2019年06月
2019年06月29日
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ナポリ派のオペラ隆盛期にドイツで聖職者として作曲を続け、ヘンデルにも多大な影響を与えたイタリア人、アゴスティーノ・ステッファーニの作品集。
ここ数年チェチリア・バルトリは古楽のレパートリーを開拓して隠れた名曲を発掘することに余念がないが、このアリア集はこれまでに彼女が採り上げた最も古い時代のもので、脂の乗り切った現在のバルトリの力量を示した1枚だ。
当然カストラートの歌唱を前提に作曲されたアリアはコロラトゥーラの華麗な技巧を駆使したパッセージとリリカルなカンタービレが対置されているが、彼女の敏捷なアジリタのテクニックと晴れやかな歌唱は当時の歌手達のベル・カント唱法を彷彿とさせるものがある。
ボーイ・ソプラノとしてキャリアを積んだ作曲者自身がカストラートだった可能性もライナー・ノーツで指摘されているが、それについての明確な記録は残されていないようだ。
またこの曲集ではトラック6,12,18,23にフランスのカウンター・テナー、フィリップ・ジャルスキーとのデュエットが収録されている。
いくらか変わった顔合わせだが不自然さはなく、古楽の専門家としてのジャルスキーのスタイリッシュでデリケートなソプラノにバルトリのメゾが絶妙に絡んでいる。
オーケストラはスイス生まれでオルガニストでもあるディエゴ・ファソーリス率いるイ・バロッキスティで、スイス・イタリア語圏のメンバーで構成された文字通りバロック音楽専門のピリオド楽器使用の合奏団だ。
指揮者の指導もあってアンサンブルは良く鍛え上げられていて、特に管楽器がはいるアリアではバロック特有の絢爛豪華な音色を堪能させてくれる。
コーラスはスイス・ラジオ・テレビ放送合唱団。
尚この限定盤デラックス・バージョンはハード・カバーのブックレットに綴じ込まれたタイトな紙製スリーブにCDが収納されている。
ブックレットの方はカラー写真入りで163ページあり、作曲家、聖職者、そして外交官としても当時のヨーロッパで暗躍したとされるアゴスティーノ・ステッファーニへの考察が英、仏、独語で掲載され、後半にはイタリア語全歌詞の対訳が同様に三ヶ国語で付いている。
アメリカの女流ミステリー作家でヴェネツィア在住のダナ・レオンの小説『天国の宝石』が着想を得たとされる今回のプロジェクトは、いずれDVDでも発売されるようだ。
その他に同CDのスタンダード盤、ダナ・レオンの小説がそのまま一冊付いた豪華版や2枚組のLP盤が同時リリースされている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
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1983年にイスラエルのテルアビブで開催されたフーベルマン・フェスティヴァルの録画が2枚のDVDに収録されている。
絹のような弦で名を知られている現在のイスラエル・フィルハーモニーの母体になるパレスチナ管弦楽団の生みの親であるブロニスワフ・フーベルマンを記念したコンサート。
参加した顔ぶれは音楽監督のズービン・メータを筆頭にアイザック・スターン、ヘンリク・シェリング、イヴリー・ギトリス、イダ・ヘンデル、イツァーク・パールマン、ピンカス・ズッカーマン、シュロモ・ミンツ等。
まさにユダヤ系名ヴァイオリニスト全員集合といった感じだが、それだけに演奏水準も非常に高く充実した演奏会になっている。
ヴァイオリン好きにはこたえられない映像がたっぷり224分も収録された盛りだくさんな内容は圧倒的だ。
堂々たる風格のシェリングのチャイコフスキーは、円熟期の彼の芸風を堪能できる。
また爽やかな美音が冴えるミンツのメンデルスゾーン、師弟の協演になるスターンとミンツのバッハの2つのヴァイオリンの為の協奏曲等、興味の尽きないプログラムが続く。
ヴィヴァルディの4つのヴァイオリンの為の協奏曲ニ短調ではソロの一番手にスターン、二番手ギトリス、三番ヘンデル、そして四番がミンツという豪華ソリスト陣も聴き逃せない。
パールマンとズッカーマンが協演するモーツァルトの協奏交響曲はヴァイオリンとヴィオラが実に息の合ったデュエットを聴かせる。
そこでは内省的で殆ど無表情のズッカーマンと享楽的で表情豊かなパールマンが視覚的に好対照を成している。
指揮者メータは後の3大テノールの時と同様、裏方に回り、引き立て役に徹しているかのようだ。
映像が古いので、画像の鮮度はやや落ちるが、それを凌駕する演奏のクオリティーである。
音質が部分的に多少均一でない箇所もあるが、この手のライヴとしては許容範囲だろう。
尚リージョンコードはフリーの筈だが購入前の確認をお勧めする。
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2019年06月28日
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2015年秋にリリースされたストラヴィンスキーのコロンビア・レーベルへの自作自演集DVD付56枚組で、総てがリマスタリングされた良質の音源になる。
2016年グラモフォンを始めとする大手メーカー数社からもストラヴィンスキー作品集がリリースされた。
このソニー盤の特徴は総ての音源が作曲者自身によってオーガナイズされたオリジナル録音集で、リハーサルや談話、歌曲も交えた全集は、ストラヴィンスキー自身の指揮はもとより、ピアノ演奏まで含む。
指揮は一部ロバート・クラフトに替わるが、当時の第一級の演奏者を揃えていることでも他のレーベルに引けを取らない極めて充実した演奏内容を誇っている。
まさに20世紀最大の作曲家の歴史的な公認演奏の集成で、これ1巻あればストラヴィンスキー作品の全貌を知ることができるが、ほかに名演・秀演があるなかで、やはり作曲家自身の演奏は計り知れない価値を有している。
演奏としても、余分な解釈の追加を嫌ったストラヴィンスキーの思想が明確に示されている。
例えば『春の祭典』など、これ以上の演奏はないと言えるほど乾いた表情が端的な迫力をあらわし、この作品が誕生したときの衝撃的な意味を明らかにしている。
個人的には作曲家自身による演奏が必ずしもその作品の理想の姿を反映させているとは考えないが、ひとつの模範的な解釈には違いないだろう。
ストラヴィンスキーの演奏は一口に言ってシンプルそのもので、彼が頭脳に描き出した音響をダイレクトに再現していると言ったらいいだろうか。
それは彼が根っからの新即物主義者だったことを証明する結果にもなっている。
また当時アメリカ合衆国を訪れた作曲家が殆んど例外なく影響を受けたジャズからのエレメントも積極的に取り入れていて、それは実にカラフルなタッチで彩られた『エボニー協奏曲』として実を結んでいる。
大部のストラヴィンスキー・ファンには、リーズナブルな価格で彼の自作自演盤をコレクションできる大全集してお薦めしたい。
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2019年06月27日
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ベートーヴェンの『変奏曲ヘ長調』Op.34、同ニ長調Op.76及び『プロメテウスの創造物による15の変奏曲とフーガ変ホ長調』Op.35は1970年にザルツブルクでオイロディスクに録音したセッションになる。
カップリングされたシューマンの『ノヴェレッテ』第2番ニ長調、第4番ニ長調、そして第8番嬰へ短調の3曲は79年に東京厚生年金会館ホールでのライヴになる。
いずれもリマスタリングされた音質はきわめて良好で、リヒテルの多彩な表現力が縦横に駆使された優れたアルバムになっている。
またピアノの音色の美しさとその対比も周到に考えられていて、彼の音に対する鋭い感性が窺える。
ベートーヴェンの『変奏曲ニ長調』では自作の劇付随音楽『アテネの廃墟』からの「トルコ行進曲」がそのままテーマとして使われているが、ヘ長調の方では流麗に仕上げ、この曲では鮮やかな対照を際立てるリヒテルのテクニックは流石だ。
彼はこの曲を気に入っていたらしくコンサートでしばしば取り上げたが、普段それほど演奏される機会に恵まれていないので貴重なサンプルでもある。
一方フーガのついた大作変ホ長調のテーマは後に交響曲第3番『エロイカ』の終楽章にも再利用されているだけに、リヒテルも当然そのピアニスティックな効果を意識したスケールの大きな表現が聴き所だ。
各変奏の鮮やかな性格対比があるうえに、作品全体を通してベートーヴェンが意図した統一と集中が達成されていて、この2つが相乗効果を発揮して、緊迫した音楽的瞬間を生み出している。
まさにベートーヴェン弾きとしてのリヒテルの面目躍如たる名演で、この演奏は“音によるドラマ”にほかならず、ここまで変奏曲を深めてくれるピアニストは珍しい。
ライナー・ノーツは見開きの3ページのみで典型的な廉価盤仕様だが、演奏の内容は非常に価値の高いものだ。
音源は英オリンピアからのライセンス・リイシューになり、ミュージック・コンセプツ社では特に音質の優れているものを選んでアルト・レーベルから供給しているようだ。
尚前半3曲のベートーヴェンに関してはザルツブルクと書かれている以外は録音場所が明記されていない。
ホールを限定することはできないが、その潤沢な残響とピアノの音色からして、彼が好んで訪れたクレスハイム城内で行われたことが想像される。
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2019年06月26日
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芸術至上主義が咲かせたあだ花とでも言うべきカストラート歌手の為の作品を集めたアルバム。
このCD+DVDデラックスエディションには名声を極めスペイン国王の寵児となった歌手ファリネッリの兄リッカルド・ブロスキや、ヘンデルそしてジャコメッリといった作曲家達のオペラからアリア3曲が加えられている。
更にライナー・ノートには英、仏、独語によるリブレットの他にカストラート・レキシコンが設けられ、多くの貴重な図版と共に代表的な歌手達の略歴や当時の作曲家が残したカストラートの為の作品が列挙され、彼らの歴史が簡潔に理解できるようになっている。
チェチリア・バルトリの得意とするアジリタの技巧が冴え渡った、往時のカストラート歌手の目眩くような歌唱をイメージさせる超絶的なコロラトゥーラと、感情の起伏を自在に表出させるリリカルなカンタービレが最大の聴き所だ。
それを支えるジョヴァンニ・アントニーニ率いるイル・ジャルディーノ・アルモニコの伴奏がいやがうえにもエキサイティングでスリリングな雰囲気を盛り上げている。
DVDにはCD、SACRIFICIUMの映像版だが選曲ではCDと同様の録音が9曲、それにポルポラのシンフォニアを新たに加えている。
撮影はナポリ近郊にあるカセルタの王宮付属の劇場で行われた。
特に凝った演出ではないが、舞台の奥にカメラを設置してバルトリを客席に背を向けて歌わせることによって、背後に馬蹄形の豪華な客席が映し出されているのが特徴だ。
更に興味深いのは、このDVDのボーナス編に収録されている彼女自身の語るカストラート歌手についての歴史的エピソードだ。
1700年代のイタリアでは最盛期には年間4000人もの変声期前の少年たちが去勢された。
それは息子を歌手に成長させて一攫千金を夢見た貧しい両親や、音楽院の指導者達によって音楽芸術への奉仕という大義名分の下に実行された一種の生贄だったと言える。
手術後彼らは直ちに総合的な音楽教育を受け、声楽のみならず器楽の奏法や作曲も学んだ。
しかしカストラート歌手としての栄光を手にしたのは彼らの世紀を通じても100人程度だという。
尚バルトリ自身は英語で話しているが、字幕スーパーは仏、独、伊、西語が用意されている。
ボーナス編ではまたこの王宮の見どころが堪能できるのも魅力だ。
カセルタの王宮は当時のナポリ王であったスペイン・ブルボン家のカルロス3世の要請で1752年に着工された内部1200室と更に120ヘクタールの壮大な庭園を持つ、ヨーロッパではパリのベルサイユ宮殿に続く大宮殿で、現在ユネスコの世界遺産としても登録されている。
この王宮内にある劇場は比較的小規模ながら、その内部装飾の豪華絢爛さはまさにロイヤル・シアターの名に相応しいものだ。
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2019年06月25日
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この笑話集を読み解くにはある程度の予習が必要であることを断っておかなければならない。
先ずここに集められた話の主人公ティル・オイレンシュピーゲルが中世時代に差別を被っていた賤民だったことに注目すべきだろう。
これについては非常に奥の深い歴史的事情が関わっているので、阿部氏の中世シリーズの著作を読むに越したことはないが、ティルは階級社会から見捨てられた放浪者で市民たりえない下層のランクに位置付けられていた人間だった。
しかし賤視されるに至った職業は元来人間の制御できない世界との仲介となる、例えば死刑執行人、動物の皮剥人や放浪芸人などで、彼らは意外にもキリスト教の徹底した布教によって世の中の片隅に追いやられてしまう。
そしてティルに一杯食わされるのは領主やカトリックの高位聖職者、あるいは富裕な商人達は勿論、庶民にもその鉾先が向けられる。
しかもその手段にはスカトロジックな戦法が容赦なく続出する。
それはティルの権力への価値観を見事に表明していると同時に、権力におもねる者や階級社会に隷属する人々への痛烈な反感を示しているが、また著者は非常に注意深くこのことを『中世賤民の世界』のなかでも言及している。
阿部氏によれば中世の人々は人間によって制御できる小宇宙と制御不可能な大宇宙との係わり合いで生きていた。
そして大宇宙をも制御できると思い上がった者は、それによって翻弄される結果を招く。
ここでティルに振り回される人々は、自分自身自覚していないにせよ、まさにそうした連中なのだ。
中世時代には、人の体に空いている穴は小宇宙たる人間が大宇宙と結び付く場所として捉えられていた。
それゆえ人は口から大宇宙からのものを体に取り込み、肛門から大宇宙に戻すという営みを続ける。
ティルのストラテジーも単に人々に汚物をぶちまけて仕返しをするという意味の他に、それが最後に返るべき大宇宙に返す行為であることにも気付かなければならないだろう。
また言葉の遊びも随所に現れる。
ドイツ語の方言による行き違いや、名詞の意味の取り違いなどでもティルは意気揚々と相手をへこませる。
第60話ではワインをくすねたかどで絞首刑を宣告されたティルがやすやすと解放されるが、ここでもこの時代特有の風俗習慣を理解していないと落ちが分からない。
いずれにせよ注釈がかなり丁寧に付けられているので、短い話でもその都度理解しながら読み進めていくことが望ましい。
この訳出ではティルの誕生からその死に至るまでのエピソードが阿部氏によってクロノロジカルに整理され、話の進行が分かり易くその前後関係も明らかにされている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2019年06月24日
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ダヴィッド・フレーとの前作『Swing Sing and Think』でも監修を担当したブリューノ・モンサンジョン監督が、今回はモーツァルトの2曲の協奏曲での彼らのリハーサル及びレコーディングの模様を163分の作品にまとめあげたDVDになる。
これらはいずれもCD制作時の副産物的なドキュメンタリーである為に、目立った演出効果を狙ったものではない。
むしろフレーと指揮者ヴァン・ズヴェーデンそしてフィルハーモニア管弦楽団のありのままの録音風景が、独特のカメラ・ワークで捉えられている。
しかし彼らがあたかもひとつのドラマの中の役柄を演じているように見えるのは、監督の手馴れた手腕によって凝縮された各人の個性と、巧みなカットで編集された結果だろう。
こうしたドキュメンタリーは、彼らがキャリアの出発点に立っている若手のアーティストであるがゆえに可能な作品だ。
もし巨匠クラスの指揮者やピアニストであれば、決して舞台裏の姿などは公開しないだろうし、音楽稽古についても同様で、忌憚の無い意見の交換でお互いの音楽の接点を探っていく過程が映像を介して理解できるのが魅力だ。
この作品は大きく2つの部分に分けられる。
前半は2曲の協奏曲の間にそれぞれ2つのディスカッションを挟んだもので、後半は全曲通しのレコーディング風景になる。
中でも興味深いのはフレーと指揮者の音楽稽古で、こうした試行錯誤は彼らの将来の演奏活動にとっても重要なプロセスであるに違いない。
この映像を見るとフレーの演奏姿と顔の表情は、やはり風変わりな印象を与える。
それがモンサンジョン監督の創作意欲を刺激するところなのかもしれないが、どこにでもあるようなパイプ椅子に腰掛け、長身の体を折り曲げて上半身を鍵盤にかぶせるようにして弾く奏法は、かつてのグレン・グールドを彷彿とさせる。
その音楽はモーツァルトにしてはかなり感性になびいたものであり、古典的な均衡からは幾分離れたファンタジーの世界に翼を広げる彼のユニークな解釈が特徴的だ。
フレーはいくらか耽美的になる傾向を持っているので、モーツァルトの様式感や形式美を感知させるという点ではシュタットフェルトに一歩譲るとしても、あくまでもデリケートなシルキー・タッチで仕上げた流麗で品の良い表現は、モーツァルトの音楽自体が持つ限りない美しさと幻想を巧みに引き出している。
元来モーツァルトの音楽のスタイルはインターナショナルな性格を持っているので、そうした意味では彼らのように全く異なる解釈があっても当然のことだろう。
フレーは自己のフランス的な感性を、一見対立するようにみえるドイツの音楽に最大限活かすことに挑戦して、異なった音楽上の趣味の融合を試みている。
指揮者ヴァン・ズヴェーデンも完全に彼に肩入れして、調和のとれたきめ細かい指示でサポートしているところに好感が持てる。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2019年06月23日
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リヒテルのテルデックへのライヴ及びセッション音源を3枚のCDにまとめたボックス・セットで、いずれもリヒテル最晩年の1993年から95年にかけて録音されたものだ。
いまだ衰えない溢れるような音楽性とかくしゃくとして揺るぎないテクニックが聴き所で、また音質も極めて良好。
1枚目の協奏曲集は指揮者にユーリ・バシュメットを迎えたパドヴァ・ベネト管弦楽団との協演で、バッハの協奏曲ニ長調BWV1054及びト短調BWV1058、それにモーツァルトのピアノ協奏曲第25番ハ長調K503の3曲が収められている。
リヒテルのオーケストラを引っ張っていくような溌剌として躍動的なバッハの音楽は歓喜に満ちている。
一方モーツァルトでは巨匠自ら弾き振りしているように聞こえ、バシュメットの主張がもう少しあってもいいと思う。
これらは1993年10月にパルマのテアトロ・レージョで催されたコンサート・ライヴで、ライナー・ノーツにはヤマハ・ピアノ使用と記されている。
2枚目のCDはグリーグがモーツァルトの原曲にセカンド・ピアノのパートを付け足して編曲したピアノ作品集で、エリーザベト・レオンスカヤとの連弾になる。
ソナタハ長調K545とファンタジアハ短調K475が93年8月16日にバイエルン州のヨハニスブルク城で、ソナタヘ長調K533/K494が同年8月25日にオスロで収録されたもので、いずれもセッションだがリヒテルとしては珍しくご愛嬌的なリラックスした演奏を楽しんでいる。
個人的にこのセットの中で最もお勧めしたいのが最後のCDに収められているボロディン弦楽四重奏団とのシューマンのピアノ五重奏曲変ホ長調Op.44で、毅然とした彫りの深い曲想表現の中に力強さが漲った威風堂々たる演奏が感動的だ。
1994年6月にフランスのナント及びグランジュ・ドゥ・メスレーで催されたライヴで、79歳のリヒテルがシューマンの輝くような若々しい情熱を謳歌しているのが信じられないくらいだし、またボロディンの颯爽とした明確なアプローチも好ましい。
尚このCDには同弦楽四重奏団による95年10月のベルリン・テルデック・スタジオでのセッションになる、鮮烈でしかもリリカルなシューベルトの弦楽四重奏曲『死と乙女』もカップリングされている。
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2019年06月22日
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フランク・ペーター・ツィンマーマンは、本当に久しぶりに出現したドイツの本格派男性ヴァイオリニストとして、ヴァイオリン音楽好きの期待を集めている。
女性ではすでにアンネ・ゾフィー・ムターが10代から大活躍していたが、この2人は年齢も近く、ツィンマーマンの側はかなりムターを意識していたようだ。
彼は1990年代初めからドイツ物に限らず、新録音を次々に出し、しかもそれらがいずれも高水準なのは立派だ。
再三の来日公演でも、ちょっと聴くと何もしていないようでいながら、彼ほどヨーロッパ音楽の伝統を感じさせる人はいないと思わせる。
このモーツァルトも、本当に若いうちから大成してしまったかのような大人の演奏だ。
モーツァルトのヴァイオリン・ソナタは、ピアノが歌っている合間にヴァイオリンがそっと「入ってもいいですか」というように割り込んでくることのほうが多い。
実際には「ヴァイオリンのオブリガード付きピアノ・ソナタ」なのだ。
ツィンマーマンのヴァイオリンと、パートナーのロンクウィッヒのピアノは、こうした際の呼吸が実にいい。
例えば『変ホ長調K.380』の第1楽章冒頭からピアノが勢いよく飛び出して第1主題を奏するが、ヴァイオリンは完全なオブリガードだ。
こうした曲ではピアニストの表現力がヴァイオリンと同じくらいに問われる。
他の主題もピアノ主導で、ロンクウィッヒは、単独でソナタ・アルバムを作ってもいいほどに純度の高いピアノを弾いている。
しかも、この「合間」をうかがうツィンマーマンのヴァイオリンは、ほんの何気ないフレーズの出だしや終わりの部分に微妙な強弱があり、同音型の反復時にきかせるかすかなエコー効果とともにまさにドイツの音楽家が19世紀以来営々と築いてきた伝統を感じさせる。
音そのものの純度が高いこともモーツァルトのヴァイオリン作品の再現には欠かせないが、ほとんど全編が、美声スーブレッド歌手のアリアのようだ。
これを「古い」とか「若いのに保守的に過ぎる」とか批判する見解もあるかもしれないが、ツィンマーマンのモーツァルトは、当然のことながら現代に生きる、録音当時20代の若者の手になる音楽だ。
古いようでいながら、決して復古調ではないし「伝統」に安住した演奏でもないのが気持ちいい。
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2019年06月21日
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若いブラームスのロマン溢れる室内楽も胸が熱くなるが晩年のブラームスは格別である。
ベートーヴェンの影から完全に解き放たれ、吹っ切れた爽やかな境地で思うままに作曲している。
アルフレート・プリンツの控えめな表情でありながら流れるように良く歌う演奏は誠に素晴らしい。
プリンツはクラリネット独特の柔らかい魅力のある音色を生かしながら、この2曲をゆとりを持って演奏している。
曲想により音色が時に明るく、時に影を見せながら変化していくが、実に柔らかく絶妙の味わいである。
渋い表情が美しく、晩年のブラームスの淋しい心境を暗示するようだが、同時に激しさもあり、なかでも2曲の緩徐楽章が溺れることなくよく歌っていて見事だ。
変ホ長調の第3楽章も切々たる味わいがあり、変奏の進め方には知的なものが感じられる。
ブラームスの特徴である多声部の重厚な音楽造りはなく、一見簡素かつ軽妙でありながら深みがあり、2曲とも力みかえったところのない好感の持てる演奏だ。
そこで、このプリンツとカール・ライスターの3度目の録音を聴き比べてみた。
この2人のクラリネット奏者はそれぞれウィーン・フィルとベルリン・フィルの首席奏者を長い年月に亘って務め上げただけに、奇しくも彼らの演奏自体がこのふたつのオーケストラの性格を象徴しているのが興味深い。
ライスターの演奏は手堅い質実剛健なもので正確無比、一方プリンツのそれは繊細なニュアンスと開放感に満ち、どこまでも優雅さを崩さない。
ブラームス晩年の透徹した寂寥感の表出や厳格さではライスターが、また心情の機微に触れるようなメランコリックな表現や幽玄とも言える佇まいにおいてはプリンツが優っている。
音色について言えば、勿論両者の奏法の相違だけでなく、彼らの使っている楽器のメーカーが異なっていることは想像に難くないが、その点については筆者自身殆んど知識がないので言及できない。
ライスターの音色はやや暗く、くっきりとした輪郭を持っているのに対してプリンツのそれはより明るくてオープンだ。
ピアノ・パートはブルガリア出身のピアニスト、マリア・プリンツが受け持っているが、ソロを充分に歌わせるだけでなくブラームスの重厚でピアニスティックな書法も良く再現していて好演。
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2019年06月20日
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作曲家スメタナはこの連作交響詩『わが祖国』をチェコの首都プラハに捧げている。
歴史的に外部からの度重なる苦難を強いられ、そして奇しくもこの曲が作曲された後の時代にも、更に国家的な危機を迎えなければならなかったチェコの民衆の愛国心を鼓舞し続けた、まさにチェコの象徴とも言える作品だ。
この演奏は1975年にプラハのルドルフィヌム、ドヴォルザーク・ホールで録音されたもので、ヴァーツラフ・ノイマン、チェコ・フィルハーモニーのコンビの底力を見せたセッションとしても高く評価したい。
ノイマンは冷静なアプローチの中に緻密なオーケストレーションを再現し、しっかりした曲の造形を示している。
テンポの取り方も中庸をわきまえた、ごく正統的な解釈を貫いているところに本家の強みを思い知らされる。
ここでもチェコ・フィルは弦のしなやかな響きと管、打楽器の機動性が相俟って鮮烈な情景描写を表出している。
チェコ勢以外の演奏者の場合、こうした曲にはかえって厚化粧を試みて、シンプルな美しさと新鮮さを失ってしまう可能性が無きにしも非ずだ。
この曲を祖国への滾るような想いを秘めて演奏したのはカレル・アンチェルで、1968年のプラハの春音楽祭のオープニングで彼が亡命直前にチェコ・フィルを指揮したライヴのDVD及びCDの双方がリリースされている。
アンチェルの後を継いで同オーケストラの主席指揮者として返り咲いたのが、当時ライプツィヒ・ゲヴァントハウスの音楽監督だったノイマンで、彼はラファエル・クーベリック亡命後の一時期、常任指揮者としてチェコ・フィルを委ねられていた。
そしてアンチェル亡命後もソヴィエトの軍事介入を受けながらオーケストラを守り抜いて彼らの全盛期を築き上げた功績は無視できない。
ライナー・ノーツは10ページほどで英、独、仏及びチェコ語で作品と指揮者について簡単な解説付。
音質は鮮明で、欲を言えばもう少し低音が欲しいところだが、この時代のものとしては極めて良好だ。
尚この録音は1975年の日本コロムビア・ゴールデン・ディスク賞を受賞している。
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2019年06月18日
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フランスの若手ピアニスト、ダヴィッド・フレーは既にこの時点でバッハとブーレーズ、そしてシューベルトとリストを組み合わせた魅力的なCDを出している。
先般バッハの4曲のキーボードの為の協奏曲を弾き振りしたCDは勿論同時にリリースされた。
そのうちの3曲、BWV1055、1056及び1058のリハーサル風景とインタビュー、そして本番を撮ったものがこのDVDだ。
フレーはグレン・グールドのファンであり、しかもそれにとらわれることなく、あくまで自分の音楽性を打ち出していこうとしていることにも感動させられる。
彼の仕事はブレーメン・ドイツ室内フィルハーモニーというまだ駆出しのオーケストラを手なづけていくところから始まる。
彼が要求するのはメロディーを巧く歌うこととスウィングするような感性の柔軟さで、オーケストラがどのように彼についていくかが見どころだ。
リハーサルは和気あいあいとしたものだが、時折フレーのうるさい注文に首をかしげたり、また茶化したりする団員の姿も正直に撮影されている。
面白いのは彼のピアノ演奏について多くの人が指摘するように、かつてのグールドを彷彿とさせるような特殊なゼスチュアと顔の表情だ。
鍵盤に顔をかぶせるようにして自己の世界に浸る奏法は確かに独特のアピールがある。
この映画でのフレーは、ある意味でグールドを「演じきって」おり、また最初はこの「グールドまがい」のピアニストにどう対応しようかと手探り状態であったドイツ・カンマーフィルの楽員たちが、次第にフレーのスイングする音楽をどうせなら徹底的に演じてやろうと、役になりきっていく過程も興味深い。
しかし同時に溢れるほどの音楽性もその演奏から滲み出ていて、バッハから殆ど無限ともいえる音楽表現の可能性を引き出してみせる。
特に緩徐楽章に於ける感性豊かで繊細な歌いまわしは感動的だ。
冷静で感性よりも理性が先行するという意味で傾向が全く違うドイツの同世代のピアニスト、マルティン・シュタットフェルトに挑戦するかのような企画も興味深い。
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2019年06月17日
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文庫本化された吉田秀和氏の文章をまとめて読むことによって、音楽批評家の役割について改めて考えさせられた。
批評家の仕事は自己の感動や思い入れをできる限り平易な言葉、あるいは文章で表現し、対象となる楽曲のあるべき姿を一般の人々に伝え、鑑賞者を啓蒙することにあると思う。
彼はその能力においてひときわ優れている。
しかし吉田氏のような批評家でも自分の考えていることを文章にできないもどかしさもはっきり表明している。
それが芸術の持つ特性であり、筆舌に尽くしがたいという形容を素直に認めていた真摯で正直な人でもあった。
また彼は読者に決して自分の意見を強制しなかった。
音楽を鑑賞する一人ひとりはそれぞれ異なった感性を持っていて、それはさまざまな音楽を聴き、経験を積むことによって洗練されることはあっても、統一することは不可能だからだ。
それがまた幅広い音楽の選択肢を供給し、私たちを勧誘する喜びでもあるわけだ。
しかしだからといって批評家は最大公約数的な発言をすることは許されない。
吉田氏は批評の力量に優れているだけでなく、そのバランスということにかけて絶妙だ。
彼の洞察は非常に鋭く、演奏者全体の姿を見極めた上でなければその人の音楽を評価しない。
どんな天才が現れても、その人が将来どのような努力を課せられるか、そしてどういう方向に向かうべきかを見定めなければ気が済まないし、手放しで賞賛するようなことはしない。
また彼らの欠点も逐一見逃さないし、それを書くことにもやぶさかでない。
レコード会社から金を貰って、売り出し中のアーティストを誉めそやす文章などは書かなかったし、またできもしなかったに違いない。
そうした厳しい姿勢も自ずと文章に滲み出ている。
それだけに彼の批評は常に人間的であり、しかも極めて信頼性が高い。
それが多くの人の賛同を得ている理由でもあるだろう。
筆者自身彼の遺した批評を貴重な資料として高く評価している。
鑑賞の経験が豊かになればなるほど、自然に彼の言葉に共感し、その批評を抵抗なく受け入れられるようになるというのが筆者自身の体験だ。
この本に登場する指揮者の多くは既に他界しているが、彼らの芸術が現在でも生き続けているのと同様に、吉田氏の評価が次の世代への示唆として受け継がれることを期待したい。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2019年06月16日
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バッハは《クリスマス・オラトリオ》でキリストの降誕という一大イベントを、大いなる祝福と歓喜に満ちた曲想で飾った。
4大宗教音楽のひとつに数えられるが、神への畏怖の念の優る他の宗教曲に比べ、これは神との親密感が全体に浸透し、イエスがこの世に生を享けたことがどんな人間にも生きる喜びとなることをメッセージしている。
ガーディナーは1985〜88年にかけて強い意気込みをもって、集中的にバッハの4大宗教音楽を録音したが、彼の演奏の特徴と魅力が端的に示されているのはこの《クリスマス・オラトリオ》だろう。
速めのテンポで運んで、いかにも生き生きとしているし、オリジナル楽器ならではの伸びやかに澄んだ響きがそうした演奏にぴったりで、爽やかである。
彼の演奏スタイルは精神性を重視するドイツ系の指揮者と違い、イギリス人らしいリアルな感覚でアプローチ。
キリストの生誕を祝う喜びは、人々の日々の生活のなか、巷の情景となって浮かび上がってくる。
細部の描写がこまやかで、ユーモアに富み、全体に親しみや優しさ、あたたかみがこもっているのが特徴だ。
これほど作品にふさわしい喜ばしい生命感にあふれ、しかも、きりりと引き締まった様式感を合わせそなえた演奏はなかったと言ってよいだろう。
ガーディナー率いるイングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏は、目の醒めるような晴れやかさと華麗な表現で、どのピリオド楽器使用の合奏団よりも喜びに溢れた雰囲気を湛えている。
また手兵でもあるモンテヴェルディ合唱団の、これぞプロのコーラスと呼ぶに相応しい一糸乱れぬ統率と鮮やかなテクニックで、この曲に欠かすことのできない推進力を担っている。
勿論指揮者自ら創設したこのコーラスの力量はガーディナー自身充分心得ていて、彼らを前面に出した圧倒的な迫力で曲を進めていくアプローチも聴き所だ。
アージェンタ、オッター、ベーアらの7人の独唱者も古楽の専門家らしく、それぞれの歌詞の意味合いを活かした癖のない爽やかな歌唱に好感が持てる。
とりわけ福音史家を演ずるロルフ・ジョンソンはテクストの読みの深さと柔軟な表現力が秀逸で、ガーディナーの指揮に鋭敏に反応して、真摯で溌剌とした歌唱を聴かせてくれる。
1987年の録音であるにもかかわらず、ガーディナーの進めた古楽新鋭の気風は現在いささかも色褪せていない。
また音質の鮮明なことも特筆される。
この曲を初めて聴いてみたいという方にも是非お勧めしたいセットだ。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2019年06月15日
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ショルティ(1912-97)は20世紀後半のオーケストラ音楽を機能美という点から究め尽くしたマエストロであった。
作品が何であれ、ショルティには鳴り響くべきサウンドの理想というものがあり、それは情緒や詩情の表出以前に、機能美という観点からまず達成されなくてはならなかった。
そのためには最先端のテクニックを持つオーケストラが必要であったが、1969年にショルティはシカゴ交響楽団の音楽監督に就任することで、いよいよ彼の時代を作り出すことができたのである。
バイエルン州立歌劇場、フランクフルト市立歌劇場、ロイヤル・オペラとオペラハウスの音楽監督を歴任してきた背景を持つショルティではあったが、シカゴ交響楽団への就任は思えば、ようやく57歳にして彼が初めて手にしたコンサート・オーケストラのポストであった。
既にウィーン・フィルとの《ニーベルングの指環》をはじめ、ブルックナーやベートーヴェンの名演を聴かせてきていたショルティではあるが、第1弾のデビュー録音をマーラーの《交響曲第5番》としてニューコンビの顔見せを行なった。
それは1970年3月のことで、同時に《交響曲第6番》も録音されたが、この《第5番》こそはマーラー演奏史に新しい時代が来たことを告げるともに、現代のオーケストラが持ち得る機能性、機動力の凄まじさというものを見せつけた画期的事件となった。
マーラーの交響曲とは、なるほどこれほど輝かしく、ドラマティックな刺激と甘美な誘惑に満ち、その破格の表現の振幅に聴き手が鼓舞され、打ちのめされ、狂喜してしまう、そんな世界であったことを初めて教えられたのである。
各セクションの鳴りっぷりの良さも驚異的で、トランペットのハーセス、ホルンのクレヴェンジャー、トロンボーンのフリードマン、テューバのジェイコブスといったアメリカ屈指の名手たちが集まったブラス・セクションの充実ぶりはまさに破格であった。
それが世界の最先端を走っていたデッカの超優秀録音で収録されたのだから、全66分が瞬く間に過ぎ去り、興奮も冷めやらぬうちに再生するというリスニングが続いたものである。
ショルティのシカゴ時代も1991年には終わり、97年には他界、いつしか録音から半世紀もの歳月が経過しようとしているが、この名盤への愛着はますます大きくなるばかりである。
優雅、洗練にはいささかも傾かず、感触は今なおごつごつとして、直線的だが、ショルティはこれでいいのである。
あの鋭い眼で世界をキッと見据えて、俺の音楽はこうだ!と宣言していく演奏、その潔い責任の取り方と情熱の化身となることを怖れなかったショルティの素晴らしさが凝縮しているマーラーである。
マーラー・ルネサンスを告げた歴史的名盤であり、オーケストラの表現力を頂点にまで究めたショルティの至芸が、今回SACD化で望み得る最高音質で蘇る。
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2019年06月14日
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ドビュッシー生誕150周年を記念して既に複数のメーカーからセット物の作品集が相次いでリリースされたが、いわゆる全集物では、現時点ではソニーとユニバーサルのボックス・セットが双璧になっている。
双方とも18枚のCDから構成されていて、ドビュッシーの総てのジャンルからの作品を過不足なく収めている。
また当然ながら水準の高い演奏ばかりがセレクトされているので、後はどちらを選ぶかは鑑賞する人の好みにかかっている。
ジャンル別の振り分けを見るとユニバーサルでは歌曲にCD4枚を当てているのに対して、ソニーは2枚半で、その代わりに編曲ものを数枚取り入れている。
このセットでのランパルによる無伴奏フルートのための『シランクス』やホロヴィッツの精緻な『喜びの島』などは、それだけで千金の値打ちがあるものだ。
筆者が購入したのはこのソニー盤で、その理由は演奏者の選択に気を利かせた工夫がみられることで、勿論これは偶然の結果とは言えないだろうが、ユニバーサルではフランス系のアーティストの起用が少ないのも事実だ。
更にこちらの方がユニバーサル盤に比較してはるかに低価格であることも決め手になった。
既にナクソス盤のオーケストラル・ワーク全集を買った後だったので筆者にとっては好都合だった。
確かにユニバーサルの選んだアーティストの演奏についても興味深いし、またボックスの装丁に洒落っ気があってコレクションとしては魅力的だが、総合的に判断しての結果ということになる。
一方上記2社の宿敵ワーナーはクリュイタンスの『ペレアス』をはじめとしてマルティノンによる一連のオーケストラル・ワーク集、ギーゼキング、フランソワ、チッコリーニのピアノ曲集など、彼らに対抗できる優れた音源を持っているが、今のところこの類いの全集は見当たらない。
ただワーナーは膨大なジャンル別、あるいはアーティスト別の全集を既にリリースしているので、まとまった全集企画が実現する可能性は少ないだろう。
ボックスのサイズは13X13X5cm、ライナー・ノーツは英、独、仏語で31ページ、ただし歌詞対訳等は省略されている。
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2019年06月13日
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ペーター・ダムとケンペ/シュターツカペレ・ドレスデンによるディスクは、録音が1975年とやや古い。
しかし、シュターツカペレ・ドレスデンがR・シュトラウス縁のオーケストラであることやオーボエ協奏曲がカップリングされている利点もあり取り上げた。
ホルン協奏曲第1番は、1883年の作曲なのでシュトラウス19歳の作品ということになる。
まだ後年の豊麗なオーケストレーションは見られない代わりに、まるでマンハイム楽派やモーツァルトの20番代の交響曲を思わせるような古典的で簡潔なスタイルを持っているのがかえって新鮮に聴こえる。
ダムのソロは、温かく抑制されたニュアンスで、その古典派を思わせるスタイルを見事に捉えている。
このことはバックのケンペ/シュターツカペレ・ドレスデンの縦の線をしっかりと整えていく表現にも当てはまる。
また、例えば、第1楽章の終わりなどでも必要以上に大袈裟にならず節度ある高揚でダムをよく盛り立てているなど全体にまとまりの良い端正な演奏と言え、好感が持てる。
その一方で、第2楽章の後半などでは、後のシュトラウスを予告するロマンティックで濃厚な表現もあり飽きさせない。
さらに、全曲を有機的に統一する付点リズム音型と三連符の扱いにも一貫性があり説得力がある。
第2番の協奏曲は、第1番から実に60年を経た1943年に作曲されている。
それにも拘わらず、古典派を思わせる簡潔なスタイルを持っているという点で共通する面が多い。
しかし、そこには、1人の偉大な作曲家の晩年の崇高な境地が表出されている作品でもある。
当然、演奏にもその点が如何に表現されているかがポイントとなる。
第1楽章の終わりで音楽がトランクィロになる瞬間に鮮やかに気高い表情になり、第2楽章へかけてどこまでも静寂な抒情が広がり行く部分の表現にそれが感じられる。
また、全体に室内楽的なアプローチに徹しているのも良く、特にオーケストラ・パートの木管、F管ホルンとEs管のソロ・ホルンの掛け合いやユニゾンは素晴らしい。
この点でダム盤の第2番の演奏は、第1番のシンフォニックな作りとの違いを際立たせている優れた解釈を示している。
総じて、ソロだけではなくケンペ/シュターツカペレ・ドレスデンのバックにも伝統に根ざした良い意味の職人気質が感じられ、古典的で端正なスタイルを持った温かく魅力あるR・シュトラウスになっており、独自の魅力を持っている。
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2019年06月12日
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アシュケナージは紆余曲折の末、ショスタコーヴィチの交響曲全集を完成させ、世に問うている。
やはり全集録音を行ったネーメ・ヤルヴィ、ロストロポーヴィチなどを含めて、旧ソ連からの亡命者によるショスタコーヴィチ演奏には、何か共通のパトス、場合によっては怨念みたいなものが感じられる。
もっとも、アシュケナージは、すでに母国への里帰りを果たし、サンクトペテルブルク・フィルもこの全集に加わっている。
「ヴォルコフの証言」以後(証言それ自体の真偽のほどはさておいて)、ショスタコーヴィチの、特に「交響曲」を演奏する場合は、作曲者の体制下での葛藤をどう表現するかに注目が集まるようになった。
もちろん「ショスタコーヴィチの作中での体制賛美は、逆説的」というヴォルコフ認識は、証言の真偽によらず、大いにありえると思う。
しかし、アシュケナージのスタンスには、そのような「囚われ」がなく、純音楽的アプローチに徹していて、政治的な色が薄くなり、それが筆者には好ましい。
元来センスがいいのだし、それだけで音楽を作った割り切りは潔いが、指揮者としてのアシュケナージには、筆者としてもまだよく判らないことが多い。
音楽家としての彼は、多分曲によっては、言いたいこと、訴えたいことがたくさんあるのだろう。
ソヴィエト=ロシア音楽のある部分がそれで、そういう作品を指揮する時の彼は、棒のテクニックがといった次元の話を突き抜けてしまう。
中でも、超難曲の『第4』が最上の出来で、これは初演者コンドラシンによる1966年の録音を除けば、ロジェストヴェンスキー、ハイティンクを上回る緊張感と、抜群の構成感を持った演奏だった。
第5番、第8番、第10番ではサウンドのバランスがよく、急速部の足並みのよさが印象的だ。
ロイヤル・フィルの金管の音色がいつもより柔らかめなのがユニークで、それが音の彩に馴染んでいる。
サンクトペテルブルク・フィルとの録音となった第7番と第11番ではオーケストラの音色自体が抜群で、しかも必要以上の恰幅を求めないスマートさがよく、いわゆる「現代的」ショスタコーヴィチだ。
第1番、第6番、それにバルシャイの編曲による室内交響曲(原曲は弦楽四重奏曲第8番)や祝典序曲も好演、部分的にソフトフォーカス気味なサウンドを交えるあたりが巧みで、聴き心地がよい。
アシュケナージのアプローチは西欧風に洗練されていると言ってもいいし、やや焦点が不明瞭と批判することもできる。
ただ、この時期にきて、ショスタコーヴィチ演奏に様々なヴァリエーションが出てきたのは歓迎だし、アシュケナージは遠くから母なるロシアを見ているように思う。
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2019年06月11日
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キリル・コンドラシンがコンセルトヘボウ管弦楽団を振ったCD3枚分のライヴ録音集のターラ盤の1枚。
1979年3月1日のシベリウスの交響曲第2番ニ長調及び翌80年11月20日のシューベルトの劇付随音楽『ロザムンデ』から序曲、間奏曲第3番、バレエ音楽第2番を収録している。
当時の彼はまだフィリップスとの継続的な契約に至っていなかったため、遺された音源はコンセルトヘボウとのセッション録音が僅かに1曲、客演時代のライヴを合わせてもCD11枚分に過ぎないが、コンドラシンの典型的な演奏を堪能することができる上に、音質にも恵まれている。
いずれもテンポ設定は比較的速めだが、細密画のように精妙に仕上げた色彩感とオーケストラの重心の低さが、それぞれの作品の音楽美学を手に取るように再現されている。
このライヴもオーケストラの名門コンセルトヘボウの力量を示す充実したサウンドと、コンドラシンによって導かれる絶妙なダイナミズムの変化が聴きどころだ。
ウィンド・セクションの音色が意外に渋いが、アンサンブルの精緻さではヨーロッパでもトップクラスの余裕と貫禄をみせている。
シベリウスでは決して情熱が自由に迸り出るような即興的な演奏ではないが、輪郭のすっきりした造形美がオーケストレーションの立体的な音像を聴かせている。
勿論フィンランドの民族音楽も垣間見ることができるが、それはあくまでもシベリウスの作法のエレメントとしてだろう。
そこにはコンドラシン一流のスコアへの怜悧な読み込みと構成美が感じられ、またシベリウスが交響詩のジャンルで開拓したような映像的でスペクタクルな効果にも不足していない。
終楽章の後半で徐々にクレッシェンドを重ねて緊張感を高めていくクライマックスも感情的ではなく音楽の必然性を感じさせる。
ちなみに同メンバーのシベリウスは第5番のライヴも残されているが、現在このフィリップス盤は入手困難になっている。
シューベルトの『ロザムンデ』の序曲は劇付随音楽としてはむしろ立派過ぎるくらいのシンフォニックなスケール感の中に描かれていて、さながらシューベルトの交響曲の一楽章のようだ。
また名高い間奏曲に聴かれるあざとくないシンプルな抒情の表出も効果的だ。
6曲のうち3曲のみの抜粋版だが一聴の価値はある。
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2019年06月10日
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エイヴィソン・アンサンブル、エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団、フレットワークなどでの活躍で知られる英国出身のベテラン中のベテラン、バロック・チェロ、ヴィオール奏者、リチャード・タニクリフによるバッハ。
ヨーロッパの古楽界では既に長いキャリアを積んだベテラン・チェロ奏者として高い評価を受けているリチャード・タニクリフが、満を持してバッハの『無伴奏チェロ組曲』を録音した。
第一印象は端正な演奏で野心的なところがなく、それでいて聴き手を引き込んでいく静かでひたむきな情熱が感じられる。
技術的にかなり困難な作品であるにも拘らず、その澄み切った音色と流麗さを失うことなく悠々と流れていく音楽には彼一流の品格と誠実さが良く表れている。
作品を深々と表現する安定した技量と堂々とした解釈、教会の残響を大きく拾った美しい録音などが聴きどころだ。
この演奏に使用されたバロック・チェロは1720年製作のオリジナル楽器で、第6番ニ長調のみはアンナー・ビルスマが既に試みたチェロ・ピッコロを使って、その機能性や表現力の幅広さと高音の美しさを改めて世に問うている。
ピッチはいわゆるスタンダード・バロック・ピッチのa'=415で、覇気は充分感じられるが張り詰めた緊張感よりもしみじみとした落ち着いた雰囲気を醸し出している。
リチャード・タニクリフは、女流トラヴェルソ奏者リーザ・ベズノシュークの夫であり、リーザの弟パブロ・ベズノシュークも英国古楽界を代表するバロック・ヴァイオリン奏者である。
彼も先頃バッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』全曲を同じリン・レコーズ・レーベルからリリースしたばかりだ。
どちらもSACDとして鑑賞するに越したことはないが、ハイブリッド仕様なので互換機がなくても再生可能だ。
尚録音は2010年から翌11年にかけて行われ、通常CDでも音質は極めて良好。
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2019年06月09日
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イタリアの名指揮者クラウディオ・アバド(1933-2014)は21世紀に入って大病を患い、生死の狭間をさまよった。
だが、奇跡的復活を遂げ、ベルリン・フィルの音楽監督としての職務も2002年には完全に全うし、晩年はフリーな立場で自身の音楽活動をさらに掘り下げ、その成果を披露していた。
そんなアバドが新たなる意欲と情熱をもって取り組んだのが、スイスのルツェルン祝祭管弦楽団の再編・再生であった。
第2次大戦以前、ヒットラーに追われた音楽家たちを中心にトスカニーニが組織した歴史を持つこのオーケストラは長らく音楽祭の母胎として栄光の歴史を築き上げてきた。
しかし、20世紀半ば以降になると本来の意味を失ってしまった。
アバドはこの歴史的オーケストラを21世紀に生まれ変わらせようと世界の演奏家たちに声をかけたが、なんとベルリン・フィルの首席、元首席奏者はもとより、クラリネットのマイアー、チャロのグードマンら世界的ソリストたちが結集した。
結果的にスーパーワールド・オーケストラとでも言うべき陣容を整えることになった。
2003年8月、マーラーの交響曲第2番《復活》をもってアバドはこのオーケストラの指揮をスタートさせた。
そしてここで鑑賞するマーラーの交響曲集は確かに21世紀を象徴する意味を持つ演奏としてその姿を顕したと言ってよいだろう。
そこには若き日から機会あるごとにこれらの交響曲を採り上げてきたアバドの熟成の歩みが凝縮されると同時に、演奏家がまるで1人の無垢な聴き手となって音楽に奉仕する、そんな新次元の演奏を作り出したように思われてならない。
演奏家が聴き手になってしまったのでは演奏は成立しない。
それは百も承知だが、そうではなく、感動的作品を前にしたときの想いには聴き手も演奏家も区別はないということである。
つまり演奏家も感動する原点に立ち戻って作品の最良の再現に努める、そんな演奏なのである。
「19世紀は作曲家の時代」「20世紀は名演奏家の時代」と仮に考えると、「21世紀は聴き手の時代」ということになろうか。
だがそれは聴き手が主役になるといった意味ではないだろう。
音楽家も含めて、聴き手が本来持つべき作品への無垢な姿勢と謙虚さとを持ちながら作品に立ち向かう時代ということではないか。
アバドの新しいマーラーの交響曲集が与える感動は、演奏家もまた聴き手の精神を持つべき時代が来つつあることを予感させる。
指揮者道を歩み続けてきたアバドが見せ始めた未来の演奏の時代、この演奏から何かが変わっていく予感がする。
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2019年06月08日
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『シカゴの首席奏者達』とネーミングされたこのCDではシカゴ交響楽団の名手達、オーボエのレイ・スティル、トランペットのアドルフ・ハーセス、ホルンのデイル・クレヴェンジャー、ファゴットのウィラード・エリオット、テューバのアーノルド・ジェイコブスのソロを彼らの古巣シカゴ交響楽団のサポートで愉しめる趣向になっている。
またモーツァルトとハイドンの協奏曲では彼ら自身の手になるオリジナル・カデンツァというボーナス付だ。
そして最後に収録されたラヴェルの『ボレロ』はオーボエ・ダモーレからサクソフォンまでソロ楽器がオンパレードするシカゴの力量を示したデモンストレーション的なアルバムに仕上がっている。
欲を言えばバレンボイムの指揮する2曲はやや精彩を欠いている感が否めない。
デジパック使用の2枚組で、英語のライナー・ノーツには5人の首席奏者の略歴と曲目解説付。
一流どころのオーケストラは外部から優れた演奏家を迎えなくても、楽団のメンバーの中からソリストを立てて様々な楽器のための協奏曲を立派に演奏できるし、実際気取らないコンサートではしばしばこうした方法が採られている。
それが名門オーケストラの矜持でもあるだろう。
アメリカの5大オーケストラの中でもシカゴ交響楽団は特にブラス・セクションが充実していることで群を抜いている。
また首席を占める彼らは殆んど伝説的とも言える名手で、しかもオーケストラという演奏基盤に強い情熱を持って在団キャリア数十年という超ベテラン団員も珍しくない。
一方楽団のレベル・アップにはメンバーの入団試験を厳しくしたり、容赦ない団員の交代を断行するだけでなく、如何に優れた指揮者と契約を交わして音楽監督に就任させるかということが欠かせない。
シカゴには戦後クーベリック、ライナー、マルティノン、ショルティ、バレンボイムそしてムーティがそれぞれ就任し、ショルティ時代には首席客演指揮者としてジュリーニやアバドを招聘している。
こうした経営上の辣腕ぶりも今日のシカゴの基礎を作っていると言えるだろう。
このアルバムでは特にジュリーニ指揮するブリテンの『テノール、ホルンと弦楽のためのセレナード』がティアーの繊細な歌唱に、移り変わる心情や情景をあらゆるテクニックを駆使して映し出すクレヴェンジャーの音楽性が傑出している。
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2019年06月07日
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1989年5月29日にバイエルン国立歌劇場で《セヴィリアの理髪師》の指揮中に57歳で急逝してしまったジュゼッペ・パターネの最後の録音となったもの。
パターネとボローニャのテアトロ・コムナーレによる当オペラの初録音、ヌッチ以下の主要歌手陣もいずれもこれがレコードでは初役だった。
レコードで有名なわけでもないが、なぜかあちこちの一流歌劇場で一流のバックを常に努めている職人的指揮者というのが何人かいるが、パターネというのは要するにそういう親父だった。
ロッシーニは、18世紀ナポリ楽派のオペラ・ブッファの流れを引きながらそれらを集大成するような傑作を多く残した。
初期のファルサ(笑劇)を経て、24歳の時に作曲した《セヴィリアの理髪師》は、そんなロッシーニの代名詞と呼ぶべき作品だが、洗練の極みとも言える厳しい様式感が、その演奏に求められる。
ギリギリに切り詰められたイン・テンポの造形性に、豊かなカンタービレを込めた“伝統的スタイル”による演奏は、録音においては、決して多くはない。
EMIのヴィットリオ・グイの指揮による歴史的名盤と並んで、このジュゼッペ・パターネの録音は、そんなイタリアの伝統的スタイルを熟知した名演が記録されている。
ロッシーニ・クレッシェンドに代表される緊張感に満ちたスリリングな語法の面白さを、この生彩に富んだパターネの演奏は満喫させてくれる。
気分が乗ったときのパターネは、トスカニーニを思い出させるようなリズムの興奮を伴ったダイナミックな指揮を繰り広げたが、このディスクもまさにその一例、百戦錬磨のヴェテランらしい名演だ。
また、ヌッチをはじめとする歌い手の選び方や演奏のあり方には、英デッカらしい造詣と見識が端的に反映している。
そして何と言っても最もチャーミングなロジーナが聴けるのは、最高のロッシーニ歌手バルトリがデビューして間もなく録音した本盤である。
若きバルトリ(22歳)によるロジーナは、その見事なテクニックもさることながら、それ以上に役柄に与えた生き生きとしたキャラクターの見事さにおいて傑出している。
バルトリほど若々しい美声でロジーナを魅力的に表現した歌手もいないのではないかと思うが、共演のヌッチ、マッテウッツィ他も優れている。
フィガロ役のヌッチも素晴らしさは言わずもがなだが、昔日のストラッチアーリ以来の伝統的なこの役の歌唱スタイルの継承者としての最上の演唱を聴かせてくれる。
アルマヴィーヴァ伯爵役のマッテウッツィは、往年のロッシーニ・テノールとは一線を画したフレージングとアーティキュレーションの妙を示した、呆れるばかりのユニークな名唱だ。
解説でパターネ自ら、これは批判版による現代的演奏ではなく、伝統的な良さを生かした演奏だと断っている。
この演奏は、少しノスタルジックな、ドタバタ喜劇の面が色濃く出た、庶民的なイタリア料理の定食のような味わいと言えるかもしれない。
そしてこれは、時代考証を得た批判版を使えばそれでよしとするポストモダン的インターナショナルな傾向に、オペラの伝統的な面白さというアンチテーゼを突き付けた演奏でもあるのだ。
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2019年06月06日
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キリル・コンドラシン(1914-1981)が晩年にコンセルトヘボウ管弦楽団と演奏したアムステルダム・ライヴ音源がターラ・レーベルから3枚のCDで個別にリリースされているが、いずれも客席からの咳払いが聞こえる以外録音状態は極めて良好で、音質に恵まれたステレオ録音になる。
このディスクは昨年リマスタリングされジャケットのデザインを一新したリイシュー盤で、1979年11月29日のコンサートからマーラーの交響曲第7番が収録されている。
ライナー・ノーツにはコンドラシンと楽曲についての簡易な日本語による解説が掲載されている。
ちなみにこのシリーズはフランクの交響曲とベルリオーズの劇的交響曲『ロメオとジュリエット』抜粋1枚、シベリウスの交響曲第2番及びシューベルトの劇付随音楽『ロザムンデ』よりの1枚で完結している。
モスクワ生まれのコンドラシンは1978年にオランダに亡命し、コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者として西側での目覚しい音楽活動を開始した。
旧ソヴィエト時代から既にショスタコーヴィチの交響曲全集とマーラーの交響曲選集をメロディアにレコーディングしている。
奇しくも彼の最後のコンサートがやはりマーラーの交響曲第1番で、マーラーがコンドラシンにとって極めて重要なレパートリーだったことが証明されている。
第7番は5楽章構成の大曲だが、かろうじて第1楽章が調性の変化が曖昧なソナタ形式の名残りを残している。
第2楽章と第4楽章にナハトムジークの表示がある以外には楽章間の繋がりが稀薄な上に、交響詩のようなストーリー性も欠いているため、凡庸な演奏ではとりとめもない散漫な印象を与えかねない。
コンドラシンは比較的速めのテンポ設定で緊張感を逸することなく、テノール・ホルンやギター、マンドリン、カウベルなど通常のオーケストラでは使われない楽器にも雄弁に語らせる色彩感覚にも優れた手腕を示している。
そこにはダイナミズムの絶妙なバランスも窺わせている。
至るところに現れるヴァイオリン、ウィンド、ブラス及びパーカッション・セクションのソロの部分ではコンセルトヘボウ管弦楽団の首席奏者達の面目躍如で、そのサウンドは決して派手ではないにしても伝統の重みと余裕を感じさせているのは流石だ。
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2019年06月04日
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チェコを代表する作曲家の作品から抜粋したオムニバス編集で、入門者に親しみやすい選曲になっている。
個人的にはいわゆる名曲アルバムのたぐいは滅多に買うことがない。
何故ならそれらのCDはたいがい聴き古されたスタンダード・ナンバーを演奏者も録音年代も異なるカップリングで寄せ集めた甘口の編集で、統一性に欠けているだけでなく、また長く付き合っていくだけのポリシーも感じられないからだ。
しかしこのチェコの作曲家による小品集は全くそれとは別物で、全曲ヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコ・フィルハーモニーによる1983年のプラハでのセッションだ。
珠玉の名曲集と言っても筆者自身初めて聴く作品が多く、それがまたこのCDの魅力のひとつでもあるが、彼らの力量を示した、お国物の頼もしい演奏が堪能できる1枚として高く評価したい。
知名度の高いスメタナの『売られた花嫁』序曲は堰を切って溢れ出す湧き水のような勢いと、チェコ・フィルらしい明るく瑞々しい弦楽器に合わせる、軽妙なブラス・パートのアンサンブルが聴き所だ。
抒情的な作品としてはドヴォルザークの『ユモレスク』やネドバルの『悲しみのワルツ』、フィビフの『ポエム』などが選ばれている。
こうした比較的軽い曲種でもノイマンの指揮はさすがに巧い。
それは聴き手に媚びることなく、シンプルな表現の中に、甘い爽やかさを残しているからだろう。
音質的に欲を言えば、もう少し奥行きのある音像が欲しいところだが、リマスタリングによって特に高音の鮮やかさが蘇っている。
スプラフォンの録音技術は定評のある優秀なものだが、ここでも鮮明な音質がそれを証明している。
廉価盤だが、5ページほどの簡易なライナー・ノーツには英、独、仏、チェコ語の解説が掲載されている。
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LP時代から聴いていた懐かしさもあって、現在でも決して古めかしさを感じさせない名盤のひとつに数えられるだろう。
その理由はスメタナ四重奏団とピアニストのヤン・パネンカが極めて正攻法な音楽語法でシューベルトのメッセージを伝えている演奏だからで、そこに特有の形式感と気品が備わっている。
スメタナ四重奏団は後にヨゼフ・ハーラと組んでシューベルトのピアノ五重奏曲『鱒』の2度目のセッション録音を遺しているが、こちらの第1回目は彼らの壮年期特有の覇気のある推進力にパネンカの端正で瑞々しいピアノが相俟った演奏だ。
このセッションでは第4楽章ヴァリエーションでの谷川のせせらぎに反射してきらめく太陽の光りを映し出したようなパネンカの弾くピアノの爽やかな響きが一層魅力的だ。
彼はスーク・トリオの一員としてスプラフォンに多くの録音を遺しているが、その潔癖とも言える隙のないダイナミズムと徹底したクリアーな奏法は、常にモダンな印象を与えるだけでなく、アンサンブルを心地良く引き締めている。
しかも気心の知れたスメタナ四重奏団との巧みな合わせ技がシューベルトの溌剌とした曲想を心行くまで愉しませてくれる。
尚ここでは楽器編成上、抜けた第2ヴァイオリンのコステツキの替わりにコントラバスのフランチシェク・ポシュタが加わっている。
この音源は数年前に単独でXRCD化されたが、残念ながら既に製造中止になっている。
一方シューベルトの『断章』については過去4回の録音の中から1960年の第2回目のセッションが、そしてベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番は62年の第1回目のものがカップリングされている。
この頃彼らはメンバー不動の時代に入っていて、着々とそのアンサンブルの腕を磨いていた壮年期特有の表現を聴くことができる。
それだけに後のデジタル録音のものより熱っぽく、一途で若々しい雰囲気に貫かれているが、解釈は円熟期の原点にもなる奇を衒わない謹厳さのようなものがあって、その真摯な演奏に惹かれる。
LPで聴く弦楽器は透明感という点でCDを上回り、音質は良好だ。
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2019年06月03日
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このCDは、巨匠リヒテル自身が生前にリリースを承認したフィリップスのライヴ録音、全21枚のCDで構成された「オーソライズド・レコーディングス」のブラームス及びシューマン編3枚組から最後の1枚をそのまま独立させたものだ。
2007年にデッカとフィリップスのライヴ音源を統合した、リヒテル没後10周年企画であった「ザ・マスター」の選曲からはそっくり漏れていた。
その理由は単にCDのスペースの問題だったのかも知れないが、既にどちらのシリーズも製造中止になっている。
「ザ・マスター」を補う貴重な音源として音質もきわめて良好なので、リヒテル最良のライヴの記録として、またコレクションとしても価値の高い演奏だ。
骨太で堂々たる『行進曲ト短調』や『ノヴェレッテヘ長調』の抒情や幻想性にはリヒテルの美学が如実に示されているが、ここではパガニーニのカプリスからのテーマによる3曲の『演奏会用練習曲』を取り上げているのが興味深い。
これらの曲は技巧的にもかなり難解だが、決してテクニックを優先させたエチュードではないので、音楽性とテクニックのバランスを考慮しながら演奏効果を上げることは至難の技に違いない。
実際のコンサートで弾かれる機会がそれほど多くないのはこうした理由からだろう。
しかし彼はそれに敢然と挑み、これらの曲に芸術的な価値を再認識させるような華麗な表現を聴かせている。
ここにもリヒテルの楽譜から音楽を読み取る天才的な感性が感じられる。
尚この3曲はドレミ・レーベルのRICHTER Archives Vol.13に同年の高崎ライヴの録音が収められているが、音質的にはこちらのフィリップスの方が格段優れている。
リヒテルはセッションに関してはそれほど積極的に取り組まなかったこともあって、彼の演奏の本来の醍醐味はライヴに表れているだろうし、彼自身もそれに賭けていたようだ。
それぞれの演奏会場や聴衆の雰囲気、あるいは彼自身の研鑽やその日のコンディションによって当然演奏も変化してくる。
それが生きた音楽としての彼の表現の本質だったのではないだろうか。
参考までに、ここに収録された曲目はいずれも1986年7月8日にコペンハーゲンで録音された、巨匠円熟期のライヴ録音だ。
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2019年06月02日
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20世紀ロシアの頂点に立った器楽奏者の巨匠を語るとき、チェロのロストロポーヴィチ、ヴァイオリンのオイストラフ、そしてピアノのリヒテルの存在は欠かせない。
彼らは既に他界して久しいが、遺された録音はその音楽的価値から言っても将来のクラシック音楽界にとって無視できないサンプルになり得るに違いない。
最近のバジェット価格による限定箱物ラッシュに乗じて、大手メーカーからそれぞれの全集がリリースされている。
2017年1月にロストロポーヴィチのグラモフォン音源が37枚のCDセットでリリースされたばかりだが、彼のもうひとつの重要なレーベル、EMIからの26枚+DVD2枚のコンプリート・レコーディング集は既に製造中止になっていて、法外なプレミアム価格で取り引きされている。
したがって、2017年3月末にワーナーからのEMI音源を核にした3枚のDVD付CD40枚組コレクション仕様のセットは待望されていた企画だし、俄然その価値を高める結果になっている。
しかもEMIだけでなく幸いワーナー傘下のエラート、テルデック、ソヴィエト音源からの39枚とインタビュー盤1枚に加えてジュリーニ、ロンドン・フィルとのドヴォルザーク、サン=サーンスの協奏曲とバッハの無伴奏組曲全曲を収録したDVD3枚がコレクション仕様の美麗ボックスに収納されて復活した。
価格的には通常のバジェット・ボックス盤よりはやや高めだが、それぞれがオリジナル・デザインのジャケットに挿入され、200ページの殆んど単行本の写真集ようなライナー・ノーツが付いている。
ただし演奏はあくまでも彼のソロとアンサンブル、協奏曲及びオーケストラ付チェロ用作品のレパートリーで、指揮者としての録音になるチャイコフスキーの交響曲全曲を始めとするオーケストラル・ワークはワーナーから別口の6枚組で出ている。
ロストロポーヴィチはカザルスの讃辞「これまでのチェロ演奏の観念をくつがえしたチェリスト」を引き合いに出すまでもなく、彼こそは19世紀以来の多くのチェリストたち、わけてもカザルス以後の現代のチェリストたちが、骨身を削って追求してきた技術的理想を実現した最初のチェリストであった。
のみならず筆者にとっては、冴えた演奏技巧(単なる冴えではなく、想像を絶する超人的なそれ)が生み出す感銘が、いかに大きいものであるかを教えてくれた最初の人なのである。
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2014年他界した指揮者ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスの演奏は何回かのコンサートで聴く機会に恵まれた。
中でも彼の生まれ故郷のスペイン物では、やはり血の滾るような情熱でホールを沸かせたが、それはオーケストラを隙なくまとめて曲想を効果的に引き出す手腕に圧倒的な力量があったからだろう。
生前彼の指揮者としての知名度はそれほど高くなかったが、実力にかけては第一級の腕を持っていて、もっと評価されても良い人だと思う。
デ・ブルゴスは父親がドイツ人だったことから、ドイツ物も得意なレパートリーとして手中に収めていたが、一方でこうした民族色豊かな小品やセミ・クラシック的な編曲物でも、器用と言う以上に絶妙な味わいを持った指揮をした。
このCDに収録されたアルベニスの『スペイン組曲』と『スペイン狂詩曲』は元来ピアノのための作品で、こうしたオーケストラ用アレンジではある程度曲の持つイメージが限定されてくるのはやむをえないとしても、その色彩感と迫力は一層豊かになり華麗な音響効果を堪能することができる。
ちなみに前者はデ・ブルゴス自身の編曲で、彼のアレンジャーとしての才能も披露している。
尚『スペイン組曲』では曲順を入れ替え、『クーバ』を除いてアルベニスのもうひとつのピアノのための『スペインの歌』から「コルドバ」を挿入してオーケストラ組曲としての体裁を整えている。
最後に収録されたセビリア出身ホアキン・トゥリーナ作曲の『交響的狂詩曲』は、アンダルシアの抒情詩といった作品だが、アルベニスが曲中に例外なく盛り込んだ民族色には囚われない幻想的なロマンティシズムが特徴だ。
この曲と『スペイン狂詩曲』の2曲にはピアノ・ソロにアリシア・デ・ラローチャを迎えた万全なキャストも特筆される。
彼女とデ・ブルゴスの洗練された感性と情熱が相俟って、決して単なる郷土の祭典に終わらせず、作品への音楽的な価値を提示した演奏として評価したい。
オーストラリア・エロクエンスから廉価盤で復活したもので、この曲集は過去にXRCDでもリリースされ、臨場感と音質に関してはそちらの方が生々しいが、レギュラー盤も入手困難になった現在安価で楽しめる1枚としてお薦めしたい。
『スペイン組曲』がニュー・フィルハーモニア管弦楽団との1967年の録音で、他の2曲はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を振った1983年のいずれも極めて良質な音源だ。
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2019年06月01日
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アンドレ・ワッツの1963年から80年までのコロムビア音源を12枚にまとめたセットで、この時期の彼の録音を網羅した全集ではないが、それぞれがオリジナル・デザイン・ジャケットに収納され、ジェド・ディストラーのエッセイと収録曲目及び12葉のスナップ写真を掲載した47ページのライナー・ノーツが付いている。
ワッツはドイツ生まれだが、その音楽的な傾向からするとジョルジュ・シフラのアメリカ版といった演奏スタイルを身につけていた。
若い頃から強靭な指とパワフルな表現力にものを言わせて、アクロバティックな名人芸を披露した。
それはCD1の第1曲目を飾るワッツ16歳でのデビュー時のバーンスタイン、ニューヨーク・フィルとのリストのピアノ協奏曲第1番に象徴されている。
ワッツのテクニックの見事さとバーンスタインのダイナミックな棒との相性のよさをよくうかがわせる演奏であろう。
1963年のデビュー当時の演奏であり、彼の若々しい気迫を伝えるとともに彼のピアニズムのいわば原点を示すディスクと言えよう。
ワッツのそれぞれの作品への解釈はいずれも覇気と確信に満ちていて、全く曖昧さを残さないくっきりとした輪郭を描いているのが特徴だ。
近年レコーディングこそ減ってしまったが、現在まで精力的な演奏活動を続けることができたのは、彼が名声に驕ることなく続けた努力と研鑽の賜物に違いない。
一方ワッツの弱点を敢えて言うならば、収録曲目を一瞥すれば明らかだが彼のレパートリーはかなり限定されていて、古典派からロマン派にかけてのオーソドックスな名技主義的作品が中心になる。
例えばこのセットにはバッハやモーツァルトは1曲も入っていないしフランス、ロシア物や現代音楽はごく限られていて、とりわけリストを中心とするヴィルトゥオーソ系で最も才能を発揮したピアニストだと思う。
その意味で彼の第一級の職人技や演奏会場を沸かせるエンターテイナーとしてのずば抜けた能力は評価されるべきだ。
しかし音楽の持って行きかたが時としてやや強引なところがあり、ショパンやシューベルトなどでは覇気が裏目に出て大味な印象を与えてしまうのも事実だろう。
尚最後の1枚は1980年に東京文化会館及び厚生年金ホールで行われたコンサートからのライヴ録音で拍手が入っている。
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