2013年12月

2013年12月31日


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クレンペラーは22歳という若さでマーラーの推挙もあってプラハのドイツ歌劇場の指揮者としてキャリアをスタートさせている。

マーラーの弟子という点でワルターとよく比較されるが、確かに頻繁に取り上げていたワルターに比べ、クレンペラーのマーラー演奏評はその出来に比べ低く評価されている気がしないではない。

しかし、残された演奏を聴く限り安定感があり、しっかりとした地に足が着いた演奏は、さすが巨匠の芸術というべきものであろう。

第4交響曲に関して言えば、今回のケルンを筆頭に、コンセルトヘボウ、ベルリンRIAS響、ウィーン響、バイエルン放送響、フィルハーモニア管などとの録音も残されているので、それぞれ聴き比べしてみるのも面白いだろう。

他の演奏に比べて速めのテンポで進めるが、決して雑ではなく逆に力強い推進力を感じるほどだ。

とても70歳に近い人物が指揮をしているなど音だけでは絶対にわからないだろう。

それだけ、この演奏にかけるクレンペラーの集中力は凄まじく、第3楽章にはクレンペラーと思える唸り声が聞こえる箇所がある。

モントリオール空港でのタラップ転落事故による怪我も癒え、絶好調だったクレンペラーのエネルギーが迸るマーラー演奏である。

トータル・タイム49分9秒は、全ての第4交響曲のディスクの中でも最速となるものだが、時間の短さは主に第3楽章の16分52秒というタイムに起因しているので、ほかの楽章がそれほど極端に速いというわけではない。

とはいえスタジオ録音のEMI盤に較べると、トータルで5分違うので印象はやはり大きく異なる。

この演奏の特徴は、作品のイメージそのままに推進力に満ちたテンポ設定がおこなわれている点と、飛び交う数々のフレーズにより、魅惑的な場面が連続的に形成されているということになるであろうか。

ここにはEMI盤のように足を止めて景色をじっくり眺めるといった雰囲気はないが、快適なテンポで闊歩し、それぞれの景色を積極的に楽しむといった趣がある。

曲が柔和な「第4」だけに、クレンペラーの演奏については世評は必ずしも高いとは言えないが、筆者としては、クレンペラーならではの個性的な名演と評価したい。

ソプラノのトレッチェルも明るく屈託の無い歌唱で曲にふさわしく、2年後のバイエルン放送響との演奏で起用されていたことにも納得の仕上がりである。

相性の良かったケルン放送響を元気なクレンペラーが指揮した見事な演奏と言えるだろう。

1954年2月21日のライヴ録音だが、音質もモノラルとしてはかなり上質で聴きやすい水準に達している。

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classicalmusic at 23:57コメント(0)トラックバック(0)マーラークレンペラー 

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アバドはレパートリーがきわめて広範であるために、一般的にはそのような認識がなされているとは必ずしも言い難いが、いわゆるマーラー指揮者と評しても過言ではないのではないだろうか。

マーラーの交響曲全集を一度、オーケストラや録音時期が異なるなど不完全な形ではあるが完成させているし、その後も継続して様々な交響曲の録音を繰り返しているからだ。

ライバルのムーティが第1番しか録音していないのと比べると、その録音の多さには際立ったものがあり、こうした点にもアバドのマーラーに対する深い愛着と理解のほどが感じられるところである。

アバドのマーラー演奏の特徴を一言で言えば、持ち味の豊かな歌謡性ということになるのではないか。

マーラーの長大な交響曲を演奏するに当たって、アバドの演奏はどこをとっても豊かな歌心に満ち溢れている。

したがって、マーラー特有の随所に炸裂する不協和音や劇的な箇所においても歌謡性を失うことがいささかもなく、踏み外しを行ったりするなど極端な表現を避けているように思われるところである。

もっとも、アバドもベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでの間にシカゴ交響楽団などと録音された演奏では、持ち前の豊かな歌謡性に加えて、生命力溢れる力感と気迫に満ち溢れた名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は借りてきた猫のように大人しい演奏が多くなり、とりわけ大病を克服するまでの間に演奏された第5番は、物足りなさ、踏み込み不足を感じさせる演奏であったとも言える。

しかしながら、大病にかかる直前、そして大病克服後の演奏では、豊かな歌謡性に加えて、楽曲の心眼に鋭く踏み込んでいくような彫りの深さが加わったと言えるところであり、特に、ベルリン・フィルとの第3番、第4番、第6番、第7番及び第9番、ルツェルン祝祭管との第2番は圧倒的な名演に仕上がっている。

本盤に収められた第1番は、ベルリン・フィルの芸術監督就任直前のアバドによる演奏だ。

彫りの深さといった側面ではいささか物足りないという気がしないでもないが、楽曲がマーラーの青雲の志を描いた初期の第1番であるだけに、かかる欠点は殆ど目立つことなく、持ち前の豊かな歌謡性が十分に活かされた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

これほどまでに、歌心に満ち溢れるとともに情感の豊かさを湛えている同曲の演奏は類例を見ないところであり、バーンスタインやテンシュテットなどの劇的な演奏に食傷気味の聴き手には、清新な印象を与える名演であると言っても過言ではあるまい。

新しい芸術監督に対して最高の演奏で応えたベルリン・フィルに対しても大いに拍手を送りたい。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によってさらに鮮明な音質に生まれ変わった。

アバドによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:21コメント(0)トラックバック(0)マーラーアバド 

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本盤に収められたマーラーの交響曲第8番は、現在のところアバドによる同曲の唯一の録音ということになる。

したがって、他の交響曲のように新旧両盤の比較をすることはできないが、いずれにしても本演奏は素晴らしい名演と高く評価したい。

筆者は、アバドの全盛時代はベルリン・フィルの芸術監督就任前であると考えている。

そして、ベルリン・フィルの芸術監督就任以降は借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになり、胃がんによって病に伏すまでの間は、大半の演奏が今一歩の凡庸な演奏に陥っていると考えている。

もちろん、かかる大病を克服した後はアバドの指揮にも凄みと深みが加わり、円熟の名演の数々を繰り広げるようになるのだが、ベルリン・フィルの芸術監督時代の大半は、かかる円熟に至る道程にあったと言わざるを得ないのではないか。

しかしながら、そのようなアバドも、自らの芸風に符号した楽曲においては奇跡的な名演を成し遂げることがあった。

本演奏は、まさにそれに該当するのではないかと考えられる。

アバドの本演奏におけるアプローチは徹底したバランス重視であり、例えばバーンスタインやテンシュテットなどの演奏のようにドラマティックな要素など薬にしたくもなく、楽想をいかに美しく響かせるのかに腐心しているようにさえ思われる。

そして、アバドならではの歌謡性豊かな表現は健在であり、どこをとっても汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある。

決して喚いたり叫んだりしない大人し目のマーラーと言えるが、楽曲が第5番や第9番などではないために、いささかの物足りなさを感じさせることはない。

それでいて、第2部の終結部の壮麗な迫力は圧倒的であり、アバドの豊かな歌謡性と大編成のオーケストラによる熱演や合唱団などによる熱唱が見事にマッチングした稀有の素晴らしいエンディングであると評価したい。

アバド時代になって、ベルリン・フィルにも世代交代の波が押し寄せ、この当時のベルリン・フィルはやや低迷期にあるとの評価もなされていたが、本演奏では、アバドの統率の下、持ち前の底力を発揮した素晴らしい演奏を展開している。

アンネ・ゾフィー・フォン・オッターやペーター・ザイフェルト、ブリン・ターフェルなどの豪華歌手を揃えた独唱陣も最高の歌唱を披露しており、ベルリン放送合唱団、プラハ・フィルハーモニー合唱団、そしてテルツ少年合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

録音については従来盤でも比較的満足できる音質であったが、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさに鑑みても大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:08コメント(0)トラックバック(0)マーラーアバド 

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ベームのブルックナー「第8」には1976年にウィーン・フィルを指揮したスタジオ録音盤もあり、そちらも優れた演奏であったが、厳格でスタティックですらあったそこでのアプローチに較べ、今回の1978年のライヴ盤は、実演のベームならではの熱気が随所に感じられてとにかくホットな演奏。

これこそ、ライヴならではの醍醐味が味わえる一枚ではないだろうか。

年をとるにつれて徐々にテンポが遅くなっていったベームが、ライヴで思いっきり爆発した。

2年前のウィーン・フィルとの録音に比べて8分ほど速くなり、物凄い熱い演奏を繰り広げている。

ベームの当時の年齢からいって、このテンポ設定(特に終盤)は超人的。

演奏は、ベームの職人的な音楽造りが魅力的で、確固たる構成力と細かなニュアンスを織り込んでゆく見事さはすばらしい。

ベームはブルックナー、ワーグナー、R.シュトラウスと向き合った途端、自分こそ1920年代にノイエザッハリヒカイト(新即物主義)の洗礼を受けた指揮者である事を何のためらいも無く露わにする。

この1978年にライヴ収録されたディスクでもその基本的演奏様式、オーケストラのバランス、遠近法などすべてそれまでのものと同様である。

嵐の如きパッセージに於いてもエネルギーは徹底的に内燃化され、凝縮された力を感じさせる。

必要以上に派手に鳴り渡る事も甘味に流れてしまう箇所も皆無である。

その一方で純粋オーストリア式の田園牧歌、群舞の風景を彷彿とさせる表現の幅広さも勿論充分である。

<峻厳と喜悦の同居>とでも云おうか、まさしく稀にみる音楽性に溢れたひと時、優れたブルックナー演奏を味わった後の<聴き手の身も魂も完全に燃焼され尽くした>あの独特の感銘、それも第一級の感動を味わう事の出来る一枚である。

一度指揮台に立つと集中し、没頭する余り我を忘れる、そんなベームの芸術家魂を見習いたいものである。

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classicalmusic at 18:33コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーベーム 

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セル&クリーヴランド管弦楽団による数々の演奏は、鉄壁のアンサンブルをベースに、あたかもすべての楽器が室内楽的に融合したかのように聴こえるきわめて精緻なものであった。

このような演奏を称して、「セルの楽器」と言われたのも十分に納得できるところだ。

しかしながら、そのような鉄壁のアンサンブルを誇る演奏がある種のメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、1960年代半ば頃までの演奏にはそのようなものが散見されたところであった。

しかしそれも1960年代後半になると、セルも最晩年になり円熟の境地に達したせいもあると思うが、かかる鉄壁のアンサンブルを維持しつつも、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にある種の自由を与え、より伸びやかな演奏を行うようになったように思われる。

特に、EMIに録音したシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」(1970年)やドヴォルザークの交響曲第8番(1970年)はその最たる例であり、旧盤に比較して、随分と柔軟さを増した情感豊かな演奏に仕上がっている。

本盤に収められた演奏は、セルの死の2か月前の来日時のコンサートのライヴ録音であるが、いずれも前述のようなセルの最晩年の円熟の至芸を味わうことができる素晴らしい名演と高く評価したい。

モーツァルトの交響曲第40番については、セル&クリーヴランド交響楽団によるスタジオ録音(1967年)が存在しているが、演奏の差は歴然。

当該スタジオ録音盤では、オーケストラの機能美を全面に打ち出した非常に引き締まった演奏であったのに対して、本演奏では、もちろんクリーヴランド管弦楽団の桁外れの合奏能力を聴くことは可能であるが、一聴すると何でもないような演奏の各フレーズの端々から漂ってくる豊かな情感には抗し難い魅力があり、セルの円熟を感じることが可能な素晴らしい名演に仕上がっている。

また、シベリウスの交響曲第2番については、コンセルトへボウ管弦楽団とのスタジオ録音(1964年)が存在し、オーケストラの違いもあるせいか、セルとしては情感豊かな名演であったことから、本演奏との差異はモーツァルトの場合ほどは大きくない。

しかしながら、手兵クリーヴランド管弦楽団の圧倒的な合奏力は、本演奏に独特の緊張感を生み出すとともに、実演ならではの熱気やセル自身の円熟味も加わり、至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

併録のウェーバーの歌劇「オベロン」序曲やアンコールのベルリオーズのラコッツイ行進曲も、セル&クリーヴランド管弦楽団の黄金コンビによる卓越した至芸を味わうことが可能な超名演だ。

録音は、従来盤ではややメカニックな音質であり、満足できる音質とは言い難い面があったが、その後、DSDマスタリングを施した盤が発売され、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

これによって、最円熟期のセル&クリーヴランド管弦楽団の演奏の凄みが漸く鮮明に再現されることになったことを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 16:07コメント(0)トラックバック(0)セルシベリウス 

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明晰で妥協のないアプローチで、ミスターSの真価が遺憾なく発揮されたプロコフィエフ。

ようやく晩年になってからその凄い実力が正当に評価され始めた指揮者として、故ギュンター・ヴァントと並ぶ存在のスクロヴァチェフスキ。

作曲家でもあるスクロヴァチェフスキは、ブルックナーなどのドイツのメインストリームを特に得意としているが、これまで発売されたCDでのカップリングでもわかるように、近現代の作曲家の作品も得意としている。

本盤は、そのようなスクロヴァチェフスキの実力が存分に発揮された名演と高く評価したい。

プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」は、近年では多くの指揮者による録音が相次いでいる有名曲であるが、そのような数々の演奏の中でも、最上位に掲げられる名演と言える。

スクロヴァチェフスキの指揮は、ブルックナーを指揮する時のようなインテンポではなく、各場面ごとの描き分けを巧みに行い、テンポの大きい変化やダイナミックレンジを相当に幅広くとるなど(特に、有名なモンタギュー家とキャピュレット家で顕著)、ドラマティックな演奏を行っているが、それでいて各組曲全体の纏まり具合も完璧。

曲によってややばらつきがあるものの、全体的に透明感のある音楽で、なかなか聴き応えがあり、ひとたび聴き始めたら最後まで耳をそらせなくなる求心力あふれる演奏と言えるだろう。

オーケストラに、ドイツの名オーケストラであるケルン放送交響楽団を起用したのも大正解であり、重心の低い腰の据わった深みのある音質も大きな魅力だ。

「ロメオとジュリエット」は、バレエ音楽ではあるが、本演奏では、あたかも一大交響曲のようなシンフォニックなスケールの大きさが全体を支配しているとも言える。

音質が素晴らしく鮮明なのも、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

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classicalmusic at 13:45コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフスクロヴァチェフスキ 

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若きメータのロスアンジェルス・フィル時代の屈指の名盤。

《惑星》は、地球を除く太陽系の7つの星(冥王星はまだ発見されてなかった)をギリシャ神話の神々に見立てて表現した、近代イギリスの作曲家ホルストの作曲によるダイナミックなオーケストラ作品。

今やSF映画の古典的名作となった《スター・ウォーズ》の音楽とのベスト・カップリング。

実に語り口のうまい演奏だ。

メータは巧みな棒さばきで、それぞれ趣を異にする各曲を表情豊かに描き分けている。

1曲1曲の彫琢も入念で、しかも全体を少しの乱れもなくしっかりと構成しているあたりはさすがだ。

ことに「水星」「木星」「土星」が優れている。

《スター・ウォーズ》併録というのも楽しい。

メータがハリウッド・ボウルで、レーザー光線とともに《スター・ウォーズ》組曲を演奏したとき、ロスの市民は「スービー・ベイビー」と、彼をはやし立てたものである。

スターになったメータは、《スター・ウォーズ》の路線で《惑星》に挑戦して、たちまちベスト・セラーをかっ飛ばした。

そうしたノリで制作された1枚だけに、ここで展開されているのは、オーケストラによるスペクタクルである。

特にダイナミック・レンジが広大で、圧倒的な迫力とともに、それぞれの楽器がソロ的に浮かび上がる、独特の録音効果も魅力的だった。

メータの指揮にもロマンティックなうねりがあり、それがあまたのこの曲の異盤と隔絶している所以でもある。

音質もデッカならではの優秀録音だ。

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classicalmusic at 10:40コメント(0)トラックバック(0)ホルストメータ 

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1969年5月9日 東京厚生年金会館大ホールに於けるステレオ・ライヴ録音。

この演奏でマタチッチの日本における評価を決定づけたまさに記念碑的な演奏で、その伝説的名演がついに復活した。

マタチッチのブルックナー「第7」といえばチェコ・フィルとのスタジオ録音が超名演として大変に有名であるが、この録音が日本で爆発的な支持と人気を得たきっかけとなったのが、このN響とのライヴだったと言われている。

なかには「あの名盤の評価も、実演での生々しい体験があればこそ」という声もあるほどで、あらゆるブルックナーの「第7」の名演の中でも最高峰の一つに位置づけられるのは論を待たない。

マタチッチの指揮する姿はいつまでも筆者の心に残っているところであり、本当に風格のある巨匠だったと思う。

いずれにせよ、マタチッチがブルックナー演奏での確固たる地位を確立した演奏と言えるであろう。

演奏については、美しく、しかも重厚でコクのある演奏で、もう何も言うことはない。

とんでもなく濃厚な音と表現に引き込まれてしまう。

第1楽章、第2楽章に比べ、残りの楽章の存在感がイマイチな「第7」であるが、マタチッチの演奏はこれらも存在感を感じさせるような名演で、全く素晴らしい。

ある意味、ヴァントとは正反対のイメージがある。

どちらも大変な名演だが、ヴァント&ベルリン・フィル盤は速めのテンポで流麗さが際立つ演奏。

それに対してマタチッチはスケール雄大な音楽で聴き手を受け止めてくれる。

この「第7」に関しては、マタチッチとシューリヒトに、朝比奈とヴァント、それにカラヤンの最期の録音があれば、もう筆者には充分だ。

それにしてもこの頃のNHK交響楽団も素晴らしいものがあり、ある意味で黄金期とも言えるのではないだろうか。

この演奏は、最盛期のマタチッチがわが国の音楽史にその強烈な個性を刻み付けた、まさにそのときの模様を伝える貴重な記録と言えるだろう。

録音の古さもあまり気にならず、音質も良好だ。

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classicalmusic at 00:50コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーマタチッチ 

2013年12月30日


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1957年6月7日 ケルンWDRフンクハウスでのライヴ録音である。

クレンペラーのブルックナー「第8」では、最晩年に近い1970年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振ったスタジオ録音があるが、こちらは第4楽章で大胆なカットが入っており、それを理由に一般には評判が芳しくない。

一方、本盤は遡ること13年前、カットなしの演奏である。

いやはや驚くべき演奏である。

レコ芸にこの新譜の批評が載っていたが、そこで「この演奏には人間の情感や意図を超えて、大宇宙の鼓動や深奥へと踏み入ろうとする様な、壮絶な気迫が溢れている」といった文章を読んで、まさしくその通りだと共感した。

クレンペラーのライヴ演奏には、こうした神がかり的な圧倒と説得力が必ず現れている。

演奏時間は決して遅くないが、せかせかした印象など皆無で、ブルックナー「第8」が純交響楽作品であることを、この演奏ほど見事に提示した例は他にない。

巨大な構築力を感じさせ、またゴツゴツとした鋭角的な枠取りが特色で、いわゆる音を徹底的に磨き上げた流麗な演奏とは対極に立つ。

また、第3楽章などフレーズの処理でもややクレンペラー流「脚色」の強さを感じる部分もある。

筆者は日頃、ヴァント、朝比奈の「第8」を好むが、このクレンペラー盤は、その「個性的な際だち」では他に例をみないし、弛緩なき集中力では両者に比肩し、第1、第4楽章のスパークする部分のダイナミクスでは、これらを凌いでいるかも知れない。

ケルン放送響は、クレンペラーにとって馴染みの楽団だが、ライヴ特有の強い燃焼度をみせる。

今でも日本では語り草になっているマタチッチ&N響の一期一会の「第8」に連想がいく。

リスナーの好みによるが、筆者にとっては「第8」のライブラリーにまた一つ名盤が加わった新たな喜びを感じる。

さらに、この時代のライヴ録音としては、驚異的に音質が良い。

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classicalmusic at 23:52コメント(0)トラックバック(0)ブルックナークレンペラー 

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1958年2月26日、各紙で絶賛されたコンサートのライヴ録音の登場だ。

ブルックナーを得意とする指揮者は少なくないが、その器の大きさという点で、クレンペラーと肩を並べ得るような人は、ほとんどいっていいほどいない。

その発想の奥深いこと、語り口が強靭で、男性的な逞しさと持っているということで、彼は他から際立った存在である。

どんな指揮者でも、彼のように、あるがままの姿でブルックナーの音楽を示すことは、容易には出来得ない。

その外観の大きさばかり気にとられていると、出来上がった演奏はまとまりのつかないものになりやすいし、また、いくら美しい旋律があるからといって、必要以上に飾りたてるようなことをすると、ブルックナーとしては的を得ないものになってしまう。

そのあたりの兼ね合いのようなものが、実に難しい。

クレンペラーは、それらのことを、無理なく、自然な振る舞いを持って、立派にやりぬくことのできる指揮者だった。

それができる数少ない指揮者だった。

このディスクは、そのようなクレンペラーの意義を如実に示しているものとして、きわめて高く評価されねばならないだろう。

クレンペラーがこの世を去ってしまってから、既に約40年。

我々は、指揮者の分野において、もはや彼のような巨大な存在は持てなくなってしまっている。

ブルックナーの音楽がよく聴かれるようになったにもかかわらず、このディスクのような、真にすぐれたブルックナーの演奏にふれる機会が少なくなりつつあるというのも、残念ながら、事実だ。

その意味で、このディスクは、現在の状況を考えるうえでの、ひとつの座標軸となりうるものと言えるのではないだろうか。

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1958年9月3日、ルツェルンでのライヴレコーディング(モノラル)。

クレンペラーが珍しくベルリン・フィルを指揮した、ブルックナー「第7」の隠れた名盤。

カトリックのブルックナーにかなり辛辣だったクレンペラーだが、ここでは稀に見る途轍もない名演を成し遂げている。

剛毅で重厚なクレンペラーのアプローチと、ブルックナーの交響曲中で最も優美な「第7」の取り合わせ。

どう見ても、なかなか噛み合わないのではないかと大いに危惧したが、聴き終えてそれは杞憂に終わった。

比較的にテンポが速いのだが、見事なハーモニーとアゴーギク、揺るぎないテンポの深さ、全楽章の表現力量配分の適正さ、なかでも終楽章が絶品。

第1楽章の冒頭からして、深沈たる深みのある演奏であり、随所で聴かれる美しい木管の響かせ方もクレンペラーならではのものだ。

第2楽章も崇高な演奏であり、決して低俗な抒情に流されることなく、格調の高さを失わない点はさすがと言うべきである。

第3楽章は、クレンペラーの剛毅で重厚な芸風に最も符号する楽章であり、テンポといい強弱の付け方といい、文句のつけようのない素晴らしさだ。

終楽章も、踏みしめるようなリズムなど、ベルリン・フィルらしい重量感溢れる演奏であり、「第7」の欠点とも言われるスケールの小ささなど微塵も感じられない。

この交響曲で終楽章を際立たせる演奏は、なかなか他では見出だせない。

それにしても、クレンペラーが、このような優美な「第7」で名演を成し遂げるというのは実に不思議だ。

メンデルスゾーンの「スコットランド」や「真夏の夜の夢」などで名演を成し遂げたのと同様に、これは指揮界の七不思議と言ってもいいかもしれない。

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1923年生まれの現役最長老指揮者(2012年時)スクロヴァチェフスキが、第8代常任指揮者を経て桂冠名誉指揮者となっている読売日本交響楽団と完成させた、ブルックナーの後期交響曲をセットにしたアルバム。

スクロヴァチェフスキは、ヴァントや朝比奈、ザンデルリンクが他界した今、ブルックナーを得意とした巨匠の最後の生き残りである。

より若い世代では、ズヴェーデンやヤングなどがいるが、まだ円熟の域には達していないのではないかと思われる。

既に、スクロヴァチェフスキは89歳であり、これから遺される録音は、貴重な遺産としていずれも見逃すことができないだろう。

「第7」は冒頭の弦楽のトレモロから、あたかも聖フローリアンを吹く一陣のそよ風のような至純の美しさであり、その後は、ゆったりとしたテンポによる巨匠の歩みで曲想を進めていく。

テンポは微妙に変化するが、恣意的な箇所を聴くことはない。

造型は堅固であるが、スケールは雄渾の極み。

弦楽器も管楽器も実に美しい音色を出しており、トゥッティにおいても金管楽器はいささかも無機的な音を出すことはない。

これは、巨匠スクロヴァチェフスキの圧倒的な統率によるところも大きいが、これに応えた読売日響の抜群の力量も大いに賞賛に値する。

特に、第1フルート奏者や第1ホルン奏者は特筆すべき圧巻の技量を誇っている。

これほどの高みに達した演奏になると、聴き手は、滔々と流れる極上の音楽にただただ身も心も委ねるのみだ。

「第8」は演奏が開始されると、冒頭の心底から絞りだすような低弦の響きからして、もはやこの世のものとは思えないような次元の高い音楽だ。

一部の高名な批評家からは、朝比奈やヴァントのブルックナーに比して、スクロヴァチェフスキのそれは、やたらバランスを重視し過ぎとの批判も寄せられているが、本CDからは、そのような欠点はいささかも感じられない。

第1楽章では、さすがに来日の疲れもあるのか、やや調子に乗り切らないところもあるように思うが、第2楽章からはほぼ完璧。

第3楽章の清澄な音楽は、巨匠スクロヴァチェフスキとしても、最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地と言える。

終楽章の、ややテンポを速めに設定した生命力溢れる力強い指揮ぶりは、もはや86歳(当時)の老巨匠の指揮とは思えないような迫力である。

「第9」は第1楽章の冒頭から実に荘重で深沈とした開始であり、ここだけでも他の指揮者とはそもそもものが違う。

ただ、いささか残念なのは中間部で、テンポをやたらいじっていることだ。

これでは音楽が矮小化してしまわないか。

本盤でマイナス点を指摘するとすればこの部分であり、他の箇所が素晴らしいだけに大変残念だ。

終結部は再びインテンポによる堂々たる進軍だ。

第2楽章は凄まじいスピードだ。

それでいて、金管楽器などは決して上滑りすることなくしっかりと鳴り切っており、迫力においてもいささかの不足はない。

そして本名演の白眉は終楽章。

これは、ヴァントや朝比奈にも匹敵する至高・至純の高みに達していると思う。

ゆったりとしたインテンポで一貫しており、スケールの雄大さにおいても比類がない。

まさに、スクロヴァチェフスキのブルックナー演奏の総決算であると高く評価したい。

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2013年12月29日


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ミュンシュはフランス人ではあるが、ドイツ語圏にあるストラスブールの出身であり、ドイツ系の音楽を得意としていた。

例えば、ブラームスの交響曲第1番(1968年)は同曲演奏史上でもトップの座を争う名演との評価を勝ち得ているし、メンデルスゾーンの交響曲第4番及び第5番(1957〜1958年)もかのトスカニーニの超名演にも肉薄する名演であったとも言えるところである。

そのようなミュンシュにしてみれば、フランクの交響曲ニ短調においても名演を成し遂げないわけがないと言える。

フランクの交響曲ニ短調は、他のフランス系の作曲家による交響曲と比較すると、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいよりはむしろ、全体の堅固な造型や形式を重視した楽曲である(フランクはフランス人ではなく、ベルギー人であることにも留意する必要がある)。

循環形式という独特の手法を編み出したのも同曲においてであり、当該形式は、その後のサン=サーンスやショーソンなどにも大きな影響を与えることになった。

このような確固たる造型や形式を有した交響曲であるが故に、クレンペラーやフルトヴェングラー、カラヤンなどの独墺系の指揮者による重厚な名演が数多く生み出されているものと考えられる。

ミュンシュの演奏も、こうした独墺系の指揮者による重厚な名演に近い側面が多々あり、全体の造型はきわめて堅固であるとともに、重厚さにおいてもいささかも欠けるところがない。

それでいて、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さや、とりわけ緩徐箇所においてはフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいが随所に感じられるところであり、いい意味での硬軟バランスのとれた名演に仕上がっているものと評価したい。

録音は1957年のスタジオ録音であり、今から50年以上も前のものであるが、今般のXRCD化によって、あたかも最新録音であるかのような鮮明な音質に生まれ変わった。

あらためて、XRCDの潜在能力の高さを思い知った次第であるが、ミュンシュの素晴らしい名演をXRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年12月28日


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途轍もなく素晴らしい超名演だ。超名演の前に超をいくつかつけてもいいのかもしれない。

河村尚子による2枚目のアルバムということであるが、録音に慎重な彼女であればこその久々のアルバムの登場であり、まさに満を持してと言った言葉が見事に当てはまると言っても過言ではあるまい。

本盤には、ショパンの最高傑作とも称されるピアノ・ソナタ第3番と、シューマンのフモレスケ、そしてシューマン=リストの「献呈」が収められているが、出来不出来に差はなく、いずれ劣らぬ至高の超名演に仕上がっていると言えるところだ。

河村尚子は、既に約2年前にもショパンの夜想曲集を録音しているが、本盤のピアノ・ソナタ第3番の演奏においては、さらにその芸風が深化していると言えるだろう。

何よりも、河村尚子のピアノタッチが実に美しい。

一つ一つの音が宝石のように煌めいているとも言えるところであり、それは女流ピアニストならではの美質とも言えるが、河村尚子の場合には一部の女流ピアニストにありがちな線の細さは微塵も感じさせず、一本の芯が通ったような力強さを感じさせるのが素晴らしい。

もっとも、いわゆる武骨さとは無縁であり、どこをとっても格調の高い優美さを失わないのが河村尚子のピアニズムの偉大さと言えるだろう。

ピアノ・ソナタの演奏に必要不可欠な全体の造型も堅固であり、とかく旋律の美しさに傾斜した焦点の甘い演奏とは一線を画しているのも本演奏の大きな強みである。

また、心の込め方にも尋常ならざるものがあると思うが、陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、どこをとっても前述のような格調の高さを失うことなく、演奏全体が常に高踏的な美しさに貫かれているのが見事であると言えるところだ。

このような素晴らしい超名演を聴いていると、河村尚子にはピアノ・ソナタ第2番や他のショパンのピアノ作品の演奏を聴きたいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

他方、シューマンのフモレスケも素晴らしい名演だ。

シューマンのピアノ曲の演奏はなかなかに難しく、楽曲の持つファンタジーの飛翔のようなものをいかに的確に表現するのかが問われている。

そして、フモレスケの場合は、シューマンの移ろいゆく心情の変化が散りばめられているだけに、さらに演奏のハードルが高い難曲と言えるが、河村尚子は、持ち前の卓越した表現力を駆使して、作品の持つファンタジックな要素を含有するとともに、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを湛えた見事な名演奏を展開していると評価したい。

シューマン=リストの「献呈」は、演奏されること自体が珍しい作品であるが、ここでも河村尚子は、格調の高さを有した見事な名演を成し遂げている。

そして、何と言っても素晴らしいのはSACDによる極上の高音質録音である。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした録音は素晴らしいという他はない。

そして、河村尚子のピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDの潜在能力の高さの証左と言えるところであり、本名演の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 21:36コメント(0)トラックバック(0)シューマンショパン 

2013年12月27日


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ノイマン&チェコ・フィルのキャニオン・クラシックス録音をハイブリッドSACD化するシリーズ「ノイマン・ハイブリッド・シリーズ」の第2弾は、第1弾『新世界より』に続いてドヴォルザークのシンフォニー。

ファンにとって忘れ難い、同コンビ最後の来日公演からのライヴ・レコーディングである。

この頃のノイマンは、22年間務めてきたチェコ・フィル首席指揮者のポストを後輩ビエロフラーヴェクに託して自由な客演活動をしていた時期。

来日直前の10月にはウィーン・フィルの定期公演でヤナーチェクの『グラゴル・ミサ』を振って大成功を収めるなど、円熟の最中にあった。

当盤に収録された2曲からも、そんな両者の充実ぶりを感じ取ることができる。

特に第7番は、実況ならではの熱気も加わって気迫満点、遅めのテンポ設定による重量級アプローチで壮大なドヴォルザークを聴かせてくれる。

重厚で熟成されたチェコ・フィル・サウンドも格別で、首席の座を退いたとはいえ、名誉桂冠指揮者の称号を送って変わらぬ協調関係を保っていたノイマンとの名コンビぶりにはさすがに隙がなく、密度の高い、堅牢かつ深い味わいに富む見事な演奏で聴き手を魅了する。

第8番では、作品の性格を反映してか細部のニュアンスが豊富。

ソロ楽器の巧さ、第3楽章における弦楽セクションの美しさ、煽り立てるようなそぶりは示さないにもかかわらず感興を高めていく終楽章など魅力的である。

楽曲の隅々まで指揮者の意志と気力が横溢した1970年代の演奏とは趣が異なり、どこか懐古的な響きで満たされてるが、聴きながら、やはりドヴォルザークはノイマン&チェコフィルが最高、と納得してしまう名演奏だと思う。

そんなノイマンが最晩年に残した東京ライヴが、EXTONのリマスタリングでSACD化された。

20年以上前のライヴ録音なので、最新のDSD録音のような美麗かつ鮮明な録音ではないが、収録バランスは良好で、気になるような演奏上のミスもなく、楽章間の客席のノイズや終演後の拍手もカットされており、じっくりと演奏に浸ることが出来る。

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classicalmusic at 23:47コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークノイマン 

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以前にキャニオン・クラシックスからリリースされていた音源をSACDハイブリッド化する「ノイマン・ハイブリッド・シリーズ」の第1弾で、今後はドヴォルザーク交響曲第7&8番、スラヴ舞曲や、一連のマーラーの交響曲が続々登場、とのこと。

1995年1月、チェコ・フィルとの終生の記録を永遠のかたちとして残したいという巨匠ノイマンの強い希望で実現した、最後の『新世界より』。

定番ともいえるノイマンとチェコ・フィルのコンビによる『新世界より』。

端正で細部まで磨き抜かれた演奏は、幾分玄人好みともいえるが、ノイマンの手腕には感服する。

メンバー全員との熱い絆で結ばれたノイマンの“うた”には、民族、歴史、社会など、人間を取り巻く全ての世界観がそこにあり、言葉では語れない音楽の底力に感動できる伝説の一枚となった。

チェコ・フィルの名手、ティルシャル(ホルン)、ケイマル(トランペット)、ヴァーレク(フルート)、キメル(オーボエ)等、ノイマンが信頼を寄せていた名手が勢ぞろいし、音楽音色ともに聴くものをしびれさせてくれる。

この作品のいろいろな演奏を聴く機会に恵まれてきたが、こんなにも慈しむような演奏は想像すらできなかった。

澄んだ響きで、ほとんど力むことも煽ることもなく、やや遅めのテンポでじっくりと丁寧に音が紡ぎ出されていく。

ダイナミックな楽章すら孤高の余情に打たれる。

ドヴォルザーク最後の交響曲が、あたかもマーラーやブルックナー晩年の作品を思わせるような深さを伴って再現されているようにすら思えた。

一聴して何の変哲もないようでありつつ、実にこの作品を愛し続けてきたノイマンとチェコ・フィルの驚くべき深みが、問わず語りのように静かに深く歌われている。

1993年の凛としたライヴ録音も素晴らしいが、この最後の録音はまた別格の味わいがある。

交響的変奏曲では対照的なまでにダイナミックでスケールの大きい迫力に満ちた響きで圧倒する力演である。

そして、本盤で素晴らしいのは、SACDによる極上の高音質録音である。

最晩年のノイマンとチェコ・フィルによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに噛み締めたい。

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2013年12月26日


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小林研一郎が古希を迎えたのを契機として進められているチェコ・フィルとのベートーヴェンチクルスも、ついにその第3弾の登場となった。

そして、第3弾は交響曲第1番と第7番の組み合わせだ。

いずれも小林研一郎ならではの名演であるが、とりわけ素晴らしいのは第7番である。

ベートーヴェンの交響曲の中でも第7番ほど、小林研一郎向きの作品はないのではないだろうか。

70歳になって円熟の境地に達したとは言え、そこは小林研一郎。

本演奏においても、トゥッティに向けて畳み掛けていくような強靭な気迫や、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れた熱演ぶりはいささかも変わっていない。

第1楽章のホルンの力感溢れる響かせ方など実にユニーク。

第2楽章の心を込め抜いた情感の豊かさも美しさの極みで、ここでも中間部でのホルンの最強奏は効果的だ。

第3楽章のトリオにおける超スローテンポによる、トランペットやティンパニを最強奏させた大見得を切った表現は濃密の極みであり、その強靭な迫力は小林研一郎の唸り声も聴こえるほどの凄まじさだ。

そして、終楽章はこれまでと同様にホルンを効果的に響かせるのが見事に功を奏しており、終結部に向けての圧倒的な盛り上がりは、小林研一郎の唸り声も相俟って、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

いずれにしても、本演奏はまさに「炎のコバケン」の面目躍如たる豪演に仕上がっていると評価したい。

他方、第1番は、第7番のように、必ずしも小林研一郎の芸風に符号した作品とは言い難いことから、小林研一郎としては随分とオーソドックスな演奏に徹しているとさえ言える。

これは、ある意味では円熟の名演と言ってもいいのであろうが、それでも緩徐楽章における心がこもった情感豊かな演奏は、いかにも小林研一郎ならではの熱き情熱を感じることが可能だ。

小林研一郎の確かな統率の下、チェコ・フィルも持ち得る実力を最大限に発揮した最高のパフォーマンスを発揮しているのが素晴らしい。

そして、本盤で素晴らしいのは、これまでの第1弾及び第2弾と同様に、SACDによる極上の高音質録音である。

特に第7番におけるホルンの朗々たる響きの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

いずれにしても、小林研一郎&チェコ・フィルによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年12月25日


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これもまたどうしようもない演奏だ。

一時はカラヤンと覇を争うほどの大指揮者であったバーンスタインが、何故にこのような駄演を行ったのか理解に苦しむ。

かつては筆者もこの濃厚な演奏を「メンゲルベルクの再来を思わせるスーパーロマンティシズムを感じる」などと絶賛したものだったが、それから歳を重ねるにつれて、聴く度ごとに、バーンスタインの表現の大仰さは、本来本質的に寡黙な作曲家であるシベリウスにそぐわないように段々感じられてきたところだ。

第1楽章はそれでもまだましと言える。

大仰で濃厚の極みとも言うべき音楽は、シベリウスの音楽というよりはマーラーの音楽を鑑賞しているような錯覚を起こさせるが、テンポなども含めとりあえずは常識の範囲内におさまっており、少なくとも凡演のレベルには達している。

ところが第2楽章、バーンスタインは何を勘違いしたのであろうか。

にわかには信じ難いような超スローテンポで曲想を進めていくが、ここまでいくともはや音楽ではなく単なる音の羅列ではあるまいか。

バーンスタインが、このような音の羅列で何を表現したかったのかは不明であるが、少なくともこの楽章に関しては、よほどのバーンスタインの熱狂的なファンでないと、全体を聴き通すことすら苦痛であると言えるだろう。

第3楽章は、本演奏の中ではもっともまともな演奏と言える。

中間部の粘ったような音楽はいかにも晩年のバーンスタインであり、その濃厚な体臭に辟易としないでもないが、少なくとも第2楽章の音の羅列を聴いた後では一服の清涼剤のように感じる聴き手は筆者だけではあるまい。

そして終楽章であるが、思わず耳を覆いたくなる。

シベリウスが作曲した旋律の中でも特に勇壮で美しい名旋律を、バーンスタインはチューバを最強奏させることによって品の悪い騒音に変容させてしまった。

このような演奏を聴いていると、聴いていて恥じらいさえ覚えるほどであり、晩年のバーンスタインはあらゆる楽曲をマーラーの音楽であると思っていたのではないかと勘繰りたくもなる。

いずれにしても、本演奏は同曲演奏史上でも最悪の駄演であり、熱狂的なバーンスタインのファンだけに存在意義がある演奏と言えるだろう。

バーンスタインは、1960年代にもニューヨーク・フィルを指揮して同曲を録音しており、それはヤンキー気質丸出しの外面的な演奏とは言えるが、本演奏よりはよほど優れているのではないかと考えられるところだ。

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classicalmusic at 23:38コメント(0)トラックバック(0)シベリウスバーンスタイン 

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もう晩年のバーンスタインの演奏に関して、優等生的に評するのは止めにしたい。

バーンスタインの芸風は、1980年代に入ってから大きく変化したように思われる。

テンポが著しく遅くなるとともに、表現は雄弁できわめて大仰なものとなったからである。

こうした変化は、バーンスタインの健康の衰えによるものなのか、それとも晩年になって感情移入の度合いが高くなってきたためなのか定かではないが、いずれにしても、その変化の大きさは、常識をはるかに超えているとさえ言えるだろう。

バーンスタインには、熱烈な愛好者も多く存在しており、そのような人からすれば、かかる演奏を持って、晩年になって新境地を開いたとか、スケールが雄大になったとか、あるいは真の巨匠になったなどと評価するのであろう。

しかしながら、一般の愛好者の中には、とてもついていけないと感じる人も相当数いるのではないだろうか。

かく言う筆者もその一人である。

マーラーや、精神分裂気質がマーラーと似通っているシューマンの楽曲の演奏については、筆者は高く評価している。

それどころか、特にマーラーについては、バーンスタインこそは史上最高のマーラー指揮者として高く評価しているところだ。

しかしながら、その他の作曲家による大半の楽曲の演奏については、雄弁であるが内容は空虚。

スケールはやたら大きいが、いわゆるウドの大木の誹りは免れないのではないかと考えている。

本盤に収められたドヴォルザークの「第9」も、そのようなバーンスタインの欠点が露骨にあらわれた凡演と言えるだろう。

バーンスタインは、最晩年になって、あらゆる楽曲がマーラー作曲の楽曲のように感じるようになったのであろうか。

粘ったような進行や表情過多とも言える大仰さはほとんど場違いな印象を与えるところであり、とりわけ第2楽章のあまりにも前に進んで行かない音楽にはほとほと辟易とさせられた。

バーンスタインは、1962年にニューヨーク・フィルと同曲を録音しているが、そちらの方がよほど優れた演奏であり、いかにもヤンキー気質の力づくの箇所もないわけではなく名演と評価するには躊躇するが、若武者ならではの爽快な演奏であった。

本盤での救いは、併録のスラヴ舞曲集であろう。

これとて、大仰さが気にならないわけではないが、交響曲よりはよほどまともな演奏と言える。

録音は交響曲が1988年、スラヴ舞曲集が1986年のライヴ録音であり、従来盤でも十分に満足し得る高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干鮮明さを増すとともに音場が広がったように感じられる。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークバーンスタイン 

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もう晩年のバーンスタインの演奏に関して、優等生的に評するのは止めにしたい。

バーンスタインは、チャイコフスキーの第6番をマーラーの第6番と勘違いしているのであろうか。

確かに、同曲には「悲愴」と言う愛称が付いてはいるがそもそも「悲劇的」とは異なる。

しかも、もっと大事なことは、チャイコフスキーはマーラーではないということである。

最晩年のバーンスタインの演奏には、このような勘違いの演奏が極めて多かったと言わざるを得ない。

かかる勘違いの演奏は、本盤と同時に発売されたドヴォルザークの「第9」、モーツァルトのレクイエム、ショスタコーヴィチの「第7」、シベリウスの「第2」など、枚挙にいとまがないほどである。

同時期に録音されたマーラーの交響曲や歌曲の一連の演奏は、いずれもそれぞれの楽曲の演奏史上最高の超名演であるにもかかわらず、その他の作曲家による大半の楽曲の演奏に際しては、とても同一の指揮者による演奏とは思えないような体たらくぶりである。

バーンスタインは、このような勘違いの演奏を意図して行ったのか、それとも好意的に解釈して、健康悪化によるものなのかはよくわからないが、いずれにしても、これらの演奏の数々は、バーンスタインとしても不名誉以外の何物でもない。

本盤の「悲愴」の演奏も、粘ったようなリズムで少しも先に進んでいかない音楽であるが、その大仰さが例によって場違いな印象を与える。

スケールはやたら肥大化しているが、内容はきわめて空虚にして浅薄で、まさにウドの大木の最たるものと言えるだろう。

とりわけ終楽章の殆ど止まってしまうのではないかと思われるような超スローテンポにはほとほと辟易とさせられてしまった。

もちろん、バーンスタインには熱烈な支持者がいることから、このような演奏をスケールが雄大であるとか、巨匠風の至芸などと褒めたたえたりするのであろうが、一般の愛好者の中には、筆者のようにとてもついていけないと感じる人も多いのではないだろうか。

本盤の救いは併録のイタリア奇想曲であろう。

こちらの方は、例によって大仰な表現ではあるが、「悲愴」のような凡演ではなく、濃厚な味わいのある好演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

録音は、1980年代半ばのライヴ録音であり、もともと十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がやや鮮明になるとともに音場が広くなったように感じられる。

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classicalmusic at 00:23コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーバーンスタイン 

2013年12月24日


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本盤に収められたマーラーの交響曲第2番は、ブーレーズによるマーラーチクルスが第6番の録音(1995年)を皮切りに開始されてからちょうど10年目の録音である。

このように10年が経過しているにもかかわらず、ブーレーズのアプローチは殆ど変っていないように思われる。

かつては、作曲家も兼ねる前衛的な指揮者として、聴き手を驚かすような怪演・豪演の数々を成し遂げていたブーレーズであるが、1990年代に入ってDGに録音を開始するとすっかりと好々爺になり、オーソドックスな演奏を行うようになった。

もっとも、これは表面上のことであり、楽曲のスコアに対する追求の度合いは以前よりも一層鋭さを増しているようにも感じられるところであり、マーラーの交響曲の一連の録音においても、その鋭いスコアリーディングは健在である。

本演奏においても、そうした鋭いスコアリーディングの下、曲想を細部に至るまで徹底して精緻に描き出しており、他の演奏では殆ど聴き取ることができないような旋律や音型を聴き取ることが可能なのも、ブーレーズによるマーラー演奏の魅力の一つと言えるだろう。

もっとも、あたかもレントゲンでマーラーの交響曲を撮影するような趣きも感じられるところであり、マーラーの音楽特有のパッションの爆発などは極力抑制するなど、きわめて知的な演奏との印象も受ける。

したがって、「第2」で言えば、ドラマティックなバーンスタイン&ニューヨーク・フィル(1987年ライヴ)やテンシュテット&ロンドン・フィル(1989年ライヴ)の名演などとはあらゆる意味で対照的な演奏と言えるところである。

もっとも、徹底して精緻な演奏であっても、例えばショルティのような無慈悲な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても音楽性の豊かさ、情感の豊かさを失っていないのも、ブーレーズによるマーラー演奏の素晴らしさである。

さらに、ウィーン・フィルの優美な演奏が、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることも忘れてはならない。

クリスティーネ・シェーファーやミシェル・デ・ヤングによる独唱やウィーン楽友協会合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

なお、このような細部への拘りを徹底した精緻な演奏としては、最近ではホーネック&ピッツバーク交響楽団が第1番や第4番で見事な名演を成し遂げているが、ホーネックが今後第2番を手掛けた時に、本演奏を超える演奏を成し遂げることが可能かどうか興味は尽きないところである。

録音は、今般のSHM−CD化によって従来盤よりも音質はやや鮮明になるとともに音場が広がることになった。

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classicalmusic at 21:53コメント(0)トラックバック(0)マーラーブーレーズ 

2013年12月23日


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ユンディ・リ初の協奏曲アルバムが遂に登場した。

2000年第14回ショパン国際ピアノ・コンクールの覇者、ユンディ・リ待望のショパン:ピアノ協奏曲第1番。

カップリングはリストのピアノ協奏曲第1番。

ロマン派ピアノ協奏曲で、最も有名なこれら2曲はまさに黄金の組み合わせ。

ショパン・コンクール優勝以来、着実な歩みを続ける人気・実力共に抜群のユンディ・リの詩情と情熱溢れる演奏は、6年間の実りに満ちている。

まさに録音の機が熟したといえる演奏は期待通りのものだ。

いずれも名演ではあるが、筆者としては特にショパンの方をより高く評価したい。

これまでにもマズルカ集やスケルツォ集などで数々の名演を成し遂げてきたユンディ・リにとっては、ショパンは特別な作曲家であるのではないだろうか。

ショパンならではのロマンティシズムに満ち溢れた名旋律の数々に彩られた同曲を、ユンディ・リは、その持前の卓越した技量をベースとしつつ、変幻自在のテンポ設定や、特に各楽章の頂点に向けての畳み掛けていくような強靭な打鍵、それと対置する繊細な抒情的表現などを駆使して、実に表情豊かに描き出しているのが素晴らしい。

特に、ユンディ・リの特徴でもある詩情に満ち溢れた情感の豊かさは、抗し難い美しさを湛えていると言えるところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっている。

他方、リストについては、さすがにショパンほどの魅力はないが、それでも卓越したテクニックと強靭な打鍵をはじめとした表現力の豊かさは健在であり、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

アンドリュー・デイヴィス&フィルハーモニア管弦楽団も、ユンディ・リのピアノを下支えする素晴らしい演奏を繰り広げており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は本盤でも十分に満足し得る高音質録音である。

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classicalmusic at 21:19コメント(0)トラックバック(0)ショパンリスト 

2013年12月22日


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狼とともに暮らすことで知られる人気女性ピアニスト、エレーヌ・グリモーの近年の進境は素晴らしい。

このディスクでは、グリモー自身の解説とインタヴューがついており、興味深く読むことができる。

それによると、ショパンとラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番は、「奥深く秘められた教会の、死の祭壇で執り行われる、優しさのミサ」であり、「真実の愛に満たされた魂」を表しているのだという。

そうした詩的な言葉は、聴き手に音楽を捉える新しい霊感を準備してくれるものだ。

誇張やエゴに陥らず、何度聴いても味わい深い、バランス感覚のとれたショパン。

しかも大きさ、豊かさを感じる。

リズムの俊敏さもグリモーらしい。

葬送行進曲も疾風のような第4楽章も、死と隣り合わせの不思議な優しさを湛えた演奏だ。

ラフマニノフはさらに音楽のスケールが大きく濃厚な情感を伝える。

ショパンに挟まれたラフマニノフというのは、ありそうでいてない、効果的な構成だ。

死と愛をテーマにした2つのソナタの後には、ほっとするように静かな2つのショパンの作品が配置される。

午睡にまどろむような「子守歌」は白眉の出来で、「舟歌」も曲に対する慈しむような思いが伝わってくる。

前半の大曲の厳しさとの対照が見事だ。

さらに、グリモーが素晴らしいのは、どこをとっても彼女の美貌を思わせるような気品の高さに貫かれているということであろう。

2004年12月のデジタル録音で、DG独自の4Dオーディオ・レコーディングが素晴らしく、どこまでもクリアな音質だ。

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classicalmusic at 21:27コメント(0)トラックバック(0)ショパンラフマニノフ 

2013年12月21日


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クーベリックは、ドヴォルザークの交響曲、とりわけ「第8」及び「第9」については何度も録音しているが、その中でも最も優れた演奏は、本盤に収められたベルリン・フィル盤であると考える。

「第8」については、その後、バイエルン放送交響楽団とともにライヴ録音(1976年)、「第9」については、バイエルン放送交響楽団(1980年)、次いでチェコ・フィル(1991年)とともにライヴ録音しているが、バイエルン放送交響楽団との演奏は、いずれも演奏自体は優れた名演に値するものであるが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、筆者としてはあまり採りたくない。

「第9」のチェコ・フィル盤は、ビロード革命後のチェコへの復帰コンサートの歴史的な記録であり、演奏全体に熱気は感じられるが、統率力にはいささか綻びが見られるのは否めない事実である。

こうした点からすれば、クーベリックによるドヴォルザークの「第8」及び「第9」の決定盤は、本盤に収められた演奏ということになる。

それどころか、他の指揮者による名演と比較しても、トップの座を争う名演と高く評価し得るのではないだろうか。

このうち「第8」は、1966年と録音年がいささか古いが、それだけにベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていない時期の録音であり、チェコの大自然を彷彿とさせるような情感の豊かさや瑞々しさが演奏全体に漲っているのが特徴だ。

テンポなども随所で変化させており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が漲っているが、音楽の自然な流れをいささかも損なっていないのが素晴らしい。

本盤の4年後に、セル&クリーヴランド管弦楽団による同曲最高の超名演(1970年)が生まれているが、本演奏はそれに肉薄する超名演と高く評価したい。

これに対して、「第9」は1972年の録音で、ベルリン・フィルがほぼカラヤン色に染まった時期の録音だ。

それだけに、全体的にはチェコ風の民族色がやや薄まり、より華麗で明瞭な音色が支配しているように感じるが、それでも情感の豊かさにおいてはいささかの不足もなく、「第9」の様々な名演の中でもトップの座を争う名演であることには変わりはない。

ただ、名演としての評価は揺るぎがないものの、クーベリックらしさと言う意味においては、「第8」と比較するとややその個性が弱まっていると言えるところであり、このあたりは好き嫌いが分かれるのかもしれない。

ベルリン・フィルも、両演奏ともにクーベリックの指揮の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、各管楽器奏者の卓越した技量には惚れ惚れするほどだ。

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classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザーククーベリック 

2013年12月20日


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近年ではモーツァルトの楽曲の演奏においても、ピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法などが主流になりつつある。

確かに、モーツァルトの時代の演奏様式を再現することは歴史的には意義の大きいことであるが、芸術的な感動を与えてくれる演奏というのは果たしてどの程度あるのであろうか。

著名な音楽評論家が推奨する演奏ですら、浅薄でとても聴くに堪えないものも散見されるところであり、私見では、かかるピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法による芸術的な名演というのはほんの一握りではないかと考えている。

クラシック音楽ファンにとっては、芸術的な感動を与えてくれる演奏であればそれで十分であり、音楽学者の学問的な関心などどうでもいいのである。

本盤に収められたモーツァルトのレクイエムは、ピリオド楽器の使用や古楽器奏法などの近年の演奏様式に一切背を向けた、大編成のオーケストラを活用した壮麗な演奏だ。

近年の古楽器奏法やピリオド楽器による軽妙な演奏に慣れた耳でこのような演奏を聴くと、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになるのは筆者だけではあるまい。

そして演奏内容も素晴らしい。

このような演奏を聴いていると、あらためてティーレマンが次代を担う独墺系指揮者として将来を嘱望されている理由がよく理解できるところだ。

独墺系指揮者ならではの堅固な造型の下、重厚にして壮麗な演奏を行っているところであり、オーケストラと合唱とのバランスも絶妙。

これはオペラ指揮者を軸足とする独墺系指揮者の伝統を受け継ぐティーレマンならではの至芸であろう。

独唱陣はいずれも素晴らしい歌唱を披露しており、ティーレマンの確かな統率の下、ミュンヘン・フィルやバイエルン放送合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

録音は、ライヴ録音であるにもかかわらず、従来盤でも十分に満足できる音質を誇っていたが、今般のSHM−CD化によってさらに鮮明さを増すとともに、音場が幅広くなった。

現代を代表するモーツァルトのレクイエムの名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年12月19日


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1980年11月30日 ロスアンジェルスのシュライン・オーディトリアムに於けるスタジオ録音。

ロス・フィル時代のジュリーニは「全盛期」で、数は少ないながらも名演を残している。

「運命」「ブラ1」「ブラ2」そして「ライン」(是は圧倒的名演)など、旋律を徹底的に歌うことで作品の魅力を十全に発揮させていた。

ジュリーニが手兵ロス・フィルと収めたブラームスの「第2」は、堂々の貫禄ともいうべき器量の大きさをもった演奏だ。

作品の目指した古典主義とロマン性の併存が明らかにされた名演である。

冒頭から遅めのテンポで細部を彫琢しており、悠揚とした呼吸で旋律美を大きく歌わせている。

重厚さと懐深さを兼ね備えており、ゆったりとした旋律の歌わせ方に特有のノーブルさが漂う。

全体にふくらみと厚みのある音楽だが、ジュリーニはそれに高貴な気品を与えており、外部と内面が完全に密着した表現が生まれている。

ジュリーニは、ブラームスの作品独自の重厚な音構造、和声感覚、ディテールの入念な動きをことごとく表出している。

例えば伴奏音型、対旋律、ふつうなら目立たない楽句も手にとるように表現している。

それもロス・フィルがジュリーニの手足の如く自在に力量を発揮し、緻密な演奏をする姿勢がなければ不可能だが、事実、オケは極めて質の高い水準を示している。

後年のウィーン・フィルとの録音よりも緊張感や推進力があるので、こちらを好む人が意外と多いかもしれない。

ジュリーニ&ロス・フィルのブラームスは「第1」の名演も録音されているが、残念ながら現在廃盤である。

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2013年12月18日


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本全集は、バックハウスがスタジオ録音を行った2度にわたるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集のうち、1959〜1969年にかけて行ったステレオ録音(第29番のみステレオによる再録音を果たすことが出来なかった)による全集であるが、いずれの楽曲の演奏も神々しささえ感じさせるような至高の超名演だ。

本全集に収められた各楽曲の演奏の殆どが既に録音からほぼ50年が経過しており、単純に技量面だけに着目すれば更に優れた演奏も数多く生み出されてはいるが、その音楽内容の精神的な深みにおいては、今なお本演奏を凌駕するものがあらわれていないというのは殆ど驚異的ですらある。

まさに本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるだろう。

バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。

飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。

しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れている。

全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。

その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。

したがって、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要する。

バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能であるが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、まさに孤高の至芸と言っても過言ではないのではないだろうか。

バックハウスとケンプについてはそれぞれに熱烈な信者が存在し、その優劣について論争が続いているが、筆者としてはいずれもベートーヴェンのピアノ・ソナタの至高の名演であり、容易に優劣を付けられるものではないと考えている。

録音は英デッカによる高音質であり、この超廉価の輸入盤でも十分に満足できる高音質と言える。

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2013年12月17日


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世界中でベストセラーになったカラヤン最大のヒット作である。

カラヤン最大のヒット作ということは、おそらくはクラシック音楽史上でも最高のヒット作ということになるのであろうが、アンチカラヤン派の方々からは、そもそもこのようなCDの企画自体が、生前に音楽家ではなくセールスマンだと揶揄されたカラヤンならではの所業であるとの強烈な批判が寄せられることは十分に想定されるところだ。

しかしながら、本CDは、芸術性をどこかに置き忘れた単なる低俗な人気取り商品であるかと言うと、必ずしもそうとは言い切れないのではないだろうか。

というのも、本盤に収められた楽曲がいずれも名旋律で彩られたポピュラーな名作であるのみならず、演奏自体もいずれも素晴らしい名演であるからだ。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏はとにかく凄かった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本盤に収められた演奏の中には、一部にカラヤンの統率力に陰りが見られた1980年代の演奏(特に、ブラームスの交響曲第3番第2楽章とシベリウスの「悲しきワルツ」)も含まれてはいるが、大半の演奏はまさにカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の圧倒的な音のドラマが健在である。

もちろん、本演奏には、フルトヴェングラーが指揮した演奏に顕著な音楽の内容の精神的な深みの徹底した追求は薬にしたくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を付けることは困難である。

また、カラヤンの演奏は、音のドラマの構築に特化しているため、何色にも染まっていない演奏とも言えるところであり、初心者には安心しておすすめできる演奏である反面、クラシック音楽の熟達した聴き手には、楽曲への理解力が試されるむしろ玄人向きの演奏であるという側面も有しているのではないかと考えている。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は、いずれもカラヤン、そしてベルリン・フィルが構築した圧倒的な音のドラマを味わうことが可能な至高の超名演であると高く評価したい。

特に、「タイスの瞑想曲」におけるミシェル・シュヴァルべによるヴァイオリン・ソロの蕩けるような美しさには抗し難い魅力が満ち溢れており、あまりの美しさに涙なしでは聴けないほどだ。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であったが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたルビジウムカッティングによるSHM−CD盤がベストの音質である。

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2013年12月16日


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本盤には、バーンスタインがツィマーマンと組んでライヴ録音したブラームスのピアノ協奏曲第2番が収められているが、素晴らしい名演と高く評価したい。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。

本盤の演奏とほぼ同時期に、バーンスタインはウィーン・フィルとともにブラームスの交響曲全集をライヴ録音(1981〜1982年)しており、当該演奏もどちらかと言えば疑問符を付けざるを得ない点も散見されるところであるが、ウィーン・フィルの懐の深い音色が演奏を浅薄なものに陥るのを避けるための大きな防波堤になり、少なくとも佳演との評価は可能な演奏に仕上がっている。

一方、本盤の演奏においても、基本的には交響曲全集の場合と同様であり、いかにもバーンスタインの晩年の芸風が色濃く反映された演奏に仕上がっている。

第1楽章冒頭の超スローテンポによる開始には殆ど閉口させられるが、その後も極めて遅いテンポ、ゲネラルパウゼの多用、粘ったような曲想の進行、濃厚さの極みとも言うべき表情過多な表現などが駆使されており、これ以上は考えられないような濃密な音楽が構築されている。

したがって、いわゆるドイツ正統派のブラームス演奏とは百八十度異なる異色の演奏であり、バーンスタインがマーラーの交響曲の演奏で垣間見せるヒューマニティ溢れる熱き心で満たされているとさえ言えるだろう。

まさに、バーンスタインの体臭が芬々としている演奏と言えるところであり、これは好き嫌いが明確に分かれる演奏であるとも言えるところだ。

もっとも、本盤の演奏では、ツィマーマンのピアノが清新さに満ち溢れた名演奏を展開していることから、バーンスタインの体臭芬々たる濃厚な演奏が若干なりとも中和されていると言えるところであり、交響曲全集ほどの違和感を感じさせることがないと言える。

そして、ウィーン・フィルによる懐の深い美演が、演奏全体に独特の潤いを与えているのを忘れてはならないところだ。

いずれにしても、以上の点を総合的に勘案すれば、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、本従来盤でも十分に満足できるものであるが、先般発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

バーンスタイン、そしてツィマーマンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:38コメント(0)トラックバック(0)ツィマーマンバーンスタイン 

2013年12月15日


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ブルックナーは1958年1月17日、ヴィヴァルディはその翌日の1月18日、ベルリン国立歌劇場での録音。

WEITBLICKからリリースされる今回のシリーズは、マタチッチの旧東ドイツにおけるライヴ音源をCD化するもので、これまでほとんど知られていなかったといっていいドイツにおけるその活動をかいま見せる、貴重なリリースと言えるだろう。

マタチッチは「音楽以外のことはまったく無頓着」だったと伝えられる性格のゆえか、そのレコーディングは名声に比してさほど多いとは言えない。

まずは、マタチッチ得意のブルックナーで、それも「第9」の登場というのが朗報だ。

チェコ・フィルや、現在廃盤のウィーン響とのレコーディングで知られるマタチッチの十八番であるが、ドイツのオーケストラとの共演盤は初めてだけに、ファンには見逃せないところ。

マタチッチのブルックナー録音としては、第4番「ロマンティック」(EMI)に次いで初期の録音であるが、実に堂に入った演奏で、ゴツゴツとした岩肌のような無骨な演奏。

スケールの大きな、悠然たる構えの演奏で、いかにもマタチッチらしく、飾り気のない質実剛健な表現を行いながらも、大らかで晴朗な音楽となっているところが素晴らしい。

そのどっしりした存在感は無類なものだ。

ボーナス・トラックは何とトスカニーニも愛奏した名作、ヴィヴァルディの「調和の霊感」。

大オーケストラで荘重に鳴らすこのスタイルは現今では噴飯物の誹りも免れないが、曲調が立派なだけにマタチッチの堂々たる様式感覚の説得力には心打たれる。

いずれもモノラル録音だが、旧東独が誇る高水準の録音であり、マタチッチのいささか荒っぽさを感じさせる演奏にも若干の潤いが感じられる。

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2013年12月14日


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バッハのマタイ受難曲は、数多くの作品の中でもひときわ大きく聳え立つ傑作であり、人類最大の遺産のひとつに数えられる畢生の名作。

本盤は、その中から聴き所を抜粋した作品集。

バッハのマタイ受難曲をクラシック音楽史上最高傑作と評価するクラシック音楽ファンも多い。

こうした考え方が正しいのかどうかは別として、少なくとも大傑作の名に値する作品であることについては異論の余地がないところであろう。

これだけの大傑作だけに、かつてはメンゲルベルクやクレンペラー、そしてカラヤンなどの大指揮者によって、大編成のオーケストラと合唱団を使用した重厚な名演が繰り広げられていた。

ところが近年では、オーケストラにピリオド楽器を使用した演奏、古楽器奏法を駆使した演奏、さらには、各パートを一人ずつとするなど極めて小編成のオーケストラによる演奏等が現れてきており、加えて合唱団も少人数にするなど、かつてと比較すると軽妙な演奏が増えつつあるように思われる。

このように、マタイ受難曲の演奏様式は刻々と変化してきていると思われるが、録音から既に50年以上が経過しているにもかかわらず、現在でもその価値がいささかも色褪せない永遠の名演こそが、本盤に収められたリヒターによる1958年のスタジオ録音である。

ミュンヘン・バッハ管弦楽団は比較的小編成のオーケストラではあるが、いわゆるシンフォニックな重厚さにおいてもいささかも申し分ない。

演奏は、悠揚迫らぬテンポによる荘重さ、壮麗さが支配しており、常に気迫溢れる力強さと峻厳さを失っていないのが素晴らしい。

このようなリヒターの本演奏にかける凄まじいまでの集中力には殆ど驚異を覚えるほどだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは雄大の極み。

また、イエスの逮捕のシーンの劇的な迫力などにも凄まじいものがあり、ドラマティックな要素にも欠けるところがない。

まさに、同曲に込められた内容を音化し尽くした稀有の名演と言えるところであり、今後とも本名演を超える演奏を行うのは容易ではないと言っても過言ではあるまい。

独唱陣も極めて優秀であり、特に福音史家のエルンスト・ヘフリガーの入魂の名唱は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。

若きフィッシャー=ディースカウによるアリアにおける名唱も、演奏全体の緊張感の持続に少なからず貢献している。

ミュンヘン・バッハ合唱団やミュンヘン少年合唱団の歌唱も壮麗かつ清澄な美しさの極みであり、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

この名演を初めて聴く人は、ハイライト盤ですまそうとは夢にも思わないで欲しい。

あくまでこの偉大な作品・演奏の全曲を聴く足掛かりだということを肝に銘じていただきたい。

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classicalmusic at 23:34コメント(0)トラックバック(0)バッハリヒター 

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カール・リヒターのバッハ宗教音楽集をセットにまとめたお徳用盤。

「マタイ受難曲」は不朽の名盤中の名盤。この峻厳そのもののバッハを超える演奏は、今後もなかなか現れないだろう。時代も変わっているから、あるいはこのリヒターの妥協のなさに息苦しく感じられるところがあるかもしれない。しかし、20世紀が遺したバッハ演奏の頂点を示すものとしての評価は変わらないだろう。

バッハの「マタイ」を聴こうとする人にとって、この曲の投げかける真摯な問いかけをいい加減に受け止めることはできまい。リヒターの「マタイ」の厳しさは他に類のない高さにあり、未だにその鮮烈さを失うことなく我々の前に屹立している。最初からじっくりと対訳とにらみ合わせながら、急がず聴き込んで欲しい。

「ヨハネ受難曲」も厳しいまでの威厳にみちたバッハ演奏で、リヒターの峻厳な指揮に支えられて、全曲を極めて高い緊張感が支配している。過度の感情移入は厳しく抑制され、ヘフリガーの福音史家も静かな語り口の中に驚くほどの説得力をもって、この受難のドラマの劇性を表出する。リヒターのバッハ演奏の中でも最高峰のひとつに数えられる名演である。

「クリスマス・オラトリオ」は細部にいたるまで妥協を許さないリヒターの緻密な設計と、強力な統率力が全曲を支配している。バッハを真正面からとらえた演奏で、厳しいまでの表情は他の演奏にはみられない威容を示す。4人の独唱者、オーケストラ、合唱団の集中力の高い、真摯な演奏も申し分なく、その重厚な響きと清澄な音色は一度聴いた者の耳を離そうとしない。現代楽器を用いた演奏だが、時代や様式を超えたバッハ像がある。

「ミサ曲ロ短調」も古い録音だが未だに鮮烈な内容を保ち続けているのは、リヒターの決して消えることのない精神力のためだろう。彼ほどの凝集力、音楽の持続力を保ち続けた指揮者はいなかった。そして独唱陣の何と水準の高いことだろう。不確かな個所は1小節たりともない。その精神の高さでは、リヒターを超えるバッハの演奏家は当分現れまい。まさに不朽の名盤といってよいだろう。

「マニフィカト」は、この作品の壮麗さ、優しさ、美しさをこれほど格調高く、堂々と歌い上げた演奏というのは、ほかにはない。独唱陣に、録音当時最高の顔ぶれを揃えていて、崇高な雰囲気を見事に表出している。

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2013年12月13日


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このヨッフム死の半年前の記念碑的な来日公演については既にレビュー投稿済だが、ついにシングルレイヤーによるSACD盤で発売されることになったので改めて投稿する次第である。

ユニバーサルやEMIが揃ってSACD盤の発売に積極的になってからというもの、一時は瀕死の状態にあったSACDが急速に脚光を浴びるようになったというのは、パッケージメディアの良さを改めて認識させるという意味において、大変喜ばしいことである。

そうしたSACD復活の流れの中で、大指揮者による数々の来日公演のCD化で定評のあるアルトゥスレーベルが、先日のムラヴィンスキーの来日公演(1973年)のCD2点を皮切りとして、シングルレイヤーによるSACD盤の発売に踏み切ったのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

アルトゥスレーベルによるSACD化第2弾として、何を発売するのか筆者としても非常に興味を抱いていたところであるが、今般選ばれた音源は、いずれも文句のない歴史的な名演揃いである。

特に、ヨッフムの最後の来日公演でのブルックナーの交響曲第7番は、今でもファンの間で語り伝えられている歴史的な超名演であり、今般のシングルレイヤーによるSACD化によって、鮮明かつ臨場感溢れる極上の高音質に生まれ変わった意義は極めて大きいものと言わざるを得ないところだ。

それにしても素晴らしい超名演だ。

ブルックナーの権威として自他ともに認めるヨッフムであるが、巨匠ヨッフムとしても死の半年前という最晩年になって漸く成し遂げることができた最高の名演奏と言えるのではないだろうか。

ヨッフムによる本演奏は、後年のヴァントや朝比奈などによって確立された、いわゆるインテンポを基調とした近年主流となったブルックナー演奏とは必ずしも言い難い。

テンポの振幅も大胆に活用しているし、旋律の歌い方も熱きロマンティシズムにさえ満ち溢れているほどだ。

それでいて、演奏全体の造型はきわめて雄大。

楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さにおいては尋常ならざる凄みがあると言えるところであり、演奏全体としては、いわゆるブルックナーらしさをいささかも失うことがないというのは、まさにブルックナーの権威たるヨッフムの真骨頂と言えるだろう。

とりわけ、第2楽章のゆったりとしたテンポによる悠揚迫らぬ音楽の運びは、神々しいまでの崇高さを感じさせるほどであり、これはヨッフムが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の清澄な境地と言えるのではないだろうか。

併録のモーツァルトの交響曲第33番も、近年の古楽器奏法やピリオド楽器使用による軽妙浮薄な演奏とは正反対の、重厚にしてシンフォニックな名演であり、これぞ巨匠の音楽と言っても過言ではあるまい。

オーケストラがコンセルトヘボウ管弦楽団であったことも功を奏しており、ヨッフムの神々しいまでの統率の下、最高のパフォーマンスを発揮しているのが見事である。

いずれにしても、本盤は、演奏の素晴らしさ、そして極上の高音質(とりわけ、モーツァルトの交響曲第33番の演奏における艶やかな音色には抗し難い魅力が満ち溢れている)という、望み得る要素をすべて併せ持った至高の名SACDと高く評価したい。

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2013年12月12日


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長らく待ち望んだ正規盤としての発売が、またひとつ実現した。

ヴァントが北ドイツ放送響首席指揮者就任後、初の定期公演の『展覧会の絵』(1982年)と、ボレット独奏のチャイコフスキー第1番(1985年)という魅力的なカップリングでの登場だ。

ヴァント&北ドイツ放送響といえば、BMGによる重厚な雰囲気たっぷりの名演の数々が思い浮かぶが、今回正規初CD化の2曲はNDRのオリジナル・テープからCD化されたもので、まずその音質のあまりのクリアさに驚かされる。

音が残響で曇ることなく、細部まではっきり聴き取れるため、いままでの同コンビの印象も新たになるようで、ヴァント首席指揮者就任時の覇気あふれる『展覧会の絵』も「バーバ・ヤガー」から「キエフの大門」に至る崇高な盛り上がりなど無類の名演である(ちなみにBMG盤は1999年録音)。

チャイコフスキーでのボレットとの共演は圧巻の一語で、こちらも音質抜群。

緊迫感ただならぬものがあり、PROFILレーベル社主のギュンター・ヘンスラー氏の自薦する録音のひとつだということだ。

それだけに、このボレット&ヴァントのチャイコフスキーは、凄い。

凛として、かつ圧倒的な音楽的エネルギーの燃焼は、うかつに聴くと、はじきとばされかねない。

かといって、決して荒っぽい“爆演”ではなく、非常なエネルギーが持続して、極めて精緻に、集中・凝縮している。

繊細といえばこれほど繊細な演奏もなく、しかしその「繊細」は、ヤワじゃない。

これぞ硬派のチャイコフスキー、まさに偉大な演奏の記録だ。

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classicalmusic at 21:24コメント(0)トラックバック(0)ヴァントボレット 

2013年12月11日


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ラトル&ベルリン・フィルの近年の好調ぶりを窺い知ることが可能な素晴らしい名演だ。

ラトルと言えば、マーラーの交響曲を得意のレパートリーとしており、既にベルリン・フィルとともに複数の録音を行っているところであるが、ブルックナーの交響曲については、ベルリン・フィルとの間では、未だ第4番の録音(2006年)を行っているのみにとどまっている。

当該第4番の演奏が、気負いだけが際立った当時のラトルの欠点が露わになった凡庸な演奏であり、その意味では、ラトルはこの6年間の間に、長足の進歩を遂げていると言っても過言ではあるまい。

とにかく、ラトルがこれだけの進歩を遂げた要因として掲げられるのは、ラトルがベルリン・フィルを完全に掌握し、自らの意のままに統率することが可能になったことであると考えられる。

したがって、ベルリン・フィルの芸術監督の就任後、数年間にわたって、意欲だけが空回りして凡庸な演奏を繰り返すという悪循環から抜け出し、自らの才能を、ベルリン・フィルという世界最高のオーケストラを完全に掌握して全面的に発揮することが可能になったと言えるのではないだろうか。

本盤に収められた演奏においても、そうしたラトルの類稀なる才能が全開である。

ベルリン・フィルによるブルックナーの交響曲演奏と言えば、最晩年のヴァントによる至高の超名演が名高いが、ラトルは、さすがにヴァントの至高の芸術の高峰には到達し得ていないものの、ベルリン・フィルの重厚な弦楽合奏や強靭なブラスセクションなどを効果的に生かした、圧倒的な名演を成し遂げていると評価したい。

テンポの振幅なども最小限に抑えるなど、近年のブルックナーの交響曲演奏の王道を行くアプローチに徹しているのも素晴らしい。

また、ラトルらしいのは、従来の第1楽章から第3楽章に加えて、最新の研究成果に基づく第4楽章補筆完成版を付加して録音している点である。

筆者としても、これまで様々な第4楽章の補筆版を聴いてきたところであるが、本盤に収められた版は初めて聴く版ではある。

ライナー・ノーツにも詳細な解説が記載されているが、当該版は、ブルックナーが死の直前まで格闘して作曲をしていた原譜に限りなく近いものとして評価することも可能である。

このような第4楽章補筆版を付加すると、第1楽章から第3楽章の演奏がややなおざりになる可能性も無きにしも非ずであるが、第3楽章までの演奏も前述のように圧倒的な名演であり、第4楽章補筆版を付加したことによる演奏の綻びなども微塵も感じさせないのが見事である。

いずれにしても、本演奏は、前述のように、ラトル&ベルリン・フィルの近年の充実ぶりを示すとともに、今後のブルックナーの他の交響曲の録音にも大いに期待を持つことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

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2013年12月10日


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現代の世界の一流オーケストラは、英国系やイタリア系、ロシアを含めた北欧系の指揮者に席巻されていると言っても過言ではあるまい。

ベームやカラヤンが全盛期を迎えた頃の独墺系の指揮者が大活躍をしていた時代とは隔世の感があると言ってもいいのではないだろうか。

昨年、大往生を遂げたザンデルリンクも2002年には指揮活動から引退しており、そのような状況の中で、指揮者として壮年期を迎えつつあるドイツ人指揮者ティーレマンにかけられた期待は極めて大きいものと言わざるを得ない。

歌劇場でキャリアを積んできたという経歴も、独墺系の指揮者の伝統に根差したものであり、ティーレマンの今後の更なる発展を大いに期待したい。

ウィーン・フィルは、ベートーヴェンの交響曲全集をこれまでイッセルシュテット(1965〜1969年)、ベーム(1970〜1972年)、バーンスタイン(1977〜1979年)、アバド(1985〜1988年)、ラトル(2002年)と録音をしてきているが、イッセルシュテット、ベーム、バーンスタインは別格として、アバドやラトルは、ウィーン・フィルとの全集録音後ベルリン・フィルの芸術監督に就任しており、ウィーン・フィルのティーレマンに対する期待を感じさせるとともに、本全集は今後のティーレマンのキャリアアップに繋がる一大エポックメーキングと言えるのではないだろうか。

演奏は、まさに独墺系のかつての大指揮者によるベートーヴェンの交響曲の演奏の伝統に根差した重厚にしてシンフォニックなドイツ色の濃い演奏と言えるところだ。

近年では、ピリオド楽器の活用や、現代楽器を使用した古楽器奏法などが、ベートーヴェンの交響曲の演奏様式の主流になりつつあるが、ティーレマンによる本演奏は、そうした軽妙浮薄な演奏への強烈なアンチテーゼとさえ言えるだろう。

楽譜も、定番化しつつあるペンライター版ではなく、旧来のブライトコプフ版を使用するという徹底ぶりであり、将来を嘱望された独墺系の指揮者による意地の名演とさえ言えるところだ。

ウィーン・フィルの各奏者も、ティーレマンの指揮に心から共感して渾身の名演奏を行っているようであり、近年の軽妙浮薄なベートーヴェンの交響曲演奏を苦々しく思っていた聴き手には、まさに一服の清涼剤のように、懐かしき故郷に帰省したような気持ちになると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤に収められた各交響曲の演奏は、決して古色蒼然ではなく、軽妙浮薄な風潮に毒されているが故に存在意義が極めて大きい、そして、むしろ新鮮ささえ感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 21:10コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンティーレマン 

2013年12月09日


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今を時めく気鋭のピアニストと指揮者どうしの組み合わせ。

5年前に録音されたピアノ協奏曲第1番及び第2番も名演であったが、本盤もそれに優るとも劣らない名演だ。

両者のアプローチの特徴を一言で言えば、現代的に洗練された透明感溢れるアプローチと言ったところではないだろうか。

ラフマニノフの演奏でよく聴かれるロシア的情緒を強調した民俗色溢れるあくの強さなど、薬にしたくもない。

研ぎ澄まされた圧倒的な技量をベースとした透徹したピアニズムを銘とするアンスネスの美音と、それを現代的に洗練された指揮のパッパーノが巧みにサポートするという構図であり、このような切れ味鋭い現代的アプローチは、両曲の中でも第4番の方により相応しいものと言える。

第4番には、本盤と似たアプローチで現代的な音のドラマを展開したミケランジェリによる超名演があるが、本盤の演奏も、ミケランジェリ盤に肉薄する名演と高く評価したい。

力強い打鍵といささかも情緒には陥らない高踏的な美しさの見事な融合は、同曲が第2番や第3番に劣らぬ傑作であることを改めて認識させてくれる。

他方、第3番も旧盤でのリズム感溢れた青年らしい実直な演奏も素晴らしい出来だったが、音楽的に成熟しスケールの大きさそしてクリーンなテクニックとともにピアノを充分に底から鳴らし哀愁を帯びた美しい音色で演奏されたこの演奏は本当に見事。

確かに名演とは言えるが、こうした現代的なアプローチが、いささか淡白さを感じさせる箇所が散見され、もう少し情感の豊かさが欲しいという気がしないでもなかった。

録音もピアノとオーケストラとのバランスが非常に良く、両曲の協奏曲としての醍醐味を深く味わうことができる。

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classicalmusic at 21:13コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフ 

2013年12月08日


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シフは、シューベルトのピアノ・ソナタ全集を録音するなど、シューベルトを得意としているが、本盤は、シューベルトのピアノ曲の小品のほとんどを収録した好企画CDである。

シフは、コチシュなどとともに、ハンガリー出身の若手ピアニストとして、その将来を嘱望されていたが、当初は、コチシュなどとは異なり決して目立つ存在ではなかった。

しかしながら、コチシュが、バルトークなどのハンガリー音楽のスペシャリストとして成長していく一方で、シフは、本盤のシューベルトやスカルラッティ、ブラームスなどにレパートリーを拡げることに伴って、その才能をますます開花することになり、その名声においては、現在ではコチシュにも匹敵する存在となっているのは論を待たないところである。

シフには、コチシュのような強烈な個性はないが、作品に内在する音楽の魅力を最大限に発揮させるという真摯な姿勢が、演奏に潤いと情感の豊かさを与えている点を高く評価したい。

本盤は、そうしたシフの長所がプラスに働いた名演と言える。

シフはベーゼンドルファーを用いてシューベルトの抒情的な特質を最も純粋な形で表現し、新鮮な演奏を展開している。

ここには、例えば内田光子などの精神的な深さや、リリー・クラウスのようなチャーミングな魅力はないが、作品の持つ抒情性や清澄な詩情を存分に味わわせてくれるという意味においては、他の名演にもいささかも劣らない高次元の演奏に仕上がっていると言える。

本盤は、今から約20年も前の録音であるが、仮に、現時点で再録音すれば、さらに深みのある演奏が出来るのではないか。

その意味でも、再録音を大いに期待したい。

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classicalmusic at 21:29コメント(0)トラックバック(0)シューベルトシフ 

2013年12月07日


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素晴らしい名演だ。

オペラや劇音楽を得意とする炎のカリスマ指揮者ゲルギエフと手兵マリインスキー劇場管弦楽団によるこのアルバムは、全体の構成を明確に捉えながら劇的でダイナミックかつ情感豊かに表現したもので、舞台の動きを彷彿とさせる演奏を繰り広げている。

ゲルギエフは、3年前にも、現在の手兵であるロンドン交響楽団とともに、同曲の再録音に臨んだが、当該盤も、近年のゲルギエフの進境の著しさを表す名演ではあった。

しかしながら、オーケストラの性格も多分にあるとは思うが、やや角のとれた円満さが目立つきらいがないわけでもなかった。

ところが、本盤は、今から約20年も前の、ゲルギエフが新進気鋭の指揮者として注目を広めつつあった時期の録音でもあり、しかも、オーケストラがマリインスキー劇場管弦楽団であることもあって、ロシア風の民俗色溢れた力強い名演に仕上がっている点を高く評価したい。

最新盤とは異なり、SACDマルチチャンネル盤ではないが、従来盤であっても、素晴らしい音質で捉えられており、音質面においても、遜色のないものとなっている。

ゲルギエフの素晴らしい点は、新盤でもそうであったが、オペラを数多く指揮している指揮者だけに、長大な作品全体を、冗長さを感じさせることなく、実に見事に纏め上げている点であり、2時間以上も要するこの作品を、聴き手の集中力をいささかも切らせることなく、一気呵成に聴かせてしまう点は、オペラ指揮者としてのゲルギエフの真骨頂とも言える。

いい意味での演出巧者とも言えるところであり、これはゲルギエフの指揮者としての大きな強みと言える。

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classicalmusic at 21:25コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフゲルギエフ 

2013年12月06日


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まさに超個性的な演奏である。

ショパン弾きとして名を馳せたピアニストは多数存在しているが、サンソン・フランソワほど個性的なピアニストは他に殆ど類例を見ないのではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められたポロネーズ集なども、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

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classicalmusic at 23:32コメント(0)トラックバック(0)ショパンフランソワ 

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素晴らしい名演だ。

ショパン弾きとして名を馳せたピアニストは多数存在しているが、サンソン・フランソワほど個性的なピアニストは他に殆ど類例を見ないのではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められた夜想曲集、前奏曲集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

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classicalmusic at 21:10コメント(0)トラックバック(0)ショパンフランソワ 

2013年12月05日


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全部で21曲収録されていたバレンボイムによるショパンの夜想曲全集から、最も人気のある13曲を抜き出して選集としたもの。

イギリスの作曲家フィールドに影響されて作曲したと伝えられるショパンの夜想曲は、彼の諸作品のなかでもきわめてロマンティックな曲が数多く含まれている。

ショパンは生涯に20数曲の夜想曲を作曲したが、このアルバムでは映画に使用されて有名になった甘美な第2番を始め、人気の高い作品が新たに選曲されている。

指揮者としても縦横無尽の活躍を続けるバレンボイムの、ピアニストとしての活動を如実に示す1枚。

よくいえば清潔で醒めた演奏だが、受け取り方によってはやや魅力の少ないショパンにも聴こえる。

ショパンのロマン的な一面を過度に強調しがちだった古い世代のスタイルに対する反省があるからだろうか。

感情過多な表現を抑制したクールな語り口で、透明で美しいショパンを作り出している。

決して規範を踏み外さないクールなショパンである。

指揮者であることも関係するのだろう、曲をすっかり手の内に入れて、余裕をもって音楽を聴き手に届ける。

決して攻撃的にならず、聴かせどころを外さず、1曲ごとの物語を豊かに紡ぐ。

決して技術が曲想をはみ出すことがなく、夜想曲集はバレンボイムのピアニズムに合っている。

仕事で疲れた頭や耳を静かに巧みに癒してくれる感じで、聴いていると、自然にうっとりさせられる。

唯一の後悔は、輸入盤で手に入る全曲盤を買うべきだったか、ということ。

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classicalmusic at 23:51コメント(0)トラックバック(0)ショパンバレンボイム 

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この盤に収録された2曲の協奏曲は、どちらも1785年から1786年に作曲された、モーツァルト円熟期の作品。

自作の弦楽四重奏曲をハイドンに献呈したり、『フィガロの結婚』を作曲したり、と充実した活動を行っていた時期で、この2曲も流麗なピアノ・パートと豊かな楽想、そして起伏に富んだ構成を持つ素晴らしい出来となっている。

また両曲とも、第2楽章のゆっくりとした楽章が短調で書かれていて、「モーツァルトの憂愁」も存分に感じられる。

さて、バレンボイムとモーツァルトの相性の良さは誰もが知るところである。

イギリス室内管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニーとの弾き振りの全集は、どちらも名演中の名演として評価されている。

1970年と言えば、バレンボイムがそろそろ指揮者としての地盤固めを始めた頃のものであるが、この演奏では、オーケストラの手綱をクーベリックに全面的に預け、実にのびのびとピアノを演奏するバレンボイムに出会うことができる。

このバレンボイムとクーベリックの演奏、比較的知名度の低い第22番の冒頭から、驚くほどの緊張感と華やかさを持って立ち現れる。

また両曲の特徴である、管楽器の絡み合いが実に見事で、バイエルン放送響の管楽群は特に優秀である。

フルート、ホルン、クラリネットなどがあちこちから顔をのぞかせ、ついついスコアを再確認したくなる面白さだ。

第2楽章の豊かな音響、そして第3楽章の中間部のうっとりとするような部分など、聴きどころは満載。

第23番も名演。

こちらは幅広く歌う第1楽章の第1主題(こちらも管楽器がすばらしい)、予想外にゆったりとしたピアノなど、こちらも聴きどころ満載。

既に、今までに数多くのモーツァルトを聴いてきた人も、この1枚はまた新たな発見をもって聴いてもらえると思う。

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classicalmusic at 21:32コメント(2)トラックバック(0)クーベリックバレンボイム 

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先の来日で十数年振りにピアニストとしての公演を行い、平均律クラヴィーア曲集の全曲演奏という珍しいプログラムを敢行、大変な高評価を得たダニエル・バレンボイム。

2004年にリリースした第1巻と2005年の第2巻が、セットで発売されることになった。

バレンボイムは、規模が大きく並外れた深みが必要とされる作品で、特に真価を発揮するアーティストであり、この『平均律』でも驚異的な名演を聴かせている。
 
ここでバレンボイムがとったアプローチは、チェンバロ演奏とは大きく異なる、ピアノならではの特性を徹底的に生かした見事なもので、ペダルを駆使し、千変万化するタッチによって、たっぷりとしたスケールの中に深く美しく思索的に再現されるバッハの音楽には圧倒されるほかはない。

これほどまでにピアニスティックにこの作品を演奏したものもなかなかないと思う。

ただ、個人的にはこういう演奏も愉しめるが、これはバッハじゃないという意見も聞こえてきそうだ。

それ故、この演奏、かなり聴く人の好みが問われる演奏だろうと思う。

教科書的な演奏が好きな人には耐えられまいが、筆者は好きだ。

何よりもピアノというある意味単調な楽器から、バレンボイムが持てる技術を尽くして、多彩な表情、音色を引き出している点。

フーガが流れているという批判があったが、対位法を十分引き出しつつ、流れるように歌うこの演奏のどこが問題だというのだろうか。

ごつごつと弾かれるフーガよりも筆者にはよほど魅力的だ。

『平均律』にありがちなどれを聴いても単調に聴こえる感じではなくて押し寄せてくるような強弱の波がくる演奏が魅力的。

そんな中でも呼吸と同調するような心地良いリズムが飽きない良さであろうか。

まるでオーケストラが弾いているような多彩な表情を見せてくれるバッハだ。

バレンボイムの作品への深い尊敬と共感に満ちた素晴らしい演奏と言えるだろう。

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classicalmusic at 00:55コメント(0)トラックバック(0)バッハバレンボイム 

2013年12月04日


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大器晩成の巨匠・テンシュテットがEMIにレコーディングを開始し、その圧倒的な実力が認められ始めたのは1970年代後半から1980年代にかけて。

手兵ロンドン・フィルとのマーラー全集をはじめ、ベルリン・フィルを指揮したシューマンやメンデルスゾーン、そして当盤のシューベルトで見せたしなやかな感性、構えの大きさで瞬く間に人気が爆発した。

この「ザ・グレート」は推進力に満ち、濃厚な表情もたっぷりで聴き応え充分。

がっちりとした構成感をおきながら雄渾に起伏させて、ベルリン・フィルの豊潤な音を十分に響かせた希有の名演。

細部にまでテンシュテットの個性が表れた素晴らしい演奏だ。

適度の客観的な平衡感が4つの楽章を整然と造形しており、その中に創意にみちた自発的な表情が生まれている。

加えて第1楽章のコーダでは、テンシュテットのスケールの大きさが十二分に示される。

第2楽章の清澄な響きとのびやかな歌、第3楽章の表情の対比の見事さ、終楽章の堂々とした恰幅のよさなど、すべてに好感と説得力がある。

テンシュテットの人間臭さ、そして不思議な没我・集中型の指揮が、この作品をどれほど純粋な、高揚されたものに高めているかが、聴き手の一人一人の感銘の中に深く銘記されれば幸いである。

テンシュテットがベルリン・フィルの最も有力な次期音楽監督と評判になった頃の録音でもあり、フルトヴェングラー以後「音楽に最も真摯に取り組んだ指揮者」といわれたテンシュテットの芸術を知る上でも、マーラーとともに絶対に忘れることのできないものである。

音質もデジタル録音で申し分ない。

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classicalmusic at 23:47コメント(0)トラックバック(0)シューベルトテンシュテット 

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1984年8月26日、ロンドン、ロイヤル・アルバートホールでのライヴ録音。

テンシュテットらしく気宇壮大なドイツ・レクイエムである。

テンシュテットはこのライヴの直前に、EMIにこの曲をスタジオ録音している。

それと比べると、ここでの演奏は重々しさと彫りの深さが大きな魅力になっている。

大変な重量感を持って迫ってくる演奏で、並外れた集中力と表現意欲の賜物と言える。

この作品の構成的な美しさを、よくひき出した演奏で、小細工を弄することなく、正攻法で挑んでいるところに惹かれる。

全体をゆっくりとしたテンポで流しながら、たっぷりと旋律を歌わせているあたり、いかにもテンシュテットらしい。

静謐な演奏で、ここには真摯な祈りがあり、聴き進む程に心に浸み入ってくる名演だと思う。

底知れぬ暗さと、ふっと訪れる美しく優しい響きの対比は極端なほどで、まさにテンシュテットならではの鎮魂歌。

スタジオ盤のジェシー・ノーマンも素晴らしいが、ここでのルチア・ポップの可憐な歌声もとても魅力的。

ただし、曲によっては合唱がやや物足りないところもあるが、オーケストラは見事だ。

そして他の演奏家、たとえばカラヤンのような豊かな響き、もしくはヘレヴェッヘのような、ひたすら洗練された美しい演奏と比べると、非常に重く暗い演奏なので、集中力と根気が要る。

しかし、覚悟を決めて聴き通すと、そこには素晴らしい感動が待っている。

BBCレジェンドとしては音質も充分満足いくものだ。

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classicalmusic at 21:26コメント(0)トラックバック(0)ブラームステンシュテット 

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故テンシュテットとロンドン・フィルのコンビは多くの名盤・名演を残したが、BBC放送音源をCD化したこのブラームス「第1」のライヴ演奏は極めつけに凄い。

1990年の録音で、テンシュテットが癌のためロンドン・フィルの音楽監督を退き、桂冠指揮者となって闘病生活を送りつつ演奏活動を行っていた時期の演奏。

テンシュテットの命の炎をふりしぼるような指揮にロンドン・フィルが感応し、冒頭から熱気溢れる演奏で、感動の第4楽章まで一気に走り抜ける。

壮絶きわまりない演奏で、とても闘病生活中の指揮とは思えない。

作品にふさわしい、堂々と力強く、気宇の大きいブラームスだが、テンシュテットの特色は、強壮な中にも意外なほど繊細な感性をもっていることにある。

終楽章で息の長いフレージングが、悠揚と高潮してゆく劇性も素晴らしい。

ロンドン・フィルの響きが艶やかに磨かれ、旋律のなめらかさがブラームスの晦渋さを救っているのもこの演奏の魅力である。

この曲の名演・名盤は数多くあるが、ライヴ演奏では真っ先に本作を筆者は推薦したい。

テンシュテットはここでも全身全霊を音楽に傾ける姿勢が顕著な演奏内容となっている。

ボレットはシューマンのピアノ協奏曲をシャイーとスタジオ・セッション録音(1985年)をしており、その堅実な演奏内容は素晴らしく充実していたが、ボレットもまた、スタジオ録音よりはライヴで真価を発揮する名うてのヴィルトゥオーゾ。

シューマンの狂気は、テンシュテットとの顔合わせであるこちらのほうがはるかに色濃いといえるだろう。

そしてボレットとテンシュテットのライヴならではのスリリングな競演が、これまた素晴らしい。

いずれも音質良好で、ファンを釘付けにするのは必至と思われる。

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classicalmusic at 01:01コメント(0)トラックバック(0)テンシュテットボレット 

2013年12月03日


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テンシュテットがロンドン・フィルを1992年10月8日に指揮したベートーヴェン「第9」のデジタル・ライヴ録音。

録音時期を考えると、この演奏はテンシュテットの活動における最期の時期のもので、良く知られる1985年盤に目立つ激しさよりも、穏やかで諦念に満ちた歌心が随所に見られる魅力的な演奏となっている。

「これがテンシュテットとの最後の共演になるかもしれない」というロンドン・フィル側の思いが演奏に反映されているのかもしれない。

それでも演奏は空恐ろしいほどの集中力に満ちている。

第1楽章では深く深く抉るように音楽の底へ沈降していくオーケストラに圧倒される。

第2楽章では、ティンパニがいつもの3倍ぐらいの力で叩いているようにも聴こえる。

第3楽章の諦感に充ちた粛々と過ぎ去ってゆく時を慈しむかのようなアダージョの美しさと、終楽章の宗教曲的な神々しい緊張感は、最晩年のテンシュテットならではである。

もちろんテンシュテットらしく終楽章などは爆裂しているが、オーケストラも当時最高の名歌手たちも、その指揮に全身全霊で応え、ホール全てが信じられないような白熱した空気に包まれている。

ただし、全体として少々力みすぎている節があり、それが音楽の流れを阻害している部分も散見される。

その意味では同じ組み合わせによる1985年9月13日のライヴ録音(既にエントリー済)の方が完成度は高いし、割りと誰にも解りやすいと思われる。

しかし、テンシュテットとロンドン・フィルが最後まで相思相愛であったことが痛いほどわかる演奏であり、その一つの記録ということができよう。

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classicalmusic at 23:48コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンテンシュテット 

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1984年4月13日 大阪フェスティバル・ホールに於けるライヴ録音。

1984年、テンシュテットとロンドン・フィルが日本で行ったライヴがついに陽の目を見た。

テンシュテットといえばマーラー。しかも5番という、きわめつけのレパートリー。

すでにロンドン・フィルとの2種の録音(78年スタジオ・88年ライヴ/EMI)が広く知られているが、これもそれらに優るとも劣らない仰天演奏。

1楽章葬送マーチからして恐るべき粘っこさで、歩みを重く引きずるような、この途方も無い暗さはいったいどこから来るのか。

濃厚な葬送行進曲からつながる嵐の2楽章、ホルンも弦もすべてがパワー全開の豪放なスケルツォ、アダージェットでのこの上ない陶酔、そしてフィナーレの爆発的な絶頂。

どの瞬間でもオケの異常な集中力と緊張感とが途切れることがない。

この指揮者ならでは音楽に全身全霊を傾ける独特のやり方を、ここまで端的にあらわした例も数少なく、いまだに実演を目の当たりにした人々が口々に語り継ぐのも当然の演奏内容と言えよう。

一方、カタログ初の「ハフナー」はあくまで端正優美で、このあたり、マーラーとはまったく対照的なのがたいへん興味深いところで、それもこれも当アルバムが一夜のプログラムをすべて収めているからこその醍醐味だ。

さらにテンシュテットの肉声が聴けるインタビューが収められているのも嬉しいポイント。

録音については、幸いなことにマスターの状態も良く、Altusによる鮮烈かつ重厚なリマスタリングが素晴らしい出来栄えで、世紀の名演を今日に蘇らせてくれた。

「ここではテンシュテットの芸術の魅惑が最善の状況で記録されている(音楽評論家小石忠男氏によるライナーノートより)」。

まさにこれはテンシュテットのマーラー・音楽・生きざまが刻み込まれた畢生のドキュメント。

彼の心からのファンはもちろん、魂を揺さぶる音楽を求めている人に熱い感動を約束してくれる1枚である。

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classicalmusic at 21:08コメント(0)トラックバック(0)テンシュテットマーラー 

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ドイツ音楽を得意としたテンシュテットと、彼とは最も縁が深く相性の良かったロンドン・フィルによるブルックナー。

かつて従来CDで聴いた際は、それほどいい演奏のようには思えなかったが、今般のHQCD化によって驚いた。

これほどまでに素晴らしい演奏だったとは。

スケールの大きな第8番を雄大に、そして緻密に聴かせるテンシュテットならではの至芸がここに展開されている。

テンシュテットは、本来的にはマーラー指揮者だと思う。

マーラーを指揮する時、テンシュテットはまるで別人のように燃え尽くす。

その劇的な演奏は、かのバーンスタインにも匹敵するほどで、特に、ライヴ録音における命懸けの爆演は、身も体も吹っ飛ばされるような圧巻の迫力を誇っている。

他方、テンシュテットは、ブルックナーのすべての交響曲を録音しているわけではない。

しかも、録音した交響曲(特に、本盤の「第8」や「第4」が中心となるが)に対するアプローチは、マーラーに接する際と同様だ。

ブルックナー演奏の王道とも言えるインテンポなど薬にしたくもなく、激しく変転するテンポ設定や思い切った表情づけ、強弱の変化、アッチェレランドの駆使など、ある意味では禁じ手とも言えるような指揮ぶりだ。

それでも、聴いた後の感銘はなかなかのものなのだ。

最近発売されたベルリン・フィルとのライヴ録音も聴き応えのある名演だったが、高音質化された本盤の手兵ロンドン・フィルとの演奏もテンシュテットならではの味わい深いブルックナーであり、名演と評価するのに些かの躊躇をするものではない。

ヴァントや朝比奈の超名演と比較して云々することは容易であるが、彼らの演奏だけが正解ということはない。

必ずしも正統的な演奏とは言い難いが、テンシュテットの個性があらわれた異色の名演と評価してもいいのではないだろうか。

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