2019年01月

2019年01月31日


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ブルー・スペックCDとして再発されたシリーズの1枚で、他の演奏家に先駆けて逸早くPCM方式のデジタル録音を取り入れたスメタナ四重奏団だけあって、1976年にプラハで行われたこのセッションも、ヒス・ノイズの全くない澄んだ音質で収録されている。

また今回のブルー・スペックCD化によって、オリジナル・マスターの持ち味がより顕著になったようだ。

特にこのアンサンブル特有の明るく流麗な弦の響きの再現と、楽器間の定位とバランスの良さは旧盤を凌いでいる。

その名を自分達の団体の名称として冠していることからも分かるように、スメタナの弦楽四重奏曲はこの四重奏団にとって特別の作品と言っても良いだろう。

チェコの人達が自国の音楽の父としてのスメタナに抱く尊敬の念が並々ならぬことは周知の通りだが、その名を団体名に冠するということは、国民から最高の称号を与えられたようなもので、スメタナ四重奏団がそれを誇りとし、スメタナに深い尊敬と共感を抱いていたことは言うまでもない。

当然スメタナの2曲の弦楽四重奏曲は彼らの言わば看板のようなもので、これだけは人後に落ちることを彼ら自身が許せなかっただろう。

この録音は結成して30年を経た録音だが、彼らはこれ以前にもモノラル、ステレオと2度スメタナを録音している。

このように何度も録音を重ねながら、その解釈や表現は決して手垢にまみれたルーティンな性格を見せることなく、実に新鮮な共感や感動に裏付けられたものである。

実際ここに聴ける演奏の説得力の大きさや内実の豊かさは尋常ではなく、1つ1つの音に生命が漲り、まるで作曲家本人の声が聴こえてくるような実在感に溢れている。

ちょっとやそっとでは動じることのない絶大な安定感をベースに、4人の感性や呼吸がほとんど1つの有機体のように自在に働き反応する様には、まさに圧倒的な感銘を与えられずにはいられない。

弦楽四重奏曲第1番ホ短調はスメタナ自身が自らの生涯を振り返って、その思い出をカルテットに託して綴った自伝的作品で、第2番ニ短調はその続編に当たる、作曲家最晩年の白鳥の歌とも言える。

スメタナ四重奏団の優れているところは、この2曲を綺麗ごとでもなければ誰の真似事でもない自分達が直接受け継いだ直伝の音楽として取り組んでいることだ。

そこには同郷の作曲家に対する敬意や自負が感じられるし、何よりもチェコの音楽の伝統を引き継いでいこうとする情熱的な使命感が漲っている。

それは偏狭なナショナリズムではなく、むしろ作曲家の目指した普遍的な音楽芸術への昇華ではないだろうか。

有名な第1番に示された、円熟し磐石の安定を示す規範的な名演はもとより、とりわけ第2番の素晴らしさが注目に値する。

そのいかにも安定した豊かで充実した響き、民族的リズムやメロディへの敏感な反応、一分の隙もない精妙なアンサンブルなど、当分これを超える演奏は出ないのではないかと思えるほどに、絶妙な演奏が展開されている。

第2番は、第1番に比して必ずしも作品の良さが認識されていないきらいがあるが、それが全く不当であることをこの演奏は徹底的に知らしめてくれる。

それは単に本場物という意味を超えて、普遍的な価値を持った演奏であり、この作品解釈の規範となるべき名演と言えよう。

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classicalmusic at 20:34コメント(0)スメタナスメタナSQ 

2019年01月29日


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イングリット・ヘブラーとエドゥアルト・メルクスの指揮するカペラ・アカデミカ・ウィーンによるヨハン・クリスティアン・バッハのピアノ協奏曲集。

録音活動でのヘブラーはモーツァルトの作品の演奏が大半を占めているが、この4枚には少年時代のモーツァルトと交流があり、彼の作品に大きな影響を与えたバッハの末っ子ヨハン・クリスティアンの鍵盤楽器用協奏曲全18曲が収録されている。

ヨハン・クリスティアン・バッハは、モーツァルトの作風に少なからぬ影響を与えたことでモーツァルトの研究者たちの間ではよく知られていた。

またこの録音集で特徴的なのは、ヘブラーがフォルテピアノを演奏していることで、それはピリオド楽器による彼女の唯一のレコーディングでもある。

まだフォルテピアノによる演奏が一般的でなかった時代にヘブラーがフォルテピアノを使って録音した点も、古楽器運動の草創期を知るうえでまたとない資料であろう。

フォルテピアノのメーカーや製作年代は明記されていないが、現代のピアノよりも音量が小さく軽やかで繊細な音色を活かした、これ以上美しい演奏は望めないくらい徹底して洗練されたスタイルがいかにも彼女らしい。

サポートはバロック音楽復興期の草分け、エドゥアルト・メルクス指揮、カペラ・アカデミア・ウィーンでクリスティアン・バッハのシンプルなオーケストレーションを控えめだが効果的にドライブして、ヘブラーのソロを引き立てながらギャラント様式の美学を模範的に再現しているところが秀逸。

ヘブラーはモーツァルトのピアノ音楽を得意とするピアニストだったが、1950年代末から活発化した古楽器運動の旗手の1人だったメルクスと組んでJ.C.バッハの協奏曲集を手掛けたことは、当時としてはモーツァルトの芸風が成立する前提を知るうえで非常に有意義なことであった。

モーツァルトのピアノのための作品の形成を辿る時、幼いモーツァルトがクリスティアン・バッハと彼の作品から受けたサジェスチョンは決定的なものだったことが理解できる。

モーツァルト14歳の時の3曲のピアノ協奏曲K107はクリスティアンのクラヴィーア作品に簡単な弦楽伴奏をつけたアレンジであり、彼が手本として学習していたことも明らかだが、モーツァルトのスペシャリスト、ヘブラーとしてはその源流を探る研究としての全曲録音だったのではないだろうか。

ヘブラーとメルクスの演奏は、アーノンクールらのような鋭角的なアプローチを採らず、典雅さを重視したスタイルで演奏している。

メルクスの刻むリズムは決して重くなることはないのだが、溌剌とした中にもどこか落ち着いた色合いを帯びている点はジャン=フランソワ・パイヤールに近い芸風を示していると言えるだろう。

しかし、ヘブラーのピアノは、モダン・ピアノ奏者にありがちな響きの粗雑さは巧みに避けられ、今日のフォルテピアノの専門家と比べても遜色がない。

この録音は、J.C.バッハのピアノ協奏曲集の解釈の基準として、今後も聴き続けられるであろう。

このシリーズの録音は1969年に開始され8年後の77年に終了した長期間に亘る企画だったので、決して片手間に行ったものではなく、本格的な研究の意図が窺われる。

タワーレコードからのヴィンテージ・コレクションの4枚組限定生産になる。

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classicalmusic at 20:33コメント(0)ヘブラーバッハ 

2019年01月27日


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ブダペスト弦楽四重奏団は、ハンガリーで1917年にブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって結成され、1938年からアメリカに定着して活動し、メンバー交代をおこないながら約50年活動を続けた名門四重奏団である。

アメリカ議会図書館専属の弦楽四重奏団であり、図書館のストラディヴァリス楽器コレクションを定期的に利用できるような立場にあった。

図書館での彼らの定期的な公演はすべてこれらの傑出した楽器を使用しており、またここでの録音でもこの楽器が使用された。

この1951〜1952年録音のベートーヴェン:弦楽四重奏曲全集は、第2代目のリーダー、ヨーゼフ・ロイスマンがリードしていた時代のものだ。

まっすぐな輝きに満ちた完璧なアンサンブルの団体として、世界的に名声を得ていたもので、「ベートーヴェンの弦楽四重奏における現代の演奏の基準は、ブダペストの弦楽四重奏団によって設定された」と、『ニューヨーク・タイムズ』紙に書かれたほどの名盤である。

ブダペスト四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲録音は、1930年代のHMVへの「ラズモフスキー第2番」に始まり、米コロンビアに移籍後1940年代に8曲が追加された。

そして1951〜1952年のモノラル、1958〜1961年のステレオと2種類の全曲録音が達成された。

ステレオ録音による新盤も稀有な名演ではあるが、どちらかを取るかということになると、筆者としてはこの旧盤を選びたい。

演奏に対する厳しい姿勢と作品に対する深い愛情が一体化した演奏は、この演奏団体の真価が最大限に発揮された名演中の名演の1つに数えられる。

精巧な合奏技術とザッハリヒで妥協のない視点で作品に臨んだ彼らは、その正確無比な再現を実現させる中に、輝かしい精神の高揚をも成し遂げているのである。

この1951〜1952年録音は、これまでアナログLP盤から起こしたと思われる非正規盤しかなかったが、今回Sony Classicalとしてオリジナル・マスターテープより24bit/192kHzテクノロジーを用いてリマスターをおこない、正規盤として初CD化された。

これは、室内楽録音の歴史において重要な瞬間でもあり、その素晴らしい演奏を堪能することができる。

個々のディスクは、発売当時のレーベルデザインにより、アメリカ盤初出LPジャケットのデザインによる紙ジャケットに封入、厚紙製クラムシェルボックス(L3,4cmxW13cmxH13.2cm)に収容されている。

詳細な録音データを記載したオールカラー別冊解説書添付。

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classicalmusic at 20:25コメント(0)ベートーヴェンブダペストSQ 

2019年01月25日


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スメタナ四重奏団によるブラームスの録音は意外に少なく、ここに収められた2曲の弦楽六重奏曲のほかには弦楽四重奏曲第3番変ロ長調とクラリネット五重奏曲ロ短調があるだけで、しかもそれらの2曲はいずれも1960年代のもので、その後再録音の機会には恵まれなかったようだ。

一方こちらの六重奏曲のほうは1987年のディジタル録音になり、コチアン四重奏団のメンバーに第2ヴィオラとしてシュカンパ、第2チェロにコホウトが加わるという変則的なメンバーによる演奏だが、アンサンブルの完璧さでは他の追随を許さないものがある。

コチアン四重奏団は1972年にコホウトの指導の下に結成され、スメタナ四重奏団とは師弟関係にあり、室内楽の国チェコの良き伝統が、美しく受け継がれていく様子を綴った偉大な記録と言えよう。

多彩な音色の変化と、アンサンブルの緊密さに抜きん出た優れた演奏で、彼らが着実に成長していた印象を深める。

今回ブルー・スペックCDでこの名演がリニューアルされ、以前にも増して本来の弦の音色を再現できるようになったことは評価したい。

コチアンの4人にヴィオラとチェロを加えたこの六重奏は、流石にアンサンブルの妙味を見せて、しっくりとまとまって、厚みがあり、微妙な色合いの変化もある見事な室内楽と言って良い。

彼らが特に秀でているのは、6人が同等の立場でお互いのパートを細心の注意を払って聴き合い、絶妙な音楽の流れを創りだすところにある。

どちらも穏やかな中にも隠された情熱と緊張感を孕んだ楽想が支配的だが、それだけに低音を受け持つスメタナ四重奏団の2人には、ことさら曲想が重苦しくならないようにするための格別な配慮が感じられる。

そこには殆んど祈りにも似た静謐と安堵の世界が広がり、一種幽玄のたたずまいを呈しているといっても過言ではない。

こうしたところにもブラームスのアンサンブルの醍醐味があることを改めて納得させられる演奏だ。

特に第1番は音色ばかりではなく、様式感においても統一のとれた解釈に基づいており、旋律を歌わせるときのこまやかな情感はこの曲の抒情性に最適だ。

曲自体がシンフォニックに傾く第1番では耳に優しい室内楽として再現しているのに対し、第2番では味を濃くつけて熱っぽく弾いている。

ブラームスの手掛けた一番大きな編成の室内楽曲が、この2曲の弦楽六重奏曲で、第1番は27歳の1860年に、第2番はその5年後に完成した。

この弦楽六重奏という形式は、弦楽四重奏にヴィオラとチェロをだぶらせたもので、音響的には中、低音域が厚すぎて扱いが難しいため、あまり取り上げられることのない形式であった。

ブラームスは、先輩ベートーヴェンでさえ手を染めなかったこの形式に挑戦して、輝かしい成果を収めたのである。

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classicalmusic at 20:29コメント(0)ブラームススメタナSQ 

2019年01月23日


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ルドルフ・ケンペがカイルベルト首席時代のバンベルク交響楽団へ客演したオペラ全曲盤で、1962年の収録だが当時のエレクトローラが、録音技術的にも他の大手メーカーに決して劣っていなかったことを証明している高い解像度のステレオ録音と臨場感に驚かされる。

音場にも拡がりがあり、オペラの舞台を髣髴とさせてくれる。

このレーベルは英グラモフォンのドイツ支部で、親会社と英コロムビアの合併でEMI傘下になったが、オペラ全曲盤ではデッカに主導権を取られた本家EMIとは音質に対するポリシーで一線を画していたことが理解できる。

当初このオペラはセリフ付2幕仕立てのオペラ・コミークのスタイルで作曲されたが、後にスメタナ自身によって終幕第2場のサーカス団長の口上以外の総てのセリフに音楽をつけたレチタティーヴォに替えられ、バレー付3幕のグランド・オペラ様式の喜歌劇に仕上げられたようだ。

鑑賞しているとドニゼッティの『愛の妙薬』からインスピレーションを得ていることが感じられる。

オリジナルのリブレットは当然チェコ語だが、ここでは伝統的な上演習慣に従ったマックス・カルベックのドイツ語訳詞で歌われていて、登場人物も主役マジェンカはマリー、イェニークはハンスとドイツ風に改名されている。

その意味では原作のボヘミア的雰囲気はやや後退しているが、この作品はポルカやフリアントなどの民族舞踏を配してローカル色を出しているものの、交響詩集『我が祖国』のような民族意識を高揚する作品ではなく、その普遍性がよりインターナショナルな解釈を可能にした優れたサンプルとも言えるだろう。

バンベルクはオペラ劇場を持たない都市なので、普段彼らがオーケストラ・ピットに入ることはないが、この演奏に聴かれるようにケンペの統率の下に良く歌い、歌手陣に巧妙に合わせる融通性も鍛えられている。

それはドレスデンやメトロポリタンを始めとする欧米での豊富な劇場経験を活かしたケンペの力量に負っているのだが、バンベルク交響楽団は戦後チェコから追われたドイツ系奏者達が母体になって創設されたオーケストラなので、本来チェコの音楽には造詣が深く彼らの得意なレパートリーであることには違いない。

またローレンガーやヴンダーリヒ、フリックなどの芸達者な名歌手を牽引して生き生きとした舞台を創るケンペの快演も特筆される。

序曲は単独でも演奏される名曲だが、目まぐるしく迸り出るようなカノンをケンペは颯爽としたダイナミズムで、ハッピー・エンディングの大団円で幕を下ろすこのオペラの性格を象徴している。

花嫁マリー役のピラール・ローレンガーはスペイン出身だが主としてドイツで活躍したリリック・ソプラノで、第3幕第6場でのアリアでは可憐で純情なマリーの心情を巧みに表現している。

夭折したヴンダーリヒは、この頃テノールとしては全盛期でオペレッタからワーグナーの楽劇まで八面六臂の活躍をしていた。

ドイツ人としては例外的に柔軟かつ爽やかな美声で婚約者ハンス役を演じているが、第2幕第4場での結婚周旋人ケツァルとのデュエットで爽快な高いhを響かせ、続くアリアではマリーへの憧憬と情熱が輝かしく歌われている。

このシーンは『愛の妙薬』でのネモリーノとベルコーレのデュエットをイメージさせる。

バスのゴットロープ・フリックはアクの強い嫌われ役にはうってつけで、ここでは結婚周旋で大儲けを企むが、結局一泡吹かされる滑稽で間抜けなケツァル役での実力を発揮している。

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classicalmusic at 20:17コメント(0)スメタナケンペ 

2019年01月21日


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ブロムシュテットは同一のオーケストラとのブラームスの交響曲全集をまだ完成させていないし、第3番に関しては録音自体見当たらない。

第1番はシュターツカペレ・ドレスデンと、第2番及び第4番はゲヴァントハウスとの音源があるが、それらの中ではこのディスクに収録された第4番だけがセッション録音で、他の2曲はいずれもライヴになる。

データを見るとCD1が1996年に彼ら専用のコンサートホール、ゲヴァントハウスで収録され、CD2の方は1989年にサン・フランシスコのデイヴィス・シンフォニーホールでの録音だが、どちらも音質的には当時のデッカとしては意外にも凡庸の域を出ていない。

鮮明さと臨場感を期待して聴いたからかも知れないが、オフ・マイクぎみに採ったオーケストラはやや精彩を欠いている。

これはあくまでも録音状態から判断する評価で、前者はブロムシュテットがゲヴァントハウスの首席指揮者に就任した年のお披露目の演奏でもあり、彼らの力強く生き生きとした意欲を感じさせるだけに惜しまれる。

むしろ1枚目後半にカップリングされたパウル=ゲルハルト教会での3曲のコーラス作品の方が明瞭な音質が得られている。

サン・フランシスコのホールは当初から音響に問題があったようだが、これは改修以前の録音のためかサウンドにいまひとつ厚みがない。

ゲヴァントハウスのような古い伝統を引っ提げた楽団は、どんな曲目を演奏しても自ずとその貫禄を感じさせるが、このブラームスに関して言えば決して重苦しいものではなく、第1楽章冒頭はむしろフレッシュで苦悩から解放されている。

こうした演奏様式が開拓し尽くされたクラシックの名曲はあらゆる指揮者があらゆるオーケストラと挑戦するが、スコアに忠実であろうとすれば退屈になる恐れがあり、また過去の名演の向こうを張って個性を強調しようとするとブラームスの様式から乖離してしまう厄介なレパートリーでもある。

ブロムシュテットはブラームスの様式からは決して逸脱しないが、そこに可能な限り現代的センスとダイナミズムを持ち込んでロマン派の壮麗な音楽を聴かせる。

彼の解釈には閃きだけでなく周到な準備とオーケストラへの非凡な統率力が窺える。

2枚目のサン・フランシスコ交響楽団及び合唱団によるオーケストラ付コーラス作品は、意外にもブロムシュテット初のブラームスで、ゲヴァントハウスほどの重厚さやくっきりとした造形美にはやや欠けるが、几帳面で堅実な手法に加えて明るい響きと自由闊達な物語性の表現がドイツ的ロマンスを体験させてくれる。

『悲歌』は何という深い哀しみを湛えたブラームスだろう。

人間の根源にある悲しみと憧れを深々と歌い上げた演奏だ。

『運命の歌』ではブラームスの想念の凄さが、重い歩みのなかに切実感をもって聴く者に迫る。

『アルト・ラプソディー』でソロを歌うオランダ人の新進メゾ・ソプラノ、ジャード・ヴァン・ネスは、スケールは大きくないが手堅い歌唱で好感が持てる。

他の曲においても、ブラームスへの全身的共感がブロムシュテットのなかから噴き出ており、オケと合唱団がこれに全幅の信頼をもって反応している。

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classicalmusic at 19:58コメント(0)ブラームスブロムシュテット 

2019年01月19日


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スクリャービンのソナタでグールドが強調しているのはこの曲に内在する対位法で、この時期のスクリャービンの特徴でもあるロマン派爛熟期の残像を引き摺った曲想の中に複雑に操作されて絡み合う声部は、グールドにとっても格好の表現手段だったに違いない。

それだけに彼の演奏からは濃密なロマンティシズムは抑えられ、さりげない感傷とともに絶妙な旋律の交錯が聴き取れる。

彼の対位法への深い傾倒はバッハの膨大な録音や自作の作品からも明らかだが、彼の奏法はこの曲の新しい表現方法として現代のピアニスト達に先鞭をつけた示唆的な解釈でもある。

またプロコフィエフのソナタからは人間臭さを排除した無機的で超然とした思考が良く聴こえてくる。

聴衆を前にすることを嫌った彼ならではの独自の模索が既に成就した演奏だ。

彼は自ら制作したラジオ用ドキュメンタリーでも仄めかしているように、北方に対する憧れがあった。

公開演奏に限界を感じてコンサート活動から身を引いた孤高のピアニストではあったが意外に饒舌で、ある時彼の母親の祖父はノルウェイの作曲家グリーグの従兄弟だと言ったようだが、このセットに収められたグリーグのソナタもそうした親近感から採り上げたのかもしれない。

いずれにしても彼は開放的でともすれば個を失いがちな南よりも、瞑想の地であるべき北に憧憬を馳せた。

シベリウスのソナタもこうしたコンセプトによって選曲されたことが想像される。

3枚目の現代作曲家による一連の作品集もポリフォニックな魅力に富んでいるのが特徴で、注意深く聴いているとカノンやフーガが至るところに現れる。

グールドがバッハと並んで現代音楽のスペシャリストたりえたのは、こうした作曲技法の洗練が彼を惹き付けたからではないだろうか。

これらの作曲家によって頭脳的に構成された、旋律と音響の組み合わせが彼の際立った感性によって再現されるピアニズムが聴きどころだ。

グールドは幸いジュリアードSQらとシューマンの『ピアノ四重奏曲』を私達に遺してくれた。

それは彼のシューマンの唯一のレパートリーでもあり、また数少ないアンサンブルの記録としても貴重なセッションだ。

そこには綿密に計算された音楽的な設計が存在している。

グールドらしいクールな情熱に加えてここでもシューマンの対位法に対する執拗とも言える執着がある。

終楽章のフガートでは各声部を明瞭に感知させるジュリアードのメンバーとの怜悧な表現が秀逸だ。

ここにおけるピアニストと弦楽奏者らは、それぞれ別個のやり方で切っ先を鋭くしながら、曲想の核へと深く踏み込んでおり、たいそうスリリング。

そうした両者の複雑な絡み合いのなかにシューマンの音楽が少しも曖昧さもなく描き出されており、すばらしい。

このセットは4枚組で、比較的レアなレパートリーを集めたものとしての面白味があり、異質の感銘を受ける。

またライナー・ノーツは20ページでミヒャエル・シュテーゲマンの興味深い5つのエッセイが英語で掲載されている。

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classicalmusic at 20:05コメント(0)グールドジュリアードSQ 

2019年01月17日


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マウリツィオ・ポリーニ18歳の録音で、ショパンの協奏曲ではコンクールの時のものを除けば、現在までに彼が残した唯一のセッションだ。

1960年のショパン・コンクールでは西側のピアニストとして初めての優勝という快挙を遂げた直後に行った録音で、オーケストラはパウル・クレツキ指揮のフィルハーモニア管弦楽団。

当盤は今なお優秀盤として高く評価されているが、この一事をもってしても、ポリーニの才能が群を抜いて高いものであったことがわかる。

それほどの彼が、コンクールから10年間も、いっそうの研鑽を積むため公開演奏の場に姿を見せていない。

沈黙の10年間にポリーニはその技巧と音楽を磨き上げたのだ。

ここでのポリーニは、18歳にして既に完成されたピアニストであることを示している。

作品に対する姿勢は理性的で、曖昧さを嫌い、納得のいくまで分析、その結果を音にする。

音は硬質で、明快、ここでもまた、曖昧さは完全に排除されている。

押さえがたい迸るような情熱に溢れていながら、ある意味での知的な冷徹さを併せ持った、その余りにも清冽な表現はショパンの音楽のひとつの究極の姿ではないだろうか。

確かにこの演奏は若き日のポリーニにしか聴くことのできないものだが、彼のその後の演奏を支配することになる、一音一音を徹底して粒立たせるメカニズムを駆使しながら歌いこんでいく奏法を既に会得していたことも理解できる。

ここに示された強靭でパワーのあるテクニックや明快な造形感覚に支えられた独特のメリハリの効いた表現は変わることのないポリーニならではの特徴であるが、ここでは巨匠と言われるようになった彼からは失われたみずみずしい新鮮さが溢れており、それがたまらない魅力を放っているのである。

ショパン弾きの彼がこの曲に二度と取り組まない理由は、おそらく彼自身これ以上納得のいく演奏ができないからかも知れない。

まさに一期一会が産み出した歴史的な名演であり、この第1番を健康的過ぎるとして避ける人もいるが、このように陽性で若々しく頼りがいがあるショパンも、フレッシュでよいのではあるまいか。

1980年代半ばから90年代にかけてのポリーニは、凄いピアニストだとは思うけれど、いくぶん倏困瓩覽霓有瓩箸い趣が無きにしも非ずだった。

勿論、芸術家によっては大いに悩むことによって生産性を増すというタイプもいるわけだけれど、ことポリーニに関しては、あまり悩みと関わり合っていない頃のほうがよい。

少なくとも筆者にとってはデビューした当時の彼の音楽性に、より魅力を感じる。

ここに聴くフレッシュな発想、直截で、屈託のない響き、ストレートな表現力などは、今聴いても若々しい矜持が溢れている。

更にこのCDには1968年に録音された6曲の小品が収められている。

それは長い沈黙の後、事実上彼の楽壇復帰のきっかけになった演奏で、これらは後に再録音もされているので後年の芸風との違いを聴き比べることができる。

ここでは、溌剌とした情感と冴えたテクニック、そして作品の隅々までに神経が行き届いた、見事に音楽的に若いポリーニのショパンが聴かれる。

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classicalmusic at 20:42コメント(0)ショパンポリーニ 

2019年01月15日


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ブルースペック・リニューアル・シリーズの1枚で、このCDの録音は1979年プラハでのライヴから採られている。

拍手が無ければセッションと聴き違えるほど雑音のまったく無いクリアーな音質が再現されているのが特徴だ。

これは当時のスプラフォンの録音技術の高さと今回のリニューアルの相乗効果の結果と言えるだろう。

ヤナーチェクという作曲家の憧憬や焦燥といった心理状態が凄絶なまでに写し出された音楽を、スメタナ四重奏団の精緻を極めたアンサンブルが克明に辿っていくのがこの2曲の聴き所だ。

ライヴ特有の緊張感の中に戦慄が走るような一体感で彼らの演奏が繰り広げられる。

確かに彼らは作曲家と同じチェコの音楽家であり、これらの曲に使われている民族的なエレメントや音楽に隠された言葉のアクセントやイントネーションを悟ることにそれほどの困難は無いかも知れない。

だがスメタナ四重奏団には単に同郷の強みだけではない、言ってみればこうした特異な音楽を普遍的な芸術に昇華する合奏力をもっている。

4人の奏者が一心同体となって作品の深部に迫ってゆくが、その際微妙に絡み合う声部が生み出す表情が生きているし、リズムに自発性があって活力がある。

彼らにとっては4回目の録音で、ヤナーチェクの強いメッセージを感じることができる数少ない演奏だ。

彼らは弦楽四重奏の歴史上、忘れることのできないチェコの名四重奏団で、チェコの伝統とも言える弦の美とアンサンブルの妙を聴かせ、しなやかな歌とあたたかな人間味を感じさせる表現は聴き手を魅了してやまなかった。

この盤でも自国の音楽だけに他の追従できない境地をみせ、安定した響きと真摯な演奏で、人間ヤナーチェクとその世界を描出している。

第1番『クロイツェル・ソナタ』はトルストイの名作文学に霊感を受けて書かれたもので、第2番『ないしょの手紙』は38歳も年下の人妻と親密な交際を続けていたヤナーチェクが、彼女への想いを音楽に託して表現したものである。

尚楽譜の校定は同四重奏団のヴィオラ奏者シュカンパの手になるもので、先代の奏者によって不用意に加筆が加えられていた第1番の譜面を、作曲者が認知したパート譜の写本を取り揃えることによって再構成し、作曲者の意図を明確に訴えかけることが可能な楽譜を出版することに成功したのだった。

その成果はこの録音に見事に反映されていて、ヤナーチェクが表現したかったドラマの世界が、暗譜演奏の興奮を伴って、いとも解明に表出されている。

このCDのオリジナル・マスターはPCMデジタル録音で、音質は極めて鮮明。

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classicalmusic at 20:55コメント(0)ヤナーチェクスメタナSQ 

2019年01月13日


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マルタ・アルゲリッチ・エディションのソロ及びデュオ編で、実際にはソロ作品は最初のCD1枚のみ、その他の5枚は殆んどが2002年から2010年にかけてのスイス・ルガーノ音楽祭のライヴから採ったデュエットになる。

彼女のピアノ独奏の録音を多く持っていないEMIとしては当然だが、ここに1965年のいわゆる「幻の録音」のショパン7曲が収められている。

既に2007年にリリースされたものだが、ここでは何よりも自由奔放な、彼女の感性の発露が迸るような新鮮さが集約されていて、それは後のアルゲリッチの典型的な演奏スタイルの萌芽とも言えるだろう。

デュエットの幾つかは編曲物だが、例えばブロンフマンとの協演になるプロコフィエフの『古典交響曲』のピアノ版が小気味良く爽快だ。

オリジナル作品としてはメシアンの『アーメンの幻影』でのラビノヴィチとの連弾が印象に残る。

それは神学的な追求云々より、むしろダイレクトで圧倒的な音響効果を狙った解釈のように思える。

またモギレフスキーとのラヴェルの『マ・メール・ロワ』では、メルヘンチックで哀愁を帯びた繊細な表現が美しい。

気軽に楽しめる作品としては、チャイコフスキーのバレエ組曲『くるみ割り人形』、ピアソラの『3つのタンゴ』など盛り沢山の連弾用プログラムがひしめいている。

しかしこうした作品では相手と呼吸を合わせる以上に、お互いの音楽的な接点を見出すことが課題になり、どこまで自分を主張し、どこまで相手を受け入れるかというせめぎ合いと協調もひとつの聴き所だ。

このような、他奏者とのアンサンブルの日常化は、一部の人々が想像するような、独奏家としての何らかの行き詰まりからくる狷┐沖瓩覆匹任老茲靴討覆、アルゲリッチが自己の名声や利益などに関わりなく内心の要求に従ってそうするに至った必然のことに違いない。

音楽家同士が互いに触れ合い、共感し合い、かと思えば刺激し合い、驚き合い、啓発し合う高度なアンサンブルというものに、アルゲリッチは独りの世界からは得られないスリリングな喜びを見つけ、この道を通って、もう一度新たに音楽というものを見極めようとしている。

音質に関しては1965年のセッションに時代相応の弱点、つまり音の分離状態と臨場感にいくらか欠ける点が聞かれるが、その他のものはいずれも極めて良好で、ライヴ特有の演奏者の緊張感と気迫が伝わってくるのも特徴的だ。

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classicalmusic at 20:04コメント(0)アルゲリッチメシアン 

2019年01月11日


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ヤーノシュ・シュタルケルが壮年期にマーキュリーへ録音した総ての曲目を網羅したセットで、LP初出時のカップリングを採用したためと思われるが、既にユニヴァーサルからリリースされた2巻のリヴィング・プレゼンス選集ではCD7枚にリカップリングされて全曲含まれている。

またその後にまとめられたコリア盤7枚組とも全く同一内容となり、新音源は一切含まれていないことを断わっておく必要がある。

オリジナル編集に戻した結果CDが3枚増えてコリア盤より若干プライス・ダウンされていることや、ブックレットに初出時のオリジナル・エッセイやシュタルケル自身のコメントを掲載してコレクション仕様になっているのがメリットだが、思い切った廉価盤化ではなくミドル・プライスに留まったところが惜しまれる。

演奏に関してはシュタルケルが最も脂の乗り切っていた1962年から66年までの最良の記録として高く評価したい。

シュタルケル38歳から41歳にかけての録音になり、演奏はエネルギッシュで機敏、録音も優秀で、豪快なサウンドが実に魅力的だ。

彼はバロックから現代までの広いレパートリーをこなしただけでなく、それぞれの演奏がその曲の模範になり得るような普遍的な解釈を常に示していた。

その正攻法の潔さと極めて現代的な音楽性、つまり知性とテクニックの洗練による曲作りでは群を抜いていた。

しかしそこに自ずと音楽に対する熱い情熱と強い意志が感じられるのも魅力で、傑出したテンペラメントを持っていた。

長身で筋肉質の彼は、チェロを弾くときにも姿勢に無理がなく、音程の把握は確実そのもので、聴き手はシュタルケルの演奏に技巧の難しさを感じない。

彼は、どのような音楽を演奏する際にも、感情に押し流されることなく、常に冷静で、作品の様式を的確に捉え、それを軸にして感情を裏づける。

したがって彼の演奏では、様式と感情のバランスが常に均衡しており、片方に偏ることがない。

一方で、シュタルケルの演奏は絹のように豊かで、美しい音色と成熟した深い音楽的感受性によって支配されており、表現目的を完全に達成している。

彼は、演奏ばかりでなく、若い頃から老成した風貌を持っていたため、歳月を経ても年齢を感じさせなかった。

レコーディングなどでの使用楽器は、1950年から65年までは主に、「アイレスフォード卿」という名前で知られるストラディヴァリウス、65年以降はゴフリラーを中心に使用していた。

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classicalmusic at 20:10コメント(0)シュタルケル 

2019年01月09日


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2016年にバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任したチェコの俊英ヤクブ・フルシャがブラームスとドヴォルザークの交響曲集の制作に着手した。

その第1集が両作曲家の最後の交響曲を2枚のハイブリッドSACDに収録した当アルバムで、ディスクの音質の良さもさることながら彼らの一糸乱れぬアンサンブルとオーケストラの音響の見事さが傑出した演奏だ。

バンベルクはベルリン・フィルのようなスター・プレイヤーの華麗なサウンドで魅了する楽団ではないし、ここで感知されるようにむしろ首席奏者達の音色は地味な方だ。

しかしながらフルシャの創り出す混濁のない精緻なハーモニーの美しさはドイツの中堅オーケストラとしてはおそらくトップ・クラスだろう。

彼らが是非この新企画を完成させてくれることを期待したい。

SACD化によって高音の伸びが非常にきめ細かく再生される。

特にトライアングルの繊細で軽やかな響きが心地良い。

録音データを見て驚いたのは、ドヴォルザークは筆者自身が偶然予約していた一昨年秋のコンツェルトハレでの定期演奏会のライヴ録音で、当日聴いた演奏がテイクされていたことだ。

その時はフルシャのもうひとつのお国物、スメタナの『モルダウ』がプログラムに入っていた。

彼は若手であるにも拘らず覇気で通すタイプではなく、オーケストラに隅々まで計算された丁寧な指示を与え、しかも第1楽章第2主題で大胆なラレンタンドをかけるなど自由闊達なドヴォルザークを表現しているという印象で、それは彼らの緊密なコラボの賜物だろう。

一方ブラームスの方は同年5月の収録で、こちらはセッションのようだ。先ず冒頭の瑞々しくしなやかなサウンドに耳を奪われる。

端正でかなり几帳面だが冷徹さはなく柔軟な音楽性に特徴があり、ブラームスにしては辛気臭くない明るい演奏だ。

第2楽章で聴かせるカンタービレや第3楽章での歓喜、終楽章の堂々たるパッサカリアには絶妙な節度がある。

このあたりにもフルシャの知性的でモダンな解釈が窺われ、将来への期待が持たれる有望な指揮者であることが理解できる。

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classicalmusic at 21:40コメント(0)ブラームスドヴォルザーク 

2019年01月07日


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リイシューを繰り返しているシェリング2回目のバッハの無伴奏は、2007年にCDのマテリアルを一新したSHM-CDで復活した。

その後2017年にこの音源はSACD化されているので、やはりこのバージョンが最も音質に優れていると言える。

同時期リマスタリング盤でリリースされたユニヴァーサルのシェリング全集からの同曲集を聴き比べると、やはりその違いは明瞭に感知できる。

SACD+SHM-CD盤を聴いた直後にセット物のリマスタリング盤を聴くと、後者の音質がやや籠って聞こえる。

このクリアー感のためにヴァイオリンの音色がより明るく艶やかに響いて、再生される音場にも拡がりが出て音域的なバランスも改善されている。

幸いオリジナル・マスターの保存状態も良く、より原音に近いハイ・レゾリューションへの改善の余地も残されていることは確かだ。

力強さと高潔さを併せ持った独特の音色が最新DSDマスタリングによってより一層の生々しさで聴く者を圧倒する。

ただしシェリングの演奏に関して言えば音質の精緻さや音色の美しさよりも、むしろ彼の音楽観を鑑賞することの方が本筋であることは言うまでもないだろう。

この1967年の録音が3枚組のLP盤で出た時から聴き続けているが、筆者にとっては全く飽きのこない演奏だ。

それはシェリングと同世代のヴァイオリニスト、例えばグリュミオーのスタイリッシュな演奏や、鷹揚で美しいスークの無伴奏とは一線を画した、徹底した緊張感の持続がダイレクトにバッハの普遍性や精神性を伝えているからだろう。

対位法の声部を弾き分けるテクニックは磨き上げられていて、それぞれの曲は彫琢されたような造形美と神々しいばかりの輝きを放っている。

また力強く豊麗に響き渡る重音奏法も特筆される。

1挺のヴァイオリンで3、4声部を完全に保ちながら弾くことは不可能なので、分散和音のように瞬時にずらして演奏しているが、テーマを生かすために上声部から弾く場合と低音部から上に向かう奏法が注意深く使い分けられている。

バロック音楽に造詣の深いシェリングだけあって装飾音も第1回目とは異なった最新の解釈が示されている。

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classicalmusic at 20:42コメント(0)バッハシェリング 

2019年01月05日


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クラウディオ・アバドは晩年、自ら結成したモーツァルト管弦楽団の首席奏者を起用し、モーツァルトの管楽器の為の協奏曲シリーズを継続して録音した。

その第1弾がアレッシオ・アッレグリーニとのホルン協奏曲全曲で、既にこのディスクに先立ってリリースされている。

今回はモーツァルトのパリ滞在時代の代表作『オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンとオーケストラの為のシンフォニア・コンチェルタンテ変ホ長調』K.297b及び『フルートとハープの為の協奏曲ハ長調』K.299の2曲が、2008年のライヴから採られている。

アバドの音楽作りの特徴は軽快なテンポを維持して、モーツァルトの曲想の若々しさを強調していることだろう。

またこのシリーズでの演奏には総てにピリオド奏法を取り入れ、彼のイメージする新しいモーツァルト像を披露している。

若手のソリスト達には巨匠的な個性や面白みはこれから期待するとしても、アバドの意思を誠実に再現する意欲に満ちていて、彼の細やかな指示が隅々まで行き届いた整然としたアンサンブルを聴かせてくれる。

このモーツァルト管弦楽団では、アバドが招聘したベテラン奏者にオーケストラの要所を受け持たせ、その傍らに配置された若手の演奏家に、彼らとのアンサンブルを通して直接的な音楽体験の場を提供している。

その筆頭がヴァイオリンのカルミニョーラやフルートのズーンであり、ホルンではアッレグリーニだ。

今回の『フルートとハープの為の協奏曲』では、ハープは若手のレティーツィア・ベルモンドに委ねられているが、フルート・ソロはズーン自身が担当している。

彼の楽器の音色を聴いてすぐに気付いた方もいるかもしれないが、自ら改良を加えたハインズ製のベーム式木管フルートを使っている。

彼はコンセルト・ヘボウやボストン交響楽団の首席奏者を歴任しているが、旧知のアバドの招聘でこのモーツァルト管弦楽団の主席フルーティストも務めている。

更に同作曲家のオーボエやフルート、そしてクラリネットの為の協奏曲などがリリースされており、いずれもハズレがなく、伸びやかで、春の風のような爽やかな名演だ。

尚、このシリーズは音質も鮮明で極めて良好。

アバドは個性が弱いと評されることもあったが、作品の良さを高いレベルで表現する手腕は、巨匠の名に相応しい。

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classicalmusic at 22:33コメント(0)モーツァルトアバド 

2019年01月03日


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生涯に4回の無伴奏チェロ組曲全曲録音を果たしたシュタルケル2度目の全曲集で、既にマーキュリー・リヴィング・プレゼンス・コレクターズ・エディションに組み込まれていたものが、今回ルビジウム・カッティングのリニューアル盤2枚組で再登場した。

多くのチェリストにとって一生に一回録音することすら夢であるような作品を、これだけ回を重ねて録音したのは空前であるし、また恐らく絶後であるに違いない。

この作品に対するシュタルケルの執着と意気込みが感じられずにはいられないが、このうち筆者が最も優れた出来栄えを示していると思うのが、この2度目のアルバムである。

この頃は彼の技術が最も高度の冴えを見せていた時期で、その寸分の隙もない緊張感に満ちた表現と、それを支える圧倒的な技術が、バッハの音楽に内在する崇高な世界をこの上なく見事に引き出している。

シュタルケルは高度な演奏技術と幅広い表現力を持っていながら、バッハの演奏にあたって尊大になることもなく実直で飾り気のない、しかし一方で骨太で力強く揺るぎない音楽構成を聴かせているのが特徴だ。

またバロック音楽に造詣が深いだけあって、ここでの舞曲や装飾音の解釈も今もって説得力のある普遍的なものだ。

しかもこの録音は1963年から65年にかけて、彼が40歳になった頃のもので独特の覇気が全曲を貫いていて、卓越した技巧と鋭い知性で一分の隙もない演奏を聴かせる。

特にポリフォニックな楽章では、しなやかなアーティキュレーションが自然な流動感をもたらし、緩徐楽章での深い感情表現も印象的で、知的で抑制のきいた解釈が表現意欲と見事なバランスを作っている。

つまり性格において抑制されているけれども、知的な把握力とテクニックの支配力において、カザルスの演奏に比べられるのもそのためで、いわばバッハの無伴奏チェロ組曲の演奏に新しい基準を示したと言えよう(彼はまた、この作品の新しいエディションを出版している)。

尚この2枚組セットには6曲の組曲の他に、2曲のヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれたソナタト長調BWV1027及びニ長調BWV1028も収録されていて、ピアノはハンガリー時代からの朋友でしばしば彼と協演して高い評価を受けているジェルジ・シェベックが担当している。

ちなみにバッハのもうひとつのガンバ用ソナタト短調BWV1029は、同ピアニストとの録音で今回このシリーズで復活したバロック・チェロ・ソナタ集の方に収められている。

録音技術と再生音の優秀さで知られたマーキュリー・リヴィング・プレゼンスだけあって音質の素晴らしさと臨場感は半世紀前のセッションとは思えない。

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classicalmusic at 20:05コメント(0)バッハシュタルケル 

2019年01月01日


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スメタナ四重奏団は1976年から83年にかけてモーツァルトの6曲の弦楽五重奏曲を、ヨセフ・スークを第1ヴィオラに迎えてディジタル録音しているが、その総てがブルー・スペックCDとしてリニューアルされた。

いずれもマスターの良い音質が活かされた、従来盤に比べて明瞭かつ新鮮な音質が再現されているので、新規に購入されたい方には、価格もそれほど変わらないこちらの新盤をお薦めする。

モーツァルトの恒久的な幸福感に充たされた表現が秀逸で、古典派の様式をわきまえたごく正統的な解釈であっても、溢れんばかりの躍動感や、常に新鮮な感覚を失わないアンサンブルの美しさは流石だ。

スメタナ四重奏団の魅力は、弦の国チェコのアンサンブルだけあって、明るく伸びやかな音色を活かした屈託の無さと、隙の無い緊密な合奏力にある。

その彼らに、やはりチェコを代表するスークがヴィオラに加わった、かけがえの無い理想的な演奏が繰り広げられている。

第3番と第4番はどちらも1976年の録音でスメタナ四重奏団とスーク全盛期のセッションでもあり、精緻を極めたアンサンブルと美しくおおらかな表現が秀逸。

第3番ハ長調では作曲家天性の晴朗さが彼らの落ち着いたテンポ設定によって古典派特有の形式美を伴って再現され、意味の無い感情表出に拘泥しない極めて透明度の高い演奏だ。

一方第4番はモーツァルトにとって意味深い調性ト短調で書かれているが、ここでも彼らのアプローチは決して憂愁に媚びるものではなく、むしろ明るく艶やかな音色を活かして流麗な曲想をダイレクトに辿っている。

しかしその解釈は言葉では言い尽くせないほど懐が深いために、かえってモーツァルトの内面的な音楽性を浮かび上がらせることに成功しているのも事実だ。

第1番変ロ長調での意欲的なダイナミズムの投入は、こうした作曲家の若書きの作品本来の生命を新たに吹き込んでいるような爽快感がある。

一方第5番ニ長調は、モーツァルト円熟期の豊かな音楽性と巧みな作曲技法を手に取るように再現している味わい深いアンサンブルが聴き所だろう。

第2番ハ短調は、モーツァルトが自作の管楽八重奏曲『ナハトムジーク』KV388を殆んどそのまま弦楽用にアレンジしたもので、珍しく短調で書かれているためか、スメタナの明るいトーンの基調のなかにも特有の憂愁の雰囲気が醸し出されている。

原曲と比較するために持ち合わせていたベーム指揮のウィーン・フィルの管楽メンバーによる演奏と聴き比べたが、管楽器ではより華やかでスペクタクルな趣が出ているのに対して、弦楽では精緻なアンサンブルがこの曲の内面的な高い音楽性を表現していて、全く異なった曲のような印象を与える。

第6番変ホ長調は作曲家最晩年の作品でモーツァルトの典型的な音楽様式が集約されたような曲だ。

ここでも彼らの弦の音色の美しさと細部まで練り上げられた高度な合奏の魅力が聴き所で、特に第3楽章のトリオの部分にあるヴァイオリンとヴィオラのユニゾンで聴かせる鄙びたメロディーや終楽章のフーガでのこれほど息の合った、しかも余裕を持った演奏はそうざらにあるものではない。

ヨーロッパでは指折りの長命を誇ったスメタナ四重奏団のディスコグラフィーを見ると、量的にも圧倒的に他を凌駕しているのがベートーヴェンの弦楽四重奏曲だが、その次がモーツァルトで第14番から第20番までの弦楽四重奏曲と、これらの6曲の弦楽五重奏曲、そしてクラリネット五重奏曲の録音が残されている。

いずれも湧き出るような美しい音色と表現の豊かさ、そして何よりも増して熟達したアンサンブルの巧みさが特徴だろう。

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classicalmusic at 17:45コメント(0)スメタナSQスーク 
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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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