2014年04月

2014年04月30日


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膨大なレコーディングとレパートリーを誇ったショルティであるが、マーラーの交響曲については特に早くから取り組んでおり、1960年代というマーラーが知る人ぞ知る存在であった時代にも、ロンドン交響楽団と第1番、第2番、第3番、第9番、そしてコンセルトへボウ管弦楽団とともに第4番のスタジオ録音を行っている。

また、第1番についてはウィーン・フィルとのライヴ録音(1964年)が遺されており、既に1960年代にはマーラーの交響曲はショルティのレパートリーの一角を占めていたのではないかと考えられる。

本盤に収められた1970年のスタジオ録音であるマーラーの交響曲第5番は、シカゴ交響楽団との初のマーラーの交響曲の録音。

ショルティは、本演奏を皮切りとして、シカゴ交響楽団とマーラーの交響曲をスタジオ録音することになり、それらをまとめて交響曲全集を完成させることになった。

その意味においては、本盤の演奏は、ショルティにとっても記念碑的な演奏として位置づけられるものと考えられる。

ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは、前述のように、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。

こうしたショルティのアプローチは後年の演奏においても殆ど変わりがなかったが、そうしたショルティの芸風が最も如実にあらわれた演奏こそは、本盤の第5番の演奏であると考えられる。

それにしても、筆者は、これほど強烈無比な演奏を聴いたことがない(特に終楽章が凄まじい)。

耳を劈くような強烈な音響が終始炸裂しており、血も涙もない音楽が連続している。

まさに、音の暴力と言ってもいい無慈悲な演奏であるが、聴き終えた後の不思議な充足感は、同曲の超名演との呼び声が高く、本演奏とは正反対の血も涙もあるバーンスタイン&ウィーン・フィル盤(1987年)やテンシュテット&ロンドン・フィル盤(1988年)にいささかも引けを取っていない。

あまりにも強烈無比な演奏であるため、本演奏は、ショルティを好きになるか嫌いになるかの試金石になる演奏とも言えるのかもしれない。

加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

なお、ショルティは、同曲をシカゴ交響楽団とともに1990年にライヴ録音するとともに、最晩年の1997年にもトーン・チューリヒハレ管弦楽団とともに録音しており、それらも通常の意味における名演とは言えるが、とても本演奏のような魅力はないと言える。

それにしても、ショルティのマーラーの交響曲演奏の代表盤とも言うべき本演奏を今般シングルレイヤーによるSACD化したユニバーサルに対しては深く感謝の意を表したい。

今般の高音質化によって、ショルティの本演奏へのアプローチがより鮮明に再現されることになったのは極めて意義が大きいと言えるところであり、とりわけ終楽章の二重フーガの各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的とも言えるところだ。

いずれにしても、ショルティ&シカゴ交響楽団による圧倒的な超名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:52コメント(0)トラックバック(0)マーラーショルティ 

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現在では押しも押されぬ巨匠ヴァイオリニストとして世界的な活躍をしているクレーメルによる若き日の名演だ。

クレーメルは、現在でもそうした評価がなされているが、超絶的な技巧をベースにしつつ、現代的なセンスに持ち溢れた鋭さを感じさせる演奏を行うことで世に馳せている。

本盤に収められたシベリウスのヴァイオリン協奏曲、そしてシュニトケの合奏協奏曲ともに、そうしたクレーメルの個性が溢れた演奏に仕上がっている。

クレーメルのヴァイオリン演奏の引き立て役は、これまた現在ではロシアを代表する大指揮者に成長したロジェストヴェンスキーであるが、ロジェストヴェンスキーはロシア音楽を得意とはしていたが、シベリウスについても得意としていた。

現在では入手難となっているが、かつての手兵であるモスクワ放送交響楽団とともにシベリウスの交響曲全集をスタジオ録音している。

当該演奏は、オーケストラがいかにもロシア色濃厚な演奏を行っていることもあって、必ずしもシベリウスに相応しい演奏とは言い難いものがあったが、それでも総体としては考え抜かれた立派な演奏であり、交響曲第3番や第7番の録音を遺したムラヴィンスキーや、近年のマリス・ヤンソンスなどと並んで、ロシア系の指揮者としては希少なシベリウス指揮者と言えるところだ。

本盤の演奏は、オーケストラがシベリウスの名演を様々な指揮者と行うなど、定評のあるロンドン交響楽団であり、ロジェストヴェンスキーとしても、オーケストラのロシア的な色合いに邪魔されることなく、まさに水を得た魚の如き演奏を行っている。

その演奏は、若干ロマンティシズムに傾斜しつつあるきらいもあるところであるが、クレーメルの一切の甘さを排した鋭角的で霧味鋭いアプローチが、演奏全体を引き締まったものとするのに大きく貢献しており、こうした指揮者とヴァイオリニストがお互いに足りないものを補い合った結果が、本演奏を名演たらしめるのに繋がったとも言えるところだ。

シュニトケの合奏協奏曲は、ロシアの現代作曲家による作品だけに、ロジェストヴェンスキー、クレーメルともに、お互いの才気が迸るような見事な名演に仕上がっていると高く評価したい。

第2ヴァイオリンを担当したタチアナ・グリンデンコによるヴァイオリン演奏も見事である。

いずれにしても、本盤の演奏は、ロジェストヴェンスキーとクレーメル、そしてグリンデンコというロシア系の音楽家がお互いの才能をぶつけ合うとともに、足りないものを補うなど相乗効果を発揮させた素晴らしい名演と評価したい。

音質については、従来CD盤でも1977年のスタジオ録音ではあるものの、比較的満足できる音質である。

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classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)シベリウスクレーメル 

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ベートーヴェンの交響曲全集やブルックナーの交響曲集など、それぞれの楽曲の演奏史上でも上位に掲げられる名演奏を残しているスウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンの黄金コンビであるが、本盤に収められたシューマンの交響曲第2番&第4番についても、このコンビならではの素晴らしい名演であると評価したい。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、スウィトナーが指揮をしていた当時のシュターツカペレ・ベルリンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

スウィトナー自身は、必ずしも楽曲を演奏するに際して個性的な解釈を施す指揮者ではなかっただけに、その演奏の魅力は、シュターツカペレ・ベルリンの重厚なジャーマン・サウンドとそれを体現する力量によるところも大きかったのではないかとも考えられるところである。

シューマンの交響曲は、後輩にあたるブラームスの交響曲と比較すると、特にオーケストレーションの華麗さには大きく譲るところがあり、どちらかと言えば、幾分くすんだような渋味のあるサウンドに支配されているとも言える。

したがって、このような楽曲には、シュターツカペレ・ベルリンの当時の音色は最適のものであると言えるところであり、筆舌には尽くし難いような味わい深さを有していると言っても過言ではあるまい。

この黄金コンビにかかると、シューマンの質実剛健ともいうべきオーケストレーションの魅力が、聴き手にダイレクトに伝わってくるとさえ言える。

もちろん、第2番には、シノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第4番には、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)といった歴史的な超弩級の名演が存在しており、それらの超名演と比較して云々することは容易ではあるが、そのような超名演との比較を度外視すれば、十分に魅力的な優れた名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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classicalmusic at 00:36コメント(0)トラックバック(0)シューマンスウィトナー 

2014年04月29日


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NHK交響楽団の名誉指揮者として、かつてたびたび来日して名演奏の数々を聴かせてくれたスウィトナーであるが、スウィトナーの遺した名演の数々の大半は、何と言っても手兵であるシュターツカペレ・ベルリンとの演奏であるというのが衆目の一致するところではないだろうか。

スウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンは、現在ではすっかりと失われてしまったジャーマンサウンドを奏でている。

国際的にも奏者の技量が最重要視され、各オーケストラの音色が均質化されている今日からすれば、まさに隔世の感がある。

スウィトナーは、それほど個性的なアプローチをする指揮者ではなかったので、これは、シュターツカペレ・ベルリンの力量によるところも大きいのではないかと考える。

このような重厚なジャーマンサウンドをベースとしたシューマンの交響曲は何と言う味わい深いものであることか。

特に、第1番は、1841年の自筆譜をベースとしているだけに、シューマンの素朴とも言うべきオーケストレーションの魅力が、聴き手にダイレクトに伝わってくる。

自筆譜独自の暗鬱さや内向的性格を的確に捉え、しかも音楽的な統一感と説得力の強さはスウィトナーの巨匠性を示している。

冒頭のホルンとトランペットが現行譜より3度下で始まるほか、驚くような違いがいくつも見られるが、スウィトナーは現行譜との異同を明確に示しつつ、シューマンの音楽的本質をかつてないほど明らかにした演奏を聴かせている。

全体に静けささえ漂っているようで、シューマンはオーケストレーションが下手だったとの定説を覆すのに十分な魅力を湛えていると言える。

第3番も、外面的な華々しさとは皆無。

華麗な効果に傾斜しない陰影の濃い表現だが、旋律は幻想的に歌い、シューマンの独創性を端的に示している。

シューマンの幾分くすんだいぶし銀のオーケストレーションを、奇を衒うことなく自然体で表現することによって、楽曲本来の根源的な魅力を見事に引き出している点を高く評価したい。

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ドヴォルザークが作曲した協奏曲は、作曲年代順にピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲の3曲が知られている。

ピアノ協奏曲については、若書きであるせいもあって、リヒテル&クライバーによる名演で知られてはいるものの、いささか魅力に乏しい作品と言わざるを得ない。

チェロ協奏曲が、あらゆる作曲家によるチェロ協奏曲の中でも玉座の地位を獲得している不朽の名作であることは衆目の一致するところであるが、ヴァイオリン協奏曲も、ドヴォルザークならではのチェコ風の民族色溢れる美しい旋律に満ち溢れた名作であり、録音もチェロ協奏曲ほどではないものの、比較的多いところだ。

本盤には、そうしたチェロ協奏曲とヴァイオリン協奏曲をカップリングするという極めて珍しいCDであるが、両演奏ともに、演奏者がチェコ出身者で固められているということもあり、まさにチェコの民族色を感じさせる魅力的な名演奏であると言えるのではないだろうか。

とりわけ、チェロ協奏曲については、かつてのカザルスをはじめとして、ロストロポーヴィチ、マイスキーなど、世界的なチェリストがスケール雄大な名演の数々を成し遂げてきているが、本盤に収められたフッフロの演奏は、そうした海千山千のチェリストの演奏と比較すると、雄大なスケール感とか超絶的な技量という点においては、はっきり言って太刀打ちはできないと言わざるを得ないところだ。

しかしながら、演奏の端々から漂ってくる野趣溢れるとも言うべきチェコ風の情感豊かさと言った点においては、そうした世界的チェリストによる演奏よりも味わい深いと言えるところであり、演奏内容の総体としては、決して劣っているものではない。

少々表現は悪いが、豊かな自然に囲まれたチェコの片田舎を思わせるようなひなびた情緒があるとも言えるところであるが、こうした独特の味わい深さこそが本演奏の最大の魅力であると言っても過言ではあるまい。

人工的な美の世界に毒されている都会人である多くの聴き手に一服の清涼剤を与えるかの如き演奏とも言えるところであり、筆者としては、現代においてこそ希少価値のある極めて優れた名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

ヴァイオリン協奏曲については、フッフロのチェロ演奏と同様のことがスークのヴァイオリン演奏にも言えるところであり、楽曲の性格からしても、チェロ協奏曲以上にその性格に合致した素晴らしい名演と高く評価したい。

ノイマン&チェコ・フィルによる演奏も、フッフロのチェロ演奏やスークのヴァイオリン演奏を見事にサポートするとともに、両曲のチェコ風の民族色を全面に打ち出した見事な名演奏を繰り広げている点を評価したい。

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classicalmusic at 21:08コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークノイマン 

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フォーレのレクイエムは、世界3大レクイエムの一角を占める名曲中の名曲ではあるが、あまりにも慎ましやかな楽曲であるだけに、演奏自体は3大レクイエムの中で最も難しい。

静謐さを旨とする楽曲であるだけに、とりわけ合唱があまりにも壮麗であると楽曲自体の雰囲気をぶち壊してしまう危険性があり、起用する独唱者や合唱団によってその演奏の成否がかかっていると言っても過言ではあるまい。

本演奏については、とある影響力の大きい某音楽評論家は独唱にボーイソプラノではなく、通常のソプラノ(女声)を使用していることを採り上げて酷評しているし、エリザベト・ブラッスール合唱団による女声合唱についても静謐さを欠くとの批判をする聴き手も一部に存在していると言えるところだ。

もっとも、かかる批判の是非は別として、本演奏全体に漂う独特のエレガントな味わいには抗し難い魅力があると言えるところであり、筆者としては、本演奏を、コルボ&ベルン交響楽団による名演(1972年)と並んで、同曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したいと考えている。

本演奏で何よりも素晴らしいのは、前述のようなクリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団が醸し出す瀟洒な味わいに満ち溢れたセンス満点の美演であると考えられる。

あまりにも静謐で、全体的に弱音が支配する同曲のオーケストラパートであるが、この黄金コンビはいかに静寂が支配する箇所においても、いわゆるフランス風のエスプリに満ち溢れた豊かな情感に満ち溢れており、清澄さと優美さを併せ持つ稀有の演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

加えて、独唱陣が極めて優秀であり、ヴィクトリア・デ・ロス・アンへレスとディートリヒ・フィッシャー=ディースカウともども、これ以上は求め得ないような圧倒的な名唱を披露していると評価したい。

エリザベト・ブラッスール合唱団による女声合唱については、確かに前述のコルボ盤におけるサン・ピエール=オ=リアン・ドゥ・ビュール聖歌隊による少年を主体とする合唱と比較すると、その清澄な美しさにおいて若干の問題がないとは言えなくもない。

しかしながら、それは高い次元での比較の問題であり、筆者としては、合唱についてもさすがに清澄の極みとも言うべき名唱とは言い難い面もあるが、少なくとも本名演の価値を減じるほどの瑕疵はないのではないかと考えている。

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classicalmusic at 00:22コメント(0)トラックバック(0)フォーレクリュイタンス 

2014年04月28日


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今般のフルトヴェングラーによるブラームスの交響曲全集(EMI)のSACD化に当たって、最も高音質化の効果が著しかったのは、「第1」と「第4」であり、その両者に挟まれた本盤はやや分が悪いと言えるが、それでも、これまでのリマスタリングCDと比較すると、次元の異なる良好な音質に生まれ変わったものと高く評価したい。

マスターテープの状態や録音年の違いもあるが、「第2」の方が、より音場に拡がりがあり、「第3」の方は、ノイズを抑えた分だけ、ややダイナミックレンジが狭まった感じがしないでもない。

「第2」の場合は、特に高音にピークがあり、やや音質が濁る傾向があるが、弦楽器など艶やかで実に鮮明な音質に蘇っており、十分に満足し得る音質である。

演奏内容についてであるが、「第2」も「第3」も、フルトヴェングラーが必ずしも数多く指揮しなかった楽曲であることもあり、遺された音源も本盤を含め限られるが、こうして高音質化したSACDを拝聴すると、あらためて、この巨匠の演奏の素晴らしさを大いに感じることができる。

「第2」は、第1楽章と第2楽章は自我を抑制した印象を受ける。

フルトヴェングラーのライヴとしては珍しいが、それでも、むせ返るような弦楽合奏の抒情は、至高・至純の美しさを湛えている。

第3楽章の終結部の大きなリタルランドは、大見えを切るようないつものフルトヴェングラーであるが、これは終楽章の熱狂への橋渡しと考えられないわけではない。

そして、終楽章は完全なフルトヴェングラーの独壇場で、冒頭から、夢中になって突き進んでいき、終結部の猛烈なアッチェレランドは、かの名演の誉れ高いワルター&ニューヨーク・フィル盤と同格の迫力と言える。

「第3」は、冒頭から、フルトヴェングラー節が全開。

第2楽章や第3楽章のむせ返るような抒情も美しさの極みであるし、終楽章の熱狂も、さすがはフルトヴェングラーならではの圧巻の至芸と言える。

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classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)ブラームスフルトヴェングラー 

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フルトヴェングラーは、ベートーヴェンとともに、ブラームスの交響曲も数多く演奏し、録音もかなりの点数が遺されているが、最もフルトヴェングラー向きの交響曲を掲げるとすれば、やはり「第1」ということになるのではなかろうか。

ベートーヴェンの「第10」と評されたことからもわかるように、ベートーヴェンを意識して作曲された交響曲でもあり、フルトヴェングラーとしても、アプローチのしやすい楽曲であると考えられるからである。

ライナーノーツの解説にもあるように、フルトヴェングラーは10種類もの録音が確認されているようである。

筆者も、そのうち、かなりの点数を聴いてはきたが、音質がいずれもイマイチであり、フルトヴェングラーの本領が発揮された演奏とは言い難いものがあった。

しかしながら、ついに、本盤の登場によって、長年の渇きが癒された。

今般の高音質のSACD盤によって、彫りの深いフルトヴェングラーならではの深みのある表現をかなり鮮明に聴き取ることが可能になったからだ。

特に、弦楽器の艶やかな響きが素晴らしく、これは、既発のCDとは全く次元の異なるものである。

全体的にオンマイクのような感じで、音場の拡がりがあまりなく、特に重要なホルンの音色が弱いのが気にはなるが、それでも、これだけの鮮明な音質に生まれ変わったのだから文句は言えまい。

次いで、音質がいいのは、ハンガリー舞曲の3曲。

このしたたるような弦合奏の厚みのある響きは、従来CDには全く聴かれなかったものだ。

ハイドンの主題による変奏曲は、演奏自体はドラマティックな豪演であり、フルトヴェングラーの個性が全開の超名演であるが、今般の収録曲の中では、音質改善効果が一番少ないとも言える。

特に、高弦がきつく聴こえるのが残念ではあるが、それでも、従来CDと比較するとかなりのレベルにまで改善されたと言えるのではないか。

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鬼才ストラヴィンスキーは20世紀を象徴する作曲家である。

しかし彼の作品では晩年のそれより、初期の民族主義の系譜を引いた3大バレエなどが広く演奏されている。

そこで作曲者が自作の演奏について、きわめて神経質になったのも無理からぬことと考えられるが、彼はそのためかつての盟友であったアンセルメと仲たがいし、カラヤンらの個性的な大指揮者を嫌悪していた。

つまりストラヴィンスキーは自作を楽譜のままに、いささかも主観を加えず演奏することを求めていたのである。

巨匠風の誇張した表情や勝手な解釈は、ストラヴィンスキーの排斥するところであった。

そこで自作自演は、彼がどのような演奏を求めていたかという解答である。

ストラヴィンスキーがバレエの領域に非凡な業績を残したことは、ある意味で彼の天性が生かされたと言って良く、この演奏はそれを如実に物語っている。

もはや無機的といえるほど乾いた表情で一貫しており、いわゆる解釈された演奏にはない作品像が樹立されている。

荒々しい精気がみなぎり、作品の本質が赤裸々にあらわされる。

これこそが作曲家の望んでいた演奏である。

いずれも鉄をも溶かすような熱っぽい迫力と、春風にゆらぐ若葉のような新鮮さに溢れている。

実に明快率直な若々しい感覚に溢れた演奏である。

ストラヴィンスキーの指揮法は現代のプロ達のそれから見れば何ら特別には見えないが、オーケストラから極めて個性的で、しかもバレエの技法を彷彿とさせるような表現を見事に引き出している。

特に《火の鳥》では、曲のすみずみにまでよく神経を行き届かせながら、各場面を表情豊かにまとめており、「カスチェイの凶悪な踊り」から終幕にかけて、音楽をしだいに高潮させていくあたりの手腕は見事なものだ。

ここでもストラヴィンスキーは「音楽は伝達されれば良いので、解決すべきではない」という主張に基づいたスコアに忠実な演奏で、各曲を構成的によくまとめている。

彼の自作の演奏スタイルを知るという意味で貴重な録音だ。

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2014年04月27日


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1952年5月17日のライヴ録音で、有名な英デッカの名録音直後のライヴ演奏の強力新譜の登場である。

ワルターは1952年5月15日と16日、英デッカのために《大地の歌》をスタジオ録音、17日と18日にはウィーン音楽祭に出演、同曲と前プログラムのモーツァルト第40番を指揮した。

《大地の歌》の方はスタジオ録音と17日のライヴ録音がCD化されており、両方とも持っていたい。

今回採り上げた17日の演奏の音質は、もちろん英デッカの優秀録音には若干及ばないが、ライヴ特有の熱気に満ち満ちており(ワルターのうなり声も聞こえる)迫力満点だ。

ワルターの英デッカによるスタジオ録音盤における物足りなさは、フェリアーの発音と偶数番号曲のスケールの小ささにあった。

ところが今般、このスタジオ録音の翌日に行なわれたライヴ録音が、仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻されて日の目を見て、そのマイナス面が補われた。

ソロの録音が生々しく、オケにはライヴならではの生命力があり、第4曲と第6曲の2曲に関しては、ややスケールの小ささを感じさせたスタジオ録音の問題が払拭され、このライヴ録音の方が上だ。

他のナンバーもフレッシュな感動を与えられる。

演奏はスタジオ録音と同じく、完璧なまでに古典化され、練れ切っており、熟成した年代物のワインのような香りを湛えている。

作曲家自身、演奏可能かどうかを危惧したほどの難曲だが、ワルターの手にかかると緻密なアンサンブルに一分の隙さえなく、形には無駄がなく、しかも当時のウィーン・フィルの驚くべき魅惑と土くさいまでの音色の個性がその形に花を添えている。

モノラル録音だがマーラーの複雑微妙なオーケストレーションを楽しむのに全く不足はない。

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1955年度フランス・ディスク大賞受賞盤である。

その名誉にそむかず、驚くべき名演で、1954年という年代的な古さだけで敬遠してはならない名演。

モノーラル末期の録音だが、CDに聴く《ばらの騎士》のなかでの最高の名盤であろう。

カルロス・クライバーの父エーリヒの指揮は、ウィーン情緒豊かだが、決して伝統の上にあぐらをかいたものではなかった。

チャーミングなソロ楽器の競演、劇中の各ワルツの悩ましいばかりの艶やかさはまさに最高と言えよう。

特にワルツのリズム扱いひとつを取り上げてみても、余人の追従を許さない個性的な生気と閃きがあり、しかも一方では、思い入れの度が過ぎたり、センチメンタルにもなり過ぎない冷静さがあった。

主な役どころを生粋のウィーンの歌手で固め、伝説的なライニングの元帥夫人といかにも育ちのいいオクタヴィアンを演じた当時新進気鋭のユリナッチの取り合わせといった女声が目立っている。

大体、この楽劇は男声が難しいが、ウェーバーのうまさは唖然たるもので、人間味豊かなオックス男爵など、配役もすこぶる強力である。

また、重唱の美しさと管弦楽のニュアンスが細かく、響きの美しいことが、このディスクの成功の原因である。

E.クライバーの指揮、ウィーン・フィルの演奏、歌手たちの歌いぶり、その全てが最高の境地で一体化しながら、この作品の素晴らしさを万全に伝えている。

筆者は根っからのオペラ好きではないかもしれないが、個人的にはオペラの場合でもオーケストラの比重は大きく考えている。

つまり、歌手がいかに豪華であっても、オーケストラが添え物的では満足できない(むろん、逆にオケが良くて歌手がB級でも困るが)。

その点、この録音はオーケストラがびっくりするほどきれいで、ウィーン・フィルの美点を最も顕著に捉えた名録音の一つだろう。

このオペラではカルロスよりも父エーリヒの方がずっと上だ。

また第3幕の最後、若い恋人同士が去った後、黒人の少年がゾフィーの落としたハンカチを拾い、舞台から姿を消して幕となるが、この洒落切った幕切れの音楽もエーリヒの瀟洒さが抜群だ。

ここにはR.シュトラウスとウィーンの輝きがある。

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2014年04月26日


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エーリヒ・クライバーの存在を、カルロスの父親というかたちで認識している若い人々は気の毒と言えなくもない。

彼をいわゆるスターの座に置かず、人気の的としなかったとしても、彼が20世紀の偉大な指揮者のひとりであったことは間違いない。

1955年録音のこの《フィガロの結婚》は、モーツァルト生誕200年を前にして、初の完全全曲盤として制作されたものであり、シエピやギューデンをはじめとする歌手たちのバランスもよく、端役に至るまで非常によく揃い、しかもバランスもとれて、アンサンブルも充分に楽しむことができる。

クライバーは、徹底してウィーン・スタイルの表現を一貫し、歌やオーケストラをはじめ、全てをそこに統一して、モーツァルトの最もスタンダードでオーソドックスな演奏を明示している。

しかも、ウィーン・フィルがそこに展開しているモーツァルト演奏における真のウィーン様式が、実に新鮮で衰えのない生命感を思わせている。

クライバーのモーツァルトはよく歌い、よく弾む。

音楽の流れには一分の淀みもない。

若さに満ち溢れたストレートな音作りに徹している。

オーケストラもまた、ウィーン風のしなやかな弦と柔らかな管の音色が、表情豊かな歌を歌い続ける。

指揮者もオーケストラも歌手たちも全員が同じモーツァルトの歌心をもっているからだろう。

実に見事なアンサンブルで、これがウィーンのモーツァルトあり、歌うところは十分に歌い、劇的に盛り上がるところは適度のアクセントをつけ、軽く弾むリズムで快適なテンポ感を保つ。

確かに、今となっては、録音にはいささか古さを感じなくもない。

しかし、ここで聴ける、ウィーンの国立歌劇場でまだアンサンブルの理念が機能していた時代の演奏ならではの生き生きとした表情と小粋な表情はなにものにもかえがたい。

若さを感じさせる、素晴らしい名盤であり、クライバーの光輝あるある偉業として記念すべき録音だ。

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classicalmusic at 23:57コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトクライバー 

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カラヤンはベートーヴェンの交響曲全集をDVD作品を除けば4度にわたってスタジオ録音している。

このうち、フィルハーモニア管弦楽団との最初の全集を除けばすべてベルリン・フィルとの録音となっている。

いずれの全集もカラヤンならではの素晴らしい名演であると考えているが、中でもカラヤンの個性が最も発揮されたのは1970年代に録音された3度目の全集ということになるのではないだろうか。

一昨年、FM東京から、カラヤン&ベルリン・フィルの1977年の来日時の驚くべき普門館ライヴによる全集が発売されたところだ。

本全集は、さすがにあの超絶的な名演には敵わないが、それらとほぼ同じスタイルによる名演をスタジオ録音によって味わうことが可能である。

本全集の録音当時(1975年〜1977年)は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代であった。

名うてのスタープレイヤーが数多く在籍していた当時のベルリン・フィルは、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏を展開していた。

カラヤンは、これに流麗なレガートを施し、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていた。

それは本全集においても健在であり、これほどの圧倒的な音のドラマは、前述の普門館ライヴ録音は別格として、クラシック音楽演奏史上においても空前にして絶後ではないかと考えられるほどの高みに達している。

もちろん、カラヤンは本全集における各曲の演奏においては音のドラマの構築に徹していることから、各楽曲の精神的な深みの追求などは薬にしたくもない。

したがって、とある影響力の大きい音楽評論家などは、精神的な深みを徹底して追求したフルトヴェングラーの名演などを引き合いにして、本全集の精神的な内容の浅薄さを酷評しているが、本全集はかかる酷評を一喝するだけの圧倒的な音のドラマの構築に成功しており、フルトヴェングラーの名演などとの優劣は容易にはつけられないものと考えている。

また、各楽曲の精神的な深みの追求がないという意味においては、何色にも染まっていない演奏であると言える(もちろん、表面的な音はカラヤン色濃厚であるが)ところであり、初心者には安心してお薦めできる反面で、特に熟達した聴き手には、各曲への理解力が試される難しい演奏ということができるのかもしれない。

録音は、高名なギュンター・ヘルマンスによるアナログ完成期の録音であり、従来盤でも十分に満足できる音質である。

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classicalmusic at 21:12コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンカラヤン 

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チャイコフスキーのピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」は、必ずしも室内楽曲を得意とはしていなかったチャイコフスキーの作曲した室内楽曲の中でも異例の名作であるだけでなく、古今東西の作曲家によるピアノ三重奏曲の中でも、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲「大公」と並ぶ傑作と言えるのではないだろうか。

ベートーヴェンの楽曲ほどの深みはないかもしれないが、それでも旋律のロシア風の憂愁に満ち溢れた美しさは実に魅力的であり、楽曲全体の構成的にも非常によく書けた作品である。

これだけの名作だけに、チョン・トリオやウィーン・ベートーヴェン・トリオによる名演、そして、いわゆる百万ドルトリオ(ルービンシュタイン、ハイフェッツ、ピアティゴルスキー)による歴史的な超名演など、数々の素晴らしい名演が成し遂げられてきているところだ。

また、アルゲリッチ、マイスキー、クレーメルによる現代的なセンスに満ち溢れた名演も存在しており、おそらくは、今後も、名うてのピアニストやヴァイオリニスト、チェリストによる様々な個性的名演が生み出されていく可能性を秘めた懐の深い名作と言っても過言ではあるまい。

本盤には、アシュケナージ、パールマン、ハレルの3者による同曲の演奏が収められている。

本演奏は、個性という意味においては、前述の海千山千の個性的な錚々たるピアニストやヴァイオリニスト、チェリストによる名演と比較すると、若干弱いと言わざるを得ないところだ。

しかしながら、聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さには出色のものがあり、加えていい意味でのヴィルトゥオーゾ性も見事に発揮している。

要は、同曲の美しさ、魅力を十二分に描出した演奏を行っていると言えるところであり、我々聴き手が同曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏と言えるのではないかと考えられる。

いずれにしても、本演奏は、前述のように強烈な個性にはいささか欠けるところがあるが、いい意味での演出巧者ぶりを十二分に発揮した素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質については、1980年のスタジオ録音であり、従来CD盤でも比較的満足できる音質であった。

しかしながら、今般のSACD化で大変驚いた。

従来CD盤とはそもそも次元が異なる見違えるような、到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わって、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

アシュケナージのピアノタッチや、パールマンによるヴァイオリン演奏、ハレルによるチェロ演奏の弓使いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、アシュケナージ、パールマン、そしてハレルによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 01:13コメント(0)トラックバック(0)パールマンアシュケナージ 

2014年04月25日


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カラヤンは、クラシック音楽史上最大のレコーディングアーティストとして、様々な作曲家による交響曲全集の録音を数多く行った。

その大半は独墺系の作曲家によるものに限られているが、唯一そうでないものが存在する。

それがチャイコフスキーの交響曲全集であり、本盤にはそのうち初期の第1〜3番が収められている。

チャイコフスキーの交響曲は、独墺系の錚々たる大指揮者が好んで演奏を行ってきてはいるが、それは後期3大交響曲(第4〜6番)に限られている。

したがって、初期の第1〜第3番を含めた全集を録音したのは、独墺系の指揮者の中では現在においてもカラヤンが唯一の指揮者ということになる。

このうち、第1〜3番については、カラヤンも実演では一度も採り上げたことがないことから、本盤に収められたこれらの演奏は、カラヤンが全集を完成させることを目的に録音した唯一の演奏ということになる。

第3番についての演奏評価についてはレビューを既に投稿しているので、個別の交響曲毎の演奏評価については省略するが、いずれにしても、本盤に収められた演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏の凄さを満喫させてくれる素晴らしい名演と高く評価したい。

各交響曲の演奏は、いずれも1979年というカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代のもの。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇る弦楽合奏、金管楽器のブリリアントで強靭な響き、桁外れのテクニックを誇る木管楽器の極上の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のように轟くティンパニなどが一体となった超絶的な技量を披露するベルリン・フィルの名演奏に、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、究極の美を誇るいわゆるカラヤンサウンドを形成。

まさに、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていたところである。

本盤に収められた演奏は、いずれもかかるカラヤンサウンド満載の圧倒的な音のドラマが健在であり、これはこの黄金コンビが成し遂げた究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

併録のスラヴ行進曲やイタリア奇想曲も、いかにもチャイコフスキーを得意としたカラヤンならではの素晴らしい名演だ。

録音は、交響曲についてはデジタル録音に移行する直前のいわばアナログ録音の完成期のものであるだけに、従来盤でも十分に満足できる音質である。

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classicalmusic at 23:48コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーカラヤン 

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「鋼鉄のピアニズム」と言われて一世を風靡したギレリスお得意の超骨太のチャイコフスキーである。

機械のように正確な技巧と繊細な叙情性を併せ持った演奏は、日本でも多くのファンを獲得した。

情熱的で雄大なスケールのうちにも詩情豊かな味わいを持つ絶品のチャイコフスキーだ。

過度な化粧や装飾をそぎ落とし、しっかりとした構成をベースに明確な輪郭を形成し、その内面をロマンティックな表情で固める彼の演奏の凛とした姿勢がここに示されている。

数あるCDの中で、「あのセンチメンタリズムにはついていけない・・・」と言われた吉田秀和氏ばりの硬派な方にぴったりの演奏が、このギレリス&マゼール盤。

ギレリスをサポートするマゼールの巧みさも必聴で、テンポの伸縮も凄まじい。

受けて立つギレリスは音響的ハレーション寸前、ピアノが壊れるのではないかというほどに容赦ないフォルティッシモをこれでもかと浴びせかけてくる。

これに対してマゼールはたっぷり間をとって、ほわっとした感じのテヌートぎみのフレージングで、ここはチェロ、ここは木管、ここは金管というように各声部を過剰に強調しながら、場面を切りかえ、ギレリスの過剰な強打をかわしていく。

超劇的な展開かと思いきや、次は肩すかしの弱音で攻める。

こんな面白い演奏は他には見当たらない。

チャイコフスキーの意図との整合性はともあれ、かのホロヴィッツ&トスカニーニ盤に匹敵するカタルシスを味わえるCDである。

数あるギレリスのチャイコフスキーの中でも、空前絶後(抱腹絶倒)の名演だ。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーギレリス 

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ブラームスのピアノ協奏曲第2番の演奏史上、スコアを完璧に音化した演奏ということができる。

ライナー&シカゴ交響楽団の技量は圧巻であり、アンサンブルなどいささかも弛緩することはない。

金管楽器も木管楽器も完璧な技量を披露している。

ギレリスも凄い。

鋼鉄のピアニストと称されたギレリスであるが、本盤は、その面目躍如たる硬質のタッチを示している。

ギレリスは、後年に、ヨッフムと同曲を録音しているが、そちらの方は、やや角の取れた柔らかさがあり、ギレリスらしさと言えば、本盤に軍配があがると考える。

こうした鉄壁のライナー&シカゴ交響楽団と、鋼鉄のギレリスのピアノが組み合わさると、まさに完璧な演奏が生み出されることになるのは必定だ。

第1楽章や第2楽章など、抒情的な美しさなど薬にしたくもなく、圧巻の音塊が炸裂する。

第3楽章になると、シュタルケルのチェロなど、美しい箇所も散見されるが、終楽章になると、再び凄まじい進軍が開始される。

この演奏を評価する聴き手も多いと思われる。

それは、演奏技術として非のうちどころがないからである。

しかしながら、筆者としては、これがチャイコフスキーだったら、どんなに感動的な演奏になったのだろうかと思ってしまうのだ。

要は、ブラームスの場合、何かが足りないのではないか。

ブラームスには、卓越した技量や圧倒的な迫力だけではなく、人生の苦みを感じさせるような深みのある表現も不可欠ではないか。

そう思う時、この完璧な演奏を無条件で推薦するわけにはいかないのである。

録音は、XRCDによる鮮明な高音質であるが、特に、オーケストラの音色がデッドに響く箇所があり、それがいささか気になった。

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classicalmusic at 00:53コメント(0)トラックバック(0)ギレリスライナー 

2014年04月24日


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ケルテス指揮、ウィーン・フィルのドヴォルザークの「新世界より」は今でも非常に人気の高い名盤のひとつで、英デッカの名録音によって今でも瑞々しい鮮度を誇っている。

ケルテスは1973年4月、イスラエルの海岸で海水浴中に高波にさらわれて43歳の若さで命を落としたが、それがクラシック音楽界にとっていかに損失であったのかは、遺された数々の名演でよく理解できるところだ。

かかる名演は、コダーイの管弦楽曲集などのお国ものからブラームスの交響曲全集などに至るまで多岐に渡っているが、それら数々の名演に冠絶するケルテス最大の遺産は、本盤に収められたウィーン・フィルとのドヴォルザークの「第9」であるというのは論を待たないところだろう。

それどころか、古今東西の様々な指揮者による同曲の名演の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本演奏で素晴らしいのは何よりも、ウィーン・フィルの美しさの極みとも言うべき名演奏にある。

ホルンをはじめとする金管楽器の朗々たる奥行きのある響きは抗し難い魅力に満ち溢れており、木管楽器の温もりのある響きも極上の美しさを誇っている。

そして弦楽合奏の重厚にして優美な音色が演奏全体に適度の潤いを与えていることを忘れてはならない。

このような美しさの極みとも言うべき名演奏は、ウィーン・フィルとしてもなかなか成し遂げられるのは困難なものと言えるところであり、それだけ本演奏においてはウィーン・フィルが持ち得る実力を最大限に発揮している。

ケルテスはこの時は若干31歳の若さであったが、ウィーン・フィルにこれだけの名演奏をさせたということは、ケルテスの類稀なる才能と同時に、ウィーン・フィルがケルテスの才能を深く敬愛していたことの証左であると考えられる。

ケルテスの指揮は、いささかも奇を衒うことなく、むしろオーソドックスな自然体のものとさえ言えるが、ウィーン・フィルに前述のような最美の演奏をさせることによって、同曲の魅力を最大限に発揮させることに成功している点を高く評価したい。

まさに本演奏は、我々聴き手が同曲に求めるすべての要素を兼ね備えていると言っても過言ではあるまい。

私見では、同曲の最高峰の名演は、本演奏とクーベリック&ベルリン・フィル(1972年)、カラヤン&ウィーン・フィル(1985年)による名演が3強を形成していると考えているが、同曲の魅力を存分に味わうことができるという意味においては、本演奏こそが随一であると考えている。

ケルテスは、後年にロンドン交響楽団とともに同曲を録音(1966年)しており、それも名演に値するとは思うが、とても本演奏のような魅力は備わっていない。

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classicalmusic at 23:06コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークケルテス 

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アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでの間は、持ち味である豊かな歌謡性と気迫溢れる圧倒的な生命力によって素晴らしい名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後は、なぜかそれまでとは別人のような借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになってしまった。

前任者であるカラヤンを意識し過ぎたせいか、はたまたプライドが高いベルリン・フィルを統御するには荷が重すぎたのかはよくわからないが、そうした心労が重なったせいか、大病を患うことになってしまった。

ところが、皮肉なことに、大病を克服し芸術監督退任間近になってからは、凄味のある素晴らしい名演の数々を聴かせてくれるようになった。

最近発売されるアバドのCDは、いずれも円熟の名演であり、紛れもなく現代最高の指揮者と言える偉大な存在である。

それはさておきアバドは、ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を2度完成させている。

正確に言うと、「第9」だけは重複しているのだが、第1〜8番の8曲については別の演奏であり、1度目は前述の大病を患う直前のスタジオ録音、そして2度目は大病を克服した直後のローマでのライヴ録音(DVD作品のCD化)となっている。

要は、「第9」だけは最初の全集に収められたライヴ録音をそのまま採用しているということであり、アバドはベルリン・フィルとの最初の全集の中でも、「第9」だけには自信を持っていたということを窺い知ることが出来るところだ。

本盤に収められたベートーヴェンの交響曲全集は、アバド&ベルリン・フィルによる最初の全集だ。

このうち、第1番〜第6番については、前述のような低調なアバドによるものであり、2度目の録音を大病克服直後に行ったことからしても、アバド自身もあまり満足していなかったのではないかと考えられる。

最新の研究成果を盛り込んだペーレンライター版を使用したところは、いかにもアバドならではだが、記者の質問に対して版の問題は他に聞いてくれと答えたという芳しからざる噂もあり、実際のところ、アバドが自らの演奏に版の問題をどのように反映させたのかはよくわからないところだ。

いずれにしても、第1番〜第6番については良くも悪しくもアバド色の濃いベートーヴェンと言えるだろう。

フルトヴェングラーやカラヤン時代の特徴であった重量感溢れる重厚な音色がベルリン・フィルから完全に消え失せ、いかにも軽やかな音色が全体を支配していると言ったところだ。

かつて、とある影響力の大きい某音楽評論家が自著において、本全集の《エロイカ》の演奏を「朝シャンをして香水までつけたエロイカ」と酷評しておられたが、かかる評価が正しいかどうかは別として、少なくとも古くからのクラシック音楽ファンには許しがたい演奏であり、それこそ「珍品」に聴こえるのかもしれない。

筆者としても、さすがに許しがたい演奏とまでは考えていないが、好き嫌いで言えば決して好きになれない軽妙浮薄な演奏と言わざるを得ない。

もっとも、前述のように、近年のピリオド楽器や古楽器奏法による演奏を先取りするものと言えるが、天下のベルリン・フィルを指揮してのこのような軽妙な演奏には、いささか失望せざるを得ないというのが正直なところである。

前々任者フルトヴェングラーや前任者カラヤンなどによる重厚な名演と比較すると、長いトンネルを抜けたような爽快でスポーティな演奏と言えるが、好みの問題は別として、新時代のベートーヴェンの演奏様式の先駆けとなったことは否定し得ないと言える。

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カラヤンは「悲愴」を7度もスタジオ録音したほか、一昨年発売された死の前年の来日時のライヴ録音、N響とのライヴ録音など、数多くの録音が残されている。

この中からベスト3を選ぶとすれば、ベルリン・フィルとの1971年及び1976年の録音と、本盤に収められたウィーン・フィルとの1984年の録音及び映像作品ということになるだろう。

1971年盤はライヴのようなドラマティックな名演、1976年盤は完成度の高いオーソドックスな名演であるのに対して、1984年盤は、カラヤンの晩年ならではの荘重で深遠な名演である。

序奏はあたかも死の淵にいるかのような絶望的な響きであるし、第2主題の天国的な美しさももはやこの世のものとは思えない。

カラヤンの代名詞であった圧倒的な統率力にはいささか綻びが見えているが、それを補って余りあるほどの巨匠ならではのオーラに満ち溢れている。

これは、世紀の巨匠であるカラヤンですら晩年になって到達した至高・至純の境地と言えるだろう。

第2楽章の流れるような優美なレガートもカラヤンならではのものだし、第3楽章の圧倒的なド迫力は、間近に迫る死に対する強烈なアンチテーゼと言ったところか。

終楽章の深沈たる響きの美しさには、もはや評価する言葉が追い付かない。

ベルリン・フィルとの関係が決裂状態になり、傷心のカラヤンに寄り添って、見事な名演を成し遂げたウィーン・フィルにも喝采を送りたい。

さてこの映像であるが、UNITELの流麗な指揮姿とは対照的なもの。

カラヤンのトレードマークであった目を瞑っての指揮は殆ど無く、両目を見開きながらオーケストラと真摯に対峙している。

これを痛々しいと見るか、老練の風格と見るかは視聴者次第だが、DGの音だけを聴くよりもこの映像と一緒に聴いた方が自然に感じる。

イギリスの評論家オズボーン氏も指摘するように、映像のカメラワークには「詩的」な感じがあり、演奏も時に静謐で、時に凄みを感じるほど劇的。

かつての演奏にあった力みがなく、特に最終楽章には深い悲しみが漂う。

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2014年04月23日


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カラヤンは、クラシック音楽史上最大のレコーディングアーティストとして、様々な作曲家による交響曲全集の録音及び映像作品を数多く行った。

その大半は独墺系の作曲家によるものに限られているが、唯一そうでないものが存在する。

それがチャイコフスキーの交響曲全集であり、本盤にはそのうち後期3大交響曲(第4〜6番)が収められている。

チャイコフスキーの交響曲は、独墺系の錚々たる大指揮者が好んで演奏を行ってきてはいるが、それは後期3大交響曲に限られている。

後期3大交響曲についてはカラヤンの十八番でもあり、本DVD以外にも、ライヴ録音を含めかなりの点数の録音を遺している。

これら後期3大交響曲についてはいずれにしても、本盤に収められた映像作品は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏の凄さを満喫させてくれる素晴らしい名演と高く評価したい。

各交響曲の演奏は、いずれも1975〜1976年というカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代のもの。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇る弦楽合奏、金管楽器のブリリアントで強靭な響き、桁外れのテクニックを誇る木管楽器の極上の美しい響き、そして雷鳴のように轟くティンパニなどが一体となった超絶的な技量を披露するベルリン・フィルの名演奏に、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、究極の美を誇るいわゆるカラヤンサウンドを形成。

まさに、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていたところである。

本盤に収められた映像作品は、いずれもかかるカラヤンサウンド満載の圧倒的な音のドラマが健在であり、これはこの黄金コンビが成し遂げた究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

カラヤンの壮絶な指揮ぶりも必見で、これを聴いて、見たら、他の演奏は聴けなくなる。

空前絶後の演奏が見れる、カラヤンとベルリン・フィルの最盛期の貴重な演奏である。

疑似ライヴだとか何とか、それはこの演奏に関しては何の意味も持たない。

唯一無二の映像作品であり、これらの交響曲を好きな全ての人に見てもらいたいし、カラヤンに疑問を持つ方々にもお薦めしたい。

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classicalmusic at 23:35コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーカラヤン 

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ハンス・ホッターの第1回目の『冬の旅』の伴奏でもよく知られるピアニスト、ミヒャエル・ラウハイゼン(1889-1984)は、戦前戦中のドイツでリート伴奏の名手としてたいへん大きな尊敬を集めていたピアニストである。

ドイツ国営放送の室内楽・声楽部門の責任者として辣腕をふるい、1940年からはヨーロッパのすべての歌曲を録音・放送するという大プロジェクトを計画、実行し始める。

ドイツの敗戦によって計画は頓挫したとはいえ、このプロジェクトの伴奏をほとんどひとりで担っていたのがラウハイゼンである。

まさに「ドイツのジェラルド・ムーア」とでもいうべき活躍をみせていたラウハイゼンであるが、その「唐草模様のように繊細かつ多彩」と賞されたその凝った表現は、明快さを主眼としたムーアとは異なり、これこそドイツ・リートの真髄とまで讃える声もあったほど。

当盤のピアノを受け持ったラウハイゼンはホッターにとっても特別なピアノ奏者だったようである(ラウハイゼンの芸術というかたちで録音集もあった)。

ハンス・ホッター(1909−2003年)による『冬の旅』の録音は以下の4種類が知られている。

ラウハイゼンとの当盤、ムーアと共演したEMI盤、ヴェルバとのDG盤、ドコウピルとの来日公演盤。

これらの中で個人的に、1990年代後半には1954年のムーアとの共演が特に気に入っていた。

そのCDはトラックタイムの合計が約75分4秒と表記されていた。

一方、当盤の初回録音は77分32秒との表記があった。

空白部分の違いや、SPからの復刻なので単純に比較はできないが、昔初めてこの音源を聴いた時は淀んだような流れに思えて、あまり感心しなかった。

今聴くとホッターの声が若々しいので幾分明るさを感じて救われる気がするが、それでも特に後半の曲は沈痛な空気に圧倒される。

同じく戦前の録音だったゲルハルト・ヒュッシュ盤とはテンポからしてかなり違う(声種も違うので演奏が違って当然)。

そうした違い云々より、約70年前の演奏、録音なので現代の演奏とは比べてもあまり意味が無く、戦時下にこれを歌い、録音されたこと自体が意義のあることだと思う。

同じ演奏者でもニューヨークやロスではこうした演奏にはならなかったのかもしれない。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)シューベルトホッター 

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不世出のワーグナー歌手ハンス・ホッターの《冬の旅》の録音は、1942年に始まって計4種あるが、レコードとして一番まとまっているのは2度目のこのムーアとのものかもしれない。

《冬の旅》こそ声楽家の到達点であるかのように、世に名演が溢れている。

ヒュッシュの全曲盤(1933年録音)は今なお現役盤であり、特にバリトン系の歌手には名演が多いというのも曲の性格だろう。

声域はテノールのために書かれ、中には第1稿は高すぎてあとで少し下げたりし、ハイ・バリトンが多い。

《冬の旅》に、人生を絶望し、孤絶の歌を聴こうとする人には、同じホッターでも1969年、東京文化会館小ホールでのライヴが薦められよう。

この演奏にはホッターの歩んできた人生が見えてくるような感動がある。

《冬の旅》の主人公は《美しき水車小屋の娘》の失恋の傷みに続く世界である。

まだ青年なのである。

しかしわれわれは《冬の旅》というと、何か老成した者の歌のような受け取り方をしがちであるが、この主人公は「霜置く頭」で、霜のために白髪になったと錯覚してよろこんだのも束の間、また元の黒い髪にかえったのを悲しむほどに若いのである。

ホッターの最後の録音は人生の諦観の中にあるが、1954年の録音はまだ青年の失意の中にある。

最初の録音での果てしないカンタービレには、晩年のホッターからは想像できないほどの甘い夢があるが、このムーアとの録音ではそれが是正され、シューベルトの端正な形が示されている。

1曲1曲、何と味わいが深いことか。

ロッテ・レーマンも女声ながら突きつめた劇的《冬の旅》を聴かせ、フィッシャー=ディースカウは解剖学的なまでに細分化したシューベルトを聴かせる。

それぞれの歌手がそれぞれの《冬の旅》を聴かせるが、この盤はその意味で最も普遍的なシューベルトを聴かせる。

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classicalmusic at 00:53コメント(0)トラックバック(0)シューベルトホッター 

2014年04月22日


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本盤に収められたR・コルサコフによる交響組曲《シェエラザード》の演奏は、カラヤンによる唯一の録音である。

カラヤンは、同じロシア5人組のムソルグスキーによる組曲「展覧会の絵」やチャイコフスキーによる3大バレエ音楽の組曲を何度も録音していることに鑑みれば、実に意外なことであると言えるであろう。

その理由はいろいろと考えられるが、何よりもカラヤン自身が本演奏の出来に十分に満足していたからではないだろうか。

それくらい、本演奏は、まさにカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏になっていると言えるだろう。

本演奏は1960年代後半のスタジオ録音であるが、これはカラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代に相当している。

ベルリン・フィルにとってもあまたのスタープレイヤーを擁した黄金時代であり、健康状態にも殆ど不安がなかったカラヤンによる圧倒的な統率の下、凄みのある演奏を繰り広げていた。

鉄壁のアンサンブル、金管楽器のブリリアントな響き、木管楽器の超絶的な技量、肉厚の弦楽合奏、雷鳴のようなティンパニの轟き(もっとも、この時はフルトヴェングラー派のテーリヒェンが演奏していたが)などを駆使しつつ、これに流麗なレガートを施したいわゆるカラヤンサウンドとも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

こうしたカラヤンサウンドは、本演奏においても健在であり、おそらくはこれ以上は求め得ないようなオーケストラの極致とも言うべき演奏に仕上がっている。

加えて、当時世界最高のコンサートマスターと称されたシュヴァルベによるヴァイオリンソロの美しさは、抗し難い魅力に満ち溢れており、本演奏に華を添えていることを忘れてはならない。

また、オペラを得意としたカラヤンならではの演出巧者ぶりは同曲でも存分に発揮されており、各組曲の描き分けは心憎いばかりの巧さを誇っている。

このような諸点を総合的に勘案すれば、本演奏は非の打ちどころがない名演と評価し得るところであり、カラヤンとしてもこの名演を凌駕する演奏を行うことは困難であることを十分に自覚していたのではないかとさえ考えられるところだ。

併録の歌劇《イーゴリ公》からの抜粋である「だったんの娘の踊り」や「だったん人の踊り」なども、これまた全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏の凄さを感じることが可能な素晴らしい名演だ。

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classicalmusic at 22:56コメント(0)トラックバック(0)R=コルサコフカラヤン 

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英国の偉大なピアニスト、デイム・マイラ・ヘスと共演のブラームスのピアノ協奏曲第2番は名演としてワルター・ファンの間では有名な録音。

ヘスはワルターが高く評価していた名ピアニストであり、これは貴重なライヴ録音。

女流ながら構えが大きく、決然たる威厳に満ち、すべての音が鳴り切ったシンフォニックな響きは男性的とさえ言えよう。

第2楽章の強靱でいて情熱的な弾きっぷりと前進性もすばらしい。

しかも第1楽章では、ときにリズムを崩して不健康な味を見せたり、第3楽章では音の一つ一つに心をこめぬき、極めて意味深い名演を成しとげているのだ。

それでいて流れが停滞することはいっさいないのである。

ワルターの指揮も立派だ。

終始、厚みと充実感と豊かな歌があり、むせるようなロマン、いじらしさ、熱狂的な追い込みなど、音楽を堪能させてくれる。

第3楽章における美しい情感の表出は、これがほんとうのブラームスという気がする。

モーツァルトのモテット「エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)」は名花ゼーフリートの親しみやすい声が作品に打ってつけで、小柄なゼーフリートが意外に声を張り上げて歌い上げている。

ゼーフリートとワルターらしい生命力に富んだモーツァルトである。

いずれもワルターとニューヨーク・フィルの蜜月時代のライヴがいかに素晴らしかったかを証明するような名演である。

音質は仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻されたものなので、演奏が気に入れば聴いているうちに気にならなくなる。

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1953年12月27日、カーネギーホール、ニューヨークに於けるライヴ(モノラル)録音。

ワルター没後50年を記念して、仏ターラレーベル(キングレコード)から数々の放送録音が復刻されたのは、これまでのレビューでご紹介してきた通り。

その中で珍しいワルター&ニューヨーク・フィルのブルックナーの交響曲第9番は、物凄い燃焼力を持った圧倒的な演奏。

異様なまでの緊迫感と熱気をはらんだワルター畢生の豪演で、ニューヨーク・フィルのマッシヴな迫力にはただ唖然とするのみだ。

演奏タイムも50分37秒と、後年(1959年)のコロンビア交響楽団とのスタジオ録音(58分)と比べてもかなり速いテンポの演奏となっている。

かのシューリヒトよりもさらに速いテンポの演奏で、しかし速いための違和感はなく、重厚で堂々たるブルックナーである。

オーケストラがブルックナーをほとんど演奏していないニューヨーク・フィルであるが、スケールの大きな名演である。

ニューヨーク・フィルはこの当時ワルターと頻繁に録音を行っており、両者の相性は素晴らしい。

ドイツ系のオーケストラによるブルックナーとは異なる面もあり、特にフィナーレの高揚は素晴らしい。

ワルターには、引退後(1957年)のライヴも出ているが、比較的迫力に乏しく、弦がやや霞んだような感じに聴こえるのは、録音のせいもあるのだろう。

解釈は勿論両盤とも殆ど変わりは無いだけに、正直言って1953年盤(当盤)があれば、1957年盤は不要と言ってもいいと思う。

1953年盤はモノラルの放送録音であるが、仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻されたので聴きやすく、音質にも問題はない。

ワルター最盛期の名演を味わえる素晴らしいライヴ録音である。

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2014年04月21日


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歌曲集「白鳥の歌」は、同じく3大歌曲集の一角を占める歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」とは異なり、一連のストーリーが存在しているわけではない。

様々な内容の歌曲を、シューベルトの没後に一つの歌曲集に纏めたに過ぎないところであり、その意味では同歌曲集を構成する各歌曲の内容には脈略がないとも言えるだろう。

それ故に、歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」の演奏のように、演奏全体の構成力や表現力が問われるのではなく、むしろ個々の歌曲一つ一つをいかに的確に歌い上げていくのかが問われると言えるだろう。

したがって、このような同歌曲集の場合、力量のある歌手にとってはその実力を如何なく発揮し得るものと言えるところであり、フィッシャー=ディースカウはまさに水を得た魚のようにその実力を十二分に発揮することが可能と言えるところだ。

フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を何度も繰り返し録音しているが、心身ともに最も充実していた1972年にジェラルド・ムーアとともに組んでスタジオ録音した本盤の演奏こそが、随一の名演と高く評価したい。

それどころか、同歌曲集の様々な歌手による演奏の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

それにしても、本演奏におけるフィッシャー=ディースカウの歌唱は、巧いという他はない。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

これは、歌曲集「美しき水車小屋の娘」や歌曲集「冬の旅」において圧倒的な名演を成し遂げるとともに、シューベルトの歌曲を知り尽くしているからこそ可能であった名唱とも言えるところであり、まさに他の歌手を寄せ付けないような圧倒的な名唱と言っても過言ではあるまい。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏も、シューベルトによる寂寥感に満ち溢れた美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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クラリネットのウラッハの芸術性が映えるクラリネット作品集で、ウィーンのプレイヤーならではの音色が存分に堪能できる賛沢なラインナップ。

レオポルド・ウラッハは、1902年にウィーンに生まれたクラリネットの名手で、若くしてウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン・フィルの首席奏者やウィーン国立アカデミーの教授を務めた。

いかにもウィーンの香りに満ちた、ゆったりと典雅な演奏スタイルは独特のもので、LP初期には、クラリネット奏者といえばウラッハだけが飛び抜けて名高かった。

日本では特に人気があり、当時の愛好家はウラッハによってクラリネットの名曲に親しんだそうである。

54歳という働き盛りに亡くなったが、これは亡くなる4年前の録音。

名手ウラッハの、柔らかくふくよかな音色を楽しめる名演で、その馥郁としたロマン的情緒は聴き手の心に強く迫ってくる。

ウラッハの音色はそもそもほの暗さを持っており、音量をあまり感じさせない。

実はウラッハの音色の最大の特徴は音域をまたがった際の音色の変化が極めて少ない点にあるのではないかと思っている。

クラリネットは楽器の特性上どうしても音域別に音色が異なり、特にフォルテでその差が激しくなる。

ウラッハの演奏は、強いて言えばフォルテが少なくて、その面で音色感が統一される面もあろう。

そして、彼の極めて柔らかくふくよかな響きは、他の楽器と見事に音色が溶け合う。

われわれが聴くことのできるウラッハの演奏は、ほぼ1950年代の初めに集中していて、年齢的にもおそらく最も音楽の円熟した時期と考えていいのだろう。

少なくともCDで聴く限り、技巧も極めて安定しており、ブラームスの緩徐楽章などの纏綿としたピアニッシモのメロディには今でも感銘を受ける。

音楽スタイルもウィーンの伝統を保持し、洗練されて気品のある優美で深みのある音楽を作っている。

反面、ダイナミズムは小さいが、これは録音面で少し割り引いた方がいいかもしれない。

ただ、フレーズの終わりのところのそっけなさにはちょっと時代を感じるところもあるが……、このあたりがまたウィーン・スタイルと言えなくもない。

前述したように、ウラッハの演奏は特に日本人に好まれるという。

あるいは、ウラッハによって日本人のクラリネット感が形成されてきたのかもしれない。

現在では、ウラッハの音色と音楽スタイルを、ウィーンのクラリネット奏者に聴き取ることは難しいだろう。

その点で、ウラッハの録音はますます貴重になっていくのではなかろうか。

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マーラーの交響曲第5番はワルターのこの曲の唯一の録音であり、その意味でも大変貴重である。

ワルターの意外にも古典的な手堅さを見ることができる演奏であるが、どこをとっても、ワルターのこの曲に対する愛情が満ち溢れた名演奏だ。

全楽章に感興があふれ、その自然な呼吸の歌の起伏が、聴き手を魅惑せずにはおかない。

第1楽章の劇的な迫力も凄いが、有名な第4楽章〈アダージェット〉の旋律の歌わせ方は最高で、豊かなニュアンスで絶妙な表現を作っている。

第4楽章の〈アダージェット〉だけは前にウィーン・フィルとの録音(1938年)があるので、これが第2回目ということになるが、ニューヨーク・フィルから、よくもこれだけの人間味を表出し得たと感心させられる出来ばえを示している。

ウィーン・フィル盤ほど自然ではないが、粘りつくようなメロディーとリズム、そして人間味を肌いっぱいに感じさせるような弦の音、やはりワルターだけがよく成し得る名演と言えよう。

また、第2、3楽章あたりも充実した名演で、前者は各楽器がすべて意味深く生きた傑作だし、後者のウィンナ・ワルツの幻想はワルターの最も得意とするところで、洒落たリズムと歌に満ち溢れ、流れの緊迫感を常に失っていない。

細部まで音楽を自己のものとして消化し、権威をもってオーケストラをリードしている。

両楽章とも曲自体が非常に魅力的ですぐれており、ワルターの音楽性と相俟ってマーラー・ファンには何よりの贈り物であろう。

オーケストラも精気に満ちて素晴らしく、これは歴史的な記録として永く保存しておきたい名演だ。

歌曲集「若き日の歌」(から8曲)では、ハルバンがきめ細かく詩と音楽の情緒を表現して、ロマンティシズムの真髄に迫っている。

根っからのロマン主義者であったワルターであったが、指揮と同様、このピアノ伴奏でも過剰なルバートやデュナーミクを多用することなく、ハルバンの歌をより格調高く歌わせるような、巧みな指さばきを見せている。

こういう伴奏は歌手にとって歌いやすいのではないだろうか。

ハルバンの母性的な感情と可憐さを共有した、親しみやすい雰囲気はマーラーに最適である。

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2014年04月20日


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本盤には、シューベルトの最晩年の傑作である歌曲集「冬の旅」が収められている。

歌曲集「冬の旅」は、恋に破れ、さすらいの旅に出た若者を歌った救いようもない絶望的な暗いストーリーを、シューベルトならではの寂寥感溢れる美しい旋律が散りばめられた24曲にも及ぶ歌曲で描き出した傑作である。

その内容の深さには尋常ならざるものがあると言えるところであり、シューベルトの他の作品で言えば、最後の3つのピアノ・ソナタ(第19番〜第21番)や弦楽五重奏曲ハ長調、交響曲第9番「ザ・グレート」などにも比肩する崇高さを湛えていると言えるだろう。

いずれにしても、同歌曲集は、歌曲の王と言われたシューベルトの膨大な数に及ぶ歌曲の中でも最高傑作であるだけでなく、あらゆる作曲家による歌曲の中でもトップの座に君臨する不朽の名作と言っても過言ではあるまい。

これだけの名作だけに、フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を7度という途轍もない数の録音を行っているところだ。

その中で、随一の名演を1つ選ぶということであれば、筆者は躊躇なく、本盤に収められたジェラルド・ムーアとともに演奏を行ったスタジオ録音(1971年)を掲げたいと考える。

1971年と言えば、フィッシャー=ディースカウにとって心身ともに最も充実していた時期に相当するが、それだけに、本演奏においても圧倒的な名唱を披露している。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

あたかも、フィッシャー=ディースカウが主人公である若者の化身となったような趣きさえ感じられるところであり、これだけ同歌曲集の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

もっとも、かかるフィッシャー=ディースカウによる歌唱は、歌曲集「美しき水車小屋の娘」では他の演奏の追随を許さない名演に仕上がっていたが、歌曲集「冬の旅」の場合は、その内容の奥行きのある深遠さに鑑みて、より楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みが欲しいとも言えるところだ。

したがって、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではないが、歌曲集「美しき水車小屋の娘」の場合のように、唯一無二の名演と評価するのは困難であることを指摘しておきたいと考える。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏についても同様のことが言えるところであり、シューベルトによる美しい旋律の数々を情感豊かに描き出してはいるが、今一歩表現に凄みというか彫りの深さが欲しいという気がしないでもないところだ。

もっとも、フィッシャー=ディースカウによる名唱の引き立て役としては十分にその任を果たしていると言えるだろう。

音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取り組みが行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤を遥かに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲の演奏といえば、本盤(1972年)の後にスタジオ録音したベルリン交響楽団との全集(カプリッチョレーベル)(1990年)が名演の誉れ高く、その中でも交響曲第4番がダントツの名演であった。

本盤も、それに優るとも劣らない名演と高く評価したい。

何よりも、オーケストラの力量から言えば、本盤の方が断然上であり、その意味では、新盤とは違った意味での魅力ある名演と言うことができよう。

シュターツカペレ・ドレスデンのくすんだ音色と、ザンデルリンクの愛情あふれるアプローチがすばらしい。

それにしても、東ドイツという国が存在していた時代のシュターツカペレ・ドレスデンの音色には独特のものがあった。

重心の低い、それでいていぶし銀の輝きのある美しいジャーマン・サウンドは、特に、ドイツ音楽を演奏する際に、他では味わうことができない深遠さを醸し出すことになる。

本盤の演奏で言えば、特に、第2楽章の深沈たる抒情は感動的だ。

ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチで、全体の造型をしっかりと構築した上で、オーソドックスに曲想を描き出していく。

こうした自然体とも言うべきアプローチが、シュターツカペレ・ドレスデンの素晴らしい合奏とその音色の魅力、そしてブラームスの交響曲第4番という楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに成功したと言える。

ザンデルリンクによるドイツ風の重厚で、なおかつ堅固な造形美を誇る名演奏に、シュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色が付加された極上の名演と言えよう。

本演奏については、前述のようなザンデルリンク&シュターツカペレ・ドレスデンを代表する名演の一つだけに、各種のリマスタリング盤やBlu-spec-CD盤が発売されるなど、数々の高音質化の努力が試みられてきたところだ。

しかしながら、今般発売されたシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDやBlu-spec-CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

いずれにしても、ザンデルリンク&シュターツカペレ・ドレスデンによる素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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本盤には、シューベルトの若き日の傑作(シューベルトは31歳でこの世を去ったことから、若き日というのは生涯のことではなく創作期のことを指すことを指摘しておきたい)である歌曲集「美しき水車小屋の娘」が収められている。

同歌曲集は、主人公の青年が水車小屋の若き乙女に恋をするが、恋敵が登場するに及んで乙女の心が恋敵に移り、絶望のうちに小川に身投げをするという一連のストーリーを、シューベルトならではの瑞々しさを感じさせる美しい旋律が散りばめられた20曲にも及ぶ歌曲で描き出した傑作である。

シューベルトの若き日の感性が全体に漲った楽曲だけに、同歌曲集については、演奏の時期を選ぶと言えるのではないだろうか。

フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集を何度も繰り返し録音しているが、心身ともに最も充実していた1971年にジェラルド・ムーアとともに組んでスタジオ録音した本盤の演奏こそが、随一の名演と高く評価したい。

それどころか、同歌曲集の様々な歌手による演奏の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルトの音楽の素晴らしさ、美しさを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

あたかも、フィッシャー=ディースカウが主人公である青年の化身となったような趣きさえ感じられるところであり、これだけ同歌曲集の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

ジェラルド・ムーアのピアノ演奏も、シューベルトの当歌曲集に特有の初々しく瑞々しい情感に満ち溢れた美しい旋律の数々を表現力豊かに描き出しており、フィッシャー=ディースカウによる名唱をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質については、リマスタリングがなされるなど高音質化への不断の取組が行われてきたが、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、従来CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

フィッシャー=ディースカウの息遣いやジェラルド・ムーアのピアノタッチが鮮明に再現される極上の高音質や音場の幅広い臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&ジェラルド・ムーアによる至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年04月19日


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本盤には、多発性硬化症という不治の病を患い、若くしてその活動に終止符を打たざるを得なかった悲劇のチェリストであるデュ・プレが、夫でもあったバレンボイムとともに組んで演奏したシューマンのチェロ協奏曲とサン=サーンスのチェロ協奏曲第1番が収められている。

いずれも圧倒的な超名演だ。

このような演奏こそは、まさに歴史的な超名演と言っても過言ではあるまい。

それは、デュ・プレによる渾身の気迫溢れる力強い演奏によるところが大きい。

本演奏は1968年のものであるが、これはデュ・プレが不治の病を発症する直前の演奏でもある。

デュ・プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、本演奏には何かに取り憑かれたような底知れぬ情念や慟哭のようなものさえ感じさせると言えるだろう。

いや、むしろ、我々聴き手が、デュ・プレをその後襲った悲劇を思って、より一層の深い感動を覚えるのかもしれない。

それにしても、本演奏における切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っており、このような命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ・プレのあまりにも早すぎる死を惜しむ聴き手は筆者だけではあるまい。

それでいて、特に、シューマンの最晩年の傑作であるチェロ協奏曲において顕著であるが、人生への諦観や寂寥感、深遠な抒情の表現においてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、涙なしには聴くことができないほどのものだ。

かかるデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムとニュー・フィルハーモニア管弦楽団も、最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。

音質は、従来CD盤があまり冴えない音質で大いに問題があったが、数年前にHQCD化されたことによって、格段に音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

デュ・プレのチェロ演奏の弓使いまで鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、デュ・プレ、そしてバレンボイム&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団による圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:48コメント(0)トラックバック(0)デュ・プレバレンボイム 

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モーツァルトのホルン協奏曲は、不世出の名ホルン奏者と称されたデニス・ブレインをはじめとして、これまで海千山千の名ホルン奏者によって数多くの名演が成し遂げられてきた。

そうした名うての錚々たるホルン奏者による名演奏の中でも、テクニックもさることながら、その音色の独特の魅力においては、本盤に収められたペーター・ダムによる演奏は、最右翼に掲げられる名演奏と言えるのではないだろうか。

シュターツカペレ・ドレスデンは、現在でも伝統ある独特の音色において一目置かれる存在であるが、とりわけ東西ドイツが統一される前の1980年代頃までは、いぶし銀の重心の低い独特の潤いのある音色がさらに際立っていた。

そうした、名奏者で構成されていたシュターツカペレ・ドレスデンの中でも、首席ホルン奏者であったペーター・ダムは、かかるシュターツカペレ・ドレスデンの魅力ある独特の音色を醸し出す代表的な存在であったとも言えるだろう。

ペーター・ダムのホルンの音色は、同時代に活躍したジャーマンホルンを体現するベルリン・フィルの首席ホルン奏者であったゲルト・ザイフェルトによる、ドイツ風の重厚さを持ちつつも現代的なシャープさをも兼ね備えたホルンの音色とは違った、独特の潤いと温もりを有していたとも言えるところだ。

モーツァルトのホルン協奏曲は、卓越したテクニックが必要であることはもちろんであるが、それ以上に愉悦性に富む楽想をいかに内容豊かに演奏していけるのかが鍵になるが、ペーター・ダムの場合は、持ち前のホルンの独特の魅力的な音色だけで演奏全体が実に内容豊かなものになっていると言っても過言ではあるまい。

ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンも、ペーター・ダムのホルン演奏の引き立て役に徹するとともに、モーツァルトの音楽に相応しい高貴にして優美な名演奏を展開していると評価したい。

いずれにしても、本演奏は、ペーター・ダムの全盛時代のホルン演奏の魅力を満喫することが可能であるとともに、モーツァルトのホルン協奏曲のこれまでの様々な演奏の中でも、ホルンの音色の潤いに満ち溢れた独特の美しさにおいては最右翼に掲げてもいい名演と高く評価したい。

併録のロンドヘ長調も、ペーター・ダムのホルン演奏の素晴らしさを味わうことが可能な素晴らしい名演だ。

なお、ペーター・ダムの魅力的なホルンの音色は、同時期のシュターツカペレ・ドレスデンの演奏、例えば、特にホルンが大活躍するブロムシュテット指揮によるブルックナーの交響曲第4番において聴くことが可能であるということを付記しておきたい。

音質は、本リマスタリング盤もなかなかの良好な音質である。

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classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトブロムシュテット 

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ショパンのピアノ名曲集やベートーヴェンのピアノ・ソナタ集、ラヴェルのピアノ曲全集、そして何よりも忘れ難いバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻の名演で名高いピアニスト、エル=バシャによる待望の新譜の登場だ。

曲目はシューベルトの即興曲集であるが、コンサートではたびたび採り上げてきた得意のレパートリーであるだけに、満を持してのスタジオ録音ということが言えるだろう。

同曲には、様々なピアニストによる多種多彩な名演が目白押しであるが、本盤のエル=バシャによる演奏は、その中でも最も美しい名演と言えるのではないだろうか。

「ベヒシュタインD−280」という使用しているピアノによるところも大きいとは思うが、それ以上に、エル=バシャによるアプローチが素晴らしい。

スコアに記された音符を一音たりとも蔑ろにしない精緻な演奏を基軸としているが、いわゆる人工的な技巧臭とはおよそ無縁の演奏であり、どこをとっても楽曲の美しさだけが描出されているのが見事である。

もちろん、エル=バシャによる演奏が、表面上の美しさだけを追求したものでないことは言うまでもない。

シューベルトのピアノ曲は、親しみやすい旋律には満たされているものの、どこをとっても独特の寂寥感が満ち満ちている。

したがって、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの演奏では、楽曲の美しさを表現することができても、シューベルトが同曲に込めた意味合いや楽曲の真の魅力を描出することは不可能であると思われるところだ。

スコアに記された音符の行間に込められた楽曲の心眼にまで徹底して目を行き届かせた演奏をすることが必要不可欠となってくるが、エル=バシャによる本演奏は、かかる点においても何ら問題はなく、各旋律における表現の彫りの深さにおいてもいささかも不足はないと言えるだろう。

その意味においては、エル=バシャによる本演奏は、美しい中にも内実をともなったものと言えるところであり、まさにシューベルトのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも評価し得るものと言える。

前述のように、同曲には海千山千のピアニストによって多種多彩な名演が成し遂げられているが、エル=バシャによる本演奏は、それらの名演と比較しても十分に存在価値のある偉大な名演と言えるのではないかと考えられるところだ。

いずれにしても、本演奏は、エル=バシャが、その実力を余すことなく発揮した素晴らしい名演と高く評価したい。

音質も素晴らしいの一言。

エル=バシャによる美しさの極みとも言うべきピアノタッチが鮮明に再現されるのはSACDならではのものであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

このようなエル=バシャによる素晴らしい名演をSACDによる超高音質で堪能できることを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 01:13コメント(0)トラックバック(0)シューベルト 

2014年04月18日


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生前は原則として一切の録音を拒否し、幻の指揮者と言われていたチェリビダッケであるが、没後、相当数の録音が発売されることになり、その独特の芸風が多くのクラシック音楽ファンにも知られることになった。

数年前にブルックナーの交響曲第8番とともに、本盤に収められた交響曲第5番の来日時(1986年)のコンサートのライヴ録音のCD化が行われたのは記憶に新しいところである。

今般、ついに、そのライヴ録音CDが、第8番とともに、シングルレイヤーによるSACD化が図られることになったのは、チェリビダッケの芸術を更に広く知らしめる意味においても、極めて意義の大きいことと言わざるを得ない。

チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということなのであろう。

楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。

それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。

そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのがミュンヘン・フィルであった。

チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追求しようというものではない。

むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、まさに音のドラマ。

これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらない。

ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、一音一音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたが、チェリビダッケの場合は、音の一つ一つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは一つ一つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。

もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であった。

したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、それはブルックナーの交響曲についても言えるところだ。

EMIから発売されているブルックナーの交響曲集についても、第3番や第6番は素晴らしい名演であったが、第5番や第8番については、超スローテンポによる演奏で、間延びした曲想の進み方に違和感を感じずにはいられないところであり、熱狂的なチェリビダッケのファンはともかくとして、とても付いていけないと思う聴き手も多いと言えるのではないだろうか。

ところが、1986年の来日時の演奏である本盤に収められた第5番、そして同時発売の第8番については、アプローチとしては基本的に変わりがないものの、チェリビダッケが愛した日本での公演であること、当日の聴衆の熱気、そして何よりも極上の高音質録音によって、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえることなどが相俟って、スローテンポであってもいささかも間延びがしない充実した音楽になっているのではないかと思われるところだ。

確かに、この演奏をブルックナーの交響曲演奏の理想像と評価するには躊躇するが、いわゆる音のドラマとしては究極のものと言えるところであり、良くも悪くもチェリビダッケの指揮芸術の全てが如実にあらわれた演奏と言うことができるだろう。

いずれにしても、聴き手によって好き嫌いが明確に分かれる演奏であり、前述のように、ブルックナーらしさという意味では疑問符が付くが、少なくともEMIに録音された演奏よりは格段に優れており、筆者としては、チェリビダッケの指揮芸術の全てがあらわれた素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、前述のように、各楽器セクションが明瞭に分離して聴こえるのは、シングルレイヤーによるSACD化によって、音質が更に鮮明になり、なおかつサントリーホールの残響の豊かさが活かされた臨場感溢れる音質であることも一躍買っていることを忘れてはならない。

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1959年3月12日、オランダ放送音源によるベイヌム最後のライヴ録音である。

ベイヌムのブルックナーは、この5番に加えて7、8、9番ともに秀でた名演である。

筆者にとって、LP時代にブルックナー開眼の記念碑となった、思い出に残る名盤である。

稀有壮大なスケール感とかロマンティシズムとは対照的な、現代的というか、颯爽とした、見通しのよいきりりと引き締まったブルックナー。

ヴィオラ奏者だったゆえであろうか、ベイヌムは、ふくよかな弦の響かせ方が実に巧みで、それを基調に、木管は弦楽に溶け込ませるように用い、その一方、金管はクライマックスを除き、やや抑制気味に被せていく。

ベイヌムはメンゲルベルクという、大きな存在の後釜ということもあるのだろうが、どちらかというと目立たない演奏である。

派手さがない、だからといって地味でもなく、陰のある演奏だけれど、陰気な雰囲気はない。

旋律の歌わせ方が際立って流麗とか、1音1音に大地を揺り動かす激しさがあるとか、狂気を帯びているとか、強烈な印象を抱かせる指揮者ではなく、全体的に、控えめな音楽を聴かせてくれる。

では面白味に欠けるのかと言われると、その答えは否である。

大抵、過不足なく演奏する指揮者ほどつまらないものはいないが、確かに、ベイヌムには行き過ぎはなく、抑え過ぎもまたない。

ではなぜ、彼に筆者は魅せられたのか? うまく言えないのが本音だが、あえて語ると、絶妙だからである。

このブルックナーの5番の演奏は、ベイヌム最後の録音と言われているもので、放送用の録音だ。

ブルックナーの音楽を通して、ベイヌムが生涯貫いてきた指揮者としての矜持が聴こえてくる。

ライヴ録音のため多少のノイズはあるが、端正で実に溌剌とした演奏は確実に伝わってくる。

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フルトヴェングラーの「第9」のバイロイト・ライヴ盤は、人類の持つ至宝とも言うべき永遠の歴史的名盤とされている。

それ故に、初期盤以来、何度もリマスタリングを繰り返してきた。

しかしながら、ブライトクランク盤も含め、いずれのCDも音質の改善効果はイマイチであったと言わざるを得ない。

それ故に、筆者は、フルトヴェングラーによる「第9」の最後の録音であるフィルハーモニア盤(1954年盤)が、ターラよりSACDで発売されたこともあり、そちらの方をベスト盤として、これまで愛聴してきた。

ところが、今般のSACD盤は、ターラ盤に匹敵する高音質であり、ついに長年の渇きが癒されることになった。

それにしても、この歴史的名演を、これほどの高音質で聴ける日が来ようとは、夢にも思わなかった。

しかも、あのEMIがSACDを発売しようとは!

弦楽器の艶やかな、そして金管楽器のブリリアントな響きは、これまでのCDとは次元の異なる鮮明な高音質であるし、我々聴き手の肺腑を衝くようなティンパニの雷鳴のような轟きは、凄まじいまでの圧巻の迫力と言える。

独唱や合唱も、これ以上は求め得ないような鮮明さであり、オーケストラと見事に分離して聴こえるのには大変驚いた。

ホルンの音色がやや古いのは残念ではあるが、これは、録音年代の古さを考慮すれば、致し方がないと言える。

特に、筆者が感心したのは、有名なエンディング。

従来盤だと、フルトヴェングラーの夢中になって突き進むハイテンポにオーケストラがついていけず、それ故に音が団子状態になって聴こえていたが、本盤を聴くと、オーケストラはフルトヴェングラーの指揮に必死についていっており、アンサンブルもさほどは乱れていないことがよくわかった。

これは、世紀の大発見であり、「第9」の肝の箇所だけに、今般のSACD化による最大の功績とも言えるのではないだろうか。

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2014年04月17日


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従来このフルトヴェングラーのチャイコフスキー「第5」の録音は、「演奏・音質共に芳しくない」と言われてきた。

しかし今回デルタ盤で聴き直してみて、音質はともかくとして、演奏自体には、やはりフルトヴェングラーの刻印を十分感じ取ることが出来た。

この演奏には、オーケストラの非力を超えて、ほの暗いドイツ人のの情念が感じられる。

その解釈がチャイコフスキー「第5」の曲想とは、若干異なるかも知れないが…。

筆者はこの録音に3つの意義を感じている。

第一には、言うまでも無く、この録音がフルトヴェングラーが遺した唯一のチャイコフスキー「第5」であることだ。

フルトヴェングラー没後50年以上が経過した現在、戦後の演奏会での録音が今後出現する可能性は非常に低いと考えられる。

第二には、極めてドイツ的なチャイコフスキー解釈になっていることだ。

1952年の夏に大病を患う直前のフルトヴェングラーはまだまだ元気一杯で、ハードスケジュールの中、熱気溢れる演奏を行なっている。

第三には、この演奏が、フルトヴェングラーがチャイコフスキー「第5」を指揮した生涯最後の機会であったことだ。

もしこの演奏が録音されていなければ、我々はフルトヴェングラーのチャイコフスキー「第5」の解釈を耳にすることが出来なかったのだ。

この録音が残されたことに感謝したい。

さらにもう一つ付け加えるとすれば、この録音はある理由で熱心なフルトヴェングラー・ファンの間では有名であった。

それは第4楽章コーダに入る直前の休止部で、聴衆の拍手が入っていることだ。

おそらく当時のイタリアの聴衆にとってチャイコフスキー「第5」はあまり馴染みのない曲目だったのであろう。

終了と勘違いした聴衆の拍手が録音されているのだ。

かつて発売された盤の中には、この拍手をノイズとしてカットしていたものが多かったが、本CDではオリジナルのまま拍手を残している。

それは1952年6月6日のコンサート会場で何が起ったかをそのまま残すことに、ライヴ発売の意味があるからだ。

本CDにはチャイコフスキー「第5」と同じ日のコンサートで演奏された、ワーグナーの2曲が含まれているが、いずれもウィーン・フィルとのスタジオ録音には及ばない。

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classicalmusic at 23:03コメント(2)トラックバック(0)フルトヴェングラーチャイコフスキー 

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本盤にはワルターがローマに客演した際の貴重な音源が収録されている。

モーツァルトの交響曲第40番は、1952年4月19日のライヴ録音とのことであるが、演奏は極めて素晴らしい。

これと前後してウィーン・フィル、ニューヨーク・フィル、ベルリン・フィル、コンセルトヘボウ管による演奏会でモーツァルトの第40番が演奏されており、嬉しいことにすべてCDとなって聴くことができる。

どれもこの曲の最高の演奏であり、人類の宝であるが、今回初めて聴いたローマ・イタリア放送交響楽団の演奏は、上記のどれにも負けない素晴らしい演奏である。

もちろんワルターの演奏の本質は他のオーケストラを用いた演奏と全く同じである。

もっとも、ウィーン・フィルは特別な存在で、ワルター&ウィーン・フィルの音としか言いようがないので比較の対象にならないが、この演奏ではワルターの唸り声がたびたび聴こえてきて、オーケストラに激しいオーラが放射されていることがわかる。

オケは完全にワルターの楽器となって、ワルターが洞察した音楽を自らのものとして一丸となってひたすら演奏している。

全ての音に必然性があり、確信に満ちており、輝いている。

見せかけの表現は一つもなく、すべてが必然である。

各奏者の奏でる音には、一音たりとも曖昧なものはなく、確信に満ちた何の迷いもない音を出していてすばらしい。

ワルターは指揮するどのオーケストラでも、結局のところ同じ音を出させ、崇高な演奏となる。

熟達した指揮者のみが成せる業で、再生された音と、その音が構築する音楽の宇宙は普遍的かつ完璧である。

ベートーヴェンの交響曲第7番は、1954年5月18日のライヴ録音で、コロンビア交響楽団との演奏と同様、ワルターのこの曲最高の演奏の一つである。

コロンビア交響楽団を指揮しての演奏は偉大で、精神的で、美しく、雄大で、威力があり、この曲の本質を完璧に再現した演奏である。

ローマ・イタリア放送交響楽団による同曲の演奏も本質は同じである。

例えば、この盤の第4楽章は、コロンビア響との白熱化した演奏と基本的に全く同じである。

このローマ・イタリア放送交響楽団との演奏を聴いていると、コロンビア響の演奏の音がかぶさって聴こえてきて見事としか言いようがない。

同時にもう一つのワルターの本質、そしてそれはベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」や「フィガロの結婚」、ホロヴィッツとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲などの激烈な演奏で我々が良く知っている偉大な激烈さがよりストレートに出ていて、全く見事な第7番の演奏となっている。

ローマ・イタリア放送交響楽団の音は美しく、かつ厚みと威力があり、ずしんとくる重みがある。

78歳のワルターがこんな凄まじい演奏を行ったことにますます畏敬の念を持ってしまう。

録音は仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻されたもので、音質は良好である。

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ミュンヒンガーのバッハ演奏はドイツ的でがっしりと構築されており、色調が渋く、古典的な香りを湛えているのが大きな特色である。

この演奏もそうで、ドイツ音楽の伝統をふまえ、バッハの音楽の本質を真摯に追求するミュンヒンガーならではの演奏と言えるだろう。

管弦楽組曲第2、3番は骨格のしっかりとした表現に貫かれ、ブランデンブルク協奏曲第2、6番も素晴らしい出来栄えだ。

いずれも古典的な美しさを十全に追求した名演奏で、驚くべき鮮明な音色と、一糸乱れぬアンサンブルで一貫している。

遅めのテンポで細部に至るまで入念に練り上げ、極めて精緻に仕上げた典雅で格調高い表現には強く心を打たれる。

ミュンヒンガーの客観的なアプローチとシュトゥットガルト室内管弦楽団の華やかな響きは、古典と現代の結合を目指しているようだ。

その意味で、同じドイツのオケでもカラヤン&ベルリン・フィルの演奏とミュンヒンガー&シュトゥットガルト室内管の演奏で聴き比べたら、かなり違うことに驚く。

教会音楽と同じイメージで慈悲深さのようなものを求めるなら、ミュンヒンガーのこのアプローチによる演奏は、ちょっと違う。

もっと、器楽合奏の楽しみ、躍動美、そんな雰囲気をミュンヒンガーの演奏からは感じられるのだ。
 
特に管弦楽組曲第2番では、ミュンヒンガーは第1ヴァイオリンとフルートを重ねて書いてある部分を、協奏曲仕立てでフルートを際立たせたり合奏で盛り上げたりと工夫しているようで、それをバックにしたジャン=ピエール・ランパルの名人芸を十分に堪能できる。

初めて聴く人は、淡白過ぎて拍子抜けするかも知れないが、そこに溢れ出る器楽合奏の躍動は、何度も聴くうちに楽しみと快感に変わってくる。

まさにバッハの音楽がミュンヒンガーの血となり肉となっている感じがする。

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2014年04月16日


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モーツァルト「プラハ」のワルターの演奏は造型的にも、細部の表情づけの点でも、すでに4年後のコロンビア盤の解釈を先取りしているが、あの演奏にオーケストラの張り切った厚みと、ワルターの若々しさをつけ加えた感じである。

それにしてもワルターのほとばしり出るように燃え立つエネルギーは、いかに実演とはいえ、まさにすばらしい。

フランスの会場は一体に残響に乏しく、オーケストラの音色にも艶がないが、聴いているうちに、その生々しさがかえって長所に思われてくる。

第1楽章の導入部からして、きりりと引き締まったテンポとリズムで素朴な表現を見せ、しかもその中でやりたいことをやりつくしており、表面的な洗練への意志は全くない。

ヴィブラートをいっぱいにかけた歌は、オーケストラがワルターの指示を、一生懸命に守っている感じだ。

主部に入ると、非常なスピードとなる。

コロンビア盤も他の指揮者に比べれば速いほうだが、それさえ遅く思われるほどこれは速い。

おそらくシューリヒトに匹敵するだろう。

その速いテンポによる生命力は、徹底的に歌いぬかれる旋律美によってさらに輝きを増し、第2主題でぐっとテンポを落とすロマンティシズムと共に、ワルターの「プラハ」を聴く醍醐味がここにある。

第2楽章も速めのテンポで、いささかも繊細ぶらず、思い切って旋律を豊麗に歌う。

美しさのかぎりであり、われわれは音楽に身を任し、ただただ陶酔するのみである。

しかも歌いぬくだけでなく、そこに胸がときめくような、えもいわれぬたゆたいが見られる。

フィナーレはその異常な速さ(シューリヒトよりさらに速い)に驚かされる。

オーケストラが合わないくらいのテンポだが、ことによると舞台に立ったワルターが、内部から突き上げてくる情熱によって、即興的にこのテンポを採ったのかも知れない。

実にスリル満点、誰しもが興奮を禁じ得ないであろう。

「ジークフリート牧歌」はワルターの数多い録音の中で最も魅力あるものの一つ。

それは弦の響きや音色にライヴならではの生々しい人間味があり、それを放送局のマイクが十二分にとらえているからである。

ワルターのこの曲への愛情がいたるところにみなぎっている。

造型的にも若いころほど逸脱せず、後のコロンビア盤ほどとりすましてもいない。

フランスのオケはホルンやトランペットが軽すぎるとはいえ、オーボエとクラリネットのデリケートな敏感さはさすがにセンス満点だ。

なお、録音は放送局が取ったもので、さらに仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻されただけあって明快だ。

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classicalmusic at 22:37コメント(0)トラックバック(0)ワルターモーツァルト 

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本盤の演奏は、ウィーン・フィルとのワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」のスタジオ録音(1958〜1965年)、ロンドン交響楽団とのバルトークの管弦楽のための協奏曲のスタジオ録音(1965年)と並んで、ショルティの初期の録音の中でのベスト3を形成する素晴らしい名演と高く評価したい。

ショルティは、本演奏を皮切りとして、マーラーのすべての交響曲(第10番を除く)の録音を開始することになったが、本演奏の価値はそれでもなお色褪せることなく、現在でもショルティの代表盤の地位を失っているとは言えないのではないかとも考えられるところだ。

ショルティ自身も、本演奏の出来には相当に満足していたようで、後年、1970年の交響曲第5番の録音をはじめとして、シカゴ交響楽団とのマーラーの交響曲全集の録音を開始したが、その際、第4番を再録音するかどうかについて相当に逡巡したとのことであった。

結局、1983年に再録音を行うことになり、当該演奏も一般的な意味における名演ではあるが、とても本演奏のような魅力は存在していないのではないかと考えられるところだ。

いずれにしても、ショルティとしても突然変異的な名演と言えるほどで、ショルティの指揮芸術の特徴でもある切れ味鋭いリズム感や明瞭なメリハリが、本演奏においてはあまり全面には出ていないとも言えるところだ。

マーラーの交響曲の中でも、最も楽器編成が小さく、メルヘン的な要素を有する第4番は、かかるショルティの芸風とは水と油のような関係であったとも言えるが、本演奏では、そうしたショルティらしさが影をひそめ、楽曲の美しさ、魅力だけが我々聴き手に伝わってくるという、いい意味での音楽そのものを語らせる演奏に仕上がっていると言えるだろう。

ショルティも、多分に楽曲の性格を十二分に踏まえた演奏を心がけているのではないかとも考えられるところであり、逆に言えば、若き日のショルティにもこのような演奏を行うことが可能であったということだ。

これはショルティの指揮芸術の懐の深さをあらわすものであり、とある影響力の大きい音楽評論家などを筆頭にいまだ根強いショルティ=無機的で浅薄な演奏をする指揮者という偏向的な見解に一石を投ずる演奏と言えるのではないだろうか。

また、コンセルトへボウ管弦楽団の北ヨーロッパならではの幾分くすんだ響きが、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることを忘れてはならない。

終楽章のソプラノのシルヴィア・スタールマンによる独唱も美しさの極みであり、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

音質は、1961年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)マーラーショルティ 

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本盤に収められたマーラーの交響曲第4番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうちの最初のもの(スタジオ録音)に該当する。

2度目の録音は、本演奏の約30年後にベルリン・フィルを指揮したライヴ録音(2005年)であり、それはベルリン・フィルの卓越した技量と、大病を克服したことによって音楽に深みと凄みを増したアバドによる彫りの深い表現、そしてルネ・フレミングによる名唱も相俟って、至高の超名演に仕上がっていた。

したがって、ベルリン・フィル盤が燦然と輝いているために本演奏の旗色は若干悪いと言わざるを得ないが、それでも、本盤には若き日のアバドならではの独特の魅力があり、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではないと考える。

交響曲第4番は、他の重厚長大な交響曲とは異なり、オーケストラの編成も小さく、むしろ軽妙な美しさが際立った作品であるが、このような作品になるとアバドの歌謡性豊かな指揮は、俄然その実力を発揮することになる。

本演奏は、どこをとっても歌心に満ち溢れた柔和な美しさに満ち溢れており、汲めども尽きぬ流麗で、なおかつ淀みのない情感の豊かさには抗し難い魅力がある。

それでいて、ここぞという時の力奏には気迫と強靭な生命力が漲っており、この当時のアバドならではのいい意味での剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

オーケストラにウィーン・フィルを起用したのも功を奏しており、アバドの歌謡性の豊かな演奏に、更なる潤いと温もりを与えている点を忘れてはならない。

ウィーン・フィルのふくよかでいぶし銀のような響きと、アバドの緻密さと爽やかな歌謡性がマッチした名演と言えよう。

ゲルハルト・ヘッツェルのヴァイオリンソロも極上の美しさを誇っており、終楽章におけるフレデリカ・フォン・シュターデによる独唱も、最高のパフォーマンスを発揮している。

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2014年04月15日


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カラヤンは独墺系の指揮者としては広範なレパートリーを誇ったところであるが、その中でもチャイコフスキーの楽曲を自家薬篭中とも言うべき得意のレパートリーとしていた。

特に、3大交響曲集と称される交響曲第4番〜第6番については、それこそ何度も繰り返し演奏・録音を行っているところだ。

クレンペラーやフルトヴェングラー、ベーム、ザンデルリンク、ヴァントなど、チャイコフスキーの交響曲の録音を遺した独墺系の指揮者は多いが、その録音の量においてカラヤンの右に出る指揮者は皆無であったと言っても過言ではあるまい。

そうしたカラヤンによる数多くのチャイコフスキーの交響曲の録音の中で、随一の名演は何かと言われれば、私は躊躇なく本盤に収められた1971年にEMIにスタジオ録音を行った第4番〜第6番の演奏を掲げたい。

確かに、最晩年にウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音した第4番〜第6番の演奏も、波乱に満ちた生涯を送ったカラヤンが自省の気持ちを込めてその生涯を顧みるという人生の諦観とも言うべき味わい深さが感じられるところであり、演奏の持つ深みにおいては至高の高みに聳え立つ名演と言えるところだ。

しかしながら、カラヤンの演奏の美質の一つでもあった鉄壁のアンサンブルを駆使した音のドラマの構築と言った点においては、いささか物足りない面もあると言えるところであり、カラヤンらしさという意味においては異色の演奏と言えなくもない。

1970年代後半に完成させたカラヤンによる唯一の交響曲全集は、まさにカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが最後の輝きを放った時期のものであり、演奏の完成度においては出色のものがあると言えるだろう。

これに対して、本盤の演奏は、実演的な迫力に満ち満ちた凄みのある名演と言えるのではないだろうか。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは当然のことであるが、全盛期のベルリン・フィルとともに構築した音のドラマは圧巻の一言。

ブリリアントなブラスセクションの響きや唸るような厚みのある低弦の重厚さ、そして雷鳴のようなティンパニの轟きは凄まじいほどのド迫力であり、演奏全体に漲る気迫はあたかもライヴ録音を思わせるほどの凄さと言える。

どこをとっても凄まじさの限りと言えるが、とりわけ、第4番の第1楽章終結部における猛烈なアッチェレランドや、第6番の第1楽章の展開部における低弦の圧倒的な迫力は、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルだけに成し得た圧巻の至芸と言っても過言ではあるまい。

チャイコフスキーの交響曲第4番〜第6番の名演としては、同時代に活躍した旧ソヴィエト連邦出身の巨匠ムラヴィンスキーの超名演(1960年)があまりにも名高いが、本盤の演奏は、それに唯一比肩し得る至高の超名演と高く評価したい。

音質については、1970年代のEMIによる録音ということで、従来CD盤の音質が必ずしも芳しいものではなく、それはHQCD化されてもあまり改善は見られなかったところだ。

特に、第4番については、マスターテープが損傷しているということで、これ以上の高音質化については絶望的であると考えていたところであるが、今般のSACD化で大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とはそもそも次元が異なる見違えるような、そして1970年代前半のEMIによる録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わっており、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤンによる至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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凄い演奏だ。

本年に発売された交響曲の新譜CDをすべて聴いているわけではないが、おそらくは随一の演奏と言えるのではないだろうか。

ショスタコーヴィチの交響曲第4番は、いわゆるプラウダ批判を受けて、長年に渡って自ら封印されたとの悲劇的な過去を有している。

第13番以降の3曲は別格として、第5番〜第12番の諸作は、人によっては作風が酷似しているとの評価もあるが、第4番については、当時の社会主義体制とは無関係に、才能の赴くままに作曲されたという特質がある。

それだけに、第4番をショスタコーヴィチの最高傑作と評する識者もいるほどであるが、少なくとも、偉大な傑作であると評価することについては異論はないのではないかと考えられるところだ。

とにかく、第4番は、ショスタコーヴィチの他の交響曲と比較しても、最も大胆極まりない書法で作曲されている。

冒頭の強烈な不協和音による主題の後は、多種多様な旋律が貨物列車のように連続して連なっており、終楽章の終結部において冒頭の主題が再現されるまでは殆ど脈略がないとさえ言えるほどの複雑怪奇な曲想である。

耳をつんざくような不協和音やブラスセクションの咆哮、霧のような弱音による旋律の繊細さなど、目まぐるしく曲想が変化する同曲にショスタコーヴィチが込めたメッセージを汲み取ることは困難ではあるが、スターリンによる大粛清が行われ、ショスタコーヴィチの知人にも処刑の魔の手が迫っていた中で作曲されたことに鑑みれば、死と隣り合わせの粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、そして独裁者スターリンへの怒りなどが盛り込まれていることは十分に想像できるところだ。

したがって、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの演奏では、とても同曲の本質を描き出すことができないことは自明の理であると言えるだろう。

インバルは、1992年にもウィーン交響楽団とともに、交響曲全集の一環として同曲をスタジオ録音しているが、そもそも問題にならないと言える。

通常の意味では立派な演奏ではあるが、当時のインバルによる自己抑制的なアプローチが、同曲の本質を描き出すのにやや不十分になっているのとあわせて、必ずしも優秀とは言い難いウィーン交響楽団が、当該演奏をいささか迫力に欠けたものとしていると言えるからだ。

同曲のこれまでの名演としては、筆者としては、ラトル&バーミンガム市交響楽団による演奏(1994年)、チョン・ミュンフン&フィラデルフィア管弦楽団による演奏(1994年)、ゲルギエフ&マリインスキー(キーロフ)劇場管弦楽団による演奏(2001年)が3強を占める超名演と考えているが、これらの演奏に共通するのは、それぞれの指揮者が新進気鋭の指揮者として飛ぶ鳥落とす勢いにあったということである。

三者三様の演奏ではあるが、強靭な生命力や思い切った解釈を施しているという意味においては共通しており、そうした芸風こそが各演奏を超名演たらしめていると言ってもいいのではないか。

これに対して、本演奏のインバルは、今や現代を代表する大指揮者。

前述の3つの名演の指揮者とは比較にならないほどのキャリアと円熟した指揮芸術を有した存在である。

しかしながら、インバルは、前述の3つの名演に優るとも劣らない、いや、人によってはそれらを凌駕すると評価するかもしれない圧倒的な名演奏を成し遂げることに成功したと言えるだろう。

本演奏においては、かつてのインバルの特質でもあった自己抑制的なアプローチは殆ど聴くことはできない。

もちろん、演奏全体の造型に対する配慮、そして厳格なスコアリーディングに根差した緻密さは窺えるが、かつての欠点でもあったスケールの小ささなど微塵も感じることができない。

思い切った強弱の変化やテンポの振幅を駆使して、同曲に込められたショスタコーヴィチの心底を鋭く抉り出していく指揮芸術の凄味は圧巻の一言であり、演奏の彫りの深さ、内容の濃密さという意味においては、前述の3つの名演を頭一つ抜けた存在であると言っても過言ではあるまい。

いささか大仰な表現にはなるが、前述の3つの名演によって同曲の真の魅力が明らかにされていたところ、インバルによる本演奏によって、同曲の真の魅力がさらにグレードアップされたと言ってもいいのではないだろうか。

インバルの壮絶な指揮に、しっかりとついていき、アンサンブルが殆ど乱れることがないなど、持ち得る実力を最大限に発揮した東京都交響楽団の好パフォーマンスにも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本演奏は、諸説はあると思うが、筆者としては、前述の3つの名演を大きく凌駕し、同曲の多種多彩な名演の中でも最高峰に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

音質も素晴らしく、同曲の複雑きわまりないオーケストレーションが鮮明に再現されるのはSACDならではのものであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

このような至高の超名演をSACDによる超高音質で堪能できることを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチインバル 

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トスカニーニは、1950年代初頭にNBC交響楽団とスタジオ録音した全集をはじめ、数多くのベートーヴェンの交響曲の録音を遺しているが、その中でも最も優れた名演は、本盤に収められた交響曲第1番ではないかと考えられるところだ。

交響曲第1番は、ベートーヴェンの交響曲の中でも最も規模の小さい楽曲であるが、同時代に活躍した大指揮者、例えばフルトヴェングラーやメンゲルベルク、クレンペラーなどは、その後の長大な交響曲を意識した重厚な演奏を行っている。

これに対してトスカニーニは、全体として非常に引き締まった演奏を展開しており、演奏全体に漲っている気迫や張り詰めた緊迫感には尋常ならざるものがある。

それでいて、一聴すると素っ気ないように聴こえる各フレーズの端々には豊かな情感が満ち溢れており、全体として剛柔のバランスのとれた素晴らしい演奏に仕上がっている。

いずれにしても本演奏は、様々な指揮者による同曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

トスカニーニは、一切の情緒を差し挟まない、快速のインテンポによる演奏をする指揮者との見方が一部になされているが、本演奏を聴くと、テンポも臨機応変に変化させているし、情感に溢れた血も涙もある演奏を行っていることがよく理解できるところだ。

一方、交響曲第7番については、第1番ほどの魅力がある演奏にようには思わないが、それでも第2楽章の熱いカンタービレや終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強い躍動感など、トスカニーニだけにしか成し得ない至芸も散見されるところであり、総じて名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

また、本盤で素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音であろう。

これまで発売されてきたCDは、10年ほど前に発売されたK2カッティング盤も含めて決して満足できる音質とは言い難いものであったが、XRCD化によって信じられないような極上の高音質に蘇った。

かかる高音質化によって、トスカニーニの至芸のベールを脱ぐに至った功績は大なるものがあると言わざるを得ないところであり、このようなトスカニーニの至高の名演をXRCDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:33コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェントスカニーニ 

2014年04月14日


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1939年4月8日 ニューヨークでのライヴ録音だが、この当時の放送録音でマーラーを味わうには無理があり、弱音部のニュアンスが捉えられていないのが致命的だ。

逆に強音部はうるさくなってしまう。

オケの音の出し方に含みがないので尚更と言えよう。

とはいえ、ワルターの第1回目の「第1」としての価値は高い。

第1楽章の若々しいテンポの張りとコーダの物凄い加速、第2楽章の嵐のように荒れ狂うスケルツォと、まるでウィンナ・ワルツのように力を抜き、速いテンポで洒落た表現をするトリオ、いつも積極的に語りかけるフィナーレ。

興味深いのは、マーラーがしつこいくらい指定した弦のポルタメント奏法をほとんど無視していることで、これがワルター個人の趣味なのか、あるいはマーラー自身の演奏もこの程度のものだったのか、今の指揮者がやたらと感じてもいないポルタメントを多用するのを聴くにつけ、考えさせられる。

ワルターこそは、元祖マーラー指揮者とも言うべき人なのであるが、どうも最近のマーラー指揮者とは少し雰囲気が違っている。

基本的に複雑系であるはずのマーラーの複雑さをそのまま提示はしないで結構バッサリと整理しているのだ。

このNBC交響楽団とのライヴ録音もそうだし、有名な晩年のコロンビア交響楽団とのスタジオ録音でもそうだ。

おそらくワルターという人はTPOに合わせて演奏スタイルをガラリと変えられる指揮者だったのだ。

もう少し具体的にいうと、アメリカとヨーロッパで2つの顔を使い分けている。

アメリカでは男性的な引き締まった演奏をしているかと思えば、ヨーロッパでは別人かと思うほどのロマンティックな演奏を展開していた。

このような単純な図式化は誤解を招きそうだが、言いたいのは、ワルターの本質はそのような状況に合わせて自分のスタイルを変えることができる、それも(これが大切なのだが)、驚くほど高いレベルで変えることができるところにあると思う。

ここで聴くことのできるNBC交響楽団との演奏でも、これほどまでに濃厚に青春のメランコリーを感じさせてくれる演奏はなかなかなく、流石と言うしかない。

それからもう一つ強調しておきたいのは、NBC交響楽団の素晴らしさである。

弦楽器群の美しさはまさに全盛期のウィーン・フィルのようだ。

コロンビア交響楽団とのスタジオ録音は編成の小ささからくる響きの薄さが悔やまれるだけに、貴重なライヴ録音と言える。

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classicalmusic at 22:44コメント(0)トラックバック(0)マーラーワルター 

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ワルターとニューヨーク・フィル(「田園」のみフィラデルフィア管)のモノーラルによるベートーヴェンの交響曲全集。

録音条件としては後年のステレオ録音の方が当然良いし、演奏もさらに円熟している。

しかしこのベートーヴェンには、ステレオ録音とは異なる独特の精気と艶やかな情緒の表出があり、独自の説得力の強さがある。

オーケストラがニューヨーク・フィルであるのもその一因だろうが、後年の録音に比べて解釈が一層ロマン的なのも非常に興味深い。

第1番は表現上の情緒的変化がワルターの頭の中ではっきり計算されている。

だから楽曲全体を聴いた場合、そこにゆったりとした気分の統一が非常に親しみやすい印象を与え、単純にみえて実はうまく演奏するのは難しいこの曲を一糸乱れぬ統一で、しかも美しい響きですっきりと演奏しているのは立派だ。

特に第2番は、ワルターの個性と曲趣が一致したのであろう、立派な演奏である。

よく歌い、そして自然であり、いささかも渋滞したり誇張したりしない。

滔々と流れる大河のように雄大であり、また細部の美は明瞭である。

「エロイカ」では、いたずらに劇的な誇張を避けたダイナミックな進行で、この曲が内に秘めた大らかな世界を十二分に歌い出している。

充分に音を柔らかくふくらませて、オーケストラ全体をよく歌わせた表現である。

葬送行進曲のテンポと後半の対位法的進行のところの見事な処理、第4楽章の大きく波打つような情感の盛り上がり、こうありたいと思う表現である。

第4番の古典的詩情の曲もワルターの得意とするところである。

第2楽章アダージョの夢のようにのどかな主題をいかに幸福感に満ちて歌ってゆくことか。

第5番は聴き終わって威圧的なものを少しも与えられずに、実に堂々たる作品であった感銘を深くする。

それがワルターの純粋さなのである。

これは伝統を血とした者の純粋な思考が生みだした演奏で、単に情緒的とかロマン的とかの部分的要素を把握した演奏スタイルではないのである。

ワルターが正直に、深く考え感じぬいた結果の「運命」である。

フィラデルフィア管弦楽団との「田園」は、コロンビア交響楽団との共演よりもやや速いテンポで、情緒的に統一のある表現でまとめている。

第7番は野性的と言えるほどに情熱的なこの曲を、ワルターは平穏な特徴をつかんで演奏しているところに特徴がある。

スケルツォと終楽章をトスカニーニと比較してみると、その特徴がよくわかる。

第8番も、じつに柔らかな良い演奏で、現役の指揮者として最盛期にあったこの時代の録音は、やはり貴重なもので、特に第7番はワルター・ファンには、聴き逃せない演奏である。

第9番の演奏の個性的で、歌に満ちた表現は高く評価したい。

その表現はワルター特有の非常に情緒的で流麗なスタイルであり、声楽の部分も良い出来で、個々の歌唱ばかりでなく、四重唱も立派である。

このような一貫した楽想の下に統一された「第9」は他にはない。

総じてニューヨーク・フィル時代のワルターの録音は、ステレオ盤とは幾分異なるワルター像を記録していると言えよう。

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1947年11月13日 ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールに於けるライヴ(モノラル)録音。

ロンドンでも愛されたワルターの最盛期の名演。

ワルターによるベートーヴェン「第9」は米コロムビアのモノラルとステレオの2種類のセッション録音が広く知られているが、これはそれらに先立つ公演の記録である。

しかしワルターの「第9」の中では、ウィーン・フィルとのORFEO盤も凄かったが、当盤もそれに匹敵する最高の演奏であろう。

ライヴということもあって全曲を一貫した主張に最も筋が通り、曖昧さが見られないからである。

セッション録音での大人しさとは別の激しさももつ演奏で、ことに初めの2つの楽章の緊迫感がすばらしく、トスカニーニ的な迫力と推進力が見事だ。

第1楽章はテンポが速く、一気呵成の進行と意志的なリズムによる語りかけもさることながら、ティンパニの意味深い強打が凄絶であり、再現部冒頭の決め方、それ以上に楽章終結の阿鼻叫喚は身震いがするほどだ。

第2楽章も緊張の持続とティンパニの強打がものをいっている。

第3楽章だけは他盤に比べてもう一つの出来だが、フィナーレは荒れ狂うような大変ドラマティックな演奏で、緊迫感に富んだ表現と言えよう。

温厚なワルターという面ばかりではないということを示したもので、ファンには貴重なものではなかろうか。

それにこの演奏はキャスリーン・フェリアーが参加しているというのが注目点であろう。

これがワルターとの初顔合わせではなかったかと思うが、それにしてもフェリアーの「第9」登場というのがこのCDの売りでもある。

A.ローズとA.Z.スナイダーによる2010年デジタル・リマスタリングによって、随分聴きやすい音質に改善されている。

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