2014年02月

2014年02月11日


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このCDはどうやら世界各地で非常に売れているらしく、オルフェオのCDとしてもかなり売れた方に入ると思う。

輸入盤で買っても安くはないのに、山積みされたCDがどんどん減ってきている。

クラシックCDが売れない売れないと大騒ぎする中で、この売れ方は珍しい。

売れる理由は簡単で、組み合わせも演奏もとても面白いからだ。

まずはカップリングであるが、あのセルがウィーン・フィルを演奏、しかもザルツブルク音楽祭でのライヴで、ピアノ協奏曲第3番はギレリスが独奏している。

これだけでも十分商品価値があるのに、演奏が凄く、ベートーヴェンの交響曲第5番がまさに白熱のライヴなのだ。

もちろん、「エグモント」もピアノ協奏曲第3番も面白いのだが、「第5」があまりにも燃える演奏なので驚いてしまう。

そもそもこの曲は構成が堅固であるし、盛り上がるようにできているので、よほど凡庸な演奏を聴かない限り結構興奮するものだが、セルの演奏は破天荒とも言うべき豪快さだ。

クリーヴランドで緻密な演奏を重ねてヨーロッパに負けないオケを作り上げたセルはひとたびヨーロッパに戻るや普段の鬱憤みたいなものを爆発させてしまったのではないだろうか。

アメリカでの演奏活動ではここまでの燃え方はしないし、ここでのセルは一体どうしたのかと訝ってしまう。

しかし、それはリスナーにとってはいいことだ。

別にパッチワークでできた大人しい演奏を聴きたいなんて考えている人はそうそういないはずだ。

筆者もこの曲を聴いてこんなに興奮してしまったのは久しぶりだった。

余りにも面白くて、度々聴いていたのだが、その度ごとに興奮してしまった。

これほど耳にタコができるくらい聴き慣れた曲を演奏して、かくも熱狂させるセル&ウィーン・フィルは凄まじい。

指揮者が燃えただけではこうはならないはずで、ウィーン・フィルもこの大指揮者の放つオーラに触発されてしまったのだろう。

第4楽章の後半は手に汗握ること間違いなしだ。

なお、オルフェオのCDはモノラルが多いが、これは立派なステレオで、音質はライヴ録音としては最上だろう。

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本盤にはプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番とラヴェルのピアノ協奏曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

それどころか、録音から40年以上が経過しているにもかかわらず、現在でもなお両曲の様々な演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

アルゲリッチのピアノは、実演においてもスタジオ録音においても、灼熱のように燃え上がる圧倒的な豪演を展開するが、それは本盤に収められた演奏においても健在。

その卓越した技量は超絶的でもあり、とても人間業とは思えないような強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅は桁外れに広く、変幻自在のテンポ設定や猛烈なアッチェレランドを駆使するなど、自由奔放で即興的とも言うべき圧倒的なピアニズムを展開している。

それでいて、アルゲリッチが素晴らしいのは、どれだけ自由奔放な演奏であっても、いささかも格調の高さを失うことがないという点である。

要は、どのように大胆な表現を行っても、芸術性を損なわないということであり、プロコフィエフでは同曲特有の独特のリズム感と叙情性を巧みに表現しているし、ラヴェルのピアノ協奏曲では、同曲が含有するフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいにおいてもいささかの不足はない。

このような圧倒的なピアニズムを展開するアルゲリッチに対して、アバドの指揮も一歩も引けを取っていない。

当時のアバドは次代を担う気鋭の指揮者として上昇気流に乗りつつあったが、本盤の演奏においても、畳み掛けていくような気迫や力強さ、そして持ち前の豊かな歌謡性を駆使した、いい意味での剛柔バランスのとれた名演奏を行っている点を高く評価したい。

オーケストラにベルリン・フィルを起用したのも功を奏しており、さすがにこの当時はポストカラヤンなどは問題にもならなかったであろうが、気鋭の指揮者に敬意を表して最高の演奏を披露したベルリン・フィルにも大きな拍手を送りたい。

なお、アルゲリッチは、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番についてはデュトワ&モントリオール交響楽団(1997年)とともに、ラヴェルのピアノ協奏曲については、アバド&ロンドン交響楽団(1985年)、デュトワ&モントリオール交響楽団(1997年)とともに再録音を行っており、それらも素晴らしい名演ではあるが、本盤の演奏にはそれら後年の演奏にはない若さ故の独特の瑞々しさがあり、本盤の演奏の方をより上位に置きたいと考える。

音質については、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質である。

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2014年02月10日


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ヴァントほどの大指揮者になると、愉悦性に富んだ管弦楽曲と言えどもいささかも手抜きはしない。

その最たる例が、本盤に収められたハフナー・セレナード&ドイツ舞曲であると言えるだろう。

モーツァルトの管弦楽曲と言えば、オペラの序曲を除けば、セレナードとディヴェルティメントが2本柱と言えるが、超有名な「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」を除けば、独墺系の指揮者は、そのどちらかを好んで演奏する傾向が強いように思われるところだ。

カラヤンなどは、ディヴェルティメントを得意のレパートリーとしており、最晩年にも素晴らしいスタジオ録音を成し遂げている。

これに対して、生前カラヤンのライバルと目されたベームはセレナードを好んで演奏していたことは良く知られているところだ。

そして、ヴァントは、こうしたベームの系譜に繋がる指揮者と言えるだろう。

とは言っても、ベームによるセレナードの演奏と、ヴァントによるセレナードの演奏は随分とその性格が異なる。

どちらの指揮者も、堅固な造型美や重厚にして剛毅な演奏という点において共通しているが、ベームの演奏には、ウィーン・フィルなどによる美演ということも多分にあると思われるが、優美さや典雅さに満ち溢れているのではないだろうか。

これに対して、ヴァントの演奏は、例によって厳格なスコアリーディングに基づいた緻密さを基軸にしており、優美さや典雅さよりもむしろ、交響曲を演奏するような姿勢で演奏に接しているとさえ言えるだろう。

したがって、ハフナー・セレナードの持つ愉悦性においては、いささか欠けていると言わざるを得ないが、格調の高さにおいては無類のものがあり、一聴すると武骨な表現の中にも、独特のニュアンスや情感の豊かさが込められているのが見事である。

必ずしも、一般受けする演奏とは言い難いが、演奏に内在する意味の深さ、彫りの深さには尋常ならざるものがあり、本演奏は、巨匠ヴァントの晩年の至高・至純の境地があらわれた素晴らしい名演と高く評価すべきではなかろうか。

ドイツ舞曲も、ヴァントのような大指揮者が演奏すると、偉大な芸術作品に変貌し、まさに、同曲の真の魅力を引き出すのに成功した稀有の名演と高く評価したい。

音質は、1989年のスタジオ録音であるだけに、従来CD盤でも十分に満足できる音質であったが、今般、ついにSACD化されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

音質の鮮明さ、音場の幅広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ヴァントによる至高の超名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤には、生粋のウィーンっ子であったクリップスがコンセルトへボウ管弦楽団を指揮したモーツァルトの交響曲第40番及び第41番が収められているが、いずれも古き良き時代のウィーンの雰囲気を彷彿とさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

仮に、クリップスが、コンセルトへボウ管弦楽団ではなくウィーン・フィルを指揮して演奏をしていれば、更にウィーン風の雰囲気は強まったとも考えられるが、本盤の録音当時のコンセルトへボウ管弦楽団は、北ヨーロッパならではの幾分くすんだようないぶし銀の音色が顕著であり、演奏に適度の潤いと温もりを付加させている点を忘れてはならない。

そして演奏は、優雅そのものであり、いかにもクリップスならではの本場ウィーンを思わせるような典雅な雰囲気に満たされている。

クリップスのアプローチは決して手の込んだ個性的なものではなく、ゆったりとしたテンポによって、スコアに記された音符の一音一音を心を込めて精緻に表現していくというものであるが、音楽の流れが淀むことはいささかもなく、むしろウィンナ・ワルツのように優雅に、そして颯爽と流れていくのが素晴らしい。

表現自体は、あくまでも自然体でオーソドックスなものであるが、細部に至るまでコクがあり、豊かな情感に満ち溢れているというのは、クリップスが本演奏において必ずしも意図して行ったのではなく、むしろクリップス自身に染みついた天性の指揮芸術の賜物であり、まさに生粋のウィーンっ子の面目躍如たるものであろう。

モーツァルトの交響曲の演奏様式は、近年ではピリオド楽器の使用や古楽器奏法などが主流となっているが、本盤のような演奏を聴いていると、故郷に帰省した時のように懐かしい、そして安定した気分になる聴き手は筆者だけではあるまい。

本演奏については、かつてSACDハイブリッド盤が発売されており、それでも十分に満足し得る高音質であった。

しかしながら、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、それを遥かに凌駕する究極の高音質録音である。

このような素晴らしい優雅な名演を、望み得る最高の鮮明な高音質で味わうことができることを大いに歓迎したい。

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2014年02月09日


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今までありそうでなかったメンゲルベルク&コンセルトヘボウ管によるブラームス:交響曲全集セット化。

演奏は、第1番フィナーレに見られるような、コーダをどこまでも延ばすような過激な表現意欲に満ちており、この辺りはミュンシュなどに強い影響を与えていることがわかる。

第3番は、一番録音年代が古いものの実に良い音質で、トロトロに甘美なロマン主義演奏の最右翼である。

第4番は、古典的風格を守っておりグイグイと引張る推進力に敬服する。

第2番も圧倒的な逞しさを誇る名演。

考えてみると、1940年というのは、ブラームスが亡くなってからまだ50年も経っていないわけで、ヨーロッパにはまだブラームスの面影があったのだろう。

現代の理路整然とした演奏と比較すると、大胆なテンポ、起伏の大きな演奏となっているが、先にも述べたように音楽が語りかけてくるような力をもっている。

例えば、カラヤンのブラームスが美しい彫像を見るような思いを抱かせるとすると、メンゲルベルクのそれは、生々しく生きている。

それぞれのシンフォニーを書いた30代、40代さらに晩年のブラームスが伝わってくる。

これはクラシックに限ったことではないのだが、こうした自由で大胆な音楽表現がなくなってしまったのは淋しい。

正確であること、形が美しくあること、美しい響きであることだけが、すべてではないはずだ。

CD化に当たっての音質補正にも無理がなく、演奏の細部がよくわかる。

既出の盤があるものはノイズの取り過ぎで、真の音が削がれているのに対し、MEMORIES盤はノイズをむしろ残してエコーを付けたりしない誠実な復刻に好感が持てる。

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夜想曲集の名演を成し遂げたピアニストは、これまで多く存在しているが、その中でもサンソン・フランソワの演奏は、個性的という意味においては最右翼に掲げられるべきものではないだろうか。

いわゆる崩した弾き方であり、あくの強さが際立った演奏とも言える。

それ故に、コンクール至上主義が横行している現代においては、おそらくは許されざる演奏であり、稀代のショパン弾きであったルービンシュタインによる演奏のように、安心して楽曲の魅力を満喫することが可能な演奏ではなく、あまりの個性的なアプローチ故に、聴き手によっては好き嫌いが分かれる演奏とも言えなくもないが、その演奏の芸術性の高さには無類のものがあると言っても過言ではあるまい。

フランソワは、もちろん卓越した技量を持ち合わせていたが、いささかも技巧臭を感じさせることはなく、その演奏は、即興的で自由奔放とさえ言えるものだ。

テンポの緩急や時として大胆に駆使される猛烈なアッチェレランド、思い切った強弱の変化など、考え得るすべての表現を活用することによって、独特の個性的な演奏を行っている。

各旋律の心を込め抜いた歌い方にも尋常ならざるものがあるが、それでいて、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な芸術性を失うことがないのが見事である。

また、一聴すると自由奔放に弾いているように聴こえる各旋律の端々には、フランス人ピアニストならではの瀟洒な味わいに満ち溢れたフランス風のエスプリ漂う情感が込められており、そのセンス満点の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

本盤に収められた夜想曲集も、まさにセンスの塊とも言うべき名演奏であり、自己主張をコントロールして全体を無難に纏めようなどという考えは毛頭なく、前述のように、強烈な個性という意味においては、フランソワによる本演奏の右に出る演奏は存在しないと言っても過言ではあるまい。

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「第2」、「第3」、「第4」はスタジオ録音で、その表現はさすがにアーベントロートらしく濃厚熾烈なものだが、本全集中唯一のライヴ録音「第1」こそ白眉だ。

録音は1956年とはいえ生々しいライヴの雰囲気を伝えるものであり、十二分に鑑賞に堪え得る。

とにかく巨人アーベントロートの凄まじい気迫、濃厚過ぎるような表現意志、壮絶でドラマティックな鬼気迫る演奏だ。

孤高の厳しさと伸びやかさを兼ね備えているのが興味深く、ブラームス・ファンのみならず、ドイツ音楽の信奉者は何を措いても聴くべし。

「第2」の第1楽章は何とも遅いテンポで内面のおりがたまったような表現だが、粘らず響きが明快であるため、他の指揮者とは違った独自性が生まれている。

アーベントロートはやはり一種独特の風格と個性を持った指揮者だが、終楽章になると一転して急速なテンポをとるので、簡単に演奏様式を決めつけるわけにはいかない。

一筋縄ではいかない器量が示された演奏と言える。

「第3」は自由なアゴーギクを駆使した、変幻自在とでも言えるような表現だ。

オーケストラはそれを自分自身の発想のように見事なアンサンブルで演奏しており、ここにはアーベントロートとオーケストラの緊密な関係が示されている。

また表現のパターンは一定でなく、終楽章は精気溌剌として見事に締めくくっている。

アーベントロート流の様式化された解釈は、「第4」のように古典的書法の曲では絶大な効果を発揮する。

第2楽章の第2主題の絶妙なレガートや、終楽章のパッサカリアの性格的な表現では、アーベントロートの特色と音楽性がよく味わえる。

ブラームス在世中に生まれたこの指揮者は、ブラームスの音楽が書かれた時代を肌で知っていた。

つまりこれらの演奏は今や時代の証言と言えるだろう。

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2014年02月08日


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ハイティンクほど、評価が分かれる指揮者はいないのではないだろうか。

ハイティンクのアプローチは誠実そのものであり、奇を衒った演奏を行うことは皆無であり、曲想を丁寧に愚直に描き出していくのを旨としている。

したがって、聴き手によっては、楽曲の魅力を安定した気持ちで満喫することができるということで評価する人もいるであろうし、他方では、そうした演奏を没個性的であると批判する人もいると思われる。

筆者としては、いずれの意見にも一理あると考えているが、楽曲によって向き不向きがあると言えるのではないだろうか。

例えば、マーラーのような交響曲については、ハイティンクの演奏では物足りないと感じることが多々あるが、他方、ブルックナーの交響曲については、これも曲によって良し悪しはあるが、総体としては、マーラーよりは出来がいい演奏を成し遂げているように思われる。

多くの評論家が賞賛しているショスタコーヴィチの交響曲についても、楽曲によって向き不向きがあるようで、例えば第4番はいかにも踏む込み不足が露呈した演奏に陥っているように思うが、第13番は彫りの深い素晴らしい名演に仕上がっている。

ハイティンクは、長年にわたって、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の芸術監督を務めたことから、どちらかと言うと、同オーケストラを指揮した時の方が、名演になることが多いとも言えるのかもしれない。

実際に、前述のショスタコーヴィチの第4番はロンドン・フィルとの演奏であるのに対して、第13番はコンセルトへボウ管との演奏でもあるのだ。

それはさておき、本盤のドビュッシーの演奏においても、ハイティンクのアプローチは何ら変わるものではない。

自我を抑制し、ひたすら曲想を丁寧に愚直に描き出していくというものだ。

したがって、ドビュッシーの音楽の魅力をゆったりとした気持ちで味わうことができるという意味においては、素晴らしい名演と評価してもいいのではないかと考える。

特に、当時のコンセルトへボウ管の各奏者は卓越した技量を誇っており、そうした圧巻の技量とともに、北ヨーロッパの楽団ならではの幾分くすんだいぶし銀の響きが味わえるのも本演奏の大きな魅力の一つである。

さらには、SACDによる究極の超高音質によって、本名演を味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:01コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーハイティンク 

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ベートーヴェンの交響曲に関心を持つ人にとって、フェリックス・ワインガルトナーは未だに無視できない。

管弦楽編成を含む彼のエディション、『ベートーヴェンの交響曲について』をはじめとする著書と論文、そして第2次世界大戦前としては驚くべき全曲録音などは、指揮者にも、研究者にも、愛好家にも、貴重な資料であり、業績である。

それらは、彼が指揮者、作曲家、思索家という3つのペルソナが達成された成果である。

演奏面で、ワインガルトナーはヨーロッパの多くの都市(マインツ、パリ、ロンドンなど)で、ベートーヴェンの全交響曲を演奏した。

ロマン・ローランが『ベートーヴェンの生涯』を書いたのも、ワインガルトナーのベートーヴェン・ツィクルスを聴き、刺激を受けたためと言われている。

つまり、ワインガルトナーのベートーヴェン解釈は、第2次世界大戦前には1つの基準であった。

彼がロマン的な誇張や歪曲を認めず、音楽だけに基づいて解釈したためであろう。

事実、トスカニーニが登場するまで、このような解釈でベートーヴェンを指揮するのは、ワインガルトナー以外にほとんどいなかった。

英コロンビアが、ベートーヴェンの交響曲を繰り返し彼に録音させたのも、このためであろう。

録音データは以下の通り。

CD1 交響曲第1番、交響曲第3番「英雄」 ウィーン・フィル 1937年10月、1936年5月スタジオ録音
CD2 交響曲第4番、交響曲第6番「田園」 ロンドン・フィル、1933年11月スタジオ録音、ロイヤル・フィル、1927年1月スタジオ録音
CD3 交響曲第8番、 交響曲第5番「運命」 ウィーン・フィル、1936年スタジオ録音、ロンドン・フィル、1933年スタジオ録音
CD4 交響曲第2番、交響曲第7番、ロンドン響、1938年3月スタジオ録音、ウィーン・フィル、1936年スタジオ録音
CD5 交響曲第9番、ウィーン・フィル、ウィーン国立歌劇場合唱団、ゲオルグ・マイクル(T)、ロゼット・アンダイ(CA)、リヒャルト・マイル(Bs)、ルイゼ・ヘレツグリューバー(S)

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メンゲルベルクの強烈な個性が示された全集。

形而上的なフルトヴェングラーに対し、同じロマンティックな指揮者でもメンゲルベルクの場合は、トスカニーニ同様、音そのもので勝負だった。

その意味で彼のベートーヴェンは演奏の彫りが深く、誇張された音芝居を如実に味わえるのが嬉しい。

ルバートやアゴーギクを多用した細かいテンポの動き、克明に変化するダイナミクス、音やリズムの改変など、濃厚に表情付けされたロマン的な演奏だが、フルトヴェングラーのようにその場の感興を重んじたロマン性でなく、綿密な設計のもとで細部の表現を彫琢しつつ、全体をスケール大きな堅固な造りでまとめるという、知的に考え抜かれたロマン性であるのが特徴。

ライヴ録音でも、そうした表現操作が徹底されている点も凄い。

しかもそれが作りものとしてでなく、説得力をもった雄弁さで迫ってくる。

大時代的という批判もあるが、むしろ今日こそこれらの演奏の持つ意義と価値の高さを考える必要があろう。

確かに様式的な古さが気にはなるが、峻厳さと歌謡性を兼ね備えた偉大な演奏である。

録音データは以下の通り。

CD1 交響曲第1番、交響曲第3番「英雄」 ニューヨーク・フィル 1930年1月スタジオ録音
CD2 交響曲第4番、交響曲第5番「運命」 コンセルトヘボウ管、1940年4月25日、4月18日ライヴ録音
CD3 交響曲第8番、交響曲第6番「田園」 コンセルトヘボウ管、1940年4月18日、4月21日ライヴ録音
CD4 交響曲第2番、コンセルトヘボウ管、1940年4月21日ライヴ録音 交響曲第7番、ベルリン放送交響楽団 1942年1月28日ライヴ録音
CD5 交響曲第9番、コンセルトヘボウ管、トー・ファン・スルーズ(S)、スーゼ・ルーゼ(CA)、ルイーズ・ファン・トゥルダー(T)、ウィレム・ラヴェッリ(Bs)、トーンクンスト合唱団、1938年5月31日ライヴ録音

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2014年02月07日


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インバルは、現代最高のマーラー指揮者としての称号をほしいままにしているが、マーラーに私淑していたとされるショスタコーヴィチについても、ウィーン交響楽団とともにスタジオ録音による交響曲全集を完成させるなど、自らのレパートリーの軸としているとも言える。

とりわけ、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも最もポピュラリティを獲得しているとされる第5番については、3度にわたって録音を行っている。

最初の録音は本盤に収められたフランクフルト放送交響楽団とのスタジオ録音(1988年)、次いで、前述の全集の一環としてスタジオ録音されたウィーン交響楽団との演奏(1990年)、そして、先般発売されて大きな話題となった東京都交響楽団とのライヴ録音(2011年)が存在している。

このうち、直近の2011年のライヴ録音については、近年のインバルの円熟ぶりが窺える圧倒的な名演であり、3種ある同曲の録音の中でも頭一つ抜けた存在であると言えるところだ。

したがって、2011年のライヴ録音を比較の対象とすると、他の演奏が不利になるのは否めない事実であるが、当該ライヴ録音を度外視すれば、本盤に収められた演奏は、十分に名演の名に値するのではないかと考えている。

少なくとも、オーケストラの優秀さなどを総合的に勘案すれば、2年後のウィーン交響楽団との演奏を遥かに凌駕していると言えるところであり、当時のインバルの演奏の特色を窺い知ることが可能な名演と評価してもいいのではないかと考えるところだ。

当時、同時並行的にスタジオ録音を行っていたマーラーの交響曲全集にも共通するが、当時のインバルの楽曲の演奏に際してのアプローチは、一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演、例えば、前述の2011年のライヴ録音においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

ショスタコーヴィチがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが本演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失うことなく、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしているのである。

もう少し踏み外しがあってもいいような気もしないではないが、それは2011年のライヴ録音の方に委ねればいいのであり、演奏の安定性、普遍性という意味においては、実に優れた名演と高く評価したい。

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現在、シューリヒトがパリ音楽院管弦楽団を指揮してスタジオ録音したベートーヴェンの交響曲全集が廃盤なので、このMEMORIES盤は貴重である。

録音データは以下の通り。

交響曲第1番(ベルリン市立管=現ベルリン・ドイツ・オペラ管、1941年スタジオ録音)、交響曲第2番(スイス・ロマンド管、1957年ライヴ) 、交響曲第3番「英雄」(シュトウットガルト放送響、1952年2月29日ライヴ) 、交響曲第4番(ベルリン市立管=現ベルリン・ドイツ・オペラ管、1942年スタジオ録音) 、交響曲第5番「運命」(フランス国立放送響、1956年9月23日ライヴ) 、交響曲第6番「田園」(シュトウットガルト放送響、1957年2月14日ライヴ) 、交響曲第7番(ウィーン・フィル、1956年12月10日ライヴ) 、交響曲第8番(パリ音楽院管、1957年5月スタジオ録音) 、交響曲第9番(フランス国立放送響、1954年9月12日ライヴ)

巨匠シューリヒトの芸風は飄々とか軽やかという言葉で片付けられがちだが、この全集ではどの曲でも実に豪快そのもので、恐ろしく大胆な変化を平気で繰り広げる激しい指揮者だったということが分かる。

クリュイタンスと同行した戦後初のウィーン・フィルのアメリカ・ツアーに於ける「第7番」の熱狂(当時76歳!)、「第9」はモントルー・フェスティヴァルの凄絶なライヴで、第2楽章などトスカニーニを彷彿とさせる激しさだ。

また、パリで燃焼した「運命」など、特に奇数番号の交響曲にライヴの凄みが光っている。

しかしながら、バランスや表現が滅茶苦茶になることはなく、ベートーヴェンらしさが伝わってくる名演であると思う。

質量優れたオケのアンサンブルに支えられた充実した流れ、鋭敏なリズム、豊かなカンタービレ、広がる弦(大空に広がるが如き)、天界に舞う木管、感動的だ。

録音は生々しいながら部分的に不満もあるが、演奏は素晴らしい。

アポロンなベートーヴェンとはこのことで、パリッとした快速テンポのうちにもめらめらと燃え上がるような情熱が迸る。

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クレンペラー「ライヴ」のベートーヴェン:交響曲全集。

録音データは、以下の通り。

交響曲第1番(ケルン放送響、1954年10月25日)、交響曲第3番「英雄」(ベルリン放送響、1958年3月29日)、交響曲第2番(ベルリン放送響、1958年3月29日)、交響曲第5番「運命」(LAP、1934年1月1日)、交響曲第4番(COA、1956年5月9日)、交響曲第7番(NDR、1955年9月28日)、交響曲第8番(ケルン放送響、1955年5月28日)、交響曲第6番「田園」(ベルリン放送響、1954年2月15日)交響曲第9番(COA、1956年5月17日)

『運命』は1934年の演奏だが、他は病を乗り越えヨーロッパで尊敬を一身に集めた時期である1950年代中盤から後半の名演。

演奏は興味深いものが多い。

1枚目から何となく聴き始めたが、「第1」など極めて立派な活気のある名演だった。

「第5」のみ音が古めかしいが、貴重なロス時代のクレンペラーの姿…と思えばよい。

「第2」、「第7」もどっしりとして、かつ音楽の勢いや流れも失われておらず、意外な掘り出し物だった。

リズム重視でずしりと手ごたえのあるのはいつものことであるが、クレンペラーといえども人の子。

聴衆を前に存分に熱している。

それぞれに分売されているのだろうが、価格面でも「とりあえず」触れてみるには手頃なセットである。

クレンペラーはフィルハーモニア管とも優れたベートーヴェンを遺しているが、ヨーロッパ強豪オケの重厚なサウンドはクレンペラーのヘビーな解釈にぴったりと言えよう。

但し、音質はいずれの曲も著しい低音不足で、アンプで低音域を強調しなければならない。

最近のこのレーベルはこういう傾向の音が多く、そのままだと聴いていて疲れてしまう。

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2014年02月06日


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内田光子と言えば、今や我が国にとどまらず、世界でも指折りの女流ピアニストと言えるが、今から30年ほど前は、ジェフリー・テイト&イギリス室内管弦楽団をバックとしてスタジオ録音を行ったモーツァルトの一連のピアノ協奏曲の演奏で知られる存在であった。

これら一連の録音は現在でも十分に通用するクオリティの高い名演であるが、内田光子はそうした当時の高評価に安住することなく研鑽に努め、シューベルトのピアノ・ソナタ集やベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ集などの数々の歴史的な超名演を経て、現在の確固たる地位を築き上げてきたと言えるだろう。

そうした現代最高の女流ピアニストの一人となった内田光子が、数年前からクリーヴランド管弦楽団の弾き振りによって開始したチクルスが、まさに満を持して再録音に挑むことになるモーツァルトのピアノ協奏曲集である。

既に、第1弾(第20番&第27番)、第2弾(第23番&第24番)が登場しており、本盤は新チクルスの第3弾(第9番&第21番)ということになる。

第1弾、第2弾ともに至高の超名演であったが、本盤の演奏もそれらに優るとも劣らない凄い超名演だ。

かつてのジェフリー・テイトと組んで演奏した旧盤とは比較にならないような高みに達しているとも言えるだろう。

それにしても、モーツァルトの傷つきやすい繊細な抒情を、これほどまでに意味深く演奏した例は、これまでの様々なピアニストの演奏にあったであろうか。

モーツァルトの楽曲は、ピアノ協奏曲に限らないが、一聴すると典雅で美しい旋律に時として憂いに満ちた寂しげなフレーズが盛り込まれているが、そうした箇所における表現が内田光子の場合は絶妙なのである。

各旋律における表情付けの意味深さは鬼気迫るものがあり、諸説はあると思うが、モーツァルトのピアノ協奏曲の本質のベールが内田光子によってこそはじめて脱がれたとも言ってもいいのではないか。

これら両曲の演奏の内面から浮かび上がってくるモーツァルト渾身の魂の響きは、あまりにも繊細にして優美であり、涙なしでは聴けないほど感動的と評しても過言ではあるまい。

モーツァルトのピアノ協奏曲に旋律の美しさ、聴きやすさ、親しみやすさのみを求める聴き手には全くおすすめできない演奏とも言えるが、モーツァルトのピアノ協奏曲を何度も繰り返し聴いてきた聴き手には、これらの楽曲の本質をあらためて認識させてくれる演奏であり、その意味では玄人向けの演奏とも言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、モーツァルトのピアノ協奏曲演奏の真の理想像の具現化と言っても過言ではない、至高の超名演と高く評価したい。

音質は、2012年のスタジオ録音であり、加えてピアノ曲との相性抜群のSHM−CDだけに、十分に満足できるものと言える。

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classicalmusic at 23:50コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト内田 光子 

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1982年1月15日/ウィーン、ムジークフェライン大ホールでのライヴ・ステレオ録音。

物凄くスケールの大きい、途轍もなく懐が深い『わが祖国』である。

テンポは遅く、最初の2曲は不器用ささえ感じさせるが、3曲目にはそういうことも気にならなくなってくる。

曲が進むにつれ、マタチッチが創り出すひびきの重量感、ものものしさ、スケールの大きさに圧倒される。

ヴァイオリンはむせるように歌うが、つねに深い苦味を湛えているのである。

全体が巨大なスケールで描き出され、テンポが遅く2枚組であるにも関わらず、6曲で1つの巨大な建造物であることがひしひしと伝わってくる。

「ブラニーク」の最後で1曲目の主題が折り重なってくるところなどは、対位法的に響くというより、撚り合わさってさらに巨大な何かにでもなろうとしてるかのようだ。

終結部では、この遅いテンポの中で、ティンパニ奏者が完全に老巨匠の手足となり完結する。

それに何という巨大さであろう。

マタチッチの人間の大きさ、芸術家としての巨きさが終始ものを言っている。

この連作交響詩で、これほど熱い感動を与えてくれたのは、クーベリック&チェコ・フィルの東京ライヴを聴いて以来だ。

有名な「モルダウ」のみならず、「高い城」「ターボル」といった熾烈な民族の歴史がうねりのように押し寄せてくる楽音では、マタチッチでこそ作品の本質がわかるとさえ思われた。

終曲「ブラニーク」の純音楽的な感興は圧巻で、そこでは細部のニュアンスも豊かであり、ヤン・フスの思い出が巨大な流れのなかに憩っているようだ。

マタチッチの『わが祖国』の録音はこのほかにNHK交響楽団との演奏もあり、オケの違い、年代の違いもあるが、N響盤よりどっしりとした落ち着いた演奏で、マタチッチらしい豪快さも兼ね備えている。

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classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0)スメタナマタチッチ 

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インバルのマーラーと言えば、20年以上前に完成したフランクフルト放送交響楽団との全集の印象が非常に強い。

マーラーを「最も偉大な交響曲作曲家」と表現するインバルなだけに、おそらくは人一倍、マーラーへの深い愛着からくる心の中の力強いパッションの爆発があると思うのだが、指揮をする際には、それを出来るだけ抑制しようとしているように思われる。

したがって、同じくマーラー指揮者と言われたバーンスタインやテンシュテットなどに比べると、どこか冷めたような演奏のように聴こえてしまうのは大変残念な気がする。

本盤の「第4」は、かつての全集から20年以上経った演奏ではあるが、その抑制的な演奏傾向は殆ど変わりがないと言える。

同じく東京都交響楽団を指揮したチャイコフスキーの「第5」など、実にドラマティックな名演を成し遂げていたのに、なぜかマーラーの交響曲ではこうも大人しめのアプローチに変わってしまうというのは、実に不思議な気がする。

特に、本演奏で不出来なのは終楽章。

半田の独唱など、あまりの弱々しさに大変がっかりさせられた。

もちろん、インバルだけに、抑制的な表現であるからと言って内容が希薄ということはない。

繊細なテクスチュアのなかに和声の美しさを最大限に際立たせた演奏で、明るい印象の中にも憂愁を含んだ天上の響きを見事な手腕で作り出している。

特に第2楽章の楽器の独特の響かせ方や第3楽章のコクのある表現は、さすがと言わせる説得力もある。

オーケストラはインバルに全信頼を置き、特に弦楽器アンサンブルの艶やかさと豊潤な響きは目を見張るものがある。

SACDによる超高音質が本盤の価値を高めるのに大きく貢献していることは、忘れてはならない。

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2014年02月05日


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ブルックナーの「第6」といえば、筆者も、これまでは、ヴァント盤やヨッフム盤などの曲のスケールの小ささに応じ、あまり風呂敷を拡げ過ぎない演奏に親しんできた。

しかし、このブロムシュテット盤は、これらの演奏とは一線を画し、風呂敷を拡げるだけ拡げ、「第6」を、後期の3大交響曲のようにスケールの大きい大作と捉えて演奏している。

そしてブルックナー演奏の決め手である、重厚さと透明感を両立させるという難しい課題を、これ以上ない程見事に具現している。

リズムの刻みが全編を支配する作品であり、縦の線が揃っていないと話にならない曲だが、ブロムシュテットは実にきっちりと指揮してくれている。

しかし、それでは杓子定規で堅苦しい演奏かというと決してそうではなく、メリハリやふとした柔らかさが至るところで効いている、人間味に溢れた演奏になっているのだ。

ブロムシュテットは年齢を重ねるたびに若々しさを取り戻しているかのようだ。

それはこの演奏を耳にしても明らかであり、決して大げさな指揮こそしていないが、そこにあるのはブルックナーの美しい造形である。

また、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の懐深い響きにも惚れ惚れとしてしまう。

シャイー時代になってから響きが華奢になったと評されることの多いゲヴァントハウス管だが、やはり指揮者がブロムシュテットだと往年の響きが戻ってくるようだ。

これは、アバド時代になって質が下がったベルリン・フィルを、ヴァントが見事に復活させた例と似ている。

ブロムシュテットらしさ、ゲヴァントハウス管らしさがよく示された1枚と言えよう。

そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。

臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーブロムシュテット 

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まさにエネルギッシュという形容がぴったりのカリスマ指揮者ゲルギエフ。

最新アルバムは、オール・ラヴェル・プログラム。

すべてゲルギエフにとって初のレパートリーとなる注目の内容であり、ゲルギエフがロンドン響を率いて新境地を開くラヴェルの作品集である。

何よりも評価したいのは、SACDマルチチャンネルによる極上の高音質録音だ。

特に、合唱が加わる「ダフニスとクロエ」が凄い。

合唱付きのオーケストラ曲は、従来から、録音が極めて難しいとされており、これまでのCDを見ても満足のいく音質に達しているのは、数少ないと言えるが、本盤は、これ以上は求め得ないようなハイレベルの音質に達している。

要は、オーケストラが主体か、それとも合唱が主体かと言ったレベルではなく、オーケストラと合唱が一つの音楽として、完全に融合しているのだ。

その上で、オーケストラも合唱も完全に分離して聴こえるのは驚異でもあり、マルチチャンネルによって、それぞれの楽器や合唱の位置までが完璧に聴き取れるほどだ。

演奏も、素晴らしい名演。

ゲルギエフは、もともとオペラを得意とする指揮者であるが、こうした標題音楽における巧さは格別。

各曲の描き分けは、殆ど名人芸の域に達しており、録音の素晴らしさと相俟って、あたかも眼前に情景が思い浮かぶかのようだ。

併録の「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、ゲルギエフとしては普通の出来だと思うが、むしろ「ボレロ」が超名演。

各楽器を完璧に鳴らし、この曲の魅力、そして、ラヴェルの巧みなオーケストレーションを完璧に再現してくれている。

極上の高音質録音がこの名演を大きく後押ししているのも素晴らしい。

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クーベリックは、本盤に収められた「田園」を含め、1971年から1975年にかけてベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音している。

当該全集は、各交響曲によってオーケストラが異なるという類例のない独特のものであった。

しかしながら、これはクーベリックが意図して行ったというよりは、DG側の事情による側面が大きかったと言わざるを得ない。

当時のDGは、カラヤンやベームといった人気・実力を兼ね備えた大物指揮者を擁しており、同時期にはベーム&ウィーン・フィル(1970〜1972年)、更にはカラヤン・ベルリン・フィル(1974〜1976年)によるベートーヴェンの交響曲全集がスタジオ録音されている。

このような状況の中で、クーベリックが、当時の手兵バイエルン放送交響楽団と全集をスタジオ録音することは大変難しい状況に置かれていたと言わざるを得ない。

実際に、クーベリックは全集の録音開始前に、「第7」をバイエルン放送交響楽団と録音(1970年)しており、それは、全集中のウィーン・フィルとの「第7」の演奏(1974年)よりも数段上の名演なのであるが、長らくお蔵入りで現在でも入手困難であるところだ(かつてレコード芸術誌が企画・監修した「蘇る巨匠たち」シリーズでCD化されていた)。

このことは、クーベリックがこの当時に置かれていた困難な状況を察するに余りあると言えるだろう。

ともあれ、クーベリックが、バイエルン放送交響楽団とベートーヴェンの交響曲全集を録音できなかった(「第9」のみがバイエルン放送交響楽団と録音である)のは、前述の「第7」の名演に鑑みると残念ではあるが、いずれにしても本盤に収められた「田園」は、素晴らしい名演と高く評価したい。

オーケストラはパリ管弦楽団であり、このオーケストラは指揮者によっては気が乗らない粗雑な演奏をすることもあるのだが、本演奏においては、クーベリックの統率の下、その持ち味を活かした色彩感溢れる美演を披露しているのが素晴らしい。

「田園」という楽曲の性格に鑑みれば、クーベリックとしてもバイエルン放送交響楽団を起用できなかったのは残念ではあったであろうが、本演奏に関してはパリ管弦楽団の起用はプラスに働いていると言えるだろう。

ホルンや木管楽器の雰囲気豊かな美しい音色が、本演奏に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

クーベリックの指揮は、「田園」の標題には必ずしも拘泥しない純音楽的なアプローチであり、ゆったりとしたテンポによる重厚にして彫りの深い表現で、深沈とした含蓄のある奥行きを感じさせるのが素晴らしい。

第1楽章の反復を省略しているが、テンポがゆったりしていることから、冗長さに陥らないためにもこれは賢明であった。

録音については、かつてSACDハイブリッド盤が発売されていたが、これが今一つ鮮明とは言い難い冴えない音質であった。

しかしながら、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は見違えるような鮮明な高音質に生まれ変わり、このようなクーベリックによる素晴らしい名演を望み得る最高の高音質SACDで味わえることを大いに喜びたい。

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2014年02月04日


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1980年9月8-12日、プラハ、芸術の家での録音。チェコ・フィルは8回目の録音。文化庁芸術祭優秀賞受賞盤。

チェコの巨匠として知られたスメターチェク(1906-1986)だが、晩年の当演奏が「わが祖国」の初録音だった。

細部に至るまで丁寧に彫琢された完成度の高い秀演である。

スメターチェクは、チェコが生んだ最高の巨匠指揮者であるが、ディスクの数は極端に少なく、しかもライヴでこそ真価を発揮するタイプだけに、スタジオ録音はもうひとつだ。

その中にあって、《わが祖国》全曲盤だけは彼の実力が充分に発揮された名演であり、そうなると当然同曲CD中のベスト・ワンを数種のクーベリック盤と競うことになる。

スメターチェクは、習慣版を用いることで、伝統的なスタイルといったアプローチを示している。

時おり用いられるルフトパウゼや、彼独自のアゴーギクなどはその一端だ。

スメターチェクの指揮は、感傷を排し、たくましく堂々としたもので、どの曲も切れば血の出るような、内容的、有機的な響きに満ち、土くさい生命力、雄弁な表情、巨匠ならではの風格が漂っており、各楽器、各音型の生かし方が抜群だ。

全体の曲の流れを大切にした爽やかな演奏で、「モルダウ」の中間部など実にロマンティックな気分の盛り上げも素晴らしく、弦の音色の美しさも、さすがチェコ・フィル。

「ターボル」「ブラニーク」も、要所を押さえた指揮で聴き手を作品に引き込む。

とくに後半の3曲がすばらしく「ボヘミアの森と草原より」「ターボル」「ブラニーク」に筆者はしびれている。

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クラシック音楽の世界には、この世のものとは思えないような至高の高みに達した名作というものが存在する。

ロマン派のピアノ作品の中では、何よりもシューベルトの最晩年に作曲された最後の3つのソナタがそれに相当するものと思われるが、それに次ぐ作品は、諸説はあるとは思うが、ブラームスの最晩年のピアノ作品ということになるのではないだろうか。

いかにもドイツ色濃厚で、重厚で分厚い作品を数多く作曲してきたブラームスとしても、最晩年のピアノ作品については、その後の十二音音楽や無調音楽に通じる必要最小限の音符による簡潔な書法をとるなど、これまでとは全く異なる作風を垣間見せており、その神々しいとも言うべき深みは、前述のシューベルトによる最後の3つのソナタにも比肩し得るだけの崇高さを湛えていると言っても過言ではあるまい。

これだけの至高の名作であるだけに、これまで数多くの有名ピアニストによって様々な名演が成し遂げられてきた。

個性的という意味では、グールドやアファナシエフによる演奏が名高いし、人生の諦観が色濃く漂うルービンシュタインによる懐の深い演奏もあった。

また、千人に一人のリリシストと称されるルプーによる極上の美演も存在している。

このような海千山千のピアニストによるあまたの名演の中で存在感を発揮するのは並大抵のことではないと考えられるが、田部京子による本演奏は、その存在感を如何なく発揮した素晴らしい名演を成し遂げたのではないだろうか。

田部京子による本演奏は、何か特別な個性を施したり、はたまた聴き手を驚かせるような斬新な解釈を行っているというわけではない。

むしろ、スコアに記された音符を誠実に音化しているというアプローチに徹していて、演奏全体としては極めてオーソドックスな演奏とも言えるだろう。

とは言っても、音符の表層をなぞっただけの浅薄な演奏には陥っておらず、没個性的で凡庸な演奏などということも決してない。

むしろ、徹底したスコアリーディングに基づいて、音符の背後にあるブラームスの最晩年の寂寥感に満ちた心の深層などにも鋭く切り込んでいくような彫りの深さも十分に併せ持っており、同曲に込められた奥行きの深い情感を音化するのに見事に成功していると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても本演奏は、同曲のすべてを完璧に音化し得るとともに、女流ピアニストならではのいい意味での繊細さを兼ね備えた素晴らしい名演と高く評価したい。

演奏全体に漂う格調の高さや高貴とも言うべき気品にも出色のものがあると言えるだろう。

音質は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、田部京子による素晴らしい名演の価値をより一層高めるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

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classicalmusic at 20:47コメント(0)トラックバック(0)ブラームス 

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ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団との録音で、ギュンター・ヴァントの存在を知った人は、それから半世紀以上になるが、率直に言って今日の名声が予期以上のものであったという人は、かなり多いかもしれない。

そのレパートリーは、独墺系の中では近・現代までも含む広さを持っているが、彼の名を特別なものとしたのは、いわゆるブルックナー&マーラー時代に、きわめて明快にブルックナーだけを支持して、そのエクスパートとされたことによるだろう。

事実、彼はマーラーを忌避し、ブルックナーには、版の選定に至るまできわめて厳しい理念を根底に置きながら、稀な深ささえ持った愛着ぶりを示している。

その録音の数も実に多いが、そこに主張されているものは、主観よりも客観であり、きわめて誠実なアプローチの中に、確実に聴く者をとらえずにはおかない説得力を示している。

1992年の北ドイツ放送交響楽団との第7番のライヴは、まさにその代表的な演奏のひとつであり、ヴァントが80歳にして到達した至高の解釈が示されたものだろう。

ヴァントにとって、自らの解釈をもっとも忠実に表現してくれる楽器は1982年から1991年まで主席指揮者を務め、その後は名誉指揮者のポストにあった北ドイツ放送響である。

長年の共同作業を通してオーケストラの楽員にはヴァントの考えが隅々まで浸透し、指揮者のちょっとした動きにもオーケストラ全体が機敏に反応し、完璧なまでの有機体を形成している。

その点で、ベルリン・フィルとのブルックナーは、北ドイツ放送響との録音に及ばないと言える。

さすがに高齢になりすぎたベルリン・フィルとの一連の録音は、何故か音質も北ドイツ放送響盤に及ばない。

一説によれば、ライヴ録音のノイズや演奏ミスを修正するため、過度の編集をする事により、音質劣化が起こり、音の抜けが悪くなったそうだ。

ベルリン・フィルとの演奏を気に入っている人は、北ドイツ放送響との録音と是非比較し、ご確認される事をお勧めする。

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classicalmusic at 00:44コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

2014年02月03日


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アルゲリッチの面白さを堪能できるディスクだ。

最も好きな作曲家はシューマンと語るアルゲリッチであるが、これまでのところ、幻想曲ハ長調 Op.17と、幻想小曲集 Op.12に関してはセッション録音はほかに無いようなので、この若き日の録音を収めたアルバムの存在は貴重である。

古今東西、シューマン的な魅力を発揮するピアニストといえば、誰でもまずアルゲリッチを考えるだろう。

ここでのアルゲリッチの演奏は、シューマン若き日の楽想の変化の激しさを見事に表したもので、激したり沈んだりする多彩な表情と音色の変化の目まぐるしさは、名手アルゲリッチとしてもこの時期(1976年)だけのものかもしれない。

彼女の演奏はシューマンの作品に対する内省的な洞察があるとともに、この作曲家の外へ燃え出る強烈な表出力と深く沈下する情熱が見事に調和しているのである。

それはまたCDでありながら演奏の一回性を強く実感させる。

実に素晴らしい独自のシューマンの主張として、強い説得力を持つ音楽だ。

アルゲリッチの特色が最大限に発揮されており、それゆえに息もつかせぬ面白さを満喫できるのは《幻想小曲集》である。

これ以上ロマン的な表出は不可能を思われるほど自由奔放であり、アルゲリッチのインスピレーションと歌が強く押し出され、独自の世界を繰り広げてゆく。

感興のおもむくまま、奔放に弾きあげた演奏で、しかもロマン的な情感が濃厚に漂っている。

それに比べれば《幻想曲》は抑制が効いているが、ここでも各曲をファンタスティックに精妙に弾きこんでいる。

ホロヴィッツがパステルカラーの絵ならば、アルゲリッチは油絵といった感じで、静と動、明と暗の対比をくっきりとつけながら、感興のおもむくまま、各曲を即興的に弾いているのが特徴だ。

ピアノの小品集と思って聴くと驚かされるような、力の入った熱っぽい演奏である。

1976年、アナログ後期におこなわれたセッションでのステレオ録音のため、そうしたアルゲリッチの切れ味鋭い音から繊細な音まできちんとしたクオリティで収録されているのもポイントである。

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classicalmusic at 22:57コメント(0)トラックバック(0)シューマンアルゲリッチ 

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パーヴォ・ヤルヴィの勢いは今や誰もとどめることができない。

彼は、シンシナティ交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、ドイツ・カンマーフィル、パリ管弦楽団を手中におさめており、これらのオーケストラを作曲家毎に振り分けるという何とも贅沢なことをやってのけている。

そして、そのレパートリーの幅広さたるや、父親であるネーメ・ヤルヴィも顔負けであり、今や、人気面において指揮界のリーダー格とされるラトル、ゲルギエフ、ヤンソンスの3強の一角に喰い込むだけの華々しい活躍をしている。

パーヴォ・ヤルヴィがドイツ・カンマーフィルを起用する際には、当然のことながら、いわゆるピリオド奏法に適した楽曲を演奏しており、既に完成させたベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集に次いで、現在では、シューマンの交響曲全集の録音に取り組んでいるところだ。

第1番及び第3番が既発売であり、それはピリオド奏法を十分に生かした斬新とも言えるアプローチが特徴の演奏であり、パーヴォ・ヤルヴィの底知れぬ才能と現代的な感覚、センスの鋭さが光る素晴らしい名演であった。

本盤は、その続編として久しぶりに登場したものであるが、収録曲は交響曲第2番を軸として、「マンフレッド」序曲などの有名な序曲である。いずれも、第1番&第3番に勝るとも劣らぬ素晴らしい名演であると高く評価したい。

本演奏でも、ピリオド奏法は相変わらずであるが、それを十全に活かし切ったパーヴォ・ヤルヴィの個性的なアプローチが実に芸術的とも言える光彩を放っており、これまで同曲を様々な指揮者による演奏で聴いてきたコアはクラシック音楽ファンにも、新鮮さを感じさせる演奏に仕上がっている。

ピリオド奏法やピリオド楽器を使用した演奏の中には、学究的には見るべきものがあったとしても、芸術性をどこかに置き忘れたような軽妙浮薄な演奏も散見されるが、パーヴォ・ヤルヴィの個性的なアプローチには、常に芸術性に裏打ちがなされており、そうした軽妙浮薄な演奏とは一線を画しているとさえ言えるだろう。

思い切ったテンポの振幅、アッチェレランドの駆使、ダイナミックレンジの極端な取り方など、その仕掛けの多さは尋常ならざるものがあるが、これだけ同曲の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の各曲の演奏は、近年のパーヴォ・ヤルヴィの充実ぶりを如実に反映させた素晴らしい名演であり、加えて、いわゆるピリオド奏法による演奏としては、最高峰に掲げてもあながち言い過ぎとは言えない圧倒的な名演と高く評価したい。

そして、残る第4番の録音を期待する聴き手は筆者だけではあるまい。

音質は、これまた素晴らしい。

特に、最近では珍しくなったマルチチャンネル付のSACDは、臨場感溢れるものであり、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえることによって、ピリオド奏法の面白さが倍加するという効用もあると言えるところだ。

いずれにしても、パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツ・カンマーフィルによる素晴らしい名演をマルチチャンネル付のSACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年02月02日


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意外な録音の登場だ。

ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集の録音は、今般の第1番の登場でついに第7弾ということになった。

既に第3番〜第8番の6曲が登場しており、残るのは第2番と第9番のみとなった(第9番は既に英デッカに1995年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とともにスタジオ録音しており、再録音するかどうかは不明。第0番や、更に第00番に挑戦するかどうかも不明だ。)。

筆者もまさか第1番をブロムシュテットが録音するとは思っていなかった。

85歳になった今や押しも押されぬ巨匠であるブロムシュテットにとっても、ブルックナーの交響曲演奏に関する長いキャリアの中でも初めての録音になったものであり、これはブロムシュテットが高齢になっても今なお失っていない飽くなき探求心とともに、ブルックナーの交響曲に対する深い愛着の賜物と言っても過言ではあるまい。

それにしても、本演奏において聴くことができるのは、ブロムシュテットにとって初めての録音とは到底思えないほどの熟練の指揮芸術と言えるのではないだろうか。

楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというのは、誠実とも言えるこの指揮者の美質そのものであるが、例えば、楽曲自体は異なるが、かつてシュターツカペレ・ドレスデンとともにスタジオ録音を行った交響曲第4番や第7番の定評ある名演などと比較すると、彫りの深さ、懐の深さにおいて、はるかに凌駕している。

ブラスセクションなどもかなり強靭に鳴らしているが、無機的な音は皆無であり、どこをとっても奥深い、それこそブルックナーらしさを失っていないのが素晴らしい。

かつてのブロムシュテットにあった唯一の欠点でもある、楽曲の頂点における力みが感じられないというのは見事であり、これは、前述のように、ブロムシュテットの円熟の証左と言えるだろう。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてのシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、まさに理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さ、そして、比較的数少ない同曲の様々な指揮者による演奏の中でも最上位にランキングされる見事な名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。

臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:57コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーブロムシュテット 

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内田光子は、モーツァルトの旧ピアノ協奏曲全集によって、その確固たる地位を確立したが、本盤は、その20年後の待望の新録音である。

自己を厳しく律する内田としては、旧全集の出来が素晴らしかっただけに、再録音には相当に慎重であったと思われ、新しいモーツァルト解釈への確信が得られるのに、必然的に20年の歳月がかかったということなのだろう。

それだけに、新録音では、旧録音とは異なり、特にK491の全般やK488の第2楽章で顕著であるが、万感の思いを込めた情感溢れる濃厚な弾きぶりが際立っている。

また、軽快なK488の第1楽章や第3楽章では、澄み切った抒情に満ち溢れており、内田のモーツァルトの解釈が、旧盤に比してより深まった印象を強く受けた。

テイト盤はとにかくピアノとオーケストラが流れるように一体化した完璧な美しさと粒立ちの良いピアノの美しい音が際立っていたが、今回のクリーヴランド盤は各パートの演奏に個性と持ち味がしっかりと前に出ていて、自由闊達なピアノとの対話が面白い。

弦の各声部のディテールもしっかり聴かせ音楽がより鮮やかになった。

またライヴなのでカデンツァ部分のさらに彫りの深い表現が絶品。

弱音と無音部分の息遣いが素晴らしい。

弾き振りのライヴ録音なので仕方がないのだが、当然内田の集中も分散されてるわけで、以前の流れるような美しさや速いパッセージでの丁寧なタッチが失われたのが少々残念だが、弾き振りならではのリズミックな縦の線を強調し各パートの生き生きとした表現がよりモーツァルトらしく思われた。

もちろん、旧盤の価値が新盤の登場によって減じるということはいささかもないと思われるが、新盤には、旧盤にはない奥深さがあるという点において、旧盤と並んで高く評価される名演であると考える。

SHM−CD仕様により、内田のタッチをより鮮明に聴くことができる点も素晴らしい。

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classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト内田 光子 

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全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏の凄さを味わうことができる圧倒的な超名演だ。

セル&クリーヴランド管弦楽団は、「セルの楽器」とも呼称されるほどの鉄壁のアンサンブルを誇った名演奏の数々を展開した稀代の黄金コンビであった。

すべての楽器セクションがあたかも一つの楽器のように聴こえるという精緻にしてまさに完璧な演奏の数々を繰り広げていたのである。

もっとも、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、とりわけ1960年代の半ば頃までの演奏にはそうした演奏があまた散見されていた。

もっとも、理由はよくわからないが、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽、そして独墺系の作曲家の中ではとりわけシューマンの音楽については、1960年代後半以降の最晩年の演奏において垣間見せた、情感豊かで柔軟性のある円熟の名演の数々を披露していた。

特に、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、深い愛着と理解を有していたと言えるのかもしれない。

本盤に収められたドヴォルザークのスラヴ舞曲全集も、実に素晴らしい圧倒的な超名演だ。

いずれの楽曲も一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使した、まさに完全無欠の演奏を展開しており、おそらくはオーケストラ演奏としてパーフェクトなものとさえ言えるだろう。

それでいて、1962〜1965年にかけての演奏であるが、この時期のセルの欠点でもあったある種のメカニックな冷たさなどはいささかも感じさせず、どこをとってもチェコの民族色溢れる豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。

ドヴォルザークのスラヴ舞曲全集の名演としては、クーベリック&バイエルン放送交響楽団による演奏(1973〜1974年)や、ノイマン&チェコ・フィルによる2度目の演奏(1985年)などが掲げられるが、本盤のセル&クリーヴランド管弦楽団による演奏も、これらの名演に肉薄する圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質は、1960年代のスタジオ録音であるものの、従来盤でも比較的良好な音質であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏の凄みを味わうには十分な音質である。

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classicalmusic at 00:56コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークセル 

2014年02月01日


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セル&クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークの楽曲の演奏はいずれも素晴らしい。

全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団は、各楽器セクションが一つの楽器のように聴こえるような一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称された完全無欠の演奏を展開していたが、1960年代半ば頃までの演奏は、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実である。

そのようなセルも1960年代後半の最晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にも一定の自由を与え、芸風により柔軟性が垣間見られるようになり、円熟の味わい深い名演奏を成し遂げるようになった。

もっとも、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽については、何故か1960年代半ば以前の演奏においても、そうした晩年の演奏にも比肩し得るような情感豊かな味わい深い演奏を行っていており、これは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、ハンガリーの隣国の音楽ということもあり、セル自身が深い愛着と理解を有していた証左なのかもしれない。

本盤に収められたドヴォルザークの後期交響曲集(第7〜第9番)やドヴォルザーク及びスメタナの管弦楽曲(弦楽四重奏曲第1番のセルによるオーケストラバージョンを含む)の各演奏においてもそれは健在であり、表面上は鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏でありつつも、各フレーズの端々には、前述のようなチェコ音楽への深い愛着と理解に根差した豊かな情感が込められていて、いずれも味わい深い素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

もっとも、ドヴォルザークの交響曲第8番については、1970年にEMIにスタジオ録音した同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演が存在しており、最晩年の演奏ならではの味わい深さと言った点において本演奏はいささか分が悪いが、それでも本盤に収められた演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

音質は1949〜1963年のスタジオ録音であり、従来盤では今一つの音質であったが、セルによるドヴォルザークやスメタナの楽曲の演奏はいずれ劣らぬ名演揃いであり、今後はすべての楽曲について、最低でもBlu-spec-CD化、そして可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたい。

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ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲シリーズもついに第6弾、それも最もポピュラーな交響曲第4番の登場だ。

ブロムシュテットによるブルックナーの交響曲第4番と言えば、何と言っても、1981年にシュターツカペレ・ドレスデンとともに行ったスタジオ録音が念頭に浮かぶ。

当時のドレスデンは、今はなき東ドイツにあり、シュターツカペレ・ドレスデンも、現在ではすっかりと色褪せてしまったが、いぶし銀とも言うべき独特の魅力的な音色を誇っていた。

ホルンのペーター・ダムをはじめとした伝説的なスター・プレイヤーもあまた在籍しており、特に、同曲はホルンが大活躍する交響曲だけに、当該演奏の魅力は絶大なるものがあった。

ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンのコンビは、同時期に来日を果たして、同曲の演奏を披露し、NHKなどでも放映されたが、とにかく、シュターツカペレ・ドレスデンの音色に完全に魅了されてしまったことを鮮明に記憶しているところだ。

ブロムシュテットの指揮も、自我を極力抑制して、シュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な演奏にすべてを委ねているとさえ言えるところであり、そのことが、当該演奏を独特の魅力のあるものとしていたのではないかとも思われるところである。

本盤に収められた同曲の演奏は、当該演奏から約30年も経った2010年のものであるが、ここで感じられるのは、今や、現代を代表する大指揮者となったブロムシュテットの円熟と言えるのではないだろうか。

同曲演奏に対する基本的なアプローチには変わりがないと言えるが、楽想を描き出していく際の彫りの深さ、懐の深さは、1981年の演奏をはるかに凌駕している。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、まさに理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さ、そして、近年の同曲の演奏でも最上位にランキングされる見事な名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。

臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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C・デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度録音した稀有の指揮者だ。

これは、シベリウスの母国、フィンランドの指揮者であるベルグルンドと並ぶ最多記録であり、デイヴィスがいかにシベリウスに深い愛着を持っているのかの証左と言えるだろう。

デイヴィスの3つの全集のうち、現在でも依然として評価が高いのは、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集である。

特に、「第1」〜「第5」は、他の名演と比較しても今なお上位にランキングされる名演であり、いささか透明感に欠ける「第6」や「第7」を踏まえて考えてみても、全集としての価値は、今なお相当に高いものがあると言えるのではないだろうか。

私事で恐縮であるが、筆者も中学生の時代にシベリウスの交響曲に慣れ親しんだが、その時に愛聴していたLPがデイヴィスによる最初の全集であった。

これに対して、2度目の全集は、最初の全集から約20年後の1990年代にロンドン交響楽団と成し遂げたものであるが、これは、はっきり言って、最初の全集と比較するといささか魅力に乏しいと言えるだろう。

デイヴィスとしては、自信を持って臨んだ録音であるのであろうが、そうした自信が過剰になってしまったきらいがあり、金管楽器などのいささか無機的な音色に、やや力の入った力みを感じさせるのが非常に気になった。

最初の全集と比較して、解釈に深みが加わった点は散見されるものの、デイヴィスとしてもいささか不本意な出来であったのではあるまいか。

2度目の全集から10年足らずの間隔で、ロンドン交響楽団の自主レーベルにではあるが、3度目の録音を行ったというのは、その証左と言えるのではないかと考えられる。

そして、この3度目の全集であるが、これは、2度目の全集で見られたような力みがいささかも感じられず、いわゆる純音楽的で自然体のアプローチによる円熟の名演揃いであると高く評価したい。

最初の全集において、いささか透明感に欠けていた「第6」及び「第7」についても、北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美に満ち溢れており、クレルヴォ交響曲をも含め、本3度目全集は、まさしくデイヴィスのシベリウスの交響曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演集であると高く評価したい。

本盤は、かつて通常CDで発売されていて、唯一SACD化されていなかった「第5」及び「第6」をSACD化したものである。

シベリウスの交響曲のような透明感溢れる抒情的な音楽には、本盤のようなマルチチャンネル付きのSACDは抜群の効力を発揮すると言えるところであり、演奏内容の質の高さからしても、今般のSACD化を大いに歓迎したい。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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