2016年04月

2016年04月29日


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極限の美を追求した、カラヤンならではの磨き抜かれた壮絶な演奏を体感できる1973年録音盤。

広範なレパートリーを誇るとともに、余人を寄せ付けないような膨大な録音を遺したカラヤンであったが、マーラーの交響曲については、必ずしも主要なレパートリーとしては位置づけていなかったようだ。

カラヤンが録音したマーラーの交響曲は、第4番、第5番、第6番、第9番、そして『大地の歌』の5曲のみであり、これに少数の歌曲が加わるのみである。

同時代の大作曲家であるブルックナーの交響曲全集を録音した指揮者にしてはあまりにも少ないし、むしろ、クラシック音楽ファンの中には、カラヤンの指揮するマーラーの交響曲全集を聴きたかったと思っているリスナーも多いのではないだろうか。

そうした比較的数少ないカラヤンの録音したマーラーの交響曲の中で、先般、第6番のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化が行われる運びとなった。

筆者としては、第9番の1982年のライヴ録音のシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を期待したいところであるが、いずれにしても、カラヤンの芸風が色濃く表れた稀少なマーラーの交響曲演奏の1つがSACD化されたことについて、大いに喜びたいと考える。

本盤に収められたマーラーの交響曲第5番は、全盛期のカラヤンとベルリン・フィルの徹底的に磨き抜かれた、甘美で艶やかな美音の洪水が聴き手を圧倒するが、起伏も豊かで、隅々にまで配慮が行き届いていて実に見事である。

同曲の名演としては、バーンスタイン&ウィーン・フィルによるライヴ録音(1987年)やテンシュテット&ロンドン・フィルによるライヴ録音(1988年)などが、ドラマティックな超名演として第一に掲げるべきであろうが、本盤のカラヤンによる演奏は、それらの演奏とは一線を画する性格を有している。

クラシック音楽史上最大のレコーディング・アーティストであったカラヤンによる本演奏は、それらのドラマティックな名演とはあらゆる意味で対極にある演奏であり、ここには前述のような人間のドラマはいささかもなく、純音楽的な絶対美だけが存在している。

しかしながら、その圧倒的な究極の音のドラマは、他の指揮者が束になっても構築不可能であるだけでなく、バーンスタイン盤などの名演との優劣は容易にはつけられないものと考える。

何よりも、当時蜜月の関係にあったカラヤン&ベルリン・フィルが、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な名演奏を展開しているのが素晴らしい。

うなりをあげるような低弦の迫力、雷鳴のように轟きわたるティンパニ、ブリリアントに響き渡るブラスセクションなど、凄まじいまでの迫力を誇っている。

一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブルは、もはや人間業とは思えないような凄さであり、加えて、カラヤンならではの流麗なレガートが演奏全体に艶やかとも言うべき独特の美しさを付加させているのを忘れてはならない。

もちろん、そうした美しさが、前述のバーンスタインやテンシュテットなどの名演にあった強靭な迫力をいささか弱めてしまっているというきらいもないわけではないが、他方、第4楽章における徹底して磨き抜かれた耽美的とも言うべき極上の美しさには抗し難い魅力が満ち溢れている。

この「アダージェット」で、カラヤンは、テンポを極端に落とし、官能的とすら言えるほどの艶やかな歌を聴かせてくれる。

我々聴き手の肺腑を打つ演奏と言えば、前述のバーンスタインやテンシュテットなどの名演を掲げるべきであろうが、聴き終えた後の充足感においては、本演奏もいささかも引けを取っていない。

筆者としては、全盛期のカラヤン&ベルリン・フィルならではの磨き抜かれた美しさの極みとも言うべき素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

マーラーの抱えていたペシミズムやニヒリズムなどは一顧だにせず、あくまで自分の流儀をやり通したカラヤンは流石である。

本演奏については、数年前に他の交響曲とのセットでSHM−CD化が図られたが、音質の抜本的な改善は図られなかったと言える。

カラヤン&ベルリン・フィルによる極上の美酒とも言うべき究極の名演であり、可能であれば、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望みたいと考える。

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2016年04月27日


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ル・コンセール・デ・ナシオンの8名のメンバーによる『音楽の捧げもの』が録音されたのは10年以上も前のことになるが、ピリオド楽器を使用した演奏として音楽的な水準の高さにおいても、またその再現の美しさでも未だ第一級の価値を失っていない。

ジョルディ・サヴァルの演奏にはスピリチュアルな高揚からの特有の気迫のようなものが常に感じられ、それが弛まずにこの演奏全体を牽引していることは確かだ。

それだけに隙のない声部の織り成す対位法の綾が聴きどころだが、バッハが献呈文に綴ったラテン語のイニシャルがリチェルカーレを暗示しているように、ここでもサヴァル自ら弾くヴィオールが加わる古風な楽器編成が、その謎めいた美学を象徴しているように思われる。

バッハは「ふたつのヴァイオリンのための同度のカノン」及び「トリオ・ソナタ」以外の楽器編成を指定していないので、アンサンブルの編成はサヴァル自身のアレンジと思われる。

大王のテーマはマルク・アンタイのトラヴェルソによって提示される。

これはバッハがポツダムの宮廷を訪れた時に、フリードリヒ大王が自らトラヴェルソを吹いてこのテーマを与えたという言い伝えに基くものだ。

その事実関係はともかくとして、アンタイはテーマの高貴さと神秘性をシンプルに奏して、曲の開始に相応しい期待感を高める効果を上げている。

また後半の始めに置かれた「トリオ・ソナタ」では、彼の自由闊達な音楽性とオーソドックスなテクニックの手堅さが示されている。

3声と6声のリチェルカーレはどちらもピエール・アンタイの柔軟で色彩感豊かなチェンバロ・ソロで演奏されているが、6声の方は最後に通奏低音付の弦楽合奏版でも収録されている。

特に後者を聴くと『フーガの技法』と並んで対位法音楽の頂点とも言われているこの曲集が、決して紙に書かれただけの理論の集大成ではなく、実際に音楽として鳴り響いた時の美しさを表現し得ていることに改めて気付かせてくれる。

これもサヴァルのポリシーだろうが音質の良さでも高く評価できるCDで、それぞれの古楽器の繊細な音色を捉え、音響のバランスにも優れている。

尚ピッチは現代より半音ほど低いa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチを採用している。

三面折のデジパック入りで、35ページほどの綴じ込みのライナー・ノーツには仏、英、西、カタルーニャ、独、伊語による簡易な解説が掲載されている。

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2016年04月25日


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フルトヴェングラーのブル5(ハース版準拠)はウィーン・フィルとの1951年のザルツブルクでのライヴ盤がよく知られている。

この1942年のライヴ録音は意外に音がクリアで迫力に富み、大戦中のベルリン・フィルとの録音の中でも音は最良のもので、1951年盤よりはるかに明確にフルトヴェングラーのブルックナー観が打ち出されている。

本演奏では、フルトヴェングラーが若々しい気迫に満ちた音楽を聴かせ、アゴーギクとデュナーミクを巧みに融合させた効果は、まさに名人芸と言わねばなるまい。

生前、ブルックナー協会の会長をつとめていたフルトヴェングラーの、ブルックナーの音楽に対する傾倒の深さを物語るかのような、雄渾な演奏で、その彫りの深い、雄大な表現には圧倒されてしまう。

特に第1楽章の冒頭、序奏部のあとのブルックナー休止に続くティンパニの一撃と金管の壮烈なコラールはフルトヴェングラーの真骨頂を示すもの。

フルトヴェングラーの視点から再構成されたブルックナーという印象もあるが、その音楽の壮大さは比類がなく、全編、ライヴならではの即興性はあるものの、それ以前に強固な演奏スタイルを感じる。

フルトヴェングラーの指揮も、ブルックナーの信仰告白とも言うべきこの曲に対して、深い精神性に裏づけされて見事に音化されている。

フレーズの処理が実に生き生きとしており、オーケストラは常時に変化するテンポ、リズムにピタッとあわせ、その一方でメロディは軽く、重く、明るく、暗く、変幻自在に波打つ。

凡庸な演奏では及びもつかない凝縮感と内容の豊穣さであり、作品の世界にのめりこみながらも、バランスを崩す直前で踏みとどまるが、その匙加減が絶妙だ。

第1楽章、ブルックナーに特徴的な「原始霧」からはじまり、順をおって登場する各主題をフルトヴェングラーは意味深長に提示していく。

それはあたかも深い思索とともにあるといった「纏」(まとい)とともに音楽は進行していく。

この曲は極論すれば第1楽章で完結しているかの充足感があるが、続く中間2楽章では、明るく浮き立つメロディ、抒情のパートはあっさりと速く処理し感情の深入りをここでは回避しているようだ。

その一方、主題の重量感とダイナミックなうねりは常に意識され、金管の分厚い合奏がときに前面に出る。

終楽章は、第1楽章の<対>のように置かれ、各楽章での主題はここで走馬灯のように浮かび、かつ短く中断される。

その後、主題は複雑なフーガ、古式を感じさせるコラール風の荘厳な響き、そしてブルックナーならでは巨大なコーダへと展開され、長い九十九折(つづらおり)の山道を登り峻厳なる山頂に到達する。

このブル5、フルトヴェングラーの演奏スタイルに特異な魔術(デーモン)を感じ、作品にふさわしいドラマティックな要素が際立つ。

現代においては殆ど聴かれない大時代的なアプローチとも言えるが、1942年においては一般的なアプローチであり、フルトヴェングラーの演奏が必ずしも特異なものであったとは言えない点に留意すべきであろう。

旋律のみずみずしいしなやかさ、地の底から噴きあげるようなブラスの和声の充実感、作為なく、ブルックナーの音楽そのものを感じさせる造型、あらゆる点で、もう二度と現れまいと思われるような演奏である。

今日のブルックナー解釈とは異なる世界に位置する歴史的名盤である。

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2016年04月23日


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レージネヴァ3枚目のアリア集は、昨年1月に亡くなったロシアのメゾ・ソプラノ、エレナ・オブラスツォワに捧げられている。

収録曲目はヘンデルがイタリア滞在中に作曲したオペラやオラトリオを中心とした作品からの14曲で、その他トラック6には器楽合奏による『アグリッピーナ』のシンフォニアが加わっている。

オーケストラは前回と同様ジョヴァンニ・アントニーニ率いるイル・ジャルディーノ・アルモニコで、先鋭的なピリオド・アンサンブルでは老舗になった彼らのフレッシュなサウンドでのサポートがソロを引き立てている。

またアントニーニは今回トラック12のオラトリオ『アポロとダフネ』より「いとも幸福な魂」でオブリガート・トラヴェルソを演奏していて、洗練されたレージネヴァの歌唱との息の合ったデュエットも聴きどころだ。

2015年1月の録音で音質は極めて良好。

ライナー・ノーツにはイタリア語及びラテン語歌詞に英、独、仏語の対訳付。

サハリン出身のコロラトゥーラ・ソプラノ、ユリア・レージネヴァは現在世界中のオペラ劇場でキャリアを積んでいるが、録音活動では目下バロックの作品に情熱を注いでいて、前回の宗教曲集『アレルヤ』の時に既にピリオド唱法をマスターしてヴィブラートを抑えたすっきりした無理のない歌唱と、レース刺繍のような華麗な超絶技巧を披露した。

ここでも第1曲目からその離れ技が全開だが、このCDではヘンデルのイタリアン・リリシズムを究めたいくつかのアリアが聴き逃せないだろう。

例えばトラック3のオラトリオ『時と悟りの勝利』から「棘を避けて薔薇を摘めよ」は後にロンドンで上演される『リナルド』の「私の泣くままに」と同一曲で、シンプルなアリアだけに歌手の表現力に総てがかかっている。

後奏でのドミトリー・シンコフスキーによるヴァイオリンのアドリブも効果的だ。

また同曲から最後の「天の選ばれし御使い」は声の魅力を最大限に活かしながら、レージネヴァは飾り気のない純粋な声楽の美しさを堪能させてくれる。

ヘンデルは21歳の時から3年(1706-1709)に亘ってイタリアに滞在し、アルカンジェロ・コレッリを中心とする作曲家達との交流によって自らの作曲技法に磨きをかけ、またべネデット・パンフィーリ枢機卿を始めとする有力者の援助を得て作曲活動とその上演の機会を与えられた。

ここに収録された総ての作品はイタリアで作曲されたか滞在中にスケッチされたもので、当時の典型的なスタイル、つまりカストラート歌手の唱法を念頭において書かれている。

ヘンデルは後にカストラート歌手達の勝手な装飾や物語の筋とは関連性のない自己顕示のためのアリアの改竄などに辟易したのか、あるいはこの曲種に限界を感じたためかイタリア・オペラの作曲を打ち切ってしまう。

しかし当CDに収録された作品から、彼がこの時期イタリア風カンタービレをすっかり手の内に入れていたことも想像に難くない。

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2016年04月21日


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このCDに収録されたオイストラフのソロによるチャイコフスキー及びシベリウスのヴァイオリン協奏曲は、10年ほど前にメロディアのオイストラフ・エディション第1巻に組み込まれた、どちらもゲンナジー・ロジェストヴェンスキーとのライヴ録音で、入手困難になっていたが、忘れられない名盤の待望の復刻である。

前者が1968年7月27日のモスクワ放送交響楽団、後者と最後に置かれているシベリウスのヴァイオリンとオーケストラのための2曲の『ユモレスク』が1965年7月23日のモスクワ・フィルハーモニー交響楽団との協演と記載されているが、何故かメロディア盤とはオーケストラの名称が逆になっている。

新しくリマスタリングされているので、この時期のモスクワ・ライヴとしてはオイストラフのソロも鮮明に再現されているが、チャイコフスキーの方は録音データが新しいにも拘らず、モノラル録音で電気的に音場を拡げた擬似ステレオらしく、オーケストラ側の分離、解像度はいまひとつだ。

また残響がやや過剰で、演奏終了後のホール内にエコーのような歪んだ響きが残ってしまっている。

シベリウスは状態の良好な正真正銘のステレオ録音で、リマスタリングの効果も一層明瞭で艶やかな音質が再現されている。

尚このジェニュイン・ステレオ・ラブ・シリーズは同じプラガ・ディジタルスからリリースされているSACDではなく、従来のレギュラー・フォーマットであることに注意する必要がある。

演奏に関しては指揮者ロジェストヴェンスキーの激しさに感化されてか、オイストラフもセッションでは聴けないようなドラマティックな表現が特徴で、ソロもオーケストラも燃え切っていて、いずれも屈指の名演と言えるものだ。

チャイコフスキーでは終楽章の噴出するような情熱が通常のオイストラフのイメージでもある磐石な安定感とは異なった意外とも思える彼の一面を見せていて興味深い。

オケが土俗感丸出しで荒れ狂い、オイストラフがそれに応えるあたりの凄まじさは、ライヴならではの聴きものである。

一方シベリウスの協奏曲はハチャトゥリアンのそれと並んで他の追随を許さないほどのオイストラフの十八番であった。

シベリウスらしい北欧の香りにはいささか乏しいが、弱音を重視した流麗な演奏であり、オイストラフがこの音楽に身を捧げているかのような愛情が感じられる。

特に、第2楽章の哀調や、ほとばしる情熱が聴きもので、厳しく気迫のこもった演奏を聴かせている。

ロジェストヴェンスキーの創り出すブラス・パートの咆哮がこの曲のシンフォニックな側面を強調しているが、オイストラフの応酬も凄まじく躍動的で大きなスケール感を堪能させてくれる。

尚シベリウスは作品87の2曲及び作品89の4曲の計6曲の『ユモレスク』を作曲していて、ここに収められているのは前者の方だが、それぞれがオーケストラ付の機知に溢れた小品で、第2曲ではオイストラフの溌剌としたソロが無窮動的な曲想を更に生き生きと描き出している。

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2016年04月19日


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ヴェルディ晩年の傑作オペラ『オテロ』の歴史的録音では、カラヤンが1960年にデル・モナコ、テバルディを主役に起用したウィーン・フィルとの音源と、その6年前エレーデが同じキャストでサンタ・チェチーリアを指揮したイタリア勢による1954年録音の2組のデッカ盤を無視することはできないだろう。

カラヤン盤は流石にオーケストラの実力に物を言わせてドラマを抉り出しているが、歌に関しては音像がやや後退している感じが否めない。

エレーデは全盛期だった歌手陣に全力投球させて声の饗宴を実現しているが、逆にオーケストラの統率力ではいくらか弛緩していて時として冗長に感じられる。

一方セラフィン、ローマ歌劇場管弦楽団による当盤は、声楽とオーケストラのバランスでは絶品で、奏法が拮抗しつつ歌心に満たされた、しかし緊張感溢れる舞台を創り出している。

1960年録音だが新規にディジタル・リマスタリングされて生々しいサウンドが蘇っていて、対訳は省略されているが、トラック見出し付の英、仏、独語による簡易なシノプシスが掲載されている。

皮肉にもカラヤン盤と同年のリリースになったわけだが、こちらはRCAとの契約で主役2人をヴィッカースとリザネックに委ねていて、彼らの良くコントロールされた歌唱は高く評価できるが、持ち声をダイレクトに活かす朗々としたイタリア的美声とキレの良さ、そしてその表現力はデル・モナコ、テバルディには及ばない。

リザネックの声質は若き悲劇のヒロイン、デズデモナにしては暗めでいくらか太いのが玉に瑕だ。

ただしここではヤーゴをティト・ゴッビが演じていて、彼の声による演技は主役の2人以上に展開するドラマの要を押さえて恐るべきものがある。

第1幕の「乾杯の歌」からヤーゴの邪な野望と民衆を焚きつけて煽動する巧みな心理描写が見事だが、第2幕のアリア「クレード」と幕切れの「神懸けて誓う」でこのオペラの実質的なピークを形作っている。

ちなみにゴッビのヤーゴは1959年イタリア歌劇団来日の時の録画も残されていて、彼の舞台上での役者としての優れた演技も忘れ難いものだが、オペラ全体の出来栄えと録音の良さではこちらを採りたい。

ローマ歌劇場管弦楽団はウィーン・フィルやサンタ・チェチーリアに比べればいささか荒削りだが、その前身は『カヴァレリア・ルスティカーナ』や『トスカ』の初演を飾った、オペラ一筋に鍛えられたオーケストラでもあり、歌に付き随う柔軟な融通性と劇場的効果の表出に優れた腕を持っている。

セラフィンは戦前ローマ・オペラ座の音楽監督を10年以上に亘って務め楽団のテクニックを洗練させたが、晩年しばしば古巣に戻ってこのセッションでも聴かれるように1960年代初頭に彼らの一時代を築いている。

彼の指揮は徹底した声の表現による明快なドラマ作りにあり、それを妨げるような一切の小細工を避けているが、管弦楽法にも精通していて、カンタービレの真髄とも言える絶妙な指揮法とバランス技を縦横に駆使し、リリカルな場面と劇的な場面の交錯とその対比で稀に見る効果を上げている。

それは本来の伝統的なイタリア・オペラの姿でもあるだろう。

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2016年04月17日


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モントゥーが1956年にローマ・オペラ座で行ったセッションで、歌手達の伝統的な歌唱法をある程度許容してイタリア・オペラの醍醐味を損なうことなく、全体を隙なくまとめてみせた手腕は流石だ。

モントゥーのオペラ全曲盤は、彼の経歴からすれば意外なくらい少なく、しかもこのセッションでは彼が得意としたフランスものや20世紀のロシア物ではなく、ベル・カントの牙城ヴェルディを採り上げているのが更に興味深いが、イタリアのマエストロと聴き違えるくらい声の魅力を活かし、簡潔にドラマを描く力量に改めて感心させられた。

歌手の抜擢もかなり堅実で、主役のヴィオレッタにはコロラトゥーラ・ソプラノではなく、リリコ・スピントのカルテリを使って、主人公の意志の強さと物語としての筋道を明確にしている。

輪郭のはっきりした美声で高音にも恵まれていた彼女は、こうした性格的な役柄には充分に実力を発揮している。

一方アルフレード・ジェルモンには当時既にマリア・カラスと同オペラで場数を踏んで、1953年からはニューヨークのメトロポリタンにも登場していたヴァレッティを使っている。

彼の声はテノーレ・ディ・グラーツィア、つまり優雅なテノールとして分類されていて、決して声量で圧倒するタイプではないが恩師スキーパ譲りの無理のない理知的な歌唱が、一途な青年アルフレードの性格を良く描き出している。

そして彼の父ジョルジュ・ジェルモン役のウォーレンだが、彼は対照的に大音声を誇ったバリトンでいくらか癖のある歌い回しがスタイリッシュで面白みもあるが、モントゥーは要所要所でしっかりと制御している。

『椿姫』ではオーケストラの聴きどころに第1幕及び第3幕への前奏曲がある。

それぞれが劇中に出てくるモチーフを繋いだ短いオーケストラル・ワークだが、ここにもモントゥー特有のオーケストラへの巧みな采配と曲想に対するデリカシーが横溢している。

特に終幕のそれはしばしば聴かれる病的な脆弱さや安っぽい感傷を避け、ヴェルディの様式を重視して中庸のテンポと明朗な響きを堅持している。

ローマ・オペラ座管弦楽団はスカラ座ほどネーム・バリューはないにしても、かつてはマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』やプッチーニの『トスカ』を初演した伝統を持っていて、オペラにその本領を発揮するオーケストラだけあって、響きは薄いが融通の利く柔軟性でモントゥーの指揮に良く呼応している。

先頃リリースされたRCAへのコンプリート・レコーディングスに加わっていたものと同一のリマスター音源を使っているために、モノラル録音ながら音量レベルが上がり、充分に鮮明な音質で鑑賞できる。

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2016年04月15日


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本盤に収められたブラームスの交響曲全集は、カラヤン&ベルリン・フィルによる3度目の、そして最後のスタジオ録音である。

それだけでなく、数多くの様々な作曲家に係る交響曲全集のスタジオ録音を行ってきた、史上最高のレコーディング・アーティストであるカラヤンによる最後の交響曲全集にも相当する。

3度にわたるカラヤン&ベルリン・フィルによるブラームスの交響曲全集の中でも、最もカラヤンの個性が発揮されているのは、1977〜1978年に録音された2度目の全集であると考えられる。

というのも、この当時はカラヤン&ベルリン・フィルの全盛期であったと言えるからだ。

分厚い弦楽合奏、ブリリアントなブラスセクションの響き、桁外れのテクニックをベースに美音を振り撒く木管楽器群、そして雷鳴のように轟きわたるティンパニなどが、鉄壁のアンサンブルの下に融合し、およそ信じ難いような超絶的な名演奏の数々を繰り広げていた。

カラヤンは、このようなベルリン・フィルをしっかりと統率するとともに、流麗なレガートを施すことによっていわゆるカラヤンサウンドを醸成し、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマを構築していた。

当該2度目の全集においても、かかる圧倒的な音のドラマは健在であり、どこをとってもいわゆるカラヤンサウンドに覆い尽くされた圧巻の名演に仕上がっていた。

これに対して、本盤の3度目の全集においては、カラヤンの統率力の衰えは隠しようもない。

1982年に勃発したザビーネ・マイヤー事件によって、カラヤンとベルリン・フィルの間には修復不可能な亀裂が入るとともに、カラヤン自身の著しい健康悪化も加わって、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏に、1970年代以前のような輝きが失われるようになったからだ。

したがって、いわゆるカラヤンの個性が全開であるとか、はたまたカラヤン&ベルリン・フィルによる圧倒的な音のドラマの構築と言った観点からすれば、第1番などには全盛期の豪演の片鱗が感じられなくもないが、前述の1977〜1978年の2度目の全集と比較するといささか劣っていると言わざるを得ない。

しかしながら、本演奏には、死の1〜3年前の演奏ということもあって、枯淡の境地を感じさせるような独特の味わいがあると言えるところであり、このような演奏の奥深い味わい深さと言った点においては、カラヤンによるこれまでのいかなる演奏をも凌駕していると言えるだろう。

このような奥行きのある味わい深さは、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地であったと言えるのかもしれない。

もっとも、本盤においては、何故か交響曲第4番について1988年の録音ではなく、1977〜1978年の2度目の全集中の録音を採用している。

演奏自体は1977〜1978年の演奏もきわめて優れてはいるのであるが、全集の構成としてははなはだ疑問を感じずにはいられない。

最近になって、最後の全集が輸入盤で発売はされたが、このような疑問を感じさせるカップリングについては、早急に改めていただくようにユニバーサルに対して要望しておきたい。

音質は、従来盤でも十分に満足できるものであると言えるが、数年前にカラヤン生誕100年を記念して発売されたSHM−CD盤がより良好な音質であった。

もっとも、カラヤンによる最晩年の至高の名演でもあり、今後はシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2016年04月13日


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プラガ・ディジタルスのSACD盤シリーズで、ムラヴィンスキーは既にリヒテルとの協演で2枚、その他にオイストラフとショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲を収めた1枚がリリースされているが、今回彼が振ったオーケストラル・ワークのレパートリーから更に2枚が加わった。

演奏については今更言及するまでもない評価の高い名盤なので、音質がどの程度改善されたかが鑑賞のポイントになるだろう。

ショスタコーヴィチが1961年2月12日のライヴ、スクリャービンの方が1958年12月22日のセッションのどちらもモノラル録音で、演奏の質とその意義を考えればSACD化の価値は充分に見出せるが、当時の欧米の大手メーカーに比較するとこれらの音源とその保存状態は理想的とは言えないのも事実だ。

改善された点は高音部の伸びと音場に奥行きが感じられるようになったことで、その結果以前より無理のない柔らかで潤いのある音質が得られている。

モノラル録音では楽器ごとの分離状態がある程度確保されることで臨場感が補われるので、その意味では成功しているし、また僅かながら音像に立体感が出ている。

特に管弦打楽器が一斉に鳴り響く総奏の部分では再生し切れなかった音の塊りが、より自然に響いている印象を受ける。

ショスタコーヴィチの交響曲第8番ハ短調はムラヴィンスキーに献呈され、彼によって初演された作品なので、指揮者自身にも強い思い入れがあった筈だし、ライナー・ノーツによればこの曲はジダーノフ批判の波に曝されて1948年から56年まで上演禁止の憂き目に遭っていた。

交響曲としての色調はいたって暗く、ムラヴィンスキーによって鍛え抜かれたレニングラード・フィルの統率感と凄まじいばかりの集中力がただならぬ雰囲気を作り上げている。

第3楽章のミリタリー的なファンファーレの応酬にも硬直した感じがないのは流石で、それに続くパッサカリアへの劇的な変化にも必然性がある。

当時の放送用ライヴだが、幸い客席からの雑音は最低限に抑えられている。

一方スクリャービンの交響曲第4番『法悦の詩』は官能的な演奏とは言えないが、逆にある種硬質な透明感が曲の神秘性を醸し出している。

2台のハープ、オルガン、チェレスタや多くのパーカッションが活躍するこの曲こそステレオ録音で聴きたいところだが、ムラヴィンスキーによって冷徹に熟考されたダイナミズムとバランスはそうした弱点を超越して特有の色彩感も感知させている。

ちなみに同SACDシリーズでムラヴィンスキーのオーケストラル・ワーク第2集、バルトーク、オネゲル及びストラヴィンスキーの作品集がリリースされている。

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2016年04月11日


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レオンハルトはひとつひとつの短い曲に豊かなアーティキュレーションと控えめだが自在なフレージングで個性を与え、全体的にも精彩と変化に富んだ曲集に仕上げている。

また良く聴いているとレジスターの使い分けも多彩で、チェンバロの機能と音色の魅力を巧みに引き出しているところにも斬新さがある。

鍵盤楽器の学習者にとってバッハのインヴェンションとシンフォニアは避けて通れない、言わば必須の練習曲だが、レオンハルトの演奏はそうした教則本をイメージさせるような陳腐さや退屈さから一切解放された、音楽としての価値を改めて問い直し、最高の教材は同時に最高の芸術作品でなければならないというバッハ自身の哲学を実践した演奏と言えるだろう。

特にシンフォニアになると各声部を注意深く感知させるだけでなく、装飾音の扱いにもさまざまな工夫が聴かれるし、時には大胆とも思える拍内でのリズムのずらしやハーモニーを崩して弾く方法を試みて、チェンバロ特有の表現力の可能性を追究すると共に、この曲集の持つ音楽的な高みを明らかにしている。

彼らによって復元されたこうした奏法は、ヒストリカル楽器の持つ構造的な機能を熟知して初めて可能になるもので、それ以前のモダン・チェンバロによる演奏では聴くことができない。

楽譜に対する深い洞察により作品の本質に鋭く迫った演奏で、厳格なバランス感覚に裏打ちされた知的な自由さが大きな魅力となっている。

気品あるチェンバロの音色も一聴に値するものであるが、1974年にアムステルダムで録音されたいくらか古い音源なので、音質がやや硬く聞こえるのが惜しまれる。

ここでの使用楽器はアントワープの名匠J.D.ドゥルケンが1745年に製作した二段鍵盤のチェンバロを、1962年にマルティン・スコヴロネックがレオンハルトのためにコピーしたもので、典型的なルッカース系の暗めだが品のある豊かな余韻を持った響きが特徴だろう。

レオンハルトはピリオド楽器による演奏の先駆者として楽器の選択にもかなりの拘りを持っていた演奏家の1人だ。

尚ピッチは現代よりほぼ半音ほど低いa'=415Hzに調律されている。

このふたつの曲集ではバッハの明確な意図に基く全く無駄のない学習方法が考案されている。

これから鍵盤楽器を学ぼうとする人のために、始めは指の独立と2声部を巧く弾けるように、そして上達するに従って3声の曲に移り、とりわけカンタービレ、つまりそれぞれの旋律を歌わせる基本的なテクニックを学びながら、更にはテーマを展開して曲を構成するための作曲技法習得の手本としても役立てるようにと添え書きしている。

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2016年04月09日


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シベリウスの楽譜の校訂もしているベルグルンドはシベリウスの交響曲全集を3度にわたって録音しているが、衆目の一致するところ、2度目のヘルシンキ・フィルとのものが最高傑作であると言えるだろう。

1度目の全集のパートナーだったボーンマス交響楽団よりもヘルシンキ・フィルはシベリウスを奏でる楽器として理想的。

3度目のヨーロッパ室内管弦楽団は編成が小さいだけに、曲によって向き不向きがあり、全集としてのヘルシンキ盤が最も優れていると思う。

そればかりか、古今のシベリウスの交響曲全集の中でもトップを争う名演だと評価したい。

特にその中でも「第1」「第2」「第6」は、いずれも北欧的な抒情とフィンランドの民族的な力強さを兼ね備えた超名演である。

「第1」は、ベルグルンドのシベリウス解釈に見事に符合する楽曲であり、どこをとっても熱い燃えるような民族的な高揚と清涼感溢れる抒情という、ある意味では二律相反する要素を併せ持つという至芸をいとも簡単に成し遂げている。

これは、ベルグルンド&ヘルシンキ・フィルのシベリウスへの敬愛と深い理解の賜物であろう。

ベルグルンドはシベリウスの「第2」を3度にわたりスタジオ録音しているが、ベストの演奏は、やはり本盤のヘルシンキ・フィルを指揮したものだと思う。

第1楽章など、シベリウスの演奏様式としては禁じ手とも言うべき緩急自在の思い切ったテンポ設定を行っているが、決してやり過ぎの感じがしないのは、ベルグルンドがシベリウスの本質をしっかりと捉えきっているからに他ならない。

第2楽章は、おそらくは史上最速と言ってもいいくらいの快速のピツィカートで開始されるが、かのバーンスタインの新盤のような大仰なテンポ設定と比べると、はるかにしっくりくる。

中間部の金管楽器の鋭さや北欧風の清涼感溢れる抒情、沈み込むような低弦の響きなど最高だ。

第3楽章から第4楽章にかけては、あまり踏み外しはないが、終結部の圧倒的な高揚感は、さすがはベルグルンドである。

「第6」は、冒頭の繊細なヴァイオリンの演奏からして、身も心も洗われるような北欧を吹く一陣の清涼感溢れる風に触れるようだ。

どこをとっても、世の中にこれほど美しい音楽があるのだろうかと思わせるほどの天国的な美しさに満ち溢れている。

もちろん、第3楽章の終結部など、シベリウスの内面に秘めた情念のような力強さにもいささかの不足はない。

「第6」のおそらくはベストを争う名演と言っても過言ではないだろう。

その他もベルグルンドの厳格な指揮のもと鳴り響く音楽は、感情表現の手段としてではなく、シベリウスが見ていた、あるいは頭の中に思い描いた情景や心象風景として存在するように聴こえる。

いずれも北欧風の抒情を活かした名演で、聴かせどころのツボはしっかりと心得ており、ベルグルンド&ヘルシンキ・フィルに内在する祖国愛に満ち溢れた至高の名演集と評価したい。

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2016年04月07日


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2008年に38年に亘った演奏活動に終止符を打ったアルバン・ベルク四重奏団が、その全盛期に録音した、彼らにとっては2度目に当たるブラームスの3曲の弦楽四重奏曲とピアノ五重奏曲へ短調を収録した2枚組リイシュー盤になる。

当時のメンバーは結成当時からの第1ヴァイオリンのギュンター・ピヒラー及びチェロのヴァレンティン・エルベンの他、第2ヴァイオリンがゲルハルト・シュルツ、ヴィオラがトマス・カクシュカで、ピアノにはブラームスのスペシャリスト、エリーザベト・レオンスカヤを迎えている。

アルバン・ベルク四重奏団のブラームスは彼ら特有の鋭い感性に貫かれた演奏であるために、ある意味で聴く人を選んでしまうかもしれない。

しかもここに収められた4曲は作曲家が推敲に推敲を重ねた結果の、ひたすら個人的な思索の所産に他ならず、多くの聴衆を想定した音楽ではないからだ。

それはベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲にも喩えられるだろう。

人によってはいたたまれないくらい厳しい曲想だろうし、また好む人にとっては逆に限りなく深みのある室内楽のエッセンスが堪能できるといった複雑なプロフィールは、聴く人におもねることのないブラームスの気質を窺わせている。

楽器の扱いにも細心の注意が払われていて、例えば第3番変ロ長調第3楽章では、ブラームスが生涯に亘って愛着を示したヴィオラをリードさせる魅力的なスケルツォが展開する。

ここではトマス・カクシュカの精緻だがエネルギッシュなヴィオラ・パートが聴きどころだ。

彼らの持ち味でもある緊密なアンサンブルや強い集中力、そして果敢な表現力が縦横に駆使された熱演だが、一方で現代的に洗練されたクールなセンスが、これらの作品を通じて新時代のブラームス像を提示しているのではないだろうか。

ピアノ五重奏曲では当時既にブラームスでは一家言を持っていたベテラン、レオンスカヤが協演しているが、主導権を握っているのはアルバン・ベルク側で、これはポリーニ、イタリア四重奏団とは好対照をなしている。

後者はあたかもピアノ協奏曲のような華やかさがあって、輝かしくスケールの大きなブラームスに仕上がっているが、レオンスカヤ、アルバン・ベルクはあくまでも室内楽という範疇でのブラームスの小宇宙を描いた演奏と言えるだろう。

彼ら自体かなり個性的なカルテットなので外部からの協演者が入ると、時としてよそよそしい雰囲気が露呈されることが無きにしも非ずだが、この曲に関しては成功しているといって間違いない。

尚音源は1987年6月21日にウィーン・コンツェルトハウスのモーツァルト・ザールで行われたライヴ録音になる。

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2016年04月06日


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プラガ・ディジタルスSACDシリーズの新譜で、クラウディオ・アラウが1964年にラファエル・クーベリック、バイエルン放送交響楽団と行ったライヴからブラームスのピアノ協奏曲第1番ニ短調と、1963年スイス・ルガーノでの同じくブラームスの『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』変ロ長調の2曲が収録されている。

いずれもステレオ録音だが、特にピアノ協奏曲の音質はこの時代のライヴとしては極めて良好で、SACD化によって更に音場に奥行きが出て、鮮明かつ立体的な音響空間が再現されている。

彼らがピアノ協奏曲第2番を遺してくれなかったことが惜しまれるが、アラウは1960年にもジュリーニ、フィルハーモニア管弦楽団とのセッション、1963年及び1966年にハンス・シュミット=イッセルシュテット、北ドイツ放送交響楽団とのライヴ、1969年にはハイティンク、コンセルトヘボウ管弦楽団とのセッションによるブラームスの2曲のピアノ協奏曲を録音していて、アラウが如何にこれらの作品に情熱を傾けて精力的な演奏活動をしていたかが理解できる。

その中でこの1964年のライヴは当時61歳のアラウが円熟の境地を示した、またライヴならではの高揚感と緊張に貫かれている。

尚この音源はオルフェオ・レーベルからレギュラー・フォーマットのCDでもリリースされている。

アラウのブラームスをありきたりな言い方で表現するならば、泰然自若として悠揚迫らぬ演奏と言ったらいいだろうか。

ピアノ協奏曲第1番では第1楽章のテンポをむやみに速めず、マエストーゾの指示を誰よりもわきまえた厳格なアプローチと、そこから醸し出される骨太なロマンティシズムが横溢している。

クーベリック指揮するバイエルン放送交響楽団は、より明るく解放的なジュリーニ、フィルハーモニア管弦楽団と比較するとやや渋めの音色だが一糸乱れぬ高潔さがあり、また非常に幅広いダイナミクスで作品の核心に迫って来る凄みがブラームスの音楽には明らかに幸いしている。

シンフォニックなオーケストレーションを一層引き立てているのは手兵の強みかもしれない。

第2楽章アダージョでもテンポはかなりゆったりしているが、安っぽい甘美さやメランコリーなどは排除されて、常に高踏的な緊張感が保たれている。

終楽章では2番目のカデンツァあたりから展開されるアラウならではの豪壮華麗なピアニズムと相俟ってクーベリックの強力なサポートが荘厳なクライマックスを築き上げている。

『ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ』の音質はやや落ちるが、この手のライヴとしては及第点と言えるだろう。

アラウのテンポはやはり鷹揚で、充分な歌心を持ったカンタービレで主題のアリアが開始される。

後に続く25のヴァリエーションでも決して技巧が表面に浮くことはなく、あくまでも音楽性の表現としてのテクニックが示されたお手本のような奏法が彼らしい。

また各変奏ごとの性格付けや曲どうしの有機的な繋げ方も巧みで即物的な音楽になることを避けた、良い意味でスタイリッシュな演奏だ。

こうしたレパートリーを聴いていると彼が筋金入りのロマンティストだったことが理解できる。

フーガの最後の音が消えないうちに拍手が入ってしまうのが玉に瑕だが、この作品をこれだけ大きなスケールと流麗さで弾き切ったピアニストも稀ではないだろうか。

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2016年04月04日


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実に素晴らしい名演だ。

本BOXに収められているのはベロフによる2度目のドビュッシーのピアノ作品全集であるが、これぞまさしく最高の全集であり、いずれ劣らぬ素晴らしい名演と高く評価したい。

NHK「スーパー・ピアノ・レッスン」という番組でベロフのレッスンを見たことがあるが、ドビュッシーの研究家としても一流であり、作品の作られた時代や、背景などの解説も入れながら教えて、お手本の演奏は、軟弱・茫漠とした「印象派」的ドビュッシー像を超越しており、ほれぼれと聴き入ったものであった。

かつてベロフは、EMIにドビュッシーのピアノ作品全集を録音しており、当該演奏も、ベロフの今日の名声をいささかも傷つけることがない名演と言えるところだ。

しかしながら、演奏の持つ内容の濃さ、そして楽曲の心眼に鋭く切り込んでいくような彫りの深さ、そして各楽想を描き出していくに際してのきめの細かさにおいて、2度目の全集の各ピアノ曲の演奏は断然優れていると評価し得る。

旧録音に聴かれた華やかな煌めきやスピード感、テクニックの抜群の冴えは影をひそめ、音色の透明感はいっそう美しさを増し、抑制されたタッチと絶妙のペダリングがドビュッシーに新しい響きを与えている。

こうした演奏の深化には、ベロフが、右手の故障を克服したことも大きく影響していると言えるのかもしれない。

故障から再起したベロフの心技体の充実ぶりは、ドビュッシー把握の深さを感じさせる確信に満ちた演奏として、この集成にも記録されている。

それにしても、何という美しい演奏であろうか。

素晴らしく理知的で明晰な演奏であり、これほどの表現力のあるドビュッシーも滅多にない。

ドビュッシーのピアノ作品は、いかにも印象派とも言うべきフランス風の詩情溢れる豊かな情感、そして繊細とも言うべき色彩感などを含有しているが、ベロフはそれらを研ぎ澄まされたテクニックをベースとして、内容豊かに、そして格調の高さをいささかも失うことなく描き出している。

表情の変転なども巧みに行っており、加えて、演奏の端々から漂ってくるフランス風の瀟洒な味わいには抗し難い魅力に満ち溢れている。

ドビュッシーのピアノ作品を得意としたピアニストには、ギーゼキングをはじめとして、フランソワ、ミケランジェリなどあまたの個性的なピアニストが存在している。

それらはいずれも個性的な超名演を展開しており、こうした個性的という点においては、ベロフの演奏はいささか弱い点があると言えるのかもしれない。

しかしながら、演奏内容の詩情豊かさ、彫りの深さといった点においては、ベロフによる演奏は、古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ曲の名演の中でも、上位にランキングされる秀逸なものと評しても過言ではあるまい。

フランソワの演奏を油絵、ミケランジェリを水彩画とするなら、ベロフの新録音は水墨画と言ったところであろうか。

惜しむらくは、音の抜けがもう少しという印象であることだが、内容は全体に安定して高水準で、現代のスタンダードと言ってよい説得力があり、これを基準に他の演奏解釈を評価するに足るものだと思う。

いずれにしても、本盤に収められた諸曲の演奏は、まさにドビュッシーのピアノ曲演奏の理想像の具現化とも言うべき素晴らしい名演と高く評価したいと考える。

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2016年04月02日


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カラヤンはベルリン・フィルとともにDVD作品を除けば3度にわたってベートーヴェンの交響曲全集をスタジオ録音しているが、本盤に収められた全集はそのうちの1960年代に録音された最初のものである。

先般、当該全集のうち、「エロイカ」と第4番がシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されたが、他の交響曲についても同様にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されるのには相当の時間を要することが想定されることから、この機会に全集についてもコメントをしておきたい。

カラヤン&ベルリン・フィルによる3つの全集のうち、最もカラヤンの個性が発揮されたものは何と言っても2度目の1970年代に録音されたものである。

1970年代は名実ともにカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代であり、ベルリン・フィルの一糸乱れぬ鉄壁のアンサンブル、ブリリアントなブラスセクションの朗々たる響き、桁外れのテクニックを披露する木管楽器の美しい響き、そしてフォーグラーによる雷鳴のようなティンパニの轟きなどが一体となった圧倒的な演奏に、カラヤンならではの流麗なレガートが施された、まさにオーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの構築に成功していた。

また、1980年代に録音された最後の全集は、カラヤンの圧倒的な統率力に綻びが見られるものの、晩年のカラヤンならでは人生の諦観を感じさせるような味わい深さを感じさせる名演であるということが可能だ。

これに対して、本盤に収められた1960年代に録音された全集であるが、カラヤンがベルリン・フィルの芸術監督に就任してから約10年が経ち、カラヤンも漸くベルリン・フィルを掌握し始めた頃の演奏である。

したがって、1970年代の演奏ほどではないものの、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマの萌芽は十分に存在している。

他方、当時のベルリン・フィルには、ティンパニのテーリヒェンなど、フルトヴェングラー時代の名うての奏者がなお数多く在籍しており、ドイツ風の重心の低い重厚な音色を有していたと言える(カラヤンの演奏もフルトヴェングラーの演奏と同様に重厚ではあるが、音色の性格が全く異なっていた)。

演奏はどれも優れたもので、オーケストラとの良好な関係を反映した覇気にあふれたアプローチがとにかく見事。

まだカラヤン色に染まりきらない時期のベルリン・フィルが、木管のソロなどに実に味のある演奏を聴かせているのも聴きどころで、ほとんど前のめり気味なまでの意気軒昂ぶりをみせるカラヤンの意欲的な指揮に絶妙な彩りを添えている。

したがって、本全集に収められた各演奏はいずれも、カラヤンならではの流麗なレガートが施された圧倒的な音のドラマにドイツ風の重厚な音色が付加された、いい意味での剛柔バランスのとれた名演に仕上がっていると評価したいと考える。

カラヤンの個性が全面的に発揮されたという意味では1970年代の全集を採るべきであろうが、徹頭徹尾カラヤン色の濃い演奏に仕上がっている当該1970年代の全集よりも、本全集の方を好む聴き手がいても何ら不思議ではないと考えられる。

録音については、リマスタリングを行ったとは言え、従来盤ではいささか生硬な音質であった。

しかしながら、その後本SACDハイブリッド盤が発売され、これによって生硬さがなくなり、見違えるような高音質に生まれ変わったと言えるところであり、筆者としてもこれまでは本SACDハイブリッド盤を愛聴してきた。

ところが、今般、当該全集のうち、「エロイカ」と第4番がシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化され、当該盤のレビューにも記したが、緑コーティングなども施されたこともあって、更に素晴らしい極上の高音質になったと言える。

前述のように全交響曲をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化するには相当の時間を要するとは思われるが、カラヤンによる至高の名演でもあり、できるだけ早期に全交響曲をシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化していただくよう強く要望しておきたいと考える。

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