2014年08月

2014年08月15日


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今や現代を代表する大指揮者となったインバルの新譜はどれも注目で聴き逃すことができない。

既にマーラーの交響曲を軸として、ショスタコーヴィチなどの交響曲の名演を東京都交響楽団やチェコ・フィルとともに再録音しており、そのいずれもが旧録音を超える圧倒的な名演となっていた。

ブルックナーの交響曲についても、既に第5番及び第8番という最も規模の大きい交響曲を東京都交響楽団と再録音している。

いずれもフランクフルト放送交響楽団との演奏を上回る名演であり、インバルが、マーラーとブルックナーの両方の交響曲の演奏を得意とする稀有の指揮者であることを見事に証明していたと言えたところだ。

そして、今般、ブルックナーの交響曲チクルスの第3弾として、満を持して人気交響曲である交響曲第7番が登場した。

とにかく素晴らしい名演。

これ以上の言葉が思い浮かばないほどの至高の超名演と言えるだろう。

同曲は、かの朝比奈隆がブルックナーの最も優美な交響曲と称したが、インバルも、第1楽章冒頭の弦楽による繊細な響きからして、かの聖フローリアン教会の自然の中のそよ風のような雰囲気が漂う。

その後も、同曲特有の美しい旋律の数々を格調高く歌い上げていく。

それでいて、線の細さなどはいささかもなく、トゥッティにおいてはブラスセクションをしっかりと響かせるなど強靭な迫力にも不足はなく、骨太の音楽が構築されている。

このあたりの剛柔の的確なバランスは、インバルによるブルックナーの交響曲演奏の真骨頂とも言うべき最大の美質と言えるだろう。

そして、インバルによる本演奏は、朝比奈やヴァントなどが1990年代以降に確立した、今日ではブルックナーの交響曲演奏の規範ともされている、いわゆるインテンポを基調とした演奏には必ずしも固執していない。

第3楽章や第4楽章などにおいても顕著であるが、演奏全体の造型美を損なわない範囲において、若干ではあるが効果的なテンポの振幅を加えており、ある種のドラマティックな要素も盛り込まれていると言えるところだ。

それにもかかわらず、ブルックナーの交響曲らしさをいささかも失っていないというのは、インバルが、同曲の本質を細部に渡って掌握しているからに他ならないと言うべきである。

また、本演奏において特筆すべきは、東京都交響楽団の抜群の力量と言えるだろう。

本年発売されたショスタコーヴィチの交響曲第4番においてもそうであったが、弦楽器の厚みのある響き、そしてブラスセクションの優秀さは、とても日本のオーケストラとは思えないほどの凄味さえ感じさせる。

いずれにしても、本盤の演奏は、今や世界にも冠たる名コンビとも言うべきインバル&東京都交響楽団による圧倒的な超名演と高く評価したい。

録音も超優秀で、SACDによる鮮明にして臨場感溢れる極上の高音質は、本盤の価値をより一層高めることになっているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 00:33コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーインバル 

2014年08月14日


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本盤には、鬼才グールドが1970年代初めにスタジオ録音したバッハのフランス組曲が収められているが、いかにもグールドならではの個性的な名演と高く評価したい。

フランス組曲は、比較的長い楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤のフランス組曲の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 22:58コメント(0)トラックバック(0)バッハグールド 

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バーンスタインのベートーヴェン全集(旧盤)は異様な充実感が全体を貫いている。

そして、この演奏は良くも悪くもバーンスタイン臭の充満した演奏である。

例えば「エロイカ」の第1楽章で、速めのテンポで畳み掛けながら緊張を緩めまいとしている点に、そうしたことが言える。

それにリズム感が異質だ。

これは、全体を通して言えることだから、明らかにこのリズム感はバーンスタインその人のリズム感である。

「第5」では、誰もがまず、テンポが極度に抑制されている、と気づくだろう。

もちろんバーンスタインはそのテンポを最後まで見事に維持している。

彼は恣意的になることを巧みに避け、主観的な要素さえも極力抑え、その意味では演奏の進め方は、まことに慎重である。

解釈者としての彼の力は、意外なところで余すところなく発揮されているのである。

「田園」は個性的な表現で、音楽が楽天的と言えるほどよく弾んでいる。

ドイツの伝統的な解釈とは異なる現代的な表現と言えるが、作品に共感した真実性は高く評価したい。

「第9」は劇的で起伏の激しい、主張の明快な演奏である。

もちろん、バーンスタインはこの巨大な作品の伝統的な演奏様式を十分に知った表現で、例えばトスカニーニのように徹底した解釈ではないが、それでも第1楽章の劇的な推進力や第3楽章の腰の強い表現など、バーンスタイン以外の何者でもない。

終楽章は各部分が的確な表現であり、楽想をくっきりと描いている。

独唱と合唱も見事だ。

「フィデリオ」序曲と「レオノーレ」序曲第3番も、バーンスタインの自己主張が強いが、それが作品の求める様式と一致しないところがあるのは惜しまれる。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンバーンスタイン 

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ワルターの女性美がこれほど前面に押し出された演奏も少ないだろう。

曲が男性的な迫力に満ちたものだけにいっそう目立つ。

彼はティンパニや金管を極端に抑え、木管の色彩を排除し、ダイナミズムの角をことごとくすりつぶして、スケールの小さいロマンの世界を明滅させるのだ。

両端楽章のどこにも劇的な力みが見られず、陶酔的なまでに柔らかく、上品でエレガントである。

ブラームスの指定したアクセントまで無視して流麗に運んでしまう。

終楽章のコーダに入る直前、この最高の盛り上がりにおいて、むしろディミヌエンドを感じさせるところにこの演奏の特徴が集約されている。

危険な美しさとはこのようなものをいうのだろう。

音楽的に考えればこんなばかなことはないが、ワルター&ウィーン・フィルの感じたままであるせいか、完成、円熟していて、どこにも物足りなさや不自然さがない。

これは驚くべきことである。

しかもテンポの大きな動きは常軌を逸するほどで、たとえば第1楽章再現部直前の崩れるようなリタルダンド、終楽章の経過句における凄まじいアッチェレランドなど特に甚だしい。

前者ではドラマティックな効果よりはむしろ頽廃を感じさせ、後者ではリズムが上すべりして少しも激しくなく、意外に効果が弱くなってしまった。

一つにはウィーン・フィルの楽員がワルターの表現を知り尽くして、気分の高揚を伴わずに表現するせいもあるのだろう。

印象的に美しいのは第3楽章で、ここはウィーンの高貴な夢である。

実に小味だ。

また終楽章の導入部で弦が疾風のように降りてくるところは、32分休符が生きて不健康の極を示す。

クレメンス・クラウスの儚さとは違うが、ワルターの女性的な天性はこのブラームスに最もよく表われているのではないだろうか。

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classicalmusic at 00:31コメント(0)トラックバック(0)ブラームスワルター 

2014年08月13日


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スメタナの交響詩「わが祖国」については、楽曲の性格もあり、かつてはチェコ出身の指揮者による名演が幅を利かせていた。

古くはターリッヒにはじまり、アンチェル、スメターチェク、クーベリック、ノイマン、コシュラーなど、錚々たる重鎮指揮者が民族色溢れる名演を繰り広げてきたのである。

もちろん、ドラティ、マタチッチや小林研一郎などの名演もあったが、「わが祖国」の演奏様式に大きな影響を与えるほどではなかったのではないかと考えられる。

このような中で、2001年に録音されたアーノンクール盤は、これまでの演奏において主流であった民族色を全面に打ち出す演奏とは異なり、かかる民族色を極力排した純音楽的なアプローチによって、同曲に新しい光を当てた斬新的な名演であり、同曲の演奏様式にある種の革命を起こすような衝撃的な演奏でもあった。

チェコの音楽界も、前述のようなお歴々が鬼籍に入り、新しい世代が活躍するようになったこともあって、アーノンクール盤の影響を反映したかのように、民族色をやたら強調するという同曲の演奏様式にも大きな変化の波が押し寄せてきているのではないだろうか。

そのような変化の息吹を感じさせる名演が、先般発売されたフルシャ&プラハ・フィル盤であった。

本盤に収められた、チェコの期待の若手指揮者ネトピルによる演奏も、このような一連の変化の流れの中で生み出された素晴らしい名演と高く評価したい。

ネトピルは、もちろんベースには祖国への深い愛着や、それから生じる民族色の濃さがあると思われるが、かつてのお歴々の演奏のようにそれをいささかも強調していない。

この点は、前述のフルシャの演奏と同様であろう。

大きく違うのは、フルシャは、楽曲の持つ美しさを際立たせた優美な演奏を心掛けていたが、ネトピルは、各交響詩の性格の違いを強調させた、メリハリのある演奏を行っている点であると考える。

トゥッティにおける強靭さから、繊細な抒情に至るまで、表現の幅は桁外れに極大であり、畳み掛けていくような気迫や若さ故の力強い生命力にも不足はない。

まさしく、前述のフルシャ盤と並ぶ、21世紀における「わが祖国」の新時代を象徴する演奏の具現化であり、今後の同曲の演奏の基調となっていくことが大いに期待される名演とも言える。

録音も鮮明であり、素晴らしい高音質に仕上がっている点も高く評価したい。

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classicalmusic at 22:49コメント(0)トラックバック(0)スメタナ 

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ヴァントと言えば、長年に渡って音楽監督を務め、その後は名誉指揮者の称号が与えられた北ドイツ放送交響楽団との数々の名演が軸となる存在と言えるが、ベルリン・フィルやミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団とも、素晴らしい名演の数々を遺している。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

数年前にライヴ・ボックス第1弾が発売され、クラシック音楽ファンの間で話題となったヴァント&ベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音の第2弾が、このたび国内盤、分売化されることになったのは、クラシック音楽ファンにとってもこの上ない喜びである。

このうち、本盤に収められているのは2種(1992年及び1994年)のベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏と、リハーサル風景(1992年のみ)である。

ヴァントによるベートーヴェンの交響曲の演奏と言えば、何と言っても1980年代に、手兵北ドイツ放送交響楽団とともにスタジオ録音した唯一の交響曲全集(1984〜1988年)が念頭に浮かぶ。

当該全集以前の演奏もテスタメントなどによって発掘がなされているが、ヴァントのベートーヴェン演奏の代表盤としての地位にはいさかも揺らぎがない。

しかも、当該全集については、現在では入手難であるが、数年前にSACDハイブリッド盤で発売されたこともあり、ますますその価値を高めていると言っても過言ではあるまい。

その他のベートーヴェンの交響曲第5番及び第6番の演奏と言えば、1992年に北ドイツ放送交響楽団とともに行ったライヴ録音が存在している。

本盤に収められた演奏は、同年の演奏とさらに2年後の演奏ということになり、とりわけ1994年の演奏については、現時点において、ヴァントによる両曲の最後の録音ということになる。

そして、演奏自体も、もちろん1992年の演奏も優れてはいるが、1994年の演奏、それも交響曲第6番が格段に優れた名演と言えるだろう。

前述の全集も、ヴァントの峻厳な芸風があらわれたいかにもドイツ色の濃厚な名演揃いであったが、いささか厳格に過ぎる造型美や剛毅さが際立っているという点もあって、スケールがいささか小さく感じられたり、無骨に過ぎるという欠点がないとは言えないところだ。

それに対して、本盤の1994年の演奏は、おそらくはヴァントの円熟のなせる業であるとも思われるところであるが、全集の演奏と比較すると、堅固な造型の中にも、懐の深さやスケールの雄大さが感じられるところであり、さらにグレードアップした名演に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

もちろん、華麗さなどとは無縁の剛毅さや無骨さは相変わらずであるが、それでも一聴すると淡々と流れていく曲想の端々からは、人生の諦観を感じさせるような豊かな情感が滲み出していると言えるところであり、これは、ヴァントが晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのではないかと考えられるところだ。

そして、演奏全体に漂っている古武士のような風格は、まさに晩年のヴァントだけが描出できた崇高な至芸と言えるところであり、とりわけ、ベートーヴェンの交響曲第6番については、ヴァントによる数ある同曲の演奏の中でも、総決算とも言うべき最高の名演と高く評価したい。

もちろん、交響曲第5番や、1992年の両曲の演奏についても、前述のように優れた名演であることは言うまでもないところである。

リハーサル風景も、ヴァントの厳格な音楽作りを窺い知ることができる貴重なものだ。

音質は、1990年代のライヴ録音であり、十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンヴァント 

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モーツァルトのホルン協奏曲の名演としては、デニス・ブレイン、ゲルト・ザイフェルト、ペーター・ダム、ズデニック・ティルシャルなど、名うてのホルン奏者による演奏が掲げられるが、いずれもバルブによって音を出す現代楽器(ヴァイヴ・ホルン)によって演奏がなされている。

ホルンという楽器はバルブが付いていても、音を外しやすい難しい楽器であるが、現代楽器(ヴァイヴ・ホルン)ですら難しいところ、本盤のヘルマン・バウマンは、バルブがない、いわゆるナチュラル・ホルンというオリジナル楽器を用いて演奏している。

この楽器は、バルブが付いていないだけに、さらに演奏するのが難しいことは容易に予想できるところだ。

もっとも、バルブが付いていない分だけ管は長く、うまく演奏できた時の深みのある音は、現代楽器には及びもつかないものがあるとも言えるだろう。

そうした、かつてのナチュラル・ホルンによる演奏の魅力を十二分に満喫させてくれる演奏こそは、本盤のバウマン、そしてアーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによる演奏であると考えられる。

本演奏を聴いて思うのは、いわゆる学術的な臭いが全くしないということである。

いわゆるオリジナル楽器やピリオド奏法といった、かつてのモーツァルトなどが生きていた時代の演奏を再現した近年流行の古楽器系の演奏は、名演もあるが、クラシック音楽ファンのよい演奏、感動を与えるという演奏を行うという本来あるべき姿勢をどこかに置き忘れ、学者の学究意欲を掻き立てることのみに照準を合わせた演奏が跋扈しているという嘆かわしい現状にある。

そのような中で、本演奏は、オリジナル楽器やピリオド奏法を行いつつも、同曲の魅力をクラシック音楽ファンに伝えるという姿勢を決して蔑ろにしていないのが見事であり、これぞ、現代における古楽器系の演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

若きバウマンのホルン演奏は、ナチュラル・ホルンの特性を十二分に活かした深みのある透明感溢れるものであり、おそらくは、ナチュラル・ホルンによる同曲の演奏としては、現代においても最高峰に君臨する名演奏と評価したい。

アーノンクールは、古楽器系の演奏の指揮者の旗手として、様々なピリオド奏法を駆使した演奏を行ってきているが、本盤の演奏においては、バウマンのホルン演奏とともに、音楽の自然な流れを重視した歌謡性豊かな演奏を心がけており、これまた同曲の古楽器系の演奏の中でも最右翼に掲げるべき名演奏と言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、録音から約40年が経った今日においても、モーツァルトのホルン協奏曲のオリジナル楽器やピリオド奏法による演奏の中でもトップの座に君臨する素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 00:32コメント(2)トラックバック(0)モーツァルトアーノンクール 

2014年08月12日


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1969年5月28日 モスクワ音楽院大ホールに於けるライヴ(ステレオ)録音。

ベルリン・フィルのメンバーたちの高度な演奏技術、光と影のコントラストを巧みに描いた表現力とスピード感、そして凄まじいエネルギーを感じさせる「オール・ベートーヴェン・プログラム」は必聴の名演。

当時の支配人シュトレーゼマン回想によると会場は官僚たちで埋め尽くされていた。

1曲目の「コリオラン」序曲は凄まじい熱演にもかかわらず会場の冷めた感じは拍手からも伝わる。

だが2曲目の「田園」が始まると入場を制止されていた音楽院学生や愛好家たちが場内になだれ込みカラヤンは演奏を中断したという。

熱意ある聴衆にカラヤン&ベルリン・フィルも乗らないわけにはいかなかった。

「田園」は今となっては古き新しい演奏と言えるところであり、こうした快速のテンポで演奏される「田園」というのはなかなかなかなく、カラヤンにしかできない演奏であり、ベルリン・フィルの名人芸があってこそできるテンポと言っても良い。

颯爽とした演奏で、何故そんなに急ぐのか? と思いがちなのだが、そこはそれ、ライヴならではの熱気、躍動感に満ちている。

例えるならドイツ郊外をハイブリットのスポーツカーで乗り付けた感じで、決してガソリンをまき散らかしている感じはなく、品格のある演奏だと思う。

絶頂期のカラヤンがベルリン・フィルを鳴らしきっていて(特に弦楽セクションが美しく瑞々しい)、エンディングまで一気に聴かせる。

「第5」も同様に爽快なテンポで幕を開ける第1楽章、堂々とした第2楽章、圧倒的な迫力で聴かせる第3楽章、第4楽章と聴きどころ満載だ。

そして要所要所では力感溢れる演奏で、最弱音から最強音までのデュナーミクの大きなサウンドを聴かせている。

「田園」は特に第3楽章から興奮させられるし、嵐ではカラヤンの唸りもある。

また「第5」の第1楽章コーダでの凄まじさ、さらにフィナーレは圧巻!

全盛期の脂の乗りに乗ったカラヤン、そしてベルリン・フィルの最高のパフォーマンスがここにある。

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classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンカラヤン 

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1969年5月30日 モスクワ音楽院大ホールに於けるライヴ(ステレオ)録音。

全盛期の帝王カラヤンが旧ソ連に乗り込んでの渾身のライヴで、録音にややハンディがあるが、演奏そのものは壮絶な名演だ。

我々は、カラヤンの「英雄の生涯」の名演として、スタジオ録音による1959年盤、1974年盤、1985年盤、ライヴによる1985年盤を知っており、いずれ劣らぬ名演だが、カラヤンはやはりライヴの人。

これまで筆者は、先般テスタメントから発売された1985年のライヴ盤を最も評価してきたが、この1969年盤は、人生の諦観のような味わいを感じさせる1985年盤とは異なり、飛ぶ鳥落とす勢いであったカラヤンの壮年期ならではの覇気に満ち溢れており、独特の魅力を醸し出している。

現時点では、カラヤンの「英雄の生涯」では、このモスクワ・ライヴをベストに推したい。

確かに録音はあまり良くないかも知れないが、この演奏には、絶頂期に入ったカラヤン&ベルリン・フィルの、クライマックスの上にさらにクライマックスを築き上げていく一期一会の凄絶な演奏が記録されている。

第1部「英雄」の覇気あふれる演奏、第4部「英雄の戦い」の敵との総力戦が本当に行われているかのような殺気だった響き(かなりオンマイクでとらえられたスネアドラムの響きが好悪を分かれるかもしれない)が強烈。

もちろん第3部「英雄の伴侶」のゆったりとした愛の歌や第6部「英雄の引退と完成」の諦観を感じさせる晩年の英雄の描写も十分である。

まとまり全体でいうと1974年盤がベストであるが、ここに於けるカラヤン&ベルリン・フィルはテンションが尋常ではなく、特に『戦い』の場面では、トランペットをはじめとする金管の咆哮・ティンパニが炸裂し痛快きわまりない。

それこそ、ソ連的爆演とさえ言えるところであり、晩年のライヴやスタジオ録音では聴けないカラヤンがこの盤に存在する(テスタメントの1970年代のライヴはあまり面白くない)。

生前のカラヤンは、モーツァルトのディヴェルティメント第17番を「英雄の生涯」をはじめとするシュトラウス作品の前プロとしてよく取り上げていたようだ。

十分すぎるほど覇気あふれる演奏に「モーツァルトってこれでいいのか?」と思ったり、「いや、流麗で生き生きとした演奏もモーツァルトの一つの姿なのだ」と思い直したりもするが、その歌い回しの巧妙さには惚れ惚れとしてしまうばかりである。

本公演は、盟友ムラヴィンスキー(2人ともトスカニーニ信奉者で馬が合ったらしい)の熱烈なるラヴコールで実現した公演だった。

カラヤンの演奏は、ムラヴィンスキーの盟友と言うに恥じないものであったことが、これで確認できる。

旧ソ連はカラヤンにとって、決してアウェイではなかったことが、この演奏からもわかるだろう。

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classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0)カラヤンR・シュトラウス 

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交響曲が1980年6月19、20日、弦楽セレナーデが1977年5月25日、ともにミュンヘン、ヘルクレスザールでのステレオ・ライヴ録音。

「新世界より」は、クーベリック晩年の演奏様式の雄大な山脈を仰ぎ見るような圧倒的なスケール感、そして緊張感、見通しの良い造形美と実演ならではの緊迫感が相乗効果をもたらした見事な演奏である。

とはいえ、弦の厚み、精緻なアンサンブル、分厚い金管、起伏の振幅のいずれを採ってもベルリン・フィルとのDG盤を名盤と呼ぶべきなのかもしれない。

しかも録音状態も大変高い水準にある。

しかし、この演奏に漲る指揮者と楽団、および聴衆の一体感はベルリン・フィルとのDG盤も及ばない歴史的な出来事のように聴こえ、心が震えるのは筆者だけであろうか。

クーベリックとバイエルン放送響が互いの血であり肉であるかのような稀有な演奏記録だと思う。

ドヴォルザークが思い描いた「新世界より」とはこのような演奏だろうと思われるのだ。

トスカニーニ、カラヤン、フリッチャイなどのより感情の入った激しい演奏に比べると、幾分物足りないかもしれないが(これはバイエルン放送響の独特の明るく柔らかいサウンドのせいでもある)、これしかない、と言われれば全然満足できる素晴らしい演奏だ。

クーベリックの数ある「新世界より」の録音の中でも、これが「最高」と言われても納得するだろう。

第2楽章における哀愁の深さ、終楽章でのはち切れんばかりの金管の勢い、その他どこを取っても、聴き手を引き付けて止まない。

カップリングの弦楽セレナーデも、情感豊かな旋律美をたっぷりと生かし切った素敵な演奏だ。

この弦楽セレナーデの懐かしいような、恋しいような感じは、なんとも言えない。

人懐っこさと聖母のような慈愛に富み、人生を悟りきった寂寥感も作品に一段と深みと重みを添えた。

音質も非常に良好で、臨場感があり、かつアグレッシヴで、厚みのあるサウンドを十全に捉えている。

ヴァイオリン両翼型の楽器配置も効果的だ。

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classicalmusic at 00:48コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザーククーベリック 

2014年08月11日


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本盤に収められたシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」は、セル&クリーヴランド管弦楽団による2度目のスタジオ録音に相当する。

最初の録音は1957年のものであり、本演奏よりも13年前であることもあり、全体の引き締まった堅固な造型が印象的な硬派の演奏であった。

セルは、先輩格のライナーや、ほぼ同時期に活躍したオーマンディなどと同様に徹底したオーケストラトレーナーとして知られており、そうして鍛え抜いた全盛期のクリーヴランド管弦楽団は、「セルの楽器」とも称されるほどの鉄壁のアンサンブルを誇っていたところだ。

あらゆる楽器セクションがあたかも一つの楽器のように聴こえるという驚異的なアンサンブルは、聴き手に衝撃を与えるほどの精緻さを誇るという反面で、メカニックとも言うべき冷たさを感じさせることも否めない事実であった。

したがって、演奏としては名演の名に値する凄さを感じるものの、感動的かというとややコメントに窮するという演奏が多いというのも、セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏に共通する特色と言えなくもないところである。

もっとも、セルも1960年代後半になると、クリーヴランド管弦楽団の各団員に自由を与え、より柔軟性に富んだ味わい深い演奏を行うようになってきたところだ。

とりわけ、死の年である1970年代に録音されたドヴォルザークの交響曲第8番と本盤に収められたシューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」には、そうした円熟のセルの味わい深い至芸を堪能することが可能な、素晴らしい名演に仕上がっていると言えるだろう。

本演奏においても、クリーヴランド管弦楽団の「セルの楽器」とも称される鉄壁のアンサンブルは健在であるが、1957年の旧盤の演奏とは異なり、各フレーズの端々からは豊かな情感に満ち溢れた独特の味わい深さが滲み出している。

これは、人生の辛酸を舐め尽くしてきた老巨匠だけが描出することが可能な崇高な至芸と言えるところであり、同曲において時折聴くことが可能な寂寥感に満ちた旋律の数々の清澄な美しさは、セルも最晩年に至って漸く到達した至高・至純の境地と言っても過言ではあるまい。

シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」の演奏は、どの指揮者にとっても難しいものと言えるが、セルによる本演奏は、演奏全体の造型の堅固さ、鉄壁のアンサンブル、そして演奏全体に漲っている情感の籠った味わい深さを兼ね備えた、同曲演奏の一つの理想像の具現化として、普遍的な価値を有する名演と評価してもいいのではないかとも考えられるところだ。

音質は、従来盤が今一つ冴えない音質で問題があり、リマスタリングを施してもさほどの改善が図られているとは言い難かった。

同時期の名演であるドヴォルザークの交響曲第8番については既にHQCD化が行われ、かなり満足できる音質に蘇ったのにもかかわらず、本演奏についてはHQCD化すら図られないのは実に不思議な気がしていたところだ。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、セルによる至高の超名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わえることを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0)シューベルトセル 

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バーンスタイン晩年の録音は、ほぼすべてがライヴ録音であるのだが、録音を意識していたせいか、限りなくスタジオ録音に近い、いわゆる自己抑制したおとなしめ(と言ってもバーンスタインとしてはという意味であるが)の演奏が多い。

ところが、第8番は、録音を意識していない正真正銘のライヴ録音であり、この猛烈な暴れ振りは、来日時でも披露したバーンスタインのコンサートでの圧倒的な燃焼度を彷彿とさせる。

これほどのハイテンションになった第8番は、他の演奏では例がなく、同じく劇的な演奏を行ったテンシュテットなども、遠く足元にも及ばないとさえ言える。

猛烈なアッチェレランドの連続や、金管楽器の思い切った最強奏、極端と言ってもいいようなテンポの激変など、考え得るすべての表現を駆使して、第8番をドラマティックに表現していく。

バーンスタインもあたかも火の玉のように燃えまくっており、あまりの凄さに、合唱団とオーケストラが微妙にずれる点があるところもあり、正真正銘のライヴのスリリングさも満喫することができる。

それでいて、楽曲全体の造型が崩壊することはいささかもなく、聴き終わった後の興奮と感動は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。

「大地の歌」と第10番から「アダージョ」は、2度目のビデオによる全集の中から抜粋したものとなっており、演奏内容は名演ではあるが、二番煎じの誹りを免れない。

ただ、第8番はザルツブルク音楽祭におけるライヴ録音であり、全く別テイクなので、本セットは、この第8番を聴くだけでも十分にお釣りがくるものと言える。

そして、第9番こそは、マーラーの交響曲の総決算であるだけに、その神髄である死への恐怖と闘い、それと対置する生への妄執と憧憬がテーマと言えるが、これを、バーンスタイン以上に表現し得た指揮者は他にはいないのではないか。

第1楽章は、死への恐怖と闘いであるが、バーンスタインは、変幻自在のテンポ設定や思い切ったダイナミックレンジ、そして猛烈なアッチェレランドなどを大胆に駆使しており、その表現は壮絶の極みとさえ言える。

これほど聴き手の肺腑を打つ演奏を他には知らない。

第3楽章の死神のブルレスケも凄まじいの一言であり、特に終結部の荒れ狂ったような猛烈なアッチェレランドは圧巻のド迫力だ。

終楽章は、生への妄執と憧憬であるが、バーンスタインの表現は濃厚さの極み。

誰よりもゆったりとした急がないテンポにより、これ以上は求め得ないような彫りの深い表現で、マーラーの最晩年の心眼を鋭く抉り出す。

そして、このようなバーンスタインの壮絶な超名演に潤いと深みを付加させているのが、コンセルトヘボウ・アムステルダムによるいぶし銀の音色による極上の名演奏と言えるだろう。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)マーラーバーンスタイン 

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第5番におけるバーンスタインのアプローチは、大仰なまでに濃厚なものであり、テンポの緩急や思い切った強弱、ここぞという時の猛烈なアッチェレランドの駆使など、マーラーが作曲したドラマティックな音楽を完全に音化し尽くしている点が素晴らしい。

ここでのバーンスタインは、あたかも人生の重荷を背負うが如きマーラーの化身となったかのようであり、単にスコアの音符を音化するにとどまらず、情感の込め方には尋常ならざるものがあり、精神的な深みをいささかも損なっていない点を高く評価したい。

オーケストラにウィーン・フィルを起用したのも功を奏しており、バーンスタインの濃厚かつ劇的な指揮に、適度な潤いと奥行きの深さを付加している点も忘れてはならない。

第6番におけるバーンスタインのアプローチも、他の交響曲と同様に濃厚さの極みであり、テンポの緩急や強弱の変化、アッチェレランドなどを大胆に駆使し、これ以上は求め得ないようなドラマティックな表現を行っている。

それでいて、第3楽章などにおける情感の豊かさは美しさの極みであり、その音楽の表情の起伏の幅は桁外れに大きいものとなっている。

終楽章の畳み掛けていくような生命力溢れる力強い、そして壮絶な表現は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。

そして、素晴らしいのはウィーン・フィルの好パフォーマンスであり、バーンスタインの激情的とも言える壮絶な表現に、潤いと深みを加えるのに成功している点も高く評価したい。

第7番も、第1楽章の葬送行進曲における激しい慟哭から天国的な美しさに至るまで、表現の幅は桁外れに広範。

これ以上は求め得ないような彫りの深い濃密な表現が施されており、その情感のこもった音楽は、聴き手の深い感動を呼び起こすのに十分だ。

また、第7番の愛称の理由でもある第2楽章及び第4楽章の「夜の歌」における情感の豊かな音楽は、至高・至純の美しさに満ち溢れている。

終楽章の光彩陸離たる響きも美しさの極みであり、金管楽器や弦楽器のパワフルな力奏も圧巻の迫力を誇っている。

録音の当時、やや低迷期にあったとされるニューヨーク・フィルも、バーンスタインの統率の下、最高のパフォーマンスを示しているのも、本名演の大きな魅力の一つであることを忘れてはならない。

歌曲集も超名演であり、バリトンのハンプソンの歌唱も最高のパフォーマンスを誇っていると高く評価したい。

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classicalmusic at 01:32コメント(0)トラックバック(0)マーラーバーンスタイン 

2014年08月10日


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第1番におけるバーンスタインは、テンポの思い切った緩急や強弱、アッチェレランドなどを駆使して、情感豊かに曲想を描いている。

それでいて、いささかも表情過多な印象を与えることがなく、マーラーの青雲の志を的確に表現し得たのは驚異の至芸であり、これは、バーンスタインが同曲の本質、引いてはマーラーの本質をしっかりと鷲掴みにしている証左である。

オーケストラにコンセルトヘボウ・アムステルダムを起用したのも、本盤を名演たらしめるのに至らせた大きな要因であり、光彩陸離たる響きの中にも、しっとりとした潤いや奥行きの深さを感じさせるのが素晴らしい。

第2番におけるバーンスタインの解釈は実に雄弁かつ濃厚なものだ。

粘ったような進行、テンポの緩急や強弱の思い切った変化、猛烈なアッチェレランドなどを大胆に駆使し、これ以上は求め得ないようなドラマティックな表現を行っている。

また、切れば血が出るとはこのような演奏のことを言うのであり、どこをとっても力強い生命力と心を込めぬいた豊かな情感が漲っているのが素晴らしい。

バーンスタインのドラマティックで熱のこもった指揮にも、一糸乱れぬアンサンブルでしっかりと付いていっていったニューヨーク・フィルの卓越した技量も見事である。

ヘンドリックスやルートヴィヒも、ベストフォームとも言うべき素晴らしい歌唱を披露している。

ウェストミンスター合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、楽曲終結部は圧巻のド迫力。

オーケストラともども圧倒的かつ壮麗なクライマックスを築く中で、この気宇壮大な超名演を締めくくっている。

第3番におけるバーンスタインの表現は、どこをとってもカロリー満点で、濃厚で心を込め抜いた情感の豊かさが演奏全体を支配している。

特に、終楽章は特筆すべき美しさでスケールも気宇壮大、誰よりも遅いテンポで情感豊かに描き出しているのが素晴らしい。

他方、変幻自在のテンポ設定や、桁外れに幅の広いダイナミックレンジ、思い切ったアッチェレランドなどを大胆に駆使するなど、ドラマティックな表現にも抜かりがない。

このように、やりたい放題とも言えるような自由奔放な解釈を施しているにもかかわらず、長大な同曲の全体の造型がいささかも弛緩することなく、壮麗にして雄渾なスケール感を損なっていないというのは、マーラーの化身と化したバーンスタインだけに可能な驚異的な圧巻の至芸である。

特筆すべきは、ニューヨーク・フィルの卓越した技量であり、金管楽器(特にホルンとトロンボーン)にしても、木管楽器にしても、そして弦楽器にしても抜群に上手く、なおかつ実に美しいコクのある音を出しており、本名演に華を添える結果となっている点を忘れてはならない。

ルートヴィヒの独唱や、ニューヨーク・コラール・アーティスツ及びブルックリン少年合唱団による合唱も、最高のパフォーマンスを示している点も高く評価したい。

第4番は、終楽章にボーイ・ソプラノを起用したことにより数々の批判を浴びている曰くつきの演奏ではあるが、筆者としては、確かにボーイ・ソプラノの起用には若干の疑問は感じるものの、総体としては、素晴らしい名演と高く評価したい。

バーンスタインは、同曲に対しても、他の交響曲へのアプローチと同様に、雄弁かつ濃厚な表現を施している点を高く評価したい。

バーンスタインの名演によって、マーラーの第4番の真価が漸くベールを脱いだとさえ言えるところであり、情感の豊かさや内容の濃密さ、奥行きの深さといった点においては、過去の同曲のいかなる演奏にも優る至高の超名演と高く評価したい。

バーンスタインの統率の下、コンセルトヘボウ・アムステルダムも最高のパフォーマンスを示しており、バーンスタインの濃厚な解釈に深みと潤いを与えている点を忘れてはならない。

さすらう若人の歌は、バーンスタインの死の年の録音であり、健康を害している中での思い入れたっぷりの、そして命がけの演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な深い感動を与えてくれる。

ハンプソンも、そうしたマーラーの化身と化したバーンスタインの下、最高のパフォーマンスを示していると言える。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)マーラーバーンスタイン 

2014年08月09日


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ゲルバーのベートーヴェンは素晴らしい。

既に、数年前に「悲愴」、「月光」、「熱情」の3大人気ピアノ・ソナタが発売されており、それも音質の素晴らしさも相俟って見事な演奏であったが、本盤の3曲も、それらの演奏に優るとも劣らない素晴らしい名演奏だ。

3曲それぞれが最も美しく感動的な姿に造形された、と言っても過言ではあるまい。

ゲルバーは素晴らしいピアニストであり、芸術家だ。

円熟と新鮮、この必ずしも両立するとは限らない要素を見事に併せ持っているのがゲルバーの境地であり、彼のベートーヴェンの限りない魅力と言って良いだろう。

ゲルバーによるベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏の特色は、何と言ってもその美しさにある。

もっとも、単なる表面上の美しさにとどまっているわけではない。

その美しさは、後述のように深い内容に裏打ちされていることを忘れてはならない。

加えて、演奏全体の造型は堅固であり、ドイツ風の重厚さが演奏全体に満ち満ちており、独墺系のこれまでの様々な偉大なピアニストの系譜に連なる、まさにいい意味での伝統的な演奏様式に根差したものであると言えるだろう。

そして、どこをとっても、眼光紙背に徹しているとも言うべき厳格なスコア・リーディングに基づいた音符の読みの深さが光っており、前述のようにいわゆる薄味な個所は皆無。

いかなる音型にも、独特の豊かなニュアンス、奥深い情感が込められていると言えるところだ。

特筆すべきは響きのシャープさであり、もちろんゲルバーはタッチの変化やペダルの使い方でニュアンスに富んだ響きを弾き分けるが、それらはすべて歯切れが良く、その響きのなかであらゆる音が必然性をもった身振りを示しているのだ。

技術的にも何らの問題がないところであり、随所に研ぎ澄まされた技巧を垣間見せるが、いささかも技術偏重には陥っておらず、常に内容の豊かさ、彫りの深さを失っていないのが見事であり、知情兼備の演奏であると言っても過言ではあるまい。

総括すれば、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏というのが、ゲルバーによるベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏であり、ドイツ正統派の伝統的な演奏様式に、現代的なセンスをも兼ね合わせた、まさに現代におけるベートーヴェンのピアノ・ソナタ演奏の理想像の具現化と評価し得ると考えられるところだ。

音質については、従来CD盤でも1990年前後のスタジオ録音ということもあって、比較的満足できる音質である。

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classicalmusic at 22:48コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン 

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ドヴォルザークは薄命の天才指揮者であったケルテスにとって、特に十八番と言えるレパートリーであったが、特に交響曲第8番は注目すべき秀演と言えるだろう。

この第8番は、ケルテスが残した名演として誉れ高いドヴォルザークの交響曲全集の中でも、傑出した出来映えを誇る演奏になっている。

ここに聴くケルテスの表現は、とにかく自然で音楽的な語り口が目を引くものになっている。

まろやかに溶け合ったブレンドのよい響きと、作品の姿に完全に一致した絶妙な感情の起伏は、自然体の表現をきわめたそのアプローチの中に、この交響曲の本来的な魅力をあるがままに浮き彫りにする結果をもたらしているのである。

また説得力も強く、鋭い感受性で曲を着実かつ流麗の表出しており、確信のこもった表情が若々しく、作品に内在する民族性もごく自然に表われている。

ケルテスの数多い録音の中でも、この指揮者の妙技を偲ばせてくれる最高の演奏の1つと言っていいだろう。

一方、「新世界より」はスケールが大きく、緩急のバランスや楽器の統御も正確だが、第8番の演奏に比べると、いくらか精彩に乏しい感じを受ける。

第1楽章ゆっくり目なスタートなのだが比較的「含み」は少ない感じで、あの象徴的なティンパニは、やや残響が強調されストレートな勢いからは脱したようだ。

普通のテンポになった展開部では切れ目のない弦の美しさが少し目立ち気味だが、反復演奏も含めてよく整理され練れた仕上がりになっている。

第2楽章は静かにしつつ管楽器を際立たせ、さらに弦のしっとり感がボヘミア的な郷愁色を煽る。

舞曲風で弦が隠れる程、時折ここでもティンパニの残響と管楽器の動きを強調した面白い第3楽章を経て、最終楽章の出だしはしっかり踏み込んで行く。

全体的にやや音色が平板になった点と、一部ちょっとした節の切り替えに納得が行かない部分もあるが、弦の旋律線に乗りながらのピークでの実に堂々とした運びは素晴らしい。

ケルテス自身かなり意図した事は明白で、少なくとも二番煎じの演奏にはなってないが、筆者には当時30歳過ぎの若きケルテスが、かのウィーン・フィルにあれだけの名演奏をさせ、ウィーン・フィル自体も持ち得る実力を最大限に発揮した1961年盤の方が強烈のように思える。

録音は、英デッカによるものだけに、従来盤でも鮮明で良好な音質である。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークケルテス 

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現代音楽にも数多くの名演を成し遂げてきた小澤ならではの素晴らしい名演だ。

交響曲第4番の第1楽章の冒頭の低弦等による切れ味鋭い音楽からして実に内容豊か。

その後に入ってくる合唱は美しさの極みであり、このあたりの表情の変転の巧みさは、いかにも演出巧者たる小澤の面目躍如と言ったところだろう。

第2楽章の開始も実に不気味。その後の音楽展開はアイヴズが作曲した最も複雑怪奇な音楽と言えるが、小澤は、テンポの緩急や幅の広いダイナミックレンジ、不協和音の強調、猛烈なアッチェレランドを駆使するなど、あらゆる表情づけを行って複雑な楽想を精緻に紐解いていく。

小澤は、ここではかなり思い切った自由闊達とも言える表現を行っているのだが、音楽が崩壊してしまうということはいささかもなく、全体の造型が弛緩することがないというのは驚異的な至芸と言える。

第3楽章は、一転して情感の豊かさが際立つ。

弦楽合奏による美しい旋律を徹底的に歌い抜くなどして、至高・至純の美しい音楽を構築している。

小澤の表現力の幅の広さの成せる業と言えるだろう。

終楽章は、トゥッティに向けてじわじわと高揚していく緊迫感が見事であり、その畳み掛けていくような燃焼度の高さは、若き小澤の真骨頂。

その後の合唱の壮麗さも特筆すべきであり、これは小澤渾身の快演とも言えるのではないだろうか。

「宵闇のセントラル・パーク」は、この曲が含有する抒情豊かさとモダニズムの融合を見事に描出しており、バーンスタインの超名演にも肉薄する名演と高く評価したい。

SHM−CD化によって、音質が鮮明になるとともに、音場が広くなったことも、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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classicalmusic at 00:42コメント(0)トラックバック(0)小澤 征爾 

2014年08月08日


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本盤にはシューマンのピアノ曲の中でも特に有名な「子供の情景」と「クライスレリアーナ」が収められているが、いずれも素晴らしい超名演と高く評価したい。

常々のレビューにおいて記していることであるが、シューマンのピアノ曲の演奏は非常に難しいと言える。

弾きこなすのに卓越した技量が必要なことは当然のことであるが、それ以上に詩情の豊かさやファンタジーの飛翔を的確に表現することができないと、ひどく退屈で理屈っぽい演奏に陥ってしまう危険性がある。

アルゲリッチは、超絶的な技量と圧倒的な表現力において、現代最高の女流ピアニストと言える偉大な存在であるが、本演奏においてもそれは健在だ。

「子供の情景」を構成する各曲については、その桁外れに幅広い表現力を効果的に駆使して見事な描き分けを行っており、その卓越した思い入れたっぷりの表現によってあたかも子供が遊ぶ風景が眼前に浮かんでくるかのようであり、抗し難い魅力に満ち溢れている。

「クライスレリアーナ」は、まさにアルゲリッチの独壇場であり、変幻自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、スタジオ録音とは到底思えないような猛烈なアッチェレランドなどを大胆に駆使して、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしており、迸るような情熱の炎といい、情感の豊かさといい、まさに完全無欠の演奏に仕上がっている。

いささか極論ではあるが、ラヴェルの「夜のガスパール」と同様に、あたかもアルゲリッチのために作曲された楽曲であるかのように聴こえるところであり、おそらくは、本演奏は同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

録音は、従来盤でも十分に満足し得る高音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質はきわめて鮮明になるとともに、音場が非常に幅広くなった。

ピアノ曲との相性抜群のSHM−CDだけに今般のSHM−CD化は大いに歓迎すべきであり、アルゲリッチによる至高の名演をこのような高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)シューマンアルゲリッチ 

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カラヤンは、クラシック音楽史上最大のレコーディングアーティストとして、様々な作曲家による交響曲全集の録音を数多く行った。

その大半は独墺系の作曲家によるものに限られているが、唯一そうでないものが存在する。

それが、本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲全集である。

チャイコフスキーの交響曲は、独墺系の錚々たる大指揮者が好んで演奏を行ってきてはいるが、それは後期3大交響曲(第4〜6番)に限られている。

したがって、初期の第1〜第3番を含めた全集を録音したのは、独墺系の指揮者の中では現在においてもカラヤンが唯一の指揮者ということになる。

このうち、第1〜3番については、カラヤンも実演では1度も採り上げたことがないことから、本盤に収められたこれらの演奏は、カラヤンが全集を完成させることを目的に録音した唯一の演奏ということになる。

これに対して、後期3大交響曲についてはカラヤンの十八番でもあり、本盤以外にも、ライヴ録音を含めかなりの点数の録音を遺している。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏の凄さを満喫させてくれる素晴らしい名演と高く評価したい。

各交響曲の演奏は、いずれも1975〜1979年というカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビの全盛時代のもの。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇る弦楽合奏、金管楽器のブリリアントで強靭な響き、桁外れのテクニックを誇る木管楽器の極上の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のように轟くティンパニなどが一体となった超絶的な技量を披露するベルリン・フィルの名演奏に、カラヤンは流麗なレガートを施すことによって、究極の美を誇るいわゆるカラヤンサウンドを形成。

まさに、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていたところである。

本盤に収められた演奏は、いずれもかかるカラヤンサウンド満載の圧倒的な音のドラマが健在であり、これはこの黄金コンビが成し遂げた究極の名演奏と言っても過言ではあるまい。

後期3大交響曲については、実演に近いドラマティックな豪演を展開する1971年盤(EMI)や、最晩年の枯淡の境地を示すとともに、音楽そのものを語らせる至高の名演である1984年盤(DG)の方をより上位に掲げる聴き手も多いとは思うが、カラヤンの個性が安定して発揮されていることや、演奏の完成度という意味においては、本盤に収められた演奏は、1971年盤や1984年盤にいささかも引けを取っていないと考える。

併録のスラヴ行進曲とイタリア奇想曲は、いかにもチャイコフスキーを得意としたカラヤンならではの素晴らしい名演だ。

ただ、スラヴ行進曲の終結部での反復が省略されているのが残念であるが、これはベルリン・フィルを指揮した他の指揮者による演奏でもそのようになっており、ベルリン・フィルが使用している楽譜自体に問題があるのかもしれない。

録音は、デジタル録音に移行する直前のいわばアナログ録音の完成期のものであるだけに、従来盤でも十分に満足できる音質であるが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤がこれまでのところ全集としては最も良好な高音質である。

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classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーカラヤン 

2014年08月07日


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本盤にはサン・サーンスの交響曲第3番とデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」のフランス音楽の中でも特に有名な曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本演奏を聴いていの一番に思い浮かぶ感想は、「巧い」、「凄い」、そして「楽しい」である。

このような感想は、深遠な内容を有する独墺系の作曲者などの交響曲等の演奏では芳しいものとは言えないが、本盤の両曲のように旋律の美しさや標題音楽の面白さが主眼の楽曲では、最高の賛辞と言えるのではないだろうか。

レヴァインは、世界一の名人揃いのオーケストラであるベルリン・フィルを率いて、それこそ管弦楽による豪華なご馳走を提供してくれていると言えるだろう。

サン・サーンスのオルガン付きの華麗なるオーケストレーションの面白さやデュカスの音楽の楽しさを、聴き手がこれほどまでにわくわくした気持ちで味わうことができる演奏は他にはあるまい。

ベルリン・フィルの卓越した技量は唖然とする「巧さ」であり、とりわけサン・サーンスの交響曲第3番の終結部のオルガンを伴った大音響のド迫力は「凄い」の一言。

デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」は、あたかも魔法使いの弟子があわてふためくシーンが思い浮かぶほどの「楽しい」演奏に仕上がっている。

このような演奏を聴いていると、レヴァインの類稀なる音楽性の豊かさとともに、エンターテイナーとしての高い資質を痛感させられるところだ。

なお、ベルリン・フィルによるサン・サーンスの交響曲第3番の演奏としては、本演奏の数年前に録音されたカラヤン盤(1981年)があるが、そちらは楽曲の魅力よりもカラヤンの個性が全面に出た演奏であり、「巧さ」や「凄さ」においては本演奏とほぼ同格の名演であるが、「楽しさ」においては本演奏の方がより優れていると言えるのではないだろうか。

音質は1986年のデジタル録音であり、鮮明であるとともに、オルガンの重低音による音場の奥行きも幅広いもので、従来盤でも十分に満足できる音質である。

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classicalmusic at 22:48コメント(0)トラックバック(0)サン=サーンスレヴァイン 

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ブルックナー協会総裁を務めるなどブルックナーの権威として知られていたヨッフムは、ブルックナーの交響曲全集を2度にわたってスタジオ録音している。

最初の全集は、ベルリン・フィルやバイエルン放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったもの(1958〜1967年)であり、そして2度目の全集が本盤に収められたシュターツカペレ・ドレスデンとのスタジオ録音(1975〜1980年)である。

ヨッフムのブルックナー演奏は、1990年代以降に登場して、現在においても誉れの高いヴァントや朝比奈による超名演とはその性格を大きく異にしている。

ヴァントや朝比奈は、荘重なインテンポによって曲想を重厚に、そして精緻に描き出していくというスタイルで一世を風靡したところであり、これは、ブルックナー演奏はインテンポで行うべきであるという現在における基本的な演奏スタイルにも繋がっている。

ところが、ヨッフムの場合は、インテンポなどにいささかも固執していない。

それどころか、テンポは大胆に動かしており、むしろドラマティックで壮絶ささえ感じさせることがあるほどだ。

緩徐楽章などにおける抒情的な旋律の数々も徹底して歌い抜いており、その心の込め抜いた情感の豊かさには、ロマンティシズムの香りさえ漂っている。

このように、現代のブルックナー演奏の定石からすれば、かなり大胆で思い切った表現を駆使しているにもかかわらず、演奏全体の造型が弛緩することなく、ブルックナーらしさをいささかも失っていないというのは、ブルックナーの権威たるヨッフムの面目躍如たるものがあると言えるだろう。

どの交響曲も水準以上の名演であると言えるが、とりわけ第1番、第2番、第6番などの比較的規模が小さい曲が素晴らしい超名演であるというのは、旧全集とも共通している。

他方、第7番や第8番についても、旧全集と同様により壮大なスケール感が欲しいという気もするが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

オーケストラには、シュターツカペレ・ドレスデンを起用しているが、このオーケストラの持ついぶし銀の重心の低い音色が、本盤の各演奏に独特の潤いと温もりを付加させていることを忘れてはならない。

なお、ヨッフムのアプローチは、本全集だけでなく旧全集においても基本的に共通しているが、旧全集よりも若干ではあるが本全集の方がより思い切った表現をとっているように思われる箇所が散見されるところであり、旧全集と本全集の優劣の比較は困難を極めるが、録音面を加味すれば、筆者としては旧全集の方をわすかに上位に置きたいと考えている。

もっとも、それは高次元での比較の問題であり、本全集もブルックナーの権威としてのヨッフムならではの素晴らしい名全集と高く評価したい。

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classicalmusic at 21:05コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヨッフム 

2014年08月06日


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これは素晴らしい名演だ。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェンが作曲した最も美しい作品との評価がなされており、いわゆる4大ヴァイオリン協奏曲の中でもその格調の高い優美さが際立った作品である。

本演奏は、かかる同曲の作風と見事に符号したものと言えるだろう。

オイストラフのヴァイオリンは、本演奏でもその持ち前の卓越した技量を聴き取ることは可能であるが、技量一辺倒にはいささかも陥っておらず、どこをとっても情感豊かで気品に満ち溢れているのが素晴らしい。

とりわけ、第2楽章における豊麗で歌謡性豊かな歌い方は、抗し難い美しさに満たされている。

この気高い美しさを誇るオイストラフのヴァイオリンを見事に引き立てているのが、クリュイタンス&フランス国立放送局管弦楽団による美演ということになる。

クリュイタンスは、もちろんフランス音楽が主要なレパートリーと言えるが、ベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲全集を録音するなど、ベートーヴェンを得意のレパートリーとしていた。

本演奏でも、クリュイタンスのベートーヴェンに対する深い理解と愛着に根差した円熟の指揮ぶりが見事であり、重厚なドイツ風の演奏の中にも、独特の洒落た味わいが感じられるのが魅力的である。

クリュイタンスの統率の下、フランス風の瀟洒な味わいの音色が魅力のフランス国立放送局管弦楽団も、要所においてはドイツ風の重厚な演奏を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、同曲演奏史上でも最も気高い優美さに満ち溢れた名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 22:35コメント(0)トラックバック(0)オイストラフクリュイタンス 

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カラヤンとツィマーマンが組んで行った唯一の協奏曲録音である。

そもそもカラヤンが、協奏曲の指揮者として果たして模範的であったかどうかは議論の余地があるところだ。

カラヤンは、才能ある気鋭の若手奏者にいち早く着目して、何某かの協奏曲を録音するという試みを何度も行っているが、ピアニストで言えばワイセンベルク、ヴァイオリニストで言えばフェラスやムター以外には、その関係が長続きしたことは殆どなかったと言えるのではないだろうか。

ソリストを引き立てるというよりは、ソリストを自分流に教育しようという姿勢があったとも考えられるところであり、遺された協奏曲録音の殆どは、ソリストが目立つのではなく、全体にカラヤン色の濃い演奏になっているとさえ感じられる。

そのような帝王に敢えて逆らおうとしたポゴレリチが練習の際に衝突し、コンサートを前にキャンセルされたのは有名な話である。

本盤に収められた演奏も、どちらかと言えばカラヤン主導による演奏と言える。

カラヤンにとっては、シューマン、グリーグのいずれのピアノ協奏曲も既に録音したことがある楽曲でもあり、当時期待の若手ピアニストであったツィマーマンをあたたかく包み込むような姿勢で演奏に望んだのかもしれない。

特に、オーケストラのみの箇所においては、例によってカラヤンサウンドが満載。

鉄壁のアンサンブルを駆使しつつ、朗々と響きわたる金管楽器の咆哮や分厚い弦楽合奏、そしてティンパニの重量感溢れる轟きなど、これら両曲にはいささか重厚に過ぎるきらいもないわけではないが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功している。

カラヤンの代名詞でもある流麗なレガートも好調であり、音楽が自然体で滔々と流れていくのも素晴らしい。

ツィマーマンのピアノも明朗で透明感溢れる美しい音色を出しており、詩情の豊かさにおいてもいささかの不足はなく、とりわけ両曲のカデンツァは秀逸な出来映えであるが、オーケストラが鳴る箇所においては、どうしてもカラヤンペースになっているのは、若さ故に致し方がないと言えるところである。

もっとも、これら両曲の様々な演奏の中でも、重厚さやスケールの雄渾さにおいては本演奏は際立った存在と言えるところであり、本演奏を両曲のあらゆる演奏の中でも最も壮麗な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

本盤は1981〜1982年のデジタル録音であり、十分に満足し得る音質である。

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2014年08月05日


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本盤には、チャイコフスキーとドヴォルザークによる弦楽セレナードが収められているが、いずれも素晴らしい至高の名演と高く評価したい。

録音は1980年であるが、これはカラヤン&ベルリン・フィルという黄金コンビが最後の輝きを見せた時期でもある。

健康問題が徐々に顕在化しつつあったカラヤンと、長年にわたる独裁政権に辟易とし始めたベルリン・フィルとの関係は、1970年代後半頃から徐々に悪化しつつあったが、それでも1980年には、いまだ対立関係が表面化することはなく、少なくとも演奏の水準においては究極の到達点にあったとさえ言える。

翌々年には、ザビーネ・マイヤー事件の勃発によって両者の関係が修復不可能にまで悪化することから、本演奏の録音のタイミングとしては、ベストの時期であったと言っても過言ではあるまい。

演奏は絶品というべきもので、ベルリン・フィルの磨き抜かれた艶やかな音色と、カラヤンの精緻で洗練を極めた棒さばきから、味わい深く、香りを湛えた音楽が漂ってくる。

そして本演奏においては、全盛期のベルリン・フィルの弦楽合奏がいかに桁外れに凄いものであったのかを思い知らされることになるのは必定だ。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、重量感溢れる肉厚の合奏、情感溢れる美しさの極みとも言える高弦の艶やかな響きなど、とても人間業とは思えないような超絶的な機能美を誇っている。

カラヤンの指揮も洗練の度を極め尽くした弦楽合奏の機能美を徹底的に追求し、流麗なレガートを駆使して、これ以上は求め得ないような濃厚で耽美的な指揮を披露している。

このように最高の指揮者と最強の弦楽合奏が生み出した音楽は、極上の美しさを湛えていると言えるだろう。

両曲の演奏には、本演奏においてはいささか欠如している、ロシア風の強靭な民族色やボヘミア風のノスタルジックで素朴な抒情を求める聴き手も存在し、その線に沿った名演(チャイコフスキーについてはスヴェトラーノフ&ロシア国立交響楽団(1992年)、ドヴォルザークについてはクーベリック&バイエルン放送交響楽団(1977年ライヴ)など)も少なからず成し遂げられているが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築したカラヤン&ベルリン・フィルの名演との優劣は、容易には付け難いのではないかと考える。

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2014年08月04日


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本盤に収められたプッチーニの歌劇「蝶々夫人」は、カラヤンによる2度目のスタジオ録音ということになる。

前回の録音は1955年のモノラル録音ではあったが、蝶々夫人にマリア・カラス、ピンカートンにニコライ・ゲッダを据えるという豪華布陣で、ミラノ・スカラ座管弦楽団や合唱団の好演もあって、今なお色褪せることがない名演である。

したがって、前回の録音の方を好む聴き手もいることはよく理解できるが、筆者としては、本盤に収められた2度目の録音の方をより上位に置きたい。

そして、本演奏こそは、カラヤンによるプッチーニの歌劇「蝶々夫人」の随一の名演にとどまらず、古今東西の様々な指揮者による同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

先ずは配役が素晴らしい。

もちろん前述のように、前回の録音における配役も豪華であったが、本演奏における配役もいささかも引けを取っていない。

フレー二による瑞々しい美声はまさに純情な蝶々夫人の当たり役と言えるし、パヴァロッティ(同時期に作成されたDVD作品ではドミンゴが演じているが、パヴァロッティの方が適役と言えるのではないだろうか)も、女たらしではあるが優柔不断で憎み切れないピンカートン役に相応しい見事な歌唱を披露している。

加えて蝶々夫人の召使役のスズキをクリスタ・ルートヴィヒが演じるという超豪華布陣であり、あらためてカラヤンによるキャスティングの抜群のセンスの良さを感じさせられるところだ。

そして、カラヤン指揮のウィーン・フィルの演奏は重厚にしてシンフォニック、加えて実に緻密であり、同作品の持つ抒情性を最大限に引き出すとともに、これ以上は求め得ないようなセンス満点の美演を繰り広げているのが素晴らしい。

有名なアリア「ある晴れた日に」は当然のことであるが、お江戸日本橋をはじめとする日本的な旋律の数々を、カラヤン&ウィーン・フィルは美しさの極みとも言うべきムード満点の美演を展開している。

終幕の悲劇における重厚さは圧倒的な迫力を誇っており、あらためてカラヤンのオペラ指揮者としての偉大さを感じることが可能である。

ウィーン国立歌劇場合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、英デッカによる鮮明な高音質録音も本盤の大きな魅力の一つであることを忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:55コメント(0)トラックバック(0)プッチーニカラヤン 

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本盤は、バルトークの最も有名な管弦楽作品を2曲カップリングしたものであるが、いずれも素晴らしい名演だ。

名演となった要因は、何よりもシカゴ交響楽団の卓越した技量にあると考える。

本演奏の録音は1989年のスタジオ録音であるが、この当時のシカゴ交響楽団はショルティの圧倒的な統率の下に全盛期を誇っていた時代である。

各ブラスセクションには、ハーセスやクレヴェンジャーなどのスタープレイヤーを数多く揃え、その圧倒的な大音量とブリリアントな響きには抗し難い魅力があった。

木管楽器のテクニックも桁外れであったし、オーケストラのアンサンブルも鉄壁のものがあった。

オーケストラの力量だけに限ってみれば、かのカラヤン指揮下のベルリン・フィルにも匹敵する実力を誇っていたと言える。

本演奏でも、シカゴ交響楽団は圧巻の技量を披露しており、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽における厚みのある弦楽合奏や、管弦楽のための協奏曲における各管楽器の卓越した技量は唖然とするほどだ。

そのようなスーパー軍団たるシカゴ交響楽団に対峙して、レヴァインも見事な統率を示していると言える。

両曲ともに指揮によっては深刻な演奏になりがちであるが、レヴァインは、そのような深刻に陥ることを極力避け、各旋律を情感豊かに歌い上げることによって、極めて明瞭でわかりやすい作品に昇華させているのが素晴らしい。

両曲には、同じくシカゴ交響楽団を指揮したライナーやショルティの名演やカラヤンやムラヴィンスキー(弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽のみ)による名演などが目白押しであるが、とかく複雑で難解とされるバルトークの楽曲(特に、弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽)を親しみやすく聴かせたという意味においては、本レヴァインによる演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

録音は、従来盤でも定評のある素晴らしい音質であり、このような名演を高音質の録音で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年08月03日


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ホルストの組曲「惑星」は、光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを駆使した親しみやすい旋律の数々を有していることもあり、現代においても最も人気のある管弦楽作品の1つである。

もっとも1950年代までは、ホルストによる自作自演や初演者ボールトによる演奏の録音しか存在せず、イギリス国内にしか通用しないローカルな作品の域を出なかったところであるが、1961年にカラヤン&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演が登場したことを契機として、一躍国際的な人気作品としての地位を獲得したのであった。

前述のカラヤンによる名演以降、様々な指揮者によって多種多様な名演が生み出されてきているのは周知の通りである。

そのような中でも、初演者ボールトによる最後の録音であるロンドン・フィルとの名演(1978年)、前述のカラヤン&ウィーン・フィルによる名演の地位は、現在においてもいささかも揺らぐものではないが、ホルストの華麗なオーケストレーションの魅力を心行くまで堪能させてくれる名演としては、本盤に収められたレヴァイン&シカゴ交響楽団による超名演を随一に掲げたいと考える。

本超名演の成功は、紛れもなくシカゴ交響楽団の卓越した技量にある。

本演奏は1989年の録音であり、御大ショルティがなおシカゴ交響楽団に君臨していた全盛時代でもある。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、金管楽器群の迫力満点の大音量とブリリアントな響き、木管楽器の桁外れのテクニックなど、同曲の演奏に必要な要素を全て兼ね備えていたスーパー軍団たるシカゴ交響楽団による演奏は豪華絢爛の一言。

あたかも、組曲「惑星」という大運動場で、シカゴ交響楽団が存分に運動を行っているかのような趣きがあり、オーケストラ演奏としても空前絶後の出来栄えと言えるだろう。

レヴァインの指揮は、むしろシカゴ交響楽団にいかに気持ちよく演奏させるのかに徹しているようにも思われるが、例えば金星などにおける心を込めた情感の豊かさなど、独特の味付けもそれなりに行っており、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを十二分に発揮していると評価したい。

いずれにしても、組曲「惑星」という楽曲の魅力を存分に満喫させてくれるという意味においては、耳のご馳走とも言えるような爽快な超名演と評価するのにいささかも躊躇もしない。

録音は、従来盤でも音質の良さで定評があったが、今般のSHM−CD化によって、さらに音質が鮮明になるとともに音場が若干なりとも広くなった。

いずれにしても、レヴァイン&シカゴ交響楽団による爽快な超名演を、SHM−CDによる鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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シノーポリが心臓発作で急逝してから約11年の歳月が経った。

まだ50歳代という働き盛りでの急な逝去であったことから、現在においてもそのあまりにも早すぎる死を惜しむファンも多いと聞く。

そのようなシノーポリの遺した最大の遺産は、様々な意見もあろうかとは思うが、やはり本盤に収められたマーラーの交響曲全集と言えるのではないだろうか。

本盤には、1990年に録音された嘆きの歌やその他の主要歌曲集、そしてシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した番外編でもあった交響曲「大地の歌」も収録しており、シノーポリがDGに録音したマーラーの交響曲や主要な歌曲のすべてが網羅されている。

シノーポリのマーラーについては賛否両論があるようであるが、筆者としては評価しており、本全集も素晴らしい名全集と高く評価したいと考える。

シノーポリのマーラーへのアプローチは、他の指揮者とは全く異なる実に個性的なものであった。

シノーポリは、精神医学者であり作曲家でもあるという異色の経歴を持つ指揮者であったが、おそらくはそれに起因するスコアリーディングには余人には及ばない凄みがあったのではないかと考えられる。

シノーポリは、マーラーの作曲した複雑極まりないスコアに記されたすべての音符を一音たりとも蔑ろにすることなく光を当て、完璧に音化することに腐心しているようにさえ思われる。

おそらくは、これほどまでに楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏というのは比類がないと言えるのではないか。

もっとも、ここまで細部に拘ると音楽の自然な流れを損ってしまうということが懸念されるが、シノーポリは音楽がごく自然に流れていくように各旋律を徹底して歌い抜くのである。

要は、細部に至るまでの彫琢と歌謡性の豊かさという2つの要素を兼ね備えた稀有の演奏を成し遂げているということであり、ここにシノーポリのマーラーのユニークな魅力がある。

もちろん、かかるアプローチがうまく適合しない楽曲もある。

例えば、第6番は細部への彫琢の末に成し遂げられた明晰さが、ある種の楽天的な雰囲気の醸成に繋がってしまったきらいがあり、同曲の演奏としてはいささか物足りない出来となってしまっている。

もっとも、かかるシノーポリの芸風に符号した楽曲ではとてつもない名演に仕上がることになり、特に、第2番、第5番、第7番及び第10番は文句のつけようのない名演である。

第2番の終楽章の中間部はいささか冗長さを感じさせる箇所ではあるが、シノーポリの演奏にかかると、同じく軽薄さが指摘されている第7番の終楽章も含め、密度の濃い充実した音楽に聴こえるのが素晴らしい。

また、第5番の楽曲の心眼に切り込んでいくような鋭さも見事である。

そして、第10番は、誰よりもゆったりしたテンポで奥行きのある深沈とした音楽が連続するが、とりわけ後半の強烈な不協和音とその後の天国的な美しさの対比は、聴いていて戦慄を覚えるほどの凄みのある表現であると言えるだろう。

この第10番については、昨年発売されたテンシュテット&ウィーン・フィルによる一期一会の名演(1982年)、そして同じくシノーポリによるシュターツカペレ・ドレスデンとのライヴ録音(1981年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

いずれにしても、シノーポリのマーラーは他の指揮者による演奏とは全く異なる個性的な演奏ではあるが、マーラーの交響曲を愛する者であれば一度は聴いていただくことを是非ともお薦めしたい。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)マーラーシノーポリ 

2014年08月02日


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本盤には、ショルティが完成させた唯一のマーラーの交響曲全集が収められている。

膨大なレコーディングとレパートリーを誇ったショルティであるが、マーラーの交響曲についても比較的早くから取り組んでおり、1960年代というマーラーが知る人ぞ知る存在であった時代にも、ロンドン交響楽団と第1番、第2番、第3番、第9番、そしてコンセルトへボウ・アムステルダムとともに第4番のスタジオ録音を行っている。

また、第1番についてはウィーン・フィルとのライヴ録音(1964年)が遺されており、既に1960年代にはマーラーの交響曲はショルティのレパートリーの一角を占めていたのではないかと考えられる。

本盤に収められた全集は、ショルティが1970年以降に行ったシカゴ交響楽団とのスタジオ録音のみで構成されているが、このうち1970年及び1971年に録音された第5番〜第8番は、前述の1960年代の各スタジオ録音やライヴ録音と共通する演奏様式であり、他方、1980年〜1983年にかけてスタジオ録音された第1番〜第4番と第9番は、1980年代に入って演奏に若干の奥行きが出てきた円熟の演奏様式であり、演奏傾向に若干の違いがあることに留意しておく必要がある。

もっとも、ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは何ら変わりがない。

強靭なリズム感とメリハリの明瞭さは、ショルティの鋭角的な指揮ぶりからも明らかであり、これは、最晩年になっても変わりがないものであった。

したがって、ショルティのマーラーには、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされている。

ただ、第5番〜第8番については、全体に引き締まったシャープな響きが支配しているのに対して、第1番〜第4番と第9番には、若干ではあるが、響きに柔和さと奥行きが出てきているように思われる。

いずれにしても、どの曲もショルティの個性が発揮された名演であるが、筆者としては特に第3番、第5番、そして第8番を高く評価したい。

第5番は、本全集の第1弾となったものであるが、筆者はこれほど強烈無比な演奏を聴いたことがない。

耳を劈くような強烈な音響が終始炸裂しており、血も涙もない音楽が連続している。

まさに、音の暴力と言ってもいい無慈悲な演奏であるが、聴き終えた後の不思議な充足感は、同曲の超名演であるバーンスタイン&ウィーン・フィル盤(1987年)やテンシュテット&ロンドン・フィル盤(1988年)にいささかも引けを取っていない。

第8番は、ショルティがシカゴ交響楽団を引き連れてヨーロッパを訪問中にウィーンで録音されたものであるが、精密機械のような豪演を繰り広げるシカゴ交響楽団と圧倒的な名唱を繰り広げる合唱団等が融合した稀有の名演であり、同曲をこれほど壮麗かつスケール雄大に響かせた演奏は他にも類例を見ないのではないかと考えられる。

第3番は、故柴田南雄氏が「燦然たる音の饗宴」と評した演奏であるが(氏は、それ故に内容空虚であることを指摘して、本演奏を酷評している)、これほど本演奏を評した的確な表現はあるまい。

まさに、本演奏は有名レストランでシカゴ交響楽団が出す豪華料理と高級ワインを味わうような趣きがあり、我々聴き手は、ただただレストランにおいて極上の豪華な料理と高級ワインを堪能するのみである。

もっとも、あまりの料理やワインの豪華さに、聴き手もほろ酔い加減で幻惑されてしまいそうになるが、本演奏は、それほどまでに空前絶後の「燦然たる音の饗宴」に仕上がっている。

確かに、故柴田南雄氏が指摘されているように、楽曲の心眼に鋭く切り込んで行くような奥深さには欠けている演奏であるが、聴き終えた後の充足感が、例えばバーンスタイン&ニューヨーク・フィル盤(1988年)などの名演に必ずしも引けを取っているわけでもなく、筆者としてはマーラーの演奏様式の一翼を担った名演として高く評価したいと考える。

そして、これまでにも若干触れてはきたが、本全集の最大のメリットはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

いずれの演奏も、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮しており、各演奏を名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

それにしても、我が国におけるショルティの評価は不当に低いと言わざるを得ない。

現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。

これには、我が国の音楽評論家、とりわけとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、例えば本全集のような名演を一度も聴かないのはあまりにも勿体ない。

筆者としては、本全集を楽劇「ニーベルングの指環」に次ぐショルティの偉大な遺産であると考えており、英デッカによる極上の優秀録音であることに鑑みても、いまだ未聴のクラシック音楽ファンには是非とも一聴をお薦めしたい名全集と高く評価したい。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)マーラーショルティ 

2014年08月01日


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近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る「第8」の録音の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)のに対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

いずれにしても、本盤に収められた演奏はいずれも圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラはいずれも必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

マーラーの交響曲全集はあまた存在しており、その中ではバーンスタインによる3つのオーケストラを振り分けた最後の全集(1966〜1990年)が随一の名全集と言えるが、聴き手に深い感動を与えるという意味において当該バーンスタインの全集に肉薄し得るのは、本盤のテンシュテットによる全集であると考える。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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