2019年02月

2019年02月27日


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クレモナ四重奏団が2012年から15年にかけてレコーディングしたベートーヴェンの弦楽四重奏曲16曲と『大フーガ』、それに弦楽五重奏曲ハ長調Op.29を8枚のハイブリッドSACDに纏めたセットで、これらは既に順次個別にリリースされていたものだ。

上に書いた見出しは、実は彼らがロンドンのウィグモア・ホールで行ったコンサートの時に『ザ・ストラド』誌評に書かれていた『古典的なフレーズを完璧に縫い取るモーツァルト、あたかもアルマーニのスーツのように』から剽窃したもので、クレモナ四重奏団の演奏の性質を言い得て妙な批評だ。

あくまでも古典芸術としての解釈が根底にありながら、ここにはすっかり現代人の感覚でリニューアルされたモダンで快活なベートーヴェン像が描かれている。

作品によって表情を見事に変え、優美な音色に加えて抜群の音程感で現代最高の呼び声高い四重奏団と言える。

アルバン・ベルク四重奏団の旧メンバー、ハット・バイエルレに師事しただけあって時には大胆でアグレッシブな表現も効果的だが、またイタリア人がDNAとして持っているカンタービレや音色に対する美学は俄然健在だ。

イタリアらしい明るく非常にクリアな発音が魅力の1つで、個々の音色が見事に溶け合った驚くべきアンサンブルを聴かせてくれる。

それは大先輩イタリア四重奏団の専売特許でもあったのだが、クレモナのメンバーはイタリア四重奏団のヴィオラ奏者だったピエロ・ファルッリやサルヴァトーレ・アッカルドの薫陶も受けている。

実際この演奏集に使われている楽器は総てグァルネリ、アマーティ、グァダニーニなどクレモナの名工が手掛けた歴史的名器とそのコピーで、ライナー・ノーツに作品ごとの使用楽器が明記されている。

尚弦楽五重奏曲ハ長調のみはヴィオラ・パートにエマーソン四重奏団のローレンス・ダットンをゲストに迎えている。

本全集では作品に合わせて使用楽器を変えているところにも注目で、音色の違いを楽しむこともできる。

第1ヴァイオリンのクリスティアーノ・グアルコが奏でる上記の名器の優美な音色は絶品の一言に尽きる。

また『大フーガ』の録音にて使用したヴィオラは1980年生まれのピエトロ・ガルジーニ制作によるものだ。

ガルジーニは若い頃からマウロ・スカルタベッリの工房で弦楽器作りに親しむようになり、その後、ルイジ・エルコレやガブリエーレ・ナターリに師事した若手職人である。

2008年3月には「フォルムと音楽:ヴァイオリンのメカニズム」と題した論文により、フィレンツェ大学建築学修士号を取得。

その後は修復や専門技術の分野で活躍し、特に過去の巨匠たちの傑作の複製の製造と、修復を仕事の2つの柱としているようだ。

名器と現代の新進気鋭の職人が制作した最新の優れた楽器も積極的に使用している。

現代の楽器も歴史的な楽器と同様に素晴らしいことを証明するかのような魂のこもった演奏を聴くことができる。

SACDで聴くと弦楽器の音質の鮮烈な解像度と臨場感に圧倒される。

定位が良く手に取るようにアンサンブルの醍醐味が味わえるし、またヴァイオリンの高音や擦弦音も耳障りでなく、おそらくベートーヴェンの同全曲盤では現在最も良い音質で鑑賞できるセットだろう。

イタリアではインターナショナルな水準に達したカルテットは少なく、かつてはイタリア四重奏団がその抒情性やカンタービレの美しさだけでなく、現代音楽を積極的に採り上げた殆んど唯一の存在だった。

演奏スタイルこそ異なっているが、幸いクレモナは彼らの成し遂げた業績を更新できるだけの実力を持っているものと信じる。

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classicalmusic at 20:25コメント(0)ベートーヴェン 

2019年02月25日


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レコード史上に残る金字塔、伝説のカラヤン&ウィーン・フィルのビゼー:歌劇『カルメン』がシングルレイヤーによるSACD盤で発売される。

これぞカラヤンの『カルメン』の原点であり、普遍的なカルメン像と言える懐かしい名演奏盤(1963年録音)。

ギローによるレチタティーヴォ版での演奏で、この版がもっているグランド・オペラとしての恰幅の良さを前面に押し出したスケールの大きい演奏である。

何よりも配役が揃っており、カルメン(レオンタイン・プライス)、ドン・ホセ(フランコ・コレルリ)、エスカミーリョ(ロバート・メリル)、ミカエラ(ミレッラ・フレーニ)の主役4人がベストなのが強く、グランド・オペラのスタイルに相応しい名唱である。

プライスのカルメンは男性なら誰もが悩殺されそうな妖艶さと野性味を持ち、低い声域の蠱惑的な声の表情がいい。

彼女は美声のソプラノだが、その上、いかにも男たらしの色気があり、コケティッシュな表情がうまい。

音色の変化も堂に入っており、ピアニッシモが男心をくすぐるが、それでいて音楽が少しも崩れていないところを高く評価したい。

しかも第3幕の「カルタの三重唱」では、前2幕とは全く別人のようなシリアスな訴えを見せる。

更に終幕では、たとえホセに殺されようと、絶対に彼のところには戻らない、という気持ちが赤裸々に出ており、声自体にホセを馬鹿にし切った色があって、これは大したものだ。

コレルリは声と表現の両方で最上の時期にあり、惚れ惚れさせられるが、リリックな美声に充分な張りがあって、圧倒的な声の力で男性的なドン・ホセ像を歌い上げている。

殊に終幕の、自分も死ぬ気の身を投げ出したような歌い方と、カルメンを殺した後の心からの哀しみが圧倒的である。

メリルは男臭く、声もエスカミーリョという伊達男の役にぴったりで、色男ぶりもかっこよくて、フレーニのミカエラも可憐で初々しい。

カラヤンの指揮はアンサンブルが実に緻密で、生々しい色彩や迫力から弱音のデリカシーまで幅が広く、第1幕の「衛兵の交代」では、子供たちの合唱が兵隊の行進を見ている興奮さえ伝えて比類がない。

そして終幕の劇的なクライマックスに至るまで、全場面にカラヤンの棒は確かな目が効いている。

特筆すべきはウィーン・フィルの美感と音楽性で、どんな場面でも決して粗くならず、心のこもった音が出ていて、ドラマがいつも深いものになっており、本場フランスのオーケストラではこうはゆかないだろう。

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classicalmusic at 20:55コメント(0)ビゼーカラヤン 

2019年02月23日


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ケンペ、ミュンヘン・フィルによるブラームスの交響曲全集は、1975年ステレオ録音で、ケンペ最晩年の代表的録音。

無用な気負いから解放され、作品の隅々にまで目を行き届かせた濃やかなアプローチが、ブラームスにふさわしい親密な音楽を作りあげることに成功した名演。

飾り気のないオケの響きも、昔のミュンヘン・フィルならではの自然体の良さが滲み出たもので、指揮者の解釈との相性も抜群、楽器配置も正統的なヴァイオリン両翼型を採用している。

率直で飾らぬ芸風の中に重厚な雰囲気を漂わせたスタイルが身上のケンペとはいえ、ここまで恣意性とは無縁でありながら、作品が本来そなえている自然な感興にナチュラルに寄り添った表現は、円熟期ならではのものなのかも知れない。

筆者がブラームスの第1番に初めて聴いたのがこのケンぺのLP盤であったが、決して派手さはないものの、北ヨーロッパならではの幾分くすんだ渋い色調の音色が印象的で、しばらくは愛聴していたと記憶する。

その後、様々な指揮者、例えば、カラヤンやベーム、更には時代を遡って、フルトヴェングラーやクレンペラー、トスカニーニなどの名演を聴くにつれて、それらの演奏があまりにも個性的であることもあり、ある意味では地味なケンぺ盤のことはすっかり忘れてしまっていた。

久々に接したが、渋くていぶし銀のケンぺならではのブラームスの音が聴こえてくるではないか。

ケンぺの演奏は決して華麗さなどとは無縁であるが、よく聴くと、渋い曲想の端々に感じられる滋味溢れる内容の豊かさにこそ、ケンぺ&ミュンヘン・フィルが見事に描き出した至高のブラームス像と言えるだろう。

ケンぺの演奏は、華麗さなどとは無縁であり、あくまでも真摯に楽曲を描いていくという職人肌の指揮が持ち味であるが、それによって生み出されるいぶし銀の味わいが、ブラームスの交響曲と見事に符合していると言えるのではないだろうか。

第3番は4つの交響曲中、最もスケールが小さく、等身大に表現してしまうと、こじんまりとした軽い演奏に陥ってしまう危険性があり、なかなかに演奏が難しい。

それ故に、呈示部の繰り返しを行ったりして、バランスをとる指揮者も一部にいるが、ケンぺはそのようなことはしない。

ケンぺのアプローチはあくまでも正攻法、それでいて、何と力強い作品だろうかと思わせるのはさすがというべきだろう。

同曲をブラームスの英雄と称する者もいるようだが、ケンぺの演奏を聴いているとそれもむべなるかなと思われる。

北ヨーロッパならではの幾分渋い色調の音色を出しつつ、重厚さにもいささかの不足もない。

第2楽章や第3楽章の抒情的な旋律の歌い方も実に感動的であり、この第3番は、ケンぺとしても会心の名演と評価してもいいだろう。

第1番や第3番も名演だが、第2番は、ケンぺの死の半年前の録音だけに、どこか澄み切った人生の諦観を感じさせる名演だと思う。

どこをとっても恣意的な表現がなく、音楽の美しさを自然体で表現しようという真摯な姿勢が功を奏していて、あまたのブラームスの第2番の中でも最も美しい名演の1つと言えるだろう。

このようなケンぺの職人肌の演奏は、渋いブラームスの交響曲との相性が抜群だと思うが、第4番は、ブラームスの交響曲の総決算と位置づけられる曲だけに、演奏が悪かろうはずがない。

ブラームスの第4番という傑作の魅力を、恣意的にではなく自然体の表現で満喫させてくれる名演ということができるだろう。

ハイドンの主題による変奏曲も、ゆったりとしたテンポの下、各変奏の描き分けを巧みに行っており、老匠ならではの円熟の至芸を感じさせる。

クレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団によるベートーヴェンの交響曲全集は、1960年5月から6月にかけてのモノラル・ライヴ録音。

ウィーン芸術週間出演のため、手兵を率いてウィーンを訪れたクレンペラーは体調も絶好調だったようで、ベートーヴェンの連続演奏会を大成功に導いている。

クレンペラーのこの時のベートーヴェン・ツィクルスの成功は、リハーサル映像からも窺えるように、厳しい練習の果てにもたらされたものといえ、重要な要素については細かい音形でも徹底的に正確に再現するというフォルム重視の基本姿勢がよく表れている。

そのため、自由度の増す実演とはいっても、フォルムに破綻をきたすことはなく、実演ならではの音の勢いを吸収しながらも、堅牢で豊富な情報を完璧に示す稀有なベートーヴェン像が築かれている。

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classicalmusic at 21:44コメント(0)ケンペクレンペラー 

2019年02月21日


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ドイツが生んだ「20世紀最高のワーグナー歌手」ハンス・ホッターが1973年にウィーンで録音した歌曲集の第2集で、伴奏は第1集と同様ジェフリー・パーソンズが全曲弾いている。

彼はオペラだけでなく、ドイツ・リートにも優れた解釈を施し、レーヴェやヴォルフ、R.シュトラウスの歌曲で見事な歌唱を聴かせた。

自らの声質を大切にし、レパートリーを制限していたことでも知られていて、ここで歌われている曲も、彼自身が厳選したものであることは言うまでもない。

ドイツが生んだホッターは唯一無二のヴォータン歌いとしてワーグナーの楽劇には欠かせない歌手だった。

そうしたプロフィールを彷彿とさせるのが第1曲目に置かれているレーヴェの『海を行くオーディン』で、全盛期のムーアとのセッションに較べれば声は衰えているものの、そこにはワーグナーの『指輪』にも通じる北欧神話を伝える伝統的な語り部としての重厚な存在感がある。

一方同じレーヴェでも軽快なメルヒェンを扱った『婚礼の歌』は、フィッシャー=ディースカウやプライが得意としていたレパートリーで、ホッターのそれは彼らほど洗練されていないし小回りも利かないが、より素朴で気取りのない表現は捨て難い魅力を持っている。

またヴォルフ歌曲集では今回に期待していた『アナクレオンの墓』が収録されているのも嬉しい。

あたかも枯山水を見るような、しみじみとした枯淡の境地が郷愁を誘う歌唱力は秀逸だ。

このセッションでもピアニスト、ジェフリー・パーソンズが伴奏を極めた達人であったことが思い出される。

戦後ドイツ・リートはシュヴァルツコップやフィッシャー=ディースカウ、ホッターなどの並外れた表現力によって文学と音楽が一体となった、かつてない芸術的水準に引き上げられたが、それには少なからず伴奏者の貢献もあった筈だ。

伴奏家という職業を成り立たせたジェラルド・ムーアの努力と彼のマニュアルが当然その後のピアニスト達にも大きな影響を及ぼしたが、楽曲に対する明晰な解釈とそれぞれの共演者の長所を引き立てる意志及びその術を知らなければ良いパートナーにはなり得ない。

パーソンズは謙虚な中に独自の奥深さを極めた個性で、ドイツ・リートのみならずあらゆる歌曲や器楽曲に対応できた数少ない伴奏者の1人だった。

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classicalmusic at 21:29コメント(0)ホッター 

2019年02月20日


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2005年にグレン・グールドばりに、バッハの『ゴールドベルク変奏曲』で華麗にデビューしたドイツのピアニスト、マルティン・シュタットフェルト。

早くもソニー・クラシカルから9枚目のアルバムとなる本作は、シュタットフェルトらしいテーマ性に満ちた1枚となった。

“ドイツ・ロマンティック”というタイトルで、ドイツ・ロマン派の極め付けともいえるワーグナーのオペラのピアノ・アレンジ(リスト編曲)から始まり、シューマンやブラームスといった、ドイツ・ロマン派といえば即座にその名が浮かぶ有名作曲家の作品が綴られていく。

また、ワーグナーの珍しいピアノ・ソロ作品もなかなか聴けない佳品で、ピアノのための作品だけではなく、オペラや歌曲のアレンジが多いところも、シュタットフェルトの鋭い主張を感じさせるところと言えよう。

ロマンスという言葉の起源を辿ると中世騎士道物語に発している。

放浪の騎士がその高潔さと神への敬虔な心から悪を挫き弱きを助け、貴婦人へのプラトニック・ラヴを謳い上げた幾百ものストーリーが創作された。

この騎士の姿は現実には有り得ない男の理想像なのだが、その滑稽なほどの高邁な精神はセルバンテスの『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』で痛烈にパロディー化されたにも拘らず、後のロマン派の多くの作曲家の永遠のテーマとして採り上げられることになる。

このディスクでシュタットフェルトが選曲したワーグナーの『トリスタン』や『タンホイザー』はまさにこうした物語をオペラ化したものに他ならない。

中でもシューマンは最もロマンティックな感性を持った作曲家ではないだろうか。

彼の音楽は文学と密接に結びついていて歌曲以外の作品、例えばここに収録された『森の情景』でもそのスピリットを感知させてくれる。

深い森は騎士物語の重要なエレメントだからだ。

ブラームスもまた『マゲローネのロマンス』で騎士道精神を高揚しているが、こうしたピアノ小品にも彼の文学的ロマン性が横溢している。

シュタットフェルトがデビューした頃、彼のモダンな解釈による明快で颯爽としたバッハは久々のバッハ弾きとして注目を集めたし演奏にも好感が持てたが、CDのリリースを重ねていくうちに、器用過ぎるほど器用なのだが何をやりたいのか良く分からないピアニストという印象が強くなって、その後それほど熱心に聴かなくなっていた。

むしろ同世代ではダヴィッド・フレーの方が終始一貫した主張を持ち続けているように思える。

しかしこのディスクではシュタットフェルトの意図は明らかだ。

それは本来の意味での中世騎士道のロマンティックな哲学的感性は本家のラテン系諸国よりもドイツに引き継がれ、多くの作曲家にインスピレーションを与えたからだろう。

その頃既にベルリオーズがあの『幻想交響曲』で人間の理想像どころか宿命的な破綻を描いていたことを考えれば、その思考回路の違いに驚かされる。

勿論ベートーヴェンも『フィデリオ』で騎士道精神を表現しているし、『アデライーデ』はプラトニック・ラヴが前提として了解されていると思える。

このディスクを鑑賞することによってドイツ・ロマン派の作曲家への作品への理解を一層深めることができるだろう。

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classicalmusic at 20:07コメント(0)シューマンワーグナー 

2019年02月18日


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リヒテルは強烈な個性と膨大なレパートリーを持つ巨人ピアニストだったが、これは、その彼に勝るとも劣らぬ個性の持ち主クライバーとが、がっぷり四つに組んだ録音。

どちらも大の録音嫌い、そして名立たるキャンセル魔だったという共通点を持つ全盛期の両巨匠が、どういう巡り会わせかドヴォルザークのピアノ協奏曲という、それほどメジャーでない曲目を、しかも1曲だけ取り上げて録音するに至ったいきさつは謎だ。

しかし商業ペースに乗ることなどに目もくれず、ひたすら自己の芸術の洗練にいそしんだ2人であれば、レコード会社の要望というよりむしろ彼らの意思で選曲されたのかも知れない。

またオーケストラ・パートが充実していることから、クライバーにとってもやりがいのある協演だったに違いない。

それだけにこの演奏には両者の限りなく深い美学的な追求が感じられるし、それが対立することなく協調という理想的な形で結実したのがこの演奏だ。

それでいて2人の演奏家の丁々発止と火花を散らす掛け合いの面白さは比類がなく、激しく燃えるクライバーの棒と、あくまで冷静に構えたリヒテルのソロは、一見異質で対照的だが、その豪快な音楽の運び方は見事の一言に尽きる。

この曲にはピアノのソロ・パートをより華美に仕上げたクルツ版があるが、2人は敢えてドヴォルザークの原典版を使っていて、こうしたところにも彼らのこだわりがあらわれている。

オーケストラの音色の美しさも特筆され、バイエルン国立管弦楽団は言ってみれば指揮者クライバーの手兵だが、磨きぬかれた弦楽器の瑞々しさや、巧みに統率された管楽器のアンサンブルも聴き所だ。

1976年の録音としては音質は及第点で、欲を言えばソロ・ピアノの分離がいまひとつなのと、高音部での若干の歪みに改善の余地がある。

オーケストラはかなり良く響いているので、あるいは原盤自体のもっている性質なのかも知れない。

『さすらい人幻想曲』はリヒテルが西側に登場して間もない1963年の録音で、音は必ずしも良好ではないが、その卓抜な技巧とスケールの大きな表現は、現在もその輝きと説得力を少しも失っていない。

彼らしい重量感に満ちた力強さによって、大きなスケールの広がりを作り出しつつ、この作品の独特の構築性を浮かび上がらせた雄弁な演奏だ

重心の低い強靭な響きと熱くダイナミックな演奏は、シューベルトよりベートーヴェンを思わせるほどだが、この幻想曲のもつ劇性を力強い筆致で余裕をもって描き切っているし、豊かな起伏をもって深々と歌われた歌心も素晴らしい。

スタジオ録音だと時に感興を欠く演奏をすることもあるリヒテルだが、この演奏はスタジオ録音であることが特にプラスに作用したもののひとつで、ライヴではとかく失われがちだった腰の据わった落ち着きが、確かな造形性とロマン的な情緒との理想的に結び付いた演奏を生み出している。

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classicalmusic at 21:28コメント(0)リヒテルクライバー 

2019年02月16日


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1974年から78年にかけてサルヴァトーレ・アッカルドがドイツ・グラモフォンに録音したCD6枚分のパガニーニ作品集とそれら総てを最後のブルーレイ・オーディオ・ディスク1枚に収録したセットで、24のカプリース及び2曲の無伴奏曲以外はシャルル・デュトワ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のサポートになる。

これまでに発見されたパガニーニのヴァイオリン協奏曲6曲その他の彼の代表的な作品をカバーしているが全作品を網羅したものではなく、例えばギター伴奏のソナタ集や『モーゼの主題による変奏曲』および『ヴェニスの謝肉祭による変奏曲』などは録音していないようだ。

いずれにしても切れの良いテクニックは勿論、緩徐楽章で聴かせる艶やかなイタリア風のカンタービレが美しい。

特にブルーレイの方で鑑賞すると音質に洗練味が加わって、より輝かしいサウンドが再生される。

ボウイングによる擦弦音や倍音を駆使するフラジオレット奏法の笛のような音色もよりピュアに響いている。

デュトワはやや控えめだが、ソロを徹底して活かす気の利いた伴奏を施している。

パガニーニを体系的に録音する一流ヴァイオリニストは少ない。

それはこの作曲家の純粋に音楽的な価値から考えれば当然だろう。

協奏曲ではシンバルと太鼓でリズムを打つ軍隊行進曲のような伴奏が繰り返され、その間を縫ってフラジオレットのダブル・ストップ、左手のピチカートやグリサンドなどの超絶技巧がこれでもかと続出する。

コンサートでのアンコール曲としてなら飛びっきり魅力的なのだが、聴き続けると辟易としてしまう。

そのあたりに作曲家としての能力の限界が見えてしまう。

しかしアルカンジェロ・コレッリ以来、イタリアではヴィヴァルディ、タルティーニやロカテッリなどのヴァイオリニストによる名技主義の伝統があり、それを頂点に至らしめたのがパガニーニだったと言えるだろう。

つまりヴァイオリンという楽器で表現できる、あらゆるテクニックを開拓したのが彼であり、そのエッセンスがこの作品集で示されている。

フランツ・リストを心酔させ、また後の時代の作曲家、例えばシューマン、ブラームス、ラフマニノフなどにインスピレーションを与え、数々の作品を生み出させたことは無視できないだろう。

ブルーレイ・オーディオは24bit/96kHzのリマスタリング盤で、ライナー・ノーツ、ディスクの総てが綴じ込みになったファイルがしっかり装丁されたボックスに収納されている。

当初はかなり高額だったが、このところ大分価格が下がってきたようだ。

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classicalmusic at 20:22コメント(0)パガニーニデュトワ 

2019年02月14日


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本セットはクレンペラーの録音した宗教声楽曲を集成した廉価盤で、バッハの『マタイ受難曲』、『ミサ曲ロ短調』、ヘンデルの『メサイア』、ベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』が収録されている。

筆者はこれらのCDが分売されていた頃から何度も聴き、宗教曲の素晴らしさに、身も心も酔いしれる思いを味わった。

『マタイ受難曲』では、ある女がイエスに香油を注ぎかけたというレチタティーヴォからアルトの悔恨のアリアに至るあたりや、「備えせよ」のバス・アリアから最後の大らかな合唱に入るあたりは、正直のところ、涙なくしては聴くことができなかった。

クレンペラーはこの受難の物語の中から、人間の普遍的な愛情の襞にまで入り込んで、すべての人物が人間の愚かしい行動を是認しなければならない苦しさを描き出していくが、これはクレンペラーならではの世界だろう。

全体に遅めのテンポ設定が主流をなしているが、彼にとってこのテンポは不可欠なものに違いない。

雄渾な音楽づくりの中にも、クレンペラーの老巧な棒さばきと、張りつめた緊張感とが身近に伝わってきて、テンポ設定ひとつにしても、やや遅めにとり、コラールも重厚に、コラールフェルマータも、様式からはみ出さない限度においてテヌートを加えるなど、細心の注意が行きわたっている。

1961年の録音だけにシュヴァルツコップもF=ディースカウの声もまだ瑞々しく、ルートヴィヒのアルトも沈痛だ。

『ミサ曲ロ短調』もクレンペラーらしい、いかにも悠揚迫らぬ骨格の太いバッハである。

クレンペラーの音楽の包容力の豊かさが各章に感じられ、その重量感はまさしく巨大な巨造建築を仰ぎみているようだし、バッハへの畏敬の念に満ち、まさに1960年代を代表するバッハの演奏様式というべきだろう。

このバッハはなによりも<人間の存在>が前面に押し出され。その人間は、神と対立するものではなく、神と共にある人間の大きさであり、これは烈しい人生を戦い抜いてきたクレンペラーの心境かもしれない。

この『ミサ曲ロ短調』において、彼の雄大な音の流れが聴く者をとらえてしまうのである。

独唱者たちもクレンペラーの意図を体現した隙のない好演で、合唱団の歌い込みも充分の手応えがある。

この演奏を聴くと、クレンペラーは病魔によって一時的に引退を余儀なくされた時間にも、彼は常に何かを身につけていたことが想定される。

そして、不死鳥のごとく復活した第2次大戦後には、まさに巨匠の道を歩いたのであった。

『メサイア』は全人間的、汎人間的といおうか、クレンペラーはベートーヴェン的処理法で演奏しており、この曲が重厚極まりないバロック的ロマン派音楽と化している。

ヘンデルのイメージは、ガーディナーあたりの活動によって近年すっかり塗り替えられてしまったが、伝統的な壮麗で力強いヘンデル像にも一半の真理を認めるとすれば、クレンペラーの『メサイア』は、その最右翼に置かれうる、ずっしりとした重みをもつ、堂々たる演奏である。

英国には19世紀以来の伝統的な『メサイア』の演奏様式があるが、英国で録音しながら、クレンペラーはオーケストラも合唱団も編成を縮小し、現代の様式に近づけている。

しかし、解釈はまぎれもなくクレンペラーの個性を反映してスケールが大きく、密度が濃い。

彼はテンポを遅めに設定して、明確なリズムとともに演奏に揺るぎない安定感と落ち着いた流れを与えている。

独唱も合唱もその流れに乗っているので、表情は豊かになり、エネルギーは充分に発散される。

クレンペラーの演奏で聴く《メサイア》は、まさしくヘンデルの音楽と人間のスケールの大きさと不屈の精神を実感させてくれる。

今日では、時代楽器による軽快な演奏がもてはやされているが、ヘンデルの在世当時にはより大きな編成で演奏されていたことを考えると、クレンペラーの堂々たる演奏は、精神においてヘンデルの演奏に一脈通じるものがあり、今日でも強い説得力を持っている。

絶頂期にあったシュヴァルツコップのソプラノが何とも魅力的だし、ホフマンのアルトも充実し、ゲッダのテノールもクレンペラーの棒によくついている。

『ミサ・ソレムニス』はクレンペラーの宗教合唱曲の中では最高の出来であり、おそらくベートーヴェンの内面的思考過程に最も近く寄り添っているのがクレンペラーの演奏と思われる。

クレンペラーの格調高く悠然とした表現のなかには、厳しさと雄大さと共に渋味溢れる独自の暖かさもが息づいている。

表面的には不器用さを感じさせることも否めないが、深い味わいを宿したスケールの大きい名演として注目される。

人生の辛酸を舐めつくしたクレンペラーならではの世界が、ゆるぎない人生観照の上に立って見事である。

クレンペラーの演奏には、ベートーヴェンの無限へのゆるぎない生命観と、絶対という神への畏れと祈りが、人間として持てるだけのすべての中で、滔々と音をたてて流れている。

クレンペラーのニュー・フィルハーモニア時代(1964年以降)の録音は特に出来不出来が激しく、散漫なものも含まれているように思うが、この『ミサ・ソレムニス』ではすべてが充実し、ピリリとした緊張と、迸るような生命力によって、全曲が運ばれている。

老巨匠は、この時よほどコンディションが良かったのだろう、クレンペラーの炎のようなベートーヴェンへの帰依は、雄大な精神への勝利といえよう。

ソリストもすべて第一級で、ことにヘフゲンが素晴らしく、コーラスも細部に至るまでクレンペラーの意志が行き届いている。

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classicalmusic at 21:04コメント(0)クレンペラー 

2019年02月12日


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3種類あるノイマン、チェコ・フィルの『スラヴ舞曲集』全曲集の中では第2回目に当たる1985年のデジタル録音で、1回目より格段に音質が良くなっている。

特に高音が鮮明で、パーカッションの飛び散るようなきらめきを伴った音色が新鮮に感じられる。

またセッションが行われたルドルフィヌムのドヴォルザーク・ホールの豊かな残響も潤沢なサウンドを提供していて好感が持てる。

そして何よりもチェコ・フィルの長所が良く出た演奏で、瑞々しい弦楽器の明るく涼やかな音色と、どんな時にも重厚になり過ぎない管楽器の軽快さや機動力が縦横に発揮されているのは流石だ。

指揮者ノイマンは誇張も小細工もせずに中庸をわきまえた自然体で臨んでいるが、要所要所ではテンポを動かし、控えめながら巧みなディナーミクを使ってオーケストラから自然に湧き出るような音楽を引き出している。

彼らにとってドヴォルザークはお国ものでもあり、迸り出るような情熱的な舞踏の表現も全くあざとさがないのは本家の余裕と言うべきだろうか。

第2集の終曲変イ長調での優雅で少しだけ感傷的なワルツも媚びるようなところはなく、高踏的な雰囲気を醸し出していて秀逸。

この曲集の録音は数多く存在するし、またこれ以上に民族主義的なドラマティックで熱狂的な演奏も少なくない。

しかしノイマン、チェコ・フィルのコンビによる当CDは洗練された趣味と軽妙洒脱なオーケストレーションの解釈、音色の変化の美しさなどで入門者にも理解しやすい平明さを持っている。

ドヴォルザークの『スラヴ舞曲』を、通常のコンサートで全曲演奏するということは殆ど考えられないし、大部分のオーケストラにとっても、特別な意味をもつことは考えられない。

ただ、チェコ・フィルの場合には、彼らが『我が祖国』を演奏するほどではないとしても、民族的な共感のもとにそれがあったとしても不思議はあるまい。

しかし、実際に多くの人々にとって、この作品に接する機会は、コンサートのプログラムの中であるよりも、その何曲かがアンコールとして演奏されるときのほうが多いのではないだろうか。

そうしたなかで、このノイマンの演奏は、ある種の必然と日常的な感覚のもとにあるレパートリーとして、多様な舞曲を楽しませてくれるものということができる。

ただ、この言わば本場物の演奏でも、細部のオーケストレーションに手が加えられているということは興味深い。

もっとも、一部は既に慣習となっているようだが、ドヴォルザーク・ファンであれば1度は聴いてみたいセッションだろう。

尚同様のコンビによる1993年の3回目の録音はDSDデジタルでSACD化されていて音質は更に良くなっているが、こちらには捨てがたい特有の覇気があって音楽的に決して劣るものではない。

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classicalmusic at 20:06コメント(0)ドヴォルザークノイマン 

2019年02月10日


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オットー・クレンペラーはブラームスの最高の解釈者のひとりであった。

晩年の彼は、やや速めのテンポで音楽から揺るぎない構成を引き出し、強い精神力でそれに生命を与え、豊かな情感で充実させていく。

最初は意識させないのに、気がついた時には、聴き手は彼の解釈と一体になっている自分を発見する。

これは、クレンペラーがステレオの最初期、1955〜62年にかけて録音したブラームスの集成で、4枚に全曲を収め、ロープライスに抑えたのが魅力だ。

クレンペラー独特の古雅な風格をもったブラームスで、何回ものセッションを費やして完成された交響曲全集は、壮大・峻厳な趣を持ち、重厚な響きで確信に貫かれた演奏が作られている。

一瞬のゆるみもない緊張と力に支えられた端正な演奏の中から、ブラームスの苦渋とロマンが湧き上がり、もはやこのような表現は、現今の指揮者には望むべくもない。

ところでブラームスにも若い時代があったのだろうが、白髭を生やした姿しか思い浮かばないし、彼の交響曲にもそんな老いの表情が打ち消せない。

しかしそこには厳父の孤高さと慈父の柔和さが滲み出ており、雄渾でありながら包容力に富むひびきが聴きとれる。

また思索をどこまでも深くめぐらせる賢人か哲人といった風貌をただよわせ、預言者的な風格すらおびている。

宇宙の奥義を究めたようなその教えは、いくぶん神秘的で晦渋かも知れないが、噛めば噛むほど味わいの増す知恵に満ちている。

クレンペラーの演奏は、些事に拘泥せず、ブラームスのそうした味わい深いひびきの世界を悠揚迫らぬスケールの大きさで描き出しており、その感動は震撼的ですらある。

『ドイツ・レクイエム』は悠揚迫らぬ骨格の太い、すこぶる腰のすわった重厚な表現で、伝統的なドイツの演奏スタイルをそのまま伝える名演である。

クレンペラーの包容力の豊かさが各章に感じられ、その重量感はまさしく巨造建築を仰ぎみているようだし、ブラームスへの畏敬の念に満ちている。

正統、かつ重厚で、その内面の深さは量り知れない、まさに1960年代を代表するブラームスの演奏様式というべきだろう。

現在のブラームス演奏からは隔たっているかもしれないが、頑固なまでに自己の信条に忠実だったクレンペラーの融通の利かない反時代性が、この1961年録音から、いま鮮明によみがえる。

彼の解釈が最高に発揮された名演で、堂々たる歩みの中に威厳と深い悲哀をたたえた演奏は、聴く人を感動させずにはおかない。

独唱者たちもクレンペラーの解釈を忠実に守り、その意図を体現した隙のない好演で、声の美しさと内面的な深さで光る。

シュヴァルツコップの歌唱は、肺腑を突き、フィッシャー=ディースカウも敬虔いっぱいのブラームスを聴かせてくれる。

『アルト・ラプソディ』は、クレンペラーがブラームスにふさわしい重厚な表現でじっくりとオーケストラをまとめているし、ルートヴィヒも体の深部からあふれ出るような苦汁に満ちた声で共感を込めて歌い上げている。

それだけに第1部では、ゲーテが冬のハルツの旅に伴った青年プレッシングの苦悩がひしひしと伝わってくるし、また厭世的な若者の心の救済を願う第2部にも深い祈りが込められている。

『ドイツ・レクイエム』『アルト・ラプソディ』ともに合唱団の歌い込みも充分である。

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2019年02月08日


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クラウディオ・アバドのベートーヴェン:交響曲全集はベルリン・フィルとの協演のCD、DVDが圧倒的に市場を占めていて、1987年から89年にかけて録音されたウィーン・フィルとの旧全集の方は隅に押しやられているのが実情だ。

しかしアバドのベートーヴェンの交響曲旧全集には、彼が振る以前のウィーン・フィルでは聴くことのできなかった明るく流麗で、しかも四肢を自由に広げたような奔放とも言える表現がある。

ウィーン・フィルの持つ音色の瑞々しさとしなやかさを溢れんばかりのカンタービレに託した柔軟な表現が特徴だ。

哲学的な深み云々よりも率直でストレートな、いわゆるイタリア的なアプローチを試みた演奏で、オーケストラもアバドの要求に良く応えているだけでなく、むしろ自分達の音楽としてそれを自発的に取り入れているのが聴き所だろう。

ウィーン・フィルの持ち味でもあるシックで瑞々しい響きを最大限に活かしながら、流れるようなカンタービレでベートーヴェンの新たな美学を描いてみせた秀演で、音楽の内部から湧き出るような歌心を表現することによって、滞ることのない奔流のような推進力がそれぞれの曲に生命感を吹き込んでいる。

ここではかつての名指揮者が執拗に繰り返した、ベートーヴェンの音楽の深刻さは影を潜め、どちらかと言えば楽天的な趣きさえ感じられるが、その華麗な演奏スタイルとスペクタクルなスケール感はアバドの身上とするところだろう。

それはかつての質実剛健で重厚なベートーヴェン像からすれば、意外なくらい明るく軽快な趣を持っているが、それがかえってスケールの大きさと柔軟なドラマ性の獲得に繋がっている。

また各曲の終楽章に聴かれるように豪快で喚起に漲ったスケールの大きい指揮ぶりはベルリン・フィルとの新録音に決して優るとも劣らない。

特に第3番『エロイカ』ではそうした彼の長所が遺憾なく発揮されている。

第2楽章の葬送行進曲では辛気臭さは全く感じられず、むしろ流暢なカンタービレの横溢が特徴的だ。

また終楽章での飛翔するようなオーケストラの躍動感とウィーン・フィル特有の練り上げられた音色の美しさが、決定的にこの大曲の性格を一新している。

曲中の随所で大活躍するウィンナ・ホルンの特有の渋みを含んだ味のある響きとそのアンサンブルは他のオーケストラでは聴くことができない。

尚カップリングされた序曲集も作曲家の音楽性を瑞々しく歌い上げた、しかも威風堂々たる演奏が秀逸だ。

音質は極めて良好で、録音会場となったムジークフェライン・グローサーザールの潤沢な残響が特徴的だし、低音の伸びが良く、各楽器ごとの独立性が高いことも評価できる。

クラウディオ・アバドはウィーン・シュターツオーパーの音楽監督への就任前夜からウィーン・フィルとベートーヴェンの作品を集中的にドイツ・グラモフォンに録音している。

カップリングはライヴの交響曲を中心に、余白を序曲等で満たした6枚の個別のCDとそれらをまとめたセット物もリリースされた。

彼はその後ベルリン・フィルと映像付の再録音を果たし、現在ではそちらの方が良く知られているし、先頃出された41枚組の箱物『ザ・シンフォニー・エディション』でも第2回目の全集がリイシューされているが、ウィーン・フィルとの旧全集の復活はアバド・ファンには朗報に違いない。

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2019年02月07日


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チェコの若手指揮者ヤクブ・フルシャがバンベルク交響楽団の客演指揮者として振った、スメタナの交響詩集『我が祖国』全曲録音で、彼は2016年に同オーケストラの首席指揮者に就任したので彼らの共演した最初のディスクでもある。

東京都交響楽団の首席客演指揮者として日本でもお馴染みのフルシャは、まだ30代半ばだがチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の常任客演指揮者にも任じられており、21世紀のチェコのクラシック音楽界を背負って立つ才能として大きな期待が寄せられている。

この録音はその期待に答えた素晴らしい演奏だ。

チェコ人が持つ『我が祖国』への熱い思いが湧き上がりつつも、現代的な知性で楽譜の隅々にまで配慮を行き届かせた演奏である。

そして前身がプラハのドイツ人オーケストラであるバンベルク交響楽団が、フルシャの素晴らしい音楽にドイツのオーケストラの充実した音を加えている。

この曲集はチェコの祖国愛を高らかに歌い上げる作品として、これまでターリヒ、クーベリック、アンチェル、スメターチェクやノイマンなどがチェコ・フィルとの名演を遺しているが、フルシャは情熱で押し切るタイプではなく、何度かコンサートで体験したことだがライヴでも爆演などはしない。

それゆえこの演奏にそうした熱狂を求めると当て外れになるだろうが、フルシャの音楽設計は明瞭に感知できる。

先ず1曲ずつの構成、例えばフーガなどのスメタナのオーケストレーションのテクスチュアを綿密に仕上げてそれぞれが独立して演奏されても作品として不足するものがないだけの聴かせどころをつくっている。

そして全6曲が纏まった時に更にその効果が高まるようにも考えられていて、彼が知性的な指揮者と言われる所以だ。

またオーケストラから最高の音を引き出すことでも名人だろう。

おそらくパートごとの練習にもかなりの時間をかけていると思われるが、それくらい彼らのハーモニーは純粋に響く。

例えば第1曲『高い城』でのハープの導入と管楽アンサンブルの後の弦楽合奏は洗練されていて極めて美しいし、終曲『ブラニーク』のクライマックスでのブラスの響きはヴィブラートを押さえた純正調で鳴り響いて非常に力強く感じられる。

勿論個人的な演奏テクニックにかけても彼らは第一級だが、スター・プレイヤー的な華麗な奏者がいないオーケストラだけに、音色はそれほどきらびやかではない。

しかしそれを補って余りあるのがこうしたアンサンブルの力量だ。

また誠実だが退屈な演奏ではなく、第3曲『シャールカ』最後の追い込みではその激しく熱のこもった演奏を堪能できる。

始まったばかりのフルシャとバンベルク交響楽団の時代だが、就任前のこの録音から既に素晴らしい一時代が築かれることが予見できるようだ。

2015年から翌16年にかけての録音で、チューダー・レーベルのハイブリッドSACD盤はジョナサン・ノット首席時代から盛んに制作されて、バンベルク交響楽団の実力を披露しているが、音質はSACDで聴く限りかなり鮮明で良好なサウンドが得られている。

弦の滑らかさやブラス、ウィンド・セクションの潤沢な響きも印象的だが、特にパーカッションの高音部を受け持つシンバルやトライアングルの鋭利な音色は決して強調されてはいないが、レギュラー・フォーマットのCDでは味わうことができない自然な繊細さが感じられる。

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classicalmusic at 01:28コメント(0)スメタナ 

2019年02月04日


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1972年4月に東京の青山タワー・ホールで世界初のPCMデジタル方式による録音が行われた。

それがまさにこの演奏で、このCDにはスメタナ四重奏団全盛期のモーツァルトの弦楽四重奏曲2曲が収められている。

それはその後の多くの名演が一切のテープ・ヒス音から開放されただけでなく、経年変化によるオリジナル・マスターの音質の劣化も劇的に改善されたオーディオ界の歴史的なイベントでもあった。

今回この録音がブルースペックCDとしてリニューアルされ、更にマスターに忠実な音質が得られるようになったことは評価したい。

と言っても工学に疎い筆者は機器を使ったデータがあるわけでもなく、ただひたすら自分の耳を頼りに聴き比べたことを断っておく。

先ず従来のCDと比較して音質的には雑味が払拭された鮮やかさが出ていることと、以前は多少平面的に聞こえた音響空間に奥行きが感じられることなどが挙げられる。

特にスメタナ四重奏団の明るい弦の響きに更に磨きがかかったような艶やかさも加わり、また中低音のバランスも改善されているようで、変化自体は微妙だが、その違いは明らかだ。

価格の面では通常盤の15パーセント増し程度に抑えてあるが、これは最近HQCDも同価格にプライス・ダウンして対抗しているので、熱心なオーディオ・ファンの耳を満足させる為のひとつの試みとしては妥当なところかも知れない。

いずれにせよ、デンオンから続々と名盤を生み出し、永く室内楽の世界に君臨することになる栄光の歴史のスタートを飾ったスメタナ四重奏団の記念すべきアルバムだ。

スメタナ四重奏団は、その活動初期にEMIやウエストミンスターにもモーツァルトの素晴らしい録音を残している。

更に後の1975〜82年に、彼らのモーツァルト解釈の結論としての『ハイドン・セット』全曲をデンオンに録音しているが、これもそれに優るとも劣らない演奏。

会場の違い(日本の方がデッド)や、PCM録音の初期と経験を重ねたものといった違いから、こちらの方がより鮮明で、後のものがより豊かな雰囲気をもつという違いがあるが、解釈に大きな違いはない。

第15番K.421二短調では、曲の内面にまで大胆に切り込んだ彫りの深い表現が聴きものである。

まず第1楽章の底にひそむ不安の影をクローズアップして激しい緊迫感を盛り上げて聴き手をぐっと手元に引きつける。

続くモーツァルトのレクイエムのなかの四重唱を思わせる第2楽章では、慰めの四重奏を聴き手の魂の奥底にまで響かせる。

そしてモーツァルトの「疾走する哀しみ」を弾き出した悲愴感に溢れる終楽章で終わる。

第17番K.458変ロ長調『狩り』も、愛とか、デリカシーとか、歌とか、我々が常識的にモーツァルトに求めるものを百戦錬磨の技術で鮮明に印象づけながら、生命感に溢れる演奏を聴かせてくれる。

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classicalmusic at 20:06コメント(0)モーツァルトスメタナSQ 

2019年02月02日


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シエピ30代前半の歌唱が堪能できるアリア集。

録音データを見ると1954年8月となっているので、彼は当時弱冠31歳であったにも拘らずその声と唱法が既に成熟しているのに驚かされる。

彼の舞台での当たり役だったヴェルディのオペラの登場人物ではバス歌手の模範になるような究極的なキャラクターを創り上げている。

一方でマイヤーベーヤの『ユグノー教徒』で長く引き伸ばす低いCの音は彼にとってはご愛嬌なのかもしれないが、筆者がLPで初めて聴いた時には仰天したものだ。

指揮者アルベルト・エレーデは欧米のオペラ畑を専門に歩んだ人で、歌手の声を活かすことにかけては天下一品の腕を持っていた。

それはイタリア人指揮者の伝統的なスタイルでもあり、オーケストラが歌にぴったりと寄り添うように、しかし決して歌を妨げないように付いて行くことが要求される。

指揮者が歌手を将棋の駒のように使いこなし、スタンド・プレイを許さない現在のオペラでは得がたい存在だ。

またこうした技に手馴れたローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団の伴奏も秀逸。

チェーザレ・シエピ(1923-2010)がフルトヴェングラーに理想的なドン・ジョヴァンニ歌いとして、その美声と演技を認められたことは周知の通りだ。

彼は典型的なイタリアのバスで、明るく柔軟な発声と深々とした豊かな声を武器に、磨き上げた高貴なカンタービレを駆使して、苦悩に苛まれ、宿命に葛藤する主人公、いわゆるバッソ・セリオの役柄を得意とした。

彼はまたオペラだけではなく、歌曲や宗教曲、さらにはミュージカルからポピュラー・ソングにも精通していた為に、こうしたレパートリーの録音も少なからず残している。

また低い声の性質上オペラ歌手としては非常に長命を保った人で、1941年デビュー以来1989年まで公の舞台に立ち続けたし、そのスタイリッシュで知的な歌唱は晩年まで衰えをみせなかった。

初出時のLPジャケットのデザインと曲目をそのままCD化したもので、収録時間は短いがオリジナル・コレクションとしての趣向を凝らしている。

1954年のモノラル録音だが音質は良好で、特に声の響きは明瞭に採られていて充分鑑賞に堪えるものだ。

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classicalmusic at 20:14コメント(0)ヴェルディ 
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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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