2015年08月

2015年08月31日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ここ数ヶ月クラウディオ・アバドの追悼盤が目白押しにリリースされているが、ソリストを迎えた協演盤としてはこのセットが先般のアルゲリッチとの5枚組に続く、ポリーニとのグラモフォンへのコンプリート録音集になる。

本BOXに収められたそれぞれの演奏については、既に当ブログでもレビューを書いたものばかりで、既に語り尽くされた感のある名盤の集成である(それ故筆者はこのセットを購入していないことを予めお断りしておく)。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲に関しては、ポリーニにはベーム、ウィーン・フィルとの第3、第4、第5番とベームの死後ヨッフムが第1、第2番を補った旧全集が存在するし、ブラームスも第1番はベームの振ったセッションが聴き逃せない。

ベームはポリーニ、ウィーン・フィルとこれらの協奏曲集を完成させる願望があったに違いないが、奇しくもそれはアバド、ベルリン・フィルによって実現された。

同じイタリア人同士でもアバドとポリーニは、ジュリーニとミケランジェリのような関係ではなく相性が極めて良かったことから、彼らのコラボを一層堅固なものにしている。

録音では常にマイペースの姿勢を崩さなかったポリーにが、彼とCD8枚分の協演を残しているのは殆んど例外的と言えるだろう。

一方ベルリン・フィルはアバドを首席指揮者に迎えてからオーケストラのカラーも一新された。

カラヤン時代に練り上げられた絢爛豪華な響きはアバドによって一度解体され、より自発的で風通しの良い軽快なものになった。

帝王と呼ばれたカラヤンの呪縛から解き放たれたと言ったらカラヤン・ファンからお叱りを受けるかも知れないが、アバドがベルリン・フィルに新風を吹き込んだことは間違いない。

彼らの協演は1969年にプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番で始まって以来、現代物を得意とした2人だけに、多くの20世紀の音楽を採り上げたが、残念ながらプロコフィエフは録音として残されていないようだ。

一流どころのピアニストでも売れ筋のポピュラーな曲目ばかりを録音する傾向にあって、幸いこのセットはシェーンベルク、バルトーク、ノーノの都合4曲が入っている。

新時代の音楽を率先して採り上げ、常に高い水準の演奏を心掛けた彼らの啓蒙的な活動には敬服せざるを得ない。

バルトークについては当然彼らの解釈は民族主義的ではない。

だからハンガリー特有の舞踏やその音楽語法から生み出される原初的パワーを期待することはできないが、シカゴ交響楽団と共に斬新な音響を創造しながらオリジナリティーに富んだ解釈を示した録音に価値が認められるのではないだろうか。

こうした作品群では彼らの怜悧なアプローチが傑出していて音楽に全く隙が無い。

中でもノーノの作品『力と光の波のように』はアバドとポリーニのために制作された1972年の新作で、電子音とソプラノ、ピアノ、オーケストラを組み合わせた凄まじいばかりのサウンドとヴァーチャルだが目を眩ませるような強烈な光線さえ感じられ、ノーノのイデオロギーの世界を象徴している、一度は聴いておきたい作品だ。

ベートーヴェンではライヴから採られた5曲の協奏曲の他に交響曲第9番の終楽章をイメージさせる独唱陣と混声合唱が加わる『合唱幻想曲』も組み込まれている。

現在では稀にしか演奏されない曲だが、第9に収斂していく楽想の準備段階が興味深い。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は1976年のウィーン・フィル及び95年のベルリン・フィルとの2種類が収録されている。

シューマンの協奏曲と並んで深く彫琢されたポリーニの圧倒的なピアニズムが聴きどころだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)ポリーニアバド 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ハイティンク初のワーグナー/オペラで、1985年1月、ミュンヘンのヘルクレスザールに於けるスタジオ録音。

ハイティンク指揮バイエルン放送響は、ケーニヒ(T)のタンホイザー、ポップ(S)のエリーザベト、ヴァイクル(Br)のヴォルフラム、メイアー(S)のヴェーヌスといった具合に、若手を中心に組んだキャスティングだが、録音が素晴らしく、ハイティンクの円熟を窺わせるに足る名演と言えよう。

オペラ指揮者としてのハイティンクも、重視しなくてはならない。

ハイティンクの指揮は、実に明快にこのオペラの魅力を表現している。

コンサートでも共通して言えることだが、1980年以降になってからのハイティンクは、堂々とした風格と確信にみちた表情で聴き手を圧倒する。

真摯な作品への取り組みで知られるハイティンクだが、ここでも端正な造形に支えられた精緻極まりない管弦楽美が楽しめる。

必ずしもめざましい演奏でなければならないとは限らない。

念入りに、過度な興奮なく演奏されるとき《タンホイザー》はこういう魅力を発散するのだ、という演奏が聴ける。

最近のハイティンクは、彼独特の陰影の深い、濃厚な色調をつくり、それが多様なグラデーションを伴って、堅実で気宇の大きな音楽を歌うが、その密度の濃い、骨格のたくましい設計と壮大な高揚がある。

やはりハイティンクの音楽が、意外なほど強靭の個性をもっていることに、改めて感心させられた次第であるが、現在のハイティンクには、まさにその個性が何物をも恐れずにあらわれている。

なるほど、アムステルダム、ウィーン、ベルリン、ボストン、バイエルン、シカゴと場所によっての違いはあるが、よい指揮者が楽団の固有の性格や響きを尊重するのは当然で、ハイティンクも例外ではない。

とはいえ、どのオーケストラの演奏も間違いなくハイティンクの響きであり、音楽である。

ここでもバイエルン放送響の、きわめてドイツ的な、いぶし銀のような響きが前面にあらわれた演奏に仕上がっている。

上記の歌手陣も大変充実しており、ケーニヒはライト級の声が多くなった昨今のヘルデン・テノールの中では珍しく重厚でドラマティックな歌を聴かせ、ポップの透明清純なエリーザベトもよい。

とりわけ、モルの深々とした美声による全人的な役作りと、ヴァイクルの滋味あふれる柔軟で人間的な歌唱も特筆ものだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーハイティンク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



モーツァルトの書簡集上巻は1770年、彼が14歳で父親に連れられて第1回目のイタリア旅行をした時から始まる。

この演奏旅行で彼はどの都市でも大成功を博して神童の名を欲しいままにしたが、母や姉宛に書かれた手紙の端々には既に彼の人間を観察する純真な眼差しが表れている。

モーツァルトはこの時期からイタリア・オペラを盛んに作曲するようになるが、たとえ一人前の作曲家の腕を持っていたとしてもリブレットから登場人物の心情の機微を掴めない者にはオペラを書くことはできない。

それが母国語でない言語であれば尚更だが、彼の短かった生涯に20曲以上の劇場作品を作曲することになる恐るべき才能の萌芽が既に少年時代から確実に培われていたのは事実だ。

また他の作曲家の作品でも優れたものについては称賛を惜しまない、極めて公平かつ正確な判断力が養われていたことも興味深い。

彼がこの時代あらゆる作曲のテクニックを海綿のように吸収して学ぶことを可能にしたのも、こうした謙虚で柔軟な姿勢があったからに違いない。

成人してからのモーツァルトの就職活動の旅は失敗に終わる。

音楽以外の私生活での彼は実社会に適応できない実質的な破綻者だったことは想像に難くない。

彼に英才教育を施した父レオポルトは言ってみれば実利主義者のビジネスマンで、借金までして旅に出させた息子の就職活動がはかばかしくないことを厳しく諌めている。

しかし根っからの芸術家気質のモーツァルトは父への返信では常に慇懃だが、実際の行動はかなり奔放で滞在期日を大幅に延長したり作曲料を取り損なったり、父親のオーガナイズから大脱線してしまっている。

またその事実からは稀有の天才を受け入れるすべを知らなかった当時の上流社会の不条理性も伝わって来る。

要領良く立ち回ればそれなりの地位を獲得することもできた筈だが、モーツァルトはその才に欠けていた。

彼は自分の能力を誰よりも良く自覚していたが、それを切り売りする形で生計を立てる道を選ぶべきでないことも熟知していたし、気の進まない曲は頼まれても1曲も書けなかった。

彼がザルツブルクの宮廷オルガニストの地位をコロレード大司教から解任され、他の如何なる宮廷の地位も得られなかったことは、結果的に言えば悪くなかった。

この書簡集から父レオポルトはモーツァルトの将来の作曲家としての活躍よりも、現在を堅実に生きる道を選ばせたかったことが明らかだからだ。

しかしお仕着せの音楽家としてお定まりの曲を書きながら一生を終えるには、彼の才能は余りにも抜きん出ていたことも事実だろう。

それを考えると短かったとは言え、ウィーンでまがりなりにも独立して作曲活動に明け暮れた生活こそ、彼が望んでいた人生だったに違いない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:43コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2015年08月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収録された3曲の音源のうちバルトークの『弦楽、チェレスタと打楽器のための音楽』はライナー・ノーツによると1967年5月24日にチェコ・フィルの本拠地、プラハ・ルドルフィヌムのドヴォルザーク・ホールでのコンサート・ライヴからのリマスタリングで、既にSACD化されている1965年のモスクワ・ライヴとは別物らしい。

ある程度信用の置けるディスコグラフィーにも出ているので、本当かも知れない。

ステレオ録音だし音質や音の分離状態は極めて良好で、若干のヒス・ノイズを無視すればSACD化によって更に高音部の伸展と臨場感が得られていて高度な鑑賞にも充分堪え得るものになっていることは評価したい。

またムラヴィンスキーの常套手段だった第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが向かい合わせになる両翼型配置のオーケストラから、丁々発止のやり取りが聞こえてくるのも特徴的だ。

2曲目のオネゲルの交響曲第3番『典礼風』は、良く知られている1965年にモスクワで行われた一連のライヴ録音のひとつで、こちらも良質のステレオ音源でライヴ特有の雑音も殆んどない。

問題はストラヴィンスキーのバレエ音楽『アゴン』で、ライナー・ノーツの記載では1968年10月30日のモスクワ・ライヴとなっているが、どこを調べてもこのデータでの演奏記録は見つからない。

SACD化で音質はかなり向上しているが、モノラル録音なので普及している1965年の同地での同一音源であることにほぼ間違いないだろう。

プラガは過去にムラヴィンスキーの振ったチャイコフスキーの第4番で音源とデータを改竄し、あたかも新発見された録音のようにリリースして物議を醸したレーベルなので、書かれてあるデータを鵜呑みにできないところがファン泣かせだ。

この作品はオネゲルと並んでブラス及びウィンド・セクションが大活躍する。

またいずれの曲にもレニングラード・フィルのメンバーの黒光りするような鍛え抜かれた底力が示されている。

確かに当時の西側のオーケストラに比べると管楽器群やティンパニの音響が垢抜けない部分もあり、華麗なサウンドとは形容し難いが冷徹とも言える天下一品の機動力と統率美を誇っている。

ムラヴィンスキーの表現は至って辛口でおよそ遊び心などとは無縁だが、決して硬直した演奏ではなく、透明感のあるしなやかさも共存している。

これは現代物に強いムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの象徴的なコレクションになるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキーバルトーク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本BOXには、チェリビダッケが得意としたフランス音楽とロシア音楽の数々が収められている。

それにしても、何という圧倒的な音のドラマであろうか。

チェリビダッケは、リハーサルにあたって徹底したチューニングを行ったが、これは、音に対する感覚が人一倍鋭かったということの証左であったと言える。

楽曲のいかなるフレーズであっても、オーケストラが完璧に、そして整然と鳴り切ることを重視していた。

それ故に、それを実現するためには妥協を許さない断固たる姿勢とかなりの練習時間を要したことから、チェリビダッケについていけないオーケストラが続出したことは想像するに難くない。

そして、そのようなチェリビダッケを全面的に受け入れ、チェリビダッケとしても自分の理想とする音を創出してくれるオーケストラとして、その生涯の最後に辿りついたのが、本盤の演奏を行っているミュンヘン・フィルであったと言える。

また、チェリビダッケの演奏は、かつてのフルトヴェングラーのように、楽曲の精神的な深みを徹底して追求しようというものではない。

むしろ、音というものの可能性を徹底して突き詰めたものであり、まさに音のドラマ。

これは、チェリビダッケが生涯にわたって嫌い抜いたカラヤンと基本的には変わらないと言える。

ただ、カラヤンにとっては、作り出した音(カラヤンサウンド)はフレーズの一部分に過ぎず、1音1音に拘るのではなく、むしろ流麗なレガートによって楽曲全体が淀みなく流れていくのを重視していたと言えるが、チェリビダッケの場合は、音の1つ1つを徹底して鳴らし切ることによってこそ演奏全体が成り立つとの信念の下、音楽の流れよりは1つ1つの音を徹底して鳴らし切ることに強い拘りを見せた。

もっとも、これではオペラのような長大な楽曲を演奏するのは困難であるし、レパートリーも絞らざるを得ず、そして何よりもテンポが遅くなるのも必然であったと言える。

したがって、チェリビダッケに向いた楽曲とそうでない楽曲があると言えるところであり、本盤に収められたムソルグスキーやチャイコフスキーについては、前述のようなチェリビダッケのアプローチがプラスに働いた素晴らしい名演と言えるだろう。

確かに、テンポは遅い。

しかしながら、とりわけ、組曲「展覧会の絵」は、ラヴェルの光彩陸離たる華麗なオーケストレーションが魅力の楽曲であるが、これをチェリビダッケ以上に完璧に音化した例は他にはないのではなかろうか。

いずれにしても、これらの演奏を演奏時間が遅いとして切り捨てることは容易であるが、聴き終えた後の充足感においては、過去の両曲のいかなる名演にも決して引けを取っていないと考えられるところである。

個人的に気に入っているのは、明晰の極みとも言えるドビュッシーの「海」と「イベリア」で、圧倒的に有機的でいながら、明晰で情報量が多いのである。

その他の楽曲も、チェリビダッケならではのゆったりとしたテンポによる密度の濃い名演と評価したい。

チェリビダッケの徹底した拘りと厳格な統率の下、まさに完全無欠の演奏を行ったミュンヘン・フィルによる圧倒的な名演奏に対しても大きな拍手を送りたい。

本盤に収められた演奏をライヴで聴いていた聴衆は、どれだけ打ちのめされたことだろうか。

演奏が終わってしばらく拍手が起きていないことからも、その感動が伝わろうというものだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)チェリビダッケ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1971年5月のシュヴェツィンゲン音楽祭からのライヴ録音で、当日はシュタルケルとチェコのチェンバリスト、ズザナ・ルージチコヴァーとのデュオ・リサイタルからJ.S.バッハのオブリガート・チェンバロ付のヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第1番ト長調BWV1027及び第3番ト短調BWV1029の2曲と、シュタルケルが無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調BWV1011、ルージチコヴァーが『半音階的幻想曲とフーガニ短調』BWV903をそれぞれ演奏したオール・バッハ・プログラムの一晩の模様が収録されている。

ヘンスラーからリリースされている過去の放送用音源はいずれも録音、保存状態が共に良好で、このライヴも良質のステレオ録音になり客席からの雑音や拍手は皆無だ。

尚ガンバ・ソナタに関しては、6年後に彼らはプラハで全曲セッション録音も行っているので、このデュオ・リサイタルがきっかけになっているのかも知れない。

またシュタルケルはマーキュリー時代にハンガリーの盟友ジェルジ・シェベックとピアノ伴奏盤も残しているし、ルージチコヴァーはフッフロやフルニエとも録音し、その後スークの弾くヴィオラと同曲集をスプラフォンからもリリースしているので、両者にとっても重要なレパートリーだったようだ。

圧巻は何と言ってもシュタルケルの弾く無伴奏チェロ組曲第5番で、改めて彼の真摯で飾り気のない、しかし覇気と深みのある演奏に聴き入ってしまった。

音楽的な構造を弾き崩すことなく明確に感知させながらも自由闊達さを失わない彼の表現は、書道で言えば楷書でも草書でもなく、行書に例えられるのではないだろうか。

プレリュードに続く一連の舞曲も本来の舞踏のスピリットを感じさせるし、また緩徐部分では歌い過ぎることなく、張り詰めた緊張感を保ち続けている。

ステージ上での彼は泰然自若としてあたかも禅僧のように半眼で演奏していたことが思い出されるが、第5番はスコルダトゥーラ調弦なので演奏技術も変則的になる筈だ。

しかしそのパワフルで幅広い表現力は並大抵のものではなく、ここでもやはりライヴ特有の覇気に満たされた、はじけるような擦弦音や激しいボウイングの音が捉えられている。

ルージチコヴァーはシュタルケルと同様に古楽だけでなく現代音楽にも造詣の深いチェンバリストだが、こうした彼女のフレッシュな解釈と大胆なレジスターの処理がシュタルケルのチェロに拮抗して斬新な効果をもたらしている。

彼女の使用楽器は常にモダン・チェンバロで、特にソロにおいてはヒストリカル楽器を聴き慣れた耳にはやや厚かましく響くかも知れない。

それ故ガンバの幽玄な響きには明らかに適さないが、このロココ劇場内で響くチェロとの音量のバランスは妥当で、それほど違和感なく鑑賞することができる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:48コメント(0)トラックバック(0)バッハシュタルケル 

2015年08月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



フランスのヴァイオリニスト、デュメイとポルトガルのピアニスト、ピリスによるグリーグのヴァイオリン・ソナタ全3曲を収録したアルバム。

グリーグ生誕150年記念として、1993年にベルリンで録音され大絶賛を受けた傑作である。

グリーグの3つのヴァイオリン・ソナタはいずれも美しい作品であるが、なぜか録音される機会が少なく、最も高名な第3番でも、新録音のニュースにはあまりお目にかからない。

これらのソナタにはしばしば構造的な欠点が指摘される。

その「欠点」は、これらのソナタに、と言うより、グリーグの作品全般に言われることだが、対位法的な処理があまり行われず、音楽が展開力に乏しいことであるが、逆にグリーグの美点として「美しいメロディ」を創作する能力があった。

そのため、グリーグの全作品を俯瞰すると、圧倒的に多いのが「小品」であり、メロディだけに紡がれた、大きな展開のない音楽だ。

逆に本格的なソナタ形式を踏襲するような規模の大きい作品は極端に少なく、交響曲は習作とされる1曲のみだし、ピアノ・ソナタとピアノ協奏曲がいずれも名品だけれど、たったの1曲ずつ。

そのような背景にありながら、なぜかヴァイオリン・ソナタだけは3曲もあり、この事実は結構重要な気がする。

グリーグが自ら「不向き」と考え、ごく限られたインスピレーションのみを還元していたジャンルにあって、なぜかヴァイオリン・ソナタのみが豊作なのである。

「ヴァイオリン」と「ピアノ」という2つの「歌う」楽器の合奏に、メロディ主体で楽曲を構成できる調和を見出したのかもしれない。

しかしそのヴァイオリン・ソナタも、よく構造的な欠陥が指摘されており、例えば、1つの主題から別の主題に移る際の音楽的な処理は、しばしば「カット」され、ただの「ジャンプ」になってしまっていたりする。

しかし、これらのヴァイオリン・ソナタを彩る旋律は本当に美しいのだ。

だから、上記の様な不自然な音楽的欠陥があっても、筆者はこれらのソナタをとても楽しむことができるし、いろいろな想像をかきたてさせてくれるものだと思っている。

それで、その入手可能なディスクで有力な大御所による録音となると、このデュメイとピリスによるものとなる。

デュメイの演奏は、持ち前の超絶的な技巧をベースに、緩急自在のテンポ設定、思い切った強弱の変化、心を込め抜いた節回しや時として若干のアッチェレランドなどを交えつつ、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした演奏を展開しており、その情感豊かで伸びやかな表現は自由奔放で、なおかつ即興的と言ってもいいくらいのものである。

そして、このようなデュメイの個性的なヴァイオリン演奏をうまく下支えしているのがピリスのピアノ演奏である。

ピリスのアプローチは、各楽曲の北欧風の詩情に満ち溢れた旋律の数々を、瑞々しささえ感じさせるような透明感溢れるタッチで美しく描き出していくというものだ。

その演奏は純真無垢とさえ言えるものであり、世俗の穢れなどはいささかも感じさせず、あたかも純白のキャンバスに水彩画を描いていくような趣きさえ感じさせると言えるだろう。

特に緩徐楽章の郷愁に満ちたメロディが、清涼感に満ちた爽やかな佇まいをもって示されているのは、たいへん好ましいと思う。

作為を感じさせない自然なニュアンスに満ちていて、まるで夏の木陰で、涼やかな風を受けているような心地よい響きなどたいへん魅惑的な演奏だ。

ソナタ第2番の終楽章の輝かしさも忘れ難い。

それにしても、もっと多くのヴァイオリニストに、これらのグリーグのヴァイオリン・ソナタを録音してほしいと願う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)デュメイピリス 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヴォルフガング・ヴィントガッセンは、第2次大戦後のワーグナー・テノールの第一人者で、残されたレコードも大部分ワーグナー。

若々しい声質と風貌のヘルデンテノールで、第2次大戦後最高の爛蹇璽┘鵐哀螢鶚瓩塙發評価された。

ヴィントガッセンの「ローエングリン」の演奏記録は、バイロイト音楽祭に於ける1953年度のカイルベルト盤、翌年のヨッフム盤が残されているが、演奏はいずれ劣らぬ名演。

2種のうち、前者は当時の英デッカのスタッフによる録音なので、モノラル・ライヴとしては最高に素晴らしい録音水準を誇っているのが有難い。

ただしエルザは53年のスティーバーも悪くないが、54年度のニルソンの方が上なので、甲乙つけ難い。

ヴィントガッセンは、バイロイトで最初の2年間は、パルジファルと「ラインの黄金」のフローを歌い、3年目の1953年にはパルジファルをラモン・ヴィナイとダブル・キャストで歌ったほか、新たにローエングリンとジークフリートも歌って、とくにローエングリンで絶賛され、バイロイトでの名声を確立した。

オペラ評論家とした大をなしたアンドルー・ポーターは、当時編集同人をつとめていた英国の『オペラ』誌にこう書いて送った。

「ローエングリンのヴォルフガング・ヴィントガッセンは、ほぼ間違いなく現在の舞台では最高のワーグナー・テノールであろう。ジークフリートの役ではまだ声のスタミナがイマイチだが(ほかの点ではほとんど申し分がないのだが)、彼のローエングリンは力強くノーブルで、甘美でもあり、また叙情味も豊かであった」

本盤の演奏を聴くと、ヴィントガッセンは、ワーグナーを歌って名声があったヘルデンテノールのなかでは声の質がやや細く軽いほうで、とりわけスタミナと劇的な表現力が必要とされるパルジファル、ジークムントなどよりもドイツ語ではユーゲントリヒャー(若々しい)・ヘルデンテノールと呼ばれているリリコ・スピント寄りのローエングリンや「オランダ人」のエリック、「マイスタージンガー」のヴァルターなどにいっそう適していたことがわかる。

前述のポーターも言うように声質もうってつけだし、風貌も役どころにふさわしく、戦後最高のローエングリンだったと思う。

そしてどこまでもドイツ音楽の伝統に根をおき、ドイツ民族の美学を最良の形で示した重鎮カイルベルトの音楽性が過不足なく聴取できると言えよう。

ローエングリンのヴォルフガング・ヴィントガッセン、エルザのエレノア・スティーバー、オルトルートのアストリッド・ヴァルナイ、テルムラントのヘルマン・ウーデ、ハインリヒのヨーゼフ・グラインドルといったエルザのスティーバーを除くと当時のバイロイト常連たちを中心に、カイルベルトが全体をがっちりとまとめあげた演奏だ。

少し前の名歌手たちを巧みに統率しながら、カイルベルトがつくりあげる音楽はオーソドックスで、底力がある。

いかにもドイツの伝統に深く根をおろしているという性格で、すべての要素が安定感をもち、危うさがない。

素朴といえば素朴な性格なのだけれど、このロマンティック・オペラを、ごく自然なスタンスで再現し、そこにはこのオペラ独特の持ち味がよく導き出されており、何も不足はない。

虚飾めいたものはなく、在るがままを素直にまとめた名演と言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:48コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーカイルベルト 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ショルティはマーラーの交響曲の中で特に規模が大きい「第2」を2度にわたってスタジオ録音している。

最初の録音はロンドン交響楽団(1966年)とのスタジオ録音、そして、2度目の録音は、本盤に収められたシカゴ交響楽団との唯一の交響曲全集の一環としてスタジオ録音された演奏(1980年)だ。

ショルティは、バーンスタインやクーベリックなど、一部の限られた指揮者によってしか演奏されていなかったマーラーの交響曲にいち早く注目し、その後のマーラー・ブーム到来の礎を作り上げたという意味では、多大なる功績を遺したと評価できるのではないだろうか。

我が国においては、故吉田秀和氏のように好き嫌いを別にして公平に指揮者を評価できる数少ない音楽評論家は別として、とある著名な某音楽評論家を筆頭に、ショルティに厳しい視線を送る音楽評論家があまりにも多いが、そうした批評を鵜呑みにして、ショルティの指揮する演奏を全く聴かないクラシック音楽ファンがあまりにも多いというのは極めて嘆かわしいことである。

ショルティの各楽曲に対するアプローチは、マーラーの交響曲だけにとどまらずすべての楽曲に共通していると言えるが、切れ味鋭いリズム感とメリハリのある明瞭さであり、それによってスコアに記されたすべての音符を完璧に音化していくということが根底にあったと言える。

マーラーの「第2」について言えば、1966年の演奏はいかにもショルティならではの強烈無比な演奏で、第1楽章冒頭から終楽章の終結部に至るまで、ショルティの個性が全開。

アクセントは鋭く、ブラスセクションは無機的とも言えるほど徹底して鳴らし切るなど、楽想の描き方の明晰さ、切れ味の鋭いシャープさは、他の指揮者によるいかなる演奏よりも(ブーレーズの旧盤が匹敵する可能性あり)、そしてショルティ自身による1970年のマーラーの「第5」の演奏にも比肩するような凄味を有していると言えるだろう。

かかるアプローチは終生変わることがなかったとも言えるが、1980年代以降になると、演奏に円熟の成せる業とも言うべき奥行きの深さ、懐の深さが付加され、大指揮者に相応しい風格が漂うことになったところだ。

その後ショルティは前述のように、「第2」を1980年になって、当時の手兵であるシカゴ交響楽団とともに再録音を行っているが、この1980年の演奏は、1966年の演奏とはかなり様相が異なり、鋭角的な指揮振りは健在であるとは言うものの、聴き手を包み込んでいくような包容力、そして懐の深さのようなものが存在し、聴き手にあまり抵抗感を与えないような演奏に仕上がっている。

したがって、1980年の演奏に抵抗を覚えなかった聴き手の中にさえ、1966年の演奏のような血も涙もない演奏に抵抗感を覚える者も多いのではないかと思われる。

シカゴ交響楽団の光彩陸離たる華麗な演奏ぶりが際立っていることから、このような演奏を内容空虚と批判する音楽評論家も多いようであるが、聴き終えた後の充足感が、例えばバーンスタイン&ニューヨーク・フィル盤(1987年)などの名演に必ずしも引けを取っているわけでもない。

音楽の内面に入り、大きなうねりをもって歌い込むバーンスタイン盤と、音楽を客観的にとらえて、マーラーの音楽がもつ音響的凄さを全面的に出したショルティ盤は対極に位置する演奏である。

改めて本盤を聴くと、まず構築が非常に精微であり、尚且つ知・情・意のバランスが取れている。

それを踏まえた上で全盛期のシカゴ交響楽団は迷い無く豪快に鳴らし切って、器楽部分での不満は本当に全く無く(特にハーセスのトランペットは素晴らしい)、まさに名演だ。

かかる演奏を筆者としては、マーラーの交響曲の演奏様式の1つとして十分存在意義のあるものと考えており、好き嫌いは別として、ショルティの個性が発揮された名演と評価したいと考える。

シカゴ交響楽団も、ショルティのメリハリのある指揮にしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っているとともに、ソプラノのブキャナンやアルトのザカイをはじめとした声楽陣も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:59コメント(0)トラックバック(0)マーラーショルティ 

2015年08月28日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2014年1月20日に惜しまれつつ亡くなった巨匠クラウディオ・アバドの追悼盤として、彼が残した数多くの名演の中から、アウディーテ・レーベルよりリリースされた初出ライヴ音源を収めた1枚。

ウィーン・フィルを振ったシューベルトの『未完成』が1978年、ヨーロッパ室内管弦楽団とのベートーヴェンの交響曲第2番及びワーグナーの『ジークフリートの牧歌』が1988年の、いずれも彼が常連だったルツェルン音楽祭からクンストハウスでの録音になる。

先ず音質についてだが、オリジナル・アナログ・テープの保存状態が良く、今回のリマスタリングによって良質の音響が再現されている。

勿論ふたつのコンサートの間には10年の隔たりがあるので後者のほうが音場の広がりと臨場感においてやや優っているが、どちらも鮮明な音質で破綻もない。

またルツェルン音楽祭の聴衆はマナーが良く、会場の雑音も極めて少ないのが特筆される。

尚拍手の部分は巧妙にカットされている。

シューベルトとの相性が抜群なウィーン・フィルとの『未完成』は第1楽章第2主題のテンポの遅さが意外だったが、オーケストラの瑞々しい音色の魅力を充分に引き出している。

第2楽章の微妙なダイナミクスの変化と対比で描き出す天上的な穏やかさと情熱的な世界は彼一流の指揮法だ。

後にアバドはヨーロッパ室内管弦楽団を指揮して、シューベルトの自筆譜を採用した形でも交響曲全集録音を完成させているが、そちらとの聴き比べも興味深いところだ。

またベートーヴェンにも共通して言えることだが、緩徐楽章での流麗なカンタービレの美しさはたとえようがないほどだ。

特に交響曲第2番ではドイツ音楽の重厚さや深刻さから解き放たれた、あっけらかんとするほどの屈託のなさが支配していて、確かに構築的な音楽ではないが、聴く者を疲労させない開放感と気前良く大音響を発散させるような輝かしい歓喜がある。

しかしそれは決して感性だけに頼った手法ではなく、音響力学の対比を考え抜いた極めて頭脳的なものであるに違いない。

『ジークフリートの牧歌』では森林の曙と小鳥達の囀りと言うよりは、青空の下の大自然をイメージさせるようなアバドらしい平明さの中に、伸びやかな歌心が活かされていてあたかもイタリア・オペラの間奏曲のようだ。

アバドは最晩年まで、若い音楽家たちとの活動にたいへん熱心であったことでも知られ、オーケストラの設立マニアで、ヨーロッパで幾つもの管弦楽団を新しく組織した。

彼らとの顔合わせでは、実に活き活きとした音楽を聴かせていたが、アバド自らが設立に関わったヨーロッパ室内管弦楽団を指揮したベートーヴェンとワーグナーもそうした部分が良く出た内容。

それはとりわけ若い演奏家達に公開演奏のチャンスを与え、また一流のアーティストと共演させることによって音楽家としての経験を積ませるためで、後進の育成という面でもクラシック音楽界に大きな貢献をした指揮者だが、そのひとつがヨーロッパ室内管弦楽団で、このCDでもそのフレッシュな演奏が聴きどころだ。

技術的にも統制された機動力を発揮するオケで、アバドの要求にも良く応えている。

アバドを心から慕う若いメンバーたちの高い表現意欲と緻密なアンサンブルに、アバドもまた触発されて、透明なまでの美しさも印象的な、きわめて洗練された演奏が繰り広げられている。

尚写真入31ページのライナー・ノーツには独、英、仏語によるアバドへの追悼と、彼のルツェルン音楽祭における演奏活動についてのコメントが掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:38コメント(0)トラックバック(0)アバド 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本作は、イタリア・バロックを中心に録音を行ってきたイル・ジャルディーノ・アルモニコが、バッハの名曲に挑戦したアルバムで、躍動感あふれるバッハ作品が堪能できる1枚。

ジョヴァンニ・アントニーニ率いるイル・ジャルディーノ・アルモニコが手掛けたバッハの『ブランデンブルク協奏曲』全曲集で、ごく最近復活したリイシュー盤になる。

録音は1996年から翌97年にかけてスイスのルガーノで行われ、ソロ楽器のエクストラを含めるとメンバーは総勢24名の大所帯だが、現在ソリストとしての活動が目覚しいバロック・ヴァイオリニストのエンリーコ・オノーフリもヴィオリーノ・ピッコロ、ヴァイオリン、ヴィオラで、また指揮者アントニーニ自身もリコーダーとトラヴェルソを演奏して八面六臂の活躍をしている。

『ブランデンブルク協奏曲』も今やピリオド・アンサンブルによる演奏が主流になってその選択肢も多いが、彼らの解釈は昨年リリースされたカルミニョーラのソロによるバッハのヴァイオリン協奏曲集に通じる開放的でドラマティックなイタリア趣味に支配されている。

ただ筆者自身は彼らの他の演奏から想像されるようなもっとラディカルなものを期待していたためか、いつものような新奇さはそれほど感じられなかった。

確かにバッハの場合、彼らが得意とする自在なテンポ設定や即興的な要素がある程度制限されてしまうのかも知れない。

ピリオド楽器の中でも管楽器はその個性的な音色に魅力がある。

第1番はナチュラル・ホルンの野趣豊かな響きを全面に出した音響を堪能できるし、第2番では以前使われていた小型のトランペットではなく、ヒストリカル楽器が使用されていて、音色もマイルドで他の楽器、例えばリコーダーやヴァイオリンなどを圧倒しない奥ゆかしさがある。

第3番の第2楽章でバッハはふたつの和音しか書き込まなかったが、オノーフリが短い即興的なヴァイオリンのカデンツァを挿入している。

また第5番では第2楽章のヴァイオリン、トラヴェルソとチェンバロの可憐な対話が美しいし、第6番では通奏低音としてチェンバロの他にリュートを加えて一層親密で和やかな雰囲気を醸し出している。

イル・ジャルディーノ・アルモニコは1985年にミラノで結成されたピリオド・アンサンブルで、若手奏者を中心に当時アーノンクール、レオンハルトやピノックの下で研鑽を積んだ経験者が参加している。

指揮者アントニーニ自身もまたレオンハルトと演奏活動を行っていたひとりだ。

テルデックの歴史的古楽レーベル、ダス・アルテ・ヴェルクから代表的なセッションがリリースされているが、最近ではチェチリア・バルトリやレージネヴァなどのアリア集の伴奏でも健在なところを見せているのが興味深い。

メンバーのそれぞれが由緒ある古楽器やそのコピーを使った古色蒼然としたサウンドに現代感覚を活かして解釈する斬新な表現に魅力がある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:36コメント(0)トラックバック(0)バッハ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



既に幾つかのレーベルで恒例になったリイシューCD抱き合わせのカタログのひとつで、ハルモニア・ムンディ2015年版カラー写真入り125ページのミニ冊子には、2014年までにリリースされた現行のクラシック・ジャンルのミュージック・メディアが総て掲載されている。

ただし入門者のために、このハルモニア・ムンディはフランスに本社を置くレーベルで、ドイツ・オーストリア系の同名の会社ではないことを断わっておく。

先ずニュー・リリースの紹介があり、その後アルファベット順作曲家別のCD及びデジタル・メディア、更にリサイタル、アンソロジーと続きDVDの部で締めくくられる。

CDについては筆者の知るところではモーツァルトの『魔笛』抜粋版やシュタイアーの『ゴールトベルク変奏曲』などを付けた10種類ほどの同様のカタログがリリースされていて鑑賞者への選択肢を提供している。

ハルモニアは独自のポリシーを掲げたメーカーで、実力派の演奏家が多くまた古楽部門の充実ぶりも見逃せない。

付録のCDの方はモーリス・シュテーガーの珠を転がすような粒揃いの美音と乱舞するイタリア式装飾音が目覚しい演奏で、理屈抜きで耳を楽しませてくれる。

しかし技巧ばかりに走るのではなく、最後の『サラバンダのテーマによるグラウンド』のように高い音楽性を示した解釈も聴きどころのひとつだろう。

エキサイティングにサポートするイングリッシュ・コンサートは通奏低音にアーチリュート、バロックギター、チャンバー・オルガン、チェンバロを適宜交替させてアンサンブルに一層華やかな彩りを添えている。

メンバーと使用楽器の詳細がライナー・ノーツに掲載されているが、この録音にシュテーガーが使ったリコーダーは、ステンスビー・モデルのC管ソプラノ、ブレッサン・モデルのD管テノールとB♭管ソプラノ、そしてデンナー・モデルのF管アルトの4本で、演奏ピッチはa'=416Hz。

2009年7月のセッションで、翌年リリースされたもののリイシューだが、ライナー・ノーツの写真を若干拡大しただけで既出のCDと内容は全く変わらない。

コレッリの死後も彼の作品はロカテッリやジェミニアーニなどの弟子達やローマ滞在中に親交を深めたヘンデルによってヨーロッパ全土に知れ渡った。

とりわけロンドンではアマチュア音楽愛好家の間でコレッリ・リバイバル・ブームを巻き起こしたために、さまざまな形態によるアンサンブル用のアレンジが行われ、そうした楽譜も飛ぶように売れたようだ。

このCDに収録されている作品5の12曲のヴァイオリン・ソナタ集を中心とする編曲物も例外なく当時の印刷譜や手稿譜が使われている。

尚トラック11のジェミニアーニ版合奏協奏曲『ラ・フォッリーアのテーマによる25の変奏』にはシュテーガーのリコーダーは加わっていない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:54コメント(0)トラックバック(0) 

2015年08月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このCDに収録された6曲のヴァイオリン協奏曲は、指揮者であり、ピリオド楽器のアンサンブル、アカデミア・ビザンティーナを率いるチェンバリスト、オッターヴィオ・ダントーネによって選曲された作曲家晩年の作品で、手稿譜からオリジナルの形を復元したスコアを使っているところに特徴がある。

250曲にも上るヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲は、彼自身によって校訂された出版譜は少なく、当時から手を加えられたり、改作されたものが氾濫していて本来の原曲の美しさが歪められてしまっているようだ。

ライナー・ノーツの冒頭に紹介されている1739年のベンティヴォッリォ侯爵宛のヴィヴァルディの書簡には、自分の作品への音符の勝手な変更や如何なる改竄をも一切禁じることが殆んど怒りと軽蔑を持って書かれている。

ここではダントーネの研究者としての注意深い楽譜校正によって、これらの曲がソロ・ヴァイオリンのみならず、弦楽合奏や通奏低音の部分にも作曲家が指示した曲想やディナーミクを忠実に辿りながら再現を試みている演奏に面白みがある。

アカデミア・ビザンティーナのサポートもかなり積極的で、鮮烈な音質が相俟って低音の強調やバロック特有の深い明暗の対照、大胆で動的な楽想が浮き彫りになって、ヴィヴァルディ晩年の音楽観を知る上でも興味深い。

ちなみにRV281ホ短調及びRV187ハ長調の2曲はオリジナル版の演奏で、またRV283ヘ長調は世界初録音になる。

特に後者の第3楽章では短いながらカルミニョーラの弾く華麗なカデンツァが聴きどころだ。

カルミニョーラはダントーネの解釈に従って、極めて多彩な表現でヴィヴァルディの協奏曲の華やかさや、また時にはアグレッシブな奏法でその劇的な特徴を良く捉えているが、毎回オリジナル楽器の音を堪能させてくれるのが楽しみのひとつでもある。

今回このセッションに使われたヴァイオリンは、1739年に製作されたボローニャの名工ヨハネス・フロレーヌス・グィダントゥスの手になるもので、その明るい音色や高音の輝かしさ、幅広い表現力などは如何にもイタリアの名器らしい。

時代的にはストラディヴァリウス直後に活躍した工匠で、ヴァイオリニストにとっては一度は手にしてみたい楽器のようだ。

尚ピッチはa'=415Hzで現在より半音低いスタンダード・バロック・ピッチを採用している。

2012年6月の録音で音質は極めて良好。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:50コメント(0)トラックバック(0)ヴィヴァルディ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



既に指揮者としても第一級の評価を与えられているバレンボイムであるが、ピアニストとしての彼の活動も忘れるわけにはいかない。

バレンボイムほどに自身の音楽家としての将来に一貫した計画をもち、それに沿って着実に充実を計ってきた演奏家も珍しいのではないだろうか。

ピアニストとしてのバレンボイムは、1回ごとのヴァラエティに頼ったプログラムでのコンサートよりも、モーツァルトやベートーヴェンのソナタや協奏曲の連続演奏会や、ロマン派のピアノ作品のシリーズ演奏会などを通じて、まとまりのある音楽的な体験を聴き手と共有してきた。

指揮者バレンボイムも同様に1975年から首席指揮者・音楽監督をつとめたパリ管弦楽団や、1991年から音楽監督をつとめたシカゴ交響楽団、1992年から音楽監督の地位にあるベルリン州立歌劇場、多く客演するベルリン・フィルやウィーン・フィルなどを通じて、しっかりと目標を定めたプログラミングで演奏活動を行ってきている。

バイロイト音楽祭も含めたそれは、その場の成功だけではなく、将来へ向けての自らの滋養となる音楽を厳選しての活動である。

こうした活動のうちに、バレンボイムは他の人にはなかなか明かさない「最終目標」を秘めていたかのように思えた。

そのひとつがベートーヴェンの「交響曲全曲の録音」で、「自分が確信をもてるオーケストラの地位を得たときに初めて、確信ある演奏で録音したい」と、これほどまでに経験豊かな指揮者としては用心深く慎重な態度を崩さなかったが、先般、シュターツカペレ・ベルリンとともにベートーヴェンの交響曲全集を録音したのは感銘深かった。

そのバレンボイムがピアニストとしてもこうして、実に3度目となるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音してくれたのは、彼のベートーヴェンに関心をもつ者にとっては何よりうれしいことである。

先にも記したように、バレンボイムはキャリアの比較的初期からベートーヴェンのソナタ全曲演奏会を各地で開いてきている。

だから、これも慎重を期しての録音なのだろうが、演奏のどこにも慎重さゆえの堅苦しさはなく、音楽は豊かに解放され、その随所で美しい薫りを漂わせている。

バレンボイムは指揮とピアノの両方を二足のわらじとも、相反するふたつのレヴェルのものだとも考えてはいない。

「私に関する限り、音と肉体的な接触をもつことが、どうしても必要なのです。演奏と指揮は私にとって、ひとつの物事の裏と表なのです」「ピアノを演奏しているときには、自分が指揮者であると思って、自分の演奏をほかの誰かの演奏を聴くように第三者として聴こうと試みます。それとは逆に指揮をしているときには、楽器を演奏しているような気持ちをもちます。このふたつは決して相反するものではないのです」(バレンボイム)

このベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集に私たちが聴くのも、“第三者の耳で吟味された音楽”である。

ただしその第三者も、当面する楽器の技巧や表現法に縛られる“いまピアノを弾いているピアノ演奏家としての彼”ではないにしても、広く豊かな経験を有する“音楽家バレンボイム”に他ならないことこそが素晴らしいのである。

「偉大な指揮者は、作曲家や器楽奏者としても優れていなければならない」というバレンボイムの言葉は逆に、「偉大な演奏家であるためには、指揮者のような客観性が必要」だとも聞けるのである。

ここに聴かれるベートーヴェンのソナタは、いずれもいわゆる一般的な意味での「名演奏」を遥かに超えている。

まず第一にテンポの設定とその扱いの自由さには、誰もが瞠目させられるに違いない。

音楽の勢いを表出するために表面的な活気を演出するのではなく、相対的には落ち着いたテンポが選ばれているが、旋律の味わいや和声の変化に添って自然に息づく精妙なニュアンスには、たとえようもなく広がりと奥行きのある楽興が横溢している。

バレンボイムの卓越したベートーヴェン解釈は、まるで交響曲を指揮するかのごとく各パートが立体的に扱われ、信じられないほどに多彩な音色感とデュナーミクが駆使されており、他のベートーヴェン演奏では聴けない充足感がある。

聡明さと音楽表現への意欲、そして愛情がひとつに結ばれて、ベートーヴェンのソナタがこれまで以上に含蓄あるものとして聴き手を存分に触発する優れた演奏である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンバレンボイム 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ダヴィッド・フレーのヴァージン・クラシックスへのデビュー・アルバムで、新旧両作曲家の作品を交互に並べたカップリングはこれまでに余り例がないが、何事もないかのように続けられる演奏が彼のこだわりのない広い音楽観を良く表している。

しかもバッハとブーレーズの間にそれほど違和感を感じさせないのは、フレーの一貫した音楽性によって全曲が統一されているからだろう。

本盤におけるフレーの演奏はウェットで軽やかな詩情と洗練された音響に満たされている。 

バッハの作品では明るく開放的なフレーズが、軽やかな詩情に乗せて歌われるが、一面サラバンドのような緩徐楽章ではウェットでいくらか耽美的な雰囲気を醸し出している。

いずれにせよフレーの演奏は総てが彼なりに完璧に料理されていて、その特徴はバッハに関しては最低限バロック的なルールを守りながら、対位法の旋律に溢れんばかりの感性を託して歌っていることだろう。

バッハの鍵盤楽曲の中では最も自由な発想で書かれた『パルティータ第4番』では、そうした可能性が最大限発揮されている。

彼が最近リリースしたCDも2曲の『パルティータ』であり、こうした選曲は決して偶然とは思えない。

一方ブーレーズの2曲は彼が作曲家自身から演奏についての助言を受けたもので、こちらにもフレーの表現上のエッセンスがそれぞれの曲に良く反映され、洗練された透明な音響を作り出している。

それは決して奇をてらった押し付けがましい解釈ではなく、自然に聴き手を自分の方に誘導するすべも知っているようだ。

若手だが既に演奏表現に対するしっかりしたポリシーを持っていて、しかも大らかで無理のない表現力とレパートリーを限定してじっくり取り組む姿勢から、将来を期待できるピアニストの1人であることが窺われる。

同世代のドイツの若手、マーティン・シュタットフェルトとは全く違うタイプのユニークな存在として評価したい。

尚これからこのCDを購入したい方は、バッハのピアノ協奏曲集とセットになってプライス・ダウンされた2枚組の方をお薦めする。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:42コメント(0)トラックバック(0)バッハブーレーズ 

2015年08月26日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シャルル・ミュンシュがボストン交響楽団と1956年から62年にかけて行った、フランス系の作品を集めたセッションで、このCDはRCAのレッド・シールからBlu-spec-CD仕様としてリイシューされたものになる。

この時代の録音としては優秀だった旧盤との音質の違いはわずかだが、鮮明さではこちらが若干優っている。

いずれにしてもアナログ音源特有のテープ・ヒス及び数ヶ所に点のようなノイズが多少残っているのも事実だ。

ここに収められた4曲の中ではフランクの交響詩『呪われた狩人』が最も録音状態が良く、彼らの得意とする絵画的な情景描写とデモーニッシュな表現が力強く示された演奏だ。

勿論それはデュカスの『魔法使いの弟子』にも言えることで、幅広くうねるようなダイナミズムを駆使したボストン交響楽団の力量を余すところなく聴かせている。

この曲ではオーケストラの音像自体はコンパクトだがバランスが良く、そのために奥行きが感じられスペクタクルな曲想が良く捉えられている。

またイベールの『寄港地』での茫洋とした海原をイメージさせる第1曲や、続く第2曲の異国情緒の表出も流石で、このCDでは最も古い録音であるにも拘らずマスターの保存状態も極めて良好だ。

当時のボストン響の充実度を裏付ける豊麗な響き、現在は失われてしまったフランス的な特質を堪能できる。

一方フランクのもう1曲『交響曲ニ短調』はミュンシュ&ボストン響の最高傑作の1つ。

ベルギー人だったフランクは、構成感や重厚さを重視するドイツ的な作風を持ち、その意味でミュンシュの音楽性にぴったりの作曲家だった。

彼は1945年=パリ音楽院管弦楽団、1957年=ボストン響(当盤)、そして1966年=ロッテルダム・フィルと3種類の録音を残しており、ミュンシュによる同一曲録音回数記録では、「幻想」の5回、ラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ボレロ」「ラ・ヴァルス」「スペイン狂詩曲」の4回に次ぎ多い。

この交響曲にフルトヴェングラーやメンゲルベルク、ザンデルリンクなど、ドイツ系の指揮者の名演が多いのもそのためであり、むしろ生粋のフランス人指揮者の演奏には不満が残ることが多い。

その意味でミュンシュの解釈は理想的。

豪快な力強さ、緊張感が漲りながらも、どこまでも開放的な情熱が横溢しておりドイツ的な構成感とフランス的な色彩を合わせ持ったフランクの本質に相応しい名演である。

ミュンシュらしい色彩感に溢れる濃厚な情緒を持っているが、この曲の内省的な面よりはむしろオーケストレーションの華麗さを前面に出した解釈で、その意味ではこの作品に内在するエネルギーを外側に向けて引き出した、より感覚的な演奏の最右翼たるセッションだろう。

全体的に屈託のないラテン的な雰囲気があり、フランクの音楽に哲学的な深みや渋みを求める方は意見が分かれるところかも知れない。

音質的に言うと、当時の技術的な問題だと思うが、音場は広いが金管楽器が咆哮する部分では生の音が拾われて空気管に乏しい平面的な音響になってしまう弱点がある。

尚この曲集は更に高音質化されたXRCDバージョンでもリリースされている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)ミュンシュフランク 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2011年で没後10年の巨匠アイザック・スターンによるベートーヴェン録音を収録した廉価盤BOX。

この9枚のCDにはスターンが1964年から1992年にかけて録音したレパートリーの中からベートーヴェンの作品が集大成されていて、彼の古典音楽に対する典型的な奏法を堪能できるのが特徴だ。

特有の丸みを帯びた、明るく艶のある音色で奏でるヴァイオリンは、どこか天衣無縫な大らかさがあり、しかもメリハリの効いた表現は容易に他のヴァイオリニストと聴き分けることができる。

またスターンは聴衆に対して、尊大で近寄り難い印象を与えることは全く無かった。

彼の魅力はそんな気さくさにも感じられるが、一方ではユダヤ人としての尊厳から、彼は戦後オーストリアとドイツでは決して演奏をしなかった。

そうした不屈の闘志と素朴で飾り気の無い暖かい人間性が、その演奏にも良く反映されていると思う。

彼と同世代のヴァイオリニストにシェリング、グリュミオーそしてコーガンがいたが、いずれも全く異なる演奏スタイルでそれぞれが確固たる哲学を主張していた時代にあって、スターンは活動期間が最も長く、また後進の育成にも熱心だったことから、次の時代への引き継ぎ役としても大きく貢献していた。

このセットでは2曲の協奏曲の他にユージン・イストミンとのヴァイオリン・ソナタ全曲やチェロのレナード・ローズが加わるピアノ・トリオでのアンサンブルの一員としても、毅然としたスケールの大きな演奏を充分に鑑賞できるのが嬉しい。

特に、スターンがバレンボイムと共演したヴァイオリン協奏曲は、この曲のもつ抒情性を尊んだ外柔内剛の演奏で、まさに王者の風格をたたえた名演である。

最高にすばらしいテクニックを持っていながら、それを決して誇示せず、音楽の内面を掘り下げてじっくりと弾いた演奏である。

スターンには1959年にバーンスタイン&ニューヨーク・フィルをバックに弾いたものもあり、それも、きわめて健康的な快演だったが、この演奏には年輪の厚みを加えた大家の、内面から湧き出た心の牴劉瓩ある。

作品の抒情的な面に光をあて、ひとつひとつのフレーズをまごころこめて弾きあげているところがよく、ことに第2楽章の深々とした味わいは絶品だ。

バレンボイムの伴奏も音楽的にきめが細かくスターンの深みのある演奏を見事にサポートしている。

同じく気品と抒情がゆるやかに流れる名作「ロマンス」2曲も、小澤征爾&ボストン響という絶好のバックを得て、これまた秀演と言えるだろう。

スターンは色気のない音で厳しい表現を示し、ともに中間主題の熾烈さが聴きもの。

小澤の指揮は誠実そのもので、充実した厚みと豊かさを持ち、落ち着いた足取りがスターンの音楽にぴったりである。

そして、親しみやすくロマンティックなメロディが春の息吹きを想わせる「スプリング」や、精神の奥深くから溢れ出る心模様をより自由な作風に生かした「クロイツェル」などを含むヴァイオリン・ソナタ全曲。

スターンが、永年の音楽の同志イストミンと紡ぎだす演奏は、純粋であるがままの音楽の流れの中に身をゆだね、幸せな境地に誘う。

巷間、スターンは明るい音色と言われるが、ここでは渋味、厳しさ、枯れた味わいなど彼の音と表現が深く、また広がりを見せている。

そしてレナード・ローズも加わった三重奏曲の全曲も、チャーミングなメロディが横溢する佳品で、まさに知・情・意のバランスが取れた名演奏である。

また時代を感じさせない鮮明な音質も特筆される。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:50コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンスターン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



プラガ・デジタルスからリリースされているSACDの管弦楽曲シリーズでは最新盤の1枚で、音源自体は1957年及び58年にオープン・リール磁気テープに収録された半世紀も前の古いステレオ録音だが、今回のDSDリマスタリングによって極めて鮮やかな音質が蘇っている。

楽器ごとの解像度、音響の広がりや高音の伸びも満足のいくもので、特にこのディスクに収められたドビュッシーでは、指揮者ロザンタールがオーケストラから醸しだすカラフルな光彩と移り行く陰影の妙が、作曲家のオーケストレーションを通して見事に映し出されている。

玉石混交のこのシリーズのSACD化では優れたサンプルとして高く評価したい。

本盤に収められているのは、ラヴェル最後の直弟子で、指揮者、作曲者として名を残すロザンタール(1904-2003)によるドビュッシー作品の録音集で、いずれも1957〜59年頃の録音。

ロザンタールはクリュイタンスよりひとつ、マルティノンより6歳ほど年上の生粋のパリジャンで、99歳の長命を全うしたために現在活躍中のアーティストとの協演も残しているが、彼はまた作曲家やアレンジャーとしての活動にも積極的であったことから、指揮者としては彼らに比較してそれほど知名度が高くないのも事実だろう。

しかし近代フランスものでは映像的な情景描写が巧みで、まだこの時代には濃厚に存在していたフランス趣味を満喫させる能力を縦横に発揮している。

交響詩『海』、『遊戯』、『夜想曲』そして『マルシュ・エコセーズ』のどれをとっても音色のブレンド、ディナーミクの変化をフルに使った音響や、テンポの運びの意外な移り変わりはロザンタールの指揮法の秘訣だが、オーケストラのパリ・オペラ座管弦楽団も現在では失われつつある暖色系の音色と、柔軟で微妙なニュアンスを表現し得た、当時の彼らの流儀を充分に披露している。

それには勿論自国の作曲家の作品という強みもあるに違いないが、こうしたドビュッシーの響きには現代では得がたい味わいがある。

また、指揮者として活躍しているセルジュ・ボドの父親の、オーボエ奏者エティエンヌ・ボドが奏でるイングリッシュ・ホルン(「雲」)にも注目。

『春の挨拶』と『祈り』では前者にソプラノ・ソロと女声コーラス、後者にはテノール・ソロと男声コーラスが伴うが、声楽の明るさと低音が薄手の軽やかさは、ひとつ間違えば軽佻浮薄に思えるほど一見つかみどころのない特有の感性がある。

しかしそれがフランス印象派の持ち味でもあり、また楽しむべきところなのかも知れない。

光彩と陰影の妙といったまさしく印象派絵画を思わせる色調表現、また、当時のフランスのオーケストラ特有のヴィブラートの効いた管楽器の音色など、古きよきフランスのオーケストラを堪能できる1枚である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:50コメント(0)トラックバック(0)ドビュッシー 

2015年08月25日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは素晴らしい名演だ。

マーラーの交響曲第1番には、ワルター&コロンビア交響楽団(1961年)、バーンスタイン&コンセルトへボウ・アムステルダム(1987年)、テンシュテット&シカゴ交響楽団(1990年)といった至高の超名演があるが、本演奏はこれらの横綱クラスに次ぐ大関クラスの名演と言えるのではないだろうか。

マーラーの交響曲第1番はマーラーの青雲の志を描いた作品であり、円熟がそのまま名演に繋がるとは必ずしも言えないという難しさがある。

実際に、アバドは後年、ベルリン・フィルの芸術監督に就任後まもなく同曲をベルリン・フィルとともにライヴ録音(1989年)しており、それも当時低迷期にあったアバドとしては名演であると言えなくもないが、本演奏の持つ独特の魅力には到底敵わないと言えるのではないだろうか。

これは、小澤が同曲を3度にわたって録音しているにもかかわらず、最初の録音(1977年)を凌駕する演奏が出来ていないこととも通暁するのではないかと考えられる。

いずれにしても、ベルリン・フィルの芸術監督に就任するまでのアバドの演奏は素晴らしい。

本演奏でも、随所に漲っている圧倒的な生命力とエネルギッシュな力感は健在だ。

アバドは、作品全体の構造を綿密に分析したうえで、各要素を絶妙のバランス感覚をもって表現している。

細部までアバドの的確な眼差しが行き届き、精緻に仕上げられたマーラーで、シャープな感覚でとらえられ、描き上げられた演奏と言うこともできる。

アバドはこの作品の微細な部分を精緻な視点で掘り下げるとともに、大局的な観点からの構造把握も忘れておらず、ここまで明晰なマーラーを聴くのは、筆者としても初めての体験であった。

それでいて、アバドならではの歌謡性豊かな歌心が全曲を支配しており、とりわけ第2楽章や第3楽章の美しさには出色のものがある。

終楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強さには圧巻の凄みがあると言えるところであり、壮麗な圧倒的迫力のうちに全曲を締めくくっている。

いずれにしても、本演奏は、強靭な力感と豊かな歌謡性を併せ持った、いわゆる剛柔バランスのとれたアバドならではの名演に仕上がっていると高く評価したい。

また、シカゴ交響楽団の超絶的な技量にも一言触れておかなければならない。

当時のシカゴ交響楽団は、ショルティの統率の下、スーパー軍団の異名をとるほどのオーケストラであったが、本演奏でも若きアバドの指揮の下、これ以上は求め得ないような最高のパフォーマンスを発揮しているのも、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

音質は、ダイナミックレンジが異常なほど幅広い録音であることも大きな特徴で、オーディオファンにも関心を持たれていた名盤であり、従来盤でも比較的満足できる音質ではあったものの、前述のベルリン・フィル盤がSHM−CD化されていることもあって、その陰に隠れた存在に甘んじていたと言える。

しかしながら、今般、同じくSHM−CD化による高音質化が図られたというのは、本演奏の素晴らしさに鑑みても大いに歓迎したいと考える。

SHM−CD盤であらためて聴いてみると、強靭なパフォーマンス一点張りのなかに、アバドの温かい人間味を感じることができるのである。

このSHM−CD盤で、今までヴェールに包まれていてわからなかった当演奏の新たな側面を提示してくれたことはとても素晴らしいことだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)マーラーアバド 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アバドの追悼盤の中でもその充実した内容が特筆されるセットである。

39枚のCDにはドイツ及びロシア系の音楽への造詣が深かったアバドらしく、バッハの『ブランデンブルク協奏曲』全6曲を始めとするドイツ系の作曲家の作品には17枚、そしてチャイコフスキーの交響曲全集やムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』全曲を含むロシア物に15枚のCDが割り振られている。

中でもCD4枚強をカバーするムソルグスキー作品集では『展覧会の絵』こそないが、純管弦楽版とコーラス付の異なった2種類のヴァージョンによる『禿山の一夜』や『ホヴァンシチーナ』からセレクトされた幾つかのシーンを加え、ロシア人指揮者顔負けのレパートリーを披露している。

また歌物では誰にも引けを取らなかったアバドだけに、ここでも都合3曲のオペラ全曲盤と独唱やコーラス入りの作品にその資質が縦横に発揮されているのが注目される。

また量的に一番少ないのは皮肉にもイタリアの作品群だが、ロッシーニ序曲集及び彼自身による150年ぶりの蘇演後完全に手中に収めた『ランスへの旅』や、ヴェルディ序曲集と『シモン・ボッカネグラ』などが収録されている。

一方アバドが得意とした現代音楽からは曲数こそ少ないが、彼が力を注いだジャンルだけに際立った演奏を聴くことができる。

例えばルイジ・ノーノの『断ち切られた歌』はファシズムの犠牲者となったレジスタンスの死刑囚の手紙を扱った作品で、アバドの精緻なアプローチと柔軟な感性が鮮烈な音響と結びついたセッションだ。

その他にも五嶋みどりとの協演になるショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番、アイザック・スターンとピーター・ゼルキンを迎えたベルクの『室内協奏曲』、更にレーガーやリームの作品を採り上げてその真価を改めて問い直している。

最後の2枚はミラノ・スカラ座管弦楽団のピックアップ・メンバーによるバッハの『ブランデンブルク協奏曲』全曲で、1975年から76年にかけてのリコルディ・レーベルへの録音になる。

この時期スカラ座管弦楽団はまだ劇場から独立したオーケストラではなかったが、彼らの手腕と豊富な音楽経験に着目したアバドによって1982年にスカラ座フィルハーモニーとして劇場以外でも自主公演する団体に再組織される。

その頃既にローマのサンタ・チェチーリア音楽院の卒業生によって結成されたアンサンブル、イ・ムジチ合奏団がヴィヴァルディの『四季』で大ヒットを飛ばしていたが、スカラ座はミラノのヴェルディ音楽院の出身者が多く、アバド自身も、そして第5番でチェンバロ・ソロを弾いているブルーノ・カニーノも例外ではない。

それゆえ我々にも第一級のバロック音楽が演奏できるという自負と対抗意識がなかったとは言えないだろう。

中庸を得た整然とした解釈にカンタービレを欠かすことのないアバド特有の美学が象徴的だ。

尚楽譜出版社リコルディの録音状態も上々で、鮮明な音質だけでなく、左右の分離状態、臨場感も極めて良好だ。

ライナー・ノーツは87ページあり、英、独、仏語による簡易なアバドについてのコメントと全オリジナル・ジャケットの写真付曲目一覧の他にも、アバドのスナップも多数掲載されている。

ボックス・サイズは縦13X横13,5X奥行き11cmでシンプルだがしっかりした装丁。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:02コメント(0)トラックバック(0)アバド 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



前にも書いたことだが、このプラガ・ディジタルスのSACDシリーズは玉石混交で、リリースされている総てのディスクを手放しでお薦めするわけにはいかない。

勿論リヒテルの演奏自体については溢れるほどの音楽性とヴィルトゥオジティのバランスが絶妙だった1950年代壮年期のライヴでもあり、彼のかけがえのない記録であることに異論を挟むつもりはない。

リヒテル十八番のシューマン3篇で、当時の彼は「鉄のカーテン」で隠され、幻のピアニストとして西側音楽界の伝説となっていたが、この凄さは今日でも驚嘆のレベルにある。

しかし録音自体の質とブロードキャスト・マスターテープの保存状態が悪く、細かい音の揺れやフォルテで演奏する時には再生し切れない音割れが生じている。

それ故、この音源をあえてSACD化する必然性があったかどうかというと首を傾げざるを得ない。

それでもあえてここに採り上げたのは、幸い最後の『ウィーンの謝肉祭の道化』が唯一まともな音質を保っているからで、結局いくら歴史的な名演奏でもオリジナルの音源自体に問題があれば、たとえSACDとしてリニューアルしても、驚くような奇跡の蘇生を期待することはできない。

むしろより安価なレギュラーのリマスターCDで充分という気がする。

『交響的練習曲』は1953年12月12日のプラハ於けるライヴのようで、リヒテルの集中力とダイナミズムの多様さ、そして途切れることのない緊張感の持続が素晴らしい。

この演奏で彼は遺作のヴァリエーション5曲を第4変奏と第5変奏の間に挿入している。

主題の深く沈んだ表情から、あたかも物語を語り紡ぐように各変奏を描いていく様、センチメンタリズムのみじんもない男のロマン、激しい部分での炎のようなエネルギーいずれも巨人な名にふさわしい芸術で、哲学的とも言える抒情の表出も秀逸だ。

ただし何故かエチュード8,9,10番が抜けている。

理由は不明だが、この作品の出版に由来する曲の構成上の問題から、本人が当日演奏しなかったことが予想される。

また1959年11月2日のプラハ・ライヴの『幻想曲ハ長調』は、覇気に貫かれた名人芸が聴きどころだが、音質の劣悪さが惜しまれてならない。

この曲も数種類の異なったソースが残されていて、中でもデッカのザ・マスター・シリーズ第7巻には1979年のフィリップスへの良質なライヴ音源が収録されている。

3曲目の録音データ不詳『ウィーンの謝肉祭の道化』で、リヒテルはこの曲のタイトルからイメージされる諧謔的な表現には目もくれず、むしろピアノのためのソナタとしての構成をしっかりと捉え、シューマン特有の凝縮されたピアノ音楽のエッセンスを抜き出したような普遍的な価値を強調しているように思う。

演奏は冴えに冴え、長い第1楽章も一気に聴かせてしまうだけでなく、第2楽章ロマンツェの情感とピアノの音色は人間業と思えぬ、まさに奇跡、驚異の演奏がリアルに蘇り、リヒテルのシューマンを再認識させてくれる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:57コメント(0)トラックバック(0)シューマンリヒテル 

2015年08月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



スメタナ弦楽四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲の名演としては、1976〜1985年という約10年の歳月をかけてスタジオ録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集が名高い。

さすがに、個性的という意味では、アルバン・ベルク弦楽四重奏団による全集(1978〜1983年)や、近年のタカーチ弦楽四重奏団による全集(2002年)などに敵わないと言えなくもないが、スメタナ四重奏団の息のあった絶妙のアンサンブル、そして、いささかもあざとさを感じさせない自然体のアプローチは、ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力をダイレクトに聴き手に伝えることに大きく貢献している。

もちろん、自然体といっても、ここぞという時の重量感溢れる力強さにもいささかの不足はないところであり、いい意味での剛柔バランスのとれた美しい演奏というのが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏の最大の美質と言っても過言ではあるまい。

ベートーヴェンの楽曲というだけで、やたら肩に力が入ったり、はたまた威圧の対象とするような居丈高な演奏も散見されるところであるが、スメタナ弦楽四重奏団による演奏にはそのような力みや尊大さは皆無。

ベートーヴェンの音楽の美しさや魅力を真摯かつダイレクトに聴き手に伝えることに腐心しているとも言えるところであり、まさに音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番と第16番は、前述の名盤の誉れ高い全集に収められた弦楽四重奏曲第15番と第16番の約20年前の演奏だ。

全集があまりにも名高いことから、本盤の演奏はいささか影が薄い存在になりつつあるとも言えるが、レコード・アカデミー賞受賞盤でもあり、メンバーが壮年期を迎えた頃のスメタナ弦楽四重奏団を代表する素晴らしい名演と高く評価したい。

演奏の基本的なアプローチについては、後年の全集の演奏とさしたる違いはないと言える。

しかしながら、各メンバーが壮年期の心身ともに充実していた時期であったこともあり、後年の演奏にはない、畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出してくるような強靭な生命力が演奏全体に漲っていると言えるところだ。

したがって、後年の円熟の名演よりも本盤の演奏の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないとも言える。

第15番と第16番は、ベートーヴェンが最晩年に作曲した弦楽四重奏曲でもあり、その内容の深遠さには尋常ならざるものがあることから、前述のアルバン・ベルク弦楽四重奏団などによる名演などと比較すると、今一つ内容の踏み込み不足を感じさせないわけではないが、これだけ楽曲の魅力を安定した気持ちで堪能することができる本演奏に文句は言えまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の魅力を安定した気持ちで味わうことが可能な演奏としては最右翼に掲げられる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

音質は、1967、68年のスタジオ録音ではあるが、比較的満足できるものであった。

しかしながら、先般、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤がなされ、圧倒的な高音質に生まれ変わったところだ。

したがって、SACD再生機を有している聴き手は、多少高額であっても当該シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤をお薦めしたいが、SACD再生機を有していない聴き手や、低価格で鑑賞したい聴き手には、本Blu-spec-CD盤をお薦めしたい。

第12番、第13番及び大フーガ、第14番についても今般Blu-spec-CD化がなされたが、従来CD盤との音質の違いは明らかであり、できるだけ低廉な価格で、よりよい音質で演奏を味わいたいという聴き手にはBlu-spec-CD盤の購入をお薦めしておきたいと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンスメタナSQ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



昨年2014年は奇しくもカルロ・マリア・ジュリーニとラファエル・クーベリックの生誕100周年に当たる。

既に2人の指揮者のリイシュー・アルバムやセット物が矢継ぎ早にリリースされているが、この22枚の演奏集は、ジュリーニが1989年から95年までにソニーに録音したバロックから20世紀に至る13人の作曲家の作品を、ヨーロッパを代表する6つのオーケストラで演奏した彼の円熟期の至芸が堪能できるコレクションだ。

晩年のジュリー二のテンポはやや遅めだが、じっくり鑑賞すれば決して弛緩した表現でないことが理解できるだろう。

むしろ作品のディティールを曖昧にすることなく、常に明快なアプローチでありながらオリジナリティーに富んだファンタジーを横溢させる手腕は、まさに巨匠の名に相応しいものではないだろうか。

また総てのセッション及びライヴがデジタル録音ということもあって音質の点でも他のセットを凌駕している。

企画ではグラモフォン音源と合体させたコリア盤に先を越されているが、単価的にはかなり割安になっているのも事実だ。

ベートーヴェンではイタリア勢を揃えたセッションが興味深い。

ミラノ・スカラ座フィルはいくらか線の細い明るい音色を持ったオケなので、重厚なベートーヴェンを好む方には意見が分かれるところだが、トスカニーニ時代から鍛えられた外国の作品に対する彼らの柔軟な姿勢が示されている。

コンセルトヘボウを振ったドヴォルザークでは大きなスケールの中に託した燃えるような情熱と抒情が良い意味でスペクタクルな効果を上げている一方で、色彩感溢れる『火の鳥』、限りない繊細さと幻想で極上のメルヘンの世界を描いた『マ・メール・ロワ』や『パヴァーヌ』、予想外にドラマティックな光彩を放つ『海』などのフランス物も注目される。

フランクの2曲はどちらもライヴで聴衆の拍手と歓声が入っているが、特に交響的変奏曲はそれほど演奏の機会に恵まれない珍しいレパートリーだけに、このメンバーでの演奏は貴重だ。

またベルリン・フィルとの金管楽器を惜しげもなく前面に出した壮麗な『展覧会の絵』も聴き応えのある仕上がりをみせている。

声楽曲が充実しているのもこのセットの魅力で、バッハの『ミサ曲ロ短調』を始めとする宗教曲のきわめて流麗だが知的なセンスを持った真摯な解釈もジュリーニらしい。

尚ラヴェルの『マ・メール・ロワ』は同音源が2回収録されている。

これは過去の2度のリリースによるだぶりだが、オリジナルのカップリングで両方とも入ることになったようだ。

パッケージはクラムシェル・スタイルではなく、縦型ボックスで蓋を上から完全に取り外すタイプ。

それぞれのジャケットは紙製だが折り返しのある丁寧な装丁で、取り出し口が下向きの収納になるのでディスクが抜け出ないように工夫されている。

ライナー・ノーツは上質紙で47ページあり英、独、仏語によるジュリー二の演奏についての簡易なコメントと、全オリジナル・ジャケット写真入の曲目一覧及び録音データを掲載しているが、歌詞対訳は省略されている。

ボックス・サイズは縦13、横13,5、奥行き8,5cmの大きめのコレクション仕様。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:00コメント(0)トラックバック(0)ジュリーニ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アバドのベートーヴェンの交響曲旧全集には、彼が振る以前のウィーン・フィルでは聴くことのできなかった明るく流麗で、しかも四肢を自由に広げたような奔放とも言える表現がある。

ここではかつての名指揮者が執拗に繰り返した、ベートーヴェンの音楽の深刻さは影を潜め、どちらかと言えば楽天的な趣きさえ感じられるが、その華麗な演奏スタイルとスペクタクルなスケール感はアバドの身上とするところだろう。

特にこの第3番ではそうした彼の長所が遺憾なく発揮されている。

ライヴ特有の熱気が満ち溢れ、凄いほどの活力がみなぎっている。

しかも響きがのびやかで、この両方を満足させることができたのは、ウィーン・フィルの威力と考えてよい。

そのため冒頭から目の覚めるような鮮度があり、音が明るくつややかだ。

この美しさは言語に絶する素晴らしさであり、そこにはやさしさと緊張が交錯している。

『葬送』では辛気臭さは全く感じられず、むしろ流暢なカンタービレの横溢が特徴的だ。

また終楽章での飛翔するようなオーケストラの躍動感とウィーン・フィル特有の練り上げられた音色の美しさが、決定的にこの大曲の性格を一新している。

曲中の随所で大活躍するウィンナ・ホルンの特有の渋みを含んだ味のある響きとそのアンサンブルは他のオーケストラでは聴くことができない。

実に誠実で若々しく、このうえなく音楽的な『英雄』である。

尚カップリングは『コリオラン序曲』で、こちらも作曲家の音楽性を瑞々しく歌い上げた、しかも威風堂々たる演奏が秀逸。

どちらも1985年の録音で音質は極めて良好。

クラウディオ・アバドはウィーン・シュターツオーパーの音楽監督への就任前夜からウィーン・フィルとベートーヴェンの作品を集中的にドイツ・グラモフォンに録音している。

カップリングはライヴの交響曲を中心に、余白を序曲等で満たした6枚の個別のCDとそれらをまとめたセット物もリリースされたが、このシリーズはアバドの80歳誕生記念として先般日本で復活したものだ。

彼はその後ベルリン・フィルと映像付の再録音を果たし、現在ではそちらの方が良く知られているし、先頃出された41枚組の箱物『ザ・シンフォニー・エディション』でも第2回目の全集がリイシューされている。

一方ウィーン・フィルとの旧全集については外盤は既に製造中止で、交響曲のみを5枚のCDにまとめたユニヴァーサル・イタリー盤も入手困難になっているという事情もあり、今回の復活はアバド・ファンには朗報に違いない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:43コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェンアバド 

2015年08月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルトのピアノ・ソナタ第18番と言えば、最晩年のアラウの感動的名演が忘れられないが、このアファナシエフ盤は、とにもかくにも存在感のある演奏である。

アファナシエフと言えば、例えばブラームスの後期のピアノ作品集とか、バッハの平均律クラヴィーア曲集などの、いかにも鬼才ならではの個性的な名演が思い浮かぶが、このシューベルトのピアノ・ソナタ第18番も、鬼才の面目躍如たる超個性的な演奏に仕上がっている。

アファナシエフが奏でるシューベルトは、凍りついた熱狂に満ち満ちていて、聴く者にある恐怖心を植えつける、凄い演奏ではある。

ただ、この演奏、私見ではあるが名演と評価するのにはどうしても躊躇してしまう。

確かにこれを初めて聴いたときは驚かされた。

シューベルトの長い長いピアノ・ソナタを、アファナシエフはさらにことさらゆっくりと弾いて行くのだ。

間のとり方も尋常ではなく、ついつい耳をそばだたされて聴かされてしまうという構図だ。

ところが、2回目聴くと、奏者の計算が見えてきてもはや驚きなどなくいわば冷めた観察眼による鑑賞へ転じてしまうのだ。

シューベルトのピアノ・ソナタ第18番は、最晩年の3大ソナタの清澄な至高・至純の傑作に連なる名作であるが、短か過ぎる生涯を送った天才がもつ暗い底なしのような心の深淵、ともすれば自分も一緒に奈落へと引きづり込まれてしまうのではないか。

その内容の深さは他にも類例を見ないが、同時に、ウィーンを舞台に作曲を続けた歌曲王ならではの優美な歌謡性も持ち味だ。

ここでのアファナシエフの極端なスローテンポは信じられないほどだ。

ゆっくりとさらに断片化されたシューベルトのソナタは、1つ1つ刻印をきざむ様にしなければ前に進まない。

そこには美しい音もあるが、ある意味苦行とも言える部分がある。

これがシューベルトの苦悩なのかわからないが、アファナシエフの問いかけのような遅い進みは、様々な空想を孕む一方で、私達の集中力の限界との戦いというリアルな問題まで勃発している。

そういう意味で、これは確かに存在感のある録音である。

しかし、聴く者にはある程度の覚悟を要する録音と言えるところであり、少なくとも「これからシューベルトを聴いてみる」という人にはお薦めできない。

特に第1楽章の超スローテンポ、時折見られる大胆なゲネラルパウゼは、作品の内容を深く掘り下げていこうという大いなる意欲が感じられるが、緩徐楽章になると、旋律はボキボキと途切れ、音楽が殆ど流れないという欠点だけが際立つことになる。

これでは、作品の内容の掘り下げ以前の問題として、聴き手としてもいささかもたれると言わざるを得ない。

もっとも、凡百の演奏に比べると、十分に感動的な箇所も散見されるところであり、凡演というわけではないと考える。

これはあくまで、シューベルトのピアノ・ソナタ第18番について、ある程度知った人が「アファナシエフを聴いてみる」ためのディスクと言えよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0)シューベルト 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ルービンシュタイン(Artur Rubinstein:1887-1982)がRCAに録音したショパンを集大成したアルバムで、こんな素晴らしいセットが破格の値段で手に入れられることは信じがたいことだ。

いずれの楽曲もルービンシュタインならではの素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

ルービンシュタインはバッハからラヴェル、ラフマニノフまで幅広いレパートリーを持つポーランド生まれの大ピアニストで、特にショパンについては戦後世界最高の演奏家として君臨していた。

ルービンシュタインのショパンはスケルツォやポロネーズに見られるようなダイナミックな演奏からノクターン、マズルカに見られるような叙情的な演奏まで、ショパンの多彩な世界を変幻自在に表現し聴き手を楽しませてくれる稀有のピアニストであった。

古今東西の数多くのピアニストの中でも、ショパン弾きとして名を馳せた者は数多く存在しているが、その中でも最も安心してその演奏を味わうことができるのは、ルービンシュタインを置いて他にはいないのではないだろうか。

というのも、他のピアニストだと、古くはコルトーにしても、ホロヴィッツにしても、フランソワにしても、演奏自体は素晴らしい名演ではあるが、ショパンの楽曲の魅力よりもピアニストの個性を感じてしまうからである。

もちろん、そのように断言したからと言って、ルービンシュタインが没個性的などと言うつもりは毛頭ない。

ルービンシュタインにも、卓越したテクニックをベースとしつつ、豊かな音楽性や大家としての風格などが備わっており、そのスケールの雄渾さにおいては、他のピアニストの追随を許さないものがあると言えるだろう。

そして、ルービンシュタインのショパンが素晴らしいのは、ショパンと同じポーランド人であるということやショパンへの深い愛着に起因すると考えられるが、ルービンシュタイン自身がショパンと同化していると言えるのではないだろうか。

ショパンの音楽そのものがルービンシュタインの血となり肉となっているような趣きがあるとさえ言える。

何か特別な個性を発揮したり解釈を施さなくても、ごく自然にピアノを弾くだけで立派なショパンの音楽の名演に繋がると言えるところであり、ここにルービンシュタインの演奏の魅力がある。

確かに現代に生きる私達にはルービンシュタイン以上にスマートで、目の醒めるような鮮やかな演奏が当たり前になっているが、彼の一種冒し難いまでの風格や情緒と、洗練された中にも彼らの祖国ポーランドの民族的な郷愁を漂わせた特有の佇まいは、代え難い魅力に溢れている。

本盤に収められたいずれの楽曲も、そうしたルービンシュタインならではの情感豊かでスケール雄大な名演で、一見あっさりした表現に隠された筋の通った解釈には真似のできない深みがある。

ここでは聴き手を圧倒するような演奏は見られず、彼の実演やライヴを聴いている人にはやや物足りないかもしれないが、非常に安定した大家の貫禄に満ちた味わい深い演奏と言えるだろう。

もちろん、これらの楽曲には、様々な個性的な名演が多く存在してはいるが、楽曲の魅力を安定した気持ちで味わうことができるという意味においては、本盤の演奏の右に出る演奏は皆無であると言えるのではないだろうか。

また、演奏全体を貫いている格調の高さは比類がなく、これぞまさしく大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。

録音がやや古いとはいうもののショパン・コレクションとしては現在でも最高の演奏ということができよう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:52コメント(4)トラックバック(0)ショパンルービンシュタイン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



レージネヴァの声質はコロラトゥーラをこなすソプラノとしては珍しくやや暗めだが落ち着いた雰囲気があり、浮き足立たずに音楽そのものを聴かせる感性が窺われる。

またどの作品に対しても常にニュートラルな姿勢で臨んでいることに彼女のテクニックの多様性が示されていると言えるだろう。

このセッションでは彼女はヴィブラートを抑えたピリオド唱法を早くもマスターしていて、指揮者ジョヴァンニ・アントニーニの要求に見事に応えている。

今回のアルバムに収められたヴィヴァルディ、ヘンデル、ポルポラ、そしてモーツァルトの作品は、まがりなりにも総て宗教曲だが、離れ技の歌唱法が求められ、しかもそこに高度な音楽性が伴わないとその真価を伝えることが難しい。

レージネヴァは明瞭な叙唱や緩徐楽章での豊かなカンタービレ、そしてそれぞれの曲の最後に置かれている「アレルヤ」では、メロディーに精緻な刺繍を施していくような装飾音の綴れ織を究極的に再現している。

彼女の持ち前の音楽性の賜物か、あるいは歌手には珍しいナイーヴな人柄からか、これ見よがしのアクロバットに聴こえないところも非常に好ましい。

カストラート歌手達が開拓したコロラトゥーラの歌唱法は、彼らの超絶技巧誇示が禍して作品の芸術性とはなんら関係のない曲芸に堕してしまったことが、既に同時代の多くの作曲家によって指摘されている。

しかし彼らのテクニックの基本に流麗なレガートを駆使したカンタービレがあったことも忘れてはならないだろう。

そのバランスを保って音楽を芸術として再現することが歌手の叡智であり、それが本来のテクニックと呼べるものである筈だ。

サハリン出身のソプラノ、ユリア・レージネヴァはその若さにも拘らず、ロッシーニのアリア集によって音楽性に溢れる薫り高い歌唱を披露してくれた。

このバロック宗教曲集及びモーツァルトの『エクスルターテ、ユビラーテ』を収録したアルバムでも無理のない伸びやかなレガートと、アジリタの技巧的な部分が互いに異質な印象を残さずに歌い上げられているのが聴きどころだ。

今回彼女を サポートする古楽アンサンブルはピリオド楽器使用のイル・ジャルディーノ・アルモニコで、当初彼らは斬新な解釈でセンセーショナルなデビューを飾ったが、彼らの身上は何よりも古楽を生き生きとして喜びに満ちた、ドラマティックな表現で聴かせるところにあると言える。

ライナー・ノーツは27ページほどで、作品解説とレージネヴァの略歴及びイル・ジャルディーノ・アルモニコのメンバー一覧表にそれぞれの使用楽器も明記され、ラテン語の全歌詞に英、仏、独語による対訳が付けられている。

尚ピッチは表示されていないが微妙に低くa'=430くらいに聞こえる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:46コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2015年08月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



内田光子の円熟を感じさせる素晴らしい名演の登場だ。

内田光子と言えば、今や我が国にとどまらず、世界でも指折りの女流ピアニストと言えるが、今から30年ほど前は、ジェフリー・テイト&イギリス室内管弦楽団をバックとしてスタジオ録音を行ったモーツァルトの一連のピアノ協奏曲の演奏で知られる存在であった。

これら一連の録音は現在でも十分に通用するクオリティの高い名演であるが、内田光子はそうした当時の高評価に安住することなく研鑽に努め、シューベルトのピアノ・ソナタ集やベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ集などの数々の歴史的な超名演を経て、現在の確固たる地位を築き上げてきたと言えるだろう。

そうした現代最高の女流ピアニストの1人となった内田光子が、数年前からクリーヴランド管弦楽団の弾き振りによって開始したチクルスが、まさに満を持して再録音に挑むことになるモーツァルトのピアノ協奏曲集である。

既に、第1弾(第20番&第27番)、第2弾(第23番&第24番)、第3弾(第9番&第21番)が登場しており、本盤は新チクルスの第4弾(第18番&第19番)ということになる。

第1弾、第2弾、第3弾ともに至高の超名演であったが、本盤の演奏もそれらに優るとも劣らない凄い超名演だ。

かつてのジェフリー・テイトと組んで演奏した旧盤とは比較にならないような高みに達しているとも言えるだろう。

それにしても、モーツァルトの傷つきやすい繊細な抒情を、これほどまでに意味深く演奏した例は、これまでの様々なピアニストの演奏にあったであろうか。

繊細な抒情に加えて、ここぞという時の力強さにもいささかの不足はないが、それでいて、時折見られる効果的な間の取り方は、殆ど名人芸の域に達しており、これは、内田光子としても、前録音から26年を経て漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

モーツァルトの楽曲は、ピアノ協奏曲に限らないが、一聴すると典雅で美しい旋律に時として憂いに満ちた寂しげなフレーズが盛り込まれているが、そうした箇所における表現が内田光子の場合は絶妙なのである。

各旋律における表情付けの意味深さは鬼気迫るものがあり、諸説はあると思うが、モーツァルトのピアノ協奏曲の本質のベールが内田光子によってこそはじめて脱がれたとも言ってもいいのではないか。

これら両曲の演奏の内面から浮かび上がってくるモーツァルト渾身の魂の響きは、あまりにも繊細にして優美であり、涙なしでは聴けないほど感動的と評しても過言ではあるまい。

モーツァルトのピアノ協奏曲に旋律の美しさ、聴きやすさ、親しみやすさのみを求める聴き手には全くお薦めできない演奏とも言えるが、モーツァルトのピアノ協奏曲を何度も繰り返し聴いてきた聴き手には、これらの楽曲の本質をあらためて認識させてくれる演奏であり、その意味では玄人向けの演奏とも言えるだろう。

本演奏は内田光子の弾き振りであるが、クリーヴランド管弦楽団も、内田光子の繊細なピアノに符合した、実に内容豊かでコクのある演奏をしているのが素晴らしい。

テイト盤はとにかくピアノとオーケストラが流れるように一体化した完璧な美しさと粒立ちの良いピアノの美しい音が際立っていたが、今回のクリーヴランド盤は各パートの演奏に個性と持ち味がしっかりと前に出ていて、自由闊達なピアノとの対話が面白い。

弦の各声部のディテールもしっかり聴かせ音楽がより鮮やかになり、またライヴなのでカデンツァ部分のさらに彫りの深い表現が絶品で、弱音と無音部分の息遣いが素晴らしい。

弾き振りのライヴ録音なので仕方がないのだが、当然内田の集中も分散されてるわけで、以前の流れるような美しさや速いパッセージでの丁寧なタッチが失われたのが少々残念だが、弾き振りならではのリズミックな縦の線を強調し各パートの生き生きとした表現がよりモーツァルトらしく思われた。

いずれにしても、本盤の演奏は、モーツァルトのピアノ協奏曲演奏の真の理想像の具現化と言っても過言ではない、至高の超名演と高く評価したい。

ピアノとの相性抜群のSHM−CDによる鮮明な高音質も、本名演に華を添えることになっており、高く評価すべきものと考える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:53コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト内田 光子 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



20年近くに渡ってバイエルン放送交響楽団の首席指揮者を務めたクーベリックは、任期終了後も客演を続け、通算すると四半世紀ほどの親密な関係をオーケストラと構築していたことになる。

そのクーベリックが長年専属関係にあったDGを離れ、他のレーベルにレコーディングを開始し始めたのは1970年代後半のことであった。

中でも目立っていたのは、首席指揮者任期終了の前年から翌年までの3年をかけて取り組んでいたSONYのレコーディング・プロジェクトである。

曲目はモーツァルトの後期6大交響曲にシューマンの交響曲全集、そしてブルックナーの交響曲第3番と第4番というもので、長年の良好な関係を反映してか、演奏はどれも高水準なものとなっている。

レコード・アカデミー賞受賞の名盤としても有名なこのモーツァルト後期6大交響曲集は、伝統的スタイルを基調とした柄の大きな仕上げが特徴的なものであるが、楽器配置がヴァイオリン両翼型という事もあって声部の見通しは良く、飛び交うフレーズ群の醸し出す生き生きとした雰囲気が実に魅力的。

また、美しい旋律をエレガントに歌わせる一方で、山場では強靱なダイナミズムで決めてくるあたりもこうしたスタイルの美点を生かしたものと言える。

シューマンはバイエルン放送響の暖かみのある重厚なサウンド・キャラクターと、要所で明晰な響きを確保しやすい楽器配置の効果により、4曲共にシューマンの音楽が細部までじっくり味わえる仕上がりとなった素晴らしい演奏。

全体のスケールは大きく、陰影豊かな表現が、コントラストで聴かせる演奏とは異なる複雑な味わいをも感じさせてくれる。

組み合わせの「マンフレッド」序曲も悲痛なロマンティシズムの美しい名演。

実演ではよくブルックナーをとりあげ、その功績からブルックナー・メダルも授与されていたクーベリック。

実際、残された録音を聴くとどれも充実した演奏であることがわかるが、セッション・レコーディングが残されたのは、なぜか第3番と第4番だけ。

演奏は力強くスケールの大きなものであるが、そこに込められた情感の深さもまたクーベリックならではの素晴らしいものだ。

クーベリックはここで、息の長いフレーズを巧みに扱い、豊かなイントネーションと自然な呼吸感を生み出すことに成功。

金管群の扱いも見事なもので、当時、すでに機能的にはベルリン・フィルに肉薄していたバイエルン放送響から立体的で奥の深い響きを引き出している。

こうしたサウンド面の魅力にSONYの録音技術が大きく貢献していたことは確かなようで、ダイナミック・レンジ、周波数レンジ、帯域バランス、解像度、パート・バランスなどすべての要素が申し分なく、また、セッション会場が、音の良さで知られるミュンヘンのヘルクレスザールということもあってか、直接音と間接音のバランスも自然であり、全体に非常にグレードの高い仕上がりとなっている。

なお、第3番の使用楽譜は第2稿でフリッツ・エーザーが校訂したヴァージョン。

この楽譜は基本的にはレオポルト・ノヴァーク校訂による第2稿と同じであるが、スケルツォの最後にコーダが追加されていないという点で識別ができる。

色々な要素を省きスッキリした第3稿に較べて、随所に野趣あふれる音楽が残され、味の濃い部分が多いこの第2稿は、ブルックナー・ファンには人気の高いヴァージョンでもあり、なにか「レオノーレ第2番」と「レオノーレ第3番」の関係に似ていなくもない。

ちなみにクーベリックはアウディーテ・レーベルのライヴ盤(1970年)、NMクラシックスのライヴ盤(1954年、廃盤)でも第2稿エーザー版を使用しているので、やはりこだわりがあったのであろう。

また、第4番ではスタンダードなノヴァーク版第2稿が用いられており、隅々まで気配りされた正統派の名演を心ゆくまで味わうことができる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:57コメント(0)トラックバック(0)クーベリック 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



昨年2014年はカルロ・マリア・ジュリーニ生誕100周年に当たり、一昨年ワーナーからはジュリーニ初期の録音になる全3巻計30枚のCDセットがリリースされたが、これに含まれていないのが同EMI音源による多くのオペラ全曲盤や宗教曲で、このモーツァルトの『レクイエム』はフィルハーモニア管弦楽団と同合唱団を振った1978年の第1回目のセッションになる。

ジュリーニはほぼ10年後に同メンバーとソリストを入れ替えた形で再録音を果たしているが、この演奏ではテンポが比較的速めであるために、曲のしめやかさよりもむしろ流麗で鮮烈な音響に特徴がある。

オーケストラ、コーラス共にその完成度は高い。

4人のソリストに実力派のヘレン・ドナート、クリスタ・ルートヴィヒ、ロバート・ティアー、ロバート・ロイドを起用していることも緻密なアンサンブルを支える上で最良の効果を上げている。

ただ、テノールのティアーの発声が他の3人と溶け合わないのが惜しまれる。

ジュリーニはこの曲の成立にまつわるデモーニッシュなエピソードやあざといロマンティシズムを払拭して、独唱陣だけでなくコーラス・パートへのきめ細かい指示やオーケストラのバランスを巧みにコントロールすることによって、かえってモーツァルトの曲想をフレッシュでダイレクトに再現している。

しかしその一方で、ジュリーニの描き出すモーツァルトはあまりに重く、この荘重さがジュリーニの特質かもしれない。

モーツァルトの未完の宿命的作品の中から、彼は何ものにも替えがたい“荘重さ”を選びとった。

尚このセッションでは要所要所にオルガンの低音を重ねているが、これは今は無きロンドン・キングスウェイ・ホールのオルガンの響きと思われる。

カップリングはモテット『エクスルターテ、ユビラーテ』で、ソプラノ・ソロがバーバラ・ヘンドリックス、ネヴィル・マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団の演奏に替わる。

この作品はわずか16歳のモーツァルトがイタリアのカストラート、ヴェナンツィオ・ラウッツィーニのために作曲したもので、当然カンタービレと敏捷なアジリタのテクニックが欠かせないが、ヘンドリックスの声はやや重くアカデミアの軽快なオーケストラに乗り切れない恨みがある。

コロラトゥーラの切れもいまひとつだし、最高音のc'''も突出気味でこの曲に関してはキャスティング・ミスではないだろうか。

こちらは1987年の録音で、一方『レクイエム』の方も1998年にデジタル・リマスタリングされているので音質はどちらも極めて良好だ。

CD内にPDFフォーマットによるラテン語典礼文及びモテットの全歌詞に独、英、仏語の対訳が掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:41コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトジュリーニ 

2015年08月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤はサヴァリッシュのロンドン・デビュー時代にEMIに録音された1枚で、1988年にデジタル・リマスタリングされた破綻のないステレオ・セッション録音だが、1958年の古い音源なので同時代の他の大手レーベルの音質と比べると中低音の不足と臨場感にやや欠ける嫌いがあるのも事実だ。

この序曲集はフィルハーモニア管弦楽団を指揮したサヴァリッシュ初期のアルバムで、オーケストラの街と言われるロンドンでも評価の高かったフィルハーモニアの音楽性と表現力を巧みに統率した幅広いダイナミズムが爽快な印象を与える。

ウェーバーの序曲は既にオペラの筋の展開と密接に結び付いていて、その意味で彼はワーグナーの先駆者的な存在だが、一方で起承転結を心得た明快な構成と劇的な変化を伴う曲想は、単独で演奏されても劇場空間を髣髴とさせるスペクタクルな効果を上げることができる。

サヴァリッシュのテンポは快速で、それぞれの序曲の生き生きとしたリズム感を生かしたアレグロと、シンプルに歌わせるレガートのフレージングとの対比が極めて美しい。

このCDには7曲の作品が収録されているが、中でも規模が大きく演出的効果に凝っているのが『魔弾の射手』と『オベロン』で、サヴァリッシュは几帳面にスコアを辿るだけでなく、そこに溢れんばかりの情熱を託した作曲家の熱いメッセージを伝えている。

ウェーバーの序曲集の名盤と言える録音がカラヤン&ベルリン・フィル盤、それにスウィトナー&シュターツカペレ・ベルリン盤など数える程しかないので、このサヴァリッシュ&フィルハーモニア盤の存在は極めて貴重なものである。

一昨年ワーナーから彼の追悼盤としてイコン・シリーズのひとつとして交響曲集がリリースされたが、サヴァリッシュのEMI音源の中には他にも興味深い録音が多数存在する。

網羅的な録音集はコリア盤33枚組で、勿論この序曲集も含まれているがバジェット盤にしては割高なのが欠点だろう。

尚もう1枚の同アンコール・シリーズにはメンデルスゾーンの交響曲第2番『讃歌』が加わっている。

折りたたみのリーフレットに日本語によるごく簡易なライナー・ノーツが掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0)ウェーバーサヴァリッシュ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、ワイセンベルクのピアノ、カラヤンによる蜜月時代の名演集が収められている。

演奏はいかにも全盛期のカラヤン&ベルリン・フィル(チャイコフスキーはパリ管弦楽団)ならではの圧倒的なものである。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、唸るような低弦の重量感溢れる力強さ、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックで美音を振りまく木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなど、圧倒的な音のドラマが構築されている。

そして、カラヤンは、これに流麗なレガートを施すことによって、まさに豪華絢爛にして豪奢な演奏を展開しているところであり、少なくとも、オーケストラ演奏としては、本盤に収められたいずれの楽曲の演奏史上でも最も重厚かつ華麗な演奏と言えるのではないだろうか。

他方、ワイセンベルクのピアノ演奏は、カラヤン&ベルリン・フィルの中の1つの楽器と化していたと言えるところであり、その意味では、カラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築の最も忠実な奉仕者であったとさえ言えるが、よくよく耳を傾けてみると、ワイセンベルクの強靭にして繊細なピアノタッチが、実はカラヤン&ベルリン・フィルの忠実な僕ではなく、むしろ十二分にその個性を発揮していることがわかる。

カラヤンは、今を時めくピアニストとともにチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音する傾向があるようだ。

リヒテル、ワイセンベルク、ベルマン、そして最晩年のキーシンの4度に渡って同曲を録音しているが、そのいずれもが、これから世に羽ばたこうとしていた偉大なピアニストばかりであるという点においては共通している。

実に充実したスケールを備えた演奏で、パリ管弦楽団の抒情的な美しさを持つ魅力を生かしたカラヤンの演奏に対し、ワイセンベルクも、カラヤン設定のテンポと表現の中で、冴えた技によって明確な演奏をきかせてくれる。

美しい憂愁をたゆたうように歌いつぐ第2楽章は特に印象的で、デリケートなピアノにも注目される。

もちろん、カラヤン&パリ管弦楽団の演奏は凄いものであり、ベルリン・フィルとの間で流麗なレガートを駆使して豪壮華麗な演奏の数々を成し遂げていたカラヤンにしてみれば、パリ管弦楽団との本演奏では若干の戸惑い(特に、パリ管弦楽団において)なども見られないわけではないが、そこはカラヤンの圧倒的な統率力によって、さすがにベルリン・フィルとの演奏のレベルに達しているとは言えないものの、十分に優れた名演奏を行っていると言えるところだ。

ラフマニノフは、ワイセンベルクとカラヤンが残したレコーディングの中でもトップを争う素晴らしい出来栄え。

まずはカラヤン&ベルリン・フィルによる同曲史上最高と言いたくなる壮麗な伴奏には驚くほかはなく、その圧倒的な勢力に対峙するワイセンベルクの一種「クリスタル・ビューティー」とでも形容すべきピアニズムが、濃厚かつ華麗な抒情美の世界を展開する。

もっとも、流麗なレガートを駆使して豪壮華麗な演奏の数々を成し遂げていたカラヤンの芸風からすれば、ラフマニノフの楽曲との相性は抜群であると考えられるところであるが、カラヤンは意外にもラフマニノフの楽曲を殆ど録音していない。

カラヤンの伝記を紐解くと、交響曲第2番の録音も計画されていたようではあるが、結局は実現しなかったところだ。

したがって、カラヤンによるラフマニノフの楽曲の録音は、本盤に収められたピアノ協奏曲第2番のみということになり、その意味でも、本盤の演奏は極めて貴重なものと言えるだろう。

ベートーヴェンは、ワイセンベルクならではの研ぎ澄まされた技量と抒情を味わうことができる名演だ。

しかしここでもゴージャスなカラヤンサウンドが全体を支配していて、ピアノ協奏曲ではなく、あたかも一大交響曲を指揮しているような圧倒的な迫力を誇っている。

その重戦車の進軍するかのような重量感においては、古今東西のあらゆる演奏をわきに追いやるような圧巻のド迫力を誇っている。

このような演奏では、ワイセンベルクのピアノは単なる脇役に過ぎず、要は、いわゆるピアノ協奏曲ではなく、ピアノ付きの交響曲になっている。

それ故に、カラヤンのファンを自認する高名な評論家でさえ、「仲が良い者どうしの気ままな演奏」(リチャード・オズボーン氏)などとの酷評を下しているほどだ。

しかしながら、筆者は、そこまでは不寛容ではなく、本演奏は、やはり全盛期のカラヤン、そしてベルリン・フィルでないと成し得ないような異色の名演であると高く評価したい。

いわゆるピアノ協奏曲に相応しい演奏とは言えないかもしれないが、少なくとも、ベートーヴェンの楽曲の演奏に相応しい力強さと重厚さを兼ね備えていると思われるからである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:45コメント(0)トラックバック(0)ワイセンベルクカラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



プラガ・ディジタルスでは版権の切れた古い音源を続々とリマスタリング、SACD化しているが、キャスリーン・フェリアーの演奏集は都合2枚がリリース予定で、これはその第2集になる。

第1集の方は現在準備中で、近々マーラーの『大地の歌』と3曲のリュッケルト・リーダーがブルーノ・ワルター指揮、ウィーン・フィルとの1952年の名演で復活することになる。

このSACDではブラームスの『アルトラプソディー』(1947年)、『ふたつの歌』(1949年)及び『四つの厳粛な歌』(1950年)がいずれもデッカへのセッションで、後半のブルーノ・ワルター、ウィーン・フィルとのマーラーの『亡き子を偲ぶ歌』(1949年)と、アムステルダム・ライヴのグルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』からのアリア「澄み切った空」(1951年)はEMI音源になる。

筆者が聴き比べた方のCDはデッカのDVD付センテナリー・エディションとEMIコンプリート・レコーディングス3枚組で、どちらも2012年の生誕100周年を記念してリリースされたものだ。

先ず『アルトラプソディー』はレギュラーCDではヒス・ノイズがかなり入っていて、フェリアーの歌声が高音になるとわずかだが再生しきれない音割れの状態を引き起こしているが、こちらでは声はより潤っていて音割れは回避され、オーケストラの高音の抜けも良い。

そのためかノイズも抑えられて聞こえる。

『ふたつの歌』ではオブリガートのヴィオラがやや厚かましく響いていたのがバランスのとれた状態で再現されている。

これは『四つの厳粛な歌』にも共通していて、バランスの改善でフェリアーの歌唱が一歩前に出たような立体感があり、ニューマークの朴訥としていたピアノの響きにも磨きがかかってその表現力が聴き分けられるようになった。

一方『亡き子を偲ぶ歌』は当時のEMIとしてはかなり良質な録音でノイズも少ないが、CDではやはり平面的になっていた音響に奥行きが出て、フェリアの声も一層瑞々しく蘇っている。

最後のアリアもこの時代のライヴとしては及第点の音質で、SACDでは劇場空間をイメージさせる広がりが感じられる。

キャスリーン・フェリアーは1953年に41歳で、声楽家としてはこれから円熟期を迎えようとする時期に亡くなった。

だから彼女はその直後に訪れるステレオ録音時代の恩恵に預かることができなかったが、比較的良い状態の録音もかなり遺されている。

そうした音源は今までに繰り返しリイシューされて来たが、このSACDが現在聴くことのできる最も良好な音質に改善されていることは確実だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:36コメント(0)トラックバック(0)フェリアー 

2015年08月20日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



オイストラフ51歳の時のセッションで、彼の最も脂ののっていた頃の録音だけあって、すこぶる彫りが深く、彼の円熟期の特徴でもある、あらゆる面において万全なバランスを保った演奏が秀逸。

チャイコフスキーはロシア的情感を濃厚に表出した秀演で、中庸の美とも言うべき安定感と音色の美しさが堪能できるし、スケールも大きく、訴えかける力も強い。

また、第3楽章アレグロ・ヴィヴァーチッシモでの決して音楽性を失うことのないパワフルな俊敏さも流石だ。

一方シベリウスはオイストラフならではの気迫を感じさせるが、感情移入に凝り過ぎないしっかりした構成力と鮮やかな技巧で、より普遍的で堂々たる音楽の美しさを聴かせてくれる。

また、伴奏のうまさも特筆すべきものであり、オーマンディ率いるフィラデルフィア管弦楽団の明るくスペクタクルな音響は、ソロと意外なほど相性が良く十全な協演をしている。

ここに収められた2曲に共通していることは、ロマンティックな抒情に流されることなく、理知的で懐の深い解釈を磨きぬかれたテクニックと艶やかな音色で奏でていることだろう。

オイストラフはこれ見よがしの安っぽいテクニックを嫌って、アンコールにおいてさえ聴衆のご機嫌を取るような技巧的な曲を全く弾かなかった。

それがオイストラフの美学でもあり、言ってみれば玄人受けするヴァイオリニストだった。

しかしオイストラフの演奏は、他の多くのソリストがまだロマン派的な奏法を引きずって互いに個性を競っていた時代にあって、恣意的な表現を抑え、作品をよりストレートに再現することを心掛けた新しい解釈において常に模範的であり、そうした意味でこのCDは入門者のファースト・チョイスとしてもお薦めできる。

どちらも1959年の録音だが、その音質の良さに先ず惹かれる。

ヒス音が多少入っているが、音像の広がりやソロならびにオーケストラの個々の楽器の解像度もかなりの水準で、低音にも不足しておらず、初期ステレオ録音の中でも大変優れたもののひとつと言える。

DSDマスタリングのリイシュー盤で、広めの空間に音を解放する形で再生するのであれば理想的な音響空間が得られる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0)オイストラフチャイコフスキー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



この3枚のCDは2009年にリリースされたソニー・ブーレーズ・エディションに組み込まれていた6枚組のセットと同一のセッションで、この中から他の現代作曲家の作品をカットしてヴェーベルンのみの3枚を独立させたものだ。

微小形式にこだわりを見せた作曲家なため、その作品をかき集めても、CD3枚分が関の山である。

作品番号の付いた作品1から31までの全曲と作品5のオーケストラ版、更に編曲物2曲、バッハの『音楽の捧げ物』から「6声のリチェルカーレ」(録音は1967年から72年で、24bitリマスタリングによって鮮明な音像と極めて良好な音質が復活している)及びヴェーベルン自身の指揮によるシューベルトの『ドイツ舞曲』6曲を収録している。

後者は1932年にフランクフルト放送管弦楽団を振ったもので、音質は良くないが歴史的価値のある貴重なサンプルである。

演奏者にはロンドン交響楽団、ジュリアード弦楽四重奏団、ヴァイオリンにアイザック・スターンを迎えて、現在に至るまで全く遜色の無い高い演奏水準を維持しているセッションである。

オーケストラ作品は、ピエール・ブーレーズの指揮するロンドン交響楽団が中心になって演奏しているのだが、細部までコントロールされた精妙な音響は、若かりし頃のブーレーズならではの味わいだ。

ブーレーズは1990年代にベルリン・フィル、エマーソン弦楽四重奏団など演奏者を総入れ替えして、作品番号の無い曲まで組み入れた第2回目の録音になる6枚のCDをグラモフォンから出しているが、1990年代の新録音では、その怜悧さが幾分影をひそめてしまった。

この旧盤にはブーレーズの研ぎ澄まされた鋭い感性に導かれた覇気とひたむきな情熱が感じられる。

現代音楽を聴く面白みは作曲家が創作スタイルを目まぐるしく変化させていくところにもあり、それは時代の進展の加速化と表裏一体で興味深い。

微小形式へのこだわりから、小品しか作れない作曲家だったのではないかと言われることもあるが、シェーンベルクの指導の下で後期ロマン主義の音楽から決別するまでは、意外とロマンティシズムに傾倒した作品を手掛けていたらしく、その痕跡は、初期作の「夏風の中で」という作品に留められている。

ヴェーベルン初期の作品からは後期ロマン派の残響を引き摺りながら、ウィーンの世紀末的デカダンスを反映した喘ぐような歌が聞こえてくる。

作品1の『パッサカリア』や作品2の『軽やかな小舟で逃げよ』にはそうした特殊な美学がある。

その後彼の手法は無調や十二音技法に向かうが、作風は次第に透明感を帯びてきて、前者とは別の感性に訴えかけてくる不思議な魅力がある。

ある作曲家は、音楽作品は手を入れれば入れるほど自然になっていくという言葉を残しているが、あながち極論とも思えない。

しかしヴェーベルンの音楽は時代の最先端を行く超現実的とも言える洗練されたテクニックで作曲されたために、実際にそれらの作品が音として鳴り響いた時に、初めて耳にした聴衆の驚きや戸惑いもしごく尤もだったことは想像に難くない。

ヴェーベルンの微小な作品は、いわば、肥え太ったロマンティシズムの贅肉をそぎ落とした結果生み出されたものであった。

そうした作品の色気の残り香などは、グレゴール・ピアティゴルスキーの演奏するチェロのための小品からも感じ取ることができるだろう。

今日では、マウリツィオ・ポリーニのような、より精妙なピアニストによる演奏が楽しめるため、チャールズ・ローゼンのピアノは、冷徹さに欠けるという評も成り立つが、どこかほんのり暖かいローゼンのピアノは、個人的には好みである。

なお、シューベルトの『ドイツ舞曲』をヴェーベルン本人が指揮した録音も収録されているが、その艶やかな演奏を聴くにつけ、ウィーン人としてのヴェーベルンのアイデンティティを感じさせる。

ソニー・マスターズのシリーズには珍しく収録曲目と演奏者を掲載した6ページのパンフレットが挿入されているが、バジェット盤の宿命で歌詞対訳等は一切省略されている。

現在では日本語の対訳サイトもあるので個人で検索することもできるだろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:43コメント(0)トラックバック(0)ブーレーズ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1992年夏に惜しくも事故で亡くなったウィーン・フィルの名コンサート・マスター、ヘッツェルの記念アルバム。

1984年のザルツブルク・フェスティバルのライヴで、やや解像度に欠けるが歴としたステレオ・デジタル録音。

ヘッツェルは衝撃的なアタックは避け、いつもの彼の流儀に従って実に流麗な曲作りを試みている。

迫力で押しまくる演奏ではないので、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番としては意外な印象を受けるかも知れないが、聴き込んでいくに従ってその味わいの深さが堪能できる。

ヘッツェルの演奏を聴くと作曲家が取り入れた民族色が見事に普遍的な音楽に昇華されていることにも納得できるし、第1楽章後半のカデンツァや終楽章の超絶技巧も、これ見よがしの押し付けがましいものではなく、あくまでも洗練された音楽性に則った技巧が冴えている。

また第2楽章のヴァリエーションでの高貴とも言えるカンタービレの美しさも、ヴァイオリンを歌わせる楽器と心得ていたヘッツェルならではの表現だ。

一方モーツァルトのディヴェルティメントは1983年の同音楽祭のもので、気さくな雰囲気の中に演奏者自身が楽しんでいるのが目に浮かぶような、まさにウィーン室内ならではの持ち味が出色の演奏だ。

ヘッツェルが遺した録音は、ウィーン・フィルやウィーン室内のコンサート・マスターとしてはかなりの量にのぼるが、純粋なソリストとしてはそれほど多くない。

勿論彼が1992年に不慮の事故死を遂げなければ、計画されていたモーツァルトとベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集も完成していたであろう。

バルトークに関しては特別な愛着を持っていたためか、このライヴの後も1991年にアダム・フィッシャーとのセッションで全2曲のヴァイオリン協奏曲をニンバス・レーベルに録音している。

それは彼の父親がハンガリー人だったからかもしれない。

いずれにせよ、このCDではウィーン・フィルが強力にバックアップしているのが特徴だ。

マゼールもこのオーケストラとは良好な関係にあった時期のもので、彼の鮮やかな棒捌きも聴き所のひとつだ。

またヘッツェルをコンサート・マスターに迎えていたウィーン・フィルの余裕さえも感じさせる。

この時代には彼だけでなく、クラリネットのプリンツ、フルートのシュルツそしてホルンのヘーグナーなど際立った演奏家が首席奏者に名を連ねていた頃で、ウィーン・フィルにとっても幸福なピリオドだったと言える。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:40コメント(0)トラックバック(0)マゼールバルトーク 

2015年08月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



2011年に他界したチェコのヴァイオリニスト、ヨセフ・スークのソロとヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の協演によるチェコの作曲家の作品4曲を収めた純血種のセッションである。

作曲家から演奏家までを総てチェコ勢で固めただけでなく、スークにとっては作曲家ヨセフ・スークは祖父、ドヴォルザークは曽祖父でもあり、当然チェコの老舗スプラフォンからのリリースという純血種のコンビネーションが冗談抜きで楽しめる1枚だ。

実際のコンサートでは取り上げられることがそれほど多くないドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲だが、このメンバーで聴く限りは本家の威厳を感じさせるだけでなく、流石に音楽性に溢れる説得力のある演奏に引き込まれる。

美音家スークのソロは特に第2楽章アダージョ・マ・ノン・トロッポで独壇場の冴えを聴かせてくれる。

尚4曲目のスークの『おとぎ話』のみが1978年のライヴから採られた初のCD化になり、3曲目の『幻想曲』は1984年、それ以外は1978年のセッションで既に別のカップリングでリリースされていたものだ。

名演奏家の組み合わせが国際化した現代では、より普遍的な音楽の解釈が一般的であり、わざわざ同国籍のアーティストを揃えてお国ものを披露すること自体むしろナンセンスで、またそれによって高い水準のセッションが可能になるとは限らない。

しかし彼らにとって自国の作曲家の作品を謳歌する風潮がソ連の軍事介入があった1968年の「プラハの春」前後に最高潮に達していることを思えば、単なる民族の祭典的な意味に留まらず、やむにやまれぬ政治的な背景が彼らを演奏に駆り立てていたに違いない。

皮肉にもこうした状況が実際彼らの強みでもあり、また自負となって演奏に反映しているのも事実だ。

指揮者ヴァーツラフ・ノイマンはスメタナ四重奏団創設時のメンバーでもあり、またラファエル・クーベリックとカレル・アンチェルの2人の常任指揮者の相次ぐ亡命という異常事態の後を継いでチェコ・フィルを守り全盛期に導いた。

ここに選ばれた作曲家のほかにもマルティヌーやヤナーチェクなど自国の作曲家の作品を世に問うた功績は大きい。

当時のチェコ・フィルは弦の国と言われるだけあって、特に弦楽器のセクションが流麗で、独特の統率感に支えられた合奏力の巧みさも聴き所のひとつだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:42コメント(0)トラックバック(0)スークノイマン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



この音源は1997年と翌98年に録音されたもので、新譜ではないことを断わっておく必要があるだろう。

しかし彼らのヴィヴァルディの解釈は新鮮そのもので、私達の時代を反映した演奏として現在でもその斬新さは評価されるべきだと思う。

ビオンディの演奏の特徴は歯切れの良いリズム感と、対照的なピリオド・スタイルの憂いを含んだカンタービレ、そして自由で即興的な雰囲気を持っていることなどが挙げられる。

それは取りも直さずイタリア趣味のエッセンスでもあり、特にヴィヴァルディではこうした自然な感性の発露が支配的だが、アンサンブルとしても良く鍛え上げられていて一糸乱れぬエウローパ・ガランテのサポートにも強い説得力がある。

この12曲の中でも第6番イ短調がその典型的なサンプルだ。

ヴァイオリンの教則本にも取り上げられているこの協奏曲は、基礎的なテクニックを学ぶためにも価値のある作品だが、彼らはメソード的なイメージからは全く離れた、緊張感に満ちた急速楽章とラルゴでのメランコリックで芸術的な表現は流石だ。

『調和の霊感』作品3はJ.S.バッハによって12曲中5曲までがさまざまな形に編曲されている。

そこまでバッハを夢中にさせた理由は、曲中のダイナミズムの劇的な変化や、これ以上省略できないほどに簡略化された効果的な書法だろう。

例えば第8番イ短調は2挺のヴァイオリンのための協奏曲だがバッハはオルガン独奏用に、第3番ヴァイオリン協奏曲ト長調はチェンバロ独奏用に、また第10番4挺のヴァイオリンのための協奏曲ロ短調は4台のチェンバロのための協奏曲にそれぞれアレンジしている。

それだけヴィヴァルディの作品には融通性があり、変幻自在の可能性を秘めているとも言えるだろう。

バッハの編曲はそれ自体魅力的だが、ここでのビオンディとエウローパ・ガランテは原曲の持っているオリジナリティーの魅力を究極的に引き出して、その美しさとドラマティックな世界を堪能させてくれる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:44コメント(0)トラックバック(0)ヴィヴァルディ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



BBC音源のライヴで1965年のステレオ録音になる。

古い音源だが音質は瑞々しく臨場感にも恵まれた、この時代のものとしては優秀なものだ。

収録曲目はボッケリーニの弦楽四重奏曲ト長調『ラ・ティラーナ・スパニョーラ』、モーツァルトの弦楽四重奏曲変ロ長調『狩』K.458及びベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番イ短調Op.132の3曲。

イタリア物とドイツ物を組み合わせたイタリア弦楽四重奏団ならではの特質がよく表れたプログラムで、鍛え上げられた万全のアンサンブルと深みのあるカンタービレ、メリハリを効かせたリズミカルな合わせ技には彼らの面目躍如たるものがある。

第1曲目のボッケリーニは第1楽章のリズムのモチーフがタンブリンを伴うスペインの民族舞踏ティラーナから採られていることからこの名称で呼ばれている。

彼らの軽妙なチーム・ワークを示したプログラムの第1曲目として相応しい選曲だ。

モーツァルトの『狩』は彼らの得意とした曲で、豊麗な和声の響きと溌剌とした歓喜の表現にはラテン的な感性が強く感じられる。

一方4人のイタリア人がベートーヴェンを主要なレパートリーにしていたことは興味深いが、その発端は1951年に参加したザルツブルク・フェスティヴァルでのフルトヴェングラーとの出会いだった。

巨匠は彼らをホテルに招いてベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲とブラームスのピアノ五重奏曲について自らピアノを弾きながら助言した。

それは彼らにとってかけがえのない経験であり、その後の演奏活動の重要な課題ともなった。

ここに収められた第15番も一糸乱れぬ緊張感の中に堂々たる説得力を持っているだけでなく、彼らのオリジナリティーを示した会心の演奏だ。

イタリア弦楽四重奏団は1945年に創設され、1980年の解散に至るまで国際的な活動を続けた、ヨーロッパの弦楽四重奏団の中でも長命を保ったアンサンブルだった。

また第2ヴァイオリンは当初から紅一点のエリーザ・ペグレッフィが担当している。

各パートで使用されている楽器は決して有名製作者のものではなく、また演奏中の微妙な音程の狂いを避けるために、総ての弦に金属弦を用いる合理的なアイデアも彼ら自身の表明するところだ。

配置は第1ヴァイオリンとチェロ、そして第2ヴァイオリンとヴィオラが対角線に構える形で、スメタナ四重奏団と同様に総てのレパートリーを暗譜で弾くことが彼らの合奏のポイントになっている。

ライナー・ノーツは15ページで英、仏、独語の簡単な解説付だが、半分ほどはICAクラシック・レーベルの写真入カタログになっている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:52コメント(0)トラックバック(0)イタリアSQ 

2015年08月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このCDは2004年に制作され、当時から評判の高かった演奏だが2倍以上の価格でリリースされていた。

それが2012年になってから220ページ、全カラー写真入りの2012年度のハルモニア・ムンディのカタログ付で再販されて、興味深い演奏なので今回の廉価盤化は歓迎したい。

この曲集は一般に『ラ・チェトラ』の名称で親しまれている12曲のヴァイオリン協奏曲集で、アンドリュー・マンゼはその中から6曲を選んでヴィヴァルディの時代に演奏されたであろうスタイルに再現している。

マンゼ率いるイングリッシュ・コンサートのメンバーは今回16人で、通奏低音は曲趣に合わせて適宜入れ替わっている。

それぞれが名立たるピリオド楽器を使っていて彼ら特有の音色を創りあげているが、協奏曲ホ長調『アモローソ』ではミュートを付けた弦楽器の静かな伴奏にのせて、題名どおりソロ・ヴァイオリンが愛らしいメロディーを奏でる。

またチェンバロの代わりにバロック・ギターを通奏低音として取り入れているのも効果的な演出だ。

この曲集ではカデンツァにマンゼ自身の即興が挿入されているのも特徴のひとつだ。

緩徐楽章においてもRV277のアンダンテのみはヴィヴァルディの自筆の装飾音が残されているが、それ以外は総て彼のインプロヴィゼーションになる。

マンゼのインスピレーションを掻き立てたのは1715年にヴィヴァルディの実演に接したフォン・ウッフェンバッハの記述に違いない。

「左手を弓がやっと入る弦のブリッジの傍らに構え、信じられないスピードで演奏していた」というコメントがライナー・ノーツに引用されている。

ヴィヴァルディは1728年に、この協奏曲集を当時トリエステに滞在していた神聖ローマ帝国皇帝カール6世に献呈した。

皇帝は彼に相当の褒美を下賜されたが、ヴィヴァルディの望んでいたものは宮廷作曲家兼ヴァイオリニストの地位だったようだ。

しかしその願いは結局受け入れられなかった。

マンゼの推測では、彼の急進的な音楽はオールド・ファッション・スタイルを好んでいた皇帝の趣味とは相容れないものであった。

その証拠としてこの地位に選ばれたのが、保守派のイタリア人で今日では無名のマッテオ・パロッタだったことを挙げている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)ヴィヴァルディ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブラームスの交響曲全集は、現在カタログには40種類以上の現役盤がひしめいているが、結局、魅力度ということにかけては、ショルティ&シカゴ交響楽団が、圧倒的な貫禄であたりを睥睨している。

ショルティは先輩格のカラヤンと同様に、極めて広範なレパートリーを誇っており、数多くのレコーディングを行ったところであるが、意外な有名曲の録音をなかなかしなかったということがあった。

例えば、本盤に収められたブラームスの交響曲全集については、1977年〜1979年になって漸く初録音したところである。

その理由は定かではないが、まさに満を持して録音に臨んだだけに、スケールの大きな巨匠風の表現で、ショルティの名声をいささかも傷つけることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したいと考える。

演奏内容は、1970年代のベートーヴェンの交響曲全集同様、きわめて剛直・骨太で構築的な仕上がりを見せるが、叙情的な場面での気遣いもなかなかのもので、オーケストラのパワーと表現力がフルに生かされたきわめて立派な演奏である。

ブラームスにおけるショルティのアプローチは、例によって強靭なリズム感とメリハリの明瞭さを全面に打ち出したものであり、その鋭角的な指揮ぶりからも明らかなように、どこをとっても曖昧な箇所がなく、明瞭で光彩陸離たる音響に満たされていると言えるところだ。

ショルティは機能的に優秀なシカゴ交響楽団の名人芸をフルに発揮させて、タカ派とも言えるエネルギッシュで、戦闘的なブラームス像を描き上げている。

それでいて、1970年代後半に入ってショルティの指揮芸術にも円熟の境地とも言うべきある種の懐の深さ、奥行きの深さが付加されてきたところであり、本演奏にもそうした点が如実にあらわれている。

要は、ショルティを貶す識者が欠点と批判してきた力づくとも言うべき無機的な強引さが本演奏においては影を潜め、いかなる最強奏の箇所に至っても、懐の深さ、格調の高さを失っていないのが素晴らしい。

スケールも雄渾の極みと言えるところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれたスケール雄大な演奏というのが本演奏の特質と言えるのかもしれない。

更にはブラームスの絶対音楽としての魅力を十分に堪能させてくれる本演奏に対しては、文句は言えないのではないかと考えられるところだ。

いかにもショルティらしい表現で、どの曲も堅固な造形でまとめられ、それが同時にショルティの資質と音楽的な特色を示している。

交響曲ではスコアに指定された反復を全て実行し、しかも各曲それぞれの性格が鮮明に表されているのが素晴らしい。

例えば第1番は妥当なテンポで堅実にまとめられながらも、そこに作品に必須の豪快さや劇性が存分に示されているのだ。

加えて第2番の風格豊かで明朗な歌、第3番の古典的な語法とロマン的内容のバランスのよさ、第4番の精妙にブレンドされた響きなど、現代的なコンセプトによるブラームスの典型的演奏と言って良い。

2曲の序曲とハイドンの主題による変奏曲も精緻な表現である。

そして、本演奏において更に素晴らしいのはシカゴ交響楽団の超絶的な技量であろう。

ショルティの指揮にシカゴ交響楽団が一糸乱れぬアンサンブルを駆使してついていっているところが見事であり、ショルティ統率下のシカゴ交響楽団がいかにスーパー軍団であったのかを認識させるのに十分なヴィルトゥオジティを最大限に発揮している。

かかるシカゴ交響楽団の好パフォーマンスが、本演奏を壮絶な名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

セッションに使用された会場は、ショルティ&シカゴ交響楽団黄金時代のサウンド・イメージを世界に広めたシカゴのメディナ・テンプルで、名エンジニア、ケネス・ウィルキンスンの手腕が奏功してか、30年経った現在聴いても実に素晴らしいサウンドである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)ブラームスショルティ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



イタリア弦楽四重奏団の現代音楽のレパートリーを集めた1枚で、1954年から60年にかけてコロンビアに入れたモノラル録音のライセンス・リイシューになるが、英テスタメントのデジタル・リマスタリングによって得られた明瞭な音質は鑑賞に全く煩わしさがない。

曲目はプロコフィエフの弦楽四重奏曲第2番Op.92、ストラヴィンスキーの『3つの小品』、ミヨーの同第12番及びマリピエロの同第4番で、イタリア弦楽四重奏団のディスコ・グラフィーを見ると、これらの曲は1度しか録音されていないので、彼らの貴重なコレクションにもなる。

端的に言って彼らの解釈はドイツ系のアンサンブルとは一線を画した感覚的に捉えたカルテットで、しかもそれが4人の隙の無いチームワークによって完璧に鍛え上げられ、極めて情熱的に処理されている。

演奏に辛気臭さが全くなく、覇気に貫かれた合奏から導き出される多彩な音色やリズムの変化の面白みを外側に向けて発散させる、セオリー云々よりも先ず感性に訴えてくる魅力がある。

ロシア、フランス、イタリアのそれぞれの作曲家の作品をレパートリーにしていたことも興味深いし、実際彼らはしばしば一晩のコンサートのプログラムにラテン系とドイツ系の作品を抱き合わせた。

要するに彼らにとって作曲スタイルの相違は問題ではなく、むしろその対比の妙を聴かせることによって演奏会を変化に富んだものにしていた。

ところでイタリア弦楽四重奏団は、1945年結成当初から現代音楽をレパートリーに取り入れていた。

それは戦後の一時期聴衆の間で物議をかもしたが、彼らの積極的で果敢な演奏活動と説得力のある解釈によって、次第に受け入れられるようになった。

その好例がここに収められた4曲で、また彼らの自己研鑽と長いキャリアの節目になったのが1970年のフィリップスへのウェーベルンの弦楽四重奏曲全曲録音だろう。

残念ながらこのウェーベルンについては現在入手困難になっている。

ロマン派以降のレパートリーとして彼らが頻繁に取り上げた作曲家は他にドビュッシー、ラヴェル、レスピーギなどが挙げられる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:48コメント(0)トラックバック(0)イタリアSQ 

2015年08月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



マーラーの直弟子であるワルターやクレンペラーは、すべての交響曲の録音を遺したわけではないが、録音された交響曲については、両指揮者ともにいずれも水準の高い演奏を行っている。

交響曲第1番は、クレンペラーが録音していないだけに、ワルターの独壇場ということになるが、マーラーの愛弟子の名に恥じない素晴らしい超名演と高く評価したい。

コロンビア交響楽団という臨時編成の、しかも弦のプルトの少ないオーケストラを振って、死の1年前のワルターは一分の隙もない、最も音楽的、最も完璧なマーラーを世に残した。

それは、CBSコロンビアが、まだ40代に入ったばかりの若いバーンスタインを起用してマーラー全集を企画していることを知ったワルターが、すでに自分にはそれだけの体力がないことを悟り、最後の力をふりしぼって示した「これぞ真のマーラー」の姿であった。

この録音を耳にしたバーンスタインは、おそれおののき、全集録音を延期したのである。

「音楽は純粋に人を魅了し、楽しませ、喜ばせ、豊かにするのと同時に、人々に対して一種の倫理的な呼びかけをする」とワルターは言っている。

ワルターはマーラーの愛弟子だけに、マーラー作品の理解度が深く、ここでは、マーラーの青春時代の喜びと苦悩を描いたこの曲を、あたたかく表現している。

この作曲家ならではの耽美的な特徴を、実に見事に表出した演奏で、作品の全篇にあふれる清新な美しさと、ロマンティックな情感を、これほど自然にあらわした演奏も珍しい。

同曲は、マーラーの青雲の志を描いた、青春の歌とも言うべき交響曲であるが、死を1年後に控えた老巨匠であるワルターの演奏には、老いの影など微塵も感じられず、若々しささえ感じさせる力強さが漲っている。

マーラーの交響曲中、「第4」と並んで古典的な形式を維持した同曲に沿って、全体的な造型を確固たるものとしつつ、生命力溢れる力強さから、抒情豊かな歌い方の美しさに至るまで、マーラーが同曲に込めたすべての要素を完璧に表現している点が実に素晴らしい。

むしろ、マーラーが人生の最後の時期に至って、過去の過ぎ去りし青春の日々を振り返っているような趣きが感じられる演奏ということが出来るのかもしれない。

ところで、ワルターのマーラーを言えば、後期ロマン派風の濃厚な演奏、というように短絡的に考える人が多いが、事実は異なる。

師を誰よりも敬愛し、その音楽に傾倒したワルターであるが、そのスコアの読み方は他の指揮者とは違っていた。

マーラーがしつこいくらい丹念に書き込んだ、後期ロマン派時代の指揮者としての演奏プランをワルターは白紙に戻し、取捨選択し、すっきりとした古典音楽として再生した。

すなわち、いつの時代にも通用する芸術として古典化したのである。

テンポは速く、粘った表情もなく、ルフトパウゼもポルタメントもルバートも整理された。

第1楽章のコーダや第2楽章全体など、今の指揮者の方がずっと粘っている。

「スコアどおり」という考え方からすれば、ワルターのアプローチは主観的であるが、出てきた音楽は客観的、しかもマーラーの本質はぴたりととらえられている。

コロンビア交響楽団も、ワルターの統率の下、その編成の小ささをいささかも感じさせないような好演を示している。

音質もDSDリマスタリングによる鮮明な音質であり、可能ならばSACDやBlue-spec-CDで発売して欲しいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:48コメント(0)トラックバック(0)マーラーワルター 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1970年代と言えば、カラヤン&べルリン・フィルの全盛時代に相当する。

この1970年代にカラヤンはレパートリーの拡充に注力し、ヴィヴァルディからマーラー、ベルク、シェーンベルク、ウェーベルンまでを録音し、オルフの録音も忘れることはできないし、また国歌集までをも録音した。

本BOXには、カラヤン3度目のベートーヴェン交響曲全集、ブラームス・チャイコフスキー・メンデルスゾーン・シューマンの交響曲全集、モーツァルト後期交響曲集、ブルックナーとマーラーの交響曲集、新ウィーン楽派管弦楽曲集、さらにカルメン&アルルの女、ペール・ギュント&十字軍の兵士シーグル、ヴェルディ序曲・前奏曲全集、時の終わりの劇、プロイセン&オーストリア行進曲集、10代のムターを世界に紹介することとなったモーツァルトとベートーヴェンの協奏曲録音、そしてカラヤンにとっては非常に珍しいバロック録音(クリスマス協奏曲集)など、充実のレパートリーを収録。

1970年代のカラヤン&ベルリン・フィルの名録音を集大成し、加えてベートーヴェンの数字ジャケ、ブルックナーの翼ジャケ、マーラーの虹ジャケなどオリジナル紙ジャケット&オリジナルカップリングで再現された豪華BOXとなっている。

カラヤン&ベルリン・フィルという黄金コンビの全盛時代(1970年代)の演奏は、それは凄いものであった。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、ポルタメントやアッチェレランド、流れるようなレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

悪魔的とも言うべき金管楽器の鋭い音色や、温かみのある木管の音色、重厚な低弦の迫力、そして雷鳴のように轟くティンパニの凄さなど、黄金時代にあったベルリン・フィルの圧倒的な技量が、そうした劇的な要素を大いに後押ししている。

やはりこのように通して聴くことにより、今まで気づかなかったようなカラヤンの良さがあらためて発見できたところであり、録音後約40年経った今でも表現のダイナミックレンジの広さと隅ずみにまで行き届いた奇を衒わない創意に圧倒された。

今回は、日本の愛聴者が多いからの配慮であろうか、ブックレットに英語、ドイツ語に加え日本語の分厚い解説がついているのも嬉しい。

写真は案外少ないが、装丁もきれいで、内容的にはカラヤン時代のベルリン・フィルを支えたコントラバスのクラウス・シュトール氏の文章もありとても充実している(できればライナー・ツェペリッツ氏の言葉が聞きたいところであったが、今となっては不可能なのが残念)。

オペラを除くカラヤンのDG録音が単価200円で手に入るこの価格には驚きで、1枚1枚、解説を読み漁って大事な宝物のようにレコードを扱っていた30年前がウソのようである。

このBOXを持てば、クラシック音楽のレパートリーのうち重要なもののかなりの部分をほとんど決定盤と言っても良い最高の演奏で一網打尽にできるので、クラシック初心者には特にお薦めである。

1970年代に極められたカラヤン&ベルリン・フィルの極上の響きと流麗この上ない音楽は、確かに宇野功芳氏をはじめとして批判する人が多いのも分かる気もする。

しかし、亡くなった黒田恭一氏が「美しい音楽は、それが極まるとキラッと光って誰かを刺す」とカラヤンが亡くなった直後のレコード芸術の対談で語っていたが、それも至言である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:01コメント(0)トラックバック(0)カラヤン 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シェリングのやや硬質の音色と端正な音楽作りに加えて、1950年代の彼特有の覇気に貫かれた奏法が堪能できる1枚としてお薦めしたい。

シェリングがルービンシュタインとの歴史的邂逅を果たしたのが1954年で、それ以降シェリングはインターナショナルな演奏活動とその録音を再開することになる。

第1回目のバッハの『無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ』全曲録音を行ったのが1955年で、当CDもナルディーニとヴュータンの協奏曲は同年の放送用ライヴになるので、この頃既にシェリングの飾り気を排した真摯な演奏スタイルはほぼ完成の域に達していたことが理解できる。

尚後半のラヴェルの『ツィガーヌ』及びシューマンの協奏曲は2年後の1957年のセッションで総てがモノラル録音だが、いずれも保存状態の極めて良好な音源で鮮明な音質で鑑賞できるのが幸いだ。

指揮は全曲ともハンス・ロスバウト、オーケストラはSWR放送交響楽団になる。

ラヴェルの『ツィガーヌ』に関しては個人的に他に2種類の演奏を聴いたが、どれも一長一短あって理想的なものが残されていないのが残念だ。

放送用録画のヤノープロとのピアノ伴奏版は音質がいまひとつだし、ヴァン・レモーテル、モンテカルロとのオーケストラ版は音質では最も優れているにも拘らず、オーケストラがシェリングのソロについていけないという難点がある。

一方当CDではロスバウトがSWRをしっかりまとめて高い演奏水準に引き上げているが、モノラル録音なのでラヴェルの華麗なオーケストレーションを鑑賞するには限界が感じられる。

ヴュータンの協奏曲はヴァイオリンのヴィルトゥオーシティを活かして書かれてあるが、律儀なシェリングの演奏はロマンティックな甘美さよりも構成力に優った演奏と言えるだろう。

逆にシューマンの作曲法は表面に技巧が突出するのを避けるかのように内省的だ。

しかしこうした曲種こそシェリングの得意とするレパートリーで、張り詰めた緊張感の持続が内側に向かって収斂していくような演奏が如何にも彼らしい。

ただしこの曲に関してはドラティ、ロンドン交響楽団による更に良好なステレオ録音がマーキュリーのリヴィング・プレゼンスとして復活している。

ドイツ・ヘンスラーからのヒストリカル・レコーディングのひとつだが、このシリーズは音源の質とその保存状態が概ね良好で、彼らのアーカイヴからの意外な演奏の発掘が注目される。

このCDはSWRが保管するオリジナル・テープからディジタル・リマスタリングされたもので、6ページほどのライナー・ノーツには独、英語によるシェリングの簡易なキャリアの他に録音データの詳細が記載されているのもドイツのレーベルらしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:49コメント(0)トラックバック(0)シェリング 

2015年08月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アントニオ・パッパーノ指揮/サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団(ローマ)の2014年来日記念盤。

前回の来日公演で観客に大熱狂を起こした「ウィリアム・テル」序曲他、このコンビならではのレパートリー。

イタリアを代表する管弦楽団による、イタリアを代表する作曲家ロッシーニの迫力あるクライマックスが炸裂するサウンドに魅了される作品。

アントニオ・パッパーノは既にロッシーニのオペラ全曲上演を数多く手がけていることもあって、こうした序曲集にも彼のオリジナリティーに満ちたアイデアが横溢している。

ロッシーニのオーケストレーションは基本的に厚いものではないが、協奏曲顔負けのソロ・パートの名人芸によって彩られていて、むしろ陳腐だが劇的なクレッシェンドやアッチェレランドを間を縫って効果的に書かれている。

はっきり言ってロッシーニの音楽には苦悩も晦渋もない。

聴こえてくる音そのものが勝負だから、それを如何に美しく、そして一糸乱れずにまとめあげるかに演奏の良し悪しがかかっていると言える。

パッパーノはサンタ・チェチーリアの首席奏者達の鮮やかなソロを前面に出しながら、どの曲も比較的シンプルだが生き生きとした臨場感溢れる音楽に仕上げている。

大曲『セミラーミデ』でも分厚い音響を創るのではなく、明快なラインを聴かせているし、『ウィリアム・テル』の「夜明け」でのチェロの五重奏はかつて聴かれなかったほど官能的で、続く「嵐」の激しさと強いコントラストをなしている。

最後の『アンダンテ、主題と変奏』は、ソリストとしても活躍しているフルートのカルロ・タンポーニ、クラリネットのアレッサンドロ・カルボナーレ、ファゴットのフランチェスコ・ボッソーネ及びホルンのアレッシオ・アッレグリーニの首席4人による完全なアンサンブルで、それぞれがテーマを綴れ織のように装飾していく華麗な小品だが、彼らの趣味の良い音楽性とアンサンブルのテクニックを披露した1曲として楽しめる。

イタリアではサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団が、スカラ座フィルハーモニー管弦楽団と並んで国内外で純粋なオーケストラル・ワークも演奏する名門オーケストラだが、彼らもやはり創設以来劇場用の音楽作品上演の豊富な経験を積んでいる。

前任のチョン・ミュンフンに続くパッパーノとの相性も良く、こうした作品では楽員の持っている情熱がしっかり統率されたチーム・ワークが聴きどころのひとつだろう。

2008年から2014年にかけてのライヴとセッションを集めた音源で、ロッシーニの音楽には欠かせない、切れの良いリズム感と鮮烈な音響をオン・マイクで捉えた極めて良好な音質。

今回の録音会場も前回のレスピーギと同様、ローマのパルコ・デッラ・ムージカにあるサーラ・サンタ・チェチーリアで行われた。

2002年にチョン・ミュンフンのこけら落としでオープンした2756名収容のホールで、残響は満席次で2,2秒を誇っているが、亡きヴォルフガング・サヴァリッシュの指摘でその後音響の改善がされている。

確かに大規模な管弦楽には適しているが、コーラスが加わる作品では残響が煩わしくなる傾向が否めない。

ちなみにパルコ・デッラ・ムージカには1133席のサーラ・シノーポリ、673席のサーラ・ペトラッシの3つのコンサート・ホールが向かい合わせに並んでいる。

サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団は、パッパーノが音楽監督に就任した2005年にヴァティカンの旧アウディトリウムから引っ越して、こちらに本拠地を構えている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:51コメント(0)トラックバック(0)ロッシーニ 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



スウィトナーがシュターツカペレ・ドレスデンと完全に協調して引き出して見せた色彩豊かな音響と柔軟な解釈が快いモーツァルトだ。

いずれも秀演で、モーツァルト解釈家としてのスウィトナーの存在を強く印象づける。

彼らは古典派の作曲家の作品としての様式感を失うことなく、かつスケールの大きい爽快なモーツァルトに仕上げている。

シュターツカペレ・ドレスデンのサウンドは味わい深く、しかも全てがよい意味での良識と中庸を感じさせる表現で、溌剌としたリズムによる流動感の豊かなモーツァルトである。

室内楽風に編成を小さくしているので音の透明度が高く、アンサンブルの細部まで透けて見えるようだ。

しかも木管などしっとりとして味わい深く、あらゆる意味でモーツァルトの美しさを満喫させる名演と言えよう。

スウィトナーにとっては自国の作曲家でもあり、彼自身モーツァルトのスペシャリストたる自負があったと思うが、この6枚組の中でも彼の実力が端的に示されているのが一連の交響曲集で、『ジュピター』に代表されるようなオーケストラを大らかに歌わせる柔軟な力強さや終楽章の迸り出るようなフーガ、またそれぞれの曲の緩徐楽章で醸し出す一種の官能的な美学は彼独自のセンスだ。

いずれも典雅でふくよか、明快な印象を与える演奏は、現代における最も円満なモーツァルト集成といってよい。

スウィトナーのすぐれた音楽性を示した演奏であり、妥当なテンポと典雅な表情、柔らかい旋律線と爽快なリズムが渾然一体となって、実に端正に音楽をつくっている。

かつての大指揮者たちのスケールの大きさはないが、古典主義的な作品の様式を素直に受けとめ、あるがままを描いており、全体はきわめて音楽的だ。

シュターツカペレ・ドレスデンの古雅で晴朗な響きと完全に息の合ったアンサンブルの美しさは、他には求められない魅力であり、モダン楽器による現代のコンサート・スタイルの演奏としては第一級の表現だ。

シュターツカペレ・ドレスデンのような日頃オペラやバレエ上演に携わるオーケストラは、その仕事の性質から個人のスタンド・プレーよりも全体の一部として演奏を支えることや、また即興性に応じる能力が習慣的に養われているものだが、ここでもそうした特色が良く表れていると同時に、彼らはスウィトナー楽長時代に随分垢抜けた演奏をするようになったと思う。

一方でドイツ伝統の重厚さや堅牢な音楽はここぞという時に発揮されるが、この時代彼らは早くも西側の指揮者との多くの共演によって、より視野の開けた演奏を可能にしたと言えないだろうか。

最後の1枚に収められている2曲のピアノ協奏曲のソロはアンネローゼ・シュミットで、彼女は如何にもドイツのピアニストらしい、やや硬質だが小気味良いタッチと飾り気のない表現が、スウィトナーの柔和で包み込むようなサポートと軽妙なコントラストをなしている。

旧東ドイツの音楽産業を一手に受け持っていたレコード・メーカー、ドイツ・シャルプラッテン社は西側の大手に較べれば日本での知名度は低かったが、クラシック・ジャンルをリリースするベルリン・クラシックスの音源には演奏水準が高く、音質の良いものが少なくなかったことは熱心なファンの間で知られていた。

このセットの録音は1961年から76年にかけて行われたものだが、録音場所は明記されていない。

おそらく彼らのレコーディング・スタジオで、オーケストラル・ワークには理想的な音響空間を持っているセント・ルカ教会と思われる。

尚ライナー・ノーツにはオーケストラ名がシュターツカペレ・ベルリンとなっているが、ボックスとそれぞれのジャケットには総てシュターツカペレ・ドレスデンと記載されているので、これは明らかにライナー・ノーツの方が誤植だろう。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトスウィトナー 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



薫り高いドイツ音楽の王道をバックボーンにもつ名匠ブロムシュテットと名門シュターツカペレ・ドレスデンによる名盤の誉れ高いディスク。

モーツァルト後期の傑作交響曲のカップリングであるが、いずれも素晴らしい名演だ。

ブロムシュテットによる本演奏に、何か特別な個性があるわけではなく、誠実で丁寧で温かく優美な最良のモーツァルトを奏でる。

夕映えのようなモーツァルトを奏でさせたら天下一品として、ウィーン・フィルの好敵手のように讃えられてきた400年以上の伝統を誇るシュターツカペレ・ドレスデンによる極上のモーツァルト演奏である。

その音色だけで魅了されてしまうと絶賛された、モーツァルトの交響曲の最初に聴きたい最右翼盤と言えよう。

奇を衒ったり、意表を突くような余計な装飾は一切無い、オーソドックスな演奏ではあるが、このオケの美しい音色をブロムシュテットは丁寧に引き出してくれる。

テンポも、楽器の鳴らし方も、全てが標準的と言えるが、このオーケストラの音色、アンサンブルは比類のないものであり、ここでもまるで指揮者なしのような、自然で癖のない音楽運びが、繰り返し聴きたくなる演奏の秘密であろう。

ブロムシュテットは、第38番「プラハ」においては、地に足がついたゆったりした荘重なインテンポで、重厚すぎると感じられる部分もあるが、この交響曲にある優美な魅力を余計なことをしないで自然に引き出しているのが良い。

第39番においても、ゆったりとしたテンポを基本にしたスケールの大きい演奏で、愚直に楽想を進めていくのみである。

19世紀的なモーツァルト観の現代版とも言えるロマンティックなものだが、表現自体は丁寧かつ自然な流れがあるので説得力がある。

モダン・オーケストラでならこのような解釈もこの交響曲の魅力の1つとして十分に楽しめる。

ブロムシュテットは、自己の解釈をひけらかすようなことは一切せずに、楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えることのみに腐心しているようにも感じられる。

これは、作品にのみ語らせる演奏ということができるだろう。

それでも、演奏全体から漂ってくる気品と格調の高さは、ブロムシュテットの指揮による力も多分に大きいものと考える。

ブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンの落ち着きのある演奏は、その爽やかで端正な音楽の流れが何ともすがすがしく、聴いていて心の安らぎを覚えるようである。

いずれにしても、モーツァルトの第38番「プラハ」や第39番の魅力を深い呼吸の下に安心して味わうことができるという意味においては、トップの座を争う名演と言っても過言ではないと思われる。

こうした作品のみに語らせるアプローチは、時として没個性的で、無味乾燥な演奏に陥ってしまう危険性がないとは言えないが、シュターツカペレ・ドレスデンによるいぶし銀とも評すべき滋味溢れる重厚な音色が、演奏内容に味わい深さと潤いを与えている点も見過ごしてはならない。

刺激的な演奏、個性的な演奏も時には良いが、こうした何度聴いても嫌にならないどころか、ますます好きになって行く演奏、オーケストラの響きの素晴らしさに感心させられるばかりの演奏は他になかなかない。

適切なテンポで噛み締めるように演奏し、モーツァルトの個人的な情感を表現したというよりも交響曲としての陰影を克明に描いていると言えるものだが、心の中に自然としみ込んでくる演奏である。

しかし、これほどの演奏をするのは並大抵のことではない。

ここにブロムシュテットの音楽家としての力量と敬虔なクリスチャンである彼の作品に対する奉仕の姿勢がはっきりと読み取れるのではないだろうか。

表面の華麗さや古楽器などの面白味のあるモーツァルトとは正反対のモーツァルトであるが、誰が聴いても納得のいく普遍性を持つ演奏である。

残響の豊かなドレスデンのルカ教会における高音質録音がきわめて優秀な点も高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:30コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトブロムシュテット 

2015年08月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ピリオド楽器を使ったバロック室内合奏団コレギウム・ムジクム90は、バロック・ヴァイオリン奏者のサイモン・スタンデイジによって1990年に発足した。

スタンデイジはトレヴァー・ピノックが率いたイングリッシュ・コンサートの最初のメンバーの1人で、彼らの演奏もピノック譲りの快活さを持っているが、更にレパートリーの枝葉を広げて比較的マイナーな曲にも目を向けている。

その音楽の解釈は古楽の忠実な再現が基本的で、比較的地味かも知れないが少数精鋭の隙のないアンサンブルを聴かせてくれる。

この曲集では過去にも多くの協演をしているイギリスの女流トラヴェルソ奏者レイチェル・ブラウンを迎えて3曲を収録していて、ベルリンの宮廷音楽の特質を良く捉えている。

ブラウンは個性的なアゴーギクと強い吹き込みやブレスのテクニックを使って、従来のオランダ系トラヴェルソ奏者とは明らかに対照的な演奏をするが、また強い説得力を持っていることも認めざるを得ない。

フリードリヒ大王の宮廷音楽と題されたこのCDには、当時のベルリンで活躍した4人の音楽家と大王自身の作品の都合6曲が収められている。

選曲で工夫を凝らしてあるのは、宮廷では冷遇されていたバッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルの作品を2曲取り入れたことだ。

クヴァンツは1752年に『フルート奏法試論』を世に出したが、彼はすかさず翌年に『正しいクラヴィーア奏法試論第1部』を公表する。

実際クヴァンツの曲は特にチェンバロ・ソナタにその典型が示されているように、曲想やそれに伴う和声の変化が斬新かつ独創的で、こうした作品が後の時代の作曲家に及ぼした影響は測り知れないだろう。

しかし出る釘は打たれるという例えのように、彼の作品はクリストフ・ニシェルの批判に晒され、挙句の果てに減俸になってしまう。

今でこそ弟クリスティアンと並んで高い評価を受けている作品群は、ベルリンでの不運に粘り強く堪えた時期の成果ともいえる。

収録曲目は1.カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ『トリオ・ソナタ変ロ長調』

2.フランツ・ベンダ『ヴァイオリン・ソナタイ短調』

3.フリードリヒ大王『フルート・ソナタハ長調』

4.カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ『チェンバロ・ソナタイ長調』

5.ヨハン・ゴットリープ・グラウン『トリオ・ソナタト短調』

6.ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ『フルート協奏曲イ長調』

ピッチはa'=415で、1993年のセッションで録音レベルがやや低い嫌いはあるが、音質自体は良好だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:34コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヴェンツは自ら創設したオランダのピリオド・アンサンブル、ムジカ・アド・レーヌムを率いて、既にフランソワ・クープランの室内楽全集7枚組を同じブリリアント・レーベルからリリースしていて、この3枚組セットはそのうち『王宮のコンセール』1枚と『趣味の融合あるいは新しいコンセール』の2枚をまとめてプライス・ダウンしたリイシュー盤になる。

ユトレヒト・マリア・ミノール教会での2004年の録音で、鮮明な音質と雅やかな古楽器の音色を手軽なバジェット価格で親しめる演奏として特に入門者にお薦めしたい。

ちなみに3人の管楽器奏者の使用楽器は、ヴェンツのトラヴェルソが『王宮のコンセール』ではオットテール・モデル、それ以外はJ.H.ロッテンブルグ、アンナ・スタールのバロック・オーボエがオットテール、ジェーン・ゴワーのファゴットがプリュダン・モデルのそれぞれコピーになり、ピッチはa'=398Hzのいわゆるヴェルサイユ・ピッチで現代のそれより殆んど長二度低いために浮き足立たない典雅な響きが得られている。

クープラン一族はバッハ家と共に並び称される同時代の音楽家ファミリーだったが、中でもフランソワはルイ14世に仕えヴェルサイユ宮殿で毎週開かれた演奏会のために、多くの室内楽やソロ用の作品を作曲すると共に、鍵盤楽器奏者としても名を馳せた。

ここに収録された『王宮のコンセール』も例外なくそうした目的で誕生した娯楽のための組曲集だ。

曲の構成は先行する短いプレリュードに自由に扱われる舞曲系の小曲が続く典型的な様式で、そこには如何にも宮廷内の慰みといった、流暢だが一種刹那的な美学が感じられるのも事実だろう。

そのあたりのいまひとつ踏み込んだクープラン特有の情緒や音楽の陰翳の表出となるとムジカ・アド・レーヌムの演奏はやや薄味という印象を受けるが、そつのない軽快で華やかなアンサンブルと要になるボルフステーデのチェンバロの即興演奏が極めて巧妙で、全体的に高い水準のセッションになっている。

『趣味の融合あるいは新しいコンセール』は明らかにコレッリのイタリア趣味との迎合を意味している。

バッハが協奏曲でヴィヴァルディの様式に範を取ったように、クープランはコレッリのソロ・ソナタやトリオ・ソナタの楽器編成にヴェルサイユ趣味を映し出した。

さまざまな楽器を登場させてバラエティーに富んだ名人芸をちりばめ、後続にシシリエンヌやフゲットなどのエレメントを取り入れて伝統的な組曲に変化を与えているが、斬新な改革ではなくあくまでも曲想に彩りを添えるための試みといったところだ。

ムジカ・アド・レーヌムが水を得た魚のように自在に展開する屈託のない演奏が、曲想に相応しい洒落っ気を与えている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:37コメント(0)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ