2019年08月

2019年08月31日


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リュート界の大御所、ホプキンソン・スミス自身が編曲したバッハの『無伴奏チェロ組曲』第1、2、3番が収録されている。

バロック・リュートは楽器によって響きに特徴があり、彼が使用している楽器はジャーマン・テオルボで1986年ジョエル・ヴァン・レネップが用いられている。

チェロの重厚な響きを意識してしまうが、ホプキンソンは柔らかい響きでリュートの素朴な味わいが魅力となって、さらにバッハの深い音楽性も感じられる素晴らしい演奏を聴かせる。

ある作品を指定された楽器とは機能の異なる楽器で演奏する場合、編曲が不可欠になってくる。

ホプキンソンには当然ながら無伴奏チェロのために作曲された楽譜をテオルボ用に移し直す必要があった。

この編曲は彼自身が行っているが、バッハの音楽性を的確に捉えたホプキンソンのセンスの良い編曲と心地よい演奏が秀逸だ。

このディスクを聴いて最初に気が付いたことはオリジナルの調性から長三度高く移調してあることだ。

正確に言えば第1番ト長調はロ長調に、第2番ニ短調は嬰へ短調に、そして第3番ハ長調はホ長調に聴きとれる。

これは彼の使用しているテオルボの音域とその表現力を最大限活かすためだと思われるが、実際チェロで弾くような荘重で力強い印象はなく、意外にも軽やかで幽玄とも言うべき繊細で柔らかな感触を引き出している。

しかもそこからは自然で無理のない対位法の綾が紡ぎ出される。

それは日頃通奏低音をイメージさせる楽器とは全く趣を異にしている。

ちなみにこのセッションで演奏されているジャーマン・テオルボはシルヴィウス・レオポルト・ヴァイスによって1720年に考案され、製作されたもののコピーで、基本的に13から14コースの弦が張られているが、高音の2弦を除いてはユニゾン、あるいはオクターヴのダブル・ストラングなのでジャケットの写真に見えるように弦の数は24本以上になる。

旋律楽器のチェロ1本のために書かれた楽譜を和音楽器のテオルボ用に移す場合、チェロでは省略された対位法の隠された旋律や和声を実際に響く音として復元しなければならない。

これはホプキンソンがライナー・ノーツでも書いているように、バッハがある楽器から他の楽器のためにアレンジした手法に沿って、できるだけ忠実に再現するように努力したようだ。

バッハは自作は勿論、当時のヨーロッパの作曲家の作品をさまざまな楽器編成のオーケストラや独奏楽器用に編曲したアレンジの大家でもあったことを考えれば、編曲ものを原曲と照らし合わせることによって、逆に単旋律に凝縮されたポリフォニーの音楽を導き出すことも可能だろう。

しかしそれがチェロで弾くのとは全く違った、独自の静謐な世界を創造しているのが興味深く、またバッハの楽曲の持つ融通性だけでなくその普遍性を改めて認識した。

録音は2012年10月にグルノーブルで行われ、テオルボの特質を良く捉えた澄み切った音質が特徴だ。

今回は前半の3曲のみが収録されているが、後半の3曲も彼は以前に録音していて、それらも現在入手可能だ。

ちなみに第5番に関してはバッハ自身の編曲が存在していて、ホプキンソンがリュートで演奏したものが既に『バッハのリュートのためのコンプリート・ワークス』として同じくフランス・ナイーヴから2枚組のボックス・セットでリリースされている。

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classicalmusic at 12:41コメント(0)バッハ 

2019年08月30日


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フランソワ・ドヴィエンヌはフランス革命の動乱期に活躍したフルーティスト兼作曲家でパリ音楽院の初代フルート教授を1793年から勤め、フルート教則本「フルート演奏の理論と実践」を出版するなどフルートを学ぶものにとっては重要な音楽家である。

このディスクには現在円熟期にあるバルトルド・クイケンと弦楽トリオによる4曲のフルート四重奏曲が収められている。

ヴァイオリンが寺神戸亮、ヴィオラがサーラ・クイケン、そしてチェロがヴィーラント・クイケンという家庭的なカルテットだが、寺神戸亮はこのところ古楽界でひときわ充実した演奏活動をしていて、ここでも脂の乗り切った素晴らしいリーダーシップをとっている。

全体的に良く練れた演奏で、しかも彼らの表現は自由闊達な雰囲気に溢れたアンサンブルの喜びを感じさせてくれる。

特に最後に置かれた作品66の1イ短調の終曲プレストでは、その典型的な諧謔性とトラヴェルソのヴィルトゥオジティが織り成す鮮やかなチーム・ワークが聴き所だ。

前述のように、ドゥヴィエンヌはモーツァルトと同時代のフランスの作曲家で、自らファゴットとトラヴェルソの奏者としてこれらの独奏楽器を取り入れた室内楽や協奏曲で名を馳せた。

また1790年には当時のフランス革命の世相を反映したオペラ『ル・マリアージュ グランデスタン」は大好評を得るなど一躍時代の寵児たなった。

しかし時代の激流に翻弄されまた仕事が多忙を極めるなど繊細な神経の持ち主であったドゥヴィエンヌは精神を病みパリ郊外の精神病院に入院そこで死を迎えることとなった。

曲種は典雅で軽快なロココ趣味を反映しているが、楽器の機能を知り尽くした巧みなソロの扱いや優美な音楽性が一体となった魅力的な作品を数多く残している。

ギャラントな作風でも楽器の特色をよく捉えていて、いかに当時の表現能力に限界がある楽器から魅力的な演奏が出来るように考えられている。

尚録音は2003年でそれぞれがピリオド楽器を使用しているが、因みにトラヴェルソはルドルフ・トゥッツ製作のアウグスト・グレンザー・ワンキー・モデルでピッチはa=429に調律されている。

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classicalmusic at 12:22コメント(0)クイケン 

2019年08月29日


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このディスクに収録されたベイヌムの指揮するコンセルトヘボウ管弦楽団からはレコード録音史上、最も素晴らしい音のするオーケストラが聴ける。

最近のオーケストラだって、うまいことはうまいのだが、このように潤いがあり、艶があり、弾力もある音はしないはずだ。

別な言い方をすれば「コクと切れ」という、普通はまず均等にブレンドされない要素が、見事に両立した稀有の例なのである。

むろん、響きだけが良いのではなく、ベイヌムの棒はこのオーケストラの前シェフ、メンゲルベルクの濃厚甘美とは正反対のきっぱりした表現により、団全体に新風を吹き込んでいるのだ。

交響曲第1番は1951年の録音で、フィリップス盤よりも7年前の録音になり、一段と輝かしく、颯爽としており、聴く者を引き込まずにはおかない磁力にも似た吸引力がある。

他のどんな名指揮者も実現させ得なかった熱い興奮へと誘う気迫が充満、起伏豊かで、オーケストラを聴く醍醐味に浸らせてくれる。

ことに終楽章の設計とクライマックスへの運びの巧さは誠に心憎いばかりで、何度でも繰り返し聴きたくなるほど興奮させる。

第1楽章の冒頭は通常よりはかなり速く開始されるが、すぐにチェロやオーボエの素晴らしい音色に魅了される。

主部に入るとテンポはときに急激に加速されるが、オーケストラは全く崩れず、どんな場合も潤いを失わない。

続く第2楽章の弦のふっくらと温かい音色、第3楽章の木管楽器の豊かな音、そして第4楽章の序奏のホルン、そしてそれを支える弦のさざ波、続くアレグロの瑞々しさ、もうどこをとっても溜息の出る響きの連続である。

象徴的なのは第4楽章のコーダの途中で金管楽器のコラール風の旋律が出てくるが、ここはほとんどの指揮者がテンポを落とす。

だがベイヌムは、目の覚めるようなスピードで駆け抜けるのだ。

とくに最初聴いたときはびっくりするが、もともとスコアには「テンポを落とせ」という指示はない。

つまり、このベイヌムが正道ということ。

もちろんモノーラルだが、定評あるデッカの優秀録音のためか、不思議に不満は皆無である。

尚ベイヌムは、この曲をステレオ時代に同じオーケストラで再度録音しているが、演奏、オーケストラ自体の魅力はかなり落ちている。

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classicalmusic at 12:28コメント(0)ブラームス 

2019年08月28日


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華やかさのある美声と超絶的な技巧を持ち、バロックの声楽曲の解釈で高い評価を受け、人気・実力ともに世代を代表するフランスのカウンター・テナー、フィリップ・ジャルスキー。

彼自身のルーツでもあるバロック音楽に立ち返り、バッハとテレマンの宗教カンタータ集で、初の全曲ドイツ語録音作品をリリースした。

これまでに彼はカストラートのために書かれたオペラを中心とするレパートリーで持ち前の柔らかな美声と無理のないリリカルな歌唱力が高く評価されてきた。

言ってみればイタリアやフランスの恋愛のリリシズムの世界をひたすら歌ってきたわけだが、こうした彼の柔軟で優れた表現力がドイツの宗教作品にも応用できることは彼自身承知していた筈だ。

このCDに収録された4曲のカンタータは、いずれもジャルスキーの甘美で華麗な歌唱で満たされている。

子音を強調しない発音がドイツ語らしくはないが、これまでのドイツの宗教曲の解釈に新たな可能性を拓いたと言えないだろうか。

過去にはルネ・ヤーコプスの例もあるが、彼の声質はアルトなのでジャルスキーの方がより可憐で刹那的な魅力を持っている。

バッハの宗教曲だからといってことさら禁欲的である必要はないと思うが、確かに彼の歌には仄かに官能的な色香が漂っていて、祈りの要素が希薄に感じられるかも知れない。

しかし豊かな表現力がそれぞれの作品に充分な説得力を与えていると同時にピリオド・アンサンブル、フライブルク・バロック・オーケストラの渋めの音色がソロに落ち着きを加えて効果的なサポートをしているのも好ましい。

ボーナスDVDには3曲目のバッハのカンタータ『私は満ち足りて』の全曲レコーディング・シーンが収録されている。

指揮者を置かない小編成のフライブルク・バロック・オーケストラとのインティメイトなアンサンブルが映し出されているが、前回のようなジャルスキーのコメントやインタビューは含まれていない。

三面開きのデジパック入りで34ページほどのライナー・ノーツには録音データ、曲目解説の他に収録曲総てのドイツ語歌詞と英、仏語の対訳が掲載されている。

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classicalmusic at 12:08コメント(0)バッハテレマン 

2019年08月27日


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ディミトリ・ミトロプーロス(1896-60)のことを、クラシック界の高僧(モンク)と呼ぶ人がいる。

有名な指揮者でありながら、彼の私生活を知る人は非常に少ないこと、彼の演奏は死後20年余り経って初めて録音で世界で知られるようになったなど、指揮していた事実を除けばほとんど隠遁っぽい生活を送っていたという。

快楽を忌み嫌う、生活が質素である、芸術に厳しい、生涯独身である、純粋に音楽的に冷静で完璧な演奏といった点で、彼に太刀打ちできるのは、グレン・グールドぐらいだろうか。

「私はギリシャ人なので、何でも参考になる」という謙虚さなど、ギリシャ正教が音楽に対してもっと寛容であったなら聖職者になっていたに違いない。

ミトロプーロスの実演に接した人たちは、ときおり「神のようなミトロプーロス」という言葉を発していたと聞いたことがあるし、とにかく人間的に魅力的な素晴らしい人だったらしい。

そしてむろん音楽家としても、周知のように20世紀を代表する指揮者の一人に数えられる傑出した存在だった。

コンサート、オペラ、そして現代音楽の演奏に、第2次世界大戦前から戦中、戦後にかけて、大きな業績を残したミトロプーロスだが、残念ながら録音が少ない。

アルバン・ベルクの『ヴォツェック』は、その数少ないCBSの正規録音だが、もともとコンサート形式で行なわれた上演のライヴで、ニューヨーク・フィルの団員たちの年金の基金を得るためのものだったが、ミトロプーロスは全幕暗譜で演奏し、その恐るべき記憶力で語り草になっている。

この『ヴォツェック』の全曲演奏は、すぐに録音レコード化され、一番早い商業録音(LP盤)となった。

『ヴォツェック』は、1930年にベルリンでエーリヒ・クライバーの指揮により初演が行なわれた5年後にアメリカで同じくクライバーの指揮により「ヴォツェックの3つの断章」と題されて部分的に初演されたが、このアメリカ初演をしたのもニューヨーク・フィルであった。

ミトロプーロスの現代音楽の演奏にはいくらかの演奏家や指揮者にありがちな「私は、今難しい現代音楽を演奏している」といったしゃちほこばった構えが全くない。

この自然さは確かに彼がモーツァルトのスコアと同じように現代音楽を振れる(=暗譜できる)こともあるが、それ以上に彼の演奏はその現代作品の内包する(流行であった演奏スタイルではなく)時代の雰囲気を正確に映し出していることにある。

指揮者のアプローチから言えば、このオペラ最初の全曲盤であるミトロプーロス盤の方が、定評あるベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ盤より遥かに共感は深い。

なぜならベームによる『ヴォツェック』解釈は、基本的には彼が成功したシュトラウスの『サロメ』や『エレクトラ』のドイツ象徴主義ないしは新ロマン派風の青白いペシミズムと沈鬱さの表出に似ていて、ミトロプーロスが生み出す音楽のような途轍もない迫真さ、肝心要の赤裸々な悲しい人間の性(さが)の注視や、社会の汚点を怒りをもって凝視するような人間性に発する眼差しを欠いているからである。

それにアプローチだけでなくミトロプーロスとベームとを比べた場合、20世紀を語るにあたってのその存在の歴史的意義には、雲泥の差があると筆者は思っている。

ミトロプーロスは最後のヴォツェックの死よりもマリーの死の部分を強調する。

第3幕第2場で、血のついたナイフのような赤い月が上り、h音のティンパニの連打の中ヴォツェックがマリーを刺すシーンは、ハインリッヒ・ホルライザー指揮による1963年日本公演のライヴ録音の比ではなく、その後のh音による長いクレッシェンドもブーレーズの1966年の録音以上の緊張感である。

ヴォツェックが「死んだ!」と言う後の最初のh音によるクレッシェンドで一端音楽を切り捨て、2度目のh音の強奏からなだれ込むように居酒屋のシーンにもっていくことで、ミトロプーロスは、作品の大きな盛り上がりをここに作り出している。

前述のように『ヴォツェック』の最初の全曲録音(1951年)だが、同曲演奏史に残る貴重な演奏記録、感動的名演である。

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classicalmusic at 12:31コメント(0)ベルクミトロプーロス 

2019年08月26日


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フリードリヒ大王統治下のプロイセンの宮廷にはベルリナー・シューレと呼ばれた当時を代表する第一級の音楽家達が集まっていた。

このディスクではあえてエマヌエル・バッハやクヴァンツを除いて、現在では殆んど忘れ去られてしまった3人の作曲家の作品を取り上げている。

フリードリヒが1740年にプロイセン王に即位した時、彼のもとには既にヴァイオリニストのJ.G.グラウン、チェンバリストのCh.シャフラート、コントラバス奏者のJ.G.ヤーニチュなど17人のオーケストラのメンバーが揃っていた。

彼らはそれぞれが作曲家や教師としても宮廷外での活動を許されていたようで、ベルリンがにわかに音楽都市として開花することになった。

中でもヤーニチュの室内楽は対位法の巧みさと響きの美しさで群を抜いているが、特にト短調の『クァドロ』の第3楽章ではコラール『主のこうべは血潮にまみれ』を使って特有のメランコリックな情緒を織り込んでいる。

古楽の本家ネーデルランドの伝統的な奏法を学んだアンサンブル、イル・ガルデッリーノの名称はヴィヴァルディの協奏曲『ごしきひわ』から取られたもので、バロック・オーボエ奏者のマルセル・ポンセールとトラヴェルソ奏者のヤン・デ・ヴィンネによってブリュージュで結成された。

上記以外のメンバーも多くソリストとして活躍していて、例えばバロック・ヴァイオリンの寺神戸亮は単独でも数多くのコンサートや録音活動を行っている古楽界の実力派のひとりだ。

彼らの演奏の特徴は知的な魅力を持っていることで、過激な演奏で注意を引くのではなく作曲家の個性を学理的に捉えた整然として荘重な古楽の味わいを満喫させてくれるアンサンブルだ。

使用楽器はポンセールがステンスビー・モデル、デ・ヴィンネがパランカ・モデル、そして寺神戸が1690年製のオリジナル、G.グランチーノでピッチはいわゆるスタンダード・バロック・ピッチのa'=415。

アクサン・レーベルは古楽器製作者アンドレアス・グラットによって設立された古楽専門のプライベート・レーベルとして出発したが、既にこれまでに膨大な量の録音をリリースしている。

このセッションは2000年に行われたが、この頃から音質的にも格段に向上していて、作品が作られた当時のアンサンブルの響きを髣髴とさせてくれる。

CDにはライナー・ノーツが内側のポケットに差し込まれている紙製のパッケージだが装丁は悪くない。

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classicalmusic at 12:08コメント(0)ヤーニチュ 

2019年08月25日


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クラシック音楽の愛好家で、もし《マタイ》を聴かずに一生を過ごすとしたら、これほどもったいないことはない。

しかし《マタイ》はとっつきにくいことも事実なので、このメンゲルベルク盤とリヒター盤を両方備え、まず第1曲だけを繰り返し比較試聴し、バッハのスタイルに馴染んだら、今度はアリアをすべてカットして第1部だけを何度も聴くとか、それなりの努力を惜しむべきではない。

メンゲルベルクはバッハのスタイルを完全に無視、ロマンティックなスタイルで劇的に演奏しているので、かえってわかりやすいかもしれない。

本盤は1939年4月2日に行われた演奏会の実況録音だが、当時のアムステルダムでは毎年復活祭の前の日曜日にメンゲルベルクが《マタイ》を振るのが常で、世界中からファンが集まったという。

SP時代の実況録音(もちろんモノーラル)ということで音は古いが、音響の良いコンセルトヘボウ・ホール、更にオーパス蔵による名復刻のため、聴きずらくはなく、演奏自体は最も感動的である。

スタイルは19世紀のコンサート風で、すなわち大人数のオケ、大人数のコーラスによる極めてドラマティックな表情たっぷりの演奏であり、大会場で多数の聴衆を前に指揮棒を振るメンゲルベルクの姿が眼に浮かぶ。

メンゲルベルクは主情的で、よくもここまで、と驚嘆するほど音楽を自分自身に引き寄せている。

その“自分自身”とは19世紀風、後期ロマン派のドラマの世界であるが、こんなことを《ロ短調ミサ》でやったら、音楽は完全に破壊してしまうだろう。

そこに《マタイ》の特殊性があり、懐が深いので、どのようなスタイルをも受け入れてしまう。

しかし同じ旧スタイルでもワルターやフルトヴェングラーは中途半端で煮え切らない。

メンゲルベルクは振る舞い切って成功したわけだが、こんなことが可能なのは彼一人だけだ。

メンゲルベルクの《マタイ》を大時代的なバッハとして嫌う人は少なくないことは、古楽演奏によるバッハが主流の現代にあっては仕方のないことかもしれない。

オリジナル楽器全盛の現在、最も時代錯誤的バッハという声も聴こえてきそうだ。

しかしメンゲルベルクの《マタイ》にはそういう古臭いスタイルを越えて人間の根源的な祈りや叫びが絞り出されているではないか。

音楽芸術は学問ではなく、現代の古楽演奏を裏打ちする音楽学の研究結果はあくまで表現の手段に過ぎないはずだ。

だとすれば古楽とモダンの違いは形ばかり、音楽家の表現すべきは心の底からの祈りの他に一体何があると言うのだろうか。

その響きがバロックであれ、ロマンであれ、現代であれ、大切なことは「バッハの心」だ。

メンゲルベルクの表現の、例えば各アリアに頻出する強烈なルバートなどは私たちの感覚からはあまりにも遠く離れてしまったことも厳然たる事実だが、血の涙を流さんばかりの魂の叫びと祈りが満ちているのだ。

この演奏が表情過多であるとか、バッハのスタイルにそぐわない、などと思っている人も、聴き終えた後には、そんな疑問が極めて些細な、芸術というものの本質に少しも関係のないことと気づき、音のドラマの奔流に身も心も押し流される自分を発見するはずである。

いずれにせよ《マタイ》を語る上に絶対に欠かせぬ歴史的大演奏であり、様式を超えたこの《マタイ》は人間の精神の営みの豊穣を語り続けよう。

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classicalmusic at 12:24コメント(0)バッハメンゲルベルク 

2019年08月24日


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英国の女流トランペッター、アリソン・バルサムがバロック・トランペットに挑戦したアルバム。

このCDではイギリス王室で活躍したパーセルとヘンデルの作品から抜粋し、トレヴァー・ピノックとバルサム自身によってアレンジされた編曲ものを多く含んでいる。

古楽器奏者ではない彼女がピノック指揮、イングリッシュ・コンサートのサポートでピリオド楽器を器用に吹きこなすそつのなさと、バロックの様式をわきまえた真摯で軽やかな演奏に好感が持てる。

トラック10及び16ではカウンター・テナーのレスティン・デイヴィーズと、また22ではソプラノのルーシー・クロウとの協演になる。

この3曲で彼女はオブリガート・トランペットのパートにまわっているが、両者の歌唱とも釣り合いの良くとれた理想的な効果を上げている。

それは当時のトランペットが英雄的な場面に留まらない、ゆるやかなカンタービレの助奏として抒情的なシーンにも違和感のない表現が可能だったことを示していて興味深い。

彼女がこのCDの録音に使ったバロック・トランペットは、古典派時代まで使用されていたバルブ機能を持たない、いわゆるナチュラル・トランペットに改良を加えたものだ。

基本的には今日のトランペットより遥かに長い管を巻いただけの単純な構造だが、倍音で得られるスケールを平均律的に矯正するために、ジャケットの写真に見られるように幾つかの補正孔が開けられている。

現代のトランペットほど輝かしくない代わりに、そのマイルドな音色はアンサンブルの1パートとしても他の楽器を抑圧することなく合わせることが可能だ。

バッハが『ブランデンブルク協奏曲』の第2番のソロ楽器としてブロックフレーテ、オーボエ、ヴァイオリンと共にトランペットを組み合わせたのも決して突飛な発想でなかったことは想像に難くない。

ライナー・ノーツは27ページほどで、曲目データの他に英、独、仏語による解説付。2012年の録音で音質は極めて良好。

尚ピッチはa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチで、この曲集の録音風景はワーナーを始めとする関連ショップ・サイトのビデオ・トレイラーの動画で見ることができる。

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classicalmusic at 12:52コメント(0)ヘンデル 

2019年08月23日


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カラヤン(1908-89)はオーストリア生まれで、ベルリン・フィルの終身指揮者として活躍してきたドイツ系の巨匠である。

一方のパリ管弦楽団はフランスの誇りとでも言うべき名門で、旧パリ音楽院管弦楽団が改組されたフランスの知性の誇りのようなオーケストラである。

初代音楽監督ミュンシュのもとで幸先の良いスタートを切ったが、ミュンシュは1968年に急逝してしまう。

二代目の音楽監督がカラヤンに要請されたのだが、夫人もフランス人であるカラヤンはこれを快諾、記者会見では「これで国籍が二つになった」と得意げであった。

ベルリン・フィルの音楽監督として一世を風靡していたカラヤンがパリ管弦楽団の音楽監督にも就任したニュースはファンを驚かせた。

関係は2年で終わるが、このフランクの交響曲は両者が最初に録音に踏み切った記念碑的演奏である。

ドイツ=オーストリア音楽はドイツ系指揮者に、フランスものはラテン系指揮者にといったそれまでの常識を覆した訳だが、演奏内容の素晴らしさはさらに聴き手を圧倒、魅了した。

重厚なる表現を得意とするドイツ系巨匠カラヤンと華麗にして繊細、香り立つような美しさを秘め持つパリ管弦楽団は奇跡にも似た共演を実現、音の宝石のような世界を作り出している。

カラヤンはパワフルな表現力にエレガントな音楽性を加えて名作を艶やかに歌い上げているし、パリ管弦楽団も破格の素晴らしさでそんな期待に最大限の情熱的サウンドで応えている。

洗練された音色と心ときめかす感覚美、漂う香りとほのかな情緒といったものをカラヤンはそれまでなかった次元で引き出すとともに、フランス音楽に重心の大切さといったものを加味した重量級の熱演を披露した。

結果的にフランス音楽をより豊かに、また輝かしく再現していく道を切り開いたのである。

当時のパリ管弦楽団の巧さも特筆すべきで、このほとんど音の媚薬のような演奏には、誰もがうっとりと聴き入ることであろう。

その後、カラヤンとパリ管弦楽団はラヴェル作品集、ワイセンベルクを迎えてのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を録音するが、それ以上発展することはなかった。

このフランクの名演はフランス音楽も得意にしたカラヤンならではの貴重な置き土産である。

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classicalmusic at 12:15コメント(0)フランクカラヤン 

2019年08月22日


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キリル・コンドラシンが手兵コンセルトヘボウ管弦楽団を振った音源は、オランダ国立放送協会による8枚分とは別に仏ターラから3枚がリリースされていて、最近リマスタリングされてリイシューになったので幸い入手可能だ。

これらは日本人をターゲットにしているようで、簡易ながら日本語によるライナー・ノーツが付いているのは親切な配慮だ。

このディスクに収録された2曲はフランクの交響曲及びベルリオーズの劇的交響曲『ロメオとジュリエット』からの抜粋で、1977年及び1974年のそれぞれコンセルトヘボウでのコンサート・ライヴになる。

尚前者にはバイエルン放送交響楽団との1980年の放送用録音がある。

音質はこの時代のライヴ録音としては良好で、オーケストラとホールの響きがかなり鮮明に捉えられているが、客席からの咳払いや雑音がいくらか煩わしい。

フランクはドラマティックな表現を前面に出そうとするとこけ脅しに聞こえ、整然とした形式や作品の深みが伝わらない。

重心を低く保つコンドラシンの指揮は流石にオルガンのような威厳と多彩な音色の変化の中に堂々たる循環形式を描き出している。

名門コンセルトヘボウの音色は、それほど派手でもきらびやかでもないが、こうした音楽には独特の重厚さが滲み出ていて伝統の重みを感じさせずにはおかない。

作品の本質を掴んだ数少ないサンプルとして価値の高い演奏だが、3年後のバイエルンとの共演の方がコンドラシンのより徹底した哲学が示されていると思う。

ベルリオーズは交響曲の体裁で作曲されているが実際にはシェークスピアの同名の戯曲からインスピレーションを得たグランド・オペラ演奏会形式の言ってみればカンタータのような内容を持っている。

ここではソロやコーラスの加わる部分を除いて前半の3部を抜粋し、演奏効果を考慮して曲順を入れ替えてあるが、作曲家の巧妙なオーケストレーションを活かした抒情性の表現が美しい。

衣擦れのようなシックで温かみのある弦楽の静謐さから、ポロネーズの華麗なバレエ・シーンを髣髴とさせる『キャピュレット家の饗宴』までが映像のように展開する。

ボリショイ劇場でオペラ指揮者としてキャリアを積んだコンドラシンの手腕が面目躍如のレパートリーのひとつだが、彼が西側に亡命してからオペラ全曲盤を遺さなかったのが惜しまれる。

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classicalmusic at 13:03コメント(0)コンドラシン 

2019年08月21日


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ヘンスラー・プロフィール・レーベルからリリースされたブロムシュテットのライヴ音源で、音質は時代相応という印象だが、客席からの雑音が若干混入しているし演奏終了後の拍手も入っている。

彼らのセッション録音はベートーヴェンの交響曲全集の他にはリヒャルト・シュトラウスの交響詩集、そしてブルックナーの2曲の交響曲が名演の名に恥じない録音だが、ライヴではその他にも多彩なレパートリーを披露していたことを示したアルバムだ。

少なくとも1990年収録のレーガーの『モーツァルトの主題による変奏曲』は彼らの唯一の音源だろう。

シューマンの『4本のホルンとオーケストラのためのコンツェルトシュテュック』は1981年のシンフォニー・コンサートで演奏されたもので、首席奏者だったペーター・ダムの大活躍に彼の健在振りとシュターツカペレでの強い存在感が窺われる。

ウェーバーの『オベロン』序曲は彼らのゼンパーオーパーでのオペラ上演で鍛えた余裕を感じさせるし、ナウマンの『テ・デウム』は滅多に演奏されない作品だが、ドレスデンゆかりの作曲家の作品を甦らせた、生気に満ちた解釈が聴きどころだ。

レーガーの『モーツァルトの主題による変奏曲』は、ピアノ・ソナタ第11番イ長調『トルコ行進曲』の第1楽章変奏曲の主題を使い二重フーガで締めくくったオーケストラ用の作品で、『ヒラーの主題による変奏曲』のような大胆な変容はなく、また規模も小振りだが、テーマのシンプルで優雅な抒情性がブロムシュテットのきめ細かい指示で、作曲家の綴れ織のようなオーケストレーションが再現されている。

シューマンの『コンツェルトシュテュック』の4人のホルン・ソロはペーター・ダム、クラウス・ピーツォンカ、ディーター・パンザ及びヨハネス・フリーメルで、ダムはこの曲を更に20年遡る1961年にコンヴィチュニー指揮、ゲヴァントハウスとも協演していて、その素晴らしいステレオ・セッション録音は最近ベルリン・クラシックスからリリースされた6枚組のペーター・ダム・ホルン演奏集に組み込まれた。

シューマン及びナウマンの録音会場となった旧クルトゥーアパラストは、コングレス用に建設された多目的ホールで、先の大戦によって大破したゼンパーオーパーの修復がまだ続いていた頃は、コンサート・ホールとしても機能していたが、音響的にはお世辞にも良いとは言えなかった。

録音に関しては高いサウンド空間を持つルカ教会が理想的だが、客席数が限定されてしまうのでライヴには不向きだし、ゼンパーオーパーは劇場としてのポリシーによって建設されているので、大編成のオーケストラには響きがデッドになる。

ドレスデンのような世界的音楽都市に今までオーケストラ専用のホールがなかったことは意外だが、大戦前の都市復元に莫大な費用と40年以上の期間を費やしたことを考えれば当然かも知れない。

幸いクルトゥーアパラストは近年殆んど再建に近い大改修を終えて、大オルガンを装備した専用のコンサート・ホールとして甦り、ドレスデン交響楽団のホームになっているので、将来録音会場としても活用されるだろう。

プロフィール・レーベルは過去の歴史的放送用音源を中心に独自のリマスタリングを行って、隠れた名演や興味深いレパートリーをリリースしているが、モノラル、ステレオ録音共に概してマスターの音質や保存状態が良く、入門者が不用意に飛びつくことは避けるべきだが比較的安価であることもメリットになっている。

昨年レーベル開設15周年の記念盤15枚組ボックスも出たが、いくらかマニアックなファン向けの選曲になっている。

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classicalmusic at 12:21コメント(0)ブロムシュテットペーター・ダム 

2019年08月20日


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歴史的名演というものの最たるものがこのフルトヴェングラーの「第9」であるだけに、これまでにも高音質化の試みが何度もなされてきたが、通常CD盤でありながら、最も満足のいく出来ばえなのがこの2019年ニューマスター盤だ。

改めて述べるまでもないと思うが、第2次大戦後、ヒットラーとの関係などもあり閉鎖されていたバイロイト音楽祭が1951年に再開されたとき、その開幕記念を飾る演奏として計画されたのが、このフルトヴェングラーの「第9」コンサートであった。

ドイツ人なら誰しもが喜んだであろう再開であったが、それは虐殺されたユダヤ人の悲劇がまだ生々しかった時代のことであり、現代とは自ずと取り巻く環境は異なっていたはずである。

フルトヴェングラーも一時期は演奏活動を禁じられたほど第2次大戦の悲劇は音楽家たちにも影を落とした。

このバイロイト音楽祭もクナッパーツブッシュやカラヤンのようなバイロイト初登場の指揮者たちが顔を揃えているから、再開といえども祝典気分一色というのではなかったはずである。

むしろ新たな陣容でドイツの音楽史が歩み出すことを内外にアピールする切実な責務、使命感がその底にあったものと思われる。

フルトヴェングラーの双肩にそうした期待感と重圧がのしかかってきたわけだが、ここでフルトヴェングラーが聴かせた音楽はまさに壮絶そのものであった。

それは「第9」という作品の桁外れの素晴らしさを余すところなく明らかにすると同時に、演奏という再現行為が達成し得る、さらに深遠で、神秘的な奥深さへと聴き手を誘う記念碑的偉業となったのである。

演奏という行ないはいつしか信仰告白とでも言うべき高みへと浄化され、作品は作品としての姿を超えて彼方からの声と一体化する、そんな陶酔的感動の瞬間を作り出してしまっている。

以来、この歴史的ライヴ録音は演奏芸術の鑑として聳え立ち、もちろんその後、誰もこれを凌駕する演奏など作り出していない。

超えられる演奏などではなく、目標として仰ぎ見ることだけが許された名演と言ってもよいのかもしれない。

アメリカ生まれのスウェーデン人の名指揮者ヘルベルト・ブロムシュテット(1927年生まれ)は偶然にもこの演奏を聴くことができた音楽家だが、その日受けた感動をあまりしゃべりたがらない。

同じ指揮者として自分が日々やってることが、このフルトヴェングラーの演奏と対照されるとき、一体どれほどの意味と価値を持つものなのか悩み抜くからで、ことに「第9」の指揮は今なお怖いという。

聴衆の中に一人でもあの日の聴衆がいると思うと怖くてステージに上がれなくなる、いやこの歴史的名演をCDや放送で聴いて感動した人がいると思っただけでも、もう緊張してしまうのだそうである。

世界的巨匠と崇められるベテランの名指揮者を今なお呪縛してしまう、それほどの名演である。

歴史に残る演奏に出会える機会はそうあるものではないが、稀に見る奇跡を記録した演奏がこの「第9」である。

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classicalmusic at 12:23コメント(0)ベートーヴェンフルトヴェングラー 

2019年08月19日


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ザルツブルクに生まれザルツブルク近郊に亡くなったカラヤン(1908-89)は晩年になるにつれ、ブルックナーに接近した。

1970年代半ばから80年代初めにはベルリン・フィルと交響曲全集を完成させたが、80年代の最後には再び、しかし今度はウィーン・フィルとの演奏会でブルックナーの《第7番》《第8番》を採り上げた。

そしてこの《第7番》を1989年4月にムジークフェラインで指揮しているが、それはカラヤンの死のわずか3か月前のことだし、結果的にカラヤン最後の指揮姿となったものである。

この4月というのは因縁深く、1955年以来率いてきたベルリン・フィルの終身指揮者のポストを決して円満とは言えない形で辞任しているし、健康状態にも深い翳りがさしてきていた時期にあたる。

最後の曲目がブルックナーの大作になったことはこの“苦渋に満ちた”巨匠の胸の内を考えると複雑である。

だが、最後の指揮だからといってカラヤンは決して穏やかな好々爺のようなマエストロなどには微塵もなっていない。

いやむしろ精神的な高みへの志向がより明確になり、怖ろしいほどの統率力でウィーン・フィルを牽引、彼方の頂への崇高な旅を続けている。

ウィーン・フィルの美音に甘えるのでもなく、またブルックナーのの深い絨毯に憩うのでもない、あくまでも指揮者としての作品を冷徹に見据え、そのあるべき姿に肉薄していった壮絶なるブルックナーの世界を打ち立てている。

そんな尋常ではない気迫に満ちたカラヤンを前にしてウィーン・フィルは襟を正して演奏に専念、“心の王国”を守る石垣となっている。

“心の王国”と言えば、ブルックナーを聴いている人はずるい、と思っていた時期がある。

ベートーヴェンにもモーツァルトにもない世界がブルックナーにあるのはいいが、同じ感動でもブルックナーのそれは、聴き手が心の中に王国を作ってしまう喜びがあると知ったからである。

ブルックナーを聴いていると気持ちが穏やかになり、雄大なる自然との一体感に包まれるが、それはやがて不思議な高揚感とも征服感ともいうべき満足感へと変わり、いつしか心の中に王国を持ったかのような気分になってしまうからである。

この一人天下とでも完全孤独とでも言える感覚はベートーヴェンからもモーツァルトからも与えられない類のものであり、極端に言えばあとは何もいらない、そんな気分にしてしまう力を持つ。

ちょっと怖いが、ブルックナーにはそんな喜びと怖さが同居している。

指揮者には年齢を重ねるにつれ、ブルックナーに接近していく生き方と、そうではない生き方があるようだが、孤独を代償にできなければブルックナー指揮者にはなれないのかもしれない。

カラヤンは広大なレパートリーを誇ったが、最後の指揮が同郷のブルックナーだったのは象徴的だ。

ムーティをして「神の声を聴く」と言わしめたとされる演奏であり、それは同時に20世紀後半の楽壇をリードしてきた帝王カラヤンの栄光と孤独とが凝縮された名演と言うことになろう。

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classicalmusic at 12:33コメント(0)ブルックナーカラヤン 

2019年08月18日


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2005年にリリースされた12枚組のセットに比べて比較的アバウトな編集で、組曲はパルティータのみ、フランス組曲やイギリス組曲は含まれていない。

またゴールドベルク変奏曲に関しては、彼が23歳の時のセンセーショナルな初録音が取り上げられている。

それにしてもこの6枚のCDはグールドのバッハへの思索を伝えて余りあるボックス・セットだ。

1955年にバッハの録音を開始して以来、その解釈の斬新さ、奇抜な奏法は彼より前の時代のピアニストのバッハ観を覆し、バッハに現代的な生命を吹き込んだ革新的な出来事だった。

勿論彼の仕事はバッハに限ったことではないが、とりわけ対位法作品への傾倒は尋常ならざるものがある。

彼の演奏の特徴は過剰なカンタービレを退け、むしろ極めてドライな感覚でひとつひとつの声部を独立させて、あたかも幾何学的な対位法をイメージさせる。

その構成力の巧みさは言うまでもないが、音の無い部分にまで感知される緊張感の持続は印象的だ。

そうした意味でグールドは、ともすれば行き詰まりになりかけていたそれまでの解釈を劇的に打破したピアノ音楽の改革者でもあり、更に後の時代のピアニストに多くの示唆を与えた新時代の音楽家だった。

彼自身がそれを意識していたか否かに拘らず、天才的なインスピレーションと創意に溢れた音楽は今もってその光彩を失っていない。

リマスターの効果で音質、音量共にレベル・アップされているが、マスター・テープに由来すると思われる音の歪みが数箇所に聞かれる。

完全節約仕様の為、ライナー・ノーツは無い。

収録曲目 CD1. ゴールドベルク変奏曲BWV.988、平均律クラヴィーア曲集第2巻より第9番のフーガ、同第14番のフーガ CD2. インヴェンションとシンフォニアBWV.772-801 CD3. トッカータBWV910-916 CD4. パルティータ第1番BWV.825から第5番BWV.829 CD5. パルティータ第6番BWV.830、6曲の小プレリュードとフーガBWV833-938、プレリュードとフゲッタBWV.899及び同902、9曲の小プレリュードBWV.924-928及び同930、フーガハ長調BWV.952、フゲッタハ短調BWV.961、フーガハ長調BWV.953、プレリュードとフーガBWV.895及び同900 CD6. フーガの技法BWV.1080 コントラプンクトゥス1-9(パイプオルガン使用)、同1、2、4、9、11、13及び14(ピアノ)、BACHの名によるプレリュードとフーガ変ロ長調BWV.898

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classicalmusic at 12:43コメント(0)バッハグールド 

2019年08月17日


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クラウディオ・アラウは、本当に死の直前まで録音を続けたピアニストであるが、彼の最晩年の録音のひとつであるこのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集は、その中でも特に際立った出来を示す名演と考えてよいだろう。

旧盤は玄人好みの渋いものだったが、アラウ/デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデンの組み合わせはスケールの大きい、それでいてのびやかな演奏を引き出している。

アラウは大器晩成型で、まさに円熟の境地としか形容のしようがなく、その花が絢爛と咲き誇ったのだ。

80代半ばに達していたアラウの芸術の集大成であり、ここに彼のすべてがあると言ってよく、聴き手を意識することなく、彼自身の音楽を奏でながら、それがベートーヴェンの本質とぴったり合致した演奏になっている。

肩の力の抜けた堂々とした幅広い表現のピアノ・ソロはすべてを越えたところで音楽が鳴っているといった趣がある。

アラウ最晩年の演奏だが、彼が真に円熟した芸術家であったことを実感させるし、デイヴィスの暖かいサポートも豊かな雰囲気を生み出している。

晩年のアラウとデイヴィスは互いに尊敬しあい、いたわりあっていたが、二人の共演には、アンサンブルの基礎となる深い信頼感が横たわっている。

ここに聴くアラウの演奏は、タッチの衰えなどを感じさせることも否めない反面、この巨匠が生涯の最後に到達した澄み切った至高の境地を如実に反映させている。

枯淡の美と童心に返ったような無垢で無邪気な感情の不思議な融合は、この演奏に最も純化された精神の様相の一つを見出すことを可能たらしめている。

肉体の老化という生命体の逃れられない宿命は、結果的にアラウの精神を比類なき高みに導いたようであり、最晩年にこの境地に達したアラウに深甚なる敬意を表したい。

第1番の第1楽章は俗世を離れた欲も得もない弾きぶりで、立派な音楽そのものしか感じさせないし、第2番の第1楽章もすべての音符が身についていて本当に安心だ。

ことに第3番が素晴らしく、第1楽章には大船に乗った安心感があり、アラウの左手の生かし方はシンフォニックそのもので、カデンツァの雄々しい男性美は、これこそベートーヴェンと言いたい。

第2楽章の落ち着き払った進行にも息を呑むが、他のピアニストの遠く及ばぬ境地であり、第3楽章もオーケストラともどもベートーヴェンの音楽のエネルギーを生かしながら、威圧感を感じさせない。

第4番もことのほか素晴らしく、アラウの解釈はオーソドックスだが、曲調がアラウにぴったりであり、厚みのある和音、無骨な弾き方はベートーヴェンそのもので、媚びや外面の美しさからは遠く、聴けば聴くほど滋味が出てくる。

それでいて明るい音色と垢抜けたセンスが快く、タッチは変化に富み、洗練された響きを生み出していて単なる透徹した響きとは違った魅力を発散している。

遅めのテンポが、ソロ、オケ双方に良い効果をあげていて、第1楽章冒頭の弦のいぶし銀のような音色と柔らかい響きはデイヴィスのフレージングに美しい品位を与えている。

《皇帝》もアラウの演奏は、すべてがそろった名演で、まことに偉大かつ雄弁、音のひとつひとつを大切にいとおしみながら弾いており、音楽が匂い立つ。

第1楽章は音の1粒1粒が大切にされ、ベートーヴェンが何気なく書いた飾りの音型からも新しい意味を掘り起こしてゆく。

第2楽章は初めは淡々と弾いてゆくが、途中からにわかに輝きを増し大家の芸となり、フィナーレも懐の深い表現だ。

《皇帝》はもちろんのこと数多くの演奏家が録音しているが、演奏として心を打つものは意外に少ないように思える。

アラウの《皇帝》は、様式がそのまま表現になっており、型が崩れないままに、慈しみに満ちた人間の歌が聴こえてくる。

バックのデイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデンも純ドイツ風で、充実し切った有機的な響きが快く、ふくよかな響きと自然な表現でよくアラウをサポートしている。

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classicalmusic at 11:55コメント(0)アラウデイヴィス 

2019年08月16日


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れっきとした交響曲だが、スポーツ的快感に浸らせてくれる作品がこのサン=サーンスの手になる《第3番》だ。

サン=サーンスは、音楽だけでなく天文学、詩作、哲学、考古学にも関心を持ち、旅行作家としてはベトナムにまで足を伸ばすほどの多芸多趣味で好奇心旺盛な音楽家であった。

この交響曲にはそうしたサン=サーンスが持つ多様性と何でも吸収して栄養にしてしまう包容力が渾然一体となって盛り込まれた華やかさがある。

前向きかつ健全で、抒情性にも劇性にも健やかな人間性が感じられ、聴き手を途方もない高揚感へ誘う、そんな吸引力に溢れているのである。

それほどの名曲だから、フランス系の指揮者ばかりでなく、トスカニーニ、アンセルメ、カラヤンらが名盤を残してきた歴史がある。

しかし、シャルル・ミュンシュの録音こそは頂点に聳え立つと言って間違いないだろう。

フランスの指揮者としては例外的に豪放磊落な性格を持ち、作品を祭りの最終日の熱狂のように再現しては聴き手を興奮へと駆り立てるテンペラメントの激しいマエストロである。

このサン=サーンス作品はそんなミュンシュのために書かれた交響曲でもあるかのようで、演奏は迷いなく、ストレートに燃焼、スケールも大きければ、表現も骨格が太く、逞しい。

男の美学、いや英雄の美学とでも言えばよいのか、壮麗さにも芯の強さがあり、華やかさにも燃え盛る炎のような勢いがあり、美しさにも太陽の輝きを思わせる光と色彩がある。

オーケストラはミュンシュが音楽監督を務めていたボストン交響楽団、豪快なる鳴りっぷりが最大の売りで、一回りも二回りも大きくなったオーケストラ音楽を堪能させる。

ことにそのエネルギッシュな表現力は格別で、まさに打ち寄せる大海の大波に浸るかのようである。

音色は潤い豊かで、響きは層が厚い。

アンサンブルは緻密な弦セクションが素晴らしいが、朗々と鳴り響くトランペット、ホルン、トロンボーンの金管セクション、空気を裂くかのようなパーカッションこそはこの演奏の最大の魅力であり、それがスポーツ的快感へと誘う原因にもなっている。

フランス音楽は何も優雅さと香りだけではなく、燃え盛る松明のような音楽は聴き手を思わず熱くする。

1959年収録だから、既に60年が経過したステレオ初期の録音だが、XRCD化による高音質化も相俟って、当時のレコーディング・テクノロジーは既に完成されていたと納得させるだけの密度を誇っており、この点でも納得の名曲名盤である。

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classicalmusic at 12:23コメント(0)サン=サーンスミュンシュ 

2019年08月15日


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岩波文庫が企画した対訳本の第一冊目として1988年に出版された。

訳者杉本秀太郎氏が本書の追記でも述べているように、ここに掲載された対訳は1978年に湯浅書房版のために訳出したものからの改訳ということだ。

この作品の神秘と幻想性を良く捉えた、質の高い、しかも平易で分かりやすい自然な文体に訳者の力量が感じられる。

難解な表現や単語を一切避けて、あくまでも日本語の口語体の散文に相応しい会話に訳し出されているところを高く評価したい。

オペラのリブレットの対訳と同様、見開きの左側に原作、右側に訳文が置かれ、両文の内容的な整合性も2ページの中でぴったり収まっている。

欲を言えばこの戯曲の雰囲気をイメージさせる挿絵をカラーにして欲しかった。

廉価な文庫本に多くを求めることはできないが、1922年にカルロス・シュワップによって描かれた挿絵専用のオリジナル原画は、寡黙なこの作品に良く合っている。

またその時代のアール・ヌーヴォー調の作風には特有の懐かしさがある。

尚これも追記に明らかだが、ドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』に使われているリブレットとは若干の差異がある。

狩で森に迷いこんだ王子ゴローは、泉の傍で泣いているメリザンドを見つけ、妻とした。

ゴローの弟のペレアスもまたメリザンドに惹かれる。

彼らは互いの心に、二人だけの夢が宿っているのに気づくのだった。

いらだつゴロー…。

メーテルランク(1862‐1949)のこの戯曲に、ドビュッシーは美しい音を与えてオペラ化した。

オペラでは1幕一場、2幕四場、3幕一場、そして5幕一場が省略されているし、逆に3幕冒頭のメリザンドのアリア「私は日曜日に生まれた」はこの訳本にはない。

いずれにしてもそれは些細な改変で、ドビュッシーはかなり忠実に原作を音楽化しているので、オペラの対訳としても利用できるだろう。

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classicalmusic at 12:17コメント(0)ドビュッシー 

2019年08月14日


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この2枚組のアルバムも既に数回に亘ってリイシューを重ねている名盤のひとつで、2008年にはデッカ・ザ・オリジナルス・シリーズに加わって廉価盤化された。

現在日本ではそちらの方が入手困難になっているようだが、輸入盤では入手可能だ。

アルベニスの「白鳥の歌」となった全4曲12集から成る組曲《イベリア》について、ラローチャはかつて「私たちの性格や気質、気候すら反映している」と語っているように、文字通りスペインの多様な音楽が凝縮されているピアノ曲集であり、それらをラローチャほど見事に表現した例もない。

彼女がお国物の強みを最大限に発揮した曲集のひとつで、それぞれの曲のタイトルに示されたローカル色豊かな熱っぽい空気感と、映像的な情景描写は他のスペイン系ピアニストにも追随を許さないものがある。

スペインの色彩、リズムが独自のスタイルを作り上げ、ラローチャの余裕あふれる演奏が素晴らしい。

その洗練されたタッチから生み出される絢爛たる色彩感、舞踏へのリズミカルで決然としたダイナミズムには血の騒ぐような民族性が宿っていることは否定できない。

それが偏狭な民族色に堕することなく、誰からも憧憬の念を促すような高踏性が共存している。

これらの曲集は難曲揃いということでも知られているが、すっかり手の内に収めた表現力と音楽的に磨き抜かれた彼女の感性は賞賛に値する。

スペイン特有の強烈な光と闇、陽気さと悲しみなど、色彩や感情のコントラストを民族舞曲による多彩なリズムで表現したアルベニスの音楽の魅力を生き生きと表現している。

ギター編曲でも親しまれている民族色豊かな《スペイン組曲》、絶筆となったホタのリズムによる《ナバーラ》など、どの曲も鮮やかなリズムと音色が素晴らしい詩情豊かな名演である。

デ・ラローチャの故郷バルセロナを州都とするカタルーニャ州は建築家ガウディを始めとして作曲家アルベニス、グラナドス、モンポウ、チェリストではカザルスやカサド、歌手のデ・ロス・アンへレス、カバリエやカレーラスなど数多くのアーティストを輩出した土地柄というだけでない。

また民族意識の高さと強い郷土愛でもスペインのどの地方にも引けを取らない自治州だ。

そうした環境で育ち、音楽を学んだデ・ラローチャであれば尚更郷土の作曲家の作品を世に問う使命感があったに違いない。

ちなみに彼女はグラナドスの孫弟子に当たり、彼とデ・ファリャの作品集もつい最近3枚のCDにまとめられてデッカから復活している。

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classicalmusic at 12:47コメント(0)ラローチャ 

2019年08月13日


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エドガル・モローは、決して個性を強調した演奏家ではなく、基本をしっかりと押さえてその中に超一流のデリカシーと自由で豊かなファンタジーを託した表現がこれからの彼に期待感を持たせる。

そこにはまだ俗世の煩わしさに染まっていない爽やかさが感じられるが、筋の通った正統的で揺るぎない解釈も聴き逃せない。

若い頃から強烈な個性を発揮するアーティストも多いが、その個性を長いキャリアにおいて全うさせることは非常に難しいし、時としてそれが枷になって息詰まりを起こして演奏スタイルを変えざるを得なくなるケースもある。

モローの場合既にあらゆる部分でのバランスがとれた調和に支えられた無理のない奏法が、将来大器に成長する可能性を秘めたチェリストであることを証明している。

このアルバムでは万人向けのポピュラーな小品を、間隔を置かずにメドレー風に収めたトレイラー的な性格が否めないにしても、演奏の方はどれをとっても彼のオールマイティーな能力を示していて興味を逸らさない。

最初の『チャルダッシュ』冒頭の深い歌い込みから、テクニックの切れの良さを示した後半部のコントラストが鮮やかだ。

同様にこのディスクではカンタービレの美しさと目の醒めるような超絶技巧を交互に披露する選曲が特徴的だし、彼の快活なスピリットを疾走させた現代作品からのレパートリーも数曲加わっている。

できれば1曲でもソナタのようなじっくり鑑賞できる作品を入れて欲しかった。

規模の大きな曲をどう処理するかで彼の音楽性を知りたいと思うからだ。

フランスは世界的なチェリストを絶やさない国だが、現在若手のトップたるゴーティエ・カピュソンが芸術家としての高い音楽性と、職人気質のサービス精神を発揮して、真似のできない独自の世界を作り上げている。

一方モローは奇しくも彼を追う、しかしカピュソンとはまた異なった資質の才能のように思われ、それは彼が将来明らかにしてくれるだろう。

ピアニストのピエル=イヴ・オディクも控えめだが感性豊かな伴奏を聴かせていて、こちらもこれからが楽しみな演奏家だ。

ライナー・ノーツは17ページで簡易な曲目解説と、モロー自身によるコメントが仏、英、独語で掲載されている。

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classicalmusic at 12:13コメント(0)エルガーサン=サーンス 

2019年08月12日


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高階氏は先ずルネサンスを育む土壌となったフィレンツェ共和国という都市国家の特異性を説くことから始めている。

引用されているヴァサーリの言葉は確かにこの国の体質を象徴している。

コジモ・デ・メディチによって創設されたアカデミアでネオ・プラトニズムや新しい科学に感化されて育った文化人や芸術家達は、彼らの才能を先進的な創作活動に注ぎ込むが、フィレンツェがその爛熟と凋落の狭間にさしかかった時、メディチ家の当主ロレンツォ・マニフィコは外交的な政略手段として多くのアーティストの外部派遣を敢行する。

しかしその後彼らは故郷での仕事に再び就くことは稀だった。

何故なら因習的なフィレンツェの人々の趣味は洗練に敏感であっても革新的なものには常に懐疑的だったからだ。

そしてロレンツォのサヴォナローラとの確執と敗北、更にサヴォナローラの火刑に至る時空をフィレンツェで生き続けたボッティチェッリの作風が第七章までの中心的なテーマになる。

これについては同著者の『フィレンツェ』に詳しいが、以降の考察に欠かすことができないプロローグとなっている。

ルネサンス以降のアーティスト達は作品に彼らの哲学や宗教的、あるいは歴史的事象を意識的に盛り込むので、ヨーロッパ文化から離れた世界の人にとっては、個人の美学的センスに頼るだけでは充分ではなく、いわゆる絵解きが不可欠になってくる。

後半では三美神や目隠しされたキューピッドの意味するところが詳述されているが、ボッティチェッリの『春』ひとつを鑑賞するのに最低限知っておくべきことが如何に多いかという事実も、彼が当時を代表する第一級の教養人だったことを証明している。

こうした絵解きをしていくことによって初めてそれぞれの作品の深みに接することが可能になるだろう。

しかしある程度のルールを理解するのであれば、それは他の作品にも応用できる。

そうした重要なヒントが満載されているのが本書だ。

その意味では学術書であると同時に芸術作品鑑賞のための最良のガイド・ブックになり得る優れた解説書でもある。

確かに掲載された写真は総て白黒でサイズも充分な大きさとは言えないが、現在インターネットを通じてたやすく作品のイメージを閲覧できることを考えれば、それらの欠点を補って余りある価値の高い著作だ。

アカデミアのネオ・プラトニズムはプラトン哲学とキリスト教の整合性を観念的に理想化しているが、そうした複雑な考察がさまざまな名画にも映し出されている。

第四部2人のヴィーナスではボッティチェッリの『ヴィーナス誕生』からティツィアーノの『聖愛と俗愛』、ラファエッロの『騎士の夢』、更にはティツィアーノの『フローラ』や『聖女マグダレーナ』と続いて女神ヴィーナスの持つ二面性を説いている。

美の象徴であるヴィーナスには、その背後に快楽をもたらす娼婦のイメージが二重写しになるのは宿命と言えるだろう。

第五部ではジョヴァンニ・ベッリーニの『神々の祝祭』の謎めいた登場人物についての詳細な考察が興味深い。

カトリック宗教画の権威だったベッリーニがイサベッラ・デステとの長い交渉の末にようやく承諾した異教の神々の宴に寄せた作品は、実は1502年に結婚した弟のアルフォンソ・デステとルクレツィア・ボルジャのために描かれたと結論付けている。

神々のそれぞれの顔は新郎新婦やこの絵画制作を仲介したピエトロ・ベンボ、またベッリーニ自身の自画像になっているが、弟子のティツィアーノによってかなり大胆な手直しがされた事情も解き明かされている。

それはアルフォンソの趣味に合わせた改変だが、新しい絵画様式の到来をも告げていて象徴的だ。

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classicalmusic at 12:52コメント(0)芸術に寄す 

2019年08月11日


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フランスの若手ヴァイオリニスト、ルノー・カピュソンがこれまでに行ったセッションの中からそのエッセンスを抜き出してリカップリングした3枚組セット。

廉価盤化されているが楽章単位の抜粋編集になるので試聴サンプラーとしては好都合だが、欲張ってあまりにも多くの作品を詰め込んだために、じっくり全曲を聴きたい方には中途半端な印象が残るだろう。

例えば協奏曲編ではメンデルスゾーンは第1楽章、コルンゴールドとシューマンは第2楽章、ブラームスとベートーヴェンは第3楽章のみで、アンサンブル編でも全曲収録されているものはひとつもない。

最後のアンコール・ピース集ではマスネの『タイスの瞑想曲』やディニクの『ホラ・スタッカート』などのスタンダード・ナンバーが楽しめるが、サン=サーンスの『動物の謝肉祭』はフィナーレのみが収められている。

尚詳しい曲目はアマゾンのページ左上のボックス裏の写真を参考にされたい。

彼は先輩デュメイのような濃厚な情緒を表出するタイプではなく、ヴィブラートのかけ方も比較的浅く、ごく控えめだが要所要所にポルタメントを巧みに入れて滑らかな感触を出しながら全体的にすっきりとした輪郭を持つ独自の奏法を確立している。

ここではラヴェルの『ツィガーヌ』を聴くと、カピュソンの方がデュメイより遥かに古典的な仕上がりになっているのが理解できるし、そのアプローチの違いも歴然としている。

彼はまたアンサンブルのジャンルでも非凡な才能と意欲をみせ、弟のチェリスト、ゴーティエやピアニストのブラレーを始めとする多くの共演者に恵まれていることもあって、若手の奏者には珍しく既に質の高いかなりの数のCDをリリースしているが、2枚目のCDでその片鱗を窺うことができる。

また彼はなかなかの美音を誇っている。

使用楽器はストラディヴァリとグァルネリで、基本的には2005年以降の録音では後者を弾いている。

どちらも張りのある艶やかな響きに特徴があるが、こうしたヴァイオリンの音色を優れた音質で堪能できるのもこのセットの魅力のひとつだ。

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classicalmusic at 12:40コメント(0)ラヴェル 

2019年08月10日


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42歳で早世した天性のピアニスト、ジュリアス・カッチェンが30代後半に録音したブラームスのピアノ・ワーク集で、総てのピアノ曲を網羅した全集ではないが、6枚のCDからなるボックス・セットには幸い代表作の殆んどが収録されている。

例えばバッハからの編曲になる『左手の為のシャコンヌ』を含む5つの練習曲や、その他数曲に関しては省かれている。

いずれも1962年から65年にかけての、カッチェン30代後半の全盛期の録音で、彼の典型的な演奏スタイルが映し出されているだけでなく、短かった生涯を駆け抜けるように精力的に生きた彼の芸術に触れるには絶好の曲集だろう。

カッチェンの作品に対する真摯な態度とその奥に瑞々しい詩的な感興を行き渡らせた演奏によって、今日も尚、ブラームスのピアノ曲における1つの指針としての価値を持つ。

そして何よりも指摘しなければならないのは、どの音にもピアニストの音楽に対する感動が生き生きと投影されていることだ。

それは、ある時にはブラームスの若々しい叙情性を引き立てているし、また時には老作曲家のささやかな旋律にしっとりとした詩情を与えている。

今、技術的にはこの上をゆくピアニストはいくらでもいるだろうが、こんな演奏を聴かせてくれる人はそうざらにはいない。

この曲集のなかでもメインは3曲のソナタと5曲のヴァリエーションになるが、そのほかのバラードやラプソディーなどの小品でもカッチェンは嫌味のない真摯な演奏を聴かせてくれる。

基本的に彼の解釈は率直かつシンプルなもので、どんなに大曲であってもくどくならないし、非常に幅広いダイナミズムを駆使して、超絶技巧で猛進するような覇気と沈潜した静寂とが少しも不自然にならずに表現されている。

また注意深く控えめなペダリングで常に明晰な音を保っているのも特徴的だ。

特に3曲のピアノ・ソナタをこれだけ鮮烈に弾ききった演奏も珍しい。

最後のCDのハンガリー舞曲集では豪快で奔放な指さばきを披露して楽しませてくれる。

同舞曲の第11番から第21番まではフランスのピアニスト、ジャン・ピエール・マルティとの連弾になる。

当時のデッカの録音技術も概ね満足できるもので、ごく一部に音の歪みが聞かれる程度で全体的に時代の経過はそれほど感じさせない。

尚1枚目のアンダンテニ長調、インテルメッツォロ短調、そしてアンダンテ・コン・モートロ長調の3曲のみがモノラル録音になる。

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classicalmusic at 11:57コメント(0)ブラームスカッチェン 

2019年08月09日


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既に過去数回に亘ってリリースを続けているRCA音源のルービンシュタイン・ショパン全集には、巨匠の最後の芸風が刻み込まれている。

特にこのセットの為に新しいリマスタリングが行われたわけではないので、言ってみれば焼き直しのリイシューに過ぎないが、前回の11枚組を、曲目を変更せずに順番を入れ替えて10枚にまとめ、装丁を一新したところに価値がある。

幅広いレパートリーを誇っていたルービンシュタインではあるが、彼が最も身近に感じていた作曲家、そして最も得意にしていた作品は、ルービンシュタインと同じくポーランド生まれであるショパンだろう。

CDの殆どが、彼が新即物主義的な解釈に移った後の1956年から67年にかけてのステレオ録音で、一見あっさりした表現に隠された筋の通った解釈には真似のできない深みがある。

ただSP時代のルービンシュタインのショパンは、もっと激しい“動的な”演奏ぶりであったが、70歳を超えてからのこの録音は、さすがに淡泊になっている。

それでも演奏は、巨匠の芸と言うべきか、華やかさと粋があり、現代では聴くことのできない名人趣味が横溢していて見事であり、まさに曲を自家薬籠中にした自信の賜物と言えよう。

19世紀的な名人気質を残しながらも、新しいワルシャワのパデレフスキー版に挑戦を試みるあたり、ルービンシュタインの魂の若さに打たれる。

そして傍若無人に名人芸を発揮するのみでなく、楽譜に対する忠誠心と作品への謙虚な尊敬も、この大家は決して忘れてはいない。

確かに現代に生きる私達にはルービンシュタイン以上にスマートで、目の醒めるような鮮やかな演奏が当たり前になっている。

しかし彼の一種冒し難いまでの風格や情緒と、特に「マズルカ」で聴かせる、洗練された中にも彼らの祖国ポーランドの民族的な郷愁を漂わせた特有の佇まいは、替え難い魅力に溢れている。

「ワルツ」では、酸いも甘いも噛み分けた往年のサロンのスターが、かつてのダンディぶりを回想しながら、その思い出に耽っているようなムードが、なんとも魅力的で美しい。

「ノクターン」の演奏も素晴らしく、静かな抒情の流れを大切にした、大家巨匠の芸が存分に味わえる。

「ポロネーズ」においても、ルービンシュタインは、ポーランド人でなければ出せない味を窺わせ、その豪快な演奏は実に感動的でもある。

彼は時代によって著しく演奏スタイルを変えたピアニストだが、このセットでは9枚目の1946年モノラル盤だけが僅かに、過ぎ去った華やかなヴィルトゥオーソ時代の片鱗を残していて興味深い。

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classicalmusic at 12:06コメント(0)ショパンルービンシュタイン 

2019年08月08日


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ガーディナーは、1985年に『ロ短調ミサ』、86年に『ヨハネ受難曲』、87年に『クリスマス・オラトリオ』を録音し、最後に『マタイ受難曲』を録音してJ・S・バッハの4大宗教作品のシリーズを完了した。

最後に『マタイ』を置いたのは作品の重みを考慮してのことだろうが、やはりリヒターによる不滅の名演を意識せざるを得なかった部分も大きいだろう。

それだけに結果が新鮮で素晴らしく優れた『マタイ』になっているのは喜ばしい。

ガーディナーの演奏スタイルは、19世紀以来のドイツでの伝統的な重厚な演奏ではない。

そのオリジナル楽器とバロック唱法で歌われる明晰明朗な『マタイ』は新鮮な驚きと新たな感動を呼ぶ。

まず合唱だが、冒頭部などでやや不安定な箇所があるなど万全でない部分があるのが残念だが、総じて水準の高い演奏を保っている。

特にコラールにおける静かに湧き出てくるリリカルな情感は素晴らしい。

ソリスト陣では、なんといってもキーになるエヴァンゲリストのロルフ・ジョンソンが幅のある表現で劇的に物語を語っていくのが印象的。

ただ、ガーディナーのスタイルは、総じて静かな流れを基調としているだけに時には浮き上がってしまう場面もある。

また、テキストの一語一語の意味をもう少し大切にして欲しい箇所もある。

その他のソロでは、メゾ・ソプラノのフォン・オッターの奥の深い表現とシュミットの若々しいイエスが良い。

また、カウンター・テナーのチャンスの歌唱力もさすがで、第39番のアリア“Erbarme dich, mein Gott”(憐みたまえ、我が神)の内なる感情表現は説得力がある。

このアリアでは、オブリガート・ヴァイオリンのニュアンスの豊かさも聴きもので、器楽を担当するイングリッシュ・バロック・ソロイスツが常に陰影豊かな卓越した表現を行なっているのも3時間半に及ぶ長丁場を飽きさせずに聴かせてくれる大きな力になっている。

尚、ライナー・ノートにガーディナー自身の『マタイ』の構成区分の解釈が付されているのが大変参考になる。

こうしてオリジナル楽器の優れた『マタイ』を聴くと今日のバッハ演奏の新しい流れの方向がはっきり示された録音だったという確信が持てるほど、この演奏は新鮮な魅力に満ち溢れている。

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classicalmusic at 12:18コメント(0)バッハガーディナー 

2019年08月07日


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収録曲は5曲で、3曲の『ヴィオラ・ダ・ガンバとオブリガート・チェンバロのためのソナタ』と2曲の編曲物で構成されている。

このうちBWV1020はフルート・ソナタト短調、またBWV1022の方は偽作とされているヴァイオリン・ソナタヘ長調が原曲で、後者はスコルダトゥーラ調律が要求される曲なのでソロ・パートはト長調で書かれているが、実際には全音下の調が響くことになる。

スークのヴィオラでの演奏は大らかな優雅さに満ちていて、アレンジによる違和感が全く感じられないばかりか、バッハの音楽の融通性とその包容力に今更ながら驚かされる。

ガンバとの奏法の違いについて無知な筆者はどちらがより弾き易い楽器なのか判断しかねるが、音量的にも潤沢で何よりも彼の演奏には円熟期の余裕がある。

一方ルージイッチコヴァはレジスターの使用をかなり制限して、低いヴィオラのソロを引き立てているし、それぞれの声部も明瞭に感知させている。

彼らのバッハのヴァイオリン・ソナタ集ではチェンバロのレジスターをいじり過ぎた感が否めないが、ここでのアンサンブルは両者のごく妥当なバランスが保たれている。

チェコの名手、ヨセフ・スークとズザナ・ルージイッチコヴァは1960年代からの共演で多くのバロック作品の録音を残してくれた。

ルージイッチコヴァの演奏を初めて耳にしたのはランパル、スーク、プラハ合奏団との『ブランデンブルク協奏曲第5番』で、彼女の颯爽とした華麗なソロに惹かれ、その後にリリースされた『ゴルトベルク変奏曲』も期待を裏切らない素晴らしい出来栄えだった。

当時はピリオド楽器による演奏はまだ少数派で、彼女の楽器も16フィート装備のモダン・チェンバロだったが、今でこそいくらか違和感が感じられる音色と音量も、新鮮なバロック音楽に飢えていた者には渇を癒す鮮烈な響きだった。

スークとはバッハとヘンデルのヴァイオリン・ソナタ集及びモーツァルト初期の同曲集、そしてシュタルケルとはこのCDと同様の3曲のヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタのチェロ版を録音している。

尚このセッションは1996年にプラハで行われ、彼らのコラボでは最後に位置する曲集になった。

やはりモダン・チェンバロ使用でa'=440Hzの現代ピッチが使われている。

CD自体はプラガ・ディジタルスからのリイシュー盤で、別冊ライナー・ノーツの付かない見開き3面のデジパック入り。

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classicalmusic at 12:40コメント(0)バッハスーク 

2019年08月06日


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エンニオ・モリコーネの映画音楽ベリー・ベスト盤は10年ほど前に企画された、オリジナル・サウンド・トラック60曲を収録した3枚組『プラチナム』だが、今回のアルバムは彼自身が選曲してチェコ・ナショナル交響楽団を指揮したものだ。

録音会場はプラハ、ダブリン、ロンドン、ケルン、アントワープ、アムステルダム及びロックロウの七箇所に渡り、ミキシングはローマで行いマスタリングはロンドンのアビーロード・スタジオという、まさにヨーロッパ・ツアーでの精力的な音楽活動とその成果が結集されている。

トラック20から23の4曲を除いてその他の総てが新規に録音されたものになる。

収録曲は23曲でCD1枚分に纏めてあるが、レギュラー盤、ボーナスDVD付2枚組、LP仕様と更に日本盤のSHM−CDを加えると実に4種類の選択肢があり、ここではDVD付ヴァージョンの概要を書くことにする。

DVDにはアメリカの映画監督クェンティン・タランティーノの作品のために作曲された音楽の収録風景が映し出されている。

チェコからロンドンのアビー・ロード・スタジオにやって来たオーケストラを指揮するモリコーネの姿を中心に、彼らや録音担当のエンジニア及びスタッフへのインタビューなどで構成されていて、1本の映画を制作するためのコラボへの情熱と矜持が表れている。

ここでは実際の映像シーンをオーバーラップさせながらフル・ヴァージョンのスコアが演奏されているが、最近の彼の作風を知る上で興味深い。

尚ここで演奏されている作品は『エクソシスト』より「リーガンのテーマ」、『ヘイトフル・エイト』より「レッドロックへの最後の駅馬車」、「雪」及び「白の地獄」で、これらの曲はCDの方には組み込まれていない。

言語は英語でサブタイトルも英語のみ。

ごく簡易な紙ジャケットにCDとDVDが挿入されていてトラック・リストが掲載されたパンフレット付。

モリコーネの音楽には庶民の夢や希望、そして哀感が巧みに表現されていて、そうした独自の手法は彼が担当した映画を青春時代から観てきた筆者を強い郷愁に駆り立てる。

勿論筆者だけでなく、それらの作品に共感し励まされ、また涙した人も数限りない筈だ。

彼の音楽は聴衆に媚びるのではなく、心の琴線に触れるような温もりがあって、それがもはや帰ることのない失われた日々へのララバイのように聞こえてくるのは年のせいかもしれない。

映像とサウンドを離れ難く結び付ける彼の手腕は天賦の才と言うべきだろう。

彼がイタリアでは先輩ニーノ・ロータ亡き後の映画音楽の巨匠であることは明らかだが、未だ衰えることのない活動を続けているのは頼もしい限りだ。

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classicalmusic at 11:46コメント(0)芸術に寄す筆者のこと 

2019年08月05日


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20世紀の演奏の世界を大いに刺激したのが、古楽演奏であった。

作品はそれが書かれた時代の楽器、奏法、様式、考え方、スタイルで再現されたとき、初めて真実の姿を現す。

即ちそれこそが作曲者がイメージしていた作品の生きた姿であり、当時の聴衆が味わっていた演奏の醍醐味であるというわけである。

ことに20世紀のオーケストラはリッチなサウンドと分厚い表現法に傾いていただけに、バロック、古典派の作品再現にかけては重大な欠陥あるいは誤解を与えている、そんな反省も含めた新しい動きであった。

兆しは早く、アーノンクールなど1953年に古楽オーケストラ、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを立ち上げ、古楽演奏の意味と大切さとを説いていた。

だがその魅力と大切さが演奏家だけでなく聴き手をも取り込む形で浸透、発展し、うねりにも似た現象となったのは1970年代からと言ってよいだろう。

1934年オランダに生まれたフランス・ブリュッヘンは当初、リコーダーやフラウト・トラヴェルソの名演奏家として脚光を集めたが、1981年に「18世紀オーケストラ」を組織、ハイドン、モーツァルト作品を主な対象とする新たな指揮活動を展開していった。

歴史的脈絡を大切にした作品の解釈、世界の傑出した古楽演奏家たちを結集させたオーケストラによる知的で、斬新で、情熱的な演奏は、たちまち聴き手にセンセーショナルな感動を与え、彼らは古楽オーケストラのニューリーダー的存在感すら見せるようになった。

その勢いはモダン・オーケストラのレパートリーからハイドン、モーツァルトを奪い取る、そんな事態すら招いたのだから、これは驚きであった。

今日では古楽オーケストラが果たした業績は広く認められ、またモダン・オーケストラに吸収される形で浸透している。

その分、過度の期待感もなくなってきたが、1990年に録音されたハイドンの交響曲《軍隊》と《ロンドン》を聴くと、古楽オーケストラが達成した成果の素晴らしさに啞然とさせられる。

混濁しない響きの爽やかさ、各声部の輪郭と存在感が際立ったアンサンブル、弦楽器の優しくも鋭い表現力、対照的に雄弁かつ多彩な管楽器、目も覚めるような打楽器の活躍ぶりなどを得て、ハイドン作品は一気にその情報量を拡大、聴き手に新たな姿を見せるようになった。

しかもこのコンビの素晴らしさは、こうした特質の呈示で終わるのではなく、そこから彼らの演奏の掘り下げが始まる点にあろう。

その結果、交響曲はあたかも作品自らが語り出す姿を顕し、私たちが予想もしていなかった感動の世界へと誘うものになっている。

確かに古楽演奏は主観ではなく、いわば客観主義の成果と言えよう。

しかし、客観主義も徹すれば人間的な幅広さが獲得され、主観も客観も超えたもうひとつ別次元の感動の領域へと分け入っていくことが可能となる、そんな奇跡を見せた演奏と言えようか。

まさに古楽オーケストラが実現してきた成果を結晶にした名演だが、ここまでくると次の課題に挑戦せざるを得なくなる。

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classicalmusic at 12:38コメント(0)ハイドンブリュッヘン 

2019年08月04日


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カルロ・マリア・ジュリーニ(1914-2005)がユニヴァーサル傘下に遺した全音源を42枚のCDに纏めたボックスで、殆んどがウィーン・フィル、ロサンジェルス・フィル及びシカゴ交響楽団時代の、彼の円熟期のレコーディングになる。

ジュリーニはデビュー当時からEMIと契約していたので、ライヴは別として壮年期までのディスクは彼の死後逸早くEMIから全3巻都合30枚に纏められ、また晩年のソニーへの録音集は22枚のセットでリリースされたが、グラモフォンとデッカ盤がようやっと今年になって集大成された。

勿論これらは総て既出音源で、デッカに入れたニュー・フィルハーモニアとのモーツァルトの交響曲2曲とプラシド・ドミンゴとのアリア集を除いて個別に入手可能だ。

ロサンジェルス・フィルとのベートーヴェン及びブラームスの交響曲集は当初からその細部に至る緻密な再現と溢れるようなカンタービレの美しさで評価が高かった。

このセットにはウィーン・フィルとの録音も収録されているので、両オーケストラのサウンドの違いやジュリー二の演奏スタイルの変化を比較することができる。

後年ジュリーニはレパートリーをかなり絞って、自身で納得した曲だけを繰り返して演奏するようになった。

CD13ブリテンの『テノールとホルン及び弦楽のためのセレナード』はCD22フォン・アイネムのカンタータ『あとから生まれる人々に』と並んで彼が採り上げた数少ない20世紀の作曲家の作品だ。

前者では神秘の中に描き出す繊細で映像的な情緒が秀逸で、シカゴの首席デイル・クレヴェンジャーのホルン・ソロとロバート・ティアーのテノールと相俟って名演の名に恥じない演奏だ。

協奏曲ではいわゆるスタンダード・ナンバーが並んでいるが、ホロヴィッツ、ミケランジェリ、ベルマン、ツィマーマンなど錚々たるソリストが協演している。

もうひとつ興味深いのはヴェルディのオペラ『リゴレット』『トロヴァトーレ』で、ジュリーニは晩年オペラから手を引いてしまう。

それは彼自身がインタビューで答えているが、飛行機を使ってオペラハウスを掛け持ちして歌い続ける歌手達は、既に声が疲れている上に、時間がないために指揮者の要求する充実した稽古にも参加せず、またそれぞれのマネージャーも芸術的な仕上がりを重視しなくなってしまったという事実からだ。

大歌手と言われた人達の、言ってみれば最後の時代がジュリー二の晩年と一致していたのは幸いと言う他はない。

ここではカップッチッリやドミンゴ等がその健全な美声を思う存分謳歌していた、声の饗宴が記録されている。

アバドやムーティによって原典主義が唱えられ、歌手達の勝手な表現や華美な装飾音などが一掃され、オペラの上演にとって文学的な追究やストーリーの整合性に重点が置かれるようになると、歌手は指揮者の持ち駒となって必然的に小粒にならざるを得ない。

ジュリーニもまた個性豊かでおおらかな歌唱をある程度許してはいるが、作曲家がスコアに書き記した音符には最大限の敬意を払っていることは言うまでもない。

最後にヴェルディの『レクイエム』に関しては彼の第1回目の素晴らしい録音がEMIに遺されていて、正直言ってこちらのベルリン・フィルとの新録音はいくらか分が悪い。

旧録音には壮絶な覇気があり4人のソリストもシュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、ゲッダ、ギャウロフが当時臨むことが出来た最高のメンバーだったこともあって、この演奏は残念ながら彼らには到底及ばない。

中でもバスのサイモン・エステスは癖が強くメフィストフェレスのような歌唱に疑問が残る。

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classicalmusic at 12:16コメント(0)ジュリーニ 

2019年08月03日


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フルートの達人、ジェームズ・ゴールウェイは、ジャンルにこだわらずに演奏する真のエンタテイナーで、“黄金のフルートをもつ男”の通称で知られる。

カラヤン率いる1970年代のベルリン・フィルには名だたるスター・プレイヤーがひしめいていた。

当時はヴァイオリンのシュヴァルベ、シュピーラー、ブランディス、チェロのボルヴィツキー、フィンケ、フルートのゴールウェイ、クラリネットのライスター、オーボエのコッホ、ファゴットのピースク、 ホルンのザイフェルト、トランペットのグロート、そしてティンパニのフォーグラーなど超一級プレイヤーがズラリと勢揃いしていた。

彼らがまさにオーケストラの顔であり、カラヤンと共に黄金期のベルリン・フィルのサウンドを創っていたと言っても過言ではないだろう。

その代表的な1人がゴールウェイで、カラヤンも惚れ込んだ彼のサウンドは、輝かしく美しく朗々と鳴り渡るものだ。

その桁外れの美音は、同時期のベルリン・フィルのフルート奏者、ツェラーやブラウもゴールウェイの後塵を拝していたと言わざるを得ない。

彼が楽団から離れた直後の1976年からキャリアを進展させる99年までの録音の中からフルートと管弦楽の為の音楽ばかりを12枚のCDにまとめたのがこのセット。

ソニー・クラシカル・マスターズの初回限定生産になるが、オーケストラ出身の強みを生かしてか協奏曲での演奏も実に巧みだ。

彼の演奏の特徴は、幅広いレパートリーを優れたテクニックとビロードの音色とパワフルな音量に託して大らかで温かに表現するところにある。

またモイーズやランパルに師事しただけあって洗練された粋なセンスとカンタービレの美しさも持ち合わせている。

このセットではバロック、古典は勿論だが、最後の2枚に収録されたロドリーゴ、アーノルド、イベール、ニールセン、メイヤーと続く現代物で聴かせる機知に溢れる演奏と超絶技巧は圧巻だ。

完全節約仕様の為、ライナー・ノーツは省略されて曲目のみが紙ジャケットとボックスの裏に印刷されているが、コスト・パフォーマンスは極めて高く、曲順はクロノロジカルな編集になる。

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classicalmusic at 11:05コメント(0)ロドリーゴニールセン 

2019年08月02日


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旧ソヴィエトから西側に亡命したアーティストの中でも、アシュケナージは若干26歳で早くも祖国に留まることに音楽家としての限界を感じて英国に亡命を果たした。

そこには彼の已むに已まれない東側への絶望感と、堰を切ったように噴出した新天地への大いなる希望があったに違いない。

このCDに収録された2曲のラフマニノフの協奏曲は奇しくも彼の亡命の年、1963年に録音されている。

第2番は亡命直前の3月、そして第3番はその直後9月及び10月のそれぞれがセッション録音になる。

前者はキリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団、後者はアナトール・フィストゥラーリ指揮ロンドン交響楽団のサポートだが、若きアシュケナージのピアノ演奏をしっかりと下支えするとともに、両曲の有するロシア風のメランコリックな抒情を情感豊かに表現しているのが素晴らしい。

後にコンドラシンもオランダに亡命することになるのは偶然だろうか。

何よりもラフマニノフ自身が亡命者だったことも皮肉な事実だ。

作曲家が生涯拭い去ることができなかった憂愁とロマン派の残照を執拗なまでに引き摺った曲想は時代遅れの謗りを免れないが、彼は最高度に洗練されたピアニズムでロマン派の末尾を飾ったとも言える。

近代的なピアノ技法と力強いダイナミズム、さらには豊かな抒情性をも配したラフマニノフの傑作協奏曲を、アシュケナージは若々しい情熱と卓越したテクニックをもって、その音楽的魅力を余すところなく表現し尽くしている。

アシュケナージの演奏には流石に若い頃の磐石なテクニックが縦横無尽に発揮されているが、かと言って決して全面的な名技主義に走ったものではない。

華麗であってもそれを支えるモチベーションの高さが感じられ、迸るような音楽性に溢れていてムード音楽的な雰囲気とはきっぱり決別した高踏派の音楽が聴こえてくる。

チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、飛ぶ鳥落とす勢いであったアシュケナージの好調ぶりを窺い知ることが可能な演奏とも言えるところであり、そのなりふり構わぬ音楽の進め方には、後年の円熟のアシュケナージには考えられないような、凄まじいまでの迫力を感じさせる。

第3番のカデンツァの選択にも彼の作品への注意深い洞察が表れている。

音質については音源の古さのわりには幸い良好なサウンドが再生される。

おそらくこれまでにリリースされた同音源のディスクの中では最も澄んだ音質とピアノの潤沢な音色が鑑賞できるのはブルーレイ・オーディオだろう。

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classicalmusic at 12:21コメント(0)アシュケナージコンドラシン 

2019年08月01日


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1988年にマリインスキー劇場の首席指揮者、キーロフ・オペラの芸術監督に就任して以来、卓越した音楽性、芸術性そして統率力で、数々のロシア・オペラを全世界に向けて発信し続けてきたゲルギエフ。

近年は、拠点はロシアに置きつつ、活動の場をニューヨーク、ウィーン、ザルツブルクなど世界の舞台に最も精力的な活動をしている指揮者である。

1998年のザルツブルクでウィーン・フィルと行ったチャイコフスキーの交響曲第5番で、その希にみるカリスマ性に満ちた実力を証明して見せた。

ここに聴く1997年にフィンランドでスタジオ収録された『悲愴』に懸ける執念を窺わせる壮絶な演奏は、手兵マリインスキー歌劇場管弦楽団の底力をも見せつけている。

またスコアの中に彼が見いだした『間』を巧みに使った曲の運びと強靭な統率力で一気に聴かせる手腕は並外れている。

例えば第1楽章中間部での金管楽器を殆ど限界まで咆哮させる表現は通常の解釈からは逸脱しているが、この曲全体の仕上がりから見ると決して不自然ではない。

終楽章は鉛のように重く冷たい。

そしてあたかも出口の無い迷宮に迷い込むような暗く不気味な雰囲気に救いは感じられない。

その後の自分を待っているものが人生の終焉でしかないことをチャイコフスキー自身が知っていたかのような表現だ。

筆者は約10年前にこのコンビによる実演に接したことがあり、プログラムは『1812年』『展覧会の絵』『悲愴』だったが、断然このCDの方が素晴らしく、複雑な思いをしたことが思い出される。

そこでは、同じ指揮者と楽団の組み合わせとは思えないくらい整然とコントロールされた音楽が鳴っていた。

良い言葉で言えば「洗練された」演奏、悪く言えば「ロシアスタイルを失ってしまった」演奏になっていた。

しかし、このチャイコフスキーは、旧来のロシア・オケの演奏スタイルを踏襲した強烈な印象のある演奏だ。

カップリングは『ロメオとジュリエット』で、シェークスピアの戯曲に着想を得た3曲の幻想序曲の1つ。

ここではオーケストラにもう少し柔和な表情があってもいいと思うが、バレエ音楽を髣髴とさせる充分にスペクタクルでスリリングな再現だ。

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classicalmusic at 13:14コメント(0)チャイコフスキーゲルギエフ 
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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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