2017年11月

2017年11月29日


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ドイツのテノール、クリストフ・プレガルディエンはレオンハルトと協演したバッハの受難曲のエヴァンゲリスト歌いとして一躍名声を得た。

その真摯な歌唱と癖のない柔軟な表現力が特に宗教曲のジャンルで評価されたことが理解できる。

確かに彼の声質は官能的とはいえないが決して融通性のない禁欲的なテノールではなく、ここでの多くのロマンティックな歌曲集も実にスマートに、しかも特有の透明感のある声で清々しく表情豊かに歌い上げている。

例えばシューベルトの『美しき水車屋の娘』やシューマンの『詩人の恋』での、若者の青春の息吹きと失恋の深い痛手が曲を追うごとに伝わってくる精緻で頭脳的なアプローチは流石だ。

プレガルディエンは思い入れたっぷりに歌うタイプではなく、基本的にピリオド唱法でのヴィブラートを抑えたすっきりした表現の中に、かえってモダンな感性が窺える。

もうひとつの特徴は古楽学者でピリオド鍵盤楽器奏者のアンドレアス・シュタイアーが伴奏にフォルテピアノを使っていることである。

当然彼らはピリオド・スタイルの再現を試みているが、実際に響いてくるサウンドは決して色褪せたセピア調のものではなく、むしろそこにリリカルな瑞々しさや詩の要求するかなりドラマティックな表現も可能にしている。

彼らの演奏を聴いていると、往時のシューベルティアーデの一晩が再現されたような雰囲気がある。

ドイツ・リート演奏に対するひとつの新しい方向性を示したサンプルとしても秀逸。

この4枚のCDは1991年から94年にかけて録音され、これまで個別にリリースされたアルバムが今回初めて纏められてバジェット・ボックス化された。

ライナー・ノーツには全収録曲と録音データのみの記載で歌詞対訳は省略されている。

幸い上記アマゾンのページでも収録曲目を一覧できるので参照されたい。

尚使用されたフォルテピアノだがCD1及び2はヨハン・フリッツが1818年にウィーンで製作したハンマーフリューゲルをクリストファー・クラークが1981年にコピーしたもので、CD3は同じ製作者の1825年のオリジナル楽器を修復したもののようだ。

最後のCDもやはりヨハン・フリッツ製作だが1815年のレプリカを使用している。

ピッチは現代よりやや低いa'=430Hz。

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classicalmusic at 18:04コメント(0)シューベルトシューマン 

2017年11月27日


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リッカルド・ムーティのオペラ全曲録音のシリーズでは、今年になってワーナーからヴェルディの11曲のオペラを纏めたDVD付28枚のバジェット・ボックスがリリースされた。

このソニー盤はその後の彼のオペラ上演の総決算とも言えるライヴ録音による9曲のオペラ全曲盤とオーケストラル・ワークのセッションを加えた28枚のセットになる。

ムーティの劇場作品への深い理解と若い頃から絶えず持ち続けたオペラに対する強い情熱、とりわけイタリア・オペラ蘇生への使命感を示している。

彼は過去の歌手達によって美声や超絶技巧誇示のために、原形を留めないくらい歪められてしまった作品の本来の姿を復元することに腐心した。

それゆえ劇中での個々のシーンの突出を避け、歌による表現と文学的ストーリーの展開に最大限の整合性を求め、総合芸術としての価値の蘇生を試みた。

それは奇しくも大歌手が綺羅星の如く現れて、その美声を競ったオペラ黄金時代の終焉の時期でもあった。

ムーティは歌手達を舞台上のスターとしてではなく、敢然と自分の持ち駒として扱っている。

その点が彼の前の時代のオペラ全曲録音と決定的に異なっている。

またそれまでの集客を優先した定番オペラの上演を見直し、知られざる名曲の発掘にも余念がない。

オーケストラル・ワークで興味深いのは、スカラ座フィルハーモニーとの2枚のヴェルディ序曲集、プッチーニ、カタラーニ、ポンキェッリなどのイタリア・オペラの作曲家による管弦楽曲集で、ムーティがスカラ座音楽監督時代に築き上げたコラボで彼らが最も得意とする曲目を採り上げている。

ソプラノのミレッラ・フレーニを迎えたマルトゥッチの『思い出の歌』も滅多に上演されないが、後のマーラーを予感させる比類のない美しさがある。

またムーティの学生時代の恩師であり、良き助言者だったニーノ・ロータの作品集も2枚ほどあり、母国の作曲家の作品に対する深い敬意と愛着も感じられる。

スカラ座管弦楽団を劇場付属のオーケストラから独立させて、独自の演奏活動を行えるようにしたのは前任者アバドだったが、その後のインターナショナルなトゥルネーや新しいレパートリーの開拓には目を見張るものがある。

何故かそれぞれのCDを1枚ずつジュエルケースに入れた集合体になっているため、ボックス・サイズは縦15X横30X高さ15cmと枚数の割にはかなり大きくなっている。

ブックレットには総てのジャケット写真と曲目及び録音その他のデータのみが掲載されていて、事実上ライナー・ノーツはないし、また歌詞対訳も省略されているがムーティのソニーへのコンプリート・エディションがリーズナブルな価格で手に入るのが嬉しい。

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classicalmusic at 19:15コメント(0)ムーティ 

2017年11月25日


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アーロン・コープランド(1900-1990)は20世紀を象徴するアメリカの作曲家の1人だ。

奇しくも彼の先輩に当たるガーシュウィン(1898-1937)とはどちらも移民であり、共に新大陸で彼らの時代の音楽をそれぞれが独自に模索し、その個性的な才能を開花させた。

ガーシュウィンが常に大衆のためのポピュラー音楽でヒットを得て、クラシックとの邂逅後も作曲やオーケストレーションは独学だったのに対して、コープランドはパリでナーディア・ブーランジェから薫陶を受けた根っからのクラシック畑の人だった。

現代音楽の作曲家でありながら彼の作風は民族的なメロディーやジャズのエレメントを積極的に採り入れ、大都会の谷間に息づく新時代の音楽の潮流を方向づけ、それはバーンスタインにも確実に受け継がれている。

1曲目のピアノ協奏曲はコープランド自身のピアノ・ソロをバーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルがサポートした演奏で、オーケストラの鮮烈な音響に映える前衛的なソロ・パートが当時まさに未来派志向の音楽だったことが想像される。

ここでもジャズからの影響が明らかで、バーンスタインはシンコペーションを多用したリズミカルな曲調を水を得た魚のように生き生きと表現している。

組曲『エル・サロン・メヒコ』はコープランドのエスニカルな嗜好を音楽で試みた作品で、彼の2ヵ月ほどのメキシコ滞在でインスピレーションを得た、底抜けに明るく親しみ易いメロディーで綴られている。

理屈抜きで誰にでも楽しめるノリの良い曲想をアブラヴァネル、ユタ交響楽団の少し荒削りだが、機知に富んだパワフルな演奏で鑑賞することができる。

一方『アパラチアの春』はバレエ音楽として作曲されたものを、後に8曲からなる組曲に再編集したオーケストラ用の作品になり、本来この曲の標題はバレエのストーリーとはそれほど関連性がなかったようだが、アメリカ開拓民の春の祭典を扱っているために、実際聴いてみると確かに大陸的な大自然をイメージさせるものがある。

こちらもアメリカに帰化したアンタル・ドラティ指揮、ロンドン交響楽団の演奏が象徴的だ。

最後の『オールド・アメリカン・ソングス』は第1集及び第2集の全10曲を収めたコンプリート版で、ウィリアム・ワーフィールドのバリトン・ソロをコープランド自身が指揮した、コロンビア交響楽団のお国自慢だ。

作曲家が採譜してオーケストレーションを施した、素朴で鄙びた中にもカントリー色豊かな懐かしさがある。

5曲目がお馴染みの『私は猫を買ってきた』で、友人リン・リッグズのオクラホマでの少年時代の思い出になるようだ。

民家の家畜達の鳴き声を描写したワーフィールドの歌唱は愉快そのもの。

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classicalmusic at 21:27コメント(0)バーンスタインドラティ 

2017年11月23日


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フランス・ロマン派の作曲家エドゥアール・ラロ(1823-1892)は寡作だったが、異国情緒を巧みに取り入れた魅力的な作品を遺している。

第1曲目の歌劇『イスの王』序曲は、エルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団がジュネーヴのヴィクトリア・ホールで録音した、この曲の理想的な名演のひとつだろう。

幸い1960年のステレオ録音で、オペラの台本の持つブルターニュ地方のケルト伝説の幻想性と風雲急を告げるドラマティックな演奏で強烈な印象をもたらしている。

またアンセルメのワイドな音響空間を意識した指揮法も巧みだ。

ワーグナー全盛期の影響がラロの作品にも表れていて『タンホイザー』の巡礼のコーラスのモチーフの剽窃さえ容易に聴き取ることができる。

海底に沈みゆく都市の救済に自らを犠牲にするマルガレードの行為は、同じケルト伝説の『トリスタンとイゾルデ』や幽霊船伝説からの『さまよえるオランダ人』にワーグナーが好んで扱った典型的な自己犠牲のストーリーでもある。

ラロの代表作になる『スペイン交響曲』は同じバスク人のヴァイオリニスト、パブロ・デ・サラサーテに献呈された。

バスクに先祖を持つ2人がこの作品を通じて大成功を収めたのも何かの因縁かも知れない。

交響曲の名を冠してはいるが、事実上のヴァイオリン協奏曲で華麗な技巧的パッセージやハバネラなどのスペイン特有の民族的なリズムが効果的にちりばめられていて、短調で書かれているにも拘らずその明るく情熱的な曲想が親しみ易い。

ここに収録された全盛期のアイザック・スターンのソロとユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団のサポートによるゴージャスな演奏も歴史的録音と言えるだろう。

スターンの艶やかなヴァイオリンの音色と完璧にバランスのとれたテクニックを支えるオーマンディの民族色に偏らない普遍的な表現は流石に巧い。

1956年収録だが歴としたステレオ録音で、SACD化で更に鮮明な音質が甦っている。

ラロはエキゾチックな曲趣を好んで『スペイン交響曲』の後に『ノルーウェイ幻想曲』も作曲しているが、最後の『ロシア協奏曲』も彼の4曲目になる実質的なヴァイオリン協奏曲だ。

それまでの3曲は盟友サラサーテが初演を飾っているが、この時はサラサーテから演奏を拒否されたようだ。

その理由はアクロバティックな妙技を披露してヨーロッパ中で大喝采を浴びてきたサラサーテにとって、『ロシア協奏曲』は地味で演奏効果に乏しい曲に思えたからだろう。

これは遡ってベルリオーズの『イタリアのハロルド』と依頼人のパガニーニの関係に酷似している。

伴奏者ジェラルド・ムーアはサラサーテ自身の曲の伴奏部分の音楽的貧困さを痛烈に批判しているが、サラサーテにとっては自分の舞台に完璧に奉仕し、ヴァイオリンのテクニックを最高に引き立てる曲でなければ倦怠感を覚えたことは想像に難くない。

しかしここでのソロを弾くジェラール・プーレとヴラディミール・ヴァーレク指揮、チェコ放送管弦楽団の演奏は、この曲の超絶技巧だけではないスラヴ民謡から採り入れたリリカルな情緒や美しいカンタービレの魅力を明らかにして、決してインスピレーションを欠いた作品でないことを証明している。

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classicalmusic at 21:47コメント(0)アンセルメスターン 

2017年11月21日


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フランスを代表する古楽器奏者アンタイ3兄弟の1人、チェンバリストのピエール・アンタイはミラール・レーベルに移ってから頻繁にドメニコ・スカルラッティの鍵盤楽器用ソナタ集のリリースを続けていて、今回で既に5枚目のCDになる。

近年のピリオド楽器によるこのソナタ集全曲録音といえばオランダのピーター=ヤン・ベルダーの全集が記憶に新しいが、アンタイはベルダーとはかなり異なったコンセプトで演奏している。

ベルダーには整然とオーガナイズされた統一感があって、本来の目的でもあったポルトガルの王女マリア・バルバラのための練習曲としてのペダゴジカルな性格も明らかにしていて、使用楽器に関してはチェンバロの他にフォルテピアノやオルガンを使い分けて音色に変化を与えている。

一方アンタイは曲趣に応じて楽器のモデルを替えているが、常にヒストリカル・チェンバロとそのコピーに限定している。

しかもチェンバロの華麗な音色を前面に出して、ラディカルとも言える大胆なテンポ設定と目の醒めるような色彩感溢れる鮮やかな奏法には彼のラテン気質が感じられる。

スカルラッティのソナタは555曲ほど存在し、これまでのCDでアンタイは82曲のソナタ及びフーガ1曲を録音したことになるが、今のところ全曲録音の意志は表明していない。

彼は作品番号や作曲年代に拘泥することなく個性的な性格のソナタをピックアップして1曲1曲を独立した芸術作品として完結させるように弾いているが、性格の異なった曲を対比させて1枚のCDとしても起伏に富んだ作品集に仕上げている。

例を挙げればライナー・ノーツでもアンタイ自身が書いているように、K547ト長調はスカルラッティがパリに到着した時にラモーに敬意を表して彼の『レ・シクロペ』のテーマを取り入れたオマージュで、斬新な手法で作曲されている。

第4集の翌年2016年に同じくオランダのハーレムで収録されたもので、前回と同様製作者不詳の18世紀ドイツのチェンバロを、フィンランドの古楽器製作者ヨンテ・クニフが再構築した楽器を使用している。

ピッチはa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチ。

デジパックに綴じ込みのライナー・ノーツが付いていて、オリヴィエ・フォーレとアンタイ自身の解説が興味深い。

音質が素晴らしいのもこのシリーズの特徴で、はじけるようなチェンバロの撥弦音の響きや立体的な音像が手に取るように伝わってくる。

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classicalmusic at 18:45コメント(0)スカルラッティ 

2017年11月19日


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熱心なハイフェッツ・ファンであれば、既にソニーからの豪華な全集をお持ちだろうが、今回リアル・ゴーンからリリースされた4枚組みは新規のリマスタリングによる簡易なバジェット盤になる。

勿論初出音源などは望むべくもないし、メンデルスゾーンを除く総てが戦前の録音なのでSP盤から板越こしした時のスクラッチ・ノイズやヒス・ノイズに塗れたものばかりで、音質は時代相応程度と言わざるを得ない。

このために入門者にはそれほどお薦めできないが、一世を風靡した大ヴァイオリニストが速めのテンポで颯爽と弾き切るスタイリッシュな演奏を気軽に鑑賞できるコレクションとしての価値は充分にある。

この第1集は1934年から49年にかけての歴史的録音で、8人の作曲家のヴァイオリン協奏曲がそれぞれ1曲ずつが収録されているが、ブラームスに関してはフォイヤーマンとの協演になるヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲も組み込まれている。

オーケストラの指揮者もトスカニーニ、ビーチャム、オーマンディ、バルビローリ、クーセヴィツキーなどの当時のそうそうたるメンバーが名を連ねていて聴き応えのあるアルバムであることは間違いない。

リアル・ゴーン・ミュージック・カンパニーは過去のシングルやLP音源を中心にアメリカのジャズ、ロック、カントリーや軽音楽などを復刻しているメーカーで、もともとクラシック専門のレーベルではないが、最近バーンスタインやシュヴァルツコップなどのクラシック部門にも触手を伸ばしている。

廉価で気軽に聴ける往年のアーティストの名演奏というコンセプトは大いに賛成できるし、リマスタリングの効果もまずまずで決して音質を蔑ろにした企画でないところはアルト・レーベルと共通している。

ジャケットはあくまでもシンプルで飾り気のないセピア調のデザインで統一され、独立したライナー・ノーツはなく見開き4面のデジパックの内側にごく簡単なハイフェッツのキャリアが掲載されているだけだ。

第1集の表示があるので後続の第2集以降のアルバムにも注目したい。

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classicalmusic at 19:26コメント(0)ハイフェッツ 

2017年11月17日


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久しくソロの新譜をリリースしていなかったエフゲニー・キーシンが2006年から2016年に亘るインターナショナルなコンサートのライヴ録音からベートーヴェンの作品を纏めたダブル・アルバム。

2枚組のCDに自身の選曲によるソナタ5曲とヴァリエーション1曲の都合6曲が収録されている。

潔癖とも言える正確でキレの良いタッチや和声の濁りを避けたペダルの使い方は以前と変わらないが、ベートーヴェンのレパートリーのみを選んだところに近年のキーシンの音楽的成長と将来に向けての彼自身の心境が示されているように思える。

ベートーヴェンはひとかどの演奏家であれば生涯をかけて取り組むべき作曲家であり、彼のピアノ・ソナタは名人芸の披露に留まらず、演奏者の人間的な成熟度が否応なく反映される。

例えば第32番の演奏でキーシンはベートーヴェン晩年の音楽的深遠な表現にはまだ期待を残すとしても、そこに敢えて挑戦しているのが現在の彼の姿ではないだろうか。

これらのライヴは6ヵ国に及ぶ演奏会からそれぞれ1曲ずつ収録してあり、ライヴに強いキーシンの力量を示すと同時に、少年時代から常に聴衆の中で育った彼が身につけたシンパシーが感じられ、実際どの演奏でも拍手喝采を浴びている。

尚音質は悪くないが、ライヴのためか全体的なボリューム・レベルがやや低い。

音楽産業界も残酷なもので、スター・プレイヤーの卵を発見するとその音楽家を育て上げるのではなく、酷使して儲けるだけ儲けた後は次の新人探しに躍起になるのが常だ。

そうした演奏家は最も重要で、しかもレパートリーを増やすよりももっと時間のかかる自己研鑽の余地を与えられずに、多忙なコンサートや録音活動でその才能をとことん消耗し尽くされてしまうので、円熟期を迎えることがない。

もし彼らが過去の名声にすがって空蝉のような演奏を繰り返すならば、いよいよ聴衆からも見放されてしまう。

私達はそうした例にヴァン・クライバーンを思い出すことができるだろう。

神童としてデビューしたキーシンもその危機に陥りかねない時期にあった。

しかし現在46歳を迎えた彼は正念場に何とか踏み止まって、新境地を拓くべく努力を続けていることが理解できる。

大手メーカーでは先ず新人による売れ筋の曲目をレコーディングの対象にするので、彼がこれから次々に新録音を発表することは考えられない。

しかしこのベートーヴェン・アルバムは奇を衒わない彼らしい性格が表れた優れたサンプルだし、また評価されるべき才能を持つピアニストだと信じたい。

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classicalmusic at 23:37コメント(0)ベートーヴェンキーシン 

2017年11月16日


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旧ソヴィエトからの亡命指揮者キリル・コンドラシンのオーケストラル・ワークはメロディア・レーベル以外にも西側でのRCAやデッカに貴重な音源が遺されている。

指揮者としてはまだこれからという時期に67歳で突然死した彼の死因についてはソヴィエト当局がらみの暗殺説もあるようだが、それまでの精力的な演奏活動の中には決定的な名演も少なからず存在する。

この9枚は過去にリリースされた複数のレーベルへのセッション、ライヴからピックアップされ、スラヴ物は勿論ラテン系、ゲルマン系の作品への優れた解釈を俯瞰することができる殆んど唯一のセットだ。

ただし彼にとって最も重要なショスタコーヴィチが組み込まれていないので交響曲全集についてはヴェネツィア・レーベルの12枚組が必聴盤だろう。

ここでもオーケストラを厳格かつ精妙に扱いながら表出する深い抒情を湛えたリリシズムや漲る高揚感にはコンドラシンならではの手法が横溢していて、ファンであれば聴き逃せないレパートリーがまとめられている。

CD1のラヴェルやドビュッシーでは精緻だがいくらか雰囲気が厳し過ぎて、フランスの音楽特有の遊び心がもう少し欲しいところだが、CD2の2種類のラロのスペイン交響曲では非常に均整のとれた構成感が感じられる。

またトラック1から4の演奏はソリストにコーガンを、CD1のフランクの交響詩『鬼神』ではリヒテルを迎えていて、彼らの貴重な協演も聴きどころだ。

コンドラシンの得意としたミャスコフスキー、カセッラやシチェドリンなどの20世紀の作品も少なからず収録されている。

その中でもモノラルながらカセッラには彼の先鋭的な感性が反映されているし、プロコフィエフの『古典』は機知に富んだ快活さがひときわ心地良い。

CD6はRCAリヴィング・ステレオの1枚としてリリースされたものだけに、1958年のセッションだが鮮明なステレオ録音で、スラヴ系作曲家達の才気煥発のアルバムになっている。

リムスキー=コルサコフの『スペイン奇想曲』フィナーレでRCAヴィクター交響楽団のブラス・セクションを極限まで咆哮させる迫力もアメリカのオーケストラの面目躍如だ。

最後のラフマニノフはスペクタクルな表現にも見事な手腕をみせたコンドラシンの指揮者としての多彩さを示している。

例によってヴェニアスのボックス・セットにはライナー・ノーツもなければ、MADE IN EUの表記の他にはリリース元のサイトや住所も書かれていない。

しかし実際にはヨーロッパ市場には全く出回っていない商品なので日本人向けのレーベルであることが想像される。

特に新しいリマスタリングの表示はなくモノラル、ステレオが混在していてボリューム・レベルも録音によってかなりの差があることは否めないが、音質は良好で興味深い企画とコストパフォーマンス的にもリーズナブルなのが嬉しい。

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classicalmusic at 00:07コメント(0)フランクR=コルサコフ 

2017年11月13日


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ポーランド生まれのピアニスト、クリスティアン・ツィマーマンは今年60歳の大家として相応しい円熟期を迎えている。

今回ニュー・リリースされたアルバムのプログラムはシューベルト最晩年の2曲のピアノ・ソナタというのも象徴的だ。

作曲家が死の2ヵ月ほど前に作曲した3曲のソナタはことさら華やかな演奏効果もないので、テクニックだけで弾ける作品ではない。

またそれぞれが長大な曲で、野心などとは無縁の天上的な清澄な美しさがあると同時に、緩徐楽章には沈潜した逃れようのない諦観が潜んでいる。

それゆえ演奏家としての成熟した哲学や主張がなければ、走馬燈のように続く楽想がともすれば散漫な印象を与えかねないが、ツィマーマンの作品の本質を捉えた骨太でシンプルだがロマンティックできめ細かな精彩に富んだ解釈には曲を飽きさせない実力と説得力が示されている。

第21番変ロ長調のソナタを寂寥感と慟哭で最もドラマティックに表現したのはリヒテルだったが、ツィマーマンのそれはシューベルトの素朴な人柄に寄り添った真摯な演奏と言うべきだろうか。

2016年に新潟県柏崎市文化会館アルフォーレでセッション録音されたもので、音響学にも一家言持つツィマーマンらしくピアノのサウンドとその広がりを明瞭に捉えた音質も秀逸。

デジパックに挿入されたライナー・ノーツにはロンドンのクラシック音楽ライター、ジェシカ・デュシェンのインタビューに応える形でツィマーマンのシューベルトのソナタについての所感や使用楽器、また録音会場となった柏崎市のアルフォーレの音響についても語っている。

ツィマーマンの演奏を最後に聴いたのは3年前になる。

ドレスデンのゼンパーオーパーでのコンサートの一晩だったが、ブロムシュテット指揮、シュターツカペレ・ドレスデンとの協演で、彼が弾いた曲目はブラームスのピアノ協奏曲第1番のみだったが、ブロムシュテットの繊細なアプローチによって統率された渋めの音色のオーケストラに支えられた、彼の悠揚迫らぬ堂々たる表現と恰幅の良いピアニズムに感心した記憶がある。

今回のシューベルトの2曲のソナタは彼の久々のソロ・アルバムで、決して派手な選曲ではないが期待したとおりの充実感がある。

ウィーンにはシューベルトが1828年に31歳でその生涯を閉じた兄の家が記念館として遺されている。

そこに変ロ長調のソナタの自筆譜のコピーが展示してあるが、楽譜には少しの乱れもなく、ひとつひとつの音符が淡々と几帳面に書き込まれているのは感動的だ。

しかしその筆致から晩年のシューベルトの恐ろしいほどの寂寥感が伝わってきたことも記憶に新しい。

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classicalmusic at 23:41コメント(0)シューベルトツィマーマン 

2017年11月11日


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昨年ワーナー・コリアから同様の全集がリリースされたが、一般的にコリア盤は価格がミドル・プライス止まりでボックスになるとかなり高く、手を出しにくいのが欠点なので、今回の本家からのリイシュー廉価盤化は大いに歓迎したい。

収録曲はヘルムート・ヴァルヒャがEMIに録音したバッハのチェンバロ・ソロ用の作品集13枚で、彼がアルヒーフに入れた第2回目の『平均律クラヴィーア曲集』全曲と4曲の『デュエット』は含まれていない。

バッハの総てのチェンバロ曲を網羅したものではないが、選曲は極めて正統的でヴィヴァルディからの編曲物や初期の習作類は除外して、その核になる作品を全部揃えている。

これはヴァルヒャによる第2回目のバッハ・オルガン音楽全集の制作と同時進行していた時期の演奏で、彼がこの頃公開演奏や後進の指導と並んで如何に精力的なレコーディングを行っていたかが理解できる。

ヴァルヒャは音楽の基礎をバッハのオルガン音楽に置いた巨匠であることは言うまでもないが、それぞれの声部が織り成す対位法を少しの濁りもなく、明瞭に聴かせる彼のテクニックはチェンバロ演奏においても全く揺るぎない。

必要以上の感情移入や表現上の誇張、レジスターの濫用やテンポの恣意的な変化などが一切ないごくシンプルな奏法が貫かれているために、彼の演奏を聴いているとバッハが書き記した自筆譜の1ページ1ページが次々と目の前に現れてくるような印象がある。

ただし音楽の内側に向けられる情熱とその集中力には尋常でないものがあり、それが特に『平均律』全曲や『ゴールドベルク』などの長丁場の曲目に発揮されていて作品の長さを感じさせないばかりか、大伽藍を築くような曲の構成美を感知させて聴く者を圧倒してしまう。

ヴァルヒャは19歳の時にバッハの総ての鍵盤音楽の暗譜を決意し、40歳の誕生日には早くもこの遠大な計画を成し遂げた恐るべき記憶力の持ち主でもある。

まだ点字楽譜がなかった時代に母親や夫人の弾く一声部ずつを記憶して、それらを頭の中で再構成して覚えるという信じられないような離れ技をやってのけた。

彼の弾く声部の明晰さと結晶のように純粋で堅牢な音楽はこうした努力から生まれたものに違いない。

このセットに収録された第1回目の『平均律』は壮年期の覇気に満ちていて、再録音に比較して速めのテンポ設定になっている。

また『イタリア協奏曲』『半音階的幻想曲とフーガ』『フランス風序曲』を収めた1枚ではその豪快な奏法も堪能できる。

これら一連の演奏にヴァルヒャが使用した楽器は例外なくアンマー製のモダン・チェンバロで、最も新しい録音でも1962年なので、古楽黎明期をこれから迎えようとしていた時代であることを考慮すれば無理もないが、楽器の選択は妥当と言える。

アンマーは当時のモダン・チェンバロの中では柔らかく潤沢な響きを持っていて、表現力も豊かで声部の保持にも優れている。

ヴァルヒャは決してレジスターを濫用しなかったが、ここぞという時に効果的な音色の変化を聴かせているのも名人芸のひとつだ。

彼はより複雑なオルガン曲でのレジスターの組み合わせは生涯明かさなかったらしいが、こうしたところにも彼の演奏への秘訣があるのだろう。

晩年になってヴァルヒャはバッハの6曲のチェンバロ・オブリガート付ヴァイオリン・ソナタと2度目の『平均律』全曲録音にヒストリカル・チェンバロを使っている。

その気品に満ちたオリジナルの響きはモダン楽器とは比べるべくもないが、いずれにせよ彼がこれだけのチェンバロ用作品の録音を遺してくれたことに感謝したい。

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classicalmusic at 19:44コメント(0)バッハヴァルヒャ 

2017年11月09日


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リチャード・エガーの演奏を初めて聴いたのは手兵アカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックを指揮したヘンデルの作品集で、その明瞭で平易な解釈とピリオド・アンサンブルの響きの美しさを満喫させてくれた。

彼はここ数年バッハの作品の集中的な録音活動に取り組んでいてチェンバロ用ソロ作品と並んで、いよいよ2曲の受難曲などの大曲の企画も次々と実現化している。

その中のひとつが4曲の管弦楽組曲で、レギュラー・メンバーの弦楽部は第1ヴァイオリンのパヴロ・べズノシュークをリーダーに第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ及びコントラバスが各1名の少数精鋭編成で、彼らにソロの管楽器やティンパニが加わり、指揮とチェンバロはエガー自身が担当している。

また組曲第2番ロ短調ではベテラン女流トラヴェルソ奏者のレイチェル・ブラウンが参加している。

彼女にとってこの曲は2度目の録音で、ちなみに1992年のロイ・グッドマン、ブランデンブルグ・コンソートとの協演が1回目のセッションになる。

この管弦楽組曲の演奏の特徴はフランス宮廷で採用されていたa'=392Hzの低いピッチに設定して、落ち着きのある雅やかなサウンドを創造していることで、トランペットやティンパニが加わる第3、第4組曲では華やかさでやや引けを取るにしても神経質にならない堂々たる音楽を聴かせている。

当時ドイツの多くの宮廷ではフランス風の低いピッチが使われていたようで、それはバッハの次男カール・フィリップ・エマヌエルが奉公していたフリードリッヒ大王のトラヴェルソの師クヴァンツの製作していた楽器のピッチからも証明されている。

これらの作品はいずれも冒頭に規模の大きいフランス風序曲が置かれ、多彩な舞曲が続くことからもエガーの解釈は妥当だろう。

また彼はリピートを省略せずに楽譜通りに繰り返していて、クイケン、ラ・プティット・バンドの2度目の録音とは対照的だ。

言ってみればエガーの演奏はよりバロック的な荘重なサウンドの再現と言えるだろう。

第2番ロ短調では名高いトラヴェルソ・ソロのポロネーズが聴きどころで、低いピッチでは沈みがちな横笛の音色を、速めのテンポを設定することによってエガーはブラウンの名人芸を際立たせている。

また後にヴィルヘルミによって『G線上のアリア』に編曲された第3番ニ長調の『アリア』は、ピリオド・アンサンブルで鑑賞できる最もオリジナリティーに富んだサンプルだろう。

基本的に各パート1人の小編成だが終曲ジーグは迫力充分だ。

エガーが自ら立ち上げたレーベルAAM(Academy of Ancient Music)のジャケットの装丁は黒を基調としてピリオド楽器の写真をあしらったシックなデザインのパックに統一されていて、ライナー・ノーツにはメンバーそれぞれの使用楽器も明記されている。

レギュラー・フォーマットながら臨場感に溢れた鮮烈な音色が特徴だ。

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classicalmusic at 15:42コメント(0)バッハ 

2017年11月07日


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1969年7月12日シュトゥットガルト・リーダーハッレ・ベートーヴェン・ザールに於けるライヴ・レコーディング。

本番に強かったシェリングはセッションだけでなくコンサートや放送ライヴで多くの素晴らしい演奏を遺してくれたが、1970年代に入ってからのセッション録音では四角四面の面白みのない録音が多くなったと言われている。

個人的には一概にそうとは思えないが、確かに1950年代から60年代にかけての彼の演奏には特有の覇気があり、それぞれが個性的な名演と言われるだけの価値があるのではないだろうか。

この南西ドイツ室内管弦楽団を弾き振りしたヴィヴァルディとモーツァルトにも彼の颯爽とした潔さと息づくような熱いパッションが感じられる。

『四季』に関してシェリングはこのライヴの数ヶ月前にイギリス室内を弾き振りしたセッション録音も果たしていて、その後BBCからも別音源のライヴ盤もリリースされている手馴れたレパートリーになる。

シェリングはモーツァルトにも一家言持った演奏家で、ヴァイオリン協奏曲全5曲もアレクサンダー・ギブソン指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との協演はフィリップスのモーツァルト没後200周年記念エディションに加えられた。

一方ソナタでもイングリット・ヘブラーとのCD4枚分の優れたセッション録音が遺されている。

この協奏曲第5番『トルコ風』でも彼の飾り気のないシンプルな解釈によってすっきりした造形美が示されている。

終楽章テンポ・ディ・メヌエットのトリオで現れるトルコ行進曲も、凛とした気迫を感じさせるが、あくまでも古典派の様式から逸脱しない格調の高い演奏だ。

彼は名ヴァイオリニストの中では美音家として知られた人ではないが、ここでの瑞々しい音色はひときわ美しい。

客席からの雑音や拍手喝采などが一切入っていないところをみると、当時ドイツで盛んだったラジオ放送用のクラシック番組のひとつとして制作されたラジオ・ライヴであったことが想像される。

ライナー・ノーツによればオリジナル・テープからリマスタリングされた初CD化ということだが、音質は極めて良好なステレオ録音で、前述のとおりシェリング唯一の音源ではないにしても特有の緊張感を持ったライヴ感覚が魅力だろう。

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classicalmusic at 19:32コメント(0)シェリングヴィヴァルディ 

2017年11月06日


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このディスクはプラガ・ディジタルスのレギュラー・フォーマット盤で、従来のSACDシリーズではないことを断わっておく。

ライナー・ノーツにはフリッツ・ライナーの指揮するブラームスとサン=サーンスが1961年にニューヨークで、シャルル・ミュンシュ指揮のブロッホが1957年にボストンでそれぞれ録音され、エンジェル・レーベル原盤と記載されている。

またケース裏面にはスタジオ・ステレオ・レコーディングからのリマスターと書かれているが、実際鑑賞してみると明らかにモノラル録音の擬似ステレオ化であることが感知される。

EMIでは1958年から正規のステレオLP盤の販売を始めているので、これらのオリジナル・マスター・テープが複数トラックで録音された可能性は考えられるが、このCDがどういう経緯で擬似ステレオ・マスターを使ったのかは知る由もない。

ごく一部に経年劣化と思われる音の揺れが聞かれるが、音質自体は良好で特にソロ楽器はモノラル最後期の鮮明で芯のあるサウンドが甦っている。

いずれもピアティゴルスキー50代円熟期の演奏で、気力の充実した自由闊達な奏法と流暢なテクニックが示されている。

またブラームスの二重協奏曲では同郷出身のミルシテインが巧妙に合わせた力強くもしなやかなデュエットが聴きどころだろう。

ブラームスとサン=サーンスではライナーの厳格な統率と思い切りの良いダイナミズムがサポートするRCAヴィクター交響楽団からも伝わってくる。

一方ブロッホのヘブライ狂詩曲は大規模なオーケストレーションからミュンシュによって引き出されるカラフルなサウンドをバックに浮かび上がるピアティゴルスキーの鮮やかなソロが印象的で、この作品の哲学的というよりはむしろ表現主義的なプロフィールを強調した解釈にも説得力がある。

20世紀前半のアメリカは音楽家も移民系が圧倒的な実力を発揮した時代で、指揮者のトスカニーニ、オーマンディ、ライナー、ヴァイオリニストのハイフェッツ、ミルシテイン、チェリストのフォイアーマン、ピアティゴルスキー、ピアニストではホロヴィッツやゼルキン、オペラではカルーソを始めとするイタリア勢というように枚挙に暇がない。

その殆んどが市民権を得てアメリカに永住している。奇しくもこのディスクの3人の演奏家、ライナー、ピアティゴルスキー及びミルシテインがそれを象徴している。

彼らにしてみれば当初はより開かれた演奏活動の新天地を切り開くための渡米だったに違いないが、結果的に彼らはアメリカ生まれのニュー・ジェネレーションの後継者たちを着実に養成することになり、ヨーロッパに対抗できるだけの楽壇のレベルに導いた貢献者でもあり、現代のアメリカ・クラシック音楽界の基礎を創ったといっても過言ではないだろう。

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classicalmusic at 03:35コメント(0)サン=サーンスミルシテイン 
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