2014年01月

2014年01月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



全盛期のリヒテルのピアノ演奏の凄さを味わうことができる1枚だ。

リヒテルのピアノは、何と言ってもそのスケールの雄大さが際立っている。

グリーグとシューマンのピアノ協奏曲をカップリングしたCDは数多く存在しているが、演奏のスケールの大きさにおいては、本演奏は随一と言っても過言ではあるまい。

かかるスケールの大きさはあたかもロシアの広大な悠久の大地を思わせるほどだ。

このような音楽の構えの大きさは、詩情の豊かさが勝負のシューマンのピアノ協奏曲においては若干の違和感を感じさせなくもないが、グリーグのピアノ協奏曲においては見事に功を奏していると言えるのではないだろうか。

また、その卓越した技量も特筆すべきものがあり、両演奏ともに強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで桁外れの表現力の幅の広さを披露している。

各曲のトゥッティに向けての畳み掛けていくような気迫にも渾身の生命力が漲っており、その圧倒的な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

こうした極大なスケールのリヒテルの力強いピアニズムに対して、マタチッチの指揮も一歩も引けを取っていない。

その巨大な体躯を生かしたかのような悠揚迫らぬ重厚な音楽は、リヒテルのピアノを効果的に下支えするとともに、スケールの雄大な本演奏に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

オーケストラは二流のモンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団であるが、ここではマタチッチの確かな統率の下、実力以上の名演奏を展開している。

いずれにしても、両演奏ともに素晴らしい名演であり、とりわけグリーグのピアノ協奏曲については、同曲演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質については、従来CD盤が今一つ冴えない音質であったが、HQCD化によってある程度は満足できる音質になるとともに、若干ではあるが音場が幅広くなったところであり、筆者としても当該HQCD盤をこれまで愛聴してきたところだ。

もっとも、抜本的な音質改善が図られたというわけではないので、リヒテル&マタチッチによる至高の超名演であることも考慮して、更なる高音質化を望んできたところであるが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わったところであり、とりわけリヒテルのピアノタッチの一音一音が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

もっとも、あまりにも鮮明過ぎて、モンテ・カルロ国立歌劇場管弦楽団のアンサンブルの粗さが若干明瞭になってしまったという欠点もあるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、リヒテル、そしてマタチッチによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:30コメント(0)トラックバック(0)リヒテルマタチッチ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カール・シューリヒトの最晩年の録音(1965年)によるブルックナー。

彼の遺したブルックナーでは第7番〜第9番が名盤の誉れ高いもので、特にウィーン・フィルを指揮した第8番と第9番はEMIがSACD化して、従来CDでも音質が良かった録音が、さらにグレードアップされて発売されている。

しかし、同じくウィーン・フィルと録音した第3番はどういうわけか正式のEMI録音にも関わらず、国内盤は見当たらず、海外盤もライセンスを受けた商品だけが今は流通しているのが現状である。

だが、筆者としては忘れ難い魅力のある演奏であり、このような不当な扱いしかされてないのが残念で仕方がない。

よく、シューリヒトのブルックナーは枯れた演奏だという評を耳にするが、確かにベームのように豊穣に鳴らす演奏ではない。

第1楽章から淡々とした運びのテンポでことさらテンポを動かすこと無く音楽を作っていく。

素直な音楽作りというか、何も足さない、何も引かないというスタンスでウィーン・フィルからブルックナーの音を引き出している。

ベームの演奏を聴くと時々ウィーン・フィルの弦が明るく輝きすぎることがあるが、シューリヒトはそういうことが無く、オルガン奏者でもあったブルックナーの地味な響きをそのままのバランスで演奏させている。

それが一番感じられるのは第3楽章で、スケルツォゆえにやや弾むようなテンポで演奏しても良さそうなところを、ここでも抑えに抑えて、どちらかというと引きずるようなテンポで主題を演奏をさせている。

そのため中間部の主題のワルツのリズムの弾むようなリズムが生きている。

このワルツのリズムはさすがウィーン・フィルと惚れ惚れとしてしまう。

第4楽章の第1主題は慌ただしい弦の出だしから、金管による主題が浮かび上がってくる勇ましいものであるが、続いて提示されるコラール風の第2主題はいかにも穏やかな牧歌風の旋律になっている。

ここでシューリヒトはウィーン・フィルから極上の響きを紡ぎ出しており、何といっても、金管のひなびた響き、特にウィンナホルンの独特の響きはもうベームの録音では聴くことができない。

この楽章だけでもこの演奏を聴く価値があると言える。

録音は1965年とかなりステレオ録音が成熟してきた頃のものということもあり、DECCAのゾフィエンザールの音のような包み込むような立体感はないが、低域までよく伸びたバランスの良い聴き易い音に仕上がっている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーシューリヒト 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



廃盤になって久しかったクナッパーツブッシュの「ブル3」デッカ録音が、テスタメントから復活した。

まず何より当時の録音ではデッカの音は他社の追随を許さぬ飛び抜けたものだ。

テスタメントの復刻は何度でも聴きたくなるような素晴らしい音質で、空気まで芳しく香ってくるような名録音である。

モノラル後期にセッション・レコーディングされたこの録音は、当時、RCAと並んで最先端の技術力を誇ったデッカならではの音の良さが魅力でもあり、往年のウィーン・フィルの濃厚なサウンドを克明な音質で愉しむことが可能だ。

とはいえ最大のポイントはやはりクナッパーツブッシュのユニークな音楽づくりにあると言えるであろう。

ここではブルックナー、ワーグナーというクナッパーツブッシュ得意のレパートリーがとりあげられていることもあって、非常に聴きごたえのある仕上がりとなっている。

ウィーン・フィルの「ブル3」はこの盤の他シューリヒト、ベームがありいずれも必聴の名盤だが、もし1枚を選ぶとすれば問題なくこの盤になる。

あえて改訂版を選択したクナッパーツブッシュのワーグナー的な響きのこの音楽を、ブルックナー演奏では真の実力を発揮するウィーン・フィルとデッカの素晴らしい録音で愉しむことができる。

根本的には素朴な演奏で、テンポは遅く、メロディはとても美しく(特に弦楽器のふくよかな音の響きはウイーン・フィルならでは)、曲の組み立てのスケールは大きく、蕩々と音楽が奏でられる。

想像の世界だが、古き良きウイーンの息吹が底流に脈々と流れてくるような駘蕩とした感があり、指揮者もオケもブルックナーに深く没入しているのが伝わってくる。

ジークフリート牧歌も勿論究極の名演。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:53コメント(0)トラックバック(0)クナッパーツブッシュブルックナー 

2014年01月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



トスカニーニの唯一のステレオ録音であり、最後の公開演奏録音である。

チャイコフスキー「悲愴」交響曲は1954年3月21日の演奏、ワーグナー・プログラムが4月4日の文字通りの最後の公開公演でいずれもカーネギーホールでの収録である。

この間、トスカニーニは3月25日に87歳の誕生日を迎えている。

演奏会は全米にラジオで実況中継されているが、これとは別にステレオによる録音記録が残されていた。

この最後の演奏会での悲劇の実際は、諸石幸生氏の著作(音楽之友社)に詳しい。

トスカニーニはすでに記憶障害に悩んでおり、1953−54年シーズンの契約も不承不承であったという。

悲劇はすでに前日のリハーサルに起こっていた。

だから本番当日でのトラブルは予測されており、指揮者が立ち往生した際も混乱のなかで何とか演奏は続けられた。

このCDを聴くと、トラブルのあった「タンホイザー」序曲のバッカナーレで、ソロが不安げに揺らぎテンポが異様に落ちてあてもなくさまようのが感じ取れるが、中断はしない。

終末の和音が不自然なのは、修正の痕跡というよりは録音上のミスではないかと思う。

演奏は中断したとか、緊急のアナウンスが入り、ブラームスの交響曲に切り替わったとかの話が流布しているのは、前日のリハーサルの録音が実存していることや、本番での実況放送を録音した私家版のせいらしい。

実際には演奏は混乱しつつも続けられたというのが真相だ。

ステレオの効果は驚くほど顕著だ。

常識的な予想に反して、悲劇のワーグナー・プログラムのほうが俄然良い。

その音の官能的なことと豊麗豊饒な厚みは驚愕的だ。

伝説のスタジオ8Hの砂漠のような音質で、NBC響はずいぶんと誤解されている。

この録音を聴くと、金に飽かせず名人を選りすぐりストラディバリウスだけでも8台持っていたというこのオーケストラの豊かな音の実像にようやくたどり着いたという実感で心がいっぱいになる。

これに比べると「悲愴」のステレオ録音は音が希薄で虚弱な印象が否めない。

最晩年の衰えのせいなのか、録音技術の未熟さのせいなのかはよくわからない。

しかし、1947年の不滅の超名演には並ぶべくもない。

テクノロジーが芸術価値を伝えきれないことはあっても、もともと無いものを補充し逆転させることはない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:07コメント(0)トラックバック(0)トスカニーニワーグナー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



長年ベルリン・フィルの首席ホルン奏者であったゲルト・ザイフェルトは、シュターツカペレ・ドレスデンのペーター・ダムと共に、ドイツを代表する2大ホルン奏者として知られていた。

カラヤンは、最晩年にはその関係が決裂し、ザイフェルトが一時的にベルリン・フィルを解雇されることに繋がったという不幸もあるが、ザイフェルトを生涯で出会った最高のホルン奏者と高く評価していたのは有名な逸話である。

カラヤンのレパートリーの太宗を占めるドイツ音楽を的確に演奏できるのは、デニス・ブレインではなく、ジャーマンホルンの体現者たるザイフェルトでなくてはならなかったのであろう。

本盤でも、そうしたザイフェルトのジャーマンホルンの体現者たるにふさわしい格調高き名演奏を存分に味わうことができるのが素晴らしい。

ザイフェルトは卓抜で安定したテクニックと明瞭に磨かれた美しい響きをもつ名手中の名手だが、彼のソロ盤が意外に少ないのは、その演奏にブレインのような個性的な輝きが少ないためであろう。

しかし、確実でバランスのよい演奏は、それだけにまた、作品の姿をくっきりと伝えてくれる良さがある。

この演奏も、そうしたザイフェルトらしくいかにも的確で、密度が高く美しく琢磨されている。

ザイフェルトのソロは音色の個性的な魅力や変化には乏しいが、厚味とこくがあり、テクニックは流麗の極みを示し、どの曲も鮮やかに吹き切っている。

ザイフェルトはドイツ風の芯までしっかりと鳴り切った安定した音色、決して大音量で鳴らさず、演奏もセーヴされておとなしい。

スタッカートなどほとんど訥々としているが、柔らかな表現力とコントロールは抜群であり、特にリズムの良さが光る。

カラヤン&ベルリン・フィルも絶妙で、両者の黄金時代ならではの最高のパフォーマンスを示している。

表情豊かで大仰、レガートの強調やスマートすぎるテンポが気になる部分があるが、造形力の大きさと旋律の豊かな歌わせ方、決めるべきところを決めた迫力が見事だ。

筆者としては、デニス・ブレインとの旧盤が随一の名演であるとの評価には変わりはないものの、本盤も魅力のある名演として、十分に存在価値の高いものであると考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ロンドンを拠点に活動しているピアニスト、内田光子2枚目のシューマン・アルバムの登場だ。

曲目は『ダヴィッド同盟舞曲集』と『幻想曲』というシューマン・ファンに人気のプログラムで、近年、いっそうの深化を遂げた内田光子ならではの高度な演奏を聴くことができる。

いかにも近年の内田光子ならではの深みのある名演だ。

シューマンのピアノ曲は、いずれも名作揃いだとは思うが、同時代のショパンなどとは異なり、アプローチの仕方によってはやたら理屈っぽい演奏になりがちである。

いずれも詩情に満ち溢れた作品ではあるのだが、組曲やソナタなど、比較的規模の大きい作品が多いだけに、全体の統一性など、どうしてもそれに捕われて、詩情を失ってしまいがちなことがその要因と言えるのかもしれない。

しかしながら、内田光子にはそのような心配は御無用。

全体として、前述のように曲の本質を深彫していくような深遠な表現を心がけてはいるが、シューマン特有の詩情豊かさにもいささかの不足はない。

特に、『ダヴィッド同盟舞曲集』にような作品集では、各曲の性格を巧みに描き分け、緩急自在のテンポを駆使して、これ以上は求められないような高次元の表現を成し遂げている。

『幻想曲ハ長調』は、まさに内田光子の独壇場。

これほど深みがあって、しかも情感豊かな演奏は、今や大ピアニストとなった内田光子にしかできない至高・至純の境地に達している。

本盤は、内田光子にとっても、15年ぶりのシューマンとのことであるが、他のシューマンのピアノ曲も、内田光子の演奏で是非とも聴きたいものだ。

シューマンの『ダヴィッド同盟舞曲集』、『幻想曲』と英グラモフォン誌の記者ジェイムス・ジョリーとの対談という形で、時折ピアノを弾きながらシューマンについて約29分にわたって熱く語ったインタビューも収録している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:45コメント(0)トラックバック(0)シューマン内田 光子 

2014年01月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、ベートーヴェンの「第5」とシューベルトの「未完成」という交響曲史上でも最も人気のある作品が収められているが、このうち「未完成」については、同曲演奏史上でもベストを争う至高の超名演と高く評価したい。

シューベルトについては、かつてはウィーンの抒情的な作曲家として捉えられていたが、近年では抒情的な旋律の奥底に潜む人生の寂寥感や絶望感と言ったものに鋭く踏み込んでいく演奏も増加してきているところであり、ベートーヴェンにも比肩し得る大作曲家としての地位を獲得しつつあるところだ。

ワルターによる本演奏は、むしろかつてのシューベルトがウィーンの抒情的な作曲家として捉えられていた時代を象徴するものである。

まさに、古典的な名作映画「未完成交響楽」の世界そのものの演奏と言っても過言ではないところであり、ウィーン風の抒情豊かな絶美の音楽が紡ぎ出されている。

とりわけ、第2楽章のゆったりとしたテンポによる情感豊かな音楽は美しさの極みであり、抗し難い魅力に満ち溢れている。

他方、ベートーヴェンの「第5」は、いささか疑問に感じる点がなくもない。

というのも、第1楽章冒頭の有名な運命の動機について、一度目の三連音後のフェルマータよりも二度目の三連音後のフェルマータの方を短くする演奏様式が、これはLP時代からそう思っているのであるがどうしても納得がいかないのである。

また、演奏全体としても、同時代に活躍したフルトヴェングラーやクレンペラーによる名演と比較するといささか重厚さに欠けると言わざるを得ないだろう。

しかしながら、ベートーヴェンを威圧の対象としていないのは好ましいと言えるところであり、そのヒューマニティ溢れる温かみのある演奏は、近年のピリオド楽器や古楽器奏法による演奏などとは別次元の味わい深い名演と高く評価したい。

本演奏は至高の名演であるだけに、これまでリマスタリングを何度も繰り返すとともに、「第5」についてはBlu-spec-CD盤も発売されたりしているが、ベストの音質は本シングルレイヤーによるSACD盤である。

ワルターによる名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:06コメント(0)トラックバック(0)ワルター 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1945年1月28日。

一体この演奏が行われていたその日、ウィーンの町並みはいかなるものだったのか。

いつ連合軍の空襲が襲ってくるかわからない、そうした状況だったのではないだろうか。

そうした、死の危険と隣り合わせの状況下においてなお、このような実に素晴らしいブラームスが演奏されていたということ自体が感動的である。

フルトヴェングラーは、この後すぐにスイスに亡命した。

彼は、ついに第三帝国内にとどまり続けることはできなかったが、最後の最後まで、こうした命がけの演奏をしていたのだ。

この演奏では、フルトヴェングラーの巧みなテンポ設定を知ることができる。

どの楽章、どの部分に関してもテンポについて簡単に考えられているところはない。

フルトヴェングラーの棒さばきによって、曲のあるフレーズ、あるアーティキュレーションがなんと美しく、すばらしく演奏されることか。

途中音程が悪い箇所はいくつかあるが、筆者はもはやこの演奏を聴いているときには、そうしたことを気にしなくなっていた(全く気にかけないということはありえないが)。

そうした傷は、この演奏に関しては、実に小さな傷でしかなく、この演奏から伝わってくるメッセージは強いものだ。

第4楽章の最後の高揚。

この楽章だけでテンポは激しく流動するが、まったくいやらしくなく、わざとらしくない。

この曲の世界に完全に引き込まれてしまうのである。

後半は、フルトヴェングラーの激しいアッチェルランドにオケがついていけないほどである。

オケがアンサンブルを保つことができるかできないか、そのぎりぎりのところまでフルトヴェングラーはオケの奏者を追い込む。

そうして出来上がった音楽は、実に感動的で、聴くものの心を揺さぶる。

何度も繰り返すが、今の指揮者にこうした演奏をできる者は存在しない。

ここまで、音楽の世界に聴衆を引き込んでくれるフルトヴェングラーは、まさにマエストロの名にふさわしい偉大な指揮者だった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:50コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーブラームス 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1965年、スラヴ・オペラの指揮者として初来日したマタチッチ。

当時日本では全く無名であった彼は、そのオペラ公演だけで日本の楽界を席捲し、NHK交響楽団をはじめとして多くの音楽家、音楽ファンの心を鷲掴みにした。

その後の度重なる来日でも、飾り気の無い音楽の真髄をとらえた雄大な演奏は、多くのファンを熱狂させ、忘れがたい名演を遺した。

巨匠と強い絆で結ばれたN響による風格溢れるワーグナーは、聴衆よりも先に、N響の楽員がマタチッチの音楽性にまいってしまったようだ。

プロずれがしていて、ややもすればことなかれ主義の演奏をするこのオーケストラが、マタチッチの指揮下では目の色を変えて情熱的な演奏を繰り広げたのである。

確かに一部には今日のN響にはない技術の問題が金管等に見出されるが、それを補って余りある、マタチッチの解釈に必死で喰らいついていこうというひたむきさがある。

マタチッチはどの曲の演奏も線の太い、逞しい表現で堂々と運び、ドイツ風の重厚なワーグナーを作り上げている。

マタチッチならではの強靭で立体感ある音楽作りはワーグナーにピッタリで、がっちり作った枠の中で各パートを自在に出し入れして明快かつ起伏の深い描写が展開される。

豪快さと細部の抉り出しが見事に表現された『マイスタージンガー』第1幕前奏曲には、そうした特質が端的に示されている。

1つ1つの和音を入念に磨いて積み上げることで神秘性や悲劇性が際立つ『ローエングリン』第1幕前奏曲は特に秀逸で、清澄な弦の響きも強く心を惹きつける。

またどの曲においてもフレージングの息が長く、こってりならずにたっぷり歌いこまれているのが素晴らしい。

マタチッチの懐の深さ、N響の献身ぶり、これは本当に凄いレコードだと思う。

これほど人間の熱い思いが剥き出しになったワーグナー演奏、しかも、実に呼吸の深い名演奏となっている録音は、他に類例があるだろうか。

あっても、クナッパーツブッシュくらいのものだろう。

N響とマタチッチの間に通う信頼感が生み出した名演であり、日本のオーケストラによる優れたワーグナー演奏と言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:49コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーマタチッチ 

2014年01月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2001年4月28日(第4番)、1985年12月5日(第5番)/NHKホールに於けるライヴ録音。

ブロムシュテットのマーラーは世紀末的な情感よりも、古典的なスタイルと構成感に特徴がある。

それが清明な第4番にはうってつけで、精緻な演奏を聴かせてくれている。

第4番は、2001年とごく最近の録音だけに、音の状態も良く、N響の響きも艶やかで、技術的にも高水準だ。

清澄ななかにリリコの魅力を込めた中嶋彰子の歌唱も絶品。

ブロムシュテットのマーラーは、サンフランシスコ響との第2番があって評価が高いが、これも良いと思う。

ヴァイオリンは対向配置にしているようだ。

第5番はさらに15年をさかのぼる1985年の録音で、良くも悪くも当時のN響である。

金管、とりわけトランペットが相当に情けなく、最初の2楽章を聴いている途中で、これでプロを名乗れるのかと心配になってきたが、ブロムシュテットは燃えており、厚みと力感を伴った弦の彫りの深い表現が聴けるし、トランペットも途中から持ち直してくる。

第3楽章のスケルツォはかなり速いテンポ設定で、音楽が良く流れている。

一転、アダージェットは意外にも遅いテンポでじっくり歌う(13分もかけている)。

その流麗な美しさは素晴らしく、ブロムシュテットならではの演奏である。

ロンド・フィナーレも、かなり細部にまで神経が行き届き、N響も良く応えている。

ホルンが好調、木管もまずまず健闘、音楽がよく弾んでいる。

大円団のコーダにいまひとつの高揚感とスケール感が欲しいところだが、贅沢を言えばキリがないところだ。

ブロムシュテットはN響と素晴らしいマーラーの第9番を演奏した記録があるのだが、発売にこぎつけてはくれまいか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:34コメント(0)トラックバック(0)マーラーブロムシュテット 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マイスキーは、ロストロポーヴィチ亡き現在においては、最高の力量を持ったチェリストと言えるのではないか。

本盤は、今から25年以上も前の若き日のマイスキーによる弾き振りによる録音であるが、今日における偉大なマイスキーを予見させるのに十分な素晴らしい名演だ。

自ら指揮も務めるマイスキーは美しいチェロの音色を駆使しながら、豊かな感性と情熱を存分に発揮した瑞々しい演奏を繰り広げている。

ハイドンのチェロ協奏曲は、例えば、ドヴォルザークやエルガー、シューマンのそれとは異なり、超絶的な技巧を要するものではないが、その分、情感豊かな音楽性がないと、ひどく退屈で、つまらない演奏に成り下がってしまう危険性がある。

もちろん、マイスキーには、ロストロポーヴィチにも匹敵するくらいの圧倒的な技量と強靭さを有しているのであるが、本盤でのハイドンでは、それを極力封印し、これ以上は求め得ないような情感豊かな演奏を心掛けている。

マイスキーのチェロは、どの曲でも音色に艶があり、張りのある響きと柔らかい響きがしなやかに交錯し、特に高音が輝かしい。

解釈は力強く、感情の振幅が大きく、のびのびしていて古典にふさわしい豊かな雰囲気をもたらしているのは見逃せない。

本演奏に聴かれるマイスキーのチェロの音色は、まさに美しさの極みとも言うべきであり、その瑞々しいとさえ表現できるような豊かな音楽性は、マイスキーのチェロに見事に合わせているヨーロッパ室内管弦楽団の好演とともに、音楽をする喜びに満ち溢れているとさえ言える。

オケの弦のアーティキュレーションが一段とのびのびしているように感じられる。

本演奏は、間違いなく、ハイドンのチェロ協奏曲の様々な名演の中でもトップの座を争う名演と高く評価したい。

録音も、マイスキーのチェロの弓使いが鮮明に聴こえるなど、実に素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)ハイドンマイスキー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトは、交響曲などのオーケストラ曲のジャンルにも傑作を遺しているが、どちらかと言えば、歌曲やピアノ曲、室内楽曲の方により傑作が多いと言えるのではないか。

このうち、歌曲についてはここで言及するまでもないが、ピアノ曲についても、ピアノ・ソナタを軸として即興曲や楽興の時など膨大な作品を遺している。

ピアノ・ソナタについては、ベートーヴェンの32曲にもわたるピアノ・ソナタがあまりにも偉大であるため、それに続く独墺系の作曲家はかかるベートーヴェンの作品を意識したせいか、シューマンやブラームスなど、ピアノ・ソナタについてはわずかの作品しか遺していない。

その例外がシューベルトであるが、シューベルトのピアノ・ソナタは、ベートーヴェンのそれとはまるで異なった独特の性格を有している。

シューベルトのピアノ・ソナタには、ベートーヴェンのピアノ・ソナタのいくつかの諸曲において顕著な苦悩から歓喜へと言った人生の闘争のようなドラマティックな要素など全くない。

それどころか、各楽曲における旋律は、ウィーン風の抒情に満ち溢れた美しさが支配している。

もっとも、一聴するとそうしたウィーン風の抒情に彩られた各旋律の端々には、人生への寂寥感や絶望感などが込められている。

とりわけ、最晩年の3曲のピアノ・ソナタ(第19〜21番)については、そうした人生への寂寥感や絶望感がさらに深く刻み込まれており、その内容の奥行きの深さ、深遠さにおいては、ベートーヴェンの最晩年の3つのソナタ(第30〜31番)やブルックナーの後期の交響曲(第7〜9番)にも比肩し得る崇高さを湛えている。

もちろん、これらの3曲のピアノ・ソナタにおいても、その表層は前述のようなウィーン風の抒情に彩られた美しい旋律が満ち溢れており、スコアの音符を精緻に音化しただけでもそれなりに美しい演奏になるが、そのような演奏では、これらの楽曲に込められた奥深い内容を描出することは不可能である。

その意味では、内田光子による楽曲の内容の精神的な深みを徹底して追求するというアプローチは本演奏でも見事に功を奏しており、本盤に収められたシューベルトのピアノ・ソナタのうち第15番以降の諸曲や、2つの即興曲集、そして3つの小品については、これらの各楽曲の様々なピアニストによる演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

とりわけ、最晩年の3曲のソナタの深みは尋常ならざるものがあり、本演奏を聴く際には相当の心構えがないと聴き通すこと自体が困難な峻厳さを湛えている。

他方、ピアノ・ソナタの中でも第14番以前の諸曲、そして楽興の時や6つのドイツ舞曲については、もちろん名演の名には値する立派な演奏であるが、いささか演奏自体が若干重々しくなってしまったきらいがあり、内田光子のアプローチには必ずしも符号しているとは言い難い作品なのかもしれない。

いずれにしても、本作品集全体としては、極めて優れた名演集と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:04コメント(0)トラックバック(0)シューベルト内田 光子 

2014年01月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーによる「エロイカ」については、かなり多くの録音が遺されており、音質面を考慮に入れなければいずれ劣らぬ名演であると言えるが、最高峰の名演は本盤に収められた「ウラニアのエロイカ」(1944年)と1952年のスタジオ録音であるというのは論を待たないところだ。

1952年盤が荘重なインテンポによる彫りの深い名演であるのに対して、本盤の演奏は、いかにも実演のフルトヴェングラーならではのドラマティックな名演である。

第1楽章からして、緩急自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、そして大胆なアッチェレランドを駆使するなど、これ以上は求め得ないようなドラマティックな表現を展開している。

第2楽章の情感のこもった歌い方には底知れぬ深みを感じさせるし、終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力は、我々聴き手の肺腑を打つだけの圧倒的な迫力を誇っている。

このように、本演奏と1952年盤は同じ指揮者による演奏とは思えないような対照的な名演であるが、音楽の内容の精神的な深みを徹底して追求していこうというアプローチにおいては共通している。

ただ、音質が今一つ良くないのがフルトヴェングラーの「エロイカ」の最大の問題であったのだが、1952年盤については昨年1月、EMIがSACD化を行ったことによって信じ難いような良好な音質に蘇ったところであり、長年の渇きが癒されることになった。

他方、本演奏については、これまではオーパスによる復刻盤がベストの音質であったが、1952年盤がSACD化された今となっては、とても満足できる音質とは言い難いものがあった。

ところが、次にターラレーベルによるSACD化によって、さすがに1952年盤ほどではないものの、オーパスなどのこれまでの復刻CDとは次元の異なる良好な音質に生まれ変わったところであり、筆者もこれこそが「ウラニアのエロイカ」の決定盤として愛聴してきたところだ。

しかし今般、アルトゥスレーベルから、フルトヴェングラー復刻競争にとどめをさすかのような、レーザーによる非接触方式(エルプ)による画期的復刻で、かつてない鮮度と驚きの音質のディスクが登場した。

1940年代の録音にもかかわらず、ダイナミックレンジの広さからして他盤の追随を許さず、フルトヴェングラーの極限のピアニッシモまでもが体感できる。

一例を挙げれば、葬送行進曲の最後のピアニッシモの空気感まで再現し、まるで幻のマスターテープを聴くかのようだ。

いずれにしても、「ウラニアのエロイカ」を現在求め得る最高音質CDで聴くことができる喜びを大いに噛み締めたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:30コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められた小澤&ボストン交響楽団によるレスピーギのローマ三部作は、私見ではあるが知る人ぞ知る名演であると考えている。

というのも、レコード芸術誌などにおける著名な音楽評論家の評価があまりにも低いからだ。

レスピーギのローマ三部作の過去の名演としては、古くはトスカニーニ&NBC交響楽団による超弩級の名演(1949年、1951年、1953年)や、近年ではムーティ&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1984年)など、いわゆるイタリア系の指揮者による名演が幅を利かせており、他方、レスピーギの華麗な管弦楽法の魅力を存分に表現したオーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団による名演(1973〜1974年)や、交響詩「ローマの祭り」を欠いているという致命的な欠陥があるものの、カラヤン&ベルリン・フィルによる素晴らしい名演(1977年)なども存在している。

このような海千山千の大指揮者や個性的な名指揮者による名演の中にあって、存在価値のある演奏を遺すことは至難の業であり、そうした意味においては、本盤に収められた演奏は、若干影の薄い存在であると評価されても致し方がないのかもしれない。

しかしながら、本演奏全体に漲っている若き小澤ならではの強靭な気迫、そして、これは他のいかなる名演をも凌駕していると筆者としては考えるところであるが、いわゆる日本人的な繊細さは、レスピーギによる華麗な中にも精緻さを誇る管弦楽法を見事に紐解くのに大きく貢献しており、本演奏の魅力を最大限に引き出すのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

小澤がボストン交響楽団の音楽監督に就任したのは1973年であり、本演奏が1977年のものであることに鑑みれば、4年目のシーズンに入った時のもので、まさに、小澤がボストン交響楽団を掌握し始めた頃のものである。

モントゥーやミュンシュとの数々の名演では名高い存在であると言えども、ボストン交響楽団は必ずしも一流の存在としては見做されないオーケストラかもしれないが、これだけの見事な名演奏を繰り広げたのは大いに賞賛に値するし、むしろ、小澤の圧倒的な統率力の賜物と言っても過言ではあるまい。

こうした知る人ぞ知る名演が、今般、ユニバーサルが誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化された意義は極めて大きいのではないだろうか。

何と言っても、前述のような小澤&ボストン交響楽団による精妙な表現が完璧に近い形で再現されるのは見事と言う他はないと言えるところだ。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや凄まじいまでの臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、小澤&ボストン交響楽団による知る人ぞ知る名演が、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされることによって、その名演の真価のベールを脱ぐ結果となることを願ってやまないところだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)レスピーギ小澤 征爾 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



33歳という若き日に不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、本盤に収められた演奏は、死の数年前にスタジオ録音されたグリーグとシューマンのピアノ協奏曲の演奏である。

リパッティの録音自体が数少ないだけに貴重な存在であるが、いずれもリパッティならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

両演奏ともに、これまでリマスタリングなどが施されてきたが、1940年代後半のモノラル録音だけに、音質向上効果は必ずしも万全とは言い難かったところだ。

ところが、今般、SACD盤が登場するに及んで、もちろん最新録音のようにはいかないが、これまでの既発CDとは次元が異なる音質の向上が図られたことは、演奏自体が優れているだけに実に意義が大きいことと思われる。

音質が劣悪であるが故に鑑賞を避けてきた音楽ファンも存在していたとも考えられるだけに、今般のSACD盤を機会に、本演奏にできるだけ多くの方に親しんでいただき、悲劇のピアニストであるリパッティの真の実力が再びクローズアップされることを願ってやまないところだ。

両曲の演奏ともに大変優れているが、特に素晴らしいのはシューマンのピアノ協奏曲である。

同曲の演奏は、いささか俗な言い方になるが、同曲に込められたファンタジーの飛翔のようなものをセンス豊かに表現し得ないと、ひどく理屈っぽいつまらない演奏に陥ってしまう危険性がある。

ところが、リパッティにはそのような心配は全くご無用。

リパッティによる本演奏には、シューマンのピアノ曲演奏に必要不可欠のファンタジーの飛翔のようなものや、加えて豊かな詩情、そしてこのピアニスト一流の独特の洒落た味わいが満ち溢れている。

いや、それだけではない。

同曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているとさえ言える。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる当該演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、シューマンのピアノ協奏曲の演奏という次元を超えた底知れぬ深みを湛えている。

そして、本演奏にかける命がけの渾身の情熱の凄さは、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

こうしたリパッティの凄みのあるピアノ演奏を下支えしているのが、若き日のカラヤン率いるフィルハーモニア管弦楽団であるが、これまた実に優れた演奏を聴かせてくれている。

この当時のカラヤンは、後年の演奏とは異なり、溌剌とした躍動感溢れる指揮の中にも、自我を抑制し、楽曲そのものを語らせようと言う姿勢が見られるところであり、リパッティのピアノ演奏を際立たせる意味においても、まさに理想的な演奏を展開していると評価したい。

他方、グリーグのピアノ協奏曲については、さすがにシューマンのピアノ協奏曲の演奏ほどの深みを感じることは困難であるが、洒落たセンスに満ち溢れたピアノ演奏ぶりは健在であり、ガリエラ指揮のフィルハーモニア管弦楽団の演奏ともども、素晴らしい名演奏を展開していると評価したい。

音質は、前述のとおり、必ずしも最新録音のようにはいかないが、これまでの既発CDとは次元が異なる、ピアノの凄みが感じられる復刻によって、見事な音質に生まれ変わった。

とりわけ、リパッティのピアノタッチが1940年代後半の録音としては、かなり鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、リパッティによる素晴らしい名演を、SACD盤による高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:08コメント(0)トラックバック(0)リパッティシューマン 

2014年01月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フランスのエスプリに満ち溢れた詩情ここに極まれりとも言うべき美しい名演だ。

本盤に収められたフランス人の作曲家によるヴァイオリン・ソナタの数々は、いずれも必ずしも有名な作品とは言い難い。

むしろ、初めて鑑賞する聴き手も多いと言えるのではないだろうか。

しかしながら、いずれも美しい旋律に満ち溢れた大変な魅力作である。

言わば、知る人ぞ知る名作揃いであるが、カントロフは、こうした各ヴァイオリン・ソナタの美しい旋律の数々を情感豊かに歌い抜いている。

それでいて、センチメンタルな陳腐さに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが素晴らしい。

そして、各フレーズの端々には、冒頭に記述したように、フランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な情感が満ち満ちており、その何とも言えないセンス満点の美しさには抗し難い魅力がある。

もちろん、カントロフの演奏は、そうした美しい情感を全面に出すのみの演奏ではない。

持ち前の卓越したテクニックも随所において存分に発揮していると言えるところであり、はたまたテンポの振幅を駆使するとともに、アッチェレランドなども施すなど、個性的な解釈にも事欠かないところである。

そして、こうした個性的な解釈こそが、本盤の各楽曲の演奏を冗長なものとするのを避けるのに大きく貢献しているとも言えるところであり、いい意味において、剛柔のバランスのとれた優れた演奏と言うこともできる。

前述のように、本盤の各楽曲については、同曲異演盤が稀少な点もあり、こうした点を踏まえると、本盤に収められた各楽曲の演奏こそは、これら各楽曲の代表的な名演と評価してもいいのではないかと考えられる。

ジャック・ルヴィエによるピアノ演奏も、カントロフによるヴァイオリン演奏を引き立てるという意味において、まさに理想的な名演奏を展開していると評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:14コメント(0)トラックバック(0)サン=サーンス 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



3年ほど前に発売されてベストセラーになったミュンシュ&パリ管弦楽団の発足コンサートの待望の完全収録版の登場だ。

それは、以前、発売されていたCDに収録されていたベルリオーズの幻想交響曲、ドビュッシーの交響詩の「海」に加えて、新たにストラヴィンスキーのレクイエム・ティクルスがカップリングされているが、何と言っても本盤の売りは、新たなリマスタリングによって音質がより一層改善されたことにある。

以前発売のCDも、1960年代のライヴ録音とは思えないような鮮明さであったが、録音レベルの調整などによって、いい意味でより聴きやすい音質に変貌したと言えるところだ。

歴史的な超名演だけに、本盤のような高音質化の意味はより大きいと言わざるを得ないだろう。

ミュンシュの数ある名演の中でも間違いなく頂点に君臨するものと高く評価したい。

まず「海」であるが、これはパリ管弦楽団と組んだ録音が遺されていないだけに、その意味でも貴重な録音。

ボストン交響楽団と組んだいささか大味な演奏とは別人のように緻密な表現を行っている。

もちろん重厚さにも不足はなく、第1部の終結部などあまりのド迫力にミュンシュのうなり声が聴こえてくるではないか。

第3部の冒頭では、嵐を予感させるような不気味な雰囲気が漂うなど、初めて聴くような新鮮さを感じさせるし、終結部の猛烈なアッチェレランドの凄まじさ。

実に感動的な名演と言えるだろう。

そして、幻想交響曲。

筆者は、ミュンシュ&パリ管弦楽団のスタジオ録音こそ同曲最高の名演と評価してきたが、本盤はそれを凌駕する。

ということは、幻想交響曲の演奏史上最高の名演ということになる。

第1楽章の冒頭は、スタジオ録音盤以上にゆったりとしたテンポで濃厚な表現を見せる。

しかし、主部に入ると、テンポはめまぐるしく変化する。

アッチェレランド、ゲネラルパウゼなどを効果的に駆使して、これ以上を望めないようなドラマティックな名演を繰り広げている。

第2楽章も濃厚な表現であるが、終結部の猛烈なアッチェレランドは相変わらず凄まじい。

第3楽章は、やや速めのテンポで緊迫感のある演奏を心がけている点が、あまりの遅いテンポによってもたれてしまいがちな他の演奏とはそもそも次元が異なる。

ここぞという時の迫力にもいささかの不足はない。

第4楽章の冒頭はゆったりとしたテンポで、断頭台に向かう死刑囚の内面を見透かすような不気味さを強調するかと思えば、主部に入ってからのダイナミックレンジの幅の広さ。

終結部に向けてのアッチェレランドの凄まじさは、過去のどの演奏をも凌ぐド迫力だ。

終楽章は、めまぐるしくテンポが変化する曲想であるが、ミュンシュはそれを殊更に大仰に強調することによって不気味さをより一層強調しているが、これは大正解。

終結部に向けての猛烈なアッチェレランドはもはや狂気と裏腹であり、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然だと思われる。

パリ管弦楽団は管楽器も弦楽器も実に巧く、録音も1960年代のライヴ録音とは思えないくらい鮮明だ。

このような歴史的な超名演を製品化したアルトゥスレーベルに対して、心から敬意と感謝の念を表したい。

新たにカップリングされたストラヴィンスキーの楽曲も、幻想交響曲や交響詩「海」に優るとも劣らない素晴らしい名演であり、当日のコンサートがいかに圧倒的なものであったのかがよく理解できるところだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:47コメント(0)トラックバック(0)ミュンシュベルリオーズ 

2014年01月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



何という素晴らしい名演であろうか。

精妙なアンサンブルの中に、モーツァルト特有の陽気さ、軽妙さ、悲痛さ、苦悩といった、さまざまな情感を盛り込んだ名演だ。

弦楽四重奏曲第17番「狩」は、まさに狩りを皆で楽しむような生き生きとした力強い生命力に満ち溢れている。

構築性を尊重し、明るく大きく歌い上げており、これはスメタナ四重奏団ならではの名演だ。

スメタナ四重奏団の各奏者の醸し出す絶妙のアンサンブルは、これぞ弦楽四重奏曲の醍醐味とも言うべき高次元の至高の音楽を構築している。

他方、第15番は、モーツァルトにしては珍しい短調の楽曲であるが、悲劇的な曲想の中でも、決して甘美なメロドラマには陥ることなく、常に高踏的な至純の美しさを失わないところが素晴らしい。

そのデモーニッシュな魅力には聴き手を引きつけて離さない魅力がある。

ここでも、スメタナ四重奏団の各奏者の奏でるアンサンブルは、これ以上は求められないようなレベルに達しており、4人の室内楽的なかけ引きも見事というほかない。

第17番「狩」と同様、録音も含めれば、同曲最高の名演と言っても過言ではないだろう。

いずれも彼らの最盛期の録音といってよいだろう。

録音は、世界初のデジタル録音として、前述のようにもともと素晴らしいものであるが、今般のBlu-spec-CD化によって、さらに素晴らしい極上の高音質に生まれ変わった。

モーツァルトの弦楽四重奏曲の録音史上、最高の名演の一つをこのように極上の高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:26コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトスメタナSQ 

2014年01月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マタチッチは、偉大なブルックナー指揮者であった。

1990年代に入って、ヴァントや朝比奈が超絶的な名演の数々を生み出すようになったが、1980年代においては、まだまだブルックナーの交響曲の名演というのは数少ない時代であったのだ。

そのような時代にあって、マタチッチは、1960年代にシューリヒトが鬼籍に入った後は、ヨッフムと並ぶ最高のブルックナー指揮者であったと言える。

しかしながら、これは我が国における評価であって、本場ヨーロッパでは、ヨッフムはブルックナーの権威として広く認知されていたが、マタチッチはきわめてマイナーな存在であったと言わざるを得ない。

それは、CD化された録音の点数を見れば一目瞭然であり、ヨッフムは2度にわたる全集のほか、ライヴ録音など数多くの演奏が発掘されている状況にある。

これに対して、マタチッチは、チェコ・フィルとの「第5」(1970年)、「第7」(1967年)及び「第9」(1980年)、スロヴァキア・フィルとの「第7」(1984年)やウィーン響との「第9」(1983年)、あとはフィルハーモニア管弦楽団との「第3」(1983年)及び「第4」(1954年)、フランス国立管弦楽団との「第5」(1979年)のライヴ録音がわずかに発売されている程度だ。

ところが、我が国においては、マタチッチはNHK交響楽団の名誉指揮者に就任して以降、ブルックナーの交響曲を何度もコンサートで取り上げ、数々の名演を成し遂げてきた。

そのうち、いくつかの名演は、アルトゥスレーベルにおいてCD化(「第5」(1967年)、「第7」(1969年)及び「第8」(1975年))されているのは記憶に新しいところだ。

このように、マタチッチが精神的な芸術が評価される素地が未だ残っているとして我が国を深く愛して来日を繰り返し、他方、NHK交響楽団もマタチッチを崇拝し、素晴らしい名演の数々を成し遂げてくれたことが、我が国におけるマタチッチのブルックナー指揮者としての高い評価に繋がっていることは間違いあるまい。

そのようなマタチッチが、NHK交響楽団とともに成し遂げたブルックナーの交響曲の数々の名演の中でも、特に伝説的な名演と語り伝えられてきたのが本盤に収められた「第8」だ。

しかしながら、既発CDがきわめてデッドで劣悪な音質であることも広く知られており、その結果、窮余の策として、前述のアルトゥスレーベルから発売の1975年盤の方を上位に置かざるを得ない状況が長らく続いていた。

そのような中で、今般のBlu-spec-CD化によって、本盤に収められた伝説的な名演が見違えるような鮮明な音質に生まれ変わっており、これによって漸く長年の渇きが癒されることになったのは慶賀にたえない。

本演奏におけるマタチッチのアプローチは、1990年代以降通説となった荘重なインテンポによる演奏ではない。

むしろ、速めのテンポであり、そのテンポも頻繁に変化させたり、アッチェレランドを駆使したりするなど、ベートーヴェン風のドラマティックな要素にも事欠かない演奏となっている。

それでいて、全体の造型はいささかも弛緩することなく、雄渾なスケールを失っていないのは、マタチッチがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

このようなマタチッチの渾身の指揮に対して、壮絶な名演奏で応えたNHK交響楽団の好パフォーマンスも見事というほかはない。

いずれにしても、本演奏は、1980年代以前のブルックナーの「第8」の演奏の中では、間違いなくトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本演奏はSACD化されたが、SACD互換機をお持ちでない方には、本Blu-spec-CDをお薦めしておきたいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:11コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーマタチッチ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1951年に再開された戦後第1回のバイロイト音楽祭における記念すべき上演の記録である。

1951年から1964年まで1953年を除いて毎年《パルジファル》をバイロイトで指揮したクナッパーツブッシュの録音のなかでは、1962年の深遠な演奏が音もよく好評だが、ヴィントガッセンがパルジファルを演じたこの1951年の若々しい覇気に溢れた白熱の演奏の魅力もそれに優るとも劣らない。

ライヴ特有の雑音やアンサンブルの粗さはあるものの、クナッパーツブッシュの高い集中度に満ちたスケール豊かな音楽は、やはり大きな魅力をもっている。

音の状態はいくぶん古さを感じさせるものの、いかにもクナッパーツブッシュらしく、たいへん個性的で構えの大きな演奏だ。

この作品の官能的な一面と、神秘的な崇高美をそれぞれ見事に表現したもので、独唱陣も、彼の呪縛的な棒に魅せられて、陶酔的に一体となって演唱している。

とりとめのないような作品を、とりとめのないような表現の仕方で把握しようとしても、必ずしもうまくいくというわけではない。

しかし、その難事にあえて挑み、成功させてしまったのが、このクナッパーツブッシュ盤である。

長大な発想をもつ《パルジファル》を、ここでの指揮者は四つに組もうとか、知的にふるまおうとか、奇襲をかけてポイントを取ろうとかいった作為めいたことはいっさいせず、ごく無造作な調子で、あるがままに再現しようとしていく。

そのような単純で、素朴なアプローチがこれほどまでに多大な成果をあげうるのは、一重に指揮者のただならぬ力量のためといえるだろう。

歌手陣もそれぞれが白熱した名唱を聴かせており、ことに20世紀屈指のワーグナー・テノールだったヴィントガッセンのパルジファルは、これが唯一の正規の録音で、その強い存在感に満ちた歌唱は見事である。

《パルジファル》における記念碑的な意味をもつアルバムだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)ワーグナークナッパーツブッシュ 

2014年01月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1954年3月21日 カーネギー・ホールに於けるステレオ録音。

同年のワーグナーの管弦楽曲集の録音と共に最晩年のトスカニーニが残した数少ないステレオ録音である。

トスカニー二はファシズムに反対して故国イタリアを飛び出したせいか、連合国側のロシアの作曲家を積極的に取り上げていたが、意外にチャイコフスキーが少ないようだ。

交響曲では「悲愴」と「マンフレッド」だけがトスカニーニの取り上げた曲であった。

しかし、トスカニーニの「悲愴」を聴くと、トスカニーニがどうしてチャイコフスキーを敬遠していたのか何となく分かる気がする。

トスカニーニはチャイコフスキーを甘い旋律を書くセンチメンタルな作曲家というイメージで見ていたのかも知れない。

トスカニーニは曲全体を速めのテンポで通し、第1楽章の甘い第2主題も実にアッサリと流している。

情感たっぷりに歌いあげるのをわざと避けているように聴こえる。

しかし、それは無味乾燥というのではなくて、むしろ旋律自体が十分に甘いので、その甘さがほど良く残るという感じだ。

その一方で激しい情熱的な部分での凄まじさも比類がなく、オケに一糸の乱れもなく厳しささえ感じられる。

その意味で、第3楽章は最大の聴きものになっている。

第4楽章も普通の指揮者が振るような哀しみのなかに沈滞していくような音楽ではなく、むしろ再生か希望が期待されているかのように力強いのだ。

実にトスカニーニらしいと言えるが、この厳しい造形の「悲愴」は、この曲の別の一面を見るようで強い説得力を感じる。

文学的な表現にこだわらず、ひたすら音楽的な要素を厳しく掘り下げたユニークな解釈と言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:28コメント(0)トラックバック(0)トスカニーニチャイコフスキー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



この《悲愴》は、トスカニーニの持ち味が見事に結実した演奏の一つであり、聴けば聴くほどに味わいが深まる、恐ろしくコクのある名演になっている。

トスカニーニのアプローチは、楽曲の把握や演奏設計がほとんど完全なだけでなく、そのレアリザシオンもがほとんど完全である。

NBC響の完璧なまでの精巧さを誇る見事なアンサンブルは、それ自体としても驚異的な成果として注目されるが、それを駆使したトスカニーニの研ぎ澄まされた表現は、単なる精確な作品の再現という域を超えて、そこにこれ以上なく美しいカンティレーナの魅力や作品のドラマ性の最高度に純度の高い表現を成立させているのである。

第1楽章の実に効果的な演奏設計などは、とくに注目に値するものであり、第2楽章の磨き抜かれた抒情的表現の素晴らしさも、トスカニーニならではの魅力を放っている。

音質こそは古いが、その演奏内容のみに目を向ければ、やはり最も理想に近い演奏と考えてよいだろう。

《展覧会の絵》のトスカニーニ盤を初めて聴いた時の驚きは、25年余り経った今も忘れられない。

レコードを熱心に聴くようになって間もなく、《展覧会の絵》も初めて聴いたのだが、その直截というか、音に徹した強烈な表現に唯々息を呑んで聴き入っていた。

モノーラル録音ながらその冴えた色彩感とひき締まった響きは、まことに印象鮮やかだったし、ことさら標題にこだわることなく、あくまで音と表現に徹して各曲を強靭な表出力をもって描き切るとともに、そこに絶妙な変化をもって添えられた深く澄んだ抒情が何とも美しい。

レスピーギ三部作やロッシーニ序曲集と並ぶ、トスカニーニ最高の名演の一つであると高く評価したい。

録音が古いのは残念だが、しなやかで強く、透徹した美しさをもつ演奏の力は、今も十分に伝わってくるし、ぜひ一聴をお勧めしたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)トスカニーニチャイコフスキー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1961年10月29日 ウィーン・ムジークフェラインザールに於けるライヴ録音(モノラル)。

かつて筆者が購入した海賊盤は音質が劣悪で、古ぼけた音が遠くの方から響いてくるようだった。

それでも、ブルックナーという作曲家の雄大さ、クナの演奏の物凄さには魅せられたことをついこの間のことのように覚えている。

クナ唯一のウィーン・フィルとの「ブル8」の解釈は驚くほどミュンヘン・フィル盤2種に似ている。

この時点ですでに1963年の演奏が確立していたのだと言える。

音は若干悪いがオケはやはり上だ。

曲のどこをとっても素晴らしい演奏だが、たとえば第3楽章における弦楽器の艶やかな音はさすがにウィーン・フィルであり、第4楽章のコーダを聴いていると、当日の会場では途方もない大音響が鳴り響いていたのだろうと想像出来る。

こうした底知れぬパワーもウィーン・フィルならではである。

しかし、流麗な分あのゴツゴツした魅力や、息を呑むようなダイナミズムはミュンヘン・フィル盤に一歩譲る。

しかし、これだけを採れば超名演であることは確かで、仮にミュンヘン・フィル盤2種が存在しなかったら、こちらのほうが伝説的名演と言われたであろう。

録音はモノラルなのに、このマスターからの復刻音は素晴らしいものであり、ステレオのような定位感があるのが特色だ。

音質は鮮明でフレッシュ。弦の艶、豪快な金管、打楽器の迫真的な響き、柔らかさより硬いくらい鮮明な印象だ。

これでステレオだったら、いや、もうあと少し音が良かったらミュンヘン・フィル盤2種と人気を分けた事は確実であろう。

筆者としては、クナッパーツブッシュの演奏記録の中では、最晩年の2種のミュンヘン・フィル盤、そしてこのウィーン・フィル盤をベスト3にしたいと思う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:01コメント(0)トラックバック(0)ブルックナークナッパーツブッシュ 

2014年01月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



クナは極端にレパートリーが偏っており、お気に入りの曲ばかりを繰り返し取り上げた。

ワーグナーとブルックナーが支柱であり、シュトラウス一家のワルツとブラームスにR.シュトラウスを加えるとディスコグラフィーがほぼ完成する。

ブルックナーの第4番は1944年バーデン・バーデンでの演奏記録だが、当時の放送録音としては音質が非常に良い。

戦時中の録音だが、当時最先端を誇ったドイツ帝国の磁気テープによる驚異的な音質で名演を堪能出来る。

クナによる第4交響曲の録音では、ウィーン・フィルを指揮したデッカ録音が最高の出来だが、このベルリン・フィル盤も遜色のない見事な演奏で、流麗な美しさは後年のデッカ録音にも匹敵する。

そして当盤の尽きることのない最大の魅力はオーケストラにある。

クナは、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルから劇的で動的な機能美を存分に引き出しており、音楽が弛緩するようなことは一切ない。

戦時中のベルリン・フィルが奏でる滴るような音色が素晴らしい当盤は、表現こそ中庸だが、哀感漂う響きが心憎い名演である。

特にベルリン・フィルの暗い情熱を秘めた弦楽合奏の神秘的な美しさは実に素晴らしい。

ベルリン・フィルは折しもフルトヴェングラー時代の荘重で黒光りする響きを放っており、時に見せる思索的な音楽は、ブルックナーの交響曲たるものがドイツ精神を離れては理解出来ないことをそれとなく示してくれる。

クナの常で改訂版を使用しての演奏である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:12コメント(0)トラックバック(0)ブルックナークナッパーツブッシュ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



小林研一郎&チェコ・フィルによるベートーヴェンの交響曲全集のシリーズ第4弾の登場だ。

間もなく小林研一郎による初のベートーヴェンの交響曲全集が完成されるというのは大変うれしい限りである。

それはさておき、このシリーズのこれまで発売された演奏の評価は必ずしも芳しいものは言い難い。

レコード芸術誌などにおける音楽評論家による評価も酷評に近い状態であり、良い評価をされている方は殆ど稀である。

その理由を考えると、おそらくは、小林研一郎によるアプローチの立ち位置が難しいという側面があるのではないだろうか。

ベートーヴェンの交響曲の演奏は、近年ではピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法による演奏が主流を占めていると言えるが、小林研一郎はそうした近年の流行は薬にしたくもない。

それでは、これまでの独墺系の錚々たる大指揮者が築き上げてきたドイツ正統派たる重厚な演奏を希求しているのかと言うと、これまた全くそうした伝統的な演奏様式などいささかも念頭にないと言えるところだ。

このように、小林研一郎の演奏は、個の世界にあるものであり、その個性が演奏の隅々にまで行き渡ったものとも言えるだろう。

それ故に、聴き手によっては、小林研一郎の体臭芬々たる演奏に辟易するということも十分に考えられるところだ。

しかしながら、本盤に収められた第4番及び第6番は、ベートーヴェンの交響曲の中では、剛よりも柔的な要素が多い楽曲であることから、「炎のコバケン」とも称されるようなパッションの爆発は最小限におさえられており、これまでの小林研一郎によるベートーヴェンの交響曲演奏にアレルギーを感じてきた聴き手にも、比較的受け入れられやすい演奏と言えるのではないだろうか。

確かに、交響曲第6番の第4楽章などには、そうした小林研一郎の途轍もない燃焼度の高さの片鱗も感じられる点は相変わらずであるが、筆者としては、没個性的な凡演や、はたまた近年流行のピリオド楽器の使用や古楽器奏法による軽妙浮薄な演奏などと比較すると、遥かに存在価値のある演奏と言えるのではないだろうか。

確かに、両曲のベストの名演とは到底言い難いが、小林研一郎一流の熱き歌心が結集するとともに、オーソドックスなアプローチの中にも切れば血が出てくるような灼熱のような指揮ぶりも堪能することが可能な、いい意味でのバランスのとれた名演と評価するのにいささかの躊躇もするものではない。

そして、小林研一郎による指揮に、適度の潤いと奥行きの深さを与えているのが、チェコ・フィルによる名演奏と言えよう。

ホルンをはじめとする管楽器の技量には卓越したものがあり、弦楽器の重厚で深みのある音色も実に魅力的というほかはない。

音質は、SACDによる極上の高音質であり、小林研一郎&チェコ・フィルによる名演を望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:33コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン小林 研一郎 

2014年01月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ホーネック&ピッツバーク交響楽団によるマーラーの交響曲チクルスの第4弾の登場だ。

既発売は第1番、第3番及び第4番という初期の交響曲であったが、今回は中期の第5番。

これまで好評を博してきたこのコンビによるマーラーの交響曲チクルスの真価が問われる曲目と言うことができるだろう。

ホーネックのアプローチは、バーンスタインやテンシュテットなどのように思い切ったテンポや強弱の変化、そしてアッチェレランドを駆使するなどによるドラマティックな演奏ではなく、むしろ近年のマーラー演奏に一般的な、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという演奏を基調としている。

そして、このような近年の一般的な演奏の中でも、特にホーネックの場合は、オーケストラの中でヴァイオリンを長年にわたって演奏してきただけあって、各楽器セクションの精緻な響かせ方には際立ったものがあり、各楽器セクションの細やかな動きをおそらくはこれ以上は求め得ないほど完璧に音化しているのが素晴らしい。

マーラーの交響曲の演奏において必要不可欠な剛柔のバランスも見事に取られるとともに、前述のような際立った精緻さによって他の演奏ではなかなか聴くことが困難な音型も聴くことが可能となっており、単にスコアに記された音符の表層だけを取り繕っただけの内容の希薄な面白みのない演奏にはいささかも陥っていない点を評価したい。

また、とりわけ、第3楽章におけるテンポの思い切った振幅や、第4楽章における効果的なゲネラルパウゼの活用など、精緻かつ丁寧なアプローチの中にも個性的な解釈を的確に散りばめてくれているのも素晴らしい。

ピッツバーク交響楽団は必ずしも一流のオーケストラとは言い難いが、それでもホーネックの薫陶の下、他の一流オーケストラと遜色がないほどの名演奏を繰り広げているのも見事である。

マーラーの心情の吐露が顕著に表れてきた中期の交響曲第5番だけに、我々聴き手の肺腑を打つのは、バーンスタインやテンシュテットなどによるドラマティックな演奏であるが、ホーネックによる本演奏のような精緻なアプローチもまた、同曲の魅力の一面を表現したものとして高く評価をするのにいささかも躊躇するものではない。

そして、本盤の魅力は、こうしたホーネックの精緻なアプローチを完璧に捉えきった極上の高音質録音である。

ピッツバーク、ハインツ・ホールの豊かな残響を活かしたSACDによる現在望み得る最高の音質は、マルチチャンネルが付加されていないにもかかわらず臨場感においても申し分がないところであり、ホーネックの精緻なアプローチをより一層際立たせるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

いずれにしても本盤は、演奏、録音の両面において極めて水準の高い素晴らしい名SACDと高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:56コメント(0)トラックバック(0)マーラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤にはムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」とウェーベルンの「6つの小品」が収められているが、これは極めて珍しい組み合わせと言える。

ジュリーニは組曲「展覧会の絵」については十八番としており、シカゴ交響楽団(1976年)及びベルリン・フィル(1990年)とともに2度にわたってスタジオ録音を行っている。

他方、「6つの小品」については、スタジオ録音を一度も行っていないが、記録によればジュリーニは1970年代には実演において時として演奏を行っていたとのことである。

もっとも、より重要な点は、これら両曲が、当時のベルリン・フィルの芸術監督であったカラヤンによる得意中の得意のレパートリーであったということである。

カラヤンは、組曲「展覧会の絵」についてベルリン・フィルとともに2度録音(ライヴ録音を除く)を行っている(1965年、1986年)し、「6つの小品」に至っては、本演奏の3年前にスタジオ録音(1974年)を行っているところだ。

この当時ベルリン・フィルを完全掌握していたカラヤンにとって、自らのレパートリーをベルリン・フィルとともに演奏する指揮者には当然のことながら目を光らせていたはずであり、このような演目による演奏会が実現したということは、カラヤンがジュリーニを信頼するとともに高く評価していたことの証左であると考えられる。

また、同時に、ベルリン・フィルがカラヤン色に染まっていた時代に、敢えてそのベルリン・フィルにおいてカラヤン得意のレパートリーである楽曲を演奏したというのは、ジュリーニの並々ならない自信を感じることも可能だ。

そして、その演奏内容も我々の期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

そもそも、本演奏において、いわゆるカラヤンサウンドを聴くことができないのが何よりも素晴らしい。

両曲ともにジュリーニならではの格調が高く、そしてイタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と気品のある優美な極上のカンタービレに満ち溢れた指揮に、ベルリン・フィルの重厚な音色が見事に融合した剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると評価したい。

そして、ライヴ録音ならではの熱気が演奏全体を更に強靭な気迫のこもったものとしており、とりわけ組曲「展覧会の絵」における圧倒的な生命力に満ち溢れた壮麗な迫力においては、ジュリーニによる前述の1976年盤や1990年盤などのスタジオ録音を大きく凌駕している。

ベルリン・フィルの卓抜した技量も本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音も今から約35年も前のライヴ録音とは思えないような鮮明な高音質であると評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:18コメント(0)トラックバック(0)ムソルグスキージュリーニ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブーレーズによるベルリオーズの幻想交響曲と言えば、「レリオ、または生への回帰」との組み合わせで話題となったロンドン交響楽団との旧盤(1967年)の衝撃が今でも忘れられない。

この当時のブーレーズは、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(1969年)やバルトークの管弦楽のための協奏曲(1973年)など、前衛的な名演の数々を成し遂げていた時期であり、幻想交響曲においてもその斬新な解釈が聴き手の度肝を抜いたものであった。

しかしながら、そのような前衛的なブーレーズも、1990年代に入ってDGに様々な楽曲を録音するようになると、すっかりと好々爺となり、大人しい演奏が増えるようになってきた。

もっとも、スコアリーディングについてはより追求度が上がったとも言えるところであり、そのアプローチは更に精緻さを増したとさえ言えるところだ。

本盤に収められた幻想交響曲においても、ブーレーズによる精緻なアプローチは際立っている。

細部の一音に至るまで蔑ろにすることがない精緻さは、あたかもスコアをレントゲンで撮影するかのような精巧さであり、これまでの演奏では聴き取れなかったような音型さえ聴こえてくるほどである。

それでいて、単なるスコア至上主義には陥っておらず、どこをとっても情感の豊かさに満ち溢れているというのは、まさにブーレーズの円熟の至芸と言えるところである。

いずれにしても、本演奏はブーレーズの新境地を体現した素晴らしい名演と高く評価したい。

併録は、今回は「レリオ、または生への回帰」ではないが、「トリスティア」もブーレーズならではの非常に考え抜かれた精緻な名演に仕上がっている。

クリーヴランド管弦楽団の卓抜した技量も、このような精巧な演奏に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

クリーヴランド管弦楽団合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって、さらに音質が鮮明になるとともに音場が幅広くなった。

ブーレーズによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:03コメント(0)トラックバック(0)ベルリオーズブーレーズ 

2014年01月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ペライアは1991年にブラームスのソロ・アルバムを録音しており、ラプソディ作品79-1とラプソディ作品119-4、間奏曲作品118-6の3曲についてはそちらにも収録されていたので、その3曲については今回は19年ぶりの再録音ということになる。

1991年の親指故障直前の旧録音と、数年間に渡る演奏活動休止期間中にバッハを研究してその音楽に深い慰めを見出し、復帰後は以前よりもヴィルトゥオジティ、スケールとも大幅アップした現在のペライアによる録音の比較も興味深いところである。

この新盤は凄い名演だ。

ブラームスのオーケストラ作品、特に、分厚いオーケストレーションを誇る交響曲では、重厚でシンフォニックな表現が演奏様式として一つの理想形となるが、ペライアのブラームスは、ピアノ演奏におけるシンフォニックな表現と言える。

まさに、巨匠風の重厚なピアニズムと言える。

ブラームスのピアノ曲の他の演奏には、例えば、超個性的なグールドやアファナシエフ、清澄なリリシズムを旨とするルプーなど、名演が目白押しであるが、ペライアのピアノはまさに正統派。

聴き手が仰ぎ見てしまうような威容に満ち溢れている。

「ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ」や「2つのラプソディ」における、あたりを振り払うような峻厳たる威容は、これぞ3大Bの一角を占めるブラームスならではの重厚さだ。

「6つのピアノ小品」も、第1曲など、威風堂々たるピアニズムであるが、第2曲、第5曲、そして第6曲の寂寥感溢れる抒情は、最晩年のブラームスの心底を覗き込むような深みのある音楽に仕上がっている。

「4つのピアノ小品」の高踏的な深みのある美しさは、前述のグールドやアファナシエフなども到達し得なかった至高・至純の高みに達している。

録音も鮮明で、ぺライアの堂々たるシンフォニックなタッチをクリアに味わうことができるのが素晴らしい。

それにしても、ぺライアは、今や巨大な存在になった。

そんな評価があながち大げさとは言えない驚異的な本CDの登場を大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:41コメント(0)トラックバック(0)ブラームス 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ムーティの円熟を感じさせる素晴らしい名演である。

ムーティがシカゴ交響楽団の音楽監督への就任を控えていた時の、幸先のいい名演とも言えるだろう。

ムーティは、ヴェルディのレクイエムを得意としており、約20年前の1987年にもミラノ・スカラ座管弦楽団等とともに同曲をスタジオ録音しており、それも生命力溢れる劇的な名演であったが、やはり、この間の20年間のムーティの円熟の歩みは非常に重いものと言わざるを得ない。

ムーティはかつてのスカラ座盤にみられるようなオペラ的なアプローチではなく、純粋に宗教曲として捉えたことが特筆され、内声部の充実は圧巻といえよう。

冒頭の数小節の静寂の音楽からして、これまでのムーティには見られなかった奥行きの深さを感じさせる。

怒りの日は、テンペラメントに溢れたいつものムーティ調ではあるが、これまでとは異なり、威風堂々たる重厚さが際立つ。

同曲特有の場面毎の変化の激しさについても、ムーティは極端に陥ることなく、いい意味でのコントロールの効いた大家の巧みな表現で一貫している。

終結部の静寂は、冒頭部と同様であり、全曲を彫りの深い表現で感動的に締めくくっている。

ムーティの統率の下、シカゴ交響楽団、更には、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

そして、何よりも素晴らしいのは、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音。

ヴェルディのレクイエムのような作品は、こうした臨場感溢れる録音によってこそ、その真価を味わうことができるのではないかと考える。

円熟味を増した指揮者とハイレベルなオケと歌唱陣、優秀な録音と非常にバランスのとれた名演奏と言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディムーティ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1963年9月11日、ブザンソン音楽祭に於けるライヴ(モノラル)録音。

この録音は、かつて秋葉原の石丸電気でしか入手できなかった、RARE MOTHシリーズから出ていたもので、漸くフランス国立視聴覚研究所の最新再生技術によるシューリヒト・ライヴ・コレクションの1枚としてALTUSレーベルから正規盤が発売されたことは、吉報だ。

もう何度も述べているように、シューリヒトのブルックナーは、古くから世評が高く、EMIへの「第8」及び「第9」は、ウィーン・フィルとの共演ということもあり、SACD化され音質も飛躍的に向上し、今日でもベスト盤として評価されることの多い不朽の名演である。

それに対してシューリヒトの「第7」は、ハーグ・フィルとのスタジオ録音の他、SDR、デンマーク放送響との、2種のライヴが知られているものの、決定打に欠けるという印象があった。

そこへ先般、ALTUSレーベルからコンセール・コロンヌ管盤も発売され大変好評であったが、さらに新たに同レーベルから晩年のフランス国立放送管との演奏が加わった。

今回のフランス国立放送管とのライヴは、最晩年の演奏という点でも、大変貴重なもので、まさに枯淡の境地というべき世界が拡がっている。

しかし80歳を超えたシューリヒトの体力的な衰えが覇気を失わせ、オーケストラのコントロールがうまく行っていないもどかしさがある。

細部がやや雑でニュアンスが乏しく、音響が表面的になったり、枯淡が過ぎて冷たくなったりする部分も見られるが、随所に表れる意味深い閃きと透明な音感はまさに出色の出来ばえで、貴重な記録といえよう。

孤高の巨匠、シューリヒトならではの演奏である。

音質は、ALTUSレーベルのシリーズの中では、標準レベルである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:58コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーシューリヒト 

2014年01月10日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



かつて発売されていた「ショパンの旅路」からエチュード集を抜粋し、SACD化したものであるが、演奏内容、音質ともに高水準のCDと高く評価したい。

2010年は、ショパンの生誕200年ということもあって、数々の新録音が発売されるとともに、既発売CDの再発売も数多く行われた。

その秋には、ポリーニのSHM−CD盤も発売されたようである。

それだけに、ショパンの数々の演奏を聴き比べる環境が整った恵まれた1年であったのではないか。

筆者も、予算とのにらみ合いの中で、できるだけ数多くのCDを拝聴してきたが、本盤の高橋のエチュード集も、それらの数多くのCDの中でも、十分に存在感を発揮しているように思う。

エチュード集は、単なる練習曲ではなく、弾きこなすには相当な技量が必要であるが、高橋の演奏は、技術偏重の演奏ではない。

もちろん、ショパン国際コンクール入賞者ならではの技量はベースにあるのだが、むしろ内容重視。

どの曲をとっても、高橋の同曲にかける愛情と、女流ピアニストならではの繊細さに満ち溢れており、それでいて、一本芯の透った、何者にも揺るがされることにない力強さが漲っている。

いい意味でバランスの取れた名演と言えるのではないだろうか。

SACD化による高音質も、本盤の価値を大いに高めることに貢献している。

ちなみに彼女はかなりのブロガーでもあり、高橋多佳子の「!」な毎日というブログで近況などを綴っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:05コメント(0)トラックバック(0)ショパン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1963年3月8日 ミュンヘン、ヘルクレスザールでのライヴ録音。

以前、海賊盤でリリースされて話題になった演奏の正規CD化で、モノラル録音だが音質は良好。

卓越したリハーサル術と指揮法によって、様々なオーケストラと素晴らしく息の合った演奏を聴かせたシューリヒトだけに、ここでの成果も見事なもので、1961年のEMI盤とはまた違った魅力を放っていて感動的だ。

ここでの演奏は、バイエルン・サウンドとでもいうべき、骨太な音響を駆使して、実演ならではの濃やかなアゴーギクと思い切った表情付けを施したものである。

第1楽章終盤でのアッチェレランドの大胆さなどはスタジオ盤には見られなかったものだ。

第2楽章での圧倒的な迫力や第3楽章での濃密な叙情美は、かのスタジオ盤をも上回るほどだ。

特に第3楽章第2主題部での深みのある美しさと立体的な音響は聴きもので、ブロック的に明確な性格分けが作品のユニークなフォルムを実感させてくれる。

こちらはライヴということもあり、「飄々とした」シューリヒトとは一味違う演奏で、所々に即興的な表情が散見される。

EMI盤はまことに完成されきった演奏であり、何度聴いても飽きないといえよう。

こちらは一回性の演奏のスリルを楽しむ録音だろう。

EMIのウィーン・フィル盤とは違う魅力を持った演奏であり、甲乙つけがたく、ファンなら両方持っているべきであろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーシューリヒト 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1953年3月6日(ブルックナー)、1950年4月29日(ワーグナー)、シュトゥットガルト=デゲルロッホ・ヴァルトハイムでのライヴ。

いずれも1950年代初期のライヴ録音で、ブルックナーは以前海賊盤(筆者も所有)で出ていたが、これが初の正規盤である。

演奏はシューリヒトらしい名演だ。

有名なハーグ・フィル盤に通じる、流麗にして無駄のない、引き締まった演奏のブルックナーの交響曲第7番に、緊迫感にあふれ、推進力のあるワーグナーと、どちらも魅力満点の演奏内容だ。

残響が付加されており、やや擬似ステレオ風だが、その分聴きやすい。

ブルックナーの第7番は、特に後半の2楽章に説得力がある。

あからさまなアゴーギクをせず、基本的にはインテンポで颯爽としていて爽やか。

それでいて、味わい深さもなかなかのものだ。

前半の2楽章は、テンポが速く流動性が強い。

しかし、この盤の聴きものは「トリスタン」の2曲であり、よくぞこんな録音が残っていたものだ。

これほど熱いパッションと情感に溢れ、且つノーブルな演奏はそうないと思える。

録音はブルックナーより古いが、音自体は上回っている。

端的に言えば、ブルックナーは「すばらしい」で、ワーグナーは「最高」。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:58コメント(0)トラックバック(0)シューリヒトブルックナー 

2014年01月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーの熱心なファンには釈迦に説法であるが、フルトヴェングラーが最も得意としていた楽曲はベートーヴェンの交響曲。

その中でも、第3番、第5番、第7番、第9番については、他の指揮者の追随を許さないとされる名演の数々を成し遂げており、本人もそれを自認していた節がある。

音質面でのハンディは否めないが、音楽の内容を徹底して追求していこうという深みにおいては、確かに、他の様々な指揮者による演奏を大きく凌駕していたと言えるだろう。

フルトヴェングラーが遺した「エロイカ」の10種類以上ある録音の中で、双璧とされる名演は、大戦中のいわゆる「ウラニアのエロイカ」とも称されるウィーン・フィルとのライヴ録音(1944年)、そしてEMIにスタジオ録音を行ったウィーン・フィルとの演奏(1952年11月26〜27日)というのは論を待たないところだ。

これらについては、前者はターラレーベルが、後者はEMIがSACD化を行っており、もちろん最新録音のようにはいかないが、従来CD盤よりも相当に音質改善がなされており、音質面においても、フルトヴェングラーの同曲の他の演奏の録音よりも恵まれた状態にある。

この2大名演に次ぐ演奏というのは、諸説あると思われるが、本盤に収められた1952年11月30日のウィーン・フィルとのライヴ録音であると言えるのではないだろうか。

ライヴ録音と言えども、フルトヴェングラーが体調を崩していた後の演奏でもあり、気力、体力ともに充実していた1944年の「ウラニアのエロイカ」の時のような、畳み掛けていくような気迫や生命力が全面に出ているわけではない。

もちろん、同年のスタジオ録音のように、踏み外しを極力抑えているわけではないが、その点においては、若干の物足りなさを感じないわけにはいかない。

しかしながら、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、演奏全体に漂う何とも言えない深遠さ、そして、スケールの雄大さは、「ウラニアのエロイカ」を大きく凌駕し、同年のスタジオ録音に肉薄するものがある。

フルトヴェングラーとしては若干控えめではあるが、随所に聴くことが可能な格調をいささかも失うことがないテンポの振幅や、終結部のゲネラルパウゼなども実に効果的だ。

その意味では、同年のスタジオ録音に、フルトヴェングラーのライヴ録音ならではの力感や気迫を付加させたような性格の演奏と言えるところであり、両名演には若干及ばないものの、いい意味での剛柔のバランスという点においては、いかにもフルトヴェングラーならではの素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

そして、かかる本名演も、これまでは音質がいささか劣悪であるというハンディがあったが、今般のターラレーベルによるSACD化によって、大きく改善したと言える。

高弦などが若干きつく聴こえるのは録音年代からして致し方ないところであるが、今般のSACD化によって、漸く「ウラニアのエロイカ」や同年のスタジオ録音といった2大名演と共通の土俵での比較が可能になったと言えるだろう。

いずれにしても、フルトヴェングラーによる素晴らしい名演をSACDによる比較的良好な音質で味わうことができるようになったのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:34コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



江崎昌子の奏でるシューマンの美しい小品集、ユーゲントアルバム。

シューマンが愛娘への贈り物として捧げたこの「子供のためのアルバム」は、親から娘に対する優しさ、温かさが満ち溢れる美しい小品集で、数々のピアノ作品を遺したシューマンの作品の中でもとりわけ異彩を放つものである。

自分の愛娘のピアノ練習のために作曲しただけあって、第1部、第2部のそれぞれを構成する楽曲に、具体的な表題が付されているのが特徴であり、旋律も愛らしくて実に親しみやすい。

第1部と第2部の間に、幼い子供と年上の子供というように、年齢に応じた差をつけている点も、いかにも自らの愛娘姉妹のためのアルバムといった趣きである。

ここでは 江崎昌子ならではの歌心と表現豊かな叙情美によって子供から大人まで楽しめる内容に仕上がっている。

江崎昌子は、前作のブルグミュラーの練習曲もそうであったが、このような練習用の曲に大いなる価値を見出しているようだ。

本盤のライナーノーツには、江崎昌子による各曲の説明が載っているが、大変興味深い内容であり、これらを見ながら聴くと、江崎昌子の本作品への深い愛着や理解がよくわかる。

要するに、江崎昌子は、例えばショパンのマズルカ集などの一流の芸術作品に接するのと同じような真摯な姿勢で、シューマンの子供用の練習曲にも接しているのである。

またフレーズ表現の練習曲としての重要なレパートリーであり、練習用の曲を決して蔑にせずに取り組んでいくその真摯な姿勢は、大いに評価してもいいのではなかろうか。

演奏も、シューマンの愛娘に対する深い愛情が伝わってくるような温かいぬくもりのある名演と評価したい。

SACDによる高音質録音も実に鮮明で素晴らしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)シューマン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



インバルは、有り余るパッションを秘めながらも、表面に現れた音楽は実に抑制的。

得意とするマーラーの交響曲にしても、抑えられた表現が目立ち、やや物足りなさを感じるのも否めない。

しかし、このチャイコフスキーは、これまで抑えてきたインバルのパッションが爆発したような濃厚な表情づけの熱い名演になっている。

爆演と言ってもいいかもしれない。

インバルが、これほどまでに個性的で熱い演奏をする指揮者だとは思わなかった。

第1楽章は実にスローテンポの序奏部で開始されるが、主部に入ってからは緩急自在のテンポの連続。

時には大見えを切るような箇所も見られるが、決してやり過ぎの印象を与えることはない。

かの小林研一郎の名演を思わせるような個性的な解釈と言うことができるだろう。

第2楽章は、特にホルンソロをレガートをかけずに吹奏させるなども他の演奏には見られないものだし、終結部の運命の動機が再現する箇所の突然のスローダウンなど、初めて聴くような感動を覚える。

第3楽章の流れるようなワルツも、あたかもマーラーのレントラー舞曲を聴くような楽しさだし、終楽章も、第1楽章と同様にテンポを目まぐるしく変化させるなど、インバルの内に秘められたパッションが爆発する。

録音も良く、インバルと東京都交響楽団のコンビも、3作目にして漸く軌道に乗ってきた感じだ。

インバルも、マーラーなどでこのような熱い解釈をすれば、どれだけ感動的な名演に仕上がることだろうか。

既にインバルのマーラー新録音は進行中であり、目が離せないところだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:50コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーインバル 

2014年01月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



R.シュトラウスと親交のあったカール・ベームは、数多くのオペラ上演を中心に、彼の芸術の振興に大きく貢献、オーケストラ・レパートリーでも、慧眼というほかない、作品を知り尽くしたアプローチで聴き手を魅了してきた。

当セットには、そんなベームが残したR.シュトラウス録音から代表的なオーケストラ・レパートリーが集められておリ、ベームならではの質実剛健なアプローチが作品本来の味わいをよく引き出している。

名演揃いの聴き応えのあるアルバムで、特にシュターツカペレ・ドレスデンとの『アルプス交響曲』や『英雄の生涯』などが復活し入手しやすくなったのは嬉しい。

国際化する以前のベルリン・フィルを指揮した『ツァラトゥストラはかく語りき』『祝典前奏曲』『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』『ばらの騎士のワルツ』『サロメの踊り』の5作品はすでに名演奏として有名なもので、重厚壮麗で骨太なサウンドが素晴らしい聴きものとなっている。

中でも出色なのは『ツァラトゥストラはかく語りき』で、造形の堅牢さ、スケール感、緊張感、深い思索、オケの技…実に模範的である。

名門シュターツカペレ・ドレスデンを指揮した『アルプス交響曲』『ドン・ファン』『英雄の生涯』の3曲は残念ながらモノラル録音ではあるが、ステレオ直前の時期だったということもあり音の解像度や質感は上々。

なお、最後に収録されたシュターツカペレ・ドレスデンとの『死と変容』は、1972年のザルツブルク音楽祭におけるライヴで、実演ならではのパワフルな演奏がステレオ録音で楽しめるのがポイント。

特に筆者の好みは『アルプス交響曲』(格調高い)、『英雄の生涯』(抜群の推進力と引き締まった造形)、『死と変容』(壮大な音のドラマ)。

音響にこだわる人(R.シュトラウスの場合それも理解できるが)、派手な効果が好きな人にはお薦めできないが、R.シュトラウスの音楽を愛する人はぜひご購入されたい。

作曲者と親交厚かったべームの真摯な探求の成果がここにある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:41コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスベーム 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1953年9月21日、コヴェント・ガーデンに於けるライヴ(モノラル)録音。

ドレスデン生まれのルドルフ・ケンペがR.シュトラウスの真髄を表出した、ロンドンでの『アラベラ』ライヴ録音。

バイエルン国立歌劇場が戦後初めて行ったロンドン引越し公演での『アラベラ』は、ドイツの文化的権威を復活させたともいえる歴史的偉業であった。

ドイツ国歌演奏が収録されていないのは大変残念だが、ケンペの指揮は格調が高く、かつ白熱したものだ。

全ての演奏家が並々ならぬ気合いをもって臨んだのが手に取るように分かる。

キャストでは、若々しいデラ・カーザの歌声が聴ける。

デラ・カーザのアラベラはオルフェオからザルツブルクのライヴが発売されたばかりだがこのような録音も残されていたとは。

第1幕前半でのトレチェルとの甘美な節回しは後年のカイルベルト盤やショルティ盤では見られないものだ。

ケンペは歌手の呼吸を良く知っていて、ベストのサポートをしている。

まだ若かったケンペもすでにR.シュトラウス演奏の第一人者としての地位を築いており、この他愛無いオペラをきりりと引き締めていて楽しめる。

何でもロンドンの聴衆はR・シュトラウスのオペラに慣れておらず、『アラベラ』は殆ど初演に近かったらしいが、戦後10年は経っていない時期によくぞBBCが放送したものだ。

聴衆も最初は控えめな拍手が入っていたが、最後は心酔しきったような暖かい拍手になっているのも素晴らしいドキュメントであった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスケンペ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シベリウスのスペシャリストであるコリン・デイヴィスが、世界最古の伝統を誇るオケ、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮して、どんな演奏を繰り広げるのか?という期待を胸に購入。

一聴して、とにかくオーケストラの響きが魅力満点で、響きの豊かさに惚れ込んでしまった。

シュターツカペレ・ドレスデンのトーンは暖色系であり、寒々とした質感をもつシベリウスとは一見相容れない感じもするが、しかし厳しい冬を生き抜く人間の血潮は紛れもなく温かく、そういう情感が音色の一つ一つに宿っている。

もちろんデイヴィスの指揮も素晴らしく、もはや多くの言葉を費やすことが空しく思えてくるほどだ。

本番一発録音のため、若干のミスは否めないし、集中力が途切れる瞬間もある。

完成度の高さとしては、後年のロンドン交響楽団との2種を採るべきだろうが、曲に対する思い入れの強さは当盤からもひしひしと伝わってくる。

オケがシュターツカペレ・ドレスデンだからもう少し上を望みたいところだが、平均点は楽々クリアしている。

色数も豊富な弦楽セクション、輝かしくときに柔らかい音色を奏でる金管、これを聴くと根強いファンが多いのも頷ける。

殊に弱音部の澄み切った質感はこのオケならではと言える。

交響曲第2番は、第2楽章に欠落があるが、致命的と言うには勿体ない。

何故なら、オケが圧倒的に雄弁で、それを補って余りある程の魅力に溢れているからだ。

少々の編集ミスをあげつらうなど愚鈍の極みであり、筆者としては、透徹した精神性が結晶化した名演と高く評価したい。

交響詩「エン・サガ」もスタジオ盤(ロンドン響)とほぼ同格で、シュターツカペレ・ドレスデン特有のほの暗い音色が加味される。

最後の交響詩「レオンタール」が素晴らしい。

ゼルビヒの寂寥感に満ちた名唱にデイヴィス&シュターツカペレ・ドレスデンならではの共感溢れる雄弁な表現が冴える。

すべて完全初出で録音状態も抜群。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:08コメント(0)トラックバック(0)シベリウスデイヴィス 

2014年01月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



はじめに断っておくが、ブルックナー演奏に一家言をもつブルックナー・マニア、とりわけ朝比奈やチェリビダッケやヴァントを神のごとくに思っている人には、この演奏は受けが悪いだろう。

逆に、「ベートーヴェンやシューベルトはいいけど、ブルックナーはどうも…」という人には、この演奏の方が受け入れやすいだろうと思う。

一言で言えば、「バランスの取れた」ブルックナーというところだろうか。

ラトルのブルックナーは、以前の交響曲第7番もそうだったが、やたらに重々しくて音も割れんばかりに(あるいは実際に割れていたりするほどに)金管ががなりたてるドラマティックなブルックナー演奏とは異なり、ときに優雅な美しささえ感じさせるものである。

とりわけこの第4番は、4楽章のうち3つにまで「躍動して」と「速すぎず」という指示があり、「ゆったりと」とか「厳かに」という指示は一つもない。

その意味では、やたらに重々しい足取りで厳粛な表情をしたスローすぎる演奏は合わないだろう。

このCDでのラトルの演奏は、「ブルックナーとはこういうもの」という先入観でいたずらに劇化することはせず、小気味良いところは小気味よく、美しいところは美しく、堂々たるところは堂々と、その音楽そのものを提示している。

その一方で、先入観に挑戦する演奏の代表格のようなアーノンクールの演奏よりも、豊かな響きを持っている。

「バランスの取れた」と言ったのはそういうことだ。

これを聴いていると、ブルックナーはシューベルトとマーラーをつなぐオーストリアの作曲家であるというついつい忘れがちな事実を思い出させられる感じがする。

前述のようにブルックナー・マニアにはお薦めしないが、「ブルックナーはどうも…」という人には、前述のラトル&バーミンガム市響による第7番と今回のベルリン・フィルとのこの第4番を聴いてみてほしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:46コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーラトル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1985年6月6日、クーベリックが心臓発作で倒れる直前にバイエルン放送響を指揮した最後の公演となったライヴ録音(ステレオ)。

海賊盤でも評判がすこぶる良かった素晴らしい名演奏で、筆者の愛聴盤だった。

クーベリックのブルックナーは「第4」も愛聴していたが、この「第9」はそれに通ずるスケール豊かで且つ推進力に満ちた演奏となっている。

当CDには当日の前プロだったヘンデルも収録されている。

アルバム冒頭、ヘンデルの序曲における荘重な響きからいきなり魅力的であるが、続くアレグロのフーガでも暗めの響きは持続され、以下、力強く芳醇なバイエルン放送響の弦楽サウンドを十分に味わうことが可能である。

この格調の高さは無類で、古楽器で演奏するのが当たり前な現在、もう2度とこのようなヘンデルは聴けないだろう。

メインのブルックナーでは、このコンビならではの微細な表情付けが作品の複雑な味わいを浮き立たせて面白く、第1楽章第1主題部での動機群の扱いや、同第2主題部での多声的な処理、同楽章展開部後半から第1主題部再現部にかけての強烈な盛り上げ、続くブリッジと第2主題部再現部での繊細な表現など聴きどころ満載だ。

スケルツォ楽章もパワフルで申し分なく、重厚剛毅なバイエルン放送響の凄みあるサウンドが素晴らしい。

第3楽章ではブルックナー作品中最高と目される豊富な語彙をことごとく際立たせ、有名な第1主題部経過句の美しい再現部でも多声的なアプローチが印象的で、以下、声部バランスの絶妙な配分によって、最後まで多彩な音響を聴かせてくれるのが嬉しいところだ。

コーダの少し前、カタストロフィーの描写も凄まじいものがある。

ライヴでは爆演のイメージ強いクーベリックだが、ここでは実に理性的かつ熱気も十分な完成度の高い名演を繰り広げている。

オーケストラの高性能ぶりも驚嘆すべきで、特にクーベリックが指揮するとこのオーケストラは本当に澄み切った音を出す。

放送用音源ということもあり音質も良好なデジタル録音なので、クーベリックのスケールの大きな音楽を捉えきっている。

これこそまさにブルックナー演奏史に燦然と輝く名盤と言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:13コメント(0)トラックバック(0)ブルックナークーベリック 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヴェルディは1950年12月1日、ミュンヘン大学講堂、ブルックナーは1954年5月14日、ドイツ博物館、ミュンヘン、に於けるライヴ録音。

ヨッフムのヴェルディは珍しく、「レクイエム」はこれが唯一の録音である。

「レクイエム」は、聴く者の耳と心を捉えて離さない演奏だ。

ヨッフムの精神の高さが、ヴェルディの剛直・雄渾の精神を見事に表現しており、その骨格には冒し難い品格が備わっている。

重厚なドイツ的表現で極めて個性的な演奏であるが、古い実況録音の中から宗教的感動の盛り上がりが伝わってくる。

確かにドイツ的心情で捉えた演奏ではあるが、こうした音色もヴェルディに必要なのではあるまいか。

現在のどの指揮者も工夫を凝らす“演出”の巧みな設計、デュナーミクの振幅、テンポの緩急などの遠近は、最小限度に抑えられている。

独唱陣はいずれも一時代を画した名歌手の貫禄を示しており、特にクーニッツが素晴らしい。

「テ・デウム」もヨッフムの得意中の得意の曲だけに、充実のひとときと与えてくれる。

「テ・デウム」における深い共感はヨッフムならではのもので、DGへのスタジオ録音より一段と劇的な迫力で壮麗に綴られる。

まだ創設して間もなかったバイエルン放送交響楽団がヨッフムに鍛え上げられたのか、見事な演奏を繰り広げている。

合唱も1音符の乱れもなく、両曲とも素晴らしい情熱で歌い切っている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:02コメント(0)トラックバック(0)ヨッフムヴェルディ 

2014年01月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



この信じられないような2枚組CDは必聴だ。

ブルックナーの「第8」は、ウィーン・フィルやベルリン・フィル以外のオケを用いた録音の中では、特筆すべきライヴ録音(1983年)である。

ジュリーニならではの耽美的な構築により、整然として伸びやか、壮大にして麗しい演奏になっている。

全体的にゆったりとしたテンポで、丹念に旋律を歌わせ、情緒を漂わせている。

全曲を通じて同じモードで貫かれており、殊に白眉のアダージョは絶美で、この世のものとは思えぬ至福の時がゆっくりと流れていく。

細やかでスムーズなテンポの揺れや音の強弱を伴いながら歌わせてゆき、移行句や休止も歌の一部となる。

特にアダージョからフィナーレへの恐るべき盛り上がりは凄く、90分弱という演奏時間が全く埒外になるほどに、この演奏の底深き感動が湧き上がってくる。

勿論ジュリーニの演奏にはヴァントの厳しさはなく、強烈なアゴーギクを伴うフルトヴェングラーの観念性とも異なり、盲人が象を触れるが如きごつごつした巨大性を持つクナッパーツブッシュとも異なる。

しかし聴き終えた時、脱力感と共に深い感動に心を満たされるが、それこそがこの作曲家、黙示録的な交響曲なのであり、演奏スタイルは決してひとつではない。

ジュリーニ若き頃(1963年)のドヴォルザーク「第8」も素晴らしい。

後年の録音と較べて、音が緊密で締まっているが、窮屈かというとそうではなく、随所にジュリーニ特有の「歌」が聴かれる。

ジュリーニ芸術の集大成であり、ジュリーニ・ファン必聴の名盤と言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:52コメント(0)トラックバック(0)ジュリーニ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



実に素晴らしい名演だ。

本盤に収められているのはベロフによる2度目のドビュッシーのピアノ作品全集の中から「12の練習曲」を軸として、「見つけ出された練習曲」、「エレジー」、「アルバムの頁」などの小品が収められているが、いずれ劣らぬ素晴らしい名演と高く評価したい。

かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。

しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏は断然優れていると評価し得ると言える。

こうした演奏の深化には、ベロフが、右手の故障を克服したことも大きく影響していると言えるのかもしれない。

それにしても、何と言う美しい演奏であろうか。

ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。

表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風の瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。

それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。

しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫りの深さと言った点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤に収められた諸曲の演奏は、まさにドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:14コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーベロフ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヨッフム得意のブルックナー。

ブルックナーの魅力を、当時最も直截的に伝えていたのは、フルトヴェングラーよりもヨッフムだった。

その演奏の魅力は、いまだ色褪せず健在である。

とあるサイトで「ブルックナーにおいては後期ロマン時代の官能的音楽が要求するような余りに大きいアッチェレランドやリタルダンドを私は戒めたいと思う。テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『ゆりうごく輪』をえがきつつ、ブルックナーの上昇は展開するのである。」と言うヨッフムの言葉が紹介されていた。

しかし、彼が1970年代にシュターツカペレ・ドレスデンを率いて完成させた2度目の全集では、テンポを大きく動かし、アッチェレランドやリタルダンドも駆使して、神々しいまでのクライマックスを築き上げる人に変わっていた。

おそらく上記の言葉はヨッフムの若い頃の言葉なのではないだろうか。

なぜなら、1954年に録音されたこのブルックナー演奏では、まさに「テンポの絶対的平均性のみがもたらしうる『ゆりうごく輪』をえがきつつ、ブルックナーの上昇は展開する」からである。

そして、この両者の中間に位置するのが1960年代に手兵のバイエルン放送交響楽団とベルリン・フィルを指揮して完成させた最初の全集と言うことになるのであろうか。

この25年間、にヨッフムにどのような心変わりがあったのか、筆者には解りかねる。

しかし、その心変わりを良しと思わない人にはこの演奏はなかなかに興味深く聴けるのではないだろうか。

どちらにしても、20世紀を代表するブルックナー指揮者の原点を確認するという意味では貴重な音源である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:44コメント(0)トラックバック(0)ブルックナー 

2014年01月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



現役盤だけでも30点は下らないこの作品の名演は少なくない。

これは北ドイツ放送響とのヴァントの演奏のなかでも出色で、真摯な音楽との取り組みから過不足のない叙情性と崇高な精神性を引き出している。

誇張表現をいっさい避けてブルックナーの本質美に到達する。

ヴァントは、厳格なイン・テンポではないのに、フレーズからフレーズへと滑らかに進行する類稀な音楽的時計の持ち主だ。

テクスチュアの面でも、各声部を過不足なく浮き上がらせている。

テンポ変化の滑らかさ、すべての小節に向けられた“線”的な書法造形への配慮、ドイツ語圏現代最高のオケ、という3拍子が揃ったヴァントの演奏は、やはり掛け替えのないものだろう。

いつ聴いても感動してしまう。

しかし、シューリヒトに比べて、ヴァントは激しさが不足しているように筆者には聴こえてしまう。

このように1993年ライヴ録音は極めて高水準の演奏で、改めて驚いてしまった。

第1楽章冒頭から気合いの入った音楽が聴ける。さすが手兵との録音である。

この旧盤と比べると、筆者は、なおのことベルリン・フィルとの出来が気になってしまう。

いかにヴァントが優れた指揮者であっても、ライヴで最高の演奏を常にし続けることはできないのだろう。

やはり人間の営みであるわけだから、やむを得まい。

もし、ベルリン・フィルとの演奏を、特に第1楽章を不満に思う人がいたら、この1993年のライヴ盤をお薦めしたい。

オケの出来を含め、ヴァントの傑作と呼べるCDである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:02コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



正規では4種類あるカラヤンの幻想交響曲のうち演奏・録音含めベストと言えるのがこの1964年盤。

当時の重厚なベルリン・フィルと意欲漲るカラヤンが聴かせる、美しく、迫力満点の幻想交響曲だ。

カラヤンはこの交響曲を作曲者自身が付記しているように、失恋体験を告白することを意図した標題音楽として忠実に再現している。

そして、ベルリオーズが意図的に演出しようとしたサイケディックさを極上の美しさをもって幻想的に仕上げている。

特に筆者にとっては第1楽章の「夢、情熱」が白眉である。

むせ返るような、やるせない恋の感情を、弦楽器群と木管楽器群の見事なアンサンブルで表現している。

そして、颯爽としたテンポと大地を揺るがす巨大なトゥッティに思わず痺れる。

教会の豊かな残響を伴ったカラヤン・サウンドは極上で、第2楽章など本当に言葉にならないくらい美しい。

どちらかと言えば毒々しい狂気的な印象がある曲だが、カラヤンは「断頭台への行進」や「ワルプルギスの饗宴」までも美しく、そして上品に創り上げている。

そして最後の最後まで張り詰めた緊張の糸が途切れず、一気にクライマックスを作り上げるところはカラヤンならではの構成である。

終楽章コーダのティンパニと大太鼓の凄まじい重低音に導かれ炸裂するベルリン・フィルのフルパワーは圧巻。

さすがにカラヤン&ベルリン・フィルにこの手の楽曲を演奏させると上手い。

とにかく、美しさではこの盤の右に出る演奏にはお目にかかっていない。

録音も力感&スケール感不足の新盤に比べ重厚感あり、リアルで良い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)ベルリオーズカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



文字通り「最後の巨匠」であったギュンター・ヴァント最晩年の名声を決定付けた、1996年から2001年にかけて録音されたベルリン・フィルとの名盤、ブルックナーの交響曲集(第4番・第5番・第7番・第8番・第9番)を海外盤では初めてボックス・セット化したもの。

まさに最晩年を迎えた芸術家ヴァントの「完成期の音楽」というにふさわしい貫禄がある演奏で、しばしば表現される「白鳥の歌」に相当する得難い名品だと思う。

それではこれらのヴァントの録音の特徴は何かと言えば、一つは合奏音の融合度の高さにある。

緻密に計算されたバランスで、管弦楽の重厚さが常に適切に保たれていて、たいへん調性的で節度を重んじる表現を貫いている。

このことは、よく「天国的」と形容されるブルックナーの音楽の一面を、余すことなく表現しているだろう。

次の特徴は、悠々泰然たるテンポ設定であるが、これは「遅い」と言っているのではない。

むしろ、遅さを感じる部分はほとんどないと言っていいくらい、推進力が保たれている。

一般的なイメージとして、年齢とともに荘重な音楽効果を重視し、テンポを緩める傾向があるのだが、ヴァントは例外と言えよう。

むしろ引き締まった印象を与えるほどの、確信に満ちたテンポ設定で、それは、生涯を通じてブルックナーをやってきたヴァントならではの、決定的な解答と思えるような説得力に富んでいるものだ。

こうして奏でられるブルックナーは「天国的」であり、かつ「力強い内的均衡感」に満ちたものとなる。

ただ美しいだけではないところが、ヴァントの芸術の高い価値を示しているだろう。

個人的には、やや不均衡なところがあっても、朴訥としたダイナミズムを堪能させてくれたケルン放送響との全集も好きなのだが、一方でこれらのベルリン・フィルとの録音も、捨てがたい価値を持っていると思う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:06コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

2014年01月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1979年6月24日 オットーボイレン、ベネディクト修道院バジリカ聖堂に於けるステレオ(ライヴ)録音。

荘厳な中にもロココ様式ならではの美しさが漂うオットーボイレンのベネディクト修道院にあるバジリカ聖堂。

日本では、ヨッフム指揮コンセルトヘボウ管によるブルックナー第5番の響きの豊かなライヴ録音で有名になったこの場所で、なんとギュンター・ヴァントがブルックナーの第9番を演奏していた。

まず驚くのは音質の良さ。

機材の優秀さやマイク・ポジション選定の巧みさもあってか、ライヴ録音ながら、同時期のケルン放送響とのスタジオ録音よりも明らかに音質が良く、特に深みのある低音域を軸とした強烈なトゥッティは迫力満点の聴きものとなっている。

間接音が豊かなため、管楽器の音も実に潤い豊かだし、また、それゆえブルックナー特有の「休止」もここでは大変に効果的。

オーケストラがチェリビダッケ時代のシュトゥットガルト放送交響楽団という点も見逃せないところ。

日頃からチェリビダッケに鍛えられていただけあって、ヴァントの厳しい要求にも高い集中力で見事に応え、合奏精度の高さ、アーティキュレーションの統一、ソロの洗練された美しさなど申し分ない。

その性能の良さに影響されてか、あるいはライヴということもあってか、ヴァントのアプローチも、同時期のケルン盤に較べてより表現の振幅の大きなものとなっており、劇的な性格が強まっているのがポイント。

第1楽章展開部のクライマックス(13:25〜)など驚くほかない壮絶な音楽である。

ヴァントの伝記作者でもあるヴォルフガング・ザイフェルト氏が大絶賛する気持ちも十分に納得の見事な演奏と言えるだろう。

本場ドイツで伝説となって、ブルックナー指揮者ヴァントの名声を確立した名演である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:37コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ