2014年05月

2014年05月13日


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ワルターによるブラームスの「第2」と言えば、ニューヨーク・フィルとの1953年盤(モノラル)が超名演として知られている。

特に、終楽章の阿修羅の如き猛烈なアッチェレランドなど、圧倒的な迫力のある爆演と言ってもいい演奏であったが、本盤の演奏は、1953年盤に比べると、随分と角が取れた演奏に仕上がっている。

しかしながら、楽曲がブラームスの「田園」とも称される「第2」だけに、ワルターの歌心に満ち溢れたヒューマンな抒情を旨とする晩年の芸風にぴたりと符合している。

第1楽章から第3楽章にかけての、情感溢れる感動的な歌い方は、ワルターと言えども最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないかと思われる。

終楽章は、1953年盤に比べると、幾分角のとれた柔和な表現にはなっているものの、それまでの楽章とは一転して、力感溢れる重量級の演奏を行っている。

コロンビア交響楽団は、金管楽器などにやや力不足の点も散見されるが、ワルターの統率の下、なかなかの好演を行っている。

ブラームスの「第3」は、巷間第1楽章や第4楽章の力強さから、ブラームスの「英雄」と称されることもあるが、筆者としては、むしろ、第2楽章や第3楽章の詩情溢れる抒情豊かな美しい旋律のイメージがあまりにも強く、ここをいかに巧く演奏できるかによって、演奏の成否が決定づけられると言っても過言ではないと考えている。

その点において、ワルターほどの理想的な指揮者は他にいるであろうか。

ワルターは、ヨーロッパ時代、亡命後のニューヨーク・フィルを指揮していた時代、そして最晩年のコロンビア交響楽団を指揮していた時代などと、年代毎に芸風を大きく変化させていった指揮者であるが、この最晩年の芸風は、歌心溢れるヒューマンな抒情豊かな演奏を旨としており、そうした最晩年の芸風が「第3」の曲想(特に第2楽章と第3楽章)にぴたりと符合。

どこをとっても過不足のない情感溢れる音楽が紡ぎだされている。

もちろん、両端楽章の力強さにもいささかの不足もなく、総体として「第3」のあまたの名演でも上位にランキングされる名演と高く評価したい。

初期ステレオのため、多少高音がずり上がったような感じがしなくもないが、ワルターの音楽の前ではそれは大きな問題ではない。

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ミトロプーロスは、大変な実力者で今でも熱烈的なファンのいる孤高の名指揮者であった。

その芸術は、「明確な鋭さと慎重な速さを持ち、端正でヒューマンな演奏」であった。

「悲愴」は鋭角的で過激な演奏で、厳しく禁欲的でロマンティックさを排除した演奏だ。

尖っているというか、ハードボイルドというか情緒を排した非情なほど辛口の演奏なのだが、その気品の高さと渋い美しさは無類のもの。

テンポは速めで、特に第1楽章の第1主題のアレグロ・ノン・トロッポは、相当な速さで、後の展開部のアレグロ・ヴィヴォとほとんど同じ。

第2主題が再現するアンダンテでも減速せずにそのまま通りすぎていく。

第2楽章はアクセントを強調した甘さとは無縁の演奏。

第3楽章も明晰で厳しい解釈だが、チャイコフスキーとしては、無味乾燥な印象を与えかねないきわどい演奏かと思う。

第4楽章も思い入れの一切ない解釈ぶりで、いくぶん速めのテンポだ。

あまりドロドロした感じでないのが特徴だ。

ポケットスコアにないことなのだが、第4楽章クライマックスの直前部分で、フルート&オーボエの木管にトランペットらしい音が重なり演奏効果をあげている。

これは初めて聴いたが凄い効果である。

「悲愴」の音源はSPからLP、CD、DVDまで約300種類を超えるらしいが、この演奏は間違いなくベスト10というか横綱級の聴きごたえのあるCDである。

他の曲にしても、表面上は素っ気ないようだが、聴いた後は何か爽快な感じが残る。

この時期の評判は良くないのだが、この演奏で聴くニューヨーク・フィルは実に上手い。

ミトロプーロスの私情を排したストレートな指揮のもと、ニューヨーク・フィルの厳しくも迫力あるソノリティが、高揚するスラヴ・ロシアの音楽魂を再現している。

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『巨人』は1985年2月12日、『さすらう若人の歌』は1991年9月26日、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールに於けるライヴ録音。

テンシュテットがいかにライヴの人だったか、20世紀を代表するマーラー指揮者の1人だったか、そしてさらにテンシュテットの棒にロンドン・フィルが必死でついていっている様子が手に取るように分かる録音。

テンシュテット指揮によるマーラー『巨人』は、なんといってもこの指揮者の十八番であり、この演奏はテンシュテットにしては加速度が加わり、オケの高揚をテンシュテットが抑えている感じがして最も熱狂的。

大盛り上がりの金管楽器もさることながら、そこに絡み付いてくるうねるような粘着質な弦楽器。

木管もこれでもかと鋭い音を響かせる。

ライヴならではの臨場感もさることながら、生々しい音がスピーカーを通して体にまとわりついてくるような非常に濃厚で粘着質な演奏とでも言おうか。

EMIの録音が1977年10月、この間にどんな心境の変化があったか窺い知れないし、癌告知前、テンシュテットがまだまだ元気だった頃のライヴなのだが、とにかく、この粘り強くハイテンションな演奏にノックアウトされた次第。

過去に発売されたものも素晴らしかったが、この熱さ、情熱のほとばしりはテンシュテット最盛期の仕事の結果であろう。

しかし、演奏は文句無く「最高」なのだけれど、録音がよくないので最高の評価はできない。

カップリングは、『巨人』と使用動機などで密接に関連する歌曲集『さすらう若者の歌』。

バリトン独唱は、前年の1990年2月にバーンスタイン&ウィーン・フィルと共演してこの歌曲集を歌っていたトーマス・ハンプソン。

2年連続での強烈なマーラー指揮者との共演ということになった。

なお、テンシュテットはこの作品のセッション録音を残していないため、今回のリリースは、大変に有意義なものと言えるだろう。

ハンプソンは、いたるところで印象的に長いラインを引き伸ばし、多彩な色彩感を歌の間や中から紡ぎ出している。

オーケストラは、美しい集中力を発揮して、ハンプソンを伴奏している。

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2014年05月12日


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1984年4月13日 大阪フェスティバル・ホールに於けるライヴ録音。

今回リリースされる音源は、テンシュテット&ロンドン・フィルの初来日時、大阪で行われた演奏会をFM大阪のスタッフが収録したもので、いくつか残されているこの指揮者のライヴ音源の中でも、まずは屈指のハイ・クオリティと言っていい高音質が嬉しいところ。

マーラーの第5番など、冒頭のトランペット・ソロのリアルさ、ゴングやバス・ドラムのなんとも沈痛な響き、そして驚くほど生々しい弦楽セクションと、このレンジの広い作品が高域から低域まで見事なバランスで収められている。

暗く濃厚な音のインパクトはそのままに、より音が広大に広がった印象で、さらに緻密さが増した音質に仕上がっているのは、シングルレイヤーによるSACD高音質録音の威力によるものであろう。

マーラーの第5番はテンシュテット得意の演目で、「テンシュテットのマーラーのライヴ」として想像される演奏像を裏切らない、まさに熱演。

他にも1978年のスタジオ録音と、1988年のロンドンにおけるライヴ録音の2つのEMI盤が、同じロンドン・フィルとの演奏で残されているが、今回の1984年ライヴは、緩急のメリハリが3つの中でもっとも顕著に示され、情念傾注の強さと深さにおいて他盤より一歩抜きん出ているように思われる。

ライヴ録音につきもののアンサンブルの乱れなどもほとんど無く、内容の濃さは1978年のEMIのスタジオ録音盤に引けを取らないが、音楽的な流れの良さもこのライヴの方が上で、散漫になりがちなEMI盤より凝縮されている。

テンシュテット自身の言葉を借りれば、「マーラーは、私の人生」なのだが、まだ健康だった頃の1984年の当録音は、どちらかと言えば健康的な、深刻ぶらない演奏と言える。

カップリングとしてモーツァルトの「ハフナー」が入ってるが、この手の演奏の凄さを言葉で表現するのは難しく、マーラー的な分厚い音響の演奏とでも言うべきか。

ちなみにこの演奏会が行われた1984年は、テンシュテットがロンドン・フィル音楽監督に就いて1年目。

翌85年には癌を発病したことを考えれば、これはテンシュテットがまだ健康に恵まれていた時期の記録としても貴重なライヴ録音だ。

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ヨッフムがバンベルク交響楽団とともに来日した際の待望のライヴ録音の登場だ。

近年では、ベートーヴェンの交響曲の演奏様式も当時とは大きく様変わりし、小編成オーケストラのピリオド楽器による演奏や、大編成のオーケストラによるピリオド奏法による演奏などが主流を占めつつあり、いまやかつての大編成のオーケストラによる重厚な演奏を時代遅れとさえ批判するような見解も散見されるところだ。

昨年発売されたティーレマン&ウィーン・フィルによるベートーヴェンの交響曲全集は、そうした近年の軽妙浮薄とも言うべき演奏傾向へのアンチテーゼとも言うべき意地の名演であったが、それも少数派。

一部の音楽評論家や音楽の研究者は喜んでいるようであるが、少なくとも、かつての大指揮者による重厚な名演に慣れ親しんできたクラシック音楽ファンからすれば、あまり好ましい傾向とは言えないのではないかとも考えられるところだ。

パーヴォ・ヤルヴィやノリントン、ジンマンなどによって、芸術的にもハイレベルの名演は成し遂げられているとは言えるものの、筆者としては、やはりどこか物足りない気がするのである。

そうした中にあって、ヨッフム&バンベルク交響楽団による演奏を聴くと、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになるのは筆者だけではあるまい。

もちろん、ヨッフムは何か特別な解釈を施しているわけではない。

奇を衒ったようなアプローチは皆無であり、バンベルク交響楽団のドイツ風の重厚な響きを最大限に生かしつつ、曲想を丁寧に描き出していくというオーソドックスな演奏に徹していると言えるところだ。

もっとも、交響曲第7番について言えば、第3楽章中間部のロマンティシズム溢れる表現や第4楽章の決して急がないテンポによる演奏など、ヨッフムならではの独自の解釈も見られないわけではないが、演奏全体としてはまさにドイツ正統派とも言うべき重厚な演奏に仕上がっていると言えるだろう。

もちろん、交響曲第6番について言えば、ワルター&ウィーン・フィル(1936年)やワルター&コロンビア交響楽団(1958年)による演奏、ベーム&ウィーン・フィルによる演奏(1971年)、そして、交響曲第7番について言えば、フルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1943年)やフルトヴェングラー&ウィーン・フィル(1950年)による演奏、クレンペラー&(ニュー・)フィルハーモニア管弦楽団等による演奏(1960年及び1968年)、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1978年パレクサ盤)などの超名演があり、これらと比較すると強烈な個性に乏しいとも言えるが、ベートーヴェンの交響曲第6番や第7番の魅力をダイレクトに表現しているという意味においては、本盤のヨッフムによる演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

カップリングの「エグモント」序曲も、ヨッフムならではの円熟の名演だ。

音質については、FM東京の音源だけに従来CD盤でも比較的良好な音質であったが、今般のシングルレイヤーによるSACD盤を聴いて大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、ヨッフムによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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メンデルスゾーンの室内楽曲の中でも、弦楽八重奏曲とならんで人気の高いのがこのピアノ三重奏曲。

特に第1番は、チャーミングなメロディが横溢する佳品として、古くから親しまれてきたもの。

カザルスやルービンシュタイン、ハイフェッツといった巨匠たちもトリオを組んで録音を残しているが、ここで聴けるスターン/ローズ/イストミンのトリオによる演奏は、まさに知・情・意のバランスが取れた奇跡的な名演奏だ。

メンデルスゾーンの音楽は、みずみずしい美しさを湛えつつも、どこかしら哀感が漂わせるものが多い。

ピアノ三重奏曲はその最たるものであり、メンデルスゾーンの特色を体現した室内楽曲の佳作である。

本盤に収められたスターンがヴァイオリンをつとめる両演奏は、歴史的な名演と言われるものであるが、スターンが決して突出した演奏をしているわけではなく、ピアノとチェロとの間で調和のとれた演奏を心掛けている点が、名演と言われる所以だと思われる。

このようなアプローチによって、我々はメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲の魅力を満喫することが出来るのであり、その意味では、室内楽曲演奏の規範ともなるべき演奏とも言えるだろう。

この録音を特徴づけているのは、スターンの異様なテンションの高さで、なんという華のある、艶やかで色っぽい音だろう。

また、この曲のピアノ・パートの難しさはその辺のロマン派のコンチェルト以上と言ってもいいくらいであるが、イストミンのピアノは沈着冷静、盛り上げるところは盛り上げ、抑えるところは抑え、知的なプレイでトリオをまとめあげている。

チェロのローズは一歩下がって、スターンをバックアップする姿勢。

2曲とも3つの楽器の音のバランスが良いので、やや聴こえにくいチェロの音までよく聴こえる。

Blu-spec-CDの音質向上効果は目覚ましく、この歴史的名演をより鮮明な音質で聴けるようになった意義は大きい。

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2014年05月11日


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マーツァルのマーラーは、第1弾〜第3弾となった「第5」、「第3」、「第6」は大変な名演であり、その後のシリーズを大いに期待したが、それに続く演奏も決して悪い演奏ではないものの、マーツァルにしてはやや低調な出来が続いていたような気がする。

しかし、この「第1」は、マーツァルの純音楽的なアプローチが曲想に符合していることもあり、「第6」以来の中庸の美演、名演である。

およそ作為的要素のない、自然な仕上がりで、マーツァルはチェコ・フィルの色合いを引き出すストレートな、若書きらしさで魅せる解釈を示している。

マーツァルのマーラーは、バーンスタインやテンシュテットのような劇的な演奏、カラヤンのような耽美的な演奏、ショルティのような鋭角的な演奏と言うような、一言で言い表すことが可能な特徴があるわけではないが、オーケストラを無理なく鳴らし、曲想を伸びやかに歌い上げる点が素晴らしい。

確かに上記の指揮者たちのような強烈な個性があるわけではなく、物足りない部分もあるが、この曲を美しくまとめたマーツァルの手腕は高く評価されよう。

いい意味でのローカル色が残るチェコ・フィルと組んでいることもプラスに働いていると思われるし、またチェコ・フィルも実にいい風合いで、いつもながら弦楽器の質感が伝わってくるような美しさは特筆ものであろう。

この「第1」でも、最強奏から最弱音に至るまで表現の幅は実に広く、特に、最強奏における金管楽器の光彩陸離たる響きは、幻惑されるような美しさだ。

今までにさまざまな「第1」を聴いてきたが、マーツァル&チェコ・フィルの演奏にはみずみずしさがあり、またあちらこちらに美しい瞬間があり、まるでチェコやボヘミアの美しい田園地帯を想像させる。

ホールの残響も素晴らしく、SACDによる優秀な高音質録音も実に水準の高いものであり、本盤の価値をさらに高めることに貢献している。

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本盤に収められたマーラーの交響曲第6番は、アバドによる2度にわたる同曲の録音のうち最初のものに該当する。

最新の演奏は2004年にベルリン・フィルを指揮したものであるが、それは近年のアバドの円熟ぶりを窺い知ることが可能な至高の名演であった。

したがって、それより25年も前の本演奏の影はどうしても薄いと言わざるを得ないが、筆者としては、若きアバドならではの独特の魅力がある素晴らしい名演と高く評価したい。

1970年代後半からベルリン・フィルの芸術監督に就任する直前である1980年代後半にかけては、ある意味ではアバドが最も輝いていた時期であったと言えるのではないだろうか。

アバドもベルリン・フィルの芸術監督に就任した後は、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになるのだが、かかる輝ける時期のアバドは、生命力溢れる熱のこもった名演の数々を成し遂げていた。

本演奏でもそのような若きアバドならではのエネルギッシュな指揮ぶりが健在である。

とりわけ、第1楽章や終楽章におけるトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力感は、圧倒的な迫力を誇っている。

また、第3楽章においては、アバドならではの歌謡性豊かな表現には汲めども尽きぬ情感が満ち満ちており、その歌心溢れる柔和な美しさには抗し難い魅力がある(アバドは、前述のベルリン・フィル盤では、第2楽章と第3楽章を入れ替えるという近年主流となりつつあるバージョンで演奏していたが、本演奏では、従来版に従って演奏していることについても特筆しておきたい)。

いずれにしても、本演奏は強靭な力感と豊かな歌謡性を併せ持った、いわゆる剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えよう。

また、シカゴ交響楽団も持ち前の超絶的な技量を惜しげもなく披露し、望み得る最高の演奏を繰り広げていることも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録の「リュッケルトの詩による5つの歌曲」も、シュヴァルツの歌唱ともども素晴らしい名演と高く評価したい。

録音は、従来盤でも比較的満足できる音質ではあったものの、前述のベルリン・フィル盤がSACD化されていることもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言えるが、今般、SHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさに鑑みても大いに歓迎したい。

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ウィーン・フィルによる2003年のニュー・イヤー・コンサートはニコラウス・アーノンクールの指揮で行われた。

2002年は小澤であったが、アーノンクールは、2001年のニュー・イヤー・コンサートに続いて2回目の登場となる。

指揮者を選ぶ権限は楽員にあるということを考えると、アーノンクールはウィーン・フィルの楽員に人気があるということになる。

コンサートの雰囲気は小澤のときとは、かなり異なっていたと感じた。

会場に飾られた花にしても、小澤のときは赤が目立っていたのに今年は白一色と様相が一変していたのだ。

さて、注目すべきは曲目。

このニュー・イヤー・コンサートではヨハン・シュトラウス一家の作品を取り上げるのが基本原則なのだが、今回はウェーバーとブラームスの次の作品が取り上げられている。

これはかなり珍しいことである。

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 ウェーバー作曲、「舞踏への勧誘」作品65
 ブラームス作曲、「ハンガリー舞曲集」より第5番嬰ヘ短調
            「ハンガリー舞曲集」より第6番変ニ長調
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ウェーバーのこの曲は、ワルツのお手本ともいうべき曲でありヨハン・シュトラウスはこの曲をベースにワルツを作曲したといわれていること、それにブラームスはヨハン・シュトラウスと親交が深く、ブラームスは彼の音楽を高く評価していたということ――これがアーノンクールが取り上げた理由なのだ。

こういうウィーン音楽に精通しているアーノンクールをウィーン・フィルの楽員たちは尊敬しているのである。

しかし、残念なことに、アーノンクールはコンサートの冒頭に「舞踏への勧誘」を持ってきたのだが、曲が終わる前に大拍手が入ってしまったのだ。

この曲は、もともとはピアノ曲なのだが、ベルリオーズが管弦楽用に編曲してオーケストラで演奏されることが多い。

最初に紳士が若い婦人に舞踏の相手を申し込む部分があり、オケではチェロがその部分を担当する。

そして、華やかに踊りがはじまり、終了するのだが、そのあと紳士の感謝の言葉を表す部分があり、ここもチェロで演奏される。

ところが、踊りが終わったところで大拍手が入ってしまったのだ。

アーノンクールはまずチェロに停止を命じ、観客に手で拍手を制してから、チェロに演奏を指示していた。

よく知られた曲であることに加え、由緒あるウィーンのニュー・イヤー・コンサートでの出来事であり、また、あとでCDやDVDとして商品化されたことも考えると、大変残念なことだと思う。

しかし、その後の演奏は立派なものであり、小澤のときよりも、ウィーン・フィルの楽員たちが大変楽しく演奏しているのが印象に残った。

アーノンクールといえば、ベルリン生れで、オーストリアを中心に活躍している指揮者であり、今やウィーンでは飛ぶ鳥を落とすほどの人気指揮者なのだ。

また、アーノンクールはエキストラとしてだが、ウィーン・フィルでチェロ奏者をしていたこともあり、楽員にとってはいわばかつての仲間なのである。

アーノンクールのように、ウィーン・フィルの内部で演奏をしたことのある音楽家が、ニュー・イヤー・コンサートを指揮するのはボスコフスキー以来のことであった。

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2014年05月10日


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ニューイヤー・コンサートの常連、ムーティが初登場した1993年の記念すべきデビューの華麗なライヴ演奏である。

ムーティによる初のニューイヤー・コンサートとのことであるが、まずはどの曲も若々しく瑞々しくエネルギッシュでフレッシュな演奏である。

演奏の隅々に至るまで生命力に満ち溢れていて聴いていてとても愉快な気持ちになる。

また、選曲の大胆さにも驚かされる。

大半が、あまり知られていない曲であり、そうした選曲を行った点にムーティの確固たる自信が窺える。

そうした確固たる自信の下、ムーティは各楽曲ともに濃厚な表情付けを行っているが、それが決していやではない。

これは、ムーティが、イタリアオペラを得意とするだけに、決してウィーン風とは言えないのかもしれないが、旋律を歌い抜くという点では一流と言うことなのではないだろうか。

例えば、ポピュラーな「美しき青きドナウ」の中間部など、テンポを著しく遅く演奏するが、全く違和感を感じさせないのは、ムーティのウィンナ・ワルツへのアプローチが、決して的を外れたものではないということの証左であると考えられる。

ムーティもリラックスして、ウィーン・フィルに多くをゆだね、ワルツの優雅さとポルカの快活さをうまく表現している。

ムーティというとオケにムチ打って驀進する印象が強いが、相手がウィーン・フィルのせいか驚くほどしなやかな美しさを出している。

中でも印象に残ったのが「エジプト行進曲」で、スエズ運河開通記念に作曲されたこの作品はオリエントな雰囲気漂う印象的な旋律が聴きもの。

ウィーン・フィルのメンバーが大きな声で旋律を歌うところもあってとても素晴らしい。

SHM−CD化によって、音質は鮮明さや重量感が著しく増したと言える。

このニューイヤー・コンサートのライヴ盤も、指揮者による違いが楽しめるくらいにかなりの種類が出てきた。

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これはハンブルク国立歌劇場で新演出の『サロメ』が上演された際の初日のライヴである。

恐らくベームと付き合いのある演出家のアウグスト・エファーディングの招きに応じたのか、この大指揮者にとって1933年以来のハンブルク国立歌劇場との公演という意味においても記念碑的な意味を持つ。

時折この都市でコンサートは指揮していたものの、ベームにとっては嘗ての手兵、歌劇場にとっては“おらがマエストロ”の久々のオペラ公演ということで、共に気合が入ったであろうことは疑いようがない。

ハンブルクの聴衆にしても、この都市で音楽監督を務めたベームが、ウィーン国立歌劇場総監督に上り詰め、その後、カラヤンやバーンスタインらと世界の演奏界の頂点に君臨する存在になったことは誇りであったことであろう。

往年のマーラーがやはりこの地の歌劇場総監督からウィーン宮廷歌劇場へ進出したように。

しかも、ベームが監督を務めていた時代のメンバーは先ず在籍していなかったであろうし、聴衆の中にもハンブルク時代のベームを知る人も少なかったであろうが、久々にコンビを組んだとは思えない程に指揮者も管弦楽も一つにまとまっている。

北ドイツ気質というか、まさに共に質実剛健で、音楽の本質に真っ向から切り込んでいく。

しかも、ライヴならではの破壊力が随所に感じられて、息をつく暇はなく、コーダまで息詰るような緊張感が支配している。

その為、この楽劇に美少女サロメの妖艶さや情感の豊かさを求める向きには禁欲的な演奏と言える。

ただ、ベームは師であったシュトラウスの意図や指揮ぶりも熟知しており、恐らくこの演出こそが本来この楽劇に求められたものであろうと思わせるだけの説得力がある。

歌手陣ではF=ディースカウとオフマンが素晴らしい。

サロメ役のジョーンズは恐らく舞台では凄く映えたであろうが、歌だけを聴く限り、時折ヒステリックになり、演技の限界を露呈している。

ヨカナーン役のF=ディースカウに関しては、ベストパフォーマンスだと思う。

無比の燃焼を示した不朽の歴史的名盤と称するべきである。

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classicalmusic at 21:09コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスベーム 

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これは、スウィトナー&シュターツカペレ・ベルリンによるベートーヴェンの交響曲全集の中でも特筆すべきもので、「田園」という交響曲の素晴らしさをダイレクトに味わうことができる自然体の名演だ。

曲そのものを語らせることで、最大限の感動を与えてくれる稀有な演奏。

この演奏には、聴き手を驚かすような強烈な個性があるわけではない。

テンポも速すぎもせず、遅すぎもせず、中庸のテンポであり、アッチェレランドなどもいささかも見られない。

それでいて、のっぺりとした凡庸な印象はいささかも与えず、ベートーヴェンの美しい音楽の魅力を心ゆくまで安心して聴かせることに成功している点を高く評価したい。

たとえるなら、指揮者の強い個性という濃い味付けでなく曲という新鮮な素材を生かす「和」の料理のようだ。

録音は1980年であり、この当時は東ドイツという国が存在し、シュターツカペレ・ベルリンにも、現代にはすっかりと失われてしまった渋いジャーマンサウンドが生きていた。

戦後〜壁崩壊までの東独のオケらしいサウンド(ホルンや木管、弦)が上質の録音で堪能できる。

本演奏には、スウィトナーのオーストリア人ならではいくぶん柔和なアプローチと、シュターツカペレ・ベルリンの重厚で重心の低いサウンドが、最高の形で融合し、硬軟併せ持つ至高の名演に仕上がったとも言える。

併録の2曲の序曲も名演であり、熱のこもり方という意味では「田園」以上かも知れない。

ベルリン・イエス・キリスト教会の豊かな残響を生かした名録音も素晴らしい。

そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義がある。

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classicalmusic at 00:48コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンスウィトナー 

2014年05月09日


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1955年11月5日 ウィーン国立歌劇場こけら落としの上演のライヴ(モノラル)録音であるが、最初に音質の驚異的改善から報告しなくてはならない。

この時代のライヴ録音としては最上級の出来栄えではなかろうか。

丁寧な作業から鮮明に浮かび上がったのは、まず歴史的公演の恐るべきテンションの高さ。

この演奏にはライヴならではのおよそ比較を絶した熱気と高揚があり、そのことが指揮者、歌手、オケ、合唱の気迫が音からひしひしと伝わってくる。

『フィデリオ』に思い入れのあるベームは、残された『フィデリオ』の録音すべてが名演であるが、中でもこの1955年の再建記念公演は気合の入り方が違っている。

ベーム特有の芯のある音を要所要所に立て、それを柱としてがっちりと音楽を組み立てている。

ベームが低音を抉りつつ、弦に高音を輝かしく強奏させ、立体的、かつ美しくも強靭な響きで音楽を構築していく様子は、今回のCD化で初めて明らかになった。

解釈の基本はベルリンやドレスデンでの録音と同じ路線にあるが、しなやかさ、美しさを増した当盤の魅力は大きいものがある。

長いベームの音楽歴においても、特筆すべき名演である。

歌手がまた大物揃い。

フルトヴェングラーのお気に入りのドラマティック・ソプラノで、彼がEMI録音でもレオノーレ役に起用したマルタ・メードルがここでもレオノーレ。

ウィーンのモーツァルト・テノールとして名高いアントン・デルモータがフロレスタン。

偉大なバリトン、パウル・シェフラーが凄みのあるピツァロ。

ワーグナー・バスとして一世を風靡したルートヴィヒ・ヴェーバーが味のあるロッコ。

そして名花イルムガルト・ゼーフリートがマルツェリーネ。

ウィーンの人々に愛されたテノール、ヴァルデマール・クメントがヤキーノと、まさに1950年代のウィーンを代表する歌手ばかりで、まさにオールスター・キャストと言えよう。

当時のベスト・メンバーを集めた歌手陣が、1人1人熱演しているのはもちろんだが、アンサンブル・オペラとしての行き方を堅持していた時代のウィーンらしい、密度の高いチーム・ワークを聴かせる。

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classicalmusic at 23:10コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンベーム 

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このようなアルバムこそは、人類の至宝とも言うべきなのであろう。

バッハの数あるピアノ曲の中でも聖書とも言うべき平均律クラヴィーア曲集には、これまで古今東西のあまたのピアニストがこぞって録音を行ってきているところだ。

もっとも、あまりにも長大な作品であるだけに、没個性的な演奏では聴き手が退屈してしまうことは必定であり、ピアニストにとっては、自らの持ち得る実力や個性、そして芸術性を最大限に発揮することが求められるという、極めて難しい作品とも言える。

海千山千の競争相手が多いだけに、なおさら存在価値のある演奏を成し遂げることが困難ともいうことができるが、本盤に収められた1970年代初めに録音されたリヒテルによる演奏こそは、諸説はあると思われるものの、筆者としては、バッハの平均律クラヴィーア曲集のあらゆるピアニストによる演奏の中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

リヒテルは、超絶的な技巧は当然のことながら、演奏全体のスケールの雄大さ、各フレーズに込められたニュアンスの豊かさ、そして表現の彫りの深さなど、どれをとっても非の打ちどころのない演奏を展開している。

加えて、単調な演奏には陥ることなく、各曲の描き分けの巧みさも心憎いばかりであり、十分に個性的な表現を駆使しているが、それでいて、そうした表現があくまでも自然体の中で行われており、芝居がかったところがいささかも見られない。

要は、恣意的な解釈が聴かれないということであり、バッハへの深い愛着と敬意以外には私心というものが感じられないのが見事である。

個性の発揮とスコア・リーディングの厳格さという二律背反する要素を両立させている点に、本演奏の凄みがあるとも言えるだろう。

したがって、同じロシア人でもアファナシエフのような極端な解釈など薬にしたくもなく、演奏の様相はむしろオーソドックスな表現に聴こえるように徹しているとも言える。

このような至高の高みに達した凄みのある演奏は、もはやどのような言葉を連ねても的確に表現し尽くすことが困難である。

まさに筆舌には尽くし難い優れた超名演ということができるが、いずれにしても、本演奏こそは、バッハの平均律クラヴィーア曲集の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

このような超名演が、今般、ついにSACD化されたというのは何と言う素晴らしいことであろうか。

本演奏は、前述のように人類の至宝とも言うべき歴史的な超名演だけに、既に数年前にSHM−CD化がなされ、高音質化に向けた努力がなされてきたが、当該SHM−CD盤においては、随所において音質に若干の歪みが聴かれるなど、必ずしも良好な音質とは言い難いものがあった。

ところが、今般のSACD化によって、オリジナル・マスター使用ということも多分にあるとは思うが、そうした音質の歪みが解消され、圧倒的な超高音質に生まれ変わった。

音質の圧倒的な鮮明さ、そして何よりもリヒテルの透徹したピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1970年代初め頃の録音ということを考慮に入れると、殆ど驚異的とさえ言えるだろう。

いずれにしても、リヒテルによる歴史的な超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるようになったことを心より大いに喜びたい。

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2014年05月08日


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1960年10月14日 ベルリン芸術週間におけるモノラル・ライヴ録音。

旧ソ連の名ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフが、旧東ドイツで演奏したライヴ。

EMIスタジオ盤はクレンペラーがキャンセルして、代役クリュイタンスとの思いがけぬ録音となってしまったことで有名。

オイストラフの同曲正規盤は意外と少なく、ガウク、エールリンク、クリュイタンスだけ。

当盤は、ドイツ音楽の第一人者フランツ・コンヴィチュニーとの共演だけに文句なしの素晴らしい正統派の名演である。

豊麗で伸び伸びとしたオイストラフのヴァイオリンと音楽性豊かなコンヴィチュニーの指揮がベスト・マッチした懐の深い雄大な演奏。

コンセプトはクリュイタンス盤と近似しているが、コンヴィチュニー率いる古豪オケの磐石なサポートも得て、本盤(ライヴ)でのオイストラフは全篇音色とバランスが絶品で、圧倒的な熱い気迫とエネルギーを放出し、至上の愛と歓喜をしみじみと心を込めて歌い上げている。

オイストラフのコンディションは絶好調で、コンヴィチュニーは悠然としたスケール感豊かな演奏で、骨太のソロをしっかりと支えている。

共演のフランツ・コンヴィチュニーはベートーヴェンの権威として深い尊敬を集めていた。

人間的にも親しかった巨匠2人の充実しきったコラヴォレーション、深々たる叙情、思索的な趣に感動する。

個人的にも親交が深かった名コンビによるドイツ的名演奏の典型である。

ソロ、オケ共ミスはあるが、シュターツカペレ・ベルリンの重厚で古色蒼然な演奏も相俟って価値が高い。

モノラルながら骨太な音質も良好。

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極めてドイツ的な「フィガロ」であり、それは収録年に起因するが、1957年当時のカール・ベームは、男性的な筋肉質の演奏スタイルだった。

巨匠ベームは相手がモーツァルトであっても姿勢を変える事なく取り組んでいて、当然この演奏はウイーン風とは無縁である。

しかし巨匠ならではの美点ももちろんあり、それは歌手に歌い崩しを許さない厳格な姿勢であるが、その為、作品の美点を見失わない忠実な演奏となる。

これはひとつの理想であり、作品に対して忠実であるのもひとつの解釈である。

それは巨匠の音楽環境がそうさせたと見るのが順当で、これが若き日に影響を受けた新即物主義に対する証しである。

しかしこの演奏はウィーン・フィルの音色に助けられ特有の厳しい表情が和らいでいるのが救いかも知れない。

歌手達のアンサンブルはこれといって特に不満はなく、むしろ絶妙と言って良い。

エーリッヒ・クンツのフィガロも良いが、やや控えめなのが惜しく、イルムガルト・ゼーフリートのスザンナも同様だが、騒ぎ過ぎないのは作品に対してバランスを保っていると言えるだろう。

伯爵夫人は、エリザベート・シュヴァルツコップで、この頃が全盛期と言えるが、ここでは何故か艶っぽさが今ひとつなのが残念だ。

ケルビーノは、クリスタ・ルートヴィヒで、表現力が素晴らしく、アリアでは聴かせる。

アルマヴィーヴァ伯爵は、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウで、流石に上手く風格がある。

何よりも伯爵のフィッシャー=ディースカウと伯爵夫人のシュヴァルツコップ、この2人がザルツブルクで同じオペラの舞台に立っていることを想像するだけでワクワクしてしまう。

そしてベームの作り出す音楽が、晩年のそれとは違い、とにかく躍動感に溢れている。

そのことが、この「フィガロ」というオペラにおいて、どれだけ重要なことか…。

進行に合わせて、歌手にそっと寄り添い、またあるときは歌手をリードしながら、聴衆をどんどん核心に引き込んでいくその指揮ぶりは、最良の意味での「職人」。

また、ウィーン・フィルも、随所でその妙技を聴かせてくれている。

まったくこれ見よがしの表現はとらないのに、ベームの棒を信じて生み出されるその表情は、「あー、やっぱりウィーン・フィル!」と実感させてくれる。

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classicalmusic at 20:46コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトベーム 

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フランクの唯一の交響曲二短調は、ジュリーニが非常に愛していた作品で、1958年(フィルハーモニア管弦楽団)、1986年(ベルリン・フィル)、そして1993年ウィーン・フィルとの本作と、3度にわたって録音してきた。

ジュリーニが1986年にベルリン・フィルと録音したフランクも名演だったが、それから7年後の録音では、ジュリーニ&ウィーン・フィルの高い音楽性がフランクのこの畢生の名作を味わい豊かに再現している。

ジュリーニはさらに一段とテンポを遅くとりながら作品の高貴な美しさを鮮明に表現しているのは、ジュリーニがウィーン・フィルの柔らかな響きを見事に生かしているからである。

細部までジュリーニの鋭い眼が光る演奏は、しばしばオルガン的と言われるフランク独特の重厚な響きも重すぎるようなことはなく、微妙な色彩や表情の変化を自然に描き出している。

ウィーン・フィルならではの美音を生かしつつ各楽章の名旋律をよく歌いあげているが、盛り上がりの箇所も、強奏することを避け、オーケストラ全体の音色をオルガンのような響きにマイルドにブレンドしている。

また、かなり遅めのテンポもしなやかさを失わず、透明な響きとみずみずしい叙情の美しさを際立てている。

「音楽は人間とともに生きる唯一の芸術です」という真摯なジュリーニならではの高貴な名演と言えよう。

カップリングはフランクをはじめとするフランスものに名演を聴かせてきたクロスリーを迎えた交響的変奏曲で、こちらも陰影に富んだ重量級の名演である。

交響的変奏曲はジュリーニのこうしたアプローチに適合しており、知られざる名曲に光を与えてくれたことを高く評価したい。

ライヴ録音ならではの即興性も聴きどころと言えよう。

音質も1990年代のウィーンでのライヴ録音だけに、十分に満足できる音質である。

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2014年05月07日


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ヴァントは、徹底したリハーサルを繰り返すことによって自ら納得できる音楽作りを追求し続けたことから、起用するオーケストラを厳選していた。

長年に渡って音楽監督を務め、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団が第一に掲げられる存在と言えるが、その他のオーケストラとしては、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団が掲げられるところだ。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第6番やモーツァルトの交響曲第40番は、ヴァントの知られざるレパートリーの一つであったが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

チャイコフスキーの交響曲第6番については、既に1991年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との演奏が発売されていることから、本演奏はその3年前のもの、ヴァントによる2種目の同曲の録音ということになる。

本盤に収められた演奏についても、演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。

ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。

したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。

もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いと言えるが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

なお、演奏全体の懐の深さという意味においては、1991年の演奏の方を上位に掲げたいが、引き締まった造型美という意味においては本演奏の方がより優れており、後は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。

他方、モーツァルトの交響曲第40番については、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1959年)、北ドイツ放送交響楽団との演奏(1994年ライヴ録音)が既発売であることから、ヴァントによる3種目の録音ということになる。

本演奏については、ワルターやベームなどによる名演と比較すると、優美さや愉悦性においていささか欠けていると言わざるを得ない。

テンポはかなり速めであり、一聴すると無骨とも言えるところであるが、各旋律の端々から漂う独特のニュアンスや枯淡の境地さえ感じさせる情感には抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、北ドイツ放送交響楽団との演奏ほどではないが、ヴァントの晩年の澄み切った境地が示された名演と高く評価したい。

音質は、1988年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 22:58コメント(0)トラックバック(0)ヴァントチャイコフスキー 

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「トリスタンとイゾルデ」という作品は、オペラ指揮者が情熱を傾けたくなってしまう抗しがたい吸引力を持っているようだ。

そのため多くの巨匠たちがこぞってこの作品を取り上げ力作を残してきた。

それでもなぜか、真のカペルマイスターにとって録音の機会を得るだけでも困難だったのは世の矛盾を目の当たりにするようで、深く考えるのに抵抗を感じてしまう。

20世紀最高のワーグナー指揮者だったクナッパーツブッシュは結局、正規録音を残していない!

これは戦慄すべき事実である。

この作品は凡演で聴かされると退屈でしょうがないが、人によっては慎重に組んであるフルトヴェングラー盤を聴いても同じように感じるかもしれない。

しかし、これはどうだろうか。

すべての旋律がこれほど生き生きと流れる例が他にあるだろうか。

空気をたっぷり含んでゆっくりと掃き出すような雄大な流れは、心地よく身を横たえてずっと聴いていたくなってしまう。

筆者は20年来ベーム盤を愛聴してきたが、クナッパーツブッシュ盤に出会い、こちらに乗り換えた。

ベーム盤と比べ、第1幕はより起伏に富み、第2幕は第2場がより濃厚、第3幕は甲乙つけ難い。

1950年のクナはベームに劣らぬ緻密な棒さばきで、クライマックスへ突進するベームに比べ、クナ盤ではワーグナー音楽の流れに身を任せる醍醐味が味わえる。

聴く方も気合いを入れないといけないベーム盤と違い、クナ盤はするりと自然にワーグナー的陶酔へと引き込んでくれる。

長いので前奏曲か愛の死(最初と最後)だけでも聴き比べれば、他とは次元が違うことを確認できるだろう。

魔術のようだ。

音楽の力だけでコンウォールの空想世界を作り上げてしまった、そんな演奏である。

音質は録音年代にしては標準レヴェルである。

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classicalmusic at 21:19コメント(0)トラックバック(0)ワーグナークナッパーツブッシュ 

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1952年7月23日、バイロイト祝祭劇場でのライヴ(モノラル)録音。

ORFEO社のバイロイト・ライヴ・シリーズの第1弾として発売されたもので、これまでも他社から発売されていたが、正規盤としては初出。

わずかだったカラヤンのバイロイト出演だが、1952年の「トリスタン」は大変素晴らしい演奏である。

ORFEOの正規CDが出たのは2003年になってからだが、以前から海賊盤で愛聴してきた。

演奏は実に素晴らしいもので、カラヤンはクナッパーツブッシュとは全くタイプが異なる非常に引き締まった演奏をバイロイト祝祭管で聴かせてくれる。

カラヤンの指揮は後年の豪華だがやや重たい指揮に比べてしなやかで、戦前のウイーンやベルリンでの成功、あるいは後のクライバーの名演をも彷彿させる。

1950年代バイロイトの歌手陣は凄まじく、まずメードルのイゾルデは一つの理想形であろう。

メードルは前年のクンドリー(パルシファル)でも歴史的な名演を成し遂げている。

ブリュンヒルデのヴァルナイと共に戦後バイロイトの復興はこの2人の歌姫にかかっていたと言って良いだろう。

メードルとヴァルナイは後のニルソンほど多くの録音を残さなかったが、ニルソンの発声はフラグスタートに近いやや古いスタイルのもので、メードルやヴァルナイの方がスタイルとしては新しい。

そしてこのライヴ録音は音もまずまずだ。

メードルのイゾルデはこれまでテルデックのハイライト盤があっただけなので、全曲がこうして後世に残されたのは大変喜ばしい。

ヴィナイのトリスタンも悪くないと思うが、しかしヴィナイはこの時が初役でドイツ語が自由でなかったためカラヤンはヴィナイを気に入らなかったらしい。

カラヤンの新盤のヴィッカースよりは筆者には数段望ましいが、カラヤンの評価は逆だったそうだ。

カラヤンの声の趣味は時々変わっているように思う。

ちなみにカラヤンは、最晩年に今一度「トリスタン」全曲を上演、録音したかったようだが、ついに果たせなかった。

1970年盤が当時のEMIの録音の特色でもあったのだが、クリアーさに欠ける部分があるのが、どうしても欠点として残る。

したがって、当バイロイト盤をカラヤンの「トリスタン」の代表盤に掲げる人もいるだろう。

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2014年05月06日


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ベートーヴェンは「フィデリオ」、「エグモント」、「レオノーレ」第3番(以上、1985年11月29日〜12月7日)、ブラームス:「悲劇的序曲」(1986年6月15〜19日)、ベルリン、フィルハーモニー・ホールでの収録。

カラヤンにとっては最晩年に近い映像で、ステージに登場する時はやや脚を引きずってはいるものの、終始眼は開けたままで、相当気合が入っている演奏ぶり。

棒も大変分かりやすく、初めて見る「エグモント」の冒頭もオーソドックスそのもの。

部分的にベルリン・フィルにかまわず指揮が先に行ってしまうシーンもあるが、破綻することもなく上手くつけるオケはさすがと思わせる。

「エグモント」のアレグロ・コン・ブリオが凄い速さだった以外は、いつものカラヤンのテンポ、ブラームスはむしろ遅めのテンポでスケールが大きい。

相変わらず、木管の別撮り映像の嵌め込みはいつ見ても気持ち悪いが、ヴィオラなど弦楽器の一部でもそのような映像が見られた。

フルート、ファゴット、トランペットなどの楽器の角度を揃えることもカラヤンの指示なのだろう。

そんなことをしない方がよほど自然だと思うのだが・・。

以下、ベルリン・フィルのメンバーおよびその演奏に関して。

最も注目されたのが、「フィデリオ」での有名な2番ホルンのソロでのマンフレート・クリエールの見事な演奏。

彼は特にザイフェルトとのコンビで多くの録音を残しており、下吹きの名奏者として知られているが、ソロを吹いてもさすがという感じで大変素晴らしかった。

ファゴットは、映像ものでは珍しくブラウンとユンクのコンビ。

オーボエの一アシの席にハルトマンが座っていたのも意外だった。

コンマスはシュピーラーだが、トップサイドには「コンサート・マスター」のライナー・ゾンネが座っていた。

カラヤン指揮のコンサートでは、第一プルトには2人の第一コンサートマスターが座るという原則が破られており、珍しいことだと思う。

また、「レオノーレ」の舞台裏のトランペットは、音は舞台裏だが、フィルハーモニーのステージを正面から見下ろすアングルの手前にトランペット奏者を後ろから映し出すという奇妙な映像がはめ込まれていた。

奏者はクレッツァーのようで、さすがにここではB管を用い、Dの音は第3ロータリーでとっていた。

いつもながら、以前のベルリン・フィルの映像を見て感心することは、弦楽器群の弾き方の凄さ。

全パートの全員が(そこまでは見えないが)全力で弾いているということ。

特に、最も目に入りやすいヴィットやツェペリッツの弾き方は驚嘆すべきものがある。

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ヘルベルト・フォン・カラヤン生誕100周年特別企画。

同時発売のベートーヴェン・コレクションBOXからの分売。

以前LDで発売が予告されながら未発売となっていた、テレモンディアル原盤の秘蔵映像を初商品化。

映像としては1979年のザルツブルク・イースター音楽祭でのライヴから6年後の2度目の収録となるが、その生涯をかけてベートーヴェンに取り組んだカラヤンにとって、『ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)』はとりわけ特別な作品ともいえ、ウィーン楽友協会合唱団をベルリンに呼び寄せ、カラヤンに指名された4人のソリストが世界各地から駆けつけ演奏に参加。

最円熟期のカラヤン&ベルリン・フィルとの至芸が刻印された、圧倒的演奏の登場だ。

この『ミサ・ソレムニス』は、DGへのレコーディングと並行して収録がおこなわれた映像作品。

1979年の映像がライヴ収録というカラヤンとしては比較的珍しいケースだったこともあり、独自の映像表現も含めてより高い完成度を目指したであろうこの映像には、やはりおおいに注目したい。

ソリストではレッラ・クベルリの参加に注目。

ロッシーニやドニゼッティなど主にベルカント・オペラで活躍したこの美声ソプラノはカラヤン晩年のお気に入りで、彼女をヒロインとした『ランメルモールのルチア』や『椿姫』の上演とレコーディングを計画していたとも伝えられましたが、1989年にカラヤンが亡くなってしまい、共演作品も結局ごく僅かしか残されなかった。

その意味でも貴重な映像と言えそうである。

カラヤンの映像、この『ミサ・ソレムニス』では作為的な面も少なく、映像ソフトとしてオーソドックスに仕上がっており、楽しめる。

当時のベルリン・フィルのレベル、今ではこれを超えるオケはいくらでもあるものの、やはりカラヤン時代のベルリン・フィルの威力を見せつけられた。

ドイツの作品を徹底的重厚に徹しており、これはなかなか素晴らしい出来映えだ。

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2014年05月05日


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1985年に製作された映像作品。

カラヤンがレパートリーにしていた合唱作品のなかでも、特に得意としていたのがこの「ドイツ・レクイエム」。

映像を含めて6回のレコーディング中の最後となったのがこのソフトで、かつての耽美的な傾向をさらに越えた沈潜とした美しさ、柔和でさえある暖かいサウンドが非常に印象的。

カラヤンの合唱作品演奏を支え続けてきたウィーン楽友協会合唱団の深い響きと、カラヤン晩年のお気に入りだったバトルの美声とが織り成すコントラストも鮮やかである。

この演奏は本当に素晴らしい(映像作品としてははなはだ疑問ではあるが…)。

この「ドイツ・レクイエム」、カラヤン晩年の流麗な志向の強い演奏と言ってよいだろう。

冒頭からとにかく実に美しく磨きあげた演奏であり、この大変に美しい作品を、ますます美しく、見事に演奏しきっている。

先入観が強いかもしれないが、それはいかにも晩年のカラヤンらしいと言えようか。

またロマンティシズムにも溢れ、レクイエムとしての音楽を超越した存在となっている。

晩年のボロボロになった肉体的条件もあるのかもしれないが、カラヤンの指揮は身振りも小さく、しなやかなもの。

何しろ、ウィーン・フィルはじめ、超優秀なメンバーを集めての演奏であるから、カリスマ・カラヤンのちょっとしたインスパイアでみんなしっかり動く。

オケも合唱も、そしてソリストの歌も、カラヤンの意図を実現すべく、精妙な表現に邁進している。

合唱のアンサンブルがやや粗くなる部分もあるが、そうした些細なことよりも全体を通してのライヴとしての高揚感に陶酔してしまう。

もちろん、一方、これもカラヤンらしい壮大さも兼ね備えていて、迫力も十分であるが、どちらかといえば、落ち着きの方が勝った演奏だ。

録音がまた実にバランスのしっかりしたもので、オルガンの音も妙に目立つことなく、しかし良いバランスの美しい音で聴こえる。

カラヤンが録音というものに常にこだわりを持っていた、その理由がわかるような気がする。

感情の一時的な高揚にとらわれないバランス感覚、それこそが彼の真骨頂だったのかもしれない。

ただ、実演ではむしろこのような爆演も多かったようだから、その使い分けもポリシーだったのであろう。

これは、カラヤン芸術の極みであろう。

是非座右に1枚お薦めしたい。

他の演奏と比較して名演とか傑作とか、そういう形で評価するDVDではないような気がする。

先に推薦した1960年代ベルリン・フィルとのCDも良いが、映像を含めた中ではこれがベスト。

問題は例によって例のごとしのカラヤン的映像で、横からのアングルがほとんどで、たまに正面が入るという調子なので、はっきり言って無くても全然かまわないレベルのものだ。

ただ、映像があることで、何だか全体の印象がかえって決まってしまった感じがして、全般にわたってソフトで柔らかな印象を持った。

演奏については大いにお薦めしたい。

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1970年当時の東独のベスト・キャストを集めた代表盤。

実に見事なモーツァルトである。

まずスウィトナーのすこぶる密度の高い、およそ余計な虚飾を持たぬ、音楽の精髄だけみたいな表現に感嘆せずにはいられない。

オーケストラはややくすんだ古雅な音色で、まるでいぶし銀のような純度と底光りを持っている。

スウィトナーの指揮はおおむね正攻法の格調高いもので、弦は堅実かつ克明にフレーズを刻み、それに管パートの素朴にして柔らかい音色が味わいを添える。

誇張感を抑えた誠実な演奏だけあって、歌唱とのアンサンブルにおいてもハーモニーのパースペクティヴがすこぶる良好で、オペラ演奏としてのナチュラルな愉悦感が聴いていて直截に伝わってくる。

6人の歌手も、スウィトナーの棒の下にきちんとひとつのスタイルに統一されたアンサンブルを形作っており、特にアダムとシュライアー、ゲスティがよいが、それぞれの歌唱を単独で考える分にはいずれも非常に立派で申し分ないが、性格対比という面でちょっとひっかかるものがある。

具体的にはフィオルディリージ役カサピエトラとドラベラ役ブルマイスターの配役がそうで、両者の歌唱を比べるとブルマイスターの方がカサピエトラよりひとまわり貞淑な感じだが、性格的にはフィオルディリージの方がドラベラよりも貞淑のはず(台本上ドラベラは第2幕5場で早々と「陥落」するのに対し、フィオルディリージは第2幕12場でようやく陥落する)で、そのあたりの対比がちょっと曖昧。

フェルランド役シュライアー、グリエルモ役ライプ、アルフォンソ役アダムはそれぞれ歌唱も上手いし芸達者ぶりも上々。

しかし芸達者という点でピカイチなのはむしろデスピーナ役ゲスティで、第1幕終盤での医者に化けてラテン語もどきをまくしたてるあたりとか、第2幕終盤で今度は公証人に化けて契約書を早口でまくしたてるあたりとか、いずれも聴いていて思わず吹き出してしまうほど面白い。

音質は年代を考えると非常に良く、下手なデジタル録音より音響的な臨場性に富んでいる。

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カラヤンはブラームスのドイツ・レクイエムを得意中の得意としていた。

スタジオ録音だけでも、ウィーン・フィルとの3度にわたる演奏(1947年、1957年及び1983年)、ベルリン・フィルとの2度にわたる演奏(1964年及び1976年)など、5度にわたって録音を行っている。

これ以外にもDVD作品やライヴ録音などが存在しており、カラヤンとしてもいかに同曲に深い愛着を抱いていたのかがよく理解できるところだ。

これらの演奏はいずれ劣らぬ名演であると言えるが、どれか一つを選べと言われれば、筆者は躊躇なくベルリン・フィルを指揮して録音した本1964年盤を随一の名演として掲げたい。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は1960年代及び1970年代であるというのは衆目の一致するところだ。

したがって、このコンビによる全盛時代の圧倒的な音のドラマの構築と言った観点からすれば、むしろ1976年盤の方を採るべきであろう。

しかしながら、同曲の清澄にして敬虔な性格に鑑みれば、ベルリン・フィルが重厚にして華麗ないわゆるカラヤンサウンドに完全には染まり切らず、いまだフルトヴェングラー時代のドイツ風の音色の残滓があった1960年代前半の音色の方がより同曲の演奏に適合しているのではないかと考えられるところである。

また、同曲は、清澄な中にも劇的な箇所も散見されるなど、表情の起伏がある楽曲であるが、カラヤンによる1964年盤においては、1976年盤ほどの劇的な表現を控え、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏がなされているのも好ましい。

いずれにしても、本演奏は、ドイツ・レクイエムを十八番としたカラヤンによる最も優れた至高の名演として高く評価したい。

独唱陣もソプラノのグンドゥラ・ヤノヴィッツ、そしてバリトンのエーベルハルト・ヴェヒターともに、圧倒的な名唱を披露してくれているのが素晴らしい。

また、ウィーン楽友協会合唱団も終身監督であるカラヤンの確かな統率の下、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の合唱を展開している。

録音は、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤による極上の高音質だ。

合唱付きの管弦楽曲の録音は非常に難しいが、そのようなハンディをいささかも感じさせないような名録音であったことが、本盤を聴くとよく理解できる。

当盤は初出時、ユニバーサルが満を持して発売を開始したシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤であったが、期待を全く裏切らないような圧倒的な高音質に仕上がっている。

シングルレイヤー、そしてSHM−CD仕様というのも、SACDのスペックを最大限に生かすものとして、大いに歓迎したい。

本演奏については、これまでも通常CD盤、SACDハイブリッド盤、そしてSHM−CD盤などが既に発売されているが、本盤と聴き比べると、そもそも次元が異なる。

合唱とオーケストラの分離は見事であり、繊細な弦楽による弱奏から、力強いフォルテッシモに至るまで、ダイナミックレンジの幅広さを完璧に捉えきっている。

合唱の各パートや、独唱なども鮮明に再現されており、ガラスCDやクリスタルCDなどを除けば、現在望み得る最高の音質を誇る至高の名SACDと高く評価したい。

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classicalmusic at 00:21コメント(0)トラックバック(0)ブラームスカラヤン 

2014年05月04日


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R.シュトラウスを得意にしていた帝王カラヤンが、独自の芸風を確立した1970年代にEMIへ吹き込み、初出時に大評判になった3つの大作を収録。

壮麗な《英雄の生涯》をはじめ、これが唯一の録音となった《家庭交響曲》、名手ロストロポーヴィチの雄弁なソロを組み込んだ《ドン・キホーテ》など、いずれも極めつけの名演揃いである。

ベルリン・フィルの柔軟性と機動力に富んだサウンドも特筆物である。

しかし、《英雄の生涯》と《ドン・キホーテ》については既にレビュー投稿済みなので、ここでは《家庭交響曲》について述べたい。

カラヤンによる同曲唯一の録音で、このコンビとしては大変に珍しいパリでの録音(これも唯一であろう)。

カラヤン&ベルリン・フィルは1973年の1月にベルリンで初めて同曲を演奏、同年の来日公演でもプログラムにのせている。

カラヤンのR.シュトラウスは定評のあるところだが、その中でも彼の美質が特によく示されているのがこの《家庭交響曲》である。

カラヤンは作品の表題性と音楽性を見事に両立させており、各部を精妙な表情と清純な色調で演奏して、最後まで聴き手を飽きさせない。

あるいは朗々と歌い、あるいはささやくように繊細な効果を発揮しているが、いずれも音楽的に自然で暖かく、ロマン的な雰囲気も豊かに感じさせる。

極上の美しい響きを基調にしつつ、巧みな表情の変化と雄弁な語り口で各部分の標題的な内容を克明に描くその鮮やかさは、まさにカラヤンの独壇場。

とりわけの聴きどころは愛の情景の部分で、《ばらの騎士》の冒頭とともに、シュトラウスのこの見事な男女の愛の営みの音楽描写を、カラヤンほど的確に表現した指揮者はいないだろう。

激しい情熱と甘い気分との間に揺れ動きつつ、次第に興奮を高めて絶頂感に達し、果てたのち、心地よいけだるさを感じさせる。

その官能的かつ肉感的な表現の濃厚さと迫真性はまさに比類がない。

それがベルリン・フィルの名技に支えられていることも特筆しておく必要がある。

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classicalmusic at 22:34コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスカラヤン 

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1956年、レニングラード・フィル第1回ヨーロッパ公演の際にウィーンで行われたレコーディング。

「第5」と「悲愴」のムラヴィンスキーが特に強烈で、有名なステレオ再録音盤を凌ぐほどの力感と緊張感は見事と言う他なく、オーケストラの卓越した合奏能力が、透明度高くソリッドな音響をつくりあげる様は、このコンビの全盛期の姿を見せつけてまさに圧巻。

ザンデルリンクが指揮する「第4」もディスク大賞受賞の名盤で、深く濃厚な情感表出、雄渾なダイナミズムに魅せられる。

3曲とももうこれ以上何と評価していいのか分からないくらい文句なしに素晴らしい。

ムラヴィンスキーの2曲は、1960年盤よりもさらに精密度が高く、ピンとはりつめた緊張感も堪らない。

録音から若さあふれるムラヴィンスキー、ザンデルリンクの演奏が響き渡っていて、感激を覚える。

若々しいムラヴィンスキーの「第5」「悲愴」もさることながら、瞠目すべきはザンデルリンクの「第4」で、最高の名演の一言。

モノラル録音だが、演奏からいかにもレニングラード・フィルのパワーにただただ圧倒される。

指揮者のドイツ的な骨太なロマンのうねりと野性的なオケの響きの融合が興味深く、後年の演奏よりも遥かに集中力に富み素晴らしい。

ムラヴィンスキーの「第5」「悲愴」も凄まじい。

両曲ともにフィナーレに近づくごとに、「第5」では歓喜に、「悲愴」では戦慄に吸い込まれるといった感じがする。

特に「悲愴」は、聴いていて胸が締め付けられるような感じがして、ムラヴィンスキーのこの作品への強い思い入れを印象づける。

筆者にとって、後の有名なステレオ再録音盤とともにまさに外せない名演集であると同時に、当盤を無視してこられたファンの人にも強力に薦めたい録音だ。

モノラル録音だが、音質は良好で、何より演奏が素晴らしい。

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classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキーザンデルリンク 

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カラヤンが、やはり、大指揮者であった事を痛感させられるCDである。

カラヤンは、その生涯の最後にブルックナーの交響曲第7番をウィーン・フィルと録音している。

なので、このベルリン・フィルによる録音とウィーン・フィルによる録音を聴き比べてみるのは、興味深い事で、両オーケストラの音質がこれほど違うのを知った事は、再発見であった。

その一方で、曲のテンポにみるカラヤンの指揮ぶりは、このベルリン・フィルでの演奏とウィーン・フィルでの演奏とで、殆ど違いが無く、感心する程である。

そのカラヤンの指揮ぶりについて言うと、このベルリン・フィルの演奏でも、ウィーン・フィルの演奏でも、先ず、第1楽章冒頭のテンポが速い。

筆者が聴いたどの指揮者よりも速いテンポで、冒頭から聴き手を一瞬にして陶酔感に導く高揚を見せるが、いつになく落ち着いた堂々たる歩みは深い味わいに満ちている。

そして、その第1楽章終末部の、あの雲が切れて天の光が地上に差すようなクライマックスも、同様の速いテンポで演奏されている。

この部分の壮麗な輝かしさは素晴らしく、ベルリン・フィルの弦の厚みと響きの美しさが最大限に引き出されている。

第2楽章は、高貴で優雅であり、実に堂々としている。

第1楽章をやや抑え、第2楽章で溢れ出てくる崇高さを兼ね備えた耽美的かつしなやかな歌は限りなく美しい。

第3楽章、第4楽章は、速いテンポによって、他の指揮者の演奏では感じられない躍動感、幸福感に満ちている。

結局、ウィーン・フィルとの演奏もそうだが、後半が余りにも素晴らしいので、聴き終わった時には、第1楽章の速いテンポに感じた違和感は霧散していたというのが、この素晴らしいCDについての筆者の実感である。

オーケストラについて言うと、流石はベルリン・フィルらしい、いぶし銀のような弦の厚み、抑制気味の金菅の音色などが印象的で、素晴らしいのだが、あえて筆者の個人的な好みを言えば、ブルックナーのこの曲には、ウィーン・フィルの音色の方がふさわしい気がした。

上述のウィーン・フィルを指揮したCDとこのCDを聴き比べてみると、とても面白いので、是非聴き比べをお薦めする。

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classicalmusic at 01:19コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーカラヤン 

2014年05月03日


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シューマンの「第4」は、1971年盤より冒頭から真摯で重厚、最もシンフォニックな魅力に満ちた劇的な演奏で、一本筋の通ったドラマの確かな手応えがある。

第1楽章から独自のルバートを駆使しているが、耽美的と言えるほど美しく、音楽的にも自然だ。

第2楽章は極めて内面的・情緒的な表現で、ヴァイオリン独奏も流麗このうえない。

第4楽章では流麗さの内部にあふれんばかりの気迫がみなぎり、爆発し、凄絶極まりない。

これはカラヤン美学の極致だろう。

ブルックナーの「第8」は3回目の録音で、既にあらゆる讃辞が寄せられている有名な録音。

カラヤンの楽譜の読みは細かく、深く、ディテールまで徹底した表情に、味わいと意味深さが感じられる。

特に第3楽章は見事な表現であり、ウィーン・フィルの管弦の美しさには形容の言葉もない。

第4楽章は実に克明に3つの主題の性格が表出されている。

コーダの壮麗さは比肩するものがない。

カラヤンが最後に到達した晴朗な境地が、ここに示されている。

いずれもカラヤン最晩年の研ぎ澄まされた無心の境地と言うべき演奏で、ウィーン・フィルのサウンドをひたすら磨き上げ、完璧なアンサンブルを実現させている。

人間の力でここまで美しい音楽を奏でられるというのは、何と凄いことなのかと改めて驚嘆させられる。

輝かしい音の美に満ちた演奏で、最後のカーテンも幕引きしたのは、如何にもカラヤンらしい終わり方だった。

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classicalmusic at 23:53コメント(0)トラックバック(0)カラヤンシューマン 

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モーツァルトは、1960年11月のライヴ、チャイコフスキーは1965年3月のライヴで、全て良好なモノラル・ライヴ録音。

ギレリスが旧東独の巨匠と共演した凄絶なライヴ。

チェイコフスキーはギレリス&ケーゲルという東側期待の顔合わせで、予想を裏切らない激演ライヴ。

第1楽章冒頭のホルンは、やはりケーゲル、どこかうつろに始まるが、続くギレリスの強靭な打鍵が激しい。

あたかもギレリスはハンマーで鍵盤を叩いたような激しい弾きっぷりで、ケーゲルの伴奏が、オケとピアノ、バランスがとれていないような、とてもがっぷりくんでいるような、さすがの絡み。

第2楽章は、微妙な美しさで聴き手を魅了し、そして転がり落ちて行くような、激走の第3楽章は、ところどころテンポが落ちながら、最後は花火が打ち上がるように爆発して終息。

意外に拍手は最後の音にかぶさらない。

これを聴いたら、他が物足りなくなる演奏だ(ホロヴィッツ盤を除く)。

コンヴィチュニーとの第21番も硬質なモーツァルトがとてもいい感じで聴ける。

この1枚、改めてギレリスの凄さを思った。

というのも、伴奏はコンヴィチュニーとケーゲルという実力者。

それなのに、聴き手の注意は知らず知らずのうちにピアノに吸い付けられてしまうのである。

清潔なピアノで美しく奏でられるモーツァルトもさることながら、ケーゲルの謹厳な伴奏を得た十八番のチャイコフスキーに於ける豪快で、大胆、それでいて計算し尽された名技の奔流・・・。

堂々たると言おうか、スター性、カリスマ性と言ってもいいが、いつの間にか、われこそが主人公という存在感でその場を支配してしまう。

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classicalmusic at 21:11コメント(0)トラックバック(0)ギレリスコンヴィチュニー 

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1988年11月、ウィーン・ムジークフェラインザールにて収録したDVDで、同年のジルベスター・コンサートに次ぐ最晩年の録音となった。

カラヤンにとって3度目の録音となったブルックナーの交響曲第8番で、演奏はウィーン・フィル。

カラヤンがオーケストラからマーラーの官能美さえ思い起こさせるような耽美的な美しさを引き出しているだけではなく、信じられないような迫力のある名演で、すべてが厳しく聴き手に迫ってくる。

一般的には緻密さよりも情緒的表現を重視した演奏と言われるが、むしろ両者が高い次元で融合した点にこのDVDの価値はある。

確かに演奏中のカラヤンの表情を見るとブルックナーの音楽に深くのめり込み、その美しさに身を任せているように見える部分もあるが、画面を消して音楽だけ聴くとカラヤンならではの完成度の高い演奏であることが良く分かる。

そこではヴァントや朝比奈隆では表現できない美しいブルックナーが表現されており、騒々しいとも言われるこの交響曲かくも美しく表現できるのはカラヤンならではである。

かといって迫力に欠けるわけでもなく、第1楽章から終楽章まで静寂と怒涛が聴く人を圧倒させる。

ウイーン・フィルのアンサンブルに難点があるのは周知の事実ではあるが、この曲ではそれを感じさせず、その艶やかな音色がたまらない。

この曲の持つ「逞しさ」よりも「美しさ」に徹した、カラヤン最晩年の名演である。

また、洗練された中にも何故かオーストリアの民族的な要素を感じさせる素朴な味わいが見え隠れする演奏でもあり、晩年のカラヤンがウィーンへと回帰したのが良く分かる内容を持っている。

ユニテルに残された1970年代の演奏も捨てがたいのだが、どちらか1枚と言われれば、こちらをお薦めしたい。

ただし、かなり独特な味わいを持ったブルックナーだと思うので、聴く人によって好みが大きく分かれそうではある。

ブルックナーの交響曲では第9番が未完成であるために、第8番が最高傑作と言えるが、ブルックナーを愛したカラヤンの数あるDVDの中でも名盤中の名盤である。  

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2014年05月02日


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作品への筆者の個人的な嗜好から言うと、遥かに第2番のソナタが優れていると思えるが、ともあれ両曲ともにブラームス晩年の超傑作と言って良い。

重く柔らかく甘美で憧憬に満ちた奇蹟のような音楽。

もしもテンポや歌い回し、及びピアノ伴奏のまろやかなダイナミズムが理想的に結合し得れば、筆者はむしろヴィオラ版を好むが、現在入手可能なディスク中、それを満足させてくれるヴィオラ版は皆無と言って良いだろう。

オリジナルのクラリネット版でも、作品の真の深淵にまで達している演奏にはなかなか出会えない。

やはりとどめはウラッハか。

録音と演奏スタイルの古さを飛び越え、今なお他盤の追随を許さない録音であろう。

ウェストミンスター原盤のこの録音は、他の様々な名盤を越えて、曲のどの箇所にも溢れ出ている慈しみ深さと古き良きウィーンへの郷愁とともに、広く聴き継がれてゆくものだろう。

ブラームスと感傷味という結びつきが的を射ているかどうかはともかく、これほどしっくりと印象づけられる録音も珍しい。

それは単なる懐古趣味だとでも言い切って、もっと若々しい演奏を推奨することも可能だが、晩年のブラームスの生きたウィーン自体がすでにそうした懐古趣味の街だったのだ。

作品が書かれた当時のウィーンの趣きと20世紀後半のウィーンが持つ佇まいが、不思議とシンクロする演奏、それがこのウラッハとデムスの名盤に集約されている。

作品がいずれもかなり重くて、ウラッハといえども完璧と言えないところもあるが、ブラームスのイメージにぴったりとはまっている。

モノトーンでそっけなさすぎるけれど、変な色合いを持つよりは余程素晴らしい。

デムスの伴奏はそれに比べて少し饒舌だったかもしれないが、何はともあれモノ時代の文字通りの不滅の名盤であることには変わりはないであろう。

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classicalmusic at 22:50コメント(0)トラックバック(0)ブラームス 

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1963年、ザルツブルク音楽祭でのパッション漲る名ライヴで、個人的にはスタジオ録音より、こちらの方を愛聴している。

累代のチェコ・フィルの指揮者はドヴォルザークの交響曲第9番の録音を行っているが、いずれも個性的な名演揃いである。

ターリッヒにはじまり、本盤のアンチェル、そしてクーベリックやノイマン、そして近年のマーツァルなど、これらの大指揮者による同曲の演奏は、現在においても名演としての地位を確立していると言っても過言ではあるまい。

これらの名演に優劣を付けることは困難であるが、本盤に収められたアンチェルによる演奏は、ターリッヒによる演奏が録音が古くて今一つ音質が冴えないことを考慮に入れれば、当ライヴはチェコ・フィルの累代の指揮者による同曲演奏の中でも出色の出来映えと言ってもいいのではないだろうか。

アンチェルによる演奏は、どちらかと言うと聴かせどころのツボを心得たサービス精神旺盛な演奏とは言い難いと言える。

もちろん、ターリッヒによる演奏のように即物的に徹した演奏とは言えないが、それでもどちらかと言えば派手さはなく、一切の虚飾を配したストレートなアプローチとさえ言えるだろう。

ティンパニの効果的な使い方や低弦の歌わせ方には出色のものがあるものの、華麗さとは程遠い渋味のある演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れている曲想の端々には、両親や妻子をアウシュビッツで虐殺されるなど激動の悲劇的な人生を送ってきたこの指揮者だけが描出可能な底知れぬ奥深い情感が込められていると言えるところであり、その独特の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

巧言令色とは正反対の飾り気のない演奏であるが、その演奏の深沈たる奥行きの深さは、まさにいぶし銀とも言うべき独特の輝きを放っていると高く評価したい。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲はやはりスークが一番だ。

1つ1つの音が完全に身についており、自分の音楽として表現しているからである。

激しい生命力や訴えかけ、懐かしい愛情のほとばしり、暖かい親しみ、チャーミングな節まわしが、豊かな郷土色と一体化して聴く者の心に涙をにじませるのだ。

アンチェルの指揮は音楽を意味深く語りかけつつ、美感を保持した見事なものだ。

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classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)アンチェルスーク 

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本盤に収められたシューベルトの交響曲第9番「グレート」は、セル&クリーヴランド管弦楽団による2度にわたる同曲のスタジオ録音のうちの最初のものである。

全盛期のセル&クリーヴランド管弦楽団の演奏はそれは凄いものであった。

セルは、同じくハンガリー出身の先輩であるライナーや、ほぼ同世代のオーマンディなどとともに、自らのオーケストラを徹底して鍛え抜いた。

その結果、オーケストラ史上でも稀にみるような、あらゆる楽器セクションの音色が一つの楽器が奏でるように聴こえるという「セルの楽器」とも称される鉄壁のアンサンブルの構築に成功したところであり、セルは、まさに自らの楽器を用いて数々の演奏を行っていたのである。

そのアンサンブルの精緻さは、聴き手の度肝を抜くのに十分ではあったが、あまりの演奏の緻密さ故に、メカニックとも言うべきある種の冷たさを感じさせたのも否めない事実であり、名演の名には値するものの、感動という点からするといささかコメントに窮する演奏も多々存在したとも言えるところだ。

本盤の演奏も、全体の造型の堅固さ、そして一糸乱れぬアンサンブルを駆使した演奏の緻密さにおいては、同曲の他のいかなる演奏にも引けを取らないハイレベルに達しており、その意味では名演の名に十分に値するが、最晩年の1970年の演奏と比較すると、ゆとりというか、味わい深さにいささか欠けているのではないかとも思われるところである。

したがって、セルによる同曲の代表盤ということになれば、最晩年の1970年盤を掲げることにならざるを得ないが、いわゆるセルの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、本演奏を掲げるのにいささかも躊躇するものではない。

いずれにしても、本演奏は、今一つゆとりというか、鷹揚なところがあってもいいのではないかと思われるところもあるが、セル&クリーヴランド管弦楽団の全盛時代を代表する名演として高く評価したい。

他方、併録の劇音楽「ロザムンデ」からの抜粋については、1967年というセルの死の3年前の演奏ということもあり、交響曲第9番「グレート」よりも懐の深い演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

セルも1960年代後半になると、クリーヴランド管弦楽団の各団員に自由を与え、より柔軟性に富んだ味わい深い演奏を行うようになってきたところであり、本演奏においてもそうしたセルの円熟の至芸を存分に味わうことが可能である。

各旋律の端々からは豊かな情感に満ち溢れた独特の味わい深さが滲み出していると言えるところであり、おそらくは同曲の演奏史上でも、ベーム&ベルリン・フィルによる名演とともにトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、録音年代が古いこともあって、従来盤は今一つ冴えないものであったが、Blu-spec-CD盤が発売され、これまでの従来盤のいささか劣悪な音質を一新するような十分に良好な音質に生まれ変わったところである。

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classicalmusic at 00:57コメント(0)トラックバック(0)シューベルトセル 

2014年05月01日


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1991年にシカゴ交響楽団のポストを勇退したショルティが、翌1992年にザルツブルクの聖霊降臨祭コンサートで再びシカゴ交響楽団と行った演奏会の貴重なライヴ録音盤。

ショルティは稀代のオーケストラトレーナーとして、もともと有数の実力を持っていたシカゴ交響楽団を更に超一流の存在に引き上げたが、そうしたショルティだけに、管弦楽の大家と称されたベルリオーズ、中でもその最高傑作とされる幻想交響曲を得意としていたことは十分に理解できるところだ。

ショルティによる同曲の代表盤と言えば、シカゴ交響楽団の音楽監督に就任して間もないころにスタジオ録音を行った演奏(1972年)が念頭に浮かぶ。

強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したショルティの基本的なアプローチが、同曲の性格に見事に符号しており、シカゴ交響楽団の桁外れの技量も相俟って、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされた圧倒的な名演に仕上がっていたと言えるところだ。

したがって、ショルティとしても会心の出来と考えたのではないかと思われるが、シカゴ交響楽団の音楽監督在任中は、同曲を再録音することはなかった。

そのようなショルティであったが、シカゴ交響楽団の音楽監督退任の翌年(1992年)、ザルツブルク聖霊降臨祭コンサートにおいて、満を持して20年ぶりに再録音を行ったのが本盤収められた演奏である。

本演奏を聴くと明らかであるが、確かにショルティの特色であった強靭なリズム感とメリハリの明瞭さ、そして鉄壁のアンサンブルといった点においては、旧演奏に一歩譲っているというのは否めないところだ。

しかしながら、本演奏においては、晩年を迎えて指揮芸術により一層の懐の深さ、奥行きの深さを増したショルティならではの円熟の至芸を堪能することが可能であり、いわゆる演奏の彫りの深さといった点においては旧演奏よりも上位に掲げられるのではないだろうか。

ショルティ指揮のシカゴ交響楽団は、旧演奏ほどの凄みは感じさせないが、超絶的な技量をベースとして一糸乱れぬアンサンブルを披露しているのが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録のリストの交響詩「前奏曲」は、ロンドン・フィルとの旧録音(1977年)に比して、オーケストラの力量も含めて数段優れた演奏に仕上がっていると言えるところであり、それどころか、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる演奏(1954年)、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1967年)に次ぐ素晴らしい名演と高く評価したい。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ルビジウム・クロック・カッティングによって更に鮮明さが増したと言える。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)ショルティベルリオーズ 

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ヴァントと言えば、最晩年のブルックナーの交響曲の神がかり的な超名演の数々がいの一番に念頭に浮かぶ。

その他にも、シューベルトやブラームス、ベートーヴェンの交響曲の名演などの印象も強く、本盤に収められたムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」やドビュッシーの交響的断章「聖セバスティアンの殉教」を演奏しているヴァントのイメージが今一つ浮かんで来ないと言わざるを得ない。

むしろ、ヴァントの芸風からすれば、極めて珍しい録音と言っても過言ではないとさえ思われるところであるが、意外にもヴァントはこれら両曲に深い愛着を抱き、たびたび演奏してきたとのことである。

それだけに、例えば、組曲「展覧会の絵」についても、たどたどしいところがいささかもなく、各場面の描き分けを巧みに行った見事な演奏を展開していると言えるだろう。

独墺系の指揮者で同曲を得意としていた指揮者としてはカラヤンが掲げられるが、カラヤンの演奏のように豪華絢爛にして豪奢な演奏ではなく、カラヤンの演奏と比較すると随分と地味な印象も受けるところだ。

テンポはやや速めで一貫しているが、前述のような場面毎の巧みな描き分け、そして随所に聴かれる独特のニュアンスの豊かさは、まさに老巨匠ならではの名人芸とも言えるところであり、内容の豊かさという意味においては、他のどの指揮者の演奏にも引けを取らない高水準の演奏に仕上がっている。

ロシア風の民族色とは殆ど無縁であり、必ずしもスケールの雄大さを感じることもできない演奏ではあるが、筆者としては、ヴァントの指揮芸術の奥の深さを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

ドビュッシーの交響的断章「聖セバスティアンの殉教」も、およそヴァントの芸風とは結びつかない楽曲であるが、厳格なスコアリーディングに基づく緻密な演奏を旨とするヴァントの芸風との相性は意外にも良く、純音楽的な意味においては、これ以上は求め得ないような演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

フランス風のエスプリであるとか、同曲の官能的な描写性とは殆ど無縁の演奏ではあるが、いわゆる純音楽的という意味においては、他のどの指揮者による演奏よりも優れた名演であると高く評価したい。

音質は、従来CD盤が発売された後、リマスタリングが一度もなされていないものの、十分に満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ヴァントによる素晴らしい名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)ヴァントムソルグスキー 

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1964年8月16日、ザルツブルク祝祭大劇場に於けるライヴ(モノラル)録音。

1964年当時のショルティはまだシカゴ響の音楽監督就任前で、ロンドン響やパリ管などを振っていた時期。

若きショルティの溌剌とした指揮振りはまさにマーラーにはピッタリだと思う。

若かりしショルティ、となればさぞかしウィーン・フィルをゴリゴリいわせていたんだろうなぁと容易に想像がつくが、このCDも例外ではない。

気力体力充実し、パワーがみなぎっていた全盛期ショルティがウィーン・フィルをつかまえて、得意のマーラーをもの凄いボルテージで聴かせる。

打楽器の衝撃、金管楽器の異常な咆哮など、モノラルながら凄い激烈な迫力。

終楽章などショルティとウィーン・フィルが一体化して、ほとんど狂気の沙汰としか言いようのない爆発熱狂ぶりで、なにもここまでと唖然とするばかり。

異様なまでのテンションでばく進していくウィーン・フィルが必死になって大音量を炸裂させている様は理屈ぬきで楽しめる。

ウィーン・フィルの「巨人」と言えばクーベリックとマゼール、あとクレツキとこのザルツブルグでのショルティのライヴがあるくらいで意外と少ない。

ここではウィーン・フィルは後期ロマン派を演奏する彼らのいつもの蒸せるような香水の薫りとフェロモンを撒き散らすデカダンスの世界ではなく、ショルティの薫陶で見事なプロレスラーに変身し、鎧をまとった力持ちに変貌している。

聴いていて、そもそもどうしてショルティはマーラーが得意だったんだろうとも感じるが、得意のせかせか節を含め自信満々の演奏に青臭いさすらう若人のデリカシーは求めようもないが、非常な熱演と評価したい。

そういったショルティの演奏に賛否が分かれるのは仕方が無い。

でも、何も主張しない指揮者に比べればこれだけ強烈な個性を惜しげもなくさらけ出して、突きつけてくることができるのが、ショルティという指揮者のすばらしいところだ。

得意のバルトークも、相手が同郷のアニー・フィッシャー女史だけに、単に美しいだけではなく、アクセントが強くホットなアプローチが大変な聴きものである。

録音は、ちょっと音が遠いのが惜しまれるが、ウィーン・フィルの豊潤な響きを感じ取ることができる。

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classicalmusic at 00:32コメント(0)トラックバック(0)ショルティマーラー 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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