2014年08月

2014年08月31日


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ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」はそのストーリーの途方もないスケールの大きさもさることながら、ライトモチーフを効果的に活用したオーケストレーションの豪華さ、華麗さも大きな魅力となっているが、カラヤン&ベルリン・フィルによる本演奏は、そうしたオーケストレーションの魅力を最大限に表現し尽くした演奏ということができるのではないだろうか。

カラヤン&ベルリン・フィルという稀代の黄金コンビの全盛期は、1960年代後半から1970年代にかけてというのは論を待たないところだ。

この全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもそれは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンド満載の圧倒的な音のドラマが構築されている。

これほどまでに豪華絢爛にして豪奢な同曲の演奏は他にも類例を見ないが、もちろん繊細な箇所における抒情豊かさ、そして室内楽的な精緻さにおいてもいささかも不足はないところであり、その表現力の桁外れの幅の広さも、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの卓越した至芸の賜物である。

このような豪華絢爛であると同時に、繊細さ、精緻さをも兼ね備えた、いわゆるダイナミックレンジの幅広い演奏に対しては、とある影響力の大きい某音楽評論家が映画音楽のように響くとして酷評しているが、これだけの圧倒的な音のドラマを構築することによって、同曲のオーケストレーションの魅力を大いに満喫させてくれたことに対して文句は言えないのではないかと考えている。

歌手陣も、トーマス・ステュアート、ジョン・ヴィッカーズ、ヘルガ・デルネシュ、ゲルハルト・シュトルツェと言った今や伝説となったワーグナー歌手の起用は順当であるが、楽劇「ワルキューレ」におけるジークリンデ役のグンドゥラ・ヤノヴィッツやブリュンヒルデ役のレジーヌ・クレスパンの起用は、いかにもカラヤンならではの意表を突くキャスティングである。

また、4つの楽劇において、例えばヴォータン役をディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとトーマス・ステュアート、ブリュンヒルデ役をレジーヌ・クレスパンとヘルガ・デルネシュ、ジークフリート役をジェス・トーマスとヘルゲ・ブリリオートがつとめるなど、作品によって配役を変えているが、これは作品の性格によって配役を変更するというカラヤンならではの考えに基づくものと考えられるところである。

もっとも、ショルティ&ウィーン・フィル盤(1958〜1965年)やベーム&バイロイト祝祭管盤(1966、1967年)と比較するといささか小粒なキャスティングであることや前述のような配役の統一性など、若干の問題もなきにしもあらずではあるが、カラヤンはこれらの歌手陣の能力を最大限に引き出すとともに、技量抜群のベルリン・フィルを巧みに統率して、楽曲全体として圧倒的な名演に仕立て上げている点をむしろ評価すべきであり、これは卓越したオペラ指揮者であったカラヤンの面目躍如たるものであると言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、オペラ指揮者としてのカラヤンが、その全盛期にベルリン・フィルとともに成し遂げた名演であり、とりわけオーケストラ演奏の充実ぶりにおいては比類のない名演である。

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ショルティは、マーラーの交響曲を得意としており、数多くの録音を遺しているが、その中でも最良の遺産とされているのは、シカゴ交響楽団との全集(1970〜1983年)であるというのは論を待たないところだ。

ところが、既に発売されている全集(輸入盤)には、何故か「大地の歌」が含まれていない。

本盤に収められた演奏は、ショルティにとってシカゴ交響楽団とともに行ったスタジオ録音(1972年)以来、2度目の録音である。

本盤の演奏は1992年のライヴ録音であることから、ショルティにとって何と20年ぶりの録音ということになる。

第1番〜第4番と第9番については、1980年代前半に再録音を行ったのに対して、「大地の歌」を同時期に再録音しなかった理由は定かではない。

最初の録音によほど満足していたのか、それとも「大地の歌」を録音する時間がなかったのかはわからないが、それはさておき、本演奏はそうした長年の渇きを癒すのに十分な素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

まさに満を持しての録音と言えるものであり、あたかもショルティが録音の絶好のタイミングを窺っていたのではないかとさえ思えるほどだ。

ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。

こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなかったが、1980年代、特にその後半以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。

したがって、1992年の演奏は、より一層円熟味と風格が高くなったとも言えるところであり、ショルティならではの鋭角的な指揮振りは健在であるとは言うものの、旧演奏と比較して、前述のような聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さには大なるものが存在している。

加えて、オーケストラにシカゴ交響楽団ではなく、コンセルトへボウ・アムステルダムを起用したのも功を奏しており、同オーケストラの北ヨーロッパならではの幾分くすんだ響きが、本演奏に適度の潤いと温もりを付加させていることを忘れてはならない。

アルトのリポヴシェクやテノールのモーザーも見事な歌唱を披露しており、ショルティの確かな統率の下のコンセルトへボウ・アムステルダムともども、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

いずれにしても、本演奏は、ショルティの円熟を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1992年のライヴ録音であるのに加えて、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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2014年08月30日


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カラヤンはR.シュトラウスの音楽を十八番としており、管弦楽曲や協奏曲、管弦楽伴奏付き歌曲、オペラに至るまで数多くの録音や映像作品を遺している。

特に、交響詩については、初期の「マクベス」を除き、それぞれ複数の録音や映像作品を遺している。

ところが、これらの交響詩の集大成として作曲されたアルプス交響曲をレパートリーに加えたのは、1980年になってからで、本盤はそれから3年後のライヴ映像収録である。

家庭交響曲を1973年に録音していることからしても、これは実に遅すぎたのではないかとも言える。

その理由の解明はさておき、カラヤン&ベルリン・フィルによる1980年盤が登場する以前は、アルプス交響曲の録音などは極めて少なかったと言わざるを得ない。

ベーム&ドレスデン国立管(1957年)はモノラルであり問題外で、質実剛健なケンぺ&ドレスデン国立管(1970年)が唯一の代表盤という存在であった。

この他にはスペクタクルなメータ&ロサンジェルス・フィル盤(1975年)や快速のテンポによるショルティ&バイエルン放送響盤(1979年)があったが、とても決定盤足り得る演奏ではなかった。

そうしたアルプス交響曲を、現在における一大人気交響曲の地位に押し上げていくのに貢献した演奏こそが、本盤に先立つ1980年に録音されたカラヤン&ベルリン・フィルによる至高の超名演である。

当該カラヤン&ベルリン・フィル盤の発売以降は、様々な指揮者によって多種多様な演奏が行われるようになり、現在では、R.シュトラウスの他の有名交響詩の人気をも凌ぐ存在になっているのは周知の事実である。

いずれにしても、本映像作品(1983年ライヴ)は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが構築し得た究極の音のドラマと言えるだろう。

本演奏でのベルリン・フィルのアンサンブルの鉄壁さはあたかも精密機械のようであり、金管楽器や木管楽器の超絶的な技量には唖然とするばかりだ。

肉厚の弦楽合奏や重量感溢れるティンパニの響きは圧巻の迫力を誇っており、カラヤンの代名詞でもある流麗なレガートも好調そのものだ。

アルプス交響曲については、前述のように1980年盤の登場以降、様々な指揮者によって多種多様な名演が成し遂げられるようになったが、現在においてもなお、本演奏は、いかなる名演にも冠絶する至高の超名演の座を譲っていないものと考える。

CDも超名演であったが、このDVDに収められた映像では、大管弦楽を自在に指揮するカラヤンを見ることができて、ライヴの熱気もあり、見ていて壮観だ。

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天才・鬼才・奇才…。

若くしてステージでの演奏活動に見切りを付け、スタジオ録音に異常なまでに執着した、異色のピアニスト「グレン・グールド」。

彼の才能が最も強く発揮されたのがバッハのピアノ曲であった。

グールドは音楽家としてのスタイルのみならず、音楽解釈においても異色であり、バッハの伝統的な音楽に対して新しい解釈を次々と打ち立てた。

スタジオ録音における全てのテイクは新しい解釈の実験であり、1つの前奏曲やフーガについて10を超えるテイクを録ったと言われている。

そしてあろうことか、複数のテイクを組み合わせ、つなぎ合わせることによって最終テイクを作り上げるという荒技をやってのけたのだ。

彼にとって、演奏は「完璧」な解釈を提供することこそが全てであり、その表現方法としてスタジオ録音を選んだのである。

こうして作成された彼の演奏は、それまでの伝統的な解釈を大きく揺るがす、全く新しいバッハの音楽であった。

グールドは、多様な音楽解釈の可能性とその必要性を、自らの創造的解釈の成功を通して我々に示したのである。

しかし、グールドの最大の誤算は、彼の奇抜ともいえるバッハの新解釈があまりにも一般の人々に受け入れられ過ぎたことであった。

「伝統とは起源の忘却だ」(フッサール)の言葉の通り、バッハの音楽の原点が時とともに忘れ去られようとしていた中、過去の解釈にとらわれない自らの新解釈を提示したグールドの演奏は、本来のバッハの音楽のあるべき姿を見事に浮き彫りにした。

そしてその演奏は、バッハ演奏の原点として位置づけられるようになったのである。

これ以降、バッハのピアノ曲はグールドの演奏を「絶対基準」として演奏・鑑賞・評論されることとなった。

特に「ゴルトベルク変奏曲」に関しては、グールド以外のピアニストによる全ての演奏は、グールドの演奏と比較されるためだけに存在しているといっても過言ではないだろう。

あらゆる演奏の行き着く先はグールドであり、あらゆる解釈はグールドの世界から逃れることができないのだ。

音楽解釈の多様性を追求し、その必要性を訴えてきたグールドは、自らの音楽が「絶対的」なものとなることによって、むしろ多様性を失わせる結果を生んでしまったのである。

もう一度バッハのピアノ曲に多様性を与えるためには、(現在のクラシック界にグールドを超えるピアニストがいるとはとても思えないが)、いずれまた現れるであろう新しい天才に音楽解釈多様性の可能性を託すよりほかないのであろう。

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classicalmusic at 21:09コメント(0)トラックバック(0)グールドバッハ 

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20世紀後半を代表する指揮者の1人であったジュリーニは、いわゆる完全主義者であったということもあり、そのレパートリーは、これだけのキャリアのある大指揮者にしては必ずしも幅広いとは言えず、しかも録音にはとりわけ厳しい姿勢で臨んだことから、録音の点数は必ずしも多いとは言い難い。

そうした中にあって、ブラームスの交響曲全集を2度にわたってスタジオ録音しているというのは特筆すべきことであり、これは、ジュリーニがいかにブラームスに対して愛着を有していたかの証左とも言えるところだ。

協奏曲についても、ヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲のスタジオ録音を行っており、とりわけピアノ協奏曲第1番については、アラウと組んだ演奏(1960年)、ワイセンベルクと組んだ演奏(1972年)の2つの録音を遺している。

これに対して、筆者の記憶が正しければ、ピアノ協奏曲第2番については、本盤に収められたアラウとの演奏(1962年)のみしかスタジオ録音を行っていない。

ジュリーニの芸風に鑑みれば、同曲の録音をもう少し行ってもいいのではないかとも思われるが、何故かワイセンベルクとは第2番の録音を行わなかったところである。

いずれにしても、本演奏は素晴らしい。

それは、何よりもジュリーニの指揮によるところが大きいと思われる。

第1番は、録音年代が1960年ということもあり、ジュリーニ、アラウともども壮年期の演奏。

後年の円熟の大指揮者、大ピアニストとは全く違った畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力を有しており、ブラームスの青雲の志を描いたともされる同曲には、そうした当時の芸風が見事にマッチングしていると評しても過言ではあるまい。

第2番も1962年という壮年期の演奏ではあるが、いささかの隙間風の吹かない、粘着質とも言うべき重量感溢れる重厚な演奏の中にも、イタリア人指揮者ならではの歌謡性溢れる豊かな情感が随所に込められており、まさに同曲演奏の理想像を見事に具現化していると評しても過言ではあるまい。

アラウのピアノ演奏は、卓越した技量を発揮しつつも、派手さや華麗さとは無縁であり、武骨とも言えるような古武士の風格を有した演奏を展開している。

かかるアプローチは、第1番には適合しても、第2番では味わい深さにおいていささか不足しているきらいもないわけではないが、ジュリーニによる指揮が、そうしたアラウのピアノ演奏の武骨さを多少なりとも和らげ、演奏全体に適度の温もりを与えている点を忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、ジュリーニ、アラウともに、後年の演奏のようにその芸術性が完熟しているとは言い難いが、後年の円熟の至芸を彷彿とさせるような演奏は十分に行っているところであり、アラウのピアノ演奏にいささか足りないものをジュリーニの指揮芸術が組み合わさることによって、いい意味での剛柔のバランスのとれた名演に仕上がっていると評価したい。

この両者が、例えば1980年代の前半に両曲を再録音すれば、更に素晴らしい名演に仕上がったのではないかとも考えられるが、それは残念ながら叶えられることはなかったのはいささか残念とも言える。

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2014年08月29日


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若くして不治の病でこの世を去らなければならなかった悲劇のピアニストであるディヌ・リパッティであるが、本盤に収められた演奏は、死の2か月前にブザンソンにおいて重い病をおして敢行した歴史的なコンサートの貴重な記録である。

演奏はまさに凄いという他はない。

本演奏は、リパッティによる遺言とも言うべき精神の音楽と言っても過言ではあるまい。

どの曲もリパッティが得意とした楽曲で占められているだけに、至高の超名演と評価すべきであるが、特に、メインであるショパンのワルツ集に注目したい。

リパッティの不朽の名演との評価がなされているのは、同じく1950年にスタジオ録音したワルツ集であるというのは論を待たないところだ。

当該演奏は、モノラル録音という音質面でのハンディがあることから、近年ではルイサダなどによる名演の方にどうしても惹かれてしまうところであるが、それでもたまに当該演奏を耳にすると、途轍もない感動を覚えるところだ。

それは、リパッティの演奏に、ショパンのピアノ曲演奏に必要不可欠の豊かな詩情や独特の洒落た味わいが満ち溢れているからであると言えるところであるが、それだけでなく、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして、何よりも忍び寄る死に必死で贖おうとする緊迫感や気迫が滲み出ているからである。

いや、もしかしたら、若くして死地に赴かざるを得なかった薄幸のピアニストであるリパッティの悲劇が我々聴き手の念頭にあるからこそ、余計にリパッティによる当該演奏を聴くとそのように感じさせられるのかもしれない。

これに対して、本盤の演奏は、基本的なアプローチ自体は変わりがないものの、当該演奏よりも更に底知れぬ深みを湛えていると言えるところであり、加えて演奏にかける命がけの渾身の情熱の凄さは、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言えるだろう。

コンサートの最後に予定されていたワルツ第2番の演奏を果たすことが出来なかったのは大変残念ではあるが、それだけに、それ以外の楽曲に対してすべての体力や精神力を使い果たしたとも言えるところであり、そうしたリパッティのピアニストとしての、芸術家としての真摯な姿勢には、ただただ首を垂れるのみである。

いずれにしても、本盤の演奏は、薄幸の天才ピアニストであるリパッティが、その短い人生の最後に到達し得た至高至純の清澄な境地を大いに感じさせる超名演と高く評価したい。

もっとも、リパッティによる本演奏は、演奏自体は圧倒的に素晴らしいのだが、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1950年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

リパッティのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、リパッティによる圧倒的な超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ―タは、すべてのヴァイオリニストにとっての聖典とも言うべき不朽の名作である。

それ故に、これまで数多くのヴァイオリニストによって多種多様な演奏が繰り広げられてきた。

これまでの各種の演奏の中には、名演と評されるものもあまた存在しているが、それらすべての名演に冠絶する至高の超名演こそは、本盤に収められたシェリングによる2度目の録音であると考える。

録音年が1967年であり、40年以上も前の録音であるにもかかわらず、現在においてもなお、本名演に比肩し得る名演があらわれていないのは殆ど驚異的ですらある。

クレーメル(2001〜2002年)による2度目の録音なども素晴らしい名演ではあるが、それでも本シェリング盤の地位がいささかも揺らぐものではない。

シェリングの演奏が素晴らしいのは、月並みな言い方にはなるが基本に忠実であるということである。

同曲は前述のように聖典とも言うべき特別な作品ではあるが、だからと言って何か特別な演奏をしてやろうという気負いや邪心がないのである。

あくまでも、徹底したスコアリーディングによって真摯に同曲に接するという姿勢が素晴らしい。

これは至極当然のことではあるが、なかなか出来ることではないのだ。その上で、シェリングは、卓越したテクニックをベースとして、格調高く、そして情感豊かに演奏を進めていく。

長大な作品ではあるが全体の造型はきわめて堅固であり、フレージングがいささかも崩れることがなく、あらゆる音階が美しさを失うことなく鳴り切っているのは圧巻の至芸と言える。

まさに、いい意味での非の打ちどころがない演奏であり、その演奏が醸し出す至高・至純の美しさには神々しささえ感じさせるほどだ。

これほどの崇高な超名演を超える演奏は、今後ともおそらくは半永久的にあらわれることはないのではないかとさえ考えられる。

録音は、40年以上も前のスタジオ録音ではあるが、リマスタリングを繰り返してきたこともあって、十分に満足し得る音質である。

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ウィーン出身のピアニストであるにもかかわらず、ジャズ音楽に裾野を広げたりするなど、自由奔放な活動が目立つグルダであるが、そのようなグルダが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタなどの独墺系の音楽を演奏する際には、自由奔放なグルダはすっかりと影をひそめ、真摯なピアニストに変貌する。

実際に、グルダによるベートーヴェンの2度目ピアノソナタ全集(アマデオ)は、現在においてもなお誉れ高き名演と高く評価されている。

また、ホルスト・シュタインと組んで録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲全集(英デッカ)も重厚な名演であったが、モーツァルトのピアノ協奏曲においても、そのような真摯な姿勢は変わりがないと言えるのではないか。

実際に、本演奏におけるグルダのピアノも、曲想を心を込めて描き出して行くという真摯なものだ。

そのアプローチは、いささかも気を衒うことがなく、楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えていこうという自然体の姿勢そのものであり、モーツァルトの音楽特有の優美さをいささかも損なっていないのが素晴らしい。

それでいて、時として見られる寂寥感の描出についても抜かりはなく、全体として、いかにもドイツ風の重厚かつシンフォニックな演奏を行っている点を高く評価したい。

第21番の第3楽章においては、グルダならではの自作のカデンツァを聴くことができるが、ここでは、常々の自由奔放なグルダを垣間見ることが可能であり、演奏全体に新鮮さを与えている点も見過ごしてはならない。

このようなグルダを下支えするのが、アバド&ウィーン・フィルの素晴らしい好演ということになるであろう。

本演奏は1974年であるが、この当時のアバドは、イタリア人指揮者ならではの豊かな歌謡性と、音楽の核心にひた向きに切り込んでいこうという生命力溢れる気迫がマッチングした素晴らしい名演の数々を生み出していたが、本演奏においても、そうしたアバドの指揮は健在である。

若きアバドの指揮の下、ウィーン・フィルが素晴らしい演奏を繰り広げている点も特筆すべきであり、演奏全体に適度な潤いと奥行きの深さを与えているのを見過ごしてはならない。

録音は1970年代のものとは思えないような鮮明さである。

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2014年08月28日


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朝比奈隆はブルックナーの交響曲全集を3度にわたって録音した世界で唯一の指揮者である。

本盤に収められた「第8」の演奏は、大阪フィルとの最後の演奏(2001年7月)となったもので、朝比奈が録音したブルックナーの「第8」の中でも、3度目の全集に含まれる大阪フィルとの1994年盤、NHK交響楽団と録音した1997年盤と並んで、3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

朝比奈は、ブルックナーの交響曲の中でも「第5」とこの「第8」を得意としていたことはよく知られているところだ。

その理由はいくつか考えられるが、つまるところ朝比奈の芸風に最も符合した交響曲であったからではないだろうか。

朝比奈のアプローチは荘重なインテンポで、曲想を真摯にそして愚直に進めていくというものだ。

スコアに記された音符を一つも蔑ろにすることなく力強く鳴らして、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽を構築していく。

このようにスコアに記された音符をすべて重厚に鳴らす演奏であれば、カラヤンやチェリビダッケも同様に行っているが、彼らの演奏は、ブルックナーよりも指揮者を感じさせるということであろう(カラヤン&ウィーン・フィルによる1988年盤を除く)。

俺はブルックナーの「第8」をこう解釈するという自我が演奏に色濃く出ており、聴き手によって好き嫌いが明確にあらわれるということになるのだ。

これに対して、朝比奈の演奏は、もちろん朝比奈なりの同曲への解釈はあるのだが、特に当盤は朝比奈最晩年(93歳)の演奏ということもあり、そうした自我を極力抑え、同曲にひたすら奉仕しているように感じることが可能だ。

聴き手は、指揮者よりもブルックナーの音楽の素晴らしさだけを感じることになり、このことが朝比奈のブルックナーの演奏をして、崇高で神々しいまでの至高の超名演たらしめているのだと考えられる。

しかも、スケールは雄渾の極みであり、かかるスケールの大きさにおいては、同時代に活躍した世界的なブルックナー指揮者であるヴァントによる大半の名演をも凌駕すると言っても過言ではあるまい(最晩年のベルリン・フィル盤(2001年)及びミュンヘン・フィル盤(2000年)を除く)。

本盤で惜しいのは大阪フィルがいささか非力という点であり、特に終結部のトランペットが殆ど聴こえないというのは致命的とも言えるが、演奏全体の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。

録音も大変優れたものであり、朝比奈による崇高な超名演を望み得る最高の音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)ブルックナー朝比奈 隆 

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ヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音の第2弾が、このたび国内盤、分売化されることになった。

これまで輸入盤で、しかもセットでしか手に入らなかっただけに、クラシック音楽ファンにとってはこの上ない喜びであると言えるだろう。

ヴァントと言えば、長年に渡って音楽監督を務め、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団との数々の名演が軸となる存在と言えるが、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団とも、素晴らしい名演の数々を遺している。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第5番やストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」は、ヴァントの知られざるレパートリーの一つであったが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

チャイコフスキーの交響曲第5番については、既に1994年に手兵の北ドイツ放送交響楽団との演奏が発売されていることから、本演奏はその7年前のもの、ヴァントによる2種目の同曲の録音ということになる。

同曲は、チャイコフスキーの数ある交響曲の中でも、その旋律の美しさが際立った名作である。

それ故に、ロシア風の民族色やメランコリックな抒情を歌い上げたものが多いが、本演奏は、それらのあまたの演奏とは大きくその性格を異にしている。

演奏全体の造型は堅固であり、その様相は剛毅にして重厚。

ヴァントは、同曲をロシア音楽ではなく、むしろベートーヴェンやブラームスの交響曲に接するのと同じような姿勢で本演奏に臨んでいるとさえ言えるところだ。

したがって、同曲にロマンティックな抒情を求める聴き手にはいささか無粋に感じるであろうし、無骨とも言えるような印象を受けるが、各旋律の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところである。

もちろん、チャイコフスキーの交響曲の演奏として、本演奏が唯一無二の存在とは必ずしも言い難いが、それでも立派さにおいては人後に落ちないレベルに達しているとも言えるところであり、筆者としては、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

なお、演奏全体の懐の深さという意味においては、1994年の演奏の方を上位に掲げたいが、引き締まった造型美という意味においては本演奏の方がより優れており、後は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。

他方、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」については、バイエルン放送交響楽団とのライヴ録音(1978年)以来、9年ぶりの録音ということになるが、まさに異色の名演と言える。

親しみやすい旋律に満ち溢れるとともに、華麗なオーケストレーションで知られた名作であるが、ヴァントは陳腐なセンチメンタリズムに陥ることなく、そして、常に高踏的な美しさを失うことなく、格調高く曲想を描き出しているのが素晴らしい。

かなり緻密に楽想を描き出しているせいか、他の演奏では聴くことができないような音型を聴き取ることができるのも本演奏の大きなメリットと言える。

同曲の最高の演奏とまでは言えないものの、ヴァントならではの引き締まった名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1987年のライヴ録音であるが、十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ヴァントチャイコフスキー 

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最近では体調を崩し、多くのクラシック音楽ファンをヤキモキさせている小澤であるが、小澤の得意のレパートリーは何かと言われれば、何と言ってもフランス音楽、そしてこれに次ぐのがロシア音楽ということになるのではないだろうか。

ロシア音楽について言えば、チャイコフスキーの後期3大交響曲やバレエ音楽、プロコフィエフの交響曲、そしてストラヴィンスキーのバレエ音楽など、極めて水準の高い名演を成し遂げていることからしても、小澤がいかにロシア音楽を深く愛するとともに得意としているのかがわかろうというものだ。

R.コルサコフの最高傑作でもある交響組曲「シェエラザード」も、そうした小澤が最も得意としたレパートリーの1つであり、これまでのところ3度にわたって録音を行っている。

最初のものがシカゴ交響楽団との演奏(1969年)、2回目のものが本盤に収められたボストン交響楽団との演奏(1977年)、3回目のものがウィーン・フィルとの演奏(1993年)である。

いずれ劣らぬ名演であり、とりわけウィーン・フィルとの演奏については、オーケストラの魅力ある美しい音色も相俟って、一般的な評価も高いが、演奏全体の安定性などを総合的に考慮すれば、本盤に収められた2回目の演奏こそは、小澤による同曲の代表的名演と評価してもいいのではないだろうか。

同曲には様々な指揮者による多種多彩な名演が目白押しであるが、小澤の演奏は、得意のフランス音楽に接する時のような洒落た味わいと繊細とも言うべき緻密さと言えるのではないかと考えられる。

同曲には、とりわけロシア系の指揮者に多いと言えるが、ロシア風の民族色を全面に打ち出したある種のアクの強さが売りの演奏も多いが、小澤の演奏はその対極に位置しているとも言える。

ロシア系の指揮者の演奏がボルシチであるとすれば、小澤の演奏はあっさりとした味噌汁。

しかしながら、その味噌汁は、あっさりとはしているものの、入っている具材は実に多種多彩。

その多種多彩さはボルシチにはいささかも劣っていない。

それこそが、小澤による本演奏の特色であり、最大の美質と言えるだろう。

要は、演奏の表層は洗練されたものであるが、どこをとっても洒落た味わいに満ち満ちた独特のニュアンスが込められるとともに、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりにも際立ったものがあると言えるだろう。

ボストン交響楽団も、小澤の統率の下、見事とも言うべき技量を発揮しており、シルヴァースタインによるヴァイオリン・ソロの美しさも相俟って、最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

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2014年08月27日


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本盤に収められた演奏は、マーラーの「第9」演奏史上最も美しい演奏であるだけでなく、カラヤン&ベルリン・フィルが成し遂げた数々の名演の中でも究極の美を誇る至高の超名演と高く評価したい。

カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代というのは1960年代及び1970年代というのが大方の見方だ。

1982年末になると、ザビーネ・マイヤー事件が勃発し、カラヤンとベルリン・フィルの関係が修復不可能になるまで悪化するが、それ以前の全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏はそれは凄いものであった。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントな金管楽器による朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器、雷鳴のように轟くティンパニなどを展開するベルリン・フィルをカラヤンは卓越した統率力で纏め上げ、流麗なレガートを駆使して楽曲を徹底的に美しく磨きあげた。

そうして生み出された演奏は、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべきものであり、かかる演奏に対しては、とある影響力のある某音楽評論家などは精神的な内容の浅薄さを批判しているが、それを一喝するだけの圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

本演奏は、前述のザビーネ・マイヤー事件が勃発する直前にライヴ録音されたものであり、カラヤン&ベルリン・フィルが構築し得た最高の音のドラマがここにあると言えるだろう。

スタジオ録音に固執しライヴ録音を拒否してきたカラヤンが、本演奏の3年前にスタジオ録音した同曲の演奏(1979年)を、当該演奏も完成度が高い名演であるにもかかわらず、本ライヴ盤に差し替えたというのは、カラヤン自身としても本演奏を特別視していた証左であると考えられる。

マーラーの「第9」には、バーンスタイン&コンセルトヘボウ盤(1985年)やワルター&ウィーン・フィル盤(1938年)といった、マーラーが同曲に込めた死への恐怖と闘いや生への妄執や憧憬を音化したドラマティックな名演があり、我々聴き手の肺腑を打つのはこれらドラマティックな名演である。

これに対して、カラヤンによる本演奏は、それらのドラマティックな名演とはあらゆる意味で対極にある演奏であり、ここには前述のような人間のドラマはいささかもなく、純音楽的な絶対美だけが存在している。

しかしながら、その圧倒的な究極の音のドラマは、他の指揮者が束になっても構築不可能であるだけでなく、クラシック音楽史上最大のレコーディング・アーティストであったカラヤンとしても、晩年になって漸く構築し得た高峰の高みに聳えた崇高な音楽と言えるところであり、バーンスタイン盤などの名演との優劣は容易にはつけられないものと考える。

その意味で、筆者としては改めて本盤を、カラヤン&ベルリン・フィルによる究極の到達点として高く評価したい。

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劇音楽「ロミオとジュリエット」は、コマーシャルなどでも採り上げられたこともあり、今やプロコフィエフの最も人気のある作品と言えるのではないか。

かつては、マゼール&クリーヴランド管弦楽団による超名演が独り勝ちの時代もあったのだが、最近ではLPのCD化も含め、数多くのCDが発売されてきているように思われる。

プロコフィエフを決して評価していなかったとも言われるムラヴィンスキーも、来日時のライヴ録音を含め数点のCDが発売されているし、ゲルギエフは2度にわたって全曲録音を行っている。

スクロヴァチェフスキやアバド、小澤(全曲版)、デュトワなどの質の高いCDもあるなど、名演には事欠かない状況となっている。

本盤のパーヴォ・ヤルヴィによる演奏も、これら古今東西の名演にも決して引けをとらない名演と高く評価したい。

全曲版ではないが、第1〜3組曲を収録するなど聴きどころとなる楽曲はすべて収められており、鑑賞するのには、この程度の長さがちょうどいいのではないかとも考えられる。

パーヴォ・ヤルヴィは、例によって、曲想を精緻に丁寧に描き出していく。

プロコフィエフの管弦楽法には不協和音を駆使したいわゆる音の濁りがあるのだが、そうしたものも含め、スコアに記された音符をすべて明瞭にバランス良く鳴らすことに腐心しているかのようだ。

では、単に音符のうわべだけを取り繕った薄味の演奏かというと、決してそのようなことはなく、どこをとってもコクのある情感豊かな音楽が構築されているのが素晴らしい。

また、各組曲を構成する楽曲毎の描き分けも実に巧みに行っており、パーヴォ・ヤルヴィの演出巧者ぶりが存分に発揮されている。

このような純音楽的なアプローチによる名演を聴いていると、あらためてパーヴォ・ヤルヴィの類稀なる音楽性の豊かさとともに、前途洋々たる将来性を大いに感じるのである。

シンシナティ交響楽団も、各管楽器奏者や弦楽器奏者の技量といい、音色の美しさといい、最高のパフォーマンスを示している。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフヤルヴィ 

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ドヴォルザークのチェロ協奏曲と言うと、同曲を何度も録音したロストロポーヴィチによる演奏がいの一番に念頭に浮かぶ。

遺された録音はいずれ劣らぬ名演であるが、とりわけ、カラヤン&ベルリン・フィルと組んだ演奏(1968年)は、指揮者とチェリストががっぷり四つに組んだ絢爛豪華な超名演として、現在においても同曲演奏史上最高の名演としての地位を譲っていないと考えている。

このように、ロストロポーヴィチによる数々の名演の印象があまりにも強い同曲であるが、録音がやや冴えないという難点はあるものの、演奏内容だけをとれば、デュ・プレによる本演奏は、前述のロストロポーヴィチによる1968年盤にも十分に対抗し得るだけの名演と評価できるのではないだろうか。

それは、デュ・プレによる渾身の気迫溢れる力強い演奏によるところが大きく、彼女は持ち前のスケールが大きく伸びやかな歌い回しを駆使して、このドヴォルザークの名作に生命力がほとばしるような大熱演を繰り広げている。

本演奏は1970年のものであるが、これはデュ・プレが不治の病を発症する直前の演奏でもある。

デュ・プレが自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予知していたのかは定かではないが、本演奏には何かに取りつかれたような底知れぬ情念のようなものを感じさせるとも言えるだろう。

いや、むしろ、我々聴き手が、デュ・プレをその後襲った悲劇を思って、より一層の深い感動を覚えるのかもしれない。

それにしても、本演奏における切れば血が出てくるような圧倒的な生命力と、女流チェリスト離れした力感、そして雄渾なスケールの豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っており、このような命がけの体当たりの大熱演を繰り広げていたデュ・プレのあまりにも早すぎる死を惜しむ聴き手は筆者だけではあるまい。

かかるデュ・プレの驚異的なチェロを力強くサポートした、当時の夫であるバレンボイムとシカゴ交響楽団も、最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。

録音は、従来盤ではやや鮮明さに欠ける音質であったが、HQCD化によってかなり音質の改善がなされたように思われる。

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classicalmusic at 00:52コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークデュ・プレ 

2014年08月26日


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精神医学を修め作曲家としても活躍したシノーポリの演奏は、まさに精神分析的とも言えるような、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰なものであった。

シノーポリは、このような精神分析的なアプローチが効果的なマーラーやシューマンの交響曲において、素晴らしい名演の数々を遺したところである。

シノーポリは、R・シュトラウスについてもオペラをはじめ、数々の管弦楽曲の録音を遺しているが、問題はこのような精神分析的なアプローチが効果的と言えるかどうかである。

R・シュトラウスの管弦楽曲は、その色彩感豊かなオーケストレーションが魅力であることから、その魅力を全面に打ち出した名演が数多く成し遂げられてきた。

特にカラヤンは、手兵ベルリン・フィルを率いてオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功したと言えるところだ。

これに対して、フルトヴェングラーは、各楽曲が描いている登場人物の深層心理を徹底的に追求した彫りの深い演奏を成し遂げたと言えるところである。

このように、20世紀の前後半を代表する大指揮者の演奏は対照的と言えるが、シノーポリの精神分析的な演奏は、紛れもなくフルトヴェングラーの演奏の系譜に連なるものと言えるだろう。

シノーポリは、演奏に際して「ドン・ファン」や「サロメ」などの登場人物の深層心理の徹底した分析を行い、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くしている。

しかしながら、かかる精神分析的なアプローチの懸念すべき問題は、細部に拘るあまり演奏の自然な流れが損なわれる危険性があるという点であり、それ故に、テンポが異様に遅くなってしまうことがあり得るということだ。

しかしながら、本盤に収められた諸曲の演奏においては、テンポは若干遅めとは言えるが、音楽は滔々と流れており、シノーポリのアプローチが功を奏した彫りの深い名演に仕上がっていると高く評価したい。

特に、「ドン・ファン」については、シュターツカペレ・ドレスデンによるいぶし銀の音色が、演奏全体に更なる深みと潤いを与えるのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

録音は従来盤でも十分に満足し得る音質であり、シノーポリによる名演を、鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:05コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスシノーポリ 

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カラヤンはベルリン・フィルとともにDVD作品を除けば3度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、本盤に収められた全集はそのうちの1960年代に録音された最初のものである。

カラヤン&ベルリン・フィルによる3つの全集のうち、最もカラヤンの個性が発揮されたものは何と言っても2度目の1970年代に録音されたものである。

1970年代は名実ともにカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代であり、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブルリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンならではの流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

また、1980年代に録音された最後の全集は、カラヤンの圧倒的な統率力に綻びが見られるものの、晩年のカラヤンならでは人生の諦観を感じさせるような味わい深さを感じさせる名演であるということが可能だ。

これに対して、本盤に収められた1960年代に録音された全集であるが、カラヤンがベルリン・フィルの芸術監督に就任してから約10年が経ち、カラヤンも漸くベルリン・フィルを掌握し始めた頃の演奏である。

したがって、1970年代の演奏ほどではないものの、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの萌芽は十分に存在している。

他方、当時のベルリン・フィルには、ティンパニのテーリヒェンなど、フルトヴェングラー時代の名うての奏者がなお数多く在籍しており、ドイツ風の重心の低い重厚な音色を有していた(カラヤンの演奏もフルトヴェングラーの演奏と同様に重厚ではあるが、音色の性格が全く異なっていた)。

したがって、本全集に収められた各演奏はいずれも、カラヤンならではの流麗なレガートが施された圧倒的な音のドラマにドイツ風の重厚な音色が付加された、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると評価したいと考える。

カラヤンの個性が全面的に発揮されたという意味では1970年代の全集を採るべきであろうが、徹頭徹尾カラヤン色の濃い演奏に仕上がっている当該1970年代の全集よりも、本全集の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないと考えられる。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンカラヤン 

2014年08月25日


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本盤にはビゼーの有名な管弦楽曲の演奏が収められているが、いずれも素晴らしい名演だ。

チョン・ミュンフンは、パリ・バスティーユ管弦楽団とともに幻想交響曲の名演を成し遂げるなど、フランス音楽を得意中の得意としているが、本演奏においてもその実力や楽曲との相性の良さが如何なく発揮されている。

ビゼーの管弦楽法は、その後の作曲家からの賞賛の的とされているが、チョン・ミュンフンは、その巧みなオーケストレーションを完璧に音化し、色彩感溢れる演奏を繰り広げている点を先ずは評価したい。

また、楽曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような生命力溢れる力強さや、抒情的な楽曲における情感の豊かさにおいても申し分がないところであり、いい意味での硬軟バランスのとれた演奏に仕上がっている。

また、「カルメン」組曲における情熱的なスペイン的情緒や、「アルルの女」組曲における南仏の牧歌的な雰囲気などの描出にもいささかも抜かりがなく、オペラにも名演の数々を成し遂げているチョン・ミュンフンの演出巧者ぶりが際立っていると言えるだろう。

「カルメン」組曲や「アルルの女」組曲については、先般SACD化によって更にグレードが上がったクリュイタンスによる超名演(1964年)があり、それはフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいを色濃く有していた。

本盤におけるパリ・バスティーユ管弦楽団による演奏も、金管楽器によるロマンティシズムに満ち溢れた華麗な音色や木管楽器の軽妙洒脱な音色など、クリュイタンスの指揮の下で演奏したパリ音楽院管弦楽団と遜色がないほどのセンス満点の名演奏を繰り広げており、少なくともオーケストラ演奏に関しては、クリュイタンス盤に一歩も引けをとっていないと考える。

録音は従来盤でも十分に満足し得る鮮明な音質であり、チョン・ミュンフンによる素晴らしい名演を、鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:51コメント(0)トラックバック(0)ビゼー 

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カラヤンがショスタコーヴィチの15曲ある交響曲の中で唯一演奏・録音したのは第10番のみだ。

その理由は定かではないが、オイストラフがカラヤンに、第10番をショスタコーヴィチの交響曲の中で最も美しい交響曲だと推薦したという逸話も伝えられている。

また、最も有名な第5番については、カラヤンがムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの豪演を聴いて衝撃を受け、2度と指揮しないと誓ったとの説もまことしやかに伝えられている。

そうした逸話などの真偽はさておき、カラヤンは第10番に相当の拘りと愛着を抱いていたようで、スタジオ録音を2度(1966年及び1981年)、モスクワでのライヴ録音を1度(1969年)行っている。

いずれも素晴らしい名演であるが、演奏の完成度と言う意味においては、本盤に収められた1981年盤を随一の名演と高く評価したいと考える。

本演奏でのカラヤンは、一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使して、曲想を徹底的に美しく磨き抜く。

加えて、ここぞという時のトゥッティの迫力も凄まじいもので、雷鳴のようなティンパニのトレモロは、殆ど悪魔的ですらある。

金管楽器や木管楽器のテクニックも桁外れで、分厚い弦合奏の揃い方は圧巻の技量だ。

これは、間違いなく、オーケストラ演奏の極致とも言うべき名演奏であり、かつて、レコード芸術誌において故小石忠男先生が使っておられた表現を借りて言えば、「管弦楽の室内楽的な融合」と評価したいと考える。

同曲の音楽の内容の精神的な深みを追求した名演と言うことになれば、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの名演(1976年盤)を第一に掲げるべきであるが、筆者としては、これだけの徹底した音のドラマを構築したカラヤンの名演との優劣は、容易にはつけられないのではないかと考えている。

録音は、1981年のデジタル録音ということもあって、本盤でも十分に満足し得る音質である。

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classicalmusic at 22:12コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチカラヤン 

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これは素晴らしい超名演だ。

アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督就任前の1970年代〜1980年代にかけて、ロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団とともに数々の演奏を繰り広げていた時期というのが大方の見方であるが、本盤の演奏はその頂点にも位置づけてもいいくらいの至高の超名演と高く評価したい。

冒頭の「ボレロ」からして、途轍もない気迫と強靭な生命力が漲っている。

加えて、アバドの歌謡性豊かな指揮ぶりは健在であり、主旋律をこれ以上は求め得ないような豊かな情感を込めて歌い抜いている。

そして終盤に向けて畳み掛けていくようなエネルギッシュな高揚感は圧巻の迫力を誇っており、あまりの演奏の壮絶さに終結部にはロンドン交響楽団の団員の絶叫(この表現が適切か否かについては議論の余地があるが、とりあえず本レビューではこの表現を使用させていただくこととする)までが記録されているほどだ。

この自然発生的な絶叫は、アバドの許可を得て敢えてそのままにしたということであり、これはアバド自身が本盤の会心の超名演の出来にいかに満足していたかの証左であると言えるだろう。

「スペイン狂詩曲」も素晴らしい。

同曲特有のむせ返るようなスペイン風の異国情緒満載の各旋律を、アバドは徹底して歌い抜いており、その極上の美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

各曲の描き分けの巧さも卓抜したものがあり、これはオペラを得意としたアバドの真骨頂とも言えるだろう。

そして、祭りの終結部のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と強靭な生命力は「ボレロ」と同様であり、あまりのド迫力に完全にノックアウトされてしまうほどだ。

バレエ「マ・メール・ロワ」と「亡き王女のためのパヴァ―ヌ」は一転して繊細な抒情が際立っている。

それでいて、アバドは弱音を重視するあまり演奏が薄味になるというようなことにはいささかも陥っておらず、どこをとっても内容の濃さと持ち前の歌謡性の豊かさを損なっていないのが素晴らしい。

いずれにしても、こうして本盤全体を聴き終えると、この当時のアバドがいかに凄みのある名演奏を繰り広げていたかがよくわかるところであり、ベルリン・フィルの芸術監督にマゼールを差し置いてアバドが選出されたのも十分に理解できるところだ。

アバドの統率の下、ラヴェルの管弦楽曲に相応しいフランス風の洒落た味わいのある名演奏を繰り広げたロンドン交響楽団に対しても大きな拍手を送りたい。

音質については、従来CD盤でも十分に良好なものであったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

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classicalmusic at 20:49コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルアバド 

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カラヤン&ベルリン・フィルの全盛時代は一般的に1960年代及び1970年代と言われている。

この当時の弦楽合奏は鉄壁のアンサンブルと独特の厚みがあり、いわゆるカラヤンサウンドの基盤を形成するものであった。

しかしながら、蜜月状態にあったカラヤン&ベルリン・フィルも、ザビーネ・マイヤー事件の勃発によって大きな亀裂が入り、その後は修復不可能にまで両者の関係が拗れてしまったところである。

本盤に収められた演奏は、アイネ・クライネ・ナハトムジークが全盛時代末期(1981年2月)のもの、ディヴェルティメント第15番が両者の関係が最悪の時期(1987年9月)のものと言えるが、演奏を聴く限りにおいては、両演奏ともにそのような事件の影響を何ら感じさせないような、いわゆるカラヤンサウンド満載の演奏と言える。

一糸乱れぬアンサンブルを駆使した重量感溢れる分厚い弦楽合奏は圧巻の迫力を誇っていると言えるところであり、カラヤンは、このような重厚な弦楽合奏に流れるようなレガートを施すことによって、曲想を徹底して美しく磨き抜いている。

これによって、おそらくは両曲演奏史上最も重厚にして美しい演奏に仕上がっている。

古楽器奏法やピリオド楽器の使用が主流となりつつある今日においては、このようなカラヤンによる重厚な演奏を時代遅れとして批判することは容易である。

しかしながら、ネット配信の隆盛によって新譜CDが激減し、クラシック音楽界に不況の嵐が吹き荒れている今日においては、カラヤンのような世紀の大巨匠が、特にディヴェルティメントのようなモーツァルトとしては一流の芸術作品とは必ずしも言い難い軽快な曲を、ベルリン・フィルの重量感溢れる弦楽合奏を使って大真面目に演奏をしていたという、クラシック音楽界のいわゆる古き良き時代(それを批判する意見があるのも十分に承知しているが)が少々懐かしく思われるのもまた事実であり、このような演奏を聴くとあたかも故郷に帰省した時のようにほっとした気持ちになるというのも事実なのだ。

このように賛否両論はある演奏であると言えるが、筆者としては、両曲を安定した気持ちで味わうことができるという意味において、素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 01:14コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトカラヤン 

2014年08月24日


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カラヤンはR.シュトラウスを十八番にしていたが、とりわけ交響詩「英雄の生涯」に私淑していた。

スタジオ録音では本盤に収められた演奏のほか、1959年盤(DG)と1974年盤(EMI)の3種が存在しており、ライヴ録音でもモスクワ盤(1969年)や、ロンドン盤(1972年及び1985年)など複数が存在している。

前述した演奏のいずれもがベルリン・フィルとのものであることが特徴と言えるところであり、カラヤンが同曲を演奏するにあたってはオーケストラの機能性を重視していたことがよく理解できるところだ。

カラヤンはライヴでこそその真価を発揮する指揮者であり、前述の3種のライブ録音は素晴らしい超名演ではあるが、ここでは本盤を含め3種あるスタジオ録音の間の比較を軸に論じていくこととしたい。

いずれも名演の名に値すると思うが、演奏の性格は大きく異なると考えられる。

1959年盤については、カラヤンによるDGへのデビュー盤でもあるが、この当時はベルリン・フィルにフルトヴェングラー時代の重心の低い音色の残滓が存在しており、シュヴァルベのヴァイオリンソロはいかにもカラヤン好みの官能的な美しさを誇ってはいるものの、オーケストラの音色はいわゆるカラヤンサウンドで満たされているとは言い難い面があり、カラヤンの個性が完全に発揮されているとは言い難いとも言える。

これに対して1974年盤は、カラヤン色が濃い演奏と言える。

シュヴァルベのヴァイオリンの官能的な美しさは相変わらずであるが、オーケストラは肉厚の弦楽合奏、ブリリアントな金管楽器の朗々たる響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器、雷鳴のように轟くティンパニなどをベースに流麗なレガートが施されるなど、いわゆるカラヤンサウンドが満載であり、徹頭徹尾カラヤン色に染め上げられた演奏に仕上がっていた。

これに対して本演奏(1985年)は、カラヤンの統率力の衰えから、カラヤンサウンドを聴くことができるものの、1974年盤のように徹頭徹尾ということにはなっていない。

したがって、音のドラマの構築という点では1974年盤よりも劣っていると言わざるを得ないが、本演奏にはカラヤンが自らの人生を自省の気持ちを込めて顧みるような趣きが感じられるところであり、枯淡の境地にも通じるような味わい深さといった面では、1959年盤や1974年盤をはるかに凌駕していると言えるだろう。

これには、ヴァイオリンソロが官能的な美しさを誇るシュヴァルベから質実剛健なシュピーラーに変わったのも大きいと考えられる。

いずれにしても、これら3種の名演の比較については困難を極めるところであり最終的には好みの問題になるとは思うが、筆者としては、カラヤンが最晩年に至って漸く到達した枯淡の境地、至純の境地を味わうことができる本演奏を随一の至高の超名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 23:52コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスカラヤン 

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最近では非常に人気のある作品であり、数々の録音がなされている「カルミナ・ブラーナ」であるが、録音以来40年以上が経過した現在においてもなお、本ヨッフム盤の価値がいささかも色褪せることはない。

それどころか、本演奏は、プレヴィン&ウィーン・フィル盤(1995年)などの様々な指揮者による名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

作曲家オルフが認めた演奏であり、ヨッフム自身が同曲の初演者であるということもあるが、それだけでなく、やはり演奏自体が非常に優れているのである。

同曲は、紛れもないドイツ音楽であるが、ヨッフムの演奏は、同曲をドイツ音楽であることをあらためて認識させてくれるのが何よりも素晴らしい。

同曲は、華麗な合唱やオーケストレーションを誇る楽曲であることから、最近ではそうした華麗さに焦点を当てた演奏が数多くなされているように思うが(それも、魅力的ではある)、ヨッフムの演奏は、外面的な華麗さよりは、ドイツ音楽ならではの質実剛健さを基調としている。

したがって、全体の造型の堅固さには際立ったものがあるが、それでいてヨッフムは、これ以上は求め得ないようなドラマティックな演奏を展開しており、その畳み掛けていくような気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っている。

あたかも壮大なドイツオペラを鑑賞しているような趣きがあり、そのスケールは雄渾の極みである。

歌手陣も優秀であり、特に、ソプラノのヤノヴィッツとバリトンのフィッシャー・ディースカウの歌唱は秀逸である。

このうち、フィッシャー・ディースカウの歌唱はうますぎるとさえ言えるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団やシェーネベルク少年合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

録音は、何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって比較的良好であるが、数年前に発売されたSHM−CD盤がこれまでのところでは最も音質が優れている。

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classicalmusic at 22:39コメント(0)トラックバック(0)オルフヨッフム 

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ブーレーズによるドビュッシーの管弦楽曲集と言えば、1960年代後半にクリーヴランド管弦楽団やニュー・フィルハーモニア管弦楽団を指揮した名演(1966〜1968年)がいの一番に思い浮かぶ。

それは、各管弦楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くすとともに、一切の主観や情感を排した前衛的とも言える斬新な演奏であった。

本盤に収められた演奏は、それから20年以上の期間を経て行われた録音であるが、ブーレーズは随分と丸くなったというのが第一印象だ。

これは、ドビュッシーに限らずに、他の作曲家の楽曲における演奏についても言えることであり、1990年代に入ってDGに行った録音にはすっかりと好々爺となったブーレーズによる円熟の演奏を聴くことが可能である。

もっとも、そこは腐ってもブーレーズであり、何も万人受けをするような通俗的な演奏をするようになったわけではない。

むしろ、スコアリーディングについては深化したと言えるところであり、徹底したスコアの読み込みによって、楽想をあたかもレントゲンで撮影するかのように、楽想を精緻に描き出していくというアプローチ自体には何ら変わりがないところだ。

もっとも、かつては一切を排していた情感の豊かさが付加されたところであり、これがブーレーズの近年の演奏の円熟ぶりであり、はたまた魅力の一つであると言えるだろう。

本演奏においても、ブーレーズは徹底したスコアリーディングに基づいて楽想を精緻に描き出しているが、情感の豊かさにおいてもいささかも不足はなく、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

なお、とある影響力のある高名な音楽評論家が本盤を徹底的にこき下ろしているが、かかる罵詈雑言に右顧左眄することなく、信用できるのは自分の耳だけであるということを肝に銘じておきたいものだ。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質を誇っていたが、今般のSHM−CD化によって音質がより鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

ブーレーズによる円熟の名演を、SHM−CDによる鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーブーレーズ 

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ベームは、いわゆるブルックナー指揮者とは言い難いのではないだろうか。

シュターツカペレ・ドレスデンとともに「第4」及び「第5」、ウィーン・フィルとともに「第3」、「第4」、「第7」及び「第8」をスタジオ録音しており、これ以外にも若干のライブ録音が存在しているが、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスの各交響曲全集を録音した指揮者としては、必ずしも数多いとは言えないのではないかと考えられる。

しかしながら、遺された録音はいずれも決して凡演の類ではなく、特に、ウィーン・フィルと録音した「第3」及び「第4」は、他の指揮者による名演と比較しても、今なお上位にランキングされる素晴らしい名演と高く評価したい。

ところで、この「第3」(1970年)と「第4」(1973年)についてであるが、よりベームらしさがあらわれているのは、「第3」と言えるのではないだろうか。

ベームの演奏の特色は、堅固な造型、隙間風の吹かないオーケストラの分厚い響き、峻厳たるリズム感などが掲げられると思うが、1970年代初頭までは、こうしたベームの特色が存分に発揮された名演が数多く繰り広げられていた。

しかしながら、1970年代後半になると、リズムが硬直化し、テンポが遅くなるのに併せて造型も肥大化することになっていった。

したがって、スケールは非常に大きくはなったものの、凝縮度が薄くなり、それこそ歯応えのない干物のような演奏が多くなったことは否めない事実である(シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したシューベルトの「ザ・グレイト」のような例外もあり)。

「第4」は、そうした硬直化にはまだまだ陥っているとは言えないものの、どちらかと言えば、ウィーン・フィルによる美演を極力生かした演奏と言うことができるところであり、名演ではあるが、ベームらしさが発揮された演奏とは言い難い面があるのではないだろうか。

これに対して、本盤の「第3」は、徹頭徹尾ベームらしさが発揮された演奏ということが可能だ。

堅固な造型、隙間風の吹かないオーケストラの分厚い響きは相変わらずであり、峻厳たるリズムで着実に進行していく音楽は、素晴らしいの一言。

全体のスケールはさほど大きいとは言えないが、ヴァント&ケルン放送交響楽団盤(1981年)よりははるかに雄渾と言えるところであり、これだけの凝縮化された密度の濃い音楽は他にもあまり例はみられない。

金管楽器がいささか強すぎるきらいもないわけではないが、全体の演奏の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと考える。

ブルックナーの「第3」の他の名演としては、1990年代に入って、朝比奈&大阪フィル盤(1993年)が登場するが、それまでは本演奏はダントツの名演という存在であった。

朝比奈盤に次ぐのが、ヴァント&北ドイツ放送交響楽団盤(1992年)であると考えるが、本演奏は、現在でもこれら両名演に次ぐ名演の地位をいささかも譲っていないと考える。

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2014年08月23日


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本盤に収められたドヴォルザークの交響曲第8番の演奏は、セルが亡くなる直前の録音であり、セル&クリーヴランド管弦楽団による2度目のスタジオ録音ということにもなる。

本演奏は、前回の演奏(1958年盤)を上回るのみならず、一世を風靡したこのコンビによる最高の名演の一つであり、古今東西の同曲の数ある名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

私見ではあるが、本名演に比肩できるのは、クーベリック&ベルリン・フィル盤(1966年)とカラヤン&ウィーン・フィル盤(1985年)だけではないかと考えている。

セルは、クリーヴランド管弦楽団を徹底的に鍛え抜き、セルの楽器と称されるほどの超一流の楽団に仕立て上げたことで知られている。

したがって、このコンビによる全盛時代の演奏は、特定の楽器が目立つということは殆どなく(これは、セルが最も嫌ったことであった)、オーケストラ全体が一つの楽器のように聴こえるような精密なアンサンブルによる精緻な演奏を誇っていた。

ただ、あまりの演奏の精密さ故に、スケールもやや小型であり、いささか融通の利かないメカニックとも言うべき演奏も多々見られたと言わざるを得ないところだ。

そのようなセルも最晩年になると、鉄壁のアンサンブルを維持しつつも、クリーヴランド管弦楽団の各団員により自由を与え、伸びやかな演奏を行うようになってきたところであり、それに併せて演奏のスケールも大きくなっていった。

本名演は、そのような一連の流れの頂点にある演奏と言えるのではないかと考えられる。

セルは本演奏においても曲想を精緻に描いてはいるが、フレージングが実に伸びやかである。

そして、どこをとっても情感の豊かさに満ち溢れており、スケールも雄渾の極みと言える。

これはまさに、ドヴォルザークやスメタナ、ヤナーチェクなどのチェコ音楽を心から愛した巨匠が最晩年になって漸く到達し得た至高、至純の境地であると言えるのではないだろうか。

併録のスラヴ舞曲第3番及び第10番も、ドヴォルザークの「第8」と同様の素晴らしい完熟の名演だ。

音質は、従来盤が今一つ冴えない音質で問題があり、リマスタリングを施してもさほどの改善が図られているとは言い難かった。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、セルによる至高の超名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わえることを大いに歓迎したい。

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ベームは、ブルックナーの交響曲をすべて演奏しているわけではなく、遺された録音などを勘案すると、演奏を行ったのは第3番、第4番、第5番、第7番及び第8番の5曲に限られているものと思われる。

この中でも、文句なしに素晴らしい名演は1970年代前半にウィーン・フィルを指揮して英デッカにスタジオ録音を行った第3番(1970年)及び第4番(1973年)である。

これに対して本盤に収められた第8番については、少なくとも従来盤やその後に発売されたSHM−CD盤を聴く限りにおいては、筆者としてはこれまでのところ感銘を受けたことは一度もないところだ。

というのも、最大の欠点は、金管楽器がいささか無機的に響くということであろう。

ベームは、例によって、本演奏においても各金管楽器を最強奏させているのであるが、いずれも耳に突き刺さるようなきついサウンドであり、聴いていてとても疲れるというのが正直なところなのだ。

また、ベームの全盛時代の代名詞でもあった躍動感溢れるリズムが、本演奏ではいささか硬直化してきているところであり、音楽の自然な流れにおいても若干の淀みが生じていると言わざるを得ない。

したがって、ベームによる遺された同曲のライヴ録音に鑑みれば、本演奏はベームのベストフォームとは到底言い難いものであると言えるところであり、演奏自体としては凡演とまでは言わないが、佳演との評価すらなかなかに厳しいものがあったと言える。

しかしながら、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤を聴いて驚いた。

これまでの従来盤やSHM−CD盤とはそもそも次元が異なる圧倒的な超高音質に生まれ変わったところであり、これによって、これまでは無機的できついと思っていたブラスセクションの音色に温もりと潤いが付加され、これまでよりも格段に聴きやすい音色に改善されたと言えるところである。

加えて、音場が幅広くなったことにもよると思うが、音楽の流れも、万全とは言えないもののかなり自然体で流れるように聴こえるように生まれ変わったとも言える。

したがって、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって本演奏の欠点がほぼ解消されたとも言えるところであり、筆者としても本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤ではじめて本演奏に深い感銘を受けたところだ。

いずれにしても、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤に限っては、本演奏を名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーベーム 

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カラヤンはチャイコフスキーを得意としており、交響曲については全集を含め後期3大交響曲集を繰り返し録音するとともに、4度にわたるピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、そして主要な管弦楽曲など、途轍もない数の録音を行っているところである。

本盤に収められた幻想序曲「ロミオとジュリエット」及び組曲「くるみ割り人形」も、両曲ともにカラヤンによる4度目の録音に相当する(幻想序曲「ロミオとジュリエット」についてはウィーン・フィルとの1946年及び1960年の録音、ベルリン・フィルとの1966年及び本盤の1982年の録音が存在している。他方、組曲「くるみ割り人形」については、フィルハーモニア管との1952年の録音、ウィーン・フィルとの1961年の録音、ベルリン・フィルとの1966年及び本盤の1982年の録音が存在している)。

本盤はLP時代に、カラヤンの75歳の記念アルバムとして写真集が添付されていたのを記憶している。

CD化されてからは、当該写真集は殆ど忘れられた存在となっているが、CDとしては比較的収録時間の少ない本盤だけに、かつての写真集を何らかの形で添付するなどの工夫を講じて欲しいと思う聴き手は筆者だけではあるまい。

演奏については名演ではある。

しかしながら、これは一般的な評価であり、カラヤンによる演奏としては必ずしもベストフォームにあるとは言い難いのではないだろうか。

本盤に収められた楽曲をカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏で聴くのであれば、幻想序曲「ロミオとジュリエット」及び組曲「くるみ割り人形」ともに1966年の演奏をお薦めしたいと考える。

本盤の演奏の録音は1982年9月。

これは、カラヤンとベルリン・フィルの関係に深刻な亀裂が走ることになったザビーネ・マイヤー事件が勃発した時期に相当する。

したがって、カラヤン&ベルリン・フィルという黄金コンビによる圧倒的な演奏にも陰りが出てきたと言えるところであり、本演奏にも前述の1966年盤にあった重厚さや華麗さがいささか減じていると言えなくもないところだ。

もっとも、本演奏においても、カラヤン、そしてベルリン・フィルともにお互いにプロフェッショナルとして水準以上の演奏を行ってはいるが、過去の名演からすればいささか物足りないと言わざるを得ないことについては指摘しておかなければならない。

録音は、リマスタリングが行われたこともあって、従来盤でも十分に満足できる音質であると評価したい。

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2014年08月22日


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近年では村上春樹氏のとある有名小説によって、シンフォニエッタが非常に有名になったヤナーチェクであるが、こうした管弦楽曲や室内楽曲、声楽曲など多岐に渡るジャンルの作品を遺したヤナーチェクの最高傑作は何と言ってもオペラと言えるのではないだろうか。

ヤナーチェクは、自作にモラヴィアの民謡を高度に昇華させて取り入れるとともに、その作品には自然の中での人間の在り方、人間の心情などへの鋭い洞察と言ったものが集約されているが、それらの要素がすべて盛り込まれているのはまさにオペラであると考えられるからだ。

そして、そのような数あるオペラの中でも名実ともに最高傑作と言えば、何と言っても本盤に収められた「利口な女狐の物語」であると言えるのではないだろうか。

というのも、このオペラは主人公である女狐ビストロウシュカなどの動物を通して人間の所業を風刺した寓話劇であり、前述のようなヤナーチェクの作品の神髄そのものをテーマとしていると言えるし、音楽もいかにもモラヴィアの民謡的な語法を活用した魅力的なものであるのがその理由である。

チェコではクリスマスにこのオペラを子ども向きに上映するそうであるが、これを観た子どもたちが本当にこのオペラを理解できているのか疑問に思われるような含蓄のある作品であり、聴けば聴くほどに新しい発見がある内容の濃い傑作であるとも言える。

このようにヤナーチェクの最高傑作とも言える「利口な女狐の物語」であるが、録音は極めて少ないと言わざるを得ない。

本盤を除くと、現在でも入手可能なのは、ラトル&コヴェントガーテン王立歌劇場管(1990年)(ただし英語版)、ノイマン&プラハ国立劇場管(1957年)(旧盤)、ノイマン&チェコ・フィル(1979年)の3点しか存在していない。

もっとも、これらはいずれも名演であるが、ヤナーチェクの権威であったマッケラスがウィーン・フィルを指揮して演奏した本演奏こそが、同曲演奏史上最高の超名演であることは論を待たないところだ。

マッケラスの指揮は、ヤナーチェクの作品を数多く演奏するとともに、楽譜校訂を行ってきたこともあって、厳格なスコアリーディングに基づく楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫りの深いものであり、加えてこの指揮者ならではの独特の格調の高さが全体を支配している。

そして、ウィーン・フィルによる豊穣な極上の美演が、本演奏全体に独特の潤いと豊かな情感を付加しているのを忘れてはならない。

歌手陣も充実しており、ビストロウシュカ役の今は亡きルチア・ポップをはじめ、チェコの優秀な歌手陣が最高の歌唱を披露しているのが素晴らしい。

英デッカによる超優秀録音による極上の高音質も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

ヤナーチェクのオペラには、「利口な女狐の物語」以外にも最晩年の「死者の家から」など優れた名作が多く、演奏時間も概ね85分〜120分の間に収まることから、歌詞対訳付で鑑賞するのが基本ではあるものの、必ずしも歌詞にとらわれずに音楽だけを楽しむというのも、マーラーの交響曲を鑑賞するような趣きでヤナーチェクの素晴らしい音楽を満喫できるという意味において、是非ともお薦めしておきたいと思う。

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classicalmusic at 23:33コメント(0)トラックバック(0)ヤナーチェク 

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本盤にはブラームスのヴァイオリン協奏曲と二重協奏曲が収められているが、いずれも素晴らしい超名演だ。

ヴァイオリン協奏曲については、海千山千のヴァイオリニストと指揮者、オーケストラが圧倒的な超名演をあまた成し遂げていることから、ベストの名演と評価するのにはいささか躊躇せざるを得ないが、他方、二重協奏曲については、もちろん様々な見解はあるとは思うが、筆者としては、同曲の様々な演奏に冠絶する至高の超名演と高く評価したいと考える。

本演奏において、何と言っても素晴らしいのはロストロポーヴィチによるチェロ演奏である。

ロストロポーヴィチの渾身のチェロ演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っていると言えるところであり、ブラームスの最晩年の傑作に込められた枯淡の境地とも言うべき奥行きのある情感を徹底して抉り出すのに成功したと言っても過言ではあるまい。

オイストラフのヴァイオリン演奏も、ロストロポーヴィチのチェロ演奏にいささかも引けを取っていない凄みのあるものと言えるところであり、この両者による重厚にして力感溢れる演奏は、切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れている。

そして、この両雄による圧倒的な演奏を立派に下支えしているのが、セル&クリーヴランド管弦楽団による至高の名演奏であると言えるだろう。

セル&クリーヴランド管弦楽団による全盛期の演奏は、巷間「セルの楽器」と称されるほどの鉄壁なアンサンブルを誇っているが、それだけにいささかメカニックなある種の冷たさを感じさせるとも言えなくもなかったところだ。

しかしながら、1960年代も後半になると、セルもクリーヴランド管弦楽団の各奏者に自由を与え、より柔軟性のある伸びやかな演奏を心がけるようになったとも言える。

本演奏などもその最たるものと言えるところであり、ロストロポーヴィチやオイストラフによる気迫溢れる演奏にも触発されたこともあって、一糸乱れぬアンサンブルの中にも、人生の諦観を感じさせるような味わい深い名演奏を繰り広げているとも言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本演奏は、ソリスト、指揮者、オーケストラの3拍子が揃った、同曲演奏史上最高の超名演と高く評価したいと考える。

音質は、従来CD盤ではやや鮮明さに欠ける音質であったが、今般、ついに待望のSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

ロストロポーヴィチのチェロやオイストラフのヴァイオリンの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、とりわけ二重協奏曲について、ロストロポーヴィチ、オイストラフ、そしてセル&クリーヴランド管弦楽団による至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができることを大いに歓迎したい。

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チャイコフスキーのピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出に」は、チャイコフスキーの室内楽曲の中での最高傑作であるだけでなく、古今東西の作曲家による数あるピアノ三重奏曲の中でも、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」と並ぶ至高の名作と言えるだろう。

しかしながら、ベートーヴェンの「大公」と比較すると録音の点数はさして多いとは言えない。

そうした数少ない録音の中でも名演と評価し得るのは、新しいものではウィーン・ベートーヴェン・トリオ盤(1988年)及びチョン・トリオ盤(1988年)、そして古いものでは本盤に収められた演奏であると考える。

本演奏においては何よりも、ピアノにルービンシュタイン、ヴァイオリンにハイフェッツ、そしてチェロにピアティゴルスキーという超大物を据えた(いわゆる百万ドル・トリオ)のが極めて大きい。

本録音の発売に際しては、LPのジャケットの表記において、ルービンシュタインとハイフェッツのどちらを上に記述するかで両者(特にハイフェッツ)がもめたとの逸話が遺されているが、それだけ両者がプライドをかけて本演奏に臨んだということではないだろうか。

実際のところ、同曲は、副題からも窺い知ることができるように、尊敬するピアニストであったニコライ・ルービンシュタインの死を悼んで作曲されたものであることから、とりわけピアノパートが克明に作曲されているのであるが、ルービンシュタインの卓越した技量をベースとしたスケール雄大な演奏に対して、ハイフェッツのヴァイオリンもその技量や気迫において、いささかも引けを取っておらず、あたかも両者による協奏曲のような迫力を誇っている。

チェロのピアティゴルスキーは、持ち味である重厚で人間味あふれる落ち着いた音色で、ルービンシュタインとハイフェッツの火花散るような演奏に適度の潤いと温もりを与えるのに成功していると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、モノラル録音であるというハンディを除けば、現時点でも前述のウィーン・ベートーヴェン・トリオ盤やチョン・トリオ盤をはるかに凌駕する随一の超名演と高く評価したい。

もっとも、今般のXRCD化によって、今から60年以上も前のモノラル録音とは思えないような鮮度の高い音質に生まれ変わった。

ルービンシュタインのピアノタッチがいささかこもり気味なのは残念であるが、ハイフェッツのヴァイオリンやピアティゴルスキーのチェロの弓使いなどが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてXRCDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

今般のXRCD化によって、本名演の価値はますます盤石となったと言えるところであり、同曲演奏史上最高の超名演を、現在望み得る最高の高音質XRCDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年08月21日


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モーツァルトのレクイエムは、数々の指揮者の下で演奏されているが、どれもアップテンポで“レクイエム”の意味を表現しているとは思えない。

その点、このCDに収録されているのは、カール・ベームの晩年の指揮によるもので、“モーツァルトのレクイエム”を見事に表現している。

安息を表現する所では、スローテンポで、哀れみを請う所では、静かなテンポで、主を讃える所では、力強いテンポで、罪を許し給える所では、優しいテンポで。

全体的には実にゆったりとしたテンポ、壮大で重厚な音楽が最後まで貫かれている。

アーノンクールの演奏とは対照的でどちらが正しい、どちらが優れているということは考えこまずに、このベームの晩年のモーツァルトの世界に浸るのが良いのであろう。

現代の演奏ではまず聴くことのできない「重さ」と「凄み」が如実に伝わる演奏である。

合唱団員の意気込みも鋭く、「怒りの日」の合唱の咆えること、他の盤では聴けない荒々しさである。

「呪われし者」の類をみないテンポの遅さと男声パートの劇的な表現がかえって今では新鮮に聴こえるし、それに続く女声のソットヴォーチェの箇所が実に生きている。

「涙の日」へ接続し、続くヴァイオリンの前奏が涙を誘い、緊張感あふれる合唱によって絶筆部分が歌われる。

これほど慄き、嘆き、咆哮する「涙の日」の演奏は少ないのではないだろうか。

エディット・マティス(ソプラノ)、ユリア・ハマリ(アルト)、ヴィエスワフ・オフマン(テノール)、カール・リッダーブッシュ(バス)というビッグ・ネームのソリストもまたベームの音楽観に添った歌唱をしている。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の統一がとれた演奏と、ウィーン国立歌劇場合唱連盟(合唱指揮:ノルベルト・バラッチュ)のメンバーの音楽性の高さが、このアルバムの価値を高めている。

ベームのレクイエムを聴くと、モーツァルトがバッハの宗教曲などのバロック音楽を自分の音楽素養として持ち、続くベートーヴェンやブラームスの音楽に影響を与えたのが分かる解釈である。

そこには軽やかで華やかな天才モーツァルトの姿はなく、人生の儚さに恐れ慄く人間モーツァルトが立っているかのようだ。

カール・ベームは、“モーツァルトのレクイエム”を指揮するために、この世に生を授けたのではないか、とさえ思わせる逸品である。

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ドヴォルザークが作曲した協奏曲と言えば、何と言っても米国の音楽院に赴任中に作曲されたチェロ協奏曲が名高い。

また、ボヘミアの民族色溢れた親しみやすい楽想でも知られるヴァイオリン協奏曲も名作である。

しかしながら、ピアノ協奏曲は、正直に言って魅力に乏しい作品と言わざるを得ない。

ドヴォルザークの若き日の作品とは言え、親しみやすい旋律さえ殆ど存在しない凡作であり、演奏されること自体が稀な作品である。

にもかかわらず、レコーディングをあまり行わなかったクライバーと、これまた協奏曲の録音には常に慎重な姿勢で臨んだリヒテルが、よりによって、このような凡作のスタジオ録音を遺しているというのは実に不思議というほかはない。

もっとも、そのことは裏を返せば、両雄が凡作とされている同曲に対して、スタジオ録音の意欲を湧き立たせるような魅力を見出していたということなのであろう。

実際に、演奏は素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

リヒテルのピアノは、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまでの幅に広い表現力を駆使して、構えの大きい骨太の音楽を構築している。

同曲には分不相応な堂々たるピアニズムとも言えるが、このような名演奏によって、同曲の知られざる魅力のベールをはじめて脱ぐことに成功したと言っても過言ではあるまい。

クライバーの指揮も、あたかもベートーヴェンの交響曲に接するかのような真剣勝負で臨んでおり、畳み掛けていくような気迫と緊張感、そして切れば血が噴き出てくるような力強い生命力など、その強靭な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

「鶏を割くに牛刀を用ふ」との諺が存在しているが、本演奏などはその最たるものであり、ドヴォルザークのピアノ協奏曲の演奏としては、リヒテルとクライバーという演奏者の格としてもオーバースペック、そしてその両雄による演奏も前述のようにオーバースペックと言えるだろう。

しかしながら、リヒテルとクライバーが、このような真剣勝負の大熱演を繰り広げることによって、凡作とされてきた同曲が若干なりとも魅力がある作品に生まれ変わったというのも否定し得ない事実であり、その意味では、同曲の知られざる魅力に光を当てるのに成功した稀有の名演との評価もあながち言い過ぎではないと考えられるところだ。

いずれにしても、本演奏は、同曲の唯一無二の名演として高く評価したい。

録音は、従来盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

ドヴォルザークのピアノ協奏曲は、本演奏を持ってしても必ずしも鑑賞をお薦めするほどの魅力的な楽曲であるとは言い難いが、それでも一度聴いてみたいという方には、本演奏、そしてHQCD盤をおすすめしておきたい。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)リヒテルクライバー 

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カラヤンはシベリウスを得意としており、交響曲(第3番やクレルヴォ交響曲を除く)、ヴァイオリン協奏曲、そして管弦楽曲に至るまで多岐にわたる録音を行っている。

特に、管弦楽曲については何度も録音を繰り返しており、フィルハーモニア管弦楽団との各種の録音に引き続いて、手兵ベルリン・フィルとともに、1960年代、1970年代、そして1980年代と、ほぼ10年毎に主要な管弦楽曲集の録音を行っているところだ。

本盤に収められたシベリウスの管弦楽曲集は、カラヤンによる最後の録音に相当する。

カラヤンによるベルリン・フィルとのシベリウスの管弦楽曲集でも、最もカラヤンの個性が発揮された演奏はまぎれもなく1970年代の演奏であろう。

というのも、1970年代はカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛期であったからである。分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

1970年代の演奏は、まさにかかる圧倒的な音のドラマが健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされていた。

他方、1960年代の演奏は、ベルリン・フィルにいまだフルトヴェングラー時代のドイツ風の音色の残滓が存在した時代であり、流麗なカラヤンサウンドの中にも適度の潤いが感じられ、いい意味での剛柔バランスのとれたサウンドが支配していた。

したがって、いわゆる北欧音楽らしさという意味においては、1960年代の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないと考えられる。

これらに対して、本盤に収められた演奏は、1970年代の演奏と比較すると、明らかにカラヤンの統率力に陰りが見えると言えるだろう。

1970年代に全盛期を迎えたカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビも、1980年代に入るとザビーネ・マイヤー事件の勃発によって亀裂が入り、その後は殆ど修復が見られなかった。加えて、カラヤン自身の健康悪化もあって、この黄金コンビによる演奏にかつてのような輝きがなくなってしまったところだ。

もっとも、本演奏は、1970年代の演奏のような音のドラマの構築においては今一つの出来であり、カラヤン、そしてベルリン・フィルによるベストフォームの演奏とは言い難いものがあるが、他方、カラヤンの晩年の心境を反映した枯淡の境地を感じさせるような独特の味わいがあると言えるのではないだろうか。

したがって、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠カラヤンの晩年の清澄な境地が色濃く反映した独特の味わい深さという意味においては、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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classicalmusic at 00:28コメント(0)トラックバック(0)シベリウスカラヤン 

2014年08月20日


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ベートーヴェンの「第7」は、フルトヴェングラーの1950年盤(または1943年盤)と並ぶ、そしてストラヴィンスキーの「春の祭典」はトップの座に君臨する超弩級の名演である。

カラヤンの生前、そのライヴ録音は、マーラーの「第9」(1982年盤)やハイドンの「天地創造」など、限られたものしか発売されず、したがって、発売された演奏の殆どはスタジオ録音であった。

カラヤンのスタジオ録音は、コンサートの演目に登場させる直前のゲネプロに併せて行われるとともに、発売にあたって徹底した編集が行われたことから、CDとしての完成度は高いものの、R・シュトラウスやチャイコフスキー、新ウィーン楽派の管弦楽曲集などの一部の楽曲を除いては、いささか平板な印象を与えるものが少なくない。

そのようなCDとフルトヴェングラーの燃焼度の高いライヴ録音と比較されれば、結果は火を見るよりも明らかである。

しかしながら、そのようなフェアとは言い難い比較で、カラヤンを精神的に浅いだとか、浅薄と評価してしまうのは、いかにも不公平のそしりを免れないのではなかろうか。

カラヤンは、近年発売された様々な伝記でも明らかにされているが、CDとコンサートを別ものと捉えていた。

そして、コンサートに足を運んでくれる聴者を特別の人と尊重しており、ライヴでこそ真価を発揮する指揮者だったことを忘れてはならない。

最近、カラヤンの死後に発掘された様々なライヴのCDが発売され、それらが、各方面で絶賛を浴びているのも決して不思議ではないのだ。

本盤も、そんなカラヤンのライヴの凄まじさを証明する一枚である。

ベートーヴェンの「第7」は、当時楽団史上最高の状態にあったベルリン・フィルの圧倒的な合奏力を駆使した重厚な指揮ぶりであり、切れば血が吹き出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れている。

フルトヴェングラーの名演のように、精神の高みを追求した深みのある演奏ではないが、音のドラマを極限まで追求した名演として、フルトヴェングラーの精神性の高い名演とは違った世界での頂点を極めた超名演と高く評価したい。

「春の祭典」は、まずは管楽器奏者の抜群の技量に圧倒される。

これがライヴ録音なんて信じられない。

弦楽合奏の厚みも桁外れのド迫力であり、こうしたベルリン・フィルの猛者を圧倒的な統率力で纏め上げていくカラヤンの凄さ。

しかも、技術偏重には陥らず、音色に妖気のようなものが漂っているところが見事であり、「春の祭典」の本質を射抜いた史上初の演奏と言っても過言ではないのではないか。

カラヤンのライヴ録音は、今後もいろいろと発掘されていくと思われるが、おそらくは、それらのライヴ録音によって、カラヤンの凄さがあらためて再認識されるのではないかと大いに期待している次第だ。

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classicalmusic at 22:49コメント(0)トラックバック(0)カラヤンストラヴィンスキー 

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これは素晴らしい超名演だ。

このうち、ラプソディ・イン・ブルーについてはバーンスタインによる旧盤(1958年)との優劣を比較することは困難を極めるが、それ以外の諸曲については、それぞれの楽曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、途轍もない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。

本盤に収められた楽曲はいずれも米国の作曲家によるものであり、それだけにバーンスタインの晩年の芸風がいずれもプラスに作用しているのではないだろうか。

ガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーについては、途轍もない超名演であった旧盤(1958年)と比較すると、テンポが遅くなるとともに濃厚な表情づけがなされているが、同曲特有の軽快なリズム感においてはいささかも損なっておらず、いい意味での円熟の名演に仕上がっていると言えるところであり、旧盤との優劣は容易にはつけられないのではないかと考えられる。

コープランドの2曲については、バーンスタインとしても自家薬篭中の作品であり、あたかも水を得た魚のような生命力溢れる力強さと濃厚な表情づけがうまくミックスされた素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

その演奏の彫りの深さなどを考慮すれば、今後ともこれ以上の演奏を成し遂げるのは困難を極めると言えるだろう。

バーバーの弦楽のためのアダージョは、おそらくは同曲演奏史上最も遅いテンポをとっているのではないかとも考えられるが、その濃厚で彫りの深い表現は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある名演である。

そして、自作自演でもある「キャンディード」序曲に至っては、まさにバーンスタインの独壇場。

同曲特有の躍動するようなリズム感と彫りの深い濃厚さが一体となった稀有の名演と言えるだろう。

音質については、従来盤でも十分に良好なものであったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

バーンスタインによる至高の超名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)バーンスタインガーシュウィン 

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本盤には、デュメイがピリスと組んでスタジオ録音を行った、フランク及びドビュッシーのヴァイオリンソナタ、そしてラヴェルのツィガーヌ等といった、フランスを代表するヴァイオリン曲が収められている。

いずれも、至高の超名演と高く評価したい。

デュメイのヴァイオリン演奏は超個性的だ。

持ち前の超絶的な技巧をベースに、緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、心を込め抜いた節回しや時として若干のアッチェレランドなどを交えつつ、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした演奏を展開しており、その情感豊かで伸びやかな表現は自由奔放で、なおかつ即興的と言ってもいいくらいのものである。

楽曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や生命力にも申し分のないような力強さが漲っており、かかる強靭さや繊細な抒情に至るまで、表現力の幅は桁外れに広い。

また、各フレーズに込められたフランス風のエスプリ漂う美しい情感は、いかにもフランス人ヴァイオリニストならでは瀟洒な味わいに満ち溢れており、デュメイの自由奔放とも言うべき即興的な超個性的演奏に、気品と格調の高さを付加しているのを忘れてはならない。

そして、このようなデュメイの個性的なヴァイオリン演奏をうまく下支えしているのがピリスのピアノ演奏である。

ピリスのアプローチは、各楽曲のフランス風の詩情に満ち溢れた旋律の数々を、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで美しく描き出していくというものだ。

その演奏は純真無垢とさえ言えるものであり、世俗の穢れなどはいささかも感じさせず、あたかも純白のキャンバスに水彩画を描いていくような趣きさえ感じさせると言えるだろう。

もちろん、柔和な表情を見せるのみならず、重厚な強靭さにおいてもいささかも不足はなく、いい意味での剛柔バランスのとれた名演奏を行っていると評価したい。

そして、このようなデュメイのヴァイオリンとピリスのピアノという両者の極上の名演奏が見事に融合した結果、おそらくは本盤に収められた各楽曲の演奏史上最も格調が高く、そしてフランス風のエスプリ漂う美しさの極みとも言うべき至高の超名演を成し遂げるに至ったのだと考える。

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classicalmusic at 00:40コメント(0)トラックバック(0)デュメイピリス 

2014年08月19日


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ここしばらくの間途絶えていたゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団によるショスタコーヴィチの交響曲チクルスであるが、15曲の交響曲の中で最大規模を誇る交響曲第7番が登場だ。

これまでのマリインスキー劇場管弦楽団の自主レーベルへの録音は、原則として、これまでゲルギエフが録音を行っていない交響曲に限定されていたところであるが、今般の交響曲第7番は、かつてフィリップスレーベル(現英デッカ)において録音を行った演奏(2001年)以来、11年ぶりの再録音ということになる。

当該フィリップス盤を評価する音楽評論家も結構多かったと記憶するが、筆者としては、ゲルギエフの指揮する際の特徴でもある細やかな指の動きを反映したかのような神経質さが仇となって、木を見て森を見ないような今一つ喰い足りない演奏であったと考えているところであり、あまり高い評価をしてこなかった。

ところが、本盤の演奏は、フィリップス盤とは段違いの素晴らしさである。

演奏時間でも、トータルで約4分近くも長くなっており、これは、ゲルギエフがいかに同曲に対して思い入れたっぷりに演奏しているかの証左ではないかとも考えられるところである。

ゲルギエフの指揮芸術の特質でもある細部への徹底した拘りは相変わらずであるが、フィリップス盤においては随所に施された個性的な解釈がいささかあざとさを感じさせ、それが演奏全体の造型を弛緩させてしまうという悪循環に落ちいっていた。

ところが、本演奏では、ゲルギエフならではの個性的解釈が、演奏全体の造型美をいささかも損なわない中においてなされており、フィリップス盤のようなあざとさ、わざとらしさ、大仰さを感じさせないのが素晴らしい。

第1楽章はなどは実にソフトに開始され、その後も鋭角的な表現が減じたように思われるが、ここぞという時の強靭な迫力にはいささかも不足はなく、むしろ懐の深い音楽を醸成し得るようになったゲルギエフの円熟ぶりを正当に評価することが必要であろう。

また、第3楽章については、演奏時間がフィリップス盤と比較して1分以上も伸びていることからもわかるように、ゲルギエフは本楽章の美しい旋律を心を込めて歌い抜いているが、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、格調の高さをいささかも失っていないのが素晴らしい。

終楽章は、逆に1分程度演奏時間が短くなっているが、それだけに畳み掛けていくような気迫や生命力がフィリップス盤以上に漲っており、終結部の壮絶な迫力は聴き手をノックアウトさせるだけの凄まじいものがある。

本演奏を聴くと、ゲルギエフのこの11年間の進境には著しいものがあると評価し得るところであり、今や名実ともに偉大な指揮者の仲間入りをしたと言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、ゲルギエフの近年の好調ぶりを如実に示すとともに、今後のショスタコーヴィチの交響曲の再録音(例えば、第4番、第5番、第6番、第8番、第9番)に大いに期待を抱かせるだけの内容を有した素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、マルチチャンネル付きのSACD盤であり、かつてのフィリップス盤と全く遜色のない、臨場感溢れる極上の高音質録音となっていることについても評価しておきたい。

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classicalmusic at 22:56コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチゲルギエフ 

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本盤には、ブーレーズがクリーヴランド管弦楽団とともにスタジオ録音(DG)したストラヴィンスキーの3大バレエ音楽のうち、「春の祭典」と「ペトルーシュカ」が収められている(「火の鳥」はシカゴ交響楽団との演奏)。

そして、「春の祭典」については、ブーレーズは本演奏も含め3度にわたって録音を行っている。

最初の録音はフランス国立放送交響楽団との演奏(1964年)であり、次いでクリーヴランド管弦楽団との演奏(1969年)があり、そして本演奏(1991年)へと続くことになる。

他方、「ペトルーシュカ」については、ブーレーズは本演奏も含め2度録音を行っており、本演奏(1991年)は、ニューヨーク・フィルとの演奏(1971年)に続くものである。

「春の祭典」については、何と言っても前述の1969年盤の衝撃が現在においてもなお忘れることができない当該演奏は徹頭徹尾、ブーレーズならではの個性が全開の快演であったと言える。

思い切った強弱の変化や切れ味鋭い強烈なリズムを駆使するなど、これ以上は求め得ないような斬新な解釈を施すことによって、ストラヴィンスキーによる難解な曲想を徹底的に鋭く抉り出しており、その演奏のあまりの凄まじさには戦慄を覚えるほどであった。

「ペトルーシュカ」についても、1971年盤は、まさに若き日の脂が乗り切ったブーレーズならではの先鋭的な超名演であった。

したがって、ブーレーズの個性が全開の圧倒的な超名演ということになれば、両曲ともに旧録音である1969年盤、1971年盤の方を第一に掲げるべきであると考えるが、本盤に収められた演奏も、それらの旧盤と比較するとインパクトは落ちるものの、立派な名演とは言えるのではないだろうか。

ブーレーズの芸風は、1990年代に入ってDGに自らのレパートリーを再録音するようになってからは、かつての前衛的なアプローチが影を潜め、すっかりと好々爺となり、比較的オーソドックスな演奏をするようになってきたように思われる。

もちろん、スコアリーディングについてはより鋭さを増しているものと思われるが、当該指揮によって生み出される音楽は比較的聴きやすいものに変容しており、これはまさしくブーレーズの円熟のなせる業ということになるのではないだろうか。

したがって、いわゆる普通の演奏になってしまっているとも言えるところであり、ブーレーズならではの強烈な個性が随分と失われてきているが、徹底したスコアリーディングに基いて、その精緻さをさらに突き詰めるとともに、豊かな情感をも加味した円熟の名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

ブーレーズの指揮の下、一糸乱れぬアンサンブルで鉄壁の名演奏を繰り広げたクリーヴランド管弦楽団にも大いに拍手を送りたい。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)ストラヴィンスキーブーレーズ 

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本盤には、ブラームスのヴァイオリン協奏曲と二重協奏曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤の演奏は1982年であるが、これはバーンスタインがウィーン・フィルを指揮してライヴ録音を行ったブラームスの交響曲全集とほぼ同時期のライヴ録音である。

バーンスタインの芸風は、1980年代になって大きく変容したと言えるのではないか。

かつてのニューヨーク・フィルの音楽監督時代には、いかにもヤンキー気質丸出しの爽快な演奏を行っていたが、1980年代に入ると、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風にはうまく適合する楽曲とそうでない楽曲があり、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏も目白押しであったように思われる。

ブラームスの交響曲全集についても、どちらかと言えば疑問符を付けざるを得ない点も散見されたところであるが、ウィーン・フィルの懐の深い音色が演奏を浅薄なものに陥るのを避けるための大きな防波堤になり、少なくとも佳演との評価は可能な演奏に仕上がっていたと言える。

ところが、本盤のヴァイオリン協奏曲の演奏においては、交響曲全集で聴かれた、極めて遅いテンポ、粘ったような曲想の進行、濃厚さの極みとも言うべき表情過多な表現などを駆使したバーンスタインの晩年の芸風が緩和され、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏を行っていると言えるところだ。

これには、クレーメルの清新とも言うべき現代的なセンスに満ち溢れたヴァイオリン演奏を尊重した結果によるところが大きいと言えるのではないだろうか。

クレーメルは、本演奏においてヴァイオリンを意図的に歌わせずに、あたかもピリオド奏法を思わせるような奏法を行っているが、かかる演奏は、1982年の演奏としては極めて斬新というほかはないと言えるだろう。

第1楽章のカデンツァにマックス・レーガーの作品を使用しているのも、いかにもクレーメルならではの現代的なセンスの表れとして評価したい。

このようなクレーメルの斬新とも言うべきヴァイオリン演奏を尊重するとともに、引き立て役に徹した結果として、バーンスタイン&ウィーン・フィルの演奏も、いわゆる中庸の美徳を備えた演奏に落ち着いたと言えるのはないかと考えられるところだ。

もちろん、そうは言っても、演奏の随所においては、バーンスタインがマーラーの交響曲の演奏で垣間見せるヒューマニティ溢れる熱き心で満たされていると言えるところであり、ウィーン・フィルによる美演ともども、クレーメルのとかく無慈悲で冷たくなりがちなヴァイオリン演奏に、適度の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏は、クレーメルによる現代的なセンスに満ち溢れた斬新なヴァイオリン演奏、そしてバーンスタイン&ウィーン・フィルによる人間的な温もりのある美演が見事に融合した素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

他方、二重協奏曲は、マイスキーの雄弁で人間味溢れるチェロ演奏が加わるとともに、クレーメルがマイスキーのチェロ演奏に合わせることによって自らの個性を若干なりとも抑制したヴァイオリン演奏を行っていることから、ヴァイオリン協奏曲と比較すると、前述のようなバーンスタインの晩年の芸風がより色濃く反映された演奏に仕上がっていると言えるところだ。

したがって、バーンスタインの体臭がふんぷんとしている演奏とも言えるところであり、これは好き嫌いが明確に分かれる演奏であるとも言えるのかもしれない。

もっとも、ウィーン・フィルによる懐の深い美演が演奏全体に適度の潤いを与えているのを忘れてはならないところであり、マイスキーやクレーメルの渾身の名演奏も踏まえて総合的に勘案すれば、本演奏を素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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classicalmusic at 00:29コメント(0)トラックバック(0)チョン・キョンファマイスキー 

2014年08月18日


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本盤に収められたホルストの組曲「惑星」は、カラヤンによる2度目のスタジオ録音である。

最初の録音は1961年であり、ウィーン・フィルとの演奏であった。

したがって、本盤の演奏はそれから20年後の新録音ということになる。

1981年と言えば、カラヤン&ベルリン・フィルという、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビが最後の輝きを見せた時期に相当する。

翌年にはザビーネ・マイヤー事件が勃発し、この黄金コンビには修復不可能な亀裂が生じることに鑑みれば、本演奏は、この黄金コンビの究極の到達点を反映していると言えるのではないか。

実際に、カラヤンの伝記などを紐解くと、ベルリン・フィルの団員は、本盤のスタジオ録音前は、組曲「惑星」を相当に見下していたということである。

ところが、練習時におけるカラヤンの真摯な姿勢を見て、団員は同曲に対する見方をあらため、それからは真剣に練習に取り組んだということであり、その意味でも、本演奏は、カラヤン、そしてベルリン・フィルが真剣勝負で挑んだ、この黄金コンビの究極の到達点に相応しい名演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

この黄金コンビは、とりわけ1960年代〜1970年代にかけて、ベルリン・フィルの鉄壁のアンサンブルや超絶的な技量をベースに、カラヤンが流麗なレガートを施し、重厚にして華麗ないわゆるカラヤン・サウンドを醸成していた。

そしてこのいわゆるカラヤン・サウンドを駆使した演奏は、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言えるだろう。

本盤の演奏でも、そうした圧倒的な音のドラマは健在であり、おそらくは同曲の演奏史上でも最も重厚にして華麗な名演と言ってもいいのではないだろうか。

しかしながら、同曲に特有のイギリス音楽ならではの詩情の豊かさと言った点においては、いささかカラヤン・サウンドによって犠牲を強いられた感も無きにしも非ずであり、そうしたイギリス的な詩情の豊かさや、同曲を一大人気曲に伸し上げることに貢献したという意味においては、筆者としてはウィーン・フィルとの旧盤の方をより上位の名演に掲げたいと考える。

もっとも、本演奏についても、前述のように、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが構築し得た究極の音のドラマとして、十分に存在価値のある素晴らしい名演であると高く評価したい。

音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、従来CD盤でも十分に良好な音質であったが、今般のSHM−CD化によって、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

いずれにしても、カラヤンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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指揮者ギュンター・ヴァント生誕100年、没後10年(2011年時)特別企画盤で、北ドイツ放送交響楽団との伝説ライヴを収録。

あまりの立派な演奏ぶりにくぎ付けになる演奏で、明確なリズムが堂々たる格調を醸し出し、合唱の弱音部も精妙さの極み、驚かされる。

第1部のダンスの低音部の重厚さは北ドイツ放送響ならではで、バリトンのペーター・ビンダーもF=ディースカウばりの熱唱、曲が進むにつれ興奮させられる。

定評高いヨッフム盤とならぶドイツ本流のオルフと言えるところであり、ヨッフム盤にないリズムのキレ、緊迫感、厳格なアプローチがみられる。

ギュンターヴァントは現代音楽の紹介者としても有名であったが、特にウェーベルンやツィンマーマンの解釈では他から一線を画するものを持っていた。

またフォルトナーも含め、第2次世界大戦前後の作曲家いわゆる「現代音楽」というものが名実ともに、世をはばかることなく「現代音楽」と言えた時代の作品をコンサートでも取り上げていた。

そしてヴァントにとって忘れられない作曲家はストラヴィンスキーとバルトークである。

さて、オルフについてはどのような評価になるのかと今回CDを聴いて驚いたのは、ヴァントのスケールの大きさである。

もちろん大変なリハーサルを乗り越えてステージに上がらせているわけだから演奏の質は高い。

ピアノも抜群に上手く、この作品はピアノ伴奏の合唱音楽のようなところもあるぐらいだからピアノがまずいと話にならないが、とても達者である。

それ以上に健闘して、やってくれているのが独唱と合唱で、久々に聴かせてくれた。

バリトンの「In Taberna: Ego Sum Abbas」は奮闘しており、スピーカーから唾が飛んでくるかのような雄叫びである。

その後の合唱「In Taberna Quando Sumus」が見事に接合し、阿鼻叫喚の場を演出し、そこに本当に酒飲んで狂乱状態の人がいるかのような臨場感である。

バリトンのビンダーは高音もきれいだし、大変な使い手と言えるところであり、この人の声と表現にヴァントも楽しんでいるんじゃないかと思わせるほどで、どこかで彼の音楽性にヴァントが任せているような感じもする。

このバリトンは全体を牽引する力も持っており、合唱も素晴らしく、本当に人間がうごめくように自然に声が動く。

これは曲が進むにつれて次第に音楽自体が熱を帯びてくると合唱がいい意味で図に乗ってくる。

「Tempus Est Iocundum」もなかなか聴けない調子の良さで、その後のソプラノの独唱も素晴らしい。

そしてヴィーナスを讃えた後の「Fortuna Imperatrix Mundi:O Fortuna」の落とし方も驚異と納得ではないだろうか。

徹底的に練習をして我が物にし、そして自由になった演奏の空間を垣間見る思いがする。

録音がまた鮮烈極まりなく、ヴァントの指揮ぶりを際立たせている。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)オルフヴァント 

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スペイン生まれの{ピアノの女王}ラローチャの貫禄十分の演奏に聴き惚れてしまうアルバムだ。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、ホロヴィッツ盤をきっかけに虜になり、半年くらいかけて、ギレリスやアシュケナージなど、様々な演奏を聴き比べてみた。

女流では、アルゲリッチ盤が、エネルギーの結晶のような演奏内容で、あれほどの演奏は、よほどの気力が充実していなければ難しい。

なぜ、ここでアルゲリッチの話をするのかというと、それは、ラローチャの演奏が、アルゲリッチ盤と対極をなすものと感じたからだ。

ラフマニノフの第3番において、アルゲリッチの演奏は、攻撃的・挑戦的かつスリリングだ。

それは第2楽章から第3楽章へブリッジを架ける部分および、第3楽章のコーダにおいて顕著に表出されている。

展開する直前、鋭い視線で指揮者に突撃の「のろし」をあげ、一気に攻め込む、といった感じであろうか、聴いた後の爽快感は、ほかに類を見ない。

そのようなアルゲリッチの演奏に対し、ラローチャの演奏は、どうだろうか。

最初にこれを聴いてしまうと、恐らく退屈な演奏に感じてしまうだろう。

しかし、これは決して、退屈な演奏ではなく、優雅と解釈するべき演奏内容なのだ。

それと同時に、スペイン女性が持つ気丈さ、芯のある粘り強さを感じさせてくれる。

ところで、ラローチャは、意外と小柄な女性らしいが、威風堂々のジャケット写真はそれを感じさせない。

ジャケットの衣装は、錦鯉を彷彿させる色合いに見えないだろうか。

難解なパッセージを優雅にかわす様子は、たとえるなら優雅に池を泳ぐ錦鯉だろう。

ラローチャは小柄だからラフマニノフを弾く人だとは思われていないが、演奏の端正さと表現力、技法でこれだけ弾ける人は滅多にいない。

フランクの交響的変奏曲も、貫禄十分の名演奏で、ラフマニノフもフランクも凄い勢いで弾きこなしている。

最後に、ラローチャは{ピアノの女王}と呼ばれているが、すでに相当の高齢であり、次のピアノの女王は、果たして誰になるのか、興味がつきないところだ。

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classicalmusic at 00:50コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフフランク 

2014年08月17日


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アシュケナージについては、とある高名な音楽評論家による悪意さえ感じさせる罵詈雑言によって不当に貶められているが、ラフマニノフの演奏については、指揮者としてもピアニストとしても、他の追随を許さないような素晴らしい名演の数々を成し遂げてきていると言えるところだ。

同じくロシア人であるということに加えて、旧ソヴィエト連邦からの亡命を図ったという同じような境遇が、アシュケナージのラフマニノフに対する深い共感に繋がっていると言えるのかもしれない。

アシュケナージは、ピアノ協奏曲史上最高の難曲とも称されるピアノ協奏曲第3番を4度にわたってスタジオ録音している。

本盤の1963年の演奏は、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した翌年のデビューしたばかりの頃のものであるが、その後は、プレヴィン&ロンドン交響楽団とともに行ったスタジオ録音(1971年)、オーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団とともに行ったスタジオ録音(1975年)、そしてハイティンク&コンセルトヘボウ・アムステルダムとのスタジオ録音(1984年)と続いているところだ。

いずれ劣らぬ名演であるが、この中で、畳み掛けるような気迫と強靭な生命力を有した演奏は、本盤の最初の録音であると考えられるところだ。

前述のように、チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、飛ぶ鳥落とす勢いであったアシュケナージの好調ぶりを窺い知ることが可能な演奏とも言えるところであり、そのなりふり構わぬ音楽の進め方には、現在の円熟のアシュケナージには考えられないような、凄まじいまでの迫力を感じさせる。

オーケストラは、チャイコフスキーのバレエ音楽の名演で名高いフィストゥラーリの指揮によるロンドン交響楽団であるが、若きアシュケナージのピアノ演奏をしっかりと下支えするとともに、同曲の有するロシア風のメランコリックな抒情を情感豊かに表現しているのが素晴らしい。

併録のラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番は、ラフマニノフを得意としたアシュケナージとしては意外にも唯一の録音であるが、ピアノ協奏曲第3番と同様に、演奏の根源的な迫力や畳み掛けていくような気迫、強靭な生命力などにおいて見事な演奏に仕上がっており、グリモーなどによる名演も他には存在しているが、本演奏を同曲の最高の名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

本盤の演奏は、いずれもアナログ期の録音ではあるが、さすがは英デッカとも言うべき極めて鮮明で極上の高音質を誇っている。

そして、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされることによって、これ以上は求め得ないような圧倒的な高音質に進化したところだ。

音質の鮮明さ、音圧、音場の拡がりのいずれをとっても圧倒的であり、とりわけアシュケナージのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であるとさえ言える。

いずれにしても、アシュケナージ、そしてフィストゥラーリ&ロンドン交響楽団による素晴らしい名演を、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CDという現在求め得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:21コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフアシュケナージ 

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フォーレのレクイエムはコルボの代名詞と言っても過言ではない楽曲であると言えるところであり、本演奏を皮切りとして、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルとの演奏が1992年と2005年(東京でのライヴ録音)の2種、そして、ローザンヌ声楽アンサンブル、シンフォニア・ヴァルソブィアとの演奏(2006年)の合計で4種類の録音が行われているところだ。

同曲を深く愛するとともに、その内容を知り尽くしているコルボによる演奏だけに、これら4種の演奏はいずれ劣らぬ名演であると言えるが、この中で1つを選べと言われれば、筆者は躊躇なく本演奏を掲げたいと考えている。

フォーレのレクイエムは、いわゆる3大レクイエムの中でも最も静謐さを信条とする作品である。それ故に、モーツァルトやヴェルディのレクイエムにおいて比類のない名演を成し遂げた大指揮者が、同曲を一切演奏・録音しないケースも散見される(カラヤン、ショルティなど)が、それだけ同曲の演奏には困難が伴うと言えるのではないだろうか。

いわゆる大オーケストラ用に書き換えられた第3稿の1900年版(本盤の演奏)にしても、オーケストラパートは極めて慎ましやかに作曲されていることから、同曲においては、静謐にして崇高な世界をいかに巧みに描出出来るのかにその演奏の成否がかかっていると言えるだろう。

コルボの同曲へのアプローチは、いずれも楽想を精緻に丁寧に描き出していくというものだ。

奇を衒ったところは皆無であり、音楽そのものを語らせると言う真摯かつ敬虔な姿勢に徹しているとさえ言える。

もっとも、一聴すると淡々と流れていく各フレーズの端々には、独特の細やかな表情づけや万感の思いを込めた情感が滲み出しており、コルボの同曲への傾倒と深い愛着の気持ちを感じることが可能だ。

そして、本演奏が、他の3種の演奏と異なるのは、独唱にボーイ・ソプラノを起用するとともに、合唱団にも少年合唱を主体とするサン・ピエール・オ・リアン・ド・ビュル聖歌隊を起用していることであろう。

かかる少年による天国的な美しさを誇る純真な美声は、本演奏の静謐さ、崇高さを更に助長するのに大きく貢献している。

女声合唱や通常のソプラノを起用した同曲の名演としては、クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団ほかによる歴史的な名演(1962年)が随一のものとして掲げられるが、本盤に収められた演奏は、同曲の静謐な崇高さをより極めたものとして、クリュタンス盤と並ぶ至高の超名演と高く評価したい。

音質は、1972年のセッション録音ではあるが、従来盤でも比較的満足できる音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることになった。

静謐な同曲の魅力が見事に再現されることになっており、音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりである。

いずれにしても、ミシェル・コルボによる至高の超名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 20:45コメント(0)トラックバック(0)フォーレ 

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スペイン風の情感に満ち満ちた珠玉の超名演だ。

スペインの盲目の作曲家ロドリーゴは、勇壮華麗なバレエ音楽などで知られるファリャなどとは異なり、情緒豊かなギターのための有名な協奏曲を作曲したことで知られる。

中でも、本盤に収められたアランフェス協奏曲とある貴紳のための幻想曲は、ロドリーゴ、引いてはスペイン、そしてギターのための協奏曲を代表する2大名曲とも評されているところだ。

前世期最高のギタリストの呼び声の高いイエペスは、これら両曲を十八番としていたが、その中でも最も優れた名演は、本盤に収められた1970年代後半に、ナヴァッロと組んでスタジオ録音を行った演奏であると言えるのではないだろうか。

それにしても演奏は実に素晴らしい。

イエペスのギタリストとしての技巧は申し分がない。

どんな難所に差し掛かっても、難なく弾きこなしており、さすがは前世期最高のギタリストだけのことはある。

ただ、イエペスの演奏は単に技巧一辺倒にはいささかも陥っていない。

イエペスは、ロドリーゴならではのスペイン風の若干哀愁に満ち溢れた旋律の数々を心を込め抜いて歌い抜いているところである。

それでいて、いささかもお涙頂戴の陳腐なロマンティシズムに陥っておらず、常に格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

このように、イエペスによる本演奏は、いい意味での剛柔のバランスがとれているとも言えるところであり、その意味ではそれぞれの楽曲の演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

加えて、ガルシア・ナヴァッロ指揮のフィルハーモニア管弦楽団、イギリス室内管弦楽団も、イエペスのギター演奏をしっかりと引き立てるとともに、スペイン風の情緒溢れる見事な演奏を成し遂げていると評価したい。

いずれにしても、アランフェス協奏曲やある貴紳のための幻想曲には、様々なギタリストによって様々な名演が成し遂げられてきているが、本盤の演奏を、それぞれの楽曲の最高の超名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、1977年及び1979年の録音ということもあって従来CD盤でも比較的良好な音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の拡がりのどれをとっても一級品の仕上がりであり、とりわけ、イエペスによるギター演奏が鮮明に再現されるなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、イエペス、そしてガルシア・ナヴァッロ指揮のフィルハーモニア管弦楽団、イギリス室内管弦楽団による至高の超名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年08月16日


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ベルリン・フィルは、名人揃いの世界最高峰のオーケストラだけに、芸術監督に就任する指揮者も、各奏者を掌握するための苦労は並大抵のものではない。

カラヤンも、就任当初はフルトヴェングラー時代の重鎮奏者に手を焼き、自分の理想の演奏を行えるようになったのは、芸術監督に就任して約10年後の1960年代に入ってからであると言われている。

それだけ、ベルリン・フィルという稀代のオーケストラを掌握するのに相当の時間がかかるということであるが、これは、現在の芸術監督のラトルにも言えることであり、ラトルがベルリン・フィルとともに名演奏の数々を行うようになったのも、2010年代に入ってからで、2002年の就任後、約10年の期間を要している。

ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督として長期政権が予測されることから、今後はベルリン・フィルとの間で理想の演奏を成し遂げていくことは想像するに難くない。

しかしながら、アバドがベルリン・フィルの芸術監督をつとめていたのは1990年〜2002年のわずか12年間。

これでは、カラヤンのオーケストラを自らのオーケストラとして掌握するにはあまりにも時間がなさ過ぎたと言えるだろう。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前には、ロンドン交響楽団とともに圧倒的な名演奏を成し遂げていた気鋭の指揮者であったアバド。

そのアバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後、借りてきた猫のような大人しい演奏に終始するようになってしまった。

カラヤン時代に、力の限り豪演を繰り広げてきたベルリン・フィルも、前任者と正反対のアバドの民主的な手法には好感を覚えたであろうが、演奏については、大半の奏者が各楽器セクションのバランスを重視するアバドのやり方に戸惑いと欲求不満を感じたのではないか。

そのようなアバドが、ベルリン・フィルを掌握して、いかにもアバドならではの名演を繰り広げるようになったのは、皮肉にも胃癌を克服した2000年代に入ってから。

まさに、ベルリン・フィルの芸術監督退任直前のことであった。

退任後に、ベルリン・フィルとともに時として行われる演奏の数々が見事な名演であることに鑑みれば、アバドももう少しベルリン・フィルの芸術監督にとどまるべきであったのではないかとも思われるが、このあたりも、いかにもポストに固執しないアバドらしいとも言える。

いずれにしても、歴代の芸術監督の中でも、必ずしもベルリン・フィルとの関係が順風満帆とはいかなかったアバドではあるが、それでも、いくつかの演奏では、さすがはアバドとも賞賛されるべき名演を成し遂げていた。

その名演の中でも代表格の一つと言えるのが、本盤に収められたメンデルスゾーンの交響曲第4番と劇音楽「真夏の世の夢」であると言えるだろう。

アバドは、メンデルスゾーンの交響曲第4番をロンドン交響楽団とともに1967年、1984年の2度にわたってスタジオ録音を行うとともに、劇音楽「真夏の夜の夢」序曲を1984年にスタジオ録音しており、それらはいずれも素晴らしい名演であったが、本盤に収められた演奏は、これらの過去の演奏を大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。

1995年のジルヴェスター・コンサートでのライヴ録音でもあり、演奏全体の生命力あふれる燃焼度の違いもあるのかもしれないが、大人しい演奏に終始していた当時のアバドとしても突然変異的な超名演であり、これはアバドが、とりわけ交響曲第4番の表題でもあるイタリア人ということもあると思われるが、いかにメンデルスゾーンのこれらの楽曲に対して深い愛着と理解を示していたことの証左であるとも言える。

さすがに、トスカニーニの交響曲第4番の超名演(1954年)の域には達していないが、演奏全体に流れる歌謡性豊かな情感は、音質の良さも相俟って、トスカニーニの演奏よりも若干上位に掲げられても不思議ではないとも言えるだろう。

劇音楽「真夏の世の夢」も、オペラにおいて数々の名演を成し遂げてきたアバドならではの聴かせどころのツボを心得た名演であり、まさに、本盤の両曲の演奏は、アバドのベルリン・フィル時代を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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classicalmusic at 22:48コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンアバド 

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昨年(2011年)はベームの没後30年に当たるにもかかわらず、それを記念したCDの発売は、今月末発売のユニバーサルからのシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤3点の発売以外には見当たらないところだ。

それでも、我が国においては今もなお熱心なベームファンは存在しているが、本場ヨーロッパでは殆ど忘れられた存在であると聞いている。

生前はオーストリアの音楽総監督やウィーン・フィルの名誉指揮者の称号が与えられ、世代はかなり違うものの当時のスーパースターであったカラヤンのライバルとも目された大指揮者であったにしては、今日の知る人ぞ知る存在に甘んじている状況は極めて不当で残念と言わざるを得ない。

このように、ベームの存在がますます忘れられつつある中においても、おそらく今後とも未来永劫、その価値を失うことがないと思われるCDが存在する。

それこそはまさに、本盤に収められたベルリン・フィルとともにスタジオ録音(1959〜1968年)を行ったモーツァルトの交響曲全集であると考える。

ベームは、モーツァルトを得意とし、生涯にわたって様々なジャンルの楽曲の演奏・録音を行い、そのいずれも名演の誉れが高いが、その中でも本全集は金字塔と言っても過言ではない存在である。

近年では、モーツァルトの交響曲演奏は、小編成の室内オーケストラによる古楽器奏法や、はたまたピリオド楽器の使用による演奏が主流であり、本演奏のようないわゆる古典的なスタイルによる全集は、今後とも2度とあらわれないのではないかとも考えられるところだ。

同様の古典的スタイルの演奏としても、ベーム以外にはウィーン・フィルを指揮してスタジオ録音を行ったレヴァインによる全集しか存在しておらず、演奏内容の観点からしても、本ベーム盤の牙城はいささかも揺らぎがないものと考える。

本全集におけるベームのアプローチは、まさに質実剛健そのものであり、重厚かつシンフォニックな、そして堅牢な造型の下でいささかも隙間風の吹かない充実した演奏を聴かせてくれていると言えるだろう。

ベームの指揮は、1970年代後半に入ると、持ち味であるリズム感に硬直が見られ、テンポが極端に遅い重々しい演奏が増えてくるのであるが(最晩年にウィーン・フィルと録音したモーツァルトの後期交響曲集はこうした芸風が顕著にあらわれている)、本演奏においてはいまだ全盛期のベームならではの躍動的なリズム感が支配しており、テンポも中庸でいささかも違和感を感じさせないのが素晴らしい。

ベルリン・フィルも、この当時はいまだカラヤン色に染まり切っておらず、フルトヴェングラー時代の名うての奏者が数多く在籍していたこともあって、ドイツ風の音色の残滓が存在した時代でもある。

したがって、ベームの統率の下、ドイツ風の重心の低い名演奏を展開しているというのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

このような充実した重厚でシンフォニックな演奏を聴いていると、現代の古楽器奏法やピリオド楽器を使用したこじんまりとした軽妙なモーツァルトの交響曲の演奏が何と小賢しく聴こえることであろうか。

本演奏を、昨今のモーツァルトの交響曲の演奏様式から外れるとして、大時代的で時代遅れの演奏などと批判する音楽評論家もいるようであるが、我々聴き手は芸術的な感動さえ得られればそれでいいのであり、むしろ、軽妙浮薄な演奏がとかくもてはやされる現代においてこそ、本演奏のような真に芸術的な重厚な演奏は十分に存在価値があると言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本全集は、モーツァルトの交響曲全集の最高の超名演であるとともに、今後とも未来永劫、その存在価値をいささかも失うことがない歴史的な遺産であると高く評価したい。

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ザンデルリンクによるブラームスの交響曲全集と言えば、後年にベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行った名演が誉れ高い。

当該全集の各交響曲はいずれ劣らぬ名演であったが、それは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポをベースとしたまさに巨匠風の風格ある演奏であり、昨年、惜しくも逝去されたザンデルリンクの代表盤にも掲げられる永遠の名全集とも言える存在であると言えるところだ。

ザンデルリンクは、当該全集の約20年前にもブラームスの交響曲全集をスタジオ録音している。それこそが、本盤に収められた交響曲第3番を含む、シュターツカペレ・ドレスデンとの全集である。

前述のベルリン交響楽団との全集が、押しも押されぬ巨匠指揮者になったザンデルリンクの指揮芸術を堪能させてくれるのに対して、本全集は、何と言っても当時のシュターツカペレ・ドレスデンの有していた独特のいぶし銀とも言うべき音色と、それを十二分に体現しえた力量に最大の魅力があると言えるのではないだろうか。

昨今のドイツ系のオーケストラも、国際化の波には勝てず、かつて顕著であったいわゆるジャーマン・サウンドが廃れつつあるとも言われている。

奏者の技量が最重要視される状況が続いており、なおかつベルリンの壁が崩壊し、東西の行き来が自由になった後、その流れが更に顕著になったと言えるが、それ故に、かつてのように、各オーケストラ固有の音色というもの、個性というものが失われつつあるとも言えるのではないか。

そのような中で、本盤のスタジオ録音がなされた1970年代のシュターツカペレ・ドレスデンには、現代のオーケストラには失われてしまった独特のいぶし銀の音色、まさに独特のジャーマン・サウンドが随所に息づいていると言えるだろう。

こうしたオーケストラの音色や演奏において抗し難い魅力が存在しているのに加えて、ザンデルリンクの指揮は、奇を衒うことのない正統派のアプローチを示している。

前述の後年の全集と比較すると、テンポなども極めてノーマルなものに落ち着いているが、どこをとっても薄味な個所はなく、全体の堅牢な造型を保ちつつ、重厚かつ力強い演奏で一貫していると評しても過言ではあるまい。

むしろ、このような正統派のアプローチを行っているからこそ、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な音色、技量が演奏の全面に描出されていると言えるところであり、本演奏こそはまさに、ザンデルリンク、そしてシュターツカペレ・ドレスデンによる共同歩調によった見事な名演と高く評価したい。

併録のハイドンの主題による変奏曲も、この黄金コンビならではの素晴らしい名演だ。

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2014年08月15日


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ショルティは先輩格のカラヤンと同様に、極めて広範なレパートリーを誇っており、数多くのレコーディングを行ったところであるが、意外な有名曲の録音をなかなかしなかったということがあった。

例えば、ブラームスの交響曲全集については、1977年〜1979年になって漸く初録音したところであるし、本盤に収められたドヴォルザークの交響曲第9番に至っては、70歳を過ぎた1983年になって初めて録音を行ったところだ。

その理由は定かではないが、ブラームスの交響曲全集と同様に、まさに満を持して録音に臨んだだけに、ショルティの名声をいささかも傷つけることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

同曲におけるショルティのアプローチは、例によって強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。

それでいて、1980年代に入ってショルティの指揮芸術にも円熟の境地とも言うべきある種の懐の深さ、奥行きの深さが付加されてきたところであり、本演奏にもそうした点が如実にあらわれている。

要は、ショルティを貶す識者が欠点と批判してきた力づくとも言うべき無機的な強引さが本演奏においては影を潜め、いかなる最強奏の箇所に至っても、懐の深さ、格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

スケールも雄渾の極みと言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれたスケール雄大な演奏というのが本演奏の特質と言えるのかもしれない。

同曲の演奏において、チェコの民族色に満ち溢れた情感豊かさを希求する聴き手にとっては、いささか期待外れとの批判も寄せられるのではないかとも思われるが、例えば第1楽章の呈示部の繰り返しなども忠実に行うなど、同曲の絶対音楽としての魅力を十分に堪能させてくれる本演奏に対しては、文句は言えないのではないかと考えられるところだ。

そして、本演奏においてさらに素晴らしいのはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

ショルティの指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献していることを忘れてはならない。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ルビジウム・クロック・カッティングによって更に鮮明さが増したと言える。

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本盤はダイレクトカットによるSACD盤であるが、筆者の財力からするとあまりにも高額であり、おそらくは今後も未聴であると思われる。

以下に記すレビューは、現在は廃盤であり中古CD店でしか手に入らないが、かつて発売されていたシングルレイヤーによるSACD盤についてのレビューであることを冒頭に記しておきたい。

当該盤は、SACDの音質の素晴らしさ、とりわけオクタヴィアによる初期のSACD盤(シングルレイヤーによるSACD盤)の極上の高音質を堪能することが可能な名SACDであった。

アシュケナージによるR・シュトラウスによる管弦楽曲集については、他にもチェコ・フィルとともに演奏を行った、交響詩「ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」や交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」等を収めた盤(1998年)が発売(マルチチャンネル付きのシングルレイヤーによるSACD盤で発売)されており、それは素晴らしい名演であったが、本盤の演奏もそれに優るとも劣らない名演と評価したい。

アシュケナージは指揮者としてもピアニストとしても一流の存在であるが、その評価については賛否両論がある。

楽曲の聴かせどころのツボを心得た演奏をするとともに、表情づけなどの巧みさにおいても申し分がないアシュケナージであるが、とある影響力の大きい某音楽評論家を筆頭に、アシュケナージを貶す者からすれば、かかる芸風は、楽曲の内容への追求度が甘いとか、はたまた甘口で厳しさが足りないなどと言った批判に繋がるものと考えられるところだ。

確かに、アシュケナージの芸風に不向きな楽曲があるのは事実であろう。

ベートーヴェンやブラームスの交響曲などの演奏においては、アシュケナージの演奏の場合、美しい演奏ではあるが今一つ踏み込み不足の感が否めないと言えるところだ。

しかしながら、ラフマニノフやチャイコフスキーなどの交響曲や協奏曲などにおいては、他の大指揮者や大ピアニストとも互角に渡り合えるだけの名演を成し遂げており、筆者としては、アシュケナージの芸風を甘口などと言って、その一切を否定してしまうという見解には全く賛成し兼ねるところである。

それはさておき、本盤に収められたR・シュトラウスの管弦楽曲についても、アシュケナージの芸風に適合する楽曲と言えるのではないだろうか。

本演奏の特徴を一言で言えば、楽曲の魅力をダイレクトに表現した自然体の演奏ということになるのではないかと考えられる。

本演奏においては、特別な個性などは全く存在していない。

奇を衒うことなど一切排して、ただただ音楽そのものを語らせる演奏に徹しているとさえ言える。

前述のような、楽曲の聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さも見事に功を奏しており、表情づけの巧みさや各楽器セクションのバランスの良い鳴らし方なども相俟って、R・シュトラウスによるこれらの各楽曲の美しさ、魅力を、安定した気持ちで心行くまで満喫することが可能な演奏に仕上がっているとも言えるだろう。

加えて、チェコ・フィルの弦楽合奏をはじめとした豊穣な音色や、特に、交響詩「ドン・キホーテ」におけるマイスキーによる人間味溢れるチェロ演奏が、演奏全体に独特の潤いと温もりを付加するのに大きく貢献していることも忘れてはならない。

いずれにしても、かつて発売されていたシングルレイヤーによるSACD盤は、演奏内容が優れていることに加えて、シングルレイヤーによるSACDによる極上の鮮明な高音質録音であることに鑑みれば、これまでの様々な指揮者によるR・シュトラウスの管弦楽曲集の中でも上位を占める名盤であると高く評価したい。

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