2014年10月
2014年10月31日
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終楽章にボーイ・ソプラノを起用したことにより数々の批判を浴びている曰くつきの演奏ではあるが、筆者としては、確かにボーイ・ソプラノの起用には若干の疑問は感じるものの、総体としては、素晴らしい名演と高く評価したい。
マーラーの「第4」は、マーラーのあらゆる交響曲の中で、最も古典的な形式に則った作品であり、楽器編成も第1楽章の鈴や終楽章の独唱を除けば、きわめて常識的である。
それ故に、いわゆるマーラー指揮者とは言えない指揮者によっても、これまで好んで演奏されてきた交響曲ではあるが、表情づけが淡泊であるというか、内容の濃さに欠ける演奏、スケールの小さい演奏が多かったというのも否めない事実であると言えるのではないだろうか。
もっとも、いくらマーラーが作曲した最も規模の小さい簡潔な交響曲と言っても、そこは重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの手による作品なのであり、何も楽曲を等身大に演奏することのみが正しいわけではないのである。
バーンスタインは、そうした軽佻浮薄な風潮には一切背を向け、同曲に対しても、他の交響曲へのアプローチと同様に、雄弁かつ濃厚な表現を施している点を高く評価したい。
バーンスタインの名演によって、マーラーの「第4」の真価が漸くベールを脱いだとさえ言えるところであり、情感の豊かさや内容の濃密さ、奥行きの深さと言った点においては、過去の同曲のいかなる演奏にも優る至高の超名演と高く評価したい。
バーンスタインの統率の下、コンセルトヘボウ・アムステルダムも最高のパフォーマンスを示していると言えるところであり、バーンスタインの濃厚な解釈に深みと潤いを与えている点を忘れてはならない。
前述のように、終楽章にボーイ・ソプラノを起用した点についてはいささか納得し兼ねるが、ヴィテックの独唱自体は比較的優秀であり、演奏全体の評価にダメージを与えるほどの瑕疵には当たらないと考える。
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バーンスタインが遺した3度にわたるマーラーの交響曲全集の中で、3度目の全集は、「第8」、「第10」及び「大地の歌」の新録音を果たすことができなかったものの、いずれ劣らぬ至高の超名演で構成されていると言えるのではないだろうか。
マーラーの「第3」は、重厚長大な交響曲を数多く作曲したマーラーの交響曲の中でも、群を抜いて最大の規模を誇る交響曲である。
あまりの長さに、マーラー自身も、「第3」に当初盛り込む予定であった一部の内容を、「第4」の終楽章にまわしたほどであったが、これだけの長大な交響曲だけに、演奏全体をうまく纏めるのはなかなかに至難な楽曲とも言える。
また、長大さの故に、演奏内容によっては冗長さを感じさせてしまう危険性も高いと言える。
ところが、生粋のマーラー指揮者であるバーンスタインにとっては、そのような難しさや危険性など、どこ吹く風と言ったところなのであろう。
バーンスタインの表現は、どこをとってもカロリー満点で、濃厚で心を込め抜いた情感の豊かさが演奏全体を支配している。
特に、終楽章は特筆すべき美しさでスケールも気宇壮大、誰よりも遅いテンポで情感豊かに描き出しているのが素晴らしい。
他方、変幻自在のテンポ設定や、桁外れに幅の広いダイナミックレンジ、思い切ったアッチェレランドなどを大胆に駆使するなど、ドラマティックな表現にも抜かりがない。
このように、やりたい放題とも言えるような自由奔放な解釈を施しているにもかかわらず、長大な同曲の全体の造型がいささかも弛緩することなく、壮麗にして雄渾なスケール感を損なっていないというのは、マーラーの化身と化したバーンスタインだけに可能な驚異的な圧巻の至芸である。
特筆すべきは、ニューヨーク・フィルの卓越した技量であり、金管楽器(特にホルンとトロンボーン)にしても、木管楽器にしても、そして弦楽器にしても抜群に上手く、なおかつ実に美しいコクのある音を出しており、本名演に華を添える結果となっている点を忘れてはならない。
ルートヴィヒの独唱や、ニューヨーク・コラール・アーティスツ及びブルックリン少年合唱団による合唱も、最高のパフォーマンスを示している点も高く評価したい。
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マーラーの交響曲第2番の優れた名演が、最近相次いで登場している。
近年では、パーヴォ・ヤルヴィ&フランクフルト放送交響楽団、インバル&東京都交響楽団、そしてラトル&ベルリン・フィルが掲げられ、その演奏様式も多種多様だ。
また、少し前の時代にその範囲を広げてみても、小澤&サイトウ・キネン・オーケストラ(2000年)、テンシュテット&ロンドン・フィル(1989年ライヴ)、シノーポリ&フィルハーモニア管弦楽団(1985年)など、それぞれタイプの異なった名演があり、名演には事欠かない状況だ。
このような中で、本盤に収められたバーンスタインによる演奏は、これら古今東西の様々な名演を凌駕する至高の超名演と高く評価したい。
録音から既に30年以上が経過しているが、現時点においても、これを超える名演があらわれていないというのは、いかに本演奏が優れた決定的とも言える超名演であるかがわかろうと言うものである。
本演奏におけるバーンスタインの解釈は実に雄弁かつ濃厚なものだ。
粘ったような進行、テンポの緩急や強弱の思い切った変化、猛烈なアッチェレランドなどを大胆に駆使し、これ以上は求め得ないようなドラマティックな表現を行っている。
また、切れば血が出るとはこのような演奏のことを言うのであり、どこをとっても力強い生命力と心を込めぬいた豊かな情感が漲っているのが素晴らしい。
これだけ大仰とも言えるような劇的で熱のこもった表現をすると、楽曲全体の造型を弛緩させてしまう危険性があるとも言える。
実際に、バーンスタインは、チャイコフスキーの「第6」、ドヴォルザークの「第9」、シベリウスの「第2」、モーツァルトのレクイエムなどにおいて、このような大仰なアプローチを施すことにより、悉く凡演の山を築いている。
ところが、本演奏においては、いささかもそのような危険性に陥ることがなく、演奏全体の堅固な造型を維持しているというのは驚異的な至芸と言えるところであり、これは、バーンスタインが、同曲、引いてはマーラーの交響曲の本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。
バーンスタインのドラマティックで熱のこもった指揮にも、一糸乱れぬアンサンブルでしっかりと付いていっていったニューヨーク・フィルの卓越した技量も見事である。
ヘンドリックスやルートヴィヒも、ベストフォームとも言うべき素晴らしい歌唱を披露している。
ウェストミンスター合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、楽曲終結部は圧巻のド迫力。
オーケストラともども圧倒的かつ壮麗なクライマックスを築く中で、この気宇壮大な超名演を締めくくっている。
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2014年10月30日
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マーラーの「第1」は、マーラーの青雲の志を描いた作品である。
スコア自体は「第4」と同様に、他の重厚長大な交響曲と比較すると必ずしも複雑であるとは言えないが、演奏自体は、なかなか難しいと言えるのではないだろうか。
他の交響曲をすべて演奏した朝比奈が、「第1」を一度も演奏しなかったのは有名な話であるし、小澤は3度も同曲を録音しているが、最初の録音(1977年)を超える演奏を未だ成し遂げることが出来ていないことなどを考慮すれば、円熟が必ずしも名演に繋がらないという、なかなか一筋縄ではいかない面があるように思うのである。
どちらかと言えば、重々しくなったり仰々しくなったりしないアプローチをした方が成功するのではないかとも考えられるところであり、例えば、同曲最高の名演とされるワルター&コロンビア交響楽団盤(1961年)は、もちろんワルターの解釈自体が素晴らしいのではあるが、コロンビア交響楽団という比較的小編成のオーケストラを起用した点もある程度功を奏していた面があるのではないかと思われる。
ところが、バーンスタインはそうした考え方を見事に覆してしまった。
バーンスタインは、他のいかなる指揮者よりも雄弁かつ濃厚な表現によって、前述のワルター盤に比肩し得る超名演を成し遂げてしまったのである。
バーンスタインは、テンポの思い切った緩急や強弱、アッチェレランドなどを駆使して、情感豊かに曲想を描いている。
それでいて、いささかも表情過多な印象を与えることがなく、マーラーの青雲の志を的確に表現し得たのは驚異の至芸であり、これは、バーンスタインが同曲の本質、引いてはマーラーの本質をしっかりと鷲掴みにしている証左である。
オーケストラにコンセルトヘボウ・アムステルダムを起用したのも、本盤を名演たらしめるに至らせた大きな要因と言えるところであり、光彩陸離たる響きの中にも、しっとりとした潤いや奥行きの深さを感じさせるのが素晴らしい。
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バーンスタインは、その晩年にウィーン・フィルとともにモーツァルトの主要な交響曲集のライヴ録音を行ったが、本盤はそれらを集成したディスク集である。
バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。
このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。
具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏もかなり行われていたように思われる。
本盤の演奏においても、ゆったりとしたテンポによる熱き情感に満ち溢れた濃厚さは健在であり、例えば、これらの楽曲におけるワルターやベームの名演などと比較すると、いささか表情過多に過ぎるとも言えるところだ。
もっとも、オーケストラがウィーン・フィルであることが、前述のような大仰な演奏に陥ることを救っていると言えるところであり、いささか濃厚に過ぎるとも言えるバーンスタインによる本演奏に、適度の潤いと奥行きを与えている点を忘れてはならない。
近年のモーツァルトの交響曲演奏においては、古楽器奏法やピリオド楽器を使用した小編成のオーケストラによる演奏が主流となりつつある。
そうした軽佻浮薄な演奏に辟易としている中で本演奏を聴くと、本演奏には血の通った温かい人間味を感じることが可能であり、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになる聴き手は筆者だけではあるまい。
いずれにしても、本演奏は、近年の血の通っていない浅薄な演奏が目白押しの中にあってその存在意義は極めて大きいものであり、モーツァルトの交響曲の真の魅力を心行くまで堪能させてくれる人間味に溢れた素晴らしい名演と高く評価したい。
音質は従来盤でも十分に満足できる高音質である。
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2014年10月29日
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本盤に収められたサン・サーンスの交響曲第3番は、カラヤンによる唯一のスタジオ録音である。
カラヤンは、同曲をコンサートで採り上げたことも皆無であることから、レコーディングのためにのみ演奏したということにもなる。
この当時のカラヤンは70代の半ばに達していたが、同曲のほか、ニールセンの交響曲第4番やR・シュトラウスのアルプス交響曲など初録音が目白押しであり、カラヤンの老いても衰えない音楽に取り組む前向きな姿勢に心から頭が下がる思いがする。
同曲の独墺系指揮者による演奏は、カラヤンによる本演奏以外には現在でも皆無であるところだ。
その意味でも、本演奏は極めて希少価値のある存在なのであるが、音楽評論家の評価は押しなべて低いと言わざるを得ない。
確かに、同曲の数々の名演は、フランス系の指揮者によるものが多く、そうしたフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいのある演奏からすれば、本演奏は極めて異質な演奏ということになるだろう。
加えて、本演奏の当時は、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビがその最後の輝きを放った時期でもある。
分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。
カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。
本演奏など、かかる圧倒的な音のドラマの最たるものであり、オルガンの壮麗な迫力も相俟って、サン=サーンスの交響曲第3番という大運動場で、ベルリン・フィルが大運動場全体を使って運動しているようなイメージの演奏と言えるのかもしれない。
重厚で華麗なカラヤンサウンドも、同曲においてはいささか場違いな印象を与えると言えるのかもしれない。
しかしながら、これだけの圧倒的な音のドラマを構築することによって、同曲演奏史上空前のスケールと壮麗な迫力を有する演奏を成し遂げたと言うことも可能であり、聴き終えた後の充足感においては、他のフランス系の指揮者による名演と比較しても何ら遜色はない。
いずれにしても、筆者としては、本演奏はカラヤン&ベルリン・フィルによる異色の名演として高く評価したいと考える。
録音は、リマスタリングがなされたこともあって従来盤でも十分に満足できる音質である。
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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第5番及び第7番が収められている。
第5番については、数年前にテスタメントから発売された1968年のライヴ録音などもあって、それも名演であるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。
バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。
本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。
そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。
このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。
交響曲第5番については、終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。
少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。
もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。
他方、第7番については、同曲のあらゆる名演にも冠絶する至高の超名演と高く評価したい。
同曲の冒頭、そして終結部に登場する重層的な弦楽合奏の美しさは、まさに人間的な温もりと清澄さが同居する稀有の表現でありバルビローリによるシベリウス演奏の真骨頂。
本名演に唯一匹敵する存在であるカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1967年)における弦楽合奏も極上の絶対美を誇ってはいるが、その人間的な温もりにおいて本演奏の方を上位に掲げたい。
第2部から第3部への移行部に登場するホルンによる美しい合奏も、カラヤン盤をはじめ他の演奏ではトランペットの音に隠れてよく聴き取れないことが多いが、本演奏では、トランペットなどの他の楽器の音量を抑え、このホルン合奏を実に美しく響かせているのが素晴らしい。
第1部のトロンボーンソロはカラヤン盤がベストであり、さすがに本演奏もとてもカラヤン盤には敵わないが、それは高い次元での比較の問題であり本演奏に瑕疵があるわけではない。
もっとも、弦楽合奏のアンサンブルなどハレ管弦楽団の技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。
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2014年10月28日
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本盤に収められたシベリウスの交響曲第4番、組曲「恋人」、そしてロマンスは、バルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集、管弦楽曲集からの抜粋である。
多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。
バルビローリによるシベリウス演奏の特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。
本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。
そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。
このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。
本盤に収められた交響曲第4番も、そうしたバルビローリの指揮芸術の美質が如実にあらわれた演奏に仕上がっている。
同曲は、シベリウスのあらゆる楽曲の中でも深遠にして晦渋とも言うべき渋味のある作品であるが、バルビローリの手にかかると、決して救いようのない暗さに全体が支配されるということがなく、血も涙もある温かみのある音楽に聴こえるのが素晴らしい。
第2楽章は終結部の唐突な終わり方もあって纏めるのが難しい音楽であるが、バルビローリはテンポの緩急を駆使するなど巧みな至芸を披露している。
ハレ管弦楽団も、部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。
他方、併録の組曲「恋人」は、他に目ぼしい演奏がないだけにバルビローリのまさに独壇場。
清澄な美しさと人間的な温もりが高次元で融合した稀有の超名演に仕上がっていると高く評価したい。
ロマンスも素晴らしい名演だ。
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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第3番及び第6番が収められている。
多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。
バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。
本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。
そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。
このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。
本盤に収められた交響曲第3番及び第6番の演奏においては、いずれもそうしたバルビローリによるシベリウス演奏の美質が十二分に生かされており、おそらくはそれぞれの交響曲の様々な演奏の中でもトップクラスの名演であると高く評価したい。
両演奏の特徴を記すと、先ず、交響曲第3番については、第1楽章は誰よりも遅いテンポで開始されるが、その味わい深さは絶品だ。
第2楽章の北欧のいてつく冬を思わせるような音楽にも独特の温かさがあり、終楽章の終結部に向けての盛り上がりも申し分のない迫力を誇っている。
次に、交響曲第6番については、演奏の持つ清澄な美しさには出色のものがあり、その情感たっぷりの旋律の歌い方は、まさに「歌う英国紳士」の真骨頂とも言える至高・至純の美しさを誇っていると評価したい。
ハレ管弦楽団も、部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。
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本盤に収められたシベリウスの交響曲第2番及び交響詩「トゥオネラの白鳥」は、バルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集及び管弦楽曲集からの抜粋である。
多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、この全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。
バルビローリによる交響曲第2番の録音としては、同じくEMIにモノラル録音したハレ管弦楽団との演奏(1952年)やcheskyへのスタジオ録音であるロイヤル・フィルと演奏(1962年)などがあり、1952年盤の圧倒的な生命力に満ち溢れた豪演などを上位に掲げる聴き手も多いとは思うが、音質面や演奏全体のいい意味でのバランスの良さを考慮すれば、筆者としては本演奏を第一に掲げたいと考えている。
バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになるのではないか。
本盤に収められた両曲の演奏においても、人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。
そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。
このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言えるだろう。
併録の交響詩「トゥオネラの白鳥」も、幽玄とも言うべき深沈たる味わい深さにこの指揮者ならではのヒューマニティ溢れる温かさが付加された稀有の名演と評価したい。
オーケストラは、バルビローリによって薫陶を受けていたものの、必ずしも一流とは言い難いハレ管弦楽団であり、ブラスセクションにおける粗さや、弦楽合奏のアンサンブルにおける一部の乱れなど、その技量には問題がないとは言えないが、それでもこれだけの名演を堪能してくれたことに対して文句は言えまい。
むしろ、敬愛するバルビローリの指揮の下、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の名演奏を展開している点を評価したい。
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2014年10月27日
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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第1番及び劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」が収められている。
多くの英国人指揮者がそうであったように、バルビローリもシベリウスを深く愛し、その作品を数多く演奏・録音してきているが、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそは、バルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。
バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。
本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。
そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。
このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。
交響曲第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。
ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。
他方、併録の劇付随音楽「ペレアスとメリザンド」は、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1982年)という強力なライバルはあるものの、いわゆるシベリウスらしさという点で言えば、本演奏の方に軍配を上げたい。
各楽曲の描き分けの巧さも特筆すべきではあるが、どこをとっても北欧風の清澄な美しさと格調の高さ、そしてヒューマニティ溢れる温もりが付加されており、ハレ管弦楽団の技量には疑問を感じる箇所が散見されるものの、総体としては、おそらく同曲の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。
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2014年10月26日
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本盤にはブラームスの交響曲第4番とハイドンの主題による変奏曲が収められているが、スクロヴァチェフスキ&読売日響は、既にブラームスの交響曲第1〜3番を録音していることから、本演奏はまさにスクロヴァチェフスキ&読売日響によるブラームスの交響曲全集の完結編ということになる。
また、スクロヴァチェフスキは、ハレ管弦楽団とともにブラームスの交響曲全集をスタジオ録音(1987年)しており、本盤を持って2度目の全集の完成ということになるが、演奏内容については、今般の2度目の全集の方がダントツの素晴らしさと言えるだろう。
そして本盤の第4番の演奏も、スクロヴァチェフスキによる2度目のブラームスの交響曲全集の掉尾を飾るに相応しい至高の圧倒的な超名演に仕上がっていると高く評価したい。
ブラームスの交響曲第4番のこれまでの他の指揮者による名演としては、シューリヒトやムラヴィンスキーなどによる淡麗辛口な演奏や、それに若さを付加したクライバーによる演奏の評価が高く、他方、情感溢れるワルターや、さらに重厚な渋みを加えたベームによる名演、そして本年に入ってSACD化が図られたことによってその価値が著しく高まったドラマティックなフルトヴェングラーによる名演などが掲げられるところだ。
これに対して、スクロヴァチェフスキによる本演奏の特徴を一言で言えば、情感豊かなロマンティシズム溢れる名演と言ったことになるのではないだろうか。
もっとも、ワルターの演奏のようなヒューマニティ溢れる演奏とは若干その性格を異にしているが、どこをとっても歌心に満ち溢れた豊かな情感(感極まって、例えば第1楽章などスクロヴァチェフスキの肉声が入る箇所あり)を感じさせるのが素晴らしい。
それでいて演奏全体の造型は堅固であり、いささかも弛緩することはない。
加えて、第3楽章の阿修羅の如き快速のテンポによる畳み掛けていくような気迫溢れる豪演など、86歳の老巨匠とは思えないような力感が演奏全体に漲っているが、それでも各楽章の緩徐箇所においては老巨匠ならではの人生の諦観を感じさせるような幾分枯れた味わいをも有しているところであり、その演奏の彫りの深さと言った点においては、これまでの様々な大指揮者による名演にも比肩し得るだけの奥行きのある深遠さを湛えている。
また、すべてのフレーズに独特の細やかな表情付けが行われており、終楽章のゆったりとしたテンポによる各変奏の巧みな描き分けも含め、演奏全体の内容の濃密さにおいても出色のものがあると言えるだろう。
いずれにしても、本演奏は、現代最高の巨匠指揮者スクロヴァチェフスキが最晩年になって漸く成し得た至高の超名演と高く評価したい。
ハイドンの主題による変奏曲は、まさに老巨匠ならではの職人技が際立った名演奏。
各変奏の描き分けの巧みさは、交響曲第4番の終楽章以上に殆ど神業の領域に達している。
加えて、各フレーズの端々に漂う豊かな情感においても、そしてその演奏の彫りの深さにおいても、同曲の様々な指揮者による名演の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。
読売日本交響楽団も、崇敬する巨匠スクロヴァチェフスキを指揮台に頂いて、その持ち得る実力を十二分に発揮した渾身の名演奏を展開しているのが見事である。
ホルンなどのブラスセクションや木管楽器なども実に上手く、弦楽合奏の豊穣さなど、欧米の一流のオーケストラにも匹敵するほどの名演奏とも言えるだろう。
なお、本盤で更に素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。
各楽器の位置関係までもが明瞭に再現される臨場感溢れる鮮明で豊穣な高音質は、本超名演の価値をより一層高いものとしていることを忘れてはならない。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2014年10月25日
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本盤には、英国指揮者の大御所でもあるコリン・デイヴィスがロンドン交響楽団の首席指揮者在任中にライヴ録音を行ったエルガーの交響曲全集が収められている。
3曲の交響曲のうち、最も有名な交響曲第1番については、コリン・デイヴィスは、BBC交響楽団との演奏(1985年)、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏(1998年ライヴ録音)を行っていることから、本盤の演奏を含めて3度にわたって録音を行っていることになる。
とりわけ、シュターツカペレ・ドレスデンとの演奏は、オーケストラの抜群の力量やその独特の音色の魅力、そしてコリン・デイヴィスの当該演奏にかける尋常ならざる意欲も相俟って、切れば血が噴き出てくるような大熱演に仕上がっていたところだ。
したがって、コリン・デイヴィスによるエルガーの交響曲第1番の名演としては、このシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏を随一に掲げるべきであろうが、だからと言って、本演奏の価値が低いというわけではない。
本盤の演奏については、交響曲第2番や第3番においても共通していると言えるが、悠揚迫らぬゆったりとしたテンポにより、重厚にして壮麗、なおかつスケール雄大な演奏を行っていると言えるのではないだろうか。
前述のシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏と比較すると、トゥッティに向けて遮二無二畳み掛けていくような強靭な迫力や灼熱のように燃え上がる圧倒的な生命力においては、一歩譲ると言わざるを得ないが、それでも、本演奏もライヴ録音ならではの気迫や強靭さも十分に備わっており、演奏の持つ根源的な迫力においてもいささかの不足はない。
そして、コリン・デイヴィスの指揮で素晴らしいのは、強靭なトゥッティや荒々しさを感じさせる箇所に差し掛かっても、格調の高さを失っていないという点であり、これは英国人指揮者の面目躍如たるものがある。
エルガーの交響曲に特有のイギリスの詩情に満ち溢れた旋律の数々の歌い方についても、コリン・デイヴィスは、哀嘆調の感傷的なロマンティシズムに陥ることがなく、常に気品のある高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。
コリン・デイヴィスの確かな統率の下、重厚な強靭さからイギリスの詩情に満ち溢れた繊細な美しさに至るまでを完璧に音化し、望み得る最高の名演奏を繰り広げたロンドン交響楽団にも大きな拍手を送りたい。
音質は、2001年のライヴ録音、そして従来CD盤での発売であるが、十分に満足できる音質である。
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フランス音楽とともにロシア音楽を得意とするデュトワが音楽監督を務めていたモントリオール交響楽団を指揮、冴え渡った棒さばきで精緻にして華麗な演奏を展開している。
ストラヴィンスキーの3大バレエ音楽には、これまでも数々の名演が目白押しであるが、その演奏様式たるや実に多様である。
ゲルギエフなどに代表されるロシア風の民族的なあくの強さを全面に打ち出した演奏や、アンセルメなどに代表される洗練された美しさで聴かせる演奏、ブーレーズなどに代表される作品の持つ前衛性を全面に打ち出した演奏など、枚挙にいとまがないほどである。
そのような中で、デュトワの演奏は、間違いなくアンセルメの系列に連なるものである。
いたずらにロシア風の民族色を強調するわけでもなく、さりとて、作品の持つ前衛性を強調するわけでもない。
オーケストラをバランスよく鳴らして、実に洗練された美の世界を構築している。
もちろん、聴かせどころのツボを心得た演出の上手さにも卓抜したものがあり、表面的な美に固執するという、内容が伴わない浅薄さにもいささかも陥っていない。
モントリオール交響楽団に、これだけの雰囲気豊かな演奏をさせたデュトワのオーケストラトレーナーとしての才覚も、高く評価されるべきものと考える。
「火の鳥」はオーケストラを自在に駆使しながら、このバレエの各場面の動きを、鋭い筆致で描いた演奏で、オーケストラの音の美しさもさることながら、全体を包む劇場的な雰囲気に惹かれる。
特に「魔王カスチェイの兇悪な踊り」は立派だ。
「ペトルーシュカ」は巧みな設計で、実に精緻にこの作品を仕上げている。
特に第4場は圧巻で、ペトルーシュカがムーア人に殺されるあたりからエンディングにかけての、畳み込んでいくような面白さは、いかにもデュトワらしい。
管楽器群のずば抜けた上手さも特筆に値する。
「春の祭典」は実に淡泊な表現で、シャープに、そして色彩的にまとめあげた演奏である。
しかし、そうしたなかにも、盛り上げるべきところは力強く盛り上げており、ことに第2部の「祖先の儀式」から「いけにえの踊り」のクライマックスにかけての演出はすばらしい。
その他の録音された作品は、3大バレエ音楽などと比較すると、作品の認知度は著しく劣るが、デュトワが演奏すると、実に魅力的な作品に聴こえるのは不思議であり、こうした点にもデュトワの演出巧者ぶりが発揮されている。
各楽器が鮮明に分離して聴こえる英デッカによる超優秀録音も最高で、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2014年10月24日
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作曲をする指揮者というのは、現代では少数派と言えるのではないか。
かつての指揮者は、1つのオーケストラにとどまることが多かったが、現代では、世界中を飛び回って数多くのコンサートを指揮しなければならないというきわめて繁忙な状況にあり、とても作曲にまでは手が回らないというのが実情ではないだろうか。
近年の指揮者ではスクロヴァチェフスキやマゼール、ブーレーズなどが掲げられるが、それ以外の指揮者は、作曲はできるのかもしれないが、作曲をしているという話自体がほとんど聞こえてこないところだ。
少し前の時代に遡ってみれば、バーンスタインやブリテンがいたし、更に、マタチッチよりも前の世代になると、クレンペラーやフルトヴェングラー、マルティノンなど、いわゆる大指揮者と称される者が目白押しである。
もちろん、現在では、作曲家としての認知が一般的なマーラーやR・シュトラウスも、当時を代表する大指揮者であったことに鑑みれば、かつては、指揮者イコール作曲家というのは、むしろごく自然のことであったと言えるのかもしれない。
ただし、昨今の指揮者兼作曲家が作曲した楽曲が名作と言えるかどうかは議論の余地があるところであり、マーラーやR・シュトラウスなどはさすがに別格ではあるが、前述の指揮者の中で、広く世に知られた名作を遺したのは、大作曲家でもあったブリテンを除けば、ウェストサイドストーリーなどで有名なバーンスタインだけではないかとも考えられる。
マタチッチも、そのような作曲をする指揮者の1人であるが、その作品が広く世に知られているとは到底言い難い。
ヨーロッパでは二流の指揮者の扱いを受けていたマタチッチは、自作を演奏する機会などなかなか巡って来なかったのではないかと考えられるが、マタチッチが、最後の来日の際の条件として、自作の対決の交響曲の演奏を掲げたことも、そうしたマタチッチのヨーロッパでの不遇のあらわれと言えるのかもしれない。
対決の交響曲は、筆者も本CDで初めて耳にする楽曲であり、加えて既発CDも持っていないので、今般のBlu-spec-CDとの音質の比較をすることもなかなかに困難である。
ただ、従来CDではなく、Blu-spec-CDであるということで、音質が非常に鮮明であるということは十分に理解できるところであり、その結果、マタチッチの手による対決の交響曲が、細部に至るまで鮮明に表現されているということについては、本CDは十分に評価に値すると言えるのではないか。
対決の交響曲は、現代音楽特有のいささか複雑な楽想や構成、不協和音なども散見されるものの、比較的親しみやすい旋律も随所に満載であり、この作品を名作と評価するにはいささか躊躇するが、マタチッチという大指揮者の作曲家としての力量やその芸術の神髄を味わうことができるという意味においては、意義の大きい名CDと高く評価したいと考える。
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ハイティンクが得意とするショスタコーヴィチの交響曲の待ち望まれた再録音だった。
ハイティンクは、本盤に収められた交響曲第4番を約30年前にもロンドン・フィルとともに、ショスタコーヴィチの交響曲全集の一環としてスタジオ録音(1979年)していることから、本演奏はハイティンクによる同曲の2度目の録音ということになる。
そして本盤に収められた約30年ぶりの本演奏は、当該全集に収められた演奏とは段違いの素晴らしい名演に仕上がっていると評価したい。
本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負。
いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴である。
したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるというのが素晴らしいと言えるところだ。
加えて、本演奏には、晩年を迎えたハイティンクならではの奥行きの深さが感じられるところであり、同曲に込められた作曲者の狂気や絶望感などが、淡々と進行していく曲想の中の各フレーズから滲み出してくるのが見事である。
このような彫りの深い名演を聴いていると、ハイティンクが真の大指揮者になったことを痛感せざるを得ないところだ。
ハイティンクの確かな統率の下、当時の手兵であったシカゴ交響楽団が持ち得る実力を最大限に発揮した入魂の名演奏を繰り広げているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。
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2014年10月23日
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本盤には、デュカスの極めて有名な交響詩「魔法使いの弟子」をはじめとして、交響曲ハ長調、そしてバレエ音楽「ラ・ペリ」が収められている。
デュカスは、自作に対して極めて厳しい姿勢で臨んだところであり、後世に遺す必要がないと考えた作品はすべて破棄したことから、その作品の数は著しく少ないと言わざるを得ない。
また、交響詩「魔法使いの弟子」は誰でも知っている超有名曲であるが、バレエ音楽「ラ・ペリ」についてはファンファーレのみが広く知られており、交響曲ハ長調に至っては知る人ぞ知る存在に甘んじている。
それだけに、交響詩「魔法使いの弟子」を除くと録音の点数はわずかであり、その意味でも、本盤のようにデュカスの名作がまとめておさめられていること、そして巨匠フルネが演奏していることなどを考慮すれば、デュカスの作品を広く認知させるという意味においても意義の大きい名CDと言えるだろう。
そして、演奏内容も実に素晴らしい。
フルネの演奏の最大の特色は一音一音をいささかも蔑ろにしない精緻さであり、それは、本盤に収められた各楽曲のいずれの演奏においても健在である。
もっとも、フルネの場合は、単にスコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの杓子定規な演奏を行っているわけではないことに留意しておく必要がある。
精緻に描き出している各フレーズをよく聴くと、独特の細やかなニュアンスが込められていると言えるところであり、演奏の密度の高さには尋常ならざるものがある。
そして、各フレーズの端々からは豊かな情感が滲み出しているとともに、演奏の随所にはフランス風のエスプリが漂うなど、その洒落た味わいの情感豊かな演奏には抗し難い魅力に満ち溢れている。
交響曲ハ長調においては、演奏全体の堅固な造形美にもいささかも欠けるところはなく、交響詩「魔法使いの弟子」やバレエ音楽「ラ・ペリ」における各場面の描き分けの巧みさは、巨匠フルネならではの老獪な至芸と言えるところであり、その語り口の巧さは見事という他はない。
そして、いずれの楽曲においても、トゥッティにおける強靭な迫力においては、とても当時80歳代後半の老巨匠とは思えないような圧倒的な生命力が漲っている。
また、これらの演奏において素晴らしいのは、オランダ放送フィルの北ヨーロッパのオーケストラならではのいぶし銀の独特の音色である。
かかるオランダ放送フィルのいぶし銀の音色が、演奏全体に独特の落ち着きと潤いを付加させているのを忘れてはならない。
いずれにしても、本盤に収められた演奏は、デュカスによるそれぞれの楽曲の代表的な演奏とも言える圧倒的な超名演と高く評価したい。
音質は、1990〜1992年のスタジオ録音であり、十分に満足できる音質である。
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本盤には、ベームがウィーン・フィルやベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音したモーツァルトの管楽器のための協奏曲集やセレナード集、ディヴェルティメント集が収められている。
ベームのレパートリーの基本は独墺系の作曲家による楽曲であったが、その中でもモーツァルトによる楽曲はその中核を占めるものであったと言えるのではないだろうか。
ベームが録音したモーツァルトの楽曲は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽曲そしてオペラに至るまで多岐に渡っているが、その中でも本盤は、1959年から1967年にかけてベルリン・フィルを指揮してスタジオ録音を行うことにより完成させた交響曲全集とともに、今なお燦然と輝くベームの至高の業績であると高く評価したい。
モーツァルトを得意とした巨匠と言えば、ワルターを第一に掲げるべきであるが、ワルターのモーツァルトの楽曲の演奏が優美にして典雅であったのに対して、ベーム演奏は重厚でシンフォニックなものだ。
全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体としてゆったりとしたものである。
そして、本盤の演奏は、1970〜1979年にかけてのものであり、とりわけ1970年代後半のベームによる一部の演奏には、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化が殆ど聴かれないのが素晴らしい。
そして、全盛時代のベームの特徴でもあった躍動感溢れるリズムが本盤の演奏では健在であり、かような演奏が四角四面に陥るのを避けることに繋がり、モーツァルトの演奏に必要不可欠の高貴な優雅さにもいささかの不足もしていないと言えるところだ。
要は、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると言えるだろう。
そして、本盤で素晴らしいのは、ベルリン・フィルやウィーン・フィルの各首席奏者の素晴らしい名演奏であり、その卓越した技量や美しい音色など、これ以上は求め得ないような美しさの極みとも言うべき圧倒的な名演奏を展開していると評価したい。
これら首席奏者にとどまらず、ベルリン・フィルやウィーン・フィルによる演奏も高く評価すべきであるが、とりわけベルリン・フィルについて言及しておきたい。
この当時のベルリン・フィルは、終身の芸術監督カラヤンの下で、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れた重厚でなおかつ華麗な名演奏の数々を成し遂げるなど、徐々にカラヤン色に染まりつつあったところだ。
しかしながら、本盤の演奏では、いささかもカラヤン色を感じさせることなく、ベームならではのドイツ風の重厚な音色で満たされている。
かかる点に、ベルリン・フィルの卓越した技量と柔軟性を大いに感じることが可能であり、本盤の名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。
音質は、1970年から1979年にかけてのスタジオ録音であるが、大半の演奏が既にリマスタリングが施された(ウィーン・フィルの首席奏者との協奏交響曲やディヴェルティメント集については久々のCD化であるとともに、筆者も当該CDを所有しておらず、比較出来なかったことを指摘しておきたい)こともあって、従来盤でも十分に満足できるものである。
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本盤には、悲劇のチェリストであるデュ・プレがスタジオ録音したグリュツマッヒャーが編曲したボッケリーニのチェロ協奏曲と、世に知られているとは言い難いシェーンベルクが編曲したモンのチェロ協奏曲が収められている。
いずれも、デュ・プレならではの圧倒的な超名演だ。
デュ・プレは、得意のエルガーのチェロ協奏曲やドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する時のみならず、どのような楽曲の演奏に臨むに際しても全力投球で、体当たりとも言うべき渾身の演奏を行ったと言えるところであるが、本演奏におけるデュ・プレによる渾身の気迫溢れる演奏の力強さについても、とても女流チェリストなどとは思えないような圧巻の凄まじさである。
本演奏の数年後には多発性硬化症という不治の難病を患い、2度とチェロを弾くことがかなわなくなるのであるが、デュ・プレのこのような壮絶とも言うべき凄みのあるチェロ演奏は、あたかも自らをこれから襲うことになる悲劇的な運命を予見しているかのような、何かに取り付かれたような情念や慟哭のようなものさえ感じさせる。
もっとも、我々聴き手がそのような色眼鏡でデュ・プレのチェロ演奏を鑑賞しているという側面もあるとは思うが、いずれにしても、演奏のどこをとっても切れば血が出てくるような圧倒的な生命力に満ち溢れるとともに、女流チェリスト離れした強靭な力感に満ち、そして雄渾なスケールを伴った圧倒的な豪演は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分であると言えるところだ。
それでいて、両曲の緩徐楽章などにおける繊細にして情感の豊かな表現おいてもいささかの不足はないと言えるところであり、その奥深い情感がこもった美しさの極みとも言える演奏は、これからデュ・プレを襲うことになる悲劇が重ね合わせになり、涙なしには聴くことができないほどのものである。
デュ・プレのチェロ演奏のバックの指揮をつとめるのは父君バレンボイムと名匠バルビローリであるが、オーケストラを巧みに統率するとともに、デュ・プレのチェロ演奏のサポートをしっかりと行い、両曲の魅力的な数々の旋律を歌い抜いた情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。
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2014年10月22日
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当盤にはブロムシュテットがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター退任後、名誉指揮者として最初に指揮台に上がった時(2006年11月)のライヴ録音が収められている。
ブロムシュテットによるブルックナーの交響曲第7番と言えば、何と言っても、1980年にシュターツカペレ・ドレスデンとともに行ったスタジオ録音が念頭に浮かぶ。
当時のドレスデンは、今はなき東ドイツにあり、シュターツカペレ・ドレスデンも、現在ではすっかりと色褪せてしまったが、いぶし銀とも言うべき独特の魅力的な音色を誇っていた。
ホルンのペーター・ダムをはじめとした伝説的なスター・プレイヤーもあまた在籍していただけに、当該演奏の魅力は絶大なるものがあった。
ブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンのコンビは、同時期に来日を果たして、第4番の演奏を披露し、NHKなどでも放映されたが、とにかく、シュターツカペレ・ドレスデンの音色に完全に魅了されてしまったことを鮮明に記憶しているところだ。
ブロムシュテットの指揮も、自我を極力抑制して、シュターツカペレ・ドレスデンの魅力的な演奏にすべてを委ねているとさえ言えるところであり、そのことが、当該演奏を独特の魅力のあるものとしていたのではないかとも思われるところである。
本盤に収められた第7番の演奏は、当該演奏から四半世紀以上も経った2006年のものであるが、ここで感じられるのは、今や、現代を代表する大指揮者となったブロムシュテットの円熟と言えるのではないだろうか。
同曲演奏に対する基本的なアプローチに変わりはないが、楽想を描き出していく際の彫りの深さ、懐の深さは、1980年の演奏を遥かに凌駕している。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、まさに理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。
いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さ、そして、近年の同曲の演奏でも最上位にランキングされる見事な名演と高く評価したい。
そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。
クヴェルシュタント・レーベルの録音技量は素晴らしく、弦のかすかなトレモロまでもが臨場感を持って聴き取れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
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ショルティほど、実力の割に過小評価されている指揮者はいないのではないか。
カラヤンに匹敵するほどの膨大なレコーディングを行ったショルティであるが、現在では、楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。
これには、我が国の音楽評論家、とりわけとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、ショルティの演奏を全く聴かないのはあまりにも勿体ない。
特に、ショルティによるマーラーの交響曲の演奏は、いずれも一聴の価値のある名演揃いであり、今般、ルビジウム・クロック・カッティングによる高音質かつ廉価で、一連の録音が発売されることから、いまだ未聴のクラシック音楽ファンにも是非とも聴いていただきたいと考えている。
それはさておき、本盤には、ショルティが完成させた唯一のマーラーの交響曲全集を構成する交響曲第7番が収められている。
中期の交響曲として同様に分類される第5番をショルティは3度にわたって録音しているのに対して、第7番は、第6番と同様に本盤が唯一の録音であるが、これは、ショルティが本演奏に満足していたのか、それとも第5番ほどに愛着を持っていなかったのか、その理由は定かではない。
それはさておき、演奏は凄まじい。
これは、同じく1970年に録音された第5番や第6番と共通していると言えるが、まさに強烈無比と言っても過言ではないほどの壮絶な演奏と言えるのではないだろうか。
ショルティのマーラーの交響曲演奏に際しての基本的アプローチは、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。
こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなかったが、かかるショルティの芸風が最も如実にあらわれた演奏こそは、本盤に収められた第7番を含む1970年に録音された第5番〜第7番のマーラーの中期の交響曲の演奏であると考えられる。
それにしても、第5番のレビューにおいても記したところであるが、筆者はこれほど強烈無比な演奏を聴いたことがない。
耳を劈くような強烈な音響が終始炸裂しており、血も涙もない音楽が連続している。
まさに、音の暴力と言ってもいい無慈悲な演奏であるが、聴き終えた後の不思議な充足感は、同曲の超名演であるインバル&フランクフルト放送交響楽団盤(1986年)又はインバル&チェコ・フィル盤(2011年)、そして、テンシュテット&ロンドン・フィル盤(1993年ライヴ盤)などにいささかも引けを取っていない。
あまりにも強烈無比な演奏であるため、本演奏は、ショルティを好きになるか嫌いになるかの試金石になる演奏とも言えるのかもしれない。
加えて、本演奏の素晴らしさはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。
いかにショルティが凄いと言っても、その強烈無比な指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。
かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
音質も英デッカによる1970年の録音当時としては総体として優秀なものである。
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2014年10月21日
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スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。
さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ弦楽四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息のあった絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献していた。
もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。
ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。
ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、まさに音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。
本盤に収められたベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番及び大フーガは、前述の名盤の誉れ高い全集に収められた弦楽四重奏曲第13番及び大フーガの演奏(1982年)の約20年前の演奏(1965年)だ。
全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるとも言えるが、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ弦楽四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。
演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはない。
しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っていると言えるところだ。
したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないとも言える。
第13番及び大フーガは、ベートーヴェンが最晩年に作曲した最後の弦楽四重奏曲でもあり、その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。
いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したい。
音質は、1965年のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。
しかしながら、先般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤がなされ、圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。
したがって、SACD再生機を有している聴き手は、多少高額であっても当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤をお薦めしたいが、SACD再生機を有していない聴き手や、低価格で鑑賞したい聴き手には、本Blu-spec-CD盤をおすすめしたい。
第12番、第14〜第16番についても今般Blu-spec-CD化がなされたが、従来CD盤との音質の違いは明らかであり、できるだけ低廉な価格で、よりよい音質で演奏を味わいたいという聴き手にはBlu-spec-CD盤の購入をおすすめしておきたい。
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素晴らしい名演だ。
デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度も完成させているのに、ニールセンの交響曲の録音はこれまでしてこなかった。
その意味では、満を持しての挑戦ということになるのであろうが、長年の渇きを癒すのに十分過ぎるくらいの超名演に仕上がっている。
第4番は、物凄い快速のテンポだ。
同曲には、カラヤンによる速めのテンポによる名演があるが、あのカラヤンでさえ全曲に約37分を要しているのだから、この演奏の約31分というのが尋常ならざる速さということがわかろうというものである。
おそらくは、史上最速の第4番ということになるのではないか。
とても、老匠の指揮とは思えないような生命力に満ち溢れており、この交響曲の副題でもある「不滅」の名に恥じることのない演奏ということができる。
それでいて、第3部の美しさも出色のものがあり、必ずしも勢いに任せた一本調子の演奏には陥っていない。
第5番は、間違いなく、同曲演奏史上最高の名演と言える。
筆者は、このニールセンの最高傑作を初めて聴いたのは、今から約15年前になるが、ようやく理想の名演に辿り着いたことに深い感慨を覚える。
テンポは、第4番とは一転して、ゆったりとした堂々たるものだ。
それでいて、同じく超スローテンポのクーベリックの演奏のようなおどろおどろしさはいささかもなく、常に、こうしたゆったりめのテンポ設定に必然性が感じられるのが良い。
冒頭の高弦によるトレモロからして、他の演奏には感じられないような内容の濃さを感じさせる。
その後の緩急自在のテンポ設定、打楽器の巧みな鳴らし方、ダイナミックレンジの効果的な活用など、どれをとっても、これ以上は求め得ないような至高・至純のレベルに仕上がっており、第5番が、ニールセンの最高傑作であることを聴き手に伝えるのに十分な超名演に仕上がっている。
録音も素晴らしい。
マルチチャンネル付きのSACDは、ニールセンの打楽器や金管楽器、木管楽器を巧みに駆使したオーケストレーションの再現には最適であり、各楽器の位置関係が明瞭にわかるような鮮明な解像度には、大変驚かされた。
まさに、演奏、録音ともに超優秀な至高の名CDと高く評価したい。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2014年10月20日
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ベストセラーのシベリウスやベートーヴェンの交響曲と並んでヴァンスカの名を高めたニールセンの交響曲が全集となり、さらに新録音の管弦楽曲3篇も収められた嬉しいアルバムとして登場。
かつて交響曲のみがCD3枚に渡ってバラで発売されていたものをボックス化したものであるが、交響曲を番号順に並べかえるとともに、新録音の主要な管弦楽曲を加えるなど、付加価値の高い全集と言える。
シベリウスの交響曲や管弦楽曲で素晴らしい名演を聴かせてくれているヴァンスカであるが、本盤のニールセンの交響曲や管弦楽曲でも見事な名演を成し遂げていると高く評価したい。
ニールセンの交響曲全集は、同時代の北欧のシンフォニストであるシベリウスの交響曲全集と比較するとあまりにも少ないが、作品の質の高さに鑑みると、不当に過小評価されていると言えるのではなかろうか。
そのような状況の中で、ヴァンスカによる素晴らしい名演による全集の登場は大いに歓迎すべきことである。
いずれもヴァンスカならではのボルテージの高さで、さらにニールセンの代表作「ヘリオス」まで楽しめる。
ヴァンスカのアプローチは、生命力溢れる力強さが基本であるが、これは、ニールセンの華麗なオーケストレーションの描出には相応しいもの。
どの交響曲、そして管弦楽曲においても、畳み掛けていくような気迫と力感が漲っている。
他方、各交響曲の緩徐楽章(「第4」や「第5」では、緩徐部と言った方が適切と言えるかもしれない)における情感の豊かさは、あたかも北欧の白夜を彷彿とさせるような優美さに満ち溢れており、勢い一辺倒の浅薄な演奏にはいささかも陥っていない。
まさに、硬軟バランスのとれた名演と言うことができるだろう。
また、本全集には、いわゆる超名演と言うものはないが、どの楽曲も名演の名に相応しい水準の演奏で構成されており、不出来な演奏がないというのも、本全集の価値を高める要素となっている点も忘れてなならない。
BBCスコティッシュ交響楽団やラハティ交響楽団も、ヴァンスカの指揮の下、最高のパフォーマンスを示している。
録音も優秀であり文句なし。
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2014年10月19日
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イタリアが誇るジャズとクラシックのトップ2共演がついに実現し、ガーシュウィンの演奏に新風を吹き込んだ異色の名演だ。
シャイーは、この録音当時、手兵ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とともに、バッハ、シューマン、メンデルスゾーンなどのドイツ音楽の演奏を主として行っており、その結果は、現時点においては玉石混交と言ったところである。
しかし本盤では、得意ジャンルの音楽であるせいか、久々にその本領を発揮、まさに水を得た魚のような生命力溢れるノリノリの指揮ぶりが見事である。
イタリア・ジャズ界の逸材でもあるステファノ・ボラーニのピアノがこれまた素晴らしい。
その卓越した技量とセンス満点の音楽性には抗し難い魅力があり、クラシック音楽とジャズ音楽の境界線にあるガーシュウィンの音楽を精緻に、そして情感豊かに描き出すとともに、軽快にしてリズミカルな躍動感にも際立ったものがある。
同国人であることもあり、シャイーとボラーニの息はぴったりであり、両者の火花が散るようなドラマティックな局面においても、豊かな音楽性と愉悦性をいささかも失わないのは驚異の至芸である。
自由奔放なボラーニのピアノを、シャイーが歌心満載の伴奏でサポートしている。
そして、この両者を下支えするのがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の好パフォーマンスだ。
いぶし銀の重厚な音色を基調とするこのオーケストラとガーシュウィンは、本来的には水と油の関係にあるとも言えるが、シャイーによる薫陶もあって、光彩陸離たる色彩感豊かな演奏を繰り広げるとともに、とかく軽佻浮薄な演奏に陥りがちなガーシュウィンの音楽に適度な潤いと深みを付加し、従来のガーシュウィンの演奏とは一味もふた味も違う清新な新鮮味を加えることに成功した点を忘れてはならない。
特に「ラプソディ・イン・ブルー」はジャズ・バンド・バージョンで、バッハのお膝元ライプツィヒの名門オケとは思えない、グルーヴ感溢れる演奏。
シャイーが就任してから、ゲヴァントハウスの何が変わったかというと、リズム感ではないだろうか。
現代音楽を得意とし、複雑なリズムの現代曲を演奏させることも多いシャイーのもとで、リズムのキレやアンサンブルが一層研ぎ澄まされたように感じる。
録音も鮮明で素晴らしい。
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2014年10月18日
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若きプレヴィンによる素晴らしい名演と高く評価したい。
プレヴィンは、本演奏の13年後にウィーン・フィルとともに交響組曲「シェエラザード」を録音(1981年)しており、それも円熟の名演とも言えるが、楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や力強い生命力においては、本演奏の方が数段勝っており、両演奏ともに甲乙付け難いと言ったところではないだろうか。
プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。
したがって、そのアプローチは明快そのもの。
楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。
したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追求が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。
交響組曲「シェエラザード」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、前述のような若さ故の力強い生命力も相俟って、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。
聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。
クラシック音楽入門者が、交響組曲「シェエラザード」を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。
いずれにしても、安定した気持ちで同曲を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。
併録の歌劇「サルタン皇帝の物語」からの抜粋2曲も同様のアプローチによる名演だ。
そして、さらに素晴らしいのはXRCDによる極上の高音質録音である。
本盤の録音は1968年であるが、とても45年も前の録音とは思えないような鮮明な高音質に仕上がっている。
プレヴィンによる素晴らしい名演を、現在望み得る最高の音質で味わうことができることを大いに歓迎したい。
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2014年10月17日
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クラシック音楽界が長期的な不況下にあり、ネット配信が隆盛期を迎える中において、新譜の点数が大幅に激減している。
とりわけ、膨大な費用と労力を有するオペラ録音については殆ど新譜が登場しないという嘆かわしい状況にある。
そのような中で、パッパーノが、2009年のプッチーニの歌劇「蝶々夫人」に引き続いて、本盤のロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」を録音するなど、オペラ録音の新譜が細々とではあるが発売されるというのは、実に素晴らしい快挙である。
これは、パッケージ・メディアが普遍であることを名実ともに知らしめるものとして、かかるメーカーの努力にこの場を借りて敬意を表しておきたい。
さて、本盤であるが、そもそもロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」は録音自体が極めて珍しいが、その数少ない録音の中で最も優れた名演は、パヴァロッティやフレーニなどの豪華歌手陣を起用したシャイー&ナショナル・フィル盤(1978〜1979年)とザンカナロ、ステューダーなどの歌手陣を起用したムーティ&スカラ座管盤(1988年)であろう。
同曲は、ロッシーニが作曲した最後のオペラであり、その後のイタリア・オペラにも多大な影響を与えた傑作であるにもかかわらず、歌劇「セビリアの理髪師」などの人気に押されて、今一つ人気がなく、序曲だけがやたらと有名な同作品であるが、ジュリーニやアバド、シノーポリなどといった名だたるイタリア人指揮者が録音していないのは実に不思議な気がする。
したがって、現時点ではシャイー盤とムーティ盤のみが双璧の名演であると言えるだろう。
そのような長年の渇きを癒すべく登場したパッパーノによる本演奏の登場は先ずは大いに歓迎したい。
そして、演奏も非常に素晴らしいものであり、前述のシャイー盤やムーティ盤に肉薄する名演と高く評価してもいいのではないかと考える。
パッパーノのオペラ録音については、イタリア・オペラにとどまらず、ワーグナーやR・シュトラウス、モーツァルトなど多岐に渡っているが、本演奏ではそうした経験に裏打ちされた見事な演出巧者ぶりが光っている。
とにかく、本演奏は、演奏会形式上演のライヴということも多分にあるとは思うが、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強さには、圧倒的な生命力が漲っていると言えるところであり、同曲を演奏するのに約3時間半を要するという長大なオペラ(パッパーノは一部カットを行っているが、演奏全体にメリハリを付加するという意味においては正解と言えるのかもしれない)であるにもかかわらず、いささかも飽きを感じさせず、一気呵成に全曲を聴かせてしまうという手腕には熟達したものがあると言えるところである。
これには、俊英パッパーノの類稀なる才能と、その前途洋々たる将来性を大いに感じた次第だ。
歌手陣も、さすがにシャイー盤のように豪華ではないが優秀であると言えるところであり、とりわけウィリアム・テル役のジェラルド・フィンリーと、パッパーノが特に抜擢したアルノルド・メルクタール役のジョン・オズボーンによる素晴らしい歌唱は、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。
聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団や同合唱団も、パッパーノの指揮の下最高のパフォーマンスを示していると評価したい。
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2014年10月16日
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スカルラッティのソナタ集のピアノ演奏版には、ホロヴィッツの超弩級の名演がある。
それ故に、後に続くピアニストは、なかなかこの超名演の高峰の頂に登ることは出来なかったが、ついにホロヴィッツ盤に匹敵する名盤が登場した。
その名盤こそ、本盤のポゴレリチ盤である。
スカルラッティといえばホロヴィッツの抜きん出た演奏があるので、他の演奏を聴いても心揺さぶられることがなかったが、ポゴレリチには驚いた。
ポゴレリチは、ホロヴィッツと同様に、ラルフ・カークパトリックが付した番号順に演奏するという型どおりなことはしていない。
555曲もあるとされているソナタ集から、15曲をランダムに選んで、ポゴレリチ自身が考えた順番に並べて演奏している。
演奏も、卓越したテクニックをベースとして、力強い打鍵から情感溢れる抒情豊かな歌い方など表現の幅は実に広く、緩急自在のテンポ設定を駆使して、各曲の描き分けを完璧に行っている。
ポゴレリチは、すべての音を旋律のために機能させ、自分の音楽に徹することで難所を克服してみせる。
ホロヴィッツとこの演奏が現代ピアノによる代表的なものだと思うが、ポゴレリチ独特のアーティキュレーションがここではほとんどプラスに作用していて、そこはかとない哀愁まで感じさせるのは大したものだ。
それにしても、各曲の並べ方の何と言うセンスの良さ。
ランダムに選んだ各曲の並べ方には、一見すると一定の法則はないように見えるが、同一調を何曲か続けてみたり、短調と長調を巧みに対比して見せたりするなど、全15曲が有機的に繋がっている。
前述のようなポゴレリチの卓越した演奏内容も相俟って、あたかも一大交響曲を聴くようなスケールの雄大さがある。
音響特性上、現代ピアノで表現不可能なスカルラッティのソナタの要素を完全に再構築した画期的な快演である。
これだけの秀演を聴かされると、他のソナタ集もポゴレリチの演奏で聴きたくなったのは、決して筆者だけではあるまい。
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2014年10月15日
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2008年に60歳という若さでこの世を去ったヒコックスであるが、シャンドスレーベルに録音した数多くのイギリス音楽は、知る人ぞ知る名作を広く認知させるのに大きく貢献したという意味でも、ヒコックスの最良の遺産であると言えるだろう。
そうした遺産の中でも、頂点に立つ名演ということになれば、様々な意見があろうかとは思うが、イギリス音楽史上最高の作曲家の1人であるエルガーの生誕150年を記念してスタジオ録音された、本盤に収められた交響曲第1番ということになるのではないだろうか。
ヒコックスは、本盤に続いて、交響曲第2番及び第3番のスタジオ録音も行い、エルガーの交響曲全集を完成させることになるが、楽曲がエルガーのみならずイギリス音楽史上最高の交響曲、そしてエルガー生誕150年の記念の年の演奏であることなども相俟って、本演奏は全集中でも最高の名演に仕上がっていると言えるところだ。
ヒコックスによる本演奏は、中庸というよりも、やや速めの引き締まったテンポによって曲想を進めているが、各所における表情づけの巧さは、数多くのイギリス音楽を演奏するとともに、同曲を隅々に至るまで知り尽くしていることもあって、まさに名人芸の域に達していると言っても過言ではあるまい。
そして、重厚にして強靭な迫力からイギリスの詩情に満ち溢れた繊細さに至るまで、過不足なく描出しているが、いかなるトゥッティに差し掛かっても格調の高さをいささかも失うことがないのが素晴らしい。
演奏全体のスケールも雄大であり、その威容に満ちた堂々たる演奏は、同曲があらためてイギリス音楽史上最高の偉大な交響曲であることを認知させるのに大きく貢献していると言っても過言ではあるまい。
同曲については、特に、累代のイギリス人指揮者が数々の名演を成し遂げてきているところであるが、ヒコックスによる本演奏は、後述の音質面も含めて総合的に考慮すれば、同曲の様々な名演の中でもトップクラスの名演として高く評価したい。
併録のオルガン・ソナタの管弦楽版は、録音自体が珍しいだけに希少価値があると言えるが、演奏内容も極めて優れたものであり、ヒコックスならではの素晴らしい名演と評価したい。
BBCナショナル・オーケストラ・オヴ・ウェールズも、ヒコックスの熟達した統率の下、見事な名演奏を繰り広げているところであり、大きな拍手を送りたい。
そして、本盤で何よりも素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質と言うことである。
音質の鮮明さといい、そして臨場感といい、まさに申し分のない高音質と言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを認識したところだ。
いずれにしても、ヒコックスの最大の遺産とも言うべき至高の超名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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オルフのカルミナ・ブラーナは、近年では多くの指揮者がこぞって録音を行うなど、その主要なレパートリーの一つとして定着しつつある。
親しみやすい旋律や内容、そして大規模な管弦楽編成や大合唱団など、現代人を魅了する要素が多く存在していることや、CD1枚に収まる適度な長さであることが、その人気の理由ではないかとも考えられるところだ。
音響面だけでも十分に親しむことが可能な楽曲であるだけに、これまでの録音はいずれも水準以上の名演奏と言っても過言ではないが、その中でも、トップの座に君臨するのは、初演者でもあるヨッフムがベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団ほかを指揮した名演(1967年)であると考えられる。
これに次ぐのが、諸説はあると思うが、プレヴィン&ウィーン・フィルほかによる名演(1995年)ではないかと考えているところだ。
この他にも、筆者としては、ケーゲルによる名演(2種(1959年及び1974年))などを掲げたいが、更に知る人ぞ知る名演として紹介したいのが、本盤に収められたオーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団ほかによる名演(1960年)である。
本演奏の当時は、前述のヨッフムの旧盤(新盤(1967年)は未だ発売されず、旧盤(1952〜1956年)のみが発売されていた。)やケーゲルの旧盤(1959年)以外には目ぼしい録音は存在せず、同曲が現在のように広く認知されている存在ではなかった時期の演奏である。
それだけに、オーマンディも、手探りの状況で本演奏に臨んだのではないかと考えられるところだ。
それだけに、本演奏におけるオーマンディのアプローチも、きわめて明瞭でわかりやすいものに徹している。
各楽想を精緻に描き出していくとともに、オーケストラを壮麗かつバランス良く鳴らし、合唱や独唱をこれまた明瞭に歌わせていると言えるだろう。
要は、オルフがスコアに記した音符や歌詞を余すことなく明快に描出した演奏と言えるところであり、当時のフィラデルフィア管弦楽団の卓抜した技量や、徹底した練習を行ったことと思われるが、ラトガース大学合唱団による渾身の大熱唱、そして、独唱のヤニス・ハルザニー(ソプラノ)、ルドルフ・パトラク(テノール)、ハルヴェ・プレスネル(バリトン)による名唱もあって、同曲を完璧に音化し尽くしたという意味においては、まさに完全無欠の演奏を行うのに成功したと言っても過言ではあるまい。
例えば、ヨッフム盤のようなドイツ的な重厚さや、プレヴィン盤のようなウィーン・フィルの極上の美音を活かした味わい深さと言った特別な個性は存在していないが、同曲が知る人ぞ知る存在で、他に目ぼしい録音が殆ど存在していなかった時期にこれほどの高水準の演奏を成し遂げたことを、筆者としてはより高く評価すべきではないかと考えるところだ。
いずれにしても、本演奏は、同曲の魅力を純音楽的に余すことなく表現するとともに、同曲異演盤が殆ど存在しない時期にあって、同曲の魅力を広く認知させるのに貢献したという意味でも極めて意義が大きい素晴らしい名演と高く評価したい。
音質は、1960年のスタジオ録音ではあるが、リマスタリングが繰り返されてきたこともあって、従来盤でも比較的良好なものである。
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2014年10月14日
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本盤には、R・コルサコフの超有名曲である交響組曲「シェエラザード」を軸として、グラズノフのバレエ音楽「ライモンダ」の抜粋が収められているが、同様に発売されたプロコフィエフの管弦楽曲集と同様に、演奏の素晴らしさ、録音の素晴らしさも相俟って、まさに珠玉の名CDと高く評価したい。
フェドセーエフは、近年では、同じくロシア系の指揮者である後輩のマリス・ヤンソンスやゲルギエフなどの活躍の陰に隠れて、その活動にもあまり際立ったものがないが、1980年代の後半から本盤の演奏の1990年代にかけては、当時の手兵であるモスクワ放送交響楽団とともに、名演奏の数々を成し遂げていたところである。
本盤に収められた演奏も、そうした名演奏の列に連なるものであり、フェドセーエフ&モスクワ放送交響楽団による一連の録音は、現在ではほぼ撤退したキャニオンのクラシック音楽録音の旗手の1つとして、その存在感には非常に大きいものがあったとも言えるところだ。
演奏自体は、意外にもオーソドックスなもの。
旧ソヴィエト連邦時代のロシア人指揮者と旧ソヴィエト連邦下の各オーケストラによる演奏は、かの大巨匠ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる数々の名演を除いて、およそ洗練とは程遠いようなロシア色濃厚なアクの強いものが主流であった。
これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われるが、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。
メロディアによる必ずしも優秀とは言い難い録音技術にも左右される面もあったとも言える。
ところが、旧ソヴィエト連邦の崩壊によって、各オーケストラにも西欧風の洗練の波が押し寄せてきたのではないだろうか。
本演奏におけるモスクワ放送交響楽団も、かつてのアクの強さが随分と緩和され、いい意味での洗練された美が演奏全体を支配しているとさえ言える。
もちろん、ロシア色が完全に薄められたわけではなく、ここぞという時のド迫力には圧倒的な強靭さが漲っており、これぞロシア音楽とも言うべき魅力をも兼ね合わせていると言えるだろう。
特に、R.コルサコフの交響組曲「シェエラザード」における木野雅之によるヴァイオリン・ソロは、とろけるような美しさを有しており、本名演に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。
いずれにしても、本盤の演奏は、全盛期のフェドセーエフによる、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。
音質については、キャニオン・クラシックスという録音でも定評のあるレーベルであるだけに、従来盤でも十分に良好なものであったが、今般、ついに待望のSACD化がなされることになった。
音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりであると言えるところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。
いずれにしても、フェドセーエフによる素晴らしい名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。
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1967年11月25日 新潟県民会館に於けるライヴ録音。
昭和39年の新潟地震で全国から寄せられた義援金で建てられた新潟県民会館、そのこけら落としとして震災からの復興を祈念するコンサートの貴重な録音。
中越地震、中越沖地震と続いている新潟の復興を考えるとき、施しのバラマキや偏狭な現場保存パーク、すぐ忘れられてしまう前衛芸術モニュメント設置など比べて、あの時代の謙虚さ、暖かさを感じる、意味深い1枚である。
メインの「田園」は、荒削りだが重厚な響きとおおらかな歌心が、民芸品の木彫りの熊や円空仏を思わせる温かみを感じさせる。
それにしても何と重厚で人間味に溢れた「田園」であろうか。
独墺系の作品との抜群の相性をみせる巨匠特有のずっしりとした骨太の響きが大きな魅力となっており、いっぽう第2、3楽章での弾むような軽みには粋を感じさせる。
低弦のうなり、第2楽章での主題の歌わせ方は速いスピードながら輪郭線がくっきりと鮮やかで、強弱をつけながら存分に歌う音楽が聴き手の心を弾ませる。
田舎でのバカンスを楽しむのんびりタイプや、スポーツカーで吹っ飛ばすような快速演奏タイプなどとは異なり、あたかも「農耕機で田んぼを耕しながら見ている」土着の田園、という趣。
形も不揃いな流木を組み合わせて作られたログハウスみたいな外観だが、一見ささくれだったようなその木肌に近寄ってみると、その表面は人為的でない自然の奇蹟の力によるかのような光沢を放っており、なんか容易に触れてはいけないのではないか、と思わせてしまう雰囲気である。
テンポは遅くはないが(終楽章はかなり速い)、ずっしりと重く、自然を讃えるよりも、粗野な人間の味がする。
レオノーレ、マイスタージンガーの2曲は、堂々たるドイツ風な威容のある、いかにもマタチッチらしい武骨で風格に満ちた輝かしい演奏。
この指揮者の当シリーズを聴いて、常に思うが、当時の日本のオケからこれだけの響きを引き出せることに感心することしきりで、今の世にこの重量感を出せる指揮者がいないのが寂しい気がする。
このCDですばらしいのはライナーノーツだ。
それは指揮者北原幸男による「マタチッチ先生の最後の来日のために」と題されたエッセイである。
当時マタチッチと近しい関係にあった北原氏が、N響事務局に依頼され、定期演奏会招聘の交渉のため、旧ユーゴスラヴィアのマタチッチの自宅を訪問する。
アドリア海に面した大邸宅での会談の様子、夫人とのエピソードなどが記されている。
晩年彼が「忽然と」N響の指揮台に現れたのはこんないきさつがあったのか、と納得させられる文章である。
巨人の手すさびとも言えるような「田園」、そしてアンコールで演奏された、豪快さが前面に出た「マイスタージンガー前奏曲」を聴きながら、大海に向かって悠々と巨躯を歩ませる愛すべき名指揮者の姿を思い浮かべた。
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2014年10月13日
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今から四半世紀以上も前のことであるが、NHK教育テレビにおいて、マタチッチ&NHK交響楽団によるベートーヴェンの「第7」を放送していたのを視聴した時のことを鮮明に記憶している。
それは、最晩年であったマタチッチがほとんど指揮をしていなかったということだ。
手の動きはきわめて慎ましやかであり、実際にはアイコンタクトだけで指揮していたと言えるのではないだろうか。
しかしながら、そうした殆ど動きがないマタチッチを指揮台に頂きながら、NHK交響楽団がそれこそ渾身の力を振り絞って力強い演奏を行っていたのがきわめて印象的であった。
いずれにしても、あのような手の動きを省略したきわめて慎ましやかな指揮で、NHK交響楽団に生命力溢れる壮絶な演奏をさせたマタチッチの巨匠性やカリスマ性を高く評価すべきであると考える。
当盤における「第7」でも、緊張感の中、エネルギーが爆発していくような演奏で、楽章が進むにつれてメンバーが熱を帯び、特にフィナーレではインパクトのある凄演が聴け、興奮度は高い。
当時(1960年代後半)のNHK交響楽団は、技量においては、我が国のオーケストラの中でトップと位置づけられていたが、演奏に熱がこもっていないとか、事なかれ主義の演奏をするとの批判が数多く寄せられていた。
そうした批評の是非はさておき、全盛期のマタチッチによるこのような豪演に鑑みれば、そのような批評もあながち否定できないのではないかと考えられる。
本盤には、そうした巨匠マタチッチと、その圧倒的なオーラの下で、渾身の演奏を繰り広げたNHK交響楽団による疾風怒濤の超名演が収められている。
NHK交響楽団も決してベストではなかったにしろ、ドイツ風の重厚な演奏を繰り広げ、それを補って余りある燃えに燃えた名演奏である。
NHK交響楽団は、その指揮者の個性を薄めてしまうというのが筆者のイメージだったが、マタチッチは別のようで、楽員との厚い信頼関係を感じさせる。
随所にマタチッチの個性が散りばめられており、なおかつCDのファーストチョイスとしてもなんら違和感のない名演で、ライヴでありながらこの完成度は驚異的と言える。
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2014年10月12日
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こういう演奏を風格のある大人の演奏と言うのであろう。
田部京子は、先般発売されたブラームスの後期ピアノ作品集でも重厚にして深遠とも言うべき圧倒的な超名演を成し遂げていたが、本盤の演奏においても、当該演奏に優るとも劣らないような至高・至純の芸術性を発揮していると言っても過言ではあるまい。
いかなる楽曲に対しても、不断の探究心、研究心を失わない田部京子であるが、本盤に収められたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番&第21番の演奏においても、そうした緻密なスコア・リーディングは随所に如実にあらわれている。
音符の数が極端に少ないモーツァルトのピアノ協奏曲だけに、スコアの表層に記された音符にとどまらず、各音符の行間やその背景に至るまでの深い洞察力が求められることになるが、田部京子は例によって、そうした行間や背景にも十分に目配りを行い、少なくとも同世代のピアニストとは一線を画するような奥行きの深い、そして彫りの深い稀代の名演奏を展開している。
高貴にして典雅というのがモーツァルトのピアノ協奏曲の表面的な特徴と言えるが、それだけでは薄味のムード音楽に堕してしまうことは論を待たないところである。
しかしながら、田部京子による本演奏は、そうした表層上の美しさの表現においても申し分はないところではあるが、むしろ、モーツァルトのピアノ協奏曲に込められた人生の孤独感や寂寥感と言った心眼に切り込んでいくような鋭さ、深さを兼ね備えているところであり、まさに、モーツァルトのピアノ協奏曲の演奏の理想像を具現化していると評しても過言ではあるまい。
一聴すると淡々と進行していく各旋律の端々には独特の豊かにして繊細なニュアンスが込められており、これほど内容豊かで深みのある演奏は、近年においてはかの内田光子による演奏にも匹敵するほどのレベルに達しているとさえ言えるだろう。
ピアノ協奏曲第21番における田部京子のオリジナルによるカデンツァも芸術的で実に素晴らしい。
田部京子のこうした偉大なピアノ演奏を下支えしているのは、最近売り出し中の気鋭の指揮者である下野竜也であるが、本演奏では自我を極力抑えて、紀尾井シンフォニエッタを巧みにドライブしつつ、いささかもモーツァルトらしさを失うことがない見事な名演奏を展開していると評価したい。
いずれにしても、本演奏は、田部京子の近年の充実ぶり、円熟を大いに感じさせる至高・至純の名演と高く評価したい。
そして、音質も素晴らしく、最近のSACDの中でも極上の部類に入ると言えるだろう。
田部京子のピアノタッチが鮮明に再現されるのは、まさにSACD盤の大きなアドバンテージであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。
加えて、マルチチャンネルが付加されていることにより、臨場感溢れる音場の幅広さには出色のものがある。
田部京子による名演をマルチチャンネル付きのSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎するとともに、これだけの名演だけに、今後、田部京子によるモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏の続編を大いに期待したい。
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本盤に収められたデニス・ブレインとカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団によるモーツァルトのホルン協奏曲は、同曲演奏史上最高の超名演として、現在においてもその地位にいささかの揺らぎがない歴史的な演奏と言えるだろう。
カラヤンは、後年、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後、首席奏者であったゲルト・ザイフェルトとともに同曲をスタジオ録音(1968年)しており、それも素晴らしい名演ではあるが、本盤の演奏の持つ後述のような独特の魅力には及んでいないのではないかと考えられるところだ。
また、同曲については、ホルン協奏曲の絶対数が少ないということもあって、これまで名うての名ホルン奏者がこぞって録音を行ってきている。
前述のゲルト・ザイフェルトだけでなく、シヴィル、ペーター・ダム、ヘーグナー、タックウェル、クレヴェンジャー、ティルシャルなど、いずれ劣らぬ個性的な名演を披露してはいるが、デニス・ブレインによる独特の魅力的な演奏には敵わないのではないかと考えられる。
デニス・ブレインのホルン演奏は、卓越したテクニックもさることながら、その音色の朗々たる美しさには際立ったものがあり、どこをとっても技巧臭がせず、コクのある豊かな情感が込められているのが素晴らしい。
旋律の歌い方もごく自然であり、演奏全体のスケール雄大で、線の細さなどいささかも感じられない骨太の音楽が構築されていると言っても過言ではあるまい。
この当時、デニス・ブレインは、若干32歳の若さではあったが、若さを感じさせない成熟した名演奏を展開していると言えるところであり、まさに天才の所業と言っても過言ではあるまい。
かかるデニス・ブレインの圧倒的なホルン演奏を下支えしているのが、若き日のカラヤンとフィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演奏である。
本演奏でのカラヤンによるアプローチは、後年の演奏のようにレガートを駆使した流麗かつ重厚なものではなく、むしろ颯爽とした新鮮な息吹を感じさせる強靭な生命力が全体に漲っており、デニス・ブレインのホルン演奏を引き立てつつ、気迫に満ち溢れた爽快な名演奏を展開している点を高く評価したい。
音質は、モノラル録音ではあるが、これだけの歴史的な名演だけに、これまで疑似ステレオ化やリマスタリング盤、HQCD盤、LPからの板おこし盤など、数々の高音質化への取組が行われてきたところであり、それぞれに良好な音質に仕上がっている。
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2014年10月11日
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カラヤンは、特にお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」についてもその例外ではない。
DVD作品を除けば、ベルリン・フィルとともに本演奏を含め4度にわたって録音(1940、1957、1964、1977年)を行うとともに、ウィーン・フィルとともに最晩年に録音(1985年)を行っている。
いずれ劣らぬ名演であるが、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、カラヤン&ベルリン・フィルが全盛期にあった頃の本演奏と言えるのではないだろうか。
カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったと言えるが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏は凄かった。
この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。
カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。
本演奏においてもいわゆる豪壮華麗なカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは健在。
冒頭のダイナミックレンジを幅広くとった凄みのある表現など、ドヴォルザークの作品に顕著なボヘミア風の民族色豊かな味わい深さは希薄であり、いわゆるカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏とも言えなくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマの構築によって絢爛豪華に同曲を満喫させてくれれば文句は言えまい。
筆者としては、カラヤンの晩年の清澄な境地を味わうことが可能なウィーン・フィルとの1985年盤の方をより上位の名演に掲げたいが、カラヤンの個性の発揮という意味においては、本演奏を随一の名演とするのにいささかの躊躇をするものではない。
併録のスメタナの交響詩「モルダウ」も、カラヤンが何度も録音を繰り返した十八番とも言うべき楽曲であるが、本演奏も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを窺い知ることが可能な素晴らしい名演だ。
音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言えるところであり、加えて先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところである。
そして、今般のシングルレイヤーによるSACD盤は、当該ハイブリッドSACD盤を遥かにに凌駕していると評しても過言ではあるまい。
音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないほどの一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。
いずれにしても、カラヤンによる至高の超名演を、超高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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現代を代表する人気女流ヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンの凛とした純度の高い美しい音色の魅力を堪能できる選曲と録音。
ヒラリー・ハーンのチャイコフスキーということで、筆者も聴く前から大いに期待していたが、その期待を裏切らない素晴らしい名演だと思う。
そのメインのチャイコフスキーであるが、情感が満ち溢れる実に濃厚な演奏だ。
抒情的な箇所の心の込め方も尋常ではない美しさに満ち溢れている。
それでいて、例えば、ムター&カラヤン盤(筆者は、名演と高く評価しているが)のように、土俗的な民族臭を際立たせるようなことはしていない。
ムターと同様に、自由奔放なアプローチをしているように一見して思われるが、上品さを決して失うことが些かもないのである。
こうした濃厚な表情づけと上品さの見事なコラボレーションこそが、ヒラリー・ハーンの類稀なる気高い芸風であると言えるだろう。
決して大きな音でヴァイオリンをうならせていないのに迫力にも欠くことなく、情感に満ち溢れた心に染みる表現力は本当に素晴らしい。
ヴァイオリン奏者として成熟したヒラリー・ハーンの完全無欠のテクニックに支えられて、聴く人の心の中に雄大な響きを奏でるかのようだ。
もちろん、終楽章の確かな技巧も聴きものであり、通常使用されるアウアー版ではなく、オリジナル版を使用した点も、本名演の価値を大いに高めるのに貢献している。
ヒラリー・ハーンの演奏は聴き慣れた楽曲でも違う方面から光が当てられ常に新鮮なアプローチがなされていて、いつも楽しませてくれる。
併録のヒグドンを筆者は今回初めて耳にしたが、ヒグドンは現今アメリカ合衆国で人気の女性作曲家とのことであり、いかにも現代風の前衛的な箇所と豊かな抒情がミックスされた名曲だと思った。
こうした同曲の特徴は、前述のようなヒラリー・ハーンの芸風とぴったり符合しており、ヒグドンがヒラリー・ハーンに同曲を捧げた理由がよくわかる。
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2014年10月10日
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グールドによるバッハのピアノ曲演奏の一連の録音は、いずれも歴史的な名演と言えるところであるが、本盤に収められたトッカータ集も素晴らしい名演だ。
それにしても、本演奏は個性的だ。
トッカータは、バッハの作品の中では比較的マイナーな存在で、しかも全7曲でCD2枚分を要する比較的長い楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくる。
しかしグールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。
もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。
そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。
こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。
これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。
グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。
諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。
いずれにしても、本盤のトッカータ集の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。
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2014年10月09日
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惜しまれつつ解散をしてしまったアルバン・ベルク弦楽四重奏団(ABQ)であるが、ABQはベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を2度に渡って録音している。
最初の全集が1978年〜1983年のスタジオ録音、そして2度目の全集が本盤に収められた1989年に集中的に行われたライヴ録音だ。
このうち、演奏の安定性や普遍性に鑑みれば、筆者としては最初の全集の方をABQによるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の代表盤と評価したいと考えているが、2度目の録音についてはライヴ録音ならではの熱気と迫力が感じられる優れた名演であるとも言えるところであり、こちらも捨て難い。
それどころか、あらゆる弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の中でも、トップの座を争う至高の名全集と高く評価したい。
本演奏におけるABQのアプローチは、卓越した技量をベースとした実にシャープと言えるものだ。
楽想を徹底して精緻に描き出して行くが、どこをとっても研ぎ澄まされたリズム感と緊張感が漂っており、その気迫溢れる演奏には凄みさえ感じさせるところである。
それでいて、ABQがウィーン出身の音楽家で構成されていることに起因する独特の美しい音色が演奏全体を支配しており、とりわけ各楽曲の緩徐楽章における情感の豊かさには抗し難い美しさが満ち溢れている。
すべての楽曲がムラのない素晴らしい名演であるが、とりわけABQのアプローチが功を奏しているのは第12番以降の後期の弦楽四重奏曲であると言えるのではないだろうか。
ここでのABQの演奏は、楽曲の心眼を鋭く抉り出すような奥深い情感に満ち溢れていると言えるところであり、技術的な完成度の高さとシャープさ、そして気宇壮大さをも併せ持つこれらの演奏は、まさに完全無欠の名に相応しい至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。
音質は1989年のライヴ録音であるが、EMIにしては比較的良好な音質である。
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2014年10月07日
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本盤には、シェーンベルクとシベリウスのヴァイオリン協奏曲という、20世紀に作曲された名作の演奏が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。
まずは、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンの演奏が素晴らしい。
ここでのヒラリー・ハーンのアプローチは、一音一音を蔑ろにすることなく精緻に曲想を描きだしていくというものだ。
聴き手を驚かすような奇手を繰り出すことは薬にしたくもなく、むしろ地味な演奏のようにも感じさせられるほどだ。
超絶的な技量は存分に発揮されてはいるが、無機的な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても内容にコクがあり豊かな情感を失っていない点を高く評価したい。
また、音色の美しさにも出色のものがあり、その艶やかな響きはヒラリー・ハーンの面目躍如たるものと言えるだろう。
したがって、12音技法で作曲されたシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲においては、晦渋さが相当程度緩和され、いい意味での明朗で、なおかつ滋味溢れる演奏に仕上がっているのが見事である。
他方、シベリウスのヴァイオリン協奏曲においては、北欧の大自然を彷彿とさせるような透明感溢れる清澄な美しさというよりは、むしろ明瞭で艶やかな響きが支配しており、その骨太でコクのある音色はシベリウスの協奏曲をそれこそベートーヴェンやブラームスの協奏曲の領域にまで引き上げるほどの奥行きの深さを湛えていると言っても過言ではあるまい。
このようなヒラリー・ハーンのヴァイオリンを下支えしているサロネン&スウェーデン放送交響楽団による名演奏も、本盤の大きな魅力の一つであると言えるだろう。
北欧フィンランドの出身であるとともに、現代音楽も自己薬籠中にしているサロネンだけに、両曲ともにスウェーデン放送交響楽団を巧みにドライブして、整然とした中にも情感の豊かさをいささかも失うことのない充実した演奏を展開している点を高く評価したい。
録音は、ヒラリー・ハーンの精緻なヴァイオリン演奏を鮮明に捉えており、十分に満足し得る音質である。
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2014年10月06日
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本盤の売りは、全盛期のシカゴ交響楽団の超絶的な技量とXRCDによる極上の高音質録音である。
一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントな金管楽器の朗々たる響き、高弦の美しい響き、迫力満点のティンパニの轟きなど、ライナー時代のシカゴ交響楽団がいかにスーパーオーケストラであったのかがわかるような演奏内容になっている。
シカゴ交響楽団と言えば、ショルティの時代におけるスーパー軍団ぶりが記憶に新しいところだ。
このコンビによる来日時のマーラーの交響曲第5番を聴いたことがあるが、実演であるにもかかわらず一切のミスをしない鉄壁のアンサンブルや、各管楽セクションの超絶的な技量、そして金管楽器の大音量に度肝を抜かれたものであった。
ハーセスやクレヴェンジャーなどのスタープレイヤーが揃っていたこともあるが、それ以上にショルティの薫陶にも多大なものがあったと言えるのではないだろうか。
ただ、ショルティがかかるスーパー軍団を一から作り上げたというわけでなく、シカゴ交響楽団に既にそのような素地が出来上がっていたと言うべきであろう。
そして、その素地を作っていたのは、紛れもなくライナーであると考えられる。
それは、本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第7番の演奏を聴くとよくわかるはずだ。
オーケストラのアンサンブルの鉄壁さは言うに及ばず、金管楽器や木管楽器の力量も卓越したものがあり、ここぞという時の迫力(とりわけ第4楽章)も圧倒的である。
もっとも、ショルティ時代よりも演奏全体に艶やかさがあると言えるところであり、音楽性という意味では先輩ライナーの方に一日の長があると言えるだろう。
こうしたライナー指揮によるシカゴ交響楽団による素晴らしい演奏を完璧に捉えきったXRCDによる極上の高音質録音も素晴らしい。
特に弦楽合奏の艶やかな響きには抗し難い魅力があり、とても今から半世紀も前の録音とは思えないような鮮明さを誇っている。
同じアメリカのオーケストラにおいても、オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団はシルキーな音色を特徴としていたし、セル指揮のクリーヴランド管弦楽団は、鉄壁のアンサンブルをベースとしたセルの楽器とも称される室内楽的で精緻な音色を誇っていた。
ライナー&シカゴ交響楽団も、本XRCD盤を聴くと、それらのオーケストラにも対抗し得るだけの独特の艶やかな音色を持っていたことがよく理解できるところであり、あらためて、XRCDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。
以上は、本XRCD盤の長所について指摘したが、演奏自体は必ずしも深みのあるものではなく、その意味ではスコアに記された音符の表層を取り繕っただけの速めのテンポによる薄味ないささか外面的な演奏と酷評する聴き手も多いと思われる。
もっとも、筆者としては、外面的な効果がより一層際立った第5番よりはかかるアプローチも比較的成功しているのではないかと考えており、前述のようなXRCDによる極上の高音質を加味すれば、本盤全体としては文句のつけようがない水準に達していると高く評価したいと考える。
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ルービンシュタインによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、第5番「皇帝」と言えば、何と言っても88歳の時にバレンボイム&ロンドン・フィルと組んで録音した1975年盤が随一の名演とされている。
これ以外にも、クリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアと組んだ1956年盤もあるが、本盤に収められた演奏はそれらの中間にあたる2度目の録音であり、バレンボイムとクリップスとの狭間に咲いた夜来香とも言えよう。
この時にも既にルービンシュタインは76歳に達しており、1975年盤において顕著であったいわゆる大人(たいじん)としての風格は十分である。
そして、超絶的なテクニックにおいては、衰えがいささかも見られないという意味においては1975年盤よりも本演奏の方が上である。
76歳とは思えないテクニックに驚かされるが、さすが、巨匠円熟の色気は圧倒的存在感だ。
もちろん大人としての風格は1975年盤の方がやや勝っており、あとは好みの問題と言えるのではないだろうか。
もちろん、筆者としては、1975年盤の方を随一の名演に掲げたいが、本演奏もそれに肉薄する名演として高く評価したいと考える。
ルービンシュタインの演奏は、その卓抜したテクニックはさることながら、どのフレーズをとっても豊かな情感に満ち溢れており、スケールも雄渾の極み。
巷間言われているように、まさに「皇帝」そのものの演奏と言えるだろう。
ルービンシュタインの演奏を聴いていると、近年流行りの古楽器奏法であるとかピリオド楽器の使用による演奏が実に小賢しいものに思えてくるところであり、何らの小細工も施さずに堂々たるピアニズムで弾き抜いた本演奏(1975年盤も)こそは、真の「皇帝」として崇高な至純の高みに達している。
ラインスドルフ&ボストン交響楽団も、ルービンシュタインのピアノに率いられるかのように、常々の即物的な解釈は影を潜め、重厚ではあるが情感の豊かさを損なっていないのが素晴らしい。
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セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」との称されるように、オーケストラの各セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。
したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであったが、その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。
もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになり、前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていた。
ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。
本盤に収められたシューマンの交響曲第2番や第4番、そしてウェーバーの「オベロン」序曲においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開しているが、いささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。
また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。
セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものである。
もっとも、第2番はシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第4番はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)がベストの名演であり、「オベロン」序曲は、セルの死の年の来日時のコンサートライヴ(1970年)の方がより優れた名演であることから、本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難いが、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。
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2014年10月05日
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本セットには、ムターとオーキスが1998年に行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲録音(ライヴ録音)を収められている。
かつては巨匠カラヤンの指導の下、10代でデビューしたムターは、カラヤン&ベルリン・フィルという土俵の上で懸命な演奏を行っていたところであるが、1989年にカラヤンが鬼籍に入った後の1990年代に入ってからはその素質や個性を大きく開花させ、個性的な演奏の数々を披露するようになったところである。
ムターのヴァイオリン演奏は、他の多くの女流ヴァイオリニストのように抒情的な繊細さや優美さで勝負するものではない。
一部の女流ヴァイオリニストによる演奏において聴かれるような線の細さなどはいささかも感じさせることはなく、常に骨太で明朗な音楽の構築に努めているようにも感じられるところだ。
もっとも、かような明朗さを旨とする演奏にはいささか陰影に乏しいと言えなくもないが、ムターの年齢を考えるとあまり贅沢は言えないのではないかとも考えられる。
本演奏においても、そうした骨太で明朗な音楽づくりは健在であり、加えて、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げている。
それでいて、お涙頂戴の感傷的な哀嘆調に陥ることは薬にしたくもなく、常に格調の高さをいささかも失うことがないのがムターのヴァイオリン演奏の最良の美質であり、これはムターの類稀なる豊かな音楽性の賜物であると考えられるところだ。
加えて、卓越した技量においても申し分がないところであるが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしい。
また、ライヴ録音ということもあって、各楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような熱い生命力においてもいささかの不足はないところだ。
このようなムターによる卓越したヴァイオリン演奏の引き立て役として、オーキスによるピアノ演奏も理想的であると言えるところであり、いずれにしても本演奏は、ムターによる円熟の個性的なヴァイオリン演奏を味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。
音質は1998年のライヴ録音ではあるが十分に満足できるものである。
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2014年10月04日
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一昨年(2021年)はベーム没後40年であった。
生前は、とりわけ我が国において、当時絶頂期にあったカラヤンに唯一対抗し得る大指揮者として絶大なる人気を誇っていたが、歳月が経つにつれて、徐々に忘れられた存在になりつつあるというのは残念でならないところである。
本盤には、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」(及び2つの序曲)が収められているが、ベームの偉大な芸術を再認識させてくれる素晴らしい名演だ。
ベームによる本演奏は、重厚でシンフォニックなものだ。
全体の造型は例によってきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。
スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体として非常にゆったりとしたものである。
演奏は、1971年のスタジオ録音であり、これはベームが最も輝きを放っていた最後の時期の演奏であるとも言える。
ベームは、とりわけ1970年代半ば過ぎになると、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。
本演奏は、ワルター&ウィーン・フィルによる演奏(1936年)、ワルター&コロンビア交響楽団による演奏(1958年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。
本演奏の基本的な性格は前述のとおりであるが、第4楽章の畳み掛けていくような力強さや、終楽章の大自然への畏敬の念を感じさせるような崇高な美しさには出色ものがあり、とりわけウィンナ・ホルンなどの立体的で朗々たる奥行きのある響きには抗し難い魅力がある。
ウィーン・フィルによる名演奏も大きく貢献していると言えるところであり、その演奏は、まさに美しさの極みであり、ベームの重厚でシンフォニック、そして剛毅とも言える演奏に適度な潤いと深みを与えているのを忘れてはならない。
音質は、1971年のスタジオ録音であるが、従来盤でも十分に満足できるものである。
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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、チェロ協奏曲の王様とも言うべき不朽の名作であり、それ故に古今東西の様々なチェリストがこぞって演奏・録音を行ってきた。
それだけに、名演には事欠くことはなく、本稿にも書ききれないほどの数多い名演が存在している。
カザルスと並んで20世紀最大のチェリストと称されたロストロポーヴィチも、同曲の録音を繰り返し行っており、ターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏(1952年(本盤))を皮切りとして、ハイキン&モスクワ放送交響楽団との演奏(1956年)、カラヤン&ベルリン・フィルとの演奏(1968年)、ジュリーニ&ロンドン・フィルとの演奏(1977年)、そして小澤&ボストン交響楽団との演奏(1985年)の5度にわたってスタジオ録音を行っている。
その他にもライヴ録音も存在しており、これは間違いなくあらゆるチェリストの中でも同曲を最も多く録音したチェリストと言えるのではないだろうか。
これは、それだけロストロポーヴィチが同曲を深く愛するとともに、満足できる演奏がなかなか出来なかった証左とも言えるところだ。
ロストロポーヴィチは、小澤との1985年の演奏の出来に大変満足し、当該盤のレコード会社であるエラートに、今後2度と同曲を録音しないという誓約書まで書いたとの噂も伝えられているところである。
したがって、ロストロポーヴィチの円熟のチェロ演奏を聴きたいのであれば1985年盤を採るべきであろうが、オーケストラ演奏なども含めた演奏全体を総合的に考慮に入れると、筆者としては、本盤に収められたターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏を随一の名演に掲げたいと考える。
それどころか、異論は十分に予想されるが、筆者としては、本演奏こそがこれまでの同曲のあらゆる演奏のトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したいと考えているところだ。
本演奏でのロストロポーヴィチのチェロ演奏は凄まじい。
1985年盤のような味わい深さは存在していないが、重厚な迫力においては本演奏の方がはるかに上。
重心の低い重低音は我々聴き手の度肝を抜くのに十分であるし、同曲特有のボヘミア風の抒情的な旋律の数々も心を込めて情感豊かに歌い抜いている。
卓越した技量は殆ど超絶的とも言えるところであり、演奏全体に漲っている強靭な気迫や生命力は圧倒的で、ほとんど壮絶ささえ感じさせるほどだ。
確かに、1985年盤などと比較するといささか人工的とも言うべき技巧臭や、ロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせるきらいもないわけではないが、これだけの圧倒的な名演奏を堪能させてくれれば文句は言えまい。
そして、ロストロポーヴィチの圧倒的なチェロ演奏にいささかも引けを取っていないのがターリッヒ&チェコ・フィルによるこれまた圧倒的な豪演である。
これにロストロポーヴィチのチェロが加わった演奏は、時に地響きがするほどの迫力を誇っており、指揮者、チェリスト、オーケストラの3者に最高の役者が揃い踏みした本演奏は、まさに豪華絢爛にして豪奢な壮大な音の建造物と言っても過言ではあるまい。
ロストロポーヴィチのチェロ演奏にある種の人工的な技巧臭を感じる聴き手がいることも十分に想定できるところであるが、これほど協奏曲の醍醐味を感じさせてくれる演奏は他に類例を見ない希少なものと言えるところであり、筆者としては、前述のように、本演奏こそはドヴォルザークのチェロ協奏曲演奏史上でも最高の超名演と高く評価したい。
併録曲も、特に聴かせどころのツボを心得たロストロポーヴィチならではの語り口の巧さが光っているのが素晴らしい。
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2014年10月03日
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本盤に収められたブルックナーの交響曲第8番は、95歳となった現代を代表する巨匠指揮者であるブロムシュテットが、長年にわたって務めてきたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマスターを退任するに当たって行われた記念碑的なコンサートのライヴ録音である。
ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団という稀代の名コンビは、様々な名演を成し遂げてきたが、何と言ってもそのレパートリーの中心にあったのは、ブロムシュテットが最も得意とする独墺系の音楽、中でもブルックナーの交響曲であったことは論を待たないところだ。
既に、このコンビは、英デッカに第9番をスタジオ録音(1995年)しているし、1998年には第3番を録音している。
そして、2005年の第8番のライヴ録音であるが、本演奏があまりにも素晴らしいものであったせいか、その後、このコンビによるブルックナーの交響曲チクルスが開始され、2012年のライヴ録音である第2番の登場により、既に交響曲全集が完成したところだ。
このように、本演奏は、退任コンサートにとどまらず、このコンビの新たな出発点にもなった演奏とも言えるが、それだけにその演奏の質の高さは尋常ならざるものがある。
このような名演奏を聴いていると、ヴァントや朝比奈、スクロヴァチェフスキなき現在においては、ブロムシュテットこそは、現代を代表するブルックナー指揮者と評しても過言ではあるまい。
本演奏においても、基本的なアプローチは、楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、これは近年のブルックナーの交響曲演奏の王道を行くものである。
そして、かかるアプローチは、誠実とも言えるこの指揮者の美質そのものであるが、例えば、楽曲自体は異なるが、かつてシュターツカペレ・ドレスデンとともにスタジオ録音を行った交響曲第4番や第7番の定評ある名演などと比較すると、彫りの深さ、懐の深さにおいて、はるかに凌駕している。
ブラスセクションなどもかなり強靭に鳴らしていると言えるが、無機的な音は皆無であり、どこをとっても奥深い、それこそブルックナーらしさを失っていないのが素晴らしい。
ライヴ録音ならではの熱気には事欠かないものの、かつてのブロムシュテットにあった唯一の欠点でもある、楽曲の頂点における力みが感じられないというのは見事であり、これは、ブロムシュテットの円熟の証左と言えるだろう。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、まさに理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。
いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さを感じさせる見事な名演と高く評価したい。
そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。
臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
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2014年10月01日
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ブーレーズはDGに相当に長い年数をかけてマーラーの交響曲全集を録音したが、本盤に収められたマーラーの「第9」は、その最初期の録音である。
演奏は、あらゆる意味でバーンスタインやテンシュテットなどによる濃厚でドラマティックな演奏とは対極にある純音楽的なものと言えるだろう。
ブーレーズは、特に1970年代までは、聴き手の度肝を抜くような前衛的なアプローチによる怪演を行っていた。
ところが、1990年代にも入ってDGに様々な演奏を録音するようになった頃には、すっかりと好々爺になり、かつての前衛的なアプローチは影を潜めてしまった。
もっとも、必ずしもノーマルな演奏をするようになったわけではなく、そこはブーレーズであり、むしろスコアを徹底的に分析し、スコアに記されたすべての音符を完璧に音化するように腐心しているようにさえ感じられるようになった。
もちろん、スコアの音符の背後にあるものまでを徹底的に追求した上での演奏であることから、単にスコアの音符のうわべだけを音化しただけの薄味の演奏にはいささかも陥っておらず、常に内容の濃さ、音楽性の豊かさを感じさせてくれるのが、晩年のブーレーズの演奏の素晴らしさと言えるだろう。
本演奏においても、そうした晩年のブーレーズのアプローチに沿ったものとなっており、複雑なスコアで知られるマーラーの「第9」を明晰に紐解き、すべての楽想を明瞭に浮かび上がらせるように努めているように感じられる。
それ故に、他の演奏では殆ど聴き取ることが困難な旋律や音型を聴くことができるのも、本演奏の大きな特徴と言えるだろう。
さらに、ブーレーズの楽曲への徹底した分析は、マーラーが同曲に込めた死への恐怖や生への妄執と憧憬にまで及んでおり、演奏の表層においてはスコアの忠実な音化であっても、その各音型の中に、かかる楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを感じることが可能である。
これは、ブーレーズが晩年に至って漸く可能となった円熟の至芸とも言えるだろう。
いずれにしても本演奏は、バーンスタイン&コンセルトヘボウによる名演(1985年)とあらゆる意味で対極にあるとともに、カラヤン&ベルリン・フィル(1982年)の名演から一切の耽美的な要素を拭い去った、徹底して純音楽的に特化された名演と評価したい。
このようなブーレーズの徹底した純音楽的なアプローチに対して、最高のパフォーマンスで応えたシカゴ交響楽団の卓越した演奏にも大きな拍手を送りたい。
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