2017年05月

2017年05月23日


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この3枚にはレ・ヴァン・フランセーの古典から20世紀に至る迄の幅広いウィンド・アンサンブルのレパートリー8曲が収められている。

レギュラー・メンバー6人(フルートのエマニュエル・パユ、オーボエのフランソワ・ルルー、クラリネットのポール・メイエ、ホルンのラドヴァン・ヴラトコヴィチ、ファゴットのジルベール・オダン、ピアノのエリック・ル・サージュ)の個人的な実力だけでなく、彼らの合わせのテクニックや音色の輝かしさ、また変化する陰翳の豊かさと軽妙洒脱な表現力が鮮やかに示された極めて充実したアルバムになっている。

バジェット価格に抑えられているので彼らの演奏を初めて聴く方のためのサンプラー盤として、また室内楽の入門者にも是非お薦めしたいセットだ。

CD1は彼らが最も得意とするフランスの作曲家の作品集で、流石にその磨き抜かれた音色と精緻だが柔軟で瑞々しいアンサンブルが美しい。

アンサンブルから醸し出されるカラフルでコケティッシュな雰囲気は水を得た魚のような彼ら独自の世界を展開している。

3枚の中でもメンバー全員の洒落っ気と遊び心が最高度に発揮されているアルバムだろう。

こうした演奏に魅力を感じる方なら、別途にリリースされているピアノの加わらない管楽器奏者5人のみによるフランス及び世紀のウィンド・アンサンブル作品集の2枚組も欠かすことのできない選択肢になるだろう。

幸いこのCDとの収録曲のだぶりがないのもコレクターにとっては好都合だ。

CD2はモーツァルトとベートーヴェンのピアノと管楽器のための五重奏曲で、この2曲に関しては過去にも名盤があった。

例えば前者にはフィリップスのモーツァルト・エディションにも加えられていたブレンデル、ホリガー、ブルンナー、バウマン、トゥーネマンの名演があるし、後者で興味深いものを挙げれば、彼らと同様フランス系のアンサンブルとしては1993年に巨匠リヒテルとモラゲス管楽五重奏団が協演した素晴らしいフィリップス盤が存在する。

聴き比べるとリヒテルの泰然自若として流麗なピアノが扇の要になってモラゲスとの調和が絶品で、気品においてもまた高い音楽性でも決して引けをとっていない。

またもう少し古い例ではドイツ・グラモフォンのベートーヴェン・エディション第14巻にレヴァインとアンサンブル・ウィーン=ベルリンの演奏があり、そちらもシェレンベルガー、ライスター、ヘーグナー、トゥルコヴィッチという錚々たるメンバーの卓越した演奏が聴き逃せないだろう。

尚レ・ヴァン・フランセーのベートーヴェン・アルバムにはこの曲は収録されていない。

CD3はテュイユの六重奏曲とリムスキー=コルサコフの五重奏曲で、前者は多少時代遅れなロマンティシズムがやや凡庸な印象を与えるが、聴き進めていくとテュイユの楽器の特性を熟知した流麗でしかも手馴れた対位法のテクニックが示された秀作だと思える。

寓話的なラルゲットから終楽章ヴィヴァーチェは、6人のメンバーによってテーマが次々と引き継がれる華麗な展開部が聴きどころだ。

一方後者はリムスキー=コルサコフがロシア音楽協会のコンクールに提出した作品で、作曲家の若々しい推進力を持った一風変わった奇抜な楽想を良く反映して、意気揚々としたパッセージが快適に再現されている。

中間楽章はレ・ヴァン・フランセーの暖色系で洗練を極めたアンサンブルではスラヴの抒情というわけにはいかないが、むしろ諧謔的で活発な終楽章ロンドに彼らの本領が発揮されていると言えるだろう。

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2017年05月21日


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総てチェコ勢で固めた演奏で、スプラフォンではこうした音源に事欠かないのは幸いと言うほかはない。

マルティヌーの2曲のヴァイオリン協奏曲、そして実質的なヴィオラ協奏曲の形をとるラプソディー・コンチェルトをヨセフ・スークのソロ、ヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団によるセッションで収めている。

ラプソディー・コンチェルトのみが1987年、ヴァイオリン協奏曲はどちらも1973年の録音になる。

この1973年はヴァイオリン協奏曲第1番が同じくスークのヴァイオリン、ショルティ指揮、シカゴ交響楽団によって初演された年だった。

元来この曲はヴァイオリニスト、サミュエル・ドゥシュキンからの委嘱作品で、初演が遅れた理由は楽譜の散逸とその再発見という皮肉な巡り会わせらしいが、基本的に無調で描かれた斬新でパワフルな曲想を持っていて、リズムにはチェコの民族的な要素が入り込んでいる。

スーク特有の明快なテクニックと気品のある表現が全開の演奏で、また初演への意気込みと自負も感じられる。

ヴァイオリン協奏曲第2番はエルマンのコミッションで、初演は1943年にミッシャ・エルマン自身のソロ、セルゲイ・クーセヴィツキー指揮、ボストン交響楽団によって行われた。

当時エルマン・トーンと言われた美音とスタイリッシュな奏法で一斉を風靡したエルマンの演奏を想定して作曲されたためか、第1番よりずっとリリカルなカンタービレに支配されていて、当然ながら彼の聴かせどころを最大限に活かした曲想を持っている。

その意味では美音家スークの艶やかで甘美な音色を駆使した、彼の面目躍如たるセッションでもある。

それは最後のヴィオラと管弦楽のためのラプソディー・コンチェルトにも共通していて、ヴィオラのふくよかな音色とこの楽器の機能を良く知り尽くした巧みな表現で、比較的稀なヴィオラのための協奏曲を牧歌的な魅力に溢れた作品に仕上げている。

ヴァーツラフ・ノイマン、チェコ・フィルのサポートはこれらの曲のスペクタクルで充実したオーケストレーションに彼らの機動力を発揮した、しかもバランスの良い再現が鮮烈だ。

それほど民族的なエレメントは使われていないが、マルティヌーは彼らの最も得意とするレパートリーのひとつであることも証明している。

音質は1987年のラプソディー・コンチェルトのみがデジタル録音で、やはり最も良い状態だが、その他も2009年の新しいリマスタリングでオリジナル・マスターの特徴が蘇っている。

ライナー・ノーツは42ページあり、かなり充実した解説と演奏者紹介が英、独、仏、チェコ語で掲載されている。

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2017年05月19日


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ベートーヴェンの作品でも弦楽四重奏曲は、作曲者の内面を反映した特別な作品と言える。

それらは、ひとりディスクで聴くにふさわしい規模であり、人生のあらゆる機会に聴き手の内奥に触れる。

音楽のもつ偉大な力を、さらに大規模な作品と同じように痛感させるのも凄い。

そのためベートーヴェンの弦楽四重奏曲は入手できるほとんどのディスクを聴いてきたと思うが、その中で、特に強い感銘を与えられたのが、このスメタナ四重奏団の全集である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏が、弦楽四重奏団にとってひとつの究極であるとともに、常にそのマイルストーンとなり得るものであることは間違いなく、それはスメタナ四重奏団にとっても、それは例外ではなかったろう。

モノーラル録音の時代から、彼らはベートーヴェンへのアプローチを重ねてきたし、メンバーの交替はあっても、一貫してボヘミアの伝統を生かした美しい音とアンサンブルによって、深く格調の高い演奏を緻密に展開してきた。

全集と言えば、かつてのブダペスト四重奏団が練達の境地でひとつの高峰を築いていた。

最近の東京クヮルテットの新鮮な表現も忘れ難いが、音楽の大きさにおいて、まだスメタナ四重奏団の最後の録音には及ばない。

スメタナ四重奏団は深い精神性とアンサンブルの集中力において、依然、他の追随を許さない。

弦楽四重奏のひとつの理想を達成した演奏であり、初期、中期、後期のいずれもが確かに作品の本質をあらわにしている。

本セットに収録されているのは1976年から85年にかけてのデジタル録音で、スメタナ四重奏団としては2度目の録音になるが、1回目は全集として完結していないので事実上これが彼らにとってはベートーヴェンが書いた17曲の弦楽四重奏曲(このうち1曲はピアノ・ソナタからの編曲)の唯一の記念碑的な全曲集になっている。

スメタナ四重奏団は古典から現代に至る膨大なレパートリーを総て暗譜によって演奏したが、とりわけベートーヴェンは精力的にコンサートのプログラムに取り入れた作曲家の1人だった。

彼らの公式演奏記録によれば1945年の結成から1989年にキャリアを終えるまでにベートーヴェンの弦楽四重奏曲のみで合計1490回、また音楽性の表出や演奏技術面においても難解とされる同後期作品だけでも654回取り上げている。

しかも1956年以降は最後までメンバー不動で活動を続けた、まさに百戦錬磨のカルテットでもあった。

スメタナ四重奏団は、モノーラル時代からベートーヴェンを何度も録音してきており、レーベルもウェストミンスター、スプラフォン、そしてデンオンと変わった。

それぞれの演奏が、今も光彩を放っているが、やはり音楽の深さにおいて、最後のデンオンへの録音が感動的である。

演奏の全体的な印象としては、第1回目の覇気はやや影を潜めたが、全曲を貫く奇を衒わないごく正統的なアプローチは筋金入りだ。

長年のキャリアと経験によって培われた阿吽の呼吸と鍛え上げられた緊密なアンサンブルを絶妙にコントロールして、清澄な響きの中に洗練された音楽性を醸し出す奏法は、彼ら独自の境地を切り開いていて感動を禁じ得ない。

彼らのベートーヴェンはヨーロッパの伝統様式を踏襲しながら、それを新古典的な感覚で生かしており、内面から湧き上がる表情の深遠さは類を見ない。

しかも弦の響きの美しさとアンサンブルの清澄さ、室内楽的な融合と統一においても、彼らを凌ぐベートーヴェンは未だ存在しないと言える。

その感情を極度に抑制し、作為的なこわばりのない自然な音楽の姿を作り出していく技術の確かさには、ただ驚き入るばかりだ。

アナログ録音は、やや禁欲的に過ぎるきらいがあるが、デジタル録音では、持ち前の透明度の高い音色の中から暖かい情感が滲み出てくるあたりの味わいの深さが凄い。

作品に深く傾倒することによって、透徹した格調高い音の世界を生み出しており、特にベートーヴェンの晩年の心境を抉り出した後期の作品が素晴らしい。

彼らのベートーヴェンは、ハイドンもモーツァルトでもそうだが、弦楽四重奏の美学を終局にまで追い詰めた稀に見る完成度の高い名演なのだ。

それは、彼らの歴史の究極であるばかりではなく、室内楽のひとつの規範ともなり得よう。

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2017年05月17日


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アルバン・ベルク弦楽四重奏団の評価を決定づけたベートーヴェンの全集の第1回録音(1978年〜1983年)で、1985年度レコード・アカデミー賞受賞盤。

この団体の強い音楽的個性や主張がアルバム全体を通して終始一貫しており、今尚実に強烈な印象を残すアルバムである。

全体にテンポはやや速めだが、決して軽薄に流れず、むしろメリハリが実に明確で、音楽を絶えず前へ前へと駆動する力に溢れているため、若々しい推進力や軽快な躍動が生まれる。

清新な意気に満ちた初期作品や強い集中力によって統御された緊張度の高い中期作品群も素晴らしいが、何よりも後期作品集の一期一会的な完成度の高さが魅力的である。

ベートーヴェンの音楽に内在する可能性を鮮烈に引き出した演奏で、アンサンブルの緊密度や柔軟性、各奏者の技術的、精神的な充実感も並々ならぬ高さにある。

初めて彼らの弦楽四重奏を聴いた時には、例えばOp.95『セリオーソ』の極限まで高揚するようなアグレッシブなアタックや第1ヴァイオリンを受け持つギュンター・ピヒラーのスタンド・プレー的な独特のディナーミクにいくらか違和感を持ったが、曲を追って聴き込んでいくうちに決して表面的でグロテスクなパフォーマンスではないことに気付いた。

そこには外側に表出されるサウンドの斬新さとは裏腹に曲の内部へ掘り下げていく表現の凝縮を感知させることにも成功しているからだ。

しかも彼らのアンサンブルは精緻を極めていて、4人の士気の高さとともに音色には特有の透明感がある。

個人的には特に後期の作品群が、最も彼らの解釈に相応しいのではないかと思うところで、第15番になると鮮明さを強調しすぎることなく音のバランスが良くなっている。

聴覚を失って音響から切り離された世界で作曲を続けなければならなかったベートーヴェンの境遇を考えれば、どうしてもそこにセンチメンタルな表現を期待しがちだが、彼らはむしろクールな情熱で弾き切り、清澄だが感傷的なイメージを払拭することによって新時代のベートーヴェン像を見事に描き出しているところが秀逸だ。

改めて感じたのはこの団体がウィーン出身であることで、スピード感、刺激といった現代的なセンスをもちながら、決して優美さを失わないのである。

強い表現性をもちながら、知・情・意のバランスの良い演奏は筆者の長年の愛聴盤になっている。

旧セットと曲目の配列もCDの枚数も全く同様だが、ワーナー・バジェット・シリーズのひとつとして更にプライス・ダウンされている。

現在多くのレーベルから一斉射撃のようにリリースされている箱物廉価盤は、それぞれが限定生産と銘打ってあるにせよ、芸術的な価値は別としていわゆる減価償却を終えた商品なのだろう。

こうした企画のラッシュは初出時に1枚1枚正価で買い集めたオールド・ファンにとっては、ミュージック産業の生き残りを賭けた熾烈なサバイバル戦を垣間見るようで、何とも複雑な思いがする。

しかしこれからクラシックを聴き始める入門者や若い世代の人達には勿論またとないチャンスには違いない。

それは兎も角として、アルバン・ベルク四重奏団は2008年7月の解散までに都合2回のベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲録音をしているが、この演奏は1978年から83年に行われたセッションで、第2回目は1989年のウィーン・コンツェルトハウスでのライヴが同じくワーナーから再リリースされる。

メンバーの息遣いが聴こえてくるような鮮明な録音も驚異的で、それが緊張感漲る演奏の特質を一層強めているのに気付き、レコード芸術において演奏と録音が不可分であることを印象づけられる。

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2017年05月15日


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ボヘミアは古くから名立たる弦楽四重奏団を育んでいる地方だが、ライナー・ノーツによればスメタナ四重奏団は1945年に結成され、43年間の長いキャリアの中で60ヶ国でのコンサート活動を行い、数多くの音楽祭やレコーディング・スタジオに招待されたとある。

多忙な演奏会の合間を縫って彼らはベートーヴェンの弦楽四重奏曲やモーツァルトの弦楽五重奏曲の全曲録音を始めとする150種以上のレコーディングも成し遂げている。

このCDに収録されたモーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲に関しては僅かに1回ずつのセッションの機会しかなく、前者は彼らのメンバーが不動になる以前の1952年の演奏であるためモノラル録音である。

ヴィオラはヤロスラフ・リベンスキーが受け持っているがオリジナル・マスター・テープの保存状態が比較的良好。

リマスタリングの効果もあって彼らの身上でもある奇をてらわない飄々として流麗なアンサンブルと、弦の国チェコならではの落ち着いた音色が再現されている。

一方ブラームスは1964年のステレオ録音で、こちらは黄金期のメンバーの第1ヴァイオリン/イルジー・ノヴァーク、第2ヴァイオリン/リュボミール・コステツキー、ヴィオラ/ミラン・シュカンパ、チェロ/アントニーン・コホウトの4人が弦楽四重奏団としての頭角を現した。

鍛え上げた阿吽の呼吸とも言うべき類い稀な合わせのテクニックで、円熟期にはないこの頃特有の覇気に満ちた演奏を繰り広げている。

クラリネット・ソロはいずれも同郷の出身でチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者だったヴラディーミル・ルジーハである。

彼はターリッヒ、アンチェル、クーベリックなどの名指揮者の下で研鑽を積み、アンサンブルの一員としてもこのCDで示されているように個性派ではないにしても、モーツァルトでの弦楽にぴったり寄り添いながら弱音を巧みに使った温もりのある表現は流石に巧い。

そのごく自然な演奏がスメタナ四重奏団とひとつの完成されたモーツァルトの世界を創造している。

またブラームスでは両者ともかなりドラマティックな解釈を試みていて、スメタナの凛として厳格な弦にルジーハの渋く咽ぶようなクラリネットが応酬する協奏的な雰囲気が特徴だ。

スプラフォン音源の隠れた名盤で、どちらもプラハ・ドモヴィーナ・スタジオにて収録。

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2017年05月13日


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1917年にブダペスト国立歌劇場のメンバーによって結成されたハンガリーの代表的室内楽団ブダペスト四重奏団は、1967年にちょうど半世紀にわたって個性的な活動を繰り広げた20世紀最高の四重奏団である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集の黎明期ともいえるSP期から数えると、何と3回もの全曲録音(1回目は1曲欠ける)を行なっているブダペスト四重奏団は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲に生涯を捧げた歴史がある。

1917年からのSP期に第1回、1952年のLP期に第2回、1958年のステレオ期に第3回と、1967年に解散するまで何かとベートーヴェンとのかかわりをもってきた。

このステレオ期の1958年から61年にかけてニューヨークで録音された全集は、ブダペストのそれまでの至芸の総決算といえるもので、ベートーヴェンの本質に肉薄したその演奏は、人間ベートーヴェンの精神性を見事に語り尽くしている。

いわばロシア人だけによるメンバーが復活してからのことであり、このアンサンブルが円熟期を迎えていた時のことである。

ロイスマン、アレクサンダー・シュナイダー、クロイト、ミッシャ・シュナイダーという4人が、その顔ぶれであった。

この顔合わせは、1917年に創設された際のメンバーが、すべて姿を消した1936年に発足したことになる。

もっとも、1944年に第2ヴァイオリンが交代したため、一時変わってしまい、1955年に再び顔をそろえたのであった。

4人がすべてロシア人でありながら、教育はドイツ・オーストリアで受けており、1938年からは、アメリカのワシントン国立図書館に所属していたということを考えると、この名称がかなり奇異に感じられるのも事実だが、意外にブダペスト四重奏団として自然に受け取られていたのも興味深い。

その主軸を占めたのは、新即物主義的なロイスマンであり、彼が主導しながら、その演奏では、4人の平等なる均衡のもとに緊密なアンサンブルが築かれていた。

そのベートーヴェンは、彼らにとってのひとつの究極であり、彼らの音楽も哲学も、そして理念もすべてそこに集約されており、弦楽四重奏のひとつの規範もそこに示されている。

ベートーヴェンの楽譜を深く洞察することによって、音楽の表現に欠くべからざるもののみを有機的に結合させ、作品を構造的に抽出している。

技術的には衰えを見せてはいるものの、聴く度ごとに新たな発見を見出すことのできるレコード史上の一大金字塔と言っても過言ではあるまい。

録音は古くなったが、1967年に解散したこの団体の演奏は、歴史の浅い弦楽四重奏団からは味わえないような風格が感じられる。

初期の作品から、後期の作品に至るまで、常に厳しい姿勢で貫かれ、音楽の内面をじっと凝視するかのような鋭さをもっている。

それだけに、現在聴くと、表情の柔らかさにはやや乏しく、演奏スタイルも古めかしいが、そういったものを越えた、精神的な充実ぶりが、感動を呼ぶ。

ブダペスト四重奏団の残した数多くの遺産のうちでも最高のものといってよく、この弦楽四重奏曲集の音楽特性をこれほど豊かに表現した演奏というのも少ない。

今後このような演奏が再び生まれてくる可能性はまずない。

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2017年05月11日


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1曲目の『浄められた夜』はオリジナルの弦楽六重奏版で演奏されている。

メンバーはアルテミス四重奏団にアルバン・ベルク四重奏団のヴィオラ奏者トマス・カクシュカとチェロのヴァレンティン・エルベンが加わった編成で2002年のセッションになる。

全体の印象としていくらか神経質になり過ぎるところが無きにしも非ずだが、この曲のドラマ性は良く表現していると思う。

室内交響曲第2番Op.38はジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団の1987年の演奏で、入念な表現で聴かせてくれる。

特に第1楽章は、厚みのある弦の響きが見事で、テイトの知性と表現力の豊かさを如実にあらわしている。

リリカルな部分では巧みに歌っているが、ポリフォニックな後半ではもう少し確実なアンサンブルの裏付けが欲しい。

室内交響曲第1番Op.9、5つの管弦楽曲Op.16、モノドラマ『期待』Op.17及び管弦楽のための変奏曲Op.31に関しては総てサイモン・ラトル指揮、バーミンガム市響と同現代音楽グループの演奏になる。

現代音楽を得意とするラトルによって鍛え上げられたバーミンガム市響の技術水準とアンサンブルのチーム・ワークが聴き所だ。

中でも5つの管弦楽曲の『色彩』と題された第3曲目は音響作曲法で作られた最初の音楽と言われ、メロディーや拍打ちのリズムも消失したオーケストラの響きだけで構成された斬新な試みが興味深い。

尚これらの曲目は2010年にEMIからリリースされた「サイモン・ラトル、新ウィーン楽派の音楽」と銘打った5枚組セットにそのまま組み込まれている。

モノドラマの副題が付けられたソプラノ1人が演ずる『期待』は、精神医学者マリー・パッペンハイムの詩に基く事実上のオペラで、主人公の女性が自分が殺した男の亡骸を夜の森で発見し、モノローグに耽るという不気味な設定で、フロイトの深層心理学を舞台に映し出した作品らしい。

ソプラノのフィリス・ブリン=ジュルソンは良く健闘しているが、大編成のオーケストラの前ではドイツ語の発音が聴き辛く、シェーンベルクの考えた世界を充分に描ききっていないように思われる。

おそらくそれは曲自体の性質、つまりイタリア・オペラのように大音声で歌うことができない意識下の表現に壮大なオーケストレーションが施されていることにも起因しているのかも知れない。

実際の舞台であれば離れた席で歌手の言葉を一部始終聴き取ることは更に困難になるだろうからだ。

いずれにしてもこの2枚のCDはシェーンベルクの理論と音響の確執を見る思いがするセットである。

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2017年05月09日


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イタリア弦楽四重奏団が1966年から73年にかけて完成させたモーツァルトの弦楽四重奏曲全23曲のコンプリート・セット。

1991年に初刊行され更に2005年にも再リリースされたCD180枚に及ぶフィリップスのモーツァルト大全集に組み込まれていた演奏で、今回ユニヴァーサル・イタリーが8枚の単独セットとして復刊した。

ひとつの弦楽四重奏団がモーツァルトの弦楽四重奏曲を網羅した録音は殆んど皆無に近く、勿論演奏水準の高さでも第一級の曲集だけに歓迎したい。

この四重奏団の旧メンバー時の録音であり、最も古いものは1966年の6曲のハイドン・セットである。

このハイドン・セットも若々しいエネルギーに満ちた興味深い演奏だが、それ以後に録音された曲を聴くと、彼らの演奏がメキメキと精密さを加えて向上しているのがわかる。

いかにもイタリアの団体らしくよく歌っているが、音楽そのものは引き締まっていて厳しさがあり、どれも水準の高い演奏である。

彼らの演奏は一見快活で自由闊達のように聴こえるが、実際にはダイナミズムの変化を細部まで入念に研究し尽くし、それを忠実に実践に移すところに特徴がある。

明るく力強い響きとオーケストラを髣髴とさせる大胆な表現、そしてイタリアン・スタイルの流麗なカンタービレは彼らの武器で、イタリア風モーツァルトの喜びを満喫させてくれるセッションだが、アンサンブルとして非常に堅固に鍛え上げられていることも更に大きな強みになっている。

実際彼らの合わせ練習は毎日数時間、時には1日中ということも珍しくなかったというのは、第2ヴァイオリンのエリーザ・ペグレッフィの語るところだ。

逆に言えば彼らは常に自分達の音楽設計の枠を逸脱するような表現はライヴでもしなかった。

それが演奏にも絶大な安定感となって現れているのだろう。

モーツァルトの初期の弦楽四重奏曲は彼が11歳の時に始まる一連のイタリア旅行の産物で、弱冠14歳の時に作曲した第1番ト長調の様式はサンマルティーニの同作品を手本にしている。

後にハイドンの高度な作曲技法を取り入れる前に、彼がボローニャのマルティーニ神父に師事して伝統的な対位法と声楽曲のカンタービレを習得していたことは、その後のモーツァルトの音楽性の洗練に測り知れない影響を与えたに違いない。

8枚のCDに収められた曲集はクロノロジカルな順序で編集されているのでイタリア様式時代、ザルツブルク時代、ハイドン・セット、そしてプロシャ王セットと創作年代を追って変化する作風も理解しやすい。

またモーツァルトがハイドンから受け継ぎ、更にベートーヴェンの弦楽四重奏曲に引き継がれるアンサンブルの形態が、もはや完成された小宇宙であることも納得できるだろう。

音質はフィリップスの音源らしく鮮明で極めて良好。

ライナー・ノーツは29ページで英、伊語による曲目解説付き。

尚CD4枚ずつのジュエル・ケース2巻に分かれているのでボックスの大きさは縦12,5X横14X厚み5cmと多少大きめだ。

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2017年05月07日


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バーンスタインが客演指揮者として初めてウィーン・フィルを振ったのは彼が48歳だった1966年で、それ以降両者の良好な関係は絶えることなく続いたが、この8枚の交響曲集でも1979年から1990年までの彼らの最良のコラボが記録されている。

バーンスタインは円熟期になるとそれまでの汗を飛ばしながら指揮台でジャンプするようなパッショネイトな表現に加えて壮大なリリシズムを湛えた演奏をするようになり、ウィーン・フィルが持っている弦のしなやかさや渋めのブラス・セクションの音色が相俟って醸し出される官能的だがシックなサウンドが特有の雰囲気を創造していた。

それはこのセットに収録されている彼の十八番「アダージェット」を含むマーラーの交響曲第5番だけでなく、ベートーヴェンの第9番第3楽章やブルックナーの第9番第3楽章、更にはシベリウスの第1番にも顕著で、こうした曲をこれだけセンシュアルに響かせた例も珍しいのではないだろうか。

収録曲総てがライヴ録音であるためにバーンスタインのカリスマ的な魅力も伝わってくるが、幸い聴衆からの雑音は入っていない。

ベートーヴェンの第9番でバーンスタインはテンポをかなり抑えてウェットに練り上げた濃厚で変化に富んだ音楽の再現を試みている。

全体的に確かに隙のない解釈だが、作曲家がこの曲に注ぎ込んだストレートな力強さの表出という点では幾らか手が込み過ぎていて、厚化粧の誹りを免れないだろう。

終楽章「歓喜の歌」での4人のソリストとコーラスは殆んど限界の一歩手前まで歌わされているという感じがしないでもない。

会場になったシュターツオーパーの音響も関係しているだろうが、音質はこのセットに収録された他の曲に比較してやや録音レベルが低い。

ウィーン・フィルのような古い伝統を引っ提げたプライドの高いオーケストラを統率するのは容易ではない筈だが、中でもハイドン、モーツァルト、ブルックナーそしてマーラーの作品は彼らにとっても一家言持った郷土の作曲家だけに、指揮者は自分の解釈に従わせるだけでなく彼らの自主性を最大限尊重した協力関係が欠かせない。

そこにはウィーン・フィルと決別したカルロス・クライバーとは対照的なバーンスタインのディプロマティックな性格も裏付けられている。

ハイドン、モーツァルトでも常に機知に富んだ熱のこもった演奏だが、古典的な起承転結をわきまえた造形美にも不足していない。

彼のブルックナー第9番を一大叙事詩に喩えるならマーラーの第5番はさしずめ壮麗な抒情詩と言えないだろうか。

バーンスタインは自身作曲家であったために多くの同時代の作品もレパートリーにしていたが、ここで一番新しいものはショスタコーヴィチの2曲の交響曲で、第6番では彼の明晰でしかも繊細な感性を反映させたスペクタクルな仕上がりが美しく、第9番ではミュージカルや映画音楽を髣髴とさせるような軽妙な味わいがある。

それはウィーン・フィルが得意とする高度に洗練されたユーモアと遊び心にも共通している。

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2017年05月05日


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バルトークの弦楽四重奏曲は、作曲の状況を反映して性格と様式を異にするが、それをどのような視点から取り上げるかによって、演奏はかなり違ってくる。

ロマンティックな叙情をふんだんに持っている第1番から、激しい表情の第3番、古典的な佇まいを持った第6番まで表情が大きく変化を見せるのですべてを高い完成度で演奏するのは至難の業である。

ジュリアード弦楽四重奏団は安定した技術と幅広い音楽観によって、全集を3回録音する偉業を成し遂げたが、いずれも緻密に緊張の糸を紡いでいく練り上げられた演奏で、その見事な仕上がりには舌を巻く。

作品を現代音楽として知的な立場からアプローチし、強い集中力と完璧なアンサンブルとともにバルトークの厳しい精神と激しい意欲を再現する。

そこから生まれる鋭い気迫と強い緊張感はバルトークの性格の一面であることは確かで、一昔前の演奏様式だが、それなりの必然性を持ち、バルトークの音楽が持っていた「新しさ」を現代まで伝えてくれる。

ただ、ロバート・マン以外のメンバーはその度に違った顔ぶれで、2度目の1963年の演奏も捨て難い魅力があるが、残念ながら現在入手難。

この1981年の録音は3度目のもので、音質の透明度が最も高く、呼吸がぴったり合っていて、アンサンブルが自然である。

しかし、ヴィオラにしても、チェロにしても、みな出色の音の美しさと演奏能力を兼ね備えており、音楽創造の理念と水準は極めて高く、ジュリアードSQの演奏はバルトークの弦楽四重奏曲の解釈でひとつの典型となっている。

バルトークの弦楽四重奏曲は、ベートーヴェンやシューベルトなどの作品と違って、特殊な弓の奏法が多く用いられ、殊に第4番などでは、俗に爛丱襯函璽風のピツィカート瓩箸い辰拭特異なピツィカートが使われている。

それだけに技術的にすこぶる至難な作品となっているが、この団体による演奏は、いつもながらの完璧な技巧と、鋭く新鮮な感覚とで、見事に弾きあげたものだ。

彼らの、演奏という名の創造行為には、高度の緊張と献身的な情熱が漲っているのだが、それこそはバルトークのこうした大作を弾くのに最も適合した条件である。

インパクトの強さでは、当時の四重奏の常識的な技術水準を遥かに抜け出た1963年の精緻極まりない演奏が今なお驚嘆に値するが、こと音楽的な熟成という点では、18年後にレコーディングされたこの全集が明らかに上だと筆者は思う。

4人の心の内に燃えるものは同じように熱いが、彼らの眼差しが、技術的な興味をもはや越えて、音楽の核心にまっすぐに注がれているところが何よりも素晴らしい。

かつては、テクニックが前面に押し出された表現が目立ったが、ここでは、情感豊かに表現しており、旋律のひとふしひとふしに心が込められているところにひきつけられる。

つまり、緻密なアンサンブルを組みながら情緒面も尊重し、その各人の情緒表現に統一があるために、どの曲も強い迫力を帯びた、表現力に富んだ音楽となり、6曲を通して聴いてもマンネリズムに陥ることがない。

そのことが結果的にメカニカルなスコアの行間にある、人間バルトークの思いを感動的に伝える。

勿論情緒だけを大切にするのではなく、構成もはっきりしているので、どの曲も聴き応え充分だ。

もはや現代の古典となったこの作品の楽譜を新しい観点から見直し、音そのものの本来持っている機能に着目し、それを明快に再構成したジュリアード円熟の至芸と評価したい。

録音も、弦の艶やかな響きをよく捉えた、優れたものだ。

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classicalmusic at 00:45コメント(0)トラックバック(0)バルトークジュリアードSQ 

2017年05月03日


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演奏自体はリヒテル全盛期の最も充実したパフォーマンスとして価値の高いものだが、ライナー・ノーツの最後に掲載されている録音データは根拠に欠けている。

11セット計22枚のリヒテル・ザ・マスター・シリーズは、フィリップスとデッカのセッション及びライヴからの音源を掻き集めたものなので、おそらく編集側も混乱をきたしていることが考えられる。

リヒテルの生涯に亘るコンサート活動のクロノロジーとディスコグラフィーを照合すると1993年に、このCDに収められたハイドンやウェーバーを演奏した可能性は少ない。

良く調べてみるとハイドンのソナタ第39番は、1985年3月6日及び7日のフライブルクでのライヴから採られたもので、このセットではこれが一番新しい録音になる。

ハイドンの第62番とベートーヴェンの第12番は1966年11月19日のフェッラーラでのライヴ、一方ウェーバーの第3番は1966年9月8日のロカルノの聖フランチェスコ教会で行ったライヴ、更にベートーヴェンの第9番と第11番は1963年6月から7月にかけてパリでフィリップスに入れたセッションだ。

最後の同第27番は1965年8月21日のザルツブルク・ライヴということになる。

僅か2枚のCDにこれだけ多くの異なった音源が入り乱れているのも、ある意味ではセッションを嫌ったリヒテルのCDの特色を暗示しているようで興味深い。

2曲のハイドンのソナタでは、古典派の音楽としての明確な曲想をきめ細かな創意工夫で、新鮮な面白みと巧みな演奏効果を上げているのが特徴的だ。

こうしたレパートリーは他のピアニストがそれほど食指を動かさないこともあって、彼の音楽性のオリジナリティーを自在に発揮している典型的な例と言える。

ウェーバーのソナタも比較的珍しいレパートリーで、名の通ったピアニストではギャリック・オールソンがソナタ全集をハイペリオンからリリースしているのが唯一のサンプルだが、リヒテルはリリシズムにおいてオールソンを凌駕している。

それはオペラ作曲家としてのウェーバーの音楽を体現しているからに他ならない。

リヒテルは少なくともモスクワ音楽院に入学するまでの少年時代は、地方でオペラの伴奏ピアニストとしての経験を積んでいた。

そうした体験が育んだ歌心の表出が活かされているのではないだろうか。

ベートーヴェンのソナタは前述したように総て1960年代の録音で、彼がアメリカでのデビューを飾った後、破竹の勢いでヨーロッパ各地においてリサイタルを開き始めた頃の典型的な奏法を聴くことができる。

骨太でしかも特有の温かみがあり、またヴィルトゥオジティの見せ場にも欠けていない。

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2017年05月01日


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バルトークは、当時のドイツ主流の音楽体制にNOといった人で、盟友コダーイとともに、音楽の原始的な鼓動を聴き、独自の音楽語法を確立するために、休暇と収入の殆どを注ぎ込み、民謡の採集を行った。

したがって、その演奏は、音楽本来の持つ根元的なパワーを感じさせるものでなくてはならない。

とはいえバルトークの弦楽四重奏曲を看板とし、3度録音したジュリアードSQのような革新性も今や過去のものとなり、最近の団体は洗練された技術やアンサンブルによって、同曲を古典として演奏するようになった。

それらの中でも最も評価の高いのはウィーンのアルバン・ベルクSQであるが、あまりにも「当たり前」の音楽にしすぎているのではないだろうか。

筆者が現在最も気に入っているのは、1993年から新メンバーとなったハンガリーのタカーチュSQによる全集(1996年)で、演奏・録音ともに優秀、従来のバルトーク演奏とは著しく異なるアプローチを見せてくれた。

技術的には洗練の極に達しているのに、ハンガリーの団体だけにバルトークの音楽の内容に深く入り込み、心に訴えかけてくるのである。

彼らはバルトークの音楽に潜む悲劇性よりも明るい人間性に光を当て、打楽器的な衝撃音は弦楽器が本来持つ暖かいテヌート音に、緊迫した不協和音は巧みな音色操作で協和音に変身させている。

無機質なグリッサンドや、スル・ポンティチェロ奏法にも艶めかしい表情を付け、スケールや分散和音には草原のそよぎが目に映る。

初期の第1番、第2番からして響きが豊かに拡がり、まるでモーツァルトでも演奏するような気楽ささえ感じるが、彼らがその音楽に心酔しバルトークの心情を語り尽くしているからこそ、その説得力はより強烈に感じられるのだ。

第3番は哀切なため息のような冒頭から、耳にも心にもグサッと突き刺さってくる。

第1楽章の重い和音はきわめて意味深く、表情はたっぷりなのにハーモニーはどこまでも澄み切っている。

第2楽章も何という素晴らしい音楽だろうと思わせる。

第4番は第1楽章の粘着力に作曲者の魂が宿り、常にコクと豊かさがあり、各パートが充分に自己主張をしつつバランスを崩すことがない。

第2楽章は音色自体がすでに味濃く、作曲者の言いたいことが如実に伝わってくる。

第3楽章はノン・ヴィブラートの出から曲と一体化した雄弁さがあり、しかも力みは一切見られない。

第4楽章の鮮やかなメリハリは落ち着いたテンポとともに楽しささえ感じさせ、第5楽章はいかに激しくてもあくまで有機的だ。

第5番の第1楽章は動的かつ大柄に始まるが、第2主題の静かな哀しみは、心にまとわりつく訴えの強さと音色の美しさにおいて比類がない。

第2楽章の哀切さも抜群、第4楽章には詩情があり、リズムは語り、哀歌も登場する。

第5楽章の即興性を伴った筆致とシンフォニックな響きも圧倒的である。

第6番は音楽の心をメンバーが完全に自分自身のものにしていることがわかる。

どこまでも孤独な哀しみの歌だが、陰惨ではなく、一縷の希望を秘めていることころが素晴らしい。

しかし終楽章に至って、別離の哀しみはいよいよ深くなり、聴く者の心に浸透してくるが、なお手放しの悲嘆は抑えられているのである。

新生タカーチュSQの当録音は、41歳で世を去った創立時のヴィオラ奏者オールマイの思い出に捧げられている。

そのため、というのは出来すぎだが、確かにこの演奏には「祈り」がある。

どんなに、作曲家の苦悩と慟哭が音に刻まれるときも、その彼方には安らかな明かりが見えるのだ。

バルトークには救いがなさすぎる、と敬遠気味だった筆者の心に、新しいバルトークの在り方を示してくれた全集である。

感謝とともに合掌。

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