2016年07月

2016年07月31日


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1957年から65年までにリリースされたアナログ音源のLPレコード9枚を、曲目の編集を加えずにそのまま9枚のCDに復刻したもので、その結果当然容量の違いからCDではある程度余白が生じているが、リマスタリングのためかこの時代の音源の音質としては概ね良好だ。

収録曲目と録音データについては幸いこのアマゾンのページに詳細が示されているので、そちらを参考にされたい。

尚最後の2枚は1962年のイタリア・ツアーからのライヴ録音で、詳細は書かれていないが、この年の11月にリヒテルがパレルモ、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアで開いたコンサートからピックアップされたもので、ライヴ特有の雑音や、聴衆の頻繁な咳払いなどがいくらか煩わしいが、いずれもリヒテルの演奏の特質がかえって良く表れた充実した内容を持っている。

バッハの『平均律』は僅か5曲しか収録されていないが、既に彼の多彩な表現力が縦横に発揮されていて、後の全曲録音にも匹敵する出色の出来だと思う。

リヒテルは基本的にライヴ演奏に賭けた人で、彼の本領もいきおいライヴで発揮されていることが多い。

採り直しやつぎはぎが可能なセッションでは本来の一貫した音楽性が失われてしまうということを彼自身充分心得ていたし、それがセッションに対する彼の懸念でもあった筈だ。

しかしそれほど多くないセッション録音の中でもこのセットには彼の壮年期を代表するものが少なくない。

例えば協奏曲ではカラヤン、ウィーン交響楽団とのチャイコフスキーもそのひとつに挙げられる。

リヒテルとカラヤンの相性はそれほど良かったとは言えないし、その原因はこの曲の録音時にアインザッツを要求したリヒテルにカラヤンが応じなかったことに発するようだが、2人の間の亀裂が決定的になったのはEMIに入れた『トリプル・コンチェルト』の時らしい。

しかしここでは両者の主張がお互いに損なわれることなく両立して華麗な効果を上げているところは高く評価したい。

またベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番では前作の2曲に比べてドラマティックで深みのある曲想を、ザンデルリンクが手堅く再現しながら、古典派の音楽としての節度を保ってソロをサポートしている。

一方リヒテルは抑制を効かせたきめの細かいコントロールが傑出していて、第2楽章の静謐な抒情も極めて美しい。

尚『ピアノとオーケストラのためのロンド変ロ長調』はコンドラシン盤が手に入らない現在では、このザンデルリンク、ウィーン交響楽団盤が殆んどリヒテル唯一のセッションになる。

それぞれのジャケットはオリジナル・デザインのミニチュアで、裏面にも当時の解説が印刷されている。

ライナー・ノーツは32ページで、やはりオリジナルLPジャケットの写真入で、英、独、仏語の解説付。

バジェット価格ということもあり、演奏の質の高さは勿論レパートリーの豊富さでも満足のいくもので、EMIのイコンと並んでリヒテル・ファンには欠かせないコレクションになるだろう。

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2016年07月29日


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録音嫌いだったリヒテルだが、結果的には彼の生涯に亘ったセッションとライヴを合わせると皮肉にも立派なディスコグラフィーを遺すことになった。

しかも大手メーカーのドイツ・グラモフォン、フィリップス、デッカやEMIなどからリリースされたリヒテル承認済みの音源以外にもマイナー・レーベルを含めると収拾がつかなくなるほどの膨大な量の録音がCD化されているのが実情だ。

このイコン・シリーズの14枚組はコンプリート・レコーディングスと銘打ってEMIへのセッションとライヴから比較的音質に恵まれた音源を出し尽くしているところにコレクションとしての価値がある。

勿論演奏内容もいずれ劣らぬ優れた水準を示していて、巨匠のプロフィールを伝える貴重なセットと言えるだろう。

ソロではシューベルトの幻想曲『さすらい人』のバドゥラ・スコダ版やヘンデルの組曲がリヒテルの幅広い音楽性と多彩なテクニックを披露していて圧巻だ。

また彼が生涯続けたアンサンブルではボロディン四重奏団との協演になるシューベルトの『ます』がフレッシュな印象を与えて好感が持てる。

ボロディン四重奏団は時として濃厚なロマンティシズムの表出があるにしても巨匠との合わせ技は流石に巧い。

歌曲の伴奏ではここでもフィッシャー=ディースカウとのブラームスの『マゲローネのロマンス』全曲が組み込まれている。

双方ともに全盛期のセッションで、後年リヒテルはフィッシャー=ディースカウが自分の発声と発音に拘って、伴奏にさまざまな注文をつけてくるのに辟易したと回想しているが、仕上がりは非常にすっきりした物語性を伝える秀演だと思う。

協奏曲ではクライバーとのドヴォルザーク、マタチッチとのグリーグとシューマンが名演の名に恥じないものだが、最後のマゼールが振ったプロコフィエフの第5番及びユーリ・ニコライエフスキーとのベルクの室内協奏曲も現代音楽を得意としたリヒテル面目躍如の演奏だ。

問題のセッションはカラヤン、ベルリン・フィルのサポートによるベートーヴェンの『トリプル・コンチェルト』で、モンサンジョンの映画『エニグマ』のなかで彼はこの演奏についてひどいものだったと語っている。

しかし冷静に鑑賞してみるとそれほどひどい演奏とは思えず、少なくともオイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテルの三者は非常に注意深く合わせているし、カラヤンの指揮も充実している。

むしろ、これだけ個性の強い4人が互いに主張し合い、協調を見出そうとしているところに価値があるのではないだろうか。

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2016年07月27日


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2回の交響曲全集を完成させたブルックナーの権威、オイゲン・ヨッフムはドイツ・グラモフォンにCD4枚分の宗教作品集を録音していて、それらはこれまで別売りのCDでしか入手できなかったので、今回ザ・コレクターズ・エディションとして15曲がまとめられて廉価盤化されたことは歓迎したい。

ただしヨッフムのコンプリート録音集が欲しい方にはグラモフォンによる全集の新企画があり、9月に第1集のオーケストラル・ワーク集42枚組がリリースされる。

この4枚は第2集以降に組み込まれることが予想されるので、そちらの購入をお薦めしたい。

第1回目のブルックナーの交響曲全集がベルリン・フィルとバイエルン放送交響楽団による合作だったように、この宗教曲集も同様でコーラスもバイエルン放送合唱団及びベルリン・ドイツ・オペラ合唱団が参加している。

ヨッフム・ファンにとっては勿論EMIのイコン・シリーズ22枚も重要なコレクションだが、そちらにはシュターツカペレ・ドレスデンとの2回目の交響曲全集が入っているが宗教曲は収録されていない。

これはヨッフムの偉大な遺産のひとつで、ブルックナーの宗教合唱作品を集め、これだけ充実した演奏を聴かせた指揮者はいない。

荘厳だがむやみに曲のスケール感を強調しないヨッフムらしい折り目正しい几帳面なアプローチによる演奏は、かえってこれらの宗教曲としての側面を明確に示す結果になり、敬虔なカトリック教徒だったブルックナーの音楽的意図が生かされていると言えないだろうか。

ソロを歌う声楽家もソプラノのエディット・マティスを始めとする宗教曲に相応しい布陣で、ヨッフムのアイデアが忠実に反映されている。

3つのミサ曲はそれぞれ立派だが、ことに第3番には、この強固な構築力を超える若手の指揮者が今後出るとは思えないほどの迫真力があり、「テ・デウム」の壮大さ、「パンジェ・リング」の神秘など、いずれも名演揃いだ。

尚現在までにリリースされたブルックナーの宗教作品のCDとしては、一流どころの指揮者の演奏はそれほど多くなくチェリビダッケ、バレンボイム、リリング盤などがめぼしいところで、最近ではスティーヴン・レイトンがポリフォニー・ブリテン・シンフォニアを振ったミサ曲第2番を中心とする合唱曲集が選択肢として有力候補に挙げられるが、残念ながらいずれも体系的な企画ではなく単発のCDで終わっている。

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2016年07月25日


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ベームがベルリン・ドイツ・オペラを指揮した『ヴォツェック』(1965年スタジオ録音)、『ルル』(1968年ライヴ録音)は、今も忘れ難い古典的名盤で、別項に掲げたブーレーズ盤と双璧をなし、現在でも本盤の価値は未だに減じてはいない。

厳しい表現を覆う青白いペシミズムや沈鬱なムードは、表現主義が栄える一歩手前の象徴主義的新ロマン主義の世界に近いけれども、ドラマティックな展開の中に、時代背景をよく描き出し、ベルクの音楽の美しさと力が確固とした表現となって再現された演奏である。

作品としてのリアリティならびにドラマトゥルギーの見事さは、むしろ当盤の方に強く現れていると言ってよい。

『ヴォツェック』はミトロプーロスによる初録音や、1963年のホルライザーによるライヴ録音と比較してみると、改めて、このベーム盤の見事さが理解できる。

ベームは厳格極まりないアンサンブルの緻密さを目指しながらも、ベルクの音楽の美しさと、各場面の心理的描写の綾を見事に描いている。

そしてベームは、このオペラの現代性や構成上の特質を殊更に強調しようとはせず、あたかもR.シュトラウスのオペラの延長上で捉えているかにみえる。

このアプローチの中から、巧まずして作品の緊密な書法と緊迫感溢れる音楽特性が鋭利に抉り出される。

こうしたベームの厳しい音楽作り、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団の原色的な音の肌触りと抜群のうまさ、フィッシャー=ディースカウやシュトルツェらの自在な役作りの面白さの魅力は、永遠の生命を持っている。

F=ディースカウ演じるヴォツェックはかなり特異で、“疎外された人間”のイメージとは隔たりがあるにせよ、精妙きわまりない歌唱を聴かせており、緻密な、しかも鋭い心理の襞の描出は素晴らしく、やはり超一流である。

主人公の心理の想像を越えた起伏、その激しいゆれをその歌声は克明に綴っていき、「我ら貧しきものたち」の悲劇はこの歌唱のなかでまさに劇的に進展していくと言ってもよいだろう。

更にリアーによる迫真のマリー役、シュトルツェ入神の大尉役、ヴンダーリヒのアンドレス役、ともに大きな聴きどころであり、その存在感と説得力は今も色褪せておらず、最高のキャスティングを生かしきったベームの演出力には凄味すら感じる。

チェルハ3幕完成版が話題を呼んでいる現在も尚、ベームの『ルル』はこの作品の代表盤であろう。

歌手陣の充実はもとより、ベームとベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団の強靭でしかも豊穣な曲運びには感嘆させられる。

ベームの姿勢はあくまで峻厳だが、その根本姿勢に現代音楽への気負いは皆無で、むしろ古典的と言おうか、従来の調性オペラへのアプローチと変わることのない行き方を貫いている感があり、それゆえこの十二音オペラが、少しも十二音的でなく聴こえる。

もちろんベルク後期、調性と十二音列の融和への志向はとみに著しいが、かといってベームは甘美なロマンに微塵も溺れはせず、自然体の構築の中から、作品の複雑な楽曲構成を浮かび上がらせる演奏だ。

ここで『ルル』は過去と決別した20世紀の異様なオペラではなく、伝統の上に立つ傑作として演奏されているが、それがまた凄い。

ただし、ライヴ録音ゆえか、必ずしもベームとしては万全のものとは言えず、もっと時間をかけた丹念な演奏をスタジオ録音して欲しかったと惜しまれる。

とはいえ冷たく妖艶なリアーと、完璧なまでの語り口のF=ディースカウなどの歌手陣の熱演は、まさに壮観そのものだ。

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2016年07月23日


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チェコ・フィルハーモニー管弦楽団としばしば共演を重ね、団員達からもチェコの音楽作品の最高の理解者の一人として信頼の厚かったヴォルフガング・サヴァリッシュが、主としてプラハのラジオ放送用に遺した未発表客演ライヴ集で、2013年の2月に亡くなった彼への追悼盤のひとつになる。

5枚のCD総てが1970年から87年までのライヴ音源で、拍手も入っているが客席の雑音は殆んどなく、またアナログ、デジタルの両方式が混在しているがリマスタリングの効果もあって音質は極めて良好だ。

一通り聴いてみたが、1970年代の初期の録音では響きがややデッドで、ごく一部に僅かなノイズが聞こえる程度で破綻のない安定した録音状態なので鑑賞に全く不都合はない。

ライナー・ノーツにも書かれているが、サヴァリッシュは稽古の時でも決して声を荒げたり、激しいジェスチャーでオーケストラを統率するようなことはなかったようだ。

一方で彼の音楽は理知的だが神経質にならず一貫した緊張感と滾るような情熱、そしてオリジナリティーにも不足していない。

そこには黙っていても団員を率いていくだけの作品に対する深い見識と高度な指揮法があった筈である。

特に後半の2枚はチェコ・フィルが他のオーケストラには譲れないお国物のレパートリーで、ヤナーチェク、マルティヌー、ドヴォルザークとエベンの作品が採り上げられている。

中でもヤナーチェクの『グラゴル・ミサ』及びマルティヌーの『戦場ミサ』は民族的な士気を高揚させる曲だけあって、オーケストラの燃焼度が高いだけでなく、声楽曲に卓越した能力を発揮したサヴァリッシュの面目躍如たる演奏だ。

『戦場ミサ』での男声合唱の水準の高さはサヴァリッシュの実力を見せつけている。

惜しむらくは『グラゴル・ミサ』でのソロを歌う歌手達が若干非力なことだろう。

最後に置かれたペトル・エベンの『プラハ・ノクターン』はこの都市で『ドン・ジョヴァンニ』を初演したモーツァルトに捧げられた曲で、大編成のオーケストラで演奏される現代のプラハへのオマージュでもある。

マルティヌーの交響曲第4番でも顕著だが、こうした現代音楽にみせるサヴァリッシュの繊細で緻密な音楽設計と音響への要求に応じて機動力を駆使するオーケストラの自在さも見事である。

ライナー・ノーツは34ページで彼のチェコ・フィルとのキャリアと短いインタビューが英、独、仏、チェコ語で掲載されているが、そこには日本での体験として日本人のクラシック音楽への感受性についても興味深いコメントがある。

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2016年07月21日


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ムーティの明快なオーケストラに支えられてリヒテルがその円熟期の自在な表現力を発揮した演奏である。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調ではキレの良い弦楽とメリハリを効かせたウィンド、ブラス・セクションに乗って巨匠のピアノが溢れんばかりの音楽性を披露して、聴く者を幸福感で包むような雰囲気がある。

それは腰のすわった堂々たるもので、音楽に没入して自ら楽しみながら曲を展開してゆくその姿勢には、リヒテルならではの貫禄がにじみ出ている。

第2楽章ラルゴは節度のあるカンタービレの中に表出される両者の抒情が極めて美しい。

急速楽章でのそれぞれのカデンツァは作曲家自身のものを採用している。

一方モーツァルトのピアノ協奏曲第22番変ホ長調での彼らの表現は至って軽快で屈託の無い明るい響きを持っているが、曲想を恣意的にいじり過ぎない格調の高さが感じられる。

リヒテルのモーツァルトは、通常の解釈とは趣が異なったもので、それは感覚を魅了することはないが、厳しい精神に裏づけられた意志的な音楽を引き出している。

ふたつのカデンツァはベンジャミン・ブリテンの手になるもので、かなり斬新な印象を与える。

リヒテルは1960年代にブリテンとモーツァルトのピアノ連弾作品でも録音を遺しているので、古典派の作品を現代に活かすというという意味で共感を得ていたのかも知れない。

ムーティは原典主義を貫いていたが、協奏曲のカデンツァに関しては躊躇なく新しいものを認めていた。

その最もラディカルな例がギドン・クレーメルとのパガニーニのヴァイオリン協奏曲集でのクレーメル自身の即興的な超絶カデンツァだろう。

尚オーケストラはどちらもフィルハーモニア管弦楽団で、ムーティが首席指揮者に就任して間もない頃のセッションになるが、既にムーティ流に統制された流麗な歌心とダイナミックな音響が特徴だ。

リヒテルがムーティと初めて協演したのは1972年のザルツブルク音楽祭でのシューマンのピアノ協奏曲で、オーケストラはウィーン・フィルだった。

その時のライヴ録音はオルフェオ・レーベルからリリースされているが、ムーティは前年にカラヤンの紹介で同音楽祭に30歳でデビューを飾ったばかりで、ほぼ同年代のイタリア人指揮者としてはアバドに続いて国際的な演奏活動を始めた直後の意気揚々としたフレッシュな感性が伝わって来る演奏だ。

その後リヒテルとムーティは2回に亘ってロンドンのEMIアビー・ロード・スタジオでセッションを行った。

それがこのCD1曲目の1977年のベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番と2曲目の1979年のモーツァルトの同第22番になる。

音質はこの時期のEMIとしては意外に良く、鮮明で臨場感にも不足しておらず、これは、リヒテルの芸術を味わうには格好の1枚だ。

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2016年07月19日


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ベルナルト・ハイティンクがこれまでに完成させた全集ものは数多くの作曲家の作品に及んでいるが、それらは決して偶然に成立したものでもなければ、やっつけ仕事的にこなした録音でもない。

彼がそれぞれの作曲家の作法やその変遷を注意深く研究し、より広い視野から俯瞰した総合的な作曲家像を提示しているところに価値があるのではないだろうか。

このヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集も録音データを見ると、1984年の『南極交響曲』を皮切りに最後の第8番と第9番は2000年に完了している。

つまりこの全集は足掛け16年に亘る長期計画を遂行した成果であり、そうした彼の周到な作品分析とそれを実行に移す熱意と根気強さには敬服させられる。

またオーケストラは以前首席指揮者を務めていた旧知のロンドン・フィルであることも、ハイティンクが英国物に強い彼らの能力を最大限発揮させることで、より一層このセットを完全にしている。

実際これらの曲中には作曲家自身によって採譜されたイングランド古謡からのメロディーがモティーフとして頻繁に現れる。

例えば『ロンドン交響曲』でのテームズ河の情景やビッグ・ベンの鐘の模倣などローカル色豊かな作品や、ひんやりとした幻想的な田園風景を想起させる『パストラーレ』や『揚げひばり』、歌詞を伴わないソプラノの声を神秘的に取り入れた『南極交響曲』のような表題的な傾向が濃厚なことは否定できない。

しかしハイティンクによって端正にアナリーゼされたスコアがかなり普遍的に音楽化されていて、安っぽい描写音楽に堕していないのは流石だ。

こうした媚を売ることのない真摯な姿勢と冷静な音楽作りも彼の指揮に共通する哲学だが、また歌手の抜擢にも細心の注意を払っているように思われる。

『海の交響曲』でのソプラノのフェリシティ・ロット、バリトンのジョナサン・サマーズや『ウェンロックの断崖で』のソロを歌うテノールのイァン・ボストリッジはベスト・キャストと言えるだろう。

EMIの録音レベルがやや低いが音質は良好だ。

またバジェット価格なので多くは望めないが、このワーナー・クラシックス・シリーズでは、ライナー・ノーツに簡単な解説と録音データしか印刷されておらず、それぞれの紙ジャケットの裏面かボックスの裏側の曲目と照らし合わせる必要がある。

またソロ及びコーラスの歌詞も省略されている。

尚9曲の交響曲以外には『トマス・タリスのテーマによる幻想曲』、『ノーフォーク・ラプソディー』、サラ・チャンのソロが加わるヴァイオリンとオーケストラのための『揚げひばり』、『沼沢の地方にて』、イァン・ボストリッジのテノールで『ウェンロックの断崖にて』の5曲がカップリングされている。

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2016年07月17日


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R.シュトラウスの歌曲は文学的な技巧を凝らした叙事詩を扱ったものより、甘美な抒情詩をテクストにしたものが圧倒的に多いし、曲想にもまた彼らが生きた世紀末特有のデカダンス的な雰囲気が濃厚に感じられるが、かえってそうした傾向の曲で彼の才能が際立っているように思える。

それは同時代の作曲家、フーゴー・ヴォルフの詩作品への近付き難いほどの心理的な鋭い洞察力と言霊への飽くことのない追究には及ばないだろうが、オペラでの愛のモノローグを髣髴とさせるような大らかでメロディックな旋律、官能的な和声進行や絵画的な情景描写は、ヴォルフの歌曲より気軽に鑑賞できる親しみ易さがある。

ここにはフィッシャー=ディースカウのバリトンとジェラルド・ムーアのピアノによる2回目のセッションからのR.シュトラウスの歌曲集29作品、計134曲が6枚のCDに収められている。

フィッシャー=ディースカウもこの録音が行われた1967年から70年は脂の乗り切った全盛期で、声もテクニックもすこぶる充実しているのが特徴だ。

少なくとも彼の20代の頃の録音では声自体の初々しさで優っているが、こちらでは表現がより自由闊達になり、歌唱法も完成された独自の境地を開いている。

例えばCD5枚目の『小商いの鏡』Op.66から「三つの仮面を天に見た」では最高音がBb(変ロ音)に達しているが、彼は全く力みのない艶やかな発声で歌い切っている。

この曲集は風刺に富んだ内容を持っているだけに、詩の皮肉っぽさが品良く、またさりげなく表出されているのが聴きどころだろう。

ムーアのピアノは決して歌と張り合うような奏法ではなく、歌手の歌心を絶妙にくすぐる巧妙なものだ。

常に相手に寄り添いながら、音形や和声の意味するところを鋭敏に演奏に反映させていく老獪さは、もはや伴奏という範疇を遥かに超越している。

録音状態及び音質はこの時代のものとしては極めて良好で印刷されているデータも正確だが、バジェット価格盤の宿命で残念ながら歌詞対訳は一切省略されている。

11ページほどのライナー・ノーツにはR.シュトラウスと彼の歌曲作品についてのごく簡易な考察が掲載されている。

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2016年07月15日


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ラ・プティット・バンドの新録音によるJ.S.バッハの『管弦楽組曲』全曲を1枚のCDに収めたもの。

最近の彼らの演奏で顕著なことは、演奏者数を当時の宮廷楽団の慣習に則り、各パートの奏者をぎりぎりまで絞り込んで、従来の管弦楽というイメージよりもむしろアンサンブルに近い形態をとり、曲の解釈の面でもあらゆる面で誇張のない、よりインティメイトな雰囲気でのバッハの再現を試みていることであるが、その基本姿勢はこの曲集でも全く変わっていない。

リーダーだったグスタフ・レオンハルト亡き後も彼らはシギスヴァルト・クイケンを中心に衰えをみせない活動を続けているが、こうした演奏にレオンハルト譲りの厳格さと共に、彼ら自身が古楽を楽しむ洗練された究極の姿を観るような気がする。

それはまた彼らがこれまでに辿り着いた研究の成果を実践に移したものとしても興味深い。

オーケストラのそれぞれのパートを見ると、第1、第2ヴァイオリンが2名ずつ、ヴィオラ1名、通奏低音としてはバス・ドゥ・ヴィオロン2名とチェンバロのみである。

基本的にこの8人の他に曲によってバッハが指示したトランペット、ティンパニ、オーボエ、ファゴット、トラヴェルソが順次加わるが、習慣的に任意で加えることができるリュートやテオルボなどは一切省いた簡素な編成が特徴的である。

またそれほど重要でないと判断された序曲での繰り返しを避け、無駄と思われる装飾や表現も思い切って削ぎ落としたシンプルそのものの解釈で、足早のテンポ設定と相俟って現在の彼らの虚心坦懐の境地を窺わせている。

しかし響きは素朴であっても素っ気ない演奏とは違い、対位法の各声部を明瞭にしてしっかりした音楽構成を感知させている。

それだけに当時バッハがイメージしていた音像がダイレクトに伝わってくるような気がする。

組曲第2番ロ短調の「ロンド」ではフランス風のイネガルを取り入れてこの珠玉の小品に精彩を加え、終曲「バディヌリー」では逆にテンポを落としてソロの名人芸を聴かせるよりもアンサンブルとしての調和を図っているようだ。

2012年のセッションで、会場になった教会の豊かな残響をある程度取り入れているため、ごく臨場感に溢れた録音ではないが音質には透明感が感じられ極めて良好。

ピッチはa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチを採用している。

アクサン・レーベルの新譜はデジパックで統一されていて、差し込まれたライナー・ノーツにはシギスヴァルト・クイケンによるバッハの『管弦楽組曲』についての歴史的な考察が掲載されている。

そこには第2番が当初トラヴェルソ用ではなく、ヴァイオリン・ソロが加わったイ短調の組曲だったことも述べられている。

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classicalmusic at 00:22コメント(0)トラックバック(0)バッハクイケン 

2016年07月13日


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仏ディアパソンによる編集で昨年リリースされた『17世紀のクラヴサンとオルガン』と題したグスタフ・レオンハルトの3枚組のアルバムで、音源はソニー・クラシカルが中心になっている。

録音は彼の初期のもので、例えばCD1フローベルガー作品集は1962年、彼が33歳の時のセッションで1640年製のルッカースの小型チェンバロを弾いている。

その他の曲も1968年及び79年に収録されているが、いずれもヒストリカル楽器を使っていてこの内ハインリヒ・シャイデマン、ニコラウス・ブルーンズ、ゲオルク・ベームの数曲はハンブルク聖ヤコビ教会に設置されたアルプ・シュニットガーのオルガン演奏になる。

レオンハルトは早くからヒストリカル楽器に拘っていて、自身歴史的チェンバロのコレクターでもあったが、古楽黎明期にあって博物館の調度品に成り下がっていた古楽器を修復して実際の演奏に供するにはかなりの困難があったと思われる。

また失われてしまった奏法や音律を再構築したり手稿譜の校正に関わる知識の習得などの努力は想像に難くない。

しかし彼は当時普及していたモダン・チェンバロには懐疑的で、常にオリジナルの響きとそこから自ずと生まれ出る独自の表現を開拓する道を選んだ。

この3枚のセットにその研究の成果が示されていると言って良いだろう。

CD2はフランソワ・クープランの伯父ルイ・クープランの3曲の組曲を中心にジャン=アンリ・ダングルベールとマティアス・ベックマンのクラヴサンのための作品を収録しているが、こうしたプログラムも資料として貴重なだけでなく、往時の響きをイメージすることができる最良のサンプルである。

CD3は文字通り17世紀にヨーロッパ各地で活躍した鍵盤音楽の作曲家たちのオン・パレードである。

英国ではトマス・トムキンス、ジョン・ブル、ウィリアム・バード、オルランド・ギボンズ、ジャイルズ・ファーナビー、イタリアではジョヴァンニ・マリア・トラバーチ、ジローラモ・フレスコバルディ、ミケランジェロ・ロッシそしてベルナルド・パスクィーニの作品がチェンバロとオルガンによって再現されている。

低いレベルでノイズが混入しているトラックもあるが音質は概ね良好。

ディアパソンが独自に編集したCDは厳選された演奏が鑑賞者の選択肢として良いサジェスチョンを提供してくれるが、装丁の方はどれも合理性が優先されていて、音楽以外のことにはそれほど頓着しない傾向がある。

このセットは5面開きのデジパックだが、独立したライナー・ノーツは付いておらず、収録曲目の他はわずか1面にレオンハルトと17世紀の鍵盤音楽についてのコメントが記載されているのみだ。

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classicalmusic at 00:14コメント(0)トラックバック(0)レオンハルト 

2016年07月11日


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数多くの喜歌劇で生前大衆的な栄光をほしいままにしたロッシーニの作品の中ではオペラ・セミ・セーリアに分類される新しいタイプのオペラが『どろぼうかささぎ』である。

幕切れはハッピーエンドの大団円で締めくくられるが、劇中では登場人物の感情の悲喜こもごもや手に汗握るスリルに満ちた場面が展開されて、伏線を敷いた筋立てと意外な結末がそれまでの滑稽一辺倒のオペラ・ブッファとはかなり趣を異にしている。

長い作品でしかも主役級の5人に高度な歌唱と演技力が求められるために他のロッシーニのオペラに比較すると上演回数はそれほど多くない。

しかしスネアドラムのトレモロで開始される良く知られた大規模な序曲に続くソロ、アンサンブル、コーラスの饗宴とクレッシェンド、アッチェレランドの追い込みは、ロッシーニ節を満喫できる優れた作品のひとつであることに違いない。

題材は当時流行した救済物で、高邁な精神を掲げたベートーヴェンの『フィデリオ』と比べれば他愛のない牧歌劇だが、当時のウィーンで起きたドイツ、イタリア・オペラ優劣論争が異なった民族性や趣味と表裏一体だったことを示す作品だ。

このDVDは1987年にケルン歌劇場で収録されたライヴで、プリマ・ドンナ、イレアーナ・コトルバスを始めとする個性的で芸達者な歌手達が織り成す舞台の面白さが良く映し出されている。

ロッシーニの作品なので登場人物全員にアジリタと呼ばれる速いパッセージを歌う技巧が要求されるが、コトルバスは流石にコロラトゥーラのテクニックにも優れヒロイン、ニネッタを可憐に、しかしある時はドラマティックに演じている。

若い軍人でニネッタのフィアンセ、ジャンネット役のテノール、デイヴィッド・クリューブラーはデトロイト生まれで、やや年下のロックウェル・ブレイクと共にアメリカ人テノールとしては融通の利く器用な人材だった。

狂言回しに当たる少年ピッポ役エレナ・ツィーリオのすばしっこい身のこなしや豪農夫婦に扮するカルロス・フェレルとヌッチ・コンド、また代官役のアルベルト・リナルディの性格俳優的な声と演技も堂に入っている。

ミヒャエル・ハンペの演出は無理のないクラシックな舞台で、このオペラには相応なシンプルさが見どころになっている。

収録時間はカーテン・コールを含めて182分になる。

ブルーノ・バルトレッティ指揮、ギュルツェニヒ・ケルン管弦楽団及びケルン歌劇場合唱団による演奏で、イタリア・オペラを熟知したバルトレッティによる巧みな統率も職人技だ。

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classicalmusic at 01:44コメント(0)トラックバック(0)ロッシーニ 

2016年07月09日


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リッカルド・ムーティの虚飾を排した原典主義が貫かれた、ベルカント・オペラの中でも最も美しい作品のひとつで、主役級の3人、クラウス、カバリエ、マヌグェッラの歌唱が指揮者の徹底した指示に良く調和したセッションだ。

ムーティは過去の歌手や指揮者達によってスコアに書き加えられた、見せ場を作るための伝統的なカデンツァや華美な装飾音を躊躇することなく取り除き、ベッリーニによって作曲されたとおりの音楽を再現しようと試みた。

それだけに全体がすっきりして、かえってこのオペラの特質が良く見えている。

しかし総てを記譜されたとおりの原調で歌うとなると、主役アルトゥーロにはテノール泣かせの超高音がこれでもかというように続出して、誰にでも挑戦できる役柄ではない。

アルフレード・クラウスは当時既に52歳だったと記憶しているが、その高貴でスタイリッシュな歌唱を崩すことなく、驚異的なテクニックで目の醒めるようなcis'''やd'''の高音を堪能させてくれる。

唯一彼が避けたのは終幕のアリアに出てくるf'''で、彼はdes'''を2回繰り返すに留めているがそれは妥当な選択だろう。

この音を歌ったのは、古いセッションではニコライ・ゲッダが出しているが、どちらもこの音の部分が強調されてしまい、曲のリリカルなスタイルからすると必然性に欠けるように思える。

ベッリーニのオーケストレーションは極めて簡潔で、声の魅力を極限まで活かすということに主眼が置かれていて、それ以外は劇中の雰囲気を盛り上げるための効果的なアクセントに過ぎないが、逆に言えばそれだけ歌詞とメロディーを密接に結び付けて、アリアや重唱にオペラの全生命を賭けた作品として仕上げた。

ムーティの傑出している点は、楽譜に託された歌詞と音楽の整合性や進行する物語への音楽的変化を注意深く捉えて、ベッリーニの書法を忠実に再現するだけでなく、そこに瑞々しいカンタービレを横溢させていることである。

勿論ムーティの手兵だったフィルハーモニア管弦楽団のオペラ演奏への理解が功を奏していることも注目される。

こうしたアプローチがしばしば指摘される台本の不自然さをカバーして、この作品の芸術性を高めているのだろう。

このセッションは、その音楽的意味合いの違いはあるにせよ1953年のトゥリオ・セラフィン指揮、カラス、ディ・ステファノの協演したEMI盤と並ぶべき名演としてお薦めしたい。

セラフィン盤は伝統的なベルカントの饗宴を実践した演奏であり、一方ムーティのそれは新時代のリニューアルされたイタリア・オペラの蘇生ともいえるのではないだろうか。

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2016年07月07日


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私達はある曲が演奏される時、その曲目が良く知られていればいるほど演奏者の個性に興味を示す傾向がある。

確かに個性豊かな演奏はしばしば魅力的だが、作曲家の書いた原点に注目する場合、その個性が枷になってしまうことも往々にしてあることを忘れてはならないだろう。

サヴァリッシュの演奏は大見得を切るような個性や斬新な解釈などには殆んど無関心のように思える。

しかし作品と演奏の間には、あえて言うならば黄金比のような絶妙なバランスが常に保たれていて、しかもきめ細かな創意工夫が随所に聴かれる。

彼はその再現に徹するだけで全く恣意的な意図は感じられない。

こうした指揮者としての姿勢を貫くにはそれを裏付けるだけの作品への深い見識と豊富な経験が不可欠だろう。

例えばブラームスの第1番の冒頭は音量ではなく、音響のバランスでその荘重さを見事に感知させている。

この演奏を聴くまで筆者はこの曲の始まりの部分が、余りにも不釣合いなこけおどしのようで好きになれなかったが、サヴァリッシュがブラームスの考えていた楽想を代弁してくれたという気持ちになった経験がある。

EMIにもかなりの量の録音を遺したサヴァリッシュだが、先だってEMIコリアからその全集が彼の追悼盤としてリリースされた。

一方こちらのイコン・シリーズはベートーヴェンとブラームスの交響曲全曲を中心としたより簡易な8枚組で、サヴァリッシュの誠実で安定した至芸をロイヤル・コンセルトヘボウとロンドン・フィルの2つの名オーケストラで鑑賞できるセットとしてお薦めしたい。

ブラームスに関しては全曲セッション録音だが、ベートーヴェンでは交響曲第8番及び第9番の2曲がライヴから採られている。

サヴァリッシュらしくどの曲にも精緻な采配が行き届いているが、決してそれがスケールの小さい神経質なものにならず、また情熱にも不足していない。

ライヴで見た彼の指揮はオーケストラの団員に細かく指示を出す冷静かつ実質的なもので、決して抽象的な仕草をすることがなかったのも印象に残っている。

その指揮法は最年少指揮者としてバイロイトに登場したワーグナーのスペシャリストとしては意外かもしれないが、実際には大編成の楽劇ともなれば注意深く八方に目を配らなければならない実務的な必然性から、こうした統率力が培われたのかも知れない。

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classicalmusic at 02:39コメント(0)トラックバック(0)サヴァリッシュ 

2016年07月05日


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モーツァルトの権威でもあったイングリット・ヘブラーは、早くからシューベルトのピアノ・ソナタの録音も積極的に行っていた。

この7枚組のセットは彼女が1960年からほぼ10年に亘って残したフィリップス音源をまとめたもので、2種類のモーツァルト・ピアノ・ソナタ全集と並ぶ価値の高いアルバムとしてお薦めしたい。

その特徴はそれぞれの曲の古典的な様式感をしっかりと押さえながら端正な弾き込みですっきりまとめているところにある。

シューベルト晩年のソナタでは、リヒテルの喜怒哀楽を遥かに超越した言い知れぬ諦観を感じさせる哲学的な深みが忘れられないが、ヘブラーのそれは異なったポリシーによる、むしろロマン派的解釈の深入りを避けた、サロン風の洗練された手法が対照的な演奏だ。

しかしそこには仄かな哀愁が漂っていて、歌曲作曲家としての詩情の表出やダイナミクスの変化も豊かで、しばしば指摘される作品の冗長さも感じさせない。

シューベルトは未完成のものも含めるとピアノ・ソナタを21曲ほど作曲しているが、ヘブラーはこのうち12曲を採り上げている。

勿論その中でも代表作になる第18番『幻想』及び第19番から第21番までの最後の3部作も含まれるが、未完の第15番『レリーク』は選択から漏れている。

またここには幻想曲『さすらい人』がないのも残念だが、その他の小品は磨きぬかれたテクニックで弾いた珠玉のセッションが揃っていて、決して個性の強い演奏ではないが、そのテンポの取り方やタッチの処理も真似のできないようなエレガンスと機智が感じられる。

尚CD5と7に収録された4手連弾用作品ではルートヴィヒ・ホフマンとの協演になる。

フィリップスの音源は極めて良好で、時代を感じさせない瑞々しい音質が得られている。

このコレクターズ・エディションは最近パッケージを一新して、内部もシンプルな紙ジャケットになったが、内容的には見るべきものが多くこれからのリリースにも期待できるシリーズのひとつだ。

ライナー・ノーツは22ページで、曲目及び録音データの他に、英、仏、独語による簡易な解説付。

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2016年07月03日


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英テスタメントからの新譜で2枚のベーム初出音源がリリースされた。

こちらは1968年8月11日のザルツブルク音楽祭での祝祭大劇場でのライヴ、もう1枚のブルックナー第8番が1969年のベルリン・ライヴでどちらもベルリン・フィルとの共演になる。

この日のプログラムはベートーヴェンの交響曲第2番ニ長調、モーツァルトの交響曲第34番ハ長調、そしてストラヴィンスキーのバレエ組曲『火の鳥』で、いずれもベームによって磨き抜かれたレパートリーだけにセッションも含めて複数の音源が遺されている。

残響の少ないややデッドなサウンドだが音質は鮮明で、またヒス・ノイズも客席からの雑音も無視できる程度のものなので鑑賞には全く不都合はない。

ベームのベートーヴェンの交響曲第2番にはどの録音でも特有の新鮮さが感じられる。

彼はこの作品の普遍的な価値を知り尽くしていて、それだけに何時でも初心に返って作曲家への敬意とその演奏に迸るような情熱を失うことがなかったからであろう。

作曲家若書きの作品を彼のような大指揮者が繰り返し演奏することはむしろ稀ではないだろうか。

モーツァルトも端正だが生気に溢れた瑞々しい演奏で、第3楽章メヌエットのトリオでは当時のベルリン・フィルの首席奏者達による巧みなやりとりが聴きどころだ。

他の曲にも共通しているが、この時期にはフルートのカールハインツ・ツェラー、オーボエのローター・コッホ、そしてクラリネットのカール・ライスターなどのスター・プレイヤーがその美しい音色と技を競い合っていたベルリン・フィル黄金時代に当たる。

ベームは同郷のカラヤンと違ってラテン系の作品には触手を伸ばさず、頑固一徹を地で行くようにゲルマン系の作品に拘った。

そうした中で例外的に採り上げたのがチャイコフスキーからストラヴィンスキーに至るスラヴ系作曲家の幾つかの作品で、『火の鳥』はベームが自分自身で納得して繰り返し演奏できる曲でなければ採り上げなかったレパートリーのひとつとして完全に定着していた。

非常に几帳面な仕上がりで、管弦楽の色彩感や幻想的な雰囲気を強調するのではなく、楽譜から誠実に読み取った作曲家のメッセージをひたすら精緻なアンサンブルと揺るがせにしないリズム感や全オーケストラのダイナミズムで導いていく再現は如何にも彼らしい。

しかし決して肩の凝る演奏ではなく、ベルリン・フィルの実力をフルに発揮させる高揚感には格別なものがある。

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2016年07月01日


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ライナー・ノーツの録音データを見ると1969年11月26日ベルリンのフィルハーモニーでのライヴ録音と記載されていて、共演のオーケストラは勿論ベルリン・フィルなので確かにこれまで正規リリースされていなかった初出音源ということになる。

ドイッチュラント・ラジオによる録音のようだが英テスタメント独自のディジタル・リマスタリングの効果もあってオン・マイクで採った骨太で鮮明な音質が甦っている。

録音レベルが高く臨場感にも不足していないし、またそれだけにベームの音楽的構想と音響空間が手に取るように伝わって来るブルックナーだ。

客席からの雑音は演奏終了後の拍手喝采は別として、楽章間の短いインターバルで僅かに聞こえる程度で、演奏中は皆無なのもこの時代のライヴとしては優秀だ。

この演奏は第2稿、つまり1890年バージョンになり、ベームの覇気と練達の技とも言える構築性がバランス良く表れたライヴではないだろうか。

現行の音源では彼が指揮した第8番は他に1971年のバイエルン放送響とのライヴ及び1976年のウィーン・フィルとのセッションが存在するが、それらの中ではこの録音が最も早い時期のものになり、テンポに関してはウィーン・フィルの壮麗な足取りよりは速く、バイエルンの血気に逸る演奏よりは僅かに遅い。

ブルックナーの霧と呼ばれる冒頭からクライマックスでのブラス・セクションの咆哮、そして執拗なまでのモティーフの反復に至るまで常に地に足の着いた音響が特徴的で、明瞭な輪郭を失うことなく音楽を彫琢していくベームによって、ベルリン・フィルが見事に統率されている。

曲中最も長い第3楽章アダージョも小細工なしの正攻法で、流れを堰き止めたりテンションを落とすことなく終楽章に導いていくベームの手法が面目躍如たる演奏で、音響力学による造形とも言えるブルックナーの作法の真髄に迫った素晴らしい仕上がりを見せている。

また指揮者に付き従いながらその構想を成就させるベルリン・フィルの隙のないアンサンブルと余裕のあるパワフルな音量も特筆される。

ベームは相手がたとえベルリン・フィルであっても妥協を許さなかったことが想像されるが、オーケストラのバランスの保持と細部の合わせにもベーム、ベルリン・フィルのコラボレーションと両者の力量が示された演奏だ。

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