2014年07月

2014年07月12日


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これまで、ヴァンデルノートとコンヴィチュニーのライヴ録音、放送録音をリリースしてきたドイツのヴァイトブリックでは、新たに「ヘルベルト・ケーゲルとライプツィヒ放送響の芸術」というシリーズをリリースすることになったそうで、第1回新譜として3枚のCDが発売になり、これはその中で最初にリリースされたものである。

ケーゲル指揮のハイドンの交響曲第81番は初めて聴いたが、ブラームスの交響曲第1番はオード・クラシックから1961年の録音が発売されていた。

最初に収録されているハイドンの交響曲第81番は,いわゆる「パリ・セット(第82〜87番)」の1つ前の作品で、あまり演奏頻度の高い作品ではないのだが、後年の作品のようなかっちりした構成感はまだないにしても、デリケートでフレッシュな表情があって非常に魅力的だ。

演奏の方も、肩の力を抜いて、旋律の美しさを率直に歌い上げており、特に際立った表情を聴かせているわけではないが、この演奏で特徴的なのは、透明な美しい響きと練達のアンサンブルの中に張りつめた皮膚感覚が同居していて、緊張感を感じながら、感興に満ちた美しい演奏に聴き入るような思いがして、やはりこれはケーゲルならではの表現の世界と言えるのではないだろうか。

続く、ブラームスの交響曲第1番は、第1楽章から大変聴き応えがある新鮮さであり、冒頭のティンパニの連打は控え目で弦の合奏が強く出て、意表を突かれ、その後もなかなか味わい深い。

しかも、音の質感の冷たいのが、ひしひしと伝わってくるのもケーゲルらしく、圧倒するものがある。

テンポはいくらか遅めで、ことさら表現を強調することもなく、むしろオーソドックスで端正な演奏と言えるほどなのだが、演奏全体が無機的な緊張感ともいうべき独特の雰囲気に支配されていて、フォルテやピアノ、テンポを落としながらのカンタービレなど、特に奇を衒ったところはなさそうなのに、それが終始無表情に演奏されているので、どこか薄ら寒さを感じてしまうほどである。

これは、人間的なぬくもりや、心からの共感といった演奏とは対極にあり、非常に表現主義的とも言えるのだが、グロテスクさは全くないし、むしろクールで無機的な美しさを感じるのである。

それが研ぎ澄まされた緊張感とともにあるため、聴き手に極度の緊張と集中を強いる演奏になっているところは、この演奏の際立った特色ではないかと考える。

ケーゲルというと独自の緊張感を伴った、時に「猟奇的」といわれる演奏を聴かせたりもするのだが、このCDで聴ける演奏は、いずれもクールビューティな面と曲趣に応じた劇性とを堪能しつつも、ケーゲル独自の研ぎ澄まされた感性と、リアルで非感傷的な視線には恐ろしさすら感じてしまう演奏であった。

全体として、カラヤンのロンドン・ライヴ盤以来のインパクトであった。

筆者自身はこの演奏に強く惹き付けられ、その美しさも、無表情に呵責ない表現を聴かせる激烈さも、存分に堪能したのだが、一般的な意味での「聴いて楽しめる演奏」とは言い難いのは事実であり、これは誰にでもお勧めできる演奏ではないけれども、ぜひともチャレンジ精神を持って聴いてもらいたいCDである。

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classicalmusic at 22:51コメント(0)トラックバック(0)ケーゲル 

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ケーゲルという音の匠が創り出した最高のガラス細工のようなラヴェル作品集。

オペラ「子供と魔法」全曲を録音しているくらい、ラヴェルには思い入れが強く、その完璧な作曲を精緻なガラス細工のような演奏で具現化している。

絶美なのはピアノ協奏曲で、ラトルともスタジオ録音しているウーセの魅力的なピアノを得て、夢見るような解釈が楽しめる。

ピアノ協奏曲史上、最高傑作のひとつと言われているラヴェルのこの曲は、ケーゲルの予想以上の生々しい色彩感とエキゾシズムに最後まで耳が離せない。

この曲でオーケストラ・パートをここまで有機的に人間臭く鳴らしきった演奏は他に類例を見ないが、一方のウーセのピアノは、それに比べるとかなり地味に聴こえ、ケーゲルの醸し出す雰囲気とぴったりのニュアンスで、絶妙な味わいを残す。

タッチは硬質で、スタイルも洗練されているが、音の粒立ちから芳醇な香りが立ち込める。

その両者のコントラストと溶け合いの妙こそがこの演奏の醍醐味である。

第1楽章後半、不必要に力まず、音楽を一気に高揚させる両者の連携は完璧。

そして第2楽章が絶品だ。

いかなる感傷をもそぎ落とした氷のように静寂な音楽だが、そこから白い冷気のように哀しみが立ち昇ってくる。

一見淡々としたウーセのフレージングがかえって忘我的な雰囲気を引き出し、聴けば聴くほど内面から湧き出る共感が細やかなアゴーギクとなって現われているのに気付き、味わいもひとしおであり、木管が長いソロを吹く静かなシーンも、他に類例がないほど感動的で、ピアノとオーケストラの相性もよい。

終楽章の機械的な無機質さを感じさせないコクのある表情も、心にしっかり印象づけられる。

この演奏に関して言えば、ピアノの音が冷たいのは確かで、一聴して固い印象だったが、それは、ある意味で間違いだった。

時をおいて聴き直すと、オーケストラの演奏が、まぁ何と表情豊かな演奏をしていることか。

他の演奏が単調に聴こえてしまうほどであり、改めてピアノをオケの一部として捉え直して聴くと、この演奏が別の魅力豊かな表情を有して聴こえてくるのに気付く。

通常協奏曲の名演奏は、ソロの素晴らしさ+伴奏の確かなフォローという形で論じられることが多いのだが、この演奏はそういう図式では収まらない不思議なニュアンスが満ち溢れている。

カップリングの2曲も必聴と言えるものであり、「ボレロ」では、伴奏部分の強調など個性的で、最初のフルート・ソロが不気味なクレッシェンドをするところからただならぬ予感。

管の各奏者の高い技量の素晴らしさに加え、「東独的」とも言うべき独特のアクが自然と顔を覗かせるあたりが何とも味わい深い。

ラヴェルの魔法的な色彩術の象徴と言えるチェレスタが加わる箇所は、精緻さを目指さず、むしろ大掴みな感じであるが、自然とハ−モニーとして溶け合っているのは、オケの技量の賜物であろう。

しかし12分位から、トランペットが主役になって以降のリズムの野暮ったさはメンゲルベルクの同曲の録音を思い起こさせ、思わず吹き出してしまうほどフランス的な洗練とは正反対と言えるものであり、しかもそれを大真面目でやってのけているので、この上なく痛快で「教科書的な名演」に飽きた人は必聴である。

合唱つきの「ダフニスとクロエ」は、克明でたくましく分厚いハーモニーが素晴らしい名演で、 本当にフランス的な良い雰囲気を醸し出した、まさにラヴェルしか書けなかった音楽が存分に堪能できる。

弦楽器が力強くうねっては鎮まるが、特に最後の壮大な盛り上がりが圧巻で、鮮烈かつ痛快、硬派にして官能的、切れのいいリズムで、すべての音がエネルギーの放出を目指して高まっていく。

合唱の存在感も適切で、これでこそわざわざ人声を組み込んだ意味があるというものだ。

ケーゲルはラヴェル作品としては「子供と魔法」を録音していたが、こちらの盤のほうがあらゆる面ですぐれている。

ケーゲルに鍛え上げられたオケの技量も素晴らしく、鳴っている音楽に耳を傾けて欲しい。

これほどまでに暗黒を感じさせるラヴェルは他に無いだろうし、これからも生まれないだろう。

ラヴェル・ファン、ケーゲル・ファンのどちらにも聴いてもらいたいCDである。

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このケーゲル盤の演奏は、オーケストラの表出する熾烈なまでの音響的インパクトが素晴らしく、このオペラならではの破滅的なまでに強烈きわまる音楽の醍醐味を存分に満喫することのできる名演だ。

古典作品の構造引用を睨みながらも、表現主義的なエネルギーを強烈に引き出した凄い演奏であり、「ヴォツェック」の決定盤はこのCDなのではないだろうか?

どう聴いても声楽台詞付き器楽曲のように聴こえるこの歌劇の最も精力にあふれた演奏。

ケーゲル&ライプツィヒ放送響の奏でるオーケストラの響きは、尋常ではない緊迫感を感じさせるものがある。

ケーゲルは冷静時代の東独という目立たない所で活動していたので、ついぞ脚光を浴びることはなかったが、これから大いに再評価されて欲しいものだ。

アバドやバレンボイムを凌駕する圧倒的情報量、鋭すぎるフレージング。

ブーレーズはこの曲を見事に整理したが、ケーゲルはより複雑に、怪奇に、カオスに、まさに今そこにある危機的状態を感じさせるものがある。

この音と音の壮絶なせめぎ合いを破綻させないのだから、やはりこの指揮者の力量は凄い。

これまでに聴いたアバドやバレンボイムの演奏が中途半端で生ぬるい演奏に聴こえるほどホットで、聴いていて耳が火傷しそうなほど熱い最高の「ヴォツェック」である。

冷徹なブーレーズ盤の対極にある演奏と言えるところであり、鋭利な刃物のような切れ味で、耽美的なところもあって、マーラーのようなシニカルなところもありながら、ショスタコーヴィチのような光と影のコントラストを感じさせるところもある。

「パルジファル」全曲やヒンデミットの管弦楽曲も凄かったが、この「ヴォツェック」はこのオペラの心眼に斬り込んでゆくような更なる凄みがある。

ここでのライプツィヒ放送響の最盛期におけるアンサンブルは充実を極めていて、あたかも狂気と耽美とが紙一重で共存するような、ギリギリの領域で音楽が進展し、その強烈ぶりに聴いていて惹き込まれてしまう。

言うなればシナリオの絶望感を、演奏の狂気感が超えていて、完全にとり憑かれている、という感じであろうか。

歌手陣も秀逸で、ライヴ録音ならではの緊張感があり、貫禄充分なアダムの主役を筆頭に、テンション高い歌手陣の頑張りも実演ならでは。

「三大性格テノールコンサート」の1人に入れてもいい、ハウプトマン役のヒースターマンの歌唱は最初から強烈。

マリー役のシュレーターは、ベーレンスやマイヤーよりは弱いかもしれないが、街の片隅に生きる「小市民」のマリー、どこにでもいるような「あばずれ女」のマリーとしてはイメージとして適合している。

どのキャストもまさに迫真の演技で、聴いているうちに自己の精神までも分裂してしまうんではないか、という恐怖感に苛まれてしまう程の凄演だ。

1973年のライヴ録音であるが鑑賞上で何ら問題の無い高音質なのもうれしいところだ。

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2014年07月11日


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ケーゲルは旧東ドイツでは、現代音楽と合唱曲のエキスパートとして著名であった。

彼は1978年から10年にわたってドレスデン・フィルの首席指揮者を務めたが、華々しく脚光を浴びることはついぞなかった。

しかし現代音楽の演奏では、明晰な解釈とある種エキセントリックな表現によって高い評価を受けていたことは間違いない。

当盤は、ヒンデミットの演奏で高い評価を得ていたケーゲルの代表的録音で、最初に聴いたときには衝撃を受けた。

「画家マティス」は、この曲のベスト演奏のひとつと言われているものであるが、筆者は「画家マティス」と「いとも気高き幻想」のどちらも最高の演奏と評価したい。

このヒンデミットの演奏は、ケーゲルの演奏スタイルを知る上では代表的なものとして挙げられよう。

主情的な見方は避け、曲のあるべき姿を正確に見極め、輪郭のはっきりした強靭なタッチでシリアスに描き出している。

「画家マティス」は作品に対するあたたかい共感を伝えるような演奏である。

ヒンデミットの精緻で目の詰んだ書法を重くもいかめしくもせず、柔軟と言えるほどの流動性をもたせて、しっとりと旋律を歌わせている。

自然なアゴーギクで音楽的な起伏をつくる構成もいい。

「いとも気高き幻想」も、のびやかな抒情性を表した好演。

これら両曲の異演盤では、例えば1995年のアバド&ベルリン・フィルの演奏と比べると、金管の音の豊かさが際立っている。

1本1本で聴けばやや不安定に思える所もあり、ベルリン・フィルの方が上に感じるが、オーケストラ全体としては、ドレスデン・フィルの方がまとまり感があって抜群に素晴らしい。

そのオーケストラのハーモニーを聴いていると、自分の耳の充実感がとても心地よく、思わずヒンデミット好きになったと感じてしまうほどである。

ケーゲルはこうした逸材であったにもかかわらず、東西ドイツ統一後、ブリテンの〈戦争レクイエム〉の録音を遺言のように残して自殺した。

ハイブリッドSACDの高音質録音も本盤の価値を高めるのに大きく貢献しており、各楽器の音が全体になじんでいて、オーケストラとしての一体感がある。

アナログレコーダーが編集に使用されているからであろうか、最近のSACDほどの透明感はないのだが、音のきつさは殆ど感じられなくなったと言ってよい。

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シューマンは、1980年10月、ブラームスは1988年11月、いずれもライプツィヒに於けるステレオ・ライヴ録音。

旧東独の鬼才、ヘルベルト・ケーゲルは前記のように近・現代音楽を得意としていたが、これはドイツ・ロマン派音楽の傑作を並べた名演集である。

ケーゲルのシューマンの交響曲第4番は手兵ドレスデン・フィルとのディスクは初めてで、シューマンの交響曲では何故か第4番のみを偏愛していた模様である。

わが国でもドレスデン・フィルとの伝説の来日公演で取り上げ、またNHK交響楽団とも至高の演奏を繰り広げた。

こんなに味の濃い第4番も珍しく、それは音楽が進むにつれてますます強まり、内燃の迫力は荒び、内容重視のドイツ人の魂の歌がほとばしる。

このシューマンの演奏は、N響のものよりはるかに受け入れやすく、自然な流れが感じられる。

ブラームスは、ケーゲルが特に愛情を注いだ交響曲第2番で、最晩年のライヴだけに、メロディを強調した個性的な遅いテンポが採用され、第2楽章の官能的な歌と熱情には驚かされる。

この第2楽章に関しては、和音部の管や低弦の響きに、他に味わえない幽玄な響きがあり、非常に深みのある味わい深い演奏になっていて、よく歌うだけでなくとても表情豊かだ。

この曲はケーゲルが愛奏した傑作で、既にライプツィヒ放送響との2種類の演奏が知られているが、最晩年の1988年、最後の手兵ドレスデン・フィルとの当演奏はロマン主義者ケーゲルの面目躍如たる粘るテンポとうねりを伴った超名演になっている。

ときには往年のクナッパーツブッシュを想起させる凄いテヌートも出現、コーダに至ってやっとアッチェレランドがかかるが、このトロンボーンの最強奏の威力は、オーケストラ全体の分厚さとともに体ごとぶっとばされそうな勢いである。

それまでのケーゲルとは一風変わった演奏であり、いずれも音色の美しいドレスデン・フィルだけに、素晴らしい仕上がりになっており、その引き締まった造形と情熱的なメロディ展開が素晴らしい。

テンポをゆったりととっていて重厚に歌わせていることは両曲ともに共通している。

両曲とも終演後の聴衆の拍手は盛大である。

録音も秀逸で、奥行きがあり、立体的かつ有機的、そしてパワフルなサウンドを味わえる。

ケーゲルを最も深く理解し分析して、世に広めてきた音楽評論家、許光俊氏による日本語解説も興味深い。

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近・現代の作品の演奏を得意としていたケーゲルのベスト・レコーディングのひとつ。

大方のケーゲルへの評価がそうであるが、ケーゲルは、20世紀前半の音楽が一番面白いようである。

この音盤は、そうしたケーゲルの演奏のなかでも、最も代表的なもののひとつで、ウェーベルンの主要な作品がほとんど網羅されている。

5曲とも大変素晴らしい演奏であり、ケーゲルの指揮ぶりは自信に満ち、どの曲を聴いても感性豊かな表現力に魅了される。

例えば、「弦楽合奏のための5つの楽章」は緊密な合奏力と艶のある美しい音の響きに強く惹かれるし、「大オーケストラのための6つの小品」もケーゲルならではの鋭角的に冴えた音の作り方も見事。

また、「オーケストラのための5つの小品」も打楽器の扱い方の巧さに彼独自の味がある。

他の2曲も文句のつけようがなく、ここにはケーゲルの真価が遺憾なく発揮されている。

やはりケーゲルは古典より近・現代の作品を振ってその真価を発揮できる指揮者であり、その中でも特に新ウィーン楽派の作品はケーゲルに合っていた。

独特の厳しさをたたえた演奏で、また、気迫というか妖気せまるものがある。

アントン・ウェーベルン、あるいはウェーベルン=ケーゲルというべきか、創造のひとつの極致であるウェーベルンの音楽が、ケーゲルの手によって、まさに創造の極限として露わにされている。

音楽という日本語が含んでいる、どこか甘い雰囲気をたたえた言葉を遥かに越えて、いや、それとは別の次元に立ってというべきかもしれない、ここでは創造の現実が我々の日常的現実性を突き破って超然としているのだ。

前世紀の音楽で異彩を放つケーゲルを鬼才と呼ぶかどうかは聴き手次第とも言えるが、ケーゲルがこうした音楽で見せる作品の透視術のようなものは、彼独特のものである。

それは、2つの大きな大戦を引き起こした大きな時代の波の動きもさることながら、技術や経済の急速な発展、国境や民族の境を超えた価値観の多様性と急激な変化、そして、そうしたものが瞬時にして世界の隅々まで波及することによる、我々のごくごく普通の人々の日常生活への影響、精神的な苦痛のような前世紀の時代の特徴をケーゲルがその肌で感じ取ったままを演奏に込めているように思う。

演奏する作品群と同じ時代に生まれ、生きた指揮者だからこそ、こうした作品群を最も赤裸々に表現できたというのが筆者のこの音盤でのケーゲル評である。

終始どこか不安定さを感じる演奏、それまでの穏やかを瞬断して何の前触れもなく突如現れる強奏、誰かが物陰からこちらをずっと覗き見ていることに気づいたときのような気持ち悪さに似た相容れないものの同時進行性のようなものを感じる。

期待感を持ってどんな演奏か想像はしてみるが、やはり聴いてみないと実像・結果がわからないといった一種のスリリングさを感じるところにケーゲル演奏の醍醐味がある。

そういったケーゲルの指揮するウェーベルンの作品どれも面白く興味が尽きない演奏で、これらの作曲家の作品を避けていた人には真っ先にお薦めしたいディスクだ。

ドイツ・シャルプラッテンの音源からハイブリッドSACD化した高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大いに貢献していることを忘れてはならない。

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2014年07月10日


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ルービンシュタインというピアニストはレパートリーが比較的広く、必ずしもショパンのスペシャリストを志していたのではなかった。

ただ筆者個人にとっては、ルービンシュタインを聴くということは、まずもって彼のショパンを聴くということであった。

非常に長い演奏活動をやってのけたルービンシュタインは、録音でもさまざまなショパンを残したが、そのうち筆者が最も惹かれるのは、1930年代のそれである。

現在から離れて仰ぎ見るから一層偉大に見え、憧れがより強くなるのかも知れないが、それはそれとして筆者が1930年代のルービンシュタインのショパンにこだわるのは、この時代の緊張した雰囲気(1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻により第2次世界大戦が勃発。ルービンシュタインの祖国、そしてショパンの祖国でもあるポーランドは、ドイツとソ連に分割され、再び地図上から消えてしまった)を、ルービンシュタインが大なり小なり受け止め、それを演奏に反映させていたと考えるからに他ならない。

このように1930年代のショパンの録音は、ポーランド出身のユダヤ人の当時の心境をよく表しているのではないか。

祖国を離れて外国で演奏するというのは、ショパンが置かれていたシチュエーションに非常によく似ている。

つまりルービンシュタインがその一員であったユダヤ系ポーランド人、及びポーランド共和国を取り巻いていた険悪な政治状況が、1930年代に壮年期であったルービンシュタインの演奏・録音に、心理的に投影されていると考えるのである。

この時期の演奏・録音からうかがえるように、ルービンシュタインはショパンを晩年のそれよりも、はるかに躍動的に表現していた。

洗練された都会的な手法でショパンが自作の中に封じ込めておいた激情や憂愁が、いかにも即興的に、といっても巧妙なる計算がなされているに違いないのだが、そうした計算を聴き手に少しも気付かせることなく再現される。

テンポ・ルバートを活用して、ロマンティックというのか、それともポーランド風というのか、そんなショパンの世界が微に入り細に分け入って表出される。

それは、まことにニュアンスに富んだショパンであり、かつ動的なショパンであった。

ショパンの感情の揺れが手に取るように再現されており、ショパン弾きとしてのルービンシュタインの才能に脱帽せざるを得ない。

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2014年07月09日


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第7番「レニングラード」の凄演で知られるケーゲルのショスタコーヴィチを7曲収めたBOXセットで、ムラヴィンスキー以外の最重要解釈者、ケーゲルのショスタコーヴィチ完結編。

このセットは1958年から1986年までのライヴ録音をまとめたもので、第4番と第11番はモノラルであるが、他の5曲はステレオ録音で、特に1986年の第5番は良い状態となっている。

東独の指揮者だったケーゲルは、同盟国ソ連の作曲家ショスタコーヴィチの作品をよく演奏していた。

現代音楽を積極的に取り上げる合理主義、理知的な音楽作りを一面として、本来はロマンティックな嗜好が強い指揮者であり、思い入れの強かったマーラー、ショスタコーヴィチでは、憧憬を隠そうともしない蠱惑的な演奏を繰り広げることでも知られる。

演奏記録からもケーゲルのショスタコーヴィチへの偏愛は窺われるが、特に演奏年代に注目していただきたい。

第11番に至ってはラクリンによる世界初演、ムラヴィンスキーによるレニングラード初演から半年も経たぬ1958年の演奏である。

モノラルとはいえムラヴィンスキー盤を上回る良好な音質で、その切実な音楽表現はトーンクラスターに陥らぬ、ケーゲルの個人的思い入れすら感じられる、熱く魅力的な超名演だ。

第4番はコンドラシン初演の2年後の録音も存在するが、演奏内容はフィナーレに一工夫も二工夫もある1969年ライヴを採りたい。

元来ステレオ録音されたもののトラックダウンで(ステレオ録音は残念ながら廃棄された模様)、分離の良い素晴らしい録音である。

現代では、大規模大音量交響曲として、多くの指揮者が取り上げているが、この時代に2回もの演奏に固執したケーゲルの先見性には頭が下がる。

壮年期のケーゲルならではの異常なまでの切れ味が作品の持ち味と合致して痛烈な仕上がりになっている。

ベルリン芸術週間(もちろん東ドイツの)における高揚したエッジの効いた強烈な表現に、ケーゲル晩年の特徴である虚無的な雰囲気も感じさせる独特の音楽づくりが印象的な第5番は、東のベルリン芸術週間での演奏ということもあってか、終楽章のコーダになぜか鐘が加えられていることもポイントで、『ボリス・ゴドノフ』を彷彿とさせるその巨大な響きは実にユニーク。

この第5番を聴くだけでも購入の価値ありと言いたいところであるが、他の6曲も聴き応え充分な内容だ。

オペラティックな趣のある第6番、スタイリッシュでセンス抜群な第9番(第6番と第9番は作品のパロディ的性格をシニカルに表している)、ドイツ語版ゆえにクールな感触が際立ち、「大地の歌」を想起せずにはいられない第14番「死者の歌」、緊迫感みなぎる冷徹演奏が作品の真価をシリアスに示しザンデルリンクの独壇場を脅かす恐怖演奏の第15番と、どれも高水準な内容となっている。

西側では知られていないだけで、実は最重要ショスタコーヴィッチ解釈者であった、巨匠の遺産である。

隅々まで注ぎ込まれた英知があり、聴き込んだファンほど納得することは間違いなしと言える。

ケーゲルも草葉の陰でこのリリースをさぞかし喜んでいることであろう。

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素晴らしい演奏だ。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、いずれ劣らぬ名演揃いであるが、本盤に収められた「インヴェンションとシンフォニア」も実に素晴らしい。

収録順も、他の大方のピアニストのように第1番からの順番ではなく、グールドなりに考え抜かれた順番に並び替えられており、こうした点においても、グールドの同曲への並々ならない拘りが感じられるところだ。

同曲は、もともとはバッハによる教育用の音楽と考えられていたところであるが、グールドによる個性的な演奏によって、他のピアノ曲と同様の一流の芸術作品として見られるようになったとも言えるだろう。

それにしても、演奏は超個性的。

グールドの演奏の場合は、次の楽曲においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、聴き手を片時も退屈させないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、「ゴルトベルク変奏曲」をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないだろうか。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の「インヴェンションとシンフォニア」の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、数年前にBlu-spec-CD化がなされ、これによってピアノの音に比較的柔らかさが宿ったとも言えたが、先般、ついにSACD化が行われることにより、さらに見違えるような良好な音質に生まれ変わった。

残念ながらシングルレイヤーではないが、音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、1964年という録音年代を考えると殆ど驚異的であるとさえ言える。

いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年07月08日


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ギレリスとゲルバー、2大巨匠がN響と共演した貴重なライヴ。

どちらもそのスケールの大きさと円熟ぶりで聴衆に強い感銘を与え、今日でも語り草となっている。

一点も曖昧にしないギレリスの完璧さ、独特のナイーヴな煌めきに満ちたゲルバー、ともに絶品と言えるものであり、その幻の音源が初登場。

サヴァリッシュ指揮のN響ともども、まるでヨーロッパに於けるコンサートを聴いているような感にとらわれる。

ギレリスのライヴ録音は、スタジオでの録音に比べ、ある程度勢いに任せるため、聴いていて面白い場合が多い。

格調の高さと激しさをもった「皇帝」で、ギレリスの元来の特長である音符一つ一つを弾き逃すまいとする姿勢と、ライヴゆえの熱気からくる堅い強音が感じられる演奏である。

特に、第1楽章中間部の強音は凄まじいものがあり、肺腑にくるほどで、また、技巧でねじ伏せるような一面も見せている。

素早く、大きなクレッシェンドで飾られたアルペジオは聴く者を演奏に引きずり込み、後期ソナタ集で見られた禁欲的な音楽ではない。

非常に興に乗った演奏であるが、派手一辺倒な演奏ではなく全体の構成に沿った演奏内容となっており、不自然さがない。

また、テンポをいじることもなく、標準的なテンポ〜少し遅いくらいで纏められており、こういった部分に筆者はギレリスの生真面目さを感じる。

バックについては可もなく不可もないといったところだが、金管の使い方が面白い場面がいくつかあった。

基本的にはピアノの方針に沿った、きっちりと刻むようなリズム中心の音楽づくりで、さっぱりとしている。

ギレリスの歌い回しが少々堅いので、その差分を補給している点は良い。

得意であるらしいバッハのピアノ編曲物が付いているのもうれしい。

一方、ゲルバーは、技巧やパワーは申し分がないが、一番すぐれているのは歌い回しであろう。

強烈に引き付けられるわけではないが、魅力的であり、対旋律の弾き方にも個性が表れている。

本人はこれに気づいていないようであり、どこで盛り上げるかばかりに気を使っているようで、狙いを定めたようにギヤを変えるので何が起こるのかが透けてしまうのだ。

フォルテの部分では惜しげもなく力を注ぐと言った印象で、雑に聴こえる個所もある。

そういった部分をここで聴くと出来が悪いわけではないが、一気に聴いていると気になってしまうのだ。

見得を切ること主眼に置いた演奏と言えるかもしれず、そうした場面での語彙の少なさも見受けられた。

文字どおりガンガン弾いていて若々しいと言い訳できるレベルではあるが、その弾き方がはまる部分は実にスリリングで熱い。

バックはギレリスとの演奏と殆ど同じで、可もなく不可もないといったところである。

両演奏とも音質は、他のN響85周年記念シリーズと同程度で、大手レーベルのスタジオ録音の様な明瞭さはないにしても、音楽を楽しむという点のみに目的を絞れば全く問題ないレベルといって良く、残響が強めのFM録音といった感じである。

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ヨハン・シュトラウスのワルツによる編曲作品の名演を集めた1枚。

編曲作品を、精巧な模型作品とみるか、独立した作品とみるかは難しいところだが、個人的には当盤のような演奏内容は非常に楽しめる。

このCDでは、グリュンフェルト、ドホナーニ、ローゼンタール等、編曲者自身の演奏で聴くことができる。

さらにタウジッヒ編の『人生ただ一度』はラフマニノフ、ゴドフスキー編の『こうもり』はモイセヴィッチの演奏。

有名なレヴィーンの「美しく青きドナウによるコンサートアラベスク」(シュルツ=エヴラー編)やサパートンの「芸術家の生涯による交響的変容」(ゴドフスキー編)、モイセイヴィッチの「こうもりの主題による交響的変容」(ゴドフスキー編)など、ピアノ好きならば一度は聴いておきたい素晴らしい演奏の数々が収録されている。

ドホナーニとグルンフェルトに関しては、編曲者自身の自演が収録されており、これは貴重だろう(どちらも上手い)。

ラフマニノフとボレットのタウジッヒ編ももちろん素晴らしいが、圧巻は何と言ってもローゼンタールの「幻想曲」であろう。

『美しく青きドナウ』の有名な旋律に絡み合う急速な重音の連続、後半ではそれに『こうもり』が左手に加わってきて、ローゼンタールの面目躍如と言ったところだ。

少し残念な事ではあるが、いくつかの曲で部分的にカットされている演奏もある。

しかし全体的に見ればそれを補って余りある選曲とヴィルトゥオジティに満ち溢れた演奏だ。

ヨハン・シュトラウスのファンにも、「古き良き時代」のファンにも、また超絶技巧マニアにも、十分に楽しんでもらえる内容となっている。

ボレット以外は20世紀前半の録音であるため、ヒストリカルな録音を聴き慣れていないと初めはノイズが気になるかもしれない。

しかし聴き進めるうちに、その華麗なテクニック、ウィンナ・ワルツのリズムに魅せられ、思わず時を忘れて演奏に聴き入ってしまうこと間違いなしと言い切ってもいいような内容である。

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クナッパーツブッシュ唯一の録音となるモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(1940年録音)に加え、J.S.バッハの3作品(1944年録音)を収録した、クナッパーツブッシュとウィーン・フィルによるアルバム。

何と言っても「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が楽しい。

筆者の勝手な思い込みで、クナとモーツァルトの相性は悪いと思っていたのであるが、クナの「アイネ・クライネ」の録音が存在していたというのに本当に驚かされた。

モーツァルトの「アイネ・クライネ」は余計な表情をつけなられない曲だと思っていたが、クナはまさにやりたい放題の大暴れ、しかも大成功を収めたのだ。

これを聴いて怒り出してはいけない。

最初は余りにも珍妙な演奏で腰を抜かしたが、ロココ調のセレナードという固定観念にとらわれずに聴けば、なかなかどうして愉快痛快な演奏ではないか。

フレーズごとに耽美的なディミヌエンドをかけ、各声部の動きにあざといアクセントをかけ、ロマンティックな音楽を聴かせるのは乙な趣向だ。

終曲の途轍もないスロー・テンポ! その中でクナは遊びに遊ぶ。

思い切ったポルタメントはほんの序の口、途中で2ヵ所、モーツァルトが書いた伴奏部の音の長さと表情を変え、主題の対旋律としてしまったのである。

天才モーツァルトの楽譜を変更したのだ! こんな勇気は他の指揮者には絶対にない。

これはもはやクナッパーツブッシュ編曲と言い切ってしまってよいほどで、非常に面白い。

アカデミズムを軽蔑するクナの、「してやったり」という顔が目に見えるようではないか。

彼だから許され、彼だから可能な業ではあるが、それでも、このCDは筆者に「モーツァルトでもここまでできるのだ!」という感銘を与えてくれる。

第1楽章もセレナードとは思えぬくらい深々としており、淋しいけれど神経質に陥らないニュアンスが漂い、何よりも豊かな歌が横溢する。

その歌はメヌエット中間部にも現われるが、特筆すべきは第2楽章の美しさで、細部までこれほど丁寧に愛情をこめぬいた演奏は他に決してない。

できるところでは全部リタルダンドをかけ、息の長いクレッシェンドで盛り上げ、コーダでは何と第1ヴァイオリンをソロに変えている。

クナはワルターのように粋に運ぶことはまるで考えていないが、それでいて泥臭くなっていないのは、どこもかしこも真実だからであろう。

筆者はあえて言いたい。

「アイネ・クライネ」のCDは、特別の興味がない人以外には、ワルター(&ウィーン・フィル)とクナッパーツブッシュの2種類だけ持っていればよい。

そして、彼らの演奏を折に触れて聴き比べれば、音楽創造というものの素晴らしさや秘密が、次々と解明されてゆくに違いない。

交響曲第39番と第40番も悠揚迫らざるスケール感と気品高い演奏で聴く者を魅了する。

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2014年07月07日


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1989年9月 サンフランシスコ、デーヴィス・シンフォニー・ホールに於ける録音で、ボレット最晩年にして、初のドビュッシーとなったもの。

キューバの名ピアニストで、リストやショパン、ラフマニノフなどの超絶技巧の名手として知られるホルヘ・ボレットが死の前年に残した ドビュッシーである。

ドビュッシーの全2巻・24曲ある前奏曲から16曲をピックアップして、独自の曲順で並び替え収録したアルバム。

こだわりのピアニストが愛用することで知られるベヒシュタインを使い、生涯に渡って美しい音色を追求した彼の魅力がたっぷり詰まった仕上がりになっている。

低音から高音、弱音から強音まで、ひたすら耳に心地良い美音が連続し、これほど美しい「前奏曲集」は他にないと言えるところであり、まさに宝石のような、精巧な工芸品を見るかのようだ。

このように書くと、表面的な演奏のように思われるかもしれないが、決してそのようなことはない。

旋律の歌わせ方、リズムの感覚など、実に惚れ惚れとする演奏で、これは全曲盤で残してほしかったと思わせる出来映えだ。

ドビュッシーの音楽はボレットの持ち味とされる19世紀的なグランド・マナーとは対極にあると言ってよいが、ドビュッシーの音楽での自らの新しい表現領域を開拓することに成功した。

ドビュッシーのリズムは予見される進行をしばしば離れるため、豊かでデリケートな情報をもたらす可能性があるが、彼はその可能性を実に綿密に検討しながら柔軟性に満ちた時間を生み出し、暖かい魅力をもった色彩感を醸し出している。

70歳を遥かに超えてなお毅然とした音楽をつくりあげるボレット。

美音を鳴り響かせ官能に耽溺することなく、節約された身振りの中に注意深く音が配置される。

この古典的なドビュッシーはムード音楽からは遠く隔たった場所に位置している。

「1回のレコーディングより100回のコンサートを行う方が良い」と語り、またレコーディングでもジャケットとタイを手放すことのなかったという気難しいボレットであったが、この16曲の選ばれたこの前奏曲集は、驚くほど明るい音色と、繊細なタッチで、ドビュッシーの音楽の持つ色彩感と柔らかさを表現している。

使用ピアノは、スタインウェイではなくボールドウィンSD-10(アラウも愛用していた)。

今はあまり使われない楽器だが、深い音色が特徴の「知る人ぞ知る」銘器である。

ボレットにとってはもしかしたら不本意な録音だったのかもしれないが、この詩情溢れた演奏には何も文句のつけようがない。

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チャイコフスキーの3大バレエは、いずれもスラットキン&セントルイス交響楽団による、素敵な全曲盤が発売されている。

2003年に廉価ボックスになって好評だったのが、さらにお得な価格になって復活した。

スラットキンは1980年にミネソタ管弦楽団との抜粋版を録音していて、それも優れた出来映えであったが、満を持しての3大バレエ全曲録音である。

スラットキンは、セントルイス交響楽団と長期にわたる良好な関係を築き上げ、オーケストラのサウンドをセンスの良い美麗な音響に磨きあげたことでも知られている。

そのことは、これらが録音された頃、スラットキン&セントルイス交響楽団の宣伝文句が「シカゴ響に次いで全米2位にランクされた」というものであったが、それが誇張ではないことが、この録音から伝わってくる。

彼らは特にロマン派から近代作品を中心に人気を集めていたが、スラットキンがロシア系ということもあってか、ロシアものには定評があり、実演でも録音でも高水準な演奏を聴かせていた。

この『くるみ割り人形』『眠りの森の美女』『白鳥の湖』の全曲ヴァージョンでも、洗練された豊かな色彩と華麗なダイナミズム、そしてなめらかなフレージングを駆使してしっとり美しいチャイコフスキーならではの魅力を見事に表現している。

スラットキンとしても一番指揮者として脂がのっていた時期と言えるところであり、快速なテンポながらオーケストラをしっかり統率する様は充実感にあふれている。

演奏スタイルは典型的な西側の演奏で、構成重視で洗練されたものであり、ドラティやティルソン・トーマスなどの演奏に近い。

スラットキンは前述のように、ロシア音楽の一方のスペシャリストと言われ、ロシア人の血を引くだけに、これらの曲を実に甘美でロマンティックな雰囲気で、表現し尽している。

いわゆるバレエの舞台を彷彿とさせる劇場的な表現ではなく、シンフォニックな演奏会風の解釈だが、弦を中心にしたオーソドックスな音楽づくりが、これらの曲の真髄を誤りなく、聴き手にメッセージされるのである。

すなわち、バレエ音楽というより、交響詩的バレエ音楽と言ったらよいだろう。

何よりも各曲の性格を的確につかんで、キャラクタライズするスラットキンの手腕には感嘆させられる。

スラットキンは全体にテンポを遅めにとり、チャイコフスキーのもつ抒情性を強く前面に押し出している。

そういう意味では『白鳥の湖』が出色で、特に第2幕「白鳥たちの踊り」のワルツなど旋律をたっぷりと歌わせているし、「4羽の白鳥たちの踊り」もユーモラスな気分をよく表出している。

第3幕も無難にまとめ、第4幕は「情景と終曲」が実に演出巧者だ。

ロシアの演奏家の3大バレエは名盤が少ないような気もするので、この価格で3大バレエを購入できるのはまさにお買い得であり、多くの人に聴いてもらいたいセットである。

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1990年10月18日に75歳で亡くなったボレットの唯一のシューベルト/ソナタ録音である。

世の中には不遇の扱いを受けて、廃盤となってしまう名盤も多いが、このボレットのシューベルトもそんな1枚であった。

それが、英デッカの廉価シリーズからあっさり復活してしまい、突然、安価で簡単に入手できるようにになった。

時々不思議さを感じてしまう。

この復刻する、しない、という線引きは、一体どのような経緯で決まるものなのだろうか?

とはいえ、本当に素晴らしいこのディスクが市場に再登場したことを心から歓迎したい。

ホルヘ・ボレット(Jorge Bolet 1914-1990)は1978年、64歳になって英デッカと契約し、その後の録音活動を通じてやっとファンに知られるようになった。

それ以前の経歴は少し変わっていて、生まれはキューバであるが、米陸軍に所属し、進駐軍の一員として日本に来ている。

ピアニストとしてのボレットは、リストの弟子であるモーリツ・ローゼンタール(Moriz Rosenthal 1862-1946)に師事しており、ボレットは「リストの直系の弟子」ということになる。

ボレットのピアニストとしての主だった活躍が晩年となった理由について、筆者が読んだ資料では「米国内で、批評家から芳しい評価を受けることがなかったため」とあった。

それが本当かどうか知らないが、この素晴らしいシューベルトを聴くと「批評家受けしない」ことなど、本当にどうでもいいことなのだと思う。

それでも、彼を発掘して録音活動にこぎつけた英デッカのスタッフには感謝したい。

ここに聴くボレットは、老練にして孤高の境地を示すかのような演奏であり、純粋無比の美しさが実に印象深いシューベルトである。

彼の演奏は率直そのもので、その痛切な響きは、表現が率直であればあるほど胸を打つ。

第20番はまず、冒頭の和音の素晴らしい響きでたちまち心を奪われる。

続いて、的確な間合い、風合いを保ちながら、呼吸するように和音を鳴らし、細やかな音階が輝く。

なんと結晶化した美麗な響きであろうか。

シューベルトの晩年のソナタに呼応するような、歌と哲学の邂逅を感じてしまう。

特にこの第1楽章は本当に素敵だ。

第2楽章は雪に凍った大地をゆっくりと踏みしめて歩くようであり、ややゆったりしたテンポだが、弛緩がなく、一つ一つの音が十分過ぎるほどの情感を湛えて響く。

本当に心の深いところから湧き出た音楽性が、鍵盤の上に表出しているのだと実感する。

この第1、2楽章が白眉だろう。

繊細なタッチにより、誇張のない表現でありながら、滋味豊かで心のこもったその演奏には、心を打たれる。

第14番も同様の見事な名演だ。

厳かな雰囲気を引き出した演奏内容で、全ての音に魂があるように聴こえてくる。

終楽章はスピーディーではないけれど、内省的なパワーを感じさせて、凛々しいサウンドで内容の濃い音楽になっている。

ボレットのシューベルトは決して入念に1音1音紡いでゆくというものではないが、楽譜の読み込みそのものは実に深い。

リストからは想像もできないほど浅く軽いタッチで、誇張のないデリケートなアゴーギクが表現に深いひだを印す。

感傷性を排したスケールの大きな演奏は前時代的にして壮大な「ロマン性」を伝えている。

ボレット亡き今となってはかなわぬことだが、ボレットの弾くシューベルトをもっと聴きたかったものだ。

あらためてこの不滅の名盤の復刻を大いに祝福したい。

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2014年07月06日


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20世紀最後のロマン派ピアニストと呼ばれていた、ホルヘ・ボレットの演奏によるリスト名演集を収録した、1972〜73年録音盤。

伝説的なピアニスト、ボレットの思わず聴きたくなる名盤の一つで、後年の英デッカへの一連の演奏・録音より音色がより明るく、ロマンティックな情感が瑞々しく漲っている作品集であり、英デッカ盤を持っているファンにも是非聴き比べてもらいたい名盤と言えよう。

まず、音色がとても綺麗で、基本に忠実、中身が濃い演奏内容ありながらも滑らかな流れの演奏だ。

曲の解析は原曲に忠実であるため、オーソドックスでありながら嫌味がない。

なかでも、「スペイン狂詩曲」が、冴えたリズム感と技巧を堪能できる名演。

「愛の夢」や「ラ・カンパネラ」といったポピュラーな曲でも、そのグランドマナーに彩られたピアニズムが心にしみわたってくる。

リストはピアノの魔術師と言われているが、演奏会は常に超満員だったそうだ。

作曲よりも、ピアノ編曲に熱心だった時期が長く、有名な曲を作り変えてしまうのであるが、果たしてそんなことをしてもいいのか、という議論が起きたそうだ。

シューマンがその著書でリストを擁護しており、良いか悪いかは、聴衆が決める、と論じていた。

リストの名曲というと、作曲家自身もややするとそうであったように、とかく技巧一辺倒に陥りがちである。

しかし、ボレットの演奏はどうであろう。

リストが、まごうことなきロマン派の大巨匠であることが、ひしひしと伝わってくるではないか。

「溜め息」のアルペジオの鮮やかさや「森の囁き」の幻想味はもとより、「愛の夢」や「ラ・カンパネラ」といった超名曲でさえ、紡ぎ出される音楽は上質そのもので、有名な英デッカ盤を遥かに凌ぐ華麗かつ繊細な表現である。

リストはロマン派時代の音楽家なので、19世紀の流れを汲むロマンティックなヴィルトゥオーゾ・ピアニストと称されていたボレットには、リストに対しては特別な思いがあったようだ。

おそらく聴く人は、そのことを1曲目の「愛の夢」で、納得がいくであろう。

凡人には決して辿り着くことのできない深遠な境地を極めたピアニストだけに可能な演奏だと思う。

なお、このアルバムは構成がかなり凝らされており、センスの良い企画で、工夫してリストの曲集を組んだような気がする。

オリジナルの音源が良かったのもあろうが、ルビジウム・クロックジェネレーター使用最新カッティングを施したリマスターも成功のようで、微妙なタッチの差を明瞭に捉え切る録音は優秀そのものと言えよう。

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レナード・スラットキンは現在デトロイト交響楽団の音楽監督の地位にあり、2011年からはリヨン国立管弦楽団の音楽監督にも就任している。

スラットキンのキャリアの中で最も光り輝いていたのは1980年代にセントルイス交響楽団を率いていた時だろう。

メジャーレーベル(RCA)にどんどん録音し、日本にも同楽団と一緒にやってきたが、その後のクラシック音楽不況であまり名前を聞かなくなってしまっていた。

BBC交響楽団退任後、録音面では際立った活躍のないスラットキンであるが、セントルイス時代は、チャイコフスキーやラフマニノフなど、ロシア音楽を網羅的・積極的に演奏・録音して、高い評価を得ていた。

ショスタコーヴィチでは、第4番、第5番、第8番、第10番という大曲4曲をRCAに録音している。

オケはいずれもセントルイス交響楽団で、1986年から1989年にかけて毎年1曲ずつ録音されている。

この第8番は、CD初期に発売されて以来久々の復活となるもので、当時全米メジャー・ファイヴに匹敵する実力を備えていたセントルイス響の粘着力のある弦を土台にした、細部まで緻密に考え抜かれた解釈が見事。

現在では偽書とされているものの、少なくともヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』が現れてから、多くの指揮者は以前のように、楽天的にこの曲を解釈できなくなったようだ。

極楽トンボな演奏をすると、「物知らず」「不勉強」のレッテルを貼られかねないからだ。

スラットキン指揮セントルイス響は、そうした『ショスタコーヴィチの証言』の線に沿った、最も現代的でグラスノスチ的な名演に数えられよう。

弦を中心としたオーソドックスな表現だが、全体に暴力的な要素は影を潜め、悲劇的な哀悼の念がしみとおるような演奏だ。

特に第2楽章のカリカチュアライズされた皮肉な諧謔精神や、第3楽章の鬱屈した怒りの爆発、さらに第4楽章のクールな抒情と哀しみの表情は、ショスタコーヴィチ自身のメッセージを聞く思いである。

併録のテミルカーノフの『祝典序曲』は、来日公演でもお馴染みの定番。

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時代を超えた先鋭的な響きが存分に表出された、スラットキン渾身の名演だ。

アメリカの名指揮者、レナード・スラットキンが手塩にかけて育て上げたセントルイス交響楽団はRCAに数多くの録音を残しており、それらの中でもロシア音楽との相性の良さは周知の通り。

スラットキンはセントルイス響時代に、ショスタコーヴィチの交響曲を4曲、RCAに録音している。

1986年に第5番、87年に第10番、88年に第8番、そして89年に第4番という順序で録音された。

1986年から1989年にかけてスラットキンが毎年1曲ずつ録音したショスタコーヴィチの交響曲4曲の中で、なぜか唯一国内でリリースされなかったのがこの第4番。

ショスタコーヴィチの交響曲の中で最大の編成で書かれ、マーラーなどの影響を強く受けた先鋭的な作風の故に、作曲から初演まで25年を要したこの大作を、スラットキンが渾身の力を込めて先鋭的な大作を、明晰な指揮で描出している。

スラットキンとセントルイス響のショスタコーヴィチ作品の解釈・演奏は、華麗というかきらびやかというか、オーケストラの高度な技術も相俟った流麗な響きは特色である。

作曲者の置かれた政治的・社会的状況を背景に捉えると「これはショスタコーヴィチではない」という向きもいるかもしれないが、この作品の複雑な内容を整理し、堅実な解釈を施した演奏は、オーケストレーションというものの魅力を余すことなく堪能させてくれる。

確かに演奏レベルはピカイチで、あまり深刻になりすぎず、洗練された演奏が繰り広げられている。

過去のレビューにも記したように、同曲には、ラトル、ゲルギエフ、チョン・ミュンフンの録音が3強と言えるが、当盤は、この難解な傑作の入門の役割を果たすディスクとして、高く評価しても良いのではないかと考える。

第1楽章のフーガ〜プレストの難所(見せ場)は特に見事で、この時代のセントルイス響の弦楽器パートのアンサンブルの優秀さを実感する。

デジタル録音の技術も練れてきた頃のレコーディングであり、録音の素晴らしさも、この作品のテクスチュアを捉えるのに大きく寄与している。

再販終了となる前に、早めに入手されることをお薦めしたい。

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2014年07月05日


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カラヤンは、特にお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」についてもその例外ではない。

DVD作品を除けば、ベルリン・フィルとともに本演奏を含め4度にわたって録音(1940、1957、1964、1977年)を行うとともに、ウィーン・フィルとともに最晩年に録音(1985年)を行っている。

いずれ劣らぬ名演であるが、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、カラヤン&ベルリン・フィルが全盛期にあった頃の本演奏と言えるのではないだろうか。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったと言えるが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏は凄かった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもいわゆる豪壮華麗なカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは健在。

冒頭のダイナミックレンジを幅広くとった凄みのある表現など、ドヴォルザークの作品に顕著なボヘミア風の民族色豊かな味わい深さは希薄であり、いわゆるカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏とも言えなくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマの構築によって絢爛豪華に同曲を満喫させてくれれば文句は言えまい。

筆者としては、カラヤンの晩年の清澄な境地を味わうことが可能なウィーン・フィルとの1985年盤の方をより上位の名演に掲げたいが、カラヤンの個性の発揮という意味においては、本演奏を随一の名演とするのにいささかの躊躇をするものではない。

併録のスメタナの交響詩「モルダウ」も、カラヤンが何度も録音を繰り返した十八番とも言うべき楽曲であるが、本演奏も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを伺い知ることが可能な素晴らしい名演だ。

音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言えるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤンによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:49カラヤンドヴォルザーク 

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キューバ生まれのピアニスト、ホルヘ・ボレットは、その独特な雰囲気のある演奏で、現在でも、特に玄人筋に人気の高いピアニストの1人である。

フィラデルフィアのカーティス音楽院でゴドフスキーとサパートンに師事し、驚異的な技術を身につけた。

当時から超絶技巧ピアニストとして知られ、とりわけ師であるゴドフスキーの「こうもりパラフレーズ」では高い評価を受けている。

また、指揮者としても活躍し、ギルバート&サリヴァンの「ミカド」の日本初演で指揮をしていることでも知られている。

そんなボレットの真骨頂がリストと、このショパンの演奏であろう。

このピアノ協奏曲におけるデュトワとの共演盤は超名演として知られるもので、19世紀から連なるロマンティックなボレットの解釈と、それを包み込むデュトワ&モントリオール響のふくよかな響きを堪能できる。

ピアノ協奏曲第1番でボレットは冒頭から少しも構えず、力まず、速いテンポで飄々と弾き始める。

彼の手にかかると同じ主題でも表情が微妙に変化し、そのロマンティシズムが心を打つ。

フィナーレの即興性も比類ない。

ピアノ協奏曲第2番も同様だがいっそう個性的だ。

第2楽章は完熟の音楽であり、第3楽章の力みのない名人芸は筆舌に尽くし難い。

注目すべきはデュトワの協奏曲指揮者としての才能で、並みでない手腕だ。

そんなボレット、2枚目のバラードを中心とした小品集では、さらに個性的な演奏を披露している。

リスト弾きとして本領を発揮してきたボレットによるショパンには、実に不思議な魅力がある。

これほど人間臭さのない美しく清浄なショパンも珍しい。

それは決して非人間的ということではなく、彼の演奏は4曲のバラードにしても舟歌や幻想曲にしても、実に豊かでこまやかな表現に満ちている。

6曲を通じて淡々とした、しかも覚めた孤独感が一貫して流れ、ボレットはその中で緩急自在だ。

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classicalmusic at 21:08コメント(0)トラックバック(0)ショパンボレット 

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「24の前奏曲」は実に素晴らしい名演で、ボレット特有の煌びやかな音色がショパンのプレリュードと完全に融合している。

洗練されたピアノ技法と多彩な曲想で評価の高いこの作品を、ボレットは、ヴェテランらしいゆとりに満ちた表情と美しいタッチで、詩情豊かに曲の本質を再現している。

「24の前奏曲」をボレットは、いわば八分の力で弾き進める。

それはこの小曲集をいかに弾くかを心底心得た演奏であり、格段大きな身ぶりはないが、1曲1曲の演奏からは詩情がにじみ出る。

その響きはあくまでもクリアーだが、それぞれの音が呼吸しているのが感じられる、そんな演奏である。

それぞれの曲は心憎いほどの間で次々と受け渡されていき、聴き手は1巻の絵巻物を見てるような境地へ誘われる。

悲しみを秘めた曲では、その悲しみをより深く心に響かせる。

もちろん、明るい曲では、その明るさをより強く輝かしく聴かせてくれる。

そして全体をひとつの大きな流れとして捉え、その中で各曲のキャラクターを鮮明に描き出した、語り巧者なものと言えよう。

ボレットはピアノという楽器を信頼して、その機能を最大限に発揮させようとする、ピアノ音楽好きを満足させるスタイルである。

1974年のライヴよりも数段円熟した味わいになっていて、ボレットが残した最良のディスクの1つと言えるものである。

前進するだけでなく、一歩一歩踏みしめながら、かつ流麗でロマンティックな表現に事欠かない演奏を聴かせるボレットの晩年に到達した境地が味わえる。

フランソワとは全然別の意味で粋な演奏と言えるのではないだろうか。

大家らしいスケール大きな表現で、名人気質を存分に発揮した華麗な演奏と言うべきである。

このディスクには、「24の前奏曲」のほかにノクターンが4曲収録されているが、このノクターンも上品で、限りなく美しい。

ひとつひとつの音が心に響いてきて、深い感動を与えてくれる。

特に、高度なテクニックを備えてなければ弾きこなすことが出来ないと言われている第8番が素晴らしい。

美しい音色を追求し続けたボレットにしか表現できない世界が堪能できる1枚だ。

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2014年07月04日


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フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の演奏については、必ずしも評価が高いとは言い難い。

一部の熱心なフルトヴェングラーの愛好者はともかくとして、フルトヴェングラーの演奏を聴く場合には、独墺系の作曲家による交響曲については、先ずはベートーヴェン、次いでブラームスというのが相場ではないかと思われるところだ。

とりわけ、1990年代に入って、ヴァントや朝比奈がいわゆるインテンポを基調とする崇高な名演の数々を成し遂げるようになってからは、テンポの振幅を大胆に駆使したフルトヴェングラーによる演奏は、音質の劣悪さも相俟って、時代遅れの演奏としてますます影の薄い存在となっていったところである。

しかしながら、EMIが1949年の演奏(ライヴ録音)をSACD化するに及んで、とりわけブルックナーの交響曲演奏の生命線でもある低弦の重量感溢れる響きや、ブラスセクションのブリリアントな響きなどが、決して団子状態にならず、かなり鮮明に再現されるようになったことにより、フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲の演奏が再び脚光を浴びることになったのは記憶に新しい。

そして、今般、優秀な音源として知られるRIASのマスターテープから、シングルレイヤーによるSACD化が行われる運びとなり、ついに当該演奏が決定的とも評価し得る圧倒的な高音質に生まれ変わった。

今般のシングルレイヤーによるSACD盤の登場は、フルトヴェングラーによるブルックナーの交響曲演奏の再評価への決定打になるのではないかとさえ考えられるところだ。

それにしても、こうして良好な音質で聴くと、演奏はさすがに素晴らしい。

徹頭徹尾、アッチェレランドを随所に用いるなどテンポの思い切った緩急を駆使したいかにもフルトヴェングラーならではのドラマティックな名演だ。

もっとも、第1楽章におけるトゥッティに向けての猛烈なアッチェレランドや、第2楽章の快速のテンポと中間部のスローテンポの極端な対比など、現代においては殆ど聴かれない大時代的なアプローチとも言えるが、1949年においては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。

現代でも文句なく通用するのは第3楽章及び終楽章であり、これは圧倒的な超名演である。

第3楽章におけるいつ果てるとも知れない滔々とした調べは美しさの極みであり、かの歴史的な名演であるベートーヴェンの交響曲第9番のバイロイト盤(1951年ライヴ録音)の第3楽章にも比肩し得る至高・至純の高みに達している。

終楽章も、ハース版にはないシンバルを加えたり、終結部の猛烈なアッチェレランドなど、いささか違和感を感じさせる箇所がないわけではないが、全体としては雄渾なスケール感を感じさせる彫りの深い名演に仕上がっていると高く評価したい。

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1967、68年 ニューヨーク、コロムビア30番街スタジオ及び1971年4月18日 トロント、イートンズ・オーディトリアムで録音(グールド41枚目のアルバム)。

我が国では1972年にリリースされたバードとギボンズのヴァージナル名曲選に加え、1964年、カナダCBC放送のTV番組用に収録された初CD化のスウェーリンクの「ファンタジア」が聴ける。

まるで『バッハ以前の作曲家たち・バードとギボンズのコンサート』と名付けたくなるようなコンサートの一夜をアルバムで再現しているかのような作品である。

グールドといえばバッハの印象があまりにも強いが、バッハの曲以外にも数多くの名演が存在する。

まず、バッハに代表されるバロック音楽以前の、ルネッサンス期の曲をピアノで見事に弾ききった傑作として、本作は真っ先に推薦に値する。

スティングの「ラヴィリンス」やセルシェルの「ルネサンス・リュート曲集」でダウランド等のルネッサンス期作曲家の曲の静謐な響きに心惹かれた人は必ずや本作を気に入るだろう。

輝かしい調子の曲もあるが、総じて落ち着いたしっとりとした味わいの曲が多く、静かな夜を落ち着いて過ごすのに最適の作品集の1つである。

このバッハ以前の音楽を聴いて思うのはグールドが求めたのは、曲に対するアレンジの自由度ではなかったかと思える。

今ではバッハはジャズのミュージシャンに多く取り上げられ、自由なアレンジで演奏される。

それが後期ロマン派の曲ではその自由度がなかったので、グールドは評価しなかったと筆者は考えている。

この時期グールドは、カナダ東部のノバスコシア地方を旅行したときに、列車のクラブカーのなかでウィリアム・フォーリーと知り合い、彼から『草枕』を知り以後漱石に傾倒していった頃だ。

筆者はいつも『草枕』の冒頭と重ねながらこの作品を聴いてしまう。

グールド以外の誰がこのような録音を残すことができたであろうか。

これを退屈と感じる人もいるかもしれないが、その抑制された演奏は終始宗教的な美しさに満ちており、引き込まれる。

特にスウェーリンクのファンタジアの音源は、前述のようにTV放送で、ビデオのコレクションにも収録されているが、演奏中の雰囲気も静謐で、祈りのようである。

このディスクは、グールドならではの創造性という点で、バッハの「インヴェンションとシンフォニア」に並ぶ素晴らしさだと評価したい。

対位法作品に表れたグールドの創造力の新しさが、改めて認識されるのである。

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同じオーケストラ(フィルハーモニア管弦楽団)を指揮しての2度目の録音であるが、重苦しい1度目の演奏とは全く趣を異にしている。

ゆっくりとしたテンポながら、重さを生まず、流麗なカンタービレや緻密なアンサンブルが透明度を高めている。

モーツァルトに限らず、レクイエムは葬送の曲であるから、どうしても重苦しいのだが、この演奏には重苦しいはずの曲も重苦しくないものにしてしまう不思議さがある。

明澄で透明感があり、ゆったりとしたテンポながら、独特のテンションでフレーズラインを維持していくスタイル。

荘厳なドラマを繰り広げるわけでもなく、悲痛な悲しみを訴えるわけでもない。

しかし聴き進むほどに、深く心に沁み入り、優しく心を癒してくれるので、これこそがモーツァルトの音楽ではないかとすら思うほどだ。

聴いている途中、テンポが遅くて、こちらが息切れしてしまいそうなところが所々あるが、このこと以外は申し分がない。

筆者はこのCDを初めて聴いたとき、最初は非常に遅いテンポという印象だけが残った(それが晩年のジュリーニの特徴なのだが)。

しかし、何とはなしに繰り返し聴き返してみると、ふと「このレクイエムは何と美麗なのだろう」と強い印象を受けるようになった。

それ以来、ワルターやベーム、カラヤンらの名盤と並ぶ、筆者の愛聴盤の1つとなっている。

もちろん他にもジュリーニの様々な演奏を聴いてきたが、やはりイタリア人指揮者というべきか、声楽曲を本当に美しく演奏する(バッハのミサ曲ロ短調の名演を想起させる)。

とはいえ、オリジナル楽器による演奏が普及した今日、こういったスタイルではやはり前時代的な印象は否めない。

しかしこの演奏は、それはそれとしてかなりの完成度に達しており、所々年齢ゆえの衰えを感じさせはするものの、この名指揮者ならではの世界を作り出しているのはさすがである。

フレッシュな歌唱陣の活躍にも注目で、ソリストは旧録音よりもこちらの方が声質がマッチしており、コーラスもとても巧く、フレーズラインをきちっと支えていく技量は見事。

少し不用意に聴くと「白痴美」ととられかねない危うさがあるものの(晩年のジュリーニ全般に言えることであるが)、このゆったりとしたテンポと、軽やかな透明感で、なおかつこのフレーズラインの持続感は、誰にも真似ができないものだ。

暖かさと慈愛の感じられる素晴らしいジュリーニのレクイエムで、何度聴いても飽きがこない。

録音は残響を多めにとり入れたものだが、オケと声部のバランスが絶妙に捉えられており、声部がよく聴き取れるのが嬉しい。

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2014年07月03日


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本CDはシューリヒトがフランスで指揮した最後の演奏会の貴重な記録で、幸いにもステレオで残されていた。

1965年6月15日、パリ・シャンゼリゼ劇場でのライヴ録音であるが、スタジオ録音かと聴き間違うばかりの高音質で、しかもステレオ収録、と音質面では全くマイナス要素を感じさせないものとなっている。

当演奏の「第9」正規盤は初めてで、長年待ち望んでいたものである。

フルトヴェングラーのバイロイトの「第9」をはじめとして、この曲は名演揃いであるが、その中にこのシューリヒトのライヴ盤が加わったのは喜ばしい限りである。

この演奏は、とても端正なものとも言えるが、それでも情熱にあふれ、とても85歳の老指揮者によるものとは思えない素晴らしいものである。

比較的速いテンポ設定で一気呵成に駆け抜けて行く、という側面もあるが、一つ一つの音に生命が吹き込まれ、凡庸に流れて行くところは皆無である。

シューリヒトは時折、大胆なアゴーギクを用いて聴くものの度肝を抜くようなところがあったが、この演奏ではそういったところは皆無。

折り目正しくも、僅かにテンポを揺らしながら、聴く者の脳裏に音符を刻み込んで行く。

ライヴならではの瑕疵も若干見受けられるが、これは名演の代償の類と言えるものであり、この演奏のマイナス要素とは一切なっていない。

シューリヒトは、この演奏以後体調を崩したというが、消えゆくローソクが最後に明るく燃え上がったような感銘を受けた。

この演奏の素晴らしさを理解できない批評家は、木を見て森を見ていないと言わざるを得ない。

個人的にはシューリヒトの「第9」のベスト・パフォーマンスにしたい。

カップリングは同じくベートーヴェンの交響曲第1番で、この曲は当日の公演の前プロで演奏されたもの。

「第1」はかつて、ディスクモンテーニュ盤で聴くことができたが、こちらも素晴らしい演奏で、名演名盤が沢山あるが、この演奏もそれら名盤の列に加えても全く遜色の無い演奏内容となっている。

是非、一聴をお薦めしたい。

オリジナル・マスターから復刻されたのは今回が初めてであり、この2曲ともに正規のスタジオ録音並みの鮮明なステレオというのが何よりも嬉しい。

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本盤に収められたベートーヴェンの交響曲全集は、DVD作品を除けばカラヤンによる最後の全集ということになる。

カラヤンは、フィルハーモニア管とともに1度、手兵であったベルリン・フィルとは本全集を含め3度に渡って全集を録音しているが、いずれも名演である。

最初のフィルハーモニア管との録音はモノラル録音(第8番のみステレオ録音)ではあるが、若き日のカラヤンならではの颯爽とした清新さが魅力であった。

次いで、1960年代に録音されたベルリン・フィルとの最初の全集は、いまだベルリン・フィルにフルトヴェングラー時代の猛者が数多く在籍していた時代の演奏でもあり、全体的にはカラヤンならではの流麗なレガートが施された華麗な装いであるが、これにベルリン・フィルのドイツ風の重厚な音色が付加された独特の味わいに満ち溢れた名演に仕上がっていた。

また、1970年代に録音されたベルリン・フィルとの2度目の全集は、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏と言うことが出来るだろう。

この当時は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代であり、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンならではの流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功している。

カラヤンによるベートーヴェンの交響曲全集の代表盤と言えば、やはり1970年代の当該全集ということになるのではないだろうか。

これに対して、1980年代に録音された本全集であるが、1970年代の全集などと比較するとカラヤンの統率力に若干の綻びが見られるのは否めない事実である。

1970年代に頂点を迎えたカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビも、本全集の録音が開始された1982年にはザビーネ・マイヤー事件の勃発により大きな亀裂が入り、その後も悪化の一途を辿った。

本全集は、このような両者の闘争の渦中での録音ではあり、お互いにプロフェッショナルとして高水準の演奏を成し遂げてはいるが、カラヤンの健康悪化に伴う統率力の衰えについては、隠しようはなかったものと考えられる。

それ故に、どの曲もカラヤンによるベストの演奏とは言い難いが、それでも第2番や第9番の緩徐楽章などにおいても見られるように、1970年代の全集までにはなかった清澄な調べも聴くことが可能であり、カラヤンが自らの波乱に満ちた生涯を振り返るような趣きのある枯淡の境地とも言うべき味わい深さを含有している演奏と言うことができるのではないだろうか。

したがって、本全集はカラヤン、そしてベルリン・フィルによるベストフォームにある演奏とは言い難いが、晩年のカラヤンならでは人生の諦観を感じさせるような味わい深さといった点においては、名全集との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

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素晴らしい高音質SACDの登場だ。

フルトヴェングラーの遺産をSACD化するという歴史的な偉業は、第1弾のベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーにおいて、これまでのCDとは一線を画する高音質化に成功していたが、第2弾においても、同様に目覚ましい成果をあげている。

グルックの「アルチェステ」序曲及び「オーリードのイフィジェニー」序曲の弦楽合奏の太い芯が一本通ったような厚みのある音質からして、これまでのCDとは次元の異なる驚異的な高音質だ。

高弦の艶やかな響きも鮮明に再現されており、フルトヴェングラーのロマンティシズムに満ち溢れた名演を望み得る最高の音質で味わうことができるのが素晴らしい。

モーツァルトの第40番は、グルックと比較すると録音年代が古いことから、音場がやや狭いのが残念ではあるが、それでも、既発CDと比較すると、弦楽合奏など段違いに鮮明な音質に生まれ変わっており、この当時の録音としては、最高の音質であると評価したい。

フルトヴェングラーのモーツァルトは、世評においては決して高いものとは言えなかったが、本盤のような鮮明な高音質録音で聴くと、フルトヴェングラーなりによく考え抜かれた、気迫溢れる名演であることがよくわかる。

「魔笛」は、オーケストラとリップの独唱が鮮明に分離して聴こえるのが、フルトヴェングラーのCDとしては驚異的。

フルトヴェングラーのうねるような熱い音楽が、2曲のみの抜粋ではあるが、「魔笛」の真髄を見事に描出しているのが素晴らしい。

これを聴いて、例えば「ドン・ジョヴァンニ」の全曲などをSACD化して欲しいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

ハイドンの交響曲第94番も、グルックほどではないが、十分に満足し得る高音質。

従来のCDだと音が団子状態になっていた箇所も鮮明に再現されることになり、これによって、フルトヴェングラーの定評ある濃密で彫りの深い、そして雄渾な名演を望み得る最高の音質で堪能できることを大いに喜びたい。

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2014年07月02日


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2010年11月28日(ショパン)、12月1日(シューマン)、すみだトリフォニーホールに於けるライヴ録音。

この音源はもともとショパン&シューマン生誕200周年、アルゲリッチ来日40周年と翌年の70歳の記念として世界に販売される予定のものであったが、東日本大震災で心を痛めたアルゲリッチが日本のためにチャリティーCDとして販売することにしたという経緯がある。

シューマンのピアノ協奏曲とショパンのピアノ協奏曲第1番はいずれもアルゲリッチの十八番中の十八番なので、どちらの演奏も素晴らしく、ここでのアルゲリッチは、とにかくエネルギッシュで集中がきれることなく、一気呵成に弾いている。

とは言え、ショパンは全体的に綿密に演奏していると感じられるが、やはりシューマンでは特に第3楽章の終わり近く、演奏時間でいうと9分過ぎあたり、テーマが展開されヒートアップして行くところなどが、鳥肌が立つくらいに素晴らしい。

録音時間をアルゲリッチのDG盤やEMI盤と比較すると、シューマン、ショパン共にテンポが若干遅くなっているが、古希を迎えるにあたり速さを抑えたというよりも、曲の持つ情感を丁寧に表現した結果と感じられて、とても繊細で心の琴線に触れる演奏ともなっている。

また、アルミンク&新日本フィルのバックは、調和というよりも楽器一つ一つがしっかりと主張するようにオケを仕上げており、どの楽器も鋭く音が立ち上がってくる。

特筆すべきは録音の質で、特にピアノの音の再現性が極めて優秀で、コンサートの生の音に近い音を聴くことができる。

何故かピアノ演奏をCDで聴くと、生演奏から感じる音感からかけ離れている録音が意外に多くて残念な経験をよくするのだが、本盤では「そうそう、アルゲリッチのピアノの音は間違いなくこんな感じだった」という納得感が得られる。

ライナー・ノーツによれば、すみだトリフォニーホール、新日本フィル共にアルゲリッチのお気に入りとのことらしく、まさに万全の態勢で録音されたメモリアル・アルバムのようだ。

最近は専ら室内楽の演奏ばかりが目立つアルゲリッチだが、これほど美しく感動的な協奏曲アルバムを、しかもチャリティーの形で出してもらい、筆者としては、唯々感謝しているばかりである。

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いささかも奇を衒うことがないドイツ正統派の堂々たる名演だ。

今では解散してしまったアマデウス弦楽四重奏団であるが、約40年間にわたってメンバーが一度も入れ替わることなく、伝統の音、音楽を守り続けてきたのは、弦楽四重奏団としても極めて稀な存在であったとも言えるだろう。

それだけに、ヴィオラ奏者であったシドロフの死去によって解散となったのは当然の帰結と言えるのかもしれない。

また、そうしたアマデウス弦楽四重奏団の主要なレパートリーは、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどの独墺系の作曲家の楽曲であったのは当然のことであり、前述のように、まさにドイツ正統派とも言うべき名演の数々を成し遂げていたところだ。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、弦楽四重奏団にとっては名刺代わりの楽曲であり、その後に活躍したアルバン・ベルク弦楽四重奏団やタカーチュ弦楽四重奏団など、個性的かつ現代的な解釈による名演が続々と登場してきている。

そうした演奏と比較すると、強烈な個性にはいささか乏しい演奏と言わざるを得ないところだ。

しかしながら、楽想を精緻かつ丁寧に描き出し、誠実に音楽を紡ぎだしていくというアプローチは、ベートーヴェンが作曲した両曲の魅力をダイレクトに表現するのに大きく貢献しているとも言えるところである。

あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちにさせてくれる演奏とも言えるところであり、このような、古き良き伝統に根差したとも言える正統派の演奏を奏でてくれる弦楽四重奏団がなくなってしまったことを残念に、そしてある種の郷愁を覚える聴き手もおられるのではないだろうか。

若干、時代は下るが、チェコのスメタナ弦楽四重奏団のアプローチにも通底するものがあると言えるが、そうしたスメタナ弦楽四重奏団の演奏に、ドイツ風の風格を付加させた演奏と言えるのかもしれない。

今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化に際しては、アマデウス弦楽四重奏団にとって唯一の全集から、後期の傑作である第14番と中期の傑作である第7番が抜粋してカップリングされたが、残る諸曲についても同様に高音質化を期待する聴き手は筆者だけではあるまい。

それにしても、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって素晴らしい高音質になったのは大変喜ばしいところだ。

1950年代末〜1960年代初めの頃のスタジオ録音であり、さすがに最新録音のようにはいかないが、音質の鮮明さ、音圧、音場の拡がりのどれをとっても一級品の仕上がりであり、各奏者の弦楽合奏が艶やかに、なおかつ明瞭に分離して再現されるなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、アマデウス弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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決定的な超名演の登場だ。

筆者がレビューを行うCDについては、一部を除いて、皆さんに是非とも聴いていただきたいという気持ちで記述しているが、本盤についてはその気持ちは百倍。

ラフマニノフの交響曲第2番を愛する者であれば、必聴の超名演盤であると考えるところだ。

スヴェトラーノフは同曲を十八番としており、これまで発売されているCDを録音年順に並べると、最初の交響曲全集の一環としてスタジオ録音されたソヴィエト国立交響楽団との演奏(1963年)、次いで、ソヴィエト国立交響楽団とのライヴ録音による演奏(1978年)、そして、2度目の交響曲全集の一環としてスタジオ録音されたロシア国立交響楽団との演奏(1995年)、晩年の来日時のNHK交響楽団とのライヴ録音による演奏(2000年)が存在しており、加えて、筆者は未聴でCDも所有していないが、ボリショイ劇場管弦楽団との演奏も存在しているとのことである。

要は、既に5種の録音が存在していたところであり、これらに、6種目の録音として本盤が加わったということになる。

筆者としては、これまで1995年盤と2000年盤がスヴェトラーノフによる同曲の双璧とも言うべき最高峰の超名演と考えてきたところであるが、本演奏は、それら両超名演に冠絶する名演で、超の前にいくつ超をつけても足りないほどの途轍もない決定的超名演と言っても過言ではあるまい。

第1楽章冒頭の低弦による幾分ソフトな開始からしてただならぬ雰囲気が漂う。

その後は、スヴェトラーノフならではの重厚かつ粘着質な音楽が構築されていく。

それにしても、これほどロシア悠久の広大な大地を思わせるようなスケール雄大で、なおかつ濃厚な味わいの演奏は他に類例を見ないと言えるのではないだろうか。

ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた魅力的な旋律の数々を、スヴェトラーノフはこれ以上は求め得ないほどの濃厚さで徹底して歌い抜いており、そのあまりの美しさには涙なしには聴けないほどだ。

ここぞという時のブラスセクションの咆哮やティンパニの轟きわたる雷鳴のような響かせ方は、人間業を超えた強靭な迫力を有している。

こうした演奏の特徴は、1995年盤や2000年盤においても顕著に聴かれたところであるが、本演奏には、それら両演奏には聴かれないような気迫や強靭な生命力が随所に漲っており、とりわけ終楽章の誰よりも快速のテンポによる畳み掛けていくような迫力満点の進行にはもはや戦慄を覚えるほど。

そして終結部の猛烈なアッチェレランドの壮絶なド迫力。

聴き終えた後の充足感は、筆舌には尽くし難いものであり、本盤にも記録されているが、演奏終了後の聴衆の大熱狂も当然のことであると思われるところだ。

いずれにしても、本演奏は、ラフマニノフの交響曲第2番を十八番としたスヴェトラーノフによる6種の演奏の中の最高峰の名演であり、そして、諸説はあると思うが、筆者としては、同曲の様々な指揮者による多種多彩な名演に冠絶する決定的な超名演と高く評価したいと考えている。

カップリングのバーンスタインの「キャンディード」序曲も、バーンスタインによる自作自演盤以上に濃厚な味わいを有した迫力満点の超名演だ。

音質は、基本的に良好で鮮明であるものの、トゥッティにおいて若干音割れがするのが残念ではあるが、本盤の価値を損ねるほどのものではないことを指摘しておきたい。

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2014年07月01日


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本盤にはブラームスの交響曲第1番と第3番が収められているが、このうち第3番についてはかつてBBCレジェンドレーベルから発売されていた音源の再発売であり、本稿においては、第1番を中心にレビューを書かせていただきたい。

さて、その交響曲第1番であるが、テンシュテットは、本演奏以前に3度に渡って同曲の録音を行っている。

最初の演奏は1976年のシュトゥットガルト放送交響楽団とのライヴ録音。

次いで、ロンドン・フィルとの1983年のスタジオ録音。

そして、3度目の演奏はロンドン・フィルとの1990年のライヴ録音。

特に、手兵ロンドン・フィルとの演奏はいずれも名演であり、とりわけ3度目の演奏については、圧倒的な超名演と言えるものであった。

本盤の演奏は、更にその2年後のライヴ録音。

演奏は、1990年の演奏よりもさらに壮絶とも言うべき豪演と言えるだろう。

テンシュテットは、1985年頃に咽頭がんを発症した後は、体調がいい時だけに指揮活動が制限されるという厳しい状況に追い込まれた。

それだけに、一つ一つの演奏がそれこそ命がけのものとなったことは必定であり、テンシュテットはそれこそ持ち得る力を全力で出し切るという渾身の演奏を行っていたところだ。

1993年の終わり頃には、ついに指揮活動を停止せざるを得なくなるのであるが、それまでの間の演奏は、いずれも壮絶の極みとも言うべき圧倒的な演奏を展開していた。

特に、マーラーの交響曲については、そうしたテンシュテットの鬼気迫る芸風が、他の指揮者の追随を許さないような超名演を生み出すことに繋がっていたが、他の作曲家による楽曲についても、我々聴き手の心を揺さぶるような凄みのある演奏を成し遂げていたとも言えるところだ。

ブラームスの交響曲第1番についても、1990年の演奏もそうであったが、本盤の1992年の演奏は更に凄まじいまでの気迫と生命力に満ち溢れており、どこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱き情感が込められているとも言えるだろう。

テンシュテットは、おそらくは間近に迫る死を覚悟はしていたとも言えるが、本演奏には、自らの命のすべてをかけるような凄みがあると言えるところであり、そうした命がけの大熱演が我々聴き手の肺腑を打つのである。

病状はかなり進行していたと思われるが、そうした中で、ここまでの渾身の演奏を成し遂げたテンシュテットの指揮者としての凄さ、偉大さにはただただ首を垂れるほかはないところだ。

このような超名演を聴いていると、テンシュテットのあまりにも早すぎる死がクラシック音楽界にとって大きな損失であったことを、あらためて認識させられるところだ。

カップリングのブラームスの交響曲第3番については、咽頭がん発症前の1983年の演奏であり、交響曲第1番ほどの迫力はないが、それでも実演ならではのテンシュテットの熱のこもった名演と高く評価したい。

音質も、1992年及び1983年のライヴ録音ではあるが、両者の音質にはあまり大差がなく、いずれも最新録音とさほど遜色がないような十分に満足できる良好なものと評価したい。

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先般発売されたベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番「田園」(1947年及び1954年)に続く、RIAS音源のシングルレイヤーによるSACD化の第2弾の発売である。

今般は、シューベルトの交響曲第8番「未完成」及び第9番「ザ・グレイト」、そして、ブルックナーの交響曲第8番だ。

フルトヴェングラーによるシューベルトの交響曲第8番「未完成」の名演としてはウィーン・フィルとのスタジオ録音(1950年)が有名であり、EMIよりSACD盤が発売されたことから、現在までのところ随一の名演との地位を獲得していた。

他方、交響曲第9番「ザ・グレイト」の名演としては、戦前のベルリン・フィルとのライヴ録音(1942年)、そして戦後のベルリン・フィルとのスタジオ録音(1951年)がタイプが全く異なる名演の双璧とされ、とりわけ、後者については、ベルリン・フィルの団員がフルトヴェングラーと成し得た最高の名演との高評価をするほどの名演であった。

それ故に、本盤に収められた両曲のライヴ録音は、数年前にRIAS音源によるCD化が行われるまでは、音質の劣悪さもあって、一部の熱心なフルトヴェングラー愛好者以外には殆ど無視された存在であったが、RIAS音源によるCDが素晴らしい音質であったことから、俄然注目を浴びる存在となったことは記憶に新しい。

そして、今般のシングルレイヤーによるSACD化は、フルトヴェングラーによる両曲演奏の代表盤の一つとしての地位を獲得するのに大きく貢献することに繋がったと言っても過言ではあるまい。

交響曲第8番「未完成」については、1950年盤と同様に、濃密でロマンティシズムに満ち溢れた彫りの深い演奏であるが、ライヴ録音ということもあって、とりわけ第1楽章においては、ドラマティックな表現が聴かれるのがフルトヴェングラーらしい。

もちろん、そうした表現が、いわゆる「未完成」らしさをいささかも損なっておらず、むしろ、表現の濃密さは1950年盤以上であり、実演でこそ真価を発揮するフルトヴェングラーの指揮芸術の真骨頂が本演奏には存在していると言えるだろう。

交響曲第9番「ザ・グレイト」については、1951年盤の深遠な表現に、1942年盤が有していたドラマティックな表現を若干盛り込んだ、いい意味での剛柔のバランスがとれた名演と言えるのではないだろうか。

同曲の演奏は、筆者も常々論評しているように極めて難しいものがあるが、1942年盤のようにベートーヴェンの交響曲に続くものとして演奏するタイプ、1951年盤のようにブルックナーの交響曲の先達として演奏するタイプが両端にあると思われるが、本盤の演奏はその中間点を模索したものとして十分に説得力のある名演に仕上がっていると評価したい。

それにしても、本盤の音質はフルトヴェングラーのCDとしては極上の高音質と言ってもいいのではないだろうか。

とりわけ低弦の生々しいまでの重量感溢れる響きや、高弦の艶やかな響きは、既にSACD化されている音源を除いて、これまでのフルトヴェングラーのCDではなかなか聴くことが出来ないものであり、かかる高音質が本盤の価値を更に高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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