2017年03月

2017年03月30日


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1950年に33歳で夭折したディヌ・リパッティの遺した音源は既にセッション、ライヴ共に出尽くした感がある。

後はリマスタリングによる音質の向上とバジェット価格によるリイシューが購入の目安になるが、こちらは彼の生誕100周年記念として今年になってワーナーからリリースされたべリーベスト盤だ。

パンフレットの最後にCD1及び2が2008年、CD3が2011年のリマスタリングと記されているので、EMIからイコン・シリーズで出ていた7枚とは3枚目のブザンソン告別演奏会のみが異なった新しいリマスタリングということになる。

ちなみに現行のSACDではプラガ・ディジタルスのものが唯一のアルバムで、その他に網羅的なレパートリーを集めたレギュラー・フォーマットのセット物ではドキュメンツからのウォリット・ボックス10枚組があり、また最近独プロフィールからもやはり100周年記念のリマスター盤12枚組がリリースされた。

音質を聴き比べてみると最も優れているのが当セットで、ステレオ期到来を待たずに亡くなった彼が遺した音源は総てモノラル録音ながら、比較的重心のしっかりしたサウンドが再現されている。

CD1のシューマンのピアノ協奏曲では若干雑音が聞かれるにしても、全体的には以前のCDの欠点だった平面的で干乾びたような音質はかなり聴きやすい状態に改善されている。

燃え上がるようなリパッティのソロが前面に出て臨場感を高めていることもあって1948年のセッションとしては充分に満足のいくリマスタリング効果が認められる。

モーツァルトの第21番は2年後のライヴでやはりカラヤンの指揮になり、音質的にはシューマンに及ばないがソロの部分は良好に捉えられている。

尚急速楽章に使われているふたつのカデンツァはリパッティ自身の手になる作品だ。

CD2ではSP盤から板起こししたようなスクラッチ・ノイズが随所に聞こえてくるが彼の豪快なピアニズムを堪能するにはさして邪魔にならない。

リパッティの作曲の師であったナディア・ブーランジェとのブラームスのデュエット集は、最も古い1937年の音源であるにも拘らず、音質は時代相応以上で、速めで生き生きとしたテンポ設定が来たるべきモダンな奏法を早くも先取りした新鮮な印象を与えている。

ラヴェルの『道化師の朝の歌』は殆んど狂気と紙一重のところの演奏で、他のどのピアニストよりもドラマティックで彼の恐るべきテクニックが示された積極性に驚かされる。

最後の1枚は最新のリマスタリングということだが、音源自体理想的なものではなく、確かにボリューム・レベルが上がってピアノの音色がより明瞭に聴き取れるが、同時に機材の共振も入っている。

しかしながらこのブザンソン告別演奏会は1人のピアニストとして、また1人の芸術家としての人生の終焉がこれほど厳しいものでなければならなかったか痛感させる。

当日のリパッティの演奏が決して病的なものではなく、逆に輝かしい精彩に富んでいるだけに尚更だ。

ライナー・ノーツはなく、収録曲目と録音データのみを掲載した7ページのパンフレット付。

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2017年03月28日


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ロストロポーヴィチの主だったレコーディングはドイツ・グラモフォンとEMIに行われたが、前者は昨年既にバジェット・ボックス37枚組をリリースした。

一方ワーナーでは3枚のDVDを伴ったコレクション仕様40枚の豪華版を企画しているが、それに先立って彼の指揮したチャイコフスキーの7曲の交響曲を中心とするオーケストラル・ワークを纏めたリイシュー廉価盤がこのセットである。

ちなみにこの6枚は『ロココ風の主題による変奏曲』1曲を除いて40枚のソロ全集には組み込まれない予定だ。

オーケストラは序曲『1812年』がナショナル交響楽団、『ロココ風の主題による変奏曲』が小澤征爾指揮、ボストン交響楽団の演奏でロストロポーヴィチはチェロ・ソロにまわっている。

その他の総てが彼がしばしば客演したロンドン・フィルハーモニー管弦楽団だが、このうち『マンフレッド交響曲』ではデイヴィッド・ベルのオルガン、『憂鬱なセレナーデ』ではヴァイオリンのマキシム・ヴェンゲーロフがそれぞれ協演している。

ロストロポーヴィチも総合的な音楽活動を行った演奏家の1人で、チェリスト、ピアニストであっただけでなく円熟期に入ると更に指揮者としても多くの録音を遺している。

ロストロポーヴィチによるチャイコフスキーは、彼の故国ロシアへの郷愁溢れる熱い想いを窺い知ることができる名演だ。

彼の創造するサウンドは一見穏当のように見えるが、ここでは統率力にも秀でたテクニックを示していて、その華麗で瑞々しい繊細さと流麗なダイナミズムに加えて『マンフレッド交響曲』を始めとする交響曲第4番から第6番での総奏部分でのブラス・セクションのエネルギッシュな咆哮の迫力は先鋭的でさえある。

何よりも、ロンドン・フィルからロシア風の民族色の濃い、重厚な音色を引き出したロストロポーヴィチの抜群の統率力が見事である。

オーケストラの名前を隠して聴いたとした場合、ロシアのオーケストラではないかと思えるほどだ。

テンポもめまぐるしく変化するなど、緩急自在の思い入れたっぷりの演奏を行っているが、決してやりすぎの感じがしないのは、前述のようにロシアへの郷愁の強さ、そしてチャイコフスキーへの愛着等に起因するのだと思われる。

本セットに収められた楽曲の中で、特に名演と評価したいのは幻想曲『フランチェスカ・ダ・リミニ』だ。

この曲は、名作であるにもかかわらず意外にも録音が少ないが、ムラヴィンスキーの名演は別格として、殆どの演奏は意外にもあっさりと抑揚を付けずに演奏するきらいがある。

それに対してロストロポーヴィチの演奏は、民族臭溢れるあくの強いもので、ロシアの大地を思わせるような地鳴りのするような大音響から、チャイコフスキーならではのメランコリックな抒情に至るまでの様々な表情を緩急自在のテンポと、幅の広いダイナミックレンジで表現し尽くしている。

その表現の雄弁さは特筆すべきものであり、おそらくは、同曲の最高の名演の1つと言っても過言ではあるまい。

それに対して、交響曲第4番は意外にも端正な表現で、かの『シェエラザード』の濃厚な表現を念頭に置くと肩すかしを喰わされた感じだ。

もちろん、ロシア的な抒情にも不足はないが、『フランチェスカ・ダ・リミニ』の名演を聴くと、もう少し踏み込んだ演奏が出来たのではないかと思われるだけに、少々残念な気がした。

むしろ、交響曲第5番がロシアの民族色を全面に出した濃厚な名演で、冒頭は実に遅いテンポで開始される。

かのチェリビダッケを思わせるようようなテンポ設定だが、あのように確信犯的に解釈された表現ではなく、むしろ、自然体の指揮であり、そこには違和感は殆どない。

主部に入ってからの彫りの深い表現も素晴らしいの一言であり、重量感溢れるド迫力は、あたかもロシアの悠久の大地を思わせる。

第2楽章も濃厚さの限りであり、ホルンソロなど実に巧く、ロンドン・フィルも大健闘だ。

終楽章の冒頭も実に遅いテンポであるが、これは第1楽章冒頭の伏線と考えれば、決して大仰な表現とは言えまい。

主部に入ってからの彫りの深さも第1楽章と同様であり、この素晴らしい名演を圧倒的な熱狂のうちに締めくくるのである。

交響曲第6番『悲愴』は、終楽章後半の劇的なクライマックスの後の静かなゴングの糸を引くような余韻の残し方が感極まったように印象的で、それに続くブラスのコラールから弦の入りにかけてはえもいわれぬ寂寥感を感じさせて秀逸だ。

1976年から1999年にかけてセッション録音された音源になり、音質は極めて鮮明。

19ページのライナー・ノーツには演奏曲目及びフィリップ・ムジョーのチャイコフスキーのオーケストラル・ワークについての解説付で、録音データに関しては例によってそれぞれのジャケットの裏面のみに掲載されている。

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2017年03月26日


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シュロモ・ミンツが通常使用しているヴァイオリンは後期バロックの名匠、ロレンツォ・グァダニーニ製作の名器である。

この楽器自体美しい音色と潤沢な音量を誇っているが、低音から高音まで明るく澄んだ滑らかな音色と豊かな音量を駆使したミンツの奏法は、それだけでヴァイオリン音楽の典型的な美学を堪能させてくれる。

楽器を決して無理に鳴らそうとしないボウイングから紡ぎだされる知的でスマートなカンタービレやパガニーニに代表される超絶技巧を鮮やかに弾き切るテクニックは、レパートリーを選ばないオールマイティーの奏者であることを証明している。

その意味ではパールマンに共通しているが、ミンツにはパールマンの持っている解放的なサービス精神というか、ある種の媚のようなものが皆無で、情熱を内に秘めたクールな気品が感じられる。

このセットのCD7−8のバッハの『無伴奏ソナタとパルティータ』全曲では対位法のそれぞれの声部を流麗に歌わせながらも恣意的なところが少しもなく、構築性も充分に感知させている。

またもうひとつの無伴奏の対極にあるCD9のパガニーニ『24のカプリース』ではその悪魔的な恐るべき技巧を披露している。

協奏曲の中ではアバドとのメンデルスゾーンやブラームスにミンツの最良の音楽性が発揮されているが、バルトークやプロコフィエフでの鋭利で超然とした感性の表出でも引けを取らない。

またベートーヴェンではシノーポリの堅牢で構造的なオーケストラに支えられて冴え渡るソロも印象的で、終楽章でのテンポを抑えた敢えて名人芸を前面に出さない解釈にも説得力がある。

更に後半のソナタ及び小品集は彼のもうひとつのプロフィールを示していて、凝り過ぎない颯爽とした軽妙さが魅力だろう。

尚30ページほどのライナー・ノーツには収録曲目及び録音データの他に英、伊語によるこの音源の録音時期のミンツのエピソードが掲載されている。

ユニヴァーサル・イタリーの企画になるヴァイオリニストの系譜はグリュミオー、アッカルド、クレーメル、シェリング、そしてリッチと続いているが、今年2017年1月の新譜としてこのミンツ編がリリースされた。

当シリーズの弱点は何故かどれも網羅的な全集ではなく、選曲から漏れた音源が散見されることだが、現在入手困難な演奏も含まれているし、一応それぞれがブックレット付のバジェット・ボックスなので多くは望めないだろう。

しかしミンツは30代で大手メーカーへの録音をやめてしまったヴァイオリニストで、その後もコンサートを中心に演奏活動を続けている。

当ボックスに収録された以外の音源はそれほど多くなく、この13枚で彼の青年期の至芸が充分にカバーされていることは間違いない。

現在円熟期を迎えた彼のこれからの活躍にも期待したい。

ちなみにミンツがドイツ・グラモフォン以外のレーベルからリリースした現行のディスクは仏ナイーヴから指揮とヴァイオリンを担当したストラヴィンスキーの『兵士の物語』、米AVIE RECORSからのモーツァルトのヴァイオリン協奏曲全5曲及びヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の3枚組、ブラームスの3曲のヴァイオリン・ソナタと2曲のヴィオラ・ソナタ及び共作のF.A.E.ソナタ第3楽章スケルツォを収めた2枚組があり、DVDとしてはクルトゥーア・レーベルの『' 82フーベルマン・フェスティヴァル』の2枚組、チャレンジ・クラシックスからのパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番などがある。

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2017年03月24日


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シューベルトは600曲余りの歌曲を生み出し、それらのすべてに接したいと思うのはシューベルティアンの見果てぬ夢だった。

その願いを満たしてくれたのが、フィッシャー=ディースカウという超人的な歌い手によるこの大全集だった。

フィッシャー=ディースカウは古典から現代までにわたり、信じられないような量の声楽曲を歌い、演じ、録音してきたが、その膨大な録音群の中でひときわ高峰を成しているのがこのアルバムである。

勿論ここには男声用の歌曲しか収録されていないが、シューベルトの歌曲を窺う史上空前の最も重要なマイルストーンとなった。

以来別の企画でシューベルトの歌曲全集がリリースされたり、また目下進行中のシリーズもあったりするが、一歌手による一人の作曲家の作品への録音としてはレパートリーの上でも前人未到の驚異的な記録だし、今後も望めないだろう。

1966年から72年にかけての録音の集大成で、この21枚のCDに収められたシューベルトの歌曲は、3大歌曲集57曲とその他の男声用の作品406曲で構成され、その数だけでも実に463曲に及んでいる。

フィッシャー=ディースカウの声も芸術的な表現力も充実しきっていた時期の歌唱を満喫できるのが最大の魅力だが、これらの歌には、いわゆるやっつけ仕事としての歌唱がまったくないということも驚嘆すべきことだ。

ひとつひとつの曲に丹念な想いが込められ、精緻でありながら千変万化の巧みな表現と語り口調の絶妙さは傑出している。

ピアノのジェラルド・ムーアについて言えば、彼は伴奏を芸術の域に高めた功労者として知られているが、また自身の個性よりも常に曲趣と歌手の持ち味を生かすというニュートラルな立場を貫いた、まさに伴奏者の鏡のような存在だった。

彼は1967年に公開のコンサートからは退いたが、その後もこうした録音活動によって円熟期の至芸を鑑賞できるのは幸いだ。

まさにフィッシャー=ディースカウ&ムーアという稀代の名コンビによる共同作業の最高の結晶である。

更にフィッシャー=ディースカウは400曲を超えるこの大全集と前後して、わずか10年と少しの間に、ヴォルフとブラームス、シューマンの大全集の録音も行っている。

ベートーヴェンやメンデルスゾーン、レーヴェらの歌曲と合わせ、実に1000曲を超える録音を残してくれた。

フィッシャー=ディースカウは、どれほどの決意と使命感を持ってこの超人的な難事業にチャレンジしたのであろうか。

楽々と成し遂げられているように見えるが、これらは貴重な人類の宝というべきもので、奇蹟的というしかない偉業だ。

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2017年03月22日


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トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー及びロンドン・フィルハーモニーの演奏による7枚のディーリアス・オーケストラル・ワーク集のリイシュー・バジェット・ボックス化になる。

以前EMIからリリースされた『20世紀の音楽』シリーズのディーリアス編では2枚に纏められていたが、このセットではディーリアスが個人的に交流を持ち、最良の理解者でもあったビーチャムが指揮した1929年から57年にかけての総てのセッション録音が復活している。

このうち最初の2枚のみがステレオで、それ以外は擬似ステレオ及びモノラル音源になる。

勿論それぞれがリマスタリングされているが、さすがに古い音源はスクラッチ・ノイズやヒス・ノイズが多くセピア色の時代物の写真でも見ているような印象だ。

それゆえ後半の5枚はアーカイヴ・コレクションとして割り切って聴くべきだろう。

ちなみに2枚分のステレオ音源は来月ワーナーから高音質UHQCDバージョンでもリリース予定だ。

英国生まれのドイツ人、フレデリック・ディーリアス(1892-1934)の作品はともすると飽きっぽいムード音楽の連続に陥りがちだが、ビーチャムの演奏には特有の気品があり、オーソドックスだが筋の通った解釈がひとつひとつの曲に込められた作曲者の思索を明らかにしている。

ディーリアスの作品は、後期ロマン派の流れを継承しながら洗練されたオーケストレーションで自然界に起こる森羅万象を音楽に反映させた。

その意味では彼の作品の殆んどが標題音楽になるが、彼が創造する独自の空気感やその劇的な変化が大自然への強い憧憬を感じさせている。

彼の神秘的かつ映像的なサウンドが10歳年下のヴォーン・ウィリアムズに大きな影響を与えたことは事実だろう。

メランコリックなメロディーの逍遥する静謐感の巧みな描写やエスニカルなエレメントを取り入れたダイナミズムに彼の音楽語法が特徴的だが、そこに枯渇した彼自身のスピリットが追い求める内面的な安らぎと回帰すべき永遠の故郷が表現されているのではないだろうか。

例えば『ブリッグの定期市』は古いイングランド民謡を基にグレインジャーが作曲した声楽曲だが、ディーリアスは変奏曲の形にアレンジして、1年に1度開かれるブリッグの町の市場にやってくる恋人の逢瀬を美しく暗示している。

またオペラ『村のロメオとジュリエット』は現在殆んど演奏されない曲目だけに貴重で、歌手達の演奏水準は理想的でなかったにしても1948年の録音としてはノイズのない良好な音源だ。

尚19ページのライナー・ノーツには収録曲目一覧とリンドン・ジェンキンスによるディーリアスとビーチャムのコラボについて解説されているが、録音データや演奏者の詳細に関してはそれぞれのジャケット裏面にのみ表示してある。

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2017年03月20日


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ブリューノ・モンサンジョンが編集したグールドとの対話集で、それぞれが異なった機会に収録され、彼の音楽的な構想のみならずラジオ番組の制作や私人としての日常生活など多岐に亘った内容が盛り込まれている。

先ず驚かされるのはグールドが殆んど饒舌とも言えるくらい良く話すことで、決して寡黙な芸術家ではなかったことだ。

また彼一流の話術を持っていて、どのような質問にも答えをはぐらかすことなく、真摯にしかも常に要領を得た語り口を披露している。

彼はまた聴衆やマスコミによって捏造された自分へのイメージの払拭も試みている。

彼の演奏中の身体を使った大袈裟とも思えるジェスチャーは、意識的であれ無意識にであれ頭脳に描いた音楽を最大限忠実に音に変換するための手段であり、決して聴衆へのパフォーマンスではないことを断言している。

はっきり言って彼は聴衆の反応などには全く無関心で、如何に音楽そのものの世界に自分を埋没させながら、理想とする表現の実現を貫徹するかということだった。

「私にとって聴衆は目的に向かう道の障害物だ」という言葉も象徴的だ。

本書の第2部として仕立てられたバーチャルなラジオ座談会ではグールドの哲学が彼自身によってかなり具体的に説明されているだけでなく、彼に起きたエピソードの釈明にも余念がない。

指揮者ジョージ・セルとの確執も興味深く、彼は表現上セルに敬意を払いつつも、実質的にこの巨匠をこき下ろしている。

グールドがクリーヴランド管弦楽団とのコンサートで弾く筈だったシェーンベルクのピアノ協奏曲はセルの意向で省かれた。

彼によればセルは新ウィーン楽派にも全く興味がなかったし、この協奏曲も勉強していなかった。

もう1曲のベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番のリハーサルでは椅子の高さの調節と弱音ペダルの使用でセルとの関係は決定的な決裂に至る。

『タイム』誌にはセルが「私が自分の手であなたの尻を5ミリほど削ってあげますよ。もっと低く座れるようにね」と言ったことが掲載され、グールドはその言葉が実際にセルから出たことを突き止める。

その後セルへの追悼文を掲載した『エスクワイア』誌では「そういうばかばかしいことを止めなければ(椅子の調節に夢中になっているグールドに対して)君の尻の穴に、椅子の脚を一本突っ込みますよ」に変形されていた。

グールドは録音芸術という形態を徹底的に追究した稀に見る音楽家だった。

つまり彼は聴衆を排して録音するだけでなく、1曲を構成し仕上げるために準備しておいた多くのテイクを切り貼りして彼が理想とする音楽に近付けた。

楽章ごとに異なった時期に録音し、異なったピアノを使ったベートーヴェンのソナタを、あたかも1台の楽器で通し演奏したかのようにグラフィック・イコライザーによって編集することも厭わなかった。

しかしそんなことを何の臆面もなく語ること自体、グールドの新時代への音楽への構想が如何に明確で具体的だったかを示しているのではないだろうか。

対話の内容は音楽的な話題を含めてかなり高度で込み入っているが訳出は良くこなれていて理解し易い。

また掲載されている少年時代から亡くなる少し前までの多くのスナップ写真は素顔のグールド像を捉えている。

エクセントリックでありたいとは思いもよらなかった彼が、自分自身に正直に生きれば生きるほど、逆に他人からはますますエクセントリックに見えてくるというパラドックス的人生がややもすれば滑稽だ。

いずれにしてもグールドの演奏は勿論こうしたエピソードを知らなくても充分鑑賞できるし、彼の創造する音響力学からその素晴らしさを感じ取ることも可能なのだ。

しかしながら伝説的に伝えられている彼の表現の源泉を知る上では非常に示唆的な対話集と言えるだろう。

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2017年03月18日


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リヒテルが初めてアメリカを訪れた際の歴史的録音で、このCDの音源はリヒテル・アメリカ・デビュー盤のひとつとしてLP時代から評価の高いものだった。

この録音が行われた1960年はいわゆる冷戦下、アメリカから見れば“鉄のカーテン”で隔てられていた“東側”の演奏家が初めてアメリカに来演した年にあたる。

とりわけリヒテルの2ヵ月にわたるツアーはセンセーションを巻き起こし、RCAによるレコーディングも並行して行われた。

その初録音がここに収められたブラームスで、同年11月に収録された『熱情』ともども、リヒテル絶頂期の凄みが生々しく伝わってくる。

リヒテルは超人的技巧を駆使しながらもスケールの大きい、厳しい感情表現を示しており、特に両端楽章が立派だ。

ラインスドルフの指揮は極めて熱っぽく、オーケストラの華やかさも加えて、リヒテルとがっぷり四つに組んでいる。

過去にはラインスドルフ&シカゴ響とリヒテルの爆演のように言われたこともあるが、良く聴いてみるとシカゴ響はラインスドルフによって非常に良くコントロールされていて、力強いが野放図な音を出しているわけではなく、リヒテルも決して力に任せて対決するような姿勢ではない。

それぞれが個性を完全に燃焼させながらもぴったりと呼吸を合わせて、コンチェルトを聴く醍醐味を満喫させてくれるのだ。

そこには極めてスケールの大きい音楽的な構想を持ったピアニズムが展開されていて、両者の張り詰めた緊張感の中に溢れるほどのリリシズムを湛えた演奏が感動的だ。

またリヒテル壮年期の水も漏らさぬテクニックの冴えもさることながら、第3楽章を頂点として随所に現れる抒情の美しさは如何にも彼らしい。

一方ここにカップリングされたベートーヴェンのピアノ・ソナタ『熱情』は同年にニューヨークのカーネギー・ホールで録音されたもので、当初はもう1曲の『葬送』と共にリリースされた。

この2曲のソナタは2004年にXRCD化もされているが、リヒテルの凄まじい集中力と緊張感の持続が恐ろしいほど伝わってくる。

リヒテルは深々とした呼吸で熱っぽく弾きあげた、ダイナミックな根太い演奏で、全篇に溢れる強烈なファンタジーが魅力だ。

この曲の力強さと抒情性を、巧みに弾きわけていて見事で、全体に、極めてエネルギッシュな表現である。

彼自身はこの演奏を嫌って失敗作のように言っていたが、音楽的な造形からも、またその表現力の幅広さと強烈なダイナミズムからもベートーヴェンに相応しい曲作りで、本人であればともかくあらを探すような次元の演奏では決してない。

1960年にリヒテルはアメリカにおいて一連のセッション及びライヴから当地でのファースト・レコーディングを行っているが、このCDに収められている2曲もその時の音源で、リヴィング・ステレオの良質なオリジナル・マスターが今回のDSDリマスタリングによって更に洗練された音質で甦っている。

ソニー・クラシカル・オリジナルスは、古い音源を最新のテクニックでリマスターして、従来のCDとは異なった音響体験を提案している興味深いシリーズだが、何故か音源によってリマスタリングの方法が異なっている。

このCDではSACD用のDSD方式が採用されているが、同シリーズの総てのCDと同様レギュラー・フォーマット仕様でミッド・プライスで提供しているのがメリットだろう。

音質は鮮明で協奏曲ではシカゴ・オーケストラ・ホールの音響空間も自然に再現されているし、ソロ・ピアノも潤いのある艶やかな音色が特徴で、オーケストラとのバランスも理想的だ。

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2017年03月16日


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最近のニコライ・ルガンスキーはそれまでの正確無比なヴィルトゥオーゾ・ピアニストとしてのプロフィールから脱皮して、古典的な作品もじっくり聴かせるような音楽的成長を遂げている。

それが前回のシューベルト・アルバムに着実に示されていたが、このセットの前半4枚に収録されたピアノ協奏曲全4曲とオーケストラ付ピアノ作品及びピアノ・ソロでは彼のロシア的抒情と若い頃の典型的なテクニックが発揮された華麗なピアニズムを堪能できる。

ラフマニノフは言ってみれば時代に取り残されたロマン派の残照のような存在で、彼の拭い切れない憂愁を爛熟したロマンティシズムが引き摺るように覆っている。

その作品の演奏には洗練された超絶技巧が欠かせないが、勿論メカニックな技巧だけではその深い情緒を表現することはできない。

ルガンスキーの高踏的なカンタービレとバランスのとれた精緻な表現力は伝統的なロシア派のピアニズムを継承するピアニストだけに秀逸だ。

オーケストラ付の作品はサカリ・オラモ指揮、バーミンガム交響楽団との協演になる。

後半の4枚でルガンスキーが参加しているのはCD5のチェロ・ソナタト短調及び『ヴォカリーズ』のウォルフィッシュによるチェロ編曲版のそれぞれピアノ・パートで、伴奏者としての腕も披露している。

それ以外の3曲の交響曲、合唱交響曲『鐘』、オーケストラ版『ヴォカリーズ』、交響詩『死の島』、歌劇『 アレコ』の間奏曲及びシンフォニック・ダンスはアンドレ・プレヴィン指揮、ロンドン交響楽団、同合唱団の演奏になる。

プレヴィン自身やはりロシア系であることからラフマニノフには特別の敬意と情熱があったと思われる。

ラフマニノフのオーケストラル・ワークにはソナタ形式、変奏、フーガ、エスニカルなリズムやメロディーなど多様なエレメントが同居しているが、プレヴィンは幻想的な物語性の表出に優れた手腕を発揮している。

交響曲第2番では習慣的なカット部分を復活させてオリジナル版全曲演奏を定着させたのもプレヴィンの功績だ。

彼はロンドン交響楽団の音楽監督を務めただけでなく1992年からは桂冠指揮者に列せられていて、自在に従うオーケストラとの相性の良さも聴きどころだ。

ただし後半3枚の音質では、この時期のEMIの録音のバランスの悪さが弱点になっている。

19ページのライナー・ノーツには演奏曲目の他にユグ・ムソーによる『失われた楽園への追想』と題されたラフマニノフの作品とその傾向に関する短いが書き下ろしのエッセイが掲載されているが、録音データは各ジャケット裏面にのみ掲載されている。

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2017年03月14日


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ミラノ・スカラ座はイタリア・オペラの殿堂として200年以上に亘って多くの名作の初演を果たしてきた。

このディスクに収録された序曲、前奏曲及び間奏曲を含むオペラは、レオンカヴァッロの2作品を除いた総てがスカラ座で日の目を見た作品になる。

その殆んどが親しみ易いメロディーとシンプルで明快な和声から成り立っていて、曲によっては馬鹿馬鹿しいほどあっけらかんとしている。

後はカンタービレを縦横に歌わせながら劇的な対比をつけて如何に舞台の雰囲気を高めるかにかかっている典型的なイタリアン・スタイルを踏襲しているので曲自体に深い意味合いを求めることはできないが、歌手達を引き立てるための気の利いたアクセントと言ったところだろう。

しかしイタリアのオペラ作曲家達は劇場という虚構の空間の中でこそ最大限の効果を発揮させる劇場感覚に長けていたことは確かだ。

またこうした短い管弦楽曲を効果的に演奏するには、気前の良い表現とオーケストラをその気にさせるカリスマ的煽動が不可欠になることは言うまでもない。

このアルバムはゲヴァントハウスから故郷に戻ったシャイーの、これから取り組むであろうイタリア・オペラへの軽妙洒脱な指揮法を披露したサンプラー的な1枚だ。

歴代のスカラ座音楽監督を見てみると、トスカニーニ、セラフィン、デ・サーバタ、ジュリーニ、アバド、ムーティ、バレンボイムという錚々たる指揮者がオペラやバレエなどの上演を支えてきたが、今年2017年からはシャイーが就任して奇しくも再びイタリア人の手に委ねられることになった。

現在のスカラ座フィルハーモニー管弦楽団は、それまで劇場附属のオーケストラだった彼らがアバドの提言によって1982年に独立し、オフシーズンに自主的な運営でコンサート活動を行うようになったものである。

とはいえ、それ以前から彼らはワーグナーの楽劇のイタリア初演などでお国物以外の作品にも精通していて、イタリアのオペラ劇場の中でも最もインターナショナルな感覚を持ったオーケストラだったために、古典から現代に至るドイツ、フランス系作品の幅広いレパートリーも受け継いでいる。

ドイツのオーケストラに比べればいくらか線が細く、分厚いサウンドよりも明るく屈託のない表現を得意としていて、このアルバムでも彼らの水を得た魚のような開放的で力強い表現を聴くことができる。

17ページほどのライナー・ノーツには収録曲目と録音データの他に英、仏、独、伊語による簡易な楽曲解説が掲載されている。

音質は極めて鮮明。

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2017年03月12日


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マレイ・ペライアは円熟期に入ってからバッハの作品を集中的に録音し始めたが、このセットに収められた8枚は1997年から2009年にかけてソニーに録音したバッハ・アルバムを纏めたもの。

それらは今月末にリリース予定のアワーズ・コレクション15枚組にも加わる予定なのでバッハ以外の作品も鑑賞したい向きには後者の選択肢があるが、フランス組曲全6曲に関してはグラモフォン音源なので残念ながら組み込まれてはいない。

協奏曲集でのオーケストラは総てピリオド・アンサンブルの草分け、アカデミー・オヴ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズでペライア自身の弾き振りになる。

また三重協奏曲やブランデンブルク協奏曲第5番ではベーム式モダン・フルートとの協演になるが、勿論その場合のソロ・ピアノ、フルート及びバロック・オーケストラとの音量的な問題も巧みにクリアーされていて不自然さは感じられない。

ペライアのバッハはすっきりとした解釈の中に特有の優美さを湛えていて、近年リリースされたさまざまな演奏家のピアノを使ったバッハ録音集では最もエレガントな演奏ではないだろうか。

バッハの鍵盤楽器作品をオリジナル楽器で演奏するのは、今やごく普通のことだが、ピアノならではの魅力を十分に生かしたペライアの演奏を聴くと、この時代にあえて現代のピアノを使ってバッハを弾くことの意味を改めて納得させられる。

ここでのペライアは、独自の自由で歌心に満ちた繊細な演奏をしているが、そこに奇を衒ったところやケレン味はまったく感じられず、まさに自然体のバッハであり、創意工夫に富んだ装飾法も見事で、強いインパクトを与える。

洗練された精緻なテクニックに託されたきめ細かな表現が秀逸で、全く惑いのない安定感も特筆される。

それは彼が長年に亘って温めたバッハの音楽への構想の実現に他ならず、50歳を過ぎて一皮むけたペライアが、新しいバッハ表現の可能性をリスナーに示した名演と言えるだろう。

最近ポーランドの若手ブレハッチのバッハ・アルバムが出たが、聴き比べるとやはり曲想の掴み方や表現の巧みさではペライアに水をあけられていることは否めない。

例えば『イタリア協奏曲』ではレジェロのタッチを巧妙に使いながら声部を明瞭に感知させ、第2楽章での感性豊かな歌心の表出や終楽章の歓喜が高い品位の中に表されているし、『ゴールドベルク変奏曲』では整然とした秩序の中に真似のできない個性的なアイデアが満たされている。

また『イギリス組曲』や『パルティータ』ではバッハによって鍵盤音楽に集約された総合的な音楽性と作曲上のテクニックをペライアが丁寧に聴かせて鑑賞者を飽きさせることがない。

音楽の原点に〈歌〉を置くこの人の哲学が年とともに透明度を増し、同時に深みを加えつつあるのを確認できたことは嬉しい。

今や死語となりつつある「気品」という言葉の真意は、ペライアの演奏するバッハに接すれば、一聴理解されるのではないだろうか。

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2017年03月10日


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巨匠リヒテル圧巻の名演として余りにも良く知られたシューベルトのピアノ・ソナタ第21番変ロ長調は、作曲家の最後を飾る作品のひとつであり、奇しくも彼の人生の終焉を垣間見るような寂寥感がひしひしと伝わってくる。

わずか31歳で生涯を閉じたシューベルトが、このように臓腑を抉るような深淵の境地を自己の音楽に映し出すことができたのはまさに天才のなす業だが、それを直感的に悟って表現し得たリヒテルの感性と技巧も恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。

第1、2楽章をリヒテルは実にゆったりと弾き進み、足取りは滞りがちで鉛のように重く、異常に遅いテンポだが、ほの暗く、不安な気分を強調していて、この曲のもつ微妙なニュアンスを心憎いまでに描き出している。

余韻嫋々で抒情美の極みといっても過言ではなく、その中でシューベルトが背景にくっきりと浮かびあがり、聴く者を魅了する。

第3、4楽章は快いテンポが演奏を支配し、軽快なシューベルトの世界が出現、力のあるピアニストが余裕をもって音楽する楽しみが強く感じられる演奏だ。

また第19番ハ短調ソナタの終楽章ロンドは駆け抜けるようなイタリアの舞曲タランテッラを使っていて、何とも快いリズムに乗って、緊迫した世界が醸し出され、現世の儚さの中に限りない永続性を願っているようにも聞こえる。

また第1楽章では、明と暗のコントラストを巧みに生かしつつ、実にしっかりした構成的なシューベルトを聴かせる。

これらの急速楽章は、弾き手が凡庸だと退屈に感じられるのに、優れた構成家であるリヒテルの手にかかると時間を感じさせない。

シューベルトの演奏としては、きわめてスケールの大きな表現で、剛と柔とを巧みに対比させながら、強い説得力をもっていて聴かせる。

どちらも1972年のザルツブルクにおけるセッションで、第19番は17世紀に建設されたクレスハイム城、一方第21番は19世紀に再建されたアニフ城での録音になる。

リヒテルが都会のコンサート・ホールを避けて、あえて郊外にある閑静な歴史的古城を選んでいるのは、その音響効果だけではなく演奏への霊感を高めるための手段なのかもしれない。

セッションとしての録音活動にはそれほど熱意をみせなかったリヒテルの遺した録音は、系統的に作曲家の作品群を追ったものではないが、ライヴ音源からとなると本人が承認したか否かに関わらず、彼の死後収拾がつかないほどの量のCDがリリースされている。

しかも販売元のレーベルは多様を極めていて、それぞれの音質に関しても玉石混交なのが実情だ。

その中でも録音状態の良好なものは1970年代以降のもので、マニアックなリヒテル・ファンでなければこのアルト・レーベルからの一連のCDがリヒテル円熟期の至芸を極めて良好な音質で堪能するための良い目安になるだろう。

このシリーズはセッションとライヴの両方の音源から採られているが、英オリンピア倒産以降ライセンス・リイシューとしてレジス・レーベルから再発され、廃盤になったものをアメリカのミュージカル・コンセプツ社が英国マンチェスターからアルト・レーベルとして配給しているという複雑な経緯がある。

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2017年03月08日


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ピアノ・ソナタ第13番イ長調でシューベルトはおよそソナタ形式を展開させるには不適当と思われる長い歌謡調のメロディーを主題に持って来ている。

それはベートーヴェンの小さなモチーフが曲全体を構成して堅牢な楽曲を作る方法とは明らかに異なった作法を試みたと言わざるを得ない。

シューベルトのそれは美しいメロディーが走馬燈のように移ろい再び戻ってくる。

各楽章間のつながりも一見密接さを欠いた、取り留めのない楽想の連なりにさえ感じられる。

しかしリヒテルはそのあたりを誰よりも良く心得ていて、こうした長大な作品に冗長さを全く感じさせない、恐ろしいほどの冷静沈着さと集中力を持って曲全体を完全に手中に収めてしまう。

リヒテルはもうこれ以上遅くはできないというぎりぎりのところまでテンポを落とし、しかも音色美に過剰に依存することもせず、感情表出の深い境地に静かに分け入ってゆく。

特有のカンタービレからは喜遊性を退けて、その喜びは沈潜してしまう。

こうした込み入った表現を可能にしているのは、円熟期のリヒテルの内省的な深い思考をシューベルトの音楽の中に反映させ得るテクニックの賜物に違いない。

ここではひたすらシューベルトの音楽に沈潜した大家の、年輪を経た円熟した肉声が語りかけてくる。

もともと、人知れずシューベルトをこつこつレパートリーにしてきたリヒテルだけに、その精神世界の深みが素晴らしい。

このディスクのソナタでは、決して派手ではないが、淡々とシューベルトならではのデリカシーの奥底まで案内してくれる。

特に、ピアノ・ソナタ第14番イ短調はリヒテルの唯一の録音で、彼の数々の演奏の中でも傑出している。

音の表層をなぞるだけでは決して表現し得ない世界であり、こういう演奏を聴くと、リヒテルがなぜ巨人であったかが分かろうというものだ。

即興曲第2番と第4番は、ところどころにあらわれるシューベルトならではの孤独感と哀感を、繊細に表現していて聴かせる。

ともすると平凡になってしまうこれらの小品も、リヒテルの手にかかると精神的に深い音楽となってしまうから不思議だ。

このCDに収められた4曲はいずれも1979年に行われた東京でのライヴから採られていて、会場の緊張した雰囲気がよく伝わってくる演奏で、録音状態と音質の良さでは群を抜いている。

だが版権の関係か、あるいは日本のメーカーが興味を示さなかったためか、アメリカのミュージカル・コンセプツ社が英国マンチェスターから配給しているマイナー・レーベル、アルトが細々とリリースしているのが惜しまれる。

音源は英オリンピアのライセンスだったが、同社倒産の後は英レジスが引き取り、更に廃盤となったものをアルト・レーベルから再発しているという複雑な事情がある。

しかし皮肉にもリヒテル円熟期の至芸を堪能するのにこれら一連のCDが非常に高い価値を持っていること自体、意外に知られていないのが実情だ。

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2017年03月06日


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シューベルトのピアノ・ソナタは実際にコンサートで取り上げられる機会がそれほど多くない。

中でもこの東京公演で演奏された第9番ロ長調D.575及び第11番へ短調D.625は特別なチクルスでもない限りその魅力に触れることは皆無に近い。

これらの曲は牧歌的な素朴な響きと親密な雰囲気を持っているが、いわゆる弾き映えのしない曲なのでリヒテルがこの録音を遺してくれたことは幸いという他はない。

同時代のウェーバーも歌謡調の旋律を多用したピアノ・ソナタを書いているが、彼は誰よりも劇場に生きた作曲家らしくピアニスティックな華麗な技巧を前面に出してオペラ風の起承転結を明快にしているのが対照的だ。

その点シューベルトはソナタ形式により忠実で、思索的な音楽語法に秀でている。

リヒテルのシューベルトを聴いていると時間が経つのを忘れてしまうほど、率直にその純粋な魅力に引き込まれるし、また彼がこうした野心的でない曲をレパートリーにしていたことにも興味が惹かれる。

それは彼が如何にシューベルトの音楽観に共感を得ていたかの証明でもあるだろう。

なかば忘れられようとしているシューベルトが20歳頃に書いた慎ましい2曲から、リヒテルは豊かな情趣を引き出し、音楽の楽しみを心得た人の心には何の拘りもなく素直に入り込んでくる演奏だ。

リヒテルはモンサンジョンのドキュメンタリー『謎』の中のインタビューで「シューベルトは誰も弾かないが、私自身が楽しめるものなら聴衆にもきっと楽しんでもらえる筈だ」と語っている。

例によって緩急自在に弾きわけながら、音楽の流れは自然で、しっとりとした情感に満ち、心の底深く訴えてくる。

尚第11番は第3楽章が完全に欠けた未完の作品で、バドゥラ=スコダなどによって補筆された版もあるが、リヒテルはこのソナタが作曲された1818年に単独で書き遺されていた『アダージョ変ニ長調』D.505を当てていて、作品としての問題点を感じさせる以前にある真実の表現をもった音楽となっている。

またこのCDには他に『楽興の時』D.780より第1,3,6番がカップリングされているが、リヒテルの演奏の凄さを示している。

シューベルトの小品に対し、楽しさに溢れたロマンティックなものを求めがちだが、そういう常識を覆す演奏で、リヒテルの手にかかるとシューベルトの孤独の魂、哀しみの深さがしみじみと滲み出てくる。

小品であっても、彼の眼差しは作品の底まで射抜いているかのようだ。

いずれも1979年に東京文化会館、NHKホール及び厚生年金会館ホールで催されたコンサートのライヴ録音で音質はきわめて良好。

東京でのコンサートからの一連の音源は優秀なものだが日本からはリリースされておらず、現在では外盤を調達するしかないが、このアルト・レーベルからはリヒテルのシューベルトのソナタ集だけでもライヴ、セッションを含めて既に3枚出されている。

ライセンスは総て英オリンピアが持っていたもので、同社倒産以降はレジス・レーベルが引き取り、その廃盤に当たってアメリカのミュージカル・コンセプツ社がマンチェスターからアルト・レーベルとしてリイシューしている。

このシリーズのライナー・ノーツは見開きの3ページで英語のみ。

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2017年03月04日


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巨匠リヒテルがオイロディスクに遺した1970年から83年にかけてのセッション録音をまとめたもの。

ファースト・リリース時のカップリングとオリジナル・ジャケット・デザインを採用してリマスタリングされた14枚のCDセットになる。

このために収録曲数のわりにはCDの枚数が多く、また初出音源こそないが、彼の演奏の中でも伝説的でさえあるクレスハイム宮殿でベーゼンドルファーを弾いたバッハの『平均律』全曲やシューベルト後期ソナタ2曲など、ユニヴァーサルからの51枚組には入っていないものばかりで、彼の最も充実した演奏の記録として本家からのリリースは歓迎したい。

尚個別購入の選択肢としては英オリンピア、レジスの版権を引き継いだ米ミュージカル・コンセプツ社がマンチェスターからアルト・レーベルとしてそれぞれライセンス・リイシュー盤のリリースを続けていて、ここに収録された殆んどのレパートリーをカバーしている。

また、リヒテルのセッションの中でも最高傑作との名高い『平均律』に関しては日本盤SACDも入手可能だ。

リヒテルは生涯に亘って枚挙に暇がないくらい様々なレーベルに録音を遺している。

メジャーなところではドイツ・グラモフォン、フィリップス、デッカ、RCA、コロンビア、EMI、エラート、テルデック、オイロディスクなどだ。

ロシアでは先般集大成されたボックス・セットでも明らかなようにメロディアにも膨大な音源があるし、ライヴに至っては録音嫌いだった彼が望むと望まざるとに拘らず、演奏会場には常に録音機材が持ち込まれ、収拾がつかないほどの量の音源がCD化されてきた。

このセットにはドイツ系作曲家のレパートリーを中心にショパン、ラフマニノフ、チャイコフスキーの作品が収録されていて、いずれも彼の音楽性が最高度に発揮された演奏を良好な音質で鑑賞できる。

宮殿内部で録音されたものは潤沢な残響が含まれているが、彼が都心のコンサート・ホールを避けて、敢えて郊外の閑静な歴史的宮殿を選んでいるのは、その音響効果だけでなく演奏への霊感を高めるための手段だったのかも知れない。

CD6ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第27番とCD12ショパンのスケルツォ第1番にヒスノイズが入っているのが残念だが、おそらくマスター・テープに由来するもので敢えて除去しなかったと思われる。

追記 ノイズの入ったCDについて、こちらからコンプレインを出すまでもなく購入先のドイツjpcからノイズのない4枚のCD(6,8,10,12)が無料で送られてきた。

もしノイズ入りのCDが含まれていた場合は交換可能のようだ。

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2017年03月02日


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ルソーが言語の起源と本質を論じた著作。

言語の本質とは情念の表現にあり、もとは言語と音楽の起源は同一であったという。

言語の起源と変遷、諸言語の地理的差異、音楽の起源、旋律、和声の原理と歴史が分析され、南方と北方の言語の抑揚の相違、言語の現状が言語の変遷といかに関係しているかなどが論じられる。

学生時代単行本で初めてこの作品を読んだ時にはギリシャ、ローマの古典に疎かった筆者は引用の多さと原注を調べることに辟易しながらも、ルソーらしい確信に満ちた論法に興味を惹かれ、彼の思考回路と好奇心を刺激する破天荒の人となりに大きな魅力を感じた思い出がある。

増田氏の訳出によるこの文庫本は平明な口語体で、原注と訳者による訳注がそれぞれの短い章ごとに並列されていて、一般読者のためのより良い理解への便宜が図られている。

ただしルソーの他の論文と同様、当然当時の第一級の教養人を読者に想定して書かれたものであるために、その文学的醍醐味を味わうにはある程度の古典の素養が欠かせないことも事実だ。

ここでも彼が有名な『ブフォン論争』で展開した、殆んど独善的だが豪快な論陣が張られている。

また彼は自分に敵対する人々を常に意識していて、そうした陣営への痛烈な揶揄や時として罵倒も辞さない。

気候が温暖で潤沢な食物に恵まれた地方の人々の最初の言葉は最初の歌であり、一方厳しい気候の北方の民族のそれは相手を威嚇するために鋭い発音になったという論法は、現代の言語学の到達点からすれば観念論の謗りを免れない。

専門分野の資料を欠いていた彼の時代の研究は確たる物的証拠に基いたものではなく、頭脳を駆使して構築されたファンタジーの域を出ない産物だからだ。

しかしながらルソーの思考方法に現代でもその価値を認めるとすれば、むしろそれは彼が古典文学、歴史や地理、文化風俗から哲学、物理、音響学に至るまでの当時の百科全書的な広範囲に亘る知識を総動員して考察しているところである。

すなわちその時代に知り得た総ての知見を総合する術こそ、余りにも細分化され異なった専門分野のミクロ的分析に成り下がってしまった現代の科学に本来の研究方法のあり方を実践してみせている。

そうしたことからもルソーはまさに近代啓蒙思想の元祖的な存在と言えるのではないだろうか。

後半第12章からは話が音楽に移り、彼の論敵である作曲家ラモーへの鋭い攻撃が展開される。

ラモーは既に彼の著書『和声論』で旋律に対する和声の優位を説いているが、ルソーはこれに真っ向から対立し、言葉に源泉を持つ旋律の方に絶対的価値を主張している。

そこで喩えに用いられているのが絵画でのデッサンと色彩で、当然彼はデッサンを音楽の旋律に喩え、色彩を和音に置き換えて論証している。

そして和音が理論化されてしまったために、その進行が逆に旋律を制限し、本来の音声言語の持っている精神的力強さが失われてしまったと説く。

彼の論法では色彩の理論だけでは絵画は成り立たないのだが、それは印象派以後の絵画の傾向を見るなら一概に頷けるものではない。

しかしながら自然界に存在する倍音列とは異なった音律で和声を創り上げた和声法とそれに縛られた旋律は、確かに本来の力強さを失ってしまったのかも知れない。

最後には言語起源論からフランス絶対王政反対に導くルソーならではの強引で飛躍的な帰結も痛快だ。

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