2019年04月

2019年04月29日


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ジャン・マルティノンはシカゴを去った後、ヨーロッパを中心に盛んな演奏活動を続けたが、この演奏集ではCD14のオイストラフとの『スペイン交響曲』1曲を除いて、1968年から75年までのエラート及びHMVへのセッションとライヴのステレオ音源を14枚のCDにリカップリングしてある。

シカゴでの制限された窮屈なプログラムから一気に解放されたかのように、この時期の彼は特に母国フランスの作品への集中的な取り組みが注目される。

フランスに戻ってからのマルティノンは以前にも増して意欲的で、その活躍は実に目覚ましかった。

1968年から首席指揮者をつとめるようになったフランス国立放送管弦楽団(ORTF)とともに演奏活動を行うようになる。

それだけに録音活動も水を得た魚のように精力的に行っていて、マルティノンの音楽性が縦横に発揮されたアルバムになっている。

ただしコンプリート録音集ではなく、例えば最も評価の高いドビュッシーはラヴェルの作品集と組まれてワーナーから別のセットがリリースされているし、サン=サーンスに関しては交響曲全集を完成させているが、ここではマリー=クレール・アランとの第3番『オルガン付』のみが収録されている。

それでもこれまで幾つかのCDに散逸状態だった音源が収集されたのは幸いだ。

さらに今回のセットのために、フランス国立視聴覚研究所所蔵のシャンゼリゼ劇場でのライヴ音源や、EMIに眠っていたジュネス・ミュジカル世界管弦楽団とのライヴ音源なども収録している。

バランス・エンジニア、ポール・ヴァヴァシュールがオフ・マイクで採ったイベールの『寄港地』はこの時代のEMIを象徴する録音だろう。

マルティノンの芸風は生涯に渡って明晰なものだったが、アメリカからヨーロッパに戻った1968年以降はスケール感も増し、オーケストラ・コントロールに長け、ダイナミックな要素と色彩的な要素が巧みなバランスで同居した見事な演奏を行うようになった。

個性の確立された管楽器セクションの活躍により色彩豊かなサウンドを聴かせるORTFを巧みに統率、オーケストレーションに秀でたフランス音楽の魅力を明確に打ち出している。

これらの録音から判断するなら、マルティノンはいかにもフランス人らしい指揮者のひとりだが、なかでも、特に犢吐畢瓩離織ぅ廚紡阿垢襯侫薀鵐垢了愆者と言えよう。

彼の音楽がもっているきりりと引き締まった造型性、情緒的なものに流されてしまうことなく、余剰なものはすっぱりと切り捨てていく決然とした表現力、緩急強弱といった要素の対比の妙の鮮やかな際立たせ方などは、他のフランスの指揮者にはあまり見い出せない、マルティノン独自の音楽性である。

このような、フランスの指揮者としては珍しいような犢吐畢瓩文沈をもっていたからこそ、マルティノンはフランス音楽はもちろんのこと、それだけにとどまらず、さらに広い範囲の音楽を巧みに再現することができたのであろう。

1974年にORTFは改組され、フランス国立管弦楽団となるが、それに伴いマルティノンはそのポストを去り、ハーグ・レジデンティ管弦楽団の常任指揮者に就任。

しかしながら、不運にも健康に恵まれず、わずか2年後の1976年にまだ66歳という働き盛りと言ってもいい年齢で鬼籍に入ってしまった。

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classicalmusic at 20:04コメント(0)マルティノン 

2019年04月28日


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いわゆる「六人組」と称されたグループの一人で多作家でもあったダリウス・ミヨーは400曲にものぼる作品を残したが、常にラテン的な明朗さ、快活さに満ちた音楽を書いた。

その精神は故郷プロヴァンスの陽光と風土に常に裏打ちされた、ポジティヴなリズムに満たされているのである。

またミヨーの作品のプロフィールは多彩を極めていて、ある意味では20世紀に活躍した作曲家ならではの姿を映し出しているとも言える。

彼は非常に柔軟な感性の持ち主で、およそ彼ほど多方面から影響を受け、それを自分のものとして消化し創作を続けた人も珍しい。

確かに彼の音楽には同時に複数の調が鳴り響く、多調性の手法が頻繁に聴き取れる。

それはミヨーが生涯に亘って実践した理論だが、一方でピアノ連弾のための『スカラムーシュ』に代表されるように、彼の音楽はエンターテイメントの精神に溢れている。

この曲はキャバレーのライヴのような雰囲気を持っているが、聴く者を決して飽きさせないミヨーの典型的な一面を示している。

ハーレム的喧噪と倦怠感に誘われる『世界の創造』では、ジャズのイディオムが利用され、ヨーロッパの音楽の伝統で、いかに黒人のリズムを生かすかという実験が試みられていて、極めてモダンな響きが創造されている。

またチャップリン的世界さえ彷彿とさせる『屋根の上の牛』では、底抜けに明るいリオのカーニバルを髣髴とさせ、冴えわたるミヨーの筆はさらに七色の光りと陽気な媚薬をふりまきながら作品を楽しく盛り立てており、まさにラテン的憩いのひとときに聴き手を遊ばせる。

つまりミヨーの作品は論理でかためるのではなく、あくまでも劇場的感覚で作品を解放し、その空間に聴き手を憩わせる、そんな不思議な魅力がある。

幸いこの2曲はバーンスタイン指揮、フランス国立管弦楽団の乗りに乗った演奏を聴くことができるが、ここで指揮者は余裕をもってミヨーのリズムを楽しんでいる様子が見てとれる。

『マリンバ、ヴィヴラフォンと管弦楽のための協奏曲』は持ち替えソロがペーター・サドロ、チェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルで、いかにも20世紀的な珍しい音響の試みを堪能させてくれる。

更に『チェロ協奏曲』第1番はシュタルケルのソロ、ジュスキント指揮、フィルハーモニア管弦楽団で、魅力的な『フルートのためのソナチネ』はパユのフルート、エリク・ル・サージュのピアノと、質の高い演奏がめじろ押しだ。

このセットにはミヨー自身がコンサート・アーツ・オーケストラを1956年に指揮した『ブラジルの回想』もカップリングされていて、物憂い気分から豊かなファンタジーを生み出している。

一通り聴いてみると、一見つかみどころのないような多様さの中に、歴然として個性を発揮しているところが作曲家ミヨーのアイデンティティーなのかもしれない。

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classicalmusic at 20:05コメント(0)バーンスタインチェリビダッケ 

2019年04月27日


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現代を象徴するクヮルテットとして、ジュリアード弦楽四重奏団の果たした役割は計り知れないものがある。

戦前のヨーロッパの演奏伝統を打ち破るように、第2次世界大戦直後のアメリカで1946年に設立されたジュリアード弦楽四重奏団は、4人のメンバーの高い技量を背景とした、4つの弦の技術的、音楽的均質性と感情を削ぎ落としたドライで直線的な表現で世界の好楽家に衝撃を与えた。

1960年代後半になり、彼らはより柔軟な演奏表現へ変化してゆくが、このセットには1949〜52年の初期録音のみで構成されているため、新即物主義の極致のようなスタイルが楽しめると同時に、当時の聴き手の驚きも追体験できる。

第2次世界大戦後の弦楽四重奏演奏において、ジュリアード弦楽四重奏団の出現はまさにエポックメーキングな出来事であった。

ジュリアード音楽院長で作曲家のウィリアム・シューマンの提言もあり、結成当初より同時代作品も積極的にレパートリーに組み込むという基本姿勢によって一貫した活動を展開、1947年12月のデビュー・コンサートでも、ベルクの『抒情組曲』がとりあげられ評判を呼び、バルトークの弦楽四重奏曲についても1948年の公演から積極的に紹介するようになった。

シェーンベルク作品については、本人の前での演奏もおこなっており、その際、シェーンベルクに予想以上にワイルドな演奏と評されながらも解釈について快諾されたというエピソードからもうかがえるように、当時のジュリアード弦楽四重奏団の演奏は非常に過激なものだった。

今回、ヒストリカル音源のCD化でマニアに話題の「WHRA(West Hill Radio Archives)」より登場する6枚組セットには、そんな過激な時期の彼らによる、バルトークの弦楽四重奏曲全集と、新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲集が収められている。

バルトークについては、以前、イギリスのPEARLレーベルから、新ウィーン楽派作品集については、フランスのUNITED ARCHIVESレーベルより復刻盤がリリースされたが、今回は、オリジナル・リリース国でもあるアメリカのレーベルからのリリースで、2011年に米コロンビアのLPから新たにデジタル・トランスファーがおこなわれている。

戦前の弦楽四重奏と言えば、カペー弦楽四重奏団やレナー弦楽四重奏団のように第1ヴァイオリンが技術的にも音楽的にも抜きん出ていて、第1ヴァイオリンがアンサンブルを主導し、チームの音楽性を支配することによって演奏を作り上げていた。

第1ヴァイオリン奏者の名を団体に冠しているのも、そうした事情を象徴していたが、また演奏解釈上も旋律を曲線的に捉え、テンポの緩急を多用した、情緒あふれる演奏スタイルが主流であった。

そのような時代にジュリアード弦楽四重奏団は出現し、完璧な技巧と有機的で密度の高いアンサンブルで未だかつてない新しい様式のクヮルテット美学を確立した。

その功績の多くは第1ヴァイオリンのロバート・マンに負うものであろうが、ヴィオラにしてもチェロにしても、みな出色の演奏能力を備え、音楽創造の理念と水準は極めて高い。

米コロムビア社(現Sony)と契約後、新ウィーン楽派の作品やバルトークの弦楽四重奏曲全集を録音し、ジュリアード弦楽四重奏団の名は、1948年に開発されたばかりだった「LPレコード」という新しい録音媒体を通じて世界に広まった。

その背景となったのは、1920年代から30年代にかけて現代音楽の旗頭として活躍したコーリッシュ弦楽四重奏団のヴィオラ奏者、ユージン・レーナーとの交流によるところが大きい。

レーナーはシェーンベルクやバルトークと交際があり、作曲者直伝の奏法をジュリアードの面々につぶさに教え込んだ。

特にバルトークは、レーナーの助言が大きく物を言っていて、現代では古典となった名曲群が6曲まとまった史上初のレコードであり、その生命感溢れる衝撃的音楽を見事にクリアした卓越した至芸には驚き入るばかりだ。

彼らはバルトークの弦楽四重奏曲全集を3回録音しているが、回を追ってアンサンブルの精緻さは増してくるものの、それにかまけるというか、テクニカルの面白さにのめり込み、初回の初々しさや覇気が減退していったように思われてならない。

筆者にとっての聴きはじめがこのジュリアードのモノーラルの演奏で、思い入れがあるのかもしれないが、今他の演奏と聴き比べてみても、この録音は未知の世界に入ってゆく期待感と、出会いの感動に満ち、想像力を掻き立て、胸をときめかせるものがある。

それに対し後のステレオ録音の方は、細部の彫りを巧みにこなす職人的な腕前の披露に終わりがちだ。

シェーンベルクの弦楽四重奏曲全集は、前述のように1949年に作曲家をロスアンジェルスに訪ねたことが、この演奏への驚異的な成果を生んだものと思われる。

ベルクの弦楽四重奏曲と『抒情組曲』、ウェーベルンの『5つの断章』もバルトークと並んでジュリアードが最も得意としたレパートリーで、切り込みの鋭い情熱的なボウイングで語り尽くされた驚異のアプローチを展開している。

彼らの、演奏という名の創造行為には、高度の緊張と献身的な情熱が漲っているのだが、それこそは、こうした作品を弾くのに最も適合した条件である。

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classicalmusic at 20:09コメント(0)ジュリアードSQバルトーク 

2019年04月26日


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ジュリアス・カッチェン(1926-1969)のブラームスのソロ作品については既に評価の高い6枚組のボックスがあったが、デッカへの録音全集は初めての企画で、ファンのみならず入門者にとってもバジェット・プライスによるボックス化が魅力だろう。

カッチェンの演奏には鋭利なタッチと幅広いダイナミズムが怜悧にコントロールされる部分と、それとは対照的に自由奔放で突き進むような即興性が共存している。

このセットでもモーツァルトでは洗練されたシンプルなリリシズムが美しいが、バラキレフの『イスラメイ』ではスリルに満ちたヴィルトゥオジティの披露にもずば抜けたサンプルを遺している。

それらは彼の類い稀な表現力によって相反することなく濃密なピアニズムを創り上げているが、常に明晰なアプローチでオリジナリティーを引き出すことを信条にしていたピアニストだけに、聴き古されたスタンダード・ナンバーでも、嫌味のないフレッシュで機知に富んだ解釈が特徴的だ。

カッチェンの神童期から磨いてきた技巧と知性に基づく壮健な解釈は、スタンダードな独墺の古典とロマン派に向いていた。

彼は爛屮蕁璽爛甲討瓩箸靴凸召鮹擇擦燭、これみよがしのテクニックでねじ伏せたり、自己陶酔的に押しつけたりはせず、終始、理知的に整然と演奏しながらも、深い洞察に満ちたデリカシーがじんわりと浮かび上がってくる。

勿論、超人的なテクニックがそれを支えていることは確かで、難曲で知られる『パガニーニの主題による変奏曲』など少しも力みがなく、殆どノー・ミスでサラリとこなしてしまうし、また巨大なピアノ協奏曲第2番では、ヴァイタリティに溢れたピアニズムで余裕綽々とオケに絡んでいる。

カッチェンはかつてないほど精密に、しかも美しくブラームスを鳴らすことができたが、そればかりでなく、すべてを見通し音楽を最後まで弛緩させることなく強力に押し進める集中力が漲っている。

さらには、彼の知的な素養からくるであろう文学性や詩的な感受性が過不足なくこれに加味され、比類のないブラームス演奏を成しているのである。

ベートーヴェンとモーツァルトのピアノ協奏曲も傑出しているが、前者では隅々までディテールがクリアーに立ち上がり、きわめてポジティヴな姿勢と相俟って、活力に溢れた若々しさが顕著、台風一過の爽やかさを思わせるものがある。

一方のモーツァルトでも、タッチの端正さは絶品で、何か物に憑かれたような張り詰めた表現が求心力を生み、一気に持っていく。

尚ヴィトゲンシュタインの委嘱作品になるブリテンの『左手のためのディヴァージョンズ』はプラガのリマスタリング盤の方が音質に優れているが、ムード変化激しく機知縦横のピアノ・パートをカッチェンが切れ味のいいテクニックで鮮やかにさばいている。

短かった生涯を精力的な演奏活動に捧げたカッチェンは同一曲を複数回録音していて、このセットでもベートーヴェンの『ディアベッリ変奏曲』を始めとする多くのレパートリーで2種類の音源を聴き比べることができる。

またアンサンブルにおいても高い音楽性を示した素晴らしい録音がデッカに集中して遺されているのも幸いだ。

スークと組んだブラームスのヴァイオリン・ソナタ集やシュタルケルが加わる同じブラームスのピアノ・トリオ集は現在でも最良の演奏のひとつに数えられるだろう。

カッチェンが20歳でパリに行き、直ちに彼の演奏が受け入れられてしまったのいうのは驚嘆に値する。

爛僖蠅僕茲織▲瓮螢人瓩箸い辰進珍しさからくる一過性の人気や評価ではなく、ヨーロッパ音楽の伝統や精神を真芯で捉え、正攻法でしかも鮮やかに表現しえたところに彼の最大の勝因がある。

カッチェンほどのステイタスで、パリを本拠にヨーロッパで地盤を築いたアメリカのピアニストは、彼の前にもなく後にもない。

40の声をきかないうちに、カッチェンは早くも最初の円熟期を迎え、肺癌のため42歳という働き盛りに世を去ったことは、楽界の一大損失として哀惜された。

88ページほどのライナー・ノーツにはインターナショナル・レコード・レビューのジェド・ディストラーによるカッチェンのキャリアが英、独、仏語で掲載され後半は収録曲のカタログになっているが、ボーナスCD36のデータはジャケットの裏面のみに表示されている。

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classicalmusic at 19:52コメント(0)カッチェン 

2019年04月24日


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ハンガリーに生まれた現代最高のチェリストのひとりだったシュタルケルは、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を3度録音したが、この2度目の録音の印象が強い。

全盛期の超人的なテクニックと知的なアプローチで、かけがえのない魅力を形成しつつ、密度の濃い演奏を繰り広げている。

バックのドラティを含め民族色の非常に強いものと思いきや然に非ず、基本はかなり洗練された表現が主体となっており、バランスの良い秀演になっている。

濃厚な民族性を表に出した熱狂的な演奏が多い中で、シュタルケルはむしろ冷静に、書かれている音楽を忠実にしかも直截的に表現するという方法で曲を仕上げている。

それだけに第2楽章では、ドヴォルザーク特有のボヘミア色や望郷感といったことよりも、音楽そのものの美しさを伝えようとしているように思える。

シュタルケルのチェロはやや線が細くまるでヴァイオリンの音色のように滑らかで柔らかくしなやか、溢れるばかりの歌心を持ったリリックな演奏だ。

その一方で抒情に流れない剛直とも言える張りのある力にも漲っていて、ドラティの大胆で直截な表現のオケとよく合っている。

勿論容赦無い超絶技巧の披露も忘れてはいないが、全体的に癖の無いシンプルな解釈が聴き所だろう。

2曲めのコル・ニドライは弾圧によって改宗を余儀なくされたユダヤ人達の懺悔と改悛をブルッフが叙事詩風に作曲したもので、独特の途絶えがちで咽ぶような告白の語り口調の前半と、精神的な開放感をもたらす後半部から成る独奏チェロとオーケストラの為の小品だ。

この技巧とは縁の無い、歌心に溢れた音楽を、シュタルケルは誇張を避け、ダイナミズムと緊張感の持続で表現しきっていて、筆者にとって原体験的な名演ながら、未だにその魅力を失っていない。

一方チャイコフスキーのロココ風の主題による変奏曲は、かなりヴィルトゥオーゾ的な作品ではあるが、シュタルケルは技術的に余裕があり、冷静な表情としなやかなボウイングが、旋律から落ち着いた情感を引き出している。

感情を完全にコントロールした客観的な解釈の中に、さりげない品の良さを漂わせた魅力的な音楽作りと言える。

アンタル・ドラティ率いるロンドン交響楽団のサポートも巧妙で、彼の指揮は極めて引き締まっており、緻密の限りをつくし、ドライで明確な職人芸を思わせるが、意欲が充実していて迫力に溢れている。

1962年及び64年の録音だが、マーキュリーが誇る高音質録音だけに音質が非常に良く、クリアーだがデリカシー充分で、チェロが眼前で弾いているようだし、オケの楽器も目に見えるようだ。

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classicalmusic at 20:17コメント(0)シュタルケルドラティ 

2019年04月22日


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バルトークの《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》は、数年後にやってくる2度目の世界大戦突入への不安感に蔽われていた1936年に作曲された。

この〈緊張の時代〉を背負った作品の気分を正当に表現し得た演奏として、ナチの時代をしたたかに生き抜き、戦後十余年を経てベルリン・フィルを手中に収め気力の充実し切っていたカラヤンの、1960年の旧録音がまず挙げられる。

カラヤン盤の異常な緊張は、この曲の録音史上で空前のものと言え、楽員と一体になっての音楽の高揚は、時に魂が張り裂けんばかりの悲痛さを伴って、恐怖に近い感動を覚える。

カラヤンは若い頃から、バルトークの研究と演奏に情熱を燃やし続けてきた人で、彼の演奏は、バルトークに対する深い敬愛の念が込められている。

この演奏も、曲の核心に鋭く切り込んだ完成度の高いもので、ひとつひとつの音に精魂を込めながら、一分の隙もなくまとめあげている。

カラヤンはベルリン・フィルの威力を充分に発揮させ、精緻を極めた構成力と、じっくりと腰を据えた演出で、各部を入念に仕上げていて、色彩豊かで、スケールの大きい演奏だ。

全体にわたる緻密な構成と、ディテールの磨きのかかった切り込みの鋭さがクールでホットなバルトークの両面性を彷彿とさせ、この曲の内面性と外面性とのバランスが最もよくとれている。

この戦後の音楽界に君臨した巨人は、あたかも高度成長時代の申し子のように思われがちだが、この演奏は、戦争を知らない筆者のような世代の人間に、彼等が生き抜いてきた時代がどれほど苦渋に満ちたものであったかを伝える貴重なドキュメントだ。

カラヤンの手にかかると、あらゆる音楽が艶美な世界に結びつけられてゆくといった感がないではない。

このヒンデミットの交響曲《画家マティス》にしても、一方では極めて機能的な表現をみせながら、一方ではカラヤンならではの艶やかな語法もまじえながらその演奏が進められていることは否めない。

しかも、その録音は、ベルリン・フィルが彼と初来日した1957年になされているだけに、オーケストラそのものにも、ヒンデミットの強力な擁護者であったフルトヴェングラーの時代の影が確かに残されており、それがカラヤンの演奏に特質を生かしながら呼応しているようにもみえる。

第1楽章「天使の合奏」の天国的な響き、第2楽章「埋葬」の哀しみの場面の感動、そして第3楽章「聖アントニウスの試練」での聖俗あいまみえた魂のドラマが、カラヤンの多彩な棒で十全に描かれてゆく。

確かに素晴らしい演奏であることは疑いの余地はなく、この作品に親しむためには、好適な1枚ということはできよう。

カラヤンはバロックから現代まで、そのときの作品に適応するようにベルリン・フィルの自発性をひきだしてゆく指揮者だったし、楽員はそうしたことをはっきりとおこなってみせた。

バルトークやヒンデミットでの管や打楽器奏者は、カラヤンがいたからこそ自発性を持って卓越した技量を発揮できたのだろう。

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classicalmusic at 20:24コメント(0)カラヤンバルトーク 

2019年04月20日


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フランスのトラヴェルソ奏者、マルク・アンタイが初めてバッハのフルート・ソナタ集を録音したのが1998年で、こちらの新録音が2016年なので18年ぶりの再録音ということになる。

解釈はごく正統的で、以前とそれほど変わってはいないが、兄弟でチェンバロを弾くピエールと同様余裕をみせた品位のある演奏が繰り広げられている。

このアルバムにはバッハの真作とされている4曲のソナタと無伴奏パルティータイ短調のみが収録されていて、選曲にも彼のこだわりが示されている。

前回と異なるのは通奏低音付のホ短調ソナタBWV1034を加えたことだが、ヴィオラ・ダ・ガンバを省略してチェンバロのみの伴奏にしていることだろう。

これは当時の演奏習慣では充分有り得る演奏形態で、特にバッハはチェンバロの左手と右手にそれぞれの声部を与え、実際にはデュエットの形態を採りながらソロ楽器と三声部の対位法の書法を発展させていくソナタを多く遺している。

ここでは大曲ロ短調ソナタがその典型的なサンプルだし、トラヴェルソの調性と機能を最大限に発揮させた作品だが、アンタイ兄弟が自由闊達な表現の中に息の合った素晴らしいアンサンブルを聴かせている。

バロック時代の無伴奏フルート作品の双璧と言えるのがここに収録された大バッハの無伴奏パルティータと息子カール・フィリップ・エマヌエルの無伴奏ソナタの2曲だが、いずれもテクニック的にもまた高度な音楽性においても難曲とされている。

ここでアンタイは前回同様繰り返しをしていない。

これは最後の最高音aの2度の突出を避けるための解決策だろう。

しかし以前にも増して楽器の音色が充分に活かされているように思える。

勿論これは録音技術の進歩のためかも知れない。

使用楽器は名匠I.H.ロッテンブルク・モデルで、2013年にルドルフ・トゥッツの手になるコピーだ。

この楽器は響きが豊かで、音色に高貴さを感じさせるのが特長だが写真から判断すると材質は柘植材のようだ。

チェンバロはバッハのケーテン時代にベルリンで工房を開いていたミヒャエル・ミートケによる1702年製のオリジナルをウィリアム・ダウド及びブルース・ケネディーが復元したもので、余韻が長くややダークで可憐な響きが魅力的だ。

バッハがミートケのチェンバロをケーテン宮廷楽団用に購入したことは良く知られたエピソードだ。

録音はオランダのハーレムで2016年に行われている。

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classicalmusic at 19:54コメント(0)バッハ 

2019年04月18日


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プレヴィンはそのころ音楽監督のポストにあったロンドン交響楽団とのコンビで、チャイコフスキーの3大バレエ全曲盤を1970年代に吹き込んでいるが、これはその後、ロイヤル・フィルに転じて間もなく、57歳になる1986年に14年ぶりに再録音したもので、彼の代表的な名盤のひとつである。

古今の数ある《くるみ割り人形》全曲盤の中でも極めて高い定評を誇る著名なディスクで、指揮者としてのプレヴィンの美点が最も幸福な形で発揮された、スタンダードな名盤と言える内容を示している。

決してとりわけ優美であるとか、ファンタジー的であるという性格ではないけれど、個々のことが整然と把握されており、全体のバランスがよく、洗練されたスマートなプロポーションで、この曲の全貌を展望したような演奏と言えよう。

チャイコフスキーはオーケストレーションが巧いとされ、筆者はこの見解には全面的には賛同しないが、3大バレエの中で、さすが最晩年の作品であるだけに、《くるみ割り人形》こそはその定説を立証するもので、それは組曲よりも全曲を聴いたほうが納得できるはずである。

メルヘン的世界は、舞台上ばかりではなく、音楽とそこに展開されている多彩な音色、そして多様な性格を与えられた主題的素材などにも明確に生きている。

ことに木管楽器や特殊楽器のチャーミングな色彩感は、まさにメルヘンの世界を描くにふさわしい。

この作品が音楽だけによっても広く親しまれている根底には、そうしたことがあることは間違いないが、プレヴィンのこの演奏は、まさにそうしたこの作品の特質を、多様な面から明らかにしてくれるに違いない。

オーケストラに過重なテンションをかけず、柔らかな手つきでそうした夢と音色の世界を描いたプレヴィンは、語り口の巧さといい、音楽的な洗練度といい、文句なしの出来。

彼は、オーケストラのアンサンブルと音色的な表現力を最大限に生かしながら、巧妙な語り口でそれぞれの主題がもつ性格を明快にとらえて語りかけ、随所に現れる美しい旋律を、適切なテンポで心ゆくまで歌わせている。

全曲を通じて、シンフォニックなまとめで、アンサンブルや音色の推移、構成感や対照感を聴かせることを優先し、情緒面を色濃く出している。

色々な踊りを集めた第2幕では、各曲の性格を見事にとらえ、内容豊かに表現し、実に絢爛豪華な気分を盛り上げていて、オーケストラもよく鳴っている。

イージーリスニング的な、気楽なタッチに流れているわけでは決してないが、ムーディで柔らかくふくよかに繰り広げられる音楽には、理屈抜きに、誰の心をも引きつける明快な魅力が満ち溢れている。

バレエ的であるよりはコンサート的な発想に立脚した演奏であるが、その中庸を得た表現の聴きやすさがとにかく捨て難く、リズムが抜群に弾んでいるので、実に面白く聴くことができる。

もちろん、バレエとしての情景と舞曲の構成や、そのコントラストもよく引き出されているが、全体的にみれば、オーケストラルなレパートリーとしてのこの作品の魅力を、華やかに聴かせてくれる演奏と言える。

どの角度からみても、プレヴィンの力量のほどを物語るような安定した出来ばえを誇る内容で、誰にでも躊躇なくお薦めできる。

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classicalmusic at 20:25コメント(0)チャイコフスキープレヴィン 

2019年04月16日


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《ムツェンスク郡のマクベス夫人》は、ショスタコーヴィチが生涯を通じて最も自由奔放な作曲を行った時期の総決算的な意味を持つ記念碑的作品の原典版。

意外にもショスタコーヴィチにはオペラが少なく、完成しているものは3作品で、このうちの1曲は本作品の焼き直し(改訂)だから、結局2曲となり、しかも、この2作は20歳半ばまで書き上げたものだ。

《ムツェンスク郡のマクベス夫人》が1936年の共産党批判を受けたため、ショスタコーヴィチがこの分野の作曲を犂躙鵜瓩犯獣任靴燭燭瓩世蹐Δ?

あまりに凄絶な内容はともかく、西欧の1920年代の前衛手法を巧みに取り込み、ドラマティックな表現力や緻密な構成、そして何より豊潤な旋律線は見事というしかない。

もしショスタコーヴィチが爛ペラ作曲家瓩箸靴導萍していたら、20世紀のオペラ史はかなり違ったものになっていただろう。

いずれにしても、同じ作曲家の6年前の佳作《鼻》などとは格違いの、20世紀のオペラの最高傑作のひとつである。

体制に抹殺されていたこの傑作のパリ初演の成果に基づくチョン・ミュンフン盤は、非常に優れた演奏である。

ダイナミック・レンジの大きな表現、歌と管弦楽のバランスも素晴らしく、この指揮者の緻密な音楽づくりと劇的センスの良さを強く印象づける。

このオペラには、太い描線で、濃く演奏するやり方があるとは思うけれど、もちろんチョン・ミュンフンはそうしてはおらず、細部のニュアンスを見事に拾い出す。

ここでも、さまざまなパロディやら何やらを投入して、まじめさと冗談の奇妙に混ざり合ったショスタコーヴィチの音楽を巧みに描いていくが、その際の手際の良さは大変なものだ。

このように作品の鮮烈さとともに叙情的な面にもよく配慮しながら入念緻密な音によるドラマを造形してゆくチョンは、刺激的な現代技法が隠し味に回る終幕が特に素晴らしい。

ここでちょい役の老囚を演じるクルト・モルの歌にただよう存在感もチョンの解釈を引き立てている。

20世紀を代表する傑作オペラの1つなのだと、この演奏なら得心がゆくし、暴力や性のオペラ化も、これならいける。

そして、この演奏の強みは、キャストがそれぞれ巧妙に歌で演技していることだろう。

性格的な役柄を得意にするユーイングをはじめ、ツェドニク(農民)、ザレンバ(ソニェートカ)、モル(老囚人)など、脇役まで隙のないキャストも充実している。

特にカテリーナを歌うマリア・ユーイングは、申し分なく魅力的な悪女になっていて、それに指揮者が同情の眼差しを注いでゆく。

あの手この手を繰り出して、暗いドラマを楽しませてしまおうとするショスタコーヴィチの狙いは、この演奏で存分に生かされることになった。

録音も歌唱と管弦楽のバランスに優れ、決別したチョンとパリ・オペラ座バスティーユの残した見事な記録でもある。

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classicalmusic at 20:09コメント(0)ショスタコーヴィチ 

2019年04月14日


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ジネット・ヌヴー(1919-49)の録音集は既にコンプリート・スタジオ録音4枚組がドキュメンツからリリースされているが、ヴェニアスによってライヴを含めた彼女の1938年から49年までの音源が、よりインテグラルな形で纏められた。

1935年のヴィエニャフスキ・コンクールで僅か15歳だったヌヴーが26歳のダヴィッド・オイストラフを抑えて優勝したエピソードは両者のキャリアが語られる時、必ずと言っていいほど引き合いに出されるが、実際にはこの2人の演奏スタイルはデュオニュソスとアポロンに喩えても良いほど異なっている。

少なくともこの時期のヌヴーは強い感性に導かれるままに演奏しているように思える。

それは天才だけが成し得る技には違いないのだけれど、一方でオイストラフはクラシックの将来の演奏様式を先取りするような個性の表出を避けた高踏的な解釈が特徴だ。

残念ながら彼女は円熟期を迎えることなく夭折したので、その後どのような演奏を開拓したかは知る由もない。

しかしここに示された作品にのめり込むような濃密な情念はヌヴー若き日ならではの奏法だ。

しかも彼女は、当時としても稀有な、音楽に対する烈しい情熱と深い洞察力、解釈を構成する夥しい精神と明晰な知性をそなえており、並外れた自発性と詩的感覚がそれを支えている。

このようなテンペラメントは確実な技巧と結びついて、スケールの大きい、力強い演奏を生み出した。

彼女がベートーヴェン、ブラームス、シベリウスの協奏曲で、戦前からの巨匠に伍して充実した演奏をしたのもそのためである。

中でもイッセルシュテット、北西ドイツ放送交響楽団のサポートによるブラームスは白眉で、何かに憑かれたような激しさが聴く者を圧倒する。

2年前のスタジオ録音も構成力と感情表現のバランスが見事であったが、それに比べてライヴ録音の緊張感が演奏にいっそうの輝きを与えていて、臨場感があり、高揚した精神が演奏の隅々まで行き渡っている。

その反面、第2楽章では旋律を優美に歌わせて優美な情感を引き出している。

それはあたかも短く燃え尽きる彼女の人生を予感しているようで感慨深い。

ドラティ、ハーグ・レジデンティ管弦楽団のサポートによるブラームスは、3種類ある彼女の録音の最後であるが、彼女の演奏がますます充実してゆくのがよくわかる。

ブラームスのロマンティシズムを健康な精神と結びつけた彼女の解釈は、この曲の理想的な演奏を生み出している。

ロスバウト、南西ドイツ放送交響楽団のサポートによるベートーヴェンでも、彼女の力強い個性は、雄渾な解釈で、この音楽にあらゆる面から迫っている。

第2楽章の優美な表情は、彼女の幅広い、そして深い感情移入を示している。

ジュスキント、フィルハーモニア管弦楽団のサポートによるシベリウスも素晴らしく、この曲のロマンティシズムを線の太い解釈で豊かに表現し、テクニックもしっかりとしており、現在もこの曲の代表的な演奏の1つである。

得意としたフランス近代音楽でも、彼女は決して感覚的な魅力を求めていない。

ここに収められたショーソン、ドビュッシー、ラヴェルの音楽は、豊かな感情を伴って聴き手に語りかける。

今日でも、30歳でヌヴーほどの存在感を持ったヴァイオリニストは思い当たらないし、彼女は、他のヴァイオリニストが40代、50代で到達する精神的な深さを獲得していた。

それだけに、遺された録音を聴くことは大きな幸福であり、それは常に畏敬と驚きを喚び起こす。

彼女の芸術は、彼女の性別・年齢を超えて訴えかけるし、また、大曲、小曲にかかわらず、彼女の演奏は充実していて、狄燭侶歃儔鉢瓩箸枠狃に対して使われる言葉である。

ヌヴーはモーツァルトのように短い生涯を駆け抜けたが、あるいは彼女の生涯を見越して天がこのような充実感と完成度を与えたのであろうか。

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classicalmusic at 19:58コメント(0)ブラームスベートーヴェン 

2019年04月12日


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カッチェンのピアノ、スークのヴァイオリン、シュタルケルのチェロという名手によるブラームスのピアノ・トリオは音楽的な美しさから言えば現在でも第一線に挙げられる演奏だ。

1967年から68年にかけての録音であるにも拘らず、三者の楽器の音色を生々しく捉えた臨場感のある音質は、当時のデッカの技術水準の高さを証明している。

特に音色の美しさではこのトリオは群を抜いて素晴らしく、また彼らの高い音楽性は馥郁とした薫りを放っていて、聴き手に幸福感をもたらしてくれる。

初めてこれらの曲を聴く方にも躊躇なくお勧めできる。

この3人のコンビの演奏の特色は、ピアノ中心の情感豊かな演奏ということになるだろう。

カッチェンの並外れた演奏技術と音楽の大きさがそうさせるのだろうが、ピアノがやや勝ちすぎの感がなくもない。

ソロの演奏ではエネルギッシュで爽快な印象のあるカッチェンだが、それでもこうしたアンサンブルでは驚くほど抑制を効かせたピアノ・パートに徹している。

トリオ第1番の冒頭の溜息をつくようなピアノの導入に、静かに歌いだすシュタルケルの第一声と、それに重なるスークのヴァイオリンがなんとも素晴らしい。

また第3番のようなドラマティックな曲想の再現でも、彼らはよりリリカルな表現を基本にしているようだ。

CD2枚目の後半では、シュタルケルとのチェロ・ソナタ第2番が入っている。

カッチェンの早過ぎる死によってもう1曲のソナタが録音されずじまいになったのは残念だが、シュタルケルは1978年にジェルジ・シェベックと全2曲のソナタを再録音している。

最後に収められているヴァイオリンの為のスケルツォは、シューマン、ディートリヒとの共作によるヴァイオリン・ソナタの第3楽章をなすもの。

カッチェンがスークと1967年に録音したブラームスの3曲のヴァイオリン・ソナタと時を同じくして行われたセッションのものと思われるが、おそらく収録時間の関係でこちらに入っているのだろう。

カッチェンとシュタルケル、カッチェンとスークの二重奏は録音が古いためか、弦よりもピアノが前面に出てきて、カッチェン主役の傾向を一段と強めている。

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classicalmusic at 20:01コメント(0)ブラームスカッチェン 

2019年04月10日


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ロシアを代表する巨匠指揮者コンドラシンが1981年に南西ドイツ放送交響楽団を指揮してマーラーの交響曲第6番『悲劇的』を演奏したアルバムは、彼が世を去る2ヶ月ほど前にバーデン=バーデンで行われたライヴの模様を収録したものである。

コンドラシンは旧ソヴィエトのオーケストラとマーラーの第2番及び第8番を除く交響曲集を録音しているが、当時の西側に活動の本拠地を移してからも、機会に応じて頻繁にマーラーを採り上げている。

このディスクは2011年にリリースされたCDのライナー・ノーツの表紙を一新したリイシュー盤で、1981年に制作された放送用音源だったためか、音質では78年のレニングラード・フィルとの録音よりはるかに優っている。

レニングラード・フィル盤も極めて緊張感に満ちた迫真の内容を聴かせていたたが、この南西ドイツ放送交響楽団盤は、前回との比較では、全曲で2分半ほど演奏時間が拡大した結果、細部のより克明な表現が印象的な仕上がりとなっている。

手元にあったハイティンク、コンセルトヘボウ、クーベリック、バイエルン放送交響楽団及びアバド、ベルリン・フィル盤と聴き比べてみたが、コンドラシンが一切の弛緩を許さない、恐るべき緊張感の中に音楽の必然性を感じさせて卓越している。

クーベリックも激情的な演奏だが、オーケストラのやや強引な牽引という印象を否めない。

勿論アバドの極彩色で華麗な音像絵巻のように仕上げた、巨大なスケールのベルリン・フィルの演奏もマーラーの壮大な音楽的構想を映し出していて素晴らしい。

演奏時間をみてもコンドラシンが最も短く、全曲を通して68分ほどだが、第1楽章から立ち上がりの凄まじさを聴かせながら、終楽章は他の指揮者を圧倒して25分と破格に速い。

また多くの指揮者はスケルツォを第3楽章に入れ替えて第4楽章との相乗効果を狙うが、彼はクーベリックと同様に緩徐楽章アンダンテを第3楽章に置いて、フィナーレとの対比を図っている。

アンダンテはマーラー特有の半音階を使った詠嘆調のメロディーが同時期に作曲した『亡き子を偲ぶ歌』の死生観と相通じていることを感知させるが、ここでのコンドラシンは緊張感を保ちながら比較的落ち着いて歌わせている。

この作品のオーケストレーションではシロフォン、銅鑼、ベル、カウベル、ハンマーやスレイベルなどおよそありとあらゆる打楽器を取り入れた多彩なパーカッション群のサウンドも、殆んど狂気と紙一重のマーラーの精神状態を反映していて興味深い。

特に終楽章で波状的に現れる、荒れ狂う疾風怒濤のような曲想では、コンドラシンは南西ドイツ放送交響楽団の機動力をフルに活用して、全く破綻のないクライマックスを築き上げている。

1981年3月7日、コンドラシンは急遽テンシュテットの代役として、アムステルダムのコンセルトヘボウでハンブルク北ドイツ放送交響楽団を指揮し、マーラーの交響曲第1番を演奏したのを最後に、演奏会終了後に心臓発作を起こして帰らぬ人となってしまったが、最後の演奏会のプログラムが他ならぬマーラーであったというのも、この名匠のなんとも象徴的な最期としてあまりに有名だ。

かつては演奏機会も限られていたマーラーの音楽がポスト・スターリン時代になってようやく一般的になり始めたばかりの旧ソビエトで、マーラー受容を牽引する役割を担った第一人者がコンドラシンであった。

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classicalmusic at 20:01コメント(0)マーラーコンドラシン 

2019年04月08日


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タワー・レコードのデフィニション・シリーズとしてSACD化されたマルケヴィチ率いるフィルハーモニア管弦楽団によるストラヴィンスキーの『春の祭典』、チャイコフスキーのバレエ組曲『くるみ割り人形』及び幻想序曲『ロメオとジュリエット』の3曲を収録したアルバムになる。

いずれも1959年ロンドン・アビー・ロード・スタジオでのステレオ・セッション録音で、EMIの初期ステレオ録音としては極めて良好な音源が、ハイブリッド仕様ながらDSD編集とリマスタリングによって鮮明に甦っている。

『春の祭典』では特にブラス、ウィンド・セクションの分離状態が良く、音場の奥行きにも不足していないし、『くるみ割り人形』ではチェレスタやパーカッション群の高音が無理なく伸展していて、繊細で心地良い響きが得られている。

『春の祭典』ではマルケヴィチの怜悧でシャープな感性が全盛期のフィルハーモニアの機動力をフル回転させて、ストラヴィンスキーの斬新で刺激的な音楽的創意をまざまざと見せつけている。

例の当時話題となったブーレーズ指揮、フランス国立放送管弦楽団盤よりも、約4年も先立つものであるというのは、充分に注目していい。

作曲者が望んだ通り、いかにも苦しそうにファゴットが吹き始め、ブーレーズの原型とも言える壮絶な演奏で、1959年時点におけるその緻密なリアリゼイションは感動的である。

マルケヴィチは透徹した眼差しを細部にまで行き渡らせながら、力強いリズム、大胆な色彩感、エネルギッシュなパワーと引き締まった構成力で、ブーレーズとは違った角度からこの難曲に挑戦し、それに成功している。

この作品は、優れた踊り手たちのためのバレエ音楽であり、同時に、初演時に一大スキャンダルを呼んだ20世紀前半の革命的な音楽だった。

この両方が納得できる鋭い切れ味と熱気が両立した演奏で、この作品が生まれた当時の息吹きをそのまま伝えているかのようだ。

『くるみ割り人形』はそれぞれの曲に非常にすっきりした輪郭が示されていて終曲『花のワルツ』も比較的快速のテンポを取って爽やかさを醸し出しているが、『ロメオとジュリエット』では巧みにテンポを動かして情動的な激しさも示されている。

マルケヴィチの曲想への踏み込みはたいそうラジカルで、スコアから鋭い洞察力で音楽を読み取る彼らしい手法だ。

筆者が『春祭』を初めて聴いたのは中学生の頃で、それがこのマルケヴィチ盤だったこともあって、その時の鮮烈な印象は今でも記憶に残っている。

録音状態から考えれば、その後ディジタル録音によるさまざまな指揮者、オーケストラによる同曲のCDがリリースされ、音質においてそれらの殆んどがこのディスクを凌駕しているのは明らかだが、当時音源の選択肢も知らなかった筆者が幸運にもマルケヴィチの演奏を聴いたことで、現代音楽に強い興味を持つという結果になった。

彼が『春祭』のスペシャリストで、来日時の演奏会が、我が国の音楽ファン、そしてオーケストラ関係者に強烈なインパクトを与えたことを知ったのは随分後のことだ。

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classicalmusic at 20:32コメント(0)ストラヴィンスキーチャイコフスキー 

2019年04月06日


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この2枚は2007年にコリン・デイヴィスが手兵ロンドン交響楽団を指揮したハイドンのオラトリオ『天地創造』全曲盤で、彼らの本拠地バービカン・ホールでの一連のライヴ演奏からの音源を自主制作でハイブリッドSACDシリーズとしてリリースしているアルバムのひとつになる。

次々に刊行されているこれらのディスクの総てが名演というわけにはいかないが、いずれも一定の高い水準を保ったコンサートでの彼らの力量が示されている。

録音状態はライヴながら客席からの雑音は全く聞こえない理想的な環境が保たれている。

特にSACDバージョンで聴くと明瞭な音質と抜けるような音の開放感が従来のCDと異なっていることが感知される。

この作品のようにオーケストラに3人のソリスト及び混声合唱が加わる大編成のオラトリオでは、総奏の時にレギュラー・フォーマットのCDでは音響が濁りがちになる傾向があるが、音像の独立性でもSACDの効果が表れているし、レチタティーヴォ・セッコのチェンバロ伴奏も繊細に響いている。

ハイドン円熟期のオーケストレーションが駆使された『天地創造』は、神の祝福に溢れた世界の創造と言う構想によって作曲されている。

直截的にキリスト教的世界観で彩られた内容と、絵画的ともいうべき巧みな手法でわかりやすく活写される動物たちの魅力や、大合唱が動員されて聴き映えすることなどから、欧米ではとりわけ人気も高く特別な作品として迎えられている。

こうした作品だけに『天地創造』は、優れた腕前で声楽作品を意欲的に取り上げてきたデイヴィスに相応しいものと思われる。

この演奏の特色としてデイヴィスはヴァイオリン両翼型配置(舞台下手から第1ヴァイオリン、チェロ、指揮者のすぐ正面に通奏低音、ヴィオラ、第2ヴァイオリン、上手奥にコントラバス)を選択し、ヴィブラートを控えめに、明らかにピリオド・アプローチを意識したアプローチを行っている点が注目される。

それだけにデイヴィスの表現は全体的に明るく、スケールの大きさよりもスコアの読みのきめ細かさに特徴のある演奏だ。

中でも第29番の混声合唱による二重フーガ『アレルヤ』では、精緻でありながら力強く歓喜に満ちた表現でこの作品のクライマックスを形成している。

ソリストにも実力派の歌手が揃っていて、中でも天使ウリエル役のイアン・ボストリッジは当時全盛期だったこともあって、流石に文学的にも巧みな歌唱と爽やかな声でこのオラトリオの価値を高めている。

彼はオペラ向きの歌手ではないにしても、宗教曲や歌曲のジャンルでは独自の才能を発揮しているテノールか主としては稀な存在だ。

尚ライナー・ノーツには全曲の英語歌詞対訳が掲載されている。

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classicalmusic at 20:46コメント(0)ハイドンデイヴィス 

2019年04月04日


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デッカ時代のズービン・メータがイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したベルリオーズの『イタリアのハロルド』及びブロッホの『荒野の叫び』の2曲を収録したオーストラリア・エロクエンス盤。

特に後者ではメータによって引き出されるブロッホの鮮烈なオーケストレーションに支えられたシュタルケルの超然としたソロが印象的だ。

彼のチェロにはコダーイを弾く時に感じられる一種近寄り難い緊張感とオーラを放つような神々しさがある。

エルネスト・ブロッホのチェロとオーケストラのための交響詩はこれに先行してにヘブライ狂詩曲『シェロモ』があり、それは作曲家がソロモン王の彫像からインスパイアされた作品だ。

このディスクに収録された『荒野の叫び』は、イザヤ書で洗礼者ヨハネの到来を予言した『荒野に呼ばわる者の声がする。主の道を整えよ・・・』から着想を得た曲らしい。

どちらも旧約聖書に基く人物だが、作曲された1936年はヒトラーの独裁政権成立の2年後で、ユダヤ人だったブロッホはそうした迫り来る危機感を感じ取っていたのかも知れない。

1968年の録音だが鮮明な音質で作曲家のイメージしたであろうサウンドが燦然と映し出されている。

イスラエル・フィルも同胞の作品ともなれば、演奏上のモチベーションが上がるのは当然だろう。

デッカには同一メンバーによる『シェロモ』の音源もある筈で、そちらのCD化も望みたい。

ベルリオーズの方のソロはテル=アヴィヴ出身で当時イスラエル・フィルの首席ヴィオラ奏者だったダニエル・ベンヤミニで、彼はメータの推薦でパリ管弦楽団にも席を置いている。

ヴィオラをソロに扱う作品自体稀少で、しかも『イタリアのハロルド』は名人芸を披露する協奏曲のような作風ではなく、むしろオーケストラの充実ぶりを聴かせる曲であり、ロマンティックな雰囲気と色彩的な響きに、うねるような旋律が大きな魅力だ。

ベンヤミニのソロは第2楽章のカンタービレに彼の豊かな音楽性と流麗で温かみのある音色が相応しく、淀みのない安定したテクニックが冴えていて、メータが高く評価していたことを納得させる演奏だ。

ところで広範なレパートリーを誇る指揮者としてオペラにコンサートに精力的な活動を展開しているズービン・メータであるが、日本でその名前が知れ渡ったのは1960年代後半からのレコーディングによるところが大きいと言えるだろう。

ちょうどメータにとっても登り調子がとどまるところを知らなかった時期で、ここでも、豊かな表情付けと逞しい運動性、隅々まで血の通った新鮮な明るさ等々、デッカの優秀なステレオ録音も相俟って、この時期こそメータの最盛期とする世評にも思わず頷きたくなる快演だ。

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classicalmusic at 20:08コメント(0)メータシュタルケル 

2019年04月02日


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ルドルフ・ケンペがシュターツカペレ・ドレスデンとの長いコラボで遺した名演と言えば、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲集がその代表格だが、ヨハン・シュトラウスを始めとする際物的な軽いレパートリーも少ないながら存在する。

その音源をUHQCD化したものがこのディスクで、わずか6曲、収録時間47分というのはいくらか短い気もするが、他には同メンバーによるセッション録音はないようだ。

1972年から翌73年に彼らのレコーディングの牙城ルカ教会で収録したもので、当時の首席指揮者はブロムシュテットだったので客演だが、勿論ドレスデンはケンペの古巣でもある。

録音状態は極めて良好だ。

ちなみにケンペはこうした曲目を1958年と60年にウィーン・フィルともEMIに録音していて、それらは英テスタメントからリリースされた12枚組のCD7に収録されている。

聴き比べるとドレスデンはウィーン・フィルほど洒落っ気や遊び心はないし、団員自身が愉しんでいるような開放感もウィーン・フィルには敵わないだろう。

ワルツで二拍目の後打ちを先取りするウィーン流のリズムの取り方はドレスデンも試みているが、これもウィーン・フィルの方が板についているのは当然だ。

しかし決して野暮ったい印象はなく、ケンペの統率によって誠実な姿勢が貫かれている真摯な演奏だ。

ウィーン風の優雅なスタイルとは異なり、ここではケンペの生き生きとしたタクトがドレスデンならではのドイツ風の美感を十二分に引き出している。

むしろアンサンブルの正確さや知的にオーガナイズされたダイナミズムではドレスデンが優っている。

ケンペはある程度ウィーン・フィルの即興性や自主的な表現に任せていて、細かい指示を出さなかったのかも知れない。

また音質では音源が新しいことに加えてUHQCD化されているので、こちらの方が俄然優位だ。

特にケンペが得意としていた『金と銀』に感じられるしみじみとした幸福感は素晴らしく、未だに同曲中最上の名演と言える。

ティロル地方の民族楽器ツィターのソロが入る『ウィーンの森の物語』も独特の雰囲気を醸し出していて秀逸だ。

彼らの演奏からもウィーンへの憧憬が伝わってくるようだ。

大規模な管弦楽作品やオペラだけでなく、こうした庶民的な小品にも絶妙な音楽性を示したケンペの手腕に改めて感心させられるアルバムになっている。

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classicalmusic at 19:52コメント(0)ケンペシュトラウス 
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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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