2014年01月

2014年01月31日


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全盛期のリヒテルのピアノ演奏の凄さを味わうことができる1枚だ。

リヒテルのピアノは、何と言ってもそのスケールの雄大さが際立っている。

グリーグとシューマンのピアノ協奏曲をカップリングしたCDは数多く存在しているが、演奏のスケールの大きさにおいては、本演奏は随一と言っても過言ではあるまい。

かかるスケールの大きさはあたかもロシアの広大な悠久の大地を思わせるほどだ。

このような音楽の構えの大きさは、詩情の豊かさが勝負のシューマンのピアノ協奏曲においては若干の違和感を感じさせなくもないが、グリーグのピアノ協奏曲においては見事に功を奏していると言えるのではないだろうか。

また、その卓越した技量も特筆すべきものがあり、両演奏ともに強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで桁外れの表現力の幅の広さを披露している。

各曲のトゥッティに向けての畳み掛けていくような気迫にも渾身の生命力が漲っており、その圧倒的な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

こうした極大なスケールのリヒテルの力強いピアニズムに対して、マタチッチの指揮も一歩も引けを取っていない。

その巨大な体躯を生かしたかのような悠揚迫らぬ重厚な音楽は、リヒテルのピアノを効果的に下支えするとともに、スケールの雄大な本演奏に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

オーケストラは二流のモンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団であるが、ここではマタチッチの確かな統率の下、実力以上の名演奏を展開している。

いずれにしても、両演奏ともに素晴らしい名演であり、とりわけグリーグのピアノ協奏曲については、同曲演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質については、従来CD盤が今一つ冴えない音質であったが、HQCD化によってある程度は満足できる音質になるとともに、若干ではあるが音場が幅広くなったところであり、筆者としても当該HQCD盤をこれまで愛聴してきたところだ。

もっとも、抜本的な音質改善が図られたというわけではないので、リヒテル&マタチッチによる至高の超名演であることも考慮して、更なる高音質化を望んできたところであるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わったところであり、とりわけリヒテルのピアノタッチの一音一音が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

もっとも、あまりにも鮮明過ぎて、モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団のアンサンブルの粗さが若干明瞭になってしまったという欠点もあるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、リヒテル、そしてマタチッチによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 23:30コメント(0)トラックバック(0)リヒテルマタチッチ 

2014年01月30日


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長年ベルリン・フィルの首席ホルン奏者であったゲルト・ザイフェルトは、シュターツカペレ・ドレスデンのペーター・ダムと共に、ドイツを代表する2大ホルン奏者として知られていた。

カラヤンは、最晩年にはその関係が決裂し、ザイフェルトが一時的にベルリン・フィルを解雇されることに繋がったという不幸もあるが、ザイフェルトを生涯で出会った最高のホルン奏者と高く評価していたのは有名な逸話である。

カラヤンのレパートリーの太宗を占めるドイツ音楽を的確に演奏できるのは、デニス・ブレインではなく、ジャーマンホルンの体現者たるザイフェルトでなくてはならなかったのであろう。

本盤でも、そうしたザイフェルトのジャーマンホルンの体現者たるにふさわしい格調高き名演奏を存分に味わうことができるのが素晴らしい。

ザイフェルトは卓抜で安定したテクニックと明瞭に磨かれた美しい響きをもつ名手中の名手だが、彼のソロ盤が意外に少ないのは、その演奏にブレインのような個性的な輝きが少ないためであろう。

しかし、確実でバランスのよい演奏は、それだけにまた、作品の姿をくっきりと伝えてくれる良さがある。

この演奏も、そうしたザイフェルトらしくいかにも的確で、密度が高く美しく琢磨されている。

ザイフェルトのソロは音色の個性的な魅力や変化には乏しいが、厚味とこくがあり、テクニックは流麗の極みを示し、どの曲も鮮やかに吹き切っている。

ザイフェルトはドイツ風の芯までしっかりと鳴り切った安定した音色、決して大音量で鳴らさず、演奏もセーヴされておとなしい。

スタッカートなどほとんど訥々としているが、柔らかな表現力とコントロールは抜群であり、特にリズムの良さが光る。

カラヤン&ベルリン・フィルも絶妙で、両者の黄金時代ならではの最高のパフォーマンスを示している。

表情豊かで大仰、レガートの強調やスマートすぎるテンポが気になる部分があるが、造形力の大きさと旋律の豊かな歌わせ方、決めるべきところを決めた迫力が見事だ。

筆者としては、デニス・ブレインとの旧盤が随一の名演であるとの評価には変わりはないものの、本盤も魅力のある名演として、十分に存在価値の高いものであると考える。

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ロンドンを拠点に活動しているピアニスト、内田光子2枚目のシューマン・アルバムの登場だ。

曲目は『ダヴィッド同盟舞曲集』と『幻想曲』というシューマン・ファンに人気のプログラムで、近年、いっそうの深化を遂げた内田光子ならではの高度な演奏を聴くことができる。

いかにも近年の内田光子ならではの深みのある名演だ。

シューマンのピアノ曲は、いずれも名作揃いだとは思うが、同時代のショパンなどとは異なり、アプローチの仕方によってはやたら理屈っぽい演奏になりがちである。

いずれも詩情に満ち溢れた作品ではあるのだが、組曲やソナタなど、比較的規模の大きい作品が多いだけに、全体の統一性など、どうしてもそれに捕われて、詩情を失ってしまいがちなことがその要因と言えるのかもしれない。

しかしながら、内田光子にはそのような心配は御無用。

全体として、前述のように曲の本質を深彫していくような深遠な表現を心がけてはいるが、シューマン特有の詩情豊かさにもいささかの不足はない。

特に、『ダヴィッド同盟舞曲集』にような作品集では、各曲の性格を巧みに描き分け、緩急自在のテンポを駆使して、これ以上は求められないような高次元の表現を成し遂げている。

『幻想曲ハ長調』は、まさに内田光子の独壇場。

これほど深みがあって、しかも情感豊かな演奏は、今や大ピアニストとなった内田光子にしかできない至高・至純の境地に達している。

本盤は、内田光子にとっても、15年ぶりのシューマンとのことであるが、他のシューマンのピアノ曲も、内田光子の演奏で是非とも聴きたいものだ。

シューマンの『ダヴィッド同盟舞曲集』、『幻想曲』と英グラモフォン誌の記者ジェイムス・ジョリーとの対談という形で、時折ピアノを弾きながらシューマンについて約29分にわたって熱く語ったインタビューも収録している。

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classicalmusic at 00:45コメント(0)シューマン内田 光子 

2014年01月29日


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1945年1月28日。

一体この演奏が行われていたその日、ウィーンの町並みはいかなるものだったのか。

いつ連合軍の空襲が襲ってくるかわからない、そうした状況だったのではないだろうか。

そうした、死の危険と隣り合わせの状況下においてなお、このような実に素晴らしいブラームスが演奏されていたということ自体が感動的である。

フルトヴェングラーは、この後すぐにスイスに亡命した。

彼は、ついに第三帝国内にとどまり続けることはできなかったが、最後の最後まで、こうした命がけの演奏をしていたのだ。

この演奏では、フルトヴェングラーの巧みなテンポ設定を知ることができる。

どの楽章、どの部分に関してもテンポについて簡単に考えられているところはない。

フルトヴェングラーの棒さばきによって、曲のあるフレーズ、あるアーティキュレーションがなんと美しく、すばらしく演奏されることか。

途中音程が悪い箇所はいくつかあるが、筆者はもはやこの演奏を聴いているときには、そうしたことを気にしなくなっていた(全く気にかけないということはありえないが)。

そうした傷は、この演奏に関しては、実に小さな傷でしかなく、この演奏から伝わってくるメッセージは強いものだ。

第4楽章の最後の高揚。

この楽章だけでテンポは激しく流動するが、まったくいやらしくなく、わざとらしくない。

この曲の世界に完全に引き込まれてしまうのである。

後半は、フルトヴェングラーの激しいアッチェレランドにオケがついていけないほどである。

オケがアンサンブルを保つことができるかできないか、そのぎりぎりのところまでフルトヴェングラーはオケの奏者を追い込む。

そうして出来上がった音楽は、実に感動的で、聴くものの心を揺さぶる。

何度も繰り返すが、今の指揮者にこうした演奏をできる者は存在しない。

ここまで、音楽の世界に聴衆を引き込んでくれるフルトヴェングラーは、まさにマエストロの名にふさわしい偉大な指揮者だった。

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classicalmusic at 20:50コメント(0)フルトヴェングラーブラームス 

2014年01月28日


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マイスキーは、ロストロポーヴィチ亡き現在においては、最高の力量を持ったチェリストと言えるのではないか。

本盤は、今から25年以上も前の若き日のマイスキーによる弾き振りによる録音であるが、今日における偉大なマイスキーを予見させるのに十分な素晴らしい名演だ。

自ら指揮も務めるマイスキーは美しいチェロの音色を駆使しながら、豊かな感性と情熱を存分に発揮した瑞々しい演奏を繰り広げている。

ハイドンのチェロ協奏曲は、例えば、ドヴォルザークやエルガー、シューマンのそれとは異なり、超絶的な技巧を要するものではないが、その分、情感豊かな音楽性がないと、ひどく退屈で、つまらない演奏に成り下がってしまう危険性がある。

もちろん、マイスキーには、ロストロポーヴィチにも匹敵するくらいの圧倒的な技量と強靭さを有しているのであるが、本盤でのハイドンでは、それを極力封印し、これ以上は求め得ないような情感豊かな演奏を心掛けている。

マイスキーのチェロは、どの曲でも音色に艶があり、張りのある響きと柔らかい響きがしなやかに交錯し、特に高音が輝かしい。

解釈は力強く、感情の振幅が大きく、のびのびしていて古典にふさわしい豊かな雰囲気をもたらしているのは見逃せない。

本演奏に聴かれるマイスキーのチェロの音色は、まさに美しさの極みとも言うべきであり、その瑞々しいとさえ表現できるような豊かな音楽性は、マイスキーのチェロに見事に合わせているヨーロッパ室内管弦楽団の好演とともに、音楽をする喜びに満ち溢れているとさえ言える。

オケの弦のアーティキュレーションが一段とのびのびしているように感じられる。

本演奏は、間違いなく、ハイドンのチェロ協奏曲の様々な名演の中でもトップの座を争う名演と高く評価したい。

録音も、マイスキーのチェロの弓使いが鮮明に聴こえるなど、実に素晴らしい。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)ハイドンマイスキー 

2014年01月27日


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33歳という若き日に不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、本盤に収められた演奏は、死の数年前にスタジオ録音されたグリーグとシューマンのピアノ協奏曲の演奏である。

リパッティの録音自体が数少ないだけに貴重な存在であるが、いずれもリパッティならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

両演奏ともに、これまでリマスタリングなどが施されてきたが、1940年代後半のモノラル録音だけに、音質向上効果は必ずしも万全とは言い難かったところだ。

ところが、今般、SACD盤が登場するに及んで、もちろん最新録音のようにはいかないが、これまでの既発CDとは次元が異なる音質の向上が図られたことは、演奏自体が優れているだけに実に意義が大きいことと思われる。

音質が劣悪であるが故に鑑賞を避けてきた音楽ファンも存在していたとも考えられるだけに、今般のSACD盤を機会に、本演奏にできるだけ多くの方に親しんでいただき、悲劇のピアニストであるリパッティの真の実力が再びクローズアップされることを願ってやまないところだ。

両曲の演奏ともに大変優れているが、特に素晴らしいのはシューマンのピアノ協奏曲である。

同曲の演奏は、いささか俗な言い方になるが、同曲に込められたファンタジーの飛翔のようなものをセンス豊かに表現し得ないと、ひどく理屈っぽいつまらない演奏に陥ってしまう危険性がある。

ところが、リパッティにはそのような心配は全くご無用。

リパッティによる本演奏には、シューマンのピアノ曲演奏に必要不可欠のファンタジーの飛翔のようなものや、加えて豊かな詩情、そしてこのピアニスト一流の独特の洒落た味わいが満ち溢れている。

いや、それだけではない。

同曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているとさえ言える。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる当該演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、シューマンのピアノ協奏曲の演奏という次元を超えた底知れぬ深みを湛えている。

そして、本演奏にかける命がけの渾身の情熱の凄さは、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

こうしたリパッティの凄みのあるピアノ演奏を下支えしているのが、若き日のカラヤン率いるフィルハーモニア管弦楽団であるが、これまた実に優れた演奏を聴かせてくれている。

この当時のカラヤンは、後年の演奏とは異なり、溌剌とした躍動感溢れる指揮の中にも、自我を抑制し、楽曲そのものを語らせようと言う姿勢が見られるところであり、リパッティのピアノ演奏を際立たせる意味においても、まさに理想的な演奏を展開していると評価したい。

他方、グリーグのピアノ協奏曲については、さすがにシューマンのピアノ協奏曲の演奏ほどの深みを感じることは困難であるが、洒落たセンスに満ち溢れたピアノ演奏ぶりは健在であり、ガリエラ指揮のフィルハーモニア管弦楽団の演奏ともども、素晴らしい名演奏を展開していると評価したい。

音質は、前述のとおり、必ずしも最新録音のようにはいかないが、これまでの既発CDとは次元が異なる、ピアノの凄みが感じられる復刻によって、見事な音質に生まれ変わった。

とりわけ、リパッティのピアノタッチが1940年代後半の録音としては、かなり鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、リパッティによる素晴らしい名演を、SACD盤による高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年01月26日


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3年ほど前に発売されてベストセラーになったミュンシュ&パリ管弦楽団の発足コンサートの待望の完全収録版の登場だ。

それは、以前、発売されていたCDに収録されていたベルリオーズの幻想交響曲、ドビュッシーの交響詩の「海」に加えて、新たにストラヴィンスキーのレクイエム・ティクルスがカップリングされているが、何と言っても本盤の売りは、新たなリマスタリングによって音質がより一層改善されたことにある。

以前発売のCDも、1960年代のライヴ録音とは思えないような鮮明さであったが、録音レベルの調整などによって、いい意味でより聴きやすい音質に変貌したと言えるところだ。

歴史的な超名演だけに、本盤のような高音質化の意味はより大きいと言わざるを得ないだろう。

ミュンシュの数ある名演の中でも間違いなく頂点に君臨するものと高く評価したい。

まず「海」であるが、これはパリ管弦楽団と組んだ録音が遺されていないだけに、その意味でも貴重な録音。

ボストン交響楽団と組んだいささか大味な演奏とは別人のように緻密な表現を行っている。

もちろん重厚さにも不足はなく、第1部の終結部などあまりのド迫力にミュンシュのうなり声が聴こえてくるではないか。

第3部の冒頭では、嵐を予感させるような不気味な雰囲気が漂うなど、初めて聴くような新鮮さを感じさせるし、終結部の猛烈なアッチェレランドの凄まじさ。

実に感動的な名演と言えるだろう。

そして、幻想交響曲。

筆者は、ミュンシュ&パリ管弦楽団のスタジオ録音こそ同曲最高の名演と評価してきたが、本盤はそれを凌駕する。

ということは、幻想交響曲の演奏史上最高の名演ということになる。

第1楽章の冒頭は、スタジオ録音盤以上にゆったりとしたテンポで濃厚な表現を見せる。

しかし、主部に入ると、テンポはめまぐるしく変化する。

アッチェレランド、ゲネラルパウゼなどを効果的に駆使して、これ以上を望めないようなドラマティックな名演を繰り広げている。

第2楽章も濃厚な表現であるが、終結部の猛烈なアッチェレランドは相変わらず凄まじい。

第3楽章は、やや速めのテンポで緊迫感のある演奏を心がけている点が、あまりの遅いテンポによってもたれてしまいがちな他の演奏とはそもそも次元が異なる。

ここぞという時の迫力にもいささかの不足はない。

第4楽章の冒頭はゆったりとしたテンポで、断頭台に向かう死刑囚の内面を見透かすような不気味さを強調するかと思えば、主部に入ってからのダイナミックレンジの幅の広さ。

終結部に向けてのアッチェレランドの凄まじさは、過去のどの演奏をも凌ぐド迫力だ。

終楽章は、めまぐるしくテンポが変化する曲想であるが、ミュンシュはそれを殊更に大仰に強調することによって不気味さをより一層強調しているが、これは大正解。

終結部に向けての猛烈なアッチェレランドはもはや狂気と裏腹であり、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然だと思われる。

パリ管弦楽団は管楽器も弦楽器も実に巧く、録音も1960年代のライヴ録音とは思えないくらい鮮明だ。

このような歴史的な超名演を製品化したアルトゥスレーベルに対して、心から敬意と感謝の念を表したい。

新たにカップリングされたストラヴィンスキーの楽曲も、幻想交響曲や交響詩「海」に優るとも劣らない素晴らしい名演であり、当日のコンサートがいかに圧倒的なものであったのかがよく理解できるところだ。

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classicalmusic at 20:47コメント(0)トラックバック(0)ミュンシュベルリオーズ 

2014年01月15日


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1951年に再開された戦後第1回のバイロイト音楽祭における記念すべき上演の記録である。

1951年から1964年まで1953年を除いて毎年《パルジファル》をバイロイトで指揮したクナッパーツブッシュの録音のなかでは、1962年の深遠な演奏が音もよく好評だが、ヴィントガッセンがパルジファルを演じたこの1951年の若々しい覇気に溢れた白熱の演奏の魅力もそれに優るとも劣らない。

ライヴ特有の雑音やアンサンブルの粗さはあるものの、クナッパーツブッシュの高い集中度に満ちたスケール豊かな音楽は、やはり大きな魅力をもっている。

音の状態はいくぶん古さを感じさせるものの、いかにもクナッパーツブッシュらしく、たいへん個性的で構えの大きな演奏だ。

この作品の官能的な一面と、神秘的な崇高美をそれぞれ見事に表現したもので、独唱陣も、彼の呪縛的な棒に魅せられて、陶酔的に一体となって演唱している。

とりとめのないような作品を、とりとめのないような表現の仕方で把握しようとしても、必ずしもうまくいくというわけではない。

しかし、その難事にあえて挑み、成功させてしまったのが、このクナッパーツブッシュ盤である。

長大な発想をもつ《パルジファル》を、ここでの指揮者は四つに組もうとか、知的にふるまおうとか、奇襲をかけてポイントを取ろうとかいった作為めいたことはいっさいせず、ごく無造作な調子で、あるがままに再現しようとしていく。

そのような単純で、素朴なアプローチがこれほどまでに多大な成果をあげうるのは、一重に指揮者のただならぬ力量のためといえるだろう。

歌手陣もそれぞれが白熱した名唱を聴かせており、ことに20世紀屈指のワーグナー・テノールだったヴィントガッセンのパルジファルは、これが唯一の正規の録音で、その強い存在感に満ちた歌唱は見事である。

《パルジファル》における記念碑的な意味をもつアルバムだ。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)ワーグナークナッパーツブッシュ 

2014年01月14日


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この《悲愴》は、トスカニーニの持ち味が見事に結実した演奏の一つであり、聴けば聴くほどに味わいが深まる、恐ろしくコクのある名演になっている。

トスカニーニのアプローチは、楽曲の把握や演奏設計がほとんど完全なだけでなく、そのレアリザシオンもがほとんど完全である。

NBC響の完璧なまでの精巧さを誇る見事なアンサンブルは、それ自体としても驚異的な成果として注目されるが、それを駆使したトスカニーニの研ぎ澄まされた表現は、単なる精確な作品の再現という域を超えて、そこにこれ以上なく美しいカンティレーナの魅力や作品のドラマ性の最高度に純度の高い表現を成立させているのである。

第1楽章の実に効果的な演奏設計などは、とくに注目に値するものであり、第2楽章の磨き抜かれた抒情的表現の素晴らしさも、トスカニーニならではの魅力を放っている。

音質こそは古いが、その演奏内容のみに目を向ければ、やはり最も理想に近い演奏と考えてよいだろう。

《展覧会の絵》のトスカニーニ盤を初めて聴いた時の驚きは、25年余り経った今も忘れられない。

レコードを熱心に聴くようになって間もなく、《展覧会の絵》も初めて聴いたのだが、その直截というか、音に徹した強烈な表現に唯々息を呑んで聴き入っていた。

モノーラル録音ながらその冴えた色彩感とひき締まった響きは、まことに印象鮮やかだったし、ことさら標題にこだわることなく、あくまで音と表現に徹して各曲を強靭な表出力をもって描き切るとともに、そこに絶妙な変化をもって添えられた深く澄んだ抒情が何とも美しい。

レスピーギ三部作やロッシーニ序曲集と並ぶ、トスカニーニ最高の名演の一つであると高く評価したい。

録音が古いのは残念だが、しなやかで強く、透徹した美しさをもつ演奏の力は、今も十分に伝わってくるし、ぜひ一聴をお勧めしたい。

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classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)トスカニーニチャイコフスキー 

2014年01月13日


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小林研一郎&チェコ・フィルによるベートーヴェンの交響曲全集のシリーズ第4弾の登場だ。

間もなく小林研一郎による初のベートーヴェンの交響曲全集が完成されるというのは大変うれしい限りである。

それはさておき、このシリーズのこれまで発売された演奏の評価は必ずしも芳しいものは言い難い。

レコード芸術誌などにおける音楽評論家による評価も酷評に近い状態であり、良い評価をされている方は殆ど稀である。

その理由を考えると、おそらくは、小林研一郎によるアプローチの立ち位置が難しいという側面があるのではないだろうか。

ベートーヴェンの交響曲の演奏は、近年ではピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法による演奏が主流を占めていると言えるが、小林研一郎はそうした近年の流行は薬にしたくもない。

それでは、これまでの独墺系の錚々たる大指揮者が築き上げてきたドイツ正統派たる重厚な演奏を希求しているのかと言うと、これまた全くそうした伝統的な演奏様式などいささかも念頭にないと言えるところだ。

このように、小林研一郎の演奏は、個の世界にあるものであり、その個性が演奏の隅々にまで行き渡ったものとも言えるだろう。

それ故に、聴き手によっては、小林研一郎の体臭芬々たる演奏に辟易するということも十分に考えられるところだ。

しかしながら、本盤に収められた第4番及び第6番は、ベートーヴェンの交響曲の中では、剛よりも柔的な要素が多い楽曲であることから、「炎のコバケン」とも称されるようなパッションの爆発は最小限におさえられており、これまでの小林研一郎によるベートーヴェンの交響曲演奏にアレルギーを感じてきた聴き手にも、比較的受け入れられやすい演奏と言えるのではないだろうか。

確かに、交響曲第6番の第4楽章などには、そうした小林研一郎の途轍もない燃焼度の高さの片鱗も感じられる点は相変わらずであるが、筆者としては、没個性的な凡演や、はたまた近年流行のピリオド楽器の使用や古楽器奏法による軽佻浮薄な演奏などと比較すると、遥かに存在価値のある演奏と言えるのではないだろうか。

確かに、両曲のベストの名演とは到底言い難いが、小林研一郎一流の熱き歌心が結集するとともに、オーソドックスなアプローチの中にも切れば血が出てくるような灼熱のような指揮ぶりも堪能することが可能な、いい意味でのバランスのとれた名演と評価するのにいささかの躊躇もするものではない。

そして、小林研一郎による指揮に、適度の潤いと奥行きの深さを与えているのが、チェコ・フィルによる名演奏と言えよう。

ホルンをはじめとする管楽器の技量には卓越したものがあり、弦楽器の重厚で深みのある音色も実に魅力的というほかはない。

音質は、SACDによる極上の高音質であり、小林研一郎&チェコ・フィルによる名演を望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 01:33コメント(0)ベートーヴェン小林 研一郎 

2014年01月12日


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本盤にはムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」とウェーベルンの「6つの小品」が収められているが、これは極めて珍しい組み合わせと言える。

ジュリーニは組曲「展覧会の絵」については十八番としており、シカゴ交響楽団(1976年)及びベルリン・フィル(1990年)とともに2度にわたってスタジオ録音を行っている。

他方、「6つの小品」については、スタジオ録音を一度も行っていないが、記録によればジュリーニは1970年代には実演において時として演奏を行っていたとのことである。

もっとも、より重要な点は、これら両曲が、当時のベルリン・フィルの芸術監督であったカラヤンによる得意中の得意のレパートリーであったということである。

カラヤンは、組曲「展覧会の絵」についてベルリン・フィルとともに2度録音(ライヴ録音を除く)を行っている(1965年、1986年)し、「6つの小品」に至っては、本演奏の3年前にスタジオ録音(1974年)を行っているところだ。

この当時ベルリン・フィルを完全掌握していたカラヤンにとって、自らのレパートリーをベルリン・フィルとともに演奏する指揮者には当然のことながら目を光らせていたはずであり、このような演目による演奏会が実現したということは、カラヤンがジュリーニを信頼するとともに高く評価していたことの証左であると考えられる。

また、同時に、ベルリン・フィルがカラヤン色に染まっていた時代に、敢えてそのベルリン・フィルにおいてカラヤン得意のレパートリーである楽曲を演奏したというのは、ジュリーニの並々ならない自信を感じることも可能だ。

そして、その演奏内容も我々の期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

そもそも、本演奏において、いわゆるカラヤンサウンドを聴くことができないのが何よりも素晴らしい。

両曲ともにジュリーニならではの格調が高く、そしてイタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と気品のある優美な極上のカンタービレに満ち溢れた指揮に、ベルリン・フィルの重厚な音色が見事に融合した剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると評価したい。

そして、ライヴ録音ならではの熱気が演奏全体を更に強靭な気迫のこもったものとしており、とりわけ組曲「展覧会の絵」における圧倒的な生命力に満ち溢れた壮麗な迫力においては、ジュリーニによる前述の1976年盤や1990年盤などのスタジオ録音を大きく凌駕している。

ベルリン・フィルの卓抜した技量も本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音も今から約35年も前のライヴ録音とは思えないような鮮明な高音質であると評価したい。

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2014年01月11日


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ムーティの円熟を感じさせる素晴らしい名演である。

ムーティがシカゴ交響楽団の音楽監督への就任を控えていた時の、幸先のいい名演とも言えるだろう。

ムーティは、ヴェルディのレクイエムを得意としており、約20年前の1987年にもミラノ・スカラ座管弦楽団等とともに同曲をスタジオ録音しており、それも生命力溢れる劇的な名演であったが、やはり、この間の20年間のムーティの円熟の歩みは非常に重いものと言わざるを得ない。

ムーティはかつてのスカラ座盤にみられるようなオペラ的なアプローチではなく、純粋に宗教曲として捉えたことが特筆され、内声部の充実は圧巻といえよう。

冒頭の数小節の静寂の音楽からして、これまでのムーティには見られなかった奥行きの深さを感じさせる。

怒りの日は、テンペラメントに溢れたいつものムーティ調ではあるが、これまでとは異なり、威風堂々たる重厚さが際立つ。

同曲特有の場面毎の変化の激しさについても、ムーティは極端に陥ることなく、いい意味でのコントロールの効いた大家の巧みな表現で一貫している。

終結部の静寂は、冒頭部と同様であり、全曲を彫りの深い表現で感動的に締めくくっている。

ムーティの統率の下、シカゴ交響楽団、更には、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

そして、何よりも素晴らしいのは、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音。

ヴェルディのレクイエムのような作品は、こうした臨場感溢れる録音によってこそ、その真価を味わうことができるのではないかと考える。

円熟味を増した指揮者とハイレベルなオケと歌唱陣、優秀な録音と非常にバランスのとれた名演奏と言えよう。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディムーティ 

2014年01月10日


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1963年3月8日 ミュンヘン、ヘルクレスザールでのライヴ録音。

以前、海賊盤でリリースされて話題になった演奏の正規CD化で、モノラル録音だが音質は良好。

卓越したリハーサル術と指揮法によって、様々なオーケストラと素晴らしく息の合った演奏を聴かせたシューリヒトだけに、ここでの成果も見事なもので、1961年のEMI盤とはまた違った魅力を放っていて感動的だ。

ここでの演奏は、バイエルン・サウンドとでもいうべき、骨太な音響を駆使して、実演ならではの濃やかなアゴーギクと思い切った表情付けを施したものである。

第1楽章終盤でのアッチェレランドの大胆さなどはスタジオ盤には見られなかったものだ。

第2楽章での圧倒的な迫力や第3楽章での濃密な叙情美は、かのスタジオ盤をも上回るほどだ。

特に第3楽章第2主題部での深みのある美しさと立体的な音響は聴きもので、ブロック的に明確な性格分けが作品のユニークなフォルムを実感させてくれる。

こちらはライヴということもあり、「飄々とした」シューリヒトとは一味違う演奏で、所々に即興的な表情が散見される。

EMI盤はまことに完成されきった演奏であり、何度聴いても飽きないといえよう。

こちらは一回性の演奏のスリルを楽しむ録音だろう。

EMIのウィーン・フィル盤とは違う魅力を持った演奏であり、甲乙つけがたく、ファンなら両方持っているべきであろう。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーシューリヒト 

2014年01月09日


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フルトヴェングラーの熱心なファンには釈迦に説法であるが、フルトヴェングラーが最も得意としていた楽曲はベートーヴェンの交響曲。

その中でも、第3番、第5番、第7番、第9番については、他の指揮者の追随を許さないとされる名演の数々を成し遂げており、本人もそれを自認していた節がある。

音質面でのハンディは否めないが、音楽の内容を徹底して追求していこうという深みにおいては、確かに、他の様々な指揮者による演奏を大きく凌駕していたと言えるだろう。

フルトヴェングラーが遺した「エロイカ」の10種類以上ある録音の中で、双璧とされる名演は、大戦中のいわゆる「ウラニアのエロイカ」とも称されるウィーン・フィルとのライヴ録音(1944年)、そしてEMIにスタジオ録音を行ったウィーン・フィルとの演奏(1952年11月26〜27日)というのは論を待たないところだ。

これらについては、前者はターラレーベルが、後者はEMIがSACD化を行っており、もちろん最新録音のようにはいかないが、従来CD盤よりも相当に音質改善がなされており、音質面においても、フルトヴェングラーの同曲の他の演奏の録音よりも恵まれた状態にある。

この2大名演に次ぐ演奏というのは、諸説あると思われるが、本盤に収められた1952年11月30日のウィーン・フィルとのライヴ録音であると言えるのではないだろうか。

ライヴ録音と言えども、フルトヴェングラーが体調を崩していた後の演奏でもあり、気力、体力ともに充実していた1944年の「ウラニアのエロイカ」の時のような、畳み掛けていくような気迫や生命力が全面に出ているわけではない。

もちろん、同年のスタジオ録音のように、踏み外しを極力抑えているわけではないが、その点においては、若干の物足りなさを感じないわけにはいかない。

しかしながら、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、演奏全体に漂う何とも言えない深遠さ、そして、スケールの雄大さは、「ウラニアのエロイカ」を大きく凌駕し、同年のスタジオ録音に肉薄するものがある。

フルトヴェングラーとしては若干控えめではあるが、随所に聴くことが可能な格調をいささかも失うことがないテンポの振幅や、終結部のゲネラルパウゼなども実に効果的だ。

その意味では、同年のスタジオ録音に、フルトヴェングラーのライヴ録音ならではの力感や気迫を付加させたような性格の演奏と言えるところであり、両名演には若干及ばないものの、いい意味での剛柔のバランスという点においては、いかにもフルトヴェングラーならではの素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

そして、かかる本名演も、これまでは音質がいささか劣悪であるというハンディがあったが、今般のターラレーベルによるSACD化によって、大きく改善したと言える。

高弦などが若干きつく聴こえるのは録音年代からして致し方ないところであるが、今般のSACD化によって、漸く「ウラニアのエロイカ」や同年のスタジオ録音といった2大名演と共通の土俵での比較が可能になったと言えるだろう。

いずれにしても、フルトヴェングラーによる素晴らしい名演をSACDによる比較的良好な音質で味わうことができるようになったのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:34コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

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インバルは、有り余るパッションを秘めながらも、表面に現れた音楽は実に抑制的。

得意とするマーラーの交響曲にしても、抑えられた表現が目立ち、やや物足りなさを感じるのも否めない。

しかし、このチャイコフスキーは、これまで抑えてきたインバルのパッションが爆発したような濃厚な表情づけの熱い名演になっている。

爆演と言ってもいいかもしれない。

インバルが、これほどまでに個性的で熱い演奏をする指揮者だとは思わなかった。

第1楽章は実にスローテンポの序奏部で開始されるが、主部に入ってからは緩急自在のテンポの連続。

時には大見えを切るような箇所も見られるが、決してやり過ぎの印象を与えることはない。

かの小林研一郎の名演を思わせるような個性的な解釈と言うことができるだろう。

第2楽章は、特にホルンソロをレガートをかけずに吹奏させるなども他の演奏には見られないものだし、終結部の運命の動機が再現する箇所の突然のスローダウンなど、初めて聴くような感動を覚える。

第3楽章の流れるようなワルツも、あたかもマーラーのレントラー舞曲を聴くような楽しさだし、終楽章も、第1楽章と同様にテンポを目まぐるしく変化させるなど、インバルの内に秘められたパッションが爆発する。

録音も良く、インバルと東京都交響楽団のコンビも、3作目にして漸く軌道に乗ってきた感じだ。

インバルも、マーラーなどでこのような熱い解釈をすれば、どれだけ感動的な名演に仕上がることだろうか。

既にインバルのマーラー新録音は進行中であり、目が離せないところだ。

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classicalmusic at 00:50コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーインバル 

2014年01月08日


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R.シュトラウスと親交のあったカール・ベームは、数多くのオペラ上演を中心に、彼の芸術の振興に大きく貢献、オーケストラ・レパートリーでも、慧眼というほかない、作品を知り尽くしたアプローチで聴き手を魅了してきた。

当セットには、そんなベームが残したR.シュトラウス録音から代表的なオーケストラ・レパートリーが集められておリ、ベームならではの質実剛健なアプローチが作品本来の味わいをよく引き出している。

名演揃いの聴き応えのあるアルバムで、特にシュターツカペレ・ドレスデンとの『アルプス交響曲』や『英雄の生涯』などが復活し入手しやすくなったのは嬉しい。

国際化する以前のベルリン・フィルを指揮した『ツァラトゥストラはかく語りき』『祝典前奏曲』『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』『ばらの騎士のワルツ』『サロメの踊り』の5作品はすでに名演奏として有名なもので、重厚壮麗で骨太なサウンドが素晴らしい聴きものとなっている。

中でも出色なのは『ツァラトゥストラはかく語りき』で、造形の堅牢さ、スケール感、緊張感、深い思索、オケの技…実に模範的である。

名門シュターツカペレ・ドレスデンを指揮した『アルプス交響曲』『ドン・ファン』『英雄の生涯』の3曲は残念ながらモノラル録音ではあるが、ステレオ直前の時期だったということもあり音の解像度や質感は上々。

なお、最後に収録されたシュターツカペレ・ドレスデンとの『死と変容』は、1972年のザルツブルク音楽祭におけるライヴで、実演ならではのパワフルな演奏がステレオ録音で楽しめるのがポイント。

特に筆者の好みは『アルプス交響曲』(格調高い)、『英雄の生涯』(抜群の推進力と引き締まった造形)、『死と変容』(壮大な音のドラマ)。

音響にこだわる人(R.シュトラウスの場合それも理解できるが)、派手な効果が好きな人にはお薦めできないが、R.シュトラウスの音楽を愛する人はぜひご購入されたい。

作曲者と親交厚かったべームの真摯な探求の成果がここにある。

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classicalmusic at 23:41コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスベーム 

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1953年9月21日、コヴェント・ガーデンに於けるライヴ(モノラル)録音。

ドレスデン生まれのルドルフ・ケンペがR.シュトラウスの真髄を表出した、ロンドンでの『アラベラ』ライヴ録音。

バイエルン国立歌劇場が戦後初めて行ったロンドン引越し公演での『アラベラ』は、ドイツの文化的権威を復活させたともいえる歴史的偉業であった。

ドイツ国歌演奏が収録されていないのは大変残念だが、ケンペの指揮は格調が高く、かつ白熱したものだ。

全ての演奏家が並々ならぬ気合いをもって臨んだのが手に取るように分かる。

キャストでは、若々しいデラ・カーザの歌声が聴ける。

デラ・カーザのアラベラはオルフェオからザルツブルクのライヴが発売されたばかりだがこのような録音も残されていたとは。

第1幕前半でのトレチェルとの甘美な節回しは後年のカイルベルト盤やショルティ盤では見られないものだ。

ケンペは歌手の呼吸を良く知っていて、ベストのサポートをしている。

まだ若かったケンペもすでにR.シュトラウス演奏の第一人者としての地位を築いており、この他愛無いオペラをきりりと引き締めていて楽しめる。

何でもロンドンの聴衆はR・シュトラウスのオペラに慣れておらず、『アラベラ』は殆ど初演に近かったらしいが、戦後10年は経っていない時期によくぞBBCが放送したものだ。

聴衆も最初は控えめな拍手が入っていたが、最後は心酔しきったような暖かい拍手になっているのも素晴らしいドキュメントであった。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)R・シュトラウスケンペ 

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シベリウスのスペシャリストであるコリン・デイヴィスが、世界最古の伝統を誇るオケ、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮して、どんな演奏を繰り広げるのか?という期待を胸に購入。

一聴して、とにかくオーケストラの響きが魅力満点で、響きの豊かさに惚れ込んでしまった。

シュターツカペレ・ドレスデンのトーンは暖色系であり、寒々とした質感をもつシベリウスとは一見相容れない感じもするが、しかし厳しい冬を生き抜く人間の血潮は紛れもなく温かく、そういう情感が音色の一つ一つに宿っている。

もちろんデイヴィスの指揮も素晴らしく、もはや多くの言葉を費やすことが空しく思えてくるほどだ。

本番一発録音のため、若干のミスは否めないし、集中力が途切れる瞬間もある。

完成度の高さとしては、後年のロンドン交響楽団との2種を採るべきだろうが、曲に対する思い入れの強さは当盤からもひしひしと伝わってくる。

オケがシュターツカペレ・ドレスデンだからもう少し上を望みたいところだが、平均点は楽々クリアしている。

色数も豊富な弦楽セクション、輝かしくときに柔らかい音色を奏でる金管、これを聴くと根強いファンが多いのも頷ける。

殊に弱音部の澄み切った質感はこのオケならではと言える。

交響曲第2番は、第2楽章に欠落があるが、致命的と言うには勿体ない。

何故なら、オケが圧倒的に雄弁で、それを補って余りある程の魅力に溢れているからだ。

少々の編集ミスをあげつらうなど愚鈍の極みであり、筆者としては、透徹した精神性が結晶化した名演と高く評価したい。

交響詩「エン・サガ」もスタジオ盤(ロンドン響)とほぼ同格で、シュターツカペレ・ドレスデン特有のほの暗い音色が加味される。

最後の交響詩「レオンタール」が素晴らしい。

ゼルビヒの寂寥感に満ちた名唱にデイヴィス&シュターツカペレ・ドレスデンならではの共感溢れる雄弁な表現が冴える。

すべて完全初出で録音状態も抜群。

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classicalmusic at 01:08コメント(0)トラックバック(0)シベリウスデイヴィス 

2014年01月07日


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はじめに断っておくが、ブルックナー演奏に一家言をもつブルックナー・マニア、とりわけ朝比奈やチェリビダッケやヴァントを神のごとくに思っている人には、この演奏は受けが悪いだろう。

逆に、「ベートーヴェンやシューベルトはいいけど、ブルックナーはどうも…」という人には、この演奏の方が受け入れやすいだろうと思う。

一言で言えば、「バランスの取れた」ブルックナーというところだろうか。

ラトルのブルックナーは、以前の交響曲第7番もそうだったが、やたらに重々しくて音も割れんばかりに(あるいは実際に割れていたりするほどに)金管ががなりたてるドラマティックなブルックナー演奏とは異なり、ときに優雅な美しささえ感じさせるものである。

とりわけこの第4番は、4楽章のうち3つにまで「躍動して」と「速すぎず」という指示があり、「ゆったりと」とか「厳かに」という指示は一つもない。

その意味では、やたらに重々しい足取りで厳粛な表情をしたスローすぎる演奏は合わないだろう。

このCDでのラトルの演奏は、「ブルックナーとはこういうもの」という先入観でいたずらに劇化することはせず、小気味良いところは小気味よく、美しいところは美しく、堂々たるところは堂々と、その音楽そのものを提示している。

その一方で、先入観に挑戦する演奏の代表格のようなアーノンクールの演奏よりも、豊かな響きを持っている。

「バランスの取れた」と言ったのはそういうことだ。

これを聴いていると、ブルックナーはシューベルトとマーラーをつなぐオーストリアの作曲家であるというついつい忘れがちな事実を思い出させられる感じがする。

前述のようにブルックナー・マニアにはお薦めしないが、「ブルックナーはどうも…」という人には、前述のラトル&バーミンガム市響による第7番と今回のベルリン・フィルとのこの第4番を聴いてみてほしい。

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classicalmusic at 23:46コメント(0)ブルックナーラトル 

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1985年6月6日、クーベリックが心臓発作で倒れる直前にバイエルン放送響を指揮した最後の公演となったライヴ録音(ステレオ)。

海賊盤でも評判がすこぶる良かった素晴らしい名演奏で、筆者の愛聴盤だった。

クーベリックのブルックナーは「第4」も愛聴していたが、この「第9」はそれに通ずるスケール豊かで且つ推進力に満ちた演奏となっている。

当CDには当日の前プロだったヘンデルも収録されている。

アルバム冒頭、ヘンデルの序曲における荘重な響きからいきなり魅力的であるが、続くアレグロのフーガでも暗めの響きは持続され、以下、力強く芳醇なバイエルン放送響の弦楽サウンドを十分に味わうことが可能である。

この格調の高さは無類で、古楽器で演奏するのが当たり前な現在、もう2度とこのようなヘンデルは聴けないだろう。

メインのブルックナーでは、このコンビならではの微細な表情付けが作品の複雑な味わいを浮き立たせて面白く、第1楽章第1主題部での動機群の扱いや、同第2主題部での多声的な処理、同楽章展開部後半から第1主題部再現部にかけての強烈な盛り上げ、続くブリッジと第2主題部再現部での繊細な表現など聴きどころ満載だ。

スケルツォ楽章もパワフルで申し分なく、重厚剛毅なバイエルン放送響の凄みあるサウンドが素晴らしい。

第3楽章ではブルックナー作品中最高と目される豊富な語彙をことごとく際立たせ、有名な第1主題部経過句の美しい再現部でも多声的なアプローチが印象的で、以下、声部バランスの絶妙な配分によって、最後まで多彩な音響を聴かせてくれるのが嬉しいところだ。

コーダの少し前、カタストロフィーの描写も凄まじいものがある。

ライヴでは爆演のイメージ強いクーベリックだが、ここでは実に理性的かつ熱気も十分な完成度の高い名演を繰り広げている。

オーケストラの高性能ぶりも驚嘆すべきで、特にクーベリックが指揮するとこのオーケストラは本当に澄み切った音を出す。

放送用音源ということもあり音質も良好なデジタル録音なので、クーベリックのスケールの大きな音楽を捉えきっている。

これこそまさにブルックナー演奏史に燦然と輝く名盤と言えよう。

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classicalmusic at 21:13コメント(0)トラックバック(0)ブルックナークーベリック 

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ヴェルディは1950年12月1日、ミュンヘン大学講堂、ブルックナーは1954年5月14日、ドイツ博物館、ミュンヘン、に於けるライヴ録音。

ヨッフムのヴェルディは珍しく、「レクイエム」はこれが唯一の録音である。

「レクイエム」は、聴く者の耳と心を捉えて離さない演奏だ。

ヨッフムの精神の高さが、ヴェルディの剛直・雄渾の精神を見事に表現しており、その骨格には冒し難い品格が備わっている。

重厚なドイツ的表現で極めて個性的な演奏であるが、古い実況録音の中から宗教的感動の盛り上がりが伝わってくる。

確かにドイツ的心情で捉えた演奏ではあるが、こうした音色もヴェルディに必要なのではあるまいか。

現在のどの指揮者も工夫を凝らす“演出”の巧みな設計、デュナーミクの振幅、テンポの緩急などの遠近は、最小限度に抑えられている。

独唱陣はいずれも一時代を画した名歌手の貫禄を示しており、特にクーニッツが素晴らしい。

「テ・デウム」もヨッフムの得意中の得意の曲だけに、充実のひとときと与えてくれる。

「テ・デウム」における深い共感はヨッフムならではのもので、DGへのスタジオ録音より一段と劇的な迫力で壮麗に綴られる。

まだ創設して間もなかったバイエルン放送交響楽団がヨッフムに鍛え上げられたのか、見事な演奏を繰り広げている。

合唱も1音符の乱れもなく、両曲とも素晴らしい情熱で歌い切っている。

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classicalmusic at 01:02コメント(0)ヨッフムヴェルディ 

2014年01月06日


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この信じられないような2枚組CDは必聴だ。

ブルックナーの「第8」は、ウィーン・フィルやベルリン・フィル以外のオケを用いた録音の中では、特筆すべきライヴ録音(1983年)である。

ジュリーニならではの耽美的な構築により、整然として伸びやか、壮大にして麗しい演奏になっている。

全体的にゆったりとしたテンポで、丹念に旋律を歌わせ、情緒を漂わせている。

全曲を通じて同じモードで貫かれており、殊に白眉のアダージョは絶美で、この世のものとは思えぬ至福の時がゆっくりと流れていく。

細やかでスムーズなテンポの揺れや音の強弱を伴いながら歌わせてゆき、移行句や休止も歌の一部となる。

特にアダージョからフィナーレへの恐るべき盛り上がりは凄く、90分弱という演奏時間が全く埒外になるほどに、この演奏の底深き感動が湧き上がってくる。

勿論ジュリーニの演奏にはヴァントの厳しさはなく、強烈なアゴーギクを伴うフルトヴェングラーの観念性とも異なり、盲人が象を触れるが如きごつごつした巨大性を持つクナッパーツブッシュとも異なる。

しかし聴き終えた時、脱力感と共に深い感動に心を満たされるが、それこそがこの作曲家、黙示録的な交響曲なのであり、演奏スタイルは決してひとつではない。

ジュリーニ若き頃(1963年)のドヴォルザーク「第8」も素晴らしい。

後年の録音と較べて、音が緊密で締まっているが、窮屈かというとそうではなく、随所にジュリーニ特有の「歌」が聴かれる。

ジュリーニ芸術の集大成であり、ジュリーニ・ファン必聴の名盤と言えよう。

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classicalmusic at 23:52コメント(0)ジュリーニ 

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実に素晴らしい名演だ。

本盤に収められているのはベロフによる2度目のドビュッシーのピアノ作品全集の中から「12の練習曲」を軸として、「見つけ出された練習曲」、「エレジー」、「アルバムの頁」などの小品が収められているが、いずれ劣らぬ素晴らしい名演と高く評価したい。

かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。

しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏は断然優れていると評価し得ると言える。

こうした演奏の深化には、ベロフが、右手の故障を克服したことも大きく影響していると言えるのかもしれない。

それにしても、何と言う美しい演奏であろうか。

ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。

表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風の瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。

それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。

しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫りの深さと言った点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤に収められた諸曲の演奏は、まさにドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 21:14コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーベロフ 

2014年01月05日


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現役盤だけでも30点は下らないこの作品の名演は少なくない。

これは北ドイツ放送響とのヴァントの演奏のなかでも出色で、真摯な音楽との取り組みから過不足のない叙情性と崇高な精神性を引き出している。

誇張表現をいっさい避けてブルックナーの本質美に到達する。

ヴァントは、厳格なイン・テンポではないのに、フレーズからフレーズへと滑らかに進行する類稀な音楽的時計の持ち主だ。

テクスチュアの面でも、各声部を過不足なく浮き上がらせている。

テンポ変化の滑らかさ、すべての小節に向けられた“線”的な書法造形への配慮、ドイツ語圏現代最高のオケ、という3拍子が揃ったヴァントの演奏は、やはり掛け替えのないものだろう。

いつ聴いても感動してしまう。

しかし、シューリヒトに比べて、ヴァントは激しさが不足しているように筆者には聴こえてしまう。

このように1993年ライヴ録音は極めて高水準の演奏で、改めて驚いてしまった。

第1楽章冒頭から気合いの入った音楽が聴ける。さすが手兵との録音である。

この旧盤と比べると、筆者は、なおのことベルリン・フィルとの出来が気になってしまう。

いかにヴァントが優れた指揮者であっても、ライヴで最高の演奏を常にし続けることはできないのだろう。

やはり人間の営みであるわけだから、やむを得まい。

もし、ベルリン・フィルとの演奏を、特に第1楽章を不満に思う人がいたら、この1993年のライヴ盤をお薦めしたい。

オケの出来を含め、ヴァントの傑作と呼べるCDである。

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classicalmusic at 23:02コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

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文字通り「最後の巨匠」であったギュンター・ヴァント最晩年の名声を決定付けた、1996年から2001年にかけて録音されたベルリン・フィルとの名盤、ブルックナーの交響曲集(第4番・第5番・第7番・第8番・第9番)を海外盤では初めてボックス・セット化したもの。

まさに最晩年を迎えた芸術家ヴァントの「完成期の音楽」というにふさわしい貫禄がある演奏で、しばしば表現される「白鳥の歌」に相当する得難い名品だと思う。

それではこれらのヴァントの録音の特徴は何かと言えば、一つは合奏音の融合度の高さにある。

緻密に計算されたバランスで、管弦楽の重厚さが常に適切に保たれていて、たいへん調性的で節度を重んじる表現を貫いている。

このことは、よく「天国的」と形容されるブルックナーの音楽の一面を、余すことなく表現しているだろう。

次の特徴は、悠々泰然たるテンポ設定であるが、これは「遅い」と言っているのではない。

むしろ、遅さを感じる部分はほとんどないと言っていいくらい、推進力が保たれている。

一般的なイメージとして、年齢とともに荘重な音楽効果を重視し、テンポを緩める傾向があるのだが、ヴァントは例外と言えよう。

むしろ引き締まった印象を与えるほどの、確信に満ちたテンポ設定で、それは、生涯を通じてブルックナーをやってきたヴァントならではの、決定的な解答と思えるような説得力に富んでいるものだ。

こうして奏でられるブルックナーは「天国的」であり、かつ「力強い内的均衡感」に満ちたものとなる。

ただ美しいだけではないところが、ヴァントの芸術の高い価値を示しているだろう。

個人的には、やや不均衡なところがあっても、朴訥としたダイナミズムを堪能させてくれたケルン放送響との全集も好きなのだが、一方でこれらのベルリン・フィルとの録音も、捨てがたい価値を持っていると思う。

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classicalmusic at 01:06コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

2014年01月04日


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1956年にベルリン・フィルを手中に収め、いよいよ楽壇の“帝王”として活躍を始めた時期の覇気に満ちた録音。

ヴェルディの「レクイエム」はカラヤンの十八番だったが、これは1958年のザルツブルク音楽祭でのライヴ。

ヴェルディの「レクイエム」は、3大レクイエムの中でも、オペラの世界を知り尽くした作曲者ならではの劇的な要素を有した作品である。

それだけに、オペラを得意としたカラヤンも、この曲を重要なレパートリーとして、映像作品も含めて相当数の録音を遺した。

筆者としては、映像作品も含めると、クルーゾーと組んだミラノ・スカラ座との演奏を第一に掲げたいが、CDということになれば、カラヤンの全盛時代に録音された本盤も、1972年盤に匹敵する名演であると考える。

他の録音もそうであるが、何よりも歌手陣が実に豪華である。

特に、ルートヴィヒやシェピら往年のスター歌手の熱唱は最高で、これを聴くだけでも大きな価値がある。

カラヤンの指揮もスケールの雄大さが際立っており、ラストの聴きとれないようなピアニッシモを除けば、白熱したウィーン・フィルとも相俟って、これ以上を望めないような高みに達している。

「テ・デウム」は、歌手陣が一段と豪華な顔ぶれであるが、ブルックナーとしてはいささか賑々しい演奏のような気がする。

とは言っても、同曲でこれほどの重厚で迫力のある演奏は他には見られないものであり、これだけ堪能させてくれれば文句も言えまい。

人の心をグイとつかむカラヤンのライヴの凄さが伝わる貴重な音源である。

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classicalmusic at 21:14コメント(0)トラックバック(0)カラヤンヴェルディ 

2014年01月03日


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素晴らしい超高音質SACDの登場だ。

本盤には、かつてマルチチャンネル付きのハイブリッドSACDが発売されていた。

しかしながら、何故かマルチチャンネルならではの臨場感がイマイチで、音質的にもあまり満足が得られなかった記憶がある。

それだけに、今般の、SACD&SHM−CDのシングルレイヤー盤は、これまでのSACDとは一線を画する素晴らしい高音質と言える。

トゥッティの箇所に差し掛かっても、オーケストラとピアノが分離して聴こえるのは驚異的でもあり、あたかもマルチチャンネルを聴いているかのような錯覚を覚えるほどの音場の幅広さだ。

演奏も、賛否両論があるようであるが、筆者としては、素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも、ラン・ランのピアノが実に優れている。

ラン・ランの特徴は抜群のテクニックに裏打ちされた強靭な打鍵と、思い入れたっぷりの情感豊かな表現力の幅の広さであるが、本盤でも、そうしたラン・ランの特徴が見事にプラスに働いている。

音の重心の低い重厚にして堂々たるピア二ズムは、その情感の豊かさと相俟って、ラフマニノフのピアノ協奏曲には最も相応しいものであり、強靭な打鍵から繊細な消え入るような抒情に至るまでの表現力の幅の広さにも出色のものがある。

こうしたラン・ランをサポートするゲルギエフの指揮も実に素晴らしい。

もともと、ラフマニノフを得意のレパートリーとする指揮者ではあるが、ここでも、ラン・ランと同様に、ロシア的な情緒満載の実に雰囲気豊かな演奏を繰り広げている。

ゲルギエフの卓抜した指揮の下、マリインスキー劇場管弦楽団も最高のパフォーマンスを示している。

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classicalmusic at 21:43コメント(0)ラフマニノフゲルギエフ 

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驚天動地の超名演だ。

ホロヴィッツは、最晩年に来日した際のコンサートでは、ミスタッチも多く聴かれ、高名な評論家からは「ひびの入った骨董品」との名批評を賜ったりしたが、本盤はホロヴィッツ壮年期の全盛時代の録音。

ホロヴィッツの人間離れした卓越した至芸を大いに堪能できるのが素晴らしい。

それにしても、何という超絶的な技量であろうか。

とても人間業とは思えないような強靭な打鍵、それと対照的な天国的とも言うべき繊細な抒情。

かかる桁外れの表現力の豊かさに緩急自在のテンポ設定を加えて、圧倒的な至高・至純の芸術作品を構築している。

特に、「熱情」の終楽章など、他のピアニストであれば、速いテンポと強靭な打鍵が重なり合うと、一つの音塊になって、ピアノタッチの一音一音が明瞭に聴こえないケースが多々あるが、ホロヴィッツの場合は、いかに強靭な打鍵であっても、いかにテンポが速くなっても、一音一音が実にクリアに聴こえるというのは驚異的であり、更に、終結部の猛烈なアッチェレランドにおいてさえもピアノタッチのクリアさを失わないのは、人間業を超えた圧巻の至芸と言える。

壮年期のホロヴィッツが凄いのは、その技量があまりにも超絶的であるため、技量と感性だけで勝負ができるということだ。

自らの感性の赴くままに卓越した技量を披露すれば、他のピアニストならば、内容の希薄な機械的演奏に陥ってしまいがちであるが、ホロヴィッツの場合は、それだけで大芸術作品になってしまうのだ。

壮年期のホロヴィッツこそは、技量が芸術を超えるという異次元のピアニストであった。

SACD化によって、ホロヴィッツのピアノタッチがより鮮明に再現される点も高く評価したい。

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classicalmusic at 19:06コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンホロヴィッツ 

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古今東西の数多くのピアニストの中でも、ショパン弾きとして名を馳せた者は数多く存在しているが、その中でも最も安心してその演奏を味わうことができるのは、ルービンシュタインを置いて他にはいないのではないだろうか。

というのも、他のピアニストだと、古くはコルトーにしても、ホロヴィッツにしても、フランソワにしても、演奏自体は素晴らしい名演ではあるが、ショパンの楽曲の魅力よりもピアニストの個性を感じてしまうからである。

もちろん、そのように断言したからと言って、ルービンシュタインが没個性的などと言うつもりは毛頭ない。

ルービンシュタインにも、卓越したテクニックをベースとしつつ、豊かな音楽性や大家としての風格などが備わっており、そのスケールの雄渾さにおいては、他のピアニストの追随を許さないものがあると言えるだろう。

そして、ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、ショパンと同じポーランド人であるということやショパンへの深い愛着に起因すると考えられるが、ルービンシュタイン自身がショパンと同化していると言えるのではないだろうか。

ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているような趣きがあるとさえ言える。

何か特別な個性を発揮したり解釈を施さなくても、ごく自然にピアノを弾くだけで立派なショパンの音楽の名演に繋がると言えるところであり、ここにルービンシュタインの演奏の魅力がある。

本盤に収められたスケルツォについても、そうしたルービンシュタインならではの情感豊かでスケール雄大な名演だ。

ショパンのスケルツォの名演としては、近年ではポゴレリチによる楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みのある超名演(1995年)があるが、本演奏もその奥行きの深さにおいていささかも引けを取っていない。

そして、ショパンのスケルツォという楽曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、本演奏の右に出る演奏は皆無である。

また、演奏全体を貫いている格調の高さは比類がなく、これぞまさしく大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。

なお、本盤で何よりも素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質だ。

本演奏は今から約50年以上も前のスタジオ録音であるが、とてもそうとは思えないような鮮明な高音質を誇っている。

既に発売されているSACDハイブリッド盤よりも、更に高音質と言えるのではないだろうか。

いずれにしても、ルービンシュタインによる至高の超名演を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 16:53コメント(0)トラックバック(0)ショパンルービンシュタイン 

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ルービンシュタインのショパンは、どの演奏も実に素晴らしい。

本盤に収められたピアノ・ソナタ第2番及び第3番もその例外ではなく、いずれも至高の超名演と高く評価したい。

ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、私見ではあるが、ルービンシュタインがショパンに成り切っている(ショパンの化身と化している)からと言えるのではないだろうか。

同郷の作曲家という側面もあるとは思うが、ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているかのような趣きがある。

例えば、バーンスタインとマーラーの関係と同様であり、バーンスタインのマーラーが何故にあれほどの名演であり、人を惹きつけるのかと言えば、バーンスタインがマーラーの化身と化しているような演奏を行っているからにほかならない。

本演奏におけるルービンシュタインのピアノも、何か特別なことをしているようには思えない。

おそらくは、誠実にショパンの音楽に向き合っているだけであり、楽想を真摯に弾き抜いているに過ぎないのではないかと考えられる。

にもかかわらず、すべての音には奥深い情感がこもっているとともに、ショパンの絶望感に満ちた心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さもごく自然に描出されている。

あたかも、ルービンシュタインがショパンの化身と化してピアノを弾いているかのようであり、これぞ作曲者と演奏家の幸福な出会いと評価すべきである。

ルービンシュタインによるショパンの楽曲の演奏は、他のどのピアニストによる演奏よりも安心して聴けるというのは、このような点に起因していると考えられるところであり、ここには、例えば何某かの個性的な解釈を施している他のピアニストによるショパン演奏などとは大きく次元が異なる大人(たいじん)の至芸があると言えるだろう。

録音は1961年のスタジオ録音であり、今から約50年も前のものであるが、今般のXRCD化によって見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

ルービンシュタインの至高のピアノ演奏を、XRCDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 14:25コメント(0)トラックバック(0)ショパンルービンシュタイン 

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アファナシエフは若くしてライプツィヒの国際バッハ・コンクールに優勝するなど、ロシアを代表するバッハ弾きであったが、この録音までまとまったバッハ作品の録音は行っていなかった。

満を持しての《平均律クラヴィーア曲集》は、グールド、リヒテルなどと並んで、20世紀バッハ演奏の一つの極点をなす演奏となった。

話題性のある新録音を次々と発表し、さらには文学的な才も発揮する異色のピアニスト、アファナシエフであるが、この《平均律クラヴィーア曲集》では意外と正攻法で立ち向かっている。

バッハの鍵盤音楽の金字塔が、この鬼才の手にかかるとどうなるか。

アファナシエフの自由な精神が逍遥し、看てとったバッハの世界は、その晦渋な印象とは遠いところにある、ある種の平明さを備えたものだった。

それでいて、バッハ以前の様々な流れを懐に収めているバッハの音楽そのものがそうであるように、底知れぬ深みを湛えている。

むろんこれまでのアファナシエフの個性もここでは確認はできるが、音楽の本質に影響を与えるものではなく、むしろバッハの純粋器楽スタイルの対位法音楽の抽象性をさらに構築的に組み立て、オルガン曲のような重厚さを兼ね備えた見事な演奏を行っている。

第1巻、第4番嬰ハ短調の5声の3重フーガなどは交響的な立体性を持たせて、まさに感動的な仕上がりである。

アファナシエフならではの表現の奥深さで、バッハの対位法の精髄に哲学的な重さを加えた演奏と言えよう。

アファナシエフが、現代を代表するバッハ演奏家とされる所以である。

Blu-spec CD仕様により、高音質化が図られたのは、本名演の独特の個性を際立たせるのに大きく貢献している。

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classicalmusic at 09:18コメント(0)トラックバック(0)バッハ 

2014年01月02日


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1953年の放送用録音による全曲盤である。

3年前のスカラ座での録音よりも、ローマ盤のほうが音がよく、演奏はかなり落ち着きと渋さを増しているが、たとえば《ワルキューレ》を次のウィーン盤と比べると、ちょうどミラノ、ウィーンの中間的解釈であることがわかる。

フルトヴェングラーのローマ盤は、今のところCD、DVDを通じて屈指の演奏であろう。

1953年のモノーラル録音で、音の状態も良好とはいえず、歌手たちの出来も万全とはいえないし、オケの力量にも限界があるが、フルトヴェングラーらしい、スケールの大きな雄渾な表現は、圧倒的なものである。

歌手陣では、ヴィントガッセンのローゲ、パツァークのミーメ、ナイトリンガーのアルベリヒなどが名唱を聴かせる。

コネツニのジークリンデは3年前よりもずっと立派になっており、フンディングのフリックにも 不気味な威厳がある。

歌の充実度ではクラウスが1953年度のバイロイトでの公演を指揮したライヴのほうがやや上だが、オケが引っ込み気味のそのライヴよりもバランスよく録音されていて、フルトヴェングラーの指揮の素晴らしさを満喫できる。

クラウスやショルティの指揮よりも後期ロマン派風に重く粘る傾向もあるが、4部作全体を一貫して流れる高貴なロマンティシズム、浄化された官能美、パセティックな感動の高まりなどは、他の追従を許さない。

この巨匠が、ワーグナーの音楽にかける気迫のひしひしと感じられる、精神性の豊かな、しかもロマン的な色彩の濃い秀演だ。

フルトヴェングラーはこの録音後わずか1年で突然世を去ってしまった。

この録音がまさしくかけがえのないない貴重な意味をもつのは、それが単に"フルトヴェングラーの指環"全曲であるばかりでなく、世界中の多くの人々にとっても容易に聴くことのできなかったこの巨匠のワーグナー演奏を、集約的な姿で示しているからに他ならない。

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classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

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一つの時代の終わりには、その時代を総括するような巨大な大物がしばしば出現するものだ。

バロック時代のバッハとヘンデル、古典派時代の終わりのベートーヴェン等はその例の一つであろう。

フルトヴェングラーはその意味で、古典=ロマン派時代の終焉の時期に、この時代の持つ精神性、音楽構造、内的エネルギーの在り方を、演奏の上に総括した位置にある。

フルトヴェングラーは、とりわけベートーヴェン、ワーグナー、ブラームスの演奏に優れた盤を残している。

そして1952年の《トリスタンとイゾルデ》は、この作品の奇蹟にも近い演奏であると思う。

その後、いくつかの《トリスタン》が録音され、名演もある。

しかし、フルトヴェングラーの演奏と比肩し得るものはない。

というより、同じ次元で比較できないというべきだろう。

その理由はフルトヴェングラーの天才のみにあるのではなく、彼の生きた時代と関わっている。

ドイツ古典=ロマン派時代の音楽構造の根本は、ベートーヴェンに代表されるような、頂点を目指して進む音の有機的な生命にあった。

そしてそうした時代が終焉を迎えつつあった時代にフルトヴェングラーはその音楽の総体を包括し、時代の証言として音化したのである。

今後も《トリスタンとイゾルデ》の名演は出るだろう。

しかし、歴史が遡行できない以上、フルトヴェングラーの残した証言に比肩し得るものは、もはや産まれ得ないのである。

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classicalmusic at 09:53コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

2014年01月01日


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本盤に収められたワーグナーの楽劇「ワルキューレ」は、フルトヴェングラーによる最後のスタジオ録音、そして最後の演奏となったものである。

楽劇「トリスタンとイゾルデ」の成功によって、フルトヴェングラーもレコーディングというものを再評価し、楽劇「ニーベルングの指環」の全曲録音に挑むべく本演奏の録音を行ったのであるが、それを果たすことなくこの世を去ることになってしまったのは、フルトヴェングラー自身も心残りであったであろうし、クラシック音楽ファンにとっても大きな損失であったと言わざるを得ないだろう。

それでも、遺された録音が楽劇「ラインの黄金」ではなく、楽劇「ワルキューレ」であったというのは不幸中の幸いであったと言えるのかもしれない。

本演奏については、楽劇「トリスタンとイゾルデ」があまりも神々しい超名演であるために過小評価されているように思われるが、筆者としては、フルトヴェングラーによる畢生の名演として高く評価したい。

全体としては荘重な悠揚迫らぬインテンポで楽想を進行させているが、各登場人物の深層心理に鋭く切り込んで行く彫りの深さ、そしてスケールの雄大さはいかにもフルトヴェングラーならではのものであり、とりわけ第1幕のジークムント、ジークリンデ、フンディングの間の心理戦におけるドラマティックにして奥行きのある表現は、まさにフルトヴェングラーの真骨頂と言えるだろう。

また、第3幕におけるヴォータンとブリュンヒルデの心の葛藤の描き方には、劇性を遥かに超越した枯淡の境地のようなものさえ感じられるところであり、フルトヴェングラーが構築した現世での最後の音楽に相応しい崇高さを湛えている。

歌手陣もフルトヴェングラーの彫りの深い指揮に一歩も引けを取っておらず、特に、ブリュンヒルデ役のマルタ・メードルとジークリンデ役のレオニー・リザネクの歌唱は素晴らしく、ジークムント役のルートヴィヒ・ズートハウスも実力以上の歌唱を披露している。

ヴォータン役のフェルディナント・フランツの歌唱も重厚さと厳かな威厳を湛えていて圧倒的な迫力を誇っている。

フルトヴェングラーの統率の下、最高のパフォーマンスを示したウィーン・フィルにも大きな拍手を送りたい。

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classicalmusic at 23:56コメント(0)ワーグナーフルトヴェングラー 

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アバドはマーラーの交響曲第7番を2001年にベルリン・フィルとライヴ録音していることから、本盤に収められた演奏は、その17年も前のアバドによる最初の録音(スタジオ録音)ということになる。

ベルリン・フィル盤は、ベルリン・フィルの卓越した名技を生かしつつ、胃がんを発表した後の明鏡止水にも似たような境地が漂う何とも言えない深い味わいがあり、至高の名演に仕上がっている。

これに対して、本演奏もベルリン・フィル盤とは違った魅力のある名演と高く評価したい。

当時のアバドは、ある意味では全盛時代にあったと言えるのではないだろうか。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任してからは借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになるのだが(前述の胃がん克服後は、彫りの深い名演を成し遂げるようになったことは忘れてはならない)、この時期のアバドには楽曲の核心に向けてぐいぐいと喰い込んでいくような力強い推進力があった。

本演奏においても、アバドのエネルギッシュな生命力は健在であり、とりわけ第1楽章や終楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さは圧巻の迫力を誇っている。

第3楽章もアバドには珍しいような変幻自在のテンポや粘ったようなリズムなどを効果的に駆使して、実に魅力的な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

それでいて、とりわけ第2楽章や第4楽章のいわゆる「夜の歌」において顕著であるが、豊かな情感に満ち溢れた歌謡性はアバドならではのもので、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

まさに、本演奏は、この時期のアバドならではの剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

また、アバドの統率の下、当時、ベルリン・フィルと並んで世界最高水準の技量を誇っていたシカゴ交響楽団も、その持ち前の超絶的な技量を駆使して、望み得る最高の演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献している点を忘れてはならない。

録音については従来盤でも比較的満足できる音質であったが、前述のベルリン・フィル盤が存在することもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言える。

もっとも、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の再評価に繋がるものと言えるところであり、大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:50コメント(0)トラックバック(0)マーラーアバド 

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「『ザ・グレイト』は音楽の頂点を極めた楽曲の1つです」ラトル自身がそう語り、この曲との長い歴史を持つベルリン・フィルとともに取り組んだ、ラトル初のシューベルト録音。

ここでのラトルのアプローチには、かのフルトヴェングラーと相通ずるものを感じる。

とはいえ、音楽作品あるいは音楽演奏もまた文化であり、文化とは時代の空気を敏感に読み取って文化それ自体のなかに投影する性質を有するものであるからには、演奏スタイルにかつての巨匠の面影を求めることなど不可能なことは、歴史の証明するように、自明の理であろう。

ラトルとフルトヴェングラーに通ずるのは「アプローチの方法論」に過ぎないのだから。

そもそもシューベルトその人もまた世代が異なるとはいえ、ベートーヴェンと同じ時代に同じ街の空のもとで音楽活動をしていながら、世代が異なるがゆえにシューベルトの作品内容の核心にはベートーヴェンとは相容れない要素があることこそ、文化と時代の空気感との関係をよく物語っているのではあるまいか。

それらに思いを致してみると、この演奏に対する多くの酷評を読む限り、あまりにも表面的にしか聴いていない聴き手が多いことに危惧の念を抱いてしまう。

かつての巨匠がそうであったように、ラトルもまた時代の「新しい」空気を、鋭敏な感覚と指揮者としての類い稀なる手腕によって「新しい」シューベルト像として結実させることに成功していると言えよう。

確かにここではスケール感も重厚さも聴けはしない。

しかしシューベルトの音楽が、ピリオド楽器やピリオド・アプローチなど珍しくもなくなった今日にあって、果たしてスケールの大きい重厚な音楽であったのだろうか。

筆者に限らずそこに疑問を抱く聴き手は少なくないはずだ。

ここでのラトルとベルリン・フィルの演奏の真の価値は、テンポだのリズムの刻みだのといった極々表面の部分ではなくて、「大ハ長調」という呼称に代表されるような既成の概念にとらわれず、アグレッシヴなまでにこの音楽が本来持っている新たな生命を引き出したところにあるのではないだろうか。

音質もHQCD化により極めて鮮明となり、本名演の特徴を一層くっきりと際立たせているように感じられるところだ。

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classicalmusic at 18:02コメント(0)シューベルトラトル 

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クレンペラーは戦後、アメリカ・ヴォックスにまとまった量の録音をおこなっているが、この2曲はそのなかで1951年に録音されたものである。

ヴォックスの録音は壮年期のクレンペラー演奏の貴重な記録であり、そもそもかなり素っ気ない1950年代のクレンペラーの演奏を、ウィーン交響楽団の潤いある音響が補っている秀演。

ブルックナーの交響曲第4番『ロマンティック』は、SP時代のベーム、ヨッフムに続く史上3番目の録音で、LP用の初めての録音でもあった。

この『ロマンティック』はおよそブルックナーらしからぬ快速演奏に驚嘆、と思う間もなくこの大指揮者の音楽に鷲掴みにされ一気に最後まで聴き通してしまう、比類なき名演。

もうひとつ指摘しなければならないのは、この当時のウィーン響の音である。

この頃はまだ古い楽器を使用していたのだろう、ホルンをはじめオーボエなどの管楽器がいかにも鄙びた味わいである。

弦楽器もかなり艶っぽい音を出している。

たとえば第2楽章のヴィオラ、チェロなど、この頃のウィーン響がこんなに甘い音だったとは知らなかった。

なお、クレンペラーはこの第2楽章の途中のヴィオラの旋律をソロに変更している。

むろん、これはクレンペラー独自の改変で、賛否はあるだろうが、これはこれでなかなか味があると思う。

マーラーの『大地の歌』はワルターのSP録音に続く史上2番目の録音で、ブルックナー同様最初のLP用録音である。

作曲者直伝の十八番マーラーはクレンペラーならではの正統的な演奏。

『ロマンティック』同様、速めのテンポで処理しているが、ここでもオーケストラの柔らかい音色が十分に物を言っている。

さすがにワルター/ウィーン・フィルほど結晶化はされているとは言えないものの、個性的であるのは間違いない。

随所にあらわれるヴァイオリン・ソロなどもかなり甘く歌っている。

歌手陣では、デルモータの美声がさすがで、この曲の名唱のひとつではないだろうか。

一方のカヴェルティはポルタメントが多い古いスタイルの歌い方だが、この曲の退廃的な雰囲気とよく合っていて、決して悪いとは思わない。

ただ、この2人の歌手があまりにもマイクに近すぎるのが少し気になる。

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classicalmusic at 01:22コメント(0)トラックバック(0)クレンペラー 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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