2017年04月

2017年04月29日


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リヒテルはある作曲家の作品を系統的に網羅するような演奏や録音には全く関心を持っていなかったようだ。

勿論彼が録音という仕事自体に熱心でなかったことは良く知られたところだが、例えばベートーヴェンのピアノ協奏曲は第1番と第3番しか弾かなかったし、ピアノ・ソナタでは32曲の作品のうちセッションとライヴ総てを掻き集めてきても22曲しか録音されていない。

それは彼自身も言っているように、ピアニストなら誰もが採り上げるような曲はあえて避け、自分の気に入っている作品に集中したいという願望の表れだったのだろう。

それでも彼の超人的な記憶力は膨大なレパートリーをもたらし、彼が望んだか否かに拘らず結果的に充分立派なディスコグラフィーを遺すことになった。

1枚目の4曲では晩年のリヒテルが切り開いた境地とも言うべき、何物にも囚われない自由闊達な表現が感動的で、中でも『熱情』では当時の彼の音楽的な構想を最も良く反映した解釈を聴くことができる。

それは彼がアメリカ・デビューを果たした1960年の録音と比較して一層きめ細かで優美でさえある。

一方作曲家後期の3曲はリヒテルが虚心坦懐に弾いた率直で心穏やかなベートーヴェンという印象で、中期のソナタのように激情を爆発させるわけではなく、響きの精妙さをもって対し、作曲家晩年の深遠な抒情を最大限に引き出している。

そこには巨匠特有の精神的な余裕と経験を積んだ貫禄が感じられ、こうした曲の表現に一層の深みと俗世のしがらみから開放された清澄な輝きを感じさせる。

またその美しさはテクニックの衰えを補って余りあるものがあり、雄渾な表現を得意とするいつもの彼とは異なる一面が示されていて興味深い。

この2枚組のCDに収められた7曲のソナタは、全曲フィリップス音源で前半がアムステルダム・コンセルトヘボウ、後半がシュトゥットガルトのルートヴィヒスブルク城オルデンスザールでのどちらもライヴからのデジタル録音になるが、これらは生前リヒテル自身がリリースを承認したそれほど多くない音源のようだ。

ふたつの演奏会場での音響の差が歴然としているが、音質自体は極めて良好だ。

17ページほどのライナー・ノーツには英、仏、独語によるリヒテルの略歴と演奏についての簡易な解説付。

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2017年04月27日


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プラガ・ディジタルスSACDシリーズの1枚で、プロコフィエフの交響曲第5番変ロ長調Op.100及び同第6番変ホ長調Op.111をカップリングしている。

どちらもライヴからの収録だが前者が1973年後者が1967年の良好なステレオ音源であるためにSACD化の効果も明瞭で、鮮明かつ充分に潤いのある音響が蘇っていて迫力にも不足していない。

尚ここに収録された2曲に関しては古いモノラル録音から1980年代に至るステレオ録音まで複数の音源が存在するが、このディスクではレニングラード・フィルの初期に感じられた息をもつかせないミリタリー的な硬直感から解放された大陸的な懐の深さと余裕で両者のコラボには揺るぎないものがある。

ムラヴィンスキーがレコーディングしたプロコフィエフの作品は意外に少なく、フランク・フォアマン/天羽健三編のディスコグラフィーにはここに収録された2曲の交響曲の他にはバレエ音楽『ロミオとジュリエット』のみが記録されている。

いずれにしてもムラヴィンスキーが録音した僅か2曲の交響曲がこのSACDに揃ったことは歓迎したい。

交響曲第5番は1973年6月29日のレニングラード・ライヴで、音質はホールの響きも適度に捉えたバランスに優れ、特にブラス・セクションの充実感はレニングラード・フィルの面目躍如たる音響を再現している。

交響曲第6番は1967年5月25日のプラハの春音楽祭からドヴォルザーク・ホールでのライヴとクレジットされている。

もしこのデータが信頼できるものだとすれば、音質が余りにも良過ぎるという印象を持った。

確かに東欧圏の中では当時のチェコが最も進んだ録音技術を持っていたことは疑いないし、またDSDリマスタリングされ音質向上が図られていることには違いないのだが、1960年代のライヴとしては異例と言わざるを得ない。

しかもライヴ特有の客席からの雑音は一切聞こえて来ない。

プラガは過去にムラヴィンスキーの音源やデータ改竄で物議を醸したレーベルなので、データに関しては筆者自身確証が得られず断言できないことを書き添えておく。

ムラヴィンスキーはこの曲の初演者でもあり、作曲家の構想を注意深く研究した解釈や、大規模な管弦楽に多彩なパーカッションやピアノが交錯する音響の再現にその絶妙なオリジナリティーを感じさせずにはおかない説得力があることは事実だ。

この曲にはより緊密なアンサンブルと推進力で優る1958年盤があるが、色彩感とスペクタクルな音響でこちらを採りたい。

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2017年04月25日


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バーンスタインは録音に関しては常に肯定的な考えを持っていて、生涯を通して精力的にレコーディングを行った。

CBS音源からはソニーがCD80枚のコレクション盤と自作自演集25枚をリリースしているし、ドイツ・グラモフォンからは全2巻計124枚の全集が刊行されていて、その他ニューヨーク・フィルハーモニック自主制作盤やEMI音源など、どれから聴くべきなのか入門者には迷うくらいの選択肢が提供されている。

ここに紹介する英リアル・ゴーン・ミュージックからの4枚組は、バーンスタインのデビュー間もない1946年からニューヨーク・フィル就任直後の1959年迄の初期の音源をリマスタリングしてリイシューしたもの。

ステレオ録音はCD2の2曲のガーシュウィンだけだが音質向上という面では、特に1940年代の音源が予想以上に骨太で精彩のあるサウンドで再現されていて、かなりの成果を上げている。

大部のセット物の購入を躊躇している方にも鬼才バーンスタイン若き日の演奏のサンプラー盤としてお薦めしたい。

いずれの演奏も初CD化ではないが、自作自演も含めて単品で揃えることが困難なレア音源が集められていて、例えば彼の交響曲第2番に関しては1965年の改訂版ではなく1949年の第1稿の方が収録されている。

また『セレナード』でも彼が後に再録音したフランチェスカッティのヴァイオリンではなく、初演を飾ったスターンのソロで聴くことができる。

そこにはストラヴィンスキーやガーシュウィンなどにも共通する、この頃のバーンスタインの音楽に対する鋭利な切り込みと意気揚々としたバイタリティーに溢れる解釈が古い録音から新鮮に甦ってくる。

またドヴォルザークやチャイコフスキーでは彼の滾るような情熱とロマンティシズムが弥が上にも伝わってくる。

リアル・ゴーン・ミュージックはクラシック専門のレーベルではなく、カタログを見るとジャズやポップスの歴史的録音をリマスタリングしてCD化しているようだが、ここではバーンスタイン自身も含めた7人の作曲家の作品10曲が選曲されて異色のアルバムに仕上がっている。

4枚のCDが4面折りたたみ式のデジパックに収納されていて、独立したライナー・ノーツは付いていないが、見開きにバーンスタインの簡易なキャリアと裏面に収録曲が掲載されたラフな体裁。

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2017年04月23日


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ヨーロッパでは品薄のためプレミアム価格で取り引きされていた当CD(2016年1月から4月にかけてミュンヘンにて収録)が再生産されたらしく、アマゾンEUのマーケットでもこのところリーズナブルな値段に戻っている。

このCDに収録されたベートーヴェンの管楽器が加わる室内楽は演奏される機会が少なく、こうしたジャンルだけを集めた録音も稀で、ドイツ・グラモフォンからのベートーヴェン・エディション第14巻及び第15巻以来纏めて聴くことができなかったものだ。

巧みなアンサンブルということにかけては後者は1960年代から70年代のローター・コッホやカール・ライスター首席時代のベルリン・フィル・ウィンド・アンサンブルのスター・プレイヤー達なので優劣はつけ難い。

収録曲は木管楽器のアンサンブルとそれにホルン、ピアノが加わる作品に限られていて、弦楽器が入る名高い七重奏曲は残念ながら含まれていないし、ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調は別の3枚組の方に加わっているが、単独のアルバムのプログラムとしては統一性のとれた高い芸術性を感じさせる選曲だ。

クラリネットのポール・メイエが中心となって結成された管楽アンサンブル、レ・ヴァン・フランセーは名称のとおり、ここではまさにフランス流のウィンド・アンサンブルのしなやかさと開放的な表現がそれぞれの曲に横溢している。

管楽器のスーパースター軍団らしく、華やかでしかも精緻な演奏が作曲家の垢抜けた洒落っ気さえ感じさせる解釈と合わせの美しさが秀逸だ。

メンバーはフルートのエマニュエル・パユ、オーボエのフランソワ・ルルー、ホルンのラドヴァン・ヴラトコヴィチ、ファゴットのジルベール・オダン、ピアノのエリック・ル・サージュ、そしてメイエの6人から成り、メンバー全員が超一流のソリストでもある、言わば管楽器のドリーム・チーム。

彼らは1993年に南フランスの小都市サロン・ド・プロヴァンスでの国際室内楽音楽祭の創設時にフランス系の器楽奏者で結成され、レギュラー・メンバー6人を中心に今ではこの町の夏の音楽祭のみならずインターナショナルなツアーも盛んに行っている。

“レ・ヴァン・フランセー”の名を冠する以前に主要メンバーが参加した『プーランク:室内楽曲全集』(1999年RCA)は、同年のレコード・アカデミー大賞を獲得した。

それ以前からもメンバーは共演を重ねており、とりわけル・サージュ、パユ、メイエが主宰するサロン・ド・プロヴァンス国際室内楽音楽祭〈ミュジーク・ア・ランペリ〉では、ほとんどのメンバーが創設当初から20年以上にわたり同じステージに上っている。

それぞれが現役のソリストあるいはオーケストラの首席奏者であることから、アンサンブルとして顔を合わせる機会は限られているが、それでもこれまでに初期のRCAの音源を含めると既に都合10枚のCDをリリースしている。

音質は鮮明でボリューム・レベルも高く、レ・ヴァン・フランセーの明るい音色が明瞭に捉えられていて、管楽器の妙技を堪能できる。

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2017年04月21日


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カール・シューリヒト没後50周年記念ボックスはリリース前の触れ込みでは10枚総てが当時のデッカが誇ったハイファイ、f f r r フル・フリクェンシー・レンジ・レコーディングスということだった。

但しライナー・ノーツによると実際には、[CD1]ベートーヴェン:交響曲第2番、[CD2]同『コリオラン』序曲、[CD4]ブラームス:二重協奏曲、[CD5]ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲、[CD6]ウェーバー:『アブ・ハッサン』序曲、[CD7]シューマン:『マンフレッド』序曲の6曲に関してはメタル・マスターから製作したマザーではなく78回転シェラックSP盤からの板起こしである。

再生されるオーケストラ自体の音質は確かに芯があり奥行きも感じられるが、テープ録音以前の音源の宿命とも言える相当のスクラッチ・ノイズを伴っていてかなり煩わしいものもある。

尚これら6曲と最後のワーグナー演奏集はデッカの公式初CD化になる。

f f r r の効果が最も際立っているのは[CD2]ブラームス:交響曲第2番、[CD6]メンデルスゾーン序曲集、[CD8]シューマン:序曲、スケルツォとフィナーレ、交響曲第2番、[CD9]チャイコフスキー演奏集、[CD10]ワーグナー劇場作品のコンサート・バージョンと、このセットでは唯一のステレオ音源になる[CD7]モーツァルト:交響曲第35番『ハフナー』及びシューベルト:交響曲第8番『未完成』で、それぞれの楽器の独立性やしっかりした厚みのある音像は高く評価したい。

ワーナーから出ているイコン・シリーズの8枚組とはレパートリーもだぶりが少ないので、この2セットがシューリヒト・ファンには欠かせないコレクションになるだろう。

戦前戦後にかけて活躍したドイツ人指揮者としては珍しく、シューリヒトは恣意的なテンポ設定を避け、淀みない奔流のような演奏を実践した指揮者だった。

そこには彼の時代にあって異例とも言える新時代の音楽観を先取りした怜悧な解釈を聴き取ることができる。

オーケストラを統率する手腕も流石で、それぞれのパートからドイツ的な溜めや重厚さよりも流麗で勢いのあるアンサンブルを引き出しながらも、軽佻浮薄とは縁のない明確な造形と生命力に溢れるサウンドを創り上げている。

そこが現代の私達にも容易に受け入れられ、高い評価を得ている理由だろう。

協演では2曲のブラームス、バックハウスとの堅牢なピアノ協奏曲第2番とフェラスと組んだ柔軟なヴァイオリン協奏曲が対照的だ。

またオーケストラではシューリヒトと縁の深かったウィーン・フィル、ロンドン・フィル、スイス・ロマンド、パリ音楽院の個性が発揮された貴重な音源が復活しているのも幸いだ。

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2017年04月19日


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性愛の価値観、差別の形成というヨーロッパ社会の基底に関わる諸事象を日本社会との比較史的考察を通じて明快に解明した、西洋中世史の第一人者として、言論人として、 数々の名著を世に送りながら惜しくも急逝した、碩学の遺著。

かつて日本と同様な「世間」が存在していたヨーロッパが、なぜ個人を重視する社会へと転換したのか、個人の誕生の背景には何が存在していたか、従来の歴史学が語らなかった生活の風景に踏み込み、日本人の生き方を問い続けた著者による総決算。

阿部氏の「世間」という一種の社会的空間の観念を明確に捉えるために著者の文章を直接引用してみたい。

例えば第2章「日本の世間」の中で、「世間」は広い意味で日本の公共性の役割を果たしてきたが、西欧のように市民を主体とする公共性ではなく、人格でもなく、それぞれの持っている個人の集合体としての全体を維持するためのものであると述べている。

そして日本には個人が敬意をもって遇される場所がない、個人がいないとさえ書いている。

その意味は敬意が表されるのは個人ではなく、その人が所属している立場に向けられるということだろう。

現在でも公共性とは官を意味することが多く、「世間」は市民の公共性にはなっていないということだ。

阿部氏は別の著書で旧帝国大学について言及していた。

つまりヨーロッパの大学は市民からの要求で生まれたが、日本では国のために尽くす役人を育てるために国家が創ったのが大学であり、自ずと個人が自由に研究する施設ではない。

己を虚しゅうするとは荘子の言葉だったと思うが、それは古来日本人の美徳として定着して古い時代の「世間」では大いに功を奏していたが、明治以来の急速な近代化が進んだ後にも、こと人間関係に関しては官庁や会社の中で旧態依然とした「世間」が幅を利かせ、その美徳を逆に利用し続けているのが現代の「世間」ではないだろうか。

そしてまさに近代化と相容れない「世間」の相克を取り上げたのが阿部氏の問題提起だと考えられる。

現在話題になっている元官僚の大学への天下り事件についても既に阿部氏は自己の体験を通して、その明快なメカニズムを証している。

彼が国立大学を離れた後勤務したある私立大学では文部科学省の複数の次官経験者が理事になっていて、彼らは大学の放漫経営が発覚しても意に介せず、教育の実態よりも天下りのポストを確保することに腐心していたという。

「世間」の一員として後輩のポストを確保するのも個人の欠乏に他ならない。

更に著者は日本で民主主義を実現しようとすれば、少なくとも個人の「世間」からの自立が不可欠だが欧米流の民主主義にこだわる必要はないとも断言している。

それによって彼の専門分野である中世にキー・ポイントを置く西欧社会の礼賛でもなければ、日本の伝統的文化との優劣の問題でないことも明らかにしている。

この考察の中では「世間」という概念をイメージするためにさまざまな現象が引き合いに出されている。

そのひとつが賤民の差別化の経緯であり、また互酬関係の推移だが、日本と欧米の「世間」を決定的に分けた要因にキリスト教の圧倒的な影響力を見て取っている。

いずれにしてもある程度の難解さが常に付き纏っているので、本書をより良く理解するためには阿部氏の他の作品も併読することをお薦めしたい。

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classicalmusic at 00:44コメント(0)トラックバック(0)筆者のこと 

2017年04月17日


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若いグループながら、ずいぶん早くから活躍し、その力を高く評価されていたハーゲン弦楽四重奏団の名を一躍高らしめた演奏で、真にその実力を世間に認知させた名盤である。

ヤナーチェクの《クロイツェル・ソナタ》と《ないしょの手紙》という表題をもった2つの弦楽四重奏曲は、激しい起伏に富んだ表現主義的作品だ。

これら2曲の弦楽四重奏曲は、チェコ国民楽派のなかでも特異な存在として知られるヤナーチェクが、その晩年に38歳も年下の人妻カミラ・シュテスロヴァーと深い恋愛関係に落ちたことを機縁に作曲された。

恋愛というものに潜む悲劇性や甘美な思い、さらには不安や憧れという微妙な情感が、モラヴィアの民俗音楽や言語性から吸収した独自の語法と奔放とも言える自由な筆致で、見事に描き尽くされる。

ラルースの音楽辞典は、「チェコの口語を解すること」をヤナーチェク演奏者の条件として挙げているが、母国の団体の演奏はぬるま湯に浸かっているみたいで面白くない。

ハーゲンSQのCDは、この音楽に1つの演奏様式を確立したと評していい名演で、バルトークの音楽とジュリアードSQの出逢いに似ている。

1988年録音であるが、彼らは自分たちが20世紀末に生きている演奏家であることを強烈に自覚しているようで、単に民族主義的な作品としてではなく、むしろ現代音楽として扱っている気配すらある。

このオーストリアの若い弦楽四重奏団のメンバーに、老人が抱いた複雑な恋愛の感情がどれほど理解できるのかわからないが、彼らによって奏でられた情熱あふれる音楽は、一個人の思いを突き抜けて、恋愛感情の深層を赤裸々に描き切る。

そのシャープな現代的センス、厳しささえ感じさせる鮮烈な音色、どこまでも核心に迫ろうとする気迫の鋭さ、ヤナーチェクの内面を表現し尽くそうとでも言わんばかりの旺盛な表現意欲、音楽構造に対する的確な反応などによって、これらの作品にまさに今日的意味を与えている。

そして彼らは、これらの音楽から国民主義的性格を超えたかつてないほどの表現主義的な意味を見事に浮かび上がらせ、20世紀のものであるということを徹底的に認識させてくれる。

《クロイツェル・ソナタ》では、4つの楽器が極めて強く自己主張し、それがヤナーチェクの作曲語法やこの作品の構成を明らかにする上で大きな力になっている。

加えてトルストイの小説にヒントを得た標題音楽としての劇的発展や、主人公たちの心理的葛藤までも見事に表現している。

《ないしょの手紙》も表現主義的な趣をもって開始される冒頭からもうかがえるように、内声部の表現の豊かさが見事だ。

作曲家ヤナーチェクの心の叫びは、そのまま彼らの叫びとなって演奏そのものに内燃しており、切々たる愛を訴える激しいスル・ポンティチェロ奏法は、各楽器に受け継がれ、作曲家の想いを託して、聴く者の心に突き刺さるように打ちこまれる。

ヴォルフも見逃せない快演で、ややこじんまりとしているものの、爽やかな抒情性が魅力をもっている。

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classicalmusic at 00:01コメント(0)トラックバック(0)ヤナーチェク 

2017年04月15日


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かつてマリア・カラスと熾烈なライバル意識に火花を散らせたイタリアのソプラノ、レナータ・テバルディのデッカへの全録音がまとめられた。

カラスの全集は既にEMIから豪華なリマスタリング盤がリリースされているが、テバルディに関してはオペラ全曲盤は別として、その実力のわりに正規のセット物は少なく、今回の66枚組もいたってシンプルな廉価盤仕様になっている。

しかし演奏内容は恐るべきものがあって、彼女が不世出のソプラノであったことが今更ながら証明される結果になった。

この時代のオペラ歌手達は声だけで演技するすべを心得ていたが、更に明るく輝かしい美声と伝統的なカンタービレを堪能させてくれたのがテバルディだった。

中でもヴェルディの高貴な役柄は絶品で、これだけのスケールで大舞台を創り上げる歌手は現在に至るまで見出すことができないだろう。

彼女の至芸は、声の魅力を極限まで活かすことが最高の表現力につながるという、まさにイタリアの正統的な歌唱法に則っている。

そしてその歌はスタイリッシュだが時代を超越していて、むしろイタリア・オペラが目指したひとつの究極の姿を示していると言っても過言ではないだろう。

テバルディの共演者達も特筆される。

当時の歌手達にはレコード会社とのかなり厳格な専属制がとられていたので、デッカ制作のオペラであれば常に同様の専属メンバーが顔を合わせることになる。

メゾ・ソプラノのシミオナート、テノールのデル・モナコ、ベルゴンツィ、バリトンのバスティアニーニ、プロッティ、バスのシエピなど超豪華キャストに恵まれていたのも幸いだった。

奇しくもこの全集は彼らの演奏に捧げられることにもなっている。

例外としては1957年にビョルリンク、バスティアニーニと組んだCD22『カヴァレリア・ルスティカーナ』や1965年のベルゴンツィ、フィッシャー=ディースカウとの『ドン・カルロ』CD44−46などがある。

ライナー・ノーツは147ページほどだが、殆んどの部分が演奏曲目と録音データに費やされていて、最後に英、仏、独語によるごく簡易なテバルディのキャリアが掲載されている。

彼女がデッカに録音したオペラ全曲盤はプッチーニの『三部作』を1曲と数えると全部で25曲で、そのうち『ボエーム』『蝶々夫人』『トスカ』『アイーダ』『仮面舞踏会』『オテロ』については新旧2種類ずつの音源があり、そのすべてがここに網羅されている。

尚CD54からがアリア及び歌曲集で、最後の2枚のボーナスCD65及び66が1951年スカラ座ライヴからの、デ・サーバタ指揮によるヴェルディの『レクイエム』がデッカの正規初りリースになる。

ボックス・サイズは縦13X横13X奥行き13,5cmで、CDはそれぞれが素っ気ない、デザインなしのスリーブ・ジャケットに挿入されていて、コレクション用装丁とは言えない。

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classicalmusic at 00:26コメント(0)トラックバック(0)ヴェルディプッチーニ 

2017年04月13日


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『ピアノ伴奏者の王』と題された10枚組のセットは、1人の伴奏者の記録としては余りにも稀な企画であり、それはそのままムーアの辿った奇跡的なキャリアを示している言葉だ。

むしろここに収められた曲目はそのごく一部で、彼は膨大な量の歌曲伴奏の他にも器楽とあわせたセッションも少なからず残している。

しかもどのソリストもその時代を代表する演奏家だったことを考えると、彼が如何に共演者として信頼された存在だったか理解できる。

このアンソロジーは歌曲に限られているが、それぞれが独、仏、英、西、伊語の歌詞を持ったもので、それらの歌の意味するところを的確に捉えて歌手の長所を引き出す術は並大抵の努力では得られない筈だ。

これは彼が自著『伴奏者の発言』及び『歌手と伴奏者』でも述べていることだが、相手の声質によって伴奏は変えなければならない。

ソプラノとバスを同じようには伴奏できないし、同じ曲でも移調すれば曲自体のイメージが変化するだけでなく、当然指使いも全く異なったものになる。

だから一度弾いたからレパートリーになるというものではなく、伴奏者である限り、こうした課題は果てしなく続く。

そのあたりの極意を極めたのがムーアだったのではないだろうか。

ムーアの演奏に強烈な自己主張はない。

それはあくまでも相方を活かし、寄り添って音楽を作り上げようという哲学に貫かれているからで、なおかつ彼が伴奏というカテゴリーを芸術の域に高めることができたのは、自らの役割を明確に認識し、その手法を洗練しつくしたからだと思う。

しかしムーア自身、一流のピアニストや指揮者達が伴奏側に回ること、つまり伴奏経験をすることを強く勧めている。

何故ならそれを体験することによって彼らの音楽観が飛躍的に広がり、ソロを弾く時やオーケストラの扱いに応用できるからだ。

あるいはむしろそのための時間の捻出を嫌う彼らへの警告なのかもしれない。

前置きが長くなったが、ボックスの裏のデータを見てから1枚目のCDを聴いて面食らった。

表記ではCD1−3の歌手はアクセル・シェッツとなっているが、実際にこのデンマークのテノールが歌っているのは2枚目の『美しき水車小屋の娘』で、『冬の旅』はフィッシャー=ディースカウ、『白鳥の歌』はハンス・ホッターの演奏だったからだ。

録音は現在比較的手に入りにくい1940年から1958年にかけてのもので、音質は時代相応の響きだ。

個人的には彼が器楽を伴奏したものをまとめて聴いてみたい。

それによって更にムーアの実力が明らかになる筈だ。

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2017年04月11日


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ジャーナリスト、エンツォ・ビアージとRAIイタリア放送協会のコラボによって制作されたテレビ番組『スカラ座の黄金期』を3巻に分けてリリースしたシリーズ最終巻の舞台は日本に移る。

ミラノ・スカラ座は1981年に東京で引越し公演を行ったが、このDVDは当時上演されたヴェルディの作品3曲、カルロス・クライバーの振った『オテロ』、クラウディオ・アバドの『シモン・ボッカネグラ』及び同じくアバド指揮による『レクイエム』の上演風景と舞台裏での取材やスタッフ達へのインタビューによって構成されている。

今でこそヨーロッパのオペラ劇場を日本に招聘することは珍しくないが、イタリア・オペラに関しては1976年が最後になったイタリア歌劇団来日公演以来のビッグ・イベントだった。

イタリア歌劇団はいわゆる引越し公演ではなく、コーラス、バレエ、オーケストラは総て日本勢が協演していたが、この時ばかりはスタッフ総勢450名がイタリアからジャンボ・ジェット2機を借り切って東京に向かい、スカラ座から海路で運ばれた大道具、小道具その他諸々はコンテナーにして40台が東京湾に上陸することになる。

日本側からの16年に亘る交渉の末実現に漕ぎ着けた公演だけあって、日本人スタッフ達の意気込みもその仕事ぶりを通して強く感じられる。

『オテロ』を指揮したクライバーへのインタビューがないのは少々残念だが、ライナー・ノーツに暗示されているように彼自身が承諾しなかった可能性が強い。

ただクライバーはこの来日を機に日本贔屓になったのは確かで、TOKYOのネーム入りのTシャツを着て稽古をしている風景も映し出されている。

若き日のアバドはドイツ系作品の偉大な指揮者としてフルトヴェングラーを先ず挙げ、またクライバーに対しても称賛を惜しまない。

カラヤンの名が出ないところが興味深いが、また優れたイタリア人指揮者としてはライバル視されていたムーティを始め、ジュリーニやシャイー、シノーポリなどの仕事を評価して、公明正大な見解を披露している。

歌手ではドミンゴがかなり長いインタビューを受けていて、少年時代の家族とのメキシコやイスラエルでの遍歴の演奏旅行や経験談が語られている。

最後にテノール馬鹿という表現について聞かれると、「私は先ず音楽家であり芸術を志す者でその範疇には属さない」ときっぱり言い切っている。

一方カップッチッリは楽屋で化粧をしている最中にビアージの質問に応えて、建築家になるつもりでいたが、進路変更をして6年のキャリアの後に初めてスカラ座の舞台に立ったと話している。

また『ファヴォリータ』で失敗した時の感覚を公衆の面前で裸にされたような気分だったと回想して、彼のような大歌手でも図らずも不成功に終わった公演があったことを告白している。

もう1人がミレッラ・フレーニで、床屋の父とタバコ工場で働く母との貧しかったが幸福だった幼い頃の思い出や、伯父に美声を認められてオペラ歌手を目指すようになったことなど、気さくで庶民的な話しぶりはかつてのプリマドンナのような近付き難い印象は皆無だ。

8ページほどのライナー・ノーツにはインタビュアーのジャーナリスト、エンツォ・ビアージの略歴とこのDVDに収録されている当時の東京公演の指揮者及び歌手達のエピソードが伊、英語で総括されている。

尚3巻に亘ったスカラ座シリーズのDVDをリリースしているダイナミック・レーベルでは更に『ラ・グランデ・スカラ』と題したもう1枚も準備中のようだ。

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classicalmusic at 00:59コメント(0)トラックバック(0)クライバーアバド 

2017年04月09日


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『スカラ座の黄金期』第2集はミラノ・スカラ座に附属するバレエ・スクールの稽古風景から始まる。

ヨーロッパの伝統的なオペラ劇場の殆んどが、専属のバレエ団を抱えているが、スカラ座にはダンサーを育成するバレエ・スクールも併設されていてクラシック・バレエを志す少年少女に全く無料で門戸を開いている。

しかし入学試験は難関を極めている上に、その後も彼らは多くの犠牲を払って厳しい稽古に耐えなければならない。

その中でもスカラ座のバレエ・チームに残れるのは限られた人達だし、大先輩カルラ・フラッチやルチアーナ・サヴィニャーノのようなプリマやエトワールと呼ばれるダンサーは数えるほどしかいない。

サヴィニャーノへのインタビューで、彼女は幼い頃父親とスカラ座で観た『白鳥の湖』での感動がバレエを始めるきっかけになったと話している。

一方オペラでは1981年に『フィガロの結婚』でスカラ座デビューを飾った指揮者、リッカルド・ムーティと演出家ジョルジョ・シュトレーラーの舞台稽古風景が興味深い。

芝居としての見せ場を徹底して創り上げるシュトレーラーの演技指導が印象的だが、若い頃からムーティが演出についても非常に積極的に関与していたことが理解できる。

冒頭でムーティがオーケストラの団員に脚を組んで演奏しないようにと注意する場面がある。

言われた団員は無視しようとするが、コンサート・マスターから厳しく注意されている。

この頃まだムーティが駆け出しの指揮者だったことを垣間見せている一場面だ。

この第2集で最も長いインタビューを受けているのは、往年のプリマ・ドンナ、レナータ・テバルディで、ピアノ伴奏による『ボエーム』からの短いシーンも収録されている。

彼女がマリア・カラスの歌唱に感動して楽屋を訪れた思い出や2人の間が気まずくなった原因についても冷静に記憶していて、彼女の死には真摯な哀悼の意を表している。

「天使の声」と形容したトスカニーニの助言と指導によって、それまで避けていた『アイーダ』をレパートリーに加えたエピソードも語られている。

後半ではスカラ座の観客で結成されている『天井桟敷の友人達』というアソシエーションの会食時に交される議論が面白い。

彼らは音楽の専門家ではなく、言ってみればオペラの熱狂的な愛好家集団だが、素人がスカラ座の公演の質や演目あるいは歌手について、口から泡を飛ばして言いたい放題で論争する場面は流石オペラの国イタリアといった風景だ。

またこうした広い層の根強い地元ファンに支えられてこそ、スカラ座が成り立っていることが想像される。

彼らはインタビューに答えるという形式ではなく、自由気ままに自説をまくし立てて怪気炎を上げているのだが、その中で彼らが求めているオペラと実際の上演演目との乖離を浮き彫りにしたジャーナリスト、エンツォ・ビアージの面目躍如たる企画だ。

最後の部分は前回のシミオナートへのインタビューの後半部で、彼女の尊敬してやまなかった歌手はメゾ・ソプラノ、エベ・スティニャーニだったと語っている。

確かに2人の発声やテクニック、歌唱スタイルには一脈通じるものがあると思う。

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2017年04月07日


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イタリアのジャーナリスト、エンツォ・ビアージのインタビューによる、黄金期のスカラ座を支えた人々の回想で構成されている。

回想と言っても、例えば冒頭に扱われているワーグナーの『ローエングリン』上演を準備するアバドと演出家シュトレーラーは、1981年当時のリアルタイムのインタビューで、この頃盛んになったドイツ物の上演への情熱と意気込みを伝えるエピソードが興味深い。

イタリア物ではヴェルディの『シモン・ボッカネグラ』もアバドの時代にスカラ座でのレパートリーとして定着するが、ここにはカップッチッリやギャウロフとの下稽古も収録されている。

また対象を決して有名人ばかりに限定しないビアージの眼力は流石で、本番の舞台には現われることのなかった縁の下の力持ちとしての合唱指揮者ロマーノ・ガンドルフォなど歌手だけでなくスタッフ一同が持っているスカラ座への強い誇りと愛着を伝える作品に仕上がっている。

後半は更に一世代前の歌手達、カラス、シミオナート、デル・モナコ、ディ・ステファノなどの回想録になる。

マリア・カラスへの短いインタビューで、彼女はスカラ座でのオペラ上演について、多くの人々がそれぞれの主張を通しながらひとつのオペラを創り上げる過程では衝突も避けられないと語りながら、誰を攻撃することもなく、また自分自身の正当性の強調もしていない。

指揮者アントニオ・ヴォットーの回想によればテバルディとカラス間の激しいライバル意識は実際あったにしても、世間によって大袈裟にされてしまったようだ。

しかし彼女と親しかったディ・ステファノへのかなり長いインタビューの中で、彼はカラスが周到な策謀家であったことを証言している。

つまり自分が利用できると思える人物には、ディプロマティックな手段を巧みに使って取り入ったということで、その1人が『椿姫』を演出したルキーノ・ヴィスコンティだった。

動画で貴重なシーンはシミオナートとフランコ・コレッリの『カヴァレリア・ルスティカーナ』のピアノ伴奏による舞台稽古が入っている。

彼女はサントゥッツァを得意の役柄としていたが、トスカニーニからはつまらない作品で声を台無しにするから歌わないように忠告されていたというエピソードは初めて聞いた。

イタリア・ダイナミックからリリース予定の『スカラ座の黄金期』と題された3巻のDVDの第1集になり、リージョン・フリーで言語はイタリア語のみだが、サブ・タイトルは伊、英、独、仏及び日本語が選択できる。

日本語の字幕スーパーはいくらかぶっきらぼうで決してインタビューの総てを逐一訳出したものではなく、もう少し丁寧な訳が望まれる。

全体の収録時間は87分ほどで、イタリア語と英語のライナー・ノーツ付。

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2017年04月05日


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戦後のハンガリーを代表するカルテットのひとつがヴェーグ四重奏団で、彼らは早くからベートーヴェンを始めとする弦楽四重奏曲の全曲録音を手掛けた。

中でも郷土の作曲家バルトークの演奏では良い意味での土の薫りを放つようなローカル色と大地から湧き出るような力強さが特徴だ。

ヴェーグ四重奏団は1954年及び1972年の2度の全曲録音を果たしているが、筆者はこれまで第1回目の録音はモノラルでしか聴いたことがなかった。

このセットを鑑賞する前はおそらく電気的に音場を拡げた擬似ステレオだろうと邪推していたが、実際聴いてみると分離状態や解像度に関しては理想的とは言えないにしても、楽器の位置関係はそれなりに確保されたごく初期のステレオ録音であることが感知できる。

ライナー・ノーツにはヴェーグの抜きん出た芸術性から、敢えてプラガでは最初のステレオ・テープからこのCDを制作したと書かれてあり、新しいリマスタリングの成果も充分に満足のいくものだ。

英コロムビアでは既にこの時期試験的にステレオ録音を始めていたようだが、初出LP盤以来モノラルでリリースされていた。

ちなみに1972年の同曲集の再録音はアストリー・レーベルの音源をナイーヴがCD化した3枚組でリイシューされている。

確かに第2回目に比べれば音質で劣っていることは否めないが、この演奏にはそれを補ってあまりあるほどの覇気に満ちていて、そこに当時の気鋭のメンバーの野心を伝えている。

豊かな音響と余裕ある表現で人間味豊かな音楽をつくっていた第2回目の録音も忘れ得ぬ名演奏だが、第1回目の旧録音のすべての虚飾を切り捨ててまるで音楽の核心だけを捉えたような演奏は、この不滅の6曲の演奏のひとつの原点として貴重だ。

まさに正面から作品とがっぷり四つに組み、技術的にも音楽的にも一切の妥協を廃した極めて厳しい姿勢に貫かれた演奏。

ただそれらが充実した精神的内実に裏付けられているため、すべてが人間的メッセージとして聞こえてくる名演である。

また鮮烈な野趣に溢れていながら決してグロテスクな表現ではなく、随所に聴かせる鋭い閃きや地に足の着いた堂々たるアンサンブルは、シャーンドル・ヴェーグ60歳の再録音では、この勢いが衰退している。

第1ヴァイオリン、シャーンドル・ヴェーグ、第2ヴァイオリン、シャーンドル・ゼルディ、ヴィオラ、ジョルジュ・ヤンツェル、チェロ、パウル・サボーで、彼らは1940年の結成以来1978年までヴェーグ四重奏団の殆んどのキャリアをカバーしたメンバーだった。

4つの楽器のアンサンブルが極めて緊密なうえに音響上の統一も高度で、あたかも全体でひとつの楽器が鳴っているかのよう。

美音に走らず媚びを売らぬその演奏は、聴き手にも異常な神経の集中を要求しつつ、バルトークの厳しくも清冽な精神に肉薄する。

まるで、聴くことが、ひとつの修練であるような演奏は、今はかえって貴重だ。

尚このジェニュイン・ステレオ・ラブは同じプラガ・ディジタルスによるSACDシリーズとは別の新企画で、レギュラー・フォーマットであることを念頭に置かれたい。

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2017年04月03日


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プラガ・ディジタルスからのハイブリッドSACDシリーズでは発売延期になっているルツェルン音楽祭でのベートーヴェンの『第9』を含めると既に7枚目のアルバムになるフルトヴェングラー演奏集。

今回は序曲『レオノーレ』第3番、交響曲第7番イ長調及び同第8番ヘ長調の3曲が収録されたオール・ベートーヴェン・プログラムだ。

昨年2016年5月にリリースされると同時に入手困難になったディスクで、一部の好事家だけでなく多くのフルトヴェングラー・ファンが注目していたことが想像される。

先にワーナーからリリースされたEMI音源のベートーヴェン交響曲全集では第2番と第8番が1948年の古いライヴ録音で、正直言ってその演奏の真価を問うにはほど遠い音質だった。

ここでの第8番は版権の異なる1954年の音源をリマスタリングしているが、勿論こちらの方が音質はずっと良く、SACD化はファンにとって朗報に違いない。

全曲とも擬似ステレオ化されているが不自然さはなく、オーケストラは総てウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で、この時代の彼らの醸し出す音色とその奏法が魅力のひとつになっている。

序曲『レオノーレ』第3番はライナー・ノーツには1944年6月2日のウィーン・ライヴと記されていて、彼の数種類ある同曲の録音では最も古いものだ。

音質は例外的に優れていて第2次世界大戦末期のウィーン・フィルにこれだけパワフルな演奏が可能だったことが興味深い。

第7番は1950年6月18日及び19日のスタジオ・レコーディングとの記載で、どちらが正確なデータか判断できかねるが、これは以前から知られていた同年1月のセッション録音と同一音源だ。

ワーナーのレギュラー・フォーマットの全集からの同曲と聴き比べると、ヒス・ノイズはいくらか多いがオーケストラの鳴りが俄然良く、特に弦楽セクションの勢いが全く違う。

終楽章のたたみかけるような追い込みに唸るように呼応するウィーン・フィルのアンサンブルも秀逸だ。

一方第8番はフルトヴェングラーが亡くなる年のザルツブルク音楽祭からのライヴだが、その生命力漲るエキサイティングな演奏に驚かされる。

ベートーヴェンはウィーンの交響曲には欠かせなかったメヌエットを早くから捨て去ってスケルツォを導入したが、この第8番の第3楽章にはこれが最後だと言わんばかりの、過去の習慣にきっぱりと別れを告げるような大上段に構えたメヌエットを書いている。

フルトヴェングラーはこの作曲家の皮肉っぽいユーモアを熟知していて、かつて聴いたことのないような壮大なメヌエットを奏でている。

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2017年04月01日


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フルトヴェングラーが遺したブルックナーの交響曲第4番の音源は複数存在するが、今回プラガによってSACD化されたのが1951年のシュトゥットガルト・ライヴで、録音データについては諸説あり、このディスクのライナー・ノーツには10月20日と書かれている。

モノラル録音ながら音場にかなりの拡がりがあり低音域も豊かだが、SACD化によって奥行きも感知されるようになり、高音部の再現にも無理がない。

放送用ライヴのためか幸い雑音が極めて少なく音質も良好で、聴衆の咳払いや拍手も一切入っていない。

第1楽章冒頭のいわゆるブルックナーの霧の中に現れるホルン・ソロのミスが聞かれるので、リマスタリングに使われた音源は修正されていないオリジナル・マスターのコピーだろう。

この程度のミスはライヴにはつきもので、虚構を増長するような部分的な差し替えは、それがテクニック的に可能であったとしてもかえって興醒めしてしまう。

スコアは基本的に第3稿(1878ー80)だがレーヴェ版の第3楽章後半のカット部分を復活させて、全曲の演奏時間は66分40秒でハース版に近いものになっている。

ここでもフルトヴェングラーの自己主張が大胆に示されており、全体に極めて劇的な表現をつくり、緩急自在のテンポ感覚に情念が渦巻くようなディナーミクの変化が相俟ってかなり個性的なブルックナーに仕上げられている。

第1楽章から自在な解釈が面白く、聴衆を彼の世界に引き込んでいく変幻自在な指揮法が際立っているが、それに従うウィーン・フィルの特質も浮き彫りにされている。

圧巻は終楽章で、壮麗なうちに感動に満ちたものとなっており、精神の高揚と解放が生き生きと表されている。

大自然の抱擁をイメージさせる弦の温もりやウィンナ・ホルンを始めとするブラス・セクションの渋い音色の咆哮は、より輝かしいサウンドのベルリン・フィルとは対照的で、荘厳な雰囲気の中に導かれる終楽章のカタルシスは理屈抜きで感動的だ。

この曲はウィーン・フィルが初演した作品でもあり、彼らにも伝統を受け継ぐ自負と限りない愛着があったに違いない。

通常ブルックナーの歴史的名盤としては採り上げられないが、一般に考えられているブルックナーとは異なるロマン派の演奏様式としても尊重すべきであり、フルトヴェングラー・ファンだけにキープしておくには勿体ない演奏だ。

ブルックナーらしくないという意見も出ようが、ここまで音楽的になり、豊かな創造性を持つとこれはこれで立派な存在理由がある。

余白にカップリングされたワーグナーの『パルジファル』第3幕から「聖金曜日の音楽」は、同年4月25日のカイロ・ライヴとクレジットされていて、オーケストラはベルリン・フィルになる。

音質に関してだがオーケストラの音響の再生自体は擬似ステレオだが悪くなく、またベルリン・フィルのメンバーの巧みなソロも聴きどころだが、ヒス・ノイズが全体にベールのようにかかっていてやや煩わしいのが残念だ。

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