2016年08月

2016年08月30日


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このセットでは総ての録音がヴァントの古巣だったケルン放送交響楽団と北ドイツ放送交響楽団との、いわゆる旧盤のみが選出されていて、60代から80代にかけてのヴァントの殆んど完成された至芸を堪能できる。

彼は最晩年に欧米のメジャー・オーケストラに客演するようになったが、やはり彼の仕事の基本はこの2つのとオーケストラに集約されているとみなすことができるだろう。

彼の指揮には万人受けを狙ったところは少しも無く、どちらかと言えばクラシック・マニアの耳を満足させるような入念で周到な音楽作りが特徴だが、入門者のファースト・チョイスとしても決して悪くない。

何故ならクラシック鑑賞のための基本的な音楽語法の伝達が明快で、それが時間をかけて練り上げられたオーケストラから響いてくるという至福を享受できるからだ。

この方法は特にドイツ物で最高の威力を発揮する。

28枚のCD中24枚までがドイツ系の音楽で占められているのもこうした理由に他ならない。

ボーナスDVDの音声は勿論ドイツ語だが、字幕スーパーは日本語と英語が選択可能。

内容は2部から構成されていて、第1部は彼の生涯とその音楽を追ったもので、一般に彼は客演嫌いだったと言われているが、実際には戦後の一時期フランスや当時のソヴィエト各地で盛んに客演している。

その頃既に30枚ものLPを出していたというのも意外な逸話だ。

しかしやがて演奏旅行の足は滞ってしまう。

最晩年の国際的な活動は別として、それまでヨーロッパでは彼の実力がそれほど評価されていなかったのが実情だ。

彼の稽古に立ち会った指揮者ケント・ナガノは「芸術と妥協は相容れないものだ。それを実践していたのがヴァントだった」と語り、彼のシビアな稽古を回想している。

ここでは暗譜で指揮台に立つヴァントの映像も幾つか見られる。

第2部は「最後のインタビュー」と題して評論家のヴォルフガング・ザイフェルトが、晩年の巨匠に1時間以上に亘ってインタビューしたものが収録されている。

「ラジオもレコードも無かった時代はピアノの前に座り、スコアを前にして弾きながら、作曲家がそこで何を表現したいのか自分で探るしかなかった」という言葉が印象的だ。

そして生涯続いた徹底分析の忍耐強い仕事が、冷徹に和声や音価の持つ意味合いを発見し、それをオーケストラで実現していく彼の手法の基礎になっていることは確実だ。

このようにして温められた彼の極めてオリジナリティーに富んだアイデアは見事に芸術として昇華されている。

懐古趣味的なLP大のカートン・ボックス入りで箱の厚みは5cmほどあり、30ページのライナー・ノーツもやはりLP大。

内部には四等分されたプラスティックの受け皿に28枚のCDとボーナスDVDが収納されている。

大きさについては現代的なニーズからはいくらか乖離しているとはいえ、ヴァントの代表的なオーケストラル・ワークが廉価盤で一挙に揃うのは魅力的だ。

録音は1976年から1999年にかけてで、デジタル・リマスタリングされた音質は鮮明かつパワフルで申し分ない。

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classicalmusic at 00:04コメント(0)トラックバック(0)ヴァント 

2016年08月28日


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エフゲニー・ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのコンビによる演奏集のSACD化を続けているプラガ・ディジタルスからの新譜はシベリウスの作品集で、交響曲第3番、交響詩『四つの伝説』より「トゥオネラの白鳥」、交響曲第7番及びドビュッシーの『夜想曲』から「雲」と「祭」を収録している。

交響曲第3番は1963年10月27日のラジオ放送用ライヴからの音源で、近年になってサンクト・ペテルブルク放送局で発見されたマスター・テープはモノラル録音だが、こちらは同音源を擬似ステレオ化したものからのDSDリマスタリングになる。

ちなみに彼らはその前日にレニングラードでこの曲のソヴィエト連邦初演を行っている。

音質は時代相応以上に良好で音場は拡がっているが音響が平面的になった印象はなく、むしろオリジナルのモノラル録音より色彩感が増して臨場感にも不足していない。

「トゥオネラの白鳥」はステレオ録音で、近寄りがたいほどの峻厳な雰囲気と凍てついた死の河を漂う孤高の白鳥をイメージさせる表現が秀逸だ。

ドビュッシーは擬似ステレオ化されているが音質はこの曲集の中では恵まれていない。

「雲」はその幻想性で優れた演奏であることに疑いはないが、ムラヴィンスキーの厳格さがこうしたレパートリーでは律儀過ぎるところがあって「祭」での中間部の高揚がやや強引な力技に感じてしまう。

一方シベリウスの交響曲第7番は良好なステレオ・ライヴ録音で、彼の常套手段になる第1、第2ヴァイオリンが向き合う両翼型の編成が繰り広げるステレオ効果も随所で聴き取ることができるし、この曲を簡潔にしかも効果的にまとめあげたムラヴィンスキーの力量は流石だ。

また彼は曲想の変化に応じてオーケストラにかなり細かい指示を出していて、民族的な熱狂とは異なった構造的な力学からの精緻な解釈、つまり音響のダイナミクスとテンポの対比を駆使してシベリウスのオーケストレーションの醍醐味を引き出しているのが聴きどころだろう。

時として咆哮するブラス・セクションと弦楽部のバランスは巧妙に計算されている。

ムラヴィンスキーの音源につきまとう録音データの問題だが、交響曲第7番に関してはこれまでにリリースされた同曲の音源は1965年2月23日のモスクワ・ライヴ及び1977年の東京ライヴのみだと思っていたがライナー・ノーツでは録音データが1965年10月29日でレニングラード・ライヴと記されているだけでなく、ご丁寧にレコーディング・エンジニア、アレクサンダー・グロスマンの名前も明記されている。

プラガの録音データには翻弄されることがあるので断定はしかねるが、記載に間違いがなければ第7番には3種類の録音が遺されていたことになる。

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classicalmusic at 00:49コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキーシベリウス 

2016年08月26日


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エフゲニー・ムラヴィンスキーと手兵レニングラード・フィルによるショスタコーヴィチの交響曲第5番ニ短調Op.47及び第12番ニ短調Op.112『1917年』の2曲を収録したSACD盤である。

ライナー・ノーツには前者が1965年10月24日のモスクワ音楽院大ホールでの放送用ライヴ、後者が1961年10月1日のレニングラード・ライヴで1962年1月6日のプラハ放送用ブロードキャスト音源と記載されている。

同じプラガ・ディジタルスから既にリリースされたレギュラー・フォーマット盤と同一データだが、これらの音源はその後日本ムラヴィンスキー協会の事務局長だった天羽健三氏の調査によると、実際には第5番が1978年6月13日ウィーン・ムジークフェライン・グローサー・ザールでのライヴ、第12番は1961年モスクワ・ラジオ・ラージ・スタジオでのセッションと判明しているようだ。

なるほどフランク・フォアマン/天羽健三編のディスコグラフィーを閲覧すると、より信頼性の高いと思われるこちらのデータが記録されている。

ライヴ録音が多かった彼らの音源ではしばしば起こる混乱の一例だ。

どちらも良好なステレオ録音で、しかも両者の間には17年間の開きがあるにも拘らず、いずれ優るとも劣らない音質には正直言って違和感さえ感じられる。

特に第5番はライヴにしては聴衆を隔離でもしたかのように客席からの雑音や拍手は一切なく、データに関してはいくらか疑問が残らないでもないが、リマスタリングの効果は上々で、両翼型オーケストラ特有の音響が鮮明に蘇って、彼らの典型的なコラボの真骨頂を堪能することができる。

第1楽章のピアノを交えた重厚なカノンや終楽章の執拗に打ち込まれるティンパニの連打には弥が上にも高まる緊張感と執念とも思える迫力が示されている。

ショスタコーヴィチはロシア革命と社会主義をテーマに扱った一連の交響曲を作曲しているが、第12番は『1917年』の副題付でレーニンと10月革命をイメージした作品になり、後半の大規模なオーケストラのサウンドを殆んど限界まで全開させるムラヴィンスキーの統率力と、それに応えるレニングラードの大奮闘はソヴィエトの威信を懸けた凄まじい演奏だ。

ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの才能に関して、当初からその作品を通じて高い芸術性に理解と共感を示して、プロコフィエフを始めとする他の20世紀のロシアの作曲家の作品よりも好んで採り上げている。

このディスクに収録された2曲の他にもムラヴィンスキー&レニングラード・フィルが初演を飾ったショスタコーヴィチの交響曲は第6、第8、第9、第10番があり、全15曲の交響曲のうち6曲までの初演を彼らが手掛けている。

ちなみに第4番及び第13番はキリル・コンドラシン、最後の第15番は息子のマキシム・ショスタコーヴィチの初演になるが、1948年から10年間に及んだジダーノフ批判でショスタコーヴィチが退廃的作曲家のレッテルを貼られたことによって、ムラヴィンスキー自身にも当局からの圧力がかかったとも言われている。

そうした不幸にも拘らず彼らが演奏を繰り返すことによって、現在これらの交響曲が西側でも独自の価値を獲得し、オーケストラのレパートリーとして定着しているのはまさに彼らの功績と言えるだろう。

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classicalmusic at 00:17コメント(0)トラックバック(0)ショスタコーヴィチムラヴィンスキー 

2016年08月23日


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ライナー・ノーツの録音データによれば、ここに収録された2曲はどちらも1955年6月3日にプラハのスメタナ・ホールでのライヴ録音ということだが、ベートーヴェンの交響曲第4番は客席からの雑音もなく、両翼型のオーケストラ配置も明瞭に感知できる良質なステレオ音源だ。

出所が信じられなかったのでフランク・フォアマン/天羽健三編のディスコグラフィーを調べてみると同日のライヴは存在するが当然ながらモノラル録音で、この演奏とは別物であることが想像されるが、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる同曲の音源は非常に多く、そのどれであるかは突き止められなかった。

一方ショスタコーヴィチの交響曲第10番の方はモノラル録音で確かにライヴらしき雰囲気が感じられるが、このデータの音源は前述のディスコグラフィーには存在しないので、おそらく1976年3月31日のレニングラード・ライヴと思われる。

適度な残響を含む音質は決して悪くなく、細部まで良く聴き取れるし破綻もない。

プラガ・ディジタルスでは既出のレギュラー・フォーマット盤をSACDにグレード・アップしてリイシューする時にライナー・ノーツは焼き直しで済ませているようだがデータに関しては常に疑ってみなければならないのがファン泣かせだ。

ベートーヴェンの交響曲第4番変ロ長調はレニングラード・フィルの整然として精緻なオーケストラが印象的で、終楽章の弦楽とウィンド・セクションの素早い受け渡しやアンサンブルの正確さは流石にムラヴィンスキーに鍛え上げられただけのことはある。

だが厳格な統制によってかえって音楽がいくらか冷たく聴こえて、より解放された情熱的なベートーヴェンを聴きたい向きには窮屈に感じる演奏かもしれない。

一方ショスタコーヴィチの第10番は抑圧された悲痛な思いと暗澹とした自由への憧憬と叫びが伝わって来る演奏が秀逸である。

第4楽章冒頭のオーボエが先導する喘ぐようなカンタービレには作曲者自身の心境が忠実に映し出されていて、ここに彼の苗字から取ったDESCHの音形が登場する。

周知の通りムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの15曲の交響曲のうち第5、6、8、9、10、12番の6曲を手兵レニングラード・フィルで初演を飾っていて、作曲家の作法や音楽語法にも精通していたし、また最大限の敬意を払ってその再現に努めたことが手に取るように伝わってくる演奏だ。

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classicalmusic at 23:29コメント(0)トラックバック(0)ムラヴィンスキー 

2016年08月21日


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今年はエミール・ギレリス生誕100周年に当たることから、既にグラモフォンやRCAを中心とする幾つかのメーカーから彼のセッション、ライヴ盤が復活している。

このCDのセールス・ポイントは総てが初出音源ということで、先に同じグラモフォンからリリースされたコンプリート・レコーディング集にも入っていないし、ギレリス48歳の覇気に満ちたライヴが聴きどころと言える。

しかしながら、モノラル録音の上にオフ・マイク気味の狭い音場が臨場感を妨げていて、分厚い和音の後ではメロディーが濁って細部が聴き取りにくくなる採音状態も理想的とは言えない。

また拍手以外にもライヴの宿命で客席からの咳払いなどの雑音も若干混入している。

1964年12月6日にワシントン州シアトルのオペラ・ハウスで開かれた一晩のコンサートから録音されたもので、プログラムの曲目のメインはベートーヴェンの『ワルトシュタイン』及びプロコフィエフのソナタ第3番だがほぼ半分がロシアの作曲家の作品で構成されている。

ギレリスはセッションとライヴではかなり異なった演奏を遺している。

それは彼に遅れて1960年にカーネギー・ホールでアメリカ・デビューを果たした当時のリヒテルにも共通するところだが、ギレリスはライヴとなると驚くほどエキサイティングな表現をする。

それが鋼鉄のタッチの異名に甘んじた理由なのだろうが、実際には彼の演奏は力任せの強引なものではないし、ショパンやドビュッシーでは非常に豊かで繊細な音楽性を披露している。

一方でストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』からの「ロシアの踊り」で聞かれるように、彼は時としてミスタッチもものともせず獅子のように猛進する性格を秘めている。

だが決して硬直した演奏ではなく、例えばプロコフィエフのソナタではその弾力的で柔軟な曲想の展開が良く示されていて、当時のアメリカの聴衆にとってはこうした作品を鑑賞することが極めて新鮮な体験であったに違いない。

尚このコンサートでは彼が初演した第8番ではなく第3番を採り上げている。

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classicalmusic at 21:47コメント(0)トラックバック(0)ギレリス 

2016年08月20日


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イタリア・オペラの録音史上燦然と輝く作品と言えば、この『運命の力』とデ・サーバタの指揮した『トスカ』、それにカラヤン、テバルディ、デル・モナコの『オテロ』を挙げないわけにはいかないだろう。

この録音は1955年で歌手達はキャリアの全盛期にあった。

初期ステレオ録音としてはEMIなどに比べるとデッカの方が音質に優り、またこれだけの歌手と専属契約を結んでいたレコード会社ならではの豪華キャストと言える。

伝統的には、イタリアオペラに求められる最も重要な要素は、舞台上で美声の歌手がスタイリッシュな歌唱を披露することで、それぞれのシーンの整合性や物語としての説得力などは、聴衆もそれほど真剣に求めていなかった。

指揮者の役割は歌手達の持っている能力を最大限引き出すことで、彼らを統率することではなかった筈だ。

少なくとも1960年代くらいまでイタリア・オペラの世界では指揮者も演出家も歌そのものに如何に奉仕するかにオペラ上演の命運が懸かっていた。

その真っ只中の時期にこの『運命の力』の録音が重なっているのも偶然ではない。

指揮者モリナーリ=プラデッリは、そのあたりを熟知していた人で、幸運にもこの時代には滅多に出ないようなスケールの大きい歌手が揃っていた。

この6人の主役級の歌手についてはオペラ・ファンであれば誰でもご存知なので言及しないが、彼らは声だけで役柄の総てを演じることができた。

しかし一方でわがままでもあった彼らを、巧く取りまとめる指揮者の手腕が必要で、この時期の指揮者には歌手の生理的条件から、大袈裟に言えば心理状態までを知ることが必須の条件だった。

そうしたオペラ制作が許された幸福な時代に、まさにオペラ黄金期の声の饗宴が実現したのである。

歌手を将棋の駒のように使いこなして、オーケストラに比重をかけ、物語の必然性や作品全体としてのより文学的、あるいは音楽的価値を追究する傾向はクラウディオ・アバドやリッカルド・ムーティ以降イタリア・オペラの世界でも一般的だが、この『運命の力』は純粋な声の威力が最後の砦を守っていた頃の記録としても聴き継がれるべき価値を持っている。

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classicalmusic at 01:58コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディ 

2016年08月17日


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ここに収録されたシューベルトの『さすらい人幻想曲』及びシューマンの『幻想曲ハ長調』の2曲が最初にSHM−CD化されたのは2008年で、限定盤だったために既にプレミアム価格で取引されていた。

今回のリイシューに当たって低価格化されたことを歓迎したい。

今年になってからグラモフォンのアナログ時代のスタンダード・ナンバーがSHM−CDによって大挙放出され、ポリーニの演奏もソロ、協奏曲共に代表的な音源が復活している。

1973年の録音だが当時のグラモフォンのリマスタリング技術が初のCD化に際して完全に活かされていたとは言えない。

これら2曲を初出のレギュラー・フォーマットのCDと聴き比べると、旧盤はピアノの音質が若干痩せていて、高音の伸びも今ひとつな上に音色の瑞々しさにも欠けている。

SHM−CDによる音質のグレード・アップはリマスタリングとは直接関連がないようだが、注意して聴いているとその差は歴然としていて、ポリーニの持ち味がより忠実に再現されるようになったことを評価したい。

例えば彼はペダルを充分に踏んで豊かな音響を創造しているが音の濁りは皆無で、弱音でも脆弱にならず輝きを保った響きが得られている。

両曲とも古典的なピアノ曲の様式からはいくらか逸脱した奇想的なファンタジーに富んだ作品で、中世の騎士道小説を読むような硬派のロマンティシズムに支えられている。

テクニック的にも難解を極めた曲として知られているが、ここでもポリーニは一切の曖昧さを残さず、総てを音から音への力学によって明確に弾き切っている。

シューベルトの『さすらい人幻想曲』のフーガの明晰さと力強さ、そしてフランツ・リストに献呈されたシューマンの『幻想曲ハ長調』では感傷的な表現を避けた、あくまでも明瞭な響きによるスケールの大きいシンフォニックな奏法は彼ならではのものだ。

この作品の第1楽章終結部に現われるベートーヴェンの『遥かなる恋人に寄す』のテーマはピュアな音の結晶として鳴り響いている。

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classicalmusic at 22:59コメント(0)トラックバック(0)ポリーニ 

2016年08月16日


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この17枚組の全集は2007年にEMIが限定盤としてリリースしたもので、その後製造中止になっていたが、デュ・プレの没後25周年を記念して廉価盤化での復活になる。

ただし前回入っていなかったJ.S.バッハの『ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタト長調』BWV1028の2つの楽章がロナルド・キンロック・アンダーソンのオブリガート・チェンバロで加わっている。

彼女のキャリアは正味12年間ほどで、既に28歳の時には不治の病のために演奏活動を断念しなければならなかった。

このために円熟期を迎えることができなかった恨みは残るとしても、その若さに相応しい強い感性に支えられた演奏は不滅の輝きを持っている。

彼女はチェロの演奏に没頭しながら短い人生を駆け抜けるように生きたし、またその演奏もひたむきなまでに情熱的だ。

曲によってはもう少し醒めたところがあってもいいと思うものもあるが、ここに収められた曲集では既に彼女が誰にも真似のできない独自の芸術的な域に達していたことを察するに余りある。

入門者のためにはこのコンプリート・エディションと同時にリリースされたザ・サウンド・オヴ・ジャクリーヌ・デュ・プレと題した4枚組の方をお勧めする。

ただし例によって楽章単位の編集になるので、さしづめ試聴サンプラー盤といったところだ。

デュ・プレの演奏の特徴は、天性の鋭い感性で曲想を楽譜から直感的に読み取っていくところにあり、それは時間をかけた試行錯誤を繰り返して入念な解釈を見出すことが許されなかった彼女に与えられた最高の武器だったに違いない。

それだけに情念が燃え上がるような曲趣のシューマン、ドヴォルザーク、エルガーなどでは何かに憑かれたような濃密な表現だし、また同じドヴォルザークやディーリアスでの緩徐楽章で聴かせる全神経を集中させたカンタービレの美しさも真骨頂だ。

彼女によって宝石のように磨かれた小品もまた魅力的だ。

例えばデュシュキンの『シシリエンヌ』、フォーレの『エレジー』そしてサン=サーンスの『白鳥』、ブルッフの『コル・ニドライ』などは音楽的にも極めて高い価値を持っている。

尚『コル・ニドライ』に関しては1962年のジェラルド・ムーアのピアノ伴奏版と1968年のバレンボイム指揮、イスラエル・フィルとのオーケストラ版を聴き比べることができる。

音質は新しいリマスタリングによって改善されているものもあるが、旧セットと大差はなく概ね良好だ。

このセットでは彼女にとって最初の録音になるヘンデルの『ソナタト短調』が1961年、そして1973年のライヴ、ラロの『チェロ協奏曲ニ短調』が事実上最後の曲目になっているので、時代相応の音質と言うべきだろう。

ボックスのサイズは13X13X厚み6cm弱で横に引き出すタイプ。

35ページのブックレットはセピア色で曲目紹介、録音データの他に彼女のスナップ5葉と英、独、仏語による年代別の簡単なキャリアが掲載されている。

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classicalmusic at 00:32コメント(0)トラックバック(0)デュ・プレ 

2016年08月14日


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ガーシュウィンのまとまった作品集としては初めての7枚組のボックス・セットで、演奏の質が高く音質にも恵まれているので、クラシック・ファンに限らず幅広い層の人にお薦めしたい。

また彼のオペラ『ポーギーとベス』も1975年のロリン・マゼール指揮、クリーヴランド管弦楽団とソプラノ、バーバラ・ヘンドリクス他の当時考えられた最良のキャストで、後半3枚のCDに全曲組み入れてある。

『ラプソディー・イン・ブルー』はグローフェの手になる大編成のオーケストレーションで、ソロ・ピアノのパートをラベック姉妹が連弾で弾くという豪華版だ。

指揮はリッカルド・シャイー、クリーヴランド管弦楽団だが同じメンバーによる『キューバ序曲』ではボンゴを始めとするパーカッション群をもっと前面に出してビッグ・バンド的な羽目を外した熱狂が欲しかった。

オーケストラのバランスが完璧すぎて、かなりクラシックに傾いた表現と言える。

2枚目のアーサー・フィードラー指揮、ボストン・ポップスによるメドレーは、一世を風靡しただけあって、移民時代の底抜けに快活でパワフルなアメリカを髣髴とさせる演奏で、如何にもハッピーな雰囲気はBGMとしても、またダンス用の音楽としても利用価値があるだろう。

ピアノ協奏曲ヘ長調はペーター・ヤブロンスキーのソロ、アシュケナージ指揮、ロイヤル・フィルハーモニーの1991年のセッションになる。

アシュケナージにしてはかなり大胆な音楽作りで、豪快なソロを盛り立てた熱演だが、第2楽章でのリリカルな音楽性は彼ならではの魅力がある。

CD3−4にはミュージカルからのソング集やそれに付随するオーケストラ・ピースが収められている。

尚ブックレットは24ページで曲目紹介、録音データの他に英、仏、独語の簡易な解説付。

オペラ『ポーギーとベス』についてはリブレットは付いていないが各CDのトラックを辿りながら劇のあらすじが紹介されているのは親切だ。

ガーシュウィンの音楽には、自身名も無いユダヤ系移民として自らの才能ひとつで幸運を掴んでいったしたたかさのようなものがある。

彼の音楽には天衣無縫の自由闊達さがあり、恐ろしく天真爛漫なところが魅力だが、クラシックの管弦楽法を独学で学んだ努力家でもあった。

後年の作品のオーケストレーションは彼自身のオリジナルだが、確かにモーリス・ラヴェルの影響は無視できないだろう。

1928年3月8日に53歳を迎えたこのフランスの大作曲家の誕生祝賀パーティーがニューヨークで開かれた時、教えを請ったガーシュウィンに「二流のラヴェルよりも一流のガーシュウィンでいたまえ」と応じたラヴェルの逸話は伝説的に伝えられている。

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classicalmusic at 01:27コメント(0)トラックバック(0)ガーシュウィン 

2016年08月12日


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シューマンは『春』の交響曲や『子供の情景』などの曲で親しまれるドイツ初期ロマン派の作曲家であるが、またすぐれた音楽評論家でもあった。

本書はその論文の大半を収めたもので、ショパン、ベルリオーズ、シューベルト、ベートーヴェン、ブラームスなど多数の音楽家を論じ、ドイツ音楽の伝統を理解する上に貴重な読み物である。

1942年の初版本からの抜粋版で、吉田秀和氏の訳業としては処女作品に当たるためか、後年の穏やかさとは異なった独特の覇気を持った訳文が特徴的だ。

しかし口語体で書かれた文章は明快そのもので、シューマンの鋭い洞察と先見の明に驚かざるを得ない。

シューマンはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの信奉者であり、こうした作曲家への音楽的な位置付けは彼らの時代に、まさに彼らによって定着したものなのだろう。

しかしバッハの作品群はまだメンデルスゾーンなどによる復興の時期でもあり、その真価を逸早く世に知らしめた功績は大きいと言える。

一方で彼は同時代の作曲家メンデルスゾーン、ショパン、ベルリオーズ等に文筆活動の面でも惜しみない応援を送っている。

この批評集で彼はフロレスタン、オイゼビウス、そしてラローに託してさまざまな音楽批評を試みているが、それは当時のヨーロッパの楽壇の実情を知り得る貴重な証言でもある。

中でもベルリオーズの『幻想』交響曲についてのアナリーゼは素晴らしく、この曲を広くドイツ国内に紹介し、その真価を賛美したシューマンの面目躍如たるものがある。

そこでは彼が同時代の作曲家の作品に対して実に公正かつ冷静な評価を下していることが理解できるだろう。

一方で伝統的な和声楽や様式に固執し、前衛的な手法を少しも認めようとしなかった当時の批評家達をこき下ろしながら、ベルリオーズの交響曲が実は楽理的にも適った音楽であることを分析し、証明しているところがユニークだ。

これは余談になるが79ページにあるベートーヴェンのロンド『銅貨を失くした憤慨』についてはごく短いながら痛快な批評を寄せている。

筆者はこの曲をCDは兎も角として、ライヴのコンサートではたった1度しか聴いたことがない。

それはダン・タイソンがショパン・コンクールに優勝した翌年に行ったツアーでの2曲の協奏曲の夕べのことだったが、彼はその晩のアンコールにこの曲のみを弾いた。

ショパンの小品ではなく何故このロンドを選んだのかは未だに解らないが、その時の彼の演奏の印象はすこぶる強く記憶に残っている。

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classicalmusic at 00:22コメント(0)トラックバック(0)シューマン 

2016年08月10日


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この5枚組セットは、最後のホルン協奏曲集のみが1992年から93年にかけての比較的新しいセッションで、ブルーノ・ヴァイル指揮、アブ・コスターのソロ、そしてカナダのピリオド楽器使用の室内アンサンブル、ターフェルムジーク・バロック・オーケストラの演奏だが、それ以外の4枚は総て1970年代初頭に録音されたフランス・ブリュッヘン指揮、アムステルダム・モーツァルト・アンサンブルの協演になる。

一連のソニー・ヴィヴァルテ廉価盤セット物のひとつで、ピリオド楽器による演奏の歴史を辿る上ではそれぞれが一時代を画したものであることには違いないし、この頃のブリュッヘンの芸風を振り返って鑑賞するのも一興だ。

強いて難点を挙げるなら、CD3−4でのトラヴェルソのソロ・パートを受け持つフランス・フェスターの奏法が他の協演者に比べて浮いてしまっている。

これらの曲が録音された1971年から72年といえば古楽復興の黎明期でもあり、まだ古楽器奏法の基礎も確立されておらず、演奏者たちが手探りの状態で研究していた時期であっただろう。

それゆえフェスターの演奏は過渡的な解釈として貴重なサンプルかも知れないが、今改めて聴き直してみると、そのヴィブラートを不断にかけたロマン派的フレージングはいかにも不自然だ。

それがかえってトラヴェルソを使っているだけに中途半端で耳障りな印象を与えているのが残念だ。

彼は学者としてはユニークな研究者で、その著書のひとつ『18世紀のフルート音楽』は笛のための古いレパートリーを調べるときに重宝している。

しかしこのセッションに関してはもはや過去のもので、より徹底したピリオド奏法を習得した他の奏者の演奏を聴くことが望ましい。

一方ヴァイオリン協奏曲集はヤープ・シュレーダーの瑞々しいソロに好感が持てる。

奏法も現在普及しているピリオド奏法にかなり近いもので、違和感なく概ね納得できるものだし、古典派的な節度と形式感も良く表現されている。

また彼を支えているアムステルダム・モーツァルト・アンサンブルのメンバーにはシギスヴァルト・クイケンを始めとする当時の精鋭が参加しているのも頼もしい。

しかしこのセットのセールス・ポイントは何と言ってもホルン協奏曲集だろう。

録音年代も一番新しく、またそれだけに良好な音質で鑑賞できるが、特にナチュラル・ホルンを巧みに演奏するコスターの至芸が聴きどころだ。

当然モーツァルトの時代のホルンはバルブ操作の機能が付いていない、管を巻いただけの楽器だったが、ここで頻繁に聴かれるゲシュトップの音はその奏法の複雑さが窺われて興味深い。

ナチュラル・ホルンを使ったモーツァルトの演奏例自体それほど多くなく、また音楽的にも洗練された模範的なセッションだ。

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2016年08月08日


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ボロディンは19世紀後半のロシア音楽を代表する「国民楽派」の1人であり、西洋近代音楽の伝統に則りつつ、「ロシア的」な音楽を確立することに努めた作曲家である。

『イーゴリ公』は、ロシア古代の軍記物語に取材した歴史物で、日本でいえば、蒙古襲来をオペラにしたような趣の作品である。

ロシア国民楽派の作品には音楽的な色彩が豊かなものが多いが、この作品は中でも特別で、ボロディンは彼の唯一のオペラ作品に25年もかけ、完成を見ずにこの世を去った。

イーゴリの敵はモンゴルと同じ遊牧民族のポロヴェッツ人(ダッタン人)であり、作品の中には有名な「ダッタン人の踊り」をはじめ、当時の民族音楽研究の成果をもとに書かれたエキゾチックな音楽が散りばめられていて、それが作品をいかにも魅惑的なものにしている。

完成度という点では、チャイコフスキーの『エフゲニー・オネーギン』に一歩を譲るが、19世紀ロシアのオペラを代表する傑作の1つと言えるだろう。

それにしても『イーゴリ公』は、誠に不思議なオペラである。

輝かしい歴史絵巻かと思いきや、むしろ戦いのさなかの弱き者、夫の無事を案じつつ留守を守る気高い女性や、奴隷となった者達の望郷の念、敵将に惚れ込み歓待した上、命を助ける将軍、敗戦しつつも祖国に迎えられる大公…、まるで、反戦オペラのようだ。

本盤は、ボロディンの1882年版にいくつかの改訂、未出版の歌曲、新たな作曲も加えたマリインスキー劇場版による録音である。

1988年に35歳の若さでサンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場(当時の呼称はキーロフ)の芸術監督・首席指揮者に就任したゲルギエフは、ソ連崩壊の激動の波を乗り越え、1991年から数多くのロシア・オペラを録音した。

その中でこの『イーゴリ公』は早い時期(1993年)にセッション録音されたもので、傑作に恥じない、水準の高い演奏になっている。

先頃ボリショイ劇場の来日公演で腑抜けた『イーゴリ公』を観せられただけに、ゲルギエフとマリインスキー劇場による覇気に満ちた名演に溜飲を下げる思いである。

ゲルギエフの演奏は匂い立つように美しく、独創的なボロディンの音楽を雄大な流れの中で表現していて、約3時間半、新鮮な魅力に溢れた濃厚な時間を演出してくれる。

ロシア・オペラの傑作の1つとされながら、長大なことも手伝ってかあまり録音が多くなく、決定盤と言える存在がなかったものだけに、このゲルギエフによる全曲盤は貴重である。

この盤の成功の要因は、近年の音楽史的研究成果を取り入れて、導入部の後の、第1幕と第2幕の伝統的な演奏順序を入れ替えたことにある。

その結果、音楽的ハイライトが前半部分に集中してしまったきらいはあるが、劇の構成は随分よくなっている。

有名な「ダッタン人の踊り」など、文句なく素晴らしいし、オーケストラとコーラスの充実した響きにスラヴの熱狂が感じられる。

歌手陣も良く、ヤロスラヴナ役のゴルチャコーワなど、ゲルギエフが短時日でこの劇場に築いたアンサンブルが顔を揃えている。

イーゴリ公は迫力不足という人もいるが、ポロヴェッツ陣営に囚われた場面での独白や、敵将コンチャックとのやりとりは決して悪くない。

イーゴリの妻ヤロスラヴナ、息子ヴラジーミル、敵将の娘コンチャコヴナもそれぞれに魅力的である。

これはロシア・オペラの魅力を十分に堪能できる1組である。

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2016年08月06日


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ソニーから10枚組のオリジナル・ジャケット・コレクションとしてリリースされたセットからモーツァルトの交響協奏曲を除き、初期のレコーディングから数曲を追加して9枚にリカップリングしたもので、半額以下の廉価盤で復活したことを歓迎したい。

勿論今回は完全節約企画のためジャケットは総て同一でライナー・ノーツも省略されているが、装丁のオリジナリティーなどを度外視した内容重視のシンプルな企画は、インターネット等によってあらゆる情報が入手可能な時代にあって、パールマン・ファンのみならずクラシック入門者にとっても朗報に違いない。

このセットではニューヨークのウェブスター・ホールで1965年に行われた最初期のセッションを皮切りに、1998年の映画音楽のテーマ曲集に至るパールマンの長いキャリアをカバーしたヴァイオリン奏法のエッセンスが満載されている。

パールマンの演奏には屈託がなく、常に余裕を持った輝かしい響きを縦横に駆使した表現が特徴的だが、このセットでは彼が19歳の時に録音したパガニーニの3曲の『カプリース』が、1972年にEMIに録音した全曲盤に比べてかえって生々しくスリリングな面白さがある。

一方アンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団とのラヴェルの『ツィガーヌ』は1968年のもので、やはり1974年にEMIに入れたマルティノン、パリ管との幻想豊かな協演に比較して、より機能的で古典的な仕上がりになっている。

プロコフィエフの協奏曲第2番は1966年のラインスドルフ、ボストン交響楽団、2曲のソナタはアシュケナージとの1969年のセッションでいずれも若き日のパールマンの瑞々しい記録だ。

尚1枚目のバッハとヴィヴァルディの協奏曲はアイザック・スターン及びピンカス・ズーカーマンが加わる1980年のニューヨーク・ライヴで会場に集まった聴衆から盛大な拍手が送られている。

一流どころのヴァイオリニストの中でもパールマンほどクラシック以外のジャンルに情熱的に取り組んだ演奏家もいないだろう。

それは彼のサービス精神旺盛で気さくな性格の証しでもあるわけだが、彼はまた聴き手の心を巧みにつかみ取る狡猾とも言うべき術を熟知している。

逆に言えばそれだけ彼の苦難を強いられた人生経験が、特有の優しさと説得力を持った音楽を生み出させているに違いない。

最後の映画音楽を収めた1枚は、彼自身がサウンド・トラックの制作に参加した『シンドラーズ・リスト』のテーマを始めとして『ニュー・シネマ・パラダイス』の愛のテーマや『呪いの家』の星影のステラ、そして『シェルブールの雨傘』などは映画の名シーンが目に浮かび、思わず溜息が出るような美しさと哀愁に満ちていて理屈抜きに感動的だ。

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2016年08月04日


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本BOXには、主に1960年代の若き日のサヴァリッシュの録音が14枚収録されている。

ブラームスの『ドイツ・レクイエム』を聴いて先ず感じることは、サヴァリッシュの指揮は自然に聴衆を引き込んで、心に沁みこんでくるような優しさと平易な音楽作りにあることだ。

それは彼が常に聴き手に分かり易い明晰な音楽の再現を心掛けるという真摯で理知的な姿勢を貫いたからだろう。

メンデルスゾーンの『エリア』にも言えることだが、ソリストを始めオーケストラやコーラスへの行き届いた統率力も見事で、洗練を極めながらクライマックスへの盛り上げでは壮麗な美しさを湛えている。

またハイドンでの屈託のない喜遊性の表出やメンデルスゾーンの交響曲で聴かせるダイナミズムの模範とも思える指揮法は、単なる描写的な音楽に堕しない普遍的な高い音楽性を示している。

一方シューベルトやブラームスの整然とした秩序の中に秘めるロマンティシズムには、やはりドイツ系の音楽としての明確なスタイルが感じられるが、全オーケストラの総奏部分では思い切った劇的な表現が試みられていて、鑑賞する側に音楽の本来の歓びを提供することを忘れなかった指揮者としての存在感は大きい。

サヴァリッシュは若い頃からの豊富な舞台音楽の経験から、歌物でも無類の実力を発揮している。

ライナー・ノーツによれば彼はバイエルン国立歌劇場のカペルマイスターだった1971年から92年までの間に1200回の演奏会をこなしていて、中でもワーグナーの『ニーベルングの指環』全曲上演は32回に上るという恐るべきキャリアを積んでいる。

そのほかにもリヒャルト・シュトラウスのオペラ全曲上演を果たしているのも周知の通りで、勿論コンサート指揮者としてもスイス・ロマンド管弦楽団、ウィーン交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団などの首席を歴任しているし、N響桂冠名誉指揮者として日本の楽壇への重要な貢献者でもある。

それに加えて彼はピアノ奏者としてシュヴァルツコップやフィッシャー=ディースカウ、プライやシュライヤーなどの伴奏や、室内楽の共演者としておよそ信じられないくらいの八面六臂の活躍が記憶に新しい。

その意味では自己のポリシーを着実に実践に移し得た、良い意味での職人気質も持ち合わせていたと言えるだろう。

強い個性で勝負するアーティストが多い中にあって、サヴァリッシュは音楽家の王道を歩んだ人で、彼の他界を惜しむ者の一人として、改めて心から追悼の意を表したい。

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2016年08月02日


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オペラにおけるリアリズムの先駆けとなった名作《ボリス・ゴドゥノフ》は、19世紀ロシアが生んだ最も個性的で、しかも後世への影響力も甚大なオペラ史上の金字塔だが、その成立には紆余曲折がある。

このオペラの前にもオペラの作曲を計画していたムソルグスキーだが、その計画は官吏の仕事に追われて悉く頓挫していた。

このオペラが出来たのは、一つは1868年に歴史家のウラディーミル・ニコルスキーに出会ったことと、同じ頃に林野局に転属して作曲の時間を確保できるようになったことがその原因として大きい。

ニコルスキーにオペラの題材としてプーシキンの劇詩『ボリス・ゴドゥノフ』を薦められ、その作品を読んで熱中し、確保できた作曲の時間を費やして猛烈な勢いでこの作品を書き上げた。

1869年に書き上げられたこの作品は、翌年の帝室歌劇場の演目の応募作として歌劇場の事務局に提出されたものの、女性の登場人物が極端に少ないことが問題となって落選してしまった。

この落選したバージョンが、1869年版として、本盤に収録されている。

落選したことで憤慨し、この作品をお蔵入りにしようとしたムソルグスキーだが、周囲の熱心な説得で改訂を施したのが、本盤に収録された1872年版である。

この1872年版は、完成した2年後に一部カットを施された形でマリインスキー劇場で初演されたが、初演に先立って作品の名場面と思しき所を抜粋して先行演奏して初演までの前評判を上げたという。

ムソルグスキーが亡くなった後、盟友のリムスキー=コルサコフが加筆訂正を加えたものの、この盤ではその編曲版を採用せず、ムソルグスキーが楽譜に刻んだオリジナルな形で演奏している。

この録音は、作品が初演された元マリインスキー劇場のキーロフ歌劇場のプロダクションで演奏されている。

1869年版と1872年版で共通するキャストは、クセニア役のオリガ・トリーフォノフ、フョードル役のズラータ・プリチェフ、ピーメン役のニコライ・オホートニコフ、シュイスキー役のコンスタンチン・プルージニコフ、シェルカーロフ役のワシーリー・ゲレロ、ワルラーム役のフョードル・クズネツォーフ、ミサイール役のニコライ・ガシーイエフ、警吏長ニキーチナ役のグリゴリー・カラスセーエフ、乳母役のエフゲーニャ・ゴロチョフスカヤ、ミチューハ役のエフゲーニー・ニキーチン、旅籠屋の女将役のリュボーフィ・ソコロフ、聖痴愚役のエフゲーニー・アキーモフである。

ボリス・ゴドゥノフ役が1869年版ではニコライ・プチーリン、1872年版ではヴラディーミル・ヴァニーエフ、グリゴリー役は1869年版ではヴィクトル・ルツク、1872年版ではヴラディーミル・ガルーシンが歌う。

キーロフ劇場のオーケストラと合唱団を指揮するのは、ヴァレリー・ゲルギエフである。

1869年版に登場し、1872年に登場しない役は侍従の貴族役のユーリ・ラプテフと民衆の声役のアンドレイ・カラバーノフで、1872年のみに登場する役がマリーナ役とランゴーニ役で、前者をオリガ・ボロディナ、後者をミチューハ役のニキーチンが兼任している。

1869年版と1872年版の違いは、まず前者が4幕7場(ムソルグスキーはこの時点で「幕」という言葉は使わず「部」という言葉を使っているらしい)であるのに対し、後者がプロローグ付きの4幕9場(実質的に5幕9場)であることである。

ムソルグスキーの1872年への改訂は基本的に加筆作業が中心だが、1869年版の第4幕の大聖堂の場面は1872年版ではカットされている。

また、こうした改訂で終幕も主役のボリスが亡くなる場面から、聖痴愚が独白をする場面へと替えられている。

ボリスの一代記から、16世紀のロシアの混乱期そのものを描くことによる社会の腐敗への糾弾という意味合いが強くなっているところに、改訂の意義があるのだろう。

この5枚組の盤では、1869年の初稿と1872年の第2稿とをゲルギエフ指揮のキーロフ・オペラの理想的に近い演奏で聴き比べることができる。

演奏は、自分たちの音楽という自負が強く出ており、ゲルギエフの指揮ともどもダイナミックな力感が、ムソルグスキーの音楽の持つ根源的な力を十二分に引き出している。

配役もいいが、とりわけタイトル・ロールと並んでこのオペラの主役を演じる合唱の良さ、指揮の踏み込みの深さが、しばしば鳥肌の立つような迫力を生んでゆく。

ムソルグスキーの音楽自体は、やはり1869年の初稿のほうが表現が直截的で感情移入しやすいのではないだろうか。

1872年の改訂も、その音楽の素晴らしさは減じないが、女声を追加したことで、1869年版にあった素朴な力強さは幾分後退してしまったように思う。

いずれにせよ、1869年の初稿についてはこれを聴かないで真価を云々できまい。

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