2014年02月

2014年02月28日


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ベートーヴェン、シューマン、マーラーなどの交響曲全集で好評を博しているジンマン&チューリヒ・トーンハレ管弦楽団が、ついにシューベルトの交響曲全集の録音を開始した。

先日発売されたブラームスの交響曲全集については、短期間で、しかもライヴ録音で完成させたのに対して、今般のシューベルトの交響曲全集は、2年の歳月をかけてスタジオ録音されるとのことであり、これはジンマンがいかにシューベルトを特別視するとともに、深く愛着を抱いているかの証左であると言えるだろう。

いずれにしても、全集の完成が無事に終了することをこの場を借りて心から祈念しておきたい。

本盤は、当該全集の第1弾であり、交響曲第7(8)番「未完成」を軸として、ヴァイオリンと管弦楽のための作品集という組み合わせ。

ジンマンは、シューベルトを心から愛するとともに、初めて購入したスコアが「未完成」であったとのことであり、本演奏のスタジオ録音に際しては、並々ならない覚悟で臨んだものと拝察されるところだ。

ジンマンのことであり、「未完成」については第3楽章以降の補筆版、あるいはシューベルト自身が書き残した冒頭の数小節だけでも録音するのではないかとの期待もしていたところであるが、見事に肩透かしを喰わされたところである。

しかしながら、演奏自体はジンマンの個性が全開の強烈無比な演奏だ。

これまでのシューベルトの演奏とは一味もふた味も異なるため、好き嫌いが大きく分かれる演奏と言えるのかもしれない。

特に、第1楽章の無慈悲なまでの峻烈な演奏は凄まじさの限りであり、同曲の流れるような美しい旋律の数々をことごとく歌わせないなど、その徹底ぶりには戦慄を覚えるほどである。

これに対して、第2楽章は、テンポこそやや速めであるが、第1楽章とは対照的に、シューベルトならではの名旋律の数々を情感豊かに歌わせているのが特徴である。

時として、第1楽章と同様の無慈悲な表現も垣間見られるが、それだけに、旋律を情感豊かに歌わせている箇所が際立つとともに、その美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ジンマンの演奏は、いわゆる現代楽器を使用した古楽器奏法、ピリオド演奏を旨としており、「未完成」においては、果たしてうまくフィットするのか若干の不安を抱いていたところである。

しかしながら、ジンマンの前述のようなアプローチの巧みさも相俟って、聴き手によっては拒否反応を示す人がいても何らの不思議はないが、筆者としては、同曲の新たな魅力を十分に堪能することが可能であった。

ジンマンのピリオド演奏によるアプローチが、多くの指揮者によって演奏されてきた「未完成」にある種の清新さを加えるのに成功しているとさえ言えるだろう。

とりわけ、第2楽章における前述のような情感の豊かさは、ピリオド演奏にありがちな無味乾燥な演奏に陥ることを避けるのに大きく貢献している。

いずれにしても、本演奏は、手垢に汚れていた「未完成」を洗い流したような清新さを持った素晴らしい名演と高く評価したい。

併録のヴァイオリンと管弦楽のための作品集も、「未完成」と同様のピリオド演奏であるが、旋律の歌わせ方の情感の豊かさにも出色のものがあり、ジンマンと、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の第1コンサートマスターであるアンドレアス・ヤンケの抜群の相性の良さが生み出した珠玉の名演奏に仕上がっていると評価したい。

今後、本全集は第4弾まで続くことが決定しているが、今後の続編にも大いに期待したい。

音質は、2011年のスタジオ録音だけに、本従来CD盤でも十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 23:10コメント(0)トラックバック(0)シューベルトジンマン 

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本盤には、グリーグ、ビゼー、ムソルグスキーによる有名な管弦楽曲が収められているが、セルはこのようないわゆるポピュラー名曲の指揮でも抜群の巧さを発揮している。

本盤の演奏は1958〜1966年のセル&クリーヴランド管弦楽団の全盛時代のものである。

それだけに、このコンビならではの「セルの楽器」とも称された一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した演奏の精緻さは健在であり、加えて、曖昧模糊とした箇所がいささかもない明晰な演奏に仕上がっていると言えるだろう。

もっとも、クリーヴランド管弦楽団の抜群の機能性が発揮される反面で、ある種の冷たさというか技巧臭のようなものが感じられなくもないが、楽曲がいわゆるポピュラー名曲だけに演奏全体に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。

各楽曲の聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも特筆すべきであり、これらの有名曲を指揮者の個性によって歪められることなく、音楽の素晴らしさそのものを味わうことができるという意味においては、オーケストラ演奏の抜群の巧さも相俟って、最も安心しておすすめできる名演と評価することが可能であると考えられる(前述のように、各楽曲のオーケストラ曲としても魅力を全面に打ち出した演奏とも言えるところであり、各楽曲の民族色の描出という点においてはいささか弱いという点を指摘しておきたい)。

グリーグの「ペール・ギュント」組曲やビゼーの「アルルの女」組曲については、いずれも第2組曲を全曲ではなく終曲のみの録音とするとともに、特に「ぺール・ギュント」組曲については第1組曲の中に第2組曲の「ソルヴェイグの歌」を組み込むような構成にしているが、これはセルの独自の解釈によるものとして大変興味深い。

クリーヴランド管弦楽団の卓越した技量も特筆すべきものであり、とりわけムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」におけるブラスセクションのブリリアントな響きの美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

音質は、今から約50年前のスタジオ録音だけに、従来盤ではいささか不満の残るものであったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤は圧倒的な高音質であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の精緻さを味わうには望み得る最高のものである。

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classicalmusic at 21:09コメント(0)トラックバック(0)セルムソルグスキー 

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(注)以下のレビューは、下書きしたまま忘れて放置していたページをエントリーしたものである。

ガラスCDは別として、コストパフォーマンスを考慮すれば、おそらくは現在望み得る最高の音質のCDであると高く評価したい。

ネット配信が普及し、少なくとも従来CDは廃れていく傾向にある中で、ネット配信に対抗し得るのはSACD以外にはないと考えていたが、ユニバーサルをはじめ、ほとんどのレコード会社がSACDから撤退している状況は、大変嘆かわしいものと考えていた。

そうした厳しい中で、ユニバーサルが数年前から再びSACDの発売を再開したのは何という素晴らしいことであろうか。

しかも、ユニバーサルが推奨してきたSHM−CDとの組み合わせ、SACDの能力を最大限に発揮させるシングルレイヤーであることも、快挙であるということができよう。

本盤を、かつて発売されたSACDハイブリッド盤やSHM−CD盤などと比較して聴いてみたが、その音質の違いは明らか。

ニコレの息遣いまでが聴こえてくるようなフルートの美音や、分離が見事なオーケストラの極上の高音質。

重低音のずしんとした重厚な響きも迫力満点であり、まるで別次元の演奏を聴いているような錯覚を覚えた。

ユニバーサルには、今後ともこのシリーズを続けていただくとともに、可能ならば、第3番、第4番のSACD&SHM−CD化もお願いしたい。

演奏は、既に定評のある超名演。

ピリオド・スタイル全盛の現在においても、その精神性の深さで普遍的な支持を受ける名指揮者カール・リヒターのバッハ演奏である。

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2014年02月27日


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本盤に収められたシベリウスの交響曲第1番及び第4番は、コリン・デイヴィスによる3度目のシベリウスの交響曲全集の完結編である。

それだけに、本盤の演奏にかける意気込みには並々ならないものがあったと想定できるところであり、名演揃いの3度目の全集の中でも、本盤の演奏は飛びぬけて素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

デイヴィスは、シベリウスを得意中の得意としており、フィンランドの大指揮者であるベルグルンドを除けば、シベリウスの交響曲全集を3度にわたって録音した唯一の指揮者である。

これはデイヴィスのシベリウスへの深い傾倒と愛着の証左と言っても過言ではあるまい。

デイヴィスによる3つの全集のうち、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集については現在でも依然として評価が高いが、音質面を含めて総合的に鑑みると、最新の3度目のロンドン交響楽団とのライヴ録音による全集(2002〜2008年)を第一に掲げるべきであると考えるところだ。

デイヴィスによるシベリウスの交響曲へのアプローチは、特別な個性的解釈で聴き手を驚かしたり、奇を衒ったりすることはいささかもなく、基本的には曲想を精緻に描き出すという純音楽的で自然体のものと言える。

もっとも、曲想を精緻に描き出すという純音楽的なアプローチとは言っても、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏をおこなっているわけではない。

一聴すると淡々と流れている各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスと豊かな情感が込められているところであり、シベリウスの楽曲に特有の北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美の描出にもいささかの不足はない。

そして、本演奏には、80歳を超える老巨匠による演奏とは思えないような強靭な迫力や畳み掛けていくような気迫などが漲っており、前述のように、全集完結編となる本演奏にかける凄まじいまでの意気込みを大いに感じることが可能だ。

ロンドン交響楽団も、デイヴィスの指揮の下、持ち得る実力を十二分に発揮した名演奏を展開しており、弦楽セクションや管楽器セクション、そしてティンパニなど、あたかも北欧のオーケストラのような透明感溢れる美しい音色を醸し出しているのが素晴らしい。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

シベリウスの交響曲のような透明感溢れる抒情的な音楽には、本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDは抜群の効力を発揮するところであり、デイヴィスによる至高の名演を臨場感溢れるマルチチャンネル付きのSACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:03コメント(0)トラックバック(0)シベリウスデイヴィス 

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ショパンは、ホロヴィッツが特に得意としたレパートリーのひとつだが、ジャンルにまとまった彼のショパン・アルバムは少ない。

このアルバムは、1949年から1957年までの録音から7曲を集めたモノーラル盤であり、ホロヴィッツ全盛期のショパンが味わえる。

彼の弾くショパンはあまりにも雄大で壮大、柔軟な表情付けとバリバリの男らしさを併せ持った独特な演奏は、当時の批評家の耳を翻弄したことは間違いない。

音質を含めて安定感にはやや欠けるが、独特の華麗なタッチと鋭いリズム感に、大胆な語り口を交えて進む彼のショパンは、実にドラマティックに展開する。

特に「ソナタ第2番」での驚くようなテンポ設定も聴きどころ。

「バラード第4番」「スケルツォ第1番」はスリルに満ち、聴き手の感覚に強烈に迫る魅力がある。

ショパンのピアノ音楽から即興的な妙味を引き出し、ホロヴィッツならではの世界を築いている。

注目は貴重な音源として知られている1949年録音の「バラード第4番」。

ホロヴィッツは発売を認めなかったが、何かのミスで市場に出てしまい瞬く間に消え去ったレコード。

その後EMI系からはLP、CD共に一度も復刻された事がなく、おそらくはこれが初復刻。

これのみスクラッチノイズが多いが、その他は実にクリアな音で再生されている。

よくも初期盤LPからこれだけの音を掘り起こすものだといつも感心させられる。

しかしここまでくるとイコライジング等、多少の人工臭…みたいなものも感じるが、そんな勘ぐりを起こさせるほど鮮烈な再生音である。

ファンには良し悪しを超えた価値を持つ1枚。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)ショパンホロヴィッツ 

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ノイマンは、ドヴォルザークの交響曲全集を2度完成させるとともに、交響曲第7番〜第9番については、全集以外にも何度も録音している。

いずれの演奏も、ノイマンの温厚篤実な性格があらわれた情感豊かな名演であるが、一般的には、2度目の交響曲全集や、ポニーキャニオン(現在は、エクストンから発売)に録音した第7番〜第9番、そして、ドヴォルザーク生誕100年を記念した第9番あたりの評価が高い。

それ故に、1度目の交響曲全集の旗色が悪いが、それでも尋常ならぬ完成度の高さがあり、まさにノイマン自家薬朧中の至芸である。

本盤は、その旧全集から、第7番と第8番を収めているが、筆者としては、後年の名演にも優るとも劣らない名演と高く評価したい。

全体的に格調の高い情感の豊かさを保っている点は、後年の名演と同様の傾向ではあるが、ここには、後年の名演には見られない若々しい生命力と引き締まった独特の造形美がある。

誇張を排した純正で格調高い表現の中に、豊かな民族的情感が滲み出ており、また後年の演奏にないきりりとした若々しさがある。

極めてオーソドックスな演奏だが、緻密に譜読みして真摯に演奏することが本当の意味での(=ドヴォルザークが表現したかった)「民俗」を奏でる唯一の手段であり、嚊めば嚊むほど味が出てくる模範的な表現だ。

両曲とも最後まで緊張が緩むことがなく、このドヴォルザークの傑作を最も精確に堪能できる素晴らしい名演奏だ。

手兵のチェコ・フィルも、そうしたノイマンとともに最高のパフォーマンスを示しており、この時代のチェコ・フィルの古雅な音色美も絶品。

これぞ正調ドヴォルザークの決定盤と言いたい。

本盤は、Blu-spec-CD盤であるが、従来盤と比較してさらに鮮明度がアップしており、ノイマンの若き日の名演を高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークノイマン 

2014年02月26日


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これは知る人ぞ知る名演の代表格であると言える。

マゼールは、現在では高齢であることもあり、かつてのように聴き手を驚かすような演奏を行うことはすっかりと影を潜めつつあるが、1960年代から1970年代の前半にかけては、当時としては切れ味鋭い先鋭的な解釈を示すことが多かった。

楽曲によっては、いささかやり過ぎの感も否めず、そうした演奏に関してはあざとささえ感じさせるきらいもあったが、ツボにはまった時には、途轍もない超名演を成し遂げることもあった。

1970年代も後半になると、そうしたマゼールの鬼才とも言うべき性格が薄れ、やや面白みのない演奏に終始するようになってしまうのであるが、それでもベルリン・フィルの芸術監督を目指して意欲的な演奏を行っていた1980年代後半には、とてもマゼールとは思えないような円熟の名演を繰り広げる(例えば、ブルックナーの交響曲第7番)など、これまでの事績を考えると、マゼールこそは、やはり現代を代表する大指揮者の一人と言えるのであろう。

本盤に収められたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、マゼールがいまだ鬼才としての才能を発揮していた1974年に、ロシアの名ヴァイオリニストであるコーガンと組んでスタジオ録音を行ったものである。

当時のマゼールにはおよそ想定し難いような選曲であるが、これが実に素晴らしい演奏なのだ。

聴き手を驚かすような超個性的な演奏の数々を成し遂げていたこの当時のマゼールとは思えないような、徹底して自我を抑えたロマンティックの極みとも言えるような円熟の指揮ぶりであり、マゼールという指揮者がいかに潜在能力の高い指揮者であるのかが窺えるところだ。

おそらく、この演奏を指揮者を伏して聴いた場合、マゼールであると答えられる聴き手は殆どいないのではないだろうか。

両曲ともに美しいメロディ満載の協奏曲であるが、それらの名旋律の数々を、コーガンとともに徹底して歌い抜いているが、それでいて格調の高さを失うことなく、どこをとっても高踏的な美を失うことがない。

まさに、両曲演奏の理想像の具現化とも言えるところだ。

コーガンのヴァイオリン演奏も、鉄壁のテクニックをベースにしつつ、内容の豊かさを失うことがない申し分のないものであり、マゼールの円熟の指揮ぶりと相俟って、珠玉の名演奏と評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、両曲の理想的な名演として高く評価したいと考える。

そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義がある。

いずれにしても、コーガン、そしてマゼール&ベルリン放送交響楽団による素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:02コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンマゼール 

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キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの第4弾の登場だ。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を進行中のプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹しているからである。

キタエンコといえば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていた。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深さを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の付随音楽「雪娘」からの抜粋も、交響曲第1番と同様の性格による素晴らしい名演だ。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー 

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筆者はこれまでにバーンスタインの晩年の演奏を、テンポを落とす箇所は極限まで遅く、逆に攻め込むところは一気に…という事大主義的で常軌を逸した解釈に疑問を呈してきたが、チャイコフスキーの「第5」の演奏は何故か少しも作為的ではなく、むしろ一段と説得力と必然性を伴っている印象を受けた。

第1楽章の序奏からして、ひたすら暗い。ターラーという下降する音が執拗に強調されるため、まったく救いようがない音楽になっているのだ。

しかも、主部に入ると突如テンポが速くなるので、ギクリとさせられる。もはや落ち込んでいることも許されず、せっつかれるかのようだ。

その後もテンポを大きく動かし、振幅の大きな音楽が続く。

チャイコフスキーはペシミスティックな人間だったが、彼の作品をこれほどまでにどん底の暗さで奏でた指揮者はあまりいない。

およそ15分の地点で訪れる崩壊感も、神経の細い人なら耳を覆いたくなるくらい、凄まじい。

世界的な名声を手に入れ、経済的にも豊かな音楽家がこのような異常な演奏をしてしまうところ、まさにそこにクラシック音楽としての恐ろしさがある。

第2楽章の開始も、途轍もなく重苦しい。まるで悪夢のようだ。

やがてホルンが美しいメロディを吹き始めるが、これは暗黒の中にあって一条の光にもなりきれない希望の気配である。

およそ4分の地点で聴かれるチェロとコントラバスの不気味な力といい、まさに絶望とほんのわずかの希望の交錯する比類のない音楽であり、ひたすらもがく人間がいるばかりである。

第4楽章も、まるで刑場に引き出されるといった気分で始まるのに驚かされる。やはりテンポは極限まで遅く、その上、随所で止まりそうに減速される。

この楽章は普通に演奏すると、妙に軽々しくまた騒々しくなってしまうのだが、バーンスタイン流は違う。

遅いところは極端に遅く暗く、速いところはとびきり速くという設定だから、前から続いてきた二元論的ドラマが持続するのだ。

いよいよ、最後、勝利の行進では、演奏家が作品を信じていること、音楽を信じていることがよくわかる。

そして、これは信じないと説得力をもって演奏できない種類の音楽では確かにあるのだ(作曲家自身ですら、完成させたあとで、何か嘘くさいと告白している)。

音楽は一挙に解放され、圧倒的なクライマックスに達するが、こんな演奏は純粋さがない人間には絶対に不可能である。

ニューヨーク・フィルがバーンスタインのやりたい放題、常識から言えば滅茶苦茶にブチ切れた解釈に食らいついてくるのにも感心するほかない。

さすがのバーンスタインもこのような異常な演奏は、長年率いたニューヨーク・フィル以外とはなかなか実現できなかった。

「ロメオとジュリエット」は「第5」ほど大胆な強調は行われていないものの、ここまで曲への共感を露わにした演奏は他にはないのではないかとすら思わせる名演奏である。

第一に、楽器の表現力の雄弁なこと。弦楽器のハーモニーは実に美しく、哀切感を盛り上げる。

しばしばうるさいばかりで雑な音をたてると悪評されるニューヨーク・フィルがこんな響きを出すこともあるのだと心底感嘆せずにはいられない。

若い恋人たちの逢瀬の場においては、弦楽器が濡れそぼつような響きを立てているし、フルートやオーボエは陶酔的に歌っている。

これを聴いていると、まるで自分が物語の主人公になったかのような気がしてくる。

いざとなればこんな震え上がるような演奏ができる、これが世界のトップオーケストラたちの恐ろしい実力なのである。

音楽が破局に向かっていく最中に聴かれる、大波が打ち寄せるような弦楽器のうねりに端的に表れているように、スケールも極大で、これでこそ、ロメオとジュリエットの悲劇が生々しい事件としてわれわれの眼前に広がるのだ。

その上、最後がとても印象的だ。普通、ここは浄化されたように奏される。ロメオとジュリエットは地上では不幸だったが天国で結ばれる、また、ふたりの犠牲を目の前で見て人々も自分たちの愚かさに気づき、仲直りをするはずだからだ。

だが、バーンスタインではまったく浄化されたように聴こえない。彼はこの都合のいい救いを信じていないようだ。むしろ、いささか憤怒の様子で曲は閉じられる。

現代の世界情勢を見ても、苦しみには終わりがない。この物語のようにうまく仲直りはできない。とするなら、このバーンスタインの演奏はきわめてリアルだと言うしかないだろう。

彼は晩年において、このように、同時代に匹敵する者がいないくらい、独自の表現世界へ入っていった。

内面の吐露、いや苦しみを吐き出すという言葉がぴったりの音楽で、私小説のような業苦の世界が提示された。

バーンスタインは、最後の最後に至るまで、現世の苦痛の中でもがいていたように見える。それゆえ聴衆が彼を圧倒的に支持したのではないかとも思うのである。

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2014年02月25日


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ヤンソンス&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によるマーラーの交響曲チクルスの第5弾の登場だ。

前作の「第2」も名演であったが、今般の「第3」も素晴らしい名演と高く評価したい。

「第2」もそうであったが、先ずは、録音の素晴らしさについて言及しておきたい。

本盤も、これまでと同様のマルチチャンネル付きのSACDであるが、世界でも屈指の音響を誇るコンサートホールとされるコンセルトヘボウの豊かな残響を生かした鮮明な音質は、これ以上は求め得ないような圧倒的な臨場感を誇っている。

特に、マーラーの合唱付きの大編成の交響曲の録音において、オーケストラの各セクション、独唱、合唱が明瞭に分離して聴こえるというのは殆ど驚異的な高音質であり、それぞれの楽器や合唱等の位置関係までがわかるほどの鮮明さを誇っている。

かつて、マーラーの「第3」では、マーツァル&チェコ・フィルによる超優秀録音(本盤と同様にマルチチャンネル付きのSACD録音)にして素晴らしい名演(2005年)があったが、本盤も当該盤に比肩し得る極上の高音質であり、なおかつ素晴らしい名演であると言えるだろう。

「第3」は、重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの手による交響曲の中でも最大規模を誇る壮大な交響曲である。

したがって、全体をうまく纏めるのが難しい交響曲であるが、ヤンソンスは、全体の造型をいささかも弛緩させることなく的確に纏め上げるとともに、スケールの大きさを損なっていない点を高く評価したい。

そして、そのアプローチは、曲想を精緻に描き出して行くというきわめてオーソドックスで純音楽的なものであり、マーラーの光彩陸離たる音楽の魅力をゆったりとした気持ちで満喫することができるという意味においては、前述のマーツァルによる名演にも匹敵する名演と言える。

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、前任のシャイー時代にその独特のくすんだようないぶし銀の音色が失われたと言われているが、本演奏においては、そうした北ヨーロッパならではの深みのある音色を随所に聴くことが可能であり、演奏に奥行きと潤いを与えている点を忘れてはならない。

ベルナルダ・フィンクも素晴らしい歌唱を披露しており、オランダ放送合唱団やブレダ・サクラメント合唱団、ラインモンド少年合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

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本盤にはプロコフィエフのピアノ協奏曲第2番とラヴェルのピアノ協奏曲が収められているが、両曲ともにピアニスト、指揮者、オーケストラの3拍子が揃った素晴らしい名演と高く評価したい。

特に、優れているのはプロコフィエフの方だ。

プロコフィエフのピアノ協奏曲では第3番があまりにも有名であり、第2番はその陰に隠れている存在に甘んじているが、本名演はそうした不当な評価を一変させるだけのインパクトがあるものと言える。

第2番は、プロコフィエフがぺテルブルク音楽院在学中に作曲されたいわゆるモダニズムを追求していた時代の野心作であり、弾きこなすには超絶的な技量を要する楽曲だ。

ユンディ・リの卓越した技量は本演奏でも冴えわたっており、小澤指揮のベルリン・フィルとの丁々発止のやり取りは、これぞ協奏曲を聴く醍醐味と言えるだろう。

もっとも、ユンディ・リは技量一辺倒には陥っていない。

とりわけ第3楽章において顕著であるが、ロシア風の抒情の表現にもいささかも不足はなく、その情感溢れる美しさには抗し難い魅力があり、ユンディ・リの表現力の幅の広さを大いに感じることが可能だ。

他方、ラヴェルについては、本演奏だけを聴くと素晴らしい演奏には違いがないのだが、同曲にはフランソワやアルゲリッチ、ツィマーマン、エマールなどの個性的な名演が目白押しであり、それらと比較するとやや特徴がない無難な演奏になってしまっているように思われてならない。

もっとも、それは高い次元での比較の問題であり、本演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇もしない。

前述のように、小澤&ベルリン・フィルは、協奏曲におけるピアニストの下支えとしては十分過ぎるくらいの充実した名演奏を繰り広げており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音は、特にプロコフィエフについてはライヴ録音ではあるが、従来盤でも十分に満足し得る音質を誇っていた。

しかしながら、今般のSHM−CD化によって、音質がさらに鮮明になるとともに音場がやや幅広くなったように感じられるところだ。

いずれにしても、このような素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:09コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルプロコフィエフ 

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途轍もない超名演だ。

このような演奏こそは、人類が永遠に持つべき至宝であるとさえ言えるだろう。

本演奏におけるホロヴィッツのピアノはもはや人間業を超えているとさえ言える。

強靭な打鍵は、ピアノが破壊されてしまうような途轍もない迫力を誇っているし、同曲の随所に聴くことが可能なロシア風のメランコリックな抒情的旋律の数々においても、ホロヴィッツは心を込めて歌い抜いている。

その表現の桁外れの幅の広さは、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

同曲は、弾きこなすのに超絶的な技量を有することから、ピアノ協奏曲史上最大の難曲であると言われており、ホロヴィッツ以外のピアニストによっても名演は相当数生み出されてはいるが、それらの演奏においては、まずは同曲を弾きこなしたことへの賞賛が先に来るように思われる。

ところが、ホロヴィッツの演奏では、もちろん卓越した技量を発揮しているのであるが、いとも簡単に弾きこなしているため、同曲を弾きこなすのは当たり前で、むしろ、前述のように圧倒的な表現力の方に賛辞が行くことになる。

このあたりが、ホロヴィッツの凄さであり、ホロヴィッツこそは、卓越した技量が芸術を凌駕する唯一の大ピアニストであったと言えるだろう。

人間業を超えた超絶的な技量を有していながら、いささかも技巧臭がせず、楽曲の魅力のみをダイレクトに聴き手に伝えることができたというのは、おそらくは現在においてもホロヴィッツをおいて他にはいないのではないか。

そして、本演奏を聴いていると、あたかも同曲がホロヴィッツのために作曲された楽曲のような印象を受けるところであり、それ故に、現時点においても、同曲については、ホロヴィッツを超える演奏がいまだ現れていないのではないかとさえ考えられるところだ。

ライナー&RCAビクター交響楽団も、このようなホロヴィッツの圧倒的なピアニズムに一歩も引けを取っておらず、感情の起伏の激しい同曲を見事に表現し尽くしているのが素晴らしい。

なお、ホロヴィッツによる同曲の超名演としては、オーマンディ&ニューヨーク・フィルをバックにしたライヴ録音(1978年)があり、指揮者はほぼ同格、オーケストラは新盤の方がやや上、録音は新盤がステレオ録音であるが、ホロヴィッツのピアノは本盤の方がより優れており、総合的には両者同格の名演と言ってもいいのではないだろうか。

また、本盤でさらに素晴らしいのは、XRCD化によって見違えるような高音質に蘇ったということである。

本演奏は今から約60年前の録音であり、モノラル録音ならではのレンジの幅の狭さはあるが、ホロヴィッツのピアノがかなり鮮明に再現されており、おそらくは現在望み得る最高の音質に生まれ変わった。

いずれにしても、同曲演奏史上最高の超名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)ホロヴィッツライナー 

2014年02月24日


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1990年代に入って、余人を寄せ付けないような神々しいまでの崇高な名演の数々を成し遂げた巨匠ヴァントによる本拠地、ハンブルク・ムジーク・ハレでの最後のライヴ録音である。

とは言っても、ヴァントの場合は、数回に渡って行われる演奏会の各演奏を編集した上で、ベストの演奏を作り上げていくという過程を経て、初めて自らの録音を販売するという慎重さを旨としていたことから、厳密に言うと、本拠地での最後の演奏会における演奏そのものと言えないのかもしれない。

また、その数日後にも、同じプログラムでヴッパータールやフランクフルトで演奏会を行っているということもある。

そうした点を考慮に入れたとしても、巨匠の人生の最後の一連の演奏会の記録とも言えるところであり、本演奏には、巨匠が最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地が示されていると言っても過言ではあるまい。

冒頭のシューベルトの交響曲第5番も、冒頭からして清澄さが漂っており、この世のものとは思えないような美しさに満ち溢れている。

もちろん、ヴァントの演奏に特有の厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型美の残滓を聴くことは可能であるものの、むしろ緻密な演奏の中にも即興的とさえ言うべき伸びやかさが支配している。

加えて、各旋律の端々には枯淡の境地とも言うべき情感が込められており、その独特の情感豊かさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ヴァントにとって、同曲の演奏は、ケルン放送交響楽団との全集以来の録音(1984年)であると思われるが、演奏の芸格の違いは歴然としており、最晩年のヴァントが成し遂げた至高の超名演と高く評価したい。

ブルックナーの交響曲第4番は、ヴァントが何度も録音を繰り返してきた十八番とも言うべき楽曲である。

ヴァントによるブルックナーの唯一の交響曲全集を構成するケルン放送交響楽団とのスタジオ録音(1976年)、北ドイツ放送交響楽団とのライヴ録音(1990年)、ベルリン・フィルとのライヴ録音(1998年)、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(2001年)の4種が既に存在し、本盤の演奏は5度目の録音ということになる。

演奏の完成度という意味においては、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィルとの演奏を掲げるべきであるが、演奏の持つ味わい深さにおいては、本盤の演奏を随一の超名演と掲げたい。

シューベルトの交響曲第5番と同様に、本演奏においても、厳格なスコアリーディングに基づく緻密さや堅固な造型美は健在であるが、テンポをよりゆったりとしたものとするとともに、随所に伸びやかさや独特の豊かな情感が込められており、まさにヴァントが人生の最後に至って漸く到達し得た崇高にして清澄な境地があらわれていると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、筆者としては、本演奏こそはヴァントによる同曲の最高の名演であるとともに、ベーム&ウィーン・フィルによる演奏(1973年)や朝比奈&大阪フィルによる演奏(2001年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤が初発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わっており、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる至高の超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 23:20コメント(0)トラックバック(0)ヴァントブルックナー 

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ヴェルディのレクイエムは、いわゆる3大レクイエムの中でも最も規模が大きく劇的な要素を持った傑作である。

モーツァルトのレクイエムは、モーツァルト自身が完成させることが出来ず、他の者による加筆や編曲などがなされている。

フォーレのレクイエムは、清澄な美しさで満たされた素晴らしい名作であるが、必ずしもスケール雄大な作品とは言い難い。

その意味では、ヴェルディのレクイエムを、あらゆる作曲家のレクイエム中の最高傑作と評する識者が多いというのも十分に納得できるところだ(ブラームスのドイツ・レクイエムは、別テキストによるものであり、同列の比較から除外されていることに留意する必要がある)。

ヴェルディは、いわゆるオペラ作曲家であり、同曲も晩年の作品ということもあって、ここにはヴェルディのオペラ的な作曲技法が駆使されている。

それだけに、ヴェルディの数々のオペラを得意のレパートリーとしてきたカラヤンにとって、同曲はまさに十八番とも言える存在であったことはよく理解できるところである。

したがって、カラヤンによる同曲の録音は、本演奏に加えて、1984年のウィーン・フィルとのスタジオ録音やザルツブルク音楽祭でのライヴ録音(1958年)、そしてDVD作品など複数存在している。

1979年の来日時にもスケール雄大な名演を繰り広げたことは今や伝説となりつつあるが、カラヤンが遺した同曲の最高の演奏は、衆目の一致するところ、本盤に収められた1972年のスタジオ録音ということになるのではないだろうか。

1972年と言えば、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代であり、カラヤンにも健康不安が殆どなく、体力・気力ともに充実していた時代だ。

カラヤンが指揮するベルリン・フィルも名うてのスタープレイヤーを数多く擁する、世界最高のオーケストラを自認するベルリン・フィルとしても最高の時代であり、本演奏においても、うなりをあげるような低弦の迫力、ブリリアントなブラスセクション、雷鳴のように轟わたるティンパニなど、鉄壁のアンサンブルの下、他のオーケストラの追随を許さないような圧倒的な名演奏を展開している。

とりわけ、「怒りの日」や「くすしきラッパの音」、「みいつの大王」における強靭な響きは、途轍もない迫力を誇っている。

他方、弱音部における繊細な表現も見事であり、ダイナミックレンジの幅広さは他の演奏の追随を許さないものがある。

ウィーン楽友協会合唱団は、他の指揮者が指揮するといかにも素人と言うような凡庸な合唱に終始するきらいがあるが、終身の芸術監督であったカラヤンが指揮した本演奏においては、カラヤンへの畏敬の念もあったせいか、持ちうる実力以上の圧倒的な名唱を披露している。

カラヤンの旗本とも言うべきソプラノのミレッラ・フレーニ、そしてメゾ・ソプラノのクリスタ・ルートヴィヒの歌唱はいつもながら見事であり、テノールのカルロ・コッスッタ、バスのニコライ・ギャウロフによる圧倒的な歌唱ともども、最高のパフォーマンスを発揮している。

いずれにしても、本盤の演奏は、カラヤンによる数あるヴェルディのレクイエムの演奏の中で最高の名演であるとともに、ベルリン・フィルの演奏の凄さ、歌手陣や合唱の素晴らしさを考慮に入れると、同曲の様々な名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、1972年の録音ということもあって従来CD盤でも比較的良好な音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされるに及んで大変驚いた。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした音質の鮮明さ、合唱や独唱、オーケストラ演奏が見事に分離して聴こえる明瞭さ、音圧の凄さ、音場の拡がりのどれをとっても一級品の仕上がりであり、従来CD盤では2枚組であったものが1枚に収まるという容量の大きさなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルほかによる至高の超名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディカラヤン 

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これは素晴らしい名演だ。

昨年は、リスト・イヤーを代表する、ピアノ・ソナタロ短調を軸とした圧倒的なリスト・アルバムを世に出して、健在ぶりをアピールしたエマールであるが、本盤に収められた演奏は、エマールが最も得意とするレパートリーとも言えるドビュッシーの前奏曲集であり、そもそも演奏が悪かろうはずがない。

既に、エマールはドビュッシーのピアノ曲を2002年に映像及び練習曲を録音しており、2005年の来日時には、全曲ではなかったものの前奏曲集からいくつかの楽曲を抜粋して、名演の数々を披露してくれたことは現在でも記憶に新しいところだ。

いずれにしても、本盤に収められたドビュッシーの前奏曲集は、エマールにとって、いわゆる録音としては、ドビュッシーのピアノ曲集を収めた2枚目のアルバムということになる。

得意の楽曲だけに、まさに満を持して世に問うたアルバムということができるだろう。

それにしても、何という見事な演奏であろうか。

各旋律の尋常ならざる心の込め方には出色のものがあり、加えて、どこをとってもフランス風のエスプリ漂う独特のセンスに満たされており、これぞフランス音楽の粋とも言うべき抗し難い魅力に満ち溢れている。

個性的という意味では申し分がないが、その解釈の様相としては古色蒼然と言ったものからは程遠く、常に現代的なセンスに満たされているが、決して恣意的なアプローチに陥るということはなく、あざとさをいささかも感じさせないのが見事である。

そうした抜群のセンスを維持した中での、思い切った強弱の変化やテンポの振幅を駆使した各楽曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、おそらくは現代のあらゆるピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の演奏の中でも最高峰の一つに掲げるべき至高の高みに達している。

また、卓越した技巧と堅固な造型美は、エマールのフランス人離れした優れた美質とも言えるところであるが、前述のようなフランス風の洒落たセンスを聴かせるのにとどまらず、楽曲全体の造型美を重視した骨太の音楽づくりにおいてもいささかも不足はないところであり、これぞドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

加えて、本盤には前奏曲集の第1巻と第2巻の全曲が収められているのも聴き手にとっては大変喜ばしいものであり、前述のような演奏の素晴らしさも相俟って、筆者としては、現代のピアニストによるドビュッシーの前奏曲集の録音の中では、最も優れた至高の超名演と評価したい。

音質も2012年のスタジオ録音であり、加えてピアノ曲との相性抜群のSHM−CDだけに、十分に満足できるものと言える。

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2014年02月23日


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本盤には、プロコフィエフのポピュラリティを獲得した管弦楽曲の名曲が収められているが、演奏の素晴らしさ、録音の素晴らしさも相俟って、まさに珠玉の名CDと高く評価したい。

フェドセーエフは、近年では、同じくロシア系の指揮者である後輩のマリス・ヤンソンスやゲルギエフなどの活躍の陰に隠れて、その活動にもあまり際立ったものがないと言えるが、1980年代の後半から本盤の演奏の1990年代にかけては、当時の手兵であるモスクワ放送交響楽団とともに、名演奏の数々を成し遂げていたところである。

本盤に収められた演奏も、そうした名演奏の列に連なるものであり、フェドセーエフ&モスクワ放送交響楽団による一連の録音のなかでは、当該演奏自体は、意外にもオーソドックスなものだ。

旧ソヴィエト連邦時代のロシア人指揮者と旧ソヴィエト連邦下の各オーケストラによる演奏は、かの大巨匠ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる数々の名演を除いて、およそ洗練とは程遠いようなロシア色濃厚なアクの強いものが主流であった。

これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われるが、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

メロディアによる必ずしも優秀とは言い難い録音技術にも左右される面もあったとも言える。

ところが、旧ソヴィエト連邦の崩壊によって、各オーケストラにも西欧風の洗練の波が押し寄せてきたのではないだろうか。

本演奏におけるモスクワ放送交響楽団も、かつてのアクの強さが随分と緩和され、いい意味での洗練された美が演奏全体を支配しているとさえ言える。

もちろん、ロシア色が完全に薄められたわけではなく、ここぞという時のド迫力には圧倒的な強靭さが漲っており、これぞロシア音楽とも言うべき魅力をも兼ね合わせている。

いずれにしても、本盤の演奏は、全盛期のフェドセーエフによる、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、従来盤でも十分に良好なものであったが、今般、ついに待望のSACD化がなされることになった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フェドセーエフによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:01コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフ 

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前述したように、筆者はトスカニーニ&NBC響の《新世界より》XRCD盤を、この交響曲のほぼ理想的な再現と考えている。

しかし、トスカニーニ&NBC響に限りなく肉迫したライナー&シカゴ響の絶頂期の名演《新世界より》が、XRCD&SHM-CDで蘇ったことも我々には大きな朗報と言って良いだろう。

ライナーが残した唯一の《新世界より》は、聴き慣れた作品から新たな魅力を引き出し、音楽的な純度を際立たせるライナーの手腕が発揮された名演。

民族的な粉飾を脱し、純音楽的に極められたライナーならではの《新世界より》が聴かれる。

ドヴォルザークの音楽に特有のローカルな雰囲気を感じさせず、絶対音楽としての美しさを極めた演奏で、特にイングリッシュ・ホルンの名ソロが聴ける第2楽章の静かな美しさは、惚れ惚れするほど素晴らしい。

シカゴ響の完璧なアンサンブルと重厚で引き締まったサウンドを生かして綴られたこの演奏は、揺るぎない造型的美観や、異常なまでに張り詰めた緊迫感を特色とした怖ろしく純度の高い名演であり、そこに繰り広げられている少しの妥協もない磨き上げられた表現は、何度接しても常に新鮮な感動を授けてくれるのである。

この演奏の完成度の高さはいくら言葉で表そうとしても伝えきれない。

当時は機能的すぎるといった的外れなことを言っていた人もいたが、3チャンネル・オリジナル・マスターから最高の技術でデジタル・マスタリングされた当盤をぜひ聴いてみてほしい。

第2楽章の木管の鮮度の高い音色、弦の澄んだ響きと見事なバランス。

ライナーの要求にオケがいかにも見事に応えており、まさにトスカニーニ&NBC響に匹敵するような一糸乱れぬアンサンブルだ。

ピアニッシモも非常に美しく、これが1957年のステレオ録音だとはおよそ信じられない。

いずれにしても、ライナー&シカゴ響による同曲の超名演を、このような高音質のXRCD&SHM-CD盤で聴くことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークライナー 

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ロシア人指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系の指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような神聖な存在であると言えるが、ゲルギエフにとっても例外ではなく、これまでウィーン・フィルや手兵のマリインスキー劇場管弦楽団とともに、チャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行っているところだ。

来日公演においても、チャイコフスキーの後期3大交響曲を採り上げており、これはゲルギエフがいかに母国の大作曲家であるチャイコフスキーを崇敬しているかの証左とも言えるだろう。

しかしながら、ゲルギエフのチャイコフスキーの交響曲の録音は後期3大交響曲に限られており、初期の第1番〜第3番についてはこれまでのところ全く存在していなかったところだ。

そのような中で登場した本盤の交響曲第1番〜第3番のライヴ録音は、クラシック音楽ファンとしても待望のものと言えるだろう。

これまでのゲルギエフによるチャイコフスキーの交響曲の演奏は、旧ソヴィエト連邦崩壊後、洗練された演奏を聴かせるようになった他のロシア系の指揮者とは一線を画し、かのスヴェトラーノフなどと同様に、ロシア色濃厚なアクの強いものであった。

そのような超個性的なゲルギエフも、本盤の演奏においては、洗練とまでは言えないが、いい意味で随分と円熟の境地に入ってきたのではないだろうか。

随所における濃厚な表情付け(特に、交響曲第3番第1楽章)や効果的なテンポの振幅の駆使は、ゲルギエフならではの個性が発揮されているが、前述のウィーン・フィルやマリインスキー劇場管弦楽団との演奏とは異なり、いささかもあざとさを感じさせず、音楽としての格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

ここぞと言う時の強靭な迫力や、畳み掛けていくような気迫や生命力においても不足はないが、それらが音楽の自然な流れの中に溶け込み、ゲルギエフならではの個性を十二分に発揮しつつ、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏に仕上がっているのは、まさにゲルギエフの指揮者としての円熟の成せる業と評価しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の交響曲第1番〜第3番の各演奏は、ラトルやマリス・ヤンソンス、パーヴォ・ヤルヴィと並んで現代を代表する指揮者であるゲルギエフの円熟、そしてチャイコフスキーへの崇敬を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、今後、続編として発売されるであろう後期3大交響曲の演奏にも大いに期待したい。

また、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、ゲルギエフ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 07:07コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーゲルギエフ 

2014年02月22日


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小林研一郎は必ずしもレパートリーが広い指揮者とは言い難いが、その数少ないレパートリーの中でもチャイコフスキーの交響曲は枢要な地位を占めている。

とりわけ、交響曲第5番は十八番としており、相当数の録音を行っているところである。

エクストンレーベル(オクタヴィア)に録音したものだけでも、本盤のチェコ・フィルとの演奏(1999年)をはじめとして、日本フィルとの演奏(2004年)、アーネム・フィルとの演奏(2005年)、アーネム・フィル&日本フィルの合同演奏(2007年)の4種の録音が存在している。

小林研一郎は、同曲を得意中の得意としているだけにこれらの演奏はいずれ劣らぬ名演であり、優劣を付けることは困難を極めるが、筆者としては、エクストンレーベルの記念すべきCD第1弾でもあった、本盤のチェコ・フィルとの演奏を随一の名演に掲げたいと考えている。

小林研一郎の本演奏におけるアプローチは、例によってやりたいことを全てやり尽くした自由奔放とも言うべき即興的なものだ。

同じく同曲を十八番としたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるやや速めの引き締まったテンポを基調する峻厳な名演とは、あらゆる意味で対極にある演奏と言えるだろう。

緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、アッチェレランドやディミヌエンドの大胆な駆使、そして時にはポルタメントを使用したり、情感を込めて思い入れたっぷりの濃厚な表情づけを行うなど、ありとあらゆる表現を駆使してドラマティックに曲想を描き出している。

感情移入の度合いがあまりにも大きいこともあって、小林研一郎のうなり声も聴こえてくるほどであるが、これだけやりたい放題の自由奔放な演奏を行っているにもかかわらず、演奏全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、まさに圧巻の驚異的な至芸とも言えるところだ。

これは、小林研一郎が同曲のスコアを完全に体得するとともに、深い理解と愛着を抱いているからに他ならない。

小林研一郎の自由奔放とも言うべき指揮にしっかりと付いていき、圧倒的な名演奏を繰り広げたチェコ・フィルにも大きな拍手を送りたい。

中欧の名門オーケストラでもあるチェコ・フィルは、弦楽合奏をはじめとしてその独特の美しい音色が魅力であるが、本演奏においても、小林研一郎の大熱演に適度の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、小林研一郎のドラマティックな大熱演とチェコ・フィルによる豊穣な音色をベースとした名演奏が見事に融合した圧倒的な超名演と高く評価したい。

なお、併録のスラヴ行進曲は、どちらかと言うと一気呵成に聴かせる直球勝負の演奏と言えるが、語り口の巧さにおいても申し分がないと言えるところであり、名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、エクストンレーベル第1弾として発売された際には通常CDでの発売であり、それは現在でも十分に満足できるものと言える。

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classicalmusic at 23:16コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー小林 研一郎 

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マイスキーは、ロストロポーヴィチが亡き現在においては、その実力と実績に鑑みて世界最高のチェリストであることは論を待たないところだ。

マイスキーは、チェロ協奏曲の最高傑作であるドヴォルザークのチェロ協奏曲を2度録音している。最初の録音はバーンスタイン&イスラエル・フィルとの演奏(1988年)であり、2度目が本盤に収められたメータ&ベルリン・フィルとの演奏(2002年)ということになる。

これら2つの演奏はいずれ劣らぬ名演であるが、その演奏の違いは歴然としていると言えるだろう。

両演奏の間には14年間の時が流れているが、それだけが要因であるとは到底思えないところだ。

1988年盤においては、もちろんマイスキーのチェロ演奏は見事であり、その個性も垣間見ることが可能ではあるが、どちらかと言うと、バーンスタインによる濃厚な指揮が際立った演奏と言えるのではないだろうか。

晩年に差し掛かったバーンスタインは、テンポが極端に遅くなるとともに、濃厚な表情づけの演奏を行うのが常であったが、当該演奏でもそうした晩年の芸風は健在であり、ゆったりとしたテンポによる濃厚な味わいの演奏を展開していると言える。

マイスキーは、そうしたバーンスタイン&イスラエル・フィルが奏でる濃厚な音楽の下で、渾身の名演奏を繰り広げているが、やはりそこには自らの考える音楽を展開していく上での限界があったと言えるのではないかと考えられるところだ。

そのようなこともあって、当該演奏の14年後に再録音を試みたのではないだろうか。

それだけに、本演奏ではマイスキーの個性が全開しており、卓越した技量を駆使しつつ、重厚で骨太の音楽が構築されているのが素晴らしい。

いかなる難所に差し掛かっても、いわゆる技巧臭が感じられないのがマイスキーのチェロ演奏の素晴らしさであり、どのフレーズをとっても人間味溢れる豊かな情感がこもっているのが見事である。

同曲特有の祖国チェコへの郷愁や憧憬の表現も万全であり、いい意味での剛柔バランスのとれた圧倒的な名演奏を展開している。

メータ&ベルリン・フィルも、かかるマイスキーのチェロ演奏を下支えするとともに、マイスキーと同様に、同曲にこめられたチェコへの郷愁や憧憬を巧みに描出しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、マイスキーの個性と実力が如何なく発揮された至高の名演と高く評価したい。

併録のR・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」も素晴らしい名演だ。

本演奏でのマイスキーは、重厚な強靭さから、繊細な抒情、そして躍動感溢れるリズミカルさなど、その表現の幅は桁外れに広く、その凄みのあるチェロ演奏は我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力と説得力を有していると言えるだろう。

タベア・ツィンマーマンのヴィオラ演奏も見事であり、メータ&ベルリン・フィルも、持ち得る実力を十二分に発揮した名演奏を展開している。

R・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」には、ロストロポーヴィチがチェロ独奏をつとめたカラヤン&ベルリン・フィルによる超弩級の名演(1975年)が存在しているが、本演奏もそれに肉薄する名演と高く評価したい。

音質は、2002年のライヴ録音であり、従来盤でも十分に満足できるものである。

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カラヤンは20世紀後半を代表する指揮者として最高の実力と人気を誇っていた。

そのカラヤンの指揮者としての魅力を最もわかりやすい姿で伝えているのがこのブラームスの《第2》である。

特に旧全集の録音である1963年のブラームス演奏は、後のカラヤンとは異なって、実に新鮮であり、筆者がこれまで聴いた《第2》の中でも最高のCDのひとつである。

ブラームスの作品演奏で最も肝心なことはアンサンブルの精妙さである。

細大漏らさずテクスチュアを明確に彫琢し、旋律の美しさを浮き彫りにするだけでなく、その構造的な造形をも浮かび上がらせなければならない。

この点でカラヤンは非凡さをみせている。

また、《第2》は演奏解釈次第でいくらでも明るく精彩に富んだ響きを出せるが、それよりも主題旋律の流麗さや、響きの透明度を優先させて美しい音楽に仕立てている。

カラヤンは、日本でもしばしばこの《第2》を振っているが、そのいずれもがこの曲の構成美に主眼をおいた巧みな演出が見事だった。

そしてベルリン・フィルの名人芸がそれを衒いなく聴かせるのが第4楽章のフィナーレである。

《第3》は、カラヤンが徹底して追求した彫琢された響きと表現が見事に達成された演奏のひとつだろう。

強靭な表現意欲をみなぎらせ、速めのテンポで運ぶ演奏は、やや息苦しさをおぼえるほどだが、この曲のヒロイックな性格と甘美な叙情を鮮やかに浮き彫りにしている。

弦楽と木管と金管の音色コントラストがはっきりと生かされ、それでいて全体の響きのバランスへの配慮はカラヤンならではのもの。

広大な広がりと奥行きの深いスケールの大きな演奏となっている。

とくにホルン、オーボエ、クラリネットが絶妙な表情を醸す。

細部をゆるがせにしない構築感に支えられた、覇気溢れるカラヤンの指揮は、このブラームス作品の規範的な演奏を提示したものといえるアルバムである。

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2014年02月21日


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まさに強烈無比な演奏だ。

フルトヴェングラーはトスカニーニによるベートーヴァンの交響曲の演奏を指して、「無慈悲なまでの透明さ」と評したとのことであるが、従来CD盤のような劣悪な音質で本演奏を聴く限りにおいては、そうした評価もあながち外れているとは言えないのかもしれない。

ドヴォルザークの交響曲第9番と言えば、米国の音楽院に赴任中のドヴォルザークのチェコへの郷愁に満ち溢れた楽曲であるだけに、チェコの民族色溢れる名旋律の数々を情感豊かに歌い抜いた演奏が主流であると言えるが、トスカニーニは、そうした同曲に込められたチェコの民族色豊かな味わいなど、殆ど眼中にないのではないかとさえ考えられるところだ。

演奏全体の造型はこれ以上は求め得ないほどの堅固さを誇っており、その贅肉を全て削ぎ落としたようなストレートな演奏は、あたかも音で出来た堅牢な建造物を建築しているような趣きすら感じさせると言えるだろう。

そして、速めのテンポを基調とした演奏の凝縮度には凄まじいものがあり、前述のように音質が劣悪な従来CD盤で聴くと、素っ気なささえ感じさせる無慈悲な演奏にも聴こえるほどだ。

しかしながら、音質については後述するが、本XRCD盤で聴くと、各フレーズには驚くほど細やかな表情づけがなされているとともに、チェコ風の民族色とはその性格が大きく異なるものの、イタリア風のカンタービレとも言うべき歌心が溢れる情感が込められているのがよく理解できるところであり、演奏全体の様相が強烈無比であっても、必ずしも血も涙もない無慈悲な演奏には陥っていない点に留意しておく必要があるだろう。

そして、このようなトスカニーニの強烈無比な指揮に、一糸乱れぬアンサンブルを駆使した豪演を展開したNBC交響楽団の卓越した技量にも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本演奏は、トスカニーニの芸風が顕著にあらわれるとともに、ドヴォルザークの交響曲第9番を純音楽的な解釈で描き出した演奏としては、最右翼に掲げられる名演と高く評価したい。

音質については、従来CD盤が様々なリマスタリングやK2カッティングなどが行われてきたところであるが、前述のようにいずれも劣悪な音質で、本演奏の真価を味わうには程遠いものであった。

トスカニーニ=快速のインテンポによる素っ気ない演奏をする指揮者という誤った見解を広めるには格好の演奏であったとさえ言えるところだ。

ところが、本XRCD盤の登場によって、ついに本演奏の真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。

音質の鮮明さ、臨場感、音圧の凄まじさのどれをとっても、従来CD盤とは別格の高音質であり、トスカニーニの演奏が、決して無慈悲な演奏ではなく、各フレーズにどれほどの細やかな表情づけが行われているのか、そして情感が込められているのかを理解することが漸く可能になったと言えるところだ。

いずれにしても、本XRCD盤は、トスカニーニの演奏に関する前述のような誤解を解くに当たっても大変意義の大きいものであり、トスカニーニによる同曲の圧倒的な名演を、このような高音質のXRCD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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フルトヴェングラーにとって音楽とは、古典主義とその末裔たるロマン主義こそ唯一絶対の頂点で、この絶対主義に同調できない友人には、絶交をその場で申し出たことも、若いころにはたびたびあったそうである。

この絶対主義の理念こそが、フルトヴェングラーのシューマン演奏を、他の演奏家による演奏が及ぶべくもない、比類なきものにしたといえないだろうか。

シューマンは、同時期に3つの「弦楽四重奏曲」も完成させている。

どちらの分野にしろ、これらの作品のチャンピオンはベートーヴェンで、当然シューマン自身、ベートーヴェンを意識して作曲したのであろう。

フルトヴェングラーのベートーヴェン絶対主義こそ、シューマンの演奏を、ベートーヴェンが築き上げた交響曲の高みへと少しでも近づけようとした営みだったといえないだろうか。

この演奏に耳を傾ければ、誰しもすぐそこにベートーヴェンの音楽があると合点するだろう。

ベートーヴェンとの距離の遠近をそれほど意識させずに、ベートーヴェンの後期の作品を聴いているような高みへと誘う演奏こそ、フルトヴェングラーとルシアン・カペーにしかできなかったのではなかろうか。

この2人の芸術家ほど、そのベートーヴェン信仰を生涯貫いた人物はいない。

この録音は第4番がベルリン・フィル、第1番がウィーン・フィルとの演奏であるが、フルトヴェングラーは「僕の結婚相手はベルリン・フィルだよ。でも、ウィーン・フィルは僕の恋人なんだ。だから離れるわけにはいかんのさ」と述べている。

カラヤンもそうだったが、この世界を代表する2大オーケストラを曲によって使い分けられることは指揮者にとってなんと幸せで恵まれていることだろう。

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現代を代表するワーグナー指揮者バレンボイムの能力がフルに生かされた名演といえよう。

ワーグナー指揮者としてすっかり名声を確立した感のあるバレンボイムだが、彼が主要十作品のうちもっとも古くから指揮してきたのが《トリスタンとイゾルデ》である。

この音楽がもつ大きなうねり、そこから生まれる陶酔感をこれほど大胆に表現できる指揮者は現役では他に見当たらない。

それは彼が幼い頃から敬愛するフルトヴェングラーの精神を現代に受け継ぐものといえるだろう。

フルトヴェングラーを心から尊敬するというバレンボイムは、その精神を受け継ぎ、きわめてスケールが大きく、しかも現代的な精密さをあわせもった音楽を聴かせる。

フルトヴェングラーを忘れさせる、というほどでなくても、ここにはまぎれもなく現代の《トリスタン》が響いている。

ベルリン・フィルもそうした指揮者の要求に的確に反応し、オペラで普段演奏するオーケストラとは一味違った、いつになく熱気に満ちあふれた、精妙かつ熱い音楽を奏でている。

第1幕の幕切れ、第2幕の愛の二重唱など、これこそワーグナーを聴く醍醐味という印象。

イゾルデのマイヤーは、まだソプラノに転向した直後で、まだソプラノの役に挑んで日が浅かったため、今の彼女ほどの水準の素晴らしさはないとはいえ、その豊かな艶をたたえた深々とした声はきわめて魅力的。

トリスタンのイェルザレムも彼の最良の歌唱を聴かせている。

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この交響曲の演奏はむずかしい。

オーヴァーヒートしがちで、マクベスの科白ではないが、「無意味な叫喚と怒号」に終わりかねない。

この曲は時間の冷酷な進行への強迫観念を基本に、強気と不安、期待と絶望に揺れ、限られた時間のなかで人間はいかに生くべきかを問うている。

バルビローリはその核心に突き入っており、死の予感があってこそ、生の尊さに思い当る。

死の恐怖に負けるか、それとも生を慈しむよろこびを知るかという二者択一を前にして、つかの間でも生きる幸せ(第2楽章)を味わったものは、死を大らかな気持ちで受け入れられる。

だから終楽章の最後のとどめの一撃も、けっして無残な挫折ではなく、自己納得のひびきが聴きとれる。

なお、この演奏では、初演にしたがって、第2楽章と第3楽章が通常とは逆に配置されている。

シュトラウスはナチスの罪について恐ろしく無自覚だったそうだが、そういう事情を知ってしまうと、《メタモルフォーゼン》にこめられたという「祖国ドイツから失われゆく美への惜別」なる解釈が嘘くさくなってくる。

単なる"音の美食"ではないのか?

しかしバルビローリの演奏で聴く時だけは作曲家その人への疑念を超える普遍的な、魂の痛切な思いが突き刺さってくる。

バルビローリがこの録音を残しておいてくれたことに感謝したいと思う。

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classicalmusic at 00:52コメント(0)トラックバック(0)バルビローリマーラー 

2014年02月20日


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この交響曲を音楽による登山日記だと思ってナメてはいけない。

この曲は当初、《アンチ・クリスト―アルプス交響曲》と名づけられていた。

つまり、ニーチェの思想「キリストは死んだ」ので、そんな死んだ神よりも自然を信仰しよう、みたいな観念的なニュアンスが付け加えられたわけだ。

ところがシュトラウス、やたらと描写が細かくじつにリアルなので、その作品に込められた主義主張はどこへやら。なんだかんだ、極上の登山日記になっているのである。

演奏家によって、どんな山なのか、そしてそれを待ち受けているものは何?という違いを聴き取るのが楽しい曲である。

筆者はシノーポリ盤をかなり面白く聴くことができた。

情報量がとんでもなく多い。しかも多いだけでなく、さりげなく擬音的に響く木管の不気味さといったら。

そして大編成のオーケストラが鳴りに鳴る。冒頭の夜から日の出を迎えるシーンは驚天動地の世界だ。

やたらと広大で、やたらに細かい、やたらと有機的で、やたらに人工的、聴き手の遠近感を狂わせてしまう演奏なのだ。

ぞくぞくするような冷淡な部分もある。山道に迷って氷河にたどり着く場面、そして悲歌の部分の翳り方はふつうではない。

浮き沈みが非常に激しいのだ。クスリや死を意識したことで、精神が過敏になったまま接したような自然がある。

この演奏を聴くと、登山日記を越えたもっと鬼気迫るものを筆者は感じてしまうのである。

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classicalmusic at 23:03コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスシノーポリ 

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様々な意見はあろうかとも思うが、アルゲリッチこそは史上最高の女流ピアニストと言えるのではないだろうか。

かつてのリリー・クラウスやクララ・ハスキル、近年では、ピリスや内田光子、メジューエワ、グリモー、アリスなど、綺羅星のごとく輝く女流ピアニストが数々の名演を遺してはいるが、それでもアルゲリッチの王座を脅かす存在はいまだ存在していないのではないかと考えられる。

昨年5月末に発売されたオリヴィエ・ベラミー著の「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」によると、アルゲリッチは日本、そして日本人を特別に愛してくれているということであり、我が国において数々のコンサートを開催するのみならず、別府音楽祭を創設するなど様々な活動を行っているところだ。

アルゲリッチには、今後も様々な名演を少しでも多く成し遂げて欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。

本盤には、アルゲリッチが1960年代にスタジオ録音したショパンの有名曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演だ。

いずれの演奏においても、ショパン国際コンクールの覇者として、当時めきめきと頭角をあらわしつつあったアルゲリッチによる圧倒的なピアニズムを堪能することが可能である。

アルゲリッチのショパンは、いわゆる「ピアノの詩人」と称されたショパン的な演奏とは言えないのかもしれない。

持ち前の卓越した技量をベースとして、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅広さを駆使しつつ、変幻自在のテンポ設定やアッチェレランドなどを織り交ぜて、自由奔放で即興的とも言うべき豪演を展開している。

ある意味では、ドラマティックな演奏ということができるところであり、他のショパンの演奏とは一味もふた味もその性格を大きく異にしているとも言えるが、それでいて各フレーズの端々からは豊かな情感が溢れ出しているところであり、必ずしも激情一辺倒の演奏に陥っていない点に留意しておく必要がある。

そして、アルゲリッチのピアノ演奏が素晴らしいのは、これだけ自由奔放な演奏を展開しても、いささかも格調の高さを失うことがなく、気高い芸術性を保持しているということであり、とかく感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥りがちなショパン演奏に、ある種の革新的な新風を吹き込んだのではないだろうか。

そのような意味において、本盤の演奏は、今から40年以上も前の録音であるにもかかわらず、現在においてもなお清新さをいささかも失っていないと評価したい。

音質については、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質であったが、今般発売されたシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでとは次元の異なる圧倒的な高音質に生まれ変わった。

いずれにしても、アルゲリッチによる清新な超名演を、現在望み得る最高の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ショパンアルゲリッチ 

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これは素晴らしい名演だ。

インバルは、我が国の手兵とも言える存在である東京都交響楽団とともに既にマーラーやブルックナーの交響曲の数々の名演を遺しているが、それらの名演にも増して優れたショスタコーヴィチの交響曲の圧倒的な名演の登場と言えるだろう。

インバルは、ショスタコーヴィチの交響曲第5番を、フランクフルト放送交響楽団(1988年)、ウィーン交響楽団(1990年)の2度にわたって録音しており、本盤の演奏は3度目となる同曲の録音ということになるが、過去の2つの名演を大きく凌駕する圧倒的な超名演だ。

ウィーン交響楽団との演奏は、解釈としては申し分のないもののオーケストラの力量に若干の問題があり、インバルによる同曲のこれまでの代表的な演奏ということになれば、フランクフルト放送交響楽団との演奏というのが通説である。

しかしながら、フランクフルト放送交響楽団との演奏から本演奏に至るまでの23年の歳月は、インバルという指揮者の芸風に多大なる深化をもたらしたと言っても過言ではあるまい。

何よりも、楽曲に対する追求度が徹底しており、そもそも演奏のものが違うという印象だ。

一聴すると何でもないようなフレーズでも、よく聴くと絶妙なニュアンスに満ち溢れており、演奏の濃密さには出色のものがあるとさえ言える。

フランクフルト放送交響楽団との演奏では、その当時のインバルの芸風の特色でもあるが、テンポの変化なども最小限に抑えられるなどやや抑制的な解釈であったが、本演奏においては、随所に効果的なテンポの変化を施すなど、インバルの個性が余す所なく発揮されている。

それでいて、いささかもあざとさを感じさせることはなく、加えて演奏全体の造型が弛緩することなど薬にしたくもない。

まさに、楽曲の心眼への徹底した追求と効果的なテンポの変化を駆使した個性的な解釈、加えて演奏全体としての造型美など、同曲の演奏に求め得るすべての要素が備わったまさに稀有の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

これほどの高水準の演奏を成し遂げるに至ったインバルという指揮者の偉大さを大いに感じるとともに、今後のインバル&東京都交響楽団という稀代の名コンビによるショスタコーヴィチの交響曲演奏の続編を大いに期待したい。

音質も素晴らしい。

すべての楽器の演奏が明瞭に分離して聴こえるのは、SACDによる高音質録音による最大の成果とも言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、インバル&東京都交響楽団による圧倒的な名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:46コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチインバル 

2014年02月19日


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濃厚な情念が大爆発した第6番の凄まじい演奏をはじめ興味深い演奏が揃った全集である。

マーラーならではのオーヴァー・アクション的要素が、スヴェトラーノフの場合、まさにツボにはまった状態でサウンドに結実しており、そのブラス・セクションと打楽器セクションの織り成す嵐のような轟然とした大音響には誰もが圧倒されること請け合いだ。

特に前述の第6番は強烈で、個性的な演奏の揃ったスヴェトラーノフのディスクの中でも随一と言ってよいその思い切ったド迫力ぶりは、極端な演奏の多いこの巨匠のディスコグラフィの中にあっても最高峰と言いたくなる激しさにあふれかえっており、作品の志向するカタストローフの表現という点でも文句なしの暴れ放題。

その音の凶暴さには、スヴェトラーノフがロシア国立交響楽団を指揮したときにのみ立ちあらわれるアウラのようなものすら感じられ、改めてこのコンビのグレートな力技に感謝したくなる。

その他の作品も、すべてスヴェトラーノフ流儀に解釈されたユニークなアプローチが面白く、気品やバランスといった西側的な価値観など一顧だにしない潔さがファンには堪らない。

このように爆演の印象が強いスヴェトラーノフであるが、そればかりをこの全集に求めている人は肩透かしを喰うだろう。

テンポもそれぞれの楽器の音の出し方も最高であり、とりわけ土臭いこのオケがいい味を出している(特に管の荒々しさや粘り)。

しんみりと聴かせるところも完璧にスヴェトラーノフ流で、ラフマニノフの交響曲に通じるものがあり、面白い。

ありきたりでなく非凡で完成度の高い演奏で、理論的よりも直感的マーラーの一篇と言えよう。

マーラーの演奏は色々な演奏者によるものを聴いてきたが、ロシアの指揮者のマーラーでは、コンドラシンよりも円熟味があると言えるところであり、さらに素晴らしい出来だと思う。

そしてこのマーラー・シリーズの白眉は何と言っても第10番のアダージョ。

これこそ真実のマーラーの音楽であり、かつスヴェトラーノフ以外の何物でもない。

しっとりした弦楽器が美しく、その32分に及ぶ感動はほかに類を知らない。

これまでの演奏でマーラーに何かが足りないと感じていた人は一聴の価値ありで、こんな表現方法もあったのかと思わず驚くマーラーの交響曲全集である。

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classicalmusic at 23:39コメント(0)トラックバック(0)マーラースヴェトラーノフ 

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いつも当ブログに記していることであるが、ハイドンの交響曲演奏の主流がピリオド楽器による古楽器奏法などになりつつあることもあって、最近ではハイドンの交響曲がコンサートの演目になかなかあがりづらい状況になりつつあるのは、作品の質の高さからしても大変残念なことである。

そのような中で、今をときめくヤンソンスが、バイエルン放送交響楽団を指揮して、ハイドンの「ロンドン」と「軍隊」という、交響曲の2大傑作をライヴ収録したのはそれ自体歓迎すべきことである。

当然のことながら、重厚でシンフォニックな演奏を期待したが、いささかその期待を裏切られることになった。

意外にも、演奏が軽快にすぎるのである。

「ロンドン」の序奏部からして、音の重心がいかにも軽い。

要するに、心にずしっと響いてくるものが少ない。

主部に入ってからも、軽やかさは持続しており、もしかしたら、ヤンソンスは、最近のハイドン演奏の風潮を意識しているのかもしれないとの思いがよぎった。

大オーケストラを指揮しているのに、それはかえすがえすも残念なことである。

ヤンソンスは、すべての繰り返しを実行しているが、それならば、演奏においても、もっと大編成のオーケストラを生かした重厚な演奏を期待したかった。

「軍隊」は、「ロンドン」と比較すると、曲自体の性格もあって、このような軽快な演奏でも比較的心地よく耳に入れることができた。

いずれも決して悪い演奏ではないのだが、期待が大きかった分、いささか残念なCDであったと言わざるを得ない。

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これは、セル&クリーヴランド管弦楽団の全盛期の演奏の凄さを味わうことが可能な圧倒的な名演だ。

セルは、先輩格である同じくハンガリー出身のライナーや、ほぼ同世代のオーマンディとともに、自らのオーケストラを徹底的に鍛え抜き、オーケストラに独特の音色と鉄壁のアンサンブルを構築することに成功した。

ライナーやオーマンディが、シカゴ交響楽団やフィラデルフィア管弦楽団という、もともと一流のオーケストラを鍛え上げていったのに対して、クリーヴランド管弦楽団はセルが就任する前は二流のオーケストラであったことからしても、セルの類稀なる統率力を窺い知ることが可能だ。

セルの薫陶によって鍛え抜かれたクリーヴランド管弦楽団は、すべての楽器セクションがあたかも一つの楽器のように聴こえるほどの精緻なアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称されるほどであった。

もっとも、演奏があまりにも正確無比であることから、その演奏にある種のメカニックな冷たさを感じさせるという問題点もあったとは言えるが、少なくとも演奏の完成度という意味においては、古今東西の様々な指揮者による演奏の中でもトップの座を争うレベルに達しているのではないかと考えられるところだ。

本盤には、ロッシーニの序曲集やオーベールの歌劇「フラ・ディアヴォロ」序曲、そしてベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」が収められているが、いずれも全盛期のこの黄金コンビの演奏の完全無欠ぶりを味わうことが可能だ。

その演奏の鉄壁さにおいては、かのカラヤン&ベルリン・フィルの演奏をも凌駕するほどであり、聴き手はただただ演奏の凄さに驚嘆するのみである。

交響曲などの大曲であれば、前述のようなある種のメカニックな冷たさなどが露呈するきらいもないわけではないが、本盤のような小品集の場合は、かかるセルの演奏の欠点などは殆ど気になるほどのものではないと言える。

ロッシーニの序曲集の選曲に際して、有名な歌劇「セビリアの理髪師」序曲や歌劇「ウィリアム・テル」序曲を録音しなかったのは残念とも言えるが、それでも本盤に収録されたその他の序曲は圧倒的な名演であり、あまり贅沢は言えないのではないかと考えられる。

音質は、1957〜1967年にかけてのスタジオ録音であり、録音年代がやや古いこともあって、従来盤は今一つ冴えないものであったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるSACD盤(当盤)は、これまでの従来盤のいささか劣悪な音質を一新するような、途轍もない鮮明な高音質に生まれ変わったと言える。

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2014年02月18日


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ラフマニノフの交響曲第2番は、近年ではきわめて人気のある作品である。

そして、プレヴィンやアシュケナージ、マゼール、エド・デ・ワールト、デュトワ、ヤンソンスなど、様々な指揮者によって同曲のCDがいくつも誕生するに至っている。

これらはいずれも素晴らしい名演であり、客観的な視点で評価すると、プレヴィンの新盤が随一の名演との評価に値すると思われるが、好き嫌いで言うと、筆者が最も好きな同曲の演奏は、本盤に収められたスヴェトラーノフによる録音である。

本盤に収められた演奏は、おそらくは同曲の演奏史上でも最もロシア的な民族色の濃い個性的な演奏と言えるのではないだろうか。

トゥッティにおける咆哮する金管楽器群の強靭な響き、あたりの空気が震撼するかのような低弦の重々しい響き、雷鳴のように轟くティンパニ、木管楽器やホルンの情感のこもった美しい響きなどが一体となり、これ以上は求め得ないようなロシア風の民族色に満ち溢れた濃厚な音楽の構築に成功している。

その迫力は圧倒的な重量感を誇っており、あたかも悠久のロシアの広大な大地を思わせるような桁外れのスケールの雄大さを誇っている。

このように凄まじいまでの強靭な迫力と熱き情感に満ち溢れているのであるが、一例を掲げると有名な第3楽章。

スヴェトラーノフは、本楽章を17分という途轍もなく遅いテンポで、ラフマニノフによる最美の名旋律を渾身の力を込めて徹底的に歌い抜いている。

その濃厚の極みとも言うべき熱き情感のこもった歌い方は、いささかの冗長さも感じさせることなく、いつまでもその音楽に浸っていたいと思わせるほどの極上の美しさを湛えている。

スヴェトラーノフは、1960年代にも、ロシア国立交響楽団の前身であるソヴィエト国立交響楽団を指揮して同曲をスタジオ録音しており、それも名演の名には値すると思うが、演奏全体の完成度や彫りの深さと言った点において、本盤に収められた演奏には到底敵し得ないと考える。

いずれにしても、スヴェトラーノフによる当該名演は、一般的には評価の遡上にすら掲げられることがないものであると言える。

しかしながら、スヴェトラーノフによる本盤の演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧倒的な迫力と濃密な内容を誇っていると言えるところであり、筆者としては、かのプレヴィンの新盤にも比肩する名演と高く評価したいと考える。

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ネット配信が隆盛期を迎えパッケージメディアの権威が失墜しつつある中で、一時は絶滅の危機に瀕していたSACDが、一昨年あたりから息を吹き返しつつあるようである。

というのも、SACDから撤退していた大手のユニバーサルがシングルレイヤーによるSHM−CD仕様のSACDの発売に踏み切るとともに、本年からはEMIがSACDの発売を開始したからである。

これには、オクタヴィアやESOTERICなどの国内レーベルがSACDを発売し続けてきたことが大きいと思うが、いずれにしても、今後とも過去の大指揮者による名演を可能な限りSACD化して、少しでもかつてのパッケージメディア全盛期の栄光を取り戻していただきたいと心より願っているところだ。

そして、今般、大指揮者の歴史的な来日公演のCD化に積極的に取り組んできたアルトゥスレーベルが、ついにSACDの発売を開始したのは、かかる昨年来の好ましい傾向を助長するものとして大いに歓迎したい。

本盤に収められたベルリオーズの幻想交響曲は、クリュイタンスの十八番とも言うべき楽曲である。

本演奏の6年前にもフィルハーモニア管弦楽団とともにスタジオ録音(1958年)を行っており、それはクリュイタンスならではのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいの名演であった。

ところが、本演奏においては、クリュイタンスは1958年盤とは別人のような指揮ぶりである。

来日時のコンサートでのライヴということもあると思うが、これは爆演と言ってもいいような圧倒的な高揚感を発揮していると言えるだろう。

どこをとっても凄まじいまでの気迫と強靭な生命力が漲っており、切れば血が噴き出てくるような灼熱のような指揮ぶりである。

とりわけ、終楽章においては、トゥッティに向けて畳み掛けていくような猛烈なアッチェレランドを駆使しており、その圧巻の迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

それでいて、とりわけ第2楽章や第3楽章などにおいて顕著であるが、パリ音楽院管弦楽団の各奏者による名演奏も相俟って、この指揮者ならではのフランス風のエスプリ漂う洒落た味わいに満ち溢れている。

いずれにしても本演奏は、我々が同曲の演奏に求めるすべての要素を兼ね備えた至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

併録の2曲は当日のアンコールであるが、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」からの抜粋である古い城は濃厚なロマンティシズムを感じさせる名演であり、ビゼーの組曲「アルルの女」からの抜粋であるファランドールに至っては、金管楽器の最強奏などによりとてつもない音塊が迫ってくるような壮絶な演奏であり、そのド迫力に完全にノックアウトされてしまった。

そして、このような歴史的な超名演を心行くまで満喫させてくれるのが、今般のシングルレイヤーによるSACDによる極上の高音質である。

既に、アルトゥスから発売されていた従来盤と比較すると、そもそも次元の異なる鮮明な高音質に生まれ変わった。

いずれにしても、かかる歴史的超名演を現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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1999年、プラハの春音楽祭、オープニング・コンサートでのライヴ録音。

スメタナの交響詩「わが祖国」はチェコ音楽の一丁目一番地とも言える国民的作品。

それだけに、チェコ・フィルにとっても名刺代わりの作品であり、累代の常任指揮者や錚々たる客演指揮者などがこぞって同曲を録音してきた。

かつてのターリッヒをはじめ、アンチェル、クーベリック、ノイマンなどの大指揮者の名演は燦然と輝いているし、小林研一郎などによる個性的な名演も記憶に新しいところだ。

こうした個性的な名演の中で、いぶし銀とも言うべき渋い存在感を有している名演こそが、本盤に収められたマッケラスとの録音である。

マッケラスは実力の割には必ずしも華々しい経歴を有しているとは言えないが、1996年から1997年のシーズンにはチェコ・フィルの首席客演指揮者を務めた。

今では、ヤナーチェクのエクスパートという印象ばかりが強いとさえ言えるが、本演奏は、そうした地味な存在であったマッケラスの実力を窺い知ることが可能な稀代の名演奏であると言っても過言ではあるまい。

本演奏も、マッケラスの華麗とは言い難い経歴を表しているかのように、華麗さとは無縁の一聴すると地味な装いの演奏である。

テンポもどちらかと言うとやや速めであり、重々しさとも無縁だ。

しかしながら、各フレーズに盛り込まれたニュアンスの豊かさ、内容の濃さ、そして彫りの深さには尋常ならざるものがあり、表面上の美しさだけを描出した演奏にはいささかも陥っていない。

そして、マッケラスも、同曲の込められた愛国的な情熱に共感し、内燃する情熱を傾けようとはしているが、それを直截的に表現するのではなく、演奏全体の厳しい造型の中に封じ込めるように努めているところであり、そうした一連の葛藤が、本演奏が、一聴すると地味な装いの中にも、細部に至るまで血の通った内容の豊かな演奏になり得ているのかもしれない。

加えて、本演奏で優れているのは、演奏全体に漂っている格調の高さ、堂々たる風格である。

同曲は、チェコの民族色溢れる名旋律の宝庫であるが、マッケラスは、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な美しさを保ちつつ、まさに大人の風格を持ってニュアンス豊かに描き出していく。

これぞ、まさしく巨匠の至芸と言うべきであり、累代の常任指揮者による同曲の名演と比較しても、いささかも遜色のない名演に仕上がっていると評しても過言ではあるまい。

録音も、盤によってはかさついて聴こえるチェコ・フィルであるが、ここでは柔らかな音色が非常に美しく捉えられている。

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classicalmusic at 00:45コメント(0)トラックバック(0)スメタナ 

2014年02月17日


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バーンスタインはホルストの組曲『惑星』を一度だけスタジオ録音している。

バーンスタインは、晩年に自らのレパートリーの再録音をDGに数多く行ったことから、もう少し長生きしていれば同曲の再録音をウィーン・フィルなどと行った可能性もあるが、晩年の芸風に鑑みれば、再録音が実現することが果たして良かったかどうかは疑問であるとも言える。

というのも、バーンスタインの晩年の演奏は、表情づけは濃厚の極みになるとともに、テンポは異常に遅くなったからだ。

マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲については、かかる晩年の芸風が曲想に見事に符号し、圧倒的な超名演の数々を成し遂げるのに繋がったが、その他の大半の楽曲、とりわけ独墺系以外の作曲家の作品については、例えばチャイコフスキーの交響曲第6番、ドヴォルザークの交響曲第9番、シベリウスの交響曲第2番など、箸にも棒にもかからない凡演を繰り返したところである。

ところが、バーンスタインがニューヨーク・フィルの芸術監督をつとめていた1970年までは、こうした晩年の大仰な演奏とは別人のような演奏を行っていた。

良く言えば、躍動感溢れる爽快な演奏、悪く言えばヤンキー気質丸出しの底の浅い演奏。

もっとも、バーンスタインらしさという意味では、この当時の演奏を評価する聴き手も多数存在しているところであり、演奏内容の浅薄さはさておき、筆者としても当時のバーンスタインの思い切りのいい躍動感溢れる爽快な演奏を高く評価しているところだ。

本盤に収められた組曲『惑星』は、ニューヨーク・フィルの音楽監督を退任した1年後の演奏ではあるが、かかる躍動感溢れる爽快な芸風は健在。

「火星」の終結部など、いささか力づくの強引な荒々しささえ感じさせる箇所がないわけではないが、楽曲が組曲『惑星』だけに違和感など微塵も感じさせることがない。

また、こうした標題音楽だけに、当時のバーンスタインの演奏の欠点でもあった、演奏の底の浅さなども致命的な欠陥にはならず、英国音楽ならではの詩情にはいささか不足するきらいはあるものの、強靱な迫力と躍動感に満ちた素晴らしい名演と高く評価したい。

併録のブリテンの「4つの海の間奏曲」は、組曲『惑星』以上にバーンスタインの多彩な才能を感じさせる超名演であり、演奏の持つ強靭な生命力や気迫という意味においては、最晩年のボストン交響楽団との名演(1990年)よりも優れた名演と評価し得るものと考えられるところだ。

ニューヨーク・フィルもバーンスタインの統率の下、その技量を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのが見事である。

音質は、従来盤が1971年のスタジオ録音だけに今一つの平板なものであったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACD盤が圧倒的な高音質である。

そもそも、マルチチャンネルとシングルレイヤーの組み合わせは他にも殆ど例がないだけに、SACDの潜在能力を最大限に発揮した究極のSACD盤として、極めて希少なものである。

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classicalmusic at 22:33コメント(0)トラックバック(0)バーンスタインホルスト 

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フランツ・コンヴィチュニー晩年の録音で、「スコットランド」はコンヴィチュニー(1962年7月没)とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による最後の演奏記録のひとつ。

数ある「スコットランド」の中でも古いマニアには知られた渋い名演。

隠れた名演のひとつであり、その演奏はひたすらに骨太でスケールが大きく造形美に溢れ格調が高い。

遅めのテンポ設定をとり、構築的にも隙がなく、響きの密度が高い。

指揮者の腰の座った情念と楽曲の様式美が微妙に織り重なった演奏で、最後まで飽きさせない。

冒頭や第3楽章の古色蒼然とした渋い響きには滅多に聴けない風格があり、楽曲の真髄を極めている。

虚飾の全くない噛んで含めるような実直そのものの演奏は、効果ばかり狙う音楽家からは得られない熟成された味わいがある。

そして、この指揮者としては、珍しく豊麗に歌う演奏である。

持ち前の丹念さがあるのは言うまでもないが、それがまた悠揚と歌う表情をつくるのに一役買っていると言える。

こうした演奏を聴くと、この指揮者の本質はロマン的であったと言うことができる。

さすがにメンデルスゾーンにゆかりのあるゲヴァントハウス管だけのことがあると思わせる味わいの深さがある。

特に弦楽の陰影のある響きと艶は幻想的な雰囲気を醸し出し、スコットランドの自然、厳しさを見事に表現している。

このコンビの録音としては、「ブル5」と双璧を成す名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンシューマン 

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ドイツ音楽の王道をゆく名指揮者、クルト・マズアは30年近くにわたりライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長を務めた。

そしてメンデルスゾーンもまた、シュターツカペレ・ドレスデンに次ぐ歴史を持つこのオーケストラの指揮者であった。

メンデルスゾーンは交響曲第3番「スコットランド」を自身の指揮で初演した。

このCDはメンデルスゾーンゆかりの古豪オーケストラによるなかなかの好演で、メンデルスゾーンの伝統を継承する彼らのこの録音はまさにこの2曲のスタンダードといえる正統的で理想的な演奏を聴かせてくれる。

2曲ともきめが細かく潤いのある演奏で、「スコットランド」の第1楽章などには、そうしたことが特によく表れている。

第2楽章はさらに機敏な感覚が欲しいが、第3楽章はさわやかさに堂々とした力感が加わって充実した音楽となっている。

終楽章も密度が高い。

「イタリア」は実に生気溢れる演奏で、くっきりとした造形感をもった骨太の名演。

全体によく歌い、流れる表現で、マズアのスケールの大きさを感じさせる。

清楚でさっぱりした、だが乾いていない音色、軽やかに歌う節まわし、歯切れのよいリズム、とりわけ清冽なヴァイオリン・パートにはうっとりさせられる。

ゲヴァントハウス管の伝統の渋くコクのある響きが、四半世紀にわたるこのオーケストラの常任指揮者を務めたマズアの無骨とも言える重厚な表現とマッチして、これしかないという絶妙さを示しているのは事実である。

マズア嫌いな人も多くいるだろうし、筆者もまたそうなのだが、これは唯一お薦めできるマズアの演奏である。

筆者としても、マズアでは唯一といってよいお気に入りのCDである。

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classicalmusic at 00:58コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーン 

2014年02月16日


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メンデルスゾーンの2大名曲をメンデルスゾーンを得意とした2人の名匠の録音でカップリングした好企画CD。

先ずは、エレガントで温かい演奏で聴衆を魅了した名匠マークが、結びつきの強かった都響と残した、メンデルスゾーンの劇音楽「真夏の夜の夢」。

同曲については、クレンペラー&フィルハーモニア管、プレヴィン&ウィーン・フィルと、このマーク&都響がベスト3であると考えているが、クレンペラーは深沈とした巨匠風の至芸、プレヴィンはウィーン・フィルの美しさを前面に打ち出した演奏であるのに対して、本盤は、指揮者の解釈とオーケストラの演奏のバランスが最もとれた安定感のある自然体の演奏が持ち味ではないかと思う。

マークは決して個性溢れる指揮者とは思わないが、ツボにはまった時は、安定感のある美しい名演を成し遂げる。

その数少ない作曲家の一人が本盤のメンデルスゾーンだと思う。

序曲の冒頭から、今まで聴いたことのないチャーミングでドリーミングなイントネーションに魅了される。

終曲における最後の部分のオーケストラによる清澄を極めたような抜けるような美しさはいったい何に例えればよいのだろう。

これは同曲の録音史上もっとも美しい演奏のひとつではないかと思う。

都響もベストの演奏をここでは展開しており、マークとの相性の良さがこの演奏にはっきりと表れている。

マズアの「イタリア」は、LP時代から有名な名盤で、教会の豊かな残響の中で、しっとりとしたゲヴァントハウス管の響きがみずみずしく響く。

マズアらしく特に作為的なことは何もしていないのだが、意外な程の好演で、予想以上に軽快で楽しい響きと歌の自然さに酔わされる。

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classicalmusic at 23:08コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーン 

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これは驚きの1枚である。

バルトークの弦楽四重奏曲は傑作ではあるが、決して耳当たりのいい曲ではなく、ポピュラリティを獲得をしているわけではないため、各弦楽四重奏団が採り上げる際には、余程の自信がないとCD化に逡巡する例が散見される。

それだけに、この新しいアルカント・カルテットが、バルトークの、しかも、その中でも傑作であり、より深みのある「第5」と「第6」を録音したという点に、並々ならぬ自信と決意があらわれている。

そして、その演奏内容は、それに恥じぬ超名演に仕上がっている。

「第5」は、冒頭から、アグレッシブで強烈な迫力に圧倒される。

第1楽章冒頭の激しいリズム、第2楽章のチェロの極端に低いどこか無機質な響き、その後現われる柔らかな旋律、第3楽章の複雑なリズムの絡み合いは名手たちの真骨頂で、そして第4、第5楽章でも、エッジの効いた演奏に圧倒される。

各奏者の思い切った凄みさえ感じさせるアプローチが、バルトークの音楽にこれ以上は望めないような生命力を与えている。

「第6」も、悲劇的な抒情と、バルトーク特有の諧謔的でシニカルな表情のバランスが実にすばらしく、それでいて、「第5」で垣間見せたようなアグレッシブさにもいささかの不足はない。

タベア・ツィンマーマンによる冒頭のヴィオラ・ソロの深みのある歌に、一気に晩年のバルトークの世界に引き込まれる。

第3楽章の四分音の掛け合いも、絶妙なことこの上ない。

終楽章、静寂へと帰ってゆく終結部は、死者の魂が天へと静かに昇ってゆくような神聖さに満ちている。

アルカント・カルテットの将来性を大いに感じさせるとともに、この団体による今後のバルトークの弦楽四重奏曲全集の完成を大いに期待させる1枚と言える。

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classicalmusic at 21:07コメント(0)トラックバック(0)バルトーク 

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ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の名首席奏者達が織り成す自在な独奏と、モーツァルト指揮者として定評のあったベームの指揮が美しく調和した演奏で聴く、モーツァルトの2曲の協奏交響曲集。

モーツァルトの2曲ある協奏交響曲を1つに収めたCDは、意外にも本盤くらいしか見当たらないが、間違いなく本盤はその決定盤とも言うべき永遠の名盤である。

何よりも、全盛期のベーム、そして、名うての名プレーヤーが数多く在籍していた黄金時代のベルリン・フィル、そして、当時、最も脂が乗っていたベルリン・フィルの名プレーヤーの三者がそろい踏みである点が大きい。

ベームの指揮は、厳しい造型を重視した緻密なものであるが、モーツァルトに深い愛着を持っていただけに、どこをとっても気品のある美しさに満ち溢れている。

しっとりとした情感を帯びたしなやかな表情と優雅な感覚、正確無比なテンポ感と確信に満ちた造型によるこの演奏は、古楽器演奏が全盛となった現代でも全く色褪せることはなく、逆にますますその輝きを増しているかのようだ。

各ソロ奏者も最高のパフォーマンスを示しており、無理なく、無駄なく、職人芸に徹したソロが実に清々しく、ベルリン・フィルも極上のアンサンブルでそれに応えている。

個性や名人芸の披露ではなく、ベームを核に繰り広げられていく演奏という名の対話であり、それが音楽の流れとともに絆をより強くしていく、そんな奥ゆかしい至芸である。

まだ20代の若さだったブランディスやライスターは初々しさを、40代であったカッポーネやシュタインスやピースクらは経験の豊かさに物を言わせた奥ゆかしいソロを披露、最愛のモーツァルトの花園に聴き手を招き入れる。

音楽ファンに残された心の故郷のようなアルバムである。

ルビジウム・カッティングによって音質もさらに鮮明さが増したところであり、これにより、本盤の価値は一段とアップしたと言えるだろう。

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classicalmusic at 00:30コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトベーム 

2014年02月15日


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今回初登場となった1963年のザルツブルク音楽祭のライヴ録音で、この年は、チェコ・フィルがザルツブルグ音楽祭に初登場した年でもあった。

チェコ・フィルの全盛時代を振った、セル貴重な記録で、チェコ・フィルとの相性の良さ、セルとチェコ・フィルの同質性を強く感じさせる1枚。

「エロイカ」は、セルの主張を如実にうかがわせる、強烈な求心力を持つ“セルの”ベートーヴェンだが、クリーヴランド管とは違った響きが興味深い。

チェコ・フィルの素朴で力強い響きとセルの構成力が相俟って堅実な演奏に仕上がっている。

非常に生命力が強く、あらゆる部分にセルの人間的な息づきが示されており、強い説得力を持っている。

リズムが決して前のめりになることがなくしっかりと打ち込まれていて、音楽の骨格が太い。

セルはオケの手綱をしっかりとって冷静に音楽を進めており、音楽への没入がやや少ない感じで、これはセルらしいところであるが、もう少し熱くても良いかなという感じがしないでもない。

両端楽章はもう少しリズムの推進力を前に押し出して欲しかったが、4つの楽章の関連はしっかりと緊密に取れていて、第2楽章もその抑制された音楽的表現が好ましい。

セルの指揮で感心するのは足取りがしっかりしていることであり、旋律が深く歌われていて、派手さはないが音楽が着実に進行する。

チェコ・フィルの見事なアンサンブルと緊密な造形、そして渋い響きはベートーヴェンらしさを強く感じさせる。

「エグモント」序曲も秀演で、これを聴くとつくづく当時のチェコ・フィルは上手いなと思ってしまう。

モノラル(ライヴ)録音ながら音質も鮮明で、クリーヴランド管とのスタジオ録音と甲乙つけ難い。

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classicalmusic at 22:36コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンセル 

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コチシュと手兵ハンガリー国立フィルによるバルトークSACDシリーズ最新盤で、今回は初期の3作品を収録している。

万人向けの明朗な名演だ。

まず、“ハンガリーのクレーメル”の異名をとるケレメン独奏のヴァイオリン協奏曲。

コチシュと一体となって、バルトークの傑作を明瞭に、美しく弾き抜いている点を評価したい。

しっとりと美しく歌い上げる第1楽章から一転、第2楽章では火花散る激しさがなるほどあだ名のとおり。

ソリストはもちろん、指揮者そしてオケともに全編を彩る民俗主題の扱いもじつに堂に入っている。

使用楽器は1742年製グァルネリ・デル・ジェス。

さらに、コチシュ自身のピアノ、フィッシャー&ブダペスト祝祭管という顔ぶれによるカップリング。

注目は「スケルツォ」で、タイトルに反して、演奏時間30分とあまりに大規模、あまりに複雑な内容は、録音の珍しさと理想的な演奏陣からまさに極めつけと言えるものである。

バルトークの作品はいずれも内容が濃いが、その分、必ずしもわかりやすい曲想とは言えない。

最晩年の管弦楽のための協奏曲は別格として、他の諸曲は、聴き手を容易には寄せ付けない峻厳さがある。

いずれも傑作ではあるが、曲想は相当に輻輳しており難解さの極み。

コチシュは、そのような複雑極まる楽想を紐解き、聴き手に、これら各曲の魅力をわかりやすく伝えてくれている点を高く評価したい。

本盤とほぼ同時期に、フリッチャイによるバルトーク作品集(独アウディーテ)が発売され、当該盤には本盤と同じ作品も収められているが、その演奏の違いは明らか。

フリッチャイは、作品の本質に鋭く切り込んでいく気迫あふれるアプローチであったが、コチシュは、作品の本質を理解した上で、旋律線を明瞭にわかりやすく、美しく描き出していくもの。

筆者としては、こうしたコチシュのアプローチも、バルトークの演奏様式として、十分に説得力のあるものと考える。

さらに素晴らしいのは、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音であり、バルトークの複雑な曲想を明瞭に紐解いていくというコチシュのアプローチの一助になっている点も見過ごしてはならない。

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classicalmusic at 20:48コメント(0)トラックバック(0)バルトーク 

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本収録はカルショーが満を待してショルティ&ウィーン・フィルと行ったもので、独唱陣もサザーランド、パヴァロッティ他と勢揃い、バスドラムの音響も話題ともなった名盤。

当盤は、指揮、オーケストラ、独唱、合唱、録音のすべてが優秀かつ音楽的で、文句のつけようがない見事な出来映えだ。

ショルティはテンポ感が抜群であり、表情にも過不足がなく、われわれは指揮者の存在を忘れて曲自体の魅力や美しさを満喫できる。

ヴェルディの《レクイエム》は、作品自体が非常にダイナミックで劇的な性格をもっているので、あえて劇的な表現をしようとすると、それが空回りしてしまうことが多い。

このショルティの演奏は、作品のあるがままの姿を直截かつ明快に表現しており、それが結果的にすばらしいダイナミックな緊張感を生み出していると言える。

それに当時としては録音が鮮明で、有名な〈怒りの日〉の部分など、打楽器の生々しい音や、舞台の外から響いてくる金管合奏が遠くから聴こえ始めてしだいに近づいてきて全合奏の最強音に達する。

そのところの奥行きのある表現もすばらしい。

その部分だけでも一聴の価値があると言えるほどである。

全曲を一貫して出来の悪いナンバーがないのもすばらしい。

ソリストはとくにメゾ・ソプラノのホーンとテノールのパヴァロッティが美しく、ソプラノのサザーランドもうまい。

バスのタルヴェラのみ深刻癖が気になるが、全体の感銘を傷つけるほどではないと思う。

ヴェルディのオペラ的な作風を表現するのに、これに優るメンバーはないのではないだろうかと思わせるほどである。

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classicalmusic at 01:40コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディショルティ 

2014年02月14日


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村上春樹氏の小説によってさらに脚光を浴びることになったヤナーチェク。

巷間、チェコの作曲家としては、第1にスメタナ、第2にドヴォルザーク、第3にヤナーチェク、そして第4にマルチヌーとされているところだ。

しかしながら、楽曲の質の高さ、他の作曲家への影響力の大きさなどを総合的に勘案すれば、ヤナーチェクはチェコの第3の作曲家などではなく、むしろスメタナやドヴォルザークを凌駕する存在ではないだろうか。

モラヴィアの民謡を自己の作品の中に高度に昇華させて採り入れていったという巧みな作曲技法は、現代のベートーヴェンとも称されるバルトークにも比肩し得るものであるし、「利口な女狐の物語」や「死者の家から」などと言った偉大なオペラの傑作は、20世紀最大のオペラ作曲家とも評されるベンジャミン・ブリテンにも匹敵すると言えるところだ。

そして、ヤナーチェクの最高傑作をどれにするのかは議論を呼ぶところであると考えられるところであるが、少なくとも、本盤に収められたグラゴル・ミサは、5本の指に入る傑作であると言うのは論を待たないところである。

同曲には、オペラにおいて数々の名作を作曲してきたヤナーチェクだけに、独唱や合唱を巧みに盛り込んだ作曲技法の巧さは圧倒的であるし、モラヴィア民謡を巧みに昇華させつつ、華麗な管弦楽法を駆使した楽想の美しさ、見事さは、紛れもなくヤナーチェクによる最高傑作の一つと評してもいささかも過言ではあるまい。

マッケラスは、こうした偉大な作曲家、ヤナーチェクに私淑し、管弦楽曲やオペラなど、数多くの録音を行っている、自他ともに認めるヤナーチェクの権威であり、ウィーン・フィルやチェコ・フィルとの数多くの演奏はいずれも極めて優れたものだ。

本盤に収められたチェコ・フィルや、優れた独唱者、そしてプラハ・フィルハーモニー合唱団を駆使した同曲の演奏は、ヤナーチェクの権威であるマッケラスならではの同曲最高の名演と高く評価したい。

スケールの雄大さ、そして独唱者や合唱団のドライブの巧みさ、情感の豊かさのいずれをとっても非の付けどころのない高水準の演奏であり、筆者としては、本演奏こそは、同曲演奏の理想像の具現化と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

モラヴィア民謡を基調とした、むせび泣くような哀感のこもった音楽であり、血のなせる技というほかないオケと合唱の抜群の反応もさることながら、映像で初めて明かされるマッケラスの熱い指揮姿を通して、この演奏に参加したメンバー全員グラゴル・ミサを愛して止まないことが肌で伝わってくる。

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classicalmusic at 23:39コメント(0)トラックバック(0)ヤナーチェク 

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フランス音楽の粋とも言うべきドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、交響詩「海」、そしてラヴェルのボレロが収められているが、本盤の各楽曲の演奏は、そうしたフランス音楽ならではのエスプリ漂う瀟洒な味わいを期待する聴き手には全くおすすめできない演奏である。

本演奏にあるのは、オーケストラの卓抜した技量と機能美。

まさに、オーケストラ演奏の究極の魅力を兼ね備えていると言えるだろう。

このような演奏は、とある影響力の大きい某音楽評論家を筆頭に、ショルティを貶す識者からは、演奏が無機的であるとか、無内容であるとの誹りは十分に予測されるところである。

しかしながら、果たしてそのような評価が本演奏において妥当と言えるのであろうか。

本演奏におけるショルティのアプローチは、例によって強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

このような演奏は、前述のようなフランス音楽らしい瀟洒な味わいを醸し出すには全くそぐわないが、印象派の大御所として繊細かつ透明感溢れるオーケストレーションを随所に施したドビュッシーや、管弦楽法の大家とも称されたラヴェルが作曲した各楽曲の諸楽想を明瞭に紐解き、それぞれの管弦楽曲の魅力をいささかの恣意性もなく、ダイレクトに聴き手に伝えることに成功している点は高く評価すべきではないだろうか。

そして、一部の音楽評論家が指摘しているような無内容、無機的な演奏ではいささかもなく、むしろ、各場面毎の描き分け(特に、交響詩「海」)や表情づけの巧みさにも際立ったものがあり、筆者としては、本演奏を貶す音楽評論家は、多分にショルティへの一方的な先入観と偏見によるのではないかとさえ思われるところである。

それにしても、我が国におけるショルティの評価は不当に低いと言わざるを得ない。

現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。

これには、我が国の音楽評論家、とりわけ前述のとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、例えば本演奏のような名演を一度も聴かないのはあまりにも勿体ない。

いずれにしても、本演奏は、ショルティ&シカゴ交響楽団という20世紀後半を代表する稀代の名コンビによる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、かかる名演が、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによって、ショルティの本演奏へのアプローチがより鮮明に再現されることになったのは極めて意義が大きい。

とりわけ牧神の午後への前奏曲における類稀なるフルートソロが鮮明に再現されていることや、ボレロにおける各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、ショルティ&シカゴ交響楽団による素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0)ショルティドビュッシー 

2014年02月13日


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先ずは、有名なバルトークの管弦楽のための協奏曲と、知る人ぞ知るルトスワフスキによる同名の楽曲をカップリングしたセンスの良さを高く評価したい。

大方の指揮者は、バルトークの管弦楽のための協奏曲と組み合わせる楽曲は、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽や「中国の不思議な役人」組曲など、バルトークが作曲した有名曲であるのが通例であるが、敢えて、このような特異なカップリングを行ったところに、前述のようなセンスの良さとともに、父ネーメ・ヤルヴィ譲りの広範なレパートリーを誇る指揮者の面目躍如たるものがあると考える。

演奏も、これまた素晴らしい名演と高く評価したい。

パーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、何か特別な個性があるわけではなく、聴き手を驚かすような奇を衒ったような演奏はいささかも行っていない。

では、没個性的で内容のない浅薄な演奏かというと、決してそのようなことはないのである。

要は、恣意的な解釈を施すことを一貫して避けていると言うことであり、その結果、嫌みのない、あざとさのない自然体の美しい音楽が醸成されるのに繋がっている。

そして、細部に至るまでニュアンスが豊かであり、どこをとっても豊かな情感に満たされているのが素晴らしい。

もちろん、ルトスワフスキの第1楽章及び終楽章、ファンファーレなどに聴かれるように強靭な力強さにもいささかの不足はなく、パーヴォ・ヤルヴィの卓越した表現力の幅の広さを感じさせてくれるのも見事である。

バルトークの管弦楽のための協奏曲には、ライナーやオーマンディ、セル、ショルティなどのハンガリー系の指揮者による名演や、カラヤンなどによる演出巧者ぶりが発揮された名演が目白押しであるが、ルトスワフスキの作品も含め、ゆったりとした気持ちで音楽それ自体の魅力を満喫させてくれるという意味においては、本演奏を過去の名演と比較しても上位に掲げることにいささかの躊躇もしない。

これは、まさに、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性の勝利と言えるだろう。

シンシナティ交響楽団も卓越した技量を示しているのも素晴らしい。

なお本作は同一音源でハイブリッドSACD盤もリリースされている(未聴)が、こちらのCD盤でも充分なクオリティで聴ける。

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2014年02月12日


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本盤は、ドヴォルザークの「第9」とマルティヌーの「第2」という、チェコの作曲家による名作をカップリングしているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

特に、マルティヌーの「第2」については、チェコ出身の指揮者やオーケストラ以外ではあまり演奏がなされていないこともあり、このカップリングは大いに歓迎すべきだと考える。

これは、父ネーメ・ヤルヴィ譲りの広範なレパートリーを誇るパーヴォ・ヤルヴィの面目躍如たるものと言えるだろう。

両曲ともに、いわゆるチェコの民族色を全面に打ち出した演奏ではなく、曲想を精緻に丁寧に描き出していくという純音楽的な演奏ということができる。

恣意的な解釈は薬にしたくもなく、どこをとっても嫌みのない情感の豊かな音楽が滔々と流れていく。

したがって、これらの楽曲に、チェコ風の民族色豊かな演奏を期待する聴き手にとっては、肩透かしを喰らうことにもなりかねないと思われるが、音楽自体が有する魅力を深い呼吸の下でゆったりとした気持ちで満喫することができるという意味においては、古今東西の様々な名演と比較しても、十分に存在意義がある名演と言える。

そして、本演奏において何よりも素晴らしいのは、シンシナティ交響楽団の好パフォーマンスであろう。

かつては、必ずしも一流とは言えなかったシンシナティ交響楽団であるが、パーヴォ・ヤルヴィの薫陶によって、数々の素晴らしい演奏を繰り広げるようになってきている。

このコンビによるかなりの点数にのぼる既発売CDの演奏の水準の高さが、それを如実に物語っているが、本盤においても、そうした薫陶の成果が存分に発揮されている。

管楽器や弦楽器、そして打楽器の技量には卓抜としたものがあり、両曲を名演たらしめるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

また、テラークによる極上の高音質録音によって、パーヴォ・ヤルヴィによる精緻なアプローチが鮮明に再現されている点も大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 23:05コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークヤルヴィ 

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最近では、ベートーヴェンを通り越してロマン派の作曲家にまで広がりつつある古楽器奏法やピリオド楽器による演奏であるが、バッハについては、そうした演奏様式が既に主流となっていることについては論を待たないであろう。

しかしながら、かかる演奏様式が芸術的であるかどうかは別問題であり、聴き手を驚かすような演奏はあっても、芸術的な感動を与えてくれる演奏というのはまだまだ少数派なのではないだろうか。

ブランデンブルク協奏曲は、かつてはフルトヴェングラーやクレンペラー、カラヤンといった大指揮者が、それこそ大編成のオーケストラを使って、重厚な演奏を繰り広げていた。

古楽器奏法やピリオド楽器による演奏様式が主流となった今日において、これらの重厚な演奏を聴くと、とある影響力のある評論家などは大時代的な演奏などと酷評しておられるが、昨今の浅薄な演奏の数々に接している耳からすると、故郷に帰った時のような安らいだ気持ちになり、深い感動を覚えることが多い。

最近、SACD&SHM−CD化されて発売されたリヒターの演奏(現時点では第1〜3番のみしか発売されていない)も立派で崇高な名演であり、未だもって評価は高い。

こうしたことからすれば、バッハの演奏様式についても、現代楽器を活用した従来型の演奏を顧みるべき時期に来ているのかもしれない。

そうした機運の更なる起爆剤になりそうなCDこそが、本盤に収められたアバドによる素晴らしい名演である。

アバドの下で演奏している各独奏者や、モーツァルト管弦楽団のメンバーは、いずれも前途洋々たる将来性がある若き音楽家たちだ。

そうした若き音楽家たちが、現代楽器を使用して、実に楽しげに演奏を行っており、そうした音楽家たちの明るく楽しげな気持ちが音楽を通じて聴き手に伝わってくるのが素晴らしい。

本演奏には、フルトヴェングラーなどによる演奏が有していた重厚さはないが、他方、古楽器奏法やピリオド楽器による演奏が陥りがちな軽妙浮薄な演奏にも堕しておらず、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

アバドは、大病を克服した後は、音楽に深みと鋭さが加わり、皮肉にもベルリン・フィルの芸術監督を退いた後は、大指揮者という名に相応しい数々の名演を成し遂げているが、本演奏では、若くて将来性のある音楽家たちをあたたかく包み込むような滋味溢れる指揮ぶりが見事である。

ブランデンブルク協奏曲を番号順ではなく、ランダムに並べた配列もなかなかにユニークであると評価し得る。

録音も鮮明であり、本名演を素晴らしい音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:11コメント(0)トラックバック(0)バッハアバド 

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ベンノ・モイセイヴィッチは20世紀最大のピアニストの一人である。

レシェティツキー門下の巨匠ベンノ・モイセイヴィッチの演奏は、ラフマニノフとホフマンの両巨頭に絶賛されたように、楽譜に対して「音楽的に」自由に対処するロマン派的演奏であるが、それはベートーヴェンの演奏に於いても最良の意味で如何なく発揮されている。

技巧に苦労を感じさせない、いわば天衣無縫型のピアニストの最右翼であるモイセイヴィッチ。

軽快さと柔軟さに富んだ指さばきは当代無二で、ラフマニノフやホフマンといったトップクラスのピアニストと比肩されうるものであった。

若き天才性の具現である第3番と、円熟の極みである第5番「皇帝」の名盤。

前者はマルコム・サージェント指揮フィルハーモニア管弦楽団との共演。

後者はジョージ・セル指揮ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団との共演。

第3番のラルゴの歌わせ方の美しさ、「皇帝」の終楽章の舞曲的闊達さもさることながら、このCDにおける白眉は、第3番第1楽章のC・ライネッケによるカデンツァで、まさに一陣の吹き抜ける風のごとく流麗で、その音の粒の揃い方の見事さに匹敵する妙技は、他では聴き得ないものだ。

第5番「皇帝」はセルのストイックで精緻を極めたオーケストラ演奏と、モイセイヴィッチの貴族的で理性的な処理が見事である。

このCDに収録されている1950年録音の「皇帝」でもっともすぐれている部分は、切ないほどに美しいレガート楽節に満ちた、全編美しさが持続する緩徐楽章だ。

どちらも瑞々しさと優雅の融合した非常に高度な意味での技術と風格を兼ね備えたもので、これらの曲の一つの頂点として引き継がれる価値があるものと思う。

NAXOSの復刻もオリジナル(前者はテープ、後者はSP)の音色を生かした素晴らしいもので、ライナーノートによれば本来の演奏を傷付けないようにクリックノイズの除去程度の処理のみを行なっているそうである。

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classicalmusic at 00:42コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン 

2014年02月11日


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ショルティは20世紀後半を代表する指揮者の一人であるが、我が国の音楽評論家の間での評価は実力の割に極めて低いと言わざるを得ない。

先般、お亡くなりになった吉田秀和氏などは、数々の著作の中で、公平な観点からむしろ積極的な評価をしておられたと記憶するが、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評しているとある影響力の大きい音楽評論家をはじめ、ショルティを貶すことが一流音楽評論家の証しと言わんばかりに、偏向的な罵詈雑言を書き立てる様相ははっきり言っておぞましいと言うほかはないところだ。

ニキシュは別格として、ライナーやオーマンディ、セル、ケルテスなど、綺羅星の如く登場したハンガリー人指揮者の系譜にあって、ショルティの芸風は、強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

そうした芸風でシカゴ交響楽団を鍛え抜いた力量は、先輩格のライナー、オーマンディ、セルをも凌駕するほどであったと言えよう。

もちろん、そうした芸風が、前述のような多くの音楽評論家から、無機的で冷たい演奏との酷評を賜ることになっているのはいささか残念と言わざるを得ない。

確かに、ショルティの芸風に合った楽曲とそうでない楽曲があったことについて否定するつもりは毛頭ないが、少なくともショルティの演奏の全てを凡庸で無内容の冷たい演奏として切って捨てる考え方には全く賛同できない。

ただ、ショルティのそうした芸風からずれば、ウィーン・フィルとの相性が必ずしも良くなかったことはよく理解できるところだ。

フレージングの一つをとっても対立したことは必定であり、歴史的な名演とされる楽劇「ニーベルングの指環」の録音の合間をぬって録音がなされたとされる、本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第3番や、更に後年に録音がなされたワーグナーのジークフリート牧歌にしても、ウィーン・フィルの面々は、ショルティの芸風に反発を感じながらも、プロフェッショナルに徹して演奏していたことは十分に想定できるところだ。

膨大なレコーディングとレパートリーを誇ったショルティであるが、ショルティはベートーヴェンの交響曲全集をシカゴ交響楽団とともに2度にわたってスタジオ録音しており、ウィーン・フィルとともに本演奏を含め数曲をスタジオ録音しているなど、ベートーヴェンの交響曲を自らの重要なレパートリーとして位置づけていた。

とは言え、マーラーの交響曲のように、ショルティの芸風に符号していたかどうかは疑問のあるところであるが、それでもウィーン・フィルとの一連の録音は、ショルティの鋭角的な指揮ぶりを、ウィーン・フィルの美音が演奏全体に潤いを与えるのに大きく貢献しており、いい意味での剛柔のバランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、ウィーン・フィルとしてはいささか不本意な演奏であろうが、それでも生み出された音楽は立派な仕上がりであり、聴き手としては文句を言える筋合いではない。

いずれにしても、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さにウィーン・フィルならではの美音による潤いが付加された本演奏は、併録のワーグナーのジークフリート牧歌とともに、若き日のショルティを代表する名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

かかる名演が、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによって、ショルティの本演奏へのアプローチがより鮮明に再現されることになったのは極めて意義が大きいと言えるところであり、加えて、本演奏の素晴らしさをより多くのクラシック音楽ファンにアピールすることに大きく貢献するものとして高く評価したい。

いずれにしても、ショルティ&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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