2018年04月

2018年04月29日


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チェコの作曲家ユリウス・フチークのマーチ、ワルツや序曲など7曲と彼の師ドヴォルザークのスラヴ狂詩曲第1番を収めたオーケストラのための小品集。

ヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコ・フィルハーモニーが老舗の風格と余裕を披露した第1回目の録音だ。

チェコ・フィルは当時の東側ではロシアやドイツのオーケストラに比べて遥かに柔軟なポリシーと根っからの愛国心を持っている。

丁度ウィーンの楽団がお国物を飛びっきり洒落た感覚で演奏するように、彼らはボヘミア的スラヴ魂をユーモアたっぷりに歌い上げている。

元来フチークの作品には鑑賞者に小難しい理論を振りかざしたような曲目はひとつもない。

屈託のない軍楽隊用の明るい調子のマーチや機知に富んだ短いオーケストラル・ワークは聴いて楽しいだけでなく、またバック・グラウンド・ミュージックとしてもすこぶる快活な雰囲気を作ってくれる。

『グラディエイターの入場』がサーカスの道化師の登場に使われて超有名曲になったのも、作曲家にそれだけの抜群のセンスがあったからだ。

最近のフチークの作品集ではネーメ・ヤルヴィ指揮、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団盤もリリースされていて、選曲に若干の相違があるにせよ、いずれもファースト・チョイスとしてお薦めできるアルバムになっている。

ただしこちらではリラックスした雰囲気の中にも指揮者ノイマンの祖国の作曲家に寄せる敬意と本家の自負が感じられる。

彼がオーケストラを統率するというよりはメンバーの実力を最大限尊重した解放的な演奏が聴きどころだろう。

廉価盤だが録音状態も良く、チェコ・フィル特有の瑞々しい弦楽合奏にやや渋めのウィンド、ブラス・セクションと歯切れの良いパーカッションが相俟ったサウンドも心地良い。

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classicalmusic at 00:40コメント(0)ノイマンドヴォルザーク 

2018年04月27日


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この作品の冒頭ではドイツが1945年5月に連合国に降伏した後、逸早く進駐してきたソヴィエト側がマテリアル的な復興よりも精神的な文化高揚政策を優先させていたことが述べられている。

敗戦後僅か2週間でベルリン・フィルの最初のコンサートが開かれたことには驚かされた。

勿論それはソヴィエトの周到な政治的目論見があってのことだが、インタビューを受けた人々も打ちひしがれたドイツ国民を新たな希望に向けて士気を高めるためには少なからず貢献したことを認めている。

そして2ヶ月後にアメリカ軍が入ってくる前にソヴィエトの方針は既に徹底されていて、分割された地区によって占領軍同士の政策の相違が次第に鮮明になってくることが理解できるが、悲劇は50年代に入ってからのスターリン体制下での締め付けに始まったようだ。

ペーター・シュライアーによれば旧東ドイツの演奏家が国外で活動できるようになったのは1964年からで、彼らのギャラの20%から50%までが国家に徴収されて重要な財源になっていたが、これに味を占めた国側は外貨獲得のために多くの演奏家を西側に送り出すことになる。

しかし個人的な渡航は一切許可されず、彼らの亡命を防ぐために秘密警察があらゆる監視体制を張り巡らせ、演奏家達にも誓約書へのサインを殆んど強制していたようだ。

ベルリンの壁が築かれたのは西側からの影響を阻むためではなく、東側からの人々の流出を阻止する目的だったことは明白だろう。

演出家クリスティーネ・ミーリッツは『国民全員に国を出る権利がある筈で、それを直ちに許可するか否かは自由だが、壁の前で射殺することは絶対に許されない』と憤りを持って語っている。

国の文化政策の中で最も収益を上げていたのがLPレコードの独占販売だったという事実も興味深い。

レコード製作会社は偶然国営になったようだが、精神的に枯渇していた国民にとってレコード鑑賞は欠かせない趣味に定着して、その影響は皮肉にも西側に及ぶことになる。

制作費が安かったために西側のドイツ・グラモフォンは当初質の高い東側のアーティストの演奏を中心に提携という形で録音したが、国営VEB製作LP第1号がフランツ・コンヴィチュニー指揮、シュターツカペレ・ドレスデンによるベートーヴェンの『英雄』だったことも象徴的だ。

ドレスデンのルカ教会が教会としてよりも録音会場として大修復されるのもレコード産業の一役を担うためだったと思われる。

ベルリンの壁の崩壊は東側に次々と起こりつつあった東欧革命の気運が頂点に達した時期に起こるべくして起こった事件であることは疑いない。

東ドイツは経済的な破綻を国民にひた隠しにして事実を全く知らせなかった。

クルト・マズアの立場からも見えてくるように、当時の音楽家達はそれぞれの立場で抵抗し改善を要求したが、彼らが先頭に立って東西の統一運動を進めたわけではなかった。

インタビューの中でも語られているが、一般的に音楽家で積極的に政治に深く介入しようとする人は少なく、しかもオペラ・ハウスやオーケストラでは西側の団員が去った後、メンバーの大幅な補充が余儀なくされたために、彼らが演奏活動によって困窮しないだけの最低限の生活を約束されていたことも要因のひとつだろう。

最後のシーンは1985年に再建を終えたドレスデンのゼンパーオーパーでの杮落としになったベートーヴェンの『フィデリオ』の上演で、この映画のフィナーレとして最も感動的な部分だ。

演出家ミーリッツは囚人のコーラスの後、聴衆が数分間咽び泣いていたことを自らも涙ぐんで思い出している。

そして何よりも国家による国民への精神的な搾取が堪えられなかったという言葉が痛烈だ。

言語は総てドイツ語だが、サブタイトルは日本語も選択できる。

日本語の字幕スーパーは簡潔に要約されているので意味するところは理解できるものの、日本語の文章としては不自然な言い回しや言葉使いが見られるのが残念だ。

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classicalmusic at 00:02コメント(0)芸術に寄すベートーヴェン 

2018年04月25日


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カール・ベームがウィーン・フィル及びベルリン・フィルを振ったセッション録音の中から、複数の作曲家の交響曲を網羅したセット物のリリースは今回が初めてになる。

ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトとシューベルトの交響曲全曲を22枚のCDにまとめたユニヴァーサル・イタリーの意欲的な企画のひとつと言える。

尚ブラームスでは『ハイドンの主題による変奏曲』、『アルト・ラプソディー』及び『悲劇的序曲』が含まれているが、ベートーヴェンでは序曲は除外されている。

またこのセットにハイドンが組み込まれなかったのは残念だが、とにかくこれでベームの古典派からロマン派にかけての交響曲の世界とその至芸が理想的に俯瞰できることになる。

既にベーム・ファンであれば説明は要らないが、ベートーヴェン(1970-72年録音)とブラームス(1975-77)がウィーン・フィル、モーツァルト(1959-68)とシューベルト(1963-71)がベルリン・フィルとの協演で幸い音質も良好だ。

ベームの目指した演奏は、一言で言えば音楽作品の聴衆へのダイレクトな伝達で、それを阻むような恣意的な要素や不必要と見做される一切の仲介手段を退けたことだろう。

他の指揮者に感じられるようなカリスマ性や、魅力的な外見などとはそれほど縁の無い職人気質の芸術家だった。

指揮法も体全体を使った派手な身振りやこれ見よがしのアピールなどはしなかった。

それにも拘らずオーケストラから溢れ出るような高い音楽性が引き出され、作曲家がイメージしていたのはこうした音楽だったのかと納得させられる音響が最短距離で再現された。

そこには喜びも悲しみも、また甘美な抒情や静謐も、そして英雄的な力強さも硬直することなく総てが自在に、しかも絶妙な中庸を持って表現されている。

しかしそのためにはオーケストラとの厳格な下稽古やリハーサルが欠かせなかったことは周知の通りだ。

だからこそ彼の音楽からは一朝一夕には成就できない、作品に対する徹底した見識と磨きぬかれたセンスが感じられるのだろう。

ブックレットは30ページほどで、曲目データの他にベームのキャリアが英、伊語で簡潔に掲載されている。

ボックス・サイズは13X13X6cmで装丁はしっかりしているが、それぞれの紙ジャケットは白地に曲目がプリントされたシンプルそのもののデザイン。

このページのタイトルには当初リミテッド・エディションと書かれていたが、実際にはボックスにもライナー・ノーツにもその表示はない。

確かにこうしたバジェット価格のセット物は通常1回限りのリリースになるので再版が望めないという意味だろう。

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classicalmusic at 00:59コメント(0)ベーム 

2018年04月23日


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モーツァルト没後200年記念として企画されたレヴァインとウィーン・フィルによる交響曲全集は、極めて高い評価を得た。

レヴァインはオーケストラの個性や特質を十全に引き出して、豊かな情感を湛えた造形美に溢れる演奏を繰り広げている。

オーケストラの伝統的な響きの美しさと指揮者の新鮮な解釈とが見事なまでに合致した名演集である。

相変わらず粒立ちのよいきびきびとしたリズム、しなやかに流れる歌、そしてふくらみのある美しい響き、彼らの演奏はどこをとっても隙がなく、しかも芳醇な香りが満ちている。

何よりも得難い特質は、伝統的なモーツァルト像と新しいモーツァルト像との見事な融合を成し遂げていることである。

モーツァルト像の刷新は、伝統的な側面だけでなく演奏の実践の領域でも、急速に進んでいる。

作曲当時の楽器や演奏習慣に立ち戻ることによって、19世紀のロマンティックな垢を洗い落とし、素顔のモーツァルトを現代に蘇らせようという活動は、今や完全に定着しつつある。

だがこうした傾向は、ともすれば19世紀以来の伝統をことごとく否として退けることになりかねない。

音楽が文化として、歴史の流れの中で脈々と受け継がれていくものであるならば、伝統を踏まえ、それを生かしつつ新しいモーツァルト像に立ち向かうという道もまた、あるはずである。

19世紀以来のモーツァルト演奏の伝統を自ら作ってきたと言っても決して過言ではないウィーン・フィルが、交響曲の全曲録音という大事業を挑むにあたって選んだのは、そういう道であった。

そしてそれを実現にまで導くことのできる指揮者として、彼らはレヴァインを指名したのである。

1943年にシンシナティで生まれたレヴァインは、ジュリアード音楽院を卒業後、クリーヴランド管弦楽団のセルのもとで6年間副指揮者を務め、その後あちこちの客演の舞台に立ちながら1973年にメトロポリタン歌劇場の首席指揮者に就任、75年以降は音楽監督を務めながら国際的な活躍を展開してきた。

レヴァインは出世のスピードは速かったが、コンクール歴があるわけでもなく、若手には珍しくいわば現場でたたき上げられて育ってきた指揮者である。

伝統的な演奏のスタイルは、その過程で完全に身に染みついている。

一方で彼は、オリジナル主義的な演奏のあり方にも充分な理解と関心を示し、その成果を積極的に取り入れようとするのである。

弦楽器のヴィブラートを伴う艶やかな響きや管楽器の音色のブレンド、息の長いフレージングなど、モダン楽器の特質を存分に生かしながら、一方では編成を小さくしてテクスチュアを明晰化し、オリジナルの楽器配置を踏まえることで、例えば第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの掛け合いの効果を立体的に浮き彫りにする。

すべての繰り返し記号を忠実に守っているのも、作品のオリジナルな姿を尊重しようとする彼の姿勢に他ならない。

伝統的なモーツァルト像と新しいモーツァルト像の間には、大きなギャップがある。

それを克服するのが我々に課せられた今後の課題であり、レヴァインとウィーン・フィルは、演奏実践の面からその課題に挑んだ。

そしてそれが確かな成果を上げてきたということを、この全集は証明しているように思われる。

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classicalmusic at 00:46コメント(0)モーツァルトレヴァイン 

2018年04月21日


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ペイターの『ルネサンス』は学生時代に初めて読んで、彼の芸術作品への魅力的な解釈と大胆な論法に惹かれたが、著者が採り上げている時代の美術や文学に精通していなかったために、かなり敷居の高い思想書という印象があった。

しかし本書に紹介されている作品を実際に鑑賞し、またネットを通じて総てが検索できるようになった現在になって、ようやっと彼の批評の精神、つまり人々を啓蒙する批評家としての活動の真価を見出せるようになった。

ペイターの記述の中には、サンプルとして説明されている作品の作者がしばしば誤って示されているが、当時ではまだ知り得なかった事情があるので許容範囲とすべきだろう。

いずれにしてもルネサンスが我々にもたらした啓蒙精神を明かす息遣いや人間性の回復を高らかに唱えていて、後の時代に与えた影響も絶大であったことを証明する一冊だ。

本書には写真や図版などの掲載は皆無だが、入門者のためにはある程度のイメージが必要だろう。

記憶違いでなければ、ワイルドが称賛した同書にもカラー図版が付いていた筈だ。

それぞれの章でルネサンスに関わった人物とその作品が論じられていて、それは現代にも通用する鋭利な視点からの洞察に貫かれている。

最終章に置かれたドイツの古典学者ヴィンケルマンへの考察は圧巻で、確かに彼はルネサンスの時代人ではないが、その精神を実生活においても証明する結果になった彼の人生へのペイターの共感が滲み出ている。

ヴィンケルマンは貧しい家庭の出身だったが自身のギリシャ、ローマの古典作品への並外れた理解力とおよそ真似のできない情熱で、そうした作品群の価値を明らかにしていく。

目標達成のためには省略できるものは総て省き、いよいよ古典の宝庫ローマに向かうためにカトリックへの改宗を果たして、その地に12年間滞在することになる。

後のゲーテを筆頭とするその後のドイツ文学が彼から受けた影響はまさにルネサンス的と言えるものだろう。

ヴィンケルマンは『芸術の美は、自然の美よりも高度の感受性を必要とする....』と書いている。

それはワイルドの『自然は芸術を模倣する』に受け継がれた哲学ではないだろうか。

自然界が神によって創造されたものであれば、プラトンがイデア論で展開した『現世はイデアの世界の影が映し出されたところ』という意味でも理解できるし、芸術が自然に対して優位に立つ創造の源泉であることも認識される。

だからその原点からある種の霊感を得て創り出されるのが芸術作品であり、自然を模倣するだけの作品は芸術作品とは言えない。

こうした思考はルネサンス的発想に支えられているが、それは古典研究から得られた成果であるに違いない。

中世とルネサンスを分けることができるとすれば、その時代に生きたアーティストや科学者たちが時代を切り拓く最先端に立っていたことを自覚していたか否かがその境界線になるのではないだろうか。

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classicalmusic at 00:14コメント(0)芸術に寄す筆者のこと 

2018年04月19日


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ヴィルヘルム・ケンプの演奏によるこのモーツァルト作品集は1960年から62年にかけて録音されたもので、60代後半にさしかかった彼の押しも押されもしない円熟期の至芸を極めて良好な音質で堪能できる1枚だ。

ピアノ協奏曲第8番ハ長調は、フェルディナント・ライトナー指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との協演になるが、第24番ハ短調に関してはバンベルク交響楽団の記載はあるが指揮者の名前がクレジットされていない。

ライナー・ノーツによれば急速楽章のカデンツァがいずれもケンプ自身の手になるものなので、彼の弾き振りなのかも知れない。

その他に2曲のピアノ・ソロのための作品、ピアノ・ソナタ第11番イ長調『トルコ行進曲付』及びファンタジアニ短調が収録されている。

いずれも保存状態の良いステレオ録音で、チェコ・プラガ独自のリマスタリングによって潤いのある瑞々しいサウンドが蘇っている。

筆者がケンプの演奏をコンサートで聴いたのは彼が最晩年に来日していた頃のことなので、その実力はある程度想像力で補わなければならなかった。

それでも小品で聴かせる気の利いた解釈と心温まるリリシズムについては他のピアニストには真似のできない、孤高の美しさを表現し得ていたことが忘れられない。

このアルバムでも良く聴いていると彼が如何に注意深くそれぞれの声部の音量をコントロールし、非常に高い音楽性を披露していたかが理解できる。

それはまた彼の作曲家としてのオーケストレーションを髣髴とさせるテクニックにも繋がっているだろう。

このCDでもそれぞれの曲の随所に現れる、これ以上省略できないほどシンプルだが汲めども尽きない味わい深さにケンプの美学が究極的に示されているのではないだろうか。

丁寧なタッチで軽やかになめらかに奏でられる極上のモーツァルトで、春の日差しのように暖かくほのぼのとした演奏が魅力的だ。

ケンプの音楽性のなかには、ドイツ音楽のよさとでも形容すべきものが脈々と生きているようである。

決してテクニシャンではないのだけれど、その表現するところは大地にしっかりと足をつけており、深く、常に味わい深い。

テクニック万能と言えるような今日にあって、なお多くのファンから愛聴、支持されている理由は、多分、そのあたりにあるのだろう。

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classicalmusic at 00:27コメント(0)モーツァルトケンプ 

2018年04月17日


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ジョン・マナシーとジョン・ナカマツのコンビは既にブラームスのクラリネット・ソナタ集及び五重奏曲をリリースしているので、クラリネット・ファンにはお馴染みだろうが、このCDは際物扱いされているためか意外に話題に上らない。

しかし演奏の質から言っても、彼らが得意とするアメリカ音楽への勧誘という意味でも優れた1枚だ。

マナシーのクラリネットについては、その肌理の細かい繊細な美しさと無類のテクニックが、曲によっては逆にいくらか神経質に聴こえてしまうことが無きにしも非ずだった。

このアルバムでは本人自身も演奏を心から楽しんでいる、羽目を外した普段着の彼が見えるような気がするし、またピアノのジョン・ナカマツの乗りの良さも特筆に値する。

特にノヴァチェクのラグではホンキートンク・ピアノを髣髴とさせる底抜けに明るいリズミカルな伴奏が愉快だ。

両者とも非の打ちどころのないアンサンブルを披露していて、クラシック・ファンだけでなく、広い層の人にお薦めしたいデュオ集だ。

最初の4曲はジョン・ノヴァチェクの『2人のジョンのための4つのラグ』と題された文字通りシンコペーションを多用したラグタイムの魅力を充分に取り入れた小品集だが、既に作曲されていたものを今回特に彼らのためにアレンジした事からこの曲名がついたようだ。

続くパキート・デ・リベラの『ザ・ケープコッド・ファイルス』は自身クラリネット奏者でもあるためにこの楽器の特性が見事に活かされている。

特に第3曲は無伴奏ソロで、マナシーの鮮やかなテクニックが冴えている。

バーンスタインの『ソナタ』は他の曲に比べると娯楽的とは言えないが、作曲家の音楽的な思索が高度に練り上げられた印象的な作品だ。

締めくくりは4曲のガーシュウィンで、この種の曲で一世を風靡した元祖のオリジナリティーが、このアルバムのしんがりとして相応しい。

日系アメリカ人のピアニスト、ジョン・ナカマツは第10回ヴァン・クライバーン・コンクールの覇者で、故郷カリフォルニアではドイツ語の教師を勤めていたという変り種の音楽家だが、室内楽にも熱心に取り組む姿勢をみせていて、今後の彼の演奏活動が期待される。

音質は極めて良好だが、目の前に奏者が立つような生々しい臨場感ではなく、一歩引いた空気感を捉えているハルモニア・ムンディの特徴的な録音だ。

18ページで写真入りの英、独、仏語によるライナー・ノーツが挿入されたデジパック入り。

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classicalmusic at 00:22コメント(0)バーンスタインガーシュウィン 

2018年04月15日


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この音源が1962年と翌63年にプラハで収録されたことを考慮すると、当時としては技術的にも最高水準の録音だったと想像されるが、今回のUHQCD盤はその真価を明らかにしている。

先ず第一印象としては音質の透明度が向上して、よりクリアーなサウンドが得られていることで、これは2002年に本家スプラフォンからリリースされたリマスター盤の音質を上回っている。

結果的に解像度も増して広い音場の中でのオーケストラのそれぞれの楽器の定位も、また音色もより鮮やかに聴き取ることができるし、高音の抜けも良くなって以前のものより刺激的ではなくなっている。

過去の音源に新たに付加価値を付けて、より高い価格に設定する手段のひとつかも知れないが、肯定的に見るならば音質改善という、鑑賞者にとっての本来の目的は達成されていると思う。

この2曲のストラヴィンスキーを聴くと、カレル・アンチェルが20世紀の音楽の指揮者としても巨匠だったことが証明されている。

ここでのストラヴィンスキーは、素朴な雰囲気の中にも、鋭く野性的な力強さを持った、独特の味わいを持つ秀演として、高く評価されている録音だ。

自身作曲家でもあったアンチェルならではの深いスコア・リーディングが光っており、演奏効果を狙うのではなく音符1つ1つの必然性を明確に描いた演奏は限りない迫真力を持っている。

『春の祭典』冒頭のファゴットの官能的な導入が印象的で、それに続くウィンド・セクションの精彩に富んだ巧妙なアンサンブルがこの作品の原初的なパワーを遺憾なく発揮している。

また、弦楽部の不協和音に聴くことができるように野卑で野放図な音響ではなく、あくまでも音楽的な構想で造形されている。

アンチェルの解釈はモダンで冷徹な面もあるが、決して楽理一辺倒ではなく、常に生き生きとした音楽が溢れ出てくるような力強さを持っている。

1960年代前半のチェコ・フィルの渋い名人芸がアンチェルの棒で最大限に生かされた演奏で、現代曲の初演もどしどし取り上げていたこのコンビは、リズム感だけでも独自のものを感じさせる。

『ペトルーシュカ』ではオーケストラが更にカラフルになり、バレエの舞台を髣髴とさせる映像的な効果や物語性の描写も秀逸だ。

彼らの第二の黄金期と言われるだけあってチェコ・フィルのメンバー面目躍如のソロの応酬が聴きどころだ。

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classicalmusic at 00:32コメント(0)ストラヴィンスキーアンチェル 

2018年04月13日


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このページで紹介されているのはラフマニノフのピアノ独奏用の一連の作品集『音の絵』並びに『前奏曲』から22曲のMP3ダウンロード形式による音源だが、勿論CDとしても廉価盤で入手することが可能だ。

英オリンピアから受け継いだレジス盤の廃盤に伴い、アルト・レーベルが現在ライセンスを獲得しているリヒテルのシリーズ物の特徴は、どれも理想的な音質で彼の円熟期の師芸が堪能できることで、マイナー・レーベルながら大手メーカーからは出ていない彼の優れた演奏がCDにして11枚分揃っている。

ラフマニノフのピアノ曲を相応しく再現するのに必要なスケールの大きな発想、強靭な打鍵からデリケートな響き、重くたっぷりとした情感から傷つきやすく、秘めやかな感傷性のようなもの等々に至るまでのほとんどあらゆる要素を、リヒテルというピアニストはそなえていると言えよう。

しかも、充分すぎるほどの余裕をもっており、このディスクに聴く演奏は、その間の事情をあますところなく明らかにしていると言えよう。

ここでは、ラフマニノフの音楽が、まさに等身大と言っていいようなかたちで再現されている。

なるほど、彼の音楽はこのような息づかいをしているのかと、改めて実感させられてしまうような内容だ。

特に『音の絵』は全18曲のなかから9曲を選んだもので、1984年のデジタル録音で巨匠リヒテルの絵画的描写を超えた、研ぎ澄まされた独創的な主張が冴え渡っている。

素晴らしい技巧で、ダイナミックに弾きあげた、すこぶる堂々とした演奏である。

『前奏曲』は作品23から6曲、作品32から7曲選んで収録しているが、いずれも、リヒテルならではの強い芯をもった演奏で、そのスケールの大きな表現には圧倒されてしまう。

ラフマニノフを演奏する時のリヒテルは、豪快さ一点張りで押し通すのではなく、ある時は柔らかく、ある時は豪壮に歌いあげる。

また、現代ピアノの華麗で多彩な色どりを追求し、その効果で楽しませてもくれる。

その結果、何曲かの『前奏曲』が、相互に連なることにより大きな作品として現前する。

こうして聴くラフマニノフは実に楽しく、リヒテルの勝利の証と言えよう。

ラフマニノフのこれらの作品はピアノの音で綴った詩情溢れる小品群だが、演奏者の確たる哲学と感性とのバランスが取れていなければ名人芸を聴かせるだけの曲芸に堕してしまうし、また何かのイメージに固執して標題音楽化するのも作曲者の意図に反するだろう。

しかしリヒテルの演奏にはそうした問題を超越した世界があリ、私達を言葉では言い表せない精神的な高みに引き込んでいくようなカリスマ的なテクニックを感じざるを得ない。

こうした小品集もリヒテルは決して系統的に全曲録音した訳ではなく、彼自身が納得したものだけが選択されているに過ぎない。

おそらくコンサートのプログラムの補填として、あるいはアンコール・ピースとして用意されたものなのだろう。

レコーディングは、『音の絵』からの9曲が1984年の4月にミュンヘンにて、『前奏曲』からの13曲が1971年の9月にザルツブルクのクレスハイム城で行われている。

クレスハイムはリヒテルがしばしば指定した録音場所で、宮殿内の豊かな残響だけでなく、都会の雑踏から離れた奥ゆかしい古城は彼の霊感を高めるのに好都合だったに違いない。

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classicalmusic at 00:06コメント(0)ラフマニノフリヒテル 

2018年04月11日


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リヒテルの演奏の凄さを示す1枚で、彼の幅広い芸風を示し、楽しませてくれる点でまことに興味が尽きない。

シューマンの作品は多分に文学的な要素を持っていると言われるが、リヒテルのシューマンは中世の騎士道物語を語っているような、骨太で豪快なロマンティシズムが感じられる。

彼はシューマンの音楽から感傷を引き出そうとはせずに、あくまでも楽想の本筋を正々堂々と追った演奏で、それがピアニストの王道と言われる所以なのかも知れない。

彼はまたピアノの音色にきわめて注意深い演奏家だった。

それは彼自身が語っているようにモスクワ音楽院時代の師匠ネイガウスから受け継いだ奏法に違いない。

しかし一方で彼は音色づくりに拘泥して音楽そのものが脆弱になることも完璧に避けている。

こうした音楽性とテクニックとの高度なバランスと調和が求められるシューマンのピアノ曲は当然リヒテルのレパートリーの重要な中核をなしていて、このCDでも彼の円熟期の卓越した表現を鑑賞できる。

ただここでは、感情の洗練された表出よりも、情熱の噴出の方がより重視されている。

『交響的練習曲』は12曲からなる変奏に、遺作の5曲の変奏を加えたもので、第5練習曲の後に、その変奏を挿入している。

大家ならではの力強く堂々とした音楽づくりに惹かれる演奏で、きわめてロマンティックな味を生かし、情熱的に表現しているのが特徴だ。

その強靭なタッチとスケールの大きさは傑出しており、ことに最終変奏の第12練習曲は、すこぶるダイナミックに弾きあげている。

うねりの大きい動感に溢れた演奏で、芯のしっかりとした、コクのある、いかにもシューマンらしい音づくりも魅力だ。

『幻想小曲集』からの2曲はリヒテルの厳しさと作曲者のファンタジーがまじり合い独特の味わいを醸し出している。

最後に置かれた「夢のもつれ」ではヴィルトゥオーゾとしての彼の面目躍如の超絶技巧を披露して聴衆を沸かせている。

米ミュージカル・コンセプツ社がマンチェスターのアルト・レーベルから廉価盤としてリリースしているリヒテルのCDシリーズは、英オリンピアからのライセンス・リイシューになるが、音質の優れているものばかりをセレクトしているのが良心的だ。

このCDは1971年のアリオラ=オイロディスクへの録音と79年のNHKホール・ライヴのふたつの音源からカップリングされているが、どちらも良好な音質と臨場感を持っている。

最後の『幻想小曲集』からの2曲のみが東京ライヴで、そのほかの曲についてはライナー・ノーツに録音場所は明記されていない。

リヒテルのディスコグラフィーを調べると、この音源は71年にザルツブルクのクレスハイム城で行われたセッションということで、確かに潤沢なピアノの余韻は彼が同地で録音したシューベルトやバッハに共通している。

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classicalmusic at 00:23コメント(0)シューマンリヒテル 

2018年04月09日


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アンチェル、チェコ・フィルのドヴォルザークにはお国物への馴れや安易さというものが皆無で、全く新しい作品に取り組むような新鮮さと厳しさが常に感じられる。

それはアンチェルの手法だったスコアへの徹底した理知的な読み込みとそれを支える強い情熱が表れたものだろう。

それだけに交響曲第6番のフレッシュで明快な解釈と遮られることのない迸るような曲想の展開が心地良いが、全く硬直することなく指揮に呼応するチェコ・フィルのしなやかさと機動力も流石だ。

第3楽章スケルツォはチェコの民族舞踏フリアントだが、アンチェルは自然発生的な熱狂からではなく、あくまでも整然とした理論の裏付けを持った、しかし迫力にも不足しない力強い曲に仕上げている。

カップリングされた2曲の序曲『オセロ』及び『我が家』ではそれぞれが文学的なアプローチによって周到に表現されていて、本物のドヴォルザークを体験できる演奏集としてお薦めしたい。

カレル・アンチェルは1948年に亡命したラファエル・クーベリックの後を継いで1950年からチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任した。

その後1968年の彼自身の亡命に至るまでにコンサートのみならず精力的な録音活動を行って、スプラフォンに膨大な音源を遺している。

幸いそれらの殆んどが良好なステレオ録音で、本家からアンチェル・ゴールド・エディションとして都合42セット計48枚のCDでリリースされた。

その中からの選曲で独自のリマスタリングでリニューアルされた日本盤の1枚がこのディスクになる。

この交響曲第6番は1960年、2曲の序曲は1963年にプラハのルドルフィヌムで収録された音源だが、半世紀も前の録音とは思えないほど音質に恵まれている。

今後はSACD或いはブルーレイ・オーディオでの再発を期待したい。

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classicalmusic at 00:16コメント(0)ドヴォルザークアンチェル 

2018年04月07日


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アバドは1970年代後半から、ウィーン・フィルやシカゴ響とマーラーに取り組み、ベルリン・フィルの首席指揮者となってからは、同オーケストラもまじえて録音を行ない、1995年にはそれらをまとめてアバドとしては初めてのマーラー交響曲全集を完成した。

この中で突出した出来を示していたのはやはりベルリン・フィルとの演奏(第1、第5、第8番)であっただけに、同楽団のみの全集の完成が切に望まれた。

その後、第3、4、6、7、9番についてはベルリン・フィルとのライヴ盤がリリースされ、それらにルツェルン祝祭管との第2番が加わってアバドの新全集が完結することになった。

作品が持つ世界に過度にのめり込むことなく、スコアをありのままに表現するアバドのアプローチは不変で、しかも、音楽が持つエネルギーはいささかも減じることはなく、マーラーの演奏史に新たな1ページを刻んだ全集と言える。

ワルターらの第一世代、バーンスタインらの第二世代に次ぐ、マーラーが広く国際化された時代である第三世代の名演奏としてマーラー演奏史に残る金字塔だ。

アバドは、マーラーの音楽の各部分を緻密に克明に再現し、歌が中断し分断されるマーラーの音楽の構造が抜群の音楽性をともなって見通しよく示される。

こうした点に、部分をつないで歌をわかりやすく全うしようとする前世代のマーラー演奏とは異なるアバドの特質が聴き取れるが、さらにアバドの場合、個々に分断されて自立し、並列する部分をひとつひとつの歌の可能性を追求して、その微細なパッセージを可能とあらば気合いを込めて歌い込む。

バーンスタインに代表される感情を表だてた演奏とはまた異なる魅力があり、アバドがスコアに率直に対峙した結果をそのまま音化したような演奏が非常に新鮮だ。

鋭いリズムとしなやかなカンタービレに鋭敏に反応するベルリン・フィルの筋肉質な響きも素晴らしく、ストイックとも言える姿勢を貫いた演奏は強い説得力を持っている。

アバドにはベートーヴェンやシューベルトの全集もあるが、何よりもマーラーの交響曲で彼の美学がいちばん貫徹しやすかったのだろう。

彼のそれの基本はさまざまな色合いの縦糸と横糸の精妙な織りなしにある。

絹のような艶っぽさと光沢感、手ざわりのなめらかさなど、どこをとっても繊細で緻密、スケール感にも欠けず、コラージュ風の構成のマーラーの交響曲にはぴったり。

クールに見通す強靭な構成力と過不足のない知的な表現力がバランスよく保たれた、まったくモダンなマーラーとなっており、むろんベルリン・フィルの信じられないくらいのクォリティの高さも魅力のひとつだ。

マーラーの交響曲から連想されるロマン的な情感を求めると物足りなさをおぼえるだろうが、新ウィーン楽派の先駆者だったことを強く印象づけるし、辛口ではあるが前向きの作曲家だったことがわかる演奏でもある。

そしてここで聴けるマーラーは確かに21世紀を象徴する意味を持つ演奏としてその姿を顕したと言ってよいだろう。

そこには若き日から機会あるごとにこれらの交響曲を採り上げてきたアバドの熟成の歩みが凝縮されると同時に、演奏家がまるで1人の無垢な聴き手となって音楽に奉仕する、そんな新次元の演奏を作り出したように思われてならない。

演奏家が聴き手になってしまったのでは演奏は成立しない、それは百も承知だが、そうではなく、感動的作品を前にしたときの想いには聴き手も演奏家も区別はないということである。

つまり演奏家も感動する原点に立ち戻って作品の最良の再現に努める、そんな演奏なのであり、アバドのマーラーの魅力と特質と現代性はここにある。

「19世紀は作曲家の時代」「20世紀は名演奏家の時代」と仮に考えると、「21世紀は聴き手の時代」ということになろうか。

だがそれは聴き手が主役になるといった意味ではなく、音楽家も含めて、聴き手が本来持つべき作品への無垢な姿勢と謙虚さとを持ちながら作品に立ち向かう時代ということではないか。

アバドのマーラー新全集が与える感動は、演奏家もまた聴き手的精神を持つべき時代が来つつあることを予感させる。

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classicalmusic at 00:33コメント(0)マーラーアバド 

2018年04月05日


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このSACDにはリヒテルのプラハ・ライヴから1965年の6月2日に演奏されたベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番変イ長調Op.110及び86年5月18日の同『ディアベリの主題による33の変奏曲ハ長調』Op.120の2曲が収録されている。

特に後者はリヒテル晩年のライヴにも拘らず突き進むような覇気と、泰然自若としたスケールの大きさに驚かされる。

ベートーヴェン特有の音楽を構築していくような堅牢さと、哲学的な深みを同時に表現し得た稀有な演奏として多くの人に鑑賞して欲しいライヴだ。

それぞれのヴァリエーションもリヒテルの創造力のオリジナリティーに貫かれていて説得力に充ちている。

例えば第1変奏の思い切りテンポを落とした生命力に漲るマーチは、あたかも巨人の足取りのようでこの大曲の始まりに威厳を与えているし、第32変奏のフーガの力強さは壮大なクライマックスを形成するのに相応しい。

そして通常は長大な曲を名残惜しむように静かに演奏される終曲のテンポ・ディ・メヌエットでは、意表を衝くように颯爽と足早に締めくくっていて、もったいぶらない潔い解釈も彼らしい。

まさに会場にいるような臨場感、物凄い推進力で、約50分の大曲を一気に聴かせてしまう魔力、リヒテルの凄さを再認識させてくれる。

参考までにリヒテルの『ディアベリ』は同年の翌月に行ったアムステルダム・コンセルトヘボウ・ライヴもレジス・レーベル他からリリースされている。

プラハ・デジタルスのリミテッド・エディション・シリーズの1枚で、この他に既にリヒテルのライヴだけでもシューベルトのピアノ・ソナタ集、ショパンのバラード集、そしてラフマニノフやグリーグの協奏曲など4枚が出揃っている。

総ての録音にDSDリマスタリングが施されていて音質的にもかなり向上しているが、このSACDではソナタの方は音源が古いだけに、いくらかマスター・テープの劣化が聞き取れる。

それに比較して『ディアベリ』は極めて良好で、SACD化により会場のノイズまでがますますリアルになり、リヒテルのほんのわずかなニュアンスの変化さえ伝わってくる。

10ページほどのライナー・ノーツには英、仏語での簡単な楽曲解説とリヒテルの略歴が掲載されている。

尚ハイブリッド仕様なので互換機がなくても再生可能。

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classicalmusic at 00:16コメント(0)ベートーヴェンリヒテル 

2018年04月03日


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ブロムシュテット、ゲヴァントハウスによるブルックナー交響曲全集のプロジェクトは2012年に完成され、日本では9曲の交響曲が9枚のSACDセットに纏められたが、何故か既に製造中止の憂き目に遭っていてばら売りでも入手困難な状態だ。

一方こちらは彼のもうひとつの手兵、シュターツカペレ・ドレスデンとの1980年代の共演で、このコンビではこれまで第4番及び第7番のみが録音されている。

幸いこの2曲は現行のレギュラー・フォーマット盤でも手に入るが、昨年両曲ともUHQCDとしてリニューアルされた。

第7番ホ長調はおそらく全曲集へ発展させるつもりで開始した第一弾で、1980年にドレスデンのルカ教会で収録されている。

広い空間に進展する音響が良く捉えられていてブルックナーの巨大なスケール感にも不足していない。

当時まだ爆撃で破壊された都市の復元が続いていたドレスデンでは録音会場として相応しい唯一の場所だったようだ。

東側でもPCMディジタル録音が普及しつつあった頃の音源としては極めて良好で、彼ら特有の虚飾のない精妙なサウンドが一層鮮明に再生される。

ブロムシュテットのドイツ王道をゆく誠実な指揮により、第7番の雄大で美しい響きが理想的に再現されていて、熟成の極みともいえるドレスデン・サウンドとの組み合わせがその魅力を最大に高めている。

ここではブロムシュテットがブルックナーの作曲時に描こうとした音楽的構想にできるだけ忠実な演奏を試みたことは間違いないだろう。

作曲家自身の決定的なスコアというものが存在しない限り、最もシンプルに校訂された版を参考にすることは解釈の上での重要な解決策の筈だが、彼がハース版を採用していることからもそうした傾向が明らかだ。

ただし彼らの演奏から醸し出される音楽は決して地味一辺倒なものではなく、光彩を放つような豊穣な音色の変化と生命力に溢れた推進力があってまったく脆弱さを感じさせない。

シュターツカペレ・ドレスデンとのブルックナー全集が頓挫した理由は分からないが、ブロムシュテットの現在の年齢を考えれば彼らが再び採り上げることに殆んど期待は持てない。

しかしブルックナー・ファンにとっては第4番と共に是非コレクションに加えておきたい名演のひとつであることは確かだ。

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classicalmusic at 00:34コメント(0)ブルックナーブロムシュテット 

2018年04月01日


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フィリップスとデッカの音源をまとめたリヒテル・ザ・マスター・シリーズの第5巻になり、シューベルトのピアノ・ソナタ第18番ト長調『幻想』D.894、第9番ロ長調D.575及び第15番ハ長調『レリーク』D.840の3曲を2枚のCDに収めている。

リヒテルのシューベルトはピアニストと作曲家が対話を交わしているような親密な雰囲気に満ちている。

いずれもこのピアノの哲人ならではの思索的な演奏で、ゆっくりとしたテンポによって引き出されたさまざまなニュアンスが、ひとつの巨大な有機体を築きあげるさまはまさに感動的という他はない。

中でも『幻想』と『レリーク』はどちらも40分を超える大曲で、それぞれが長大な第1楽章を持っているが、リヒテルはこれらの作品への深い共感から、慈しむようなタッチで聴く人の心を完全にシューベルトの世界に引き込んでしまう。

その天上的な長さが私達には至福の時間となって持続し、通過して行く。

それはベートーヴェンを聴く時とは全く異なった静謐なひと時であり、シューベルトがベートーヴェンを神のように尊敬しながら、それとは別種の音楽を生み出していたことが興味深い。

またその魅力を直感的に悟って演奏を続けたリヒテルの才能と努力には敬服せざるを得ない。

『レリーク』は未完の作品で第3楽章とそれに続く終楽章が途中で中断されているが、リヒテルは楽譜が途切れたところでそのまま演奏を終了している。

総てがライヴから採られた良質なデジタル録音で、ライヴ特有の聴衆の雑音や拍手も入っているが煩わしくない程度のものだ。

CD裏面に1979年の録音と書かれてあるだけで録音場所等の詳細な記載が一切ない。

ライナー・ノーツは18ページで英、仏、独語によるリヒテルの簡単なキャリアとエピソードが掲載されている。

尚このセットには彼の演奏で多くの聴衆に感動を与えた第21番変ロ長調D.960が入っていないが、アルト・レーベルからリリースされている1972年にザルツブルクのアニフ城で行われたセッションが音質の良い廉価盤で手に入る。

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classicalmusic at 00:28コメント(0)シューベルトリヒテル 
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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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