2017年06月

2017年06月30日


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朝比奈隆にとって、ブルックナーの交響曲は最も得意とするレパートリーで、交響曲全集を3度にわたって録音した世界で唯一の指揮者である。

本BOXに収められた演奏は、1990年代前半に完成させた朝比奈による3度目の全集で、テンポの遅い、がっしりした構成という解釈の基本は不変であるが、方向としてはより純度の高い、無駄のないすっきりとした演奏となっている。

3度目の全集に含まれる演奏は、いずれ劣らぬ素晴らしい名演揃いであるが、その中でも、第3番、第8番、第9番は至高の超名演と言えよう。

朝比奈のアプローチは荘重なインテンポで、曲想を真摯にそして愚直に進めていくというものだ。

スコアに記された音符を1つも蔑ろにすることなく力強く鳴らして、その指揮表現は、良き時代のドイツの音楽を反映したものと言うべく、内声部を重視して響きに厚みと重量感をもたせ、壮大なスケール感を生み出し、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽を構築していく。

その裏づけとなるのが、ひたむきな情熱で、いわば無手勝流の指揮ぶりだが、かえって安定した立派さを生み出すのである。

このようにスコアに記された音符をすべて重厚に鳴らす演奏であれば、カラヤンやチェリビダッケも同様に行っているが、彼らの演奏は、ブルックナーよりも指揮者を感じさせるということであろう。

俺はブルックナーをこう解釈するという自我が演奏に色濃く出ており、聴き手によって好き嫌いが明確にあらわれるということになるのだ。

これに対して、朝比奈の演奏は、もちろん朝比奈なりの解釈はあるのだが、そうした自我を極力抑え、各曲にひたすら奉仕しているように感じることが可能だ。

聴き手は、指揮者よりもブルックナーの音楽の素晴らしさだけを感じることになり、このことが朝比奈のブルックナーの演奏をして、神々しいまでの至高の超名演たらしめているのだと考えられる。

オーケストラの実力はともかくとして、ブルックナーの魂の真髄を表現する演奏という意味に於いて、これほど作為が無い、崇高な演奏は筆者の試聴歴では未だかつて無いものである。

ムーティをして「晩年のカラヤンのブルックナーは神の声がする」と言わしめたが、この朝比奈の至高の超名演もスタイルは違えども、まさしく「神の声」を聴くようである。

しかも、スケールは雄渾の極みであり、かかるスケールの大きさにおいては、同時代に活躍した世界的なブルックナー指揮者であるヴァントによる大半の名演をも凌駕すると言っても過言ではあるまい。

日本の音楽ファンは、自国の指揮者やオーケストラをとかく軽視しがちだが、ここでの朝比奈の指揮ぶりは、その重厚壮麗な迫力と恰幅の良さにおいて際立っており、本場のドイツを見まわしてみても、これだけのブルックナーを振れる指揮者は現今見当たらない。

本全集で惜しいのは大阪フィルがいささか非力という点であるが、全員打って一丸となった熱演であることは疑う余地がなく、演奏全体の評価に瑕疵を与えるほどのものではないと言える。

長年、朝比奈のブルックナーを聴き続け、そのスタイルに慣れてしまったせいもあるかもしれないが、少なくともブルックナーとベートーヴェンに関する限り、音楽そのものを最も堪能させてくれるのが朝比奈であり、他の演奏は指揮者の個性や味つけがチラチラ見え隠れするのだ。

朝比奈の偉大さは、その芸術の完成の道にあってすら演奏ごとに新しい発見をしようとする意欲を持ち続け、それを演奏に反映し続けたことである。

完成期の芸術らしくすべては自然のなかで様々な要素が円満に溶け合い、しかも日々新たなものであろうとする彼の晩年の演奏とそのあり方は、ひとりの演奏家の晩年の理想の姿であったのかもしれない。

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2017年06月28日


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独自のリマスタリングで一昨年スタートしたプロフィール・レーベルからのムラヴィンスキー・シリーズの第2集になり、第1集と合わせると都合12枚のCDがリリースされたことになる。

今回は戦後間もない頃の古い音源も多いが、破綻のないまずまずの音響が再現されている。

但し一番新しい1960年から62年にかけてのライヴになるベルリオーズの『幻想交響曲』、ストラヴィンスキーの『火の鳥』そしてR.シュトラウスの『アルプス交響曲』の3曲を含めてここに収録された総ての音源がモノラル録音であることを断わっておく必要がある。

オーケストラは全曲レニングラード・フィルで、この6枚には初出音源は含まれないが25年に亘る一時代を築いた彼らのコラボの歴史を垣間見ることができるシリーズになっている。

曲目はやはりロシア、ゲルマン系の作品が中核をなしているが、CD2ではベルリオーズとビゼーが加わって巨匠のフランス物への解釈も聴きどころのひとつだ。

CD1の『くるみ割り人形』の音質の良さは意外だった。

バレエ音楽からの13曲の抜粋ながらムラヴィンスキーの精緻な表現が活かされた1940年代のセッションとしては貴重な音源だろう。

CD3の『火の鳥』はムラヴィンスキーの絶対的な統率力が示された演奏で、音質も比較的良好だが、最前列の聴衆の1人の咳払いが酷く、緊張感が削がれてしまう嫌いがある。

CD2の『幻想交響曲』、CD5の『アルプス交響曲』は共に異色の演奏で、特に後者はリヒャルト・シュトラウスのイメージしたアルプスの描写とはかなり異なった、殆んど氷河期のアルプスといった峻厳で冷徹なサウンドが聴こえてくるのが興味深い。

ここに描かれているアルプスは1度足を踏み入れたが最後、人間など2度と生きて帰れないほどの厳しい環境を想像させる。

例えば、開始してすぐの「日の出」などはすべての物を一瞬にして焼き尽くすほどの恐ろしい炎を思わせるし、その後の「氷河の上」などは引き裂かれるような響きである。

この演奏が優れたステレオ録音だったら、この曲の他の演奏は存在価値を失っていただろう、そう思わせるほどで、しかも、ライヴということを考慮すれば、まさに空前にして絶後であろう。

このセットでは最も古く唯一の戦前の録音になるのがCD6の『リエンツィ』序曲で、やはりヒス・ノイズと経年による音質の劣化は明らかだ。

第1集と共通のオーソドックスなジュエルケースに6枚のCDが収納されていて、コレクション仕様とは言えないが、新しいリマスタリング盤をリーズナブルな価格で提供しているのがこのシリーズの魅力なので引き続き続編にも期待したい。

ライナー・ノーツは11ページほどで演奏曲目一覧とローター・ブラントによるムラヴィンスキーのキャリアが独、英語で掲載されている。

彼らの代表的録音は複数のレーベルからSACD化されているが、幅広いレパートリーを気取らずに鑑賞できるセットとして、特にムラヴィンスキー・コレクターの方にお薦めしたい。

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2017年06月26日


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このセットでギュンター・ヴァントがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団に客演した最初のライヴ録音は1993年のシューベルトの『ザ・グレイト』で、この時期は奇しくも彼と同年齢のチェリビダッケが同オーケストラの首席指揮者として彼の最晩年を迎えていた。

ヴァントは北ドイツ放送交響楽団を離れた後、フリーの客演指揮者として遅ればせながらインターナショナルな活躍を始めるのだが、大器晩成というにはあまりにも彼への評価が遅過ぎた感がある。

チェリビダッケが得意としたブルックナーをミュンヘン・フィルの持ち味を活かしながらも、全く異なったアプローチで纏め上げる手腕はヴァント円熟期の至芸という他はない。

リズムを音楽の生命と考えていたヴァントは、リズムの進行を妨げるような音楽の抑揚を避け、更に弦楽とブラス・セクションのバランスが崩れないように絶妙な采配をしている。

それゆえ金管楽器の咆哮によってもたらされる一種のカタルシスこそ望めないが、殆んど究極的な調和に根ざした堅牢な交響曲の再現が聴きどころだろう。

ヴァントは晩年に自身のレパートリーをかなり絞り込んでいる。

この8枚に収録された全曲目がゲルマン系であることも象徴的だが、これらの作品は最近リイシューされたRCAからのライヴ音源33枚でも共通していて、彼の生涯を賭けた課題であったことが理解できる。

勿論ブルックナーだけでなくベートーヴェンやシューベルトを聴いていると、その晴朗さとリズム感を一瞬たりとも失うことのない快活なイン・テンポで貫く解釈の基本が示されていて、その巧妙さに彼の鍛え抜かれたテクニックが冴え渡っている。

ヴァントはマーラーを前述の作曲家達とは同列に扱わなかった。

マーラーの音楽はヴァント自身が言う、自己の世界を超越したところで成り立つ普遍的な音楽とは異なった卑近なもの、あるいは極めて私的な性格が強いものとして捉えていたからだろう。

つまりヴァントのアプローチでは扱い難い代物としてレパートリーから淘汰されていったことが考えられる。

総てがミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とのライヴ音源で、演奏終了後に客席からの拍手喝采が入っているが、音質は極めて良好で演奏中の聴衆の雑音は混入していない。

クラムシェル・ボックスに収納されたそれぞれのジャケットは洒落っ気のない無地の紙封筒状で、1枚1枚開封する必要がある。

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2017年06月24日


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先ず収録曲の音質についてだが、音源はいずれも第2次世界大戦中のものであることを考慮すれば時代相応と言うことができる。

録音方法も使用されたマテリアルも最良とは言い難いが、幸いマスター・テープは破綻のない保存状態で残されていたようだ。

SACD化によって音場に奥行きが出て比較的余裕のある音響が再現され弦の高音にも潤いが出ているが、分離状態に関してはそれほど改善はみられない。

クライマックスの全オーケストラが鳴り響く総奏部分では音割れこそないが団子状態になってしまいそれぞれの楽器固有の音が再生し切れていないが、これはこの時代のモノラル録音の宿命だろう。

併録されている交響曲第7番の第2楽章は更に2年遡る1942年の録音だが、皮肉にもこちらの方が良好な音質が保たれている。

ただし収録は第2楽章アダージョのみで、1949年から51年にかけて彼がベルリン・フィルを振った3回の同曲の全曲録音とは別物で、単独で遺された放送用ライヴ音源のようだ。

幸いどちらも聴衆からのノイズは一切混入していない。

フルトヴェングラーの指揮したブルックナーの交響曲第9番では唯一の音源が1944年10月7日のベルリンに於ける当ラジオ・ライヴである。

このブルックナー未完の大作は終楽章を欠いた形で遺されていて、原典主義を重んじたフルトヴェングラーは、作曲家の書いた楽章以外には何も付け足さずに第3楽章迄で演奏を終了している。

それでもこの曲の演奏時間はトータル57分59秒で、完成していれば彼の交響曲の中でも最大の規模を持った作品になっていた筈だ。

それだけにこの曲の解釈は演奏家は勿論、音楽学者や批評家によって様々で、フルトヴェングラーの遺したこの録音は自己主張が強く、極めて劇的で豪快、振幅の大きい音楽である。

特に曲中でしばしば起こる恣意的で性急とも思えるテンポの変化が現代人の私達の耳にはあざとく聞こえて、この作品ではもっと素朴で端正な表現が望ましいと批判の矢面に立たされることが多いようだ。

それが時代遅れの手法であるか否かはこの際問わないことにして、ブルックナーがオーケストレーションの中に描き出したセオリーとエモーションが高い次元で止揚される壮大な音楽的構想は感じ取ることができると思う。

それはスコアから作曲家の楽理だけでなく宗教観や哲学を読み取る術を知っていた大指揮者ならではの解釈に違いなく、それを敢えて否定する気にはなれない。

従って、必ずしも万人向きの演奏ではないかも知れないが、途轍もない大きなエネルギーを秘めたフルトヴェングラーならではのブルックナーである。

大戦が敗色濃厚になっていたこの時期のドイツでベルリン・フィルを率いてブルックナー最後の大曲を録音すること自体異例な催しとしか考えられないが、ナチによる国民への士気高揚のためのプロパガンダのひとつだったのかも知れない。

ブルックナーの死への恐怖がドイツの滅亡の予感と共鳴しあい、この上ない凄絶な音楽を生み出していて、クレッシェンドとともにテンポが大きく揺れ動き、大きな音楽のうねりを作り出す。

しかも、それは外面的な効果とは全く無縁で、ブルックナーの音楽から決して逸脱おらず、この作曲家にはこうした一面もあったのだと改めて教えてくれる。

フルトヴェングラーにしてみれば自身の確固たる音楽的信念からの選曲だったに違いないが、ナチへの協力者というレッテルを貼られて戦後の一時期楽壇から追放されたのはこうした活動に起因しているのだろう。

しかし敗戦2週間後にベルリン・フィルは逸早く戦後最初のコンサートを開くことになる。

今度はソヴィエトのプロパガンダだったのだが、こうした大きな政治的変遷に振り回されながらも彼らはドイツの文化遺産を絶やすことなく継続していくことになるのは象徴的だ。

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2017年06月22日


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現代ドイツを代表するカルテット、アルテミス弦楽四重奏団が1998年に開始し、途中2人のメンバー・チェンジを経て2011年に完成させたベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集。

1989年にドイツのリューベックで結成されたアルテミス弦楽四重奏団は、アルバン・ベルク弦楽四重奏団の面々や、ラサール弦楽四重奏団のワルター・レヴィンに師事し、エマーソン弦楽四重奏団やジュリアード弦楽四重奏団からも大きな影響を受けている。

活動が本格的になったのは1994年頃からで、1996年にはミュンヘン国際音楽コンクールで優勝、翌1997年、プレミオ・パオロ・ボルチアーニ弦楽四重奏国際コンクールでも優勝し、その圧倒的な実力を世に示した。

以後、ヴァイオリンとヴィオラのメンバー・チェンジを経て現在に至り、ますます高まる演奏能力によって、世界各国で高い評価を獲得している。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の録音史を考えると1978〜1983年に完成されたアルバン・ベルク弦楽四重奏団の最初の全集が1つのターニングポイントと言えるところであり、圧倒的な技術とシンフォニーのような音量、雄大なダイナミックレンジと機敏で明晰な解釈で、一世を風靡した。

以後、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を録音するにあたっては、アルバン・ベルク弦楽四重奏団とは違った新しい価値をどのように達成するか、というのが1つの基準になる。

そこで、このアルテミス弦楽四重奏団の録音であるが、彼らも豊かな音量を誇っており、そういった意味でスケールの大きい、室内楽的範疇に収まらない演奏を繰り広げているが、併せて、きわめて緊密なやり取りを高度な制御により行っている点が凄い。

彼らの演奏は力強くシャープで、広大なダイナミックレンジを持つが、長年に渡って研鑽を積んだ合奏能力はきわめて高度なものであり、このベートーヴェン録音シリーズでも、そのパワーを遺憾なく発揮すると同時に、細部に至るまで作品情報が掌握されていることが大きなプラスになっている。

チェロのエカルト・ルンゲはベートーヴェンについて、「最もモダン、刺激的、実験的そして豪胆な作曲家」と語っていたが、彼らのベートーヴェン演奏からはそうした積極的な要素が強く感じられるのがポイントで、このスタンスの徹底により、彼らの全集は、大きい存在感を獲得している。

そうして彼らが獲得した自然な歌謡性は、アルバン・ベルク弦楽四重奏団ではやや乏しく感じられたものである。

聴いていて「潤う」成分が欲しいリスナーには、このアルテミス弦楽四重奏団の演奏は、絶好の録音と言える。

個人的に強く印象に残ったのは、飛躍を感じさせる充実感に満ちた第5番、弦楽四重奏曲の概念を覆した名曲に相応しい壮大さを感じさせる第7番、アコースティックな暖かみを十全に感じさせてくれる第12番の3曲。

逆に、やや物足りないと思った曲としては、均質性に配慮しているが、もう一歩力強い踏み込みが欲しかった第14番、弦楽器的なサウンドに徹しているが、より活発さの欲しかったヘ長調Hess34の2曲を挙げる。

しかし、全般に現代的でシャープな感性で押し切った、素晴らしい内容の濃い全集であり、その平均的な質の高さは驚異的なものと言って良く、全集として強く推薦したい。

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2017年06月20日


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今年2017年は夭折したルーマニアのピアニスト、ディヌ・リパッティ生誕100周年に当たり、既にワーナーからはダイジェスト3枚組リマスタリング盤がリリースされている。

しかしこれまでのセット物では最も多くの音源を纏めているのが独ヘンスラー、プロフィール・レーベルからの当セットで、12枚のCDには1936年から亡くなる1950年までの現在入手可能な総ての音源が網羅されている。

古くは10代の頃のものからあり、バッハ作品では珍しいリパッティのチェンバロ演奏に触れることができる。

また、ブラームスのワルツは恩師ナディア・ブーランジェと連弾していて、リパッティのみならずブーランジェのピアノ演奏も聴くことができる。

代夫にして人生の恩人エネスコを独奏者としたヴァイオリン・ソナタ2篇は国内盤も出ていなかった貴重な音源。

チェリスト・ヤニグロの伴奏をつとめた録音は、前年にジュネーヴ国際コンクールでデビューしたヤニグロの力量を買い、共演コンサートを経て、チューリヒのコロンビアにテストレコーディングしたもので、息の合った絶妙のアンサンブルが聴ける。

それらは貴重な記録には違いないのだが、一方で音質に関して言えばCD1の前半及びCD3の音源は鑑賞に堪えないものもあり、どういう経緯で録音されたものか疑いたくなる。

プロフィール・レーベルは独自のリマスタリングが売り物だが、マスター自体の音質が鑑賞レベルに達していないのが実情なのだろう。

改めて夭逝したリパッティは、不運にも録音にも恵まれなかったピアニストだったことを痛感する。

後半には良く知られたカラヤンとのシューマン、モーツァルトの協奏曲第21番の他にアンセルメ、スイス・ロマンドとの協演になるシューマンのライヴも良好にリマスタリングされている。

版権の違いでEMIとデッカから別々にリリースされていたものが纏められたのは幸いである。

その他の協奏曲はリストの第1番、グリーグ、ショパンの第1番、バッハ/ブゾーニ編のピアノ協奏曲第1番、バルトークの第3番に加えてリパッティ自身の作曲になる『古典様式による小協奏曲』の2種類の音源とオーケストラ付ルーマニア舞曲3曲など、彼が遺した総ての協演を聴くことができる。

ブザンソン告別演奏会ではショパンのワルツ全曲を弾く筈だったリパッティが、精根尽きて僅か1曲を遺して演奏会場から去ったとされている。

その後の事情は伝説化されていて真実は定かでないが、一説によると彼は再び聴衆の前に姿を現し、ワルツの替わりにバッハ/マイラ・ヘス編のコラール『主よ、人の望みの喜びよ』を弾いたとされているが録音は遺されていない。

CD12の最終曲は彼の最後の幻の演奏を再現する形で同曲のセッション録音が付け加えられている。

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2017年06月18日


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独ヘンスラーのプロフィール・レーベルからリリースされているカルロ・マリア・ジュリーニがドイツのオーケストラに客演したラジオ放送用ライヴ録音シリーズのひとつ。

1979年1月26日に収録された質の良いステレオ音源は、大手メーカーのセッション録音に引けを取らない音質が再現されているし、また鑑賞の時に煩わしい聴衆からの雑音は一切混入していないのも幸いだ。

プロフィール・レーベルのリマスタリングには定評があり、それはこれまでにリリースされたジュリーニがドイツの放送局に遺した幾つかの音源でも証明されている。

この録音でも音場が広く分離状態も良くオーケストラのそれぞれの楽器配置も明瞭で、確かにやっつけ仕事ではない良心的で丁寧な仕上がりが感知される。

唯一の弱点を挙げるとすれば収録曲がブラームスの交響曲第1番ハ短調の1曲のみというところだろう。

ジュリーニは若い頃オペラからオーケストラル・ワークに至るかなりのレパートリーを持っていたが、年と共にそれらを厳しく収斂していった指揮者なので、こうした音源の発掘は歓迎したい。

ブラームスはジュリーニが得意としていた作曲家の1人で、交響曲第1番に関しては、フィルハーモニア管弦楽団(1961年)、ロスアンジェルス・フィル(1981年)、ウィーン・フィル(1991年)とそれぞれスタジオ録音している。

ここでのジュリー二の指揮は難解に感じられる部分が全くない明快なもので、冒頭からメリハリを利かせた起伏のあるダイナミズムの中にブラームスの演奏には異例なほどの鮮やかな色彩感を反映させている。

テンポの采配もかなり自由で、第2楽章後半のヴァイオリン・ソロとホルンのユニゾンではカンタービレを充分に奏でる流麗な抒情が美しいし、終楽章のテーマもテンポを抑えて悠々とした歌心を披露している。

ジュリーニは音楽を理詰めで聴かせるタイプの指揮者ではなく、あくまでも作曲家のオーケストレーションの妙を引き出し、それを最大限活かしながら表現する、言ってみれば感性が主導する解釈が支配的だが、その一方で音楽の起承転結を疎かにせず作品を弛緩させることのない巧妙なバランス感覚が彼の美学でもある筈だ。

その結果オーケストラの重厚さやほの暗さによって表されるブラームスの諦観よりも、むしろ平明だがより開放的なサウンドが特徴だろう。

ジュリーニはまた、ブラームスの作品独自の重厚な音構造、和声感覚、ディテールの入念な動きをことごとく表出しながら、伴奏音型、対旋律、普通なら目立たない楽句も手にとるように表現している。

それもバイエルン放送交響楽団がジュリーニの手足の如く自在に力量を発揮し、緻密な演奏をする姿勢がなければ不可能だが、事実、オケは極めて質の高い水準を示している。

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2017年06月16日


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イタリアSQは、ここで新しいベートーヴェン像を描き出そうとしており、全曲を通じておおらかなリリシズムが支配する明るく流麗な表現と息の合った絶妙なアンサンブルが特徴だ。

4人の奏者の音楽性には見事な均一性が保たれ、しなやかな弦の味わいが終始貫かれている。

好んで明るい音色を求めながらも、楽章に応じて音色を巧みに変化させ、その上表情にも意志的な姿勢をみせ、テンポをテリケートに浮動させながら、音楽をよく歌わせている。

むろん、アンサンブルにも隙がないが、彼らの演奏は実に明快で、そして美しい歌に溢れているのが、大きな特色に数えられるだろう。

歌う際の独自のアクセントとダイナミクスの変化で造型していく他に類のないベートーヴェン演奏で、その未来のベートーヴェン像を象徴するかのような新鮮なアプローチは驚嘆に値する。

ひとりひとりが南国的な明るい感性をもち、強烈な歌の精神でベートーヴェンの心を歌い上げているが、リズムも明快に処理しており、朗々たる魅力に圧倒される。

ベートーヴェンの解釈として異例であることは認めざるを得ないが、彼らはどんなフレーズにも歌を見い出し、洗練されたカンタービレの奏法で歌い上げてしまう。

極めて特徴のある演奏スタイルだが違和感はなく、ベートーヴェンの前向きの迫力を伝える演奏として貴重なものだ。

確かに哲学的な深みのある表現については他の四重奏団に一歩譲るかもしれないが、感覚的に誰でも素直に入ってゆける、親しみやすいベートーヴェン演奏と言えるだろう。

それだけに演奏が決して神経質で辛気臭いものにならない屈託の無さが魅力だが、また一方でメリハリの効いたオーケストラを髣髴とさせるスケールの大きな表現と自由自在に変化するテンポの採り方も手馴れたものだ。

ベートーヴェンの深遠な音楽の前に少しも萎縮することなく、むしろ耳に心地よい響きの中に総ての音楽的なドラマを映し出すリリシズムこそ彼らの演奏の身上なのだ。

弦楽器同士ならではの柔らかな対話の仕方というものに、イタリアSQはとてもよく通暁していたグループであったが、ここでも彼らの語り合いは少しも肩に力が入り過ぎておらず、トゲトゲしくならず、なめらかで、自然で、味わい深く再現されている。

余裕を持ったゆったりしたテンポの設定からもそのことが理解できるが、それ故にこの全曲集はなんと10枚のCDに収められている。

技巧的な安定感の強さは、これらの四重奏曲の数多い録音の中でも屈指のものだし、彼らの南方的な資質も各曲で遺憾なく発揮されている。

とりわけ中期の作品95「セリオーソ」や同59の3曲の「ラズモフスキー」等は彼らの面目躍如たるものがあり、各々の第1楽章では意志的な逞しさにも不足はない。

一方、作品74「ハープ」の軽やかな透明感、端正な楽想の処理、各部のバランスの妥当さ、変奏部分の連続性の強さは無類に楽しく、美しい限りで、彼らの音楽性の幅を感じさせる。

また、後期の作品132の最終部分で歌われるヴァイオリンとチェロのスケール豊かな表情には、この全集の独自性が見事に集約されている。

長年に亘り培ってきたインティメイトな交流が存分に発揮され、自然な呼吸の中から自ずと曲の本質を衝いた演奏が生まれたと言うべきだろう。

4人のイタリア人がベートーヴェンを主要なレパートリーにしていたことは興味深いが、その発端は1951年に参加したザルツブルク・フェスティヴァルでのフルトヴェングラーとの出会いだった。

巨匠は彼らをホテルに招いてベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲とブラームスのピアノ五重奏曲について自らピアノを弾きながら助言した。

それは彼らにとってかけがえのない経験であり、その後の演奏活動の重要な課題ともなった。

このベートーヴェンだけに限らず、イタリアSQの演奏の大部分は、弦楽四重奏というスタイルの最良の部分を高らかにかかげるようなものであった。

1967年から75年にかけてフィリップスへの録音が集大成されたもので、更にリイシュー廉価版として再登場、音質の良さも特筆に値する。

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2017年06月14日


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ここ数年間でカール・ベーム円熟期を代表する演奏のバジェット・ボックスが次々とリリースされている。

ユニヴァーサル・イタリーからの交響曲集22枚、ドイツ・グラモフォンからの後期録音集23枚及びグレイト・レコーディングス17枚の3セットを揃えると、オペラ全曲盤は別としても彼のオーケストラル・ワークでの公式セッション録音の殆んどを網羅することが可能だ。

それらは比較的録音状態にも恵まれているが、オールド・ファンやコレクターにとってはその前の着々とキャリアを積んでいた壮年期の演奏も聴き逃せない。

確かにノイズに塗れた録音も多く入門者にはお薦めできないが、ベームの解釈や指揮法の変遷を知りたい方にとっては非常に貴重なサンプルだろう。

彼はフリッツ・ブッシュの後を継いで1934年にシュターツカペレ・ドレスデンのカペルマイスターに就任するが、この時代のエレクトローラへの全音源がCD1から14までに収録されている。

その後ベームはウィーン・シュターツオーパーに活動を移し、彼らとのエレクトローラ、HMVへの録音が後半の4枚に、そしてベルリン・フィル及びフィルハーモニアへの客演が1枚強という内訳になっている。

この時代既にベームはリヒャルト・シュトラウスからも絶大な信頼を得ていて、彼がドレスデンで初演した年の『ダフネ』の抜粋や交響詩『ティル』『ドン・ファン』、オペラでは『サロメ』『薔薇の騎士』などでその片鱗を窺うことができる。

戦前から戦後にかけてオーケストラル・ワークを中心にしたレパートリーだけでもこれだけの録音を遺しているという事実は、如何に彼の手腕が買われていたかという証明でもある。

このセットの中で最も古い演奏は彼がドレスデンに就任した直後1935年のベートーヴェンの『エグモント序曲』とロルツィングの喜歌劇からの2曲で、一番新しいものでもセットの後半に収録されている1949年のウィーン・フィルとのモーツァルトを中心としたプログラムになる。

ここでのオペラや声楽曲はごく一部だが、爆撃で瓦礫の山に帰す前のゼンパーオーパーが如何に精彩に富んだレパートリーの上演を敢行していたか想像に難くない。

ライナー・ノーツ巻末にはこのセットに使用されたオリジナル音源の出典一覧表がオーケストラごとに掲載されている。

尚総てがモノラル録音で、オペラはドイツ語及びドイツ語訳詞による歌唱。

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2017年06月12日


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この作品集ではレギュラー・メンバーのピアニスト、エリック・ル・サージュが参加しない、純粋な管楽器のみのアンサンブル作品10曲を採り上げているが、レ・ヴァン・フランセーの面目躍如たる名演と評価したい。

メンバーの5人は言わずと知れた名ソリスト達だが、アンサンブルの難しさは個人の技量よりもむしろ個性を抑制して相手に合わせる協調性にあるため、名人が集ったからといって理想的な演奏になるとは限らない。

しかし彼らはそれぞれがヨーロッパの名立たるオーケストラに所属している首席奏者であるためにそのあたりも絶妙に心得ていて、合奏としての高度な愉悦と優れた芸術性も体験させてくれるのは流石だ。

このCDに収録された作品は、他に比較鑑賞する同時代の優れたサンプルが少ないので、やはりフランスのモラゲス五重奏団がリリースした20世紀のウィンド・アンサンブル集と聴き比べてみた。

そちらのアルバムにもリゲティ、バーバー及びヒンデミットの3曲の同一曲が収録されていて、ウィンド・アンサンブル入門者には有力な選択肢と言える。

両者を聴き比べてみると、確かにレ・ヴァン・フランセーの音色にはスター性を持った華やかさがあり、幅広い表現力も魅力的だが、アンサンブルの巧みさではモラゲスも決して劣ってはいない。

しかも彼らがこのアルバムを録音したのが1991年であることを考慮すると、より前衛的な曲目を積極的に採り入れた斬新な啓蒙性ではモラゲスが優っていると言えるだろう。

それに比べるとレ・ヴァン・フランセーのレパートリーはやや万人向けの傾向が無きにしも非ずだ。

レ・ヴァン・フランセーは1993年に南フランスの小都市サロン・ド・プロヴァンスでの国際室内楽音楽祭を企画したエマニュエル・パユ達によって同年に結成されたウィンド・アンサンブルだが、20年を経過して彼らの演奏活動は益々インターナショナルなものになっているし、その芸術性も一層成熟してレパートリーも豊富だ。

一般的に管楽器に関しては歴史的にもフランス系のソリストが圧倒的な能力を発揮していて、ソロ、アンサンブル、オーケストラル・ワークのジャンルを問わず、彼ら特有の音色と奏法でその存在感を示している。

こうしたスター・プレイヤーの多くはレギュラーのアンサンブルの中で定期的な演奏活動をしているのはむしろ例外で、機会に応じて集う臨時の室内楽団が多い。

古くはランパル、ピエルロ、ランスロなどによるフランス管楽アンサンブルがその例だが、一方固定したメンバーによる室内楽では前記したモラゲス兄弟を中心とするモラゲス五重奏団が少ないながら優れたCDをリリースしている。

そうした中でより継続的なアルバムを制作しているのがレ・ヴァン・フランセーで、これからの彼らの演奏活動にも期待したい。

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2017年06月10日


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プラガ・ディジタルスからのジェニュイン・ステレオ・ラブ・シリーズの新譜で、リムスキー=コルサコフの作品3曲が収録されている。

ピエール・モントゥー&ロンドン交響楽団の『シェエラザード』が目当てで買ったが、他の2曲の室内楽も機知に富んだ作曲家のアイデアと才能を示していて予想以上に楽しめるアルバムになっている。

弦楽のための六重奏曲及びピアノと管楽器のための五重奏曲はライナー・ノーツによればどちらもリムスキー=コルサコフがロシア音楽協会のコンクールのために提出した作品で、優勝は逸したが音楽性の豊かさと若々しい意欲的な作風に魅力がある。

前者は屋外で演奏する気の利いたセレナードのような清涼感があり、弦楽トリオをふたつ組み合わせる斬新な発想と第2楽章フガートではバッハの名前B、A、C、Hの4つの音を使った手の込んだ二重フーガ、第3楽章はイタリアの軽快な民族舞踏タランテッラ、更に第4楽章ではスラヴの抒情をクロスリズムの伴奏の上に歌わせるというかなり凝った作品だ。

演奏者はコチアン四重奏団にヨセフ・クルソニュのヴィオラとミハル・カニュカのチェロが加わる編成で、明快かつ溌剌とした推進力が見事な演奏だ。

一方後者は一種のサンプラーで、このCDの収録時間がトータル82分15秒とかなり詰め込んでいるにしても、第2楽章だけなのが惜しまれる。

プラハ木管五重奏団のメンバーにピアノのイヴァン・クランスキーが協演していて、管楽アンサンブルはどことなく垢抜けない音色だがスラヴの土の薫りをイメージさせるローカル色が聴きどころだろう。

モントゥー&ロンドン交響楽団の『シェエラザード』は1957年の良く知られたデッカ音源で、初期のステレオ録音だが新規のリマスタリング効果で分離状態の良い鮮明な音質が再現されていてノイズも殆んどなくなっている。

寓話「アラビアン・ナイト」の世界を説明的ではなく、音のみによって十分に描いた巨匠の腹芸のような含蓄の多い名演で、色彩豊かに、しかしナチュラルに表現している。

曲中4回に亘って登場するヴァイオリン・ソロによるシェエラザードのテーマはアイルランドの名手ヒュー・マクガイヤーの妖艶というよりは、むしろ清楚で可憐な表現に好感が持てる。

この作品はヴァイオリンの他にもフルート、オーボエ、コーラングレー、クラリネット、ファゴットやチェロなどのソロも大活躍する華麗なオーケストレーションに仕上げられているが、モントゥーのテンポは快速で、部分的な拘泥を避けてストレートな物語性を描き出し、クライマックスでのブラス・セクションの惜しみない咆哮も効果的だ。

この辺りにも彼の多くの新作初演の経験から鍛えられたスコアへの鋭利な洞察力が示されている。

レギュラー・フォーマットだが古いCDと聴き比べると見違えるような音質の向上が特筆される。

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2017年06月08日


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カール・ズスケは、1962年にベルリン国立歌劇場管弦楽団(シュターツカペレ・ベルリン)のコンサートマスターに引き抜かれ、1965年に同僚と語らってズスケ弦楽四重奏団を結成、1966年にジュネーヴ国際コンクールに入賞した。

ズスケは多忙な国立歌劇場の仕事の合間を縫って室内楽に取り組み、やがてベルリン弦楽四重奏団と改称し、国際的にドイツ民主共和国(東ドイツ)最高の室内楽団と評価されることとなった。

それとともにズスケは室内楽の名手として名声を高め、数々の優れた室内楽のレコードを残したが、このベートーヴェンはこの団体の代表的名盤である。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集には文字通り歴史的名盤がいくつもあって、どれひとつとして聴き逃せないことは勿論であるが、筆者が比較的少数派という自覚付きながらまず真っ先に選ぶのは(旧)ベルリン弦楽四重奏団の全集である。

おそらく戦後ドイツが生み出した最高の弦楽四重奏団の1つの最善の成果が示された演奏で、極めて端正で清潔な表現と清々しい響きに彩られたベートーヴェン。

しかし単にすっきりしているというのではなく、その中に自在で柔軟性に富む表情と豊かな感興が息づいていて、ズスケの叙情性豊かな表現が、緩徐楽章だけでなく随所に効果的である。

強い自己主張を打ち出すよりも、作品に真摯に奉仕することにより、内から自然と滋味が滲み出てくるような秀演である。

旧東ドイツに属するとは言え演奏スタイルは決して古めかしくなく、むしろ優れて今日的で、どの曲、どの楽章を聴いても明確な表現をもった積極性に溢れた音楽が繰り広げられている。

つまり、これは感情のみを第一義とした旧時代的な演奏ではなく、もっと堅固にまとめられた、切れ味の鋭い音楽をつくっている。

そのためには、ベートーヴェンの与えた指定を少しもないがしろにせず、それを曖昧でなく鮮明に示して、すみずみまで迫力に満ちた演奏である。

ズスケ以下切れ込みの鋭い踏み込んだ表現が光り、しかも無用な情熱に駆られることなく、悠然たる歩みと堅固な造形感に貫かれた堂々とした演奏が展開されている。

これは極めて透明度の高い、そして古典的美しさを端正な造形で表現した演奏であるが、ズスケを中核とするメンバーは、瑞々しくも感情の潤いに満ちた音楽を歌っているのである。

全体に精神の輝きと自在な表情に満ちた生命感に溢れており、アダージョ楽章における気品を湛えた崇高な表現も出色である。

4人の奏者の均質で透明な響きが実に美しく、ズスケをはじめ、チェロのブフェンダーや内声も感興に溢れる素晴らしい演奏を展開する。

各声部の自発性豊かな表情と声部間の応答の敏感軽妙なこと、練れた柔らかい響きときめ細かな表情にも感心する。

この団体は、表情が決して粘り過ぎず、響きもいぶし銀のように底光りのする光沢と透明感があり、表現も一見淡泊であるが、実に細やかな神経が行き渡っており、各奏者の反応も敏感で清々しい。

これほど美しい造形と精神性のバランスのとれた演奏は少なく、奇を衒わない正統的な表現でここまでの深みを出せる団体は現在でも多くはない。

初期作品は、古典的で均整の取れた佇まいを、何のケレン味もなく実に落ち着いた余裕を感じさせるアンサンブルで見事に描き出している。

中期作品では、とかく熱を上げすぎバランスを崩す演奏が多いなかで、これは極めて落ち着いた盤石の安定感を示しているが、その中に込められた精神的充実ぶりも超一級。

後期作品は、ズスケの透明で柔軟性に満ちた音楽性がアンサンブル全体に行き渡り、心の奥から滲み出てくるような歌を、決して力まずに豊かに引き出しており、繊細な配慮の行き届いた緩急やデュナーミクの変化も実に自然である。

従って、演奏内容、音の鮮度、録音の自然さなど色々な条件を総合的に考慮して、これはどんな名盤にもおよそひけをとらない素晴らしいレコーディングだと確信する。

そしてリーダーのズスケがライプツィヒ・ゲヴァントハウスに移った後も、じっくり時間をかけてシリーズを完遂した制作態度にも、この全集の盤石の重みがある。

このベートーヴェンの全集完成をもって解散したこのメンバーによる品格高い音楽性が余すところなく記録されているのである。

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2017年06月06日


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カルロ・マリア・ジュリーニが壮年期にドイツで振った放送用ライヴ音源シリーズからの3曲で、独ヘンスラー・プロフィール・レーベルの良好なリマスタリングによってケルン放送交響楽団との鮮烈な演奏が甦っている。

3曲の中では最も古い録音が最後に収録された1958年のドヴォルザークの交響曲第8番で、この曲のみモノラル録音になる。

オフ・マイクで採音された残響豊かなサウンドが得られているが、やや臨場感に欠けるのが残念だ。

しかし44歳だったジュリーニの一気呵成に燃え上がる高揚感と全く溜めのない奔流のような推進力が数多いこの曲の名演の中でも稀にみる緊迫感を漲らせている。

第1楽章後半からの総奏でのブラス・セクションの咆哮と弦の応酬もジュリー二の手の内にしっかりと統率されていて水も漏らさぬ態勢が維持されている。

また第3楽章の快速のアレグレットではスラヴ的な土臭さとは縁がないが、高潔とも言える瑞々しい弦がメロディーをクールに歌い切っているし、終楽章フィナーレへのアッチェレランドをかけた凄まじい追い込みは爽快なカタルシスを体験させてくれる。

ブゾーニとフランクの2曲は1971年のステレオ録音で、マスター・テープの保存状態も良くノイズのない鮮明な音質で鑑賞できるのが幸いだ。

いずれにしても放送用ライヴなので聴衆からの雑音や拍手は一切混入していない。

ブゾーニのサラバンドは一種のパッサカリアになっていて、繰り返される低音の上に対位法を使った変奏が神秘的な雰囲気を醸し出していて、続く華麗なコルテージュとの対比が鮮やかだが、ここでもジュリーニの精緻で隙のない表現力が劇音楽というジャンルを超越した、より普遍的なオーケストラル・ワークとしての価値を与えている。

フランクの交響詩『プシシェ』からは第4部の「プシシェとエロス」のみが演奏されていて、小規模ながら魅力的なピースに仕上げられている。

ジュリー二の解釈は官能性を仄めかす程度で、むしろ特有の透明感の中に物語のシュールレアリズム的な性格を映し出しているのが秀逸だ。

この作品はラテン詩人アプレイウスの『黄金のロバ』の中の挿話「クピードとプシュケー」のエピソードを4つの断章で纏めるという構想で作曲したもので、フランク晩年の巧妙なオーケストレーションが駆使されていて、ジュリーニに従うケルン放送交響楽団の高度な音楽性と実力も十分に発揮されている。

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2017年06月04日


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2015年に亡くなった指揮者クルト・マズアの追悼盤はこれまでにユニヴァーサル・イタリーからのベートーヴェン交響曲集及びワーナーからのメンデルスゾーン交響曲集のそれぞれ全曲集がリリースされていて、それらの殆んどがベルリンの壁崩壊を前後して録音されたものだ。

一方こちらのオイロディスク音源はいずれもライプツィヒがまだ東ドイツに属していた1970年代の演奏で、メンデルスゾーンは第1回目の全集になる。

ブルックナーに関しては2014年にソニー・クラシカルから廉価盤化された9枚組と同一音源なので、そちらを購入済みの方は注意されたい。

マズア壮年期の堅牢ですっきりしたオーケストラ統率と頑ななまでの正面切った解釈、そしてこの頃のゲヴァントハウス管弦楽団も良い意味でのローカル色、つまり飾り気こそないが深みのある豪快な表現力に魅力がある。

ウィンド、ブラス・セクションの音色は西側のオーケストラより素朴だが、真摯で古風な風格を備えていてバッハ以来の音楽都市ライプツィヒの伝統の重みを感じさせるのも事実だ。

マズアは映画『クラシック音楽と冷戦』の中でインタビューを受けているが、それによれば彼は当局の方針をはぐらかしながら音楽活動をしていたことが理解できる。

だからこそベルリンの壁が崩壊した時、先頭に立って人権の自由と開放の喜びを宣言したのだろう。

こうした1人の芸術家としての頑固な信念も彼の指揮に反映されているのではないだろうか。

その象徴的な演目がベートーヴェンの『フィデリオ』で、当時の彼らの自由への隠された憧憬が強く印象に残る演奏だ。

ブルックナーでの一切の誇張を避けた真っ正直な指揮からは濁りのない純正な音楽のダイナミズムが築かれていて、一過性の熱狂とは異なったより普遍的な感動を呼び起こす。

メンデルスゾーンはかつてのゲヴァントハウス管弦楽団の楽長だったし、またシューマンの交響曲は第3番を除く3曲は同オケが初演を飾った作品なので、彼らの伝家の宝刀とも言うべき貫禄を示した磐石な表現に説得力がある。

ここではまたシューマンの珍しいレパートリー、ゲーテの叙事詩から構想され、フランス国歌『ラ・マルセイェーズ』が使われた序曲『ヘルマンとドロテーア』が思いがけないボーナスだ。

尚バジェット・ボックスということもあり残念ながらライナー・ノーツは省略されているが、音質はリマスタリングの効果もあり鮮明で極めて良好。

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2017年06月02日


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パリ生まれのバリトン、ジャック・ジャンセン(1913-2002)が1952年にデッカに録音したLP2枚分の音源を1枚のCDに纏めたアルバム。

ここに収録された総てのレパートリーがフランスの作曲家の作品であることに象徴されているように、彼の歌唱はフランス語の持つ言葉としての表現力を多彩に引き出し得た演奏だ。

彼が歌詞から紡ぎ出す千変万化の微妙なニュアンスは、他の言語を母国語に持つ歌手には殆んど不可能に近いほどの独自の美学を体験させてくれる。

イタリアのバリトンのように輝かしくもなくヒロイックでもないが、それは作曲家達がそうした効果を求めていないからである。

こうした価値観を共有できる人にとってはジャンセンの軽やかな語り口やテノールのようなファルセットーネを巧みに使った歌い回しにコケティッシュな魅力やそれほど深刻さのない喜怒哀楽、皮肉等が見事に捕らえられていることが理解できるだろう。

ベル・エポック期を代表するアーンの歌曲集ではベルレーヌの詩による『灰色の歌』が全曲でないのが惜しまれるが、「秋の日のヴィオロンのため息の・・・」や「恍惚の時」の憂愁や抒情が美しい。

当時のデッカが誇ったフル・フリークエンシー・レンジ・レコーディング(ffrr)の音質は極めて良好でノイズも殆んどないが、一部で板起こしと思われる隣の音溝の音が直前にかすかに聞こえる現象が起きている。

簡易なライナー・ノーツが付いているが、廉価盤の宿命で歌詞対訳は掲載されていない。

ジャンセンはピエール・ベルナックやシャルル・パンゼラの後に続くフランス系バリトン歌手で、彼自身パンゼラの高弟でもある。

比較的軽い硬質で高音にも恵まれていたために、テノールで歌われることも多いドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』のペレアス役で決定的な成功を収めている。

このCDでの演奏の殆んどがジャクリーヌ・ボノーのピアノ伴奏によるものだが、ラヴェルの『マダガスカル島民の歌』3曲ではフルートのランパルとチェロのジャンドロンが助奏に回ってのサポートで華を添えている。

一方得意のペレアス役はやはりモノラル録音ながら、クリュイタンスがフランス国立放送管弦楽団を振った1956年の全曲録音があり、可憐で神秘的なメリザンドをデ・ロス・アンへレス、またゴローをほぼ同世代のスゼーとの協演で堪能することができる。

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