる粘着質の音楽からしてユニークであるが、凄いのは「アッピア街道の松」。

あたかも旧ソヴィエト軍の示威進軍のような圧巻の迫力を誇っており、特に終結部のいつ終わるとも知れない強引さには、完全にノックアウトされてしまった。

いずれにせよ、本演奏は、過去の『ローマ三部作』の名演とは一味もふた味も異なる異色の演奏とは言えるが、聴き終えた後の充足感においては、過去の名演に一歩も引けを取っていない。

スヴェトラーノフの個性的な指揮の下、スウェーデン放送交響楽団も一糸乱れぬアンサンブルで最高のパフォーマンスを示している点も高く評価したい。

録音も鮮明で文句のつけようのない素晴らしさだ。

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2013年11月19日


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小澤征爾指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による、2002年1月1日にウィーン・ムジークフェラインザールで行われたニューイヤー・コンサートの模様を完全収録した2枚組ライヴ盤。

小澤征爾が日本人、いやアジア人として初めて、60余年の歴史を誇る伝統のニューイヤー・コンサートに登場した記念碑的な佳演である。

ハプスブルク王朝時代からの伝統文化を継承する世界最高のオーケストラ、ウィーン・フィルは、ユーロ通貨開始の国際的記念の年に、ヨーロッパを代表し、三顧の礼をもってアジアの偉大なマエストロを迎え入れたのである。

この録音はその歴史的なドキュメントでもある。

この重大な演奏会にあたって小澤は普段にも増して綿密な準備で臨み、ウィーン・フィル楽員もそれに最高の演奏で応えている。

小澤は、決してウィンナ・ワルツを得意とする指揮者とは思えないが、ここでは、相性のいいウィーン・フィルを巧みにドライブして、気品のある優雅な円舞曲の饗宴を演出している。

「こうもり」序曲でのロザムンデのアリアの哀愁のメロディでの滴り落ちるような美音、「悪魔のダンス」でのたたみかけるようなエネルギッシュな迫力、「ウィーン気質」での弧を描き、弓がしなるような独特の緩急自在なリズム、「チック・タック・ポルカ」での息を呑むスピード感、そして「美しく青きドナウ」で微妙に甘く漂う葡萄酒のような芳香、「ラデツキー行進曲」での小澤ならではの楽しさいっぱいの和やかさ、すべてが素晴らしい。

多くの批評家も同様の見解を示しているようであるが、これらの中で最も小澤らしい名演は、初登場の「悪魔のダンス」ということになろう。

ブラボー入りの熱狂的な拍手もなるほどと思わせるほどの、圧倒的な迫力である。

それにしても、小澤の全身から発される生命力のオーラは本当に凄い。

人種も文化の違いも越えて、誰もが魅惑されてしまう。

ウィーンで小澤が聴衆にも音楽家たちにも絶大な人気を誇るのは当然だろう。

この演奏全体で特に感じられたのは、音楽全体に「愛と幸福のしるし」が満ち満ちていることである。

困難と不安のなかで迎えた2002年の冒頭にあたって、「これから再び明るい時代がきっとやってきます! 希望に満ちたいい年になりますように!」という熱くポジティヴなメッセージがここで発信されたことの精神的意味はとても大きかったのかもしれない。

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classicalmusic at 21:46コメント(0)トラックバック(0)小澤 征爾シュトラウス 

2013年11月18日


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『ボリス・ゴドノフ』は、ロシア(ソヴィエト時代を含め)史上最高のオペラである。

同時代の傑作には、チャイコフスキーの『エフゲニーオネーギン』などもあるが、史実を軸としつつも、そこに、帝政ロシア末期の社会矛盾を如実に反映させた内容の深さにおいて、『ボリス・ゴドノフ』をトップの座に据えることに何ら躊躇するものではない。

これだけの傑作だけに、ロシア系の指揮者だけでなく、カラヤンやアバドなどの大指揮者によっても数々の録音がなされてきた。

ロシア系の指揮者では、ゲルギエフの名演も記憶に新しい。

しかし、指揮者の統率力やオーケストラの巧さ、合唱陣や独唱陣の名唱、そして英デッカの極上の録音を加味すれば、カラヤン盤こそ、『ボリス・ゴドノフ』の最高の名盤と言っても過言ではあるまい。

そしてここに紹介するディスクは、英デッカ盤から4年前に行われたザルツブルク音楽祭でのライヴ録音である。

最近では評判の良くないR・コルサコフ版を使用しているが、名演奏の前に版は殆ど問題にならない。

プロローグや第4楽章の冒頭、そして第3場の、カラヤンが本場ザグレブからわざわざ呼び寄せたクロアチア国立オペラ合唱団を駆使した重厚な実在感のある響きは最高だし、第2楽章のボリスの苦しい独白、第3楽章のマリーナとグリゴリーの愛のかけあい、そして第4楽章第2場のボリスの死の場面の苦悩などの心理面の描き方は実にすばらしく、オペラを得意としたカラヤンならではの至芸と言うべきだろう。

カラヤンにとっても決してなじみではなかった東欧諸国の名歌手に、これだけの名唱をさせたカラヤンの超絶的な統率力、そして、ウィーン・フィルのこれ以上は求め得ないような好演にも拍手を送りたい。

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classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0)ムソルグスキーカラヤン 

2013年11月17日


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1992年8月20日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールでのライヴ録音。

演奏、録音ともに揃った素晴らしいディスクで、テンシュテットの真価を味わうことができる超名演である。

かつてNHKで放映された同年のワーグナー・ライヴも超弩級の破格の名演だったが、今回ディスク化された音源も素晴らしい出来映えである。

ここには、テンシュテット最晩年の病魔と闘うという鬼気迫るような凄まじい緊迫感が感じられる。

テンシュテットは例によって異常なハイ・テンションであり、ロンドン・フィルがドイツのオケ顔負けの渾身の力を出して応えている。

テンシュテットの圧倒的な統率の下、うなりあげるような低弦の重量感溢れる迫力やティンパニの雷鳴、天国的な美しさを誇る高弦の囁き、悪魔的な金管の最強奏など、いずれも素晴らしい。

ワーグナーを聴く醍醐味がここにあり、殊にクライマックスでのテンシュテット節炸裂は凄絶。

ワーグナー芸術の持つ祝祭性と官能、陶酔の輪舞がテンシュテットの桁外れの表現力により余すところなく描きつくされている。

インテンポではなく、楽劇(歌劇)全体を意識した緩急自在のテンポ設定や、思い切ったダイナミックレンジの幅の広さが特徴ではあるが、音楽がそうした指揮によって矮小化することなく、スケールの大きさをいささかも損なうことがないのが素晴らしい。

爆演系とのレッテルが貼られがちなテンシュテットだが、大変に実力のある指揮者だからこそここまで演奏ができる、という点が見落とされがちであり、オケのコントロールといい、スコアの読みといい、素晴らしい演奏内容である。

音質も今まで出た正規ライヴ盤の中でも最高級で、音抜け、ティンパニの轟音、シンバルの立体的な響き、そして会場の雰囲気等々CDでもかなり再現できている部類に入るのではないだろうか。

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classicalmusic at 21:33コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーテンシュテット 

2013年11月16日


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録音は今から約5年前のものであるが、素晴らしい名演だ。

ヤルヴィは、手兵ドイツ・カンマーフィルとともにベートーヴェンの交響曲全集の名演を成し遂げているし、仲道郁代は、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集の名演を成し遂げている。

その意味では、両者ともにベートーヴェン演奏に多大なる実績を有するとともに、相当なる自信と確信を持ち合わせて臨んだ録音でもあり、演奏全体にも、そうした自信・確信に裏打ちされたある種の風格が漂っているのを大いに感じさせる。

オーケストラは、いわゆる一部にピリオド楽器を使用した古楽器奏法であり、随所における思い切ったアクセントや強弱の変化にその片鱗を感じさせるが、あざとさを感じさせないのは、ヤルヴィの指揮者としてのセンスの良さや才能、そして芸格の高さの証左と言える。

第1番は、第1楽章冒頭をソフトに開始。

しかしながら、すぐに強靭な力奏に変転するが、この変わり身の俊敏さは、いかにもヤルヴィならではの抜群のセンスの良さと言える。

仲道のピアノも、透明感溢れる美音で応え、オーケストラともどもこれ以上は求め得ない優美さを湛えている。

それでいて、力強さにおいてもいささかも不足もなく、ヤルヴィも無機的になる寸前に至るまでオーケストラを最強奏させているが、力みはいささかも感じさせることはない。

第2楽章は、とにかく美しい情感豊かな音楽が連続するが、ヤルヴィも仲道も、音楽を奏でることの平安な喜びに満ち溢れているかのようだ。

終楽章は一転して、仲道の強靭な打鍵で開始。

ヤルヴィもオーケストラの最強奏で応え、大団円に向かってしゃにむに突き進んでいく。

後半の雷鳴のようなティンパニや終結部の力奏などは圧巻の迫力だ。

それでいて、軽快なリズム感や優美さを損なうことはなく、センス満点のコクのある音楽はここでも健在である。

第2番は、第1楽章冒頭の何という美しさ。

特に、弦楽器のつややかな響きには抗し難い魅力がある。

仲道のピアノも、実に格調高く、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅は著しく広い。

そして、ヤルヴィと仲道の息の合った絶妙なコンビネーションが、至高・至純の音楽を作り出している。

カデンツァの格調高い堂々たるピアニズムは、仲道のベートーヴェン弾きとしての円熟の表れとして高く評価したい。

第2楽章は、第1番の第2楽章と同様に、とにかく美しいとしか言いようがない情感豊かな音楽が連続する。

仲道の落ち着き払ったピアノの透明感溢れる美しい響きには、身も心もとろけてしまいそうだ。

終楽章は、疾風の如きハイスピードだ。

それでいて、オーケストラのアンサンブルにいささかの乱れもなく、仲道の天馬空を行く軽快にして典雅なピアノとの相性も抜群だ。

終結部の若干テンポを落とした終わり方も、センス満点である。

ピアノと管弦楽のためのロンドは、あまり知られていない作品ではあるが、ヤルヴィや仲道の演奏を聴いていると、実に魅力的な作品に変貌する。

両者の相性の良さが演奏全体を支配しており、緩急自在のテンポ設定といい、強弱の思い切った変化といい、ヤルヴィも仲道も、それぞれが自由闊達な表現を行っているのに、音楽全体の造型がいささかも弛緩しないのは驚異的な至芸と言える。

そして、第4番であるが、第1楽章は、これまでの諸曲と異なり、実に巨匠風の重々しさで開始される。

仲道の落ち着き払ったピアノもそうであるし、ヤルヴィの雄渾な指揮ぶりもそうだ。

それでいて、時折聴くことができる仲道の透明感溢れる繊細で美しいピアノタッチが、そうした重々しさをいささかでも緩和し、いい意味でのバランスのとれた演奏に止揚している点も見過ごしてはならない。

第2楽章は、さらに重々しく、あたかもベートーヴェンの心底を抉り出していくような深みは、我々聴き手の肺腑を打つのには十分だ。

そして、終楽章はやや速めのテンポで進行し、これまでの諸曲を凌駕するような圧倒的なダイナミズムと熱狂のうちに、全曲を締めくくるのである。

さらに本盤は、他のSACDでもなかなか聴くことができないような鮮明な極上の超高音質録音である。

しかも、マルチチャンネルが付いているので、音場の拡がりには圧倒的なものがあり、ピアノやオーケストラの位置関係さえもがわかるほどだ。

ピアノの透明感溢れる美麗さといい、オーケストラの美しい響きといい、本盤の価値をきわめて高いレベルに押し上げるのに大きく貢献していると評価したい。

ライナー・ノーツの平野昭氏による解説も素晴らしい。

最近のライナー・ノーツは、経費節減という側面もあるのだろうが、粗悪で内容の薄いものが氾濫している。

その意味では、本盤の平野氏の詳細な演奏内容の分析を加えたライナー・ノーツは、そうした嘆かわしい傾向に一石を投ずるものとして高く評価したい。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンヤルヴィ 

2013年11月15日


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1959年3月19日 ミュンヘンでのライヴ録音。

クナッパーツブッシュには、Archipelレーベルからミュンヘン・フィルとの「第5」のライヴ録音が発売されており、DECCA盤を上回る名演とマニアに大人気の演奏。

個性の強い演奏だが、ブルックナー指揮者として一世を風靡した巨匠だけに、その彫りの深さと、悠然とした音楽の運びは、見事としか言いようがない。

演奏は全体に、ライヴのクナッパーツブッシュならではのアクティヴな音楽の表情、強烈なコントラストと味のあるアゴーギクがたいへんに効果的なもので、第1楽章冒頭のピチカートから、ドスの効いた低音と動的な表情が堪らない。

第3主題も素朴な逞しさと無垢な美しさが並存する見事な演奏であり、絶妙すぎるテンポ・ルバートと共に忘れがたい感銘を与えてくれる。

クナッパーツブッシュが愛好した「シャルク改訂版」による演奏のため、原典版に慣れた耳には驚く個所もいくつかあるが、第4楽章フーガおよび二重フーガにおけるティンパニ追加や、コーダでの賑やかな打楽器追加など、演奏が良いため、むしろ効果的と思える部分も少なくないのが面白いところである。

全曲のクライマックスである第4楽章コーダでのとんでもなく巨大なスケール感と凄まじいエネルギーには、あらためてクナッパーツブッシュの音楽の底知れぬ魔力に呪縛されてしまうこと請け合いだ。

前述したように、金管やティンパニを賑やかに鳴らし放題に鳴らした凄絶な演奏であるが、スタジオ録音と比べ、どちらか一方がクナッパーツブッシュの本質ということは言い切れないと思う。

それ故スタジオ録音で聴かせた優美さとライヴの豪放さのどちらもがクナッパーツブッシュ芸術の真骨頂であることは間違いない。

もしクナッパーツブッシュが後者だけの単純な演奏家であれば、バイロイトの「パルジファル」のような神聖な演奏は不可能であったはずだ。

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classicalmusic at 23:59コメント(0)トラックバック(0)ブルックナークナッパーツブッシュ 

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期待を上回る名演奏。

アルプス交響曲はケンペ、カラヤン、そして、ムラヴィンスキーくらいを手元に置いていていれば充分かなと思っていたが、これも是非持っておくべきCDだと思う。

これは、「クナ」マジックのひとつと言えよう。

神々しいクナのブルックナーは別にして、マジックを感じる「ブラ3」に共感した人は、この演奏に嵌まる可能性は大きい。

特にあの山頂での高揚感は格別だ。

恥じらい気味なオーボエの後、形容を絶する弦と金管の呼応には、聴く者の琴線に触れるものがある。

この部分では、弦の上昇音階が先走らないようにということか、拍を刻むクナの足踏みも聴こえる。

「嵐」 の冒頭におけるトロンボーンの強奏、中間部のオルガンの絶叫は最大の聴きどころだ。

今までアルプス交響曲は、クナの中でそれほど重要なコンサート・プログラムとして紹介されていなかったが、なかなかどうして、この曲における自然に対する畏敬の念のようなものを、今回初めて抱かされた。

「ブラ3」や「ベト8」などとともに クナの十八番のひとつであったに違いない。 

ライヴならではの細かいミスが散見されるが、そんなことはどうでもよくなってしまうほどの名演だ。 

今は聴けない「大時代的」演奏の最良の姿がここにあると言える。

それにしても1952年当時のウィーン・フィルは素晴らしい。

ワルターの「大地の歌」、クラウスの「英雄の生涯」、そしてフルトヴェングラーの「エロイカ」もこの年の録音なのだ。

併録された、1958年録音の「死と変容」も厳粛崇高な凄演だ。

この曲をこれほど神がかり的に表現し、しかも成功した例を筆者はほかに知らない。

両曲の録音は6年の開きがあるが、それはほとんど感じられず、そしてダイナミックレンジの広い大編成オケの曲だが、驚異的な高音質と言える。

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classicalmusic at 22:48コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスクナッパーツブッシュ 

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筆者は過去にこの演奏をHUNTという海賊盤レーベルのCDを聴いていたのであるが、今般ORFEO盤が放送局蔵出しのテープを使用しているということで、購入し、聴いてみたところ、びっくりするほど生々しい音質に改善されていた。

クナッパーツブッシュは残念ながら、ブルックナーの「第9」をスタジオ録音せずに鬼籍に入ってしまった。

それでもやはりブルックナー作品の奥の院である「第9」だけは、一度はクナッパーツブッシュで聴くべきだと信ずるひとりであり、今回、このバイエルン国立管弦楽団を指揮した1958年のライヴ録音によるORFEO盤を聴くに及んで、それは筆者にとって、まさしく確信に近いものとなった。

実際、ブルックナーについて、何かを考え、また、何かを語ろうとする場合、この1958年のバイエルン国立管弦楽団を振ったクナッパーツブッシュのブルックナー「第9」を聴いて、その演奏の凄さに波長が合わない人がいるとしたら、それはもう(ブルックナー・ファンとしての話だが)ダメなんじゃないか、とさえ思いたい位の演奏の巨大さである。

クナッパーツブッシュの指揮するブルックナーには、一見無造作で八方破れのような、開き直った演奏と思わせながら、改訂版の譜面の長所を完璧にわがものとした演奏は、細部まで鋭い目配りが届いていることを常に示している。

練習嫌いで、ぶっつけ本番に近いやり方によるオーケストラ全員の緊張感を演奏の上に反映させることを得意としたクナッパーツブッシュの指揮術は、ブルックナーの交響曲の壮大な造型に実に良くマッチしていた。

そして、ブルックナーの交響曲の演奏が進むにしたがって、クナッパーツブッシュという指揮者の心の内なる音楽感興が、曲想の振幅と共に高潮し、たちまち壮麗をきわめたビジョンの展開となって聴き手の魂を奮い立たせる時、それは圧倒的な姿となって現実化する。

クナッパーツブッシュのブルックナーやワーグナーに傾倒させられ、畏怖を感じるのは、まさにその時である。

この1958年のブルックナー「第9」がそれであり、クナッパーツブッシュの指揮のもと、バイエルン国立管弦楽団の精鋭たちも、このときこそとばかりに全員が奮い立ってブルックナーを奏でているのが聴きとれる。

繰り返すようだが、ハンス・クナッパーツブッシュとは、なんという巨大な指揮者だったのだろう、と思わずにはいられない。

そして、ブルックナーの「第9」だったら、一度は、この演奏を聴いてみなければなるまいと思うのである。

ブルックナーの交響曲とクナッパーツブッシュという指揮者の本質を知るために、である。

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classicalmusic at 21:31コメント(0)トラックバック(0)ブルックナークナッパーツブッシュ 

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1955年12月5日のライヴ録音。

クナッパーツブッシュは同曲を最晩年の1963年にミュンヘン・フィルとステレオでスタジオ録音しているが、この演奏もハンス・リヒターの直弟子として、19世紀のドイツ音楽の偉大な伝統を身をもって伝えるクナッパーツブッシュのブルックナー解釈の真髄とでもいえよう。

クナッパーツブッシュが優れた演奏を聴かせるのはワーグナーとブルックナーだが、それは両者の共通点を彼も持っていたからである。

クナッパーツブッシュのくだんの武骨で頑丈な表現とブルックナーの朴訥きわまりない音楽は実に相性が良く、この相性の中からこそこうした悠揚迫らざる演奏が生まれるのだと思う。

実に明晰で雄大な第8交響曲で、歯切れの良さとスケール感に満ちた超人的な演奏といってよいだろう。

聴き続けているとこちらの身が、何か超時間的、超時限的な雄大さに包み込まれてゆくような感覚さえある。

このところクナッパーツブッシュのブルックナーはいささか人気が下火になっているきらいがあるようだが、熟聴すればするほど、彼が人気やブームの圏外の大存在であることを痛感させられる。

1892年シャルク改訂版を使用しているとはいえ、実質的には原典版とそれほど違わないし、何よりもこの広々としたスケール感と深い味わいはクナッパーツブッシュならでのものだ。

特にこの本拠のバイエルン国立管弦楽団との演奏は、自然体で、しかも際限もなく大きな広がりを持っている。

生前ブルックナーを得意とした指揮者の個性あふれる演奏のひとつであり、感銘深い。

録音も放送局蔵出しのテープによるもので、筆者が過去に聴いていた海賊盤に比べ、驚くほど生々しい音質に改善されている。

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1954年10月11日、ミュンヘンでのライヴ録音。

ブルックナーとワーグナーに定評のあった、巨匠クナッパーツブッシュの演奏だけに、本拠のバイエルン国立管弦楽団を指揮して、乗りに乗った演奏を聴かせる。

確信に満ちた揺るぎない表現で、随所に個性的な表情も見られるが、それがブルックナーの音楽的様式を少しも損ねないところは、さすがクナッパーツブッシュだ。

クナッパーツブッシュに限らず、彼と同時代に活躍した指揮者によるブルックナーの演奏は、ほとんどが音楽の構成と感情のバランスに特徴が見られるが、彼は一見醒めた眼で作品を見つめながら、音楽のロマン的な感情の流れに重点を置いて解釈し、やや遅くほとんど動かないテンポに乗って悠然と進む流れの中から、豊かな感情を浮かび上がらせる。

そのために演奏は大きく起伏し、素朴で男性的なエネルギーに溢れている。

深さのある演奏とは、こうした表現の場合を言うのであろうか。

耳と心とで感じとる以外に説明のしようがない、美しい象徴だけが体をしびれさす。

両端楽章の生気に満ちたダイナミックスや、第2楽章の悠揚とした歌の大きさはまさに巨匠の音楽。

バイエルン国立管弦楽団もそれによく応え、彼らの最善を発揮している。

クナッパーツブッシュとバイエルン国立管弦楽団はブルックナーを心で感じつくしている。

そして、この共感と魂の一致がなかったならば、いかに巧みに計算された演奏でも、ブルックナーは生きた姿として、我々に訴えてこない。

演奏には改訂版を用いているが、これはノヴァーク版とあまり変わらない。

録音状態も良好で、この時代のものとしては驚くほど生々しい音質である。

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1949年8月30日、ザルツブルクでのライヴ録音で、これはLP時代から何度再発されてきたか数えきれないほど有名な録音だ。

クナッパーツブッシュとウィーン・フィルによるこの録音は、それが残されていたことに深く感謝したいかけがえのないディスクである。

というのはクナッパーツブッシュが「ブル7」をスタジオ録音しないまま鬼籍に入ってしまったからである。

クナッパーツブッシュのブルックナーはそのどれもが格別の名演で、この「第7」にも1963年のケルン放送響との録音もあるが、この巨匠の音楽が最良の状態で打ち出されるのは、やはりウィーン・フィルを得た時と考えるのが妥当であろう。

ウィーン・フィルの美しい音色が、クナッパーツブッシュの骨格の太い解釈に豊かな雰囲気をもたらしている。

本盤では改訂版を使用し、なおかつクナッパーツブッシュ独自の解釈を加えた演奏だ。

さすがに雄渾な表現で、感興が泉のごとく湧き出し、ライヴ特有の気迫が凄い。

そしてウィーン・フィルのまろやかでブレンドの良いサウンドで綴られたこの「第7」は、この指揮者ならではの巨大で悠然とした音楽の流れが絶品であるほか、旋律の粘り強いロマン的な表情もが独自の魅力を放っており、辛口の大人の味つけが聴き手を魅了する。

ただ、これはクナッパーツブッシュのひとつの名演だが、全てがユニークであることも、また事実である。

クナッパーツブッシュといえば、「練習嫌い」で有名だが、この演奏に破綻はなく、彼の指揮に付いて行けるウィーン・フィルだからこそできる演奏だと思う。

ウィーン・フィルの往年の響きと相俟って深い感銘を与える一盤である。

1949年のライヴとしては極上といってよい明瞭な音質であることも、演奏の味わいを一層深いものにしている。

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2013年11月14日


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昨今においてますます進境著しいエレーヌ・グリモーであるが、意外にもモーツァルトの楽曲については殆ど録音を行っていない。

ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番を2度も録音していることなどに鑑みれば、実に不思議なことである。

本盤に収められたモーツァルトのピアノ協奏曲第19番及び第23番についても、グリモーによるモーツァルトのピアノ協奏曲初の録音であるのみならず、モーツァルトの楽曲としても、ピアノ・ソナタ第8番の演奏(2010年)以来、2度目の録音ということになる。

ピアノ・ソナタ第8番については、モーツァルトを殆ど演奏していないグリモーだけに、他のピアニストによる演奏とはまるで異なる、いわゆる崩した個性的な演奏を繰り広げていたが、グリモーの心の込め方が尋常ならざるレベルに達しているため、非常に説得力のある名演に仕上がっていた。

それだけに、本盤のピアノ協奏曲においても、前述のピアノ・ソナタ第8番の演奏で聴かれたような超個性的な表現を期待したのであるが、見事に肩透かしを喰わされてしまった。

カデンツァにおける即興性溢れる演奏には、そうした個性の片鱗は感じさせるものの、演奏全体の基本的なアプローチとしては、グリモーはオーソドックスな演奏に徹している。

グリモーのピアノ演奏は、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番を得意のレパートリーとしていることからも窺い知ることができるように、力強い打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の起伏の幅が桁外れに広いスケールの大きさを特徴としている。

とりわけ、力強い打鍵は、男性ピアニスト顔負けの強靭さを誇っているとさえ言えるところである。

ところが、本演奏においては、モーツァルトのピアノ協奏曲だけに、むしろ、楽曲の随所に盛り込まれた繊細な抒情に満ち溢れた名旋律の数々を、女流ピアニストならではの清澄な美しさを保ちつつ心を込めて歌い抜くことに主眼を置いているように思われる。

そして、モーツァルトの楽曲に特有の、各旋律の端々から滲み出してくる独特の寂寥感の描出についてもいささかも不足はない。

加えて、グリモーが素晴らしいのは、これは濃厚な表情づけを行ったピアノ・ソナタ第8番の演奏の場合と同様であるが、感情移入のあまり感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥るということは薬にしたくもなく、どこをとっても格調の高さを失っていない点である。

このように、本盤の演奏は総じてオーソドックスな様相の演奏であるが、前述のような繊細にして清澄な美しさ、そしていささかも格調の高さを失うことがない心の込め方など、グリモーならではの美質も随所に盛り込まれており、バイエルン放送室内管弦楽団による好パフォーマンスも相俟って、まさに珠玉の名演に仕上がっていると高く評価したい。

併録のレチタティーヴォ「どうしてあなたが忘れられるでしょうか?」とアリア「心配しなくともよいのです、愛する人よ」については、グリモーの透明感溢れる美しいピアノ演奏と、モイツァ・エルトマンの美声が相俟った美しさの極みとも言うべき素晴らしい名演だ。

音質についても、2011年のライヴ録音であるとともに、ピアノとの相性抜群のSHM−CD盤での発売であることから、グリモーのピアノタッチがより鮮明に再現されるなど、申し分のないものであると高く評価したい。

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2013年11月13日


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アバドの指揮する独墺系の作曲家による楽曲については、そのすべてが名演とされているわけではないが、その中で、メンデルスゾーンについては、既に録音された演奏のすべてが名演との評価を得ている数少ない作曲家である。

本盤には、アバドが1980年代にロンドン交響楽団とともに録音(1984、1985年)したメンデルスゾーンの交響曲全集・序曲集からの抜粋である。

交響曲第3番「スコットランド」と第4番「イタリア」、そして序曲「フィンガルの洞窟」が収められている。

アバドは、本演奏の約20年前の1967年にも、ロンドン交響楽団とともに交響曲第3番及び第4番を録音(英デッカ)しており、それも当時気鋭の指揮者として人気上昇中であった若きアバドによる快演であったが、本演奏の方が円熟味など様々な点からしてもより素晴らしい名演と言えるだろう。

また、アバドは1995年にも、ベルリン・フィルとともに交響曲第4番をライヴ録音(ソニークラシカル)しており、それは実演ならではの熱気溢れる豪演に仕上がっていることから、第4番に限っては、1995年盤の方をより上位に置きたい。

それはさておき本演奏についてであるが、本演奏の当時のアバドは最も輝いていた時期である。

ベルリン・フィルの芸術監督就任後は、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するアバドではあるが、この時期(1970年代後半から1980年代にかけて)に、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団、そしてウィーン・フィルなどと行った演奏には、音楽をひたすら前に進めていこうとする強靭な気迫と圧倒的な生命力、そして持ち前の豊かな歌謡性が融合した比類のない名演が数多く存在していた。

本盤の演奏においてもそれは健在であり、どこをとっても畳み掛けていくような気迫と力強い生命力に満ち溢れているとともに、メンデルスゾーン一流の美しい旋律の数々を徹底して情感豊かに歌い抜いていて、その瑞々しいまでの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

重厚さにはいささか欠けているきらいがないわけではないが、これだけ楽曲の美しさを堪能させてくれれば文句は言えまい。

併録の序曲「フィンガルの洞窟」も、交響曲と同様のアプローチによる美しさの極みとも言うべき演奏に仕上がっている。

いずれにしても、本盤の演奏は、アバドが指揮した独墺系の音楽の演奏の中では最高峰の一つに位置づけられる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

いずれにしても、アバドによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年11月12日


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本盤は、トスカニーニの類稀なる指揮芸術の至芸を味わうことができる1枚である。

トスカニーニはメンデルスゾーンを敬愛しており、様々な作品の録音を残しているが、「スコットランド」交響曲の録音は1つしかないということで、貴重な遺産である。

そして演奏は聴き手の期待を裏切らない素晴らしい名演であると高く評価したい。

メンデルスゾーンの「スコットランド」は1941年4月5日の古い録音であるが、TESTAMENTの音源はなかなか良い状態で、充分観賞に耐え得るものだ。

全体として、トスカニーニならではの速めのインテンポで進められており、メンデルスゾーンのロマンティックな面にはやや乏しいが、この曲の古典的な色合いを強く押し出した演奏としては傑出している。

第1楽章からトスカニーニならではの濃厚なカンタービレが随所に現れ、徹底的に鍛え抜かれたNBC交響楽団の名人芸も卓越している。

第2楽章は特に後半のダイナミックな盛り上がり方は圧巻であり、相変わらずオーケストラの合奏の充実度も高い。

続く第3楽章はしっとりと、かつ溺れ過ぎない感触の歌い方が見事で、フィナーレは速いテンポでありながら、アンサンブルが整理され、荒々しさよりも古典的な音楽らしい格調と気品が優っているのは注目される。

1945年11月4日に演奏された「フィンガルの洞窟」序曲も大変素晴らしい演奏で、引き締まった推進力のあるアンサンブルは圧巻だ。

シューマンの「第2」は、1887年にトスカニーニが初めてとりあげたシューマン作品でもあり、トスカニーニにとって大変特別な作品であった。

しかし、シューマンはトスカニーニにとって最も縁遠い作曲家ではないだろうか。

詩人の夢想は何処を探してもないが、1941年3月29日に演奏された第2交響曲は熱い気魄が漲った筋肉質の音楽で、己の感性を信じた潔い名演と言える。

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2013年11月11日


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本盤には、チョン・ミュンフン&ウィーン・フィルによるドヴォルザークの交響曲第6番及び第8番が収められている。

このうち、第6番についてはチョン・ミュンフンにとって初めての録音ということになるが、他方、第8番については、エーテボリ交響楽団との演奏(1989年)以来2度目の録音ということになる。

いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

それにしても、この当時のチョン・ミュンフンの演奏は凄かった。

最近では、その芸風に円熟味が加わったものの、やや元気がないチョン・ミュンフンではあるが、1980年代後半から1990年代にかけては、本演奏を含め圧倒的な名演の数々を成し遂げていたと言えるだろう。

本演奏におけるチョン・ミュンフンは、この時期の他の演奏にも共通しているが、ひたすら曲想を前に進めていこうという気迫と、灼熱のように燃え上がる情熱に裏打ちされた圧倒的な生命力に満ち溢れていた。

それ故に、テンポは若干速めのものであるが、それでいて演奏が上滑りになったり、薄味の演奏に陥るということはいささかもなく、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。

また、チョン・ミュンフンは必ずしもインテンポに固執しているわけではない。

一聴すると、音楽はやや速めのテンポでごく自然に滔々と進行していくが、随所においてテンポを微妙に変化させたり、はたまた格調の高さをいささかも損なうことなく個性的な表情づけを行ったりするなど、演奏の密度の濃さには尋常ならざるものがある。

そして、本演奏をさらに魅力的なものにしているのは、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏であると言えるだろう。

チョン・ミュンフンの音楽性豊かな指揮の下、極上の美演を展開したウィーン・フィルに対しても大きな拍手を送りたい。

チョン・ミュンフンは、ウィーン・フィルとともに既にドヴォルザークの交響曲第3番及び第7番の録音(1995年)を行っているが、本演奏以後は録音が途絶えているところである。

本演奏の素晴らしい出来具合などに鑑みれば、チョン・ミュンフンには是非ともウィーン・フィルとともに、ドヴォルザークの交響曲全集を完成させて欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質ではあるが、チョン・ミュンフンによる素晴らしい名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたい。

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2013年11月10日


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まず、シューマンのピアノ協奏曲が濃厚さの極みとも言うべき圧倒的な超名演だ。

おそらくは、同曲をこれほどまでに濃密に描き出した演奏は他に存在していないと言えるのではないだろうか。

コルトーのピアノはとにかく凄いと言うほかはない。

もちろん、凄いと言っても技量などは大したことはない。

それどころか、ライヴ録音ということもあってミスタッチが随所に聴かれるところであり、各種のコンサートで優勝するなどの数々の栄誉を博した現代の超絶的な技量を誇るピアニストからすれば、技術的には箸にも棒にもかからない演奏とも言える。

しかしながら、その表現力の幅の広さ、濃厚さ、そして芸術性の高さにおいては、現代のいかなるピアニストをも寄せ付けない至高の高みに達していると言っても過言ではあるまい。

本演奏においても、正直ここまでやってもいいのかというほどの大胆な表現を駆使しており、変幻自在のテンポ設定や濃厚で心を込め抜いた歌い方など、殆どやりたい放題とも言えるほどだ。

しかしながら、これだけの大胆にして濃厚な表現を行っているにもかかわらず、シューマンの演奏に不可欠な詩情の豊かさ、そして格調の高さをいささかも失っていないというのは驚異的ですらある。

そして、コルトーの大胆にして濃厚なピアニズムをしっかりと下支えしているのが、フリッチャイ&ベルリン放送交響楽団による稀代の名演奏である。

自由奔放とも言えるコルトーのピアノに合わせるのはさぞかし苦労したことは容易に想像できるところであるが、フリッチャイはその苦労をものともせずに、コルトーのピアノをしっかりと引き立てるとともに、ベルリン放送交響楽団を巧みにドライブして、濃厚かつドラマティックな名演奏を展開しているのが素晴らしい。

他方、チャイコフスキーの交響曲第5番も、濃厚な味わいによる渾身の大熱演であると高く評価したい。

晩年の第6番の超名演のような彫りの深さが存在しているとは言い難いところであるが、それでも白血病を発症する前の演奏ということもあって、随所に聴かれる猛烈なアッチェレランドなど思い切ったテンポの変化を駆使して、切れば血が噴き出してくるような気迫と生命力が演奏全体に漲っているのが素晴らしい。

なお、フリッチャイは、チャイコフスキーの交響曲第5番をウィーン交響楽団とともにライヴ録音(1955年)しているが、オーケストラの力量などを総合的に勘案すれば、本演奏の方をより上位に掲げたい。

音質は、1957年のモノラル録音でもあり、音場がいささか広がらないという欠点はあるものの、1950年代のライヴ録音としては比較的良好な音質であると評価したい。

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2013年11月09日


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これは素晴らしい超名演だ。

ショスタコーヴィチの交響曲第4番には、ラトル&バーミンガム市交響楽団による名演(1994年)、チョン・ミュンフン&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1994年)があるが、本演奏もそれらとともに3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

同曲は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも最も大胆極まりない書法で作曲されている。

冒頭の強烈な不協和音による主題の後は、多種多様な旋律が貨物列車のように連続して連なっており、終楽章の終結部において冒頭の主題が再現されるまでは殆ど脈略がないとさえ言えるほどの複雑怪奇な曲想である。

ショスタコーヴィチは、第5番以降の交響曲においては、表向きは旧ソヴィエト連邦政府当局の意向に従って、できるだけ分かり易い作風にするように努めたことから、ある意味では第4番こそは、ショスタコーヴィチが自らの才能の赴くままに自由に作曲することができた交響曲と言えるのかもしれない。

耳をつんざくような不協和音やブラスセクションの咆哮、霧のような弱音による旋律の繊細さなど、目まぐるしく曲想が変化する同曲にショスタコーヴィチが込めたメッセージを汲み取ることは困難ではあるが、スターリンによる大粛清が行われ、ショスタコーヴィチの知人にも処刑の魔の手が迫っていた中で作曲されたことに鑑みれば、死と隣り合わせの粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、そして独裁者スターリンへの怒りなどが盛り込まれていることは十分に想像できるところだ。

したがって、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの演奏では、とても同曲の本質を描き出すことができないことは自明の理であると言えるだろう。

本演奏も含めた前述の3強を占める演奏は、いずれも同曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みがあると言えるところだ。

筆者なりに、この3つの名演の性格の違いを述べるとすれば、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力を有しているのはラトル盤、ラトルの表現をわずかではあるが抑制的にするとともに、演奏全体の造型をより堅固に構築したのがミュンフン盤、そして、本盤のゲルギエフによる演奏は、ミュンフン盤と同様にラトルの表現を若干抑制的にしつつ、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻な表現が施された演奏と言えるのではないだろうか。

あたかも、ゲルギエフが指揮する際のこまやかな指の動きを彷彿とさせるかのように、楽曲の細部に至るまで入念かつ精緻に表現し尽くしているとも言えるところであり、他の演奏では聴くことが困難な音型をも聴くことが可能なのも本演奏の大きなアドバンテージと言えるであろう。

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2013年11月08日


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プレトニョフによる新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスの第3弾の登場であり、今回は最高傑作である交響曲第6番「悲愴」の登場だ。

前回の全集から今般の2度目の全集に至るまでの間、プレトニョフは、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集で、自由奔放とも言えるような実に個性的な演奏を繰り広げてきた。

交響曲全集については賛否両論あるようであるが、ピアノ協奏曲全集については、現代を代表する名演との評価を幅広く勝ち得ている状況にある。

いずれにしても、今般の2度目の全集は、そうしたクラシック音楽の王道とも言えるベートーヴェンなどの演奏を経験した上での、満を持して臨む演奏ということであり、既に発売された交響曲第4番や第5番も、プレトニョフの円熟が感じられる素晴らしい名演に仕上がっていたところだ。

プレトニョフによるチャイコフスキーの演奏は、前回の全集でもそうであったが、ベートーヴェンの交響曲全集における自由奔放さとは別人のようなオーソドックスな演奏を披露していた。

ロシアの民族色をやたら強調したあくの強い演奏や表情過多になることを極力避け、純音楽的なアプローチに徹しているようにさえ思えるほどだ。

本盤の「悲愴」の演奏においてもかかるアプローチは健在であり、プレトニョフは中庸のテンポにより曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くという、ある意味ではオーソドックスとも言うべき王道たる演奏を心掛けているとも言える。

スコアに忠実に従った各楽器の編成の下、各楽器セクションのバランスを重視した精緻な響きが全体を支配しており、他の指揮者による演奏ではなかなか聴き取ることが困難な音型を聴くことが可能なのも、プレトニョフの演奏ならではの特徴とも言える。

もっとも、純音楽的かつ精緻で、オーソドックスなアプローチと言っても、第1楽章冒頭のゆったりとしたテンポによる序奏の後、主部に入ってから速めに進行させ、第2主題の導入部で再度ゆったりしたテンポをとったりするなど、あたかも魔法のような変幻自在のテンポ設定は実に巧妙である。

また、第1楽章(特に展開部終結部の雷鳴のようなティンパニは凄まじいド迫力だ)及び第3楽章における畳み掛けていくような気迫、強靭な生命力には凄みがあり、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

終楽章の心を込め抜いた慟哭の表現も壮絶の極みであり、全体としていい意味での硬軟バランスのとれた円熟の名演に仕上がっていると高く評価したい。

本盤の登場によって、プレトニョフ&ロシア・ナショナル管弦楽団による新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスの後期3大交響曲集が出揃ったことになるが、残る初期の交響曲集(第1〜3番)及びマンフレッド交響曲についても、素晴らしい円熟の名演を大いに期待したいところだ。

併録のイタリア奇想曲は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻さとドラマティックな要素を兼ね備えたプレトニョフならではの稀有の名演と高く評価したい。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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プレトニョフによる新しいチャイコフスキーの交響曲チクルスの第2弾の登場だ。

今回は第5番であるが、第1弾の第4番に優るとも劣らない素晴らしい名演と高く評価したい。

プレトニョフは、前回のチャイコフスキーの交響曲全集(DG)を完成した後は、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集において、聴き手の度肝を抜くのに十分な超個性的な演奏を繰り広げてきたが、今般のチャイコフスキーの第5番では、むしろオーソドックスと言ってもいいような堂々たる円熟の演奏を展開している。

かかるアプローチは第4番においても同様であったが、こういった点にプレトニョフのチャイコフスキーに対する深い愛着と畏敬の念を感じることが可能であると言えるのではないだろうか。

本演奏においても、プレトニョフは中庸のテンポにより曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行く。

ロシア風の民族色を強調したあくの強い表現や、表情過多になることを極力避け、只管純音楽的なアプローチに徹しているようにさえ思えるほどだ。

各楽器のバランスを巧みに取った精緻な響きはプレトニョフならではのものであり、他の指揮者による演奏ではなかなか聴き取ることが困難な音型を聴くことが可能なのも、本演奏の醍醐味と言えるだろう(とりわけ、第2楽章のホルンソロは美しさの極みである)。

もっとも、各楽章に現れる運命の主題の巧みな描き分け(例えば第2楽章中間部では微妙なアッチェレランドを施している)、終楽章の中間部のあたかも魔法のような変幻自在のテンポ設定の巧妙さ、そして第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫に満ち溢れた強靭さにおいてもいささかも欠けるところはないところであり、第4番と同様に、いい意味での硬軟バランスのとれた円熟の名演に仕上がっていると評価したい。

第4番でのレビューでも記したが、残る第1番、第2番、第3番、第6番及びマンフレッド交響曲の素晴らしい円熟の名演を大いに期待したいところだ。

併録の幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした精緻さとドラマティックな要素を兼ね備えた稀有の名演と高く評価したい。

録音は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質であり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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プレトニョフは既に、ロシア・ナショナル管弦楽団を指揮してチャイコフスキーの交響曲全集をスタジオ録音(DG)しているので、本盤は、約15年ぶりの2度目のチャイコフスキーの交響曲全集の第1弾ということになる。

ペンタトーンレーベルへの復帰後第1弾でもあるということでもあり、そうした記念碑的な録音の曲目に、敢えてチャイコフスキーの交響曲全集の再録音第1弾を持ってきたところに、プレトニョフのチャイコフスキーへの深い愛着と崇敬の念を大いに感じることが可能だ。

前回の全集から今般の2度目の全集に至るまでの間、プレトニョフは、ベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集で、自由奔放とも言えるような実に個性的な演奏を繰り広げてきた。

交響曲全集については賛否両論あるようであるが、ピアノ協奏曲全集については、現代を代表する名演との評価を幅広く勝ち得ている状況にある。

いずれにしても、今般の2度目の全集は、そうしたクラシック音楽の王道とも言えるベートーヴェンなどの演奏を経験した上での、満を持して臨む演奏ということであり、本演奏も、そうしたプレトニョフの円熟ぶりが窺い知ることができる素晴らしい名演と高く評価したい。

前回の全集では、前述のベートーヴェンの交響曲全集における自由奔放さとは別人のようなオーソドックスな演奏を披露していた。

ロシアの民族色をやたら強調したあくの強い演奏や表情過多になることを避け、純音楽的なアプローチを心掛けていたのが印象的であった。

特に、スコアに忠実に従った各楽器の編成の下、各楽器セクションのバランスを重視した精緻な響きが全体を支配しており、聴き手にとっては、それが非常に新鮮に聴こえたり、あるいは踏み外しのない物足りなさを感じさせたりしたものであった。

ところが、本演奏においては、各セクションのバランスに配慮した精緻さは従前通りであるが、ベートーヴェンの演奏などで培われた、快速のテンポ(かのムラヴィンスキーよりも速い40分で駆け抜けている)によるドラマティックな要素にもいささかも事欠かないところであり、硬軟バランスのとれた、まさに円熟の名演に仕上がっている点を高く評価したい。

プレトニョフは、本盤を皮切りに、ペンタトーンレーベルに、チャイコフスキーの全交響曲を再録音していくとのことであるが、本演奏を聴いて第2弾以降を大いに期待する聴き手は筆者だけではあるまい。

併録の幻想序曲「ロミオとジュリエット」は、一転してテンポはややゆったりとしている(主部は猛烈に速い)が、交響曲第4番と同様に、純音楽的なアプローチの中にもドラマティックな要素を兼ね備えた円熟の名演だ。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、前回の全集に比して、大きなアドバンテージとなっている点を忘れてはならない。

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2013年11月07日


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大指揮者のジュリーニと大ピアニストのミケランジェリ。

お互いにイタリア人であるが、その芸風は全く異なるところであり、加えて、ミケランジェリの録音が限られていることに鑑みれば、テレビ放送とはいえ、このような形で両者の競演が録音の形で遺されているということは殆ど奇跡的と言っても過言ではあるまい。

このように両者の芸風は全く異なると記したが、この両者に共通することがあるとも言える。

それは、両者ともに完全主義者であったことだ。

ミケランジェリについては、あまりにも完全主義が高じて完璧主義者とも言える存在だけに、それが自らの芸風にも表れており、スコアに記された一音たりとも蔑ろにしないという、圧倒的なテクニックをベースとした即物的とも言うべきアプローチを旨としていた。

それだけに、聴きようによっては、ある種の冷たさを感じさせるのも否めないところであり、楽曲によっては相性の悪さを感じさせることも多々あった。

これに対して、ジュリーニも完全主義者であり、とりわけレコーディングに対しては、レパートリーをある程度絞り込むとともに、徹底して何度も演奏を繰り返し、自分の納得する演奏を成し遂げることが出来た後に行うという方針で臨んでいた。

これだけの大指揮者としては、さすがにミケランジェリほどではないものの、正規のスタジオ録音が比較的少ない。

しかしながら、その芸風はミケランジェリとはまるで異なり、堅牢な造型の中にもイタリア風の歌謡性をベースとした、人間的な温もりを感じさせるものであった。

1980年代も後半になると、楽曲によってはテンポが異常に遅くなり、堅牢であった造型があまりにも巨大化し、場合によっては弛緩することも少なからず存在しているのであるが、ロサンゼルス・フィルの音楽監督をつとめていた1970年代半ばから1980年代前半にかけては、ジュリーニが最も充実した演奏を繰り広げていた時期だった。

このように、同じく完全主義者であるものの芸風が全く異なるジュリーニとミケランジェリの組み合わせではあるが、演奏自体はお互いに足りないものを補った見事な名演に仕上がっているのではないだろうか。

ミケランジェリの一音たりとも蔑ろにしない完璧なピア二ズムが、ジュリーニの歌謡性豊かな指揮によって、ある種の温かみを付加させるのに大きく貢献しており、いい意味での硬軟のバランスがとれた演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

どちらかと言えば、ミケランジェリのペースにジュリーニが合わせているが、それでも要所においてはジュリーニが演奏全体の手綱をしっかりと引き締めていると言えるところであり、まさに、全盛期の両者だからこそ成し得た珠玉の名演になっているのではないか。

これだけの歴史的な名演だけに、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化された意義は極めて大きい。

シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤を遥かに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

ミケランジェリの完璧主義とも言うべきピアノタッチが鮮明に表現されるなど、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ミケランジェリ、そしてジュリーニ&ウィーン交響楽団による至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年11月06日


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実に個性的な素晴らしい超名演だ。

いわゆるショパン弾きと称されているピア二ストは数多く存在しているが、その中でも、サンソン・フランソワは最も個性的な解釈を披露したピアニストの一人ではないかと考えられる。

いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められた練習曲集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

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classicalmusic at 21:40コメント(0)トラックバック(0)ショパンフランソワ 

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ショパン弾きとして名を馳せたピアニストは多数存在しているが、サンソン・フランソワほど個性的なピアニストは他に殆ど類例を見ないのではないだろうか。

コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、いわゆる崩した弾き方とも言えるものである。

もちろん、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められたワルツ集の演奏も、まさにセンスの塊であり、近年では同じくフランス人であるルイサダが素晴らしい超名演(1990年)を成し遂げているが、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏も同格の超名演と高く評価したい。

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2013年11月05日


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本盤に収められたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、ムターによる15年ぶり2度目の録音になる。

最初の録音は、最晩年のカラヤン、そしてウィーン・フィルとの演奏(1988年ライヴ)であった。

当該演奏においても、ムターは決してカラヤンの言いなりになっていたわけではなく、むしろ、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を展開していた。

したがって、当該演奏については、巨匠カラヤンによる枯淡の境地をも感じさせる味わい深い名演奏とも相俟って、現在においても燦然と輝く名演である。

これに対して、本演奏は、ムターの個性がさらに深まったと言っても過言ではあるまい。

ムターのヴァイオリンは、いささかも線の細さを感じさせない骨太の音楽づくりが際立っているが、これによって、同曲の演奏に必要不可欠な強靭な迫力や豊麗さが過不足なく表現し尽くされている。

そして、同曲の特徴でもあるロシア風の民族色豊かな美しい旋律の数々を、ムターは格調の高さをいささかも不足することなく濃密に歌い抜いており、その妖艶な美しさには聴き手を酔わせるほどの抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、粘ったような奏法や、土俗的とでも言うべき思い切った表情づけを、いささかの格調の高さを失うことなく随所において行っており、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした演奏を展開している。

このように、音楽のスケールは一段と大きくなるとともに、表情づけなども格段に濃厚になってきており、これはムターの円熟の至芸と言ってもいいのではないだろうか。

このような超個性的なムターのヴァイオリンを下支えしているのが、夫君であるプレヴィンとウィーン・フィルであるが、ムターのヴァイオリンを巧みに引き立てるとともに、聴かせどころのツボを心得た名演奏を展開しているのが素晴らしい。

他方、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲はプレヴィンの十八番であり、何度も録音を繰り返してきた楽曲ではあるが、現代音楽にしては親しみやすい旋律に満ち溢れた同曲を、ムターは格調の高さを保ちつつ、濃厚なロマンティシズムに満ち溢れた情感豊かな名演奏を展開しているのが素晴らしい。

録音は本従来盤でも十分に満足できる音質である。

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2013年11月04日


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ぺルゴレージ生誕300年を記念してアバドが取り組んできた3枚にも渡るアルバムの有終の美を飾る3作目のアルバムであり、アバドのペルゴレージへの拘りを感じさせる1枚である。

本盤には、1作目のCDに収められた「スターバト・マーテル」や、2作目のCDに収められた「聖エミディオのために」のような有名曲は見当たらず、いずれも知られざる作品がラインナップされているが、アバドによる見事な名演によって、これらの作品に光が当てられることになった功績は極めて大きいと言わざるを得ない。

どの曲も、清澄なみずみずしささえ感じさせる美しさに満ち溢れており、純度の高い透明感溢れる極上の響きが、いかにも宗教音楽ならではの至高・至純の高みを体現させていると言えるだろう。

ペルゴレージと言えば「スターバト・マーテル」位しか一時は知らなかったのだが、イタリア独特の甘く切ない調べに乗った本盤収録の各宗教曲は初めて聴く曲が大半なのに、何故か聴き入って知らない間に魅了されている自分に気がつくのである。

アバドによって見事に統率されたモーツァルト管弦楽団やスイス・イタリア語放送協会合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、特に、モーツァルト管弦楽団など、ピリオド楽器を用いているにもかかわらず、ごつごつした感じが全くなく、どこまでも滑らかで歌謡性豊かなハーモニーを奏でているのは、アバドの抜群の統率の賜物と言えるだろう。

独唱陣も、情感溢れる見事な歌唱を行っており、ぺルゴレージの知られざる作品の魅力を引き出すのに大きく貢献している点も忘れてはなるまい。

リーフレットの今谷和徳氏の解説は、いずれも滅多に演奏される機会のないこれらの宗教曲を理解する上で貴重な解説である。

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2013年11月03日


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本盤は、ヤナーチェクのオペラからの管弦楽曲の名曲を集めた全集の第3弾である。

最近発売されたとある小説によって、一躍脚光を浴びるようになったヤナーチェク。

ヤナーチェクの作品と言えば、巷間、シンフォ二エッタなどが最も有名であるが、筆者は、オペラにこそヤナーチェクの真の魅力が込められていると考えている。

ヤナーチェクは、モラヴィアの民俗音楽を自作の様々な旋律に生かしていったが、そうした独特の作風が最も色濃く出ているのはオペラだと思うからである。

しかしながら、ヤナーチェクのオペラは、チェコ語で書かれているとともに、ストーリーも一筋縄ではいかないものが多く、鑑賞する際には、どうしても対訳と首っ引きにならざるを得ない。

それ故に、ヤナーチェクがオペラに配した名曲の数々をゆったりとした気持ちで味わうことがなかなか難しい。

そのような中にあって、本盤のようなオペラからの名曲を抜粋したCDが発売されたのは何と言う幸せなことであろうか。

本盤は、ヤナーチェクのオペラの中でも最も有名な「利口な牝狐の物語」と、シリアスな最後のオペラである「死者の家から」を収録した好選曲であり、ブレイナー&ニュージーランド交響楽団による名演や、価格の安さなども相俟って、現在望み得る最高の名CDと高く評価したい。

まだ、ヤナーチェクのオペラに接したことのない人や、これからヤナーチェクのオペラを観賞したいという人には特にお薦めしたいCDだ。

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本盤は、ヤナーチェクのオペラからの管弦楽曲の名曲を集めた全集の第2弾である。

ここには、「カーチャ・カバノヴァー」と「マクロプロス事件」という、ヤナーチェクのオペラの中でもあまり知られていない曲が収められているが、その音楽は実に魅力的だ。

ヤナーチェクは、モラヴィアの民俗音楽を自作の様々な旋律に間接的に取り入れていったとされるが、その音楽の何とも美しくて魅力的なこと。

もちろん、オペラそのものも、大変に魅力的な一級の作品であるが、言語がチェコ語であったり、ストーリー展開が一筋縄ではいかないこともあって、鑑賞の際にはどうしても対訳と首っ引きにならざるを得ず、こうしたヤナーチェクの魅力的な音楽そのものを味わうことが難しい面もある。

しかしながら、本盤のようなオペラから聴かせどころの名曲を抜粋してくれると、ヤナーチェクの音楽そのものをゆったりとした気持ちで大いに満喫できる。

これは、ヤナーチェクの音楽の魅力を広く知らしめる意味においても、大変意義のある好企画CDであるということができるだろう。

ブレイナー&ニュージーランド交響楽団も素晴らしい名演を成し遂げており、本盤の価値をより一層高めることに大いに貢献している。

まだ、ヤナーチェクのオペラに接したことのない人や、これからヤナーチェクのオペラを観賞したいという人には特にお薦めしたいCDだ。

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本盤は、ヤナーチェクのオペラからの管弦楽曲の名曲を集めた全集の第1弾である。

ヤナーチェクの音楽は実に魅力的だ。

モラヴィアの民俗音楽を様々な自作の旋律に生かしているが、同じボヘミアの作曲家でも、先輩にあたるスメタナやドヴォルザークのように直接的ではなく、あくまでも、こうした民俗音楽を自己のものとして昇華し尽くして、いわば間接的に活用している点に、独特の魅力がある。

したがって、親しみやすさという点では、スメタナやドヴォルザークに一歩譲るが、聴けば聴くほどに味わいが出てくるという点においては、ヤナーチェクのほうに軍配をあげたい。

そんなヤナーチェクは、様々なジャンルで名曲を遺したが、その本領を発揮したのは、筆者としてはオペラではないかと思う。

ただ、チェコ語であるとか、ストーリーが一筋縄ではいかない点もあって、どうしても対訳を参照しながらの鑑賞にならざるを得ない面もあり、その魅力的な音楽を満喫するのは困難を極めるが、ブレイナー&ニュージーランド交響楽団による、オペラからの管弦楽組曲集が発売されたのは、ヤナーチェクの音楽の魅力を広く知らしめる意味においても、大変意義深いものであると思われる。

本盤に収められた「イェヌーファ」は、ヤナーチェクのオペラ入門に最適だが、特に「ブロウチェク氏の旅」の音楽の魅力には格別なものがある。

ヤナーチェクのオペラの中でも、特に難解さを極めた作品だけに、その音楽の魅力をゆったりとした気持ちで満喫できるのは実に素晴らしいことだ。

まだ、ヤナーチェクのオペラに接したことのない人や、これからヤナーチェクのオペラを観賞したいという人には特にお薦めしたいCDだ。

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2013年11月02日


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本盤に収められたロストロポーヴィチによるショスタコーヴィチの交響曲第5番については、かつてLPで聴いた時のことを鮮明に記憶している。

本演奏の録音は1982年であるが、この当時は、現在では偽書とされている「ショスタコーヴィチの証言」が一世を風靡していた時期に相当し、ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチとの生前における親交から、本演奏は証言の内容を反映した最初の演奏などともてはやされたものであった。

当時、まだ少年であった筆者も、証言をむさぼり読むとともに本演奏を収めたLPを聴いたものの、若かったせいもあるとは思うのであるが、今一つ心に響くものがなかったと記憶している。

その後、青年になってCDを購入して聴いたが、その印象は全く変わることがなかった。

そして、今般SHM−CD化されたのを契機に、久々に本演奏を聴いたが、やはり心に響いてくるものがなかったと言わざるを得ない。

確かに、巷間言われるように本演奏には楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような緊迫感や生命力溢れる力強さなどが漲っているが、手兵のワシントン・ナショナル交響楽団をうまく統率し切れずに、いささか空回りしているような気がしてならないのだ。

やや雑然とした演奏に聴こえるのもおそらくはそのせいであり、ロストロポーヴィチによる同曲の演奏であれば、いささか大人しくはなったと言えるが、後年の2つの録音、(ワシントン・ナショナル交響楽団との1994年盤(テルデック)又はロンドン交響楽団との2004年盤(LSO))の方がより出来がいいと言えるのではないだろうか。

他方、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」からの抜粋については、ロシア風の民族色に満ち溢れた名演と高く評価したい。

録音は、従来盤でもかつてのLPと同様に十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質がやや鮮明になるとともに、音場が若干幅広くなったことについては評価したい。

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2013年11月01日


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ケンプは2つの「ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全集」を完成したが、その一つが、このモノーラル盤で、1950〜51、56年の録音。

技巧的には最盛期とも言える時期の演奏で、後年の録音よりも情緒的には濃密であり、殊に中期の作品の精力的な表現を高く評価したい。

戦前と晩年の中間に位置しているが、内容的にもその通りと言えるところであり、人によっては、ステレオ録音よりこのほうを高く評価するかも知れないが、筆者は両方を座右に置きたいと思う。

本全集におけるケンプのピアノは、いささかも奇を衒うことがない誠実そのものと言える。

ドイツ人ピアニストならではの重厚さも健在であり、全体の造型は極めて堅固である。

また、これらの楽曲を熟知していることに去来する安定感には抜群のものがあり、その穏やかな語り口は朴訥ささえ感じさせるほどだ。

しかしながら、一聴すると何でもないような演奏の各フレーズの端々から漂ってくる滋味に溢れる温かみには抗し難い魅力があると言えるところであり、これは人生の辛酸を舐め尽くした巨匠ケンプだけが成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。

同時期に活躍していた同じドイツ人ピアニストとしてバックハウスが存在し、かつては我が国でも両者の演奏の優劣についての論争が繰り広げられたものであった。

現在では、とある影響力の大きい某音楽評論家による酷評によって、ケンプの演奏はバックハウスを引き合いに著しく貶められているところである。

確かに、某音楽評論家が激賞するバックハウスによるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集についてはいずれの楽曲も素晴らしい名演であり、筆者としてもたまに聴くと深い感動を覚えるのであるが、体調が悪いとあのような峻厳な演奏に聴き疲れすることがあるのも事実である。

これに対して、ケンプの演奏にはそのようなことはなく、どのような体調であっても、安心して音楽そのものの魅力を味わうことができるのである。

筆者としては、ケンプの滋味豊かな演奏を聴衆への媚びと決めつけ、厳しさだけが芸術を体現するという某音楽評論家の偏向的な見解には到底賛成し兼ねるところである。

ケンプによる名演もバックハウスによる名演もそれぞれに違った魅力があると言えるところであり、両者の演奏に優劣を付けること自体がナンセンスと考えるものである。

録音はモノーラルだが、十分に観賞に耐え得る満足できる音質だと思う。

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