2014年10月

2014年10月31日


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終楽章にボーイ・ソプラノを起用したことにより数々の批判を浴びている曰くつきの演奏ではあるが、筆者としては、確かにボーイ・ソプラノの起用には若干の疑問は感じるものの、総体としては、素晴らしい名演と高く評価したい。

マーラーの「第4」は、マーラーのあらゆる交響曲の中で、最も古典的な形式に則った作品であり、楽器編成も第1楽章の鈴や終楽章の独唱を除けば、きわめて常識的である。

それ故に、いわゆるマーラー指揮者とは言えない指揮者によっても、これまで好んで演奏されてきた交響曲ではあるが、表情づけが淡泊であるというか、内容の濃さに欠ける演奏、スケールの小さい演奏が多かったというのも否めない事実であると言えるのではないだろうか。

もっとも、いくらマーラーが作曲した最も規模の小さい簡潔な交響曲と言っても、そこは重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの手による作品なのであり、何も楽曲を等身大に演奏することのみが正しいわけではないのである。

バーンスタインは、そうした軽妙浮薄な風潮には一切背を向け、同曲に対しても、他の交響曲へのアプローチと同様に、雄弁かつ濃厚な表現を施している点を高く評価したい。

バーンスタインの名演によって、マーラーの「第4」の真価が漸くベールを脱いだとさえ言えるところであり、情感の豊かさや内容の濃密さ、奥行きの深さと言った点においては、過去の同曲のいかなる演奏にも優る至高の超名演と高く評価したい。

バーンスタインの統率の下、コンセルトヘボウ・アムステルダムも最高のパフォーマンスを示していると言えるところであり、バーンスタインの濃厚な解釈に深みと潤いを与えている点を忘れてはならない。

前述のように、終楽章にボーイ・ソプラノを起用した点についてはいささか納得し兼ねるが、ヴィテックの独唱自体は比較的優秀であり、演奏全体の評価にダメージを与えるほどの瑕疵には当たらないと考える。

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バーンスタインが遺した3度にわたるマーラーの交響曲全集の中で、3度目の全集は、「第8」、「第10」及び「大地の歌」の新録音を果たすことができなかったものの、いずれ劣らぬ至高の超名演で構成されていると言えるのではないだろうか。

マーラーの「第3」は、重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの交響曲の中でも、群を抜いて最大の規模を誇る交響曲である。

あまりの長さに、マーラー自身も、「第3」に当初盛り込む予定であった一部の内容を、「第4」の終楽章にまわしたほどであったが、これだけの長大な交響曲だけに、演奏全体をうまく纏めるのはなかなかに至難な楽曲とも言える。

また、長大さの故に、演奏内容によっては冗長さを感じさせてしまう危険性も高いと言える。

ところが、生粋のマーラー指揮者であるバーンスタインにとっては、そのような難しさや危険性など、どこ吹く風と言ったところなのであろう。

バーンスタインの表現は、どこをとってもカロリー満点で、濃厚で心を込め抜いた情感の豊かさが演奏全体を支配している。

特に、終楽章は特筆すべき美しさでスケールも気宇壮大、誰よりも遅いテンポで情感豊かに描き出しているのが素晴らしい。

他方、変幻自在のテンポ設定や、桁外れに幅の広いダイナミックレンジ、思い切ったアッチェレランドなどを大胆に駆使するなど、ドラマティックな表現にも抜かりがない。

このように、やりたい放題とも言えるような自由奔放な解釈を施しているにもかかわらず、長大な同曲の全体の造型がいささかも弛緩することなく、壮麗にして雄渾なスケール感を損なっていないというのは、マーラーの化身と化したバーンスタインだけに可能な驚異的な圧巻の至芸である。

特筆すべきは、ニューヨーク・フィルの卓越した技量であり、金管楽器(特にホルンとトロンボーン)にしても、木管楽器にしても、そして弦楽器にしても抜群に上手く、なおかつ実に美しいコクのある音を出しており、本名演に華を添える結果となっている点を忘れてはならない。

ルートヴィヒの独唱や、ニューヨーク・コラール・アーティスツ及びブルックリン少年合唱団による合唱も、最高のパフォーマンスを示している点も高く評価したい。

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マーラーの交響曲第2番の優れた名演が、最近相次いで登場している。

一昨年以降の演奏に限ってみても、パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団、インバル&東京都交響楽団、そしてラトル&ベルリン・フィルが掲げられ、その演奏様式も多種多様だ。

また、少し前の時代にその範囲を広げてみても、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラ(2000年)、テンシュテット&ロンドン・フィル(1989年ライヴ)、シノーポリ&フィルハーモニア管弦楽団(1985年)など、それぞれタイプの異なった名演があり、名演には事欠かない状況だ。

このような中で、本盤に収められたバーンスタインによる演奏は、これら古今東西の様々な名演を凌駕する至高の超名演と高く評価したい。

録音から既に20年以上が経過しているが、現時点においても、これを超える名演があらわれていないというのは、いかに本演奏が優れた決定的とも言える超名演であるかがわかろうと言うものである。

本演奏におけるバーンスタインの解釈は実に雄弁かつ濃厚なものだ。

粘ったような進行、テンポの緩急や強弱の思い切った変化、猛烈なアッチェレランドなどを大胆に駆使し、これ以上は求め得ないようなドラマティックな表現を行っている。

また、切れば血が出るとはこのような演奏のことを言うのであり、どこをとっても力強い生命力と心を込めぬいた豊かな情感が漲っているのが素晴らしい。

これだけ大仰とも言えるような劇的で熱のこもった表現をすると、楽曲全体の造型を弛緩させてしまう危険性があるとも言える。

実際に、バーンスタインは、チャイコフスキーの「第6」、ドヴォルザークの「第9」、シベリウスの「第2」、モーツァルトのレクイエムなどにおいて、このような大仰なアプローチを施すことにより、悉く凡演の山を築いている。

ところが、本演奏においては、いささかもそのような危険性に陥ることがなく、演奏全体の堅固な造型を維持しているというのは驚異的な至芸と言えるところであり、これは、バーンスタインが、同曲、引いてはマーラーの交響曲の本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

バーンスタインのドラマティックで熱のこもった指揮にも、一糸乱れぬアンサンブルでしっかりと付いていっていったニューヨーク・フィルの卓越した技量も見事である。

ヘンドリックスやルートヴィヒも、ベストフォームとも言うべき素晴らしい歌唱を披露している。

ウェストミンスター合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、楽曲終結部は圧巻のド迫力。

オーケストラともども圧倒的かつ壮麗なクライマックスを築く中で、この気宇壮大な超名演を締めくくっている。

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2014年10月30日


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マーラーの「第1」は、マーラーの青雲の志を描いた作品である。

スコア自体は「第4」と同様に、他の重厚長大な交響曲と比較すると必ずしも複雑であるとは言えないが、演奏自体は、なかなか難しいと言えるのではないだろうか。

他の交響曲をすべて演奏した朝比奈が、「第1」を一度も演奏しなかったのは有名な話であるし、小澤は3度も同曲を録音しているが、最初の録音(1977年)を超える演奏を未だ成し遂げることが出来ていないことなどを考慮すれば、円熟が必ずしも名演に繋がらないという、なかなか一筋縄ではいかない面があるように思うのである。

どちらかと言えば、重々しくなったり仰々しくなったりしないアプローチをした方が成功するのではないかとも考えられるところであり、例えば、同曲最高の名演とされるワルター&コロンビア交響楽団盤(1961年)は、もちろんワルターの解釈自体が素晴らしいのではあるが、コロンビア交響楽団という比較的小編成のオーケストラを起用した点もある程度功を奏していた面があるのではないかと思われる。

ところが、バーンスタインはそうした考え方を見事に覆してしまった。

バーンスタインは、他のいかなる指揮者よりも雄弁かつ濃厚な表現によって、前述のワルター盤に比肩し得る超名演を成し遂げてしまったのである。

バーンスタインは、テンポの思い切った緩急や強弱、アッチェレランドなどを駆使して、情感豊かに曲想を描いている。

それでいて、いささかも表情過多な印象を与えることがなく、マーラーの青雲の志を的確に表現し得たのは驚異の至芸であり、これは、バーンスタインが同曲の本質、引いてはマーラーの本質をしっかりと鷲掴みにしている証左である。

オーケストラにコンセルトヘボウ・アムステルダムを起用したのも、本盤を名演たらしめるに至らせた大きな要因と言えるところであり、光彩陸離たる響きの中にも、しっとりとした潤いや奥行きの深さを感じさせるのが素晴らしい。

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バーンスタインは、その晩年にウィーン・フィルとともにモーツァルトの主要な交響曲集のライヴ録音を行ったが、本盤はそれらを集成したディスク集である。

バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。

このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。

具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏もかなり行われていたように思われる。

本盤の演奏においても、ゆったりとしたテンポによる熱き情感に満ち溢れた濃厚さは健在であり、例えば、これらの楽曲におけるワルターやベームの名演などと比較すると、いささか表情過多に過ぎるとも言えるところだ。

もっとも、オーケストラがウィーン・フィルであることが、前述のような大仰な演奏に陥ることを救っていると言えるところであり、いささか濃厚に過ぎるとも言えるバーンスタインによる本演奏に、適度の潤いと奥行きを与えている点を忘れてはならない。

近年のモーツァルトの交響曲演奏においては、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した小編成のオーケストラによる演奏が主流となりつつある。

そうした軽妙浮薄な演奏に辟易としている中で本演奏を聴くと、本演奏には血の通った温かい人間味を感じることが可能であり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、近年の血の通っていない浅薄な演奏が目白押しの中にあってその存在意義は極めて大きいものであり、モーツァルトの交響曲の真の魅力を心行くまで堪能させてくれる人間味に溢れた素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は従来盤でも十分に満足できる高音質である。

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2014年10月29日


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本盤に収められたサン・サーンスの交響曲第3番は、カラヤンによる唯一のスタジオ録音である。

カラヤンは、同曲をコンサートで採り上げたことも皆無であることから、レコーディングのためにのみ演奏したということにもなる。

この当時のカラヤンは70代の半ばに達していたが、同曲のほか、ニールセンの交響曲第4番やR・シュトラウスのアルプス交響曲など初録音が目白押しであり、カラヤンの老いても衰えない音楽に取り組む前向きな姿勢に心から頭が下がる思いがする。

同曲の独墺系指揮者による演奏は、カラヤンによる本演奏以外には現在でも皆無であるところだ。

その意味でも、本演奏は極めて希少価値のある存在なのであるが、音楽評論家の評価は押しなべて低いと言わざるを得ない。

確かに、同曲の数々の名演は、フランス系の指揮者によるものが多く、そうしたフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいのある演奏からすれば、本演奏は極めて異質な演奏ということになるだろう。

加えて、本演奏の当時は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビがその最後の輝きを放った時期でもある。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏など、かかる圧倒的な音のドラマの最たるものであり、オルガンの壮麗な迫力も相俟って、サン=サーンスの交響曲第3番という大運動場で、ベルリン・フィルが大運動場全体を使って運動しているようなイメージの演奏と言えるのかもしれない。

重厚で華麗なカラヤンサウンドも、同曲においてはいささか場違いな印象を与えると言えるのかもしれない。

しかしながら、これだけの圧倒的な音のドラマを構築することによって、同曲演奏史上空前のスケールと壮麗な迫力を有する演奏を成し遂げたと言うことも可能であり、聴き終えた後の充足感においては、他のフランス系の指揮者による名演と比較しても何ら遜色はない。

いずれにしても、筆者としては、本演奏はカラヤン&ベルリン・フィルによる異色の名演として高く評価したいと考える。

録音は、リマスタリングがなされたこともあって従来盤でも十分に満足できる音質である。

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classicalmusic at 22:34コメント(0)トラックバック(0)サン=サーンスカラヤン 

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本盤にはクーベリックが1967年から1971年という短期間で完成させたマーラーの交響曲全集が収められている。

本盤の録音当時は、近年のようなマーラーブームが到来する以前であり、ワルターやクレンペラーなどのマーラーの直弟子によるいくつかの交響曲の録音はあったが、バーンスタインやショルティによる全集は同時進行中であり、本全集は極めて希少な存在であった。

そして、本全集は既に録音から40年が経過したが、現在においてもその価値をいささかも失うことがない素晴らしい名全集と高く評価したい。

本演奏におけるクーベリックのアプローチは、ある意味では極めて地味で素朴とも言えるものだ。

バーンスタインやテンシュテットのような劇場型の演奏ではなく、シノーポリのような楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏を旨としているわけではない。

また、ブーレーズやジンマンのような徹底したスコアリーディングに基づいた精緻な演奏でもなく、シャイーやティルソン・トーマスのような光彩陸離たるオーケストレーションの醍醐味を味わわせてくれるわけでもない。

クーベリックはむしろ、表情過多に陥ったり、賑々しい音響に陥ることがないように腐心しているようにさえ思われるところであり、前述のような様々な面において個性的な演奏に慣れた耳で聴くと、いささか物足りないと感じる聴き手も多いのではないかとも考えられる。

しかしながら、一聴するとやや速めのテンポで武骨にも感じられる各旋律の端々から滲み出してくる滋味豊かさには抗し難い魅力があると言えるところであり、噛めば噛むほど味わいが出てくる演奏ということが可能である。

地味な演奏というよりは滋味溢れる演奏と言えるところであり、とりわけ、マーラーがボヘミア地方出身であることに起因する民謡風な旋律や民俗的な舞曲風のリズムの情感豊かで巧みな表現には比類がない美しさと巧さがある。

いずれにしても、近年の賑々しいマーラー演奏に慣れた耳を綺麗に洗い流してくれるような演奏とも言えるところであり、その滋味豊かな味わい深さという点においては、今後とも普遍的な価値を有し続ける至高の名全集と高く評価したい。

なお、クーベリックはスタジオ録音よりも実演でこそ実力を発揮する指揮者であり、本全集と同時期のライヴ録音が独アウディーテから発売されている(ただし、第4番と第10番は存在していない)。

当該独アウディーテ盤は、本全集には含まれていない「大地の歌」やSACD盤で発売された第8番など魅力的なラインナップであり、楽曲によっては当該ライヴ録音の方が優れた演奏がないわけではないが、オーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、本全集の価値はなお不変であると考える。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)マーラークーベリック 

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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第5番及び第7番が収められている。

第5番については、数年前にテスタメントから発売された1968年のライヴ録音などもあって、それも名演であるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。

本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。

交響曲第5番については、終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。

他方、第7番については、同曲のあらゆる名演にも冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリによるシベリウス演奏の真骨頂。

本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。

第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。

第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。

もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年10月28日


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本盤に収められたシベリウスの交響曲第4番、組曲「恋人」、そしてロマンスは、バルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集、管弦楽曲集からの抜粋である。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリによるシベリウス演奏の特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。

本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。

本盤に収められた交響曲第4番も、そうしたバルビローリの指揮芸術の美質が如実にあらわれた演奏に仕上がっている。

同曲は、シベリウスのあらゆる楽曲の中でも深遠にして晦渋とも言うべき渋味のある作品であるが、バルビローリの手にかかると、決して救いようのない暗さに全体が支配されるということがなく、血も涙もある温かみのある音楽に聴こえるのが素晴らしい。

第2楽章は終結部の唐突な終わり方もあって纏めるのが難しい音楽であるが、バルビローリはテンポの緩急を駆使するなど巧みな至芸を披露している。

ハレ管弦楽団も、部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

他方、併録の組曲「恋人」は、他に目ぼしい演奏がないだけにバルビローリのまさに独壇場。

清澄な美しさと人間的な温もりが高次元で融合した稀有の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

ロマンスも素晴らしい名演だ。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第3番及び第6番が収められている。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。

本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。

本盤に収められた交響曲第3番及び第6番の演奏においては、いずれもそうしたバルビローリによるシベリウス演奏の美質が十二分に生かされており、おそらくはそれぞれの交響曲の様々な演奏の中でもトップクラスの名演であると高く評価したい。

両演奏の特徴を記すと、先ず、交響曲第3番については、第1楽章は誰よりも遅いテンポで開始されるが、その味わい深さは絶品だ。

第2楽章の北欧のいてつく冬を思わせるような音楽にも独特の温かさがあり、終楽章の終結部に向けての盛り上がりも申し分のない迫力を誇っている。

次に、交響曲第6番については、演奏の持つ清澄な美しさには出色のものがあり、その情感たっぷりの旋律の歌い方は、まさに「歌う英国紳士」の真骨頂とも言える至高・至純の美しさを誇っていると評価したい。

ハレ管弦楽団も、部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤に収められたシベリウスの交響曲第2番及び交響詩「トゥオネラの白鳥」は、バルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集及び管弦楽曲集からの抜粋である。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリによる交響曲第2番の録音としては、同じくEMIにモノラル録音したハレ管弦楽団との演奏(1952年)やcheskyへのスタジオ録音であるロイヤル・フィルと演奏(1962年)などがあり、1952年盤の圧倒的な生命力に満ち溢れた豪演などを上位に掲げる聴き手も多いとは思うが、音質面や演奏全体のいい意味でのバランスの良さを考慮すれば、筆者としては本演奏を第一に掲げたいと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。

本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。

併録の交響詩「トゥオネラの白鳥」も、幽玄とも言うべき深沈たる味わい深さにこの指揮者ならではのヒューマニティ溢れる温かさが付加された稀有の名演と評価したい。

オーケストラは、バルビローリによって薫陶を受けていたものの、必ずしも一流とは言い難いハレ管弦楽団であり、ブラスセクションにおける粗さや、弦楽合奏のアンサンブルにおける一部の乱れなど、その技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

むしろ、敬愛するバルビローリの指揮の下、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の名演奏を展開している点を評価したい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年10月27日


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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第1番及び劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」が収められている。

多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそは、バルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。

本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。

交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

他方、併録の劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」は、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1982年)という強力なライバルはあるものの、いわゆるシベリウスらしさという点で言えば、本演奏の方に軍配を上げたい。

各楽曲の描き分けの巧さも特筆すべきではあるが、どこをとっても北欧風の清澄な美しさと格調の高さ、そしてヒューマニティ溢れる温もりが付加されており、ハレ管弦楽団の技量には疑問を感じる箇所が散見されるものの、総体としては、おそらく同曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質については、これまでリマスタリングなどが行われたものの、HQCD化などは全く行われず、やや不満な状況にあった。

そのような中で、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0)シベリウスバルビローリ 

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バルビローリは、遺された録音に鑑みても極めて広範なレパートリーを誇った指揮者であったが、その中核をなしていたのはマーラーとシベリウスと言えるのではないだろうか。

中でも、本盤に収められたシベリウスの交響曲全集と主要な管弦楽曲集は、バルビローリが遺した最大の遺産の1つではないかとも考えられる。

バルビローリは、本盤に収められた演奏以外にもシベリウスの交響曲や管弦楽曲の演奏の録音を遺しており、EMIにモノラル録音したハレ管弦楽団との第2番の名演(1952年)やcheskyへのスタジオ録音であるロイヤル・フィルとの第2番の名演(1962年)、数年前にテスタメントから発売された1968年の第5番の名演(ライヴ録音)などもあるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては本盤に収められた演奏がバルビローリのシベリウスの代表盤であると考えているところだ。

バルビローリのシベリウスは、何と言ってもヒューマニティ溢れる温かさが魅力である。

本盤に収められた演奏は、交響曲のみならず小品においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れていると言えるだろう。

それでいていささかも感傷的に流れないのはバルビローリのシベリウスの優れている点であり、常に高踏的な美しさを湛えている。

そして、その美しさはあたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えていると言えるところであり、バルビローリのシベリウスはまさに人間的な温もりと清澄な美しさが融合した稀有の演奏であると言えるのではないかと考えられる。

このような演奏は、とりわけ近年の北欧出身の指揮者による透明感溢れる精緻な演奏などとは一味もふた味も異なっているが、バルビローリのシベリウスには一本筋の通った確固たるポリシーがあり、シベリウス演奏の1つの理想像として有無を言わせない説得力を有しているものと言える。

交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

交響曲第2番については、壮麗な迫力と人間的な温もりが高度な次元で融合した、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演。

交響曲第3番については、第1楽章は誰よりも遅いテンポで開始されるが、その味わい深さは絶品だ。

第2楽章の北欧のいてつく冬を思わせるような音楽にも独特の温かさがあり、終楽章の終結部に向けての盛り上がりも申し分のない迫力を誇っている。

交響曲第4番における深遠さも、バルビローリの手にかかると、決して救いようのない暗さに全体が支配されるということがなく、血も涙もある温かみのある音楽に聴こえるのが素晴らしい。

第2楽章は終結部の唐突な終わり方もあって纏めるのが難しい音楽であるが、バルビローリはテンポの緩急を駆使するなど巧みな至芸を披露している。

交響曲第5番については、とりわけ終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。

交響曲第6番については、演奏の持つ清澄な美しさには出色のものがあり、その情感たっぷりの旋律の歌い方は、まさに「歌う英国紳士」の真骨頂とも言える至高・至純の美しさを誇っていると評価したい。

そして交響曲全集の白眉は何と言っても交響曲第7番ではないだろうか。同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリのシベリウスの真骨頂。

本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。

第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。

第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。

もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。

併録の管弦楽の小品もいずれ劣らぬ名演であるが、劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」や、現在単独では入手不可能な組曲「歴史的情景」からの抜粋、そして組曲「恋人」、そしてロマンスハ長調は貴重な存在である。

ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

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2014年10月26日


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本盤にはヴァイオリン界の雄パールマンが、30歳を少し越えた頃の、脂の乗り始めた時期に残したブルッフの2大名作が収められている。

ブルッフは、ブラームスとほぼ同時代の作曲家であり、交響曲をはじめ、様々なジャンルの作品を遺しているにもかかわらず、今日でも演奏される機会があるのは、ヴァイオリン協奏曲第1番、本盤に収められたスコットランド幻想曲など、僅かしかない。

辛口のブラームスでさえ、ブルッフを評価していたのであり、それは相当に不当な評価と言わざるを得ない。

ブラームスのように、堅固な様式美を誇ったわけでもなく、むしろ旋律の美しさが際立つ作品を遺したこともあって、もしかしたら、そのあたりに聴き手に飽きられる要因があるのかもしれない。

もっとも、スコットランド幻想曲など、その極上の旋律美には、身も心もとろけてしまいそうになるくらい魅力的だ。

そのような作品だけに、パールマンのように、明るくて美しい音色と華麗なテクニックを看板にするヴァイオリニストの演奏がよくないわけがない。

パールマンは、何の抵抗もなく音楽自体の美しさを伝えてくれる。

序奏ではデリケートに感じ入ったピアニッシモや心をそそるポルタメントが美しく、特に高音の浸透性は絶品だ。

パールマンの明るく美しい音色と華麗なテクニック、加えて豊かなニュアンスがこの名作をひときわ印象深いものにしている。

本演奏は、スコットランド幻想曲の美しさを見事に表現し尽くした素晴らしい名演と高く評価したい。

併せて、本盤には、第1番に比して殆ど演奏されないヴァイオリン協奏曲第2番が収録されているが、極めて美しい名演であり、録音が殆どなされていないという意味でも貴重な演奏と言える。

筆者としても余り親しみのある楽曲ではないが、それでもパールマンの手にかかると思わず聴かされてしまう。

落ち着いたテンポで仕上げているが、香りや懐かしさに満ち、心のこもった演奏だ。

およそ隙というものが見られぬ偉大なる名演と言える。

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classicalmusic at 20:49コメント(0)トラックバック(0)パールマン 

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本盤にはブラームスの交響曲第4番とハイドンの主題による変奏曲が収められているが、スクロヴァチェフスキ&読売日響は、既にブラームスの交響曲第1〜3番を録音していることから、本演奏はまさにスクロヴァチェフスキ&読売日響によるブラームスの交響曲全集の完結編ということになる。

また、スクロヴァチェフスキは、ハレ管弦楽団とともにブラームスの交響曲全集をスタジオ録音(1987年)しており、本盤を持って2度目の全集の完成ということになるが、演奏内容については、今般の2度目の全集の方がダントツの素晴らしさと言えるだろう。

そして本盤の第4番の演奏も、スクロヴァチェフスキによる2度目のブラームスの交響曲全集の掉尾を飾るに相応しい至高の圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。

ブラームスの交響曲第4番のこれまでの他の指揮者による名演としては、シューリヒトやムラヴィンスキーなどによる淡麗辛口な演奏や、それに若さを付加したクライバーによる演奏の評価が高く、他方、情感溢れるワルターや、さらに重厚な渋みを加えたベームによる名演、そして本年に入ってSACD化が図られたことによってその価値が著しく高まったドラマティックなフルトヴェングラーによる名演などが掲げられるところだ。

これに対して、スクロヴァチェフスキによる本演奏の特徴を一言で言えば、情感豊かなロマンティシズム溢れる名演と言ったことになるのではないだろうか。

もっとも、ワルターの演奏のようなヒューマニティ溢れる演奏とは若干その性格を異にしているが、どこをとっても歌心に満ち溢れた豊かな情感(感極まって、例えば第1楽章などスクロヴァチェフスキの肉声が入る箇所あり)を感じさせるのが素晴らしい。

それでいて演奏全体の造型は堅固であり、いささかも弛緩することはない。

加えて、第3楽章の阿修羅の如き快速のテンポによる畳み掛けていくような気迫溢れる豪演など、86歳の老巨匠とは思えないような力感が演奏全体に漲っているが、それでも各楽章の緩徐箇所においては老巨匠ならではの人生の諦観を感じさせるような幾分枯れた味わいをも有しているところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、これまでの様々な大指揮者による名演にも比肩し得るだけの奥行きのある深遠さを湛えている。

また、すべてのフレーズに独特の細やかな表情付けが行われており、終楽章のゆったりとしたテンポによる各変奏の巧みな描き分けも含め、演奏全体の内容の濃密さにおいても出色のものがあると言えるだろう。

いずれにしても、本演奏は、現代最高の巨匠指揮者スクロヴァチェフスキが最晩年になって漸く成し得た至高の超名演と高く評価したい。

ハイドンの主題による変奏曲は、まさに老巨匠ならではの職人技が際立った名演奏。

各変奏の描き分けの巧みさは、交響曲第4番の終楽章以上に殆ど神業の領域に達している。

加えて、各フレーズの端々に漂う豊かな情感においても、そしてその演奏の彫りの深さにおいても、同曲の様々な指揮者による名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

読売日本交響楽団も、崇敬する巨匠スクロヴァチェフスキを指揮台に頂いて、その持ち得る実力を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのが見事である。

ホルンなどのブラスセクションや木管楽器なども実に上手く、弦楽合奏の豊穣さなど、欧米の一流のオーケストラにも匹敵するほどの名演奏とも言えるだろう。

なお、本盤で更に素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

各楽器の位置関係までもが明瞭に再現される臨場感溢れる鮮明で豊穣な高音質は、本超名演の価値をより一層高いものとしていることを忘れてはならない。

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2014年10月25日


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本盤には、英国指揮者の大御所でもあるコリン・デイヴィスがロンドン交響楽団の首席指揮者在任中にライヴ録音を行ったエルガーの交響曲全集が収められている。

3曲の交響曲のうち、最も有名な交響曲第1番については、コリン・デイヴィスは、BBC交響楽団との演奏(1985年)、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏(1998年ライヴ録音)を行っていることから、本盤の演奏を含めて3度にわたって録音を行っていることになる。

とりわけ、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏は、オーケストラの抜群の力量やその独特の音色の魅力、そしてコリン・デイヴィスの当該演奏にかける尋常ならざる意欲も相俟って、切れば血が噴き出てくるような大熱演に仕上がっていたところだ。

したがって、コリン・デイヴィスによるエルガーの交響曲第1番の名演としては、このシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏を随一に掲げるべきであろうが、だからと言って、本演奏の価値が低いというわけではない。

本盤の演奏については、交響曲第2番や第3番においても共通していると言えるが、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポにより、重厚にして壮麗、なおかつスケール雄大な演奏を行っていると言えるのではないだろうか。

前述のシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏と比較すると、トゥッティに向けて遮二無二畳み掛けていくような強靭な迫力や灼熱のように燃え上がる圧倒的な生命力においては、一歩譲ると言わざるを得ないが、それでも、本演奏もライヴ録音ならではの気迫や強靭さも十分に備わっており、演奏の持つ根源的な迫力においてもいささかの不足はない。

そして、コリン・デイヴィスの指揮で素晴らしいのは、強靭なトゥッティや荒々しさを感じさせる箇所に差し掛かっても、格調の高さを失っていないという点であり、これは英国人指揮者の面目躍如たるものがある。

エルガーの交響曲に特有のイギリスの詩情に満ち溢れた旋律の数々の歌い方についても、コリン・デイヴィスは、哀嘆調の感傷的なロマンティシズムに陥ることがなく、常に気品のある高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

コリン・デイヴィスの確かな統率の下、重厚な強靭さからイギリスの詩情に満ち溢れた繊細な美しさに至るまでを完璧に音化し、望み得る最高の名演奏を繰り広げたロンドン交響楽団にも大きな拍手を送りたい。

音質は、2001年のライヴ録音、そして従来CD盤での発売であるが、十分に満足できる音質である。

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フランス音楽とともにロシア音楽を得意とするデュトワが音楽監督を務めていたモントリオール交響楽団を指揮、冴え渡った棒さばきで精緻にして華麗な演奏を展開している。

ストラヴィンスキーの3大バレエ音楽には、これまでも数々の名演が目白押しであるが、その演奏様式たるや実に多様である。

ゲルギエフなどに代表されるロシア風の民族的なあくの強さを全面に打ち出した演奏や、アンセルメなどに代表される洗練された美しさで聴かせる演奏、ブーレーズなどに代表される作品の持つ前衛性を全面に打ち出した演奏など、枚挙にいとまがないほどである。

そのような中で、デュトワの演奏は、間違いなくアンセルメの系列に連なるものである。

いたずらにロシア風の民族色を強調するわけでもなく、さりとて、作品の持つ前衛性を強調するわけでもない。

オーケストラをバランスよく鳴らして、実に洗練された美の世界を構築している。

もちろん、聴かせどころのツボを心得た演出の上手さにも卓抜したものがあり、表面的な美に固執するという、内容が伴わない浅薄さにもいささかも陥っていない。

モントリオール交響楽団に、これだけの雰囲気豊かな演奏をさせたデュトワのオーケストラトレーナーとしての才覚も、高く評価されるべきものと考える。

「火の鳥」はオーケストラを自在に駆使しながら、このバレエの各場面の動きを、鋭い筆致で描いた演奏で、オーケストラの音の美しさもさることながら、全体を包む劇場的な雰囲気に惹かれる。

特に「魔王カスチェイの兇悪な踊り」は立派だ。

「ペトルーシュカ」は巧みな設計で、実に精緻にこの作品を仕上げている。

特に第4場は圧巻で、ペトルーシュカがムーア人に殺されるあたりからエンディングにかけての、畳み込んでいくような面白さは、いかにもデュトワらしい。

管楽器群のずば抜けた上手さも特筆に値する。

「春の祭典」は実に淡泊な表現で、シャープに、そして色彩的にまとめあげた演奏である。

しかし、そうしたなかにも、盛り上げるべきところは力強く盛り上げており、ことに第2部の「祖先の儀式」から「いけにえの踊り」のクライマックスにかけての演出はすばらしい。

その他の録音された作品は、3大バレエ音楽などと比較すると、作品の認知度は著しく劣るが、デュトワが演奏すると、実に魅力的な作品に聴こえるのは不思議であり、こうした点にもデュトワの演出巧者ぶりが発揮されている。

各楽器が鮮明に分離して聴こえる英デッカによる超優秀録音も最高で、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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グールドとカラヤンという異色の組み合わせが話題を呼んだ、1957年のベルリンでの記念碑的なコンサートにおける歴史的な演奏の登場だ。

本盤には、当日のコンサートの演目のうち、ヒンデミットの交響曲「画家マチス」を除いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番とシベリウスの交響曲第5番が収められている。

本演奏はモノラル録音であり、音質も必ずしも鮮明とは言い難いが、本国内盤の登場は、その演奏の質の高さや歴史的な価値に鑑みて、大いに歓迎すべきであると考える。

まずは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番であるが、これが意外にもまともな演奏であるというのに大変驚かされた。

聴く前は、グールドが何か聴き手を驚かすような奇手を講ずるのではないかと思ったのだが、そのアプローチは実にオーソドックスそのもの。

バーンスタインを辟易させるような超スローテンポで演奏したピアノ協奏曲第1番とは別人のような正統的なテンポで、堂々たるピアニズムを披露している。

帝王への道を駆け上がりつつあったカラヤンへの遠慮や崇敬もあったのかもしれないが、いずれにしても、重厚で立派な名演であることは疑いようがない。

ベルリン・フィルも、オーケストラの音色などにいまだフルトヴェングラー時代の残滓があった時期でもあり、壮年期のカラヤンによる気迫溢れる指揮とその圧倒的な統率の下、ベルリン・フィルが醸し出すドイツ風の重心の低い音色によって、グールドのピアノをしっかりと下支えしているのが素晴らしい。

他方、シベリウスの第5番は、本盤以外にも4度にわたってスタジオ録音しているカラヤンの十八番とも言うべき交響曲だけに、本演奏は至高の超名演と高く評価したい。

本演奏は、他のスタジオ録音とは異なり、ライヴでこそその真価を発揮すると言われる壮年期のカラヤンならではの、生命力溢れる力強さが持ち味であると言えるところであり、それでいて、北欧の大自然を彷彿とさせる繊細な抒情美においてもいささかの不足もない。

筆者としては、これまでカラヤンによるシベリウスの第5番の演奏の中では、1965年盤(DG)を随一の名演と高く評価してきたが、今後は、本演奏も、それとほぼ同格の名演と位置付けたいと考える。

本盤で惜しいのは、前述のように、録音が鮮明とは言えない点であるが、1957年という、今から約55年も前のライヴ録音であるということに鑑みれば、致し方がないのかもしれない。

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classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)カラヤングールド 

2014年10月24日


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作曲をする指揮者というのは、現代では少数派と言えるのではないか。

かつての指揮者は、1つのオーケストラにとどまることが多かったが、現代では、世界中を飛び回って数多くのコンサートを指揮しなければならないというきわめて繁忙な状況にあり、とても作曲にまでは手が回らないというのが実情ではないだろうか。

現役の指揮者ではスクロヴァチェフスキやマゼール、ブーレーズなどが掲げられるが、それ以外の指揮者は、作曲はできるのかもしれないが、作曲をしているという話自体がほとんど聞こえてこないところだ。

少し前の時代に遡ってみれば、バーンスタインやブリテンがいたし、更に、マタチッチよりも前の世代になると、クレンペラーやフルトヴェングラー、マルティノンなど、いわゆる大指揮者と称される者が目白押しである。

もちろん、現在では、作曲家としての認知が一般的なマーラーやR・シュトラウスも、当時を代表する大指揮者であったことに鑑みれば、かつては、指揮者イコール作曲家というのは、むしろごく自然のことであったと言えるのかもしれない。

ただし、昨今の指揮者兼作曲家が作曲した楽曲が名作と言えるかどうかは議論の余地があるところであり、マーラーやR・シュトラウスなどはさすがに別格ではあるが、前述の指揮者の中で、広く世に知られた名作を遺したのは、大作曲家でもあったブリテンを除けば、ウェストサイドストーリーなどで有名なバーンスタインだけではないかとも考えられる。

マタチッチも、そのような作曲をする指揮者の1人であるが、その作品が広く世に知られているとは到底言い難い。

ヨーロッパでは二流の指揮者の扱いを受けていたマタチッチは、自作を演奏する機会などなかなか巡って来なかったのではないかと考えられるが、マタチッチが、最後の来日の際の条件として、自作の対決の交響曲の演奏を掲げたことも、そうしたマタチッチのヨーロッパでの不遇のあらわれと言えるのかもしれない。

対決の交響曲は、筆者も本CDで初めて耳にする楽曲であり、加えて既発CDも持っていないので、今般のBlu-spec-CDとの音質の比較をすることもなかなかに困難である。

ただ、従来CDではなく、Blu-spec-CDであるということで、音質が非常に鮮明であるということは十分に理解できるところであり、その結果、マタチッチの手による対決の交響曲が、細部に至るまで鮮明に表現されているということについては、本CDは十分に評価に値すると言えるのではないか。

対決の交響曲は、現代音楽特有のいささか複雑な楽想や構成、不協和音なども散見されるものの、比較的親しみやすい旋律も随所に満載であり、この作品を名作と評価するにはいささか躊躇するが、マタチッチという大指揮者の作曲家としての力量やその芸術の神髄を味わうことができるという意味においては、意義の大きい名CDと高く評価したいと考える。

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ハイティンクが得意とするショスタコーヴィチの交響曲の待望の最新録音の登場だ。

ハイティンクは、本盤に収められた交響曲第4番を約30年前にもロンドン・フィルとともに、ショスタコーヴィチの交響曲全集の一環としてスタジオ録音(1979年)していることから、本演奏はハイティンクによる同曲の2度目の録音ということになる。

そして本盤に収められた約30年ぶりの本演奏は、当該全集に収められた演奏とは段違いの素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。

本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負。

いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴である。

したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるというのが素晴らしいと言えるところだ。

加えて、本演奏には、晩年を迎えたハイティンクならではの奥行きの深さが感じられるところであり、同曲に込められた作曲者の狂気や絶望感などが、淡々と進行していく曲想の中の各フレーズから滲み出してくるのが見事である。

このような彫りの深い名演を聴いていると、ハイティンクが今や真の大指揮者になったことを痛感せざるを得ないところだ。

ハイティンクの確かな統率の下、現在の手兵であるシカゴ交響楽団が持ち得る実力を最大限に発揮した入魂の名演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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先般CD3枚にも及ぶヨハン・ハルヴォルセンの管弦楽作品集をスタジオ録音したネーメ・ヤルヴィであるが、今度は同じくノルウェーの作曲家、ヨハン・スヴェンセンの交響曲のスタジオ録音に着手した。

ネーメ・ヤルヴィはかなりの高齢であり、近年では息子のパーヴォ・ヤルヴィの華々しい活躍の陰に隠れがちと言えなくもないが、それでも、果敢に新しいレパートリーの開拓に勤しむ飽くなき姿勢には、我々聴き手としてもただただ頭を下げざるを得ないところだ。

ネーメ・ヤルヴィに対しては、一部の評論家からは何でも屋のレッテルが貼られ、必ずしも芳しい評価がなされているとはいえないようであるが、祖国の作曲家であるトゥヴィンをはじめとして、ステンハンマルやアルヴェーン、そしてゲーゼやホルンボーなど、北欧の知られざる作曲家の傑作の数々を広く世に認知させてきた功績は高く評価しなければならないのではないかと思われるところである。

確かに、誰も録音を行っていない楽曲は別として、1つ1つの演奏に限ってみれば、より優れた演奏が他に存在している場合が多いとも言えるが、それでも水準以上の演奏には仕上がっていると言えるところであり、巷間言われているような粗製濫造にはいささかも陥っていないと言えるのではないだろうか。

本盤に収められたヨハン・スヴェンセンの交響曲については、そもそもいずれの楽曲も輸入盤でしか手に入らないものだけに、まさにネーメ・ヤルヴィの独壇場。

他に比較に値する演奏が稀少という意味において本演奏について公平な評価を下すことはなかなかに困難であるが、本演奏に虚心坦懐に耳を傾ける限りにおいては、いかにもネーメ・ヤルヴィならではの聴かせどころのツボを心得た語り口の巧さが光った名演奏と言うことができるところだ。

スヴェンセンは、グリーグとほぼ同時代に活躍した作曲家であるが、国外での活動が多かったこともあって、グリーグの作品ほどに民族色の濃さは感じられない。

それでも、ネーメ・ヤルヴィは、各楽曲の曲想を明朗に描き出すとともに、巧みな表情づけを行うことによって、実に味わい深い演奏を行っていると言えるところであり、演奏全体に漂っている豊かな情感は、まさに北欧ノルウェーの音楽以外の何物ではないと言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、スヴェンセンの知られざる名作の数々に光を当てることに大きく貢献した素晴らしい名演と高く評価したい。

今後は、スヴェンセンが作曲した管弦楽曲やヴァイオリン協奏曲なども録音がなされるのではないかとも考えられるが、続編に大いに期待したいと考える。

音質は、従来CD盤ではあるが、十分に満足できる良好なものと評価したい。

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classicalmusic at 01:02コメント(0)トラックバック(0)ヤルヴィ 

2014年10月23日


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本盤には、デュカスの極めて有名な交響詩「魔法使いの弟子」をはじめとして、交響曲ハ長調、そしてバレエ音楽「ラ・ペリ」が収められている。

デュカスは、自作に対して極めて厳しい姿勢で臨んだところであり、後世に遺す必要がないと考えた作品はすべて破棄したことから、その作品の数は著しく少ないと言わざるを得ない。

また、交響詩「魔法使いの弟子」は誰でも知っている超有名曲であるが、バレエ音楽「ラ・ペリ」についてはファンファーレのみが広く知られており、交響曲ハ長調に至っては知る人ぞ知る存在に甘んじている。

それだけに、交響詩「魔法使いの弟子」を除くと録音の点数はわずかであり、その意味でも、本盤のようにデュカスの名作がまとめておさめられていること、そして巨匠フルネが演奏していることなどを考慮すれば、デュカスの作品を広く認知させるという意味においても意義の大きい名CDと言えるだろう。

そして、演奏内容も実に素晴らしい。

フルネの演奏の最大の特色は一音一音をいささかも蔑ろにしない精緻さであり、それは、本盤に収められた各楽曲のいずれの演奏においても健在である。

もっとも、フルネの場合は、単にスコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの杓子定規な演奏を行っているわけではないことに留意しておく必要がある。

精緻に描き出している各フレーズをよく聴くと、独特の細やかなニュアンスが込められていると言えるところであり、演奏の密度の高さには尋常ならざるものがある。

そして、各フレーズの端々からは豊かな情感が滲み出しているとともに、演奏の随所にはフランス風のエスプリが漂うなど、その洒落た味わいの情感豊かな演奏には抗し難い魅力に満ち溢れている。

交響曲ハ長調においては、演奏全体の堅固な造形美にもいささかも欠けるところはなく、交響詩「魔法使いの弟子」やバレエ音楽「ラ・ペリ」における各場面の描き分けの巧みさは、巨匠フルネならではの老獪な至芸と言えるところであり、その語り口の巧さは見事という他はない。

そして、いずれの楽曲においても、トゥッティにおける強靭な迫力においては、とても当時80歳代後半の老巨匠とは思えないような圧倒的な生命力が漲っている。

また、これらの演奏において素晴らしいのは、オランダ放送フィルの北ヨーロッパのオーケストラならではのいぶし銀の独特の音色である。

かかるオランダ放送フィルのいぶし銀の音色が、演奏全体に独特の落ち着きと潤いを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は、デュカスによるそれぞれの楽曲の代表的な演奏とも言える圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質は、1990〜1992年のスタジオ録音であり、十分に満足できる音質である。

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本盤には、ベームがウィーン・フィルやベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音したモーツァルトの管楽器のための協奏曲集やセレナード集、ディヴェルティメント集が収められている。

ベームのレパートリーの基本は独墺系の作曲家による楽曲であったが、その中でもモーツァルトによる楽曲はその中核を占めるものであったと言えるのではないだろうか。

ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも本盤は、1959年から1967年にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集とともに、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると高く評価したい。

モーツァルトを得意とした巨匠と言えば、ワルターを第一に掲げるべきであるが、ワルターのモーツァルトの楽曲の演奏が優美にして典雅であったのに対して、ベーム演奏は重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体としてゆったりとしたものである。

そして、本盤の演奏は、1970〜1979年にかけてのものであり、とりわけ1970年代後半のベームによる一部の演奏には、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化が殆ど聴かれないのが素晴らしい。

そして、全盛時代のベームの特徴でもあった躍動感溢れるリズムが本盤の演奏では健在であり、かような演奏が四角四面に陥るのを避けることに繋がり、モーツァルトの演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足もしていないと言えるところだ。

要は、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるだろう。

そして、本盤で素晴らしいのは、ベルリン・フィルやウィーン・フィルの各首席奏者の素晴らしい名演奏であり、その卓越した技量や美しい音色など、これ以上は求め得ないような美しさの極みとも言うべき圧倒的な名演奏を展開していると評価したい。

これら首席奏者にとどまらず、ベルリン・フィルやウィーン・フィルによる演奏も高く評価すべきであるが、とりわけベルリン・フィルについて言及しておきたい。

この当時のベルリン・フィルは、終身の芸術監督カラヤンの下で、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れた重厚でなおかつ華麗な名演奏の数々を成し遂げるなど、徐々にカラヤン色に染まりつつあったところだ。

しかしながら、本盤の演奏では、いささかもカラヤン色を感じさせることなく、ベームならではのドイツ風の重厚な音色で満たされている。

かかる点に、ベルリン・フィルの卓越した技量と柔軟性を大いに感じることが可能であり、本盤の名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1970年から1979年にかけてのスタジオ録音であるが、大半の演奏が既にリマスタリングが施された(ウィーン・フィルの首席奏者との協奏交響曲やディヴェルティメント集については久々のCD化であるとともに、筆者も当該CDを所有しておらず、比較出来なかったことを指摘しておきたい)こともあって、従来盤でも十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 20:56コメント(5)トラックバック(0)モーツァルトベーム 

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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレがスタジオ録音したグリュツマッヒャーが編曲したボッケリーニのチェロ協奏曲と、世に知られているとは言い難いシェーンベルクが編曲したモンのチェロ協奏曲が収められている。

いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。

デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。

本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。

もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分であると言えるところだ。

それでいて、両曲の緩徐楽章などにおける繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。

デュ・プレのチェロ演奏のバックの指揮をつとめるのは父君バレンボイムと名匠バルビローリであるが、オーケストラを巧みに統率するとともに、デュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、両曲の魅力的な数々の旋律を歌い抜いた情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

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2014年10月22日


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当盤にはブロムシュテットがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター退任後、名誉指揮者として最初に指揮台に上がった時(2006年11月)のライヴ録音が収められている。

ブロムシュテットによるブルックナーの交響曲第7番と言えば、何と言っても、1980年にシュターツカペレ・ドレスデンとともに行ったスタジオ録音が念頭に浮かぶ。

当時のドレスデンは、今はなき東ドイツにあり、シュターツカペレ・ドレスデンも、現在ではすっかりと色褪せてしまったが、いぶし銀とも言うべき独特の魅力的な音色を誇っていた。

ホルンのペーター・ダムをはじめとした伝説的なスター・プレイヤーもあまた在籍していただけに、当該演奏の魅力は絶大なるものがあった。

ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンのコンビは、同時期に来日を果たして、第4番の演奏を披露し、NHKなどでも放映されたが、とにかく、シュターツカペレ・ドレスデンの音色に完全に魅了されてしまったことを鮮明に記憶しているところだ。

ブロムシュテットの指揮も、自我を極力抑制して、シュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な演奏にすべてを委ねているとさえ言えるところであり、そのことが、当該演奏を独特の魅力のあるものとしていたのではないかとも思われるところである。

本盤に収められた第7番の演奏は、当該演奏から四半世紀以上も経った2006年のものであるが、ここで感じられるのは、今や、現代を代表する大指揮者となったブロムシュテットの円熟と言えるのではないだろうか。

同曲演奏に対する基本的なアプローチに変わりはないが、楽想を描き出していく際の彫りの深さ、懐の深さは、1980年の演奏を遥かに凌駕している。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、まさに理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さ、そして、近年の同曲の演奏でも最上位にランキングされる見事な名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。

クヴェルシュタント・レーベルの録音技量は素晴らしく、弦のかすかなトレモロまでもが臨場感を持って聴き取れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーブロムシュテット 

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凄い演奏だ。

セル&クリーヴランド管弦楽団の全盛期の演奏がいかに凄まじいものであったのかがよく理解できるところだ。

セルは、先輩格である同じハンガリー出身の指揮者であるライナーや、ほぼ同世代のオーマンディなどとともに、自らのオーケストラを徹底して鍛え抜いた。

セルの徹底した薫陶もあって、就任時には二流の楽団でしかなかったクリーヴランド管弦楽団もめきめきとその技量を上げ、ついにはすべての楽器セクションがあたかも1つの楽器のように奏でると言われるほどの鉄壁のアンサンブルを構築するまでに至った。

「セルの楽器」との呼称があながち言い過ぎではないような完全無欠の演奏の数々を成し遂げていたところであり、本盤の演奏においてもそれは健在である。

本盤には、メンデルスゾーンの交響曲第4番や、劇音楽「真夏の夜の夢」からの有名曲の抜粋、そして序曲「フィンガルの洞窟」が収められているが、とかく旋律の美しさのみが強調されがちなこれらの楽曲が、セルの手にかかると、引き締まった硬派の音楽に変貌するのが素晴らしい。

メンデルスゾーンの交響曲第4番には、同じく硬派の演奏としてトスカニーニ&NBC交響楽団による超名演(1954年)があり、濃密なカンタービレの魅力もあってとても当該演奏には敵わないが、一糸乱れぬアンサンブルを駆使した演奏の完全無欠さという点においては、本演奏もトスカニーニによる超名演に肉薄していると言えるところだ。

劇音楽「真夏の夜の夢」も、この黄金コンビならではの引き締まった名演である。

とりわけ結婚行進曲など、下手な指揮者の手にかかると外面的で安っぽい音楽に成り下がってしまいがちであるが、セルの場合は、かのクレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団による超名演(1960年)と同様に、高踏的で格調の高い音楽に聴こえるのが見事である。

序曲「フィンガルの洞窟」については、もう少し演奏全体にゆとりというか、味わい深さが欲しい気もするが、演奏自体の水準は極めて高いものであり、名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンセル 

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ショルティほど、実力の割に過小評価されている指揮者はいないのではないか。

カラヤンに匹敵するほどの膨大なレコーディングを行ったショルティであるが、現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。

これには、我が国の音楽評論家、とりわけとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、ショルティの演奏を全く聴かないのはあまりにも勿体ない。

特に、ショルティによるマーラーの交響曲の演奏は、いずれも一聴の価値のある名演揃いであり、今般、ルビジウム・クロック・カッティングによる高音質かつ廉価で、一連の録音が発売されることから、いまだ未聴のクラシック音楽ファンにも是非とも聴いていただきたいと考えている。

それはさておき、本盤には、ショルティが完成させた唯一のマーラーの交響曲全集を構成する交響曲第7番が収められている。

中期の交響曲として同様に分類される第5番をショルティは3度にわたって録音しているのに対して、第7番は、第6番と同様に本盤が唯一の録音であるが、これは、ショルティが本演奏に満足していたのか、それとも第5番ほどに愛着を持っていなかったのか、その理由は定かではない。

それはさておき、演奏は凄まじい。

これは、同じく1970年に録音された第5番や第6番と共通していると言えるが、まさに強烈無比と言っても過言ではないほどの壮絶な演奏と言えるのではないだろうか。

ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。

こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなかったが、かかるショルティの芸風が最も如実にあらわれた演奏こそは、本盤に収められた第7番を含む1970年に録音された第5番〜第7番のマーラーの中期の交響曲の演奏であると考えられる。

それにしても、第5番のレビューにおいても記したところであるが、筆者はこれほど強烈無比な演奏を聴いたことがない。

耳を劈くような強烈な音響が終始炸裂しており、血も涙もない音楽が連続している。

まさに、音の暴力と言ってもいい無慈悲な演奏であるが、聴き終えた後の不思議な充足感は、同曲の超名演であるインバル&フランクフルト放送交響楽団盤(1986年)又はインバル&チェコ・フィル盤(2011年)、そして、テンシュテット&ロンドン・フィル盤(1993年ライヴ盤)などにいささかも引けを取っていない。

あまりにも強烈無比な演奏であるため、本演奏は、ショルティを好きになるか嫌いになるかの試金石になる演奏とも言えるのかもしれない。

加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質も英デッカによる1970年の録音当時としては総体として優秀なものである。

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classicalmusic at 00:48コメント(0)トラックバック(0)マーラーショルティ 

2014年10月21日


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スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。

さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ弦楽四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息のあった絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献していた。

もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。

ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。

ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、まさに音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番及び大フーガは、前述の名盤の誉れ高い全集に収められた弦楽四重奏曲第13番及び大フーガの演奏(1982年)の約20年前の演奏(1965年)だ。

全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるとも言えるが、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ弦楽四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。

演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはない。

しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っていると言えるところだ。

したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないとも言える。

第13番及び大フーガは、ベートーヴェンが最晩年に作曲した最後の弦楽四重奏曲でもあり、その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1965年のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。

しかしながら、先般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤がなされ、圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

したがって、SACD再生機を有している聴き手は、多少高額であっても当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤をお薦めしたいが、SACD再生機を有していない聴き手や、低価格で鑑賞したい聴き手には、本Blu-spec-CD盤をおすすめしたい。

第12番、第14〜第16番についても今般Blu-spec-CD化がなされたが、従来CD盤との音質の違いは明らかであり、できるだけ低廉な価格で、よりよい音質で演奏を味わいたいという聴き手にはBlu-spec-CD盤の購入をおすすめしておきたい。

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classicalmusic at 22:43コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンスメタナSQ 

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素晴らしい名演だ。

デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度も完成させているのに、ニールセンの交響曲の録音はこれまでしてこなかった。

その意味では、満を持しての挑戦ということになるのであろうが、長年の渇きを癒すのに十分過ぎるくらいの超名演に仕上がっている。

第4番は、物凄い快速のテンポだ。

同曲には、カラヤンによる速めのテンポによる名演があるが、あのカラヤンでさえ全曲に約37分を要しているのだから、この演奏の約31分というのが尋常ならざる速さということがわかろうというものである。

おそらくは、史上最速の第4番ということになるのではないか。

とても、老匠の指揮とは思えないような生命力に満ち溢れており、この交響曲の副題でもある「不滅」の名に恥じることのない演奏ということができる。

それでいて、第3部の美しさも出色のものがあり、必ずしも勢いに任せた一本調子の演奏には陥っていない。

第5番は、間違いなく、同曲演奏史上最高の名演と言える。

筆者は、このニールセンの最高傑作を初めて聴いたのは、今から約15年前になるが、ようやく理想の名演に辿り着いたことに深い感慨を覚える。

テンポは、第4番とは一転して、ゆったりとした堂々たるものだ。

それでいて、同じく超スローテンポのクーベリックの演奏のようなおどろおどろしさはいささかもなく、常に、こうしたゆったりめのテンポ設定に必然性が感じられるのが良い。

冒頭の高弦によるトレモロからして、他の演奏には感じられないような内容の濃さを感じさせる。

その後の緩急自在のテンポ設定、打楽器の巧みな鳴らし方、ダイナミックレンジの効果的な活用など、どれをとっても、これ以上は求め得ないような至高・至純のレベルに仕上がっており、第5番が、ニールセンの最高傑作であることを聴き手に伝えるのに十分な超名演に仕上がっている。

録音も素晴らしい。

マルチチャンネル付きのSACDは、ニールセンの打楽器や金管楽器、木管楽器を巧みに駆使したオーケストレーションの再現には最適であり、各楽器の位置関係が明瞭にわかるような鮮明な解像度には、大変驚かされた。

まさに、演奏、録音ともに超優秀な至高の名CDと高く評価したい。

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ミュンシュは幻想交響曲を十八番にしていた。

これは何もミュンシュに限ったことではなく、フランス系の指揮者に共通するものであり、モントゥーにしても、クリュイタンスにしても、それこそ何種類もの幻想交響曲の録音が存在している。

フランス系の指揮者にとって、やはり幻想交響曲というのは特別な存在なのではないかと考えられるところだ。

ミュンシュの幻想交響曲と言えば、有名なのはパリ管弦楽団の音楽監督に就任して間もなく録音された1967年盤(EMI)だ。

これは、最近、SACD化されて更に名演のグレードがアップしたが、それとほぼ同時期のライヴ録音(アルトゥス)は、更に素晴らしい超絶的名演であり、2011年2月のレコード芸術誌のリーダースチョイスにおいてトップの座を獲得したことも記憶に新しい。

これらの演奏の前の録音ということになると、当時の手兵ボストン交響楽団とのスタジオ録音(1962年)ということになる。

本盤は、当該スタジオ録音の2年前の来日時のライヴ録音ということになるが、さすがに前述の2種の1967年盤には劣るものの、1962年のスタジオ録音盤よりははるかに優れた素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤を聴いて感じるのは、やはりミュンシュのライヴ録音は凄いということだ。

スタジオ録音でも、前述の1967年盤において顕著であるが、その生命力溢れる力強さと凄まじい気迫に圧倒されるのに、ライヴとなると、とてもその比ではなく、あたかも火の玉のように情熱の炎が迸っている。

前述の1967年のライヴ盤(アルトゥス)でもそうであったが、ミュンシュは生粋の舞台人であったのではないかと考えられる。

それ故に、多くの聴衆を前にして、あれほどの燃焼度のきわめて高い演奏を披露することが可能であったのではないだろうか。

本盤においても、ミュンシュの燃焼度は異様に高く、最初から終わりまで、切れば血が出てくるような灼熱のような生命力にただただ圧倒されるばかりだ。

ミュンシュの幻想交響曲は、モントゥーやクリュイタンスのようにフランス風のエスプリなどはあまり感じさせない。

これは、ミュンシュがドイツ語圏でもあるストラスブール出身ということにも起因していると考えるが、これだけの気迫溢れる豪演で堪能させてくれるのであれば、そのような些末なことは何ら問題にもならないと考える。

加えて、ミュンシュのドラマティックな指揮に、一糸乱れぬアンサンブルで最高のパフォーマンスを示したボストン交響楽団の卓越した技量についても高く評価したい。

併録のルーセルの「バッカスとアリアーヌ」組曲やヘンデルの水上の音楽からの抜粋も、ミュンシュの熱い指揮ぶりが印象的な超名演だ。

録音も、特に幻想交響曲の第4楽章における金管楽器のいささかデッドな音質など、音場が今一つ広がらないという欠点も散見されるが、1960年のものとしては十分に良好な音質であり、本盤の価値をより一層高めるのに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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classicalmusic at 00:42コメント(0)トラックバック(0)ミュンシュベルリオーズ 

2014年10月20日


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ズヴェーデンは、エクストン・レーベルに対して、オランダ放送フィルとともにブルックナーの交響曲の録音を行っており、既に第2番、第4番、第5番、第7番、第9番の5曲の録音を終了している。

第2番(2007年)以降の録音が途絶えていたところであり、既に発売された各交響曲の演奏のいずれもが水準の高い名演であることに鑑みれば、このコンビでブルックナーの交響曲全集を完成して欲しいと思っていた聴き手は筆者だけではないとも思われるが、今般、エクストン・レーベルではないが、ついに、続編である第8番(2011年録音)が登場したのは実に慶賀に堪えないところだ。

ズヴェーデンは1960年生まれで未だ50歳になったばかりでもあり、是非とも今後残る交響曲の録音を行っていただき、全集を完成していただくことをこの場を借りて強く要望しておきたいと考える。

ズヴェーデンのブルックナーの交響曲へのアプローチは、これまでに録音された交響曲の演奏でもそうであったが、ヴァントや朝比奈などの数々の名演によって通説となりつつある、いわゆるインテンポを基調とする演奏スタイルを原則として採っている。

もっとも、インテンポによる演奏を基調とはしているが、随所においてテンポを微妙に変化させることによって、演奏に効果的なスパイスを利かせていることも付記しておく必要がある。

そして、各旋律の歌わせ方には、ロマンティシズムの香りが漂っており、加えて、細部にわたって独特の表情づけを行うなど、単にスコアに記された音符の表層だけを取り繕っただけの薄味な演奏にはいささかも陥っておらず、常に含蓄のある豊かな情感に満ち溢れた演奏を行っているのが素晴らしい。

したがって、演奏全体としては、いわゆるブルックナーらしさをいささかも失っておらず、とりわけ第3楽章の清澄な美しさなど、抗し難い魅力に満ち溢れていると評価したい。

本演奏の当時のズヴェーデンは未だ50歳であるが、指揮者としては若手であるにもかかわらず、これだけの風格のある、そして彫りの深い演奏を成し遂げたということ自体が驚異的であり、ズヴェーデンという指揮者の類稀なる才能を感じるとともに、今後さらに大化けしていくことも十分に考えられるところだ。

いずれにしても、本盤に収められた交響曲第8番の演奏は、第2番の録音以来4年が経過しているにもかかわらず、ズヴェーデンがブルックナー指揮者として健在であることを世に知らしめるとともに、残された他の交響曲(第1番、第3番、第6番)の演奏にも大いに期待を抱かせる素晴らしい名演と高く評価したい。

また、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

最近では、エクストン・レーベルを筆頭にして、SACD盤を積極的に発売しても、マルチチャンネルから撤退するケースが多いようであるが、本盤のような、各楽器セクションの配置が明瞭にわかるような臨場感溢れる鮮明な高音質を聴いていると、是非ともマルチチャンネル付きのSACDを復活させていただきたいと切に願わざるを得ないところだ。

そして、かかるマルチチャンネル付きのSACDによる圧倒的な高音質録音が、本演奏の価値を高めるのに大きく貢献しているのも忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:49コメント(0)トラックバック(0)ブルックナー 

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ベストセラーのシベリウスやベートーヴェンの交響曲と並んでヴァンスカの名を高めたニールセンの交響曲が全集となり、さらに新録音の管弦楽曲3篇も収められた嬉しいアルバムとして登場。

かつて交響曲のみがCD3枚に渡ってバラで発売されていたものをボックス化したものであるが、交響曲を番号順に並べかえるとともに、新録音の主要な管弦楽曲を加えるなど、付加価値の高い全集と言える。

シベリウスの交響曲や管弦楽曲で素晴らしい名演を聴かせてくれているヴァンスカであるが、本盤のニールセンの交響曲や管弦楽曲でも見事な名演を成し遂げていると高く評価したい。

ニールセンの交響曲全集は、同時代の北欧のシンフォニストであるシベリウスの交響曲全集と比較するとあまりにも少ないが、作品の質の高さに鑑みると、不当に過小評価されていると言えるのではなかろうか。

そのような状況の中で、ヴァンスカによる素晴らしい名演による全集の登場は大いに歓迎すべきことである。

いずれもヴァンスカならではのボルテージの高さで、さらにニールセンの代表作「ヘリオス」まで楽しめる。

ヴァンスカのアプローチは、生命力溢れる力強さが基本であるが、これは、ニールセンの華麗なオーケストレーションの描出には相応しいもの。

どの交響曲、そして管弦楽曲においても、畳み掛けていくような気迫と力感が漲っている。

他方、各交響曲の緩徐楽章(「第4」や「第5」では、緩徐部と言った方が適切と言えるかもしれない)における情感の豊かさは、あたかも北欧の白夜を彷彿とさせるような優美さに満ち溢れており、勢い一辺倒の浅薄な演奏にはいささかも陥っていない。

まさに、硬軟バランスのとれた名演と言うことができるだろう。

また、本全集には、いわゆる超名演と言うものはないが、どの楽曲も名演の名に相応しい水準の演奏で構成されており、不出来な演奏がないというのも、本全集の価値を高める要素となっている点も忘れてなならない。

BBCスコティッシュ交響楽団やラハティ交響楽団も、ヴァンスカの指揮の下、最高のパフォーマンスを示している。

録音も優秀であり文句なし。

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数年前に惜しくも解散したアルバン・ベルク弦楽四重奏団。

この四重奏団が遺してきた数々の名演を念頭に置いた時、音楽界においてこれほど残念なことはなかったと考える。

最近では、カルミナ弦楽四重奏団とかアルカント弦楽四重奏団など、切れ味鋭い、現代的センス溢れる名演を繰り広げる楽団が、全盛期を迎えつつあるとも言えるが、そうした現代的なアプローチの元祖とも言うべき存在は、このアルバン・ベルク四重奏団にある。

そして、現代隆盛の四重奏団にないものが、このアルバン・ベルク四重奏団にはある。

それは、ウィーン出身の音楽家で構成されていることを強みにした、美しい音色であろう。

こうした「美しさ」という強みによって、各楽曲へのアプローチに潤いを与えていることを見過ごしてはならない。

それ故に、どの曲を演奏しても、前衛的なアプローチをしつつも、温かみのある血も涙もある演奏に仕上がっていることに繋がっているものと言える。

本盤のブラームスの弦楽四重奏曲もそうしたアルバン・ベルク四重奏団の長所が見事にプラスに働いた名演だ。

鉄壁とも言うべきアンサンブルを駆使しつつ、楽想を抉り出の描出にいささかの不足もない。

巷間評される「ウィーンの伝統にモダンな機能美を加えたその演奏スタイルは、ウィーン古典派と新ウィーン楽派をつなぐ結節点としてのブラームスの一面を見事につかみだした」という評価は、本名演の評価として誠に当を得た表現と言える。

筆者としては、ブラームスの弦楽四重奏曲は地味な印象が強くて聴き通すことが困難であったが、アルバン・ベルク四重奏団の厳しさと華麗さが加味されて非常に良い効果を生んでおり、はじめてブラームスの四重奏が聴き通せたと言っても過言ではない。

ブラームスの弦楽四重奏曲は、交響曲と比較して人気がないようであるが、筆者はアルバン・ベルク四重奏団によって、ブラームスという作曲家のロマンティックな側面が、交響曲より強く出されていて、好きになった。

その後、何度も聴き入り、ブラームスの室内楽の良さがじわじわと染み通るかのようである。

ただし、アルバン・ベルク四重奏団のブラームスは彼ら独特の鋭い感性に貫かれた演奏である為に、ある意味で聴く人を選んでしまうかもしれない。

しかもここに収められた3曲は作曲家自身が推敲に推敲を重ねた結果の、ひたすら個人的な思索の所産に他ならず、多くの聴衆を想定した音楽ではないからだ。

それはベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲に例えることができるだろう。

人によってはいたたまれないくらい厳しい曲想だろうし、また好む人にとっては逆に限りなく深みのある室内楽のエッセンスが堪能できるといった複雑な側面は、聴く人におもねることの無いブラームスの気質を窺わせている。

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classicalmusic at 01:01コメント(0)トラックバック(0)ブラームスアルバン・ベルクSQ 

2014年10月19日


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ヴィヴァルディの「四季」の録音と言えば、アーヨとイ・ムジチの古典的名盤や最近ではヤンセンの録音が極上の名演に仕上がっているが、本盤も、後述のような演奏の水準の高さも相俟って、これらの名盤に匹敵する至高の名盤として高く評価したい。

筆者がアナログ盤で最初に買った「四季」がこれで、今聴いても素晴らしい名演だ。

パイヤールの指揮は速めのテンポとレガート奏法で、爽やかにすっきりと流してゆく。

純美のハーモニーとアンサンブルも見事だが、ことに響きの新鮮なことは無類と言えるところである。

レガートにしても速いテンポにしても適度に抑制のきいたもので、品の良さと小味な繊細さを失わなず、多用されるピアニッシモが柔らかいしっとりとした味を出している。

ヴィヴァルディはイタリアの作曲家ではあるが、本盤は、いかにもフランスの音楽家たちが成し遂げた瀟洒な味わいによる「四季」と言える。

同じくラテン系ではあるが、ここには、そうしたラテン系の明るさとともに、フランス風のエスプリ漂う極上の優美さが備わっている。

このようなセンス満点の「四季」は、他にもあまり類例は見ないところであり、聴いていて、あたかもヴィンテージものの高級ワインを味わっているかのような、最高の気分を味わうことができる極上の名演と言えよう。

ところで、1960〜70年代のバロック復興は「四季」に始まると言って良く、各楽団がそれぞれ工夫を凝らした「四季」を録音しているので聴き比べると実に面白い。

現代では考えられないが、フルオケの豪壮華麗なカラヤン、重量級のストコフスキーからピリオド演奏の元祖とも言えるバッハ・ゾリスデンや学究的なアーノンクールまで本当に多種多様である。

その中で正統派と言えるのがイタリアのイ・ムジチ、イギリスのアカデミー室内管、それとこのフランスのパイヤール室内管であるが、最近聴き返してみてパイヤールが一番嫌味のない純音楽的なヴィヴァルディになっており、バランスが取れているように思う。

やや存在感が弱い気もするが、アンサンブルに全く破綻が無いし、ジェラール・ジャリのヴァイオリン・ソロも流麗かつ上品で深みがあり、各曲の第2楽章の描き分けも明快で、特に「冬」のラルゴは暖かで人間味溢れていて素晴らしい。

他レビューで、「録音が悪く明瞭感が無い」ということが書かれてあったが、最近のピリオド演奏の残響の無いクリアなサウンドに慣れた人には、そう感じられるのかもしれない。

筆者としては、むしろ質の悪いデジタル録音のチェンバロなどが耳障りなのを気になるタイプなので、当盤を聴いてデジタルリマスターされてもパイヤールならではの包み込むような優美なる空気感、暖かで豊かな弦の響きが損なわれてなかったのが実に嬉しいところである。

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classicalmusic at 22:32コメント(0)トラックバック(0)ヴィヴァルディ 

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イタリアが誇るジャズとクラシックのトップ2共演がついに実現し、ガーシュウィンの演奏に新風を吹き込んだ異色の名演だ。

シャイーは、この録音当時、手兵ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とともに、バッハ、シューマン、メンデルスゾーンなどのドイツ音楽の演奏を主として行っており、その結果は、現時点においては玉石混交と言ったところである。

しかし本盤では、得意ジャンルの音楽であるせいか、久々にその本領を発揮、まさに水を得た魚のような生命力溢れるノリノリの指揮ぶりが見事である。

イタリア・ジャズ界の逸材でもあるステファノ・ボラーニのピアノがこれまた素晴らしい。

その卓越した技量とセンス満点の音楽性には抗し難い魅力があり、クラシック音楽とジャズ音楽の境界線にあるガーシュウィンの音楽を精緻に、そして情感豊かに描き出すとともに、軽快にしてリズミカルな躍動感にも際立ったものがある。

同国人であることもあり、シャイーとボラーニの息はぴったりであり、両者の火花が散るようなドラマティックな局面においても、豊かな音楽性と愉悦性をいささかも失わないのは驚異の至芸である。

自由奔放なボラーニのピアノを、シャイーが歌心満載の伴奏でサポートしている。

そして、この両者を下支えするのがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の好パフォーマンスだ。

いぶし銀の重厚な音色を基調とするこのオーケストラとガーシュウィンは、本来的には水と油の関係にあるとも言えるが、シャイーによる薫陶もあって、光彩陸離たる色彩感豊かな演奏を繰り広げるとともに、とかく軽妙浮薄な演奏に陥りがちなガーシュウィンの音楽に適度な潤いと深みを付加し、従来のガーシュウィンの演奏とは一味もふた味も違う清新な新鮮味を加えることに成功した点を忘れてはならない。

特に「ラプソディ・イン・ブルー」はジャズ・バンド・バージョンで、バッハのお膝元ライプツィヒの名門オケとは思えない、グルーヴ感溢れる演奏。

シャイーが就任してから、ゲヴァントハウスの何が変わったかというと、リズム感ではないだろうか。

現代音楽を得意とし、複雑なリズムの現代曲を演奏させることも多いシャイーのもとで、リズムのキレやアンサンブルが一層研ぎ澄まされたように感じる。

録音も鮮明で素晴らしい。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ガーシュウィンシャイー 

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ステンハンマルは、同時代のシベリウスやニールセンと並ぶスウェーデンの大作曲家であるにもかかわらず、その作品は殆ど知られていないという嘆かわしい状況にある。

ステンハンマルは、管弦楽曲や協奏曲、室内楽曲、ピアノ曲、合唱曲など、多岐にわたるジャンルにおいて数々の名作を遺しているが、その代表作と言えば、やはり交響曲第2番ということになるのではないだろうか(セレナードを掲げる人もいるかもしれない)。

交響曲第1番は、ブルックナーなどのドイツロマン派の影響を多分に受けた作品であり、ステンハンマルの個性が必ずしも発揮されているとは言え難いし、交響曲第3番は断片しか遺されていない(ピアノ協奏曲に転用されている)ことを考慮に入れると、ステンハンマルの個性が発揮された名作は、やはりこの交響曲第2番ということになるのは論を待たないところだ。

同曲のこれまでの録音としては、既に廃盤になっているものも含めると、マン(1959年)、ヴェステルベリ(1978年)、ネーメ・ヤルヴィによる2つの録音(1983年及び1993年)、スンドクヴィスト(1996年)、パーヴォ・ヤルヴィ(1999年)の6種である。

このうち、最も優れた名演として評価が高いのはヴェステルベリ盤であるが、これは今では廃盤で入手難である。

これに次ぐのが、録音がいささか鮮明ではないがマン盤であり、他の演奏も決して悪い演奏ではなく、それぞれ一聴の価値がある演奏であり、この知られざる傑作を演奏する指揮者の見識とレベルの高さのほどを窺い知ることが可能だ。

本盤は、同曲の10年ぶりの新録音であり、まずは、このような知られざる傑作の録音を試みたという姿勢を高く評価したい。

演奏内容も、学生オーケストラによる演奏とは言えども十分に水準以上のものであり、筆者としては名演と評価するのにいささかも躊躇しない。

筆者としては、このような知られざる傑作こそは、有名指揮者がもっと積極的に演奏して、それこそ国内盤で発売されることを大いに期待するものである。

筆者は未聴であるが、かつて知人から、ブロムシュテットがNHK交響楽団を指揮して同曲を演奏して大変感動したと聞いている。

ブロムシュテットは、ステンハンマルと同郷のスウェーデン人であり、シベリウスやニールセンの交響曲全集を録音した実績もある(いずれも名演と評価できる)。

既にかなりの高齢ではあるが、できれば、ブロムシュテットによる同曲の録音を大いに期待したいものだ。

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2014年10月18日


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ブルッフはブラームスと同時代のドイツ人作曲家であるが、本盤に収められたヴァイオリン協奏曲第1番、そしてスコットランド幻想曲やコル・二ドライは非常に有名であるが、その他の楽曲は殆ど知られていないと言っても過言ではない。

これらの有名作品以外にも、交響曲や協奏曲、室内楽曲、合唱曲など多岐にわたる質の高い作品を数多く作曲し、ブラームスもその作品を高く評価していたにもかかわらず、現在のブルッフの前述の3曲以外の作品に対する評価はあまりにも低すぎると言わざるを得ない。

このような非常に嘆かわしい状況にある中で、本盤のように、ヴァイオリン協奏曲第1番以外の名作が収められたCDが発売されたというのは、大変に喜ばしいことと言わざるを得ない。

そして、演奏についても素晴らしい名演と高く評価したい。

まずは、メインのヴァイオリン協奏曲第1番であるが、グルズマンの思い入れたっぷりの豊かな情感に満ち溢れたヴァイオリンが素晴らしい。

同曲は、ドイツ音楽とは思えないような甘美なメロディが売りの作品であるが、そうした甘美な名旋律を、グルズマンはこれ以上は求め得ないような陶酔的な演奏で、旋律を徹底的に歌い抜いている。

同曲の演奏には、これまでも様々な名演があるが、美しさと言った点においては、グルズマンの名演はあまたの名演の中でも上位にランキングされるのではないかと考える。

リットン指揮のベルゲン・フィルも、劇音楽「ペールギュント」などにおいて成し遂げた名演と同様に、北欧のオーケストラならではのいささかも華美に走ることがない、抒情豊かな潤いのある演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

ロマンスは、ブルッフ自身がヴィオラパートをヴァイオリンに編曲したものであるが、ここでもグルズマンの情感豊かで美しさの極みとも言えるヴァイオリンを満喫することが可能だ。

遺作の弦楽五重奏曲も、この曲の持つロマン的な抒情を情感豊かに描出した至高の名演と高く評価したい。

グルズマンを含めた若き奏者たちの息の合った絶妙のアンサンブルも見事というほかはない。

さらに、本盤の魅力は、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音にある。

ブルッフによるこのような甘美な名旋律の数々を、鮮明な高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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若きプレヴィンによる素晴らしい名演と高く評価したい。

プレヴィンは、本演奏の13年後にウィーン・フィルとともに交響組曲「シェエラザード」を録音(1981年)しており、それも円熟の名演とも言えるが、楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や力強い生命力においては、本演奏の方が数段勝っており、両演奏ともに甲乙付け難いと言ったところではないだろうか。

プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。

したがって、そのアプローチは明快そのもの。

楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追求が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。

交響組曲「シェエラザード」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、前述のような若さ故の力強い生命力も相俟って、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

クラシック音楽入門者が、交響組曲「シェエラザード」を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。

いずれにしても、安定した気持ちで同曲を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。

併録の歌劇「サルタン皇帝の物語」からの抜粋2曲も同様のアプローチによる名演だ。

そして、さらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音である。

本盤の録音は1968年であるが、とても45年も前の録音とは思えないような鮮明な高音質に仕上がっている。

プレヴィンによる素晴らしい名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)R=コルサコフプレヴィン 

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バルトークの最晩年の傑作である管弦楽のための協奏曲にはこれまで多数の録音がなされ、その中には名演との評価がなされているものも数多く存在している。

そのような中で、録音から50年以上が経過してもなお、これまでの同曲のすべての名演に冠絶する至高の超名演こそは、本盤に収められたライナーによる演奏であると考える。

本演奏におけるライナーのアプローチは、テンポは幾分速めであり、全体として引き締まった筋肉質の演奏である。

他の指揮者による演奏が、聴かせどころのツボを心得たわかりやすい表情づけを随所に施しているのに対して、ある意味ではいささかも微笑まない辛口の演奏で一貫しているとさえ言えるほどだ。

しかしながら、演奏全体に漲っている気迫や張り詰めた緊張感には尋常ならざるものがあり、我々聴き手の心胆を寒からしめるのに十分なものがある。

また、一聴とすると何の飾り気もない各フレーズの随所から滲み出してくるような奥深い情感には、抗し難い魅力が満ち溢れていると言えるところである。

これは、ライナーの同曲への深い理解や愛着とともに、同曲に込められたバルトークの心底にあった寂寥感や絶望感などを敏感に感じ取っていたからに他ならない。

このような楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深い表現は、バルトークと親交があり、バルトークと同じ苦難の時代を生きたライナーだけが成し得た究極の演奏とさえ言えるだろう。

ライナーの確かな統率の下、これ以上は求め得ないような完全無欠の演奏を披露したシカゴ交響楽団の卓越した技量も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽もまた、強烈無比な演奏と言える。

本演奏でのライナーのアプローチは、やや速めのテンポで曲想を描き出しているが、全体として引き締まった音楽が特徴であり、飾り気がいささかもないいわば辛口の演奏で一貫しているとさえ言える。

そして、演奏全体に漲っている気迫や張り詰めた緊迫感には尋常ならざるものがあると言えるところであり、我々聴き手も本演奏の始まりから終わりまで手に汗握るような緊張感を強いられるほどだ。

もっとも、このように強烈無比な演奏とは言っても、決していわゆる血も涙もない演奏には陥っていない。

一聴すると素っ気ない表情の各フレーズの端々から聴き取ることが可能な奥深い情感は、抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところである。

古今東西の指揮者による同曲の演奏の中でも、これほどまでに楽曲の心眼に鋭く踏み込んだ彫りの深い演奏を行ったものは、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル(1965年)以外には類例を見ないところであり、ムラヴィンスキー盤の音質がいささか良好とは言い難いことを考慮に入れると、本演奏こそは、同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演との評価をするのにいささかも躊躇するものではない。

ライナーによる確かな統率の下、素晴らしい演奏を成し遂げたシカゴ交響楽団による超絶的な技量も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 00:38コメント(0)トラックバック(0)バルトークライナー 

2014年10月17日


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エルガーのヴァイオリン協奏曲は、いわゆる4大ヴァイオリン協奏曲や、シベリウス、ブルッフ(第1番)、サン・サーンス(第3番)などのヴァイオリン協奏曲と比較すると、その人気は著しく低いと言わざるを得ない。

演奏するのに約50分を要するというヴァイオリン協奏曲史上でも最も規模の大きい作品であることや、弾きこなすのに超絶的な技量を要する難曲であることもあって、録音点数が前述の有名ヴァイオリン協奏曲と比較してあまりにも少ないというハンディがあるが、随所に聴くことが可能な英国風の詩情豊かな名旋律の数々や、ヴァイオリンという楽器の可能性を徹底して追求した技巧上の面白さなど、独特の魅力に満ち溢れており、より一層のポピュラリティを獲得してもいいのではないかとも考えられる傑作である。

このような状況から、現在に至るまで主要なヴァイオリニストのレパートリーには必ずしもなっていないところであるが、そのような中で若手女流ヴァイオリニストの旗手の1人でもあるヒラリー・ハーンが同曲を録音してくれたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

本演奏におけるヒラリー・ハーンのヴァイオリン演奏は、持ち前の卓越した技量を惜しみなく発揮しており、全体に漲る気迫や強靭な生命力においては、男性ヴァイオリニスト顔負けの圧倒的な迫力に満ち溢れている。

それでいて、楽曲全体に散りばめられた英国風の詩情豊かな名旋律の数々を心を込めて歌い抜いているが、いささかも感傷的に陥って陳腐なロマンティシズムに堕することなく、常に気品のある格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

これぞまさしくエルガーの音楽の演奏の理想像の具現化と言えるだろう。

ヒラリー・ハーンのこのような強靭な気迫や力強さ、そして格調の高い抒情性を併せ持った至高のヴァイオリン演奏をしっかりと下支えしているのが、デイヴィス&ロンドン交響楽団による名演奏であると考えられる。

エルガーのヴァイオリン協奏曲の演奏に際しての指揮者とオーケストラとしては、現代における最高峰の組み合わせと言えるところであり、テンポといい、情感の豊かさといい、スケールの雄大さといい、同曲の演奏に必要なすべての要素を兼ね備えた究極の名演奏を行っている。

いずれにしても、本演奏は、ヴァイオリニスト、指揮者、オーケストラの3拍子が揃うとともに、後述のような高音質という要素をも兼ね備えた、同曲史上最高の超名演と高く評価したい。

併録はヴォーン・ウィリアムズの「あげひばり」であるが、これまた素晴らしい名演だ。

本演奏においてもヒラリー・ハーンのヴァイオリン演奏は圧倒的な表現力を示しており、彫りの深い情感といい、繊細な抒情的表現の抗し難い美しさといい、これ以上は求め得ないような超絶的な名演奏を披露していると高く評価したい。

録音は従来盤でも十分に満足できる高音質であるが、より素晴らしいのは同時発売のマルチチャンネル付きのSACD盤である。

当該SACD盤の臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値をより一層高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0)エルガーヒラリー・ハーン 

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クラシック音楽界が長期的な不況下にあり、ネット配信が隆盛期を迎える中において、新譜の点数が大幅に激減している。

とりわけ、膨大な費用と労力を有するオペラ録音については殆ど新譜が登場しないという嘆かわしい状況にある。

そのような中で、パッパーノが、2009年のプッチーニの歌劇「蝶々夫人」に引き続いて、本盤のロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」を録音するなど、オペラ録音の新譜が細々とではあるが発売されるというのは、実に素晴らしい快挙である。

これは、パッケージ・メディアが普遍であることを名実ともに知らしめるものとして、かかるメーカーの努力にこの場を借りて敬意を表しておきたい。

さて、本盤であるが、そもそもロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」は録音自体が極めて珍しいが、その数少ない録音の中で最も優れた名演は、パヴァロッティやフレーニなどの豪華歌手陣を起用したシャイー&ナショナル・フィル盤(1978〜1979年)とザンカナロ、ステューダーなどの歌手陣を起用したムーティ&スカラ座管盤(1988年)であろう。

同曲は、ロッシーニが作曲した最後のオペラであり、その後のイタリア・オペラにも多大な影響を与えた傑作であるにもかかわらず、歌劇「セビリアの理髪師」などの人気に押されて、今一つ人気がなく、序曲だけがやたらと有名な同作品であるが、ジュリーニやアバド、シノーポリなどといった名だたるイタリア人指揮者が録音していないのは実に不思議な気がする。

したがって、現時点ではシャイー盤とムーティ盤のみが双璧の名演であると言えるだろう。

そのような長年の渇きを癒すべく登場したパッパーノによる本演奏の登場は先ずは大いに歓迎したい。

そして、演奏も非常に素晴らしいものであり、前述のシャイー盤やムーティ盤に肉薄する名演と高く評価してもいいのではないかと考える。

パッパーノのオペラ録音については、イタリア・オペラにとどまらず、ワーグナーやR・シュトラウス、モーツァルトなど多岐に渡っているが、本演奏ではそうした経験に裏打ちされた見事な演出巧者ぶりが光っている。

とにかく、本演奏は、演奏会形式上演のライヴということも多分にあるとは思うが、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強さには、圧倒的な生命力が漲っていると言えるところであり、同曲を演奏するのに約3時間半を要するという長大なオペラ(パッパーノは一部カットを行っているが、演奏全体にメリハリを付加するという意味においては正解と言えるのかもしれない)であるにもかかわらず、いささかも飽きを感じさせず、一気呵成に全曲を聴かせてしまうという手腕には熟達したものがあると言えるところである。

これには、俊英パッパーノの類稀なる才能と、その前途洋々たる将来性を大いに感じた次第だ。

歌手陣も、さすがにシャイー盤のように豪華ではないが優秀であると言えるところであり、とりわけウィリアム・テル役のジェラルド・フィンリーと、パッパーノが特に抜擢したアルノルド・メルクタール役のジョン・オズボーンによる素晴らしい歌唱は、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団や同合唱団も、パッパーノの指揮の下最高のパフォーマンスを示していると評価したい。

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classicalmusic at 20:55コメント(0)トラックバック(0)ロッシーニ 

2014年10月16日


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ステンハンマルは、シベリウスやニールセンとほぼ同時代に活躍したスウェーデンの大作曲家であるが、その認知度はシベリウスやニールセンと比較するとあまりにも低いと言わざるを得ない。

交響曲第2番やセレナード、そしてカンタータ「歌」など、シベリウスやニールセンの数々の名作に劣らないような偉大な傑作を作曲していることを考えると、現在において知る人ぞ知る存在に甘んじているのはあまりにも不当であると言わざるを得ない。

50歳代という比較的若く鬼籍に入ってしまったことから、例えば、交響曲については第3番を完成させることがなく2曲にとどまっているなど不運な面もある(シベリウスはクレルヴォ交響曲を含めて8曲、ニールセンは6曲)とは言えるが、それにしてはもう少しその作品が一般に知られてもいいのではないかと考えられるところだ。

もっとも、ステンハンマルには、シベリウスやニールセンをはるかに凌駕するジャンルが存在する。

それは、本盤に収められた弦楽四重奏曲であり、数の上においても(シベリウスは4曲(うち3曲は若き日の習作の域を出ない)、ニールセンは4曲)、そして質においても(とりわけ第5番及び第6番)、北欧の音楽界においてもその存在感には極めて大きいものがあるのではないかと考えられるところだ。

ところが、録音の点数はこれまたあまりにも少ないと言わざるを得ない。

そのような中で、今般、オスロ弦楽四重奏団による、第3番〜第6番を収めた弦楽四重奏曲集が発売されたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

初期の第1番及び第2番が録音されていないのは残念なことではあるが、ステンハンマルの個性が発揮されたのは第3番以降の諸曲であり、収録曲においては申し分がないと言えるのではないだろうか。

演奏も、カプリスレーベルによる前述の演奏と遜色はなく、むしろ同一の弦楽四重奏団による演奏で一貫していることもあり、本演奏こそがステンハンマルの弦楽四重奏曲の現時点での決定盤とも言うべき素晴らしい名演と言っても過言ではあるまい。

そして、音質も、マルチチャンネル付きのSACDという現在望み得る最高の音質であり、本名演の価値をより一層高めていることを忘れてはならない。

各奏者の弓使いまでが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、本弦楽四重奏曲集は、知る人ぞ知る存在に甘んじているステンハンマルの魅力を世に知らしめるためにも恰好の名演集であるとともに、演奏の質、そして高音質録音という必要な要素を兼ね備えた至高の名演集と高く評価したい。

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オルフの「カルミナ・ブラーナ」については、合唱や独唱などを含む大編成のオーケストラの使用による壮麗な迫力、そしてその旋律や歌詞の親しみやすさなどから、近年においては特に数多くの演奏・録音がなされている人気作である。

中堅・若手指揮者はこぞって録音しているような印象があるが、その中でも本盤のティーレマンによる演奏は、最右翼に掲げられる名演と評価してもいいのではないだろうか。

初演者のヨッフムやケーゲル以降は、独墺系の指揮者による同曲の名演が殆ど皆無であったことを考慮に入れると、本名演は長年の渇きを癒すものとも言っても過言ではあるまい。

ティーレマンの指揮が素晴らしく、ルフトパウゼ(殆どの演奏では無視されている)の意味を今回ほど重要と思ったことはなかった。

ともすれば単調な繰り返しのこの曲を最後まで聴かせてしまう指揮者の力量は、従来の鈍い演奏を根底から見直すいい機会となった。

とにかく、全体の造型が堅固で、どこをとっても重厚な音色が支配しているのが素晴らしい。

あらためて、同曲がドイツ音楽であることを認識させてくれるものと言える。

それでいて、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくようなエネルギッシュな気迫や力強さ、それと対置する繊細な抒情など、同曲の歌詞が含有する中世ヨーロッパの生活や感情に鋭く踏み込んでいくような彫琢の限りを尽くしたドラマティックな表現には際立ったものがあり、これはいかにもオペラの指揮を軸足とする独墺系指揮者の伝統を受け継ぐティーレマンならではの至芸である。

このようなオペラにも比肩し得るようなスケール雄大でドラマティックな名演を聴いていると、あらためてティーレマンが次代を担う独墺系指揮者として将来を嘱望されている理由がよく理解できるところだ。

独唱陣はいずれも素晴らしい歌唱を披露しており、ティーレマンの確かな統率の下、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団や同合唱団、少年合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

同曲の録音は、大編成による楽曲であるだけに、オーケストラと合唱をバランス良く収録し得たものにはなかなかお目にかからないが、本盤はかなり成功している部類に入ると言えるのではないだろうか。

今後もこの演奏を超える演奏はなかなか現われないだろう。

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classicalmusic at 00:13コメント(0)トラックバック(0)オルフティーレマン 

2014年10月15日


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近年では数多くの演奏がなされているオルフのカルミナ・ブラーナであり、名演には事欠かないところであるが、現在においてもなお随一の名演として掲げられるのは、ヨッフム&ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団ほかによる超名演(1967年)であると言えるところだ。

初演者ということもあるのであろうが、ヨッフムの確信に満ち溢れた強靭な気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っており、あたかも壮大なドイツオペラを鑑賞しているような趣きがある豪演でもあった。

もっとも、当該盤は音質が今一つ冴えないという欠点があったのであるが、ユニバーサルがSHM−CD盤やシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤などを相次いで発売することによって、音質の問題もほぼ解消し、今では随一の超名演の地位を確固たるものとしていると言えるだろう。

したがって、ヨッフムによる当該超名演を超える演奏というのは今後も容易には現われないのではないかとも考えられるが、現在のところ、これに唯一肉薄する名演こそは、本盤に収められたプレヴィン&ウィーン・フィルほかによる演奏(1993年)であると考えるところだ。

プレヴィンは、ポピュラー音楽の世界からクラシック音楽界に進出してきた経歴を持っているだけに、楽曲の聴かせどころのツボをしっかりとおさえた明瞭なアプローチを行うのが特徴と言える。

本演奏においてもそれは健在で、特に、楽曲がカルミナ・ブラーナという標題音楽だけに、かかるプレヴィンの明瞭なアプローチ、演出巧者ぶりが見事に功を奏している。

本演奏のどの箇所をとっても曖昧模糊には陥らず、各フレーズをくっきりと明快に描くのに腐心しているとさえ感じられるところである。

プレヴィンの指揮は雄弁そのもので、ホルン、ティンパニ、木管群などの濃厚な音色は光彩陸離として愉しさのかぎりをつくし、ドラマティックな振幅の大きさも最高、思い切りのよい、しかも歌心にあふれたハーモニーを創り出す。

かかるアプローチは、ベートーヴェンやブラームスの交響曲などのような陰影に富む楽曲の場合、スコアに記された音符の表層だけをなぞった浅薄な演奏に陥る危険性を孕んでいるが、前述のように、楽曲が当該アプローチとの相性が抜群のカルミナ・ブラーナであったということが、本演奏を名演にした最大の要因であるとも考えられるところだ。

特筆すべきはウィーン・フィル、そしてアルノルト・シェーンベルク合唱団及びウィーン少年合唱団の見事な好演であり、バーバラー・ボニー(ソプラノ)、フランク・ロパード(テノール)、アントニー・マイケルズ=ムーア(バリトン)による名唱も相俟って、本名演をより一層魅力のあるものにするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:31コメント(0)トラックバック(0)オルフプレヴィン 

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2008年に60歳という若さでこの世を去ったヒコックスであるが、シャンドスレーベルに録音した数多くのイギリス音楽は、知る人ぞ知る名作を広く認知させるのに大きく貢献したという意味でも、ヒコックスの最良の遺産であると言えるだろう。

そうした遺産の中でも、頂点に立つ名演ということになれば、様々な意見があろうかとは思うが、イギリス音楽史上最高の作曲家の1人であるエルガーの生誕150年を記念してスタジオ録音された、本盤に収められた交響曲第1番ということになるのではないだろうか。

ヒコックスは、本盤に続いて、交響曲第2番及び第3番のスタジオ録音も行い、エルガーの交響曲全集を完成させることになるが、楽曲がエルガーのみならずイギリス音楽史上最高の交響曲、そしてエルガー生誕150年の記念の年の演奏であることなども相俟って、本演奏は全集中でも最高の名演に仕上がっていると言えるところだ。

ヒコックスによる本演奏は、中庸というよりも、やや速めの引き締まったテンポによって曲想を進めているが、各所における表情づけの巧さは、数多くのイギリス音楽を演奏するとともに、同曲を隅々に至るまで知り尽くしていることもあって、まさに名人芸の域に達していると言っても過言ではあるまい。

そして、重厚にして強靭な迫力からイギリスの詩情に満ち溢れた繊細さに至るまで、過不足なく描出しているが、いかなるトゥッティに差し掛かっても格調の高さをいささかも失うことがないのが素晴らしい。

演奏全体のスケールも雄大であり、その威容に満ちた堂々たる演奏は、同曲があらためてイギリス音楽史上最高の偉大な交響曲であることを認知させるのに大きく貢献していると言っても過言ではあるまい。

同曲については、特に、累代のイギリス人指揮者が数々の名演を成し遂げてきているところであるが、ヒコックスによる本演奏は、後述の音質面も含めて総合的に考慮すれば、同曲の様々な名演の中でもトップクラスの名演として高く評価したい。

併録のオルガン・ソナタの管弦楽版は、録音自体が珍しいだけに希少価値があると言えるが、演奏内容も極めて優れたものであり、ヒコックスならではの素晴らしい名演と評価したい。

BBCナショナル・オーケストラ・オヴ・ウェールズも、ヒコックスの熟達した統率の下、見事な名演奏を繰り広げているところであり、大きな拍手を送りたい。

そして、本盤で何よりも素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質と言うことである。

音質の鮮明さといい、そして臨場感といい、まさに申し分のない高音質と言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを認識したところだ。

いずれにしても、ヒコックスの最大の遺産とも言うべき至高の超名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)エルガー 

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オルフのカルミナ・ブラーナは、近年では多くの指揮者がこぞって録音を行うなど、その主要なレパートリーの一つとして定着しつつある。

親しみやすい旋律や内容、そして大規模な管弦楽編成や大合唱団など、現代人を魅了する要素が多く存在していることや、CD1枚に収まる適度な長さであることが、その人気の理由ではないかとも考えられるところだ。

音響面だけでも十分に親しむことが可能な楽曲であるだけに、これまでの録音はいずれも水準以上の名演奏と言っても過言ではないが、その中でも、トップの座に君臨するのは、初演者でもあるヨッフムがベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団ほかを指揮した名演(1967年)であると考えられる。

これに次ぐのが、諸説はあると思うが、プレヴィン&ウィーン・フィルほかによる名演(1995年)ではないかと考えているところだ。

この他にも、筆者としては、ケーゲルによる名演(2種(1959年及び1974年))などを掲げたいが、更に知る人ぞ知る名演として紹介したいのが、本盤に収められたオーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団ほかによる名演(1960年)である。

本演奏の当時は、前述のヨッフムの旧盤(新盤(1967年)は未だ発売されず、旧盤(1952〜1956年)のみが発売されていた。)やケーゲルの旧盤(1959年)以外には目ぼしい録音は存在せず、同曲が現在のように広く認知されている存在ではなかった時期の演奏である。

それだけに、オーマンディも、手探りの状況で本演奏に臨んだのではないかと考えられるところだ。

それだけに、本演奏におけるオーマンディのアプローチも、きわめて明瞭でわかりやすいものに徹している。

各楽想を精緻に描き出していくとともに、オーケストラを壮麗かつバランス良く鳴らし、合唱や独唱をこれまた明瞭に歌わせていると言えるだろう。

要は、オルフがスコアに記した音符や歌詞を余すことなく明快に描出した演奏と言えるところであり、当時のフィラデルフィア管弦楽団の卓抜した技量や、徹底した練習を行ったことと思われるが、ラトガース大学合唱団による渾身の大熱唱、そして、独唱のヤニス・ハルザニー(ソプラノ)、ルドルフ・パトラク(テノール)、ハルヴェ・プレスネル(バリトン)による名唱もあって、同曲を完璧に音化し尽くしたという意味においては、まさに完全無欠の演奏を行うのに成功したと言っても過言ではあるまい。

例えば、ヨッフム盤のようなドイツ的な重厚さや、プレヴィン盤のようなウィーン・フィルの極上の美音を活かした味わい深さと言った特別な個性は存在していないが、同曲が知る人ぞ知る存在で、他に目ぼしい録音が殆ど存在していなかった時期にこれほどの高水準の演奏を成し遂げたことを、筆者としてはより高く評価すべきではないかと考えるところだ。

いずれにしても、本演奏は、同曲の魅力を純音楽的に余すことなく表現するとともに、同曲異演盤が殆ど存在しない時期にあって、同曲の魅力を広く認知させるのに貢献したという意味でも極めて意義が大きい素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1960年のスタジオ録音ではあるが、リマスタリングが繰り返されてきたこともあって、従来盤でも比較的良好なものである。

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classicalmusic at 00:32コメント(0)トラックバック(0)オルフ 

2014年10月14日


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本盤には、R・コルサコフの超有名曲である交響組曲「シェエラザード」を軸として、グラズノフのバレエ音楽「ライモンダ」の抜粋が収められているが、同様に発売されたプロコフィエフの管弦楽曲集と同様に、演奏の素晴らしさ、録音の素晴らしさも相俟って、まさに珠玉の名CDと高く評価したい。

フェドセーエフは、近年では、同じくロシア系の指揮者である後輩のマリス・ヤンソンスやゲルギエフなどの活躍の陰に隠れて、その活動にもあまり際立ったものがないが、1980年代の後半から本盤の演奏の1990年代にかけては、当時の手兵であるモスクワ放送交響楽団とともに、名演奏の数々を成し遂げていたところである。

本盤に収められた演奏も、そうした名演奏の列に連なるものであり、フェドセーエフ&モスクワ放送交響楽団による一連の録音は、現在ではほぼ撤退したキャニオンのクラシック音楽録音の旗手の1つとして、その存在感には非常に大きいものがあったとも言えるところだ。

演奏自体は、意外にもオーソドックスなもの。

旧ソヴィエト連邦時代のロシア人指揮者と旧ソヴィエト連邦下の各オーケストラによる演奏は、かの大巨匠ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる数々の名演を除いて、およそ洗練とは程遠いようなロシア色濃厚なアクの強いものが主流であった。

これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われるが、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

メロディアによる必ずしも優秀とは言い難い録音技術にも左右される面もあったとも言える。

ところが、旧ソヴィエト連邦の崩壊によって、各オーケストラにも西欧風の洗練の波が押し寄せてきたのではないだろうか。

本演奏におけるモスクワ放送交響楽団も、かつてのアクの強さが随分と緩和され、いい意味での洗練された美が演奏全体を支配しているとさえ言える。

もちろん、ロシア色が完全に薄められたわけではなく、ここぞという時のド迫力には圧倒的な強靭さが漲っており、これぞロシア音楽とも言うべき魅力をも兼ね合わせていると言えるだろう。

特に、R.コルサコフの交響組曲「シェエラザード」における木野雅之によるヴァイオリン・ソロは、とろけるような美しさを有しており、本名演に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、全盛期のフェドセーエフによる、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、キャニオン・クラシックスという録音でも定評のあるレーベルであるだけに、従来盤でも十分に良好なものであったが、今般、ついに待望のSACD化がなされることになった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであると言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フェドセーエフによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)R=コルサコフ 

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1967年11月25日 新潟県民会館に於けるライヴ録音。

昭和39年の新潟地震で全国から寄せられた義援金で建てられた新潟県民会館、そのこけら落としとして震災からの復興を祈念するコンサートの貴重な録音。

中越地震、中越沖地震と続いている新潟の復興を考えるとき、施しのバラマキや偏狭な現場保存パーク、すぐ忘れられてしまう前衛芸術モニュメント設置など比べて、あの時代の謙虚さ、暖かさを感じる、意味深い1枚である。

メインの「田園」は、荒削りだが重厚な響きとおおらかな歌心が、民芸品の木彫りの熊や円空仏を思わせる温かみを感じさせる。

それにしても何と重厚で人間味に溢れた「田園」であろうか。

独墺系の作品との抜群の相性をみせる巨匠特有のずっしりとした骨太の響きが大きな魅力となっており、いっぽう第2、3楽章での弾むような軽みには粋を感じさせる。

低弦のうなり、第2楽章での主題の歌わせ方は速いスピードながら輪郭線がくっきりと鮮やかで、強弱をつけながら存分に歌う音楽が聴き手の心を弾ませる。

田舎でのバカンスを楽しむのんびりタイプや、スポーツカーで吹っ飛ばすような快速演奏タイプなどとは異なり、あたかも「農耕機で田んぼを耕しながら見ている」土着の田園、という趣。

形も不揃いな流木を組み合わせて作られたログハウスみたいな外観だが、一見ささくれだったようなその木肌に近寄ってみると、その表面は人為的でない自然の奇蹟の力によるかのような光沢を放っており、なんか容易に触れてはいけないのではないか、と思わせてしまう雰囲気である。

テンポは遅くはないが(終楽章はかなり速い)、ずっしりと重く、自然を讃えるよりも、粗野な人間の味がする。

レオノーレ、マイスタージンガーの2曲は、堂々たるドイツ風な威容のある、いかにもマタチッチらしい武骨で風格に満ちた輝かしい演奏。

この指揮者の当シリーズを聴いて、常に思うが、当時の日本のオケからこれだけの響きを引き出せることに感心することしきりで、今の世にこの重量感を出せる指揮者がいないのが寂しい気がする。

このCDですばらしいのはライナーノーツだ。

それは指揮者北原幸男による「マタチッチ先生の最後の来日のために」と題されたエッセイである。

当時マタチッチと近しい関係にあった北原氏が、N響事務局に依頼され、定期演奏会招聘の交渉のため、旧ユーゴスラヴィアのマタチッチの自宅を訪問する。

アドリア海に面した大邸宅での会談の様子、夫人とのエピソードなどが記されている。

晩年彼が「忽然と」N響の指揮台に現れたのはこんないきさつがあったのか、と納得させられる文章である。

巨人の手すさびとも言えるような「田園」、そしてアンコールで演奏された、豪快さが前面に出た「マイスタージンガー前奏曲」を聴きながら、大海に向かって悠々と巨躯を歩ませる愛すべき名指揮者の姿を思い浮かべた。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)マタチッチベートーヴェン 

2014年10月13日


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今から四半世紀以上も前のことであるが、NHK教育テレビにおいて、マタチッチ&NHK交響楽団によるベートーヴェンの「第7」を放送していたのを視聴した時のことを鮮明に記憶している。

それは、最晩年であったマタチッチがほとんど指揮をしていなかったということだ。

手の動きはきわめて慎ましやかであり、実際にはアイコンタクトだけで指揮していたと言えるのではないだろうか。

しかしながら、そうした殆ど動きがないマタチッチを指揮台に頂きながら、NHK交響楽団がそれこそ渾身の力を振り絞って力強い演奏を行っていたのがきわめて印象的であった。

いずれにしても、あのような手の動きを省略したきわめて慎ましやかな指揮で、NHK交響楽団に生命力溢れる壮絶な演奏をさせたマタチッチの巨匠性やカリスマ性を高く評価すべきであると考える。

当盤における「第7」でも、緊張感の中、エネルギーが爆発していくような演奏で、楽章が進むにつれてメンバーが熱を帯び、特にフィナーレではインパクトのある凄演が聴け、興奮度は高い。

当時(1960年代後半)のNHK交響楽団は、技量においては、我が国のオーケストラの中でトップと位置づけられていたが、演奏に熱がこもっていないとか、事なかれ主義の演奏をするとの批判が数多く寄せられていた。

そうした批評の是非はさておき、全盛期のマタチッチによるこのような豪演に鑑みれば、そのような批評もあながち否定できないのではないかと考えられる。

本盤には、そうした巨匠マタチッチと、その圧倒的なオーラの下で、渾身の演奏を繰り広げたNHK交響楽団による疾風怒濤の超名演が収められている。

NHK交響楽団も決してベストではなかったにしろ、ドイツ風の重厚な演奏を繰り広げ、それを補って余りある燃えに燃えた名演奏である。

NHK交響楽団は、その指揮者の個性を薄めてしまうというのが筆者のイメージだったが、マタチッチは別のようで、楽員との厚い信頼関係を感じさせる。

随所にマタチッチの個性が散りばめられており、なおかつCDのファーストチョイスとしてもなんら違和感のない名演で、ライヴでありながらこの完成度は驚異的と言える。

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classicalmusic at 23:58コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンマタチッチ 

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凄い演奏だ。

冒頭から大地を揺るがすようなティンパニとNHK交響楽団ならではの重厚なサウンドに心奪われる。

ブラームスの「第1」は、NHK交響楽団にとっては得意のレパートリーとも言うべき楽曲である。

最近でこそ、デュトワやアシュケナージ、プレヴィンなどを音楽監督に迎え、フランス系やロシア系の音楽も十八番にしつつあるNHK交響楽団であるが、それ以前は、名誉指揮者であるサヴァリッシュやスウィトナー、ホルスト・シュタインなどのドイツ系の指揮者が幅を利かせ、ドイツ系の音楽を中心に演奏していたのである。

さらに前の時代のカイルベルトやシュヒターなども含め、ブラームスの「第1」は、それこそ自己薬籠中の楽曲と言っても過言ではなかったと考えられる。

実際に、サヴァリッシュなどによる同曲のCDも発売されているが、本マタチッチ盤はそもそも次元が異なる名演と高く評価したい。

ブラームスの「第1」としては全体的に速めのテンポで進められるが、音楽全体のスケールは極めて雄大である。

激しい所はより凄まじく、美しい所はより切々と、この強力な対比が恐ろしく大スケール。

マタチッチは、必ずしもインテンポには固執せずに、随所でテンポを変化させており、特に終楽章のアルペンホルンが登場する直前など、いささか芝居がかったような大見得を切る表現なども散見されるが、音楽全体の造型がいささかも弛緩しないのは、巨匠ならではの圧巻の至芸と言える。

NHK交響楽団も力の限りを振り絞って力奏しており、その圧倒的な生命力は切れば血が飛び出てくるほどの凄まじさだ。

当時は、力量はあっても事なかれ主義的な演奏をすることが多いと揶揄されていたNHK交響楽団であるが、本盤では、こうした力強い生命力といい、畳み掛けていくような集中力といい、実力以上のものを出し切っているような印象さえ受ける。

したがって、NHK交響楽団の渾身の演奏ぶりを褒めるべきであるが、それ以上に、NHK交響楽団にこれだけの鬼気迫る演奏をさせた最盛期の巨匠マタチッチのカリスマ性を高く評価すべきであると考える。

いずれにしても、本盤のブラームスの「第1」は、NHK交響楽団の同曲演奏史上においても、特筆すべき至高の名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 22:27コメント(0)トラックバック(0)ブラームスマタチッチ 
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