2015年01月

2015年01月14日


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クレンペラーの遺産の中でも特に美しいのがこの録音であり、風格のある実に素晴らしい超名演で、雄渾なスケール感に圧倒される。

トスカニーニ、フルトヴェングラーらとほぼ同世代のクレンペラーの優位は、晩年の芸術をステレオ録音で残してくれたこと。

特にメンデルスゾーンの「スコットランド」とこの「真夏の夜の夢」は彼の十八番であり、格調の高さに透明感のある響きが特徴である。

クレンペラーのメンデルスゾーンは他の作曲家の作品に対する解釈同様、実に個性的で、強靱な芸術性を持った内容に仕上がっている。

彼ならではの構築性に富んだ世界観に基づく演奏は、音楽そのものを根本的に変えてしまうような印象を与えてくれる。

ゆったりとしたインテンポによる演奏で、特に、何かをしているわけではないが、その深沈たる内容の濃さは、他のいかなる名演を凌駕する至高のレベルに達している。

「真夏の夜の夢」には、同じく名演としてプレヴィン盤があるが、プレヴィン盤は、聴かせどころのツボを心得た演出の巧さが光った名演であった。

ところが、クレンペラーには、そのような聴き手へのサービス精神など薬にしたくもない。

堂々たるインテンポで、自らの解釈を披露するのみであるが、その演奏の味の濃さと言ったら、筆舌には尽くしがたいものがある。

テンポも実にゆったりとしたものであるが、それだけに、メンデルスゾーンがスコアに記した音符のすべてが音化され、音楽に内在する魅力が前面に打ち出されてくるのが素晴らしい。

木管楽器の活かし方など、出色のものがあり、クレンペラーの数ある名演の中でも、トップの座を争う出来と言えるのではないか。

森の奥深いところへ誘ってくれる趣があって素晴らしく、これに比べると他のものは手入れの行き届いた公園の散歩みたいなもの。

ちなみに、この「真夏の夜の夢」は、アバド指揮ベルリン・フィル盤も評論家諸氏の評価が高いのだが、こちらの方は、ほぼ全曲にわたって語りが入っているのが特徴だ。

しかし、この語りが問題で、たとえば、オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」のようなシリアスな曲なら、語りが、音楽全体の中で、なくてはならない必要不可欠なものと納得できるのだが、この「真夏の夜の夢」のような曲では、語りが、美しい音楽の流れを切断してしまっており、音楽的には、かえって逆効果になっているのだ。

演奏も、メリハリ豊かで恰幅の良いクレンペラー盤の方が、アバド盤より1枚上だと思う。 

音質は、従来CD盤やHQCD盤では音質の改善はピンとこなかったが、今回のSACD盤は高音も伸び、音の分離もよく指揮者やオーケストラの気配や各奏者の間の空気感まで伝わるような、はっきりわかる音質の改善を感じたところであり、夢のような演奏がさらにリアルで澄んだ夢のようになったと言えるところである。

SACDだとCDに比べ音量を上げなくても演奏の1音1音が耳にスーッと入ってきて、音ががさつな空気のかたまりになることもなく素直に音楽そのものを楽しめるようになった。

いずれにしても、クレンペラーによる至高の超名演をSACDによる超高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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1960年という、カラヤンがウィーン国立歌劇場の監督をしていた、名実ともにヨーロッパの楽壇の帝王であった全盛時代の精力を注ぎ込んだ名演である。

まずは主役級に当時のウィーンで活躍していたギューデンのロザリンデ、クメントのアイゼンシュタイン、ケートのアデーレなど、芝居して良し、歌って良しのウィーンっ子達を揃えているのが見逃せない。

当時のウィーン国立歌劇場の日常のアンサンブルをそのまま起用したせいで、そのまとまりとアンサンブルは、抜群の良さを示している。

それだけでも豪華なのに、カラヤンがただ者でないのは、第2幕の晩餐会のシーンで30分以上にも及ぶ「ガラ・パフォーマンス」を挿入していることである。

ここでは英デッカ専属のスター歌手を動員、テバルディ、二ルソン、デル・モナコ、ビョルリンク、バスティアニーニ、ベルガンサ、プライスなど、オペラの主役級の超豪華歌手陣を揃えている。

例えばニルソンが《マイ・フェア・レディ》の「一晩中踊れたら」、コレナがシャンソンの《ドミノ》、プライスが《サマー・タイム》を歌ったりと隠し芸大会が展開されるのだ。

《2人で習った英語で歌ってみようよ》というバスティアニーニとシミオナートの掛け合いも楽しい。

多彩なゲストたちのガラ・パフォーマンス付きのこのゴージャスな1組は贅沢な一時を楽しませてくれるので、その部分だけをとりだして聴くことも多い。

まさに当時の帝王カラヤンの有無を言わせぬ圧倒的な権威を象徴するものと言えるだろう。

そして、これら超豪華歌手陣を圧倒的な統率力で纏め上げたカラヤンの力量も驚異的の一言であり、「こうもり」という娯楽作を一流の芸術作品にまで引き上げた手腕は、さすがという他はない。

カラヤンの指揮は序曲から切れ味のある速めのテンポで進み、歌劇の臨場感を味わわせてくれる。

ウィーン・フィルも、実に躍動感溢れる演奏を行っており、「こうもり」に必要不可欠の、「会議は踊る」といった表現に相応しいウィーン風の高貴かつ優美な雰囲気の醸成にもいささかの不足はない。

ただカラヤンの旧盤に比べると、表現の柄がいくぶん大きくなっていて、その点が気にならなくもないが、いかにもカラヤンらしい、絢爛豪華な「こうもり」と言えるだろう。

「こうもり」には、クライバーの名演もあるが、歌手陣の豪華さ、そしてカラヤンの圧倒的な統率力、ウィーン・フィルの高貴にして優美な演奏に鑑みれば、カラヤンの2度目の録音となる本盤の演奏を、同曲随一の名演と評価することに躊躇しない。

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「第4」はブルックナーの交響曲の入門曲と目されているだけに、古今東西のブルックナー指揮者のみならず、ブルックナーをあまり指揮しない指揮者によっても多くの録音・演奏がなされている交響曲である。

オーソドックスな名演としてはベーム&ウィーン・フィルが忘れられないし、最近では朝比奈&大阪フィルやヴァント&北ドイツ放送響(あるいはベルリン・フィルやミュンヘン・フィル)の超名演があった。

更には、ムーティ&ベルリン・フィルの意外な指揮者による異色の名演も記憶に新しい。

そのような数々の名演を聴いた上で、やはり原点にというか、故郷に帰ってくるような感慨を覚える演奏がこのヨッフム&ベルリン・フィルによる名演だ。

ドイツ・ブルックナー協会の総裁を務めていたヨッフムの、脂の乗りきっていた時期の録音。

ヨッフムはベルリン・フィルから作品の持つロマン性を導き出すのに見事に成功しており、壮大なスケールで高揚感溢れる重厚な演奏を繰り広げている。

堂々としてまことに自然な音楽のつくりであり、後年の録音より求心力のある、力強い演奏になっている。

決して派手さはなく、いわゆる巧言令色からは程遠い。

しかし、このような質実剛健たる愚直とも言うべきアプローチこそが、ブルックナーの「第4」に最も相応しい解釈と言うことができるだろう。

ヨッフムの演奏は弦楽器の音色が幾分ほの明るく、しかも透明度の高いところに特色がある。

その弦の響かせ方に南ドイツ的な軽妙なニュアンスがあると評する人もいるが、水の流れにたとえると、緑陰からさす木漏れ日を少しく浴びた清流のような感じである。

こうしたヨッフムの演奏の特色はこの「第4」に限らず、どのブルックナーの演奏にも共通するが、縦横にすぐれた大家の技倆だと思う。

忘れてはならないのは、ベルリン・フィルが重厚でパワフルないかにもブルックナーの交響曲に不可欠の好演を行っているという点だ。

ヨッフムは、その後、シュターツカペレ・ドレスデンと再録音を行っているが、統率力にいささか綻びが見られることもあり、オーケストラの技量や録音も含めて、本盤の方を上位に置きたい。

シベリウスの「夜の騎行と日の出」は、ヨッフムとしてはきわめて珍しいレパートリーと言える。

北欧の指揮者の演奏に慣れた耳からすると、いかにもドイツ的な野暮ったさを感じるが、決して凡演というわけではなく、重厚さと繊細さを兼ね備えたなかなかの佳演である。

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2015年01月13日


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モーツァルトが死の年に書いた最後のピアノ協奏曲は、晩年の彼特有の清澄な作品として知られており、その作品の本質を的確に捉えた詩情溢れる演奏として高い評価を得たアルバム。

本盤が録音された1973年は、巨匠ベームがまだまだ数々の名演を成し遂げていた時期である。

当時、ドイツの正統派の巨匠と目されていた全盛期のベームと、これまた当時絶頂期にあった鋼鉄のピアニストであるギレリスの組み合わせ。

一見すると水と油のような関係、しかもベームのモーツァルトのピアノ協奏曲第27番には、バックハウスと組んだ歴史的名盤がある。

このような数々のハンディに鑑みると、本演奏の不利は否めないところであるが、聴き終えてそれは杞憂に終わった。

意外にも、この組み合わせはなかなかに合うのである。

ベームは、いつものように厳しい造型の下、重厚でシンフォニックな演奏を行っている。

派手さはなく、スコアに書かれている音符を真摯にかつ重厚に鳴らしていくという質実剛健たるアプローチだ。

それでいて、モーツァルトに不可欠の高貴な優美さにも不足はなく、全盛期のベームならではの名演と言えるだろう。

ギレリスも、ベートーヴェンの演奏で見せるような峻厳さはなく、モーツァルトの楽曲に相応しい繊細で優美なタッチを見せている。

特に第2楽章は1音1音を慈しむかのように大事に奏されていて、まるで子供が弾いているかのように純真無垢な演奏である。

いや、むしろ小さな子供を慈しむ親の心境と言えるかもしれない。

バックハウスの演奏の影に隠れがちであるが、ギレリスのこの演奏も素晴らしい魅力を持ったものであり忘れてはならない演奏である。

まさに意外な組み合わせによる異色の名演と評価したい。

2台のピアノのための協奏曲も、同様のアプローチによる名演で、特にギレリスの愛娘であるエレーナ・ギレリスのピアノが聴かれるのも貴重だ。

実の親子による演奏のためか、息のピッタリとあったと思える演奏である。

ベートーヴェンの演奏で見せる切れのある、力強い面とは異なるギレリスの一面がこれらの演奏から読み取れるのではないだろうか。

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バーンスタインのウィーン国立歌劇場デビューでの大成功を受けて録音された「ファルスタッフ」で、バーンスタインとウィーン・フィルとの長い関係の出発点と言える名盤。

これはウィーン国立歌劇場が「アメリカの指揮者を呼びたい」と望んでバーンスタインに白羽の矢が立って実現した公演が大成功し、その結果生まれた録音である。

「ファルスタッフ」は、「アイーダ」や「オテロ」と比較するとスケールは小さいが、人生の酸いも甘いも知り尽くしたヴェルディの人生を達観したような遊び心に満ち溢れており、音楽の素晴らしさも含め、ヴェルディ最後のオペラの名に相応しい大傑作ではないかと考えている。

それだけに、これまで数多くの名演が成し遂げられてきた。

例えば、老獪な円熟の至芸を見せるカラヤンの1980年盤や、イタリア・オペラの真髄である豊かな歌謡性が魅力のアバドやジュリーニ盤などがあるが、本盤のバーンスタイン盤は、これらの名演とは異なった魅力がある。

それは、生命力溢れる気迫ということができるのではないか。

バーンスタインの指揮は晩年の演奏からは想像も出来ないほど鋭利であり、それに俊敏に反応するウィーン・フィルもさすがである。

冒頭の強靭な開始や終結部の力強さなどにもよく表れていると思うが、このような圧倒的な気迫は、ウィーン・フィルの力演によるところが大きい。

本盤の録音当時のウィーン・フィルは、カラヤンと一時的な喧嘩別れをして、カラヤンに対抗できるヒーローが欲しくて仕方がない時期であった。

それ故に、バーンスタインに大きな期待を抱いたに違いがなく、待望のヒーローを前にして、ウィーン・フィルが燃えまくっているのがよくわかる。

ここではウィーン・フィルの「やる気」が、それも自発的な「やる気」がビシビシ伝わってきて、活きのいい音楽が流麗にかつダイナミックに展開される。

バーンスタインは、本盤の録音について語る中で、ウィーン・フィルを指揮せずに指揮棒を降ろしていたなどという謙遜をしているが、逆に言えば、ウィーン・フィルにこれだけの演奏をさせたカリスマ性を高く評価すべきであろう。

アンサンブルの面白さが生命だが、バーンスタインの生命力あふれる指揮以下全員生き生きの名演で素晴らしい。

なお、ファルスタッフ役を、いささか不似合いなフィッシャー=ディースカウが演じているが、巧さにおいては群を抜いており、これだけの巧い歌唱を披露されれば文句は言えまい。

他ではリガブエのアリーチェが可憐で秀逸で、生来の発声がなんともチャーミング、この役の魅力を存分に表現している。

録音は英デッカが行ったこともあり、最新録音に劣らぬ素晴らしい出来映えで、ウィーン・フィル独特の艶のある響きを捉えて余すところがない。

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ヴェリズモ・オペラのひとつの指標として、長く我々の記憶に止まるであろう録音。

カラヤンがスカラ座を振ったオペラで、それが良好なステレオ録音の正規盤ということになると、この「道化師」と、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の2点のみしか存在しないように記憶する。

「道化師」が77分あまり、「カヴァレリア・ルスティカーナ」が80分あまりという演奏時間ゆえに以前は外盤の3枚組でしか入手できなかった。

1枚ずつで発売されたことをまずは歓迎したい。

どちらも1965年の録音で、筆者が初めてこのディスクを入手したとき第一に注目したのは「カラヤンがその時期に振ったスカラ座はどんな音を出したか」ということであった。

セラフィンやジュリーニ、サバタのもとでオペラを演奏するときのスカラ座は、いろんな点で指揮者の個性を受けとめつつも、開放的なパトスをその信条としていた。

想像どおりというべきか、ここでのスカラ座の音はそれらとまったく異なり、非常な美音でかつ収斂してゆく「カラヤンの音」になっている。

のちの「ボエーム」や「トゥーランドット」を演奏しているベルリン・フィル、ウィーン・フィルの音と志向するところが同じである。

このディスクでいちばん端的にそれを示す部分を挙げろと言われれば「衣裳をつけろ」のアリアから終幕にかけての間奏曲のところ、ということになる。

レオンカヴァルロの「道化師」は、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」と並ぶヴェリズモ・オペラの傑作であるが、主人公であるカニオはデル・モナコのはまり役であり、1957年に録音されたブラデッリ盤が歴史的な名盤として知られている。

しかしながら、指揮者の芸格やオーケストラの優秀さ、他の歌手陣の素晴らしさなどを考慮すれば、筆者は、本盤の方を上位に置きたいと考えている。

ということは、本盤こそ、「道化師」の随一の名演ということになる。

本演奏の成功は、何よりも、ベルゴンツィの迫真の歌唱によるところが大きい。

確かに、デル・モナコと比較して様々な批判をすることは容易であるが、これだけの熱唱を披露されると、決して文句は言えまい。

第2幕の第2場の、劇中劇と現実の見境がつかなくなる箇所の鬼気迫る歌唱は圧倒的なド迫力であり、カラヤン指揮のミラノ・スカラ座管弦楽団ともども、最高のパフォーマンスを示していると言えよう。

次いで素晴らしいのはトニオ役のタッディ。

道化師の影の主役であるトニオの屈折した性格を、絶妙な歌唱によって巧みに表現していく。

ネッダのカーライルやシルヴィオのパネライなど、脇を固める歌手陣も豪華そのものであり、ミラノ・スカラ座の合唱陣も実に優秀だ。

壮年期のカラヤンの生命力溢れるエネルギッシュな指揮ぶりもさすがと言うべきであり、前述のように、「道化師」の史上最高の超名演として高く評価したい。

シリアスな心理劇として、一味もふた味も深みを増した歌手陣の高度な演技とともに、聴き手の心理操作に長けたカラヤンの魔術に引きずり込まれる。

大指揮者が自分好みの歌手を起用して作り上げた個性的な演奏として、歴史に残る録音と言えるだろう。

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2015年01月12日


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20世紀後半にドイツが生んだ最も美しい声のリリック・テノールとして活躍の絶頂期を迎えながら36歳という若さで事故のため他界したヴンダーリヒが、最も得意としていた作品である本作は、全曲に一貫して流れる叙情を、天性の美声で堪能できる1枚。

「美しき水車小屋の娘」は、「冬の旅」とともに、シューベルトの2大歌曲集であるが、「冬の旅」が、死に際しても安住できないという救われぬ苦悩や絶望を描いた深みのある作品であるのに対して、「美しき水車小屋の娘」は、青年の恋と挫折を描いたみずみずしいロマン溢れる作品であり、「冬の旅」と比較すると相当に親しみやすい作品と言えるだろう。

このように、青年を主人公とした楽曲や、親しみやすさと言った作品の性格を考慮すれば、音声についてはテノールで歌うのが最も適しているのではないかと考える。

「美しき水車小屋の娘」には、本盤の数年後の1971年に録音されたフィッシャー=ディースカウ&ムーアによる定評ある名盤もあるが、バリトンということがネックであるのとともに、フィッシャー=ディースカウのあまりの巧さ故の技巧臭が、いささかこの曲のみずみずしさを失ってしまっているのではないだろうか。

その意味では、本盤の録音後、36歳という若さでこの世を去った不世出のテノール歌手、ヴンダーリヒによる演奏こそ、歴史的な名演と評価するのに相応しいものと言えるだろう。

筆者としてはこの曲集をフリッツ・ヴンダーリヒのための曲だったと考えているが、それほどに曲と声との相性のよさを感じている。

テノールと言えば、イタリア・オペラで主役を張るような歌手の、輝かしく華やかな声を思い浮かべる人も多いかもしれない。

しかしドイツ生まれのヴンダーリヒの声はそうしたものとは違い、美しく伸びやかではありながら繊細でどこか危ういニュアンスを含んだリリカルなテノールであった。

この歌曲集の主人公はさすらいに出た若者が恋に落ち、恋破れて自殺する物語を語り過ぎないで、でも美声だけでなく物語りの流れも感じさせ見事に聴かせている。

そうした物悲しくも線の細い青年の姿が、ヴンダーリヒの歌唱を聴くと素直に脳裏に浮かんでくる。

どのナンバーをとっても決してムラがなく、みずみずしい抒情に満ち溢れており、この曲の魅力を存分に味わうことができるのが素晴らしい。

「美しき水車屋の娘」は多くの歌手が録音しているが、歌の美しさは未だにこの録音が最高で、こんな素晴らしいテノールは、残念なことにその後現れていない。

ピアノのギーゼンも、ヴンダーリヒの歌唱を見事に支えている。

併録の3つの歌曲も名演であり、こうした名演を聴くと、ヴンダーリヒの早すぎる死が大変残念でならない。

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ショルティのモーツァルト・オペラ初録音であるが、ショルティの芸術性の高さを証明する、彫りの深い優しい「魔笛」で、当オペラ録音を語る上で外せない名盤。

ショルティとウィーン・フィルの関係は決して芳しいものではなかったと言われている。

ウィーン・フィルは、ショルティのように、オーケストラに自由を与えず、自己流のやり方を押し通そうとする指揮者には好意を抱かなかったし、ショルティも晩年はともかく、本盤が録音された1960年代は無機的とも評されるような鋭角的な指揮をしていた頃で、必ずしも自分の思い通りにならないウィーン・フィルに辟易している様子が、ショルティの伝記などからも窺えるからである。

しかしながら、ここでは両者ともに大人の対応で、共感を抱かない関係であっても、なかなかの佳演を成し遂げている。

ショルティの鋭角的な指揮は、決してモーツァルトとの相性がいいとは言えないが、ウィーン・フィルの優美な音色が、その演奏を角の取れたものとし、無機的になる寸前でとどまっているものと考えられる。

ショルティの統率力が、時として息の詰まりそうなほど集中力の強い演奏をつくり出している。

歌手陣も、なかなか豪華な布陣で、クレンペラー以来の脇役に至るまで超・夢のキャストでアンサンブルもぴったり、とりわけ重唱の美しさが印象に残る。

弁者にフィッシャー=ディースカウ、武士にルネ・コロなどいかにも重厚な布陣と言えるが、ザラストロのタルヴィラ、タミーノのバロウズ、パパゲーノのプライ、そしてパミーナのローレンガーの主役4者の歌唱は見事であると評価したい。

そして、やや癖はあるものの圧倒的なテクニックを披露する夜の女王のドイテコムの素晴らしい美声と正確なコロラトゥーラは現在においても少しも色褪せない。

夜の女王を演じた魅力的なソプラノ歌手はたくさんいるが、彼女のコロラトゥーラは群を抜いて凄く、「魔笛」録音史上最高の夜の女王として深く記憶に刻まれるものと言えよう。

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これは言わずと知れた有名な名盤で、昔からトスカニーニの代表作と言われていた歴史的な名演であるが、これまで発売されたCDは、録音年代が古いモノラル録音というハンディもあるが、K2カッティング盤も含め、決して満足できる音質とは言えなかった。

それ故に、本盤登場以前は、ムーティ盤や、最新のパッパーノ盤などにどうしても食指が動いていたが、XRCD盤が発売されるに及んで、他の演奏は、殆ど太陽の前の星のように、その存在が霞んでしまった。

それほどまでに、今般のXRCD盤は、実在感溢れる衝撃的な音質であり、あらためて、この歴史的名演の凄さを再認識することに繋がったと言える。

原テープのクオリティの素晴らしさもさることながら、XRCD化により、トスカニーニ率いるNBC交響楽団が誇っていた、目も覚めるような色彩感と傑出したヴィルトゥオジティが空前の華やかさと繊細さをもって見事に蘇っている。

イタリアの血が燃焼し尽くしたかのような迫力に満ちたストレートな表現は、トスカニーニを象徴する独特のものだ。

『ローマの松』の「ボルゲーゼ荘の松」からして、そのメリハリの利いた凄まじい迫力に圧倒されてしまう。

「カタコンブ附近の松」の地下から響いてくるような重厚さも見事であるし、「ジャ二コロの松」の弦楽器の何という艶やかさ。

「アッピア街道の松」はまさに精鋭を率いるトスカニーニ将軍といった趣きの貫録を見せる。

『ローマの噴水』は、特に、「朝のトリトンの噴水」と「真昼のトレヴィの噴水」の光彩陸離たるブリリアントな音の響きに、殆ど幻惑されてしまうようなまばゆいばかりの魅力がある。

そして、圧巻は『ローマの祭り』で、スコアのあらゆる音が完璧に響ききった生命感は、他の追随を許さない。

冒頭から終結部まで、誰にも止めることができない勢いと張り詰めるような緊張、オーケストラの驚異的なアンサンブル、そして切れば血が吹き出てくるような圧倒的な生命力が全体を支配しており、それでいて、「10月祭」の官能的とも言うべきカンタービレの歌い方も実に感動的だ。

特に、「主顕祭」のもはや人間業とは思えないようなド迫力には、評価する言葉すら思いつかないくらい、完全にノックアウトされてしまった。

レスピーギとトスカニーニに親交があり、お互いに共感し得る物があった事、NBC交響楽団がアクロバットに近い演奏を成功させた事、モノラルとはいえ当時のエンジニアが機械の性能を限界まで追求した事により成し得た偉業である。

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2015年01月11日


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ショスタコーヴィチの交響曲第5番は、ムラヴィンスキーにより初演された(1937年)。

彼はその翌年にレニングラード・フィル(現サンクト・ペテルブルク・フィル)の首席指揮者に就任するが、以来ショスタコーヴィチのほとんどの作品は彼の手によって世に送り出されている。

ムラヴィンスキーは、生涯をかけて何百回となくこのロシアの大地の匂いを感じさせる交響曲をとりあげてきた。

それに併せて、数多くの録音が遺され、いずれ劣らぬ名演であるが、演奏や録音の両方を兼ね備えた名演としては、本盤と来日公演での演奏ということになるのではないかと考える。

ムラヴィンスキーの自信と余裕が感じられ、特に全体に漲る迫力と緊張感は彼ならではのもの。

しかも彼の独裁的なオーケストラ統治のおかげで、その解釈表現は頑強に保たれることになった。

一言で言えば、襟を正したくなるような厳しい演奏で、一切の無駄を省き、一分の隙もない引き締まった彫琢をみせる。

この演奏もまさに完璧の一言で、ムラヴィンスキーらしい聴いていて恐ろしくなるほどの異様な緊張感と迫力で一気に聴かせる。

これを聴いていると、あの冷戦時代の緊張感、そしてショスタコーヴィチの苦悩が再現されるような思いにかられる。

ムラヴィンスキーの演奏を聴いていると、ショスタコーヴィチの演奏の王道は、今では偽書ととされているものの、『ショスタコーヴィチの証言』が何と言おうが、初演者であるムラヴィンスキー以外の演奏ではあり得ないと痛感させられる。

世評では、バーンスタインの演奏の評価が高いが、あのような外面的な効果を狙っただけの演奏では、ショスタコーヴィチの交響曲の本質を表現することはできないと考える。

ソヴィエト連邦、しかも独裁者スターリンの時代という、現代で言えば北朝鮮に酷似した恐怖の時代。

この恐怖の時代をともに生きた者でないとわからない何かが、この交響曲には内包されているはずで、ムラヴィンスキーの名演も、外面的な効果ではバーンスタインの演奏などには一歩譲るが、神々しいまでの深遠さにおいては、他の演奏が束になってもかなわない至高・至純の次元に達している。

ムラヴィンスキーの統率の下、レニングラード・フィルの鉄壁なアンサンブルも凄い。

ホルンのブヤノフスキーやフルートのアレクサンドラ夫人の巧さも際立っており、第2楽章のコントラバスの重量感溢れる合奏も凄まじい迫力である。

いずれにせよ円熟期にあったムラヴィンスキーの至芸が心ゆくまで味わえる素晴らしい名演奏には違いない。

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カラヤンはシベリウスを得意とし、若いころからシベリウスの作品の演奏に積極的で、DGやEMIなどにかなりの点数の録音を遺している。

そのような中で、最高峰の名演は、やはり本盤に収められた録音ということになると考える。

カラヤンの指揮者としての全勢時代は1960年初頭から1970年代の後半くらいまでであるが、本盤が録音されたのはまさにその全盛時代。

当時、蜜月の関係にあったベルリン・フィルも最高の時代であり、両者による演奏が悪かろうはずがない。

ここでは、シベリウス演奏の第一人者ともいうべきカラヤンとベルリン・フィルの1960年代の勢いのある、ゴージャスなシベリウス演奏で、ベルリン・フィルの磨き上げられた、素晴らしく美麗なサウンドによる非常に緊張感のある名演奏を聴くことができる。

とにかくベルリン・フィルの合奏力とカラヤン絶頂期の統率力により、シベリウスの交響曲の中でも完璧な演奏だ。

さらに管楽器奏者が、まさに北欧の響きを醸し出し、弦楽器も一糸乱れぬ繊細なアンサンブルで、清冽な演奏を繰り広げており、これほど完成度が高く、感動的な演奏は稀有のものと言えよう。

録音は、イエス・キリスト教会であり、ここの美しい残響もシベリウスの録音には最高のロケーションと言えるだろう。

交響曲第4番〜第7番のいずれも非の打ちどころのない名演であるが、いずれもベルリン・フィルの重量感溢れる低弦の響きや高弦による繊細な美しさはシベリウスの交響曲を聴く醍醐味というべきであり、金管や木管も最高のパフォーマンスを示している。

一部評論家からは、大言壮語だとか、シベリウスの本質を逸脱しているとの批判があるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではない。

20世紀を代表する国際的なシンフォニストであり、シベリウスの演奏はこうでないといけないというような様式などどこにも存在するはずがない。

したがって、カラヤンの演奏が、シベリウスの本質を逸脱しているなどと、何を根拠にして言っておられるのであろうか。

現に、作曲者であるシベリウスもカラヤンの演奏を高く評価していたと言うではないか。

シベリウスの交響曲は一般的に北欧系や英国系の演奏が評価されているが、むろんそれらの演奏も素晴らしいに違いない。

しかしながら、このカラヤンの演奏は、それらとは趣を異にしながら、シベリウスの本質をしっかりと捉えている。

表面的な美しさと、音楽の内面にある魂が極めて高い次元で結びついていると言える。

所謂北欧色は薄いので北欧系の指揮者とは趣は異なるが、素晴らしいことには変わりはなく、神秘的な響きとスケール感溢れる名演がたっぷりと堪能できる録音として、筆者としては、あらゆるシベリウスの交響曲演奏の中でもトップの座を争う至高の名演と評価したい。

併録の管弦楽曲2曲もカラヤンが何度も録音した楽曲であるが、本盤の演奏が随一の名演。

特に、「タピオラ」の演奏の透徹した美しさはこの世のものとは思えない高みに達しており、おそらくは同曲の演奏史上最高の超名演と評価したい。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)シベリウスカラヤン 

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ブレンデル絡みの室内楽曲2曲をカップリングしたディスクであるが、特にシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」は、録音当時新鋭のクリーヴランド四重奏団員とブレンデルの息が合った見事な名演である。

けれん味のない颯爽とした演奏が心地良く、シューベルトの清々しいロマンティシズムを余すことなく表出した演奏として高い評価を得たもので、「ます」の様々な演奏の中でも、トップの座を争う名演と高く評価したい。

成功の要因は、ブレンデルのピアノということになるであろう。

既に引退を表明したブレンデルは、シューベルトのピアノ曲を好んで採り上げたピアニストであったが、必ずしも常に名演を成し遂げてきたわけではない。

例えば、最後のピアノソナタ第21番など、他のライバル、例えば、内田光子やリヒテルなどの綺羅星のように輝く深みのある名演などに比べると、踏み込みの甘さが目立つ。

いつものように、いろいろと深く考えて演奏をしてはいるのであろうが、その深い思索が空回りしてしまっている。

やはり、シューベルトの天才性は理屈では推し量れないものがあるということなのではないだろうか。

しかし、本盤のブレンデルについては、そのような欠点をいささかも感じさせない。

それは、ブレンデルが、クリーヴランド四重奏団員の手前もあると思うが、いたずらにいろいろと考えすぎたりせず、楽しんで演奏しているからにほかならない。

シューベルトの室内楽曲の中でも、随一の明るさを持つ同曲だけに、このような楽天的なアプローチは大正解と言えるところであり、それ故に、本演奏が名演となるに至ったのだと思われる。

ウィーン人はシューベルトに対して独特の感覚(自分たちの音楽)を持つと言われているが、まさにこの演奏のブレンデルがそのことを証明しているようだ。

クリーヴランド四重奏団員も、ブレンデルのピアノと同様に、この極上のアンサンブルを心から楽しんでいる様子が窺えるのが素晴らしく、弦の響きが締まっていて、渋めだが、密度が高くて清潔感のある演奏だ。

ブレンデルのピアノと弦楽器が見事に調和した馥郁とした演奏に心を奪われる。

スケールが大きく、ダイナミズムと叙情のバランスがポイントで、息の長いブレンデルの歌い込みをクリーヴランドのメンバーがフレッシュな表情で支えている。

ノリに乗って、美しい音で爽快に進んでいき、聴き終えた後の感じも、まさに爽快そのものである。

一方モーツァルトは、ふんわりと包み込むように暖かい管楽器の響きが印象的で、特にゆったりとした第2楽章が美しい。

20世紀後半に活躍した名ピアニストの1人ブレンデルの風雪に耐えた名演として、また名曲「ます」のオーソドックスだがモダンで生き生きとした代表的名演として、お薦めする1枚である。

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classicalmusic at 00:49コメント(3)トラックバック(0)ブレンデルシューベルト 

2015年01月10日


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室内楽録音の金字塔とも言われるスメタナ四重奏団のベートーヴェン全集から、中期傑作の森の2曲という白眉の1枚。

スメタナ四重奏団によって、1970年代から1980年代初めにかけて完成されたベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集は、恐るべき凝縮力による緊密なアンサンブルによるベートーヴェン演奏の不滅の金字塔として名演の誉れが高い。

その中で、後期の弦楽四重奏曲(第11〜16番)は、名演ではあるものの、スメタナ四重奏団が必ずしもベストというわけではない。

かつてのカペー四重奏団から始まって、最近ではアルバン・ベルク四重奏団など、海千山千の四重奏団が個性的な名演を繰り広げており、より音楽的に内容の深いこれら後期の作品では、どうしても、そうした個性的な演奏の方に軍配が上がるからである。

それに対して、初期や、本盤に収められた第9番や第10番を含む中期の弦楽四重奏曲では、スメタナ四重奏団のような自然体の純音楽的アプローチは、抜群の威力を発揮する。

本盤の第9番や第10番も、おそらくはこれら両曲のトップの座を争う名演と高く評価したい。

一昔前は最高の弦楽四重奏団と言われた彼らの特徴は、暗譜による演奏の自由さにあった。

アンサンブルの緊密さから生まれる迫力は、その後の団体のさめた完璧な技術による響きとはかなり異なるが、いまでは聴くことができなくなった価値を思い知らされる。

4人が完全に一体となって、命を削るかのような集中力をもって音楽に奉仕しているのが、誰にでもはっきりと感得出来る。

スメタナ四重奏団の息のあった絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさのない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献している。

もちろん、自然体といっても、第9番の第1楽章や終楽章などのように重量感溢れる力強さにもいささかの不足はない。

相変らず、キリリとしまった隙のない演奏ぶりであるが、そうした生真面目さの中で、第10番の両端楽章の軽やかさが印象的だ。

特に第1楽章の静かに始まる短調の調べから、長調の美しいピチカートへと移る部分は、このCDの聴きどころのひとつであり、憂いに溢れる第2主題で再び短調に戻る展開も、素晴らしい。

Blu-spec-CD化による高音質も極上であり、本名演の価値を大きく高めるのに貢献している。

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classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンスメタナSQ 

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この録音は、若きアバドが「チェネレントラ」に続いてロッシーニの代表作に挑戦したこと、プライのフィガロ、それにロッシーニの想定どおりメゾ・ソプラノのベルガンサが歌っていることが評判になって、このオペラの定盤的存在として知られている。

アバドは評価の難しい指揮者である。

それは、ベルリン・フィルの芸術監督就任後の停滞によるところが大きい。

偉大な指揮者の後任は誰でも苦労が多いが、カラヤンとは異なり、自分の個性や考え方を、退任に至るまでベルリン・フィルに徹底することが出来なかったことが大きい。

アバドは、分不相応の地位での心労が祟ったせいか、退任の少し前に大病を患ったが、大病の克服後は、彫りの深い凄みのある表現を垣間見せるようになったのだから、実に皮肉なものだ。

しかしながら、筆者は、アバドが最も輝いていたのは、ベルリン・フィルの芸術監督就任前のロンドン交響楽団時代ではないかと考えている。

特に、この時期に手掛けたイタリア・オぺラには、若さ故の生命力と、アバド得意のイタリア風の歌心溢れた名演が非常に多い。

そのような中にあって、この「セビリャの理髪師」は燦然と輝くアバドの傑作の1つとして評価してもいいのではないかと思われる。

ロッシーニのオペラは、後年のヴェルディやプッチーニのオペラなどに比べると、録音の点数も著しく少なく、同時代に生きたベートーヴェンが警戒をするほどの才能があった作曲家にしては、不当に評価が低いと言わざるを得ない。

そのようなロッシーニのオペラの魅力を、卓越した名演で世に知らしめることに成功したアバドの功績は大いに讃えざるを得ないだろう。

アバドはゼッダによる校訂版を用い、歯切れの良いリズムで全体を引き締まらせ、人間の肌のぬくもりを感じさせながら、そのオペラ・ブッファの本質を見事に再現している。

独唱陣も、ベルガンサ、プライなど一流の歌手陣を揃えており、ドイツっぽいと言われるものの、愛嬌のあるプライのフィガロは、今聴いても魅力的。

ベルガンサは、ロジーナそのもののようであるし、伯爵を演じるアルヴァの上手さは、芸術的レベルに達している。

パターネ盤も評価が高いが、ロッシーニらしいテンポ感と速度を堪能したい時はまさにこの盤が最高であり、同曲随一の名演の地位は、今後とも揺るぎそうにない。

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classicalmusic at 20:59コメント(0)トラックバック(0)アバドロッシーニ 

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以前メロディアから出ていた1959年のセッション録音(モノラル録音)である。

この名録音が久しぶりに容易に入手できるようになったことを歓迎したい。

この曲を戦争映画のサントラか無内容な音の大スペクタクルのように感じる人がいたならば、ケーゲルやコンヴィチュニー、同じくムラヴィンスキーのレニングラード初演などとともに、この録音をお薦めしたい。

録音の古さを超えて、この曲が単にレーニン賞受賞の体制御用達の曲でなく、絞り出すようなプロテスト、万感のメッセージが込められているのではと考えさせてくれる。

ショスタコーヴィチの交響曲の約半数、7曲を初演したムラヴィンスキーは、作曲家晩年の回想では理解していないと非難されたが、作品の普及に大きく貢献したことは事実である。

演奏について「曲の本質ではない演奏」という評がちらほら見られるが、ショスタコーヴィチとレニングラード・フィルは紛れもなく初演者であり、「そうじゃない!」と言わせたなどの数々のエピソードからショスタコーヴィチ本人の楽曲に込めた意思はムラヴィンスキー本人に伝わっていると断言できる。

全体的な構成感やその歌い回しでは今録音されている全ての「1905年」を通して変わらない一つの頑固なる意志が見て取れる。

それを以て「曲の本質を掴めていない」というのは何事か!? 作曲者の意思が現れる演奏こそ最も本質的な演奏なのである。

別な解釈からのアプローチを行った演奏は否定しないし、もし筆者が自身の作品の奇異な解釈に出会ったとして、それが面白いものならば面白いと思うだろう(事実、奇異な演奏というのは様々な淘汰の中で生き残ってきた演奏のみを今耳にすることが出来るのである)。

しかしそれによって刷り込まれたイメージのみを以て作曲者のアドバイスをも受けたこの初演者の演奏を「曲の本質ではない」と評するのは作曲家ショスタコーヴィチにも失礼である。

もし本当にそれでも本質的でない演奏と思うのであれば、それはショスタコーヴィチのアドバイスを受けていない第三者が誇張した演奏を最も本質的だ!と評しているということで、本当はそれこそ本質的ではないということを自覚するべきである。

この演奏も、絶壁に立たされたような恐ろしいまでの緊張感を感じさせる演奏だ。

でも、本当のところは、歴史を共有することができない私たちにはわからないのかもしれない。

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2015年01月09日


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これは1980年のショパン・コンクールで前代未聞の大胆な解釈で物議を醸し、衝撃的なデビューを飾ったイーヴォ・ポゴレリチの途轍もない超名演だ。

ショパンの前奏曲には、本盤の前には、オーソドックスなルービンシュタインの名演や、フランス風のエスプリを織り交ぜた個性的なフランソワなど、名演が目白押しであり、そうした並みいる名演の中で、存在感を示すのは、並大抵の演奏では困難であった。

ところが、このポゴレリチ盤は、海千山千の難敵を見事に打ち破ってくれた。

ポゴレリチのショパンは、見事にショパンの情念をピアノ音楽として徹底的に生み出すことに成功している。

それは、彼の激しいエモーションが原動力となって可能となっているのである。

それにしても、何という個性的で独特な解釈なのだろう。

唖然とするようなテクニックにも圧倒されるが、一部の人が高く評価するポリーニのように、機械じかけとも評すべき無機的な演奏には決して陥っていない。

深い瞑想から何かを得て紡がれたような音楽が奏でられていて、どの曲をとっても、切れば血が吹き出てくるような力強い生命力に満ち溢れている。

24の前奏曲は、サロン的な優雅で心地よいショパンとは根本的に違うのだと改めて感じさせられる。

また、各楽曲の弾き分けは極端とも言えるぐらいの緩急自在の表現を示しており、例えば、「雨だれ」として有名な第15番と、強靭な打鍵で疾走する第16番の強烈な対比。

それが終わると、今度は第17番で、再び深沈たる味わい深さを表現するといったようなところだ。

ポゴレリチの凄さは、これだけ自由奔放とも言える解釈を示しながら、決してあざとさを感じさせないということだろう。

それは、ポゴレリチが、ショパンの前奏曲の本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。

鮮烈な解釈といい、肺腑を抉るような痛切な抒情といい、このピアニストは尋常ではない。

楽譜を片手に細かいところに目を通せば、異端と言われるようなところもあるかもしれないが、異端児というよりは、真摯に作曲家とその作品に向き合った1人の芸術家なのではないだろうか。

天才の色褪せぬ名盤であり、今後、このポゴレリチ盤を超える名演は果たして現れるのだろうか。

彼の後に続くピアニストにとっても、本盤は相当な難問を提示したと言えるだろう。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)ショパンポゴレリチ 

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フルトヴェングラーのブルックナーの「第8」の1954年盤については、クナッパーツブッシュの演奏ではないかとの説が存在しているが、本盤の名演を聴いて、そんな疑念はすっかりと吹き飛んでしまった。

第1楽章のゆったりとした深沈たるインテンポの表現を聴いていると、確かに、そのような説を唱える者にも一理あると思ったが、第2楽章のスケルツォの猛スピードの演奏と、中間部のゆったりとしたテンポの極端な対比や、第3楽章のうねるような熱いアダージョの至高美、そして終楽章のものものしい開始や、ドラマティックな展開など、フルトヴェングラーならではのテンペラメントな世界が全開だ。

仰ぎ見ると…その途轍もなく巨大な威容に圧倒され、覗き込むと…底知れぬ暗澹たる深みに震えが来る。

それほど演奏の「深度」は形容しがたいほど深く、1音1音が明確な意味付けをもっているように迫ってくる。

テンポの「振幅」は、フルトヴェングラー以外の指揮者には成し得ないと思わせるほど大胆に可変的であり、強奏で最速なパートと最弱奏でこれ以上の遅さはありえないと感じるパートのコントラストは実に大きい。

しかしそれが、恣意的、技巧的になされているとは全く思えないのは、演奏者の音楽への没入度が凄いからである。

これほど深遠な精神性を感じさせる演奏は稀有中の稀有であると言えるところであり、根底に作曲家すら音楽の作り手ではなく仲介者ではないかと錯覚させる、より大きな、説明不能な音楽のエートスを表現しようとしているからであろうか。

「フルトヴェングラー体験」をしたいリスナーには、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス等の伝説の名演とともに欠くべからざる一角を占める演奏である。

改訂版の使用であり、終楽章には大幅なカットや、ブルックナーらしからぬ厚手のオーケストレーションが散見されるが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

あと10年生きていてくれたら、フルトヴェングラーはさらなる崇高な高みの境地に至っていたのではないかを思わせる。

グランドスラムによる復刻は、この当時のものとは言えないくらい鮮明なものであり、特に低弦による重量感溢れる迫力には大変驚かされた。

ボーナストラックのワーグナーやマーラーも定評ある名演。

特に、マーラーのさすらう若人の歌は、各楽章ごとの巧みな描き分けが見事であり、殆どマーラーを指揮していないにもかかわらず、これほどの超名演を成し遂げたフルトヴェングラーの偉大さにあらためて感じ入った。

若きフィッシャー=ディースカウも、その後の洋々たる将来を予見させるのに十分な見事な歌唱を披露している。

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classicalmusic at 20:58コメント(0)トラックバック(0)フルトヴェングラーブルックナー 

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ワルターは1911年に「大地の歌」を初演したが、マーラーの弟子・後継指揮者として、この曲を35才のワルターが世に問うたことは、彼自身が述懐しているように実に大きな飛躍のステップであった。

そんなワルターが遺した「大地の歌」の録音と言えば、ウィーン・フィルを指揮した1936年盤と1952年盤の評価が著しく高いため、本盤の評価が極めて低いものにとどまっている。

特に、1952年盤が、モノラル録音でありながら、英デッカの高音質録音であることもあり、ワルターによる唯一のステレオ録音による「大地の歌」という看板でさえ、あまり通用していないように思われる。

ミラーとヘフリガーの名唱を得て、マーラー解釈の神髄を披露し、演奏の質は非常に高いだけに、それは大変残念なことのように思われる。

確かに、1952年盤と比較すると、1952年盤がオーケストラの上質さやワルターが最円熟期の録音ということもあり、どうしても本盤の方の分が悪いのは否めない事実であると思うが、本盤には、1952年盤には見られない別次元の魅力があると考えている。

1960年の録音であり、それは死の2年前であるが、全体に、人生の辛酸を舐め尽くした老巨匠だけが表現することが可能な人生の哀感、ペーソスといったものを随所に感じさせる。

特に、「告別」には、そうした切々とした情感に満ち溢れており、ここには、ワルターが人生の最後になって漸く到達した至高・至純の境地が清澄に刻印されていると思われるのである。

ワルターの説得力に富むアプローチに加え、ヘフリガーの独唱も他に代えがたい深い詠嘆を湛えており、心に染み入るものがある。

第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」の出だしから、ワルターと完全に融合し、マーラーの心境にひしと寄り添っているような一体感を醸しており、至芸と言えよう。

ニューヨーク・フィルも、ワルターの統率の下、最高のパフォーマンスを示していると言って良い。

DSDリマスタリングによって、音質がグレードアップされている点も特筆すべきであろう。

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2015年01月08日


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リストのピアノ・ソナタを弾きこなすことは、あらゆるピアニストの1つの大きな目標であるが、リストのソナタ録音で鑑賞に堪えうるものは実に少ないと言わざるを得ない。

この世のものとは思えない超絶的なテクニックを要するとともに、各場面の変転の激しさ故に、楽曲全体を1つのソナタに纏め上げるのが至難の業であるという点において、海千山千のピアニストに、容易に登頂を許さない厳しさがあると言えよう。

そうした難曲だけに、天才ピアニストであるポゴレリチがどのようなアプローチを見せるのか、聴く前は興味津々であったが、その期待を決して裏切らない超個性的な名演であった。

このポゴレリチのリストのソナタの演奏を聴くと、彼がどれほど卓越したピアニストであるかがよく分かる。

演奏の特徴を一言で言えば、表現の振幅がきわめて激しいことであり、最弱音から最強音まで、これほどまでにダイナミックレンジの広く、激情さと繊細さが同居した演奏は、他の名演でも例はあまりないのではなかろうか。

テンポ設定も自由奔放とも評すべき緩急自在さであり、たたでさえ各場面の変転が激しいのに、ポゴレリチは、うまく纏めようという姿勢は薬にしたくもなく、強弱やテンポの緩急を極端にまで強調している。

それ故に、全体の演奏時間も、同曲としては遅めの部類に入る33分強もかかっているが、それでいて間延びすることはいささかもなく、常に緊張感を孕んだ音のドラマが展開する。

そして楽譜の指示通りに、表層と速度を打鍵が可能になるように徹底的に吟味し調整した演奏と言えるが、楽譜で指定された音符の高さを、現代楽器そのまま、改造なしで弾ききっている。

リストのピアノ・ソナタは途方も無く底が深いが、それを表出させてしまうポゴレリチの音楽性と技術も凄く、個人的には、曲の解釈としても演奏史上屈指のものであると考える。

つまり、リストがもっていた内省的で陰鬱な側面が、この華麗なソナタにどのように含まれているのか、それを聴く者にはっきりと理解させてくれるからである。

これは、まさに天才の至芸であり、ポゴレリチとしても会心の名演と言っても過言ではあるまい。

ひたすらヴィルトゥオジティと悪魔性を追求したホロヴィッツや、情熱的なアルゲリッチの演奏とは対極にある。

併録のスクリャービンも、力強さと繊細な抒情を巧みに織り交ぜたポゴレリチならではの名演だ。

スクリャービンの音楽は狂気と繊細さを持ち合わせているが、筆者としては狂気に光を当てた演奏よりも、繊細さをより大切にした演奏を好む。

その意味では、この演奏は理想的で、こういう曲は、感性の赴くまま即興風に演奏されるのもいいが、ポゴレリチのように、分析され、隅々までコントロールされきった繊細さをもって提示されるのも、また素晴らしい。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)ポゴレリチリスト 

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素晴らしい名演で、CD時代になって古い名盤の復刻がなされるようになる直前、LP末期には最高の名盤とされていたものである。

筆者としては、アバドが最も輝いていた時代はロンドン交響楽団時代ではないかと考えている。

特に、このロンドン交響楽団時代に録音されたいわゆるラテン系のオペラは、いずれ劣らぬ名演と高く評価したい。

そうした中で、本盤の「カルメン」も、こうした席に連なる資格を有する名演で、アバドが明快な指揮で等身大の「カルメン」を描いていく。

当時のアバド&ロンドン響は、構えが大きいアンサンブルとアバドの鋭い棒さばきによる、ある意味で刺激的な演奏が特徴であったが、このオペラではそうした印象は少なく、むしろ、オペラに通じたアバドが各幕、全曲の見通しを良くつけて、ストーリーを遮ることなく、コンパクトなアンサンブルで演奏をスムーズに運んでいる。

「カルメン」の名演には、カラヤン&ウィーン・フィルという超弩級の名演があるが、カラヤン盤は、4幕形式のグランドオペラ版を使用していることもあり、ウィーン・フィルを使用したことも相俟って、シンフォニックな重厚さを旨とするもの。

これに対して、アバド盤は、スペイン風ともフランス風とも言えないイタリア人アバドのラテン人としての血を感じさせるラテン系の情緒溢れるものであると言えよう。

アバドの解釈は音像が硬質で贅肉がなく、構成が協調されており、アンサンブルなども緻密であるが、いささかも杓子定規には陥らず、どこをとってもラテン系の音楽の情緒が満載である。

歌手陣も、カラヤン盤に優るとも劣らない豪華さであり、特に、カルメン役のベルガンサ、ドン・ホセ役のドミンゴは見事なはまり役である。

ベルガンサの、“魔性の女”というよりは、アクのないお嬢さん風の“コケット”でユニークなカルメン、ドミンゴの上手さが光るドン・ホセなどキャストが大変に魅力的だ。

また、エスカミーリョ役のミルンズも大健闘であり、ミカエラ役に可愛らしいコトルバスとは何という贅沢なことであろうか。

合唱陣も、少年合唱も含めて大変優秀であり、本名演に華を添える結果となっている点を見過ごしてはならない。

アナログ録音末期の録音で、今日のデジタル録音のように、ダイナミック・レンジも広くなく、音の分解能も高くないが、聴く分には何らの問題もなく、むしろ、アナログらしい優しい音作りとなっている。

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classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)ビゼーアバド 

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管弦楽法の大家として知られるレスピーギの楽曲としては、ローマ3部作があまりにも名高い存在であるが、それに次いで有名な曲と言えば、リュートのための古風な舞曲とアリアであると思われるところだ。

愛国心旺盛で、ローマ時代の文化にも造詣深かったと思われるレスピーギならではの作品であり、近現代音楽とは思えないような親しみやすくも優美な音楽に、レスピーギ一流の華麗なオーケストレーションが施された実に魅力的な名作である。

ローマ3部作と比較すると、録音の点数は相当に少ないが、録音を行った指揮者は、同曲の真価を理解するとともに、覚悟を持って演奏に臨んでいることが想定されることから、どの指揮者による演奏もある程度の水準の高さを有している。

そうした様々な優れた演奏の中でも、マリナー&ロサンジェルス室内管弦楽団による本盤の演奏は、最右翼に掲げられる名演の1つと言えるのではないだろうか。

マリナーは、手兵であるアカデミー室内管弦楽団とともに、こうした室内オーケストラ用の楽曲の様々な名演を成し遂げているだけに、レスピーギによるリュートのための古風な舞曲とアリアも、マリナーの指揮芸術の真価を発揮する上で最適の楽曲と言えるのではないかと考えられるところである。

マリナーの本演奏におけるアプローチは、特別な個性で聴き手を驚かすような気を衒ったところがいささかもなく、曲想を精緻に、そして丁寧に描き出すという直球勝負の正攻法によるものだ。

そして、英国出身の指揮者であるだけに、どこをとっても格調の高さが支配しており、いかなるロマンティシズム溢れる旋律にさしかかっても、センチメンタルに陥ることはいささかもなく、常に高踏的な美しさを保っているのが素晴らしい。

このような演奏こそは、まさしく英国紳士の矜持とも言うべきものであり、演奏全体に漂う高貴にして優美、そして典雅さは、同曲演奏の理想像の具現化と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、同曲演奏史上でもトップクラスの演奏であるとともに、室内オーケストラのための楽曲を数多く演奏・録音してきたマリナーの演奏の中でも最高峰の名演の1つと高く評価したい。

音質は、1975年のスタジオ録音であるが、リマスタリングがなされたことによって、従来CD盤でも比較的満足できる音質である。

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classicalmusic at 00:49コメント(0)トラックバック(0)レスピーギ 

2015年01月07日


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ドヴォルザークは、恩人である先輩作曲家ブラームスと同様に、管弦楽曲もさることながら、むしろ室内楽曲において数多くの傑作を遺したと言えるのではないか。

その中でも、本盤に収められたピアノ三重奏曲の第3番と第4番は、最上位にランクされるべき名作であると思う。

しかしながら、これほどの名作であるにもかかわらず、ピアノ三重奏曲のCDは意外にも少ない。

弦楽四重奏曲「アメリカ」の数多いCDと比較すると、あまりにも不当な気がする。

そのような中で、ピアノ三重奏曲第3番と第4番に、チェコの名奏者で構成されるスーク・トリオによる名演があるのは何という幸せであろうか。

チェコの至宝スーク・トリオによる同作品2度目の録音で、作品への深い共感と揺るぎない自信に裏打ちされた正統派の名演である。

ドヴォルザークの曾孫にあたるスークをリーダーとするスーク・トリオは、作曲家への深い尊敬と共感に満ちあふれた演奏を聴かせる。

スーク・トリオの演奏は、奇を衒うことなく、作品の素晴らしさ、魅力を愚直なまでに自然体のアプローチで描き出していくもの。

その誠実であり、なおかつ作品への深い共感が、本盤で聴くような、いい意味でのオーソドックスな名演を生み出したと言えるだろう。

両曲に内在するスラヴ的な民族色の描出も見事であるし、ドヴォルザークの晩年に顕著な人生の哀感とも言うべき深い抒情の描き方も実に巧みだ。

スークの飾らない演奏が素晴らしく、決して華美な表現に陥らないのがスークらしいが、ドヴォルザークでは何より魅力的だと感じる。

なかでもボヘミア的情感を漲らせた《ドゥムキー》では、他の演奏者の追随を許さない演奏を繰り広げており、様々に交代する異質な要素が鮮やかに描き分けられ、スラヴ的情感も色濃く、ドヴォルザークの光と影を余すところなく描いている。

純音楽的でもあるが、終盤の民族的な曲ならではの、地鳴りするような迫力を感じることができ、さすがと思わせる。

緩急自在のテンポ設定も、透徹したアンサンブルの下、名人芸の域に達しており、力と心と理詰めのバランスが素晴らしい。

Blu-spec-CD化によって、音質がさらに鮮明になったことも、本盤の価値を高めることに大きく貢献している。

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classicalmusic at 22:44コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークスーク 

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明晰なテクスチュアと生き生きしたリズムによって、ドビュッシー作品本来の美しさを取り戻したと大変話題になった優れた演奏。

ポール・クロスリーはメシアン・コンクールの優勝者という経歴からもわかるとおり、水際立ったテクニックを持つピアニストである。

多彩な音色の布置に気を配り、緩みなくかっちりとリズムを刻んで、鋭い分析眼で見抜いた作品の構造をバランスよく響かせていく。

情緒的に流されることはなく、すみずみまで神経の行き届いた演奏は、どちらかというとさらさらした感触である。

知性派のピアニストという評価は、おそらく誰もが認めるところで、20世紀の音楽を新鮮な視点から呈示してくれるのが、彼のアルバムやコンサートの楽しみのひとつとなっている。

もし、ドビュッシーのピアノ曲演奏史において、ルネサンスと呼ぶべきものがあるとすれば、ポール・クロスリーが取り組んだ全曲演奏シリーズこそその代表と言えよう。

メシアン門下の知性派ピアニスト、クロスリーはその繊細な感性と旺盛な研究心によって、ドビュッシーの音楽の新たな側面に光をあてている。

これまでにあった名演とされるドビュッシーとは少なからず違った印象があるが、それを大きく越える新たな発見の喜びがあり、ドビュッシーの音楽へのユニークなアプローチが光っている。

印象主義という括りで縛りつけた演奏からは曖昧以上のものは生まれない。

ぼんやり霧に包まれた音響像を一掃し、ペダルによる音色の融合にも細やかなグラデーションを与えることにより、本来、備わっていた音楽の生命力を回復している。

ドビュッシーの生み出した多彩な音色形態の構造原理をしっかりと把握し、響きに形式感を与えてさえいて、音空間と時間空間が明確化されている。

メロディへの思い入れがメインではなく、調性から解放された音楽の美しさがよく分かるところであり、音に囲まれた空閑がそのまま移行するような錯覚に落ちる。

ロンドン・シンフォニエッタの音楽監督としても活躍していたクロスリーの音楽づくりは、きわめて鋭敏かつ論理的で、このような音響芸術としてのドビュッシーがあることを初めて知ったところだ。

詩的な雰囲気を抑えているので、いくらか冷たく感じられるかもしれないが、この精緻きわまる演奏によって、ドビュッシーのもつ本質的な側面のひとつが明らかになった。

どの作品でも特にペダルの使い方が見事で、ドビュッシーの音楽はもはやもやもやとしたムードで聴かせる古いスタイルとは一線を画して、音の粒がすっきりとみえるような、しかも音色のグラデーションが楽しめる演奏となっている。

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いわゆる4大ヴァイオリン協奏曲の中でもベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲は、技量面での難しさもさることながら、メロディの美しさよりは音楽の内容の精神的な深みが際立った作品である。

したがって、演奏するヴァイオリニストにとっても、卓越した技量を持ち合わせているだけでなく、楽曲の内容の深みを徹底して追求する姿勢を持ち合わせていないと、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの浅薄な演奏に陥ってしまう危険性があると言えるだろう。

そうした中にあって、ハイフェッツによる本盤の演奏は、持ち前の超絶的な技量を駆使することのみによって、両曲の内容面をも含めた魅力を描出し得た稀有の演奏と言えるのではないだろうか。

1955年というハイフェッツの全盛期の演奏であるだけに、先ずは、その持ち味である超絶的な技量に圧倒されてしまう。

同時代に活躍した、ヴィルトゥオーゾを発揮したピアニストにホロヴィッツがいるが、ホロヴィッツが卓越した技量が芸術を超える稀有のピアニストであったのと同様に、ハイフェッツも、卓越した技量が芸術を超える稀有のヴァイオリニストであったと言えるのではないかと考えられる。

両曲ともに、ハイフェッツは、おそらくは両曲のこれまでのあまたのヴァイオリニストによる演奏の中でも史上最速のテンポで全曲を駆け抜けている。

これだけの速いテンポだと、技量面だけが前面に突出した素っ気ない演奏に陥る危険性を孕んでいるが、ハイフェッツの場合には、そのような落とし穴にはいささかも陥っていない。

これほどの速いテンポで卓越した技量を披露しているにもかかわらず、技巧臭がいささかもせず、音楽の素晴らしさ、魅力だけが聴き手に伝わってくるというのは、まさに、前述のような卓越した技量が芸術を超える稀有のヴァイオリニストの面目躍如と言ったところであろう。

両協奏曲の緩徐楽章においても、速めのテンポでありつつも情感豊かに歌い抜いており、このような演奏を聴いていると、ハイフェッツはヴィルトゥオーゾヴァイオリニストの第一人者として広く認知はされているが、血も涙もある懐の深い大芸術家であったことがよく理解できるところだ。

いずれにしても、本盤の両協奏曲の演奏は、ハイフェッツの全盛期の演奏の凄さを大いに満喫させてくれる圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

これだけの超名演だけに、これまでハイブリッドSACD化など高音質化への取組がなされているが、これまでのところ、数年前に発売されていたSHM−CD盤よりも本Blu-spec CD2盤の方が良好な音質である。

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2015年01月06日


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インバルは現代最高のマーラー指揮者の一人と言える。

インバルの名声を一躍高めることになったのは、フランクフルト放送交響楽団とともにスタジオ録音したマーラーの交響曲全集(1985年〜1988年)であるが、その後も東京都交響楽団やチェコ・フィルなどとともに、マーラーの様々な交響曲の再録音に取り組んでいる。

本盤に収められたチェコ・フィルとのマーラーの交響曲第7番の演奏も、そうした一連の再録音の一つであり、インバルとしては、前述の全集中に含まれた演奏(1986年)以来、約25年ぶりのものである。

当該全集の中で、最も優れた演奏は同曲であった(全集の中で唯一のレコード・アカデミー賞受賞盤)ことから、25年の歳月が経ったとは言え、当該演奏以上の名演を成し遂げることが可能かどうか若干の不安があったところであるが、本盤の演奏を聴いて、そのような不安は一瞬にして吹き飛んでしまった。

実に素晴らしい名演であり、正に、近年のインバルの充実ぶりが伺える圧倒的な超名演と言っても過言ではあるまい。

かつてのインバルによるマーラーへの交響曲演奏の際のアプローチは、マーラーへの人一倍の深い愛着に去来する内なるパッションを抑制して、可能な限り踏み外しがないように精緻な演奏を心掛けていたように思われる。

全集の中でも特に優れた名演である第7番についても例外ではなく、全体の造型は堅固ではあり、内容も濃密で立派な名演奏ではあるが、今一つの踏み外しというか、胸襟を開いた思い切った表現が欲しいと思われることも否めない事実である。

ところが、本演奏においては、かつての自己抑制的なインバルはどこにも存在していない。

インバルは、内なるパッションをすべて曝け出し、どこをとっても気迫と情熱、そして心を込め抜いた濃密な表現を施しているのが素晴らしい。

それでいて、インバルならではの造型の構築力は相変わらずであり、どんなに劇的かつロマンティックな表現を行っても、全体の造型がいささかも弛緩することがないのは、さすがの至芸と言うべきであろう。

いずれにしても、テンポの効果的な振幅を大胆に駆使した本演奏のような密度の濃い表現を行うようになったインバルによる超名演を聴いていると、バーンスタインやテンシュテット、ベルティーニなどの累代のマーラー指揮者が鬼籍に入った今日においては、インバルこそは、現代における最高のマーラー指揮者であるとの確信を抱かずにはいられないところだ。

オーケストラにチェコ・フィルを起用したのも功を奏しており、金管楽器、特にトランペットやホルンなどのブラスセクションの卓抜した技量は、本超名演のグレードをさらに上げる結果となっていることを忘れてはならない。

そして、SACDによる極上の高音質録音も、本超名演を鮮明な音質で味わえるものとして大いに歓迎したい。

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20世紀の作品を得意とするフランスのピアニスト、ベロフにとって、ドビュッシーはむろん重要なレパートリーのひとつ。

これは、ベロフが右手の故障で演奏活動を一時退く前の若き日の録音であるが、べロフは、天性のドビュッシー演奏家だと思う。

本全集も、そうしたドビュッシー演奏家としての面目躍如たる素晴らしい名演と高く評価したい。

べロフのドビュッシーは、例えばギーゼキングのような即物的なアプローチをしているわけではない。

フランソワのように、個性的なアプローチを示してくれるわけでもない。

あるいは、ミケランジェリのように、切れ味鋭いタッチを披露してくれるわけでもない。

こうしたドビュッシーを得意とした個性的な先人たちと比較すると、オーソドックスとも言えるアプローチを行っている。

それでいて、これぞドビュッシーとも言うべき独特の深みのある芸術を構築してくれるのだから、現代におけるべロフのドビュッシー演奏家としての確固たる位置づけが十分に窺い知ることができる。

オーソドックスと表現したが、それは没個性的という意味ではない。

どの曲も思い入れたっぷりの表現と弱音の美しさが際立ち、ドビュッシーの音楽のしなやかなニュアンスをよく弾き出している。

有名な《月の光》や《夢》などにおける情感溢れる抒情的表情や、舞曲におけるリズミカルな力強い打鍵など、表現の幅の広さも見事であり、随所に漂うフランス風のエスプリは、全体的な音楽の深みと相俟って、まさに、べロフだけが描出できる至高・至純の境地に達していると言えるだろう。

20歳そこそこのベロフがそのシャープな感覚によって敢然と打ち出してくるドビュッシーの音像。

彼の本能の一部とさえ思える現代的な感応力がこの演奏全篇に行きわたっており、しばしば聴き手をハッとさせるような超感覚的な空気を作り出している。

表現手法はかなり直截ではあるけれども、それが決してこけおどしに聴こえないのは、ベロフの音楽性の内的なリアリティゆえであろう。

さらにリズム感の鋭敏さと音の粒のクリアーさも、このピアニストの大きな武器となっている。

若きベロフの紡ぎだすドビュッシーの《前奏曲》に接して、かつて筆者は目から鱗が落ちる思いがしたものだった。

彼の鋭利な感覚が決然と作り上げてみせる地平を何度も聴き返し、やはりドビュッシーは現代音楽の祖だと再認識した記憶がある。

徹底的に新しい感覚のアプローチを得て、尚も輝かしい存在となる作曲家だということを実感した次第。

とりわけ《前奏曲》第2集、ここでドビュッシーが行なおうとしたことは、まさにベロフのような瑞々しいチャレンジによってこそ真価を発揮するように思えたところであり、その考え方は現在も変わらない。

ドビュッシー音楽の演奏には、実はベロフに代表されるような一種フッ切れた音楽観が不可欠なのであろう。

《版画》3曲もきらめくような音立ちに支えられて、どこまでも切れ味よく描出されてゆく。

そのモダンでストレートな感覚は四半世紀以上経た今も変わることなく実に新鮮である。

《練習曲》全12曲の恐るべき内容を筆者に最も直截に啓示してくれたのも、実にこのベロフのディスクであった。

「練習曲」とは名ばかりのドビュッシーの感覚のエッセンス、あるいは語法の集大成とも言うべきこの曲集は、最もラティカルにこの作曲家の天才を伝えたもの。

ベロフのピアノは、作品のかかる尖鋭性を極めてストレートかつ霊感豊かに描出してみせる。

鮮やかに変幻する色彩、めまぐるしく交錯する楽想、飛翔し躍動する音群等、これらインスピレーションに満ちた音の数々を、彼は持ち前の鋭利なタッチと現代感覚で弾きあげ、類なく閃きに満ちた世界に仕上げている。

ドビュッシーの天才とベロフの異才が一体となり実に新鮮な美学が完成しているように思う。

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本盤に収められたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、そしてフランクのピアノと管弦楽のための交響的変奏曲の演奏についてであるが、かつてはワイセンベルクの個性が、カラヤン&ベルリン・フィルによる豪壮華麗な演奏によって殆ど感じることができない演奏であると酷評されてきたところであるが、先般のSACD化によって、その印象が一掃されることになった意義は極めて大きいと言わざるを得ない(そして、今般のシングルレイヤーによるSACD化によって、その印象はさらに決定的に激変した)。

もちろん、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏は凄いものであり、SACD化によって更にその凄みを増したとさえ言える。

もっとも、流麗なレガートを駆使して豪壮華麗な演奏の数々を成し遂げていたカラヤンの芸風からすれば、ラフマニノフの楽曲との相性は抜群であると考えられるところであるが、カラヤンは意外にもラフマニノフの楽曲を殆ど録音していない。

カラヤンの伝記を紐解くと、交響曲第2番の録音も計画されていたようではあるが、結局は実現しなかったところだ。

したがって、カラヤンによるラフマニノフの楽曲の録音は、本盤に収められたピアノ協奏曲第2番のみということになり、その意味でも、本盤の演奏は極めて貴重なものと言えるだろう。

しかしながら、前述のように、演奏はいかにも全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの圧倒的なものである。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感溢れる力強さ、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックで美音を振りまく木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなど、圧倒的な音のドラマが構築されている。

そして、カラヤンは、これに流麗なレガートを施すことによって、まさに豪華絢爛にして豪奢な演奏を展開しているところであり、少なくとも、オーケストラ演奏としては、同曲演奏史上でも最も重厚かつ華麗な演奏と言えるのではないだろうか。

他方、ワイセンベルクのピアノ演奏は、従来CD盤やHQCD盤で聴く限りにおいては、カラヤン&ベルリン・フィルの中の1つの楽器と化していたと言えるところであり、その意味では、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築の最も忠実な奉仕者であったとさえ言える。

しかしながら、SACD化により、ワイセンベルクの強靭にして繊細なピアノタッチが、オーケストラと見事に分離して聴こえることになったことによって、実はワイセンベルクが、カラヤン&ベルリン・フィルの忠実な僕ではなく、むしろ十二分にその個性を発揮していることが判明した意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

いずれにしても、筆者としては、同曲のベストワンの演奏と評価するのにはいささか躊躇せざるを得ないが、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィル、そしてワイセンベルクによる演奏の凄さ、素晴らしさ、そして美しさを十二分に味わうことが可能な素晴らしい名演として高く評価したいと考える。

併録のフランクのピアノと管弦楽のための交響的変奏曲は、ワイセンベルクのピアノ演奏の個性がラフマニノフよりも更に発揮されているとも言えるところであり、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演奏とも相俟って、同曲の美しさを存分に味わわせてくれるという意味において、さらに素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は、1972年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたHQCD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったところである。

しかしながら、先般、ついに待望のSACD化、そして更に今般シングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、前述のように、ワイセンベルクのピアノ演奏とカラヤン&ベルリン・フィルの演奏が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、カラヤン&ベルリン・フィル、そしてワイセンベルクによる素晴らしい名演を、現在望みうる超高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2015年01月05日


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ショパンの超有名曲を中心にカップリングされた好企画CDであるが、いずれもメジューエワの特徴が表れた素晴らしい名演だ。

メジューエワは、本盤に収められた諸曲の大半を、既に録音しているが、本盤は、そうした既録音を抜粋したものではない。

いずれも、本CDのために新たに録音したものであるのがミソなのである。

既CDとの違いは、ボーナストラックとして収められた3曲を除いて、表面上はさほど感じられないが、ショパンの名だたる楽曲を録音した上での録音だけに、ここには、いつものメジューエワ以上に、自信と風格に満ち溢れた音楽である。

それにしても、メジューエワのショパンには、どうして、このように堂々たる風格が備わっているのであろうか。

メジューエワの、1音たりとも揺るがせにしない丁寧とも言えるピアニズムがそうさせているとも言えるが、筆者としては、それだけではなく、ショパンへの深い愛着と理解があるのではないかと考えている。

本盤の大半は、いわゆる有名曲であるが、こうした風格があり、なおかつ深みのある音楽は、通俗名曲集などといった次元をはるかに超えた高みに達している。

きわめて自然な息遣いをもってショパンならではの「詩情」と「憂愁」を情感豊かに表出する、しなやかで強靭なピアニズム、ここに「ショパンの魂を語り継ぐ真のショパン弾き」メジューエワの真価がある。

作品に込められた内的葛藤と、日々の心象風景を見事に描き切り、ショパンにとって極めて大切な各々特有のリズムを、闊達な躍動感と万感胸に迫るような哀感を携えて織り上げるのである。

それは作品が誕生してから経過した200年近くの時空を打ち消し、その作品が今生まれたばかりのような新鮮さと情熱、そして生き生きとした生命力をもって我々の前に示してくれるのである。

イリーナ・メジューエワこそ、ショパンの魂を後世に語り継ぐ真のショパン弾きである。

筆者が特に感動したのは「幻想即興曲」。

これほど崩して弾いているのに、全体の造型がいささかも崩れることがないのは、殆ど驚異ですらある。

ボーナストラックの3曲は、メジューエワのライヴ録音を記録した貴重なもので、特に、「黒鍵」の千変万化のピアニズムには大いに酔いしれた。

24bit+96kHz Digital録音も、鮮明で素晴らしい。

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classicalmusic at 22:35コメント(0)トラックバック(0)ショパンメジューエワ 

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これまで、ショパンの数々の名演を成し遂げたメジューエワであるが、本盤は、それらとほぼ同時期にスタジオ録音されたシューマンの主要作品が収められている。

いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

シューマンのピアノ曲の演奏に際しては、スコアに記された音符を追うだけでは不十分であり、その背後にある心象風景やファンタジーの世界を巧く表現しないと、ひどく退屈で理屈っぽい演奏に陥る危険性が高く、とても一筋縄ではいかない。

メジューエワは、ショパンの名演で行ったアプローチと同様に、1音1音を蔑ろにせず、旋律線を明瞭にくっきりと描き出すことにつとめている。

それ故に、音楽全体の造型は、女流ピアニスト離れした堅固なものとなっている。

一般的に扱いにくいと言われるシューマンの音楽であるが、メジューエワの手にかかると、すべてが過不足なく自然に表現されるのが素晴らしいところである。

シューマン独特の幻想や憧憬、苦悩、恍惚、狂気といった複雑に錯綜した要素を、かくあるべきものとして再創造してゆくさまは圧巻だ。

メジューエワはいくつもの語り口を使いわけながら、シューマンが愛したドイツ・ロマン派の作家さながらにメルヘンを繰り広げていく。

ニュアンスに富んだ細部の表現ひとつひとつが鮮やかな情景を喚起しながら、全体として大きなストーリーを感じさせる点で比類がない。

また、子供の情景の第6曲「一大事」やクライレスリアーナの冒頭、ノヴェレッテヘ長調などにおける強靭な打鍵は圧巻の迫力を誇っている。

それでいて、音楽は淀みなく流れるとともに、細部に至るまでニュアンスが豊か、総体として、気品の高い馥郁たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。

シューマンの音楽の命であるファンタジーの飛翔や憧憬、苦悩なども巧みに演出しており、演奏内容の彫りの深さにおいてもいささかの不足はない。

とりわけ、最晩年の傑作である暁の歌における、シューマンの絶望感に苛まれた心の病巣を鋭く抉り出した奥行きのある演奏には凄みさえ感じさせる。

ライナー・ノーツにおいて、國重氏が、本盤のメジューエワの演奏を指して、「このシューマンの世界はもはや『文学的』ではない。まさに『詩』である。」と記されておられるが、これは誠に当を得た至言と言えるだろう。

録音も、メジューエワのピアノタッチが鮮明に再現されており、申し分のない音質となっている。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)シューマンメジューエワ 

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素晴らしい名演だ。

2006年のスケルツォ全集を皮切りとして、ショパンの様々な楽曲の録音に取り組んできたメジューエワが、ピアノ・ソナタ第3番に引き続いて、ピアノ・ソナタ第2番を録音することになった。

これは、絶えざる深化を遂げ続ける俊英ピアニストが真摯に作品と向き合い、作品の深奥にひそむ作曲家の声にひたすら耳を傾けることによってのみ可能となった迫真の芸術表現であり、まさに気宇壮大といった表現が相応しいスケール雄大な名演だ。

それにしても何という堂々たる風格溢れるピアニズムであろうか。

メジューエワのピアニズムの特徴として、ショパンがスコアに記した音符を1音たりとも蔑ろにしない丁寧さがあるが、このピアノ・ソナタでも、決して音楽の流れが停滞することはない。

実に優美に、なおかつ自然に流れるのだが、その仰ぎ見るような威容は、威風堂々と言った表現が符合する。

第3楽章のショパンの精神の深淵を覗き込むような深みのある表現も凄いの一言であるし、終楽章の、他のピアニストならば、曖昧模糊な表現になってしまいがちの音楽も、メジューエワならではのアプローチで、旋律線を極力くっきりと描き出しているのが素晴らしい。

併録の小品もいずれ劣らぬ名演であるが、とりわけ、冒頭の華麗なる大円舞曲が超名演。

ここには、ピアノ・ソナタと同様の壮大なスケール感とともに、女流ピアニストならではの繊細な詩情、そして、大輪のひまわりのような華麗さが備わっている。

ワルツや即興曲での得も言われぬ優美な情感と、ポロネーズやソナタでの強靭なタッチの驚くべきコントラスト。

その香り立つ気品、限りない郷愁と憧憬は、まさに恐るべき音楽的感興を湛えたショパンと言えよう。

一層の深みとスケールを獲得したその演奏は、もはや堂々たる風格すら漂わせていると言っても過言ではあるまい。

2010年3月、4月、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける録音も鮮明であり、素晴らしいの一言。

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2015年01月04日


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ミュンシュの最後期に残された至高の遺産。

名人揃いのパリ管弦楽団を駆使して、オネゲルの交響曲第2番では白熱し、高揚感に満ちた音楽を、女流アンリオ=シュヴァイツァーをソロに迎えたラヴェルのピアノ協奏曲では色彩と詩情豊かな音楽を聴かせてくれる。

ミュンシュはフランス系の指揮者の中では、珍しいくらいにレパートリーの広い指揮者であった。

というのも、ドイツ音楽を得意とした点が大きいと思われる。

もちろん、多くのフランス音楽を得意としており、数々の名演を遺してきたが、その中でも、他のフランス系の指揮者の追随を許さない名演を遺してきたのはオネゲルではないかと考える。

ミュンシュはオネゲル作品の紹介に情熱を注いでおり、この交響曲第2番の白熱し、高揚感に満ちた演奏はその最後を飾るにふさわしいものとなった。

オネゲルは、フランス系の作曲家の中では珍しく、ドイツ音楽に多大な影響を受けるとともに、交響曲を5曲も遺したが、そうした点も、ミュンシュがオネゲルを得意とした要因の1つではないかと考える。

オネゲルもミュンシュを信頼して、いくつかの交響曲の初演を委ねている点をも注視する必要がある。

本盤の「第2」も超名演。

全体の厳しい造型をしっかりと構築した上で、第1楽章の悲劇から、終楽章終結部の盛り上がりに至るまで、隙間風のいささかも吹かない内容豊かな音楽が紡ぎだされていく。

否応なしに曲の背後にある時代と、作曲家の心の内を感じさせる壮絶な演奏であり、指揮者の曲と作曲家に対する共感の度合いがいかに深いことか。

「第2」には、他にも名演はあるが、内容の深さ等を考慮すれば、ミュンシュ盤こそ最高の王座に君臨する最高の名演と高く評価したい。

ラヴェルのピアノ協奏曲も、フランス風のエスプリよりは、シンフォニックな重厚さを全面に打ち出したユニークな名演で、透明で色彩豊かな音響が感興に満ちた演奏により繰り広げられる。

音質は従来CD盤では満足のいく出来映えではなかったが、HQCD化によって、音場は広がるとともに、音質がさらに鮮明になったところである。

しかしながら、今般、SACD化されるに及んで大変驚いた。

凄味のある低弦、艶のある高弦、伸びがありしかも部屋に拡散する金管、木管と両曲の演奏の特色をスケール大きく見事に再現されていて、改めてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、ミュンシュ&パリ管による素晴らしい名演をSACDによる名録音で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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classicalmusic at 22:37コメント(0)トラックバック(0)ミュンシュラヴェル 

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テンシュテットの最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集であることは論を待たないと言えるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る交響曲第8番の録音(1986年)の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調が良い時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

したがって、1986年以降の演奏は、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開することになるのであるが、それ以前の演奏についても、いささかも妥協を許さない全力投球の極めて燃焼度の高い渾身の演奏を繰り広げていた。

そうしたテンシュテットの指揮芸術は、最も得意としたマーラーの交響曲の演奏において如実に反映されていると言えるであろう。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)のに対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

テンシュテットは、マーラーの交響曲第1番を1990年にもシカゴ交響楽団とともにライヴ録音しており、当該演奏の方がオーケストラの優秀さも相俟って最高峰に君臨する名演であるというのは自明の理ではあるが、本盤に収められた交響曲第1番の演奏も圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラは必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本演奏を超名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、1977年のスタジオ録音ではあるが、数年前にリマスタリングの上でHQCD化がなされたこともあり、比較的良好な音質であると言えたところだ。

このような中で、今般、待望のシングルレイヤーによるSACD化がなされるに及んで大変驚いた。

音質の鮮明さ、そして音場の幅広さ、音圧などのどれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACD盤の潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、テンシュテットによる圧倒的な超名演を現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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カルミナ四重奏団は、現代における気鋭の弦楽四重奏団であり、その驚異のアンサンブルで、世界を瞠目させた。

弦楽四重奏の新たな可能性を追求するこの革新的なアンサンブルの手にかかると、どんな作品もまるで洗い立ての名画のように本来の輝度と純度を取り戻す。

カルミナ四重奏団の中にある冒険者と完全主義者との相克は、演奏に異常なまでに高いテンションを与え、聴く者にも知的・感覚的な受容力を求めるのである。

その前衛的とも言うべき切れ味鋭い演奏は、品格をいささかも失うことなく、高踏的な芸術性を維持している点が素晴らしい。

本盤のドビュッシーとラヴェルというフランス印象派の2大巨頭による弦楽四重奏曲についても、そうしたカルミナ四重奏団ならではの前衛的とも言うべき切れ味鋭い名演と高く評価したい。

ドビュッシーの弦楽四重奏曲は、作品番号は10番という若い番号ではあるが、かの牧神の午後への前奏曲という最高傑作と同時期の名作である。

それだけに非常に充実した書法で作曲されているが、カルミナ四重奏団の手にかかると、第1楽章の緊張感溢れる演奏の凄まじさからして圧巻だ。

第3楽章の抒情も、哀嘆調には陥らず、どこまでも現代風の知的な表情を失うことがない。

終楽章の締めくくりのテンションも異常に高く、いかにもカルミナ四重奏団らしい革新的とも言うべき名演に仕上がっている。

ラヴェルの弦楽四重奏曲も名演。

特に、第2楽章のリズミカルな楽想や、終楽章の異常なテンションの盛り上がりは、まさにカルミナ四重奏団の真骨頂とも言うべき前衛的な表現と言える。

このカルミナ四重奏団演奏のドビュッシー、ラヴェルは、どちらも吹きわたる風のような清冽なさわやかさを持っているように思える。

彼等ほど、柔軟性に富んだ生き生きとした歌心を持つカルテットが他にあるだろうか。

張りのある潤いに満ちた音色も素晴らしいし、ふっくらと柔らかなものから、芯のあるものまで、自在に表現する力量も抜群で、若草のようなすがすがしい印象を残すフレッシュな好演だ。

Blu-spec-CD化によって、音質が更に鮮明さを増したのも嬉しい。

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2015年01月03日


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メシアンのトゥーランガリラ交響曲は、近年では録音点数もかなり増えてきており、クラシック音楽ファンの間でもその人気が少しずつ高まりつつある。

前衛的な典型的近現代音楽であるだけに、演奏の方もそうした前衛性に光を当てた切れ味鋭いシャープなアプローチによるものが多いと言えるのでないかと考えられる。

そうした中で、本盤のプレヴィンによる演奏は、複雑で難しい同曲の構造を明瞭に紐解き、できるだけわかりやすい演奏を心がけたと意味において、極めて意義の大きい名演と言えるのではないだろうか。

ポピュラー音楽等の世界からクラシック音楽の世界に進出してきたプレヴィンの演奏は、そうした異色の経歴を反映して、聴かせどころのツボを心得た、まさに聴かせ上手の演奏を行っているが、こうしたアプローチによって、一般的には親しみにくいと評されていた楽曲を、多くのクラシック音楽ファンにわかりやすく、なおかつ親しみを持ってもらうように仕向けてきたという功績には多大なものがあると言っても過言ではあるまい。

本盤のメシアンのトゥーランガリラ交響曲の演奏も、そうした列に連なるものと言えるところであり、複雑で輻輳した同曲の楽想が、プレヴィンによる演奏によって、明瞭に解析され、多くのクラシック音楽ファンに身近な存在するように貢献した点については高く評価しなければならないと考えられるところだ。

もっとも、プレヴィンの演奏が、単なる大衆迎合型の演奏に陥っているわけではない。

多くのクラシック音楽ファンに同曲の魅力を知らしめようという姿勢を持ちつつも、テンポの大胆な振幅や思い切った強弱の変化など、ドラマティックな表現を駆使しており、演奏全体に漂う気迫や緊迫感においても、いささかも不足はないと言えるところである。

クラシック音楽ファンが同曲の演奏に求める様々な期待の全てに応え得るこのような本演奏を成し遂げたということは、プレヴィンが、同曲の本質を深く理解するとともに、愛着を有している証左とも言えるところだ。

いずれにしても、本演奏は、プレヴィン&ロンドン交響楽団が成し遂げた同曲演奏史上でも最も明晰でわかりやすい名演であると高く評価したい。

音質は、1977年のスタジオ録音であるが、もともと録音面で定評があり、従来CD盤でも十分に満足できる音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、このようなプレヴィンによる素晴らしい名演を、現在望み得る超高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)メシアンプレヴィン 

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本盤には1995年に死去した稀代のピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ=ミケランジェリの、1993年5月にハンブルクで行われた最後のリサイタルの模様が収録されている。

ミケランジェリは独自の美学を持ったピアニストであったが、彼のピアノの最大の魅力は、透徹したタッチである。

それが最も充実した形で発揮されたのがドビュッシーの作品であったが、この最後のリサイタルにおけるライヴ録音は、この巨匠独自のピアニズムが最も理想的に表れたと言えるもので、ミケランジェリ美学の到達した究極の高みと言うべきであろう。

ミケランジェリの、青磁のように透徹して奥行の遥かなピアニストは、ドビュッシーの世界を表現するためにも、こよなく効果的であった。

1つ1つの音に繊細な神経が行き届いていて、その研ぎ澄まされた絶妙な音響と洗練された表現は、各曲の個性も鮮明に浮かびあがらせる。

特に《前奏曲第1巻》では、1つ1つの音の響きを練り上げ、それらを有機的に関連づけていくことによって、完璧なまでに彫琢された音空間を生み出している。

厳しいと言えるほどの音と音の緊張関係の上に成り立つその演奏は、いわゆる感覚的なドビュッシー演奏や雰囲気だけで弾かれるドビュッシー演奏とは、およそ対極にあるものだ。

ここでミケランジェリが彫琢する音色は、清澄である半面、微妙に変化して、つまりは稀に聴くほど多彩なものとなる。

《映像(イマージュ=イメージ)》において、ミケランジェリは透明な響きを極限まで追求し、情緒表現を切り詰め、精妙にして透明な美しさに満ちた爛ぅ瓠璽賢瓩鮑遒蠅△欧討い襦

どちらかと言えばクールな印象が先立つが、この純度の高い洗練された表現こそが、ミケランジェリならではの魅力である。

一方《子供の領分》でのミケランジェリは、愛らしい子供の世界からは一歩下がってあくまでも彼自身の厳しい目で作品に対している。

いわゆる童心をあたたかく歌い上げる、といった演奏とは次元を異にした磨き上げの厳しさを示すが、それでも彼の流儀において、優しさや微笑もふと添えている。

そしてやはり透徹した響きを求めているが、その音色の組み合わせに絶妙な変化を加えている。

いずれももはやこれ以上の演奏など考えらえないほど完璧であり、楽器へのこだわりも充分に納得させてくれる。

改めて、ピアノからミケランジェリほど精妙きわまりない多彩な色彩感をひきだしたピアニストはいなかったと思わせる貴重な録音である。

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これ以上は求められないような超高音質SACDの登場だ。

ベーム&ウィーン・フィルによる定評ある名演だけに、これまで、従来盤に加えて、SACDハイブリッド盤やSHM−CD盤など、高音質化に向けた様々な取組がなされてきた。

英デッカの録音だけに、もともとかなりの高音質で録音されているが、それでも、前述のような高音質化に向けての不断の取組を見るにつけ、まだまだ高音質化の余地があるのではないかと考えてきた。

そして、満を持しての今般のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の登場であるが、これまでのCDとは一線を画する極上の高音質CDと言えるだろう。

ベームのブルックナー「第4」は、その求心力ある演奏によって、この曲のスタンダード盤とでも言って良いものである。

ベームがウィーン・フィルを指揮した、ロマン的な情感をたっぷりと湛えた荘厳にして崇高な演奏は、彼の残した代表的な遺産のひとつとして多くのファンから支持されている。

筆者にとってはLP時代からの愛聴盤であるが、ウィーン・フィルとベームのブルックナーは意外と少なく、「第3」「第4」「第7」「第8」しかリリースされていないが、その中でも英デッカ録音の「第3」「第4」特別な名演である。

この演奏はLPで発売された当初、吉田秀和氏によりフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ以来の大演奏と評されたと記憶するが、確かに、ここにはベームとウィーン・フィルの最上の成果がある。

ベームの指揮は熟達と形容するほかはなく、明確な見通しと構想をもってオーケストラを導き、統率する。

それは指揮者が自らの個我に拘るものではなく、オーケストラの能力・魅力を最大限に引き出して、楽曲が要求するところを虚心に実現するためのものといった趣がある。

ウィーン・フィルも全幅の信頼を置く老ベームに全力を傾けて応え、その音色・音質は芯のある引き締まったしなやかなもので、深々と、時には清々しく軽やかに、洗練のうちに野趣を失うこともなく、理想的なブルックナーサウンドを聴かせてくれる。

冒頭、朝霧が徐々に晴れていくかのような弦のトレモロに乗って、ウィーン・フィルのホルン奏者達が、まさにブルックナー交響曲の開始を告げるがごとく、遠くで誇らしげに鳴り響くのを聴く時、聴く者は抗し難い魅力に捉えられ、これから比類ない音楽が展開されるのを予感する。

そよ風が駆け抜けるようなブルックナーは、ベーム指揮のベートーヴェン「田園」とイメージがよく似ていて、重くなりがちなブルックナーのシンフォニーを爽やかに聴かせてくれている。

それは軽薄ということではなく、ちゃんと真髄と捕らえつつ歌い上げるという表現が合っていると言えるところであり、テンポのコントロールが一定でどっしりとした安定感がある演奏である。

ベームはその著『回想のロンド』になかで、「ブルックナーのように孤独で独特な存在に対して、オーケストラ全体が目標を決めていることこそ決定的なことなのだ。もしも壇上のわれわれみなが納得してさえいれば、われわれは聴衆をも納得させずにはおかない」旨を語り、特にウイーン・フィルとの関係では、この点を強調している。

ブルックナーにおいて「第3」「第7」「第8」とも、ウイーン・フィルとのコンビではこうした強固な意志を感じさせる。

同国オーストリア人の気概をもっての魂魄の名演と言えるだろう。

その他にもこの歴史的な名演の売りはいくつかあるが、何よりも素晴らしいのは、ウィーン・フィルならではの美しい音色を味わうことができることだ。

そして、本CDでは、こうしたウィーン・フィルの美しい響きを存分に満喫できるのが何よりも素晴らしい。

朗々たるウィンナホルンの響きは見事であるし、どんなに最強奏しても、あたたかみを失わない金管楽器や木管楽器の優美さ、そして厚みがありながらも、決して重々しくはならない弦楽器の魅力的な響きなど、聴いていてほれぼれとするくらいだ。

各楽器の響きの分離も、最強奏の箇所も含めて実に鮮明であり、演奏の素晴らしさも含め、究極のCDと評価しても過言ではないと考える。

後に、ヴァントやチェリビダッケ、更にクーベリック、ザンデルリンク等々とこの曲には名演が続出・目白押しであるが、筆者にとってブルックナー第4交響曲の最高の名演は依然このベーム指揮ウィーン・フィルによるものである。

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2015年01月02日


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カラヤンは、独墺系の指揮者では珍しいシベリウス指揮者であった。

他には、独墺系指揮者でただ一人全集を完成したザンデルリンクがいるだけである。

カラヤンは、「第3」を録音せずに鬼籍に入ってしまったが、録音の予定はあったと聞く。

これは大変残念なことではあるが、しかしながら、遺された録音はいずれ劣らぬ名演であると考える。

認知度が高いのは、フィルハーモニア管弦楽団時代の録音や、1960年代の「第4」以降の4曲を収録したベルリン・フィルとの録音であるが、何故か、1970年代の「第4」及び「第5」、そして、1980年代の本盤や「第2」、「第6」の認知度が意外にも低いのは何故であろうか。

特に、これらの演奏には、オーケストラの最強奏、特に、フォーグラーの迫力あるティンパニが、シベリウスにしては大仰過ぎる、更に一部の評論家によると、シベリウスの本質を逸脱しているという批判さえなされている。

しかしながら、シベリウスの本質とは一体何であろうか。

確かに、北欧風のリリシズムに満ち溢れた清澄な演奏が、シベリウスの演奏により相応しいことは認めるが、シベリウスは北欧のローカルな作曲家ではないのだ。

まさに、21世紀初頭を代表する国際的な大シンフォニストなのであり、それ故に、演奏様式はもっと多様であってもいいのではないだろうか。

カラヤンこそは、特に、認知度が低かった独墺系社会にシベリウスの交響曲や管弦楽曲の素晴らしさを認知させたという偉大な業績があり、作曲者も、カラヤンの演奏を高く評価していた事実を忘れてはならないだろう。

本盤の「第1」は、カラヤンの唯一の録音であり、確かに、オーケストラが鳴り過ぎる、ティンパニが強靭過ぎるとの批判は予測はされるが、北欧風の清澄な抒情にもいささかの不足もなく、筆者としては、シベリウスの「第1」を、ドイツの偉大な交響曲にも比肩する芸術作品に仕立て上げた素晴らしい名演と高く評価したい。

併録の「カレリア」も、聴かせどころのツボを心得たカラヤンならではの名演だ。

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メジューエワが満を持して臨んだショパンのピアノ・ソナタである。

メジューエワは、数年前からショパンに集中的に取り組んできたが、これまでの録音はいずれも小品。

そのいずれもが驚くべき名演であったが、それ故に、ピアノ・ソナタの録音への期待が大いに高まっていた。

本盤は、そうした期待を裏切ることがない素晴らしい名演である。

この後に録音されたピアノ・ソナタ第2番ともども、メジューエワが、ショパンの大作にも見事な名演を成し遂げることを立派に証明することになった。

それにしても、何という風格のある音楽であろうか。

ショパンのピアノ・ソナタ第3番は、もともとスケールの大きい音楽であるが、メジューエワも、そうした楽曲の特色を十分に踏まえた実に気宇壮大な名演を成し遂げたと言える。

1音たりとも揺るがせにしないアプローチはいつもながらであり、その強靭な打鍵と、繊細な詩情のマッチングも見事である。

同じロシアのピアニスト、エデルマンの名演が先般発売され、筆者も、当該演奏を最高の名演と評価したが、メジューエワの演奏も、エデルマンの名演に肉薄する至高の名演と評価しても良いのではないかと考える。

併録の小品もいずれも名演であるが、特に、幻想曲が、いかにもメジューエワならではのスケール雄大な超名演。

このディスクには、ショパンの真実が詰まっているのみならず、イリーナ・メジューエワという稀代のピアニストによる、ひとつの芸術の極致が示されている。

まさに「全身全霊を込めた」という表現が相応しい、風格さえ漂わせるスケールの大きな演奏は、ロシア最高のショパン弾きでもあったゲンリヒ・ネイガウスの教えがその弟子たち(T. グートマン→V. トロップ)を経てメジューエワに脈々と受け継がれていることを見事に証明している。

ロシア・ピアニズムの伝統の重みを感じさせる1枚、「ショパン弾き」としてのメジューエワの面目躍如たるアルバムである。

2010年3月、4月、新川文化ホール(富山県魚津市)の於ける録音であるが、音質も鮮明で素晴らしい。

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メジューエワのショパンは、いずれも素晴らしい名演揃いであるが、このプレリュード集も素晴らしい。

何よりも、このプレリュード集では、その表現力の幅広さを思い知らされた。

メジューエワのアプローチは、ゆったりとしたテンポにより、旋律線を明晰に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなもの。

ただ、メジューエワの場合は、抒情にかまけた曖昧さはいささかもなく、ショパンがスコアに記した音符の1つ1つをいささかも蔑ろにすることがない。

それ故に、メジューエワのショパンには、威風堂々たる立派な風格が備わることになる。

それでいて、音楽は実に優美に流れ、ショパン演奏に不可欠の繊細な詩情にもいささかの不足もない。

これは、ショパン演奏に必要な要素をすべて兼ね備えているということであるが、そうした上で、曲想がめまぐるしく変化するプレリュード集を、巧みに弾き分けているのだ。

演奏が悪かろうはすがないではないか。

卓越した技量も素晴らしいが、メジューエワの場合は、あくまでもショパンの楽曲の魅力を表現することが大事であるという基本姿勢であり、卓越した技量だけが目立つなどということがないのはさすがである。

有名な第15番などにおいて、とても若手のピアニストとは思えないような深みのある表現を行うなど、メジューエワのスコアリーディングの鋭さ、ショパンへの深い理解も大いに感じさせられるのも素晴らしい。

磨き抜かれたタッチの美しさや繊細極まりない感受性、躍動に満ちた生命力は言うに及ばず、エモーショナルな激情と深々とした沈潜は限りないコントラストを生み出しながらショパン特有のイマジネーションを膨らませてくれる。

どちらかというと淡々とした歩みの中に、計り知れないロマンティシズムとファンタジーが余すところなく語り尽くされており、ときには濃密な詩情やしなやかな官能にむせ返るほどでもある。

そして何よりメジューエワは弁証法的唯物論のごとく、ショパン音楽の核心を見事なまでに描いて比類ない。

19世紀から続くショパン演奏の伝統の重みを感じさせながらも、新鮮な感性が随所に光る秀演で、「ショパン弾き」としてのメジューエワの面目躍如たるアルバムとも言えよう。

2009年10月14〜15日、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける録音も鮮明で文句なし。

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2015年01月01日


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メジューエワのショパンは実に素晴らしい。

2006年のスケルツォ以降、ショパンを集中的に録音しているが、いずれ劣らぬ名演と高く評価したい。

そんな「ショパン弾き」としての実力が高く評価されているメジューエワが、いよいよ満を持して「エチュード集」に挑戦した。

優れたテクニックと豊かな音色のパレットを駆使したその演奏は、現代的なセンスに溢れると同時に何かしら古雅な味わいも併せ持つという極めてユニークなもので、ショパン演奏の伝統に新たなページが開かれたことを予感させるアルバムの誕生とも言えよう。

メジューエワのタッチは実に堂々としてしかも宝石にように輝いている。

ショパンが記したスコアのすべての音符を1音たりとも蔑にしないアプローチは、メジューエワのショパンに威風堂々たる風格を与えているが、それでいて、音楽の流れはごく自然に流れ、女流ピアニストならではの繊細な詩情にいささかの不足もない。

要は、我々聴き手がショパン演奏に望むすべての要素を兼ね備えているということであり、彼女の年齢を考える時、これはまさに驚異的と言えるだろう。

本盤のエチュード、冒頭の第1曲からして、大輪のひまわりのような華のある珠玉の音楽が展開される。

第3曲の別れの曲の、後ろ髪を引かれるような絶妙な弾き方も見事であるし、第5曲の黒鍵の、1音1音が生き物のように息づいている生命力溢れる演奏は圧巻の迫力。

第12曲の革命の超絶的な技巧には完全にノックアウトされるし、作品25の第10番以降の諸曲の幾分陰影の濃い、それでいて詩情溢れる美演は、筆舌には尽くしがたい素晴らしさだ。

メジューエワの弾く芳醇な抒情と切ないほどの哀しみが神韻縹渺たるショパンの真実を伝えている。

メジューエワは、エチュードそれぞれの課題を充分に把握し、その上で計り知れない情感を湧き上がらせている。

滑舌の良いひとつひとつの音はそれ自体で生命力を有し、自然なフレージングや淀みない音楽的流れは作品の持つ濃密な小宇宙を最大限に引き出しているのだ。

メジューエワは、まだまだ若いが、今後の前途洋々たる豊かな将来性を感じさせる1枚と言える。

2009年7月&9月、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける96kHzハイ・サンプリング+ワンポイント録音も鮮明かつナチュラルなサウンドで実に素晴らしい。

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ドイツ・レクイエムはブラームスの作曲した声楽作品の最高峰であるだけでなく、ブラームスの最高傑作と評価する識者もいるほどの偉大な作品である。

それだけに、これまで様々な指揮者によって数多くの演奏・録音が行われてきているが、本盤に収められたクレンペラーによる演奏は、録音から既に50年が経過しているにもかかわらず、現在でもなおトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本演奏において、クレンペラーは悠揚迫らぬゆったりとしたテンポを基調にして、曲想を精緻に真摯に、そして重厚に描き出している。

奇を衒うことは薬にしたくもなく、飾り気などまるでない演奏であり、質実剛健そのものの演奏とも言える。

それ故に、同曲の厳粛かつ壮麗さが見事なまでに描出されており、その仰ぎ見るような威容は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

かかる格調が高く、なおかつ堅固な造型の中にもスケールの雄渾さを兼ね備えた比類のない演奏は、巨匠クレンペラーだけに可能な圧巻の至芸と言えるところであり、その音楽は、神々しささえ感じさせるほどの崇高さを湛えているとさえ言える。

木管楽器を時として強調させているのもクレンペラーならではの表現と言えるが、それが演奏全体に独特の味わい深さを付加させている点も忘れてはならない。

独唱陣もフィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップという超豪華な布陣であり、その歌唱の素晴らしさは言うまでもないところだ。

フィッシャー=ディースカウは、クレンペラーに嫌われ、数々の悪質ないじめを受けていたことで有名ではあるが、本演奏ではそのようなことを微塵も感じさせないほどの文句の付けようのない名唱を披露している。

クレンペラーの確かな統率の下、フィルハーモニア管弦楽団や同合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、これだけの名演だけに、これまで本盤のようなARTによるリマスタリングなどが繰り返し行われてきたことや、数年前にはHQCD化もなされたこともあって、比較的満足できる音質であった。

しかしながら、先般、ついに待望のSACD化が行われたことによって大変驚いた。

本リマスタリング盤やHQCD盤などとは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

オーケストラと合唱の見事に分離して聴こえることや、フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコップの息遣いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、1961年のスタジオ録音であるとはにわかに信じがたいほどだ。

あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、フィッシャー=ディースカウ&シュヴァルツコップ、そしてクレンペラー&フィルハーモニア管弦楽団及び同合唱団による至高の超名演であり、多少高額でも、SACD盤の購入を是非ともおすすめしておきたい。

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凄い演奏だ。

幻想交響曲の名演と言えば、どちらかと言えば、フランス人指揮者によるフランス風のエスプリ漂う演奏が多い。

もちろん、ミュンシュ(特に、パリ管弦楽団発足ライヴ録音)やクリュイタンス(特に、来日時のライヴ録音)のようなドラマティックな豪演もあるが、それらの演奏にも、フランス風の瀟洒な味わいが内包されていた。

ところが、クレンペラーの演奏には、そのようなフランス風のエスプリなど、どこにも見当たらない。

ゆったりとしたインテンポによるドイツ風の重心の低い演奏だ。

同じく独墺系の指揮者による名演としてカラヤン盤が掲げられる(特に1974年盤)が、カラヤンの場合も、演奏全体としてはドイツ風の重厚なものであるものの、カラヤンが鍛え抜いたベルリン・フィルの色彩豊かな音のパレットを用いて、可能な限り、フランス風の音を作り出していた。

その結果として、重厚さに加えて華麗という表現が相応しい名演に仕上がっていたと言える。

しかしながら、クレンペラーの場合は華麗ささえないと言える。

強いて言えば、野暮ったささえ感じさせるほどなのだ。

しかしながら、その重心の低いスローテンポの音楽から浮かび上がってくる内容の深さは、同曲のいかなる名演をも凌駕すると言える。

クレンペラーは、そもそも幻想交響曲を標題音楽としてではなく、純粋な交響曲として演奏しているのだろう。

前述のように、ゆったりとしたインテンポによる決して前に進んでいかない音楽ではあるが、それによって、ベルリオーズの音楽の魅力が、その根源からすべて浮かび上がってくるかのような趣きがある。

木管楽器の生かし方も新鮮さの極みであり、この音楽を初めて聴くような印象を受ける箇所が多く散見される。

そして、演奏全体としてのスケールの雄大さは、他にも比肩するものはない。

あまりの凄まじい指揮ぶりに、必死でついて行ったフィルハーモニア管弦楽団も、アンサンブルが微妙に乱れる箇所(特に、終結部)もあり、スタジオ録音ではありながら、実にスリリングな印象を受ける箇所さえもある。

HQCD化によって、音場が拡がるとともに、音質に鮮明さを増した点も、本盤の価値を高めるのに大きく貢献している。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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