2015年01月

2015年01月31日


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ブラームスが4手のピアノ連弾用として作曲し、ドヴォルザークや自らのオーケストラ編曲版によってより広く親しまれるようになったハンガリー舞曲集。

またこの作品に触発されてドヴォルザークがやはり連弾用として作曲し、後に管弦楽用に編曲したスラヴ舞曲集。

カラヤンの指揮はずば抜けて巧く、ベルリン・フィルを見事にドライヴした熱気溢れる演奏を繰り広げている。

カラヤンは、本盤においても、これ以上の言葉が思い浮かばないほどの演出巧者ぶりを発揮し、各曲の聴かせどころをつかんで、これ以上は求められないほどの巧みな名演奏を繰り広げている。

いずれもカラヤン&ベルリン・フィルにとって重要なレパートリーだが大空間を感じさせる演奏なので素朴というよりゴージャス。

オーケストラの高い技量を生かしきったダイナミクスの変化やデリケートなリズムの処理など、究極の管弦楽演奏と言うべきであろう。

本盤は、カラヤン&ベルリン・フィルのドイツグラモフォンへの参入初期の録音であるが、発売当初からベストセラーを記録したのもよくわかる。

また、ハンガリー舞曲集もスラヴ舞曲集も、曲の順番ではなく、曲想を踏まえ再配置し、独自の曲順に並びかえられている点においても、カラヤンのこれらの曲への深いこだわりが感じられる。

それに、ベルリン・フィルにまだフルトヴェングラー時代の残滓ともとれる何とも言えない野性的な味が残っていて、これらの曲集をいっそう引き立てている。

カラヤンは同じ曲を何度も繰り返し録音することで有名であるが、これらの曲集は再録音しておらず、カラヤンとしても完全満足の成果であったということが言えるだろう。

全集としては、他にも優れた名演が目白押しであるが、選集ということになると今なおカラヤン壮年期のこの録音を超える演奏は他になく、本盤を随一の名演と評価することに躊躇しない。

スケルツォ・カプリチオーソも、ベルリン・フィルのホルンセクションの巧さを生かした珠玉の名演に仕上がっている。

カラヤンとベルリン・フィルがいい緊張関係にあった時代の聴くべき価値のある演奏だと言えよう。

ルビジウム・クロック・カッティングによる更なる高音質化も成功している。

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classicalmusic at 22:52コメント(0)トラックバック(0)ブラームスドヴォルザーク 

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エサ=ペッカ・サロネンは、現代音楽や、シベリウスやニールセン等の20世紀前半から中期頃に活躍した北欧の作曲家を、1985年頃から積極的に録音してきた指揮者である。

ちょうどサロネンがスウェーデン放送交響楽団首席指揮者に就任した1985年頃から集中的に録音した作品で、「熱くなりすぎず、スマートな画期的な演奏」として非常に高い評価を得ていた盤。

サロネンのニールセンは素晴らしい。

どの曲においてもニールセンの20世紀的感覚と北欧の冷涼な空気を同時に感じさせてくれる。

ニールセンは、シベリウスと並ぶ北欧の2大交響曲作曲家であるにもかかわらず、シベリウスに比べると録音点数があまりにも少ないと言わざるを得ない。

作品の質の高さを考えると、これは実に残念なことだと思う。

それだけに、録音されたものは、指揮者の思い入れもあるのだろうが、いずれもかなりの高水準の演奏ということができる。

全集では、オーレ・シュミットのものが忘れ難いし、ブロムシュテットの2度にわたるオーソドックスな名演、同じフィンランド人のベルグルンドやヤルヴィの全集も魅力的だし、最近ではラハティの現代的な名演も印象的だった。

個別の演奏ならば、「第4」はバルビローリやカラヤン、「第5」はクーベリックやホーレンシュタインの名演を忘れてはならないだろう。

このような中で、若き日のサロネンの全集はどのような特徴を備えているのだろうか。

一言で言えば、ニールセンの交響曲の特色であるエネルギッシュな生命力と(シベリウスのように直接的ではなく、やや遠慮がちに)ほのかに漂ってくる北欧的な抒情をバランス良く兼ね備えたわかりやすい演奏ということが言えると思う。

ニールセンは、シベリウスと同じ1865年生まれのデンマークの作曲家とはいえ、グリーグやシベリウスよりも北欧情緒は稀薄で、むしろショスタコーヴィチなどに近いところもあるので、北欧の空気感などなくてもよいかもしれない。

「クール」で「スマート」で「現代的」と評されるサロネンの個性が見事にはまって、この名演を生んでいるのだろう。

また、各交響曲の出来不出来が少ないのも、サロネンの全集の魅力である。

併録の管弦楽曲も名演揃いだし、特に、リンと組んだニールセンのヴァイオリン協奏曲は、名作でありながら録音点数が交響曲以上に極めて少ないだけに、現時点でも最高の名演と評価したい(シベリウスの協奏曲もなかなかの名演だと思う)。

これだけの演奏の質、ニールセンの主要な管弦楽曲などを網羅していること、そして価格を考慮すれば、現時点で入手できる最高の全集と言っても過言ではあるまい。

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幅広いレパートリーを誇っていたセルだが、ドイツ古典〜ロマン派は得意分野の1つだった。

セルの演奏が円熟味を増したといわれる晩年、1968年の、ワーグナーの超大作楽劇から抜粋した名盤。

セルが指揮するクリーヴランド管弦楽団は、セルの楽器と称されるほどの驚異的なアンサンブルを誇った。

本盤もセル率いるクリーヴランド管弦楽団がいかに凄いオーケストラだったかが嫌が上でも圧倒的に伝わる名盤。

悠然として濃厚な往年のクナッパーツブッシュ盤と同様なハイライトと一番対極にある、極度にタイトで洗練の極みを行く演奏スタイルと言えよう。

しかし、時には、凝縮のあまりいささかスケールの小ささが目立つ場合もあった。

本盤は、そうしたセルの演奏の長所と短所が同居している演奏だと思った。

評価したいのは、「ワルハラ城への神々の入場」、「ワルキューレの騎行」、「魔の炎の音楽」、「森のささやき」の4曲。

これらは、セルの精密な指揮と、それにぴったりとついていくクリーヴランド管弦楽団が、ワーグナーがスコアに記した名旋律の数々を感動的に表現していく。

しかし、「夜明けとジークフリートのラインへの旅」、「ジークフリートの葬送行進曲」と終曲の2曲は、凝縮を意識しすぎたせいか、あまりにも演奏のスケールが小さい。

セルは、精密で緻密な指揮を行い、クリーヴランド管弦楽団もそれに見事に合わせているが、やはり、ワーグナーの天才性が発揮されるこの2曲では、演奏が楽曲に負けてしまっている。

『ニーベルングの指環』への入門CDとしては、これで十分なのかもしれないが、本盤を1つの完結した作品として見れば、竜頭蛇尾の誹りを免れないだろう。

しかしながら、「楽劇」というより、「管弦楽曲」としてのあり方を『指環』ハイライト盤でここまで追求した演奏は滅多にないだろう。

音質は、Blu-spec-CD盤はもとより、従来CD盤でも十分に良好な音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が図られることになった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

それでも、前述の短所は払拭されているとは言い難いが、セル&クリーヴランド管弦楽団による完成度の高い演奏を現在望み得る最高の高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 00:49コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーセル 

2015年01月30日


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ケンぺ&ミュンヘン・フィルの偉大なベートーヴェンの交響曲全集の有終の美を飾る名演だと思う。

あらゆる交響曲の中でも最高峰に位置するベートーヴェンの「第9」をケンペは、壮大で深い内容をもつこの交響曲に対し、微塵の衒いも見せず、ベートーヴェンに正対した姿勢をとりつづける。

そして彼はこの作品の根底にひそむ、偉大なものへの悟りにたどり着いたかのような印象をリスナーに与えてくれ、ケンペならではの深い表現がここにある。

当時のベートーヴェン解釈の本流をいくもので現代のベートーヴェン像とはやや距離をおくところもあるが、当時のほかの演奏と比べた場合、ケンペのアプローチはより普遍性を持っていることが実感される。

ケンぺの指揮はあくまでも正統派、気を衒うことは決してせず、彫琢の限りを尽くし、丹念に仕上げられている。

堂々たるやや遅めのインテンポで、愚直なまでに丁寧に曲想を描いていく。

しかし、そうしたケンぺの「第9」への真摯な姿勢が、ベートーヴェンの音楽の美しさ、力強さを一点の曇りもなく聴くものにダイレクトに伝えてくれる。

一切の虚飾を排し、自らが信じるベートーヴェンを明確に打ち出しているためだろう。

我々は、ケンぺの演奏を聴くことによって、指揮者の個性ではなく、ベートーヴェンの音楽の魅力を満喫することができる。

ここに、ケンぺの演奏の真の偉大さがあると言えるだろう。

このようないぶし銀の魅力を持ったドイツ正統派のベートーヴェンは、今や聴くことはほとんどできないが、それだけに、軽妙浮薄がまかり通る現代においてこそ、尊ばなければならないケンぺの至芸と言えるだろう。

温かみがあり、良い意味でのローカル色が感じられるミュンヘン・フィルの響きも魅力的で、チェリビダッケ時代に世界に雄飛する以前の、やや肌合いの異なるオーケストラの味わいが如実に記録されている。

地味ではあるが、存在価値の大きい名盤と言えよう。

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classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンケンペ 

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名指揮者ルドルフ・ケンペの巨匠ぶりを堪能できる名演で、彼独自の、そしてあくまでも自然体の演奏を収録した作品。

どの楽章にも明確なリズムが刻印される「第7」においてはケンペの棒は他の交響曲同様、奇を衒った表現を排除し、しっかりと大地を踏み歩くように着実に前進する。

その結果、どんな強烈な演奏にもひけをとらない、彼だけの「第7」が展開されている。

「第7」は、冒頭から実に柔和なタッチでゆったりとしたテンポをとる。

主部に入っても、テンポはほとんど変わらず、剛というよりは柔のイメージで第1楽章を締めくくっている。

第2楽章は、典型的な職人芸であり、決して安っぽい抒情に流されない剛毅さが支配している。

第3楽章は雄大なスケールとダイナミックな音響に圧倒される。

終楽章は、踏みしめるようなゆったりめのテンポと終結部の圧倒的な迫力が見事だ。

30年以上同曲を聴いた中でフルトヴェングラー、カルロス・クライバー、ブロムシュテット、ワルター、ベーム、カラヤン、クーベリック他数えきれない指揮者の演奏に出会った。

どれも素晴らしい演奏であるが、取り分けカルロス・クライバーの来日公演にはあの躍動感あふれる演奏はとても衝撃を受けた。

でも、なぜかしばらくするとケンぺの演奏を聴きたくなる。

そこには、理屈がない。

たぶん、ケンぺのつくる音楽が素直に筆者の耳に、身体に入ってくるのであろう。

ケンぺを好きになった人は多分同じだと思う。

「第8」は、中庸のテンポで、ベートーヴェンがスコアに記した優美にして軽快な音楽の魅力を、力強さをいささかも損なうことなく表現している。

コンパクトにまとめられた「第8」においても、ケンペはあくまで自然体、浮ついた表現には一切目を向けず、自らの道を歩み続ける。

曲の隅々まで目の行き届いた、それぞれの声部や楽器に「役をきちんと演じさせる」手抜きのない細工のきめ細やかさが、時にははっとするような瞬間を見せながら行き渡っている。

両曲ともに、ベートーヴェンを決して威圧の対象にせず、ベートーヴェンの音楽の美しさ、そして力強さをそのまま伝えようとする、まさにドイツ音楽の王道を歩んできたケンぺならではのいぶし銀の名演と評価したい。

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classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンケンペ 

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ドレスデン近郊に生まれ、第2次世界大戦中も、そしてその後もドイツにとどまり活動を続けていたケンペはドイツ音楽の最大の理解者といっても過言ではない。

表現の色が濃くつく懸念のあるベートーヴェンの交響曲において、ケンペはまさに王道を行く、虚飾を一切排した演奏に終始する。

表面だけを飾り付けたような派手なベートーヴェンとは対局にある、内面からわき上がる本質的な高揚感がここにはあり、聴けば聴くほど深い味わいを持つ演奏が展開されている。

ケンペのつくる音楽は、清く、美しく、力強く、豊かで、最良の意味で男性的。癖、歪み、臭みがなく、健康美に溢れ、音は伸びやかで輝かしい。

正確で緻密で丁寧だが、神経質さは微塵もなく、抑圧や強権性は皆無で、人間的な優しさに満ちている。

病的な部分はどこにもなく、健全で自然、疎外感の克服とか不全感の解消という面がなく、これ見よがしなパフォーマンスも皆無で、実に気持ちのよい音で音楽が淀みなく流れる。

最近のベートーヴェンの交響曲の演奏は、古楽器奏法や古楽器演奏が主流となりつつあるが、そのような中で、本盤のような重厚で男性的な名演に接するとほっとすると同時に、深い感動を覚える。

「第5」の第1楽章のテンポは実にゆったりとしている。

しかし、決してもたれるということはなく、第1楽章に必要不可欠な緊迫感を決して損なうことなく、要所での音の強調やゲネラルパウゼの効果的な活用など、これこそ名匠ケンぺの円熟の至芸というべきであろう。

終楽章のテンポはかなり速いが、決して荒っぽさはなく、終結部のアッチェレランド寸前の高揚感は、スタジオ録音とは思えないほどのド迫力だ。

「第6」の第1楽章もかなりのスローテンポ。

同じようなスローテンポで第2楽章もいくかと思いきや、第2楽章は流れるようなやや速めのテンポで駆け抜ける。

第3楽章に至ると、これまたすざまじい快速テンポ。

こうして両曲の解釈を俯瞰してみると、ケンぺが単にドイツ正統派の演奏という一言では片付けられないような個性的な演奏を繰り広げていることがわかる。

それでも、ドイツ正統派の玉座の地位を譲らないのは、ケンぺがベートーヴェンの本質を鷲掴みにしているからに他なならない。

1970年代初めの録音としては、なかなかの高音質であり、できれば、将来的にはSACD化していただきたいと思えるような歴史的な名演と高く評価したい。

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classicalmusic at 00:42コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンケンペ 

2015年01月29日


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最近では、ベートーヴェンの交響曲の演奏にも、古楽器演奏や奏法の波が押し寄せてきているが、本盤が録音された1970年代は、まだまだ大オーケストラによるスケールの雄大な演奏が主流であった。

独墺系の指揮者でも、カラヤンやベームといった巨匠が交響曲全集を相次いで録音、また、クーベリックやバーンスタインによる全集も生み出され、いずれも高い評価を得た時代であった。

そんな中で、決して華やかさとは無縁のケンぺの全集が、一世を風靡するほどの評判を得たのはなぜなのだろうか。

ケンペの演奏の本質は、自己の主張を表面に押し出すのではなく、作曲者が様式を通じて表現しようとしたものをそのまま聴き手の前に浮かび上がらせ、提示してくれるところにある。

一見しての派手さはなく素朴な趣をもたらすため、地味な印象を持たれるが、『噛めば噛むほどに味が出る』演奏が展開される。

ケンペが提示する堅牢無比のベートーヴェンには歴史の重さが刻印され、ケンペの誠実さが見え隠れしているのである。

本盤を聴いて感じたのは、確かに、巷間言われているように、厳しい造型の下、決して奇を衒わない剛毅で重厚なドイツ正統派の名演と評することが可能であるが、決してそれだけではないようなケンぺならではの個性が色濃く出ているという点だ。

例えば、「第2」の冒頭の和音の力強さ、第2楽章のこの世のものとは思えないような美しさ、第3楽章は、他のどの演奏にも増して快速のテンポをとるなど、決して一筋縄ではいかない特徴がある。

「第4」は、ベートーヴェンの交響曲の中でもリトマス試験紙のような曲であり、指揮者の力量が試されるなかなかの難曲であるが、他方、古今の一流指揮者が忘れ難い名演を遺してきた曲でもある。

ケンぺは、例えば、ムラヴィンスキーやクライバーのように、最強奏と最弱音のダイナミックレンジの広さを殊更に強調するのではなく、アプローチとしてはあくまでもノーマル。

したがって、あくまでも中庸のインテンポで進行していくのだが、決して体温が低い演奏ではなく、どの箇所をとっても熱い血が通っている。

第3楽章など、他のどの演奏よりも快速のテンポだが、それでいて、全体の造型にいささかの揺らぎも見られないのはさすがと言うべきであろう。

こうして両曲の解釈を俯瞰してみると、ケンぺが単にドイツ正統派の演奏という一言では片付けられないような個性的な演奏を繰り広げていることがわかる。

それでも、ドイツ正統派の玉座の地位を譲らないのは、ケンぺがベートーヴェンの本質を鷲掴みにしているからに他なならない。

録音も、1970年代前半のものとしては、十分に合格点を与えることができる水準であると思う。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンケンペ 

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ベートーヴェンの交響曲といえば、指揮者として一度は演奏したことがある作品。

誰もが自身の持つベートーヴェン像と自分の音楽性を盛り込みながら音楽を構築していくため、指揮者の音楽観、力量を測る上でも重要な存在であり、そのために必要以上の感情移入等により本来の意図が伝わらないことも多々あるのが事実。

ケンペはそうした風潮とは大違い、実直なまでに自己を抑えながらベートーヴェンの本質に迫っている。

演奏は既に定評あるもので、渋く底光りするような独特の音響による骨格造形も逞しいアプローチは実に魅力的。

奇を衒ったところなど全くないが、密度の薄いところも全くないという、実にクオリティの高い名演で、何度聴いても飽きのこない演奏内容だ。

厳しい造型、愚直なまでのインテンポ、重心の低い重量感溢れるサウンドなどを兼ね備えた、いかにもドイツ正統派の重厚な名演だ。

したがって、華麗さとか派手さなどとは全く無縁であるが、ケンぺのベートーヴェンの本質を鷲掴みにした愚直なまでの真摯な解釈が、我々に深い感動と、ベートーヴェンの交響曲の真実に触れたという充足感を我々に与えてくれるのだと思う。

例えばラトルのような手練手管とは無縁の率直で、すがすがしく透明感のある、落ち着いて聴いていられる演奏。

しかしながら一本調子ではなく、ベートーヴェンの「重さ」と「軽さ」が十二分に描かれている。

決して「ドイツの片田舎」な演奏ではない。

指揮者とオケの意思疎通が見事にうまくいっている。

音楽をよく知る信頼のジェントルマン、ケンペの端正、真正直、人間的暖かみまで感じられる、他に何も足す事も、引く必要もない、ひとつのお手本、規範となる正しきベートーヴェン。

円熟の極みにあったケンペの指揮のもと、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団も好演を見せており、質実剛健・重厚でありながらも生き生きとのびやかで、豊かな響きでベートーヴェンのシンフォニーの魅力を描き出している。

録音も、1970年代の前半のものとしては、自然な拡がりが素晴らしく、十分に合格点に達している。

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2015年01月28日


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ヴァントのブルックナーは既に神格化されているが、その芸術が至高の境地に達したのは1990年代後半である。

特に、ベルリン・フィルと組んで遺した「第5」、「第4」、「第9」、「第7」、そして最後の「第8」は、人類共通の至宝と言うべきであるが、今般、これらの至宝に、更に、ミュンヘン・フィルと組んだ至高の名演群(「第6」と「第7」が入れ替わっているが)が加わることになった。

いずれ劣らぬ名演揃いであるが、その中でも、ヴァントの自伝にも記されているが、「第5」と「第9」は、ブルックナーが妥協を許さずに作曲した作品として、特に愛着を持って接していたようで、他の指揮者の追随を許さない超名演に仕上がっている。

本盤は、この1カ月後にライヴ録音したベルリン・フィル盤と並んで、ヴァントの「第5」の総決算とも言うべき超名演である。

両盤に優劣をつけることは困難であるが、違いはオーケストラの響きぐらいのものであり、これだけの高次元のレベルに達すると、後は好みの問題ということになるであろう。

録音で聴くと少々弛緩した印象もあったチェリビダッケ盤に較べ、ここでのヴァントの勇壮なオーケストラ・ドライヴには、聴き手を興奮させずにはおかない劇的な展開の巧みさと迫力が確かに備わっており、ミュンヘン・フィルの明るく流麗で色彩的、かつ俊敏なサウンドがそうした解釈と面白いマッチングをみせて素晴らしい聴きものとなっている。

引き締まったサウンドを好んだヴァントが、チェリビダッケによって厳しく訓練され、高い適応力を備えていたオーケストラとの共同作業から手に入れたのは、美しくしかもパワフルなサウンドだったのである。

ここでのミュンヘン・フィルは本当にすばらしく、技術上の高水準はもちろん、自分たちの演奏に対する自信といういうか、何か誇らしさが聴こえてくるようでもあり、どのパートもしっかりと存在感を保ちつつ、もちろんアンサンブルとして完璧な出来を示している。

厳格なスコアリーディングに基づく剛毅にして重厚な演奏スタイルであるが、1980年代のヴァントに見られたような、凝縮しすぎるあまりスケールが矮小化されるという欠点もいささかも見られない。

リズムにも柔軟性が付加されており、硬軟併せ持つバランスのとれた名演と言うべきである。

終結部の微動だにしない圧倒的な迫力はこの超名演の締めくくりに相応しいものであり、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然のことにように思われる。

この公演から約1ヶ月の後にはベルリン・フィルに客演して同曲を指揮するヴァントだが、リハーサル回数の問題もあったのであろうか。

ヴィルトゥオジティはともかく、指揮者の解釈がより深く楽員に浸透したのは、どうやらミュンヘン・フィルの方だったようだ。

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classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

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ブルックナー「第8」、シューベルト「未完成」とも、長年に渡ってチェリビダッケに鍛え抜かれたミュンヘン・フィルを指揮していることもあって、演奏全体に滑らかで繊細な美感が加わっていることが特徴。

ブルックナーの「第8」は、まぎれもなくブルックナーの最高傑作であると思うが、それだけに、ヴァントも、ライヴ録音も含め、何度も録音を行ってきた。

しかしながら、ヴァントの厳格なスコアリーディングによる眼光紙背に徹した凝縮型のアプローチとの相性はイマイチであり、1993年の北ドイツ放送交響楽団までの録音については、立派な演奏ではあるものの、やや面白みに欠けるきらいがあった。

しかしながら、本盤のミュンヘン・フィルとの演奏と、この数カ月後のベルリン・フィルとの演奏の何という素晴らしさであろうか。

神々しいばかりの超名演と言っても過言ではあるまい。

ヴァントは、これまでの凝縮型のアプローチではなく、むしろ朝比奈隆のように、より柔軟でスケール雄大な演奏を行っている。

本盤は、ベルリン・フィル盤に比べると音質にやや柔和さが見られるが、この当たりは好みの問題と言えるだろう。

これまで発売された他のオーケストラとの共演盤に較べて、艶の乗った響きの官能的なまでに美しい感触、多彩に変化する色彩の妙に驚かされる。

もちろん、ヴァントの持ち味である彫りの深い音楽造りは健在なのですが、そこに明るく柔軟な表情が加わることで、他盤とは大きく異なる魅力を発散しているのである。

微動だにしないゆったりとしたインテンポを貫いているが、同じミュンヘン・フィルを指揮したチェリビダッケの演奏のようにもたれるということもなく、随所で見せるゲネラルパウゼも実に効果的だ。

音質が良いせいか、ヴァントの演奏としては思いのほか木管楽器の主張が強いことも、演奏全体により多彩な表情を与えているようだ。

ヴァント自身もここではテンポの動きを幅広く取って、非常に息の長い旋律形成を試みており、それぞれのブロックの締め括りに置かれたパウゼが深い呼吸を印象付けている。

深く沈み込んでいくような美しさと、そそり立つ岩の壁を思わせる壮大な高揚とが交錯する終楽章は中でも素晴らしい出来栄えである。

最後の音が消えてから約10秒後、それまで圧倒されたようにかたずを飲んでいた会場が、やがて嵐のようなブラヴォーに包まれていく様子がそのまま収録されていることも印象的で、当日の聴衆の本名演に対する深い感動が伝わってくる名シーンだ。

「未完成」も超名演で、暗く厳しい悲劇性とはかさい美しさが共存した深いロマンティシズム漂う仕上がり。

かのワインガルトナーが、第1楽章の低弦による旋律を「地下から聞こえてくるように」と表現したが、提示部が終了し、展開部に移行する個所の低弦の軋むような重厚な響かせ方は、まさに地下に降りて行くような趣きがあり、他の指揮者では決して聴くことができないもの。

第2楽章は、速めのインテンポで淡々と演奏するが、随所に漂う何とも言えない寂寥感は、ヴァントとしても最晩年に漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)ヴァントブルックナー 

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ブルックナーの「第6」は隠れた名曲である。

いわゆるブルックナー指揮者でも、「第3」〜「第5」や「第7」〜「第9」はよく演奏会で採り上げるものの、「第6」はあまり演奏しないということが多い。

作品の質の高さからしても、これは大変残念なことと言えるだろう。

そのような中で、ヴァントは、この「第6」を積極的に演奏してきた指揮者である。

これまでの最新録音は、CDでは1995年盤、DVDでは1996年盤が知られ、いずれも手兵の北ドイツ放送交響楽団とのもので、いずれも名演と言えるものであった。

本盤は、1999年の録音であり、今のところ、ヴァントが遺した「第6」の最後の録音ということになるが、ヴァントの「第6」としては、前述の1995年盤や1996年盤を超える間違いなく最高の名演であり、他のヨッフムの旧盤やアイヒホルン盤などと比較しても本盤の方がはるかに格が上。

ということは、現存する数々の「第6」の名演中、史上最高の超名演と言っても過言ではあるまい。

第1楽章など、金管を思いっきり力強く吹かせているが、決して無機的にはならず、アルプスの高峰を思わせるような実に雄大なスケールを感じさせる。

それでいて、木管楽器のいじらしい絡み合いなど、北欧を吹く清涼感あふれる一陣の風のようであり、音楽の流れはどこまでも自然体だ。

第2楽章は、音楽評論家の宇野氏が彼岸の音楽と評しておられたが、本盤の演奏こそがまさに彼岸の音楽であり、ヴァントとしても、死の2年前になって漸く到達し得た至高・至純の境地ではないだろうか。

「第6」は、第3楽章や第4楽章のスケールが小さいと言われるが、ヴァントの演奏を聴くと決してそうは思えない。

スケルツォの宇宙のひびき、各楽器のフレッシュな色の出し方、まことに美しくも意味深く、中間部では木管による「第5」のテーマの高級なフレージングに打たれた。

終楽章など、実に剛毅にして風格のある雄大な演奏であり、まことに綿密である。

抉りの効いた強音部と思いやりにみちた弱音部の歌が対比され、内容の深さと音楽美が、いつもブルックナーの音楽の森羅万象を語りかけてゆく。

特に、第2楽章の主題が回帰する箇所のこの世のものとは思えないような美しさで息もつかせない。

演奏終了後、ただちに拍手が起きないのも、他の「第4」や「第8」などの場合と同様であり、当日の聴衆の深い感動を窺い知ることができる。

ヴァントは、2002年にベルリン・フィルと「第6」を演奏する予定だったとのことであるが、その死によって果たせなかった。

本盤の演奏を超えるような名演を成し遂げることが出来たのかどうか、興味は尽きない。

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classicalmusic at 00:37コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

2015年01月27日


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ヴァントが最晩年にベルリン・フィルと遺した名演の数々は実に凄いものであった。

「第5」に始まり、「第9」、「第4」、「第7」、「第8」と、いずれも神々しいばかりの名演である。

今般、同時期にミュンヘン・フィルと行った名演の数々が、国内盤で発売されたが、いずれも、ベルリン・フィル盤と比べても、優るとも劣らない名演である。

重複しているのは、「第4」、「第5」、「第8」及び「第9」であるが、違いはオーケストラの音色と録音くらいのものであり、あとは好みの問題だと思われる。

本盤の「第9」の録音は1998年4月。

その約半年後のベルリン・フィルとの録音、さらに、来日時の録音が、名演のベストスリーということになるが、その中でも、本盤とベルリン・フィル盤が超名演と言うことになるだろう。

どちらもとび切りの一級で、スケルツォとアダージョに優劣はつけられないが、第1楽章は再現部冒頭とコーダがベルリン・フィル盤を上まわる。

ということは史上最高ということであって、ヴァントはブルックナーがこうしてほしいとスコアに書きこんだすべてを初めて音にして見せたのだ。

第1楽章など、実にゆったりとしたテンポによる深沈とした趣きであるが、ここぞというときの金管楽器の最強奏など悪魔的な響きであり、低弦の重厚な響かせ方にも凄みがある。

第2楽章も豪演だ。

ここは中庸のテンポをとるが、中間部のトリオの箇所との絶妙なテンポの対比も自然体で見事だ。

終楽章は、相変わらず金管を最強奏させているが、決して無機的には陥らず、天啓のような趣きがある。

それと対比するかのようなこの世のものとは思えないような美しい弦楽の奏で方は、ブルックナーの絶筆に相応しいアプローチであると思われる。

それにしても言語に絶するのはコーダで、最後の頂点を築いた後、天国の音楽へ、その別世界に突然入ってゆくところは美しさの限りだ。

演奏終了後に起きる一瞬の間も、当日の聴衆の感動を伝えるものであり、ヴァントの音楽を愛する聴衆の質の高さの表れということが言えるだろう。

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classicalmusic at 22:44コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーヴァント 

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ブルックナーの交響曲中で最もポピュラリティを獲得している「第4」であるが、ブルックナーの権威であるヴァントとしても、1998年のベルリン・フィルとの演奏で、漸く理想の名演を成し遂げることができたのではないかと思う。

それは、やや速めのインテンポで淡々とした演奏ではあったが、随所に見せる味の濃さが見事であった。

しかし、ヴァントの死後、手兵の北ドイツ放送交響楽団との神々しいばかりのラストコンサート盤が発売されるに及んで、ベルリン・フィル盤もトップの座を譲ることになった。

本盤は、そのラスト・コンサート盤の1か月前の演奏であるが、これは、ラスト・コンサート盤にも優るとも劣らない超名演で、これをもって『ロマンティック』の最高峰と言うに憚らぬ大演奏と言えるだろう。

数多いヴァントのブルックナーであるが、耳の肥えたファンほどミュンヘン・フィルとの組み合わせに執着するのも道理で、ヴァント晩年の味わい、オーケストラの音色の適度な明るさ、弦の暖かみのある厚い響き、管楽器の比類ない美しさなど他に代え難い魅力にあふれている。

いわゆるブルックナー開始は、やや強めの弦楽のトレモロによって開始されるが、これを聴いただけで他の指揮者とはものが違う。

この第1楽章は、意外にも随所でテンポの変化を行っているが、それでいて音楽が実に自然に流れる。

金管楽器を常に最強奏させているが、無機的な響きは皆無であり、ヴァントのブルックナーの交響曲の本質への深い理解と相俟って、筆舌には尽くしがたいハイレベルの演奏を成し遂げている。

第2楽章は、ゆったりとしたテンポで淡々と進行しているが、そこから湧きあがってくる何とも言えない寂寥感を何と表現すればいいのだろうか。

第3楽章も、主部をやや速めのテンポで演奏して、中間部でテンポをやや緩やかにするという緩急の差を、オーケストラを手足のように扱い、決して恣意的な印象を与えないで成し遂げるのは、まさに巨匠ならではの至芸。

終楽章は、ヴァントのブルックナー交響曲演奏の総決算と言えるもので、厳格なスコアリーディングによる緻密さと、最晩年の「第8」でも顕著であるが、柔軟で、なおかつスケール雄大なアプローチを融合させた稀有の名演を成し遂げている。

演奏終了後、聴衆から拍手が起こるまでに一瞬の間が空くが、これは、この超名演から受けた聴衆の深い感動と、聴衆の質の高さが窺い知れる素晴らしい瞬間だ。

この演奏会の半年後2002年2月14日にヴァントは90年の生涯を閉じたのだった。

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ショルティが「ニーベルングの指環」全曲を録音して以降、カラヤンやベームの全曲録音や、過去の演奏では、クナッパーツブッシュの名演、最近では、カイルベルトの名演が発掘されたりしているが、現在においても、トップの座を譲らない永遠の名盤だ。

まぎれもなく、レコード録音史上最高の名盤と評価したい。

本盤は、そのクラシックの録音史上に残る名盤のハイライトである。

熱烈なワグネリアンでも『指環』全曲を聴くのには、相当な覚悟が必要であるが、その点で、このハイライトは有り難い。

筆者としてはショルティの全曲盤のレビューを既に書いたが、あまりに長大な作品なので、通常はこのハイライト盤を聴くことが多い。

何よりも、ホッターやフラグスタート、ロンドン、さらにはヴィントガッセン、キング、ルートヴィヒ、ニルソンといった超豪華歌手陣が素晴らしい。

歴史的なワーグナー歌手の全盛期に録音されたというのが、まずは本盤の成功の要因にあげられると思う。

次いで、ウィーン・フィルの名演が実にすばらしい。

ショルティのいささか力づくの指揮が、ウィーン・フィルの優美な音色が緩衝材になって、非常に調和のとれた演奏になっている点も見逃してはなるまい。

そして、録音の素晴らしさ。

名プロデューサーのカルショウの下、ニーベルハイムに降りていく際の金床の音色や、ニーベルング族が金を天上界に運んでいる際、アルべリヒの一喝によって逃げ惑う際の悲鳴の響かせ方、ワルキューレの騎行の立体音響など、1950年代後半〜60年代前半の録音とは思えないくらいの鮮明さであり、現在に至るまで、これを凌駕する録音が現れていないのは脅威と言うべきであろう。

この演出によって、想像的視覚効果がもたらされ、それこそがスタジオ録音における録音技術のマジックが冴えた瞬間であり、この全曲録音が評価されている決定的要素の1つと言える。

ワーグナーの良くも悪くも絶対に聴いておかなければならない音楽が、最高のスタジオ録音で残されたことを感謝すべきであろう。

これを聴くと、カルショウは歌劇場の再現では無く、映像の無い大作映画を鑑賞しているみたいな錯覚を覚える。

ステレオ初期なのに、今聴いても凄い録音であり、エンターテイメント精神溢れる効果が十二分に味わえる。

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classicalmusic at 00:54コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーショルティ 

2015年01月26日


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若き日のルプーによるブラームスであるが、いずれも名演だ。

創意に溢れた2曲のラプソディをはじめ、作曲家晩年の心境を刻んだ傑作として知られる間奏曲集や小品集を収録した、ブラームスのピアノ作品集は、やや晦渋な曲と思われるかもしれないが、ルプーが透明な音色で美しく紡ぎ出した気品に満ちた詩情溢れる世界が繰り広げられる。

シューベルト、ベートーヴェン、モーツァルト等、限られたレパートリーの中でその比類のない音楽性を発揮するピアニスト、ルプー。

滋味溢れるブラームスの小品等でも、そのリリシストぶりを聴かせてくれる。

晩年のブラームスの単純ななかにも様々な顔をのぞかせるこれらの小品をルプーが見事に弾き分けている。

少しでも余計な重さが加わるとバランスが壊れそうなくらいガラス細工のような繊細な演奏、それとこの温かさと懐かしさは何だろう。

ルプーの演奏は一生独身を貫き通したブラームスの枯れた老境をあまねく表現していて、とても味わい深い。

2つのラプソディは、千人に一人のリリシストと称されるルプーとは信じられないような劇的な表情を垣間見せる。

もちろん、抒情的な箇所における美しさにもいささかの不足もなく、その意味においては、剛柔バランスのとれた名演と高く評価したい。

3つの間奏曲は、かのグレン・グールドやアファナシエフの超個性的な名演の印象があまりも強いために、他のいかなるピアニストが弾いても物足りなさを感じさせる危険性が高いが、ルプーのような清澄な美しさを湛えた演奏に接すると、正直ほっとさせられる。

あたかも故郷に帰郷したような気分だ。

ブラームスの最晩年の傑作が内包する深い精神性は、むしろ、このような抒情的な演奏によってこそ表現し得るのではないかとも考えさせられるような強い説得力が、本名演にはある。

6つの小品や4つの小品にも、3つの間奏曲とほぼ同様のことが言える。

抒情溢れる清澄な音楽の中から、ブラームスの最晩年の至高・至純の深遠な境地が浮かび上がってくるような趣きがある。

昔のバックハウスの超名演があるが、ルプーがあと20年も経てば、一層したたり落ちる渋みが出て来そうだ。

本盤のSHM−CD化は、ブラームスの重厚な音楽ということもあるが、ピアノの各音が通常CDと比較して、明快に分離し、かなり鮮明な高音質になったような印象を受けた。

その意味では、本盤については、SHM−CD化は、やや高額な価格が適正かどうかはともかくとして、先ずは成功と言えるだろう。

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classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)ブラームスルプー 

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フィルハーモニア管弦楽団と豪華なソリスト陣の共演を得て実現した若き日のジュリーニならではの壮絶な歴史的名演。

ヴェルディが畏敬した作家マンツォーニの追悼に捧げた大作・レクイエムを、ジュリーニは壮麗な聖堂さながらのスケール感と染み入る静謐さで表現している。

ジュリーニと言えば、最晩年のゆったりとしたテンポ(中には、常識はずれのスローテンポの演奏もあり)による巨匠風の名演の数々のイメージが強いために、温厚篤実な演奏をする指揮者との印象を持たれがちであるが、若き日、特に1960年代の演奏は、凄まじいまでの迫力溢れる豪演の数々を行っていた。

本盤は、そうしたジュリーニの若き時代の芸風を端的に表しているものと言えるところであり、録音当時、まだ40代後半だったジュリーニが、ヴェルディのオペラを彷彿とさせるドラマティックな演奏を繰り広げている。

気力の充実しきったジュリーニの指揮は、テンポ、リズムに躍動感があるが、壮大さ、宗教的雰囲気にも欠けておらず、最高のソリスト・オーケストラをよくコントロールし、ヴェルディの「オペラ的なレクイエム」を表現している。

ジュリーニは、数多くのイタリアオペラを指揮・録音しているが、本盤でも、そうしたイタリアオペラを得意としたジュリーニならではの歌謡性豊かな指揮と、若き日の生命力溢れる力強い指揮が見事にマッチングして、いい意味でのバランスのとれた至高の名演を成し遂げるのに成功している。

カラヤンやクレンペラーの薫陶を受けていた、黄金時代のフィルハーモニア管弦楽団や、合唱団や独唱陣も最高のパフォーマンスを示している。

特に、シュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、ゲッダ、ギャウロフというオールスター歌手陣の最盛期の歌唱がとても魅力的だ。

「思い給え」以下は、レクイエムとは思えないような、甘美で天上の世界を思わせるアリアが続く。

聖歌四篇も、レクイエムに優るとも劣らない超名演であると高く評価したい。

本盤で惜しいのは録音。

大音量の際に音が歪むということで、特に、レクイエムではそうした欠点が著しく、「怒りの日」でオケと合唱の怒濤の場面ではダイナミックレンジを若干割ってしまっている。

HQCD化によっても、そうした欠点がいささかも改善されなかったのは、演奏が素晴らしいだけに大変残念だ。

それでもかつての半分の価格でこのような芸術的な価値の高い作品を享受できるのはありがたいことである。

ヴェルディ生誕150年メモリアル・イヤー当時の熱気が伝わる素晴らしいアルバムである。

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classicalmusic at 20:55コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディジュリーニ 

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いずれもチョン・キョンファ2度目の録音で、彼女の全盛時代の大胆さと繊細さを兼ね備えた超名演だ。

チョン・キョンファのヴァイオリンは素晴らしく、透明感のある研ぎ澄まされた精緻な響きと、決して粗暴にならない情熱がバランス良くまとまっており、旧盤とは別人の様な完成度の高い演奏だ。

ベートーヴェンは独特の歌いまわしと起伏の大きなつくり、強めのアクセントなど、感情移入の激しいチョン・キョンファならではの演奏。

圧倒的なテクニックをベースとしつつ、女流ヴァイオリニストの常識を覆すような力強い迫力と、繊細な抒情の美しさが、いい意味でバランスがとれており、そうした表現力の幅の広さが、この録音当時のチョン・キョンファの最大の長所であった。

本盤でも、そうしたチョン・キョンファの長所がすべてプラスに出ており、コンドラシンとの共演盤よりはるかにスケールが大きく深い演奏を聴かせる。

旧盤は、指揮者のコンドラシンに譲歩しすぎたのか、はたまたベートーヴェンということで、慎重になりすぎたのか分からないが、チョン・キョンファの持ち味である奔放さが欠けていたように思う。

それに対し新盤は、気迫あふれるのチョン・キョンファのソロを、テンシュテットが力強く雄大なスケールで包み込んだ素晴らしい演奏。

チョン・キョンファの持ち味である激しさと厳しさ、限界ぎりぎりでの、その驚くようなバランスの良さに、思わず引き込まれてしまうこと請け合いである。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ベートーヴェンが作曲した最も美しい曲の1つと言われているが、チョン・キョンファは、同曲に満載の美しい旋律を実に情感豊かに歌い抜いて行く。

起伏の大きい独特の歌いまわしなど、チョン・キョンファ節にあふれている。

それでいて、いささかも感傷に陥ることなく、常に高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

感情移入は激しいが、それでいて透き通るような輝きがあるのがチョン・キョンファならでは魅力だ。

他方、力強さにも不足はなく、特に終楽章の迫力は圧倒的だ。

ブルッフも可憐な雰囲気も漂わせていた旧盤に較べて、濃厚なロマンティシズムに覆われ、スケール感のアップした超名演だ。

ベートーヴェン以上に美しい旋律満載の同曲を、チョン・キョンファは、これ以上は求め得ないような情感豊かさで歌い抜いて行く。

そして、これらのチョン・キョンファのヴァイオリンに優るとも劣らない気迫溢れる指揮をしているのがテンシュテットで、オケの重心が低くスケールも大きな充実した響きも素晴らしい。

咽頭癌を発病した後、病と闘いながら指揮をしていたが、本盤でも、まさに命がけの指揮を行っており、その気迫と力強さには、涙なしでは聴けないような深い感動を覚える。

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classicalmusic at 00:46コメント(0)トラックバック(0)チョン・キョンファテンシュテット 

2015年01月25日


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シベリウスの交響曲は、初期の第1番及び第2番と、第3番以降の交響曲では、作風が全く異なる。

まるで別人が作曲したかのようであり、シベリウスの真の魅力は、第3番以降の交響曲にある。

したがって、シベリウス指揮者としては、第3番以降の作品をいかに巧く演奏できるかに、その真価が問われていると言えるだろう。

そんなシベリウスの7つある交響曲(クレルヴォ交響曲を除く)のうち、最高傑作は、衆目の一致するところ、第4番と言えるのではないだろうか。

もちろん、第7番も傑作ではあり、筆者としては、両者劣らぬ傑作であると考えるが、楽曲の深みという点においては、第4番の方に軍配があがるのではないかと考えている。

この傑作交響曲は、必要最小限の音符で書かれているだけあって、オーケストラの扱いもきわめて控えめで、トゥッティの箇所はわずか。

したがって、指揮をするに際しても、オーケストラに対する圧倒的な統率力と表現力を要求される難曲と言えるだろう。

もちろん、自信がある指揮者しか同曲を採り上げることはないが故に、これまでに遺された演奏は、名演であることが多かった。

そうした数々の名演の中でも、ザンデルリンクの演奏は、ドイツ風の重厚なものだ。

これはザンデルリンクの65歳時の演奏で、長らく常任を務めたベルリン交響楽団の地位を辞する年の録音でもあるが、指揮者の構成力が音楽を晦渋から救い、オケの音色も曲にふさわしい。

内省的な第4番は、虚飾を排した芸風のザンデルリンクにふさわしく、シベリウスの真の姿が浮かび上がってくる。

この第4番は、シベリウスの作品の中でも最も虚飾を排し純粋に絶対音楽的な無愛想なものだが、ザンデルリンクは一層しかめっつらで曲に対峙しているところがとてもいい。

いかにも独墺系の指揮者の手による、造型美と重厚さを誇る演奏であるが、木管楽器などの響かせ方など新鮮な箇所も多くあり、異色の名演として高く評価したい。

しかしながら、オーケストラに対する統率力は抜群のものがあり、簡潔なスコアから、実に豊かなハーモニーを作り上げることに成功している。

これほどまでに全体の造型を意識した演奏は、珍しいとも言えるが、同曲はカラヤンが何度も録音するなど得意とした楽曲で、いずれも名演であることもあり、ザンデルリンクのドイツ風の重厚なアプローチも珍しいものではない。

併録の「夜の騎行と日の出」も名演で、傑作でありながら、なかなか録音される機会の少ない同曲の魅力を、これまた重厚なアプローチで完璧に表現し尽くしている。

本盤には、かつてハイパー・リマスタリング盤が出ており、それもかなりの高音質であったが、今般のSACD盤も、それに優るとも劣らない素晴らしい音質だ。

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classicalmusic at 22:43コメント(0)トラックバック(0)シベリウスザンデルリンク 

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ジャニーヌ・ヤンセンは今年で34歳になる若手女流ヴァイオリニストの旗手の1人とされる存在であり、ヴィヴァルディの四季やベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲など、超個性的でありながらも芸術性がしっかりと担保された圧倒的な名演を成し遂げるなど、着実に確固たるキャリアを積み重ねてきた。

そして、今般、ジャニーヌ・ヤンセンの類稀なる芸術性の高さを証明するとともに、おそらくはジャニーヌ・ヤンセンのこれまでのCD中の最高傑作とも評価し得る決定的な名盤が発売される運びとなった。

本盤に収録されているのは、シェーンベルクの浄められた夜とシューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調。

ジャニーヌ・ヤンセンが、「室内楽史上もっとも美しい2作品」と語る傑作だ。

この両曲の組み合わせは、もちろんジャニーヌ・ヤンセンの言うとおりなのであるが、それ以上にセンス抜群の意味深いものと言えるのではないだろうか。

シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調は、音楽史で言えば、前期ロマン派の作曲家に属するシューベルトの最高傑作の1つではあるが、最晩年の作品であるだけに、その後の作曲家の作品に繋がっていくような、当時としてはある種の革新性を有していたと言えるところだ。

そして、それは新ウィーン派の作曲家の旗手として、十二音技法を生み出したシェーンベルクの作品にも繋がっているとも言えるところであり、それ故にこそ、この両曲の組み合わせは意味深長なものと考えられるところである。

シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の名演の1つとしてアルバン・ベルク弦楽四重奏団(第2チェロはハインリヒ・シフ)によるスタジオ録音(1982年)があるが、当該演奏は、同曲の美しい旋律を情感豊かに描き出す一方で、現代音楽にも繋がっていくようなある種の革新性も有していたが、本盤のジャニーヌ・ヤンセンによる演奏も、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による演奏とは異なったアプローチではあるが、シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の持つ革新性を希求するとともに、その延長線上において、シェーンベルクの浄められた夜を捉えるという考え方においては通底していると言えるだろう。

それにしても、ジャニーヌ・ヤンセンとその仲間たちのアンサンブルによる演奏は素晴らしい。

ヴィヴァルディの四季の演奏も、同様のアンサンブルによる個性的な超名演であったが、本盤の演奏もそれに優るとも劣らない超個性的、そして芸術性の高い超名演を成し遂げていると言っても過言ではあるまい。

シューベルトの弦楽五重奏曲ハ長調の清澄な美しさを情感豊かに歌い抜くという基本的なアプローチは維持しつつも、随所にジャニーヌ・ヤンセンならではのスパイスの効いた個性的な解釈が施されており、それがいささかもあざとさを感じさせることなく、格調の高い芸術性への奉仕に繋がっているのが見事である。

そして、時として聴かれる切れ味鋭いリズム感は、前述のような現代音楽に繋がる革新性を感じさせるものとして、かのアルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏を彷彿とさせるものとも言えるだろう。

シェーンベルクの浄められた夜も、シューベルトの弦楽五重奏曲と同様のアプローチによる名演であり、単なる美しさのみならず、随所に聴かれる芸術性に裏打ちされた個性的な解釈は、同曲を聴き飽きたというクラシック音楽ファンにも清新さを感じさせるものと言える。

いずれにしても、本盤の両曲の演奏は、ジャニーヌ・ヤンセンの類稀なる芸術性と才能、そして今後の前途洋々たる将来性を感じさせる圧倒的な超名演と高く評価したい。

音質もSHM−CD盤であることもあって、鮮明で十分に満足し得るものとなっていることも付記しておきたい。

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20世紀における最も偉大なヴァイオリニストの1人と評され、全世界で演奏活動を続けているヴァイオリニスト、イツァーク・パールマンが録音した20世紀ヴァイオリン協奏曲の名曲。

20世紀を代表する2つのヴァイオリン協奏曲を収めているが、両曲ともに、ヴァイオリニスト、指揮者、オーケストラの3拍子が揃った類稀なる名演だと思う。

筆者は、ベルクのヴァイオリン協奏曲の数多い録音を聴いてきたが、パールマンのこの録音以上に美しい音色でこの曲を弾いた演奏を知らない。

ベルクのヴァイオリン協奏曲は、親しかったアルマ・マーラーの愛娘の死を悼んだレクイエムであると同時に、自らの死を予感した自伝的作品とも言われるが、パールマンは、決して技巧のみを全面に打ち出してはいない。

ヴァイオリニストにとっての難曲の1つであり、超絶的な技巧を要する曲であるのだが、パールマンは、むしろ内容重視。

ベルクが同曲に込めた人生の寂寥感や絶望などを、実に清澄な美しい音色で描いて行くが、表面的な美しさにとどまらず、同曲に込められた深い内容を掘り下げていこうという真摯なアプローチが素晴らしい。

それでいて、卓越した技量にはいささかの不足はなく、このような現代音楽を得意とした小澤&ボストン交響楽団も、これ以上は求め得ないほどの最高のパフォーマンスを示している。

パールマンの色気のあるヴァイオリンと小澤の繊細で美しいオケ・ドライヴが楽しめる。

アルマの娘のエピソードも、この演奏の前にはあまり意味がないように思えるほど「純」ヴァイオリンに徹していて気持ちがいい。

この名曲を初めて聴く人も、既にいろいろな演奏を聴いている人も、十分満足できる名演である。

それにしても、第2楽章の中間部で、雲の切れ間に現れる青空の様に聴こえるバッハのコラールは、何と美しい音楽だろうか。

筆者は、あのコラールに、ベルクが、自分の深い秘密をこめたような気がしてならない。

一方、ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲は、ベルクに比べると、暗いトンネルを抜けた明るさが持ち味の曲であるが、あくまでも内容重視のパールマンのアプローチや小澤&ボストン交響楽団の好パフォーマンスには変わりがない。

パールマンが少々強引な演奏を聴かせるが、小澤の指揮が非常に生き生きしていて、ストラヴィンスキーの新古典主義と小澤の相性の良さを感じる。

他方、併録のツィガーヌは、パールマンの超絶的な技巧を味わうことができる名演だ。

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2015年01月24日


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〈葬送行進曲〉を第3楽章に据えた詩情溢れる第2番、豊かな情感と幻想に満ちた第3番。

いずれもショパン芸術の頂点を築くこの2曲のソナタは、ピアノ曲に革命的ともいえる新しい表現をもたらした天才ショパンが円熟期に書いた傑作。

ポリーニの演奏はこの革新的な作品に新たな息吹を注ぎ込んだもので、完璧な打鍵による磨き抜かれた音によって優美で詩的な作品を理想的に表現している。

ポリーニにとってショパンは特別な作曲家と言えるだろう。

ショパン国際コンクールでの優勝の後、一時表舞台から離れた後、ショパンの様々なジャンルの楽曲を、今日に至るまで、それこそ少しずつ録音をし続けてきているからである。

ポリーニのショパンは定評があるが、なかでもこのソナタ集では、落ち着きのある中にも、内に情熱を秘めた熱い演奏を聴かせてくれる。

極めてシャープで大きな表現をもつ演奏だが、磨きぬかれた技巧と、芳醇にして繊細なタッチが生みだす響きは限りなく魅力的である。

本盤は、1984年の録音で、今から30年近く前の録音だ。

特に、本盤に収められたピアノ・ソナタ第2番は、本盤から20年以上も経った2008年にも再録音しており、本盤のポリーニのアプローチは、現在の円熟のポリーニとはかなり異なるものである。

エチュードや前奏曲などにおいて、技術偏重の無機的なピアノタッチをかなり厳しく批判する声もあったが、本盤でのポリーニにおいては、少なくともそうした無機的な音は皆無であるように思う。

楽曲の内面への踏み込みといった点からすれば、特に、ピアノ・ソナタ第2番の後年の録音に比べると、いささか弱い点もあろうかとも思うが、それでも、ポリーニの、ショパンの両傑作への深い愛着と理解が十分に伝わってくる血も涙もある名演に仕上がっている。

ポリーニ特有の硬質な音は、勿論フォルテッシモの部分で非常に味わいやすいのだが、一方、弱音部でも鋼のような音の「芯」を感じることができる。

そういう「芯」がしっかりしているが故に本当に明晰な印象の演奏なのだけれど、一方でイタリア人的なノリの良さがフォルティッシモの打鍵から零れ落ちるようなところも感じられる点が、本演奏の面白さだと思う。

正確な技巧の裏返しとして「機械的」という表現で評されることが多い人が、敢えてこの表現を「人間技を越えた」という意味で肯定的に捉えて本作品を評するなら、同じ「機械」でも情緒表現を完璧に兼ね備えた「究極のサイボーグ」による演奏のような印象を受けるのである(後年になると、流石のポリーニも柔らかくなっていく訳なのだが)。

SHM−CD化によって、音質は相当に鮮明になっており、壮年期のポリーニの名演を高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)ショパンポリーニ 

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ハイティンクほど評価が分かれる指揮者はいないのではないか。

長年に渡ってコンセルトへボウ・アムステルダムの音楽監督をつとめ、ポストカラヤン争いでも後継者の候補の1人と目されベルリン・フィルの団員にも愛された指揮者であり、そして現在ではシカゴ交響楽団の音楽監督をつとめるという輝かしい経歴の持ち主であるにもかかわらず、ハイティンクの名声が揺るぎないものとは言い難い状況にある。

ハイティンクは全集マニアとして知られ、数多くの作曲家の交響曲全集を録音している。

いずれも決して凡演というわけではなく、むしろいい演奏ではあるが、他の指揮者による演奏にも優るベストの名演を成し遂げているとは言い難いのではないだろうか。

このように、ベターな演奏を成し遂げることが出来てもベストの名演を成し遂げることができないところに、ハイティンクという指揮者の今日における前述のような定まらない評価という現実があるのかもしれない。

もっとも、ハイティンクが録音した数ある交響曲全集の中でも、唯一ベストに近い評価を勝ち得ている名全集がある。

それは、完成当時はいまだ旧ソヴィエト連邦が存在していたということで、西側初とも謳われたショスタコーヴィチの交響曲全集(1977〜1984年)である。

これは、ハイティンクに辛口のとある影響力の大きい有名音楽評論家さえもが高く評価している全集だ。

本演奏におけるハイティンクのアプローチは直球勝負で、いずれの演奏においても、いかにもハイティンクならではの曲想を精緻に、そして丁寧に描き出していくというものであり、英デッカによる高音質も相俟って、ショスタコーヴィチがスコアに記した音符の数々が明瞭に表現されているというのが特徴である。

したがって、ショスタコーヴィチの交響曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、どの演奏も水準以上の名演であると言えるだろう。

もっとも、決して奇を衒ったり、踏み外しを行ったりすることのない演奏であることから、各交響曲に込められた粛清への恐怖や粛清された者への鎮魂、独裁者への激しい怒りなどを抉り出していくような鋭さにおいては、後述のように第13番を除いては必ずしも十分とは言い難い面があり、個々の交響曲のすべてがベストの名演というわけではないことにも留意しておく必要がある。

その意味では、最大公約数的に優れた名全集と言えるのかもしれない。

私見では、第1番〜第3番、第9番、第11番についてはゲルギエフ&マリインスキー劇場管による演奏、第4番についてはラトル&バーミンガム市響やチョン・ミュンフン&クリーヴランド管、そしてゲルギエフ&マリインスキー劇場管による演奏、第5番及び第6番、第8番、第12番、第15番についてはムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏、第7番についてはスヴェトラーノフ&ソヴィエト国立響による演奏、第10番についてはカラヤン&ベルリン・フィルやムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる演奏、第14番についてはクルレンツィス&アンサンブル・ムジカエテルナによる演奏がベストの名演であり、これらの名演と比較すると、ハイティンクによるこれらの交響曲の演奏はどうしても見劣りすると言わざるを得ない。

また、ハイティンクは、ロンドン・フィルとコンセルトへボウ・アムステルダムの両オーケストラを使い分けているが、どちらかと言えば、コンセルトへボウ・アムステルダムを起用した演奏の方がより優れている。

そのような中で、コンセルトへボウ・アムステルダムと演奏した第13番だけは、何故に同曲だけなのかよくわからないところであるが、楽曲の心眼を鋭く抉り出していこうという彫りの深さが際立っており、同曲の他の指揮者による様々な演奏にも冠絶する至高の超名演と高く評価したいと考える。

いずれにしても、本全集は、ショスタコーヴィチの交響曲全集をできるだけ良好な音質で、なおかつすべての交響曲を一定の水準以上の名演奏で聴きたいという人、そして第13番の最高の超名演を聴きたいと思う人には、安心してお薦めできる名全集である。

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classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチハイティンク 

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ポリーニは華麗で技巧的な作品には目もくれず、リストのもっとも実験的な作品をリストアップした。

リストの最高傑作の構造を完璧に解き明かした演奏で、リリース当時は大変な評判になったアルバムである。

曲自体も、ポリーニにぴったりな曲であり、まさに素晴らしいと思う曲しかリリースしない、そしてリリースしたからにはその演奏は頂点の演奏であるというポリーニのポリシーが今日まで貫かれているのを感じる。

リストのピアノ曲といえば、超絶技巧が有名であるが、このピアノ・ソナタは、ワーグナーと親交のあったリストのロマン派的叙情性に満ちた美しさが魅力である。

超絶技巧なら、ポリーニは難なく弾きこなせるのだが、敢えてロマン溢れるピアノ・ソナタを録音したのは、ポリーニ自身、技巧派で押し通す事を避け、レパートリーを拡げ、その音楽性を世界に知らしめたかったのではないだろうか。

リストのピアノ・ソナタは、超絶的な技巧と、強靭なトゥッティから繊細な抒情に至るまでの幅広い圧倒的な表現力を必要とする傑作だけに、古今東西のピアニストが数々の名演を遺してきた。

それ故に、同曲のあまたの名演の中で、存在感のある名演を成し遂げるのは至難の業とも言えるが、ポリーニの演奏は、いささかもその存在価値を失うことのない名演と高く評価したい。

ポリーニの演奏における超絶的な技量はまさに圧倒的だ。

ただ、近年のポリーニの演奏において、大きな欠点の1つとなっている、技量一辺倒の無機的な演奏には決して陥っていない。

それどころか、近年のポリーニには珍しいくらい思い入れたっぷりの熱い表現を垣間見せてくれている。

この録音は、ロマンティックなリストが充分表現され、その中に、ポリーニの持つ技巧と情熱のバランス感覚が発揮された名演である。

その完成度の高い演奏技術から、機械的だとか冷徹と言われ続けてきたポリー二であるが、このピアノ・ソナタを聴けば、彼がこれを弾くために存在したのだと確信する名演である。

とにかく演奏自体に隙もなければ無駄もなく、この単一楽章形式に書かれた複雑でデモーニッシュな音楽を、絶妙なバランス感覚と構築感で聴かせてくれる。

この曲は、テンポも強弱も著しく変化する劇的な楽曲であるが、ポリーニは、思い切った表現で、この激しく変転する楽想を見事に駆け抜けていく。

抒情的な箇所の美しさも出色のものであり、まるで近年の技巧派ポリーニとは別人のような芸術的な深みのある表現を成し遂げている。

情感を楽しむことはもちろんできるが、まさにこのピアニストのピアニスティックな部分が最大限楽しめる演奏とも言える。

併録の小品も、ピアノ・ソナタに優るとも劣らない名演であり、ポリーニのリストへの適性を大いに感じさせるアルバムに仕上がっている。

今後のリスト演奏を考えるとき無視できない1枚となるだろう。

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classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)リストポリーニ 

2015年01月23日


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ポリーニ初のドビュッシーが「12の練習曲」とは彼らしく、その無窮動性や線的な構造を、彼の卓越した技巧が見事に捉え、独特の美感を持った演奏につなげているとは言えるものの、全体としてはきわめて出来の良くない凡演だ。

演奏の方向性としてはショパンのエチュードと同じで、正確に音を鳴らすことによって作品の本質を抉り出そうというものだ。

この打鍵の鋭さと運動性は凄まじいことこの上なく、聴きながら唖然としてしまうほど凄いので、無味乾燥な演奏だなと思いつつも、絶対に真似できないテクニックだなという結論に至ってしまう。

ただし、エチュードなのでこの方向性でもいいのかもしれないが、相手がドビュッシーなのでショパンよりマッチングが悪く、それなりに違和感があるのも事実で、硬質すぎるきらいがあるように思われる。

ドビュッシーのピアノ曲に聴き手が求めるものは、いろいろな見解もあろうかとも思うが、やはり印象派ならではの詩情が必要と言えるのではなかろうか。

ところが、ポリーニのピアノにはこの詩情が全く欠けており、これほどまでに冷徹になれるとは殆ど驚くほどだ。

確かに、技量においては卓越したものがあるが、練習曲とは言っても、そこはドビュッシーであり、弾きこなすためにはスパイスの効いた卓越した技量を必要とする。

しかしながら、スコアを完璧に弾くことに果たしてどれくらいの意味があるのだろうか。

ポリーニの透明感溢れる研ぎ澄まされたタッチを、ドビュッシーのピアノ曲が含有する前衛的な要素を際立たせるものという見方も一部にはあると思うが、筆者としては、これほど無機的な演奏は、最後まで聴くのが非常に辛いものがあったと言わざるを得ない。

これを聴いて喜ぶのは、ポリーニ好きのファンか、印象派に造詣のない批評家くらいのものだろう。

これに対して、ベルクのピアノ・ソナタは名演。

ベルクのピアノ・ソナタは本当に素晴らしい曲であり、様々な音楽性、シェーンベルクにはない孤独な叙情、色彩のパレットの豊かさがある。

ポリーニは、色気のないタッチや無神経を装った神経質なフレージングによってベルクの渇いた叙情を表出させるのに成功している。

ポリーニの感情移入をいささかも許さない、研ぎ澄まされた透明感溢れるタッチが、ドビュッシーでは詩情のなさが仇になったが、ベルクでは、作品の内包する前衛性を際立たせることに繋がったとも言えよう。

隙のない構築美と共に、燃えさかるような情熱のほとばしりが印象深く、ポリーニの卓越した技量も、ここではすべてプラスに働いている。

この演奏で新ウィーン楽派の主たるピアノ曲はポリーニの中で完了した感がある。

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classicalmusic at 22:50コメント(0)トラックバック(0)ポリーニドビュッシー 

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数曲において初版を使用し、ペダルの忠実な使用も含めて、シューマン演奏の究極を突き詰めた非凡な演奏を収録。

近年とみに深みを増しているポリーニの円熟を如実に伝える素晴らしい名演だ。

ポリーニの多くのアルバムの中でも最上位にランクされるCDとして高く評価したい。

心・技・体すべてが充実し、一部で囁かれ始めていたテクニックの衰えをまったく感じさせない、ポリーニ58歳時の会心の録音。

極限まで磨き上げられた完全な技巧と知的な解釈で聴かせてきたポリーニ、近年ではさらに深化を遂げた表現力によって、シューマンの作品に込められた心情の推移、詩的な世界を見事に表現し、作品の裏側にある深い情緒を見事に描き切って間然とするところがない。

響きが切り立ってピアニスティックに情動を沸き立たせる形ではなく、音色のきらめきを抑え、キメを、ふ、と抜いて音との距離を作ることで想いの行方を聴き手に預け、浪漫世界にじっくり誘い込む、語り部ポリーニを印象づける練達の熟演。

それにしても、真の理由は定かではないが、ポリーニとシューマンの相性は抜群のものがある。

本盤の前に録音されたピアノソナタ第1番も、交響的練習曲&アラベスク、そして、ピアノ協奏曲もいずれも名演であった。

ポリーニの透徹した切れ味鋭いタッチと、詩情溢れるシューマンのピアノ曲とは、基本的には水と油のような関係のように思うが、何故か、本盤を含め、録音されたいずれの楽曲も名演であり、聴いていて深い感動を覚える。

要は、ポリーニの(本人が意識しているかどうかは別として)感情移入をできるだけ避けようとするかのような客観的なアプローチが、大仰で理屈っぽい表現を避けることに繋がり、結果として、シューマンの楽曲の魅力をなにものにも邪魔されることなく、ダイレクトに満喫することができるのが功を奏していると言えるのかもしれない。

加えて、ポリーニのシューマンへの深い愛着と拘りもあると考えられ、それは、本盤において、ダヴィッド同盟舞曲集、ピアノ・ソナタ第3番、そしてクライスレリアーナの3曲で、初版を使用している点にもあらわれているのではないかと思われる。

前述のように、ポリーニは極限まで磨き上げられた完全な技巧と、近年さらに深化を遂げた表現力によって、シューマンの作品に込められた心情の推移を見事に描き切っている。

このCDを購入されたポリーニ・ファンはすでに彼が録音してきたシューマンの全作品を聴いてこられたと想像するが、ポリーニの健在ぶりに感激するに違いないであろう。

さすがとしか言いようがない素晴らしい演奏で、歴史に残る名盤がまた1枚、ポリーニによってここに誕生した。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)シューマンポリーニ 

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弱冠15歳でウィーン国立歌劇場に入団し、1995年の定年退団までウィーン・フィルの顔として、楽団の黄金時代を支えたクラリネットの演奏史に残る名手プリンツが、故ヘッツェルらウィーン・フィルの首席奏者よる気心の知れた仲間たちと残した不滅の名盤。

クラリネット五重奏曲の2大傑作をカップリングした名CDは、これまでにも数多くあったが、本盤も、その中で存在感を決して失うことがない名演と高く評価したい。

本盤は、クラリネットのプリンツを始め、史上最高のコンサートマスターと謳われたヘッツェルなど、ウィーン・フィルの首席奏者を構成員とするウィーン室内合奏団の極上の美演が売りと言える。

ウィーン・フィルの首席メンバーなどによる、ウィーン情緒たっぷりの、ウィーン風な音色の何たるかを実感できる演奏で、プリンツの色彩豊かで柔らかく自然なふくよかな音色と情趣と気品に溢れた弦楽器の絡み合いはウィーン情緒にあふれていて、すばらしく美しい。

どこをとっても、ウィーンの香りが漂っており、こうしたあたたかいウィーンスタイルの演奏を聴くだけでも、本盤の価値は相当に高いものと考える。

プリンツのクラリネットは、まさにまろやかなウィンナクラリネットの醍醐味を満喫させてくれるが、圧倒的な技量や作品の内面を深く抉り出していこうという深遠さにもいささかの不足はない。

ウィーン室内合奏団では、何よりもヘッツェルのヴァイオリンが素晴らしい。

特に、ブラームスのクラリネット五重奏曲冒頭のこの世のものとは思えないような清澄な音色は、ブラームスの最晩年の枯淡の境地を最高の形で具現化するものとして、他のヴァイオリニストを寄せ付けないような至高・至純の高みに達している。

ウィーンスタイルの演奏としては、同じくウィーン・フィル首席クラリネット奏者であったウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団の古き良き時代の録音と、まさに双璧をなす名盤と言えよう。

さらにHQCD化によって、音質が非常に鮮明になったのも大変うれしいことであり、プリンツの音色が従来盤ではやや鋭い印象があったのだが、本HQCD盤では音の芯を包み込む柔らかい響きが再現されていて、彼の本当の素晴らしさを再確認できたところだ。

そして、ただ音量の違いだけでなく、それぞれの楽器の音質が一層クリアーになっているのもはっきり聴き取ることができる。

その結果、演奏者が一歩前に出たような臨場感が得られ、ここでは特にプリンツのクラリネットとヘッツェルのヴァイオリンの音色がこれまでになく艶やかに再現されているのである。

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classicalmusic at 00:54コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトブラームス 

2015年01月22日


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ムラヴィンスキーの数ある同曲録音の中から、日本でのライヴ録音が図抜けて素晴らしい、ということは実に誇らしいことだ。

何度聴いてもなんと神聖な演奏であろうか。

まるで早朝の神社にお参りしたような張り詰めた空気がここにはある。

破格の技術を持つレニングラード・フィルは、決してその技を誇示することなく、ひたすら音楽のために奉仕する。

いかに低弦が唸ろうとも金管が吠えようとも、つねに格調の高さと節度を失うことがなく、「ロシアの」ということを超越した普遍的な芸術意識に貫かれている。

もっとも胸打たれる瞬間のひとつは、第1楽章後半のフルート・ソロ(ムラヴィンスキー夫人)とホルンの対話の部分である。

ヴィブラートの抑制された清冽なフルートの調べは、指揮者との愛の交歓のようで、聴きながら切なくなってしまう。

第3楽章にも同様の場面があるが、こんなフルートを吹かれてしまうと、ムラヴィンスキーでなくても、この人を愛してしまうに違いない。

このCDの価値を高めているのは、NHKによる良心的な録音、及びアルトゥスによる優れたリマスタリングにもよる。

会場ノイズを除去しすぎることもなく、徒らな効果も狙うこともなく、きわめて真っ当な音で勝負してくれたのが、何よりありがたい。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ムラヴィンスキーによる圧倒的な超名演を現在望みうる最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

なお、この他のムラヴィンスキーによる同曲の録音では、1954年のスタジオ盤1984年のライヴ盤も聴いておきたい。

前者は何と言っても、ムラヴィンスキーが遺した唯一の商業録音として、その公式見解を知るという意味で。

後年よりさらに厳しい彫琢によるストイックさが魅力である。

後者は、アルトゥス盤よりもオン・マイクの録音による生々しさに別の魅力がある。

その直接的な迫力にグラッとくるが、日本公演のような神聖さは後退している。

前記フルート・ソロも断然アルトゥス盤が上である。

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classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチムラヴィンスキー 

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世界初のショスタコーヴィチ交響曲全集である。

ハイティンクの全集には、ロシア訛りがなくて物足りない、という人には、最適の全集であろう。

もっとも、コンドラシンの演奏は、ロシア臭だけが売り物のローカルなものでなく、いずれも非常な熱演で、純音楽的にも高い水準である。

全集完成に13年を費やしているため、演奏や録音に多少のムラはあるが、1人の指揮者が同じ楽団で、1人の作曲家の生涯の仕事を追うのは意義深いことだし、コンドラシンが、楽曲を端正・率直に表出して、豊かな音楽を歌い出す指揮者であることも適任だったと言える。

コンドラシンといえば、ショスタコーヴィチ交響曲の2つの問題作、すなわちオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」などに対して始まった当局の批判をかわすために作曲者自らが上演を取りやめた「第4」、ユダヤ人迫害というソ連政府にとって蓋をしておきたい問題提起にムラヴィンスキーが初演指揮を辞退した「第13」の気骨ある初演指揮者として、作曲者と深い心の絆で結ばれていた。

だから、と言えばこじつけのように聞こえるかもしれないが、この2曲に関して、コンドラシンの録音を無視するわけにはいかない。

「第4」は、歴史的な初演直後の録音であるが、それにしても素晴らしい作品だ。

大衆性とは無縁ながら、インスピレーションの豊富さ、斬新さ、奇抜さという点では、次作「第5」をも遥かに上回る。

終楽章の後半、ドロドロと轟くティンパニに続くトランペットの強烈な不協和音では、一瞬、地球が軌道から外れたような衝撃が走る。

コンドラシンはそうした常識で計れない作品の魅力を深部で捉え、見事に音にしており、これ以外の表現が考えられないほど的確な構築の名演だ。

有り余るエネルギーを内に湛えつつ、抑制された語り口に始まりながら、徐々に熱を帯びてくる恐ろしさ、時折、顔をのぞかせる狂気など、一級の演奏芸術作品となっているのである。

余談ながら、ムラヴィンスキーが「《第5》以前の交響曲は指揮しない」として、この傑作を無視し続けたことは、まことに残念だ。

「第13」は、1968年の録音だが、初演者としての自信と使命感に裏打ちされた立派な演奏だ。

凍てつく大地をも揺るがすようなエイゼンの独唱とコーラスは、まさにロシアの男声はかくあるべし、と思わせる。

スタジオ録音とは思えないほど緊張感の持続した演奏であるが、音質がいまひとつなのは惜しまれる。

「第8」の凄絶さも群を抜いているが、ムラヴィンスキーにだけは敵わないようだ。

残る13曲も水準を超える演奏である。

オーケストラの耳を突き刺す大音響が、ときに煙幕となって作品の理知的なフォルムを曇らせてしまうこともあるけれど。

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classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチ 

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聴き終えた後の爽快感はポリーニが一番と言えるものの、ポリーニのショパンは評価が難しい。

確かに、初期の録音のような機械じかけの演奏はそもそも論外であるが、それ以外のいかなるCDにおいても、その技量は完璧であり、楽曲の内面への掘り下げはイマイチなものの、随所に巧みな表情づけを行っていることもあって、聴き終えた直後は、爽快な気分になり、これは名演ではないのかと思ってしまうのだ。

ところが、残念なことであるが、一部のCDを除いては、すぐにどういう演奏であったのか忘れてしまうのが事実なのだ。

例えば、同じスケルツォの全集を録音したポゴレリチなどと比較するとよくわかる。

ポゴレリチ盤は、聴く際にも凄い集中力を要求されるだけに、聴き終えた直後は、もう一度聴きたいとは思わないし、一度聴いただけで満腹になってしまうのである。

しかしながら、しばらく時間が経つと、もう一度聴きたくなり、そして、その強烈な個性が頭にこびりついて離れない。

ところが、ポリーニのスケルツォは、聴き終えた後の疲れはないが、しばらく経つと、どういう演奏だったのかすぐに忘れてしまう。

それ故に、もう一度聴きたいとは思わないから、CD棚の埃の中に埋もれていく。

要するに、確かな個性がないということであり、ポリーニは、卓越した技量をベースにして、透明感溢れる切れ味鋭いタッチが持ち味であるが、どうしても技術偏重の蒸留水のような没個性的な演奏に陥ってしまいがちである。

さすがに、2000年代に入って、ショパンであれば夜想曲や、バッハの平均律クラヴィーア曲集など、深みのある名演も出てきたが、それ以前の演奏では、そうした欠点が諸に出てしまう演奏が散見された。

バラードも、1999年の録音ではあるが、やはり、そうした欠点が出てしまった演奏と言える。

ただ、ピアノ曲との相性が良いSHM−CD化によって、ピアノの音質に硬さがなくなったのはプラスに働いているが、それでも、演奏全体の欠陥を補うには至らなかったのは大変残念だ。

もちろん、悪い演奏ではない。

例えば、バラードという曲は、こういう曲ですというのを、初心者に聴かせるには最適のCDと言えるが、クラシック音楽を聴き込んでいる人が、繰り返して聴くに耐える演奏とは到底言い難い。

これらの楽曲を初めて聴くには最適のCDと言えるが、スケルツォやバラードの本質を味わおうとするのであれば、やはり、他の個性的な内容のある演奏を聴くべきである。

こうした演奏評価は、一流のピアニストにとってははなはだ不本意なことであるが、本盤は、今から10年以上も前の録音。

最近では、ポリーニも円熟の境地に達していて、例えば、ショパンで言うと、前奏曲集などの名演も成し遂げてきており、仮に、本盤の各楽曲を再録音すれば、次元の異なる名演を成し遂げることができるのではないか。

本盤の各楽曲は、いずれも有名曲だけに、大いに期待したい。

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classicalmusic at 00:56コメント(0)トラックバック(0)ショパンポリーニ 

2015年01月21日


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ワイセンベルクは、カラヤンと数多くのピアノ協奏曲を録音することによって、世に知られる存在となったが、カラヤンとの演奏では、どちらかと言えばカラヤンペース。

カラヤン&ベルリン・フィルのゴージャスな演奏の中に、どうしても埋没してしまうような印象がぬぐえなかった。

特に、ベートーヴェンのピアノ協奏曲全集などが最たるもので、ワイセンベルクもベルリン・フィルの1つの楽器と化してしまったような感があった。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でも、ベートーヴェンほどではないが、SACD盤を聴いても、ワイセンベルクの個性が格別に光った演奏とはとても言えなかったように思われる。

ところが、本盤は、バックがバーンスタインにかわったこともあり、ワイセンベルクの十八番である楽曲ということもあってか、実に個性的な演奏を繰り広げている。

バーンスタイン指揮のフランス国立管弦楽団との共演が、ワイセンベルクを一味違ったものに仕立て上げた。

ワイセンベルクは抜群のテクニックと、透明感溢れるピアノタッチが魅力であるが、ここでも、バーンスタイン指揮の下、最高のピアニズムを展開している。

バーンスタインの雄渾な音楽と、一歩も引けを取らないワイセンベルクの、ダイナミックで明確なタッチが生み出す美しい音色が、ラフマニノフの抒情を余すところなく表わしている。

筆者としては、同曲の録音の中では、ホロヴィッツ&ライナーのXRCD盤を高く評価してきたが、厳しく張り詰めた緊張感で聴く者も一瞬も気の抜けないホロヴィッツの演奏とある意味対極にあるワイセンベルクの演奏には包まれる安心感と優しさが漂う。

バーンスタインは、特に、オペラ以外の分野では、カラヤンをも凌ぐ膨大なレパートリーを誇ったが、ラフマニノフの録音は極めて珍しいと言える。

それでも、本盤では、ワイセンベルクのピアノを立てつつ、ゆったりとしたテンポで、実に情感豊かな演奏を行っている点を高く評価したい。

バーンスタインの細やかなサポートが、ピアニストの微妙な動きを見事に浮き立たせていて、思わず聴き惚れてしまう。

フランス国立管弦楽団の独特の明るいサウンドも魅力的で、遅いテンポでうねるオケに、余裕綽々たる硬質なピアノが、ロマン的な大河小説のような世界をみせる。

併録の前奏曲は、フィギュアスケートでも有名になった『鐘』であるが、ワイセンベルクのピアノは、協奏曲以上に素晴らしく、最高のパフォーマンスを示している。

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classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフバーンスタイン 

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小澤&ボストン響時代を代表する素晴らしい名演だ。

小澤は、バレエ音楽の全曲版としては、本盤の8年前にもチャイコフスキーの「白鳥の湖」を録音した。

そのレビューにおいて、筆者は、ウィーン国立歌劇場のシェフとなる大指揮者小澤への確かな道程を感じると記したが、本盤は、「白鳥の湖」よりも更に優れた名演。

小澤は、かかる道程を着実に歩んでいることがよくわかる演奏だ。

小澤は、本盤の直後に、ベルリン・フィルとともにプロコフィエフの交響曲全集を録音するなど、プロコフィエフを自家薬籠中の作曲家としており、そうした点から来る自信と風格が、本盤の演奏全体に漲っている。

プロコフィエフの管弦楽曲の特徴として、不協和音を駆使したいわゆる音の濁りというものがあるが、小澤は、それを決してオブラートには包まない。

どの箇所もスコアに記された音符のすべてを鳴らすことに腐心しているようである。

それでいて、重々しくなることはなく、さりとて洗練され過ぎるということもなく、剛柔バランスのとれたシンフォニックな演奏を行っている点を高く評価したい。

小澤の優れた特徴として、卓越した音楽性に去来するリズム感があるが、例えば、第1幕の第15曲のマーキュシオでは、軽快でリズミカルな音楽の中に瀟洒な味わいがあるし、第18曲の客人たちの退場における、古典交響曲から引用された旋律の躍動感が素晴らしい。

また、小澤の舞台人としての演出巧者ぶりも健在で、例えば、第2幕においては、第24〜第27曲及び第30〜第31曲の小気味のいいリズミカルな音楽と、第28曲及び第29曲の情感溢れる美しい音楽との思い切った対比など、テンポ設定の緩急やダイナミックレンジの幅広さを駆使して、実にドラマティックな音楽を構築している。

第3幕における第41曲以降のジュリエットの心象風景の描写は素晴らしいの一言であり、第4幕のロメオの死の切れ味鋭い慟哭の音楽には戦壊を覚えるほどだ。

第52曲のジュリエットの死は、至高・至純の天国的な美しさに満ち満ちている。

ボストン交響楽団も、小澤の統率の下、最高のパフォーマンスを示しており、金管楽器や木管楽器の技量には卓抜としたものがある。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフ小澤 征爾 

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チェコの至宝であったスメタナ四重奏団が解散の直前に録音した極めつきのドヴォルザーク。

スメタナ四重奏団の演奏が日本の音楽ファンに与えた影響は小さくなく、40年以上に及ぶキャリアと伝統は音楽史に残るべきものがあるだろう。

ドヴォルザークの室内楽曲中、最も有名な弦楽四重奏曲である第12番「アメリカ」は、スメタナ四重奏団にとっても、演奏回数が非常に多い作品の1つと言えよう。

録音も当然のことながら多く、本盤も、何と5回目の録音ということになり、スメタナ四重奏団がその芸術の集大成とでも呼べるべき傑出した演奏による当録音は、素晴らしいの一言。

スメタナ四重奏団の「アメリカ」としては、1970年代の旧録音の方がよりベストフォームの名演だと思うが、本盤の演奏も、名演と評価したい。

円熟の極みにあったスメタナ四重奏団は、メンバーが晩年を迎えながら技術的にも音楽的にも完熟の極みといえる深い味わいを湛えた名演をなしている。

何度も演奏を繰り返すことによって、楽曲の隅々に至るまで知り尽くしているとは思うが、いわゆる惰性で演奏している箇所は皆無。

どこをとっても、敬愛する楽曲を演奏するという喜びと躍動感に満ち溢れており、そうした謙虚で真摯な姿勢が、聴き手にゆったりとした気持ちで同曲を味わうことができることに繋がるものと考える。

スメタナ四重奏団は暗譜で全曲演奏することで有名であるが、精緻なアンサンブルの秘訣はそのこととも関連するのであろう、弦楽器であるがブレスのタイミングを揃えているようにも感じ取れた。

4つの楽器が見事に融合する美しい響きは相変わらずであり、何度録音(演奏)してもスメタナ四重奏団の「アメリカ」は、常に名演との評価が揺らぐことはないものと考える。

筆者としては彼らのドヴォルザークの演奏は本当に唯一無二のものだと高く評価したいと考えている。

カップリングの弦楽六重奏曲は、あまり演奏されない楽曲ではあるが、スメタナ四重奏団や、チェコの誇るスークやフッフロの名演奏によって、非常に美しい楽曲であることを認識させられた。

アンサンブルは緊密にして豊麗、楽曲への共感と自信に満ち、全体はすばらしい幸福感に包まれている。

Blu-spec-CD化によって、音質は非常に鮮明になっており、解像度も各楽器の分離も良く、音像が目の前に立ちあがるようで、これらの名演奏の価値をさらに高めることに繋がっている。

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classicalmusic at 00:37コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークスメタナSQ 

2015年01月20日


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フランス系の音楽を十八番とした小澤ならではの素晴らしい名演だ。

東洋人独特の繊細な感性が不思議とフォーレのフランス的抒情の琴線と共鳴しているようであり、このフォーレ管弦楽作品集でも洗練された演奏を聴かせてくれる。

とにかくオケのサウンドが美しく、音楽そのものに素直に語らせたゆえにこれだけの演奏ができたのだろう。

劇音楽「ペレアスとメリザンド」は、小澤の卓越した演出巧者ぶりが際立つ。

繊細な抒情から強靭なトゥッティの迫力に至るまで、表現の幅は桁外れに広く、実に内容豊かな音楽を構築している。

小澤は、有名なシシリエンヌなど、フォーレの作曲した絶美の旋律の数々を徹底的に歌い抜いており、その切ないほどの郷愁、メロディの歌わせ方には胸を打たれる。

かと言って、徒に感傷的に陥ることはなく、フランス風の瀟洒な味わいさえ感じられる高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

これは、本場フランスの指揮者でさえ凌ぐセンス満点の卓越した指揮芸術の賜物と言えるだろう。

ソプラノのハントの歌唱も実に優美であり、本名演に華を添えている点も忘れてはならない。

「夢のあとに」と「エレジー」は、何よりもエスキンによるチェロが美しさの極みであり、小澤も、チェロとともに極上の音楽を紡ぎ出している。

パヴァーヌに至っては、味わい深いオーケストラと壮麗な合唱の絶妙の組み合わせが至高・至純の美を形成しており、あまりの切ない美しさに涙なしでは聴けないほどだ。

組曲「ドリー」は、原曲がピアノ曲であり、フォーレ自身の編曲ではないが、フォーレならではの叙情豊かな魅力は他の諸曲にもいささかの引けも取らない。

テレビ東京の「生きるを伝える」でも有名な子守歌など、親しみやすい旋律が満載の魅力作だ。

小澤は、ここでも、持前の表現力の豊かさと演出巧者ぶりを発揮して、曲想を巧みに描出していくが、随所に聴かれるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいは、筆舌には尽くし難い高みに達している。

ボストン交響楽団やタングルウッド音楽祭合唱団も、小澤の統率の下、最高のパフォーマンスを示している。

SHM−CD化によって、音質は明らかに鮮明になるなど向上しており、この卓越した名演を素晴らしい高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:39コメント(0)トラックバック(0)フォーレ小澤 征爾 

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ハンガリー弦楽四重奏団は、1934年にブダペストにて結成された歴史的な団体。

創始者は、シャードル・ヴェーグであり、当初は第1ヴァイオリンをつとめた。

その後、バルトークの友人であり、ヴァイオリン協奏曲第2番の初演や、弦楽四重奏曲第6番の作曲にも委嘱の形で加わったセーケイ・ゾルターンが第1ヴァイオリンに就任(ヴェーグは第2ヴァイオリンとなった)し、弦楽四重奏曲第5番の初演を行った。

1940年には、ヴェーグの退団(ヴェーグは、自らの名前を冠したヴェーグ弦楽四重奏団を結成)によってメンバーが固まり、以後、米国を拠点に1972年まで活動を行った。

このように、ハンガリー弦楽四重奏団は、バルトークと極めて縁が深いだけに、その演奏もバルトークへの深い愛着と思慕があらわれたものとなっているのは自明の理であると言えるところだ。

バルトークの弦楽四重奏曲全集の様々な団体による名演の中でも極めて名高い存在であるアルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏(1983〜1986年)と比較すると、そして、当該演奏を聴き込んだクラシック音楽ファンからすると、バルトークの弦楽四重奏曲において特徴的な不協和音や、強烈なバルトーク・ピッツィカートなどを徒に強調していない本演奏には、その角の取れた刺激のなさに物足りなさを感じるかもしれない。

しかしながら、奇を衒わない正攻法のアプローチによって、各楽器間のバランスに留意しつつ豊饒な音色を醸成した本演奏は、聴けば聴くほどに心に染み込んでくる演奏と言える。

このようなハンガリー弦楽四重奏団の演奏を一言で言えば、同曲に込められたハンガリーの民謡を高度に昇華させた旋律の数々に徹底して光を当てた演奏と言えるのではないだろうか。

バルトークの心の中を覗き込むような、マジャール人の血のたぎりを感じさせる演奏と言えるところであり、同曲を前衛的な要素を多分に持った現代音楽として位置づけるのではなく、むしろ、19世紀の終わり頃から隆盛期を迎えた国民楽派の系譜に連なる音楽として位置付けているような趣きさえ感じさせる演奏と言っても過言ではあるまい。

これほどまでに、同曲の持つ美しさや民族楽的な要素に徹底して光を当てた演奏は類例を見ないとも言えるところであり、いささか極論に過ぎるかもしれないが、弦楽四重奏曲が数多く作曲されていたハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンなどいわゆる古典派の時代に回帰するような演奏と言えるのかもしれない。

いずれにしても、本演奏は、同曲に込められたハンガリーの民族色を大いに感じさせてくれるとともに、その根源的な美しさ、そして、弦楽四重奏曲の原点を想起させてくれる古典的とも言うべき名演と高く評価したい。

諸説はあると思われるが、筆者としては、同曲を初めて聴く人には、先ずは、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による演奏を聴いた上で、本盤のハンガリー弦楽四重奏団による演奏を聴くと、同曲への理解がより深まるのではないかと考えているところだ。

音質は、1961年のスタジオ録音であるが、リマスタリングがなされたこともあって、十分に満足し得る良好なものと評価したい。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)バルトーク 

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1968年2月1日、招待客を前にして収録され、同年9月22日に全米で放映されたものを収録したもので、ホロヴィッツ芸術のエッセンスを聴けるベスト盤的内容だ。

当時テレビ出演での演奏は珍しく、編集出来ないにもかかわらずそれをやり遂げたホロヴィッツの度胸はたいしたものだ。

それにしても凄い名演揃いだ。

壮年期のホロヴィッツのピアノは本当に人間離れしており、アルバム随所でホロヴィッツの職人技を堪能することができる。

まずは、ショパンの3曲が途轍もない超名演。

バラード第1番の冒頭の和音からして他のピアニストとは次元の異なる力強さが漲っている。

その後は、途轍もない強靭な打鍵と繊細な抒情が交錯、テンポも自在に操るが、どんなにハイスピードになっても、ピアノの1音1音が完璧に鳴り切っているというのは殆ど驚異的であり、特に終結部の猛烈なアッチェレランドは筆舌には尽くしがたいもの凄さだ。

バラードと言うよりは、スケルツォを聴いているような印象も受けるが、聴き終えた後の感動には尋常ならざるものがある。

ノクターン第15番の心のこもった情感の豊かさは、壮年期のホロヴィッツの表現力の幅の広さを大いに感じることが可能だ。

ポロネーズ第5番もバラードと同様の演奏傾向であり、その唖然とするような超絶的なテクニックには、もはや表現する言葉が追い付かない。

スカルラッティ、シューマンはショパンのノクターンに劣らぬ情感豊かな名演であるし、スクリャービンの迫力ある豪演も印象的であるが、特に凄いのは、ホロヴィッツがビゼーのカルメンの主題をアレンジした変奏曲。

ここで聴かれる演奏には、壮年期のホロヴィッツのピア二ズムの全てが凝縮されている。

怒涛の勢いで鍵盤から音が溶解したと思えば、剥離し飛散して、じきに音が合流し一気に濁流となって突進する。

この神技とも言うべき圧倒的なテクニックと桁外れの表現力の豊かさは、まさに世紀のヴィルトゥオーゾ・ピアニストの名に相応しい圧巻の至芸と評価したい。

最後にはホールが割れんばかりの万雷の拍手である。

後追いではあるが歴史の証人となることができる聴いて絶対に損はない作品だ。

1968年という録音年代にしては驚くほど音質も鮮明で、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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classicalmusic at 00:39コメント(0)トラックバック(0)ホロヴィッツ 

2015年01月19日


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シューリヒトの1930年代の代表的録音のひとつ。

放送録音を除くとこれがシューリヒトの初のブルックナー録音であった。

シューリヒトは1964年にハーグ・フィルとも録音したが、オケの演奏能力の低さやコンサート・ホール・レーベル特有の音質の低さが気になってしまう人もいるのではなかろうか。

それに対し当盤は、1938年と録音は一段と古いが、戦前にシューリヒトがしばしば客演したベルリン・フィルとの唯一のブルックナーの交響曲録音であり、それが残されていたことに深く感謝したいかけがえのないディスクである。

シューリヒトのブルックナーはそのどれもが格別の名演だが、戦前のベルリン・フィルのまろやかでブレンドのよいサウンドで綴られたこの第7番は、この指揮者ならではの悠然とした音楽の流れが絶品であるほか、渋く苦みばしった枯淡の表情もが独自の魅力を放っており、辛口の大人の味つけが聴き手を魅了する。

ハーグ・フィル盤とは基本的なスタンスは同じものの、微妙に表情の趣が異なる感じだ。

それはベルリン・フィルに良い意味での緊張感が漲り、普段よりさらなる透明感のある響きと密度の濃いニュアンスが醸し出されているからである。

ブルックナーを得意としていたシューリヒトの存在感と、誠実に音楽に奉仕する彼の棒が生み出した名演と言えようか。

録音はいかんせん古いが、最早そんなことは超越している。

否、このオーケストラであり、この録音だからこそ、シューリヒトとしても一期一会の素晴らしいブルックナーとなったのだと思う。

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classicalmusic at 22:45コメント(0)トラックバック(0)ブルックナーシューリヒト 

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これは75歳のクナッパーツブッシュが北ドイツ放送響に客演した際の貴重な記録である。

2枚目はオール・ワーグナー・コンサートの貴重な記録で、ほかのプログラムは《マイスタージンガー》第1幕と第3幕への前奏曲、ジークフリート牧歌、《トリスタンとイゾルデ》前奏曲と愛の死であった。

クナのワーグナー録音は、プライヴェート盤も含めて数々あるが、この日の演奏はどれもじつにすばらしく、とくにこの《自己犠牲》は、クナの最高傑作のひとつと言い切れるほどの超名演である。

遅いテンポと暗い音色で曲が始まると、誰もがそのただならぬ雰囲気に圧倒されるに違いない。

若き日のルートヴィヒはソプラノの声域まで楽々とこなし、そのドラマティックで美しい声での渾身の感情移入はじつにみごとだが、オケも個々の楽器の存在を感じさせず、ひとつの有機体となってブリュンヒルデと絶妙にからむ。

ブリュンヒルデが薪の山に火をかけるところから、いよいよ猛火の中へ躍りこむまでの緊張感の高まりには凄まじいものがあるが、その後のオケのみの部分は、もはや神業である。

業火が燃え盛り、ライン河が氾濫するそのカタルシスの頂点は、とてもオーケストラの出す音とは思えない。

そして愛の救済の動機がなんと高貴にヴァイオリンで歌われ、さらに神々の城が崩壊していく場面で、ワルハラの動機がなんと雄大に奏されることだろう。

終わりに、ジークフリートの動機が最後の力を振り絞るように奏され、一瞬の間の後にふたたび万感のこもった愛の救済の動機で全曲が閉じられるとき、筆者はいつも目頭が熱くなってしまうのである。

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classicalmusic at 20:56コメント(0)トラックバック(0)クナッパーツブッシュワーグナー 

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ラフマニノフの第2番は、今や最も人気のある交響曲と言えるだろう。

30年ほど前までは、ロシア系の指揮者は別として、プレヴィンなどの一部のラフマニノフを信奉する指揮者のみによる演奏に限られていたことを考えると隔世の感がある。

プレヴィンによる完全全曲版の復刻というのも大きいとは言えるが、マーラーブームの到来などにより、重厚長大な交響曲に対する聴き手のアレルギーが相当程度払拭されたことも、その理由の1つではないかと考える。

もちろん、テレビドラマにおいて、第3楽章の名旋律が使用されたことを理由に掲げることに躊躇するつもりはない。

いずれにしても、演奏に60分程度を要する重厚長大な交響曲ではあるが、ロシアの悠久の大地を思わせるような壮大なスケールや、ロシアへの郷愁が漂うメランコリックな旋律の美しさなど、同曲の持つ魅力が、現在の圧倒的な人気を勝ち取る原動力となっていることに疑問を差し挟む余地はないのではないか。

これだけの人気曲だけに、現在においてはあまたの名演が生み出されているが、それらの性格を分析すると、大きく2つに分類できるのではないかと考える。

それは、ロシア風の民族色を全面に打ち出した演奏と、純音楽的な洗練された美しさを誇る演奏の2つであり、前者は、主としてスヴェトラーノフやゲルギエフ(特に、ロンドン響との2008年盤)などによる名演、後者はデュトワやラトルなどによる名演が掲げられる。

プレヴィンやオーマンディなどの名演は、これらの中間に分類されると言えるのかもしれない。

それでは、本盤のパーヴォ・ヤルヴィの歌心あふれる心打つ演奏はどのように分類すべきであろうか。

筆者としては、デュトワやラトルの名演に繋がる純音楽的な名演と高く評価したい。

パーヴォ・ヤルヴィのアプローチは、例によって、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出していくというものだ。

したがって、ロシア風の民族色をやたら強調したり、聴き手を驚かすような特別な個性的解釈を施すことはいささかもないが、楽曲の魅力を自然体で表現し、聴き手がゆったりとした気持ちでその魅力を味わうことができる点を高く評価したい。

このような名演を可能にしたのは、パーヴォ・ヤルヴィの類稀なる豊かな音楽性と、パーヴォ・ヤルヴィの薫陶により好パフォーマンスを示したシンシナティ交響楽団の卓抜した技量の賜物であると考える。

マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音も、本名演の価値を高めるのに大きく貢献している。

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classicalmusic at 00:57コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフヤルヴィ 

2015年01月18日


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本盤の売りは何よりもXRCDによる極上の高音質録音ということになるのではないだろうか。

本盤に収められた演奏は1965年の録音であるが、約50年近く前の録音とはとても思えないような鮮度のある高音質に生まれ変わっており、あらためてXRCDの潜在能力に驚き入った次第である。

XRCDのポリシーとしては、マスターテープに刻み込まれた原音を忠実に再現するということであり、いかに約50年近く前と言えども、マスターテープには良好な音質が記録されている証左であるとも考えられる。

現在においても、1960年代に録音された演奏を収めたCDが大量に流通しているが、SACD化されたものは別格として、本盤のような水準に達した高音質のCDは非常に少ないと言わざるを得ない。

1960年代は、ワルターやシューリヒト、クナッパーツブッシュが最後の輝きを見せるとともに、クレンペラーなどの往年の大指揮者がなお活躍していた時代である。

これらの大指揮者による名演のうち、SACD化されたのは現時点ではワルターやクレンペラーによる一部の録音に限られており、その他の大半の録音はいまだに音質の抜本的な改善が図られているとは言い難い状況にある。

今後は、マスターテープに刻み込まれた原音を忠実に再現すべく、XRCD化や、あわよくばSACD化を行うことによって、かつての名演の再生につとめていただきたいと考えている。

本盤に収められた演奏は、1965年8月に録音された若き日のプレヴィンによるショスタコーヴィチの「第5」である。

プレヴィンにとって、協奏曲を除き、RCAにおける最初のクラシック音楽のレコーディングの1つとなった。

プレヴィンにとっては、いわばRCAにおける最初の交響曲アルバムとなったもので、1960年代の絶頂期のロンドン響から、若々しく濃密なサウンドを引き出して、「20世紀最大のシンフォニスト」であったショスタコーヴィチのオーケストレーションを緻密に再現した名盤としてLP時代から高く評価されている。

プレヴィンは、クラシック音楽のみならず、多種多様な音楽のジャンルでも活躍する万能型のミュージシャンと言える。

それ故に、プレヴィンのアプローチは、楽曲の聴かせどころのツボを心得た非常にわかりやすいものと言えるだろう。

本演奏においても、プレヴィンはいささかも深刻には陥ることなく、起承転結が明快な演出巧者ぶりを発揮している。

他方、ショスタコーヴィチが同曲に込めた粛清への恐怖や、それと裏腹の強制された歓喜などとは無縁の演奏でもあり、苦悩から歓喜へという単純な図式に基づいて外面的な効果を狙った演奏に陥っているとも言えなくもない。

しかしながら、本演奏の録音当時はショスタコーヴィチがなお存命であり、その評価が定まっていない時期であったことや、プレヴィンが本演奏に示した類稀なる音楽性の豊かさ、そして前述のXRCDによる素晴らしい高音質を加味すれば、名演との評価をするのにいささかの躊躇もしない。

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classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチプレヴィン 

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本盤にはバルビローリ&ハレ管弦楽団が1966〜1970年にかけてスタジオ録音したシベリウスの交響曲全集からの抜粋である第1番及び第5番が収められている。

どこをとっても温かな血を感じることのできるバルビローリの音楽作りは、ともすると無機的になりがちなシベリウスに抜群の相性の良さを示した。

清新の気がたぎる若々しい第1番、英雄的なスケールの壮大さを誇る第5番、いずれもシベリウスに寄せる愛情の深さと解釈の確かさを感じさせる秀演。

第5番については、数年前にテスタメントから発売された1968年のライヴ録音などもあって、それも名演であるが、音質やオーケストラの安定性などを総合的に考慮すれば、筆者としては、当該全集に含まれる演奏こそがバルビローリのシベリウス演奏のベストフォームではないかと考えている。

以前のレビューにおいても記したが、バルビローリのシベリウスの特色を一言で言えば、ヒューマニティ溢れる温かさということになる。

本盤に収められた両曲の演奏においても、どこをとっても人間的な温かさに満ち溢れているが、それでいていささかも感傷的に流されることはなく、常に高踏的な美しさを湛えている点が素晴らしい。

そして、その美しさは、あたかも北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄さを湛えている。

このように、バルビローリのシベリウスは人間的な温もりと清澄な美しさが融合した演奏であり、他の指揮者による演奏とは一味もふた味も異なっているが、これぞシベリウスの理想的な演奏であるという有無を言わせぬ説得力を有している名演奏と言える。

例えば、第5番の終楽章の有名な鐘の主題をこれほどまでに心を込めて美しく響かせた演奏は他にあるだろうか。

少なくとも、この極上の鐘の主題を聴くだけでも本名演の価値は極めて高いと言わざるを得ない。

もっとも、第1楽章の終結部において不自然に音量が弱くなるのだけが本演奏の欠点であり、ここの解釈は本演奏をLPで聴いて以来謎のままであるが、演奏全体の価値を減ずるほどの瑕疵ではないと考える。

第1番については、第1楽章の冒頭においてより鋭角的な表現を求めたい気もしないではないが、終楽章の心を込めたヒューマニティ溢れる旋律の歌い上げなども極上の美しさを誇っており、名演との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

ハレ管弦楽団も部分的には弦楽合奏のアンサンブルなどにおいて若干の問題がないわけではないが、これだけの名演奏を繰り広げたことを考えれば文句は言えまい。

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classicalmusic at 20:51コメント(2)トラックバック(0)シベリウスバルビローリ 

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アルメニア出身のロシア人作曲家であるハチャトゥリアンは民族色溢れる作風で知られており、様々なジャンルの作品を作曲したが、交響曲の分野においても名作を遺している。

3曲ある交響曲の中でどれを随一の傑作と評価するのかについては意見が分かれるところであるが、最も個性的な作品は衆目の一致するところ、本盤に収められた交響曲第3番ということになるのではないだろうか。

3管編成の大オーケストラにオルガンやハープ、パーカッションまでが加わる類例の見ない巨大な編成であり、何よりも15本のトランペットによる壮麗なファンファーレが印象的な大胆な作品だ。

曲想も、かかる迫力満点の大音響の箇所と、中央アジアの大自然を彷彿とさせるような抒情的な箇所が巧みに組み合わされており、内容的にもハチャトゥリアンが作曲した最後の交響曲に相応しい極めて充実したものとなっている。

本演奏は、ストコフスキーがシカゴ交響楽団を指揮したものである。

確かに、演奏内容としては本演奏よりも優れた名演(例えば、コンドラシン&モスクワ・フィルによる名演(1969年)など)が他に存在しているとも言えるが、ストコフスキーの聴かせどころのツボを心得た聴かせ上手な演奏は、同曲の魅力を味わうのに十分であると言えるし、シカゴ交響楽団の卓越した技量も本演奏の大きな魅力であると言えるだろう。

加えて、このような壮麗なサウンドや大音響を特徴とする楽曲だけに、録音が優秀であることが必要不可欠であると考えられるが、その意味でも本盤のようなXRCDは理想的と言える。

本盤は1968年のスタジオ録音であるが、今から40年以上も前の録音とは思えないような鮮明な音質を誇っており、同曲のトゥッティにおいても各楽器が明瞭に分離して聴こえるのはほとんど驚異的ですらある。

いずれにしても、XRCD化が、本演奏を素晴らしい名演とするのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

併録の序曲「ロシアの復活祭」も、ストコフスキーのエンターテイナーとしての才能が発揮された名演であり、R=コルサコフならではの華麗なオーケストレーションをXRCDによる鮮明な高音質録音で味わうことができることも含めて高く評価したい。

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classicalmusic at 00:48コメント(0)トラックバック(0)R=コルサコフ 

2015年01月17日


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凄い演奏だ。

このようなお宝のような音源がこれまで眠っていたこと自体がおよそ信じ難い。

本盤には、モーツァルトの管楽器のための協奏交響曲とR.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の演奏が収められている。

両曲ともに、カラヤンは複数の演奏のレコーディングを遺しているが、筆者としては、本盤の演奏こそは、カラヤンによる両曲演奏の最高峰に掲げられるのではないかと考えるところだ。

モーツァルトの管楽器のための協奏曲の演奏は、流麗なレガートを施した優美さと躍動感が際立っている。

カラヤンは、後年の演奏になるほど、健康状態の悪化も相俟って、躍動感を失ったいささか重いとも感じられる演奏が多くなっていくのであるが、本演奏は60歳を少し過ぎたばかりの心身ともに充実していた時期のもの。

シンフォニックな重厚さの中にも、前述のような躍動感と流れるような美しさを秘めた全盛期のカラヤンならではの稀代の名演奏に仕上がっている。

ローター・コッホ、カール・ライスター、ゲルト・ザイフェルト、ギュンター・ピースクといった、ベルリン・フィルの楽団史上での最高峰に掲げられるべきスタープレーヤーが奏でる名演奏は、卓越したヴィルトゥオジティの発揮は当然のこととして、芸術性も豊かであり、カラヤンやベルリン・フィルともども実に楽しげに演奏している様子が伝わってくるのが素晴らしい。

R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」の演奏は、先ずは、「序奏」の輝かしいブラスセクションの咆哮に圧倒される。

「後の世の人びとについて」に入るとテンポを幾分落として、分厚くも艶やかな音色美を誇る弦楽合奏が伸びやかに曲想を歌い上げていく。

その美しさは、この世のものとは思えないような音の桃源郷の世界だ。

「大いなる憧れについて」や「歓喜と情熱について」におけるブラスセクションやティンパニの鋭い響きは悪魔的とも言うべき凄まじいまでの迫力を誇っている。

「科学について」の低弦の引きずるような響きも凄みがあり、対比する高弦の美しさは天国的とも言えるだろう。

「病から回復に向かう者」のトロンボーンやホルンの咆哮は凄まじく、頂点における迫力は壮絶の極み。

その後はトランペット、木管楽器、弦楽器などの絡み合いは唖然とするほど上手く、アンサンブルなどいささかも綻びを見せないのは殆ど驚異的だ。

「舞踏の歌」のシュヴァルベのヴァイオリン独奏の美しさはこの世のものとは思えないほどであり、木管楽器セクションの合いの手のあまりの上手さは協奏曲のようであり、殆ど反則技とも言いたくなるほどだ。

終結部の壮絶な阿鼻叫喚の世界は、カラヤン、ベルリン・フィルの大熱演。

それでいて、各楽器セクションが団子状態にならず、鮮明に分離して聴こえるなど整理し尽くされているのは、後述のような音質の良さのみならず、お互いの楽器セクションの音を聴きあうというカラヤン&ベルリン・フィルの卓越した演奏の賜物と言っても過言ではあるまい。

「さすらい人の夜の歌」が消え入るように終わった後、少し間をおいてから拍手が徐々に大きくなっていくのは、当日の聴衆の深い感動を伝えるものと言えるだろう。

両演奏を聴き終えて思ったのは、何と言う凄い指揮者、凄いオーケストラが存在したのだろうかということである。

全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルの実演がいかに人間業を超えた凄まじいものであったのかが理解できるところだ。

いずれにしても、本演奏は、カラヤンの演奏をスタジオ録音によるものでしか聴いたことがないというクラシック音楽ファンにこそ、是非とも聴いていただきたい名演の前に超をいくつ付けても足りない圧倒的な超絶的名演と高く評価したいと考える。

音質も各楽器セクションが分離して明瞭に聴こえるなど、1970年のライヴ録音としては極めて優れたものと評価したい。

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classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)カラヤンR・シュトラウス 

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「私の交響曲は墓標である」と言ったというショスタコーヴィチの交響曲であるが、この演奏はその中でも注目すべき1枚と言えよう。

ケーゲルは共産主義の正しさを確信し、それでも共産主義体制が崩壊してゆくことに危機感を募らせ、自ら命を絶ったといわれているが、このショスタコーヴィチの交響曲第5番は、そういう指揮者にしかできない演奏であることは間違いない。

ケーゲルはここで本領を発揮、全楽章を通して悲愴感に満ちているが、そういう意味では、この曲の悲劇性を皮肉にも非常に強く表現している。

まるで深い闇の底を覗き込むような音楽であるが、なかでも聴きどころは澄んだ悲しさの第3楽章に続く最終楽章。

冒頭から聴こえてくるのは、「革命の生の高揚」などではない。「恐怖の絶叫」「感情の爆発」だ。

続いてもその先には「勝利の喜び」などはない。その喜びは一種の絶望と諦観とでもいうべきものである。

したがって、文学的メッセージを鑑賞するには、ケーゲルの解釈は一定の評価をされるべきものであると評価したい。

しかしながら、オケの、ステージ上で何か事故が起こっているのではないかと思わせるほどのミス(拍子のカウントのずれやテンポのずれ)が散見される。

それは、ライヴ録音であるという点を考慮しても許容される範囲をはるかに逸脱していると言わざるを得ない。

これでもし、オケが一流だったら、ムラヴィンスキーに追随するかのような凄演になっていたのだろうと悔やまれる。

なお、終楽章のコーダでティンパニの連打に鐘を重ねているのは聴く者の度肝を抜くケーゲル独自の解釈と言えるが、この解釈は成功していると思う。

やはり曲そのものにそういうものを予感させる何かがあるからであろう。

最後は決して勝利の行進ではなく、強制された断頭台への行進なのである。ケーゲルはそれを明らかにしただけなのだ。

「第9」は、スタイリッシュでセンス抜群な古典風の端正な交響曲ではあるが、一聴してそれと判断してはいけない。

その底には恐怖の予兆とでもいった、闇の底から湧きあがる黒いマグマの様なものが流れているのだ。

聴く者を恐怖のどん底に落とすであろうこの1枚は、「癒し」などという言葉とはほど遠いものがあるが、そもそも「感動」とは人の心や価値観を脅かし、一種の恐怖を伴うものなのだ。

ケーゲルという指揮者を決して侮ってはならない。恐怖は静かな顔でこちらを窺っているのである。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチケーゲル 

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我が国の伝統文化に深い敬意を表して、そうした伝統文化に根ざした傑作の数々を世に送り出した黛敏郎には、頭が下がる思いである。

音楽のレビューと直接の関係がなくて恐縮であるが、現在の政権の、日本の伝統文化や日本人としての誇りを蔑にするかのような嘆かわしい状況に鑑みれば、今こそ黛敏郎の音楽を深く味わうべき時にあるのではないかとさえ考える。

本盤に収められた両曲ともに素晴らしい傑作で、いずれも東洋的な精神世界をオーケストラで壮大に表現した傑作で、黛敏郎の才能の素晴らしさを実感できる。

曼荼羅交響曲は、涅槃交響曲と同様に、仏教の世界観をとり入れた作品であるが、どちらかと言えば、涅槃交響曲よりもわかりやすいと言えるかもしれない。

大乗仏教の金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅をモチーフにした2部構成の作品で、第1部は、打楽器とオーケストラが断片的な音の交換から始まり、段々と東洋的なイメージが膨らんでいき、第2部は、静かな仏教的な境地を思わせる雰囲気から、打楽器や金管が大きく盛り上がる展開である。

ライナーノーツによると、NHK交響楽団初の世界演奏旅行の際に、各地で演奏したとのことであるが、まさに世界に誇る現代曲の傑作と言えるのではないか。

バレエ音楽「舞楽」も、西欧音楽の楽器を活用した日本古来の音楽と言った趣きであり、バレエ音楽と言うよりは、能や歌舞伎の舞を思わせるような、独特の魅力に満ち溢れている。

雅楽の音響をオーケストラで模した2部構成の作品で、笙、しちりきのような音色が交錯しながら段々と盛り上がって、タイトルにふさわしい、東洋的なリズムの現代舞曲になっていて、全体を通して平安王朝の雰囲気に満ちた作品である。

演奏は、これらの両曲の初演者である岩城宏之&NHK交響楽団によるものであり、黛敏郎も生前において認めていた演奏だけに、現時点においても、最も権威ある名演と評価しても過言ではあるまい。

Blu-spec-CD化による高音質化も、本盤の価値を大いに高めている。

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2015年01月16日


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マーラーの交響曲第9番は、マーラーが完成させた最後の交響曲だけに、その内容には途轍もない深みがある。

その本質的なテーマは、諸説はあるとは思うが、忍び寄る死への恐怖と闘い、そして、生への憧憬と妄執であると言えるだろう。

それだけに、他の交響曲では通用するアプローチでも、第9番に限っては、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの演奏では、到底名演になり得ないとも言えるところだ。

ショルティは、ロンドン交響楽団とのスタジオ録音である本演奏(1967年)に続いて、手兵シカゴ交響楽団とともに2度目のスタジオ録音(1982年)を行っている。

1982年の演奏は、スーパー軍団と称されたシカゴ交響楽団の卓越した技量を見事に統率するとともに、楽曲の心眼にも鋭く踏み込んだ懐の深い円熟の名演であるが、これに対して、本演奏については、今一つの踏み込み不足を感じさせる演奏と言える。

今般の一連のルビジウム・クロック・カッティングシリーズの演奏は、第3番を除いて名演の名に相応しい水準を保っているが、本演奏は第3番と同様に、佳演のレベルにとどまるのではないかとも考えている。

ショルティの指揮芸術の特徴でもある切れ味鋭いリズム感やメリハリの明瞭さは、本演奏においても健在であり、同曲の複雑な曲想を明瞭化するにも大きく貢献しているが、スコアに記された音符の背後にあるものへの追求や彫りの深さと言った点においては、いささか不足していると言わざるを得ない。

演奏の持つ力強さや迫力においては不足がないものの、我々聴き手の肺腑を打つに至るような凄味は感じられないところであり、どうしても、本演奏にはある種の限界を感じずにはいられないところだ。

もっとも、1960年代という、いまだマーラー・ブームが訪れていない時期において、マーラーの交響曲の中でも最も演奏が難しいとされる難曲第9番に果敢に挑戦し、少なくとも水準には十分に達し得た演奏を成し遂げたことについては、一定の評価をしておくことが必要であろう。

いずれにしても、本演奏は、1982年の2度目の演奏と比較すると、今一つの出来と言わざるを得ないが、本演奏当時はショルティがいまだ壮年期であったこと、そしてマーラー・ブームが訪れる前の演奏であることなどを総合的に勘案すれば、少々甘い気もするが、佳演と評価するには躊躇するものではない。

ロンドン交響楽団も、ショルティのメリハリのある指揮にしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っていると評価したい。

音質は、1967年のスタジオ録音であるが、英デッカによる超優秀録音であること、そして、今般、ルビジウム・クロック・カッティングがなされたことにより、十分に満足できるものとなっている点についても付記しておきたい。

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classicalmusic at 22:48コメント(0)トラックバック(0)マーラーショルティ 

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1954年4月4日 カーネギーホール、ニューヨークに於けるステレオ/ライヴ録音。

トスカニーニのワーグナーとしては、他にもっと状態のいい演奏はあるが、本盤は次の2点で大いに価値のある名盤ということが出来るだろう。

その第1は、トスカニーニにとって2点しかない稀少なステレオ録音であること、第2は、トスカニーニによる最後のコンサートの記録ということだ。

ステレオ録音という点については、さすがに臨場感が違う。

先般には、この演奏の数年前に演奏されたワーグナーの管弦楽曲集のXRCDが発売されたが、全く問題にならない。

もちろん、本盤においても、録音の古さから微妙な音割れなども散見されるが、衰えは見られるものの随所にこれぞトスカニーニならではの本物のカンタービレを満喫できるのは、まさに本盤がステレオ録音であるが故と言えるであろう。

トスカニーニの最後の録音という点については、確かに、統率力に綻びが見られるのは否めない事実だろう。

山崎浩太郎氏の解説はいつもながら明快かつ詳細で、ある意味で色々な伝説や憶測、噂、伝聞で様々に(好き勝手に)語られているこのコンサートの周辺と実情を的確にリポートされている。

しかしながら、山崎氏による懇切丁寧なライナー・ノーツによれば、「タンホイザー」の序曲とバッカナールの中途で指揮が止まったということであるが、それでもオーケストラによる演奏が滞りなく続けられたのは、巨匠ならではのオーラによるものと言えるのではないだろうか。

「タンホイザー」の中断、そして「ホール全体が恐ろしい沈黙に包まれた…云々」も誤情報だったようだ。

したがって、いくつかの瑕疵は散見されるものの、決してトスカニーニの勇名を陥れるような駄演には決してなっておらず、むしろ、トスカニーニと手兵であるNBC交響楽団の強固な絆を感じさせる演奏として高く評価したい。

なお、リハーサル風景も収められているが、トスカニーニのリハーサルの厳しさを認識させてくれるものとして貴重な記録であると言えよう。

録音は、復刻のノイズの無さと正確な音質に定評がある名人、中山実氏の復刻音である。

モノーラル・イメージが強烈なトスカニーニだが、広がる大音響に驚きで音そのものは、きつさの無い自然な音質である。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)トスカニーニワーグナー 

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ラフマニノフは偉大な作曲家であると同時に偉大なピアニストであった。

それだけに、4曲にも及ぶピアノ協奏曲や、パガニーニの主題による変奏曲、2曲のピアノ三重奏曲、2曲のピアノ・ソナタをはじめとする相当数のピアノ曲を作曲しているところである。

どの曲も、難曲の部類に属するが、それは、ラフマニノフが他の誰よりも大きな手の持ち主であり、どのような曲でも弾きこなすだけのヴィルトゥーゾ・ピアニストであったことにもよるものと思われるところだ。

ラフマニノフの数あるピアノを用いた作品の中でも特に有名なピアノ協奏曲第2番及び第3番について、自作自演が遺されているというのは、クラシック音楽ファンにとっても何という素晴らしいことであろうか。

ピアノ協奏曲第2番については1929年、そしてピアノ協奏曲第3番については1939年のモノラル録音であり、いずれも音質は決して良好なものとは言えないが、ラフマニノフがこれらの2つの有名曲をどのように解釈していたのか、そして、ラフマニノフがヴィルトゥーゾ・ピアニストとしていかに卓越した技量を有していたのかを知る意味においては、極めて貴重な歴史的な記録とも言えるであろう。

先ずは、両曲の演奏ともにやや速いテンポ設定をとっていることに驚かされる。

当時の演奏傾向にもよるとは思うが、それ以上に、ラフマニノフがいかに人間離れした卓越した技量の持ち主であったのかがよくわかるというものだ。

両曲ともに、ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた旋律が満載の楽曲ではあるが、ラフマニノフはやや速めのテンポをとりつつも、それらの旋律の数々を情感豊かに歌い抜いているところである。

アゴーギクなども駆使しているが、決してセンチメンタリズムには陥らず、いささかの古臭さを感じさせないのが素晴らしい。

もっとも、音質が悪い(特に、ピアノ協奏曲第2番)ので、ラフマニノフのピアノタッチが鮮明に再現されているとは言い難いのがいささか残念ではあるが、ラフマニノフの両曲に対する捉え方、そして持ち味の超絶的な技量を堪能することができるという意味においては、歴史的な意義が極めて大きい名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

もっとも、前述のように音質は今一つであるというのが玉に傷と言ったところだ。

今般のBlu-spec-CD2化によって、若干ではあるが音質は改善されたが、それでもトゥッティにおける各楽器セクションの分離の悪さは如何ともしがたいものがある。

もっとも、これまでの従来CD盤よりは聴きやすい音質(とりわけピアノ協奏曲第3番)でもあると言えるところであり、本演奏を聴くのであれば、迷うことなく本Blu-spec-CD2盤を購入されたい。

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classicalmusic at 00:58コメント(0)トラックバック(0)ラフマニノフ 

2015年01月15日


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シューベルトの即興曲集は、名旋律の宝庫である。

透明感溢れる清澄さをいささかも失うことなく、親しみやすい旋律が随所に散りばめられており、数々の傑作を遺したシューベルトの名作群の中でも、上位にランクされる傑作であると考える。

ルプーは、並みいる有名ピアニストの中でも、「千人に1人のリリシスト」とも評される美音家を自認しているだけに、このような即興曲集は、最も得意とする作品であり、ピアノの抒情詩人と言われたルプーの、代表的録音のひとつ。

即興曲は構成が不安定で、展開部が異常に長かったり、また無かったり、曲によっては変奏曲の形式をとるものもあるので、構築感を出すのが難しいと思われるが、ルプーの演奏は全体が1つの曲であるかのような見事な構築力であり、またこれほどまでに弱音をコントロールできるピアニストも珍しい。

正確にコントロールされたきらめくような粒立ちの美音に乗せて丁寧に歌われるシューベルトの調べにただ圧倒される。

弱音の美しさは言うに及ばず、フォルテも力強くしかも美しく響き、しかも決して軽くない。

繊細で濃やかなロマンが、全編を覆い、微細な陰影が、得も言われぬメランコリックな雰囲気とリリシズムを醸し出している。

晩年のシューベルトの曲に聴かれる死の影はここではその姿を潜めて、美しい自然の移り変わりを表現するかのような、さわやかな演奏である。

聴いていてあまりに自然に流れるので、テクニック面などどうでもよくなってくるが、聴き手にそうした思いを抱かせることこそ、最高のテクニックの持ち主であるという証左を示している。

この曲の代表的なCDとしてはリリー・クラウスと内田光子のものがよく知られているが、彼女たちの鮮やかな演奏に比べると、ルプーの演奏は少し系統が違う気がする。

全体に抑えたトーンで派手さでは劣るが、細かいコントラストや全曲を貫く優美さなどでは引けを取らないし、旋律を歌い上げる際の表現も見事。

デリケートさでは内田の方が上だろうが、神経質さが耳につく彼女の演奏と比べるとルプーにはそれが皆無。

我々聴き手が、ゆったりとした気持ちで安心して即興曲集を満喫することができるという意味では、オーソドックスな名演であると高く評価したい。

音質は、従来盤でも、英デッカの録音だけに透明感溢れる十分に満足し得る音質である。

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シューベルトの最後の3つのピアノ・ソナタは、ブルックナーの交響曲第7〜9番やマーラーの交響曲第9番などにも匹敵する至高の巨峰である。

31歳という若さでこの世と別れなければならなかったシューベルトの内面の深い死との葛藤や、生への妄執や憧憬が表れていると思うからだ(ブルックナーの交響曲については、神への崇高な畏敬などやや異なる面もあると思われるが)。

したがって、これら3曲を演奏する際には、演奏者側にも単なる技量ではなく、楽曲への深い洞察力と理解が求められると言えるだろう。

本盤のポリー二の演奏については、技量という意味においてはほとんど問題はない。

この作品をレコーディングするにあたり、ポリーニは、肉筆原稿(おそらく初版)にまで目を通した上で臨んでいる。

シューマンについてもそうだが、できるだけ作曲家の最初のインスピレーションを重要視していることがうかがえるところであり、単なる繰り返しと思いきや、微細な違いにも気を行き渡らせている。

他の作曲家の諸曲においてもそうであるが、研ぎ澄まされた技量や、透明感溢れる明晰なタッチによって、楽曲を一点の曇りもなくダイレクトに表現することにおいては、他のピアニストに比肩する者はいないのではないかと思う。

シューベルトのピアノ・ソナタはどれも演奏時間が長く、演奏の内容次第では途中で飽きてしまう可能性もあるが、ここに聴かれるポリー二の演奏は、弱〜中〜強音すべてが美しく、速いパッセージでも決して乱れることのないテクニックと相俟って、決して聴く者を飽きさせない。

また、決して中弛みしないいつもながらの集中力もさすがと言うべきで、構成の弱さを指摘されるシューベルトのピアノ・ソナタだが、ポリーニは一点の曇りもなく明晰に描き切っている。

しかし、シューベルトの後期3大ピアノ・ソナタの場合はそれだけでは不十分だ。

例えば第21番に目を向けると、第1楽章の低音のトリル。

ポリーニは楽譜に忠実に描いてはいるが、そこには深みとか凄みが全く感じられない。

例えば、内田光子やリヒテルなどの地底から響いてくるような不気味な弾き方と比較すると、浅薄さがあらわになってしまう。

終楽章の死神のワルツも、内田光子の後ろ髪を引かれるような弾き方に比べると、表層を取り繕っただけの底の浅さが明確だ。

本盤は、ポリーニの欠点が露呈しまった凡演であるが、本盤の録音されたのは今から約25年前。

彼がその後どれだけ成長したのか興味は尽きず、再録音を大いに望みたい。

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晩年のクレンペラーならではの豊かな音楽性に裏打ちされたスケール雄大な至高の名演である。

フランクの交響曲は、瞑想的ともいえる響きの中に深い情熱を宿した傑作であるが、クレンペラーは卓越した造形力で、重厚な響きの中にも生命にみちた音楽を表出していて素晴らしい。

クレンペラーは、フランクの交響曲においても、例によって、ゆったりとしたインテンポで楽曲を進めていくが、よく聴くと、インテンポというように単純に割り切れるものではなく、実にニュアンス豊かなコクのある演奏を行っているのがわかる。

トゥッティの箇所においては、テンポを自在に動かして、各管楽器の強弱に微妙な変化を付けさせている。

巨大な音空間が眼前に現れ、あたりは冷たい静寂に支配されている。

遅いテンポと重厚な響き、冷めた視線に孕む狂気、いかにもこれはクレンペラーの音楽である。

前半の2つの楽章が立派なのは言うまでもないが、第3楽章も異様に重厚でスケールが大きく、圧巻。

どっしりした構えには風格があり、ゴツゴツした風合いも苔むし寄生植物に覆われた巨木の太い幹のようで、凄まじいパトスを放っている。

特に、木管楽器の響かせ方は、他の演奏では決して聴くことができない味わい深さがあると言えるところであり、いかにも巨匠クレンペラーの奥の深い芸術性を感じさせる。

低弦の響きも実に分厚いものがあり、フランクの交響曲の、いわゆるドイツ的な要素を全面に打ち出した至高の名演と高く評価したい。

飄々と進められるアポロ的なモントゥー盤のまさに対極にあるデュオニソス的名演とも言えるところであり、その重厚な音の運びによりフランクらしい憧れの感情が熱く伝わってくる超名演である。

巷間では重厚すぎてフランクらしくないといわれ、定評の高くなかった演奏であるが、堂々たる個性と存在感、そして厳然たる美しさを兼ね備えた演奏であることは否定できまい。

本盤は、名演のわりには、長らく輸入盤でしか入手できなかったが、久々に、しかもHQCD化されて登場したのは大変歓迎すべきことであると考える。

音質は、旧来の輸入盤と比較して、若干鮮明になるとともに、音場がより広くなったのも素晴らしい。

しかしながら、先日、ついに、究極の高音質シングルレイヤーのSACD盤が発売された。

これは、HQCD盤を含め、これまでの従来盤の音質とは次元の異なる超高音質だ。

マスター音源まで遡ったこともあるとは思うが、各楽器の鮮明な分離や厚み、そして音場の広がりの雄大さなど、我々が望む最高の音質がここにある。

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