2014年11月

2014年11月30日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期3大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。

録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。

とりわけ、本盤に収められた交響曲第5番については、この指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、筆者としては、本盤に収められた演奏とともに、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。

本盤の演奏においては、約40分弱という、冒頭序奏部の悠揚迫らぬテンポ設定を除けば、比較的速めのテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

とりわけ第2楽章のブヤノフスキーによるホルンソロのこの世のものとも思えないような美しい音色は、抗し難い魅力に満ち溢れている。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物である。

同曲の他の指揮者による名演は、チャイコフスキーの交響曲の中でも最も美しいメロディを誇る作品だけにあまた存在してはいるが、本演奏こそは、前述のムラヴィンスキーによる1977年及び1982年のライヴ録音とともに頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演の一つと評価するのにいささかも躊躇するものではない。

これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。

ところが、今般、ついに、第4番や第6番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 23:38コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキームラヴィンスキー 

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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そのようなムラヴィンスキーの最良の遺産は、諸説はあるとは思われるが、大方の見方としては、手兵レニングラード・フィルとともに西欧諸国への演奏旅行中に、ロンドン(第4番)、そしてウィーン(第5番及び第6番)においてスタジオ録音されたチャイコフスキーの後期3大交響曲集の演奏であるということになるのではないだろうか。

録音は1960年であり、今から50年以上も前のものであるが、現在でもチャイコフスキーの後期3大交響曲集の様々な指揮者によるあまたの演奏にも冠絶する至高の歴史的な超名演と高く評価したい。

ムラヴィンスキーによるこれら後期3大交響曲集については、本演奏以外にも数多くの録音が遺されている。

本盤に収められた交響曲第4番について言えば、数年前にキング・インターナショナルから発売され、ムラヴィンスキーの演奏としては初のSACD盤として話題を集めた1959年4月24日、モスクワ音楽院大ホールでのレニングラード・フィルとのライヴ録音など、いくつか存在しているが、いずれもモノラル録音であり、ステレオ録音という音質面でも恵まれた存在でもある本盤の演奏の優位性はいささかも揺らぎがないものと言える。

本盤の演奏においては、約40分弱という、史上最速に限りなく近い疾風の如き快速のテンポで演奏されており、その演奏自体の装いもいわゆる即物的で純音楽的なアプローチで一貫しているとも言える。

他の指揮者によるチャイコフスキーの演奏において時として顕著な陳腐なロマンティシズムに陥るということはいささかもなく、どこをとっても格調の高さ、そして高踏的で至高・至純の芸術性を失うことがないのが素晴らしい。

それでいて、素っ気なさとは皆無であり、一聴すると淡々と流れていく各フレーズには、奥深いロシア音楽特有の情感に満ち溢れていると言えるところであり、その演奏のニュアンスの豊かさ、内容の濃さは聴いていて唖然とするほどである。

木管楽器や金管楽器の吹奏にしても、当時の旧ソヴィエト連邦のオーケストラの場合は、独特のヴィブラートを施したアクの強さが演奏をやや雑然たるものにするきらいがあったのだが、ムラヴィンスキーの場合は、徹底した練習を繰り返すことによって、演奏をより洗練したものへと変容させているのはさすがと言える。

そして、これら木管楽器や金管楽器の洗練された吹奏は、ムラヴィンスキーの魔法のような統率の下、あたかも音符がおしゃべりするような雄弁さを兼ね備えているのが素晴らしい。

弦楽合奏も圧巻の技量を誇っており、とりわけロシアの悠久の大地を思わせるような、重量感溢れる低弦の厚みも強靭なド迫力だ。

加えて、その一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは紛れもなくムラヴィンスキーの圧倒的な統率力の賜物であり、とりわけ終楽章の弦楽器の鉄壁な揃い方はとても人間業とは思えないような凄まじさだ。

同曲の他の指揮者による名演としては、フルトヴェングラー&ウィーン・フィルによる名演(1951年)やカラヤン&ベルリン・フィルによる名演(1971年)が存在しているが、これらの演奏とともに3強の一角をなすというよりも、本演奏こそは頭一つ図抜けた存在であり、同曲演奏史上の最高の超名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

これだけの歴史的な超名演だけに、初CD化以降、これまで幾度となくリマスタリングが繰り返されてきた。

数年前にはSHM−CD盤が発売され、更にはルビジウム・カッティング盤が発売されたところであり、当該両盤がCDとしては甲乙付け難い音質であると考えてきたものの、かつてLPで聴いた音質には到底及ばないような気がしていた。

ところが、今般、ついに、第5番や第6番とともに、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、すべてにおいて一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の凄さを認識した次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる歴史的な超名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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バーンスタインがドイツ・グラモフォンに遺したマーラー交響曲音源の集成された廉価版ボックスで、マーラー生誕150年、バーンスタイン没後20年に合わせてリリースされたものだが、筆者が高校生の時に購入した最初のボックスのおよそ3分の1の厚み、5分の1というプライスに唖然とさせられるとともに時代の隔たりを感じる。

やはりマーラーといえば、バーンスタインの演奏が最も聴き応えのある、天下の名演と言い切ってしまって良いだろう。

バーンスタインは、実に気迫と共感のこもった白熱のロマン的な名演を聴かせる。

どの交響曲も最初の1音からマーラーの心がバーンスタインに乗り移ったような演奏で、聴き手に興奮を促してやまない。

バーンスタインはマーラーの苦悩と喜びを共に追体験したかのような、作品とひとつになった合一性を示している。

バーンスタインはマーラーと共に、笑い、泣き、歓喜の頂点を極め、苦悩のどん底に沈み、まさに作曲者と指揮者のホモジェニティ(同一化)の典型を示している。

マーラー・ファンにとっては最高の魅力だろうが、マーラー嫌いにとっては、はしたないの一語に尽きるだろう。

しかし、マーラーの交響曲をこれだけ自分の音楽として表現できる指揮者は、バーンスタインをおいて他にはいないだろう。

その包容力は途方もなく大きく、シンフォニックなスケール感においても、断然他を圧していると言って良い。

ユダヤ人としての属性が、2人の芸術家を見えない糸で結び付けているのだろうか。

ライヴ録音ならではの緊張感と精神的な迫力が感じられ、演奏の一回性の貴重さを改めて思い知らされる。

バーンスタインのマーラーを聴くと、これ以上の演奏は考えられないと、錯覚させられるから具合が悪い。

とはいえ、この全集を凌駕する演奏は、他にちょっと見当たらない。

実はこれだけの名演が生まれると、後攻の指揮者はしんどいことこの上ない。

少なくともバーンスタインを超える何かがないと、一敗地にまみれるのは、目に見えているからである。

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classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)マーラーバーンスタイン 

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ヨルマ・パヌラの弟子で、ノルウェー出身の気鋭の若手指揮者アイヴィン・オードランによるグリーグの管弦楽曲全集の第2弾の登場だ。

「この音楽の風味は、わたしの血です」と語るように、オードランもまたグリーグの生まれ故郷ベルゲン育ち。

第1弾においては「ペール・ギュント」組曲や交響的舞曲集などの有名曲が中心であったが、第2弾においては、2つの悲しい旋律や組曲「ホルベアの時代より」など、知名度においてはやや劣るものの、旋律の美しさが際立った知る人ぞ知る名品の数々を収めているのが特徴と言えるだろう。

そして、第1弾と同様にいずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

本盤に収められた各楽曲におけるオードランのアプローチは、いささかの奇を衒うということのないオーソドックスなものと言えるが、同郷の大作曲家による作品を指揮するだけに、その演奏にかける思い入れは尋常ならざるものがあると言えるところであり、豊かな情感に満ち溢れた演奏の中にも、力強い生命力と気迫が漲っているのが素晴らしい。

各楽曲の随所に滲み出している北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情の表現にもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

とりわけ、2つの悲しい旋律における「過ぎし春」の心を込め抜いた歌い方には抗し難い魅力があると言えるところであり、組曲「ホルベアの時代より」においては、颯爽とした歩みの中にも、重厚な弦楽合奏を駆使して、祖国への深い愛着に根差した溢れんばかりの万感を込めて曲想を優美に描き出しているのが見事である。

2つのメロディや2つのノルウェーの旋律におけるオードランの心を込め抜いた情感豊かな演奏は、我々聴き手の感動を誘うのに十分である。

オーケストラにケルン放送交響楽団を起用したのも成功しており、演奏全体に若干の重厚さと奥行きの深さを与えるのに成功している点を忘れてはならない。

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classicalmusic at 00:38コメント(0)トラックバック(0)グリーグ 

2014年11月29日


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ルービンシュタインによるブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏としては、本盤以外にもラインスドルフ&ボストン交響楽団をバックとした1964年盤とメータ&イスラエル・フィルをバックとした1976年盤が存在している。

それだけルービンシュタインが同曲に私淑していたとも言えるが、一般的に最も名演の誉れ高いのは1976年盤ということになるのではないか。

当該演奏は、最晩年を迎えたルービンシュタイン(89歳)の大人(たいじん)ならではの滋味あふれる至芸を味わうことが可能であり、メータ&イスラエル・フィルの好サポートも相俟って、スケール雄大な名演に仕上がっていた。

本演奏は、その22年前のスタジオ録音ということになるが、この時点でも既にルービンシュタインは67歳となっており、1976年盤にも肉薄する素晴らしい名演を展開していると高く評価したい。

少なくとも、技量においては1976年盤よりも衰えが見られない分だけ上と言えるところであり、本演奏でもとても人間業とは思えないような超絶的な技量を披露してくれている。

もっとも、超絶的な技量であれば、同時代に活躍したホロヴィッツも同様であるが、ホロヴィッツの場合は、自らの感性の赴くままにピアノを弾いていたと言える側面があり、超絶的な技量がそのまま芸術たり得た稀有のピアニストであったと言えるだろう。

これに対して、ルービンシュタインは、私見ではあるが、音楽の本質への希求が第一であり、技量は二の次と考えていたのではあるまいか。

それ故に、1976年盤において、多少技量が衰えても至高の名演を成し遂げることが可能であったと考えられるからである。

本演奏においても、技量一辺倒にはいささかも陥らず、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅は桁外れに幅広く、青雲の志を描いたとされる同曲に込められた若きブラームスの心の葛藤を、ルービンシュタインは豊かな表現力を駆使して、情感豊かに描き出しているのが素晴らしい。

ルービンシュタインの若々しい表現が、音楽性にあふれていて、晩年の厚みや交響的な味わいは薄いが、全盛期だけに色気や艶があり、流れが美しく、詩情にも欠けていない。

この曲のもつ清新で力強い性格を最も見事に捉えているとも言えるところであり、テクニックの衰えなど微塵もなく、年輪の厚みを感じさせる、風格のある表現はまことに素晴らしい。

同曲は、ピアノ演奏付きの交響曲と称されるだけあって、オーケストラ演奏が薄味だとどうにもならないが、ライナー&シカゴ交響楽団は、いかにも厳しく有機的なドイツ風の重厚な演奏を展開しており、ルービンシュタインの至高のピアノとの相性も抜群である。

そして、本盤で素晴らしいのはハイブリッドSACDによる超高音質録音である。

SACD化によって、ルービンシュタインのピアノタッチが鮮明に再現されるなど、今から60年近くも前の録音とは思えないような鮮明な音質に生まれ変わっており、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:37コメント(0)トラックバック(0)ルービンシュタインライナー 

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長年に渡って、作曲者の自演盤と並ぶ名演と称されてきた、ヴィッカーズらの快演が光るコリン・デイヴィスの名盤である。

ブリテンは、パーセルの主題による変奏曲とフーガ(青少年のための管弦楽入門と称されているが、作品の質の高さからしてもこの呼称は全く気に入らない)だけがやたら有名であり、他は、近年小澤による渾身の名演によって知られるようになった戦争レクイエムを除けば、殆どの作品はあまり知られているとは言い難い。

ブリテンは、交響曲や管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、そして声楽曲など多岐に渡る分野の作品を数多く遺しているが、その真価は何と言ってもオペラにあるのではないだろうか。

これは、ブリテンと同じ英国出身の大指揮者であるラトルなども同様の見解を表明しており、20世紀を代表するオペラとしてもっと広く知られてもいいのではないかとも考えられるところである。

ブリテンは、10作を超えるオペラを作曲しているが、その中でも名実ともに傑作であるのは本盤に収められた「ピーター・グライムズ」であるというのは論を待たないところだ。

ピーター・グライムズという問題児に冤罪の濡れ衣を着せて、多数の人々によって自殺を強要されるという、いかにも20世紀的なテーマを扱っているが、ブリテンはこうしたストーリーに組曲「4つの海の間奏曲」や「パッサカリア」などに編曲されるほどに魅力的で親しみやすい管弦楽を付加して、実に奥深い内容を有した作品に仕立て上げている。

同曲の名演としては、ブリテンによる自作自演とデイヴィスによる本演奏が双璧にある名演として掲げられる。

オーケストラや合唱団は同じくコヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団と同合唱団だ。

ブリテンは、作曲者であるとともに指揮者としても相当な実力を有しており、同曲の演奏においても作曲者としての権威はいささかも揺るぎがないが、デイヴィスの指揮もその統率力といい、彫りの深さといい、ブリテンに決して引けを取っているとは言い難い。

両演奏の大きな違いは、主人公であるピーター・グライムズ役であり、骨太なジョン・ヴィッカーズに対して、抒情的なピーター・ピアーズと言ったところではないだろうか。

したがって、後は聴き手の好みの問題であると言えるところであり、その他の歌手陣も最高の歌唱を披露しているのも素晴らしい。

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classicalmusic at 21:09コメント(0)トラックバック(0)ブリテンデイヴィス 

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ノルウェー出身の気鋭の若手指揮者アイヴィン・オードランが、ドイツの名オーケストラであるケルン放送交響楽団を指揮してグリーグの管弦楽曲全集のスタジオ録音を開始することになったが、本盤に収められた演奏はその第1弾となるものである。

第1弾は、グリーグの最も有名な管弦楽曲である「ペール・ギュント」組曲と交響的舞曲集、そして、リカルド・ノルドロークのための葬送行進曲の組み合わせとなっている。

いずれも驚くべき名演と高く評価したい。

「ペール・ギュント」組曲は、近年では組曲よりも劇音楽からの抜粋の形で演奏されることが増えつつあるが、本盤のような充実した演奏で聴くと、組曲としても纏まりがある極めて優れた作品であることがよく理解できるところだ。

オードランのアプローチは、いささかの奇を衒うということのないオーソドックスなものと言えるが、同郷の大作曲家による最も有名な作品を指揮するだけに、その演奏にかける思い入れは尋常ならざるものがあると言えるところであり、豊かな情感に満ち溢れた演奏の中にも、力強い生命力と気迫が漲っているのが素晴らしい。

同曲の随所に滲み出している北欧の大自然を彷彿とさせるような繊細な抒情の表現にもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっている点を高く評価したい。

交響的舞曲集は、ノルウェーの民謡風の旋律やリズム語法などを採り入れた作品であるが、オードランは、颯爽とした歩みの中にも、祖国への深い愛着に根差した溢れんばかりの万感を込めて曲想を優美に描き出しているのが見事である。

それでいて、第1番の冒頭や第4番の終結部における畳み掛けていくような気迫と力強さは、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

リカルド・ノルドロークのための葬送行進曲は、演奏されること自体が稀な作品であるが、オードランの心を込め抜いた情感豊かな演奏は、我々聴き手の感動を誘うのに十分である。

オーケストラにケルン放送交響楽団を起用したのも成功しており、演奏全体に若干の重厚さと奥行きの深さを与えるのに成功している点を忘れてはならない。

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2014年11月28日


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本盤には、当時気鋭の女流ピアニストとして頭角をあらわしつつあったアルゲリッチと、同じく次代を担う気鋭の指揮者として急速に人気が高まりつつあったアバドが組んで行った、19世紀の偉大なピアニスト兼作曲家であったショパンとリストのピアノ協奏曲第1番の演奏が収められている。

いずれも演奏も、録音から40年以上が経過した現在においても、両曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

アルゲリッチは、両曲ともに後年に、一時は夫君となったデュトワ(オーケストラはモントリオール交響楽団)と組んでスタジオ録音(ショパンは1988年、リストは1998年)を行っている。

いずれも超名演であるが、本盤の演奏にはそれら後年の演奏にはない若さ故の独特の瑞々しさがある。

したがって、本盤の演奏との優劣の比較は困難を極めるが、いずれもハイレベルの超名演であることは疑いようがなく、結局は好みの問題なのかもしれない。

アルゲリッチにとっては、本盤が初の協奏曲録音となったものであるが、そのようなことを微塵も感じさせないような圧倒的なピアニズムを展開している。

アルゲリッチの場合は、実演であってもスタジオ録音であっても、灼熱のように燃え上がる圧倒的な豪演を展開するが、本盤の演奏においてもその豪演ぶりは健在である。

変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、そしてアッチェレランドの駆使など、これ以上は求め得ないような幅広い表現力を駆使して、両曲の魅力を最大限に表現し尽くしているのが素晴らしい。

こうしたアルゲリッチの自由奔放とも言うべき圧倒的なピアニズムに決して引けを取っていないのが、若きアバドによる生命力に満ち溢れた演奏である。

アバドは、ロンドン交響楽団を巧みに統率して、気迫と力強さが漲るとともに、持ち前の豊かな歌謡性をも織り込んだ、いい意味での剛柔バランスのとれた名演奏を展開していると評価したい。

音質については、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきたこともあって、従来盤でも十分に良好な音質である。

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2011年9月18日に惜しくも逝去したクルト・ザンデルリンクは、2002年には既に指揮活動から引退していたところであるが、特に晩年の1990年代においては、ヴァントやジュリーニなどとともに数少ない巨匠指揮者の1人として、至高の名演の数々を披露してくれたところである。

その中でも最良の遺産は、何と言っても本盤に収められたベルリン交響楽団とともにスタジオ録音(1990年)を行ったブラームスの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

東独出身ということもあって、東西冷戦の終結までは鉄のカーテンの向こう側に主たる活動拠点を有していたことから、同じく独墺系の指揮者で4年年長のカラヤンと比較すると、その活動は地味で必ずしも華々しいものとは言えなかったところである。

もっとも、西側で活躍していたカラヤンが、重厚ではあるもののより国際色を強めた華麗な演奏に傾斜していく中で、質実剛健とも言うべきドイツ風の重厚な演奏の数々を行う貴重な存在であったと言えるところだ。

ザンデルリンクは、本全集のほかにも、ライヴ録音を含め、数々のブラームスの交響曲の録音を遺しているが、その中でも最も名高いのは、シュターツカペレ・ドレスデンとともに1971〜1972年に行ったスタジオ録音と言えるのではないだろうか。

当該全集は今でもその存在価値を失うことがない名演であるが、それは、ザンデルリンクの指揮の素晴らしさもさることながら、何と言っても、ホルンのペーター・ダムなどをはじめ多くのスタープレイヤーを擁していた全盛期のシュターツカペレ・ドレスデンのいぶし銀の音色の魅力によるところが大きい。

それに対して、本盤の全集は、スタジオ録音としてはザンデルリンクによる2度目のものとなるが、演奏自体は、旧全集よりも数段優れているのではないだろうか。

ザンデルリンクによる本演奏は、旧全集の演奏よりもよりかなりゆったりとしたテンポをとっているのが特徴だ。

そして、演奏全体の造型は堅固であり、スケールの雄大さも特筆すべき素晴らしさであると言えるのではないか。

もっとも、かかるテンポの遅さを除けば、何か特別な個性を発揮して奇を衒った解釈を施すなどということはなく、むしろ曲想を精緻に、そして丁寧に描き出して行くと言うオーソドックスな自然体のアプローチに徹しているとさえ言えるが、よく聴くと、各旋律には独特の細やかな表情づけが行われるとともに、その端々からは、晩年を迎えたザンデルリンクならではの枯淡の境地を感じさせる夕映えのような情感が滲み出していると言えるところであり、その味わい深さには抗し難い魅力が満ち溢れている。

かかる味わい深さ、懐の深さにおいて、本盤の演奏は旧全集の演奏を大きく引き離していると言えるところであり、とりわけ楽曲の性格からしても、第4番の奥行きの深さは圧巻であると言えるところだ。

その人生の諦観のようなものを感じさせる汲めども尽きぬ奥深い情感は、神々しいまでの崇高さを湛えていると言っても過言ではあるまい。

ハイドンの主題による変奏曲も、まさに巨匠ならではの老獪な至芸を堪能できる名演であるし、アルト・ラプソディも、アンネッテ・マルケルトやベルリン放送合唱団の名唱も相俟って、素晴らしい名演に仕上がっている。

ベルリン交響楽団も、その音色には、さすがに全盛期のシュターツカペレ・ドレスデンほどの魅力はないが、それでもドイツ風の重厚さにはいささかも欠けるところはなく、ザンデルリンクの指揮によく応えた素晴らしい名演奏を行っていると言ってもいいのではないだろうか。

いずれにしても、本全集は、ブラームスの交響曲を数多く演奏してきたザンデルリンクによる決定盤とも言うべき至高の名全集と高く評価したいと考える。

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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、チェロ協奏曲の王様とも言うべき不朽の名作であり、それ故に古今東西の様々なチェリストがこぞって演奏・録音を行ってきた。

それだけに、名演には事欠くことはなく、本稿にも書ききれないほどの数多い名演が存在している。

カザルスと並んで20世紀最大のチェリストと称されたロストロポーヴィチも、同曲の録音を繰り返し行っており、ターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏(1952年)を皮切りとして、ハイキン&モスクワ放送交響楽団との演奏(1956年)、カラヤン&ベルリン・フィルとの演奏(1968年(本盤))、ジュリーニ&ロンドン・フィルとの演奏(1977年)、そして小澤&ボストン交響楽団との演奏(1985年)の5度にわたってスタジオ録音を行っている。

その他にもライヴ録音も存在しており、これは間違いなくあらゆるチェリストの中でも同曲を最も多く録音したチェリストではないだろうか。

これは、それだけロストロポーヴィチが同曲を深く愛するとともに、満足できる演奏がなかなか出来なかった証左とも言えるところだ。

ロストロポーヴィチは、小澤との1985年の演奏の出来に大変満足し、当該盤のレコード会社であるエラートに、今後2度と同曲を録音しないという誓約書まで書いたとの噂も伝えられているところである。

したがって、ロストロポーヴィチの円熟のチェロ演奏を聴きたいのであれば1985年盤を採るべきであろう。

しかし、オーケストラ演奏なども含めた演奏全体を総合的に考慮に入れて、筆者はこれまでターリッヒ&チェコ・フィル盤を一番に推してきたが、後述のような極上の音質に鑑みれば、本盤に収められたカラヤン&ベルリン・フィルとの演奏を随一の名演に掲げたい。

本演奏でのロストロポーヴィチのチェロ演奏は凄まじい。

1985年盤のような味わい深さは存在していないが、重厚な迫力においては本演奏の方がはるかに上。

重心の低い重低音は我々聴き手の度肝を抜くのに十分であるし、同曲特有のボヘミア風の抒情的な旋律の数々も心を込めて情感豊かに歌い抜いている。

卓越した技量は殆ど超絶的とも言えるところであり、演奏全体に漲っている強靭な気迫や生命力は圧倒的で、ほとんど壮絶ささえ感じさせるほどだ。

確かに、1985年盤などと比較するといささか人工的とも言うべき技巧臭や、ロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせるきらいもないわけではないが、これだけの圧倒的な名演奏を堪能させてくれれば文句は言えまい。

そして、ロストロポーヴィチの圧倒的なチェロ演奏にいささかも引けを取っていないのがカラヤン&ベルリン・フィルによるこれまた圧倒的な豪演である。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器群など、当時全盛期にあったベルリン・フィルの演奏は凄まじいものがあり、カラヤンはベルリン・フィルの猛者たちを巧みに統率するとともに、独特の流麗なレガートを施すなどにより、圧倒的な音のドラマの構築に成功している。

そして、これにロストロポーヴィチのチェロが加わった演奏は、時に地響きがするほどの迫力を誇っており、指揮者、チェリスト、オーケストラの3者に最高の役者が揃い踏みした本演奏は、まさに豪華絢爛にして豪奢な壮大な音の建造物と言っても過言ではあるまい。

同曲によりボヘミア風の素朴な味わいを求める聴き手にはいささかストレスを感じさせる演奏であることは理解できるし、ロストロポーヴィチのチェロ演奏にある種の人工的な技巧臭を感じる聴き手がいることも十分に想定できるところであるが、これほど協奏曲の醍醐味を感じさせてくれる演奏は他に類例を見ない希少なものと言えるところであり、筆者としては、後述のように極上の音質と相俟って、本演奏こそはドヴォルザークのチェロ協奏曲演奏史上でも最高の超名演と高く評価したいと考えている。

併録のチャイコフスキーのロココの主題による変奏曲も、ドヴォルザークのチェロ協奏曲と同様のアプローチによる超名演であるが、特に聴かせどころのツボを心得たカラヤンならではの語り口の巧さが光っているのが素晴らしい。

音質は、これだけの名演だけにリマスタリングが繰り返し行われてきたが、数年前に発売されたSHM−CD盤がこれまでのところベストの音質であった。

しかしながら今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われることによって、SHM−CD盤をはるかに凌駕するおよそ信じ難いような圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

ロストロポーヴィチのチェロ演奏の弓使いが鮮明に表現されるなど、本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の艶やかな鮮明さや臨場感にはただただ驚愕するばかりであり、あらためて当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ロストロポーヴィチ、そしてカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の至高の超名演を、現在望み得る最高の高音質を誇るシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:35コメント(0)トラックバック(0)ロストロポーヴィチカラヤン 

2014年11月27日


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フォーレのレクイエムはコルボの代名詞と言っても過言ではない楽曲であるが、本盤は、ローザンヌ声楽器楽アンサンブルを率いて来日したときの、コルボ71歳の誕生日の演奏会を収録したディスクである。

コルボ得意の演目で、同曲を深く愛するとともに、その内容を知り尽くしているコルボによる演奏だけに、その比類ない美しさに会場が異様な感動に包まれたかのようであり、有名なエラート盤に匹敵する名演と言えよう。

フォーレのレクイエムは、いわゆる3大レクイエムの中でも最も静謐さを信条とする作品である。

それ故に、モーツァルトやヴェルディのレクイエムにおいて比類のない名演を成し遂げた大指揮者が、同曲を一切演奏・録音しないケースも散見される(カラヤン、ショルティなど)が、それだけ同曲の演奏には困難が伴うと言えるのではないだろうか。

オーケストラパートは極めて慎ましやかに作曲されていることから、同曲においては、静謐にして崇高な世界をいかに巧みに描出できるのかにその演奏の成否がかかっていると言えるだろう。

コルボの同曲へのアプローチは、他の録音も含めて、楽想を精緻に丁寧に描き出していくというものだ。

奇を衒ったところは皆無であり、音楽そのものを語らせるという真摯かつ敬虔な姿勢に徹しているとさえ言える。

もっとも、一聴すると淡々と流れていく各フレーズの端々には、独特の細やかな表情づけや万感の思いを込めた情感が滲み出しており、コルボの同曲への傾倒と深い愛着の気持ちを感じることが可能だ。

同曲の名演としては、クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団ほかによる歴史的な名演(1962年)が随一のものとして掲げられるが、本盤に収められた演奏は、同曲の静謐な崇高さをより極めたものとして、クリュイタンス盤と並ぶ至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来盤でも比較的満足できる音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることになった。

静謐な同曲の魅力が見事に再現されることになっており、音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりである。

いずれにしても、ミシェル・コルボによる至高の超名演を高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:13コメント(0)トラックバック(0)フォーレ 

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本盤には、メンデルスゾーンの交響曲第4番、ベートーヴェンの交響曲第5番という人気交響曲がカップリングされているが、いずれもショルティならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

ショルティが1990年代にウィーン・フィルに客演した際に収録されたライヴで、両曲とも彼にとって4回目の録音にあたる。

メンデルスゾーンとベートーヴェン、ともにウィーン・フィルの美質を生かした流麗な響きを味わえる。

ところで、我が国におけるショルティの評価は不当に低いと言わざるを得ない。

現在では、歴史的な名盤と評されているワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」以外の録音は殆ど忘れられた存在になりつつある。

これには、我が国の音楽評論家、とりわけとある影響力の大きい某音楽評論家が自著においてショルティを、ヴェルディのレクイエムなどを除いて事あるごとに酷評していることに大きく起因していると思われるが、かかる酷評を鵜呑みにして、例えば本盤の演奏のような名演を1度も聴かないのはあまりにも勿体ない。

ショルティの様々な楽曲の演奏に際しての基本的アプローチは、強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。

こうしたショルティのアプローチは、様相の変化はあっても終生にわたって殆ど変わりがなかった。

したがって、楽曲によっては、力づくの強引さが際立った無機的な演奏も散見され、それがいわゆるアンチ・ショルティの音楽評論家を多く生み出す要因となったことについて否定はできないと思われるが、それでも、1980年代以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。

本盤の両曲の演奏においても、そうした聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さには大なるものが存在していると言えるところである。

「イタリア」の情景描写や「運命」の精神性の追求などとは無縁の、あくまでも絶対音楽としての交響曲を意識した演奏ではあるが、それだけに演奏全体の堅牢な造型美、そしてスケールの大きさには絶大なるものがあると言えるだろう。

もちろん、両曲には、例えばメンデルスゾーンについて言えばトスカニーニ&NBC交響楽団による名演(1954年)、ベートーヴェンについて言えばフルトヴェングラー&ベルリン・フィル(1947年)など、他に優れた演奏が数多く成し遂げられており、本演奏をベストの演奏と評価することはなかなかに困難であると言わざるを得ないが、一般的な意味における名演と評価するにはいささかも躊躇するものではない。

ウィーン・フィルの巧さも特筆すべきであり、本名演に華を添える結果となっていることを忘れてはならない。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ショルティメンデルスゾーン 

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ルービンシュタインは、3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集をスタジオ録音している。

ルービンシュタインはポーランド出身ということもあって、稀代のショパン弾きとしても知られてはいるが、前述のように3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音したことや、生涯最後の録音がブラームスのピアノ協奏曲第1番であったことなどに鑑みれば、ルービンシュタインの広範なレパートリーの中核を占めていたのは、ベートーヴェンやブラームスなどの独墺系のピアノ曲であったと言えるのかもしれない。

本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」は、ルービンシュタインによる3度目のピアノ協奏曲全集(1975年)からの抜粋である。

最初の全集であるクリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアとの演奏(1956年)や、2度目の全集であるラインスドルフ&ボストン交響楽団との演奏(1963年)と比較すると、本演奏は88歳の時の演奏だけに、技量においてはこれまでの2度にわたる全集の方がより優れている。

しかしながら、本演奏のゆったりとしたテンポによる桁外れのスケールの大きさ、そして各フレーズの端々から滲み出してくる枯淡の境地とも言うべき奥行きの深い情感の豊かさにおいては、これまでの2度にわたる全集を大きく凌駕していると言えるだろう。

このような音楽の構えの大きさや奥行きの深さ、そして格調の高さや風格は、まさしく大人(たいじん)の至芸と言っても過言ではあるまい。

特に、同曲の緩徐楽章の深沈とした美しさには抗し難い魅力があるが、その清澄とも言うべき美しさは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、自らの生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような趣きさえ感じられる。

これほどの高みに達した崇高な音楽は、ルービンシュタインとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのかもしれない。

ルービンシュタインの堂々たるピアニズムに対して、バレンボイム&ロンドン・フィルも一歩も引けを取っていない。

バレンボイムは、ピアニストとしても(クレンペラーの指揮)、そして弾き振りでも(ベルリン・フィルとの演奏)ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音しているが、ここではルービンシュタインの構えの大きいピアニズムに触発されたこともあり、持ち得る実力を存分に発揮した雄渾なスケールによる重厚にして渾身の名演奏を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤に収められたベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の演奏は、同曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 00:33コメント(2)トラックバック(0)ルービンシュタインバレンボイム 

2014年11月26日


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ワルターについては、フルトヴェングラーやトスカニーニ、メンゲルベルクといった他の4大指揮者と異なり、ステレオ録音が開始された時代まで生きたただ1人の巨匠指揮者である。

それ故に、音質が良いということもあって、ワルターによる演奏を聴くに際しては、最晩年の主としてコロンビア交響楽団とのスタジオ録音盤を選択するケースが多い。

したがって、最晩年の穏健な芸風のイメージがワルターによる演奏には付きまとっていると言えるが、1950年代前半以前のモノラル録音を聴けば、それが大きな誤解であるということが容易に理解できるはずだ。

本盤に収められたブラームスの交響曲第1番の演奏は、コロンビア交響楽団との最晩年のスタジオ録音ではあるが、1950年代前半以前のワルターを思わせるような、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力を有した力感溢れる演奏に仕上がっている。

ワルターを穏健派の指揮者などと誤解をしているクラシック音楽ファンにとっては、度肝を抜かれるような力強い演奏といえるかもしれない。

もちろん、第2楽章や第3楽章の心を込め抜いた情感豊かな表現は、いかにも最晩年のワルターならではの温かみを感じさせる演奏であるが、老いの影などいささかも感じられないのが素晴らしい。

そして、終楽章は、切れば血が吹き出てくるような生命力に満ち溢れた大熱演であると言えるところであり、とても死の3年前とは思えないような強靭な迫力を誇っている。

カップリングされている悲劇的序曲と大学祝典序曲もワルター渾身の力感漲る名演。

特に、大学祝典序曲など、下手な指揮者にかかるといかにも安っぽいばか騒ぎな通俗的演奏に終始してしまいかねないが、ワルターは、テンポを微妙に変化させて、実にコクのある格調高い名演を成し遂げているのは見事というほかはない。

コロンビア交響楽団は、例えば、ブラームスの交響曲第1番の終楽章におけるフルートのヴィブラートなど、いささか品性を欠く演奏も随所に散見されるところではあるが、ワルターによる確かな統率の下、編成の小ささをいささかも感じさせない重量感溢れる名演奏を披露している点を高く評価したい。

DSDマスタリングとルビジウム・クロック・カッティングによる高音質化も著しい。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)ブラームスワルター 

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フランスのベテラン・ピアニスト、パスカル・ロジェによる何とも瀟洒なアルバムだ。

「Crystal Dream」とのタイトルで、サティと吉松隆のピアノ・ソロ曲を集めている。

曲の配列がまた一興である。

サティのジムノペティでも1番、2番、3番と順に収録しているわけではなく、それどころか、吉松の作品とほぼ交互に配列されている。

この順番もロジェが考案したものだが、トータルの収録は73分超、ジャケットデザインもイージー・リスニング風だ。

アイデアとしてはやや無理があるのではと思ったが、聴いてみると、これが意外にもフィットしているのに驚いた。

何よりも、ロジェの肩の凝らない演奏が素晴らしいし、それでいて、2大作曲家の楽曲の特徴を巧みに描き分け、CD全体を一大芸術作品にしてしまった。

このような意表をつくアイデアと、アイデア負けしない名演を成し遂げたロジェに大拍手!

ロジェは透明感のあるピアニズムがことに印象的なピアニストで、例えばデュトワと録音したラヴェルのピアノ協奏曲集は、オーケストラのライトな響きと、見事な録音によって、現代的な色彩感に満ちたもので、筆者の愛聴盤になっている。

当盤でのロジェのピアノもまったく同様な美観に満ちている。

録音は、レーベルがエクストンになったこともあり、ピアノがぐっと近いような印象であるが、ホールトーンも適度にキープされていて、まずは良好。

冒頭のジムノペティ第1番から落ち着いた足取りで、かつしなやかなで透明な音色が繰り広げられる。

これほど静物画的なサティも、実はなかなか聴けないもので、また、ちょっとおどけた様な曲でも、ロジェの音色は高貴な佇まいを示す。

吉松のピアノ作品はプレイアデス舞曲集からの抜粋ということだが、サティのように曲毎の個性があるわけではない。

しかし、たいへん正直な感じの曲たちで、坂本龍一や加古隆のピアノ曲のように映像や環境を補完することで一層引き立つような雰囲気の曲たちだ。

もちろんただ聴いても悪くはないし、ロジェのようなピアニストに奏でられることによって、これらの曲たちの魅力も倍加しているように思われることは、このアルバムの大きな成果と言っていいだろう。

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録音からすでに40年以上経過したが、今もって、当曲の最右翼に位置する名盤である。

ショルティ&シカゴ響のヨーロッパ公演の際におこなわれた録音で、史上最強といわれる豪華なキャストが話題になった。

ところで、日本のクラシック批評史上最大の汚点として決して忘れてはいけないのが、ショルティを不当に過小評価したことである。

日本のクラシック音楽評論家連中は、ドイツ精神主義を最高のものとして崇め奉るため、楽譜に忠実な指揮をするショルティを「精神性がない」「無機的」「血が通っていない」とことあるごとに貶していた。

クラシックを聴き始めた頃の筆者は、この批評を鵜呑みにしてショルティを無視してしまった。

それが大間違いであったことに気が付いたのが10年近く経った頃であった。

以来、筆者はショルティを貶した評論家連中を信用しないようにしている。

そのように、ショルティは実力の割には過小評価されている大指揮者だと思うが、このマーラーを聴くと、大規模なオーケストラや合唱団を意のままに統率する類稀なるショルティの力量を思い知らされる。

マーラーの交響曲の中でも、「第8」は個人的な主観に左右されにくい作品なので、ショルティの客観的なアプローチに一番しっくりくるのかもしれない。

もちろん、演奏のほうも素晴らしいもので、大作とはいえ、流動的な構造の第2部、がっちりと構造的に仕上げるなど、いつもながらのショルティの造型志向はここでも健在。

第2部とは対照的に構造的求心性の強い第1部では、持ち前のダイナミックなアプローチが好を奏し、いたるところに爽快な山場がつくられていてとにかく快適。

ショルティはバーンスタインのように感情移入やテンポの激変することはしないで楽譜に忠実に指揮している。

しかし、ショルティの凄いところは1音も無駄にすることなくしっかりと明瞭な音を鳴らしているところである。

しかも、音に色彩感があり彫りが深く、オーケストラ、ソリスト、合唱を見事にコントロールして最高の音楽を引き出している。

独唱者は見事に粒よりで、女声は完璧、男声では、何といってもコロの絶唱!力強い美声を惜しみなく披露し、第2部ではテキストのとおり、陶酔した最高のマリア崇拝の博士が聴ける。

ショルティは実に力強くオケとコーラスを引っ張り、遅滞も乱れもなく完璧な音響表現を成し遂げた。

第1部よりも第2部が一層鮮やかで、全演奏者が本当に1つになって頂点を目指すような、セッションレコーディングにおいても稀有な成果と言えよう。

ただ演奏するだけでも人手も経費の面でも大変な曲なのだが、録音、オケの技術、歌手陣、音、全部考えうる最高の演奏だと思う。

録音も極上で、最初のオルガンの音1つにしても神秘の合唱の銅鑼一発にしても最高、オーディオ的満足度の高さも相当なものがある。

聴き手は、今は無きゾフィエンザールの広大な空間に、全盛期のショルティ&シカゴ響がその超絶的なパワーを注いで鳴り響いたゴージャスな音響を、これも円熟期のK・ウィルキンソンが世界最高の録音技術をもってホールの空間ごと切り取ったスペクタクルサウンドにただ唖然とすることしか許されない。

現在でもあらゆる要素において、最高水準のスタンダードと言えるところであり、マーラーの「第8」の数々のCDの中でもトップを争う名盤だと思う。

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classicalmusic at 01:15コメント(0)トラックバック(0)マーラーショルティ 

2014年11月25日


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情熱的なリズムや豊かな色彩感による、ファリャの出世作となった『恋は魔術師』や、卓抜な管弦楽法が十全に発揮され、カスタネットを加えて華麗な演奏効果をもたらす『三角帽子』など、近代スペインの作曲家ファリャを代表する作品を集めたディスク。

この両曲には、アンセルメの超名演があって、どうしてもそれが忘れられないが、それに次ぐ名演は、このデュトワ盤だと思う。

ともに濃厚なスペイン色あふれる作品だが、この演奏に聴くカラーは、どちらかというとフランス的性格が強いかもしれない。

しかしながら、それはたいそう洗練されたセンスで用いられているので、効果たるや抜群で、少しもマイナス材料とはなっていない。

いすれもセンス満点の演奏で、スペインの異国情緒溢れる民俗的舞踊の世界がパノラマのように展開される。

明るい陽光がキラキラと輝いているような魅力を持ったファリャの演奏である。

曲のもつラテン的な色彩感が全編にあふれており、激しく燃え立つような熱狂的なリズムと、バレエのステージを彷彿とさせるような巧妙な演出が素晴らしい。

デュトワはオケを巧妙にコントロールし、リズムにみられるシャープな感覚や、ダイナミックスの鮮やかなコントラスト、そして豊かな色彩感などを見事に生かしながら、そのバレエ的要素を、ドラマティックに、しかも聴く音楽としての条件によく結びつけていて美しい仕上がりをみせている。

ファリャの印象主義的な一面をことさら強調したような表現だが、色彩感が実に豊かで全体が美麗そのもの。

デュトワの音楽性が、ストレートに感じられる、優れた名演に数えられるだろう。

デュトワが指揮するモントリオール交響楽団に女声の独唱も加わった、多彩な音色を駆使した鮮やかで変化に富んだドラマティックな押し出しの見事な演奏が、聴く者を魅惑的なスペインの世界へと誘う。

少しも土俗的でなく、しかもリズムが躍動し、サウンドが洗練されていて、エレガントで洒落ている。

デュトワの棒の冴えに感嘆するディスクで、特に『三角帽子』での引き締まった演奏は出色のものと言えよう。

こうしたファリャの音楽も、文句なく愉しいと言えるだろう。

モントリオール交響楽団のサウンドも洗練を極め、いかにも気品が高く、これだけのレベルに鍛え上げたデュトワの類い稀な統率力にも舌を巻くしかない。

デュトワとモントリオール交響楽団との関係が、録音当時きわめて好ましいものであったことを如実に示している出来映えと言えよう。

豊かな音楽性と、節度をわきまえた品のよいサーヴィス精神とが、まさに大きく結実したような演奏内容である。

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classicalmusic at 23:18コメント(0)トラックバック(0)デュトワ 

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フランス系カナダ人の名チェリストであるジャン=ギアン・ケラスが、世界最高の女流ヴィオリストとも評されるタベア・ツィンマーマンや、古楽器演奏にも通暁したダニエル・セペックなど、各種ソロ活動でも実績のある3名のドイツ人弦楽器奏者とともに結成したアルカント弦楽四重奏団の結成10年を記念して、既発売の名演を集大成したシングルレイヤーによるSACD盤が発売された。

前述のように、メンバー全員が世界的な若手一流弦楽器奏者で構成されており、ソロ活動に繁忙なこともあって、常にともに活動している団体ではないが、結成されてからの10年間にリリースされた本盤の演奏は、バルトークの弦楽四重奏曲第5番及び第6番や、ドビュッシー&ラヴェル等による弦楽四重奏曲など、途轍もない超名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められた楽曲からも窺い知ることができるように、そのレパートリーは極めて広範なものがあり、アルバン・ベルク弦楽四重奏団が解散した今日においては、準常設団体ながら、カルミナ弦楽四重奏団などと並んで、最も注目すべき弦楽四重奏団であると言えるところだ。

バルトークの弦楽四重奏曲第5番及び第6番は、アルカント弦楽四重奏団のデビュー盤となった記念碑的な名演。

とりわけ、第5番は、2002年の結成時に初めて演奏した同団体にとっても大変に思い入れの深い楽曲であるだけに、演奏全体に途轍もない気迫と緊迫感、そしてどこをとっても切れば血が噴き出てくるような熱き生命力を有しているのが素晴らしい。

他方、第6番についても、同様のスタイルではあるが、バルトークの弦楽四重奏曲の掉尾を飾るのに相応しい神々しいとも言うべき崇高さをも絶妙に表現しており、この団体が技量一辺倒ではなく、情感豊かな演奏をも成し遂げるだけの力量を備えていることがよく理解できるところである。

ブラームスの弦楽四重奏曲第1番は、ドイツ風の重厚な演奏を行っており、この団体の多彩な表現力に圧倒されるのみ。

ピアノ五重奏曲も、ジルケ・アーヴェンハウスの巧みなピアノ演奏も、本名演に一躍買っているのを忘れてはならない。

そして、本盤の白眉は、何と言ってもドビュッシー、デュティユー、ラヴェルの弦楽四重奏曲。

驚天動地の名演であり、名演の前に超をいくつか付け加えてもいいのかもしれない。

それくらい、弦楽四重奏曲の通例の演奏様式の常識を覆すような衝撃的な解釈、アプローチを示している。

ドビュッシーとラヴェルの有名なフランスの2大弦楽四重奏曲の間に、デュティユーの弦楽四重奏曲をカップリングするという選曲のセンスの良さも光るが、ドビュッシー&ラヴェルの弦楽四重奏曲が含有する奥深い内容への追求が尋常ではない。

強弱の思い切った変化、極端とも言うべきテンポの振幅を駆使して、ひたすら両曲の内実に迫っていく彫りの深いアプローチには、ただただ頭を垂れるのみ。

それでいて、例えばラヴェルの弦楽四重奏曲の第3楽章の演奏などに見られる情感豊かな表現には、筆舌には尽くし難い美しさを誇っている。

また、デュティユーの弦楽四重奏曲の各楽章(部と言ってもいいのかもしれない)毎の思い切った描き分けは、難解とも言える同曲の本質を聴者に知らしめるという意味において、これ以上は求め得ないような理想的な演奏を行っていると言えるところである。

それにしても、これらの3曲の演奏における4人の奏者の鉄壁のアンサンブルは、何と表現していいのであろうか。

各奏者がいまだ若手であるにもかかわらず、単なる技術偏重には陥らず、常に作品の内面を抉り出そうと言う真摯な姿勢で演奏を行っていることに深い感銘を覚えるとともに、この団体の今後の更なる発展を予見させるものと言えよう。

そして、最後に収められているのがシューベルトの最晩年の傑作、弦楽五重奏曲ハ長調だ。

第2チェロを、この団体のリーダー格のジャン=ギアン・ケラスの高弟、オリヴィエ・マロンがつとめている。

同曲には、ウィーン風の抒情に満ち溢れた情感の豊かさに加えて、その後の新ウィーン派の音楽にも繋がっていくような現代的な感覚を付加させたアルバン・ベルク弦楽四重奏団による名演もあるが、本盤の演奏もその系譜に連なる演奏と言っても過言ではあるまい。

第1楽章冒頭からして、切れ味鋭いシャープな表現に驚かされる。

その後も、効果的なテンポの振幅や強弱の変化を駆使して、寂寥感に溢れたシューベルトの音楽の本質を鋭く描き出しているのが素晴らしい。

細部における表情づけも過不足なく行われており、この団体のスコア・リーディングの確かさ、厳正さを感じることが大いに可能である。

第2楽章は一転して両端部において情感豊かな表現を行っているが、耽溺し過ぎるということはなく、常に格調の高さを失っていない。

中間部は、同団体ならではの切れ味鋭いシャープな表現が際立っているが、同楽章全体の剛柔のバランスの取り方が見事であり、各奏者の類稀な音楽性を感じることが可能だ。

第3楽章は、非常に速いテンポによる躍動感が見事であるが、畳み掛けていくような気迫と切れ味鋭いリズム感は、この団体の真骨頂とも言うべき圧倒的な迫力を誇っている。

終楽章は、シューベルトの最晩年の心底に潜む闇のようなものを徹底して抉り出すような凄い演奏。

終結部の謎めいた終わり方も、この団体にかかると、歌曲集「冬の旅」の作曲などを通して、「死」というものと人一倍向き合ってきたシューベルトの「死」に対する強烈なアンチテーゼのように聴こえるから実に不思議なものであると言えるところだ。

いずれにしても、本盤の各楽曲の演奏は、アルカント弦楽四重奏団の実力が如何なく発揮されるとともに、今後のこの団体のますますの発展を予見させる超名演であると高く評価したい。

音質についても、いずれもハルモニア・ムンディならではの鮮明で良好なものであったが、今般のシングルレイヤーによるSACD化によって更に圧倒的な超高音質に生まれ変わった。

各奏者の弓使いが鮮明に再現されるとともに、その演奏が明瞭に分離して聴こえるのは、室内楽曲を聴く醍醐味とも言えるところであり、今般のシングルレイヤーによるSACD化が、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシーラヴェル 

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デュトワとモントリオール交響楽団は、多彩な管弦楽法を駆使した『ローマ3部作』を完璧に再現し、壮麗な演奏を展開している。

『ローマ3部作』のような標題音楽の演奏に抜群の手腕を発揮するデュトワが、極めて色彩豊かに再現している。

極めて淡彩なエレガントこの上ない繊細さと圧倒的な迫力を併せ持つ稀有の名演で、デュトワの鋭い感性と練達の手腕は、ここでも見事に発揮されている。

例えばギラギラと壮大で迫力満点のものがお好みなら、この演奏は向かないが、そうした力技ではなく、繊細でカラフルな美しさを求めるのなら、これは恰好の1枚である。

ムーティのようにゴリゴリと盛り上げるのではなく、微妙なニュアンスを大切にした色彩の変化が魅力的だ。

ムーティよりさらに感覚的な音の喜びが感じられるし、演奏も一段ときめ細かく、また仕上がりが丁寧で、美しい。

さながらイタリアのラヴェルのような響きのする美しいレスピーギで、ムーティが油絵なら、洗練の極みを聴かせるデュトワはパステル画である。

やはりデュトワ流ではあるが、この『ローマ3部作』にはそうした響きへのこだわりが書き込まれているのも事実だ。

デュトワはオケの力を色彩的に華やかに展開するだけでなく、スコアにあるソロイスティックな要素を含めてパレットの豊かさやニュアンスの濃さ、R=コルサコフ風の併行するリズムの効果なども的確に描き出し、さらにR.シュトラウスにも匹敵するようなオーケストラルな対位的書法をも、極めて適切なバランスによって巧妙に彫琢している。

《ローマの松》の〈ジャニコロの松〉や《ローマの祭り》の〈十月祭〉、《ローマの噴水》の〈トリトーネの噴水〉などでは繊細さを際立たせるなど、いかにもデュトワならではの独壇場といった趣きであるが、他方、《ローマの松》の〈アッピア街道の松〉や、《ローマの祭り》の〈主顕祭〉のド迫力も聴き手のドキモを抜くのに十分である。

デュトワは暑苦しい喧噪や凶暴さのなかにも、涼しげで精妙な繊細さや多彩な音色を描き切っており、まさに耳の勝利である。

もとよりオケが野蛮なほど咆哮する部分の多い作品ではあるが、むしろ《ローマの噴水》に象徴されるように、静謐かつ繊細な室内楽的テクスチュアの美しさにこそ真の魅力があるように思われる。

デュトワとこの『ローマ3部作』の抜群の相性の良さを感じるが、それを見事に描出して見せたモントリオール交響楽団の合奏力も高く評価すべきだと思う。

特に、わざわざ最後にもってきている《ローマの噴水》は、実に見事な演奏で、録音もずば抜けている。

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classicalmusic at 00:59コメント(0)トラックバック(0)レスピーギデュトワ 

2014年11月24日


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ヒコックスによる圧倒的な名演である。

ヒコックス2回目の録音で、ロンドン交響楽団としては久々の再録音(正規盤として)となった意欲作である。

全体を通してかなりオーソドックスな仕上がりで、安定感が高く、カルミナ・ブラーナの世界に温かく包み込んでくれる。

ヒコックスの老練な指揮に率いられて、ロンドン交響楽団も同合唱団も、そして各独唱者も最高のパフォーマンスを示している。

英語圏のソリストを揃えたが、やはり現在を代表する歌手だけあってなかなかの好演を聴かせてくれる。

それに、このコーラスはよく歌う。

ともすれば器楽的に扱われる演奏が多い中で、こんなにのびのびと声の出たカルミナ・ブラーナはむしろ珍しい。

指揮者がコーラス畑の出というのがプラスになっているのだろう、とても人間味のある歌が聴こえる快演だ。

ライヴ録音だけに、指揮者、オーケストラ、合唱団や独唱者、そしてコンサートホールの客の熱気も、冒頭から終結部に至るまで尋常ではない盛り上がりを見せており、CDを聴いている筆者までもが、心が高揚していくのを感じた。

コンサートホールでの生演奏ではよくあることだが、CDを聴いて今回のように心が高揚することはあまり経験はなく、それだけこの演奏が圧倒的な名演であるということなのだと思う。

SACDマルチチャンネルの効果も実に素晴らしく、音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりである。

いずれにしても、ヒコックスによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:32コメント(0)トラックバック(0)オルフ 

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前半2曲は1998年にオペラ『天路歴程』の演奏で高く評価されたヒコックスらしく、J.バニヤンにちなむ作品。

後半の2つの声楽作品は初録音で、「賛美歌前奏曲」もこのヴァージョンでは同様という貴重盤だ。

ヴォーン・ウィリアムズはシベリウスを尊敬し、自作の交響曲の献呈を行ったが、その献呈曲が交響曲第5番であった。

シベリウスを意識しただけに、激しく不協和音が炸裂する第4番とは全く異なり、いかにも英国の自然を彷彿とさせる抒情性や、北欧への憧憬に満ち溢れた名作だ。

もっと演奏、録音されても良い曲だと思うのだが、ヒコックス&ロンドン交響楽団盤は、この宗教的色合いの強い第5番の代表的名演と言える。

もちろん、バルビローリやボールトといった大御所の演奏も捨て難いが、録音の優秀さを考慮すると当盤が一歩抜きんでていると言えよう。

ヒコックスは、こうした柔和な作風を尊重した抒情豊かな名演を成し遂げており、作品への共感がこの指揮者の最良な部分を発揮させている。

併録の合唱曲や小品もいずれも美しい佳曲揃いであり、ヒコックスの指揮やロンドン交響楽団、合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

それにしても、全集完成目前で早すぎる死によって頓挫したヒコックス。

ヒコックスの指揮はわかりやすく、曖昧さの一点もない演奏であり、英国音楽の最高の紹介者として、その損失はあまりに大きい。

SACDマルチチャンネルによる高音質にもいささかの死角はなく、音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても超一級品の仕上がりである。

いずれにしても、ヒコックスによる素晴らしい名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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まずは収録された曲目に注目したい。

本盤が録音されたのは1974年であるが、これは帝王カラヤンの全盛時代であり、収録された曲目はいずれもカラヤンの十八番ばかりだ。

『英雄の生涯』はカラヤンの名刺代わりの曲、『牧神の午後への前奏曲』は、名手ツェラーと2度にわたり録音した得意の曲、シューマンのピアノ協奏曲も、決して協奏曲録音を得意としない巨匠が、リパッティ、ギーゼキング、ツィマーマンと組んで3度までも録音した曲だ。

協奏曲はともかくとして、いずれもカラヤンならではの豪華絢爛にして重厚な名演であった。

そうした圧倒的なカラヤンの存在の中においても、本盤のケンぺの名演は立派に存在感を示している。

ケンぺの演奏は、カラヤンと同じく重厚なものであるが、華麗さとは無縁であり、シュターツカペレ・ドレスデンのぶし銀の音色をベースとした質実剛健さが売りと言えるだろう。

『英雄の生涯』は、やや遅めのインテンポで一貫しているが、「英雄の戦い」の頂点での壮絶さなど、決して体温が低い演奏ではなく、この曲の持つドラマティックな表現にもいささかの不足はない。

1972年録音の高名なEMI盤は、通常のヴァイオリン配置であったが、当盤ではヴァイオリン両翼配置になっているのがポイント。

「戦場」最後の頂点で両ヴァイオリンが左右いっぱいに広がり高らかにうたわれる「英雄の主題」の爽快感と高揚感は、これこそスタジオ盤にない異様な感動を呼び起こし、まさに勝利の旗が戦場いっぱいにはためくようなイメージを喚起させる。

この『英雄の生涯』のライヴ盤は“着実な演奏をするが、どちらかというと地味な正統派”といったケンペの先入観をあっさり吹き飛ばしてくれる。

ケンペ晩年のライヴ演奏の中には、ドラマティックな志向を示したものが少なからず見受けられ、セッション録音との差の大きさに驚かされることがあったが、この『英雄の生涯』などはその最たる例と言えるのではないだろうか。

スタジオ盤も評価の高い盤として知られているが、今回のライヴ盤は、凄まじいばかりのエネルギーの放射、劇的な進行の起伏の激しさによってスタジオ盤とは異次元の音楽への没入ぶり、ケンペの熱い思いを感じることができる。

『牧神の午後への前奏曲』も、冒頭からいかにもジャーマンフルートと言った趣きであるが、カラヤンのように、この曲の持つ官能性を強調したりはしない。

しかし、全体の造型の厳しさや、旋律の歌い方などは、実に見事であり、カラヤンの名演とは一味もふた味も違う名演だ。

シュターツカペレ・ドレスデンのドビュッシーというのもきわめて珍しいが、オーケストラの音の存在感はさすがであり、ケンペの率直な指揮により、リアリスティックな美しさにあふれた『牧神』を味わうことができる。

シューマンは、この曲の持つファンタジスティックな魅力を損なうことなく、木管楽器の表情の美しさなど、オケの表現力も優れており、重厚な名演を成し遂げている。

録音は、特に、『英雄の生涯』においてやや人工的な残響が気になるが、1970年代のライヴ録音としては、十分に合格点を与えることができる。

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classicalmusic at 00:44コメント(0)トラックバック(0)ケンペR・シュトラウス 

2014年11月23日


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作曲・指揮・ピアノと、音楽のジャンルを問わずボーダーレスな活躍を続けるマルチ・ミュージシャン、アンドレ・プレヴィンの生誕80年と、NHK交響楽団の首席客演指揮者就任(2009年時)を記念したアルバム。

今回、そのN響を指揮するために来日したプレヴィンの来日記念盤として、コロンビア・レーベルに録音したクラシックとジャズの名盤をそれぞれ厳選してリリースされた。

アメリカ近現代の音楽の録音に強いプレヴィンだが、ここではコープランドが映画『赤い子馬』のために作曲したものを自身が管弦楽用にアレンジした組曲を演奏。

また、カップリングのブリテンの『シンフォニア・ダ・レクィエム』は、日本政府が皇紀2600年奉祝曲として依嘱し作曲されたが、祝う曲に『レクイエム』というタイトルが付けられていたため、演奏するのはふさわしくないとされ却下されたという逸話でも有名。

本盤はプレヴィンがクラシック音楽の録音に初挑戦した際の演奏とのことであるが、プレヴィンの抜群のセンスと音楽性を味わうことができる名演だと思う。

ブリテンの『シンフォニア・ダ・レクイエム』は、冒頭の「ラクリモサ」の重厚な迫力に圧倒されてしまう。

あたかも20世紀の世界が経験しなくてはならない惨禍を予見するような音楽であり、プレヴィンは、そうした悲劇を克明に描いて行く。

「ディエス・イレ」のたたみかけるような音楽の卓越した表現も、プレヴィンの真骨頂を見るようで、終楽章の「レクイエム・エテルナム」の天国的な美しさも感動的である。

作曲者による自作自演は別格として、現在入手できる最高の名演と評価したい。

コープランドは、プレヴィンによる編曲ということであるが、そのオーケストレーションの実に巧みなこと。

各部の描き分けも見事の一言であり、眼前に各場面が思い浮かぶような表現ぶりだ。

このような名演が、約45年もの間、我が国において発売されなかったというのは損失ではあるが、逆説的に言うと、今日の我が国において、クラシック音楽の受容の幅が広がってきたとも言えるところであり、併せて、発売の英断を下したソニーにも大いに感謝したい。

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classicalmusic at 22:44コメント(0)トラックバック(0)プレヴィンブリテン 

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ピリオド楽器による世界初録音であるとか、主役のアミーナにメゾソプラノを起用した原典版であるとか、本CDにはさまざまなポイントがあるが、そのようなことを度外視しても、十分に存在価値のある優れた名演である。

最近では、オペラの新譜などきわめて稀少な存在になりつつあるが、そのような中にあっては、なおさら燦然と輝く金字塔とも言える。

今日、アミーナ役は、高音域のコロラトゥーラ・ソプラノによって歌われることが、ほぼスタンダードになっているが、当初、作曲者は、メゾの声を意識して書いたもの。

ここでの演奏は、初演当時に近い楽器を使い、楽譜もなるべくオリジナルに沿っている。

何よりも、主役であるアミーナのバルトリと、エルヴィーノのフローレスの若きコンビが最高のパフォーマンスを示しているのが見事である。

今をときめく両者の共演は本盤が初めてと言うが、そうとは思えないほどの息のあった名コンビぶりだ。

特に、第1幕の二重唱は絶美の美しさで、これぞイタリアオペラの真髄を思い知らされるようだ。

また、アミーナがメゾであることも、とても新鮮だ。

バルトリは高度なテクニックも持っているし、表現力も素晴らしく、歌に込める情感が凄い。

こういう「夢遊病の女」も充分に通用する。

エルヴィーノのフローレスのベルカントが素晴らしいのは勿論だし、他の歌手陣では、ロドルフォ伯爵のダルカンジェロの歌唱が重厚な味を見せており、威厳すら感じさせる素晴らしい歌唱、アレッシオのカールマンのナンパぶりもなかなかのものだ。

これからコロラトゥーラ・ソプラノやカラスがアミーナの「夢遊病の女」と、このバルトリの「夢遊病の女」どちらも愛聴していくことになると思う。

指揮者については、筆者もあまり情報を持ち合わせていないが、本盤の見事な演奏を聴く限りにおいては、力量にいささかの不足もない。

オーケストラや合唱団も素晴らしい演奏を行っており、本盤の価値をより一層高めることに貢献している。

結果として、オリジナル楽器のオケとバルトリのメゾは良くマッチしており、指揮も録音も優れていて、このように3拍子揃ったオペラ全曲盤は久し振りであった。

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メシアンの幼子イエスに注ぐ20のまさざしは、決して親しみやすい曲とは言えず、いかにも難解な現代のピアノ独奏曲だ。

約2時間にも及ぶ長大さが、更にその難解さを助長していると言えるが、児玉桃の手にかかると、その難解さが相当に緩和される。

一見するとバラバラに見える各楽曲が実に有機的に関連性の高いものであることをよく理解することができるのだ。

これは、2002年の演奏会で本曲を絶賛されて以来、メシアンのスペシャリストとの評価を上げ続けてきた児玉桃が、この複雑怪奇な同曲を深く理解しているからにほかならない。

20の各楽曲の1つ1つは、全体としては関連し合ってはいるものの、それぞれ大きく性格を異にしているが、児玉桃は、実に繊細にして抒情豊かなタッチで、巧みに各楽曲の描き分けを行っている。

卓越した技量は持ち合わせているのだろうが、決してそれをひけらかすのではなく、表面的な技量よりは、曲の内容を深く掘り下げようという姿勢が窺えるのが素晴らしい。

児玉桃の奏でる美しい音色は、音符1つ1つに、メロディ1つ1つに、生命を宿らせて、音の官能、生の喜びを、丁寧にそして大胆に紡いでいき、児玉桃の大いなるピアニズムを感じずにはいられない。

さらに、本盤で忘れてはならないのは、録音が極上であるということ。

SACDマルチチャンネルによる鮮明な音質が、メシアンが同曲に盛り込んだ多種多様な要素のすべてを再現するのに多大な効果を発揮している。

本盤は、演奏、録音のすべてにおいてハイレベルの仕上がりであり、おそらくは、現在入手できる同曲のCDの中では、最高の名演と言っても過言ではないと思われる。

児玉桃が、その録音直前までレッスンを受け続けた、この曲の初演者であり、メシアンの妻でもあるイヴォンヌ・ロリオがライナー・ノーツを執筆しており、その解説内容も興味深い。

既に高い音楽性を持つ児玉桃の、今後のさらなる発展にも大いに期待したい。

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2014年11月22日


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ジュリアン・ブリームとサイモン・ラトルの、年齢差を超越したイギリスの巨匠2人による、極めつけのギター協奏曲を収録した作品。

ブリームとラトルという、20歳もの年の差がある世代の異なる者どうしの演奏であるが、まさに、現代と古典が融合した見事な名演に仕上がっている。

特に、メインのアランフェス協奏曲において、その特徴が大きく出ている。

ブリームは、本盤が4度目の録音ということだが、それだけにアランフェス協奏曲を自家薬籠中のものとしているのであろう、随所に目が行き届いた情感溢れる演奏を行っている。

それに対して、若きラトルはきわめて現代的なアプローチを試みている。

例えば、第1楽章の冒頭の鋭いリズムなどにも表れており、感動的な第2楽章も、決して甘い情緒に流されることはない。

このようにいささか異なるアプローチでありながら、なぜこのような名演が生まれたのであろうか。

それは、察するに、両者が同曲への深い理解を持ち合わせているからにほかならないだろう。

テンポをゆったりとり、楽曲の隅々にまで目が行き届いたブリーム、それに全く独自のアプローチで迫るラトルの指揮、まさに新時代の《アランフェス》がここにあると言えよう。

武満の「夢の縁へ」は超現実の世界へと誘う楽曲だが、本盤が世界初録音とのことであり、その意味でも貴重。

現代曲で、いかにもラトルが得意とする曲だけにラトルに主導権があるような印象を受けたが、ブリームもラトルの解釈に沿うようなアプローチで見事な演奏を繰り広げている。

アーノルドのギター協奏曲も、両者の絶妙の組み合わせが成功したノリの良い演奏を楽しめる名演である。

いずれにしても、カップリングにおいてもきわめてセンスの良さを感じさせる名盤と高く評価したい。

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「鳥のカタログ」は、約3時間にも及ぼうというメシアンの超大作である。

「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」もそうであったが、決して耳当たりのいい作品ではない。

弾き手はもちろんのこと、聴き手にも相当な緊張を強いる難解な作品である。

ただ、「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」が、どちらかと言うと人間の深層心理を抉っていくような峻厳な作品であるのに対して、「鳥のカタログ」は、ひたすら自然を描いて行くという温かい姿勢が窺える。

したがって、わずかな違いではあるが、「鳥のカタログ」の方が、幾分安心して聴くことができると言えるのかもしれない。

児玉桃は、決してテクニックを前面に打ち出すということはしない。

もちろん、非常な技巧を要する難解な曲だけに、卓越したテクニックが不可欠であることは否めない。

しかし、児玉桃は、そうした卓越したテクニックをベースにして、繊細で精緻なタッチで、この複雑怪奇な作品を丁寧に紐解いていく。

各楽曲には様々な鳥の名称が付されているが、それらの描き分けが実に見事である。

おそらくは、これらの各鳥と同化するような気持ちで、丁寧なアプローチを行っているのではないだろうか。

再現された音の1つ1つに、同曲への心を込め抜いた深い愛着が感じられるのも、そのような丁寧なアプローチの証左と言える。

まさに、究極のメシアン演奏と言えるものであり、SACDによる高音質録音ということを加味すれば、現時点において入手できる「鳥のカタログ」の最高の名演と評価しても過言ではあるまい。

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ベートーヴェンのチェロ・ソナタは、チェロ作品の新約聖書と称されている至高の傑作であるが、作曲年代がベートーヴェンの初期、中期、後期の広範に渡っている点も見逃すことができない。

第1番と第2番はベートーヴェンの最初期、そして最高傑作との呼び声の高い第3番は中期に差し掛かろうという時期、そして第4番と第5番は後期の作品だ。

チェロ作品の新約聖書と呼ばれているだけに、これまで数多くのチェリスト&ピアニストによって演奏され、名演と評価すべき録音も数多く存在しているが、そのような数々の名演の中で、燦然と輝いてる名演の玉座には、やはり、本盤のロストロポーヴィチ&リヒテルの黄金コンビによる名演を配するのが適切と言えるのではなかろうか。

フルニエ&ケンプを掲げる人も多いと思うが、筆者としては、演奏にかける気迫において、本盤の方をより上位に置きたい。

とにかくロストロポーヴィチ&リヒテルの隆盛期に当たる頃なので、大変剛毅なベートーヴェンの世界に、ある意味似つかわしい演奏を展開して両者の気迫が間近に感じられるようである。

基本的には骨太な中に繊細さを垣間見せるベートーヴェンを聴かせてくれるが、ロストロポーヴィチのチェロは雄渾にして壮麗。

我々聴き手の心を揺さぶる重厚な低音から、抒情的な箇所の熱い歌い方まで、どこをとっても切れば血が出てくるような力強い生命力に満ち溢れており、それらを駆使した超絶的な技巧も、精神性に裏打ちされて実に立派だ。

リヒテルのピアノも、ロストロポーヴィチのチェロをしっかりとサポートしつつ、単なる伴奏にとどまらず、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の幅の広さに圧倒される。

これら両者のがっぷり四つの横綱相撲は、時として地響きを立てるようなド迫力であり、我々聴き手の度肝を抜くのに十分である。

おそらくは、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ全集の演奏史上最高の超名演であり、将来に渡っても、これを凌駕する名演が現れる可能性は殆ど皆無ではないかと考える。

個人的には本演奏が余りに骨太である為、時折これとは対照的なフルニエ&ケンプあたりの演奏で聴く時はあるが、とにかく座右には置いておきたい永遠の名盤である。

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2014年11月21日


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スカルラッティのソナタ集のピアノ演奏版には、ホロヴィッツの超弩級の名演がある。

それ故に、後に続くピアニストは、なかなかこの超名演の高峰の頂に登ることは出来なかったが、ついにホロヴィッツ盤に匹敵する名盤が登場した。

その名盤こそ、本盤のポゴレリチ盤である。

スカルラッティといえばホロヴィッツの抜きん出た演奏があるので、他の演奏を聴いても心揺さぶられることがなかったが、ポゴレリチには驚いた。

ポゴレリチは、ホロヴィッツと同様に、ラルフ・カークパトリックが付した番号順に演奏するという型どおりなことはしていない。

555曲もあるとされているソナタ集から、15曲をランダムに選んで、ポゴレリチ自身が考えた順番に並べて演奏している。

演奏も、卓越したテクニックをベースとして、力強い打鍵から情感溢れる抒情豊かな歌い方など表現の幅は実に広く、緩急自在のテンポ設定を駆使して、各曲の描き分けを完璧に行っている。

ポゴレリチは、すべての音を旋律のために機能させ、自分の音楽に徹することで難所を克服してみせる。

ホロヴィッツとこの演奏が現代ピアノによる代表的なものだと思うが、ポゴレリチ独特のアーティキュレーションがここではほとんどプラスに作用していて、そこはかとない哀愁まで感じさせるのは大したものだ。

それにしても、各曲の並べ方の何と言うセンスの良さ。

ランダムに選んだ各曲の並べ方には、一見すると一定の法則はないように見えるが、同一調を何曲か続けてみたり、短調と長調を巧みに対比して見せたりするなど、全15曲が有機的に繋がっており、前述のようなポゴレリチの卓越した演奏内容も相俟って、あたかも一大交響曲を聴くようなスケールの雄大さがある。

音響特性上、現代ピアノで表現不可能なスカルラッティのソナタの要素を完全に再構築した画期的な快演である。

これだけの超名演を聴かされると、他のソナタ集もポゴレリチの演奏で聴きたくなったのは、決して筆者だけではあるまい。

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classicalmusic at 22:35コメント(6)トラックバック(0)ポゴレリチスカルラッティ 

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素晴らしい名演の登場だ。

エルガーのチェロ協奏曲は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲と並んで、チェロ協奏曲の2大傑作と評価される不朽の名作である。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、古くはカザルスに始まり、ロストロポーヴィチやフルニエ、女流ではデュ・プレ、現代ではマイスキーなど、名演には事欠かない。

しかしながら、エルガーのチェロ協奏曲は、大傑作であるにもかかわらず、デュ・プレの名演だけが著しく突出しており、他の演奏は、デュ・プレの名演と比較すると、かなり落ちる状況にあると言わざるを得ない。

ロストロポーヴィチなど、デュ・プレの名演に恐れをなして、生涯スタジオ録音を行わなかったほどである(ライヴ録音が数年前に発売されたが出来はイマイチ)。

そんなデュ・プレに肉薄する名演が、本盤の登場によって漸く現れたと言えるだろう。

デュ・プレは、女流チェリストとは思えないような体当たりの凄みのあるアプローチを行っていたが、ガべッタは、むしろ女流チェリストの美点を十分に生かした情感の豊かさが持ち味と言えるところであり、負けず劣らず素晴らしい。

実に透明感がある美しいチェロであり、センスが良いので決して重たくならず、しかもロマンに満ち溢れている。

それでいて、ここぞという時は、デュ・プレにも匹敵するような力強い表現を行っており、同曲が有する内なるパッションと秋雨にも似たほの暗い深い抒情性を、バランス良く透徹した表現で見事に描き切っている点を高く評価したい。

エルガーは下手に力んだりしてしまうと全く興ざめしてしまうのだが、ガベッタの演奏はその美しい音で曲の持つ“淡さ”を完全に表現しつくしていると言えよう。

現代に聴ける最高のエルガーであり、曲の解釈のみならず、ガべッタの奏でる美音には酔わされてしまう。

おそらくこの曲の代表盤としての資格を十分に持った演奏と言っても過言ではないだろう。

併録の小品もいずれも名演だ。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)エルガー 

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これは本当に大変な出来映えで、ベーム一代の最高の成果の1つというだけでなく、20世紀後半におけるモーツァルト解釈を代表する名演に数えるべきものであり、恐らく、20世紀全体を通じてみても、この世紀におけるモーツァルト演奏の何たるかを、永く後世に伝えるに足る演奏というより他ないようなものだろう。

ベームが指揮者として壮年期にあった時期の録音だけに、その生気あふれた音楽運びは、この時代のベームの芸術を特徴づける最大の魅力である。

まず第一にあげなければなければならないのは、ベームの実に見事な音楽表現だ。

おそらくここには我々が「ウィーン風」という概念で呼んでいるあの独特な演奏スタイルのすべての特徴と美点とが、最上の形で結晶して、モーツァルトの音楽をこれ以上ないほどの微妙さと美しさで鳴り響かせている。

ベームのモーツァルトの基本はインテンポであり、その中で楽譜に書かれてる音符と歌い手がイメージしている音楽が融和し、自ら美しくあるいは劇的な音楽が生まれてくる。

ベームは何もしていないように思われるが、そのアンサンブルから流れ出る音楽のなんと楽しいことだろうか。

ベームの指揮のもと、おそらく「コシ・ファン・トゥッテ」を最も深く知りつくしているウィーン・フィルが水を得た魚のように生き生きとした表情で馥郁たる匂いと劇的な情感に溢れる音楽を聴かせてくれる。

ベームの演奏は流麗をきわめ、表情はふくよかで、モーツァルトの至純な音楽がこれほど高い純度にまで精錬されて響くことは、ごくまれにしかあるまい。

温和で豊潤な音楽から生み出される馥郁たる香りのモーツァルト像は、この作曲家が持っている懐の深さを改めて我々に教えてくれる。

ゼーフリート、ヘルマン、オットー、デルモータら6人の歌手達も揃って高水準の歌唱を聴かせており、一つのスタイルと緊密なアンサンブルを形成している。

モーツァルトとベームの芸術を愛する人々にとって、この1組はかけがいのない価値を持つものである。

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classicalmusic at 01:05コメント(0)トラックバック(1)モーツァルトベーム 

2014年11月20日


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本盤には、シューリヒトが晩年にウィーン・フィルとともにスタジオ録音を行ったブルックナーの3曲の交響曲のうち第3番が収められているが(他は、第8番及び第9番)、久しぶりの発売であるとともに、待望のシングルレイヤーによるSACD化と言えるだろう。

というのも、第8番や第9番がシューリヒトの、引いてはそれぞれ両曲の演奏史上でも特筆すべき名演だけに、いささか影が薄い存在であるということもその理由に掲げられると言えるのかもしれない。

シューリヒトの死の2年前の録音ということもあり、第8番や第9番と比較すると、シューリヒトの統率力にいささか衰えが見られることに加えて、当時は一般的であった改訂版の使用も相俟って、大方の音楽評論家があまり芳しい評価をして来なかったという側面も否定できない。

しかしながら、果たして、そうした低評価だけで片付けられるような演奏と言えるのであろうか。

確かに、速めのテンポで燃え盛るようなドラマティックな生命力溢れる力演を聴かせてくれた第8番や、深沈たる彫りの深い表現を聴かせてくれた第9番の演奏と比較すると、いささか統率力が弱まり(ブラスセクションが荒削りになっている点において顕著)や彫りの深さに欠けた演奏とも言えるが、それでも巨匠シューリヒトならではの至芸は随所に表れているのではないかと考えられる。

演奏全体の引き締まった造型美には殆ど問題はないし、淡々と流れていく曲想の端々には、独特の奥深い情感が込められているのは、シューリヒトならではの指揮芸術の賜物と言えるところであり、死の2年前ということもあり、それはあたかも人生の辛酸を舐め尽くした巨匠の至純・至高の境地と言っても過言ではあるまい。

そして、本演奏の魅力は、何と言ってもウィーン・フィルによる美演であろう。

ウィーン・フィルはシューリヒトを崇敬していたとのことであるが、本演奏でも崇敬するシューリヒトを指揮台に頂き、渾身の名演奏を繰り広げている点を高く評価したい。

いずれにしても、本演奏は、シューリヒトのベストフォームにある演奏ではないことについては否定しないが、ウィーン・フィルの好パフォーマンスも相俟って、シューリヒトの最晩年の清澄な境地が表れた素晴らしい名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

音質は、手元に第8番及び第9番と組み合わさったセット盤を所有しているが、当該従来CD盤が今一つ冴えない音質でやや問題があった。

第8番や第9番がHQCD化、ついでハイブリッドSACD化され、圧倒的な超高音質に生まれ変わったにもかかわらず、本演奏についてはHQCD化すら図られないのは実に不思議な気がしていたところだ。

ところが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤が発売されるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても、従来CD盤とは段違いの素晴らしさであり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、シューリヒトによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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チョン・ミュンフンとエーテボリ交響楽団のドヴォルザークは、硬軟併せ持った相当おもしろい演奏と言って良い。

この録音のほぼ10年後にウィーン・フィルと再録音しているしているからよほど得意な曲なのだろう、すでに彼の美質がよく表れた1枚である。

第7番は、第8番と同傾向ながらより広がり感がある。

第1楽章は意志を持った堂々とした貫禄があり、それでいて肩に力が入りすぎず歌心もある。

奇を衒うことは無く、2年前の第8番よりも音楽の恰幅がよくなっているのは彼の成長の証である。

第2楽章も丁寧に歌われていて、オケの洗練されすぎない土や木の香りのする音が良く、小鳥のさえずりも聴こえる。

第3楽章も特徴あるリズムをしっかり捉えた演奏で、後半にどんどん熱を帯びてくる。

終楽章は高揚しており、ティンパニの合いの手は決まるが、暴力的に粗くならないのがチョン・ミュンフンの音楽知性。

ここを踏み込まないのをよしとするか否かで評価は分かれるが、エーテボリ響を指揮してここまで熱くした演奏は珍しい。

第8番は、第1楽章冒頭の主題が出るところから、演歌調というわけでなくのびやかさがある歌い回しで、こってりでなく切ない情感を込めて歌われる。

最初の沈み込む緊張感、次いで明るさへの逆転等、オペラ的というか、各部分のイキイキ、ナマナマで聴き手を引きつける。

主部は、音楽が自然な伸縮を繰り返し、楽想を大胆、鮮やかに描き分け、ドイツ的形式感とは異なる性質を強調している。

第2楽章もオペラ指揮者として活躍する彼の面目躍如。音楽が物語りしている感じであり、それもコテコテでなく一定の品格を持っている。

第3楽章も格調を落とす一歩手前まで歌うこのぎりぎり加減のセンスがある意味東洋的かもしれない。

終楽章はオケの素朴なパワーを引き出していおり、ティンパニにしっかりアクセントをつけさせ、表情は微に入り細を穿ったもので、テンポも絶妙に呼吸し、オケの力量もありやや線は細く、豪快な迫力というより爽やかに結ぶ。

録音は低音が軽くスケール感もほどほどという印象である。

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classicalmusic at 00:46コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザーク 

2014年11月19日


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巨匠コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団の演奏によるニールセン・シリーズもいよいよ大詰め。

交響曲第2番と第3番は、前作第1番より2ヶ月後の2011年12月に、いずれも本拠バービカンホールで集中的に行われたコンサートの模様をライヴ収録したものである。

『四つの気質』というタイトルをもつ第2交響曲は、ニールセンが田舎を訪れた際にパブで偶然目にした、人間の気質をテーマとした水彩戯画に霊感を得て生み出されたもので、4つの楽章各々の発想記号に、怒りっぽい「胆汁質」、知的で冷静な「粘液質」、沈んでメランコリックな「憂鬱質」、陽気で快活な「多血質」という性格を暗示する形容詞が与えられ、実際の音楽もこれに沿う形で展開するところがユニークな作品。

いっぽう、第1楽章の発想記号(アレグロ・エスパンシヴォ)に由来する『ひろがりの交響曲』というタイトルで呼ばれる第3交響曲は、第2楽章(アンダンテ・パストラーレ)の曲想から「ニールセンの田園交響曲」ともいわれ、楽章中盤以降に舞台裏からバリトンとソプラノの独唱が相次いでヴォカリーズで現れるところに最大の特徴があり、北欧風の牧歌的な味わいで発表当時から人気の高かった曲でもある。

2012年5月25日、デイヴィスはデンマーク王室より、2011年にロンドン交響楽団と取り組んだニールセンの交響曲録音の功績を認められ、デンマーク大使を通じて由緒あるダネブロー・コマンダー勲章(Commander of the Order of the Dannebrog)を叙勲された。

その評価の正当性はこれまでのシリーズのすぐれた演奏内容からも明らかだが、2012年9月に85歳を迎えたデイヴィスの音楽はここでも、これがニールセンの交響曲に初めて本格的に挑んだ指揮者のものとは到底信じられないほどの高みに聳えて圧倒的な佇まい。

前2作同様に、心酔する巨匠と音楽を奏でる歓びを一丸となって表現するロンドン交響楽団の演奏は迫真そのもので、シリーズを締め括るにふさわしいみごとな内容となっている。

そして、本盤で素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さ、臨場感、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、デイヴィスによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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デイヴィス&ロンドン交響楽団によるニールセンの交響曲チクルスの待望の第2弾の登場だ。

前作の第4番及び第5番、とりわけ第5番が圧倒的な超名演であっただけに、大いに期待して本盤を聴いたのであるが、その期待をいささかも裏切ることがない圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。

本盤に収められた交響曲は、初期の第1番とニールセンの最後の交響曲である第6番という、対照的な楽曲どうしの組み合わせである。

第1番といっても、決して習作ではなく、20代半ばで作曲された完成度の高い作品である。

さすがに、第3番〜第5番のいわゆる三大交響曲に比肩するとは言い難いが、ニールセンならではの独特の華麗なオーケストレーションと、北欧風の情感の豊かさも盛り込まれた魅力的な作品であると言えるところだ。

デイヴィスは、そうした同曲の特色を十分に生かすとともに、ライヴ録音ならではの畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が漲った見事な名演奏を繰り広げている。

とりわけブラスセクションの強靭な迫力は、とても80歳の老巨匠によるとは思えないほどの凄まじさであり、デイヴィスが満を持して臨んだニールセンの交響曲チクルスにかける本気度を窺い知ることが可能であると言っても過言ではあるまい。

他方、第6番は、シンプルシンフォニーとの副題が示すように、最高傑作の第5番とは一転して簡潔な書法で書かれた名作である。

トゥッティは殆ど存在せず、室内楽的な静けさが全体を支配しているとともに、打楽器セクションの効果的な扱いが特色と言えるが、それだけに指揮者にとっても、演奏全体を纏めるのに難渋することを強いられる作品とも言えるだろう。

デイヴィスは、そうしたニールセンの最晩年の枯淡の境地さえ感じさせる同曲の魅力を十二分に描出するとともに、巧みにメリハリを施すことによって、聴かせどころのツボを心得たいい意味で明晰な演奏に仕立て上げた点を評価したい。

デイヴィスによるニールセンの交響曲チクルスは、残すところ第2番及び第3番のみとなったが、これまでの演奏はいずれも名演であり、第3弾に大きな期待を寄せる聴き手は筆者だけではあるまい。

ロンドン交響楽団も、老匠ニールセンの下、渾身の名演奏を展開しているのを評価したい。

そして、本盤で素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

音質の鮮明さ、臨場感、音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、デイヴィスによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年11月18日


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カラヤン2度目の《ファルスタッフ》録音となったこのアルバムは、全曲くまなく溌剌たるエネルギーの漲ったゴージャスな演奏。

カラヤン2度目の録音だけあって、演出巧者な棒で、このオペラのもつ洒脱で喜劇的な愉悦感をもののみごとに表出している。

ゴッビ等と録音した旧盤と比べ、この録音でのカラヤンはまさに至芸をみせている。

細部までよく磨き抜かれた、実に仕上がりのよい演奏で、ウィーン・フィルの響きも大変美しい。

ウィーン・フィルの柔らかな音色とカラヤン独特の粘り腰もあって、トスカニーニほどの鋭敏さはないが、オーケストラは洗練され尽くした美しい響きだ。

ウィーン・フィルの爛熟の響きで貫かれたきわめてユニークな《ファルスタッフ》でもあるが、ここに横溢した贅沢な愉悦感は比類がないもの。

歌手陣も素晴らしい。

中でも老タデイのファルスタッフが抜群にうまく、のびのびと闊達に大ベテランならではの練れた歌唱を聴かせ、持ち前の至芸によって聴き手の心をたっぷりと充足させてくれる。

タイロル・ロールのタデイは心配された声の衰えも少なく、滑脱、自由自在のファルスタッフを生き生きと歌いきっている。

「愛すべき無頼漢」が憑依したかとも思えるタデイの、天衣無縫、自由奔放、柔軟無類の驚くべき名唱が聴きもの。

素晴らしいアンサンブルを展開するほかの歌手たちも粒ぞろい。

パネライは善人フォードを彷彿とさせる不足のない出来映え。

ガバイヴァンスカもここでは本領を発揮、4人の主役級の女声陣も、それぞれみごとだ。

またアライサのフェントン、ペリーのナンネッタの起用もカラヤン美学に沿ったものと思えるが、これも大きな成功を収めているように思う。

完成期のカラヤンのヴェルディ録音の中でも白眉の一盤と言えるところであり、このオペラのユニークなおもしろさを充分に味わわせてくれる。

カラヤンの音楽に漂う不思議な優しさは老ヴェルディの精神にふさわしく、感動的だ。

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classicalmusic at 22:58コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディカラヤン 

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クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団という黄金コンビが遺した素晴らしい名演だ。

特に、「アルルの女」の第1組曲及び第2組曲については、同曲随一の超名演と高く評価したい。

何よりも、演奏の持つ筆舌には尽くしがたいフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいに完全にノックアウトされてしまう。

クリュイタンスの指揮は、テンポの設計や間のとり方など、単にお国物というだけではない名人芸を披露している。

ビゼーのオーケストレーションが実に巧みであることもあって、どの演奏を聴いても、それなりにプロヴァンス地方の雰囲気を彷彿とさせるような味わい深い演奏をすることは可能であるが、クリュイタンスの表現はそもそも次元が異なる。

クリュイタンスは、やや遅めのテンポで丹念に仕上げながら、ビゼーならではの色彩感を格調高く引き出し、「アルルの女」の舞台となったのどかなプロヴァンスの雰囲気を色濃く表現している。

1音1音に独特の表情付けがあり、管楽器や弦楽器、そして打楽器に至るまで、そのすべてがセンス満点の響きに満たされているのだ。

それは他の演奏には聴かれない本演奏固有のものであり、あたかも演奏の端々から南仏の豊かな香りや空気感さえもが漂ってくるかのようだ。

これはクリュイタンスならではの表現世界と言えるところであり、永遠に光を失うことのない、歴史的な名演奏と言えよう。

これほどのセンス満点の名演は、クリュイタンス、そしてパリ音楽院管弦楽団としても会心の演奏であったと言えるのではないだろうか。

上昇管付きフレンチホルン、細管の金管、バッソンなど、生粋のフランスの音が花盛りであり、ビゼーの傑作をこんな音で聴く楽しさは筆舌に尽くせない。

これは失われたフランスの香りに満ちた超一流の名演で、まさにオーケストラのグローバル化が進む前の貴重な記録と言えよう。

他方、「カルメン」についてはクリュイタンスとしては普通の出来であると思うが、それでも名演と評価するのにいささかも躊躇しない。

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classicalmusic at 20:51コメント(0)トラックバック(0)ビゼークリュイタンス 

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イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタは、技術的にも、そして、その内容を豊かに表現するという意味においても、稀に見る難曲である。

まさに、イザイが模範としたバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ同様の難しさがあり、近年のヴァイオリニストも、バッハとともに、このイザイのソナタに挑戦する者が増えてきている傾向にある。

とは言っても、若手のヴァイオリニストが、イザイのソナタに挑戦するというのは正気の沙汰ではなく、その意味でも、松田理奈は、凄いことをやってのけたと考える。

ライナー・ノーツの解説によれば、松田は、イザイに幼いころから慣れ親しんできたとのことであるが、それにしても、今般の全曲録音は快挙と言える。

そして、演奏も素晴らしい。

録音の良さを考えると、同曲のトップの座を争う名演と評価してもいいのではないだろうか。

卓越した技量もさることながら、松田は、この変化の激しい各曲の描き分けが実に巧み。強弱も、そして緩急自在のテンポの変化も、よくぞここまで完璧に表現することができたものだと感心してしまう。

それでいて、音楽の流れを損なうことはいささかもなく、ゆったりとした気持ちで、イザイのソナタを満喫することができるのが素晴らしい。

抒情的な箇所の調べは、女流ヴァイオリニストならではの繊細な美しさに満ち溢れている。

松田は、まだ20歳代半ば。

本盤のような名演を聴くと、彼女の前途洋々たる将来性を感じずにはいられない。

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2014年11月17日


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本盤に収められた演奏については、かつてマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD盤が発売されており、十分に満足できる高音質であったが、本盤はその更に上を行く究極の高音質SACDと言える。

マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、これほどの豊かな音場の拡がりを感じさせるというのは驚き以外の何物ではなく、あらためて、シングルレイヤーSACD&SHM−CD仕様の威力を思い知った次第である。

ムターのヴァイオリンの細かい弓使いの1つ1つがクリアに再現されるというのは、殆ど驚異的ですらある。

演奏も素晴らしい名演。

本演奏は1992年であるが、これはムターがカラヤンのくびきから解き放たれ、現代を代表する大ヴァイオリニストへの道程を着実に歩み始めた時期のものだ。

要は、ムターが漸くその個性と才能を発揮し始めた時期の録音であり、ここにはムターの卓越した技量と個性が満ち溢れた素晴らしい名演の数々が収められている。

ツィゴイネルワイゼンにおいては、同曲特有の民族色を全面に打ち出し、決して上品ぶったりすることなく、これ以上は求めえないような土俗的な音を出している。

このような演奏をすると、単なる場末のサーカスのような下品な演奏に陥ってしまう危険性もあるが、ムターの場合はいささかも高踏的な芸術性を失わないのが素晴らしい。

伝説曲や悪魔のトリル、タイスの瞑想曲、子守歌の情感豊かな演奏も美しさの極みであるし、ツィガーヌにおける緩急自在の表現力の桁外れの幅の広さには舌を巻くばかりだ。

カルメン幻想曲に至っては、卓越した技量と民族色豊かな表現力が高い次元でマッチングした稀有の超名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)ムター 

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英国の詩情ここに極めれりと言った表現が見事にあてはまる素晴らしい名SACDと言えるのではないだろうか。

ボールトは、ホルストの組曲「惑星」を初演するなど、英国の指揮者の重鎮とも言うべき存在であったが、そのレパートリーは意外にも幅広く、例えばブラームスの交響曲全集など、ドイツ系の音楽にも少なからず名演奏の数々を遺しているところだ。

もっとも、そうは言ってもそのレパートリーの中核をなしていたのは、エルガーやヴォーン・ウィリアムズをはじめとする英国音楽であったことは言うまでもない。

本盤には、そうした英国の大作曲家であるエルガーとヴォーン・ウィリアムズの管弦楽曲の代表作が収められているが、英国音楽を自家薬篭中のものとしていたボールトによる演奏でもあり、演奏が悪かろうはずがない。

本レビューの冒頭にも記したが、まさに英国の詩情に満ち溢れた珠玉の名演揃いであると言っても過言ではあるまい。

ボールトのこれらの各楽曲に対するアプローチは、何か特別に奇を衒った解釈を施しているわけではない。

むしろ、曲想を精緻に丁寧に描き出して行くという正攻法のものであるが、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々からは、いかにも英国の独特の自然を彷彿とさせるようなエレガントで詩情豊かな情感が滲み出しており、これぞまさしく英国音楽の粋と言えるだろう。

とりわけエルガーのエニグマ演奏曲の各変奏曲を巧みに描き分けつつも、エレガントさをいささかも失うことがない風格の豊かな音楽は、大指揮者ボールトだけに可能な至高の表現であると言えるところであり、同曲の演奏の理想像の具現化と言ってもいいのではないだろうか。

ロンドン交響楽団も、ボールトの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

音質については、本盤に収められた楽曲のうち、エニグマ変奏曲については、かの超名演として名高いホルストの組曲「惑星」とのカップリングにより数年前にリマスタリングが施されたところであり、比較的満足できる音質であった。

したがって、筆者としても、エニグマ変奏曲については、当該リマスタリングCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤とはそもそも次元が異なる見違えるような、1970年のスタジオ録音とは信じがたいような鮮明な音質に生まれ変わった。

鮮明さ、音場の拡がり、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ボールト&ロンドン交響楽団による英国音楽の粋とも言うべき至高の超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)エルガー 

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本盤には、バックハウスが録音した最初のモノラル録音のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集から抜粋した有名な3曲が収められている。

いずれも神々しささえ感じさせるような至高の超名演だ。

本盤の3曲については既に録音から60年近く経過しており、単純に技量面だけに着目すれば更に優れた演奏も数多く生み出されてはいるが、その音楽内容の精神的な深みにおいては、今なお本演奏を凌駕するものがあらわれていないというのは殆ど驚異的ですらある。

まさに本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるだろう。

バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。

飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。

しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れている。

全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。

その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。

したがって、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要する。

バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能であるが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、まさに孤高の至芸と言っても過言ではないのではないかとさえ考えられる。

バックハウスとケンプについてはそれぞれに熱烈な信者が存在し、その優劣について論争が続いているが、筆者としてはいずれもベートーヴェンのピアノ・ソナタの至高の名演であり、容易に優劣を付けられるものではないと考えている。

音質は1950年代前半のモノラル録音であるが、英デッカによる高音質であり、従来盤でも十分に満足できるレベルに達している。

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2014年11月16日


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本盤には、パレー&デトロイト交響楽団によるフランクの交響曲ニ短調とラフマニノフの交響曲第2番の演奏が収められている。

先ずは、フランクの交響曲ニ短調であるが、これは実に味わい深い演奏である。

フランスのシューリヒトとの異名があるパレーだけに、演奏全体の様相は意外にも抒情にはいささかも溺れることにないあっさりしたものである。

むしろ、演奏全体の引き締まった造型美を堅持しつつ、比較的速めのテンポで淡々と進行していく音楽であるとも言えるが、じっくりと腰を据えて鑑賞すると、各旋律の端々には独特の細やかなニュアンスが込められており、演奏内容の充実度には濃いものがある。

そして、そのニュアンスには、フランス人指揮者ならではのエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れていると言えるところである。

このような老獪とも言える卓越した指揮芸術は、パレーだけに可能な圧巻の至芸と高く評価したい。

フランクの交響曲ニ短調の演奏のスタイルとしては、いわゆるフランス音楽的な要素を全面に打ち出したものと、ドイツ音楽にも通底するものとして、絶対音楽としての交響曲であることを強調したものに大きく分かれるが、パレーによる本演奏は、その折衷型の代表的な名演として極めて存在価値の高いものと言えるところだ。

他方、ラフマニノフの交響曲第2番については、スヴェトラーノフなどに代表されるロシア系の指揮者による民族色濃厚な演奏とは一線を画した洗練された演奏スタイルである。

本演奏が1957年のものであることに鑑みれば、当時としては清新ささえ感じさせる演奏とも言えるところであり、デュトワなどをはじめとする現代においては主流となりつつある同曲の演練された演奏を先取りするものとして高く評価しなければならないと言えるところだ。

同曲の演奏に、ロシア風のメランコリックな抒情を希求する聴き手には、ややあっさりし過ぎているとの印象を与えることも十分に考えられるが、現代において主流となりつつある同曲の洗練された演奏に親しんでいる聴き手にとっては、むしろ歓迎すべき演奏ということになるであろう。

要は、聴き手によって好き嫌いが大きく分かれる演奏かもしれないが、筆者としては、パレーの偉大な指揮芸術を堪能することが可能な素晴らしい名演と評価したい。

デトロイト交響楽団も、近年ではすっかりと鳴かず飛ばずの低迷期に入っているようであるが、パレーが音楽監督を務めていた時代は全盛期とも言えるパフォーマンスを発揮していた。

本盤の演奏を聴いてもそれがよく理解できるところであり、フランクの交響曲ニ短調など、アメリカのオーケストラがよくぞここまでフランスのオーケストラ顔負けのセンス満点の演奏ができるのかと、ただただ驚かされるのみである。

音質は、ルビジウム・クロック・カッティングによって、従来CD盤よりも更に良好な音質に生まれ変わった。

少なくとも1950年代末という録音年代に鑑みれば、十分に満足できる音質と評価したい。

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数年前に惜しまれながら解散したアルバン・ベルク弦楽四重奏団による名演。

アルバン・ベルク弦楽四重奏団は、ウィーン音楽大学の教授で構成されているだけに、ウィーンの音楽家ならではの非常に美しい音色を奏でるが、併せて、現代の弦楽四重奏団ならではの、卓越した技量を基にした切れ味鋭いアプローチを行っている。

要は、いい意味でのバランスが持ち味であり、様々な楽曲において、新鮮な解釈を示してくれた。

このようなアプローチならば、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲などに最適とも思われるが、残念ながら、全集を完成させないまま解散してしまった。

しかしながら、バルトークの弦楽四重奏曲全集などでは超名演を成し遂げており、2度にわたるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集(特に旧盤)でも、斬新な解釈で至高の名演を聴かせてくれた。

本盤のモーツァルトも素晴らしい。

アルバン・ベルク弦楽四重奏団によって生み出される驚異的なアンサンブルは、卓越した技量の下、完璧なハーモニーを奏でているし、加えて、ウィーンの音楽家ならではの美しい音色も実に魅惑的であり、単なる技術偏重に終始していない点が素晴らしい。

本盤の、いわゆるモーツァルトのハイドンセットは、アルバン・ベルク弦楽四重奏団の得意のレパートリーであり、これは2度目の録音であるが、実に素晴らしい名演だ。

有名な第17番は、明朗で自由闊達とも言うべき生命力溢れる力強さが見事であるし、あまり有名でない第16番も、同曲の持つ魅力を聴き手に知らしめる実に素晴らしい名演と評価すべきであろう。

いずれも、卓越した技量と抜群のアンサンブルを誇っているが、それでいて、ウィーンの音楽家による演奏ならではのセンス満点の情感豊かさがあらわれており、いい意味でのバランスのとれた名演に仕上がっている点が、いかにもアルバン・ベルク弦楽四重奏団の長所と言えよう。

モーツァルトのハイドンセットは、その後のベートーヴェンの弦楽四重奏曲にも大きな影響を与えた傑作であるが、その中でも、最後の2曲である第18番と第19番は、大傑作と言えるだろう。

モーツァルトならではの哀感も加味された優美な音楽が、熟達した作曲技法の下、精緻に表現されているからである。

これだけの傑作であるが故に、これまで数多くの弦楽四重奏団によって演奏・録音が行われてきたが、近年でも群を抜いた名演は、やはり本盤に収められたアルバン・ベルク弦楽四重奏団による2度目の録音ということになるであろう。

第18番と第19番は、ベートーヴェンにも多大な影響を与えた独特のリズムや精緻な対位法などが満載であるが、アルバン・ベルク弦楽四重奏団は、ウィーンの団体ならではの優美な音色をベースとして、切れ味鋭い現代的な解釈で、テンションの高い熱い演奏を繰り広げている。

卓越した技量も聴きものであり、4人の奏者が奏でるアンサンブルの鉄壁さも、技術偏重には陥ることなく、情感豊かな温もりさえ感じさせて感動的だ。

本演奏は、まぎれもなく、アルバン・ベルク弦楽四重奏団によって再現された現代の新しいモーツァルト像を確立したと言えるところであり、本盤をして、ハイドン・セットの最高の名演の1つと評価するのにいささかも躊躇しない。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトアルバン・ベルクSQ 

2014年11月15日


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アバドの後を追ってベルリン・フィルの第6代芸術監督に2002年に就任したラトルであるが、就任から5年間ほどは、名うての猛者たちを統率することがままならず、新機軸を打ち出そうという気負いだけが空回りした凡庸な演奏を繰り返した。

これは、アバドと同様であり、ベルリン・フィルの芸術監督就任前の方が、よほど素晴らしい演奏を成し遂げていたとも言えるところだ。

しかしながら、本盤の1つ前の録音であるマーラーの交響曲第9番あたりから、漸くラトルならではの個性が発揮された素晴らしい名演を成し遂げるようになった。

芸術監督に就任してから5年を経て、漸くベルリン・フィルを統率することができるようになったことであろう。

本盤に収められたベルリオーズの幻想交響曲、そしてカンタータ「クレオパトラの死」も、ラトルがベルリン・フィルを巧みに統率して、自らの個性を十二分に発揮し得た素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

幻想交響曲については、第1楽章冒頭から途轍もない気迫が漲っている。

主部に入ってからも、テンポの振幅や強弱の変化を大胆に駆使して、熱き生命力に満ち溢れたドラマティックな演奏を行っている。

ベルリン・フィルの管楽器奏者の巧さにはただただ舌を巻くのみである。

第2楽章の格調の高い音楽は、ラトルが単なる勢い一辺倒の無内容な演奏をしていない証左とも言える。

第3楽章は、静寂が漂う音楽であるだけに、全楽章の中での存在感を発揮させるのが難しい楽章であるが、ラトルの場合は、ベルリン・フィルの卓越した奏者たちを見事に統率して、実にコクのある音楽を醸成させている。

第4楽章は、冒頭はあまり調子が出ない(反復も忠実に実施)が、徐々に調子を上げていき、終結部においては、ベルリン・フィルの圧倒的な合奏力に物を言わせて、途轍もない迫力に満ち溢れた豪演を成し遂げている。

終楽章は、ベルリン・フィルの猛者たちの技量は筆舌には尽くし難いところであり、これらの手綱を引き締めて見事な音のドラマを構築し得たラトルの指揮者としての円熟ぶりも特筆すべきであろう。

カンタータ「クレオパトラの死」も、ベルリン・フィルを巧みに統率した名演であるが、ソプラノのスーザン・グラハムの名唱も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、初回生産限定ではあるがHQCD化が図られることによって十分に良好な音質であり、いずれにしても、ラトル&ベルリン・フィルの名コンビが漸く軌道に乗った素晴らしい名演を高音質HQCD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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ルドルフ・ケンぺは、ほぼ同世代の指揮者であった帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルなどとともに豪壮華麗な演奏を繰り広げたことや、膨大な数のレコーディングを行うなど、華々しい活躍をしていたこと、そして指揮者としては、これから円熟の境地を迎えるという時に急逝したこともあって、現在においても比較的地味な存在に甘んじている。

芸風は異なるものの、職人肌という点においては共通している先輩格のカール・ベームが、当時隆盛期にあったイエローレーベル(DG)に、ウィーン・フィルとともにかなりの点数の録音を行ったこと、そしてケンペよりも長生きしたことも、そうしたケンペの地味な存在に甘んじているという状況に更なる拍車をかけているとも言えるだろう。

しかしながら、ケンペの存命中は、帝王カラヤンの豪壮華麗な演奏に対置する、いわゆるドイツ正統派の質実剛健な演奏をする指揮者として、ケンペはベームとともに多くのクラシック音楽ファンに支持された指揮者であった。

そのようなケンペの偉大さは、昨年ESOTERICからSACD盤(限定盤)が発売されて話題となったミュンヘン・フィルとのベートーヴェンの交響曲全集や、数年前にXRCD盤が発売されたミュンヘン・フィルとのブラームスの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4番及び第5番などと言った名演にもあらわれているところである。

しかしながら、これらの名演を大きく凌駕するケンペの最高の遺産が存在する。

それこそは今般、本セットを含め3つのセットに分けた上で、シングルレイヤーによるSACD化(全部でSACD10枚)がなされて発売されるR.シュトラウスの管弦楽曲全集であるというのは、おそらくは衆目の一致するところではないだろうか。

本管弦楽曲全集には、2つの交響曲はもちろんのこと、主要オペラからの抜粋なども収められており、まさに空前にして絶後のスケールを誇っていると言っても過言ではあるまい。

ケンペによるR・シュトラウスの各楽曲へのアプローチは、例えば同じくR.シュトラウスの楽曲を十八番としていたカラヤンのように、豪華絢爛にして豪奢なものではない(かかる演奏も、筆者としては、あり得るべきアプローチの一つとして高く評価している)。

むしろ、演奏の様相は、質実剛健そのものであり、いかにもドイツ正統派と称された指揮者だけに、堅牢な造型美と重厚さを持ち合わせたものと言える。

かかる演奏は、R.シュトラウスと親交があり、その管弦楽曲を十八番としていたベームによる演奏と共通しているとも言えるが、ベームがいい意味においては剛毅、悪い意味ではあまり遊びの要素がない四角四面な演奏とも言えるのに対して、ケンぺの演奏には、カラヤンの演奏にようにドラマティックとは言えないものの、より柔軟性に富んだ劇的な迫力を有している言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏ということができるだろう。

本盤には、R.シュトラウス管弦楽曲全集第1集として、交響詩「マクベス」、「ドン・ファン」、「ツァラトゥストラはかく語りき」のほか、アルプス交響曲、メタモルフォーゼン、組曲「町人貴族」、そしてバレエ音楽「泡立ちクリーム」からの抜粋であるワルツが収められているが、いずれも前述のようなケンぺの芸風が如実にあらわれた剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

そして、このようなクラシック音楽レコーディング史上の歴史的な遺産とも言うべきケンぺ&シュターツカペレ・ドレスデンによるR・シュトラウスの管弦楽曲全集が、未使用のオリジナル・アナログ・テープを基にシングルレイヤーによるSACD化がなされたのは、近年稀にみる壮挙とも言うべきである(協奏曲集が対象にならなかったのはいささか残念であり、それは別の機会を待ちたい)。

長らく国内盤では廃盤であり、輸入盤との比較になるが、音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとってもそもそも次元が異なる圧倒的な音質に生まれ変わった。

1970年代初のスタジオ録音であるにもかかわらず、ドレスデン・ルカ教会の豊かな残響を生かした名録音があたかも最新録音であるかのように変貌したのは殆ど驚異的ですらあると言えるだろう。

いずれにしても、このような歴史的な名盤を、現在望み得る最高の高音質で味わうことができるようになったことを大いに喜びたい。

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武満徹の代表的作品4曲を作曲者本人の立ち会いのもとに収録したアルバムで、故若杉弘による素晴らしい名演である。

武満徹入門には文句なしの1枚で、作品は武満の(真に音楽的な意味で)代表作と言えるし、演奏の規模・迫力、魅力と他に比べられない傑作の名演集と言える。

鶴田/横山にとって6回目の録音にあたる「ノヴェンバー・ステップス」ほか、デジタル初録音となった「弦楽のためのレクイエム」など、静謐の中に色彩感あふれる演奏が魅力である。

武満徹の「弦楽のためのレクイエム」や「ノヴェンバー・ステップス」の名演としては小澤による名盤があるが、本盤の若杉の演奏は冷静かつ情熱的で、小澤盤とは違った性格の名演と高く評価したい。

小澤の名演は、武満徹が記した複雑なスコアを、独特の鋭い感性で描き出していくのに対して、若杉の名演は、ある種のドイツ音楽を指揮する時にように、厳しい造形美と重厚さが持ち味と言える。

武満徹の立ち会いのもとで行われた録音ということもあり、作曲者としても、このようなアプローチを容認していたと言うことであろう。

特に、「弦楽のためのレクイエム」は、曲の性格もあり、小澤の名演よりも、より心の琴線に訴えかける力強さに溢れて感動的だ。

「ノヴェンバー・ステップス」は、小澤盤と同格と言えるが、ゆったりとした深みのある味わいを求める聴き手からすれば、本盤の方を選ぶのが適切とも考えられる。

併録の「ヴィジョンズ」も名演であり、どれも美しい緊張感と知的な彩りを帯びた演奏で聴き応えがある。

指揮者も凄いが、オケも凄く、東京都交響楽団というオーケストラは、もしかして日本一のオーケストラかもしれないという確信を抱かせる。

武満徹の代表的な作品を集めたCDとして、小澤盤と並んで、代表的名盤との地位は、今後とも揺るがないものと考える。

1991年の録音で、もう20年程前の録音ではあるが、音質は良好なレベルと言って良い。

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2014年11月14日


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ラトルが、ベルリン・フィルの芸術監督に就任する頃に、ウィーン・フィルと録音したベートーヴェンの交響曲全集からの1枚だ。

筆者は、どうもこの当時のラトルをあまり評価できずに今日に至っている。

バーミンガム市響(一部はフィルハーモニア管)と数々の録音を行っていた若き日のラトルは、生命力に満ち溢れた名演の数々を生み出して素晴らしいし、ここ数年のラトルも、大指揮者の風格を漂わせた円熟の名演を聴かせるようになっており、これまた高く評価している。

しかしながら、ベルリン・フィル就任後数年間は、気負いもあったのだとは思うが、意欲が空回りするケースが多く、数々の凡打を繰り返していたのではないかと思う。

このベートーヴェンの全集も、筆者は、筋の通っていない演奏であると考えている。

各交響曲によってアプローチの仕方が全く変わるのだ。

とある音楽評論家は「ラトルの鋭い読みとともに、深く豊かな想念が随所にあらわれている。みずみずしい感性による創造的な解釈と演奏である」と評価されている。

確かにそうしたやり方もあるのかもしれないが、筆者に言わせれば、ラトルのベートーヴェンの交響曲に対する考え方、見解が固まっていないのではないかと思われる。

本盤の「第9」も、総体としては巨匠風のアプローチだ。

しかしながら、終楽章の合唱(特に終結部)に見られるような不自然なアクセントなど、見方によっては個性的とも言えるが、筆者に言わせれば、単なる恣意的なあざとさしか感じさせず、伴奏のオーケストラともども脂っこい力唱、力奏が目立つ。

新機軸を打ち出そうという焦りなのかもしれないが、少なくとも芸術性からは程遠いと言える。

もちろん、筆者は、ラトルの才能など微塵も疑っていない。

もし、現在、ベルリン・フィルとベートーヴェンの交響曲全集を録音すれば、間違いなく素晴らしい名演を成し遂げるものと固く信じている。

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ヴァントは、いわゆる大器晩成型の巨匠指揮者として、1990年代に様々な名演の数々を遺したが、数年前にライヴ・ボックス第1弾が発売され、クラシック音楽ファンの間で話題となったベルリン・ドイツ交響楽団との一連のライヴ録音も、その枢要な地位を占めるものである。

ベルリン・ドイツ交響楽団は、ベルリン・フィルの陰に隠れた存在に甘んじているが、一流の指揮者を迎えた時には、ベルリン・フィルに肉薄するような名演を成し遂げるだけの実力を兼ね備えたオーケストラである。

ましてや、指揮者がヴァントであれば問題はなく、その演奏が悪かろうはずがない。

今般、国内盤として発売されるのは、ライヴ・ボックスの第2弾、待望の分売化と言えるだろう。

本盤には、ヴァントが最も得意としたレパートリーでもあるブルックナーの交響曲第6番及び第8番が収められている。

交響曲第6番については、既に、ヴァントによる唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団との演奏(1976年スタジオ録音)のほか、北ドイツ放送交響楽団との2度にわたるライヴ録音(1988年と1995年)、更には、ミュンヘン・フィルとのライヴ録音(1999年)の4つの録音が存在しており、本演奏は5つ目の録音の登場ということになる。

本演奏を含め、いずれ劣らぬ名演であるが、この中でも最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、本演奏も、さすがにミュンヘン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、当該演奏の4年前の演奏ということもあって、同年に録音された北ドイツ放送交響楽団との演奏と並んで、十分に素晴らしい至高の名演に仕上がっていると高く評価したい。

第1楽章など、金管を思いっきり力強く吹かせているが、決して無機的には陥ることなく、アルプスの高峰を思わせるような実に雄大なスケールを感じさせる。

それでいて、木管楽器のいじらしい絡み合いなど、北欧を吹く清涼感あふれる一陣のそよ風のようであり、音楽の流れはどこまでも自然体だ。

第2楽章は、とある影響力の大きい某音楽評論家が彼岸の音楽と評しておられたが、本盤の演奏こそがまさに彼岸の音楽であり、前述のようにミュンヘン・フィルとの演奏ほどの至高の高みには達していないものの、ヴァントとしても、最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地をあらわしていると言えるのではないだろうか。

第6番は、第3楽章や第4楽章のスケールが小さいと言われるが、ヴァントの演奏を聴くと必ずしもそうとは思えない。

終楽章など、実に剛毅にして風格のある雄大な演奏であり、特に、第2楽章の主題が回帰する箇所のこの世のものとは思えないような美しさには抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、交響曲第8番については、ヴァントが最も数多くの録音を遺したブルックナーの交響曲であった。

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏(1971年)にはじまり、ヴァントによる唯一の全集を構成するケルン放送交響楽団との演奏(1979年)、NHK交響楽団との演奏(1983年)、北ドイツ放送交響楽団との3度にわたる演奏(1987年ライヴ録音、1990年東京ライヴ録音、1993年ライヴ録音)、ミュンヘン・フィルとの演奏(2000年ライヴ録音)、ベルリン・フィルとの演奏(2001年ライヴ録音)の8度にわたる録音が既発売であるので、本演奏を加え、何と合計で9度にわたって録音したことになるところだ。

本演奏を含め、いずれ劣らぬ素晴らしい名演であると評価したいが、この中で、最も優れた超名演は、ミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏であるというのは衆目の一致するところであろう。

もっとも、本演奏も、さすがにミュンヘン・フィル及びベルリン・フィルとの演奏のような至高の高みには達していないが、1年前の北ドイツ放送交響楽団との演奏と並んで、十分に素晴らしい名演と高く評価するのにいささかも躊躇するものではない。

1980年代までのヴァントによるブルックナーの交響曲の演奏におけるアプローチは、厳格なスコア・リーディングの下、楽曲全体の造型を厳しく凝縮化し、その中で、特に金管楽器を無機的に陥る寸前に至るまで最強奏させるのを特徴としており、優れた演奏である反面で、スケールの若干の小ささ、そして細部にやや拘り過ぎる神経質さを感じさせるのがいささか問題であった。

そうした短所も1990年代に入って、かかる神経質さが解消し、スケールの雄大さが加わってくることによって、前述のミュンヘン・フィルやベルリン・フィルとの歴史的な超名演を成し遂げるほどの高みに達していくことになるのだが、本演奏は、そうした最晩年の超名演の先駆であり、高峰への確かな道程となるものとも言える。

比較的ゆったりとしたテンポをとっているが、必ずしももたれるということはなく、ゆったりとした気持ちで、同曲の魅力を満喫することができるというのは、ヴァントのブルックナーへの理解・愛着の深さの賜物と言える。

金管楽器の最強奏も相変わらずであるが、ここでは、やり過ぎということは全くなく、常に意味のある、深みのある音色が鳴っているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤に収められた交響曲第6番及び第8番は、ブルックナーを得意としたヴァントならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

音質も、1990年代のライヴ録音であり、十分に満足できるものである。

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ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集も、本盤の交響曲第9番と同時発売の第2番の登場を持ってついに完結した。

全集のセット版も同時発売されるようであるが、これまで1枚ずつ買い揃えてきた聴き手にはいささか残念な気もしないでもない。

第2番がブロムシュテットによる初録音であるのに対して、第9番は、1995年のゲヴァントハウス管弦楽団との録音以来、16年ぶりの再録音。

これまでのレビューでも記したように、旧録音が同じゲヴァントハウス管弦楽団との演奏であっただけに、再録音しない可能性についても言及してきたところであるが、ブロムシュテットは待望の再録音を行ってくれた。

旧盤の演奏も優れた演奏ではあったが、本盤の演奏は、ブロムシュテットの円熟を大いに感じさせる、さらに優れた名演に仕上がっていると高く評価したい。

何よりも、これまでブルックナーの交響曲を自らの中核と位置づけてきたブロムシュテットであるだけに、本演奏には、ブロムシュテットの確固たる信念を感じ取ることが可能な、仰ぎ見るような威容を湛えた堂々たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。

この指揮者ならではの全体の造型の堅固さは健在であるが、スケールも雄渾の極み。

シャイー時代になってオーケストラの音色に色彩感を増したと言われているゲヴァントハウス管弦楽団ではあるが、本演奏ではブロムシュテットの確かな統率の下、ドイツ風の重心の低い音色で重厚な演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

全体としてはゆったりとしたインテンポを基調としているが、ここぞという箇所では微妙にテンポを動かしており、それが演奏全体を四角四面にしないことに大きく貢献している。

ブラスセクションなども最強奏させているが、無機的になることはいささかもなく、どこをとっても奥行きの深さを損なっていないのが素晴らしい。

そして、旧盤の演奏よりも優れているのは、各楽想の描き出すに際しての彫りの深さであると言えるだろう。

音楽自体に何とも言えない深みがあるということであり、これはブロムシュテットの円熟であるのみならず、ブロムシュテットが晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地のあらわれと評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、ブロムシュテットの円熟を大いに感じさせる、全集の掉尾を飾るに相応しい名演であり、ブロムシュテット&ゲヴァントハウス管弦楽団によるブルックナーの交響曲全集の中でも、最も優れた名演の1つに掲げられる至高の名演と高く評価したいと考える。

そして、本盤でさらに素晴らしいのはマルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

コンサート会場の豊かな残響を取り入れた臨場感溢れる鮮明な高音質は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献している点を忘れてはならない。

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2014年11月13日


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本盤には、小澤征爾がベルリン・フィルとともに1989年から1992年の4年間をかけてスタジオ録音を行ったプロフィエフの交響曲全集から抜粋した有名曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

小澤がベルリン・フィルを指揮した、端正にしてキリリとした指揮ぶりを堪能できる作品集である。

小澤は、カラヤンを師匠として敬愛していたこともあり、ベルリン・フィルと数々の演奏・録音を行ってきているが、現時点において最も優れた録音は、このプロコフィエフの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

小澤は、もともとプロコフィエフを得意中の得意としており、ここでも持ち前の豊かな音楽性を活かしつつ、軽快でリズミカルなアプローチによるセンス満点の明瞭な演奏を行っているのが素晴らしい。

交響曲第1番についてはかかるアプローチに対して異論はないだろうが、交響曲第5番については、カラヤン、バーンスタインなどによる重厚な名演が目白押しであり、それに慣れた耳からすると本演奏はいささか軽快に過ぎるきらいがないわけではない。

しかしながら、とかく重々しくなりがちなプロコフィエフの演奏に清新さを与えるのに成功している点については、筆者としては高く評価したいと考える。

組曲「キージェ中尉」も同様のアプローチによる名演であるが、ここでは第2曲「ロマンス」と第4曲「トロイカ」に声楽を含むバージョンで演奏されており、これは希少価値がある。

さらに、これらの演奏で素晴らしいのは、ベルリン・フィルによる卓越した技量であると考える。

この当時のベルリン・フィルは、芸術監督がカラヤンからアバドに代替わりする難しい時期でもあったが、ここでは鉄壁のアンサンブルとパワフルなサウンド、各管楽器の卓越したテクニックが健在である。

組曲「キージェ中尉」におけるアンドレアス・シュミットも素晴らしい歌唱を披露している。

録音は、従来盤でも高音質で知られてはいたが、今般のSHM−CD化によって、音質はさらに鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

小澤&ベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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