2015年12月

2015年12月30日


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ベーム晩年を特徴づける表現力の懐の深さによって、どの楽曲を幾度耳にしても飽きのこないオーソドックスな音楽づくりを感じさせてくれるのがこのセットのセールス・ポイントだ。

ベームの演奏は、ベートーヴェン、シューベルトからブルックナーなどでも共通し全体構成がしっかりと組み立てられており、厳格なイン・テンポで、かつ弦と管の楽器のバランスと融合が絶妙でどちらかが突出するということがない。

それを可能とするのは、幾度もベーム自身が語っているように、スコアを徹底的に読み込み(新即物主義と言われる場合もある)、オーケストラに周到な練習を課することによって可能となる。

その一方、リスナーにとってどこに連れていかれるかわからないような、ある種のワクワクドキドキ感(たとえばカルロス・クライバー)とは無縁である。

以上の特質から、ベームらしさとは非常な集中力のもと、はじめの1音から作品そのものに導き、演奏の個性よりも作曲家の心象へリスナーの関心が集中することにある。

落ち着きのあるアプローチは、重心の低さを常に意識させるが、磨かれた音は、けっして軽からず重からず、ウィーン・フィルの場合は特に瑞々しくも美しい。

この23枚はベームがドイツ・グラモフォンに録音した演奏集の中でも比較的晩年のセッションからオーケストラル・ワークを中心に収録されている。

そのために録音状態も良好で、またランダムに選曲したようで意外にも先頃ユニヴァーサル・イタリーからリリースされた彼の交響曲集22枚のバジェット・ボックス・セットとの曲目のだぶりが皆無なのが嬉しい。

このセットのモーツァルトの交響曲集とシューベルトの交響曲第9番はウィーン・フィルを振ったものだし、ベートーヴェンの『第9』は1980年の再録音の方が選ばれている。

また前者には収録されていなかったハイドン、シューマン、チャイコフスキー、ブルックナーの交響曲の他にベートーヴェンの序曲集も加わって、事実上ユニヴァーサル・イタリーのセットと対をなしてベームのよりインテグラルなオーケストラル・ワーク集のコレクションになる筈だ。

通常こうしたバジェット・ボックスは、同じ傘下のレーベルでも独自の企画でリリースされるために、先に出たものに飛びつくと、その後更に充実したセットが出る可能性が高く二の足を踏んでしまう。

かと言って両方揃えると同一録音で溢れてしまうという懸念がある。

しかし今回は偶然なのか、あるいは売り上げを見込んだ戦術なのかは分からないが、結果的には入門者にも揃え易い企画になっていることは評価したい。

ライナー・ノーツは55ページあり、『第9』は英語対訳、『ミサ・ソレムニス』及びモーツァルトの『レクイエム』はラテン語のテキストに独、英語の対訳付。

ボックスはクラム・シェルではなく、上下にスライドさせて開閉するタイプでしっかりした装丁。

サイズはやや大きめの12,5X13,5X7cm。

尚最近メンブランからリヒャルト・シュトラウスのオペラ8曲を収めた全曲盤20枚が復活したが、欲を言えばベームの振ったオペラや声楽曲、更に協奏曲や室内楽などのレパートリーのリマスタリング盤での復活が望まれるところだ。

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2015年12月28日


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ヴェルディのオペラに関しては、伝統的な演奏法や言語の問題が加味される分だけある程度甲乙つけやすいが、そういった制約がなく、言わば指揮者の個性がそのまま浮き彫りにされるこの種の音楽に関しては、それぞれがそれぞれに魅力的で、なかなか判定しにくいものがある。

事実トスカニーニ、デ・サーバタ、ショルティ、ジュリーニ、カラヤン、アバド、ムーティの7つの盤は、全てどれを1位に推してもおかしくない程素晴らしい出来ばえを示していると言えよう。

その中からあえて鼻の差で抜きん出ている盤を選ぶとすれば、デ・サーバタの崇高な音楽はなんとも捨て難い。

ヴィクトル・デ・サーバタの数少ないスタジオ録音のひとつだが、プッチーニの『トスカ』と並んで、スコアから横溢するドラマを引き出す彼の恐ろしいほどの鋭い洞察力と、ソリスト、オーケストラ、コーラスを一瞬の弛緩も無く緻密に統率する優れた手腕が示された名演。

この時代の『ヴェル・レク』と言えば、まずトスカニーニの至高の超名演が思い出されるが、このデ・サーバタ盤も作品に注がれる情熱といい愛情の深さといい、彼渾身の熱演が繰り広げられている。

1954年にミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団を振ったモノラル録音で、音質的には恵まれていないが、音楽そのものを鑑賞するには現在でも充分価値がある。

作曲家として音楽活動を始めたデ・サーバタは、のちに指揮者としても活動を開始し、トスカニーニの後任として1953年までスカラ座で音楽監督を務めた。

体調不良のため同年引退し、1967年に死去するまでの14年間のうち、2回だけ指揮した。

1回はこの1954年に録音された『ヴェル・レク』、2回目は1957年の「トスカニーニ追悼コンサート」の時であった。

長い沈黙のはざまの演奏とは思えないほどのエネルギーほとばしる演奏で、単に彼の集中力の強さが衰えていない証拠であるばかりでなく、歴代の名盤としても数えられている。

ソリストの中でも驚かされるのはシュヴァルツコップの後年には聴かれないような大胆で奔放な歌唱で、おそらくこれは指揮者サーバタの要求した音楽と思われるが、後半の『リベラ・メ』のドラマティックな表現や『レクイエム・エテルナム』で聴かせる消え入るようなピアニッシモの繊細さも彼女の並外れたテクニックによって実現されている。

また『アニュス・デイ』でのメッゾ・ソプラノ、ドミンゲスとの一糸乱れぬオクターヴで重ねられたユニゾンの張り詰めた緊張感の持続も強い印象を残す。

テノールのディ・ステファノはライヴ演奏でもしばしば起用されたこの曲のスペシャリストでもあり、彼の明るく突き抜けるような歌声は宗教曲の演奏としては異例だが、ベル・カントの泣き節たる『ヴェル・レク』ではすこぶる相性がいい。

第10曲『インジェミスコ』の輝かしさは教会の中よりもむしろ劇場空間での再現が適している、一種のオペラのアリアであることを端的に物語っている。

チェーザレ・シエピについて言うならば、バスのパートをこれだけ完璧なカンタービレで歌いきった例も少ないだろう。

その深々として良く練り上げられた声質は重唱においても音程が正確で、他の歌手と共にヴェルディが書き記した対位法の各声部を明瞭に追っていくことが可能だ。

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classicalmusic at 00:54コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディシュヴァルツコップ 

2015年12月26日


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このリヒターの崇高なバッハの成果は未だに独自の光彩を放ち、独創的で強い主張を持っている。

中でも彼のブランデンブルク協奏曲や管弦楽組曲などの息づくようなバイタリティーに溢れた表現は強く惹かれるものがあったが、当初アルヒーフのセット物は布張りカートン・ボックス入りのコレクション仕様で値段も高く、気軽に手が出せるような代物ではなかった。

そうした懐かしさも手伝ってかつての欲求を満たしてくれるのがこのセットで、同じくユニヴァーサル・イタリーから先発でリリースされたバッハのカンタータ集に続いて、今回はチェンバロ及びオルガン・ソロ、室内楽、オーケストラル・ワークに『ロ短調ミサ』を加えた18枚で構成されている。

この中には現在入手困難な1966年収録のシュナイダーハンとのヴァイオリン・ソナタ集も含まれている。

リヒターは1972年にレオニード・コーガンとも同曲集の再録音をオイロディスクに遺しているが、バッハへのアプローチも、また音楽的な趣味や個性も全く異なった2人のヴァイオリニストと組んだアンサンブルの記録としても貴重な音源だ。

この演奏ではシュナイダーハンのウィーン流のしなやかで自由闊達なソロが美しい。

尚ブランデンブルク協奏曲集は1967年の再録音の方が採用されている。

ちなみに第1回目の1956−57年の音源はドイツ・ヘンスラーから独自のリマスタリングで復活している。

ミュンヘン・バッハ管弦楽団は、バイエルン放送響、ミュンヘン・フィル、バイエルン国立管の団員などの精鋭から編成され、何よりも当代のバッハの使徒とでもいうべきリヒターに対する尊敬の念と忠誠心を持っていたと言われる。

その演奏の均一性、精神的な統一感はいま聴いても新鮮な驚きがあるだろう。

リヒター指揮による同管弦楽団、同合唱団による一致団結した統一感とストイックとしか言いようのない敬虔、厳格な音楽づくりは、その後同様な演奏を聴くことを至難としている。

一方、リヒターは当時にあって、バッハについて深い学識ある研究者であるとともに、最高のチェンバロ奏者&オルガニストであり指揮者であった。

チェンバロ、オルガンなどの独奏の高次性も並外れており、しかもすぐれた即興性に魅力がある。

彼が使用しているチェンバロは総てノイペルト製のモダン・チェンバロで、ピリオド楽器が主流の現在では金属的で大きな音がやや厚かましく聞こえるが、奇しくも当時のリヒターのラディカルとも言える解釈にそぐわないものでなかったことは確かだ。

またニコレとのフルート・ソナタ集では常にレジスターを使って音量と音色を注意深くコントロールしている。

ライナー・ノーツは46ページほどで、曲目一覧、英、伊、独語によるリヒターのキャリア及びこのセットに収められた18枚の全録音データが掲載されている。

新しいリマスタリングの表示はないが音質は極めて良好で、サイズ13X13X5cmのシンプルなクラムシェル・ボックス仕様。

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classicalmusic at 01:41コメント(0)トラックバック(0)バッハリヒター 

2015年12月24日


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セラフィンはスカラ座黄金時代にカラスやテバルディなどのスター歌手を起用したイタリア・オペラを中心とする劇場作品の全曲録音を数多く遺していて、それらは未だにオペラ上演史上燦然と輝く名演であることに間違いない。

勿論この序曲集にもセラフィンの作品に対する演奏上の百戦錬磨のテクニックと劇場感覚的な秘訣が示されている。

それはオペラ劇場という特殊な空間でこそ本来の効果を発揮するものだが、このCDでもその巧みさは充分に感知できる。

そのひとつがオーケストラを呼吸させるように自由自在に歌わせるカンタービレで、しかも歌わせることによって緊張感が弛緩したり、音楽が冗長になることを完璧に避けている。

それはセラフィンが音楽構成の脈絡や起承転結を心得ていたからで、自然で大らかな歌の抑揚を横溢させながらドラマを進めていく手法は現在のイタリアのオペラ指揮者にも伝統的に受け継がれている。

ここに収録されている序曲や前奏曲はいずれもシンプルなオーケストレーションだが直接聴衆の感性に訴えて、幕開けを準備する雰囲気作りに奉仕されている。

トゥリオ・セラフィン(1878-1968)はトスカニーニの後を継いでスカラ座の指揮者に就任してから国際的な演奏活動を始める。

1923年からはニューヨークのメトロポリタン歌劇場にも10年ほど席を置いて、カルーソ亡き後のアメリカでのイタリア・オペラ隆盛にも貢献しているが、彼の劇場作品のレパートリーは多くの初演を合わせると243曲に上り、その中にはドイツ、ロシア物も含まれている。

またローザ・ポンセルやマリア・カラスなどにイタリア風のカンタービレやベル・カントを伝授して歌手の育成にも寄与した。

セラフィンは歌手の長所を巧みに引き出して、それを最大限活かす術を知り尽くしていたマエストロだったと言えるだろう。

アバドやムーティの時代に入ると過去の歌手達が慣習で歌っていたスコアには書かれていない装飾やカデンツァは一切排除する、いわゆる原典主義が定着するが、セラフィンの頃はまだ指揮者や歌手にも音楽への裁量がかなり認められていて、効果的な演奏と見做されれば拒まれなかった。

そうした柔軟なアプローチがこの序曲集を精彩に富んだものにしているのも事実だろう。

メディチ・アーツはBBC音源を中心にリマスタリングしたメディチ・マスターズ・シリーズをリリースしていた英国のレーベルで興味深いカタログを持っていたが、2010年以降新盤は出していない。

現在ではメディチtvという名称でDVD主体の販売を行っていて、これらの映像はベルリンに本拠を置くユーロ・アーツでも扱っているが歴史的音源のリイシューCD盤は打ち切られたようだ。

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2015年12月22日


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イタリア弦楽四重奏団のレパートリーの中でもベートーヴェン、モーツァルトと並んでシューベルトは、彼らのコンサートのプログラムの三本柱を成していて、こうした作曲家の作品では意外にも彼らの自然な音楽性の発露よりも、隅々まで徹底した音楽設計を貫いた硬派的な演奏が聴き所だろう。

ここでも彼らは決してシューベルトの作品に溢れるカンタービレの再現ばかりに腐心するのではなく、むしろそれぞれの曲全体を見極めた音楽構成に注目して、かなり自制した厳しい演奏に仕上げているように思う。

それがシューベルトの作品に往々にして露呈される冗長さを感知させることなく、最後まで聴き終えることができる理由だ。

確かに彼らの歌うカンタービレは美しいし、いざという時にはその天性とも言うべき武器を存分に披露するが、常に個々の楽器間のバランスを失うことなく、統制されたカルテットの態勢を崩さないのは流石だ。

また時には豪快なダイナミクスを使って非常にドラマティックな曲作りを試みるのも彼らの手法だ。

彼らの合わせ技の秘訣のひとつに楽器の配置への特別な配慮がある。

第1ヴァイオリンとチェロ、そして第2ヴァイオリンとヴィオラが対角線に向き合う形で、チェロが内側に位置している。

更に総てのレパートリーを暗譜演奏していた彼らは楽譜に気を取られることなく、お互いのアンサンブルに集中できたことも、演奏自体に自由闊達な印象を与える要因になっている。

この2枚のCDに収められた4曲の弦楽四重奏曲は、いずれもシューベルト後期の作品で、第12番ハ短調D.703は第1楽章のみが完成されている。

前作からの転用も頻繁に聴かれ、第13番イ短調D.804『ロザムンデ』の第1楽章には歌曲『糸を紡ぐグレートヒェン』、第2楽章には劇音楽のテーマがヴァリエーションとして、また第14番ニ短調D.810『死と乙女』には第2楽章に同名の歌曲を利用している。

こうした作法は既にハイドンの『皇帝』に先例が見られる。

一方第15番ト長調D.887は、ひとつのシンフォニーのような壮大な構想を持っていて、規模も最も大きく、彼らの演奏時間も55分に及んでいる。

それだけにイタリア弦楽四重奏団ならではの、オーケストラを髣髴とさせるスケールの大きな表現が特徴だ。

また第4楽章は第14番と同様のイタリア風タランテラで、熱狂的な舞曲から昇華された緊張感と迫力に満ちた無窮動的な終楽章を締めくくっている。

D.810及びD.703が1965年、D.804が1976年、そしてD.887が1977年の録音になり、音質はこの時代のものとしては極めて良好で、当時のフィリップスの技術水準の高さを示している。

ブックレットは24ページで曲目紹介、録音データの他に英、独、仏、伊語の解説と後半部にはフィリップス・デュオ・シリーズのカタログが掲載されている。

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2015年12月20日


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現在のフランスを代表するソリスト達と、ベルリン・フィルのメンバーの友情出演によって実現したドビュッシーの魅力的な室内楽曲集。

中でも管楽器奏者の明るく軽やかな音色と、幻想豊かなマリー=ピエール・ラングラメのハープが聴きどころだ。

ただし彼らの師匠格に当たるモーリス・アンドレ、ジャン=ピエール・ランパル、ジャック・ランスロやリリー・ラスキーヌなど一世を風靡した名人達の全盛期を知っている筆者にとっては、このCDの演奏でさえ少し生真面目な印象を受けてしまう。

いずれにせよここに登場するフランスの管楽器奏者達が競うドビュッシーには彼ら特有の華がある。

それは音色の明るさ、変化に富むニュアンス、そして柔軟で解放的な表現などで、例えばエリック・オビエの演奏するトランペット用に編曲された『夜想曲』から「祭」の自由闊達な軽快さと、光りの中に佇んで葦笛を持つパンの姿が目に浮かぶような『シランクス』は秀逸だ。

尚後者は無伴奏フルートのためのオリジナルの形でヴァンサン・リュカの演奏でも収められているので、異なった楽器による聴き比べも楽しむことができる。

後半の白眉はヴァンサン・リュカのフルート、リズ・ベルトーのヴィオラにラングラメのハープが加わったソナタ、ピアノのパートをハープ用にアレンジしたルートヴィヒ・クヴァントの弾くチェロ・ソナタ、そしてハープにベルリン・フィルの弦楽のメンバーが加わる『聖なる舞踏と世俗の舞踏』。

いずれの演奏も緊張感を孕んだ中に流麗でエレガントな表現と、時折きらめくようなインプレッショニズム特有の光彩を放つ音色が、ドビュッシー独自の世界を想像している。

録音レベルが高く、スピーカーから音像が飛び出して来るような臨場感と音質の良さも特筆される。

CDは内側のトレイのみがプラスティックの紙製デジパックに収納されている。

挿入されているライナー・ノーツは全アーティスト写真入り23ページの充実したもので、解説は総てフランス語だが、演奏者紹介の部分だけに英語訳が付けられている。

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2015年12月18日


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このCDには大バッハの長男、ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710-1784)の3曲のトラヴェルソのためのソロ・ソナタ及び3曲の2本のトラヴェルソと鍵盤楽器のためのトリオが収録されている。

セカンド・トラヴェルソにはマリオン・モーネン、そしてチェンバロとフォルテピアノがジャック・オッグ、通奏低音のチェロにはヤープ・テル・リンデンのそれぞれベテラン奏者を配した手堅い巧みなアンサンブルが聴きどころだ。

ソロと通奏低音で書かれたものと鍵盤楽器のオブリガートが付くものとがあり、前者には基本的にチェロが加わっている。

フリーデマン・バッハの作品には既に漸進的な強弱やアクセントなどが求められ、父親とは明らかに異なった音楽語法を追究していたことが理解できる。

このためにオッグは曲によってフォルテピアノを使って、それまでのチェンバロでは表現し得なかったモダンな音楽のあり方を実践している。

特にソナタヘ長調Fk51はトラヴェルソのテクニックが駆使された難曲で、ハーゼルゼットとオッグの老練なアンサンブルが醍醐味だ。

今回彼らが使用した楽器は、ハーゼルゼットがアウグスト・グレンザー、モーネンがパランカのワン・キー・タイプ、テル・リンデンのチェロがグランチーノ、オッグのチェンバロはクシェ・モデル、ピアノはゴットフリート・ジルバーマン・モデルでピッチはa'=415Hz。

2005年にオランダで録音された曲集で音質は極めて良好。

フリーデマン・バッハの音楽はかなり個性的で、時折衝動に駆られて急くような音形の繰り返しや不意とも言えるモジュレーションの変化があり、彼の鋭利だが移ろい易い刹那的な音楽美学を反映している。

そうした音楽のあり方はほぼ同時代のミューテルやクラインクネヒトのトラヴェルソのための作品にも共通していて、いわゆる多感様式時代の過渡的な趣味の傾向だったに違いない。

大バッハが最も期待をかけて教育した息子だったが、その非凡な才能は当時の社会には受け入れられなかった。

それは彼の個人的な性癖が禍したとされているが、遺された作品には優れたものが少なくない。

例えばトラヴェルソ用の6曲のデュエットにもその目まぐるしい転調や半音階の中に迸り出るような斬新な楽想が満たされている。

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2015年12月16日


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2013年2月惜しまれつつ鬼籍に入った指揮者サヴァリッシュの業績を偲ぶために買ったCDのひとつで、彼は早くからオペラ畑でも頭角を現したが、ピアニストとして、また室内楽の演奏家としても評価が高かった。

そうした総合的な幅広い音楽観がサヴァリッシュの指揮に良く表れていると思う。

ミュンヘン生まれの指揮者サヴァリッシュは、およそ20年間音楽監督あるいは総監督としてバイエルン国立歌劇場に在任したが、当歌劇場を去るにあたって録音したこの『マイスタージンガー』は、彼と劇場の幸せな結びつきを証明する特別のもののように思える。

彼らが分かち合ったに違いない“おらが町のオペラ”の情熱がこの名盤を生んだのだろうか。

サヴァリッシュは自身が鍛え上げた柔軟で統制のとれたオーケストラとコーラスを手足のように駆使して、平易で説得力のある素晴らしい音楽を作っている。

サヴァリッシュの指揮は分かり易いということでオーケストラのメンバーからの信頼も厚かった。

抽象的な表現や要求はできるだけ避け、より現実的で隅々まで統制の行き届いた明晰な音楽作りがサヴァリッシュの特徴だ。

その点では同僚カルロス・クライバーとは対照的だったと言えるだろう。

決して即興的な指揮はしなかった堅実で理知的な指揮者だったが、誰にも引けを取らない繊細かつ情熱的な感性を持っていたのも事実だ。

1957年バイロイト歌劇場に当時としては史上最年少の33歳で起用され『トリスタンとイゾルデ』でデビューしたのもそうしたサヴァリッシュの実力が認められたからに違いない。

このセッションが録音されたのは1993年で、既にワーグナーの作品にも熟達していたサヴァリッシュの円熟期の職人的な技が傑出した、隙なく几帳面にまとめられた如何にもサヴァリッシュらしい出来栄えになっている。

聴衆を陶酔の渦に巻き込むような幻惑的な演奏とはタイプを異にする、文学と音楽とをより有機的に結び付けたサヴァリッシュのポリシーが伝わる真摯な演奏だ。

あくまでもワーグナー的なカタルシスの魅力を求める人にとっては意見が分かれるところかも知れない。

しかし決して冷淡な演奏ではなく、控えめだが豊かな情感が随所に感じられるし、喜歌劇としての明朗さがあり、また登場人物の性格を音楽で描き分ける手腕も見事だ。

それゆえ最後まで忍耐強く聴き取ろうという人にとっては、これほど良くできたセッションもそう多くない筈だ。

歌手たちも当時としては最良のメンバーが選ばれていて、深く豊かな声を聴かせるヴァイクルのザックスは極めつけ。

またヴァルター役のテノール、ヘップナーの力強い美声とロマンティックな歌唱も特筆もので、なるほどここは明るい南ドイツだったな、それに彼だから歌試合で優勝できるのだと納得。

ステューダー(エヴァ)やロレンツィ(ベックメッサー)も適役で、同オペラの立派な選択肢のひとつとしてお薦めしたい。

尚11ページほどのライナー・ノーツは廉価盤の宿命で歌詞対訳は省かれているが、英、独、仏語による簡易な解説が掲載されている。

総合芸術と言われるオペラをまとめることは、指揮者として秀でていても容易なことではない。

うるさ型の歌手陣1人1人に自分の音楽的要求を呑み込ませ、コーラスにも目を配らなければならないし、オーケストラとの限られたリハーサルや演出家が加わる舞台稽古への立会い、バレエが組み込まれている場合の稽古など、その規模が大きくなるほど仕事は煩雑化する。

『マイスタージンガー』のように実際の上演時間が5時間を超えるものであれば尚更だ。

勿論音楽面だけでなく、総ての関係者との人間関係がうまくいった時、初めて上演を成功させることができる。

サヴァリッシュはその辺りを絶妙に心得ていて、後年その仕事の煩雑さを忌憚なく吐露しながらも、誰とも衝突を起こさなかった稀な人物であった。

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2015年12月14日


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過去2回に分けてリリースされたそれぞれ2枚組の『和声と創意への工夫』と『調和の霊感』全曲が今回合体して廉価盤ボックス・セットになった。

特に『四季』では作曲者ヴィヴァルディがインスピレーションを得た作者不詳の14行詩、ソネットがそのまま音でアニメーション化されたような奇抜な面白さがある。

それはさながらペーテル・ブリューゲルの絵画に活写された農民の生活を連想させるような、生き生きとした機知に溢れる表現だ。

ファビオ・ビオンディの構想は、凝り固まってしまった古楽の解釈からの音楽の開放であり、それまでのバロック音楽へのイメージの打破にある。

現在私達が『四季』に対して持っている明るく流麗なイメージは、多分にイ・ムジチ合奏団の貢献によるものだし、筆者自身もアーヨ盤を聴いてその洗礼を受けた1人だった。

それは感動的な名演奏だったし、素晴らしい印象を残してくれたが、まったく違った意味でビオンディとエウローパ・ガランテの革新的な世界にも惹かれる。

一流の古楽アンサンブルの数も飛躍的に増えた現在、互いにオリジナリティーを主張し、自由にその技を競い合う時代になったと言うべきだろう。

ところで『四季』の人気は相変わらず高く、モダン楽器による新しい録音にもクレーメルとクレメラータ・パルティカ、ムターとトロンヘイム・ソロイスツなどのすぐれてユニークな演奏があるが、やはり主流はピリオド楽器による演奏だろう。

ビオンディとエウローパ・ガランテは、結成間もない1991年にも録音しており、明るい響きを切れ味良く生かして歌い、描写した演奏は、この俊英団体らしい奔放な閃きにとんだ表現に満ちていて、とても新鮮で刺激的だった。

前回と同様にマンチェスター手稿によるこの演奏は、基本的な解釈や奏法に大きな違いはないので、そうした驚きは当然少ないが、この間にアンサンブルはさらに柔軟に磨かれ、ソロとトゥッティが絶妙な感覚で呼応して、いっそうしなやかに精妙な表現をつくっている。

強弱のコントラストが鮮やかで、即興性にとんだ緩急自在な表現はきわめて精妙多彩で、かつ強い表出力をそなえているし、それらがしなやかな流れと起伏の中に巧みな統一感をもって織りなされている。

ソロだけでなくアンサンブルの細部における表現も、より柔軟でこまやかになっており、それがビオンディの冴えたソロをいっそう聴き映えのあるものにしている。

快速で奔放自在な変化をみせる演奏は数あるヴィヴァルディの録音の中でも最も爽やかな生命感にあふれていて、イタリアの団体らしい流麗なカンティレーナや細部の彫りの鮮やかさも特筆されよう。

ヴィヴァルディの音楽がバッハに多大な影響を与えたことは周知の事実だ。

バッハはヴィヴァルディの楽章形式をそのまま踏襲したし、ここに収められた『調和の霊感』からもヴァイオリン協奏曲ト長調RV310をソロ・チェンバロ用に、また二つのヴァイオリンの為の協奏曲イ短調RV522をオルガン用に、そして4つのヴァイオリンの為の協奏曲ロ短調RV580を4台のチェンバロの為の協奏曲に編曲している。

その当時バッハが流行の最先端を行く音楽を熱心に研究していたことは意外だが、ビオンディの演奏にはそれを納得させるようなヴィヴァルディの斬新な創意を強く感じる。

廉価盤ながら曲目及び演奏者紹介のライナー・ノートが英、仏、独語で付されている。

録音は『調和の霊感』が1997年、『和声と創意への工夫』が2000年で、どちらも音質は極めて良好。

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2015年12月12日


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ドビュッシー生誕150周年記念としてリリースされているセット物の中でも、このナクソス盤は彼のオーケストラル・ワークのみに絞った9枚組で、セットの特徴はドビュッシーの管弦楽のための作品のコンプリートであること、前奏曲集をはじめとするピアノ曲集にオーケストレーションを施した編曲版が総て含まれていること、更に演奏者が準・メルクル指揮、国立リヨン管弦楽団で統一されているところにある。

こうしたオリジナリティーに富んだ企画はそれほど多くなく、従来の歴史的名演の廉価盤化によるリイシューに複雑な思いのオールド・ファンには一味違った新鮮な魅力があるし、総て2007年から2011年にかけての新しい録音なので、入門者の手頃なドビュッシー体験盤としてもお勧めしたい。

日系ドイツ人指揮者、準メルクルはチェリビダッケの弟子だけにオーケストラの楽器間のバランスのとり方が巧みで、むやみに走らない落ち着いたテンポ設定も特徴的だ。

特にこの作品集ではその透明に醸し出される響きと、感性豊かで美しい叙情的表現も聴き所のひとつだ。

第1曲目に収められた『牧神の午後への前奏曲』での、夢と現実の間を彷徨うような白昼夢的な雰囲気も彼独自の手法だ。

また編曲物では本来ピアノ用の『喜びの島』が、この曲の超現実的空間を見事に表現していて驚かされる。

国立リヨン管弦楽団は、団員の技量から言えばまだこれから伸びる可能性を持っているオーケストラだが、繊細な感受性と優れた機動力を発揮していて秀逸。

ドビュッシーはラヴェルほど自分のピアノ曲をオーケストラ用に編曲する作業に熱心ではなかったが、これらのピアノ曲が持っているオーケストレーションへの可能性は非常に高く、実際このセットのCDで聴いてみると、ミックスされた楽器の響きだけでなく、印象派特有の移り変わる色彩感や豊かな幻想性などを、より具体的に感知できるところに面白みがある。

管弦楽へのアレンジはラヴェルのほかドビュッシーの友人だったアンドレ・カプレや、現代の作曲家コリン・マシューズなどの手になる物で、それぞれ鮮やかな手並みで原曲の特徴を捉えているだけでなく、こうした編曲への必然性も納得できるものだ。

ボックスの大きさは13X13X5cmでCD9枚を収納するには大きめだが、縦型のしっかりした装丁で、ふたの部分も印籠のように縦に取り外すオリジナリティーにこだわったデザイン。

ライナー・ノーツは英、仏語で100ページあり、それぞれのCDごとの解説もかなり充実している。

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2015年12月10日


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ピリオド楽器使用の古楽合奏団はここ数十年ほどで雨後の筍のように増え、またそれぞれの団体が個性的な演奏活動を行っている。

もはや古楽はピリオド楽器なしには考えられないほど一般的な傾向になっていると言えるだろう。

その草分けのひとつがトレヴァー・ピノック創設のイングリッシュ・コンサートで、彼らは1973年結成以来バロック音楽に新風を吹き込むように颯爽と登場し、斬新な解釈で古楽界をリードしてきた。

それはネーデルランド系の古楽奏者とは常に一線を画していて、より軽快で開放的な雰囲気を持っていた。

中でもこの7枚のCDに収められた55曲のヴィヴァルディの協奏曲集ではこうした傾向が顕著で、録音も彼らが絶頂期にあった1981年から1995年にかけてのセッションでその鮮烈な演奏は現在でも決して色褪せてはいない。

また『四季』以外は殆んど知られていなかったヴィヴァルディという天才の真価を明らかにした功績も無視できない。

仕様ピッチはa'=415で通奏低音のチェンバロとオルガンはピノック自身が担当している。

ヴィヴァルディはおよそありとあらゆる楽器のために協奏曲を書いた。

彼が当時を代表するオペラ作曲家であり、ヴァイオリニストであり、また孤児院ピエタの教師であり司祭であったことを考えると驚異的な仕事量だ。

彼が作曲した協奏曲は500曲を超えると言われ、それらはヨーロッパ中に散逸していて未だに発見されていないものも少なからずあるようだ。

そのスタイルは極度に単純化され、当時の音楽としては斬新極まりない作風でテレマン、バッハ、ヘンデルを始めとする多くの作曲家に多大な影響を与えたことは周知の通りだ。

このセットに収められた曲の中でも、バッハが4台のチェンバロ用に編曲した名高い『4つのヴァイオリンのための協奏曲ロ短調』RV580、特有の哀愁を持つ『ヴィオラ・ダモーレとリュートのための協奏曲ニ短調』RV540、また11人のソリストが競う『多くの楽器のための協奏曲ハ長調』RV558などのアイデアはバッハの『ブランデンブルグ協奏曲』に通じるものがある。

彼がバッハより7歳ほど年上で1741年にウィーンで没したことを考えると、今更ながらこの作曲家の天衣無縫とも言える自由で新奇な試みに驚かざるを得ない。

このセットはイングリッシュ・コンサートがLP時代からシングルでリリースしてきたものをまとめたリイシュー廉価盤になり、ブックレットは24ページで曲目紹介、録音データの他に英、独、仏語の簡単なライナー・ノーツが掲載されている。

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2015年12月08日


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ヘルムート・ヴァルヒャが1957年にEMIに録音したJ.S.バッハの『パルティータ』BWV825-830全曲が、過去のライヴやセッションの名演を掘り出してCD化しているカナダのドレミ・レーベルからレジェンダリー・トレジャース・シリーズとして復活した。

ヴァルヒャが遺した総てのオルガン用の作品は既にリイシューされているし、またチェンバロ曲集はこの6曲のパルティータを除いては比較的手に入れることが容易だが、この音源に関しては何故か再発されていなかった。

おそらく録音状態の劣悪さが原因かも知れないが、この2枚組セットにはDLC24-bitリストレーションの表示があり、雑味のとれたかなり鮮明な音質が得られている。

曲目は他に1960年の録音になる『フランス風序曲ロ短調』BWV831、『イタリア協奏曲ヘ長調』BWV971及び『半音階的幻想曲とフーガニ長調』BWV903で、この3曲に関しては製造中止になっているとは言え、ARTリマスターのEMI盤がかろうじて入手できる。

見開き1枚の曲目紹介とオリジナルLPの写真のみでライナー・ノーツは付いていない。

ヴァルヒャがJ.S.バッハの鍵盤楽器用の総ての楽曲の暗譜を決意したのは彼が完全に失明した後、19歳の時だったと言われる。

そして40歳の誕生日にはその課題を達成していた。

点字楽譜もまだ存在しなかった時代に、母や夫人の弾く一声部一声部を暗譜して、頭の中で音楽全体を再構成するという驚異的な方法で身につけた曲は、どれを聴いても整然として明確な秩序を保っているだけでなく、彼特有の覇気に貫かれている。

ヴァルヒャが日頃使用していた楽器はユルゲン・アンマー社のモダン・チェンバロで、それには止むを得ない事情があったと考えられる。

戦後から1960年代にかけてオリジナル・チェンバロは博物館を飾る調度品に成り下がっていた。

それは教会の中で厳然とその生命を保っていたオルガンに比べると、時代に取り残された楽器としかみられていなかったのが実情だ。

それが演奏可能なまでに修復され始めるのはいくらか後の時代であり、ヴァルヒャはようやっとその晩年に古楽復興の黎明期に巡り会えた演奏家である。

この楽器の音色が見直されるようになってから、当世流の便宜的改造が加えられたのがノイペルトやアンマーのモダン・チェンバロである。

当時内部のフレームは金属製でa'=440の現代ピッチに調律されていた。

ピリオド楽器に比べるとさすがにどこか人工的な響きだが、それでもアンマーの音は潤沢で幅広い表現力を持っていることからヴァルヒャは多くの録音にこの楽器を用いた。

しかしヴァルヒャも晩年修復されたオリジナル楽器を使って『平均律』を録音しなおしたし、シェリングと協演したバッハの『ヴァイオリン・ソナタ』全曲のセッションでもオリジナルを演奏している。

J.S.バッハの数多い組曲の中でも『パルティータ』にはそれまでの舞曲の組み合わせという様式に囚われないシンフォニア、ファンタジア、カプリッチョあるいはブルレスカ、スケルツォなどの新しいエレメントが入り込んでいて、それだけにバッハの自由闊達で手馴れた作曲技法が駆使されている。

ヴァルヒャの演奏は一見淡々としているようで、突き進むような情熱が隠されている。

それは彼の哲学でもある、バッハが書き記した音符をくまなく明瞭に伝えるという使命感に支配されているからで、書法を曖昧にするような表現、例えばテンポ・ルバートや過度な装飾は一切避けている。

こうした妥協を許さない理路整然とした演奏を聴いていると、あたかもバッハの手稿譜が目の前に現れるような感覚に襲われる。

ヴァルヒャの奏法はオルガンを弾く時と基本的に同様で、楽器の特徴を聴かせるというよりは、むしろバッハの音楽の再現に自己と楽器を奉仕させるということが大前提になっているような気がする。

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classicalmusic at 00:02コメント(0)トラックバック(0)バッハヴァルヒャ 

2015年12月06日


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この6枚のセットにはプロコフィエフの7曲の交響曲から、強靭で戦闘的な曲趣を持つ「第2」、「第6」、「第3」、「第5」の4曲、そして6曲のピアノ協奏曲からは未完の2台用を除いた5曲、更に全2曲のヴァイオリン協奏曲とバレエ音楽『ロメオとジュリエット』のハイライト及び交響的組曲『キージェ中尉』が収録されている。

同じメンバーによる『スキタイ組曲』が選曲から漏れているのが残念だが、ラインスドルフの厳格な中にも劇場人らしい融通性と、ボストン交響楽団の機動力やアメリカのオーケストラらしい逞しいサウンドをフルに活かした鋼のような力強さを目の当たりに見せ付けている。

首席指揮者がミュンシュの時には即興的な指揮に対する楽員の反応に面白味があり、またミュンシュ自身もそれを期待していたが、ラインスドルフとはより統制されたアンサンブルを聴かせている。

またプロコフィエフのように多彩な音響的メッセージを内包した作品でも、彼のアプローチは新古典主義的な明確な形式感を持っていて散漫な印象を与えていない。

ピアノ協奏曲ではジョン・ブラウニングのソロが独壇場の冴えを発揮した小気味良いリズム感とダイナミズムは圧倒的なものがある。

日本ではそれほど知名度は高くなかったが、ほぼ同世代のジュリアス・カッチェン、ゲイリー・グラフマン、ヴァン・クライバーンなどと技を競ったピアニストだ。

ここには第1次世界大戦で右手を失ったパウル・ウィトゲンシュタインのために書かれた第4番『左手のための協奏曲』も含まれていて、同一演奏家による高い水準の協奏曲集としての価値もある。

因みにウィトゲンシュタインはラヴェルの協奏曲は初演しているが、この曲は音楽的に受け入れ難いとして断ったという、いわくつきの作品でもある。

ヴァイオリン協奏曲では第1番のソロをエリック・フリードマン、第2番をイツァーク・パールマンが弾いている。

両曲の曲想が対照的なので一概には言えないが、比較するとフリードマンの方はアグレッシヴな表現が前面に出てしまい、流石にパールマンの切れの良いテクニックと洗練されたカンタービレに分があるようだ。

ラインスドルフ、ボストン響のコンビはプロコフィエフの交響曲全集を完成させていないので、このセットに収められた4曲のセッションが総ての録音になる。

いずれも1964年から1969年にかけてのステレオ録音で、新リマスタリングの効果もあってこの時代の音質としては驚くほど鮮明で、また臨場感にも不足していない。

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classicalmusic at 13:42コメント(0)トラックバック(0)プロコフィエフ 

2015年12月04日


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ジュリーニ生誕100周年記念としてリリースされた3巻のセット物のひとつで、彼のシカゴ時代に録音されたオーケストラル・ワークを4枚のCDに収録してある。

このセットは2004年にリリースされたものと全く同一内容で、演奏の水準の高さは勿論、ジュリー二の個性的だが、決して我儘な解釈にならない高踏的な印象を残す交響曲群と、ベルリオーズとストラヴィンスキーで見せる魔術師のような、諧謔と神秘、幻想とメルヘンの世界をカラフルな音色を駆使して変幻自在に表現するテクニックが聴き逃せない。

交響曲ではシカゴ十八番のブルックナーとマーラーが1曲ずつだが組み込まれている。

中でも白眉はブルックナーの第9番で、手に取るように明瞭な細部と彫琢された立体的で輝かしい音像が再現されている。

これはマーラーにも共通して言えることだが、弦楽部のカンタービレを鮮烈に際立たせ、その上にシカゴの身上でもあるパワフルな金管楽器群を燦然と煌めかせるジュリー二のバランス技も見事だ。

またベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章の高貴で瑞々しいアレグレットやブラームス第4番終楽章パッサカリアの構築性などにも優れた手腕を示している。

ジュリーニがシカゴ交響楽団の首席客演指揮者に就任したのは1969年からで、ショルティが同オーケストラの音楽監督になった年でもある。

しかしジュリーニ自身は既にフリッツ・ライナー時代の1955年にシカゴ交響楽団とアメリカ・デビューを果たしているので、彼とは相性の良かったオーケストラのひとつだ。

またショルティ時代にシカゴは再びその黄金期を盛り返す時期にあった。

それは一人ショルティの貢献ではなく、イタリア人指揮者ジュリーニによる新風も楽団刷新の機運に繋がったことは間違いない。

ここに聴く彼らの演奏がヨーロッパの列強にも引けを取らない、屈指のオーケストラに成長していたことを証明することにもなったセッションだ。

バジェット価格によるリイシュー盤なので多くを望むべくもないが、前回と同様4枚のCDへの各曲目の割り当てを密集させているために、ベルリオーズの『ロメオとジュリエット』からの抜粋及びブラームスの交響曲第4番が2枚のCDに跨った泣き別れ編集になっているのが残念だ。

音質は2004年までのリマスタリングで改善されていてかなり良好な状態で鑑賞できる。

ライナー・ノーツは23ページで曲目データの他に英、独、仏語によるジュリー二のシカゴ時代のキャリアが掲載されている。

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2015年12月03日


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ヘンツェの作品はどれも人間の深層心理を音楽で具現するような不気味な曲趣を持っているために、心地良い響きに身を委ねたいクラシック・ファンには気の滅入るネクラな作曲家として敬遠されるかも知れない。

しかし彼の曲を注意深く聴いていると、研ぎ澄まされた極めて精妙なオーケストレーションに仕上げられていることに驚かざるをえない。

その入念さは殆んどラヴェルに通じるものがあるように思える。

このCDの第1曲目『大オーケストラのための舟歌』は、唸りを上げて軋むような轟音を響かせるサイモン・ラトルと彼の強力な手兵バーミンガム市響による1992年のライヴが秀逸だ。

皮肉にもバルカローラ特有の、揺れ動くハープの継続的なリズムはいつの間にか消え失せてしまう。

イメージを欲しい方はヘンツェ自身が言う、冥界を流れるステュクス河を渡って死に行く人、あるいは10年の漂流を終えて故郷イタカへの帰還を待つ嵐の晩のオデュッセウスを想像してもいいだろう。

しかしこの曲は表題音楽として捉えるより、むしろ絶対音楽の範疇で鑑賞する方がより自然な気がする。

同じメンバーによるもうひとつのライヴが交響曲第7番で、ブラスやパーカッション・パートが非常に充実した曲だが、ラトルの知性的な采配が音の洪水を避けた繊細で巧みな表現を堪能できる。

2枚目は混声合唱が加わる交響曲第9番は、インゴ・メッツマッハー指揮、ベルリン・フィルとベルリン放送合唱団による1997年のライヴだ。

作曲者の指示に忠実に取り組んだ冷静な演奏に好感が持てるし、第6楽章への頭脳的に導かれるクライマックスも非常に充実感がある。

特別な機会にしか演奏されないこうした曲が、将来オーケストラのレギュラー・レパートリーとして残ることを期待したい。

少年時代のヘンツェには、ヒトラー・ユーゲントとして間接的ではあったにせよ、ナチの大虐殺に手を貸した暗い過去がある。

そのことは彼に贖いきれないほどの深い悔いと悲しみを残した。

この作品は辛辣な自己批判から生まれたものだが、また個人的な理由に留まらず、人類全体に殺戮行為の愚かさと悲惨さを知って欲しいという切実なメッセージが込められている。

ベートーヴェンの「第9」が人類愛への『歓喜の歌』なら、ヘンツェのそれはさしずめ人間のさがへの『絶望の歌』だろう。

このCDではその他にイアン・ボストリッジのテノール、ジュリアス・ドレイクのピアノ伴奏による2000年のセッション『3つのオーデンの歌』がカップリングされている。

尚この曲集はボストリッジ自身によって前年に初演されたものだ。

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2015年12月01日


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シカゴ交響楽団の首席ホルン奏者だったデイル・クレヴェンジャーは1980年代にフランツ・リスト室内管弦楽団と一連のホルン協奏曲集を録音した。

その1枚がこのフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの第1番ニ長調及び第2番ニ長調と彼の弟ミヒャエル・ハイドンのホルンと管弦楽のための小協奏曲ニ長調の3曲を収録したもので、総てヤーノシュ・ローラが指揮している。

同じメンバーがハンガリーのヴァーチで録音したモーツァルトの協奏曲集と並んで、クレヴェンジャーがソロを演奏したそれほど多くないセッション録音のひとつで、このCDはアペックス・レーベルからも廉価盤でリイシューされているが、リーフレットに録音場所はウィーンと書かれている。

録音は1983年6月なので、クレヴェンジャー43歳の壮年期の安定した力強いソロが堪能できる。

筆者はホルンの奏法については全く無知な人間だが、クレヴェンジャーの演奏を聴いていると、小技に拘泥しないごくオーソドックスで正攻法の表現が特徴的で、こうした基本に忠実な奏法がかえって技巧的な難解さを強調することなく、むしろ曲の構造をより堅固にしていることが理解できる。

3曲とも決して易しい曲ではない筈だが、クレヴェンジャーの王道的な解釈がシンプルに伝わって来る堂々とした演奏だ。

しかしその上でかなり自由闊達なカデンツァを挿入して、鮮やかなホルンのテクニックを披露することも忘れていない。

またヴィブラートを掛けない直線的なトーンも彼の基本奏法のようだが、それは伝統的に狩猟で使われたホルンという楽器の持つ特性を踏襲しているとも言えるだろう。

ハイドンの2曲はホーボーケンのジャンル別分類では第3番及び第4番として知られていて、このCDでもそう書かれている。

ただしハイドンの作曲したホルン協奏曲は2曲のみなので第1番、第2番と呼ぶ方が分かり易い。

因みに第2番は偽作の疑いがあるようだ。

一方ミヒャエル・ハイドン(1737-1806)はフランツ・ヨーゼフの弟で、モーツァルトがヒエロニムス大司教から解雇された後のザルツブルクの宮廷オルガニストを勤めた作曲家である。

交響曲や弦楽四重奏曲を中心にかなりの作品を書いているにも拘らず、現在演奏される曲はごく限られているし、また取り上げられる機会も稀だが、そのひとつがこのホルンのための小協奏曲で、終楽章メヌエットとそのヴァリエーションで飾る、平易だが魅力的な曲趣を持っている。

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