2015年11月

2015年11月30日


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エフゲニー・キーシンは少年時代から青年期にかけての殆どの公式録音をRCAとソニーに入れている。

そのためにこの25枚のCDに彼の演奏活動前半期の代表的なレパートリーが収録されていると言えるだろう。

この時期のキーシンは溢れんばかりの閃きを飛びっきり洗練された趣味とテクニックに託して、苦もなく颯爽と弾いているような印象を与えている。

その天性の音楽性の豊かさと表現の容易さには実際恐るべきものがある。

確かにこれまでのキーシンのレパートリーは、彼のピアニズムを最も良く示すヴィルトゥオジティを発揮した作品が多かったが、それは取りも直さずロシア派ピアニストの伝統的な奏法を象徴するような豊かな抒情と精緻なテクニックに支えられている。

こうした演奏を聴いていると彼の若い頃が如何に順風満帆だったかが一目瞭然だ。

現在43歳の彼の録音活動はめっきり減って、コンサートでの曲目も更に音楽的に深みのあるものに変わりつつあるが、あの頃のように天衣無縫に弾いているかというとそうとも言えない。

しかしまた才能を消耗し尽して彼の音楽的な源泉が枯渇したとも思われない。

少なくとも現時点の彼は自身の芸術家としてのスタンスを模索しているように感じられるし、それは一角の芸術家が多かれ少なかれ通過しなければならないピリオドでもあるだろう。

その意味では正念場に差し掛かっているピアニストの1人で、将来どういう方向に進むか注目したい。

初出音源はないが協奏曲ではハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ラフマニノフ及びショスタコーヴィチの6人の作曲家からの9曲が収録されている。

このセットには版権の異なるショパン、チャイコフスキーやプロコフィエフがないのが残念だが、いずれもキーシンの万能でフレッシュな感性と潔癖なまでに磨き抜かれたピアニズムを映し出している。

中でも小沢征爾、ボストン交響楽団とのラフマニノフの第3番は瑞々しい抒情とスケールの大きさ、華麗なロマンティシズムで秀逸だ。

ソロではCD2枚分のリスト作品集は胸のすくようなテクニック、惚れ惚れするほどの集中力を維持しながら決して厚かましくないスマートさが新時代のリストの解釈を率先しているが、またCD12及び19のシューマンの幻想曲ハ長調、ピアノ・ソナタ第1番嬰ヘ短調と『謝肉祭』が作曲家特有の文学的センスを感じさせるだけでなく、これからのキーシンの音楽的な方向性を予感させるレパートリーではないだろうか。

パンフレットにはこのセットに収録された総てのアルバムのオリジナル・ジャケット写真と演奏曲目、更にアルファベット順作曲家別作品のインデックスが掲載されている。

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classicalmusic at 03:04コメント(0)トラックバック(0)キーシン 

2015年11月28日


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ニコライ・ルガンスキー初のシューベルト・アルバムになり、しかも作曲家最晩年の作品を採り上げているところに近年の彼の音楽的な充実ぶりが示されている。

そこにはデビュー当時からのルガンスキーのピアニズムの特徴でもある正確無比で華麗な奏法が健在だが、更に豊かなファンタジーや明暗の表出が加わって彼の表現力を一層深みのあるものにしている。

ピアノ・ソナタ第19番ハ短調はその後に続く2曲のソナタと並んで、まさにシューベルトの人生の終焉をイメージさせる、追い詰められた焦燥や諦観、そこはかとない幸福感とが交錯している。

このソナタは図らずもこうした複雑な音楽性と集中力を削ぐような長大な規模を持っているために、しっかりした音楽設計と同時に魅力を引き出して聴かせるアイデアが要求されるが、ルガンスキーの演奏はそうした課題に対してテクニックで逃げ道を探すのではなく感性で対峙している。

緩徐部分ではオーケストラを髣髴とさせる微妙なタッチの使い分けによる色彩感とスケールの大きさを、終楽章「タランテラ」では華やかさの中にも速度に抑制を効かせて晩年の作曲家の心境に寄り添った解釈を示している。

4曲の即興曲は全曲続けて演奏するとさながらピアノ・ソナタのようだし、ルガンスキー自身もそれを意識していると思える。

そう感じたのは、このCDのリリースを控えた10月27日にウィーン・コンツェルトハウスのモーツァルト・ザールで彼のリサイタルを聴いた時だった。

その晩はコンサートの前半の締めくくりにこの4曲を演奏したが、それぞれの曲の対照的な性格を弾き分けながら強い統一感を引き出して、あたかも1曲のソナタのように聴かせていた。

こうした音楽構想と演奏上のオーガナイズにも彼の実力が表れている。

これは余談になるが、このコンサートのプログラムはフランク、シューベルト、ラフマニノフとチャイコフスキーだったが、ウィーンの聴衆がすっかり満足して惜しみない喝采を贈った返礼として、ルガンスキー自身も乗り気になってその後に4曲のアンコールを弾いて更に会場を沸かせ、彼のエンターテイナーとしての柔軟な姿勢も見せていたのが印象的だった。

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classicalmusic at 19:02コメント(0)トラックバック(0)シューベルト 

2015年11月26日


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東京都交響楽団とのショスタコーヴィチ「第4」が2012年レコード・アカデミー賞を受賞したインバル70代半ばの解釈を、プレートルとのマーラーで実力をみせた1990年代ライヴ盤が近年高い評価を受けたウィーン交響楽団との組み合わせで聴く異色の全集。

全世界にインバルの名を知らしめたのマーラーに始まって、ラヴェル、ベルリオーズへ、短期間にある作曲家の作品を集中的に録音・発表することによってその全体像を明らかにするというインバルのアプローチとそれを実現させる力量は、そしてこのウィーン交響楽団とのショスタコーヴィチ交響曲全集に至って、一段と大きな成果を生み出した。

全体主義政権下における芸術家の苦悩、そしてその作品の本質への理解を後世に託したショスタコーヴィチの心の声が、全15曲を俯瞰することによって、より深く感得されることであろう。

フランクフルト交響楽団との多くの名盤の陰で、評判は当時も今も高くないが、管や打楽器の名演、弦の弱奏、タクトへの迅速な反応に優れたオーケストラと、練習に厳格そうな指揮者とが、双方一心に演じている。

都響ライヴと趣が違う「第4」も、指揮者の指示にオケが敏捷に動き、第3楽章後半での管と弦との掛け合いでは、フレーズごとに表情を変えながら頂点に向かっていくドライブが心地よい。

スペクタクル派と対極な「第7」でも個性が発揮され、第3楽章が宗教的なら、フィナーレはモールス信号Vを連打で表したと言う爆音が膨張するなど、聴き所は沢山ある。

さらに初期交響曲の「第1」は若々しくも老練、「第2」の近代的な音作りや奇怪なサイレン音は指揮者の心中をみるようで、「第3」はスケールが大きく、管・打楽器の演奏は恰好が良い。

他に比べ人気の低い「第6」から、この演奏が「深い森に冷たい陽がさすように始まり、最後は乱痴気騒ぎで終わった」と聴こえれば、本曲の魅力が知れると共に、全集に共通して最初モヤモヤ始まり終わりにつれてダイナミックさを増していく指揮者のポリシーが知れる。

しかしこれは聴き手の好みを分けることになるだろう。

開始が「第6」と似た「第12」も、楽譜への忠実さが定評なインバルだからこそ、終楽章での大胆なリズム変化や打楽器の炸裂は面白い。

「第8」「第11」は深刻すぎずも要所を押さえ、「第9」は管楽器のソロが優れており、第1楽章は軽快、第2楽章は奇怪、第5楽章は雄弁で、「第10」のトランペットソロの技巧とともに印象に残った。

歌手の声がよい「第13」も、煙幕の中から音が始まり、狂言と悲しみを歌う後の至福の旋律が天国へつれてゆく。

そして最後の「第15」は、他の同曲盤と比べても名解釈であり、「第1」の快活さに通じる第1楽章に続き、第2楽章の金管と独奏チェロの掛け合いはたそがれて、第3楽章のソロアンサンブルも上手い。

終楽章はヴァイオリン協奏曲の主題が魔界的に降臨し、バルトークの夜の音楽風なコーダは、暗い道を管・打楽器がどこまでもか細くつぶやき、ついにふっと吹き消えて終わる。

しかし全集の中でも「第5」と「第14」は、他の数ある名盤に譲るかもしれない。

現在、全集プロジェクトが進行する若いペトレンコの現代的な演奏と聴き比べたりすることにより、1990年代に録音された本作からも、ショスタコーヴィチを当時新たに描こうと、時代を先取ったインバルの意欲が伝わってきた。

ショスタコーヴィチの苦悩の音楽が理解されるようになった今こそ、評価されてよいものに思う。

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classicalmusic at 21:28コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチインバル 

2015年11月25日


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1953年のモノラル録音の伝説的名演で、ヴィクトル・デ・サーバタの一瞬の隙もない緊張感に漲る指揮が、稀に見る空前のスケールを誇る『トスカ』に仕上げている。

それは現在までに上演されたあらゆる『トスカ』の中でも別格的な存在感と価値を持っていると言っても過言ではあるまい。

指揮者ヴィクトル・デ・サーバタの正式なセッションはごく限られたものしか残されていないのが残念だが、この『トスカ』は一瞬の隙もない緊張感に漲る彼の指揮によって、人間の愛憎を抉り出したオペラ録音史上稀に見る名演としてお薦めしたい。

勿論主役の歌手3人と脇役陣に至るまで極めつきのはまり役で、例えばマリア・カラスの第1声『マリオ!マリオ!マリオ!』で主人公トスカの苛立ちと嫉妬を、ものの見事に表現し切っている。

トスカという役柄を与えられた感情表現の振幅の驚異的幅広さ、その激しさと切実さとが、オペラであることを忘れて聴き入らせる吸引力を持つ壮絶なる名唱である。

こんな歌手が過去から現在に至るまでいただろうか。

彼女やスカルピアを演じるティト・ゴッビは声で総てを演じてしまうすべを知っていた恐るべき歌手だったが、彼らの舞台上での演技の素晴らしさも今日では伝説的に伝えられている。

幸いこの2人による『トスカ』第2幕はDVDにもなっているので鑑賞可能だ。

この2人による『トスカ』第2幕は最終幕でカステル・サンタンジェロから凄絶な飛び降り自殺を遂げるトスカの幕切れシーンは、このCDでは殆んど歌唱を超越した身の毛のよだつような叫び声とたたみ込むオーケストラの総奏によって閉じられる。

ゴッビについては1980年代にイタリアで制作されたテレビ映画『プッチーニ』のなかでこのオペラの第1幕幕切れの「テ・デウム」や『ジャンニ・スキッキ』での並外れた演技シーンを観ることができる。

また画家カヴァラドッシに扮するディ・ステファノの明るく突き抜けるような声は劇中のクライマックスや土壇場で起こる主役3人全員死亡という劇的な結末と見事なコントラストをなしていて、この作品を一層暗く陰惨なものにしている。

またミラノ・スカラ座管弦楽団も指揮者の要求に良く応え、彼らの底力をみせた白熱の演奏を繰り広げている。

録音は1953年で当然モノラルながら声に関しては極めて良い状態で採られている。

一方オーケストラの音質はいくらか分離状態が悪く、トゥッティではひとつらなりの響きになって聞こえてしまうが、そうした弱点を超越して余りある賞賛すべき演奏だ。

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classicalmusic at 01:08コメント(0)トラックバック(0)プッチーニカラス 

2015年11月23日


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プラガ・ディジタルスのSACDシリーズでは初のクーベリック演奏集で、いずれも手兵バイエルン放送交響楽団及び合唱団を指揮したライヴ録音になる。

ブラームスとマーラーに関しては初めてCD化された音源のようだ。

手始めに3曲の中では最も古い1962年のブラームスを聴いてみたが、モノラル録音ながらラジオ放送用に制作されただけあって無理のない柔らかな音質で再現されていて概ね良好だ。

緊張感が漲るクーベリックの指揮でアルト・ソロを歌うヘルタ・テッパーの伸びのある豊かな声が、キャスリーン・フェリアーの寂寥感や謹厳さとは対照的に人間のさがを肯定するようなロマンティックな表現を可能にしている。

特に後半の男声コーラスが加わる祈りの部分からは仄かな希望を感知させる温もりが秀逸で、ここにもゲーテの詩とブラームスの音楽に対するクーベリックの周到な読みと解釈が示されている。

マーラーの『嘆きの歌』は1979年のステレオ録音になり、ややテープ・ヒスが聞こえるが音場に奥行きがあり、音質やバランスの良さもDSDリマスタリングの効果と思われる。

クーベリックは作品のメルヘンチックな情景描写も巧みに描き出しながら、後半部ではシンフォニックなクライマックスを築いている。

ソプラノのユリア・ハマリも物語に沿ったドラマ性を歌い切った好演だ。

この曲はテキストもマーラー自身が手掛け、ソロ及びコーラスに大編成のオーケストラと舞台裏のバンドが加わる作曲家ごく初期の野心作で、やがて『さすらう若人の歌』や『亡き子を偲ぶ歌』あるいは『大地の歌』などの声楽付交響曲群に収斂していく楽想と管弦楽法の萌芽が見られる習作的な作品でもある。

マーラーは数回に亘って改訂を続け、最終稿では思い切って第1部をカットして2部作の形にシェイプアップした。

クーベリックも1899年のウィーン版を演奏しているが、それでも演奏時間36分の大作になる。

このカンタータでは弟を殺害して花嫁を我がものにする兄の策謀が語られる「森の伝説」は省かれていて、辻音楽師が知る由もなく弟の骨から作った笛を吹いて兄の結婚式に呼ばれる「辻音楽師」と「婚礼譚」によって構成されている。

最後のシェーンベルクの『グレの歌』は1965年のライヴで、この音源はドイツ・グラモフォンからリリースされて既に久しい。

選択肢がそれほど多くない曲なのでSACD化で全曲を聴いてみたかったが、ここでは5曲のみの抜粋で、おそらく余白を埋めるために入れたのだろうが、シェーンベルクがマーラーから大きな影響を受けていた時期の作品なので比較鑑賞の便宜を図った企画としては悪くない。

ライナー・ノーツには『アルト・ラプソディー』のみ英語対訳付で、他の2曲に関してはドイツ語の歌詞のみが掲載されている。

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classicalmusic at 19:56コメント(0)クーベリックフェリアー 

2015年11月21日


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マリア・カラスは生涯にドニゼッティの『ランメルモールのルチア』のセッションを2回行った。

どちらも指揮はトゥリオ・セラフィンだが、このセットは1953年のモノラル盤で、ディ・ステファノとティト・ゴッビが協演している。

一方1959年盤ではタリアヴィーニとカプッチッリが他の役を固めているが、主役ルチアの余りにも鮮烈な「狂乱の場」の絶唱と、若き日のディ・ステファノの情熱的なエドガルド、性格俳優を声で体現したゴッビのエンリーコなど、総合的にみてデ・サバタ指揮の同メンバーによる『トスカ』と並ぶオペラ録音史上に残るセッションとして高く評価したい。

勿論カラスのより細やかな心理描写や円熟味、スタイリッシュなタリアヴィーニの歌唱やより充実したオーケストラということでは第2回目のステレオ録音も劣っているわけではないが、ここには短かったカラス全盛期の生々しい歌声が横溢している。

カラス以前のいわゆるコロラトゥーラ・ソプラノによって歌われたルチアは、例外なく声楽的なテクニックを優先させたアクロバティックな連続技の披露に留まり、主人公に隠された心理やおぞましい情念などは表現し得ない綺麗ごとに終始していたのが事実だ。

しかしカラスはゴッビと並んでドラマを声によって描く術を知っていた稀有な歌手だった。

この2人はまた舞台上の演技でも傑出していて、イタリア・オペラが美しいアリアの羅列だけではないことを改めて世に知らしめた。

彼女の声は決して純粋な美声とは言えないが、声の明暗やダイナミクスを自在に使いこなして、何よりも役柄になりきるカリスマ的な才能に恵まれていた。

発狂したルチアの延々と続くモノローグ「狂乱の場」は、作曲家ドニゼッティの霊感が乗り移ったかのように真に迫っていて、音源の古さをカバーして余りあるものがある。

指揮者トゥリオ・セラフィンはトスカニーニの後を継いでスカラ座を振り、伝統的なイタリア・オペラ上演の継承者としての地位を築きながら、逸早くマリア・カラスの才能を見出してイタリア式ベルカントを教え込んで彼女を多くの主役に抜擢した。

彼は歌のパートを活かすということにかけては超一級の腕前を持っていたが、オーケストラの采配も実に巧みで、ここではやや非力なフィレンツェ5月祭管弦楽団を率いて、緻密でしかもスケールの大きな舞台を創り上げている。

また第1幕で歌われるアリア「辺りは静けさに包まれ」や狂乱の場「香炉は燻り」でのカンタービレやコロラトゥーラ唱法からも、カラスが如何にセラフィンからの薫陶を受けていたか想像に難くない。

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classicalmusic at 18:56コメント(0)トラックバック(0)カラスセラフィン 

2015年11月20日


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この演奏で最も注目すべき点は、ソロを弾くラインホルト・バルヒェットが飾り気のない、すこぶる流麗でシンプルな解釈を示していることで、これによってバッハの書法が真摯に再現されている。

モダン奏法によるバルヒェットのヴァイオリンとチェンバロによるセッションだが、聴き込んでいくと装飾音の扱いなどからバルヒェットがいかに古楽を良く研究していたかが理解できる。

当時まだ古楽の黎明期にあって、本来のバッハの音楽表現に相応しい演奏を試みている稀なヴァイオリン・ソナタ集だ。

ヴァイオリンの大家が弾く、風格はあるがバロックの室内楽としての魅力からはいくらか乖離した演奏とは異なり、モダン奏法によるバッハの音楽に対する無理のない再現と、その両立にも成功している例ではないだろうか。

それは良い意味での中庸の美で、古楽がピリオド楽器及びピリオド奏法によって演奏されることが当然になった現在では、得難いサンプルとしての価値を持っている。

バルヒェットのソロに花を添えているのがヴェイロン=ラクロワのチェンバロで、その軽妙洒脱な奏法がこの曲集をより親しみ易いものにしている。

このセッションで彼が使用しているのはクルト・ヴィットマイヤー製作のモダン・チェンバロで、確かにピリオド楽器に慣れた耳には時折音色が厚かましく感じられることがあるにせよ、彼はレジスターを巧みに操作して楽器の弱点をカバーしている。

個人的に話になるが、筆者がクラシック音楽に親しみ始めた少年の頃、毎週日曜日の朝NHK.FMから放送されていた角倉一郎氏の解説による『バッハ連続演奏』というラジオ番組があって、ある時彼がこの演奏を採り上げていた。

それがこの録音を知った最初の体験で、今でも印象深く記憶に残っている。

エラート音源の3枚組のLPは、その後長い間廃盤の憂き目に遭っていたが、一度日本でCD化され更に2009年にワーナー・ミュージックとタワー・レコードのコラボによってデトゥール・コレクションのひとつとして2枚組の廉価盤で復活したものがこのセットだ。

なお偽作を含む通奏低音付のBWV1021から1024の4曲のソナタではチェロのヤコバ・ムッケルが参加している。

録音は1960年頃という表示があり、現代ピッチのa'=440Hzを採用している。

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2015年11月18日


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ブリューノ・モンサンジョンの手掛けた最新のドキュメンタリーで、彼らしい演出的な操作をしない淡々としたインタビューと若い頃から現在までのポリーニの貴重な映像を繋ぎ合わせた手法の中に、稀有のピアニストの偽りのない姿を浮き彫りにしている。

一連のインタビューでポリーニ自身が暗示しているように、彼は自分自身や家族との日常生活については演奏活動とは常に切り離していた寡黙の人だった。

その彼が70歳を過ぎてから初めて語り始めた少年時代から現在に至る半生には、私達が今までに知ることができなかった意外なエピソードも含まれている。

ポリーニが18歳でショパン・コンクールの覇者になった時の映像は流石に初々しく隔世の感が否めないが、この時の審査委員長ルービンシュタインから『彼はテクニック的にはここにいる誰よりも上手い』と言われたことをポリーニ自身は、居並ぶ審査員に対する皮肉だと解釈している。

しかしこの言葉から意図的に『テクニック的には』が削除されて広まってしまったために、如何にも大袈裟な評価として残ってしまったとしている。

彼がその直後演奏活動を休止した理由については、引く手あまたのコンサートを続けるには余りにも若く無知で、更なる音楽の習得とショパンだけではない他のレパートリーを開拓する時間を捻出するためだったと回想する。

つまりルービンシュタインの言葉を誰よりも深刻に受け止めていたのがポリーニ自身だった。

このDVDを見ればポリーニが一般に誤解されているような無味乾燥の機械屋でないことが理解できるだろう。

音楽と政治とは分けて考えるべきものだという彼の主張も興味深い。

その言葉通り彼は演奏の場に政治色は決して持ち込まなかった。

彼のイタリア共産党入党には勿論友人ルイジ・ノーノやアバドの影響もあったに違いないが、直接的な動機はソヴィエトのプラハ侵攻を当時のイタリア共産党が非難したことに共感を得たからのようだ。

ただポリーニは、音楽は総ての人のためにあるというモットーから、友人達と労働者や学生のためのコンサート活動も積極的に行った。

ここでは彼が工場の中でベートーヴェンの『皇帝』を弾くクリップも挿入されている。

筆者自身彼のリサイタルを破格に安い入場料で聴いたことを思い出した。

ポリーニはレパートリーの少なさでも他のピアニストとは一線を画しているが、長年に亘って弾き込んで行く曲目で残ったものは、私が(精神的に)疲弊しない曲だと告白している。

その上でスカルラッティやラヴェルを弾けないのは残念だとも述べている。

最後の質問で『貴方は伝道師のような使命感を持って演奏活動をしているのか』と尋ねられると、ポリーニは『とんでもない、私の個人的な喜びのためだけです』とかわしている。

これは謙遜というより確かに彼の本心かもしれない。

ポリーニがインタビューで話しているのはイタリア語とフランス語だが、字幕は英、独、仏、中、韓、日本語の選択が可能で、日本語については要点を簡潔に訳出したもので、この手の字幕スーパーの中ではまともな仕上がりになっている。

リージョン・フリーで挿入されたパンフレットには、このDVDに使われた映像での総ての演奏曲目が掲載されているが、それらのデータは記されていない。

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2015年11月17日


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カラヤンの旧盤で、カラスの同オペラ唯一のセッション録音。

カラヤンの指揮ぶりは、ミラノ・スカラ座の長所を生かし、濃厚なカンタービレと色彩感に秀でているのがよく、ここには若き日のカラヤンが作り出している音楽のイタリア的な明るさと流麗さがある。

カラヤンの描く雄弁で彫りの深い音楽は、単なる感傷や慟哭の誇張としてではなく、プッチーニがここで意図した精妙な音色の効果とドラマとの結合を十全に描きつくしている。

もちろん、ドラマの力強い起伏や悲劇的な緊張、あるいは管弦楽の雄弁さなどのカラヤンの特質も示されていて、新盤とは違った濃密な表現で歌手を支えている。

より徹底された「カラヤン美学」は、後のウィーン・フィル盤に発揮されているが、サウンドがあまりにも耽美的、ムード的に過ぎることと、イタリアの色彩感や空気感に無縁なのが寂しい。

カラスのタイトル・ロールについては、このドラマの中でヒロインの果たす役割が大きいだけに、それに応じて彼女の歌の威力がフルに発揮され、ドラマ全体を凄まじいばかりの力で引っ張っていくさまは壮観というほかはない。

蝶々さんに純情な少女を求める人にはお薦めできないかもしれないが、筆者にはライバルと言われたテバルディの歌声が、どうしても大人の女の声に聴こえてしまうのに対し、カラスの声は瞬時に15歳の幼く、純真で、哀れな蝶々さんに変身してしまうところが心憎い。

とはいえ、カラスといえども第1幕では純情可憐な15歳の娘になろうとしてなりきれず、表情を作り過ぎたきらいがあり、やや作り物風で、違和感を感じる人もいよう。

ヴィブラートは多いし、演技が重くて、声は暗く、可憐さがないと忌み嫌う人もいることであろう。

しかし、そうした外面を超えて、カラスは史上最高レベルの蝶々さんなのだと強調しておきたい。

カラスの素晴らしさは、その群を抜いた発声技術にあるのではない。

ヒロインの心情を歌い上げる「思いやり」と「感受性」の強さである。

陰りのある声で独自の蝶々さんを演じてカラヤンの指揮ともども強烈に聴き手に訴え、幕切れの愛の二重唱以降は彼女の表現者としての凄さが発揮され、特に最後のアリアでの壮絶で迫真的な表現には聴いていて思わず息を呑まされる。

前半はテバルディとフレーニに及ばぬにしても、後半でのカラスの感情表現は最高で、ラストのシーンに集約される劇的な迫力は、カラスならではの素晴らしさで圧倒される。

ゲッダも絶好調で輝かしい甘美な高音と情熱的な歌唱など、CDに聴く最良のピンカートンのひとりである。

脇役もそれぞれの声と持ち味を充分に発揮していて、充実している。

1955年のモノラル録音であるが、SACD化により瑞々しい音質に蘇っており、少しの不満もない。

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classicalmusic at 00:03コメント(0)トラックバック(0)カラスプッチーニ 

2015年11月15日


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このディスクに収録された曲目はオープン・リール磁気テープに録音されたデッカの音源だが、プラガ・ディジタルスの新シリーズで現在続々とリリースされているDSDリマスタリングによるSACD化された歴史的名演のひとつだ。

これを聴いての第一印象は、オーケストラのそれぞれの楽器の音像が明瞭に感知されることと、ホールの空気感を伝える音響空間も極めて立体的で、この時代のセッションとしては驚異的に鮮明な音質が再現されていることだ。

勿論古いアナログ録音なのでテープ・ヒスは聞こえるが、広めの空間で再生するのであれば煩わしさは全く感じられない。

この企画の成功例のひとつと言えるだろう。

ピエール・モントゥーの指揮は、同じフランスものを指揮してもミュンシュのような作品にのめり込むような白熱感とは一線を画した、シックでしかも精緻なオーケストレーションを手に取るように聴かせてくれる。

この作品集ではモントゥーのオリジナリティーに富んだ解釈だけでなく、冷静とも思えるきめ細かい几帳面な指示と、フランスの指揮者特有の大らかなセンスが共存していて、ラヴェルの管弦楽法の面白みを堪能させてくれる。

そうしたモントゥーの勤勉さはここに収められた『ダフニスとクロエ』を始めとする多くの新作の初演を彼自身が果たしていることからも立証されている。

またモントゥーの手兵だったロンドン交響楽団は、フランスのオーケストラに較べればやや醒めた感じがするが、その統率された機動力の素晴らしさも聴きどころになっている。

ラヴェルらしい、細密画のように明朗な『スペイン狂詩曲』、目の前にイメージを喚起させるような天上的な美しさの『亡き王女のためのパヴァーヌ』や、色彩感と幻想に満ちた超自然的な『ダフニスとクロエ』のいずれもが名演の名に恥じない音楽的な質の高さを示していて、モントゥーの実力が歴然としたセッションのひとつだ。

最初の2曲が1961年、『ダフニス』が1959年にそれぞれロンドンで録音されている。

1959年および1961年ということでモントゥーの比較的晩年の演奏であるが、旋律のデュナーミクの施し方も実に息が長く、自然。

ロンドン交響楽団の、見事に融け合う管楽器の音色、そしてモントゥーが引きだす弦楽器の高貴な音色も素晴らしい。

尚このアルバムと全く同じ内容のCDがデッカからもオリジナルス・シリーズとしてリリースされているが、音質的にはこちらに軍配が上がる。

ライナー・ノーツは11ページほどで、曲目及びモントゥーについての簡易な解説が英、仏語で掲載されている。

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2015年11月13日


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ここ数年ユニヴァーサル・イタリーの企画によるバジェット価格のセット物が矢継ぎ早にリリースされていて、それぞれが気の利いた内容を持っているためにクラシック・ファンには目が離せない。

エルネスト・アンセルメのデッカへの録音の集大成は、ドビュッシーの2種類の『ペレアスとメリザンド』を含むフランスの作曲家の作品をまとめたこの30枚組が第1巻で、これ以外にも彼が得意としたロシア物の第2巻が既に刊行され筆者もレビューを書いたところだが、今後はファリャを始めとする彼の初演になる作品群も組み込まれるらしい。

幸いアンセルメの代表的なセッションはその殆んどがデッカに録音されていて、1950年代から1960年代にかけての比較的良好な音質に恵まれた音源がこのシリーズで網羅されることは、オールド・ファンにとって朗報には違いないが、反面当時の正価で1枚1枚買い揃えた学生時代を思い出すと複雑な気持ちにならざるを得ない。

このセットでのオーケストラは13枚目、ラヴェルの『ボレロ』及び『ラ・ヴァルス』を演奏しているパリ音楽院管弦楽団以外は、アンセルメ自身によって設立されたスイス・ロマンド管弦楽団が総てのレパートリーをカバーしている。

かつて彼らがオーケストラとしては二流のレッテルを貼られたことも事実だろう。

確かに現代の一流どころに比べれば個人個人の技術的な差は否定し難いが、一方でアンセルメによって統率された表現力となると、彼ら独自の機動力と真似のできない鮮やかな音色を駆使した驚くほど高い水準の演奏に到達している。

現在私達が接するオーケストラの典型とも言える安定した中低音に支えられた整然としたアンサンブルとは趣を異にした、やや線の細い華奢な響きだが、透明感のある軽妙洒脱なセンスが感じられるのが特徴だろう。

それはとりわけフランスの音楽に本領を発揮していて、このセットでは彼らの水を得た魚のような、生き生きとして虹のような光彩を放つ表現が至るところで堪能できる。

アンセルメは指揮者として舞台デビューを果たす以前は数学の教師だったそうだが、ピエール・モントゥーの後を受けて、ディアギレフ率いるバレエ・リュスの専属になってからは、モントゥー同様数多くの創作バレエの初演を果たしている。

彼の演奏のオリジナリティーが、当時の革新的な作品上演の連続的な実践によって培われ、洗練されていったことは想像に難くない。

またアンセルメの手腕はオーケストラの音響作りにも良く表れていて、その鮮烈な響きに感知されるセオリーと感性のバランス感覚の鋭さには尽きない魅力がある。

尚ライナー・ノーツは34ページで演奏曲目の他に簡易なアンセルメのキャリアが英、伊語で紹介され、最後の5ページを録音データに当てている。

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2015年11月11日


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シノーポリがフレーニと共に録音した《蝶々夫人》は、このあまりにもポピュラーなオペラの中から数多くの猗見瓩鰺燭┐討れるものである。

オペラを解体しようとしてるんじゃないのか、というシノーポリの指揮がうまくいった例がこの《蝶々夫人》で、心理的分析と旺盛な表現意欲によって聴き古されたこのオペラが生まれ変わった。

シノーポリの緻密でドラマティックな表現が、この作品を奥深い心理劇に仕立てていて、大変見事だ。

プッチーニの音楽の中には、イタリア・オペラの長く豊かな伝統に加え、後期ロマン派風の濃厚なロマンティシズムやドビュッシーに代表される印象派の影響が複雑に絡まりあっている。

シノーポリは、このすべてに配慮しつつ、野獣のような表現意欲と音楽の推進力によって、オペラ全体をまとめ上げている。

劇性・色彩感においても、シノーポリの音楽作りは比類がなく、神経の行き届いたというかピリピリしたというか、とにかく張り詰めた演奏で、悲劇の、いわば覇気に説得力がある。

異常なテンポのゆれは、正道を行くカラヤンの演奏を聴いてこそ感じる部分もあるが、まさに蝶々さんの心理に密着したものとして新鮮に心に響く。

プッチーニが意図したオペラを超えているかもしれないとしても、複雑な総譜のなかからシノーポリが発見したこの鉱脈は非常に現代的で説得力がある。

シノーポリは、エキゾティズムを含めた視覚的広がりの部分、たとえば第1幕の蝶々さんの登場、僧侶の場面、第2幕のスズキとの二重唱など、思い切りファンタジーを拡げ、聴く者を満足させる。

終幕、蝶々さんがケイトを見てしまうあたりから、がぜんシノーポリが本領を発揮し、この作品に大変真面目な、ショッキングな効果を与える。

だが、この全曲盤の魅力の多くは歌にある。

このオペラのヒロインである蝶々さんをうたうソプラノには、同じ題名役でもトスカとはまた違ったむずかしさがある。

何しろ第1幕でピンカートンと結婚する蝶々さんはまだ15歳の少女であり、当然リリックな声のソプラノがふさわしいのだが、その3年後の第2幕は非常にドラマティックな表現が求められている。

しかもプッチーニの分厚い響きの管弦楽をバックにしてうたわなければならないのだから、非常にむずかしい。

これまでのところ、抒情性と劇的表現という二律背反するような蝶々さんをもっとも見事に表現しているのは、このシノーポリ盤におけるフレーニである。

フレーニは舞台ではこの役を演じたことがなく、とうてい演技派とはいえない歌手だが、声だけに限定すれば、1970年代以降の円熟した彼女ほど声で雄弁に演技できるソプラノはいないように思う。

ここでのフレーニの充実ぶりは特筆すべきで、カラヤンとの1974年での彼女の歌唱もすばらしいが、シノーポリの指揮でまったく違った女性像を作り出している。

彼女の声がどれほど柔軟に異なる指揮者の棒に適応するかを実感するという興味もあるが、年輪を重ねたフレーニの声と表現の成熟は、圧倒的な存在感を生み出しており、カラヤンとの録音や映像での名唱以上に、強い自己投入と生命力を示した、抒情性たっぷりでひたむきな円熟の名唱は感動的だ。

またフレーニの豊麗な声と豊麗なオーケストラは見事に溶け合って、この東洋の少女のファンタスティックな世界を表現する重要な要素になっている。

その他配役に関しては、ほぼすべての役がぴったりはまっており、少し誠実すぎるかな、というカレーラスのピンカートンも悪くなく、ベルガンサのスズキ、ポンスのシャープレスも見事で、演奏を豊かにするのに大きな役を果たしている。

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2015年11月09日


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サー・ジョン・バルビローリの演奏を聴く時、そこに南欧系の匂いを感じる人も少なくないだろう。

実際彼はロンドン生まれであっても、イタリア・ベネト州出身の家庭に育った指揮者で、彼のダイナミズムとリリカルな表現はラテン系指揮者の典型にも思える。

この5枚組のセットにはシベリウスの交響曲7曲と幾つかのオーケストラル・ワークが収められているが、彼の熱い血の通った解釈が、北欧の作曲家の作品と意外にも相性が良いのに驚かされる。

バルビローリにとってシベリウスは彼のライフ・ワークとなった作曲家である。

ライナー・ノーツにも詳しいが、彼は20代で初めてシベリウスの作品を指揮して以来、戦前ハイフェッツと協演したヴァイオリン協奏曲やSPレコードに録音された交響曲第2番はニューヨーク時代の成果だし、戦後のハレ管弦楽団首席時代を通して1970年に亡くなる直前までシベリウスへの情熱を絶やすことがなかった。

このオーケストラル・ワーク集はまさに彼の円熟期の総決算的な価値を持っている。

彼の先輩に当たる英国人指揮者トーマス・ビーチャムやエイドリアン・ボールトにもシベリウスは非常に好まれたレパートリーだったようである。

後期ロマン派の名残の濃い、あたかも時代から取り残された北欧のブルックナー的な作風は、一方で豊かな抒情、牧歌的な平穏や愛国心の高揚、渦巻くような情念のドラマティックな展開での金管楽器の咆哮などは、理屈抜きで聴衆を惹きつけてしまう魅力を持っているのも事実である。

英国には数多くの優秀なオーケストラが群雄割拠しているが、マンチェスターではBBCフィルと双璧を成しているのがこのセットで全曲を演奏しているハレ管弦楽団で、19世紀半ばに設立された伝統あるオーケストラでもあり、この楽団の現在の音楽的な水準は1943年から70年まで首席指揮者だったバルビローリの貢献によって高められたとされている。

確かに良く鍛え上げられたオーケストラで、この演奏でも潤沢で無理のない音量と色彩感、そして指揮者に従う機動力も充分なものを持っている。

ワーナー・クラシックスからのバジェット価格によるリイシュー盤で、1966年から70年にかけてのEMIアナログ音源になるが、音質が優れていることも特筆される。

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2015年11月07日


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オトマール・スウィトナーは戦後長期間に亘って旧東ドイツで演奏活動をしていたが、1970年代にNHK交響楽団から招聘されて以来彼の芸術に惚れ込んだ熱心な日本人ファンも少なくない筈だ。

奇しくも西側に拠点を置いた一歳年下のサヴァリッシュ同様、日本の聴衆を啓蒙し音楽的視野を広げてくれた功績は忘れられない。

スウィトナーはインスブルック出身でクレメンス・クラウスに師事したウィーン気質を身に付けた音楽家だったことが彼の創り上げる音楽にも良く表れている。

ここで指揮しているオーケストラは彼が音楽監督を務めたドレスデン及びベルリンの両シュターツカペレで、このセッションが行われた当時は、どちらもまだ伝統的なドイツ特有の質実剛健で厳格に統率された奏法を残していたが、スウィトナーはむしろそうした硬質な部分を巧妙に中和して、音楽的にもまた音響的にもよりカラフルで垢抜けたセンスを感じさせる独自の美学を反映させている。

決して堅物という印象はなくむしろ融通の利く、柔軟な人柄だったことが想像されるが、例えばウェーバーの序曲集では華麗な音響の中にオペラの舞台を彷彿とさせるような奥行きにその自在さが感じられる。

それはスウィトナーの豊富なオペラ上演によって培われた手腕だろう。

交響曲ではお国ものブルックナー第5番の明晰かつスケールの大きい劇的な解釈が冴えているし、スウィトナーの本業といえるオペラのジャンルからもフンパーディンクの『ヘンゼルとグレーテル』抜粋とR.シュトラウスの『サロメ』全曲の他に、ソプラノのシルヴィア・ゲスティとのモーツァルトの演奏会用コロラトゥーラ・アリア集の目の醒めるような1枚が加わって、スウィトナーの歌物に対する強みを発揮しているが、また一方で20世紀の音楽を充実させているのも注目される。

例えばヒンデミットの『交響的変容』やマックス・レーガー作品集ではオーケストレーションの綾を克明に描き出しながらスペクタクルな臨場感を与え、更にR.シュトラウスで表現する艶やかな官能美も聴きどころのひとつだろう。

ボックスには上記のふたつのオーケストラの他にライプツィヒ放送交響楽団、ゲヴァントハウス管弦楽団、ベルリン放送交響楽団の名称が印刷されているが、それぞれのジャケットにはCD1、3ー5、8の5枚がシュターツカペレ・ベルリン、他の6枚は総てシュターツカペレ・ドレスデンの演奏と表示されている。

音質はいずれも極めて良好で、6ページほどのパンフレットにはスウィトナー80歳を記念した簡易なコメントが独、英語で掲載されている。

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2015年11月05日


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ジェド・ウェンツとオランダのピリオド・アンサンブル、ムジカ・アド・レーヌムによるヘンデルのフルート・ソナタ集で、厳格な理論と奏法に裏付けられたそれまでのオランダの古楽から開放された、より感覚的でスピード感溢れるモダンな解釈が聴きどころだ。

ウェンツ自身はクイケン門下なので、トラヴェルソ奏者としては正統的な奏法を身につけているが、テンポの設定や自由闊達なフレージングは古楽の常識から言えば逸脱しているかも知れない。

しかしそこから生まれる快活なバロックの魅力は捨てがたいものがある。

彼らのテンポは概して速めで、時によっては疾風のように駆け抜けて恐るべきテクニックも披露している。

これはウェンツが最初に録音したバッハやロカテッリのソナタ集ではいくらか度が過ぎているようにも思えるが、バロック的なヴィルトゥオジティという意味では大いに愉しませてくれる。

ヘンデルがソロ楽器としてトラヴェルソを指定しているソナタは数えるほどしかなく、この曲集でも多くはブロックフレーテ、つまり縦笛で演奏されるが、楽器の選択は習慣的に演奏者に任されていた時代なのでトラヴェルソを使ったひとつのサンプルとしても興味深い。

ウェンツの音楽性を改めて感じさせるのはホ短調ソナタで、終楽章での通奏低音にバロック・ギターを取り入れたメヌエットが極めて美しい。

ごく単純なフレーズの繰り返しの中に、彼らはリズムを強調して情熱的なスペイン風の情緒を醸し出している。

そこにはもはやメヌエットの上品さは消え失せているが、聴く者に強く訴える深い音楽性が存在している。

ウェンツの使用楽器はイタリアの楽器製作者パランカのワン・キー・タイプでピッチはa’=415Hz。

トラヴェルソの材質は、立ち上がりが素速く輪郭のはっきりしたつややかな音色と、写真から判断すると黒檀かグレナディッラで音量も豊かでフラット系の調にも強い特長を持っている。

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2015年11月03日


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絢爛豪華なメルヘンの世界を堪能できるオペラだ。

主人公ホフマンが失恋する3人の女性にダンジェロ、シュヴァルツコップ、デ=ロス・アンヘレスといった当時のプリマ・ドンナ3人を配し、それに対抗する男声側もタイトル・ロールのゲッダほか強力かつ贅沢な布陣が聴きどころで、さながらJ.シュトラウスの『こうもり』のガラ・コンサートを聴くようなスリルと豪華さにこのオペラの醍醐味がある。

はっきり言ってストーリーの筋書きは殆んど荒唐無稽だが、終幕大詰めのシーンで絶望するホフマンに天の声が語りかけて、彼が感極まる部分でクリュイタンスは見事なクライマックスを創り上げている。

リブレットだけを読むと安っぽい台本にしか思えないが、これを一晩の飛びっきり気の利いた慰みに仕上げてしまうオッフェンバックの職人技と、劇場感覚に精通した勘の良さには改めて驚かざるを得ない。

アンドレ・クリュイタンスはワーグナーのバイロイト・ライヴは別として、彼の全盛期にいくつかのオペラをEMIにセッション録音で遺している。

モノラル時代の代表としてはオペラ・コミークとの『カルメン』やストラヴィンスキーの『うぐいす』、第1回目の『ホフマン物語』そしてドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』、そしてムソルグスキーの『ボリス・ゴドノフ』、グノーの『ファウスト』の最初の録音などがあり、ステレオ時代に入ってからは共に2回目になる『ホフマン』及び『ファウスト』が挙げられる。

しかもそれらの総てが名演の名に恥じないもので、クリュイタンスのオーケストラル・ワークばかりに拘っている方にも是非お薦めしたい演目だ。

この『ホフマン』が1回目のセッションと大きく異なっている点は、入れ替わり立ち代りする多くの登場人物に当時を代表する名歌手を当て、ライヴでは殆んど望めないキャスティングを組んでいることだ。

また物語自体のシュール・レアリズム的な雰囲気に加えて、オッフェンバックのシンプルだが巧妙なオーケストレーションと効果的な歌唱がちりばめられて、オペラが絢爛豪華な一大メルヘンの様相を呈している。

こうした作曲家のストラテジーを究極的に活かしたクリュイタンスの指揮者としての采配にも感心させられる演奏だ。

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classicalmusic at 22:09コメント(0)トラックバック(0)クリュイタンスシュヴァルツコップ 

2015年11月01日


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昨年の第1集45枚のボックスではフリッチャイのオーケストラル・ワークを堪能させてくれたが、今回のオペラ及び声楽作品篇は37枚のCDに更にデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」とコダーイの『ハーリ・ヤーノシュ組曲』のリハーサルとその本番を収録したDVDが1961年のモノラル録音ながらボーナスとして加わって、2巻合わせると網羅的なコレクションに相応しい内容になっている。

フリッチャイが音楽監督に就任したバイエルン国立歌劇場管弦楽団及びベルリン・ドイツ・オペラでの活動が期待されていたにも拘らず、不治の病のためにごく短期間でそれらのポストからの降板を余儀なくされたが、個々に収録されたオペラはバルトーク『青髭公の城』(独語歌唱)、ベートーヴェン『フィデリオ』、グルック『オルフェオとエウリディーチェ』(独語歌唱)、モーツァルト『後宮からの誘拐』『魔笛』『ドン・ジョヴァンニ』『イドメネオ』『フィガロの結婚』、J.シュトラウス『こうもり』、ストラヴィンスキー『エディプス王』(独語歌唱)、ワーグナー『さまよえるオランダ人』の合計11曲に上り、更にビゼーの『カルメン』が独語歌唱ながらハイライトで入っている。

この時期のドイツのオペラ劇場ではまだ訳詞上演が一般的だったのである程度は致し方ないが、1人の指揮者によるオペラ全曲盤のセッション録音がまだ限られていた時代に、フリッチャイが如何に情熱を注いでこうした作品に取り組んでいたか想像に難くない。

オペラ以外の声楽作品ではコダーイの『ハンガリー詩篇』(独語歌唱)、ハイドンのオラトリオ『四季』とヴェルディの『レクイエム』がそれぞれ2種類ずつ組み込まれていて、数年の間のフリッチャイの解釈の変化を聴き比べることができる。

CD11『ハンガリー詩篇』は1959年のステレオ・ライヴ録音の方が全体的な完成度が高い。

演奏時間も1954年のセッションに比べて5分ほど長くなっているが、ドラマティックで彫りの深い表現に加えてへフリガーの熱唱が称賛に値する。

CD1バルトークの世俗カンタータ『9匹の不思議な牡鹿』も独語歌唱だが、フリッチャイにその才能を見出されたフィッシャー=ディースカウの歌う、9人の息子の父親役は、フリッチャイのごく初期のレパートリーとしても貴重だ。

フリッチャイによって起用された歌手もソプラノのシュターダー、シュトライヒ、ゼーフリート、グリュンマー、アルトのテッパー、テノールのヴィントガッセン、へフリガー、バリトンのフィッシャー=ディースカウ、バスではホッター、グラインドルなど一流どころが顔を揃えているのも頼もしい。

廃盤の復活にも注目すべきものが多く、例えばCD15−16モーツァルトの『後宮』は、語りの部分は役者を当てているが、ジングシュピールの伝統に則った闊達なセリフのやり取りによる劇の運びや絵画的なシーンをイメージさせながら登場人物を描き分けるフリッチャイの音楽空間が絶妙で、このセッションは奇しくもパリのクラシック批評誌『ディアパソン』自主制作のCDとしても今月の新譜で復活している。

同じくモーツァルトでCD13の『大ミサ』はダイレクトで劇的な指揮に沿ったシュターダーの名唱を1959年のステレオ録音で鑑賞できるのは幸いだ。

未完成のまま遺された「クレード」は補筆版を演奏しているが「アニュス・デイ」は省いている。

またCD36のフィッシャー=ディースカウ若き日のオペラ・アリア集はドイツ、フランス、イタリアものを自在に歌った1枚で、イタリア・オペラではいくらか理屈っぽく聞こえるが、表現の多彩さと声楽的なテクニックには流石と思わせるものがある。

このセットでフリッチャイが指揮しているオーケストラはベルリン放送交響楽団とその前身に当たるRIAS交響楽団、バイエルン国立歌劇場管弦楽団、ベルリン・フィル及びウィーン・フィルになるが、中でもRIASは戦後間もなくフリッチャイによって鍛え上げられた手兵楽団で、団員の個人的技術水準の高さもさることながら、歌物では歌手に合わせる柔軟で臨機応変な機動力にも傑出したオーケストラだった。

尚CD37はフリッチャイの死の前年に行われた録音で、それまでの人生を振り返って自身のキャリアや音楽観についてほぼ1時間に亘ってフリッチャイ自身がドイツ語で語っている。

指揮者の父を持ち、ピアノをバルトークに、作曲をコダーイに学ぶという理想的な環境で学習できたフリッチャイは、なるべくして指揮者になったと言えるだろう。

これはDVDにも共通することだがフリッチャイのドイツ語は一昔前の発音で、明瞭で分かり易いのが特徴だ。

また要所要所にフリッチャイの指揮による音楽が挿入されているところをみると、一種のドキュメンタリーとして制作されたようだ。

DVDではフリッチャイのエネルギッシュなリハーサル風景が貴重だ。

フリッチャイの師でもあったコダーイの作品ではユーモアを交えながら楽員達に丁寧な説明を加えている。

また本番では2曲とも暗譜で臨んでいるが、指揮棒を使わない指揮法も見どころだ。

古い動画なので数ヶ所に音揺れがあるが鑑賞には全く差し支えない。

第1集よりCDの枚数は少ないが、組物は初出盤をイメージさせる折りたたみ式の厚手のジャケットに入っているので、ボックスの大きさは前回と同様に統一されている。

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