2014年07月

2014年07月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



バーンスタインはマーラーの交響曲全集をDVD作品を含めると3度にわたって録音した唯一の指揮者である。

本盤に収められた全集はその3度目のものであるが、正確に言うと、バーンスタインは本全集を完成する前に惜しくも鬼籍に入ってしまったところだ。

というのも、第8番、「大地の歌」そして第10番の新録音を果たすことができなかったからであり、それ故に、第8番については没後発見されたザルツブルク音楽祭でのライヴ録音(1975年)、「大地の歌」については本盤には未収録、第10番は2度目のDVDによる全集中の演奏(1974年)をCDに焼き直したものが収められているところである。

このような若干の未完成というハンディはあるものの、本全集こそは、あまた存在する様々な指揮者によるマーラーの交響曲全集に冠絶する至高の超名全集と高く評価したい。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚な表情づけの演奏をするようになった。

それは本全集においても例外ではなく、その演奏は、これまでの1度目、2度目の全集と比較してもテンポの遅さや濃厚さが際立っている。

しかしながら、他の作曲家による楽曲は別として、マーラーの交響曲や歌曲においては、こうしたゆったりとしたテンポによる濃厚さがすべてプラスに作用していると言えるだろう。

そして、バーンスタインのアプローチは、ゆったりとしたテンポや濃厚な表情づけを基軸としつつ、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、そして大胆なアッチェレランドを駆使してこれ以上は求め得ないようなドラマティックな演奏を行っていると言えるところだ。

マーラーの交響曲のテーマは、楽曲によって一部に例外はあるものの、基本的には死への恐怖と闘い、そしてそれと対置する生への妄執と憧憬であると考えるが、バーンスタイン以上にそれを音化し得た演奏は、テンシュテットによる最晩年の演奏以外には存在しないと言っても過言ではあるまい。

こうした渾身の大熱演が我々聴き手の肺腑を打つのであり、前述のように、第8番や第10番など、1970年代の録音も一部に含まれてはいるが、本全集の各演奏こそは、史上最大のマーラー指揮者であったバーンスタインがその最晩年になって漸く成し得た究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

マーラーに縁があった3つの超一流のオーケストラを起用したのも特徴であり、奥行きのある深沈とした表現が必要不可欠な第9番には北ヨーロッパの楽団ならではのくすんだいぶし銀の音色が魅力のコンセルトへボウ・アムステルダムを起用したり、壮麗な迫力を必要とする第2番にニューヨーク・フィルを起用するなど、各オーケストラの使い分けも実に考え抜かれた最善の選択がなされていると評価したい。

第4番の終楽章ではボーイソプラノを起用するなど、若干のやり過ぎの感も否めないところではあるが、本全集全体の評価を貶めるほどの瑕疵があるわけではないものと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0)マーラーバーンスタイン 

2014年07月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



全盛期のベームによる圧倒的な名演だ。

1966、7年度のバイロイト音楽祭におけるライヴで、いろいろな意味で、「記念碑的な名演」という言葉こそふさわしいレコードである。

ベームはスタジオ録音よりも実演でこそその本領を発揮する指揮者と言われているが、本盤の演奏を聴いているとよく理解できるところだ。

それにしても、本演奏におけるベームは凄まじいばかりのハイテンションだ。

ひたすら音楽を前へと進めていこうという畳み掛けていくような気迫と緊張感、そして切れば血が噴き出してくるような圧倒的な生命力に満ち溢れている。

長大なワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」は、全体を演奏するのに大抵は14時間前後を要するが、ベームは何と約13時間程度で全曲を駆け抜けている。

これだけ速いテンポだと、性急で浅薄な印象を聴き手に与える危険性もあるが、本演奏に関してはそのようなことはいささかもなく、どこをとっても隙間風の吹かない造型の堅固さと充実した響きが支配しているのが素晴らしい。

このベームの演奏が聴き手に感じさせるのは決して表面的なテンポの速さではなく、凄まじいばかりの白熱と緊張に満ちたその音楽の素晴らしい持続力と高揚である。

全盛期のベームの特徴でもある快活なリズム感も効果的であり、随所に清新な躍動感が息づいているのが見事であるという他はない。

同曲には、重厚で強烈無比なショルティ&ウィーン・フィルによる演奏(1958〜1965年)や、ドラマティックなフルトヴェングラー&RAIローマ響による演奏(1953年)、圧倒的な音のドラマを構築したカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1966〜1970年)、あらゆる意味でバランスのとれたカイルベルト&バイロイト祝祭管による演奏(1955年)など、名演が目白押しではあるが、演奏の持つ実演ならではの根源的な迫力においては、ベームによる本名演もいささかも引けを取っていない。

歌手陣も豪華であり、ジークフリート役(「ラインの黄金」においてはローゲ役)のヴォルフガング・ヴィントガッセン、ブリュンヒルデ役のビルギット・ニルソン、ジークムント役のジェームズ・キング、アルベリヒ役のグスタフ・ナイトリンガー、ファフナー役のクルト・ベーメ、そしてハーゲン役のヨーゼフ・グラインドルなど、いまや伝説となった大物ワーグナー歌手も、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の名唱を披露しているのが素晴らしい。

また、ヴォータン役に急遽抜擢されたテオ・アダムによる素晴らしい歌唱も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、ライヴ録音だけに、4作を通じて活躍する配役が原則として同じ歌手によって歌われており、これによって自然なドラマの流れが高い集中力で持続されている点も本演奏の大きなアドバンテージと言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、全盛期のベーム、そして歴史的なワーグナー歌手がバイロイト祝祭劇場に一同に会した歴史的な超名演であると高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーベーム 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤にはチャイコフスキーの3大バレエ音楽からの有名曲の抜粋が収められているが、いずれも素晴らしい超名演であると高く評価したい。

カラヤンは、チャイコフスキーを得意中の得意としており、3大バレエ音楽からの抜粋についても、フィルハーモニア管弦楽団との演奏(1952、1959年)、ウィーン・フィルとの演奏(1961、1965年)、そして本盤に収められたベルリン・フィルとの演奏(1966、1971年)と3度にわたってスタジオ録音を行っている。

また、組曲「くるみ割り人形」については、幻想序曲「ロミオとジュリエット」との組み合わせで1982年にも録音を行っている。

いずれ劣らぬ名演であるが、この中で最もカラヤンの個性が発揮された名演は、本盤に収められたベルリン・フィルとの演奏であると考えられる。

本演奏の録音当時は、まさにカラヤン&ベルリン・フィルという稀代の黄金コンビの全盛時代であった。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においても圧倒的な音のドラマは健在であり、その演奏はまさに豪華絢爛にして豪奢。おそらくは、これらの楽曲の演奏史上でも最も重厚にして華麗な演奏と言っても過言ではあるまい。

楽曲がチャイコフスキーの3大バレエ音楽だけに、カラヤンによるこのようなアプローチは見事に功を奏しており、筆者としては、本演奏こそが、これらの楽曲(組曲等の抜粋の形での演奏)の演奏史上最高峰の玉座に君臨する至高の超名演と高く評価したいと考える。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質であると言えるが、カラヤンによる至高の超名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど更なる高音質化を大いに望んでおきたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:45コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーカラヤン 

2014年07月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



「皇帝」が脂の乗り切った凄い演奏だ。

全盛期のホロヴィッツのピアノがいかに超絶的なものであったのかを窺い知ることができる演奏である。

ホロヴィッツのテクニックは殆ど神業とも言うべき圧巻の凄さであるが、表現力も桁外れであり、ピアノが壊れてしまうのではないかと思われるような強靭な打鍵から繊細なピアニッシモまで、その幅は途轍もなく広い。

変幻自在のテンポ設定はあたかも魔法のようであり、トゥッティに向けての畳み掛けていくような猛烈なアッチェレランドはとても人間業とは思えないような物凄さだ。

ホロヴィッツは、おそらくはあまり難しいことを考えずに、自らの才能の赴くままに演奏しているのに過ぎないと思うのだが、いささかも技巧臭がすることなく、豊かな情感と気高い芸術性を保持しているというのは、全盛期のホロヴィッツだけに可能な驚異的な至芸と言えるだろう。

最晩年のホロヴィッツは、そのテクニック自体が衰えることによって、著しく芸術性を損なった老醜を垣間見せるようになったとも言えなくもないが、全盛期のホロヴィッツは、卓越した技量自体が芸術性をも兼ね備えているという稀有のピアニストであったと言えるのではないだろうか。

このような天才的なホロヴィッツのピアノを、ライナーがしっかりと下支えしているのが素晴らしい。

オーケストラは、手兵のシカゴ交響楽団ではないが、RCAビクター交響楽団を統率して、最高のパフォーマンスを発揮しているのが見事である。

「月光」ソナタでのホロヴィッツは、作品の持つ様式感と、古典的形式感の骨子をしっかりと押さえ、格調を保ちつつ自発性に満ちた自在感ある音楽を生み出している。

そのため、この曲が本来備えている抒情性や幻想性がやや失われたことも否めないが、そこがホロヴィッツのホロヴィッツたるゆえんでもある。

いずれにせよ、しっかりとした構成感の中にこまやかな表情の変化が盛り込まれた演奏であり、聴きなれた名曲が自信に満ちた足どりで展開されてゆく。

チェルニーでは、音の粒が極めて明確に整えられているが、これはペダルの使用を控えているからでもあり、スカルラッティを弾く時のホロヴィッツを思わせる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:43コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンホロヴィッツ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



凄い演奏だ。

まさに超個性的なガーシュウィンと言える。

ジャズ音楽とクラシック音楽の境界線上にあるとされるガーシュウィンの楽曲の演奏に際しては、そうした音楽の性格を考慮して、軽快なリズム感を重視した爽快にして明瞭な演奏が多い。

最晩年になって、テンポが異様に遅くなり濃厚で大仰な演奏を行うようになったバーンスタインでさえ、ガーシュウィンの演奏に際しては、そうした爽快にして明瞭な演奏を心掛けていたと言えるだろう。

ところが、スヴェトラーノフはそのような一般的な演奏様式など完全無視。

本盤に収められたいずれの楽曲においても、途轍もない超スローテンポで濃厚さの極みとも言うべき豪演を展開している。

そのあまりの超スローテンポぶりは、他の指揮者による演奏であればCD1枚に収まるものが、本盤ではCD2枚になっていることにもあらわれていると言えるのではないだろうか。

そして、重低音においては大地が地鳴りするようなド迫力に満ち溢れているし、トゥッティにおける強靭な豪快さは、我々の聴き手の度肝を抜くのに十分な壮絶さだ。

また、ガーシュウィン特有の軽快なリズム感も、あたかも巨象が進軍するかのような重々しさが支配しており、ガーシュウィンの音楽というよりは、スヴェトラーノフが得意とするロシア音楽を演奏しているような趣きさえ感じさせると言えるだろう。

ガーシュウィンが随所に散りばめた美しい旋律の数々についても、スヴェトラーノフは、これ以上は求め得ないような熱き心を込めて濃密に歌い抜いている。

いずれにしても、本演奏は、他の指揮者によるガーシュウィンの演奏とはひと味もふた味も異なっているが、聴き終えた後の充足感においてはいささかも引けを取っていないと評価したい。

ピアノ協奏曲ヘ調においては、アメリカ出身のピアニストであるジェフリー・シーゲルが起用されているが、濃厚で超スローテンポのスヴェトラーノフの指揮と歩調を合わせて、重厚にして美しさに満ち溢れたピアニズムを展開しているのが素晴らしい。

そして、スヴェトラーノフの強烈にして濃厚な指揮の下、最高のパフォーマンスを発揮したスウェーデン放送交響楽団による素晴らしい名演奏にも大きな拍手を送りたい。

なお、録音については1996年のライヴ録音であり、十分に満足できる良好な高音質であると高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:58コメント(0)ガーシュウィンスヴェトラーノフ 

2014年07月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたブラームスの交響曲全集は、カラヤン&ベルリン・フィルによる3度目の、そして最後のスタジオ録音である。

それだけでなく、数多くの様々な作曲家に係る交響曲全集のスタジオ録音を行ってきた、史上最高のレコーディング・アーティストであるカラヤンによる最後の交響曲全集にも相当する。

3度にわたるカラヤン&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、1977〜1978年に録音された2度目の全集であると考えられる。

というのも、この当時はカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期であったと言えるからだ。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

当該2度目の全集においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっていた。

これに対して、本盤の3度目の全集においては、カラヤンの統率力の衰えは隠しようもないと言える。

1982年に勃発したザビーネ・マイヤー事件によって、カラヤンとベルリン・フィルの間には修復不可能な亀裂が入るとともに、カラヤン自身の著しい健康悪化も加わって、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏に、1970年代以前のような輝きが失われるようになったからだ。

したがって、いわゆるカラヤンの個性が全開であるとか、はたまたカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築と言った観点からすれば、第1番などには全盛期の豪演の片鱗が感じられなくもないが、前述の1977〜1978年の2度目の全集と比較するといささか劣っていると言わざるを得ない。

しかしながら、本演奏には、死の1〜3年前の演奏ということもあって、枯淡の境地を感じさせるような独特の味わいがあると言えるところであり、このような演奏の奥行きのある味わい深さと言った点においては、カラヤンによるこれまでのいかなる演奏をも凌駕していると言えるだろう。

このような奥行きのある味わい深さは、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地であったと言えるのかもしれない。

音質は、1980年代後半のデジタル録音であり、従来盤でも十分に満足できるものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:48コメント(0)トラックバック(0)ブラームスカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、カラヤンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」及びスメタナの交響詩「モルダウ」が収められている。

両曲ともにカラヤンは十八番としており、これまでに何度もスタジオ録音を繰り返し行っている。

交響曲第9番「新世界より」については、手兵ベルリン・フィルとの4つの演奏(1940年、1957年、1964年及び1977年)、交響詩「モルダウ」についても、同じく手兵ベルリン・フィルとの3つの演奏(1958年、1967年、1977年)が存在している。

いずれ劣らぬ名演であるが、これらの名演の中でとりわけカラヤンの個性が発揮された演奏は、ベルリン・フィルとの全盛期の1970年代の演奏であった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

したがって、両曲についても、いずれも1977年盤においてかかる圧倒的な音のドラマが健在であるが、この稀代の黄金コンビも1982年のザビーネ・マイヤー事件の勃発を契機として、大きな亀裂が入ることになった。

加えて、カラヤン自身の健康悪化もあり、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏にもかつてのような輝きが失われることになったところだ。

そのような傷心のカラヤンに温かく手を差し伸べたのがウィーン・フィルであり、カラヤンもウィーン・フィルに指揮活動の軸足を動かすことになった。

本盤の演奏は、そのような時期(1985年)のカラヤンによる演奏であり、ここには1977年盤のようなオーケストラを圧倒的な統率力でドライブして音のドラマを構築したかつてのカラヤンの姿はどこにも見られない。

ただただ音楽そのものを語らせる演奏であるとさえ言えるだろう。

したがって、カラヤンの個性の発揮という意味においては1977年盤と比較していささか弱いと言わざるを得ないが、演奏が含有する独特の味わい深さや奥行きの深さという意味においては、本演奏の方をより上位に掲げたいと考える。

特に、交響曲第9番の第2楽章。

有名な家路の旋律をカラヤンは情感豊かに演奏するが、中間部は若干テンポを落として心を込めて歌い抜いている。

この箇所の抗し難い美しさはこれまでの他の演奏からは決して聴けないものであり、これこそカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

ウィーン・フィルも、名誉指揮者であるカラヤンに心から敬意を表して、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の大熱演を披露しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、重厚さと優美さ、ドヴォルザークやスメタナならではのボヘミア風の抒情、そして、カラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地とも言うべき独特の味わい深さと言ったすべての要素を兼ね備えた、まさに完全無欠の超名演と高く評価したい。

音質は、リマスタリングがなされたこともあって本盤でも十分に満足できるものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:36コメント(0)トラックバック(0)カラヤンドヴォルザーク 

2014年07月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



筆者はバーンスタインを押しも押されぬ史上最大のマーラー指揮者であると考えているが、その精神分裂的な性格がマーラーと通底するシューマンの交響曲や協奏曲を除けば、バーンスタインの指揮する独墺系の音楽は今一つ彫りの深さを感じさせる演奏が少ないと言える。

とりわけ、1980年代以降のバーンスタインの録音には、異常なスローテンポによる大仰な表情づけの演奏が増えてきたことから、マーラーやシューマンの楽曲を除いては、いささかウドの大木の誹りを免れない浅薄な凡演が多くなったと言わざるを得ない。

しかしながら、筆者も本盤に収められたベートーヴェンの交響曲全集を久々に聴き返してみたが、1977〜1979年のライヴ録音ということもあって、1980年代の演奏のような大仰さがなく、ウィーン・フィルによる名演奏も相俟って、素晴らしい名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

バーンスタインは、1961〜1964年にかけてニューヨーク・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、それはいかにもヤンキー気質丸出しのエネルギッシュな演奏であり、随所に力づくの強引な最強奏も聴かれるなど外面的な効果だけが際立った浅薄な演奏であった。

本盤に収められた演奏でも、バーンスタインの音楽に彫りの深さを感じることは困難であるが、持ち前のカロリー満点の生命力に満ち溢れた演奏に、ウィーン・フィルによる極上の美演が付加されることにより、演奏全体に潤いと適度な奥行き、そして重厚さを付加することに成功している点を忘れてはならない。

いずれにしても、本全集は、バーンスタインによるエネルギッシュな力感溢れる指揮に、ウィーン・フィルによる美演が加わったことにより、剛柔バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

仮に、本全集の録音に際して、バーンスタインがウィーン・フィル以外のオーケストラを起用していたとすれば、これほどの魅力的で奥行きのある演奏にはならなかったのではないかとも考えられるところだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:59コメント(2)ベートーヴェンバーンスタイン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



バーンスタインは、ビデオ作品を含め3度にわたってマーラーの交響曲全集を録音した唯一の指揮者であるが、3度目の全集については、実際には、交響曲第8番、第10番、そして「大地の歌」を録音することなく鬼籍に入ってしまった。

3度目の全集を構成する各交響曲や歌曲集のいずれもが至高の超名演であっただけに、大変に残念なことであると考えている。

本盤の「大地の歌」は、このような事情から3度目の全集の中に収められていないが、実際には1966年の録音であり、バーンスタインが2度録音した「大地の歌」のうちの最初のもの。

しかも、ウィーン・フィルにデビューしたての頃の録音である。

したがって、バーンスタインも、名門ウィーン・フィルを前にして、相当に気合が入っていたのではないだろうか。

同時期に録音された歌劇「ファルスタッフ」では遠慮があったと言えるが、マーラーにおいては、確固たる自信からそのような遠慮など薬にしたくもなかったに相違ない。

他方、ウィーン・フィルにとっては、カラヤンを失ったばかりでもあり、カラヤンに対抗するスター指揮者を探すべく躍起となっていた時期であった。

それ故に、本盤では、意欲満々のバーンスタインと、自らの新しいヒーローを前にして全力を尽くしたウィーン・フィルの底力が相乗効果を発揮した至高の名演ということができるのではないかと考えられる。

「大地の歌」には、ワルター&ウィーン・フィル(1952年)とクレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団(1964年)という歴史的な超名演が存在するが、本盤は、この両者に唯一肉薄する名演と高く評価したい。

なお、本演奏において、独唱には通常のアルトに代わってバリトンを起用しているが、ここでのフィッシャー・ディースカウの独唱は、違和感をいささかも感じさせず、むしろバリトンの起用にこそ必然性が感じられるような素晴らしい名唱を披露している。

その名唱は上手過ぎるとさえ言えるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

テノールのキングも、ディースカウにいささかも劣らぬ好パフォーマンスを示しているのも素晴らしい。

英デッカならではの艶やかで鮮明な高音質録音fも素晴らしく、この名演に華を添えている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:45コメント(0)マーラーバーンスタイン 

2014年07月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーの代名詞と言えば、ベートーヴェンの交響曲であるが、9曲ある交響曲の中でも第1番を除くいわゆる奇数番号の交響曲については、自他ともに認める十八番であったと言えるだろう。

それら4曲の交響曲については、かなりの点数の録音が遺されているのも特徴であり、近年になっても新発見の録音が発掘されたり、あるいはより音質のより音源の発見、さらにはSACD化などの高音質化が図られるなど、フルトヴェングラーの指揮芸術に対する関心は、没後50年以上が経っても今なお衰えの兆しが一向に見られないところだ。

フルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲第9番の名演としては、諸説はあると思うが、これまでのところ、バイロイト祝祭管弦楽団とのライヴ録音(1951年)と、最晩年のフィルハーモニア管弦楽団とのライヴ録音(1954年)が2強を形成していたと言える。

もちろん、これら2つの演奏自体が圧倒的な素晴らしさを誇っているのであるが、それ以上に、両名演についてはSACD化が図られているというのも大きいと言えるのではないだろうか。

フルトヴェングラーの録音は、演奏が素晴らしくても音質が良くないというのが定評であり、逆に、これまであまり評価が高くなかった演奏がSACD化によって、高評価を勝ち取ることもあり得るところである(例えば、1947年5月25日のベートーヴェンの交響曲第5番のライヴ録音)。

本盤に収められた1952年の交響曲第9番についても、今般のSACD化によって、そのような可能性を秘めた名演と言えるだろう。

これまで、とりわけトゥッティにおいて音が団子状態になったり、不鮮明で聴き取りにくい箇所が極めて多かったのが大幅に解消され、前述のバイロイト盤や1954年盤にも十分に対抗できるような良好な音質に生まれ変わった意義は、極めて大きいことである。

本演奏は、かのバイロイト盤から約半年後のものであるが、それだけに気力・体力ともにさらに充実したフルトヴェングラーによる至高の指揮芸術を、これまでとは違った良好な音質で堪能することができるようのなったのは実に素晴らしいことと言えるだろう。

第1楽章冒頭の他の指揮者の演奏の追随を許さない深遠さ、その後のとても人間業とは思えないような彫りの深さ、第3楽章の誰よりもゆったりしたテンポによる演奏の神々しいまでの崇高さ、そして終楽章のドラマティックな表現など、フルトヴェングラーだけに可能な至芸は、我々聴き手の深い感動を誘うのに十分である。

オーケストラがウィーン・フィルであることも、本演奏の大きなアドバンテージであると言えるところである。

いずれにしても、SACD化によって、これまでとは格段に良好な音質に生まれ変わるに至った本盤の演奏は、バイロイト盤や1954年盤とともに3強の一角を占めるとも言うべき至高の超名演に位置づけられることになったと言えるところであり、本SACD盤の登場を大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:53コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



バーンスタインは、クラシック音楽史上最大のマーラー指揮者であると考えるが、これに対して、ブルックナーについては交響曲第9番しか演奏していない。

その理由は定かではないが、自らの芸風との相性や宗教上の問題など、様々な問題があったのかもしれない。

もっとも、交響曲第9番については、2度にわたって録音していることに鑑みれば、バーンスタインは同曲に対しては深い愛着と拘りを有していたと考えられるところだ。

最初の録音は、当時の手兵であったニューヨーク・フィルとの演奏(1969年)、そして2度目の録音が本盤に収められたウィーン・フィルとの演奏(1990年)である。

最初の録音は、いかにも若き日のバーンスタインならではの爽快な演奏と言えるだろう。

この当時のバーンスタインは、ヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、当該演奏もその一連の演奏に連なるものであったと言える。

そのようなバーンスタインも、ニューヨーク・フィルの音楽監督を離任し、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、途轍もない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。

本盤に収められた演奏も、ゆったりとしたテンポによる熱き情感に満ち溢れた濃厚さは健在であり、例えば、本盤の後に登場したヴァントや朝比奈などの名演などと比較すると、あまりにも人間臭く、そして表情過多でもあって、ブルックナーの交響曲演奏としては異質にさえ感じられるとも言えるだろう。

したがって、本演奏をいわゆるブルックナー的な演奏ではないと言って切り捨てるのは容易であると考えられる。

しかしながら、本演奏は、死の数か月前の演奏ということもあって、バーンスタインが自らのこれまでの人生を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きがあると言えるところであり、人生の諦観や枯淡の境地を感じさせるような独特の味わい深さが存在していると言えるのではないだろうか。

そして、ウィーン・フィルも、そうしたバーンスタインの心底に深く共感し、望み得る最高の演奏を展開しているとも言えるところだ。

バーンスタインのいささか荒々しささえ感じさせる指揮によるブラスセクションの無機的な響きも、ウィーン・フィルによる美音によって、独特の潤いと温もりを付加するのに貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は正統派のブルックナー演奏とは言い難いものであるが、バーンスタインが最晩年に至って到達し得た至高・至純の境地をあらわした佳演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって、音質がより鮮明に再現されるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

いずれにしても、バーンスタインによる最晩年の佳演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:26コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーバーンスタイン 

2014年07月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1977年にロンドン交響楽団の名誉会長に推されたカール・ベーム[1894-1981]が、それを記念して録音したチャイコフスキーの後期3大交響曲。

ベームは自分のキャリアの中にチャイコフスキーのレパートリーが無いことを非常に気にしていたようで、DGに対して再三、このチャイコフスキー後期の3作品の録音を希望していたようだ。

しかし、DG側はベームのチャイコフスキーは売れないと判断していたようで、まして同時期にカラヤンもこの3作品をDGに録音していたので、ベームの出番は無かったようである。

それでも再三に渡ってDGに交渉し、ようやくこの時期に名誉会長に就任したロンドン響に白羽の矢が立ったという話(ベームがこの録音のために就任したとも言われている)。

本当は独墺のオケと録音したかったのであろうが、この演奏についてはロンドン響を起用したのが功を奏しているのかもしれない。

もしもこれが独墺系のオケであれば重厚さを増し、ややもすると鈍重になった可能性は十分に考えられる。

3曲とも力感にあふれ、しっかりと指揮者がリードし、堅実で、中味の詰まった大変に立派な演奏で、チャイコフスキーの巧みな書法がしっかりと再現され、迫力も十分。

ベームの職人的能力の最良の面がいかんなく発揮された、見事な出来映えではないだろうか。

中では第4番は、いかにもベームらしい強靭な古典的造型感と明晰性を感じさせる中にも激しい音楽の聴かれるドイツ表現主義風ともいえる演奏。

特に終楽章におけるシンフォニックでありながらも情熱的な世界は必聴の価値がある(第4番にはチェコ・フィルとの凄いライヴもあった)。

一方、第5番と第6番「悲愴」ではドイツ色はいっそう濃くなり、チャイコフスキーというよりもブラームスとかブルックナーに近い雰囲気さえ漂っているが、交響曲の演奏としては、がっちりした造形と端正なフレージングもあって、たいへん立派なものとなっている。

チャイコフスキーが「苦悩」を音楽にするために、どれだけ巧緻に管弦楽を織り成したかが、この演奏からまざまざと聴き取れる演奏とも言えよう。

ドイツ系の指揮者による純ドイツ風アプローチとしては、ほかにクレンペラーやヴァント、シュミット=イッセルシュテット、ケンペなどが知られており、同じドイツ系でも、フルトヴェングラーやカラヤン、ザンデルリンク、マズア、エッシェンバッハなどが、ロシア的表現様式にも配慮した濃厚な演奏を聴かせていたのとは対照的で、最もドイツ的な演奏と言われた。

弦の厚ぼったい響き、テンポ、ダイナミクスとも重量長大級で、一見、田舎風の泥臭さに満ちており、そういう演奏を好む人を大いに喜ばせるに違いない。

スラヴの憂愁も哀愁もないが、チャイコフスキーが目指したドイツ音楽の姿かたちがここにあり、ベームならではのチャイコフスキー像が創り出されている。

聴けば聴くほど味が出る演奏で、特にベーム・ファン向けの個性的チャイコフスキー・アルバムと言えるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:09コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーベーム 

2014年07月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



全4曲どれも素晴らしい演奏だ。

全体的な傾向として派手さはないが、端正で力強く、味わい深い演奏と言えよう。

ケンぺの演奏は、華麗さなどとは無縁であり、あくまでも真摯に楽曲を描いていくという職人肌の指揮が持ち味であるが、それによって生み出されるいぶし銀の味わいが、ブラームスの交響曲と見事に符合していると言えるのではないだろうか。

中でも第3番はステレオ録音ということもあってか、以前から分売されて、名演として名高かったが、実はブラームスの「第3」はなかなか演奏が難しい。

4つの交響曲中、最もスケールが小さく、等身大に表現してしまうと、こじんまりとした軽い演奏に陥ってしまう危険性がある。

それ故に、提示部の繰り返しを行ったりして、バランスをとる指揮者も一部にいるが、ケンぺはそのようなことはしない。

ケンぺのアプローチはあくまでも正攻法。

それでいて、何と力強い作品だろうかと思わせるのはさすがというべきだろう。

同曲をブラームスの「英雄」と称する人もいるようだが、ケンぺの演奏を聴いているとそれもむべなるかなと思われる。

北ヨーロッパならではの幾分渋い色調の音色を出しつつ、重厚さにもいささかの不足もない。

第2楽章や第3楽章の抒情的な旋律の歌い方も実に感動的であり、この「第3」は、ケンぺとしても会心の名演と評価してもいいだろう。

ケンぺの職人肌の演奏は、渋いブラームスの交響曲との相性が抜群だと思うが、「第4」は、ブラームスの交響曲の総決算と位置づけられる曲だけに、演奏が悪かろうはずがない。

ブラームスの「第4」という傑作の魅力を、恣意的にではなく自然体の表現で満喫させてくれる名演ということができるだろう。

ケンぺの演奏は決して華麗さなどとは無縁であるが、よく聴くと、渋い曲想のはしばしに感じられる滋味溢れる内容の豊かさがあり、これこそ、ケンぺ&ベルリン・フィルが見事に描き出した至高のブラームス像と言えるだろう。

あまたのブラームスの交響曲全集の中でも最も剛毅で、美しい名演の1つと言えるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:08コメント(0)トラックバック(0)ブラームスケンペ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



実に素晴らしい名演だ。

本盤に収められているのはベロフによる2度目のドビュッシーのピアノ作品全集の中から前奏曲集第2巻を軸として、「レントより遅く」や「英雄の子守歌」、「6つの古代碑銘小品」などの小品が収められているが、いずれ劣らぬ素晴らしい名演と高く評価したい。

かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。

しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏は断然優れていると評価し得ると言える。

こうした演奏の深化には、ベロフが、右手の故障を克服したことも大きく影響していると言えるのかもしれない。

それにしても、何と言う美しい演奏であろうか。

ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。

表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風の瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れている。

研ぎ澄まされた感性と、ベロフ自身のアンテナで感じたドビュッシー像を見事に表現しており、ドビュッシーの夜の音楽を体験できる。

ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。

それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。

しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫りの深さといった点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤におさめられた諸曲の演奏は、まさにドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:34コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーベロフ 

2014年07月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは素晴らしい名演だ。

ショルティは、ライナーやオーマンディ、セルなどと言った綺羅星の如く輝くハンガリー系の累代の指揮者の系譜に連なる大指揮者であるだけに、こうした偉大なる先達と同様にバルトークの最晩年の傑作である管弦楽のための協奏曲を十八番としていた。

ショルティは、本盤の演奏の前にも、ロンドン交響楽団とともにスタジオ録音(1963年)しており、当該演奏は既にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤として発売されるなど、圧倒的な名演と高く評価されているところだ。

本盤の演奏は、当該演奏から17年の時を経てスタジオ録音されたものであるが、再録音の成果が十二分にある素晴らしい名演と高く評価したい。

ショルティのアプローチは、これは管弦楽のための協奏曲だけでなく、併録の舞踏組曲についても言えるところであるが、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。

こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなく、それ故に演奏全体的な様相は1963年の旧録音にも共通しているが、1980年代に入ってショルティの指揮芸術にも円熟の境地とも言うべきある種の懐の深さ、奥行きの深さが付加されてきたところであり、1981年の本演奏にもそうした点が如実にあらわれている。

要は、ショルティを貶す識者が欠点と批判してきた力づくとも言うべき無機的な強引さが本演奏においては影を潜め、いかなる最強奏の箇所に至っても、懐の深さ、格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

楽曲によっては、ショルティらしい力強さ、強靭な迫力が損なわれたとの問題点も生じかねないが(例えば、マーラーの交響曲第5番)、本盤に収められたバルトークによる両曲の場合は、そうした問題点はいささかも顕在化していない。

そして、本演奏においてさらに素晴らしいのはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

ショルティの指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してしっかりとついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮(特に終楽章)している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ルビジウム・クロック・カッティングによって更に鮮明さが増している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:51コメント(0)トラックバック(0)バルトークショルティ 

2014年07月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



当演奏は初出当時から極めて評価の高かったものである。

リズム重視で厳格にして快活なテンポ設定で、ケーゲルらしい隅々までレントゲン照射したかのように音形を浮かび上がらせた名演だ。

幻想味を強調せず、どこまでも現実的な演奏と言えるところであり、楽曲を合理的に再構築してしまう手腕はヴァントに通じるものがあるとも言える(思えば、放送オケとの親密な関係、練習狂と言った面も似ている)。

トータル70分という快速テンポの演奏であり、後に録音されたレーグナー盤が68分台、スウィトナー盤も69分台だったので、これが東独では標準的なスタイルだったのかもしれない。

それとも「第8番と並ぶ大曲」とは見なされていなかったということかもしれない。

第1楽章の序奏こそ堂々としたテンポであるが、ホールの残響が少ないせいもあってか、潤いがなくて冷たい感じのまま音楽が進められていく。

ティンパニの打撃と共に、トランペットの切り裂くような音も耳に付く。

ただし、ロシア(旧ソ連)の演奏ほどではないが、アンサンブルの精度は非常に高い。

14分20秒のピーク前後も全く隙がない立派な演奏であるが、ここで感じる息苦しさはヴァント&ベルリン・フィル盤に匹敵する。

それゆえ、14分56秒からテンポを落として2分あまりしみじみ演奏しているのが「私はもうこんな生活には疲れました」とこぼしているように聴こえるが、18分11秒から再びテンポが速くなり、次第に軍隊行進曲調になる。

ここのコーダは堂々としたものだが、予想していたほど激しくはなかった。

その後も厳しい音楽が続き、次の第2楽章も一息吐くどころか、圧制に苦しめられている人の嘆きを聴かされているようだ。

ショスタコーヴィチの交響曲のいくつかの楽章(第5番や第10番の第3楽章など)を思い出した。

要は筆者の考え過ぎなのかもしれないが、テンポと音響のせいで緩徐楽章からもヒンヤリした印象を受けるのは確かである。

続く第3楽章スケルツォでは冒頭の突進に驚かされ、主部は長調部分でも音楽は決して微笑まない。

主部が厳しくともトリオに入るとテンポを落として息抜きをする演奏が一般的だと思うが、ケーゲルはそんなことには全く興味がないかのごとく、ここを早足で通り過ぎてしまう。

労働基準法を全く無視したかのような(途中の休憩10分だけで12時間労働させるかのような)過酷な演奏である。

第4楽章も同様に厳しい音楽が繰り広げられていき、突然激しくなる箇所が途中に何度かあるものの、決して熱くはならない。

ここまで徹底して同じスタイルで演奏しているのだから、全曲を貫く統一感という点では抜群である(聴いていて楽しい音楽ではないが)。

そんなことを思いつつ聴いていたのであるが、10分を過ぎた辺りから次第に演奏に熱がこもってくるのである。

13分38秒の小ピークに持っていくまでは、テンポこそまるで違うけれどもチェリビダッケのような壮絶な盛り上げ方である。

そして仰天したのが17分を過ぎてからで、変わったところでティンパニが鳴る。

クナの第5番は大幅カットされてしまっているので、それとの対応関係が掴まえにくいが、ケーゲルが改訂版を参考にしつつティンパニを付加したのは間違いない。

それまでと異なり、ここのティンパニは音が明るい(まさかとは思うが、違う楽器を使ったのだろうか? なお、クナ盤では音がこもっているせいか、コーダ前のティンパニ付加はそれほど耳に付かない)。

そしてシンバルこそ鳴らないが、コーダでもティンパニはやりたい放題で、シャルクが狙った通りの軍楽調になっている。

マタチッチ盤を上回るドンチャン騒ぎで、またしてもショスタコに例えるが、「森の歌」のラストと同じく、共産主義の明るい未来を予想させるような音楽になっている。

「東側はハース版」という常識が見事に覆されてしまった訳だが、あるいは党のお偉方に改訂版使用を強要されたのだろうか?

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーケーゲル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



当盤は録音のために十分な日数が確保されていたようで、ここでは何と12日間に渡っており、実際に聴いても非常に丁寧な音楽づくりを心懸けているのが分かる。

特に第1楽章の主題が2度目に出てくるところの美しさには溜息が出てしまった。

マタチッチ&チェコ・フィル盤に匹敵する美しさであり、奏者の録音に対する意気込みは並大抵のものではなかったのであろう、どのパートも積極的に弾き、吹いているのが感じられるし、それでいて決して粗くならないのだから見事だ(やはり指揮者の統率力によるものか)。

当盤では5分30秒頃から加速が入ってしまい興醒めしかけるが、基本テンポからの逸脱は旧盤ほどは酷くないのでホッとする。

16分過ぎのしみじみした部分にも胸が熱くなるものがあり、やはり確固たる基本テンポがあってこそ、そういう表現が生きるのだ。

コーダは基本テンポよりやや遅く(ただし遅すぎない)始め、そのままインテンポで締め括る。

そのため、非常にスケールの大きな演奏となっていて、もはや旧盤とは別人のようである。

第2楽章は、旧盤同様にスロースタートであるが、重苦しくはなく、モノラルとステレオという違いを差し引いても、響きは確かに違う。

主題を弾く弦を柔らかい音で金管が持続音でサポートしている部分など、決して暗くならず、全体的に明るいので心が和むところであり、旧盤が厳冬期の軍隊の行進とするならば、当盤は春か秋の森の散策といえようか。

テンポの変化が抑え気味であるため、劇性ということでは当然ながら後退しているゆえに、クライマックスにシンバルを加えなかったのだろう。

だたし、テンポが粘っこいのと打楽器なしだと十分に解放されないので、ティンパニのみ残したのではないか。

このバランス感覚は見事で、最後のテンポもそれほど遅くしないのは、その必要がないからであり、これも理に適っている。

残り2楽章は、それまで非常に均整の取れた演奏をしてきたのだから、ドラマティックにやっては水の泡になるので、それを指揮者はちゃんと解っている。

あるいは旧盤をノヴァーク版的、新盤を(アダージョでティンパニが入るものの)ハース版的と言っても大間違いではないだろう。

筆者にはこの演奏が旧盤よりも格段に優れているように思われるが、といって枯れてもいない(1960〜70年代といえばケーゲルはまだ壮年期であり、老化現象でテンポが遅くなったりするはずはないのは当然である)。

これを指揮者の10年間の成長の結果と考えることも可能であろうが、それ以上に演奏スタイルをガラッと(第7番向きに)変えたことが当盤で成功を収めた最大の原因ではないかという気がする。

いずれにしても、この指揮者は同一の曲を再録音する際には、敢えて前回とは違うやり方を試みてやろうという気概を持っていたようだ。

もう1人のヘルベルト(フォン・カラヤン)のように。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:51コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーケーゲル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ワルターの十八番ウィーン・フィルとのハイドン、モーツァルト、シューベルトで、甘美でエレガントな味わいが力強く美しく再現(復刻)されていて、選曲も最高と言えよう。

「未完成」は、第1楽章の終結、最後の3つの和音がスタッカートで、終わりのさざ波がいかにも短く、ため息のように消えてゆく。

この部分にワルターの「未完成」の美しさは集約されているようだ。

はかない哀感、この一言に尽きる。

ワルターはかなりオーケストラの奏者に任せつつ全体を見透し、愁いにみちた甘美さでこの曲を描き上げた。

ウィーン・フィルの貴族的なニュアンスとともに、ここにはわれわれが心の中で典型とする「未完成」の姿がある。

「プラハ」は、ワルターの若々しさとウィーン・フィルの個性がミックスして、独特の魅力を生んだ録音だ。

特に、第1楽章の主部をこれほど速いテンポで指揮したのは他にはシューリヒトだけである。

第2楽章の身も世もなく歌う恍惚美と高貴な艶は、一種の虚無感と相俟って全曲の頂点となる。

天国的なモーツァルトの音楽とその演奏にふと浮かび上がる虚無の影や不安感、これこそワルターの「プラハ」の秘密と言えよう。

「奇蹟」は、魅力的な部分が多々あるにもかかわらず、全体として小味にすぎ、即興演奏風にすぎて、古典の格調を失ったハイドンである。

美しいのはメヌエットのトリオにおけるオーボエで、これほど間の良い、音色にも吹き方にもセンスのあふれた演奏は滅多に聴けないだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:04コメント(0)トラックバック(0)ワルターシューベルト 

2014年07月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、カラヤンがベルリン・フィルを指揮して1970年代はじめにスタジオ録音を行ったメンデルスゾーンの交響曲全集が収められている(LPの全集に収められていた「フィンガルの洞窟」が収められていないのが残念である)。

カラヤンは、広範なレパートリーを誇る指揮者であり、しかも独墺系の作曲家の交響曲などについては複数の録音を行うのが通例であった。

しかしながら、メンデルスゾーンの交響曲の録音は本盤のみに限られており、本盤の登場前は、カラヤンはユダヤ人であるメンデルスゾーンを忌み嫌っているなどと言った根も葉もない噂を立てられたものであったのだ。

しかしながら、本盤に収められた演奏を聴く限りにおいては、メンデルスゾーンの交響曲との相性はむしろ良かったのではないかと思えるような素晴らしい名演に仕上がっている。

カラヤンが、その後二度とメンデルスゾーンの交響曲を録音しなかったのは、カラヤン自身も本演奏の出来に満足していたからに他ならないと言えるのではないだろうか。

本演奏の録音当時は、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代であり、鉄壁のアンサンブル、分厚い豊麗な響きの弦楽合奏、ブリリアントな金管楽器、桁外れのテクニックを誇る木管楽器、そして雷鳴のように轟くティンパニなどが一体となって、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもそれは健在であり、その上にカラヤンは優雅なレガートを施し、メンデルスゾーンならではの透明感溢れるみずみずしいオーケストレーションを、これ以上は望めないほどの美麗さで歌い抜いているのが素晴らしい。

楽曲毎に寸評を行っていくと、第1番について、おそらくは同曲演奏史上最も荒々しさを感じさせるような凄みのある迫力満点の豪演を展開していると言えるだろう。

そして、第2番の壮麗な響きは圧倒的な迫力を誇っており、これはオペラを得意とするカラヤンの真骨頂ともいうべき雄渾なスケールの名演に仕上がっている。

「スコットランド」は、とある影響力の大きい某評論家によって不当に貶められている演奏である。

筆者としても、某評論家が激賞するクレンペラー盤(1960年)を名演と評価するのに躊躇はしないが、それに匹敵する名演として本演奏も高く評価したい。

冒頭の序奏部は、クレンペラーに負けないくらいの深沈たる抒情に満ち満ちているし、主部に入ってからの心湧きたつ旋律の歌わせ方も絶妙だ。

第2楽章は某評論家が批判するように快速のテンポ設定であるが、それはクレンペラーと比較してのこと。

他の演奏と同様のやや速めのテンポで曲想を巧みに描いて行く。

第3楽章は素晴らしい音のドラマで、ゆったりとしたテンポによる悠揚迫らぬ歩みは、実に感動的だ。

終楽章のラストでの壮大な盛り上がりも、この名演を締めくくるのに相応しい圧倒的な迫力を誇っている。

「イタリア」は、決して急ぎすぎない中庸のテンポで、カラヤンならではの優雅なレガートを駆使した気品ある名演に仕上がっている。

「宗教改革」は、後年に「パルジファル」の至高の超名演を成し遂げるカラヤンならではの神秘感漂う壮麗さに満ち溢れた至高の超名演だ。

いずれにしても、メンデルスゾーンの交響曲全集は、一般にはアバド&ロンドン響やドホナーニ&ウィーン・フィルによる全集の評価が高いが、筆者としては、本カラヤン盤を随一の名全集と高く評価したい。

音質は従来CD盤でも十分に満足できる高音質であったが、数年前にカラヤン生誕を記念して発売されたSHM−CD盤は、音質の鮮明さといい、音場の広がりといい、素晴らしい水準の音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収録されたモーツァルトの2曲については、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきたが、それらとは一線を画する素晴らしい超高音質SACDの登場を大いに歓迎したい。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、録音が1949年ということもあり、マスターテープの保存状態がかなり良かったのではなかろうか。

何よりも、弦楽合奏の音に一本芯が通ったような力感が増したのが何よりも大きい。

そして、高弦の響きは艶やかで美しさの極み、トゥッティに差し掛かっても音が歪むことがないのが素晴らしい。

演奏は、いわゆるモーツァルト演奏に必要不可欠とされている優美さや繊細さを基調としたものではなく、いかにもフルトヴェングラーならではのロマンティシズム溢れる濃厚なものだ。

しかしながら、雄渾なスケールと彫りの深さにおいては、他のどの演奏よりも際立ったものがあり、本演奏を個性的な名演と評価するのに筆者としてはいささかも躊躇しない。

「グラン・パルティータ」は、さらに2年遡る1947年の録音であるが、これまた驚異的な高音質だ。

戦後間もなくとはとても信じられないような鮮明な音質に唖然としてしまうほどだ。

各管楽器がブリリアントに響くのは圧巻の一言であり、トゥッティにおいても音が歪むことは殆どない。

ここでのフルトヴェングラーの演奏においては、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のような濃厚な味付けは聴かれず、むしろ優美にして颯爽としたものと言える。

それでいて、厳しい造形美や楽曲の核心を抉り出していくが如き彫りの深さは健在であり、今般の高音質化によって、同曲のトップの座を争う名演になったと評価しても過言ではないのではなかろうか。

また、古き良き時代のウィーン・フィルの各奏者が奏でる美音を聴くことができるのも本盤の魅力であり、それらを望み得る最高の音質で味わえることの喜びを大いに噛みしめたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:28コメント(2)トラックバック(0)モーツァルトフルトヴェングラー 

2014年07月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このケーゲル盤は、マーラーのモザイク風の作品を断片から1つ1つを吟味し、組み合わせていったような精妙さをもつ演奏だ。

アゴーギクやデュナーミク、管弦のバランスのそれぞれに意味があり、音楽的に彫りが深い。

そのため、いささか分析的ではあるが、晴朗・透明で、マーラーの抒情性を的確に表出している。

しかし、よく聴いてみると極めて異常な世界とでもいうのか、他に例を見ない演奏である。

血の通わない音楽というのか、血は通っているが冷たい血とでもいうのか、こんなパッと聴いたところ楽しくないんなぁという感じのする演奏は稀であろう。

美しいながらも、冷たいナイフを頬に当てられているように感じてしまう。

他の指揮者よりもっと高い見地に立って全体を俯瞰するとこういう演奏になるのであろうか。

マーラーの音楽の美しさを表現できていると思うのであるが、どこかひっかかるものがある。

第3楽章の美しさは素晴らしく雄弁に聴こえるのだが、曲にのめりこまないとでも言うのか、どこか心ここにあらずという感じがするのだ。

ロマンティックで耽美的な音楽を優美に、そしてじっくりと聴かせてくれる演奏なのだけれど、このほっぺたが千切れそうに冷たい体感温度の低さは何なのだろうか。
 
遠くに突き放してみたらこんな感じで見えるとでもいうのか、能でいう離見をすればこうなるのかもしれない。

とは言え、筆者としては、このような演奏もマーラーの解釈としては十分成立すると考えている。

この曲を初めて聴く人にお薦めできる演奏ではないが、このような素晴らしい演奏もあるという感じで聴く分には良いだろう。

もし弱点があるとすれば、終楽章でのカサピエトラの歌唱かとも思うが、彼女は癖のない歌唱で、幾分ぶっきらぼうな表情が、この第4楽章の楽しげで無邪気で残酷なおとぎ話の一面の真理をついている。

ちなみに第2楽章のソロ・ヴァイオリンはジェルジ・ガライが担当している(ケーゲルはガライとは、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲を録音していた)。

ピストル自殺さえしなければ、ケーゲルを語る時『狂気のケーゲル』などという形容詞はおそらく不似合いだっただろう。 

このマーラーには絶頂の幸福感と、興奮すらも俯瞰でみつめる安定感がある。

筆者としては、ワルター、バーンスタイン、テンシュテットに次いで愛聴している。

ケーゲルの『大地の歌』の録音があったならば、さぞかしと思わせる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:39コメント(0)トラックバック(0)マーラーケーゲル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マニアの間で復活が待ち望まれていた伝説的な快演「ロジェヴェンのシベリウス」。

これは確かに普通のシベリウス演奏とひと味もふた味も違う、とにかくパワフルで強烈な演奏で、こんな部分があったのかという驚きの連続だった。

調和している部分だけでなく、不協和な部分もしっかりと響かせていて、 良い悪いは別にして、きれいごとだけではすまされないシベリウス像がここにある。

奇をてらう印象は感じなかったが、明らかに一般的な指揮者と着眼点が違う。

随所で聴かれる金管軍団の炸裂サウンドを筆頭に、鋭利で強靭にしなる弦楽器、異様に表出力が強い木管群、雷鳴のように轟くティンパニと、通常のシベリウス演奏の枠を大幅に上回る力感の誇示には驚かされる。

とりわけ金管楽器の強大な音は確かに「爆演」であり、それが好評と不評を大きく左右すると言えるが、その奏法はロシア、旧ソ連のオーケストラにある程度共通するものであり、彼らの音に対する感覚がそのようになっているからだと思われる。

よく聴き込めば決して野放図に演奏しているのではなく、光り輝くようなニュアンスを持っていることがこのCDから十分聴き取ることができる(一定のレベルにある再生装置でなければ金管の音を精確に再生しきれないので注意)。

この全集では第2番が比較的穏やかな演奏で、むしろトスカニーニの方に過剰な情熱を感じるが、快速の第3楽章から第4楽章への盛り上がりは見事な演奏である。

第1番は盛大な感情の隆起に満たされた音楽として演出されており、大パレードを見るような面白さがある。

第5番も壮絶としか言いようがないが、ここまで徹底されてしまうと痛快ですらある。

第4番はなかなかの傑作で、非常に緻密であり、精細なオーケストラ技術による目の詰んだ表現を目指し、まるで研磨機で磨きこんだような音楽の地肌を見せる。

第3番、第6番、第7番ではロジェストヴェンスキーが伸びやかに歌わせている弦楽器、特にチェロが美しい音で捉えられていて、秀逸だ。

今まで聴いてきた中ではデイヴィス&ボストン響の上品で堅牢な演奏が全集としてもっとも優れているように思っていたが、このロジェストヴェンスキーの演奏は全く別の世界の優れた全集である。

特に第6番の第1楽章は他の演奏と比べるとこれが本当に同じ曲なのかと感じるほどオリジナリティーに富む演奏になっている。

この全集は好き嫌いのはっきりする演奏とも言えるが、優れたものであることは疑う余地はない。

細部にこだわって精密になればなるほど全体の強い流れを失うような今の演奏にはない、強い訴えがここにある。

決してロシア色一辺倒ではなくこの曲の持つ北欧的なそして内省的なカラーをロジェストヴェンスキーがその知性で上手く引き出した演奏となっている。

音質は、わずかにテープの経年を感じさせる部分はあるものの鮮明なステレオで、この凄まじいシベリウス演奏を生々しく捉えていて文句無しである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0)シベリウス 

2014年07月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



かつてのCD全盛時代においては、膨大な数の新譜CDの発売が毎月のようになされていたが、近年においては殆ど数えるほど。

かつての名演の高音質化や大指揮者のライヴ録音の発掘などが大半(それも素晴らしいことではあるが)で、ネット配信が隆盛期を極める中で、CDにとっては極めて厳しい時代が続いていると言えるだろう。

そのような中で、膨大な投資を必要とするオペラの新譜が激減しているのは必然的とも言えるところであり、ましてや国内盤の新譜にオペラCDが登場すること自体が、もはや奇跡に近い状況にあるとさえ言えるだろう。

その意味では、本盤に収められた歌劇「カルメン」全曲の登場はにわかには信じ難い出来事。

ましてや、現代最高の黄金コンビとも言えるラトル&ベルリン・フィルによる演奏という豪華な布陣にはただただ驚くばかりだ。

前述のような厳しい時代だけに、この黄金コンビとしてもオペラの録音は何と10年ぶり2度目。

かつてのカラヤンやアバドが、自らの膨大なオペラ・レパートリーをベルリン・フィルとともに録音していたことを考えると、まさに隔世の感があるとも言えるだろう。

それだけに、この黄金コンビにとっても満を持してのオペラ録音ということになるのであろうが、演奏も素晴らしい。

何よりも、ラトルが芸術監督に就任してから10年を経て、いよいよベルリン・フィルを完全掌握している好調ぶりが如実にあらわれている。

カラヤン時代のような重厚さはないが、少なくともアバド時代と比較するとオーケストラの力感は十分に圧倒的であり、何よりも卓越した技量に裏打ちされた、各場面毎のいい意味での柔軟性に富んだ機能性の凄さは、かのカラヤン時代さえ凌いでいるとさえ言えるのではないだろうか。

ラトルの現代的な感覚の鋭さ、そしてベルリン・フィルの伝統に卓越した技量と伝統に裏打ちされた柔軟性と機能性が見事にマッチングして、まさに清新な歌劇「カルメン」像の確立に成功しているとも言える。

ベルリン・フィルやウィーン・フィルとともに同曲の超名演を遺したカラヤン、そしてロンドン交響楽団とともに強靭な生命力と豊かな歌謡性を併せ持った稀有の名演を成し遂げたアバドによる演奏とはひと味もふた味も異なる演奏と言えるが、あざとさをいささかも感じさせない現代的なセンスに溢れた本演奏は、まさにラトル&ベルリン・フィルという稀代の名コンビぶりとともに、21世紀における新しい歌劇「カルメン」像を確立したという意味において、偉大な両先輩による名演にも比肩しうるだけの素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

歌手陣も、いわゆるラトルの旗本とも言えるコジェナーやカウフマンなどが圧倒的な名唱を披露しており、ベルリン国立歌劇場合唱団の秀逸さも相俟って、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

そして、音質はSACDによる圧倒的な超高音質だ。

歌手陣の細やかな息遣い、そして独唱、合唱、オーケストラ演奏のそれぞれが明瞭に分離して聴こえるのはさすがはSACDと言うべきであり、音質の鮮明さ、音場の拡がり、音圧の凄さのどれ一つをとっても超一級品の仕上がりになっている。

いずれにしても、現代最高の黄金コンビであるラトル&ベルリン・フィル等による歌劇「カルメン」の圧倒的な名演を、最高の高音質SACDで味わうことができる喜びを大いに噛みしめたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:01コメント(0)トラックバック(0)ビゼーラトル 

2014年07月14日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたR.シュトラウスの楽劇「アラベラ」は、ショルティがウィーン・フィルとともにワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」の歴史的な初のスタジオ録音(1958〜1965年)を開始する直前の演奏である。

楽劇「ばらの騎士」や「サロメ」などと比較するとあまりにも録音の点数が少ない楽曲、そして、世界で最も掌握しづらいオーケストラであるウィーン・フィルを指揮して、このようなスタジオ録音を行ったという点に、若きショルティの並々ならない意欲とR.シュトラウスに対する深い愛着があらわれていると言えるところだ。

同曲は、R.シュトラウスの楽劇としては、「サロメ」や「エレクトラ」のような革新的、前衛的な要素はあまり存在しておらず、むしろ、「ばらの騎士」などの路線に立った後期ロマン派的な楽劇と言える。

ショルティの楽曲への基本的なアプローチは、切れ味鋭いリズム感とメリハリの明瞭さであるが、このようなアプローチは、「サロメ」や「エレクトラ」には適していたとしても、同曲にはあまり相応しいものとは言えないとも考えられる。

しかしながら、ショルティが「ばらの騎士」でも名演を成し遂げたのと同様に、同曲でも素晴らしい名演を成し遂げることに成功していると言えるだろう。

確かに、随所に聴かれるトゥッティにおいて、ショルティならでは迫力満点の強靭さも存在しているが、この当時のウィーン・フィルが有していた美しさの極みとも言うべき美音が演奏全体を支配し、ショルティのいささか鋭角的な指揮ぶりに適度の潤いと温もりを付加させるのに大きく貢献していると言えるのではないだろうか。

ショルティとウィーン・フィルの関係は、とても良好なものとは言い難かったが、本演奏においては、むしろ、ショルティの方がウィーン・フィルに歩み寄っているような印象も受けるところであり、その結果として、このような素晴らしい名演に仕上がったとも言えるところだ。

同曲には、ベーム盤以外に強力なライバルが存在していないのも本盤にとって大きな追い風になっているとも言えるところであり、本演奏は、同曲演奏の一つの規範として現在でもなお輝きを失うことのない素晴らしい名演と高く評価したい。

歌手陣も豪華であり、特に、リーザ・デラ・カーザのアラベラ役は当時最高の当たり役。ズデンカ役のヒルデ・ギューデンやマンドリーカ役のジョージ・ロンドン、そしてワルトナー伯爵役のオットー・エーデルマンなど、超一流の歌手陣が最高の歌唱を披露しているのも、本演奏を聴く最高の醍醐味である。

そして、今は無きゾフィエンザールの豊かな残響を活かした英デッカによる名録音も、今から50年以上も前とは思えないような極上の高音質を誇っていると言えるところであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:29コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスショルティ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



リスト直系のクラウゼ門下だったピアニスト、クラウディオ・アラウの最円熟期の名盤として知られる1枚。

ユニバーサルミュージックが手掛けたSACD&SHM−CDシリーズの第1弾であり、当盤こそついに理想が実現した画期的なディスクであった。

それまでSHM−CDとXRCDとの組み合わせはあったが、理論的には可能なSACDとの組み合わせをなぜ行わないのか疑問を感じていただけに、当時のユニバーサルによるSACD&SHM−CDの発売は、大変喜ばしいことであった。

しかも、SACDが、一般的なハイブリッドではなくシングルレイヤーであることも、SACDの潜在能力を最大限に活かすものとして素晴らしい。

ガラスCDはともかくとして、コストパフォーマンスを考慮すれば、現在望み得る最高の高音質の可能性を秘めた、まさに理想のディスクということが言えるだろう。

ネット配信がこれだけ普及し、CDがすたれていく傾向にある中で、しかも一度SACDを撤退したユニバーサルが、このような理想のSACDを発売したことは快挙であり、大いに歓迎したい。

SACDという高音質を追求する規格と、コスト面でガラス円盤より圧倒的優位に立ちながら、透明性と流動性に優れたSHM素材の組み合わせは、音楽配信が普及する昨今においてCDという媒体に新たな付加価値を与えている。

そして、実際に聴いてみたところ、そうした期待を裏切らないような別次元の音質であった。

今から約40年前の録音であるが、そのような音質の古さなどいささかも感じさせず、眼前でピアノが演奏されているのではないかとの錯覚を起こさせるような、クリアで重量感溢れる音質が再現されている。

今後とも、ユニバーサルには、こうしたSACD&SHM−CDをシリーズで発売していただくことを心よりお願いしたい。

演奏は、既に定評ある超名演であるが、これだけの鮮明な音質を聴くと、もちろん超名演との評価はいささかも変わることがないものの、これまで聴いていたのとは異なる別の演奏を聴いているような気がしたが、そう感じたのはおそらくは筆者だけではあるまい。

それにしても1970年録音というアラウ最盛期と思われる時期の録音がSACDになったことは大変喜ばしい。

ピアノ・ソナタはアラウのテクニックと音楽性が十分に響き渡っている。

また、「孤独の中の神の祝福」も彼独特の間の取り方や、情緒が伝わってくる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)リストアラウ 

2014年07月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



旧東独の鬼才、ヘルベルト・ケーゲルが、ライプツィヒ放送響のメンバーを駆使して行ったスタジオ録音、バッハ「音楽の捧げ物」が初のソフト化。

ケーゲルのバッハ演奏そのものが極めて珍しく、ほぼ10日を費やしてなされた当録音は、ヘルマン・ベルナーによる新版であり、自由に曲順が変更されている上に、パウル・デッサウ編曲のカノンが5曲も含まれ、最後はウェーベルン編曲による大オーケストラのための壮麗な6声のリチェルカーレで締めくくられる。

亡くなってかなり経つというのに次々と未発表録音が現れるケーゲルであるが、「音楽の捧げ物」をオーケストラで録音している演奏というとどうしても興味が引かれる。

多彩な楽器編成で、この曲の最も面白い表現の一つだろうが、それ以上に内容も豊かな演奏。

おそらく「音楽の捧げ物」の演奏史上、最も凝ったものの一つであるこの企画が、アイディアのごった煮にならずに、説得力を獲得できたのは、硬派の雄ケーゲルならではの筋金入りの音楽作りがあったればこそ。

どんな衣装を着せても揺らぐことのないバッハの凄さと、ケーゲルの底力を思い知らされた。

これは、まぁ何とも深くて楽しいJ.S.バッハで、このバッハを聴き始めたときに、機械が壊れたのかと思った。

主題をフリューゲル・ピアノフォルテで演奏されていたのだ!

このフリューゲル・ピアノフォルテは、ポツダムのサンスーシ宮殿にある楽器が使われているそうで、初めて耳にしたピアノともチェンバロともつかないとても心持良い美しい音色である。

しかし再生装置の質によって、壊れたピアノの音に聴える可能性も否定できないと思った。

筆者の装置では、透明感を伴った美しい音が出てきて、その後の展開も聴かせる。

その後、室内楽編成(1曲オルガンもある)による王の主題によるカノン、無限ソナタなどがが続き、フルート、ヴァイオリン、チェロ、チェンバロという普通の編成のトリオ・ソナタが中心に奏される。

ここまでもなかなか緊張感に富んだ演奏なのだが、圧巻はオーケストラによる後半で、デッサウ編曲の王の主題によるカノンが5曲収録されている。

管楽器のソロを中心とした編曲であり、通常聴くバッハの響きからはほど遠いが、各声部の動きは手に取るように分かり、あらためて内容の豊かさに驚かされる。

最後を飾る6声のリチェルカーレはウェーベルン編曲版で、これが物凄い演奏になっている。

このコンビならではの淡々と音を置いているだけのようでありながら、何故か熱くなっていく演奏で、美しく感動的に終える。

特にこのウェーベルン編曲の6声のリチェルカーレの感動的な演奏は是非聴いていただきたい。

現在はピリオド奏法の演奏が多いわけだが、現代の楽器で演奏するバッハとしては、非常に面白い試みを数多く行っている演奏である。

編曲も面白いし、デッサウ、ウェーベルンの曲も自然に繋がっていく非常に面白い演奏
だ。

全身の力が抜け、喜びとも感謝とも悲しさともつかない感情が湧き上ってくる。

それにしてもケーゲルという指揮者は、果敢に新しい表現にチャレンジしていたのだなぁと思わせる録音だ。

これは立派なことには違いないし、彼の活躍した時代背景とキャリアを考えると深い感慨を覚えずにはいられない。

フィギュアスケートのカテリーナ・ビットもそうだったらしいが、ケーゲルもベルリンの壁の崩壊後であっても「社会主義者」であることを誇りにしていたという。

彼の考える社会主義の中身が問題になろうが、非常に倫理的な人間であったことは想像できる。

そんな音楽の周辺をも再考させる、ある意味「際物」寸前、しかし大変真摯なバッハである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:51コメント(0)トラックバック(0)バッハケーゲル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ケーゲルによるヴィヴァルディの協奏曲集とシンフォニア集という珍しい録音。

協奏曲集は比較的よく見られるが、シンフォニアの録音は思った以上に少なく、当盤では2曲のシンフォニアを収録している。

思わずぎょっとするような(作品/演奏者)組み合わせではあるし、ヴィヴァルディの作品中、あまり著名でないものを集めたというのもマニアック。

ヴィヴァルディは明るく軽快、軽妙な響きが基本なので、これはいったいどうなるのかとかつてはずいぶんと話題になったものだ。

これがやはりケーゲルの手に掛かると少々悲劇度増して、弦は泣き、オーボエは上手いが地味で神妙。

弦の編成は絞り込んでいるようで大編成の違和感はないけれど、両端楽章の雄弁なる切迫感は何とも言えぬ味わいだ。

ライプツィヒ放送室内管弦楽団の演奏は、何よりもまずその透明な響きに魅せられる。

1曲目のシンフォニアのアンダンテでしめやかに歌われる弦の調べは、まさに天上から響き渡るかのようだ。

しかしそれ以上に「聖なる墓にて」の荘厳で、包み込むような深い響きは、聴き手の心の奥深くに染み込んでいく。

とても深刻で静謐な世界から始まって、題名の由来は知らないが、いかにも“それ”らしい神々しい、神妙な囁きである。

「ダリウスの戴冠」は豊かで厚みのある弦楽合奏で、いかにもハ長調らしく親しげな開始なのが、少しずつ暗転するところに緊張感というか、悲劇的な味わいになっていくから不思議だ。

急緩急のイタリア風序曲から「アンダンテ」には纏綿と深刻な味わいになって、ラスト「プレスト」はわずか33秒。

ファゴット協奏曲はイ短調なだけあって、再び弦が悲痛な叫びを上げる。

ファゴットという管楽器はユーモラスな持ち味なのだが、ここでの旋律もやたらと陰影に沈んで、軽快なる味わいにあらずだ。

クレツマーの技巧は文句なしで、ここでも緩徐楽章の嘆きが白眉であり、ヴィヴァルディなのに何と哀しい音楽なのだろう、そう思わせる音楽の力がある。

チェロのオブリガートがいい味を出しており、終楽章の弦(のラッシュ)はバロック音楽として違和感のあるものではないだろう。

協奏曲イ長調にはソロ楽器はないが、第1楽章は朗々とした押し出しの良い「アレグロ」である。

ところが第2楽章「アダージョ」に至ると再び嘆きの音楽となってしまう。

ほんの1分ほどであるが、最終楽章のヴァイオリン・ソロの絡み合いは哀しみに満ち、弦楽合奏がそれを否定して明るく振る舞う、といった不思議な風情。

「ごしきひわ」 はこのCD中唯一の著名作品であり、フグナーの豊かで厚みのある太い音色はいかにもドイツ的だ。

第2楽章「カンタービレ」には悲劇はなくて、悠々と安らぎの風情である。

終楽章はフルートとヴァイオリンのユニゾンが晴れやかな世界を醸し出しており、しっとりとして、華やかではないが、この作品が全曲中一番明るい。

この世の中に不幸な人間のいる限り、このケーゲル盤を愛聴する人間が絶えることはないと筆者は信じている。

前記したケーゲル最晩年の「アルルの女」とともに、録音史上に残る大傑作であることは間違いない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)ヴィヴァルディケーゲル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これまでは、「アルルの女」第1組曲、第2組曲、そしてオペラ「カルメン」の4つの前奏曲は、クリュイタンスの指揮したものが名盤の誉れ高かったが、この盤を聴いてみて驚いた。

ダイナミックな部分(「アルルの女」第1組曲の〈前奏曲〉の前半、〈カリヨン〉の前半、第2組曲の〈ファランドール〉など)は、他の指揮者の演奏よりもダイナミックに、たゆたうようなしっとりとした情感溢れる部分(「アルルの女」第1組曲の〈アダージェット〉、第2組曲の〈メヌエット〉など)はよりゆったりとしているのである。

「アルルの女」第1組曲の〈前奏曲〉からして、あまりに淡々とした端正な音楽に畏敬の念すら覚える。

まったく何の不足も余分もない、凍りついたような清潔な美しさである。

最初の弦楽器に続いて登場する木管楽器たちの何か寂しげな様子もただごとではない。

そのあともひたすら端正であり、大げさな気配は微塵もないのだが、有無を言わさぬ迫力があるのだ。

そして、まるでシューベルトの「未完成」交響曲第2楽章終結部のような黄昏を経て、恐ろしい後半部がやってくる。

ブルックナー第9番のスケルツォのような〈メヌエット〉も、よく歌いながらまったく楽しさがないという戦慄の音楽だが、ついで流れ出す〈アダージェット〉は、初めて聴く人を間違いなく瞠目させるに違いない。

そう、まさにマーラー第5番のアダージェットのようなのだ。

きわめて遅い、何という美しさ、何という憧れ、何という悲しさ、何という切なさ。

〈カリヨン〉では再び明るく透明な響きが戻ってくるが、これが明るさとは裏腹に、まるで死者が浮かべる微笑のうつろなまなざしのようで怖い。

とりわけ中間部は虚無感そのもので、もはや心はここになしという様子だ。

第2組曲では、〈パストラル〉中間部がまるでブルックナー第4番第2楽章のようだ。

〈間奏曲〉のしみじみとした味といい、〈ファランドール〉の祭の興奮とは正反対の冷えた感触といい、「アルルの女」をこれほどユニークに演奏した例は古今無双であろう。

この演奏全体を通じて、恣意的な臭みのまったくない弱音の表現力の豊かさに圧倒される。

人間のむなしさ、存在の悲しみをここまで表した音楽を筆者は他に知らない。

そして、こういう切実な音楽に対し、語る言葉は無力だ。

しかも録音が素晴らしく、全ての音が驚異的に鮮明に捉えられているのである。

ただ、近年なかなか手に入らなくなったこのディスク、読者諸氏が無事に手に入れていただくことを切に祈るのみである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:40コメント(0)トラックバック(0)ビゼーケーゲル 

2014年07月12日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これまで、ヴァンデルノートとコンヴィチュニーのライヴ録音、放送録音をリリースしてきたドイツのヴァイトブリックでは、新たに「ヘルベルト・ケーゲルとライプツィヒ放送響の芸術」というシリーズをリリースすることになったそうで、第1回新譜として3枚のCDが発売になり、これはその中で最初にリリースされたものである。

ケーゲル指揮のハイドンの交響曲第81番は初めて聴いたが、ブラームスの交響曲第1番はオード・クラシックから1961年の録音が発売されていた。

最初に収録されているハイドンの交響曲第81番は,いわゆる「パリ・セット(第82〜87番)」の1つ前の作品で、あまり演奏頻度の高い作品ではないのだが、後年の作品のようなかっちりした構成感はまだないにしても、デリケートでフレッシュな表情があって非常に魅力的だ。

演奏の方も、肩の力を抜いて、旋律の美しさを率直に歌い上げており、特に際立った表情を聴かせているわけではないが、この演奏で特徴的なのは、透明な美しい響きと練達のアンサンブルの中に張りつめた皮膚感覚が同居していて、緊張感を感じながら、感興に満ちた美しい演奏に聴き入るような思いがして、やはりこれはケーゲルならではの表現の世界と言えるのではないだろうか。

続く、ブラームスの交響曲第1番は、第1楽章から大変聴き応えがある新鮮さであり、冒頭のティンパニの連打は控え目で弦の合奏が強く出て、意表を突かれ、その後もなかなか味わい深い。

しかも、音の質感の冷たいのが、ひしひしと伝わってくるのもケーゲルらしく、圧倒するものがある。

テンポはいくらか遅めで、ことさら表現を強調することもなく、むしろオーソドックスで端正な演奏と言えるほどなのだが、演奏全体が無機的な緊張感ともいうべき独特の雰囲気に支配されていて、フォルテやピアノ、テンポを落としながらのカンタービレなど、特に奇を衒ったところはなさそうなのに、それが終始無表情に演奏されているので、どこか薄ら寒さを感じてしまうほどである。

これは、人間的なぬくもりや、心からの共感といった演奏とは対極にあり、非常に表現主義的とも言えるのだが、グロテスクさは全くないし、むしろクールで無機的な美しさを感じるのである。

それが研ぎ澄まされた緊張感とともにあるため、聴き手に極度の緊張と集中を強いる演奏になっているところは、この演奏の際立った特色ではないかと考える。

ケーゲルというと独自の緊張感を伴った、時に「猟奇的」といわれる演奏を聴かせたりもするのだが、このCDで聴ける演奏は、いずれもクールビューティな面と曲趣に応じた劇性とを堪能しつつも、ケーゲル独自の研ぎ澄まされた感性と、リアルで非感傷的な視線には恐ろしさすら感じてしまう演奏であった。

全体として、カラヤンのロンドン・ライヴ盤以来のインパクトであった。

筆者自身はこの演奏に強く惹き付けられ、その美しさも、無表情に呵責ない表現を聴かせる激烈さも、存分に堪能したのだが、一般的な意味での「聴いて楽しめる演奏」とは言い難いのは事実であり、これは誰にでもお勧めできる演奏ではないけれども、ぜひともチャレンジ精神を持って聴いてもらいたいCDである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:51コメント(0)トラックバック(0)ケーゲル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ケーゲルという音の匠が創り出した最高のガラス細工のようなラヴェル作品集。

オペラ「子供と魔法」全曲を録音しているくらい、ラヴェルには思い入れが強く、その完璧な作曲を精緻なガラス細工のような演奏で具現化している。

絶美なのはピアノ協奏曲で、ラトルともスタジオ録音しているウーセの魅力的なピアノを得て、夢見るような解釈が楽しめる。

ピアノ協奏曲史上、最高傑作のひとつと言われているラヴェルのこの曲は、ケーゲルの予想以上の生々しい色彩感とエキゾシズムに最後まで耳が離せない。

この曲でオーケストラ・パートをここまで有機的に人間臭く鳴らしきった演奏は他に類例を見ないが、一方のウーセのピアノは、それに比べるとかなり地味に聴こえ、ケーゲルの醸し出す雰囲気とぴったりのニュアンスで、絶妙な味わいを残す。

タッチは硬質で、スタイルも洗練されているが、音の粒立ちから芳醇な香りが立ち込める。

その両者のコントラストと溶け合いの妙こそがこの演奏の醍醐味である。

第1楽章後半、不必要に力まず、音楽を一気に高揚させる両者の連携は完璧。

そして第2楽章が絶品だ。

いかなる感傷をもそぎ落とした氷のように静寂な音楽だが、そこから白い冷気のように哀しみが立ち昇ってくる。

一見淡々としたウーセのフレージングがかえって忘我的な雰囲気を引き出し、聴けば聴くほど内面から湧き出る共感が細やかなアゴーギクとなって現われているのに気付き、味わいもひとしおであり、木管が長いソロを吹く静かなシーンも、他に類例がないほど感動的で、ピアノとオーケストラの相性もよい。

終楽章の機械的な無機質さを感じさせないコクのある表情も、心にしっかり印象づけられる。

この演奏に関して言えば、ピアノの音が冷たいのは確かで、一聴して固い印象だったが、それは、ある意味で間違いだった。

時をおいて聴き直すと、オーケストラの演奏が、まぁ何と表情豊かな演奏をしていることか。

他の演奏が単調に聴こえてしまうほどであり、改めてピアノをオケの一部として捉え直して聴くと、この演奏が別の魅力豊かな表情を有して聴こえてくるのに気付く。

通常協奏曲の名演奏は、ソロの素晴らしさ+伴奏の確かなフォローという形で論じられることが多いのだが、この演奏はそういう図式では収まらない不思議なニュアンスが満ち溢れている。

カップリングの2曲も必聴と言えるものであり、「ボレロ」では、伴奏部分の強調など個性的で、最初のフルート・ソロが不気味なクレッシェンドをするところからただならぬ予感。

管の各奏者の高い技量の素晴らしさに加え、「東独的」とも言うべき独特のアクが自然と顔を覗かせるあたりが何とも味わい深い。

ラヴェルの魔法的な色彩術の象徴と言えるチェレスタが加わる箇所は、精緻さを目指さず、むしろ大掴みな感じであるが、自然とハ−モニーとして溶け合っているのは、オケの技量の賜物であろう。

しかし12分位から、トランペットが主役になって以降のリズムの野暮ったさはメンゲルベルクの同曲の録音を思い起こさせ、思わず吹き出してしまうほどフランス的な洗練とは正反対と言えるものであり、しかもそれを大真面目でやってのけているので、この上なく痛快で「教科書的な名演」に飽きた人は必聴である。

合唱つきの「ダフニスとクロエ」は、克明でたくましく分厚いハーモニーが素晴らしい名演で、 本当にフランス的な良い雰囲気を醸し出した、まさにラヴェルしか書けなかった音楽が存分に堪能できる。

弦楽器が力強くうねっては鎮まるが、特に最後の壮大な盛り上がりが圧巻で、鮮烈かつ痛快、硬派にして官能的、切れのいいリズムで、すべての音がエネルギーの放出を目指して高まっていく。

合唱の存在感も適切で、これでこそわざわざ人声を組み込んだ意味があるというものだ。

ケーゲルはラヴェル作品としては「子供と魔法」を録音していたが、こちらの盤のほうがあらゆる面ですぐれている。

ケーゲルに鍛え上げられたオケの技量も素晴らしく、鳴っている音楽に耳を傾けて欲しい。

これほどまでに暗黒を感じさせるラヴェルは他に無いだろうし、これからも生まれないだろう。

ラヴェル・ファン、ケーゲル・ファンのどちらにも聴いてもらいたいCDである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルケーゲル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このケーゲル盤の演奏は、オーケストラの表出する熾烈なまでの音響的インパクトが素晴らしく、このオペラならではの破滅的なまでに強烈きわまる音楽の醍醐味を存分に満喫することのできる名演だ。

古典作品の構造引用を睨みながらも、表現主義的なエネルギーを強烈に引き出した凄い演奏であり、「ヴォツェック」の決定盤はこのCDなのではないだろうか?

どう聴いても声楽台詞付き器楽曲のように聴こえるこの歌劇の最も精力にあふれた演奏。

ケーゲル&ライプツィヒ放送響の奏でるオーケストラの響きは、尋常ではない緊迫感を感じさせるものがある。

ケーゲルは冷静時代の東独という目立たない所で活動していたので、ついぞ脚光を浴びることはなかったが、これから大いに再評価されて欲しいものだ。

アバドやバレンボイムを凌駕する圧倒的情報量、鋭すぎるフレージング。

ブーレーズはこの曲を見事に整理したが、ケーゲルはより複雑に、怪奇に、カオスに、まさに今そこにある危機的状態を感じさせるものがある。

この音と音の壮絶なせめぎ合いを破綻させないのだから、やはりこの指揮者の力量は凄い。

これまでに聴いたアバドやバレンボイムの演奏が中途半端で生ぬるい演奏に聴こえるほどホットで、聴いていて耳が火傷しそうなほど熱い最高の「ヴォツェック」である。

冷徹なブーレーズ盤の対極にある演奏と言えるところであり、鋭利な刃物のような切れ味で、耽美的なところもあって、マーラーのようなシニカルなところもありながら、ショスタコーヴィチのような光と影のコントラストを感じさせるところもある。

「パルジファル」全曲やヒンデミットの管弦楽曲も凄かったが、この「ヴォツェック」はこのオペラの心眼に斬り込んでゆくような更なる凄みがある。

ここでのライプツィヒ放送響の最盛期におけるアンサンブルは充実を極めていて、あたかも狂気と耽美とが紙一重で共存するような、ギリギリの領域で音楽が進展し、その強烈ぶりに聴いていて惹き込まれてしまう。

言うなればシナリオの絶望感を、演奏の狂気感が超えていて、完全にとり憑かれている、という感じであろうか。

歌手陣も秀逸で、ライヴ録音ならではの緊張感があり、貫禄充分なアダムの主役を筆頭に、テンション高い歌手陣の頑張りも実演ならでは。

「三大性格テノールコンサート」の1人に入れてもいい、ハウプトマン役のヒースターマンの歌唱は最初から強烈。

マリー役のシュレーターは、ベーレンスやマイヤーよりは弱いかもしれないが、街の片隅に生きる「小市民」のマリー、どこにでもいるような「あばずれ女」のマリーとしてはイメージとして適合している。

どのキャストもまさに迫真の演技で、聴いているうちに自己の精神までも分裂してしまうんではないか、という恐怖感に苛まれてしまう程の凄演だ。

1973年のライヴ録音であるが鑑賞上で何ら問題の無い高音質なのもうれしいところだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:01コメント(0)トラックバック(0)ベルクケーゲル 

2014年07月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ケーゲルは旧東ドイツでは、現代音楽と合唱曲のエキスパートとして著名であった。

彼は1978年から10年にわたってドレスデン・フィルの首席指揮者を務めたが、華々しく脚光を浴びることはついぞなかった。

しかし現代音楽の演奏では、明晰な解釈とある種エキセントリックな表現によって高い評価を受けていたことは間違いない。

当盤は、ヒンデミットの演奏で高い評価を得ていたケーゲルの代表的録音で、最初に聴いたときには衝撃を受けた。

「画家マティス」は、この曲のベスト演奏のひとつと言われているものであるが、筆者は「画家マティス」と「いとも気高き幻想」のどちらも最高の演奏と評価したい。

このヒンデミットの演奏は、ケーゲルの演奏スタイルを知る上では代表的なものとして挙げられよう。

主情的な見方は避け、曲のあるべき姿を正確に見極め、輪郭のはっきりした強靭なタッチでシリアスに描き出している。

「画家マティス」は作品に対するあたたかい共感を伝えるような演奏である。

ヒンデミットの精緻で目の詰んだ書法を重くもいかめしくもせず、柔軟と言えるほどの流動性をもたせて、しっとりと旋律を歌わせている。

自然なアゴーギクで音楽的な起伏をつくる構成もいい。

「いとも気高き幻想」も、のびやかな抒情性を表した好演。

これら両曲の異演盤では、例えば1995年のアバド&ベルリン・フィルの演奏と比べると、金管の音の豊かさが際立っている。

1本1本で聴けばやや不安定に思える所もあり、ベルリン・フィルの方が上に感じるが、オーケストラ全体としては、ドレスデン・フィルの方がまとまり感があって抜群に素晴らしい。

そのオーケストラのハーモニーを聴いていると、自分の耳の充実感がとても心地よく、思わずヒンデミット好きになったと感じてしまうほどである。

ケーゲルはこうした逸材であったにもかかわらず、東西ドイツ統一後、ブリテンの〈戦争レクイエム〉の録音を遺言のように残して自殺した。

ハイブリッドSACDの高音質録音も本盤の価値を高めるのに大きく貢献しており、各楽器の音が全体になじんでいて、オーケストラとしての一体感がある。

アナログレコーダーが編集に使用されているからであろうか、最近のSACDほどの透明感はないのだが、音のきつさは殆ど感じられなくなったと言ってよい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:52コメント(0)トラックバック(0)ケーゲル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューマンは、1980年10月、ブラームスは1988年11月、いずれもライプツィヒに於けるステレオ・ライヴ録音。

旧東独の鬼才、ヘルベルト・ケーゲルは前記のように近・現代音楽を得意としていたが、これはドイツ・ロマン派音楽の傑作を並べた名演集である。

ケーゲルのシューマンの交響曲第4番は手兵ドレスデン・フィルとのディスクは初めてで、シューマンの交響曲では何故か第4番のみを偏愛していた模様である。

わが国でもドレスデン・フィルとの伝説の来日公演で取り上げ、またNHK交響楽団とも至高の演奏を繰り広げた。

こんなに味の濃い第4番も珍しく、それは音楽が進むにつれてますます強まり、内燃の迫力は荒び、内容重視のドイツ人の魂の歌がほとばしる。

このシューマンの演奏は、N響のものよりはるかに受け入れやすく、自然な流れが感じられる。

ブラームスは、ケーゲルが特に愛情を注いだ交響曲第2番で、最晩年のライヴだけに、メロディを強調した個性的な遅いテンポが採用され、第2楽章の官能的な歌と熱情には驚かされる。

この第2楽章に関しては、和音部の管や低弦の響きに、他に味わえない幽玄な響きがあり、非常に深みのある味わい深い演奏になっていて、よく歌うだけでなくとても表情豊かだ。

この曲はケーゲルが愛奏した傑作で、既にライプツィヒ放送響との2種類の演奏が知られているが、最晩年の1988年、最後の手兵ドレスデン・フィルとの当演奏はロマン主義者ケーゲルの面目躍如たる粘るテンポとうねりを伴った超名演になっている。

ときには往年のクナッパーツブッシュを想起させる凄いテヌートも出現、コーダに至ってやっとアッチェレランドがかかるが、このトロンボーンの最強奏の威力は、オーケストラ全体の分厚さとともに体ごとぶっとばされそうな勢いである。

それまでのケーゲルとは一風変わった演奏であり、いずれも音色の美しいドレスデン・フィルだけに、素晴らしい仕上がりになっており、その引き締まった造形と情熱的なメロディ展開が素晴らしい。

テンポをゆったりととっていて重厚に歌わせていることは両曲ともに共通している。

両曲とも終演後の聴衆の拍手は盛大である。

録音も秀逸で、奥行きがあり、立体的かつ有機的、そしてパワフルなサウンドを味わえる。

ケーゲルを最も深く理解し分析して、世に広めてきた音楽評論家、許光俊氏による日本語解説も興味深い。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)ケーゲル 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



近・現代の作品の演奏を得意としていたケーゲルのベスト・レコーディングのひとつ。

大方のケーゲルへの評価がそうであるが、ケーゲルは、20世紀前半の音楽が一番面白いようである。

この音盤は、そうしたケーゲルの演奏のなかでも、最も代表的なもののひとつで、ウェーベルンの主要な作品がほとんど網羅されている。

5曲とも大変素晴らしい演奏であり、ケーゲルの指揮ぶりは自信に満ち、どの曲を聴いても感性豊かな表現力に魅了される。

例えば、「弦楽合奏のための5つの楽章」は緊密な合奏力と艶のある美しい音の響きに強く惹かれるし、「大オーケストラのための6つの小品」もケーゲルならではの鋭角的に冴えた音の作り方も見事。

また、「オーケストラのための5つの小品」も打楽器の扱い方の巧さに彼独自の味がある。

他の2曲も文句のつけようがなく、ここにはケーゲルの真価が遺憾なく発揮されている。

やはりケーゲルは古典より近・現代の作品を振ってその真価を発揮できる指揮者であり、その中でも特に新ウィーン楽派の作品はケーゲルに合っていた。

独特の厳しさをたたえた演奏で、また、気迫というか妖気せまるものがある。

アントン・ウェーベルン、あるいはウェーベルン=ケーゲルというべきか、創造のひとつの極致であるウェーベルンの音楽が、ケーゲルの手によって、まさに創造の極限として露わにされている。

音楽という日本語が含んでいる、どこか甘い雰囲気をたたえた言葉を遥かに越えて、いや、それとは別の次元に立ってというべきかもしれない、ここでは創造の現実が我々の日常的現実性を突き破って超然としているのだ。

前世紀の音楽で異彩を放つケーゲルを鬼才と呼ぶかどうかは聴き手次第とも言えるが、ケーゲルがこうした音楽で見せる作品の透視術のようなものは、彼独特のものである。

それは、2つの大きな大戦を引き起こした大きな時代の波の動きもさることながら、技術や経済の急速な発展、国境や民族の境を超えた価値観の多様性と急激な変化、そして、そうしたものが瞬時にして世界の隅々まで波及することによる、我々のごくごく普通の人々の日常生活への影響、精神的な苦痛のような前世紀の時代の特徴をケーゲルがその肌で感じ取ったままを演奏に込めているように思う。

演奏する作品群と同じ時代に生まれ、生きた指揮者だからこそ、こうした作品群を最も赤裸々に表現できたというのが筆者のこの音盤でのケーゲル評である。

終始どこか不安定さを感じる演奏、それまでの穏やかを瞬断して何の前触れもなく突如現れる強奏、誰かが物陰からこちらをずっと覗き見ていることに気づいたときのような気持ち悪さに似た相容れないものの同時進行性のようなものを感じる。

期待感を持ってどんな演奏か想像はしてみるが、やはり聴いてみないと実像・結果がわからないといった一種のスリリングさを感じるところにケーゲル演奏の醍醐味がある。

そういったケーゲルの指揮するウェーベルンの作品どれも面白く興味が尽きない演奏で、これらの作曲家の作品を避けていた人には真っ先にお薦めしたいディスクだ。

ドイツ・シャルプラッテンの音源からハイブリッドSACD化した高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大いに貢献していることを忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:14コメント(0)トラックバック(0)ケーゲル 

2014年07月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



第7番「レニングラード」の凄演で知られるケーゲルのショスタコーヴィチを7曲収めたBOXセットで、ムラヴィンスキー以外の最重要解釈者、ケーゲルのショスタコーヴィチ完結編。

このセットは1958年から1986年までのライヴ録音をまとめたもので、第4番と第11番はモノラルであるが、他の5曲はステレオ録音で、特に1986年の第5番は良い状態となっている。

東独の指揮者だったケーゲルは、同盟国ソ連の作曲家ショスタコーヴィチの作品をよく演奏していた。

現代音楽を積極的に取り上げる合理主義、理知的な音楽作りを一面として、本来はロマンティックな嗜好が強い指揮者であり、思い入れの強かったマーラー、ショスタコーヴィチでは、憧憬を隠そうともしない蠱惑的な演奏を繰り広げることでも知られる。

演奏記録からもケーゲルのショスタコーヴィチへの偏愛は窺われるが、特に演奏年代に注目していただきたい。

第11番に至ってはラクリンによる世界初演、ムラヴィンスキーによるレニングラード初演から半年も経たぬ1958年の演奏である。

モノラルとはいえムラヴィンスキー盤を上回る良好な音質で、その切実な音楽表現はトーンクラスターに陥らぬ、ケーゲルの個人的思い入れすら感じられる、熱く魅力的な超名演だ。

第4番はコンドラシン初演の2年後の録音も存在するが、演奏内容はフィナーレに一工夫も二工夫もある1969年ライヴを採りたい。

元来ステレオ録音されたもののトラックダウンで(ステレオ録音は残念ながら廃棄された模様)、分離の良い素晴らしい録音である。

現代では、大規模大音量交響曲として、多くの指揮者が取り上げているが、この時代に2回もの演奏に固執したケーゲルの先見性には頭が下がる。

壮年期のケーゲルならではの異常なまでの切れ味が作品の持ち味と合致して痛烈な仕上がりになっている。

ベルリン芸術週間(もちろん東ドイツの)における高揚したエッジの効いた強烈な表現に、ケーゲル晩年の特徴である虚無的な雰囲気も感じさせる独特の音楽づくりが印象的な第5番は、東のベルリン芸術週間での演奏ということもあってか、終楽章のコーダになぜか鐘が加えられていることもポイントで、『ボリス・ゴドノフ』を彷彿とさせるその巨大な響きは実にユニーク。

この第5番を聴くだけでも購入の価値ありと言いたいところであるが、他の6曲も聴き応え充分な内容だ。

オペラティックな趣のある第6番、スタイリッシュでセンス抜群な第9番(第6番と第9番は作品のパロディ的性格をシニカルに表している)、ドイツ語版ゆえにクールな感触が際立ち、「大地の歌」を想起せずにはいられない第14番「死者の歌」、緊迫感みなぎる冷徹演奏が作品の真価をシリアスに示しザンデルリンクの独壇場を脅かす恐怖演奏の第15番と、どれも高水準な内容となっている。

西側では知られていないだけで、実は最重要ショスタコーヴィッチ解釈者であった、巨匠の遺産である。

隅々まで注ぎ込まれた英知があり、聴き込んだファンほど納得することは間違いなしと言える。

ケーゲルも草葉の陰でこのリリースをさぞかし喜んでいることであろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチケーゲル 

2014年07月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ギレリスとゲルバー、2大巨匠がN響と共演した貴重なライヴ。

どちらもそのスケールの大きさと円熟ぶりで聴衆に強い感銘を与え、今日でも語り草となっている。

一点も曖昧にしないギレリスの完璧さ、独特のナイーヴな煌めきに満ちたゲルバー、ともに絶品と言えるものであり、その幻の音源が初登場。

サヴァリッシュ指揮のN響ともども、まるでヨーロッパに於けるコンサートを聴いているような感にとらわれる。

ギレリスのライヴ録音は、スタジオでの録音に比べ、ある程度勢いに任せるため、聴いていて面白い場合が多い。

格調の高さと激しさをもった「皇帝」で、ギレリスの元来の特長である音符一つ一つを弾き逃すまいとする姿勢と、ライヴゆえの熱気からくる堅い強音が感じられる演奏である。

特に、第1楽章中間部の強音は凄まじいものがあり、肺腑にくるほどで、また、技巧でねじ伏せるような一面も見せている。

素早く、大きなクレッシェンドで飾られたアルペジオは聴く者を演奏に引きずり込み、後期ソナタ集で見られた禁欲的な音楽ではない。

非常に興に乗った演奏であるが、派手一辺倒な演奏ではなく全体の構成に沿った演奏内容となっており、不自然さがない。

また、テンポをいじることもなく、標準的なテンポ〜少し遅いくらいで纏められており、こういった部分に筆者はギレリスの生真面目さを感じる。

バックについては可もなく不可もないといったところだが、金管の使い方が面白い場面がいくつかあった。

基本的にはピアノの方針に沿った、きっちりと刻むようなリズム中心の音楽づくりで、さっぱりとしている。

ギレリスの歌い回しが少々堅いので、その差分を補給している点は良い。

得意であるらしいバッハのピアノ編曲物が付いているのもうれしい。

一方、ゲルバーは、技巧やパワーは申し分がないが、一番すぐれているのは歌い回しであろう。

強烈に引き付けられるわけではないが、魅力的であり、対旋律の弾き方にも個性が表れている。

本人はこれに気づいていないようであり、どこで盛り上げるかばかりに気を使っているようで、狙いを定めたようにギヤを変えるので何が起こるのかが透けてしまうのだ。

フォルテの部分では惜しげもなく力を注ぐと言った印象で、雑に聴こえる個所もある。

そういった部分をここで聴くと出来が悪いわけではないが、一気に聴いていると気になってしまうのだ。

見得を切ること主眼に置いた演奏と言えるかもしれず、そうした場面での語彙の少なさも見受けられた。

文字どおりガンガン弾いていて若々しいと言い訳できるレベルではあるが、その弾き方がはまる部分は実にスリリングで熱い。

バックはギレリスとの演奏と殆ど同じで、可もなく不可もないといったところである。

両演奏とも音質は、他のN響85周年記念シリーズと同程度で、大手レーベルのスタジオ録音の様な明瞭さはないにしても、音楽を楽しむという点のみに目的を絞れば全く問題ないレベルといって良く、残響が強めのFM録音といった感じである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:04コメント(0)トラックバック(0)ギレリスサヴァリッシュ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヨハン・シュトラウスのワルツによる編曲作品の名演を集めた1枚。

編曲作品を、精巧な模型作品とみるか、独立した作品とみるかは難しいところだが、個人的には当盤のような演奏内容は非常に楽しめる。

このCDでは、グリュンフェルト、ドホナーニ、ローゼンタール等、編曲者自身の演奏で聴くことができる。

さらにタウジッヒ編の『人生ただ一度』はラフマニノフ、ゴドフスキー編の『こうもり』はモイセヴィッチの演奏。

有名なレヴィーンの「美しく青きドナウによるコンサートアラベスク」(シュルツ=エヴラー編)やサパートンの「芸術家の生涯による交響的変容」(ゴドフスキー編)、モイセイヴィッチの「こうもりの主題による交響的変容」(ゴドフスキー編)など、ピアノ好きならば一度は聴いておきたい素晴らしい演奏の数々が収録されている。

ドホナーニとグルンフェルトに関しては、編曲者自身の自演が収録されており、これは貴重だろう(どちらも上手い)。

ラフマニノフとボレットのタウジッヒ編ももちろん素晴らしいが、圧巻は何と言ってもローゼンタールの「幻想曲」であろう。

『美しく青きドナウ』の有名な旋律に絡み合う急速な重音の連続、後半ではそれに『こうもり』が左手に加わってきて、ローゼンタールの面目躍如と言ったところだ。

少し残念な事ではあるが、いくつかの曲で部分的にカットされている演奏もある。

しかし全体的に見ればそれを補って余りある選曲とヴィルトゥオジティに満ち溢れた演奏だ。

ヨハン・シュトラウスのファンにも、「古き良き時代」のファンにも、また超絶技巧マニアにも、十分に楽しんでもらえる内容となっている。

ボレット以外は20世紀前半の録音であるため、ヒストリカルな録音を聴き慣れていないと初めはノイズが気になるかもしれない。

しかし聴き進めるうちに、その華麗なテクニック、ウィンナ・ワルツのリズムに魅せられ、思わず時を忘れて演奏に聴き入ってしまうこと間違いなしと言い切ってもいいような内容である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)シュトラウス 

2014年07月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1989年9月 サンフランシスコ、デーヴィス・シンフォニー・ホールに於ける録音で、ボレット最晩年にして、初のドビュッシーとなったもの。

キューバの名ピアニストで、リストやショパン、ラフマニノフなどの超絶技巧の名手として知られるホルヘ・ボレットが死の前年に残した ドビュッシーである。

ドビュッシーの全2巻・24曲ある前奏曲から16曲をピックアップして、独自の曲順で並び替え収録したアルバム。

こだわりのピアニストが愛用することで知られるベヒシュタインを使い、生涯に渡って美しい音色を追求した彼の魅力がたっぷり詰まった仕上がりになっている。

低音から高音、弱音から強音まで、ひたすら耳に心地良い美音が連続し、これほど美しい「前奏曲集」は他にないと言えるところであり、まさに宝石のような、精巧な工芸品を見るかのようだ。

このように書くと、表面的な演奏のように思われるかもしれないが、決してそのようなことはない。

旋律の歌わせ方、リズムの感覚など、実に惚れ惚れとする演奏で、これは全曲盤で残してほしかったと思わせる出来映えだ。

ドビュッシーの音楽はボレットの持ち味とされる19世紀的なグランド・マナーとは対極にあると言ってよいが、ドビュッシーの音楽での自らの新しい表現領域を開拓することに成功した。

ドビュッシーのリズムは予見される進行をしばしば離れるため、豊かでデリケートな情報をもたらす可能性があるが、彼はその可能性を実に綿密に検討しながら柔軟性に満ちた時間を生み出し、暖かい魅力をもった色彩感を醸し出している。

70歳を遥かに超えてなお毅然とした音楽をつくりあげるボレット。

美音を鳴り響かせ官能に耽溺することなく、節約された身振りの中に注意深く音が配置される。

この古典的なドビュッシーはムード音楽からは遠く隔たった場所に位置している。

「1回のレコーディングより100回のコンサートを行う方が良い」と語り、またレコーディングでもジャケットとタイを手放すことのなかったという気難しいボレットであったが、この16曲の選ばれたこの前奏曲集は、驚くほど明るい音色と、繊細なタッチで、ドビュッシーの音楽の持つ色彩感と柔らかさを表現している。

使用ピアノは、スタインウェイではなくボールドウィンSD-10(アラウも愛用していた)。

今はあまり使われない楽器だが、深い音色が特徴の「知る人ぞ知る」銘器である。

ボレットにとってはもしかしたら不本意な録音だったのかもしれないが、この詩情溢れた演奏には何も文句のつけようがない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:56コメント(0)ドビュッシーボレット 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



チャイコフスキーの3大バレエは、いずれもスラットキン&セントルイス交響楽団による、素敵な全曲盤が発売されている。

2003年に廉価ボックスになって好評だったのが、さらにお得な価格になって復活した。

スラットキンは1980年にミネソタ管弦楽団との抜粋版を録音していて、それも優れた出来映えであったが、満を持しての3大バレエ全曲録音である。

スラットキンは、セントルイス交響楽団と長期にわたる良好な関係を築き上げ、オーケストラのサウンドをセンスの良い美麗な音響に磨きあげたことでも知られている。

そのことは、これらが録音された頃、スラットキン&セントルイス交響楽団の宣伝文句が「シカゴ響に次いで全米2位にランクされた」というものであったが、それが誇張ではないことが、この録音から伝わってくる。

彼らは特にロマン派から近代作品を中心に人気を集めていたが、スラットキンがロシア系ということもあってか、ロシアものには定評があり、実演でも録音でも高水準な演奏を聴かせていた。

この『くるみ割り人形』『眠りの森の美女』『白鳥の湖』の全曲ヴァージョンでも、洗練された豊かな色彩と華麗なダイナミズム、そしてなめらかなフレージングを駆使してしっとり美しいチャイコフスキーならではの魅力を見事に表現している。

スラットキンとしても一番指揮者として脂がのっていた時期と言えるところであり、快速なテンポながらオーケストラをしっかり統率する様は充実感にあふれている。

演奏スタイルは典型的な西側の演奏で、構成重視で洗練されたものであり、ドラティやティルソン・トーマスなどの演奏に近い。

スラットキンは前述のように、ロシア音楽の一方のスペシャリストと言われ、ロシア人の血を引くだけに、これらの曲を実に甘美でロマンティックな雰囲気で、表現し尽している。

いわゆるバレエの舞台を彷彿とさせる劇場的な表現ではなく、シンフォニックな演奏会風の解釈だが、弦を中心にしたオーソドックスな音楽づくりが、これらの曲の真髄を誤りなく、聴き手にメッセージされるのである。

すなわち、バレエ音楽というより、交響詩的バレエ音楽と言ったらよいだろう。

何よりも各曲の性格を的確につかんで、キャラクタライズするスラットキンの手腕には感嘆させられる。

スラットキンは全体にテンポを遅めにとり、チャイコフスキーのもつ抒情性を強く前面に押し出している。

そういう意味では『白鳥の湖』が出色で、特に第2幕「白鳥たちの踊り」のワルツなど旋律をたっぷりと歌わせているし、「4羽の白鳥たちの踊り」もユーモラスな気分をよく表出している。

第3幕も無難にまとめ、第4幕は「情景と終曲」が実に演出巧者だ。

ロシアの演奏家の3大バレエは名盤が少ないような気もするので、この価格で3大バレエを購入できるのはまさにお買い得であり、多くの人に聴いてもらいたいセットである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:06コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1990年10月18日に75歳で亡くなったボレットの唯一のシューベルト/ソナタ録音である。

世の中には不遇の扱いを受けて、廃盤となってしまう名盤も多いが、このボレットのシューベルトもそんな1枚であった。

それが、英デッカの廉価シリーズからあっさり復活してしまい、突然、安価で簡単に入手できるようにになった。

時々不思議さを感じてしまう。

この復刻する、しない、という線引きは、一体どのような経緯で決まるものなのだろうか?

とはいえ、本当に素晴らしいこのディスクが市場に再登場したことを心から歓迎したい。

ホルヘ・ボレット(Jorge Bolet 1914-1990)は1978年、64歳になって英デッカと契約し、その後の録音活動を通じてやっとファンに知られるようになった。

それ以前の経歴は少し変わっていて、生まれはキューバであるが、米陸軍に所属し、進駐軍の一員として日本に来ている。

ピアニストとしてのボレットは、リストの弟子であるモーリツ・ローゼンタール(Moriz Rosenthal 1862-1946)に師事しており、ボレットは「リストの直系の弟子」ということになる。

ボレットのピアニストとしての主だった活躍が晩年となった理由について、筆者が読んだ資料では「米国内で、批評家から芳しい評価を受けることがなかったため」とあった。

それが本当かどうか知らないが、この素晴らしいシューベルトを聴くと「批評家受けしない」ことなど、本当にどうでもいいことなのだと思う。

それでも、彼を発掘して録音活動にこぎつけた英デッカのスタッフには感謝したい。

ここに聴くボレットは、老練にして孤高の境地を示すかのような演奏であり、純粋無比の美しさが実に印象深いシューベルトである。

彼の演奏は率直そのもので、その痛切な響きは、表現が率直であればあるほど胸を打つ。

第20番はまず、冒頭の和音の素晴らしい響きでたちまち心を奪われる。

続いて、的確な間合い、風合いを保ちながら、呼吸するように和音を鳴らし、細やかな音階が輝く。

なんと結晶化した美麗な響きであろうか。

シューベルトの晩年のソナタに呼応するような、歌と哲学の邂逅を感じてしまう。

特にこの第1楽章は本当に素敵だ。

第2楽章は雪に凍った大地をゆっくりと踏みしめて歩くようであり、ややゆったりしたテンポだが、弛緩がなく、一つ一つの音が十分過ぎるほどの情感を湛えて響く。

本当に心の深いところから湧き出た音楽性が、鍵盤の上に表出しているのだと実感する。

この第1、2楽章が白眉だろう。

繊細なタッチにより、誇張のない表現でありながら、滋味豊かで心のこもったその演奏には、心を打たれる。

第14番も同様の見事な名演だ。

厳かな雰囲気を引き出した演奏内容で、全ての音に魂があるように聴こえてくる。

終楽章はスピーディーではないけれど、内省的なパワーを感じさせて、凛々しいサウンドで内容の濃い音楽になっている。

ボレットのシューベルトは決して入念に1音1音紡いでゆくというものではないが、楽譜の読み込みそのものは実に深い。

リストからは想像もできないほど浅く軽いタッチで、誇張のないデリケートなアゴーギクが表現に深いひだを印す。

感傷性を排したスケールの大きな演奏は前時代的にして壮大な「ロマン性」を伝えている。

ボレット亡き今となってはかなわぬことだが、ボレットの弾くシューベルトをもっと聴きたかったものだ。

あらためてこの不滅の名盤の復刻を大いに祝福したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)シューベルトボレット 

2014年07月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



レナード・スラットキンは現在デトロイト交響楽団の音楽監督の地位にあり、2011年からはリヨン国立管弦楽団の音楽監督にも就任している。

スラットキンのキャリアの中で最も光り輝いていたのは1980年代にセントルイス交響楽団を率いていた時だろう。

メジャーレーベル(RCA)にどんどん録音し、日本にも同楽団と一緒にやってきたが、その後のクラシック音楽不況であまり名前を聞かなくなってしまっていた。

BBC交響楽団退任後、録音面では際立った活躍のないスラットキンであるが、セントルイス時代は、チャイコフスキーやラフマニノフなど、ロシア音楽を網羅的・積極的に演奏・録音して、高い評価を得ていた。

ショスタコーヴィチでは、第4番、第5番、第8番、第10番という大曲4曲をRCAに録音している。

オケはいずれもセントルイス交響楽団で、1986年から1989年にかけて毎年1曲ずつ録音されている。

この第8番は、CD初期に発売されて以来久々の復活となるもので、当時全米メジャー・ファイヴに匹敵する実力を備えていたセントルイス響の粘着力のある弦を土台にした、細部まで緻密に考え抜かれた解釈が見事。

現在では偽書とされているものの、少なくともヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』が現れてから、多くの指揮者は以前のように、楽天的にこの曲を解釈できなくなったようだ。

極楽トンボな演奏をすると、「物知らず」「不勉強」のレッテルを貼られかねないからだ。

スラットキン指揮セントルイス響は、そうした『ショスタコーヴィチの証言』の線に沿った、最も現代的でグラスノスチ的な名演に数えられよう。

弦を中心としたオーソドックスな表現だが、全体に暴力的な要素は影を潜め、悲劇的な哀悼の念がしみとおるような演奏だ。

特に第2楽章のカリカチュアライズされた皮肉な諧謔精神や、第3楽章の鬱屈した怒りの爆発、さらに第4楽章のクールな抒情と哀しみの表情は、ショスタコーヴィチ自身のメッセージを聞く思いである。

併録のテミルカーノフの『祝典序曲』は、来日公演でもお馴染みの定番。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチ 

2014年07月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



キューバ生まれのピアニスト、ホルヘ・ボレットは、その独特な雰囲気のある演奏で、現在でも、特に玄人筋に人気の高いピアニストの1人である。

フィラデルフィアのカーティス音楽院でゴドフスキーとサパートンに師事し、驚異的な技術を身につけた。

当時から超絶技巧ピアニストとして知られ、とりわけ師であるゴドフスキーの「こうもりパラフレーズ」では高い評価を受けている。

また、指揮者としても活躍し、ギルバート&サリヴァンの「ミカド」の日本初演で指揮をしていることでも知られている。

そんなボレットの真骨頂がリストと、このショパンの演奏であろう。

このピアノ協奏曲におけるデュトワとの共演盤は超名演として知られるもので、19世紀から連なるロマンティックなボレットの解釈と、それを包み込むデュトワ&モントリオール響のふくよかな響きを堪能できる。

ピアノ協奏曲第1番でボレットは冒頭から少しも構えず、力まず、速いテンポで飄々と弾き始める。

彼の手にかかると同じ主題でも表情が微妙に変化し、そのロマンティシズムが心を打つ。

フィナーレの即興性も比類ない。

ピアノ協奏曲第2番も同様だがいっそう個性的だ。

第2楽章は完熟の音楽であり、第3楽章の力みのない名人芸は筆舌に尽くし難い。

注目すべきはデュトワの協奏曲指揮者としての才能で、並みでない手腕だ。

そんなボレット、2枚目のバラードを中心とした小品集では、さらに個性的な演奏を披露している。

リスト弾きとして本領を発揮してきたボレットによるショパンには、実に不思議な魅力がある。

これほど人間臭さのない美しく清浄なショパンも珍しい。

それは決して非人間的ということではなく、彼の演奏は4曲のバラードにしても舟歌や幻想曲にしても、実に豊かでこまやかな表現に満ちている。

6曲を通じて淡々とした、しかも覚めた孤独感が一貫して流れ、ボレットはその中で緩急自在だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:08コメント(0)トラックバック(0)ショパンボレット 

2014年07月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の演奏については、必ずしも評価が高いとは言い難い。

一部の熱心なフルトヴェングラーの愛好者はともかくとして、フルトヴェングラーの演奏を聴く場合には、独墺系の作曲家による交響曲については、先ずはベートーヴェン、次いでブラームスというのが相場ではないかと思われるところだ。

とりわけ、1990年代に入って、ヴァントや朝比奈がいわゆるインテンポを基調とする崇高な名演の数々を成し遂げるようになってからは、テンポの振幅を大胆に駆使したフルトヴェングラーによる演奏は、音質の劣悪さも相俟って、時代遅れの演奏としてますます影の薄い存在となっていったところである。

しかしながら、EMIが1949年の演奏(ライヴ録音)をSACD化するに及んで、とりわけブルックナーの交響曲演奏の生命線でもある低弦の重量感溢れる響きや、ブラスセクションのブリリアントな響きなどが、決して団子状態にならず、かなり鮮明に再現されるようになったことにより、フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の演奏が再び脚光を浴びることになったのは記憶に新しい。

そして、今般、優秀な音源として知られるRIASのマスターテープから、シングルレイヤーによるSACD化が行われる運びとなり、ついに当該演奏が決定的とも評価し得る圧倒的な高音質に生まれ変わった。

今般のシングルレイヤーによるSACD盤の登場は、フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲演奏の再評価への決定打になるのではないかとさえ考えられるところだ。

それにしても、こうして良好な音質で聴くと、演奏はさすがに素晴らしい。

徹頭徹尾、アッチェレランドを随所に用いるなどテンポの思い切った緩急を駆使したいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな名演だ。

もっとも、第1楽章におけるトゥッティに向けての猛烈なアッチェレランドや、第2楽章の快速のテンポと中間部のスローテンポの極端な対比など、現代においては殆ど聴かれない大時代的なアプローチとも言えるが、1949年においては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。

現代でも文句なく通用するのは第3楽章及び終楽章であり、これは圧倒的な超名演である。

第3楽章におけるいつ果てるとも知れない滔々とした調べは美しさの極みであり、かの歴史的な名演であるベートーヴェンの交響曲第9番のバイロイト盤(1951年ライヴ録音)の第3楽章にも比肩し得る至高・至純の高みに達している。

終楽章も、ハース版にはないシンバルを加えたり、終結部の猛烈なアッチェレランドなど、いささか違和感を感じさせる箇所がないわけではないが、全体としては雄渾なスケール感を感じさせる彫りの深い名演に仕上がっていると高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:02コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーフルトヴェングラー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



同じオーケストラ(フィルハーモニア管弦楽団)を指揮しての2度目の録音であるが、重苦しい1度目の演奏とは全く趣を異にしている。

ゆっくりとしたテンポながら、重さを生まず、流麗なカンタービレや緻密なアンサンブルが透明度を高めている。

モーツァルトに限らず、レクイエムは葬送の曲であるから、どうしても重苦しいのだが、この演奏には重苦しいはずの曲も重苦しくないものにしてしまう不思議さがある。

明澄で透明感があり、ゆったりとしたテンポながら、独特のテンションでフレーズラインを維持していくスタイル。

荘厳なドラマを繰り広げるわけでもなく、悲痛な悲しみを訴えるわけでもない。

しかし聴き進むほどに、深く心に沁み入り、優しく心を癒してくれるので、これこそがモーツァルトの音楽ではないかとすら思うほどだ。

聴いている途中、テンポが遅くて、こちらが息切れしてしまいそうなところが所々あるが、このこと以外は申し分がない。

筆者はこのCDを初めて聴いたとき、最初は非常に遅いテンポという印象だけが残った(それが晩年のジュリーニの特徴なのだが)。

しかし、何とはなしに繰り返し聴き返してみると、ふと「このレクイエムは何と美麗なのだろう」と強い印象を受けるようになった。

それ以来、ワルターやベーム、カラヤンらの名盤と並ぶ、筆者の愛聴盤の1つとなっている。

もちろん他にもジュリーニの様々な演奏を聴いてきたが、やはりイタリア人指揮者というべきか、声楽曲を本当に美しく演奏する(バッハのミサ曲ロ短調の名演を想起させる)。

とはいえ、オリジナル楽器による演奏が普及した今日、こういったスタイルではやはり前時代的な印象は否めない。

しかしこの演奏は、それはそれとしてかなりの完成度に達しており、所々年齢ゆえの衰えを感じさせはするものの、この名指揮者ならではの世界を作り出しているのはさすがである。

フレッシュな歌唱陣の活躍にも注目で、ソリストは旧録音よりもこちらの方が声質がマッチしており、コーラスもとても巧く、フレーズラインをきちっと支えていく技量は見事。

少し不用意に聴くと「白痴美」ととられかねない危うさがあるものの(晩年のジュリーニ全般に言えることであるが)、このゆったりとしたテンポと、軽やかな透明感で、なおかつこのフレーズラインの持続感は、誰にも真似ができないものだ。

暖かさと慈愛の感じられる素晴らしいジュリーニのレクイエムで、何度聴いても飽きがこない。

録音は残響を多めにとり入れたものだが、オケと声部のバランスが絶妙に捉えられており、声部がよく聴き取れるのが嬉しい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:52コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトジュリーニ 

2014年07月03日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたベートーヴェンの交響曲全集は、DVD作品を除けばカラヤンによる最後の全集ということになる。

カラヤンは、フィルハーモニア管とともに1度、手兵であったベルリン・フィルとは本全集を含め3度に渡って全集を録音しているが、いずれも名演である。

最初のフィルハーモニア管との録音はモノラル録音(第8番のみステレオ録音)ではあるが、若き日のカラヤンならではの颯爽とした清新さが魅力であった。

次いで、1960年代に録音されたベルリン・フィルとの最初の全集は、いまだベルリン・フィルにフルトヴェングラー時代の猛者が数多く在籍していた時代の演奏でもあり、全体的にはカラヤンならではの流麗なレガートが施された華麗な装いであるが、これにベルリン・フィルのドイツ風の重厚な音色が付加された独特の味わいに満ち溢れた名演に仕上がっていた。

また、1970年代に録音されたベルリン・フィルとの2度目の全集は、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏と言うことが出来るだろう。

この当時は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代であり、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンならではの流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功している。

カラヤンによるベートーヴェンの交響曲全集の代表盤と言えば、やはり1970年代の当該全集ということになるのではないだろうか。

これに対して、1980年代に録音された本全集であるが、1970年代の全集などと比較するとカラヤンの統率力に若干の綻びが見られるのは否めない事実である。

1970年代に頂点を迎えたカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビも、本全集の録音が開始された1982年にはザビーネ・マイヤー事件の勃発により大きな亀裂が入り、その後も悪化の一途を辿った。

本全集は、このような両者の闘争の渦中での録音ではあり、お互いにプロフェッショナルとして高水準の演奏を成し遂げてはいるが、カラヤンの健康悪化に伴う統率力の衰えについては、隠しようはなかったものと考えられる。

それ故に、どの曲もカラヤンによるベストの演奏とは言い難いが、それでも第2番や第9番の緩徐楽章などにおいても見られるように、1970年代の全集までにはなかった清澄な調べも聴くことが可能であり、カラヤンが自らの波乱に満ちた生涯を振り返るような趣きのある枯淡の境地とも言うべき味わい深さを含有している演奏と言うことができるのではないだろうか。

したがって、本全集はカラヤン、そしてベルリン・フィルによるベストフォームにある演奏とは言い難いが、晩年のカラヤンならでは人生の諦観を感じさせるような味わい深さといった点においては、名全集との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:10コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



素晴らしい高音質SACDの登場だ。

フルトヴェングラーの遺産をSACD化するという歴史的な偉業は、第1弾のベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーにおいて、これまでのCDとは一線を画する高音質化に成功していたが、第2弾においても、同様に目覚ましい成果をあげている。

グルックの「アルチェステ」序曲及び「オーリードのイフィジェニー」序曲の弦楽合奏の太い芯が一本通ったような厚みのある音質からして、これまでのCDとは次元の異なる驚異的な高音質だ。

高弦の艶やかな響きも鮮明に再現されており、フルトヴェングラーのロマンティシズムに満ち溢れた名演を望み得る最高の音質で味わうことができるのが素晴らしい。

モーツァルトの第40番は、グルックと比較すると録音年代が古いことから、音場がやや狭いのが残念ではあるが、それでも、既発CDと比較すると、弦楽合奏など段違いに鮮明な音質に生まれ変わっており、この当時の録音としては、最高の音質であると評価したい。

フルトヴェングラーのモーツァルトは、世評においては決して高いものとは言えなかったが、本盤のような鮮明な高音質録音で聴くと、フルトヴェングラーなりによく考え抜かれた、気迫溢れる名演であることがよくわかる。

「魔笛」は、オーケストラとリップの独唱が鮮明に分離して聴こえるのが、フルトヴェングラーのCDとしては驚異的。

フルトヴェングラーのうねるような熱い音楽が、2曲のみの抜粋ではあるが、「魔笛」の真髄を見事に描出しているのが素晴らしい。

これを聴いて、例えば「ドン・ジョヴァンニ」の全曲などをSACD化して欲しいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

ハイドンの交響曲第94番も、グルックほどではないが、十分に満足し得る高音質。

従来のCDだと音が団子状態になっていた箇所も鮮明に再現されることになり、これによって、フルトヴェングラーの定評ある濃密で彫りの深い、そして雄渾な名演を望み得る最高の音質で堪能できることを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:55コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーモーツァルト 

2014年07月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2010年11月28日(ショパン)、12月1日(シューマン)、すみだトリフォニーホールに於けるライヴ録音。

この音源はもともとショパン&シューマン生誕200周年、アルゲリッチ来日40周年と翌年の70歳の記念として世界に販売される予定のものであったが、東日本大震災で心を痛めたアルゲリッチが日本のためにチャリティーCDとして販売することにしたという経緯がある。

シューマンのピアノ協奏曲とショパンのピアノ協奏曲第1番はいずれもアルゲリッチの十八番中の十八番なので、どちらの演奏も素晴らしく、ここでのアルゲリッチは、とにかくエネルギッシュで集中がきれることなく、一気呵成に弾いている。

とは言え、ショパンは全体的に綿密に演奏していると感じられるが、やはりシューマンでは特に第3楽章の終わり近く、演奏時間でいうと9分過ぎあたり、テーマが展開されヒートアップして行くところなどが、鳥肌が立つくらいに素晴らしい。

録音時間をアルゲリッチのDG盤やEMI盤と比較すると、シューマン、ショパン共にテンポが若干遅くなっているが、古希を迎えるにあたり速さを抑えたというよりも、曲の持つ情感を丁寧に表現した結果と感じられて、とても繊細で心の琴線に触れる演奏ともなっている。

また、アルミンク&新日本フィルのバックは、調和というよりも楽器一つ一つがしっかりと主張するようにオケを仕上げており、どの楽器も鋭く音が立ち上がってくる。

特筆すべきは録音の質で、特にピアノの音の再現性が極めて優秀で、コンサートの生の音に近い音を聴くことができる。

何故かピアノ演奏をCDで聴くと、生演奏から感じる音感からかけ離れている録音が意外に多くて残念な経験をよくするのだが、本盤では「そうそう、アルゲリッチのピアノの音は間違いなくこんな感じだった」という納得感が得られる。

ライナー・ノーツによれば、すみだトリフォニーホール、新日本フィル共にアルゲリッチのお気に入りとのことらしく、まさに万全の態勢で録音されたメモリアル・アルバムのようだ。

最近は専ら室内楽の演奏ばかりが目立つアルゲリッチだが、これほど美しく感動的な協奏曲アルバムを、しかもチャリティーの形で出してもらい、筆者としては、唯々感謝しているばかりである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:59コメント(0)トラックバック(0)アルゲリッチ 

2014年07月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤にはブラームスの交響曲第1番と第3番が収められているが、このうち第3番についてはかつてBBCレジェンドレーベルから発売されていた音源の再発売であり、本稿においては、第1番を中心にレビューを書かせていただきたい。

さて、その交響曲第1番であるが、テンシュテットは、本演奏以前に3度に渡って同曲の録音を行っている。

最初の演奏は1976年のシュトゥットガルト放送交響楽団とのライヴ録音。

次いで、ロンドン・フィルとの1983年のスタジオ録音。

そして、3度目の演奏はロンドン・フィルとの1990年のライヴ録音。

特に、手兵ロンドン・フィルとの演奏はいずれも名演であり、とりわけ3度目の演奏については、圧倒的な超名演と言えるものであった。

本盤の演奏は、更にその2年後のライヴ録音。

演奏は、1990年の演奏よりもさらに壮絶とも言うべき豪演と言えるだろう。

テンシュテットは、1985年頃に咽頭がんを発症した後は、体調がいい時だけに指揮活動が制限されるという厳しい状況に追い込まれた。

それだけに、一つ一つの演奏がそれこそ命がけのものとなったことは必定であり、テンシュテットはそれこそ持ち得る力を全力で出し切るという渾身の演奏を行っていたところだ。

1993年の終わり頃には、ついに指揮活動を停止せざるを得なくなるのであるが、それまでの間の演奏は、いずれも壮絶の極みとも言うべき圧倒的な演奏を展開していた。

特に、マーラーの交響曲については、そうしたテンシュテットの鬼気迫る芸風が、他の指揮者の追随を許さないような超名演を生み出すことに繋がっていたが、他の作曲家による楽曲についても、我々聴き手の心を揺さぶるような凄みのある演奏を成し遂げていたとも言えるところだ。

ブラームスの交響曲第1番についても、1990年の演奏もそうであったが、本盤の1992年の演奏は更に凄まじいまでの気迫と生命力に満ち溢れており、どこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱き情感が込められているとも言えるだろう。

テンシュテットは、おそらくは間近に迫る死を覚悟はしていたとも言えるが、本演奏には、自らの命のすべてをかけるような凄みがあると言えるところであり、そうした命がけの大熱演が我々聴き手の肺腑を打つのである。

病状はかなり進行していたと思われるが、そうした中で、ここまでの渾身の演奏を成し遂げたテンシュテットの指揮者としての凄さ、偉大さにはただただ首を垂れるほかはないところだ。

このような超名演を聴いていると、テンシュテットのあまりにも早すぎる死がクラシック音楽界にとって大きな損失であったことを、あらためて認識させられるところだ。

カップリングのブラームスの交響曲第3番については、咽頭がん発症前の1983年の演奏であり、交響曲第1番ほどの迫力はないが、それでも実演ならではのテンシュテットの熱のこもった名演と高く評価したい。

音質も、1992年及び1983年のライヴ録音ではあるが、両者の音質にはあまり大差がなく、いずれも最新録音とさほど遜色がないような十分に満足できる良好なものと評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:51コメント(0)トラックバック(0)ブラームステンシュテット 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



先般発売されたベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番「田園」(1947年及び1954年)に続く、RIAS音源のシングルレイヤーによるSACD化の第2弾の発売である。

今般は、シューベルトの交響曲第8番「未完成」及び第9番「ザ・グレイト」、そして、ブルックナーの交響曲第8番だ。

フルトヴェングラーによるシューベルトの交響曲第8番「未完成」の名演としてはウィーン・フィルとのスタジオ録音(1950年)が有名であり、EMIよりSACD盤が発売されたことから、現在までのところ随一の名演との地位を獲得していた。

他方、交響曲第9番「ザ・グレイト」の名演としては、戦前のベルリン・フィルとのライヴ録音(1942年)、そして戦後のベルリン・フィルとのスタジオ録音(1951年)がタイプが全く異なる名演の双璧とされ、とりわけ、後者については、ベルリン・フィルの団員がフルトヴェングラーと成し得た最高の名演との高評価をするほどの名演であった。

それ故に、本盤に収められた両曲のライヴ録音は、数年前にRIAS音源によるCD化が行われるまでは、音質の劣悪さもあって、一部の熱心なフルトヴェングラー愛好者以外には殆ど無視された存在であったが、RIAS音源によるCDが素晴らしい音質であったことから、俄然注目を浴びる存在となったことは記憶に新しい。

そして、今般のシングルレイヤーによるSACD化は、フルトヴェングラーによる両曲演奏の代表盤の一つとしての地位を獲得するのに大きく貢献することに繋がったと言っても過言ではあるまい。

交響曲第8番「未完成」については、1950年盤と同様に、濃密でロマンティシズムに満ち溢れた彫りの深い演奏であるが、ライヴ録音ということもあって、とりわけ第1楽章においては、ドラマティックな表現が聴かれるのがフルトヴェングラーらしい。

もちろん、そうした表現が、いわゆる「未完成」らしさをいささかも損なっておらず、むしろ、表現の濃密さは1950年盤以上であり、実演でこそ真価を発揮するフルトヴェングラーの指揮芸術の真骨頂が本演奏には存在していると言えるだろう。

交響曲第9番「ザ・グレイト」については、1951年盤の深遠な表現に、1942年盤が有していたドラマティックな表現を若干盛り込んだ、いい意味での剛柔のバランスがとれた名演と言えるのではないだろうか。

同曲の演奏は、筆者も常々論評しているように極めて難しいものがあるが、1942年盤のようにベートーヴェンの交響曲に続くものとして演奏するタイプ、1951年盤のようにブルックナーの交響曲の先達として演奏するタイプが両端にあると思われるが、本盤の演奏はその中間点を模索したものとして十分に説得力のある名演に仕上がっていると評価したい。

それにしても、本盤の音質はフルトヴェングラーのCDとしては極上の高音質と言ってもいいのではないだろうか。

とりわけ低弦の生々しいまでの重量感溢れる響きや、高弦の艶やかな響きは、既にSACD化されている音源を除いて、これまでのフルトヴェングラーのCDではなかなか聴くことが出来ないものであり、かかる高音質が本盤の価値を更に高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0)シューベルトフルトヴェングラー 
メルマガ登録・解除
 

Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ