2018年01月

2018年01月18日


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フランス組曲には、ピアノによる演奏にも新旧何種類かの名盤・注目盤があるが、その中でも最も印象に残っているのが、筆者の場合意外なことながらこのヘブラー盤である。

ヘブラーとバッハとは、ちょっと珍しい取り合わせのような気もするが、フランス組曲に関する限りはこれがまさに絶妙。

日本ではもはや死語となってしまった「女性的」なしっとりとしたタッチで、聴き手を優しく包んでくれる明快な魅力に満ちた演奏である。

零れ落ちるようなウェットな美音で綴ったフランス組曲で、ヘブラーらしく奇を衒うことのない曲作りの中に気品に満ちた情緒が湛えられている。

そう書くと彼女の弾くモーツァルトの延長線上にあるバッハのように思われるかも知れないが、実際にはモーツァルトとは異なった次元での表現力が発揮された、高度な幻想性を感じさせる貴重な録音だ。

スタッカートを避けた抑制されたピアニズムでありながら鍵盤への洗練された多彩なタッチが極めて美しい、宮廷風ロココ趣味を先取りしたようなバッハの一面も明らかにしている。

それほどレパートリーの多くないヘブラーにとって大バッハの作品ではフランス組曲が唯一の音源になり、彼女がバッハの鍵盤作品から敢えてこの6曲を選んでいるのもそうしたところに理由がある筈だ。

同時代のもう一人のウィーンの大家、イェルク・デムスが彼女に先立つ1974年にバッハのパルティータ全曲とゴールドベルク変奏曲をベーゼンドルファーを弾いて録音しているが、一脈通じるものがあるかも知れない。

モダン・ピアノによる演奏なのでペダルを少なからず使用していることが感知されるが、それぞれの声部は濁ることなく心地良く響いてチェンバロで弾くのとはまた違ったデリケートな潤いを含んでいる。

装飾音の扱い方はバッハの書き記した奏法に遵ずるもので、彼女のバロック奏法への造詣の深さを示している。

タワーレコードからのヴィンテージ・コレクションとして現在91歳の女流ピアニスト、イングリット・ヘブラーの一連の音源が復活しているが、この2枚もそのシリーズの一組になる。

因みに同コレクション・シリーズで彼女のモーツァルト以外の録音ではシューベルトの即興曲集、シューマンのピアノ協奏曲とフランクの交響的変奏曲その他を1枚に纏めたもの、クリスティアン・バッハのフォルテピアノによる協奏曲全曲集、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番及び第4番、シェリングとのヴァイオリン・ソナタ全集が、また廃盤になってしまったがフィリップスからはハイドンのピアノ・ソナタ集とショパン・ワルツ集の19曲がそれぞれCD化されていた。

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classicalmusic at 15:21コメント(0)バッハ 

2018年01月16日


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マレイ・ペライアが1973年から98年にかけてソニーに録音した10枚のアルバムを纏めたバジェット・ボックスになる。

熱心なペライア・ファンであれば同ソニーからの豪華な68枚のCDと5枚のDVDのコレクターズ・エディションを既にお持ちだろうが、こちらは様々な作曲家の作品の演奏を紹介したずっと手頃で簡易なセットとしてお薦めしたい。

その他にもモーツァルトのピアノ協奏曲全集やバッハ演奏集なども別途に廉価盤化されているし、彼はまたグラモフォン移籍後のショパンやバッハなどのアルバム制作で録音活動にも精力的に取り組んでいる。

個々に収録された曲集にはペライア若き日の典型的な正統派ピアニストとしての芸術が示されていて、颯爽としたパッセージや瑞々しい音色で奏でる細やかな変化に富んだ抒情の世界を堪能することができる。

彼は超絶技巧で圧倒するようなタイプではなく、またそうしたレパートリーは開拓していないが、その演奏にはあくまで音楽的表現に拘った彼の哲学が明瞭に反映されていて、聴く人の心を和まし豊かにしてくれる。

ペライアのタッチは美しい響きをもち、特に弱音で旋律を歌わせるときの余韻が実に清楚で、レガートの美しさを十分に生かし、滑らかなフレージングが細かな表情の変化を伴って豊かなニュアンスを生み出している。

解釈は極めてオーソドックスで少しの気負いもなく、こまやかな感情の動きを率直に表現しており、こうしたところにも彼の頭脳的プレーと筋の通ったポリシーを窺わせている。

またペライアの演奏は強烈な個性を放っているわけではないが、オーソドックスな解釈の中にもクリアーなタッチから引き出されるマイルドで美しい音色を一瞬たりとも失うことのない知的なコントロールが貫かれている。

それは決して小ぢんまりとした大人しい奏法ではなく、きめ細かな表情から全力を注ぎ込むスケールの大きな表現までが矛盾をきたさずに自然に統合される音楽設計も見事だ。

ペライアは1990年に指の故障による手術とその快復のために長期間に亘って演奏活動を中断しなければならなくなったが、それは彼自身のそれまでの音楽や奏法を見直す機会になった。

このセットでCD7からCD8まで5年間の空白があるのはそのためだ。

しかしその後に録音されたシューマンやバッハには一層の深みと味のある表現力が加わって、70際を迎えた現在、更にこれからの演奏活動にも期待したいピアニストの一人だ。

全収録曲を掲載した8ページほどのパンフレットが付いているがライナー・ノーツは省略されている。

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classicalmusic at 19:45コメント(0)ペライア 

2018年01月14日


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ギーゼキングの演奏では未だに高い評価とその音楽的価値を失っていないドビュッシーのピアノ作品集の廉価盤化を歓迎したい。

このセットの総てが1951年から55年にかけてのEMIへのモノラル録音だが、その類い稀な解釈から醸し出されるインプレッショニズムの世界は現代の私達をも驚かせずにはおかない限りない幻想的な魅力を持っている。

それはギーゼキングが時代の趣味に囚われない音楽の本質を見極めることができた数少ないピアニストだったことを証明していて、そのことは殆んど同時にドイツ・グラモフォンからリリースされたバッハの演奏集においても明らかだ。

演奏家のスタイリッシュなパフォーマンスが大きく反映されていた時代に、ピリオドもスタイルも全く異なったタイプの作曲家の作品の本質を捉え、独自の奏法を開拓した才能は並外れたものだったと言うべきだろう。

ここにはギーゼキングがEMIにセッション録音した総てのドビュッシーの作品が体系的に収録されている。

彼の印象派の音楽への強い共感とその洗練されたピアニズムを感じさせずにはおかないが、その象徴的な作品集が2巻の前奏曲集だ。

作品の総てに標題が付けられているが、それら1曲1曲に示された多彩で個性豊かな表現力と行き届いたピアニスティックなコントロールは流石だ。

初めてギーゼキングの『帆』を聴いた時の言葉では言い表せない映像的な感覚は忘れ難いものだった。

『沈める寺』での誇張のない、それでいて深みのある幻想性と水中から大伽藍がその壮大な姿を覗かせるようなシュールレアリズム的な高揚感はこの作品ならではの体験だった。

一方で『ベルガマスク組曲』の色彩感溢れるリリシズムや『子供の領分』での機知に富んだ親しみのある表現は古い録音には違いないが、ドビュッシーのピアノ曲を鑑賞するための普遍的なサンプルとして入門者にもお薦めしたいセットだ。

以前SACDバージョンでリリースされた時のリマスタリング盤で、音質はマスター・テープの経年劣化が感じられる部分もあるが概して良好。

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classicalmusic at 22:53コメント(0)ドビュッシーギーゼキング 

2018年01月12日


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リチャード・エガーはここ数年でいよいよバッハの大規模な宗教曲に取り組み始めたが、その第一弾が『ヨハネ受難曲』で、彼が温めてきたバッハの宗教音楽への構想を着実に実現したものだった。

それに続いて2014年に録音されたこの『マタイ受難曲』もピリオド・スタイルを踏襲した古楽アンサンブルの中では将来においても優れたサンプルになるべき価値を持った演奏だ。

他のピリオド・アンサンブルと異なっているのはバッハが1727年4月11日の聖金曜日にライプツィヒ・トーマス教会で初演した当時の初稿を再現した演奏で、通常では1736年の最終稿が採用されるが、エガーは「改訂稿などの以降の版からは数々の洞察力と説得力が失われてしまった」と考え、敢えてバッハが初めてこの曲を構想した時のスピリットに立ち返って、改訂によってより壮麗な曲想になる以前の原点を模索したものだ。

これは先行する『ヨハネ受難曲』と同様のコンセプトに基いていると言えるだろう。

パート編成上の目立った違いは第1部冒頭で二重合唱の上に響くユニゾンのソプラノ・リピエーノのパートに少年のコーラスを使っていないことや、バッハが初稿で使ったとされるリュートを取り入れてCD3トラック3で歌われるバスのアリア『来たれ、甘き十字架』の伴奏にはヴィオラ・ダ・ガンバのオブリガートの替わりにリュートとオルガンを当ててソフトだが神秘的な雰囲気を出していることなどだ。

尚コーラスの編成は第1、第2合唱共にソプラノとバスが3名、テノール及びアルトが各2名ずつで、彼らも2007年にエガーによって結成された自前の合唱団だ。

エヴァンゲリスト、マタイを歌うジェイムズ・ジルクライストは個性派のテノールではないが、微妙に移り変わる多彩な表現力で物語を進め、受難のストーリーに沿ってある時はリリカルに、またある時はドラマティックに歌う肌理の細かい歌唱が冴えている。

これ以上ないと思われるほどのソリスト、合唱、そしてアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックの艶やかな響きが織り成す受難の物語は、一見柔らかい表情に見えるが、実は深遠、晦渋であり、クライマックスでは人間の罪深さを鮮やかに抉り出すなど、実に劇的な表現に満ちていることに気がつくのではないだろうか。

演奏時間は3枚のCDを合わせて144'38と速めのテンポを採っているのも特徴だ。

当シリーズはいずれもレギュラー・フォーマット仕様だが音質は鮮明で、古楽器の特性が良く捉えられた臨場感に溢れる音場が得られている。

AAMはそのイニシャルが示すようにエガーとアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックが自ら立ち上げた彼ら専用のレーベルで、ジャケットはブックレット・タイプでドイツ語の歌詞に英語対訳が綴じ込まれている。

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classicalmusic at 22:41コメント(0)バッハ 

2018年01月11日


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リチャード・エガーとアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックの演奏による最新の『ヨハネ受難曲』である。

1973年に設立されたアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(エンシェント室内管弦楽団)の創立40周年を記念して録音されたこの『ヨハネ受難曲』は、現在望み得る限りの最高のソリストを配し、入念に準備された素晴らしいアルバム。

既に幾つかリリースされているピリオド・アンサンブルの演奏とは音楽的コンセプトをやや異にする解釈が特徴だ。

またテンポ設定もかなり速く、第1部20曲が32分、第2部48曲が73分で、それぞれを1枚ずつのCDに収録して聴き手に弛緩を許さない工夫もみられる。

使用ピッチはエガーが他のバッハの器楽曲で使っているフレンチよりも半音高いa'=415Hzを採用してこの作品の性格でもある緊張感に満ちた響きを創造している。

当時の教会では習慣的に宮廷より高いピッチを使っていたようで、それは設置してある歴史的オルガンの調律からも検証されているが、彼は『マタイ受難曲』においても同様の選択をしている。

一方この『ヨハネ』ではコーラスに重要な役割が与えられているので、エガーは各パート4名で曲の骨格を明確にして、更に群集の性格的な表現を引き出している。

エヴァンゲリスト、ヨハネを歌うテノール、ジェイムズ・ジルクライストを始めとするソリスト達も巧みな歌唱でエガーの要求に応じている。

バッハがライプツィヒのトマス・カントールに就任した翌年の1724年4月7日に『ヨハネ受難曲』の初演がトーマス教会で行われた。

その後演奏の機会に応じてバッハは数回に亘って改訂を試みているが、通常の録音では最終稿とされる彼の死の前年1749年のものが採用されているようだ。

しかしエガーはバッハの改訂の経緯からあえて初稿版を選んで、全曲を通じて常に緊迫した雰囲気を貫いて『マタイ』とのコントラストを鮮明にしている。

より規模の大きい『マタイ』では抒情的なカンタービレとドラマティックな情景を交錯させて物語の進行を起伏に富んだ美しいものにしているが、『ヨハネ』では失われることのない緊張感の持続で足早に終焉に向かう勢いがある。

第1曲から不協和音をぶつけた胸騒ぎのするような不安げな和声と執拗なリズムの反復は、ユダの密告によってイエスに迫り来る危機を象徴している。

第2部第10曲でのエヴァンゲリストの語る「ピラトはイエスを捕縛し鞭打たせた」の部分では、細分化された音形が神経質なほど装飾的に動くのも『マタイ』にはみられないやり方である。

こうしたところどころ耳慣れない部分も出てくるが、この粗削りなヴァージョンにふさわしい直接的なインパクトと、劇的な表現力こそが、作品の真の姿を洗い出すためにふさわしいものとなっていて、聴き手を引き込んでいく心理的な手法もバッハならではのものだ。

そこにはバッハがこの作品に傾けた最初の情熱を直接伝えるような激しさが感じられる文句なしの名演であり、全ての部分に祈りと愛が満ちている。

至高の名曲ゆえ、これまでも多くの演奏が存在しているが、今回のエガー盤は過去の名演ともまた違う独自の祈りの境地へと至った素晴らしいものである。

エガー自身がミュージック・ディレクターを兼ねるAAMレーベルからのリリースで、ブックレット装丁のジャケットにライナー・ノーツが綴じ込まれている。

演奏者全員の使用楽器が明記されているのはいつも通りだが、ここにはソロ歌手達の写真付プロフィールと、更にドイツ語の全歌詞に英語対訳がついているのもエガーの拘りを示した丁寧な配慮だ。

2013年4月にロンドンでの収録でレギュラー・フォーマット仕様だが、音質もここ数年にリリースされたCDの中では最も優れている。

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classicalmusic at 00:17コメント(0)バッハ 

2018年01月09日


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英国のピリオド・アンサンブル、アカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックの指揮者でチェンバリストのリチャード・エガーはここ数年バッハの作品を集中的にレコーディングしているが、ソロやアンサンブルは別として規模の大きい曲目はAMMレーベルを立ち上げてから精力的に始まった。

このブランデンブルク協奏曲全曲は唯一の例外で、しかも米ハルモニア・ムンディで制作されたSACDになる。

アンサンブルのメンバーとソリストは従来どおりだが、その後にリリースされる管弦楽組曲よりも編成の大きいフル・メンバーで構成されている。

ライナー・ノーツには演奏者全員のネームと使用楽器が明記されていて、それぞれが17世紀から18世紀初頭に製作されたオリジナルあるいはそのコピーを使って当時のサウンドを再現している。

ハイブリッド仕様だがSACDで鑑賞すると音質の鮮明さや音場の奥行きがより明瞭に感知される。

特に古楽器の音色や響きの特性を捉えた高音質録音は高く評価したい。

バッハのブランデンブルク協奏曲の決定盤をひとつ挙げるのは困難だが、このディスクがリリースされるまではアレッサンドリーニ指揮、コンチェルト・イタリアーノの同曲集がレギュラー・フォーマットながら優れた音質で、同じピリオド・アンサンブルでも全く異なった流麗でモダンなセンスに溢れた演奏で筆者の愛聴盤だった。

一方でエガーはより古風な響きを再現している。

例えばアレッサンドリーニは現代よりほぼ半音低いスタンダード・バロック・ピッチを採っているのに対して、エガーは更に半音低いフレンチを採用しているし、また通奏低音にチェンバロの他に大型リュートのテオルボを用いている。

このために前者のような輝かしさはやや後退しているが、ダークで雅やかなサウンドが得られている。

しかしそれぞれの曲に相応しいテンポを設定して、決して生気を失った冗長な演奏に陥っていない。

ヴァイオリン・パートを欠く第6番ではとかく地味な演奏になりがちだが、第1楽章はかなり速くその推進力に特徴がある。

バッハは丁度ヴィヴァルディがやったようにあらゆる楽器をソロにした合奏協奏曲を作曲し、6曲を選んでブランデンブルク辺境伯に献呈したが、そこでは彼の自在な音楽的発想と巧妙な作曲上のテクニックの成果が披露されている。

第1番を除いてヴィヴァルディ式の簡潔な楽章構成だが、徹底した省略の美学を実践したヴィヴァルディとは異なったポリフォニーの精妙な綾が織り込まれているのが聴きどころのひとつだろう。

第5番ではバッハが宮廷楽長だったケーテン時代にベルリンから買い入れた新しいチェンバロのために、第1楽章の後半にチェンバリストの独壇場ともいえる65小節のカデンツァを書き足している。

ここではエガーのテクニックと情緒豊かなソロが冴え渡っている。

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classicalmusic at 00:12コメント(0)バッハ 

2018年01月07日


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トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるモーツァルトのジングシュピール『後宮からの誘拐』全曲盤。

音質の良さもさることながら、それぞれのシーンがビーチャム流に洗練され美しく縁取られたメルヘンチックな作品に仕上げられていて、かつて聴いたこのオペラの中でも最もリリカルで優雅な雰囲気を湛えている。

1955年5月のセッション録音で、ジャケットにはMONOの表示があるが何故か完璧なステレオ音源。

この時期EMIでは既にステレオ録音を試験的に開始していたが、ステレオLPの正規リリースはデッカやその他のメーカーに遅れて1958年からになり、当セッションの録音経緯については不明である。

イタリア・ウラニア・レコーズからのリイシュー盤で、ジュエル・ケースに2枚のCDにトラック・リスト及び演奏者名が記載されたリーフレットが付いているが、以前併録されていたレオポルド・シモノーのモーツァルト・アリア集は割愛されている。

この作品はイタリア式のレチタティーヴォではなく、音楽の付かないセリフで劇が進行するジングシュピールの様式を採っているのでセッションでは通常セリフ部分は演劇役者が担当する。

この録音ではコンスタンツェにヒルデ・フォルク、ベルモンテにマンフレート・シュミット、オスミンがフリッツ・オッパー、太守セリムのハンスゲオルク・ラウベンタールが流暢なドイツ語で本格的な会話を聞かせてくれる。

しかしこのオペラにちりばめられた数多くのアリアではそれぞれの歌手の絶品とも言えるほどに磨き上げられた歌唱が聴きどころだ。

ビーチャムは主役の2人にソプラノのロイス・マーシャルとテノールのレオポルド・シモノーを起用することによってこの作品の性格を決定付けている。

どちらもカナダ出身のオペラ歌手だがリリカルな美声というだけでなく、クリアーな声質を端正な歌い回しで表現した典型的なモーツァルトの美学を愉しませてくれる。

マーシャルのコロラトゥーラは低音から超高音までを伸びやかに進展させて、超絶技巧のアリア「あらゆる苦しみが」でも余裕のある歌唱を披露している。

ベルモンテを歌うシモノーの様式に則った品の良い表現もモーツァルト歌いの面目躍如だ。

一方オスミン役のゴットロープ・フリックはあくの強い性格役者としてのバスを得意としていた。

第3幕「ああ、勝利だ」での低音Dはモーツァルトがオペラ・アリアで書いた最も低い音だが、彼はビーチャムのユーモアを良く解して、ぶっきらぼうだが快活かつ滑稽に歌い切っている。

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classicalmusic at 03:35コメント(0)モーツァルトビーチャム 

2018年01月05日


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プラガ・ディジタルスから続々とリリースされているフルトヴェングラーのハイブリッドSACDも既に12枚になるが、同ディスクは2枚組でウィーン・フィルとの1944年及びベルリン・フィルとの1949年録音のブルックナーの交響曲第8番をそれぞれ1枚ずつに収録している。

彼の指揮した同曲は4種類の音源が知られていて、ウィーン・フィルを振った1954年4月10日のライヴが最後になるが、このセットの2枚はどちらも放送用録音で、レコーディング状態が安定していて幸い煩わしい客席からの雑音からも解放されている。

フルトヴェングラーの場合はリマスタリングによってどれだけ音質が改善されるかが鑑賞時のひとつのポイントになる。

戦前から戦後にかけての1940年代の録音なので音質に関しては期待していなかったが、比較鑑賞するためにはそれほど苦にならない程度のサウンドが再生されるのは思わぬ収穫だった。

特に後者は擬似ステレオながら、リマスタリング効果もあってかなり鮮明な楽器の音色が甦って、ある程度の奥行きを伴った臨場感にも不足していない。

ただ双方に共通する弱点は総奏部分になると再生しきれない箇所があることだが、それは音源自体に由来するもので改善の余地は期待できないだろう。

両セッション共に1939年のハース版をもとにフルトヴェングラー自身が手を加えたスコアが使用されていて、作品への大きな解釈の変更はない。

演奏時間もトータルでウィーン・フィルが77分04秒、ベルリン・フィルが76分55秒で大差はないが、若干楽章ごとの揺れがあり第3楽章ではウィーン・フィルの方がやや遅く、全体的なトーンも落ち着いている。

フルトヴェングラーのブルックナーは個性的でスケールの大きい表現だが、あまりにもロマン的で、ブルックナーの素朴さよりもフルトヴェングラーの音楽を聴く感が強い。

それでもこの指揮者の芸術的ルーツが、ブルックナーと同じところにあることを理解できる自然体の表現であり、そこに演奏の魅力もあるのである。

ウィーン・フィルとの演奏はフルトヴェングラーが若々しい気迫に満ちた音楽を聴かせ、アゴーギクとデュナーミクを巧みに融合させた効果はまさに名人芸と言わねばなるまい。

ベルリン・フィルの方はよりパワフルで唸りを上げて迫り来る怒涛のような勢いだが、それはむしろヨーロッパの2大オーケストラの創り出すサウンドの違いを熟知していたフルトヴェングラーが、彼らの特質を活かしながら演奏した結果のように思われる。

いずれにしても大戦末期のウィーンで、国威高揚のための放送用音源であったとしても、こうしたレコーディングが平然と行われていたことは驚異に値する。

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classicalmusic at 10:02コメント(0)ブルックナーフルトヴェングラー 

2018年01月03日


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リッカルド・ムーティが音楽監督だった1994年5月のミラノ・スカラ座での公演のライヴ録音で、タイトルロールにレナート・ブルゾン、ジルダにアンドレア・ロスト、そしてマントヴァ公爵にロベルト・アラーニャを起用した会心の『リゴレット』だ。

ムーティの2度目の全曲録音に当たるこの1組は、逞しい覇気と繊細な配慮を湛え、彼の円熟が示されている。

アラーニャの極めてスタイリッシュで小気味よい歌唱、若きロストの美しく可憐なジルダ、円熟の頂点にあるブルゾンのリゴレットと揃っていて、現時点でおそらくこれ以上望みようのない最高の演奏であろう。

しかし、これは歌手だけの名人芸で成り立つ『リゴレット』ではなく、ムーティの強力な指導力が前面に出た演奏だ。

ここでも彼はいつもの基本方針に従って歌手には慣習的なヴァリアンテではなく、ヴェルディが書いた楽譜通りの音符を歌わせている。

そして過去の歌手達の見せ場のために書き加えられたあらゆる高音や華美なカデンツァを一掃して、作曲家が楽譜に書き記した音符のみを演奏するという原典主義を貫いている。

キャスティングもムーティの持ち駒として、自らの構想を具現でき得る人材を選んでいて歌手個人に聴衆の注意が過度に集中したり、声の饗宴だけの舞台になることも巧妙に避けている。

それが言ってみれば音楽と文学、そして舞台美術などが離れ難く一体となった新時代のイタリア・オペラの姿で、慣習という呪縛から開放された、ある意味では新鮮な『リゴレット』に仕上がっている。

ムーティはこの上演に当たって自らピアノを弾きながら公開講座も開いているので、彼のヴェルディ研究が決して一時的ではない奥深いものであることを示している。

ブルゾンの風格あるリゴレットは、かつてのゴッビ、バスティアニーニやカップッチッリに比べればずっと等身大で、他の歌手も比較的小粒だが部分的に突出することがなく全体のドラマとしてのバランスが保たれていることも事実だ。

しかしムーティも流石にイタリアの指揮者で、歌わせたいところでは歌手とオーケストラ双方に思い切ったカンタービレを要求して、テンポの変化にもかなり融通性を持たせているし、ジルダが攫われる前のコーラスのソットヴォーチェの扱いも絶妙な背景を創り出している。

時にブルゾンの歌の個性が主張を強めることがあっても、ムーティはあくまで全体がひとまとまりになったオペラ『リゴレット』像を追求する。

一方マントヴァ公爵役のアラーニャは声に艶はあるが全体的にやや力みがちで、ムーティの期待に充分に応えているとは言えない。

役柄が重すぎたのか、高度な表現への要求にはまだ力量不足だったのかは分からないが、この2人は後に決定的な仲違いを迎えることになる。

ライヴだがドラマの進行を妨げるアリアや重唱ごとの拍手は禁じているので、オペラ自体がシェイプアップされてストーリーの展開も速やかで、次はレチタティーヴォ、次はアリア、といった聴き方をしてはならないとさえ思えてくる。

悲劇はまっしぐらに進行し、ヴェルディの、もしかしたら最も力と技が充実した作品かもしれないオペラのパワーを引き出す。

特に終幕の四重唱から嵐の場、そしてミンチョ河畔の最終場面までの棒さばきは鮮やかで、第1幕の幕切れでは新しい様式に反対するグループのブーイングも聞こえるが、最後には大きな拍手喝采を浴びている。

精度に重きを置く方向もあるけれど、これはこれ、戦慄する、戦慄できる『リゴレット』だ。

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classicalmusic at 13:26コメント(0)ヴェルディムーティ 

2018年01月01日


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リチャード・エガーとアカデミー・オヴ・エンシェント・ミュージックは彼ら専用の新レーベルAAMを設立して益々盛んなレコーディングを行っている。

その第一弾としてリリースされたのが交響曲の誕生と題された意欲的なアルバムで、ホグウッド以来の英国のピリオド・アンサンブルらしい軽快ですっきりしたサウンドと明快な解釈に好感が持てる演奏集だ。

内容は交響曲黎明期の作品5曲をクロノロジカルに配列して、そのルーツと発展を1枚のCDで鑑賞できる趣向になっている。

新しいレーベルに相応しい鮮明な音質で臨場感にも不足していない。

簡易なデジパック入りだが、録音中のスナップ写真も掲載した丁寧なライナー・ノーツが挿入されている。

尚演奏ピッチはa'=430Hz。

私達が一般的に交響曲として認識している管弦楽のための作品は、ハイドンやモーツァルトによってその典型的な形式が形成され、充実したオーケストラル・ワークに洗練されていく。

当時イタリアでは単に管弦楽で演奏される部分をシンフォニアと呼んで、独立した曲種というより作品の一部に組み込まれるエレメントとして普及していて、実際バッハの作品にも既に例がみられる。

しかしながらライナー・ノーツによればその源泉は決して単純なものではなく、宮廷でのBGMであったりカトリックのミサの開始を告げる役割を果たしたり、またイタリア・オペラの序曲からの影響も大きいようだ。

最初に収録されたヘンデルのようにオラトリオからまとめられたものなど多彩な要素を持っていたようだ。

ヘンデルの作品の第3楽章はさながらオーボエ協奏曲のように聞こえる。

彼は自分の作曲したオラトリオから4曲をピックアップして教会ソナタの体裁に整えてシンフォニアと名付けている。

交響曲の形成に多大な貢献をしたマンハイム楽派からはリヒターとアントン・シュターミッツの作品がそれぞれ1曲ずつ収録されている。

この時代にはオーケストラの幅広いダイナミズムによる表現力や合奏のテクニックが彼らによって飛躍的に向上したことが理解できる。

モーツァルトが8歳のときにロンドンで作曲した交響曲第1番変ホ長調はイタリア式序曲の典型だろう。

この頃ヨハン・クリスティアン・バッハはロンドンで予約制定期演奏会を初めて試みたが、コンサートを宮廷から離れた一般市民の鑑賞の場に定着させて市民達の嗜好が反映されることになるのも当然の結果であった筈だ。

ハイドンではいわゆる2管編成が定着し、彼の交響曲には欠かすことのできない第3楽章のメヌエットは当時のウィーンの人々の趣味と切り離せないものになり、むしろメヌエットを欠いた交響曲は通用しなかったが、やがてベートーヴェンによってスケルツォに取って替えられることになる。

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classicalmusic at 13:07コメント(0)ヘンデルハイドン 
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