2015年09月

2015年09月28日


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1曲目のゴールトマルクの『ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調』は、ミルシテインの洗練を極めたヴァイオリンの音色とそのテクニックが驚異的で、この曲の真価を正統的に示した名演と言えるだろう。

ハンガリーの作曲家、カロリー・ゴールトマルクのこの作品は、作曲年代からすれば後期ロマン派の範疇に属しているが、ミルシテインは艶やかで透明な音色をフルに活かしながらも、恣意的な表現や感傷を斥け潔癖とも言える解釈で作品の構造と本来のロマン性を明らかにしている。

この時代において早くも耽美的な演奏から脱却し、よりモダンなヴァイオリン奏法を実践したヴァイオリニストとしてのミルシテインの存在は鮮烈な印象を与えている。

全曲を通じて非常に完成度の高いセッションだが、とりわけ終楽章のポロネーズのリズムに乗った天翔るような自由闊達さとカデンツァの覇気に満ちた推進力は格別だ。

ハリー・ブレック指揮するフィルハーモニア管弦楽団との協演で、筆者が過去に聴いたこの曲の録音の中でも傑出した演奏だと断言できる。

2曲目のブラームスでも切れ味の良いソロが冴え渡っているが、第1楽章のカデンツァはミルシテイン自身の手になるもので、通常多くのヴァイオリニストが弾くヨアヒムやクライスラー版とはまた趣きを異にしたオリジナリティーを感じさせる。

第2楽章のカンタービレでも曲想の流れに任せる古いロマンティシズムの表現とは常に一線を画した、高踏的なスタイルをミルシテインが既に確立していたことが理解できる。

終楽章では歓喜する輝かしいヴァイオリンの動きにぴったり寄り添うフィストゥラーリ指揮によるフィルハーモニア管弦楽団のドラマティックに盛り上がるサポートも聴きどころだ。

ゴールトマルクが1957年、ブラームスが1960年のロンドンにおけるセッション録音で、どちらもエンジェルのオープン・リール・ステレオ・テープからのDSDリマスタリングと記載されている。

オリジナル・マスターの保存状態も良く、SACD化の効果も明瞭に出ている成功例のひとつだ。

尚最後に置かれたバッハの『無伴奏パルティータ第2番』からの「シャコンヌ」は全曲演奏ではなく何故か6分52秒で終わっている。

ライナー・ノーツには1956年8月6日のザルツブルク・ライヴからのプライベートなモノラル音源と表記されているが、不思議にもライヴ特有のノイズは全くない。

この演奏も透徹したミルシテインの緊張感とその音質が素晴らしいだけに中途半端な編集が惜しまれる。

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2015年09月27日


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テンシュテットによる最大の遺産は、何と言っても1977年から1986年にかけてスタジオ録音されたマーラーの交響曲全集ということになるのではないだろうか。

テンシュテットは、当該全集の掉尾を飾る「第8」の録音の前年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれた。

それとともに近年様々なライヴ録音が発掘されることによってその実力が再評価されつつあるテンシュテットであるが、ここにテンシュテットの一連のマーラーのライヴ録音がまとまった形で集成されたことは、ファンには朗報に違いない。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

マーラーの交響曲は非常に懐が深く、演奏者によって非常に個性豊かな様々な表情を見せるが、この集成はその中でも迫力にかけては1、2を争うものではないだろうか。

ことにテンシュテットはマーラーのライヴにおいては、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

非常に熱の入った激情型の演奏ではあるが、バーンスタインのように没入し切ったような感じではなく、構成感もしっかりしている。

テンシュテットのマーラーは抒情性が豊かで、旋律の歌いまわしも美しく、何よりマーラー独特のダークなテンペラメントが顕著に表現されていて、個性的なマーラー演奏になっている。

マーラーの音楽の持つ不安定さ、壊れやすさ、デリカシーが理想的に尊重され丁寧に扱われている。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

また、テンシュテットのマーラーは、ライヴ録音だけ聴くと爆演指揮者のように思われるが、その実テンシュテットの取り組み方はかなり慎重で周到な準備を重ねた手堅い曲作りになっているのは見逃せない。

いずれにしても、本セットに収められた演奏はいずれも圧倒的な超名演であり、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラはいずれも必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

マーラーの交響曲のライヴ録音はあまた存在しており、その中ではバーンスタインによる3つのオーケストラを振り分けた最後の全集が随一の名演奏と言えるが、聴き手に深い感動を与えるという意味において当該バーンスタインの超名演に肉薄し得るのは、本セットに収められたテンシュテットによるライヴ録音の集成であると考える。

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classicalmusic at 03:10コメント(0)トラックバック(0)マーラーテンシュテット 

2015年09月25日


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ヴィヴァルディにインスピレーションを与えた作者不詳のソネットには北イタリアの四季折々の田舎の生活が歌われていて、ヴィヴァルディはこれらの詩の内容をほぼ忠実に追って作曲した。

ファビオ・ビオンディ率いるエウローパ・ガランテはそれを彼らの豊かなファンタジーとアイデアで巧みに描写し尽くしている。

画家ピーテル・ブリューゲルは農民や狩人達の姿を活写した歳時記的な多くの名画を遺したが、この『四季』はあたかもブリューゲルの絵画がアニメーション化されたかのような愉しさがある。

「春」冒頭のかまびすしい鳥の囀りや第2楽章の番犬の吠え声の強調はユニークだし、「夏」では稲妻と激しい雷鳴を伴った嵐の情景が目に浮かぶような、ドラマティックで一気呵成の表現が冴えている。

「秋」では第2楽章での満ち足りた人々のまどろみをチェンバロが即興演奏で幻想的に描き、終楽章では勇む狩人の意気込みが伝わって来る。

また「冬」の凍てつくような空気感と氷の上で滑って転ぶ人の可笑しさなどが次々に映し出されていて、聴き古された曲がそのリアルで映像的な効果で聴く者を飽きさせない。

標題音楽はヴィヴァルディに始まったことではないが、ソネットと一体化した描写を試みる彼らのアンサンブルとしての結束と技量も高く評価したい。

『四季』が含まれる『和声と創意への試み』作品8は12曲からなる協奏曲集で、標題が付いたものにはその他に第5番変ホ長調『海の嵐』、第6番ハ長調『喜び』、第10番変ロ長調『狩』などがあり、それぞれがタイトルをイメージさせるような凝った曲想で作曲されている。

第7番ニ短調は題名の付かない独奏ヴァイオリンと弦楽、通奏低音のための協奏曲だが、この作品はヴィヴァルディの弟子でもあったドイツの作曲家、ヴァイオリニストのピゼンデルに献呈されている。

特にこの曲の終楽章はダブル・ストップの連続で、「ピゼンデル氏のために」の添え書きに相応しい高度なテクニックが要求される難曲だ。

ビオンディの使用楽器は1732年製のフェルディナンド・ガリアーノのコピーになるが、張りのある明るい音色を生かしたパフォーマンスが特筆される。

尚音源は2000年にオリジナル手稿譜から初録音されたもので、今回はそのリイシュー盤になる。

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2015年09月24日


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カラヤン没後25周年記念企画でEMI音源を新規にリマスタリングして全13巻計101枚のCDにまとめたセットのひとつになり、2巻ある声楽曲集のうち初期録音が5枚に編集されている。

使用されたオリジナル・マスターが1947年から1958年にかけての製作なので驚くような変化は聴き取れないが、演奏史に残るような貴重なセッションやライヴが鑑賞に充分堪えられる音質に改善されていることは評価できる。

例えばCD4−5のベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』は1958年のステレオ録音で、シュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、ゲッダ、ザッカリアをソリストに迎え、フィルハーモニア管弦楽団とウィーン楽友協会合唱団を振ったものだが音質及び分離状態も良好で、若き日のカラヤンの颯爽とした推進力と同時にスペクタクルな音響創りも既に示されている。

CD1−2のバッハの『ロ短調ミサ』は1952年の録音で、マスターの保存状態がそれほど良くないのでバックのオーケストラが映えないのが残念だし、またバスのハインツ・レーフスは非力の謗りを免れないだろう。

CD2のトラック13−17は1950年にカラヤン、ウィーン交響楽団との同曲のリハーサルから収録されたもので、5曲のみの抜粋だがコントラルトのキャスリーン・フェリアーの貴重なソロと、シュヴァルツコップとのデュエットが入っている。

このうち4曲は既にフェリアーのEMIコンプリート・レコーディングス3枚組に加わっていた曲目になる。

CD3ブラームスの『ドイツレクイエム』に関しては1947年のモノラル録音でコーラス陣はいまひとつだが、共に30代だったシュヴァルツコップとホッターの絶唱を堪能できるのが嬉しい。

ワーグナー歌手としてのキャリアを着実に歩んでいたホッターの張りのある歌声とその表現力には流石に説得力がある。

このセットのもうひとつのセールス・ポイントはCD5に収められたR.シュトラウスの『四つの最後の歌』で、シュヴァルツコップとしてはアッカーマンとのセッションに続く1956年のライヴ録音になり、第2曲「九月」の短い後奏を当時フィルハーモニア管弦楽団の首席だったデニス・ブレインの絶妙なソロで聴けることだろう。

演奏の前後に拍手の入ったモノラル録音ながらノイズのごく少ない良質の音源だ。

尚ブレインのホルンはこの連作歌曲以外でもオーケストラの第1ホルンとして随所で感知できる。

英、独、仏語による19ページのライナー・ノーツ付だが、歌詞対訳は省略されている。

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2015年09月22日


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鋭く研ぎ澄まされた感性と斬新な解釈、そして切れの良いテクニック、その上スター性を備えたルックスで皮肉にもショパン・コンクール落選後に一躍ピアノ界の寵児となったイーヴォ・ポゴレリチが、デビュー時から1990年代にかけて録音したグラモフォン音源のCD14枚をまとめたBOX。

異色の新人として賛否両論の中でかえって話題をさらった稀有の才能は、グールド以来のピアノ界への大きな波紋とも言えるし、尽きることのないオリジナリティーに富んだ音楽的アイデアとそれを実現する強靭な意志とテクニックには実際驚かされる。

このBOXにはポゴレリチの絶頂期の演奏のエッセンスが集約されていると言えるだろう。

ポゴレリチが語られる時には1980年の第10回ショパン・コンクールのエピソードが常につきまとうことになる。

この時の優勝者はダン・タイソンだったが、既にテルニとモントリオールの覇者でもあり有力候補だったポゴレリチは、最終予選での演奏がショパンの様式に則っていないと判断され、本選に残ることができなかった。

審査員だったアルゲリッチが「彼こそ天才」の捨て台詞を残して退席した事件は、当時の審査委員会の旧態依然とした保守的で偏狭な体質を象徴している。

筆者は、ある時偶然ラジオからピアノ界のある重鎮がポゴレリチのどこが様式から逸脱しているかを、ポーランドのショパンの権威、ヤン・エキエルなるピアニストの演奏と聴き比べてアナリーゼしている番組を聞いたことがある。

しかし引き合いに出されたエキエルのピアノは如何にも杓子定規でちっとも面白くなく、これが正しい奏法だと言われても単なる権威を笠に着た演奏としか感じられず理解に苦しんだ思い出がある。

むしろコンクールでのポゴレリチの果敢な挑戦と鮮やかな敗北に快哉を叫んだものだ。

ポゴレリチは夫人が他界した後、演奏から遠ざかり公式な録音も中断していたが、2010年からは以前のペースを取り戻しつつある。

年齢からすればまだ引退するような時期ではないので、今後の活躍に期待したい。

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classicalmusic at 21:34コメント(0)トラックバック(0)ポゴレリチ 

2015年09月21日


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本盤に収められたバッハのゴルトベルク変奏曲は、鬼才とも称されたグールドによる最後のスタジオ録音である。

グールドは、かなり以前から公の場での一切のコンサートを拒否してきたことから、本演奏はグールドによる生涯における最後の演奏ということにもなるのかもしれない。

グールドは1955年に、ゴルトベルク変奏曲のスタジオ録音によって衝撃的なデビューを遂げたことから、偶然であったのか、それとも意図してのことであったのかは不明であるが、デビュー時と同じ曲の演奏によってその生涯を閉じたと言えるところであり、これはいかにも鬼才グールドならではの宿命のようなものを感じさせるとも言える。

実際に新旧両盤を聴き比べてみるとかなりの点で違いがあり、この間の26年間の年月はグールドにとっても非常に長い道のりであったことがよくわかる。

そもそも本演奏は、1955年盤と比較すると相当にゆったりとしたテンポになっており、演奏全体に込められた情感の豊かさや彫りの深さにおいてもはるかに凌駕している。

斬新な解釈が売りであった1955年盤に対して、本演奏は、もちろん十分に個性的ではあるが、むしろかかる斬新さや個性を超越した普遍的な価値を有する演奏との評価が可能ではないかと考えられる。

いずれにしても本演奏は、バッハの演奏に心血を注いできたグールドが人生の終わりに際して漸く達成し得た至高・至純の境地にあると言えるところであり、本演奏の持つ深遠さは神々しいとさえ言えるほどだ。

まさに、本演奏こそはグールドのバッハ演奏の集大成とも言うべき高峰の高みに聳える至高の超名演と高く評価したい。

これほどの歴史的な超名演だけに、これまで何度もリマスタリングを繰り返してきているが、ベストの音質はシングルレイヤーによるSACD盤である。

音質の鮮明さ、音圧の凄さ、音場の幅広さなど、いずれをとっても一級品の仕上がりであり、グールドのピアノタッチが鮮明に再現されるのは、殆ど驚異的であるとさえ言える。

グールドの鼻歌までが鮮明に再現される本SACD盤こそ、グールドの至高の芸術を最も鮮明に再現しているものとして大いに歓迎したい。

いずれにしても、グールドによる素晴らしい名演をシングルレイヤーのSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2015年09月20日


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3曲の協奏曲を中心に収録されたリヒャルト・シュトラウスの作品集で、バレンボイムとシカゴ交響楽団の親密なコラボレーションから、この素敵なディスクが誕生した。

1曲目のホルン協奏曲第1番変ホ長調ではデイル・クレヴェンジャーのソロが作曲家の若々しい曲想を反映させて、晴れやかで勇壮な雰囲気を醸し出している。

彼のアプローチはホルンの持つ金管楽器としての力強さや輝かしい音色の効果を前面に出して、シュトラウスの音響美学を再現することにあるようだ。

クレヴェンジャーの演奏を聴いていると、当時のシカゴ交響楽団のブラス・セクションには彼のような奏者が揃っていて、シカゴ特有のサウンドを創造していたことが納得できる。

勿論細部に至るまでコントロールは行き届いていて、第2楽章では音楽性豊かで筋の通ったアンダンテを聴かせてくれるし、終楽章ロンドの盛り上げも計算されたものだ。

サポートは当時の音楽監督バレンボイム指揮、シカゴ交響楽団で1998年の録音になる。

続くクラリネットとファゴットのための二重小協奏曲ヘ長調は、一変してオペラの間奏曲のような情緒を持った曲で、ラリー・コムズのクラリネットとデイヴィッド・マクギルのファゴットの息の合った巧みな絡みやユニゾンが対話を交すような美しいデュエットに仕上げられている。

またオーボエ協奏曲ニ長調では第1楽章アレグロ・モデラートをごく緩やかなテンポに抑えて、アレックス・クラインの爽やかなオーボエを堪能させてくれる。

それらの洗練されたリリシズムはバレンボイムの感性によるものだろう。

優れたオーケストラはあらゆる協奏曲のソリスト総てを自分達のメンバーから出すことができるものだが、この協奏曲集を録音した4人全員がやはりシカゴの首席奏者を務めた実力者達だ。

クライン、クレヴェンジャー、コムズ、マクギールの4人は世界最高の技術を誇るシカゴ交響楽団で、それぞれの楽器パートの首席を務める名手達であった。

残念ながら4人とも既にシカゴ響からは退団しているが、こうしたベテラン名物奏者の全盛期のソロを同じシカゴ響のバックで聴けるのは幸いだ。

クレヴェンジャーはこのCDで、もう1曲ホルンとピアノのためのアンダンテをバレンボイムのピアノ伴奏で入れている。

彼のホルンはヴィブラートを掛けない直線的なトーンでの奏法が基本で、甘美ではないが曲想をシャープに引き締めた隙のない密度の濃い表現を堪能させてくれる。

尚最後の2曲はバレンボイム自身がソロを弾く『四つの抒情的な風景』から「寂しい泉のほとりで」及び「夢」で締めくくっている。

どちらも短い作品だが、彼のロマンティシズムが良く示された魅力的なエピローグだ。

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ラトル若き日の一大記念碑だ。

このマーラー全集を語る前に指揮者サイモン・ラトルについて一度おさらいしておきたい。

1955年にリヴァプールで生まれたサイモン・ラトルはイギリスを、というより現在のクラシック音楽界を代表する名指揮者と見なされている。

2002年からはベルリン・フィルの芸術監督に就任した。

ラトルはさまざまな意味でカラヤンのうちに先鋭化されたクラシック音楽の商業化に抗っているように見える。

たとえば彼はローカル楽団に過ぎなかったバーミンガム市交響楽団を鍛え上げて、世界級の名声を得た。

むろん、彼のもとにはさまざまな有名オーケストラから常任指揮者や監督にならないかという誘いがあったという。

しかし、彼はそうしたスピーディかつイージーなスターへの道をとりあえず拒むポーズを見せた。

それが、見かけだけの音楽家にうんざりした人たちの圧倒的な支持を受け、結局はベルリン・フィルの芸術監督という黄金の椅子を獲得するに至ったのである。

アーノンクールはカラヤン主義と対決するために挑発的にならざるを得なかったが、ラトルは特に挑発的にならずにすんでいるところに、時代の推移が見て取れる。

ラトルはひとことで言うなら、超弩級の優等生である。

勉強家でもあり、バロックから現代作品まで、他の指揮者が興味を示さない音楽にも積極的で、おまけに、音楽界の風向きを読む賢さも持っている。

もともと頭がよくて能力のある人が人一倍勤勉なのだから、なかなか他の指揮者は太刀打ちできない。

たとえば、彼が1986年、つまり、わずか30歳とちょっとのときに録音したマーラーの交響曲第2番「復活」(バーミンガム市交響楽団)が本セットに収められている。

これは今聴いても、非常に完成度の高い演奏で、ラトルは、驚くべき丁寧さで音楽を進めていく。

曖昧な点を残すのは我慢がならないといった様子で、細部を詰めていくのだ。

カルロス・クライバーのデビュー録音「魔弾の射手」は、まさに天才的としか言いようがないものだったが、ラトルのこれは超秀才と呼ぶのがふさわしい。

しかも丁寧だけでなく、ちょっと普通でないというか、人工的というか、妙に耽美的な部分もある。

ラトルは、特にマーラーを指揮したとき、部分的に非常に遅いテンポを取ることがあるのだが、それがバーンスタインのように心を込めるといったものではなく、作りものめいた耽美性を示すのがおもしろい。

ラトルにとってマーラーは常に最も重要なレパートリーである。

彼のマーラー演奏は「復活」にもよく表れているようにきわめて明快で、見通しのよい響きがする。

そして、音のひとつひとつが演劇的な表現性をもって、つまり心理的なダイナミズムの表現として聞こえてくることはあまりなく、逆に、ラヴェル的とでも言えるほど、意味を剥ぎ取られている。

だから、たとえば交響曲第7番をテンシュテットと比べてみるとよくわかるが、皮肉の色合いはまったく薄く、陰影もあまりない。

それゆえ、音楽にドラマを求める聴き手にとってはあまりに薄味にすぎようが、音楽とは音という絵の具を使った抽象画であると考える人には、実に魅力的だろう。

響きがよく練り上げられ、調和した、洗練された音楽であり、不安なおののきや危険な誘惑はまったくなく、健康的である。

筆者の正直な感想を記すなら、ラトル流はもちろんひとつの解釈あるいは演奏法として、存在してよいと思うし、立派な水準に達しているが、それだけで捉えきれないものがマーラーにはある。

バーンスタインやテンシュテットの強烈で、毒があって、自分の人生を問うているような、そして聴き手である自分の人生も問うているような圧倒的な演奏を知っているがゆえに、不満が消え去らない。

ここまで調和してしまうと、音楽がきれいごとになってしまっていると感じてしまう。

とはいえ、彼のマーラー全集は、現代において聴くことができる最高のマーラーのひとつであることは認めねばならない。

本全集でラトルはバーミンガム市交響楽団を軸に、「第5」「第10」ではベルリン・フィル、「第9」ではウィーン・フィルを起用しているが、目下のところ、バーミンガム市交響楽団との録音のほうが聴く価値があると思う。

さすがの超秀才も、これらの録音当時はベルリン・フィル、ウィーン・フィルのようなくせ者オーケストラを自由自在に操るまでには至っていないからだ。

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オーギュスタン・デュメイの感性が余すところなく示されたフランスの作曲家によるヴァイオリン作品集で、彼は持ち前の美音だけでなく、それとは対照的な激しい擦弦音を交錯させて自身の濃厚な感性を作品のデフォルメに至る寸前まで追い求める。

デュメイにとってヴァイオリンは美しく歌うだけではなく、人間の心情の総てを表現し得る楽器としての可能性を試みているように思われる。

冒頭に置かれたショーソンの『詩曲』では狂おしいほど燃え盛る情念を抉り出しているし、また『タイスの瞑想曲』ではこれまでに誰も再現し得なかったほどのパトスが感じられる。

それは師匠グリュミオーの演奏ほど格調は高くないにしても、デュメイにしかできない甘美な哀愁の表現だ。

最後に置かれたラヴェルの『ツィガーヌ』は恐るべき演奏で、ハープが入るまでの長い導入を多彩な音色で妖艶なまでに歌いこみ、後半部は拍車のかかったオーケストラと丁々発止のやり取りをする。

そこではヴァイオリンのテクニックの限界に挑む、殆んど狂気にも似た熱狂がある。

ここではラヴェルの華麗なオーケストレーションも聴きどころのひとつだ。

指揮者のマニュエル・ローゼンタールはモーリス・ラヴェルの弟子でもあり、作曲家としても活動したパリ生まれのマエストロで、グリュミオーとも同様の作品集を残している。

録音当時既に80歳の高齢だったにも拘らずデュメイのソロを活かす情熱的な指揮で、それぞれの作品の聴かせどころを巧みに引き出している。

オーケストラはモンテ・カルロ・フィルハーモニー管弦楽団で、指揮者とデュメイの目まぐるしいアゴーギクの変化にぴったりついて奮闘している。

彼らは以前の同国立歌劇場管弦楽団で、団員にはまだ上達の余地があるにしても、フランス的な暖色系の音色に魅力があり、またオペラ上演にも慣れているためか融通の利く機動力を備えているのが特徴だ。

1984年の録音で、リマスタリングの効果で音質はきわめて良好。

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2015年09月19日


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このSACDに収録されたショスタコーヴィチの3曲の協奏曲は、いずれも歴史的録音の範疇に入るもので、ロストロポーヴィチ及びオイストラフはこれらの曲の初演を果たしたソリストでもあり、またピアノ協奏曲を弾き振りするバーンスタインとニューヨーク・フィルは初演の翌年に早くもアメリカでの演奏を手がけたメンバーだ。

総てオリジナル・ステレオ・ソースからのDSDリマスタリングによるSACD化なので、多少のヒス・ノイズは致し方ないが、全体的にかなり鮮明な音質が再現されていて、これらのセッションの生々しい雰囲気を感じることができ、高度な鑑賞にも充分堪え得るクオリティーを持っている。

3人のソリストの集中力に漲る演奏とその表現力の多様さに驚かされる1枚だ。

チェロ協奏曲第1番変ホ長調はユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団との1959年のセッションになり、ロストロポーヴィチの張り詰めた緊張感が全曲に亘って貫かれた厳格な印象を与える演奏で、またオーマンディの鋭利な指揮も注目される。

この曲にはオブリガート・ホルンが加わるが、ホルン奏者のメイソン・ジョーンズも力強い表現でチェロに拮抗している。

ピアノ協奏曲第2番はバーンスタインの軽妙洒脱で、とびっきり粋なセンスが活かされた、彼の気性に良くマッチした曲だ。

第2楽章の、この作曲家にしては珍しくロマン派的な哀愁が作品を随分親しみ易いものにしているのも事実だろう。

録音データを見ると1961年11月となっているが、バーンスタイン、ニューヨーク・フィルのセッションは1958年で、おそらくこれはソニーからリリースされているものと同一音源であることが考えられる。

またバーンスタインのディスコグラフィーにも1961年にこの曲を録音した形跡は見当たらない。

プラガは以前にも物議を醸したレーベルなので、データの信憑性については疑問が残る。

CDの最後を飾るヴァイオリン協奏曲第1番イ短調は、神秘的である一方、ハチャトゥリァンの同協奏曲のように民族的な底力を持った曲で、それはあるいは彼からの影響かも知れない。

しかし第3楽章のパッサカリアの荘厳な風格と長いソロ・ヴァイオリンのカデンツァはショスタコーヴィチのオリジナリティーに富んだ部分で、ここではオイストラフのパワフルで鮮やかなソロが白眉だ。

両作曲家のヴァイオリン協奏曲がどちらもオイストラフに献呈されていることを思えば、当時彼が如何に信頼の厚かった演奏家であったか想像に難くない。

初演と全く同じメンバー、ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルによる1956年の演奏が堪能できるのも特徴だ。

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フィリップス音源のアラウのリスト・レパートリーを6枚のCDにまとめたエロクエンスからのリイシューで、演奏曲目一覧が印刷されたリーフレットだけがついた簡易な廉価盤。

リスト直系の弟子を自負していた彼だけに、作曲家の芸術的高みとアラウ独自のオリジナリティーが相俟って、他のピアニストとは常に一線を画した解釈を示している。

それはリストの作品に往々にしてつきまとう内容よりも技巧誇示の音楽という印象を完全に払拭した、高い音楽性と本来のテクニックが示されているのが特徴で、リストを敬遠する方でも是非一度は聴いて欲しい曲集だ。

ちなみにボーナス・トラックの『スペイン狂詩曲』のみがモノラルで、それ以外は総て質の良いステレオ録音になる。

ここに収められたピアノ協奏曲や超絶技巧練習曲では一にも二にも音楽が優先されている。

リストを弾きこなすには当然相当のピアニスティックな技術が要求されるし、多くの演奏家は指の動く若いうちにこうしたレパートリーを録音してしまうがアラウの演奏には技巧誇示に陥らないだけの有り余るほどの音楽性の裏付けと騎士道的ロマンティシズムが感じられる。

このセットに収められた録音は彼の円熟期から晩年のセッションだが、それは彼が80歳代までリストを演奏し得た、そして稀有なスケールを持ったサンプルとして聴き継がれている理由だろう。

6枚の中には際物的に扱われているオペラからのアレンジになるパラフレーズ集も1枚含まれている。

薄っぺらなアンコール・ピースになりがちなこうした音楽でもアラウの表現力は卓越していて、極めて集中度の高い、しかも味わい深い曲集に仕上がっていることに驚かされる。

また彼の弾く「エステ荘の噴水」は、滾々と湧き出て絶え間なく降り注ぐ水の描写の中に、リスト自身の深い失恋の痛手を伝えた殆んど唯一の演奏ではないだろうか。

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classicalmusic at 20:51コメント(0)トラックバック(0)リストアラウ 

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これほど明るく澄み切った音色でシューマンの精神的な葛藤や苦悩を赤裸々にした演奏も珍しい。

いずれもポリーニ全盛期1980年代の演奏で、盟友アバドとベルリン・フィルとの協演になる『ピアノ協奏曲イ短調』では、第3楽章を除いて比較的ゆったりしたテンポを設定していて、決して情熱に任せて走るような演奏でないところが如何にもこの2人らしい。

あくまでもクリアーなタッチでスコアを辿って曖昧な点を一切残さず、なおかつ名人芸を押し付けない冷徹なまでに鍛えられた奏法がシューマンの思索をピアノの音の中に純化させた、ポリーニの典型的な表現を聴くことができる。

アバドはベルリン・フィルを縦横に歌わせて、第2楽章インテルメッツォの静寂な世界から終楽章の歓喜に到達する漸進的な緊張感の高揚と、最後に訪れる開放感をカンタービレの中に描ききっている。

『交響的練習曲』では曲を追って沈潜したメランコリーや不安と期待、愛らしい抒情が交錯し、それらは終曲で英雄的なシンフォニーに変容する。

それはシューマン自身の心情の起伏を、エチュードの名を借りたそれぞれのヴァリエーションに託して告白しているかのようだ。

彼がバッハの音楽から学んだとされる対位法が曲中に頻繁に用いられ、作品を彫りの深いものにしているのも印象的だ。

ここでもポリーニの楽曲に対する読みは鋭く、個々の曲の性格描写にむやみに囚われることなく、全体の構成を踏まえた堅牢な造形美を感知させている。

この方法によって第9曲と第10曲の間に挿入された5曲の『遺作』がごく自然に統合され、少しも違和感を与えていない。

最後に置かれた『アラベスク』は飾り気のない全くの自然体で演奏されているが、そこにシューマン特有の拭いきれない憂鬱をさりげなく表出するポリーニの手腕が冴えている。

尚ライナー・ノーツは16ページで曲目解説と演奏者紹介が英、独、仏、伊語で掲載されている。

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classicalmusic at 00:59コメント(0)トラックバック(0)ポリーニシューマン 

2015年09月18日


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カウンター・テナー歌手、フィリップ・ジャルスキーによる、ヴィヴァルディの代表作の一つ《スターバト・マーテル》などソロ歌手のためのモテット作品を収録したアルバム。

収録曲はヴィヴァルディの宗教曲の中からアルト用の作品を集めたもので、ジャルスキーによって組織されたアンサンブル・アルタセルセとの演奏になり、彼自身が指揮したものだが、実際にはバロック・ヴァイオリンを弾くアレッサンドロ・タンピエーリがリーダー・シップを発揮しているようだ。

ジャルスキーの瑞々しいカンタービレが冴え渡った歌唱で、特にアルトの声域で歌われる曲の場合ソプラノとは違った特有の情緒と陰影が加わってくるが、少しも無理を感じさせない伸びやかな発声は、宗教曲に相応しい崇高さと同時に豊かな情感の表出を両立させて、現在の彼が到達した歌唱法を示している。

尚このCDには歌もの以外に弦楽合奏と通奏低音のための協奏曲RV120が加わっているが、このピリオド・アンサンブルのお披露目の演奏として興味深い。

特に終楽章は4声の短いフーガで、こうした古い作曲技法に拘らなかったヴィヴァルディの協奏曲の中では珍しいサンプルだ。

このページでは明確に記されていないが、ヨーロッパでリリースされたものにはCD1枚のみのレギュラー盤と、ジャルスキー自身が案内するヴィヴァルディの故郷、ヴェネツィアで撮影された20分程度の動画を収録したボーナスDVD付の2種類がある。

ごく僅かの価格差なので購入なさりたい方には後者をお薦めするが、日本でのオン・ライン購入には事前にDVDの有無の確認が必要だろう。

この動画では録音風景を挿みながらジャルスキーが運河を巡って作曲家ゆかりの地、生家や音楽教師として活躍したオスぺダーレ・デッラ・ピエタなどを紹介していくもので、水の都ヴェネツィアの美しい映像と共に当セッションへのアプローチや聴きどころを語っている。

ジャルスキーはフランス語で話しているが、英語の字幕スーパーも付けられている。

ライナー・ノーツにはラテン語の全歌詞に英、独、仏語の対訳が掲載されている。

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classicalmusic at 23:04コメント(0)トラックバック(0)ヴィヴァルディ 

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ヤッシャ・ハイフェッツ円熟期の録音から選曲された5枚組のバジェット・ボックスで、彼の『ザ・コンプリート・アルバム・コレクション』を持っているファンは別として、肩の凝らない鑑賞に適した簡易なセットで、またヴァイオリン音楽の入門者にもお薦めしたい優れた演奏集だ。

中でも白眉は彼が71歳だった1972年にロサンジェルスのドロシー・チャンドラー・パヴィリオンで行ったチャリティー・リサイタル・ライヴ2枚で、この演奏集は今年の4月にソニー・クラシカル名盤コレクションの一組として復活しているが、当セットのCD3−4にも当日のプログラム全曲が含まれているのでコスト・パフォーマンスから言ってもこちらが優位に立っている。

更に最後の1枚に公式のセッションではハイフェッツのファイナル・レコーディングになる1970年の小品集も加わっている。

1972年のチャリティー・リサイタルをもってハイフェッツは公の演奏活動から引退したが、既にこの時期彼は重度の関節炎を患っていたらしい。

しかしその演奏はいずれもかくしゃくとして瑞々しく、また非常にエネルギッシュなのに驚かされる。

テンポの取り方も概ね速めで、フランクのソナタでは簡潔に楽想を絞り込んだ明晰な解釈が特徴だ。

ハイフェッツの音楽に難解なものはない。

それはどんなに高尚な曲であっても、彼自身が聴き手に音楽を分かり易く伝達するすべを心得ていたからだろう。

CD5のトラック1−7は1970年にパリで行った最後のセッション録音で、流麗に歌い込んだバッハの『シャコンヌ』やロマンティックな小品には彼にしか出せないような深い味わいがある。

セッションの筈だがガーシュウィンだけは何故か客席からの拍手が入っている。

CD5のトラック8には『シャコンヌ』をバックにハイフェッツがヴァイオリンの奏法や演奏について語る短いが興味深いインタビューが収録されている。

幸いこのページに日本語の詳しい演奏曲目一覧が掲載されているので参照されたい。

音質は後半の3枚の方がより鮮明だが、総てがリマスタリングされたステレオ録音で極めて良好。

尚このシリーズではライナー・ノーツが一切省略されている。

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classicalmusic at 20:49コメント(0)トラックバック(0)ハイフェッツ 

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アルバン・ベルク四重奏団が1999年と2000年に行ったふたつのライヴから、メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲第1番変ホ長調及び同第2番イ短調を収録した1枚。

彼ららしいクールな切込みによるアプローチでの作曲家の野心的な試みが再現されている。

アンサンブルの緻密さや豊かで変化に富んだダイナミズムはアルバン・ベルクの持ち味だが、一方でメンデルスゾーンの若書きのフレッシュな味わいはいくらか犠牲になっているのも事実だろう。

ちなみに第2番は作曲家18歳、第1番は20歳の時の作品で、いずれもベートーヴェンの死を知った彼がその強い影響下に書いた曲とされているが、そこには古典的なテクニックの修錬に加えて颯爽とした奔放さがある。

その点でアルバン・ベルクは音楽を構築し、洗練し過ぎていると思う。

その徹底した創意工夫が結果的にかなり堅牢で隙のない表現に繋がっていて、これはこれでひとつの立派な解釈には違いないが、個人的にはこうした曲では余り手を加えずにむしろ素材を活かすことの方が望ましいと思う。

何故ならこの演奏を聴いていると彼らがこうした作品を完璧に仕上げようとすればするほど、自然に湧き出るような感性から乖離してしまうというパラドックスを認めざるを得ないからだ。

手許にあったターリヒ弦楽四重奏団の同曲集と聴き比べてみたが、緻密な音楽設計とそれを実現させるテクニックではアルバン・ベルクが優っているとしても、ターリヒには流れを止めない自然な推進力と開放感がある。

2002年にリリースされたレギュラーCDからのリイシューになり、セッションに較べて録音レベルがやや低いが、拍手以外のライヴ特有の雑音は皆無で、ホールの適度な残響や楽器どうしのバランス、音質も極めて良好だ。

2曲とも第1ヴァイオリンがギュンター・ピヒラー、第2ヴァイオリンをゲルハルト・シュルツ、ヴィオラがトマス・カクシュカ、チェロ、ヴァレンティン・エルベンによる彼らの黄金期のライヴで、アルバン・ベルクが録音したメンデルスゾーンの作品はこのCDに収録された僅か2曲の弦楽四重奏曲のみなので、貴重なレパートリーのサンプルであることには違いない。

ライナー・ノーツにはエーリヒ・ジンガーによる簡易な作品解説が英、独、仏語で掲載されている。

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classicalmusic at 00:52コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーンアルバン・ベルクSQ 

2015年09月17日


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プラガ・ディジタルスによるムラヴィンスキーSACDシリーズの3枚目になり、今回はブラームスの交響曲第4番ホ短調とチャイコフスキーの同第5番ホ短調がカップリングされている。

前者が1961年、後者が1982年のどちらも良質なステレオ録音で、SACD化によって更に高音部の鮮明さと臨場感が増して、比較的まろやかな音響になっている。

ここでもレニングラード・フィルの一糸乱れぬアンサンブルと尋常ならざる集中力がひしひしと伝わって来る厳格な演奏だ。

オーケストラのパートごとの音色を良く聴いていると、洗練し尽くされたという感じではなく、例えば管楽器の響きには何処か垢抜けないところがあり、中でもトランペットはいくらか余韻に欠けるような気がするが、彼らが一体になると個人の持っている力量が桁違いに増強されて壮絶なサウンドが醸し出されるところが恐ろしい。

それはまさにムラヴィンスキーの半生に亘るレニングラード・フィルへの修錬の賜物なのであろう。

また彼の常套手段でもあるヴァイオリンを指揮者の左右に分けた、いわゆる両翼型の配置から繰り出されるアンサンブルの妙も聴きどころのひとつだ。

個人的にブラームスは期待していた演奏とは少しイメージが違った演奏だった。

何故ならブラームス晩年特有の諦観をないまぜにした情緒などはさっぱり感じられないからだ。

勿論こうしたアプローチに共感するファンも少なくない筈だが、全体に筋骨隆々とした逞しい音楽設計で最後の一瞬まで安堵や感傷も許されないような厳しさが、聴く人を選んでしまうのではないだろうか。

一方チャイコフスキーでは甘美で装飾的なエレメントを強調したり管楽器の咆哮を突出させてしまうと、音楽が安っぽくなってしまう。

その点ムラヴィンスキーのモチーフの有機的な繋げ方は見事で、終楽章に向けての着実な準備が第1楽章から感知され、その集中力の持続に全く弛緩がない。

最後に訪れるムラヴィンスキー独特のカタルシスまで鑑賞者を引き離すことがないのは彼のオーケストラへの統率力だけではなく、そこまで着実に聴かせていく徹底した準備と頭脳的で巧みな誘導があることは言うまでもない。

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classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキー 

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ドヴォルザークの『スターバト・マーテル』を久しぶりに聴いた。

ビエロフラーヴェク指揮、プラハ交響楽団、プラハ・フィルハーモニー合唱団で聴くのは初めてだが、それだけに改めてこの作品の清冽な美しさに率直に感動した。

この曲には幼い娘と息子を相次いで亡くしたドヴォルザークの深い悲しみが映し出されていることは事実としても、4人のソロとコーラスを含む大規模な宗教曲に昇華させた作曲家としての力量はもっと評価されるべきだろう。

このセットの中でも1時間40分に及ぶ大曲『レクイエム』をサヴァリッシュ、チェコ・フィルハーモニーの演奏で聴けるのも幸いだ。

緻密な音楽設計で注意を逸らすことなく聴かせるサヴァリッシュの手腕とオーケストラの織り成す斬新な音響は、従来の宗教曲とは一風異なった趣を持っているだけに興味深い。

またスメターチェクの指揮による『テ・デウム』を聴くと、殆んどスラヴ舞曲集の延長線上に作曲されていることが理解できて、その民族主義的な大胆さに驚かされる。

ドヴォルザークの宗教作品は後のヤナーチェクに通じるスラヴ特有の土の薫りと流麗な起伏を伴う、さながら壮麗な抒情詩の佇まいを持っていて、彼が交響曲や弦楽四重奏だけでなくこうした声楽曲にも優れた手腕を発揮していたことを証明している。

その他に珍しいレパートリーとしては作曲家の出世作になった意欲的な頌歌『白山の後継者達』がズデ二ェク・コシュラーとプラハのメンバーで収録されている。

チェコ・スプラフォンではドヴォルザークの作品全集をジャンル別にまとめてバジェット・ボックスで順次刊行している。

この8枚組の宗教曲及びカンタータ集で既に7セット目になり、殆んどがチェコの演奏者による録音でリリースごとに新しく独自のリマスタリングが施されているのもセールス・ポイントだ。

いずれの作品集にも優れた作曲家と演奏者を輩出してきた祖国への彼らの強い自負が感じられるだけでなく、実際その水準の高さはお国物ということを度外視しても常に第一線に立って恥じないものだ。

尚このセットのライナー・ノーツは26ページほどあり、録音データや演奏者についてはくまなく明記されているが歌詞対訳は省略されている。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザーク 

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1978年にベルギーで行われたセッションで、トラヴェルソが加わるバロック後期の5人の作曲家の作品を収録している。

演奏者パルナッスス・アンサンブルは1970年に結成された古楽器奏者の5人のメンバー、バロック・ヴァイオリンのヤンネーケ・ヴァン・デア・メーア、トラヴェルソのバルトールド・クイケン、バロック・オーボエのパウル・ドムブレヒト、バロック・チェロのリヒテ・ヴァン・デア・メーア、チェンバロのヨハン・フイスから構成されている。

この時期は古楽復興の黎明期であり、まだピリオド楽器とその奏法の復元が模索されていた。

バロック・ブームと言ってもその頃はモダン楽器か、一部古楽器を取り入れた混合編成のアンサンブルが主流で、これらの作品が作曲された時代の音響の再現に興味を抱いた人はクラシック・ファンの中でもごく一部に過ぎなかった筈だ。

それにも拘らずこの曲集では、それまで余り知られていなかったレパートリーを作曲者の時代のスピリットさえも感知させる質の高い演奏と響きを再現している。

そうした研究が彼らの出身地ネーデルランドを中心に確立されたことが、古楽の故郷と言われる所以だろう。

録音機器を一新する前のアクサン・レーベルのCDなので、臨場感では現在のものにやや劣るが音質の点では及第点だ。

5曲の中でも特に彼らがアンサンブルの実力を発揮していると思われるのが、ヤーニチュとヨハン・クリスティアン・バッハの2曲で、前者は対位法に織り込まれたバロック後期特有の憂愁を湛えている。

彼は大バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルがチェンバロを弾いていたフリードリッヒ大王の宮廷楽壇のメンバーの1人だっただけに、優れた室内楽を多く残していて、このヘ長調の四重奏曲は弦楽に管楽器を取り入れた彼の典型的なスタイルで書かれている。

ヤーニチュの作品集自体それほどリリースされていないが、この曲は現在までに録音された彼のカルテットの中でも最も美しいサンプルと言っても過言ではないだろう。

一方バッハの末っ子ヨハン・クリスティアンの作品は既に古典派をイメージさせる明快な和声と屈託のない曲想が特徴で、ギャラント様式の軽快な装飾も心地良い。

こうした音楽はある程度の洒落っ気が欠かせないが、彼らの演奏は古楽の研究者というイメージから離れた親しみ易さがあり充分に愉しませてくれる。

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classicalmusic at 00:34コメント(0)トラックバック(0)クイケンバッハ 

2015年09月16日


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ヒラリー・ハーンの新譜は2曲のヴァイオリン協奏曲、モーツァルトの第5番イ長調『トルコ風』とヴュータンの第4番ニ短調のカップリングで、パーヴォ・ヤルヴィ指揮、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンとの協演になる。

いずれの演奏でもハーンはとびっきりシックな音色を武器にしながらも、聴き手に媚びることのない、丁寧に弾き込んだ知性的な爽やかさに先ず惹き込まれる。

それが彼女がこれまでに培った奏法なのだろうが、テクニックのアピールなどには興味を示さず、音楽に真摯に対峙して曲想を可能な限りすっきりとまとめた、ややクールだが流麗で飽きの来ない演奏だ。

モーツァルトではオーケストラが小編成で、指揮者が弦楽部にヴィブラートを抑えたピリオド奏法を取らせているために、曲のスケールがよりコンパクトに聞こえる。

しかしこうした古典的で等身大の再現がかえってソロを際立たせている。

近年のパーヴォ・ヤルヴィのモーツァルトへの解釈と言えるだろう。

第2楽章のカンタービレもハーンは良く歌っているが、常に節度をわきまえ様式を崩さない。

この曲は終楽章メヌエットに挟まれてトルコ風のマーチが挿入されているために『トルコ風』のニックネームで呼ばれているが、ハーンのソロ・ヴァイオリンに導かれるエネルギッシュで鮮やかな曲想の変化とメヌエットのテーマが再現される際の品の良さも聴きどころのひとつだ。

尚それぞれの楽章を飾るカデンツァは総てヨーゼフ・ヨアヒムの手になる。

自身ヴァイオリニストだったヴュータンの協奏曲は随所に華麗な技巧がちりばめられた典型的なロマン派の作品だが、オーケストラもかなり充実した聴かせどころを持っているので単に名人芸を発揮するだけのレパートリーではない。

ハーンは必要以上に走らず、むしろテンポを中庸に取って曲中の完璧な秩序と構成美の中に物語性を見出している。

濃厚な表現や派手なヴィルトゥオジティを求める人にとってはいくらか淡白に聴こえるかも知れないが、これが彼女の高踏的ロマンティシズムの美学とも言えるだろう。

第3楽章スケルツォもスリリングな演奏と言うより、堅実なボウイングから紡ぎだされる極めて音楽的な趣を持った演奏で、第4楽章に受け渡す非常に魅力的な部分だ。

終楽章は第1楽章の冒頭のモチーフが回帰するオリジナル・ヴァージョンを採用している。

録音はモーツァルトが2012年、ヴュータンが2013年で、30ページほどのライナー・ノーツに英、独、仏語による簡単な解説と幾つかのスナップ写真が掲載されている。

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アーノンクールがレオンハルトと共にピリオド楽器によるバッハの受難曲やカンタータを集中的に録音していた当時の貴重な映像のひとつで、彼特有の鋭利な解釈がバッハの『ヨハネ受難曲』の特徴を浮き彫りにしている。

それは演奏形態も大規模で壮麗な『マタイ』の抒情性に比較してより劇的なエレメントが集約されていることだろう。

福音史家のレチタティーヴォにも細かな音形がしばしば現れ、その感情の高揚をつぶさに伝えている。

アーノンクールのテンポもやや速めの設定で全体を114分でまとめているが、場合によっては間髪を入れずひとつの曲から次の曲に移るという手法が取られていて、それだけに引き締まった緊張感が第40曲の最後のコラールまで失われることがないのは流石だ。

またコーラスの占める比重が重く、バッハがこの曲でコーラスを優位に立たせ、その表現力を自在に使いこなして物語を進めるテクニックを駆使していたことも興味深い。

ここではテルツ少年合唱団と彼らのOBに当たる男声合唱団総勢30名余りの良く統制された、しかし情熱的な歌唱が聴きどころだ。

ソリストでは福音史家のクルト・エクヴィルツの歌詞を掘り下げた明確なレチタティーヴォに強い説得力があるし、またバスのアントン・シャリンガーの温かみのある声と真摯な歌唱にも好感が持てる。

アーノンクールはソプラノとコントラルトのソロにテルツ少年合唱団のピックアップ・メンバーを採用しているが、2人のボーイ・コントラルト、クリスティアン・インムラーとパナヨティス・イコノムーはいずれも秀逸。

特にイコノムーはこの録音当時まだ14歳だった筈だが、声の陰翳の付け方から感情の表出までとても子供とは思えない高い音楽性を持っていて驚かされる。

現在ではどちらもバス・バリトン歌手としてオペラの舞台や宗教曲の演奏に活躍しているというのも当然だろうが、またこうした歌手を輩出するテルツの持つ実力にも頷ける。

リージョン・フリーで画像の質は良好だ。

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classicalmusic at 20:45コメント(0)トラックバック(0)バッハアーノンクール 

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ヴィオラの名手としても知られ、この楽器の為の多くの作品を録音しているヨセフ・スークのヴィオラ演奏集で、ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタの伴奏はヤン・パネンカだが録音データ不明と記されている。

ベルリオーズの方はディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ指揮によるチェコ・フィルハーモニーとの珍しい協演で1976年のデジタル録音だが、どちらも音質は極めて良好。

このCDも1989年のリリース以降製造中止になっていたものの廉価盤としての復活になる。

ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは彼の死の直前に書かれた作品であるために、どうしてもその解釈には死の影を暗示させる陰鬱な表現になりがちだが、スークはことさらそうしたおぞましさを強調せずに、むしろ暖かみを持ったヴィオラの明るい音色を使った芯の太い朗々とした表現が特徴的だ。

死に対する恐怖よりも、厳粛で甘美な憧憬が優っていると言ったほうが良いかも知れない。

ベルリオーズの『イタリアのハロルド』においてもスークは官能的とも言える表現をしている。

そこには彼がヴァイオリンを弾く時と同様の薫り立つような音色とカンタービレが縦横に活かされていて、こうした表現では彼が独壇場の力量を発揮することになる。

それはこの曲の文学的なストーリーを忠実に辿った演奏ではないかも知れないが、極めて純粋な音楽的解釈だ。

ここではまたフィッシャー=ディースカウが指揮者としての優れた手腕を披露している。

ベルリオーズの華麗なオーケストレーションを精緻に再現し、チェコ・フィル特有の弦の瑞々しさ、管の機動力を引き出してみせた彼の貴重な記録でもある。

ちなみにこの作品はベルリオーズがバイロンの長編詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』にインスピレーションを得たものだが、原作との関連性は稀薄で、作曲家自身のイタリアでの体験をベースにした創作といった感が強い。

それは彼の『幻想交響曲』と良く似ていて結果的には、彼が最も力を注いで取り組んだ標題音楽の代表作のひとつになった。

パガニーニ発注説の真偽はともかくとして、ヴィオラ奏者の最も重要なレパートリーであることは間違いない。

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2015年09月15日


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凄い超名演だ。

これほどまでに心を揺さぶられる演奏についてレビューを書くのはなかなかに困難を伴うが、とりあえず思うところを書き連ねることとしたい。

いずれにしても、廃盤になっていたテンシュテット&ロンドン・フィルの1991年におけるマーラーの交響曲第6番のライヴ録音が再発されたのは、まだこの演奏を聴いていないクラシック音楽ファンにとって大朗報とも言えるところだ。

テンシュテットと言えば、何と言ってもマーラーの交響曲の様々な名演が念頭に浮かぶが、マーラーの数ある交響曲の中でもとりわけ第6番を得意としており、複数の録音を遺している。

最初の録音は、交響曲全集の一環としてスタジオ録音された演奏(1983年)、次いでライヴ録音された演奏(1983年)、そしてその8年後にライヴ録音された本盤の演奏(1991年)の3種が存在しており、オーケストラはいずれも手兵ロンドン・フィルである。

いずれ劣らぬ名演ではあるが、随一の名演は1991年の演奏であることは論を待たないところだ。

というのも、テンシュテットは1985年に咽頭がんを患い、その後は放射線治療を続けつつ体調がいい時だけ指揮をするという絶望的な状況に追い込まれたからである。

したがって、1991年の演奏には、死と隣り合わせの壮絶な演奏を展開しており、1つ1つのコンサートに命がけで臨んでいた渾身の大熱演とも言うべき壮絶な迫力に満ち溢れていると言えるからだ。

いささかも妥協を許さない全力投球の極めて燃焼度の高い渾身の演奏を繰り広げていたところであり、もはや涙なしでは聴けないほどの感動を覚える。

そうしたテンシュテットの指揮芸術は、最も得意としたマーラーの交響曲の演奏において如実に反映されていると言えるであろう。

テンシュテットのマーラーの交響曲へのアプローチはドラマティックの極みとも言うべき劇的なものだ。

これはスタジオ録音であろうが、ライヴ録音であろうが、さして変わりはなく、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドなどを駆使して、大胆極まりない劇的な表現を施している。

かかる劇的な表現においては、かのバーンスタインと類似している点も無きにしも非ずであり、マーラーの交響曲の本質である死への恐怖や闘い、それと対置する生への妄執や憧憬を完璧に音化し得たのは、バーンスタインとテンシュテットであったと言えるのかもしれない。

ただ、バーンスタインの演奏があたかもマーラーの化身と化したようなヒューマニティ溢れる熱き心で全体が満たされている(したがって、聴き手によってはバーンスタインの体臭が気になるという者もいるのかもしれない)に対して、テンシュテットの演奏は、あくまでも作品を客観的に見つめる視点を失なわず、全体の造型がいささかも弛緩することがないと言えるのではないだろうか。

もちろん、それでいてスケールの雄大さを失っていないことは言うまでもないところだ。

このあたりは、テンシュテットの芸風の根底には、ドイツ人指揮者としての造型を重んじる演奏様式が息づいていると言えるのかもしれない。

マーラーがこの曲を作曲したときと同じような心境に追い詰められたテンシュテットの大仰ではない、真に深い苦しみが刻印され、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある迫力を湛えていると評価したい。

オーケストラは必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルであるが、テンシュテットのドラマティックな指揮に必死に喰らいつき、テンシュテットとともに持ち得る実力を全面的に発揮させた渾身の演奏を繰り広げていると言えるところであり、本演奏を超名演たらしめるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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classicalmusic at 22:57コメント(0)トラックバック(0)マーラーテンシュテット 

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EMIのミドル・プライスによるオペラ・シリーズの1組で、クリュイタンスの全盛期1958年にパリ・オペラ座管弦楽団及び合唱団を率いてのセッションは歴としたステレオ録音だが、この音源は1989年にデジタル・リマスタリングされ音質も充分満足のいくものになっている。

この演奏ではクリュイタンスのリリシズムが抜きん出ていて、グノーの音楽的な趣味を溢れんばかりに伝えている。

グノーはゲーテの原作の精神性とは裏腹の声と視覚に訴える、華麗で映像的なオペラに作曲しているのだが、その色彩感やドラマ性の魅力を余すところなく引き出して、堂々たるグランド・オペラに仕上げたクリュイタンスの力量を高く評価したい。

歌手では主役級の4人の活躍が聴きどころで、この時期ならではのキャスティングによる名歌手達の饗宴を堪能できるのも大きな魅力になっている。

またパリ・オペラ座管弦楽団は、劇場のオーケストラらしく融通の利いたサポートとカラフルでダイナミックな音響も特筆される。

ニコライ・ゲッダの歌うタイトル・ロールには若返ったファウストの颯爽とした高貴さが良く表れている。

第3幕のアリア「清らかな住まい」の抒情と苦もなく聴かせるハイCはこの場の醍醐味のひとつだ。

筆者は過去に1度だけゲッダのリサイタルを聴く機会に恵まれたが、その美声だけでなく他国語を母国語のように操る並外れた才能と長身で舞台映えのする容姿が印象に残っている。

メフィストフェレスを演じるボリス・クリストフによる第2幕の「金の子牛の歌」と第4幕の「眠ったふりをせずに聞きたまえ」はアクの強い強引とも思える歌い回しだが、シャリアピンを髣髴とさせる徹底した舞台役者としての演技が感じられる。

彼はクリュイタンスとムソルグスキーの『ボリス・ゴドノフ』も録音しているので、同シリーズでの復活も望みたい。

一方デ・ロス・アンへレスの清楚なマルグリートも得がたい当たり役だと思う。

第3幕の「昔トゥーレに王ありき」に始まる「宝石の歌」のシーンを、世間知らずの純粋さと仄かな甘美さで表現し切っている。

また出番は短いがマルグリートの兄ヴァランタン役のバリトン、エルネスト・ブランは第2幕のカヴァティーナ「この土地を離れる前に」で若々しく誠実な役柄を歌い上げていて、これもこのオペラの名唱に数えられるだろう。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)クリュイタンス 

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モーツァルト書簡集下巻は彼が最後の数年を生きたウィーンでの生活を中心に、膨れ上がる借金に苛まれながらも次々に傑作を生み出していく精力的な作曲活動、そして遂に力尽きて亡くなる50日前までの彼の行動と心情がありのままに吐露されている。

モーツァルトは妻に限りない愛情を注いだ作曲家だった。

彼は湯治のためにバーデンに滞在するコンスタンツェ宛に頻繁に手紙を書き、借金だらけになっても彼女には滞りなく送金を続け、常に体を気遣っている。

その甲斐もあってコンスタンツェは病から快復するが、皮肉にもその前にモーツァルトは亡くなってしまう。

困窮の生活の中で彼が澄み切った青空のように屈託のない作品を作曲し続けることができたのは驚異でしかない。

手紙の中に居酒屋で独りで食事をすることの惨めさも書かれている。

彼は作曲する時以外は誰かが傍らに居てくれないと堪えられない寂しがりやだった一面も興味深い。

最後の年譜で訳者は『モーツァルトは35年10ヶ月9日間生存し、そのうち10年2ヶ月8日間を旅の空で過ごした』と記している。

人生のほぼ1/3を彼はヨーロッパ諸都市でのコンサート、オペラ上演やそれに伴う移動のために費やしたことになる。

筆者は以前ザルツブルクとウィーンでモーツァルトの住んだ3軒の家を訪れたことがある。

現在ではいずれも記念館になっていて、彼に因んださまざまな展示物を見学することができるが、ある一室で彼が生涯に書いた総てのスコアを一列に積み上げてあった光景が思い出される。

それはその部屋の天井まで届くほどの高さがあり、彼が如何に離れ技的な作曲活動をしていたかを証明している。

平均するとモーツァルトは生涯を通じて1日6ページのフル・スコアを毎日書き続けたことになるそうだが、この書簡集でも明らかにされているように度重なる演奏旅行とその準備、生活のための生徒へのレッスンやあらゆる雑事に煩わされていたことを考えれば、今日私達が名曲として鑑賞している作品群が到底信じられないようなスピードで作曲されていたことになる。

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classicalmusic at 00:54コメント(0)トラックバック(0)モーツァルト 

2015年09月14日


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いずれも20世紀に活躍した作曲家の作品をラインナップした世界的ヴィオリスト、今井信子の渾身の意欲作。

しかも、バルトークとヒンデミットのオーケストラ伴奏の傑作とくれば、必聴の1枚と言えよう。

バルトークとヒンデミットによるヴィオラのための協奏曲を前後におき、中間に豊かな情念をたたえた美しいシェーンベルクの『浄夜』を置くというカップリングの妙にも感心させられる。

日本を、そして世界を代表するヴィオラ奏者となった今井信子は、アルバムにも名演が多いが、今回の演奏も秀逸で、聴き慣れない作品ではあるけれど、品格のある演奏で作品の魅力を引き出している。

今井信子は、ヴァイオリンとチェロの間にあって地味な存在に甘んじているヴィオラの魅力を世に広めようと地道に活動しながら、ヴィオラのレパートリー開拓に大きく貢献してきただけに、彼女にとっても本盤の組み合わせは会心の1枚ということになるであろう。

先ず、バルトークのヴィオラ協奏曲であるが、いかにも今井信子らしく、繊細で丁寧な音楽づくりだ。

それでいて、起伏に富んだ同曲の各楽章の描き分けも実に巧みに行っており、彼女の表現力の幅の広さを痛感させられる。

また、これまで使用されてきたシェルイによる補筆完成版ではなく、1995年に出版された新校訂版による初録音であるが、このヴァージョンは、バルトークの残した草稿に立ち返ることで、シェルイ版を見直し、大小いくつかの変更をおこなったというもので、よりバルトーク的な方向を目指したというのも、本演奏の価値をより一層高めることに貢献している。

今井信子がからんでいない『浄夜』は弦楽合奏版であり、本版にはカラヤン&ベルリン・フィルによる超弩級の名演があるだけにどうしても旗色が悪いが、タカーチ=ナジ指揮ジュネーヴ高等音楽学校の学生による弦楽合奏は、メリハリの利いた重厚な音楽づくりを行っており、非常にこなれた演奏で充実していて、実に聴きごたえのある佳演に仕上がっている。

ヒンデミットは、民謡を素材としているだけに、ヒンデミットにしては非常に親しみやすい旋律に満ち溢れた作品であるが、今井信子は、このような作品でも耽溺には陥らず、どこまでも格調の高さを失わない点を高く評価したい。

音質も実に優秀で、これだけ低音を巧みに捉えた録音も、通常CD盤にしては珍しいと思われる。

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classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0)バルトークシェーンベルク 

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ルドルフ・ゼルキンがコロンビアに録音したシューベルト作品集で、ソロだけでなくピアノ五重奏曲『ます』を始めとするアンサンブル作品や歌曲も収録されているのが嬉しい。

ゼルキンの演奏には大衆受けを狙った媚びや派手なアピールなどは全くないが、逆に言えば表面的で小器用な表現を一切避けて真摯に弾き込んだ音による力学と音楽の構造を疎かにしない、より普遍的で純粋な音楽性の追究がある。

そこにシューベルトの高度に洗練された精神的な安らぎと喜びが表されているのではないだろうか。

それを理解するには全曲を通して鑑賞することが望ましい。

入門者にはゼルキンの饒舌を嫌った素朴さが物足りないかも知れないし、また演奏には情に流されない厳しさが存在するのも否定できないとしても、一度彼の演奏哲学の魅力を知ったならば新たな音楽的視野を広げることになるだろう。

ピアノ・ソナタでもシューベルトをより古典派の作曲家として捉えた、節度をわきまえた誇張のない表現が特徴だが、楽章どうしの有機的なつながりが図られていて曲全体が緊密にまとまっている。

かえって『即興曲』や『楽興の時』などの小品集では自由闊達なロマン派的解釈を示している。

尚変ロ長調『遺作』はセッションとカーネギー・ホール・ライヴの2種類を聴き比べることができるが、ライヴでは演奏終了後客席からの拍手喝采を受けている。

アンサンブルではブッシュ兄弟とのピアノ三重奏曲がCD3に収録されている。

ゼルキンは十代の頃からアドルフ・ブッシュのパートナーとしてヨーロッパ各地での演奏活動を始めた。

この演奏はアドルフの亡くなる前年に録音されたもので、彼のイントネーションはやや乱れがちだが、ゼルキン亡命後も生涯に亘って続いた彼らの厚い友情には感慨深いものがある。

ピアノ五重奏曲『ます』のピアノ・パートではゼルキンがアンサンブル全体を締めくくる要の役割を果たして、冗長になりがちなこの曲にしっかりとした形式感を与えている。

ふたつの歌曲『流れの上で』はホルンの、『岩の上の羊飼い』はクラリネットのそれぞれオブリガートが付いたシューベルト晩年の珍しい作品だ。

特に後者はコロラトゥーラ・ソプラノのために書かれ、ヨーデルを模しているが、この曲の歌詞に使われている詩は複数の詩人の作品を彼が任意に繋げたもので、この時期のシューベルトが自身の歌曲に斬新な試みを始めていたことが興味深い。

こうした曲目の伴奏にゼルキンを迎えているのは随分贅沢なことだが、それだけにソロのホルンやクラリネットも良く制御され、ヴァレンテの清楚な歌唱を引き立てて文学的な趣向を高めている。

古い音源では一部に音揺れが聞こえるが音質は概して良好。

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classicalmusic at 20:48コメント(0)トラックバック(0)シューベルトゼルキン 

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EMIマスター・シリーズに移行してから更にパッケージのデザインを一新しての再リリース。

1962年と63年の古いセッションだが、リマスタリングされているので音質は極めて良好だ。

フォーレの『レクイエム』については若干手薄なコーラスが気になる他は、ソリストを含めて稀に見る演奏で、名盤と呼ばれるに恥じない天上的な美しさを持っている。

フィッシャー=ディースカウの包み込むような慈愛に満ちた表現と、清楚でありながらそこはかとない艶やかさを持ったデ・ロス・アンへレスの歌唱はこの曲の録音の中でも傑出したものだろう。

そしてパリ音楽院管弦楽団から、いかにもフォーレらしい淡い光彩と穏やかな情感を引き出したクリュイタンスの力量は流石だ。

また初出時は単独のリリースだったが、このシリーズではドビュッシーの管弦楽のための『映像』が加わったことは評価できる。

こちらも歴としたステレオ録音で、意外と思えるほど音質が改善されていて鑑賞に全く不都合はない。

ここに収録された5曲のドビュッシーは彼の数少ない録音で、以前日本盤でリリースされた時には、1枚のCDにこの『映像』と舞踏詩『遊戯』がカップリングされていた。

後者は現在ラヴェルの『ダフニスとクロエ』の余白に入った外盤が入手可能だ。

言い尽くされたことだが、クリュイタンスのフランスものには格別の味わいがある。

元来パリ音楽院管弦楽団は団員の個性が強く、オーケストラのソロ・パートの巧みさや味のある演奏にかけては人後に落ちなかったが、さほどバランスのとれた統率感の感じられる楽団ではなかった。

しかしクリュイタンスの指揮の下では、実に良くまとまった暖色系の美しい音色を自在に発揮している。

絵画に例えるなら油彩の強烈さと水彩の微妙な色彩変化をも敏感に描き出す実力を持ち合わせていた。

それだけにメンバーのクリュイタンスに寄せる信頼と敬意は大きかったに違いない。

現在ではオーケストラの国際化の影響で、抜きん出た特徴を持つ楽団は次第に姿を消しつつあるが、パリ音楽院はその最たる例で、彼らの解散は後のグローバル化の象徴になってしまった感がある。

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classicalmusic at 00:51コメント(0)トラックバック(0)クリュイタンスフォーレ 

2015年09月13日


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エミール・ギレリスが1973年及び1978年にプラハで行ったリサイタルからのライヴ録音になり、1973年5月24日の『プラハの春音楽祭』でのプログラムはモーツァルトのピアノ・ソナタ第15番ヘ長調K.533/494とブラームスの7曲の幻想曲集Op.116で、1978年5月10日のチェコ・ラジオでの録音がブラームスの4つのバラードOp.10になる。

全曲ともライヴで客席からの咳払いや雑音が若干混入しているが、ピアノの音質が明確に捉えられているのでそれほど気にならない。

尚ブラームスの幻想曲集の演奏終了後にのみ拍手が入っている。

先ずモーツァルトのソナタでのギレリスのとびっきり気の利いたデリカシーが注目される。

決して軽快な演奏ではなく、ポリフォニックな書法の中に極めて繊細で清澄なモーツァルトが大きなスケールで再現されていて、晩年の作曲家の心境を伝えるような解釈が素晴らしい。

一方ブラームスではギレリスのピアノは一層雄渾な響きを増して、ひたひたと忍び寄るような寂寥感から深い慟哭をも感知させているのが秀逸だ。

こうした玄人受けをする高尚なプログラムで披露する音楽性とテクニックは流石ギレリスと思わせるものがある。

プラガ・ディジタルスでは従来のSACDの他にこのジェニュイン・ステレオ・ラブと銘打った新コレクション・シリーズを始めたらしく、これまでにリリースされたCDを見ると総てがチェコで制作されている。

特徴はいずれも良質のステレオ音源のリマスター盤で、レギュラー・フォーマットのCDで気軽にしかも鮮明な音響で名演奏を鑑賞できるところにある。

今のところ新録音や初出物はないようだが、ユニークな選曲やリカップリングにもチェコ・プラガのオリジナリティーが表れていて興味をそそられる。

このギレリスのリサイタル盤は当シリーズではヴァーツラフ・ノイマンのヤナーチェク、モラゲス木管五重奏団のモーツァルトに続く3枚目に当たる。

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メンブラン/ドキュメンツからリヒャルト・シュトラウス生誕150周年記念としてリリースされたセット物のひとつで、カール・ベーム指揮の『ばらの騎士』『無口な女』『アラベラ』『カプリッチョ』の全曲録音を10枚のCDに収録している。

1958年の『ばらの騎士』のみがシュターツカペレ・ドレスデンとの演奏で、このセットの中では唯一セッションのまがりなりにもステレオ録音なのだが、オーケストラが右側後方に偏りぎみなため声楽とのバランスがいまひとつで、LPから直接起こしたようなカートリッジの共振にも似たノイズを伴っているのが惜しまれる。

それ以外の演目はある程度会場の雑音が混入したモノラル・ライヴになるので音質的には曲によってかなりばらつきがあるが、どの作品もウィーン・フィルとの協演でそれぞれの歌手達も高い水準の歌唱を披露している歴史的上演の貴重な記録なので、この価格であればベーム・ファンには欠かせないコレクションになるだろう。

『ばらの騎士』はシェヒ、ゼーフリート、シュトライヒやフィッシャー=ディースカウを配した瑞々しい歌唱が倦怠やデカダンスを殆んど感じさせない健やかさに特徴があるが、例えば第2幕の幕切れのオックス男爵のワルツなどにベームらしいさりげないウィーン趣味が滲み出た演奏が美しい。

ベームは同オペラを1969年にウィーン・フィルとのライヴで残しているが、どちらも既に廃盤の憂き目に遭っているので今回の廉価盤での復活は歓迎したい。

このセッションが行われたドレスデンはR.シュトラウスのオペラ上演が盛んな都市だけあって『ばらの騎士』の他にも『アラベラ』『無口な女』は当地初演の作品で、特に『無口な女』は1935年にベームの指揮によって初演を飾っている。

このセットに収められている1959年のザルツブルク音楽祭ライヴは音質も良好で、ギューデン、ヴンダーリヒ、プライ、ホッターなど当時のオール・スター・キャストが組まれていて傑出した喜劇に仕上がっているのだが、ベーム自身によるカット版が使用されていて演奏時間がオリジナル・スコアに比較するとかなり短縮されているのも事実だ。

R.シュトラウスの薫陶を受けたベームなので、舞台上の効果を考慮した作曲家承認済みのカットだったことが想像されるが、彼はその後もこのオペラの上演には常にカット版を使ったようだ。

ちなみに『アラベラ』は1947年のザルツブルクにおけるライヴ、また『カプリッチョ』は1960年のウィーン・ライヴになる。

完全節約企画のためライナー・ノーツや歌詞対訳等は一切省略されていて、ボックスもごく実用的で洒落っ気のないデザインと装丁になっている。

アニヴァーサリー・エディションとしてメンブランからは同時にオーケストラル・ワークを中心とする10枚組もリリースされているが、いずれもリマスタリングがされていないので音質を問うか否かで選択肢が分かれるかも知れない。

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classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0)R・シュトラウスベーム 

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ジュリアーノ・カルミニョーラは既にモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全集を2回ほどリリースしているが、2011年にパリのシャンゼリゼ管弦楽団を弾き振りして初挑戦したのが今回のハイドンの協奏曲集になる。

いずれもハイドン初期の作品で後期バロックの名残を残した形式感と疾風怒濤時代の自由闊達さを、カルミニョーラは生気に満ちたリズムとストラディヴァリウス特有の明るい響きを活かして表現している。

カルミニョーラは既に60代の円熟期だが、その演奏は若々しく颯爽とした覇気が全曲を貫いている。

特に緩徐楽章での抑制の効いたカンタービレの美しさや急速楽章のカデンツァの鮮やかさは、録音状態の良さも相俟って特筆される。

それほど演奏される機会がないこれらの曲に、新たな価値を再発見したセッションとしても一聴に値するCDだ。

カルミニョーラの使用楽器は今回もストラディヴァリウス・バイヨで、この名器は1732年、ストラディヴァリウス最晩年88歳の時に製作されたものだ。

彼の2人の息子が製作を手伝ったと言われているが、その完璧な技量と眼識は衰えておらず、現在まで全く修理の必要が無いということだ。

音色の特徴は輝かしく力強いこと、低音が深くまろやかなことなどで、ニックネームは所持していたヴァイオリニスト、ピエル・バイヨの名前からとられている。

尚このハイドンの協奏曲集ではモーツァルトの時と同様のピッチa'=430に統一されている。

収録曲目はヴァイオリン協奏曲ハ長調Hob.VIIa:1、同イ長調Hob.VIIa:3及び同ト長調Hob.VIIa:4の3曲で、現存するハイドンの協奏曲の中から真作として認められているものだけを取り上げている。

総てハイドンが当時宮廷楽師長だったエステルハージ宮廷楽団のために作曲されたが、特に第1番ハ長調は若きコンサートマスター、ルイジ・トマシーニを念頭において書かれている。

トマシーニはペーザロ出身のイタリア人ヴァイオリニストだが、旅行中だったエステルハージの当主パール・アンタルにその才能を見出され、若干16歳で宮廷楽団に招かれ、その後ヴェネツィアに留学して更にその技を磨いている。

尚サポートを務めるシャンゼリゼ管弦楽団は、通奏低音のチェンバロを弾いているジョルジョ・パロヌッチを含めて、今回21名のピリオド楽器奏者で構成されている。

リーダーは第1ヴァイオリンのアレッサンドロ・モッチャだが、1991年にフィリップ・ヘレヴェッへによって設立されたこのオーケストラは、本拠地をパリのシャンゼリゼ劇場とパレ・デ・ボザールに置いて、古典派からロマン派に至る作品を総てピリオド楽器で演奏するこだわりの楽団だ。

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2015年09月12日


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ベルギーのトラヴェルソ奏者で、ヨーロッパ古楽界を担うクイケン3兄弟の1人バルトールド・クイケンがカナダのピリオド・アンサンブル、アリオンを指揮したバロック組曲集で、2001年にケベックで録音されている。

演奏曲目はいずれもバロック盛期の作曲家4人の管弦楽のための組曲で、このうちヨハン・ベルンハルト・バッハ(1676-1749)の組曲ト短調はヴァイオリン・ソロ、そして大バッハの管弦楽組曲第2番ロ短調はトラヴェルソ・ソロが加わるが、バロック・ヴァイオリンはコンサート・マスター、シャンタル・レミヤール、トラヴェルソはクイケン門下のクレール・ギモンが受け持っている。

この曲集の選曲の面白いところは、17世紀末にルイ王朝の宮廷でリュリを中心とする作曲家達によって形成されたオペラやバレエ用序曲付管弦楽組曲が、ドイツでどのように発展したか俯瞰できることで、勿論ここに収録された4曲は総てがドイツ人の作品になる。

もうひとつ興味深い点はバッハ・ファミリーから大バッハと彼の又従兄ヨハン・ベルンハルトの曲を採り上げたことで、同時代の作曲家としてお互いに影響しあった彼らの作風と、その違いも明瞭に表れている。

近年の研究では大バッハのロ短調組曲は、当初トラヴェルソではなくヴァイオリン・ソロで構想されたという説もあり、その意味でも比較の対象に相応しい選曲だろう。

全曲とも符点音符でアクセントを強調した序奏と速いフガートが交替する、いわゆるフランス風序曲に続く舞曲を中心とする個性的ないくつかの小曲によって構成されている。

バルトールド・クイケンが自ら指揮をした曲はそれほど多くない筈だが、流石に若い頃からグスタフ・レオンハルトの下で豊富なアンサンブルの経験を積んだだけあって、解釈が手堅くやはりネーデルランド派の古楽様式を引き継いでいるが、それぞれの曲の個性も充分に引き出している。

J.S.バッハの管弦楽組曲第2番でのクレール・ギモンの飾り気のない清楚なトラヴェルソにも好感が持てる。

クイケン兄弟が要になるラ・プティット・バンドは2012年に大バッハの管弦楽組曲全集の2回目の録音を果たし、そちらではクイケン自身がトラヴェルソを吹いているが、速めのテンポでシンプルな解釈はこのCDの演奏に近いものになっている。

アトマ・レーベルのCDの音質は極めて良好で、録音会場になったサントギュスタン教会の豊かな残響の中にも古楽器の鮮明な響きを捉えている。

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classicalmusic at 22:53コメント(0)トラックバック(0)クイケンバッハ 

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ピエール・モントゥー没後50周年記念としてまとめられた、彼のRCAに遺された全録音を網羅したCD40枚のセットで、注目すべきは彼がサンフランシスコ交響楽団の常任指揮者だった1935年から1953年にかけてのセッションで、このセットでは半数を超えるCD1−21及びCD25の計22枚がそれに当てられている。

古いモノラル音源で、中にはLP盤からの板起こしもあるが、破綻のないまずまずの音質で蘇っているのは評価したい。

モントゥーはディアギレフ主催のバレエ・リュス専属時代に当時新進気鋭の作曲家の作品の初演を多く手がけている。

ストラヴィンスキーの『春の祭典』『ペトルーシュカ』、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』、ドビュッシーの『遊戯』などがそれで、更にその後もリムスキー=コルサコフのオペラ『金鶏』のアメリカ初演やプロコフィエフの交響曲第3番の世界初演も果たしている。

『春の祭典』に関しては1945年のサンフランシスコ盤と1951年のボストン盤の2種類が収録されていて、どちらもモノラルだがモントゥーのオリジナリティーが示された、また現在の『春祭』の原点としても聴き逃せない演奏だろう。

録音技術的にもRCAは早くからアメリカでライバル会社と鎬を削っていただけに逸早くステレオ録音を導入したが、ここではCD26ドリーブの『コッペリア』から「プレリュードとマズルカ」が1953年のRCAでは初のステレオ化で、CD27のドビュッシーの『海』もやはり部分的ではあるが1954年のステレオ録音になる。

いずれもややテープ・ヒスが入るが、分離状態の良い本格的なステレオで、ボストン交響楽団を振った記念碑的セッションと言える。

その後の録音は既にリリースされている2巻のリヴィング・ステレオに組み込まれた、演奏は勿論音質的にも名盤として認められているもので、1958年のシェリング、ロンドン交響楽団とのブラームスのヴァイオリン協奏曲、また同年のコーガン、ボストン交響楽団とのハチャトゥリァンのヴァイオリン協奏曲、1959年のボストン交響楽団とのストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』、1961年にシカゴ交響楽団を振ったフランクの交響曲及び1955年から1959年にかけてボストン交響楽団と行った一連のチャイコフスキー後期の交響曲集、第4番から第6番までの総てが入っている。

初出盤も含めてかなり手の込んだリマスタリング及び編集が特徴で、ライナー・ノーツも109ページのハード・カバー・コレクション仕様で資料としても充実しているし、ボックス・サイズもかなり大きめでしっかりした装丁がされている。

通常のいわゆるバジェット盤よりやや価格が高めなのはそうした理由だろう。

尚最後のボーナスCDには1955年モントゥー80歳の時のインタビューが収録されている。

モントゥーの演奏は他にもデッカなどの大手メーカーの正式なセッションから海賊盤的なライヴに至るまでさまざまなCDが入手可能だが、RCA音源はモントゥーに欠かすことができない系統的な演奏集であると共に、オーディオ発展史を辿る貴重なサンプルでもある。

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先頃イル・ジャルディーノ・アルモニコのいくつかのセッション録音が復活した。

ヴィヴァルディのリュートとマンドリンをソロに含む協奏曲集、『四季』、そしてバッハの『ブランデンブルク協奏曲』全6曲などがそれに当たる。

本作は、イル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏による、リュートとマンドリンのためのヴィヴァルディ作品の主要曲を収録したアルバムで、快適な躍動感に満ちた演奏を堪能できる1枚。

このCDは彼らの典型的な演奏スタイルが面目躍如の1枚で、いくらかアグレッシヴな表現の中にヴィヴァルディの協奏曲の快活な愉しさと演奏への喜びが横溢していて、理屈抜きで聴き手を引き込んでしまうような魅力がある。

彼らは古楽を宮廷趣味から解放し、辻音楽師風の野趣豊かで気取りのない演奏で人気を集めたが、メンバーのそれぞれが古楽の専門家であるためにその演奏水準は高く、このヴィヴァルディ協奏曲集でも手堅いアンサンブルの合わせ、小気味良いリズム感や和気あいあいとした雰囲気がいやが上にも伝わって来る。

1990年及び92年の収録だが音質も極めて良好だ。

とりわけ第1曲目を飾る『さまざまな楽器のための協奏曲ハ長調』は数あるこの曲の録音の中でも最も先鋭的な演奏だ。

ソロ楽器群はふたつのヴィオリーネ・イン・トロンバ・マリーナ(共鳴ブリッジ付ヴァイオリン)、ふたつのフラウト・ドルチェ(リコーダー)、ふたつのサルモ(クラリネット属)、ふたつのマンドリン、ふたつのティオルバ(アーチリュート)及びチェロの11名で、これに弦楽合奏と通奏低音が加わる賑やかな編成がその彩りの豊かさと、天性の閃きによって一気に書き上げられた楽想で如何にもヴィヴァルディらしい。

イル・ジャルディーノ・アルモニコも彼らの一種挑発的なアプローチで曲の面白さを充分に引き出している。

一方リリカルな美しさでは『ヴィオラ・ダモーレとリュートのための協奏曲ニ短調』が挙げられる。

このふたつの楽器の組み合わせにも彼の非凡な発想が窺われるが、何よりもヴィヴァルディにしては珍しく哀愁を帯びた曲想が特徴で、弦楽部にはミュート装着の指示がありソロの囁くような音量と微妙な音色を妨げないように配慮されている。

特に第2楽章のイタリア風カンタービレは彼らならではの歌心に満たされていて流石に巧い。

ヴィヴァルディの作品はしばしば書きなぐりの反復のように誤解されることがあるが、スピリットに欠けたものは何一つないことを実感させてくれる。

その他にも良く知られた『マンドリン協奏曲ハ長調』や『2挺のマンドリンのための協奏曲ニ長調』など奇抜なソロ楽器が大活躍する魅力的な作品が集められている。

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2015年09月11日


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リヒテルは幸いロシアのヴィオラ奏者、ユーリ・バシュメットとこのソナタ集を遺してくれた。

このCDに収められているのはヒンデミットの『ヴィオラ・ソナタヘ長調』Op.11-No.4、ブリテンのヴィオラとピアノのための『ラクリメ』Op.48及びショスタコーヴィチの『ヴィオラ・ソナタ』Op.147の3曲で、いずれも1985年3月6日から8日にかけて行われたフライブルクでのコンサートからのライヴ録音になる。

ここでは勿論名手バシュメットの理知的で精緻なヴィオラが白眉だが、ヒンデミットのソナタでは意外なほどヴィオラを歌わせるように作曲されていて、それとは対照的に広い音域を駆使した非常に技巧的で華麗なピアノ・パートをリヒテルが巧妙に支えているのが聴き所だ。

一方ブリテンの曲は『ダウランドの歌曲の投影』という副題付だが、ダブル・ストップ、フラジオレット、トレモロやピチカートなどの弦楽器特有のテクニックがフルに使われた一種のファンタジーで、バシュメットの高度な表現力が張り詰める緊張感の中で活かされている。

またショスタコーヴィチでもヴィオラ特有の暗く奥深い響きと両者の集中力が、ドラマティックで不気味な曲想をいやがうえにも高めている。

沈潜した両楽章に挟まれた第2楽章の民族舞踏を思わせるアレグレットは、全曲中最も激しく情熱的な死の舞踏を想起させる。

ヴィオラはその音色の性質と音域から、普段はオーケストラの内声に入って和声を支える役目を負わされ、ソロ楽器としては滅多に扱われることがないが、バシュメットの手腕によってその芸術性を再認識させられるのがこのソナタ集だ。

彼らの協演したコンサートでは、この他にシューマンのピアノとヴィオラのための4つの『お伽の絵本』のモスクワ・ライヴがドレミ・レーベルからリリースされているし、バシュメットが指揮者にまわったテルデックからの協奏曲集もある。

リヒテルのアンサンブルへの参加は他のピアニストに比較して決して少なくない。

一流どころのピアニストが歌曲や他のソロ楽器のための伴奏にまわること自体、彼らのコンサートの習慣からしても、あるいは主催者側のスケジュールの調整や費用の面からしても、それほど簡単でないことが想像される。

しかしリヒテルはロストロポーヴィチとのチェロ・ソナタ集に代表されるように若い頃から伴奏や連弾、あるいは弦楽アンサンブルとの協演を盛んに手がけている。

彼のこうした情熱を考えると、広い視野を持ってさまざまなジャンルに取り組んだオールマイティな音楽観が、逆に純粋なピアノ曲にも反映されていると言えるだろう。

それがリヒテルの音楽を包容力に富んだ懐の深いものにしている理由のように思われる。

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classicalmusic at 22:50コメント(0)トラックバック(0)リヒテルショスタコーヴィチ 

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解散して久しいアルバン・ベルク四重奏団の演奏活動が最も充実していた1979年から2000年にかけての演奏集を5枚のCDにまとめたセットで、当時彼らが契約していたEMIへの音源からピックアップされている。

こういうコンピレーション・アルバムではEMIはしばしば楽章ごとに抜粋したサンプラー的な編集をするが、幸いそれぞれの曲を全曲収録している。

勿論このセットに収録された曲目は殆んどが現行でも入手可能で、製造中止になっていたメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲は第1番と共に今月ワーナーからミドル・プライスでリイシューされる予定だ。

だからABQのファンであれば特に珍しいレパートリーとは言えないが、今ではメディアを通してしか鑑賞できなくなってしまった彼らへの、タイトル通りのオマージュとして感慨深いものがあるし、また若い世代の室内楽入門者にも是非お薦めしたい。

アルバン・ベルク四重奏団は1970年に結成されて以来2008年に解散するまで実に38年間に亘って活動を続けた。

この間に第2ヴァイオリンはクラウス・メッツルからゲルハルト・シュルツに、ヴィオラはハット・バイエルレからトマス・カクシュカに、そしてカクシュカが亡くなった後はイザベル・カリシウスというメンバーの交替はあったが、第1ヴァイオリンでリーダーのギュンター・ピヒラーとチェロのヴァレンティン・エルベンは、まさにこのアンサンブルに半生を捧げた貢献者と言えるだろう。

離脱したメンバーにもそれぞれ長所があったのは勿論だが、彼らの活動期間の中でもシュルツ、カクシュカの2人が内声を支えていた78年から2005年までがこの四重奏団の実質の黄金期で、この間に彼らの最も先鋭的な2種類のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集、モーツァルトやハイドンの同曲集が録音されている。

また鮮烈な解釈を示したヤナーチェク、バルトーク、ラヴェル、ベルク、ストラヴィンスキーやリームなどの20世紀の作品群では、彼らの演奏への使命感さえ感じさせる強い情熱と同時にクールで洗練された切れの良い演奏が特徴だ。

セッション、ライヴが入り混じっているが、いずれも音質は極めて良好で充実した鑑賞ができる。

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classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0)アルバン・ベルクSQ 

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バーンスタインの最初で最後となったプッチーニのオペラ。

この録音が行われた当時(1987年)、バーンスタインはローマ聖チェチーリア音楽院の名誉院長の地位にあったが、同音楽院管弦楽団との録音はこれが初めてだった。

バーンスタインとプッチーニ、一見意外な組み合わせだが、《ボエーム》はバーンスタインが幼い時からこよなく愛したオペラだったという。

それだけに、ここではただならぬ思い入れゆえの灼熱の指揮ぶりが聴ける。

ドラマや音楽が高揚する部分での異常なスロー・テンポはどうだろう。

まるで音楽の陰に隠された秘密をのぞき込もうとするかのようだ。

オペラというよりも、声と管弦楽によるシンフォニーといった面白さがある。

語感ではなく音色によるバーンスタイン盤の不思議な魅力にも注目したい。

バーンスタインが狙った効果は青春群像の舞台上での再現であろう。

歌手はそれなりに好演しているが、個人的には青春群像を描くにはバーンスタインは歳をとりすぎたという印象がする。

《ウェストサイドストーリー》がヒットした頃の破天荒というか無鉄砲というか、快速に飛ばしまくる元気なバーンスタインの方が曲には合っているような気がする。

最後のシーンでロドルフォが嗚咽せず、静かに終わっていくのが、泣き叫ぶよりもむしろ深い悲しみを誘う感じがするのが印象的である。

異色のプッチーニとして注目したい。

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classicalmusic at 01:08コメント(0)トラックバック(0)プッチーニバーンスタイン 

2015年09月10日


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ダヴィッド・オイストラフが1955年にボストンで収録したプロコフィエフ、ルクレール、ロカテッリのソナタ集で、当時のLP1枚分をそのままCD化しているために収録時間50分余りのモノラル録音だが、幸いノイズもなく芯の太い鮮明な音質で残されている。

オイストラフにとってはこれがアメリカ・デビュー・アルバムでもあったわけだが、既にソヴィエト国内では実力派のヴァイオリニストとして活躍していただけあって、流石にその演奏は万全で、常に正攻法の解釈で作品に取り組み、個性の強調ではなく幅広い表現力と手堅い安定感に強い説得力がある。

包容力のある豊麗な音色、スケールの大きな解釈は、まさにオイストラフの真骨頂と言えるだろう。

彼は音楽性が伴わないこれ見よがしのテクニックのアピールなどには全く興味を示さなかったし、アンコールでもその種の曲は1曲たりとも弾かなかった。

そうした彼の真摯な姿勢がこの3曲にも良く示されている。

決して派手なプログラムではないが、オイストラフらしい王道的な演奏に裏付けられたレパートリーだ。

プロコフィエフのソナタ第1番へ短調は、オイストラフに献呈され彼自身が初演も飾った曲なので、そのオリジナリティーに富んだアプローチが貴重だ。

プロコフィエフの作品にしては珍しく憂鬱質的なところがあって、また第4楽章以外は躍動感にも乏しいが、巧みな音色の変化で張り詰めた中にも滲み出るような虚無感を漂わせている。

楽器を歌わせるのがヴァイオリンの伝統的な奏法だとすれば、ここでは第3楽章アンダンテにその片鱗が窺えるが、どちらかと言えば内省的な表現に焦点が当てられている。

ピアノのヤンポルスキーの合わせ技は巧妙だが、自主性ということではこの時代のソヴィエトの伴奏者に共通する弱点、つまり自身の主張はできる限り抑えて、ひたすらソロを引き立てることに腐心する傾向が無きにしも非ずだ。

いくらか杓子定規でもう少しスリルや面白みがあって良いと思う。

ルクレールのソナタ第3番ニ長調はヴァイオリン本来の明るく朗々としたカンタービレや華やかさを持つ典型的なバロックの作品で、楽器の音色も含めた基本的な技巧を駆使して如何に美しいスタイルで弾き切るかに演奏の出来がかかっている。

ここではオイストラフのしっかりした様式感、大らかに鳴り響くダブル・ストップや舞曲の溌剌としたリズムを活かした終楽章タンブーランの鮮やかなフィナーレなどが聴きどころだろう。

一方コレッリの技法を受け継ぐロカテッリは、イタリア風の即興的なパッセージや劇的な変化を伴った曲想を得意とした。

このソナタ・ダ・カメラ作品6の第7番へ短調『墓に』は、ウジェーヌ・イザイによってアレンジされたもので、オイストラフは対位法を端正に処理し、終楽章カンタービレではパッサカリア風のヴァリエーションを控えめだが、高尚なリリシズムで弾き込んでいる。

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classicalmusic at 22:27コメント(0)トラックバック(0)オイストラフプロコフィエフ 

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本セットには、バックハウスがイッセルシュテット&ウィーン・フィルとともに行ったベートーヴェンのピアノ協奏曲全集などが収められているが、いずれの楽曲の演奏も神々しささえ感じさせるような至高の超名演だ。

本セットに収められた各楽曲の演奏が既に録音から半世紀以上が経過しており、単純に技量面だけに着目すれば更に優れた演奏も数多く生み出されてはいるが、その音楽内容の精神的な深みにおいては、今なお本演奏を凌駕するものがあらわれていないというのは殆ど驚異的ですらある。

バックハウスの経歴をみればわかるように、彼は19世紀最良のベートーヴェン弾きだったダルベールの唯一と言ってよい指導を受けた貴重なピアニストであり、彼がデッカに吹き込んだ録音はドイツ鍵盤音楽の極点であることは誰でも知っている。

だが、バックハウスが壮年のアラウのように教条主義的なまでにドイツ的なピアニストだったか、それは考えてみる余地がある。

若い頃のバックハウスはバルトークが「メトロノームの権化のようだ」と評したように、メカニックの正確さとほかの同年代の演奏家よりもはるかにモダンな、つまり、テンポルバートを廃した演奏をしていたのだし、彼の初期の録音はメカニックだけが優れたインテンポの演奏が目立つ。

しかし、この1950年代後半の録音、つまり、デッカに吹き込まれたものは若かりしバックハウスとはまったく違う。

ここには、譜面をきちんと読み、それを演奏している基本的なものと、完全な技術でもって聴衆を魅了するというだけでない、長い間ベートーヴェンにあったドイツの伝統、つまり、シュナーベルの古い録音にも通じるような伝統と革新という水と油が共存する、バックハウスにしか演奏できない音楽となっている。

まさに長年ベートーヴェンを弾き込んできたバックハウスの、巨人的な演奏の一面を知ることのできる全集で、すこぶる雄渾な演奏である。

内容の彫りの深さ、ドイツ的ながっしりとした構成力の素晴らしさは、見事の一語に尽きる。

まさに本演奏こそは、例えばベートーヴェンの交響曲などでのフルトヴェングラーによる演奏と同様に、ドイツ音楽の精神的な神髄を描出するフラッグシップの役割を担っているとさえ言えるだろう。

バックハウスのピアノはいささかも奇を衒うことなく、悠揚迫らぬテンポで曲想を描き出していくというものだ。

飾り気など薬にしたくもなく、聴き手に微笑みかけることなど皆無であることから、聴きようによっては素っ気なささえ感じさせるきらいがないわけではない。

しかしながら、かかる古武士のような演奏には独特の風格があり、各フレーズの端々から滲み出してくる滋味豊かなニュアンスは、奥深い情感に満ち溢れている。

全体の造型はきわめて堅固であり、スケールは雄渾の極み。

その演奏の威容には峻厳たるものがあると言えるところであり、聴き手もただただ居住まいを正さずにはいられないほどだ。

したがって、本演奏を聴く際には、聴く側も相当の気構えを要すると言える。

バックハウスと覇を争ったケンプの名演には、万人に微笑みかけるある種の親しみやすさがあることから、少々体調が悪くてもその魅力を堪能することが可能であるが、バックハウスの場合は、よほど体調が良くないとその魅力を味わうことは困難であるという、容易に人を寄せ付けないような厳しい側面があり、まさに孤高の至芸と言っても過言ではないのではないかとさえ考えられる。

バックハウスとケンプについてはそれぞれに熱烈な信者が存在し、その優劣について論争が続いているが、筆者としてはいずれもベートーヴェンの至高の名演であり、容易に優劣を付けられるものではないと考えている。

イッセルシュテットの指揮も、バックハウスの意図をよく汲み取った名伴奏であり、ウィーン・フィルの優雅な音色を十全に生かしたもので、曲の美しさを改めて見直させる。

録音は英デッカによる高音質であり、リマスタリングされたこともあって、従来盤でも十分に満足できる高音質に仕上がっている。

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サヴァリッシュへの追悼として聴き直したCDのひとつで、ドヴォルザークのチェロ協奏曲に対して大上段に構えた演奏ではなく、曲想のきめ細かさやリリカルな特性を精緻に追ったチェリスト、ナターリア・グートマンの解釈が秀逸。

サヴァリッシュのサポートも巧みで、オーケストラの響きは美しく、壮麗で力強く引き締まっており、サヴァリッシュの指揮も気力が充実して、両者のハッタリのない知性的な協演に好感が持てる。

全曲のあらゆる部分にグートマンの高度なテクニックが冴え渡っているが、常に節度を保ちながらツボを外さない演奏は如何にも彼女らしい。

ただしこの曲に民族的な熱血感や迫力を求める人には期待に沿わないだろう。

第2楽章では素晴らしい抒情と彼らならではの静的だが溢れ出るような瑞々しいペーソスが支配している。

サヴァリッシュもここでは一層注意深くフィラデルフィアを制御してグートマンのソロを効果的に引き立てている。

チェロと木管楽器の絡み合いは永遠の憧憬を追うような美しさを持っている。

終楽章では迸るような軽快さとメリハリのあるダイナミズムで、ソロとオーケストラの華麗な協演が繰り広げられ、決してスケールの小さい演奏でないことを証明している。

カップリングはドヴォルザークの交響曲第7番で、実はこちらの方が第1曲目として収録されているのだが、リイシューのときに同じドヴォルザークの『交響的変奏曲』に替わってリカップリングされたものだ。

この曲でもアメリカ的で開放的なパワフルなサウンドが聴けるかというとそうではない。

サヴァリッシュは金管楽器を注意深く抑えて、弦楽器や木管楽器を巧みに前面に出している。

余裕のあるパワーは充分に感じられるが力で押す演奏ではなく、あくまでもバランス技で絶妙な均衡を導く指揮が彼の流儀だ。

純度の高い表現であり、推進力が強く、軽快なリズム感によって勢いのある音楽を聴かせてくれる。

またインターナショナルなメンバーによるセッションなので、強烈な民族性というのも期待できないが、逆にこの曲を総合的に見極めた、洗練されたより古典的な美しさが特徴だろう。

1990年代初めのデジタル録音だが、全体的にやや切れが悪い音質に弱点がある。

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classicalmusic at 00:38コメント(0)トラックバック(0)ドヴォルザークサヴァリッシュ 

2015年09月09日


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ベルナルト・ハイティンク指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団がソリストにシェリングとシュタルケルを迎えたブラームスの協奏曲集で、『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』が1973年、『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調』が70年の録音になる。

一般的に1970年代のシェリングは精彩を欠いた杓子定規の演奏をするようにみられているのは残念だ。

彼はブラームスに関しては3回のセッションを残していて、確かにモントゥー、ドラティ盤に比べると覇気は影を潜めているが、音楽の精緻な仕上がりと余裕のある表現、そして思索的な深みは明らかにこちらに分がある。

ここでのシェリングは一切の虚飾を捨て去ったようなシンプルだが、ある種の達観した演奏が特徴だろう。

禁欲的な音による真摯な表現であり、熾烈なまでの一途さに打たれる。

またハイティンク&コンセルトヘボウの演奏も格調高く立派なもので、ゆとりのある堂々たる進行が素晴らしい。

ここでのハイティンクの指揮の巧みさはひときわ顕著で、コンセルトヘボウを注意深く制御してブラームスのオーケストレーションの手法を充分に聴かせてくれる。

彼らの音色は鮮やかというより、むしろシックな趣を持っていて、両方の曲について言えることだが、ハイティンクのバランスと調和に長けたセンスがソロを巧妙に支えるだけでなく、充実した管弦楽のパートを持った曲としての魅力も欠いていない。

一方二重協奏曲では、何よりも2人のソリストの合わせ技が傑出していて感動的で、ヴィルトゥオーゾ臭を出さず、室内楽風のアンサンブルを生かそうとしている。

第1楽章でのシュタルケルの決して恣意的にならない、それでいて堂々たるチェロの響きがこの曲の性格を決定的にしているように思われる。

また第2楽章でのユニゾンで弾かれるメロディーは奏法の呼吸がぴったり合わないと直ぐに露呈してしまう。

そこには音楽的な直感を働かせて弾いている2人の姿が思い浮かぶ。

彼らのような大家が細心の注意を払って奏でる一糸乱れぬデュエットは、この曲の中でも最も美しい部分で、シェリングの誠実さとシュタルケルの内面的な渋さがにじみ出た演奏だ。

終楽章のテーマはややおどけた感じだが、緊張感を緩めずに次第に気分を高揚させていくハイティンクの指揮ぶりも特筆される。

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classicalmusic at 22:36コメント(0)トラックバック(0)シェリングハイティンク 

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本盤は、ラトルがシェーンベルクの『グレの歌』を、音楽監督就任を前にベルリン・フィルと録音したもので、2001年のベルリン芸術週間の目玉となった記念碑的公演のライヴ収録である。

シェーンベルク初期の大作『グレの歌』はロマン派の影響が濃いとされているが、実際、シェーンベルクの作品の中では珍しく存命中に商業的成功を収めた作品であることも納得の、ワーグナーらしさが充満した曲でもある。

演奏は非常にクオリティが高く、ベルリン・フィル初の『グレの歌』にふさわしい強力なサウンドが最大の聴きものとなっている。

このシェーンベルクの大曲には、これまでにも優れた演奏があるが、ラトルのこの演奏は透明度の高さと情感の豊かさが複合的に共存した点で特筆すべきものがある。

この時期は、ラトルが未だベルリン・フィルを掌握し切れていない時期の演奏ではあるが、何よりも、ラトル自身がオペラにおける豊富な指揮の経験により合唱や独唱者の扱いが実に巧みであることも相俟って、素晴らしい名演を成し遂げていると言えるだろう。

指揮者のラトルが打楽器出身で近・現代音楽に造詣が深いということもあってか、特殊奏法への配慮や打楽器パートの強調が実に面白く、「歌曲的な」アプローチとはだいぶ雰囲気の異なるものになっている。

大人数の合唱も凄い迫力で、第3部での幽霊たちの合唱にはまさに鬼気迫るものがある。

5管編成オーバーの巨大オーケストラと十分に渡り合う彼らのパワーは圧倒的であるが、それもラトルの適切な誘導があればこそであろうし、名高い男声12部合唱での仕上がりも完璧だ。

もちろん、静かな部分でのアプローチも優れており、各パートが十分に見通せる透明度の高さは、この作品におけるシェーンベルクのスタンスが、完成までに10年を要したという年月の経過ゆえに微妙に変化していたことさえ窺わせる精妙なもので、さすがはラトルと思わせる。

しかもラトルとベルリン・フィルは、この長大な叙事詩をあたかも室内楽的であると思えるぐらいの透明度の高い精緻さで演奏している。

楽器の数も多く編成も巨大で(この録音では総勢300人以上)、扇情的にド派手にやろうとすると分かり易い曲なのだが、本盤でのラトルの解釈はそういう熱狂からは少し距離を置いて、1音1音緻密にクリアな音を積み上げて音のボリュームを作り出している(勿論、これは演奏者側にも相当な力量が無いと難しい離れ業な訳だが)。

そういった「聴き易さ」も表現しているところに、ラトルの偉大さがあると言えるところであり、その巨大で複雑な管弦楽を見事に再現していくラトルとベルリン・フィルの凄演に感嘆する。

しかも、クールではなく、暖かい情感にみちた音空間を華麗に展開しているのだから、まさに驚きである。

むろん、本演奏においても、ラトルの得意とする合唱曲、そして現代音楽であるということもあって、思い切った表現を随所に聴くことが可能だ。

テンポの効果的な振幅や思い切った強弱の変化などを大胆に駆使するとともに、打楽器の鳴らし方にも効果的な工夫を施すなど、ラトルならではの個性が満載であり、ラトルの個性が演奏の軸足にしっかりとフィットし、指揮芸術の範疇を外れていないのが見事に功を奏している。

そして、ラトルは、合唱や独唱者の扱い方が実に巧いが、本盤の演奏においてもその実力が如何なく発揮されているとも言えるところであり、ベルリン放送合唱団、ライプツィヒ中部ドイツ放送合唱団、エルンスト・ゼンフ合唱団を見事に統率して、最高のパフォーマンスを発揮させている手腕を高く評価したい。

独唱陣では、山鳩役のアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが圧巻で、『グレの歌』の内面的なクライマックスでもある「山鳩の歌」における重みと深みのある歌は過去最高と言いたくなる感動的な内容である。

その他では、クヴァストホフの農夫&語り、ラングリッジの道化が見事な仕上がりだ。

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classicalmusic at 20:37コメント(0)トラックバック(0)シェーンベルクラトル 

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R.シュトラウスの楽曲というと、筆者としてはどうしてもカラヤンの呪縛から逃れられない。

特に本盤に収められた両曲に関して、カラヤンは何度もスタジオ録音しており、「ツァラ」に関しては先般圧倒的なライヴ録音が発売され、そのいずれもが完成度の高い名演で、聴き手を魅了し続けてきた。

しかしカラヤンの演奏だけが正解ではないはずで、別のアプローチの仕方もあってしかるべきである。

カラヤンとは正反対のオーソドックスなアプローチで、R.シュトラウスの名演を成し遂げたのはケンぺだと考えている。

本盤のブロムシュテット盤も、ベースはケンぺのオーソドックスなアプローチを踏襲するものではないだろうか。

オーケストラも同じシュターツカペレ・ドレスデンで、いぶし銀のような渋いサウンドが、演奏に落ち着きと潤いをもたらすのに大いに貢献している。

作曲家とも縁の深い名門オーケストラによる質実剛健で緻密なサウンドメイクと言えるところであり、このまろやかさと繊細な表情の魅力は、他のオーケストラには求められない。

ブロムシュテットは、1927年アメリカ生まれのスウェーデン人で、ドイツ人でない彼がシュターツカペレ・ドレスデンの音楽監督を10年間(1975〜85年)にわたって務めた事は注目に値する。

菜食主義者として知られ、その贅肉を削ぎ落とした透明感の高いオーケストレーションは彼の人格をそのまま映し出している。

シュターツカペレ・ドレスデンのいともコクのある音響を得て、スケール大きく徹頭徹尾正攻法で展開されたR.シュトラウス演奏であり、ブロムシュテットは、この名門オーケストラの美しさを最大限に発揮させたスケール大きな名演を繰り広げている。

ブロムシュテットの円熟のタクトは、R.シュトラウスを知り尽くしたシュターツカペレ・ドレスデンの重厚緻密な響きを駆使して、巧みに聴く者を高揚へと導く。

解釈も品がよく、大人の風格を感じさせるものであり、流麗で端正、まったく一分の隙もない表現である。

非常にズシリと手ごたえのある、巨匠の風格を持った演奏であり、音色はどちらかと言えば渋い方で、玄人好みと言っても良いだろう。

個人的に筆者がR.シュトラウスのオペラの世界に接する機会が多いためだろうか、およそダイナミズムや尖鋭さを主軸として余りにエネルギッシュに繰り広げられてゆく演奏よりも、当ディスクのごとく、緻密なアンサンブルを聴かせつつ、じっくり味わい尽くさせてくれるような彫りの深い落ち着いた演奏に好感がもてる。

ブロムシュテットの構想はまさに堅実で精緻、あくまで純音楽的な観点からこの作品の普遍的な魅力をさぐりあてている感があり、複雑な対位法の織りなしも十全に描出しきっている。

ただ、いかにもブロムシュテットらしいのは、随所に大仰とも言えるような劇的な表現もしているということで、この点ではカラヤン風の劇的な要素も多分にある。

その意味では、洗練と濃密さが一体となった硬軟併せ持つバランスのとれた美演という表現が適切かもしれない。

流麗な美しさの中に、R.シュトラウスの音楽の本質が立ち現れる薫り高い名演と言えるだろう。

いぶし銀のようなシュターツカペレ・ドレステンのサウンドとケレン味のないブロムシュテットの音楽づくりで醸成されたR.シュトラウスの素晴らしさを是非多くの方に堪能していただきたい。

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2015年09月08日


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若き日のロストロポーヴィチがEMI、ドイツ・グラモフォン及びメロディアのそれぞれのレーベルに遺したステレオ音源をSACD化した1枚で、ドヴォルザークが1957年、シューマンが60年、そして最後のチャイコフスキーが64年の古い録音だが、いずれも素晴らしい音質で蘇っている。

中でも1曲目のドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調は、ロンドンのアビー・ロード・スタジオでの収録だが、当時本格的なステレオ録音を開始したばかりのEMIが最新の技術を導入し、エンジニア達も如何に気合の入った仕事をしていたかを証明している。

その後のEMIの低迷ぶりが信じられないくらいだ。

その他の2曲も極めて良好な音質だが、チャイコフスキーのみはモスクワでのライヴから採られていて演奏終了後に拍手が入っている。

さてロストロポーヴィチの演奏だが、これはこれで鑑賞のための立派な選択肢であることに異論はないが、あくまでも個人的な好みとしては最後のチャイコフスキーを除いて多少解釈への厚化粧が気になった。

それは彼の基本的な奏法なのだろうが、あらゆるテクニックを使ってフレーズの隅々まで良く歌わせて、必要とあらばテンポを落として音楽の流れを止めることも厭わない。

だから時として作品の原形がはっきり見えなくなってしまうことが無きにしも非ずだ。

特にシューマンの協奏曲は、青春の息吹きの迸りのようなフレッシュな感性が要求される。

この演奏は確かに大家風で堂々としているが最近聴いたシュタルケル、クーベリックのライヴがまさに筆者が求めていたものだったので、それに比べてこちらはやや拘泥している印象が拭えない。

エイドリアン・ボールトもロジェストヴェンスキーもソロを最大限活かしてオーケストラを良く従わせていることは高く評価したい。

チャイコフスキーのチェロと管弦楽のための『カプリッチョ風小品ロ短調』は『ロココ風の主題による変奏曲』と同様ソリストのヴィルトゥオーシティが聴かせどころの、言ってみればアンコール用ピースなので大上段に構えた音楽性を云々する余地は少なく、かえってロストロポーヴィチの鮮やかなテクニックをダイレクトに伝えていて好感が持てる。

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このセットの魅力は、ジャン・マルティノンがドイツ・グラモフォンに残したCD3枚分の全音源が網羅されていることである。

ピエール・フルニエをソロに迎えたラロとサン=サーンスのチェロ協奏曲及びブルッフの『コル・ニドライ』をコンセール・ラムルーと、そしてスペインのハープ奏者ニカノル・サバレータとのサン=サーンス、タイユフェル、ヒナステラのハープ協奏曲がフランス国立放送管弦楽団との協演で収録されている。

フルニエの筋の通った手堅い奏法から引き出される凛々しいチェロを支えるマルティノンのラムルーへの克明な采配も秀逸だが、一方知的で精緻なサバレータのハープ・ソロを浮かび上がらせるヒナステラの協奏曲では、オーケストラから極彩色とも言える音響空間を創造していて、彼の同時代の音楽への造詣の深さに驚かされる。

いずれも当時のフランスのオーケストラ特有の音色と奏法を堪能できるのも興味深い。

やや薄手で低音部も軽い弦楽部、しなやかで明るい管楽器群、そして軽妙洒脱なパーカッションを絶妙なバランスでまとめあげるマルティノンの指揮法は現在聴くことが殆んど望めない独特の空気感を醸し出している。

もうひとつのセールス・ポイントはマルティノンの作曲家としてのプロフィールで、CD4には彼自身の手になるヴァイオリン協奏曲第2番が収録されている。

ただしこの演奏に彼は参加しておらず、シェリングのソロ、クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団とのセッション録音を収めている。

無調作品だが華麗なオーケストレーションとダブル・ストップを多用してソロを歌わせる作法には、ヴァイオリニストでもあったマルティノンの面目躍如たるものがある。

クーベリックの創り上げるスペクタクルなオーケストラを背景に、シェリングがクリスタリックな硬質の音色を駆使してクールな情熱を傾けたソロが冴え渡る秀演だ。

来年がジャン・マルティノンの没後40周年に当たり、幾つかのレーベルからまとまったセット物がバジェット価格でリリース予定だが、オーストラリア・エロクエンスからはフィリップス・レガシー3枚とこのグラモフォン・レガシー4枚が既に入手可能だ。

ふたつの録音を聴き比べてみると、フィリップスがやや年代が古く総てがモノラル録音であるのに対して、グラモフォンの方は1960年から71年にかけての良質なステレオ録音であるため、どちらを選ぶかと言われれば先ずこちらの鑑賞をお薦めしたい。

ただ双方の演奏曲目にはだぶりがないのでコレクターにとってはいずれも貴重なサンプルに違いない。

特にリマスタリングの記載はないが、当時のグラモフォンの録音技術の特徴でもある鮮明だが骨太でバランスの良い音質が再現されている。

またCD3アルベルト・ヒナステラのハープ協奏曲は初CD化というボーナス付だ。

オーソドックスなジュエルケースに入った廉価盤ながら、8ページの英語によるライナー・ノーツ付。

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ヘルムート・ヴァルヒャがJ.S.バッハ以外の作曲家の作品を録音することは例外中の例外だったが、幸い彼は引退前にブクステフーデを中心とする『バッハ以前のオルガン音楽の巨匠』というタイトルの8人の作曲家による24曲の作品集を録音している。

これはアルヒーフから3枚組CDでリイシューされたが、その中から北ドイツのオルガン音楽のパイオニアとしてバッハにも大きな影響を及ぼしたディートリヒ・ブクステフーデ(1637-1707)の作品11曲を独立させたのがこの演奏集になる。

現在ではいずれも製造中止になってしまったがMP3フォーマットであればこの1枚分は入手可能だ。

ブクステフーデの作品はバッハのようなオルガン音楽の小宇宙を形成するような規模と堅牢な構成は持っていないにしても、若いバッハを感動させただけあって、斬新な音響と自由な発想に魅力がある。

だからブクステフーデの音楽が後のバッハの作品をイメージさせるとしても不思議ではないだろう。

ヴァルヒャの解釈は基本的にバッハの鍵盤音楽に対する姿勢と全く同様で、音楽の構造を明らかにするために最大の努力が払われ、それを妨げるようなエレメントの混入は一切避けている。

故意にテンポを揺らしたり、むやみに音量を水増ししたりは決してしないが、彼が生涯に亘って明かさなかったと言われるレジスターの組み合わせは最も効果的かつ巧妙に考え抜かれている。

楽譜を髣髴とさせるような真摯な演奏でありながら、そこに突き進むような情熱と弛まない緊張感が常に感じられる。

ヴァルヒャがこの作品集のために選んだ楽器は、バロックの名匠アルプ・シュニットガーによる1680年製作の大オルガンで、歴史的な変遷の後にマインツ近郊の小村カッペルの聖ペトリ・ウント・パウリ教会に設置されたものだ。

ヴァルヒャはこのオルガンに愛着を持っていたようで、第1回目のバッハ・オルガン作品全集を録音した時にもこの楽器を弾いている。

録音は1977年に行われ、これがヴァルヒャの最後のセッションになった。

音質は極めて良好。

弱冠20歳のバッハが、オルガニストとして勤務していたアルンシュタットからブクステフーデのオルガン演奏を聴くために、400キロの道のりを徒歩でリューベックに向かったエピソードは良く知られたところだ。

この話には4週間の休暇を無断で3ケ月に延長して当地に滞在したことや、ブクステフーデの後任として聖マリエン教会オルガニストの地位を受け継ぐチャンスが与えられたものの、その条件は作曲家の行き遅れた長女との縁組が必須で、契約はまとまらなかったというオチが付いている。

その上アルンシュタットに帰った後のバッハは、当局から彼のオルガンが奇異な響きになったというクレームを受けることになるのだが、それだけ青年バッハがこの大家から受けた影響は絶大だったに違いない。

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classicalmusic at 00:50コメント(0)トラックバック(0)ヴァルヒャ 

2015年09月07日


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このCDはマルティノン、ショルティ、バレンボイムそしてムーティに至る時代のシカゴ交響楽団首席ホルン奏者を実に47年に亘って務め、独奏者・室内楽奏者としても多彩な活躍ぶりを見せるデイル・クレヴェンジャーが、1987年にハンガリーで録音したモーツァルトのホルンのための作品集が収録されている。

ヤーノシュ・ローラ指揮、リスト室内管弦楽団との協演で4曲の協奏曲及びホルンと管弦楽のためのコンサート・ロンド変ホ長調K.371を収録している。

クレヴェンジャーは今更云々するまでもないシカゴの至宝的ホルニストだが、オーケストラの一員としての演奏活動に情熱を持ち続けたこともあって、その実力と長いキャリアに比較してソリストとしての単独録音はそれほど多くない。

因みにモーツァルトの協奏曲ではこの他にアバド、シカゴ響との第3番がある。

クレヴェンジャー貴重なソロ・コンチェルト・アルバムであり、男性的で深みのある音色に加えて、高音からペダル音まで実にバランスよく磨き抜かれた鋭敏な吹きっぷりが見事な1枚。

協奏曲第1番ニ長調K.412でクレヴェンジャーはバルブ機能を持たないナチュラル・ホルンを使っているために、ゲシュトップ操作を頻繁にしているのが聞こえる。

当然その都度楽器内部の圧力や体積の変化によって響きも音量も微妙に変わってくるが音程の取り方は正確無比で、音楽の流れを止めない芸術的な演奏テクニックは流石だ。

ナチュラル・ホルンでの全曲演奏はヘルマン・バウマンの他にも現在までに数種類の選択肢があり、特筆すべきことではないかもしれないが、クレヴェンジャーがこうしたピリオド楽器にも熟達した腕を持っていたことを証明している。

クレヴェンジャーの音は狩猟ホルンをイメージさせる特有の野趣と直線的な力強さがあり、数多く存在するモーツァルトの協奏曲集の中でも、良い意味で芯のある硬派的な演奏の代表格だろう。

コンサート・ロンド変ホ長調については1989年に欠落していた中間部60小節が再発見されたが、それはこの録音の後のことで、当然彼らは旧復元版を演奏している。

またそれぞれのカデンツァでクレヴェンジャーは低音から高音に至る広い音域をカバーする滑らかな音の推移や、アルペッジョの速いパッセージを安定した奏法で模範的に披露している。

ローラ指揮、リスト室内管弦楽団の軽快でソロを引き立てたサポートも好感が持てる。

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classicalmusic at 22:48コメント(2)トラックバック(0)モーツァルト 

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2014年に70歳を迎えたウト・ウーギのRCA音源を2枚ずつ9巻にまとめてボックス化したセットで、ソニー・ミュージック・エンターテイメント・イタリーの企画になる。

ウーギは3歳年上のサルヴァトーレ・アッカルドと共に、コレッリ以来の伝統芸術を継承する典型的なヴァイオリニストだ。

ウーギの演奏の特徴は楽器が持つ総ての特性を引き出しながら、ムラのない美音を縦横に駆使するカンタービレにある。

あらゆるフレーズに歌が息づいているがそれが耽美的にならず、古臭さを感じさせないのはウーギがそれぞれの作曲家の様式感を決して崩さないからだろう。

最初の2枚、バッハの『無伴奏ソナタとパルティータ』(1991年録音)でのコンセプトも同様で、彼は対位法の各声部をくまなく感知させるというより、むしろそれが織り成す和声から醸し出される音響と旋律の美しさに魅力がある。

演奏に構築的な緊張感は求められないが、純粋にヴァイオリンという楽器に適った奏法への追究が可能にした演奏で、先だってリリースされたモーツァルトのソナタ集と並んでヴァイオリン音楽の入門者にもお薦めしたい質の高い演奏集だ。

ウーギは幼い頃から英才教育を受けることができた恵まれた環境に育った。

10歳の時パリに留学してエネスコが亡くなるまでの2年間彼に師事しているので、グリュミオーやメニューインとも同門下とも言えるが、その後に形成されたウーギのスタイルからはイタリアの音楽から切り離すことができない血統のようなものさえ感じられる。

ウーギの磨きぬかれた光沢のある滑らかな弦の響きと屈託のないロマンティシズムから導き出される仄かな官能性には比類がない。

ちなみにウーギの使用楽器は1701年製のストラディヴァリウス(ヴァン・ホーテン=クロイツァー)及び1744年製のグァルネリ・デル・ジェズ(カリプロ=ヘンネル=ロゼ)の2挺で、前者はベートーヴェンがヴァイオリン・ソナタ第9番を献呈したクロイツェルの、そして後者はグリュミオーの所有だった名器だ。

幸いこのページにボックス裏面の写真が掲載されているので収録曲目は一覧できるが、参考までに主な協演者を記しておくと、ヴァイオリン協奏曲に関してはベートーヴェン(1981年録音)とブラームス(83年)はいずれもヴォルフガング・サヴァリッシュ、メンデルスゾーンとブルッフ(82年)がジョルジュ・プレートル、チャイコフスキー(80年)がクルト・ザンデルリンク指揮で、ここまでのオーケストラは総てロンドン交響楽団。

次にドヴォルザーク(90年)はレナード・スラットキン、フィルハーモニア管弦楽団、シューマン(93年)がサヴァリッシュ、バイエルン放送交響楽団とのコンビになる。

その他ヴィヴァルディ、ヴィオッティ、モーツァルト、パガニーニはウーギ自身の弾き振りでサンタ・チェチーリア室内管弦楽団とそのピックアップ・メンバーがサポートしている。

一方ベートーヴェンとシューマンのヴァイオリン・ソナタ集はサヴァリッシュ、小品集ではスラットキン、ピエロ・マージ及びレオナルド・バルテッローニがそれぞれピアノ伴奏を担当している。

尚最後の1枚はウーギが昨年2013年に法王庁で小編成のオーケストラ、イ・フィラルモニチ・ディ・ローマを弾き振りしたヴァイオリン用のスタンダード・ナンバーになり、最近のウーギの演奏活動を知る上で興味深い。

CD2枚ずつが収納されたジュエル・ケース9巻の集合体であるため、外側のボックス・サイズは13X14,5X10cmとCDの枚数のわりにはかなり大きめにできている。

各巻に曲目と録音データが掲載されたリーフレットのみが挿入されていてライナー・ノーツは付いていない。

音質はいずれも極めて良好。

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クラシック音楽史上最高の黄金コンビとも謳われたカラヤン&ベルリン・フィルも、1982年のザビーネ・マイヤー事件を契機として、修復不可能にまでその関係が悪化した。

加えて、カラヤンの健康状態も悪化の一途を辿ったことから、1980年代半ばには、公然とポストカラヤンについて論じられるようになった。

カラヤンは、ベルリン・フィルを事実上見限り、活動の軸足をウィーン・フィルに徐々に移していったことから、ベルリン・フィルとしてもカラヤンに対する敵対意識、そしてカラヤンなしでもこれだけの演奏が出来るのだということをカラヤン、そして多くの聴衆に見せつけてやろうという意識が芽生えていたとも言えるところである。

したがって、1982年のザビーネ・マイヤー事件以降からカラヤンの没後までのベルリン・フィルの演奏は、とりわけポストカラヤンの候補とも目された指揮者の下での演奏は、途轍もない名演を成し遂げることが多かった。

そのような演奏の1つが、本盤に収められたマゼール&ベルリン・フィルによるラフマニノフの交響曲第2番(1982年)である。

マゼールは、先輩格のジュリーニやライバルのアバド、ムーティ、ハイティンク、小澤などと同様にポストカラヤンの候補と目された指揮者の1人であり、そうしたマゼールとベルリン・フィルがこの時期に録音した演奏がそもそも悪かろうはずがない。

もちろんマゼールは独特の感覚と表現で鬼才と称された才能豊かな指揮者ではあったが、当時の実力を遥かに超える途轍もない名演に仕上がっていると高く評価したい。

仮にマゼールが、本人の希望どおりベルリン・フィルの芸術監督に就任していれば、ベルリン・フィルとの間で歴史的な名盤を数多く作り上げた可能性も十分にあったと言える。

しかしながら、運命はマゼールに味方をしなかった。

芸術監督の選に漏れたマゼールは、衝撃のあまりベルリン・フィルとの決別を決意、ドイツ国内での指揮さえも当初は拒否したが、その後数年でバイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任、指揮者人生最大の挫折を克服した後、1999年になって漸くベルリン・フィルの指揮台にも復帰した。

いずれにしても、このコンビによるブルックナーの交響曲第7番のスタジオ録音(1987年)、アバドとのヤナーチェクのシンフォニエッタのスタジオ録音(1987年)、ムーティとのブルックナーの交響曲第4番のスタジオ録音(1986年)、小澤とのチャイコフスキーの交響曲第4番(1988年)など、当時のベルリン・フィルの演奏は殆ど神業的であったとさえ言えるところだ。

それはさておき、本演奏は素晴らしく個性的であると同時に、ラフマニノフにしか書けなかった叙情性に富んだ旋律を、実に魅力的に表している。

晩年には円熟の指揮芸術を聴かせてくれたマゼールであるが、本演奏の当時は壮年期にあたり、生命力に満ち溢れた迫力満点の熱演を展開していたところである。

ところが、本演奏は、むしろ後年のマゼールの演奏を思わせるような懐の深さや落ち着きが感じられるところであり、あたかも円熟の巨匠指揮者が指揮を行っているような大人(たいじん)の至芸を感じさせると言えるだろう。

ベルリン・フィルの重量感溢れる渾身の演奏もそれを助長しており、演奏全体としては、同曲最高の超名演とも呼び声の高いプレヴィン&ロンドン響(1973年)にも比肩し得るほどのハイレベルの演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

前述のブルックナーの交響曲第7番と同様に、当時のマゼールとしては突然変異的な至高の超名演と言えるところであり、その後マゼールがラフマニノフの交響曲を2度と再録音をしなかった理由が分かろうというものである。

いずれにしても、カップリングされたヴォカリーズともども、本盤の演奏は、マゼール&ベルリン・フィルのこの時だからこそ成し得た至高の超名演と高く評価したい。

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2015年09月06日


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ケースの裏面にステレオ・ライヴ・アナログ・ブロードキャスト・マスターテープからのDSDマスタリングという表示がある。

いずれも保存状態の極めて良好なオリジナル・オープンリール磁気テープから制作されたSACDで『スペインの庭の夜』が1960年、『はかなき人生』及び『三角帽子』が1961年の録音と記されている。

このディスクもSACD化の成功例と言える分離状態の良い音像とホールの奥行きを感じさせる立体感や低音から高音までのむらのない鮮明な音質で、マヌエル・デ・ファリャの3曲の歴史的名演が蘇っている。

1曲目の『スペインの庭の夜』は愛国心を煽るような熱狂的な作風ではなく、むしろスペイン風の趣味を織り込んだファンタジーに昇華された独奏ピアノと管弦楽のための魅力的な作品で、ドビュッシーの同様の楽器編成による『ファンタジー』に共通するものがある。

ハスキルのレパートリーの中では異色ながら、マルケヴィチの好サポートと相俟ってLP時代から名盤の誉れ高いもの。

指揮者イーゴリ・マルケヴィチはウクライナ生まれだがパリで教育を受け、その後も主としてラテン系のオーケストラで研鑽を積んだ経歴を持っているだけあって、ファリャにおいても決して他人行儀ではない洗練された音楽性と鋭敏な感性を手兵コンセール・ラムルーに託した演奏に高い価値がある。

またソロ・パートを弾くクララ・ハスキルにはラテン的な感受性と共に神々しいような神秘的な表現が共存していて、この曲でもパワーではなく、特有のカリスマ性を発揮して聴き手を惹きつけてしまう。

同曲のピアノ・パートは難技巧と、ギターなどスペイン音楽のイディオムが盛り込まれているため、弾き手を選ぶ音楽と言えるが、ハスキルは死の直前の演奏ながらタッチは力強く明快で、大編成のオーケストラと真っ向から張りあっている。

ハスキルのピアノは、通常この作品で演じられる濃厚な官能性はなく、端正かつ清明で、まるでモーツァルトのようだが、意外なスペイン気質も感じさせ感動的。

マルケヴィチの充実ぶりも素晴らしく、複雑なオーケストレーションを見事に統率、熱き血のたぎる盛り上がりを見せている。

テープに起因するヒスノイズは感じらるものの、SACD化により各楽器の解像度が格段に向上してぐっと接近し、物凄いエネルギーまで放つようになったのが驚きだ。

一方オペラ『はかなき人生』からの「間奏曲」及び「スパニッシュ・ダンス」とバレエ音楽『三角帽子』はエルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏で、アンセルメの民族主義的な曲想の輪郭を際立たせる手腕が冴え渡った秀演。

こちらもLP時代からの名盤で、いにしえのデッカ特有のマイク多用の効果がSACD化でますます発揮され、スコアが見えるほど各楽器が際立っているが、少しも人工的でなく、意外にアンセルメがエネルギーあふれる情熱的演奏をしていたことを証明している。

彼が舞踏場面の緊張感を高める時に、テンポを落としてかえって熱狂的なシーンの演出に成功しているのには驚かされる。

『三角帽子』はバレエ・リュスを率いていたディアギレフの委嘱作品で、指揮はアンセルメ自身が初演し、衣装デザインにはパブロ・ピカソが起用された意欲作だっただけに、初演時の意気込みが伝わってくるような情熱的な演奏だ。

ここでは若かったテレサ・ベルガンサの鮮烈な歌声も聴きどころだが、オーケストラにこれだけ幅広い表現力が引き出せるのかと思えるほど、多彩でスペクタクルな響きを楽しませてくれる。

後半の2曲はスペインの民族色を色濃く反映させた作品だが、その演奏に関してはスペインには名門オーケストラが育たなかったためか、その後ファリャがフランス系のオーケストラの独壇場のレパートリーになっていったのも皮肉な結果だ。

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1962年に行われた、バイロイト公演でのライヴ録音で、若きサヴァリッシュの素晴らしい貴重な記録である。

『タンホイザー』には1845年に、ドレスデンでこの作品が初演されたときの「ドレスデン版」と、それから16年後の1861年にパリで上演された際、第1幕冒頭のバレエ部分を拡大改訂した「パリ版」の2つの版があるが、これは、バイロイトで長らく使用されてきた「ドレスデン版」と「パリ版」とを組み合わせた演奏である。

ワーグナーのオペラのなかでは『タンホイザー』は比較的ディスクに恵まれていないのではなかろうか。

決定的名盤はと訊かれて、他の作品ならば選ぶのに苦労するほどだが、このオペラについてはすぐに思い当たる盤はない。

それは作品自体に「ドレスデン版」は音楽の説得力がやや弱く、「パリ版」は全体の統一を欠くという弱点があることと無関係ではないかもしれない。

サヴァリッシュ以来バイロイトが慣用するようになったこの折衷版がさしあたっての妥協案であろう。

そうしたなか、この1962年のバイロイト・ライヴは、当時まだ30代だったサヴァリッシュのストレートな音楽づくりと黄金期の名歌手たちが一体となった秀演と言えるだろう。

このときの公演は、今は亡きヴィーラント・ワーグナーの名演出と、当時39歳だったサヴァリッシュの、颯爽とした速めのテンポで、新鮮な感覚にあふれた表現が評判となり、大成功を収めた。

このディスクは、その充実した舞台の雰囲気を生々しく収録したもので、聴き手の心をつかんで離さない大変すぐれた演奏である。

1960年代初頭のサヴァリッシュのバイロイトでの活躍の中でも、この『タンホイザー』はとりわけ傑出している。

サヴァリッシュはバイロイトのオーケストラを的確に掌握し、ワーグナー中期作品にふさわしい瑞々しい味わいを引き出している。

サヴァリッシュの指揮は、速めのテンポで生き生きとした音楽を奏で、録音のせいか、あまり重厚さは感じないが、軽快に音楽が進んでいき、推進力がありながらも、全体を手堅くきちっとまとめている。

知がしばしば勝ちすぎることも多いサヴァリッシュだが、ここでは知と情の絶妙なバランスが、熱気を帯びたドラマを形成していく。

全盛期のヴィントガッセンの力強いタイトルロールをはじめとして、当時大きな話題を巻き起こした2人の新人、シリアとバンブリーの新鮮な若々しさ、そしてずらりと脇を固めたヴェテランたち(ヴェヒターやグラインドル)の見事な歌唱など、今もなお、雰囲気にあふれた『タンホイザー』のベスト・レコードのひとつと言える。

とりわけ、タンホイザーを歌っているヴィントガッセンの老巧でありながら輝かしく、雄弁で力強い声による歌唱がひときわ光っており、主役にぴったり。

シリアのエリーザベトや“黒いヴェーヌス”として話題となったバンブリーのヴェーヌスもこの役にふさわしく、声の鮮烈な透明さが劇を引き締めて、サヴァリッシュの棒に立派にこたえている。

録音状態も良好で、拍手はカットされているが、実際の上演を基に作成された録音のようで、実際のバイロイト祝祭劇場で聴いているような錯覚に陥るほどだ。

サヴァリッシュのバイロイト公演には、他にも『さまよえるオランダ人』(1961年)、『ローエングリン』(1962年)も遺されており、いずれもサヴァリッシュのバイロイト公演の最高の記録が刻まれている。

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