2014年10月

2014年10月13日


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クーベリックは、ドヴォルザークの交響曲、とりわけ「第8」及び「第9」については何度も録音しているが、その中でも最も優れた演奏は、本全集に収められたベルリン・フィル盤であると考える。

「第8」については、その後、バイエルン放送交響楽団とともにライヴ録音(1976年)、「第9」については、バイエルン放送交響楽団(1980年)、次いでチェコ・フィル(1991年)とともにライヴ録音しているが、バイエルン放送交響楽団との演奏は、いずれも演奏自体は優れた名演に値するものであるが、ノイズの除去のために低音域を絞ったオルフェオレーベルの音質が演奏のグレードを著しく貶めていることになっており、筆者としてはあまり採りたくない。

「第9」のチェコ・フィル盤は、ビロード革命後のチェコへの復帰コンサートの歴史的な記録であり、演奏全体に熱気は感じられるが、統率力にはいささか綻びが見られるのは否めない事実である。

こうした点からすれば、クーベリックによるドヴォルザークの「第8」及び「第9」の決定盤は、本盤に収められた演奏ということになる。

それどころか、他の指揮者による名演と比較しても、トップの座を争う名演と高く評価し得るのではないだろうか。

このうち「第8」は、1966年と録音年がいささか古いが、それだけにベルリン・フィルが完全にカラヤン色に染まっていない時期の録音であり、チェコの大自然を彷彿とさせるような情感の豊かさや瑞々しさが演奏全体に漲っているのが特徴だ。

テンポなども随所で変化させており、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫が漲っているが、音楽の自然な流れをいささかも損なっていないのが素晴らしい。

本盤の4年後に、セル&クリーヴランド管弦楽団による同曲最高の超名演(1970年)が生まれているが、本演奏はそれに肉薄する超名演と高く評価したい。

これに対して、「第9は」1972年の録音で、ベルリン・フィルがほぼカラヤン色に染まった時期の録音だ。

それだけに、全体的にはチェコ風の民族色がやや薄まり、より華麗で明瞭な音色が支配しているように感じるが、それでも情感の豊かさにおいてはいささかの不足もなく、「第9」の様々な名演の中でもトップの座を争う名演であることには変わりはない。

ただ、名演としての評価は揺るぎがないものの、クーベリックらしさと言う意味においては、「第8」と比較するとややその個性が弱まっていると言えるところであり、このあたりは好き嫌いが分かれるのかもしれない。

ベルリン・フィルも、両演奏ともにクーベリックの指揮の下、素晴らしい演奏を繰り広げており、特に各管楽器奏者の卓越した技量には惚れ惚れするほどだ。

そして、かかる高評価は、本全集に収められた他の交響曲にも共通するものであると言えるところであり、本全集は、いくつか存在しているドヴォルザークの交響曲全集の演奏の中でもトップの座に君臨する至高の名全集と高く評価したいと考えている。

音質については、リマスタリングがなされるなどかなり良好なものである。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザーククーベリック 

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本盤には、プレヴィンが当時の手兵であるロンドン交響楽団とともに1970年代にスタジオ録音したチャイコフスキーの3大バレエ音楽のうち、最晩年の傑作「くるみ割り人形」全曲が収められている。

プレヴィンは、クラシック音楽の指揮者としてもきわめて有能ではあるが、それ以外のジャンルの多種多様な音楽も手掛ける万能型のミュージシャンと言える。

したがって、本演奏においてもそのアプローチは明快そのもの。

楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

したがって、ベートーヴェンなどのように、音楽の内容の精神的な深みへの追求が求められる楽曲においては、いささか浅薄な演奏との誹りは免れないと思うが、起承転結がはっきりとした標題音楽的な楽曲では、俄然その実力を発揮することになる。

本盤に収められたチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」は、そうしたプレヴィンの資質に見事に合致する楽曲と言えるところであり、加えて若さ故の力強い生命力も相俟って、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、プレヴィンの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

クラシック音楽入門者が、バレエ音楽「くるみ割り人形」を初めて聴くに際して、最も安心して推薦できる演奏と言えるところであり、本演奏を聴いて、同曲が嫌いになる聴き手など、まずはいないのではないだろうか。

いずれにしても、プレヴィンによる本演奏は、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」(全曲)には、スヴェトラーノフやロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演や、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演などがあまた存在しているが、安定した気持ちで同曲を魅力を味わうことができるという意味においては、第一に掲げるべき名演と評価したい。

音質は今から40年ほど前の録音であるが、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にリマスタリングも施されたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤を愛聴している。

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classicalmusic at 00:56コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキープレヴィン 

2014年10月12日


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こういう演奏を風格のある大人の演奏と言うのであろう。

田部京子は、先般発売されたブラームスの後期ピアノ作品集でも重厚にして深遠とも言うべき圧倒的な超名演を成し遂げていたが、本盤の演奏においても、当該演奏に優るとも劣らないような至高・至純の芸術性を発揮していると言っても過言ではあるまい。

いかなる楽曲に対しても、不断の探究心、研究心を失わない田部京子であるが、本盤に収められたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番&第21番の演奏においても、そうした緻密なスコア・リーディングは随所に如実にあらわれている。

音符の数が極端に少ないモーツァルトのピアノ協奏曲だけに、スコアの表層に記された音符にとどまらず、各音符の行間やその背景に至るまでの深い洞察力が求められることになるが、田部京子は例によって、そうした行間や背景にも十分に目配りを行い、少なくとも同世代のピアニストとは一線を画するような奥行きの深い、そして彫りの深い稀代の名演奏を展開している。

高貴にして典雅というのがモーツァルトのピアノ協奏曲の表面的な特徴と言えるが、それだけでは薄味のムード音楽に堕してしまうことは論を待たないところである。

しかしながら、田部京子による本演奏は、そうした表層上の美しさの表現においても申し分はないところではあるが、むしろ、モーツァルトのピアノ協奏曲に込められた人生の孤独感や寂寥感と言った心眼に切り込んでいくような鋭さ、深さを兼ね備えているところであり、まさに、モーツァルトのピアノ協奏曲の演奏の理想像を具現化していると評しても過言ではあるまい。

一聴すると淡々と進行していく各旋律の端々には独特の豊かにして繊細なニュアンスが込められており、これほど内容豊かで深みのある演奏は、近年においてはかの内田光子による演奏にも匹敵するほどのレベルに達しているとさえ言えるだろう。

ピアノ協奏曲第21番における田部京子のオリジナルによるカデンツァも芸術的で実に素晴らしい。

田部京子のこうした偉大なピアノ演奏を下支えしているのは、最近売り出し中の気鋭の指揮者である下野竜也であるが、本演奏では自我を極力抑えて、紀尾井シンフォニエッタを巧みにドライブしつつ、いささかもモーツァルトらしさを失うことがない見事な名演奏を展開していると評価したい。

いずれにしても、本演奏は、田部京子の近年の充実ぶり、円熟を大いに感じさせる至高・至純の名演と高く評価したい。

そして、音質も素晴らしく、最近のSACDの中でも極上の部類に入ると言えるだろう。

田部京子のピアノタッチが鮮明に再現されるのは、まさにSACD盤の大きなアドバンテージであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

加えて、マルチチャンネルが付加されていることにより、臨場感溢れる音場の幅広さには出色のものがある。

田部京子による名演をマルチチャンネル付きのSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎するとともに、これだけの名演だけに、今後、田部京子によるモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏の続編を大いに期待したい。

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classicalmusic at 22:39コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

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本盤に収められたデニス・ブレインとカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団によるモーツァルトのホルン協奏曲は、同曲演奏史上最高の超名演として、現在においてもその地位にいささかの揺らぎがない歴史的な演奏と言えるだろう。

カラヤンは、後年、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後、首席奏者であったゲルト・ザイフェルトとともに同曲をスタジオ録音(1968年)しており、それも素晴らしい名演ではあるが、本盤の演奏の持つ後述のような独特の魅力には及んでいないのではないかと考えられるところだ。

また、同曲については、ホルン協奏曲の絶対数が少ないということもあって、これまで名うての名ホルン奏者がこぞって録音を行ってきている。

前述のゲルト・ザイフェルトだけでなく、シヴィル、ペーター・ダム、ヘーグナー、タックウェル、クレヴェンジャー、ティルシャルなど、いずれ劣らぬ個性的な名演を披露してはいるが、デニス・ブレインによる独特の魅力的な演奏には敵わないのではないかと考えられる。

デニス・ブレインのホルン演奏は、卓越したテクニックもさることながら、その音色の朗々たる美しさには際立ったものがあり、どこをとっても技巧臭がせず、コクのある豊かな情感が込められているのが素晴らしい。

旋律の歌い方もごく自然であり、演奏全体のスケール雄大で、線の細さなどいささかも感じられない骨太の音楽が構築されていると言っても過言ではあるまい。

この当時、デニス・ブレインは、若干32歳の若さではあったが、若さを感じさせない成熟した名演奏を展開していると言えるところであり、まさに天才の所業と言っても過言ではあるまい。

かかるデニス・ブレインの圧倒的なホルン演奏を下支えしているのが、若き日のカラヤンとフィルハーモニア管弦楽団による素晴らしい名演奏である。

本演奏でのカラヤンによるアプローチは、後年の演奏のようにレガートを駆使した流麗かつ重厚なものではなく、むしろ颯爽とした新鮮な息吹を感じさせる強靭な生命力が全体に漲っており、デニス・ブレインのホルン演奏を引き立てつつ、気迫に満ち溢れた爽快な名演奏を展開している点を高く評価したい。

音質は、モノラル録音ではあるが、これだけの歴史的な名演だけに、これまで疑似ステレオ化やリマスタリング盤、HQCD盤、LPからの板おこし盤など、数々の高音質化への取組が行われてきたところであり、それぞれに良好な音質に仕上がっている。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)ブレインカラヤン 

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マーラーの交響曲第5番は、今やマーラーの交響曲の中でも最も人気が高く、なおかつ演奏機会の多い作品となっていると言えるのではないだろうか。

それにはCD時代になって1枚に収録することが可能になったことが大きく作用していると考えられるが、それ以上に、オーケストレーションの巧みさや旋律の美しさ、感情の起伏の激しさなど、マーラーの交響曲の魅力のすべてが第5番に含まれていると言えるからに他ならない。

したがって、第5番については、これまで数々の海千山千の大指揮者によって個性的な名演が成し遂げられてきたが、特に、圧倒的な名演として高く評価されているのは、ドラマティックで劇的なバーンスタイン&ウィーン・フィル(1987年)やテンシュテット&ロンドン・フィル(1988年)による名演である。

これに対して、本盤に収められたバルビローリによる演奏は、それらの劇的な名演とは大きくその性格を異にしている。

もちろん、軟弱な演奏ではなく、ここぞという時の力強さに欠けているということはないが、演奏全体がヒューマニティ溢れる美しさ、あたたかさに満たされていると言えるだろう。

また、バルビローリは、テンポの思い切った振幅を効果的に駆使して、同曲が含有する各旋律をこれ以上は求め得ないほど徹底して心を込めて歌い抜いているが、その美しさには抗し難い魅力が満ち溢れている。

第4楽章などは、意外にも速めのテンポで一聴するとあっさりとした表情づけとも言えなくもない。

しかしながら、よく聴くと、そうした速めのテンポの中で各旋律を徹底して歌い抜くなど耽美的な絶対美の世界が構築されており、これはかのカラヤン&ベルリン・フィルの名演(1973年)にも比肩し得る美しさを誇っているとも言えるが、カラヤンの演奏が圧倒的な音のドラマであるのに対して、本演奏はヒューマニティ溢れる人間のドラマと言えるのではないだろうか。

もっとも、バルビローリのヒューマニティ溢れる指揮に対して、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団は、熱演ではあるもののアンサンブルの乱れが見られるなど、必ずしも技術的には万全な演奏を展開しているとは言い難いが、技術的に優れていたとしてもスコアに記された音符の表層をなぞっただけの演奏よりは、本演奏の方がよほど好ましいと言えるところであり、聴き終えた後の感動もより深いと言えるところだ。

いずれにしても、本演奏は、バルビローリが遺した数少ないスタジオ録音によるマーラーの交響曲の演奏の中でも、ベルリン・フィルとの第9番(1964年)と並ぶ至高の超名演と高く評価したい。

併録のリュッケルト歌曲集もベイカーの名唱も相俟って素晴らしい名演に仕上がっている。

音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前にリマスタリングが施されたことによってかなりの改善がみられたところであり筆者も当該リマスタリング盤を愛聴してきた。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、これまでの既発CDとは段違いの素晴らしさであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、バルビローリによる至高の超名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 00:52コメント(0)トラックバック(0)マーラーバルビローリ 

2014年10月11日


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カラヤンは、特にお気に入りの楽曲については何度も録音を繰り返したが、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」についてもその例外ではない。

DVD作品を除けば、ベルリン・フィルとともに本演奏を含め4度にわたって録音(1940、1957、1964、1977年)を行うとともに、ウィーン・フィルとともに最晩年に録音(1985年)を行っている。

いずれ劣らぬ名演であるが、カラヤンの個性が全面的に発揮された演奏ということになれば、カラヤン&ベルリン・フィルが全盛期にあった頃の本演奏と言えるのではないだろうか。

カラヤン&ベルリン・フィルは、クラシック音楽史上でも最高の黄金コンビであったと言えるが、特に全盛期でもあった1960年代から1970年代にかけての演奏は凄かった。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本演奏においてもいわゆる豪壮華麗なカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは健在。

冒頭のダイナミックレンジを幅広くとった凄みのある表現など、ドヴォルザークの作品に顕著なボヘミア風の民族色豊かな味わい深さは希薄であり、いわゆるカラヤンのカラヤンによるカラヤンのための演奏とも言えなくもないが、これだけの圧倒的な音のドラマの構築によって絢爛豪華に同曲を満喫させてくれれば文句は言えまい。

筆者としては、カラヤンの晩年の清澄な境地を味わうことが可能なウィーン・フィルとの1985年盤の方をより上位の名演に掲げたいが、カラヤンの個性の発揮という意味においては、本演奏を随一の名演とするのにいささかの躊躇をするものではない。

併録のスメタナの交響詩「モルダウ」も、カラヤンが何度も録音を繰り返した十八番とも言うべき楽曲であるが、本演奏も、聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりを窺い知ることが可能な素晴らしい名演だ。

音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言えるところであり、加えて先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところである。

そして、今般のシングルレイヤーによるSACD盤は、当該ハイブリッドSACD盤を遥かにに凌駕していると評しても過言ではあるまい。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても1970年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないほどの一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、カラヤンによる至高の超名演を、超高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0)カラヤンドヴォルザーク 

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マタチッチによる1984年のN響ライヴのXRCD盤がついに発売される運びとなったのは慶賀に堪えない。

収録曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番及び第7番、そしてブルックナーの交響曲第8番であり、既に本年3月にBlu-spec-CD盤で発売されているのと同一の音源である。

Blu-spec-CD盤は、従来盤とは次元の異なる鮮明な高音質であり、十分に満足できるものであったが、本XRCD盤はやや大人しめの音質であったBlu-spec-CD盤よりも更に音圧が加わったところであり、まさに理想的な究極の音質に生まれ変わったと言える。

あらためて、XRCDの潜在能力の高さを認識した次第であり、マタチッチによる歴史的な超名演を望み得る最高の音質で味わうことができることになったことを大いに歓迎したいと考える。

演奏内容は、定評ある名演だ(既にBlu-spec-CD盤のレビューに記したところであり、詳しくはそちらを参照されたい)。

ブルックナーの交響曲第8番におけるマタチッチのアプローチは、1990年代以降ブルックナー演奏の主流となった荘重なインテンポによる演奏ではない。

むしろ、速めテンポであり、そのテンポも頻繁に変化させたり、アッチェレランドを駆使したりするなど、ベートーヴェン風のドラマティックな要素にも事欠かない演奏となっている。

それでいて、全体の造型はいささかも弛緩することなく、雄渾なスケールを失っていないのは、マタチッチがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

このようなマタチッチの渾身の指揮に対して、壮絶な名演奏で応えたNHK交響楽団の好パフォーマンスも見事というほかはない。

いずれにしても、本演奏は、1980年代以前のブルックナーの交響曲第8番の演奏の中では、間違いなくトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

また、ベートーヴェンの交響曲第2番及び第7番についても、渾身の大熱演と言える。

マタチッチの手の動きを殆ど排したアイコンタクトによる指揮の下、NHK交響楽団が生命力溢れる壮絶な演奏を繰り広げているのが極めて印象的である。

アンサンブルなどに若干の乱れはみられるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

スケールも雄渾の極みであり、聴き終えた後の高揚感や充足感には尋常ならざるものがある。

いずれにしても、巨匠マタチッチによる渾身の名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)マタチッチブルックナー 

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現代を代表する人気女流ヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーンの凛とした純度の高い美しい音色の魅力を堪能できる選曲と録音。

ヒラリー・ハーンのチャイコフスキーということで、筆者も聴く前から大いに期待していたが、その期待を裏切らない素晴らしい名演だと思う。

そのメインのチャイコフスキーであるが、情感が満ち溢れる実に濃厚な演奏だ。

抒情的な箇所の心の込め方も尋常ではない美しさに満ち溢れている。

それでいて、例えば、ムター&カラヤン盤(筆者は、名演と高く評価しているが)のように、土俗的な民族臭を際立たせるようなことはしていない。

ムターと同様に、自由奔放なアプローチをしているように一見して思われるが、上品さを決して失うことが些かもないのである。

こうした濃厚な表情づけと上品さの見事なコラボレーションこそが、ヒラリー・ハーンの類稀なる気高い芸風であると言えるだろう。

決して大きな音でヴァイオリンをうならせていないのに迫力にも欠くことなく、情感に満ち溢れた心に染みる表現力は本当に素晴らしい。

ヴァイオリン奏者として成熟したヒラリー・ハーンの完全無欠のテクニックに支えられて、聴く人の心の中に雄大な響きを奏でるかのようだ。

もちろん、終楽章の確かな技巧も聴きものであり、通常使用されるアウアー版ではなく、オリジナル版を使用した点も、本名演の価値を大いに高めるのに貢献している。

ヒラリー・ハーンの演奏は聴き慣れた楽曲でも違う方面から光が当てられ常に新鮮なアプローチがなされていて、いつも楽しませてくれる。

併録のヒグドンを筆者は今回初めて耳にしたが、ヒグドンは現今アメリカ合衆国で人気の女性作曲家とのことであり、いかにも現代風の前衛的な箇所と豊かな抒情がミックスされた名曲だと思った。

こうした同曲の特徴は、前述のようなヒラリー・ハーンの芸風とぴったり符合しており、ヒグドンがヒラリー・ハーンに同曲を捧げた理由がよくわかる。

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2014年10月10日


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本盤には、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番という、性格も作曲年代も大きく異なる楽曲どうしが収められている。

このような意外な組み合わせをしたCDは本盤が初めてであると思うが、それだけにヴァイオリニストの実力のほどが試される1枚と言えるだろう。

このカップリングを主導したのがメーカー側なのか、それともヒラリー・ハーンなのかは不詳であるが、仮にヒラリー・ハーンであるとすれば、それは並々ならぬ自信ということになるであろう。

それはさておき、演奏については、やはりメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が素晴らしい名演だ。

1979年に生まれ米国で育ったヒラリー・ハーンは、本演奏の当時はいまだ23歳の若さであったが、楽曲が、メロディーの美しさが売りの同曲だけに、むしろ若さが大きくプラスに働いている。

卓越した技量の持ち主でもあるヒラリー・ハーンであるが、それに若手女流ヴァオリニストならではの繊細で優美な情感を交えつつ、同曲の魅力を十二分に味わわせてくれるのが素晴らしい。

いささか線の細さを感じずにはいられないところであるが、楽曲がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だけに、そのような欠点は殆ど際立つことはなく、同曲の持つ美しい旋律の数々が繊細かつ優美に歌い抜かれているのは見事というほかはない。

もっとも、終楽章の終結部においては、畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が漲っており、必ずしも優美さ一辺倒の演奏に陥っているわけではない点にも留意しておく必要がある。

ヒラリー・ハーンによるかかるヴァイオリン演奏をしっかりと下支えしているのがヒュー・ウルフ&オスロ・フィルによる演奏である。

必ずしも超一流の指揮者とオーケストラでなく、むしろ軽快とも言えるような演奏を展開しているが、いささか線の細さを感じさせるヒラリー・ハーンのヴァイオリン演奏の引き立て役としてはむしろ理想的と言えるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、ヒラリー・ハーンが気鋭の若手ヴァイオリニストとして脚光を浴びていた時代を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。

他方、ショスタコーヴィチのヴァオリン協奏曲第1番は、大変美しい演奏であるとは言えるが、今一つ踏み込み不足の感が否めないところだ。

オイストラフに捧げられた同曲であるが、その楽曲の内容は、諧謔的かつ深遠であり、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のように、スコアに記された音符の表層を丁寧に音化していくだけでは、到底その真価を描出することはできない。

同曲は、旧ソヴィエト連邦という、現在の北朝鮮のような国で、ひたすら死と隣り合わせの粛清の恐怖を味わった者だけが共有することが可能な絶望感などに満たされていると言えるところであり、よほどのヴァイオリニストでないと、同曲の魅力を描き出すことは困難であるとも言える。

当時いまだ23歳で、米国で生活してきたヒラリー・ハーンには、同曲のかかる深遠な内容を抉り出すこと自体がなかなかに困難というものであり、ヒラリー・ハーンには、今後様々な経験を重ねてから、再び同曲の演奏・録音に挑戦していただきたいと考えているところだ。

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classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0)ヒラリー・ハーンメンデルスゾーン 

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グールドによるバッハのピアノ曲演奏の一連の録音は、いずれも歴史的な名演と言えるところであるが、本盤に収められたトッカータ集も素晴らしい名演だ。

それにしても、本演奏は個性的だ。

トッカータは、バッハの作品の中では比較的マイナーな存在で、しかも全7曲でCD2枚分を要する比較的長い楽曲であるだけに、聴き手にいかに飽きさせずに聴かせるのかが必要となってくる。

しかしグールドの演奏の場合は、次の楽想においてどのような解釈を施すのか、聴いていて常にワクワクさせてくれるという趣きがあり、長大さをいささかも聴き手に感じさせないという、いい意味での面白さ、そして斬新さが存在している。

もっとも、演奏の態様は個性的でありつつも、あくまでもバッハがスコアに記した音符を丁寧に紐解き、心を込めて弾くという基本的なスタイルがベースになっており、そのベースの上に、いわゆる「グールド節」とも称されるグールドならではの超個性的な解釈が施されていると言えるところだ。

そしてその心の込め方が尋常ならざる域に達していることもあり、随所にグールドの歌声が聴かれるのは、ゴルトベルク変奏曲をはじめとしたグールドによるバッハのピアノ曲演奏の特色とも言えるだろう。

こうしたスタイルの演奏は、聴きようによっては、聴き手にあざとさを感じさせる危険性もないわけではないが、グールドのバッハのピアノ曲の演奏の場合はそのようなことはなく、超個性的でありつつも豊かな芸術性をいささかも失っていないのが素晴らしい。

これは、グールドが前述のように緻密なスコア・リーディングに基づいてバッハのピアノ曲の本質をしっかりと鷲掴みにするとともに、深い愛着を有しているからに他ならないのではないかと考えている。

グールドによるバッハのピアノ曲の演奏は、オーソドックスな演奏とは到底言い難い超個性的な演奏と言えるところであるが、多くのクラシック音楽ファンが、バッハのピアノ曲の演奏として第一に掲げるのがグールドの演奏とされているのが凄いと言えるところであり、様々なピアニストによるバッハのピアノ曲の演奏の中でも圧倒的な存在感を有していると言えるだろう。

諸説はあると思うが、グールドの演奏によってバッハのピアノ曲の新たな魅力がより一層引き出されることになったということは言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本盤のトッカータ集の演奏は、グールドの類稀なる個性と芸術性が十二分に発揮された素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)バッハグールド 

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この2曲のこれだけ神々しい演奏は他に類例を見ない、まさに決定的名盤である。

この演奏にはいわゆる美しいモーツァルトの姿は微塵もなく、まるでモーツァルトの心の内面を抉り出すような、曝け出したしたかのような強い演奏である。

ハスキルはモーツァルト弾きとして通常は知的な演奏を得意としていたが、この録音は明らかに違う。

ハスキルのピアノは、緩徐楽章における人生の諦観とともに、特に、両端楽章にはどこか切羽詰まった気迫のようなものが感じられるのが実に興味深い。

こうした感情の露出が大きい個性の強い表現、芯の強い表現は、他にはギーゼキングとカラヤンが共演したモノラル盤以外に殆ど類例がない。

両曲とも最初の前奏から少々ビックリするような悲劇的表現で曲は開始されるが、ビアノが始まるとさらに内面深く落ち込んでゆく。

しかし聴き込んでいくとそこにモーツァルトの真の姿を見るような思いが湧き出てくるのである。

モーツァルトがハスキルに乗り移り,彼女の指を使って自作自演をしているようでもあり、特にハ短調協奏曲は突然ぶっきらぼうに終演して、悲劇の中に光明を見るような演奏になっている。

本演奏は、ハスキルの死の1か月前の録音であるが、モーツァルトの数少ない短調のピアノ協奏曲を2曲セットにしたカップリングにも、何か運命めいたものを感じさせる。

ハスキルは、自分が譜面から読み取った音楽を、完全に自分の方法で、淡々と、朴訥に、弾いているのだ。

そして、淡々と誠実に弾かれているパッセージのところどころから、ハスキルの決して幸福ではなかった人生から来る孤高の悲しみのようなものが伝わってくる。

情感の豊かさも相当なものがあるが、決して哀嘆調には陥らず、高踏的なピアニズムと気品を失っていない点も素晴らしい。

まさに、ハスキルの貴重な遺言とも言える至高・至純の境地に達した名演と高く評価したい。

マルケヴィチの指揮は、実に堂の入った巨匠風の指揮ぶりであり、当時の手兵であるコンセール・ラムルー管弦楽団を見事に統率して、最善のサポートを行っている。

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2014年10月09日


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ワルターは80歳で現役を引退したが、その後CBSの尽力により専属のオーケストラ、コロンビア交響楽団が結成され、その死に至るまでの間に数々のステレオによる録音が行われたのは何という幸運であったのであろうか。

その中には、ベートーヴェンの交響曲全集も含まれているが、ワルターとともに3大指揮者と称されるフルトヴェングラーやトスカニーニがステレオ録音による全集を遺すことなく鬼籍に入ったことを考えると、一連の録音は演奏の良し悪しは別として貴重な遺産であるとも言える。

当該全集の中でも白眉と言えるのは「第2」と「田園」ではないかと考えられる。

とりわけ、本盤に収められた「田園」については、同じくワルター指揮によるウィーン・フィル盤(1936年)、ベーム&ウィーン・フィル盤(1971年)とともに3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

本演奏は、どこをとっても優美にして豊かな情感に満ち溢れており、「田園」の魅力を抵抗なく安定した気持ちで満喫させてくれるのが素晴らしい。

オーケストラは、3強の中で唯一ウィーン・フィルではなくコロンビア交響楽団であるが、ワルターの確かな統率の下、ウィーン・フィルにも匹敵するような美しさの極みとも言うべき名演奏を披露している。

スケールの大きさにおいては、ベーム盤に一歩譲ると思われるが、楽曲全体を貫く詩情の味わい深さにおいては、本演奏が随一と言っても過言ではあるまい。

もっとも、第4楽章の強靭さは相当な迫力を誇っており、必ずしも優美さ一辺倒の単調な演奏に陥っていない点も指摘しておきたい。

なお、ワルターによる1936年盤は録音の劣悪さが問題であったが、数年前にオーパスによって素晴らしい音質に復刻された。

演奏内容自体は本演奏と同格か、さらに優れているとも言える超名演であるが、現在ではオーパス盤が入手難であることに鑑みれば、本演奏をワルターによる「田園」の代表盤とすることにいささかの躊躇もするものではない。

他方、「第5」は、いささか疑問に感じる点がないと言えなくもない。

というのも、第1楽章冒頭の有名な運命の動機について、1度目の3連音後のフェルマータよりも2度目の3連音後のフェルマータの方を短くする演奏様式が、これはLP時代からそう思っているのであるがどうしても納得がいかないのである。

また、演奏全体としても、同時代に活躍したフルトヴェングラーやクレンペラーによる名演と比較するといささか重厚さに欠けると言わざるを得ないだろう。

しかしながら、ベートーヴェンを威圧の対象としていないのは好ましいと言えるところであり、そのヒューマニティ溢れる温かみのある演奏は、近年のピリオド楽器や古楽器奏法による演奏などとは別次元の味わい深い名演と高く評価したい。

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数年前に惜しまれつつ解散をしてしまったアルバン・ベルク弦楽四重奏団(ABQ)であるが、ABQはベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を2度に渡って録音している。

最初の全集が1978年〜1983年のスタジオ録音、そして2度目の全集が本盤に収められた1989年に集中的に行われたライヴ録音だ。

このうち、演奏の安定性や普遍性に鑑みれば、筆者としては最初の全集の方をABQによるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の代表盤と評価したいと考えているが、2度目の録音についてはライヴ録音ならではの熱気と迫力が感じられる優れた名演であるとも言えるところであり、こちらも捨て難い。

それどころか、あらゆる弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の中でも、トップの座を争う至高の名全集と高く評価したい。

本演奏におけるABQのアプローチは、卓越した技量をベースとした実にシャープと言えるものだ。

楽想を徹底して精緻に描き出して行くが、どこをとっても研ぎ澄まされたリズム感と緊張感が漂っており、その気迫溢れる演奏には凄みさえ感じさせるところである。

それでいて、ABQがウィーン出身の音楽家で構成されていることに起因する独特の美しい音色が演奏全体を支配しており、とりわけ各楽曲の緩徐楽章における情感の豊かさには抗し難い美しさが満ち溢れている。

すべての楽曲がムラのない素晴らしい名演であるが、とりわけABQのアプローチが功を奏しているのは第12番以降の後期の弦楽四重奏曲であると言えるのではないだろうか。

ここでのABQの演奏は、楽曲の心眼を鋭く抉り出すような奥深い情感に満ち溢れていると言えるところであり、技術的な完成度の高さとシャープさ、そして気宇壮大さをも併せ持つこれらの演奏は、まさに完全無欠の名に相応しい至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質は1989年のライヴ録音であるが、EMIにしては比較的良好な音質である。

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2014年10月08日


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ルドルフ・ブッフビンダーは1946年生まれのウィーン育ちのピアニスト。

戦後派を代表する数少ないドイツ=オーストリア系の気鋭のピアニストである。

日本での評価がいまひとつなのは残念であるが、とにかく一聴をお薦めする。

実力派のベートーヴェン弾きとしての長い演奏経験を踏まえた、しっかりした音楽構成と迷いの無い確信に満ちたタッチ、そして堂々たるダイナミズムで大家の風格を感じさせる価値の高い全集だ。

この全集の妙味は、まずその音のクオリティの高さにあろう。

いっさいの混濁を省き、クリアな音像のなかで、デュナーミクの指示が原典に忠実に、そして目一杯に生かされ、そのなかから重厚かつ繊細きわまりないベートーヴェンが立ち現れる。

全体にペダルを控えめにした演奏であるが、その使用を巧妙に隠していると思われるフシもあり、ペダルの超絶技巧とも言える。

ことに初期作品ではそれはすばらしい成果を上げているし、中期作品以降でのペダルの実験的な使用も、作曲年代に鑑みた解釈の点で、納得のいく処理を常に見せている。

そして、特にソナタ演奏における現代的なスタイルとは何かといろいろ聴いたうち、楽譜=テクストへの批判的態度と演奏密度が、もっとも理想的に結び合っているのが、ブッフビンダーの演奏なのである。

とりわけ手稿譜のファクシミリからフランツ・リスト校訂版などに至る、現存する様々なソナタの楽譜に対する奏者の熱心な研究は周到で興味深い。

現代のピアノで演奏するという前提をあくまでも認識した上で行われた演奏で、その楽器の特質を充分に生かしつつ、例えば、デュナーミクの対照性や打鍵の機能性、果ては「ワルトシュタイン」第3楽章の冒頭などにおけるソステヌート・ペダルの使用という点に到るまで、初期作品にはけっしてダンパー・ペダルを意識させることなく、絶妙にカムフラージュしながら用いる技術のすばらしさなど、これこそドイツ=オーストリアの伝統を今日に継承した類稀な演奏である。

ブッフビンダーは若い頃からソロだけでなく、アンサンブルや伴奏の分野でも幅広く活動を続けてきたが、そうした活動がより客観的な、しかし一方では豊かで自在なニュアンスを含んだ独自のベートーヴェン像を実現させたのかもしれない。

奇を衒った表現ではなく、音楽的にも技術的にも安定した深みのある演奏が秀逸だ。

心洗われるようなベートーヴェンで、これを聴くと他のお歴々の演奏はみな、厚化粧の年増の長話のように聴こえてしまう。

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2014年10月07日


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ヨッフムは、ブルックナーの交響曲全集を2度にわたってスタジオ録音している。

この記録は、朝比奈が1990年代に3度目の全集を録音するまでは破られることがなかったものであるが、いずれにしてもこれはブルックナーの権威でもあったヨッフムの面目躍如とも言うべき立派な業績であると考えられる。

両全集ともに素晴らしい名全集であると言えるところであり、両者の優劣を比較することは困難を極めるが、2度目の全集(1975〜1980年)がEMIによる決して万全とは言い難い音質であることを考慮に入れると、筆者としては1958〜1967年にかけて録音が行われた本盤の最初の全集の方をわずかに上位に掲げたいと考えている。

本全集の各交響曲の演奏におけるヨッフムのアプローチは、1990年代になってヴァントや朝比奈が確立した、悠揚迫らぬインテンポによる荘重な演奏とは大きく異なっている。

むしろ、驚くほどテンポの変化を加えており、旋律もたっぷりと情緒豊かに歌わせるなど、ロマンティシズムの色合いさえ感じさせるほどだ。

ブラスセクションなどの最強奏は、後年のヴァントや朝比奈にも通じるものがあるが、壮絶にしてドラマティックな要素をも兼ね備えているのが独特である。

したがって、ヴァントや朝比奈の演奏に慣れ親しんだ耳で聴くと、いささかやり過ぎの印象を与えるとともに、スケールがやや小型であるというきらいもないわけではないが、それでいてブルックナーの音楽の魅力を十分に描出するのに成功しているというのは、ヨッフムがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

どの交響曲も水準以上の名演であるが、とりわけ第1番、第2番は素晴らしい超名演であるとともに、第6番については、同曲の演奏史上でも今なおトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

というのも、これらのブルックナーの交響曲の中でも比較的規模が小さい交響曲においては、前述のようなヨッフムのアプローチがすべてプラスに働いているからである。

他方、第7番や第8番については、より壮大なスケール感が欲しいという気もするが、それはあくまでも高い次元での問題であり、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

第9番も、さすがに同曲最高の名演とは言い難いが、それでもベルリン・フィルの強力なブラスセクションを十二分に活かした壮絶な表現は、後年のヨッフムのシュターツカペレ・ドレスデン(1978年)やミュンヘン・フィル(1983年)との演奏をはるかに凌駕する圧倒的な迫力を誇っており、現在でもなお十分に存在感を誇る名演に仕上がっていると高く評価したい。

録音も、ベルリン・イエス・キリスト教会やミュンヘン・ヘルクレスザールの豊かな残響を効果的に生かした素晴らしい音質を誇っており、前述のように後年のEMIの録音をはるかに凌駕している。

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本盤には、シェーンベルクとシベリウスのヴァイオリン協奏曲という、20世紀に作曲された名作の演奏が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

まずは、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンの演奏が素晴らしい。

ここでのヒラリー・ハーンのアプローチは、一音一音を蔑ろにすることなく精緻に曲想を描きだしていくというものだ。

聴き手を驚かすような奇手を繰り出すことは薬にしたくもなく、むしろ地味な演奏のようにも感じさせられるほどだ。

超絶的な技量は存分に発揮されてはいるが、無機的な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても内容にコクがあり豊かな情感を失っていない点を高く評価したい。

また、音色の美しさにも出色のものがあり、その艶やかな響きはヒラリー・ハーンの面目躍如たるものと言えるだろう。

したがって、12音技法で作曲されたシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲においては、晦渋さが相当程度緩和され、いい意味での明朗で、なおかつ滋味溢れる演奏に仕上がっているのが見事である。

他方、シベリウスのヴァイオリン協奏曲においては、北欧の大自然を彷彿とさせるような透明感溢れる清澄な美しさというよりは、むしろ明瞭で艶やかな響きが支配しており、その骨太でコクのある音色はシベリウスの協奏曲をそれこそベートーヴェンやブラームスの協奏曲の領域にまで引き上げるほどの奥行きの深さを湛えていると言っても過言ではあるまい。

このようなヒラリー・ハーンのヴァイオリンを下支えしているサロネン&スウェーデン放送交響楽団による名演奏も、本盤の大きな魅力の一つであると言えるだろう。

北欧フィンランドの出身であるとともに、現代音楽も自己薬籠中にしているサロネンだけに、両曲ともにスウェーデン放送交響楽団を巧みにドライブして、整然とした中にも情感の豊かさをいささかも失うことのない充実した演奏を展開している点を高く評価したい。

録音は、ヒラリー・ハーンの精緻なヴァイオリン演奏を鮮明に捉えており、十分に満足し得る音質である。

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2014年10月06日


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本盤の売りは、全盛期のシカゴ交響楽団の超絶的な技量とXRCDによる極上の高音質録音である。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントな金管楽器の朗々たる響き、高弦の美しい響き、迫力満点のティンパニの轟きなど、ライナー時代のシカゴ交響楽団がいかにスーパーオーケストラであったのかがわかるような演奏内容になっている。

シカゴ交響楽団と言えば、ショルティの時代におけるスーパー軍団ぶりが記憶に新しいところだ。

このコンビによる来日時のマーラーの交響曲第5番を聴いたことがあるが、実演であるにもかかわらず一切のミスをしない鉄壁のアンサンブルや、各管楽セクションの超絶的な技量、そして金管楽器の大音量に度肝を抜かれたものであった。

ハーセスやクレヴェンジャーなどのスタープレイヤーが揃っていたこともあるが、それ以上にショルティの薫陶にも多大なものがあったと言えるのではないだろうか。

ただ、ショルティがかかるスーパー軍団を一から作り上げたというわけでなく、シカゴ交響楽団に既にそのような素地が出来上がっていたと言うべきであろう。

そして、その素地を作っていたのは、紛れもなくライナーであると考えられる。

それは、本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第7番の演奏を聴くとよくわかるはずだ。

オーケストラのアンサンブルの鉄壁さは言うに及ばず、金管楽器や木管楽器の力量も卓越したものがあり、ここぞという時の迫力(とりわけ第4楽章)も圧倒的である。

もっとも、ショルティ時代よりも演奏全体に艶やかさがあると言えるところであり、音楽性という意味では先輩ライナーの方に一日の長があると言えるだろう。

こうしたライナー指揮によるシカゴ交響楽団による素晴らしい演奏を完璧に捉えきったXRCDによる極上の高音質録音も素晴らしい。

特に弦楽合奏の艶やかな響きには抗し難い魅力があり、とても今から半世紀も前の録音とは思えないような鮮明さを誇っている。

同じアメリカのオーケストラにおいても、オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団はシルキーな音色を特徴としていたし、セル指揮のクリーヴランド管弦楽団は、鉄壁のアンサンブルをベースとしたセルの楽器とも称される室内楽的で精緻な音色を誇っていた。

ライナー&シカゴ交響楽団も、本XRCD盤を聴くと、それらのオーケストラにも対抗し得るだけの独特の艶やかな音色を持っていたことがよく理解できるところであり、あらためて、XRCDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

以上は、本XRCD盤の長所について指摘したが、演奏自体は必ずしも深みのあるものではなく、その意味ではスコアに記された音符の表層を取り繕っただけの速めのテンポによる薄味ないささか外面的な演奏と酷評する聴き手も多いと思われる。

もっとも、筆者としては、外面的な効果がより一層際立った第5番よりはかかるアプローチも比較的成功しているのではないかと考えており、前述のようなXRCDによる極上の高音質を加味すれば、本盤全体としては文句のつけようがない水準に達していると高く評価したいと考える。

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classicalmusic at 22:13コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンライナー 

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ルービンシュタインによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、第5番「皇帝」と言えば、何と言っても88歳の時にバレンボイム&ロンドン・フィルと組んで録音した1975年盤が随一の名演とされている。

これ以外にも、クリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアと組んだ1956年盤もあるが、本盤に収められた演奏はそれらの中間にあたる2度目の録音であり、バレンボイムとクリップスとの狭間に咲いた夜来香とも言えよう。

この時にも既にルービンシュタインは76歳に達しており、1975年盤において顕著であったいわゆる大人(たいじん)としての風格は十分である。

そして、超絶的なテクニックにおいては、衰えがいささかも見られないという意味においては1975年盤よりも本演奏の方が上である。

76歳とは思えないテクニックに驚かされるが、さすが、巨匠円熟の色気は圧倒的存在感だ。

もちろん大人としての風格は1975年盤の方がやや勝っており、あとは好みの問題と言えるのではないだろうか。

もちろん、筆者としては、1975年盤の方を随一の名演に掲げたいが、本演奏もそれに肉薄する名演として高く評価したいと考える。

ルービンシュタインの演奏は、その卓抜したテクニックはさることながら、どのフレーズをとっても豊かな情感に満ち溢れており、スケールも雄渾の極み。

巷間言われているように、まさに「皇帝」そのものの演奏と言えるだろう。

ルービンシュタインの演奏を聴いていると、近年流行りの古楽器奏法であるとかピリオド楽器の使用による演奏が実に小賢しいものに思えてくるところであり、何らの小細工も施さずに堂々たるピアニズムで弾き抜いた本演奏(1975年盤も)こそは、真の「皇帝」として崇高な至純の高みに達している。

ラインスドルフ&ボストン交響楽団も、ルービンシュタインのピアノに率いられるかのように、常々の即物的な解釈は影を潜め、重厚ではあるが情感の豊かさを損なっていないのが素晴らしい。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンルービンシュタイン 

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セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」との称されるように、オーケストラの各セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。

したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであったが、その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。

もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになり、前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていた。

ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。

本盤に収められたシューマンの交響曲第2番や第4番、そしてウェーバーの「オベロン」序曲においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開しているが、いささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものである。

もっとも、第2番はシノーポリ&ウィーン・フィルによる演奏(1983年)、第4番はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1953年)がベストの名演であり、「オベロン」序曲は、セルの死の年の来日時のコンサートライヴ(1970年)の方がより優れた名演であることから、本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難いが、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)セルシューマン 

2014年10月05日


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セル&クリーヴランド管弦楽団の演奏は、「セルの楽器」との称されるように、オーケストラの各楽器セクションが一つの楽器のように響くという精緻なアンサンブルを誇っていた。

したがって、その演奏の精密な完璧さという意味では比類のないものであったが、その反面、1980年代半ば以前のショルティの多くの演奏のように呼吸の浅い浅薄さには陥っていないものの、いささか血の通っていないメカニックな響きや、凝縮化の度合いが過ぎることに起因するスケールの小ささなど、様々な欠点が散見されることは否めないところだ。

もっとも、1960年代後半になりセルも晩年に差し掛かると、クリーヴランド管弦楽団の各団員にもある種の自由を与えるなど、より柔軟性のある演奏を心掛けるようになり、前述のような欠点が解消された味わい深い名演を成し遂げるようになるのであるが、本演奏が行われた当時は、一般的には晩年の円熟とは程遠い演奏を繰り広げていた。

ただ、そのようなセルも、シューマンとドヴォルザークの交響曲に関しては、これらの楽曲への深い愛着にも起因すると思われるが、晩年の円熟の芸風に連なるような比較的柔軟性のある演奏を行っていたと言えるのではないだろうか。

本盤に収められたシューマンの交響曲第1番や第3番、「マンフレッド」序曲においても、いわゆる「セルの楽器」の面目躍如とも言うべき精緻なアンサンブルを駆使して極めて引き締まった演奏を展開しているが、いささかもメカニックな血も涙もない演奏には陥っておらず、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、格調の高さにおいても比類のないものがあり、いい意味での知情バランスのとれた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

セル独自の改訂もいささかの違和感を感じさせない見事なものである。

もっとも、第1番はクレンペラー&フィルハーモニア管による演奏(1966年)、第3番はシューリヒト&パリ音楽院管による演奏(1953年)又はジュリーニ&ロサンゼルス・フィルによる演奏(1980年)、「マンフレッド」序曲はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる演奏(1949年)がそれぞれベストの名演であり、本演奏は名演ではあるもののそれぞれの楽曲演奏史上最高の名演とは言い難いが、シューマンの交響曲全集として見た場合においては、サヴァリッシュ&ドレスデン国立管(1972年)やバーンスタイン&ウィーン・フィル(1984、1985年)による全集と同様に、最大公約数的には極めて優れた名全集と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

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本セットには、ムターとオーキスが1998年に行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲録音(ライヴ録音)を収められている。

かつては巨匠カラヤンの指導の下、10代でデビューしたムターは、カラヤン&ベルリン・フィルという土俵の上で懸命な演奏を行っていたところであるが、1989年にカラヤンが鬼籍に入った後の1990年代に入ってからはその素質や個性を大きく開花させ、個性的な演奏の数々を披露するようになったところである。

ムターのヴァイオリン演奏は、他の多くの女流ヴァイオリニストのように抒情的な繊細さや優美さで勝負するものではない。

一部の女流ヴァイオリニストによる演奏において聴かれるような線の細さなどはいささかも感じさせることはなく、常に骨太で明朗な音楽の構築に努めているようにも感じられるところだ。

もっとも、かような明朗さを旨とする演奏にはいささか陰影に乏しいと言えなくもないが、ムターの年齢を考えるとあまり贅沢は言えないのではないかとも考えられる。

本演奏においても、そうした骨太で明朗な音楽づくりは健在であり、加えて、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げている。

それでいて、お涙頂戴の感傷的な哀嘆調に陥ることは薬にしたくもなく、常に格調の高さをいささかも失うことがないのがムターのヴァイオリン演奏の最良の美質であり、これはムターの類稀なる豊かな音楽性の賜物であると考えられるところだ。

加えて、卓越した技量においても申し分がないところであるが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしい。

また、ライヴ録音ということもあって、各楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような熱い生命力においてもいささかの不足はないところだ。

このようなムターによる卓越したヴァイオリン演奏の引き立て役として、オーキスによるピアノ演奏も理想的であると言えるところであり、いずれにしても本演奏は、ムターによる円熟の個性的なヴァイオリン演奏を味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は1998年のライヴ録音ではあるが十分に満足できるものである。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンムター 

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本盤に収められたメンデルスゾーンの交響曲第4番&第5番は、トスカニーニ&NBC交響楽団による数多くの録音の中でも、レスピーギのローマ三部作と並んでトップの座に君臨する名演と言える。

とりわけ交響曲第4番については、様々な指揮者による同曲のあらゆる演奏に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

トスカニーニの演奏にはある種の誤解がなされていると言えるのではないだろうか。

その誤解とは、トスカニーニは一切の情緒を差し挟まむことなく、快速のインテンポで素っ気ない演奏をする指揮者であるということだ。

しかしながら、本盤も含め、杉本一家氏がリマスタリングを行ったXRCDシリーズを聴くと、それがとんでもない誤解であることがよく理解できるところである。

かかる誤解は、以前に発売されていたCDの、きわめて劣悪でデッドな音質に起因するのではないかとも考えられるところだ。

それにしても、本盤のようなXRCDによる極上の高音質録音で聴くと、トスカニーニが臨機応変にテンポ設定を行ったり、豊かな情感にもいささかも不足をしていないことがよくわかる。

それにしても、特にこの第4番の演奏には凄まじいものがある。

演奏全体に漲っている気迫と力強い生命力は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

とりわけ、終楽章の終結部に向けての畳み掛けていくような力強さは灼熱のような燃焼度を誇っており、聴いていて手に汗を握るほどだ。

また、第2楽章などを中心として随所に聴くことが可能な極上のカンタービレは美しさの極みであり、抗し難い魅力に満ち溢れている。

いずれにしても、本演奏にはトスカニーニの芸術のすべてが表現し尽くされていると言えるところであり、今般のXRCD化によってはじめて本演奏の真価のベールを脱いだと言っても過言ではあるまい。

他方、交響曲第5番も名演であるが、第4番のようにトスカニーニの演奏が随一とは言い難い面がある。

しかしながら、第1楽章における圧倒的な高揚感、終楽章における悠揚迫らぬテンポによるスケールの雄大な音楽は、これまでの「快速のインテンポ指揮者トスカニーニ」との誤解を打ち破るのに十分な圧倒的な壮麗さと威容を誇っていると高く評価したい。

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2014年10月04日


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一昨年(2011年)はベーム没後30年であった。

生前は、とりわけ我が国において、当時絶頂期にあったカラヤンに唯一対抗し得る大指揮者として絶大なる人気を誇っていたが、歳月が経つにつれて、徐々に忘れられた存在になりつつあるというのは残念でならないところである。

本盤には、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」(及び2つの序曲)が収められているが、ベームの偉大な芸術を再認識させてくれる素晴らしい名演だ。

ベームによる本演奏は、重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型は例によってきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体として非常にゆったりとしたものである。

演奏は、1971年のスタジオ録音であり、これはベームが最も輝きを放っていた最後の時期の演奏であるとも言える。

ベームは、とりわけ1970年代半ば過ぎになると、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。

本演奏は、ワルター&ウィーン・フィルによる演奏(1936年)、ワルター&コロンビア交響楽団による演奏(1958年)と並んで3強の一角を占める至高の超名演と高く評価したい。

本演奏の基本的な性格は前述のとおりであるが、第4楽章の畳み掛けていくような力強さや、終楽章の大自然への畏敬の念を感じさせるような崇高な美しさには出色ものがあり、とりわけウィンナ・ホルンなどの立体的で朗々たる奥行きのある響きには抗し難い魅力がある。

ウィーン・フィルによる名演奏も大きく貢献していると言えるところであり、その演奏は、まさに美しさの極みであり、ベームの重厚でシンフォニック、そして剛毅とも言える演奏に適度な潤いと深みを与えているのを忘れてはならない。

音質は、1971年のスタジオ録音であるが、従来盤でも十分に満足できるものである。

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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、チェロ協奏曲の王様とも言うべき不朽の名作であり、それ故に古今東西の様々なチェリストがこぞって演奏・録音を行ってきた。

それだけに、名演には事欠くことはなく、本稿にも書ききれないほどの数多い名演が存在している。

カザルスと並んで20世紀最大のチェリストと称されたロストロポーヴィチも、同曲の録音を繰り返し行っており、ターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏(1952年(本盤))を皮切りとして、ハイキン&モスクワ放送交響楽団との演奏(1956年)、カラヤン&ベルリン・フィルとの演奏(1968年)、ジュリーニ&ロンドン・フィルとの演奏(1977年)、そして小澤&ボストン交響楽団との演奏(1985年)の5度にわたってスタジオ録音を行っている。

その他にもライヴ録音も存在しており、これは間違いなくあらゆるチェリストの中でも同曲を最も多く録音したチェリストと言えるのではないだろうか。

これは、それだけロストロポーヴィチが同曲を深く愛するとともに、満足できる演奏がなかなか出来なかった証左とも言えるところだ。

ロストロポーヴィチは、小澤との1985年の演奏の出来に大変満足し、当該盤のレコード会社であるエラートに、今後2度と同曲を録音しないという誓約書まで書いたとの噂も伝えられているところである。

したがって、ロストロポーヴィチの円熟のチェロ演奏を聴きたいのであれば1985年盤を採るべきであろうが、オーケストラ演奏なども含めた演奏全体を総合的に考慮に入れると、筆者としては、本盤に収められたターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏を随一の名演に掲げたいと考える。

それどころか、異論は十分に予想されるが、筆者としては、本演奏こそがこれまでの同曲のあらゆる演奏のトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したいと考えているところだ。

本演奏でのロストロポーヴィチのチェロ演奏は凄まじい。

1985年盤のような味わい深さは存在していないが、重厚な迫力においては本演奏の方がはるかに上。

重心の低い重低音は我々聴き手の度肝を抜くのに十分であるし、同曲特有のボヘミア風の抒情的な旋律の数々も心を込めて情感豊かに歌い抜いている。

卓越した技量は殆ど超絶的とも言えるところであり、演奏全体に漲っている強靭な気迫や生命力は圧倒的で、ほとんど壮絶ささえ感じさせるほどだ。

確かに、1985年盤などと比較するといささか人工的とも言うべき技巧臭や、ロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせるきらいもないわけではないが、これだけの圧倒的な名演奏を堪能させてくれれば文句は言えまい。

そして、ロストロポーヴィチの圧倒的なチェロ演奏にいささかも引けを取っていないのがターリッヒ&チェコ・フィルによるこれまた圧倒的な豪演である。

これにロストロポーヴィチのチェロが加わった演奏は、時に地響きがするほどの迫力を誇っており、指揮者、チェリスト、オーケストラの3者に最高の役者が揃い踏みした本演奏は、まさに豪華絢爛にして豪奢な壮大な音の建造物と言っても過言ではあるまい。

ロストロポーヴィチのチェロ演奏にある種の人工的な技巧臭を感じる聴き手がいることも十分に想定できるところであるが、これほど協奏曲の醍醐味を感じさせてくれる演奏は他に類例を見ない希少なものと言えるところであり、筆者としては、前述のように、本演奏こそはドヴォルザークのチェロ協奏曲演奏史上でも最高の超名演と高く評価したい。

併録のシューマンのチェロ協奏曲も、ドヴォルザークのチェロ協奏曲と同様のアプローチによる超名演であるが、特に聴かせどころのツボを心得たロストロポーヴィチならではの語り口の巧さが光っているのが素晴らしい。

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クーベリックが手兵バイエルン放送交響楽団とともに1980年にスタジオ録音したモーツァルトの後期6大交響曲集は、往年のワルターやベームの名演にも匹敵する素晴らしい名演として高く評価されている。

昨年、オルフェオから発売されているモーツァルトの交響曲第40番及び第41番の1985年のライヴ録音に、レビューを記したところであるが、筆者としては、クーベリックによるモーツァルトの交響曲演奏のベストは、当該1985年のライヴ録音であると考えている。

クーベリックは、実演でこそその真価を発揮する指揮者であるだけに、スタジオ録音での第40番や第41番の演奏では、1985年のライヴ録音において存在した楽曲の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や高揚感が今一つ欠けていると言わざるを得ない。

加えて、1985年のライヴ録音においては、すべての反復を行い、極めてスケール極大な演奏に仕立て上げていたが、スタジオ録音においては、おそらくはLP時代の収録時間を気にしたせいも多分にあると思うが、多くの反復を省略している。

ただ、1985年のライヴ録音においてすべての反復を行っていることに鑑みれば、スタジオ録音の演奏が、クーベリックの意図に従ったものであるかいささか疑問が残るところだ。

このように、1985年のライヴ録音と比較すると、スタジオ録音の演奏はいろいろな面で不利な要素が存在していると言わざるを得ないが、それでも、そんじょそこらの演奏などと比較すると、極めて優れた立派な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

演奏全体の様相はシンフォニック。

堅牢な造型美を誇りつつも、モーツァルトの交響曲演奏において不可欠な優美さにいささかも不足もなく、まさに安心してモーツァルトの交響曲の魅力を満喫させてくれるのが見事である。

第40番や第41番については、1985年盤という高峰の高みに聳える名演が存在するだけに、前述のように若干不利な要素もあるが、少なくとも、本演奏を聴くと、近年のピリオド楽器を活用した演奏は、実に小賢しいものに聴こえてしまうところだ。

いずれにしても、クーベリック&バイエルン放送交響楽団による第40番、第41番を含むモーツァルトの後期6大交響曲集の録音については素晴らしい名演であり、高貴にして優美な美しさを存分に味わうことができるものとして高く評価したい。

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2014年10月03日


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本盤に収められたブルックナーの交響曲第8番は、85歳となった現代を代表する巨匠指揮者であるブロムシュテットが、長年にわたって務めてきたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマスターを退任するに当たって行われた記念碑的なコンサートのライヴ録音である。

ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団という稀代の名コンビは、様々な名演を成し遂げてきたが、何と言ってもそのレパートリーの中心にあったのは、ブロムシュテットが最も得意とする独墺系の音楽、中でもブルックナーの交響曲であったことは論を待たないところだ。

既に、このコンビは、英デッカに第9番をスタジオ録音(1995年)しているし、1998年には第3番を録音している。

そして、今般の2005年の第8番のライヴ録音であるが、本演奏があまりにも素晴らしいものであったせいか、その後、このコンビによるブルックナーの交響曲チクルスが開始され、2012年のライヴ録音である第2番の登場により、既に交響曲全集が完成したところだ。

このように、本演奏は、退任コンサートにとどまらず、このコンビの新たな出発点にもなった演奏とも言えるが、それだけにその演奏の質の高さは尋常ならざるものがある。

このような名演奏を聴いていると、ヴァントや朝比奈なき現在においては、ブロムシュテットこそは、スクロヴァチェフスキと並んで、現代を代表するブルックナー指揮者と評しても過言ではあるまい。

本演奏においても、基本的なアプローチは、楽想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、これは近年のブルックナーの交響曲演奏の王道を行くものである。

そして、かかるアプローチは、誠実とも言えるこの指揮者の美質そのものであるが、例えば、楽曲自体は異なるが、かつてシュターツカペレ・ドレスデンとともにスタジオ録音を行った交響曲第4番や第7番の定評ある名演などと比較すると、彫りの深さ、懐の深さにおいて、はるかに凌駕している。

ブラスセクションなどもかなり強靭に鳴らしていると言えるが、無機的な音は皆無であり、どこをとっても奥深い、それこそブルックナーらしさを失っていないのが素晴らしい。

ライヴ録音ならではの熱気には事欠かないものの、かつてのブロムシュテットにあった唯一の欠点でもある、楽曲の頂点における力みが感じられないというのは見事であり、これは、ブロムシュテットの円熟の証左と言えるだろう。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団も、かつてもシュターツカペレ・ドレスデンのような独特の魅力的な音色を湛えているとは言い難いが、それでも重心の低い音色は、さすがは伝統のあるドイツのオーケストラと言うべきであり、ブルックナーの交響曲の演奏としては、まさに理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ブルックナーの交響曲の演奏を数多く手掛けてきたブロムシュテットの円熟を感じさせるとともに、ブロムシュテット&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の相性の良さを感じさせる見事な名演と高く評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのは、最近では珍しくなったマルチチャンネル付きのSACDであるということである。

臨場感溢れる超高音質のマルチチャンネル付きのSACDは、本盤の演奏をより魅力的なものとするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーブロムシュテット 

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近年、我が国出身の若手女流ヴァイオリニストが世界各国の有名コンクールで優勝する等の華々しい活躍をしている。

例えば、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した諏訪内晶子(その後、神尾真由子が続く)をはじめ、パガニーニ国際ヴァイオリンコンクールにおいて史上最年少で優勝した庄司沙耶香など、雨後の竹の子のように数多くの若き才能あるヴァイオリニストが登場してきている。

もっとも、彼女たちに共通しているのは、デビュー後数年間は華々しい活躍をするが、その後は影の薄い存在に甘んじてしまっているということだ。

諏訪内晶子にしても、近年では相次ぐスキャンダルによって新譜すら殆ど発売されていない状況に陥っているし、庄司沙耶香にしても最近での活躍はあまり聞かれないところだ。

神尾真由子なども今後どのように成長していくのかはわからないが、クラシック音楽の受容の歴史が浅い我が国の若手女流ヴァイオリニストが普遍的に世界で活躍するような土壌は、未だに肥沃なものとなっていないと言えるのではないだろうか。

五嶋みどりは、特にコンクールなどでは取り立てた受賞歴はないが、14歳の時のバーンスタインとの伝説的なコンサートで一躍世界に知られる存在となったところだ。

その後は、1990年代から2000年代の前半にかけて、世界の一流指揮者、オーケストラとともに各種の協奏曲等の録音を行うなど、華々しい活躍を行っていたが、最近では、他の若手女流ヴァイオリニストと同様に活動ややや低調になり、2006年のバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番の録音を最後に新譜が登場していない状況にある。

新譜の数自体が激減している昨今のクラシック音楽界の現状に鑑みれば、致し方がない面もあろうかとも思うが、五嶋みどりにしても、かつての輝きを今後も維持できるのかどうか、大きな岐路に立っていると言っても過言ではあるまい。

かつての伝説的なコンサートはもはや遠くに過ぎ去った過去の話であり、五嶋みどりが今後も円熟の大ヴァイオリニストとして末永く活躍していただくことをこの場を借りて祈念しておきたい。

それはさておき、本盤に収められたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、五嶋みどりが輝いていた時代の素晴らしい名演だ。

五嶋みどりのヴァイオリンは、もちろん技量においても何ら問題はないが、巧さを感じさせないところが素晴らしい。

要は、楽曲の美しさだけが聴き手に伝わってくるような演奏を心掛けていると言えるところであり、加えて、畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っているのが素晴らしい。

実演ということも多分にあるとは思うが、五嶋みどりの体当たりとも言うべき渾身の、そして楽曲の美しさを際立たせた演奏は、我々聴き手の感動を誘うのに十分であり、このような力強い名演奏を聴いていると、あらためて五嶋みどりの卓越した才能を感じることが可能だ。

一部の女流ヴァイオリニストにありがちな線の細さなどは微塵もなく、どこをとっても骨太のしっかりとした構えの大きい音楽が鳴り切っているのが見事である。

このような堂々たる五嶋みどりのヴァイオリンを下支えしているのが、ヤンソンス&ベルリン・フィルによる名演奏である。

ヤンソンスは、今や現代を代表する大指揮者の一人であるが、本演奏でも五嶋みどりのヴァイオリンをしっかりとサポートするとともに、ベルリン・フィルを巧みに統率して、重厚な装いの中にも両曲に込められた美しい旋律の数々を感動的に歌い抜いているのが素晴らしい。

音質は2000年代前半のライヴ録音であり、従来盤でも十分に満足できるものである。

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英国のローカルな作品の地位に甘んじていたホルストの組曲「惑星」を、クラシック音楽を代表する世界的な名作として広く認知させるのに貢献した歴史的な超名演と高く評価したい。

本演奏の録音は1961年であるが、この当時は、同曲の録音は、ホルスト自身による自作自演盤や、同曲の初演者であるボールト盤しか存在しなかった。

ところが、本カラヤン盤の登場によって、同曲が瞬く間に世界中に知られることになり、様々な指揮者による多種多様な演奏が行われるようになったのである。

カラヤンの伝記などを紐解くと、当初はカラヤンも、そしてウィーン・フィルも、同曲の演奏には相当に難儀したとのことである。

しかしながら、カラヤンとウィーン・フィルがその難儀を克服して要領を掴んだ結果、素晴らしい演奏が成し遂げられることになったのだ。

本演奏における壮年期のカラヤンの指揮は、冒頭の「火星」からして、前のめりになって進んでいく気迫溢れる力強さが漲っており、そのパワフルな演奏は圧巻の迫力を誇っている。

また、「金星」などにおける情感の豊かさは美しさの極みであり、「木星」における崇高さは、雄渾なスケールを誇っている。

「海王星」における神秘的な雰囲気が漂う消え入るような繊細さは、カラヤンだけが描出し得る至純の世界と言えるのかもしれない。

カラヤンの統率の下、ウィーン・フィルも最高のパフォーマンスを示していると言えるところであり、とかく華麗で賑々しくなりがちな同曲の演奏に、適度な潤いと奥行きの深さを与えている点も忘れてはならない。

カラヤンは、本盤の20年後にベルリン・フィルを指揮して同曲を再録音(1981年)しているが、音のドラマとしては圧倒的な素晴らしさを誇ってはいるものの前述のような華麗で賑々しく感じられる箇所が随所に散見されるところであり、とても本演奏のような魅力はないと言える。

いずれにしても、本演奏は、その後に登場した様々な指揮者による多種多様な名演にも、今なおいささかも引けを取らない至高の超名演と高く評価したい。

録音は、従来盤でも英デッカならではの鮮明な高音質であったが、本盤のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は見違えるような鮮明な高音質に生まれ変わったと言えるところであり、このようなカラヤンによる素晴らしい名演を望み得る最高の高音質SACDで味わえることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:19コメント(0)トラックバック(0)ホルストカラヤン 

2014年10月02日


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素晴らしい名演だ。

ブロムシュテットによる本演奏に、何か特別な個性があるわけではない。

ブロムシュテットは、ディヴェルティメントにおいては、若干速めの軽快なインテンポで、アダージョとフーガにおいては、地に足がついたゆったりした荘重なインテンポで、愚直に楽想を進めていくのみである。

ブロムシュテットの解釈は総じて中庸で、作為は一切排し、極めて自然に音楽を流している。

ブロムシュテットは、自己の解釈をひけらかすようなことは一切せずに、楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えることのみに腐心しているようにも感じられる。

上質なオーケストラのアンサンブルと響きを最大限生かして、バランスよく爽快に聴かせる。

特に高弦群の清澄で古雅な響きは傾聴に値する。

これは、作品にのみ語らせる演奏ということができるだろう。

それでも、演奏全体から漂ってくる気品と格調の高さは、ブロムシュテットの指揮による力も多分に大きいものと考えられる。

いずれにしても、モーツァルトのディヴェルティメントの魅力を安心して味わうことができるという意味においては、トップの座を争う名演と言っても過言ではないと思われる。

こうした作品のみに語らせるアプローチは、時として没個性的で、無味乾燥な演奏に陥ってしまう危険性がないとは言えないが、シュターツカペレ・ドレスデンによるいぶし銀とも評すべき重厚な音色が、演奏内容に味わい深さと潤いを与えている点も見過ごしてはならない。

近年のブロムシュテットの円熟ぶりからすると今一歩の感はなきにしもあらずだが、伝統的なモーツァルト演奏としての価値は充分にある。

残響の豊かなドレスデンのルカ教会における高音質録音もきわめて優秀であり、ハイパー・リマスタリングによって、さらに、音場が拡がるとともに、音質により一層の鮮明さを増した点も高く評価したい。

ちなみにフィギュアスケート選手、今井遥の2012年度のフリープログラムの冒頭がK.137の第2楽章である。

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classicalmusic at 22:30コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

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デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度録音した稀有の指揮者だ。

これは、シベリウスの母国、フィンランドの指揮者であるベルグルンドと並ぶ最多記録であり、デイヴィスがいかにシベリウスに深い愛着を持っているのかの証左と言えるだろう。

デイヴィスの3つの全集のうち、現在でも依然として評価が高いのは、1970年代にボストン交響楽団を演奏して成し遂げた最初の全集である。

特に、「第1」〜「第5」は、他の名演と比較しても今なお上位にランキングされる名演であり、いささか透明感に欠ける「第6」や「第7」を踏まえて考えてみても、全集としての価値は、今なお相当に高いものがあると言えるのではないだろうか。

私事で恐縮であるが、筆者も中学生の時代にシベリウスの交響曲に慣れ親しんだが、その時に愛聴していたLPがデイヴィスによる最初の全集であった。

これに対して、2度目の全集は、最初の全集から約20年後の1990年代にロンドン交響楽団と成し遂げたものであるが、これは、はっきり言って、最初の全集と比較するといささか魅力に乏しいと言えるだろう。

デイヴィスとしては、自信を持って臨んだ録音であるのであろうが、そうした自信が過剰になってしまったきらいがあり、金管楽器などのいささか無機的な音色に、やや力の入った力みを感じさせるのが非常に気になった。

最初の全集と比較して、解釈に深みが加わった点は散見されるものの、デイヴィスとしてもいささか不本意な出来であったのではあるまいか。

2度目の全集から10年足らずの間隔で、ロンドン交響楽団の自主レーベルにではあるが、3度目の録音を行ったというのは、その証左と言えるのではないかと考えられる。

そして、この3度目の全集であるが、これは、2度目の全集で見られたような力みがいささかも感じられず、いわゆる純音楽的で自然体のアプローチによる円熟の名演揃いであると高く評価したい。

最初の全集において、いささか透明感に欠けていた「第6」及び「第7」についても、北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情美に満ち溢れており、クレルヴォ交響曲をも含め、本3度目全集は、まさしくデイヴィスのシベリウスの交響曲演奏の総決算とも言うべき素晴らしい名演集であると高く評価したい。

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classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)シベリウスデイヴィス 

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ヴァントが、その最晩年にベルリン・フィルとともに成し遂げたブルックナーの一連の交響曲の演奏は、歴史的とも言うべき至高の超名演であった。

この黄金コンビによるブルックナー以外の作曲家による楽曲の演奏で、唯一録音が遺されているのが、本盤に収められたシューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」である。

いずれも、ブルックナーの各交響曲と同様に、素晴らしい至高の名演と高く評価したい。

なお、ヴァントは、ミュンヘン・フィルとともに、これら両曲の演奏を同時期に行っているが、オーケストラの音色に若干の違いがある以外は同格の名演と言えるところであり、両演奏の比較は聴き手の好みの問題と言えるのかもしれない。

シューベルトの交響曲、とりわけ「未完成」と「ザ・グレイト」は演奏が難しい交響曲である。

その理由はいくつか考えられるが、シューベルトの音楽をどう捉えるのかについて未だに正解がない、確立した見解が存在しないということに起因しているのではないだろうか。

いずれにしても、シューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」は懐が深い交響曲と言えるのは間違いがないところだ。

私見であるが、これまでの様々な演奏に鑑みて、シューベルトをどう捉えるのかについての見解をおおざっぱに分けると、.Εーンの抒情的作曲家、↓,鵬辰─⊃誉犬亮簽豐兇篝篷彰兇鯢曾个靴紳膾邏焚函↓ベートーヴェンの後継者、ぅ屮襯奪ナーの先駆者の4つに分類できるのではないかと考えている(いくつかの要素を兼ね備えた演奏が存在しているということは言うまでもない)。

「未完成」や「ザ・グレイト」の演奏に限ってみると、,梁緝修魯錺襯拭次コロンビア交響楽団盤(1958年)、△梁緝修蓮◆嵬ご粟」しか録音がないが、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル盤(1978年(あるいは来日時の1977年盤))、の代表は、「ザ・グレイト」において顕著であるがフルトヴェングラー&ベルリン・フィル盤(1942年)であると考えており、い乏催するのが、まさしく本盤に収められたヴァント&ベルリン・フィル盤であると考える。

ヴァントのこれら両曲へのアプローチは、ブルックナーの交響曲に対して行ったのと基本的に同様のものだ。

眼光紙背に徹した厳格なスコアリーディングに基づく緻密で凝縮化された表現には凄みがあり、全体の造型はきわめて堅固なものだ。

したがって、ウィーン風の抒情的な表現にはいささか欠けるきらいがあり、前述のワルター盤の持つ美しさは望むべくもないが、シューベルトの音楽の心底にある人生の寂寥感や絶望感の描出にはいささかの不足はないと言えるのではないか。

特に、「未完成」の第1主題は、ワインガルトナーが地下の底からのようにと評したが、ヴァントの演奏は、特に中間部においてこの主題を低弦を軋むように演奏させ、シューベルトの心底にある寂寥感や絶望感をより一層強調させるかのような凄みのある表現をしているのが素晴らしい。

ヴァントは、2000年の来日時のコンサートにおいて「未完成」を演奏しており、とりわけ当該箇所の表現には心胆寒からしめるものが感じられたが、本盤においても、それとほぼ同等の表現を聴くことができるのはうれしい限りだ。

録音は、ブルックナーの一連の演奏とは異なり、いまだSACD化されていないが、音質はなかなかに鮮明であり、更にSHM−CD化によって若干の音質の向上効果が見られるのも大いに歓迎したい。

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2014年10月01日


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ワルターはマーラーの交響曲第9番の初演者である。

もっとも、初演者であるからと言って演奏が素晴らしいというわけではなく、晩年のコロンビア交響楽団とのスタジオ録音(1961年)は決して凡演とは言えないものの、バーンスタインなどの他の指揮者による名演に比肩し得る演奏とは言い難いものであった。

しかしながら、本盤に収められた1938年のウィーン・フィルとのライヴ録音は素晴らしい名演だ。

それどころか、古今東西の様々な指揮者による同曲の名演の中でも、バーンスタイン&コンセルトヘボウ盤(1985年)とともにトップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

筆者としては、もちろんワルターの実力について疑うつもりは毛頭ないが、本演奏が超名演になった要因は、多分に当時の時代背景によるところが大きいのではないかと考えている。

本演奏が行われたのは第二次大戦前夜、まさにナチスドイツによるウィーン侵攻が開始される直前のものである。

ユダヤ人であることからドイツを追われ、ウィーンに拠点を移して活動をしていたワルターとしても、身近に忍び寄りつつあるナチスの脅威を十分に感じていたはずであり、おそらくは同曲演奏史上最速のテンポが、そうしたワルターの心底に潜む焦燥感をあらわしているとも言える。

同曲の本質は死への恐怖と闘い、それと対置する生への妄執と憧憬であるが、当時の死と隣り合わせであった世相や、その中でのワルター、そしてウィーン・フィル、更には当日のコンサート会場における聴衆までもが同曲の本質を敏感に感じ取り、我々聴き手の肺腑を打つ至高の超名演を成し遂げることに繋がったのではないかとも考えられる。

まさに、本演奏は時代の象徴とさえ言える。

また、当時のウィーン・フィルの音色の美しさには抗し難い魅力があり、本名演に大きく貢献していることを忘れてはならない。

本演奏は奇跡的に金属原盤が残っていたが、当初発売の国内EMI盤は必ずしも良好な音質とは言えず、輸入盤(カナダプレス)も万全とは言えなかった。

Dutton盤やナクソス盤など、比較的良好な音質の復刻盤も存在したが、やはり決定的とも言える復刻盤はオーパス蔵盤ではないだろうか。

しかし現在オーパス蔵盤は入手難であり、筆者としては代替盤としてIron盤を推薦したい。

針音を削除しなかっただけあって、音の生々しさには出色のものがあり、ワルター&ウィーン・フィルによる奇跡的な超名演をこのような十分に満足できる音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)マーラーワルター 

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ブーレーズはDGに相当に長い年数をかけてマーラーの交響曲全集を録音したが、本盤に収められたマーラーの「第9」は、その最初期の録音である。

演奏は、あらゆる意味でバーンスタインやテンシュテットなどによる濃厚でドラマティックな演奏とは対極にある純音楽的なものと言えるだろう。

ブーレーズは、特に1970年代までは、聴き手の度肝を抜くような前衛的なアプローチによる怪演を行っていた。

ところが、1990年代にも入ってDGに様々な演奏を録音するようになった頃には、すっかりと好々爺になり、かつての前衛的なアプローチは影を潜めてしまった。

もっとも、必ずしもノーマルな演奏をするようになったわけではなく、そこはブーレーズであり、むしろスコアを徹底的に分析し、スコアに記されたすべての音符を完璧に音化するように腐心しているようにさえ感じられるようになった。

もちろん、スコアの音符の背後にあるものまでを徹底的に追求した上での演奏であることから、単にスコアの音符のうわべだけを音化しただけの薄味の演奏にはいささかも陥っておらず、常に内容の濃さ、音楽性の豊かさを感じさせてくれるのが、近年のブーレーズの演奏の素晴らしさと言えるだろう。

本演奏においても、そうした近年のブーレーズのアプローチに沿ったものとなっており、複雑なスコアで知られるマーラーの「第9」を明晰に紐解き、すべての楽想を明瞭に浮かび上がらせるように努めているように感じられる。

それ故に、他の演奏では殆ど聴き取ることが困難な旋律や音型を聴くことができるのも、本演奏の大きな特徴と言えるだろう。

さらに、ブーレーズの楽曲への徹底した分析は、マーラーが同曲に込めた死への恐怖や生への妄執と憧憬にまで及んでおり、演奏の表層においてはスコアの忠実な音化であっても、その各音型の中に、かかる楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さを感じることが可能である。

これは、ブーレーズが晩年に至って漸く可能となった円熟の至芸とも言えるだろう。

いずれにしても本演奏は、バーンスタイン&コンセルトヘボウによる名演(1985年)とあらゆる意味で対極にあるとともに、カラヤン&ベルリン・フィル(1982年)の名演から一切の耽美的な要素を拭い去った、徹底して純音楽的に特化された名演と評価したい。

このようなブーレーズの徹底した純音楽的なアプローチに対して、最高のパフォーマンスで応えたシカゴ交響楽団の卓越した演奏にも大きな拍手を送りたい。

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ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とバイエルン放送交響楽団という欧州2大名門を手中に、そのキャリアの絶頂を極めたかにもみえるヤンソンス。

このバイエルン放送響とのシベリウスは、そんなヤンソンスの芸境が以前とは比較にならないほど高度な領域に達していることを痛感させる、ある意味では信じがたいほどの名演。

まずは第1楽章の冒頭、ティンパニの静かな持続音を背景に現れるクラリネット・ソロの艶やかさに魅了されるが、この瞑想的な静寂を破るヴァイオリンの、まるで清水のように透明な新鮮さ、そこから始まる主題提示が金管のフォルティッシモに至るまでのわずかの間に示された、厳重をきわめたパート・バランスの管理から生まれる豊富な音型情報、オケ総員の呼吸を1人も漏らさずまとめ上げた感のある、極めて自然で弾力のある流動感等々、荒々しさばかりを強調した他の演奏からは聴かれない、美的にしてしかも力強い音楽には、まさに目からウロコが落ちる思いを禁じ得ない。

この細部に対する厳しい視線と流れるような旋律表現との共存が、この演奏を成功に導いた要因と言えるだろう。

同じ第1楽章の展開部における木管アンサンブル(6:25〜)の克明なことには仰天で、ほとんど単なる経過句として単調に処理された演奏も多いなか、多様な響きの面白さを立体的に、しかも時間の経過とともに景観を異にしていくかのような見事なコントロールとリズム感の鋭さ、響きに対する鋭敏な感覚には、かつて薫陶を受けたという故ムラヴィンスキーからの強い影響を思わせる。

この展開部に続く再現部(7:05〜)のしなやかな旋律美は、直前までが恐ろしいほど厳しかっただけに効果絶大で、なにか心が晴れ晴れと解放されるようなその感覚は、ヤンソンスのムチのように強くしなやかなフレージングによって壮健な肉体性さえも備え、弛緩した印象などは無縁だ。

もちろん、そうしたことを完全に実行するには、バイエルン放送響の高度な機能性を抜きには考えられないことであろう。

もともとヨーロッパ屈指の実力を誇るこの団体が、この演奏では従来よりさらに一段とレヴェル・アップしているように思えるのは、やはりヤンソンスとの相性の良さを物語るものなのであろうか。

持ち前の機動力はもちろん、総体としてのアーティキュレーションの統一感は、これがライヴであることを考えればほとんど信じがたいほど。

個々のソロ・パートの見事さは言うに及ばずで、とりわけ第3楽章を筆頭とするティンパニの名人芸には脱帽、いささか取りとめの無い印象もあるこの作品をタイトに引き締める絶妙な効果を上げている。

総じて言えることは、この演奏が従来にないほど細部に神経を通わせ、内在する豊富な情報を限界まで引き出してみせたということであろう。

その精密度は、これまでもっとも緻密とされたベルグルンドとヨーロッパ室内管の演奏に唯一匹敵すると言いたいほどだ。

しかもそのうえ、ここにはフル・オーケストラならではの厚みのあるサウンドと荒々しい力感があるのだから、もはやこれ以上望むものはない。

録音も優秀で、しっとりと濡れたような音色の艶やかさが全編にわたって保持される一方、細部の解像度の高さ、音の透明感を備えた、まさに究極のライヴ録音と言いたいところである。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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