2016年09月

2016年09月30日


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EMIから同時に刊行されたマルタ・アルゲリッチ・エディション全3巻18枚のCDからのコンパクトなダイジェスト盤で、ザ・サウンド・オブ・マルタ・アルゲリッチと題された3枚組ボックス・セットに協奏曲、ソロ及びデュオそして室内楽のそれぞれのジャンルから16曲が収められている。

収録された曲は1枚目の協奏曲集に限っては楽章単位で抜粋されているので、ファンの鑑賞用としては中途半端な編集だが、コスト・パフォーマンスが極めて高い廉価盤なので、クラシック入門者あるいはこれからアルゲリッチの演奏に触れてみたい方には最適だし、BGMとしても活用できる。

既に彼女のファンであれば、これを試聴盤として気に入ったジャンルのよりまとまったセットを購入することも可能だろうし、また限定盤なのでコレクター用の記念サンプラーとしても充分に価値がある。

CD.1の協奏曲集ではナカリャコフと組んだショスタコーヴィチの『ピアノとトランペットのための協奏曲』が秀逸だし、CD.2のピアノ連弾によるラヴェルの哀愁に満ちた『マ・メール・ロワ』が美しい。

また最後の室内楽ではカピュソン兄弟との協演になるハイドンの『ジプシー・トリオ』がどこか取り澄ました感じで魅力的だが、中でもヤナーチェクの『ピアノ、2つのヴァイオリン、ヴィオラ、クラリネット、ホルン、ファゴットの為の小協奏曲』の演奏が白眉だ。

主導権は常に彼女が握っているが、アンサンブルのやりとりの面白さが聴き所だろう。

1965年から2009年の長期間に亘る録音の集約だが、音質については全体的にみてEMIのものとしては極めて良好と言える。

アルゲリッチの全集は既に2008年からドイツ・グラモフォンが順次リリースしているコレクション4セット27枚が最も充実した内容を持っていて、今回EMIがまとめた全集の廉価盤化は遅すぎた感があるが、曲目、録音年代、協演者も異なっているのでファンにとっては見逃せない企画になっている。

因みにEMIの宿敵でもあリ熾烈な競争を行っているグラモフォンも時を同じくして彼女の3枚組の廉価盤サンプラー・セットThe Art of Martha Argerichをリリースしている。

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2016年09月28日


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既に巨匠の域に達していたクラウディオ・アバドが2004年に自ら設立した若手演奏家で構成されたオーケストラ、モーツァルト管弦楽団を率いてこの作曲家の交響曲や協奏曲を晩年の数年間に集中的に録音している。

円熟期の彼が若い音楽家を相手にモーツァルトを仕込んでいく仕事は、後進の育成という意味ではひとつの理想的な姿と言えるだろう。

何故なら古典の基本であるモーツァルトの演奏技術の習得が、その他のあらゆる作曲家の作品の演奏に応用できるとされているからだ。

2005年と2006年のライヴからのこの録音では交響曲第35番ニ長調『ハフナー』、同第29番イ長調、同第33番変ロ長調、同第38番ニ長調『プラハ』及び第41番ハ長調『ジュピター』の5曲が2枚のCDに収められている。

尚2008年、2009年録音分の第39番変ホ長調と第40番ト短調も既にリリースされている。

これまでの欧米の名立たるオーケストラとの協演と基本的に異なっている点は、彼がピリオド奏法を取り入れていることだ。

彼自身が組織したこのオーケストラの目的のひとつは先に述べた後進の育成だが、またもうひとつのアバドの構想は音楽の原点に戻ってモーツァルトの作品をもう一度見直すことによって、晩年の彼の音楽観の変化の具体的な集大成を試みることではなかろうか。

それにはウィーン・フィルでもベルリン・フィルでもない、細部まで自分の意向を忠実に追って再現してくれるオーケストラが必要であり、大指揮者や歴史的なオーケストラの権威や慣習とは直接関わり合いの無い新進気鋭の彼らを使って、純粋な音楽の喜びを体現することに腐心できるという彼の矜持がある筈だ。

全体的な印象は、明るく軽快な響きを創造する手法は以前と少しも変わらないが、よりシンプルで言ってみれば風通しの良い音楽作りに徹していることだ。

それを支えているのがピリオド奏法で、ヴィブラートを最小限に抑え、音価を必要以上に引き伸ばさず小気味良い歯切れの良さを活かしている。

特に大作『ジュピター』では厚化粧を捨て去って意外なほど軽妙な感覚が貫かれていて、結果的にモーツァルトのオーケストレーションがガラス張りになって見えてくる。

ことさら重厚でもなければもったいぶったところもないが、アバドのきめ細かな指示が隅々まで行き届いていて、モーツァルトを愛する人にはその明快さゆえに広く受け入れられるに違いない。

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2016年09月26日


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本盤に収められたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、アシュケナージがチャイコフスキー国際コンクールで優勝した翌年(1963年)のデビューしたばかりの頃のものである。

若干26歳の時の演奏であるが、両曲ともすぐれたテクニックを土台にしたリリシズムによって、遅めのテンポで弾いており、大変ニュアンスが豊かで、万人向きの後味の良い演奏を聴くことができる。

アシュケナージについては、音楽評論家の間でも賛否両論があるのは周知の事実である。

特に、とある影響力の大きい有名な某音楽評論家が、アシュケナージの演奏を甘口で厳しさが微塵も感じられないなどと酷評しており、それを真に受けた相当数の聴き手がアシュケナージに対してある種の偏見を抱いていることは十分に想定されるところだ。

某音楽評論家の見解の真偽はさておき、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番におけるアシュケナージは、そのような見解を一喝してしまうような凄みのあるピアニズムを披露している。

楽曲の核心に向かって畳み掛けていくような凄みのある気迫や生命力は、圧倒的な迫力を誇っている。

卓越した技量は当然のことであるが、技量一辺倒の薄味な演奏に陥ることはいささかもなく、どこをとっても、切れば血が吹き出てくるような灼熱の如き情感に満ち溢れている。

こうした阿修羅の如きアシュケナージのピアノを下支えしているのが、若き日のマゼールとロンドン交響楽団による豪演だ。

1960年代のマゼールは、楽曲の核心に鋭く切り込んでいくような前衛的な指揮を行っていたところであり、本演奏でも、そうしたマゼールの凄みのある指揮を堪能することが十分に可能だ。

しかもマゼールの指揮は明快な若々しさに、柔らかく優雅な雰囲気をも加えている。

いずれにしても、本演奏は、若きピアニストと若き指揮者の才能が奇跡的な化学反応を起こした一世一代の超名演と高く評価したい。

アシュケナージは、特にラフマニノフの演奏については、指揮者としてもピアニストとしても、他の追随を許さないような素晴らしい名演の数々を成し遂げてきていると言えるところだ。

同じくロシア人であるということに加えて、旧ソヴィエト連邦からの亡命を図ったという同じような境遇が、アシュケナージのラフマニノフに対する深い共感に繋がっていると言えるのかもしれない。

アシュケナージは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をピアニストとして3度にわたってスタジオ録音しており、いずれ劣らぬ名演であるが、この中で、フレッシュかつ繊細で、畳み掛けるような気迫と強靭な生命力を有した演奏は、本盤の最初の録音であると考えられるところだ。

前述のように、チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、飛ぶ鳥落とす勢いであったアシュケナージの好調ぶりを窺い知ることが可能な演奏とも言えるところであり、そのなりふり構わぬ音楽の進め方には、現在の円熟のアシュケナージには考えられないような、凄まじいまでの迫力を感じさせる。

バックは、ロシア音楽の名演で名高いコンドラシン指揮モスクワ・フィルであるが、切れ味の良さが聴きもので、若きアシュケナージのピアノ演奏をしっかりと下支えするとともに、同曲の有するロシア風のメランコリックな抒情を情感豊かに表現しているのが素晴らしい。

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2016年09月24日


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巨匠への道を歩んでいたブレンデルとアバドとの初顔合わせという話題盤であったが、2人の個性がよく結びつき、演奏に大きな風格を与えている。

バッハから20世紀の作品まで幅広いレパートリーをもつブレンデルだが、意外なことにそれまでシューマンはほとんど取り上げていなかった。

そうしたブレンデルが1980年代からシューマンのピアノ曲を次々と録音するようになったのも、この演奏がひとつのきっかけになったのではないだろうか。

そんなことを考えたくなるのも、この演奏がとても瑞々しいロマンをたたえているからである。

ブレンデルは1997年にこの協奏曲をザンデルリンクと再録音しており、それも魅力的な演奏で甲乙つけ難いので好みを分けそうだが、正攻法の演奏を細部まで彫り深く、より引き締まった感覚で展開しているのは壮年期の旧盤だろう。

作品に正面から向き合って巨細に磨き抜かれた表現の充実、さらに繊細でニュアンス美しい表現を強い集中力と豊かな感情の起伏をもって硬軟幅広く、かつのびやかにスケール大きく織りなしたこの演奏は、いっそう充実している。

ブレンデルは、情緒に流れると締まりがなくなるこの曲に、終始くっきりとした輪郭を与え、しかも表情の綾が細かく、スケールの豊かさとこまやかな抒情が両立して、すこぶるバランスの良い奏楽である。

知的で、しかも洗練された音楽性豊かなブレンデルならではのシューマンであり、彫琢された音色で、繊細に表情をつけながら、この曲にひそむ、一抹の不安感や、悲哀の色を見事に引き出している。

ブレンデルは華やかさには目もくれず、きわめて構成的な演奏であり、ロマンティックな曲への沈潜を窺わす、近代的な演奏スタイルで、内面的なシューマンの世界を描き出して余すところがない。

十分ロマン的でありながら、その表情は決して大げさに崩れることのない、制御の利いたブレンデルらしいアプローチが、シューマンの音楽の美しさを次々に明らかにしていく。

アバドの指揮もそうしたソロを充実した演奏によって、実に間然するところなく支えて、ブレンデルのスタイルに追随したもので、明敏な指揮でピアノをくっきりと生かしていて、その一体感がこの演奏のクォリティを高いものにしている。

両者の呼吸の合った演奏が感興豊かであり、幻想的な作品に瑞々しいロマンティシズムを新鮮に表出していて、デリケートな抒情にも不足がない。

この曲があまりすぐれた演奏に恵まれないのは、ソリストと指揮者の協調が難しいためで、ソロはいいけど指揮はもうひとつだったり、その逆も案外多い。

そうした中でアバドの指揮によるブレンデルが傑出しているのは偶然ではなく、アバドが作品を的確にとらえてソリストの個性に鋭く反応しているからで、この演奏においても、呼吸の乱れは少しもなく、ブレンデルの情感豊かな表現を見事に生かしきっている。

また、このCDを推すもうひとつの大きな魅力は、ウェーバーのコンツェルトシュトゥックが収録されていることで、シューマンに劣らぬ名演なので一聴をお薦めしたい。

ロマン派の先駆者と言われるウェーバーのピアノ曲は、豊かな色彩感にあふれ、ロマンティックな表情が前面に満ちているが、ブレンデルはそうしたウェーバーの音楽の特質をよくつかみ、きわめて美しい音色でまとめている。

この曲は録音も少ないのだが、ブレンデルとアバドは、劇的な才能に恵まれたウェーバーが十字軍の騎士と夫人の愛の勝利を描いたという、いかにもロマン的な標題をもつ曲の面白さと魅力を表情豊かに生き生きと表現している。

きわめて充実した演奏で、ブレンデルの明晰なタッチが音楽の本質を明確に伝え、アバドとのコンビネーションもすばらしく、競演の醍醐味を堪能することができる。

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2016年09月22日


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ムラヴィンスキーは、カラヤンとほぼ同時代に活躍していた大指揮者であったが、旧ソヴィエト連邦下で活動していたことやムラヴィンスキーが録音に慎重に臨んだこともあって、その実力の割には遺された録音の点数があまりにも少ない。

そして、その音質についても、DGにスタジオ録音を行ったチャイコフスキーの後期3大交響曲集(1960年)やアルトゥスレーベルから発売された1973年の初来日時のベートーヴェンの交響曲第4番及びショスタコーヴィチの交響曲第5番等の一部のライヴ録音(既にいずれもSACD化)などを除いては、極めて劣悪な音質でこの大指揮者の実力を知る上ではあまりにも心もとない状況にある。

そのような中で、スクリベンダム・レーベルから1965年及び1972年のムラヴィンスキーによるモスクワでのライヴ録音がリマスタリングの上発売されているが、音質も既発CDと比較すると格段に向上しており、この大指揮者の指揮芸術の真価をさらに深く味わうことが可能になった意義は極めて大きいと言わざるを得ない。

何よりも、1960年代から1970年代にかけては、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの全盛時代であり、この黄金コンビのベストフォームの演奏を良好な音質で味わうことができるのが素晴らしい。

本盤には、1972年のライヴ録音が収められているが、いずれも凄い演奏だ。

ムラヴィンスキーは、手兵レニングラード・フィルを徹底して厳しく鍛え抜いており、その演奏はまさに旧ソヴィエト連邦軍による示威進軍を思わせるような鉄の規律を思わせるようなものであった。

そのアンサンブルは完全無欠の鉄壁なものであり、前述の1960年のチャイコフスキーの交響曲第4番の終楽章の弦楽合奏の揃い方なども驚異的であったが、本盤に収められた演奏でも随所においてそれを味わうことが可能だ。

冒頭のチャイコフスキーの交響的幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」からして、この指揮者ならではの深遠な内容と凄まじいまでの迫力を兼ね備えた凄みのある名演だ。

続くチャイコフスキーの交響曲第5番はこの指揮者の十八番と言える楽曲であり、遺された演奏・録音も数多く存在しているが、筆者としては、前述の1960年のDGへのスタジオ録音や、1977年の来日時のライヴ録音(アルトゥス)、1982年のライヴ録音(ロシアンディスク)がムラヴィンスキーによる同曲の名演の3強と考えているところだ。

もっとも、本演奏も終楽章の終結部に向けて畳み掛けていくような気迫や力感など、3強にも比肩し得るだけの内容を有しているところであり、本演奏をムラヴィンスキーならではの超名演との評価をするのにいささかも躊躇をするものではない。

ワーグナーの管弦楽曲については複数のCDにまたがって収められているが、いずれもこの指揮者ならではの彫りの深い素晴らしい名演に仕上がっている。

ブラームスの交響曲第3番は、後述のベートーヴェンの交響曲第5番と同様のスタイルによる引き締まった名演と言えるが、第2楽章や第3楽章のやや速めのテンポによる各旋律の端々から滲み出してくる枯淡の境地さえ感じさせるような渋味のある情感は抗し難い魅力に満ち溢れており、人生の諦観さえ感じさせるほどの高みに達していると言えるところだ。

ショスタコーヴィチの交響曲第6番は、1965年盤もありそれも名演であったが、本演奏の方がより円熟味が増した印象を受けるところであり、筆者としては本演奏の方をより上位に置きたい。

いずれにしても、厳格なスコアリーディングに基づき、同曲に込められた深遠な内容の核心に鋭く切り込んでいくが、それでいて豊かな情感と格調の高さを失わないのがムラヴィンスキーによる演奏の凄みと言えるだろう。

ベートーヴェンの交響曲第4番は、前述の来日時の名演の1年前のものであるが、本演奏も同格の名演と評価したい。

速めのテンポで疾風のように駆け抜けていくような演奏で、一聴すると素っ気なささえ感じさせるが、各旋律に込められた独特の繊細なニュアンスや豊かな情感には抗し難い魅力があると言えるところであり、同曲演奏史上でもトップの座を争う至高の名演に仕上がっている。

ベートーヴェンの交響曲第5番も凄い演奏だ。

やや速めのテンポによる徹底して凝縮化された演奏と言えるが、それでいて第2楽章などの緩徐箇所における各旋律を情感豊かに歌い上げており、いい意味での剛柔バランスのとれた至高の名演であると言えるだろう。

いずれにしても、本盤は大指揮者ムラヴィンスキーの偉大な芸術を良好な音質で味わうことができるという意味においては、1965年盤と並んで安心してお薦めできる素晴らしい名盤であると高く評価したい。

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2016年09月20日


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今や押しも押されぬ一級の演奏家の仲間入りをしているシフが1981年から92年にかけてDECCAレーベルに録音したアルバムで、シフの洗練された音楽性と初々しいピアニズムの結晶を聴く名演集。

ピアノによるバッハ演奏の、最も現代人の感覚にぴったりくるのがシフの演奏で、淀みない流れと触発する美しさに溢れたシフの演奏に耳を傾けていると、バッハの鍵盤楽器作品が尽きせぬ心の泉であることが再確認される。

シフが弾くバッハの魅力は現代ピアノがもつ限りない機能性と美的表現力とに全幅の信頼をおき、そこからバッハの鍵盤曲の魅力を縦横無尽に引き出していく点にある。

しかもその背景にはシフならではの知的にコントロールされた音楽の心があり、技巧や感覚美の次元をこえたもうひとつ向こうの世界へと聴き手を誘う吸引力がある。

ロマンティックすぎる解釈かもしれないが、軽やかな弾みと自然な流れが小気味よいうえ、解釈上のツボも押さえられていて、この美しさには抗し難い魅力があり、聴き込むほどに味わいの増す演奏だ。

ここに聴くシフのピアノは、とにかく音色に磨き抜かれたような美しさがあり、1音聴いただけで、その魅力にひきこまれてしまう。

しかもここでのシフは無心かつ無垢であり、バッハの世界で戯れるかのような姿すら見せている。

シフの磨き抜かれたピアノの音色、洗練されたリズムの冴えなどを耳にすれば、ピアノという楽器に興味と関心とをもっているほとんどすべてのひとは、おそらく脱帽状態となってしまうことだろう。

そのうえ、ここにおけるシフは、バッハ演奏における様式観に関しても、ノンシャランにはならず、きちんとした筋をとおしており、説得力が強い。

磨かれ、粒をきれいに揃えた音と、軽やかな運びで、シフはバッハの鍵盤楽器作品を、自然な姿に整える。

リズムの良さにも水際立ったものがあり、テクニックもスムースで、バッハの音楽に対する各種様式観にもバランスのとれた配慮が行き届いており、間然としたところがない。

粒立ちのよい音で、色彩豊かに展開されるバッハは、実に新鮮な感覚に満ち溢れており、今日のバッハ演奏を代表するものの1つと言っても、決して過言ではないだろう。

チェンバロによる、オリジナルを重視する演奏とは実に大きく隔たっているが、それでも、聴いて正しくないなんて言う気には決してならないはず。

もしバッハがピアノとすぐれたピアニストを知っていたら、強くそれを希望したに違いないと思えるくらい、バッハの本質はここにあると感じられる。

20世紀末の人間の感覚とバロックの巨人が求めた技の、重なり合うところに、シフの演奏が成立していて、技術がただひたすらに作品のためにあることを実感させる至芸である。

筆者が、シフを聴いて初めて驚きを覚えたのは、これらの録音以前に、放送を通じてドメニコ・スカルラッティやバッハの作品を聴いたときだが、その切れ味のよいリズム感と、美しいタッチから生み出される透明感に満ちた音色で奏されるバッハやスカルラッティの音楽の、なんと躍動と愉悦に満ちていたことか。

軽やかなタッチが作り出す滑らかな調べはあくまでも磨き抜かれたタッチの美しさを誇るが、いささかも人工的、メカニカルな印象を与えず、音楽そのものに浸らせ、その新鮮な表情は彼らの作品に新しい光を当てるものだった。

粒立ちの良い音の佇まい、演奏に漂う清潔感と凛々しい気品も抜きん出ており、リズム処理のスムースさにも他の演奏家にはない快い切れがある。

このアルバムではそうした彼の美質を十分に保ちつつ、音色にはまろやかさと暖かさが、表現には余裕と落ち着きが増し、音楽全体に懐の深さや味わい深さが加わっている。

バッハの鍵盤楽器作品は今日では、チェンバロによる演奏が広く聴かれるようになっているが、ピアニストにとってバッハの音楽は不可欠のレパートリーである。

演奏会で取り上げることは少ないにせよ、名ピアニストほどバッハ作品を見事に弾いている。

しかし、多くのピアニストが19世紀の解釈でバッハを弾いて疑問を抱かないのに対し、シフのバッハ解釈は意識的にロマン主義的解釈を避けた次元でバッハ音楽の普遍性をピアノという、言わばモダン楽器で見事に彫琢している。

オリジナル楽譜にはあるべくもない強弱記号であるが、シフはこれを19世紀の解釈ではなく、バッハ音楽のテクスチャーから読み取れる自然かつ音楽的な変化として表現している。

それに、実を言えばグールドじゃないところも大きな魅力で、ある意味でもっともシフらしい、飾らないシフと出会えるアルバムと言えるかもしれない。

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2016年09月19日


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1960年に45歳でようやく西側諸国でのトゥルネーを許可されたリヒテルの演奏活動は、その後欧米で破竹の勢いで進められたが、このライヴでも既に円熟期に向かっていた彼の熟考された音楽作りと幅広い表現力が堪能できる。

最初のハイドンでは洗練された手際の良い軽快なソナタが実に巧妙で、彼はモーツァルトよりどちらかと言えばハイドンを得意としてレコーディングやコンサートのプログラムにしばしば取り入れたが、毎回異なった曲目を選んで演奏しているところが如何にも彼らしい。

剛毅なシューマンの2曲の『ノヴェレッテ』には彼の逞しさが、そしてショパンの『バラードト短調』のコーダのたたみかけるようなアッチェレランドにはリヒテルのオリジナリティーが明確に示されている。

またドビュッシーの『前奏曲集』で聴かせる溢れるほどのニュアンスの豊かさとピアノの音色への可能性の追究という面でも、後の巨匠のシューベルトやバッハにあらわれる音楽性を既に垣間見せていて興味深い。

ライナー・ノーツによれば、この録音はリサイタルの翌年1968年にヴォックス・ターナバウト・レーベルから2枚組のLPで登場したが、CD化に当たってオリジナル・テープは使用可能な状態ではなく、ヴォックス所蔵の第2音源から修復及びデジタル・リマスタリングされたようだ。

しかし音質は驚くほど良好で、この手のライヴ録音としては最良の状態が復元されている。

臨場感も申し分なく、リヒテルの入場、拍手、演奏、そして喝采の総ての状況がつぶさに把握できる。

またピアノのタッチも生々しく聴き取れるのが特徴だ。

リリース元のミュージカル・コンセプツ社は英マンチェスターのアルト・レーベルから一連のリヒテルの録音をリイシューしているが、この音源に関してはミュージカル・コンセプツの名称を使い、裏面にVoxのロゴをつけている。

イタリアの中部、ウンブリア州スポレートの町で開催される『2つの世界のフェスティヴァル』と題された行事は、1958年に作曲家ジャン=カルロ・メノッティによって企画されたヨーロッパとアメリカの2つの世界の芸術交流を目的とした祭典で、彼の死後も引き継がれて現在に至っている。

厳密には音楽祭ではなく、演劇やバレエ、美術などの分野からの参加も盛んで、毎年気候の良い6月から7月にかけての3週間に2つの劇場とローマ時代の野外劇場などを使って世界的な水準の演目と新しい芸術的な試みが披露される。

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2016年09月17日


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リヒテルが他界した翌年1998年に制作されたドキュメンタリーで、晩年のリヒテル自身と夫人へのインタビューを中心に、彼の貴重な映像がモンサンジョン独特の手法で繋ぎ合わされている。

作品は2部に分かれていて、合わせて154分の見ごたえある伝記映画でもある。

映像に関しては良くこれだけ集めたと思われるくらい彼の私生活から公のコンサート、またプライベートな演奏画像までがちりばめられた唯一無二の作品としての価値を持っているし、その演奏では驚くほど豊かで多彩なニュアンスを聴かせてくれる。

インタビューの中で彼は日記を読みながら回想している。

多弁な人ではなく、その言葉は朴訥としているが、歯に絹を着せない痛烈なリヒテル語録も含まれている。

例えば教師としての情熱を持つことは演奏家には致命的だ、とも語っている。

しかもそれは彼の師であったネイガウスに向けられている。

またリヒテルがピアノ・ソナタ第7番を初演したプロコフィエフを、何をしでかすか分からない危険人物と言って憚らない。

彼は当時のソヴィエト連邦のアーティストの中では最後に国外での演奏を許された人だった。

父親がドイツ人で彼が銃殺された後、母もドイツに去ったことから当局では亡命を懸念して渡航を妨げていたようだ。

しかし本人自身はアメリカ行きを嫌っていたという証言も興味深い。

また彼自身に関する数々の神話的なエピソードも概ね否定している。

キャンセル魔の汚名も已むに已まれぬ事情からそうせざるを得なかったための結果のようだ。

他の演奏家のインタビューで興味深いのはルービンシュタインやグールドなどで、彼らはリヒテルを絶賛しているにも拘らず本人はちっとも嬉しそうでない。

一方協演者との貴重な映像はブリテンと連弾をしたモーツァルト、フィッシャー=ディースカウとの歌曲や、ヴァイオリンのオイストラフ、カガン、チェロのグートマンなどとの室内楽で、今では名盤として評価されているカラヤンとのベートーヴェンのトリプル・コンチェルトについては全くひどいものだとこき下ろしている。

このモンサンジョンの作品から見えてくるリヒテルは非常に冷静に人物や物事を見極める人で、政治体制や音楽界に対しても常に超然とした精神的自由人の立場をとっていたということである。

スターリンの国葬で演奏したからといって熱烈な共産主義の信望者ではなかったし、楽壇の内情には興味を持たず、ただ出会う人の個人の姿を凝視し真実だけを見続けた。

決して威圧的な態度はとらず、むしろ穏やかだったが、自分の演奏には人一倍厳しかった。

勿論他の演奏家の優れた演奏には賞賛を惜しまなかったが、また欠点もつぶさに見抜いていた。

22歳でモスクワ音楽院に入るまで正式な音楽教育を受けていなかった彼は、一方で少年時代からオペラやバレエの伴奏ピアニストとして奔走し、支払いをジャガイモで受けたこともある人生経験での適応力から、こうした独自の哲学を持つに至ったのかも知れない。

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2016年09月15日


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ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲レコーディングに初めて取り組み、私たちの時代に聴くことができる最も古いサンプルを遺してくれたのがアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)である。

これらの演奏が資料として貴重なだけでなく、当時の彼のベートーヴェンのピアノ作品に対する価値観と、それを後世に問うという使命感を伝えていて興味深い。

シュナーベルの演奏は過去の批評家たちによって指摘されているほど恣意的なものではなく、むしろ新時代の解釈を告げる速めのテンポ設定をしたシンプルで、しかも作品の構造を明確にする造形性にも優れている。

グレン・グールドが彼に傾倒したという逸話もあながち信じられないことでもない。

1932年から38年にかけての録音なので音がいくらか痩せていて音場も狭いがノイズは意外に少なく、今回アビーロード・スタジオで新規に行われたリマスタリングによって高度な鑑賞にも堪え得るだけの良好な音質が再現されていることは確かだ。

シュナーベルも毀誉褒貶相半ばする演奏家の1人で、その主な理由はピアニスティックなテクニックが完璧でなかったということから来ているようだ。

確かに彼と同時代に活躍して鍵盤の獅子王の異名を取ったバックハウスに比べると、ヴィルトゥオーゾという観点からすれば劣っていたことは事実だろう。

しかしそうした弱点をカバーするだけの高邁なスピリットと表現力を備えていたことは、このソナタ全集を聴けば明らかである。

シュナーベルはこの録音に先立って早くも1927年にベルリンでソナタ全曲のチクルス・リサイタルを開いているので、1曲1曲を手の内に入れた決して借り物でない彼の哲学を具現した演奏と言える。

世紀末的なロマンティシズムを引き摺ることなく、懐古趣味を早くから捨て去って、独創的なベートーヴェン像を提示しているところはかえって現代的で、彼がこのソナタ全曲録音に取り組んだ理由も納得できる。

また当時の録音システムでは如何なる巨匠であろうとも録り直しや修正が許されない一発録りが基本だったので、彼自身もライヴ同様の緊張感を持って臨んでいたことが想像される。

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2016年09月13日


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ダヴィッド・オイストラフは晩年にヨーロッパを代表するオーケストラを自ら指揮した演奏を少なからず録音していて、この3枚組もベルリン・フィルを弾き振りしたモーツァルトの協奏曲集になる。

真作とされる5曲のヴァイオリン協奏曲とヴィオラが加わる協奏交響曲変ホ長調及びコンチェルトーネハ長調、更に断片として遺されているロンド2曲とアダージョホ長調を収録している。

つまりモーツァルトが作曲したオーケストラ付のソロ・ヴァイオリンのための作品全集ということになる。

それらにはオイストラフ円熟期の端正だがバイタリティーに溢れた音楽観が示されていると同時に、彼の晩年の精力的な演奏活動の記録でもある。

ちなみに彼の最晩年のセッションを飾っているのもパウル・バドゥラ=スコダと組んだモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集で、オイストラフが音楽の故郷としてモーツァルトに帰っていたことが想像される。

それだけに奇を衒ったところのないシンプルな解釈の中に、磨き上げられた音楽性とテクニックが光っていて、モーツァルト・ファンにとっても模範的なサンプルとして欠かせない曲集だろう。

ベルリン・フィルと刺激しあい、協調しあった新鮮な演奏で、名高い第3番から第5番はもちろんのこと、初期の第1番、第2番も豊饒そのもの。

ベルリン・フィルのようにアンサンブルにも超一流の腕を持つオーケストラは、指揮者が不在でも破綻なく高水準の合奏をすることが可能だが、モーツァルトではむしろ抑制を利かせることが要求される。

そのあたりのオイストラフのサジェスチョンを心得たダイナミズムも巧妙だが、個人的にはもう少し小ぢんまりまとめても良かったと思う。

しかしそれぞれの主題提示部での精彩に富んだ生き生きとした表現や、第3番の緩徐楽章でのヴァイオリンのカンタービレを支える抒情の豊かさも聴きどころのひとつだ。

協奏交響曲のヴィオラ・パート及びコンチェルトーネの第2ヴァイオリンは彼の息子イーゴリ・オイストラフが担当していて、バランスのとれたデュエットを披露しているが、正直言って父親の器量には一歩も二歩も譲っている。

尚ここに収められたモーツァルトのヴァイオリンを含む総ての協奏曲とオーケストラ伴奏付のソロ・ヴァイオリンのための小品は、以前にEMIからリリースされたオイストラフのコンプリート録音集にも全曲含まれていて、実際にはその全集の中からCD9−11の3枚をピックアップしたのがこのセットになる。

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classicalmusic at 00:31コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトオイストラフ 

2016年09月11日


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この12枚組のバジェット・ボックスは既に入手困難になってしまったクラウディオ・アラウ壮年期の演奏集で、1941年から52年にかけての総てがモノラル録音になる。

最初の3枚と最後の1枚は最も古い1940年代初期の音源で、彼がニューヨークのカーネギー・ホールでアメリカ・デビューを飾った直後に録音されたものだ。

SP盤を再生する時のスクラッチ・ノイズのような雑音が若干聞こえるが、リマスタリングによって芯のある良好な音質が再現されていて鑑賞に不都合な破綻はない。

むしろオーケストラが加わる協奏曲ではバランスの焦点が合わず、やや平面的で耳障りな音質になっているのが残念だ。

英、独、仏語によるライナー・ノーツ付で、その半分はオリジナル・ジャケットのカラー写真付の収録曲目及び詳細な録音、リリース・データのために費やされている。

クラウディオ・アラウは南米チリに生まれ、8歳の頃からドイツでリストの高弟だったマルティン・クラウゼに師事してリスト直系のテクニックを受け継いだヴィルトゥオーゾとしても名を馳せた。

彼はこの時代の巨匠と言われたピアニストの中でも最も鮮やかな技巧を誇り、また音楽性においてもスケールの大きい骨太なロマンティシズムと溢れんばかりのリリシズムを発揮している。

例えば3曲のモーツァルトでは甘美さを抑えた男性的な表現が特徴だし、バッハでは折り目正しい対位法の再現に努めている。

また恣意的な弾き崩しなどは一切なくベートーヴェンやシューマンなどで聴かせる形式感の確かさと彫りの深い演奏は新時代の解釈を先取りしていると言えるだろう。

勿論リストやリヒャルト・シュトラウスでは流石に師匠直伝の洗練された超絶技巧を披露している。

この集成は、アラウが人生の成熟期にあって、ヨーロッパの古典とそれを継承する音楽の文化の中で何を学び、何を表現しようとしたのかを示しており、音楽に真剣に対面し、人生と同じ重さで賭けたアラウの回答でもある。

そして、その後彼が歩んだ道は、私たち“ヨーロッパ音楽の他者”にも、多くのことを教えてくれる。

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2016年09月09日


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エミール・ギレリスとアメリカ合衆国との繋がりは1955年に彼がアメリカ・デビューを飾った時から始まる。

冷戦の真っ只中、鉄のカーテンの向こう側から逸早くアメリカにやって来た演奏家は他にオイストラフやコーガンがいて、やや遅れて1960年にはリヒテルが登場している。

この頃の彼らは母国旧ソヴィエトの威信を懸けた気迫に満ちた演奏を遺しているが、一方で当局からは亡命阻止のために常に監視され、また失敗は許されないという緊張感には尋常ならざるものがあったことが想像される。

この7枚のセットはギレリスが1955年に西側で初めて契約したRCAへの音源を中心に彼の壮年期の演奏をまとめたもので、LP初出時のオリジナル・デザイン・ジャケットを採用して、簡易だが彼の生誕100周年記念に相応しいコレクション仕様のバジェット・ボックスになっている。

なおこのセットと同時にクラウディオ・アラウのRCA及びコロムビア音源12枚も同シリーズのひとつとしてリリースされた。

本セットは古い音源ながら、ギレリスは確かな技量のもと、その音楽性はすぐれてパワフルでありながら、内面的にも深い解釈には得がたい説得力があり、彼の魅力を十分味わうことができる。

硬質な叙情性はクリスタル硝子の輝きに譬えたい気がするが、時にボヘミアングラスのような温かみ、素朴さも随伴していることこそ、ギレリスの懐の深さの表出と思う。

これらのCDの音質についてだが、RCAやコロムビアの録音はアメリカの大手メーカーがその技術革新と試行錯誤で鎬を削っていた時代だけあって、流石に録音チームのエンジニア達の意気込みが伝わってくるような鮮やかな音質で再現されている。

一番古いフリッツ・ライナー&シカゴ響とのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は1955年の録音だが、早くからステレオ録音を開始したRCAの極めて良好な音源に改めて驚かされる。

殆んどが当時の高音質盤リヴィング・ステレオによる既出盤だが、CD4のシューベルトのソナタ第14番イ短調は初のCD化という触れ込みだ。

またCD2のブラームスのピアノ協奏曲第2番第3楽章のチェロ・ソロでは、当時シカゴ響の首席だったヤーノシュ・シュタルケルの凛としたカンタービレが後に続くギレリスのピアノを引き立てて美しい。

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2016年09月07日


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1970年から72年にかけてのセッションだが、今回SHM−CD化されたこともあって音質はきわめて良好になっている。

低音から高音まで無理のない伸展とクリアーな質感が感じられ、ウィーン・フィル特有のシックな音色がより艶やかに響いている。

価格を1枚1500円に抑えていることは評価できるが、ライナー・ノーツは古いものの焼き直しで、24ページほどの曲目解説の中でベームについてはわずか2ページのみしかなく、この企画に当たって改訂しなかったのは残念だ。

筆者は、初めてLPで第2番の終楽章を聴いた時,これは本物だと思った記憶があり、それは第4番の終楽章でも同様に感じた。

あたかもベートーヴェンの音響力学を冷徹に解明したかのような、頑固なまでに真っ正直で作為のない音楽だったからだ。

若い頃は往々にしてエキサイティングで情熱的な演奏に惹かれるものだが、この違いは何だろうという疑問を初めて抱かせてくれたのがベームだった。

彼はベートーヴェンの音楽の中にあえて恣意的な見せ場を作ろうとしない。

むしろ見せ場があるとすれば、それは総てスコアに書き込まれていて、その通りに演奏することによって自ずと明らかになるというポリシーを生涯貫いていたに違いない。

一方でその実現のために彼によって鍛えられ、一糸乱れぬ統一感を与えるウィーン・フィルも相当我慢強いオーケストラであることが想像されるが、奇しくも当時はスター・プレイヤーがひしめいていた、この楽団の黄金期が重なっているのも魅力だった。

それ以来彼らの演奏は欠かさず聴いてきたが、その後1997年にドイツ・グラモフォンからCD20セット計87枚のベートーヴェン全集が刊行された時、期待していたこの全集は選択から外され、カラヤン&ベルリン・フィルのものが組み込まれた。

ポピュラー性から言えば後者は圧倒的な強みを持っていたので、売れ筋から考えれば当然の結果だったかもしれない。

ちなみに先般リリースされたウィーン・フィルの50枚組シンフォニー・エディションでも、ベートーヴェンは第6番と第8番のみがこのメンバーで、他はバーンスタイン、クライバー、アバドの混成になっている。

不運にもベームは他の指揮者に追いやられつつあるが、このセットを聴き込めばそれが不当なものであることが理解できるだろう。

指揮者の中には自己の音楽的表現手段として作品を扱うタイプと、ベームのように作曲家、あるいはその作品にできる限り奉仕してその価値を問うタイプが存在する。

勿論その間のバランスの采配が多かれ少なかれどの指揮者にもあり、一概にその良し悪しを論ずることはできないが、結果的に前者の演奏では聴衆の注意は指揮者個人に払われ、後者ではその興味はより一層作品や作曲家に向けられるだろう。

そうした意味でベームの解釈は、流行り廃れのない、より普遍的な価値を持っているように思う。

またこの一連のセッションの魅力はベームによって統制されたウィーン・フィルの瑞々しいアンサンブルの格調の高さにある。

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2016年09月05日


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20世紀前半を代表する大作曲家であったラフマニノフ(1873-1943)は同時に当代屈指の名ピアニストでもあった。

作品の重要な一角を占めるのがピアノ曲というのは当然のことであろう。

ピアノ協奏曲は全部で4曲残されたが、ラフマニノフはこれらを自らの演奏で録音もしており、いわば作曲家直伝の遺産としている。

自作自演で聴くラフマニノフの4曲の協奏曲はいずれ劣らぬ傑作なのだが、その特長、性格を一言で言い表すのは実はとても難しい。

というのはラフマニノフは何も特別なことはやっておらず、淡々と、あるがままに弾いていて、個性や特長で演奏を語らせることがまったくないからである。

まずソリストは全然無我夢中になどなっていないし、まして指揮者を煽ったり、オーケストラに闘いを挑むような、そんな競合していくそぶりも見せてはいない。

むしろオーケストラに溶け込み、同化したかのような演奏の世界を作り出していて、ソリストが過度にクローズアップされることをむしろ嫌ったかのようなバランスが採られている。

安易な聴き手は、「自作自演なのだから、作曲者はさぞや勝手を…」などと想像を逞しくして耳を傾けがちだが、とんでもないことである。

ラフマニノフはむしろ驚くほど謙虚で、慎ましくすらある。

協奏曲にあっては主従関係が当たり前の演奏ばかり耳にしている聴き手には、協奏曲に対する概念が打ち崩される演奏と言ってもよいであろう。

だが、それにもかかわらず、この自作自演盤は他のどんな名演奏家の録音にもない値千金の価値を持つ。

それは協奏曲というスタイルで書かれたラフマニノフの世界そのものの素晴らしさに目を開かせるからである。

聴き手は、ソリストだけではない、オーケストラだけでもない、指揮者だけでもない、ピアノ協奏曲という形式を借りて作られたロマンティックで、メランコリックで、しかもラプソディックな作品そのものに包まれ、そこにあるドラマと完全に一つとなり、最後はラフマニノフその人が持つ尽きせぬ魅力と結ばれた感動を覚えてしまうのである。

作品と同化し、作曲者の肉声を間近に聴く、この特別な体験は、この自作自演だけが与えてくれる特別の喜びである。

作品はあくまでも自然に再現されればよいのであって、そこに自ずと情感は付き従ってくる。

ピアニストの務めはその情感に溺れることでも、狂気乱舞することでもない、穏やかに同じ時を生きればよい…そんな作曲者からのメッセージが聞こえてきそうである。

ここに収められた演奏はラフマニノフ晩年の録音になるが、技巧は冴えわたっているし、音のバランスもよく、聴きやすいサウンドで残された点もありがたい。

「演奏家は汗など見せてはいけませんよ」…とラフマニノフが天国から現代の演奏家たちに語っているようにも感じられる、驚くほどに謙虚で慎ましい、作曲家の肉声を間近に聴く特別な体験である。

自ら演奏を得意とした作曲家は数多いが、ラフマニノフはその代表格、これが残されたことで原点が確認できる。

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2016年09月03日


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もしも、ラフマニノフが現代に生きていたら、一体どれだけ多くのロシアのピアニストがソリストとしての仕事を失っていただろうか。

真に巨人と呼ぶべき体躯、そして、それにふさわしい腕と指を持つラフマニノフは、その音楽性においても、リストとアントン・ルビンシュテインの弟子であったシロティの流れを引きながら、20世紀的な新しい方向性を与えたピアニストであり、作曲家であった。

その音楽性は、ヨーロッパとロシアのピアニズムの融合の中から生まれた濃厚で甘美なものであった。

ラフマニノフの恐るべきは、恵まれた体躯とテクニック、音楽性のいずれもにおいて、傑出した点であり、まさに犁霓有瓩箸靴呼ぶことのできない存在であった。

ラフマニノフのピアノ作品は、すべて彼自身が弾くために作られたものであるが、まず自作自演の彼のピアノ協奏曲第2番を聴いてみよう。

冒頭の和音、アシュケナージのような掌の小さなピアニストであれば、分散和音にして弾くしかない和音も、ラフマニノフはひとつかみで弾いてのける。

指が広がる掌の大きなピアニストは、概して関節の柔軟性に欠けて、堅い音、ぶつけた音を出しやすく、ワイセンベルクなどはその好例であるが、ラフマニノフにあってはそんな心配はまったくない。

およそピアニストであれば、どんな人間もば羨み夢見る指と腕、そして身体を、彼は持っていて、しかも、後期ロマン派の深く甘美な世界に、爛熟した帝政ロシアの文化を加えた音楽性を持っていたラフマニノフのピアノ演奏(と作品)に、当時の聴衆のみならず、現代のわれわれもまた、深く魅了されるのは、至極当然のことと言えるだろう。

もし、彼が現代に生きていたら、リヒテルは、ギレリスは、ベルマンは、アファナシエフやウゴルスキは、そのままのピアニストとしての地位を保てたであろうかと、そんな意地悪い妄想を抱くのは筆者だけであろうか。

ラフマニノフのユニークな点は、自作を弾くピアニストとしては、20世紀前半の新即物主義(ノイエ・ザッハリヒカイト)の影響を感じさせる優れた構成力を持つことである。

ところが、ショパンやシューマンといったロマン派の作品を弾くラフマニノフは、パッハマンやパデレフスキーらに共通するような19世紀的ロマン派のピアニストとしての音楽性を示す。

これがいかなるところから生まれたのか定かではないが、19世紀生まれのラフマニノフは、犖渋綺酩吻瓩任△辰深作を弾く時には、時代の最先端のピアニストであり、19世紀の作品演奏においては、その時代にふさわしい表現語法を持つピアニストであった点で、時代の推移の中にある猴夕梓儉瓩鮗┐靴討い燭箸盥佑┐襪海箸できよう。

ともあれ、彼の残した自作自演の録音には、不世出とも呼ぶべき巨大な音楽性とヴィルトゥオジティが、他の作曲家の作品には、時代の演奏様式の貴重な大家の記録が刻まれている。

彼の自作自演は、決して古びない偉大な芸術の証であり、いかにシンプルにして強固な構成感を示しているかを考えると、後のピアニストの演奏には、ある種の姑息さすら感じてしまう。

まさしく、誰もラフマニノフには及ばなかったと言えるところであり、その素材の良さと、それを十全に生かしきる音楽性とテクニックは、彼の作品の永遠の指標であり、理想像である。

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2016年09月01日


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オーストリアの指揮者、チャールズ・マッケラス(Sir Charles Mackerras 1925-2010)が生涯に渡ってその作品の普及に努めた作曲家の1人が、モラヴィアの作曲家、レオシュ・ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)である。

そんなマッケラスのヤナーチェク録音の集大成と言えるのが、1976年から1982年にDECCAレーベルに行なったウィーン・フィルとの一連の録音である。

本アルバムは、それらを1つに収めたBox-setとなっており、収録内容は以下の通り。

1) 歌劇『イェヌーファ』(第3幕の序曲「嫉妬」付) A: エヴァ・ランドヴァー S: エリザベート・ゼーダーシュトレーム T: ペーター・ドヴォルスキー 1982年録音 
2) 歌劇『利口な牝狐の物語』(組曲「利口な牝狐の物語」抜粋付) S: ルチア・ポップ Bs: ダリボル・イェドゥリチカ A: エヴァ・ランドヴァー 1981年録音
3) 歌劇『死者の家から』 Bs ダリボル・イェドリチカ Br: ヴァーツラフ・ズィーテク S: ヤロスラヴァ・ヤンスカー 1980年録音
4) 歌劇『マクロプロス事件』 S: エリザベート・ゼーダーシュトレーム T: ペーター・ドヴォルスキー T: ウラディーミル・クレイチーク 1978年録音
5) 歌劇『カーチャ・カバノヴァー』 S: エリザベート・ゼーダーシュトレーム T: ペーター・ドヴォルスキー A: ナジェジュダ・クニプロヴァー 1976年録音
6) シンフォニエッタ 1980年録音
7) 狂詩曲『タラス・ブーリバ』 1980年録音

以前のレビューにも記したことであるが、独特の語法を持つヤナーチェクの音楽は実に面白く魅力的だ。

自由だが法則があり、ポリリズムだが脈があり、メロディアスではないが簡明である。

そんなヤナーチェクらしさを存分に堪能できるのが、全部で11作あるオペラ(前後2部からなる『ブロウチェク氏の旅行』を2つと数えると)である。

オペラの場合、中でも特徴的なのが「発話旋律」と称されるもので、チェコ語の微妙な抑揚に合わせて旋律線を描いた朗唱風の書法で、そのため、演じることが可能な歌手が極端に限定される。

そのため、上演機会もきわめて少ないのだが、マッケラスは中で5つの代表作にすばらしい録音を遺したことになり、DECCAの高品質録音と相俟って貴重きわまりないものだ。

ヤナーチェクのオペラは題材も面白く、『利口な牝狐の物語』は動物が多く登場する童話的設定を持ちながら、多層な哲学を描き出しているし、『死者の家から』はドストエフスキー(Feodor Dostoyevsky 1821-1881)の原作により、シベリアの流刑地での囚人の様子を描いたもので、登場人物はほとんど男性という異色作、また『マクロプロス事件』は年をとらない女優の都市伝説的ストーリー。

どの作品も、素材、音楽、物語など様々な面でこの上なく「芸術的」で、他では得難い固有の価値を持っていると思うが、中でも『利口な牝狐の物語』の自然讃歌は、善でも悪でもない生死による流転を描ききった感があり、超越した世界観を抱合している。

そして『イェヌーファ』は所謂オペラ的分かりやすさという点では、筆頭ということになるだろう。

マッケラスの指揮は、ヤナーチェクの作品を数多く演奏するとともに、楽譜校訂を行ってきたこともあって、厳格なスコアリーディングに基づく楽曲の心眼に踏み込んでいくような彫りの深いものであり、加えてこの指揮者ならではの独特の格調の高さが全体を支配している。

そして、ウィーン・フィルによる豊穣な極上の美演が、本演奏全体に独特の潤いと豊かな情感を付加しているのを忘れてはならない。

完成された録音が、ヤナーチェクのオペラ全部ではないのが残念だが、それでも5つまでこのレベルの録音が行われたのは、きわめて有意義なことだったに相違なく、偉大な録音芸術のセットと言って過言ではないだろう。

歌手陣で注目したいのは、近年亡くなったスウェーデンのソプラノ歌手、エリザベート・ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Anna Soderstrom 1927-2009)。

多彩な言語の歌唱が可能で、歌曲、オペラなどあらゆるジャンルで縦横な活躍をした彼女であるが、グラモフォン誌におけるジョン・ワラック氏(John Warrack)による「無限とも思える微細なタッチと慎重な歌いまわしで、ドラマにおける登場人物のキャラクタを描ききっている」との批評は、彼女がヤナーチェクの歌劇『カーチャ・カバノヴァー』でカーチャを演じた際のものだ。

そのハイレベルな万能ぶりはまさしく当盤で堪能できるだろう。

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