2014年02月

2014年02月28日


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(注)以下のレビューは、下書きしたまま忘れて放置していたページをエントリーしたものである。

ガラスCDは別として、コストパフォーマンスを考慮すれば、おそらくは現在望み得る最高の音質のCDであると高く評価したい。

ネット配信が普及し、少なくとも従来CDは廃れていく傾向にある中で、ネット配信に対抗し得るのはSACD以外にはないと考えていたが、ユニバーサルをはじめ、ほとんどのレコード会社がSACDから撤退している状況は、大変嘆かわしいものと考えていた。

そうした厳しい中で、ユニバーサルが数年前から再びSACDの発売を再開したのは何という素晴らしいことであろうか。

しかも、ユニバーサルが推奨してきたSHM−CDとの組み合わせ、SACDの能力を最大限に発揮させるシングルレイヤーであることも、快挙であるということができよう。

本盤を、かつて発売されたSACDハイブリッド盤やSHM−CD盤などと比較して聴いてみたが、その音質の違いは明らか。

ニコレの息遣いまでが聴こえてくるようなフルートの美音や、分離が見事なオーケストラの極上の高音質。

重低音のずしんとした重厚な響きも迫力満点であり、まるで別次元の演奏を聴いているような錯覚を覚えた。

ユニバーサルには、今後ともこのシリーズを続けていただくとともに、可能ならば、第3番、第4番のSACD&SHM−CD化もお願いしたい。

演奏は、既に定評のある超名演。

ピリオド・スタイル全盛の現在においても、その精神性の深さで普遍的な支持を受ける名指揮者カール・リヒターのバッハ演奏である。

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classicalmusic at 00:52コメント(0)トラックバック(0)バッハリヒター 

2014年02月27日


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本盤に収められたシベリウスの交響曲第1番及び第4番は、コリン・デイヴィスによる3度目のシベリウスの交響曲全集の完結編である。

それだけに、本盤の演奏にかける意気込みには並々ならないものがあったと想定できるところであり、名演揃いの3度目の全集の中でも、本盤の演奏は飛びぬけて素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

デイヴィスは、シベリウスを得意中の得意としており、フィンランドの大指揮者であるベルグルンドを除けば、シベリウスの交響曲全集を3度にわたって録音した唯一の指揮者である。

これはデイヴィスのシベリウスへの深い傾倒と愛着の証左と言っても過言ではあるまい。

デイヴィスによる3つの全集のうち、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集については現在でも依然として評価が高いが、音質面を含めて総合的に鑑みると、最新の3度目のロンドン交響楽団とのライヴ録音による全集(2002〜2008年)を第一に掲げるべきであると考えるところだ。

デイヴィスによるシベリウスの交響曲へのアプローチは、特別な個性的解釈で聴き手を驚かしたり、奇を衒ったりすることはいささかもなく、基本的には曲想を精緻に描き出すという純音楽的で自然体のものと言える。

もっとも、曲想を精緻に描き出すという純音楽的なアプローチとは言っても、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏をおこなっているわけではない。

一聴すると淡々と流れている各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスと豊かな情感が込められているところであり、シベリウスの楽曲に特有の北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美の描出にもいささかの不足はない。

そして、本演奏には、80歳を超える老巨匠による演奏とは思えないような強靭な迫力や畳み掛けていくような気迫などが漲っており、前述のように、全集完結編となる本演奏にかける凄まじいまでの意気込みを大いに感じることが可能だ。

ロンドン交響楽団も、デイヴィスの指揮の下、持ち得る実力を十二分に発揮した名演奏を展開しており、弦楽セクションや管楽器セクション、そしてティンパニなど、あたかも北欧のオーケストラのような透明感溢れる美しい音色を醸し出しているのが素晴らしい。

そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

シベリウスの交響曲のような透明感溢れる抒情的な音楽には、本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDは抜群の効力を発揮するところであり、デイヴィスによる至高の名演を臨場感溢れるマルチチャンネル付きのSACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:03コメント(0)トラックバック(0)シベリウスデイヴィス 

2014年02月26日


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キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの第4弾の登場だ。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を進行中のプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹しているからである。

キタエンコといえば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていた。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深さを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の付随音楽「雪娘」からの抜粋も、交響曲第1番と同様の性格による素晴らしい名演だ。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー 

2014年02月25日


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途轍もない超名演だ。

このような演奏こそは、人類が永遠に持つべき至宝であるとさえ言えるだろう。

本演奏におけるホロヴィッツのピアノはもはや人間業を超えているとさえ言える。

強靭な打鍵は、ピアノが破壊されてしまうような途轍もない迫力を誇っているし、同曲の随所に聴くことが可能なロシア風のメランコリックな抒情的旋律の数々においても、ホロヴィッツは心を込めて歌い抜いている。

その表現の桁外れの幅の広さは、聴いていてただただ圧倒されるのみである。

同曲は、弾きこなすのに超絶的な技量を有することから、ピアノ協奏曲史上最大の難曲であると言われており、ホロヴィッツ以外のピアニストによっても名演は相当数生み出されてはいるが、それらの演奏においては、まずは同曲を弾きこなしたことへの賞賛が先に来るように思われる。

ところが、ホロヴィッツの演奏では、もちろん卓越した技量を発揮しているのであるが、いとも簡単に弾きこなしているため、同曲を弾きこなすのは当たり前で、むしろ、前述のように圧倒的な表現力の方に賛辞が行くことになる。

このあたりが、ホロヴィッツの凄さであり、ホロヴィッツこそは、卓越した技量が芸術を凌駕する唯一の大ピアニストであったと言えるだろう。

人間業を超えた超絶的な技量を有していながら、いささかも技巧臭がせず、楽曲の魅力のみをダイレクトに聴き手に伝えることができたというのは、おそらくは現在においてもホロヴィッツをおいて他にはいないのではないか。

そして、本演奏を聴いていると、あたかも同曲がホロヴィッツのために作曲された楽曲のような印象を受けるところであり、それ故に、現時点においても、同曲については、ホロヴィッツを超える演奏がいまだ現れていないのではないかとさえ考えられるところだ。

ライナー&RCAビクター交響楽団も、このようなホロヴィッツの圧倒的なピアニズムに一歩も引けを取っておらず、感情の起伏の激しい同曲を見事に表現し尽くしているのが素晴らしい。

なお、ホロヴィッツによる同曲の超名演としては、オーマンディ&ニューヨーク・フィルをバックにしたライヴ録音(1978年)があり、指揮者はほぼ同格、オーケストラは新盤の方がやや上、録音は新盤がステレオ録音であるが、ホロヴィッツのピアノは本盤の方がより優れており、総合的には両者同格の名演と言ってもいいのではないだろうか。

また、本盤でさらに素晴らしいのは、XRCD化によって見違えるような高音質に蘇ったということである。

本演奏は今から約60年前の録音であり、モノラル録音ならではのレンジの幅の狭さはあるが、ホロヴィッツのピアノがかなり鮮明に再現されており、おそらくは現在望み得る最高の音質に生まれ変わった。

いずれにしても、同曲演奏史上最高の超名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)ホロヴィッツライナー 

2014年02月24日


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ヴェルディのレクイエムは、いわゆる3大レクイエムの中でも最も規模が大きく劇的な要素を持った傑作である。

モーツァルトのレクイエムは、モーツァルト自身が完成させることが出来ず、他の者による加筆や編曲などがなされている。

フォーレのレクイエムは、清澄な美しさで満たされた素晴らしい名作であるが、必ずしもスケール雄大な作品とは言い難い。

その意味では、ヴェルディのレクイエムを、あらゆる作曲家のレクイエム中の最高傑作と評する識者が多いというのも十分に納得できるところだ(ブラームスのドイツ・レクイエムは、別テキストによるものであり、同列の比較から除外されていることに留意する必要がある)。

ヴェルディは、いわゆるオペラ作曲家であり、同曲も晩年の作品ということもあって、ここにはヴェルディのオペラ的な作曲技法が駆使されている。

それだけに、ヴェルディの数々のオペラを得意のレパートリーとしてきたカラヤンにとって、同曲はまさに十八番とも言える存在であったことはよく理解できるところである。

したがって、カラヤンによる同曲の録音は、本演奏に加えて、1984年のウィーン・フィルとのスタジオ録音やザルツブルク音楽祭でのライヴ録音(1958年)、そしてDVD作品など複数存在している。

1979年の来日時にもスケール雄大な名演を繰り広げたことは今や伝説となりつつあるが、カラヤンが遺した同曲の最高の演奏は、衆目の一致するところ、本盤に収められた1972年のスタジオ録音ということになるのではないだろうか。

1972年と言えば、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代であり、カラヤンにも健康不安が殆どなく、体力・気力ともに充実していた時代だ。

カラヤンが指揮するベルリン・フィルも名うてのスタープレイヤーを数多く擁する、世界最高のオーケストラを自認するベルリン・フィルとしても最高の時代であり、本演奏においても、うなりをあげるような低弦の迫力、ブリリアントなブラスセクション、雷鳴のように轟わたるティンパニなど、鉄壁のアンサンブルの下、他のオーケストラの追随を許さないような圧倒的な名演奏を展開している。

とりわけ、「怒りの日」や「くすしきラッパの音」、「みいつの大王」における強靭な響きは、途轍もない迫力を誇っている。

他方、弱音部における繊細な表現も見事であり、ダイナミックレンジの幅広さは他の演奏の追随を許さないものがある。

ウィーン楽友協会合唱団は、他の指揮者が指揮するといかにも素人と言うような凡庸な合唱に終始するきらいがあるが、終身の芸術監督であったカラヤンが指揮した本演奏においては、カラヤンへの畏敬の念もあったせいか、持ちうる実力以上の圧倒的な名唱を披露している。

カラヤンの旗本とも言うべきソプラノのミレッラ・フレーニ、そしてメゾ・ソプラノのクリスタ・ルートヴィヒの歌唱はいつもながら見事であり、テノールのカルロ・コッスッタ、バスのニコライ・ギャウロフによる圧倒的な歌唱ともども、最高のパフォーマンスを発揮している。

いずれにしても、本盤の演奏は、カラヤンによる数あるヴェルディのレクイエムの演奏の中で最高の名演であるとともに、ベルリン・フィルの演奏の凄さ、歌手陣や合唱の素晴らしさを考慮に入れると、同曲の様々な名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、1972年の録音ということもあって従来CD盤でも比較的良好な音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされるに及んで大変驚いた。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした音質の鮮明さ、合唱や独唱、オーケストラ演奏が見事に分離して聴こえる明瞭さ、音圧の凄さ、音場の拡がりのどれをとっても一級品の仕上がりであり、従来CD盤では2枚組であったものが1枚に収まるという容量の大きさなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィルほかによる至高の超名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディカラヤン 

2014年02月23日


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前述したように、筆者はトスカニーニ&NBC響の《新世界より》XRCD盤を、この交響曲のほぼ理想的な再現と考えている。

しかし、トスカニーニ&NBC響に限りなく肉迫したライナー&シカゴ響の絶頂期の名演《新世界より》が、XRCD&SHM-CDで蘇ったことも我々には大きな朗報と言って良いだろう。

ライナーが残した唯一の《新世界より》は、聴き慣れた作品から新たな魅力を引き出し、音楽的な純度を際立たせるライナーの手腕が発揮された名演。

民族的な粉飾を脱し、純音楽的に極められたライナーならではの《新世界より》が聴かれる。

ドヴォルザークの音楽に特有のローカルな雰囲気を感じさせず、絶対音楽としての美しさを極めた演奏で、特にイングリッシュ・ホルンの名ソロが聴ける第2楽章の静かな美しさは、惚れ惚れするほど素晴らしい。

シカゴ響の完璧なアンサンブルと重厚で引き締まったサウンドを生かして綴られたこの演奏は、揺るぎない造型的美観や、異常なまでに張り詰めた緊迫感を特色とした怖ろしく純度の高い名演であり、そこに繰り広げられている少しの妥協もない磨き上げられた表現は、何度接しても常に新鮮な感動を授けてくれるのである。

この演奏の完成度の高さはいくら言葉で表そうとしても伝えきれない。

当時は機能的すぎるといった的外れなことを言っていた人もいたが、3チャンネル・オリジナル・マスターから最高の技術でデジタル・マスタリングされた当盤をぜひ聴いてみてほしい。

第2楽章の木管の鮮度の高い音色、弦の澄んだ響きと見事なバランス。

ライナーの要求にオケがいかにも見事に応えており、まさにトスカニーニ&NBC響に匹敵するような一糸乱れぬアンサンブルだ。

ピアニッシモも非常に美しく、これが1957年のステレオ録音だとはおよそ信じられない。

いずれにしても、ライナー&シカゴ響による同曲の超名演を、このような高音質のXRCD&SHM-CD盤で聴くことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)ドヴォルザークライナー 

2014年02月22日


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カラヤンは20世紀後半を代表する指揮者として最高の実力と人気を誇っていた。

そのカラヤンの指揮者としての魅力を最もわかりやすい姿で伝えているのがこのブラームスの《第2》である。

特に旧全集の録音である1963年のブラームス演奏は、後のカラヤンとは異なって、実に新鮮であり、筆者がこれまで聴いた《第2》の中でも最高のCDのひとつである。

ブラームスの作品演奏で最も肝心なことはアンサンブルの精妙さである。

細大漏らさずテクスチュアを明確に彫琢し、旋律の美しさを浮き彫りにするだけでなく、その構造的な造形をも浮かび上がらせなければならない。

この点でカラヤンは非凡さをみせている。

また、《第2》は演奏解釈次第でいくらでも明るく精彩に富んだ響きを出せるが、それよりも主題旋律の流麗さや、響きの透明度を優先させて美しい音楽に仕立てている。

カラヤンは、日本でもしばしばこの《第2》を振っているが、そのいずれもがこの曲の構成美に主眼をおいた巧みな演出が見事だった。

そしてベルリン・フィルの名人芸がそれを衒いなく聴かせるのが第4楽章のフィナーレである。

《第3》は、カラヤンが徹底して追求した彫琢された響きと表現が見事に達成された演奏のひとつだろう。

強靭な表現意欲をみなぎらせ、速めのテンポで運ぶ演奏は、やや息苦しさをおぼえるほどだが、この曲のヒロイックな性格と甘美な叙情を鮮やかに浮き彫りにしている。

弦楽と木管と金管の音色コントラストがはっきりと生かされ、それでいて全体の響きのバランスへの配慮はカラヤンならではのもの。

広大な広がりと奥行きの深いスケールの大きな演奏となっている。

とくにホルン、オーボエ、クラリネットが絶妙な表情を醸す。

細部をゆるがせにしない構築感に支えられた、覇気溢れるカラヤンの指揮は、このブラームス作品の規範的な演奏を提示したものといえるアルバムである。

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classicalmusic at 01:19コメント(0)トラックバック(0)ブラームスカラヤン 

2014年02月21日


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まさに強烈無比な演奏だ。

フルトヴェングラーはトスカニーニによるベートーヴァンの交響曲の演奏を指して、「無慈悲なまでの透明さ」と評したとのことであるが、従来CD盤のような劣悪な音質で本演奏を聴く限りにおいては、そうした評価もあながち外れているとは言えないのかもしれない。

ドヴォルザークの交響曲第9番と言えば、米国の音楽院に赴任中のドヴォルザークのチェコへの郷愁に満ち溢れた楽曲であるだけに、チェコの民族色溢れる名旋律の数々を情感豊かに歌い抜いた演奏が主流であると言えるが、トスカニーニは、そうした同曲に込められたチェコの民族色豊かな味わいなど、殆ど眼中にないのではないかとさえ考えられるところだ。

演奏全体の造型はこれ以上は求め得ないほどの堅固さを誇っており、その贅肉を全て削ぎ落としたようなストレートな演奏は、あたかも音で出来た堅牢な建造物を建築しているような趣きすら感じさせると言えるだろう。

そして、速めのテンポを基調とした演奏の凝縮度には凄まじいものがあり、前述のように音質が劣悪な従来CD盤で聴くと、素っ気なささえ感じさせる無慈悲な演奏にも聴こえるほどだ。

しかしながら、音質については後述するが、本XRCD盤で聴くと、各フレーズには驚くほど細やかな表情づけがなされているとともに、チェコ風の民族色とはその性格が大きく異なるものの、イタリア風のカンタービレとも言うべき歌心が溢れる情感が込められているのがよく理解できるところであり、演奏全体の様相が強烈無比であっても、必ずしも血も涙もない無慈悲な演奏には陥っていない点に留意しておく必要があるだろう。

そして、このようなトスカニーニの強烈無比な指揮に、一糸乱れぬアンサンブルを駆使した豪演を展開したNBC交響楽団の卓越した技量にも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本演奏は、トスカニーニの芸風が顕著にあらわれるとともに、ドヴォルザークの交響曲第9番を純音楽的な解釈で描き出した演奏としては、最右翼に掲げられる名演と高く評価したい。

音質については、従来CD盤が様々なリマスタリングやK2カッティングなどが行われてきたところであるが、前述のようにいずれも劣悪な音質で、本演奏の真価を味わうには程遠いものであった。

トスカニーニ=快速のインテンポによる素っ気ない演奏をする指揮者という誤った見解を広めるには格好の演奏であったとさえ言えるところだ。

ところが、本XRCD盤の登場によって、ついに本演奏の真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。

音質の鮮明さ、臨場感、音圧の凄まじさのどれをとっても、従来CD盤とは別格の高音質であり、トスカニーニの演奏が、決して無慈悲な演奏ではなく、各フレーズにどれほどの細やかな表情づけが行われているのか、そして情感が込められているのかを理解することが漸く可能になったと言えるところだ。

いずれにしても、本XRCD盤は、トスカニーニの演奏に関する前述のような誤解を解くに当たっても大変意義の大きいものであり、トスカニーニによる同曲の圧倒的な名演を、このような高音質のXRCD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 23:57コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークトスカニーニ 

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現代を代表するワーグナー指揮者バレンボイムの能力がフルに生かされた名演といえよう。

ワーグナー指揮者としてすっかり名声を確立した感のあるバレンボイムだが、彼が主要十作品のうちもっとも古くから指揮してきたのが《トリスタンとイゾルデ》である。

この音楽がもつ大きなうねり、そこから生まれる陶酔感をこれほど大胆に表現できる指揮者は現役では他に見当たらない。

それは彼が幼い頃から敬愛するフルトヴェングラーの精神を現代に受け継ぐものといえるだろう。

フルトヴェングラーを心から尊敬するというバレンボイムは、その精神を受け継ぎ、きわめてスケールが大きく、しかも現代的な精密さをあわせもった音楽を聴かせる。

フルトヴェングラーを忘れさせる、というほどでなくても、ここにはまぎれもなく現代の《トリスタン》が響いている。

ベルリン・フィルもそうした指揮者の要求に的確に反応し、オペラで普段演奏するオーケストラとは一味違った、いつになく熱気に満ちあふれた、精妙かつ熱い音楽を奏でている。

第1幕の幕切れ、第2幕の愛の二重唱など、これこそワーグナーを聴く醍醐味という印象。

イゾルデのマイヤーは、まだソプラノに転向した直後で、まだソプラノの役に挑んで日が浅かったため、今の彼女ほどの水準の素晴らしさはないとはいえ、その豊かな艶をたたえた深々とした声はきわめて魅力的。

トリスタンのイェルザレムも彼の最良の歌唱を聴かせている。

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classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーバレンボイム 

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この交響曲の演奏はむずかしい。

オーヴァーヒートしがちで、マクベスの科白ではないが、「無意味な叫喚と怒号」に終わりかねない。

この曲は時間の冷酷な進行への強迫観念を基本に、強気と不安、期待と絶望に揺れ、限られた時間のなかで人間はいかに生くべきかを問うている。

バルビローリはその核心に突き入っており、死の予感があってこそ、生の尊さに思い当る。

死の恐怖に負けるか、それとも生を慈しむよろこびを知るかという二者択一を前にして、つかの間でも生きる幸せ(第2楽章)を味わったものは、死を大らかな気持ちで受け入れられる。

だから終楽章の最後のとどめの一撃も、けっして無残な挫折ではなく、自己納得のひびきが聴きとれる。

なお、この演奏では、初演にしたがって、第2楽章と第3楽章が通常とは逆に配置されている。

シュトラウスはナチスの罪について恐ろしく無自覚だったそうだが、そういう事情を知ってしまうと、《メタモルフォーゼン》にこめられたという「祖国ドイツから失われゆく美への惜別」なる解釈が嘘くさくなってくる。

単なる"音の美食"ではないのか?

しかしバルビローリの演奏で聴く時だけは作曲家その人への疑念を超える普遍的な、魂の痛切な思いが突き刺さってくる。

バルビローリがこの録音を残しておいてくれたことに感謝したいと思う。

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classicalmusic at 00:52コメント(0)バルビローリマーラー 

2014年02月19日


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濃厚な情念が大爆発した第6番の凄まじい演奏をはじめ興味深い演奏が揃った全集である。

マーラーならではのオーヴァー・アクション的要素が、スヴェトラーノフの場合、まさにツボにはまった状態でサウンドに結実しており、そのブラス・セクションと打楽器セクションの織り成す嵐のような轟然とした大音響には誰もが圧倒されること請け合いだ。

特に前述の第6番は強烈で、個性的な演奏の揃ったスヴェトラーノフのディスクの中でも随一と言ってよいその思い切ったド迫力ぶりは、極端な演奏の多いこの巨匠のディスコグラフィの中にあっても最高峰と言いたくなる激しさにあふれかえっており、作品の志向するカタストローフの表現という点でも文句なしの暴れ放題。

その音の凶暴さには、スヴェトラーノフがロシア国立交響楽団を指揮したときにのみ立ちあらわれるアウラのようなものすら感じられ、改めてこのコンビのグレートな力技に感謝したくなる。

その他の作品も、すべてスヴェトラーノフ流儀に解釈されたユニークなアプローチが面白く、気品やバランスといった西側的な価値観など一顧だにしない潔さがファンには堪らない。

このように爆演の印象が強いスヴェトラーノフであるが、そればかりをこの全集に求めている人は肩透かしを喰うだろう。

テンポもそれぞれの楽器の音の出し方も最高であり、とりわけ土臭いこのオケがいい味を出している(特に管の荒々しさや粘り)。

しんみりと聴かせるところも完璧にスヴェトラーノフ流で、ラフマニノフの交響曲に通じるものがあり、面白い。

ありきたりでなく非凡で完成度の高い演奏で、理論的よりも直感的マーラーの一篇と言えよう。

マーラーの演奏は色々な演奏者によるものを聴いてきたが、ロシアの指揮者のマーラーでは、コンドラシンよりも円熟味があると言えるところであり、さらに素晴らしい出来だと思う。

そしてこのマーラー・シリーズの白眉は何と言っても第10番のアダージョ。

これこそ真実のマーラーの音楽であり、かつスヴェトラーノフ以外の何物でもない。

しっとりした弦楽器が美しく、その32分に及ぶ感動はほかに類を知らない。

これまでの演奏でマーラーに何かが足りないと感じていた人は一聴の価値ありで、こんな表現方法もあったのかと思わず驚くマーラーの交響曲全集である。

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classicalmusic at 23:39コメント(0)マーラースヴェトラーノフ 

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いつも当ブログに記していることであるが、ハイドンの交響曲演奏の主流がピリオド楽器による古楽器奏法などになりつつあることもあって、最近ではハイドンの交響曲がコンサートの演目になかなかあがりづらい状況になりつつあるのは、作品の質の高さからしても大変残念なことである。

そのような中で、今をときめくヤンソンスが、バイエルン放送交響楽団を指揮して、ハイドンの「ロンドン」と「軍隊」という、交響曲の2大傑作をライヴ収録したのはそれ自体歓迎すべきことである。

当然のことながら、重厚でシンフォニックな演奏を期待したが、いささかその期待を裏切られることになった。

意外にも、演奏が軽快にすぎるのである。

「ロンドン」の序奏部からして、音の重心がいかにも軽い。

要するに、心にずしっと響いてくるものが少ない。

主部に入ってからも、軽やかさは持続しており、もしかしたら、ヤンソンスは、最近のハイドン演奏の風潮を意識しているのかもしれないとの思いがよぎった。

大オーケストラを指揮しているのに、それはかえすがえすも残念なことである。

ヤンソンスは、すべての繰り返しを実行しているが、それならば、演奏においても、もっと大編成のオーケストラを生かした重厚な演奏を期待したかった。

「軍隊」は、「ロンドン」と比較すると、曲自体の性格もあって、このような軽快な演奏でも比較的心地よく耳に入れることができた。

いずれも決して悪い演奏ではないのだが、期待が大きかった分、いささか残念なCDであったと言わざるを得ない。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)ハイドンヤンソンス 

2014年02月18日


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ネット配信が隆盛期を迎えパッケージメディアの権威が失墜しつつある中で、一時は絶滅の危機に瀕していたSACDが、一昨年あたりから息を吹き返しつつあるようである。

というのも、SACDから撤退していた大手のユニバーサルがシングルレイヤーによるSHM−CD仕様のSACDの発売に踏み切るとともに、本年からはEMIがSACDの発売を開始したからである。

これには、オクタヴィアやESOTERICなどの国内レーベルがSACDを発売し続けてきたことが大きいと思うが、いずれにしても、今後とも過去の大指揮者による名演を可能な限りSACD化して、少しでもかつてのパッケージメディア全盛期の栄光を取り戻していただきたいと心より願っているところだ。

そして、今般、大指揮者の歴史的な来日公演のCD化に積極的に取り組んできたアルトゥスレーベルが、ついにSACDの発売を開始したのは、かかる昨年来の好ましい傾向を助長するものとして大いに歓迎したい。

本盤に収められたベルリオーズの幻想交響曲は、クリュイタンスの十八番とも言うべき楽曲である。

本演奏の6年前にもフィルハーモニア管弦楽団とともにスタジオ録音(1958年)を行っており、それはクリュイタンスならではのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいの名演であった。

ところが、本演奏においては、クリュイタンスは1958年盤とは別人のような指揮ぶりである。

来日時のコンサートでのライヴということもあると思うが、これは爆演と言ってもいいような圧倒的な高揚感を発揮していると言えるだろう。

どこをとっても凄まじいまでの気迫と強靭な生命力が漲っており、切れば血が噴き出てくるような灼熱のような指揮ぶりである。

とりわけ、終楽章においては、トゥッティに向けて畳み掛けていくような猛烈なアッチェレランドを駆使しており、その圧巻の迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

それでいて、とりわけ第2楽章や第3楽章などにおいて顕著であるが、パリ音楽院管弦楽団の各奏者による名演奏も相俟って、この指揮者ならではのフランス風のエスプリ漂う洒落た味わいに満ち溢れている。

いずれにしても本演奏は、我々が同曲の演奏に求めるすべての要素を兼ね備えた至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

併録の2曲は当日のアンコールであるが、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」からの抜粋である古い城は濃厚なロマンティシズムを感じさせる名演であり、ビゼーの組曲「アルルの女」からの抜粋であるファランドールに至っては、金管楽器の最強奏などによりとてつもない音塊が迫ってくるような壮絶な演奏であり、そのド迫力に完全にノックアウトされてしまった。

そして、このような歴史的な超名演を心行くまで満喫させてくれるのが、今般のシングルレイヤーによるSACDによる極上の高音質である。

既に、アルトゥスから発売されていた従来盤と比較すると、そもそも次元の異なる鮮明な高音質に生まれ変わった。

いずれにしても、かかる歴史的超名演を現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:14コメント(0)トラックバック(0)ベルリオーズクリュイタンス 

2014年02月17日


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バーンスタインはホルストの組曲『惑星』を一度だけスタジオ録音している。

バーンスタインは、晩年に自らのレパートリーの再録音をDGに数多く行ったことから、もう少し長生きしていれば同曲の再録音をウィーン・フィルなどと行った可能性もあるが、晩年の芸風に鑑みれば、再録音が実現することが果たして良かったかどうかは疑問であるとも言える。

というのも、バーンスタインの晩年の演奏は、表情づけは濃厚の極みになるとともに、テンポは異常に遅くなったからだ。

マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲については、かかる晩年の芸風が曲想に見事に符号し、圧倒的な超名演の数々を成し遂げるのに繋がったが、その他の大半の楽曲、とりわけ独墺系以外の作曲家の作品については、例えばチャイコフスキーの交響曲第6番、ドヴォルザークの交響曲第9番、シベリウスの交響曲第2番など、箸にも棒にもかからない凡演を繰り返したところである。

ところが、バーンスタインがニューヨーク・フィルの芸術監督をつとめていた1970年までは、こうした晩年の大仰な演奏とは別人のような演奏を行っていた。

良く言えば、躍動感溢れる爽快な演奏、悪く言えばヤンキー気質丸出しの底の浅い演奏。

もっとも、バーンスタインらしさという意味では、この当時の演奏を評価する聴き手も多数存在しているところであり、演奏内容の浅薄さはさておき、筆者としても当時のバーンスタインの思い切りのいい躍動感溢れる爽快な演奏を高く評価しているところだ。

本盤に収められた組曲『惑星』は、ニューヨーク・フィルの音楽監督を退任した1年後の演奏ではあるが、かかる躍動感溢れる爽快な芸風は健在。

「火星」の終結部など、いささか力づくの強引な荒々しささえ感じさせる箇所がないわけではないが、楽曲が組曲『惑星』だけに違和感など微塵も感じさせることがない。

また、こうした標題音楽だけに、当時のバーンスタインの演奏の欠点でもあった、演奏の底の浅さなども致命的な欠陥にはならず、英国音楽ならではの詩情にはいささか不足するきらいはあるものの、強靱な迫力と躍動感に満ちた素晴らしい名演と高く評価したい。

併録のブリテンの「4つの海の間奏曲」は、組曲『惑星』以上にバーンスタインの多彩な才能を感じさせる超名演であり、演奏の持つ強靭な生命力や気迫という意味においては、最晩年のボストン交響楽団との名演(1990年)よりも優れた名演と評価し得るものと考えられるところだ。

ニューヨーク・フィルもバーンスタインの統率の下、その技量を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのが見事である。

音質は、従来盤が1971年のスタジオ録音だけに今一つの平板なものであったが、数年前に発売されたシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのSACD盤が圧倒的な高音質である。

そもそも、マルチチャンネルとシングルレイヤーの組み合わせは他にも殆ど例がないだけに、SACDの潜在能力を最大限に発揮した究極のSACD盤として、極めて希少なものである。

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classicalmusic at 22:33コメント(0)バーンスタインホルスト 

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フランツ・コンヴィチュニー晩年の録音で、「スコットランド」はコンヴィチュニー(1962年7月没)とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による最後の演奏記録のひとつ。

数ある「スコットランド」の中でも古いマニアには知られた渋い名演。

隠れた名演のひとつであり、その演奏はひたすらに骨太でスケールが大きく造形美に溢れ格調が高い。

遅めのテンポ設定をとり、構築的にも隙がなく、響きの密度が高い。

指揮者の腰の座った情念と楽曲の様式美が微妙に織り重なった演奏で、最後まで飽きさせない。

冒頭や第3楽章の古色蒼然とした渋い響きには滅多に聴けない風格があり、楽曲の真髄を極めている。

虚飾の全くない噛んで含めるような実直そのものの演奏は、効果ばかり狙う音楽家からは得られない熟成された味わいがある。

そして、この指揮者としては、珍しく豊麗に歌う演奏である。

持ち前の丹念さがあるのは言うまでもないが、それがまた悠揚と歌う表情をつくるのに一役買っていると言える。

こうした演奏を聴くと、この指揮者の本質はロマン的であったと言うことができる。

さすがにメンデルスゾーンにゆかりのあるゲヴァントハウス管だけのことがあると思わせる味わいの深さがある。

特に弦楽の陰影のある響きと艶は幻想的な雰囲気を醸し出し、スコットランドの自然、厳しさを見事に表現している。

このコンビの録音としては、「ブル5」と双璧を成す名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンコンヴィチュニー 

2014年02月16日


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メンデルスゾーンの2大名曲をメンデルスゾーンを得意とした2人の名匠の録音でカップリングした好企画CD。

先ずは、エレガントで温かい演奏で聴衆を魅了した名匠マークが、結びつきの強かった都響と残した、メンデルスゾーンの劇音楽「真夏の夜の夢」。

同曲については、クレンペラー&フィルハーモニア管、プレヴィン&ウィーン・フィルと、このマーク&都響がベスト3であると考えているが、クレンペラーは深沈とした巨匠風の至芸、プレヴィンはウィーン・フィルの美しさを前面に打ち出した演奏であるのに対して、本盤は、指揮者の解釈とオーケストラの演奏のバランスが最もとれた安定感のある自然体の演奏が持ち味ではないかと思う。

マークは決して個性溢れる指揮者とは思わないが、ツボにはまった時は、安定感のある美しい名演を成し遂げる。

その数少ない作曲家の一人が本盤のメンデルスゾーンだと思う。

序曲の冒頭から、今まで聴いたことのないチャーミングでドリーミングなイントネーションに魅了される。

終曲における最後の部分のオーケストラによる清澄を極めたような抜けるような美しさはいったい何に例えればよいのだろう。

これは同曲の録音史上もっとも美しい演奏のひとつではないかと思う。

都響もベストの演奏をここでは展開しており、マークとの相性の良さがこの演奏にはっきりと表れている。

マズアの「イタリア」は、LP時代から有名な名盤で、教会の豊かな残響の中で、しっとりとしたゲヴァントハウス管の響きがみずみずしく響く。

マズアらしく特に作為的なことは何もしていないのだが、意外な程の好演で、予想以上に軽快で楽しい響きと歌の自然さに酔わされる。

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classicalmusic at 23:08コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーン 

2014年02月15日


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今回初登場となった1963年のザルツブルク音楽祭のライヴ録音で、この年は、チェコ・フィルがザルツブルグ音楽祭に初登場した年でもあった。

チェコ・フィルの全盛時代を振った、セル貴重な記録で、チェコ・フィルとの相性の良さ、セルとチェコ・フィルの同質性を強く感じさせる1枚。

「エロイカ」は、セルの主張を如実にうかがわせる、強烈な求心力を持つ“セルの”ベートーヴェンだが、クリーヴランド管とは違った響きが興味深い。

チェコ・フィルの素朴で力強い響きとセルの構成力が相俟って堅実な演奏に仕上がっている。

非常に生命力が強く、あらゆる部分にセルの人間的な息づきが示されており、強い説得力を持っている。

リズムが決して前のめりになることがなくしっかりと打ち込まれていて、音楽の骨格が太い。

セルはオケの手綱をしっかりとって冷静に音楽を進めており、音楽への没入がやや少ない感じで、これはセルらしいところであるが、もう少し熱くても良いかなという感じがしないでもない。

両端楽章はもう少しリズムの推進力を前に押し出して欲しかったが、4つの楽章の関連はしっかりと緊密に取れていて、第2楽章もその抑制された音楽的表現が好ましい。

セルの指揮で感心するのは足取りがしっかりしていることであり、旋律が深く歌われていて、派手さはないが音楽が着実に進行する。

チェコ・フィルの見事なアンサンブルと緊密な造形、そして渋い響きはベートーヴェンらしさを強く感じさせる。

「エグモント」序曲も秀演で、これを聴くとつくづく当時のチェコ・フィルは上手いなと思ってしまう。

モノラル(ライヴ)録音ながら音質も鮮明で、クリーヴランド管とのスタジオ録音と甲乙つけ難い。

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classicalmusic at 22:36コメント(0)ベートーヴェンセル 

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コチシュと手兵ハンガリー国立フィルによるバルトークSACDシリーズ最新盤で、今回は初期の3作品を収録している。

万人向けの明朗な名演だ。

まず、“ハンガリーのクレーメル”の異名をとるケレメン独奏のヴァイオリン協奏曲。

コチシュと一体となって、バルトークの傑作を明瞭に、美しく弾き抜いている点を評価したい。

しっとりと美しく歌い上げる第1楽章から一転、第2楽章では火花散る激しさがなるほどあだ名のとおり。

ソリストはもちろん、指揮者そしてオケともに全編を彩る民俗主題の扱いもじつに堂に入っている。

使用楽器は1742年製グァルネリ・デル・ジェス。

さらに、コチシュ自身のピアノ、フィッシャー&ブダペスト祝祭管という顔ぶれによるカップリング。

注目は「スケルツォ」で、タイトルに反して、演奏時間30分とあまりに大規模、あまりに複雑な内容は、録音の珍しさと理想的な演奏陣からまさに極めつけと言えるものである。

バルトークの作品はいずれも内容が濃いが、その分、必ずしもわかりやすい曲想とは言えない。

最晩年の管弦楽のための協奏曲は別格として、他の諸曲は、聴き手を容易には寄せ付けない峻厳さがある。

いずれも傑作ではあるが、曲想は相当に輻輳しており難解さの極み。

コチシュは、そのような複雑極まる楽想を紐解き、聴き手に、これら各曲の魅力をわかりやすく伝えてくれている点を高く評価したい。

本盤とほぼ同時期に、フリッチャイによるバルトーク作品集(独アウディーテ)が発売され、当該盤には本盤と同じ作品も収められているが、その演奏の違いは明らか。

フリッチャイは、作品の本質に鋭く切り込んでいく気迫あふれるアプローチであったが、コチシュは、作品の本質を理解した上で、旋律線を明瞭にわかりやすく、美しく描き出していくもの。

筆者としては、こうしたコチシュのアプローチも、バルトークの演奏様式として、十分に説得力のあるものと考える。

さらに素晴らしいのは、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音であり、バルトークの複雑な曲想を明瞭に紐解いていくというコチシュのアプローチの一助になっている点も見過ごしてはならない。

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classicalmusic at 20:48コメント(0)トラックバック(0)バルトーク 

2014年02月14日


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フランス音楽の粋とも言うべきドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、交響詩「海」、そしてラヴェルのボレロが収められているが、本盤の各楽曲の演奏は、そうしたフランス音楽ならではのエスプリ漂う瀟洒な味わいを期待する聴き手には全くおすすめできない演奏である。

本演奏にあるのは、オーケストラの卓抜した技量と機能美。

まさに、オーケストラ演奏の究極の魅力を兼ね備えていると言えるだろう。

このような演奏は、とある影響力の大きい某音楽評論家を筆頭に、ショルティを貶す識者からは、演奏が無機的であるとか、無内容であるとの誹りは十分に予測されるところである。

しかしながら、果たしてそのような評価が本演奏において妥当と言えるのであろうか。

本演奏におけるショルティのアプローチは、例によって強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

このような演奏は、前述のようなフランス音楽らしい瀟洒な味わいを醸し出すには全くそぐわないが、印象派の大御所として繊細かつ透明感溢れるオーケストレーションを随所に施したドビュッシーや、管弦楽法の大家とも称されたラヴェルが作曲した各楽曲の諸楽想を明瞭に紐解き、それぞれの管弦楽曲の魅力をいささかの恣意性もなく、ダイレクトに聴き手に伝えることに成功している点は高く評価すべきではないだろうか。

そして、一部の音楽評論家が指摘しているような無内容、無機的な演奏ではいささかもなく、むしろ、各場面毎の描き分け(特に、交響詩「海」)や表情づけの巧みさにも際立ったものがあり、筆者としては、本演奏を貶す音楽評論家は、多分にショルティへの一方的な先入観と偏見によるのではないかとさえ思われるところである。

それにしても、我が国におけるショルティの評価は不当に低いと言わざるを得ない。

現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。

これには、我が国の音楽評論家、とりわけ前述のとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、例えば本演奏のような名演を一度も聴かないのはあまりにも勿体ない。

いずれにしても、本演奏は、ショルティ&シカゴ交響楽団という20世紀後半を代表する稀代の名コンビによる素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、かかる名演が、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによって、ショルティの本演奏へのアプローチがより鮮明に再現されることになったのは極めて意義が大きい。

とりわけ牧神の午後への前奏曲における類稀なるフルートソロが鮮明に再現されていることや、ボレロにおける各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、ショルティ&シカゴ交響楽団による素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0)ショルティドビュッシー 

2014年02月12日


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本盤は、ドヴォルザークの「第9」とマルティヌーの「第2」という、チェコの作曲家による名作をカップリングしているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

特に、マルティヌーの「第2」については、チェコ出身の指揮者やオーケストラ以外ではあまり演奏がなされていないこともあり、このカップリングは大いに歓迎すべきだと考える。

これは、父ネーメ・ヤルヴィ譲りの広範なレパートリーを誇るパーヴォ・ヤルヴィの面目躍如たるものと言えるだろう。

両曲ともに、いわゆるチェコの民族色を全面に打ち出した演奏ではなく、曲想を精緻に丁寧に描き出していくという純音楽的な演奏ということができる。

恣意的な解釈は薬にしたくもなく、どこをとっても嫌みのない情感の豊かな音楽が滔々と流れていく。

したがって、これらの楽曲に、チェコ風の民族色豊かな演奏を期待する聴き手にとっては、肩透かしを喰らうことにもなりかねないと思われるが、音楽自体が有する魅力を深い呼吸の下でゆったりとした気持ちで満喫することができるという意味においては、古今東西の様々な名演と比較しても、十分に存在意義がある名演と言える。

そして、本演奏において何よりも素晴らしいのは、シンシナティ交響楽団の好パフォーマンスであろう。

かつては、必ずしも一流とは言えなかったシンシナティ交響楽団であるが、パーヴォ・ヤルヴィの薫陶によって、数々の素晴らしい演奏を繰り広げるようになってきている。

このコンビによるかなりの点数にのぼる既発売CDの演奏の水準の高さが、それを如実に物語っているが、本盤においても、そうした薫陶の成果が存分に発揮されている。

管楽器や弦楽器、そして打楽器の技量には卓抜としたものがあり、両曲を名演たらしめるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

また、テラークによる極上の高音質録音によって、パーヴォ・ヤルヴィによる精緻なアプローチが鮮明に再現されている点も大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 23:05コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークヤルヴィ 

2014年02月11日


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ショルティは20世紀後半を代表する指揮者の一人であるが、我が国の音楽評論家の間での評価は実力の割に極めて低いと言わざるを得ない。

先般、お亡くなりになった吉田秀和氏などは、数々の著作の中で、公平な観点からむしろ積極的な評価をしておられたと記憶するが、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評しているとある影響力の大きい音楽評論家をはじめ、ショルティを貶すことが一流音楽評論家の証しと言わんばかりに、偏向的な罵詈雑言を書き立てる様相ははっきり言っておぞましいと言うほかはないところだ。

ニキシュは別格として、ライナーやオーマンディ、セル、ケルテスなど、綺羅星の如く登場したハンガリー人指揮者の系譜にあって、ショルティの芸風は、強靭で正確無比なリズム感とメリハリの明晰さを旨とするもの。

そうした芸風でシカゴ交響楽団を鍛え抜いた力量は、先輩格のライナー、オーマンディ、セルをも凌駕するほどであったと言えよう。

もちろん、そうした芸風が、前述のような多くの音楽評論家から、無機的で冷たい演奏との酷評を賜ることになっているのはいささか残念と言わざるを得ない。

確かに、ショルティの芸風に合った楽曲とそうでない楽曲があったことについて否定するつもりは毛頭ないが、少なくともショルティの演奏の全てを凡庸で無内容の冷たい演奏として切って捨てる考え方には全く賛同できない。

ただ、ショルティのそうした芸風からずれば、ウィーン・フィルとの相性が必ずしも良くなかったことはよく理解できるところだ。

フレージングの一つをとっても対立したことは必定であり、歴史的な名演とされる楽劇「ニーベルングの指環」の録音の合間をぬって録音がなされたとされる、本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第3番や、更に後年に録音がなされたワーグナーのジークフリート牧歌にしても、ウィーン・フィルの面々は、ショルティの芸風に反発を感じながらも、プロフェッショナルに徹して演奏していたことは十分に想定できるところだ。

膨大なレコーディングとレパートリーを誇ったショルティであるが、ショルティはベートーヴェンの交響曲全集をシカゴ交響楽団とともに2度にわたってスタジオ録音しており、ウィーン・フィルとともに本演奏を含め数曲をスタジオ録音しているなど、ベートーヴェンの交響曲を自らの重要なレパートリーとして位置づけていた。

とは言え、マーラーの交響曲のように、ショルティの芸風に符号していたかどうかは疑問のあるところであるが、それでもウィーン・フィルとの一連の録音は、ショルティの鋭角的な指揮ぶりを、ウィーン・フィルの美音が演奏全体に潤いを与えるのに大きく貢献しており、いい意味での剛柔のバランスのとれた名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、ウィーン・フィルとしてはいささか不本意な演奏であろうが、それでも生み出された音楽は立派な仕上がりであり、聴き手としては文句を言える筋合いではない。

いずれにしても、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さにウィーン・フィルならではの美音による潤いが付加された本演奏は、併録のワーグナーのジークフリート牧歌とともに、若き日のショルティを代表する名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

かかる名演が、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによって、ショルティの本演奏へのアプローチがより鮮明に再現されることになったのは極めて意義が大きいと言えるところであり、加えて、本演奏の素晴らしさをより多くのクラシック音楽ファンにアピールすることに大きく貢献するものとして高く評価したい。

いずれにしても、ショルティ&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:09コメント(0)トラックバック(0)ショルティベートーヴェン 

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このCDはどうやら世界各地で非常に売れているらしく、オルフェオのCDとしてもかなり売れた方に入ると思う。

輸入盤で買っても安くはないのに、山積みされたCDがどんどん減ってきている。

クラシックCDが売れない売れないと大騒ぎする中で、この売れ方は珍しい。

売れる理由は簡単で、組み合わせも演奏もとても面白いからだ。

まずはカップリングであるが、あのセルがウィーン・フィルを演奏、しかもザルツブルク音楽祭でのライヴで、ピアノ協奏曲第3番はギレリスが独奏している。

これだけでも十分商品価値があるのに、演奏が凄く、ベートーヴェンの交響曲第5番がまさに白熱のライヴなのだ。

もちろん、「エグモント」もピアノ協奏曲第3番も面白いのだが、「第5」があまりにも燃える演奏なので驚いてしまう。

そもそもこの曲は構成が堅固であるし、盛り上がるようにできているので、よほど凡庸な演奏を聴かない限り結構興奮するものだが、セルの演奏は破天荒とも言うべき豪快さだ。

クリーヴランドで緻密な演奏を重ねてヨーロッパに負けないオケを作り上げたセルはひとたびヨーロッパに戻るや普段の鬱憤みたいなものを爆発させてしまったのではないだろうか。

アメリカでの演奏活動ではここまでの燃え方はしないし、ここでのセルは一体どうしたのかと訝ってしまう。

しかし、それはリスナーにとってはいいことだ。

別にパッチワークでできた大人しい演奏を聴きたいなんて考えている人はそうそういないはずだ。

筆者もこの曲を聴いてこんなに興奮してしまったのは久しぶりだった。

余りにも面白くて、度々聴いていたのだが、その度ごとに興奮してしまった。

これほど耳にタコができるくらい聴き慣れた曲を演奏して、かくも熱狂させるセル&ウィーン・フィルは凄まじい。

指揮者が燃えただけではこうはならないはずで、ウィーン・フィルもこの大指揮者の放つオーラに触発されてしまったのだろう。

第4楽章の後半は手に汗握ること間違いなしだ。

なお、オルフェオのCDはモノラルが多いが、これは立派なステレオで、音質はライヴ録音としては最上だろう。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)ベートーヴェンセル 

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本盤にはプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とラヴェルのピアノ協奏曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

それどころか、録音から40年以上が経過しているにもかかわらず、現在でもなお両曲の様々な演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

アルゲリッチのピアノは、実演においてもスタジオ録音においても、灼熱のように燃え上がる圧倒的な豪演を展開するが、それは本盤に収められた演奏においても健在。

その卓越した技量は超絶的でもあり、とても人間業とは思えないような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅は桁外れに広く、変幻自在のテンポ設定や猛烈なアッチェレランドを駆使するなど、自由奔放で即興的とも言うべき圧倒的なピアニズムを展開している。

それでいて、アルゲリッチが素晴らしいのは、どれだけ自由奔放な演奏であっても、いささかも格調の高さを失うことがないという点である。

要は、どのように大胆な表現を行っても、芸術性を損なわないということであり、プロコフィエフでは同曲特有の独特のリズム感と叙情性を巧みに表現しているし、ラヴェルのピアノ協奏曲では、同曲が含有するフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいにおいてもいささかの不足はない。

このような圧倒的なピアニズムを展開するアルゲリッチに対して、アバドの指揮も一歩も引けを取っていない。

当時のアバドは次代を担う気鋭の指揮者として上昇気流に乗りつつあったが、本盤の演奏においても、畳み掛けていくような気迫や力強さ、そして持ち前の豊かな歌謡性を駆使した、いい意味での剛柔バランスのとれた名演奏を行っている点を高く評価したい。

オーケストラにベルリン・フィルを起用したのも功を奏しており、さすがにこの当時はポストカラヤンなどは問題にもならなかったであろうが、気鋭の指揮者に敬意を表して最高の演奏を披露したベルリン・フィルにも大きな拍手を送りたい。

なお、アルゲリッチは、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番についてはデュトワ&モントリオール交響楽団(1997年)とともに、ラヴェルのピアノ協奏曲については、アバド&ロンドン交響楽団(1985年)、デュトワ&モントリオール交響楽団(1997年)とともに再録音を行っており、それらも素晴らしい名演ではあるが、本盤の演奏にはそれら後年の演奏にはない若さ故の独特の瑞々しさがあり、本盤の演奏の方をより上位に置きたいと考える。

音質については、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質である。

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2014年02月10日


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本盤には、生粋のウィーンっ子であったクリップスがコンセルトへボウ管弦楽団を指揮したモーツァルトの交響曲第40番及び第41番が収められているが、いずれも古き良き時代のウィーンの雰囲気を彷彿とさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

仮に、クリップスが、コンセルトへボウ管弦楽団ではなくウィーン・フィルを指揮して演奏をしていれば、更にウィーン風の雰囲気は強まったとも考えられるが、本盤の録音当時のコンセルトへボウ管弦楽団は、北ヨーロッパならではの幾分くすんだようないぶし銀の音色が顕著であり、演奏に適度の潤いと温もりを付加させている点を忘れてはならない。

そして演奏は、優雅そのものであり、いかにもクリップスならではの本場ウィーンを思わせるような典雅な雰囲気に満たされている。

クリップスのアプローチは決して手の込んだ個性的なものではなく、ゆったりとしたテンポによって、スコアに記された音符の一音一音を心を込めて精緻に表現していくというものであるが、音楽の流れが淀むことはいささかもなく、むしろウィンナ・ワルツのように優雅に、そして颯爽と流れていくのが素晴らしい。

表現自体は、あくまでも自然体でオーソドックスなものであるが、細部に至るまでコクがあり、豊かな情感に満ち溢れているというのは、クリップスが本演奏において必ずしも意図して行ったのではなく、むしろクリップス自身に染みついた天性の指揮芸術の賜物であり、まさに生粋のウィーンっ子の面目躍如たるものであろう。

モーツァルトの交響曲の演奏様式は、近年ではピリオド楽器の使用や古楽器奏法などが主流となっているが、本盤のような演奏を聴いていると、故郷に帰省した時のように懐かしい、そして安定した気分になる聴き手は筆者だけではあるまい。

本演奏については、かつてSACDハイブリッド盤が発売されており、それでも十分に満足し得る高音質であった。

しかしながら、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、それを遥かに凌駕する究極の高音質録音である。

このような素晴らしい優雅な名演を、望み得る最高の鮮明な高音質で味わうことができることを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 00:56コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトクリップス 

2014年02月09日


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夜想曲集の名演を成し遂げたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められた夜想曲集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ショパンフランソワ 

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「第2」、「第3」、「第4」はスタジオ録音で、その表現はさすがにアーベントロートらしく濃厚熾烈なものだが、本全集中唯一のライヴ録音「第1」こそ白眉だ。

録音は1956年とはいえ生々しいライヴの雰囲気を伝えるものであり、十二分に鑑賞に堪え得る。

とにかく巨人アーベントロートの凄まじい気迫、濃厚過ぎるような表現意志、壮絶でドラマティックな鬼気迫る演奏だ。

孤高の厳しさと伸びやかさを兼ね備えているのが興味深く、ブラームス・ファンのみならず、ドイツ音楽の信奉者は何を措いても聴くべし。

「第2」の第1楽章は何とも遅いテンポで内面のおりがたまったような表現だが、粘らず響きが明快であるため、他の指揮者とは違った独自性が生まれている。

アーベントロートはやはり一種独特の風格と個性を持った指揮者だが、終楽章になると一転して急速なテンポをとるので、簡単に演奏様式を決めつけるわけにはいかない。

一筋縄ではいかない器量が示された演奏と言える。

「第3」は自由なアゴーギクを駆使した、変幻自在とでも言えるような表現だ。

オーケストラはそれを自分自身の発想のように見事なアンサンブルで演奏しており、ここにはアーベントロートとオーケストラの緊密な関係が示されている。

また表現のパターンは一定でなく、終楽章は精気溌剌として見事に締めくくっている。

アーベントロート流の様式化された解釈は、「第4」のように古典的書法の曲では絶大な効果を発揮する。

第2楽章の第2主題の絶妙なレガートや、終楽章のパッサカリアの性格的な表現では、アーベントロートの特色と音楽性がよく味わえる。

ブラームス在世中に生まれたこの指揮者は、ブラームスの音楽が書かれた時代を肌で知っていた。

つまりこれらの演奏は今や時代の証言と言えるだろう。

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classicalmusic at 01:59コメント(0)ブラームス 

2014年02月08日


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ハイティンクほど、評価が分かれる指揮者はいないのではないだろうか。

ハイティンクのアプローチは誠実そのものであり、奇を衒った演奏を行うことは皆無であり、曲想を丁寧に愚直に描き出していくのを旨としている。

したがって、聴き手によっては、楽曲の魅力を安定した気持ちで満喫することができるということで評価する人もいるであろうし、他方では、そうした演奏を没個性的であると批判する人もいると思われる。

筆者としては、いずれの意見にも一理あると考えているが、楽曲によって向き不向きがあると言えるのではないだろうか。

例えば、マーラーのような交響曲については、ハイティンクの演奏では物足りないと感じることが多々あるが、他方、ブルックナーの交響曲については、これも曲によって良し悪しはあるが、総体としては、マーラーよりは出来がいい演奏を成し遂げているように思われる。

多くの評論家が賞賛しているショスタコーヴィチの交響曲についても、楽曲によって向き不向きがあるようで、例えば第4番はいかにも踏む込み不足が露呈した演奏に陥っているように思うが、第13番は彫りの深い素晴らしい名演に仕上がっている。

ハイティンクは、長年にわたって、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の芸術監督を務めたことから、どちらかと言うと、同オーケストラを指揮した時の方が、名演になることが多いとも言えるのかもしれない。

実際に、前述のショスタコーヴィチの第4番はロンドン・フィルとの演奏であるのに対して、第13番はコンセルトへボウ管との演奏でもあるのだ。

それはさておき、本盤のドビュッシーの演奏においても、ハイティンクのアプローチは何ら変わるものではない。

自我を抑制し、ひたすら曲想を丁寧に愚直に描き出していくというものだ。

したがって、ドビュッシーの音楽の魅力をゆったりとした気持ちで味わうことができるという意味においては、素晴らしい名演と評価してもいいのではないかと考える。

特に、当時のコンセルトへボウ管の各奏者は卓越した技量を誇っており、そうした圧巻の技量とともに、北ヨーロッパの楽団ならではの幾分くすんだいぶし銀の響きが味わえるのも本演奏の大きな魅力の一つである。

さらには、SACDによる究極の超高音質によって、本名演を味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:01コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーハイティンク 

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ベートーヴェンの交響曲に関心を持つ人にとって、フェリックス・ワインガルトナーは未だに無視できない。

管弦楽編成を含む彼のエディション、『ベートーヴェンの交響曲について』をはじめとする著書と論文、そして第2次世界大戦前としては驚くべき全曲録音などは、指揮者にも、研究者にも、愛好家にも、貴重な資料であり、業績である。

それらは、彼が指揮者、作曲家、思索家という3つのペルソナが達成された成果である。

演奏面で、ワインガルトナーはヨーロッパの多くの都市(マインツ、パリ、ロンドンなど)で、ベートーヴェンの全交響曲を演奏した。

ロマン・ローランが『ベートーヴェンの生涯』を書いたのも、ワインガルトナーのベートーヴェン・ツィクルスを聴き、刺激を受けたためと言われている。

つまり、ワインガルトナーのベートーヴェン解釈は、第2次世界大戦前には1つの基準であった。

彼がロマン的な誇張や歪曲を認めず、音楽だけに基づいて解釈したためであろう。

事実、トスカニーニが登場するまで、このような解釈でベートーヴェンを指揮するのは、ワインガルトナー以外にほとんどいなかった。

英コロンビアが、ベートーヴェンの交響曲を繰り返し彼に録音させたのも、このためであろう。

録音データは以下の通り。

CD1 交響曲第1番、交響曲第3番「英雄」 ウィーン・フィル 1937年10月、1936年5月スタジオ録音
CD2 交響曲第4番、交響曲第6番「田園」 ロンドン・フィル、1933年11月スタジオ録音、ロイヤル・フィル、1927年1月スタジオ録音
CD3 交響曲第8番、 交響曲第5番「運命」 ウィーン・フィル、1936年スタジオ録音、ロンドン・フィル、1933年スタジオ録音
CD4 交響曲第2番、交響曲第7番、ロンドン響、1938年3月スタジオ録音、ウィーン・フィル、1936年スタジオ録音
CD5 交響曲第9番、ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱団、ゲオルグ・マイクル(T)、ロゼット・アンダイ(CA)、リヒャルト・マイル(Bs)、ルイゼ・ヘレツグリューバー(S)

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classicalmusic at 21:08コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン 

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メンゲルベルクの強烈な個性が示された全集。

形而上的なフルトヴェングラーに対し、同じロマンティックな指揮者でもメンゲルベルクの場合は、トスカニーニ同様、音そのもので勝負だった。

その意味で彼のベートーヴェンは演奏の彫りが深く、誇張された音芝居を如実に味わえるのが嬉しい。

ルバートやアゴーギクを多用した細かいテンポの動き、克明に変化するダイナミクス、音やリズムの改変など、濃厚に表情付けされたロマン的な演奏だが、フルトヴェングラーのようにその場の感興を重んじたロマン性でなく、綿密な設計のもとで細部の表現を彫琢しつつ、全体をスケール大きな堅固な造りでまとめるという、知的に考え抜かれたロマン性であるのが特徴。

ライヴ録音でも、そうした表現操作が徹底されている点も凄い。

しかもそれが作りものとしてでなく、説得力をもった雄弁さで迫ってくる。

大時代的という批判もあるが、むしろ今日こそこれらの演奏の持つ意義と価値の高さを考える必要があろう。

確かに様式的な古さが気にはなるが、峻厳さと歌謡性を兼ね備えた偉大な演奏である。

録音データは以下の通り。

CD1 交響曲第1番、交響曲第3番「英雄」 ニューヨーク・フィル 1930年1月スタジオ録音
CD2 交響曲第4番、交響曲第5番「運命」 コンセルトヘボウ管、1940年4月25日、4月18日ライヴ録音
CD3 交響曲第8番、交響曲第6番「田園」 コンセルトヘボウ管、1940年4月18日、4月21日ライヴ録音
CD4 交響曲第2番、コンセルトヘボウ管、1940年4月21日ライヴ録音 交響曲第7番、ベルリン放送交響楽団 1942年1月28日ライヴ録音
CD5 交響曲第9番、コンセルトヘボウ管、トー・ファン・スルーズ(S)、スーゼ・ルーゼ(CA)、ルイーズ・ファン・トゥルダー(T)、ウィレム・ラヴェッリ(Bs)、トーンクンスト合唱団、1938年5月31日ライヴ録音

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classicalmusic at 01:36コメント(0)ベートーヴェンメンゲルベルク 

2014年02月07日


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現在、シューリヒトがパリ音楽院管弦楽団を指揮してスタジオ録音したベートーヴェンの交響曲全集が廃盤なので、このMEMORIES盤は貴重である。

録音データは以下の通り。

交響曲第1番(ベルリン市立管=現ベルリン・ドイツ・オペラ管、1941年スタジオ録音)、交響曲第2番(スイス・ロマンド管、1957年ライヴ) 、交響曲第3番「英雄」(シュトウットガルト放送響、1952年2月29日ライヴ) 、交響曲第4番(ベルリン市立管=現ベルリン・ドイツ・オペラ管、1942年スタジオ録音) 、交響曲第5番「運命」(フランス国立放送響、1956年9月23日ライヴ) 、交響曲第6番「田園」(シュトウットガルト放送響、1957年2月14日ライヴ) 、交響曲第7番(ウィーン・フィル、1956年12月10日ライヴ) 、交響曲第8番(パリ音楽院管、1957年5月スタジオ録音) 、交響曲第9番(フランス国立放送響、1954年9月12日ライヴ)

巨匠シューリヒトの芸風は飄々とか軽やかという言葉で片付けられがちだが、この全集ではどの曲でも実に豪快そのもので、恐ろしく大胆な変化を平気で繰り広げる激しい指揮者だったということが分かる。

クリュイタンスと同行した戦後初のウィーン・フィルのアメリカ・ツアーに於ける「第7番」の熱狂(当時76歳!)、「第9」はモントルー・フェスティヴァルの凄絶なライヴで、第2楽章などトスカニーニを彷彿とさせる激しさだ。

また、パリで燃焼した「運命」など、特に奇数番号の交響曲にライヴの凄みが光っている。

しかしながら、バランスや表現が滅茶苦茶になることはなく、ベートーヴェンらしさが伝わってくる名演であると思う。

質量優れたオケのアンサンブルに支えられた充実した流れ、鋭敏なリズム、豊かなカンタービレ、広がる弦(大空に広がるが如き)、天界に舞う木管、感動的だ。

録音は生々しいながら部分的に不満もあるが、演奏は素晴らしい。

アポロンなベートーヴェンとはこのことで、パリッとした快速テンポのうちにもめらめらと燃え上がるような情熱が迸る。

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classicalmusic at 21:14コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンシューリヒト 

2014年02月06日


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1982年1月15日/ウィーン、ムジークフェライン大ホールでのライヴ・ステレオ録音。

物凄くスケールの大きい、途轍もなく懐が深い『わが祖国』である。

テンポは遅く、最初の2曲は不器用ささえ感じさせるが、3曲目にはそういうことも気にならなくなってくる。

曲が進むにつれ、マタチッチが創り出すひびきの重量感、ものものしさ、スケールの大きさに圧倒される。

ヴァイオリンはむせるように歌うが、つねに深い苦味を湛えているのである。

全体が巨大なスケールで描き出され、テンポが遅く2枚組であるにも関わらず、6曲で1つの巨大な建造物であることがひしひしと伝わってくる。

「ブラニーク」の最後で1曲目の主題が折り重なってくるところなどは、対位法的に響くというより、撚り合わさってさらに巨大な何かにでもなろうとしてるかのようだ。

終結部では、この遅いテンポの中で、ティンパニ奏者が完全に老巨匠の手足となり完結する。

それに何という巨大さであろう。

マタチッチの人間の大きさ、芸術家としての巨きさが終始ものを言っている。

この連作交響詩で、これほど熱い感動を与えてくれたのは、クーベリック&チェコ・フィルの東京ライヴを聴いて以来だ。

有名な「モルダウ」のみならず、「高い城」「ターボル」といった熾烈な民族の歴史がうねりのように押し寄せてくる楽音では、マタチッチでこそ作品の本質がわかるとさえ思われた。

終曲「ブラニーク」の純音楽的な感興は圧巻で、そこでは細部のニュアンスも豊かであり、ヤン・フスの思い出が巨大な流れのなかに憩っているようだ。

マタチッチの『わが祖国』の録音はこのほかにNHK交響楽団との演奏もあり、オケの違い、年代の違いもあるが、N響盤よりどっしりとした落ち着いた演奏で、マタチッチらしい豪快さも兼ね備えている。

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classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0)スメタナマタチッチ 

2014年02月05日


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ブルックナーの「第6」といえば、筆者も、これまでは、ヴァント盤やヨッフム盤などの曲のスケールの小ささに応じ、あまり風呂敷を拡げ過ぎない演奏に親しんできた。

しかし、このブロムシュテット盤は、これらの演奏とは一線を画し、風呂敷を拡げるだけ拡げ、「第6」を、後期の3大交響曲のようにスケールの大きい大作と捉えて演奏している。

そしてブルックナー演奏の決め手である、重厚さと透明感を両立させるという難しい課題を、これ以上ない程見事に具現している。

リズムの刻みが全編を支配する作品であり、縦の線が揃っていないと話にならない曲だが、ブロムシュテットは実にきっちりと指揮してくれている。

しかし、それでは杓子定規で堅苦しい演奏かというと決してそうではなく、メリハリやふとした柔らかさが至るところで効いている、人間味に溢れた演奏になっているのだ。

ブロムシュテットは年齢を重ねるたびに若々しさを取り戻しているかのようだ。

それはこの演奏を耳にしても明らかであり、決して大げさな指揮こそしていないが、そこにあるのはブルックナーの美しい造形である。

また、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の懐深い響きにも惚れ惚れとしてしまう。

シャイー時代になってから響きが華奢になったと評されることの多いゲヴァントハウス管だが、やはり指揮者がブロムシュテットだと往年の響きが戻ってくるようだ。

これは、アバド時代になって質が下がったベルリン・フィルを、ヴァントが見事に復活させた例と似ている。

ブロムシュテットらしさ、ゲヴァントハウス管らしさがよく示された1枚と言えよう。

そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。

臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーブロムシュテット 

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まさにエネルギッシュという形容がぴったりのカリスマ指揮者ゲルギエフ。

最新アルバムは、オール・ラヴェル・プログラム。

すべてゲルギエフにとって初のレパートリーとなる注目の内容であり、ゲルギエフがロンドン響を率いて新境地を開くラヴェルの作品集である。

何よりも評価したいのは、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音だ。

特に、合唱が加わる「ダフニスとクロエ」が凄い。

合唱付きのオーケストラ曲は、従来から、録音が極めて難しいとされており、これまでのCDを見ても満足のいく音質に達しているのは、数少ないと言えるが、本盤は、これ以上は求め得ないようなハイレベルの音質に達している。

要は、オーケストラが主体か、それとも合唱が主体かと言ったレベルではなく、オーケストラと合唱が一つの音楽として、完全に融合しているのだ。

その上で、オーケストラも合唱も完全に分離して聴こえるのは驚異でもあり、マルチチャンネルによって、それぞれの楽器や合唱の位置までが完璧に聴き取れるほどだ。

演奏も、素晴らしい名演。

ゲルギエフは、もともとオペラを得意とする指揮者であるが、こうした標題音楽における巧さは格別。

各曲の描き分けは、殆ど名人芸の域に達しており、録音の素晴らしさと相俟って、あたかも眼前に情景が思い浮かぶかのようだ。

併録の「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、ゲルギエフとしては普通の出来だと思うが、むしろ「ボレロ」が超名演。

各楽器を完璧に鳴らし、この曲の魅力、そして、ラヴェルの巧みなオーケストレーションを完璧に再現してくれている。

極上の高音質録音がこの名演を大きく後押ししているのも素晴らしい。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルゲルギエフ 

2014年02月04日


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1980年9月8-12日、プラハ、芸術の家での録音。チェコ・フィルは8回目の録音。文化庁芸術祭優秀賞受賞盤。

チェコの巨匠として知られたスメターチェク(1906-1986)だが、晩年の当演奏が「わが祖国」の初録音だった。

細部に至るまで丁寧に彫琢された完成度の高い秀演である。

スメターチェクは、チェコが生んだ最高の巨匠指揮者であるが、ディスクの数は極端に少なく、しかもライヴでこそ真価を発揮するタイプだけに、スタジオ録音はもうひとつだ。

その中にあって、《わが祖国》全曲盤だけは彼の実力が充分に発揮された名演であり、そうなると当然同曲CD中のベスト・ワンを数種のクーベリック盤と競うことになる。

スメターチェクは、習慣版を用いることで、伝統的なスタイルといったアプローチを示している。

時おり用いられるルフトパウゼや、彼独自のアゴーギクなどはその一端だ。

スメターチェクの指揮は、感傷を排し、たくましく堂々としたもので、どの曲も切れば血の出るような、内容的、有機的な響きに満ち、土くさい生命力、雄弁な表情、巨匠ならではの風格が漂っており、各楽器、各音型の生かし方が抜群だ。

全体の曲の流れを大切にした爽やかな演奏で、「モルダウ」の中間部など実にロマンティックな気分の盛り上げも素晴らしく、弦の音色の美しさも、さすがチェコ・フィル。

「ターボル」「ブラニーク」も、要所を押さえた指揮で聴き手を作品に引き込む。

とくに後半の3曲がすばらしく「ボヘミアの森と草原より」「ターボル」「ブラニーク」に筆者はしびれている。

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2014年02月03日


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アルゲリッチの面白さを堪能できるディスクだ。

最も好きな作曲家はシューマンと語るアルゲリッチであるが、これまでのところ、幻想曲ハ長調 Op.17と、幻想小曲集 Op.12に関してはセッション録音はほかに無いようなので、この若き日の録音を収めたアルバムの存在は貴重である。

古今東西、シューマン的な魅力を発揮するピアニストといえば、誰でもまずアルゲリッチを考えるだろう。

ここでのアルゲリッチの演奏は、シューマン若き日の楽想の変化の激しさを見事に表したもので、激したり沈んだりする多彩な表情と音色の変化の目まぐるしさは、名手アルゲリッチとしてもこの時期(1976年)だけのものかもしれない。

彼女の演奏はシューマンの作品に対する内省的な洞察があるとともに、この作曲家の外へ燃え出る強烈な表出力と深く沈下する情熱が見事に調和しているのである。

それはまたCDでありながら演奏の一回性を強く実感させる。

実に素晴らしい独自のシューマンの主張として、強い説得力を持つ音楽だ。

アルゲリッチの特色が最大限に発揮されており、それゆえに息もつかせぬ面白さを満喫できるのは《幻想小曲集》である。

これ以上ロマン的な表出は不可能を思われるほど自由奔放であり、アルゲリッチのインスピレーションと歌が強く押し出され、独自の世界を繰り広げてゆく。

感興のおもむくまま、奔放に弾きあげた演奏で、しかもロマン的な情感が濃厚に漂っている。

それに比べれば《幻想曲》は抑制が効いているが、ここでも各曲をファンタスティックに精妙に弾きこんでいる。

ホロヴィッツがパステルカラーの絵ならば、アルゲリッチは油絵といった感じで、静と動、明と暗の対比をくっきりとつけながら、感興のおもむくまま、各曲を即興的に弾いているのが特徴だ。

ピアノの小品集と思って聴くと驚かされるような、力の入った熱っぽい演奏である。

1976年、アナログ後期におこなわれたセッションでのステレオ録音のため、そうしたアルゲリッチの切れ味鋭い音から繊細な音まできちんとしたクオリティで収録されているのもポイントである。

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classicalmusic at 22:57コメント(0)トラックバック(0)シューマンアルゲリッチ 

2014年02月02日


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意外な録音の登場だ。

ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集の録音は、今般の第1番の登場でついに第7弾ということになった。

既に第3番〜第8番の6曲が登場しており、残るのは第2番と第9番のみとなった(第9番は既に英デッカに1995年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とともにスタジオ録音しており、再録音するかどうかは不明。第0番や、更に第00番に挑戦するかどうかも不明だ。)。

筆者もまさか第1番をブロムシュテットが録音するとは思っていなかった。

85歳になった今や押しも押されぬ巨匠であるブロムシュテットにとっても、ブルックナーの交響曲演奏に関する長いキャリアの中でも初めての録音になったものであり、これはブロムシュテットが高齢になっても今なお失っていない飽くなき探求心とともに、ブルックナーの交響曲に対する深い愛着の賜物と言っても過言ではあるまい。

それにしても、本演奏において聴くことができるのは、ブロムシュテットにとって初めての録音とは到底思えないほどの熟練の指揮芸術と言えるのではないだろうか。

楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというのは、誠実とも言えるこの指揮者の美質そのものであるが、例えば、楽曲自体は異なるが、かつてシュターツカペレ・ドレスデンとともにスタジオ録音を行った交響曲第4番や第7番の定評ある名演などと比較すると、彫りの深さ、懐の深さにおいて、はるかに凌駕している。

ブラスセクションなどもかなり強靭に鳴らしているが、無機的な音は皆無であり、どこをとっても奥深い、それこそブルックナーらしさを失っていないのが素晴らしい。

かつてのブロムシュテットにあった唯一の欠点でもある、楽曲の頂点における力みが感じられないというのは見事であり、これは、前述のように、ブロムシュテットの円熟の証左と言えるだろう。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてのシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、まさに理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さ、そして、比較的数少ない同曲の様々な指揮者による演奏の中でも最上位にランキングされる見事な名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。

臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年02月01日


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ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲シリーズもついに第6弾、それも最もポピュラーな交響曲第4番の登場だ。

ブロムシュテットによるブルックナーの交響曲第4番と言えば、何と言っても、1981年にシュターツカペレ・ドレスデンとともに行ったスタジオ録音が念頭に浮かぶ。

当時のドレスデンは、今はなき東ドイツにあり、シュターツカペレ・ドレスデンも、現在ではすっかりと色褪せてしまったが、いぶし銀とも言うべき独特の魅力的な音色を誇っていた。

ホルンのペーター・ダムをはじめとした伝説的なスター・プレイヤーもあまた在籍しており、特に、同曲はホルンが大活躍する交響曲だけに、当該演奏の魅力は絶大なるものがあった。

ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンのコンビは、同時期に来日を果たして、同曲の演奏を披露し、NHKなどでも放映されたが、とにかく、シュターツカペレ・ドレスデンの音色に完全に魅了されてしまったことを鮮明に記憶しているところだ。

ブロムシュテットの指揮も、自我を極力抑制して、シュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な演奏にすべてを委ねているとさえ言えるところであり、そのことが、当該演奏を独特の魅力のあるものとしていたのではないかとも思われるところである。

本盤に収められた同曲の演奏は、当該演奏から約30年も経った2010年のものであるが、ここで感じられるのは、今や、現代を代表する大指揮者となったブロムシュテットの円熟と言えるのではないだろうか。

同曲演奏に対する基本的なアプローチには変わりがないと言えるが、楽想を描き出していく際の彫りの深さ、懐の深さは、1981年の演奏をはるかに凌駕している。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、まさに理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さ、そして、近年の同曲の演奏でも最上位にランキングされる見事な名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。

臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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C・デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度録音した稀有の指揮者だ。

これは、シベリウスの母国、フィンランドの指揮者であるベルグルンドと並ぶ最多記録であり、デイヴィスがいかにシベリウスに深い愛着を持っているのかの証左と言えるだろう。

デイヴィスの3つの全集のうち、現在でも依然として評価が高いのは、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集である。

特に、「第1」〜「第5」は、他の名演と比較しても今なお上位にランキングされる名演であり、いささか透明感に欠ける「第6」や「第7」を踏まえて考えてみても、全集としての価値は、今なお相当に高いものがあると言えるのではないだろうか。

私事で恐縮であるが、筆者も中学生の時代にシベリウスの交響曲に慣れ親しんだが、その時に愛聴していたLPがデイヴィスによる最初の全集であった。

これに対して、2度目の全集は、最初の全集から約20年後の1990年代にロンドン交響楽団と成し遂げたものであるが、これは、はっきり言って、最初の全集と比較するといささか魅力に乏しいと言えるだろう。

デイヴィスとしては、自信を持って臨んだ録音であるのであろうが、そうした自信が過剰になってしまったきらいがあり、金管楽器などのいささか無機的な音色に、やや力の入った力みを感じさせるのが非常に気になった。

最初の全集と比較して、解釈に深みが加わった点は散見されるものの、デイヴィスとしてもいささか不本意な出来であったのではあるまいか。

2度目の全集から10年足らずの間隔で、ロンドン交響楽団の自主レーベルにではあるが、3度目の録音を行ったというのは、その証左と言えるのではないかと考えられる。

そして、この3度目の全集であるが、これは、2度目の全集で見られたような力みがいささかも感じられず、いわゆる純音楽的で自然体のアプローチによる円熟の名演揃いであると高く評価したい。

最初の全集において、いささか透明感に欠けていた「第6」及び「第7」についても、北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美に満ち溢れており、クレルヴォ交響曲をも含め、本3度目全集は、まさしくデイヴィスのシベリウスの交響曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演集であると高く評価したい。

本盤は、かつて通常CDで発売されていて、唯一SACD化されていなかった「第5」及び「第6」をSACD化したものである。

シベリウスの交響曲のような透明感溢れる抒情的な音楽には、本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDは抜群の効力を発揮すると言えるところであり、演奏内容の質の高さからしても、今般のSACD化を大いに歓迎したい。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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