2016年10月

2016年10月30日


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リナルド・アレッサンドリーニ指揮によるコンチェルト・イタリアーノがこれまでにリリースしたCDから主にJ.Sバッハとヴィヴァルディの作品を中心に選択した6枚組セットで、CD1では最もポピュラーな『四季』を取り上げている。

この曲にはファビオ・ビオンディとエウローパ・ガランテの絵画的アプローチによる演奏があるが、それとは異なった目の覚めるようなドラマティックな表現が特徴だ。

CD2−3はバッハのブランデンブルグ協奏曲(全曲)で、このセットの中でも出色の出来と言える。

廉価盤化で初出時の録音風景とインタビューを収めたボーナスDVDは付いていないが、数多い古楽アンサンブルの中でも演奏内容、録音状態共にトップクラスのひとつとしてお薦めしたい。

CD4はアレッサンドリーニ自身のチェンバロ独奏によるバッハの作品集で、鮮やかなテクニックを披露する『半音階的幻想曲とフーガ』はもとより、演奏される機会が少ない初期の作品『最愛の兄の旅立ちに寄せるカプリッチョ』も心暖まるような美しい表現で聴かせている。

ちなみに彼の使用しているチェンバロは1740年にドイツで製作された作者不詳の楽器をアントニー・シドニーがコピーしたもので素晴らしい音色と表現力を持っている。

CD5ではヴィヴァルディのトラヴェルソと弦楽及び通奏低音のための協奏曲『夜』やA.マルチェッロのオーボエ協奏曲ニ短調が秀演だが、バッハの『イタリア協奏曲』の復元ヴァイオリン協奏曲版も良くできていて興味深いところだ。

尚CD6にはヴィヴァルディが珍しく対位法を使った弦楽のための協奏曲が12曲収録されている。

イタリアのピリオド楽器使用の古楽アンサンブルというと、このセットのアレッサンドリーニ率いるコンチェルト・イタリアーノより、むしろジョヴァンニ・アントニーニのイル・ジャルディーノ・アルモニコのほうがそのポピュラー性と演奏の奇抜さから知名度が高いかも知れない。

またその他にもソナトーリ・デ・ラ・ジョイオーサ・マルカ、アンドレア・マルコンのヴェニス・バロック・オーケストラやファビオ・ビオンディのエウローパ・ガランテなどが、かなり自由奔放で個性的な解釈を試みているが、お互いに盛んな交流があることも事実である。

例えば、アレッサンドリーニはエウローパ・ガランテと、ヴェニス・バロックのカルミニョーラはジョヴァンニ・アントニーニと、そしてビオンディはコンチェルト・イタリアーノとしばしば協演している。

こうした合奏団の中でもメロディックな表現に優れ、和声の変化の面白さを明瞭に聴かせてくれるのがコンチェルト・イタリアーノで、それはバッハは勿論フレスコバルディやモンテヴェルディにも造詣が深いアレッサンドリーニならではのスコアへの読みがあるからだろう。

彼らのCDはシングルで既に50枚ほどにもなるが、今回の廉価盤化はバロック音楽ファンにとっては朗報に違いない。

5つの曲集がそれぞれ独立したジュエル・ケースに入っているので外側のボックス・サイズは14,5X13,5X5cmで枚数の割には多少かさばるのが弱点だ。

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2016年10月28日


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このCDはイタリアHMV音源のLP盤から板起こしした復刻盤で、LPと聴き比べてみたが全く遜色のないほど良好な音質が再現されている。

むしろリマスタリングでは本家EMIからリファレンス・シリーズとしてリリースされているCDを上回っている。

ただし後半の余白に収録されているライヴからのオペラの序曲集及びレスピーギの『ローマの噴水』に関しては音源自体が古く、また経年劣化でかなり消耗しているために音質的には期待はずれだった。

ヴィクトル・デ・サーバタの数少ないスタジオ録音のひとつだが、プッチーニの『トスカ』と並んでスコアから横溢するドラマを引き出す彼の恐ろしいほどの鋭い洞察力と、ソリスト、オーケストラ、コーラスを一瞬の弛緩もなく緊密に統率する非凡な手腕が示された名演。

1954年にミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団を振ったモノラル・セッション録音で、当時こうした大世帯の音響を許容するだけのテクニックがまだ充分でなかったために音質的にはそれほど恵まれていないが、音楽そのものからは強烈なメッセージが伝わってくる演奏だ。

ソリストの中でも驚かされるのはシュヴァルツコップの後年には聴かれないような大胆で奔放とも言える歌唱で、おそらくこれは指揮者デ・サーバタの要求と思われるが、後半の「リベラ・メ」のドラマティックな表現や、「レクイエム・エテルナム」で聴かせる消え入るようなピアニッシモの高音も彼女の並外れたテクニックによって実現されている。

また「アニュス・デイ」でのドミンゲスとの一糸乱れぬオクターヴで重ねられたユニゾンの張り詰めた緊張感の持続が、最後には仄かに明るい期待感を残していて極めて美しい。

テノールのディ・ステファノはライヴ演奏でもしばしば起用された『ヴェルレク』のスペシャリストで、彼の明るく突き抜けるような歌声は宗教曲の演奏としては異例だが、ベルカントの泣き節たるこの曲ではすこぶる相性が良い。

第10曲「インジェミスコ」の輝かしさは教会の内部より劇場空間での演奏が圧倒的な効果を上げる一種のオペラ・アリアであることを端的に示している。

バスのチェーザレ・シエピについて言うならば、バスのパートをこれだけ完璧なカンタービレで歌い切った例も少ないだろう。

その深々として練り上げられた声質は重唱においても音程が正確で、他の歌手と共にヴェルディが書き記した対位法の声部を明瞭に追うことができる。

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2016年10月27日


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晩年のフルトヴェングラーによるベートーヴェンの交響曲の演奏は、他のレーベルをも含めれば、全曲をウィーン・フィルによって聴くこともできるが、全集という形で手にするとするならば、これが唯一最高のものと言うことができよう。

歴史的名演とも言えるバイロイト音楽祭ライヴの《第9》が含まれているばかりでなく、いくつかの作品は、彼の録音の中でも傑出したものであり、録音条件の不利をこえた価値がそこにはある。

それは、フルトヴェングラーの音楽と精神とが集約されたものと言っても過言ではなく、創造性にあふれた芸術の記録として、いずれも貴重なものである。

ベートーヴェンの演奏も、人が変わり、時代を追ってくるに従って、かなりの変化をみせてきたが、これは永遠の規範ともなり得よう。

極めて陰影豊かな第1番、若々しい音楽を流動させる第2番、端然とした造型の《エロイカ》、深沈として情感を色濃く漂わせた第4番や《田園》、均整感が強く堂々とした第5番や第7番と、どの演奏も強烈な個性をもった雄渾な表情だ。

第8番の音楽的創意の豊かさも比類なく、第9番は劇的で雄大、声楽陣の充実も素晴らしい。

このベートーヴェン交響曲全集のマスターは2010年に同音源がSACD化された時のリマスタリングで、今回レギュラー・フォーマットのCD5枚に収録してバジェット・ボックスとしてリイシューされた。

それ以前のCDに比べると音質はかなり良くなっていて、潤いと艶のあるサウンドが得られているが、9曲の中では最も古い1948年録音の第2番及び第8番の2曲はさすがにスクラッチ・ノイズの彼方でオーケストラが鳴っているといった感触で、他に音源のないことが惜しまれる。

第8番と第9番以外のオーケストラはウィーン・フィルで、この時代の彼らのローカル色豊かな音響とアンサンブルを堪能できるのも特徴だ。

5枚目の第9番は1954年のルツェルン音楽祭ではなく、それより古い1951年のバイロイト・ライヴだが最後の拍手が入らなければセッションと思えるほど音質に恵まれていて、フルトヴェングラーの憑かれたようにテンポを上げていく熱狂的なフィナーレが聴きどころだ。

第7番に関しては新たに発見された未使用のテープからのリマスタリングという触れ込みだった。

確かに1950年の録音としては良好な音源には違いないが、期待したほどの音質の向上は感じられなかった。

いずれにしても交響曲全曲演奏を通してフルトヴェングラーによるベートーヴェンへの独自の解釈、特にそれぞれの楽器の扱い方やダイナミクスがより一層明瞭に感知されるようになり、自在に変化するテンポ感と相俟って特有の高揚感を体験させてくれる。

入門者にも気軽に鑑賞できるリーズナブルなバジェット・ボックス化を歓迎したい。

尚総てがモノラル録音だが、何曲かについては電気的に音場を拡げた擬似ステレオのように聞こえる。

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2016年10月25日


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2014年8月に亡くなったフランス・ブリュッヘンのテレフンケンレーベル時代の集成である。

発売から大分経過しているが、ブリュッヘンの天才に魅了され大きな影響を受けた筆者としては遅ればせながら追悼の意味で書きたい。

ブリュッヘンは旧テレフンケンの古楽レーベル、ダス・アルテ・ヴェルクにCD12枚分の音源を残している。

ブリュッヘンは1934年生まれだから、これらのセッションは28歳の時に始まり、その後1979年まで17年間続けられた。

当時古楽復興の黎明期にあってリコーダーという、まだその芸術性が確立されていなかった楽器のために、これだけ高いレベルの演奏と量を誇ったシリーズは皆無だった。

ブリュッヘンのリコーダーを支えた通奏低音奏者は幸運にも若き日のグスタフ・レオンハルト、アンナー・ビルスマ、ニコラウス・アーノンクールなどで、その後の彼らの仕事とその功績から言っても、現在ではとても考えられない豪華メンバーだし、アンサンブルとしても万全だったと思う。

やや遅れてブリュッヘンはその新境地をセオン・レーベルから再び一連の笛のための音楽としてリリースすることになるが、こちらも時を同じくしてソニー・ヴィヴァルテから10枚組で復活している。

このセットは当時のブリュッヘンのリコーダー音楽への情熱の結晶であり、それまでの古楽の概念を覆すような彼の斬新かつ鮮烈な奏法と、カリスマ的パフォーマンスで聴く者を魅了する演奏が特徴である。

この時代のブリュッヘンを知っているリコーダー・ファンであれば、懐かしさも手伝ってあの時の感慨が蘇るだろうし、古楽のパイオニアの模範的演奏として入門者にもお薦めできる。

ダス・アルテ・ヴェルクは当時から新進気鋭の演奏家を起用して、演奏内容は勿論、音質の良さとその臨場感で古楽ファンの注目するレーベルだった。

彼らの先見の明によって現在のような古楽鑑賞がごく当たり前に普及し、またその先駆をなした業績は無視できない。

しかし単独で出ていた時には価格も決して安くはなかった。

筆者自身LPで集めたものと、CDになってから買ったものとで半分くらいは持っていたが、最近の箱物ラッシュでご多分に漏れず廉価盤化されたので結局購入することになった。

ライナー・ノーツは71ページほどだが、後半約10ページにブリュッヘンの略歴が英、仏、独語で掲載されている。

残りの部分は曲目と使用楽器の明細で、この曲集総てに亘って彼らの使用楽器とその所蔵が明記されている。

それらは錚々たる名器ばかりで驚かされるが、またこうしたところにも彼のオリジナル嗜好のこだわりが良く表れている。

録音はいくらか古い音源でごく一部にノイズが聞かれるが、概ね良好で満足のいくものだ。

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2016年10月23日


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このCDを聴いて強く印象に残ったのは音質が驚くほど良いことで、特に交響曲第2番は1960年3月のセッションだが、当時のEMIの初期のステレオ録音としては最良のマスターが残されていたようだ。

それが今回チェコ・プラガ独自のリマスタリングによって鮮明度が増し分離状態も改善されて臨場感を俄然高めている。

どちらもロンドン・キングスウェイ・ホールが録音会場に使われているが、交響曲第4番は1953年7月のモノラル音源を擬似ステレオ化して音場を拡げ、時代相応以上の生々しいサウンドの再現に成功している。

終楽章のグロッケンシュピールの響きで高まるこの作曲家特有のクライマックスもクリアーだ。

対照的な曲想を持つこのシベリウス2曲の交響曲にカラヤン若き日の噴出するような熱っぽい感性が手に取るように伝わってくる演奏で、オーケストラは良く練り上げられているが大袈裟な表現を避けた新鮮味がある。

特に交響曲第2番は初期のカラヤンの直截なスタイルが残っており、その素直さや情熱の率直な表明が、作品の激しい気力を的確に表していて、両端楽章の白熱するような緊張感は、カラヤンの演奏でも屈指のものといってよい。

幸いこの時期のフィルハーモニア管弦楽団は全盛期を迎えていて、ウォルター・レッグの手腕によってヨーロッパの一流どころの指揮者が次々に迎えられ、彼らが実質的に楽団の質の飛躍的な向上に貢献している。

しかしながら数年後の解散によって再びこの頃の水準に戻ることがなかったのが惜しまれる。

誤解を招かないために書いておくが、ハルモニア・ムンディ傘下のプラガ・ディジタルスの新企画ジェニュイン・ステレオ・ラブは、オーストリアで生産されている同プラガのSACDとは異なり、あくまでもレギュラー・フォーマットによるCDで総てチェコ製になる。

その特徴は新規のリマスタリングにあり、多くの既出盤を聴いた感じでは鮮明度だけではなく、空間的な広がりやボリューム・レベルのアップなどいずれも従来盤を凌いでいることが明瞭に感知できる。

音楽性豊かで音質的にも優れたセッション及びライヴがピックアップされていることは勿論だが、これまでにリリースされた20枚余りのCDには貴重音源も少なからずあり魅力的なシリーズになっている。

尚ライナー・ノーツの裏面にはロンドンのカラヤン(1)と記載されているので第2集以降にも期待したい。

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2016年10月22日


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第101番冒頭の合唱は、アーノンクールの思い切った表現が効を奏し、緊張に満ちた表現を築いている。第102番では第4曲のバスのアリオーソはよいが、テノールのアリアは劇的になり過ぎている。このカンタータではエスウッドの声の美しさが印象に残る。第103番はまず冒頭の合唱が素晴らしい。音程に甘さはあるが、実にきっちりと揃っているし、リズムの切れもよい。エスウッドのアリアもしみじみした表情を宿している。第104番ではアーノンクールのアクセントの強調が気になるが、独唱者たちがそれを補っている。第105番は全体的にあまりよい演奏ではないが、第106番では独唱者、合唱、合奏団ともに立派な演奏を示しているし、作品そのものも素晴らしい。第107番はボーイ・ソプラノがしっかり歌えており、エグモントのバスも軽やかなリズムを快く歌い出しなかなかの好演。第108番および第109番のテルツ少年合唱団は、歌い込みの行き届いた見事な歌いぶりだし、第109番のエスウッド、エクヴィルツも見事だ。第110番ではアーノンクールらしい現代的なリズム処理をみせ、一気に演奏している。少年達の独唱も印象深く、合唱も生気に溢れていて気持ちがよい。第111番のテルツ少年合唱団は好演。エスウッドの叙唱も冴えている。第112番もエスウッドのアリアが見事だ。第113番のレオンハルトではアーノンクールと別な伸びやかなバッハが聴かれる。第114番はコーラスが充実し、アリアをエクヴィルツが実に美しく歌っており、フラウト・トラヴェルソとの見事な絡み合いを聴かせてくれる。第115番はアーノンクールらしい緊張と弾力に満ちた音楽を作り、第2曲のエスウッドの流麗な歌唱が美しく、第4曲のボーイ・ソプラノも懸命な歌唱ぶりを聴かせる。第116番はコラール合唱の多彩な表現の中に、大きな音楽のうねりを聴く者の心の中に押し寄せてくる。第117番は華麗な色彩に溢れ、レオンハルトらしく伸びやかな表現である。第119番はエスウッドの成熟した歌唱が聴きものだ。第120番はエスウッドが最初から円熟した歌いぶりで見事。テルツ少年合唱団もなかなかしっかりした合唱を聴かせている。第121番はエクヴィルツ、エスウッド、フッテンロッハーともどもよく歌っている。第123番は冒頭の合唱が充実していて、生き生きとした生命を漲らせている。バスのホルは音楽的表出力が豊かだ。第124番はテルツ少年合唱団が健闘し、ソプラノとアルトの二重唱の2少年がよく歌っている。第125番は冒頭のコラール合唱が規模の大きな作り方をみせている。第126番は動きの激しい戦闘を表す音型をアーノンクールが独特の鋭角的表現で劇的に展開する。第127番はレオンハルトが“死と永遠”“受難と復活”を慎み深く描き出し、エグモントの深い歌いぶりも印象的。第128番は冒頭のホルンが、古雅な音色と華麗なテクニックで見事な演奏を聴かせる。第129番はレオンハルトらしい穏健なまとめぶりで、オーボエ・ダモーレとヤーコプスの声の音色がぴったり合って美しい。第130番はアーノンクール好みのティンパニが雄弁だが、弦を消しがちなのが気になる。第131番の導入のシンフォニアと合唱は伸びやかで美しい出だしだ。第132番は第1曲からソプラノの長大なメリスマを含むアリアだが、この難技巧のアリアをボーイ・ソプラノが見事に歌い切っている。第133番はコラール・カンタータの形をとっているが、合唱の占めるウェイトはそれほどでなく、むしろ独唱陣と器楽陣が充実した音楽を展開していて、レオンハルトの腕の見せどころでもある。レオンハルトの中庸をゆく表現はいつも通り。第138番は優れた出来で、第1曲の合唱ではアーノンクールの引きずるような重い運びが、テキストの意味をよく反映している。波打つような癖のある強弱の扱いも、曲の性格のせいか気にならない。また第9曲のアリアでのホルの歌唱が素晴らしく、バッハの書いた旋律を美しく生かしている。作品としても最も充実したもののひとつだ。第139番もよいまとまりを示し、ホルの歌唱も光る。レオンハルトの第143番、第144番の2曲は、美しいバランスのとれたアンサンブルと合唱を展開している。アーノンクールは第146番で素晴らしいエネルギーを噴出させている。開始のシンフォニアでの沸騰する情熱に、オリジナル楽器が巧みにフィルターをかけていく呼吸は見事だし、続く第2曲への対比も鮮やかだ。アーノンクール会心の演奏であり、エスウッドがこれまた最高といってよいほどの名唱。バッハの全カンタータ中、最も人気のある第147番には音楽の生命の自然な営みが示され、アーノンクールの進境と円熟がみられる。第151番での信じがたいほどの美しいボーイ・ソプラノを始め、全曲を通して独唱陣が極めて充実している。第152番はクリスマス後日曜日用のもの。第6曲のソプラノとバスの二重唱が印象深い。第153番は新年後の日曜日用で、第8曲のアルトのアリアが美しい。第154番はM.ヤーンのイエス思慕のコラールによる合唱曲がなんとも優しい気分を描き出す。ハイライトは第7曲のアルトとテノールの二重唱。第155番は第2曲が印象的。第156番の導入部分のシンフォニアは名旋律だ。第157,158,159番でレオンハルトは落ち着いた展開の中にバッハのよさを自然に表しており、テノールのエクヴィルツも安定したテクニックで危なげがなく、バスのエグモントも好演している。なかでも第157番が作品、演奏ともに素晴らしい。第161,162,163番は、アーノンクールの歌詞の内容に則した表現の変化と、劇的な音楽の扱いや音符の扱いなどに細やかな配慮が感じられる。第167番でのアーノンクールの指揮は聴きもので、キビキビした音の運びの中に優しさが加わっているのがいい。歌手も好調。第169番も冒頭のシンフォニアから活気が溢れている。この曲はアルトのソロ・カンタータでもあるが、エスウッドがいい。第170番は各曲の性格をレオンハルトが穏健な表現でよくまとめており、第172番も飾り気のない素朴な表現だが力強い。アーノンクールによる第173番は出色で、エクヴィルツが最初から引き締まった歌いぶりを示し、コンツェントゥス・ムジクスも瑞々しい表現を展開している。第174番もアーノンクールが最初のシンフォニアから積極的な指揮で、生気に満ちた演奏を行っている。第175番には最初のレチタティーヴォと第2曲のアルトのアリアに3本の堅型フルートが付されており、その鄙びた響きがレオンハルトの素朴な表現と合致して快い。第177、178、179番はアーノンクールが前進性に富んだテンポや各楽器の動きの線の明確化を目指しており、第178番冒頭のコラール合唱が力強く劇的な表現だ。第180番はボーイ・ソプラノが力及ばず、発声も柔軟さを欠く。第181番はエグモントのバスがしっかり歌って安心させる。第182番はコーラスもソロも緊張感に満たされ、充実した演奏。第183番はエクヴィルツがしっかり歌っており、どんなパッセージも空白な箇所を残さない。第184番はカウンター・テナーとボーイ・ソプラノがぴったり合っているし、コーラスもよく、リズムのさばきも見事。第185番はアーノンクールが性急なテンポで、いまひとつの余裕がほしいが、ハンプソンのバスは説得力のある歌を聴かせる。第186番は古楽器奏法に合わせた合唱の様式的唱法がやや煩わしいが、ホル、ヴィテクが見事に歌っている。第187番ではレオンハルトがおっとりと暖かいバッハを作り出している。第188番はアーノンクールらしいパワフルな演奏で、エスウッドも素晴らしい歌唱を聴かせる。第192番でアーノンクールは2つの合唱曲を、溌剌としたリズムと明るい響きによって極めて生き生きと再現しており、合唱団・合奏団の音の動きも明快で優れた演奏だ。第194番では舞曲調のリズムを軽やかに生かし、よくまとめあげている。独唱ではハンプソンの整った美しい歌唱が光る。第195番ではレオンハルトが華やかさを抑え、どっしりとしたリズムで滋味溢れた演奏を展開している。アーノンクールは第196番の優美な曲調をよく生かしているし、テルツ少年合唱団もしっかりと歌っており充実した演奏が聴かれる。第197番ではレオンハルトが落ち着きのあるしみじみとした演奏を展開し、ヤーコプスのアリアが心に残る。第198番は感動的な演奏でいぶし銀のような響きと、穏やかな音の中から死を悼む切実な心が伝わってくる。第199番でのボニーは美しい歌唱だが、甘く流れ過ぎている。

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2016年10月20日


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アーノンクールとレオンハルトというバッハの権威を2つの柱に据え、オリジナル楽器を使って原典に忠実な再現を目指したシリーズ。アーノンクールのリズムを強調した先鋭に加え、現代におけるバッハへのアプローチの新視点に対し、かたやレオンハルトの穏やかな自然体の暖かさの中で、これも新しいバッハ像の確立と、それぞれの受け持ちナンバーから様々なバッハが見えてくるのも楽しい。精密な考証で現代にあるバッハの命をふくよかに伝え、学問的リゴリズムに陥らず、バッハ当時の音楽再現と共にひとつのスタンダードな演奏法を確立しているカンタータ大全集で、10年以上もかけて完成した労作だけに、入念な考証、演奏法、テキスト・クリティックが素晴らしい。目の覚めるような新鮮な演奏で、合唱、独唱、楽器陣、いずれも神への賛美と感謝の心が漲っている。一桁のナンバーでは少年たちが何という美しい声をきかせてくれることだろう!合唱指揮者ギレスベルガーの徹底した指揮もあってのことだろうが、信じがたいほどの充実ぶりで、ソロも素晴らしい。教会の中で聴く場合は別にして、この手の録音には少年たちの受け持つソプラノやアルトの音程が定まらないことや、ヴィブラートのない直線的な声と男声パートの間に隙間が感じられたりするが、ここにはそういう心配がまるでない。第10番は「マニフィカト」のドイツ語版。レオンハルトの演奏は、合唱(テノール、バス)がやや暴走気味なのが惜しい。第11番は、カンタータというよりむしろ“昇天祭オラトリオ”とでも称すべき作品だが、ここでのアーノンクールの指揮はまろやかな音を前面に押し出して堅実な構成を見せている。歌い込みも充分で、各曲の対比感がうまく捉えられている。第12番は細やかな配慮が随所に感じられ、この曲の持っているロマン的性格をエクヴィルツ以下の歌手が恐れずに表出している。第13番は曲が第12番と比べて難しく、バスのアリアも妙なアクセントがついている。第16番は冒頭のコラールを歌う少年合唱の発声がウィーンのものと違ってひどくローカルなのが残念。アーノンクールはできる限りの原典考証を学究的研究で突き詰め、不備な書法を補いながら優れた演奏を刻んでいる。特に第18番の第3曲は難曲だが、ここでの完璧なメリスマ唱法と通奏低音の気魄のこもった応答には頭が下がる。ソプラノ、テノール、合唱共に名演である。第19番の合唱も熱の入ったもので、1音符ともゆるがせにしない。第20番も全篇を通じて楽器の選び方に細心の注意が払われている。第21番は、バッハの青年時代のカンタータの総決算とも言うべき最も壮大な記念碑である。アーノンクールを始め、メンバーの呼吸の合った演奏は見事で、深い敬意を払わずにはいられない。第22,23番は、共に1723年2月7日の聖日のために作曲されたものだが、第23番の方が作品としては強い説得力に溢れ、深い感動を聴く者に呼び起こす。レオンハルトの指揮も熱っぽい演奏で生き生きと描いている。第24番は“三位一体祭”後第4日曜日用のカンタータで、ノイマイスターの台詞によっている。第25番も第14日曜日のためのもので、冒頭第1曲の合唱におけるコラールの扱い方が見事。第16日曜日のための第27番は優れた内容と技法を持っており、充実した演奏でアンサンブルもよい。第28番は第1曲のソプラノのアリアの音楽的表現力の確かさが優れており、第29番では第3曲のテノールのアリアが、エクヴィルツの数多いバッハの中でも特にその音楽性の豊かさで抜きん出ている。第30番でも独唱者がよく歌い、舞曲のリズムや切分音の特徴あるリズムを生き生きと描き出している。第31番は、初演当時の演奏様式の再現として短三度も上の調性で演奏されており、多少無理押しした感じもあるがそう気にならない。第32,33番では、レオンハルトが緊張感に満ちた好演をみせ、エグモント、ヤーコプスがそれぞれ美しい歌唱を聴かせる。第34番でのエスウッドの円熟したアリアも素晴らしい。ここではアーノンクールが目立たないようにテンポを効かせながら、曲にニュアンスを添えている。第35番は、アルトのためのソロ・カンタータとしての性格に多彩な変化を与えており、エスウッドの円熟した歌唱が聴きもの。第36番は2本のオーボエ・ダモーレが雅びた音色の中に美しく演奏され、ウィーン少年合唱団員が清澄な歌唱を聴かせてくれる。第37番では、デル・メールによるアリアが美しい。レオンハルトが指揮した第39、40番では、デビュー当時のルネ・ヤーコプスの若々しいカウンター・テノールが、エスウッドとは一味違った色彩感いっぱいの歌唱を繰り広げる。第43番は第7曲のバスのアリアにおけるC管無弁トランペットの至難なパッセージでも、この超絶技巧を見事に克服し、歌ともども名演の極致を聴かせる。第44番では第3曲のアルトとオーボエのかけ合いが美しく、第4曲のコラールを支えるファゴットの慰めに満ちた音色とエクヴィルツの緊張感が感動的に対照を作っている。第45,46番はヤーコプスがまだ若い故の気負いがあるが、美しい声質だ。第47番から第50番にかけては、アーノンクールの強力な統率力がうかがわれる。ウィーン少年合唱団のイェーロジツがなかなかの名唱で、明るく澄んだ声と正確なパッセージの歌唱はなかなかのもの。第49番の新郎と新婦の対話など微笑ましい。第51番のボーイ・ソプラノのクヴェックジルバーは、なまじ生活感情の入り込まぬ子供の無垢な心で全く見事に歌い切っており、子供というものの可能性の無限への広がりに驚嘆の念を禁じ得ない。レオンハルトは第54番で、このテキストの熱烈なムードがそのまま反映した音楽を生々しく描き出しており、第55番においても非常に緊張力に富んだ演奏を展開している。第57番でアーノンクールは、テキストと音楽を突き詰めてのアゴーギクやフレージング、アーティキュレーションを効果的に用いながら曲を進めている。この第5曲目のアリアの至難なパッセージを、バスのデル・メールが驚くべき正確さと音楽性をもって歌い切っているのも驚嘆させられる。第58番のボーイ・ソプラノも不完全な部分はあるが、健気で一途な歌いぶりには不思議な感動に誘われる。第61番から第64番にかけては喜ばしい気分の曲が並んでおり、古楽器を使いながらも現代的感覚を生かそうと付点音符の扱いをやや鋭くしたり表情を細分化したりして、待降節のふくらむ気持ちを描き出そうと試みているが、テルツ少年合唱団が実力不足で、アーノンクールの意図に沿いきれていない。総じて、緻密な仕上げが感じられず、何とも不満足な出来。第65番はデル・メールの朗々たる歌いぶり、エクヴィルツの音楽的充実が快い興奮を誘う。第66番はエスウッドとエクヴィルツの音色が実によくマッチして名唱。第67番はテンポの変化の難しい曲だが、指揮のレオンハルトが自然な流れの中にこれを捉え、成功している。ハノーヴァー少年合唱団の素直な歌いぶりもよい。第68番はイェーロジツが見事な歌唱を聴かせる。第69番から第72番にかけてはテルツ少年合唱団は引き締まった音色と音楽を作り出している。殊にボーイ・ソプラノのヴィードツが健闘して、感動的な歌を聴かせてくれる。音楽的な成熟が感じられ、大人も及ばないような立派なアリアだ。アーノンクールは全編に漲る劇的な世界をリアルに表現するように心がけている。なかでも第2部のバスのアリアは見事な歌い込みだ。第73番冒頭からレオンハルトはアクセントのはっきりした音色設定を試み、合唱もマルカート唱法で進められ、各フレーズの相関的遠近感覚がくっきり浮かび上がってくる。合唱は、子供ながら感情のこもった表現と言葉に対する鋭敏な反応を示している。第74番第4曲のバスのアリアにおけるエグモントは極めて好調。第75番のクラウスのレチタティーヴォとアリアが技巧的にも余裕があっていい。第76番は、冒頭の合唱からテルツ少年合唱団の声の不透明さとリズムの切れの悪さが気になる。アーノンクールはそれを是正しようとかなり無理なドライヴをしている。第77番のハノーファー少年合唱団は、テルツ少年合唱団に比べると引き締まった演奏を聴かせる。第78番はソプラノもよく歌えていて、音色もリズムもぴったりと合っていて見事。リズムの処理は全体的に鋭い。第80番から第83番は4曲すべてアーノンクールのチームによる演奏で、鮮烈な響きの感覚と躍動感に溢れている。第80番と第82番が名作として知られ、特に前者でのエスウッドとエクヴィルツが充実しており歌唱も美しい。その他の男声はボーイ・ソプラノを含めて少しばらつきがあり、合唱も表情が淡泊だが全集としての安定感には欠けていない。第83番は今となっては表現がいささか古めかしくなった。第84番は冒頭から全曲にわたりオーボエの美しい音色とフレージングの豊かさが強い印象を与える。ヴィードルも立派に歌っていて見事だ。第86番はオーボエ・ダモーレが印象的。第87番はソリスト達が冴え、白眉とも言うべき名演。第88,89番ではエグモントが余裕たっぷりに歌い、第90番は無弁トランペットが強烈な印象を残す。第95番はエクヴィルツが印象深い歌唱を展開する。第96番はフッテンロッハーが名演で、清潔な音楽作りの中にバッハをゆったりと実感させてくれる。第97番は冒頭の合唱に珍しくフランス風序曲の形式がとられ、合唱と器楽の輝かしい協奏が繰り広げられる。それぞれのソリスト達も力演している。第98番はエスウッドのレチタティーヴォが深い表現を聴かせている。第99番は第3曲のテノールのアリアが曲として美しく、第100番は第2曲のテノールとアルトの二重唱が2人がよく和して美しい。

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2016年10月18日


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この演奏は1951年1月27日にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されて以来リリースを重ねている名盤のひとつだが、欧米でも当時ステレオLP盤を実現していたレコード・メーカーはまだ一社もなく、基本的にはモノラル録音なのだが、SP時代の録音は原盤が脆かったために時にはマイクを2本を立てて複数のマスターが作られることがあったという。

そうすると同一の演奏でもマイクの定位置が異なるため僅かに異なるマスターが出来る。

それらを技術的に合成するとステレオ的な広がりが得られるのだそうだ。

例えばストコフスキーの『動物の謝肉祭』、『春の祭典』(1929年)やエルガーの自作自演による『コケイン』(1933年)等で同演奏で別位置のマスターが見つかっており、それらを合成した音源がPristine ClassicalやNaxosから発売されているが、いずれもとても1920〜30年代とは思えないほど素晴らしい音質である。

そしてこのトスカニーニのヴェルディもライヴの録音の際マイクが複数立てられており、それらをひとつに重ねたものが本盤。

このコンサート当日には左右に1セットずつの異なった録音機材が設置されていたことから、双方の音源をリミックスして強引にステレオCD化したもののようだ。

しかし音場を拡げるだけの擬似ステレオとは違って、まがりなりにも左右が独立した2トラック録音のステレオ効果が得られているのが特徴で、実際鑑賞してみると初期のステレオ・ライヴに匹敵するくらい巧く合成されている。

ただし60年以上も前の音源なのでふたつのテープの間に時間的齟齬が生じるのは当然で、そうした部分については修正されている。

いずれにしても演奏が素晴らしく、また音質自体も悪くないので一聴に値するCDとしてトスカニーニ・ファンのみならず、ヴェルディの音楽を愛する人にとっても歴史的なライヴであるに違いない。

4人のソリストのうち3人がイタリア人で、中でもテノールのディ・ステファノとバスのシエピはシュヴァルツコップとドミンゲスが加わる1954年のデ・サーバタ指揮、ミラノ・スカラ座とのセッションでも名演奏を遺した『ヴェルレク』のスペシャリストだ。

ディ・ステファノのオペラティックで明るい高音が冴える「インジェミスコ」やシエピの深々としたカンタービレには他の歌手では得難い魅力がある。

ヴェルディのレクイエムはイタリアの文豪アレッサンドロ・マンゾーニ追悼のために作曲された。

ヴェルディの対位法のテクニックが駆使されていると同時に声の威力が極限まで引き出されていて、一般に理解される宗教曲という概念には収まらない、殆んど1曲のオペラの様相を呈している。

4人のソロと大規模なオーケストラ、コーラスが咽び泣き、咆哮する音楽はしめやかな教会の内部より、劇場空間でこそ圧倒的な効果を上げることができるし、イタリア・オペラを熟知したトスカニーニがひとつの理想的な演奏を遺してくれたと言えるだろう。

トスカニーニが残した素晴らしい演奏の中でもとりわけ名高いこの演奏が純正では無いものの、ステレオで聴けるのは本当に僥倖だ。

なお、Memories盤では全くといっていいほど触れられていないが、このトスカニーニの偶発ステレオの経緯はPristine Classicalのサイトに詳しい。

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classicalmusic at 22:25コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディトスカニーニ 

2016年10月16日


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ベルナルト・ハイティンクとヨーロッパのオーケストラでは最高水準を誇るコンセルトヘボウによるブラームスのオーケストラ・ワーク集で、7枚のCDに声楽が加わらない管弦楽曲と協奏曲が網羅されている(ただしハンガリー舞曲は第10番までになる)。

いずれにしても1人の指揮者が同一の作曲家の作品を同じオーケストラでこれだけ録音すること自体稀であり、ハイティンクのブラームスに賭ける情熱とその徹底ぶりが窺える。

4曲の交響曲はハイティンクのスコアへの深い読み取りが手に取るように実現されていて、それがかえってインスピレーションに乏しい無個性で学究的な演奏と受け取られる為か、日本での彼への評価はいまひとつ相応なものではない。

だが実際には細部までコントロールの行き届いたオーケストレーションの再現は、理性と感性とのバランスの調和であり、大見得を切るような表現こそないが非常に味わい深い、まさに大指揮者の風格をもっている。

ハイティンクの棒に従うコンセルトヘボウの巧さと音色の美しさも特筆される。

2曲のピアノ協奏曲のソロを弾くクラウディオ・アラウはピアノを響かせることを熟知していた巨匠だった。

衝撃的な音質を一切避けた潤いに満ちたおおらかで悠然と奏でる音楽のスケールは大きく、良い意味での古き良き時代を髣髴とさせるロマンティックな演奏だが、それは時代を超えた魅力に溢れている。

両方とも廃盤になって久しかったものの復活になる。

一方ヴァイオリン協奏曲のソロはシェリングで、円熟期特有のやや内省的で緻密な音楽設計による表現は、しばしば精彩を欠いた演奏として批判されるが、改めて聴き直してみると、音楽の内部に向かって注がれる集中力と気高い音楽性は決して低く評価されるものではない。

また同様のコンセプトでサポートするハイティンク&コンセルトヘボウの一糸乱れぬ統率感とアンサンブルの巧みさも秀逸。

二重協奏曲も非常に完成度の高い仕上がりで、シェリングとシュタルケルの水も漏らさぬデュエットが聴き所だ。

それはひとえに両者間の協調から生み出されるもので、ブラームスの作品らしく殆ど峻厳とも言える音楽的な密度の濃さと、その演奏から醸し出される独特の透明感は一種冒し難い雰囲気さえある。

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2016年10月14日


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昨年亡くなったクルト・マズア追悼盤のひとつでユニヴァーサルのベートーヴェン交響曲全集と同時にリリースされたが、こちらはワーナーからの6枚組。

5曲の交響曲のオーケストラは彼の手兵だったライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で、後半に収録された弦楽合奏のための13曲のシンフォニアはピリオド・アンサンブル、コンツェルト・ケルンとの演奏になる。

ゲヴァントハウスはザクセンではシュターツカペレ・ドレスデンと並ぶ古い伝統を持った楽団であることは周知の通りである。

メンデルスゾーン自身がカペルマイスターを務めて以来ニキシュ、フルトヴェングラー、ブルーノ・ワルター、コンヴィチュニー、ノイマン、そしてマズアの後にはブロムシュテット、シャイーなどそうそうたる指揮者が就任していて、ライプツィヒの質実剛健な文化を象徴する存在でもある。

尚このセット後半のシンフォニアは録音自体が少ないので全曲録音は有難いし、メンデルスゾーンが作曲した交響曲の名を冠した総ての作品が揃うことになる。

1987年から96年にかけてのディジタル録音で前半3枚の音質はやや芯に欠けるところがあるが概ね良好。

メンデルスゾーンの音楽にはモーツァルトにも通じるインスピレーションの迸りが何物にも遮られずに直接鳴り響いてくるようなフレッシュな感覚がある。

それを活かすには表現の厚化粧は禁物で、音楽を必要以上に立派に聴かせようとしたり深刻さを強調しようとすると、特有の軽快さが失われてあざといものになってしまいがち。

だが、マズア&ゲヴァントハウスの演奏は洒落っ気こそないが素朴で骨太なサウンドを武器に、作品のシンプルな側面と曲想の自然な流れを蔑ろにすることなく、逆に軽佻浮薄になることも巧みに避けている。

マズアはこの辺りを充分に心得ていた指揮者だったのではないだろうか。

確かに彼らより洗練され、しかもゴージャスな演奏はあるだろうが、メンデルスゾーンの音楽が持っている必然性を感じさせてくれる最良のサンプルのひとつとして聴くべき価値があると思う。

同様に作曲家が僅か14歳までに書き上げた習作的な13曲の弦楽のためのシンフォニアは、バッハの対位法を学んだ早熟の天才が示した溢れ出るような楽想を、ピリオド楽器の古風な音色と奏法でストレートに引き出した演奏だ。

聴き進めていくと最初はバロック風だが次第に個性的な作風へと急速な成熟を遂げているのが興味深い。

第11番のスケルツォ『スイスの歌』のみはパーカッションが加わるバロック・マーチに仕上げている。

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classicalmusic at 23:12コメント(0)トラックバック(0)メンデルスゾーン 

2016年10月12日


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ベームは、ワルターと同じく終生に渡ってモーツァルトの音楽に傾倒し、深く敬愛していた指揮者であった。

ベルリン・フィルと成し遂げた交響曲全集(1959〜1968年)や、バックハウスやポリーニと組んで演奏したピアノ協奏曲の数々、ウィーン・フィルやベルリン・フィルのトップ奏者との各種協奏曲、そして様々なオペラなど、その膨大な録音は、ベームのディスコグラフィの枢要を占めるものであると言っても過言ではあるまい。

そのようなベームも晩年になって、ウィーン・フィルとの2度目の交響曲全集の録音を開始することになった。

しかしながら、有名な6曲(第29、35、38〜41番)を録音したところで、この世を去ることになってしまい、結局は2度目の全集完成を果たすことができなかったところである。

ところで、このウィーン・フィルとの演奏の評価が不当に低いというか、今や殆ど顧みられない存在となりつつあるのはいかがなものであろうか。

ベルリン・フィルとの全集、特に主要な6曲(第35、36、38〜41番)については、リマスタリングが何度も繰り返されるとともに、とりわけ第40番及び第41番についてはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化もされているにもかかわらず、ウィーン・フィルとの録音は、リマスタリングされるどころか、国内盤は一時廃盤の憂き目に陥ったという極めて嘆かわしい現状にある。

確かに、本盤に収められた第40番及び第41番の演奏については、ベルリン・フィルとの演奏(1961年)と比較すると、ベームならではの躍動感溢れるリズムが硬直化し、ひどく重々しい演奏になっている。

ベームの指揮の一大特徴であるリズムの生気は、典雅な柔らか味をこえて、しばしば鋭い鋭さを示していて、モーツァルトの交響曲に存在している高貴にして優美な愉悦性が著しく損なわれているのは事実である。

しかしながら、一聴すると武骨とも言えるような各フレーズから滲み出してくる奥行きのある情感は、人生の辛酸を舐め尽くした老巨匠だけが描出し得る諦観や枯淡の味わいに満たされていると言えるところであり、その神々しいまでの崇高さにおいては、ベルリン・フィルとの演奏をはるかに凌駕している。

感傷的な流れに陥らず、楽曲のもつ構成的な美しさを引き出しているところが見事であり、響きの色彩の具合も単純明快で、情感的世界に結びつき易い色合いを強く制している。

また、かつてのようないかめしさが影をひそめ、しなやかな表情を強く表出しているのが特徴で、長年慣れ親しんだウィーン・フィルを、なごやかに指揮しているといった感じがよく出ていて、両曲ともこのオケ固有のオーボエとホルンの音が有効に使われている。

また、この2曲で特に目立つのはテンポの設定と楽想のリズム的および歌謡的性格とをはっきりと打ち出そうとしていることで、徹底的に美のありかを追究して何かをいつも発見してゆくベームの指揮は、やはり厳しさと鋭さの点で強く打つものがあり、多少流れの自然さを失うところがあってもなおモーツァルトの強靭な楽想発明力に関して納得させるところが大きい。

いずれにしても、総体としてはベルリン・フィル盤の方がより優れた名演と言えるが、本演奏の前述のような奥行きのある味わい深さ、峻厳さ、崇高さにも抗し難い魅力があり、本演奏をベームの最晩年を代表する名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

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classicalmusic at 23:57コメント(0)トラックバック(0)モーツァルトベーム 

2016年10月10日


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プラガ・ディジタルスからのハイブリッドSACDシリーズの1枚で、フルトヴェングラーの演奏集としては既に7枚目のリリースになる。

早期のウィーン楽派と題されていて、ウィーンに本拠地を置いて音楽活動を続けたハイドンとモーツァルトの作品4曲を収録している。

1948年から53年にかけて彼がウィーン・フィル及びベルリン・フィルを振ったもので、総てがモノラル音源だがリマスタリングによる音質の改善という点では、音場が拡がり音色が艶やかでそれぞれのホールの潤沢な残響も煩わしくない程度に再現され、かなり満足のいく仕上がりになっている。

フルトヴェングラーは古典派であろうがロマン派であろうが、その音楽に内包された表現の劇的な部分を実にスケール豊かな演奏に置き換えてしまう。

1曲目の『フィガロの結婚』序曲は一陣の風が吹き抜けるような短い幕開けの音楽だが、フルトヴェングラーはコーダの手前からアッチェレランドして、猛烈な拍車をかけて追い込むように曲を締めくくっている。

イン・テンポを崩さない現在の解釈とは異なった意外性がかえってこのオペラの性急で革新的な本質を暗示していると言えるだろう。

モーツァルトの第40番ト短調はフルトヴェングラーのロマンティシズムが良くマッチしていて、古典派を通り越した迸るような疾走感と不安を掻き立てるような陰鬱さに彼のカリスマ性が発揮されている。

モーツァルトと言えば、ワルターの名がまず思い浮かべられるに違いないし、同曲についても、彼の演奏を1つの理想や規範とする人々がかなり多いに違いない。

しかし、この作品については、ある意味それとは対極的な存在をなすフルトヴェングラーの演奏を忘れることはできないし、1度それに触れると、その体験が心の底に焼きつけられる可能性さえある。

それは、抑えがたいような悲劇的情感がもたらす緊迫感に溢れたもので、時に鬼気迫るものさえ感じさせるが、クラリネットが加わらない第1版の本質は、こうしたところにもあるのかもしれない。

テンポも、単なる速さということよりも、精神的な緊張にすべての音が動かされた結果と言えるところであり、曲の劇的な側面とフルトヴェングラーの波乱の人生経験とがまさに合体したような演奏と言うべきかもしれない。

モーツァルトの音楽の深さ、情感の豊かさ、デモーニッシュな激しさ、あらゆる次元での音楽表現の可能性の広さと言ったものを、このフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルの演奏から感じ取ることができる。

この曲にここまでの悲劇性があったのかと思わせる演奏内容であり、いつの時代にも聴き手の心に強く深くアピールする演奏となっている。

それに続く2曲のハイドンでも均整のとれた整然とした古典派の形式感というよりは、むしろドラマティックな情熱が滾った生気に溢れた表現が印象的で、モチーフの有機的な処理も鮮やかだ。

そこにはモーツァルトやベートーヴェンの先駆者としてのウィーン楽派の威厳を感じさせるものがある。

作品を大きく見せるのはもちろん、演奏を通して作曲家の存在および意志をはっきり実感させてくれるのがフルトヴェングラーだと筆者は思っている1人だが、彼の手に掛かるとハイドンの交響曲も内面的な感動が極めて大きく厚みのあるものになる。

数あるハイドンの交響曲のうち、第88番《V字》に惹かれる人は、かなりのハイドン好きに違いなく、誰もが注目するほど広く知られているわけではないが、優れた演奏で聴いたら、きっと忘れられなくなるだろうし、ウィーン楽派の神髄に触れさせてくれる、そんな作品の1つである。

フルトヴェングラーの指揮で聴くと、ハイドンの世界が一層大きく、一層深く感じられるから不思議である。

聴きようによっては、ハイドンのベートーヴェン化、といった思いがしなくもないが、それだけ奥行きが深い指揮者だったのだろう。

4つの楽章の音楽的性格の的確な描き分け、強い求心力を感じさせる造型性は他に類がない。

第94番《驚愕》も、少しもこせついたところがない悠然たるテンポで、スケール大きく歌い進んでゆく。

ここに流れているのは、音楽としての自然な呼吸、そして作品に対する深い共感で、演奏全体に漂う大人の風格は、この指揮者ならではのものだ。

ここでフルトヴェングラーは彼らしくないほどに古典的な端正さで演奏しており、大きな身振りもないが、それでいて音楽の作りは大きく、古典派交響曲としての佇まいを緻密かつ美しく示して余すところがない。

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2016年10月09日


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近年来日も多く、ピアノ界の新たな巨匠として特別な存在感を発揮するアブデル=ラーマン・エル=バシャのバッハ『平均律クラヴィーア曲集 第2巻』(2014年、神奈川・相模湖交流センターにて収録)の登場だ。

大絶賛を受けた第1巻に続き、本作でもエル=バシャの繊細なタッチにより生み出される作品の美観と構築性は健在で、先ず、何よりもエル=バシャの奏でるピアノの音が実に美しい。

第1巻と同様に、エル=バシャの強い希望によりべヒシュタインD−280を使用したとのことであるが、その効果は抜群であり、他の数々の名演とは一線を画するような、実に美しくも深みのある音色が演奏全体を支配している。

卓越した技術をもとに奏でられるその音は、まったく混濁がないが、絶妙なペダリングにより暖かな響きを導き出し、シンプルで飾り気のない美しい音色、ピュアなサウンドはエル=バシャの魅力のひとつであろう。

エル=バシャのアプローチはあくまでも正攻法であり、いささかも奇を衒うことなく、曲想を丁寧に精緻に描き出していくというものだ。

かかるアプローチは、前述のようなピアノの音との相性が抜群であり、このような点に、エル=バシャの同曲への深い拘りと理解を感じるのである。

また、エル=バシャのアプローチは正攻法で、精緻でもあるのだが、決して没個性的というわけではなく、徹頭徹尾エル=バシャのアナリーゼが展開される。

1曲目のプレリュードから即バッハの世界に引き込み、隙のない緊張感と豊かな響きのなかで「無限の調和」の旅をしているかのようである。

より自由に奏でられるプレリュード、完全に構築されてゆくフーガ、この「静」と「動」で展開される偉大なるバッハの作品を完全に創造している。

もちろん、平均律クラヴィーア曲集の綺羅星の如く輝く過去の演奏、例えば、グールドやリヒテル、アファナシエフなどのような聴き手の度肝を抜くような特異な個性があるわけではないが、表現力は非常に幅広く、卓抜したテクニックをベースに、テンポの緩急を自在に操りつつ、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、実に内容豊かな音楽を構築している点を高く評価したい。

これまでの平均律クラヴィーア曲集の名演では、構成されたプレリュード、フーガの各曲すべてが優れた演奏ということは殆どなく、曲によっては特に優れた演奏がある一方で、いささか不満が残る演奏も混在するというのが通例であった。

しかし、エル=パシャによる本演奏では、特に優れた特記すべき演奏があるわけではないが、いずれの曲も水準以上の演奏であり、不出来な演奏がないというのが素晴らしい。

こうした演奏の特徴は、長大な同作品を、聴き手の緊張感をいささかも弛緩させることなく、一気呵成に聴かせてしまうという至芸に大きく貢献しており、ここに、エル=バシャの類稀なる音楽性と才能を大いに感じるのである。

名器ベヒシュタインによる深みのある音色が、エル=バシャの音楽を支え、徹頭徹尾表現される調和と秩序の美しいピアニズムが堪能できるもので、期待を裏切らぬ高水準の名演と高く評価したい。

録音は、SACDによる極上の高音質録音であり、エル=バシャの美しいピアノを鮮明な音質で味わうことができる点も評価したい。

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2016年10月08日


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素朴なオリジナル版と、華麗なラヴェル編曲版を聴き比べる企画の面白さに惹かれるし、演奏がまた両方とも実に素晴らしい。

オーケストラの名曲として名高いこの曲は、もともとピアノ独奏用に書かれたものである。

ところが、不幸なことに、ムソルグスキーの生前には1度も演奏されることはなく、彼の死後、有名なラヴェル版をはじめ、多くの人たちの手でオーケストラ用に編曲され広く知られるようになった。

オリジナルのピアノ独奏版も、名手の手にかかると大変聴きごたえがある。

ドイツ・オーストリア系の作曲家の作品を得意としているブレンデルだが、この作品をコンサートでも頻繁に取り上げており、録音もこれが2度目にあたる。

自由な即興を加え絢爛豪華に仕上げたホロヴィッツ盤に対し、ブレンデル盤は正統派の演奏とでも言えようか、彼は、自身の考えるところのこの作品の本質をじっくりと、深く掘り下げ、慎重な運びで弾き進めている。

ブレンデルは決してピアニスティックな効果を展示しようとはせず、むしろ抑制された表現の内で彼の考えるこの作品の本質に迫ろうとする。

最強音を排した強弱のグラデーションの多様さ、常に求心的であろうとする表現は、その演奏においてあらゆる意味での押しつけがましさの要素を無縁なものとしながら、確固とした自己主張を行い、何よりも新鮮である。

実にどっしりと落ち着いた演奏で、ロシア臭の強いリヒテルとはやや異なり、各曲の性格を的確につかみ、隙のない精巧なまとまりを特に強く印象づける。

ここで彼は、1枚1枚の絵を、まるで細密画を思わせるかのように実に丹念に仕上げているのが特徴で、〈古い城〉〈卵の殻をつけた雛鳥の踊り〉〈バーバ・ヤーガの小屋〉など、その繊細な描写力は凄いの一言に尽きる。

プレヴィンとウィーン・フィルによる管弦楽版は、プレヴィン、ウィーン・フィル共にこれが初録音で、“プレヴィンがウィーン・フィルとのコンサートでラヴェルのスコアを再現している”ということが、このディスクの1つのセールス・ポイントになっている。

ラヴェルの色彩的なオーケストレーションを生かしながら、ロシア的情感を豊かに盛り込んだ大変充実したもので、しかも、ここにはライヴにありがちな演奏上の問題がほとんどない。

プレヴィンのスタイルは、どちらかといえばオーソドックスで、不要な作為や演出はどこにもみられず、ここでは、伝統あるオーケストラの中にひそむ近代的なフレキシビリティの存在を意識させ、ドラマティックな起伏や多彩な音色を自然に楽しませている。

切れ味鋭いリズム、加えて個々の楽器にしろ合奏にしろ、どこをとっても響きが美しく鮮烈かつ高度に音楽的な《展覧会の絵》だ。

この作品は、むろん標題的な要素をはっきりともった作品なのだが、プレヴィンは、とりあえずそうした音楽外の事柄にこだわらず、スコアに書かれた音楽を純度高く演奏することにだけ没頭する。

そうした方法が、ウィーン・フィルという自発性と室内楽精神に富んだオーケストラから、演奏者同士、そして演奏者から指揮者への共感と協調に満ちた気持ちのいい音楽を紡ぎ出す。

個々の音色の音色美、そして合奏時の全体の美しさはウィーン・フィルならではで、こうした本質的には純粋に音楽のテクスチュアを追求する絶対音楽志向のアプローチながら、演奏者たちを、そしてなによりも作品そのものを強引に引っ張りまわさないプレヴィンの柔軟な音楽づくりから、自然な標題的起伏が浮かび上がるのである。

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2016年10月06日


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8枚のCDで構成されたマルタ・アルゲリッチ・エディションの室内楽編で、その大部分が2002年から2009年にかけてのスイス・ルガーノ音楽祭のアルゲリッチ・プロジェクトから採られている。

ここでは声楽作品を除く多岐に亘るアンサンブルの領域に挑戦する彼女の魅力が堪能できる。

またこの音楽祭での多くの若手演奏家の起用と彼らの演奏水準の高さも注目に値する。

例えばCD3でシューマンのヴァイオリン・ソナタ第1番を弾く若干19歳のゲザ・ホッスス=レゴツキは同じCDでソナタ第2番を演奏しているルノー・カピュソンに比較して、まだ多少荒削りな部分があるにしても、その飛び抜けた資質は疑いない。

カピュソンについてはCD6でのバルトークのソナタ第1番が洗練された腕の冴えを発揮している。

管楽器ではナカリャコフがフリューゲルホルンで演奏したシューマンの『幻想小曲集』からの3曲が、柔らかい楽器の音色を活かした滑らかなカンタービレ奏法で極めて美しい。

大型アンサンブルの面白みとしては、幾分マイナーな曲だがCD7のヤナーチェクの小協奏曲が挙げられる。

一方ベテラン奏者では、この音楽祭とは別の録音になるがCD1のパールマンとのフランクのヴァイオリン・ソナタのライヴが秀逸で、更にCD6では同曲のチェロ編曲版をミッシャ・マイスキーの演奏で聴き比べることができる。

同じ曲でも相手がヴァイオリンとチェロでは当然伴奏のニュアンスも異なっている。

またCD3ではヴィオラの今井信子がシューマンの『お伽の絵本』でソロを、そしてCD8では同じくシューマンのピアノ五重奏曲に参加して深い味わいとアンサンブルの巧みさを聴かせてくれる。

アルゲリッチはこうしたあらゆる楽器に柔軟に対応する感性を持っているようで、今後の幅広い活躍にも期待したい。

彼女の現在の活動について、ソロを弾く機会が減ってしまったから伴奏や室内楽に転向していったと批判する人がいるが、筆者はそれはかなり見当違いの意見のように思えてならない。

何故なら彼女がこうしたジャンルに手を染めたのは決して最近のことではないし、しかもアンサンブルでは個性の異なる奏者の音楽を聴き、それを受け入れてお互いの芸術上の接点を探るという過程が不可欠で、リーダーシップを取ることはできても、そこに自己の抑制や協調という高等技術が必然的に要求されるからだ。

彼女がキャリアの後半にこうした室内楽のレパートリーを充実してくれたことは、協演する若手の演奏家にとってはかけがえのない経験に違いないし、そうしたことをむしろ私達は喜ぶべきだろう。

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classicalmusic at 02:36コメント(0)トラックバック(0)アルゲリッチ 

2016年10月04日


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当時オペラ上演のための劇場を失っていたシュターツカペレ・ドレスデンとそのコーラスがルドルフ・ケンペを迎えて、戦禍にも絶えることがなかった古き良き時代のドイツ精神の高揚と彼らのオペラ再興への強い情熱、そして弥が上にもその底力をみせたワーグナーの『マイスタージンガー』である。

ある意味ではソヴィエトの文化政策介入への牽制があったのかも知れない。

ケンペは多くの登場人物を的確に描き分けて、大規模なオーケストラにも几帳面な指示を与え堅実かつ感性豊かなワーグナーの世界を提示している。

純粋な演奏時間だけで4時間を超す大作だが、すっきりと纏められている上に音質も良く全曲を聴き通すのが苦にならない。

尚このセットにはライナー・ノーツは付いているが、歌詞対訳は省略されている。

中部ドイツ放送制作のマスター・テープの録音およびその保存状態が極めて良好で、ここにも彼らの高い技術水準が示されている。

モノラル録音ながら今回のリマスタリングによって細部まで鮮明な音質で鑑賞できるし、セッションであるために音場が近く歌手達の声に潤いと臨場感があり、余計な雑音がないのも幸いだ。

キャスティングでもエヴァにティアーナ・レムニッツ、ハンス・ザックスがフェルディナンド・フランツ、ポーグナーにクルト・ベーメ、また騎士ヴァルターには当時全盛期だったヘルデン・テノールのベルント・アルデンホフなど実力派歌手を起用して、ドレスデンの威信を賭けた万全の態勢で臨んでいたことが理解できる。

ドレスデン市街は1945年2月の大空襲による爆撃でオペラの殿堂だったゼンパーオーパーはもとより演劇用のシャウシュピールハウスも大破したが、幸い後者は1948年から使用可能な状態に修復され、1950年にはケンペ、シュターツカペレによる『マイスタージンガー』の上演に漕ぎ着けた。

これが成功裡に終了したことから翌年同じメンバーでのレコーディングが中部ドイツ放送によって実現した。

録音会場は主としてシャウシュピールハウスのグローサーザールと衛生博物館が使われている。

ちなみにゼンパーオーパーが完全に再建され、ブロムシュテットによるベートーヴェンの『第9』で不死鳥のように甦るのはようやっと1985年のことになり、それまでメンバーたちが本格的なオペラを上演できなかったことを考えれば、それが悲願の達成であったことは想像に難くない。

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classicalmusic at 00:23コメント(0)トラックバック(0)ワーグナーケンペ 

2016年10月02日


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選曲も妥当だし、演奏もなかなか安定していて、ワーグナーの音楽そのものをじっくりと鑑賞したい方に是非お薦めしたい1枚である。

レーグナーはワーグナーが書いたスコアを誠実に鳴らし、その音符ひとつひとつを自ら語らせてゆく。

全体の見通し、つまり造形もきわめて確かで、ここにレーグナーの類稀な才能をみせている。

楽器の存在を忘れさせて、人間の心そのものしか感じさせないような有機的な響きを創造する、その実力は恐るべきものと言える。

そのうえテンポのさばき方の妙、間のよさ、ダイナミックスとの関連性は第一級である。

レーグナーの指揮には派手なアピールも華やかさもないが、常に落ち着いたテンポを設定して音楽を練り上げていく、ドイツの職人気質を感じさせる。

しかもそこから生まれてくる音楽は飾り気こそないが、足取りの確かな演奏で、格調を高めるために少し音楽を抑制しているが、重厚かつ荘厳、玄人をも唸らせるような深い感動をもたらしてくれる。

『マイスタージンガー』の前奏曲はその最たる例で、この楽劇のエッセンスを抉り出したような壮大さを、決して表面的な美しさではなく、叙事詩として徹底的に聴かせてくるのが特徴ではないだろうか。

遅めのテンポの上に内容とこくのある響きが乗り、各楽器がよく溶け合った鬱然として暗い音色、レガートを効かせた旋律線、広々と解放される歌、有機的に浮き沈みする動機の数々、特にチェロの対旋律が湧き出るあたりは背筋がゾクゾクする。

他の曲にも共通して言えることだが、ワーグナーの音楽は下手をするとこけおどしのはったり的な要素が出てしまう。

しかしレーグナーの指揮はそうしたことから全く無縁で、冷徹な知性と一途とも言える情熱から構築された音楽が溢れ出るように聴こえてくる。

しかし、さらに美しいのは『ジークフリート牧歌』で、これはレーグナーの全ディスクの中の最高と言えるだろう。

少し遅めのテンポの中に作品への共感をしっとり込めながら、爽やかに歌いついで美しく、夜明けの深い森にたたずんでいるような永遠の安らぎに満たされた幸福感を感じさせてくれる。

それは心の内面を癒し、潤すような大自然の穏やかなぬくもりにも似ていて、質の高い、自発性に満ちた演奏で、本当に体中が震えるような、恍惚たる陶酔感に満ちた美演と言えよう。

オーケストラの極上の音質、もはや楽器が出す音とは思えない血の通ったハーモニー、そう、フルトヴェングラーが最新のステレオで録音したら、こんな演奏に聴こえるに違いない。

事実、胸をしめつけるようなピアニッシモ、情緒にあふれたフレーズのつながり具合など、フルトヴェングラーにそっくりな場面が多々あり、現代には珍しいロマンティックな、自在な、温かいワーグナーが流れてゆくのである。

今回のCDでは以前ベルリン・クラシックスから出ていたCDの欠点だった音質のざらつきや、LPから直接起こしたような音の揺れがかなり改善されて、自然な響きの録音が美しく、滑らかで艶のある音色を再現しているが、これはリマスタリングの効果だろう。

また同じシリーズで同指揮者、ベルリン放送交響楽団によるビゼーの組曲『アルルの女』やベートーヴェン序曲集なども今回リニューアルされてリリースされた。

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