2014年05月

2014年05月31日


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1988年のジルベスター・コンサートの模様を収録したDVD。

図らずもこれがカラヤンが指揮したベルリン・フィルの最後のコンサートになってしまった。

収録曲はプロコフィエフの交響曲第1番とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番である。

特にチャイコフスキーは当時17歳のキーシンとの競演。

1988年の年末にキーシンのプロデューサーがカラヤンにキーシンのピアノの録音を送り、この人に会ってみないか?と提議した。

カラヤンは演奏を聴き、即OKサイン。

当時キーシンはその事実にかなり当惑したと言う。

キーシンがベルリンに到着し、カラヤンの前でショパンの幻想曲を披露した。

カラヤンは終了後、彼を抱き、キスした後、涙を流したと言う。

1988年のこのライヴの後、ロシアに戻るキーシンと母親にカラヤンはこう言った。

「天才だ!」と。

1975年版のような強弱の極みや、1961年版のような力む場面もない。

これはカラヤンの白鳥の歌となった。

何とも自然さの中に佇む巨人の老いた疲れと今だ健在の実力とが飛び交うそんな感動を呼ぶ。

同情ではなく、純芸術的に最上の歌と成っているのだ。

強弱の表し方は確かにカラヤンのもので、気薄な感じがするが、マイナスと働いていないところがさすがに帝王カラヤンだと思う。

それが妙に冷たく同時に輝かしい響きがするのだ。

悠然と指揮するカラヤンと、若さに満ちあふれ力一杯ピアノを演奏するキーシンのコントラストがクラシック界の世代交代を象徴しているようにも見えた。

確かに、この日のカラヤンは指揮台まで一人で歩くことすらままならず、指揮の動きも決してダイナミックとは言えない。

しかし、ベルリン・フィルはカラヤンの微妙な手の動きに合わせ、正確にかつ叙情豊かに旋律を奏でていく。

生演奏での中継も1988年大晦日に見たが、感動的で素晴らしかった。

カラヤンとベルリン・フィルの長年の共演を締めくくるのに相応しい演奏である。

まだご覧になってない人には、一見一聴の価値ありとして強力に推薦したい。

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ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の記念すべき初来日(カラヤン自身は単独で1954年に来日しNHK交響楽団を指揮している)の映像記録。

しかもベートーヴェンの第5交響曲の第1楽章の一部と映像特典の「G線上のアリア」以外はステレオ音声である。

静止画について:ベートーヴェンの第5交響曲の冒頭、第2主題まで静止画(スライドショー)。

また唐突に音声がモノラルになるが、まもなくステレオ音声に復帰するので音の連続性に支障はなく、これは第1楽章のみ。

「マイスタージンガー」「ドンファン」とも完全にステレオであり、壮麗な演奏である。

名古屋公会堂でのアンコール曲「G線上のアリア」はベルリン・フィルの映像として貴重だろう。

しかし画質は劣化、モノラル音声も同時発売の1959年ウィーン・フィルとの来日コンサートでのブラームスの第4交響曲、シューベルトの「未完成交響曲」の鮮明なモノラル音声に比べると苦しい。

それでも全体に気迫のこもった演奏で、在りし日のカラヤン、ベルリン・フィルの姿を映像と音声の両面からたどるにはうってつけの音楽ソフト。

2年後のウィーン・フィルとの来日公演同様、存在そのものが芸術的であるカラヤンの勇姿と流麗な指揮棒さばきは必見で、画質もウィーン・フィル盤に比べて若干鮮明。

しかし全体で65分程度であり、これでこの値段はやはりコストパフォーマンスとして高い。

とはいえ、当時、社会現象にまで発展したカラヤン&ベルリンフィルの来日公演はクラシック音楽ファンには必見・必聴といえ、推薦に値する。

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マーラーの「さすらう若人の歌」では、フルトヴェングラーは音楽を完全にものにしきっており、オン・マイクの録音のせいもあって、F=ディースカウとのスタジオ録音よりもさらに積極的な部分が多い。

弦の心のこもった音色は本当にすばらしく、第1曲、中間部最後のソロ・ヴァイオリンのロマンティックなポルタメントなど、前盤には見られなかったものだし、同じく中間部の木管も含めた小鳥の歌の可憐な鮮やかさも最高だ。

ペルは声がやや大味で、豊かな声で朗々と、心を込めて歌ってゆくが、高音がちょっと苦しいせいか、リズムが崩れるマイナスがないでもない。

しかし、そのために、時には身につまされるような野暮ったいくらいの歌心が伝わってくる。

「エロイカ」は有名なスタジオ録音直後のライヴだけに、同じスタイルを基本としながら、それに即興性を加えたものとなった。

音質は硬いが明快だ。

感銘深いのは第1楽章、レコーディングの後なのでアンサンブルがきっちりと仕上がり、テンポには緊迫感があり、しかも緩急の動きはこの方が大きい。

それでいて最晩年の様式である枯れた味が全篇に流れ、その中に炎の核がほの見えるところがすばらしい。

つづく第2楽章はオーボエの気持ちのこもった歌とか、低弦のフォルティッシモをすごいテヌートで弾かす即興性など印象的な場面もあるが、中間部の盛り上がりやその後のフガートはもう一つだ。

スケルツォからフィナーレにかけてはあまり上出来ではない。

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2014年05月30日


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ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、フルトヴェングラーとしてはわりにおとなしい、どちらかといえば地味な造型だが、響き自体はまことに立派で風格があり、内に秘められた過剰さを伴わぬ気迫が見事である。

しかし、これがベルリン・フィルだったら、いっそうこくのある表現になったことは疑いを入れない。

メニューインはフルトヴェングラーを心から尊敬しているヴァイオリニストだが、確かに指揮者への傾倒がにじみ出ており、まことに純情、真摯である。

やや線は細いが心がいっぱいにこもって、しかも粘りすぎず、表現上の特徴こそ今一歩とはいえ、フルトヴェングラーともども、音楽が豊かに湧き上がってくることを買いたい。

シューマンの「第4」は有名なドイツ・グラモフォンの録音の3ヶ月後、ルツェルン音楽祭で指揮したライヴ。

ライヴにこそ本領を発揮すると言われたフルトヴェングラーの特質が如実に捉えられるもので、ほの暗いロマンに彩られた、生命力みなぎる名演。

完璧無類のグラモフォン盤の後に聴いても引けを取らない名演だ。

なんといってもライヴの音がして、音に命がこもっているのである。

晩年のフルトヴェングラーだけに実演だからといって踏みはずすことなくベルリン・フィル盤の良さをそのまま保ちつつ、やはり気迫が違うのだ。

第1楽章の出もそうだし、フィナーレ冒頭の弦の刻みの生きていること、主部の第1主題の語りかけなど、ベルリン・フィル盤を上まわる。

ベルリン・フィル盤はSACDされ高音質になったため、録音が同レヴェルなら、筆者はこのルツェルン盤の方を採りたいくらいである。

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シューマンのピアノ協奏曲は、フルトヴェングラーとギーゼキングの唯一の協演盤であり、ベルリン・フィルの定期公演における実況盤である。

フルトヴェングラーの特徴は第1楽章に顕著だ。

冒頭和音の気迫、続いて入るピアノとのずれがいかにも彼らしく、木管による第1主題が始まると、心のこもった情感がいっぱいに漂ってくる。

この楽章で彼が言いたかったのは暗い人間の心だったのだ。

中間部初めのクラリネットや再現部の第1テーマはさながらしのび泣きを想わせる。

ギーゼキングも珍しく情緒的な演奏で指揮者に応えている。

第2楽章のフルトヴェングラーはやや歌い過ぎてデリカシーを欠き、第3楽章もわりに冴えない。

しかしコーダの加速はおそらく彼の示唆であろう、スムーズに決まっている。

ブラームスの第4番は、ベルリン・フィルの定期の実況録音で、当時のものとしては響きが豊かだ。

演奏は有名な1948年盤に酷似しているが、オケの状態はこの方が良いくらいである。

特にポルタメントを多用した弦の甘美さが際立っている。

しかし表現の厳しさや深みはさすがに5年後の演奏に及ばず、思い切りの良い決め方も今一歩だ。

このディスクだけを採ればもちろん名演だが、解釈が似ているだけに価値はうすい。

音質はどの復刻CDよりも自然な実在感と生命力にあふれる情報量豊かな再生音をオーパス蔵の復刻盤は持っている。

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フルトヴェングラーは初め作曲家を志し、途中で指揮者に転向したのだが、作曲への情熱を捨てきれず、忙しい指揮活動の合間をぬっては作品を発表した。

交響曲は4曲あり、それらの中では1945年に完成した「第2番」が最も有名である。

4つの楽章から成り、後期ロマン派風の響きと内容による長大な音楽だが、色彩的な効果は意識して避けられ、地味で真摯な内容を持つ。

第1楽章は憧れとおののきに満ち、第2楽章ではしっとりとした佇まいが移りやすく変化してゆく。

第3楽章のスケルツォはたいへん魅力的なテーマを持ち、曲想やオーケストレーションにユニークな味わいを見せる。

フィナーレは昔の思い出のような序奏に始まり、高まって勝利の朝を迎える。

アレグロ・モルトの主部は明るいものくると思いのほか、苦味にあふれ、特にモデラートの第2主題以降、展開部にかけては意味深い訴えがすばらしい音楽美とともに進み、全曲中、最も感動的な部分と言えよう。

その後はやや凡長なきらいもあるが、コーダの盛り上がりは果たして勝利なのだろうか。

懐疑的な色がぬぐえないからだ。

初演は1948年2月22日、ベルリン・フィルの定期公演で行われたが、残念ながら録音は残されていない。

本CDは1953年ムジークフェラインザールでのライヴ録音。

個々の楽器はよくとらえられているし、明快でもあるが、ホール全体の溶け合った、豊かな響きに欠ける。

そのせいか、ヴァイオリンの甘美さとか、オーボエの音色などにウィーン訛りが強く、フルトヴェングラーの曲を聴く、という意味においては物足りなさが残る。

しかしフルトヴェングラーの同曲の数種の録音の中で、入手しやすいCDは当盤のみであり、その意味では貴重な録音と言える。

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2014年05月29日


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激しく強烈な壮年の演奏から、穏やかに全てを見通したような最晩年の達観した演奏へと変貌していくフルトヴェングラーの境地がうかがえる。

ウィーン色が濃いことも特徴で、ウィーン・フィルの美麗な弦と木管が豊かに歌う第3楽章は、格別の魅力を湛えている。

殊のほか音がいいのに驚いた。

筆者の感性の問題なのか、非常にいい音で鳴っているように感じる。

基本的に同演異盤を買いあさるような趣味はないのだが、この演奏の魔力にとりつかれて、独協会盤、デルタ盤と聴いてきて満足がいかず、購入した。

独協会盤は聴きやすいものの、倍音が削がれて、電子楽器みたいで、実在感を感じず、デルタ盤は楽器の生音は聞こえてくるものの、シャリシャリして、線が細く、広がりを欠き、両者に今ひとつ満足できないでいたが、この仏ターラ盤は高音域が若干カサつくものの、弦楽器の広がりがあり、管楽器も楽器の生音が聞こえてきて、大方満足のいくものであった。

演奏はもしかしたら「バイロイトの第九」を凌ぐ素晴らしい演奏かもしれない。

第1楽章開始の遅いテンポと間合いを十二分にとった重々しい表現はバイロイト盤を凌ぎ、強靭に踏みしめてゆくフーガも素晴らしいし、楽章終結のティンパニも凄絶に鳴っている。

もう一ヶ所、印象的なのが第3楽章の第2主題で、音量を強く出し、遅いテンポでじっくりと歌ってゆく美しさは、フルトヴェングラーの演奏でもベストの一つと言えよう。

倒れる前のまだまだ元気なフルトヴェングラーは持ち前の柔軟な指揮ぶりを発揮し、最も芸術的と称される、しかも黄金期のウィーン・フィルはその素晴らしい音色を遺憾なく発揮している。

全体を通して、弦楽器のボルタメントなどのウィーン風の節回しが表情豊かで、管楽器もまろやかで暖かい響きで、演奏全体に歌心を感じる。

そして、フルトヴェングラーの独特の揺らぎに瞬時に反応して、素晴らしい演奏を聴かせている。

解釈はバイロイトに通じる劇的なものであり、さらに即席のバイロイト祝祭管にない演奏の完成度が感じられる。

このCDは筆者にとっては音質も満足できるものであり、筆者の重要な愛聴盤の1枚になりそうだ。

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1954年4月28日から5月21日にわたる長い演奏旅行中、パリ・オペラ座におけるコンサートをライヴ録音したもの。

同じ年と数年前にセッション録音で「運命」と「未完成」をウィーン・フィルと収録したものが有名だ。

その演奏は緻密で完成度が高いのであるが、なんとなく分別臭くて面白くないなと思う面も確かにあった。

この演奏は同じ様式の佇まいを備えながら、熱気、緊張感、即興性を兼ね備えて、なかなか素晴らしい演奏である。

また、ウィーン・フィルとベルリン・フィルの異なる特徴を反映して、ちょっとごつごつした感じの剛毅な演奏。

ライブならではのたまにアンサンブルの乱れもあるが、音楽の流れは損なっていない。

またまた、フルトヴェングラーの名演に出会えたことに感謝である。

音質はすこぶる新鮮で、モノラル録音であることを除けば、十分現役盤として通用する。

パリ・オペラ座の特徴であろうか、残響が少なく、デッドに聴こえ、防音室で聴いているような傾向が少々あるが、その分、各楽器の音が新鮮で、音色がある。

ほとんど音はいじっていないのではないのだろうか。

また、独立性がすこぶる良くて、各パートが何をやっているかが手に取るようにわかる。

更には、曲間が未編集なので、まさに客席にいるかのような臨場感を味わえる。

素晴らしい復刻を、デルタの技術者の方々に心から感謝するものである。

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友人であったヴィクトル・ハルトマン(ガルトマン)の遺作展での10枚の絵画の印象を、その半年後の1874年に音楽に仕立てたというムソルグスキーの「展覧会の絵」。

もちろんオリジナルはピアノ曲、クーセヴィツキーの編曲依頼によるオーケストラ版はラヴェルの手によるもの。

当盤は原曲のピアノ版とラヴェル編曲のオーケストラ版とをカップリング。

起伏に富んだスケールの大きなベルマンのピアノと、華麗なオーケストレーションをたっぷり堪能できるカラヤンの演奏との贅沢な競演だ。

ブラスセクションの活躍のシーンが多いオーケストラ版は、絶頂期のカラヤン指揮のベルリンフィルによるもの。

ここではそのベルリン・フィル自慢のブラスセクションが切れ味鋭い演奏を聴かせてくれている。

カラヤン指揮の下、あらゆるシーンにフレキシブルに対応してゆく各パートの鮮やかな演奏力は流石である。

特に最後の“キエフの大きな門”の冒頭に至る部分から、ラストまでは、鳥肌もの。

さすが全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの盛り上げ方は、素晴らしい。

この録音は“キエフの大きな門”での、鐘の音の強弱の変化が激しいが、オーケストラの中で、打楽器を、これだけ強弱をつけて打ち鳴らすというのは、奏者はもちろん、指揮者にも相当、自信がなければ出来ないことだと思う。

その点でも画期的な演奏だ。

そして後半のピアノ版。

ピアノの弦が切れてしまうのでは!?というほどの豪快な打鍵が特徴でもあったベルマンのピアニズムはこの曲においては抑えられ、丁寧さを優先した演奏に徹しているが強打鍵ぶりは健在だ。

オーケストラ版の後に聴いても、あまり音数のさみしさを感じさせない。

“リモージュの市場”における均整のとれた鮮やかな表現、そして“バーバ・ヤーガの小屋”から“キエフの大きな門”にかけての堂々たる演奏は、もはやベルマンの真骨頂である。

古くはホロヴィッツやリヒテルの歴史的録音に肩を並べ得る演奏ではないだろうか。

ベルマンの「展覧会の絵」は、現在このセットリストでしか入手できないので、貴重である。

“カラヤン”“ベルリンフィル”“ベルマン”という3つのブランド力を差し引いても十分にすばらしいCDだ。

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2014年05月28日


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本盤に収められた1970年代に録音された「エロイカ」であるが、録音当時(1976、77年)は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代であった。

名うてのスタープレイヤーが数多く在籍していた当時のベルリン・フィルは、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏を展開していた。

カラヤンは、これに流麗なレガートを施し、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていた。

それはこの「エロイカ」においても健在であり、これほどの圧倒的な音のドラマは、普門館ライヴ録音は別格として、クラシック音楽演奏史上においても空前にして絶後ではないかと考えられるほどの高みに達している。

もちろん、カラヤンは本全集における各曲の演奏においては音のドラマの構築に徹していることから、各楽曲の精神的な深みの追求などは薬にしたくもない。

実は筆者が初めて買った「エロイカ」のLPがこの燃えるカラヤン盤だった。

当時、クラシックのレコードを選ぶのは難しいと感じていた筆者の場合、迷ったら“カラヤン”だった。

カラヤン&ベルリン・フィルは、最高峰というイメージを未だに抱いている。

カラヤンを聴いてから、他の指揮者に向かうのが、筆者にとっての基本形だったのである。

それ故インプリンティングされてしまったせいか、今聴いても実にかっこよく、香りたつようなような音楽で、これ以外の「エロイカ」は物足りなく感じてしまうのである。

速めのテンポだが、曲そのものの本質をしっかりとつかんでいる。

カラヤンらしく、アダージョは美しく荘厳に、フィナーレは快速に、どの楽章もあくまで華麗に演奏されていて、何度聴いても飽きない。

1960年代に録音された序曲と共に聴いてて気持ちの良い名演と言えよう。

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本盤に収められたブルックナーの「第7」は、クラシック音楽史上最大のレコーディング・アーティストであったカラヤンの最後の録音である。

カラヤンは、様々な名演を数多く遺しているが、本演奏はそうした数多くの名演の中でも、そして、様々な指揮者によるブルックナーの「第7」の名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

カラヤンは、膨大な録音を行っていることからも窺い知ることができるように、常にレコーディングを意識して活動していた。

カラヤンの演奏は、鉄壁のアンサンブルを駆使して、楽曲を徹底的に美しく磨き抜くとともに、流麗なレガートの下、金管楽器のブリリアントな響き、雷鳴のようなティンパニ、肉厚の弦楽合奏などが混然一体となった重量感溢れる演奏(一般的に、カラヤンサウンドと言われる)を特徴としていた。

特に、そうした特徴は、長らく芸術監督をつとめたベルリン・フィルとの演奏において顕著であり、数々のスタープレイヤーが揃っていた当時のベルリン・フィルの卓越した技量も相俟って、1960〜1970年代のカラヤン全盛期には、オーケストラ演奏の極致とも言うべき数々の名演奏を成し遂げていた。

とある影響力の大きい某評論家などは、かかる演奏に対して精神的な深みの欠如を云々しているが、そうした批判を一喝するだけの圧巻の音のドラマを構築していたと言える。

ところが、1980年代に入ると、ザビーネ・マイヤー事件の勃発によりベルリン・フィルとの関係が修復不可能にまで悪化するとともに、カラヤン自身の健康悪化も加わり、カラヤンの演奏には、1970年代までの演奏のような凄みが欠如するようになった。

そうした失意のカラヤンにあたたかく手を差し伸べたのがウィーン・フィルであった。

1980年代以降、カラヤンがウィーン・フィルを指揮した演奏には、圧倒的な統率力でオーケストラを統御して音のドラマを構築した全盛期の面影はなくなり、むしろ、自我を抑制し、音楽そのものを語らせる自然体の演奏を心掛けるようになったと言える。

これは、ウィーン・フィルというオーケストラの特色を重んじたものか、あるいはカラヤンの肉体的な衰えによるものかは定かではないが、いずれにしても、こうしたカラヤンの芸風も、最晩年になって漸く到達し得た悟りにも似た清澄な境地であったのかもしれない。

したがって、この時期にウィーン・フィルと録音した演奏には、いわゆるカラヤン的な演奏とは随分と異なる装いの名演が多く、チャイコフスキーの「第6」、ドヴォルザークの「第8」及び「第9」、シューマンの「第4」、ブルックナーの「第8」など、枚挙にいとまがない。

そうした一連の名演の中での頂点に君臨するのが、本盤に収められたブルックナーの「第7」である。

ここには、オーケストラを統率して、圧倒的な音のドラマを構築したかつてのカラヤンはどこにも存在しない。

ただただ、ブルックナーの素晴らしい音楽が、これ以上は求め得ないような美しさを持って滔々と流れていくのみだ。

しかも、表面上の美しさにとどまることなく、どこをとっても奥深い情感がこもっており、あたかもカラヤンがこれまでの波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きさえ感じられる。

このような崇高な高みに達した名演は、カラヤンとしても生涯の最後になって漸く到達し得た至高・至純の境地にあると言えるのではないか。

まさに本名演こそは、クラシック音楽史上最大のレコーディング・アーティストであったカラヤンによるラスト・レコーディングに相応しい至高の高峰に聳え立つ超名演であると高く評価したい。

なお、本盤はSHM−CD盤であるが、本名演の歴史的な価値に鑑み可能であれば、現在話題のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で発売して欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

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1951年10月29日、ミュンヘンのドイツ博物館コングレスザールでの実況録音。

地元のバイエルン放送がラジオ放送用に録音したものとのことである。

当月のフルトヴェングラー/ウィーン・フィルは5日から22日まで、18日間で16回のコンサートをこなし、27日はフルトヴェングラーは単独でハンブルクに行き北ドイツ放送響を振り、翌28日はカールスルーエで再度ウイーン・フィルと合流しブラームス他を演奏している。

そして29日にミュンヘンに入るという超人的な強行軍である。

この録音もあくまでも放送用で、その後、長くLP、CDで聴きつがれることは演奏者は想像もしていなかっただろう。

フルトヴェングラーの足跡をたどるうえでは貴重な記録だが、会場の悪さ、オーケストラの疲労度からみてもベストの状況の録音とは思えない。

会場の雑音の多さは一切無視するとしても、第1楽章冒頭のホルンのややふらついた出だしといい、折に触れての弦のアンサンブルの微妙な乱れといい、意外にもフルトヴェングラーの演奏にしては要所要所での劇的なダイナミクスの不足といい、第4番を聴きこんだリスナーにとっては気になる点は多いはずである。

一方でレーヴェの改編版による演奏という点に関してはあまり気にならないかも知れない。

それくらいフルトヴェングラーの演奏が「独特」であり後者の方に大方の関心が向かうからかも知れないが…。

にもかかわらず、本盤はブルックナー・ファンにとっては傾聴に値すると思う。

それは第2楽章アンダンテを中心に各楽章の弦のピアニッシモの諦観的な響きにある。

特に第2楽章18分28秒の非常に遅いテンポのなかに籠められているのは、転調をしても基本的にその印象が変わらない深く、名状しがたい諦観であると思う。

しかもそれはウイーン・フィルのこよなく美しい響きとともにある。

ここに表出されている諦観が作曲者のものなのか、指揮者の時の感興か、双方かはリスナーの受け止め方如何であろうが。

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2014年05月27日


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1946年3月、カーネギー・ホールにおける白熱のライヴ。

1946年頃のアメリカではブルックナーも度々演奏されていたらしく、日本では終戦直後そんな余裕すらなく、1970年代後半に入ってから本格的に聴かれ始めた作曲家であるが、ワルター/ニューヨーク・フィルの演奏を聴いていると、とても戦争直後とは思えないような実に深い、そして既にブルックナーを自分たちの物にしていて、演奏終了後の拍手からも聴衆の感動が伝わってくる。

情感豊かなワルターの解釈が演奏者に深く浸透し、馥郁たる浪漫の薫り立ちこめるブルックナーで、凝縮されたエネルギーの密度も濃い。

ワルターと言えば、モーツァルトとマーラーの権威として知られていたが、ブルックナーもなかなか聴かせる。

どうしても、先入観で聴いてしまいがちだが、このブルックナーは他の指揮者には真似の出来ないワルターならではの仕上がりである。

一度は聴いてみても損は無いと思わせるそういう演奏。

古い放送録音のため音は硬いが弦の響きなど生々しく迫ってくる。

この音源の元になったのはどうやらラジオ放送で使用する盤らしく、収録時間もきっちり60分という放送を意識した仕様である。

そのため、曲の前にはアナウンサーによる曲目や演奏家紹介などが入り、第9交響曲終了後はワルター指揮のブラームスの第4交響曲から第3楽章の抜粋など明らかに時間調整のため行った構成であったそうだ。

盤起こしのためどうしても針音や特有のノイズ、レベル変動などが所々あるが視聴するうえでは全く問題にならない範囲である。

ちなみにオーレル校訂版(1932年)という版は、アルフレート・オーレルが、ブルックナーが本当に書いた部分を再現しようとした最初の校訂版(第一次全集版)。

「ハース版」と扱われることもある。

この版による初演は1932年、ジークムント・フォン・ハウゼッガー指揮によりミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会では2度の第9番が演奏された。

レーヴェ版についでオーレル版が比較演奏されたのである。

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モーツァルトの《レクイエム》で最高のモーツァルト解釈者といわれたブルーノ・ワルターの演奏は、音楽の構成を明確に保ちながら、豊かな感情を肉付けしている点で比類がない。

ワルターは1956年に、ニューヨークとウィーンでこの曲を録音したが、ウィーンでの録音はライヴであり、演奏には集中力が強い。

1956年ウィーンにおけるモーツァルト生誕200年記念演奏会のライヴ録音が、ワルター&ウィーン・フィルとなれば、ファンの目つきは変わらざるを得ない。

ライヴのためか冒頭はややあやふやに聴こえるところもあるが、中盤からは楽器も声もエンジンがかかり、見違えるばかりに生命力をとり戻している。

後半はもう完全にワルターの世界に同化させられてしまう。

教会的な雰囲気とか、宗教感といったものにこだわらず、、いわゆるモーツァルト的なスタイルも無視して、音楽そのものを彫り深く描きつくした演奏である。

オーケストラもコーラスも力一杯鳴っており、緊迫感と威厳と壮麗さにあふれているところから、これを演奏会風の解釈と呼んでも良いと思うが、しかしながら速めのテンポで全曲をきりりと造型し、一切の無駄を省いた指揮ぶりは、やはり〈純音楽風〉といったほうが適していよう。

従ってスケールも決して大きくはない。

その若き日のリハーサルに「怒りの日」を歌うコーラスに向かって、「あなた方はまだ歌おうとしている。もっと死の恐怖を叫んでください」と言ったワルターの表現は、晩年にいたって昇華されつくしている。

コンサートの前に楽屋の片隅でモーツァルトの霊と交信しているところが見られたと伝えられているワルターが、この《レクイエム》についても同じことをしたかどうかは知らない。

しかし、モーツァルトの最高の解釈者のひとりとしての真価は、このウィーン・フィルとの演奏にも明らかにされている。

《レクイエム》のテキストにモーツァルトが込めた感情を、ワルターは優れたバランス感覚で表現しており、演奏は威厳と優美な情感を漂わせている。

これほど納得のいく演奏はない。

デラ・カーザ(S)マラニウク(A)デルモータ(T)シエピ(Br)といった豪華なソリスト、そして合唱団、オーケストラのすべてが充実した演奏を聴かせる。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトワルター 

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ビゼーの最高傑作でもある歌劇「カルメン」は、舞台となったスペインのエキゾチックとも言うべき名旋律に溢れた作品であるだけに、そうしたスペイン風の雰囲気を十分生かした演奏が多い。

そして、そのようなスタイルの演奏こそが、歌劇「カルメン」を演奏する際のアプローチの王道ともなっているが、ショルティによる本盤の演奏は、それとは一線を画するタイプのものと言えるだろう。

ショルティは、もちろん、同曲の随所に散りばめられたスペイン風の情緒溢れる旋律の数々を情感豊かに歌わせることを全く行っていないわけではない。

ただ、そうした旋律を歌わせることよりもむしろ、同オペラを一つの壮大な交響曲と見做して、絶対音楽として描き出しているような趣きがあると言えるだろう。

ショルティの演奏の特徴でもある切れ味鋭いリズム感と明瞭なメリハリは、本演奏においても最大限に発揮されていると言えるところであり、後世の様々な作曲家にオーケストレーションを激賞されたとされるビゼーがスコアに記した音符の数々、そして旋律の数々を、他のどの演奏よりも明晰に描き出すのに成功している。

したがって、前述のように、スペイン風の情緒溢れる旋律の数々の歌わせ方が若干犠牲になっているという側面も否定できないところであり、このあたりが、本演奏に対するクラシック音楽ファンの好悪を分ける最大の分岐点であるとも思われるところだ。

なお、当ライヴ録音ではロイヤルオペラのオケを指揮しているだけあって、1970年代のショルティの演奏において時として聴かれ、そして欠点ともされている力づくの強引さが薄められているとも言えるが、それでも前述のようなリズムの鋭さやメリハリの明晰さは健在である。

このように、クラシック音楽ファンにとっては、好悪が大きく分かれる演奏とは思われるが、筆者としては、あまりにも有名過ぎて手垢にまみれているとも言える歌劇「カルメン」の演奏に対して、ある種の清新さを付加したという意味において、十分に存在意義のある名演と評価したい。

歌手陣も、ショルティならではの考え抜かれたキャスティングであり、何と言ってもカルメン役のシャーリー・ヴァーレットの迫真の絶唱が圧倒的な存在感を示している。

また、ドン・ホセ役のプラシド・ドミンゴ、エスカミーリョ役のヨセ・ヴァン・ダム、そして、ミカエラ役のキリ・テ・カナワなど、録音当時全盛期を迎えた超一流の歌手陣が一同に会するというこれ以上は求め得ないような超豪華な布陣であり、それらの布陣が最高のパフォーマンスを発揮しているというのは、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 00:15コメント(0)トラックバック(0)ビゼーショルティ 

2014年05月26日


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当盤は、GRAND SLAMレーベル設立以来の、最高の音質と言われ、信じられないほどの情報量の多さで、広がりの豊かさ、定位の明確さ、そして全体の艶やかで瑞々しい音色は腰を抜かさんばかり。

もともと、音質が良い盤だっただけに、当盤のさらなる飛躍的な音質向上には、耳を疑うばかりだ。

これは数多いワルターの録音の中でも最高傑作の一つに挙げられる名演中の名演である。

出来映えはニューヨーク・フィルとのモノーラルを遥かに凌ぎ、一点の無駄もない古典化された演奏である。

たとえば第1楽章のコーダや第2楽章をバーンスタインと比べてみれば、ワルターのほうがずっと淡々として枯れた解釈であることがわかるはずだ。

しかし、さらに付け加えなければならないのは、こうしたもろもろの芸、もろもろの巧さと情緒が、ワルター個人の芸術、マーラー自身の芸術という範囲を遥かに超えて、最も普遍的な音楽にまで達している点である。

たとえばメンゲルベルクのマーラーは、生前ワルター以上と讃えられたものだった。

しかしどこかにメンゲルベルクの癖とマーラー臭さを感じさせる。

メンゲルベルクを持ち出さなくても、ワルターの他の演奏がすでにそうだ。

ところがこの「巨人」は、ワルターが自分自身の個性を最大限にまで発揮しながら、それがすべてマーラーの音楽自体に純化し、そのマーラーの音楽がさらに個人的なものを脱して普遍性を獲得しているのである。

ワルター、マーラーという音楽家への好き嫌いを超越して、万人を感動させる芸術がここに生まれたのだ。

これこそ指揮者として最高の境地を言わねばならない。

かくしてこの演奏は、ワルター的、マーラー的、ウィーン的などという形容を許さず、それどころか録音ということさえも忘れさせてしまう。

耳を傾けてみよう。

スピーカーの前面いっぱいを、いや、聴いている部屋全体を満たす巨大な音の像、これは一体何であろうか。

機械音楽であることをまず忘れさせ、眼前にオーケストラや指揮者や楽譜が浮かぶという次元をも超越して、大きく結ばれる音像の出現、これこそワルターが成し得た不滅の理想像ではなかろうか。

そこにこそ音楽は善への使徒として美の究極の姿を示したのだ。

なぜならば、この録音を共に聴くことを許された幸福な人々に生まれる、類ない愛の心がそれを証明するからである。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)マーラーワルター 

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本作はメンゲルベルクの影が遺る戦後間もないコンセルトヘボウで、マーラー随一の愛弟子ワルターが「巨人」を振る歴史的に見ても貴重な国内初出音源。

マーラーはメンゲルベルクも得意としていたが、その本拠地での演奏だけに興味深い。

ワルターとメンゲルベルクは、マーラーの最もよき理解者であり、擁護者であった。

特にワルターはマーラーと時代と仕事を共有していただけに、その音楽に強い愛情を抱いていたに違いない。

ワルターは「マーラーが20世紀の世紀末を先取りしていた」と言うような思考とは無縁で、純粋に音楽自体に没入していた。

「巨人」も例外ではない。

ワルターはこの曲に流れる若々しい感情にいとおしむような眼差しを向ける。

その落ち着いた情感は音楽の構成に安定感を与えるし、第4楽章においても秩序を感じさせ、先行する3楽章からの流れとして納得させられる。

ワルターの解釈はそれほど自然で、音楽と一体化していると言えよう。

「運命の歌」は、ブラームスらしい渋さと暗い雰囲気を湛え、内部に激しい情熱を秘めた解釈で、合唱団も非常に気持ちのこもった歌い方だ。

前後の天国の部分を弱音効果で女性的に、中間の人間界の苦しみをきめ粗いくらい迫力をこめて演奏し、対照を鮮明に生かしている。

このようなワルター最盛期の名演を、仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻された音質で味わうことのできることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:16コメント(0)トラックバック(0)ワルターマーラー 

2014年05月25日


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生誕200年を記念したモーツァルト・イヤーの1956年。

3月のニューヨークでは、モーツァルトの十字軍であるブルーノ・ワルターによる一連のコンサート並びにオペラ上演(伝説の「魔笛」もこの月の演奏)が開催された。

中でもソニー録音セッションと並行して行われた「モツ・レク」ライヴは、幻の演奏で今回が初出となる。

音質も年代としては良好であり、冒頭の「入祭唱」などは哀愁漂うしみじみした味わいだが、演奏が進むにつれて、合唱の厚みあるハーモニーを得てうねりを増して行き、「怒りの日」に至っては熱くなるワルターらしい激しさで、表現行為、演奏行為としての『レクイエム』であることが分かる。

歌手陣もソニー盤と同様であり、共に演奏を繰り返した演奏家同士による自然な流れを感じさせてくれる。

マーラーの第4交響曲は、ワルターが偏愛した名曲であり、多くの録音が知られている。

ワルターは1950年の8月、9月、10月と欧州を単身廻り、8月末にはウィーン・フィルとザルツブルク音楽祭で当曲を演奏、9月末にはベルリン・フィルと戦後稀少な共演を果たす。

当演奏は、1950年9月4日、珍しくフランクフルト博物館管弦楽団(フランクフルト歌劇場のオーケストラがコンサートに出演する際の呼び名)に客演したコンサートである。

音質が驚異的に鮮明であることが推薦に値するところで、きらめくような弦楽器の輝かしさには感嘆の一言だ。

晩年に見せた止まるような遅いテンポによるロマン的表現は、ここにはなく、自在な変化をつけて結構ドラマティックな盛り上がりを作っている。

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classicalmusic at 22:35コメント(0)トラックバック(0)ワルターモーツァルト 

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トスカニーニがSP時代から繰り返し録音してきた「真夏の夜の夢」の決定的名演。

メンデルスゾーン「真夏の夜の夢」(序曲)が作曲者10歳台の作曲から(付随音楽)作曲時30歳半ばまでの期間的隔たりを感じさせず、トスカニーニは手兵NBC交響楽団と息の合った明確な印象を持つ演奏を展開している。

「序曲」での疾走感から生き生きとしたトスカニーニらしさがスタートする。

「夜想曲」はホルン主体に展開してその鷹揚な演奏にもトスカニーニはバッチリ対応。

「スケルツォ」ではトスカニーニ指揮メンデルスゾーン「イタリア」交響曲の名演を想起させる。

超有名な実用音楽ともなっている「結婚行進曲」も彼の指揮演奏でより説得感が増幅する。

「フィナーレ」では妖精祝福の女声独唱(E.フィリップス)・合唱が挿入されている。

これらの録音の頃1947年、トスカニーニは80歳近くであったが、彼の音楽に対する志の高さは相変わらずであることをつくづく感じ入ってしまう。

ケルビーニの交響曲は現在でも演奏されることは少ないが、トスカニーニは同じイタリアの作曲家ということもあって、生前好んで演奏していた曲の一つである。

実際、トスカニーニはケルビーニの作品を非常に高く評価しており、「現在、ケルビーニの作品が不当に軽視されているのは、指揮者たちの認識不足と勉強不足のためである」と言っていた。

だから、この他にもケルビーニのレクイエムなどの名演奏を残している。

この曲は、イタリア人の交響曲といってもハイドン風な古典的な4楽章形式で書かれており、ちょうどハイドンの交響曲にみるような古典的な明快さに貫かれているから、その演奏もトスカニーニのハイドンと多くの共通性を示している。

トスカニーニが最晩年になって初めて録音したケルビー二の交響曲は、カップリングの「オイリアンテ」序曲とともにLP時代の名録音として知られ、音の分離も飛躍的に改善され、トスカニー二の実際の響きを体験するのに最も適していると言える。

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classicalmusic at 20:50コメント(0)トラックバック(0)トスカニーニメンデルスゾーン 

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1940年2月17日(モーツァルト)、1939年3月18日(ブラームス) ニューヨーク、NBCスタジオ8Hでのライヴ(モノラル)録音。

「ハフナー」は19世紀の流れを受け継ぐコンサート・スタイルの大演奏として、完璧無類の名演だ。

こうしたアプローチにバーンスタインは影響を受けたが、ワルターの場合、どれほど表情たっぷりに演奏しても、緻密なアンサンブルや上質な響きを失っておらず、しかも、さらに豊麗に歌い抜いている。

その好例が緩徐楽章で、スコアの弱音指定を無視してでもカンタービレをほとばしらせ、聴く者を魅惑する。

こんなロマンティックなモーツァルトは他に類例を見ないが、それでいて少しも外面的に陥っていないのである。

両端楽章の生命力も抜群で、その中に自由自在な変化があり、まさに名人芸の棒さばきと言えよう。

ブラームスの第1番は、ワルター唯一のライヴ録音。

ワルターは早くから優れたブラームスの演奏を聴かせてくれた。

戦前のウィーン・フィルとの交響曲第1番、戦後のニューヨーク・フィルとの《ドイツ・レクイエム》などは忘れがたい。

ワルターはブラームスの交響曲第1番を3度スタジオ録音したが、ここではNBC交響楽団とのライヴ録音を聴きたい。

この頃の彼の解釈は、後のスタジオ録音より気力が充実しているために、ブラームスの充実した音楽がいっそうの輝きを放っているし、トスカニーニのオーケストラ、NBC響の強靭な音も演奏を引き締めているからである。

そして、ワルターは作品の構成感ばかりでなく、音楽の底を流れる抒情性を汲み上げて、演奏の雰囲気を豊かにしている。

原盤はアセテート盤で、多少聴き苦しい部分もあるが、壮年期のワルターの荒れ狂った迫力は想像以上である。

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classicalmusic at 00:56コメント(0)トラックバック(0)ワルター 

2014年05月24日


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ワルターとバイエルン国立管弦楽団の珍しいコンビによる1950年のライヴ。

20世紀最大の名指揮者のひとり、ブルーノ・ワルターは、1913年から1922年までミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の監督で、ここで大変に充実した音楽活動をおこなっていた。

その後、活動の拠点をウィーンに移し、戦争によってアメリカに亡命したのは周知の通り。

戦後、故郷ベルリンやウィーンは何度か訪れているにもかかわらず、ミュンヘンはこの1950年の一度きりだったとかで大変貴重な録音。

LPでもCDでも海賊盤でも今までリリースされたことのない完全初出盤である。

ワルターの最も多忙な時期の録音で、それだけに若々しい活気がみなぎる演奏となっている。

しかも音楽にいかにも手づくり風のホームスパンのような素朴なあたたかさがある。

特に「未完成」がずばぬけた名演で、この曲のつきるところのない魅力を一度に解明してみせた感がある。

特に第2楽章は深く心をこめて歌う。

およそ考えられぬほどの高貴な抒情で満たされ、この音楽の限りなく永遠に続くことを願う気持ちすら起きる。

ワルターはマーラーの直弟子であり、マーラーと一心同体の人だ。

だいたいマーラーを得意にしている指揮者だが、なるほどこの演奏は素晴らしい。

マーラーが演奏したらこうなるだろうと思われるくらいにマーラーそのものになりきっている。

造形の安定度の高さも特筆に値するが、全4楽章をスケール大きい気宇でまとめていることも高く評価できる。

後年のステレオ録音の円熟した演奏もいいが、これはこれで改めて傾聴したい秀演。

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classicalmusic at 23:20コメント(0)トラックバック(0)ワルターマーラー 

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1950年9月25日 ワルター&ベルリン・フィルのコンサートの実況録音。

モーツァルトの第40番は、表現のスタイルはウィーン盤に似ているが、上行ポルタメントは見られず、ワルターとしては何でもなく開始される。

テンポもごくふつうだ。

ところが、13小節眼の上昇音階で急にポルタメントが掛かり、大きなクレッシェンドと共に甘美な雰囲気が濃厚となる。

すなわち1929年盤にそっくりなのである。

もちろん偶然の一致だろうが、この表情がベルリンのオーケストラだけに聴かれるのは興味深い現象だと思う。

再現部の例のルフトパウゼはこの1950年盤にはすでに現われている。

第2楽章は強調されたレガート奏法で開始される。

それゆえモーツァルトのとぼとぼした足どりは弱められているが、その代わり4小節の終わりから急にピアニッシモにする寂しさが何とも言えない。

展開部の切迫してゆくような速いテンポも、この盤独特のものである。

メヌエットからフィナーレにかけては、低弦の威力が随所に感じられ、他の盤には見られないベルリンの味を伝えているのである。

ブラームスの第2番は、ベルリン・フィルの上に自然に乗った指揮ぶりである。

従ってニューヨーク盤やフランス国立放送盤のような踏みはずした迫力はないが、最も抵抗なく味わえる完熟の演奏であり、もちろんワルターならではの幻想的でロマンティックな歌は充分だ。

このワルター最盛期の名演を、仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻された良好な音質で味わえるのを喜びたい。

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classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)ワルターモーツァルト 

2014年05月23日


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フルトヴェングラーの、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」の有名な1953年のザルツブルク音楽祭の収録。

数回にわたり、録音し、たとえばEMIの1954年、1950年のものもあり、1954年のものは収録時など未詳だが、カラーでフルトヴェングラーの別録りされた序曲を見ることもできる初のオペラ映画ともなり、ステージの雰囲気を残しながら、その後の映像の規範となった。

フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」の毒、それは重く粘るテンポ、デモーニッシュなものに対応する再ロマン化の試みである。

一聴、演奏の性質は理解されるのは、20世紀、ロマン派以降の音楽が見つめたロマンの性格をまとったドン・ジョヴァンニ像。

マーラーは地獄堕ちの場で、終わらせる試みをして、古典の伝統を保持しようとしたブラームスも絶賛したのはその圧倒的な表現力であった。

ドラマ・ジョコーソ、音楽のためのおどけたドラマであることの証であるヴォードヴィル風のラスト「これが悪人の最後だ。そして非道なものたちの死は、いつでも生とは同じものなのだ」。

ロマンは、ここに偉大な教育パパであったレオポルドの存在と抗ったモーツァルトを重ね合わせ、権威に向かって「ノー」を貫く矜持をみた。

実際、これが喜劇である前に地獄堕ちの場は圧倒的な効果をもたらす。

フルトヴェングラーの映像での演出は、まさに宇宙が現出する。

オッフェンバックの「ホフマン物語」はオムニバスだが、さまざまなE.T.A.ホフマンの諸編をつなぎ合わせて、やはり、楽屋落ち的に「ドン・ジョヴァンニ」の引用がされた。

それは『ドン・ファン』のモチーフに同じで、実際、舞台では恋愛巧者でどん欲に恋愛のカタログの数を積み上げていったドン・ジョヴァンニの試みはすべて失敗に終わるのである。

モーツァルトは巧みに心理にまで踏み込んだ音楽で積み上げたが、それは舞台人としてだけではなく、教養人としてダ・ポンテのシナリオの文学的にも周到な読みがあったと思われる。

当盤は、そのロマン化の徹底を貫いたフルトヴェングラー盤の中でも音質も満足いくもの。

よりロマンを感じるには1954年盤だろう。

音楽が運ばれる必然性、テンポということでは、この重いテンポは幾つかの齟齬をきたしている。

すでに、現代の耳で聴く分にはウィーン初演版をとりあげたガーディナーや、エストマンの小劇場、さらに少人数という芝居小屋の雰囲気が満載のものなどがある。

クイケン、アーノンクールなどピリオド楽器が見出したもの、また、重さでは共通するカラヤンが晩年になり、初めて録音したものは、歌手の年齢層にも考慮され、オペラ巧者のウィーン・フィルではなくシンフォニック・オーケストラであるベルリン・フィルを起用した。

アバドも1997年に録音し、これらはモダンがピリオド楽器の斬新の一方、呼吸が浅く、軽妙なドン・ジョヴァンニ像とは対極のものとしてまだモダンの方向も有効なことを示している。

実際、モーツァルト畢生の大作として、モダンは多くの演奏を制作してきた。

ジュリーニ、クレンペラー、ベーム、ムーティ、クリップス、ショルティみな一家言あるものだ。

ワルターの伝説のメト・ライヴ、またすでに1936年のブッシュ盤には古典的な端正がすでにあった。

しかし、「フィガロ」や「コシ・ファン・トゥッテ」では最良の成果をあげたベームでも、「ドン・ジョヴァンニ」(プラハ盤)のフィッシャー=ディースカウは、その知が鼻につき、モーツァルト録音中、一級の録音とはいえない。

モーツァルトのオペラのどの作を最上のものとするかはしばしば論議され、そして、そんな比較などはやるべきではないのだが、ドラマ性では筆頭なのが「ドン・ジョヴァンニ」。

このフルトヴェングラー盤が今でも、そのドラマ性の齟齬と重く粘るロマンがモーツァルトの本質とは乖離している面があっても、珍重されるのは、その表現が徹底されているからだ。

加えて、シェピとエーデルマンのコンビ、これを一人の人物のコインの裏表という心理的な読みもあるが、1950年代、その歌手のもつ、雰囲気と濃厚なものへの対応。

時代的には、ロマンというには20世紀とはすでに表現主義が跋扈している状態。

だからこそ、ロマンへの回帰なのだ。

他、シュヴァルツコップのドンナ・エルヴィーラ、グリュンマーのドンナ・アンナの女声陣。

たとえばシェピはよりウィーン的なクリップス盤にも登場しているが、歌そのものはよくても、指揮の牽引の力は弱い。

重量の重さ、それは聴き手にとっても、時代の嗜好というフィルターを経て、それでも淘汰されずに生き残ったこと。

やはり往年の演奏のもっていた多少強引でも柄の大きさは得がたく、本作は、そうした濃厚さを今も讃えるものである。

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モーツァルト生誕200年に、メトロポリタン歌劇場で2月23日から3月26日まで7回公演されたもののうち、3月3日の録音。

ワルターは「魔笛」をモーツァルトの遺言と考えており、しかも1956年3月3日をいえばニョーヨーク・フィルによる「ジュピター」(3月5日)のレコーディングの直前、彼の芸術の頂点を示した時期である上に、実演録音でもある。

この演奏は1942年の「ドン・ジョヴァンニ」とともにワルターが残したモーツァルト・オペラ最高の、いや「魔笛」最高の演奏と言うべきである。

劇音楽に対するワルターの才能の現われも特徴的で、ドラマの持つ感情や意味を音楽化する力において、筆者は少なくとも「魔笛」に関する限りワルター以上の人を知らない。

前時代的と言われようが歌詞が英語だろうが絶好調のワルター芸術が爆発している。

速めのテンポで演奏されるこのライヴ盤は、歌手とオーケストラとの、アンサンブルでの齟齬などもあるけれど(オケが終始速め)、ワルターの情熱とオペラ指揮者としての迫力が充分に伝わる名演である。

モーツァルト晩年の透明感とは少し違うかもしれないが、生き生きとした音楽は心に深く浸み込み、大きな感動を与えてくれる。

歌手陣には若干の不満もあるが、こと指揮について言えばその壮麗かつ迫力の凄さにまさに圧倒される。

英語も聴き進むに従って気にならなくなる。

重唱や合唱、さらには独唱者にさえ与えられるワルターの表情、レガートやスタッカート、強弱のニュアンスの変化はまさにデリケートの極みと言うべきであろう。

それはちょうどニューヨーク・フィルを振った「ジュピター」をさらに多様に、さらに生々しい血を通わせてオペラに封じ込めたと言ったら良いだろうか。

コーラスもオーケストラもむしろ平凡だが、すべてが完全にワルターの手足となり、まとまったチームとなって充実した演奏を繰り広げている。

かえって歌手にスターがいないだけに、ワルターの「魔笛」がいっそう純粋に味わえるのだとも言えるだろう。

これに比べればベームやクレンペラーの「魔笛」はあまりにも一面的であり、モーツァルトの驚くべき変化に富んだ音楽の魅力を、かなり失っていると言わざるを得ない。

ワルターの真価をすでに認めている人にはともかく、疑問を持っている人にぜひ聴いてほしい演奏である。

この年(1956年)ワルターは現役引退を表明したのであった。

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1997年6月、欧州楽旅中のシカゴ響ケルン公演のライヴ。

力感にあふれ、振幅の大きなバレンボイムの指揮のもと、シカゴ響がパワーを全開にした痛快なマーラー演奏。

マーラーの第5番のDVDとしてベスト3に入る。

映像、音質ともに非常に優秀で、スーパー軍団の演奏映像がたっぷり楽しめ、あらためてシカゴ響の凄さが実感できる内容となっている。

シカゴ響だけにパワフルなのは間違いないが、その中に繊細さも溢れていて、何回聴いても聴き飽きることがなく、ライヴの緊張感もあり最高の出来映えと言ってもよかろう。

ショルティ時代とはまた違ったシカゴ響サウンド、名プレーヤーの面々が見られる非常に楽しめるすばらしいディスクである。

トランペットのハーセス、ホルンのクレヴェンジャー、トロンボーンのフリードマン、この三羽烏が当時もなお凄まじいプレーヤーである事が証明されている。

バレンボイムはベルリン・フィルとは幾多のDVDが有るものの、音楽監督を務めたシカゴ響との映像記録は非常に少ない。

日本では、バレンボイムはあまりいい評価がなされていないが、これを聴いてみるとどれだけすばらしい指揮者であるか理解できると思う。

その意味において、これは極めて貴重な作品といえる。

音質・画質ともに優秀だが、確かにこのDVDのシカゴ響はトータルとして素晴らしいと思う。

でもシカゴ響ならショルティが振った場合の凄絶な印象(1970年盤のSACDは強烈すぎる)に比べるともう一つ。

とはいえ、前記のようにすばらしい映像作品としては文句のつけようがないもので、十分推薦に値する。

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classicalmusic at 00:50コメント(0)トラックバック(0)マーラーバレンボイム 

2014年05月22日


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ベームのブラームスの第1番と言えば、1959年のベルリン・フィルとの録音がSACD化されて再評価されているし、そのレビューにも書いたようにこの曲の筆頭に挙げても良い感動を呼ぶ名演であった。

また、1975年にウィーン・フィルと来日した時の印象も強烈だが、当時の解釈はすでに晩年様式に入ったものだった。

それらに対し、この演奏は、1969年にバイエルン放送交響楽団のシーズン幕開けの演奏会で収録されたもの。

ライヴで本領を発揮するタイプのベームが、ここでは完全燃焼を見せている。

そのスケールの大きさ、張り詰めた緊張感は類例がないほどで、造型も堅固そのもの。

バイエルン放送響はベームが頻繁に客演したオーケストラのひとつで、この演奏を聴いただけでも両者の良好な関係が窺われよう。

機能性と力強さ、そしてのびのびとした豊かな響きがベームの音楽の骨格に見事な肉付けを行なっている。

カップリングのグルダの《ジュノーム》は、まずグルダのピアノに驚嘆し、ついでモーツァルトの音楽の奥深さに打たれて、あまりの美しさに陶然とする。

全曲を通して聴いてもたかだか30分のこの曲は、聴いているととても儚い。

ずっと聴いていたいのに、どの楽章も10分程度で終わってしまう。

短調で書かれた第2楽章も、その儚さゆえにとても短く感じられる。

グルダは一音一音が情に流されて弾いているというのではなく、「こうでなければ」と確信を持って弾いているように感じられる。

「木を見て森を見ず」という表現があるが、この演奏の場合、グルダのタッチが洗練の極みに達しているので、その「木」を一つ一つ見るだけでも価値があり、しかも倦むことがない。

さらに、森として見た場合も、その繊細な美しさは比類がないのである。

ベーム指揮のバイエルン放送響はグルダのピアノを全く邪魔しない見事な伴奏。

オケのバランスといい、品の良さといい、申し分がない。

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classicalmusic at 23:10コメント(0)トラックバック(0)ベームグルダ 

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この作品は、チャイコフスキー作品と同じくライヴでないライヴの為、映像と音は別採りの信じがたい映像。

でも、この内容が凄いからあえて採り上げた。

カラヤン&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、1970年代半ばの全集であると考えられる。

というのも、この当時はカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期であったと言えるからだ。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

当該全集においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっているのである。

それ故ベルリン・フィルもカラヤン自身も最も脂の乗った時期の収録なだけに映像も見応え満点。

「第1」の終楽章は展開部からは指揮でぐいぐい引っ張っていく。

音も指揮の素晴らしさそのものの音を出している為、白熱の迫力と気力でベルリン・フィルをダイヤモンドに変身させている奇跡の演奏だと思う。

「第2」も「第3」も素晴らしく、「第2」のラストではコンマスの弓の糸が何本も切れている。

それほどカラヤンの指揮するときのベルリン・フィルは本気を出して演奏するのだ。

「第4」のラストもさすがであるし、音のズレを指摘する人がいるが、ほとんど目につかない。

ましてカラヤン芸術にブレはない。

聴衆は全て、撮影の為のバイト生ということで凄い作品である。

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classicalmusic at 21:14コメント(0)トラックバック(0)ブラームスカラヤン 

2014年05月21日


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近年では円熟の境地を迎えたものの、かつての光彩をすっかりと失ってしまったメータであるが、ロサンゼルス・フィルの音楽監督をつとめていた時代は凄かった。

当時は、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を繰り広げていたアバドや、ボストン交響楽団の音楽監督に就任して世界に羽ばたこうとしていた小澤などと並んで、新進気鋭の指揮者として次代を担う存在と言われたものであった。

かの巨匠カラヤンも、将来のクラシック音楽界を背負う指揮者としてアバド、小澤とともにメータを掲げていたこともあり、メータが当時、いかに華々しい活躍をしていたかを窺い知ることが可能である。

本盤に収められたマーラーの交響曲第2番「復活」の演奏は、メータがいまだ39歳の時に、ウィーン・フィルを指揮したものであるが、メータの類稀なる才能を感じさせる圧倒的な超名演と高く評価したい。

メータは、その後も同曲を録音しているが、本演奏の持つ魅力に迫る演奏を成し遂げることがいまだ出来ないでいるところだ。

とにかく、冒頭から凄まじいド迫力だ。

どこをとっても切れば血が噴き出てくるような力感が漲っており、随所に聴かれる畳み掛けていくような気迫や生命力にはただただ圧倒されるのみである。

大胆とも言うべきテンポの思い切った振幅や猛烈なアッチェレランド、そして強弱の変化などを効果的に駆使して、途轍もない壮麗な壁画とも言うべき圧倒的な音楽を構築しているのに成功していると言えるだろう。

それでいて、第2楽章や第4楽章などにおける繊細な美しさにも出色のものがあり、必ずしも若さ故の勢い一本調子の演奏に陥っていないことに留意しておく必要がある。

演奏によっては冗長さに陥りがちな終楽章も、緩急自在のテンポ設定を駆使した実に内容豊かな表現を垣間見せており、終結部のスケール雄大さも相俟って、おそらくは同曲演奏史上でも上位にランキングしてもいいような見事な演奏に仕上がっていると言えるところだ。

イレアナ・コトルバスやクリスタ・ルートヴィヒと言った超一流の歌手陣も最高のパフォーマンスを発揮しているとともに、ウィーン国立歌劇場合唱団もこれ以上は求め得ないような圧倒的な名唱を披露していると言えるだろう。

そして、特筆すべきは、ウィーン・フィルによる見事な名演奏である。

若干39歳のメータの指揮に対して、これほどの渾身の名演奏を繰り広げたというのは、ウィーン・フィルが若きメータの才能を認めていたに他ならないところであり、こうした点にも当時のメータの偉大さがわかろうというものである。

いずれにしても、本演奏は、若きメータによる圧倒的な名演であり、加えて同曲演奏史上でも上位を争う素晴らしい超名演と高く評価したい。

そして、本演奏の凄さは、英デッカによる今は亡きゾフィエンザールの豊かな残響を生かした極上の高音質録音と言える。

英デッカは、その録音の素晴らしさで知られているが、その中でも、本演奏は最上位にランキングされるものと言えるのではないだろうか。

したがって、従来CD盤でも十分に満足できるものであったが、数年前にSHM−CD化がなされ、それによって、更に良好な音質になったところであり、筆者もこれまでは当該SHM−CD盤を愛聴してきたところだ。

ところが、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やSHM−CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

オーケストラと合唱が見事に分離して聴こえるなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、メータによる圧倒的な超名演を、シングルレイヤーによるSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 23:18コメント(0)トラックバック(0)マーラーメータ 

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ヴァントが最晩年にベルリン・フィルを指揮して成し遂げたブルックナーの交響曲の演奏は、いずれも素晴らしい歴史的な超名演であるが、その最後の録音となったのが、本盤に収められた「第8」である。

ブルックナーが完成させた最高傑作が、この黄金コンビによるラストレコーディングになったというのは、ブルックナー演奏にその生涯を捧げてきたヴァントに相応しいとも言えるが、次のコンサートとして「第6」が予定されていたとのことであり、それを実現できずに鬼籍に入ってしまったのは大変残念というほかはない。

そこで、この「第8」であるが、ヴァントが遺した数々の「第8」の中では、同時期のミュンヘン・フィル盤(2000年)と並んで、至高の超名演と高く評価したい。

本盤の前の録音ということになると、手兵北ドイツ放送交響楽団とスタジオ録音した1993年盤ということになるが、これは後述のように、演奏自体は立派なものではあるものの、面白みに欠ける面があり、本盤とはそもそも比較の対象にはならないと考える。

ただ、本盤に収められた演奏は、ヴァントが指揮した「第8」としてはダントツの名演ではあるが、後述の朝比奈による名演と比較した場合、「第4」、「第5」、「第7」及び「第9」のように、本演奏の方がはるかに凌駕していると言えるのかというと、かなり議論の余地があるのではないだろうか。

というのも、私見ではあるが、「第8は」、必ずしもヴァントの芸風に符号した作品とは言えないと考えるからである。

ヴァントのブルックナーの交響曲へのアプローチは、厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型と緻密さが持ち味だ。

また、金管楽器を最強奏させるなどのオーケストラの凝縮化された響きも特徴であるが、1980年代のヴァントの演奏は、全体の造型美を重視するあまり凝縮化の度が過ぎたり、細部への異常な拘りが際立ったこともあって、スケールが小さいという欠点があったことは否めない。

そうしたヴァントの弱点は、1990年代後半には完全に解消され、演奏全体のスケールも雄渾なものになっていったのだが、前述の1993年盤では、スケールはやや大きくなった反面、ヴァントの長所である凝縮化された濃密さがいささか犠牲になった嫌いがあり、峻厳さや造型美だけが際立つという「第8」としてはいわゆる面白みのない演奏になってしまっている。

むしろ、来日時の手兵北ドイツ放送交響楽団とのライヴ盤(1990年アルトゥス)の方が、ライヴ特有の熱気も付加されたこともあって、より面白みのある素晴らしい名演と言えるのではないだろうか。

いずれにしても、ヴァントの持ち味である厳格なスコアリーディングに基づく堅固な造型や緻密さと、スケールの雄大さを兼ね備えるというのは、非常に難しい究極の指揮芸術と言えるところであるが、ヴァントは、ベルリン・フィルとともに、「第5」、「第4」、「第9」、「第7」と順を追って、そうした驚異的な至芸を成し遂げてきたのである。

ところが、この「第8」は、スケールは雄大であるが、堅固な造型美や緻密さにおいては、ヴァントとしてはその残滓は感じられるものの、いささか徹底し切れていないと言えるのではないだろうか。

これは、ヴァントが意図してこのようなアプローチを行ったのか、それとも肉体的な衰えによるものかは定かではないが、いずれにしても、ヴァントらしからぬ演奏と言うことができるだろう。

したがって、本盤に収められた演奏については、細部には拘泥せず曲想を愚直に描き出して行くことによって他に類を見ないスケールの雄大な名演の数々を成し遂げた朝比奈のいくつかの名演(大阪フィルとの1994年盤(ポニーキャニオン)、N響との1997年盤(フォンテック)、大阪フィルとの2001年盤(エクストン))に並ばれる結果となってしまっているのは致し方がないところではないかと考える。

もちろん、これはきわめて高い次元での比較の問題であり、本盤に収められた演奏が、「第8」の演奏史上に燦然と輝く至高の超名演であるとの評価にはいささかも揺らぎはない。

録音は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、これは、前出のミュンヘン・フィル盤への大きなアドバンテージであると言える。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

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ヴァントが最晩年にベルリン・フィルを指揮して行ったブルックナーの交響曲の数々の演奏はいずれ劣らぬ歴史的な超名演であるが、その中でも最高峰の超名演は、紛れもなく本盤に収められた「第7」であると考える。

ヴァントは、同時期にミュンヘン・フィルとともにブルックナーの数々の交響曲を演奏しており、それらの演奏もベルリン・フィル盤と同様にいずれも至高の超名演であるが、「第7」についてはミュンヘン・フィル盤がないだけに、なおさら本演奏の価値が際立っている。

ブルックナーの「第7」には、シューリヒト&ハーグ・フィル(1964年)、マタチッチ&チェコ・フィル(1967年)、朝比奈&大阪フィル(1975年、聖フローリアンライヴ)、ヨッフム&コンセルトヘボウ(1986年、来日公演盤)マゼール&ベルリン・フィル(1988年)、カラヤン&ウィーン・フィル(1989年)、スクロヴァチェフスキ&読売日響(2010年)など、多種多様な名演が目白押しであるが、本ヴァント&ベルリン・フィル盤は、それら古今東西のあまたの名演に冠絶する史上最高の超名演と高く評価したい。

ヴァントのアプローチは、例によって厳格なスコアリーディングに基づく計算し尽くされたものであり、凝縮化された堅固な造型が持ち味だ。

ただ、1980年代のヴァントは、こうしたアプローチがあまりにも整理し尽くされ過ぎていることもあって神経質な面があり、いささかスケールの小ささを感じさせるという欠点があった。

しかしながら、1990年代に入ってからは、そのような欠点が散見されることは殆どなくなったところであり、本盤の演奏でもスケールは雄渾の極みであり、神々しささえ感じさせるほどだ。

音楽はやや速めのテンポで淡々と流れていくが、素っ気なさなど薬にしたくも無く、どこをとってもニュアンス豊かな情感溢れる音楽に満たされているのが素晴らしい。

ヴァントは、決してインテンポには固執せず、例えば第1楽章終結部や第3楽章のトリオ、そして終楽章などにおいて微妙にテンポを変化させているが、いささかもロマンティシズムに陥らず、高踏的な優美さを保っている点は見事というほかはない。

金管楽器などは常に最強奏させているが、いささかも無機的な音を出しておらず、常に奥行きのある深みのある音色を出しているのは、ヴァントの類稀なる統率力もさることながら、ベルリン・フィルの圧倒的な技量の賜物と言えるだろう。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本超名演の価値をより一層高めることに大きく貢献している。

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classicalmusic at 01:06コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

2014年05月20日


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ヴァントがブルックナーの交響曲の中でも特に高く評価していたのが、「第5」と本盤に収められた「第9」であったというのは、ヴァントの伝記などを紐解くとよく記述されている公然の事実だ。

実際に、ブルックナーの「第9」は、ヴァントの芸風に見事に符号する交響曲と言えるのではないか。

最後の来日時(2000年)に、シューベルトの「未完成」とともに同曲の素晴らしい名演を聴かせてくれたことは、あれから12年経った現在においても鮮明に記憶している。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は至高の超名演だ。

同時期にミュンヘン・フィルと行った演奏(1998年)もあり、ほぼ同格の名演とも言えるが、同曲の峻厳とも言える性格から、オーケストラの音色としてはベルリン・フィルの方が同曲により適していると考えられるところであり、筆者としては、本盤の方をより上位に置きたいと考える。

なお、前述の来日時の2000年盤との比較については、なかなか難しい面があるが、オーケストラの安定性(ホームグラウンドで演奏しているかどうかの違いであり、北ドイツ放送交響楽団との技量差はさほどではないと考える)において、本盤の方がわずかに上回っていると言えるのではないか。

なお、本名演に匹敵すると考えられる同曲の他の名演としては、シューリヒト&ウィーン・フィル盤(1961年)、朝比奈&大阪フィル盤(1995年)が掲げられるが、前者は特に終楽章のスケールがやや小さいこともありそもそも対象外。

後者については、演奏内容はほぼ同格であるが、オーケストラの力量においては、大阪フィルはさすがにベルリン・フィルと比較すると一歩譲っていると言えるだろう。

今後、本名演を脅かすとすれば、未だDVDも含め製品化されていない、朝比奈&シカゴ交響楽団による演奏(1996年)がCD化された場合であると考えるが、権利関係もあって容易には事が運ばないと考えられるところであり、おそらくは、本名演の天下は、半永久的に揺るぎがないものと考える。

本名演でのヴァントのアプローチは、いつものように眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングによって、実に緻密に音楽を組み立てていく。

造型の堅固さにも際立ったものがある。

金管楽器なども最強奏させているが、無機的な音はいささかも出しておらず、常に深みのある壮麗な音色が鳴っている。

スケールも雄渾の極みであり、前述の堅固な造型美や金管楽器の深みのある音色と相俟って、神々しささえ感じさせるような崇高な名演に仕上がっている。

特に、終楽章のこの世のものとは思えないような美しさは、ヴァントとしても、80代の半ばになって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

いずれにしても、前述のように、本名演が古今東西の様々な名演に冠絶する至高の超名演であるということに鑑みれば、ヴァントは、本超名演を持って、ブルックナーの「第9」の演奏史上において、未踏の境地を切り開いたとさえ言えるだろう。

録音もマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、この崇高とも言うべき至高の超名演の価値を高めるのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

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classicalmusic at 23:01コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

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ブルックナーの11ある交響曲の中でも「第4」は、ブルックナーの交響曲の演奏が現在のようにごく普通に行われるようになる以前の時代から一貫して、最も人気があるポピュラリティを獲得した作品と言える。

ブルックナーの交響曲全集を録音しなかった指揮者でも、この「第4」の録音だけを遺している例が多いのは特筆すべき事実であると言えるのではないか(ジュリーニなどを除く)。

そして、そのようなブルックナー指揮者とは必ずしも言い難い指揮者による名演が数多く遺されているのも、この「第4」の特殊性と考えられる。

例えば、ベーム&ウィーン・フィル盤(1973年)、ムーティ&ベルリン・フィル盤(1985年)などはその最たる例と言えるところである。

近年では、初稿による名演も、インバルを皮切りとして、ケント・ナガノ、シモーネ・ヤングなどによって成し遂げられており、「第4」の演奏様式も今後大きく変化していく可能性があるのかもしれない。

ただ、この「第4」は、いわゆるブルックナー指揮者と評される指揮者にとっては、なかなかに難物であるようで、ヨッフムなどは、2度にわたる全集を成し遂げているにもかかわらず、いずれの「第4」の演奏も、他の交響曲と比較すると必ずしも出来がいいとは言い難い。

それは、朝比奈やヴァントにも当てはまるところであり、少なくとも1980年代までは、両雄ともに、「第4」には悪戦苦闘を繰り返していたと言えるだろう。

しかしながら、この両雄も1990年代に入ってから、漸く素晴らしい名演を成し遂げるようになった。朝比奈の場合は、大阪フィルとの1993年盤(ポニーキャニオン)と2000年盤(エクストン)盤が超名演であり、これにN響との2000年盤(フォンテック)、新日本フィルとの1992年盤(フォンテック)が続くという構図である。

これに対して、ヴァントの場合は、本盤に収められたベルリン・フィル盤(1998年)、ミュンヘン・フィル盤(2001年)、北ドイツ放送響とのラストレコーディング(2001年)の3点が同格の超名演と高く評価したい。

本演奏におけるヴァントは、必ずしもインテンポに固執していない。

第3楽章などにおけるテンポの変化など、これまでのヴァントには見られなかった表現であるが、それでいてブルックナーの本質を逸脱しないのは、ヴァントが最晩年になって漸く成し得た圧巻の至芸と言えるだろう。

また、眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングを行っており、全体の造型はきわめて堅固ではあるが、細部に至るまで表現が緻密でニュアンスが豊かであり、どこをとっても深みのある音色に満たされているのが素晴らしい。

金管楽器なども完璧に鳴りきっており、どんなに最強奏してもいささかも無機的には陥っていない。

これは、ベルリン・フィルの卓越した技量によるところも大きいが、ヴァントによる圧倒的な統率力にも起因していると考えられる。

第2楽章は、聖フローリアンを吹く一陣のそよ風のようにソフトに開始されるが、その筆舌には尽くし難い繊細さは崇高な高みに達している。

その後は、ブルックナーならではの情感豊かな音楽が続いていくが、ヴァントはいささかも感傷的には決して陥らず、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、ヴァントが80代半ばにして漸く成し遂げることが出来た「第4」の至高の超名演であり、これぞまさしく大器晩成の最たるものと評価したい。

録音も、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であり、これは、通常CDである前述のミュンヘン・フィル盤やラストレコーディング盤に対して、大きなアドバンテージとなっていることも忘れてはならない。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

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ヴァントがその最晩年にベルリン・フィルと成し遂げたブルックナーの交響曲の演奏の数々は、いずれも至高の超名演であるが、本盤に収められた「第5」は、一連の演奏の中でのトップバッターとなったものである。

ヴァントの伝記などを紐解くと、ヴァントは、ブルックナーの交響曲の中でも特に「第5」と「第9」を、妥協を許すことなく作曲した楽曲として特に高く評価していたことが記されている。

それだけに、ヴァントとしても相当に自信を有していたと考えられるところであり、ベルリン・フィルを指揮した演奏の中でも「第5」と「第9」は、他の指揮者による名演をはるかに引き離す名演を成し遂げていると言えるのではないだろうか。

辛うじて比較し得る「第5」の他の名演としては、ヨッフム&コンセルトへボウ・アムステルダム盤(1964年)、朝比奈&東京交響楽団盤(1995年)が掲げられるが、前者はいささかロマンティシズムに傾斜する傾向、後者はオーケストラの力量に難点があり、ヴァント&ベルリン・フィル盤には遠く及ばないと考える。

唯一対抗し得るのは、同じヴァントによるミュンヘン・フィル盤(1995年)であると考えるが、剛毅な性格を有する「第5」には、ベルリン・フィルの音色の方がより適しているのではないかと考える。

現在、DVDでしか発売されていない朝比奈&シカゴ交響楽団による演奏(1996年)が今後CD化されるとすれば、本盤を脅かす存在になる可能性はあるが、そのようなことがない限りは、本名演の優位性は半永久的に安泰と言っても過言ではあるまい。

本演奏におけるヴァントのアプローチは、眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングに基づく峻厳たるものだ。

やや速めのインテンポによる演奏は、巧言令色とは正反対の質実剛健そのものと言える。

全体の造型はきわめて堅固であり、それによる凝縮化された造型美はあたかも頑健な建造物を思わせるほどであるが、それでいて雄渾なスケール感を失っていないのは、ヴァントが1990年代半ば、80歳を超えて漸く達成し得た圧巻の至芸と高く評価したい。

金管楽器なども常に最強奏しているが、いささかも無機的な響きになることなく、常に奥深い崇高な音色を出しているというのは、ベルリン・フィルのブラスセクションの卓越した技量もさることながら、ヴァントの圧倒的な統率力の賜物と言うべきであろう。

また、峻厳な装いのブルックナーの「第5」においても、第2楽章などを筆頭として、聖フローリアンの自然を彷彿とさせるような抒情的な音楽が随所に散見されるが、ヴァントは、このような箇所に差し掛かっても、いささかも感傷的には陥らず、常に高踏的とも言うべき気高い崇高さを失っていない点が素晴らしい。

このように、非の打ちどころのない名演であるのだが、その中でも白眉は終楽章である。

ヴァントは、同楽章の壮大で輻輳したフーガを巧みに整理してわかりやすく紐解きつつ、音楽がごく自然に滔々と進行するように仕向けるという、ほとんど神業的な至芸を披露しており、終楽章は、ヴァントの本超名演によってはじめてその真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。

録音も、マルチチャンネルは付いていないものの、SACDによる極上の高音質であり、この史上最高の超名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している。

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2014年05月19日


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スーク・トリオの「大公」には、ピアノがハーラに代わってからの新録音があるが、これはパネンカ時代の最初の録音である。

ハーラが加わってからのアンサンブルは三者一体となった緊密さの魅力が増したが、ここにはそれと異なった三者三様の持ち味が発揮され、コントラストの妙味ともいうべき魅力がある。

ここでも、歯切れのよいピアノのリードによって、熱気のこもった華麗な演奏を行っている。

特に第1楽章の堂々たる表現や、第2楽章のロマンティックな気分の出し方など、見事の一言に尽きる。

いずれ劣らぬ名演といえ、新盤が登場した今も、この演奏がもつ価値はいささかも失われていない。

細部を精緻に描きながら全体は大きなうねりと熱気にあふれており、熟成された純室内楽的な名演として永遠に価値を失わない名盤であろう。

スークとパネンカの名コンビによるこの演奏は、呼吸がピッタリ合った素晴らしいアンサンブルを聴かせる。

スークのヴァイオリンは、すこぶる繊細で、甘美な音色をもっており、パネンカのピアノも実に安定していて品位が高い。

スークもパネンカも、いわゆる巨匠型の演奏家ではないが、力量と総合力の高さを持っている。

ただこのコンビはたくましさよりや情熱よりも、端正な演奏が身上で、このコンビに適しているのは、「クロイツェル」より「スプリング」ということになる。

この曲では、スークのそうした持ち味が充分に生かされた良い出来で、スークの表現が、現代的で新鮮なので、若い人たちには好まれよう。

ベートーヴェンの抒情を歌い上げて、端正・清楚な点ではトップ・クラスの演奏だし、ひと味違ったベートーヴェンに接することができる。

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classicalmusic at 22:50コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンスーク 

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本盤に収められたベルリオーズの幻想交響曲は、2010年12月にニューヨークでおこなわれた小澤の病気療養後の復帰コンサート(2日目)の記録である。

既に従来盤で発売されているブラームスの交響曲第1番(14日)も小澤渾身の大熱演であったが、その翌日(15日)の幻想交響曲も凄い演奏だ。

小澤は、若い頃からフランス系の音楽を得意としており、とりわけ幻想交響曲を十八番としていた。

これまで、トロント交響楽団(1966年)、ボストン交響楽団(1973年)及びサイトウ・キネン・オーケストラ(2007年)の3度に渡って録音を行っており、それらはいずれ劣らぬ名演であった。

したがって、今回の演奏は4度目の録音ということになる。

確かに、本演奏においては、小澤自身も病が癒えたばかりで本調子とは言えず、オーケストラもホームグラウンドではないことから万全とは必ずしもいえないところであり、演奏の安定性の観点からすれば、前述の3種の名演にはかなわないし、本演奏上の瑕疵などについて指摘することは容易である。

しかしながら、本演奏にはこれまでの名演とは比較にならないような、小澤のこの演奏にかける直向きさや気迫、そして執念が漲っており、小澤の渾身の命がけの指揮が我々聴き手の肺腑を打つのである。

これぞまさしく入魂の指揮と言えるところであり、火の玉のように燃え尽きんとする小澤に導かれたサイトウ・キネン・オーケストラも大熱演を繰り広げている。

また、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラによる壮絶な演奏を固唾をのんで見守るとともに、演奏終了後にスタンディング・オヴェイションとブラヴォーの歓呼で応えた当時の聴衆も、この大熱演の成就に大きく貢献していると言えるだろう。

まさに、本演奏は前日のブラームスの交響曲第1番と同様、指揮者、オーケストラ、そして聴衆が作り上げた魂の音楽と言えるところであり、このような高みに達した音楽に対しては、細部に渡る批評を行うこと自体がおこがましいことと言わざるを得ない。

我々聴き手は、ただただこの崇高な至高の超名演を味わうのみである。

録音も素晴らしい。

シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は間違いなく現在のパッケージメディアにおける最高峰の高音質であり、小澤による至高の超名演をこのような極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0)ベルリオーズ小澤 征爾 

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本盤は、フルトヴェングラーの遺産のSACD化シリーズ第2弾の中では、音質改善効果が極めて少ないと言える。

第1弾でのベートーヴェンの「第2」や「第8」ほどの劣悪な音質ではないが、これらのCDでは、併録の「第4」や「第6」が見違えるような高音質になっていたために高い評価をしてきた。

他方、本盤はブルックナーの「第7」のみの収録であり、残念なのは、マスターテープに起因するものとは思うが、低音があまりにも貧弱で鳴り切っていないということである。

これは、ブルックナーの交響曲の録音としては致命的な欠陥であろう。

フルトヴェングラーのブルックナーへのアプローチは、アッチェレランドを随所に施すなど思い切ったテンポの緩急を駆使するというドラマティックなものであり、現代におけるブルックナー演奏においては、時代遅れとも言うべき大時代的な演奏様式だ。

しかしながら、ライナーノーツで相場ひろ氏が解説しておられるように、本盤の録音当時には、こうしたドラマティックな演奏様式が一般的であったのであり、必ずしもフルトヴェングラーの演奏が特異なものであったとは言い難い。

ただし、このようなドラマティックな演奏は、低音がしっかりと捉えられた鮮明な音質でないと、きわめて軽妙浮薄な演奏に聴こえてしまう危険性が高い。

もっとも、高音質ではあっても、フルトヴェングラーの演奏様式の表層だけを模倣したバレンボイムの凡庸な演奏などは論外であるが、フルトヴェングラーの彫りの深い演奏を、この程度の音質で味わうには相当に無理があると言うべきである。

同時期の録音である「第8」の方は、今般のSACD化によってきわめて良好な音質に生まれ変わったことに鑑みれば、きわめて残念であるというほかはない。

いずれにしても、既発売のCDと比較すると、若干は音質の向上効果は見られるところであり、フルトヴェングラーのドラマティックな名演を、不十分ながら、これまでよりは良好な音質で味わうことができることについては一定の評価をしておきたい。

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classicalmusic at 01:08コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーフルトヴェングラー 

2014年05月18日


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モーツァルトは、交響曲やオペラ、協奏曲、器楽曲など、様々なジャンルにおいて傑作の数々を遺している。

そうした広範なジャンルの中で、弱点とも言うべきところがある。

それは、諸説はあると思うが、筆者としてはヴァイオリン協奏曲ではないかと考えているところだ。

真作とされているのは第1番〜第5番の5曲であるが、そのいずれもが10代の時の若書きであるからだ。

もちろん、第3番や第5番など、モーツァルトならではの典雅で美しい旋律に満ち溢れた名作であるとは言えるが、同じ協奏曲でも、ピアノ協奏曲やクラリネット協奏曲をはじめとする管楽器のための協奏曲などと比較すると、作品としての価値は若干劣ると言わざるを得ないのではないだろうか。

本盤に収められたヴァイオリン協奏曲の第6番及び第7番は、モーツァルトの作品と呼称されてはいるものの、現在では偽作とされている作品だ。

しかしながら、若書きである第1番〜第5番よりも熟達した作品であると言えるところであり、作品そのものの魅力という点においても、真作である第1番〜第5番を大きく凌駕する名作であると言えるだろう。

もちろん、偽作とされているだけに、古今東西の様々なヴァイオリニストによるモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集に第6番&第7番が盛り込まれることは殆ど皆無であり、そもそも第6番&第7番の録音自体が極めて少ないと言わざるを得ない状況にある。

そのような中での、名ヴァイオリニストであるカントロフによる本演奏は希少価値があるのみならず、おそらくは両曲の最高の名演と言えるのではないだろうか。

むしろ、カントロフによる本名演によって、これら両曲が第1番〜第5番を凌駕する名作であるということが認知されたと言っても過言ではないところであり、その意味では、本演奏こそは両曲の理想の名演と言っても過言ではあるまい。

モーツァルトの真作とは言い難いものの、作品の持つ典雅にして高貴な名旋律の数々を格調高く描き出しており、あたかもモーツァルトの未発見の名作を聴くような気分にさせてくれるのも、本演奏の大きな魅力である。

いずれにしても、本演奏は、両曲の魅力を十二分に味わわせてくれるカントロフならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

それにしてもこの魅力作を作曲したのは一体誰なのだろうか・・・?

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classicalmusic at 22:53コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

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稀代のピアニストであったヴァルター・ギーゼキングによる名演としては、ドビュッシーのピアノ作品集やラヴェルのピアノ作品集などが名高い。

しかしながら、ギーゼキングのレパートリーはフランス音楽にとどまらず、独墺系の作曲家であるモーツァルトのピアノ作品集などでも名演の数々を成し遂げているところだ。

そして、モーツァルトのピアノ作品集に優るとも劣らない名演との評価を勝ち得ているのが、メンデルスゾーンの無言歌集である。

ギーゼキングによる無言歌集の本演奏は、特別な個性を発揮したり、はたまた奇を衒った解釈を施したりするということは薬にしたくもなく、緻密なスコアリーディングに基づき、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなアプローチに徹したものと言える。

卓越したテクニックにも出色のものがあるものの、モノラル録音ということも多分にあるとは思うが、素っ気なささえ感じさせるところもあり、即物的な演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、独特の細やかなニュアンスや豊かな情感に満ち溢れており、決して無機的な演奏には陥っていない。

そして、ギーゼキングの演奏で素晴らしいのは、1956年の演奏であるにもかかわらず、いささかも古臭さを感じさせるということがなく、むしろ、その演奏は清新さに溢れていると言えるところであり、その気高い格調の高さにおいても卓抜としたものがあったと言えるだろう。

メンデルスゾーンの無言歌集の録音を行っているピアニストは、その後数多く誕生しているが、それらのピアニストによる数々の名演を耳にした上で、ギーゼキングによる本演奏を聴いても、録音の古さは感じても、演奏内容自体には違和感など全く感じさせず、むしろ新鮮味さえ感じさせるというのは殆ど驚異的ですらあると言えるところだ。

本全集の演奏も、前述のようなギーゼキングによる芸風が見事にあらわれた名演と言えるところであり、まさに古くて新しい、現代においてもメンデルスゾーンの無言歌集演奏の規範とも言うべき至高の名演と高く評価したい。

このように、ギーゼキングによるメンデルスゾーンの無言歌集の演奏は、演奏自体は素晴らしいが、モノラル録音というハンディもあって、その音質は、従来CD盤では鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1956年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

ギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ギーゼキングによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンギーゼキング 

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クーベリックは連作交響詩『わが祖国』を何度も録音しているが、衆目の一致するところ、ライヴ録音では、東西冷戦終結後にチェコ・フィルに復帰し、その際にライヴ収録された歴史的な演奏(1990年)、スタジオ録音では、安定感のある本盤のボストン交響楽団(1971年)との演奏がベスト2と言われている。

筆者としても、こうした評価に異論差し挟む気は毛頭ない。

クーベリックは、実演において本領を発揮する指揮者と言われているが、スタジオ録音であっても、スメタナやドヴォルザークなどのお国ものを指揮した時は、ライヴ録音と見間違うような熱い演奏を成し遂げることが多い。

本盤を、安定感ある演奏と評したが、それは安全運転という意味では決してない。

それどころか、クーベリックのチェコへの深い愛着と望郷の念をうかがわせる実に熱い演奏と言うことができる。

「ヴィシェフラト」の終結部で冒頭主題が回帰する箇所の、いわゆる「兵どもが夢のあと」といった風情をこれ以上情緒豊かに歌い上げた例がほかにあったであろうか。

「シャールカ」や「ボヘミアの森の草原より」の決然とした開始は我々の度肝を抜くのに十分な迫力であるし、特に、「シャールカ」の変幻自在のテンポ設定の実に巧みなこと。

「ターボル」の怒りの進軍の重量感は、他の指揮者が束になってもかなわないド迫力。

「ブラニーク」の圧倒的な高揚にはもはや筆舌には尽くし難い深い感動を覚える。

まさに、『わが祖国』の演奏のトップの座を争う至高の超名演と評価したい。

音質については、リマスタリングされただけあって従来CD盤でも、かなり満足できる音質であったが、連作交響詩『わが祖国』の中でもトップの座を争う超名演でもあり、SHM−CD化など、更なる高音質化を望んでいたところであった。

そのような中で、今般、ユニバーサルがシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図ったと言うのは、本演奏が至高の超名演であることに鑑みても、歴史的な快挙と言えるだろう。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

クーベリックによる歴史的な超名演、そしてスメタナの連作交響詩『わが祖国』の演奏史上トップの座を争う至高の超名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年05月17日


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ベームは独墺系の作曲家を中心とした様々な楽曲をレパートリーとしていたが、その中でも中核を成していたのがモーツァルトの楽曲であるということは論を待たないところだ。

ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも1959年から1960年代後半にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集は、他に同格の演奏内容の全集が存在しないことに鑑みても、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると考えられる。

現在においてもモーツァルトの交響曲全集の最高峰であり、おそらくは今後とも当該全集を凌駕する全集は出て来ないのではないかとさえ考えられるところだ。

本盤に収められた交響曲第40番及び第41番は当該全集から抜粋されたものであるが、それぞれの楽曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

第40番であれば、ワルター&ウィーン・フィルによる名演(1952年)、第41番であれば、ワルター&コロンビア響による名演(1960年)などが対抗馬として掲げられるが、ワルターの優美にして典雅な演奏に対して、ベームの演奏は剛毅にして重厚。

両曲ともに、厳しい造型の下、重厚でシンフォニックなアプローチを施しているが、それでいて、全盛時代のベームの特徴であった躍動感溢れるリズム感が、演奏が四角四面に陥るのを避けることに繋がり、モーツァルトの演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足もしていないのが素晴らしい。

いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるだろう。

ベームは、両曲を1976年にもウィーン・フィルとともに再録音しており、演奏全体としては枯淡の境地さえ感じさせるような深沈とした趣きの名演ではあるが、ベームの特徴であったリズム感が硬直化し、音楽の自然な流れが若干阻害されているのが難点であると言えなくもない。

また、この当時のベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代に顕著であったドイツ風の重厚な音色の残滓があり(カラヤン時代も重厚ではあったが、質がいささか異なる)、ベームのドイツ正統派とも言うべき重厚にして剛毅なアプローチに華を添える結果となっていることも忘れてはならない。

モーツァルトの交響曲の演奏様式は、最近ではピリオド楽器の使用や古楽器奏法などによる小編成のオーケストラによる演奏が主流になりつつあるが、本盤のような大編成のオーケストラによる重厚な演奏を耳にすると、あたかも故郷に帰省した時のような安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

本演奏は、このように歴史的な超名演であるだけに、SHM−CD化やルビジウム・カッティングなどの高音質化への不断の取組がなされてきたが、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、そもそも次元が異なる圧倒的な超高音質に生まれ変わった。

いずれにしても、ベームによる歴史的な超名演をこのような極上の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:01コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトベーム 

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本盤に収められたブラームスの交響曲第1番は、全盛期のベームならではの名演である。

それどころか、ベームによる数ある名演の中でも、そして同曲の様々な指揮者による名演の中でもトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

同曲の過去の超名演としては、ミュンシュ&パリ管弦楽団盤(1968年)やカラヤン&ベルリン・フィル盤(1988年、ロンドン・ライヴ)などがあるが、このうちミュンシュ盤は、ドラマティックであるがブラームスというよりはミュンシュの至芸を味わうべき演奏とも言えるところである。

他方、カラヤン盤はいわゆるカラヤンサウンド満載の重厚な名演であるが、音質がいささかクリアとは言い難い面がある。

したがって、ベームによる本演奏の優位性はいささかも揺らぎがない。

ベームは1970年代に入ってから、ウィーン・フィルとともに同曲のスタジオ録音(1975年)やライヴ録音(1975年来日時)を行っており、一般的には名演との評価も可能ではあるが、とても本演奏のようなレベルには達していない。

本演奏は、第1楽章の序奏部において悠揚迫らぬテンポで堂々と開始される。

その後、主部に入ると阿修羅の如き速めのインテンポで曲想が進行していく。

ベームは、各楽器を力の限り最強奏させているが、その引き締まった隙間風の吹かない分厚い響きには強靭さが漲っており、それでいて無機的にはいささかも陥っていない。

第2楽章や第3楽章も、比較的速めのテンポで進行させているが、ここでも重厚な響きは健在であり、各旋律の端々から漂ってくる幾分憂いに満ちた奥深い情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

第2楽章におけるミシェル・シュヴァルベのヴァイオリンソロのこの世のものとは思えないような美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。

そして、終楽章の重戦車が進軍するが如き堂々たるインテンポによる重量感溢れる演奏には、あたりを振り払うような威容があり、終結部の畳み掛けていくような気迫と力強さは圧倒的な迫力を誇っている。

また、この当時のベルリン・フィルには、フルトヴェングラー時代に顕著であったドイツ風の重厚な音色の残滓があり(カラヤン時代も重厚ではあったが、質がいささか異なる)、ベームのドイツ正統派とも言うべき重厚にして剛毅なアプローチに華を添える結果となっていることも忘れてはならない。

それにしても、音質は素晴らしい。

従来盤でも比較的満足できる音質ではあったのだが、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤はそもそも次元が異なる圧倒的な超高音質である。

ベームによる歴史的な超名演をこのような極上の高音質SACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 21:09コメント(0)トラックバック(0)ブラームスベーム 

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素晴らしい出来映えだ。

あまりに官能的で陶酔的な美をきわめた1997年ライヴの「第9」が大反響を呼んだシノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデンによるマーラーであったが、これからさらに2年後の「第4」ライヴという興味深い録音である。

ブーレーズの透徹されて隙のない音、スコアと対峙するような解釈の「第4」も素晴らしいのだが、シノーポリのこの優しく包み込まれるような解釈はどうだろう。

出だしは例によって歩が遅いし、強烈なアゴーギクが掛けられた間奏部、また再現部では急に歩を速めたりと例によって昔から変わっていないスタイルなのだが、シュターツカペレ・ドレスデンがこのシノーポリズムを完全に飲み込んだ上で紡ぎ出す珠玉の旋律からはマーラーの楽しみ方に別の一つの道筋を付けていると今更ながら気が付かされた思いだ。

「第9」同様、シノーポリの様々な仕掛けがシュターツカペレ・ドレスデンの様式美によってうまく補完され、血肉化されている。

「第9」に関しては、そのためちょっとマイルドになり過ぎたと感じたものだが、「第4」なら何の不満もない。

ここでもやはり「第9」のときと同じく、フィルハーモニア管盤(1991年)と比較して両端楽章でそれぞれ2分ほど演奏時間が長くなっているのが目立った特徴。

なかでも終楽章は実際の時間以上に、出だしから極端に遅く感じられる。

最も目立つ特徴は終楽章、特に後半の「天上の音楽」の描写になってから、非常に遅いテンポがとられていることだろう。

これは指揮者自身が聴衆を前にした解説(時間の関係で音声は途中までだが、ライナーノートには全文収録しており、内容はやや散漫ながら、シノーポリの知性と教養が良く分かる)で述べている「子供の感じた非現実の天国」を表現したのだと言える。

ここでソリストに起用されたのはマーラー歌いとしてすでにキャリアも豊富なバンゼ。

ブーレーズ盤とはガラリと変わって、停止するかのように息の長いフレージングをシノーポリの意図を汲んで完璧に歌い尽くしている。

そうかと思えばシノーポリは第1楽章の主題が回帰するところでは一転、急加速。

交替してソプラノの甘美なメロディが登場するとまたもやグッとテンポを落としてくる。

このあたり、極端なテンポ・ルバートを基調としたシノーポリ美学の真髄といえるだろう。

死を目前にしたシノーポリが、必ずしも天上の世界は幸せばかりではないと、心に訴えかけてくるかのようだ。

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2014年05月16日


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マタチッチ&チェコ・フィルによるブルックナーの交響曲第7番(1967年)は、第3楽章や第4楽章に若干の問題はあるものの、演奏全体としては圧倒的な名演であった。

第7番がマタチッチの本領が発揮された名演であるのに対して、この第5番は、マタチッチにしてははっきり言ってイマイチの出来と言わざるを得ない。

第2楽章の終結部や終楽章の厚手のオーケストレーション、大幅なカットなど、シャルクによる悪名高い改訂版を使用しているというハンディもあるが、それ以上に、マタチッチの同曲へのアプローチが、ブルックナー演奏にしてはいささか芝居がかっていると言えるのではないか。

第1楽章や第3楽章の極端な快速テンポなど、どうしてそんなに性急なのかと考えてしまう。

特に、1990年代に入ってからは、朝比奈やヴァントによる至高の名演が登場したこともあり、そうした名演に慣れた耳からすると、本盤の解釈はいかにもわざとらしい印象を受けることになる。

第2楽章の中間部など、マタチッチならではの重厚にして美しい箇所も散見されるが、全体を俯瞰すればほとんど焼け石に水。

改訂版の使用も相俟って、あまりいい点数を与えることができない演奏と言うことができる。

同演奏については、数年前にXRCD盤が発売され、素晴らしい音質を誇っていたが、値段がいかにも高い。

Blu-spec-CD盤は、XRCD盤に迫る高音質を誇っており、費用対効果を考えると十分に推薦に値する。

そして、今般、究極の高音質CDでもあるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。

当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、これまでの既発のリマスタリングCDやBlu-spec-CD盤、XRCD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりであり、これだけの高音質になると、4000円台前半という価格も決して高いとは思えないとも言えるところだ。

そして、かかる高音質化によって、マタチッチのいささか荒っぽさを感じさせた演奏にも若干の潤いが感じられるようになったところである。

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classicalmusic at 23:00コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーマタチッチ 

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ワルターは最晩年にコロンビア交響楽団を指揮して、自らのレパートリーの数々のステレオ録音を行ったが、その中にはブラームスの交響曲全集も含まれている。

当該全集の中でもダントツの名演は、本盤に収められた第4番ということになるのではないだろうか。

それどころか、ワルターが我々に残してくれた数々の名演の中にあって、これは5本の指に入る素晴らしい演奏だ。

ワルターによるブラームスの交響曲の名演としては、ニューヨーク・フィルを指揮した第2番の豪演(1953年)がいの一番に念頭に浮かぶが、今般の全集中の第2番にはとてもそのような魅力は備わっておらず、本演奏の優位性は揺るぎがないと言える。

第4番はブラームスの晩年の作品であることもあって、孤独な独身男の人生への諦観や枯淡の境地をも感じさせる交響曲である。

本演奏におけるワルターのアプローチは、何か特別な解釈を施したりするものではなく、むしろ至極オーソドックスなものと言えるだろう。

しかしながら、一聴すると何の仕掛けも施されていない演奏の端々から滲み出してくる憂愁に満ち溢れた情感や寂寥感は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

晩秋に落葉が一葉一葉ひらひらと舞い落ちて来る様な冒頭からして、これほど切なさが胸に募る演奏は今日まで他で聴いた事がない。

これは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、その波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きがあり、かかる演奏は、巨匠ワルターが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にあるとも言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、ブラームスの「第4」の深遠な世界を心身ともに完璧に音化し得た至高の超名演と高く評価したい。

小編成で重厚さに難があるコロンビア交響楽団ではあるが、ここではワルターの統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した最高の演奏を披露しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)ブラームスワルター 

2014年05月15日


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ショスタコーヴィチの15曲ある交響曲のうち、どの曲を最高傑作とするかについては、様々な意見があることと思うが、第8番を中期を代表する傑作と評することについては異論はないものと考える。

第8番は、ショスタコーヴィチの盟友であるムラヴィンスキーに献呈され、なおかつ初演を行った楽曲でもあり、ムラヴィンスキーの遺した演奏(特に、1982年盤(フィリップス))こそがダントツの名演である。

その他にも、ゲルギエフやショルティなどの名演もあるが、筆者としては、ムラヴィンスキーの別格の演奏には、とても太刀打ちできないのではないかと考えている。

本盤のザンデルリンクの演奏も、師匠ムラヴィンスキーの名演と比較すると、随分と焦点の甘い箇所が散見されるが、それでも、十分に名演の名に値すると考える。

テンポは、ムラヴィンスキーの演奏と比較するとかなりゆったりとしたもので、その緩急のつけ方、弦の表情にも説得力がある。

あたかも、楽想をいとおしむかのようなアプローチであるが、それでも、柔和な印象をいささかも与えることはなく、全体として、厳しい造型を損なっていないのは、いかにも、東独出身の指揮者ならではの真骨頂と言えるだろう。

実に骨太でありながらも武骨ではなく、シャープな切れ味も持ち合わせている。

ロシア的な暗鬱さではなく、現代的に研ぎ澄まされた重圧感が、ショスタコーヴィチの精神の強靭さを見事に表現している。

第4楽章はこの盤の白眉で、底なしの暗さが良く、第5楽章も丁寧に描ききっており、手抜きがない。

力強い優秀な録音も手伝って、この曲の魅力に充分に浸ることができる演奏である。

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classicalmusic at 22:32コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチザンデルリンク 

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ベルリン交響楽団とのベスト・コンビネーションが評判のシベリウス・シリーズからの1枚。

両曲ともに文句のつけようのない名演だ。

ザンデルリンクは、シベリウスの交響曲全集を完成させた唯一の独墺系の指揮者であるが、いずれの交響曲も、造型美を重視したドイツ風の重厚なものであり、イギリスや北欧の指揮者の手による演奏とは性格が大きく異なるが、シベリウスの交響曲の知られざる魅力を知らしめた異色の名演として高く評価したい。

本盤の両曲も、そうしたザンデルリンクならではの重厚なアプローチを見せてくれているが、特に、ゆったりとしたテンポで、シベリウスがスコアに記した数々の美しい旋律を精緻に演奏している点が素晴らしい。

弦楽器のトレモロや、金管・木管の響かせ方にもユニークなものがあり、初めて耳にするような場面が散見されるなど、演奏に新鮮なみずみずしささえも感じさせるのには大変驚かされた。

こうした点に、ザンデルリンクのシベリウスに対する深い理解と愛着を感じさせられる。

録音は、1974年であり、今回のハイパー・リマスタリングによって、見違えるような高音質に蘇った。

重量感にはいささか欠ける面はあるが、鮮明さが飛躍的に増しており、シベリウスの交響曲には理想的な音質になったと言える。

また、ベルリン、イエス・キリスト教会の豊かな残響をとり入れた録音でもある。

かつて本演奏にはSACD盤が発売されていたが、本盤は、SACD盤に優るとも劣らない音質であると言えるだろう。

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ザンデルリンクは、ショスタコーヴィチのすべての交響曲を録音したわけではないが、録音した交響曲はいずれも素晴らしい名演だ。

本盤の2曲も、ザンデルリンクならではの名演と高く評価したい。

ザンデルリンクは東独出身の指揮者であり、特に独墺系のブラームスなどに数々の名演を遺したが、ムラヴィンスキーの指導の下、レニングラード・フィルにおいて、相当数の演奏を行ったことを忘れてはなるまい。

したがって、ムラヴィンスキーが得意としたショスタコーヴィチやチャイコフスキーにおいても、名演の数々を遺したのは必然の結果と言えるだろう。

前述のように、本盤に収められた第1番、第6番ともに名演であるが、特に、筆者は第6番に感銘を受けた。

同曲の初演者であるムラヴィンスキーの演奏もいくつか遺されており、いずれも名演ではあるが、特に、第1楽章において、スコアリーディングは完璧ではあるものの、いささか物足りない感があるのは否めないところ。

ザンデルリンクは、この第1楽章が感動的だ。

ロシア的な美しい抒情が満載の楽章であり、ザンデルリンクはゆったりとしたテンポで進行させていくが、例えばバーンスタインのように演出過多な大仰さもなく、高踏的な美しさを保っているのが見事だ。

第2楽章や第3楽章になると、師匠ムラヴィンスキーにはさすがにかなわないが、それを除けば、間違いなくトップクラスの演奏であることは否定できない。

東ドイツが気合いを入れて録音したショスタコーヴィチは、アナログ成熟期の優秀録音だ。

ザンデルリンクの広がりある深い演奏が重くずっしり響いてくる。

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2014年05月14日


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演奏は、世紀の大指揮者であるカラヤンと世紀のプロデューサーであるカルショウが初めてコンビを組んで英デッカに録音した超名演であり、R・シュトラウスについては他の追随を許さない名演の数々を遺してきたカラヤンとしても、本盤は、最上位に位置づけられるものと高く評価したい。

壮年期のカラヤンの生命力に満ち溢れた圧倒的な指揮ぶりと、古き良き時代の音色をいまだ残していた当時のウィーン・フィルとの組み合わせが、至高・至純の名演を成し遂げた。

これだけの名演だけに、SHM−CD盤やSACDハイブリッド盤など、これまで様々な高音質化への取組がなされてきたが、ついに、決定盤とも言うべき究極の高音質盤が発売された。

本盤は、もはやこの世のものとは思えないような極上の超高音質である。

ヒスノイズや、高域のピーク感が上手に処理されており、1959、60年録音とは思えないナチュラルでフラットなサウンドに生まれ変わっている。

「ツァラトゥストラかく語りき」では、冒頭のオルガンの音色からして、大地の奥底から響いてくるような重厚な迫力に満ち溢れているし、それらを土台とした金管楽器によるブリリアントな美しい響き、ヴァイオリン・ソロの美しさもとろけるような艶やかさ。

気宇浩然たるこの曲の特質をあますところなく表出した本盤はいま聴いても新鮮である。

「ツァラトゥストラ」は、壮年期の演奏だけに、全体の構築力の点では1970年代、1980年代のベルリン・フィルとの録音に一歩譲るが(場面転換が必ずしもスムーズにいっておらず、違和感が残る点など)、それでも「後の世の人びとについて」やボスコフスキーのソロで聴かせる弦の美しさなど、ふわっと風が巻き上がるようなR.シュトラウス独自の世界を表しているのはカラヤンならでは。

強奏の部分でちょっと背伸びしてて聴きずらい部分もあるのは否めないが、「動」よりも「静」をじっくり聴いておきたい演奏。

曲想とウィーン・フィルの音色とが合っているのは、むしろ後の2者。

「ティル」ではオケまでが聴く者に“いたずら”を仕掛けてくるように腕白だし、そして「ドン・ファン」に至ってはあれよあれよという間にのめりこんで20分過ぎてしまう。

「ティル」や「ドン・ファン」における管も弦もバリバリで、とにかく若く、ウィンナ・ホルンの魅力も素晴らしさの限りだ。

発売された高音質盤とは一線を画しており、デッカ・オリジナルLPで聴く音を彷彿させるようなまさに、演奏、録音のすべてにおいて最高水準の超名演盤と言えるだろう。

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《ショパン》1954年10月25日ケルン放送第1ホール/《ベートーヴェン》1959年4月6日ケルン放送第1ホールに於けるライヴ(モノラル)録音。

アラウのレパートリーは幅広いものであったが、中でも特に評価の高かったのが独墺ものとリスト、ショパンなどであった。

当盤はアラウ得意のショパンとベートーヴェンのコンチェルトを収めたもので、前者はオットー・クレンペラー、後者はクリストフ・フォン・ドホナーニが指揮を受け持っている。

このCDに収録された演奏は、どちらもWDR(ケルン放送)に保存されていた放送局正規音源によるオリジナルのテープの復刻で、アラウのケルン放送交響楽団とのライヴ録音盤。

ショパンの方はクレンペラーが指揮したという、とても貴重なもので、これまでにも出所のわからない復刻盤が出ていたが、こちらは確かな音源を新しくマスタリングしたものであり、その点でも満足できるもの。

この演奏について、批評家ジェド・ディストラーは「感情的な新鮮さと自由なフォルムはまさに理想的であり、彼の比較的慎重なスタジオ録音とは鋭い対比を見せる、活気のあるパフォーマンスである」と述べている。

クレンペラーとのショパン第1番は以前から有名なもので、作品の通常のイメージからすると重厚で力強すぎる感のあるクレンペラーのオーケストラと、ロマンティシズムをたたえながらもやはりパワフルなアラウのピアノが渡り合うという実に堂々たるコンチェルト演奏である。

クレンペラーとアラウの関係は、戦前、1930年代にベルリンでおこなったシューマンのピアノ協奏曲での共演にまでさかのぼる。

そのときは若手のアラウに対してクレンペラーが徹底的に自分の解釈を押し付けたため、アラウは不快な思いをしたと述懐しているが、それから20年を経てのここでの彼らの関係は、それに比べれば非常に良好とは言えるものの、ショパンのことをあまりわかっていないクレンペラーに対して、アラウが困る場面もしばしばだったとか。

とはいえ、演奏はユニークながら素晴らしいものに仕上がっており、この成功が3年後のロンドンでのベートーヴェン・チクルスに結びついたのかも知れない。

アラウとドホナーニは1963年のシューマン&グリーグのフィリップス録音で相性の良いところを見せてただけに、4年前の収録となるこのベートーヴェン第4番でも良いコンビネーションを披露した演奏である。

ベートーヴェンの協奏曲も1955年のスタジオ録音を凌駕するものと言えそうだ。

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ワルターが残したブラームスはいずれも絶品で、永遠のスタンダードとしての地位は今後も揺るがないだろう。

新古典主義の作曲家ブラームスの音楽の、構築的にしっかりとした重厚さよりも、ロマンティックな情感に重点をおいた演奏で、ワルターならではの柔和なブラームスとなっている。

ブラームスが作曲に長い時間をかけたこの第1交響曲でも、ワルターの確かな構成力と、慈愛に満ちた表現が聴ける。

ワルターと言えば、モーツァルトの優美な名演の印象が強いだけに、誠実で温かみのあるヒューマンな演奏だとか、温厚篤実な演奏を行っていたとの評価も一部にはあるが、本盤のブラームスの「第1」や、併録の2つの管弦楽曲の熱い演奏は、そのような評価も吹き飛んでしまうような圧倒的な力強さを湛えている。

ブラームスの「第1」は、1959年の録音であるが、とても死の3年前とは思えないような、切れば血が吹き出てくるような生命力に満ち溢れた熱演だ。

もちろん、たっぷりと旋律を歌わせた第2楽章や、明朗な田園的気分をやさしく表出した第3楽章の豊かな抒情も、いかにも晩年のワルターならではの温かみを感じさせるが、老いの影などいささかも感じられない。

まさに、ワルター渾身の力感漲る名演と高く評価したい。

併録の2つの管弦楽曲も名演。

特に、大学祝典序曲など、下手な指揮者にかかるといかにも安っぽいばか騒ぎに終始してしまいかねないが、ワルターは、テンポを微妙に変化させて、実にコクのある名演を成し遂げている。

ハイドンの主題による変奏曲は、めまぐるしく変遷する各変奏曲の描き分けが実に巧みであり、これまた老巨匠の円熟の至芸を味わうことができる名演と言える。

コロンビア交響楽団は、例えば、ブラームスの「第1」の終楽章のフルートのヴィブラートなど、いささか品を欠く演奏も散見されるものの、ワルターの統率の下、編成の小ささを感じさせない重量感溢れる好演を示している点を評価したい。

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