2017年01月

2017年01月30日


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バレエ音楽に非凡な才能をみせてきた巨匠ドラティの優れた演奏で、彼のこの作品に対する自信のほどがはっきりと示された名演である。

この巨匠の3度目の全曲盤(1975年)であり、天下の銘器コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したこの録音は、ドラティの数多いアルバムの中でも屈指の名盤で、彼は過去の実績から言っても不思議とこのオーケストラとウマが合う。

ドラティは、ブダペストのフランツ・リスト音楽院でバルトークやコダーイに作曲を学び、1933年にモンテ・カルロを本拠とするロシア・バレエ団(バレエ・ルッス)の指揮者となり、1941年からアメリカのバレエ史上の大きな足跡を残したバレエ・シアターの創設に音楽監督として参加した。

そうしたドラティにとってチャイコフスキーのバレエ音楽は自家薬籠中の作品と言って良く、コンセルトヘボウ管弦楽団を意のままに動かしながら、丁寧に仕上げている。

まさに自他ともに認めるバレエのスペシャリストであったドラティがその円熟期に残したこの演奏は、細部まで的確に構成された明快でシンフォニックな表現とバレエとしてのドラマをバランス良く合わせそなえている。

ドラティはこのバレエ音楽のメルヘンチックな性格をあますところなく生かしながら、構成的な美しさを尊んだ演奏で、いかにもヴェテランらしい、貫禄十分の名演を展開している。

全曲を通じて、各場面の変化に富んだ描き方も秀逸で、まさに"バレエの神様"ドラティの面目躍如たる会心の演奏。

永年に渡ってあらゆるバレエ音楽を手がけてきたドラティだけあって、その棒が冴え渡り、細部に至るまで神経が行き届いた実に鮮やかな演奏で、リズム処理のうまさはこの指揮者独特のもの。

ヴェテランならではの巧みな表現をきびきびとしたリズムで運んでおり、コンセルトヘボウ管弦楽団がそうした演奏に美しい色彩を添えているのも魅力である。

ドラティは同曲のスコアを極めて綿密に読みつくしていることを思わせ、そのオーケストレーションがもたらす音色的な推移やリズムの変化などを鮮明に描き出しながら、このバレエ音楽の踊りと情景とを見事な構成感のもとに表出している。

彼は、確信にみちた運びの中に力感あふれる表現をしなやかに行き渡らせ、70歳を越えた指揮者のものとは思えないほどの力感と情熱にあふれ、風格あふれる運びと精緻な表現で、音楽の細部を実に的確にバランスよく描きながらも急所はピタリと押さえ、全編が精密に構成されている。

この柔軟で確かなバランスゆえに、聴き手は音楽の大きな流れと新鮮な生命感をたたえた演奏の中にも、細部の魅力を無理なく味わえる。

細部まで実に的確な切れ味の良い表現が生き生きとしなやかに織りなされており、その精緻な美しさと全曲を見通した構成の良さは、数あるこのバレエ音楽の演奏の中でも群を抜いている。

しかも、作品を知りつくした巨匠は、各曲をいかにもバランスよく鮮明に描き分けて、見事なドラマをつくってゆく。

ドラティの指揮は設計が綿密で、しかも演出と表情づけが実にうまく、夢幻的な舞台の雰囲気が手にとるようによくわかるが、こうした表現は実際の舞台の経験が豊富なこの人ならではのもので、コンセルトヘボウ管弦楽団の鋭敏でしなやかに強い集中力をもった反応も素晴らしい。

豊麗なオーケストラの音色も、このグランド・バレエにふさわしく、メロディー・メーカー、チャイコフスキーの旋律美を存分に堪能することができる。

バレエ音楽のスペシャリスト、ドラティという指揮者の並々ならぬ底力のほどを、改めて思い知らされるような演奏であり、彼の透徹した解釈が年輪を加えることによって、いっそう見事な香気を放った名演と言うべきだろう。

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2017年01月28日


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ピエール・フルニエ(1906−86)は、『チェロのプリンス』のニックネームで呼ばれ、それは晩年になるまで変わることはなかった。

磨き抜かれたような美しい音色、ノーブルな語り口などが、そう呼ばれるようになった原因なのだろう。

独奏者としても、室内楽奏者としても、彼のチェロはある種の趣味の良さのようなものを失うことがなかった。

残された数多くのレコードや、1954年の初来日以来の度々の公演などによって、彼のチェロに魅了されるファンの数は、今でも少なくない。

フルニエのチェロには冒し難いような高潔な気品と凛々しさが備わっていて、その颯爽とした潔いボウイングに託されたロマンティシズムはまさにチェロの貴公子として一世を風靡した独自の奏法を開拓していたと言えるだろう。

この25枚には協奏曲及び管弦楽作品だけでなく、ユニヴァーサル傘下の音源になるソナタやアンコール用ピース、アンサンブル、無伴奏曲などのジャンルも総て含めた網羅的なコンプリート・レコーディング集になっている。

フランスには彼とほぼ同時代にナヴァラ、トルトゥリエ、ジャンドロンなどの名チェリストが犇いていたし、現在でもカピュソンやモローなど優れたチェリストを絶やさない国だが、それは彼らが常に高度に洗練された音楽性とテクニックを受け継ぐことができる土壌と、奏者の育成を怠らない芸術的な伝統があるからだろう。

尚60ページのブックレットにはユルゲン・オストマンの『チェロのプリンス』と題されたエッセイと全トラック・リスト及び作曲家別CD検索用の索引が掲載されている。

バッハの無伴奏チェロ組曲はトルトゥリエやシュタルケルのそれと共にカザルスのイメージを刷新することができた最初のサンプルだ。

彼ら3人の演奏スタイルは全く異なっているが、フルニエの勇壮な男気を感じさせるダイナミズムに富んだ歌い口やスタイリッシュなカンタービレは洗練の極みとも言える高い完成度を示していて、彼がこの作品の可能性を追究したオリジナリティーに溢れるアプローチが聴きどころだろう。

一方アンサンブルで絶賛したい演奏がCD7−10のベートーヴェンのピアノ三重奏曲全11曲で、1997年にドイツ・グラモフォンからベートーヴェン・エディションが刊行された時に第9巻に収録されていたが、その後廃盤になって久しかった音源だ。

ケンプのピアノが扇の要になってシェリングとフルニエが抑制を効かせながらお互いに最大限の敬意を払ってあわせるトリオは、その品格の高さと共に古典的な均整のとれた高踏的な美しさを持っている。

またクラリネットが加わる第4番『街の歌』では、当時ベルリン・フィルの首席奏者だったカール・ライスターがシェリングに替わってソロを受け持っていて、古典派の様式を整然と遵守しながらも、それでいて快活な室内楽に仕上がっている。

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2017年01月26日


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2009年7月に74歳で他界した日本指揮界の至宝、若杉弘が最も愛した作曲家の1人、リヒャルト・シュトラウスのバレエ音楽と交響曲という、かなりマニアでなければその存在すら知られていない秘曲を収録したBOXSET。

若杉は、現代作品のみならず、埋もれていた傑作の日本初演を多く手がけたが、このR.シュトラウスは中でも圧巻の偉大なモニュメントと言える。

ドレスデン国立歌劇場、新国立歌劇場とオペラも知り尽くした若杉ならではの目眩くシュトラウス・クラング!

ニジンスキー・プロジェクトから発した怪物的な《ヨゼフの伝説》、メリー・ゴーラウンド的に楽しい《お菓子のクリーム》、端整・優美な《いにしえの祭り》に、若書きの交響曲とチェロと管弦楽のためのロマンツェまで併録し、R.シュトラウスの管弦楽曲をもっと聴きたいという渇望を一挙に満たすセット。

洒脱で軽妙、ときには上質なパロディすら聴かせるR.シュトラウスのこれらの音楽は、まさに彼の偉大なオペラのシーンを彷彿とさせる作品ばかり。

特に3枚のバレエ作品は欧米でも高い評価を受け発売時、ヨーロッパ市場で好調なセールスを打ち立てた名盤である。

管弦楽法の達人として知られたR.シュトラウスはどんな題材でも音楽化できると豪語していたが、特にオーケストラ音楽を愛好する人たちには数ある交響詩でその名を残している。

しかし、その交響詩に見られる華麗なオーケストレーションの技術は、バレエ音楽でも存分に発揮されていた。

1枚目のCDに収録される《ヨゼフの伝説》は、旧約聖書に出てくるヤコブの11人目の子ヨゼフを題材にしたバレエ音楽である。

ヨゼフはほかの兄弟たちの妬みを買い、奴隷として売られ、富豪(旧約聖書ではジプト王の従者)のポティファルに引き取られるところから始まり、ポティファルはヨゼフが神の恩寵を受けていることを感知し、手厚く迎えた。

妻はヨゼフに色気を出して迫るが、ヨゼフは拒絶したため、その醜態をお付きの奴隷に見られたポティファルの妻は、ヨゼフが自分に迫ってきたと夫に嘘の告発をし、ポティファルはヨゼフを捕縛して拷問しようとするが、そこに天使が舞い降りてヨゼフを救出する。

ヨゼフを追いかけようとする夫人は、それができぬことを嘆き、自害して果て、恐れおののくポティファルを尻目にヨゼフは天使と共にポティファルの家を後にする。

この作品は、4管編成以上の大編成で演奏しなければならないため、上演コストの面で敬遠される。

晩年に作曲者が一般的なオーケストラ編成でも演奏できるよう「交響的断片」として編み直したものが知られるが、その編み直す前の元々のバレエ音楽での録音は、これが初めてだという。

ヴァイオリン・セクションが3パートに分かれ、ヴィオラ・セクションやチェロ・セクションもそれぞれ2パートに分かれるような細密なオーケストレーションを、若杉率いる東京都交響楽団は、本場ドイツのオーケストラもかくやと思わせるほどの丁寧な演奏で再現している。

今後、この原典版によるバレエ音楽の録音が行われたとしても、この録音が廃盤にならない限り、この曲の有用なリファレンスとしてのポジションを保ち続けるだろう。

2枚目の《お菓子のクリーム(泡立ちクリーム)》は、堅信礼のお祝いに子どもが腹一杯のお菓子を食べ、その食べ過ぎで幻想を見るという筋書きのバレエ音楽である。

音楽的には、18世紀の音楽の流儀に始まり、そこで提示された主題をワーグナーのように組み合わせて複雑化させていく手法をとっているが、メロディ・ラインの美しさはお菓子そのものであり、非常にとっつきやすい音楽であろう。

若杉の指揮は実にきびきびとしており、大変表情豊かにこの音楽を再現している。

3枚目に収録されたクープランの作品に基づく2曲は、本来バレエ音楽ではないのだが、バレエ用に振付して上演することも可能なので、この録音集にチョイスされたものであろう。

東京都交響楽団のそつのない演奏で、その典雅さと華麗さを兼ね揃えたオーケストレーションを楽しむことができる。

本CDでは2曲合わせて「いにしえの祭り」というタイトルを与えているが、これは1941年に2曲合わせてバレエとして上演した時に使われたタイトルとのこと。

いにしえの音楽を取材するのは、イタリアの作曲家レスピーギらが盛んに行っていたこともあり、このオーケストレーションの大家と作風を聴き比べてみるのも一興であろう。

東京都交響楽団の演奏は、作品の典雅さを演出するには少し経験値が不足しているようで、各パートで遊び心を感じるのは難しく、各セクションがよく鳴っている割に地味な印象を受ける。

4枚目に収録された交響曲は、作曲者が19歳になろうかという頃の作品で、その作風はメンデルスゾーンの全盛期を彷彿とさせる。

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2017年01月24日


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名匠ケンペが晩年にドレスデンに里帰りをして完成したR.シュトラウスの管弦楽作品集は、ケンペ&シュターツカペレ・ドレスデンの代表的録音であるばかりか、ケンペの全ディスコグラフィの中でも頂点を極めるもので、この作曲家の17曲の作品ほとんどすべての管弦楽曲を網羅しており、しかもそれぞれが最高水準の名演として仕上げられている。

その功績の多くの部分が、この作曲家にゆかりの深いオーケストラに帰せられてよいだろうが、ケンペの質朴な音楽は作品の美をまったく虚飾なく伝える。

その意味でも類例のない全集であり、R.シュトラウスの演奏の原点を衝いた最高の成果でもある。

アンサンブルの見事さは言うまでもないが、その確かな造形が堅固で克明な音楽をつくり、R.シュトラウスの精緻を極めた書法と洗練された美学を存分に味わわせてくれる。

演奏効果を狙えばいくらでも派手にできるR.シュトラウスの交響作品を実に丹念に音楽的に演奏しながら、無理のない自然なスケール感が生み出され、しかも純粋で充実した響きの中から、指揮者とオケとが一体となった熱い情熱と作品の共感が伝わってくる。

このセットのために使用された音源は、ロンドンのEMIアビー・ロード・スタジオに眠っていた旧東ドイツ制作のオリジナル・マスター・テープで、日本では既に2012年に全3巻計10枚のシングル・レイヤーSACD化が実現している。

今回はこれにR.シュトラウスの協奏曲全曲を追加してレギュラー・フォーマット用にリマスタリングし、9枚のCDに収めてしまったところにセールス・ポイントがある。

いずれのCDも殆んど収録時間目一杯に隙間無く曲目を密集させているが、1999年にリリースされ、またブリリアント・レーベルからもリイシューされた9枚組とは同一セッションでありながら、マスター及びリマスタリングが異なっていることもあって、音場の広がりと音像の生々しさには驚かされる。

また、旧盤には組み込まれていなかったオペラ『カプリッチョ』から、ペーター・ダムのホルン・ソロによる間奏曲「月光の音楽」が加わって、よりコンプリートな作品集に仕上がっている。

協奏曲集も総て前述の東独音源からの新リマスタリング盤で、際立った音質改善を高く評価したい。

ケンペの後、やはりR.シュトラウスを得意にしていたカラヤンが1980年代にベルリン・フィルを振った交響詩集が残されていて、それはユニヴァーサルからコレクターズ・エディションとして5枚組CDで出ている。

R.シュトラウスの楽曲というと、筆者としてはどうしてもカラヤンの呪縛から逃れられないが、カラヤンの演奏だけが正解ではないはずで、別のアプローチの仕方もあってしかるべきである。

カラヤンとは正反対のオーソドックスなアプローチで、R.シュトラウスの名演を成し遂げたのはケンぺだと考えている。

それに両者はかなり異なったコンセプトで演奏しているので、その優劣を問うこと自体殆んど意味を成さないように思われる。

言ってみればカラヤンは作品の音響を極限まで洗練させて、非の打ちどころの無いような華麗でスペクタクルな一大音像絵巻を聴かせてくれる。

当時のベルリン・フィルにひしめいていたスター・プレイヤー達がそれを可能にしたと言っても過言ではないだろう。

一方ケンペのそれは本来の意味でロマンティックな解釈で、オーケストレーションの華美な効果を狙ったものというより、むしろ内側からの高揚が渦巻くような、幻想性を追った文学的な懐の深さと黒光りするような熟練がある。

それはケンペの古巣シュターツカペレ・ドレスデンだからこそ実現し得たセッションではないだろうか。

筆者はゼンパー歌劇場での実演に触れて以来、このオーケストラの虜になっている。

深くまろやかな音色と品のよい演奏スタイルは、かつて18世紀に最高度の文化を誇ったザクセンの都のオーケストラに相応しい。

しかし、ディスクでその魅力を味わうとなると納得できるものは案外少ないが、ケンペの遺したシュトラウスはその数少ない好例のひとつ。

もとより、同曲集の定番の誉れ高いものだが、オケと指揮者双方の音楽的資質が理想的に解けあった名演である。

また前述のような条件で、カラヤン盤よりこちらの方が音質的に優位に立つ結果になっている。

録音は1970年から76年にかけてシュターツカペレ・ドレスデンがレコーディング・スタジオとして使うドレスデンのルカ教会での収録になり、内部の豊麗だが決して煩わしくない残響もこうした大規模なオーケストラル・ワークを許容するだけの理想的な音響効果を醸し出している。

演奏曲目、レコーディング・データ及び演奏者名は各CDのジャケット裏面に書かれていてライナー・ノーツには掲載されていない。

尚2014年のR.シュトラウス生誕150周年記念としてワーナーからは現在までにもう2組、やはりEMI音源の10曲のオペラ全曲集22枚セットとその他の作品を集めた3枚組もリリースされている。

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2017年01月22日


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ライナーはR・シュトラウスを特に十八番と言えるレパートリーのひとつとしており、残された録音は、いずれも誉れ高く、かけがえのない名盤にほかならない。

なかでもシカゴ交響楽団との演奏は、この黄金コンビの名に恥じることがない堂々たる存在感があり、現在においても傑出した素晴らしい名演と高く評価したい。

ライナーはドレスデン国立歌劇場の音楽監督時代(1914〜21)に親交があったR・シュトラウスの主要な作品をほとんど録音している。

R・シュトラウスの様式感の特徴や独自性をまるで自分のものであるかのように巧みに把握したライナーは、シカゴ交響楽団のブレンドの良い引き締まったサウンドと精巧極まりないアンサンブルを駆使して、ほとんど非の打ちどころのない作品の再現を可能たらしめている。

ライナーの演奏は響きや表情を必要以上に磨け上げたり、華美すぎることがなく、その抑制の利いた演奏は作品の本質を深く鋭く表現していて、全く過不足がない。

尤もライナーのアプローチは、華麗なるR・シュトラウスのオーケストレーションをいかに巧みに音化するのかに主眼を置いているように思われる。

そのためには、技量が高いオーケストラが必要不可欠であり、その意味でもシカゴ交響楽団の存在は極めて大きいものであった。

鉄壁のアンサンブル、ブリリアントな金管楽器の響きなど、当時スーパー軍団として世に馳せていたシカゴ交響楽団の技量を最大限に発揮させているところであり、本演奏はまさにオーケストラ演奏の極致とも評価し得ると考えられる。

技量だけに着目すれば、カラヤン&ベルリン・フィルによる名演にも比肩し得る演奏と言うことが可能であろう。

ただ、オーケストラの音色の味わい深さにおいては、この当時のシカゴ交響楽団の音色には艶やかさはあったものの、ベルリン・フィルの方に一日の長があるのではないだろうか。

また、カラヤンの指揮の方が適度に流麗なレガートを駆使するなどより官能的な味わいがあり、筆者としては、カラヤン&ベルリン・フィルの演奏の方を圧倒的な音のドラマとしてより上位に置きたいと考える。

もっとも、これは非常にレベルが高い名演どうしの比較であり、本演奏の評価自体を貶めるものではないことに留意しておく必要がある。

表面上の華やかさという点では、多少割り引かれる要素があるかもしれないが、よく鍛え上げられたオーケストラから生まれる隙のない構成力、無駄なく引き締まった表現力は、この演奏に卓越した底力を与えていて、聴く度に得るところのある演奏と言えるだろう。

どの作品をとっても文句のつけようのない内容であり、座右に置いていつまでも味わいたい演奏になっているが、特にライナーがシカゴ交響楽団の音楽監督に就任して間もなく録音された『英雄の生涯』と『ツァラトゥストラ』(1954年)は、オーケストラを既に完全に掌握し、その能力を余すところなく発揮させているのに改めて驚く。

2曲とも考えられない熱気と興奮にあふれていて、楽員全員が指揮者のもとに一致結集し、うねるような気迫で歌い上げた名演で、オーケストラ音楽が男の芸術だった時代の記念碑的な録音だ。

他に先駆けてステレオ録音を開始したRCAの初期の録音の中でも、この2曲は演奏・録音ともに優れたものであり、歴史的価値も少なくない。

『エレクトラ』及び『サロメ』抜粋は、ライナーのオペラ指揮者としての手腕を確認させる、身も凍るような演奏で、作品の核心に一歩一歩にじりよっていく熱気があり、聴き手も抗し難い磁力に引き寄せられるかのようであるが、表情豊かなオーケストラ、鬼気迫る歌声を聴かせるボルクも素晴らしい。

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2017年01月20日


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巨匠カラヤンが最も得意とした作曲家の1人がリヒャルト・シュトラウスであったことは疑いの余地がない。

この作曲家の音楽がオーケストレーションを極限まで駆使し、スペクタクルで絢爛たる音響効果を持っていることと、指揮者としてのカラヤンの音楽性に共通点が見出されるのは偶然ではないだろう。

カラヤンはR.シュトラウスのスコアを緻密に磨き上げ、極めて巧妙な演出で聴かせる。

しかもこうした作品の再現には高度な演奏技術とアンサンブルの熟練が要求される。

そうした条件を満たすことができたのが、彼の手兵ベルリン・フィルであったことは幸いというほかはない。

ベルリン・フィルの演奏が、世界のヴィルトゥオーゾ集団にふさわしく、きめの細かいアンサンブルで応えている。

管楽器のソロのうまいこと、弦のアンサンブルの美しいこと、このコンビはまさにR.シュトラウス演奏の第一人者と言える。

劇的な迫力といい、耽美的な美しさといい、これほどの演奏が現れると、後攻の指揮者もオーケストラもさぞ辛いに違いない。

巨匠晩年の時代、両者の関係は決して良好なものとは言えなかったが、カラヤンによって練り上げられ、醸し出されるベルリン・フィルの華麗なサウンドは少しも衰えていないし、R.シュトラウス特有の世紀末的な甘美さや映像的な音響もとりわけ魅力的だ。

スペクタキュラーな要素も加味して、彼らの演奏は緻密さにおいても、またスケールの大きさにおいても、文句の付けようもないほど、見事な出来を示しているのである。

R.シュトラウスの交響詩は本質的に、都会的な洗練味と卓越した職人芸にあるが、これはまたカラヤン&ベルリン・フィルの本質とも合致しているかのようである。

この5枚組のセットにはグラモフォンに録音された彼らの最良の記録が集大成されていて、演奏内容は勿論1969年から86年にかけて行われた当時の録音水準の高さも注目される。

このセットでは彼らがクラシック界の一世を風靡したほどの『アルプス交響曲』、『英雄の生涯』、『ティル』や『ツァラトゥストラ』のほかにも名演が目白押しだ。

例えばローター・コッホをソリストに迎えた『オーボエ協奏曲』は白眉のひとつで、真摯で鮮やかなソロと隙の無いアンサンブルでやり取りするオーケストラが聴き所だ。

また現実離れした夢想空間を巧みに表現した『ドン・キホーテ』も知的な滑稽さに満ちている。

尚ここでのチェリストは1975年のロストロポーヴィチに代わってアントニオ・メネセスが起用されている。

協奏曲的な趣きは後退しているが、カラヤンの主張はむしろ増幅される結果になった。

R.シュトラウスの楽曲に関する限り、カラヤン&ベルリン・フィルを選んでおけば、まず間違いがないというのが、結論のようである。

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2017年01月18日


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チョン・ミュンフン(1953−)が1989年から94年まで音楽監督を務めたパリ・バスティーユ管弦楽団との初録音で、ドイツ・グラモフォン(DG)へのデビュー盤(1990年10月録音)。

就任から1年半余り経過したミュンフンの実力を世界中に知らしめた記念碑的なアルバムともなった。

このコンビの実力を知るためには恰好の1枚で、ミュンフンは、パリ・オペラ座の音楽監督就任とともにオーケストラの改革に乗り出し、パリ・オペラ座管弦楽団の演奏水準を著しく引き上げ(この頃、オーボエのルールーやフルートのカンタンが首席奏者として活躍)、ほとんど生まれ変わったと言えるほどの変化を遂げ、オペラだけでなく、シンフォニックなレパートリーにも取り組んでいった。

晩年のメシアンが当時準備していた《トゥーランガリラ交響曲》の新ヴァージョンのための種々の修正を考慮に入れた改訂版に基づく演奏で(既に日本でも1994年に大野和士&東京フィルの演奏で用いられた)、作曲者立ち会いのもとの試し刷り的な録音とも言えるが、作曲家自身も絶賛し、大いに満足したと伝えられる名演である。

と言っても、ダイナミクスを細かく変更したり、書き加えた程度で、楽譜を根本的に書き換えたわけではなく、聴いてわかる大きな変更はない。

おそらく作曲家の意図をよく知っているロリオ姉妹以外のソリストに委ねられてもきちんと作品の輪郭が伝えられるよう、指示を増やしたのだろう。

それよりも全体に作曲者指示のやや速めのテンポによりきりっと全体をまとめていくミュンフンの颯爽とした指揮と、俊敏且つ機敏なオーケストラのレスポンスが生きた快演で、着実で強靭、この大曲に正面から取り組み、音楽に内在する劇性を鮮やかに表出し、実に充実した演奏を繰り広げている。

その特質は、この作品を“見えない潜在的なオペラ”として捉え、全10楽章のドラマ性を強調している点にある。

例えば第5楽章は、速めのテンポと明確なリズムによって星たちの喜びの音楽となっており、控え目な第6楽章と見事なコントラストを見せている。

豊麗なオーケストレーションゆえの重厚なヴォリューム感を楯に押しまくるタイプの演奏とは本質的に違い、各声部をバランスよく立ち上がらせ、精妙に響かせる。

楽器間のバランス、テンポ、ダイナミクスも最適で、明るい音色、精妙な響き、鮮明でこまやかな造形、それでいて、感情的なニュアンスのつけ方もきめの細かさが際立っている。

しかし、もっと凄いのは、決して濁った響きにならず、メシアンの幻想的なエロティシズムを大らかに歌い上げているところで、例えば「愛の眠りの園」などは、パリ・バスティーユ管の色彩的な響きを生かした、神秘的で艶めかしい解釈となっている。

独奏のロリオ姉妹は初演から何回となく組んできたコンビであり、初期に比べると、はるかに落ち着いた演奏と言って良いだろう。

情熱的な名演も捨て難いが、これはミュンフンの知的な解釈が光った、作曲者が思い描いた理想的な演奏として銘記すべき代表盤のひとつである。

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2017年01月16日


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ジャン・マルティノンは60代になってから精力的にフランス物の録音に取り組んだ。

それらはベルリオーズ、ドビュッシー、ラヴェル、オネゲル、デュカスなど枚挙に暇がないくらいだが、このサン=サーンス交響曲全集も同時期、つまり1970年代のセッションで、それら総てが高い水準を維持している。

マルティノン自身、彼の円熟期の総決算として自国の作品に全力を注ぎ込んでいたに違いない。

そして奇しくも彼は1976年に他界している。

彼は高度な音色のブレンド・テクニックを使ってフランス国立放送管弦楽団から暖色系の繊細な音響を引き出している。

ドイツ系の指揮者であればもっと古典的な造形美を強調するだろうが、マルティノンの感性で捉えた解釈でスコアを読み取る柔軟なアプローチが彼らの演奏に特有の軽快さを与え、曲想に推進力を持たせているのも特徴的だ。

第3番『オルガン付』でも彼は決して稀有な大音響を作り上げようとしたのではなく、音楽自体が内包するエネルギーを解放する形で力みのない、しかし華麗な音楽を描き出している。

録音状態についてだが、この時期のEMIの特徴はオフ・マイクで採るホールの残響重視の方法で、当初筆者は中音に乏しく臨場感に欠ける録音上の欠点のように思っていたし、過去のレビューでもそう書いてきた。

しかし最近になってこの執拗とも言える録音方法を採用していたバランス・エンジニア、ポール・ヴァヴァシュールの確固たる哲学であったことが理解できるようになった。

特に音の陰影やその微妙な混交を考慮して作曲されたロマン派以降のフランスの管弦楽曲では、あくまでも鮮明な音質の追究という他のレーベルとは対極的な選択をしていたのではないだろうか。

つまりそれはそれぞれの楽器の音色を鮮明に拾うことではなく、複数の楽器の音色がミックスされた効果をホールの響きとして採りいれるという意味でのことだ。

フランス人の好む趣味を自分なりに想像するならば、一切を明るみに晒してしまうような方法は、むしろ品のないやり方で受け入れられなかったのかも知れない。

少なくとも一概にEMIが技術面で他社に大きく遅れをとっていたと決め付けるわけにはいかないだろう。

サン=サーンスの初期の交響曲を聴いていると、彼がいかに熱心な古典派の信望者だったかが理解できる。

そこにはハイドン、モーツァルトそしてとりわけベートーヴェンからの影響が濃厚に聴き取れる。

しかし曲調はあくまで明るく屈託のないところがいかにもフランスの作曲家らしい。

収録曲は番号付の3曲とイ長調及びヘ長調『ウルブス・ローマ』の5曲で、未完の作品を除く総ての交響曲を網羅している。

録音は1972年〜75年で演奏は総てジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団。

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2017年01月14日


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ジャン・マルティノンは晩年自国のフランス音楽の録音に精力的に取り組んだ。

中でも最も評価の高いものがこの8枚のCDに収められたドビュッシーとラヴェルのオーケストラル・ワーク集である。

EMIクラシック・バジェット・シリーズのひとつで、一応今回も限定盤になっているが、既に2002年にリリースされたものと全く同一内容の約10年ぶりのリニューアル盤になる。

またこのうち1974年に録音された4枚のドビュッシーはオランダ・ブリリアントからもライセンス・リイシュー盤としても出ているし、日本盤としては独自のリマスタリング盤やSACD仕様もあり、カスタマーの選択にもバラエティーに富んだ名盤だ。

一方1975年の録音になる4枚のラヴェルのうち、チッコリーニのソロによる『ピアノ協奏曲ト長調』及び『左手のための協奏曲』と、パールマンをソロ・ヴァイオリンに迎えた『ツィガーヌ』の3曲を除いた3枚はEMIから別途にリリースされている。

ドビュッシーとラヴェルの音楽はマルティノンより5歳ほど年上のクリュイタンスの演奏を聴き逃すわけにはいかないが、残念ながら全盛期に亡くなったクリュイタンスはラヴェルはともかくとして、ドビュッシーの作品の録音はごく僅かしか残さなかった。

それに反してマルティノンはこの2人の作曲家を充分に堪能させてくれるだけの質と量のセッションを積極的にこなした。

フランス国立放送管弦楽団とパリ管弦楽団のふたつのオーケストラも巧みに統制されていて、パリ音楽院管弦楽団のようなスタンド・プレー的な面白みは影を潜めたが、どちらもフランスのオーケストラのお家芸である柔軟で陰影に富んだ暖かい音色と機動力も備えた、現在では殆んど求められなくなってしまった独自の持ち味を残している。

この時期のマルティノンのフランス音楽に対する情熱は、幸いサン=サーンスの交響曲全集を始めとしてベルリオーズ、デュカス、イベール、オネゲルなどのオーケストラル・ワークの録音という形で実を結んだ。

録音時のバランス・エンジニアは殆んどポール・ヴァヴァシュールが担当していて、それが如何にもフランス趣味を象徴していて興味深い。

筆者はつい最近までこの録音方法はEMIの技術陣と録音機器の欠点のように思っていたが、フランスものに関しては考えを変えざるを得なくなった。

特にドビュッシーの音楽ではこうしたオフ・マイクで得られる独特の空間と、透明に醸し出され混交される色彩感にヴァヴァシュールのポリシーが体現されているように思えるからだ。

尚11ページほどのライナー・ノーツにはマルティノンのキャリアが英、独、仏語で掲載されているが、曲目と録音に関するデータはそれぞれの紙ジャケットとボックスの裏面のみに印刷されている。

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classicalmusic at 00:29コメント(0)トラックバック(0)マルティノン 

2017年01月12日


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EMI音源の協奏曲集を9枚のCDにまとめたジュリーニ生誕100周年記念アンソロジーのひとつ。

フィルハーモニア管弦楽団を指揮したヴィヴァルディの『四季』全曲が、このセットでは1955年の唯一のモノラル録音になるが、それとは別にステレオ・テスト・レコーディングとして「秋」の3つの楽章も収録されている。

英テスタメントによってリマスタリングされたジュリーニとしては際物的なレパートリーで、音質も時代相応と言ったところだが、広いダイナミクスを使った独創的でしかもスケールの大きな描写は流石と思わせる演奏だ。

このセットではまたシュタルケルをソロに迎えたボッケリーニ、ハイドン、シューマン及びサン=サーンスの4曲の協奏曲が秀逸だ。

いずれも1957年から翌58年にかけてのセッションで、同じくフィルハーモニア管弦楽団を振ったものだが、若かったシュタルケルのシンプルだが堅牢な音楽作りと爽快な超絶技巧を際立たせるジュリー二の巧妙なサポートが聴きどころだ。

これらは手に入りにくくなっていた録音なのでバジェット盤での復活を評価したい。

尚サン=サーンスの同協奏曲は7枚目にロストロポーヴィチのソロでロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と1977年に再録音したものも含まれている。

同様にブラームスのピアノ協奏曲第1番に関してはクラウディオ・アラウ、フィルハーモニア管弦楽団(1960年)とワイセンベルク、ロンドン交響楽団(1972年)の2種類のセッションが収められている。

シュタルケルの剛毅で正確無比、ロストロポーヴィチの柔軟で多彩な奏法を駆使したソロ、アラウの骨太で彫りの深い解釈、ワイセンベルクの陰影に富む華麗なピアニズムと、それぞれの演奏家の聴き比べをするのも一興だ。

ミルシテインとのプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番は、ソロ・ヴァイオリンの高潔とも言える透明感のある音色を活かした、滑らかなレガート奏法が全曲を通じて堪能できる優れた演奏だ。

エスニカルで原始的なパワーを聴かせる部分でも力で押しまくるのではなく、あくまでも楽想表現としての態勢を崩さないミルシテインのテクニックには敬服させられる。

またそれを支えるジュリー二のきめ細かな指示によって作り出される精緻で、極めて機智に富んだフィルハーモニア管弦楽団の音響の面白さも特筆される。

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classicalmusic at 00:36コメント(0)トラックバック(0)ジュリーニ 

2017年01月10日


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クラシック音楽ファンにはお馴染みの稀代の音楽評論家、黒田恭一氏がカラヤン、バーンスタイン、カルロス・クライバーからマイルス・デイビス、ピアソラまで、35名のアーティストとひとつのアンサンブルに礼状を書くという想定で綴られたエッセイ集で、それが取りも直さず音楽への礼状としてまとめられている。

同氏の著書の中でも彼の人柄の温かさと、それぞれの人を見極める鋭い洞察がひときわ感じられる作品で、音楽をきくことをこよなく愛し、音楽の輝きをひとりでも多くの人と分かち合うことを切望し続けたひとりの音楽評論家の音楽への深い愛と洞察に満ちた名著である。

ただしこの本の発行が1990年で、著者(1938-2009)も含めてここに登場するアーティストの多くは既に他界している。

黒田氏はフランコ・ボニゾッリをテノール馬鹿の典型としながら、イタリア・オペラの醍醐味はまさにそこにあると断言している。

それは決して蔑視ではなく、自分の声の温存を顧みないサービス精神を潔しとし、聴衆を満足させる術を讃えているのだ。

またカルロス・クライバーには、彼の天才的資質を充分に認めながらも、一方では彼の欠点をも見事に見抜いている。

彼に欠けているのは父のE・クライバーにはあった傷つく勇気だと指摘していて、それは音楽上の欠点ではないにしろ、その視点は非常に興味深い。

マリア・カラスの項では、インタビューを断ってきた彼女の寂しげな一瞬の表情から著者は総てを悟っている。

カルロ=マリア・ジュリーニは、彼の野暮と紙一重の誠実さを褒め、自分の大切な万年筆をお釈迦にされ(筆圧のせい?)ても、その万年筆を宝物として大事にしまっておくという興味深いエピソードがある。

ヘルベルト・フォン・カラヤンについては、全盛期の颯爽とした姿を知っているだけに、晩年の介添人に付き添われ登場した時のカラヤンに対する感情、マイルスに対して、バック・ミラーを捨てて走り続け、寂しくありませんかと問うその感情・・・など挙げていけばきりがないが、総て文字通り黒田氏の温厚な性格が良く出ている。

そこにはもちろんそれぞれのアーティストに対する鋭い観察に裏打ちされている事は言うまでもない。

黒田氏は「きく」という行為の本質をわきまえていた数少ない評論家のひとりだったし、彼にとってそこにはジャンルも境界も存在しなかった。

そしてその喜びをひとりでも多くの人と分かち合うことを心から願っていたし、自分がその仕事に携わっていることへの感謝の気持ちを忘れなかった。

本文中でも「どのような音楽に対しても、感謝の気持ちを胸にたたんできいていきたい、と思う。感謝の気持ちを忘れてきかれた音楽は、いかなる音楽も、ききてにほほえみかけない」とし、クラシック、ジャズ、ポピュラー、中南米音楽……と、ジャンルを問わず、絶えずみずみずしい感性で音楽と向き合い続けたことが理解できる。

文章について言えば、彼は思いついたことをそのまま書き下ろすことはしなかったように思う。

解りにくい言い回しや、むやみな漢字の使用は故意に避けている推敲が窺えるからだ。

また本書を読めば一部の人が黒田氏の批評は生ぬるいと言うのが全く表面的な見解であることも理解できるだろう。

思えば黒田氏は筆者の恩師であり、授業以外の面でも学生達に協力を惜しまない優しい方だった。

東中野のお宅に初めて伺い、地下のオーディオ・ルームに案内された時の驚きを今でも忘れることができない。

部屋の側面には無数のLPが几帳面に整理されて収納してあり、呆気にとられて溜息をついている筆者に、「欲しいのがあったら、ダビングしてやるよ」と気さくに仰ってくれたことも記憶に新しい。

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classicalmusic at 02:09コメント(0)トラックバック(0)筆者のこと 

2017年01月08日


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モンテヴェルディのマドリガルの体系的な録音やピリオド・アンサンブル、コンチェルト・イタリアーノの指揮者として活躍するリナルド・アレッサンドリーニが、普段はそれほど熱心に録音されないバッハの小前奏曲とフーガを1組にした15曲を収録したアルバム。

彼のチェンバリストとしての腕前は既に『ブランデンブルク協奏曲』第5番のソロで披露されているが、今回のようなバッハのソロ・アルバムは初めてのようだ。

しかも大曲『平均律』ではなく際物を扱ったところに肩透かし的なアイデアが感じられる。

しかし丁寧に弾き込まれた曲集は1曲1曲がバラエティーに富んだ個性を主張していて、このCDのように幾つかの異なった調性の前奏曲とフーガを注意深く連続させると『平均律』にも劣らない立派なクラヴィーア曲集が出来上がってしまう。

アレッサンドリーニはこうしたところにも着目していると思われる。

殆んどが個別に作曲された同じ調性による小規模の前奏曲とフーガを任意に連結して全部で15曲に仕上げたものだが、主として前奏曲はBWV924-932の9曲、BWV933-938の6曲、そしてBWV939-943の5曲に纏められて出版された小前奏曲集からピックアップされている。

一方フーガにはBWV948ニ短調のように足鍵盤付チェンバロ用、あるいはアルビノーニのテーマをもとにしたBWV946ハ長調やBWV951ロ短調も含まれていて、特に後者は半音階的な大規模な作品になっている。

バッハは長男フリーデマンを始めとする生徒達のために教育用の作品を少なからず作曲している。

しかしバッハ自身が言った最高の教材は最高の芸術作品でなければならないという言葉を証明するように、こうした小曲にもそれぞれに固有の高い音楽性が備わっていることも確かだ。

ライナー・ノーツには使用楽器もピッチもクレジットされていないが、ヒストリカル・チェンバロのコピーであることは明らかで、a'=400Hz程度の低いピッチを採用しているために豊潤で落ち着いた響きが得られている。

全曲2015年12月2日から5日の間に集中的に録音された音源で音質は鮮明。

詳しい演奏曲目については、上のアマゾンのページのイメージ欄にデジパックの裏面の写真が掲載されているので参照されたい。

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classicalmusic at 22:31コメント(0)トラックバック(0)バッハ 

2017年01月06日


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フリッチャイ&ベルリン放送交響楽団によって1958年にステレオ録音されたモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』全曲盤。

彼の劇場作品への自在に変化する柔軟な指揮法が素晴らしく、歌手達に充分に演じさせながらオーケストラには劇的なアクセントを与えて、テンションを最後まで落とすことのない引き締まったオペラに仕上げている。

フリッチャイがこの作品にどのような構想を持っていたかは知る由もない。

確かにイタリア語で書かれたリブレットはセリフのない叙唱とアリア及び重唱で織り成し、モーツァルト自身ドランマ・ジョコーソと記しているが、牧歌的な愛憎劇というより、むしろ『後宮』や『魔笛』と同一線上に置かれたジングシュピール的な明確な縁取りを持った、個性的な音楽劇に仕上がっている。

それだけにイタリア式の流麗なカンタービレを強調するよりも役柄を的確に描き分けて、それぞれの場面を迅速に活写するスタイルが印象的だ。

いずれにしても他のどの指揮者にも真似のできない独自の『ドン・ジョヴァンニ』を開拓していて、一聴の価値を持っていることは認めざるを得ない。

タイトルロールにはフリッチャイからその才能を見出されたフィッシャー=ディースカウを起用しているところも聴きどころだが、放埓なプレイボーイのスペイン貴族が学者肌の優等生に感じられなくもない。

彼の歌唱は非の打ちどころがないほど演劇的な裏付けがあるし、音楽的にも完璧にコントロールされていることは納得できる。

しかし一方でドン・オッターヴィオ役のへフリガーの宗教曲の権威としてのイメージと、いくらか軽佻浮薄なやさ男ドン・オッターヴィオの性格がマッチせず、勿論真摯な熱演なのだが甘美な軽さが望めないのがいささか残念だと言えなくもない。

女声陣も豪華メンバーによるキャスティングで、モーツァルトによって見事に描き出された役柄をそれぞれが巧みに演じている。

ドンナ・エルヴィーラ役のシュターダーはその強くも脆い性格を良く掴んでいるし、ドンナ・アンナを演じるユリナッチの毅然とした歌唱は騎士長の娘としての存在感を高めた好演だが、ゼーフリートの歌うツェルリーナには世間知らずの純粋さよりも、もう少しちゃっかりしたセクシュアルな表現があっても良かったと思う。

分離状態の極めて良いステレオ録音で、臨場感にも不足していない。

特に歌手陣の声の生々しさに当時のエンジニア達のレコーディングに賭けた意気込みが感じられる。

尚このセッションはフリッチャイのコンプリート・エディション第2巻声楽作品集にも組み込まれていて、その短かった音楽活動において驚異的とも言える質と量の劇場作品を録音し、オペラ指揮者としても面目躍如の能力と手際の良さを示している。

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2017年01月04日


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シュタルケルのブラームス・チェロ・ソナタ集は1979年のエラート音源で、ピアニストはジェルジ・シェベックだが、これは彼らにとって第2回目のセッション録音となり同メンバーによる1964年のマーキュリー音源とは別物になる。

メンデルスゾーンのチェロ・ソナタをカップリングしてあるマーキュリー盤は現在単独でもセット物でも選択肢が多いが、当CDは3回目のベートーヴェン・チェロ・ソナタ全集と同様アペックスからのリイシュー廉価盤で、現在ワーナーのイコン・シリーズの10枚組かこのアペックス盤のみで入手可能だ。

第1回目の録音から更に15年を経たシュタルケルの解釈は大きな変化を遂げたわけではないし、テンポも第1番の第1楽章がややゆったりしている他は殆んど変わっていない。

むしろ様式の洗練によってブラームスの対位法が更に明確になり派手なアピールこそないが、それだけにハッタリのない、しかし圧倒的な余裕と確信を感じさせる演奏と言えるだろう。

ブラームスのチェロ・ソナタ第1番ホ短調は彼が32歳の時に完成した作品で、素朴な民謡風の語り口調の冒頭とバッハの『フーガの技法』から採り入れたテーマによる終楽章のフーガがこの曲に意欲的な性格を与えている。

それとは対照的に第2番ヘ長調はブラームス53歳の円熟期の曲で、おおらかに歌い上げるカンタービレと自在に変化する細やかな曲想が印象的だ。

シュタルケルは回を重ねるごとに解釈を切磋琢磨して、よりシンプルだが作品の核心を衝く磨き抜かれた演奏を遺しているが、この2回目の録音でも曲想にのめり込むことなく確実なテクニックに裏付けられた表現で作品全体に毅然とした輪郭を与え、硬派のロマンティシズムを聴かせている。

ピアニスト、ジョルジ・シェベックはシュタルケルとは同郷の朋友でハンガリー時代からの協演者だが、彼の演奏は常に明快でチェロを巧みに引き立てるだけでなく、時には大胆な音響でソロに拮抗している。

録音状態は当時のものとしては極めて良好で、溌剌とした擦弦音をも捉えた生々しい音質が再現されている。

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2017年01月02日


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バッハの最高傑作と言えば、やはりその劇的で雄大なスケールから「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」を掲げるかも知れない。

また謎の多さが、イマジネーションを掻き立てるという意味から、「フーガの技法」こそ至上であると主張する人もいるだろう。

筆者もかつては、そのような1人だったかも知れないが、最近、エネスコ指揮による本盤を聴くに及んで、そんな主張は吹っ飛んだ。

本来演奏こそが、作品への評価を決定するのだという思いを改めて強くしたからである。

全4部から構成された長大なこのミサ曲が全曲通して演奏される必然性を意識したことなど、それまで決してなかった。

むしろ「クリスマス・オラトリオ」のように、ミサに応じて各部が演奏される、言わばミサ曲を集成した作品として、これまで聴いてきたように思う。

だが、エネスコの演奏は、作品各部の完成度の高さと、各部が築き上げる全体の普遍性によって、あたかも、ファン・アイクによるあのゲントの祭壇画を仰ぎ見るような作品の多様性と全体の統一、そして何よりも絶対的な偉大さをもって聴かせているようにも思う。

さて、その秘密とは一体どこにあるのか、まず第1は、そのテンポではないだろうか。

エネスコ自身、最晩年のフランス・デッカに録音した一連のバッハのピアノ協奏曲集のライナー・ノートで、テンポについての秘密を解き明かしている。

「できうる限り、不動のテンポを維持すること、和音の継起に付き従えるように急ぎ過ぎないこと、そして、曲の進行に応じて、曲と曲の間に常に確固たる均衡をできる限り維持することが肝要であろう」というのである。

そして第2の点、それは「バッハの旋律を演奏する場合、できるだけ明晰で論理的な表現法を探すこと、つまり旋律が対位法にあてはまる複雑な箇所を参照すること、そうすれば、対位法が道を開いてくれる」(エネスコ『回想録』 白水社刊)とエネスコ自身述べている。

そこには17歳の誕生日に、ルーマニア王妃カルメン・シルヴァから「バッハ全集」をプレゼントされ、「私は休暇を利用して没頭しました。それでもなおわずか150曲のカンタータしか読み終わることができませんでした」と、あまりにも控えめな回顧をしてエネスコが、独学の末にたどり着いたバッハの演奏法こそ、確固たるバックボーンとして存在したのである。

エネスコは、自身天職と考えた作曲家と、生活の自立のためのヴァイオリニストとの二重生活を送ったが、音楽の神の求めのためなら、指揮台にも上がり、ピアニストとしても活躍している。

幅広い活動で音楽に捧げ尽くしたその人生こそ、オルガニストであり、楽師長も務め、カントールに就いたバッハと、普遍的な活動において完璧な一致をみてとれないだろうか。

エネスコこそ20世紀最高のヴァイオリニストであることに、今日異議を唱える者はあるまい。

「ベネディクトス」のアリアでのヴァイオリン・ソロに、エネスコのヴァイオリンを聴くのは筆者だけだろうか。

「ミサ曲ロ短調」は、今日バッハの最後の作品であることが確認されている。

「かくしてバッハはひとつの終焉であり、バッハからは何も生ずることがなく、すべてがひとりバッハへと導かれていくのだった」と述べたのはシュヴァイツァーだったが、この曲こそ、すべてが導かれていくその終焉にあたる作品であり、演奏によって合点がいくのは、エネスコの演奏をおいて他にはない。

今後もこのような演奏が生まれることは決してないだろう。

古楽器によるバッハ以外バッハではなく、音楽史の成果のみ最優先では、音楽家がじっくりと作品に取り組むことなどできようはずもない。

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2017年01月01日


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1958年にピエール・モントゥーがウィーン・フィルを振ったベルリオーズの『幻想』は先ずその音質の鮮明さに驚かされる。

また音響の拡がりや残響も理想的に捉えられている英デッカのステレオ黎明期の名録音のひとつだ。

音楽的に言えばモントゥーのこの曲への綿密な音楽設計が際立っていて、これ見よがしの演出を避けて純粋に音楽的な要素のみを彫琢したシャープな造詣に特徴がある。

ベルリオーズには形式感が厳然と存在していて、その中でのストーリーがあたかも映像を見るように次々に進んでいく表現が秀逸だ。

またこうした手法をウィーン・フィルにも徹底させていて、彼らも格調高い音色と巧みなアンサンブルで指揮者の要求に良く応えている。

第2楽章の優美だが次第に鼓動が高まって戦慄を呼び起こすようなワルツや、第4楽章「断頭台への行進」での金管楽器に抑制を効かせた、しかしウィーン・フィルの底力を見せる余裕を持った凄みにかえって迫力が感じられる。

終楽章の荘重な鐘の響き、フーガとグレゴリオ聖歌の旋律が重なり合うクライマックスも、あくまでも俗っぽいおぞましさからは離れた高踏的な解釈での演奏が好ましい。

モントゥーは同曲を4回録音していて、名盤と言われたサンフランシスコ響との2回目の録音に比べると表情が抑制され、オーケストラも色彩も地味なものとなっている。

そうした面では多少特色に乏しい印象もあるのだが、演奏に巨匠的な風格が漂っているのは言うまでもない。

白熱的な演奏スタイルではないが、この曲を得意としたモントゥー独自のアイデアが光る名演と言えるところであり、やはり、あらゆる『幻想』の中で注目すべき1枚だろう。

一方カップリングされたディミトリ・ミトロプーロス指揮、ニューヨーク・フィルにエレノア・ステーバーのソプラノ・ソロが加わる『夏の宵』は、指揮者の精緻でありながら官能的なオーケストラに乗って、ステーバーの艶やかな歌唱が映える演奏だ。

ミトロプーロスの頭脳的プレイは流石だが、この録音では第1曲の「ヴィラネル」が抜けて5曲のみの収録になる。

ライナー・ノーツによればこの曲がメゾ・ソプラノの響きにはそぐわないために省かれたと書かれているが、ステーバーは歴としたソプラノなので、曲趣と歌手の声質の統一を図るために指揮者自身が除外したのかも知れない。

1953年最初期のステレオ録音らしく、分離状態はそれほど良くないが音質は良好で、リマスタリングの効果もあってノイズの極めて少ない、しかも充分な音量で鑑賞することが可能だ。

現在プラガ・ディジタルスからリリースされている歴史的録音のSACD化シリーズの1枚で、ステレオ・アナログ・オリジナル・ソースからのDSDバイ・チャンネル・リマスタードとの記載がある。

当時のオープン・リール磁気テープへの録音及びその保存状態が良かったためか、SACD化の成功例に数えられる。

尚ライナー・ノーツは15ページで、演奏者及び曲目の紹介が英、仏語で、そして歌曲集『夏の宵』については仏語の歌詞が掲載されている。

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