2014年09月

2014年09月30日


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ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集も、本盤の交響曲第2番の登場を持ってついに完結した。

全集のセット盤も同時発売されるようであるが、これまで1枚ずつ買い揃えてきた聴き手にはいささか残念な気もしないでもない。

第2番は、先般発売された第1番と同様に、ブロムシュテットにとっての初録音でもあり、その意味においても極めて貴重な演奏と言えるだろう。

第2番の場合、第3番などと同様にどの版を採用するのかが大きな問題となるが、ブロムシュテットが選択したのは第3番と同様に何と初稿。

第3番のレビューにも記したように、何故にブロムシュテットが初稿を採用したのかは疑問が残るが、ブルックナーの当初の作曲の意図が最も表れているものとも言えるところであり、ブロムシュテットもそうした点に鑑みて、初稿を採用したのではないだろうか。

かつては、初稿はブルックナーを研究する音楽学者の学究的な関心事項でしかなかったが、近年では、インバルやティントナー、シモーネ・ヤングなどの初稿を尊重する指揮者によって、芸術的にも優れた名演が数多く成し遂げられるようになってきたことから、今日では初稿のグレードが大いに上がってきている。

本盤の演奏もブロムシュテットの円熟ぶりを窺い知ることが可能な大変優れたものであり、本演奏によって、第2番の初稿のグレードはさらにアップしたと言えるだろう。

何よりも、これまでブルックナーの交響曲を自らの中核と位置づけてきたブロムシュテットであるだけに、本演奏には、ブロムシュテットの確固たる信念を感じ取ることが可能な、仰ぎ見るような威容を湛えた堂々たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。

この指揮者ならではの全体の造型の堅固さは健在であるが、スケールも雄渾の極み。

シャイー時代になってオーケストラの音色に色彩感を増したと言われているゲヴァントハウス管弦楽団ではあるが、本演奏ではブロムシュテットの確かな統率の下、ドイツ風の重心の低い音色で重厚な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

全体としてはゆったりとしたインテンポを基調としているが、ここぞという箇所では微妙にテンポを動かしており、それが演奏全体を四角四面にしないことに大きく貢献している。

ブラスセクションなども最強奏させているが、無機的になることはいささかもなく、どこをとっても奥行きの深さを損なっていないのが素晴らしい。

第2楽章の聖フローリアン教会の自然の美しさを感じさせるような抒情豊かな演奏も抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスがとれた演奏に仕上がっているとも言えるところだ。

同曲の近年の初稿による名演としては、シモーネ・ヤングによる名演が存在しているが、本演奏は当該名演と同格か、あるいはオーケストラの優秀さを勘案すれば、それ以上の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、ブロムシュテットの円熟を大いに感じさせる、全集の掉尾を飾るに相応しい名演であり、同曲の初稿による演奏としては、最も優れた名演の1つに掲げられる至高の超名演と高く評価したい。

そして、本盤でさらに素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音であると考える。

コンサート会場の豊かな残響を取り入れた臨場感溢れる鮮明な高音質は、本超名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:43コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーブロムシュテット 

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本盤に収められたブルックナーの交響曲全集は、世界的なブルックナー指揮者として名を馳せたヴァントによる唯一のものである。

本全集の完成以降、ヴァントは手兵北ドイツ放送交響楽団やベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル、そしてベルリン・ドイツ交響楽団などとともに数多くのブルックナーの交響曲の演奏・録音を行っているが、新たな全集を完成させることはなかったところだ。

また、本全集を完成して以後の演奏・録音は、第3番以降の交響曲に限られていたことから、本全集に収められた交響曲第1番及び第2番は、ヴァントによる唯一の録音してきわめて貴重な演奏である。

また、本盤に収められた各交響曲の演奏は1974〜1981年にかけてのものであり、ヴァントがいまだ世界的なブルックナー指揮者としての名声を獲得していない壮年期の演奏である。

したがって、1990年代における神々しいばかりの崇高な名演が誇っていたスケールの大きさや懐の深さはいまだ存在していないと言えるところであり、本盤の演奏をそれら後年の名演の数々と比較して云々することは容易ではある。

しかしながら、本盤の演奏においても、既にヴァントのブルックナー演奏の特徴でもあるスコアリーディングの緻密さや演奏全体の造型の堅牢さ、そして剛毅さを有しているところであり、後年の数々の名演に至る確かな道程にあることを感じることが可能だ。

また、本盤の演奏においては、こうした全体の堅牢な造型や剛毅さはさることながら、金管楽器を最強奏させるなど各フレーズを徹底的に凝縮化させており、スケールの小ささや金管楽器による先鋭的な音色、細部に至るまでの異常な拘りからくるある種の神経質さがいささか気になると言えるところではあるが、それでも違和感を感じさせるほどでもないというのは、ヴァントがブルックナーの本質を既に鷲掴みにしていたからにほかならないと考えられる。

そして、このようなヴァントの剛毅で緻密な指揮にしっかりと付いていき、持ち得る能力を最大限に発揮した名演奏を披露したケルン放送交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、本全集は、世界的なブルックナー指揮者として世に馳せることになる後年の大巨匠ヴァントを予見させるのに十分な素晴らしい名全集と高く評価したい。

価格も2200円弱という考えられないような廉価であり、水準の高い名演で構成されたブルックナーの交響曲全集をできるだけ廉価で購入したいという聴き手には、第一に購入をお薦めしたい名全集であると考える。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

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初期盤以降、果たして何度リマスタリングされたのであろうか。

おそらくは概ね2年毎には行われているように思うが、いずれのリマスタリングも、ブライトクランク盤も含め、音質改善効果はわずかであったように思われる。

ところが、本盤はダントツの高音質であり、これを持って、決定盤と評価してもいいのではないか。

それくらい、これまでの既発のCDとの音質の差が著しい。

何よりも、それまでSACDを発売したことがなかったEMIが、ついにSACDの発売に踏み切ったこと自体が快挙であった。

これには、ライバルのユニバーサルやエソテリックの成功が若干なりとも影響しているとは思うが、いずれにしても、これまでの既発のリマスタリングCDとは次元の異なる鮮明な高音質だ。

特に、「エロイカ」での弦楽合奏など、実に艶やかで鮮明な音質がするし、既発のCDでは、音が団子状態で、およそ楽器らしい音がしていなかったホルンや木管楽器の明瞭に分離した鮮明な音質は素晴らしいの一言。

低弦のうなるような重厚さも圧巻の迫力だ。

これだけの高音質になると、演奏に対する評価も俄然変更を余儀なくされる。

フルトヴェングラーは、ライヴでこそ実力を発揮する指揮者であり、筆者としては、本スタジオ録音よりも、「第1」であれば1954年の最晩年のライヴ録音、「エロイカ」であれば1944年のウラニア盤をより高く評価してきたが、本高音質化CDにより、本盤の方を、前述のライヴ録音と同等、あるいはさらに上位に評価してもいいのではないかとさえ考えるようになった。

確かに、ここには夢中になって突き進むフルトヴェングラーは聴かれないが、音符の奥底に潜む内容を抉り出そうとする音楽的内容の深みにおいては、断然、本盤の方に軍配があがることになる。

特に、「エロイカ」については、そのスケールの雄大さから、おそらくは過去のどの名演と比較しても、本盤が随一の名演と評価しても過言ではあるまい。

先般、フルトヴェングラーの後輩であるカラヤンによる来日時のライヴ録音(1977年の普門館ライヴ)が発売され、それは、徹底して音のドラマを追求した超名演であったが、きしくも本盤とカップリング曲が同じ。

ただ、その演奏内容のあまりの極端な違いが、ベートーヴェンの交響曲演奏の傾向の大きな歴史的な変化を示唆していて、実に興味深い。

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2014年09月29日


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本盤に収められたチャイコフスキーの後期3大交響曲集は、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルが、当時、鉄のカーテンの向こう側にあった旧ソヴィエト連邦から、西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音された演奏である。

録音は1960年であり、今から半世紀以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されており、とりわけ第5番については本演奏よりもより優れた演奏も存在しているが、スタジオ録音であることによる演奏の安定性や録音面などを考慮すれば、本盤こそがムラヴィンスキーの代表盤であるということについては論を待たないと言えるところだ。

本盤の各曲の演奏においては、いずれも約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

また、特に、第5番第2楽章のブヤノフスキーによるホルンソロのこの世のものとも思えないような美しい音色は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、第4番の終楽章や第6番の第3楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。

音質は1960年のスタジオ録音ながら、いまだに鮮度を保っているのも素晴らしい。

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classicalmusic at 23:08コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキームラヴィンスキー 

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巨匠マルティノンがシカゴ交響楽団とRCAに遺した、極上のラヴェル管弦楽曲集の復活だ。

マルティノンのアルバムは、フランスのオーケストラを指揮したものが多く取り上げられているに違いないし、シカゴ交響楽団とコンビを組んでいた時代の彼は、必ずしも実力に見合うだけの評価を得ることができず、不遇だったとも伝えられている。

事実マルティノンは、シカゴ交響楽団の音楽監督時代を思い出したくない日々だったと回想したと伝えられており、シカゴ交響楽団にとってもマルティノンの時代をライナー時代とショルティ時代に挟まれた低迷期と位置づけているところだ。

このようにお互いに不幸な関係にあったとされている両者ではあるが、この両者が成し遂げた数少ない名演の1つが、本盤に収められたラヴェルの管弦楽曲集であると言えるのではないだろうか。

筆者にとっては、このアルバムは繰り返し聴いてきた思い出深い1枚であり、マルティノンはアメリカのオーケストラからラテン的な輝きを帯びた色彩と余韻のある音色を、巧みに導き出している。

マルティノンは生前のラヴェルと親交があっただけに、ラヴェルの楽曲を十八番としており、特に管弦楽曲集としては、パリ管弦楽団を指揮した演奏(1974年)が名演として誉れ高いが、本演奏も決して遜色がない名演に仕上がっていると高く評価したい。

マルティノンの演奏はオーケストラのテクスチュアの透明さに特徴があり、繊細なリズムやフレージングの感覚によって際立っていた。

なかでも、自家薬篭中とも言えるフランス近代音楽の演奏においては、現代のインターナショナルになりすぎた指揮者では及びもつかない独特のニュアンスがあり、マルティノンの演奏を不滅のものとしている。

本演奏においてもマルティノンは、ラヴェルによる光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを精緻に表現しているが、どこをとっても気品あふれる情感に満ち溢れており、随所に聴くことが可能なフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいは、これぞフランス音楽を鑑賞する醍醐味があると言えるだろう。

ミュンシュ&ボストン交響楽団の解釈とは対照的な、クールでしかもデリケートな音色感と、シカゴ交響楽団の底力のある名技性が一体となった名演である。

マルティノンの指揮の下、シカゴ交響楽団も卓越した技量を披露していると言えるところであり、とりわけ管楽器のブリリアントな響きと名技にはほれぼれさせられるほどだ。

それにつけても、もう少し長く活躍してほしかった指揮者である。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルマルティノン 

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セル&クリーヴランド管弦楽団による演奏がいかに凄まじいものであったのかが理解できる1枚だ。

このコンビによる全盛時代の演奏は、オーケストラの各楽器セクションが1つの楽器が奏でるように聴こえるという、「セルの楽器」との呼称をされるほどの鉄壁のアンサンブルを誇っていた。

米国においては、先輩格であるライナーを筆頭に、オーマンディやセル、そして後輩のショルティなど、オーケストラを徹底して鍛え抜いたハンガリー人指揮者が活躍していたが、オーケストラの精緻な響きという意味においては、セルは群を抜いた存在であったと言っても過言ではあるまい。

もっとも、そのようなセルも、オーケストラの機能性を高めることに傾斜した結果、とりわけ1960年代半ば頃までの多くの演奏に顕著であるが、演奏にある種の冷たさというか、技巧臭のようなものが感じられなくもないところだ。

本盤に収められた演奏も、そうしたセルの欠点が顕著であった時期の演奏ではあるが、楽曲がマーラーやウォルトン、そしてストラヴィンスキーといった近現代の作曲家によるものだけに、セルの欠点が際立つことなく、むしろセルの美質でもある鉄壁のアンサンブルを駆使した精緻な演奏が見事に功を奏している。

特に、冒頭におさめられたマーラーの交響曲第10番は二重の意味で貴重なものだ。

セルはそもそもマーラーの交響曲を殆ど録音しておらず、本演奏のほかは、第4番(1965年スタジオ録音)と第6番(1967年ライヴ録音)しか存在していない(その他、歌曲集「子供の不思議な角笛」の録音(1969年)が存在している)。

加えて、第10番については、定番のクック版ではなく、現在では殆ど採り上げられることがないクレネク版が採用されているところである。

アダージョのみならず第3楽章に相当するプルガトリオを収録しているのも貴重であり、加えて演奏が精緻にして緻密な名演であることに鑑みれば、セルは、録音の数は少なくても、マーラーに対して一定の理解と愛着を抱いていたと言えるのではないだろうか。

ウォルトンのオーケストラのためのパルティータやストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」は、いずれも非の打ちどころがない名演であり、クリーヴランド管弦楽団による一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを駆使して、複雑なスコアを明晰に音化することに成功し、精緻にして華麗な演奏を展開している。

とりわけ、組曲「火の鳥」の「カスチェイ王の凶暴な踊り」においては、セルの猛スピードによる指揮に喰らいつき、アンサンブルにいささかも綻びを見せない完璧な演奏を展開したクリーヴランド管弦楽団の超絶的な技量には、ただただ舌を巻くのみである。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は、全盛期にあったセル&クリーヴランド管弦楽団による完全無欠の圧倒的な名演と高く評価したい。

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2014年09月28日


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朝比奈はブルックナーの交響曲を得意とし、3度に渡る全集を軸として数多くの演奏・録音を行ってきた。

それらは、我が国におけるブルックナーの幅広い認知に大きく貢献した偉大なる遺産と言えるが、とりわけ1990年代以降の演奏・録音は、現在でもヴァントによる名演と比肩し得る至高の名演揃いであると言えるところだ。

もっとも、本盤に収められたブルックナーの交響曲第7番は、朝比奈&大阪フィルが1975年のヨーロッパ・ツアーの最中にライヴ録音された演奏であるが、1990年代以降の数々の同曲の名演にも匹敵する至高の超名演と高く評価したい。

朝比奈は、本演奏の後にも同曲を何度も演奏・録音し、大阪フィルの技量などにおいてはそれらの演奏の方が本演奏よりもはるかに上であると言えるが、それでも本演奏の持つ崇高な高みにはついに達し得なかったのではないかとさえ思われるほどだ。

何よりも本演奏は、ブルックナーの聖地でもあるザンクト・フローリアン大聖堂での演奏、地下に眠るブルックナーに対する深い感謝の気持ちを込めた史上初めての奉納演奏、そして演奏中ではなく奇跡的に第2楽章と第3楽章の間に鳴ることになった神の恩寵のような教会の鐘の音、そして当日のレオポルト・ノヴァーク博士をはじめとした聴衆の質の高さなど、様々な諸条件が組み合わさった結果、朝比奈にとっても、そして大阪フィルにとっても特別な演奏会であったと言っても過言ではあるまい。

そして、そのような特別な諸条件が、かかる奇跡的な超名演を成し遂げるのに寄与したと言えるのかもしれない。

本演奏終了後、拍手喝采が20分も続く(CDではカットされている)とともに、レオポルト・ノヴァーク博士が本演奏に対して感謝の言葉を朝比奈に送ったこと、そして、とある影響力の大きい某評論家が様々な自著において書き記しているが、当日の一聴衆であったドイツ人が本演奏に感涙し、朝比奈に感謝の手紙を送ったというのも、本演奏がいかに感動的で特別なものであったのかを伝えるものであるとも考えられる。

いずれにしても、本演奏は素晴らしい。

朝比奈は、大聖堂の残響に配慮したせいかブラスセクションをいつもとは異なり抑制させて吹かせているが、それが逆に功を奏し、全体の響きがあたかも大聖堂のパイプオルガンのようにブレンドし、陶酔的とも言うべき至高の美しさを有する演奏に仕上がっている。

悠揚迫らぬテンポで着実に曲想を進行させていくのは朝比奈ならではのアプローチであるが、とりわけ第2楽章の滔々と流れていく美しさの極みとも言うべき清澄な音楽は、本演奏の最大の白眉として、神々しいまでの崇高さを湛えていると評価したい。

なお、一昨年には、同じヨーロッパ・ツアーにおいて、オランダで同曲を演奏したライヴ録音が発売され、ブラスセクションの鳴りっぷりはそちらの方が上であり、聴き手によっては好みが分かれると思われるが、演奏全体の持つ独特の雰囲気など、総合的な観点からすれば、本演奏の方をわずかに上位に掲げたいと考える。

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classicalmusic at 22:48コメント(0)トラックバック(0)ブルックナー朝比奈 隆 

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本盤には、カラヤンが最も得意としたR・シュトラウスの有名な管弦楽曲が収められている。

演奏は1983年のスタジオ録音であるが、これはいわゆるザビーネ・マイヤー事件の勃発後であり、カラヤンとベルリン・フィルの関係が修復不可能にまで悪化した時期である。

カラヤンは、本盤に収められた2曲については、何度も録音しており、各種あるスタジオ録音の中でも特に名高い名演は、ウィーン・フィルとの演奏(1959〜1960年)とベルリン・フィルとの演奏(1972〜1973年)であると考えられる。

このうち、ベルリン・フィルとの1972〜1973年盤については、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビが全盛時代を迎えた時の演奏である。

当該演奏は、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルと各楽器セクションの超絶的な技量を駆使した名演奏に、カラヤンによる流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

これに対して、ウィーン・フィルとの1959〜1960年盤については、名プロデューサーであったカルショウとの録音ということでもあり、ウィーン・フィルによる極上の美演と英デッカによる超優秀な高音質録音が相俟った、美しさの極みとも言うべき至高の名演奏に仕上がっていた。

これら両者相譲らぬ超名演に対して、本盤の演奏は、カラヤンとの関係に大きな亀裂が生じた時代のベルリン・フィルとの演奏。

それでも、さすがにカラヤンならではの重厚で、なおかつ極上の美しさを兼ね備えた名演とは言えるが、1972〜1973年盤と比較すると、前述のような両者の関係の亀裂やカラヤン自身の健康悪化もあって、カラヤンの統率力にも綻びが見られるところであり、演奏の精度や完成度と言った点においては、若干ではあるが落ちると言わざるを得ないだろう。

しかしながら、本盤の演奏には、晩年のカラヤンならではの枯淡の境地とも言うべき独特の味わい深さがあるとも言えるところであり、前述の1972〜1973年盤、さらには1959〜1960年盤とは異なった独特の魅力があると言えるのではないだろうか。

したがって、本盤の演奏は、音のドラマとしてはいささか綻びがみられると言えるものの、人生の諦観さえ感じさせる味わい深さという意味においては、筆者としては素晴らしい名演として高く評価したいと考える。

音質については、1983年のデジタル録音であり、これまでリマスタリングが行われたこともあって、本従来CD盤でも十分に良好な音質である。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスカラヤン 

2014年09月27日


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不世出の大歌手であったシュヴァルツコップは、様々な楽曲において持ち前の名唱を余すことなく披露したが、本盤に収められたシューベルトの歌曲集においても、見事な名唱を披露している。

それにしても、シュヴァルツコップは上手い。

いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけシューベルトの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えない。

そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。

随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。

加えて、シューベルトの歌曲には、常に寂寥感のようなある種の独特の抒情に満ち溢れているのであるが、シュヴァルツコップはそれらの寂寥感溢れる抒情的な旋律における表情づけの巧さも特筆すべきものであり、シュヴァルツコップがいかにシューベルトの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。

エドヴィン・フィッシャーのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていない。

当時、一世を風靡する存在であったエドヴィン・フィッシャーのピアノ演奏は、一聴すると淡々した演奏を展開しているように聴こえるが、よく聴くと、前述のようなシューベルトの音楽特有の寂寥感を有した旋律の数々を絶妙なニュアンスを持って弾いていると言えるところであり、噛めば噛むほどに味わいが出てくるスルメのような内容豊かな演奏と言えるだろう。

したがって、シューベルトの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相俟って、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したい。

なお、当たり前のことではあるが、某レコード会社のフィッシャー=ディースカウのCDとは異なり、歌詞の対訳が付されているのも、最低限の上限を兼ね備えているものと評価したい。

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classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0)シューベルトシュヴァルツコップ 

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スメタナの連作交響詩「わが祖国」は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」と並んで、累代のチェコ出身の指揮者にとっては、最も重要なレパートリーとして位置づけられる名曲中の名曲という存在であり、それらの累代のチェコ出身の指揮者によって優れた名演の数々が生み出されてきた。

チェコ・フィルとの演奏に限ってみても、録音年代については本レビューにおいては省略するが、往年の名指揮者ターリッヒにはじまり、アンチェル、ノイマン、クーベリック、スメターチェクなど、枚挙にいとまがない。

アンチェルによる演奏は1963年のものであるが、ナチスによって家族を虐殺されるという悲劇的な経験をしたアンチェルにとっても、同曲は極めて重要な作品であったと言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたアンチェルによる同曲の演奏は、やたらチェコの民族色を振りかざしたものではない。

即物的な解釈で知られたターリッヒほどではないが、後年のクーベリックやノイマンなどと比較すると、華麗さなどは薬にしたくもなく極めて地味な解釈に徹しており、純音楽的なアプローチによる質実剛健さが持ち味の演奏であるとさえ言えるのではないかと考えられる。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、祖国チェコへの深い愛着、そして、自らが悲惨な経験をしたからこそ強く希求する平和への願いが込められていると言えるところであり、端正にして質実剛健な様相の演奏でありつつも、内に秘めた強靭な生命力、そして祖国チェコへの深い愛着に基づいた豊かな情感には尋常ならざるものがあると言えるところだ。

こうした真に味わい深い演奏こそは、まさに悲劇の指揮者アンチェルだけに可能な彫りの深い表現とも言えるところであり、その意味では、累代のチェコ出身の指揮者による同曲の数々の名演と比較しても、いささかも遜色のない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質については、1963年のスタジオ録音であり、筆者はこれまで1995年に発売された国内CD盤を愛聴してきたが、音場があまり拡がらず、いささかデッドで今一つの音質であったことは否めないところだ。

しかしながら、先般発売された新リマスタリング盤は、音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、既発CDを遥かに上回るの仕上がりである。

いずれにしても、アンチェル&チェコ・フィルによる歴史的とも言うべき素晴らしい名演を、高音質の新リマスタリング盤で味わうことができるのを歓迎したい。

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classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0)スメタナ 

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これは、サヴァリッシュによる最高のスタジオ録音と言えるのではないだろうか。

シューマンの交響曲全集の他の指揮者による様々な名演などと比較しても、上位にランキングされる素晴らしい名全集と高く評価したい。

大抵の全集の場合、4曲の交響曲の演奏の中には、どうしても出来不出来が出てきてしまうものであるが、本全集の場合は、各交響曲の演奏の出来にムラがなく、すべて高水準の名演に仕上がっているのが見事である。

もちろん、各交響曲の演奏それぞれについて見ると、それぞれにより優れた名演が存在しているのは否めない事実であるが、最大公約数的に見れば、本全集ほどに高水準の名演で構成されているものは、他にも殆ど類例を見ないと言っても過言ではあるまい。

このような名全集に仕上がった理由はいろいろとあると思われるが、第一に掲げるべきは、サヴァリッシュとシューマンの楽曲の抜群の相性の良さということになるのではないだろうか。

シューマンの交響曲は、必ずしも華麗なオーケストレーションを全面に打ち出したものではない。

むしろ、質実剛健とも言うべき、ある種の渋さを持った作品とも言えるところであるが、こうした楽曲の性格が、サヴァリッシュのこれまた派手さを一切排した渋みのある芸風と見事に符号するということではないだろうか。

サヴァリッシュは、交響曲全集の他にも、ミサ曲などにおいても名演を成し遂げていることに鑑みれば、こうしたシューマンの楽曲の相性の良さは本物のような気がしてならないところだ。

次いで、オーケストラがシュターツカペレ・ドレスデンであるということだろう。

東西ドイツが統一された後、東独にあった各オーケストラの音色もよりインターナショナルなものに変貌しつつあるが、本盤の演奏当時の1972年頃は、東独のオーケストラには、独特の個性的で重心の低い独特の音色を有していた。

こうした、当時のシュターツカペレ・ドレスデンの独特の音色が、シューマンの楽曲に見事に適合していると言えるところであり、ただでさえ素晴らしいサヴァリッシュによる演奏を、更に魅力的なものに仕立て上げるのに大きく貢献していると言えるところだ。

いずれにしても、本全集は、併録の「マンフレッド」序曲も含め、サヴァリッシュ&シュターツカペレ・ドレスデンによる最高の名演奏、最高のパフォーマンスがなされていると言えるところであり、前述のように、これまで多くの指揮者によって成し遂げられてきたシューマンの交響曲全集の中でも、上位にランキングされる素晴らしい名全集として高く評価したい。

音質は、1972年のスタジオ録音であるが、EMIにしては従来CD盤でも十分に合格点を与えることが可能な良好な音質であった。

また、数年前にはリマスタリングが施されるとともに、HQCD化がなされるに及んで、より一層良好な音質に生まれ変わったと聴感されるところであり、筆者としては当該HQCD盤を愛聴している。

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2014年09月26日


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スメタナの交響詩「わが祖国」はチェコ音楽の一丁目一番地とも言える国民的作品。

それだけに、チェコ・フィルにとっても名刺代わりの作品であり、累代の常任指揮者や錚々たる客演指揮者などがこぞって同曲を録音してきた。

かつてのターリッヒをはじめ、アンチェル、クーベリック、ノイマンなどの大指揮者の名演は燦然と輝いているし、小林研一郎などによる個性的な名演も記憶に新しいところだ。

こうした個性的な名演の中で、いぶし銀とも言うべき渋い存在感を有している名演こそが、本盤に収められたスメターチェクとのスタジオ録音である。

カラヤンと同年に誕生した指揮者ではあるが、実力の割には必ずしも華々しい経歴を有しているとは言えず、チェコ・フィルとの演奏もあまり遺しているとは言い難い。

今や、知る人ぞ知る存在に甘んじているとさえ言えるが、本演奏は、そうした地味な存在であったスメターチェクの実力を窺い知ることが可能な稀代の名演奏であると言っても過言ではあるまい。

本演奏も、スメターチェクの華麗とは言い難い経歴を表しているかのように、華麗さとは無縁の一聴すると地味な装いの演奏である。

テンポもどちらかと言うとやや速めであると言えるところであり、重々しさとは無縁とも言えるところだ。

しかしながら、各フレーズに盛り込まれたニュアンスの豊かさ、内容の濃さ、そして彫りの深さには尋常ならざるものがあり、表面上の美しさだけを描出した演奏にはいささかも陥っていない。

そして、スメターチェクも、同曲の込められた愛国的な情熱に共感し、内燃する情熱を傾けようとはしているが、それを直截的に表現するのではなく、演奏全体の厳しい造型の中に封じ込めるように努めているとも言えるところであり、そうした一連の葛藤が、本演奏が、一聴すると地味な装いの中にも、細部に至るまで血の通った内容の豊かな演奏になり得ているとも言えるのかもしれない。

加えて、本演奏で優れているのは、演奏全体に漂っている格調の高さ、堂々たる風格である。

同曲は、チェコの民族色溢れる名旋律の宝庫であるが、スメターチェクは、陳腐なロマンティシズムに陥ることなく、常に高踏的な美しさを保ちつつ、まさに大人の風格を持ってニュアンス豊かに描き出していく。

これぞ、まさしく巨匠の至芸と言うべきであり、累代の常任指揮者による同曲の名演と比較しても、いささかも遜色のない名演に仕上がっていると評しても過言ではあるまい。

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バレエ音楽に冴えた手腕を発揮したボニングの代表的録音。

19世紀の知られざるバレエや歌劇に大いなる情熱を傾けてきたボニングは、著名作品の原典版の再現にも並々ならぬ意欲を燃やしてきた。

「白鳥の湖」は、各楽器の色彩的な音色感を最大限に生かし、濃厚に歌い上げるロマンティシズムはまさにボニングの独壇場で、ダイナミックなオーケストラの響きがたっぷりと堪能できる。

しかし、思い入れたっぷりのテンポや間のとり方など、やや演出過剰で腰が重く、むしろ長大な交響詩を聴いているような気がする。

「眠りの森の美女」は、ボニングのリズム感のよさと、雰囲気作りのうまさがよくわかる完全全曲版によるスタンダードな名演である。

全体にリズムの切れ味がよい上に、随所にボニングの演出のうまさが光っており、ことに華やかで変化に富んだ第3幕は見事だ。

これでオーケストラのアンサンブルがさらに緊密だったら、音楽は一段と光彩を放っただろう。

「くるみ割り人形」は、ボニングによるチャイコフスキーの3大バレエの録音の中でも、この出来ばえは全作中の白眉と言うべきものだ。

優れたリズム感覚とバレエの雰囲気づくりのうまさは彼の才気と力量が十全に開花した感がある。

各場面は入念に描き込まれ、この名作のメルヘンの世界が情感豊かにまとめ上げられている。

ことに第2幕が素晴らしい。

音質も英デッカによる極めて優秀なものであり、ボニングによる素晴らしい名演を高音質で味わうことができるのを歓迎したい。

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classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキー 

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アバドは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は低迷期にあったと言えるのではないだろうか。

というのも、それ以前にはロンドン交響楽団やシカゴ交響楽団などと豊かな歌謡性と力強い生命力が融合した素晴らしい名演の数々を成し遂げていたにもかかわらず、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してからは借りてきた猫のように大人しい演奏に終始するようになってしまったからである。

アバドも、さすがにベルリン・フィルの芸術監督の荷が重かったせいか病に倒れてしまった。

しかしながら、それが皮肉にもけがの功名となり、大病の克服後は、彫りの深い凄味のある演奏の数々を聴かせてくれるようになった。

そのようなアバドであるが、本盤はベルリン・フィルの芸術監督就任前の絶好調時代のアバドによる演奏だ。

当然のことながら演奏が悪いわけがなく、これは前述のような豊かな歌謡性と力強い生命力が融合したアバドならではのアプローチによる至高の超名演と高く評価したい。

両曲のうち「シンフォニエッタ」については、アバドは1966年にロンドン交響楽団とともにスタジオ録音しているが、本演奏の方がはるかに上出来と言えるだろう。

そうなった理由は、もちろんアバドの円熟もあるが、それと同時にベルリン・フィルの好演によるところも大きいと考えられる。

というのも、本演奏が録音された1987年当時のベルリン・フィルは、ザビーネ・マイヤー事件勃発以降不仲となりウィーン・フィルに軸足を移したカラヤンに対抗するため、ポストカラヤンと目される指揮者とは、圧倒的な名演奏を成し遂げていた。

本演奏も、そうした一連の流れの中での名演奏であり、シンフォニエッタにおける金管楽器のブリリアントな響きなどでカラヤン色をあまり感じさせないのも、当時のベルリン・フィルの団員の心意気を窺い知ることができて大変興味深い。

「消えた男の日記」におけるラングリッジやバリーズの歌唱も見事であり、RIAS室内合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

なお、本盤には、ガーディナー指揮の「タラス・ブーリバ」が収められている。

演奏自体は優れたものであると言えるが、筆者としては、ベスト100を構成するCDとは言えども芸格があまりにも違いすぎる指揮者(もちろんアバドの方が格上)の演奏とのカップリングについては感心するものではなく、メーカーにもこのような安易なカップリングについてこの場を借りて再考を求めておきたい。

録音は従来盤でも十分に満足できる音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質が鮮明になるとともに音場がかなり広くなった。

アバドによる至高の超名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:36コメント(0)トラックバック(0)ヤナーチェクアバド 

2014年09月25日


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これは素晴らしい名演だ。

極上の美演と言っても過言ではないのではないだろうか。

モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲の古典的な名盤としては、他にトリップ(フルート)、イェリネック(ハープ)の各ソロ奏者とミュンヒンガー&ウィーン・フィルによる演奏(1962年)が存在している。

当該演奏に対して、本演奏はすべてフランス人音楽家たちによる演奏。

録音年も1963年でありほぼ同じ時期。

あらゆる意味で対照的な名演が同時期に生み出されたというのも、実に興味深い事と言える。

前述のミュンヒンガー盤がドイツ風の重厚さの中にもウィーン風の優雅さを兼ね備えた素晴らしい名演であったが、本演奏は徹頭徹尾フランス風の名演。

ランパルのフルート、ラスキーヌのハープのいずれもが、フランス風のエスプリに富んだ瀟洒な味わいに満ち溢れている。

加えて、パイヤール指揮のパイヤール室内管弦楽団も、これら各奏者の演奏を巧みに引き立てつつ、実に洒落た味わいの優美な演奏を展開している。

確かに、ミュンヒンガー盤にあった重厚さにはいささか欠けているきらいがないとは言えないが、演奏全体に漂うフランス風の洒落た味わいには抗し難い魅力が満ち溢れており、その味わい深さ、エレガントとも評すべき気品の高さにおいては、本演奏の方に若干軍配が上がると言っても過言ではあるまい。

カップリングされたフルート協奏曲もランパルならではの名演だが、とりわけ、フルートとハープのための協奏曲については、本演奏はミュンヒンガー盤と並んで2強の一角を占める超名演と評価し得るところであり、今後とも、この2強を超える演奏を成し遂げるのは至難を極めると言えるだろう。

録音は、今から50年近く前の録音であるにもかかわらず従来盤でも比較的満足できる音質である。

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classicalmusic at 22:40コメント(0)トラックバック(1)モーツァルト 

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本盤には、稀代の名チェリストであったピアティゴルスキーの遺産が収められているが、何と言ってもドヴォルザークのチェロ協奏曲の演奏が圧倒的に素晴らしい。

バックはミュンシュ&ボストン交響楽団であり、広範なレパートリーを誇ったミュンシュとしても、ドヴォルザークの録音はきわめて珍しいが、本演奏はそのようなことを感じさせない素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも、チェリストにピアティゴルスキーを起用したことが功を奏している。

ピアティゴルスキーは、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの首席チェロ奏者をつとめるなど、一時代を築いた名チェリストではあるが、ロシア人ということもあり、「ロシアのカザルス」と例えられた割には名声においては後輩のロストロポーヴィチの陰にどうしても隠れがちである。

確かに、技量や力感においては、さすがにロストロポーヴィチにはかなわないかもしれない。

しかしながら、一聴すると無骨とも感じる演奏の中に深い情感や豊かな詩情が込められており、随所に聴かれるニュアンスの豊かさにおいては、ロストロポーヴィチにいささかも引けを取っておらず、「ロマンティック・チェリスト」と称されただけのことはあると考えられる。

また、ロストロポーヴィチは、技量があまりにも人間離れしているために、いささか人工的な技巧臭というものが感じられるきらいがないとは言えないが、ピアティゴルスキーのチェロは、あくまでも楽曲の美しさが全面に出てくるような演奏であり、聴き手によっては、ロストロポーヴィチよりも好む者がいても何ら不思議ではない。

このように、技量よりも内容重視のチェリストであるというのは、さすがはフルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの首席チェロ奏者をつとめただけのことがあると言えよう。

ミュンシュは、フランス人でありながら、ドイツ語圏にあるストラスブールの出身であり、ドイツ風の重厚な演奏を数多く行ってきた指揮者でもある。

本演奏においても、ミュンシュは、ドイツ風とも言える重厚なアプローチを披露しており、質実剛健なピアティゴルスキーのチェロ演奏と見事に符号している。

まさに、指揮者とチェリストの息があった稀有の名演と言えるだろう。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークミュンシュ 

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レスピーギのローマ三部作は、様々な指揮者によって数多くの名演が成し遂げられてきている人気作であるが、現在においてもなお、トスカニーニ&NBC交響楽団による超名演を凌駕する演奏はあらわれていないと言えるのではないだろうか。

1949〜1953年にかけてのモノラル録音という音質面でのハンディもあるのだが、数年前にXRCD化されたことによって、ますます決定盤としての地位を不動のものとしつつある。

したがって、他の指揮者は、必然的にナンバー2の地位を争うということにならざるを得ないが、このナンバー2の地位にある演奏こそは、本盤に収められたムーティによる名演であると考える。

ローマ三部作は、レスピーギならではの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを誇るとともに、祖国イタリアの首都であるローマへの深い愛着と郷愁に満ち溢れた名作である。

したがって、イタリア人指揮者にとっては特にかけがえのない作品とも言えるところであるが、必ずしもすべての指揮者が同曲を演奏しているわけではない。

ジュリーニ、アバド、シャイーなどと言った大指揮者が同曲を全く演奏していないのは実に意外な気がするところだ。

これに対して、ムーティ、シノーポリ、そして若手のパッパーノなどが同曲を演奏しており、いずれも名演の名に値すると言えるが、やはり一日の長があるのは年功から言ってもムーティと言うことになる。

ムーティは、手兵フィラデルフィア管弦楽団を巧みにドライブして、実に華麗で躍動感溢れる演奏を展開している。

トゥッティに向けて畳み掛けていくようなアグレッシブな力強さは圧倒的な迫力を誇っていると言えるし、抒情的な箇所における情感の豊かさは、レスピーギのローマに対する深い愛着の念を表現し得て妙だ。

また、フィラデルフィア管弦楽団による好パフォーマンスも本名演に大きく貢献していることを忘れてはならないだろう。

フィラデルフィア管弦楽団は、かつてオーマンディとローマ三部作の名演を成し遂げている(1975年)が、本演奏でもその卓越した技量と色彩感豊かな音色は健在である。

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classicalmusic at 00:48コメント(0)トラックバック(0)レスピーギムーティ 

2014年09月24日


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本盤は、バーンスタインがベルリン・フィルを指揮した唯一の演奏会の記録である。

カラヤンがバーンスタインをベルリン・フィルの指揮台に立たせなかったとの説が横行しているが、筆者は、側近が親分であるカラヤンの気持ちを勝手に斟酌して、そのように仕向けたのではないかと考えている。

比較のレベルが低すぎてカラヤンには大変申し訳ないが、我が国の某党の某幹事長のケースに酷似しているとも言える。

しかも、カラヤンはこの時期、自分のレコーディング人生の最後を飾る作品として、ベルリン・フィルとともにマーラーの「第9」の究極の演奏を目指して、真剣に取り組んでいた。

しかしながら、バーンスタインの同曲への解釈とカラヤンのそれとは北極と南極ほどに大きく異なる。

そんな完全アウェイの中に、バーンスタインは果敢に飛び込んでいった。

その結果、両者の試行錯誤がはっきりと聴き取れる演奏になった。

バーンスタインは、解説書にある表現に例えるなら、あたかも不感症の女性のように、思い通りの音を出そうとしないベルリン・フィルをうなり声まで発して相当にイライラしている様子が窺え、ベルリン・フィルもアンサンブルの乱れなどに、バーンスタインの大仰な指揮への戸惑いが見てとれる。

このような指揮者とオーケストラの真剣勝負の格闘が、本盤に聴くような大熱演を生み出したと言えるだろう。

まさに、一期一会の奇跡の熱演である。

しかしながら、本盤は、果たして繰り返して聴くに足りる演奏と言えるのかどうか。

というのも、筆者は、ベルリン・フィルはともかく、バーンスタインが本演奏に決して満足していなかったのではないかと思うからである。

本盤が発売されたのが、カラヤン没後バーンスタイン存命中ではなく、バーンスタインの没後2年も経ってからであるというのも、それを表しているのではないだろうか。

バーンスタインのマーラーの「第9」の決定盤はあくまでもコンセルトヘボウ管弦楽団との1985年盤。

本盤は大熱演であることは認めるが、バーンスタインのベストフォームとは到底言えず、あくまでも一期一会の記録として記憶にとどめておきたい。

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classicalmusic at 22:57コメント(0)トラックバック(0)マーラーバーンスタイン 

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シューベルトが作曲した数多くの室内楽曲の中での最高傑作としては、いろいろな考え方はあろうかとも思うが、一般的には、弦楽五重奏曲と本盤に収められた弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」が双璧と言うことになるのではないだろうか。

シューベルトには、ウィーンの抒情的作曲家としての側面があるのが事実ではあるが、一聴すると美しい旋律の中に人生への寂寥感や絶望感が込められている。

特に、晩年の作品において顕著であり、前述の両傑作も、表面的には美しい旋律に満ち溢れた楽曲ではあるが、その実は底知れぬ深みを感じさせる作品であるとも言えるだろう。

ただ、かつては、シューベルトを前述のようなウィーンの抒情的作曲家と捉えるという考え方が主流であったことから、「死と乙女」にしても、あまり深刻には陥らず、旋律の美しさに重点を置いた情感豊かな演奏が多かったと言える。

もちろん、「死と乙女」はそもそもかなり悲劇的な様相が強い楽曲だけに、従来型の演奏であっても、その悲劇的な魅力を聴き手に伝えることは十分に可能である。

本盤に収められた、ウィーン・フィルのトップ奏者によって構成されたウィーン弦楽四重奏団による演奏も、そうした従来型の演奏様式に則ったものであり、曲想を精緻に丁寧に描き出して行くというオーソドックスなアプローチを行っている。

したがって、後年に、同じくウィーン出身の奏者によって構成されたアルバン・ベルク弦楽四重奏団が同曲の名演を成し遂げているが、当該名演のように、楽曲の心眼に切り込んでいくような鋭さや凄みはいささかも感じられない。

それ故に、こうしたアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる凄みのある演奏に慣れた聴き手からすると、本演奏では物足りないと感じる聴き手もいるとは思われるが、「死と乙女」という傑作をゆったりとした気持ちで味わうことができるという意味においては、本演奏も素晴らしい名演と評価したい。

そして、本盤でさらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音だ。

各奏者の弓使いまで聴こえる鮮明さは、とても1973年の録音とは思えないほどであり、このような名演を望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)シューベルト 

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本盤には、リヒテルによるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が収められている。

このうち、ラフマニノフについては、初CD化の際には、プロコフィエフのピアノ協奏曲第5番とのカップリングであったと記憶している。

というのも、バックが同じヴィスロツキ&ワルシャワ・フィルであるからであり、協奏曲の演奏はピアニストだけでなく、指揮者やオーケストラがあってこそ成り立つことに鑑みれば、いくら人気曲どうしのカップリングとは言え、本盤のようなカップリングについては若干の疑問を感じざるを得ないことを冒頭に付記しておきたい。

演奏については、何と言ってもラフマニノフがダントツの超名演だ。

今から半世紀以上も前の録音ではあるが、現在でも同曲演奏史上最高峰の名演の地位を譲っていないのは驚異的ですらある。

本演奏では、とにかくリヒテルのピアノが素晴らしい。

同曲はロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた名旋律に彩られた楽曲であるが、リヒテルは豊かな情感を湛えつつ、いささかも哀嘆調には陥らず常に格調の高い演奏を繰り広げている。

超絶的な技量は当然のことであるが、強靭な打鍵から繊細なピアニッシモに至るまで表現力の幅は桁外れに広い。

スケールも極めて雄大であり、その巨木のような雄渾さはあたかも悠久の大地ロシアを思わせるほどだ。

ヴィスロツキ&ワルシャワ・フィルの演奏も、いささかも華美に走らない飾り気のない演奏を展開しているが、その質実剛健とも言うべき名演奏は、リヒテルの素晴らしいピアノを引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

他方、チャイコフスキーについては、ラフマニノフのように同曲演奏史上最高の名演とまでは言い難いが、それでも名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

指揮はカラヤンであり、オーケストラはウィーン交響楽団。

ベルリン・フィルではないのは残念であるが、これは契約の関係で致し方がなかったのかもしれない。

いずれにしても、これは典型的な競争曲になっている。

リヒテルとカラヤンという途轍もない大物芸術家どうしが火花を散らし合う演奏。

絢爛豪華なチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だけに、実にスリリングで面白く聴くことが可能である。

カラヤンは、本盤のリヒテルのほか、ワイセンベルク、ベルマン、キーシンとともに同曲を録音しているが、ピアニストと対等な立場でいわゆる協奏曲の醍醐味とも評価し得る競争的な演奏を繰り広げたのは本演奏だけであったと言えるだろう。

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2014年09月23日


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本盤には、晩年のカラヤンがベルリン・フィルとともにスタジオ録音したワーグナーの管弦楽曲集が収められている。

本盤の演奏は1984年であるが、これはカラヤンとベルリン・フィルの関係が、例のザビーネ・マイヤー事件の勃発によって修復不可能にまで悪化し、抜き差しならない関係にあった時期のものである。

カラヤン&ベルリン・フィルというクラシック音楽史上にも残る黄金コンビの全盛時代は1960年代から1970年代にかけてであるというのは論を待たないところだ。

この時期のベルリン・フィルには、各楽器の奏者史上でもトップを争う名うてのスタープレイヤーがあまた在籍しており、鉄壁のアンサンブルと超絶的な技量を誇っていた。

カラヤンは、このような超名人集団であるベルリン・フィルを統率し、その演奏に流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤン・サウンドと称される重厚にして華麗な音色を醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

音楽内容の精神的な深みの追求という意味においては、前任者のフルトヴェングラーには及ばなかったと言えるが、この時期のカラヤンの演奏には、そうした音楽内容の精神的な深みを絶対視するとともに、偏向的な見解によってカラヤンを不当に貶し続けてきているとある影響力の大きい某音楽評論家を一喝するだけの圧倒的な音のドラマが構築されていた。

したがって、音楽の持つ根源的な迫力においては、フルトヴェングラーによる名演と容易には優劣を付け難い高水準に達していたとも言えるのではないだろうか。

ところが、前述のようなサビーネ・マイヤー事件の勃発による手兵ベルリン・フィルとの関係悪化、そしてカラヤン自身の健康悪化も相俟って持ち前の圧倒的な統率力に綻びが生じてきたところであり、本演奏においても、随所にそれが顕著に表れていると言えなくもない。

カラヤンはベルリン・フィルとともに、その全盛期である1970年代にEMIにワーグナーの管弦楽曲集をスタジオ録音(1974年)しており、それは超名演の呼び声が高い演奏であるが、当該演奏と本盤の演奏を比較すると、演奏の精度においてはその差は歴然としているとも言える。

しかしながら、本盤の演奏には、晩年のカラヤンならではの枯淡の境地とも言うべき独特の味わい深さがあるとも言えるところであり、前述の1974年盤とは異なった魅力があると言えるのではないだろうか。

したがって、本盤の演奏は、音のドラマとしては若干の綻びがみられるものの、カラヤンが自身のこれまでの波乱に満ちた生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような、いわば人生の諦観さえ感じさせる味わい深さという意味においては、筆者としては素晴らしい名演との評価をするのにいささかも躊躇するものではない。

音質については、これまでリマスタリングが行われたこともあって、本従来CD盤でも十分に良好な音質である。

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classicalmusic at 22:45コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーカラヤン 

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これは素晴らしい名演だ。

30代半ばの若き日のポリーニと、80歳を超えた巨匠ベーム、そしてウィーン・フィルとの絶妙な組み合わせであり、演奏が悪かろうはずがない。

モーツァルトの楽曲の演奏については、近年では現代楽器を使用した古楽器奏法による演奏や、ピリオド楽器を使用した演奏が主流となっており、本演奏のような重厚にしてシンフォニックな演奏は稀少なものとなってしまった。

しかしながら、モーツァルトの存命していた時代の演奏の再現に無常の喜びを感じる音楽学者は別として、芸術的な感動という観点からすれば、そうした時代考証学的な演奏が一体どれほどの価値があると言えるのだろうか。

確かに、一部の指揮者による芸術性の高い演奏は存在はしているものの、その殆どは軽妙浮薄な演奏にとどまっていると言わざるを得ない。

そうした演奏の中にあって、本演奏がむしろ時代遅れなどではなく、むしろどれほどの光彩を放っているのかは計り知れないものがあるとも言えるところだ。

演奏自体は、年功から言っても巨匠ベームのペースで行われているというのは致し方ない。

モーツァルトを心から愛し、モーツァルトの交響曲、管弦楽曲、協奏曲、オペラの様々なジャンルにおいて名演の数々を成し遂げてきたベームだけに、本演奏においても、そうしたモーツァルトの楽曲との抜群の相性の良さが発揮されていると言えるだろう。

そのアプローチは、前述のように重厚にしてシンフォニック、演奏全体の造型は例によって堅固そのものであるが、スケールは雄大。

近年主流の軽妙浮薄なモーツァルトの演奏とは一線を画する壮麗さを誇っているとさえ言える。

それでいて、モーツァルトの演奏に必要不可欠な優美さや、時としてあらわれる寂寥感を感じさせる憂いに満ちた旋律もいささかの格調を失うことなく的確に表現し得ており、まさに、かつてのモーツァルト演奏の王道を行くものであると言っても過言ではあるまい。

ポリーニも、こうしたベームの偉大な演奏にただただ従っているだけにはとどまっていない。

卓越したテクニックや研ぎ澄まされた音の美しさは相変わらずであり、そうしたポリーニのピアニズムは随所に発揮されているとも言えるところだ。

それでいて、ベームの懐の深い指揮芸術に触発されたせいか、情感の豊かさにも不足はないと言えるところであり、一部の評論家が指摘しているような無機的な演奏にはいささかも陥っていない。

加えて、ウィーン・フィルによる極上の美演が、演奏に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、巨匠ベームと当時上げ潮にあったポリーニ、そしてウィーン・フィルによる絶妙の組み合わせが見事に功を奏した素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さ、臨場感、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、とりわけ冒頭の繊細な美しさはこの世のものとは思えないような抗し難い魅力を有した響きである。

あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、素晴らしい名演をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:55コメント(0)トラックバック(0)ポリーニベーム 

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本盤にはカラヤンが得意としたグリーグ、シベリウスの有名な管弦楽曲集が収められている。

このうち、グリーグのホルベルク組曲はカラヤンによる唯一の録音であるが、それ以外の楽曲については複数の録音を行っており、本盤に収められている演奏はいずれも最後の録音に相当する。

いずれも、北欧音楽を得意とした巨匠カラヤンの名に相応しい名演であるが、ホルベルク組曲を除くと、カラヤンによるベストの名演とは言い難いところだ。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽界においても最高の黄金コンビと言えるが、この両者の全盛期は1960年代から1970年代にかけてというのが大方の見方だ。

この全盛期においては、ベルリン・フィルの鉄壁のアンサンブルや超絶的な技量をベースに、カラヤンが流麗なレガートを施し、重厚にして華麗ないわゆるカラヤン・サウンドを醸成していた。

そしてこのいわゆるカラヤン・サウンドを駆使した演奏は、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していたと言えるだろう。

ところが、1982年にザビーネ・マイヤー事件が勃発すると、両者の関係には修復不可能なまでの亀裂が生じ、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏にもかつてのような輝きが一部を除いて殆ど見られなくなってしまった。

その意味においては、ホルベルク組曲については、この黄金コンビが最後の輝きを放った時期の演奏でもあり、ベルリン・フィルの分厚い弦楽合奏やカラヤンによる極上の美を誇るレガードが施された至高の超名演に仕上がっていると評価したい。

これに対して、グリーグの組曲「ペール・ギュント」については、両者の関係に暗雲が立てこもりつつあった時期の演奏であるが、演奏自体にはいささかもかかる問題の痕跡は見られない。

もっとも、旧盤(1971年)にあった清澄な美しさに満ち溢れた透明感がいささか失われていると言えるところであり、筆者としては旧盤の方をより上位の名演と評価したい(同曲には、ウィーン・フィルとの1961年盤もあるが、組曲からの抜粋版であり、そもそも比較の対象にはならないと考えられる)。

また、シベリウスの3曲については、両者の関係が最悪の時期でもあり、加えてカラヤン自身の健康悪化もあって、本盤の演奏では、統率力の低下が覿面にあらわれている。

したがって、カラヤンによるこれらの楽曲の演奏を聴くのであれば、透明感溢れる美しさを誇る1960年代の演奏(1964、1965、1967年(DG))または圧倒的な音のドラマを構築した1970年代の演奏(1976、1980年(EMI))の方を採るべきであるが、本演奏には晩年のカラヤンならではの味わい深さがあると言えるところであり、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)グリーグシベリウス 

2014年09月22日


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これは素晴らしい名演だ。

本盤にはリストによるピアノ協奏曲第1番及び第2番、そして「死の舞踏」が収められているが、このうちピアノ協奏曲第1番及び第2番についてはリヒテルとコンドラシン&ロンドン交響楽団による超名演(1961年)や、同曲第1番についてはアルゲリッチとアバド&ロンドン交響楽団による超名演(1968年)にも肉薄する至高の超名演と高く評価したい。

本盤の演奏におけるツィマーマンのピアノは、卓越した技量をベースとしつつ、持ち前の透明感溢れる美しいタッチで、曲想を濃密に描き出していくというものだ。

したがって、リストによる楽曲だけに、とかく人間業を超えたテクニックのみが際立ってしまいがちではあるが、ツィマーマンのピアノ演奏の場合は、そうしたテクニックよりも楽曲の持つ美しさが大きくクローズアップされているのが素晴らしい。

その意味では、リストのピアノ協奏曲が含有する根源的な美しさをはじめて表現し得た演奏と言っても過言ではないと言えるところであり、こうした点に、楽曲への研究が人並み外れて熱心で、技量だけでなく、音楽の内容の深みを徹底して追求していこうとするツィマーマンのピアノ演奏の奥行きの深さの真骨頂があると言えるだろう。

「死の舞踏」では、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅の広さを駆使して、同曲に散りばめられた“怒りの日”の各変奏曲を巧みに描き分けており、ピアノ協奏曲にも比肩し得るような気宇壮大な演奏に仕立て上げているのが見事である。

このようなツィマーマンの圧倒的なピアニズムをしっかりと下支えしているのが、小澤&ボストン交響楽団による名演奏である。

このツィマーマンと小澤という組み合わせは、最近ではラフマニノフのピアノ協奏曲第1番及び第2番(1997年、2000年)においても名演を聴かせてくれており、本演奏は当該演奏の10年前のものであり、その先駆けとなったものであるが、本演奏においても既にそうした両者の息の合った名コンビぶりの萌芽が存在していると言えるだろう。

小澤も、ツィマーマンのピアノ演奏に触発されたことも多分にあるとは思うが、トゥッティに向けて畳み掛けていくような強靭な気迫といい、重厚な迫力といい、まさに申し分のない名指揮ぶりである。

そして、ボストン交響楽団も、そうした小澤の名タクトの下、持ち得る実力を十二分に発揮した迫真の名演奏を展開していると言っても過言ではあるまい。

音質は従来CD盤でも十分に満足できるデジタル録音であり、ツィマーマン、そして小澤による至高の超名演を、高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:36コメント(0)トラックバック(0)ツィマーマン小澤 征爾 

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カラヤンは、独墺系の指揮者としては稀少であるが、シベリウスを得意のレパートリーとしていた。

ザンデルリンクやホルスト・シュタインなどもシベリウスをレパートリーとしていたが、遺された録音の多さからすれば、カラヤンは群を抜いた存在であったと言えるだろう。

交響曲第3番については、録音の計画はあったものの、ついにそれを果たすことなく鬼籍に入ってしまったのが大変残念ではあるが、第1番を除けば、それぞれ複数の録音を行っている。

シベリウスの番号付きの7曲の交響曲の中で、本盤に収められているのは第4番と第5番であるが、カラヤンは第4番を3度、第5番を4度にもわたってスタジオ録音している。

これは、カラヤンがいかにシベリウスの交響曲を深く愛していたかの証左と言っても過言ではあるまい。

そして、一般に評価が高いのは両曲ともDG盤であると言えるところであり、リマスタリングされた国内盤も発売されるなどカタログから消えることはなく現在に至っている。

他方、本盤に収められたEMI盤は、国内盤では単独盤では長らく発売されておらず、不当にも忘れられた存在になりつつあるところだ。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家が、シベリウスの本質からの逸脱などという意味不明な偏向的な論法を用いて、本演奏を事あるごとに貶し続けていることにも起因していると言えるところであるが、果たして、本演奏はそれほどまでに凡庸な演奏と言い切れるのであろうか。

確かに、豪壮華麗な演奏と言える。

当時、全盛期にあったカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビは、鉄壁のアンサンブルを駆使した究極の名演奏を繰り広げていたところであるが、本演奏においてもそれは健在であり、ここには圧倒的な音のドラマが展開されていると言えるだろう。

それでいて、豪快さ一辺倒の演奏にはいささかも陥っておらず、同曲の随所に盛り込まれた北欧の大自然を彷彿とさせる名旋律の数々を徹底して情感豊かに歌い抜いており、まさに剛柔のバランスがとれた圧倒的な名演に仕上がっていると評価したい。

音質は、アナログ録音の完成期のものであるが、EMIだけに必ずしも十分な音質とは言い難い面がある。

もっとも、カラヤンによる超名演であることもあり、可能であればSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)シベリウスカラヤン 

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クラシック音楽をはじめ様々なジャンルの音楽を手掛けてきた稀代のミュージシャンでもあるプレヴィンも、最近では座って指揮をするようになるなど、すっかりと高齢(83歳)になってしまった。

もっとも、NHK交響楽団の首席客演指揮者に就任するなど、指揮への意欲はまだまだ強いようなので、今後は少しでも長生きをして、様々な名演の数々をできるだけ多く聴かせてくれることを望んで止まないところだ。

プレヴィンが、これまでクラシック音楽のジャンルで遺した録音の中で最も偉大な業績は何かと問われれば、私は躊躇なく本盤に収められたラフマニノフの交響曲第2番を掲げたい。

プレヴィンは、若い頃からラフマニノフを得意としており、本盤に収められたロンドン交響楽団とのスタジオ録音(1973年)のほかにも、ロンドン交響楽団(1966年)及びロイヤル・フィル(1985年)とのスタジオ録音を行っている。

しかしながら、本盤に収められた演奏こそは、プレヴィンによるラフマニノフの交響曲第2番のベストの名演であるとともに、他の指揮者による様々なラフマニノフの交響曲第2番にも冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

プレヴィンのアプローチは、ラフマニノフ特有の甘美な旋律の数々を徹底して美しく歌い上げるというものである。

もっとも、そのような演奏は、近年、急速にその人気が高まっているラフマニノフの交響曲だけに、他にも数多く存在しているが、プレヴィンの演奏の素晴らしいのは、どこをとっても陳腐なロマンティシズムに陥ることがなく、格調の高さをいささかも失っていないという点にある。

要は、とかくラフマニノフの演奏では、旋律のあまりの甘美さ故に、厚手の衣装を身にまとったような重々しい演奏やお涙頂戴の哀嘆調の演奏などが散見されるが、プレヴィンの場合は、いささかも重々しくなることはなく、さりとて軽薄になることもなく、各種旋律を格調の高さを保ちつつ情感豊かに歌い抜くという、ある意味では難しい剛柔のバランスのとれた演奏を実現しているのである。

かかる演奏は、まさにラフマニノフ演奏の理想像の具現化と言えるところであり、それ故に、本盤が現在においても随一の名演であり続けるとともに、その後の演奏に大きな影響力を発揮するという普遍的な価値を有している所以であると考えられるところだ。

加えて、第2番はそれまで大幅なカットを施して演奏されていたのを、史上初めて完全全曲版により演奏したものであり、同曲の真の魅力を広く世に知らしめるとともに、その後広く普及することとなった完全全曲版による演奏に先鞭をつけたという意味においても、本演奏の意義は極めて大きいものであることを忘れてはならない。

なお、前述のように、プレヴィンは、ロイヤル・フィルとともに第2番を再録音しているが、当該演奏はテンポが若干遅くなるなど円熟の名演ではあると言えるものの、若干角が取れた分だけいささか甘美さに傾斜した点が見られなくもないところであり、筆者としては、若干ではあるが本演奏の方をより上位に置きたいと考える。

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2014年09月21日


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ドイツ・レクイエムはブラームスの作曲した声楽作品の最高峰であるだけでなく、ブラームスの最高傑作と評価する識者もいるほどの偉大な作品である。

それだけに、これまで様々な指揮者によって数多くの演奏・録音が行われてきているが、クレンペラーのスタジオ盤(EMI)は、録音から既に50年が経過しているにもかかわらず、現在でもなおトップの座を争う至高の超名演であるが、本演奏もクレンペラー壮年期の貴重な録音として聴き逃すことはできない。

1956年当時のクレンペラーならではの引き締まったテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。

奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏とも言える。

それ故に、同曲の厳粛かつ壮麗さが見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた比類のない演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

木管楽器を時として強調させているのもクレンペラーならではの表現と言えるが、それが演奏全体に独特の味わい深さを付加させている点も忘れてはならない。

この演奏においては、スムーズな響きや、しなやかなフレージングといったものは希薄であるが、決して硬直した演奏になっているわけではなく、推進力や勢いがあって、切れ味鋭いアクセントやフレージングによって、作品の世界を峻厳なる表現によって描きつくし、そしてそれが精神の輝きとなって放射しているような感すらあって、聴いていてただならぬ感動に打ちのめされてしまったところだ。

こうして聴いてみると、ケルン放送響時代のクレンペラーの演奏には、他の時期とは異なった特色があり、クレンペラーの心身の充実と、自身の持ち味であるザッハリヒさと、ケルン放送響のアンサンブルとの相性とによる相乗効果によって、この時期ならではの独特な完成度と充実感があると言える。

独唱陣も超豪華な布陣であり、清楚な美声のグリュンマー、若きプライの朗々とした迫力ある歌も実に魅力的であり、その歌唱の素晴らしさはあらためて言うまでもないところだ。

クレンペラーの確かな統率の下、ケルン放送交響楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、このCDの音質は大変に秀逸で、デジタルマスタリングが行われてはいるものの、放送局のオリジナルマスターに記録されていたであろう音の雰囲気があまり損なわれておらず、音のキレや力感、硬質のカッチリした響きといったものを堪能することができる。

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classicalmusic at 23:14コメント(0)トラックバック(0)クレンペラーブラームス 

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1971年8月13日、ザルツブルク祝祭大劇場でのステレオ・ライヴ録音で、2大名曲を取り上げた有名なコンサートを完全再現したディスクである。

1950年代から60年代初頭にかけて英デッカ、EMIにかなりの録音を残したクーベリックとウィーン・フィルの共演は、この演奏会の後、DGへベートーヴェン:交響曲全集の第7番の録音が行われたのを例外として途絶えてしまった。

そのようなこともあって、両者の相性の悪さが指摘されることもあるが、この演奏会は総じて素晴らしいものである。

ウィーン・フィルのエレガントな味と、クーベリックのハッタリのないストレートな表現が見事にマッチして、バイエルン放送響との演奏にはないクーベリックの違った魅力を堪能できる。

前プロ『ジュピター』からしてウィーン・フィルの美言が聴きもので、クーベリックならではのストレートな表現とウィーン・フィルのエレガントな音色がかみ合った美演を聴かせている。

しかし注目はなんと言っても『エロイカ』で、名高いベルリン・フィルとの録音を上回るほどの風格を持った力演。

第1楽章から気宇壮大で巨大でありながらも、各パートが立体的で非常に彫りが深く、力強い音楽を響かせているのはまさに大指揮者の棒である。

第2楽章はこの上なく沈鬱に進められているが、一昔前のオーケストラの、何ともいえない節回し(木管楽器)が聴ける。

特にヴィブラートが抑えられたオーボエが素敵で、そのすばらしい歌い回しに陶然としてしまう。

一転、フーガの部分における激情ぶりには凄まじいものがある。

第3楽章は力点が明確でメリハリが効いており、トリオでのウィンナ・ホルンも味わい濃厚だ。

第4楽章での狙いすました音楽運びと雄大な表現も、この指揮者の実演での魅力が十二分に発揮されており、コーダの激しさも特筆ものだ。

クーベリックはセッション録音とライヴでは全く違った顔(激情型に大変身する)を見せる典型的な指揮者だと再確認させられたところであり、そこがまた魅力でもあるのだ。

録音は、両曲冒頭に若干の機材ノイズが混入しているが、音質は概ね良好で、クーベリックの激しい足踏みも随所でキャッチされていて臨場感も十分である。

交響曲好きには見逃せない大注目盤と言えるところであるが、なぜかこれほどの大名演が評論家筋の推薦本にはまず出てこないのが不思議でならない。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)クーベリックベートーヴェン 

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カラヤンは様々なジャンルの音楽に名演を遺してきたが、その中でもオペラは最も得意の分野であった。

そうしたカラヤンのオペラのレパートリーの中でもワーグナーは重要な位置を占めていたが、録音運に恵まれていたかと言うと、必ずしもそうとは言い切れない面がある。

舞台神聖祝典劇「パルシファル」、楽劇「ニーベルングの指環」、そして楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、カラヤンならではの至高の名演と言えるが、他のオペラは、歌手陣などに条件が整わなかったこともあって、カラヤンの本領が発揮されたとは言い難い状況にある。

それ故に、本盤のように、ワーグナーのオペラの序曲や前奏曲を集めた録音は大変貴重である。

カラヤンは、本盤の前後にも同様の序曲・前奏曲集を遺してはいるが、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期を考慮すると、本盤こそが、最高の名演と高く評価すべきものと考える。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の演奏はそれは凄いものであった。

うなりを上げるような低弦をベースとした弦楽器群の豊麗かつ重厚な響き、悪魔的とも評すべき抜群のテクニックを示すブラスセクションのブリリアントな響きや木管楽器の美しい響き、雷鳴のように轟きわたるティンパニの響きが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、いわゆるカラヤン・サウンドと称される極上の美を誇る名演奏を繰り広げていた。

これまでのオーケストラが成し得た究極の音のドラマを構築していたとも言えるところであり、本盤の各序曲や前奏曲等の演奏も、そうした全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマが構築されていると言っても過言ではあるまい。

冒頭の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1幕への前奏曲の堂々たる進軍は、シュターツカペレ・ドレスデンとの全曲録音(1970年)よりもこちらの方の出来が上であるし、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲の緩急自在のテンポ設定を駆使した演奏は、いかにも演出巧者らしいカラヤンの真骨頂である。

また、楽劇「ローエングリン」の第3幕への前奏曲の力感溢れる演奏は圧巻の迫力を誇っており、我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

さらに、歌劇「タンホイザー」序曲の壮麗にしてスケール雄大な演奏は、全盛期のこのコンビだけに可能な超名演である。

そして、楽劇「ローエングリン」の第1幕への前奏曲や楽劇「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と愛の死の官能的な美しさは、おそらくはオーケストラが紡ぎ出すことが可能な究極の美を表現し得ているとも言えるところであり、美しさという点においては、おそらくは古今東西のあらゆる名演に冠絶する最美の超名演と高く評価したいと考える。

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classicalmusic at 00:45コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーカラヤン 

2014年09月20日


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1999年2月13日、フィレンツェで行われたイタリアのユース・オーケストラ“オルケストラ・ジョヴァニーレ・イタリアーナ”とのライヴ録音の登場だ。

ジュリーニは1998年に引退を公式に表明していたということもあり、この公演は「公開総練習」という形で行われたということである。

なお、ジュリーニはこの2ヵ月後の4月30日にも、ミラノでジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団を指揮して同じく「田園」を指揮しているので、よほどこの作品が気に入っていたものと思われる。

実際、CDでも前項で掲げたニュー・フィルハーモニア管(1968 EMI)、ロサンゼルス・フィル(1979 DG)、ミラノ・スカラ座フィル(1991 SONY)と3つのセッション録音を残していてどれも見事な仕上がりを示していたし、実演でも1990年にベルリン・フィルを指揮して演奏していた。

今回のCDでは、オーケストラがユース・オーケストラということで、若い音楽家たちが見せる熱意が演奏を非常に瑞々しく感動的なものとしており、演奏終了後にはジュリーニから思わず「ブラーヴォ」の声が漏れているとか。

若い音楽家たちは、すっかりジュリーニのペースに巻き込まれている。

第1楽章の最初からして、いったいこれが若者たちの奏でる音楽かと驚くほかないような穏やかな表情で始まる。

イタリアらしい明るく柔らかい弦楽器のハーモニーも印象的だが、それにもまして、ゆったりと甘美に歌う第2楽章と言ったら。

単にきれいなだけではない。

音楽は深い平和と幸福を感じさせつつ静かに進んでいく、まるで天上のしらべのようだ。

あらゆる楽器がひとつの大きな流れの上に身を委ねて、ゆっくりと通り過ぎていく、完璧にジュリーニの最晩年の音楽である。

そして知らず知らずのうちに、聴き手も演奏家たちと同じくこの静謐な楽園の空気を呼吸する。

さかのぼること8年前、ジュリーニはミラノ・スカラ座フィルと「田園」を録音していた。

そちらもまた魅力的な演奏ではあるが、趣の深さという点では、若者たちの奏でる音楽はそれすらを凌駕しているのだ。

これには驚くほかないではないか。

知らなかったことを教わり、それを音にして、自らが出した音=表現に心揺さぶられる。

自分で音を作る行為を勉強している人にとっては最高の録音だと思う。

このような喜びの記録はプロの録音からは聴けない、音楽を作り深めていく瞬間の貴重な記録。

完成途上の音楽を批判することはたやすいが、この根源的な発見の驚きと喜び音として聴けるだけで、わかる人には何物にも変えがたいだろう。

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classicalmusic at 22:20コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンジュリーニ 

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ジュリーニは、イタリア人指揮者であるが、独墺系の作曲家による楽曲も数多く演奏した大指揮者であった。

ブラームスの交響曲全集は2度も録音しているのに対して、意外にもベートーヴェンの交響曲全集は1度も録音していないところだ。

これほどの大指揮者にしては実に不思議と言わざるを得ないと言えるだろう。

ジュリーニは、最晩年に、ミラノ・スカラ座歌劇場フィルとともに、ベートーヴェンの交響曲第1番〜第8番を1991〜1993年にかけてスタジオ録音を行った(ソニー・クラシカル)ところであり、残すは第9番のみとなったところであるが、1989年にベルリン・フィルとともに同曲を既にスタジオ録音していた(DG)ことから、かつて在籍していたDGへの義理立てもあって、同曲の録音を行わなかったとのことである。

このあたりは、いかにもジュリーニの誠実さを物語る事実であるが、我々クラシック音楽ファンとしては、いささか残念と言わざるを得ないところだ。

それはさておき、本盤に収められたのは、1968年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団とともにスタジオ録音を行った交響曲第6番、1972年にロンドン交響楽団とともにスタジオ録音を行った第8番及び第9番である。

1970年前後と言えば、ジュリーニの全盛期であるだけに、演奏は、諸説はあると思うが、後年の演奏よりも数段優れた素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも、テンポ設定が、後年の演奏ではかなり遅めとなっており、とりわけ交響曲第9番においては、演奏自体に往年のキレが失われているきらいがあることから、筆者としては、これら両曲のジュリーニによる代表盤としては、本盤を掲げたいと考えているところだ。

演奏の様相はオーソドックスなもので、後年の演奏とは異なり、ノーマルなテンポで風格豊かな楽想を紡ぎだしている。

そして、ジュリーニならではのいささかも隙間風の吹かない、粘着質とも言うべき重量感溢れる重厚な響きも健在であるが、いささかの重苦しさを感じさせることはなく、歌謡性溢れる豊かな情感が随所に漂っているのは、イタリア人指揮者ならではの面目躍如たるものと言えるだろう。

いわゆる押しつけがましさがどこにも感じられず、まさにいい意味での剛柔のバランスがとれた演奏と言えるところであり、これは、ジュリーニの指揮芸術の懐の深さの証左と言っても過言ではあるまい。

ニュー・フィルハーモニア管弦楽団とロンドン交響楽団もジュリーニの統率の下、名演奏を展開しており、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを発揮している。

いずれにしても、本盤に収められた3曲の演奏は、ジュリーニならではの素晴らしい名演であるとともに、ジュリーニによるそれぞれの楽曲の演奏の代表的な名演と高く評価したいと考える。

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2011年よりSACDの発売を開始したEMIであるが、これまではフルトヴェングラー、アルゲリッチ、ラトルによる演奏に限られていたところであった。

このような中で、今般、その他の大指揮者による数々の名演のSACD化が行われることになったのは何という素晴らしいことであろうか。

クレンペラーやセル、カラヤンなどによる名演のSACD化は、昨年より急速に息を吹き返しつつあるSACDの更なる広範な普及に繋がるものとして、大いに歓迎したいと考えるものである。

本盤に収められたデニス・ブレインとカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団によるモーツァルトのホルン協奏曲は、同曲演奏史上最高の超名演として、現在においてもその地位にいささかの揺らぎがない歴史的な演奏と言えるだろう。

カラヤンは、後年、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後、首席奏者であったゲルト・ザイフェルトとともに同曲をスタジオ録音(1968年)しており、それも素晴らしい名演ではあるが、本盤の演奏の持つ後述のような独特の魅力には及んでいないのではないかと考えられるところだ。

また、同曲については、ホルン協奏曲の絶対数が少ないということもあって、これまで名うての名ホルン奏者がこぞって録音を行ってきている。

前述のゲルト・ザイフェルトだけでなく、シヴィル、ペーター・ダム、ヘーグナー、タックウェル、クレヴェンジャー、ティルシャルなど、いずれ劣らぬ個性的な名演を披露してはいるが、デニス・ブレインによる独特の魅力的な演奏には敵わないのではないかと考えられる。

デニス・ブレインのホルン演奏は、卓越したテクニックもさることながら、その音色の朗々たる美しさには際立ったものがあり、どこをとっても技巧臭がせず、コクのある豊かな情感が込められているのが素晴らしいと言える。

旋律の歌い方もごく自然であり、演奏全体のスケール雄大で、線の細さなどいささかも感じられない骨太の音楽が構築されていると言っても過言ではあるまい。

この当時、デニス・ブレインは、若干32歳の若さではあったが、若さを感じさせない成熟した名演奏を展開していると言えるところであり、まさに天才の所業と言っても過言ではあるまい。

かかるデニス・ブレインの圧倒的なホルン演奏を下支えしているのが、若き日のカラヤンとフィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演奏である。

本演奏でのカラヤンによるアプローチは、後年の演奏のようにレガートを駆使した流麗かつ重厚なものではなく、むしろ颯爽とした新鮮な息吹を感じさせる強靭な生命力が全体に漲っており、デニス・ブレインのホルン演奏を引き立てつつ、気迫に満ち溢れた爽快な名演奏を展開している点を高く評価したい。

音質は、モノラル録音ではあるが、これだけの歴史的な名演だけに、これまで疑似ステレオ化やリマスタリング盤、HQCD盤、LPからの板おこし盤など、数々の高音質化への取組が行われてきたところであり、それぞれに良好な音質に仕上がっていたと言える。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

デニス・ブレインの息遣いまでが聴こえる鮮明さは殆ど驚異的であり、弦楽合奏の艶やかな美しさなど、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、デニス・ブレイン、そしてカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団による歴史的な名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したいと考える。

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2014年09月19日


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ホルストの組曲「惑星」を、プレヴィンは2度にわたってスタジオ録音を行っている。

最初の録音が本盤に収められたロンドン交響楽団との演奏(1973年)、そして2度目の録音がロイヤル・フィルとの演奏(1986年)である。

いずれ劣らぬ名演と評価したいが、筆者としては、プレヴィンの全盛期はロンドン交響楽団とともに数々の名演を成し遂げていた1970年代前半であると考えており、本盤に収められた演奏の方をより上位に掲げたいと考える。

プレヴィンは、自らの得意のレパートリーをロイヤル・フィルとともに再録音しているが、例えばラフマニノフの交響曲第2番などにもみられるように、ロンドン交響楽団との旧録音の方がより優れているケースが多いと言えるのではないだろうか。

それにしても、本演奏は素晴らしい。

何が素晴らしいかと言うと、とにかく奇を衒ったところがなく、組曲「惑星」の魅力を指揮者の恣意的な解釈に邪魔されることなく、聴き手がダイレクトに味わうことが可能であるという点である。

同曲はあまりにもポピュラーであるため、個性的な解釈を施す指揮者も多く存在しているが、本演奏に接すると、あたかも故郷に帰省してきたような安定した気分になるとも言えるところだ。

プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンである。

それ故にこそ、本演奏のようなオーソドックスなアプローチをすることに繋がっていると言えるだろう。

楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追究が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。

組曲「惑星」も、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて、後年のロイヤル・フィルとの演奏とも異なり、若さ故の力強い生命力も相俟って、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

クラシック音楽入門者が、組曲「惑星」を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。

いずれにしても、本演奏は、プレヴィンによる素晴らしい名演であり、同曲を初めて聴く入門者には、第一に推薦したい名演であると評価したい。

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カルロス・クライバーは、その実力の割には極端にレパートリーの少ない指揮者として知られているが、本盤に収められているシューベルトの交響曲第8番「未完成」及び第3番については、その数少ないレパートリーの1つとして稀少な存在である。

ひとたびレパートリーとした楽曲については、クライバーは何度も演奏を繰り返したが、ベートーヴェンの交響曲第4番や第7番などと比較すると、シューベルトの交響曲については著しく演奏頻度が低く、その意味でも本盤の演奏は極めて貴重なものと言えるだろう。

それにしても、演奏は素晴らしい。

「未完成」について言えば、同曲のウィーン風の情感に満ち溢れた旋律の数々を歌い抜くワルターなどによる演奏が名演の主流を占めているが、クライバーによる演奏は、それとは異なる性格を有している。

テンポはやや速めであり、旋律も歌い抜くという感じではない。

むしろ、クライバーの颯爽とした華麗な指揮ぶりを彷彿とさせるような、スマートな演奏であるとも言える。

ここはもう少し情感豊かに歌って欲しいと思われる箇所についても、あっさりと通り過ぎてしまう。

したがって、一聴すると物足りなさを感じさせるとも言えなくもない。

しかしながら、よく聴くと、楽曲の細部にわたって驚くほどの細やかなニュアンスが込められていることがわかるところだ。

例えば、「未完成」の第1楽章においては、第1主題と第2主題のテンポを殆ど気づかれない程度に変えているということであり、これによって、第1楽章の明暗の対比を見事に表現するのに成功している。

また、第2楽章も、その様相は決して歌わない演奏ではあるが、各旋律の端々には独特の細やかな表情づけがなされており、書道家に例えて言えば、本演奏こそはまさに名人に一筆書きと言った趣きがあると言えるだろう。

交響曲第3番については、他に強力なライバル盤が存在しないことから、クライバーの独壇場。

クライバーの颯爽とした指揮ぶりも楽曲の性格に符号しているとも言えるところであり、同曲演奏史上最も生命力に満ち溢れた力感の込められた名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質については、数年前にSHM−CD盤が発売されるなど、高音質化への不断の努力が行われてきたが、ついに今般、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びとなった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クライバーによる至高の名演を、現在望みうる最高の高音質シングルレイヤーによるSACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:34コメント(0)トラックバック(0)シューベルトクライバー 

2014年09月18日


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本盤には、シューベルトの最晩年の傑作である歌曲集「冬の旅」が収められている。

歌曲集「冬の旅」は、恋に破れ、さすらいの旅に出た若者を歌った救いようもない絶望的な暗いストーリーを、シューベルトならではの寂寥感溢れる美しい旋律が散りばめられた24曲にも及ぶ歌曲で描き出した傑作である。

その内容の深さには尋常ならざるものがあると言えるところであり、シューベルトの他の作品で言えば、最後の3つのピアノ・ソナタ(第19番〜第21番)や弦楽五重奏曲ハ長調、交響曲第9番「ザ・グレート」などにも比肩する崇高さを湛えていると言えるだろう。

いずれにしても、同歌曲集は、歌曲の王と言われたシューベルトの膨大な数に及ぶ歌曲の中でも最高傑作であるだけでなく、あらゆる作曲家による歌曲の中でもトップの座に君臨する不朽の名作と言っても過言ではあるまい。

これだけの名作だけに、フィッシャー=ディースカウは、同歌曲集をスタジオ録音だけでも7度という途轍もない数の録音を行っているところだ。

その中で、随一の名演を1つ選ぶということであれば、筆者としては、本盤に収められたマレイ・ペライアとともに演奏を行ったスタジオ録音(1990年)を掲げたい。

1990年といえば、フィッシャー=ディースカウにとって晩年の時期に相当し、声の衰えはいかんともしがたいものがあるが、それだけに以前の録音よりも本歌曲集の本質に鋭く切り込んでいくという気概漲る圧倒的な名唱を披露している。

フィッシャー=ディースカウの歌唱は、あまりにも巧いために、その巧さが鼻につくケースも散見されるところであるが、本演奏においては、巧さにおいては申し分がないものの、技巧臭などはいささかも感じさせず、むしろシューベルト晩年の音楽の寂寥感や深みを心行くまで堪能させてくれるのが素晴らしい。

あたかも、フィッシャー=ディースカウが主人公である若者の化身となったような趣きさえ感じられるところであり、これだけ同歌曲集の魅力を堪能させてくれれば文句は言えまい。

もっとも、かかるフィッシャー=ディースカウによる歌唱は、同曲異演盤でも他の演奏の追随を許さない名演に仕上がっていたが、歌曲集「冬の旅」の場合は、その内容の奥行きのある深遠さに鑑みて、より楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような凄みといった点で本盤を掲げたところだ。

マレイ・ペライアのピアノ演奏についても同様のことが言えるところであり、シューベルトによる美しい旋律の数々を情感豊かに描き出しており、その表現には、凄みと彫りの深さがあり、フィッシャー=ディースカウによる名唱の引き立て役としても十分にその任を果たしていると言えるだろう。

したがって、本演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではないが、フィッシャー=ディースカウの声の衰えを考慮すれば、唯一無二の名演と評価するのは困難であることを指摘しておきたい。

音質については、1990年のデジタル録音であり、フィッシャー=ディースカウの息遣いやマレイ・ペライアのピアノタッチが鮮明に再現されている。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&マレイ・ペライアによる名演を、高音質録音で味わうことができるのを歓迎したい。

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classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)シューベルトF=ディースカウ 

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凄い演奏が登場した。

ヴァイトブリックレーベルから発売されているスヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団による一連のライヴ録音はいずれも凄い演奏揃いであるが、本盤のブラームスの交響曲全集もそれら既発の演奏に優るとも劣らないような豪演と言えるであろう。

スヴェトラーノフによるブラームスの交響曲全集と言えば、かつての手兵であるソヴィエト国立交響楽団とともに行ったライヴ録音(1981年)がいの一番に思い浮かぶ。

旧ソヴィエト連邦時代のオーケストラによる演奏であること、そしていまだ円熟には程遠いスヴェトラーノフ壮年期の演奏であったこともあり、ロシア色濃厚な演奏に仕上がっていた。

これに対して、本全集の演奏は、意外にも、その様相はドイツ正統派の演奏とも言うべきオーソドックスなアプローチに徹しているとも言える。

スヴェトラーノフが、例えばラフマニノフなどの交響曲などにおいて行うような超スローテンポの演奏など薬にしたくもなく、中庸というよりはむしろ若干速めのテンポで曲想を進行(特に、交響曲第1番)させていると言えるところだ。

旧全集よりも約5年程度しか経っていないにもかかわらず、その演奏の性格がかなり異なっているとも言えるが、これは、オーケストラが手兵のソヴィエト国立交響楽団ではなかったことも影響していると言えるのかもしれない。

それでも、各交響曲の演奏の細部をよく聴くと、必ずしもオーソドックス一辺倒の演奏になっていないというのはいかにもスヴェトラーノフならではのものと言える。

トゥッティにおける途轍もない強靭な迫力、猛烈なアッチェレランド、緩徐楽章における心を込め抜いた濃密な歌い方、そして、何と言ってもスヴェトラーノフならではのいつ果てることのないフェルマータの強調など、個性的な解釈にも事欠かないと言えるところだ。

もっとも、そうした個性的な解釈を随所に施しつつも、演奏全体の造型をいささかも弛緩させることにはならず、ドイツ音楽としての演奏様式の伝統、言い換えれば、いわゆるブラームスの交響曲らしさを逸脱することになっていないのが素晴らしい。

これは、スヴェトラーノフが、得意のロシア音楽のみならず、独墺系の音楽についても深い理解を有していたことの証左ではないかとも考えられるところだ。

そして、スヴェトラーノフのオーソドックスな中にも随所に個性的な解釈を施した独特の指揮の下、一糸乱れぬアンサンブルを示しつつ見事な名演奏を展開したスウェーデン放送交響楽団の好パフォーマンスにも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、筆者としては、本盤のブラームスの交響曲全集は、スヴェトラーノフによるブラームスの各交響曲の演奏の代表的な名演で構成される素晴らしい名全集と高く評価したいと考える。

音質も、1980年代のライヴ録音ではあるが、最新録音とさほど遜色がないような十分に満足できる良好なものと評価したい。

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classicalmusic at 21:03コメント(0)トラックバック(0)ブラームススヴェトラーノフ 

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百万ドル・トリオは、多くの録音を残しているが、チェロがフォイアマンであった時期の録音は、残念ながら非常に少ない。

そして、理想のメンバーが《大公》を手がけたこの録音は、黄金時代の彼らの桁はずれの力量が見事に発揮された不滅の名演になっている。

昔から知られた名盤であるが、個性の強いスター3人の共演ゆえ、所謂ありきたりの名盤ではない。

室内楽と言えば連想される親密な対話はここにはなく、あるのは、ハイフェッツとルービンシュタインというまったく芸風の違う二人による火花散る真剣勝負に、フォイアマンが絡むという図式は、面白くないはずがない。

3人の巨匠たちがブリリアントに渡り合う緊迫したスケールの大きい共演は、協奏曲風ともいえる華やかでスリリングなアンサンブルを生んでいるが、そこに漲る手に汗を握る興奮や圧倒的な緊張感は、これ以上は考えられないほど強力な説得力を生んでいる。

本気になった名手たちの真剣勝負は実にスリリング、録音の古さなど忘れさせてしまう。

歴史的名盤という言葉は、こうした演奏のために存在するのではないだろうか。

まさに完璧ともいえるアンサンブルを実現させた3人の巨匠たちは、輝かしく張り詰めた表現を余裕をもって繰り広げながら、圧倒的に凝縮された演奏を味わわせてくれるのである。

まさに豪放にして華麗な演奏であり、これに匹敵する器や表現力を示している演奏は、他にカザルス・トリオぐらいのものであろう。

カップリングのシューベルトにも同様のことが言えるところであり、当盤は永遠不滅の名演奏である。

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classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)ルービンシュタインハイフェッツ 

2014年09月17日


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シェリングとクレンペラーという夢の共演が実現したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の登場だ。

1957年秋のベートーヴェン・ツィクルス(その素晴らしい演奏の模様は「第9」やアラウとの協奏曲で聴くことが出来る)に続いて、クレンペラーが指揮をした1959年のベートーヴェン・フェスティヴァル(1958年はクレンペラーの生死に関わるといわれた大火傷によってベイヌムが指揮をとった)におけるコンサートのライヴ録音である。

クレンペラーはこの年、全8回のコンサートを指揮、全9曲の交響曲のほか、序曲や3曲のピアノ協奏曲(独奏はアンソニー・ディ・ボナヴェントゥラ)が演奏されたが、シェリングをソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲の演奏は、中でもひときわ高い感銘を聴衆に与えた。

「これほどの力強さ、輝かしさ、たくましさをもって、この作品に取り組めるヴァイオリニストが現在何人いるだろうか」と、当時のデイリー・テレグラフ紙も絶賛していた。

実際、ここでのシェリングは彼独特の構成感と艶やかな音色、そして何よりもその貴族的ともいえる優雅さで全曲を圧倒し、聴き手を最後まで釘付けにしている。

さらに、クレンペラーのサポートが凄く、彼は1966年にメニューインとともにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲をEMIに録音しているが、何度もリハーサルや実演を重ねたにもかかわらず、本人にとって決して満足のいく出来栄えではなかったようだ。

また、1957年のツィクルスの際にも、トッシー・スピヴァコフスキーのソロで同曲を演奏しており、レコーディングの要望もあったようだが、クレンペラーはそれを拒否。

クレンペラーのベートーヴェンのスコアに対する妥協のない厳しい姿勢を完全に理解することは、並大抵のヴァイオリニストにとっては至難の業なのかもしれない(当時41歳のシェリングはそんなクレンペラーの高い要求に応える演奏を成し遂げていると言える)。

前述したように、この1959年はクレンペラーが前年に致命傷ともいえる大火傷から不死鳥のごとく復活し、偉大なる巨匠へと変貌する基軸となった年。

実際、ここで聴かれる演奏も、第1楽章から恐ろしく張り詰めたオーケストラの緊張感のなかで始まり、EMIのレコーディングにもまして際立つ木管群とここぞとばかりに叩きつけられるティンパニの強打に打ちのめされた後、クレンペラーでしか到達し得ないであろうあまりにも気高く崇高な第2楽章を経て、怒涛のコーダで終焉を迎える第3楽章で結ばれている(その結果は聴衆の拍手が物語っている)。

このような一点もゆるがせにしない完璧な音楽のフォルムや輝かしい音色、そして何より志の高さを感じさせる高潔な精神性は、まさにクレンペラーの思い描く理想のベートーヴェン像の顕現と言えるだろう。

余白に収録されている「シャコンヌ」は、1967年(あの名演として名高いDGへの全曲録音と同じ年)に、BBCのために行われたスタジオ・ライヴにおける録音で、ここでもシェリングの音楽に対する真摯な姿勢は聴くものの胸を打つ演奏となっている。

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classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)シェリングクレンペラー 

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『わが祖国』は第2次大戦以後、「プラハの春」音楽祭のオープニングで必ず演奏されるようになったこともあって、一部の人々にとっては、特別の意味合いを持つ曲ともなっている。

バイロイト復興コンサート初日のフルトヴェングラーの「第9」や、ベルリンの壁崩壊を記念するバーンスタインの「第9」と同様の意味で、特異な価値を持たされてしまったクーベリック&チェコ・フィルの1990年ライヴは、確かに、その独特の雰囲気など、別格といってよい演奏だが、クーベリックにとっても、チェコ・フィルにとっても、必ずしもベストの演奏ではないと思う。

クーベリックは、その意図の明確さが率直に音として実現されているウィーン・フィル盤(1958年録音)が、多少作為が見え隠れするものの、最もこの指揮者の特質を伝えているように思う。

クーベリックとウィーン・フィルのCDは、ブラームスの4曲の交響曲をはじめいずれもすばらしいものばかりで、特にこのスメタナはお国ものという以上の稀にみる演奏を聴かせてくれる。

クーベリックとしては意外と淡々と運んだ柔らかな表現で、「モルダウ」や「ボヘミアの森と草原より」は作品への愛情が強くにじみ出た好演だ。

ただ、手兵バイエルン放送響と組んだ4度目の録音の熱気に溢れた民族色豊かな名演に比べると、男性的な迫力は不足気味だ。

これはむしろウィーン・フィルを聴くべきディスクだろう。

しなやかなヴァイオリン、上品なトランペット、こくのあるホルンなど、いずれも絶品だ。

音質はステレオ初期のスタジオ録音であるが、英デッカによる優秀録音であることもあって、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)スメタナクーベリック 

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本盤に収められた歌劇「ローエングリン」は、ワーグナーの主要オペラをすべて録音したショルティによる一連の録音の掉尾を飾るもの(その他には、晩年の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のコンサート形式による録音が存在している)である。

ショルティのワーグナーについては、最初期の楽劇「ニーベルングの指環」は別格の名演であるが、その他のオペラの中には呼吸の浅い浅薄な演奏もいくつか存在している。

これはワーグナーのオペラに限らず他の諸曲にも共通していると言えるが(マーラーの交響曲第5番のように、成功した名演もあることに留意しておく必要がある)、そのようなショルティも1980年代半ばになると円熟の境地に達したせいか、奥行きの深い演奏を繰り広げるようになってきたように思われる。

例えば、ブルックナーの交響曲第9番の名演(1985年)などが掲げられるところであり、ショルティもこの頃になって漸く名実ともに真の円熟の大指揮者となったと言っても過言ではあるまい。

本演奏も、そうした円熟のショルティの至芸を味わうことができるスケール雄大な名演と言えるところであり、前述の楽劇「ニーベルングの指環」を除けば、ショルティのワーグナーのオペラの中では最も素晴らしい名演と高く評価したい。

円熟のスケール雄大な名演と言っても、本演奏においても、例によって拍が明瞭でアクセントがやや強めであることや、第2幕におけるブラスセクションによる最強奏など、いわゆるショルティらしい迫力満点の正確無比な演奏を繰り広げているのであるが、ウィーン・フィルによる美演が演奏全体に適度の潤いと温もりを付加させているのを忘れてはならない。

ショルティとウィーン・フィルの関係は微妙なものがあり、必ずしも良好とは言えなかったとのことであるが、少なくとも遺された録音を聴く限りにおいては、両者が互いに協調し合った名演奏を繰り広げていると言えるのではないだろうか。

また、歌手陣も極めて豪華な布陣と言える。

ジェシー・ノーマンのエルザ役には若干の疑問符を付けざるを得ないが、ドミンゴのローエングリン役は意表をついたキャスティングながら見事なはまり役。

ゾーンティンの国王ハインリッヒ役は威厳があって素晴らしい歌唱を披露している。

加えて、軍令使役にフィッシャー=ディースカウを起用するという何とも贅沢なキャスティングは、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

なお、本盤は英デッカによる今はなきゾフィエンザールにおける最後の録音であるという意味においても貴重であり、その鮮明な極上の高音質録音についても高く評価したい。

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classicalmusic at 01:02コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーショルティ 

2014年09月16日


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卓越したオーケストラ・ビルダーとしての手腕を発揮し、ザールブリュッケン放送交響楽団をドイツ屈指のオーケストラに育て上げたスクロヴァチェフスキのベートーヴェン交響曲全集の登場だ。

ギュンター・ヴァントや朝比奈隆亡き後ブルックナー指揮者として高い評価を受けている巨匠スクロヴァチェフスキのベートーヴェンは、ベーレンライター版を使用しているせいもあるが、非常に切れ味の良い颯爽とした若々しい演奏である。

年輪を重ねた枯淡な味わいとは一線を画するエネルギッシュな演奏でもあり、また同時にため息が出るくらいに巧い演奏である。

精緻をきわめたサウンド、余情を排した快速テンポによる進行の中に満載された情報量には圧倒されるばかりで、長いキャリアに裏打ちされた語彙の豊富さはもちろん、時代考証まで視野に入れてそれらを自由自在に操る手腕の冴えはまさに完璧で、さすがスクロヴァチェフスキというほかはない。

いわゆるモダン楽器による伝統的なアプローチにおける典型的なスタイルで貫かれているが、オリジナル楽器によく聴かれる先鋭的なサウンドとモダン楽器の豪華なサウンドが非常にいいかたちでマッチしたサウンドである。

疾走するテンポや躍動するリズムの素晴らしさは言うまでもないが内声部を強調した立体的な音作りは非常に特徴的で新鮮な音が堪能できる。

つまり歯切れが良い演奏であり、かつ重厚でしっかりとしたサウンドで、現代における理想的なベートーヴェン像がここにある。

さらにこの録音では前述のように内声部が良く聴こえる演奏で、音楽に深みと多重性を感じさせる演奏になっていて、縦割りしたような強靭な推進力とこの明晰な見通しの良い演奏が特徴的である。

そこへきてザールブリュッケン放送響の重厚な音色とサウンドであるのにもかかわらず、明快でエネルギッシュな演奏であり、主観的な深い精神性などは皆無で、極めて即物主義的な雰囲気をもっている。

トスカニーニやセルなどと同じ系譜に立っているように感じられるところでもあり、流れていく旋律が非常に太いのであるが決して音楽が停滞しない。

よく聴くと、とにかく端整で整然とした演奏であり、この「端整」と「整然」の極地が品格を持った「抒情性」というものであるのだろう。

折り重なっていく音とそれを形成する構成などという音楽の感覚を横のラインで捉えていく手法というよりも、サウンドは非常に太く重厚であるのにもかかわらず指揮者は絶えず音楽を縦方向からの視点で捉えているところに発生する微妙なバランス感覚があり、非常に新鮮である。

長年手塩にかけたアンサンブル、ザールブリュッケン放送響の高度な実力は言うまでもないところであるが、ここではバイエルン放送合唱団の技量も素晴らしく、オケともども見事に透明な響きを聴かせてくれる。

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classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンスクロヴァチェフスキ 

2014年09月15日


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セル&クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザークやスメタナの楽曲の演奏はいずれも素晴らしい。

古典派とならんで、民族色の強い作品もセルは得意としていたが、本盤はチェコ音楽の父と言われるスメタナと、彼と並んで同国を代表するドヴォルザークという組み合わせで、その持ち味を堪能できる。

全盛時代のセル&クリーヴランド管弦楽団は、各楽器セクションが一つの楽器のように聴こえるような一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルを誇ったことから、「セルの楽器」とも称された完全無欠の演奏を展開していたところであるが、1960年代半ば頃までの演奏は、そうした完全無欠の演奏が、ある種の技量に偏ったメカニックな冷たさを感じさせたのも否めない事実であるところだ。

そのようなセルも1960年代後半の最晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各奏者にも一定の自由を与え、芸風により柔軟性が垣間見られるようになったところであり、円熟の味わい深い名演奏を成し遂げるようになった。

もっとも、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽については、何故か1960年代半ば以前の演奏においても、そうした晩年の演奏にも比肩し得るような情感豊かな味わい深い演奏を行っていたところである。

これは、ドヴォルザークやスメタナなどのチェコ音楽には、セルの母国であるハンガリーの隣国の音楽ということもあり、セル自身が深い愛着と理解を有していた証左と言えるのかもしれない。

本盤に収められたドヴォルザークの交響曲第7番や序曲「謝肉祭」、そしてスメタナの歌劇「売られた花嫁」からの抜粋である序曲、フリリアント、ポルカの各演奏においてもそれは健在であり、表面上は鉄壁のアンサンブルを駆使した完全無欠の演奏でありつつも、各フレーズの端々には、前述のようなチェコ音楽への深い愛着と理解に根差した豊かな情感が込められていると言えるところであり、いずれも味わい深い素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

特にドヴォルザークの第7番では、堂々たる重厚な響きの両端楽章と、優美で味わい深い緩徐楽章や民族色溢れる軽快な舞曲の楽章を見事に描き分け、壮大に全曲を締め括る貫禄の名演を披露している。 

ちなみに、セルは、この第7番を1度しか録音しておらず、この演奏は、1960年というかなり古い音源のものであるが、本盤は最新の「マスター・サウンド」技術で作られており、弱音部での若干のノイズを除けば、音質は明らかに大幅に改善されており、ほとんど古さを感じないまでになっている。

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classicalmusic at 22:52コメント(0)トラックバック(0)セルドヴォルザーク 

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ショスタコーヴィチは、弦楽四重奏曲を交響曲と同様に15曲も作曲したが、これはバルトークによる6曲の弦楽四重奏曲と並んで、20世紀における弦楽四重奏曲の最高傑作との評価がなされている。

確かに、作曲書法の充実度や、内容の奥深さなどに鑑みれば、かかる評価は至当であると考えられる。

ショスタコーヴィチは、旧ソヴィエト連邦という、現在で言えば北朝鮮のような非民主的な独裁国家で、粛清の恐怖を耐え忍びながらしたたかに生き抜いた作曲家であった。

かつて一世を風靡した「ショスタコーヴィチの証言」は現在では偽書とされているが、ショスタコーヴィチに関して記したその他の様々な文献を紐解いてもみても、その交響曲や弦楽四重奏曲などには、かかる粛清の恐怖や、スターリンをはじめとする独裁者への批判や憤り、独裁者によって粛清された犠牲者への鎮魂などが色濃く反映されている。

したがって、旧ソヴィエト連邦の時代を共に生き、粛清への恐怖に実際に身を置いた者こそが、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲に込められたこのような深遠な世界をよりうまく音化することができると言えるのではないだろうか。

ボロディン弦楽四重奏団は、旧ソヴィエト連邦下において1945年に結成され、それ以降も旧ソヴィエト連邦において活動を行ってきた団体である。

したがって、その演奏は、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の心眼に鋭く切り込んでいくという鋭さ、そして凄みにおいては、他のいかなる弦楽四重奏団が束になってもかなわないレベルに達していると言えるところであり、その演奏の彫りの深さは、尋常ならざる深遠さを湛えている。

とりわけ、最晩年の弦楽四重奏曲の凄みのある演奏には戦慄を覚えるほどであり、これは音楽という次元を通り越して、あたかもショスタコーヴィチの遺言のように聴こえるのは筆者だけではあるまい。

リヒテルが加わったピアノ五重奏曲も、弦楽四重奏曲と同様の彫りの深い圧倒的な超名演だ。

なお、ボロディン弦楽四重奏団は、1960年代から1970年代の初頭にかけて、当時作曲されていなかった第14番及び第15番を除くすべての弦楽四重奏曲の録音を行っており、それも優れた名演であったが、各楽曲の本質への追求度という意味においては本演奏の方が数段上であると考えている(その分、演奏自体はかなり冷徹なものとなっていると言えなくもない)。

本演奏で唯一の難点は録音が今一つ冴えないということであり、これは旧ソヴィエト連邦下のメロディア録音であり致し方がない面もある。

もっとも、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の演奏史上最高の超名演でもあり、今後はXRCD化やSACD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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classicalmusic at 21:07コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチリヒテル 

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本盤には、バッハの長大なピアノ曲集である平均律クラヴィーア曲集第1巻、第2巻が収められている。

全曲はCD4枚を要する長大な曲集だけに、グールドも1962年〜1971年という、ほぼ10年近くを要して録音を成し遂げている。

よほど慎重を期して録音を行ったと言えるが、演奏全体に録音年代による大きな違いは存在していない。

バッハの平均律クラヴィーア曲集は、ピアノ音楽の旧約聖書とも称される楽曲であるだけに、海千山千の大ピアニストによる名演が目白押しである。

リヒテルによるオーソドックスな名演もあるが、グールドによる本演奏は、例えばアファナシエフによる演奏などと同様に、ピアニストの個性が全面に出た超個性的なアプローチによる演奏と言えるだろう。

長大な楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくるが、グールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤の平均律クラヴィーア曲集の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 00:12コメント(0)トラックバック(0)バッハグールド 

2014年09月14日


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2003年5月 ベルリン・フィルハーモニーに於けるライヴ録音。

巨匠スクロヴァチェフスキが、近年客演を繰り返すドイツの名門ベルリン・ドイツ響(旧西ベルリン放送響)の優秀さを存分に生かし、稀に見る緊張感を孕んだ強烈な演奏の登場で、これは確かに素晴らしい演奏だ。

スクロヴァチェフスキは、当曲をマンチェスターのハレ管弦楽団とも録音していたが、オーケストラの能力には如何ともし難い部分があったのは事実であり、今までどうしても優秀オケとの共演盤に恵まれなかっただけに、この演奏は歓呼を持って迎えられた。

スクロヴァチェフスキは、オーケストラに対し非常に要求の厳しい指揮者であり、その指示命令を完璧にこなすには、相当の技量を持ったオーケストラでないと上手くいかないことは、ファンなら良く知る所と言えよう。

ムラヴィンスキーを想起させる辛口でキリリと引き締まった快速テンポが採用され、変幻自在な棒さばきにベルリン・ドイツ響が見事に反応する様子は魔術のようである。

音量の強弱、大小のコントラストの強さは、凄絶を極めているが、指揮者が音楽をあまり締め付けず、手綱を緩めた結果、オケの自在性がその潜在力を最も発揮した例のように思われる。

ベートーヴェンでもブルックナーでも、スクロヴァチェフスキはあまりに厳格なコントロールがやりすぎの感を抱かせるときがあり、それが音楽をスケールの小さなものにしている気がする。

そんな演奏は「箱庭」の音楽などと揶揄されるが、ベートーヴェンでも「第9」やブルックナーでも「第6」(CD)、「第7」(ザールブリュッケン放送響の東京公演)など、はまった演奏のときは大抵オケに自在感があり、揺るぎない造形の上に一期一会の名演となる。

オーケストラのアルチザンとしては、造形の破綻は言語道断なのであろうし、造形を揺るがせてまで表現に賭けるという、あるいは造形には目を瞑って表現に賭けるなどということは、スクロヴァチェフスキには考えられないことなのだろう。

これが、ヨーロッパ・シリアス音楽の伝統というものであるが、その職人性が度外れな場合、悪くすると凝り固まった凡演ともなる。

CDのブルックナー全集は多くがそうしたものだったが、これは、いずれも造形に対する執拗な追究が音楽から色や艶を拭い去り、曰く言い難いインスピレーションを消去してしまうのだろう。

本ディスクは、スクロヴァチェフスキの美点がすべてプラスとなって、近年では、インバル&都響と並んで稀に見る名演となっている。

ショスタコーヴィチを愛する人は勿論、初めて聴く人にも一番にお薦めできる。

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今は亡き巨匠ミュンシュは、その生前フランス音楽を得意としていたが、特にベルリオーズ協会の会長を務めていたこともあり、ダイナミックな情熱と確固とした構築感を併せ持ったベルリオーズ解釈の第一人者として高い名声を誇っていた。

この「レクイエム」は、そんなミュンシュのベルリオーズ作品録音の中でも最高の名盤とされているものであり、その色彩の豊かさと宗教的雰囲気が絶妙のバランスを保っている。

ここでのミュンシュは、曲を徹底的に無機的な音符の還元をした上で、その音に与えられた純粋な音楽的な質量をもとにして音楽を再構成しようとする。

極端な言い方をするなら、彼は「レクイエム」という衣装を無視して、その裸の本質をいわば1つの純音楽として表出しようとする。

ミュンシュの長所である的確きわまりないデュナーミクの感覚がそれを支え、可能にしている。

バイエルン放送交響楽団の大編成管弦楽による圧倒的な音場が、さらにこの音楽の体質を再現するのに適している。

ミュンシュの表現はやや剛直だが、バイエルン放送交響楽団の威力は素晴らしく、ことに金管楽器は、ベルリオーズの音楽の華麗さをよく引き出し、聴き手を陶然とさせる。

このオケの適度の荒々しさと素朴な情熱が、ここでは水を得た魚というべきであるし、コーラスが何よりもしっかり歌っているのに敬意を表する。

特に第2曲〈怒りの日〉や第4曲〈おそるべき力もて王〉、第6曲〈涙の日よ〉が圧巻だ。

巨大な作品だけに、演奏の完璧性は求め難いが、この演奏は、ベルリオーズの音楽の本質に迫った気迫溢れる世紀の名演である。

ミュンシュには手兵ボストン交響楽団との録音もあるが、このバイエルン放送交響楽団との録音では客演ならではの緊張感に満ちた演奏が繰り広げられている。

シュライアーの若き日の歌唱も注目される。

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エリアフ・インバルは、現在でも偉大な遺産としてその名を轟かせているフランクフルト放送交響楽団とのマーラーの交響曲全集のスタジオ録音(1985〜1988年)に引き続いて、ショスタコーヴィチの交響曲全集のスタジオ録音に着手した。

既に、フランクフルト放送交響楽団とともに交響曲第5番を1988年にスタジオ録音していたが、それとは別のプロジェクトとして、1990年から3年間かけて15曲の交響曲のスタジオ録音を行ったのであった。

当該交響曲全集プロジェクトは、当初は、レニングラード・フィル(サンクトペテルブルク・フィル)の起用が予定されていたが、契約の関係で困難となり、ウィーン交響楽団の起用に落ち着いた。

二流のオーケストラであるウィーン交響楽団を起用せざるを得なかった時点で、当該交響曲全集のいささか残念な運命は決定的になったと言わざるを得ないところだ。

レニングラード・フィルが困難であったとしても、何故にフランクフルト放送交響楽団の起用が出来なかったのであろうか。

この点は謎と言う他はないが、ショスタコーヴィチの交響曲を演奏する上での不可欠の要素とも言える、優秀な技量を有したオーケストラの起用が出来なかったことは、偉大な交響曲全集完成に際しての基盤そのものがと崩壊していると言っても過言ではあるまい。

交響曲第10番は、1990年にウィーン交響楽団とともにスタジオ録音を行っているが、オーケストラの力量が今一つであり、必ずしも名演とは言い難い結果となっていた。

このような中で、インバルは、昨年より、東京都交響楽団とともにショスタコーヴィチの交響曲第4番及び第5番の再録音を開始したところであり、両演奏ともに圧倒的な超名演との高い評価を勝ち得たところだ。

そして、そのような中で、今般、満を持して東京都交響楽団との交響曲第10番のライヴ録音が発売された。

本演奏は、1990年盤の演奏とはそもそも次元が異なる圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。

インバルの本演奏におけるアプローチは、曲想を精緻かつ丁寧に描き出すという純音楽的なスタイルを基軸としている。

それでいて、いささかも単調には陥っておらず、インバルが得意としたマーラーの交響曲演奏においても顕著であるが、ありあまるパッションを演奏全体の堅牢な造型の中に封じ込めるという過程においてはみ出してきたものが存在しており、それが本演奏をして、内容豊かなものとしていると言えるところだ。

また、かつてのインバルの演奏に感じられた線の細さはなく、常に骨太の音楽が構築されている。

随所における彫りの深さ、懐の深さには出色のものがあり、まさに大指揮者の風格十分であると言っても過言ではあるまい。

そして、本演奏をして超名演たらしめるのに大きく貢献しているのは、前述のようなインバルの円熟の至芸に加えて、東京都交響楽団の圧倒的な名演奏である。

東京都交響楽団のブラスセクションや打楽器セクションは実に巧く、そして弦楽合奏の厚みのある響きは、ヨーロッパの一流のオーケストラに比肩し得るような力量を備えていると言ってもいいのではないだろうか。

いずれにしても、本演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルによるスタジオ録音の演奏(1981年)、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるライヴ録音の演奏(1976年)、スクロヴァチェフスキ&ベルリン・ドイツ交響楽団によるライヴ録音による演奏(2003年)と並んで4強の1角を形成する、圧倒的な超名演と高く評価したい。

そしてSACDによる超高音質録音も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2014年09月13日


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本盤にはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と、フルトヴェングラーのレパートリーとしては大変に珍しいバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

ヴァイオリンはいずれもメニューインであるが、これまた素晴らしい名演奏を披露している。

メニューインは、フルトヴェングラーとの共演が終わった後は、これといった名演は遺しているとは必ずしも言えないので、本演奏の録音当時がベストフォームにあったのではないかとも考えられる。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、4大ヴァイオリン協奏曲の中でも、チャイコフスキーと同様に音楽内容の深みよりは旋律の美しさが売りの作品である。

したがって、音楽の表層を美しく装っただけの演奏でも十分に魅力のある演奏を成し遂げることは可能であるが、さすがにフルトヴェングラーはそのような薄味の演奏は行っていない。

荘重なインテンポで楽曲の心眼を抉り出していくような奥行きのある演奏は、深沈とした情感を湛えていて実に感動的であり、スケールも雄大だ。

メニューインのヴァイオリンも、表面上の美麗さに拘泥することなく、情感の豊かさと気品の高さを湛えているのが素晴らしい。

バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番も名演だ。

バルトークは巷間「現代のベートーヴェン」と称されているが、フルトヴェングラーの同曲へのアプローチは、ベートーヴェンの楽曲に接する時と何ら変わりがない。

ヴァイオリンだけでなく、オーケストラ演奏にも超絶的な技量が求められる楽曲であるが、フルトヴェングラーは同曲でも徹底した内容重視。

音楽の内容の精神的な深みを徹底的に追求しようという姿勢は健在であり、楽曲の核心に鋭く切り込んでいこうとする凄みのある演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。

メニューインのヴァイオリンもフルトヴェングラーの指揮に一歩も引けを取っていない。

バルトークも生前、メニューインのヴァイオリン演奏を高く評価していたということであり、メニューインもバルトークの音楽に私淑していたとのことであるが、本演奏でも、卓越した技量をベースとしつつ、楽曲への深い理解と愛着に根差した濃密で彫りの深い演奏を披露しているのが素晴らしい。

両演奏ともに1950年代のスタジオ録音であることもあって、今般のSACD化による高音質化の効果には大変目覚ましいものがあり、これまでの既発CDとはそもそも次元の異なる鮮明な音質に生まれ変わった。

メニューインのヴァイオリンの弓使いまで聴こえる鮮明さはほとんど驚異的ですらある。

このような名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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本盤に収められたベートーヴェンの交響曲全集は、カラヤンによる最初の全集である。

カラヤンは、本全集の後、ベルリン・フィルとともに3度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、本全集はそれらベルリン・フィルとの全集とは全くその演奏の性格を異にしている。

カラヤン&ベルリン・フィルによる全集は、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そして雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンならではの流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

それは特に1970年代に録音された全集に顕著であり、1960年代に録音された全集にはフルトヴェングラー時代の残滓でもあるドイツ風の重厚な音色、1980年代に録音された全集には、晩年のカラヤンならでは人生の諦観を感じさせるような味わい深さが付加されていた。

これらベルリン・フィルとの3つの全集に対して、本全集においては、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に腐心したカラヤンの姿を見ることができない。

むしろ、当時上昇気流に乗っていた若き日のカラヤンならではの気迫が漲った生命力溢れる演奏と言うことが可能だ。

その後のベルリン・フィルとの重厚な演奏とは異なり、速めのテンポによる爽快な演奏とも言えるが、いまだフルトヴェングラーやワルター、そしてクレンペラーなどが重厚な演奏を繰り広げていた時代にあって、ある意味では新時代の幕開けを予感させるような清新な演奏であったことは想像するに難くない。

演奏の重厚さや円熟味などを考慮すれば、後年のベルリン・フィルとの演奏、とりわけ1970年代の全集の演奏の方がより上位にあるとも考えられるが、第6番や第8番などは、デニス・ブレインによるホルンソロの美しさなどもあって、本全集の演奏がカラヤンとしても随一の名演と言えるのではないだろうか(もっとも、ライヴ録音にまで比較の範囲を広げると、第6番や第8番についても、先般発売された1977年の普門館ライヴの方がより上位の名演であると考えられる)。

いずれにしても本全集は、第8番以外はモノラル録音という音質面でのハンディはあるものの、若き日のカラヤンの颯爽とした才気あふれる芸術を味わうことができるという意味において、名全集として評価するのにいささかも躊躇するものではない。

録音は前述のように第8番以外はモノラル録音ではあるが、リマスタリングを繰り返してきたこともあって従来盤でも比較的満足できる音質である。

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巨匠チェリビダッケがベルリン・フィルを指揮した唯一の映像として知られるブルックナーの交響曲第7番がようやく登場した。

1992年3月31日と4月1日の2日間、ベルリンのシャウシュピールハウスで行われたコンサートは、当時のヴァイツゼッカー大統領直々の計らいで実現したもので、1954年以来38年ぶりにチェリビダッケが、この間関係が決裂していたベルリン・フィルの指揮台に復帰するという意味で特別な出来事であった。

こうした背景もあって会場が異様な空気に包まれるなか、やがて演奏が開始されてゆくのであるが、ここでの全曲86分を超える演奏時間は、数あるチェリビダッケによるブルックナーの7番のなかでも破格に長大な部類に入るもので、アダージョに至っては30分を超える時間をかけてたっぷりと歌い抜かれており、まさに耽美的というほかないその美観はあらためて稀有の巨匠の個性的な芸風を強く印象づける形となっている。

38年ぶりにベルリン・フィルを振ったチェリビダッケの指揮と、それに食らいついて行っているという雰囲気のベルリン・フィルの演奏で、なんとなく両者の間に、しっくりいっていないようなニュアンスは見られるものの、さすがにその演奏は圧倒的である。

筆者は特にチェリビダッケのファンというわけではないが、それでもこの演奏を見ると(聴くと)『これがチェリビダッケのブルックナーなのだ』と納得させられてしまう。

あのゆっくりとしたテンポとセンチメンタルになることを嫌う演奏は、最初のトレモロから聴く側の心を捉えて離さない、終始、緊張感みなぎる素晴らしい演奏である。

これを見て(聴いて)筆者がまだ高校生の頃、NHKで放送されたチェリビダッケとミュンヘン・フィルの組み合わせの来日公演の模様を思い出した。

他の指揮者に比べると、確かにテンポは非常にゆっくりしているが、映像で見るとそれが1つ1つの音をしっかりと歌わせているのがわかり、感動した覚えがある。

久しぶりに、どっしりとしたブルックナーを聴くことが出来た。

また、ドキュメンタリーでリハーサル風景が映し出されているが、チェリビダッケの傲慢な態度にちょっと曳いてしまった。

彼は楽団員から畏敬の念は抱かれているかもしれないが、必ずしも愛されてはいないのではないか、そんな思いがした。

楽団員から愛される小澤征爾やアバドの謙虚さとは対照的なリハーサル風景であった。

いずれにしても、貴重な映像であり、チェリビダッケの若い頃の様子を知ることもできる興味深いDVDである。

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