2018年09月

2018年09月30日


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これは、チェコの名手ヨゼフ・スークが、ピアノのヤン・パネンカ、チェロのヨゼフ・フッフロとともに1976年に来日した時に録音されたもので、スーク・トリオにとって2度目の録音になる。

彼ら3人の充実ぶりが如実に示され、3つの楽器が伯仲した力量で、実に白熱したスケールの大きな表現をつくり出した名演奏である。

スーク・トリオの3人はいずれもプラハ出身で、それぞれがソリストとして活躍していた中でのピアノ・トリオ結成自体珍しく、しかも特別な機会のための臨時編成ではなく定期的なコンサートや録音で一世を風靡するほど質の高い演奏で評価されていた。

結成は1952年で、1980年代に入るとパネンカの指の不調やフッフロの役職の多忙さなどからトリオは解消されてしまうが、この録音が行われた頃には3人も円熟期に達して充実したアンサンブルを聴かせている。

チャイコフスキーの『偉大な芸術家の思い出のために』は、友人のピアニスト、ニコライ・ルビンシテインの追悼のために書かれた作品である。

それだけに曲中に彼を偲ぶような超絶技巧がピアノ・パートに託されていて、テクニック的にもかなりの技量が要求される難曲でもあり、このディスクでのパネンカの颯爽とした名人芸も聴きどころだ。

チャイコフスキーとルビンシテインの麗しい友情の記念碑であるこの曲への、深い共感に溢れた演奏は聴き手の胸に切々と迫る。

第1楽章の速めのテンポと洗練された音彩による歌の美しさ、急迫する呼吸の自然さ、第2楽章のそれぞれの変奏が実に真摯な表情を織りなしてゆくことなど、ただただ驚嘆のほかはない。

ここには、長いキャリアをもつこのトリオの充実ぶりが如実に示されていて、幾分速めのテンポで弾きあげた第1楽章の迫力のある演奏にはまず圧倒される。

なかでも深い共感をもって再現した第2楽章は抜群で、変奏主題の荘重な歌わせ方は特に素晴らしい。

第8変奏の堂々たるフーガのまとめ方や第9、第11変奏の哀切極まりない情感の表出も流石に見事だ。

変奏終曲とコーダの全精力を傾けた豪壮なクライマックスと感動に満ちた表現も、聴く者を揺り動かさずにはおかない。

また第2楽章での一連のヴァリエーションではチャイコフスキーが在りし日のルビンシテインとの友情を偲ぶような回想的な曲想が特徴で、第10変奏にマズルカが加えられているのもルビンシテインの母の故郷だったからだろう。

スーク・トリオは彼らのロマンティックな感性をほど良く抑制し、絶妙な合わせを堪能させてくれる。

フッフロのチェロも要所要所をきちんと押さえていて、練達の手腕を感じさせる。

1976年に東京で行われた初期のPCMディジタル録音で、音質はUHQCD化されたこともあって明瞭で臨場感にも不足しないが、当時テクノロジーの発展途上にあった録音機器の影響もあって、現在のディジタル録音に比較すると情報量がやや劣って聞こえるのは否めない。

その少し前の1972年青山でのスメタナ四重奏団による世界初のディジタル録音を手始めに、日本コロムビア(現在のDENON)は当初旧チェコスロヴァキアのスプラフォンとのコラボを緊密にして彼らとのシリーズ物を販売し始めた。

その後もさまざまな試行錯誤を経てLPやCDの音質を向上させていく一里塚としての録音でもあり、その意味でもエンジニア達の情熱を伝えたディスクだ。

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classicalmusic at 20:19コメント(0)チャイコフスキースーク 

2018年09月28日


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ドヴォルザークの交響曲全集にはクーベリック、ベルリン・フィルの華麗な演奏もあるが、それに比較してスウィトナー指揮するシュターツカペレ・ベルリンは特に管楽器系の音色に独特の渋みがあり、それほど輝かしい効果は上げていないし、またノイマン、チェコ・フィルの熱烈な愛国主義に根ざした民族的な発露があるわけでもない。

しかし彼らにはドイツの職人気質が育んだ修錬の技とロマン主義の伝統がある。

この交響曲全集が録音された1970年代は、まだシュターツカペレは東ドイツに属していて、かえって伝統的なドイツのオーケストラの質実剛健な音色と、オペラで鍛えた確実に統制された機動力を誇っていた。

スウィトナーはドヴォルザークの交響曲を賢明にもドイツ・ロマン主義の音楽として捉え、緻密でバランスのとれた普遍的な表現を心掛けている。

全曲を通して、スウィトナーの演奏は、旋律をしなやかに歌わせ、ドヴォルザークの交響曲を見事な平衡感覚で再現しており、適度に劇的であるが誇張のない表現でアンサンブルもよく整っている。

どの曲もドイツの古典交響曲を演奏するのと同じ姿勢で着実にまとめられ、しかも温かみのある音楽に仕上がっている。

インスブルック出身でクレメンス・クラウスに師事したスウィトナーは、決して堅物で厳格な指揮者ではなかった。

この交響曲集でもウィーン風の垢抜けたセンスとドイツ的な律儀な音楽設計を併せ持ったロマンティックな表現が巧みで、第4番の第2楽章にそうした傾向が顕著だが、また第8番や第9番の終楽章で聴かせるスペクタクルでいて、手に取るようにコントロールされたオーケストレーションの端正な再現は彼の典型的なスタイルだ。

特に第8番は数多いレコードの中でも屈指の好演で、温かい親密度が表現いっぱいに溢れ、人間のもう1つの側面の豊かな楽しみに聴き手を包み込んでくれる演奏。

全ての楽想が、その表情を存分に解放されて、のびやかに生命感を描き出しているし、しかも少しももたれることなく美しい流動感をもって柔らかい盛り上げをつくっている。

楽器のバランスにみる微妙な美しさ、オーケストラも何とうまいことか。

次いでは第3番と第6番がすぐれた演奏で、スウィトナーらしく、いささかも誇張のない表現で、ドイツ・ロマン派の交響曲にも通じる堅実な構築美を作っている。

第9番は確信に満ち、どっしりと腰の坐った大きな実に堅実な表現で好ましく、耳につきすぎるこの曲も、ふだんと違った大交響曲の偉容をもって迫ってくる。

スウィトナーの抒情的な資質も端的に表れており、旋律線を情緒豊かに、ふくよかな響きで歌わせ、明るさを帯びた軽やかな流動感がある。

この指揮者特有の柔らかい音楽のこなし方の上に、毅さ、激しさも加え、しかも一貫して流れゆく流動感はいっそう豊かである。

第2楽章の有名な主題は極めて沈潜的な深い心情を湛えて歌いつくされ、中間部は華やいだ色彩で盛り上げる。

誇張こそないが情熱にも不足しない音楽本来の美しさを味わえるのがこの全集の最大の魅力だろう。

ドイツ・シャルプラッテンによる1977年から81年にかけて旧東独のベルリン・イエス・キリスト教会に於けるアナログ録音だが、音質は優れていて各楽器の配置と楽器間の音の分離状態も明瞭。

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classicalmusic at 20:06コメント(0)ドヴォルザークスウィトナー 

2018年09月26日


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第1集のオーケストラル・ワークに続くオイゲン・ヨッフムのドイツ・グラモフォンへのコンプリート・レコーディングの完結編で、宗教曲や声楽曲の他に5曲のオペラが加わっている。

1902年に生まれ、87年に世を去ったドイツの名指揮者ヨッフムは、父親は音楽家、兄は作曲家兼合唱指揮者、オルガニスト、弟も指揮者という、豊かな音楽的背景をもつ家庭で育った。

ライナー・ノーツを読むとヨッフムの父親が南ドイツの小さな街バーベンハウゼンの教育者であり、また教会でのミサや劇場運営に携わっていて、敬虔なカトリック信者だったヨッフム自身も教会オルガニストとして少年時代を送ったようだ。

しかし夜になると劇場では父の企画によるオペラやオペレッタが上演されたので、オーケストラル・ワークと声楽曲のみならず宗教と世俗というふたつの対照的なジャンルの音楽を同時に吸収していたことが、その後の彼の音楽観の形成にも色濃く影響していることは確実だ。

それはオルフの作品群に対する閃きと解釈にも反映されているし、またバッハへの読みの深さも一流で、ピリオド楽器を取り入れた颯爽としたテンポによるモダンな演奏形態も後のピリオド奏法のはしりと言えるだろう。

それは彼の前の時代の多くの指揮者達が陥ったバッハへの恣意的な感情移入した表現とは完全に別れを告げている。

一方ヨッフムのオペラへの真の開眼は学生時代に観たワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』だったようで、その後1953年に同曲の上演をバイロイト音楽祭で果たしているが、ワーグナーの息子で当時バイロイト祝祭劇場の演出家だったヴィーラント・ワーグナーとの演出上の対立から、71年に『パルジファル』で復帰を果たすまで、ほぼ20年に亘ってバイロイトからは締め出しを食ったというエピソードも興味深い。

ヨッフムは早くから指揮者として、ドイツ各地で旺盛な活動を展開、次第に頭角をあらわすようになっていった。

主な活躍ぶりだけをみても、ハンブルク国立歌劇場音楽監督、バイエルン放送交響楽団初代首席指揮者、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席常任指揮者、バンベルク交響楽団の常任指揮者など、まことに多彩だ。

更にヨッフムのヨーロッパ・クラシック界への重要な貢献に、創設されたバイエルン放送交響楽団のビルダーとして名門オーケストラに鍛え上げたことの他にも後見人としての力量を示したことも挙げられる。

コンセルトヘボウの首席ベイヌムが亡くなった時には慣例によってオランダ人のハイティンクが就任したが、まだ30代で経験の少なかった彼を補佐するためにヨッフムとの双頭体制が敷かれたし、カイルベルトが急逝したバンベルク交響楽団に芸術顧問として窮状を救っている。

その重厚で、真摯なドイツ音楽の演奏はわが国を含めて世界広くで多くのファンから愛聴された。

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classicalmusic at 21:02コメント(0)ヨッフム 

2018年09月24日


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クルト・ザンデルリンクは1960年にベルリン交響楽団の首席指揮者としてドイツ帰国を果たして以来、ヨーロッパの楽壇でもその実力が認められるようになった。

ナチスの迫害を避けるための亡命だったが、25年に及ぶソヴィエト滞在はショスタコーヴィチとの交流やムラヴィンスキーからの薫陶でスラヴ系の作曲家の作品をレパートリーとして開拓することになった。

このディスクに収録されたショスタコーヴィチの交響曲第5番は、1982年に古巣ベルリン交響楽団を振ったセッション録音で、ドイツ的な真摯で重厚な演奏の中に緊張感を崩さないオーケストラへの采配が見事だ。

敢えて指摘するならば外面的な派手なアピールは皆無なので、玄人受けはするが入門者にとっては多少地味に映るかもしれない。

例えばアンチェル、チェコ・フィルの演奏では終楽章は希望を感じさせる色彩を放ちながら壮大に終わるのに対して、彼らは頑固なまでに色調を変えず、黒光りするようなコーダを形成している。

アンチェルの開放性と解釈を違えている理由は、やはり彼のソヴィエト時代の研鑽によるものだろう。

ザンデルリンクは1937年11月21日のムラヴィンスキー、レニングラード・フィルによるこの作品の初演に立ち会った可能性がある。

またショスタコーヴィチ自身から作曲の成り立ちについても聞き出していたのではないだろうか。

以前はプラウダに掲載された態勢への反動分子という汚名返上のための回答としての社会主義リアリズムのプロパガンダ、つまり恭順の意を示した作品のイメージが浸透していたが、最近では第4番の初演撤回の後も彼の作曲への理念は根本的に変化していなかったというのが一般的な見方だ。

結果的に初演は大成功に終わり、図らずも彼の当局への名誉回復になったのだが、どうもショスタコーヴィチ自身には彼らの目論見とは別の構想があったように思われる。

その後1948年に今度はジダーノフ批判に曝されてモスクワ及びレニングラード音楽院の教授職を追われることになるのは象徴的な事件だが、この時彼は巧妙に立ち回って迎合的な作品を発表する。

このあたりの複雑な心理状態と行動にショスタコーヴィチの苦悩が秘められている。

録音会場になったイエス・キリスト教会は当時の東ベルリンにあり、現在ではエヴァンゲリスト教会に改名されていて、カラヤン、ベルリン・フィルが使った同名の教会とは異なっているが、こちらも大編成のオーケストラの演奏に対応する優れた音響空間を持っている。

このディスクは旧東独ドイツ・シャルプラッテン音源を新規リマスタリングしたUHQCDバージョンで、従来盤より滑らかでクリアーな音質が再生される。

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classicalmusic at 20:09コメント(0)ショスタコーヴィチザンデルリンク 

2018年09月22日


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中世ドイツの研究では第一人者だった阿部謹也氏によるドイツ史の専門的な俯瞰で、ドイツの誕生から今日にいたる歴史に、「ドイツ的」とは何かを思索する、通史とは一味も二味も異なった魅力を持った一冊。

この作品を読んでいると現在のドイツ的国民性や彼らの思考回路を理解するためには、彼らの辿ったかなり複雑な歴史的経過を知らなければならないことを痛感する。

ヨーロッパの中央に位置し古来からゲルマンの他にもケルト、ユダヤ、スラヴ、ラテン系などの民族がひしめいていたドイツでは、ナチスのアーリア人優越論も実際には存在しない唯一のドイツ民族というでっち上げだったことも容易に理解できる。

大洋に開けた港を持っていなかった宿命的な地理的条件から大航海時代に海外に植民地を得ることも逸したし、彼らが現在に至るまで連邦という統治形式を残している理由も自ずと見えてくる。

1815年にドイツ連邦が成立した時にはオーストリア、プロイセンの他4王国、1選挙侯国、7大公国、10候国、10公国、1方伯国、4自由都市の実に39の主権国と都市の連合で、それぞれが異なった貨幣と関税制度を持って頑固なまでにお互いの利害関係に固執していたことから、対外通商においても困難を極めていたようだ。

また戦後分かれた東西ドイツも単にソヴィエトと西側の戦勝国の間での線引きではなかったことも象徴的だ。

その国境線は中世以来社会的にも経済的にも対立していた地域で、東側の社会主義体制も敗戦後に突然生まれたものではなく、西欧の歴史に根ざして育っていったという著者の説明には説得力がある。

ベルリンの壁が偶発的に崩壊したのとは裏腹に、東西両ドイツの実質的かつ完全な統一が困難であったということは当然だろうし、いまだに多くの問題を抱えているのも事実だ。

また本書は1998年に初版が出ているが、阿部氏はアジールの研究から、既に将来移民や難民が重要な社会問題になることを指摘している。

本論の間に挿入されている間奏曲と題したコラムの部分では通史では学習できない、歴史という結果に至るまでのさまざまな経緯やエピソードが解説されていて、更に教養を深めてくれる。

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classicalmusic at 20:01コメント(0)筆者のこと芸術に寄す 

2018年09月20日


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2002年から2009年にかけてチェコ・スプラフォンからアンチェル、チェコ・フィルによる録音集の新規リマスタリング盤がゴールド・エディションとして全42集及び拾遺集の都合46枚のCDがリリースされた。

それらは総て個別売りなので全部揃えるには大枚をはたかなければならない。

いずれバジェット・ボックスで再販されることを期待したいが、中でも聴き逃せない演奏のひとつが第4集の当ディスクで、フランスのクラシック音楽雑誌ディアパゾンからディアパゾン・ドール・ディスク賞を受賞している。

選曲は19世紀の親しみ易いロシアの標題音楽をリカップリングしたもので、一見万人向けのプログラムだが、耳障りの良いだけの甘口で陳腐な演奏とは全く縁のない、アンチェルの非凡な解釈とチェコ・フィルの練り上げられたオーケストラとしての実力を堪能できる1枚としてお薦めしたい。

『展覧会の絵』はアンチェルとチェコ・フィルによる最後の録音で、整いすぎているが、きりりと引き締まった造形の厳しい演奏である。

オーソドックスなラヴェル編で、華麗なオーケストレーションの色彩美を満喫させてくれるだけでなく、ラテン系のオーケストラでは味わえないロシア的情感とスラヴ臭さを残した表現がムソルグスキー特有の朴訥さや力強さを伝えることに成功している。

またそれぞれの曲中にちりばめられたソロやアンサンブルでもチェコ・フィルの首席奏者達が面目躍如の大活躍で聴かせてくれる。

「古城」での渋い音色で奏でられるサクソフォンのうら哀しさや「ポーランドの牛車」でのテューバの醸し出す土の薫り、不気味な「ババヤーガの小屋」などの表現はそれだけで映像的だが、またそれ以上にこれらの音楽的ベクトルが終曲「キエフの大門」に向かって次第に収斂される凄まじさは尋常ならざるものがある。

それはひとつひとつの音画の組み合わせに留まらず、アンチェルによって完璧に読み取られ、構築されたビルディングと言うべきだろう。

最後のリムスキー=コルサコフの『スペイン奇想曲』はスペイン情緒満載というわけにはいかないが、チェコ・フィルのメンバーがここでも水を得た魚のように軽妙なアンサンブルを披露するのが聴きどころだ。

アンチェルはヴァイオリンを始めとするフルート、オーボエ、クラリネットなどの名人芸を惜しみなく発揮させながら、この作品の愉しさと彼らの憧れるエキゾチックな世界を熱っぽく演奏している。

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classicalmusic at 20:33コメント(0)アンチェルムソルグスキー 

2018年09月18日


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ライナー・ノーツのデザインがフランス・アコールからリリースされた『ル・ドメーヌ・ミュジカル』10枚組ボックスと同様だが、こちらはプラガ・ディジタルスからの単独盤で、2016年1月に90歳で逝去したピエール・ブーレーズが30代に行った20世紀の作曲家の作品演奏をライヴ、セッションから6曲ほど収録している。

この頃のブーレーズは作曲家としても前衛的な活動をしていて、その一端は自作自演『水の太陽』にも発揮されているが、それぞれの曲の解釈は鋭利に研ぎ澄まされた刃物のようで隙がなく、音響に対する感覚も常に鮮烈で覇気に貫かれた再現を指向していた。

そうした反体制的な主張は、それまでの音楽の世紀末的な趣味から完全に切り離された20世紀のクラシックの覚醒を促すような強い使命感に導かれていたと言えるだろう。

その意味でこの時代のブーレーズの演奏は、すっかり好々爺になり抵抗感が影を潜めてしまう後のドイツ・グラモフォンへの録音に優っている。

第1曲目のストラヴィンスキーの『ナイチンゲールの歌』はロイヤル・コンセルトヘボウを指揮したものだが、鮮やかな色彩感に満ちた新時代の交響詩を具現している。

またバルトークのヴァイオリン協奏曲第1番は同オーケストラとユーディ・メニューインの協演になり、作曲家の意図を忠実に汲み取ったメニューインの充実したソロが聴きどころだ。

ちなみにメニューインはバルトークとの交流から無伴奏ソナタを委嘱、初演している。

一方ドビュッシーの舞踏詩『遊戯』や自作の『水の太陽』からも明らかだが、それまでのフランス音楽の方向性を一新する、一切の感傷を排した精緻で冷徹な読み込みに張り詰めた緊張感が与えられている。

そこにはもはや伝統的なフランス趣味の陰翳や曖昧模糊とした掴みどころのなさはすっかり消え失せている。

前半の3曲はアムステルダムに於けるライヴ録音だが、セッションに匹敵する即興の余地を残さない徹底した指示と洗練が特徴で、音質も極めて良好だ。

後半の3曲はスタジオ録音になり、ストラヴィンスキーでは自ら主宰したル・ドメーヌ・ミュジカルの生命感溢れるアンサンブルが当時の彼らの意気込みを示している。

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classicalmusic at 20:02コメント(0)ブーレーズメニューイン 

2018年09月16日


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ユニヴァーサル・イタリーの企画によるヘンリク・シェリングのヴァイオリン協奏曲集を中心に編集された13枚で、彼の演奏をまとめた初めてのバジェット・ボックス化は歓迎したい。

ただシェリングはこれらの曲を再三録音しており、音源の選択にいくらか安易なところがあるのが玉に瑕だ。

多くの曲目がハイティンク、コンセルトヘボウとの協演で統一されていて、例えばベートーヴェンは一番入れて欲しかったハンス・シュミット=イッセルシュテット、ロンドン響との演奏は同じ傘下のフィリップス音源であるにも拘らず何故か組み込まれていない。

ブラームスやメンデルスゾーンではドラティ、ロンドン響のマーキュリー音源が加わり、協奏曲の他にチャールズ・ライナー伴奏の小品集も収録されているが、それらはマーキュリーのリヴィング・プレゼンスのセットで総て復活している。

むしろ現在入手困難になっているバルトーク、ヴィエニャフスキ、シマノフスキ、ジャン・マルティノンなどの協奏曲を加える続編を企画してよりインテグラルな演奏集になることを期待したい。

シェリングは戦後メキシコで教育活動に専心していたが、彼の才能に驚嘆したルービンシュタインとの歴史的邂逅を機に、世界的活躍を繰り広げた(1988年3月2日に西ドイツのカッセルで69歳で急逝)。

ところが1970年代に入ると精彩を欠いた杓子定規で面白みのない演奏になるというのが大方の評論家あるいはクラシック通の指摘するところだが、筆者自身はそうは思わない。

バロックから現代に至る幅広いレパートリーをいずれ劣らない高い水準で弾きこなす自己の演奏に対する厳しい精神性とテクニック、そしてその演奏から滲み出るダンディズムは賞賛されるべきだろう。

気品溢れる美音、フレージングの美しさ、技術的な正確さ、静かに燃え立つ情熱、思索に富み作品の本質を射抜く表現、いずれもシェリングのかけがえのない美質である。

確かに1950年代から60年代にかけて彼の表現は常に攻勢で覇気に満ちたものだったが、円熟期に入ると欠点を出さない守勢に回っていくことは否めない。

しかし一方でルービンシュタイン、フルニエ、ケンプなどと組んだアンサンブルでは協調性に長けた素晴らしい演奏を遺していることも忘れることができない。

フィリップス及びマーキュリーの音源はいずれも鮮明で、古い録音ではごく僅かなヒス・ノイズが聞こえるが演奏の音質自体は極めて良好。

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classicalmusic at 20:35コメント(0)シェリング 

2018年09月14日


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先ず廃盤になって久しかったこのCDの廉価盤化での復活を歓迎したい。

ヨゼフ・スークが60歳を迎えた1990年のセッションで、ピアノ伴奏はヨゼフ・ハーラ。

彼らはこのほかにも幾つかのアンコール・ピースを録音していて、そちらの復刻も望まれるが、何と言ってもスークの愛用する名器ストラディヴァリの明るく甘美な音色をフルに活かした歌心に溢れる表現が最大の聴き所だ。

必ずしも有名な曲ばかりを集めず程良く隠れ名品を交えており、曲順も変化に富み退屈にならないよう良く考えられている。

それぞれの曲の規模が小さいだけに、ヴァイオリンの魅力のエッセンスが堪能できる1枚。

スークが今の世に“歌う楽器ヴァイオリン”の真髄を示し得る巨匠であることを、この演奏は教えてくれる。

甘美な抒情を歌い上げた曲が並んでも聴き飽きないのは、スークが歌の機微を心得ているからだ。

ファリャのスペイン民謡組曲〜ホタのような強い性格の曲でも、作品に込められた情熱を直接的な音響効果として表現するのではなく、響きとしては穏やかでありながら音楽の心を聴かせる。

決して今風ではないかもしれないが、大切にしたいものである。

スークはかつてエルマンやグリュミオーが誇っていたような、聴けば即座にそれと判る彼独自の音色を持っている。

彼らのように磨き上げられた音色を武器にするヴァイオリン奏者は、いきおい曲の解釈自体も耽美的な傾向になりがちだが、スークには特有の現代的に洗練されたセンスがあって、必要以上にポルタメントをかけたり、曲想をことさら大袈裟に仕上げたりすることがないのは好ましい。

また彼の演奏には常に人間的な温かみが感じられ、音楽の喜びをダイレクトに伝えてくれる。

抑制の効いたハーラのきめ細かい伴奏もソロを引き立てた好サポートだ。

このCDに収められた20曲の小品の多くは、ヴァイオリンとピアノ伴奏の為にアレンジされた編曲物で、ヴァイオリニストの為のスタンダード・ナンバーといったところだが、意外にも一流奏者の新しい録音が少ない。

確かに協奏曲やソナタ、あるいは無伴奏などの大曲に取り組まなければならない若手にとって、こうしたきわもの的な音楽は録音の対象外になってしまうのだろう。

若くしてこのジャンルに積極的に手を染めたのは、サービス精神旺盛なパールマンくらいだが、大家の演奏で聴く小品はとりわけ深い味わいがあり、リラックスのひと時に心を和ませてくれる。

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classicalmusic at 20:09コメント(0)スーククライスラー 

2018年09月12日


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チェンバロ界のグレン・グールドと称えられながらも1989年に惜しくも38歳という年齢で早逝したスコット・ロスは、決して長くはない生涯を、それこそ駆け抜けるように生き、ラモーやクープランなどのチェンバロ作品の全曲録音を遺している。

なかでも作曲家没後300年を記念したラジオ番組のために録音されたドメニコ・スカルラッティのソナタ全集(1984年6月〜1985年9月、パリ近郊のダッサス城礼拝堂とフランス放送スタジオにおけるセッション録音)は、規模の大きさと内容の濃さからいってチェンバロのディスクの中でも最大級のものと言えよう。

質・量ともに満足しうる、同曲集におけるスタンダード・ヴェルクとも言えるもので、まさに偉業といってもいい(全555曲。一部オルガンで演奏。カークパトリックが1953年に整理したK番号の付いたソナタのみ。のちに発見されたソナタが15曲ほどある)。

これらは不世出のチェンバリスト、スコット・ロスの代表作であり、この天才の芸術を後世に伝える貴重な記録となっている。

抜群のテクニックに支えられたロスの演奏には、南欧の作曲家に相応しいたぎる情熱と理知的な抑制とが理想的に溶け合っている。

スカルラッティが追求した様々な奏法と多彩な音楽的性格を、研究者としての知性で徹底的に究めた上で、それを、まばゆいばかりの技巧、躍動的なリズム、幅広いダイナミズム、情熱に満ちた雄弁な表出力によって、見事に表現している。

スカルラッティの音楽の躍動感、目も眩むばかりのヴィルトゥオジティ、イベリア的な熱いパッション、雄渾で量感に溢れたダイナミズムや、急速楽章の大きく波打つような独特のリズム感は、ロスの特徴でもあり、魅力であろう。

作品ごとに相応しい表現を見出そうという彼の姿勢は、ウィリアム・ダウド、アンソニー・シディ、ウィラ−ド・マーティンによるイタリアンとフレンチを含む何台ものチェンバロを曲によって使い分けているところにも、生前のロスの演奏へのこだわりと完璧主義を窺い知ることができるだろう。

1作ごとに考え抜かれたアプローチを施している点は驚くばかりであるが、こうした徹底ぶりにもかかわらず、この大がかりな録音が《記録的な速さ》で行なわれ《曲の大半を知らなかったので気違いのように勉強した》とロス自身が述べている。

まさに生前から既に伝説的な存在であったロスの情熱的でスケールの大きい演奏を堪能できるファン垂涎のボックス・セットであろう。

尚、通奏低音付きの5曲では、モニカ・ハジェット(vn)、クリストフ・コワン(vc)、ミシェル・アンリ(ob)、マルク・ヴァロン(Fg)が演奏に参加している。

ところでレオンハルトやコープマンは例外としても、かつて古楽の演奏家といえば、どこか学究的な理屈っぽさや辛気臭さが抜け切れない学者+演奏家タイプが多かった。

その中に彗星のごとく現れたロスは、理論的な裏づけや楽譜の読みの深さを持ち合わせていると同時に聴き手の感覚にすばらしく訴えかける演奏によって、クラシックやポップスのジャンルを越えて幅広い聴衆を獲得した。

とりわけスーツにネクタイよりもラフな姿を好み、若くてインテリジェンスに溢れ、自信に満ち、非凡な音楽性と鮮やかなヴィルトゥオジティを併せ持ったチェンバリストは、常に若いファンを惹きつけた。

いわばカリスマ性を持った新世代のスターであったロスの演奏に耳を傾けるとき、彼がアメリカ人ながらラテン系の感性をそなえた音楽家であるとの指摘も大いに頷けるのである。

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classicalmusic at 20:31コメント(0)スカルラッティ 

2018年09月10日


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オイゲン・ヨッフム(1902-1987)がドイツ・グラモフォンに録音した総ての音源を集大成する企画で、この第1集はオーケストラル・ワークスの42枚組になり、第2集にはオペラ、声楽曲等が組み込まれることになるようだ。

ヨッフムは質実剛健で堅実な指揮をした典型的なドイツの巨匠で、作品に対する徹底した楽理的な分析に裏付けられた飾り気のない実直な再現を信条としていた。

彼のスタイルはドイツ的とよく称されるが、それは、中央ヨーロッパの、落ち着いた色合いの響きから、奥行きの深い、しかし溶け合ったサウンドを引き出し、ここぞという所では勇壮な迫力を導いたことを表している。

一方でヨッフムはオーケストラのインストラクターとしての実力も高く評価されている。

何故なら彼はヨーロッパの幾つかの楽団、例えばバイエルン放送響、コンセルトヘボウ、バンベルクなどの窮状を救った功績が広く認められているからだ。

揺るぎない基礎から積み上げていく堅牢な音響は特にブルックナー、ブラームス、ベートーヴェン、ハイドンの交響曲に顕著で、細部までぶれのないまとめ方をするが、むやみにスケールを強調して作品を誇大に見せたり、聞こえよがしの演出的効果などは嫌っていた。

このセットでもほぼ半数のCDがこれらの作曲家の交響曲で占められており、この指揮者の手腕が発揮された、当時の最も良質な音楽芸術が記録されたものだと考えられる。

ヨッフムの多くの功績の中でも特筆すべきはブルックナー作品の啓発で、自身も国際ブルックナー協会の会長を務めながら、世界各地で多くのオーケストラを振って、その交響曲を演奏した。

彼の指揮スタイル全般に言えることだが、テンポの揺らしが大きいロマン的でスケールの大きい表現が特徴で、おそらくフルトヴェングラーの影響があったのだろう。

当時のベルリン・フィルにも、そのような表現方法が染みついていたのではないだろうか。

それにしても、当時あまり取り上げられる機会の少なかったブルックナーの第1、第2、第6交響曲といった渋い作品にも、強い共鳴と共感から、実に情熱的で美しい演奏が繰り広げられている点は、見逃せない当全集の価値だろう。

ブルックナーに関して言えば、後年の深いアダージョの表現などは、EMIのシュターツカペレ・ドレスデンとの録音に更なる深みを感じさせるところもあるが、全体的な前進性、野趣性、それらを踏まえたドイツ音楽らしい雄渾な迫力に満ちている点で、この旧全集は見事なものだと思う。

そういった意味で、今尚聴き劣りのしない、現役の名演として、指折るべき全集として、このブルックナーは記録以上の価値を有している。

また、ベートーヴェンの全集については、長らく入手が困難だったもので、当企画による復刻は歓迎される。

モノラル録音を含むが、第9番などを聴くと、モノラル末期の録音品質がここまで向上していたのだと改めて気づかされるほどの内容だ。

尚最後のベートーヴェンの2曲のピアノ協奏曲は、ベームの死によって完成されなかったポリーニ、ウィーン・フィルとの全集を補填したものになる。

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classicalmusic at 20:46コメント(0)ヨッフムブルックナー 

2018年09月08日


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ワーナーでは昨年フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲全集のバジェット・ボックスをリリースして、それまで決してリーズナブルとは言えなかったEMI音源の個別売りやセット物がひとつに纏められた。

これはその第2集に当たり、ブラームスの4曲の交響曲及び3曲の協奏曲の他にハイドンの主題による変奏曲、ハンガリー舞曲集と『ドイツ・レクイエム』を6枚のCDに収録している。

ブラームスの音楽は、古典的な特質に重点を置くか、それともロマン的な特質を重視するかで表現がかなり違ったものとなるが、基本的な解釈を充分抑えた上で自在な感興に任せつつ、うねるように感情豊かな音楽を繰り出していくフルトヴェングラーの自在な棒は、ブラームスのロマン的な面に重心を置いたものと言えよう。

聴きどころはSACD用DSDリマスタリングによってどれだけ音質が改善されたかで、廉価盤ということもあってそれほど期待していなかったが、概ね良好なサウンドが再生される。

当然晩年のウィーン・フィルとの共演の方が音質が良く、当時のコンサート・マスター、ボスコフスキーやブラベッツのソロを始め往年の名首席達、レズニチェック、カメシュ、ウラッハなどのアンサンブルに間接的に触れることができるのも幸いだ。

交響曲はフルトヴェングラーの戦後のライヴを集めた全集で、第1番のみウィーン・フィル、あとの3曲は手兵ベルリン・フィル。

第1番のスケール感と劇的起伏に満ちた迫力、第2番での自由な精神の飛翔、第3番における取り憑かれたような感情の激動、第4番の内と外への雄渾な広がり、と音楽の深部にまでのめり込んでの鬼気迫る名演である。

戦中のライヴになるエドヴィン・フィッシャーとのピアノ協奏曲第2番は思ったよりまともな音が保たれている。

ルツェルンとの音源は、メニューインを迎えたヴァイオリン協奏曲が2人のカリスマ性が火花を散らす魅力的な演奏だが、第1楽章の長いカデンツァは今となってはややくどい印象を否めない。

一方保存状態が好ましくないストックホルム・フィルとの『ドイツ・レクイエム』に関しては、お世辞にも良好とは言えないが、これらは別物のマスターでも発見されない限り、これ以上の音質改善は望めないだろう。

むしろ現在となっては、片っ端からSACDや高音質CDに焼き直して価格を吊り上げるより、先ずレギュラー・フォーマットのCDで気軽にフルトヴェングラーの名演に触れることの方が先決だと思う。

勿論フルトヴェングラーのファンであれば立派なコレクションとしての価値を持ったセットだ。

尚それぞれのCDにオリジナル・カバー・デザインが使用され、ライナー・ノーツにはフランスのクラシック・ジャーナリスト、ユーグ・ムソーによる新規の欧文エッセイが掲載されているが、録音データに関してはウォリット裏面にしか印刷されていない。

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classicalmusic at 20:35コメント(0)ブラームスフルトヴェングラー 

2018年09月06日


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マルタ・アルゲリッチの比較的得意な協奏曲を集めたセットで、彼女のピアノは冴え渡り、音の粒が輝き鮮明なうえ、表現の陰陽や緩急を効かせたフレーズの歌わせ方も見事。

オーケストラ伴奏は総じてやや控え目だが、それがかえってアルゲリッチの個性を際立たせていて、むしろ良い効果を編み出している。

前半の2枚はシャルル・デュトワ指揮、モントリオール交響楽団との協演による協奏曲集で、ショパンの2曲では特に緩徐楽章で聴かせる彼女の円熟期特有の細やかな情緒の表出が際立っている。

また2曲のプロコフィエフとバルトークでは、若い頃の突っ走るようなパッショネイトな表現はやや抑制されて、内省的な深みと大家の風格が加わっている。

一方後半の2枚はいずれもスイス・イタリア語圏放送管弦楽団とのライヴ録音で、ベートーヴェンの『トリプル・コンチェルト』はカピュソン、マイスキーとの巧みなアンサンブルと彼らの奏でる音色の美しさが聴きどころだし、速めのテンポで締めくくる終楽章「アッラ・ポラッカ」は実に爽快だ。

またナカリャコフの鮮やかで小気味良いトランペットとのやり取りが印象的なショスタコーヴィチの協奏曲も秀逸。

尚最後に収録されたピアニスト、プレトニョフの力作『スイス幻想曲』の指揮は彼自身で、モギレフスキーがソロを弾いている。

スイス観光局の宣伝のような曲の出来は兎も角として、アルゲリッチは2008年のルガーノ音楽祭の芸術監督としてこの曲を採り上げたが、実際の演奏には参加していない。

オーケストラはまだ洗練の余地を残しているとしても、良く健闘している。

この巻では総てがデシタル録音盤で、音質についてはEMIに共通する弱点である、オーケストラの弦楽器の響きが薄くなる傾向が無きにしも非ずだが、全体的には満足のいく録音状態だ。

ブックレットには曲目紹介、録音データの他に3巻共通の簡単な彼女の略歴とルガーノ音楽祭でのアルゲリッチ・プロジェクトについてのエピソードが英、独、仏語で掲載されている。

アルゲリッチは2002年から同地の音楽祭で自身のプロジェクトによるフェスティヴァルを開催しているだけあって、3巻18枚のボックス・セットの殆んどの曲がそのライヴから採られている。

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classicalmusic at 20:04コメント(0)アルゲリッチ 

2018年09月04日


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このセットはアルトゥス・レーベルから同時にリリースされたカレル・アンチェルのコンセルトヘボウ管弦楽団への一連の客演シリーズの第2集で、以前のターラ音源をリマスタリングした都合3枚のCDの完結編だが、最後のハイドンの交響曲第104番のみはオランダ放送フィルハーモニーとの共演になる。

彼はチェコ・フィルハーモニー首席指揮者時代にオーケストラの黄金時代を築いてヨーロッパの名門に復活させただけでなく、幸い膨大な演奏集をスプラフォンに遺した。

一方今回のディスクはアンチェルが当時の西側のオーケストラと行った彼のレパートリーとしてはレアで貴重なライヴ音源で、アンチェル亡命後の精力的な演奏活動を証明するサンプルでもあるだろう。

本来であればトロント交響楽団とのセッションやライヴがもっと遺されていてもいい筈だが、残念ながら彼の晩年は録音に関してはチャンスに恵まれなかったようだ。

オン・マイクで収録されているが、ホールの潤沢な残響も含んだ録音は当時のライヴとしてはマスター・テープの保存状態も合わせて、おそらく最良の部類に属するものだろう。

確かに客席からの咳払いなどの雑音は聞こえるが、彼らのマナーのためか気にならない程度の最小限に留まっているし、また楽器ごとの分離状態も明瞭で臨場感にも不足していない。

コンセルトヘボウの洗練されたストリング・セクションやマイルドな木管やホルンの音色も良く捉えられている。

中でもラフマニノフは最も音質に恵まれていて精緻なオーケストレーションを聴き取ることができ、ワイエンベルクのピアノも華麗なテクニックでライヴ特有の高揚感を醸し出しているし、プロコフィエフも颯爽とした解釈の中にアンチェルの滾るような情熱が感じられる。

快活な活気に満ちた2曲のハイドンだが、オランダ放送フィルは、アンサンブルがやや弱いとしてもアンチェルの指揮に良く応えている。

一方フランクの交響曲は、こけおどし的な演奏に陥りがちだが、重心の低いオーケストラのあざとさのない巨大なスケール感には驚かされる。

ライナー・ノーツは日本語で、2枚目の最後に収録されている6分ほどのCBCのインタビューの内容も総て日本語訳が掲載されている。

アンチェルがカナダに亡命する直前の1968年7月にプラハで行われたもので、この時はまだチェコ・フィルとの関係も大切に保ちつつ欧米のオーケストラに客演していくという旺盛な音楽活動への意欲を示している。

しかし実際には僅か1ヶ月足らずでチェコ民主化運動『プラハの春』鎮圧のためにソヴィエトが軍事介入して、アメリカに演奏旅行中だった彼はアウシュヴィッツの経験から、再び同じことが繰り返されることを懸念して亡命を決意した。

彼の前任者クーベリックの亡命が1948年なので、チェコ・フィルは全盛期を迎えながらまたしても大黒柱の指揮者を失うことになった。

クーベリックは長いチェコ不在の後1990年にチェコ・フィルとの再演を果たしたが、アンチェルは亡命直後の1969年のプラハの春音楽祭に出演した以降は、再び故郷に戻ることなくカナダで亡くなっている。

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classicalmusic at 20:25コメント(0)アンチェルフランク 

2018年09月02日


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昨年亡くなったチェコの女流チェンバリスト、ズザナ・ルージチコヴァーの追悼盤で、LPに付属したDVDにはゲッツェルズ監督によるドキュメンタリー映画が収録されていて、彼女が晩年のインタビューに応えた過酷な人生が多くのクリップや写真と共に語られていて感動を禁じ得ない。

彼女は一部を除いて殆んど英語で話しているが、日本語の字幕スーパーも付けられている。

この字幕に関してはいくらかやっつけ仕事的なミスも散見されるが、大意は問題なく理解できる。

差別と貧困の中でも彼女が捨てることがなかったのは人間愛と音楽への情熱で、その隠された不屈の闘志とも思われる強さを生涯持ち続けたことは驚異的だ。

彼女はその理由として幸福な家庭に生まれたことを忘れず、そして良き夫に恵まれたことを挙げている。

またルージチコヴァーの薫陶を受けた若い音楽家達がその芸術を受け継いでいるのも頼もしい限りだ。

彼女は同郷の指揮者カレル・アンチェルと同じくアウシュヴィッツから命からがら軌跡的な生還を果たしたが、その幸運も束の間で再びスターリン体制の下で屈辱的な生活を余儀なくされる。

また18歳でのピアノのレッスン再開は、先生からも見捨てられた状態だったと話している。

ユダヤ人差別は決して終わったわけではなく、予定されていたアンチェルとの協演は、ひとつの楽団に2人のユダヤ人は多過ぎると当局に阻止されてしまう事件も象徴的だ。

1968年にはソヴィエト軍のプラハ進行によって再び厳しい統制が敷かれ市民の生活は当局の監視下に置かれ、彼女はまたしても過去の時代の到来を感じずにはいられなかった。

この作品を観ているとアンチェルが亡命を決意した理由も非常に良く理解できる。

こうした状況の中でルージチコヴァーはチェンバリストとしての道を決意し、ミュンヘンのコンクールで優勝して西側からの招聘に応じて演奏活動が始まる頃からようやく音楽家としての運が開けたようだ。

彼女はエラートからの提案でバッハのチェンバロのための全作品の世界初録音を完成させた。

後にスカルラッティのソナタ全曲のオファーも来たが、その大事業に取り掛かるには遅過ぎた、再びチェンバリストに生まれたら是非スカルラッティも全曲録音したいとユーモアを交えて語っている。

時代に翻弄され人生の辛酸を舐め尽くした1人の音楽家として信じられないくらいのバイタリティーと豊かな音楽性、そして何よりも厳しくも温かい人間性を伴った演奏を遺してくれたことを心から感謝したい。

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classicalmusic at 20:27コメント(0)バッハ 
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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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