2016年03月

2016年03月31日


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とにもかくにも存在感のある演奏である。

アファナシエフと言えば、例えばブラームスの後期のピアノ作品集とか、バッハの平均律クラヴィーア曲集などの、いかにも鬼才ならではの個性的な名演が思い浮かぶが、このシューベルトの最後の3つのソナタも、鬼才の面目躍如たる超個性的な演奏に仕上がっている。

アファナシエフが奏でるシューベルトは、凍りついた熱狂に満ち満ちていて、聴く者にある恐怖心を植えつける、凄い演奏ではある。

ただ、この演奏、私見ではあるが名演と評価するのにはどうしても躊躇してしまう。

確かにこれを初めて聴いたときは驚かされた。

シューベルトの長い長いピアノ・ソナタを、アファナシエフはさらにことさらゆっくりと弾いて行くのだ。

間のとり方も尋常ではなく、ついつい耳をそばだたされて聴かされてしまうという構図だ。

ところが、2回目聴くと、奏者の計算が見えてきてもはや驚きなどなくいわば冷めた観察眼による鑑賞へ転じてしまうのだ。

シューベルトの最後の3つのソナタは、シューベルト最晩年の清澄な至高・至純の傑作であり、短か過ぎる生涯を送った天才がもつ暗い底なしのような心の深淵、ともすれば自分も一緒に奈落へと引きづり込まれてしまうのではないか。

その内容の深さは他にも類例を見ないが、同時に、ウィーンを舞台に作曲を続けた歌曲王ならではの優美な歌謡性も持ち味だ。

ここでのアファナシエフの極端なスローテンポは信じられないほどだ。

ゆっくりとさらに断片化されたシューベルトのソナタは、1つ1つ刻印をきざむ様にしなければ前に進まない。

そこには美しい音もあるが、ある意味苦行とも言える部分がある。

これがシューベルトの苦悩なのかわからないが、アファナシエフの問いかけのような遅い進みは、様々な空想を孕む一方で、私達の集中力の限界との戦いというリアルな問題まで勃発している。

これは確かに存在感のある録音である。

しかし、聴く人にはある程度の覚悟を要する録音と言えるところであり、少なくとも「これからシューベルトを聴いてみる」という人にはお薦めできない。

特に各曲の第1楽章の超スローテンポ、時折見られる大胆なゲネラルパウゼは、作品の内容を深く掘り下げていこうという大いなる意欲が感じられるが、それぞれの緩徐楽章になると、旋律はボキボキと途切れ、音楽が殆ど流れないという欠点だけが際立つことになる。

これでは、作品の内容の掘り下げ以前の問題として、聴き手としてもいささかもたれると言わざるを得ない。

もっとも、ポリーニの無機的な演奏に比べると、十分に感動的な箇所も散見されるところであり、凡演というわけではないと考える。

シューベルトのこれらの楽曲について、ある程度知った人が「アファナシエフを聴いてみる」ためのディスクと言えよう。

Blu-spec-CD化によって、音質は相当に鮮明になった点は高く評価したい。

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2016年03月29日


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ジョージ・セルと言えばクリーヴランド管弦楽団であるが、他のオーケストラでもいくつか名盤と言われるものを残しており、その1つがこれ。

演奏芸術の世界は、表現の手法も含めて古楽器(オリジナル楽器)というジャンルと、現代楽器というジャンルと二手に分かれてしまった感がある「今」だが、古楽器の時代の音楽を現代の編曲術を駆使し普通の楽器で演奏する、ということの重大な意味を思い知らされた1枚。

ヘンデルのようなバロック音楽を、大オーケストラを指揮して演奏するというのは、もはや随分と過去の時代のもののように思うが、本盤のような名演に接すると、現代の古楽器奏法や古楽器演奏などというものが、実に小賢しく感じる。

弦楽器なんて何プルトあるんだと言いたくなるくらい厚い音であり、古楽器全盛の現代では考えられない録音で、時代考証的には絶対に間違った演奏であろう。

でもたとえば、《王宮の花火の音楽》の「序曲」後半における躍動感、この心弾むような気分こそ、ヘンデルが表現したかったものではないだろうか。

本盤が録音された1960年代前半というのは、セルの全盛時代であり、手兵のクリーヴランド管弦楽団とは、「セルの楽器」とも称されるような精緻な演奏が信条であった。

しかし、ロンドン交響楽団を指揮した本演奏では、むしろ、豊穣にして豪壮華麗なオーケストラの響きをベースとした温もりのある名演と言った趣きがする。

こういう演奏に接すると、セルは、特にクリーヴランド管弦楽団以外のオーケストラを指揮する場合には、冷徹な完全主義者という定評を覆すような、柔軟にして温かい演奏も繰り広げていたことがよくわかる。

音楽を聴く楽しみは、何と言ってもその演奏を聴いて、自分が心から感動するところにあるだろうし、その音楽の流れと自分とが1つになる経験をするということだ。

音楽の様式がどうのこうの、時代考証がああだこうだというのはその次に来るべき問題である。

このセルのヘンデルを様式や時代考証の点から否定するのは簡単であるが、だからといって多くの人から支持されてきたこの名演に対してダメだしすることは短慮である。

専門の音楽学者でもない素人が、しかし本当に心からクラシック音楽を愛する者が、いい音楽だという演奏はやはり素晴らしいものがあるのだろうし、筆者も実際聴いてみて引き込まれた。

これは、偉大な表現であることに間違いはなく、表現もかえって斬新。

録音もオリジナルテープからの復刻で鮮明である。

ただ、バロックを愛する者としては、ガーディナーやピノックなどの古楽器による(パイヤールやマリナーによる現代楽器によるものでもいいが)名演を聴いて、なおかつ余裕があればこういう演奏も聴いてほしいと思う。

そうするほうが、この厳格さの中に人間臭さを漂わせた大指揮者のヘンデルの良さもよりはっきりとわかると思う。

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2016年03月28日


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プラガ・ディジタルスの新シリーズ、ジェニュイン・ステレオ・ラブからの左手のためのピアノ曲集第2集になり、第1集のヴィトゲンシュタインに続いてチェコのピアニスト、オタカー・ホルマン(1894-1967)に因んだ作品を中心に4曲が収録されている。

日頃コンサートやメディアを通して鑑賞する機会の少ない曲種を集めた面白い企画に興味をそそられて買った1枚。

ヴィトゲンシュタイン同様ホルマンも第一次世界大戦で右手の機能を失い、左手のみでコンサート活動を続けたピアニストの1人だ。

彼のために作曲されたのがヤナーチェクの『カプリッチョ』及びマルティヌーの小協奏曲で、前者はフルート、トランペット2、トロンボーン3、チューバのブラス・アンサンブルにピアノの左手がソロとして加わるユニークな楽器編成を持っている。

ヤナーチェク特有の発話旋律が使われた、泥臭さはあるが語りかけるような生き生きしたリズム感とピアノ・パートが超然として斬新な音響を創造している。

一方マルティヌーのそれは『ディヴェルティメント』の副題が示すようにいくらか取り留めのない嬉遊性を感じさせる3楽章の協奏曲に仕上げられた曲だ。

他の2曲はブラームスの『左手のためのシャコンヌニ短調』とリヒャルト・シュトラウスのピアノ協奏曲『家庭交響曲からのパレルゴン』になる。

ブラームスの『シャコンヌ』は右手の故障で演奏活動を休止していたクララ・シューマンの慰みのために編曲されたと言われている。

バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調の終曲『シャコンヌ』の骨格と和声を忠実にピアノの左手に移したもので、ヴァルター・クリーンの1964年のラジオ・ライヴから採られている。

クリーンは伴奏家としてもグリュミオーとの協演で知られたピアニストだがブラームスのスペシャリストでもあり、ここでは骨太で力強い彼のソロを聴くことができる。

シュトラウスの方はヴィトゲンシュタインの要請に応える形で自作の『家庭交響曲』からのモチーフを取り入れて作曲され、フリッツ・ブッシュ指揮、ヴィトゲンシュタインのソロで初演された。

単一楽章で書かれていて後半部はタティアーナ・ニコラーエワの超絶技巧を、ロジェストヴェンスキーが華麗で堂々たるオーケストラでサポートしたモスクワ・ライヴになる。

第1集に比べて曲目の知名度がそれほど高くないために音源の選択肢も少なく、それだけに貴重なアルバムだ。

録音状態は概ね良好で鑑賞に難はない。

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2016年03月25日


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いわゆる4大ヴァイオリン協奏曲の中でもメンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、技量面での難しさもさることながら、音楽の精神的な深みよりはメロディの美しさが際立った作品である。

したがって、演奏するヴァイオリニストにとっても、卓越した技量を持ち合わせているだけでなく、楽曲のメロディラインをくっきりと浮き彫りにする姿勢を持ち合わせていないと、スコアに記された音符の表層をなぞっただけの浅薄な演奏に陥ってしまう危険性があると言えるだろう。

そうした中にあって、ハイフェッツによる本盤の演奏は、持ち前の超絶的な技量を駆使することのみによって、両曲の内容面をも含めた魅力を描出し得た稀有の演奏と言えるのではないだろうか。

ハイフェッツの全盛期の演奏であるだけに、先ずは、その持ち味である超絶的な技量に圧倒されてしまう。

同時代に活躍した、ヴィルトゥオーゾを発揮したピアニストにホロヴィッツがいるが、ホロヴィッツが卓越した技量が芸術を超える稀有のピアニストであったのと同様に、ハイフェッツも、卓越した技量が芸術を超える稀有のヴァイオリニストであったと言えるのではないかと考えられる。

世界最高のテクニシャンたるハイフェッツらしく、ビシッと決まった音程、理知的でインテンポな構築感の怜悧な鋭さ、それでいて決して機械的なわけではなく、行間からあふれ出る抑制の効いた歌はまさに絶品で、ハイフェッツの偉大さを堪能できる。

両曲ともに、ハイフェッツは、おそらくは両曲のこれまでのあまたのヴァイオリニストによる演奏の中でも史上最速のテンポで全曲を駆け抜けている。

これだけの速いテンポだと、技量面だけが前面に突出した素っ気ない演奏に陥る危険性を孕んでいると言えるが、ハイフェッツの場合には、そのような落とし穴にはいささかも陥っていない。

これほどの速いテンポで卓越した技量を披露しているにもかかわらず、技巧臭がいささかもせず、音楽の素晴らしさ、魅力だけが聴き手に伝わってくるというのは、まさに、前述のような卓越した技量が芸術を超える稀有のヴァイオリニストの面目躍如と言ったところであろう。

両協奏曲とも、美しく、激しく、緊張感に満ち、しかし聴いていて完全に満たされていくような演奏であり、これは、抜群の演奏としか言いようのない完成度である。

ハイフェッツについては、現在に至るまで、技巧派、冷たい演奏といった見方もあるが、よく耳を澄ませば、怜悧で厳しい演奏スタイルのなかに、ほの明るい色調と抑制の効いた深い感情表現を見い出すことができる。

両協奏曲の緩徐楽章においても、速めのテンポでありつつも情感豊かに歌い抜いており、このような演奏を聴いていると、ハイフェッツはヴィルトゥオーゾヴァイオリニストの第一人者として広く認知はされているが、血も涙もある懐の深い大芸術家であったことがよく理解できるところだ。

オーケストラのバックも申し分ないもので、ミュンシュ&ボストン響、ライナー&シカゴ響は、当時、全米のみならず欧州を含め、最高の技倆を誇った指揮者と交響楽団の組み合わせであり、録音時点はその最盛期に位置する。

いずれにしても、本盤の両協奏曲の演奏は、ハイフェッツの全盛期の演奏の凄さを大いに満喫させてくれる圧倒的な超名演と高く評価したいと考える。

これだけの超名演だけに、これまでハイブリッドSACD化など高音質化への取り組みがなされているが、これまでのところ、数年前に発売されていたSHM−CD盤よりも本Blu-spec-CD2盤の方が良好な音質である。

もっとも、ハイフェッツ全盛期の超名演だけに、メーカー側の段階的な高音質化という悪質な金儲け主義を助長するわけではないが、今後はシングルレイヤーによるSACD盤で発売していただくことをこの場を借りて強く要望しておきたい。

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2016年03月23日


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薫り高いドイツ音楽の王道をバックボーンにもつ名匠ブロムシュテットと名門シュターツカペレ・ドレスデンによる名盤の誉れ高いディスク。

モーツァルト後期の傑作交響曲のカップリングであるが、いずれも素晴らしい名演だ。

夕映えのようなモーツァルトを奏でさせたら天下一品として、ウィーン・フィルの好敵手のように讃えられてきた400年以上の伝統を誇るシュターツカペレ・ドレスデンによる極上のモーツァルト演奏である。

その音色だけで魅了されてしまうと絶賛された、モーツァルトの交響曲の最初に聴きたい最右翼盤と言えよう。

ブロムシュテットによる本演奏に、何か特別な個性があるわけではない。

奇を衒ったり、意表を突くような余計な装飾は一切無い、オーソドックスな演奏ではあるが、このオケの美しい音色をブロムシュテットは丁寧に引き出してくれる。

テンポも、楽器の鳴らし方も、全てが標準的と言えるが、このオーケストラの音色、アンサンブルは比類のないものであり、ここでもまるで指揮者なしのような、自然で癖のない音楽運びが、繰り返し聴きたくなる演奏の秘密であろう。

ブロムシュテットは、第40番においては、地に足がついたゆったりした荘重なインテンポで、重厚すぎると感じられる部分もあるが、この交響曲にある悲愴美を余計なことをしないで自然に引き出しているのが良い。

とりわけ有名な第1楽章第1主題の歌は胸に突き刺さる。

第41番「ジュピター」においても、ゆったりとしたテンポを基本にしたスケールの大きい演奏で、愚直に楽想を進めていくのみである。

19世紀的なモーツァルト観の現代版とも言えるロマンティックなものだが、表現自体は丁寧かつ自然な流れがあるので説得力がある。

モダン・オーケストラでならこのような解釈もこの交響曲の魅力の1つとして十分に楽しめる。

ブロムシュテットは、自己の解釈をひけらかすようなことは一切せずに、楽曲の魅力をダイレクトに聴き手に伝えることのみに腐心しているようにも感じられる。

これは、作品にのみ語らせる演奏ということができるだろう。

それでも、演奏全体から漂ってくる気品と格調の高さは、ブロムシュテットの指揮による力も多分に大きいものと考える。

ブロムシュテットとシュターツカペレ・ドレスデンの落ち着きのある演奏は、その爽やかで端正な音楽の流れが何ともすがすがしく、聴いていて心の安らぎを覚えるようである。

いずれにしても、モーツァルトの第40番や第41番「ジュピター」の魅力を深い呼吸の下に安心して味わうことができるという意味においては、トップの座を争う名演と言っても過言ではないと思われる。

こうした作品のみに語らせるアプローチは、時として没個性的で、無味乾燥な演奏に陥ってしまう危険性がないとは言えないが、シュターツカペレ・ドレスデンによるいぶし銀とも評すべき滋味溢れる重厚な音色が、演奏内容に味わい深さと潤いを与えている点も見過ごしてはならない。

刺激的な演奏、個性的な演奏も時には良いが、こうした何度聴いても嫌にならないどころか、ますます好きになって行く演奏、オーケストラの響きの素晴らしさに感心させられるばかりの演奏は他になかなかない。

適切なテンポで噛み締めるように演奏し、モーツァルトの個人的な情感を表現したというよりも交響曲としての陰影を克明に描いていると言えるものだが、心の中に自然としみ込んでくる演奏である。

しかし、これほどの演奏をするのは並大抵のことではない。

ここにブロムシュテットの音楽家としての力量と敬虔なクリスチャンである彼の作品に対する奉仕の姿勢がはっきりと読み取れるのではないだろうか。

表面の華麗さや古楽器などの面白味のあるモーツァルトとは正反対のモーツァルトであるが、誰が聴いても納得のいく普遍性を持つ演奏である。

残響の豊かなドレスデンのルカ教会における高音質録音もきわめて優秀であり、Blu-spec-CD化によって、さらに音場が拡がるとともに、音質により一層の鮮明さを増した点も高く評価したい。

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2016年03月21日


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ヒラリー・ハーンがドイツ・グラモフォンに移る前のソニー・レコーディングをまとめた5枚のCDセットは、従来のジュエル・ケースを5枚分束ねた形で既に2008年にリリースされていた。

今回のリイシューはライナー・ノーツ等を一切省いてCDのみをそのまま簡易なボックスに移し替えたもので、収録曲目については全く同様だがシェイプアップされてずっとコンパクトな仕様になった。

彼女のデビュー時から初期の録音が一気にコレクションできる便利さに加えてバジェット盤なので流通経路によってはかなりプライス・ダウンされている。

ソニーは新人には冒険をさせずに売れ筋の曲を録音させる傾向が無きにしも非ずで、その辺りのポリシーがハーンとの齟齬を招いたのかも知れないが、2003年以降彼女との契約を更新できなかったことはソニーにとっても芸術的な損失であったに違いない。

しかし流石にキレの良い鮮明な音質はハーンの清々しいヴァイオリンの音色を良く伝えている。

CD1は彼女が17歳で鮮烈なCDデビューを飾ったバッハの無伴奏ソナタとパルティータからの選集で、その如何にもフレッシュな音楽性とテクニックの調和は、ヴァイオリン界の新星という形容詞に相応しいものだったが、ハーンのその後の成長を見れば単なる器用な美少女ではなかったことは明らかだし、これから再びバッハに挑戦することも期待したい。

それに続く協奏曲集でも感性主導型が多い女流ヴァイオリニストとは一線を画した一種謎めいた冷やかさがあって、その辺りにとっつきにくさを感じる人もいるかも知れない。

当時のハーンの年齢からすれば当然だが、確かにこの時期の彼女には完成されたヴァイオリニストとしての資質は備わっていたとしても、余裕というか遊びの部分が欲しかった。

それはCD3のエドガー・メイヤーの協奏曲を聴けば明らかだろう。

しかし彼女の演奏には耽美的な要素は微塵もなく、常に知的な雰囲気が漂っていて、即興的な面白みやスリルはないかも知れないが、感性と知性のバランスを真摯に探る姿勢が今後のハーンの演奏にも反映されることは確実だろう。

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2016年03月19日


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本盤には、カラヤンがウィーン・フィルを指揮して演奏したドヴォルザークの交響曲第8番及び第9番が収められている。

両曲ともにカラヤンは十八番としており、これまでに何度もスタジオ録音を繰り返し行っている。

第8番で言えば、ウィーン・フィルとの演奏(1961年)、そして手兵ベルリン・フィルとの演奏(1979年)があり、第9番については、手兵ベルリン・フィルとの4つの演奏(1940年、1957年、1964年及び1977年)が存在している。

いずれ劣らぬ名演であると言えるが、これらの名演の中でとりわけカラヤンの個性が発揮された演奏は、ベルリン・フィルとの全盛期の1970年代の演奏であったと言える。

この当時のカラヤン&ベルリン・フィルの演奏は、分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

したがって、両曲についても、特に第9番については1977年盤、第8番については1979年盤においてかかる圧倒的な音のドラマが健在であるが、この稀代の黄金コンビも1982年のザビーネ・マイヤー事件の勃発を契機として、大きな亀裂が入ることになった。

加えて、カラヤン自身の健康悪化もあり、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏にもかつてのような輝きが失われることになったところだ。

そのような傷心のカラヤンに温かく手を差し伸べたのがウィーン・フィルであり、カラヤンもウィーン・フィルに指揮活動の軸足を動かすことになった。

本盤の演奏は、そのような時期(1985年)のカラヤンによる演奏であり、ここには1977年盤(第9番)や1979年盤(第8番)のようなオーケストラを圧倒的な統率力でドライブして音のドラマを構築したかつてのカラヤンの姿はどこにも見られない。

ただただ音楽そのものを語らせる演奏であるとさえ言えるだろう。

したがって、カラヤンの個性の発揮という意味においては1977年盤(第9番)や1979年盤(第8番)と比較していささか弱いと言わざるを得ないが、演奏が含有する独特の味わい深さや奥行きの深さという意味においては、本演奏の方をより上位に掲げたいと考える。

特に、第9番の第2楽章。

有名な家路の旋律をカラヤンは情感豊かに演奏するが、中間部は若干テンポを落として心を込めて歌い抜いている。

この箇所の抗し難い美しさはこれまでの他の演奏からは決して聴けないものであり、これこそカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

第8番の第3楽章の名旋律の清澄な美しさにも枯淡の境地を感じさせるような抗し難い魅力がある。

ウィーン・フィルも、名誉指揮者であるカラヤンに心から敬意を表して、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の大熱演を披露しているのが素晴らしい。

いずれにしても、本演奏は、重厚さと優美さ、ドヴォルザークならではのボヘミア風の抒情、そして、カラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地とも言うべき独特の味わい深さと言ったすべての要素を兼ね備えた、まさに完全無欠の超名演と高く評価したい。

このような完全無欠の超名演を2曲カップリングしたCDというのは、野球の試合に例えれば、ダブルヘッダーで両試合とも完全試合を達成したようなものであるとさえ言えるだろう。

音質は、リマスタリングがなされたこともあって従来盤でも十分に満足できるものであるが、SHM−CD化によって若干ではあるが、音質がやや鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。

もっとも、カラヤンによる至高の超名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2016年03月17日


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ワーナー20世紀クラシックス・シリーズのひとつで、この2枚組のCDにはレオシュ・ヤナーチェクの代表作『シンフォニエッタ』、『グラゴル・ミサ』、ピアノと室内楽のための『コンチェルティーノ』、『消えた男の日記』、ヴァイオリン・ソナタ等13曲が収められている。

このシリーズの中では比較的録音が新しく、鮮明な音色でヤナーチェクのエッセンスが鑑賞できるのが特徴だ。

20世紀の作曲家の中には自国の民族的なエレメント、つまり言語やリズム、メロディーを分析して作品に取り入れる例が少なくない。

その最も徹底した手法をとったのがハンガリーのコダーイとバルトークだろう。

しかしまたヤナーチェクもその1人で、彼は出身地のモラヴィア地方の言葉や民謡を熱心に研究した。

同じチェコの先輩ドヴォルザークは民族色溢れる曲想を多く盛り込んだが、ヤナーチェクはロマン派的な洗練という方法を取らず、むしろ土の薫りのするような音楽をそのまま楽曲に映し出した。

それは時として唐突といえるほどダイレクトで泥臭いが、ある時にはまた八方破れの斬新な印象を与えてくれる。

管弦楽のための『シンフォニエッタ』もその例外ではない。

指揮者サイモン・ラトルもそのあたりを良く心得ているようで、細部にこだわり過ぎることなく、大らかでたくましい曲趣を再現している。

ヤナーチェクはラトルにとって、デビュー当時から思い入れの深い重要なレパートリーで、本盤の演奏に見られる切れば血が吹き出てくるような圧倒的な生命力や、切れ味鋭いテンポ設定などには、現在の偉大なラトルを彷彿とさせるような豊かな才能を感じさせる。

フィルハーモニア管弦楽団を起用したのも成功しており、冒頭のファンファーレなど実に輝かしくて巧い。

バーミンガム市交響楽団との協演になる『グラゴル・ミサ』は、そのスラヴ的な厳粛さとスケールの大きさは流石だが、声楽のソリスト陣がいくらか力み過ぎているのが気になるところだ。

声楽曲の中ではイアン・ボストリッジが原語で歌う『消えた男の日記』が圧巻だ。

この曲では、田舎の因習に縛られて生きる若者の逸脱した恋と衝撃的な結末が見事に描き出されている。

筆者はチェコ語もその方言も全く分からないし、このシリーズでは歌詞対訳が省かれているので、訳詩をダウンロードする必要があった。

勿論対訳を読みながら聴いても一言一句の意味を知ることはできないが、ボストリッジの真に迫った歌唱からはヤナーチェクが望んでいた表現が少なからず実現されているように思う。

少なくともポストリッジの発音は明瞭を極めていて、かなり学習したことが窺える。

現代ではあらゆる声楽曲を原語で歌う習慣が定着しているが、それは作曲家が原詩のアクセントやイントネーションを尊重しながら曲を付けていくために、意味を優先せざるを得ない訳詩ではそうした言葉と音楽を密接に繋ぐ特性が失われてしまうからだ。

その意味でボストリッジのチェコ語への挑戦は非常に好感が持てる。

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2016年03月15日


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アバドはブラームスの楽曲を数多く指揮しており、交響曲や管弦楽曲、協奏曲、声楽曲などあらゆる分野の楽曲の演奏・録音を行っているが、アバドの芸風に符号した楽曲も多いこともあって、少なくともベートーヴェンよりは多くの名演を遺していると言えるのではないだろうか。

そうしたアバドによる数あるブラームスの楽曲の名演の中でもトップの座を争うのは、ブレンデルと組んだピアノ協奏曲第1番(1986年)と本盤に収められたハンガリー舞曲集ではないかと考えている。

本ハンガリー舞曲集については、ブラームスが生誕150年を迎えるのを記念して録音が行われたものであるが、古今東西の指揮者による同曲の多種多様な演奏の中でも、フィッシャー&ブダペスト祝祭管による名演(1998年(旧盤(1985年)も名演であるが、どちらを上位にするかは議論の余地があるところだ。))と双璧を成す至高の超名演と高く評価したい。

本演奏においては、何よりもアバドの指揮が素晴らしい。

この当時のアバドは次代を担う気鋭の指揮者として、ロンドン交響楽団などと素晴らしい名演の数々を行っていた時代である。

ここでも、そのような気鋭の指揮者アバドならではの生命力溢れる力強さとともに、豊かな歌謡性に満ち溢れた快演に仕上がっている。

ハンガリー舞曲はごくごくソフィスティケイトされた形ではあるけれどハンガリー・ジプシー音楽が直接あるいは間接に取り入れられた作品。

そのエキゾチックな雰囲気を、アバドとウィーン・フィルがきびきびした足取りと抜群のアンサンブルでたっぷりと楽しませてくれる。

確かに、本演奏には、前述のフィッシャー盤のような民族色の濃さは感じられないが、豊かな音楽性や歌謡性、そして湧き立つような躍動感においては、ハンガリー舞曲集の演奏としていささかも不足はないと言えるだろう。

このようなアバドとともに、豊穣な美しさを誇る名演奏を繰り広げたウィーン・フィルにも大きな拍手を送りたい。

本名演の成功の半分はアバドの指揮によるものであるが、ウィーン・フィルの優美にして豊麗な響きも、本演奏に独特の魅力や味わい深さを付加していることを忘れてはならない。

録音は、従来盤でも十分に満足し得る音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質がより鮮明になるとともに、音場が広がったように思われる。

アバド&ウィーン・フィルによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2016年03月13日


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ワルター晩年の貴重なステレオ録音ライヴラリーの中でも特に素晴らしい演奏を味わえる1枚である。

両曲ともに、ワルターならではのヒューマニティ溢れる情感豊かな名演だ。

特に、「第5」については、この曲を語る上で忘れてはならない名盤で、他のどの演奏よりも美しく、同曲最高の名演と特に高く評価したい。

第1楽章など、実にゆったりとしたテンポで開始するが、その懐の深さは尋常ではなく、初めてこの曲を聴くような新鮮さを感じさせる。

緩徐楽章など天国的に美しく、随所に感じられるニュアンスの豊かさ、繊細さも至高・至純の美しさに満ち溢れている。

それでいて、第3楽章などは力強さに満ち溢れており、決して典雅な優美さ一辺倒には陥っていない。

比較的小品的な扱いをされるこの曲の魅力を再発見させてくれる素晴らしい演奏内容である。

DSDリマスタリングによる高音質化も、決して嫌みのない音質に仕上がっており、このシリーズでは成功例に掲げられるだろう。

「未完成」も初出以来多くの評論家やファンが認める名演中の名演で、この曲の持つロマンティシズムを情緒纏綿に謳い上げた素晴らしいもの。

「未完成」には、最近では、ウィーン風の優美な情緒よりも、よりシリアスにシューベルトの内面を掘り下げていく、いわば辛口の名演が増えつつあるが、本盤は、ウィーン風の優美な情緒を売りにした古典的な名演と言えるだろう。

かつての古典的な名画に「未完成交響楽」があるが、本盤の演奏はまさに、当該名画のイメージがあり、ウィーン風のニュアンス豊かな絶美の音楽がどこまでも醸し出されていく。

如何にもワルターらしい曲を慈しむような丁寧な表現が何とも素敵で、特にオーケストラがニューヨーク・フィルという事で、弦パートの絹のような芳純な味わいが何とも言えない。

特に、ゆったりとしたテンポで情感豊かに演奏していく第2楽章が特に秀逸だ。

冒頭の淡々とした表現から次第に盛り上がって行く様子も実に自然で、例によって曲の随所に「歌」が溢れているところがワルターの真骨頂と言えよう。

傑作歌曲を数多く残したシューベルトの曲中に潜む多くの「歌」を表現出来た最後の指揮者の1人がワルターであった事は紛れもない。

録音はSACD盤がベストであるが、DSDリマスタリングも「第5」ほどではないものの成功しており、通常CDとしては、やはり本盤を推したい。

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classicalmusic at 21:54コメント(0)トラックバック(0)シューベルトワルター 

2016年03月11日


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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、雄大なスケール、朗々と歌う旋律、チェロの特質を極限まで生かした傑作で、チェロ協奏曲の王様とも言うべき不朽の名作であり、それ故に古今東西の様々なチェリストがこぞって演奏・録音を行ってきた。

それだけに、名演には事欠くことはなく、本稿にも書ききれないほどの数多い名演が存在している。

カザルスと並んで20世紀最大のチェリストと称されたロストロポーヴィチも、同曲の録音を繰り返し行っており、ターリッヒ&チェコ・フィルとの演奏(1952年)を皮切りとして、ハイキン&モスクワ放送交響楽団との演奏(1956年)、カラヤン&ベルリン・フィルとの演奏(1968年)、ジュリーニ&ロンドン・フィルとの演奏(1977年)、そして小澤&ボストン交響楽団との演奏(1985年(本盤))の5度にわたってスタジオ録音を行っている。

その他にもライヴ録音も存在しており、これは間違いなくあらゆるチェリストの中でも同曲を最も多く録音したチェリストと言えるのではないだろうか。

これは、それだけロストロポーヴィチが同曲を深く愛するとともに、満足できる演奏がなかなか出来なかった証左とも言えるところだ。

本録音はその最後(1985年)となった作品であるが、ロストロポーヴィチ会心の円熟作であり、彼の芸術の集大成とも言うべき名演を繰り広げている。

ロストロポーヴィチは、小澤との本録音(1985年)の演奏の出来に大変満足し、本盤のレコード会社であるエラートに、今後2度と同曲を録音しないという誓約書まで書いたとの噂も伝えられているところである。

したがって、ロストロポーヴィチの円熟のチェロ演奏を聴きたいのであれば1985年盤を採るべきであろう。

ロストロポーヴィチが、これをもって最後のレコーディングにすると決めたことは、このCDを聴いた人には容易に理解できるだろう。

ロストロポーヴィチによるチェロ演奏は、超絶的な技量とそれをベースとした濃厚な表情づけで知られているが、楽曲によってはそれが若干の表情過多に繋がり、技巧臭やロストロポーヴィチの体臭のようなものを感じさせることがあった。

本盤に収められた両演奏においても、かかるロストロポーヴィチの超絶的な技量を駆使した濃厚な歌いまわしは顕著にあらわれているが、表情過多であるという印象をいささかも与えることがなく、むしろかかる濃厚な演奏が必然であると感じさせるのが素晴らしい。

肩の力が抜けている分、音がぐんぐん伸び、低音の朗々たるところなど、まさに比類ない。

驚異的なテクニック、「祈り」の様な深い情感は、聴き手に大きな感動をもたらし、多用されるピアニッシモも人工的にならず、表情の魔法のような変化が詩的で、聴く者の心を打つ。

チャイコフスキーも千変万化の名演で、心から勢いよく涌き出てくる作曲家からのメッセージや曲想をすばらしい技巧によって難なく自然にあますところなく表現している。

そして、ロストロポーヴィチによる濃厚なチェロ演奏をしっかりと下支えしているのが、小澤&ボストン交響楽団による名演奏である。

小澤は、しっかり自己主張しながらボストン交響楽団のいいところを引き出して独奏者の好演に華を添えている。

ロストロポーヴィチと小澤はお互いを認め合うなど肝胆相照らす仲であったことで知られているが、本演奏でも、小澤の指揮は音楽性が最高で、伴奏者としても敏感であり、ロストロポーヴィチへの深い尊敬を秘めた指揮ぶりで、彼のチェロ演奏を引き立てた見事な好パフォーマンスぶりを発揮していると高く評価したい。

ソリストに最大の敬意をはらいどこまでも純粋にその音楽を支えようという指揮者、そんなバックに最大の謝辞を示し、ともに高め合おうと慈愛を向けるソリスト。

それにしても小澤は、ソリストとどのような力関係にあったとしても、変幻自在に立ち回り良い仕事ができる、ソリストにとって理想的な指揮者なのではないだろうか。

小澤の、心地良い風が吹きぬけるような自然で繊細な演奏とその中で響き渡るロストロポーヴィチの朗々たるチェロの音。

これを聴いたらドヴォルザークもにっこり微笑むのではないだろうか。

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classicalmusic at 21:08コメント(0)トラックバック(0)ロストロポーヴィチ小澤 征爾 

2016年03月09日


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チャイコフスキーの3大バレエ音楽には様々な名盤が存在するが、現代のスタンダード的な名演と評せるのはゲルギエフ&マリインスキー劇場管弦楽団盤であろう。

ゲルギエフは、とかくクールな最近の指揮者の中で飛びぬけてスケールの大きな音楽性とヴァイタリティの持ち主であるが、その強みは彼が根っからの劇場育ちというところにあるといってよいだろう。

35歳という若さで名門サンクトペテルベルク・マリインスキー劇場の芸術監督という重責を担い、ソ連崩壊による混乱期を見事に乗り切った手腕は、並々のものではないし、その活動が祖国にしっかり根を下ろしているのも、心強い限りである。

抜群の音楽性や指揮テクニックだけでなく、自分の音楽にこうしたバックボーンを持っていることがゲルギエフへの信頼をいっそう大きなものにしているといってよいだろう。

「スーパー・ダイナミック・コンダクター」といわれるようにきわめてエネルギッシュな指揮は、同時にロマンティックで抒情的な表現にも秀でている。

しかもその才能の大きさに加えて、統率力とカリスマ性も現代の指揮者の中で群を抜いており、今世紀の音楽界を担う巨匠として活躍の幅を広げているのである。

ところで自由化のあと退潮の傾向を見せるところが多かった旧東側あるいは旧ソヴィエトの中で、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場はゲルギエフを音楽監督に迎えたことによって、予期せぬほどの好調ぶりを示した。

オーケストラもアンサンブルを整え、機能的な表現力を増して、かなり上質なものとなったが、このチャイコフスキーの3大バレエにも、それが明らかにされている。

どちらかといえばバレエのテクニックや舞台をそれほど意識したものではなく、演出やプリパレーションを含む振付けとの関連などはほとんど考えさせないほど、オーケストラルなレパートリーとなりきっていて、それだけに、ディスクとしてはいっそう楽しめる。

緊密なアンサンブルを率いて、パワフルかつハイ・テンションで突き進むゲルギエフの熱さにひるんでしまうが、表現にもオケの響きにも、生半可な洗練を持ち込まず、むしろ開き直ってゴリゴリとやってのけたところに、ゲルギエフの野性本能を感じる。

それだけにロマンティックな夢に浸らせる以上に、ドラマとしてのバレエ音楽に誘うシンフォニックなチャイコフスキーといえよう。

平坦に、浅く流れず、演奏全体が旋律もリズムも響きも垂直に積み重ねられていくような密度を誇り、曲が進めば進むほど感動の深度も深められていく。

ゲルギエフのもとで鍛え抜かれたマリインスキー劇場管弦楽団がすばらしく、気高く輝かしいロシアン・サウンドを満喫させる。

特に、《眠れる森の美女》は、《白鳥の湖》や《くるみ割り人形》に比べると、際立って特色のある音楽があまりないので、下手をすると平坦になってしまうし、それに結構長いので、まとめ方がちょっと難しいように思うのだが、そういうなかでゲルギエフは長さを感じさせず巧くまとめていると思う。

それに加えてゲルギエフは、ロシア人としての自信に溢れた表現で聴かせてしまうところが面白いのではないだろうか。

《くるみ割り人形》は、全曲がCD1枚に収まってしまうくらいかなりテンポが速いが、その一気呵成にタッタッとやったところが、逆に面白い。

その一方で、ゲルギエフの演奏は常に1曲ずつが、それぞれ手作りの料理みたいな印象を与える。

オーケストレーションにおいて既に巨匠の域に達していたチャイコフスキーが秘術を尽くしたこの大作バレエのスコアでも同様、あたかも一部屋ずつ、魔法の扉を初めて開けてゆくような鮮度の高さで料理してみせるのだ。

その演奏を特徴づけているのが弦の奏法で、序曲から終景の〈グラン・パ・ド・ドゥ〉まで、一味違った表現が新鮮な驚きをもたらす。

《白鳥の湖》で使用しているマリインスキー版はなかなかのクセモノで、チャイコフスキーのオリジナル・スコアに、削除や短縮、編曲、さらには他曲の挿入まで施される。

通常耳にする全曲盤はオリジナル譜を元にしているから、かなりの変更に戸惑うかもしれないが、本盤の演奏の方がより実際のバレエ上演に近いのである。

というのも《白鳥の湖》がプティパとイワーノフの演出によって蘇演された1895年以来、このバレエは猝昇遶瓩箸靴読堝阿涼楼未鮴蠅瓩襪海箸砲覆襪里世、本盤はその歴史的な蘇演をそのまま復元した画期的な演奏なのだ。

まさに、本場ならではの狎犬た演奏瓩粘咾れており、百年以上前に蘇演を手がけた由緒ある同オケに演奏を託したこともまた、この盤の真価を高めている。

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classicalmusic at 23:20コメント(0)トラックバック(0)チャイコフスキーゲルギエフ 

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1982年にデジタル録音され、翌年7月に発売されたチャイコフスキー/3大バレエ音楽の全曲盤セット。

ランチベリーは、現在では知る人ぞ知るという存在に甘んじているが、バレエ音楽を専門にしている人だけあって、本BOXに収められたチャイコフスキーの3大バレエは、テンポ設定とリズム処理が巧みで、しかも各場面の情景描写が実にうまく、そうしたランチベリーの資質に見事に合致する楽曲であり、素晴らしい名演に仕上がったと言っても過言ではあるまい。

ランチベリーが自家薬籠中のものとしているチャイコフスキーのバレエ音楽だけに、巧みな棒さばきで各場面を的確に描き分けながら、作品の幻想的な持ち味をあますところなく表出している。

演奏スタイルは典型的な英国のロイヤル・バレエの流れを汲むもので、構成重視で洗練されたものであり、プレヴィンやボニングなどの演奏に近い。

前項で紹介したスヴェトラーノフのようなロシア的な民族色を全面に出したあくの強い表現など薬にもしたくなく、どこをとっても軽快で洗練された音彩に満たされているのが特色だ。

ランチベリーの本演奏におけるアプローチは明快そのものであり、楽曲を難しく解釈して峻厳なアプローチを行うなどということとは全く無縁であり、楽曲をいかにわかりやすく、そして親しみやすく聴き手に伝えることができるのかに腐心しているように思われる。

この『くるみ割り人形』『眠りの森の美女』『白鳥の湖』の全曲ヴァージョンでも、洗練された豊かな色彩と華麗なダイナミズム、そしてなめらかなフレージングを駆使してしっとり美しいチャイコフスキーならではの魅力を見事に表現している。

ランチベリーは前述のように、バレエ音楽のスペシャリストと言われているだけに、これらの曲を実に甘美でロマンティックな雰囲気で、表現し尽している。

全体にややテンポを速めにとりながらも、チャイコフスキー独特の抒情的な旋律をたっぷりと歌わせながら、どの曲も表情豊かにまとめている。

聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりは心憎いばかりであり、ランチベリーの豊かな音楽性が本演奏では大いにプラスに働いている。

情緒的なものに過度にのめり込むことなく、かといって、非情につぱねるようなこともなく、知情意のバランスが無理なくとれていて、どの角度からみても、ランチベリーならではの、安定した性格の演奏と言えよう。

決してとりわけ優美であるとか、ファンタジー的であるという性格ではないが、個々のことが整然と把握されており、全体のバランスがよく、洗練されたスマートなプロポーションで、ランチベリーの力量のほどを物語るような安定した出来ばえを誇る内容だ。

ランチベリーとしても一番指揮者として脂がのっていた時期と言えるところであり、快速なテンポながらオーケストラをしっかり統率する様は充実感にあふれている。

ランチベリーのアプローチは、聴かせどころのツボを心得たわかりやすさを信条とするもので、何よりも各バレエの性格を的確につかんで、キャラクタライズする彼の手腕には感嘆させられる。

交響曲ではなく、バレエ音楽だけに、このようなアプローチは理想的であり、チャイコフスキーならではの親しみやすい旋律に満たされた同曲の魅力を、我々聴き手は安定した気持ちで満喫することができるのが素晴らしい。

いわゆるシンフォニックなコンサート・スタイルというより、バレエの舞台を彷彿とさせる劇場的な表現であるが、巧みに弦と管を融合させたオーソドックスな音楽づくりが、これらの曲の真髄を誤りなく、聴き手にメッセージされるのである。

その語り口の巧さといい、音楽的な洗練度といい、未だに魅力を失っておらず、文句のつけようがない見事な名演と言えるだろう。

全体として非常に完成度の高い出来ばえで、ほどよい距離を保ちながら、全体を的確に把握しており、危うさがない。

この3大バレエ全曲盤を聴くと、チャイコフスキーのバレエ音楽の楽しさを十分味わうことができる。

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2016年03月07日


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チャイコフスキーのバレエ音楽には、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演や、プレヴィン、ボニングによる英国ロイヤル・バレエの流れを汲む名演、そしてロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演などがあまた存在しているが、このスヴェトラーノフによる演奏は、前述のロシア風のあくの強い民族的な流れを最も感じさせる超個性的な名演と言うことができよう。

ラフマニノフの交響曲全集とともにスヴェトラーノフが遺した最高傑作の呼び声もある同アルバムは、今でもチャイコフスキーのバレエ音楽の最上演奏のひとつとして高く評価されている。

また再評価され高い人気を誇るスヴェトラーノフ・ファン必聴のアルバムであり、ロシア国立交響楽団のまさにロシアの広大な大地を彷彿させる咆哮サウンドは現在世界のどのオーケストラも出すことのできない強靭なサウンドである。

チャイコフスキーの3大バレエ音楽は、言うまでもなく以前からきわめて人気のある作品である。

そして、“バレエ音楽の神様”と評されたアンセルメやドラティの名演を始めとして、前述の様々な指揮者によって《白鳥の湖》《眠れる森の美女》《くるみ割り人形》の名盤がいくつも誕生するに至っている。

これらはいずれも素晴らしい名演であり、客観的な視点で評価すると、プレヴィン&ロンドン交響楽団が最も万人向けな誰にでも安心して薦めることのできる名演との評価に値すると思われるが、好き嫌いで言うと、筆者が最も好きなチャイコフスキーの3大バレエの演奏は、本BOXに収められたスヴェトラーノフによるいかにもロシア的なあくの強い演奏である。

本BOXに収められた諸曲の演奏は、おそらくはそれぞれの諸曲の演奏史上でも最もロシア的な民族色の濃い個性的な演奏と言えるのではないだろうか。

トゥッティにおける咆哮する金管楽器群の強靭な響き、あたりの空気が震撼するかのような低弦の重々しい響き、雷鳴のように轟くティンパニ、木管楽器やホルンの情感のこもった美しい響きなどが一体となり、これ以上は求め得ないようなロシア風の民族色に満ち溢れた濃厚な音楽の構築に成功している。

その迫力は圧倒的な重量感を誇っており、あたかも悠久のロシアの広大な大地を思わせるような桁外れのスケールの雄大さを誇っている。

何よりも真実味に富んだ音楽的な感興があり、しかも全体の設計に無理がなく、平衡感の強い造形で、各パートも細部までよく練られ、明晰な音楽が生まれている。

この決然とした表現はロシアの血の表明であり、聴き手を説得せずにはおかない本場物のよさがある。

バレエのダンサーからすると、このあくの強い演奏は踊るのに不向きとの声も聞かれそうだが、長編の交響詩風の演奏は他のどの指揮者よりも説得力があり、聴いた後の充足感には比類のないものがある。

まるで重量物が大きく弾む様を思い浮かばせるが、スヴェトラーノフとロシア国立交響楽団によるこうしたロシア的特質は、豪壮雄大なロシアのオーケストラの音楽の特徴を今に伝える貴重な存在と言えよう。

金管にロシア風の強烈さがあるのは当然だが、ここまで洗練された感覚美を感じさせるのはロシアのオケではあまり例がない。

いずれにしても、ロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ、ゲルギエフなどのロシア系の民族色の強い演奏の系譜の中では、このスヴェトラーノフの演奏はその最右翼に位置する破格の名演として高く評価したいと考える。

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2016年03月05日


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プラガ・ディジタルスの新リリースの中でも版権の切れた、いわゆるヴィンテージ・コレクションに当たる音源をDSDリマスタリングしてSACDで蘇らせるシリーズは、音質に関しては玉石混交でかなりノイズの煩わしいものに出くわしたこともある。

またプラガは以前ソースやデータの改竄や表記ミスなどで物議を醸したレーベルなので、オールド・ファンでも用心してその出所を見極めなければならないのが実情だが、ここに紹介する曲集のように優れた音源の蘇生に成功している例も少なくない。

イーゴリ・マルケヴィチ指揮によるムソルグスキーの歌曲集は当時全盛期のソプラノ、ガリーナ・ヴィシネフスカヤの端正でスケールの大きな歌唱が卓越している。

それはロシアの風土とは離れがたい特有の感触を持っているが、また彼女の磨き抜かれた美声と多彩な表現が黒光りするような演奏で、更にこの作品を色彩化しているのがマルケヴィチ自身のオーケストレーションだ。

作曲家としてのプロフィールを持つ彼の繊細な感性と巧みな管弦楽法がアレンジに活かされている。

尚オーケストラはRUSSIAN SYMPHONY ORCHESTRAと表示されているが、当時のソヴィエト国立交響楽団と思われる。

1962年のフィリップス音源で『子守唄』『お喋りカササギ』『夜』『星よ、何処へ』『いたずら小僧』『ドニエプル河で』の6曲が収録されている。

ムソルグスキーの『展覧会の絵』はオーソドックスなラヴェル編曲版で、ベルリン・フィルとの1953年のモノラル録音によるセッションだが、録音もマスター・テープの保存状態も良好で、リマスタリングの効果で充分な音場の広がりと芯のある立体的で鮮明な音質が得られている。

マルケヴィチの指揮は厳格で細部にもその鋭利で几帳面な指示が行き届いているが、ベルリン・フィルの巧妙なアンサンブルとスペクタクルな音響が良く呼応して演奏が萎縮している印象はない。

またテンポはいくらか速めで全曲を通して30分強だが、それぞれの曲の特徴が凝縮されていて、輪郭の明瞭な組曲に仕上がっている。

マルケヴィチが指揮した多くの『展覧会の絵』の原点とも言うべき筋の通った力強さが感じられる演奏だ。

音源はドイツ・グラモフォン。

最後のストラヴィンスキーの『詩篇交響曲』の録音は、このCDのライナー・ノーツでは1960年と表示されているが、フィリップスからは1962年の音源としてリリースされていた。

どちらも同じメンバーによるセッションなので同一音源であることにほぼ間違いない。

このあたりがプラガのミステリーで予断を許さないところかも知れない。

いずれにせよ現代音楽を得意としたこの指揮者の典型的なサンプルで、少年合唱を含むコーラス陣と大編成のオーケストラを扱った二重フーガの第2楽章や、かなり難解な終楽章「アレルヤ」を鮮烈な色彩と張り詰めた緊張感で貫いた表現が秀逸だ。

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2016年03月03日


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モーツァルトの6曲ある弦楽五重奏曲は粒揃いだが、その中で、最も人気のある第3番と第4番をカップリングしたもので、演奏や録音も含めすべての面で次元の高い名盤と高く評価したい。

評論家の小林秀雄氏によって「モォツアルトの悲しさは疾走する」と評された弦楽五重奏第4番を含むアルバムである。

弦楽五重奏曲の第3番、第4番は、交響曲第40番、41番の関係に比較されることも多い、同時期作曲の楽曲で、第40、41番同様、かたや雄大で重厚、かたや哀感ある曲になっているが、これらの曲を、名門スメタナ四重奏団は、名手スークを迎え、その重厚感、哀感を見事に再現していて素晴らしい。

円熟期のスメタナ四重奏団と名手スークによる同曲の決定盤と言えるところであり、室内楽ファンを魅了してやまないアルバムと言えよう。

何よりも、スメタナ四重奏団の自然体ですっきりとした非常に端正な演奏が、これらの楽曲の楽想に見事にマッチングし、精緻を極めたアンサンブルと美しくおおらかな表現が秀逸。

ゆったりとした気持ちで、モーツァルトの素晴らしい音楽の魅力をダイレクトに味わうことができるのが素晴らしい。

第3番では作曲家天性の晴朗さが彼らの落ち着いたテンポ設定によって古典派特有の形式美を伴って再現され、意味の無い感情表出に拘泥しない極めて透明度の高い演奏だ。

一方第4番はモーツァルトにとって意味深い調性ト短調で書かれているが、ここでも彼らのアプローチは決して憂愁に媚びるものではなく、むしろ明るく艶やかな音色を生かして流麗な曲想をダイレクトに辿っている。

しかしその解釈は言葉では言い尽くせないほど懐が深いために、かえってモーツァルトの内面的な音楽性を浮かび上がらせることに成功しているのも事実だ。

もちろん、スメタナ四重奏団の演奏には、例えば最近解散したアルバン・ベルク四重奏団や今をときめくカルミナ四重奏団のような強烈な個性などは感じられないが、各奏者のハーモニーの調和においては、他のいかなる四重奏団をも凌駕し、第1ヴィオラを弾いたスークの名演奏も含め、極上の美演を披露、彼らのモーツァルトの弦楽五重奏曲集は素晴らしいの一語に尽きる。

弦楽五重奏曲を演奏する喜びが、これほどまでに音化されている例はほかにもあまりなく、これぞ室内楽曲の至高・至純の芸術美と言えよう。

録音も、通常盤でもかなりの高音質を誇っていたが、Blu-spec-CD化によって、より一層鮮明な音質に生まれ変わった。

このような名演を極上の高音質で味わうことができることを大いに喜びたい。

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2016年03月01日


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ノイマンは、ライナーノーツにも記されているように、ドヴォルザークの「新世界より」を160回も演奏したようである。

チェコ出身の指揮者だけに、同曲はバイブルのような存在なのかもしれないが、それにしても、その演奏回数は尋常ではないと言えるのではないか。

筆者がこれまでCDで聴いてきたノイマンの演奏では、1973年の旧全集盤、1982年の新全集盤、N響との1986年盤、ポニーキャニオンに録音した1995年盤、そして本盤の1993年盤の5種であるが、いずれも、ノイマンの同曲への深い愛着を感じさせる名演であり、甲乙つけ難い高水準の演奏に仕上がっている。

ただ、どれか1枚をあげろと言われれば、同曲の初演100周年を記念して録音された本盤ということになるのではないかと考える。

数え切れないほどこの曲を演奏してきた巨匠ノイマンとチェコ・フィルにとっても、この演奏会は特別なものであり、その堂々たる演奏は他の追随を許さない王道中の王道といえるものだ。

「本場」と言えば、まさにそのことを誇る演奏で、歴史と愛着と、そして自信をこめた演奏がここにあり、同曲の模範的演奏であると確信するものである。

知と情のバランスのとれた名演で、何の気負いも衒いもなく、きっちりとドヴォルザークの音楽が展開される。

「チェコの指揮者とチェコ・フィルのよる100年記念の演奏」ということで、この曲に内在する深い郷愁の感情を前面に押し出した祝祭的な演奏を期待するとややはぐらかされるかもしれない。

そのかわり、しっかりした三次元的なバランスのいいオーケストラの音と、余計な恣意的なものの付け加わらない、実に純粋で真摯な《新世界》の音楽が伝えられる。

かといって、決して情緒の深さに欠けているという意味ではなく、第2楽章の哀愁も、第4楽章の激しい感情の起伏も十分に堪能できる。

ただ、ノイマンの音楽は、常に「ノリ」を超えないというか、過度に情緒に浸ることは絶対にない。

オーケストラは、木管群も金管もどちらかというと地味だが、さすが第4楽章のホルンをはじめ金管群は凄く、第4楽章全体は、抑えていたものが一気に爆発するような感じがある。

個性を強調したり、やたら民族色を振りかざすアプローチではないが、どこをとっても人間的な温もりのあるふくよかな抒情に満ち溢れており、ノイマンの同曲への愛着も相俟って、最もゆったりとした気持ちで同曲を満喫することができる点を高く評価したい。

これだけの名演だけに、コロンビアは、DVD−audio盤、HQCD盤とこれまで高音質録音盤を発売してきたが、DVD−audio盤はイマイチ。

するとHQCD盤との比較になるが、臨場感という意味において、本盤のblu-spec-CD盤に一日の長があるのはないかと考える。

故郷ボヘミヤへのドヴォルザークの想い、周辺国の支配から独立した自国へのチェコの人々の想い、そして自国の英雄ドヴォルザークへの想いなど、いろいろな想いが込められた熱演で、聴く側にもその想いが伝わって来る好アルバムと言えよう。

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