2016年01月

2016年01月31日


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プラガ・ディジタルスからのムラヴィンスキー演奏集のSACD化はこのディスクで既に4枚目になる。

今回はストラヴィンスキー・アルバムで、1曲目『ペトルーシュカ』の1947年稿にも期待したが音質、演奏ともに必ずしも名盤とは言えない。

『ペトルーシュカ』の音源は1964年のレニングラード・ライヴと記載されているが、音場が遠く劇場の天井桟敷で演奏を聴いているような印象を受ける。

しかもオフ・マイクということもあって、楽器ごとの分離状態が明瞭でなくムラヴィンスキーが採用していた両翼型の弦楽部もステレオ効果に乏しい。

これも録音の技術的な問題だが、パーカッション及びブラス・セクションが突出したように聞こえバランス的にもいまひとつだ。

また演奏について言えばトランペットのソロ部分ではいくらかぎこちなさが露呈して余裕が感じられない。

ムラヴィンスキーのエネルギッシュな推進力と統率感は充分に伝わってくるが、皮肉にも結果的には演奏終了後の拍手が最も良く聞こえるといった状態だ。

はっきり言ってこれまでのムラヴィンスキー演奏集のSACDシリーズに比べて多少期待外れだった。

ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの本領が発揮されているのはむしろバレエ音楽『妖精のくちづけ』の方で、こちらも同様にレニングラード・ライヴだが、ライナー・ノーツによると1983年収録で確かに音質もずっと良くなっている。

ストラヴィンスキーはアンデルセンの童話『氷姫』のストーリーにチャイコフスキーの旋律を豊富に取り入れて、ロシアの先輩作曲家へのオマージュ的な流麗でロマンティックな4つのシーンのバレエに仕上げた。

ストラヴィンスキーの他のバレエ音楽に共通する原初的なパワーや前衛的な刺激が少なく、またこの40分を上回るコンプリート・バージョンに関してはバレエを観る視覚的な愉しみが省かれてしまうので、どちらかと言えばクラシックの玄人向けのレパートリーかも知れない。

しかしムラヴィンスキーの堅固な構成力とレニングラード・フィルの緊密なアンサンブルの連続する隙のない音楽にまとめられていて、第3部後半のクライマックスを創り上げている歌曲『ただ憧れを知る者だけが』のメロディーが現われる部分は物語の悲劇的な結末を象徴していて感動的だ。

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2016年01月29日


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今年2016年がジャン・マルティノン没後40周年に当たり、早くも大手メーカーから彼にちなんだCDがバジェット価格でリリースされている。

マルティノンは1964年から1968年にかけてシカゴ交響楽団の音楽監督を務め、その間にシカゴ響とはRCAにCD9枚分のセッション録音を残しているが、その後1969年に彼はカサドシュのピアノ協奏曲をフランス国立放送管弦楽団と作曲者自身のソロで録音した。

これが今回初CD化され、ボーナス盤として10枚目に加わっている。

またCD6のマルティノン作曲、交響曲第4番『至高』はシカゴ交響楽団創立75周年を記念した委嘱作品で、彼自身の指揮とシカゴの初演メンバーで鑑賞できるオリジナリティーに価値がある。

マルティノンの作風は無調だが感性に訴える色彩的でスペクタクルなオーケストレーションに特徴があり、その音響が魅力だ。

カップリングされたもう1曲はイタリア系アメリカ人の作曲家ピーター・メニンの交響曲第7番で、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェに象徴されるポリフォニックな書法を精緻に聴かせるマルティノンの腕が冴えている。

またスイングの王ベニー・グッドマンをソロに迎えたウェーバーの2曲のクラリネット協奏曲では、クラシックとは明らかに異なる一風変わったグッドマンの器用なアプローチが面白いが、演奏は軽快かつ臨機応変で彼のジャンルを越えた挑戦に拍手を贈りたい。

マルティノンは古典から現代の作品に至るまで常に明晰な音楽表現を心掛けていた。

ヴァレーズ、マルタン、ヒンデミットやメニンなどの新しい作品でも細部を曖昧にしない几帳面さと、伸びやかにオーケストラを歌わせる手法が統合されている。

このセットには最も世評の高かったドビュッシーこそないが、ラヴェルを始めとするフランス系作曲家のレパートリーも豊富に含まれている。

現在マルティノンのラヴェルが不当に低く評価されているのは残念である。

マルティノン自身にとってシカゴ時代は決して幸福ではなかったにも拘らず、音楽面では図らずも重要な仕事を残す結果になった。

シカゴ響はどのパートもパワフルに良く鳴っているが、天真爛漫過ぎるところがマルティノンとの相性で必ずしもベストだったとは言えないが、音源は極めて良好でオーケストラの持ち味を充分に引き出しながら、前任者フリッツ・ライナーとは全く異なった柔軟でデリケートな指揮法を伝えている。

その意味では後のフランス物への集中的な仕事が既に準備されていた時期とも言えるだろう。

マルティノンのシカゴ時代は彼自身の回想によれば苦渋に満ちたものであった。

その原因はシカゴ交響楽団の音楽監督に就任した時、楽団員達が雇用期間をめぐる就労問題を抱えていたことと、更にマルティノン自身が地元の新聞シカゴ・トリビューン紙の批評家クラウディア・キャシディーの槍玉に挙げられて執拗にこき下ろされたことにあった。

キャシディー女史の記事は批評と言うよりは、独断と偏見に満ちたヒステリックな毒舌だったが、オーケストラのマネージャーが彼女の友人でもあり、彼女の忠告を聞き入れなければコンサート自体が成り立たなかったことや、シカゴ政財界要人の夫人達を味方に付けたキャシディーが、彼女の意にそぐわない者はシカゴを去るまで攻撃の手を緩めなかったことにあった。

勿論その鉾先が向けられたのはマルティノンだけではなく、クーベリックやショルティ、作曲家ではヤナーチェクやバルトークにも及んだ。

シカゴを去ったクーベリックが彼女に持った怨恨は今や伝説的である。

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2016年01月27日


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オーストラリア・エロクエンスからのリリースになる、ピエール・モントゥー晩年のデッカとフィリップス音源のベートーヴェン交響曲全集。

1957年から1962年にかけてウィーン・フィル、ロンドン交響楽団及びコンセルトヘボウと行った良好なステレオ・セッション録音だがリマスタリングされて更に鮮明な音質で蘇っている。

1950年代の録音は音響がややデッドだが分離状態は良く、その後のものはホールの潤沢な残響も捉えられていて、ごく僅かなヒス・ノイズは無視できる程度だ。

レギュラー・フォーマットの6枚のCDに、交響曲の他に『フィデリオ』『エグモント』『シュテファン王』の3曲の序曲と交響曲第9番の第1、第2、第3楽章のリハーサル、更に交響曲第3番については1957年のウィーン・フィル並びに1962年のコンセルトヘボウとの2種類が収録されている。

ベートーヴェン以外の作曲家の作品では1曲だけ、フランスの国歌『ラ・マルセイエーズ』がベートーヴェンのリハーサルに続く形でご愛嬌に入っている。

旧式のジュエル・ケースに6枚のCDが収納されていて、その外側を簡易なカートン・ボックスがカバーしており、ライナー・ノーツは英語のみで10ページ。

モントゥーのベートーヴェンはロマン派の残照がまだ色濃く残っていた時代の音楽家としては驚くほど明朗で、極端な解釈や恣意的な表現を避け、常に整然とした構造を示して聴き手に分かり易い音楽を心掛けているように思える。

しかし決して即物的ではなく、彼の人間味溢れる音楽が常に格調の高さを保ち、パッショネイトでヒューマンな温もりと大らかな歌心にも溢れている。

また、モントゥーのベートーヴェンの響きは極めてドイツ的で、この演奏を聴くと、演奏家の出自(民族性)と演奏傾向とが安直に結び付くものではないことが痛感される。

特にモントゥーの最後の録音となった「第5」は、同曲の数えきれないほどの録音の中での白眉と言える至高の名演で、聴くほどにその堂々とした風格と気品の高さにひきつけられる。

何よりも全体に際立って感興の豊かなことが目立ち、溌剌と躍動する充実感が音楽を激しく燃焼させている。

「第2」「第4」も優れた成果を見せており、いずれもリズム感がよく、とりわけ両端楽章は勢いがあって輝かしく、「第7」もユニークだが独自の味わいを持っている。

一方、「第3」「第6」のような長めの作品では演奏のノリが今ひとつだが、これはモントゥーとウィーン・フィルとの相性があまり良くなかったことが考えられる。

その点、コンセルトヘボウとの「第3」は感動的名演で、特に第1楽章は堂々とした威容で驚くほどの生命力を表しており、ベートーヴェンの意志的な芸術を感得させる。

第2楽章の深い内面性とオーケストラの色調の美しさ、第3楽章の純音楽的な表情、終楽章のよく練り上げられた各変奏の味わいなど、随所でモントゥーの豊かな芸術が示されている。

それにしても、モントゥーがフルトヴェングラーよりも10歳余り年上だったことを考えると、彼がその当時台頭しつつあったモダンな演奏スタイルの先駆を切っていた指揮者の1人だったことがよく理解できるところだ。

こうした彼の芸風は当時リアルタイムで生み出されていた『春の祭典』を始めとする20世紀の作品の初演を数多く手掛けたことによって切磋琢磨されたものだろう。

その音楽作りの一端をCD6の貴重なリハーサルの記録で窺い知ることができる。

かなり酷いフランス訛りの英語で、アンサンブルの乱れがちなロンドン交響楽団のそれぞれのパートをまとめていく一見ユーモラスな稽古風景が興味深い。

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2016年01月25日


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2006年に90歳で亡くなったエリーザベト・シュヴァルツコップがEMIに遺した1952年から1974年にかけてのリサイタル盤を集大成した31枚組のボックス。

オペラ全曲盤や彼女がソリストの1人として参加した声楽曲などは組み込まれていないが、CD29にはザルツブルク音楽祭でのフルトヴェングラーのピアノ伴奏によるヴォルフ歌曲集、CD30及び31はジェラルド・ムーアの引退記念コンサートがそれぞれライヴ録音で、また余白にはカラヤン、フィルハーモニア管弦楽団との協演になるベートーヴェンのアリア3曲が収録されている。

ちなみに更に古いSP録音時代のコンプリート・レコーディング集は同じくワーナーから今年リリースされる予定だ。

シュヴァルツコップの歌唱芸術は全く余地を残さないほどの作品への徹底したアナリーゼとそれを実際の演奏に完璧に反映させるだけの声のコントロールを駆使した彫りの深い表現力から成り立っている。

このために彼女の声質からは想像できないほどのドラマティックな歌唱も可能にしていた。

歌詞の一言一句から引き出される屈折した情念や推移する巧みな心理描写は、より率直な作風のモーツァルトやシューベルトでは裏目に出ていくらか厚化粧に感じられ、むしろヴォルフ、マーラー、リヒャルト・シュトラウスなどの作品に傑出した解釈を聴くことができる。

このセットではフルトヴェングラーとのライヴがその例で、1953年のモノラル録音ながら両者の洗練された感性がヴォルフの研ぎ澄まされた言霊への追究を際立たせている。

ヴォルフ歌曲集ではその他CD12−14及び20がジェラルド・ムーアの伴奏で都合4枚のアルバムを収録している。

リヒャルト・シュトラウスはCD3に『4つの最後の歌』が1953年のオットー・アッカーマン指揮、フィルハーモニア管弦楽団で、CD17には同曲とオーケストラを伴う5曲がジョージ・セル指揮、ベルリン放送交響楽団の1968年の録音で入っている。

後者は彼女が50歳を迎えた頃の至芸とセルの精妙なオーケストレーションで評価の高い演奏のひとつである。

一方セルとロンドン交響楽団との協演ではCD18の後半にシュトラウス歌曲集、CD19のマーラーの『子供の不思議な角笛』がどちらも1968年のセッションになる。

シュヴァルツコップはその類稀な才能だけでなく大きな幸運にも恵まれた。

それがHMVのレコーディング・プロデューサーで、後に夫君となるウォルター・レッグとの邂逅だ。

ここに収集された音源もレッグとのコラボなしには考えられない。

これはそれほど知られていない事実だが、彼女は戦前ナチス党員だったためにアメリカでのデビューは1955年まで待たなければならなかったが、多くの優れた録音によってシュヴァルツコップの名声をインターナショナルなものにした功績は、彼女の実力は勿論としてもその一端はレッグに負っていることも無視できないだろう。

ドイツの声楽界ではバリトンのフィッシャー=ディースカウと並ぶ双璧的な歌手だったが、シュヴァルツコップも完璧主義者という点では前者に優るとも劣らない存在だった。

CD1のエトヴィン・フィッシャーのピアノ伴奏によるシューベルト歌曲集が1952年の録音でこのセットの中では最も古いが、音源自体の優秀さに加えディジタル・リマスタリングの効果もあって、ノイズも歪みも殆んど聴き取れないほど良好だ。

EMIがステレオLP盤の正規販売を開始したのは1958年からなので、CD6及び9は例外として10枚目まではモノラル録音になる。

ライナー・ノーツは47ページほどで、総てのオリジナル・ジャケットの写真が印刷されているが、バジェット・ボックスらしく個々の演奏曲目と詳細なデータについてはそれぞれのジャケットの裏面にしか書かれていない。

尚シュヴァルツコップのキャリアとレコーディングに関してのエピソードは数葉のスナップ写真と共に英、独、仏語で掲載されている。

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2016年01月23日


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ドイツの名指揮者、カール・シューリヒトがコンサート・ホール・ソサエティに残した録音を集成した10枚組BOX。

かつてDENONからCD15枚出されていたのだが、それを全部復刻しているわけではなく、権利の関係が絡んでいるのか、いくつかの録音が欠けているのが残念だが、リマスタリングによって蘇った冴え冴えとした音質がそれらを補って余りあると言えよう。

<Disc 1>ブル7はACCディスク大賞を受賞した名盤として知られているものだが、シューリヒトの演奏は、ブルックナーの本質を衝いた表現で、冒頭からこの指揮者特有の高雅な音楽性に引き込まれる。

その孤高の美と枯淡に通じる味わいの深さは、他の指揮者には求められないもので、ブルックナーの音楽美と内面性をこれほど端正に示した演奏も少ないだろう。

ハーグ・フィルも親密なアンサンブルでこれに応えていて、まさに傑作である。

<Disc 2>シューリヒトは、いたずらに小細工をせず、どの作品にも常に真正面から取り組んだ指揮者で、卓越した構成力には定評があった。

このワーグナーにはそうした彼の真価が如実に示されており、4曲とも造形のしっかりとした風格のある演奏だ。

やや淡泊な表現だが、次第に音楽を高潮させていつのまにか聴き手の心を魅了してしまうあたり、シューリヒトならではの見事な手腕である。

<Disc 3>「ライン」は冒頭から著しく感興の高ぶった表現で、シューリヒトとしては極めて情熱的な演奏だ。

弦合奏の立体的な処理や、歌の抑揚に巨匠的風格があり、優れた音楽であるのは間違いないが、南ドイツ放送響の技術がいまひとつ。

「マンフレッド」序曲は「ライン」よりも一段と優れており、作品の悲愴美と劇性、古典的様式を満足させた表現だ。

シューリヒトはウィーンで最も愛された指揮者のひとりだが、このシュトラウス鏡い留藾佞砲蓮⇔篭さと同時にある種の緊張感がある。

いわゆるウィーン的情緒を持った演奏ではないが、その骨格のしっかりした音楽の中には決して情緒が薄れたところはなく、ワルツやポルカの中に、単なる舞曲で終わらない何かがあることを示しているかのようだ。

<Disc 4>「ザ・グレイト」における南ドイツ放送響はアンサンブルが粗く、響きも磨かれているとは言えないが、演奏にはシューリヒトの音楽性が端的に示され、極めて率直かつ素朴、その中に一種の武骨さがあるのが、老巨匠の風格であり、シューリヒトらしいところだ。

<Disc 5>ヘンデルの合奏協奏曲集は、個性的な名演で、シューリヒトのスタイルは純音楽美の中に濃い人間味を漂わせたもので、まさに熾烈な精神の発露であり、即興的で痛切な命を実感させる。

厳しい鋭さと内容をたっぷり含んだ深い思索が素晴らしく、時には極めて優しいメルヘンのような表情さえ見せ、この指揮者の人間的な音楽性が窺えるのも興味深い。

<Disc 6>ブラ4は、シューリヒトのディスク中、1,2を争う名演で、彼は、ブラームスの晩年の諦観と孤独とロマンをことごとく表現しており、しかも作品のもつ古典的様式からもはずれることがない。

とくに第2楽章の端正で豊かな表現は実に魅力的で、バイエルン放送響も入念な表情と深い陰影をもって演奏している。

悲劇的序曲も凄い気迫をもった快演で、ハイドンの主題による変奏曲も、独自の様式と美感に支えられた秀演として、長く記憶に残したい演奏だ。

<Disc 7>シューリヒトのモーツァルトは、厳しい造形の中から精彩に満ちた生命力を表した、これこそ本当の音楽と言えるものだ。

3曲ともに率直な解釈で、さすがに大きな風格があり、一流とは言えないパリ・オペラ座のオーケストラから、堂々とした生命力豊かな音楽を引き出している。

とくに「プラハ」は香り高く、シューリヒトの気品高い表現は、今も存在価値を失わないと言えるが、これでオケがもっと良質なら、と惜しまれる。

<Disc 8><Disc 9>ブランデンブルク協奏曲全集は、シューリヒトの最後の録音であり、1967年度のACC大賞受賞盤。

自然で、しかも豊かな音楽性を反映した演奏で、シューリヒトの知的で洗練された個性はこの「ブランデンブルク」でも明らかだ。

音楽の流れは極めて自然で、明るい情感を兼ね備えているが、彼の音楽性は目立たないようでいて音楽のすみずみまで浸透し、それがいぶし銀のように底光りする魅力を生み出している。

チューリヒ・バロック合奏団は、シューリヒトの解釈を反映しながらも、自発性に溢れた見事な演奏だ。

ここで素晴らしいのは第1番で、素朴な解釈の中に、活気と楽しさと厳しさが共存した実に立派な音楽を作っており、ホリガーのオーボエも美しい。

第2番の天衣無縫な活気も印象的で、全体にシューリヒトの音楽性が溢れ、名手を揃えたソリストたちも、自発性に満ちた演奏を聴かせて、貴重な遺産と言える名盤だ。

<Disc 10>シューリヒトのメンデルスゾーンの演奏には造形性の確かさとともに、色彩的な表現への感性のようなものが見られ、それがほどよいバランスで独自の表情を生み出している。

ロマンティックな雰囲気にはやや欠けるものの、大指揮者の生命感が溢れた好演であり、この録音は彼が80歳に達してからの演奏と思えないほどの、若々しさや生き生きとした感覚に満ちている。

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2016年01月21日


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ヘンスラー・プロフィール・エディションの新企画でムラヴィンスキー・シリーズがスタートした。

旧ソヴィエトから提供されたドイツ放送用の音源という触れ込みでその第1集がこの6枚組になり、オーソドックスなジュエル・ケースに収納されたレギュラー・フォーマットのCDながらプロフィール・レーベルは独自のリマスタリングがセールス・ポイントなので、音質を吟味したかったことと、後述する1951年録音と書かれているリヒテルとのブラームスのピアノ協奏曲第2番のデータを検証するために買ったセットだ。

収録曲目に関してはケース裏面の写真を参照して戴ければ一目瞭然だが、ごく一部の例外を除いて目新しいレパートリーはなく第2集以降も初出音源は期待できないが、コスト・パフォーマンスの高さから言ってもこれからムラヴィンスキーのコレクションを始めたい入門者には朗報だろう。

ちなみにメロディアからリリースされたスペシャル・エディションの5枚組とだぶっている曲目はチャイコフスキーの「第4」、「第6」交響曲とドビュッシーの交響詩『海』だけで、その他モーツァルトの交響曲第39番とラヴェルの『ボレロ』は曲目ではだぶっているが、データの異なる別の音源を収録している。

音質は今回のドイツ盤のリマスタリングの方が潤いがあり、音色がより艶やかになっているという印象を持った。

問題のブラームスのピアノ協奏曲第2番についてはライナー・ノーツの記載では録音データが1951年5月14日となっていて、この音源は信頼性の高いフランク・フォアマン/天羽健三編のムラヴィンスキー・ディスコグラフィーには記録されていない。

ソロは同曲の1961年のライヴと同じリヒテルなので比較鑑賞したところ、冒頭のホルンの歌い出しだけでなく、客席からの咳払いも全く同様で同一音源であることはほぼ間違いないだろう。

ライナー・ノーツにはこの録音について言及されていないが、当時のコンサートの時のムラヴィンスキーとリヒテルが写った小さな写真にも1951年と書かれてある。

ドイツのデータ管理はかなり精確なので何故こうした記載ミスが起こったかは不明だ。

尚チャイコフスキーのピアノ協奏曲は1959年録音で既に日本盤でも数種類リリースされているものなので、ムラヴィンスキー通の方ならすぐに思い浮かぶ演奏だろう。

この曲はリヒテルの前にセレブリャーコフが1953年に、その後ギレリスが1971年に同じくレニングラード・フィルと協演した3種類が存在する。

いずれのレパートリーもムラヴィンスキーのミリタリー的に統率された一糸乱れぬアンサンブルの中に、レニングラード・フィルの楽員の必死とも言える音楽に対する熱意が反映されていて、そのチームワークには恐るべきものがある。

それはムラヴィンスキーが50年間に亘って君臨した王国の証しというだけでなく、メンバー1人1人の情熱が最良の形で結集されたひとつの姿だと思う。

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2016年01月19日


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ミケランジェリの演奏集を収めたバジェット・ボックスの中では、録音状態とその音質を最優先して考慮するならドイツ・グラモフォンの8枚組が最も賢明な選択だろう。

一方圧倒的な曲数を誇っているのがメンブランからの20枚を2巻に分けたセットだ。

ただしメンブランはマスターの音質に関しては無頓着なところがあって、質の良いリマスタリングは期待できないのが現状だ。

更にEMIイコン・シリーズの4枚組も古い音源では悲惨な音質のものもあるが、ラヴェルとラフマニノフの協奏曲のように全く例外的に素晴らしい状態で残されているものもある。

今回ワーナー傘下のレーベルを集大成した14枚は、イコンの総ての収録曲を重複しているが、その他のレパートリーは初出音源も含めていずれも貴重で録音年代の古さを通り越して、ミケランジェリの芸術的ポリシーを感じさせずにはおかないものばかりだ。

中でもシューマンの『謝肉祭』は彼が機会あるごとに繰り返し録音した作品で、このセットでも1957年と1975年の2種類の演奏が収められている。

ただしCD6−8の3枚を除いて総てがモノラル録音で、入門者向けとは言えないが、ミケランジェリの演奏に惚れ込んでいるファンであれば、聴き逃せないコレクションであることに間違いない。

因みにCD5のトラック9のリハーサルはロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで行われたものだが、この日のミケランジェリはかなり不機嫌で、ドビュッシーやシューマンで指慣らしをしながら殆んど喧嘩腰で「ここに人を入れないでくれ!」「誰も見たくない!」と言い、「機嫌はどうだい?」と尋ねられると「良くないね!」などと一蹴している状況が32分43秒に亘って録音されている。

気難し屋だった彼の一面が良く出ている興味深いトラックだ。

ミケランジェリのピアニズムは、「完璧主義」「氷のような美しさ」とよく形容されるが、彼が音楽に関して誰よりも厳しく、考えられないような言動が多くても、彼は誰よりも一番大きな犠牲を払って、この誰にも真似できない磨き抜かれたクリスタルな美音を届けてくれたような気がする。

これだけの才能とこだわりを持ちながら、自分に送られる拍手は作曲家に向けられるべきもので、自分(演奏家)が値するものではないと常々語っていたことは、同じイタリア人の大指揮者トスカニーニと通ずるものがあるように思える。

「……完璧な誠実さ。
 私の言葉でいえば、このうえなく勇敢で、もっとも尊敬すべきことをなす誠実さ。たんに行為においてのみならず、動機における誠実さ。そうした誠実さは、断固として揺るぎない、だが激烈になることはほとんどない努力をとおして得られるのであり、さらには、澄み切った(私はこの言葉を、媚びのそぶりが一切ないという意味で用いている)まなざしと、冴えわたるアイロニーによって獲得されるのである。」(ジッド)

特記以外は総てモノラル録音で15ページのライナー・ノーツには仏、英、独、伊語による彼のキャリアとエピソードが掲載されているが、曲目一覧及び録音データは各ジャケットの裏面でしか確認できない。

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2016年01月17日


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解散して久しいイタリア四重奏団(1945−80)のユニヴァーサル傘下の音源を網羅したもので、1946年から1979年までの録音が収集された37枚のバジェット・ボックスになる。

ここで中核をなしているのがモーツァルトとベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集で、このふたつは彼らがその非凡な情熱と作品に対する真摯な姿勢で完成させた全曲ステレオ録音による記念碑的なレパートリーだ。

前者はフィリップスから刊行されたモーツァルト・エディション第12巻に組み込まれた8枚で、後者の録音は1967年から1975年にかけて8年がかりで遂行され、CD化された時には10枚組だったものが9枚にリカップリングされている。

その他にも彼らはシューマン、ブラームス及びヴェーベルンの弦楽四重奏曲全曲録音を達成しているが、いずれもカンタービレを武器にしたリリシズムが横溢する独自の解釈とオーケストラを髣髴とさせるメリハリを効かせた大胆なダイナミズムや密度の高いアンサンブルなどに彼らの面目躍如たるものがある。

イタリアでは2009年に1946年から1952年までのモノラル録音集7枚がアマデウスからリリースされていた。

それらがこのセットのCD1−6に当たるが、イタリア版に入っているテレフンケンやRAIイタリア放送協会に著作権が属する第1回目のドビュッシーやヴィンチ、タルティーニなどの音源は漏れている。

また彼らが得意とした20世紀の弦楽四重奏曲に関しては、当セットではドビュッシー、ラヴェル及びヴェーベルンのみだが、やはり著作権の異なるコロンビア音源のストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ミヨーなどの作品群は現在英テスタメントからのリマスター盤が手に入る。

CD34にはドヴォルザークの『アメリカ』及びボロディンの弦楽四重奏曲第2番の「ノクターン」を含む全曲が、CD36にはプレミアム付で入手困難だったヴェーベルン作品集がそれぞれ復活したことを歓迎したい。

イタリア四重奏団はドビュッシーの弦楽四重奏曲を都合3回録音したが、CD35にラヴェルとカップリングされた演奏は1965年の最後のもので、質の良いフィリップス音源で鑑賞できるのは幸いだ。

他のふたつのセッションと比較しても、例えば第2楽章のピツィカートの応酬や迸り出るような色彩感など優るとも劣らないドラマティックな表現に驚かされる。

彼らは演奏に対する確固としたポリシーを掲げていた。

そのひとつがコンサートではプログラム全曲を暗譜で弾く形態をとったことで、それは奇しくも同時期に活躍していたスメタナ四重奏団と共通している。

楽譜に注意を逸らされることなく互いに音を聴き合いながら緊密なアンサンブルを心掛け、その上で各自が自由闊達な演奏を可能にした手法は、この演奏集にも良く表れていると思う。

勿論仕上げにかかる時間的な問題を解決しなければならなかったが、それは4人の練習時間の多さにも証明されていて、彼らの回想によれば新しいレパートリーには午前9時から午後1時まで、午後3時から夜半まで自己に妥協を許さない徹底した合わせ稽古が費やされた。

もうひとつがそれぞれの楽器に全員が金属弦を使ったことで、これは演奏環境や演奏自体によって変化を受け易いガット弦で起こり得る、楽章間での再調律を避けるためで、高まった緊張感を弛緩させることなく、ひとつの楽章から間髪を入れず次の楽章に進むことも可能にしていた。

72ページほどのライナー・ノーツにはこのセットに含まれる総ての演奏曲目の作曲家別索引とCDごとの詳細な録音データ及び英、独語による彼らのキャリアが掲載されている。

尚CD1−4、6、15、17、18、30、33、34の11枚の音源はデッカからは初のCD化になり、今回新しくディジタル・リマスタリングされたようだ。

例えばCD2には1952年のモノラル録音だが、アントワーヌ・ドゥ・バビエをクラリネットに迎えたモーツァルトのクラリネット五重奏曲がレストレーションされて蘇っている。

またポリーニと協演した最後の1枚、ブラームスのピアノ五重奏曲は彼らが1951年のザルツブルク音楽祭に参加した時に、フルトヴェングラー自身のピアノによって直接指導を受けたレパートリーになり、ポリーニとは既に1974年にコンサートで披露している。

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2016年01月15日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そして、その音質についても、DGにスタジオ録音を行ったチャイコフスキーの後期3大交響曲集(1960年)やアルトゥスレーベルから発売された1973年の初来日時のベートーヴェンの交響曲第4番及びショスタコーヴィチの交響曲第5番等の一部のライヴ録音(いずれも既にSACD化)などを除いては極めて劣悪な音質で、この大指揮者の桁外れの実力を知る上ではあまりにも心もとない状況にある。

数年前にスクリベンダム・レーベルから1965年及び1972年のムラヴィンスキーによるモスクワでのライヴ録音がリマスタリングの上発売されており、音質も既発CDと比較すると格段に向上していたが、このうち、1965年のライヴ録音を収めた盤が既に入手難となっていたところだ。

そのような中で、今般、1965年及び1972年のモスクワでのライヴ録音を纏めた上で、大幅に価格を下げて発売されることになったのは、この大指揮者の指揮芸術の真価をより多くのクラシック音楽ファンが深く味わうことが可能になったという意味で、極めて意義が大きいことであると言わざるを得ないところだ。

1960年代から1970年代にかけては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの全盛時代であり、この黄金コンビのベストフォームの演奏を良好な音質で味わうことができるのが何と言っても本BOXの素晴らしさと言えるだろう。

まず、1965年のライヴ録音であるが、先ず、冒頭のグリンカの「ルスランとリュドミュラ」序曲からして、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。

ムラヴィンスキーは、手兵レニングラード・フィルを徹底して厳しく鍛え抜いており、その演奏はまさに旧ソヴィエト連邦軍による示威進軍を思わせるような鉄の規律を思わせるような凄まじいものであったところだ。

そのアンサンブルは完全無欠の鉄壁さを誇っており、前述の1960年のチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の弦楽合奏の揃い方なども驚異的なものであった。

本演奏においても同様であり、まさに超絶的な豪演を展開している。

本演奏を聴いて、他の有名オーケストラの団員が衝撃を受けたというのもよく理解できるところであり、他のどの演奏よりも快速のテンポをとっているにもかかわらず、弦楽合奏のアンサンブルが一音たりとも乱れず、完璧に揃っているのは圧巻の至芸というほかはあるまい。

ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、1972年のモスクワライヴの方をより上位に掲げる聴き手もいるとは思うが、本演奏における徹底して凝縮化された演奏の密度の濃さには尋常ならざるものがある。

厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくことによって、一聴するとドライな印象を受ける演奏ではあるが、各旋律の端々からは豊かな情感が滲み出しているとともに、どこをとっても格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる本演奏の凄みと言えるだろう。

ワーグナーの2曲も至高の超名演であるが、特に、楽劇「ローエングリン」第3幕への前奏曲の猛スピードによる豪演は、「ルスランとリュドミュラ」序曲に匹敵する圧巻のド迫力だ。

モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲も爽快な名演であるが、交響曲第39番は更に素晴らしい超名演。

同曲はモーツァルトの3大交響曲の中でも「白鳥の歌」などと称されているが、ムラヴィンスキーの演奏ほど「白鳥の歌」であることを感じさせてくれる透徹した清澄な美しさに満ち溢れた演奏はないのではないか。

やや速めのテンポで素っ気なささえ感じさせる演奏ではあるが、各旋律の随所に込められた独特の繊細なニュアンスと豊かな情感には抗し難い魅力がある。

シベリウスの交響曲第7番は、ブラスセクションのロシア風の強靭な響きにいささか違和感を感じずにはいられないところであり、いわゆる北欧の大自然を彷彿とさせるような清澄な演奏ではないが、同曲が絶対音楽としての交響曲であることを認知させてくれるという意味においては、比類のない名演と評価したい。

シベリウスの交響詩「トゥオネラの白鳥」やヒンデミットの交響曲「世界の調和」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ミューズの神を率いるアポロ」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」なども、引き締まった堅固な造型の中に豊かな情感が込められた味わい深い名演であるが、さらに凄いのはバルトークの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」とオネゲルの交響曲第3番「典礼風」だ。

これらの演奏においても例によって、若干速めのテンポによる凝縮化された響きが支配しているが、それぞれの楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような奥深さには凄みさえ感じられるところであり、聴き手の心胆を寒からしめるのに十分な超絶的な超名演に仕上がっていると言えるところだ。

次いで、1972年のライヴ録音。

ベートーヴェンの交響曲第4番は、前述の来日時の名演の1年前のものであるが、本演奏も同格の名演と評価したい。

速めのテンポで疾風のように駆け抜けていくような演奏で、一聴すると素っ気なささえ感じさせるが、各旋律に込められた独特の繊細なニュアンスや豊かな情感には抗し難い魅力があると言えるところであり、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっている。

ベートーヴェンの交響曲第5番も凄い演奏だ。

やや速めのテンポによる徹底して凝縮化された演奏と言えるが、それでいて第2楽章などの緩徐箇所においては各旋律を情感豊かに歌い上げており、いい意味での剛柔バランスのとれた至高の名演であると評価したい。

ワーグナーの管弦楽曲については複数のCDにまたがって収められているが、いずれもこの指揮者ならではの彫りの深い素晴らしい名演に仕上がっている。

ブラームスの交響曲第3番は、ベートーヴェンの交響曲第5番と同様のスタイルによる引き締まった名演と言えるが、第2楽章や第3楽章のやや速めのテンポによる各旋律の端々から滲み出してくる枯淡の境地さえ感じさせるような渋味のある情感には抗し難い魅力に満ち溢れており、人生の諦観さえ感じさせるほどの高みに達していると言えるところだ。

ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、前述の1965年の演奏も名演ではあるが、本演奏の方がより円熟味が増した印象を受けるところであり、筆者としては本演奏の方をより上位に置きたい。

いずれにしても、厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくが、それでいて豊かな情感と格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる演奏の凄みと言えるだろう。

チャイコフスキーの交響的幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、この指揮者ならではの深遠な内容と凄まじいまでの迫力を兼ね備えた凄みのある名演だ。

チャイコフスキーの交響曲第5番はこの指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、筆者としては、前述の1960年のDGへのスタジオ録音や、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。

もっとも、本演奏も終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や力感など、3強にも比肩し得るだけの内容も有しているところであり、本演奏をムラヴィンスキーならではの超名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。

いずれにしても、本BOXは大指揮者ムラヴィンスキーの偉大な芸術を良好な音質で、なおかつ低廉な価格で味わうことができるという意味において、是非とも購入をお薦めしたい素晴らしい名盤であると高く評価したい。

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2016年01月13日


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フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによる1951年の『ザ・グレイト』の音源は過去にドイツ・グラモフォンからシングルレイヤーの限定盤としてSACD化されていたものだが、今回プラガ・ディジタルス独自のリマスタリングによるハイブリッド盤がリリースされたことを歓迎したい。

カップリングされたもう1曲はベートーヴェンの交響曲第9番の終楽章で、1954年8月22日のルツェルン音楽祭からのライヴになる。

どちらもモノラル録音だがマスター・テープは、当時としては極めて良好な音質と保存状態でSACD化の甲斐がある音源であることに異論はない。

ベートーヴェンの『第9』が終楽章のみの収録というのは、如何にも余白を埋めるためのご都合主義としか思えないが、プラガでは近々全く同一音源の『第9』全曲のSACD化を予定しているので、これは一種のトレイラーとして聴いておくことにした。

ただしこの音源も既にアウディーテ・レーベルから2000年にSACDとしてリリースされていたものだ。

ちなみにヨーロッパではこのシューベルトの方が昨年末に既にメジャーなマーケットに出ていた。

15ページほどのライナー・ノーツには曲目解説とフルトヴェングラーのキャリア及びベートーヴェンの『第9』第4楽章のシラーの頌歌『歓喜に寄せて』の歌詞対訳が英、仏語で掲載されている。

シューベルトの交響曲第9番ハ長調『ザ・グレイト』は、当時のセッションとしては殆んど非の打ちどころのない音質を保っているのに驚かされる。

第1楽章冒頭のホルンは田園的な穏やかさで開始されるが、その後のテンポは柔軟かつ自在に変化して聴く者をフルトヴェングラーの世界に引き込んでおかずにはいない。

しかしオーケストラは常に清澄な響きを失うことがない。

勿論第1楽章の展開部や終楽章のクライマックスではブラス・セクションとの堂々たる総奏があるにしても、全体的には過度にドラマティックな表現や音楽の急激な変化を避けた、一点の迷いもない明朗なシューベルトが再現されているのが特徴だろう。

ベルリン・フィルの一糸乱れぬ精緻なアンサンブルも聴きどころで、SACD化によって楽器間の分離状態も向上して総奏部分でも音響がひと塊の団子状態になることが避けられている。

この時期のフルトヴェングラーのシューベルトの解釈が彼の第1回目の同曲の録音時とはかなり異なっているのも興味深い。

どちらも評価の高い演奏で、その優劣を問うことは殆んど意味を成さないだろうが、シューベルト的な豊かな歌謡性や抒情を感じさせるのがこの1951年盤だと思う。

こうした演奏を鑑賞していると、シューベルトが大上段に構えた管弦楽曲の作曲を目論んだ野心作というより、湧き出るような楽想を1曲の交響曲にまとめあげたという印象を受ける。

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2016年01月11日


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プラガ・ディジタルスのレギュラー盤での新シリーズ、ジェニュイン・ステレオ・ラブの最新盤で、ヤーノシュ・シュタルケルのソロによる20世紀のチェロ協奏曲3曲を収録している。

コダーイの無伴奏チェロ・ソナタに象徴されるように、シュタルケルは20世紀の作品にも多くのパイオニア的名演を残しているが、このCDはマルティヌー、プロコフィエフ及びドホナーニの、いずれも高度な音楽性だけでなく離れ技的なテクニックを要求されるチェロ協奏曲を集めている。

マルティヌー以外の2曲は他のセッションやライヴからのCDが入手可能で、このアルバムでもワルター・ジュスキント指揮、フィルハーモニア管弦楽団との1956年のモノラル盤が収録されている。

ちなみにこの2曲のマスター・テープはステレオ録音で昨年ワーナーからリリースされたイコン・シリーズの10枚組にステレオ盤で復活している。

これらはシュタルケル若き日のシンプルで堅固な音楽性と爽快な超絶技巧が織り成す名演だ。

一方彼はマルティヌーに関しては3曲のチェロ・ソナタをRCAに、そして『ロッシーニのテーマによるヴァリエーション』をマーキュリーに入れているが、ディスコグラフィーを見ても協奏曲に関しては他に音源がないようで、これは掘り出し物と言える。

マルティヌーは生涯に2曲のチェロ協奏曲を作曲しているがこれは第1番で、ライナー・ノーツには1995年の第3稿という記載がある。

このCDに収録されている音源はジョン・ネルソン指揮、プラハ放送交響楽団(SOCR)との1990年3月19日のプラハ・ライヴで、筆者自身初めて聴く彼のレパートリーだった。

シュタルケル66歳の円熟期の演奏だが、若々しい清冽なカンタービレやダブル・ストップの連続するカデンツァが超人的な鮮やかさで迫ってくる。

プロコフィエフとドホナーニの2曲はEMI音源で、EMIは1958年からステレオLP盤の正規販売を始めたが、この1956年のセッションのオリジナル・マスターも歴としたステレオ録音になり、この頃から試験的にステレオ録音を始めていたことが推察される。

今回チェコ・プラガが同音源の古いモノラル盤を使ったのは、ワーナーの持っている2014年のイコンでのリマスタリングの著作権が理由だと思われる。

精彩ではステレオ盤が優っているが、音質自体はやや暗めの輪郭のはっきりしたリマスタリングで悪くはない。

本番に強かったシュタルケルはライヴ、セッションを問わず恐ろしく精緻で情熱的な演奏をしたが、またライヴに臨む場合でも取り組む曲にはいずれも良い意味でのプロフェッショナルな絶対的で冷徹とも言える安定感があって、決して聴く者を落胆させることがなかった。

そうした彼の典型的な奏法がこの3曲にも良く表れている。

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2016年01月09日


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ルービンシュタインは、ライナーノーツを読んでも分かる通り、ブラームスのピアノ協奏曲第1番について人一倍の愛着があったようで、実に4度にわたってスタジオ録音している。

ルービンシュタインはポーランド出身ということもあって、稀代のショパン弾きとしても知られてはいるが、前述のように4度にわたってブラームスのピアノ協奏曲第1番を録音したこと、同じくブラームスのピアノ協奏曲第2番も4度にわたって録音したこと、そして3度にわたってベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を録音したことなどに鑑みれば、ルービンシュタインの広範なレパートリーの中核を占めていたのは、ベートーヴェンやブラームスなどの独墺系のピアノ曲であったと言えるのかもしれない。

本盤に収められたブラームスのピアノ協奏曲第1番は、ルービンシュタインによる生涯最後のスタジオ録音となったものである。

最初の録音であるライナー&シカゴ交響楽団との演奏(1954年)、2度目の録音であるクリップス&RCAビクター交響楽団との演奏(1958年)、3度目の録音であるラインスドルフ&ボストン交響楽団との演奏(1964年)と比較すると、本演奏(1976年)は89歳の時の演奏だけに、技量においてはこれまでの3度にわたるスタジオ録音の方がより優れている。

しかしながら、本演奏のゆったりとしたテンポによる桁外れのスケールの大きさ、そして各フレーズの端々から滲み出してくる枯淡の境地とも言うべき奥行きの深い情感の豊かさにおいては、これまでの3度にわたる録音を大きく凌駕していると言えるだろう。

このような音楽の構えの大きさや奥行きの深さ、そして格調の高さや風格は、まさしく大人(たいじん)の至芸と言っても過言ではあるまい。

特に、同曲の緩徐楽章の深沈とした美しさには抗し難い魅力があるが、その清澄とも言うべき美しさは、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠が、自らの生涯を自省の気持ちを込めて回顧するような趣きさえ感じられて大変感動的だ。

これほどの高みに達した崇高で人類愛に満ち溢れる情感豊かな音楽は、もはや涙なくしては聴けないほどであり、ルービンシュタインとしても最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるのかもしれない。

ルービンシュタインの堂々たるピアニズムに対して、メータ&イスラエル・フィルも一歩も引けを取っていない。

メータはルービンシュタインの構えの大きいピアニズムに触発されたこともあり、持ち得る実力を存分に発揮した雄渾なスケールによる重厚にして渾身の名演奏を展開しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本盤に収められたブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏は、同曲の演奏史上トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

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2016年01月07日


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本盤はCDではなくMP3フォーマット音源であるが、以下は同音源のグラモフォン盤のCDのレビューになる。

ハンス・ホッターは生涯に5回シューベルトの歌曲集『冬の旅』全曲録音を行い、そのうち4種類がCD化されている。

その中で最も古いものがピアニスト、ミヒャエル・ラウハイゼンとのセッションで、1942年から翌43年にかけて収録されたホッター初の『冬の旅』だ。

この録音がよもやドイツ・グラモフォンの正規音源からのCD化されるとは思ってもみなかった筆者は、学生時代海賊盤CDを買い求めて聴いたが、録音状態は良好で、ホッターの声は充分満足のいく程度に捉えられているし、ピアノの音はやや後退していて歌と対等というわけにはいかないが時代相応以上の音質を保っている。

聴き比べるとやはり本正規盤で聴く方がより生々しい感じがして、角が取れたという印象を受けるが、決して悪いリマスタリングではない。

演奏の方だが、ホッターの他の演奏よりずっと恣意的なのに戸惑う。

ただでさえ遅いテンポを採っているにも拘らず、それぞれの曲中で更にテンポを落とす部分がしばしば聴かれる。

若々しいとは言え、低く重い声質の彼がこの暗い曲集をこのように歌っていることは意外だったが、後になってこうした解釈が時代的な趣味を反映していることに気付いた。

当時はまだロマン派の表現様式を引き摺っていた、言ってみれば最後の時期で、フィッシャー=ディースカウの出現あたりを機にドイツ・リートの世界では過度な表情をつけることやテンポを顧みずに思い入れたっぷりに歌う歌唱法は息の根を止められる。

だからより現代的な表現に慣れた耳にこの『冬の旅』は過去の遺物のように感じられるが、それでもホッターがこうした時代を経て、既にジェラルド・ムーアとの1954年のセッションではかなりモダンな歌唱になっているのは興味深いところだ。

ラウハイゼンの伴奏にももう少し強い主張があっても良いと思うが、録音のテクニック上の問題で歌を邪魔しないように配慮されているのかも知れない。

特にホッターのような低声の歌手を伴奏する場合には、ピアニストにも声を活かすための高度なテクニックが要求されるだろう。

いずれにしても、大歌手ホッターの原点を知る上では興味深いサンプルだ。

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2016年01月05日


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マリア・カラスの芸術に関しては既に過去のレビューで書き尽くした感があるので、ここでは本セットの音質面について述べたい。

カラスのスタジオ・リサイタル集は2012年にEMIから同じ装丁の赤箱の13枚組でリリースされていたが、それにファースト・レコーディング1枚を加えているのが今回のセットだ。

ただし音源については、ブックレットによればこれらのCDはロンドンのアビー・ロード・スタジオのオリジナル・テープから2014年に行われた最新のディジタル・リマスタリング盤なので、事実上一昨年の秋にリリースされたカラスのコンプリート・スタジオ・レコーディングス69枚のボックス・セットからオペラ全曲盤を除いたピックアップ・バージョンということになる。

CD1の1949年のファースト・レコーディング集ではノイズがかなり聞こえるが、声自体は芯のあるしっかりした音質が蘇っている。

その後に続く3枚のモノラル録音盤も以前のCDより特にオーケストラに潤いがあり、後半のステレオ録音では歌もオーケストラもずっと精彩に富んだ音色になっている。

むしろ音源のバランスなどをいじり過ぎないナチュラルな仕上がりと言ったらいいだろうか。

この時のエンジニア、アンディー・ウォルターとアラン・ラムセイの行ったリマスタリングのポリシーは、勿論ハイ・デフィニションだが、それ以前の耳障りになるノイズ音域を極力カットして表面的に綺麗に仕上げる方法ではなく、オリジナルのマスター・テープから演奏者の表現がよりダイレクトに再現されるように考慮されている。

ここで行われた24bit/96KHzリマスターはあくまでも編集上の数値で、実際にはレギュラー・フォーマット16bit/44.1KHzへのCD化によって鮮明度は下がるが、更に一定のノイズ・カットに伴う倍音や楽音自体の喪失は気の抜けたビールのような音質を招いてしまう。

それを回避したのが今回のリマスタリングの成果だろう。

2012年に出た前述の赤箱やイコン・シリーズの7枚組と比較すると聴き取れるが、この2セットでは歌声を前面に出すことに主眼が置かれているように思われ、確かに声は良く再現されている反面、オーケストラがやや貧弱に聴こえる。

こちらでは結果的に歌声とオーケストラのバランスが良くなり、器楽の部分もより繊細に響いているのが特徴だ。

シンプルなクラムシェル・ボックス入りで、27ページほどのブックレットには収録曲目と録音データ及びカラスのキャリアがクロノロジカルに掲載されている。

熱心なマリア・カラスのファンであれば既に先に挙げた全集を持っているだろうが、これから彼女の芸術に触れてみたいという入門者には簡易なイコン・シリーズと並んでこのセットもお薦めしたい。

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2016年01月03日


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ハンス・ホッター全盛期のEMI音源のヴォルフ歌曲集を英テスタメントがリマスタリングしたもので、前半の17曲は1951年と1953年のセッションになり、後半の5曲は1957年の録音だが、このうち『楽士』及び『徒歩の旅』の2曲は、当初モノラルでリリースされたものがこのリマスタリング盤では初めてのステレオで再現されている。

EMIのステレオLPの販売は1958年からだが、オリジナル・マスター・テープは試験的なステレオ録音だったのだろう。

全22曲中『アナクレオンの墓』は新旧2種類の演奏が収録されていて、ホッターの解釈自体は変わっていないが新録音の方が音質で俄然優っている。

ゲーテの詩に付けられたこの曲は彼の十八番であり、低い声で歌われる密やかな佇まいと暖かく包み込むような雰囲気、詩人アナクレオンの塚の周りに鬱蒼と生い茂る木々や蔦などを映像的に表現した歌唱が傑出している。

またホッターをサポートするジェラルド・ムーアの伴奏が絶妙で、この作品を一層魅力的なものにしている。

一方『鼓手』では田舎出の少年の軍隊生活での奇妙な空想が、ホッターの朴訥とした表現でかえって生き生きと描かれているのが面白い。

その他にも良く知られた『隠棲』では年老いた世捨て人さながらに彼の歌声が響いてくるし、『プロメテウス』ではゼウスに罰せられたプロメテウスの底知れない憤怒を伝えている。

フーゴー・ヴォルフほど詩と音楽を緊密に結び付けようとして、またそれに成功した作曲家は稀だろう。

ヴォルフはテクストに選んだ詩を恐ろしいほどの洞察力で読み取り、その言霊の抑揚ひとつひとつに人間の心理やさがを見出し、嬉々としてそれを楽譜に写し取っていった。

ピアノさえも伴奏の範疇を抜け出して、歌詞と対等か時にはそれ以上に語らせ、森羅万象を表すだけでなく心理描写にも心血が注がれている。

それは殆んど狂気と紙一重のところで行われた作業であるために、その再現には一通りでない表現力や機知と、それを裏付けるだけの声楽的なテクニックが要求される。

ホッターはフィッシャー=ディースカウほど精緻ではないにしても、いくつかの作品ではむしろ彼を凌駕する歌唱を披露している。

このテスタメント盤の後にEMIイコン・シリーズのホッターの9枚組がリリースされた。

その中のヴォルフ歌曲集では21曲が同一録音が収録されているが、何故か2度目の『アナクレオンの墓』だけが抜けている。

尚ライナー・ノーツには全歌詞に英語対訳が掲載されている。

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2016年01月01日


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マーラーの理解にはロマン主義者であるとともに現代人であるという二元性が必要なのだが、クーベリックの演奏はその二元性をうまく釣り合わせている。

各部が精密で動きの明快な「復活」、複雑な音構成の処理の鮮やかな「第3」、旋律に左右されずに抑制した表現の「第4」、「第8」の構成力、「第9」の個々の楽章の多彩な表現などにクーベリックの特徴が出ている。

バーンスタインが作曲者とともに大声で泣いたり笑ったりするとき、クーベリックはマーラーとともにその苦しみに耐えるタイプである。

これほど、マーラーの傷つきやすい心に同調し、その悲しみをさらに掘り下げるような演奏も珍しい。

だから、メルヘンのような曲調の「第4」にもどこかに影が付きまとうし、「第6」のアンダンテも、恋をする甘美さよりも切なさや胸苦しさの方に重心が置かれてしまう。

クーベリックがどんなに微笑もうとも、その内面にある大きな傷を隠すことはできない。

まして、死を意識した「第9」「第10」になると、その同調の仕方は半端でなく、聴いている我々まで苦しくなってしまうほどだ。

「一緒に苦しむなんて御免こうむる」という理由から、筆者は長年、この全集を我が身から遠ざけてきた。

しかし、作曲者や演奏家の苦しみに真正面から向き合うことも、人生には必要なことかも知れない。

一緒に大泣きすれば気持ちはサッパリするけれど、5分後には何も残っていないということもあり得る。

しかし、長時間苦しみを共にすれば、その分簡単に心から消えることはない。

その苦しみの体験が、他人への思いやりに転じたり、来るべき苦しみのための心の準備となることだってあるだろう。

近年、独アウディーテよりクーベリックのライヴが多数発売になり、「クーベリックの本領はライヴにあり」という声をよく耳にするようになった。

確かに、そのうちのいくつかは、スタジオ盤を凌駕する出来映えであるが、だからといって、この優れた全集の価値が消えるものではない。

当全集の良いところは、全10曲が短期間(1967〜1971年)に集中的に録音されているため、演奏スタイルに全集としての統一感があることだ。

「第6」「第7」などは、その求道的な姿勢がライヴ以上に曲想にマッチしているし、ライヴで発売されていない「第4」も、低音をしっかり弾かせるゴツゴツとした音づくりがとても新鮮に響く。

ソプラノ独唱が冴えないのが惜しまれるが、コンサートマスターであるケッケルトのヴァイオリン独奏が胸に染みる名演。

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