2016年05月

2016年05月31日


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昨年マルタ・アルゲリッチのドイツ・グラモフォンとフィリップス音源を中心とするセッション及びライヴ録音がユニヴァーサルから48枚組のボックス・セットに集大成された。

また近年彼女が頻繁に録音しているもうひとつのレーベルが旧EMIで、それらも現在ワーナーからセット物で随時リリースされているが、一方この5枚組はソニー・コンプリート・レコーディングスと銘打った1975年から92年にかけて彼女がRCA、ソニー、リコルディに散発的に録音したレパートリーをまとめたものになる。

レーベルについては協演者の契約会社にも関係していると思われるが、特筆されるのはアルゲリッチの演奏集としてはソロ、アンサンブル共にかなりレアな曲目が含まれる限定盤ということで、ファンにとっては欠かせないコレクションになるだろう。

リマスタリングされた音質はCDによって多少ばらつきがあるが、リマークすべき欠点はなく極めて良好。

CD1プロコフィエフのフルート・ソナタは本来フルートのために作曲され、オイストラフの助言でヴァイオリン版に編曲された経緯があるが、ゴールウェイのオリジナリティーを発揮した華麗なフルートの音色が魅力だし、積極的に介入するアルゲリッチのピアノが作品により一層の精彩を与えてフレッシュなデュエットに仕上がっている。

一方フランクのフルート・ヴァージョンによるソナタは彼女の唯一の録音で、フルートの艶やかさと相俟ってコケティッシュな雰囲気が醸し出された演奏が秀逸だ。

CD2は彼女が後にレパートリーから外してしまったシューマンの『幻想曲』がレア音源だが構成力ではやや弱く、むしろ多彩な音楽性が面目躍如の『幻想小曲集』が聴きどころだろう。

またCD3イヴリー・ギトリスとのフランクとドビュッシーのヴァイオリン・ソナタも貴重なセッションで、ギトリスの渋めだが妖艶な音色と奏法に従うアルゲリッチとしては異色の協演になっている。

CD4ベートーヴェンは彼女が繰り返して録音している十八番だが、ここではロンドン・シンフォニエッタの弾き振りがセールス・ポイントで、ハイドンでは音量を巧みに制御しながら機知に富んだ感性で弾き切っている。

尚この曲で彼女はワンダ・ランドフスカの手になるカデンツァを演奏していて、中でも第2楽章のそれは古典的とは言えないが可憐な趣を持っている。

最後の1枚はアバドとの協演で、リヒャルト・シュトラウスの『ブルレスケ』とスクリャービンの交響曲第5番『プロメテ−焔の詩』が収録されている。

アバドとのグラモフォン盤は昨年ユニヴァーサルから5枚組で出ているが、勿論この2曲は含まれていない。

気の利いたオーケストレーションをバックに華麗なピアニズムが展開する『ブルレスケ』は、アルゲリッチの師であったフリードリッヒ・グルダのレパートリーでもあり、彼の影響が少なからずあったことが想像される。

瑞々しい感性を超絶技巧に託したソロが冴え渡っている。

尚グルダの弾く同曲は最近プラガからリリースされたベーム、ウィーン・フィルとのSACD盤がある。

スクリャービンの第5番は大編成のオーケストラにピアノ、オルガン、コーラスが加わる作曲家最後の交響曲で、新時代の音楽に強かったアバドの力量が示された色彩感豊かな演奏が注目される。

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classicalmusic at 22:41コメント(0)トラックバック(0)アルゲリッチ 

2016年05月29日


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1958年録音のブラームスのヴァイオリン協奏曲は過去にXRCDヴァージョンでもリリースされて、その鮮烈な演奏と臨場感溢れる音質で名盤の誉れの高いものだが、ブラームスに造詣が深かったモントゥーの豊かで変化に富んだダイナミズムに絶妙に呼応するロンドン交響楽団の底力も特筆される。

シェリングのヴァイオリンはその後の2回の再録音(ドラティ1962年、ハイティンク1974年)では聴けない、突き進むような情熱に支配されていて、人後に落ちない完璧なテクニックもさることながら、彼の潔癖ともいえるクリアーな音色と怜悧な音楽性も堪能できる。

彼はまたアンサンブルの分野でも優れた録音を少なからず遺している。

ルービンシュタイン、フルニエと組んで同じくRCAに入れたブラームス、シューベルト及びシューマンの一連のピアノ・トリオの他にもグラモフォンにはケンプ、フルニエとのベートーヴェンのピアノ・トリオ集がやはり傑出したサンプルと言えるだろう。

ここに組み込まれたブラームスのホルン三重奏曲はジョゼフ・エガーのホルン、ヴィクター・バビンのピアノで、シェリングが管楽器と行ったアンサンブルでは殆んど唯一の貴重な録音ではあるが、エガーのソロがいくらか不安定でそれほど魅力がなく、また音量がフォルテになると再生し切れない音源上の問題もある。

1959年のシャルル・ミュンシュ、ボストン交響楽団とのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、オーケストラの機動力を駆使した速めのテンポで通した推進力が全曲を貫いている。

中でも終楽章のたたみかけるようなフィナーレは圧巻だ。

シェリングのソロは細やかなニュアンスの変化や余裕を持った多彩な音楽性の表出では、後のハイティンクやメータとの協演に一歩譲るが、この演奏からはブラームスの協奏曲に相通じる漲るような覇気が伝わってくる。

穏やかな第1楽章のカデンツァや第2楽章においても甘美というより、弛緩のない緊張感の持続で歌い切る凛としたカンタービレが特徴的だ。

同じく1959年のワルター・ヘンドル、シカゴ交響楽団とのラロのスペイン交響曲では、名手サラサーテの演奏を前提にしたラテン的な熱狂とは一線を画した、シェリング特有のキレの良い高踏的ロマンティシズムが聴きどころだろう。

彼は5つの楽章のそれぞれの構成と様式に則って堅実にまとめているが、第4楽章アンダンテでも決して耽美的な美しさではなく、あくまでも交響曲の中のひとつのエレメントとして捉えている。

惜しむらくはヘンドルの指揮が閃きに乏しいいくらか凡庸な印象があり、シカゴ響の実力が縦横に発揮されているとは言えないことだ。

特に新しいリマスタリングの表示はないが音質は1950年代後半の初期ステレオ録音としては、前述のホルン三重奏曲を除いて極めて良好で、ブラームスのXRCDには及ばないとしても充分満足のいく音響が再現されている。

尚ライナー・ノーツには廉価盤の宿命と言うべきCD初出時の焼き直しの日本語解説が掲載されている。

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classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0)シェリングモントゥー 

2016年05月27日


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ヨーロッパには、白鳥は死ぬ前に一声だけ美しい鳴き声をあげる、という言い伝えがあるが、それに因んで作曲家の亡くなる直前に書かれた作品を倏鯆擦硫劉瓩噺討鵑任い襦

シューベルトのこの歌曲集も文字通り彼の死の年に書かれた歌曲14曲を集めたもので、没後ハスリンガーによってまとめられ、《白鳥の歌》のタイトルで出版された。

深々としたバスの声で歌われる《白鳥の歌》は珍しいが、その代表格であり、かけがえのない名演奏と思えるのは20世紀ドイツを代表する偉大なバス・バリトン、ハンス・ホッターによるこの録音だ。

この歌曲集には、以前から名盤の数が多く、どれが特によいのか、多くの人にはそれぞれの支持盤があり、意見はかまびすしい。

筆者自身、愛聴している盤はいくつかあるが、なかでもとりわけしみじみとした情感をたたえ、深い味わいを感じさせる演奏として、まずこのホッター&ムーア盤をあげたいと思う。

この歌曲集を全曲歌うには、軽妙さから重苦しい沈鬱さまでの幅広い表現を必要とするので、概してバリトンが歌った時に良い結果が出るようで、典型的なテノールや重いバスには荷が重すぎるようだが、バスというよりはバス・バリトンとして歌っていたホッターの意外に軽やかな表現が忘れられない。

ホッターが、日本でよく知られるようになったのが、名伴奏者ジェラルド・ムーアとのこの《白鳥の歌》(1954年録音)あたりからだったという。

当時のホッターは45歳の円熟期にあり、シューベルト最晩年の深い抒情を見事に表出した名演で、若くして老いたシューベルトの晩年の人生観から晴朗な諦観を汲み出し、そのしみじみとした味わいは、聴き手の心を包み込むような深い慈愛に満ちている。

〈セレナーデ〉の深さ、〈アトラス〉の迫力と孤独…、このような歌は技巧から生まれるものではなく、歌い手の内面から投影されて現れるものだ。

しかもその内面のなんと穏やかで包容力のあることか! 耳を傾けていると心が慰められる。

シューベルトは《水車屋》や《冬の旅》、それにこの《白鳥の歌》を通して牋Δ良垪澂瓩鯆謬罎靴拭

《冬の旅》の荒涼とした冬景色、《白鳥の歌》の都会での孤独はまさにその譬えであり、若くして死と向き合わねばならなかった作曲家の晩年の人生観を映している。

それは深い孤独のなかから生まれた晴朗な諦観と言ってもよいものだが、その核心にもっとも深くふれているのがこのホッター盤で、シューベルトの最晩年の心象風景をこれほど的確にとらえ、滋味ゆたかで慰撫に満ちた演奏もまれだ。

ホッターの《白鳥の歌》は、この深い孤独感を身に迫る凄味で歌い出していて、そのいぶし銀のような声と深い人生観照は、作曲家が陥っていた孤独感に一体化するほど親密にふれている。

確かに孤独は恐ろしいが、それから逃れようとしても、それはつねについてまわる。

それならむしろ孤独を凝視し、それに徹してみてはどうか。

リルケは「飲むのが苦しければ、ぶどう酒そのものとなれ」と歌った。

そのときその苦みは身体をあたため、それを友とするようになるだろう。

真の孤独を知った者だけが、真に人間を愛せる。

この演奏からひびき出ているのはその意味だ。

孤独の苦しみのなかでは、かすかな希望も見失われがちだが、ホッターは忍耐強く、ヒューマンな懐の深い包容力を示し、必ずや出口は見つかると励ましてくる。

それはおそらく孤独の極にあったシューベルト自身も勇気づけられるほどの共感力だ。

これが45歳の演奏なのだから、ホッターはなんと成熟した演奏家だったのだろう!

ムーアのピアノ伴奏にも配慮が行き届き、力がこもっている。

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classicalmusic at 23:27コメント(0)トラックバック(0)シューベルトホッター 

2016年05月25日


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朝比奈隆の最後を飾るベートーヴェンの交響曲全集であり、朝比奈最晩年の雄姿を捉えた貴重な記録である。

朝比奈自身が「音楽の聖書」として畏敬したベートーヴェンの交響曲は最も得意とするレパートリーであり、その指揮表現は、良き時代のドイツの音楽を反映したものと言うべく、内声部を重視して響きに厚みと重量感をもたせ、壮大なスケール感を生み出す。

朝比奈の偉大さは、その芸術の完成の道にあってすら演奏ごとに新しい発見をしようとする意欲を持ち続け、それを演奏に反映し続けていることである。

テンポの遅い、がっしりした構成という解釈の基本は不変であるが、方向としてはより純度の高い、無駄のないすっきりとした演奏となっている。

完成期の芸術らしくすべては自然のなかで様々な要素が円満に溶け合い、しかも日々新たなものであろうとする彼の晩年の演奏とそのあり方は、ひとりの演奏家の晩年の理想の姿とよんでよいものかもしれない。

第1番、第3番といった過去にも名演の多い曲は相変わらず素晴らしいが、中では第4番が例外的に個性が強く(特に終楽章のスロー・テンポ)、第2番もかなりゴツイ感触がある。

反対に第5番、第8番などはやや歯切れが悪く物足りないナンバーもあるが、総合的に第1番、第3番、第4番、第6番、第9番などは、このスタイルとして他の追随を許さない。

日本の音楽ファンは、自国の指揮者やオーケストラをとかく軽視しがちだが、ここでの朝比奈の指揮ぶりは、その重厚壮麗な迫力と恰幅の良さにおいて際立っており、本場のドイツを見まわしてみても、これだけのベートーヴェンを振れる指揮者は現今見当たらない。

長年に亘って朝比奈が鍛えてきた大阪フィルも熱演で応え、全員打って一丸となった演奏であり、その情熱に打たれてしまう。

第3番は文字通り英雄的、第4番は音楽をはみ出すほど巨大(フィナーレなど超スロー・テンポで悪魔的な最強音が連続する!)、第6番はブルックナーのように重厚な田園、第9番の威容は改めて述べるまでもあるまい。

今回の全集で筆者が特に感銘を受けたのは第6番で、荘重なテンポでしゅくしゅくと進む名演である。

第1楽章の沈んでゆくような趣、第2楽章の俗っぽさのまるでない静かな祈り、それは老年の感慨を伴って格調が高く、スケルツォの立派な充実感と堂々としてケレン味のない〈嵐〉が続くのである。

全体に広々としたテンポ、大編成のオーケストラによる恰幅の良い響き、あたりをはらうスケールの大きい堂々とした造型、悠々として迫らぬ威厳と立派な男性美、各パートの充実と情報量の多さはこの指揮者の独壇場と言えよう。

現代の流行から超然として、分厚くも情熱的なベートーヴェン像が追究されており、スコアへのアプローチはオーソドックスだが、出てきた結果は個性的という、朝比奈独特のスタイルがここにある。

朝比奈は、第1番、第2番、第4番、第8番といった小型のシンフォニーにも弦楽器だけで60人、管楽器は倍に増やす、という大編成のオーケストラを使い、ゆったりとしたテンポと重いリズムで、音楽をあくまで分厚く、堂々と響かせてゆく。

そこには時代の流行を追って新しがったり、スコアをいろいろ工夫して面白く聴かせたり、といった小細工や小賢しさがいっさいなく、無器用に、武骨に、ひたすらベートーヴェンの楽譜を信じ切って、この作曲家の男性美を逞しく描き上げる。

その裏づけとなるのが、ひたむきな情熱なのだ。

いわば無手勝流の指揮ぶりだが、かえって安定した立派さを生み出すのである。

こういうスタイルは昔ながらのドイツ流儀であり、この重厚な迫力と恰幅の良さにおいて際立ったドイツ風の表現はもう古いという人も多いだろう。

もっとスリムで洗練されたベートーヴェン、古楽器の影響を受けた斬新なベートーヴェンがこれからの主流になるだろうからだ。

しかし、そうであるからこそ、朝比奈の描く英雄ベートーヴェン像は、汗くさい人間味を横溢させて、未来にいたるまで価値を持ち続ける筈である。

一点一画もおろそかにしない真摯さと情熱、細部を抉ったきれいごとでない響き、がっしりとした強固な骨組、スケールの大きさ、まことにすばらしい。

長年、朝比奈のベートーヴェンを聴き続け、そのスタイルに慣れてしまったせいもあるかもしれないが、少なくともブルックナーとベートーヴェンに関する限り、音楽そのものを最も堪能させてくれるのが朝比奈であり、他の演奏は指揮者の個性や味つけがチラチラ見え隠れするのだ。

こういったいわゆる愚直なまでの誠実さや頑健さ、虚飾皆無に通じる味わいは、往年のコンヴィチュニー&ゲヴァントハウスの王道を行くベートーヴェン演奏を彷彿とさせる。

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classicalmusic at 21:56コメント(0)トラックバック(0)ベートーヴェン朝比奈 隆 

2016年05月24日


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アバドの80歳記念企画としてDVD化された作品だが、奇しくも追悼盤になってしまったことが悔やまれる。

このフィルムは1985年にノルベルト・バイハーツ監督によって制作された、ヴェルディの『レクイエム』からリハーサル風景のみを撮ったもので、イタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニの生誕200周年記念としてミラノのサン・マルコ教会で催されたコンサートのための音楽稽古が約2時間に亘って編集されている。

同曲はまさにマンゾーニの葬儀のために作曲されたが、その後この曲のオペラティックな曲想や大規模なオーケストラとコーラスの編成が演奏会場を選んでしまうことからオペラ劇場やコンサート・ホールでの上演が多いが、この教会は彼の国葬が行われた『レクイエム』初演ゆかりの地でもある。

撮影の場所は会場となったサン・マルコ教会と、オーケストラとコーラスの本拠地ミラノ・スカラ座及び同劇場のリハーサル・ルームの三箇所で、ピアノ伴奏による4人の歌手の下稽古、オーケストラとコーラス、そしてソリストを含めたゲネプロがバイハーツ監督の手腕で音楽的にも巧みに繋げられているが、演出的な手法は採らず、ドキュメンタリー・タッチでアバドの曲作りを追っている。

アバドは決してうるさいタイプの指揮者ではない。

むしろ楽員や歌手の自主性を尊重しているように見える。

それはこの時期彼がスカラ座の芸術監督の地位にあり、オーケストラもコーラスも彼の手兵であったことも強みだったに違いない。

楽理的な発言は少ないが、とにかく演奏させて曲を構成していくアプローチが明らかで、感覚的な部分とのバランスがとれた人間性に溢れた練習風景が展開する。

この演奏会のためにソプラノとテノールはダブル・キャストが組まれていたらしく、モンセラート・カバリエとチェチリア・ガスディア、ペーター・ドヴォルスキーとクリス・メリットが交替して画面に登場するが、何故かオーケストラ合わせのリハーサルでは常にカバリエとドヴォルスキーのみが歌っている。

しかしアバドが起用した歌手だけに、それぞれが美声を誇っているだけでなくきめ細かい表現力においても優れた力量を発揮している。

今は亡きコントラルトのルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニの全盛期の歌唱を聴けるのも有難いし、またバスのサミュエル・ラミーのスタイリッシュで堂々たる歌いぶりも懐かしい。

一方カバリエはこのゲネプロで最後にピアニッシモで伸ばす高音を歌わずに済ませたが、演奏終了後にアバドに笑いながら言い訳をしている。

いつもながら彼女は茶目っ気たっぷりだが、自分の声を安売りしないという狡猾さも歌手にとっては大切なことなのかも知れない。

リハーサル中アバドは勿論イタリア語で指示を出しているが、イタリア語を解さないクリス・メリットには英語で話しかけている。

リージョン・フリーでナレーションはドイツ語だが、字幕スーパーは英、独、仏、スペイン語が選択でき、9ページほどの写真入ライナー・ノーツも付いている。

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classicalmusic at 01:13コメント(0)トラックバック(0)アバドヴェルディ 

2016年05月22日


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ユニヴァーサル・イタリーからの新譜になり、ピエール・モントゥーのデッカ、フィリップス、ウェストミンスターの音源を20枚のCDにまとめたもの。

モントゥーは80歳を過ぎてからベートーヴェンの交響曲全曲を始めとするかなり充実したレパートリーをデッカとフィリップスに録音している。

協演のオーケストラは彼が1961年から64年に亡くなるまで首席指揮者だったロンドン交響楽団の他にウィーン・フィル、コンセルトヘボウ及びパリ音楽院管弦楽団で、最も古い1956年の『火の鳥』と『ペトルーシュカ』も歴としたステレオ録音なので臨場感にも不足しない鮮明な音質で鑑賞できるのが嬉しい。

特に後者は若き日のジュリアス・カッチェンがピアノ・パートを弾いていて、夭折した彼の貴重な記録でもある。

2014年にRCAからモントゥーのコンプリート・セットがリリースされたが、このユニヴァーサル音源はその補巻として彼の晩年の至芸を堪能させてくれる。

ただしこちらはコンプリートではなく、例えば1958年のウィーン・フィルとのベルリオーズの『幻想』やメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』などは含まれていない。

尚ウィーン・ゾフィエンザールでの『幻想』のセッション録音は現在オーストラリア・エロクエンスのレギュラー盤かプラガ・ディジタルスからのSACD盤での選択肢がある。

モントゥーはアメリカに活動の本拠地を移すまで、ディアギレフ率いるバレエ・リュスの専属指揮者だったことから、ストラヴィンスキーの『春の祭典』『ペトルーシュカ』ラヴェルの『ダフニスとクロエ』を始めとする多くの創作バレエの初演を振った。

言ってみればこうした叩き上げの豊富な経験によって彼の新時代の音楽に対する極めて洗練された感性とそれを指揮する極意が培われたに違いない。

中でも『春祭』は当時のパリ上流階級を中心とする観客のブーイングの嵐と劇場の大混乱によって上演は中断せざるを得なかったが、モントゥーの予言どおりその後この曲はバレエのみならずオーケストラのレパートリーとしても完全に定着した。

当時としては前衛以外の何物でもなかった最先端の音楽に取り組み、その芸術的価値を信じて疑わなかった彼の先見の明には脱帽せざるを得ない。

ここに長いキャリアを積んだ晩年のモントゥーによるストラヴィンスキーの3大バレエがパリ音楽院管弦楽団との演奏で収録されているのは象徴的だ。

34ページほどのライナー・ノーツには収録曲の詳細なデータ及びラジオのクラシック番組でお馴染みのルーカ・チャンマルーギのエッセイが英、伊語で掲載されている。

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2016年05月20日


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マルタ・アルゲリッチがデビューして間もなかった1960年から67年にかけて、ケルン及びハンブルクのふたつの放送局のラジオ放送用のために録音した音源を2枚のCDにまとめたもの。

聴く前は総てがモノラル録音という先入観からいくらかセピア調の音色を想像していたが、再生してみると第1曲目のモーツァルトから音響の伸展にも、また潤いにも不足しない瑞々しい音質で、正直言って期待以上の収穫だった。

この時代はLP盤に遅れてラジオのステレオ放送が試験的に始まったいわゆるFM黎明期で、一般のラジオの聴取者が専用のオーディオ機器で音楽鑑賞を楽しむのはもう少し後だったことを考えればモノラル音源なのはやむを得ないだろう。

ただし音質の明瞭さやノイズのないマスター・テープの保存状態は流石に管理の国ドイツのものだけあって極めて良好で、高度な鑑賞にも充分に堪えられる。

演奏曲目では当初からアルゲリッチの十八番で後にグラモフォンに正規録音することになるプロコフィエフやラヴェルの他に、彼女が逆にレパートリーから殆んど除外してしまうモーツァルトやベートーヴェンのソナタが聴けるのも貴重だ。

アルゲリッチはそのキャリアの始まりから現在まで演奏スタイルを殆んど変えていないピアニストだが、ここではその鋭い感性と強い個性から溢れ出るカリスマ性とスリリングな表現、そして尽きることのないエネルギッシュな奏法が既に全開だ。

彼女のモーツァルトのソナタは特有の閃きから発散する鋭敏な感性に支えられていて爽快だし、ベートーヴェンにしてもアルゲリッチがもしソナタ全集を完成させたならば、さぞ独創的なものが出来上がっただろうと思わせるアイデアに満たされていて、ここに収録された第7番の他には僅かなサンプルしか残されていないのが残念だ。

おそらく彼女はその性格から直感的に把握することが困難な曲に関しては敬遠したのかも知れない。

例えば楽理的に厳格で執拗な構成を持ったバッハやベートーヴェンの作品はかえってアルゲリッチの自由奔放なファンタジーの飛翔を妨げてしまったのではないだろうか。

一方CD2に収録された20世紀の作品群では、彼女は水を得た魚のように生気に溢れた自由闊達な演奏を繰り広げている。

こうした開拓の余地がある曲でのアルゲリッチの挑戦とも言える演奏は実際戦慄を覚えるほど凄まじいものがある。

それは当時20代だった彼女の強烈で迸る感性を反映させた解釈の典型であろう。

プロコフィエフの鋭利でパワフルな打鍵もさることながら、ラヴェルのクリスタリックで繊細な音楽性の再現も鮮やかだ。

3面折りたたみのデジパックに2枚のCDと抜き出し可能なライナー・ノーツが挿入されていて、そこに詳細な録音データと共にグレゴール・ヴィルメスの『マルタ・アルゲリッチ、若き雌ライオン』という興味深いエッセイと多数のスナップ写真が掲載されている。

これらはこの時期の彼女の音楽活動を知る上で非常に示唆的である。

ちなみにこのアルバムのレパートリーは、アルゲリッチが16歳で優勝した1957年のブゾーニ及びジュネーヴのふたつの国際音楽コンクールの演奏プログラムとして準備されたようで、この時期彼女はウィーンでフリードリッヒ・グルダに師事していた。

その後1965年にはショパン・コンクールで第1位を獲得するが、このラジオ放送用音源はそれと相前後して収録されている。

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2016年05月18日


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ドイツ・リートを得意としたヘルマン・プライが、その最円熟期に録音したこれらのディスクは定評がある。

《冬の旅》はこの人にとって3度目の録音だけあって、その表現方法は以前よりもさらに練れており、今までのものと比べて今回のプライは冷静に作品を見つめ、かつてよりも深く旅人の心を歌い出している。

この演奏の大きな特色は、それまでにない冷静な目で作品を見つめていることで、プライの円熟ぶりがうかがえる。

F=ディースカウよりも、よりロマンティックな表現で、主人公の若者を、あたたかく見守るようにして歌い上げているのが特徴だ。

また年齢的な声の衰えを感じさせないどころか、かえって自由さを獲得している。

使用楽譜もクリティカル・ヴァージョンによっている。

南ニース生まれの若いピアニスト、ビアンコーニもしっかりとした弾きぶりだ。

ここには失意の青年への暖かい愛情が基本線にある。

《美しき水車小屋の娘》は、1985年に録音されたディスクで、プライにとって3度目の録音にあたる。

プライの声は、相変わらず若く艶やかさを失わず、以前の2回の録音と比べても、声の豊かさにはいささかの遜色もない。

内向的なF=ディースカウの歌唱に比べると、プライはこみあげる思いを外に表出していくタイプだ。

その明朗で新鮮な歌声はこの人ならではのもので、ひとりの青年の甘く悲しい恋愛物語を、実に率直に表現している。

前回の1973年の録音の時よりも、さらに淡々とした運びかたで、聴き手を自然と作品の中に引き込んでゆくような不思議な魅力がある。

《冬の旅》はバリトン、《水車小屋》はテノールで聴くのがいいという定説が出来上っているようだが、プライのいちずな若者そのものの歌は、まさにこの歌曲集の主人公そのものだ。

ビアンコーニのピアノも《冬の旅》の時よりさらにシューベルトらしいナイーヴな世界を描き出している。

以前は感興のおもむくまま、のびやかに歌い上げることの多かったプライだが、1984年に録音されたこの《白鳥の歌》の演奏は、内面を深く見据えた姿勢をとり、外面的な効果をねらわず、じっくりと豊かな音楽をつくりあげている。

若々しく美しい声は以前と同じだが、プライが今回もなお若々しさを失わず、これほどの年輪の豊かさを加えたのは喜ばしく、さらに人間的な味わいの加わった歌唱だ。

ここでは、かつての彼にみられた情感に溺れる傾向もなく、行き過ぎた表現もなく、素直な感動をもたらしてくれる。

特にレルシュタープの詩による歌曲がすぐれており、「すみれ」と「遠い地にて」は名唱。

ハイネの詩による曲では「アトラス」と「影法師」が素晴らしい。

ビアンコーニの伴奏も若いが、みずみずしい演奏。

録音は歌曲の録音の模範ともいえるきわめて鮮明な音質が素晴らしく、プライの艶やかな声が見事に収められている。

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2016年05月17日


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2012年に他界したグスタフ・レオンハルトが1984年から1996年にかけてフィリップスに遺した音源を15枚のCDにまとめたバジェット・ボックスで、この中の何枚かは現在既に入手困難になっているだけに今回の復活を歓迎したい。

チェンバリストとしては勿論、オルガニスト、ピリオド・アンサンブルの指導者、また指揮者として古楽復興の黎明期を支え、生涯古楽への情熱を傾けたパイオニア的存在感と、彼に続いた後継者達に与えた影響は計り知れない。

このアンソロジーではバッハは言うまでもなくクープランやラモーではフランス趣味を、またフレスコバルディやスカルラッティではイタリア様式を、更にブルやパーセルでは典型的なイギリス風の奏法を聴かせる多才さも聴きどころだ。

バッハの鍵盤楽器用の作品については他のレーベルからよりインテグラルなセットが入手可能なので、ここではむしろレオンハルトの幅広いジャンルに亘る古楽研究とその豊富なレパートリーを集成しているところに価値がある。

ピリオド楽器を使った古楽演奏の録音が試みられたのはそう古いことではない。

レオンハルト、アーノンクール、ビルスマやブリュッヘンなどによって博物館の調度品に成り下がっていたヒストリカル楽器が再び日の目を見るのは1960年代だが、それらの楽器を演奏可能なまでに修復して、その奏法を復元する作業は一朝一夕のことではなかった筈だ。

古楽を教える教師さえ稀だった時代にあって、おそらくそれは試行錯誤による古い奏法の再構築と演奏への全く新しい発想があったことが想像される。

チェンバロに関してはまだモダン楽器が主流だった頃に、初めてオリジナルの響きを堪能させてくれたのもレオンハルトだったと記憶している。

確かにこの頃既にヘルムート・ヴァルヒャがバッハの鍵盤楽器のための主要な作品を体系的に録音していたが、最大限の敬意を払って言わせて貰えば、彼はバッハの権威としてその作品を、チェンバロという楽器を媒体として表現したに過ぎない。

言い換えればバッハの音楽が楽器を超越したところにあることを教えている。

だからヴァルヒャはバッハ以外の作曲家の作品をチェンバロで弾くことはなかった。

彼とは対照的に楽器の音色や機能、あるいはその特性に沿って作曲された曲目の価値を蘇生させたのがレオンハルトではないだろうか。

彼はまた古楽器のコレクターでもあり、このセットでも何種類かの異なったチェンバロとクラヴィコードの個性的な音色を楽しむことができるが、幸いフィリップス音源も共鳴胴の中で直接採音したような鮮烈な音質で、繊細かつヒューマンな響きとスタイリッシュなレオンハルトの至芸を良く捉えている。

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2016年05月15日


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ダヴィッド・オイストラフは1962年にピアニスト、レフ・オボーリンと共にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲をセッション録音している。

その演奏は全く隙のない生真面目なもので、模範的だがオイストラフの個性が自在に発揮されているとは言えなかった。

敢えて言えば華やかさや喜びの表現が隠されてしまって、意気を抜くことができないほど厳格で緻密な再現になっている。

それはまたオボーリンの精緻だが遊び心の少ない伴奏に影響されていたのかも知れない。

それに反してこのライヴ録音の3曲からは、テクニック上のミスは多少あってもオイストラフが嬉々として演奏を愉しんでいる様子が伝わってくるし、二人のピアニストもそれぞれが表情豊かなサポートでこの曲集の多彩なプロフィールの表現を試みている。

チェコ・プラガの企画によるリマスター・ステレオ・ライヴ録音だが、SACDシリーズとは別のレギュラー・フォーマット仕様。

3曲の中でも相性の良かったリヒテルとの協演になる第6番イ長調が抑制された古典的な優雅さと安定感を感じさせて白眉だ。

ベートーヴェンは終楽章アレグロにテーマとヴァリエーションを置いているが、両者の呼応の巧みさがこの曲の流麗でしかも才気煥発な楽想を楽しませてくれる。

彼らの演奏で『クロイツェル』も聴きたいところだが、第5番『春』と第9番『クロイツェル』の伴奏は多くのコンサートでパートナーを務めた女流ピアニストのフリーダ・バウアーで、流石にオイストラフに見込まれただけあって、彼女も伴奏に回ってもソロに付き随うだけでなく自己の主張を忘れない個性派の演奏を聴かせている。

『春』ではストラディヴァリウスの明るい響きによって、第一声からまさに春の息吹きをイメージさせるような開放感に満ちている。

欲を言えば第3楽章スケルツォのシンコペーションの面白さはシェリング、ルービンシュタイン盤の方が絶妙だ。

『クロイツェル』では冒頭の短い無伴奏ソロ部分がオイストラフ特有の押し出しの良さで大曲の貫禄を感じさせているし、両急速楽章の協奏的なやり取りでも、しばしば聴かれる戦闘的な競演ではなく、圧倒的な余裕の中に音楽の豊かさを表現し得ている。

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2016年05月13日


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フィンランドの指揮者、パーヴォ・ベルグルンドは当然ながら、自国のシベリウスの音楽に関しては唯一無二のスペシャリストであった。

それは、2012年にベルグルンドが鬼籍に入った後、もはやシベリウスの本質を衝いた演奏は世界中で二度と聴けなくなってしまった、と言い切ってよいほどの絶対的な意味においてである。

シベリウスは作曲界の仙人のような人物で、俗世を離れて山荘に隠り、もはや新たな野心も持たず、作風の垢を洗い流し、贅肉を削ぎ落としていった。

ベルグルンドもまた、演奏家の立場でシベリウスの後追いをしているかに見受けられる。

ヘルシンキ・フィルとの2度目の《全集》に飽き足らず、自らが「理想の楽器」と呼ぶヨーロッパ室内管弦楽団との再々録音を果たした。

ベルグルンドは、このオケの並外れたアンサンブルの素晴らしさと透明な響きで新たなシベリウス像を作り出そうという試みがなされている。

精鋭を選りすぐった小編成のオケの音程(ピッチ)の驚くべき確かさが、シベリウスの演奏様式に新しい規範(スタンダード)を創造している。

録音を重ねるごとにより洗練され、透明度が増し、3度目に至っては緻密さの極みとでも言おうか、スコアの読みの深さ、演奏魂の自由な羽ばたきが美しく調和し、彼の理想とするところのシベリウス像が明確に打ち立てられた演奏となっている。

シベリウスのオーケストレーションの枝葉末節に至るまで熟知したような鳴らせ方をしているのに驚くし、また様々なフレーズが新たに息を吹き返したように立体的に浮かび上がってくるのにも感心する。

オーケストラの集中度は素晴らしく、響きはどこまでもクリア、弦は実によくコントロールされており、木管の多彩なニュアンスはシベリウスの交響曲の大きな魅力を絶妙に浮き彫りにしている。

各フレーズの、実に緻密な表情はこのオケによって初めて可能となる新鮮なものばかりである。

弦と管のアンサンブルと木管の色彩の対比や合成で表現に微細な変化が生み出されて、実に精緻な仕上がりで聴き手を引き付けている。

怜悧なまでに冴え冴えとした音、磨き抜かれたピッチから生まれるシベリウスは、足跡ひとつない雪原のように僅かの染みもなく純白に輝く。

また、ヴィブラートを抑制し、アタックの角を立て、音の立ち上がりも鋭く、リズムも厳しく俊敏である。

こうしたいわば“荒ぶる響き”は、すべてベルグルンドの意志なのであり、あえてその響きを作り出しているのだ。

そうすることによって確かにテクスチュアはクリアになるし、実に男っぽい気骨のあるシベリウスの演奏が生まれる。

とりわけ木管による旋律の精妙なニュアンスのつけ方は出色、ダイナミックに鳴る金管も魅力で、シベリウス作品の旨みがさらに増した印象を受ける。

1音たりとも傾聴を誘わない瞬間はなく、今の音が次の音への期待を膨らませ、尋常ではない充実感に満たされる。

純粋にシベリウスの思考そのものへ近づけてくれる演奏で、筆者としては何度でも聴きたく、ぜひとも聴くべき!

今後ベルグルンドは何処を目指すのかと考えていたら、シベリウスの作品同様、やがて実体を失い、ついには消滅してしまって、筆者は追悼の念を強めている。

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2016年05月12日


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メロディアからリリースされたレオニード・コーガン(1924−82)生誕90周年記念の協奏曲集である。

ブラームスがピエール・モントゥー指揮、ボストン交響楽団との1958年のモノラル・ライヴ、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲及びソロ・ヴァイオリンとオーケストラのための『瞑想』はコンスタンティン・シルヴェストリ指揮、パリ音楽院管弦楽団との1959年のステレオ・セッション録音になる。

ブラームスでは速めのテンポで疾駆するコーガンのソロが全曲を席捲していて、曲自体の持っている豊かなカンタービレとブラームス特有のうねるような情緒がいくらか萎縮してしまっている印象を受ける。

確かに強靭な精神力で弾き切っているのは事実でその緊張感と集中力は凄まじいが、音楽の流れがせわしくもう少し余裕が欲しいところだ。

モノラル録音で音響もデッドなので尚更そう聴こえるのかも知れない。

モントゥーは同年にシェリングともこの曲を録音しているが、テンポ設定はずっと落ち着いていてダイナミズムもきめ細かいしオーケストラに遥かに多くを語らせていて、シェリングの白熱のソロを見事にサポートしている。

尚このライヴでは何故か楽章ごとに拍手喝采が入っていて多少煩わしく感じられる。

一方チャイコフスキーはコーガンの持ち味が縦横に発揮された秀演で、ロマンティックな歌心と隙のない表現力が相俟って、彼の協奏曲の録音の中でも代表的なもののひとつに数えられるだろう。

第一声のテーマの歌い出しの美しさや第2楽章に湛えられた冷やかな抒情から終楽章のキレの良いテクニックを駆使した追い込みまでが大きなスケールで再現されている。

シルヴェストリ率いるパリ音楽院管弦楽団も良く統制されて巧妙なバックアップでコーガンを支えている。

最後に置かれた同メンバーによる『瞑想』は大曲の後の余韻を味わう贅沢なアンコール・ピースといったところで、こうした小品にもコーガンの技巧一点張りではないデリカシーが表出されている。

メロディア・レーベルのジャケットのデザインや装丁は相変わらず洒落っ気がないが、彼らもデジパック仕様を始めた。

CD化で初出のライヴと書かれてあるが、ライヴはブラームスだけで、チャイコフスキーの2曲は質のよいステレオ録音で、録音データが1959年としか表示されておらず、また客席からの雑音や拍手が全く聞こえないのでセッションだろう。

ブラームスはカナダのドレミ・レーベルから既にCD化されていたが、正規音源を使ったLPからの板起こしと思われる。

挿入されたライナー・ノーツには露、英、仏語の簡易な曲目解説とコーガンへの賛辞が掲載されている。

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2016年05月10日


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《美しき水車小屋の娘》などを聴くと、確かにシューベルトはウィーンの抒情作家だが、《冬の旅》は異なり、いっそう詩の内容が重視されており、その内容が暗いために音楽も深くなっている。

失恋した若者が終わりのないさすらいの旅に出る、という筋立てには何の救いもなく、死の深淵を見つめる晩年の作曲家の絶望や寂寥や、わずかに横切る希望の光があるだけだ。

《水車小屋》が青春の一齣なのに対し、《冬の旅》は全人生に匹敵し、作曲当時、シューベルトの肉体はすでにボロボロで、精神の根っこまで蝕まれて、わずか31年の生涯に過ぎなかったのだ。

《冬の旅》には名盤が多いが、それはとりもなおさず、この曲集の芸術的魅力の大きさを物語っており、多くの歌手がこの絶望のドラマに魅了されてきたのだ。

CDは第一にフィッシャー=ディースカウを採りたいが、とはいっても彼にとってこの曲のレコーディングはライフワークの1つといってもよく、なんと7回もスタジオ録音している。

古今東西、名歌手数多しといえども、ドイツ・リートを歌って、F=ディースカウ以上にうまい人を筆者は知らない。

美声のハイ・バリトンで柔軟な技巧も卓越、いかなる表情も自由自在で、感情の豊かさ、知的なアプローチ、発音の明晰さ、美しさ、どれをとってもベストだ。

初めは名伴奏者として知られたジェラルド・ムーアと組んでいたが、次第に有名な独奏ピアニストの伴奏で歌うようになり、デムス、バレンボイム、ブレンデル、ペライアなどが総動員された。

それらはただ単に繰り返しではなく、それぞれにカラーが違い、掘り下げ方とピアノとのかけ合いもそれぞれに違うが、この歌曲集の内奥に最も深く分け入り、持ち前の完璧な技巧と表現で歌いつくしているのは、この第5回目のバレンボイムとの録音である。

後年の録音のように技巧に走ることもなく、また初期の歌唱のように美声に頼り切ることもなく、きわめて知と情のバランスのとれた、絶妙のシューベルトになっている。

ここではバレンボイムの個性溢れるピアノが、歌い手が望んだとおり、歌唱に大きな刺激を与えているようで、ピアノと歌は互いに相手を信頼し、互いに感情をぶつけ合いながら、この暗いドラマにスケールの大きな起伏を作り出している。

また、対等でありながら深く掘り下げていくという点でも、イマジネーション溢れるバレンボイムとのものが一番面白く、F=ディースカウもいつもの文学的偏向を避けてシューベルトの旋律をなめらかに歌っている。

様式感の崩れもなく、語りだけでなくメロディックな要素も雄弁に語り、この盤で、曲の世界がさらに深まった感じがする。

技巧的に聴こえることがあるF=ディースカウだが、ここでは感情の流れがきわめて自然で、声のみずみずしさも保たれている。

恋人に裏切られ真夜中に町を去っていく若者の憤怒が、旅を最後まで持続させるバネになっているが、そこには若者らしい矜持の念も欠けず、怒りを理性で制御しようとする賢明さもうかがえ、その絶妙なバランスに、この演奏の特色がある。

しかも、その歌は厳しく劇的であるとともに、1曲1曲を明快にしなやかなスケールで歌い分け、全曲を大きな流れと起伏をもって構成している。

特に、次第に悲嘆の感情を強めていった23曲の歌が最後に虚無的ともいえる深い絶望に行き着き、無限の彼方へ消えてゆくような〈ライアー回し〉は、聴き手に恐ろしいほどの感動を呼び起こさずにはいないだろう。

そうしたF=ディースカウの歌唱を可能にしたバレンボイムのピアノも万全、まことに素晴らしく、歌唱とピアノが密着した絶妙のアンサンブルは、数あるドイツ・リートの模範のような出来を示している。

バレンボイムのピアノはそれまでのリートの伴奏という域を大きく踏み出し、歌と同等の発言権を得て比類ない世界を構築している。

さまざまな音色、自在なルバートを駆使した伴奏は見事というほかなく、それはときにオペラ風に傾くが、リートにふさわしい美感を損なうことのない、素晴らしい共演の記録だ。

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2016年05月09日


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プラガ・ディジタルスSACDシリーズでは既に5枚目になるフルトヴェングラー演奏集で、今回はシューマンの交響曲第1番変ロ長調Op.38『春』、序曲『マンフレッド』Op.115及び交響曲第4番ニ短調Op.120の3曲を収録している。

交響曲第1番は1951年10月29日のミュンヘンに於けるウィーン・フィルとのライヴ、『マンフレッド』は1949年12月18日のベルリン・ライヴ、交響曲第4番は1953年5月14日のベルリンでのセッション録音で後者2曲のオーケストラはベルリン・フィルとクレジットされているので、それぞれがデッカ及びドイツ・グラモフォンからリリースされていたものと同音源になる。

総てがモノラル録音で、音質は交響曲第1番では鑑賞可能といった程度で、彼の音楽的な意図が手に取るように理解できることは確かだが、分離状態も鮮明さもそれほど期待できないことはフルトヴェングラー・ファンであればご承知の通りだ。

SACD化でいくらか音場に立体感が出て高音の伸びが良くなったことは認めるが、この音源からそれ以上の音質向上は望めないだろう。

それに反して他の2曲は時代相応の録音状態だが幸い高度な鑑賞にも堪え得る音質が保たれている。

尚交響曲第4番は音場の拡がりから擬似ステレオ化されているものと思われる。

フルトヴェングラーのシューマンの作品への解釈とその演奏は非常に評価が高く、交響曲第4番に至っては歴史的名演のひとつとされているばかりか、古今のあらゆる録音の中でも最高のセッションという評価を下す人も少なくない。

シューマンの薫り立つようなロマンティシズムや文学的センスが彼の変幻自在に変化するテンポ感やディナーミク、管弦楽法の巧みな処理によって弥が上にも高められ、情念の渦巻くような効果を引き出していく手腕には確かに恐るべきものがある。

現代の演奏では考えられないほど世紀末的で恣意的な趣味を引き摺っているように思われるかも知れないが、批評家達の受け売りをすればそこに不自然な強引さを感じさせないだけのモティーフの有機的な結合と、絶え間ない奔流が知的にコントロールされているのも事実であろう。

フルトヴェングラー独自のこうした手法が現代に生きる私達にかえって新鮮な感覚をもたらして、今もってその演奏に惹きつけて止まない理由ではないだろうか。

ちなみに第2楽章の独奏ヴァイオリンは当時のベルリン・フィルのコンサート・マスター、ジークフリート・ボリスで、控えめだが温もりを感じさせるソロがひと時の安らぎを与えてくれる。

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2016年05月07日


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アンドレ・クリュイタンスのフランス物の中では圧倒的に評価が高く、また曲数の上でも他を凌駕するラヴェルの演奏集は、概ね国内でSACD化されているが、ドビュッシーの作品となるとその演奏水準の高さにも拘らず録音自体僅かしか遺されていない。

クリュイタンスが全盛期に亡くなったことも関係しているかも知れないが、ここに収録された2曲の他には2種類の『ペレアスとメリザンド』ライヴ録音と『神聖な舞曲と世俗的な舞曲』があるのみだ。

とりわけ、『映像』は絶品で、クリュイタンスは、音楽を自然に流しながら、陰影にとんだドビュッシーの世界を、実に精緻に表出している。

「イベリア」での比類のないみずみずしさとしなやかさ、「夜のかおり」の官能的な響き、「春の踊り」もデリカシーがあって感覚の整然としたまとまりの中から、なごやかな詩がほのぼのとわきあがってくる。

『遊戯』も、まことに折り目正しい演奏で、フランス風のエレガントなセンスと、表情づけの細やかさという点で傑出した演奏である。

この2曲は幸いステレオ・セッション録音で、音源の状態も良好なのでSACD化の価値は高いと言えるところであり、レギュラー盤に比較してオーケストラに一層艶やかな色合いが醸し出されている。

特に印象派の作品ならではの移り変わる陰翳や光彩の表現に管弦楽をリミックスする絶妙な技を発揮したクリュイタンスだけに、ドビュッシー作品集は欠かせないコレクションになるに違いない。

確かに50分余りの収録時間は1枚のディスクにしては少な過ぎるとは思うのだが。

ところで、ドビュッシーには明らかに現代音楽の先駆の顔がある。

しかも、一筋縄ではいかない狷介さも併せ持っている。

『遊戯』や『映像』という標題性や具体的な楽曲につけられた解説を読んで、イメージをふくらませることはできるが、聴いた後に、それだけでは得心できないものを感じるリスナーも多いであろう。

ドビュッシー音楽のこのような複雑な構造を、クリュイタンスは「あるがまま」に描き出そうとしているようだ。

標題性の強調よりも、斬新なパーカッションの使い方や、弦楽器のデフォルメされたグラマラスな響きなどを実に慎重に扱いながら、魅力的な音楽空間をそこに創り出している。

たとえば、フォーレのレクイエムでみせた「非作為」のスタンスから導かれる自然の美しさの表出をここでも感じる。

クリュイタンスという秀でた指揮者は、どんな音楽でも、彼のもつ抜群の平衡感覚で素材の良さを最大限に引き出せるところにあるのではないか。

クリュイタンスの手によって、ドビュッシー音楽の先駆性を考えさせられた1枚である。

ベルギー生まれの名指揮者であるクリュイタンスは、パリ音楽院管弦楽団の正指揮者を1944年から67年までつとめ、このオーケストラの黄金時代を築き上げた。

当時のパリ音楽院管弦楽団は一癖も二癖もある奏者が揃っていて、団結力では他のオーケストラに譲るが、曲中随所に現れるソロやアンサンブルの部分ではそれぞれの名手がここぞとばかりにスタンド・プレイ的な名人芸を聴かせてくれた。

中でもウィンド、ブラス・セクションにはこの時代の彼らにしか聴けないような官能的な雰囲気を漂わせた音色と奏法が特徴的で、クリュイタンスも彼らに最大限の敬意を払い、それを許容していたと思わせる大らかさが感じられる。

他のレパートリーはいざ知らずフランス物に関しては彼はパリ音楽院には統率ではなく、如何に個性を引き出すかを考えていたのではないだろうか。

そうした面白さを知っているオールド・ファンにとっては解散前の彼らの極めて個性的で貴重なサンプルでもある。

このコンビによる『海』や『夜想曲』などの録音がないのが惜しまれてならない。

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2016年05月05日


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シュタルケル磐石の態勢にブッフビンダーが瑞々しいピアノで応じたベートーヴェンのチェロ作品全集で、テルデック音源だがこの2枚組はアペックスからのリイシュー廉価盤になり、正規盤が入手困難なので事実上これが唯一の選択肢だ。

2回目のシェベックとのセッションでは壮年期特有の覇気と骨太な音楽性が表出されていたが、シュタルケルにとって3回目になったこの録音でも覇気は依然衰えていない。

ただ無駄と思われる表現は一切省いてよりシンプルになる一方で気負いも惑いもない余裕と安定感を感じさせる演奏が秀逸で、ベートーヴェンの古典的な音楽構成がすっきり提示されている。

特に第3番イ長調はことさら大曲然とした誇張が多い演奏の中で、両者の誠実だが風格を失わない王道的な再現を堪能できる。

ボヘミア出身でウィーンで学んだブッフビンダーのソリストとしての活動は現在でもウィーンを中心に続いているが、彼は若くしてアンサンブルのスペシャリストとして高い評価を受けていただけに、こうした伴奏に回っても主張すべきところは臆せずに確実な演奏とテクニックの冴えを聴かせている。

ヤーノシュ・シュタルケルは、その長いキャリアで自身の課題となるような作品を繰り返しコンサートのプログラムに採り上げたし、録音も異なった時期のものを数種類遺している。

バッハやコダーイの無伴奏作品がその代表的なレパートリーとして挙げられるが、彼はベートーヴェンの5曲のチェロ・ソナタも3回ほど全曲録音を行った。

一般的に良く知られているのはハンガリーの朋友ジェルジ・シェベックと協演した1960年のエラート音源で、これは最近ワーナーからイコン・シリーズに組み込まれて復活した。

それに対してこのブッフビンダーとのセッションは1977年に録音されていて、ベートーヴェンの同曲集では最後のものになる。

シュタルケルは既に53歳の円熟期に達していたが、ブッフビンダーはまだ31歳で本格的な演奏活動に入った時期だった。

この1年前に彼はハイドンのピアノ・ソナタ全集を完成させているし、シュタルケルとは1973年にシュヴェツィンゲン音楽祭でヨセフ・スークと共にベートーヴェンとメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲を演奏して、第一級のアンサンブル・ピアニストとしての腕も披露している。

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2016年05月03日


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今回ワーナーからSACD化されたカルロ=マリア・ジュリーニ演奏集の1組で、中でもヴェルディの『レクイエム』の音源は演奏水準が極めて高い上に当時のEMIとしては録音状態が抜きん出て素晴らしいが、レギュラー・フォーマットのCDでは音質がいくらか持て余し気味だった。

特に「怒りの日」ではパーカッションの爆音とともにフィルハーモニアの総奏が凄まじいばかりの音響効果を上げているが、再現の方が殆んど限界に達していて音場に余裕がなかった。

このSACDでは伸びの良い拡がりのある奥行きと細部まで鮮明に聴き取れる音質が確保されていることを評価したい。

ジュリー二の同シリーズではラヴェル作品集がやはりSACDで同時にリリースされている。

尚演奏については、通常盤に書き込んだレビューを以下に再掲載させて頂くことにする。

録音は1963年から64年にかけて行われ、当時の実力派4人のソリストを従えた演奏はその音楽的な水準の高さと、音響の生々しさでグラン・プリ・デュ・ディスクやエディソン・プライスを受賞している。

「怒りの日」での最後の審判を体現させるような激情的な表現はジュリーニが遺したあらゆるセッションの中でも最もラテン的な情熱を発散させたもので、彼の創造した音響効果だけではなく、一方で緻密に計算された弛むことのない緊張感と、それを維持する集中力が聴きどころだ。

ソロ歌手のキャスティングでは実力重視の抜擢が功を奏している。

それは4人の歌唱力に限ったことではなく、重唱部分では和声の微妙なモジュレーションの連続があり、正確な音程の維持と和声の移行という高度なアンサンブルのテクニックが要求されるが、その意味でもこのメンバーは万全だったと言えるだろう。

シュヴァルツコップは1952年のデ・サーバタ盤でもその驚異的な歌唱を披露したが、ここではやや翳りが出てきた声質を巧みな表現力でカバーして、よりドラマティックな名唱を遺すことになった。

クリスタ・ルートヴィヒとのオクターヴ・ユニゾンのア・カペラで始まる「アニュス・デイ」の天上的な美しさや、最後のコーラス「リベラ・メ」に入る前の「レクイエム・エテルナム」の神々しさは唯一無二のものだ。

ヴェルディの『レクイエム』はミラノ出身の文豪アレッサンドロ・マンゾーニ追悼のために作曲されたもので、現在では宗教曲として実際に教会内で演奏されることはそれほど多くない。

それはこの曲が如何にもヴェルディらしい劇場空間に相応しい華麗なオーケストレーションの音響とともに、ベルカントの泣き節とも言える曲想を持った声楽部分があたかも1曲のオペラのように展開するからで、それだけにオペラ劇場とその専属の演奏者によるセッションも少なくない。

このジュリー二の旧盤は古いデ・サーバタ、ミラノ・スカラ座盤と並んで個人的に最も気に入っている演奏で、その理由はオーケストラとコーラスが厳格に統制されているにも拘らず、外側に向かって放出される解放的なエネルギーに充ちていて、異例のカタルシスを体験できるからだ。

フィルハーモニア管弦楽団はロンドン時代のジュリーニが最も高く評価していたオーケストラで、この演奏にも彼らの信頼関係が良く表れている。

このCDには同じくヴェルディの『聖歌四篇』が1962年の録音で同メンバーとジャネット・ベイカーのメゾ・ソプラノでカップリングされている。

フィルハーモニア合唱団も流石にコーラス王国イギリスの合唱団だけあってその表現力と機動性でも卓越している。

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2016年05月01日


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ユニヴァーサル・イタリーの企画によるアレクシス・ワイセンベルクのドイツ・グラモフォン音源4枚分をまとめたもので、彼の50代の円熟期を代表する演奏が揃っている。

ワイセンベルクの主だったレパートリーの録音はEMIやエラートに行ったもので、ワーナーのイコン・シリーズからは既に10枚組のボックス・セットがリリースされているが、彼の円熟期の芸術性が堪能できる音質に恵まれたグラモフォン盤の廉価盤化は歓迎したい。

尚収録曲目に関しては幸いこのアマゾンのページのイメージ欄に写真がロードアップされているので参考にして頂きたいが、17ページほどのライナー・ノーツにはワイセンベルクのキャリアとそれぞれの曲についての解説が英、伊語で掲載されている。

ワイセンベルクにとって重要な作曲家の1人がバッハで、このセットでの2曲のパルティータと『イタリア協奏曲』は彼の最も充実した時期の演奏だけに興味深い。

楽理的にバッハらしい演奏かというと決してそうではないが、パルティータはバッハの組曲の中では最も後期の作品集で、それまでのオーソドックスな形態に縛られない自由な着想で書かれているために、ワイセンベルクの奔放とも言える音楽性がかえって多彩な魅力を引き出している。

一方でスカルラッティの15曲のソナタではダマスク織に真珠が零れ落ちるような贅沢な音色の美しさと彼の才気煥発な表現力が示されていてこちらも聴き逃せない。

ドビュッシーの小品では驚くほどのデリカシーと機知に溢れた構想が感じられるが、中でも『喜びの島』では豪快なピアニズムを聴かせ、『レントより遅く』ではワイセンベルクの愛したジャズからの影響も窺わせている。

最後のラフマニノフの2曲のソナタでは超一流の名人芸を披露しているだけでなく、作曲家の拭い去り得ないメランコリーの表出も彼の円熟期の面目躍如たる演奏で、ワイセンベルクがラフマニノフにも引けを取らないロマンティストだったことを証明している。

一廉の芸術家の中には望むと望まざるとに拘らず一度その活動を休止して、様々な意味での充電期間を設けるケースがままある。

ピアニストでもホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ポリーニ、ガヴリーロフ、ポゴレリチなどそれぞれ期間の長さとその時期や理由は異なっているが一時期完全に演奏活動から離れている。

ワイセンベルクも例外ではなく27歳の頃からおよそ10年に亘って楽壇から姿を消し、壮年期になってパリで返り咲いている。

ワイセンベルクはブルガリアのソフィア出身だがユダヤ人迫害から逃れてニューヨークのジュリアード音楽院で学んだ、極めてインターナショナルなプロフィールと感性を持った異色のピアニストであった。

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