2016年02月

2016年02月28日


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キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲チクルスの完結編の登場だ。

チャイコフスキーの第7番は、作曲者の死後に補筆完成された作品である。

第6番に先立って作曲していたが、作曲者が気に入らなくなって破棄した楽譜を編集したいわくつきのものである。

ピアノ協奏曲第3番にもその片鱗が見られるが、交響曲の形で聴いてみると、さすがに第6番の高みには到底及ばないものの、チャイコフスキーならではの美しい旋律に満ち溢れた作品であるということはわかる。

本演奏を聴いて思うのは、ロシア系の指揮者にとってのチャイコフスキーの交響曲は、独墺系指揮者にとってのベートーヴェンの交響曲のような、仰ぎ見るような高峰に聳える存在なのではないかということだ。

というのも、キタエンコと同様に、チャイコフスキーの交響曲全集の録音を完成したプレトニョフもそうであるが、他の作曲者による楽曲、例えば、プレトニョフであればベートーヴェンの交響曲全集やピアノ協奏曲全集による演奏におけるようないささか奇を衒った個性的な解釈を施すということはなく、少なくとも演奏全体の様相としては、オーソドックスなアプローチに徹していると言えるからである。

キタエンコと言えば、カラヤンコンクールでの入賞後、旧ソヴィエト連邦時代のモスクワ・フィルとの数々の演奏によって世に知られる存在となったが、モスクワ・フィルとの演奏は、いわゆるロシア色濃厚なアクの強い演奏が太宗を占めていたと言える。

これは、この当時、旧ソヴィエト連邦において活躍していたムラヴィンスキー以外の指揮者による演奏にも共通していた特徴とも言えるが、これには、オーケストラ、とりわけそのブラスセクションのヴィブラートを駆使した独特のロシア式の奏法が大きく起因していると思われる。

加えて、指揮者にも、そうした演奏に歯止めを効かせることなく、重厚にしてパワフルな、まさにロシアの広大な悠久の大地を思わせるような演奏を心がけるとの風潮があった。

ところが、そうした指揮者の多くが、スヴェトラーノフのような一部例外はあるが、旧ソヴィエト連邦の崩壊後、ヨーロッパの他国のオーケストラを自由に指揮するようになってからというもの、それまでとは打って変わって洗練された演奏を行うようになった。

キタエンコについても、それが言えるところであり、本演奏においても、演奏全体の外観としては、オーソドックスなアプローチ、洗練された様相が支配していると言えるだろう。

もっとも、ロシア風の民族色を欠いているかというとそのようなことはなく、ここぞという時の迫力は、ロシアの広大な悠久の大地を思わせるような力強さに満ち溢れている。

そして、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のドイツ風の重厚な音色が、演奏全体にある種の落ち着きと深みを付加させているのを忘れてはならない。

いずれにしても、本盤の演奏は、キタエンコによる母国の大作曲家であるチャイコフスキーへの崇敬、そしてキタエンコ自身の円熟を十分に感じさせる素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

併録のジルベルシテインをソリストに迎えたピアノ協奏曲第3番も、交響曲第7番と同様の性格による素晴らしい名演だ。

そして、本盤の素晴らしさは、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質録音である。

SACDの潜在能力を十二分に発揮するマルチチャンネルは、臨場感において比類のないものであり、音質の鮮明さなども相俟って、珠玉の仕上がりである。

いずれにしても、キタエンコ&ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団による素晴らしい名演を、マルチチャンネル付きのSACDによる極上の高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2016年02月26日


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2度に渡ってピアノ・ソナタを録音するなどラフマニノフを十八番としているグリモーであるが、本盤には有名なピアノ協奏曲第2番や前奏曲、練習曲等の小品が収められている。

いずれも、グリモーならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

グリモーのピアノは、ピアノ・ソナタでもそうであったが、力強い打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の幅が桁外れに広いと言える。

これは、感情の起伏が激しいラフマニノフの演奏にとっては大きなアドバンテージであると言えるだろう。

とりわけ、力強い打鍵は、男性ピアニスト顔負けの強靭さを誇っており、その圧倒的な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

他方、繊細な抒情は、女流ピアニストならではの清澄な美しさに満ち溢れており、各旋律の端々から湧き上がってくる豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、ここまでならば、同様のピアニズムを展開する女流ピアニストは他にも存在しているが、グリモーの素晴らしいのは、これだけの表情の起伏の激しい演奏を行っても、いささかも格調の高さを失わない点であると考えられる。

ラフマニノフの楽曲は、甘美な旋律に満ち溢れているが、あまり感情移入し過ぎると、感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥ってしまう危険性がある。

しかしながら、グリモーの場合は、前述のように情感の豊かさが演奏全体を支配しているが、同時にどこをとっても気高い気品に満ち溢れているのが素晴らしい。

厚手の衣装をまとったような感傷的で重々しい従来型のラフマニノフ演奏とは一線を画するものであり、その演奏に清新さを与えたという意味では、本演奏は、前述の2度にわたるピアノ・ソナタの演奏も含め、新時代のラフマニノフ演奏像を確立したと言っても過言ではない。

また、ピアノ協奏曲第2番の指揮はアシュケナージであるが、これまた素晴らしい。

アシュケナージは、指揮者としてもピアニストとしてもラフマニノフを得意としているが、ここではグリモーの清新にして気高いピアニズムを引き立て、フィルハーモニア管弦楽団とともに最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。

録音は、2000〜2001年のスタジオ録音であり従来盤でも十分に高音質であるが、グリモーによる至高の名演でもあり、今後はSHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2016年02月24日


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これはたいそう独自な存在感をもったアルバムだ。

バッハが後世に遺した最も驚くべき金字塔のひとつ、BWV1001〜1006に関しては、ほとんどあらゆるレコードを聴き味わってきたつもりであるが、その中で最も奏者の、ひいては人間の“心の声”を実感させてくれた演奏と言えば、それはシゲティのものにほかならない。

とはいえ、本盤の演奏内容は、たぶん、評価が極端に分かれる結果となるだろう。

音は必ずしも美しくなく、ときにきつくなる要素を含んでいるし、テクニックも今日のレヴェルからすると必ずしも完璧といえるほどのものではなく、加えて録音も硬調でもう少し潤いといったものがほしい。

しかしながら、ここでシゲティがバッハの音楽に対して示す強い求心力は、今もって感動的である。

高い志をもちながら、妥協することなく、ひたすらバッハの音楽の核心に迫ろうとするシゲティのひたむきさ、深く、鋭い表現力は聴き手の心を強くとらえてやまない。

音楽に精神主義というものがあるならば、さしずめシゲティはその代表といえるだろう。

とくに晩年の演奏はその比類のない集中力の強さで、その強靭な演奏は触れれば切れるほど鋭く、率直に作品の本質に迫ろうとする姿勢が、聴き手を説得せずにはおかない。

このバッハはそうしたシゲティ67〜68歳時の傑作と言える。

これらの曲を発掘して、その素晴らしさを現代人に教えた当人の演奏だけに、晩年近づいてからのシゲティの録音のなかでは技巧の衰えも比較的目立たない。

この6曲はあらゆる音に燃える気迫があり、深い意味と心情の表出がある。

たんなる表面的な美感を越えた、内部から語りかける音楽である。

ひたすらバッハの音楽の核へと踏み込んでいこうとするシゲティの気迫には、今日の多くの演奏家らが失ってしまったような、ただならぬ説得力があると言えよう。

つねにすらすらとよどみなく、万人の耳に快い、力強くまろやかな音色で語るのが雄弁術の極意だという。

だが、人間が己れの内奥の真実を世に告げるために、そのような雄弁は果たして必要なのだろうか? 本盤の演奏を聴くたび、改めてそう思う。

自分が信ずる牴山敕真実瓩鯢集修靴茲Δ箸垢襯轡殴謄の弓と指は、表面的な完全さや洗練を目指さない故にこそ貴い。

このことを把握して聴くなら、シゲティの音と表現の意味深い猗しさ瓩呂泙気靴非凡なものだ。

ここでは、1フレーズ、1音が、それこそ魂から出た言葉として響き、その“意味”を伝えるためにこそヴァイオリンは鳴っている。

いったんそのことに気づき、その“言葉”がわかると、シゲティの音を「きたない」などとする批評が、いかに皮相なものにすぎないか、よく理解されよう。

技術的には押しなべて高くなり、録音もよくなったにもかかわらず、聴き手に強い感動を与えるようなバッハと接する機会が著しく少なくなってしまった今日だからこそ、あえて当シゲティ盤に最注目する価値は高まっていると言えよう。

もちろん、技術面の完全さは音楽に必要だが、稀にはそれを超える感動も、たしかに存在する。

もとより、視点や趣味により評価はまちまちであろうが、これほど心を打つ演奏、心の奥底に訴えかけてくる演奏は稀だ。

彼以後に、もうこのようなバッハはない。

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2016年02月22日


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グラズノフは、チャイコフスキーやロシア5人組などの帝政ロシア時代末期に活躍した大作曲家と、プロコフィエフやラフマニノフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチなどの旧ソヴィエト連邦時代に活躍した大作曲家(ラフマニノフやストラヴィンスキーは国外での活躍が中心であるが)の間に挟まれた、いわゆる狭間の世代の作曲家である。

これら前後の世代の作曲家の活躍があまりにも華やかであったこともあり、グラズノフは比較的目立たない存在に甘んじていると言わざるを得ない。

前述の旧ソヴィエト連邦時代に活躍した作曲家に絶大なる影響力を誇ったことを考えると、大変嘆かわしい状況に置かれていると言えるのではないだろうか。

グラズノフの楽曲は、チャイコフスキーやラフマニノフほどではないものの、その旋律は、メランコリックなロシア風の抒情に満ち溢れており、内容も多彩な変化に富んでいるなど、聴き応えがあり大変魅力的である。

交響曲は全部で8作存在しているが、いずれも親しみやすい名作揃いである。

全集を録音した指揮者は、これまでのところネーメ・ヤルヴィや尾高忠明、セレブリエールなどを除くと基本的にロシア系の指揮者に限られているのが、前述のような現在におけるグラズノフのいささか残念な認知のされ方を表しているとも言える。

フェドセーエフは、本盤以外にもグラズノフの交響曲全集をスタジオ録音(1976〜1979年)しているので、本盤はスタジオ録音とほぼ同時期にライヴ録音された2つ目の全集ということになる。

スヴェトラーノフ、ロジェストヴェンスキーなどの先輩指揮者の演奏は、ロシア風の民族色を全面に打ち出したアプローチを行っているのが特色であったが、フェドセーエフのアプローチは、スタジオ録音でもそうであったように、より純音楽的なものである。

本盤のライヴ録音の方が、スタジオ録音よりもより情感に満ち溢れた熱い演奏になっているように思うが、基本的なアプローチは何ら変わっていないと思われる。

もちろん、純音楽的とは言ってもスヴェトラーノフなどのあくの強い演奏との比較の話であり、グラズノフの交響曲が含有するメランコリックなロシア風の抒情の表現においても、いささかの不足はない。

モスクワ放送交響楽団も、フェドセーエフの指揮の下、ライヴ録音とは言えないような卓越した技量をベースとした素晴らしい演奏を披露しており、本盤の価値を高めるのに大きく貢献をしている点を忘れてはならない。

録音も比較的良好であり、文句のつけようがないレベルに達している。

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2016年02月21日


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一世を風靡したチャイコフスキーの“3大バレエ”の不滅の名盤で、アンセルメによるそれぞれ唯一の全曲盤。

アンセルメは80歳に近い晩年にチャイコフスキーの3大バレエを一挙に録音したが、クラシック・バレエのいわばバイブル的な作品演奏の“奥義”を後世に残す目的も少なからずあったように思える。

爛丱譽┣山擇凌斥有瓩半里気譴織▲鵐札襯瓩蓮⊆磴日にディアギレフのロシア・バレエ・リュスの専属の指揮者を務めたという経歴の持ち主で、モントゥーと共に数々の新作バレエに取り組み、歴史的な舞台に立ち会ったことは周知のとおり。

アンセルメのバレエ音楽に対する知識と実践的な技術はこの時育まれ、鍛え上げられたのである。

同時代の音楽を得意にしたアンセルメは、チャイコフスキーのバレエ音楽でも、的確なテンポを設定して、リズムを必要に応じてきちんとキープする一方で、恣意的なためを用いないアプローチを繰り広げており、作曲者特有の甘いメロディを趣味よく奏で上げている。

その軽やかで明るいアプローチは、やや好き嫌いが分かれるかもしれないが、過度にもたれることなく、よく耳になじむ演奏が展開されている。

アンセルメの演奏にはすっかり安心して身を委ねられる、何か、とても大きなものがあって、おじいさんが炉端で子供たちに語って聞かせてくれているような、そんな温かい響きがある。

《白鳥の湖》の演奏は、クールで淡泊ではあるが、推敲され尽くした精妙で入念な表現を楽しませてくれる。

メリハリには乏しい反面、淡くデリケートな色彩感がすばらしく、さらにその誇張を排したケレン味のない表情の美しさは、アンセルメならではのものだ。

《眠りの森の美女》の演奏も、表面的には少し淡泊であり、興奮や感動には欠けるが、聴くほどに味のでる熟演と言ってよいだろう。

コントロールされた表情の美しさや巧妙なリズム処理などは、この演奏の得難い聴きどころとして注目される。

几帳面かつ克明に作品を描きあげた《くるみ割り人形》も、表現傾向としては少し淡泊であるが、このバレエの童画的なおとぎの世界をきわめて巧みな演出でリアリゼしている。

作品の意味と特徴を入念に吟味した演奏であり、練達の棒さばきが特筆される名演で、いろいろなキャラクターの入り混じったこの曲全体を、見事な感情のコントロールのもとに、実に上品に、典雅にまとめてしまう。

それでも一般の聴き手にとって、アンセルメの残した録音はそれほどの価値を見いだせないかもしれないが、ダンサーにとってその評価は絶大なものとなる。

メリハリの利いたリズムや踊りに最適なテンポ、そして独特の間のとり方など、実舞台のバレエの寸法に対応した演奏であることは現代でも変わらない。

一言でいえば、アンセルメの演奏は爐修里泙淪戮譴覘瓩里任△襦

テンポの設定からリズムのとり方、そして間のとり方まで、見事に踊りに適合する。

この盤は、そういう意味ではバレエ音楽のまさに“普遍的”と言い得る演奏で、バイブル的存在といえるのである。

なお全曲盤とはいえ、録音当時に行なわれていた慣習的なカットが施されているのは、仕方のないところだろう。

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2016年02月20日


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1983年にドナルド・フェザーストーンによって制作されたこの短編のドキュメンタリーは2部分から構成されている。

第1部はポゴレリチの師でありまた妻でもあったピアニスト、アリーザ・ケゼラーゼによるポゴレリチへのレッスン風景と両者へのインタビュー、そして第2部は放送用録画の本番で、ラヴェルの『夜のガスパール』全3曲がレッスンの成果を示す形で演奏されている。

シンプルな作りだがポゴレリチの素顔を捉えた作品として評価したい。

レッスン内容はピアノの技術的な問題を一通り解決したピアニストが初めて臨むことができるような高度なもので、作品のインスピレーションになった詩の解釈から表現上のテクニックまでが総合的に試みられている。

ケゼラーゼはポゴレリチの演奏を初めて聴いた時、彼のテクニック上の弱点、つまり手のポジションに硬さがあることを即座に見抜いて「あなたは才能に恵まれているが、これからハードな努力をしなければならない」と忠告した。

彼女の不躾な指摘に面食らったポゴレリチは「誰ですか、あなたは?」と問いただしたという。

ケゼラーゼは、ピアニストの手は他の身体の部分から完全に独立して自由でなければならないと力説している。

だが彼女は彼の個性を損なうような教え方はしなかった。

むしろ個性が活かされる自由な手のポジションとそれが発揮される能力を確実に養ったことが、彼のその後の急速な上達にも証明されている。

1980年の第10回ショパン・コンクールでの、アルゲリッチがテレビ放送のインタビューに答えて「彼こそ天才、審査員でいることは恥だ」と言って辞任したエピソードも短いながら収録されている。

ここでは政治的な背景には一切触れられていないが、ケゼラーゼは「審査員達はポゴレリチの演奏に異質さを発見すると、彼の表現上のミステイクを躍起になって探し、それがないと分かると、今度は彼の服装やステージ・マナーを批判してコンクールの本選から排除した」と証言している。

ポゴレリチ自身も審査の対象が音楽以外のことに及ぶ奇妙さを、真のアーティストに対する致命的な事態だと冷静に話している。

結果的に、審査員達の罪滅ぼしのためか、彼には特別賞が授与されることになる。

その表彰式にチューインガムを噛みながら現われたポゴレリチは聴衆の大喝采を浴びている。

彼の場違いとも思える宅急便の配達人のような服装と、シニカルな笑顔は明らかにこのコンクールに抗議したものだ。

結婚については、一般に言われていることとは多少異なっていて、彼らが結婚したのはポゴレリチが21歳、ケゼラーゼ37歳の時だったようだ。

また電撃的な結婚ではなく、10回から15回ほどのレッスンに通った後、いつものようにコーヒーを一緒に飲んでいる時にポゴレリチが切り出した。

彼はまだ18歳で、ケゼラーゼには子供もいたし当時の生活に不満はなかったので、彼女は申し出を遮り、取り合わなかった。

彼は怒って「どうあっても結婚するよ」と捨て台詞を吐いてドアに八つ当たりして出て行ったと回想している。

しかし後年彼女が亡くなった時、ポゴレリチが総ての演奏会をキャンセルして入院するほど重度の鬱状態に陥ったことは、妻への一途な愛情の証しだろう。

インタビューはスコットランドの彼らの自宅で行われ、彼女の息子ゲオルギとの家族団欒の微笑ましい風景も映し出されている。

尚レッスンはロシア語で、インタビューにはポゴレリチが英語、ケゼラーゼはロシア語で応じているが、英、独、仏語のサブ・タイトルが選択できる。

リージョン・コードはフリー。

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2016年02月18日


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ピエール・アンタイが2002年から2005年にかけて行ったセッション録音で、フランス・ミラールから分売されていたドメニコ・スカルラッティの49曲のチェンバロ・ソナタとフーガ1曲の3枚がまとまってバジェット価格盤でリイシューされた。

先ず印象的なのはチェンバロの鮮烈な音響が生々しい録音で再現され、アンタイの外見的なイメージからは想像できないような大胆不敵で豪快なスカルラッティが表現されていることだ。

今回彼の使用した楽器は2種類のヒストリカル・チェンバロのコピーで、どちらも音の立ち上がりが素早く減衰も早いため、音同士が干渉し合わない軽快ではじけるような小気味良さがあり、この曲集には最適の選択と言えるだろう。

アンタイは師レオンハルトの厳格なテクニックを受け継いではいるものの、師とは異なったより自由闊達で解放的な表現を好み、ここではそれが水を得た魚のように解き放たれて、可憐な歌心に加えて野心的で一気呵成の奏法を堪能できる。

おそらく数多いスカルラッティのソナタ集の中でも最も快活でダイナミックな側面を強調したものだろう。

スカルラッティのチェンバロ・ソナタのCDにはスコット・ロスやペーター=ヤン・ベルダーの全曲集も存在するし、ピアノで演奏したものを含めればホロヴィッツからバケッティまで多種多様の選択肢が提供されているが、特にマニアックな方でなければ、ピリオド楽器による簡易なセレクション盤として是非お薦めしたいのがこのセットだ。

50曲の抜粋だが選りすぐった作品が非常に効果的に配列されているので鑑賞者を引き込んでいく牽引力も魅力だ。

ピッチは明記されていないが、全曲ともa'=400Hz前後で現代ピッチより半音以上低いため、速いパッセージでも高音が神経質に響くことは避けられている。

また良く聴いていると調律法も現代のものとは微妙に異なっていてピリオド楽器の機能と和声の美しさが充分活かされている。

ここ数年アンタイはミラールから多くの再録音を以前より質の高い音質のCDでリリースしているが、彼の演奏も更に自在になり、多彩な表現力で聴き手に常に新鮮な驚きを体験させてくれる。

21ページほどのライナー・ノーツには仏、英語によるスカルラッティの作品についてアンタイへのインタビューが掲載されている。

尚収録曲目に関しては幸いこのページのイメージにボックス裏面の写真が掲載されているので参考にされたい。

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2016年02月16日


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エミール・ギレリスの演奏についてはしばしば鋼鉄のタッチだとか武骨とかの形容詞が使われるが、いずれも舌足らずの表現で筆者自身は彼のピアノに野放図な打鍵やある種の不器用さを感じたことは一度もない。

言い換えればギレリスに対するそうした批評は彼の奏法のごく一部を捉えたもので、決して彼の典型的な音楽性や解釈を言い表し得ていないと思う。

確かに彼が時として獅子のように突進することも事実だが、このグラモフォンに遺された24枚のCDを鑑賞するなら、ギレリスが例えばモーツァルトではデリケートなカンタービレを聴かせるセンスも持ち合わせていて、ベートーヴェンでは『ワルトシュタイン』や『ハンマークラヴィーア』に聴くことができる堅牢な音楽構成と究極的ダイナミズムの美しさとを、またショパンやリストでは非常にきめ細かで変化に富んだタッチを使い分けていることが理解できるだろう。

9枚目まではベートーヴェンのピアノ・ソナタ集で、彼の死によって全曲録音が完成しなかったのは残念だが、第1、9、22、24、25番の5曲を除いた27曲とベートーヴェン13歳の若書きの作品、選帝公ソナタ2曲が収録されている。

CD10−12の3枚はピアノ協奏曲を中心とするブラームス作品集で、ヨッフム&ベルリン・フィルとの2曲の協奏曲ではヨッフムによってドイツ的造形がしっかりと施されたオーケストラにサポートされている。

ギレリスの抑制を効かせた表現の中に力強いクライマックスを築いていくソロが際立った演奏だ。

更にショパンとシューベルトがそれぞれ1枚ずつ、モーツァルトが2枚、その他1枚という内訳になる。

CD18から24までの7枚はモノラル録音の、多かれ少なかれノイズを伴う1935年から1955年までの歴史的録音集で音質自体もいまひとつだが、ギレリス19歳から39歳にかけての感性の鋭さとアンサンブルへの情熱、そして一級のヴィルトゥオーソ゛としてのテクニックを披露している。

中でもCD19のメトネルのソナタ第5番は硬質で飾り気のない彼のピアニズムの典型だ。

また彼より若い世代のコーガンやロストロポーヴィチとの協演になるピアノ三重奏曲集も聴き逃せないだろう。

尚オリジナル・ジャケットのデザインを採用しているが、実際の収録曲とは合致しないものもある。

最後の24枚目は当初ウェストミンスターからのリリースだったが、このCDではハチャトゥリアンの協奏曲はカバレフスキーの協奏曲に差し替えられていて収録されていない。

英、独、仏語によるライナー・ノーツは66ページほどあるが、その大半が収録曲目及び録音データとアルファベット順作曲家別作品の索引に費やされている。

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2016年02月14日


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1951年8月19日、ザルツブルク音楽祭における歴史的ライヴ録音で、伝説的なブルックナーとして有名なもの。

作品と指揮者が運命の糸で結ばれている、そんな磁力にも似た求心力を背景にうねるような起伏をもって再現された名演、熱演。

ウィーン・フィルの個性的な音と演奏が豊かであった時代の演奏であり、流暢で深い陰影をもった情緒的表現は、確かに伝説になるだけの価値のあるものだ。

フルトヴェングラーの指揮も、ブルックナーの信仰告白とも言うべきこの曲に対して、深い精神性に裏づけされて見事に音化されている。

フルトヴェングラーは、ドイツ・ブルックナー協会の会長をしていたので、いわば、ブルックナーの専門家であるが、そうした面目が、この古い録音の全面ににじみ出ている。

そうしたフルトヴェングラーの、ブルックナーの音楽に対する傾倒の深さを物語るかのような、内面的な燃焼度の高い、雄渾な演奏で、そのその強烈な個性と彫りの深い、雄大な表現には圧倒されてしまう。

個性的でスケールの大きい表現だが、あまりにロマン的で、ブルックナーの素朴さよりもフルトヴェングラーの音楽を聴く感が強い。

それでもこの指揮者の芸術的ルーツが、ブルックナーと同じところにあることを理解できる自然体の表現であり、そこに演奏の魅力もあるのである。

フルトヴェングラーの視点から再構成されたブルックナーという印象もあるが、その音楽の壮大さは比類がなく、やや晦渋な表現ながら、終楽章の雄大なスケール感は圧倒的である。

音楽の豊かなダイナミズムと、強い緊張感が維持されている第5番であり、この大胆なアゴーギクはフルトヴェングラーらしさを印象づけるものだ。

この演奏におけるフルトヴェングラーのドラマティックな音楽の盛り上げ方は、ブルックナー・ファンの間で意見の分かれるところだが、フルトヴェングラーならではの至高の世界を作り上げている。

現代においては殆ど聴かれない大時代的なアプローチとも言えるが、1951年においては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。

旋律のみずみずしいしなやかさ、地の底から噴きあげるようなブラスの和声の充実感、作為なく、ブルックナーの音楽そのものを感じさせる造型、あらゆる点で、もう二度と現れまいと思われるような演奏である。

精神的な高さと深さで、これを凌駕するような演奏は未だもって他にはなく、聴いた後に深い感動の残る秀演である。

フルトヴェングラーの手にかかるとブルックナー作品はにわかに神秘的気配を強め、神々しくなる。

素朴な味わいや木訥な語り口に思えていた特質がその性格を一変させ、深層心理に肉薄するメスとなって機能しはじめ、聴き手に迫るのである。

フルトヴェングラーの巨大な個性によって大きく包み込まれたブルックナーのスケールとロマン、そして全容から立ちのぼってくる言い尽くせぬ香気には何者にも抗えないようなところがある。

この指揮者の深遠でしっとりとしたロマンティシズムが打ち出された演奏であり、官能的かつ叙情的な誘導が最大の魅力になっている。

また、フルトヴェングラーは、なにを指揮しても決して急ぎすぎることがなかった。

悠揚迫らぬそのテンポは、まずは聴き手を落ち着かせるのに力を発揮したばかりでなく、さらに進んで揺るぎない信頼を勝ちとった、と言って良いだろう。

これぞフルトヴェングラー人気の根源のひとつ、という気がする。

この第5番では、そうした独特のグランド・デザインによりながらも、ブルックナーの楽想を生かし、音楽を生かすため、フルトヴェングラーはテンポを細かく動かし、表情に変化を与え、クレッシェンドを活用して強い緊張感を生み出している。

そして表出されたブルックナーの深奥から湧き起こる音楽的情熱と、深々とした祈り、見事だ。

フルトヴェングラーの凄さに圧倒されてしまう巨人の足音である。

今日のブルックナー解釈とは異なる世界に位置する歴史的名盤であり、かつてこの演奏によってブルックナーの洗礼を受けた諸氏も少なくあるまい。

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2016年02月13日


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このCDの特徴は先ずダヴィッド・オイストラフによるブラームスが作曲したソロ・ヴァイオリンとピアノのための作品全4曲が収録されていることで、これ迄に個別にしかリリースされていなかったものを1枚のCDにまとめた画期的な企画と言える。

また総てがライヴ録音だが幸い音質が極めて良好なステレオ音源で、客席からの雑音や拍手は入っているが、鮮明な音像が再現されている。

オイストラフのスコアへの読み込みの深さと共に押し出しの良い堂々たる表現力、そしてストラディヴァリウス "マルシック" の磨き抜かれた明るく艶やかな音色が全曲を通じて堪能できるアルバムだ。

オイストラフは生前ブラームスのヴァイオリン・ソナタをセッション、ライヴを含めると全曲録音している。

ただし全曲集としての企画ではなく、それぞれが異なった機会のために演奏されたもので、協演のピアニストは少なくとも4人いる。

リリースしたレーベルについては複雑になるので省略するが、それらの音源は第1番ト長調『雨の歌』がオボーリンとの1957年及びこのCDに収められているバウアーとの1972年盤があり、第2番イ長調にはモスクワとザルツブルク・ライヴの2種類のリヒテルとの1972年盤が存在し、第3番ニ短調では1955年及び1957年にヤンポリスキー、1966年にはバウアーと、そして1972年にはリヒテルとも協演している。

しかしヨアヒムに献呈されたF.A.E.ソナタのスケルツォハ短調に関してはここに収められた1968年のリヒテルとのライヴが唯一の音源らしい。

スケルツォハ短調はシューマン、ディートリヒ、ブラームスの合作によるヴァイオリン・ソナタの第3楽章として作曲されたもので、オイストラフの毅然として打ち込むようなリズムにリヒテルの緊張感に充ちたピアノが煽るような躍動感を響かせ、短い中間部では両者が息の合った硬派のカンタービレを聴かせる魅力的な小品に仕上がっている。

尚この曲集では何故かヴァイオリン・ソナタ第3番をリヒテルではなくバウアーとのプラハ・ライヴを選んでいる。

勿論バウアーは伴奏者としても独自の主張を持った優れたピアニストだったので、隙のない華やかなフィナーレを飾って盛大な拍手を受けていて、むしろこのCDでは最もスケールが大きく劇的な演奏をしている。

リヒテルの伴奏については、そのきめ細かい表現とアンサンブルの巧さは言うまでもないが、オイストラフとは一番相性の良かったピアニストではないだろうか。

オイストラフ&リヒテルによる全曲録音が遺されなかったことが惜しまれる。

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2016年02月12日


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フルトヴェングラーは同曲をスタジオ録音をしておらず、当録音を含め3種のライヴ盤が出ていたが、このDG盤はEMI盤と並んで、名盤として有名なもので、カイロ放送局のテープによる復刻。

LP発売時にはハース版に準拠とされていたが、今回はシャルク改訂版に準拠と認められている。

しかし、いわゆる改訂版のイメージとは異なり、晴朗な抒情感と堅固な構築力をもった演奏である。

この演奏におけるフルトヴェングラーのドラマティックな音楽の盛り上げ方は、ブルックナー・ファンの間で意見の分かれるところだが、フルトヴェングラーならではの至高の世界を作り上げている。

決して音の状態は良いとは言えないが、生前、ブルックナー協会の会長をつとめていたフルトヴェングラーの、ブルックナーの音楽に対する傾倒の深さを物語るかのような、雄渾な演奏で、その彫りの深い、雄大な表現には圧倒されてしまう。

フルトヴェングラーの視点から再構成されたブルックナーという印象もあるが、その音楽の壮大さは比類がない。

旋律的な魅力によって曲の壮大な美しさを肌で感じることのできる演奏で、フルトヴェングラーは淡々と、しかもよく歌い切っていて、弦の美しい第2楽章ひとつとってもツボをしっかりつかんでいることがよくわかり、さすがに息長く歌わせて、連綿と続く歌の美しさにも特筆すべきものがある。

とはいえ、フルトヴェングラーとしては淡泊な表現で、彼一流の劇性は希薄となっており、抑制のきいた表現とも言えるが、それでもアダージョ楽章は非常に音楽的だ。

作品にふさわしい抑制もきかせているが、クライマックスの構築の仕方はあくまでフルトヴェングラー流。

一貫してメロディ・ラインを重視し、作品の無限旋律の美しさを見事に歌い出すが、第1・第2楽章の無時間的な広大さなど、ほとんど魔力的な世界であり、その中でもとくに第2楽章、クライマックスへの織りなしは圧倒的な効果を放っている。

また、第1楽章と終楽章におけるテンポの大きな動きを伴うロマン的な語り口はこの指揮者ならでは。

この作品の情緒を深くつかんでいればこそとれた手段で、フルトヴェングラーの芸術に直に触れる思いがする。

フルトヴェングラーの手にかかるとブルックナー作品はにわかに神秘的気配を強め、神々しくなる。

素朴な味わいや木訥な語り口に思えていた特質がその性格を一変させ、深層心理に肉薄するメスとなって機能しはじめ、聴き手に迫るのである。

フルトヴェングラーの巨大な個性によって大きく包み込まれたブルックナーのスケールとロマン、そして全容から立ちのぼってくる言い尽くせぬ香気には何者にも抗えないようなところがある。

この指揮者の深遠でしっとりとしたロマンティシズムが打ち出された演奏であり、官能的かつ叙情的な誘導が最大の魅力になっている。

美しさを超えた第2楽章を感動の核としながらも、この交響曲全体像が怒涛となって聴き手に襲う演奏は他に例がなく、怖くなるようなフルトヴェングラーの指揮芸術の奥義を堪能させる。

ベルリン・フィルの楽員たちは全身全霊を傾けて表現している。

今日のブルックナー解釈とは異なる世界に位置する歴史的名盤であり、かつてこの演奏によってブルックナーの洗礼を受けた諸氏も少なくあるまい。

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2016年02月10日


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カール・ベームの指揮したR.シュトラウスのオペラ全曲盤の第2集であるが、先ず音質について述べると、第1集が期待していたほど良いものではなかったので今回も当てにしてはいなかったが、意外にもまともな音が聞こえてきて概ね良好だ。

『エレクトラ』と『影のない女』はいずれも初期のステレオ録音であるにも拘らず、セッションということもあって2巻全8曲を通して最も良い状態で鑑賞できる。

前者はタイトル・ロールのインゲ・ボルクとオレスト役のフィッシャー=ディースカウのいやがうえにも緊張感を高める表現力が圧倒的だし、後者は世界初の全曲録音に輝いた、またR.シュトラウスの良き理解者としての実力を縦横に発揮したベームの意欲的なセッションと言える。

他の2曲はライヴでそれなりのノイズは入っているが破綻もなく、音源は鑑賞に差しつかえない程度に保たれている。

またベーム初演の演目『ダフネ』が1944年のウィーン・ライヴで収められているのも聴き逃せない。

この価格でベームの指揮したオペラ全曲盤が揃うのは朗報に違いない。

ベームの力量は作曲家自身が彼に『ダフネ』を献呈しているように、こうしたオペラ上演にも良く表れている。

高い文学的な素養が要求され、歌手への行き届いたコントロールと同時に大規模で複雑極まりないオーケストレーションを操らなければならない煩雑な作業は、彼が一般的に考えられているような堅物の指揮者のイメージからは想像できない、遥かに柔軟で融通性を持った人であったことを証明している。

また解釈も現在の私たちが聴いても違和感のない新しいもので、例えば『影のない女』での終幕の抒情性は決して耽美的ではなく、来たるべき時代の知性的で洗練された趣味を先取りしている。

10枚目はボーナスCDで、1939年から1944年にかけてのウィーンやドレスデンでの古いライヴからピックアップされた10場面が収録されている。

1曲目の『サロメ』から「7つのヴェールの踊り」は音質が一昔前の海賊盤のようで驚いたが、1939年のライヴから抜き取ったものなのでご愛嬌と言ったところだろうか。

しかしその他のトラックは時代相応の比較的良い状態で残されていて、それぞれの演奏水準も高いのが救いだ。

尚ここからは余談になるが、この時代はウィーンやドレスデンにも爆撃の危機が迫っていたにも拘らず、彼らの文化の灯を死守しようとする執拗とも思える音楽への渇望と執着には敬服せざるを得ない。

ドレスデンは1945年2月に連合軍による無差別爆撃を被ってゼンパー・オーパーは瓦礫と化したが、ウィーン国立歌劇場も爆撃によって大破する同年3月までは平然と公演が組まれていたし、被害を受けた後も拠点をフォルクス・オーパーとアン・デア・ヴィーンに移してその活動を続けた。

10年後に再建された国立歌劇場がベームの指揮によるベートーヴェンの『フィデリオ』で再び幕を開けたことも象徴的である。

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2016年02月08日


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ダヴィッド・オイストラフが1966年、69年及び72年に行ったプラハ・ルドルフィヌム・ドヴォルザーク・ホールでのそれぞれのステレオ・ライヴ録音からカップリングされたリサイタル盤で、このCDでは総て20世紀の作品のプログラムが組まれているのが特徴だろう。

このうちの何曲かは以前同じくプラガからリリースされていたものだが、ライヴ特有の客席からの雑音は若干あるにしても、SACD化により音質が素晴らしく蘇っており、臨場感にも不足していない。

勿論2015年に新しくリマスタリングされているが、この時期に東欧でこれだけのライヴ録音が可能だったことに驚かされる。

演奏曲目の中でも最も注目すべきは、バルトークのヴァイオリン・ソナタ第1番、イザイの無伴奏ソナタ第3番『バラード』、そしてラヴェルのソナタト長調の3曲で、全く異なった性格のソナタを万全の表現力で弾くオイストラフの才能が縦横無尽に示されていると言っても過言ではないだろう。

バルトークのソナタでは作曲家の宇宙観を表した神秘性に支配された無調の楽想が聴く者にある種の戦慄を起こさせるが、オイストラフの演奏には鬼気迫るような厳しさの中にも人間性を感じさせる呼吸が常に息づいている。

そして第1、第2楽章の持続した緊張感が終楽章に向かって一気に解放され噴出するバルトークの構想を、彼は非凡な情熱を持って再現している。

ここでは明らかにハンガリーの舞曲に由来するリズムとメロディーを感知させる、大地の底から湧き上がるようなパワフルな表現と躍動感に漲った演奏が秀逸だ。

またこのライヴの総ての伴奏を引き受けているピアニスト、フリーダ・バウアーの感性の鋭さとそれぞれの曲の解釈への積極的な介入も聴きどころだ。

彼女のピアノ・パートはコラボとして充実しているだけでなく、自身の強い主張が感じられ、これらの作品を一層精彩に富んだものにしている。

音色の美しさや和音の響きを損なうことなく完璧なダブル、トリプル・ストップや滑るような6連音や8連音が連続するイザイの無伴奏を聴いていると、オイストラフがこの曲集どころかバッハの無伴奏ソナタ&パルティータ全曲さえも遺してくれなかったことが悔やまれる。

もしそれらが実現していれば、音楽的にもヴァイオリン史上非常に価値の高いサンプルになっていただろう。

オイストラフが1937年のイザイ国際コンクールの覇者であることからも明らかなように、彼にとってイザイは縁の深い作曲家だ。

ここで演奏されている第3番はジョルジェ・エネスコに献呈された曲で、エネスコはまたこのCDの最後に収録されたラヴェルのソナタト長調の初演者にもなる。

ラヴェルはこのソナタの第2楽章にグリッサンドを頻繁に使った「ブルース」を挿入しているが、オイストラフのそれは決してあざとくならない、しかし演奏効果を最大限活かした洗練された表現に成功しているし、終楽章「無窮動」とのコントラストも見事だ。

ちなみに「ブルース」は昨年リリースされた同シリーズのギドン・クレーメル・プラハ・ライヴ盤にも入っていて、師弟の解釈の違いを聴き比べるのも面白い。

クレーメルは官能的だが、師匠の演奏はより軽快かつリズミカルでグロテスクな雰囲気になることを完璧に避けている。

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2016年02月07日


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1944年10月17日、ウィーン、ムジークフェライン・ザールでのライヴ録音。

旧DDR放送局のテープから復刻されたもので、ハース版に基づいた演奏だが、フルトヴェングラーが若々しい気迫に満ちた音楽を聴かせ、アゴーギクとデュナーミクを巧みに融合させた効果は、まさに名人芸と言わねばなるまい。

ブルックナーの交響曲第8番は、ブルックナー自身が、「私の書いた曲の中で最も美しい音楽」と言って自信をもっていたという。

そうしたこの第8番を、フルトヴェングラーは、内面的な燃焼度の高い、雄渾な演奏で聴かせ、その強烈な個性には圧倒されてしまう。

作品と指揮者が運命の糸で結ばれている、そんな磁力にも似た求心力を背景にうねるような起伏をもって再現された名演、熱演。

個性的でスケールの大きい表現だが、あまりにロマン的で、ブルックナーの素朴さよりもフルトヴェングラーの音楽を聴く感が強い。

それでもこの指揮者の芸術的ルーツが、ブルックナーと同じところにあることを理解できる自然体の表現であり、そこに演奏の魅力もあるのである。

フルトヴェングラーの解釈は作品との強い一体感をベースとしたもので、それはバーンスタインがマーラー演奏に見せた陶酔感すら覚えさせるものがあるが、大戦中に演奏されたフルトヴェングラーのブルックナーには例えようもない気品と影の暗さがあり、それが感動のテンションをさらに高める。

そうした美質を引っさげてフルトヴェングラーはブルックナーの核心部分へと果敢かつ勇猛に足を踏み入れていきながら、聴き手を抗し難い興奮へと巻き込み、陶酔的感動に浸らせてしまう。

精神的な高さと深さで、これを凌駕するような演奏は他にないと言えるところであり、聴いたあとに深い感動の残る秀演である。

とりわけ、第3楽章アダージョは比類のない美しさで、晩年のブルックナーが到達した深い精神性が見事にあらわれている。

この第3楽章アダージョの部分を聴くと、ブルックナーの音楽の雄大さ、フルトヴェングラーの表現力の息の長さ(ウィーン・フィルの器の大きさも加えるべきなのかもしれない)に、誰もが圧倒されてしまうことであろう。

われわれの日常生活で用いられている単位では、とても手に負えないような雄大さであり、息の長さである。

こうした芸術活動だけに許されるような次元に接する機会が、最近はとみに少なくなってしまった。

また、フルトヴェングラーは、なにを指揮しても決して急ぎすぎることがなかった。

悠揚迫らぬそのテンポは、まずは聴き手を落ち着かせるのに力を発揮したばかりでなく、さらに進んで揺るぎない信頼を勝ちとった、と言って良いだろう。

これぞフルトヴェングラー人気の根源のひとつ、という気がする。

この第8番では、そうした独特のグランド・デザインによりながらも、ブルックナーの楽想を生かし、音楽を生かすため、フルトヴェングラーはテンポを細かく動かし、表情に変化を与え、クレッシェンドを活用して強い緊張感を生み出している。

そして表出されたブルックナーの深奥から湧き起こる音楽的情熱と、深々とした祈り、見事だ。

フルトヴェングラーの凄さに圧倒されてしまう巨人の足音である。

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2016年02月06日


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ヴェニアス・レーベルからリリースされているアンドレ・クリュイタンス・シリーズの第3集に当たり、今回は1948年から1964年までの彼のオペラ録音をセッション、ライヴともに網羅的に収集した、これ迄では最多数の56枚のセットになる。

ただし1964年以降の代表盤であるオッフェンバックの『ホフマン物語』ステレオ録音は含まれていない。

当時のスター歌手を文字通りきら星のように配した豪華絢爛なキャストで、クリュイタンスのレパートリーから外すことはできない筈だが、次回以降に回すということだろうか、ここでは同曲の1948年のモノラル盤が収められている。

多くのCDが既に製造中止の憂き目に遭っていて復活が望まれていたものばかりだが、その幾つかを紹介すると、先ず1962年にパリでセッション録音されたムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』のステレオ音源で、鮮やかな情景描写と登場人物のキャラクターを描き分ける手腕が縦横に発揮された、クリュイタンスの数少ないスラヴ系オペラのレパートリーだ。

彼はボリスの死で幕が降ろされる1908年のリムスキー=コルサコフ版を採用している。

歌手ではシャリアピンの再来と言われたボリス・クリストフがタイトル・ロールの他にピーメン、ヴァルラームの3役を歌った、彼にとっては2度目の録音で、中でも第2幕時計の場(CD28トラック13)でのボリス狂乱のシーンが迫真の演技でこの物語のおぞましさを象徴している。

ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』はバイエルン放送交響楽団との1955年盤とフランス国立放送管弦楽団との1956年盤の2種類が入っている。

どちらもモノラル録音だが後者のジャンサン、デ・ロス・アンへレス、スゼーを配した演奏の方がより精妙でシュールレアリズム的なストーリーを象徴している。

ビゼーの『カルメン』も2種類が収録されているが、1950年のオペラ・コミーク版は後に編曲される壮麗なグランド・オペラとはかなり異なった、生前作曲家自身が構想していたセリフを交えて進行する、本来の舞台劇としての細かいニュアンスを伝える演奏が秀逸だ。

後半はドイツ物で、クリュイタンスがバイロイト音楽祭の3シーズンを続けて振った3種類の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』が圧巻だが、それぞれのキャストが微妙に違っている。

例えば1956年にハンス・ザックスを歌ったホッターは1958年にはポーグナーに替わり、ヴァルターは1956年がヴィントガッセン、1957年はヴァルター・ガイスラー、そして1958年にはヨーゼフ・トラクセルが歌っている。

歌詞対訳は一切省略されているし、ライナー・ノーツさえ付いていない。

ボックスは幅16X奥行き13,5X高さ12,5cmの美麗でしっかりした装丁だが、底面にMADE IN UEとだけ記されていて会社の住所もサイトの表示もない、一種のダミー・カンパニーなのだろうか。

ヴェニアス・レーベルの企画はオールド・ファンにとっては魅力的なものが多く、またコスト・パフォーマンス的にもかなりリーズナブルだが、CDは何故か欧米のマーケットには全く出ていないので、主として日本人のクラシック通をターゲットにした商法なのかも知れない。

尚それぞれのジャケットの裏面に収録曲とトラック見出し及び演奏者、録音データが掲載されている。

音質は概ね良好で、一番古い1948年の『ホフマン物語』でも声楽部分は良く捉えられている。

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2016年02月04日


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オランダの名指揮者ベルナルト・ハイティンクの1959年から1988年までのフィリップス音源を20枚のCDにまとめたもので、音質は鮮明で分離状態の良いフィリップスが誇った音響が再現されている。

ハイティンクがコンセルトヘボウの主席指揮者に就任する以前の録音も含まれているので、その後の円熟期に至るまでの彼の足跡をパノラミックに展望できるのも魅力だろう。

実際、この頃のハイティンクのレコーディング・レパートリーは膨大で、例えば、ブルックナーとマーラーの双方の交響曲全集をレコーディングしたのは、この人が最初であった。

ハイティンクは1961年から1988年までロイヤル(アムステルダム)・コンセルトヘボウ管弦楽団で、1967年から1979年までロンドン・フィルハーモニー管弦楽団で首席指揮者を務めた。

この2つの世界的オーケストラを、これだけ長く振っていたというのも、特徴的なキャリアであるし、この時期というのは、いろいろと積極的な録音が展開された時期にも重なっている。

一方で、ハイティンクの才能が当初から広く認識されていたかと言うと、そうではない。

特に日本の批評は彼に対して芳しいものではなく、いわゆる「粗製乱造」とまでは言わないまでも、それに近い酷評をされていたし、それは当時の関連書物のいくつかに目を通せば明らかである。

しかし、いま改めてこれらの録音を聴いてみると、そのオーソドックスで暖かい音色と、豊かな中声部のふくらみを持った響きは、紛れもなく中央ヨーロッパのオーケストラ・サウンドを体現しており、彼は自身の個性よりも作品の特質を引き出すことに腐心した指揮者だと思う。

ウィーン・フィルとのブラームスの『ドイツレクイエム』の導入部分の天上的な美しさと、重い足取りの第2曲、そして壮大なフーガや終曲での諦観の表出は2人の優れたソリストの抜擢と相俟って、彼がブルックナーを始めとする純粋なオーケストラル・ワークだけでなく声楽曲の扱いにも第一級の腕を持っていることを証明している。

一方全集マニアの異名は、ハイティンクが1人の作曲家の作品を網羅的に、しかも徹底して研究せずにはいられない完璧主義の表れで、成し遂げた仕事の質と量には圧倒される。

確かにコンセルトヘボウはオペラを上演しないが、それでもハイティンクが残した交響曲、交響詩全集は同世代の他の指揮者を俄然凌駕している。

ハイティンクはまた広範囲の作曲家をカバーするオールマイティの指揮者だが、中でも得意とする現代音楽、例えば武満徹、メシアンなどで聴かせる鋭い感性とオーケストラへの強い統率力も聴きどころだ。

ライナー・ノーツは45ページほどで、詳細な曲目データの他に英、仏、独語で彼のフィリップス・イヤーズのキャリアが簡易に掲載されている。

ボックス・サイズは13X13X6,5cmでかなり大きめだが装丁はしっかりしている。

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2016年02月02日


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カリオペ音源のリイシュー盤で、メンデルスゾーンの瑞々しい才能が迸り出るような豊かな音楽性と、それをダイレクトに伝えるターリヒ四重奏団の明るくしなやかな弦のアンサンブルを高く評価したい。

弦の甘い空気がたっぷりと含まれた良い録音で、メンデルスゾーンの甘美かつ天才のきらめきに満ちたこれらの弦楽四重奏曲の世界を見事に表現しており、また音質にも恵まれているので入門者にもお薦めしたいセットだ。

メンデルスゾーンの音楽はどちらかと言えば素材重視の明晰な解釈が合っていて、手の込んだ凝り過ぎた表現や、あえて深みを強調するような演奏はそれほど相応しくない。

ターリヒ四重奏団は弦の国チェコの出身だけに、自然で美しい響きを常に活かしながら作曲家の屈託のない天性のメロディーと整然とした作曲技法を理想的に再現している。

しかし彼らのアンサンブルのテクニックは流石に緊密で隙がなく、各声部のバランスを巧妙に配慮しながら、決して分厚い和音の壁を作らずにフレキシブルな軽快さを保っている。

特に第4番ホ短調で聴かせる甘美でさりげない憂愁の佇まいや、第6番へ短調での先を急ぐ清冽な奔流を思わせる推進力が、おそらく彼らにしか表現し得ない雰囲気を醸し出していて秀逸だ。

音楽家のファミリー、ターリヒ一族はチェコ・フィルを黄金時代に導いた指揮者ヴァーツラフがその中心人物で、この弦楽四重奏団を創設した彼の甥で第1ヴァイオリンを弾いていたヤンは、伯父への敬意からこのアンサンブルの名称をとったようだ。

1964年にデビューを飾って以来、そのキャリアは既に50年になろうという息の長い活動を続けていて、この間に総てのパートのメンバーが入れ替わっているが、現在でもなおターリヒ家の血を受け継いだ息子のヤン・ジュニアが第1ヴァイオリンを受け持っている。

先般彼らはやはりカリオペ音源のモーツァルトの弦楽五重奏曲全曲を復活させ、また新譜物ではドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲をリリースしている。

それらはいずれも鮮烈でありながら鷹揚に弦を歌わせたターリヒの特徴が良く表れたアルバムだ。

ラ・ドルチェ・ヴォルタは仏ハルモニア・ムンディ傘下の新レーベルで、アルページュ・カリオペの全音源を買い取っているそうだが、ライナー・ノーツを充実させているのも特徴で、このセットでは作品解説と演奏者紹介が仏、英、日本語で52ページほどあり、読み物としても楽しませてくれる。

また写真家ベルナール・マルティネーズのアート・フォトも多数掲載されていて、手作りのCDとしてのオリジナリティーが感じられる。

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