2014年12月

2014年12月31日


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究極の高音質SACDの登場だ。

70歳になり、名実ともに現代を代表する巨匠ピアニストとなったポリーニであるが、ポリーニの評価については現在でも二分する状況にある。

これには、とある影響力の大きい某音楽評論家がポリーニの演奏を事あるごとに酷評し続けていることに起因しているものと思われる。

確かに、ポリーニの壮年期の演奏の一部には、某音楽評論家が指摘しているように、いささか技術偏重に堕した内容が伴わない演奏が垣間見られたのは事実である。

しかしながら、他のピアニストの追随を許さないような名演も数多く成し遂げてきたところであり、ポリーニの演奏をすべて否定してしまうという某音楽評論家の偏向的な批評には賛同しかねるところだ。

そして本演奏は、世評があまりにも高いせいか、数々の高音質化への取組がなされてきた。

SHM−CD盤、ルビジウムカッティング盤、そしてマルチチャンネル付きのSACD盤など、様々な種類の高音質化CDがあるが、今般のSHM−CD仕様のシングルレイヤーSACDは、これまでの高音質化CDとは一線を画する次元が異なる究極の高音質CDと高く評価したい。

ピアノの音が、硬質ではなく、どこまでもソフトに響くのが見事であり、これだけ音質がいいと、演奏自体の評価も随分と違ったものにならざるを得ない。

本演奏は、世評は非常に高いのであるが、筆者としては、感情移入が全く見られない機械じかけの無機的な音質が、ショパンの詩情をスポイルしてしまっているのでないかと思っており、あまり高い評価をしていなかったというのが正直なところである。

しかしながら、今般の高音質CDを聴くと、ポリーニのピアノタッチが決して機械仕掛けの無機的なものではなく、非常にコクのある内容豊かな印象を受けた。

力強い打鍵から、繊細な抒情に至るまで、表現の起伏の激しい、血も涙もある演奏を行っており、本演奏に対して、筆者がこれまで抱いていた悪感情は完全に吹き飛んでしまったのである。

もちろん、ポリーニの卓越した技量を味わうことができる点においては何ら変わりがないところであるが、SACD化によって、これまで技術偏重とも思われていたポリーニの演奏が、随所に細やかな表情づけやニュアンスが込められるなど、実に内容豊かな演奏を行っていることが理解できるところだ。

本演奏を機械仕掛けの演奏として酷評してきた聴き手にとっても、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化された本盤を聴くと、本演奏の評価を改める人も多いと言えるのではないだろうか。

それにしても、音質によってこれだけ演奏の印象が変わるというのは殆ど驚異的とも言うべきであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

筆者としては、本演奏は、今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって漸くその真価のベールを脱いだ圧倒的な超名演と高く評価したい。

それだけ、本CDの音質は素晴らしいものであり、ポリーニの他のCDも、同様の仕様で高音質化すれば、随分と評価が変わってくるのではないかと思った次第だ。

いずれにしても、ポリーニによる圧倒的な超名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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カラヤンは様々なジャンルの音楽に名演を遺してきたが、その中でもオペラは最も得意の分野であった。

そうしたカラヤンのオペラのレパートリーの中でもワーグナーは重要な位置を占めていたが、録音運に恵まれていたかと言うと、必ずしもそうとは言い切れない面がある。

舞台神聖祝典劇「パルシファル」、楽劇「ニーベルングの指環」、そして楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、カラヤンならではの至高の名演と言えるが、他のオペラは、歌手陣などに条件が整わなかったこともあって、カラヤンの本領が発揮されたとは言い難い状況にある。

それ故に、本盤のように、ワーグナーのオペラの序曲や前奏曲を集めた録音は大変貴重である。

カラヤンは、本盤の前後にも同様の序曲・前奏曲集を遺してはいるが、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期を考慮すると、本盤こそが、最高の名演と高く評価すべきものと考える。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の演奏はそれは凄いものであった。

うなりを上げるような低弦をベースとした弦楽器群の豊麗かつ重厚な響き、悪魔的とも評すべき抜群のテクニックを示すブラスセクションのブリリアントな響きや木管楽器の美しい響き、雷鳴のように轟きわたるティンパニの響きが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、いわゆるカラヤン・サウンドと称される極上の美を誇る名演奏を繰り広げていた。

これまでのオーケストラが成し得た究極の音のドラマを構築していたとも言えるところであり、本盤の各序曲や前奏曲の演奏も、そうした全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマが構築されていると言っても過言ではあるまい。

冒頭の楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の第1幕への前奏曲の堂々たる進軍は、シュターツカペレ・ドレスデンとの全曲録音(1970年)よりもこちらの方の出来が上であるし、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲の緩急自在のテンポ設定を駆使した演奏は、いかにも演出巧者らしいカラヤンの真骨頂である。

楽劇「ローエングリン」の第3幕への前奏曲の力感溢れる演奏は圧巻の迫力を誇っており、我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

舞台神聖祝典劇「パルシファル」の両前奏曲については、さすがに後年の全曲録音(1980年)には及ばないが、それを除けば十分に感動的であり、その豊穣かつ官能的な美しさは、おそらくはオーケストラが紡ぎ出すことが可能な究極の美を表現し得ているとも言えるところであり、美しさという点においては、おそらくは古今東西のあらゆる名演に冠絶する最美の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にリマスタリングも施されるとともに、HQCD化もなされたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤やHQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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カラヤンは様々なジャンルの音楽に名演を遺してきたが、その中でもオペラは最も得意の分野であった。

そうしたカラヤンのオペラのレパートリーの中でもワーグナーは重要な位置を占めていたが、録音運に恵まれていたかと言うと、必ずしもそうとは言い切れない面がある。

舞台神聖祝典劇「パルシファル」、楽劇「ニーベルングの指環」、そして楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、カラヤンならではの至高の名演と言えるが、他のオペラは、歌手陣などに条件が整わなかったこともあって、カラヤンの本領が発揮されたとは言い難い状況にある。

それ故に、本盤のように、ワーグナーのオペラの序曲や前奏曲を集めた録音は大変貴重である。

カラヤンは、本盤の前後にも同様の序曲・前奏曲集を遺してはいるが、カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期を考慮すると、本盤こそが、最高の名演と高く評価すべきものと考える。

カラヤン&ベルリン・フィルの全盛期の演奏はそれは凄いものであった。

うなりを上げるような低弦をベースとした弦楽器群の豊麗かつ重厚な響き、悪魔的とも評すべき抜群のテクニックを示すブラスセクションのブリリアントな響きや木管楽器の美しい響き、雷鳴のように轟きわたるティンパニの響きが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、いわゆるカラヤン・サウンドと称される極上の美を誇る名演奏を繰り広げていた。

これまでのオーケストラが成し得た究極の音のドラマを構築していたとも言えるところであり、本盤の各序曲や前奏曲等の演奏も、そうした全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマが構築されていると言っても過言ではあるまい。

冒頭の歌劇「タンホイザー」序曲の壮麗にしてスケール雄大な演奏は、全盛期のこのコンビだけに可能な超名演である。

楽劇「ローエングリン」の第1幕への前奏曲や楽劇「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲と愛の死の官能的な美しさは、おそらくはオーケストラが紡ぎ出すことが可能な究極の美を表現し得ているとも言えるところであり、美しさという点においては、おそらくは古今東西のあらゆる名演に冠絶する最美の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも比較的満足できる音質であったが、数年前にリマスタリングも施されるとともに、HQCD化もなされたことによって、音質は更に鮮明になるとともに音場が幅広くなったように感じられるところであり、筆者も当該リマスタリングCD盤やHQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

リマスタリングCD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、カラヤン、そしてベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、SACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月30日


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本盤にはチョン・ミュンフンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの交響曲第3番及び第7番が収められている。

このうち、第3番についてはチョン・ミュンフンの初めての録音ということになるが、他方、第7番については、エーテボリ交響楽団を指揮した演奏(1987年)に次いで2度目の録音ということになる。

いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

最近では、その芸風に円熟味が加わると同時に、いささか影が薄い存在になりつつあるチョン・ミュンフンであるが、1980年代後半から1990年代にかけてのチョン・ミュンフンの演奏は実に魅力的であった。

本演奏でもそれが顕著にあらわれているが、この当時のチョン・ミュンフンの演奏に共通していたのは、ひたすら曲想を前に進めていこうとする気迫と、切れば血が噴き出てくるような生命力溢れる力強さであった。

それ故に、テンポは若干速めであるが、それでいていわゆる上滑りをしたり、薄味の演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。

また、一聴すると、音楽がやや速めのテンポでごく自然に滔々と流れていくように聴こえるところであるが、随所にテンポの微妙な変化を加えたり、はたまた格調の高さをいささかも失うことなく個性的な表情づけを付加するなど、実に内容の濃い演奏を行っているのがわかるところである。

そして、このようなチョン・ミュンフンの音楽性豊かな指揮の下、ウィーン・フィルが極上の美演を展開しており、演奏全体に適度の潤いとあたたかみを付加しているのを忘れてはならない。

チョン・ミュンフンは、本演奏の後、ウィーン・フィルとともにドヴォルザークの交響曲第6番及び第8番の録音(1999年)を行うが、それ以後は録音が途絶えている。

本演奏の素晴らしい出来具合などに鑑みれば、チョン・ミュンフンには是非ともウィーン・フィルとともに、ドヴォルザークの交響曲全集を完成させて欲しいと思っている聴き手は筆者だけではあるまい。

録音は、従来盤でも十分に満足できる音質ではあるが、チョン・ミュンフンによる素晴らしい名演でもあり、今後はSHM−CD化、そして可能であればシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたい。

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1967年、鳴り物入りで創設されたパリ管弦楽団であったが、音楽監督・ミュンシュが翌68年に死去してしまったため、両者の録音はわずか4枚しか残っていないが、ミュンシュがその最晩年にパリ管弦楽団とともに遺した数少ない録音は、いずれも至高の名演揃いと言える。

パリ管の発足間もなくミュンシュが急死したことは、音楽界にとっても大きな損失であったが、この最晩年の4枚のCDを聴いていると、ますますそうした損失の大きさを思い知ることになる。

本盤のラヴェル作品集も超名演であり、精緻な内にも力強く燃え上がるような高揚感を表出するミュンシュの魅力が満載の演奏内容と言えるだろう。

創立後間もないパリ管の熱気と、指揮者のコントロールの効いた情熱とが相俟って、ゴージャスなラヴェルに仕上がっている。

ミュンシュは、フランス人でありながら、ドイツ音楽、特に、ブラームスを得意とした指揮者である。

それ故に、ミュンシュの指揮するフランス音楽は、他のフランス系の指揮者が醸し出すフランス風のエスプリを売りにするというよりは、楽曲の全体の造型美や、ドイツ風の重厚さを全面に打ち出すという特異性を有している。

本盤でも、そうしたミュンシュの特徴がよく出ている。

ボレロも、オーケストラの粋な音色のみならず、全体の造形美に配慮しており、フランス風の瀟洒な味わいよりも、重厚な迫力が際立っている。

スペイン狂詩曲は、むせ返るようなラテン風の味わいよりは、シンフォニックな荘厳さが全面に出ている。

ダフニスとクロエもスペイン狂詩曲と同様の傾向で、感傷には陥らず、高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

確かに、一聴するとフランス音楽らしからぬミュンシュのラヴェルに異を唱える聴き手もいるとは思うが、このような重心の低いラヴェルも、むしろ新鮮な魅力に満ち溢れていると言えるのではないか。

音質は、従来CD盤が今一つの音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったと言えるところであり、筆者も当該HQCD盤を愛聴してきたところだ。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤やHQCD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1960年代のEMIによるスタジオ録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

いずれにしても、ミュンシュによる至高の名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ラヴェルミュンシュ 

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マリス・ヤンソンスは、バイエルン放送交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団という、世界でも超一流のオーケストラの音楽監督を兼任するなど、名実ともに、同じく指揮者であった父親のアルヴィド・ヤンソンスを超える現代における大指揮者の1人であるが、本盤に収められたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、そしてストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」は、バイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任して1年後のライヴ録音だ。

ヤンソンスは、祖国ロシアにおいて、ムラヴィンスキーの統率下にあったレニングラード・フィルの副指揮者をつとめ、ムラヴィンスキーの薫陶を受けるとともに、カラヤン国際指揮者コンクールにおいて第2位入賞を果たすなど、カラヤンの影響も少なからず受けることになった。

それだけに、ムラヴィンスキーとカラヤンによる得意のレパートリーであったチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」については、両者の演奏のそれぞれの長所を採り入れた演奏になっていると言えるのではないだろうか。

演奏全体の引き締まった造型美とテンポ設定については、ムラヴィンスキー直伝の神経に貫かれた演奏とも言えるところであるが、これにカラヤンの演奏が有していた豪壮華麗さが付加された、いい意味での剛柔のバランスのとれた演奏こそが、ヤンソンスによる本演奏ということになるのではないかと考えられるところである。

また、実演ならではの強靭な生命力やトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫においていささかも不足がないところであり、若き日のヤンソンスがオスロ・フィルとともにチャイコフスキーの交響曲全集をスタジオ録音(シャンドスレーベル)した際の「悲愴」の演奏よりも格段に優れた素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

他方、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」は、ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団とのほぼ同時期のライヴ録音が存在している。

当該演奏と本盤の演奏は、アプローチ自体は酷似していることから、オーケストラの違いということになるが、両オーケストラともに技量は卓越したものがあり、後はオーケストラの音色の好みの問題と言えるのではないかと考えられる。

いずれにしても、本盤の演奏は、ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団との演奏と同格の素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1994年のライヴ録音ということもあって、従来CD盤でも比較的満足できるものであったが、今般発売されたBlu-spec-CD2盤は、従来CD盤とは次元が異なるような優れた高音質に蘇っている。

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2014年12月29日


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メジューエワのショパン・アルバムとしては通算4枚目となる今作は、《幻想ポロネーズ》と《英雄ポロネーズ》をメインに晩年の傑作マズルカ(作品59)や初期の隠れた名曲「ロンド(作品16)」などを配した好プログラムである。

伝統に裏打ちされた深い読みと共感がかくも深遠なるショパンを生み出した凄い名演だ。

そもそも本CDに収録された楽曲の組み合わせが素晴らしい。

ポロネーズ、マズルカ、ワルツ、前奏曲、エチュードといった、ショパンの主要な作品からの抜粋を中心としたカップリングであるが、必ずしも有名曲だけを組み合わせているわけではない。

単なる人気取りの有名曲集に陥っていない点は、メジューエワのショパンへの深い拘りと理解の賜物であると考える。

メジューエワらしい繊細かつ大胆なタッチ、薫り高い詩情、堅牢な造型、堂々たるスケール感などの魅力に溢れた秀演。

五感を研ぎ澄ませてこのアルバムに収められた音楽を聴いて欲しい。

ショパン→ミクリ→ミハウォスキ→ゲンリヒ・ネイガウス→テオドール・グートマン→トロップ→メジューエワ。

ショパンから数えて7代目の弟子となるメジューエワの元で今、ショパンの血統が脈々と息づいていることにきっと気付かれるに違いない。

ライナーノーツの解説には、メジューエワを「思考するピアニスト」と評していたが、これはなかなかの至言である。

メジューエワは、ショパンがスコアに記した音符の1つ1つを丁寧に、そして風格豊かに弾き抜いて行く。

この1音たりとも蔑にしないアプローチは、ショパンの各曲の旋律線を実にくっきりと明瞭に描き出すことに大きく貢献する。

こうした堂々たるピアニズムについては、ある意味では、「思考するピアニスト」との見方もあり得るのではないかと思うからである。

ただ、重要なのは、メジューエワは、理屈が先に立つピアニストではないという点だ。

音楽は実に優美に流れるし、女流ピアニストならではの繊細な詩情においてもいささかの不足もない。

要は、非常に幅の広い表現力を身につけているということである。

このような素晴らしい大芸術家が、我が国を拠点に活動しているというのは何という幸せであろうか。

明晰な論理と深い情感を持って献身的に作品と対峙するその姿は、新しい時代のショパン弾きとして、そしてロシア・ピアニズムの名門ネイガウス流派の継承者の1人として面目躍如たるものがあると言えよう。

2008年5月14〜16日、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける録音も鮮明で文句なし。

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ここ数年の充実した演奏・録音活動が着実な評価を得ているロシアのピアニスト、イリーナ・メジューエワの威風堂々たる素晴らしい名演だ。

ゲンリヒ・ネイガウス→テオドール・グートマン→ウラジーミル・トロップ→そしてメジューエワと受け継がれてきたロシア・ピアニズムならではの繊細霊妙なタッチが生み出す馥郁たる詩情。

虚飾を排し、ひたすら作品の本質に迫る真摯な精神性に貫かれた強靭なピアニズムは、作品そのものの魅力を存分に引き出すことに成功している。

スケルツォ全集のレビューにも記したが、メジューエワは、ショパンがスコアに記した音符のすべてを、1音たりとも蔑にせず、完璧に弾き抜いている。

要は、メジューエワのショパンには曖昧模糊なところが全くない。

それ故に、旋律線が実にくっきりと明瞭に描き出されることになる。

だからと言って、音楽の流れが損なわれることはなく、陰影の乏しい演奏ということにもなっていない。

それどころか、メジューエワの卓越した表現力が、こうしたピアニズムを見事にカバーし、女流ピアニストならではの繊細な詩情も相俟って、珠玉の芸術に仕立て上げるという途轍もない、離れ業とも言うべき至芸を示している。

このような風格のある堂々たるショパンは、他にもあまり類例を見ないものであるが、メジューエワは、まさに、21世紀の新しいショパン像を確立したとさえ言えるだろう。

メジューエワは間の取り方とその空間への音のしのばせ方が本当に絶妙で、特にバラードに対しては最高の効果を発揮している。

この巧さは現役ピアニストでは随一と言えるところであり、彼女は技巧を前面に出すタイプではないのだが、これらは寸分の狂いもないタッチと完璧なペダルコントロールがあって初めてなせる業であり、圧倒的な表現の深さを支えているのは、こうした超高等テクニックなのだと改めて感心した次第である。

このような素晴らしいピアニストが、我が国を拠点として活動していることに感慨を覚える。

収められた楽曲はいずれ劣らぬ名演揃いであるが、特に、感動したのは舟歌で、メジューエワは、この曲の切ないほどの哀しみ、希望と不安、絶望と憧憬を歌っている。

この陰影のはっきりした楽曲は、前述のようなメジューエワのアプローチに見事に符合する作品であり、おそらくは、同曲の過去の様々な名演の中でもトップの座を争う名演と高く評価したい。

録音は、2006年6月22〜23日、新川文化ホール(富山県魚津市)に於けるもので、音質も鮮明で実に素晴らしい。

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本盤は、メジューエワ一連のショパンの録音の中では最も古い録音であるが、メジューエワのショパンへのアプローチは基本的に後の録音と変わることはなく、深みとスケールのある、聴けば聴く程に凄い、実に聴き応えのする素晴らしい名演だ。

このアルバムは、ショパンのスケルツォがどんなにスケールの大きい作品であるかを改めて教えてくれる。

メジューエワは、ショパンがスコアに記したすべての音符を1音たりとも蔑にせず、1音1音を丁寧に、そして確信を持って弾き抜いている。

メジューエワは、その鮮やかな音色と大胆なアゴーギクによってリズムやフレーズを屹立させ、作品の細部に至るまで性格を明確にしていくのだ。

それ故に、旋律線が実にくっきりと明瞭に描き出されることになる。

こうしたアプローチは、音楽の流れを損なってしまう危険性もあるのだが、メジューエワの場合、そのようなことは全くなく、音楽も実に美しく自然に流れるのである。

まさに、風格のある堂々たるピアニズムであるが、それでいて、女流ピアニストならではの繊細な詩情にもいささかの不足がない。

要は、我々聴き手がショパン演奏に望むすべての要素を兼ね備えた驚くべき名演ということができよう。

聴き手の魂を揺さぶり、完全燃焼するメジューエワ渾身の演奏は、聴き手を強く作品世界に巻き込んでいくに違いない。

本盤に収められたスケルツォ、そして即興曲や夜想曲のいずれも名演であるが、スケルツォの収録順を番号順にせず、有名な第2番を冒頭においた点においても、メジューエワの同曲への拘りと深い理解を感じさせる。

巧みに配された即興曲と夜想曲はくつろぎのひとときだ。

やはりメジューエワは、「21世紀最高の女流ピアニスト」との呼び声も高いだけあって、そんじょそこらのピアニストとは一線を画す桁違いの実力を持っていると言わざるを得ない。

打鍵の正確さ、自然なルバート、歌い回しの巧さも、どれをとっても超一級品で、特に歌い回しに関しては、決してわざとらしくなく人の感情を大いに揺さぶりかけてくるものがあり、その巧さはルービンシュタインすら上回っていると言えるかもしれない。

2002年11月26〜27日、富山県魚津市新川文化ホールに於ける録音であるが、音質も申し分のない鮮明さだ。

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2014年12月28日


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メジューエワの演奏を今回初めて聴いたが、これは実に素晴らしい名演だ。

何が素晴らしいかというと、様々な点を掲げることができるが、いい意味で女流ピアニスト離れした堂々たるピアニズムを披露している点を先ずは掲げたい。

冒頭の嬰ハ短調からして、他のピアニストとはまるで異なる。

とにかく、旋律線が実に明瞭でくっきりとしている。

この遺作となる同曲には、抒情的、内省的な演奏を心がけるあまり、曖昧模糊とした演奏が多い中で、メジューエワの確固たる造型の構築力が際立つ。

要は、メジューエワは、ショパンのノクターンに対して、ベートーヴェンのピアノ・ソナタなどと同様のアプローチを心がけているのだ。

これは、作品9以下のすべての楽曲にも言えるところであり、いずれの楽曲も、堂々たるピアニズム、1音1音をゆるがせにしない確固たる造型美によって、風格のある偉大な芸術作品の構築に成功したと言える。

ノクターンを陳腐なサロン音楽などと蔑視する一部の見解をあざ笑うかのような快挙と言える。

前述のように、これは女流ピアニスト離れした至芸とも言えるが、それでいて、ショパン特有の繊細な抒情においてもいささかも不足はなく、こうした点は、まさに女流ピアニストならではのアドバンテージと言えるだろう。

ショパン作品の演奏に相応しい繊細さと優美さ、そして強靭さとスケールの大きさを兼ね備えつつ、作品55-2や作品62など後期作品におけるむせ返るような濃密なロマン性と得も言われぬ儚さの表出も聴きどころのひとつ。

磨き抜かれた精妙なタッチと移ろいゆく色彩、確固たる造型と芳醇な情熱が、「この世のものならぬ絶美のショパン」を生み出している。

冒頭と最後に、遺作となる嬰ハ短調とハ短調のノクターンを配しているのも、メジューエワのノクターンへの深い拘りと愛着を感じさせる。

いずれにしても、本盤のノクターンは、堂々たる風格溢れるピアニズム、卓越した技量に裏打ちされた力強い打鍵、厳しく構築された造型、そして、ショパンの心の深淵を追求するかの如き深みのある繊細な抒情など、我々聴き手が望むすべての要素を兼ね備えた驚くべき名演と高く評価したい。

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クナッパーツブッシュという指揮者をどう評価するのかということについては、クラシック音楽ファンの中でも意見が分かれるのではないだろうか。

ブルックナーの交響曲の演奏に際しては改訂版に固執したり、ベートーヴェンの交響曲第8番やブラームスの交響曲第3番、ハイドンの交響曲第94番などにおける超スローテンポなど、かなり大胆な演奏を行っているからである。

これを個性的な芸術と見るのか、それとも許し難いおふざけ演奏と感じるのかによって、クナッパーツブッシュに対する評価は大きく変わってくると言えるところだ。

もっとも、そのようなクナッパーツブッシュが他の指揮者の追随を許さない名演奏の数々を成し遂げた楽曲があるが、それこそは、ワーグナーのオペラであった。

それはクナッパーツブッシュが活躍していた時期はもとより、現在においてもクナッパーツブッシュを超える演奏が未だに存在していないと言えるところであり、クナッパーツブッシュこそは史上最大のワーグナー指揮者であったと言っても過言ではあるまい。

もっとも、クナッパーツブッシュのワーグナーのオペラの録音は、いずれも音質的に恵まれているとは到底言い難いところであり、それが大きなハンディとなっているのであるが、ただ1つだけ音質面においても問題がない録音が存在している。

それこそが、本盤に収められた舞台神聖祝典劇「パルシファル」の1962年のライヴ録音である。

本演奏こそは圧倒的な超名演であり、おそらくは人類の遺産と言っても過言ではないのではないか。

冒頭の序曲からして、その底知れぬ深みに圧倒されてしまう。

その後は、悠揚迫らぬインテンポで曲想を進めていくが、楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥行きの深さ、演奏の彫りの深さには凄みさえ感じさせるところであり、演奏全体から漂ってくる荘厳で神々しい雰囲気は、筆舌には尽くし難い崇高さを湛えている。

これほどの深沈とした深みと崇高さを湛えた演奏は、他の指揮者が束になっても敵わないような高みに達している。

カラヤンは、後年に、同曲のオーケストレーションを完璧に音化した絶対美とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功した超名演(1979〜1980年)を成し遂げており、ある意味では人間のドラマとも言うべきクナッパーツブッシュによる本超名演とはあらゆる意味で対極にある超名演と言えるところであり、容易に優劣はつけ難いと考えるが、我々聴き手の肺腑を打つ演奏は、クナッパーツブッシュによる本超名演であると考えられる。

歌手陣も充実しており、グルネマンツ役のハンス・ホッターを筆頭に、パルシファル役のジェス・トーマス、アンフォルタス役のジョージ・ロンドン、ティトゥレル役のマルッティ・タルヴェラ、クリングゾール役のグスタフ・ナイトリンガー、そしてクンドリー役のアイリーン・ダリスなどが、クナッパーツブッシュの指揮の下、渾身の名唱を繰り広げているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、ワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルシファル」の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

なお、クナッパーツブッシュによる同曲の録音は、1962年の前後の年代のものが多数発売されているが、音質面をも含めて総合的に考慮すれば、本演奏の優位性はいささかも揺るぎがないものと考える。

録音は、リマスタリングがなされたこともあって従来盤でも十分に満足できる音質である。

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このような演奏こそは、まさに英国の詩情極まれりと言ったところであろう。

バルビローリは、シベリウスやグリーグなどの北欧音楽とともにイギリス音楽を得意中の得意としていた。

とりわけ、本盤に収められたディーリアスの管弦楽曲集(「アパラチア」(古い黒人奴隷の歌による変奏曲)及び「ブリッグの定期市」(イギリス狂詩曲))は、バルビローリが指揮したイギリス音楽の様々な録音の中でも最良の遺産の1つと言っても過言ではあるまい。

ディーリアスの管弦楽曲は、いずれもいかにもイギリスの詩情溢れる親しみやすいものであるが、これをバルビローリ以上に情感豊かに美しく演奏したことがこれまでにあったのであろうか。

ディーリアスと親交の深かったビーチャムが、手兵ロイヤル・フィルとともに管弦楽曲集の録音(1958、1960、1963年)を遺しており、それは現在においてもディーリアスの管弦楽曲演奏の規範となるべき至高の超名演であるが、各演奏における情感の豊かさ、心を込めた歌い方においては、本盤のバルビローリの演奏の方に軍配があがる。

また、バルビローリの演奏が素晴らしいのは、これらの各楽曲のスコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの薄味の演奏にはいささかも陥っていないということであろう。

ディーリアスの管弦楽曲の演奏に際しては、その旋律の美しさに気をとられて、音楽に込められた内容への追求をどこかに置き忘れた薄味の演奏も散見されるところである。

しかしながら、バルビローリによる本演奏は、もちろん前述のように美しさにおいても他の演奏の追随を許さないものがあるが、どこをとっても奥深い情感と独特のニュアンスが込められており、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした内容の濃い、そして味わい深い演奏を展開している。

そして、本盤の演奏は、いずれもバルビローリの死の数か月前の録音であり、これらの楽曲の演奏に漂う清澄な美しさは、バルビローリが死の直前になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのかもしれない。

いずれにしても、バルビローリによる本演奏は、その美しさにおいても、内容の濃さにおいても、味わい深さにおいても、まさにディーリアスの管弦楽曲演奏の理想像の具現化と言えるところであり、ディーリアスと親交があったビーチャム盤を除けば、ディーリアスの管弦楽曲集の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、1970年のスタジオ録音ではあるが、数年前にリマスタリングされたこともあって比較的良好な音質であると言えたところだ。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる最大の遺産の1つでもある至高の超名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年12月27日


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バルビローリは、シベリウスやグリーグなどの北欧音楽とともにイギリス音楽を得意中の得意としていた。

とりわけ、本盤に収められたディーリアスの管弦楽曲集(狂詩曲「夏の庭園にて」、歌劇「ハッサン」第1幕より間奏曲及びセレナード、夜明け前の歌、歌劇「コアンガ」より「ラ・カリンダ」、春初めてのカッコウを聞いて、川の上の夏の夜、去りゆくつばめ)は、バルビローリが指揮したイギリス音楽の様々な録音の中でも最良の遺産の1つと言っても過言ではあるまい。

ディーリアスの管弦楽曲は、いずれもいかにもイギリスの詩情溢れる親しみやすいものであるが、これをバルビローリ以上に情感豊かに美しく演奏したことがこれまでにあったのであろうか。

ディーリアスと親交の深かったビーチャムが、手兵ロイヤル・フィルとともに管弦楽曲集の録音(1958、1960、1963年)を遺しており、それは現在においてもディーリアスの管弦楽曲演奏の規範となるべき至高の超名演であるが、各演奏における情感の豊かさ、心を込めた歌い方においては、本盤のバルビローリの演奏の方に軍配があがる。

また、バルビローリの演奏が素晴らしいのは、これらの各楽曲のスコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの薄味の演奏にはいささかも陥っていないということであろう。

ディーリアスの管弦楽曲の演奏に際しては、その旋律の美しさに気をとられて、音楽に込められた内容への追求をどこかに置き忘れた薄味の演奏も散見されるところである。

しかしながら、バルビローリによる本演奏は、もちろん前述のように美しさにおいても他の演奏の追随を許さないものがあるが、どこをとっても奥深い情感と独特のニュアンスが込められており、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした内容の濃い、そして味わい深い演奏を展開している。

いずれにしても、バルビローリによる本演奏は、その美しさにおいても、内容の濃さにおいても、味わい深さにおいても、まさにディーリアスの管弦楽曲演奏の理想像の具現化と言えるところであり、ディーリアスと親交があったビーチャム盤を除けば、ディーリアスの管弦楽曲集の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、1968年のスタジオ録音ではあるが、数年前にリマスタリングされたこともあって比較的良好な音質であると言えたところだ。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、バルビローリによる最大の遺産の1つでもある至高の超名演を、現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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カラヤンは、クラシック音楽史上最大のレコーディングアーティストであり、膨大な数の録音を行った。

とりわけオペラはカラヤンの絶対的な得意分野であり、遺された録音はいずれも水準が高く名演も数多く存在しているが、その中でも最高峰に君臨する名演は、本盤に収められたワーグナーの舞台神聖祝典劇「パルジファル」ということになるのではないだろうか。

それどころか、同曲の数々の演奏の中でも、クナッパーツブッシュ&バイロイト祝祭歌劇場管による名演(1962年)と並ぶ至高の超名演と高く評価したい。

もっとも、本演奏はクナッパーツブッシュによる演奏とはその性格を大きく異にしている。

クナッパーツブッシュによる名演がスケール雄大な懐の深い人間のドラマであるとすれば、カラヤンによる本演奏は、同曲の極上の絶対美を誇る旋律の数々を徹底して美しく磨き抜いた圧倒的な音のドラマと言うことができるのではないだろうか。

本演奏は1979〜1980年のスタジオ録音であり、カラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビがその最後の輝きを放っていた時期のものだ。

当時のカラヤン&ベルリン・フィルは、鉄壁のアンサンブル、ブラスセクションのブリリアントな響き、桁外れのテクニックを示す木管楽器、雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンが流麗なレガートを施し、それこそオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築を行っていた。

本演奏においてもそれは大いに健在であり、どこをとっても磨き抜かれた美しさを誇るいわゆるカラヤン・サウンドで満たされている。

おそらくは、同曲演奏史上、最も美しく磨き抜かれた演奏と言えるところであり、とりわけ有名な「聖金曜日の音楽」における極上の美しさには、身も心も蕩けてしまいそうになるほどだ。

このようなカラヤン&ベルリン・フィルが構築した絶対美の世界にあっては、歌手陣や合唱団もそれに奉仕する1つの楽器に過ぎないとも言えるところであり、これほどまでに美を徹底して突き詰めた演奏は、カラヤンとしても空前にして絶後の出来であったとも言えるのではないだろうか。

まさに、本演奏は、マーラーの交響曲第9番(1982年ライヴ)と並んで、稀代のレコーディングアーティストであるカラヤンが構築し得た究極の美しさを誇る至高の超名演であると高く評価したい。

もっとも、歌手陣も、カラヤンが構築した美の世界の中のおいて素晴らしい歌唱を行っている。

とりわけ、パルジファル役のペーター・ホフマンとグルネマンツ役のクルト・モルの歌唱は圧倒的であり、花の乙女役のバーバラ・ヘンドリックスやアルト独唱のハンナ・シュヴァルツなど、脇役陣にも目を光らせたカラヤンならではのキャスティングにも抜群のセンスの良さを感じることも可能だ。

録音は、カラヤンにとっての初のデジタル録音であり、従来盤でもきわめて優秀なものである。

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ポーランドに生まれ、10代半ばにヨーロッパの音楽都市にあいついでデビューしたシェリングは、パリに本拠を置く間にも、1935年にワルシャワでワルターの指揮によってベートーヴェンの協奏曲で大成功を収めるなど、この作品に早くから深いアプローチをみせていた。

その後の彼が、作曲ばかりか哲学や美学にも研鑽を積み、知的な音楽家としてユニークなキャリアも経たことはよく知られている。

1942年にメキシコに渡り、人道主義、社会奉仕的な精神をもって国際的な活動を重ねた彼の音楽にある高潔さや気品の高さ、厳しい造型と確かな様式感といった特質は、相通ずる面をもつS=イッセルシュテットとの間に美しく昇華している。

シェリングの数ある録音の中でも特にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は優れており、音楽性も高く、この曲のもつ美しさや魅力をたっぷりと味わえる。

シェリングのヴァイオリンはあらゆる意味で模範的と言えよう。

アクが強くなく、真摯な感情がこもっているので、曲の美しさや魅力がまっすぐに伝わってくる。

最も抵抗なく音楽の立派さ、美しさに浸れる名演だ。

とにかくシェリングはヴァイオリニストの存在をまったく忘れさせて、われわれを曲自体に結び付けることによって、音楽自体をたのしめるのである。

それを支えるのが、S=イッセルシュテットで、ハーモニーが立体的で立派さに打たれる。

シンフォニックな立体感は他のすべての指揮者を上回り、それでいて構えた硬さは皆無だ。

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2014年12月26日


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本盤にはヤナーチェクの弦楽四重奏曲第1番及び第2番が収められている。

ヤナーチェクと言えば、数年前まではスメタナやドヴォルザークの陰に隠れたチェコ出身の知る人ぞ知る作曲家という地位に甘んじていたところであるが、村上春樹氏のとある小説が大ブレークしてからは、その知名度は大きくアップしたと言えるところだ。

もちろん、小説にも採り上げられていたシンフォニエッタがダントツに有名であるが、ヤナーチェクはタラス・ブーリバをはじめ、合唱曲(特に、グラゴル・ミサ)やオペラ、そして室内楽曲などにも数多くの傑作を遺しているところであり、今後、これらの傑作が幅広く認知されることを大いに祈念したいと考えている。

ヤナーチェクが作曲した弦楽四重奏曲は、本盤に収められた第1番及び第2番のみであるが、これは20世紀に作曲された弦楽四重奏曲としては、バルトークやショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲に次ぐ内容の充実度を誇っていると言えるのではないだろうか。

これだけの傑作であるにもかかわらず、バルトークやショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲と比較すると、その録音の点数はいささか少ないと言わざるを得ない。

最近では、エマーソン弦楽四重奏団による名演などが登場するなど、好ましい傾向にもあるとは言えるが、いまだにチェコの弦楽四重奏団の演奏が幅を利かせている現状を打破するには至っていない。

本盤に収められた演奏は、ヤナーチェク弦楽四重奏団が1963年に行ったスタジオ録音によるものだ。

「ヤナーチェク」を弦楽四重奏団の名に冠しているだけあって、演奏もヤナーチェクへの深い愛着を窺い知ることが可能な素晴らしい名演に仕上がっている。

チェコの弦楽四重奏団だけに、弦楽の音色の美しさには出色のものがあり、アンサンブルの緻密さも相俟って、まさに珠玉の名演奏を行っているとさえ言えるだろう。

この楽団にかかると、これらの楽曲の随所に見られる不協和音についても、いささかも美しさを失わないと言えるところであり、それでいて、畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力においてもいささかの不足はない。

また、ヤナーチェクは、モラヴィアの民謡を高度に昇華させてこれらの楽曲の随所に採り入れているが、これらモラヴィア風の旋律の情感豊かな歌わせ方には、まさに抗し難い魅力が満ち溢れている。

いずれにしても、本盤の演奏は、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲の演奏として最右翼に掲げられる名演であるとともに、同曲の美しさや魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としても素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1960年代のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。

しかしながら、今般、ついにシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤が発売される運びになった。

本シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤は、従来CD盤とはそもそも次元が異なる極上の高音質であり、音質の鮮明さ、音圧、音場の広さのどれをとっても一級品の仕上がりである。

いずれにしても、ヤナーチェク弦楽四重奏団による素晴らしい名演を、このような極上の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0)ヤナーチェク 

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本盤には、1966年9月17日、ヴンダーリヒが天に召される9日前のエジンバラでのラスト・リサイタルが収められている。

全体に自信に溢れた歌唱で、それは黄泉の国に響くような悲しい美を湛えているが、なかでも感動的なのは、シューマンの歌曲集《詩人の恋》である。

わずか36歳の若さで事故死したこの不世出のテノールの歌唱は、この曲集の「永遠のスタンダード」として、今日の我々をも魅了してやまない。

前項に述べたように、《詩人の恋》は、恋の始まりから、思い出のすべてを海の底に葬るまでを描いた、ハイネの詩による美しい16曲の連作歌曲である。

シューベルトの《水車屋》の詩人ミューラーがひたすら出来事と心の表層を歌うのに対し、ハイネは若者の内面を描かずにはおれない。

まさに、ロマン気質のシューマン好みではないか。

名曲中の名曲であるだけに、《詩人の恋》は名盤があまた残されているが、最も美しいドイツ語発音と、最も美しいドイツ的唱法を示した名唱は、「忘れ得ぬテノール」とドイツで呼ばれている往年のリリック・テノール、ヴンダーリヒによるもの。

ヴンダーリヒには数種の録音があるが、ピッチの不安や緊張感を残しながら、音楽的感興の豊かさで本盤のライヴ録音を採りたい。

恋の甘い陶酔や憂い、失恋の予感の焦燥から、魂の慟哭までを難なく歌う、こんなに幅広い表現力の声があったろうか。

若い詩人の心の痛み、うずき、甘美な陶酔とほとばしる憧れのすべてを、天与の美声で難なく歌っており、F=ディースカウのスタイルと対極にある理想の《詩人の恋》と言って差し支えあるまい。

ただ天の命ずるままに歌い、声の赴くままに表現し、声が自然に詩人の傷ついた魂を語り出すのだ。

ここでのみずみずしいロマンティシズムと輝かしい声の美しさは、青春のナイーヴな想いを雄弁に語りかけており、その切なくも甘美な世界の魅力の虜となってしまう。

ただし、音質はあまり良くないので、うるさいことを言わなければDG盤のスタジオ録音でも十二分に満足し得る名唱だが、こだわる人はぜひとも本盤を手に入れるべきだと思う。

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classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0)ヴンダーリヒシューマン 

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《詩人の恋》は、青春の初々しい愛の喜びと失恋の悲しみという表面上のコンセプトから言えば、感傷的な色合いの強い歌曲集。

事実そのように演奏され、聴かれることが多い。

そういう繊細な感受性というイメージには、例えばベーアの演唱がぴったりだし、青年らしい傷つきやすい心が的確に歌い出されている。

この表層の抒情性に対し、ハイネの詩のテキストは鋭いアイロニーに満ちており、それは作曲者によって近代的な深層心理に読みかえられている。

そしてそれは表層の意識に対し、無意識の反対感情をひびかせ、複雑多感な心理の世界を築き上げている。

この相互照射に鋭敏かつ繊細に触れぬき、生き生きと再現しているという点でF=ディースカウ&ブレンデルに優る演奏はない。

また《リーダークライス》はロマン的な神秘感と近代的な自意識とがひとつに解け合う不思議な世界を生み出しているが、この両極のエレメントを結びつけるキーワードは「孤独」である。

孤独は辛いが、自己認識の新しい世界を開いてくれるし、また人間関係の煩わしさを逃れ、独りになる喜びも教えてくれる。

曲集はこの孤独な魂の新しい冒険の多彩さと物語的な面白さにかけてはF=ディースカウ&ブレンデルの右に出るものはない。

しかも曲のこの二面的構造を知りつくし、完璧に再現している点も他の追随を許さない。

いずれの曲集も充実した表現で、F=ディースカウの年輪の豊かさをしみじみと感じさせる演奏だ。

ただ、この時期(1985年)の彼は喉の状態がベストとは言えず、声の粗さが目立っている。

ブレンデルの伴奏はさすがと言うべきもので、彼特有のタッチによるシューマネスクな世界が、細やかな遠近法の中に描かれている。

《詩人の恋》第6曲を例にとれば、ラインの流れの描写、タッチの微妙な色合いなど聴くべきものは多い。

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2014年12月25日


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モーツァルトのフルートを用いた作品を軸に、ハイドンの偽作とされるフルート協奏曲などが収められた好企画のCDである。

本盤は、そうした選曲の見事さもさることながら、演奏者も今となっては豪華な布陣である。

フルトヴェングラーがベルリン・フィルの芸術監督をつとめていた時代の首席フルート奏者であったオーレル・ニコレ、そしてバッハをはじめとしたバロック音楽やハイドン、モーツァルトの作品において比類のない名演の数々を遺したリヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団など、本演奏の当時(1962年)全盛期にあった者たちが繰り広げた演奏は、まさに珠玉の名演とも言うべき至高・至純の美しさを誇っていると高く評価したい。

オーレル・ニコレによるフルート演奏は、もちろん卓越した技量を有してはいるが、フルトヴェングラー時代のベルリン・フィルの首席奏者をつとめていただけのことはあって、技巧臭がいささかもせず、徹底した内容重視の演奏を行っている。

本盤に収められた各楽曲のうち、特に、フルートとハープのための協奏曲については、カール・ミュンヒンガーがウィーンの首席フルート奏者などと共に行った素晴らしい名演が存在しているが、当該演奏がウィーン風の情緒に満たされた美演であるのに対して、本演奏は徹頭徹尾ドイツ風の重厚なもの。

オーレル・ニコレによる彫りの深いフルート演奏、そしてリヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団による引き締まった造型美を旨とする剛毅な演奏が、演奏全体の様相をそのようなドイツ風の重厚にしてシンフォニックなものとするのに大きく貢献している。

そして、ローゼ・シュタインによるハープ演奏が演奏全体に潤いと温もりを付加するのに寄与し、これによって、重厚な中にも優美な美しさを併せ持った稀有の名演に仕上がっていると評価し得るところだ。

また、モーツァルトの2曲のフルート協奏曲やフルートと管弦楽のためのアンダンテも、オーレル・ニコレによるいわゆるジャーマン・フルートのいぶし銀の美しい魅力を十二分に満喫することが可能な素晴らしい名演であり、いい意味での剛柔のバランスという点においては、それぞれの楽曲の演奏史上でもトップクラスの名演と高く評価したい。

現在では、ハイドンによる作品ではないとされているフルート協奏曲ニ長調や、グルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」からの抜粋である精霊の踊りも、ドイツ風の重厚な中にもジャーマン・フルートのいぶし銀の美しさを感じさせる素晴らしい名演だ。

音質は、かつて発売されていた従来CD盤は、1960〜1962年のスタジオ録音であり、今一つの音質であったが、今般、待望のSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、とても1960年代初め頃のスタジオ録音とは思えないような高音質に生まれ変わった。

いずれにしても、全盛期のオーレル・ニコレ、そしてリヒター&ミュンヘン・バッハ管弦楽団ほかによる至高の名演を、鮮明な高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:40コメント(0)トラックバック(1)モーツァルトリヒター 

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数多くの若手ヴァイオリン奏者が活躍する今日においては、残念なことではあるが庄司紗矢香の存在感はやや薄くなってしまっていると言わざるを得ない。

しかしながら、今から7年ほど前の本盤に収められた演奏当時は、庄司紗矢香は次代を担う若手ヴァイオリニストの旗手として飛ぶ鳥を落とす勢いであったと言える。

本演奏では、そのような前途洋々たる将来を嘱望されていた庄司紗矢香の素晴らしいヴァイオリン演奏を聴くことが可能であり、両曲ともに素晴らしい名演と高く評価したい。

まずは、庄司紗矢香の若手ヴァイオリニストとは到底思えないような落ち着き払ったテンポ設定に大変驚かされる。

あたかも1音1音を丁寧に、しっかりと確かめながら演奏しているかのようであるが、それでいて音楽の自然な流れが損なわれることはいささかもなく、むしろこれ以上は求め得ないような美しさの極みとも言うべき極上の音楽が滔々と流れていく。

その心のこもった情感の豊かさは、切れば血が吹き出てくるような熱い情熱に裏打ちされており、実に感動的だ。

もちろん、庄司紗矢香の卓越した技量は比類がないものであり、とりわけ両曲の終楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さやエネルギッシュな生命力は、圧倒的な迫力を誇っている。

この庄司紗矢香の素晴らしいヴァイオリンをうまくサポートしているのが、チョン・ミュンフン&フランス国立放送フィルによる好演だ。

チョン・ミュンフンは1990年代の全盛期に比べると、かなり大人しい演奏に終始するようになったが、本演奏ではこれが逆に功を奏し、ゆったりとしたテンポによる控えめな演奏が庄司紗矢香のヴァイオリンをうまく引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

録音は、従来盤ではヴァイオリンとオーケストラのバランスについて問題視されるなど、必ずしも満足できる音質とは言い難い面があったが、今般のSHM−CD化により鮮明さが増すことによって、かなり満足できる音質に生まれ変わったと言えるのではないだろうか。

いずれにしても、飛ぶ鳥落とす勢いであった庄司紗矢香による素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:55コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーメンデルスゾーン 

2014年12月24日


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次元が異なる超高音質SACDの登場を大いに歓迎したい。

本盤に収められた演奏は、カザルスと並ぶ20世紀最大のチェリストであったロストロポーヴィチと、20世紀を代表する作曲家の1人であるブリテンによる歴史的な超名演だけに、既にSACDハイブリッド盤やSHM−CD盤などが発売されてきたが全く問題にならない。

本盤では、既発のCDでは聴き取ることが難しかったロストロポーヴィチのチェロの細かい弓使いなどが鮮明に再現されるとともに、特に、チェロの低音域に一本太い芯が通ったような力強さが加わったことが何よりも大きい。

これによって、ロストロポーヴィチのスケールの大きい卓越した至芸を、望み得る最高の音質で味わうことが可能になったと言える。

他方、ブリテンのピアノの音色は、やや籠りがちな箇所も散見されるが、それでも既発CDと比較すると格段に音の鮮度が増しており、とりわけ高音域がクリアに聴こえるのが素晴らしい。

演奏は、息の合った盟友どうしの歴史的な名演奏であり、いずれの楽曲も史上最高の名演と言える。

ロストロポーヴィチのチェロは、重量感溢れる低音から抒情豊かな高音に至るまで表現力の幅は桁外れに広く、シューベルトのアルぺジオーネ・ソナタに込められた寂寥感や、民謡風の5つの小品が内包するシューマン最晩年の絶望感に苛まれた心の病巣を切れ味鋭く描出している点を高く評価したい。

他方、ドビュッシーのチェロ・ソナタでは、同曲独特の瀟洒な味わいの描出にもいささかの不足はない。

ブリテンのピアノも、こうしたロストロポーヴィチの彫りの深い表現をしっかりと下支えしているのが素晴らしい。

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classicalmusic at 00:47コメント(0)トラックバック(0)ロストロポーヴィチブリテン 

2014年12月23日


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本盤には即興曲全曲を軸として、舟歌や子守歌、ボレロ、新練習曲、タランテラ、そしてアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズなどが収められているが、いずれもルービンシュタインならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

古今東西の数多くのピアニストの中でも、ショパン弾きとして名を馳せた者は数多く存在しているが、その中でも最も安心してその演奏を味わうことができるのは、ルービンシュタインを置いて他にはいないのではないだろうか。

というのも、他のピアニストだと、古くはコルトーにしても、ホロヴィッツにしても、フランソワにしても、演奏自体は素晴らしい名演ではあるが、ショパンの楽曲の魅力よりもピアニストの個性を感じてしまうからである。

もちろん、そのように断言したからと言って、ルービンシュタインが没個性的などと言うつもりは毛頭ない。

ルービンシュタインにも、卓越したテクニックをベースとしつつ、豊かな音楽性や大家としての風格などが備わっており、そのスケールの雄渾さにおいては、他のピアニストの追随を許さないものがあると言えるだろう。

そして、ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、ショパンと同じポーランド人であるということやショパンへの深い愛着に起因すると考えられるが、ルービンシュタイン自身がショパンと同化していると言えるのではないだろうか。

ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているような趣きがあるとさえ言える。

何か特別な個性を発揮したり解釈を施さなくても、ごく自然にピアノを弾くだけで立派なショパンの音楽の名演に繋がると言えるところであり、ここにルービンシュタインの演奏の魅力がある。

本盤に収められた即興曲全曲や舟歌、子守歌、ボレロ、新練習曲、タランテラ、そしてアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズなどについても、そうしたルービンシュタインならではの情感豊かでスケール雄大な名演だ。

もちろん、これらの楽曲には、様々な個性的な名演が多く存在してはいるが、楽曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、本盤の演奏の右に出る演奏は皆無であると言えるのではないだろうか。

また、演奏全体を貫いている格調の高さは比類がなく、これぞまさしく大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。

これだけの素晴らしい名演であるだけに、高音質化への不断の取組が行われてきたところであるが、今般発売されたBlu-spec-CD2盤は、これまでで最も良好な音質である。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)ショパンルービンシュタイン 

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巨匠カラヤンが遺した数多くのオペラのスタジオ録音の中でも、本盤に収められたワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は特異なものである。

というのも、もともと指揮を予定していたバルビローリがキャンセルしたということもあるが、オーケストラは当時鉄のカーテンの向こう側にあったシュターツカペレ・ドレスデン、そして歌手陣はいわゆるカラヤン組に属する歌手は殆ど皆無であるという、カラヤンにとって完全アウェイの中で録音が行われたからである。

本盤の演奏は1970年であるが、この当時のカラヤンは、手兵ベルリン・フィルとともに黄金時代を築いていた時期に相当し、ベルリン・フィルの卓越した技量を誇る演奏に流麗なレガートを施したいわゆるカラヤンサウンドを駆使して、圧倒的な音のドラマを構築していた。

それは、例えば、同時期にスタジオ録音されたワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」(1966〜1970年)を聴けばよく理解できるところである。

しかしながら、本演奏においては、ベルリン・フィルを指揮して圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンはどこにも存在していない。

したがって、カラヤンサウンドなどというものは皆無の演奏に仕上がっているところであり、シュターツカペレ・ドレスデンならではのドイツ風のいぶし銀の重厚な音色が全体を支配していると言えるところだ。

そして、カラヤンはシュターツカペレ・ドレスデンを巧みに統率するとともに、ライト・モティーフを適切に描き分けるなど、稀代のオペラ指揮者ならではの才能を十二分に発揮した見事な演出巧者ぶりを発揮している。

カラヤンは、本演奏の録音に際しては、演奏を細かく中断させることなくできるだけ通しで録音を行ったということであるが(編集も最小限に抑えられている)、これによって音楽の流れがいささかも淀みがないとともに、どこをとっても強靭な気迫と緊迫感、そして生命力に満ち溢れているのが素晴らしい。

歌手陣も、主役級にはいわゆるカラヤン組に属する歌手は殆どいないものの全体としては豪華な布陣であり、ハンス・ザックス役のテオ・アダムとフェイト・ポーグナー役のカール・リッダーブッシュ、そしてシクストゥス・ベックメッサー役のジェレイント・エヴァンスは特に充実した歌唱を披露している。

また、ヴァルター・フォン・シュトルツリング役にルネ・コロ、ダーフィト役にペーター・シュライアー、エーファ役にヘレン・ドナート、そして夜警役にクルト・モルを起用する当たりは、いかにもカラヤンならではの豪華なキャスティングである。

ドレスデン国立歌劇場合唱団の豊穣にして充実した歌唱も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本演奏はカラヤンのオペラ指揮者としての実力が存分に発揮された演奏であり、シュターツカペレ・ドレスデンの潤いに満ちたいぶし銀の音色も相俟って、同曲演奏史上最高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーカラヤン 

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本盤に収められたヨッフム&ベルリン・フィルによるブルックナーの交響曲第7番は、ヨッフムが2度にわたってスタジオ録音したブルックナーの交響曲全集のうち、最初のものに含まれるものである。

2度にわたる全集はいずれも名全集の名に恥じないものであり、どちらを上位に置くべきかについては大いに議論の分かれるところではあるが、2度目の全集(1975〜1980年)がEMIによる必ずしも万全とは言い難い音質であることを考慮に入れると、筆者としては1958〜1967年にかけて録音が行われた最初の全集の方をわずかに上位に掲げたいと考えている。

当該全集に含まれた演奏はいずれも名演の名に相応しいものであるが、どちらかと言うと、初期の交響曲第1〜3番及び第6番がより優れた演奏である。

それでも、後期の第7〜9番の演奏が劣っているというわけではなく、一般的な意味においては名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

本盤の第7番の演奏におけるヨッフムのアプローチは、1990年代になってヴァントや朝比奈が確立した、悠揚迫らぬインテンポによる荘重な演奏とは大きく異なっている。

むしろ、随所にテンポの振幅を加えており、旋律もたっぷりと情緒豊かに歌わせるなど、ロマンティシズムの色合いさえ感じさせるほどだ。

ブラスセクションなどは、後年のヴァントや朝比奈のように、必ずしも最強奏させることなく、むしろ全体をオルガン風にブレンドしているような印象を受ける。

したがって、ヴァントや朝比奈の演奏に慣れ親しんだ耳で聴くと、いささか柔和な印象を与えると言えなくもないが、それでもスケールは十分に雄大であると言えるところであり、演奏全体として、ブルックナーの音楽の魅力を十分に描出するのに成功しているというのは、ヨッフムがブルックナーの本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

同じく後期の交響曲である第8番の演奏においては、いささかスケールの小ささが気になったところであるが、本盤の第7番については、その演奏の壮大なスケール感において不足はないと言えるところだ。

ベルリン・フィルもヨッフムの確かな統率の下、その合奏能力を十二分に発揮した壮麗な名演奏を展開しており、その演奏の重厚さにおいては、後年のシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏(1976年)や、ライヴ録音であるミュンヘン・フィルとの演奏(1979年)やコンセルトへボウ・アムステルダムとの演奏(1986年)といった名演を大きく凌駕していると言っても過言ではあるまい。

そして、本盤で素晴らしいのはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、およそ信じ難いような鮮明な高音質に生まれ変わったことである。

従来CD盤では、各楽器セクションが明瞭に分離せず、一部混濁して聴こえたりしたものであるが、本盤では明瞭に分離して聴こえるところである。

加えて、マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、臨場感についても抜群のものがあり、おそらくは現在において望み得る最高の鮮明な超高音質である。

いずれにしても、ヨッフムによる素晴らしい名演を、シングルレイヤーによる超高音質SACD&SHM−CDで味わうことができることを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 00:35コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヨッフム 

2014年12月22日


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ポリーニのピアノの評価の前に、アバドについて言及しておきたい。

アバドは、私見であるが、これまでの様々な名指揮者の中でも、最高の協奏曲指揮者と言えるのではなかろうか。

これは、指揮者としては必ずしも芳しい評価とは言い難いが、これまでのアバドの協奏曲演奏における実績に鑑みれば、そうした評価が至当であることがわかろうというものである。

例えば、チャイコフスキーやラヴェル(旧盤)におけるアルゲリッチとの共演、ブラームスの第1番、第2番におけるブレンデルとの共演など、各楽曲におけるトップの座を争う名演の指揮者は、このアバドなのである。

この他にもポゴレリチなど、様々なピアニストと名演を成し遂げてきているが、共演の数からすれば、本盤のポリーニが群を抜いていると言えよう。

ただ、ポリーニとの共演が、すべて名演になっているかと言うと、必ずしもそうではないと考える。

同じイタリア人でもあり、共感する部分もあるかとも思うし、ポリーニの詩情に乏しいピアノのせいも多分にあるとは思うが、ベートーヴェンやブラームスの全集など、イマイチの出来と言わざるを得ない。

しかしながら、本盤は名演だ。

その第一の要因は、アバドの気迫溢れる指揮と言わざるを得ない。

本盤の録音は、ベルリン・フィルの首席指揮者選出直前の指揮でもあり、アバド、そしてベルリン・フィルの演奏にかける情熱や生命力の強さが尋常ではないのだ。

アバドは、ベルリン・フィル着任後、大病を患うまでの間は、生ぬるい浅薄な演奏に終始してしまうが、本盤の指揮で見せたような気迫を就任後も持ち続けていれば、カラヤン時代に優るとも劣らない実績を作ることができたのにと、大変残念に思わざるを得ない。

指揮やオーケストラがこれだけ凄いと、ポリーニのピアノも断然素晴らしくなる。

シューマンにおいては、ポリーニの根源的な欠点である技術偏重の無機的な響きは皆無であり、アバドの指揮の下、詩情溢れる実に情感豊かなピアノを披露している。

シェーンベルクにおける強靭な打鍵も、技術的な裏打ちと、ポリーニには珍しい深い精神性がマッチして、珠玉の名演に仕上がっている点を高く評価したい。

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classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(1)ポリーニアバド 

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モーツァルトを十八番とした巨匠カール・ベームは、モーツァルトのオペラを指揮することの難しさについて指摘をしていたとのことが、故吉田秀和氏の著作の中に記述されている。

その中でも、最も難しいのは、登場人物の心理を深く掘り下げて描き出すことが必要な歌劇「ドン・ジョヴァンニ」や、最晩年の傑作である歌劇「魔笛」を掲げるクラシック音楽ファンも多いのではないかと考えられる。

筆者も、その説に賛成ではあるが、本盤に収められた歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」も一筋縄ではいかない難しさを秘めていると言えるのではないだろうか。

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」のように登場人物は多くなく、むしろ極めて少ないが、それらの各登場人物の洒脱と言ってもいいような絡み合いをいかに巧みに描き出していくのかといった点に、その演奏の成否がかかっていると言っても過言ではあるまい。

要は、オペラの指揮によほど通暁していないと、三流の田舎芝居のような凡演に陥る危険性さえ孕んでいると言えるだろう。

本演奏は、1973年のスタジオ録音であるが、これはショルティがウィーン・フィルとの歴史的な楽劇「ニーベルングの指環」の全曲録音(1958〜1965年)を終え、オペラの録音にますます自信を深めた時期に相当する。

それだけに、ショルティも自信を持って、歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」の録音に臨んだことを窺い知ることができるところだ。

ショルティの芸風は、切れ味鋭いリズム感と明瞭なメリハリが信条と言えるが、ここでは、持ち前の鋭いリズム感を全面に打ち出して、同オペラの洒脱な味わいを描出するのに見事に成功しているのが素晴らしい。

明瞭なメリハリも、本演奏においては見事に功を奏しており、モーツァルトがスコアに記した音符の数々が、他のどの演奏よりも明瞭に再現されているのが素晴らしい。

もちろん、ベームやカラヤンによる、世評も高い同曲の名演と比較して云々することは容易ではあるが、これだけ同オペラの魅力を堪能させてくれれば文句は言えないのではないだろうか。

歌手陣や合唱団も、フィオルディリージ役のピラール・ローレンガー、ドラベッラ役のテレサ・ベルガンサ、フェルランド役のライランド・デイヴィス、グリエルモ役のトム・クラウセ、ドン・アルフォンソ役のガブリエル・バキエ、デスピーナ役のジャーヌ・ベルビエ、そして、コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団がショルティの巧みな統率の下、圧倒的な名唱を披露しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルも、ショルティの確かな統率の下、持ち得る実力を十二分に発揮した名演奏を展開している点も高く評価したい。

音質も、英デッカによる見事な高音質録音であり、1973年のスタジオ録音とは思えないような鮮度を誇っているのも素晴らしい。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトショルティ 

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ドヴォルザークの4つの交響詩集は、その題材の残忍さ、異常さから俗に殺人交響詩集とも称されている。

同交響詩集は、交響曲第9番「新世界より」やチェロ協奏曲ロ短調、そして弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」などの、ドヴォルザークのあらゆる作品の中でも最高峰の傑作が生みだされた後に作曲された晩年の作品であるだけに、更に優れた作品であるかのように思いきや、なかなかそうはいっていないと言わざるを得ない。

音楽評論家や学者の意見も、創作力が、交響曲第9番やチェロ協奏曲ロ短調などにおいてピークに達した後、減退しているというのが太宗を占めている。

交響詩集の各楽曲のオーケストレーションについては、ドヴォルザークが恩師であるブラームスを尊敬し、その作品から深い影響を受けているものの、自らがワグネリアンであることを公言していたとも伝えられているところであり、これらの各楽曲には、そうしたドヴォルザークのワグネリアン的な資質が見事に反映されていると言っても過言ではあるまい。

ただ、題材も含めた楽曲の芸術性と言った点に鑑みれば、ドヴォルザークの晩年の傑作と評価するには躊躇せざるを得ないところであり、そのせいか、4つの交響詩すべての録音も、チェコの指揮者による演奏にほぼ限定されていたとも言えるところだ。

このような中で、ラトル&ベルリン・フィルによる本盤が登場したというのは、これらの楽曲の魅力を世に知らしめるという意味において、極めて画期的なことであると考えられるところである。

演奏自体は、チェコの指揮者のように、ボヘミアの民族色など薬にしたくもない演奏と言える。

同曲のオーケストレーションの面白さ、巧みさを、ベルリン・フィルという世界最高峰のオーケストラを用いて見事に紐解くことに成功した演奏と言えるのではないだろうか。

当時のラトルの欠点でもある表現意欲の空回りを感じさせないわけではないが、それでも一般的にはあまり知られていないドヴォルザークの交響詩集のいわゆるオーケストラ曲としての魅力をこれほどまでに堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ドヴォルザークの交響詩集のオーケストラ曲としての魅力を多くのクラシックファンに認知させるのに成功した素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でも十分に良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が図られることになった。

音質の鮮明さ、音場の拡がりなど、どれをとっても既発の従来CD盤とは比較にならないほどの極上の素晴らしい高音質であり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ラトル&ベルリン・フィルによる素晴らしい名演を、高音質のSACD盤で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 00:35コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークラトル 

2014年12月21日


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ブーレーズは、かつては前衛的な解釈で聴き手を驚かすような演奏を数多く行ってきたが、1990年代に入ってDGに様々な録音を行うようになってからは、すっかりと好々爺になったように思われる。

もちろん、だからと言って、演奏自体の質が落ちたということはいささかもない。

老いても前衛時代の残滓はなお残っているところであり、むしろ、いい意味での硬軟バランスのとれた名演奏を行うことが多くなったと言えるのではないだろうか。

特に、1990年代から2000年代の長きにわたって録音されたマーラーの交響曲全集には、そうした名演奏が数多く含まれているように思われる。

交響曲「大地の歌」も、そうした近年のブーレーズの芸風がプラスに働いた名演と高く評価したい。

「大地の歌」の名演としては、ワルター&ウィーン・フィル(1952年)とクレンペラー&フィルハーモニア管(1964年、1966年)が双璧とされてきた。

前者はどちらかと言うとウィーン・フィルの美演を最大限に活かした耽美性を強調した演奏、後者は同曲の心底にある厭世観を鋭く抉り出した演奏と言うことが可能ではないかと考えられる。

これら両名演に対して、ブーレーズの演奏は、「大地の歌」が有する耽美性や厭世観を極力排して、徹底してスコアに記された音符を精緻に表現することにつとめた演奏と言えるのではないだろうか。

もっとも、かつてのブーレーズであれば、さらに徹頭徹尾、冷徹な演奏を繰り広げることもあり得たと思うが、本演奏では、精緻な中にも随所に豊かな情感が込められているのが素晴らしい。

このような演奏を聴いていると、かの前衛的なブーレーズに対して、到底似つかわしくない円熟という表現をついに使わざる得なくなったのではないかと感じずにはいられない。

メゾ・ソプラノのウルマーナとテノールのシャーデも、このようなブーレーズの新しい円熟の芸風に符号した見事な歌唱を披露している。

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classicalmusic at 22:37コメント(0)トラックバック(0)マーラーブーレーズ 

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ジュリーニは、イタリア人指揮者であるが、独墺系の作曲家による楽曲も数多く演奏した大指揮者であった。

ブラームスの交響曲全集は2度も録音しているのに対して、意外にもベートーヴェンの交響曲全集は1度も録音していないところだ。

これほどの大指揮者にしては実に不思議と言わざるを得ないと言えるだろう。

ジュリーニは、最晩年に、ミラノ・スカラ座歌劇場フィルとともに、ベートーヴェンの交響曲第1番〜第8番を1991〜1993年にかけてスタジオ録音を行った(ソニー・クラシカル)ところであり、残すは第9番のみとなったところであるが、1989年にベルリン・フィルとともに同曲を既にスタジオ録音していた(DG)ことから、かつて在籍していたDGへの義理立てもあって、同曲の録音を行わなかったとのことである。

このあたりは、いかにもジュリーニの誠実さを物語る事実であるが、我々クラシック音楽ファンとしては、いささか残念と言わざるを得ないところだ。

それはさておき、本盤に収められたのは、1972年にロンドン交響楽団とともにスタジオ録音を行った交響曲第8番及び第9番である。

他にライヴ録音が遺されているのかもしれないが、前述のように交響曲第8番はミラノ・スカラ座フィルと(1992年)、交響曲第9番はベルリン・フィル(1989年)と録音することになることから、それらの演奏の20年前のものとなる。

1972年と言えば、ジュリーニの全盛期であるだけに、演奏は、諸説はあると思うが、後年の演奏よりも数段優れた素晴らしい名演と高く評価したい。

何よりも、テンポ設定が、後年の演奏ではかなり遅めとなっており、とりわけ交響曲第9番においては、演奏自体に往年のキレが失われているきらいがあることから、筆者としては、これら両曲のジュリーニによる代表盤としては、本盤を掲げたいと考えているところだ。

演奏の様相はオーソドックスなもので、後年の演奏とは異なり、ノーマルなテンポで風格豊かな楽想を紡ぎだしている。

そして、ジュリーニならではいささかの隙間風の吹かない、粘着質とも言うべき重量感溢れる重厚な響きも健在であるが、いささかの重苦しさを感じさせることはなく、歌謡性溢れる豊かな情感が随所に漂っているのは、イタリア人指揮者ならではの面目躍如たるものと言えるだろう。

いわゆる押しつけがましさがどこにも感じられず、まさにいい意味での剛柔のバランスがとれた演奏と言えるところであり、これは、ジュリーニの指揮芸術の懐の深さの証左と言っても過言ではあるまい。

ロンドン交響楽団もジュリーニの統率の下、名演奏を展開しており、独唱陣や合唱団も最高のパフォーマンスを発揮している。

いずれにしても、本盤に収められた両曲の演奏は、ジュリーニならではの素晴らしい名演であるとともに、ジュリーニによるそれぞれの楽曲の演奏の代表的な名演と高く評価したい。

音質も素晴らしい。

本盤に収められた各演奏は国内盤としては長らく廃盤となっていたものであるが、今般、シングルレイヤーによるSACD盤の発売は、ジュリーニによる名演の価値を再認識させる意味でも極めて大きいものと言えるだろう。

音質の鮮明さ、音圧、音場の幅広さのどれをとっても圧倒的であり、あらためて本演奏の魅力を窺い知ることが可能になるとともに、SACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

いずれにしても、ジュリーニによる素晴らしい名演を超高音質のシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンジュリーニ 

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これは、本SACD&SHM−CD盤を聴く前までは、評価の難しい演奏であった。

ポリーニの研ぎ澄まされた鋭いタッチ、抜群のテクニックに裏打ちされたポリーニのピアニズムを、未来志向の新しい前衛的な表現と見るのか、それとも技術偏重の無機的な浅薄な表現と見るのかは、聴き手の好みにも大いに左右されるものと考える。

筆者としては、どちらかと言えば、後者の考え方を採りたい。

ベートーヴェン晩年のピアノ・ソナタをポリーニは、一点の曇りもない完璧なテクニックで弾き抜いている。

まさに、唖然とするテクニックと言うべきで、場面によっては、機械じかけのオルゴールのような音色がするほどだ。

このような感情移入の全くない無機的な表現は、ベートーヴェンのもっとも深遠な作品の解釈としては、いささか禁じ手も言うべきアプローチと言えるところであり、筆者としては、聴いていて心を揺さぶられる局面が殆どなかったのが大変残念であった。

他方、これを未来志向の前衛的な解釈という範疇で捉えるという寛容な考え方に立てば、万全とは言えないものの、一定の説得力はあると言うべきなのであろう。

それでも、やはり物足りない、喰い足りないというのが正直なところではないか。

ポリーニには、最近は、バッハの平均律クラーヴィア曲集などの円熟の名演も生まれており、仮に、現時点において、これらの後期ピアノ・ソナタ集を録音すれば、かなりの名演を期待できるのではないかと考える。

しかしながら、今般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化によって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところであり、本演奏に対する評価についても大きく変更を余儀なくせざるを得ないところだ。

こうして、鮮明かつ臨場感溢れる極上の高音質で聴くと、これまで感情移入の全くない無機的な表現と思われていたポリーニによる本演奏が、実は驚くほどの絶妙なニュアンスや表情づけがなされていることが理解できたところである。

かかるポリーニによる演奏は、未来志向の前衛的な解釈という範疇で捉えることが可能であるとともに、血も涙もない無機的な演奏ではなく、むしろポリーニなりに考え抜かれた懐の深さを伴った演奏と言えるのではないだろうか。

もちろん、バックハウスやケンプなどによる人生の諦観さえ感じさせる彫りの深い至高の名演と比較して云々することは容易であるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

いずれにしても、本演奏は、ポリーニの偉大な才能を大いに感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

それにしても、音質によってこれだけ演奏の印象が変わるというのは殆ど驚異的とも言うべきであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。

ポリーニによる素晴らしい名演をSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月20日


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不世出の大歌手であったシュヴァルツコップは、様々な楽曲において持ち前の名唱を余すことなく披露したが、最も得意としていたのは、諸説はあると思われるが、その声質からしてもモーツァルトの楽曲であったと言えるのではないだろうか。

例えば、シュヴァルツコップの歴史的な名唱としては、カラヤン&フィルハーモニア管弦楽団ほかをバックにスタジオ録音(1956年)されたR・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」における元帥夫人役が掲げられるが、当該楽劇もモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」の近現代音楽版とも言えるものである。

そして、同じ組み合わせによるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」などにおいても素晴らしい歌唱を披露しており、シュヴァルツコップとモーツァルトの楽曲の抜群の相性の良さを感じることが可能だ。

そのようなシュヴァルツコップが、同じくモーツァルトを得意中の得意としていたギーゼキングと組んで、モーツァルトの歌曲集をスタジオ録音してくれていたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

それにしても、シュヴァルツコップは上手い。

いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけモーツァルトの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えまい。

そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。

随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。

表情づけの巧さも特筆すべきものであり、シュヴァルツコップがいかにモーツァルトの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。

ギーゼキングのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていない。

ギーゼキングのピアノ演奏は、例によって一聴すると即物的とも言うべきストレートな表現を旨としているが、よく聴くと随所に絶妙なニュアンスが込められているところであり、噛めば噛むほどに味わいが出てくるスルメのような内容豊かな演奏と言えるだろう。

したがって、モーツァルトの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相俟って、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したい。

音質は、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1955年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

シュヴァルツコップの息遣いやギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、シュヴァルツコップ、そしてギーゼキングによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:36コメント(0)トラックバック(0)シュヴァルツコップギーゼキング 

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シマノフスキは、ショパン亡き後のポーランドを代表する作曲家であり、本盤の作品番号を見てもわかるように、各ジャンルに渡って相当数の楽曲を作曲した。

しかしながら、シマノフスキの楽曲は、演奏されること自体が稀であり、その作品の質の高さに鑑みると、きわめて不当な評価しかされていないと言えるだろう。

そんなシマノフスキに、ラトルという現代最高の指揮者の1人が、数々の録音を行っているというのは、何と言う幸福と言えることだろうか。

本盤に収められた歌劇「ロジェ王」などは、素晴らしい傑作オペラだ。

音楽の素晴らしさや作品の内容の意味深さといい、同時代の隣国ヤナーチェクのオペラにも匹敵する稀有の作品と言える。

録音自体が殆どないだけに、本盤のラトル盤は、そのまま同曲演奏の玉座を占める至高の名演ということになる。

ラトルの彫りの深い表現は、シマノフスキに対する敬意と愛着に満ち溢れて素晴らしいの一言であるし、ロジェ王役のハンプソンを始めとする独唱陣や少年合唱団を含むバーミンガム市合唱団もきわめて優秀だ。

ラトルは1999年録音時に「シマノフスキは、私が面倒を見ようと思った作曲家の1人です。その素晴らしさのわりにはポーランド以外の国で演奏される事がきわめて少ない。ロジェ王は、本当に珍しい、今まで顧みられる事のなかった、真のマスターピースです」と語っていた。

ラトルの薫陶の下、鍛え抜かれたバーミンガム市響も最高のパフォーマンスを示している。

交響曲第4番も、アンスネスのピアノともども同曲最高の名演と言える。

HQCD化によって、音質がさらに鮮明になったことも、本盤の価値を大いに高めている。

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カラヤンは手兵ベルリン・フィルとともにベートーヴェンの交響曲全集を3度にわたってスタジオ録音しているが、同時にブラームスの交響曲全集も3度にわたってスタジオ録音している。

その他にも、一部の交響曲について、ウィーン・フィルやフィルハーモニア管弦楽団、コンセルトへボウ・アムステルダムなどと録音を行うとともに、ベルリン・フィルなどとのライヴ録音も遺されていることから、カラヤンがいかにブラームスの交響曲を得意としていたのかがよく理解できるところだ。

ベルリン・フィルとの全集で言えば、最初の全集が1963〜1964年、本盤に収められた交響曲第2番及び第3番を含む2度目の全集が1977〜1978年、そして3度目の全集が1987〜1988年と、ほぼ10年毎に、そしてベートーヴェンの交響曲全集のほぼ直後に録音されているのが特徴である。

この3つの全集の中で、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、紛れもなく本盤の2度目の全集であると考えられる。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルは、まさにこの黄金コンビの全盛時代である。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

本盤に収められた交響曲第2番及び第3番においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっている。

このような演奏について、例えば第2番については、ワルター&ニューヨーク・フィルによる名演(1953年)、ベーム&ウィーン・フィルによる名演(1975年)、第3番については、クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィルによる名演(1950年)などと比較して、その精神的な深みの追求の欠如などを指摘する評論家もいるとは思われるが、これほどの圧倒的な音のドラマを構築したカラヤンによる名演との優劣を付けることは困難であると考える。

本盤の2曲を含め、カラヤン&ベルリン・フィルによる2度目のブラームスの交響曲全集については、長らくに渡って高音質化の波から外れてきた。

3度目の全集についてはSHM−CD化、最初の全集についてはリマスタリングが施されたにもかかわらず、これまで殆ど手つかずの状態であったというのは、演奏の素晴らしさからすれば、明らかに不当な扱いを受けてきたと言えるだろう(これは、ベートーヴェンの交響曲全集においても共通して言えることだ)。

しかしながら、今般、全集のうち交響曲第2番及び第3番に限ってということではあるが、待望のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が図られることになった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な名演を、現在望みうる最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

そして、可能であれば、全集の中の残された交響曲第1番及び第4番、そして悲劇的序曲、ハイドンの主題による変奏曲についてもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を行っていただくことを大いに期待したい。

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2014年12月19日


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この演奏ははっきり言って良くない。

ラトルは、2008年のマーラーの交響曲第9番の録音あたりから、猛者揃いのベルリン・フィルを漸く掌握して、自らの個性を発揮した素晴らしい名演の数々を成し遂げるようになったが、2002年の芸術監督就任後の数年間は、それこそ鳴かず飛ばずの状態が続いていた。

世界最高峰のオーケストラを手中に収め、それだけに多くのクラシック音楽ファンの視線は厳しいものとならざるを得ないが、そうしたことを過剰に意識したせいか、気負いだけが空回りした凡庸な演奏を繰り返していたと言えるところだ。

個性を発揮しようと躍起になるのは結構なことであるが、自らの指揮芸術の軸足がふらついているようでは、それによって醸成される演奏は、聴き手に対して、あざとさ、わざとらしさしか感じさせないということに繋がりかねない。

ラトルは、ヴァントが、その最晩年にベルリン・フィルとともに行ったブルックナーの交響曲のコンサートを聴き、実際に楽屋を訪ねたこともあったようである(ヴァントの自伝にその旨が記述されている)。

しかしながら、本演奏を聴く限りにおいては、ヴァントから学んだものなど微塵もないと言わざるを得ない。

いや、むしろ、ヴァントの神々しいまでの崇高な名演を過剰に意識するあまり、しゃかりきになって、独自のスタイルを打ち出そうともがいているような印象さえ受ける。

これは、ブルックナーの交響曲を演奏するに際しては、危険信号であると言えるだろう。

ベルリン・フィルも、そうしたラトルの指揮に戸惑いを見せているような雰囲気も感じられるところであり、もちろん重量感溢れる演奏は行っているものの、今一つ音楽に根源的な迫力が感じられない。

ラトルも、無用なテンポの振幅は最小限に抑えているようではあるが、独自のスタイルを打ち出そうというあせりのせいか、時として無用な表情づけがなされているのが問題だ。

ラトルは、昨年、ブルックナーの交響曲第9番(終楽章の補筆版付き)の名演を成し遂げたが、かかる演奏との格差は歴然としており、現代のラトルがブルックナーの交響曲第4番の録音を行えば、より優れた演奏を行うことができたのではないかと容易に想定できるだけに、ラトルは、同曲の録音を行うのがいささか早過ぎたと言えるのかもしれない。

それ故、ラトルには今後、ブルックナーの交響曲第4番の再録音を大いに望んでおきたいと考える。

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本盤には、今や伝説的ともなったチェリビダッケの1986年の来日公演の中から、ブラームスの交響曲第4番、R・シュトラウスの交響詩「死と変容」、そして、ロッシーニの歌劇「どろぼうかささぎ」序曲、ブラームスのハンガリー舞曲第1番ト短調、ヨハン&ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカといった小品が収められている。

特に、ブラームスの交響曲第4番については、チェリビダッケ自身がその演奏の出来に大変満足していただけに、今般CD化され発売される運びとなったことは、チェリビダッケのファンのみならず、多くのクラシック音楽ファンにとっても誠に慶賀に堪えないことであると言えるだろう。

それにしても、何という圧倒的な音のドラマであろうか。

チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということの証左である。

楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。

それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。

そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのが、本盤の演奏を行っているミュンヘン・フィルであった。

また、チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追求しようというものではない。むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、まさに音のドラマ。

これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらない。

ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、1音1音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたが、チェリビダッケの場合は、音の1つ1つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは1つ1つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。

もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であった。

したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、本盤に収められたブラームスの交響曲第4番やR・シュトラウスの交響詩「死と変容」については、前述のようなチェリビダッケのアプローチがプラスに働いた素晴らしい名演と言えるだろう。

確かに、テンポは遅い。

しかしながら、両曲をチェリビダッケ以上に完璧に音化した例は他にはないのではなかろうか。

いずれにしても、これら両曲の演奏を演奏時間が遅いとして切り捨てることは容易であるが、聴き終えた後の充足感においては、過去の両曲のいかなる名演にも決して引けを取っていないと考えられるところである。

その他の小品も、チェリビダッケならではのゆったりとしたテンポによる密度の濃い名演と評価したい。

チェリビダッケの徹底した拘りと厳格な統率の下、まさに完全無欠の演奏を行ったミュンヘン・フィルによる圧倒的な名演奏に対しても大きな拍手を送りたい。

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本盤は、ラトルとベルリン・フィルの一流奏者、そしてベルリン・フィルと因縁のあるザビーネ・マイヤーが成し遂げた傑作であると言えるだろう。

ニールセンは、グリーグやシベリウスなどと並んで北欧を代表する大作曲家の1人であるが、グリーグやシベリウスなどと比較すると録音点数や人気度において、かなり遅れをとっている。

近年では、交響曲全集の録音点数が急速に増えつつあるのは好ましい傾向にあるが、それでも、本盤に収められたフルート協奏曲やクラリネット協奏曲、そして管楽五重奏曲の録音など、国内盤はおろか、輸入盤さえ殆ど存在しないという嘆かわしい状況にあると言えるところだ。

このような中で、ラトル&ベルリン・フィル、そしてその超一流の首席奏者、ザビーネ・マイヤーが集結した本盤の演奏は、おそらくはこれら3曲の演奏史上でも最も豪華な布陣による演奏であり、それによって生み出された演奏も、おそらくはそれぞれの楽曲の演奏史上最高の名演に仕上がっていると高く評価したい。

このような超豪華な布陣による演奏は、ジャンルは全く異なるが、カラヤンがロストロポーヴィチ、オイストラフ、リヒテルとともにベートーヴェンの三重協奏曲をスタジオ録音した時と印象が重なると言えるところであり、ラトルが現代最高の指揮者であるということを名実ともに知らしめた演奏ということもできるであろう。

フルート協奏曲にしても、クラリネット協奏曲にしても、ニールセンならではの華麗なオーケストレーションが施された交響曲第1番〜第5番までの諸曲とは異なり、むしろ、シンプルシンフォニーとの愛称が付けられた交響曲第6番の世界にも繋がる慎ましやかな作品であるが、ラトルは、ベルリン・フィルを巧みに統率して、清澄さの中にも実にコクのある音楽の醸成に成功しているのが素晴らしい。

エマニュエル・パユのフルート演奏は、もはや表現する言葉が追い付かないほどの美しさを誇っており、これほどの名演奏を聴くと、他のフルート奏者が同曲を演奏することさえ断念せざるを得ないのではないかとさえ思われるほどである。

ザビーネ・マイヤーのクラリネットソロも、女流奏者でありながら線の細さがなく、骨太の音楽が構築されているのが素晴らしい。

カラヤン時代の末期には、失意のうちにベルリン・フィルと物別れしたマイヤーであったが、本演奏を持って名誉の帰還(実際に帰還したわけではない)を果たしたと言っても過言ではあるまい。

管楽五重奏曲に至っては、凄いの一言。

現代を代表する超一流奏者による演奏が悪いはずがなく、まさに非の打ちどころのない圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。

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2014年12月18日


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本盤には、ガーシュウィンのラプソディ・イン・ブルーやパリのアメリカ人をはじめ、有名な管弦楽曲4曲が収められているが、いずれも素晴らしい超名演だ。

演奏の特徴を一言で言えば、音楽の持つ魅力をそのままの形で楽しく味わうことが可能な演奏と言ったところではないだろうか。

本名演の成功の要因は、現代最高のエンターテイナーとも称されるレヴァインの指揮によるところが大きいと言える。

本演奏でのレヴァインは、ガーシュウィンと同じアメリカ人ということもあって血が騒ぐのかもしれないが、実に楽しげでノリノリの演奏を展開しているのが素晴らしい。

そうしたレヴァインの躍動感溢れる楽しげな指揮の下、卓越した技量を有する名うてのプレイヤーが数多く在籍するシカゴ交響楽団も、持ち得る実力を最大限に発揮した最高のパフォーマンスを示しているのが素晴らしい。

また、レヴァインによるピアノ演奏もセンス満点の味わい深さが際立っており、シカゴ交響楽団との相性も抜群のものがある。

このような演奏を聴いていると、あたかもレヴァインやシカゴ交響楽団の各奏者が楽しげに演奏する様子が眼前に浮かんでくるかのようであり、聴いていて思わず微笑んでしまうほどである。

本盤に収められたガーシュウィンの各管弦楽曲には、それぞれ他の指揮者による様々な名演が存在しているが、音楽の持つ魅力を心の底から楽しんで味わうことができるという意味においては、本演奏はあまた存在する名演の中でも上位を争う至高の超名演と評価しても過言ではあるまい。

録音は従来盤でも十分に満足できる高音質ではあったが、今般のSHM−CD化によって、音質はさらに鮮明になるとともに音場が幅広くなったところである。

特に、レヴァインのピアノが実に美しく聴こえるようになったと言えるところであり、あらためてSHM−CDとピアノ曲の抜群の相性の良さを思い知った次第である。

いずれにしても、レヴァインによる素晴らしい超名演を、このようなSHM−CDによる鮮明な高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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本盤に収められたシューベルトの交響曲全集は、ベームのいくつか存在している様々な作曲家による交響曲全集の中でも、モーツァルトの交響曲全集と並ぶ最高傑作と言ってもいいのではないだろうか。

そして、シューベルトの交響曲全集については、現在に至るまで様々な指揮者が録音を行ってきたが、ベームによる本全集こそはそれらの中でトップの座に君臨する至高の名全集と高く評価したい。

ベームは、交響曲第8番「未完成」及び第9番「ザ・グレート」については、本盤の演奏以外にも複数の録音を遺しており、交響曲第8番「未完成」についてはウィーン・フィルとの演奏(1977年)、第9番「ザ・グレート」についてはウィーン・フィルとの演奏(1975年東京ライヴ録音)やシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏(1979年ライヴ録音)の方をより上位の名演に掲げたいが、本盤の演奏もそれらに肉薄する名演であり、本全集の価値を減ずることにはいささかもならないと考える。

なお、LPの全集では収録されていた劇音楽「ロザムンデ」からの抜粋が収められていないのはいささか残念であるという点は敢えて指摘しておきたい。

本盤の演奏におけるベームのアプローチは、例によって重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、その中で、ベームはオーケストラを存分に鳴らして濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

もっとも、ベームの演奏は必ずしも剛毅さ一辺倒ではなく、むしろ堅固な造型の中にも豊かな情感が満ち溢れており、いい意味での剛柔併せ持つバランスのとれた演奏と言えるだろう。

私見ではあるが、ベームによるシューベルトの演奏は、ウィーン風の抒情に満ち溢れた名演の数々を成し遂げたワルターによる演奏と、剛毅で古武士のような風格のあるクレンペラーの演奏を足して2で割ったような演奏様式と言えるのかもしれない。

そして、ベームのしっかりとした統率の下、素晴らしい名演奏を披露しているベルリン・フィルについても言及しておかないといけないだろう。

本演奏は、1963〜1971年のスタジオ録音であるが、この当時のベルリン・フィルは、終身の芸術監督カラヤンの下で、いわゆるカラヤン・サウンドに満ち溢れた重厚でなおかつ華麗な名演奏の数々を成し遂げるなど、徐々にカラヤン色に染まりつつあったところだ。

しかしながら、本演奏では、いささかもカラヤン色を感じさせることなく、ベームならではのドイツ風の重厚な音色で満たされている。

かかる点に、ベルリン・フィルの卓越した技量と柔軟性を大いに感じることが可能であり、本名全集に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1960年代後半から1970年代初めのかけてのスタジオ録音であるが、従来盤でも十分に満足できるものである。

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素晴らしい名演だ。

ルービンシュタインは何を弾いても超一流の演奏を残した、前世紀最大の奏者の1人であることを再認識させられるものだ。

本盤に収められた演奏は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が1963年の録音、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番が1971年の録音であり、それぞれルービンシュタインが76歳と84歳の時のものである。

ルービンシュタインは、既に本盤に至るまでにともに2度の録音を行っているが、本盤の3度目の録音の後は両協奏曲を録音することはなかったことから、いずれもルービンシュタインによる最後の録音ということになる。

その意味では本演奏は、ルービンシュタインにとっての両協奏曲の演奏の集大成であるということになる。

本演奏を一言でいえば大人(たいじん)の至芸と評価できるのではないかと考えられる。

ここには、ロシア風の民族色や土俗性などは微塵も感じられない。

ロシア音楽独特のパワーで押し切ろうというような力づくの演奏なども薬にしたくもない。

ここに存在するのは、スコアを真摯に、そして誠実に音化していこうとしている音楽性豊かな偉大なピアニストだけだ。

ルービンシュタインは、楽想をしっかりと踏みしめるように着実にその歩みを進めていく。

単にピアノを鳴らすだけでなく、どの1音にも情感がこもっており、演奏全体としてもロシアの悠久の大地を思わせるような壮大なスケールを誇っている。

テクニックも桁外れのうまさで、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅はきわめて広い。

まさに、両協奏曲演奏史上においても最も純音楽的な名演と言えるところであり、これにはルービンシュタインの円熟を感じずにはいられない。

チャイコフスキーのバックをつとめるラインスドルフは、即物的な指揮者として知られているが、本演奏では、ルービンシュタインの心のこもったピアノに併せて、ボストン交響楽団とともに実に情感豊かな演奏を繰り広げているのが素晴らしい。

またラフマニノフのバックをつとめるオーマンディ&フィラデルフィア管弦楽団も見事の一語に尽き、「協奏曲の神様」と謳われたオーマンディの面目が躍如としている。

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2014年12月17日


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フランスの巨匠指揮者の1人であったマルティノンは、例えば、ウィーン・フィルとともにチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の名演(1957年)のスタジオ録音を遺しているなど、広範なレパートリーを誇っていたが、それでもそのレパートリーの中軸に位置していたのはフランス音楽であった。

ドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲集などは、今なおマルティノンの代表的な遺産の1つとして高く評価されているが、本盤に収められたサン=サーンスの交響曲第3番やフランクの交響曲ニ短調の演奏も、そうしたマルティノンの貴重な遺産である。

マルティノンは、これら両曲のうち、サン=サーンスの交響曲第3番については、本演奏(1970年)の5年後にも、サン=サーンスの交響曲全集の一環としてフランス国立管弦楽団とともにスタジオ録音(1975年、EMI)を行っている。

当該演奏も、サン=サーンスの名声をいささかも貶めることのない名演であるが、エラートにスタジオ録音を行ったフランス国立放送管弦楽団との本演奏こそは、録音面などを総合的に考慮すると、より優れたマルティノンによる代表的名演と評価したい。

それにしても、フランス音楽の粋とも言うべき洒落た味わいと華麗な美しさに溢れた同曲の魅力を、単なる旋律の表層の美しさのみにとどまらず、演奏全体の引き締まった造型美などをいささかも損なうことなく描出し得た演奏は、フランス人指揮者によるものとしては稀少なものと言えるところであり、諸説はあるとは思うが、本演奏こそは、同曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

演奏終結部に向けての畳み掛けていくような気迫や壮麗な迫力は、ライヴ録音を思わせるような迫力を有しているとも言えるところであり、本演奏は、様々な名演を遺してきたマルティノンの最高傑作の1つと称してもいいのではないだろうか。

フランクの交響曲ニ短調は、マルティノンの知的かつ洗練されたアプローチが、重厚で重々しさを感じさせる演奏が多い中においては清新さを感じさせる。

もっとも、重厚にして引き締まった造型美におおいてもいささかも不足はないところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 22:43コメント(0)トラックバック(0)マルティノン 

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本盤にはベーム&ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲全集が収められている。

ベームは、本演奏以外にもブラームスの交響曲を単独でウィーン・フィルのほかベルリン・フィルやバイエルン放送交響楽団などと録音しており、全集という纏まった形でのスタジオ録音としては、本全集が唯一のものと言えるところだ。

本全集に収められた楽曲のうち、第1番についてはベルリン・フィルとの演奏(1959年)に一歩譲るが、その他の楽曲については、ベームによる最高の名演と言っても過言ではあるまい。

本全集を聴いていて思うのは、ベームの芸風とブラームスの楽曲は抜群の相性を誇っているということである。

ベームは、本全集のほかにも、前述の第1番の1959年の演奏や、バックハウスと組んでスタジオ録音したピアノ協奏曲第2番の演奏(1967年)など、圧倒的な名演の数々を遺しているのは、ベームとブラームスの相性の良さに起因すると考えられるところだ。

ベームの本盤の各楽曲の演奏におけるアプローチは、例によって重厚でシンフォニックなものだ。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールも雄渾の極みであり、テンポは全体として非常にゆったりとしたものである。

そして、ベームは、各楽器セクションを力の限り最強奏させているが、その引き締まった隙間風の吹かない分厚い響きには強靭さが漲っており、濃厚さの極みと言うべき内容豊かな音楽を展開している。

かかる充実した隙間風の吹かない重厚な響きをベースとした質実剛健たる演奏が、ブラームスの各楽曲の性格と見事に符号すると言えるのではないだろうか。

演奏は、1975〜1977年のスタジオ録音であり、この当時のベームによる一部の演奏には、持ち味であった躍動感溢れるリズムに硬直化が見られるなど、音楽の滔々とした淀みない流れが阻害されるケースも散見されるようになるのであるが、本演奏には、そうした最晩年のベームが陥ったリズムの硬直化がいささかも見られず、音楽が滔々と淀みなく流れていくのも素晴らしい。

また、各曲の緩徐楽章や、第2番及び第4番の緩徐箇所における各旋律の端々から漂ってくる幾分憂いに満ちた奥深い情感には抗し難い魅力に満ち溢れており、これはベームが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の清澄な境地をあらわしていると言えるのかもしれない。

併録のハイドンの主題による変奏曲における、各変奏曲の描き分けの巧みさは老巨匠ならではの圧巻の至芸と言えるところであり、アルト・ラプソディにおいては、クリスタ・ルートヴィヒやウィーン楽友協会合唱団による渾身の名唱も相俟って、スケール雄大な圧倒的な名演に仕上がっていると評価したい。

そして、特筆すべきは、ウィーン・フィルによる美しさの極みとも言うべき名演奏である。

とりわけ、第1番第2楽章におけるゲアハルト・ヘッツェルによる甘美なヴァイオリン・ソロのあまりの美しさには身も心も蕩けてしまいそうだ。

いずれにしても、かかるウィーン・フィルによる美演が、ベームの重厚でシンフォニック、そして剛毅とも言える演奏に適度な潤いと深みを与えているのを忘れてはならない。

音質は、1975〜1977年のスタジオ録音であるが、従来CD盤でも十分に満足できるものである。

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ミサ・ソレムニスは交響曲第9番と並ぶベートーヴェンの最高傑作であるが、交響曲第9番には若干の親しみやすさがあるのに対して、晦渋な箇所も多く、容易には聴き手を寄せ付けないような峻厳さがあると言えるだろう。

したがって、生半可な指揮では、名演など到底望むべくもないと考えられる。

同曲には、クレンペラーのほか、ワルターやトスカニーニ、そしてカラヤンやバーンスタインなどの名演も存在しているが、クレンペラーによる本演奏こそは、同曲のあらゆる名演に冠絶する至高の超名演と高く評価したい。

なお、クレンペラーは、その芸風が同曲と符号しているせいか、同曲の録音を本演奏のほか、ウィーン響(1951年)、ケルン放送響(1955年ライヴ)及びフィルハーモニア管(1963年ライヴ)との演奏の4種類遺しているが、音質面などを総合的に考慮すれば、本演奏の優位は動かないものと考える。

クレンペラーは悠揚迫らぬテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。

そして、ここぞというときの強靭な迫力は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な圧倒的な迫力を誇っている。

演奏全体の様相としては、奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏と言っても過言ではあるまい。

もっとも、同曲の壮麗さは見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた彫りの深い演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

例によって、木管楽器の生かし方もクレンペラーならではのものであるが、それが演奏に独特の豊かなニュアンスを付加するのに大きく貢献している点も忘れてはならない。

独唱陣も素晴らしい歌唱を披露しており、クレンペラーの確かな統率の下、最高のパフォーマンスを行っているニュー・フィルハーモニア管弦楽団及び同合唱団に対しても大きな拍手を送りたい。

音質は、従来CD盤では高音域が若干歪むのが大いに問題であり、これは同時期のEMIの大編成の合唱曲の録音に多く見られる由々しき傾向であると言えるところだ(例えば、ジュリーニがフィルハーモニア管弦楽団ほかを指揮してスタジオ録音を行ったヴェルディのレクイエムなど)。

したがって、その後リマスタリングされた従来CD盤を聴いても、その不満が解消されることは殆どなかったが、先般、待望のハイブリッドSACD化が行われることによって、更に見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところである。

そして、今般のシングルレイヤーによるSACD盤は、当該ハイブリッドSACD盤を遥かに凌駕していると評しても過言ではあるまい。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてシングルレイヤーによるSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の超名演を、超高音質であるシングルレイヤーによるSACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月16日


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本盤に収められたバルトークのピアノ協奏曲第2番とプロコフィエフのピアノ協奏曲第5番という、弾きこなすのに難渋するきわめて難しい協奏曲どうしの組み合わせであるが、これらのスタジオ録音は、当時の鉄のカーテンの向こう側の盟主国であった旧ソヴィエト連邦から忽然とあらわれた偉大なピアニスト、リヒテルが様々な西欧の大手レコード会社に録音を開始した上げ潮の頃の演奏である。

指揮者は、当時、鬼才とも称されたマゼール。

当時のマゼールは、切れ味鋭いアプローチで現代的とも言うべき数々の演奏を行っており、その強烈な個性が芸術性の範疇にギリギリおさまるという、ある種のスリリングな演奏を展開していたところである。

マゼールに対して厳しい批評を行っている音楽評論家も、この時期のマゼールの演奏に対しては高く評価するほどの芸術性に裏打ちされた超個性的な演奏を行っていたとも言えるところだ。

そして、こうした上げ潮にのったリヒテルと鬼才マゼールの組み合わせが、両曲の演奏史上、稀に見るような超個性的な名演を成し遂げるのに繋がったと言えるのではないだろうか。

バルトーク及びプロコフィエフの両協奏曲ともに前述のように難曲で知られているが、リヒテルは超絶的な技量と持ち味である強靭な打鍵を駆使して、両曲の複雑な曲想を見事に紐解いている。

それでいて、力任せの一本調子にはいささかも陥ることなく、両曲に込められた民族色溢れる旋律の数々を、格調の高さを損なうことなく情感豊かに歌い抜いているのも素晴らしい。

そして、演奏全体のスケールの雄大さは、ロシアの悠久の大地を思わせるような威容を誇っていると言えるところであり、これぞまさしくリヒテルの本演奏におけるピアニズムの最大の美質と言っても過言ではあるまい。

こうした圧倒的なリヒテルのピアノ演奏に対して、鬼才マゼールも決して引けを取っていない。

もちろん、協奏曲であることから、同時期の交響曲や管弦楽曲の演奏などと比較すると抑制はされているが、それでもオーケストラ演奏のみの箇所においては、マゼールならではの切れ味鋭い個性的解釈を聴くことが可能である。

そして、そうした随所における個性的な演奏が、両曲の演奏において不可欠の前衛性や凄味を付加することに繋がり、両曲演奏史上でも稀にみるような名演奏に寄与することになったものと言えるところだ。

いずれにしても、本盤の演奏は、リヒテルとマゼールという個性的な天才どうしが、時には協調し、そして時には火花を散らし合って競奏し合うことによって成し得た圧倒的な名演と高く評価したい。

音質は、1969〜1970年のスタジオ録音であるが、リマスタリングがなされたことによって、従来CD盤でも比較的満足できる音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、リヒテルとマゼール指揮のパリ管弦楽団、ロンドン交響楽団の演奏が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、このような圧倒的な名演を、現在望み得る超高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0)リヒテルマゼール 

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ジンマンが手兵トーンハレ管弦楽団を指揮して、2006年から2010年という短期間で成し遂げたマーラーの交響曲全集がついにボックス化される運びとなった。

本全集で何よりも素晴らしいのは、すべての交響曲がマルチチャンネル付きのSACDによる臨場感溢れる極上の高音質であるという点であろう。

SACDによるマーラーの交響曲全集というのは、既に完成されているものとしては、他にバーンスタイン(第1回)やティルソン・トーマスによる全集しかないという極めて希少であるだけに、本全集の価値はその点だけをとってみても、極めて高いものと言わざるを得ない。

演奏自体も実に素晴らしい。

ジンマンのアプローチは、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、ある意味ではオーソドックスなものと言えるだろう。

もっとも、ジンマンの場合は、各楽器の鳴らし方に特徴的なものがあり、透明感溢れるクリアさが全体を支配しているとさえ言える。

これは、ジンマンが成し遂げた古楽器奏法によるベートーヴェンの交響曲全集にも通底するものと言えるところであり、マーラーによる複雑なオーケストレーションをこれほどまでに丁寧かつ明瞭に解きほぐした演奏は、レントゲンで写真を撮るかの如き精密さを誇るかのブーレーズの精緻な演奏にも比肩し得るものであるとも考えられる。

それでいて、演奏が冷徹なものになることはいささかもなく、どこをとっても豊かな情感に満ち溢れているのがジンマンのマーラーの素晴らしいところであり、これはジンマンの優れた音楽性の賜物と言っても過言ではあるまい。

ジンマンの統率の下、トーンハレ管弦楽団も持ち前の卓越した技量を発揮して最高のパフォーマンスを発揮している点も、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

本全集で残念なのは、交響曲「大地の歌」や主要な歌曲集が含まれていないことであるが、その一方で、第1番には「花の章」を付加したり、第10番についてはアダージョのみではなく、一般的なクック版に代わってクリントン・カーペンター補筆完成版を使用した全曲演奏を行っており、収録曲については一長一短と言うところではないかと考える。

また、本全集の大きなアドバンテージは、大変な廉価であるということであり、演奏内容の素晴らしさと臨場感溢れる鮮明な高音質、そして低価格であることを考慮すれば、現時点では最も安心してお薦めできる名全集と高く評価したい。

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これは素晴らしい超名演だ。

いや、超の前にいくつもの超を並べてもいいのかもしれない。

近年では、雨後の竹の子のように綺羅星のごとく輝く若手ピアニストが登場してきている。

それぞれに優れた名演を成し遂げてはいるものの、これから10年先、20年先と、果たして順調に大ピアニストに成長していけるのかどうかは未知数である。

これに対して、ルイサダは、まさに大ピアニストへの道を着実に歩んでいると言っても過言ではあるまい。

フランス人のピアニストとして、その独特の洒落たセンスに満ち溢れた瀟洒な味わいの名演奏の数々を成し遂げてきたルイサダであり、とりわけショパンの演奏に関しては、他のピアニストの追随を許さないものがあるとさえ考えている。

そのようなルイサダが、久しぶりに、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの楽曲を軸としたアルバムを発売した。

もちろん、ドイツ風の重厚な演奏を展開しているわけではなく、そこは、ルイサダもフランス人、そのような土俵では勝負を繰り広げていない。

しかしながら、それぞれの各演奏に込められた何というセンスの良さ。

前述のように、ルイサダならではのフランス風のエスプリに満ち溢れた瀟洒な味わいは、そこかしこに聴くことが可能ではあるが、テンポの効果的な振幅や思い切った強弱を施して、実に個性的なアプローチを行っている。

それでいて、あざとさなどはいささかも感じさせず、格調の高さを失うことがないというのは、大ピアニストたるルイサダだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。

当然のことながらドイツ風の演奏などではないが、重厚さなどにも不足することはない。

ルイサダならではの個性的な演奏ではあるが、いわゆるバッハらしさ、モーツァルトらしさ、そしてベートーヴェンらしさを失わないというのは、現今のピアニストの中では、ルイサダだけに可能な演奏と言えるのではないだろうか。

ドビュッシーの月の光は、まさに水を得た魚の如くであり、フランス音楽の魅力のすべてが描出された至高の名演奏が繰り広げられている。

ワーグナーのエレジーは、前述のバッハやモーツァルト、ベートーヴェンの演奏などとは異なり、楽曲の性格のせいか憂いのある色調が支配しているが、それでいて感傷的にいささかも陥らず、高踏的な美しさを失っていないのが素晴らしいと言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、ルイサダが、更なる大ピアニストに上り詰めていく確かな道程にあることを感じさせるとともに、その表現力の桁外れの幅広さなどを大いに感じさせる至高の超名演であると高く評価したい。

ルイサダの次なるアルバムを期待したい。

また、本盤で素晴らしいのは、SACDによる高音質録音である。

ルイサダの幅広い表現力を誇るピアノタッチが鮮明に表現されるのは、やはりSACDによる高音質録音に負うところが大きいのではないだろうか。

いずれにしても、ルイサダによる至高の超名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2014年12月15日


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インバルがかつての手兵であるフランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音を行ったマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)は、インバル&フランクフルト放送交響楽団の実力を世に知らしめるとともに、インバルの名声を確固たるものとした不朽の名全集である。

それどころか、録音から20年以上が経過した今日においても、あまたのマーラーの交響曲全集の中でも上位を占める素晴らしい名全集と高く評価したい。

インバルのマーラーに対する評価については百家争鳴の感がある。

それは、指揮者が小粒になった今日において、それだけインバルの存在感が増した証左であるとも考えられる。

インバルのマーラーは、近年の東京都響やチェコ・フィルとの一連のライヴ録音では随分と変容しつつあるが、全集を構成する本盤に収められた交響曲「大地の歌」の演奏においては一聴すると冷静で自己抑制的なアプローチであるとも言える。

したがって、演奏全体の装いは、バーンスタインやテンシュテットなどによる劇場型の演奏とは対極にあるものと言えるだろう。

しかしながら、インバルは、とりわけ近年の実演においても聴くことが可能であるが、元来は灼熱のように燃え上がるような情熱を抱いた熱い演奏を繰り広げる指揮者なのである。

ただ、本演奏のようなスタジオ録音を行うに際しては、極力自我を抑制し、可能な限り整然とした完全無欠の演奏を成し遂げるべく全力を傾注している。

マーラーがスコアに記した様々な指示を可能な限り音化し、作品本来の複雑な情感や構造を明瞭に、そして整然と表現した完全無欠の演奏、これが本演奏におけるインバルの基本的なアプローチと言えるであろう。

しかしながら、かかる完全無欠な演奏を目指す過程において、どうしても抑制し切れない自我や熱き情熱の迸りが随所から滲み出している。

それが各演奏が四角四面に陥ったり、血も涙もない演奏に陥ったりすることを回避し、完全無欠な演奏でありつつも、豊かな情感や味わい深さをいささかも失っていないと言えるところであり、これを持って本盤におけるインバルによる演奏を感動的なものにしていると言えるところだ。

前述のように、インバルによる本演奏に対する見方は様々であると思われるが、筆者としてはそのように考えているところであり、インバルの基本的なアプローチが完全無欠の演奏を目指したものであるが故に、現時点においてもなお、本盤に収められた交響曲「大地の歌」の演奏が普遍的な価値を失わないのではないかと考えている。

メゾ・ソプラノのヤルト・ヴァン・ネス、そして、テノールのペーター・シュライアーも最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。

音質は、初出時から高音質録音で知られたものであり、ゴールドCD仕様のボックスのみならず、従来CD盤でも十分に満足できる音質である。

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数年前にEMIがフルトヴェングラーの一連の録音のSACD化を行ったのは、フルトヴェングラーの偉大な指揮芸術を多くのクラシック音楽ファンにあらためて知らしめる意味においても、そして、昨今のSACDルネッサンスの起爆剤としても、大変大きな意義を有するものであった。

そして、今般、EMIは、フルトヴェングラーの一連の録音の中でも特に圧倒的な支持を集めている、ベートーヴェンのいわゆる奇数番の交響曲を一括して、更に音質面でグレードアップしたシングルレイヤーによるSACD化を行ったのは、2012年のクラシック音楽界を締め括るに相応しい一大イベントとも言うべきものであると考えられる。

先般のSACD化の際には、ベートーヴェンの偶数番の交響曲についても対象となっていたが、第2番については、もともとの音質が劣悪でSACD化を施しても大した改善に至らず、全集の体裁を整えるための穴埋め程度のものでしかない。

第4番及び第6番は、一般的な意味での名演ではあるものの、前者はムラヴィンスキーやクライバー、後者はワルターやベームの演奏の方に軍配があがるのではないだろうか。

第8番も、戦前のワインガルトナーやイッセルシュテットの演奏、さらには、かなりのデフォルメが施されているがクナッパーツブッシュの名演なども存在しており、そちらの方にどうしても食指が動く。

こうした点を勘案すれば、本セット盤こそは、フルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲選集の決定盤と言っても過言ではあるまい。

それにしても、音質は素晴らしい。

先般発売されたハイブリッドSACD盤よりも更に高音質にあったことは間違いないと言えるだろう。

特に、フルトヴェングラーの指揮芸術の生命線でもある低弦のうなるような重量感溢れる響きがかなり鮮明に再現されるようになったことは、極めて意義の大きいことと言わざるを得ない。

交響曲第1番については、1954年の最晩年のライヴ録音盤がフルトヴェングラーの決定盤との評価もなされているが、音質面も含めて総合的に考慮すれば、本セット盤も十分に決定盤たりうる価値を有している。

交響曲第3番については、本演奏と1944年のいわゆるウラニア盤との優劣が長年に渡って論点になってきているが、今般のシングルレイヤーによるSACD化によって、ウラニア盤のSACD盤を明らかに上回る高音質になった現時点においては、本演奏の方を推薦したいという気持ちに傾かざるを得ない。

確かに、本演奏にはウラニア盤にように夢中になって突き進むフルトヴェングラーは聴かれないが、音符の奥底に潜む内容を抉り出そうとする音楽的内容の深みにおいては、断然、本演奏の方に軍配があがることになる。

とりわけ、スケールの雄大さには比類がないものがあり、そうしたフルトヴェングラーの崇高な指揮芸術をこのような高音質で聴けるのは何という幸せなことであろうか。

交響曲第5番については、音場の拡がりと音圧が見事。

先般、戦後の復帰コンサートの初日(1947年5月25日)の演奏がシングルレイヤーによるSACD化されたが、音質面においてはそもそも比較にならない。

演奏内容も、その精神的な深みにおいては本演奏の方がはるかに凌駕しており、低弦のうなるような響きや金管楽器及び木管楽器の鮮明さが、フルトヴェングラーの解釈をより明瞭に浮かび上がらせることに繋がり、演奏内容に彫りの深さが加わったことが何よりも大きい。

交響曲第7番については、1943年盤と本演奏が双璧の名演とされてきたが、今般のシングルレイヤーによるSACD化によって、音質面においては完全に勝負がついたと言える。

楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような深みとドラマティックな表現をも兼ね合わせた、同曲演奏史上最高の名演であることは言うまでもないことである。

交響曲第9番も素晴らしい高音質。

人類の持つ至宝とも言うべき永遠の名演が、今般の高音質化によって、まさに名実ともに歴史的な遺産となったと言っても過言ではあるまい。

弦楽器の艶やかな、そして金管楽器のブリリアントな響きは、ハイブリッドSACD盤以上の鮮明な高音質であるし、我々聴き手の肺腑を衝くようなティンパニの雷鳴のような轟きは、凄まじいまでの圧巻の迫力を誇っている。

独唱や合唱も、これ以上は求め得ないような鮮明さであり、オーケストラと見事に分離して聴こえるのには、あらためて大変驚いた。

ホルンの音色がやや古いのは、今般のシングルレイヤーによるSACD盤でも改善されていないのは残念ではあるが、これは、録音年代の古さを考慮すれば、致し方がないと言えるのではないか。

有名なエンディングについては、かつての従来CD盤で聴くと、フルトヴェングラーの夢中になって突き進むハイテンポにオーケストラがついていけず、それ故に音が団子状態になって聴こえていたが、本盤を聴くと、ハイブリッドSACD盤以上に、オーケストラはフルトヴェングラーの指揮に必死についていっており、アンサンブルもさほどは乱れていないことが明確によくわかった。

ハイブリッドSACD盤のレビューにおいても記述したが、これは、まさに世紀の大発見であり、交響曲第9番の肝の箇所だけに、SACD化による最大の功績とも言えるのではないだろうか。

いずれにしても、本セット盤は、2012年のクラシック音楽界の掉尾を飾るに相応しいものであるとともに、歴史的な遺産とも評価し得る至高の名交響曲選集であると高く評価したい。

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フランスの長老大指揮者として活躍していたフルネは、オランダ放送フィルとともに様々な楽曲の録音を遺したが、その中でもレパートリーの中心となったのは、当然のことながらフランス音楽であったことは言うまでもない。

本盤に収められたオネゲルの管弦楽曲や交響曲第3番は、フルネの得意としていた楽曲であるが、この中で文句のつけようのない名演は管弦楽曲であると思われる。

老巨匠ならではの老獪とも言うべき指揮ぶりが、各楽曲の魅力を引き立てることに貢献し、いい意味での聴かせどころのツボを心得た巧い演奏を展開している。

本盤に収められた各楽曲は、現代音楽でありつつ、比較的わかりやすい曲想を有しているが、フルネは、それらの曲想を精緻かつ丁寧に描き出していくとともに、どこをとってもフランス人指揮者ならではの気品と格調の高さを損なうことがない点を高く評価したい。

他方、交響曲第3番については、オネゲルの5曲ある交響曲の中でも代表作とも言うべき傑作であるだけに、古今東西の様々な大指揮者によって録音がなされてきている。

かの巨匠ムラヴィンスキーやカラヤンなども同曲をレパートリーとして、優れた名演を遺しており、そうした海千山千の大指揮者による名演の中で、存在価値のある名演を成し遂げることは必ずしも容易であるとは言い難い。

本演奏においても、フルネは健闘はしていると思う。

ムラヴィンスキーの演奏のような、楽曲の心眼に鋭く切り込んだいくような彫りの深さ、カラヤンの演奏のような、ダイナミックレンジを幅広くとり、同曲の有する劇的な要素を際立たせた強靭さなどとは無縁の演奏であり、前述したような管弦楽曲の演奏におけるアプローチと同様に、曲想を精緻かつ丁寧に描き出すことに腐心しているとさえ言えるところだ。

したがって、聴き手によっては、いささか物足りなさを感じることも十分に考えられるが、オネゲルが同曲に込めた美しさを際立たせるという意味においては成功していると言えるところであり、その意味においては、同曲の持つ美しさに焦点を当てた佳演と評してもいいのではないだろうか。

フルネであれば、もう少し深みのある演奏を行うことが可能ではないかとも考えられるが、これだけ美しい演奏を展開してくれたフルネに対して文句は言えまい。

いずれにしても、本盤に収められた演奏は、フルネ&オランダ放送フィルの名コンビぶりを窺い知ることが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年12月14日


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R.シュトラウスのアルプス交響曲は、1970年代の半ば頃までは作曲者と個人的な親交があったベームや、史上初めて交響曲・管弦楽曲・協奏曲全集をスタジオ録音したケンぺによる録音に限られていたところである。

ところが、1979年にショルティ、そして1980年にカラヤンによるスタジオ録音が発売されるに及んで、一大人気交響曲の地位を確立した。

演奏に相当の困難を要する交響曲であることから、各地のオーケストラの技量が格段に向上してきたということもあるが、それ以上に、CD1枚に収まる長さであることから、LP時代に存在した中間部での鑑賞の中断が全く不要になったことが極めて大きいと言えるのではないかと考えられるところだ。

このように、ショルティによる本演奏は、今日での人気交響曲に発展成長していく過程での先駆けとなったものであるが、演奏自体は、他の演奏と比較して特異な性格を有している。

おそらくは、本演奏は、同曲演奏史上最速と言ってもいいのではないだろうか。

同曲は、日の出から登山、登頂、下山、夕暮れといった情景描写を中心とした標題音楽であるが、ショルティは、こうした情景描写には特段の配慮を行っていないのではないかとさえ考えられるところだ。

1年後のカラヤンの演奏と比較すると、例えば、嵐の前の描写にしても、カラヤンがゆったりとしたテンポで精緻に描き出しているのに対して、ショルティはそれこそ、嵐の前に既に嵐が来ているようなハイスピードで嵐に突入していく。

したがって、同曲の標題音楽としての魅力を希求するクラシック音楽ファンには全くお薦めすることができない演奏であると言えるだろう。

しかしながら、同曲には、作曲者R・シュトラウスによって「交響曲」という標題が付されているのであり、いわゆる絶対音楽として捉えるという考え方に立つとすれば、ショルティのアプローチは十分に説得力がある演奏であると考えられる。

こうしたショルティのアプローチは、その後、爆発的に増加した同曲の演奏には全く受け継がれていないが、現在においても再評価がなされてもいいのではないかとも考えられる演奏である。

同曲の演奏に際して、シカゴ交響楽団ではなくバイエルン放送交響楽団を起用したというのも、ショルティが同曲を単なるオーケストラ演奏の醍醐味を堪能するだけの楽曲として捉えていなかったことの証左であると考えられるところだ。

また、本盤には、シェーンベルクの管弦楽のための変奏曲が収められている。

同曲は、アルプス交響曲以上に演奏困難な曲であり、同曲の歴史的なスタジオ録音を遺したカラヤンでさえ、ある時期からはコンサートで採り上げるのをやめたほどの楽曲である。

ショルティは、手兵シカゴ交響楽団を統率して、技量面においては完璧とも言うべき演奏を展開している点を高く評価したい。

音質は、いずれも英デッカならではの極めて秀逸なものであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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巨匠クレンペラーにしか成し得ないスケール雄大な超名演だ。

どっしりとそびえる大木のような安定感と風格を漂わせるクレンペラーのバッハは、昨今の古楽ブームで耳慣れたヴィヴィッドな演奏と比べるとなんともおおらか。

どこか懐かしさにも似た暖かさを湛えたその響きに時代を超越する個性を見る思いがする。

偉大な指揮者が謙虚にバッハと向き合った演奏であり、近代のオーケストラで演奏したブランデンブルク協奏曲の中では間違いなく突出した1枚である。

このような大オーケストラを用いた重量級の演奏様式は、古楽器奏法やピリオド楽器を用いた小編成のオーケストラによる演奏が一般化した今日においては、殆ど顧みられないものであるが、これだけの芸術性豊かな名演を聴かされると、今日一般に行われている小編成による演奏が、いかにスケールの小さい軽妙浮薄なもののように思われてくる。

かつては、フルトヴェングラーやカラヤンなどが、大オーケストラを豪快に鳴らして、今日のマーラーやブルックナーの演奏様式に匹敵する重量級の演奏を繰り広げていたのだ。

もちろん、バッハが生きていた時代の演奏様式を検証することの意義を否定するものではないが、芸術の感動という点において、それがどれほどの意味を持つのかは大いに疑問があると言わざるを得ない。

バッハは、当時許されていた楽器性能の最大限を発揮させて、各楽曲を作曲しているのであり、時代考証的には問題があっても、クレンペラーの演奏に、バッハが感動した可能性だって否定できないのである。

特に木管楽器の素朴で温かい音色が印象的で、今日のオリジナル楽器による演奏にも一脈通じる新鮮さが感じられるところであり、幼少の頃からバッハの音楽に親しみ、特別な愛着を育んだクレンペラーが、大らかな響きで包み込んだブランデンブルク協奏曲と言えよう。

いずれにしても、これだけ重厚で力強いブランデンブルク協奏曲は、他にも類例はなく、このような演奏様式による、いわゆる旧スタイルの演奏の中では、随一の名演と高く評価したい。

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