2019年09月

2019年09月30日


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バイエルン放送交響楽団創立60周年記念企画でリリースされた自主制作による一連のCDシリーズの1枚。

収録されたリムスキー=コルサコフの序曲『ロシアの復活祭』とフランクの交響曲ニ短調は1980年2月7日及び翌8日のミュンヘン・ヘラクレスザールでのライヴ録音になる。

コンドラシンはその後クーベリックの後を継いでバイエルンの首席指揮者就任が決まっていたが、この客演の僅か1年後に急逝(67歳)したため、期待されていた彼らのコラボは立ち消えになった。

遺された音源はディスコグラフィーを見る限りこのディスクに収録された2曲とショスタコーヴィチの交響曲第13番『バビ・ヤール』のみだ。

ここでは彼の精緻かつ渾身の指揮に総力を挙げて呼応するオーケストラが素晴らしく、また客席からの雑音も殆んど皆無の鮮明な音質で鑑賞できる貴重盤だ。

リムスキー=コルサコフはお国物でもあり、コンドラシンのフィリップスとの唯一のセッション録音『シェエラザード』と共に彼の有無を言わせないほどの説得力が全オーケストラを通じて伝わってくる。

この作品の正式名称は『ロシア正教会聖歌のテーマに基く大オーケストラのための復活祭序曲』で、彼らしいエキゾチックなハーモニーに彩られたオーケストレーションに支えられて聖歌の旋律が自在に展開される。

しかしコンドラシンの解釈は華やかさを狙ったものではなく誠実なスコアの再現を試みたと言えるだろう。

一方彼のスラヴ、ゲルマン系以外のレパートリーはそれほど多くないが、コンサートで好んで採り上げたのがフランクの交響曲で、コンセルトヘボウ管弦楽団ともライヴ録音を遺している。

フランクの交響曲に旧ソ連の指揮者とドイツのオーケストラとは、一見ミスマッチのように思われるかも知れないが、とんでもない。

むしろ西側に出てはじめて本来のキャラクターを生かすことのできたコンドラシンの、最も優れた遺産のひとつだと筆者は思う。

この演奏にはおよそ野暮ったいところがなく、澄んだ叙情がくっきりと全曲を貫いているし、オーケストラの響きも美しい。

この作品は音楽構成と様式で聴かせないと軽佻浮薄でこけおどし的な音楽に陥り易いが、コンドラシンが得意とした曲だけに全楽章を見据えた堅実なオーガナイズと弦楽、ウィンド、ブラス・セクションのバランスが絶妙で、堂々と聳える大伽藍のような印象を受ける。

第3楽章のどこまでも自然な流れが、やがて大きく波打つようにクライマックスに登り詰めてゆく呼吸はとりわけ見事だ。

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classicalmusic at 12:15コメント(0)コンドラシンフランク 

2019年09月29日


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ヤナーチェクの7番目のオペラ《利口な女狐の物語》は、疑いもなく、ヤナーチェクの最高傑作のひとつだ。

筆者はこの作品を舞台で鑑賞したことがあるが、ぬいぐるみがたくさん出てきたりもして、子供は子供なりに楽しめ、大人は大人でヤナーチェクの哲学にふれて、より深い二重の楽しみ方ができるという作品である。

その哲学とは、作曲当時60代半ばを過ぎていた彼が、老いと死への恐怖を仏教輪廻と呼んでいる自然界の果てしない生命交替の定めを受け入れることによって克服した、晩年の悟りの境地でもある。

それはこの作曲家が自分を取り巻く森羅万象のすべてに創造の源を求め続けたことを物語っている。

そこでは、メルヒェン的な題材が用いられながらも、そのメルヒェンは現実から遊離したものではなく、むしろ、現実を鋭く問い詰めようとするものである。

それでいて、その現実とは、私たちが慣れ親しんでいる現実と一見すれば同じような外観を保ちながらも、実際にはすべてがラジカルに逆転されてしまっているような現実であるというような、何とも独創的な二重構造が出来上がっている。

物事の本質を見極める作曲家ヤナーチェクの眼力の凄さの証明と言えるだろう。

そんなヤナーチェクの傑作中の傑作である《利口な女狐の物語》は、これまでにもいくつもの名盤が出ているけれど、それらの中でもとくに素朴な味わいをもち、しかも本質を的確に照射していると思わせるのが、このグレゴル盤(スプラフォン・レーベル)である。

ヤナーチェクの権威、マッケラスの指揮は入念緻密で作品に深く踏み込み、自然界の律の厳しさへの恐れとそれを克服した後の悟り、春の訪れとともによみがえる自然への讃歌などが重なり合う作品の本質に迫っていた。

それに対し、プラハ生まれの指揮者グレゴルによる音楽づくりは、ヤナーチェクの音楽のなかの豊かな郷土色を巧みに掬いあげながらも、それだけで終わってしまっておらず、本質的な部分への深い踏み込みを示しており、興味深い。

人間、狐、あなぐま、蚊、おんどりなどなどが共通の言葉をしゃべり、同一の地平線上で生き、輪廻転生のようなものを繰り返すなどという音楽は、よほど深い部分での共感、愛情のようなものがなければ、強い説得力、魅力などはもちにくい。

このグレゴル盤には、それらが十全なかたちで備わっていて、指揮者、オーケストラ、それに歌手陣、いずれも申し分がない。

声楽陣の扱いも含めて、この指揮者がヤナーチェクのオペラに造詣が深いことを物語ってる出来ばえだ。

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classicalmusic at 12:16コメント(0)ヤナーチェク 

2019年09月28日


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フランスは伝統的に優れたチェリストの宝庫だが、その最若手が現在20歳代半ばのエドガル・モローだ。

彼は既にエラートからリリースされた小品集で豊かな音楽性と溢れんばかりの情熱を示していた。

このアルバムのタイトル『ジョヴィンチェッロ』はイタリア語の若僧を意味する、どちらかというと青二才をからかう意味を含んでいるが、モローは2009年のチャイコフスキー・コンクールでは17歳で堂々第二位を獲得した実力派でもある。

今回のバロック協奏曲集はリッカルド・ミナージ率いるピリオド・アンサンブル、イル・ポモ・ドーロ(金の林檎)との協演になり、彼の初挑戦への意気込みが感じられる1枚だ。

モローは巨匠アンナー・ビルスマにも師事しているので、ここでは早速師匠譲りのピリオド奏法を取り入れて、シンプルな曲想の中にもバロックや疾風怒濤時代特有の劇的な効果を出すことにも成功している。

ボッケリーニで披露する如何にも若々しい、キレの良い高度なヴィルトゥオーシティも爽快だ。

例えばしっかりした構成力で聴かせるハイドンや、毅然とした気品を湛えたヴィヴァルディ、そしてグラツィアーニの緩徐楽章での抒情的な感性を充分に進展させた歌心に彼の音楽性が最も良く表れていると思う。

モローは強い個性よりも音楽そのもので勝負するだけの才能を培っているし、また曲趣にのめり込まない柔軟なバランス感覚も持ち合わせていて、それだけに将来が期待できるチェリストの1人だろう。

彼をサポートするアンサンブル、イル・ポモ・ドーロについての詳しい説明はないが、アントニオ・チェスティの同名のオペラから採られた名称と思われる。

メンバーの殆んどがイタリア人勢で占められていて、今回は管楽器奏者を加えた総勢20名で構成され、バロック・ヴァイオリニストのリッカルド・ミナージ自身が指揮も担当している。

録音は2015年1月にヴェネツィア近郊のロニーゴで行われた。

鮮明な音質でソロとオーケストラが自然な臨場感を創っている。

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classicalmusic at 12:42コメント(0)ハイドンヴィヴァルディ 

2019年09月27日


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モーツァルトの4曲のフルート四重奏曲をピリオド楽器で演奏したものとしては最も安定感があり、また音楽的にも洗練された内容のCDだ。

クイケン兄弟の三男バルトルドがフラウト・トラヴェルソを吹いた1982年の録音だが、立ち上る霧のような音楽とでも言えばよいのか、幻想的な調べの美しさと表現の詩的優しさが傑出、古楽ならではの美学が結晶となっている。

テクニカルな面での巧さも格別だが、何よりも音色が素晴らしく、それは、フルートというよりは1本の笛が導き出す音と音楽のマジックであり、聴き手が一つの調べから幾千もの夢をつかみ取るような余韻の美しさを誇っている。

特にニ長調KV285はモーツァルトの天才が面目躍如たる曲想で、このようなフルート・ソロ・パートが華麗に活躍する曲ではどうしてもクイケンの鮮やかな技巧に注意が集中しがちだが、第2楽章の弱音のカンタービレの美しさや巧みなフレージングなどはシンプルであるが故に真似のできない彼ならではの表現を堪能できる。

こうした緩徐楽章にこそ真のテクニックが必要だということを痛感する。

使用楽器はA・グレンザーのワンキー・モデルで高音の軽やかさがこうしたロココ風の音楽には最適のトラヴェルソと言えるだろう。

兄シギスヴァルトのヴァイオリンは1700年製のG・グラチーノ、長兄ヴィーラントのチェロは1570年製のA・アマーティ、そしてヴィオラのルシー・ヴァン・ダールは1771年製のサミュエル・トンプソンという具合にトラヴェルソ以外は3人ともオリジナル楽器を用いている。

いずれにしても彼らの音楽性とアンサンブルの技量は高度に練り上げられていて、モーツァルトの時代のアンサンブルのあり方を再現したものとして高く評価されるべき演奏だ。

録音としては既に古典的存在となってしまったが、筆者には時代を画した永遠の名盤のように思われてならない。

以上演奏については申し分ないが、この時期のアクサン・レーベルの録音技術は、同時期のソニーに入れたクイケンの録音に比べるといまひとつ冴えない。

音質に切れがなく、臨場感にも若干欠けているのは事実で、こうした欠点はここ数年間で改善されたが残念だ。

作曲家がある特定の楽器の為の作品を書く時、その当時の名演奏家の演奏を前提にすることがしばしばある。

このCDに収められたフルート四重奏曲中3曲はフルート愛好家ドゥ・ジャンのオーダーで作曲されたが、モーツァルトとも親交があり、当時のマンハイム宮廷楽団で活躍していた著名なフルーティスト、J.B.ヴェンドリングの演奏をイメージして書かれたものだ。

モーツァルト自身手紙の中で、フルートは音程が悪くて我慢がならないが、ヴェンドリングの演奏は素晴らしく、音程にも全く問題がないと記している。

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classicalmusic at 12:13コメント(0)モーツァルトクイケン 

2019年09月26日


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ペンタトーンからリリースされた2枚のハイブリッドSACDのうちの1枚で、ヤクブ・フルシャがプラハ・フィルハーモニーを指揮したドヴォルザークの『交響的変奏曲』と『スラヴ奇想曲』全3曲をカップリングしたディスクになる。

ちなみにもう1枚は既にご紹介したベルリン放送交響楽団とのコダーイ及びバルトークの管弦楽のための協奏曲だ。

ここでの4曲はドヴォルザークの作品としては、演奏効果を上げるのが難しい玄人受けする曲で、彼の交響曲やスラヴ舞曲集に比べればコンサートでもそれほど頻繁には採り上げられない。

フルシャは敢えて民族的なエレメントをことさら強調することなく曲趣を誠実に再現して、作曲家のオーケストレーションの腕前を明らかにしている。

勿論彼らのお国物だけにリラックスした雰囲気の中に、抒情に溢れた表現と自国の作品に対する自負が感じられる。

それゆえじっくり鑑賞したい方には洗練された味わい深い演奏だが、よりメリハリを効かせた曲想を求める人にはもの足りなく感じられるかも知れない。

2015年にプラハで収録されたセッション録音なのだが、このディスクの弱点はSACD化の効果が今ひとつというところにある。

会場の残響は豊かで奥行きもあり、パーカッションの高音やフルートなどは伸びが良く、レギュラー・フォーマットのCDより精緻に再生される。

ただ楽器ごとの分離状態やオーケストラ全体の響きが思っていたよりも平凡に聞こえる。

これはバランス・エンジニアの音楽的ポリシーにもかなり影響されるので一概に決め付けることはできない。

少なくともフルシャのこれまでのレコーディングにみられる音質の傾向からするとやや精彩を欠いているようで、個人的にはコダーイ、バルトーク盤の方が採音に関しては成功していると思う。

彼は目下バンベルク交響楽団とのブラームス、ドヴォルザーク交響曲集をチューダーに録音し始めたので、音質ではそちらのシリーズに期待したい。

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classicalmusic at 12:37コメント(0)ドヴォルザーク 

2019年09月25日


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ホロヴィッツは、ライバルのルービンシュタインが新即物主義的な演奏にスタイルを変えた後も、生涯ヴィルトゥオーソであり続けたピアニストだった。

それだけに彼はまた自己のパフォーマンスに聴衆を惹きつける術を知っていた老獪なテクニシャンでもあった。

ここに収められたドメニコ・スカルラッティのソナタ集は、そうした彼のストラテジックなコンサートには欠かすことのできない小品だ。

ホロヴィッツ全盛期のコンサート・メニューとしては、言ってみればメイン・ディッシュにはなり得なかったきわもの的な曲種だが、とびっきり気の利いた食前酒か前菜のようなもので、しかも敢然と自分の畑に持ち込んで料理された彼の音楽は、すぐさま聴き手の注意を一気に集めてしまう魅力を持っている。

1曲1曲が簡潔なだけに、彼特有の明快で驚くほど幅広いディナーミクと、シャープに彫琢された曲想の小気味良さが凝縮されていて、ホロヴィッツの至芸を知る為にも格好のアルバムになるだろう。

録音は後半の6曲を除いてすべて1964年で、彼が不死鳥のように楽壇に復帰する前年に行われている。

この時期彼は10年以上に亘って休止していたコンサート活動に戻ることを決心して、密かに準備していたに違いない。

既に再発を繰り返している古い音源だが、DSDリマスタリングされてからは音質がかなり鮮明になり、適度な臨場感も得られている。

この時代の録音としてはヒス音が煩わしくないのも特徴的だ。

曲目については以下の通り。

ソナタニ短調K.33,K.イ短調K.54,ヘ長調K.525,ヘ短調K.466,ト長調K.146,ニ長調K.96,ホ長調K.162,変ホ長調K.474,ホ短調K.198,ニ長調K.491,ヘ短調K.481,イ長調K.39,ト長調K.547,ロ短調K.197,嬰へ単調K.25,ニ短調K.52,ト長調K.201,ハ短調K.303

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classicalmusic at 12:10コメント(0)スカルラッティホロヴィッツ 

2019年09月24日


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エマーソン弦楽四重奏団が1994年から99年にかけてアスペン音楽祭で行なったショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全曲演奏会のライヴ録音で、その技量と知性を惜しむことなく注ぎ込んだ全集である。

ロシア人作曲家ショスタコーヴィチ(1906-75)はソ連時代という苛酷な時代に生きた音楽家であった。

芸術家といえども社会主義国家建設に寄与することが求められたし、戦争の現実も作曲家の運命を翻弄した。

またスターリンと党との関係も常に緊張したものであり、眉間に皺を作らないでは1日たりとも過ごせない生涯を送ったと言えよう。

ショスタコーヴィチの残した弦楽四重奏曲は全部で15曲で、ほぼ生涯の全域にわたって作られている。

もっとも第1番は1935年、第2番は1944年に作られているから、スタートは遅かったと言えよう。

だがそれだけにショスタコーヴィチが成熟した技法と人間としての明確な自覚を持ったうえで内面を綴った作品ばかりとなっている。

しかもそれらの中にはしかめっ面のイメージとは対照的とも言える陽気さ、快活さすら刻印した作品も見られるから、弦楽四重奏の世界はショスタコーヴィチの素顔を装うことなく、率直に記した肖像画であると言ってもよいであろう。

したがって、ベートーヴェンのそれとともに弦楽四重奏団にとっては踏破、征服すべき目標としてそびえ立っている。

1976年に創設されたアメリカのエマーソン弦楽四重奏団は作品や演奏の機会に応じて第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが入れ替わる(差がほとんどわからない)という柔軟なスタイルを持つ稀有なクヮルテットとして知られる。

しかしそれ以上に彼らの真摯かつ誠実な作品へのアプローチが毎回聴き手を感動させてきた実績を誇っている。

エマーソン弦楽四重奏団のショスタコーヴィチは、美しい音色と軽やかなリズム感を基調とした、洗練された現代的な演奏だ。

かつてのボロディン弦楽四重奏団のように聴くのが辛くなる程の冷徹さはなく、陰影の付け方も充分感じられ豊かである。

しかもベートーヴェンやメンデルスゾーンでは持て余し気味だった彼らの演奏技巧が、ここでは存分に羽ばたいている。

柔らかくひそやかな弱音(第1番第1楽章、第10番第1楽章、第14番第3楽章コーダ)からバリバリと音を割った暴力的な強音(第1番終楽章コーダ、第3番第3楽章、第8番第3楽章)まで、表現の幅が実に広い。

第7番第3楽章や第12番第2楽章冒頭での激情の猛烈な迸りなど、作曲者の想像した音世界をも超えてしまったのではないだろうか。

ここには深刻かつ激越な感情をむき出しに表現した素顔のショスタコーヴィチがあり、彼らの表現力の凄まじさは聴き手の胸を鋭く突き、痛いほどだが、感銘は交響曲に匹敵する。

作品を気迫と集中力をもって再現しながらも、もう一つ別の視点から作品を俯瞰して見据えていくようなアングルの大きさも特筆され、ショスタコーヴィチ作品の豊かさを聴き手がじっくり味わっていくことを可能にしている。

全15曲を聴くと、生きることは決してなまやさしいことではない、と諭されるかのようで、忘れられない教訓を残してくれる。

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classicalmusic at 12:32コメント(0)ショスタコーヴィチ 

2019年09月23日


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チェコの指揮者ヤクブ・フルシャは現在バンベルク交響楽団の音楽監督として、客演でもインターナショナルな幅広い演奏活動を展開している。

フルシャは1981年チェコに生まれ。

プラハ芸術アカデミーにて故ビエロフラーヴェクに学び、2004年の卒業以来、チェコの主なオーケストラでのデビューを皮きりにライプツィヒ・ゲヴァントハウス管、ロッテルダム・フィル、バーミンガム市響、クリーヴランド管などに客演。

プラハ・フィルハーモニア音楽監督兼首席指揮者、東京都交響楽団のプリンシパル・ゲスト・コンダクターとなり現在はバンベルク交響楽団の首席指揮者としても注目されている。

彼は個性で聴かせるタイプではなく、あくまでもオーソドックスで折り目正しいスタイルを崩さず、作品の音楽性とその表現力の充実で勝負する。

だから彼に奇抜な解釈を期待することはできないが、先ずオーケストラの正確な音程のとり方にそうした哲学が表れている。

アンサンブルでのハーモニーや総奏の時にはヴィブラートを避けるために、サウンドが純正調の力強さで響いてくる。

それはこのディスクに収録されたコダーイとバルトークの管弦楽のための協奏曲には非常に効果的だ。

また音楽作りが几帳面だが神経質にならないのは、ここぞという時には思い切って歌わせるカンタービレがあるからだろう。

ベルリン放送交響楽団との演奏は地に足の着いた逞しい演奏だが、野卑にならない品の良さがある。

コダーイの作品はシカゴ交響楽団からの委嘱で、バルトークの方は同郷のヴァイオリニスト、シゲティがバルトークの悪化する病状に由来する精神的窮状を救うために、指揮者クーセヴィツキーに依頼した曲で、奇しくも2曲ともアメリカのオーケストラのために書かれている。

彼らはどちらもハンガリーの民族音楽の研究者だが、これらの作品は普遍的な傾向が強く、フルシャによるオーケストラル・ワークとしての充実した音楽性を堪能することができるし、ベルリン放送交響楽団も隙のないアンサンブルで良く呼応している。

バルトークでは終楽章のフーガからブラスの咆哮に至るまでが精緻に再現され、迫力だけで言えば他の指揮者に譲るとしても音楽性は俄然冴えている。

フルシャは近年どのオーケストラともセッション録音する時にはハイブリッドSACD盤でのリリースを前提にしている。

それは彼の演奏が微に入り細に亘り鮮明な音質で聴かれる時、その真価が発揮されることを自覚しているからだろう。

2017年6月にベルリン放送局グローサー・ゼンデザールにて収録。

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classicalmusic at 12:03コメント(0)バルトーク 

2019年09月22日


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リュート界の巨匠スミス・ホプキンソンは2012年10月に残されていたバッハの『無伴奏チェロ組曲』の前半3曲をテオルボを弾いて録音を果たし、既にリリースされていたバロック・リュートによる後半の3曲を復活させ、これでこの組曲全6曲が揃った。

また彼は過去にアストリー・レーベルから『無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ』のリュート版も出しているので、バッハの2大無伴奏曲集が完結したことになる。

このCDは前述のチェロ組曲後半の3曲のリイシュー盤で、第5番以外は彼がリュートのためにアレンジした楽譜を使っている。

第4番と6番はオリジナルの調性が採用されているが、ホプキンソンの使用楽器はa'=415のバロック・ピッチに調弦されているので実際には半音ほど低く響いている。

尚第5番に関してはバッハ自身のリュート用編曲版がBWV995として残されているが、彼の弾くリュートの機能をフルに活用するためか原調のト短調を長二度上げたイ短調に移調している。

ただしこれもピッチの関係で変イ短調に聞こえる。

リュートによる無伴奏では、チェロで演奏するのとは全く異なった雰囲気が醸し出される。

チェロのような孤高で力強い表現は持ち合わせていないが、そこにはよりリラックスした和やかさと特有の華やかさが感じられる。

しかし実際の演奏には高度なテクニックが駆使されていることが想像される。

それは対位法の音楽をリュートで弾くことの困難さだけではなく、各声部の音質の調整や音量のバランスなど多くの問題を抱えているからだ。

それゆえこの6曲は彼が長年に亘って開拓したリュート奏法が集約された最良のサンプルと言え、バッハの音楽性に迫りながらも、リュートの繊細な響きを活かしたこの名手ならではの演奏内容だ。

バッハの無伴奏曲で彼が録音していないのは『無伴奏フルートのためのパルティータイ短調』BWV1013で、トラヴェルソ奏者B・クイケンは、この曲がオリジナルが失われてしまったヴァイスのリュート組曲であった可能性を指摘している。

彼は大バッハがトラヴェルソを学んでいた三男のヨハン・ゴットフリート・ベルンハルトのためにアレンジしたのかも知れないと推測している。

そうだとすればホプキンソンの復元による原曲のリュート組曲の演奏も聴いてみたくなる。

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classicalmusic at 12:12コメント(0)バッハ 

2019年09月21日


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エフゲニー・ムラヴィンスキーの業績を偲ぶ5枚組のスペシャル・エディションで、2014年にメロディア・レーベルからリリースされた。

1938年に、ムラヴィンスキーはレニングラード・フィルの常任指揮者に就任、士気が低迷していたオーケストラの立て直しに着手する。

透明な音色と凝集度、微妙で繊細なニュアンスと重厚で雄大なクライマックスとを併せ持つ洗練された孤高の演奏は、就任当初の録音を聴いても、金管の音色を除けばロシアのオーケストラであることが連想できないほどである。

晩年に至るまでの演奏様式の基本は就任当時既に確立されていたことが窺えるが、楽曲に対する解釈は年代と時期に従い常に変化と発展に富んでおり、晩年になるにつれて深度と表現の自由度とが増し、よりアカデミックになり、音色もより乾いたものになっていったと言うことができる。

50年間に渡りムラヴィンスキーの薫陶を受け続けたレニングラード・フィルとの数々の演奏は、トスカニーニを思わせるムラヴィンスキーの厳密なスコア解釈、テンポ設定を高度なアンサンブルによってレニングラード・フィルが手足の如く表現すると言う非常にレベルの高いものであり、消え入りそうなピアニッシモから雷鳴の様なフォルティッシモに至るまで一糸乱れぬ演奏は西側でも非常に高く評価されていた。

このセットにはそんな半世紀にも亘ったレニングラード・フィルとの膨大な演奏記録のうち、1949年のベートーヴェンの『田園』から82年のワーグナーの『マイスタージンガー』の前奏曲まで11人の作曲家の作品14曲を採り上げている。

音源はそれぞれの年代から比較的まんべんなく集められているが、選曲となると彼らにとって最も重要な仕事であった筈のショスタコーヴィチが全く組み込まれていないし、西側での初録音になるチャイコフスキーの交響曲は第4番と第6番だけで何故か第5番が抜けている。

またブルックナーに関してはステレオ音源の第9番のみだが、ムラヴィンスキー特有の鋭利に切り込む作品への解釈と個性的なサウンド、そしてオーケストラの統率美はどの曲においても厳然としていて、彼らの宿命的とも言える水も漏らさぬコラボレーションがひしひしと伝わって来る。

例えばチャイコフスキーの交響曲第4番終楽章の尋常とは思えない高揚したテンポに、打てば響くように呼応するレニングラードの凄まじいばかりの練達の技には驚かざるを得ない。

彼らが得意とした20世紀物ではスクリャービンとストラヴィンスキーでその洗練された妙味を発揮している。

音質は1940年代から50年代初期の古い音源でも保存状態の良いものが選ばれ、かなり聴きやすい状態にリマスタリングされている。

メロディアらしい全く洒落っ気のないごくシンプルなボックスに黒い紙ジャケット入りで、18ページほどの露、英、仏語によるライナー・ノーツ付。

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classicalmusic at 12:05コメント(0)ムラヴィンスキー 

2019年09月20日


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ハンガリー出身の名チェリスト、ヤーノシュ・シュタルケル(1924-2013)はバッハの無伴奏組曲の録音を4回行っている。

この2枚のCDに収録されているのは1992年、彼が68歳の時のデジタル録音を24bitリマスターしたもので、最後の全曲集になった。

またそれとは別に1950年代初期のSP盤にも既に4曲を入れていたので、彼がこの無伴奏をいかに生涯の課題にしていたか想像に難くない。

つまり一生の間、バッハ無伴奏を極めるべく研鑽に励んだ修道者のようなチェリストであり、その成果が本盤である。

しかも演奏は実にかくしゃくとして揺るぎなく、難技巧の部分も楽に弾き切るテクニックもさることながら、自由闊達かつ泰然自若の趣には真似のできない至芸が感じられる。

さすがに完璧な技術、力強さ、癖のない自然な演奏であり深い味わいがあって、バッハが直接語りかけてくる趣と言うべきであろうか。

シュタルケルは古楽奏者ではないが、バロック音楽に造詣が深く、それが舞曲の生き生きとした解釈や装飾音の扱いに良く現れている。

また彼はバッハを決して恣意的に捉えず、むしろ私的なイデオロギーを表現手段に持ち込むことを嫌って、常にシンプルで様式に則った音楽の再現を試みているように思う。

それゆえに非常にすっきりとした曲の輪郭が聴き取れ、何よりもバロック組曲としての秩序と構成感が活かされているのが特徴的だ。

奇を衒った個性的な演奏ではないが、筋の通った骨太な演奏は誰にでも受け入れられる包容力を持っている。

録音状態と音質は極めて良好。

特にチェロ特有の張りのある中高音や伸びやかな低音が鮮明に再現されているし、耳障りにならない適度な残響に好感が持てる。

内部が折りたたみ式のプラスティック・ジュエル・ケースに2枚のCDが収納されているが、節約仕様の廉価盤のため、残念ながらライナー・ノーツは省略されている。

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classicalmusic at 12:07コメント(0)バッハシュタルケル 

2019年09月19日


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なぜ心にこれほど深い慰めをもたらすのか、人生への力強い肯定を語るのか、「神の秩序の似姿」に血肉をかよわせるオルガン曲、聖の中の俗、俗の中の聖を歌い上げるカンタータ、胸いっぱいに慈愛しみ渡る≪マタイ受難曲≫……。

300年の時を超え人々の魂に福音を与え続ける楽聖の生涯をたどり、その音楽の本質と魅力を解き明かした名著。

1985年に出版された同名の単行本からの文庫版で、その後の最新の資料を基にかなりの部分に亘って改訂を施し、面目を一新した形で刊行された。

バッハの評伝、あるいは彼の音楽を理解するための入門書として最適であるばかりでなく、彼の人生観、宗教観や作曲技法に至るまで、ある程度専門的な部分にまで踏み込んだ著者の考察が簡潔に、また親しみ易く書かれているのが特徴だ。

本文の構成はバッハの経歴とその作品の成立過程、彼を取り巻いていた人間関係やその当時の社会的な背景などをクロノロジカルに追って進めていくものだ。

彼は生涯ドイツから一歩も外へ出る機会を持つことがなかったにも拘らず、如何に多方面から勤勉に学び、それを完全に自分の音楽として昇華していったかが理解できる。

また当時の音楽家としては稀に見るレジスタンス精神で上司と闘った、不屈の闘志家としての側面も興味深い。

最後に置かれた補章「20世紀におけるバッハ演奏の四段階」では、バッハ復興時代から現在に至るまでの演奏家による演奏史について著者礒山氏の忌憚のない意見と将来への展望が述べられている。

尚単行本の巻末に掲載されていた作品総覧は、現在のバッハ研究の現状にそぐわないものとして割愛され、楽曲索引にとって替えられた。

勿論そこでバッハの作品大系を俯瞰することができる。

「人間の小ささ、人生の空しさをバッハはわれわれ以上によく知っているが、だからといってバッハは人間に絶望するのではなく、現実を超えてより良いものをめざそうとする人間の可能性への信頼を、音楽に盛りこんだ。

その意味でバッハの音楽は、切実であると同時に、きわめて楽天的でもある。

バッハの音楽を聴くとき、われわれは、人間の中にもそうした可能性があることを教えられて、幸福になるのである。」――<本書より>

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classicalmusic at 12:35コメント(0)バッハ 

2019年09月18日


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これまでにゾルタン・コチシュが録音したCD8枚分のバルトークのピアノ・ワーク全集で、既にハンガリー・フンガロトンから分売されていたものが今回デッカによってコレクターズ・エディションの廉価盤ボックス・セットとしてリリースされた。

第1集が1991年、第2集が93年、第3集94年、第4集96年……というようにほぼ20年の歳月をかけて、歯がゆいほどゆっくりとして進められてきたが、それでも知性派の彼らしい仕事と言うべきだろう。

ハンガリー生まれだけに、民族的なリズムや旋律の処理のうまさは格別であるが、同時にコチシュは、ことさら民族色といったものに寄り掛かることなく、あくまで知と情のバランスの良い演奏によって、1曲1曲を生彩に富んだ表現によって的確に描き分けている。

多くの人がコチシュのバイタリティーに溢れるダイナミズムを賞賛するが、緩徐的な部分での彼の表現には心の内面に響いてくる神秘的な歌心がある。

確かに『アレグロ・バルバロ』や『3つの練習曲』、あるいは『ソナタ』で聴かせる大地から湧き上がるような原初的なパワーを秘めた奏法は圧倒的だ。

一方『ソナチネ』では郷土の土の薫りが盛り込まれているし、『3つのチーク地方の民謡』では大自然の永遠性を密やかなメロディーに託している。

それがバルトークの音楽の源泉でもある民族的な舞踏のリズムやメロディーを実際に肌身に感じて育った、コチシュならではの借り物でないオリジナリティーだ。

勿論ハンガリー人であることはバルトークの演奏においてはひとつの有利な条件に過ぎないだろう。

むしろ彼が卓越しているのは、そうした条件を凌駕して洗練された恒久的な音楽に昇華する能力と、それを実現する高度なテクニックを持っていることだ。

厳しく琢磨されるとともに、硬軟巧みに精妙なニュアンスを湛えた演奏は、いかにも味わい深く、1作1作が、40代に入ったコチシュの健やかな成熟ぶりを端的に示している。

CD2枚分を占めている『ミクロコスモス』は、ピアノを習得する子供達にとってまたと無い手本になるに違いない。

コンプリート・ピアノ・ソロ全集なので当然バルトークのピアノ作品が網羅されていて、音質は極めて良好。

尚ライナー・ノートには曲目リストと録音データの他に英、仏、独語の簡単な解説が付いている。

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classicalmusic at 12:25コメント(0)バルトーク 

2019年09月17日


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1981年生まれのアメリカの若手オルガニスト、キャメロン・カーペンターのデビュー・アルバムになる。

名門ジュリアード&カーティス音楽院のオルガン科主任教授を務めた“オルガン界の保守派”ジョン・ウィーヴァー博士をして「地球上に存在するとも思っていなかったようなテクニック」と言わしめたキャメロン・カーペンター。

バーチャル・パイプ・オルガンの優勝者であり、全米シアターオルガン協会会報誌にて、「並はずれている(extraordinary)」と称される一方、「世界で最も物議をかもしているオルガン奏者だ」とも批判されている。

タイトルの『レヴォリューショナリー』は現在の保守的なオルガン界に、まさに革命をもたらさんとした彼の意気込みを表明したものだ。

テルデックからリリースされたファースト・アルバムはオルガニストとして初めてグラミー賞ソロ・アルバム部門にノミネートされ、オルガン演奏の常識を打ち破るアーティストと巷間噂話されている。

彼の鬼才を充分に発揮した演奏はそれ自体鮮烈で衝撃的だが、その驚異的なテクニックの前にいまひとつ音楽性が明瞭に浮かび上がってこない。

だがオルガンでショパンのエチュード『革命』を弾く必然性があるかと言えば首を傾げざるを得ない。

ボーナスDVDを観て頂ければ一目瞭然だが、確かに足鍵盤の上で両足をピアノの左手のように縦横無尽に疾駆させることは、肉体的に並外れた能力を必要とするには違いないが、それは一方で彼のヴィルトゥオジティの誇示に他ならない。

テクニックはあくまで音楽表現の手段であって目的には成り得ない筈だ。

こう言っては酷かも知れないが、鉾先を逸らせた安っぽい編曲物で勝負するより、いっそのこと全部自作のオリジナルを並べてくれた方が彼らしいアルバムになったと思う。

音楽は音の嵐や洪水ではない。

如何に多くの音を付け足して音楽を立派に見せるかということより、如何に音を省略できるかを考える方が難しい。

易しいテクニックで書かれた曲でも、持て余すことなく聴かせるすべを培ったならば、それこそ彼のレヴォリューションだろう。

超一流の大道芸人で終わるか、それ以上の存在になるか、これからの彼に期待したい。

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classicalmusic at 12:07コメント(0)ショパンバッハ 

2019年09月16日


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アヒム・クヴァンツの作品集になり、ドレスデンと後のベルリン時代の協奏曲4曲が収録されている。

ヴェンツとムジカ・アド・レーヌムは快速のテンポでクヴァンツのヴィルトゥオジティを前面に出した軽快で屈託のないイタリアン・バロック・スタイルを強調している。

テンポ設定に関してヴェンツはアメリカの季刊誌『トラヴェルソ』に寄稿したエッセイの中で、楽譜に記されたアレグロやアダージョなどの速度表示はあくまでも相対的なものであることを認めながら、拍子記号や記譜法からその作品の求める演奏速度を割り出すことが可能だと主張している。

またメルツェルに先立って1696年にはフランスでエチエンヌ・ルリエが既にメトロノームを開発していて、当時の音楽家のテンポ感覚が決して悠長なものではなかったと仮定している。

もともと一介の辻音楽家にも等しかったクヴァンツは、トラヴェルソを趣味としてこよなく愛したフリードリッヒ大王にその演奏の技量を認められて大王の個人教授になるという幸運に恵まれた。

以来彼は宮廷演奏家の中でも最も高額の2000タラーの年俸を受けていた。

これは同じ宮廷に奉職していたバッハの次男でチェンバリストのカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの7倍に当たる。

それはクヴァンツ一流の社交術の成果でもあっただろう。

しかしクヴァンツの音楽は既にオールド・ファッションになりつつあったために、それを理想として信望していた大王のベルリン宮廷は皮肉にもヨーロッパの宮廷では音楽的な大きな遅れをとってしまうことになる。

ヴェンツとムジカ・アド・レーヌムはこの演奏に当たってベルリンとゲッティンゲンの図書館からの手稿譜を採用している。

録音は1992年で、この時期彼らが契約していたヴァンガード・レーベルからのリリースになる。

オランダ、デルフトのオウド・カトリック教会でのセッションになり、潤沢な残響を含んでいるが鮮明な音質で臨場感にも不足していない。

ちなみにアンサンブルのメンバー全員の使用楽器がライナー・ノーツに明記されているが、トラヴェルソについてはパランカ、オーボエはデンナー・モデルに統一されている。

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classicalmusic at 12:18コメント(0)ヴェンツクヴァンツ 

2019年09月15日


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ピリオド楽器を使った演奏では第一線に位置するグスタフ・レオンハルトのマタイ受難曲は、新バッハ全集によっているが、期待を裏切らぬ名盤である。

レオンハルトのバッハへの永年の傾倒ぶりを如実に感じさせる演奏で、バッハ自身がライプツィヒのトーマス教会で演奏した最終稿をイメージさせるに充分な説得力と、手作りの魅力がある。

表現は常に地に着いており、広い奥行きを感じさせ、穏やかで落ち着きのある運びから「マタイ」の充実した内容がしみじみと伝わってくる。

カール・リヒターのマタイが起こりつつある悲劇的なドラマに深く食い入った表現とするならば、レオンハルトのそれは楽譜から総てを読み取った、バッハその人の宗教観を反映した解釈とでも言うべきだろうか。

それだけに作曲者の書法をガラス張りにして見せた誠実かつ素朴な再現は高く評価したい。

プレガルディエンのエヴァンゲリストは思い入れの無い、淡々とした中に、真摯な語り部としての役割を果たしている。

それは決して無味乾燥な徐唱ではなく、歌詞の意味合いを正確に辿った非常に知的で、しかも完璧なレガート唱法だ。

また2人のソプラノ・ソロをテルツ少年合唱団員から抜擢したことで、この受難曲でのより繊細で崇高な表現を可能にしている。

俗世の欲得から離れた、たおやかなボーイ・ソプラノの歌唱は理屈抜きに新鮮な感動をもたらしてくれる。

更にレオンハルトはコラールにおいてドイツ語のアクセントを強調した波打つような歌唱法を採用している。

これは既に親しまれていた、バッハ以前の古い旋律に新しい歌詞があてがわれる場合のアーティキュレーションを補う手段だが、またこの方法によってバッハが充当した絶妙な和声進行を聴き手に明瞭に感知させる。

クイケン、アンタイ両兄弟がかなめを押さえた器楽を担当するラ・プティット・バンドもこの曲の特質に忠実な再現を心がけたチームワークが秀逸。

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classicalmusic at 12:16コメント(0)バッハレオンハルト 

2019年09月14日


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昨年2018年6月にバンベルク・コンツェルトハレで行われたライヴ録音だが、91歳のブロムシュテットがマーラーの交響曲第9番ニ長調を実に矍鑠とした指揮で、ひとつの革新的なマーラー像を示したところが高く評価される。

これまでこの曲はマーラーの他の作品の持つ傾向や彼の心理状態を反映させた、世紀末的な諦観や死生観、或いは病的なほどの耽美な表現がつきまといがちだった。

ブロムシュテットはこうした解釈や先入観を一度拭い去って、現代の指揮者としての作品の再構築をしているようだ。

それだけに隅々まで一点の曇りもない透徹したサウンドの中に、マーラーの意図した音楽的構想がくっきりと浮かび上がっている。

そこには感傷的でもなければ脆弱さも感じられない、至って健康的で堂々たるマーラーが響いてくる。

長大な第1楽章も全く飽きさせないだけの高い音楽性を保った構成が素晴らしい。

第2楽章での田舎風のレントラーにも特有の力強さが漲っているし、活性化されたロンドや清冽な終楽章にも人生の黄昏というイメージは似合わない、むしろ新しい生命の神秘とでも形容したくなる演奏だ。

随所に表れるソロの部分を聴く限りではバンベルク交響楽団の団員個人個人の音色や奏法にはそれほど華やかさはない。

それでも、おそらくヨーロッパでも最も美しいハーモニーを創り上げるオーケストラのひとつだろう。

特にヤクブ・フルシャが首席指揮者に就任してからは、彼らのアンサンブルのテクニックは格段に向上している。

ブロムシュテットが彼らとの共演にマーラーの第9番を選んだことも、スタンドプレイをしなくてもこの曲の魅力を充分に表現し切ることができる力量と柔軟な姿勢に注目したからだろう。

将来の彼らの演奏にも期待したい。

尚音質は極めて良好で、ライヴながら客席からの拍手や雑音は皆無だ。

1枚ずつ独立したシンプルなジャケットとライナー・ノーツを収納するダブル・ジャケット仕様になっている。

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classicalmusic at 12:46コメント(0)マーラーブロムシュテット 

2019年09月13日


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先ずこのディスクを聴いての第一印象は音質がずば抜けて優れていることだ。

録音は1962年及び1963年だが、この時代のマーキュリー社は驚異的な録音技術を誇っていた。

臨場感に溢れ、低音から高音まで鮮明で潤いのあるそれぞれの楽器の音色やバランス等、どれをとっても申し分ない。

だがそれにも増してシュタルケルの流麗でありながら気骨を感じさせるチェロと、シェベックの思い切った、鮮烈なピアノの表現がことのほか素晴らしい。

シュタルケル40代の録音で、脂の乗った勢いを感じる。

彼は闊達な節回しを持ち味であるが、ここでの演奏は、むしろ流麗な歌というべきフレージングが随所に見られて驚いた。

これに応えるシェベックのピアノもメリハリが利いていて、演奏全体を引き締めている。

この2人が縦横無尽に丁々発止としたやりとりを交わす様は非常にセンシティヴでスリリングだ。

メンデルスゾーンのヴァリエーション・コンチェルタンテでは上品な様式美を再現し、ショパンの序奏と華麗なるポロネーズ、そしてマルティヌーのロッシーニのテーマによるヴァリエーションでは両者とも胸のすくような超絶技巧を炸裂させる。

一方ショパンのチェロソナタト短調とドビュッシーの同ソナタニ短調では2人の洗練された音楽的センスが聴き所だろう。

特にショパンは、やはりピアノを核とした独特の世界をチェリストが表現することのむずかしさを思わせる面もあるが、シェベックのピアノと合わせて非常に鮮烈な印象を残す演奏となっている。

最後に置かれたバルトークのラプソディー第1番とヴェイネルのハンガリアン・ウェディング・ダンスは、さらに聴きどころが多く楽しめた。

さすがにお国ものだけあって、民族色を表に出した骨太で力強い演奏が特徴だ。

繰り返しになるにしてもこのマーキュリーの録音はやはり素晴らしい。

演奏者の姿が見えそうな臨場感があり、何気なく聴いていても引き込まれていく。

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classicalmusic at 12:19コメント(0)シュタルケルショパン 

2019年09月12日


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シベリアン・タイガーの異名をとったオペラ界のスター歌手、ロシアのバリトン、ディミトリー・ホロストフスキーが2017年11月22日に亡くなった。

死因は脳腫瘍だったようだが、55歳の誕生日を迎えたばかりで、バリトン歌手として更なる活躍が期待された時期の早世は惜しまれてならない。

とは言うものの筆者は彼のオペラの舞台姿を観たわけでもなく、コンサートに出かけたことさえ一度もないが、彼がデビューした頃のCDを1枚だけ持っていて、それがこのロシア歌曲集だった。

ある時ごく身近な人からの贈り物として戴いたもので、まだ洗練されていないけれどもホロストフスキーの美声に託したダイレクトな心情の吐露と真摯な歌唱が強く印象に残った。

彼のデビュー当時の若々しく情熱的な歌いぶりとビロードのようなバリトンの響きに酔いしれる1枚だ。

その後彼が欧米の名立たるオペラハウスで主役を歌うようになった頃の歌は放送を通じて何回か聴いたことはある。

確かに声の固さもとれて歌は上手くなっていたが、本人が望んだか否かは別としていくらかコマーシャライズされたイメージと、オールマイティーな能力を誇示するような歌唱表現のあざとさが鼻についてそれ以上聴く気がしなかった。

しかしこのロシア歌曲集には彼の声を通したスラヴの作曲家達の無垢で切実な希望や青春の痛手のようなものが感じられる。

ここにはホロストフスキー自身のまだ素朴だが将来に向けて乗り出して行こうとする一途で謙虚な歌唱がある。

実際その後の彼は順風満帆の勢いでインターナショナルな舞台での活躍を始めることになる。

特にチャイコフスキーがゲーテの詩に作曲した『ただ憧れを知る者のみが』を聴いていると、彼の闘病生活最後の無念の日々を伝えているようで感動を禁じ得ない。

心から哀悼の意を表したい。

今は亡きロシアの名匠オレグ・ボシュニアコーヴィチの伴奏は高い芸術性が感じられ絶品だ。

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classicalmusic at 12:36コメント(0)チャイコフスキーラフマニノフ 

2019年09月11日


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下巻ではイタリア・ルネサンスが生んだ綺羅星のような多くのアーティスト達の活躍が詳述されているにも拘らず、その時代のイタリアの政治的あるいは文化的な凋落がまざまざと明らかにされている。

先ずルネサンス発祥の地とも言えるフィレンツェから次々に有能な職人が離れていく。

高階秀爾氏の『フィレンツェ』によればロレンツォ・デ・メディチの外交政策によって彼らがイタリア各地に派遣されるが、職人たちは祖国に帰らなかった。

条件の良い土地で働くことを望んだのだが、その理由のひとつにサヴォナローラの事実上のフィレンツェ共和国統治にあるだろう。

サヴォナローラについては本書第2章が捧げられている。

『虚栄の焼却』によって貴重な芸術作品の多くがシニョリーア広場で焼き尽くされた。

こうして人間的な自由で開放的な芸術活動は一切否定されることになる。

彼の息の詰まるような行き過ぎた政策は反感を買うが、ついに彼は教皇アレクサンデル六世への痛烈な批判によって『虚栄の焼却』と同じ場所で火炙りの刑で処刑された。

サヴォナローラが登場したのはメディチ家の牽引した高い文化と同時に享楽社会の絶頂期にあった。

その意味ではこのドメニコ派の僧侶も時代の子と言えるのではないか。

第69章はミケランジェロで、彼はルネサンスから次の時代に芸術活動を切り拓いた巨星だが、彼も少年時代にメディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニーフィコとの偶然の出逢いがなければその驚異的な才能を開花できただろうか。

ロレンツォはミケランジェロの才能に驚き、彼をメディチ家に招いて食住を共にさせ教育させる。

当時最高の知識人から受けたあらゆる教養がミケランジェロの作品に滲み出ていることは明らかだ。

教皇ユリウス二世とは腐れ縁で、喧嘩ばかりしていたが何故か最も重要な仕事の幾つか成し遂げている。

彼のオーダーで描いたシスティーナ礼拝堂の天井画はミケランジェロ処女作のフレスコ画だった。

完成直後にダ・ヴィンチが法王庁にやってきて二年間の滞在をしているが、この時期ローマはまたラファエッロ全盛期で、膨大な仕事を請け負って代表作を生み出していた。

こうした切磋琢磨ができたのはやはり時代の成せる偶然だったのだろうか。

この頃がヨーロッパにとってもイタリアが最も輝かしい芸術の都であり、しかし一方で斜陽が射し始めていた時期だった。

ドイツ・ルネサンスの担い手、デューラーも二度のイタリア旅行でジョヴァンニ・ベッリーニなどから多くの影響を受けている。

第68章では斜陽のイタリアと題して16世紀末のイタリアがヨーロッパの文化の主導権から離れていった実情が説明されている。

実質上イタリアには宗教改革は及ばなかったために個人の権利義務の意識も稀薄だったとしている。

国内にスペインの覇権が確立しても大きな抵抗はなかった。

著者はローマ教皇庁の反宗教改革が勝利する中で、イタリア人の気骨は失われ、そのために彼らのサーヴィス業に対する適正がこの頃から顕在化したとしている。

現在のイタリア人が世界最良の給仕であり、ドアボーイであり、また世界最良の靴磨きなのは四百年前から始まったと皮肉を込めて書いているが、これは少し言い過ぎかもしれない。

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classicalmusic at 11:54コメント(0)芸術に寄す筆者のこと 

2019年09月10日


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セルゲイ・ハチャトゥリァン(1985年5月5日 - )は、アルメニアのエレバンで生まれたヴァイオリニスト。

2000年、第8回シベリウス国際ヴァイオリン・コンクールにおいて、コンクール史上最年少で優勝し、日本でも知る人ぞ知る高評価を得ている。

彼が最初に録音したヴァイオリン協奏曲は、このディスクに収められたシベリウスとハチャトゥリァン2曲とショスタコーヴィチの2曲で、曲目の選択にも彼の鋭い感性が反映されている。

目下のところ彼が強い意欲を示して取り組んでいるのは、メンデルスゾーンでもなければベートーヴェンやブラームスの協奏曲でもなく、いずれも北方系の作曲家の作品だ。

20代そこそこで既にこれだけ強烈な個性とスタイルを持った演奏家も珍しいが、かと言ってこの曲集ではあくの強さはそれほど感じられず、むしろ特有の透明感のあるヴァイオリンの音色を鮮烈に響かせるテクニックは並外れたものだ。

彼は音楽にエキゾチックな要素が加わったり、民族的な傾向を帯びた作品では水を得た魚のように大胆不敵な演奏を聴かせる。

ここでの2曲はまさに彼の手の内に入っているレパートリーと言えるだろう。

シベリウスでは透き通るような冷たい音色の中に、青白い情念を燃焼させていくような表現が印象的だ。

一方ハチャトゥリァンは彼と同じアルメニア人の作曲家でもあり、血の騒ぐような民族色を前面に出した熱狂的な快演が心地良い。

ちなみにこの曲はダヴィッド・オイストラフに献呈され、作曲家自身の指揮とオイストラフのソロによる1954年のセッションが既に名演として知られているが、ハチャトリャンはテクニックにおいても、また情熱においても前者に迫らんとする堂々たる演奏だ。

エマニュエル・クリヴィヌ率いるシンフォニア・ヴァルソヴィアも緻密で情緒豊かなオーケストラ・パートを再現していて好演だが、ハチャトゥリァンの協奏曲ではもう少し民族色を積極的に強調しても良かったと思う。

録音は2003年7月に行なわれ、音質(24ビット/96KHz)は極めて良好で申し分ない。

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classicalmusic at 13:16コメント(0)シベリウス 

2019年09月09日


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ごく稀にだが、幸福なる出会いというのが人生にはある。

それはただ単に会って嬉しいという以上に、予期せぬ成果まで生まれて本人同士はもとより、周りの人間まで幸福にしてしまう、そんな出会いである。

2000年1月27日(モーツァルトの誕生日だ)、69歳で亡くなったウィーンのピアニスト、グルダは、音楽の都の伝統の継承者というレッテルを貼られるのが嫌で、ジャズやロックに走り、コンサートで演説をぶったり、先輩巨匠たちに難癖をつけたりと、反逆児を装った。

装ったと書くのは、グルダの心の奥底にはそれでもなおウィーンを愛し、モーツァルトに惚れ込み、その最高の演奏家たろうという自覚と自信と誇りがあったからである。

ウィーン・フィルとモーツァルトの名演を聴かせてくれたことは広く知られているし、かつてピアノを教えたことがあるというアバドの指揮でいくつかの協奏曲の録音を残しているが、行儀が良すぎるアバドに途中で退屈したとも語っていた。

そんなグルダが心からの喜びをもってモーツァルトのピアノ協奏曲に奉仕し、楽しみ、その世界を生き抜いた演奏がアーノンクールの指揮で録音された《第23番》と《第26番「戴冠式」》である。

グルダはモーツァルト時代の習慣そのままに、オーケストラが主題を奏で始めるとすぐにピアノで挨拶するように参加してくるが、そこにはオーセンティックなスタイルはこうなんだとか、物知りはこうするもんだといったスノビッシュな恰好づけは微塵もない。

笑顔で漏らす「だって弾きたくなるんだよ」という声が聞こえてきそうである。

しかもグルダの演奏は優しすぎないし、情緒過多にもならない。

背筋がスッと伸びており、英雄的というのか逞しい芯のあるモーツァルトである。

「天から遣わされた奇跡の音楽家」とか「音楽の神様」と言ってモーツァルトをもてはやすのではなく、グルダのモーツァルトは何よりも人間的であり、そこにある遠いようで近い距離感がかえってモーツァルトの音楽の素晴らしさを生き生きと、しかも輝かしく再現することになっている。

アーノンクールとのコンビがまた絶妙であり、2人はモーツァルトの作品を挟んで対話している。

その対話も最初から結論が出ている慰め合いなどではなく、より高い合意に達するための試練のようなコミュニケーションであり、それが演奏内容にかつてない陰影感と詩情を与えることになっている。

ことにグルダのピアニズムが結晶となった《第23番》は絶品で、聴き終えて、もう一度最初から聴き直したくなる。

そんなモーツァルトはそうあるものではない。

奇跡的出会いとなったが、グルダは例によってアーノンクールとその後決裂、以後アルバムを作ることはなかった(これ以前にはチック・コリアとの組み合わせで《2台のピアノのための協奏曲》を録音しているが)。

その理由を聞くと「やりすぎなんだよ、あいつは」とまた毒舌が始まった。

本当に美しい出会いは一度だけでいいのかもしれない。

余談だが、グルダはアルゲリッチの先生で、「先生のモーツァルトがある限り弾きたくない」と漏らしたとか。

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classicalmusic at 12:26コメント(0)グルダアーノンクール 

2019年09月08日


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1960年代、ジュリアード弦楽四重奏団によるアルバン・ベルクの『抒情組曲』がレコードになった時、これを超える演奏は今後もまず出ないだろうと評論家と称する人々は言った。

しかし、70年代に入って、ラサール弦楽四重奏団によるレコードを聴いた時も、アルバン・ベルク弦楽四重奏団によるレコードを聴いた時も、人は知らぬ間に同じように呟いた。

そして80年代末、アルディッティ弦楽四重奏団の『抒情組曲』のレコードを聴いて、人は、今度こそもう後のない演奏だと宣言したくなる誘惑に駆られた。

確かにコンテンンポラリー音楽の演奏を専門とし、鮮烈な技術と鋭敏なセンスを特質とするアルディッティ弦楽四重奏団が、20世紀音楽の原点の1つというべき新ウィーン楽派の音楽において優れた成果を出さないわけがない。

アルディッティ弦楽四重奏団による『抒情組曲』の演奏(作品3の弦楽四重奏曲も収められている)の充実ぶりからは、この曲が大規模な弦楽オーケストラのために(その3つの楽章が)編曲され、演奏されることなどそうして必要なのかと思えるほどの強度とニュアンスが伝わってくる。

彼らの、音の動きを精確に客観的に醒めた目で見据えようとするクールな姿勢が、楽章によっては(例えば本来なら最も白熱する第5楽章プレスト・デリランド)やや冷たさを感じさせないこともないが、逆に第3楽章アレグロ・ミステリオーソなどでは圧倒的な効果を発揮する。

それは、例えば、ラサール弦楽四重奏団によるこの曲の第3楽章アレグロ・ミステリオーソの演奏が、ペンデレツキの第1番の弦楽四重奏曲に30年も先立ってこの曲が存在していたことを印象づけるものであったり、ジュリアード弦楽四重奏団の演奏が、この曲の初演(1927年)から10年後に完成されるシェーンベルクの第4番の弦楽四重奏曲のリズムの構成や楽器法を改めて想起させるものであったりするような、その新しさ、その未来を明示してみせるのとは違い、その曲の過去を照射する。

それは、単に、『抒情組曲』という名をもたらしたとされるツェムリンスキーの『抒情交響曲』の一節やワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の一節が過去の作品の引用として明瞭に聴き取れるように注意深く演奏されているからではない。

ベルクがいわゆる12音技法を用いて(とはいえ全体としては調性的な技法も用いている)書いた2番目の曲であるこの『抒情組曲』には、もう1つの過去があることが知られるようになった。

そのことはベルクの弟子でもあったアドルノやベルクの伝記作家カーナーが既に予感していたことでもあったが、この曲はベルクとその愛人ハンナ・フックス=ロベッティンの悲劇的な関係を作曲家自身が様々な方法で刻み込んだ作品であることが具体的に確かめられるようになったのだ。

例えばベルク音象徴A(イ音)とB(変ロ音)、ハンナの音象徴H(ロ音)とF(へ音)がこの曲の様々な分節構造を決定していて、ほとんど強迫的につきまとっていることが指摘されている。

アルディッティの演奏は、この事実を踏まえ、この4つの音が作り出す(和声的旋法的な)関係をきわめて緻密なアンサンブルを通して特権化し、いわば登場人物をめぐるライトモティーフの断片のごとく演出してみせる。

聴き手は、アルディッティとともに、30分余りのこの曲のなかで、めくるめく展開する6場からなる声なきオペラを体験することになる。

その後90年代初めに再録音したアルバン・ベルク弦楽四重奏団の熱い演奏などとは対照的だが、これもまたベルクの一面を衝いた見事なアプローチの1つと言えるだろう。

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classicalmusic at 12:06コメント(0)ベルク 

2019年09月07日


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G.Ph.テレマンの作品の中からトラヴェルソとヴィオラ・ダ・ガンバに因んだ8曲を収録したディスクで、2001年にカナダのケベックで録音されアトマ・レーベルからリリースされた。

音質が極めて良好で楽器の特質をよく捉えた臨場感を体験できる。

タイトルのレ・ヴォワ・ユメーヌはこのアンサンブルの名称のようだ。

メンバーの中核は二人の女流ガンビスト、スージー・ナッパー及びマーガレット・リトルで通奏低音がエリック・ミルンズのチェンバロになる。

尚バルトールド・クイケンが使用しているトラヴェルソは1730年製のI.H.ロッテンブルグのコピーでピッチはa'=415だが、他のソリスト達の楽器については詳細が書かれていない。

ナッパー、リトルのコンビのアンサンブルは非常に良く練れている上に颯爽とした軽快さが感じられる。

しかもクイケンのトラヴェルソはいつものように決して重くならないので、どちらかというとモダン・バロックの響きが支配的だが、テレマンの音楽特有の喜遊性だけでなく、芸術的な深みにも欠けない優れた演奏だ。

2曲の無伴奏ファンタジーについては、クイケンは1972年に全曲録音をして以来新規にCDを出していないので、彼の近年の解釈の変化を知る上でも興味深い。

曲目はトリオ・ソナタの形式で書かれた『クワドロ』と名付けられたトラヴェルソと2つのガンバ及び通奏低音のための2曲のト長調の作品と、ガンバのための2曲の二重奏ソナタ、(この内の1曲は『カノン風』と題されている)、そしてトラヴェルソとガンバのためのソナタイ短調、トラヴェルソのソロ・ソナタホ短調、その他にニ長調とロ短調の無伴奏ファンタジーということになる。

テレマンは横笛のために膨大な作品を残しているが、またヴィオラ・ダ・ガンバを通奏低音から独立させてソロ楽器としても扱っている。

ガンバは伝統的にアンサンブルの形で使われていたが、サント・コロンブによってそのテクニックが飛躍的に高められたといわれる楽器で、テレマンもそのソロ性に着目している。

ここには収められていないが『パリ・カルテット』がその顕著な例でパリ滞在中に作曲されているのも示唆的だ。

トラヴェルソの柔らかい暖かみのある音色とガンバの雅やかな響きは非常に相性が良く、このCDではこうした特有の感性に焦点を当てた選曲に興味を惹かれる。

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classicalmusic at 13:46コメント(0)テレマンクイケン 

2019年09月06日


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カラヤンによる唯一のロシア・オペラの全曲録音で、1970年代の《ボリス・ゴドゥノフ》の代表盤だが、オリジナル版の再評価などがあり、このオペラの演奏は近年大きく変わった。

カラヤンの演奏は、むろんリムスキー=コルサコフ版で、演奏スタイルも今では理想的とはみなされない方向だ。

それでも、これは壮大で華麗なオペラとしての《ボリス・ゴドゥノフ》の極致というべきもので、版や演奏スタイルの主流がどう変わろうと、いささかも魅力を失っていない。

ボリスをめぐる年代史的な歴史劇の様々なページと情景が、この上なく豊麗な音と素晴らしい色彩との的確極まりないタッチをもって次々と展開される。

カラヤンの解釈は、このオペラを華麗にして壮大なスペクタクルとするもので、不安と不条理の表現に突き進むムソルグスキーの世界とは大きく離れたものだが、それは逆に、ムソルグスキーのオリジナルを〈グランド・オペラ〉化したR=コルサコフの改訂の意図に沿うと言えるかもしれない。

現在では、これが一体「正しい」演奏なのか?と思ってしまうにしても、カラヤンの指揮は色彩豊かに描き上げた壮大な表現で、劇的な力に満ち溢れ、そのドラマティックな演出に圧倒されてしまう。

もちろん素朴で暗いロシアなんてどうでもいい、こういう華麗なのが《ボリス》だ、と思わせるだけの、カラヤンとしても素晴らしい部類に入る演奏だ。

素朴さやロシアの暗さなど、この輝かしく劇的な演奏を聴けば、どうでもよくなる人も多いはず。

今となっては、いや生前だって、誰も真似できなかったカラヤン・スタイルのオペラの魅力が、ここには詰まっている。

カラヤンは、例によってオーケストラや合唱を豊麗に鳴り響かせるが、それだけにとどまらず、ここでは内から外に向かってあふれ出ようとする猯廊瓩鮟纏襪靴燭茲Δ任△蝓△修譴呂箸蠅錣厩臂А△垢覆錣遡噂阿寮┐泙犬ぅ┘優襯ーとなって噴出する。

聴き手を圧倒しないではおかない重厚な迫力が常のカラヤンとはひと味違っている。

歌手は端役にいたるまで充実していて、総じて声の美しい歌手が揃っているが、中でも当時上がり調子だったギャウロフのボリスは貫禄充分、心理的な葛藤を万全に歌いあげていて、傑出している。

ヴィシネフスカヤも表情豊かな歌を聴かせて、当代のスターが参集した壮麗さはソフィア放送合唱団を主体にするコーラスの力強い迫力も相俟って、まさにカラヤン・サーカス。

ところで、日本のわれわれはロシア・オペラというものを、特殊な範疇(スラヴ諸国のためだけのもの、というような)の中に押し込めてしまいがちなのだが、20世紀初頭のパリにおけるディアギレフ一座の成功以来、《ボリス・ゴドゥノフ》は西欧に衝撃を与え、その後も途切れることなく各地で上演されてきた。

このオペラを好んで指揮した1人に、トスカニーニがいる。

カラヤンが1960年代後半にザルツブルク音楽祭で指揮したのも、彼がレパートリー面でトスカニーニから大きな影響を受けていることを考えれば、むしろ当然のことなのである。

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classicalmusic at 12:06コメント(0)ムソルグスキーカラヤン 

2019年09月05日


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ブロムシュテットとサンフランシスコ交響楽団の録音は、取り立てて際立った個性があるわけではないが、中庸を得たすべてにバランスの良い秀演と言え、サウンド志向の人も満足させる実に豊麗な音質が特筆ものだ。

彼の演奏は地味ながら強固な力感と、必要にして十分な緊張感をもって作品の本質に迫る。

『アルプス交響曲』は膨大な編成によるオーケストレーションを見事に整理した上で、ふくよかさと明晰な響きを両立させディテールを入念に表出している。

例えば「日の出」で聴くことのできるコントラバスの厚い響き、この部分はコントラバスの持続音がまさにバス(基礎)として良く働いているために充実した重厚な響きを構築することに成功している。

アメリカのオーケストラがR・シュトラウスを演奏するとしばしば無機的で安っぽい響きになってしまうことがある。

しかし、ブロムシュテットは、バス声部を大切にすることによってサンフランシスコ響からヨーロッパのオーケストラのような響きを引き出し、安定した表現を獲得している。

また、全体が奇を衒うことのない落ち着いた音楽運びになっているのも素晴らしい。

無理して描写に拘らずR・シュトラウスの錯綜としたスコアを自然に再現することに重点を置いた表現は、ともすると単なるパノラマ描写の羅列に終わってしまうアルプス交響曲の真の魅力を明らかにしていると言える。

そのため「滝」におけるきらめくような水飛沫や「雷雨と嵐」での迫力ある音描写などはむしろ効果的になっている。

ただし、「頂上にて」のソロ・オーボエのニュアンスの不足や「日没」での迫力不足著しいヴァイオリン群などは全体を聴き終わった後の征服感を弱める結果を招いている。

特に「日没」ではヴァイオリンとハープ・パートのみがffで、他のパートはすべてf一つの指示になっている部分では渾身の力を込めたヴァイオリン群の張り詰めた響きがなければアルプスの山々に赤く夕日が映える荘厳な日没は描けない。

この部分の物足りなさは残念極まりない。

ヴァイオリン群は、この部分だけではなく全体に薄っぺらい音になるのが目立ち、この演奏の最大の欠点かもしれない。

なお、カップリングされている『ドン・ファン』も同じように優れた演奏で、作品の伸びやかさと音の繊細な効果をよく表現しており、劇的な力感も強い。

ただし、こちらはややアンサンブルに粗雑な面が見られるなど必ずしも万全でない部分が多い。

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classicalmusic at 12:16コメント(0)R・シュトラウスブロムシュテット 

2019年09月04日


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イタリアのジャーナリスト、モンタネッリとジェルヴァーゾの共著による『ルネサンスの歴史』文庫版の上巻になり、ルネサンス黎明期のイタリア小国家同士の紛争と教皇庁対神聖ローマ帝国、そして領土拡張を狙う近隣諸国の四つ巴の確執やヨーロッパを波状攻撃で襲うペストの流行の中で何故ルネサンスが起こったかが前半に説明されている。

そのひとつの理由として著者はイタリアには国家統一構想の観念も気運もなく、それぞれの領主がそのエネルギーを宮廷文化に注ぐことができたからだとしている。

一見独断と偏見に満ちた解説のようだが、実はそこに事実を見極める冷徹な眼がある。

例えば教皇庁の以夷制夷はお家芸とこき下ろす。

つまり敵対する国には他国を戦わせて自己の保身を図り、常に風見鶏的な政策を取って権威と利権にしがみつくだけの存在に堕していた。

そして歴代のローマ教皇の失態とそれに続くアヴィニョン捕囚への歴史が暴きだされている。

ルネサンス黎明期を担った文豪としてイタリア語という俗語で高度な詩のスタイルを完成させたダンテ、俗語によるヨーロッパ初の小説を書いたボッカチオ、そしてラテン文学の健在を示しながら実はイタリア語の達人だったペトラルカを詳細に解説しているが、ダンテは文人であるより先ず政治家であり、生涯政治闘争に巻き込まれ翻弄された。

そこにはまた大商人の興隆が無視できない。

モンタネッリは近代的商人の鏡としてフィレンツェのフランチェスコ・ダティーニの章を設けている。

彼は如何に多くの利潤を引き出し、損失を出さないかを徹底した記録と統計によって取り引きした。

勿論そこに天才的な勘を働かせていたことも事実だろう。

政治には全く関与しなかったので、相手が見方であろうが敵であろうが武器を売って一大財産を築き上げた完璧な商人気質だった。

彼より更に老獪だったのが銀行家コジモ・デ・メディチだ。

彼は金銭の力を誰よりも信じていたし、世の中に金で動かないものはないという哲学を持っていたが、またそれを使う術も熟知していた。コジモは驚くべき寛容さで画家、彫刻家、建築家を起用してフィレンツェ共和国を飾り、私設のアカデミーを創設してヨーロッパ最高の知識人を集めたサークルを開いた。

潔い性格でも知られていて、ライバルのアルビッツィ家の陰謀で国家反逆罪の逮捕状が出た時、コジモは逃げも隠れもせず死刑を覚悟で出頭した。

ただし裁判官に金を送って死刑は十年の流刑に減刑され、更にそれは一年に短縮された。

彼がフィレンツェに返り咲いた時には庶民から凱旋将軍のように受け入れられたという。

常に庶民を味方に付けるのもメディチ家のストラテジーだ。

ここではまた建築家ブルネッレスキ、彫刻家ドナテッロそして画家マサッチョなどが説明されている。

コジモから直接人生訓を受け継いだのが孫のロレンツォで、彼は教皇領イモラを強引に統合したことで教皇シクトゥス四世の恨みを買い、教皇にそそのかされた宿敵パッツィ家の謀反によって弟ジュリアーノを殺されただけでなく、教皇庁とナポリ王国から宣戦布告を受けるが、果敢にもロレンツォは単身ナポリに乗り込んでフェルディナンド王との直談判によって和平協定を結ぶという離れ技をやってのける。

メディチ家の治世に真っ向から反対の説教を繰り返したドメニコ派の僧サヴォナローラには常に寛容の態度を示し、死の床にあってサヴォナローラを呼び寄せ告解をして世を去った。

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classicalmusic at 12:31コメント(0)芸術に寄す筆者のこと 

2019年09月03日


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このDVDには若き日のカルロス・クライバー指揮による南ドイツ放送交響楽団演奏のヴェーバーの『魔弾の射手』序曲及びJ・シュトラウスの『こうもり』序曲のリハーサル風景とその本番の模様が収録されている。

どちらも1970年に制作され、シュトゥットガルト放送局からテレビ番組として放映された。

ちなみに当時クライバーは40歳で、彼の数少ない練習風景の貴重な記録だ。

オーケストラは過去にフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュが客演したこともある由緒ある楽団だが、おそらくオペレッタの伴奏など経験が無い、いくらか不粋な面も窺える。

それを如何に彼が乗り気にさせるかが腕のみせどころだ。

それ故彼らが得意とするのはむしろヴェーバーの方だろう。

しかし時折クライバーのかなり抽象的な言い回しによる要求を理解できない様子も正直に映し出されている。

またこの映像から判断すると、団員の平均年齢が高く、頑固そうな雰囲気も感じられる。

いずれにせよ本番では随分プログレスがみられることから、質のいいオーケストラであることは言うに及ばない。

クライバーのプローべはエキサイティングで、比喩的な指示が多い。

決して楽譜にこう書かれてあるからそうしろと要求するのではなく、楽員一人一人にその音楽に対する明確なイメージを喚起させながら曲作りを進めていくところに特徴がある。

曲想の表現の例えを話している時、「むこうの鏡に(テレビ番組のポスター)美男のヴァイオリン奏者が指揮者を殺そうとしている。だが私はいつも武装しているんですよ」などと言って団員の顔から笑みを引き出すことにもそつが無い。

またJ・シュトラウスの方もクライバーの『こうもり』に対する考え方がよく示されている。

端的に言えばシュトラウスの音楽には、喜怒哀楽があるので、しっかり濃淡をつけて演奏するように指示し、オーケストラが完璧な音を出すまで厳しい要求をしている。

特に機械的(事務的)に演奏することが嫌いで、彼のシュトラウスに対する熱い情熱と神がかり的な感性が宿っていることがよく判る。

モノクロ、モノラル録音でリージョンフリー。

言語は勿論ドイツ語だが、字幕スーパーは英、仏、西、伊の四ヶ国語で収録時間は2曲合わせて約102分程度。

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classicalmusic at 12:33コメント(0)クライバーウェーバー 

2019年09月02日


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オッフェンバックの19世紀半ばのパリでの圧倒的な人気は、彼が30年間に100曲を超えるオペレッタを書いた(書かされた)事実からも容易に想像できる。

ロッシーニをして「シャンゼリゼのモーツァルト」と呼ばせしめた鬼才オッフェンバックが、その生涯の最後に初めて本格的オペラとして意気込んで取り組んだのが『ホフマン物語』であった。

しかし、この唯一のオペラを完成することができぬまま、オッフェンバックは世を去った。

オッフェンバックの死後、ギローが、セリフの部分をレシタティーヴォに書き直し、オーケストレーションをつけて完成させ、これをもとにシューダン版がつくられている。

小澤征爾がドミンゴ、グルベローヴァらと録音した『ホフマン物語』は、1977年に発表されたドゥ=アルメイダによるクリティカル・エディションとギローのシューダン版の折衷版が用いられている。

シューダン版による録音としては、クリュイタンスが指揮したものがあり、大時代的な魅力を伝えている。

『ホフマン物語』は、詩人ホフマンが3人の女性への恋を物語っていくものであるが、小澤盤では、ジュリエッタの幕がアントニアの幕の後にきている。

これは、オッフェンバックのオリジナルの順序で、ホフマンが若い時代に人形のオランピアに盲目的に恋をし、純粋なアントニアとの恋を経て、ジュリエッタとの自堕落な生活に至るストーリー性を重視したものである。

ドミンゴが、第1幕やエピローグでの壮年期のホフマンと、オランピア、アントニア、ジュリエッタとのそれぞれの年代でのホフマンをどう演じ分けるかが聴きどころとなろうし、またグルベローヴァが3人の女性をどう歌い分けるかも楽しみなところだ。

第1幕は、小澤の指揮する学生たちの合唱が、速めのテンポでイキがいい。

「クラインザック」の歌でのドミンゴは、多彩な音色を用いて壮年のホフマンへの恋へのシニカルさと情熱の両義性を表現している。

第2幕は、なんといってもグルベローヴァのオランピアが素晴らしく、のびのびとした軽い声には安定感があり、楽々とコロラトゥーラをきめていく。

グルベローヴァの歌声の純度は高く、美しいし、ドミンゴは若々しく美しい声を聴かせてくれる。

第3幕冒頭のアントニアのアリアでは、グルベローヴァが、ヴィヴラートを多めにして思い入れたっぷりの表情をつけて、芸術家(歌手)としてのアントニアを表現しているが、まるで、コンサート・アリアを聴くかのような完成度だ。

ドミンゴのホフマンは情熱的で、ミラクルを歌うモリスは少しノーブル過ぎて迫力を欠くが、ルートヴィヒは母親役としての年齢を感じさせる温かい歌声を聴かせる。

第4幕の、グルベローヴァのジュリエッタは、娼婦にしては声が少し硬質かなと思うが、とにかく綺麗で、最後の七重唱でのホフマンは、恋に狂った男の行きついた疲れと情熱を歌い上げて、ラストの舟歌の合唱が美しい。

そして、エピローグでは、ドミンゴが、ホフマンの自嘲、やぶれた恋に対する怒りとあきらめ、自暴自棄、狂気、酔いを見事に表現していて名演だ。

それに対して、小澤が、学生たちの最後のドンチャン騒ぎを盛り上げているのも効果的で、ノリが素晴らしい。

小澤盤は、小澤の切れの良さもさることながら、ドミンゴとグルベローヴァに尽きよう。

ドミンゴやグルベローヴァが、どんなに上手く役を演じ分けても(実際、見事に歌い分けている)2人が歌うたびに、「ああ、ドミンゴだな、グルベローヴァだな」と思わずにはいられないほど、2人の歌声は、際立って魅力的なのである。

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classicalmusic at 12:15コメント(0)小澤 征爾 

2019年09月01日


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旧東独ドレスデン出身、オラフ・ベーアの歌ったドイツ・リートの若き日の録音が次々と再発され、ここにシューベルトの『美しき水車小屋の娘』『冬の旅』が揃ったし、シューマンも幾つかある。

些か懐古的になるが、フィッシャー=ディースカウ以来のリートの新星誕生と騒がれていたベーアは1990年初頭に日本にやって来て、『冬の旅』を歌ったので、この国のリートファンや声楽家のかなり多くが会場に足を運んだ。

筆者もその一人であったが、率直に言わせてもらうならば、結果は期待ほどではなかった。

日によってばらつきがあったし、全体の印象も、共演者のピアニスト、ジェフリー・パーソンズ(リート解釈では定評がある)に支えられて全曲を乗り切ったという感じで、かなり不安定な部分があった。

1989年のセッションではどうかと聴いてみたが、誤解を恐れずに言えば、日本だけでなくドイツでも、若者は随分心優しくなってきたのだな、というのが正直な感想だ。

この曲は、第1曲「おやすみ」から最後の「辻音楽師」まで、恋を失った若者の放浪から狂気に至る過程を、雪と歩行のイメージを伴って描いていく。

歌詞がそうなっているということ以上に、ピアノパートの音型にこれがよく現われているのだが、ベーアの歌う『冬の旅』は、そういう風にはきこえない。

31歳のベーアによる『冬の旅』は、もっと自己耽溺的で、第1曲「おやすみ」から長く辛い旅が始まるのではなく、ここでいきなり回想の歌を歌ってしまう。

そのため「菩提樹」の性格が曖昧になってしまったし「あふれる涙」での過度の弱声(第2節 ・ Wenn 以下)もちょっと異様にきこえるし、er の発音もやや不統一だ。

しかし色々あるとはいえ、この『冬の旅』は悪くなく、何よりも美声で歌われているし、それに、聴き終わってしばらく、絶望の淵をさまよって来たかのような感慨に捕らわれないのがいい。

後半尻すぼみになる感じはあるものの、これとて計算の上かもしれない。

かつてベーアは日本で過度に期待されたために「それ程でもないじゃないか」と言われてしまったが、フィッシャー=ディースカウの再来などという捉え方さえしなければ、バリトン歌手としてはこれからが声に深みが増す年齢である。

ここで彼は初めから絶望や狂気を歌おうとはしていない、むしろそこにこのディスクの価値を見るべきだろう。

蛇足になるが、筆者の大好きなプライは「甘い」と言われ続けたが、1990年の来日時には、実に厳しいシューマンやシューベルトを歌っていった。

歌は世につれ、とはシューベルトの再現にも当てはまるのだろうか。

併録の『美しき水車小屋の娘』は、歴代の名歌手たちのような達者で時に饒舌とも思えるような歌唱とは一味違う、誠実で献身的な心を歌い、ひたむきで一途な男の魅力が充ち満ちている。

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classicalmusic at 12:53コメント(0)シューベルト 
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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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